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安楽死・尊厳死:カナダ



◆The Euthanasia Prevention Coalition
 http://www.euthanasiaprevention.on.ca/index.htm

児玉 真美 2017/02/22 「夫による認知症女性殺害事件で安楽死要件緩和を求める声が再燃(カナダ)」
 http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/65532302.html

児玉 真美 2016/05/25 「ユニセフが「未成年にも“AID”の権利を」議会で提言(カナダ)」
 http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/65181161.html

児玉 真美 2016/03/15 「カナダ議会に子どもにも精神障害者にも認めるラディカルな答申が出る一方、法整備手前での特例第1号のALS患者が「医師幇助死」」
 http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/65065547.html

児玉 真美 2016/01/15 「ケベックで新法による初の安楽死者・カナダ連邦政府、法整備に4ヶ月の猶予など」
 http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/65003331.html

児玉 真美 2015/12/23 「ケベック最高裁、AID法の合法性を認める」  http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/64967728.html

児玉 真美 2015/12/02 「ケベックの最高裁、12月10日のAID法施行に「待った」」
 http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/64939562.html

児玉 真美 2015/02/07 「【速報】カナダ最高裁、判事の全員一致でPAS禁止を覆す」
 http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/64483294.html

◆2015/02/07「カナダ最高裁、安楽死認める判決 効力発生は12カ月後 」
 朝日新聞デジタル 2015年2月7日18時23分
 http://www.asahi.com/articles/ASH2724XQH27UHBI004.html?iref=comtop_list_int_n01

 ニューヨーク=中井大助
 カナダの最高裁は6日、医師による自殺幇助(ほうじょ)を禁止する法律を違憲とし、安楽死を限定的に認める判決を言い渡した。自ら判断できる成人が命を絶つことに明確に合意し、重大で治療の見込みがない疾患があり、耐えがたい苦痛を受けている場合、安楽死の選択を認めないことは個人の自由を侵害すると判断した。
 カナダ最高裁は1993年にも安楽死の是非について審理し、小差で医師による自殺幇助を違憲としていた。6日の判決では9人の判事が一致して選択する権利を認めており、時間の経過とともに考え方の変化が現れた形となった。判決の効力が発生するのは12カ月後で、政府はその間に法改正で対応することができる。
 訴訟は、2009年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)にかかった女性が起こし、別の難病にかかり、スイスで安楽死をした女性の遺族も原告として加わっていた。ALSにかかっていた女性は12年に亡くなっている。
 ロイター通信によると、医師の幇助による安楽死はスイスなど欧州の4カ国と、オレゴンなど米国の3州で合法となっている。(ニューヨーク=中井大助)

◆「カナダ、医師の手助けによる安楽死容認 連邦最高裁判決」
 日本経済新聞 2015/2/7 12:28
 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG07H11_X00C15A2000000/

 「【ニューヨーク=共同】カナダ連邦最高裁は6日、病気で耐え難い苦痛を強いられ、治療法がない患者について、医師の手助けによる安楽死を認める判決を出した。神経が侵され、提訴後に死亡した2人の女性側が容認を求めていた。判決は連邦と各州の政府に対し1年以内の法制化を命じた。
 欧州各国や米国の一部の州は一定の条件下で、医師が致死量の薬剤を処方し、患者自身が服用することを認めているが、批判も強い。昨年11月、合法化されている米オレゴン州で、脳腫瘍で余命の短い29歳女性が自ら死を選択し関心を集めたが、今回の判決で「死ぬ権利」を巡る議論が加速しそうだ。
 カナダ放送協会(CBC)などによると、判事9人全員が一致。判決は「人生の最期に関する個人の選択は尊重されるべきだ」と論じた。1993年には僅差で違法判断を示していた。
 カナダの法律は終末期の患者に対する延命治療の中止や苦痛緩和の措置を認めてきた。判決は肉体的な病気だけでなく、精神疾患も含めた。いずれも責任能力のある成人が対象になる。
 女性2人のうち1人は外国人の安楽死を認めるスイスで死亡し、別の1人は筋萎縮の病気で死亡した。
 マッケイ法相は判決内容を慎重に検討すると表明した。宗教系のシンクタンクは「命は尊く、医師の殺人は認められない」と判決を批判した。」

◆2015/02/07 「カナダ:安楽死を容認 最高裁、治療不能の患者に」
 毎日新聞 2015年02月07日 17時08分
 http://mainichi.jp/select/news/20150208k0000m030004000c.html
 「カナダ連邦最高裁は6日、病気で耐え難い苦痛を強いられ、治療法がない患者について、医師の手助けによる安楽死を認める判決を出した。神経が侵され、提訴後に死亡した2人の女性側が容認を求めていた。判決は連邦と各州の政府に対し1年以内の法制化を命じた。
 欧州各国や米国の一部の州は一定の条件下で、医師が致死量の薬剤を処方し、患者自身が服用することを認めているが、宗教団体などから批判も強い。昨年11月、合
法化されている米オレゴン州で、脳腫瘍で余命の短い29歳女性が自ら死を選択し関心を集めたが、今回の判決で「死ぬ権利」をめぐる議論が加速しそうだ。(共同)」

◆2015/02/07 カナダ連邦最高裁が安楽死容認 治療不能の患者に
 産経ニュース 2015.2.7 10:54更新
 http://www.sankei.com/world/news/150207/wor1502070025-n1.html

 「カナダ連邦最高裁は6日、病気で耐え難い苦痛を強いられ、治療法がない患者について、医師の手助けによる安楽死を認める判決を出した。神経が侵され、提訴後に死亡した2人の女性側が容認を求めていた。判決は連邦と各州の政府に対し1年以内の法制化を命じた。
 欧州各国や米国の一部の州は一定の条件下で、医師が致死量の薬剤を処方し、患者自身が服用することを認めているが、宗教団体などから批判も強い。昨年11月、合法化されている米オレゴン州で、脳腫瘍で余命の短い29歳女性が自ら死を選択し関心を集めたが、今回の判決で「死ぬ権利」をめぐる議論が加速しそうだ。
 カナダ放送協会(CBC)などによると、判事9人全員が一致。判決は「人生の最期に関する個人の選択は尊重されるべきだ」と論じた。1993年には僅差で違法判断を示していた。(共同)」

児玉 真美 2014/03/28 「四肢マヒの議員が提出するカナダのPAS合法化法案と、そのダブスタぶり」
 http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/63944350.html

児玉 真美 2014/03/13 「ケベック州の安楽死合法化法案、とりあえず通らず、このまま廃案か?」
 http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/63921898.html

児玉 真美 2013/06/14 「ケベックの法案は「医療的自殺幇助」という名の安楽死合法化法案」
 http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66450012.html

■スー・ロドリゲス(Sue Rodriguez)事件

◆カナダ最高裁判所 19930930 「カナダ最高裁判所1993年9月30日判決(ロドリゲス事件)」
 町野朔他編[1997:094-097]

星野 一正 19950730 「カナダ上院特別委員会による患者の自殺幇助の法的容認否定」
 『時の法令』1502:55-

星野 一正 19961125 『わたしの生命(いのち)はだれのもの――尊厳死と安楽死と慈悲殺と』,大蔵省印刷局,348p. ASIN: 4175502009 1835 [boople][amazon] ※, 第6部 わたしの生命はだれのもの
 ・許されない医師による自殺幇助
 「自殺したくとももはや自殺する体力がない終末期の患者が、医師に自殺を幇助して欲しいと頼む自殺幇助要請を認めて欲しいと訴えたが、カナダ最高裁判所では否決した有名な事件があった。
 この患者は、四三歳のスウ・ロドリゲス夫人といい、筋萎縮性側索硬化症という不治の難病にかかって苦しんでいた。全身の筋が徐々に侵され、筋の萎縮と攣縮(れんしゅく)のために、手先のことが難しく、洗顔、化粧から、字を書いたり、飲んだり食べたり、話したりすることが困難となり、飲食、排尿、排便、入浴から歩行、外出まで、すべての日常<0171<生活でだれかの世話にならなければならないばかりか、意識ははっきりしていて知識精神的判断能力もあるのに、周りの人との言葉による意志の疎通もできなくなり、とても人間らしい尊厳ある生活でできず自尊心がずたずたになって、ただ死んでいく運命を見据えている毎日で、自殺したくてもすでに自殺する体力すら残されていない自分が、尊厳ある死を迎えうる唯一かつ最後の選択として「医師による自殺幇助」を医師に要請することを認めて欲しいと、裁判所に願ったのであった。」(星野[1996:171-172])

◆宮野 彬 19970520 『オランダの安楽死政策――カナダとの比較』,成文堂,268p. ASIN: 4792314399 5250 [boople][amazon] ※,
 「刑法は自殺の幇助を禁じているが、このロドリゲス事件において、カナダの最高裁判所は、賛成5対反対4の評決の末に刑法上の禁止を合憲と判断したのである。[…]彼女は難病の筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis)で苦しんでいた。この病気は、日本の専門家の間では、「アミトロ」<0002<と呼ばれている。「ALS」と略称され、このほか、「ルー・ゲーリック病」という通称もある。これは、アメリカの野球の名選手であったルー・ゲーリックがこの病気にかかったことにちなんで名付けられたものである。[…]  裁判所は、法律に味方したわけである。しかし、その見解の狭さのために、一般の人々の間での安楽死についての議論は、これで終わらないであろう、とみられていた。人々が、スー・ロドリゲス事件の提起した問題について、今後、意見交換をする際に、この会議での成果がおおいに貢献することが望まれたわけである。限りなく一段と複雑になってゆく医療技術の時代に、すべての人々を、死ぬべき運命に直面させるようにした、非常に勇気ある婦人がスーであった、ということになる。」(宮野[1997:2-3])


立岩 真也 19980115 「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」,『仏教』42→立岩[2000]

◆立山 龍彦 19980920 『自己決定権と死ぬ権利』 東海大学出版会,153p. ASIN: 4486014456 2310 [boople][amazon] ※ d01
 pp.107-108
「3 カナダでの判決の動向――スー・ロドリゲス事件
 @事案 脊髄の病気である筋萎縮性側索硬化症(ALS)18)で余命2年と宣告されたカナダ・ブリティシュコロンビア州のスー・ロドリゲス Ms. Sue Rodriguezは、ALSが進行し自分自身で自殺する体力がなくなった時、医師に致死薬の入った注射器を準備してもらい、自分で注射できる力が残っている間に自殺したいとして、裁判所に対し自殺幇助を認めるよう訴えを起こした。19)
 A判決 カナダ刑法は第224条(b)項において、「人を幇助して自殺させた者は、14年以下の拘禁刑に処する。」と規定している。従って、スー・ロドリゲスは第一審も第二審のブリティッシュコロンビア州高等裁判所でも敗訴したが、控訴審では判決理由の中で、自殺幇助を認めるかどうかは議会の問題であり、国民の声を聞かなければならないと指摘した。
 同女が上告をしたため、カナダ最高裁判所は1993年9月30日に、9人の裁判官中5対4で医師による(p.107)幇助は認められないとの判決を下した。その後同女の筋肉は萎縮してしまったが、匿名の医師の幇助により1994年2月12日に死亡した(43歳)。スー・ロドリゲスの自殺幇助をした医師は、結局起訴されなかった。
 B安楽死及び自殺幇助に関する連邦上院特別委員会 Special Senate Committee on Euthanasia and Assisted Suicide の設置 スー・ロドリゲス事件の最高裁判決後、1994年2月23日に標記の特別委員会が連邦上院に設置され、その公式報告書が1995年6月に公表されたが、結果として刑法の自殺幇助罪の規定は改正の必要はない、とするものであった。21)」

立岩 真也 2004/11/15 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院
 「☆02 同じ一九九四年の九月一六日、NHK教育TVは、医師による自殺幇助の合法化を求めて裁判に訴えたカナダのALSの女性スー・ロドリゲス(Sue Rodriguez)を取材したカナダCBC製作の番組を、海外ドキュメンタリー『スーが闘った一八か月――人は死を選択できるか2』として放映した(この事件について立山[1998][2002:95] でふれられ、伊藤[1996:45]で「その実態は棄怨死(見捨てられ世を儚んでの死)である」というより立ち入った言及がなされている。また前の週の九月九日の番組は『自殺装置を作った医師――人は死を選択できるか1』、cf. Kivorkian[1991=1999])。
 私はこれを何年か学部での講義で使った。以下は講義について書いた文章からその番組にふれた部分。
 《ALSにかかった女性が医師による自殺幇助の合法化を求めて裁判を起こし、最高裁まで闘い、結局敗訴する。過剰にドラマチックにしたりはせず、抑制のきいた番組だ。しかし、気になることはある。その番組は、抑制をきかせつつこの病気が悲惨であることを伝える。そして彼女は美しくも悲哀に満ち悲壮なのだ。たしかにたいへんな病気である。しかし、もっと症状としては進行しているがもっとふつうな感じの人がいることを別に知っていると、やはりなぜなのだろうと思う。そしてその知っている人は人工呼吸器を付けているのだが、その番組には呼吸器のことは出てこない。彼女はそのことを言わない。選ばなかったのだろうか。彼女は身体が自力で思うようにならないことを屈辱と思う。自らの「尊厳」が侵されていると言う。それは死よりも重いものとされる。身体機能、知的能力の衰退を死より重くみる感覚・価値がある。キヴォーキアンの自殺機械を最初に使ったのもアルツハイマーにかかった人だった。》(立岩[2005])
 この番組にはとくに抗議はなかったようだ。実際に死に赴く場面は出ていないということが関わるだろうか(彼女は裁判には負けるのだが、その後、医師――その名は明かされない――による自殺幇助で亡くなる)。ただこの番組に一部言及した私の文章(立岩[1998a])を読んでくれた山口衛[48]の九八年四月のEメールには《「本当は私は生きていたいのだ。」と語ったことが印象に残っています。またオランダのケースなど未だ死なずとも人生を楽しめる時期に死んでしまったと言う印象を持っております。》と記されていた(立岩[2000b] に引用)。なお、カナダALS協会編のヘルスケア供給者用のマニュアルには「安楽を保つであろう処置だけを希望します」という「緩和療法」を選択肢の一つに含む「リビングウィル」の項目がある(The ALS Society of Canada[1994=2000:94])

立岩 真也 2005/08/25 「学校で話したこと――1995〜2002」,川本隆史編『ケアの社会倫理学――医療・看護・介護・教育をつなぐ』,有斐閣,pp.307-332 [了:20030716 校正:20050124]

 「その講義は、たいてい1時間半ただしゃべり続けるという一方的で★08工夫のないものだったのだが、稀にビデオも使った。まず半期の講義の始まりの方でスー・ロドリゲス(Sue Rodriguez)についての番組のビデオを見てもらった。これはカナダの放送局CBCが一九九四年に制作した番組をNHKが同年の九月に海外ドキュメンタリー「人は死を選択できるか」として放映したものだ。ALS(筋萎縮性側索硬化症)にかかったその女性が医師による自殺幇助の合法化を求めて裁判を起こし、最高裁まで闘う。その裁判に彼女は負けるのだが、その後、医師による自殺幇助によって亡くなる。
 彼女とその周りの人たちのこと、その人たちの言うことが伝えられる。まじめで静かな番組だが、あるいはそんな番組であるゆえに、彼女の主張はもっともな主張だと思える。この病気が悲惨であることが伝えられる。そして彼女は美しくも悲哀に満ち悲壮なのだ。こうして、その番組を見た私たちはかなり納得するのだが、しかしいくつか不思議に思うことがある、と私は言う。たしかにALSはやっかいな病気ではある。だだ、もっと症状が進行している人を知っているのだが、その人はそんなに悲壮な雰囲気ではなく、その人を取材してもなにか心に訴える番組はできそうにない。そしてその人は人工呼吸器をつけているのだが、その番組には呼吸器のことは出てこない。呼吸器をつけるとかなり長く生きられるのだが、彼女はそのずっと手前で死ぬことになる。彼女はそのことを言わない。知らなかったのだろうか、選ばなかったのだろうか。番組を作った人は知っていたのだろうか。カナダという国ではどんなことになっているのだろうか、等。私はこんなことを言うときに頭に思い浮かべている山口衛さんという人を連れてくることができないし、映像で示してもすこし違う雰囲気になるとも思うから、ただ私が話すだけで、そう説得力はないのだが、話す――それは、メディアがどう伝えるかでだいぶ異なってくることもあることを言うことでもある★09。
 死にたけりゃ死ねば、と思うところは私にはある。そう乱暴な人でなくとも、自分の人生は自分で決めることがよいと思うだろう。それにしてもなぜ死にたいのだろう。あれだけの病気ならそれも当然、だろうか。しかし、少なくとも格別の身体の苦痛があるのではない。だが、それを詮索してとやかく言うのもおかしいのではないか、よけいなお世話ではないか。そうかもしれない。
 ただ、安楽死がとくに優生思想という言い方で批判されたことがある、それが気になることを言う。英語なら安楽死はeuthanasiaで優生学はeugenicsとなる。eu-とはよい、ということであり、よいならよいではないか。しかしそれは危ないものだと言う。優生学とはどんなものなのか。そう長くは話せないが、それでも概略の紹介と、それから米国での移民の制限と断種政策と、そして第二次世界大戦の前後ドイツで起こったことを話す。これは私としては、私が話したい筋書きの中での位置づけは別としても、知っておくべくことだと思って取り上げた。ほとんどの人たちは優生学という言葉を知らないし、その歴史のことを知らない。教科書にも載っていない。それはまったくよくないことだ。第6章3節2(と3)の短い記述とそれより長い注の記述を使って紹介する。」

 →◆ALS

 
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◆星野 一正 19950830 「カナダにおけるエイズ患者の安楽死の実態」(民主化の法理=医療の場合)
 『時の法令』1504:61-66


 
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◆CBC 1994年カナダ
 「人は死を選択できるか」(19940916NHK「海外ドキュメンタリー」)

  *以下はナレーションと字幕より。まったく部分的、断片的なものです。

「最終的には呼吸困難に陥って窒息死することになります。それを知って彼女は……」
だから介助が必要なんです。」
カナダでは自殺は罪になりません。しかし自殺を 14年の懲役になります。

 1992年8月スーは一人の男と出会いました。ジョン・ホスセスです。
「死ぬ権利を守る会」ジョン・ホスセス

 ホフセスは裁判で闘おうとスーに提案しました。
 マスコミに
 こうしてスウェーデンーは世間に知られるようになりました。
 「私は彼女への

 誓約書を作成し、
 以前、尊厳死の
 友人の映画監督
 アルツハイマー病におかされ、
 手を貸せませんでした。
 罪の意識に

 「できれば生き続けたいと思います。
 でもかかってしまったのは事実です。

 息子を見守ることです。」

 1992年12月3日 スーとホスセスは 記者会見を開き 裁判でたたかうことを公けにしました。この時からスーは死ぬ権利を守る会のシンボルとなったのです。

 たちまちカナダ中に知れ渡りました。 「私から連絡するわ。」
連日手紙と電話が殺到しました。息子といっしょに貴重な時間を過ごしたくても、

死ぬ権利を守る会のスケジュールを
少年は なかなかそうした状況になじめません。

「息子は 母親を失うというストレスを でも息子はとてもしっかりした子です。」 スーの夫 ヘンリー は再びスーと暮らすことにしました。 「……私がこの病気にかかったという事実に 顔をつき……」 クリス・コンサダイン
証言のリハーサルをしました。
健康な人が自殺するのは違法ではなく、病気の人が 裁判 マスコミ

スー・ロドリゲスの名はたちまち

記者会見の反応は想像以上でした。

でも息子は……。息子といっしょに

ヘンリー・ロドリゲス

疲れ切ってしまいます。

母親が急に有名になってしまった少年は

「しかたありません。」

ヘンリー・ロドリゲス

「という事実を 受け止めなければなりません。顔をつき合わせる状態に

ヘンリー

コンサダイン

「 「衰弱と筋肉萎縮がさらに進みます。

法律は差別的である。コンサダイン

「自殺という手段を
あなたは窒息か肺炎

「あなたは

「おぞましく不当な死に方だと思うからです。私は自分の運命を自分で選び、
より穏やかな死を

 裁判官から自殺の許可を得るために、

 スーは、どれほどALSにからだをむしばまれても、自分の尊厳までは病魔に奪われまいとしています。
 「息子のクリスマス・コンサートがあるの。」  1年がかりの裁判でも彼女は決してくじけませんでした。

 ニュース:
 「今日 延命派の団体が 展開します。」
 1992年12月17日 強力な支援者 スウェン・ロビンソン議員です。親しい友人がエイズで
 合法化する議案を議会に提出しようとしています。

 しかし法廷での議論は決してスーたちに有利には運びました。
 延命派の各団体の弁護士たちは 1500ページの書類にして判事に提出しました。
スーははじめて対抗勢力がいかに強力か、自分のたたかいがいかに困難なものになるかを自覚しました。
 10日後、 敗れます。
 弁護士はただちに控訴しました。

 1993年が明けるとスーは一人で食事することができなくなりました。
 グラスを持つのがやっとです。
 「あと数日か たぶん何もできなくなるでしょう。今はその途中なの。」

 「スープは?」
 「たくさん買って。」
 「いつもの」
 「レタスもね」
 「ああ くたびれた。」
 「くたびりたりしないで。」

 「何をするのにも時間がかかります。服を着たり入浴したり食事をするのでさえとても時間がかかるのです。

 スーは以前に比べて精神的なものを大切に考えるようになりました。
 「私は死後の世界を信じています。それで死の恐怖も少しは 天国や地獄の存在は信じませんが、魂は生き続けると思います。」

 皮肉なことに死ぬための闘いが彼女に力を与えています。

 「この闘いは私に課せられた使命だと思っています。」

ジョン・ホスセス はスーの裁判にすべてを賭けていましたが、情熱を傾けるあまり暴走気味の行動に出てしまいました。
 1993年1月 ホスセスは、延命派の団体を激しく糾弾する声明 相談もないまま 彼女の名前で発表したのです。裁判を妨害しているという主張が
 スーはおおいに困惑し、不信感をつのらせました。
声明の発表から2日後、2人は話し合いをもちました。

 「私は自分の言葉で自分の意見を伝えたいのです。 私の代わりにあなたが私の問題を語ってもそれは無意味だと思います。」  「私は問題をもっと積極的に世間に訴えたかった

「それはわかります。でも私のことはもう十分知れ渡っています。だからもうこれ以上は…」
「大事なの草の根 君はまず世論 世間は 法律を変えようという動きは見られないじゃないか。」
「あなたがやろうとしていることは、私の目標よりずっと大きいんだわ。私たちがマスコミの 私は自分の立場が分からなくなるの。だから今後何か何か書くときは

スーが侵されているALS  やがて死にいたるといわれている病です。

 器具に頼らなければならなくなります。

 どんな苦しい時もたやさない笑顔は彼女のトレードマークとなりました。
 しかし夫ヘンリーとの生活はつらいものになっていました。二人の和解の試みは成功しなかったのです。
 「徐々に無力になる私の姿は正視に耐えないものです。夫がいらだっているのが私にはよくわかります。ずいぶん暮らしにくくなりました。息子もつらそうです。だから助けが必要なときもなんとなく頼みづらいんです。」

 夫との間の緊張を和らげるため スーは 自室を地下に移しました。

1993年3月 第2審の判決がくだりました。

 コンサダインです。判決が出たよ。  2対1で我々の敗訴。「この問題は議会で議論されるべきことであり国民の意見を尊重しなければならない」ということだ」
 マイケル・プリースト
 自殺の幇助を引き受ける
 「この女性が それを和らげて 私はいつでも手を貸します。」
 「これは人権憲章の解釈の

 最高裁に上告すること そして自殺を幇助する医師の存在を発表しました。
「今はとても複雑な気持ちです。でも少し時間がたけば落ち着くでしょう。」

 最後の瞬間については

公開されるというジョン・ホスセスの言葉が報道されました。

ロビンソン議員は ホスセスの行き過ぎを非難しました。

スーとロビンソンは今後ホスセスとはいっさい関係を断つと

「私の死の瞬間に 医師だけを立合わせるのではなく、何人もの人に公開しようとしたことです。それを知ってとても不愉快になりました。私はできるだけ人目は避けたいんです。」

当初からホスセスは 政治的な声明に役立てようと考えていました。 
「スーの考え方は変わってしまいました。 記録することを拒否しています。中間階級のお上品ぶりといったところでしょうか。問題を表に出したがらなくなりました。私は彼女の立派な死を世間に示したいだけなんです。 「自殺は」

当初は彼女もそう言ってたんですがね。」
 死んだら葬式は行わず 親しい友人と家族 灰を庭の無花果の木の下に埋めてほしいと
 何百人もの人が集まってきました。みんな母や私たち子どもを見つめていました。その様子にぞっとしたのを覚えています。私のときは、あんなふうにして
 93年の春になると 1日を過ごすのに大変なエネルギーを
 腕の筋肉はすっかり衰弱し そのため肩の関節は脱臼を繰り返しました。

「はまったわ。」 「今度は下に回すわよ。」 「ぐるぐる巻き…」
外出することはとても難しくなりました。
新しいきずなが芽生えます。スーは一人ぼっちではありませんでした。

「私はじきに死ぬ身… 私たちは最初から承知してたことだけど… もうすぐにお別れね。。」

最期の裁判が近づいてくると スーの中には 

「医師とはどんな 計画書のようなものは作成したんですか。
「話し合っただけです。」
「あなたのて……」 「確実に
「……知っていますよ。
スーの自殺幇助をかってでた 所用で国 別の医師が引き受けることになりました。
「物事は

最後の裁判が
合法的に自殺が行えるという期待が高まってきました。

1993年5月20日 

スーはテレビ画面に見入りました。
「だれもが

賛成派 
倫理的な間違い カトリック教会もありました。

9人の最高裁判事の 4か月に下されます。

時々 スーは 
ロビンソンは政治的に利用しているという声もありましたが

8月2日 43歳の誕生日 すでに2年以上 終りが近いことを感じていますが、最高裁の判決はまだ出ません。
「体はもうボロボロよ。腕も手も衰弱
ひどいものよ。」

「最高裁で負ける場合もありうるよね。
死ぬつもりかい。医師の介助は受けるの。どんなふうにしたい?
「心の支えとしてあなたにいてほしいの。そきときがきたら医師に連絡するから あなたも必ずきてね。」

尊厳ある死を求める闘いに彼女は何一つ悔いを残していないのです。
「想像もつかないような体験でした。でも公開はしていません。」
「有名になったと?」
「思いません。話題になっただけです。ただ息子には感じとってほしいんです。」
「ママは偉かったと?」
「ええ 将来私のことを誇りに思ってくれたら…」

1993年9月30日 最高裁の判決が下る日です。

スー、ロビンソン、コンサダインの3人は 緊張しながら裁判所からの電話を待ちます。

最高裁 
上告は5対4で却下されました。最高裁はわずか1票差でスーの望みを打ち砕きました。
「たった1票差で運命が分かれた。あなたを支持した判事は4人もいたが、勝つにはあと一人足りなかった。」

記者会見ではスーの落胆ぶりは
感謝の言葉を述べました。
「議会がこの問題をとりあげ 将来 私と同じような人が救われることを期待します。」

最後のたたかいに敗れたスーはただ疲れきっていました。

さらに4か月半苦しめられました。 食事も呼吸も 非常に難しくなりました。

「おいしくない。」
「次はもっとおいしくするわ。」

 大量のモルヒネが食事代わりになりました。

 最期の外出でスーは息子とロビンソン 新年の祭を見に活きました。

「最期の日は?」
「もう決めました。」
「介助の医師は?」
「いてくれます。」
「だれですか。」
「だれですか。」 「言いたくありません。」
「私はまだ言葉を話せて自分の
すべてを終えたいと思います。それが自分にとって正しいことなんです。できる限りのことはしました。もう」

今の望みは

2月

幇助によって43歳の生涯を閉じました。

 「スーは終始 勇気と尊厳をもって死に
彼女は… 彼女は腕の中で意識を失い 2時間後 息耐えました。」

連邦政府は自殺幇助の問題を議題として

18か月は彼女だけの18か月では

スーは人の命は誰のものかという問題を私たちに投げかけて世を去ったのです。

コメント:日野原重明
 カナダの連邦政府は どう受けるという結論は出ておりません。それほど難しい問題です。…… 人間の命はできるだけ それが苦しめる命で 尊厳のある死が迎えられるように ただ薬を注射して楽に でなく 人格を大切にした 尊厳のある 医師も 医師だけでなく家族 社会


REV:....20060723, 20140313, 20150212, 1204
安楽死・尊厳死  ◇カナダ  ◇病者障害者運動史研究  ◇ALS(筋萎縮性側索硬化症)
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