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京都府長岡京市の開業医がALSの義母に告知をせず、死に至らしめた件

安楽死・尊厳死 2007


◆鈴木 元(すずきはじめ)* 200705 「近親者としての筋萎縮性側索硬化症患者」,『神経内科』66-5:495(科学評論社)
 *すずき内科クリニック(京都府長岡京市今里西ノ口7−1)
 http://www.myclinic.ne.jp/suugem/pc/doctor.html
 ※以下全文を引用

「2007年3月13日
拝啓
 筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者に対しては,自己決定権を重視する立場から病名告知や人工呼吸器使用可否の確認などが積極的に行われ,また,日本神経学会作成の治療ガイドラインをはじめ本誌でも推奨されております。今回私は,本症患者を,主治医としてと同時に,近親者の立場で推移を見守る機会を得ましたので,経緯についてご報告いたします.
 患者は発症時59歳,女性.私の妻の母親に当たります.2003年1月頃,左下腿脱力で発症し,某総合病院でALSと診断されました.主治医からは病名告知されたようですが,呼吸器使用などについての明白なインフォームド・コンセントはなされていませんでした.
 私が在宅担当の専門医(開業医)として引き継ぎました。そして,患者本人抜きで,家人と今後の対応につき話し合い,患者の性格などを考慮し,以下のこと を取り決めました.患者には,予後の見通しについてはこれ以上の情報は与えない.?日頃それとなく「呼吸器などはつけたくない」と言っていたことから,患 者本人からはこれ以上のインフォームド・コンセントは求めない.?人工呼吸はNIPPVも含めて,一切行わない. 脱力は徐々に進行し,2006年6月頃 からは完全な弛緩性四肢体幹麻痺となりました.家人や在宅サービスの方々の献身的な24時間介護の下,死の前日まで介助により経口摂取し,床上ではなくト イレで排泄し,よく話し,ときどき笑顔もみられました.10月20日頃から徐々にCO2ナルコーシスが進行しましたが,経鼻酸素投与のもと,呼吸障害によ る苦痛はありませんでした.
 10月30日夕刻,家人はずっと見守っていましたが,誰も死亡に気づかないほど文字通り寝入るような最後でした.そして,私を含めた近親者は悲しみの中 にも,「できる限りのことをして,ALSとしての自然な天寿を全うさせてあげることができた」との満足感をもつことができました.
 今回は.患者の自己決定権をあくまで尊重する対応とは正反対の「旧来型」の対応でしたので,問題点も多くあるかと存じます.ことに強固な自己決定の意志 をもつ人には,このような対応は不当であると思います.しかしながら.後悔しても決して自分の意思では変更することのできない呼吸装着可否の決定を,患者 すべてに一律に求めることは妥当なのでしょうか?
 本例は偽多発神経炎型のALSと考えられますが,上記のような対応が可能であったのは,主治医が近親者であったこと,経過中球麻痺症状が出現しなかった こと,十分な介護力に恵まれた点などもありましたが,呼吸器装着に関する自己決定の過酷さを遵け,あくまで患者の穏やかな死を,近親者が総意として望んだ 結果と考えています.
 以上、ALSを専門領域とする諸氏のご参考,またはご批判の対象になれば幸甚です.」


 

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◆「ALS告知せず死亡――長岡京の医師 義母の患者、呼吸器説明もなし 」
 『京都新聞』2007-8-2:1
 http://www.kyoto-np.co.jp/
 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007080200006&genre=C4&area=K30

  「全身の筋肉が動かなくなる神経難病「筋委縮性側索硬化症(ALS)」を発症した京都市西京区の女性に対し、親族で主治医の医師(54)が、病状の告 知や人工呼吸器を使えば長く生きられることを伝えず、女性がそのまま死亡していたことが1日、分かった。「告知は最初から患者と家族に同時に行う」とする 日本神経医学会のALS診療ガイドラインに反している。医師は「ALS患者に人工呼吸器を着けると寝たきりのまま、いつまでも生き続ける。命の選択を一律 に本人に強いる風潮はこれでいいのか。問題提起をしたい」と話している。
  医師は神経内科医で、長岡京市で内科の医院を開業、ALSを2003年に発症して在宅療養する当時59歳の義母の主治医となった。
  医師によると、主治医になってすぐ、インフォームド・コンセント(説明と同意)をしないことや人工呼吸器を装着しないことを決め、義母以外の家族の同 意を得た。義母は四肢まひが進行し、昨年10月に呼吸困難で死亡した。死の前日まで判断能力や意思もはっきりして、よく会話をし、笑顔も見せたという。
 医師は今年5月号の医学雑誌「神経内科」に、近親者として義母のALSをみとった経過を投稿。「自己決定の過酷さを避け、近親者が総意として望んだ結果」「自己決定をあくまで尊重する対応とは正反対の旧来型の対応」と記している。
  京都新聞社の取材に対し、医師は「ALSでの呼吸器選択は、がん末期と違う。装着すれば平均で5年は生きるし、管理が良ければいつまでも生きる。寝たきりか死かを本人に選択させるのは過酷」と話している。
  日本ALS協会(本部・東京)の金沢公明事務局長は「呼吸器を使わないことを本人抜きで周囲だけで決めてしまったのは問題。家族の利害と患者の利害が 異なることもある。ALSの告知は、病気の進行に合わせて繰り返し、本人を支える立場で行われるべきだ」と批判している。

  ◇筋委縮性側索硬化症(ALS)
  進行性の神経疾患で、全身の筋肉が動かなくなっていく難病。治療法は分かっていない。全国の患者数は約6000人とされる。五感や認知能力は保たれる が、呼吸筋の力が低下すると人工呼吸器が必要になる。24時間の公的福祉サービスを活用しながら、装着から10年以上在宅で暮らす人もいる。

  ◇本人の意志尊重が原則
  【解説】歩くことや話す機能を徐々に失っていく進行性の神経難病ALSは、難病中の難病として知られる。人工呼吸器を装着する人は、現在約3割とも言 われ、今回の長岡京市の医師が言うように、人工呼吸器とともに生きるかどうか、患者が迷い、苦しんできたのは事実だ。医師に告知された時の衝撃と対応を怒 りを持って振り返る人も多い。
  呼吸器なしなら数年の命であること、意思疎通も困難な寝たきりになることを事務的に伝えるだけの「貧しい告知」に対する患者、家族の批判は、この医師の「医師の心の痛みを伴わない、一律の自己決定至上主義でいいのか」との言葉に響き合う。
  だが、「告知しないでほしかったという患者はいない」と、患者会の活動を続けてきた患者はいう。日本神経学会のガイドラインは「家族が配慮して本人告 知を妨げる場合があり、そのために本人告知が遅れるような事態は厳に慎むべき」としている。多くの神経内科医やALS患者は、告知をやめる方向ではなく、 よりよい告知の在り方を模索している。今春、厚生労働省の検討会が出した終末期医療のガイドラインも「患者本人の意志決定」を重要な原則と明示した。
  これまでのケースでは、患者本人が「死なせて」と頼んだとしても、家族が手を下せば刑事罰に問われる。横浜地裁は2005年、ALS患者の願いを受け人工呼吸器を止めた母親に有罪判決を出した。死の自己決定が許されるのかどうかも、グレーゾーンのままだ。
  「鼻マスク型呼吸器使用で2、3カ月、人工呼吸器で平均5年は生きる」と、この医師は自ら語る。さっきまで笑い、話していた人を励まし、1日1日を豊 かに支える手だてを考え、生きる道をなぜ示さなかったのか。親族としての思いが医師の職責を上回ってしまった面はないのか。十分に説明が求められる。」 (HP掲載全文)


□2007/08/02 朝刊 社会面 朝刊1面
 *京都新聞社HPの記事(↑)とすこし異なります。

  「見出し:ALS告知せず死亡 義母の患者、呼吸器説明もなし 長岡京の医師 学会指針を無視

  全身の筋肉が動かなくなる神経難病「筋委縮性側索硬化症(ALS)」を発症した京都市西京区の女性に対し、親族で主治医の医師(五四)が、病状の告知 や人工呼吸器を使えば長く生きられることを伝えず、女性がそのまま死亡していたことが一日、分かった。「告知は最初から患者と家族に同時に行う」とする日 本神経医学会のALS診療ガイドラインに反している。医師は「ALS患者に人工呼吸器を着けると寝たきりのまま、いつまでも生き続ける。命の選択を一律に 本人に強いる風潮はこれでいいのか。問題提起をしたい」と話している。(31面に関連記事)

  医師は神経内科医で、長岡京市で内科の医院を開業、ALSを二〇〇三年に発症して在宅療養する当時五十九歳の義母の主治医となった。
  医師によると、主治医になってすぐ、インフォームド・コンセント(説明と同意)をしないことや人工呼吸器を装着しないことを決め、義母以外の家族の同 意を得た。義母は四肢まひが進行し、昨年十月に呼吸困難で死亡した。死の前日まで判断能力や意思もはっきりして、よく会話をし、笑顔も見せたという。
  医師は今年五月号の医学雑誌「神経内科」に、近親者として義母のALSをみとった経過を投稿。「自己決定の過酷さを避け、近親者が総意として望んだ結果」「自己決定をあくまで尊重する対応とは正反対の旧来型の対応」と記している。
  京都新聞社の取材に対し、医師は「ALSでの呼吸器選択は、がん末期と違う。装着すれば平均で五年は生きるし、管理が良ければいつまでも生きる。寝たきりか死かを本人に選択させるのは過酷」と話している。
  日本ALS協会(本部・東京)の金沢公明事務局長は「呼吸器を使わないことを本人抜きで周囲だけで決めてしまったのは問題。家族の利害と患者の利害が 異なることもある。ALSの告知は、病気の進行に合わせて繰り返し、本人を支える立場で行われるべきだ」と批判している。

  本人の意志尊重が原則(解説)

  歩くことや話す機能を徐々に失っていく進行性の神経難病ALSは、難病中の難病として知られる。人工呼吸器を装着する人は、現在約三割とも言われ、今 回の長岡京市の医師が言うように、人工呼吸器とともに生きるかどうか、患者が迷い、苦しんできたのは事実だ。医師に告知された時の衝撃と対応を怒りを持っ て振り返る人も多い。
  呼吸器なしなら数年の命であること、意思疎通も困難な寝たきりになることを事務的に伝えるだけの「貧しい告知」に対する患者、家族の批判は、この医師の「医師の心の痛みを伴わない、一律の自己決定至上主義でいいのか」との言葉に響き合う。
  だが、「告知しないでほしかったという患者はいない」と、患者会の活動を続けてきた患者はいう。日本神経学会のガイドラインは「家族が配慮して本人告 知を妨げる場合があり、そのために本人告知が遅れるような事態は厳に慎むべき」としている。多くの神経内科医やALS患者は、告知をやめる方向ではなく、 よりよい告知の在り方を模索している。今春、厚生労働省の検討会が出した終末期医療のガイドラインも「患者本人の意志決定」を重要な原則と明示した。
  これまでのケースでは、患者本人が「死なせて」と頼んだとしても、家族が手を下せば刑事罰に問われる。横浜地裁は二〇〇五年、ALS患者の願いを受け人工呼吸器を止めた母親に有罪判決を出した。死の自己決定が許されるのかどうかも、グレーゾーンのままだ。
  「鼻マスク型呼吸器使用で二、三カ月、人工呼吸器で平均五年は生きる」と、この医師は自ら語る。さっきまで笑い、話していた人を励まし、一日一日を豊 かに支える手だてを考え、生きる道をなぜ示さなかったのか。親族としての思いが医師の職責を上回ってしまった面はないのか。十分に説明が求められる。(社 会報道部 岡本晃明)

  ≪筋委縮性側索硬化症(ALS)≫

  進行性の神経疾患で、全身の筋肉が動かなくなっていく難病。治療法は分かっていない。全国の患者数は約六千人とされる。五感や認知能力は保たれるが、 呼吸筋の力が低下すると人工呼吸器が必要になる。二十四時間の公的福祉サービスを活用しながら、装着から十年以上在宅で暮らす人もいる。」(全文)


□2007/08/02 朝刊 社会面 朝刊17版
 *京都新聞社HPには非掲載

見出し:「患者の尊厳無視」 ALSの義母 治療"放棄" 同じ病気の患者や家族 自己決定批判に怒り

 長岡京市の医師が「筋委縮性側索硬化症(ALS)」を発症した義母の主治医となり、病気や人工呼吸器を装着して生きる道について説明せず、死亡した経緯 を雑誌に発表していたことが一日、分かった。「患者の自己決定」を批判する内容に、同じ病を生きる人たちや家族から、怒りの声が上がっている。

 和歌山市の和中勝三さん(五八)は十五年前、ALSだと告知された。医師を信じられず、事実と認められなかった。
 人工呼吸器を着けるのは「地獄」と思い、拒否を続けた。しかし、じわじわ進行する呼吸困難に苦しみ、死が切迫し、考えは変わった。「このまま家族と別れたくない。そう思い、家族も同意して着けました。死の恐怖はすさまじかった」
 人工呼吸器を装着して十一年。和中さんは今、わずかに動かせる顔の一部の筋肉にセンサーを付け、意思疎通を支援するパソコンソフトを介して「会話」し、メールをやりとりする。
 呼吸器での生活に苦しいことは多いが「外出もでき、楽しいこともいっぱいある。呼吸器を着け、生きる喜びを知りました」。今回の医師にはいろんな患者と出会い、本人とよく話をしてほしかった、と残念がる。
 大阪府和泉市の久住純司さん(五五)は二〇〇三年にALSを発症。人工呼吸器はまだ使っていない。医師の投稿文を読み、「専門医で身内の患者だからでは、片付けられない問題。医師や家族の都合による判断は患者の尊厳無視で、許されない」と怒りに震えた。
 人工呼吸器の装着は、ケアの在り方、多くの患者の実態など、あらゆる事態を把握し、自分で判断したいと願う。
 母親がALS患者の女性は「告知をためらう家族の心情は痛いほど分かる。でも、愛する家族の命の行方を決めていいのかと迷い苦しんでいると、本人の思いを知りたくなるはず」と話した。

 本人選択は過酷 医師に一問一答

 医師は神経内科医で、大津市民病院内科医長などを経て、長岡京市で内科医院を開業している。医師との一問一答は次の通り。
 −医学誌に投稿したのはなぜか。
 「日本神経学会のガイドラインは家族に決めさせないということ。呼吸器を使うメリット、デメリットを患者さんの納得がいくまで説明せよとあるが、自己決定至上主義に疑問を感じた。日本の医療界でこんなこというのは僕だけで、つまはじきされないかとも思う」
 −患者は終末期だったのか。
 「ALS告知は、がんの終末期とは決定的に違う。人工呼吸器で管理すれば生き続けることができる。ALSは知的にも意思もずっとクリアだ」
 −なぜ告知をしなかったのか。
 「このまま死ぬか、地獄の苦しみのまま生きるかを自己決定させることになる。動けなくなるけど呼吸器を着けたら五年は生きられるとか、医師が患者にため らいなく言ってしまうのが通常だ。家族にしてみればためらう。言うに耐えない。(義母は)普通の人。患者の性格の強い、弱いをみて告知を判断すべきと言っ ているのではない。選択を本人にさせるのは過酷だと言っている」
 −最期の様子は。
 「最期まで普通に会話ができた。向こうから余命や病状を問われたことは一度もない」

 医師裁量権ない 終末医療に逆行

 上田健二同志社大教授(刑事法)の話 医療の内容や必要性などを患者に説明して同意を求めるインフォームド・コンセント(説明と同意)は、現代では医療 行為が成立する必要条件として判例も学説も一致している。「人工呼吸器を装着すれば、少なくとも数カ月は確実に、平均で五年生存」するにもかかわらず、同 意能力のある患者の同意を得ず延命措置を施さない場合、治療行為ではなく、もとより安楽死や尊厳死の要件も満たしていない。不作為で罪が成立する可能性が 濃い。
 意識がない患者であっても、生死にかかわる問題で医師に裁量権が認められるわけではない。この医師の「患者の自己決定を重視する風潮」への批判は、医師に患者より優越する権限を認める思想につながり現代の終末期医療に逆行している。

 人工呼吸器に誤解あるのでは

 ALS治療に詳しい八鹿病院(兵庫県養父市)の近藤清彦医師の話 患者に人工呼吸器を着けることに誤解から抵抗感を持っている医師が多い。ALSの告知では「十年、二十年も寝たきりになりますよ」と患者や家族に告げ、着けない方向に向かってしまう場合もあり問題だ。
 ALSで人工呼吸器を着けても、残っている身体機能を使いながら、有意義な生がある。「遅かれ早かれ動けなくなるのはかわいそう」と、価値がないものの ように見なすのは問題。この医師は神経内科医だそうだが、呼吸器を着けて生きてて良かったという患者の声を直接聞いたことがなかったのではないか。人工呼 吸器が過酷と言うならその過酷さの要因を取り除くのが医師の仕事だ。

【写真説明】人工呼吸器を装着して11年。外出したり患者同士の交流に取り組み、生きる喜びを感じているALS患者の和中勝三さん(和歌山市内)


 


◆平成19年8月2日
京都府長岡京市の開業医がALSの義母に告知をせず、死に至らしめた件について

日本ALS協会
NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会 
連絡先 日本ALS協会事務局 tel:03-3234-9155 / fax:03-3234-9156
担当理事:川口携帯070−5570−3260

本日の京都新聞朝刊記事によると、京都府長岡京市で診療所を営む医師は、ALSを発
症した義母に対し、告知を行わなかったばかりか、適切な治療もせず死に至らしめ、
その経過を「自己評価して」学術誌へ投稿しています。これは、「治療の不開始」の
容認を同業者に呼びかける極めて悪質な行為で、患者から治療を受ける権利を奪った
許しがたい倫理観であります。
もはや、ALSは悲惨な病いでも、末期でもありません。適切な治療により長期の生存
が可能です。また、現在、呼吸ケアでは、鼻マスクの導入により、年単位での生存が
可能でALSの緩和ケアとしても、その効果は医学的に認められています。適切な呼吸
管理と自立支援によって患者は再起し、社会参加も可能です。

? しかしながら、医者は、患者にとって良い情報をどれくらい持っているのでしょ
う。患者の福祉に関する情報収集の努力を怠っているのではないでしょうか。

? この医師は、自分も含めた家族介護の負担を考えて、患者当人に対する告知を控
え、長期生存につながる治療の機会を奪ったと考えられます。医師といえども、家族
が患者の治療方針を勝手に決めたり、生存に関わる治療を断ったりすることは許され
ないのではないでしょうか。

? 医師の「故意の不作為」により患者を死に至らしめる行為は、見過ごされていま
す。
富山の射水市民病院の件では、医師の裁量による「治療の停止」の実態が浮上しまし
たが、医師の裁量による「治療の不開始」の実態は、これまであまり問題視されませ
んでした。

この件は、氷山の一角であり、今後も私たちは、国や関係団体に対して、告知の徹底
と、患者の治療を受ける権利を求めていきたいと思います。


 


橋本 みさお(日本ALS協会会長) 20070802 「京都新聞雑感」

一報に接し、実母だったらどうだったろうと思った。話を矮小化してはいけませんが、私が患者なら、この医師は選ばない。医師としてより人として、ALSに 偏見や憐れみがあったのではないか? 終末期医療のあり方の議論が盛り上がっているが、告知の議論はどうなっているのか? なぜ専門誌に、このような稚拙 な事例が載るのか? 病は誰のものか? 日本神経学会に神経内科医を名乗る医師の教育の徹底を切望する。


 


◆金沢 公明(日本ALS協会事務局長) 20070802 「京都神経内科医のALS患者への告知等ケア対応に関するマスコミ取材に対する日本ALS協会事務局長コメント」

  *MSワード版(関連資料含む)

京都神経内科医のALS患者への告知等ケア対応に関するマスコミ取材に対する日本ALS協会事務局長コメント
2007年8月2日
                             日本ALS協会事務局長
                             金沢 公明
                             連絡先090-7188-2760

「近親者としての筋萎縮性側索硬化症患者」論文(添付)に対するコメント

 論文要旨として
 患者さんは59歳で発症され62歳で亡くなられた。医師は患者が「日頃それとなく呼吸器をつけたくない」と言っていたことから「予後の見通しについてこ れ以上の情報は与えず」「人工呼吸器はNIPPVも含めて一切行なわない」ことにした。そして「後悔しても決して自分の意志では変更することのできない呼 吸器の装着可否の決定を、患者すべてに一律に求めることは妥当なのでしょうか?」と書かれている。
 
・ALS患者に対する病気、治療法の説明と同意(インホームドコンセントのあり方において問題あり。
・一人の医師の人工呼吸器療法に対する認識からALS治療の説明が制限されている。
・ALSの治療選択(特に呼吸器選択など)においては患者と家族、医師と意見が異なる場合もあり、本人には説明すべき。
・医師の説明は病気進行の適切な時期に繰り返して充分に行い、生きていくことをサポートする立場から相談にのってもらいたい。
・ALSはいまだに根本原因が不明で病気進行を止める有効な治療薬が確立していない、難病中の難病といわれ、患者にとって厳しい病気であるが、20数年前 と違って、適切な医療と福祉のサポートがあれば、患者さんが楽しみや生きがいをもって生きられるようになっている。経管栄養摂取、コミュニケーション支 援、人工呼吸器療法、リハビリ、公的介護制度などの進歩、向上が図られてきた。

****関係資料****

1.科学評論社発行の神経内科65巻5号p495(2007年5月号)に「近親者としての筋萎縮性側索硬化症患者」掲載
 すずき内科クリニック(京都府長岡京市今里西ノ口7−1)鈴木 元(すずきはじめ)医師[略]
 http://www.myclinic.ne.jp/suugem/pc/doctor.html
2.日本神経学会ALS治療ガイドライン[略]
3.京都新聞 ALS告知せず死亡 長岡京の医師 義母の患者、呼吸器説明もなし[略]

 


◆2007/08/02 「人工呼吸器の説明せず難病の義母死亡 長岡京の医師」
 朝日新聞 2007年8月2日
 http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200708020034.html

 「京都府長岡京市の神経内科の開業医(54)が、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病「筋萎縮性側索(きんいしゅくせいそくさく)硬化症(ALS)」を 発症した義母に対し、人工呼吸器を使えば長く生きられることを十分に説明せず、呼吸器を付けないまま義母が死亡していたことがわかった。患者に呼吸器装着 に関する説明をしなければならないとする日本神経学会のALS治療ガイドラインに反しているが、この医師は「装着可否の決定を患者すべてに一律に求めるの は妥当なのか」と医学誌に投稿し、問題提起している。
 この医師は5月発行の医学誌「神経内科」に近親者として義母を治療した経過を投稿した。義母は03年初め、59歳で発症し、総合病院でALSと診断さ れ、病名告知を受けた。その後、この医師が主治医となり、義母抜きで家族と今後の対応を相談し、人工呼吸は一切行わないことなどを決めた。義母は06年 10月に死亡した。
 医師は取材に対し「ガイドラインを踏まえて、悩んだ揚げ句こういう対応をした。身内でなければできないし、今まで他の患者にはやっていない」と話した。  患者や家族らでつくる日本ALS協会近畿ブロック事務局長の水町真知子さん(59)は「患者がどんな状態であっても人権を尊重するべきであり、きめ細か く告知するのが当然だ。呼吸障害による苦痛の有無だけを挙げて、患者を楽にしてあげたという考え方には疑問がある。今回のやり方は患者にとって何の利益に もならない」と話す。医師が自分の近親者の主治医になって、第三者に意見を尋ねなかったことにも疑問を呈した。」(HP掲載全文)

 *以下立岩真也『朝日新聞』(京都支局)へのコメント。
  (そのまんまに近いかたちであれば、私のコメントとして使っていただいてかまいません。)

電話取材をもとにいただいた案
 立命館大学の立岩真也教授(社会学)の話 私は本人に可否を聞きさえすればいいとは思わないし、告知をしないこともあり得ると考える。だが、ALSは先 の長い病気であり、告知をすべきだったと思う。本人には呼吸器を着けて生きる実感がわからないかもしれないが、実際には着けて普通に生きることが出来る。 生きられる人間が生きられる環境をつくるのが医療の原則だ。医師はなすべきことをなさなかったといわざるを得ない。
 ↓
それをもとに私が書いた案
 立命館大学の立岩真也教授(社会学)の話 説明と同意がなかったことだけを問題にするのは間違いだ。死ぬと言われたらそのまま死なせればよいか。そうで はないだろう。説明と同意は絶対の原理ではない。だがそれは生きられる人を生きられるようにするのが基本だからだ。この医師が行なったのはそれと逆のこと であり、呼吸器を使って長生きできる人を死なせた。そのことを書いて専門誌に投稿し、問題にされなかった。それが問題なのだ。
 ↓
まにあわず非掲載とのこと

 


■読売テレビ 2007-8-2 18時からのニュース

  立岩真也コメント:朝日新聞へのコメントと同趣旨のことを話しました。


 


■2007/08/02 「<ALS患者死亡>呼吸器装着説明は「家族の総意」で行わず」
 毎日新聞 2007年8月2日 12時56分
 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070802k0000e040064000c.html

  全身の筋肉が動かなくなる難病「筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)」を発症した義母に対し、京都府長岡京市で内科医院を開業している主治医の男性医師(54)が、 病状の説明や人工呼吸器を使えば長く生きられることなどのインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)を求めず、義母はそのまま死亡していたことが分かった。
医師は医学雑誌「神経内科」(今年5月号)に経緯を投稿。「呼吸器装着可否の決定を、患者すべてに一律に求めることは妥当なのか」としている。
 同誌によると、義母は、発症当時は59歳。03年1月ごろ、総合病院でALSと診断された。病名は告知されたが、呼吸器使用などの明白なインフォームド・コンセントはなかった。  医師は在宅担当の専門医として引き継ぎ、家族から、(1)義母にこれ以上の情報は与えない(2)義母は日ごろ、「呼吸器などつけたくない」と言っていたことなどから、これ以上の インフォームド・コンセントは求めず、人工呼吸は行わない−−などの同意を得た。義母は四肢まひが進行し、06年10月に呼吸困難で死亡。死の前日までよく会話し、笑顔も見せたという。  医師は同誌で「呼吸器装着に関する自己決定の過酷さを避け、あくまで患者の穏やかな死を、近親者が総意として望んだ結果」としている。
 一方、日本神経学会が02年にまとめたALS治療ガイドライン(指針)は「病名告知と病気の説明」について「告知は最初から患者と家族に同時に行う」「患者の理解や受け止め方を 観察しながら適切な方法で説明する」としている。作成にかかわった田代邦雄・北海道大名誉教授は「慎重な議論を経てまとめた指針で、推奨するが強制ではない」と話している。


 


◆2007/08/11  「難病のALS−−患者の命置き去り」
 神戸新聞(社会部・田中伸明) 2007年08月11日
 http://www.kobe-np.co.jp/news_now/news2-768.html

難病のALS 患者の命置き去り
 全身の筋肉が動かなくなる難病「筋委縮性側索硬化症」(ALS)の患者に対し、人工呼吸器を使って延命するかどうかが、医療や福祉の環境によって大きく左右されている。京都府長岡京市では今月、開業医が、病名告知や呼吸器装着の意思確認を患者にしないまま、呼吸不全で死亡させた問題が発覚。関係者は、患者が延命を望んでも、医療側の消極的な姿勢や介護体制の不備が、呼吸器装着を阻んでいると指摘する。現状を探った。
呼吸器敬遠 医療と介護が「壁」に 延命治療多くが断念
/公立八鹿病院 支援充実で9割装着−−ALSが進行した患者の生は、人工呼吸器によって支えられている=養父市八鹿町内
 「ここの告知方法には正直、戸惑いがある」近畿内の公立病院の関係者は、取材に対しこう打ち明けた。
 同病院では、患者自身が「呼吸器を着けたい」と希望しても、担当医は「着けてまで生きる目的は何なのか」「家族で二十四時間介護する力はあるのか」などと応じているという。人工呼吸器を着けずに、死を迎えるケースも多い。  担当医の持論は「介護体制が整わないまま延命しても、患者も家族も不幸になるだけだ」。これに対し、この関係者は「医師も悩んでいるのだと思う。病院としても環境を整える役割をもっと果たしてほしい」と話す。

 ALS患者は、病気が進行すると呼吸不全になるが、気管を切開して人工呼吸器を装着すれば、長期間の生存も可能。医師側は、病名を告知し、呼吸器装着の意思を確認することが、日本神経学会のガイドラインで定められている。  しかし、実際には医師側の考えで左右される例が多いことは、多くの関係者が指摘している。
 兵庫県北部に住む六十代の女性患者も、ALSの告知を受けたとき、延命によるデメリットばかり強調されたという。
 「寝たきりで、話もできなくなる」「二十四時間介護が必要」…。
 女性は「非装着」を選択した。家族は「着けてもらいたいとは言いにくかった」と振り返り、今も揺れ続ける。
 患者団体・日本ALS協会近畿ブロックの水町真知子事務局長は、呼吸器装着を妨げる要因の一つに「地域福祉の貧困」を挙げる。
 水町事務局長が支援している奈良県内の五十代の女性患者は、訪問看護の事業所から、夫が退職して二十四時間介護するよう求められた。「万一の場合、責任が持てない」のが理由。同意書への署名を拒むと、サービスを打ち切られた。

 医療機関が独自に介護を支える体制をつくり、呼吸器装着を積極的に進める例もある。
 養父市の公立八鹿病院では、医師、看護師、理学療法士など十二職種によるケアチームを結成。定期的に情報交換し、ケアの方法を検討する。介護する家族の負担を減らすための「レスパイト入院」も受け入れる。
 近藤清彦・脳神経内科部長は「告知の際、こうしたケア体制の情報も提示することで、呼吸不全になった患者の九割以上が呼吸器装着を選んでいる」と強調する。
 養父市在住のALS患者、濱薫さん(62)は、呼吸器装着から五年を迎えた。悩み抜いたが、今は「装着して良かった」と考えている。八鹿病院の支援を受け、自宅で介護する妻美知代さん(59)は言う。
 「目の合図で話ができるので、何でも相談している。つらいことも多いけれど、夫がそばにいることには替えられない」
 【筋委縮性側索硬化症】 厚生労働省指定の難病。認定患者は約7300人で増加傾向にある。原因不明で有効な治療法もない。運動神経が侵され、全身の筋肉が動かなくなるが、感覚や知能ははっきりしているため、痛みなどの訴えが多く、介護の負担も大きいとされる。


UP:2007 REV:
安楽死・尊厳死