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死なせることを巡る言説

安楽死・尊厳死


 ◆死なせることを巡る言説 1970年代
 ◆死なせることを巡る言説 1980年代
 ◆死なせることを巡る言説 1990年代
 ◆『福祉のターミナルケア』1997
 ◆死なせることを巡る言説 2000年代


■「(単なる/徒らな)延命」   情報提供・協力:大谷いづみ

◆太田 典礼 19730615 『安楽死のすすめ』,三一書房,三一新書,223p. ISBN: 4380730077 683(400) [amazon][boople] ※ d01 et
 「回復の見込みのあるものは医学的治療をうける権利があるわけだが、見込みのない場合は単なる延命である」(太田[1973:121])

太田 典礼 19771229 「死の判定と過剰治療 生命尊重と無理な延命区別せよ」
 『朝日新聞』1977-12-29

 *ほか、太田の言葉として「意味のない延命」「無駄な延命」など、1970年代半ばには続々と。

◆19771205 「「人間らしい死」東西で研究集会 延命技術だけの医療反省 市民含め討論」
 『朝日新聞』1977-12-5文化欄
 (「実地医家の会」*と「死の臨床」研究会を紹介)  *1976年1月に「安楽死」、1977年に「植物状態をめぐって」をテーマに例会開催。(タームとしての「単なる延命」の語は現れない)

◆日本安楽死協会 197811 「末期医療の特別措置法案」

「第一条(目的)
  全ての人は、自己の生命を維持するための措置を受容すべきか否かにつき、自ら決定する権利を有する。この権利に基づきこの法律は、不治かつ末期の状態にあって過剰な延命措置を望まない者の意思に基づき、その延命措置を停止する手続きなどを定めることを目的とする。
第二条(定義)
  この法律で「不治かつ末期の状態」とは、合理的な医学上の判断で不治と認められ、延命措置の施用が単に死期を延長するに過ぎない状態をいう。
  この法律で「過剰な延命措置」とは、その措置によって患者が治癒現象を呈せず単に死期を延長するに過ぎない措置をいい、苦痛緩和のための措置は含まない。
第三条(本人の過剰な延命措置を拒否する意思の表示)[…]」

日野原 重明 1983 『延命の医学から生命を与えるケアへ』,医学書院

◆内閣府政府広報室 1989 「医療における倫理に関する世論調査」
 http://www8.cao.go.jp/survey/h02/H02-10-02-17.html

Q6(1)  〔回答票7〕 生命をのばすために必要な医療を受けることについて,あなたはどう思いますか。この中であなたのお考えに近いのはどちらですか。まず,「(1)あなたご自身の場合」についてはどうですか。(以下(2)から(3)まで順次聞く。)(1)あなたご自身の場合

(27.2) (ア) 医学上の最新の成果を十分活用して,延命のために最善を尽くすのがよい
(65.2) (イ) あまり不自然なことはせずに,寿命のままにまかせるほうがよい
( 7.6) わからない

Q6(2)  〔回答票7〕 (2)肉親の場合で,本人の延命の意思がわからない場合
(35.5) (ア) 医学上の最新の成果を十分活用して,延命のために最善を尽くすのがよい
(53.2) (イ) あまり不自然なことはせずに,寿命のままにまかせるほうがよい
(11.3) わからない

Q6(3)  〔回答票7〕 (3)肉親の場合で,本人が延命を希望していない場合
(21.3) (ア) 医学上の最新の成果を十分活用して,延命のために最善を尽くすのがよい
(67.3) (イ) あまり不自然なことはせずに,寿命のままにまかせるほうがよい
(11.4) わからない

◆大塚 宣夫 19900928 『老後・昨日、今日、明日――家族とお年寄りのための老人病院案内』,主婦の友社,225p. ASIN: 4079340109 1400 [amazon][boople] ※, b a06

 「昭和六十三年六月、老人病院の管理運営に当たっている仲間とともにヨーロッパへ出かけました。目的はヨーロッパの平均的な老人病院や介護施設を見ることでしたが、特に関心があったのは、当時わが国の新聞、雑誌、テレビなどで散見されていた次の二点の真偽でした。
 第一は、ヨーロッパの老人施設にはわが国でいういわゆる「寝たきり老人」がきわめて少ないこと、第二は、ヨーロッパの国々では高齢者に延命のための医療行為はほとんどなされないということについてでした。」(大塚[1990:114])

◆廣瀬 勝世 19910312 「「尊厳ある死」を選ぶとは」,日本尊厳死協会常任理事・廣瀬勝世さん,朝日新聞(家庭面:ゴ問ゴ答) 〔PDF〕

1 世論調査の結果をどう見ますか。
 妥当だと思いますね。むだな治療はしてほしくないと、本音でいえるようになった。
 教会では尊厳死を宣言し、書面に残します。「私の病気が現在の医学で不治の状態であり、すでに死期が迫っていると診断された場合には、いたずらに死期を引き延ばすための延命措置は一切お断りします」「ただし、私の苦痛をやわらげる処置は最大限に実施してください。そのためにたとえば麻薬などの作用で死ぬ時期が早まったとしても、いっこうにかまいません」「私が数カ月以上にわたって、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持装置をとりやめて下さい。この三項目です。
 私が入会した一九八二年当時は会員は千人足らずで、安楽死協会といっていたころなので冷たいといわれた。医者は治療をやめるべきではない、家族はそんなことを望むべきでない、という時代です。この二、三年、会員は急増して二月末で一万三千四百一五人に。昭和天皇の病気で、多くの人が延命や現代の医療について考えたと思う。そして脳死問題は、尊厳死に密接に結びついてきていますね。

2 女性の会員が多いそうですね。
 全体の六五%強が女性で、六十歳前後の方が多いですね。世界中、女が多い。そこにこの問題の大きなテーマがある。男性は母親や奥さんに守られているから、自分は世話をしてもらえると思っている。私は戦前から女性犯罪の精神医学的研究をし、女子刑務所を訪ねて殺人罪の受刑者と話してきました。病弱な娘が年老いた親の世話をしきれずに殺すケースがありました。当時は30代の娘に60代の母親、いまはもっと高齢化しているけれど、結局、自分の親、夫の親、そして夫、と最期までをみとるのは、一般的にやはり女性です。
 尊厳死協会も従来は、植物状態の場合、医者や家族の側からの見方が主でした。私は逆に、自分がそうなったらどうしてほしいか、私は家族の人生を狂わすような迷惑はかけたくない。それが愛情のけじめではないか、と。女性の共感を呼んだようですね。最近は夫婦会員が増えました。昔と違って夫婦でつきつめた話もするようになった。子どもが少なくなったことも影響しているでしょう。

3 尊厳ある死とは?
 結局、平安な「自然」の死なんですよ。いくら治療をしても時期が来れば死ぬのがわかっているのに、ただ引き延ばすのは不自然でしょう。医師や家族が何とか助けたいと手を尽くすことは同じ医者として理解できます。でもいつまでもというのは反対です。
 ある内科の“権威”が、十年近く植物状態だそうです。お弟子さんも偉い医者ばかりで、大変な治療をし、だれも延命装置をはずせない。「あの人が決めた」といわれるからだれも手を出せない。その人本来の姿とかけ離れたみじめな死に方は、その人の尊厳をそこなっていると思います。外国では、苦しんでいる人を死なせる積極的な安楽死を尊厳死としている団体もあるが、日本では終末期医療における消極的な安楽死までです。

4 自分はそこまで考えたくはないが、家族の手前、書かざるをえない、というような心配は。
 ないとはいえません。遺言書もそうですからね。リビング・ウイルはいつでも撤回できるということをもっとPRした方がいいかもしれません。それよりも家族に反対されている人がいます。「こんなに皆が世話しているのに、なぜそんなことをいうのか」と。ナンセンスです。この問題は、それぞれの人生観、宗教観などによることで、答えは一つではない。

5 「書面にまでしなくても」という考え方もあります。
 記録に残すのが一番と思います。日本医師会の調査で医師の九〇%近くがリビング・ウイルを認めていて、ある公立病院ではコピーしてベッドに張ったりカルテに添付している。医師の側も変わってきた。書いていない場合、家族は延命装置をはずすかと尋ねられたら悩むでしょうし、医師もはずしにくいと思う。
 「死」はだれ一人として避けられません。リビング・ウイルとは、死に方ではなく、自分が最後までどういう人生を送りたいか、という生き方を考えることなのです。

 聞き手 生井久美子
 写真 渡辺剛士

◆デーケン,アルフォンス 19911120 「ホスピスの思想と歴史」
 デーケン・ 飯塚編[1991:5-20]*
*アルフォンス・デーケン・ 飯塚 眞之 編 19911120 『日本のホスピスと終末期医療』,春秋社,347p. ISBN-10: 4393363264 ISBN-13: 978-4393363263 1890 [amazon][kinokuniya] ※ d01.t02.
 「ホスピスに入る患者は、人間としての生命の質を重視して、自分なりの死を全うする生き方を選んだ人たちだといえよう。冷たい機器に囲まれた肉体だけの延命は望んでいない。多くのホスピスでは、こうした患者の希望に沿って、生命の質を最後までより高めるために、さまざまな全人的アプローチを試みている。その具体的方法としては、音楽療法、芸術療法、読書療法などが挙げられる。」(デーケン[1991:16])

◆山崎 章郎 19911120 「一般病院におけるホスピス・ケアの可能性と限界」
 デーケン・ 飯塚編[1991:49-80]*
*アルフォンス・デーケン・ 飯塚 眞之 編 19911120 『日本のホスピスと終末期医療』,春秋社,347p. ISBN-10: 4393363264 ISBN-13: 978-4393363263 1890 [amazon][kinokuniya] ※ d01.t02.
 「患者の延命治療を考える時には、患者が自分の病状を知らなければ、つまり告知することができなければ、医療の義務と責任としてその命を少しでも延ばすことを考えるわけですけれども、もし患者が自分の病状を知った上でいろんなことを望むならば、たとえその命に少々の危険があったとしても、それを応援することのほうが意味があるんじゃないかということです。」(山崎[1991:58])
 「延命治療を考える場合、一パーセントの可能性があれば、いろいろ治療していこうというのがいまの医療者の考えだと思いますが、患者にも、九十九パーセントの可能性がないとわかった時に――彼女の場合は一〇〇パーセント可能性がなかったわけですが――自分でどうするかという判断の指針を与えてあげなければおかしいのではないかと思うわけです。」(山崎[1991:59])

◆日本医師会第III次生命倫理懇談会 19920309 「「末期医療に臨む医師の在り方」についての報告」

 「(1) 医学・医療の進歩・発展と延命努力
 患者の身を疾病から守り、健康を取り戻させて、日常生活に復帰させることは、古来、医師の最大の使命であり、目的であるとされてきた。このような目的は、医療の発達によって近年大幅に実現されるようになった。それには、科学的な医学の進歩と医師の努力によるところがたしかに大きい。しかも、科学はたえず進歩するから、仮にさしあたり治癒する見込みがなくても、延命を続けさせているうちに、なにかその病気に対する特効薬が発見されれば、治癒する可能性が出てくる。したがって、患者に対する延命努力は、医師にとって医療行為そのものであるといってもよい。
 しかしその反面、さまざまな新薬や人工呼吸器などが発達して、重症の患者の延命が可能になるにともなって、延命そのものが過大に目的とされるようになったことも否めない。ここで必要なことは、医師の患者に対する延命努力を、もう一度医療の全体のなかでとらえなおすこと、患者本人の意思や利益・幸福の観点から総合的に判断しなおすことであろう。
 (2) 患者の利益とはなにか
 まず患者本人の意向であるが、患者が医師に望むことは、なによりも、疾病を治癒させてふたたび健常な人間として活動できるようにしてほしいということである。しかし、そうはいっても、ひとはいつまでも無限に生き長らえることはできない。不老・不死は願望としては持ちえても、それが実際には不可能なこと、人間がいつかは死ぬことは、誰もが承知している。こうしてひとは、重症の病床、とくに長い闘病生活にあたっては、死を想い、好ましいかたちで死を迎えることにより、自己の生を全うすることを望むようになる。
 そして一般的にいえば、死に臨むとき、患者として臨むことは、苦痛が少なく、清明な意識をもって、近親者に金銭的、労力的にできるだけ迷惑をかけずに、遺産や後継者などの問題を適切に処理して、人間として自然なかたちで(尊厳をもって)死を迎えることであろう。むろん、厳密にいえば、なにをもって利益とし、なにをもって幸福とするかは、ひとそれぞれによってある程度違うであろう。それは、最終的には、患者本人が自分の意思で決めることである。
 このような患者の意思は、医師としても尊重すべきものであり、医療における患者の自己決定ということがいわれるようになってきている。しかしその場合に、判断の基準になるのは、なにをもって自己の利益や幸福とするかであり、そのような患者の判断に対して、医師が自分の判断を押しつけるべきものではない。ただ、医師には、生命と医療に関わる専門職として、どういう処置をとるべきかについて裁量する権限がある。たとえば、患者が痛いから、あるいは苦しいから処置をやめてくれ、と言われても、医師として当然なすべき処置はしなければならない。しかし、ある処置が患者の真の利益や幸福に反すると思われる場合には、医師が総合的に判断して、その処置を停止することもありうる。」

◆二木 立 19921015 『90年代の医療と診療報酬』,勁草書房,251p. ASIN: 4326798815 2415 [amazon][kinokuniya][boople] ※, me


  四 九〇年代の在宅ケアの理念
  単なる延命医療の再検討 142-144
 「第二は、在宅障害老人地対する単なる「延命」のための医療の再検討である。
 わが国は世界に冠たる「延命医療」の国であるから、在宅の寝たきり老人の状態が悪化した場合には、病院のICU(集中治療室)に入れられることも少なくない。このことの「再検討」とか「制<0142<限」などというと、「医療費の抑制」とか「患者の人権無視」といった非難をたちどころに浴びせられる可能性がある。
 しかし、ここで考えなければらならないことは、多くの医療・福祉関係者が理想化している北欧諸国や西欧諸国の在宅ケアや施設ケアでは、原則として延命医療は行われていないことである。」

◆日本学術会議 死と医療特別委員会 19940526 「尊厳死について」
 町野朔他編[1997:146-152]* *
*町野 朔・西村 秀二・山本 輝之・秋葉 悦子・丸山 雅夫・安村 勉・清水 一成・臼木 豊 編 19970420 『安楽死・尊厳死・末期医療――資料・生命倫理と法II』,信山社,333p. ISBN:4-7972-5506-4 3150 [boople][bk1] ※ b ** *d01

 尊厳死:「助かる見込みがない患者に延命医療を実施することを止め、人間としての尊厳を保ちつつ死を迎えさせることをいう」
 「4.延命医療中止の条件」より
 「第一に、医学的に見て、患者が回復不能の状態(助かる見込みがない状態)に陥っていることを要する。単に植物状態にあることだけでは足りないと解すべきである。」(→報告全文

◆1998   厚生省「末期医療についての意識調査」(1998年1〜3月)
  医師1577人、一般市民2422人対象
  医師:回復の見込みがないうえに死期が半年以内に迫っている患者に「延命医療はやめたほうが良い」62.1%、「やめるべきだ」15.3% 計約8割、そのうち88%:延命医療を中止した後に行う措置として「患者の命が短くなる可能性があっても、痛みなどの緩和に重点をおく」
  一般市民:治る見込みのない病気で自分に死期が迫った場合に医師が行う治療について「延命治療はやめた方がよい」51.7%、「延命治療は続けられるべき」16.0%。
  「末期医療に関心がある」一般市民80.9%、医師93.9%
  「安楽になるために積極的な方法で生命を短縮させる」一般市民13.3%、医師1.9%
  「持続的植物状態における延命治療をやめたほうがよい、やめるべき」一般市民78.8%、医師86.2%

◆日本尊厳死協会 監修 19981224 『自分らしい終末「尊厳死」――尊厳死を受け入れる医師ガイド・付』,法研,391p. ISBN: 4879542725 1890 [amazon] ※ d01 et

はじめに 日本尊厳死協会 「日本尊厳死協会は、現在の医学では治る見込みのない傷病にかかり死が迫ったとき、患者自らが死のあり方を選ぶ権利をもとう、そしてその権利を社会に認めてもらうことを目指そうという目的から、一九七六年に故太田典礼氏によって創設されました。自分が不治の病にかかり、もはや死期が迫っている段階になったら、いたずらに死期を引きのばすだけの延命治療は一切ことわり、苦痛を和らげるだけの治療を希望し、植物状態に陥ったときは一切の生命維持装置をはずしてほしいということを、あらかじめ健全な精神状態のときに文書によって残す運動をすすめてきました。」(5)

◆畑中 良夫 編 19990315 『尊厳死か生か――ALSと苛酷な「生」に立ち向かう人びと』,日本教文社,228p. ISBN-10: 4531063279 ISBN-13: 978-4531063277 [amazon][kinokuniya] ※ als [4][6][7]

 「国立療養所高松病院では、一九九二年四月にALSの患者さんである国方さんに、初めて人工呼吸器を装着した。当時はまだ人工呼吸器がポピュラーになっていなかった頃である。このような処置は、今でも一般には単なる延命措置に過ぎないものとして見られる傾向があり、社会的には賛否両論がある。」(p.35)

◆日本学術会議 死と医療特別委員会 19940526 「尊厳死について」

 「末期医療においては、単なる延命の追求ではなく苦痛の緩和を中心とした医療が求められていることは、厚生省報告書でも明らかであるところから、患者の求めがあれば、医師は、治療の一環として、苦痛の緩和措置を実施する義務があると考える。ただし、延命医療の中止を超えて、毒物などを用いて患者を殺害する行為は、たとえ苦痛の措置を目的とするものであるとしても、自力生存能力を備えた自然の生命を奪うものとして、殺人ないし同意殺人となり、倫理的、宗教的に許されないだけでなく、社会一般の考え方からしても認められないであろう。」

森岡 恭彦 20000610 「末期医療――単なる延命治療中止から安楽死へ、そしてその行方」,厚生省健康政策局総務課 監修[2000:149-159]
*厚生省健康政策局総務課 監修 20000610 『21世紀の末期医療』,中央法規出版,225p. ISBN:4-8058-4249-0 2100 [amazon][kinokuniya][boople][BK1] d01※

◆荒川 迪生 20000425 「人の尊厳と死」,日本ホスピス・在宅ケア研究会編[2000:92-96]*
*日本ホスピス・在宅ケア研究会 編 20000425 『ホスピス入門――その“全人的医療”の歴史、理念、実践』,行路社,262p. ISBN-10: 4875343256 ISBN-13:978-4875343257 2205 [amazon] ※ d01.t02.

 荒川 迪生 20000425 「人の尊厳と死」,日本ホスピス・在宅ケア研究会編[2000:92-95]
 「「尊厳死」とは、死が切迫している臨死のときに、単に死期を引き延ばすだけに過ぎない人工的治療を拒否し、延命装置を取り外して人間らしい姿態を保ち、寿命がきたら息を引き取れるよう、自分らしい自然な死を迎えることです。現在では一切の人工的治療を拒否するとの考えが多くなっていますが、自分で意思決定する能力がなくなる前に、その希望を事前に示して<0094<おく必要があります。」(荒川[2000:94-95])

今井 澄 20020405 『理想の医療を語れますか――患者のための制度改革を』,東洋経済新報社,275p. ISBN-10: 4492700811 ISBN-13: 978-4492700815 [amazon][kinokuniya] ※ b a06

 「厚生労働省のパンフレットでは、「単なる延命治療を望まない人も約七割」と書いてありますが、これは正しい表現ではないことです。質問の内容は「痛みを伴い、治る見込みがないだけでな<133<く、死期が追っていると告げられた場合、単なる延命だけのための治療をどう考えますか」というものです。高齢者の場合、痛みが伴わない末期も少なくありませんし、慢性の病気の場合、死期が追っているかどうかの判断も難しいのです。どこからを末期というのかということも問題ですが、はなはだしい研究では、死亡一年前からを末期とみなすようなひどいものもありました。」(今井[2002:133-134])

◆Rothman, David J. 1991 Strangers at the Bedside: A History of How Law and Bioehtics Transformed, Basic Books=20000310 酒井忠昭監訳,『医療倫理の夜明け――臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』,晶文社,371+46p. ISBN:4-7949-6432-3 [boople][bk1] ※ *d01 et
 cf.立岩 2001/01/25 「米国における生命倫理の登場」(医療と社会ブックガイド・1),『看護教育』42-1(2001-1):102-103

◆2002/12/16 尊厳死協会の会員10万人に 末期医療に自己決定の流れ
 共同通信ニュース速報

 「回復の見込みがない病気で死期が迫ったと診断されたら、無理な延命治療はしないでほしい―との意向を記した「尊厳死の宣言書」(リビングウイル)を医師に示す運動を続けている日本尊厳死協会(東京都文京区、北山六郎会長)の会員が、十六日までに十万人を超えた。[…]
 九八年に厚生省(当時)が実施した調査では、痛みを伴う末期状態で単なる延命治療を続けることに、一般国民の約七割、医療従事者の約八割が否定的だった。厚生労働省は来年、あらためて意識調査を実施する予定だ。」

◆終末期医療に関する調査等検討会 20040703 「終末期医療に関する調査等検討会報告書――今後の終末期医療の在り方について」終末期医療に関する調査等検討会報告書〜今後の終末期医療の在り方について」http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/07/s0723-8.html→終末期医療に関する調査等検討会編[2005:1-125]*
*終末期医療に関する調査等検討会 編 20050115 『今後の終末期医療の在り方』,中央法規出版,229p. ISBN-10: 4805845775 ISBN-13: 978-4805845776 2310 [amazon] ※ b d01 t02

 「あなた自身(あなたの担当する患者)が痛みを伴い、しかも治る見込みがなく死期が迫っている(6ケ月程度あるいはそれより短い期間を想定)と告げられた場合、 単なる延命だけのための医療についてどうお考えになりますか。」

◆「尊厳死疑惑:「同意」「死期」が焦点に」
 『毎日新聞』2006年3月26日 7時49分
 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060326k0000m040105000c.html
 「◇国民の74%「単なる延命治療はやめてほしい」
 厚生労働省の「終末期医療に関する調査等検討会」は03年、末期医療について世論調査をした。延命治療中止を望む国民は7割を超え、医療関係者では8割に達した。一方で「積極的に生命を短縮する」行為への賛成はわずかで、医療関係者ほど慎重な現状も浮かんだ。
 調査では一般国民の80%、医師の92%、看護師の95%が、末期医療に「関心がある」と回答した。自分が「痛みを伴う末期状態(余命約6カ月未満)」になった場合に「単なる延命治療はやめてほしい」などの回答は、一般で74%、医師で82%、看護師で87%に達した。
 しかし、「医師が積極的に生命を短縮させる」ことを認めたのは、一般で14%、医師で3%、看護師で2%に過ぎない。「苦痛を和らげることに重点を置く」が一般で59%を占め、医師や看護師では8割を超えた。」
 →射水市民病院での人工呼吸器取り外し

◆立岩 真也 2006/08/20 「私はこう考える」
 『通販生活』25-3(242・2006秋号):119(通販生活の国民投票第34回 尊厳死の法制化に賛成ですか?反対ですか?)

 「「延命措置」という言葉は、このごろ最初から悪い意味の言葉になっています。でも、まずそれは、栄養の補給であり、呼吸の補助です。いくらかでも感覚があれば、おなかはすきますし、喉は渇きますし、呼吸が困難なのは苦しいです。[…]」

◆20061001 Callahan, Daniel 2000 The Troubled Dream of Life: In Searh of a Peaceful Death, Gerogetown University Press.=20061001 岡村 二郎 訳,『自分らしく死ぬ――延命治療がゆがめるもの』,ぎょうせい,282p. ASIN: 4324080410 3000 [amazon][boople] ※ b d01 ts/2008b


 
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  *以下未整理

■1998 山口衛氏←→立岩

□INET GATE       INU00103 98/04/07 19:27
題名:日本ALS協会山梨県支部第3回総会:記念

 日本ALS協会山梨支部の山口です。ご無沙汰しております。
山梨県のH10年度予算も無事成立し介護人派遣制度が**県にも導入されることに
なりました。これも、先生のご指導の賜物と改めてお礼を申し上げます。
 2800万の予算で、月120時間で55人分と不十分なものではありますが、対
象者の条件については弾力的に運用すると担当課長は説明会で明言しており、スター
トとしてはまず十分に活用する事ではないかと思っております。
 さて、私どもでは5月30日の土曜の午後に第3回総会を開催し3年目の活動へと
歩みを進めようとしております。第3回総会に向けて準備作業を進めてゆく中で、記
念講演は今後の当支部の活動の方向を示唆するものであり最重要項目の一つとして検
討を進めて参りました。そして国の情況や県の姿勢を考慮するときに、ALS患者が
安心して療養出来る環境を実現する上で社会的なインフラストラクチャの更なる整備
が大きな課題であると考え、介護人派遣制度の研究に先進的に取り組んで来られた先
生に介護人派遣制度の現状と問題点、そして今後の進むべき方向についてお話をして
いただこうと意見が一致いたしました。
 誠に勝手かつ無理な願いとは思いますが、お受け下さいますように御願い申し上げ
ます。なお準備の都合上早めにご返事をいただければ幸いでございます。

〇0416
私でよいのでしたら
日本ALS協会山梨県支部・山口 様

☆ 立岩です。メイルいただきました。介護人派遣事業について、私が最適と思い
ませんけれど、私でよいのでしたら、5月30日、うかがわせていただきます。

☆ ついでに。「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」という文
章を『仏教』42号(法藏舘、1998年1月、特集:生老病死の哲学)に書きま
した。25枚程度のものです。この中でALSのことに少し触れています。松本茂
さんの文章なども引用させていただいております。
 御興味がありましたら、Eメイルでお送りすることもできます。

☆ では失礼いたします。

□INET GATE INS00100 98/04/15 12:57
題名:Re: 私でよいのでしたら
立岩真也 様

JALSA山梨の山口です。受諾の御返事有り難うございました。

 [……]

> ☆ ついでに。「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」という文
> 章を『仏教』42号(法藏舘、1998年1月、特集:生老病死の哲学)に書きま
> した。25枚程度のものです。この中でALSのことに少し触れています。松本茂
> さんの文章なども引用させていただいております。
>  御興味がありましたら、Eメイルでお送りすることもできます。

大変興味深く思います。なぜかと言えば、ALS患者の約7割は呼吸器を着けないで
死んで行きますが、その中には患者自身には知らせないで家族親族と医者が安楽死的
発想で死なせていると思われるケースがあるようだからです。ぜひメールで送って下
さるよう御願いいたします。

〇0416
原稿
JALSA山梨・山口 様

☆ 立岩です。メイルいただきました。どの範囲のお話をすればよいのか(派遣事
業だけの話がよいのか、それとも…)、私も考えてみますが、御要望がありました
ら、お寄せください(私は急ぎません)。

☆ 以下、御要望のありました原稿です。とり急ぎ要件のみ。失礼いたします。

都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について 『仏教』42号 [略]

□INET GATE INP00101 98/04/16 13:14
題名:講演の演題について
立岩真也 様

JALSA山梨・山口 です。

> ☆ 立岩です。メイルいただきました。どの範囲のお話をすればよいのか(派遣事
> 業だけの話がよいのか、それとも…)、私も考えてみますが、御要望がありました
> ら、お寄せください(私は急ぎません)。

「安楽死」の文章を読ませていただきました。先生の論旨は私の常日頃考えているこ
とに、ほぼ一致しております。スー.ロドリゲスの番組も見ました。その中で彼女が
「本当は私は生きていたいのだ。」と語ったことが印象に残っています。またオラン
ダのケースなど未だ死なずとも人生を楽しめる時期に死んでしまったと言う印象を持
っております。欧米では
人工呼吸器を着けて生きるケースが日本より遙かに少ないと言われています。キリス
ト教の倫理と、この事実がどう関係するのか興味深いことです。それはさておき、ス
ーなどに対して周囲から呼吸器を着けて生きることの可能性について、恐らく何も示
されなかったと推察されます。人は好んで死にたがるものではありません。思うに希
望を失ったとき、絶望によって人は死を選択するもののようです。
 さて私はこのように考えますが、表だって安楽死のことを話していただきたいとは
思いません。それは、**の支部会員でも消極的安楽死を選択した遺族・医師がおり
、その人達は重荷を担って生きています。その人たちの傷を暴くよりは如何にしたら
そうしないで済む社会を築けるのかという側面からお話をしていただきたいと思って
います。その主題に入るいわば枕として、先生の安楽死・自殺に対する考え方、そし
て安楽死・自殺を患者・家族・医師に強要している日本の社会の状況について話して
いただければと思っております。
 なお案内状に講演の演題を掲載する都合上、今週中にお知らせいただければ幸いで
す。--

□INET GATE INS00104 98/04/19 23:07
題名:講演の演題について・その2
立岩真也 様

JALSA山梨・山口です。
・土曜のNHK教育の夜9時からの番組で思いがけなく先生のお話を拝聴しました。
時間は十分とは言えませんでしたが先生の問題意識を理解できて貴重でした。
・本日、JALSA**の**さんから、**支部長の奥様が呼吸困難のため死去さ
れたという知らせがありました。奥さんは以前から呼吸器を着けないと決心されてい
たそうです。その決心に同意されていたご主人である支部長は、自分の判断が正しか
ったか今になって悩まれているそうです。またこんな事が繰り返されたかとの思いです。
実は、前のメールを書いてから悩んでいました。やはり先生に「難病患者における自
己決定」と言うテーマで話していただくべきではないかと?
上記二つのことで決心を変えました。前のメールについては撤回いたします。「自己
決定」をキーワードに話をしていただきたいと思います。そして人工呼吸器によって
「新しいALS観」(注)が可能になっているのに社会にとって都合の良い「自己決
定」=自殺を患者・家族・医師に強要している日本の社会通念の身勝手さ、それを助
長している福祉施策の貧しさについて話していただければと思っております。そして
、状況を変えうる一つの可能性としての介護人派遣制度について現状と問題点、今後
の進むべき方向について示していただければと思います。また自己決定のための必要
条件として告知があり、それを受けるのは患者の当然の権利であると思いますが、そ
れを医師と家族が勝手に棚上げしてしまっていることの不条理についても言及してい
ただけたらと思います。

(注)公開シンポジウム「難病の緩和医療の進歩と今後」から
III−1 ALSの告示の問題(呼吸器装着の問題を含めて)
東京都立駒込病院 神経内科医長 林 秀明

ALSの臨床病理学的所見は発症2〜3年で生じる呼吸筋麻痺をターミナルとして確立さ
れ、医師は、「NO-CAUSE(原因不明の疾患)、NO-CURE(治療法のない疾患)、NO-HO
PE(希望の持てない疾患)」として、病気を家族のみに話し患者自身には知らせない
ようにしてきた。
しかし、ここ20数年の呼吸器装置の実践から呼吸筋麻痺後の長期療養が可能となり、
ALSの呼吸筋麻痺はALSの一つの症状で、病気の一進行過程であり、ターミナルではな
いことが明らかとなった。ALSの呼吸筋麻痺が、即「死」を意味しなくなったので、
呼吸筋の麻痺する前に、患者自身に呼吸器装着の問題を含めて病気を知らせることが
必須となっている。ALSの各筋群麻痺の発症や進行の個人差、早期呼吸筋麻痺の存在
、緊急時呼吸器装着頻度の高さから、ALSの診断が確定した早期に知らせるのがよい。
ALSの告示は呼吸筋麻痺がALSの一つの症状であるという「新しいALS観」で、現在の
症状及びこれから起こりうることが了解できるように話し、ALS患者を慢性進行性で
早晩死に至る不治の患者でなく障害を持った人と考え、人的・経済的・社会的に生活し
ていくのに厳しい現状から、ALS患者が普通の人と同じように生活していけるように
、社会に一員として、皆と、具体的に社会に働きかけていかなければならない現状に
あることを理解してもらうようにしていくことが必要である。そして、単に情報を伝
達するのではなく、情報を共有できる互いに交流しあった関係で行い、新たな状況の
変化に対し患者・家族とその都度一緒に判断できる信頼関係の確立が大切である。
ところで、呼吸筋麻痺がALSのターミナルではなくなった現在、ALSの呼吸器装着の問
題は、ALSそのものの問題から、厳しい障害を持った人の生命を如何に考えるかの問
題に変わってきていることに留意されなければならない。
                                    以上

□INET GATE INR00102 98/04/20 19:06
題名:講演の演題について・その3
立岩真也 様

[…]

第3回日本ALS協会山梨県支部総会開催のお知らせ

 拝啓 すっかり春めいた陽気となりましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。この
一年間は支部設立以来、県に導入を求めて参りました介護人派遣制度が予算化された
他に、国の施策として呼吸器装着の患者への訪問看護が倍増されるなどを大きな進歩
がありました。次の一歩の方向を見定めるために、下記の要領にて「第3回日本AL
S協会**県支部総会」を開催いたしたく万障お繰り合わせの上ご参加をお願いいた
します。
 […]

■Foucault 1979=1987

 「死に方を教えると約束する知恵、またいかに死を想うべきかを語る哲学は、私
を少しいらいらさせる。われわれに「その支度」を教えると主張するものは、私を
無関心なままにする。死は、ひとつひとつ準備し、整え、作り出さなければならな
いものであり、それは生の最も微小な一秒間だけ私のみのために存在する。観る者
のない作品とするために、最もよい要素を見つけ、想像し、選択し、忠告を求め、
加工しなければならないものである。私はよく知っているが、生きている者たちは
自(p.186)殺をめぐって惨めな痕跡、孤独、不器用さ、応えのない訴えしか見な
い。彼らは、自殺についてしていけない唯一の問いだというのに、「なぜ」という
問いを問わずにはいられない。
 「なぜだって? 単に、私が望んだからだ」。[…]
 博愛主義者たちへの忠告がある。本当に自殺の件数が減ることをお望みならば、
十(p.187)分に反省された、平静な、不確実さから解放された意志をもって命を
断つ者しか出ないようにしたまえ。自殺を損ない、惨めな出来事にしてしまう恐れ
のある不幸な人々に自殺を任せてはならないのだ。いずれにせよ、不幸な者の方が、
幸福な者よりも遥かにたくさん存在するのだから。
 ひとがこう言うのは、私には常に奇妙に思われた。すなわち、生と虚無の間にあ
って、死そのものは要するに何でもないのだから、死を恐れるにはあたらないと。
しかしそのわずかなものは、賭けられるべきものではないだろうか? 何事かにす
べきもの、しかも善き何事にすべきものではないだろうか?」(pp.186-188)

 Foucault, Michel 1979 "Un Plasir si simple", Gai Pied 1979
 =19870515 増田一夫訳、「かくも単純な悦び」、『同性愛と生存の美学』、
 哲学書房、197p. 2100 pp.184-190

■Jaccard ; Thevoz 1992=1993

「人間には生きる権利があると同時に、死ぬる権利もある筈です。僕のこんな考え
方は、少しも新しいものでも何でも無く、こんな当り前の、それこそプリミチヴな
事を、ひとはへんにこわがって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。
生きて行きたいひとは、どんな事をしても、必ず強く生き抜くべきであり、それは
見事で、人生の栄冠とでもいうものもきっとその辺にあるのでしょうか。しかし、
死ぬことだって、罪ではないと思うんです。」(太宰治『斜陽』第7章、主人公・
直治の、姉宛の遺書の最後の部分、Jaccard ; Thevoz[1992=1993:77]に引用)

「スキンヘッドや、ユダヤ人墓地荒らしや、あからさまな挑発者のネオ・ナチズム
よりも、もっと質[たち]の悪い、もっと恐ろしいネオ・ナチズムがある。それは、
実際は鉤十字をかざしているのと同じなのに、まやかしのヒューニマズムを装った
偽善者たちのネオ・ナチズムで、彼らは、残虐と拷問と死をもらたす懲罰的イデオ
ロギーを守り続けている。
 というのは、再利用されたナチズムというのは、たとえ反面教師としててでも、
その毒は失っていないのだ。記号をプラスからマイナスに変えても、その有害性に
変りはない。ヒューマニズムを自称するナチズムの陰画[ネガ]は、ナチズムその
ものと兄弟のように似ている。ユーバーメンシュ(超人)礼賛をウンターメンシュ
(劣人)礼賛に代えることによって、ま(p.82)た、未来人のモデルとしてのアー
リア人よりも障害者の側に立つことによって、そして、破廉恥な排斥の代りに品位
をけがす長生きを押し付けることによって、「最終的解決」に代わって出産奨励主
義のイデオロギーを採用することによって、驚くほどよく似た結果がもたらされる。
いやおうなく生きるこことを宿命付けられた先天性障害者の地獄、延命治療と瀕死
の病人の苦悩、第三世界の人口過剰。つまり、飢饉と大虐殺だ。このように、ナチ
ズムへの屈伏に対抗するものと見られている、いわゆるヒューマニズムは、倒錯し
た、恥ずべき、邪悪な全体主義にほかならない。」
(Jaccard ; Thevoz[1992=1993:82-83])

「どんな個人にも、自分自身を自由に扱う権利、自ら中毒になる権利、自分に死を
与える権利があるはずだ。ひとが死を選ぶ理由は、本人以外にはかかわりがない。
血液検査が陽性だからかもしれないし、その朝、雨だったからかもしれないのだ。
彼にこの自由を認めてやるために、そのための手段を制限してひどい苦しみを味あ
わせやることを正当化する理由は、どこにもない。」
(Jaccard ; Thevoz[1992=1993:83]、上の引用の直後)

 Jaccard, Roland ; Thevoz, Michel 1992 Manifestre pour une mort douce
 Grasset & Fasquelle 
 =19930710 菊地昌美訳、『安らかな死のための宣言』、新評論、186p. 1854

■Mendelsohn(メンデルソン) 1979

 「新勢力が旧来の勢力に代わって社会を支配するとき、最初に行なうのはある種の言葉の改革であ(p.195)る。言葉さえ操作できれば、人々の思想や行動まで操ることができるのだ。……
 かつては「慈悲殺」(mercy killing)という言葉が使われてきた。この言葉の「慈悲」(mercy)という部分は耳に心地よいが、「殺」(killing)があまりにも露骨である。そこでこの言葉に代わって「安楽死」(euthanasia)という言葉が使われるようになった。
 最悪の例が「尊厳死」という言葉である。「尊厳」さえ保たれていれば、どのような状況における死も正当だとされているようだが、皮肉なことにこの言葉が最もよく使われる状況では、「電源を切る」とうい行為が末期の患者の尊厳を踏みにじっている。
 私には、人を死に至らせるこれらの医療行為は、どれをとってもナチスを思わせるおぞましいものばかりである。第二次世界大戦前の、ナチス政権下のドイツ医学界も、人道を踏みはずしてこれと同じような行為を行っていた。
 当時のドイツの医者たちは、重度の知的障害児や身体障害児を役に立たない人間として大量に「処分」していた。中絶や安楽死が至るところで行なわれ、高齢者の「安楽死」も続けて遂行されていた。のちにそれは、ジプシー(ロマ民族)の虐殺、反ナチ分子の処刑、そしてユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)へとつながっていく。ナチスはこれらの凶行を聖戦という言葉で表現していた。」(Mendelsohn[1979=1999:196])

◆Mendelsohn, Robert S. 1979 Conffession of a Medical Heretic, Contermporary Books, Inc., Chicago=19990217 弓場隆訳、『医者が患者をだますとき』,草思社、283p. 1800


Rachels, Jame 1986 The End of Life: Euthanasia and Morality, Oxford University Press=1991 加茂直樹監訳,『生命の終わり――安楽死と道徳』,晃洋書房,389p. 2800 [amazon][boople][品切] ※ *d01 et



■『ライフズ・ドミニオン』

 「しかし、一部の人々――ワングリー氏が彼の妻について考えたように――は、たとえ無意識の状態であろうと可能なかぎり患者を生き続けさせることが、患者の最善の利益であると信じている。そのような人々がこの立場を自ら熟考する場合には、インテグリティは非常に異なった指令を発するのである。最後まで生き続ける闘いは、その人生がたとえどんなに希望のないものであり、あるいは空疎な薄っぺらいものであろうと、彼らの人生の中心をなす価値、――不可避な死を目前にしての戦いの価値――を表現するものなのである。」(p.344)


REV:20030607, 0910, 20060115, 20080327, 0411, 20090830
安楽死・尊厳死 euthanasia / death with dignity  ◇ 
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