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安楽死・尊厳死:日本

2000- 2005


   *以下とりあえず。未整理。共同作業者を求めています。

■日本

  *以下の各ファイルの記載の方が詳しいものになっています。
  -1970's 1980's 1990's 2000- 2005
1930頃  から刑法学者の間で肯定論が徐々に高まる
1962   1961に起きた山内事件二審名古屋高裁判決(宮野[1976:104])
1963   太田典礼が「安楽死の新しい解釈と合法化」(『思想の科学』63-8)
     『安楽死のすすめ』(三一書房)〜
19650810 葬式無用,簡素化を主張した「葬式を改革する会」が稲田務,太田典礼
     金原一郎、植松正らを中心に発足。*
1972   日本脳神経外科学会植物状態患者研究協議会「植物状態の定義」
19730315 しののめ編集部編『強いられる安楽死』
19740315 太田典礼『毎日新聞』1974-3-15
     (清水昭美[199803:89]に引用)
19750619 安楽死懇話会世話人会(設立準備会)開催
19760120 「安楽死協会」設立。初代理事長に太田典礼就任。
197606  「安楽死協会」,名称を「日本安楽死協会」とする。
19760823〜24 日本安楽死協会,第一回国際安楽死会議を開催(東京)
     東京宣言
19770423 日本安楽死協会第1回年次大会開催
197707  「東海安楽死協会」発足*
19780513 第2回年次大会開催(東京)*
197805末 日本安楽死協会の財団法人設立許可申請を法務省へ提出
19780620 鈴木 千秋 19780620 『平眠――わが母の願った「安楽死」』
 新潮社,261p. 850円
197811  日本安楽死協会 「末期医療の特別措置法案」
19780630 法案作成委員会正式発足*
19781129 法案作成委員会草案作成作業終了*
197811  安楽死法制化を阻止する会(発起人:武谷三男・那須宗一・野間宏・松
     田道雄・水上勉)の声明(猪瀬[1987:153])
19781111 TBSテレビの土曜ドキュメント「ジレンマ」に太田典礼・和田敏明出演
19781220 日本安楽死協会「安楽死法制化を阻止する会」の声明に対する反駁声明
19790315 日本安楽死協会「末期医療の特別措置法」草案を正式発表*

198112  日本安楽死協会「新運動方針」
1983   日本安楽死協会,日本尊厳死協会に改名
1983   「末期医療の特別措置法」,請願署名を添えて国会に提出。審議未了
1984   日本尊厳死協会,厚生省に社団法人設立の許可申請を出すが,「時期尚早」と認められず

199104  東海大学安楽死事件
19920309 日本医師会第III次生命倫理懇談会
     「「末期医療に臨む医師の在り方」についての報告」
199205  読売新聞社「がんと尊厳死に対する世論調査」
1995   東海大学付属病院事件判決
199604  京都・京北病院安楽死事件
1998   厚生省「末期医療についての意識調査」(1998年1〜3月)
…… 200603  射水市民病院での人工呼吸器取り外し明らかになる

 日本安楽死協会編[1977][1986]
 日本尊厳死協会[1985][1986]…,
 太田[1963][1972][1981]…,
 太田へのインタヴューとして猪瀬[1987:151-168],宮野[1976:68-70]
 立法化の動きについて他に宮野[1976:167-184]
 運動について日本安楽死協会編[197704]
 文献:
 阿南[1977](法学者・批判的)
 宮川[1979][1983][1983]
 宮野[1976][1984]
 Sarda[1975=1988:212-261]
 Wertenbaker[1957=1973]:癌の夫の自殺幇助の記録


◆猪瀬 直樹 19870820 『死をみつめる仕事』 新潮社,209p. 1200 三鷹い

刑法第199条「殺人」
 人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ三年以上ノ懲役ニ処ス
刑法第202条「自殺関与」
 人ヲ教唆若クハ幇助シテ自殺セシメ(注:自殺幇助罪・自殺関与罪)又ハ被殺者ノ嘱託ヲ受ケ若クハ其承諾ヲ得テ之ヲ殺シタル者ハ六月以上七年以下ノ懲役又ハ禁固ニ処ス(注:嘱託殺人罪・同意殺人罪)
刑法第35条「正当行為」
 法令又ハ正当ノ業務ニ因リ為シタル行為ハ之ヲ罰セズ


 
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■1962 名古屋高裁判決

http://hypnos.m.ehime-u.ac.jp/Masuika/abstract-term/termj40.html
より
山内判決の事件の概略
 愛知県のある町で農業を営む青年(山内某;当時24歳)の父(当時52歳)は昭和31年に脳溢血で倒れ,昭和34年再出血を起こして半身不随になり,上下肢は屈曲位で固定され,少しでも動かすと激痛が走るようになった。しゃっくりの発作も起こり,「苦しい,殺してほしい」と家族に訴えるようになった。昭和36年夏家族は主治医から「おそらく後7日間か,それとも10日間くらいの命だろう」と告げられた。父親の苦しむ様子を見て,この苦痛から解放することが最後の孝行になると決意した青年は,自宅に配達された牛乳瓶の中に有機リン殺虫剤を混入し,事情を知らない母親がその牛乳を飲ませたため,死亡し,青年は尊属殺人の罪に問われた。

昭和37年名古屋高裁における山内判決…安楽死の六要件
(1)病者が,現代医学の知識と技術からみて不治の病に冒され,しかもその死が目前に迫っていること。
(2)病者の苦痛が甚だしく,何人も真にこれを見るに忍びない程度のものなること。
(3)もっぱら,病者の死苦の緩和の目的でなされたこと。
(4)病者の意識が,なお明瞭であって意思を表明できる場合には本人の真摯な嘱託,または承諾のあること。
(5)医師の手によることを本則とし,これによりえない場合には,医師によりえないと首肯するに足る特別な事情があること。
(6)その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものなること。
 判決は懲役1年執行猶予3年。

◇立山龍彦『自己決定権と死ぬ権利』(1998,東海大学出版会)pp.65-69

 
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■東海大学安楽死事件

◆横浜地方裁判所 19950328 「医師による積極的安楽死と治療行為中止の一般的許容要件を提示した判決(東海大学安楽死判決)――横浜地判平七・三・二八判時一五三〇号二八頁(殺人被告事件)」
 町野朔他編[1997:018-036]
清水 昭美 19950510 『看護婦が倫理を問われるとき』
 日本看護協会出版会,A5/192頁/1,942円 ISBN: 4-8180-0478-2
 第3章 命の重みを忘れてはいないか――”安楽死”をめぐって
  東海大学病院の「安楽死」事件をめぐって
清水 昭美 199510 「安楽死と看護婦の立場――東海大事件の判決から考える」
 『エキスパート・ナース』11-10:148-151  
永井 明 19959691 『病者は語れず――東海大「安楽死」殺人事件』
 文藝春秋,229p. 1400 ※
◆入江 吉正 19960830 『死への扉――東海大学安楽死殺人』
 新潮社,397p. 1700 ※
三輪 和雄 19980705 『安楽死裁判』 潮出版社,261p. ASIN: 4267014981 1300 [boople][amazon] ※/松本 d b ** 07a
内容(「BOOK」データベースより)
安らかな死か延命か、終末医療の現場で戸惑う患者の家族。脳外科医30年の著者がある大学病院で起こった「安楽死」を巡る事件の顛末を、克明な裁判記録で追う。
内容(「MARC」データベースより) 終末医療の現場で戸惑う死の瞬間。医療技術の格段の進歩から延々と続く延命治療。尊厳な死を望むその家族。交錯する医療体制。ある大学病院で起こった安楽死を巡る事件の顛末を克明な裁判記録で追う。〈ソフトカバー〉
目次
ことの始まり
最初の手違い
作られた臨終
奇妙な発覚
公判開始
最初の山場
「言ってない」「覚えてない」
“苦しみからの解放”とは
病院という密室
院長、同僚―証人群像〔ほか〕


 
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■京都・国保京北病院安楽死事件

 1996年4月,末期癌で入院していた昏睡状態の48歳の患者に医師の独断で筋弛緩剤を投与,約10分後に死なせたとして,京北病院の当時の院長が翌年殺人容疑で書類送検された。
 患者本人に告知はされておらず,患者からの意思表示もなかった。前院長は事件直後,「安楽死の認識はあった」と話したが,半年後には「苦悶の表情を消すのが目的で医療行為の一環」と主張,「筋弛緩剤の効果が表れるまでに起きた自然死」と殺意を否定した。結局,筋弛緩剤投与と患者の死の因果関係などの立証が困難となり,最終的には今回の死は「安楽死」や「慈悲殺」ではなく自然死だったと判断されたため,「容疑なし」で不起訴処分に終わっている。

◇19960607 京都新聞報道
 「京北町の公立病院 筋弛緩剤を投与,死亡 末期がん「安楽死」目的 府警主治医ら聴取」
 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/june/7/anraku.html

◇19960613 『京都新聞』
 緊急インタビュー 安楽死を問う(上)
 京都大胸部疾患研究所付属病院 西森三保子・看護婦長
 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/ojikoji/intv/anrakusi/anrakusi1.html

◇19960614 『京都新聞』
 緊急インタビュー 安楽死を問う(中)
 日本生命倫理学会 星野一正・会長
 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/ojikoji/intv/anrakusi/anrakusi2.html

◇19960617 『京都新聞』
 緊急インタビュー 安楽死を問う(下)
 日本医学哲学倫理学会 奈倉道隆・理事
 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/ojikoji/intv/anrakusi/anrakusi3.html

◇19960614 『産経新聞』 正論
 京大教授 加藤尚武 「「安楽死」事件の再発防止を」
 http://netsv.sankei.co.jp/databox/paper/96/paper/0614/seiron.html

◇19960623
 加藤尚武 「「安楽死」事件の再発」
 (本稿は6月14日産経新聞掲載の原稿に補遺を加えたものである。※加藤氏の注記)
 http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/euthanasia.html

 
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■2002- 川崎筋弛緩剤事件
 
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■2003-2004 関西電力病院

◆2003/08/07 「<安楽死>関電病院の元医師送検 院長が会見」
 毎日新聞ニュース速報

 関西電力病院の男性医師=既に退職=が末期がん患者に塩化カリウムを投与し安楽死させたとして、書類送検された事件で、三河春樹院長(72)は7日、大阪市福島区の同病院関連施設で会見し、「事件直後に元医師から聞き取り、通常の医療行為と判断した。今も安楽死とは考えていない」と言い切った。一方、書類送検については、「当時、客観的な判断を仰ぐため、警察に届けるべきだった」と話した。
 三河院長によると、亡くなった男性はカリウム不足のため、塩化カリウムを投与する治療を受けていた。男性の死亡直後、院内で安楽死が行われたのではとのうわさがあり、院長が直接、医師に、塩化カリウムの投与の時期や量などを聞いた。その結果、過剰投与ではなく、死期を早めることにつながらなかったと判断した。今回、府警の調べで、薄めずに原液で投与したことが判明したが、病院側は聞いてなかったという。
 昨年暮れ、病院に投書があったが、「当時の判断と変わりない」として、新たな調査はしなかったという。しかし、警察に告発した理由については「第三者からの指摘なので、重要な問題ととらえた」と説明した。病院が「警察に届ける」と説明したところ、遺族は「表ざたにしてほしくない」と要望したという。【根本毅】

 がんの痛みを抑えるにはモルヒネなどの鎮痛薬が有効で、WHO(世界保健機関)も普及を進めている。日本でも89年に厚生省(当時)が全国の医師会員にマニュアルを配布した。がんの緩和ケアが専門の武田文和・埼玉医大客員教授は「適切に対応すれば取りきれない痛みはない」と説明、「問題は個々の医師が積極的に情報を集め、実践するかどうかだ。その問題は(今回の事件が起きた)95年も今も変わらない」と言う。国内のモルヒネの使用量は今でも英、米などの10分の1〜5分の1程度しかない。
 患者や家族からは「苦しむなら死なせてほしい」という声があがる。しかし武田さんは「苦痛除去が不十分だからそんな声が出る。医療者側の意識改善や技術普及は当然だが、患者さんや家族は医師の治療に言いなりにならず、納得できる医療の実現を求め続けて欲しい。それがより効果の高い医療の実現につながるはずだ」と話す。
 一方、患者の権利に詳しい内田博文・九州大教授(刑法)は今回の事件について「治療を尽くし、痛みを和らげられず、安楽死が最後の手段だったのかがポイントだ。もし、家族が求めたのなら、医師との共犯関係が生じて殺人教唆になる可能性がある」と指摘する。

   ◇   ◇

 日本学術会議の「死と医療特別委員会」は94年の報告の中で、患者の求めがある以上、延命医療を中止することは何ら医師の倫理にもとるものはない、としている。しかし、毒物などを用いて患者を殺害する行為は、苦痛の緩和が目的でも、自然の生命を奪うものとして殺人となり、認められないと明記している。【奥野敦史、根本毅、今西拓人】」
[2003-08-07-20:18]

◆2003/08/07 「末期がん患者“安楽死” 殺人容疑で医師書類送検」
 読売新聞ニュース速報

 大阪市福島区の関西電力病院で8年前、末期がんの男性患者に対し、当時の主治医(48)が多量の塩化カリウムを短時間に投与し、死亡させていたことがわかった。
 ◆薬物投与…8年前、大阪で◆
 大阪府警のこれまでの事情聴取に対し、医師は「患者の苦しむ姿や家族の悲しみをみかね、苦痛のない方法で死なせた」と説明している。府警は、ほかに苦痛を緩和する方法があるなど、判例上、「安楽死」を容認する要件を満たしていないと判断し、7日、医師を殺人容疑で書類送検した。
 府警によると、医師は男性で現在、別の病院に勤務している。死亡したのは、大阪府内の当時46歳の会社員。
 男性患者は1995年2月に入院したが、当時、すでに末期の直腸がんで、余命わずかと診断された。医師に「娘にみとられたい」と訴えていた。
 入院からまもなくして危篤状態に陥り、意識を失った。家族や親族が病室に集まったが、けいれんを繰り返して苦しむ姿に娘が耐えきれず、病室を飛び出そうとするなどしたため、医師が塩化カリウム10ccを原液のまま点滴して数分後に死なせた、という。
 同病院によると、「かつて安楽死事件があった」とする匿名の投書が昨年末に寄せられ、内部調査をしたが、事実関係が解明できなかったため、病院が今年3月に府警に告発した。
 府警が、医師による積極的安楽死が認められる4要件に照らして検討。▽患者は当時意識不明の状態で、苦痛を感じていたのかどうか不明確▽モルヒネ投与など苦痛を緩和する手段が尽くされていない――の2点で要件を満たしておらず、医師の行為は殺人に当たると判断した。
 医師は「当時は仕方ない選択だったと思ったが、今は反省している」と話している、という。一方、家族や親族は医師の処罰は望んでいない、という。
 関西電力病院は「当局に判断を委ねている段階であり、その判断を待ちたい。医療倫理に関して一層の改善を図り、万全を期していきたい」とする三河春樹院長のコメントを出した。
           ◇
 医師による安楽死をめぐっては、1991年に東海大付属病院(神奈川県伊勢原市)で末期がん患者に塩化カリウムを注射して死亡させた男性医師が殺人罪で起訴され、横浜地裁が「患者本人の意思が明らかでなかった」などとして執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。
 また、96年に国保京北病院(京都府京北町)の男性院長が末期がん患者に筋弛緩(しかん)剤を投与して死亡させたとして殺人容疑で書類送検された。この事件で京都地検は「正当な医療行為とは認められない」としながらも、筋弛緩剤の投与と患者の死の因果関係が立証できないとして、院長を不起訴処分にした。
 98年11月には川崎協同病院で、女性医師が入院中の男性患者に筋弛緩剤を投与して死亡させた。女性医師は殺人罪で起訴され、現在、公判が続いている。
 ◆安楽死4要件=1991年に起きた東海大付属病院の「安楽死」事件の有罪判決の中で横浜地裁は、医師による積極的安楽死の違法性が阻却される要件として、〈1〉患者に耐え難い肉体的苦痛がある〈2〉死が不可避で、死期が迫っている〈3〉苦痛を除去、緩和する方法がほかにない〈4〉生命の短縮を承諾する患者の明らかな意思表示がある――の4点を示した。」
[2003-08-07-14:05]

◆2004/03/22 <安楽死>男性医師を嫌疑不十分で不起訴に 大阪地検
 毎日新聞ニュース速報

 「関西電力病院(大阪市福島区)で95年2月、末期がんの男性患者(当時46歳)に塩化カリウムを投与して死亡させたとして、殺人容疑で書類送検された男性医師(49)=退職=について、大阪地検は22日、嫌疑不十分を理由に不起訴処分にした。患者の死亡から9年が経過しており、地検は「遺体の解剖が行われておらず、死因を特定できないなど客観的証拠に乏しい」と説明した。
 この医師は95年2月、末期の直腸がんで激しいけいれんを起こした入院患者の痛みを和らげるため、塩化カリウム20ミリリットルを原液のまま投与して患者を死亡させたとして、殺人容疑で書類送検された。医師も容疑を認めていた。
 地検が捜査した結果、塩化カリウムを薄めた状態で投与したことを裏付ける診療記録のコピーが見つかった▽容疑を認めた医師の供述を裏付ける証拠が十分でない▽関係者の供述内容もあいまいで変遷している――などとして、医師の訴追を見送った。【木村哲人、田中謙吉】

 関西電力病院の三河春樹院長の話
 不起訴と判断されたことで、区切りがついたものと受け止めている。今後は医療倫理
に関して一層の改善を図り、病院経営に万全を期していきたい。」[2004-03-22-22:01]

◆2004/03/22 「大阪地検、殺人容疑の医師を不起訴処分 関電病院事件」
 朝日新聞ニュース速報

 関西電力病院(大阪市福島区)で95年2月、男性医師(49)が末期がんの男性患者(当時46)に薬剤を点滴して死亡させたとされた事件で、大阪地検は22日、殺人容疑で書類送検されていた医師を不起訴処分(嫌疑不十分)にした。医師は大阪府警の捜査では「家族を楽にしてあげたかった」などと容疑を認めていたが、地検の調べには否認。地検は、関係資料からも、薬剤投与と死亡の因果関係を立証できないとして、立件は困難と判断した。
 医師の行為が安楽死として許容される要件としては、95年3月の横浜地裁判決が、「患者に耐え難い肉体的苦痛がある」「患者の意思表示がある」ことなど4点を示している。大阪地検は、今回の事件がこの要件にあてはまるかも含め、慎重に捜査してきた。しかし、男性の死因が特定できなかったことから、安楽死かどうかの判断には踏み込まなかった。
 調べによると、末期の直腸がんで入院していた男性患者は95年2月5日午後8時55分ごろ、医師から塩化カリウム溶液を点滴され、約5分後に死亡したとされる。府警は、医師が故意に溶液を原液で投与し、急性高カリウム血症で死亡させたとして、昨年8月、「刑事処分相当」と殺人容疑で書類送検していた。男性は溶液を投与される直前には、すでに昏睡(こんすい)状態になっていたという。
 医師は男性の主治医で、大阪府警の調べには「薬剤を薄めずに投与すれば死ぬと思っていた」「死期を早める措置だった」と容疑を認める供述をしていた。しかし、地検の調べに対しては「塩化カリウムは希釈して投与した」などと供述を変え、容疑を否認した。
 当時病院に勤めていた別の医師が保管していた看護記録の写しにも、塩化カリウムを希釈して使ったと記されていた。地検が医療関係者に確認したところ、記録に記載されていた行為自体は医学上問題のない措置だった。
 さらに、遺体が当時司法解剖されなかったため死因が特定できない▽事件の発生から時間がたち、関係者の供述もあいまいで変遷している▽遺族が処罰を望んでいない――ことなどから、起訴できないと判断した。
 事件は02年12月、病院に匿名の投書が届いて発覚。病院は昨年3月府警に告発していた。医師は現在は別の病院に勤務している。
 <三河春樹・関西電力病院長の話> 検察庁が不起訴という判断をされたことで区切りがついたものと受け止めている。今後は医療倫理に関して一層の改善を図り、病院経営に万全を期していきたい。」[2004-03-22-21:59]


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安楽死・尊厳死
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