原作は秋元康。おにゃん子クラブのプロデュースや作詞家として若い世代を取り込んだかと思うと、「着信アリ」などの映画でホラーの世界に新機軸を持ち込
む。そしてこの「象の背中」、ガンで死ぬ運命の主人公を巡る家族愛の愁嘆劇。51歳を越えて尚、時代の風を捕えるアンテナは確かだ。
象は自分の死を察すると、仲間から外れ姿を消して密かに死ぬという。肺癌で背中に強烈な痛みを訴え苦しむ主人公、藤山幸弘(役所広司)は死ぬときは一人でなく、家族に見守られて死にたいと願う。
幸弘は中堅建設会社の部長。郊外に大きな住宅街を開発するBプロジェクトの責任者だ。背中の痛みを覚えた検診の結果を、医者から言い渡されるシーンか
ら、映画は始まる。肺癌で余命6か月、末期に入り転移をしているので手術は無理。幸弘は延命策の抗がん剤の投与も拒否して「死ぬまで生きたい」と願う。死
ぬまで人間らしい高い質の生活(QOL)を維持したい。仕事は変わらず続け、大学生の長男、俊介(塩谷瞬)にだけは打ち明ける。23年間の結婚生活を送っ
ている妻の美和子(今井美樹)にも、高校生の長女、はるか(南沢奈央)にも内緒だ。
死ぬ前にすべきことは一杯ある。初恋の人(手塚理美)に当時の想いを打ち明けたり、喧嘩別れした高校時代の親友(高橋克美)に会い和解する。潰されか
かったBプロジェクトを、役員に噛み付き社長に直訴して延命させる。そして何よりも長年の愛人(井川遥)には包み隠さず幾ばくかの余命を告げる。12年も
帰らなかった実家の兄(岸部一徳)に会っての会話が印象的。特に後半、兄に向かって、家族には内緒で愛人への分灰を頼むシーンには涙が止まらない。泣かせ
よう、泣かせようという映画の思惑にまんまとはまり込んでいる自分を発見する。
役所広司はいつもながら上手い。妻への感謝を言葉と共に表情で、目で、表している。頬も病状が進化するにつれこけて行く。身体もやせさらばえ弱弱しくな
るように物理的にも役柄に成り切る。久しぶりの映画出演の今井美樹も、秘めた激情を隠して見舞いに来た愛人と応対する場面が良い。監督は「破線のマリス」
「g@me」などのベテラン井坂聡。身近にある悲劇をしっかりと撮り上げている。
◆2007/10/25 「「延命措置の中止」法制化は妥当か」
オーマイニュースインターナショナル(軸丸 靖子) 2007年10月25日23時00分
http://www.ohmynews.co.jp/news/20071025/16552
尊厳死の法制化を進めるべきか、阻止すべきか。パネルディスカッションでは冒頭から激しい応酬が繰り広げられた=22日、東京・千代田区の東京弁護士会館
尊厳死パネルディスカッション、賛否両派が激論
尊厳死の名のもとに、延命措置の中止の仕組みを法制化する動きが議員主導で進みつつある。このほど都内で開かれた第二東京弁護士会・人権擁護委員会主催
の「尊厳死パネルディスカッション 『尊厳死』の法制化の動きを踏まえて」では、尊厳死の法制化を目指す派と、阻止しようとする派がそれぞれ持論を展開
し、激しい論戦を繰り広げた。
終末期の患者が、自分の意志で延命措置の中止を求めることについての議論は古くからあるが、『法制化』という形で議論が加速したのは2006年3月、富
山県射水市民病院で外科部長が入院患者数人の人工呼吸器を外し、全員が死亡していたことが明るみに出たのがきっかけとされる。
以降、今年になって5月21日に厚生労働省の「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」、次いで同31日に超党派の議員による「尊厳死法制化を
考える議員連盟」(尊厳死議連、会長=中山太郎衆院議員)が作成した「臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)」が公表された。いずれ
も、医療現場で起きていることに何らかの裏付けをしようという動きだが、弁護士会、医師会は、ガイドラインは必要にしても「法制化」は拙速、と否定的な意
見を示している。
パネルディスカッションに登壇したのは、尊厳死の法制化を求める立場から尊厳死議連の阿部俊子衆院議員、日本尊厳死協会の井形昭弘理事長、法制化を阻止する立場から「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」(=阻止する会)清水昭美事務局長、光石忠敬弁護士の計4人。
尊厳死と安楽死を混同?
パネラー間で一致したのは、尊厳死の「法制化」が求められるのは、端的に言えば、実際に延命措置を中止する医師が責任に問われない体制を作るため、とい
う点だ。そうでなければ患者の自己決定権は担保されない。尊厳死議連の法案には、尊厳死を望んだ結果の死を自殺とはみなさないとして、生命保険などで不利
にならないよう明言されている。だがこの法案は、「延命措置」の措置が「医療」にあたるのかなど、重要な部分はまだ詰められていない。
日米両方で看護師として働いた経験のある阿部氏は、法案を作った経緯について、「本人が望むなら尊厳ある死を認め、それによって医師が責任を問われない
体制を作るべき。だが、いかんせん『安楽死』と勘違いしている人が多い。これは議論のたたき台になる法案を作ってある程度進めないと、いつまでたっても本
来の議論に行き着かないと感じた」と説明。
「欧米では『事前指示』という考え方が進んでおり、日本でも、法制化の前に常識化していくことが必要だ。まず、『自分はどのように生きていくのか』と考えることを広めていくことが大事」と話した。
14万人の署名を集めて国会に請願書を出すなどしている井形氏は、医師の経験から「延命至上主義で、1時間でも延ばすのが医師の使命と思ってやってきた
が、今思えば間違いだった。人間は昔からダンディーな死に方を希望してきた尊厳死は、嫌だという人に押し付けるものではない。その辺の理解が進んでほし
い」と訴えた。
これに対し「医師は信用ならない」と真っ向から反対したのは清水氏。
看護師だった1950年代当時、当直の医師が自分の睡眠時間を邪魔されないために、喉頭がんの患者に麻薬を大量投与しろと指示したエピソードを紹介。
「日本の安楽死事件は、家族が一生懸命介護をして、患者さんも家族も苦しんで、その末で起きている。癌患者が疼痛に苦しんでいるのに、病院に麻薬を置く
と面倒だからといって医師がモルヒネを用いず、結果、家族が手を下すというケースもある。実行者の免罪よりは事件の背景の改善こそが必要」としたうえで、
法案がはらむ問題点として、
(1)臨死状態であるという診断は、複数医師が行うからといって、命を絶てるほど確実なものができるのか?
(2)本人・家族への説明は十分か?
(3)患者本人の意思に変化は起こらないのか?
(4)家族の同意・承認というが、家族は必ず患者本人の見方といえるか?
(5)治療を中止し早く死なせることが、患者にとって本当に楽なのか?
の5点を挙げた。
光石氏は法律家の立場から、「尊厳死の法案からは、延命治療によって患者に苦痛があるという前提は読み取れない。市民の理解と法案の中身とはかなりかけ
離れている。『患者の自己決定権を尊重する』というが、私に言わせれば、いまの医療は自己決定権に依存・乱用し過ぎている。どういう目的のときに、どの範
囲で患者の自己決定権を認めるのか、法案以前に考えなければならない。自己決定権に偏り過ぎた法案は誤解を招く」と指摘した。
「そのとき」に医師を信用できるのか
法制化推進、阻止の2派というより、4者4様に異なる意見が展開されたが、中でも見解が割れたのが、「臨死状態」になったとき患者あるいはその家族と、医療者とのあいだに、信頼関係が持てるか、という点だ。
“医師性善説”に立ったのは阿部氏。「清水さんとは医療にたずさわった時代が違うが」と皮肉りながら、「私は、医師は基本的に良い人だと思っている。医
師を信用できなければ医療は成り立たない。また、現在の日本は患者が医療者に依存し過ぎていると感じる。患者も、ただそのときに直面した要望を権利として
主張するのではなく、勉強して、医療者と同等にならなければならない。一方で、医師もコミュニケーションのとり方がまずい。この点は医学教育から改善しな
ければならない」と主張した。
これに対して清水氏は、「(自分の経験は)古い話だといわれるが、半世紀前の医療倫理といまとで、何かが改まっているだろうか。お産が週末にこないよう陣痛促進剤を打ったりすることはいまも起こっている」と反論。
光石氏は、「患者と医療者、あるは医療スタッフと医師のあいだに信頼関係があって、患者の権利が守られている現場であれば、この種のことは「あ・うん」
の呼吸で行われ、問題になっていないもの。しかし現実はどうだろうか」
「法律や道徳は倫理とは違う。倫理は『私』という1人称にとって良ければいいが、道徳や法律では万人にとって良いことが求められる。医師がいい人だからと
いうのでは法律は作れない。また、救急の場などは患者は頭が真っ白になって考えられない。患者の自己決定権は確かに大事だが、同時に危ないものだ。だから
法が必要になる。こういう問題の法制化は、もっと慎重に考えるべき」
とした。
◆2007/10/26 「終末期の治療法、意思確認に診療報酬−−厚労省方針」
日本経済新聞 2007年10月26日07時01分
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20071027AT3S2602F26102007.html
厚生労働省は26日の中央社会保険医療協議会(中医協)で、患者の終末期の治療方法を文書で確認した場合に診療報酬を医療機関に支払う方針を提示した。
終末期を自宅で迎えたい人や、病院での延命治療を望まない人の希望を尊重する医療へ転換を促すのが狙い。2008年度の診療報酬改定で実現を図る。
終末期医療を巡っては、体調の急変などで患者が自分の治療方法に関する意思表明をできなくなるケースも多く、本人が望まなかった延命治療なども行われて
いるとみられている。このため厚労省は、医師や看護師らが患者と話し合い、体調急変の場合の治療方法を事前に合意して文書化すれば、診療報酬を支払う仕組
みを提案した。
◆2007/10/26 「昨秋から5人延命中止、千葉の救急病院が公表」
読売新聞 2007年10月26日03時01分
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20071026i101.htm
千葉県救急医療センター(千葉市)が昨年10月から今年3月にかけ、計5人の末期患者から、人工呼吸器や人工心肺を外していたことが同センターが行った調査で分かった。
医師が刑事責任を問われかねないため、医療機関は、家族が求めても延命治療の中止に消極的か、実施しても公表しないことが多い。同センターは、延命中止
を実施している現場の実態を示すため、先週、大阪市で開かれた日本救急医学会で、極めて異例の公表に踏み切ったが、延命中止の実施時期が、同学会指針の策
定前だったことから議論を呼びそうだ。
調査は、昨年10月からの半年間に同センターで受診した患者(2212人)のうち、亡くなった患者257人が対象。このうち、病院到着時に心肺停止状態
だった患者169人を除く88人の院内での死亡例について、治療記録を精査した。この結果、6%にあたる5人の延命治療が中止され、半分の44人で薬剤投
与の減量など治療差し控えがあった。
延命治療が中止されたのは30〜60歳代の男女5人(平均年齢54歳)で、うち3人はくも膜下出血、2人はそれぞれ狭心症と心筋梗塞(こうそく)だっ
た。くも膜下出血の3人に対しては、脳死と判定した上で、入院後12〜17日目に人工呼吸器を外した。心疾患の2人については、回復の見込みがないため、
入院5日目と6日目にそれぞれ人工心肺を止めた。すべて生前の本人意思は不明で、家族は「見ていられないので止めて下さい」などと治療中止に同意したとい
う。治療中止の判断は、院内の指針に基づき、幹部医師を含むチームで決定、倫理委員会にはかけなかった。記録はカルテに残した。
国や日本救急医学会などは終末期医療に関する指針を策定したが、今回の延命中止の公表は、学会や国など“上”からのルール作りに対する、医療現場からの
問題提起といえる。中村弘・同センター医療局長は、「救急学会などの指針にも意義があるが、今後、この指針に基づき、医療現場で延命中止が実行できるの
か。現場の裁量を認める議論が必要だ」と話す。
延命治療中止は、医師と家族の間の「あうんの呼吸」で行われていたが、昨年、富山県の射水市民病院で、独断で呼吸器を外した医師が捜査対象となるなど、
治療中止が殺人罪に問われかねない不安が医療現場に広がっている。そのため同学会が今月まとめた指針は、「脳死状態」など4種類の終末期を定義、「人工呼
吸器の取り外し」など4種類の具体的な中止方法を定めた。同センターの治療中止は、指針策定前だが、手続きはすべて指針に合致している。
関連情報
・5人の延命中止を公表…千葉の病院?(2007年10月26日)
・延命中止手順、呼吸器取り外し明示?(2007年2月20日)
・医師訴追分かれ目は…射水の延命中止問題1年?(2007年3月29日)
・[解説]延命中止可能な状態明示、統一ルールで訴追回避?(2007年2月20日)
・積極的延命か安らかな最期か…小さな命の終末期医療?(2006年8月21日)
◆2007/10/26 「末期患者5人の延命中止−−千葉県救急医療センター」
北海道新聞 2007年10月26日12時36分
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/life/57131.html
千葉県救急医療センター(千葉市)が今年3月までの半年間に、脳死と判定するなどした末期患者5人の延命治療を中止していたことが、26日までに分かった。先週大阪市で開かれた日本救急医学会で公表した。
同センターは、20年以上前から脳死患者の家族と話し合い、希望があれば延命治療を中止している。これまでも「1980−2000年に延命治療を中止し
た脳死患者は224人」などとするデータを、以前在籍した佐藤章・埼玉医大教授が関連学会で公表。今回は、直近の状況を同センターが集計した。
それによると、昨年10月から今年3月の間に重症のくも膜下出血などで入院後、無呼吸テストを含む厳格な基準で脳死と判定された患者3人については、家
族の同意を得て人工呼吸器を取り外した。人工心肺の使用中に心停止となった別の2人も、回復の見込みがないことから使用を止めた。
◆2007/10/26 「千葉の病院、半年で患者5人の延命中止」
日本経済新聞 2007年10月26日14時03分
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20071026STXKF015726102007.html
千葉県救急医療センター(千葉市)が今年3月までの半年間に、脳死と判定するなどした末期患者5人の延命治療を中止していたことが、26日までに分かった。先週大阪市で開かれた日本救急医学会で公表した。
同センターは、20年以上前から脳死患者の家族と話し合い、希望があれば延命治療を中止している。これまでも「1980―2000年に延命治療を中止し
た脳死患者は224人」などとするデータを、以前在籍した佐藤章・埼玉医大教授が関連学会で公表。今回は、直近の状況を同センターが集計した。
それによると、昨年10月から今年3月の間に重症のくも膜下出血などで入院後、無呼吸テストを含む厳格な基準で脳死と判定された患者3人については、家
族の同意を得て人工呼吸器を取り外した。人工心肺の使用中に心停止となった別の2人も、回復の見込みがないことから使用を止めた。
いずれのケースでも家族に話を聞いたが、患者の意思は分からなかった。〔共同〕
関連記事
・呼吸器外し、倫理委で判断・日医大が延命中止指針(8/25)
◆2007/10/26 「5患者の延命治療中止 千葉の救急センター、家族は同意」
朝日新聞 2007年10月26日16時22分
http://www.asahi.com/life/update/1026/TKY200710260271.html
千葉県救急医療センター(千葉市美浜区)が、昨年秋から今年春にかけて、回復の見込みがなくなった救急患者5人に、家族の要望などで人工呼吸器を外すなど延命治療を中止していたことが26日わかった。
センターが、終末期治療の実態を調査するため、昨年から今年にかけて死亡した患者のカルテなどを改めて調べたところ、脳卒中などで救急搬送された後、脳
死状態と判定されるなど回復の見込みがなくなった患者計5人に、心臓停止の前に、人工呼吸器や人工心肺による延命治療が中止されていた。いずれも治療の中
止は、家族の同意もあり、院内の指針に基づいて複数の医師らがチームで判断したという。
救急現場での終末期医療をめぐっては今月15日、日本救急医学会が、患者本人の意思が明らかでなく、家族が判断できない場合、主治医を含む医療チームで
判断するなど、延命治療を中止する際の手順を示したガイドライン(指針)を発表している。今回のケースは、センターの医療チームで判断し、カルテに記録す
るなど指針内容の範囲内で行われているとみられる。
延命治療の中止をめぐっては昨年、富山県の射水市民病院で、末期がんの入院患者7人が、主治医の判断で人工呼吸器を外されていたことがわかり、富山県警
が事情聴取を行った。家族の要望で延命治療を中止しても、医師が刑事責任を問われかねないケースがあることから、学会が指針作りに乗り出していた。
◆2007/10/25 「5人の延命中止−−昨秋から半年間−−千葉の病院、公表」
東京新聞夕刊 2007年10月26日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007102602059484.html
千葉県救急医療センター(千葉市美浜区)で、昨年十月から半年間に五人の末期患者から人工呼吸器や人工心肺を外し、延命治療が中止されていたことが二十六日分かった。同センターの調査で判明し、大阪市で開かれた日本救急医学会で発表された。
同学会などによると、延命治療が中止された五人のうち三人は、脳死と判定した上で人工呼吸器が外された。心疾患の二人に対しては回復の見込みがないと判断され、人工心肺が止められた。
いずれも幹部医師を含む複数の医師の合議で決定した。それぞれ本人の意思確認はできなかったが、家族は治療中止に同意したという。
同センターは、センターで死亡した二百五十七人中、救急室で死亡した百六十九人を除いた八十八人について診療録を精査して調査。延命治療を中止した以外に、新たな治療を開始しない例も四十四人あった。
◆2007/10/26 「「社会的検証が必要」−−千葉県救急医療センター」
東京新聞 2007年10月26日19時04分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007102601000604.html
今年3月までの半年間に脳死患者ら5人の延命治療を中止していたことを日本救急医学会で発表した千葉県救急医療センター(千葉市)の中村弘医療局長は26日、記者会見し「延命中止(の是非)について、社会的な検証が必要だと訴えたかった」などと説明した。
中村局長は脳死判定後の延命治療について、センターでは1980年以降、患者の家族から口頭で同意を得て中止しており、その手続きは今月15日、学会で決まった呼吸器外しを選択肢として容認する指針とほぼ同じと説明。
一方で、家族から書面で同意を取り付けていなかった点については「これまで家族に精神的負担を掛けたくなかったので書面で取らなかったが、医療への信頼が損なわれている現状ではもう無理だと思う」などと、延命中止に関する明確な基準が必要との考えを示した。(共同)
◆2007/10/26 「5患者の延命治療中止=千葉の救急センター」
時事通信 2007年10月26日21時11分
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007102601184
千葉県救急医療センター(千葉市美浜区)が昨年10月からの半年間に、回復の見込みがなくなった5人の末期患者の人工呼吸器を外すなどし、延命治療を中止していたことが26日、分かった。小林繁樹センター長らが同日記者会見し、調査結果を公表した。
日本救急医学会が15日、延命治療中止の具体的な要件を示した初のガイドライン(指針)を策定したが、現場の実態はこれまでほとんど明らかになっていなかった。
調査した中村弘医療局長は先週、大阪市で開かれた同学会でもこれらデータを発表しており、公表した理由について、会見で「指針に従っていればそれだけでいいとはいえない。家族の悩みなども含め、社会的に検証されていくことが必要と考えた」と説明した。
◆2007/10/26 「映画「象の背中」あす公開 役所広司に聞く−−あきらめず思い切り」
フジサンケイ ビジネスアイ(堀口葉子) 2007年10月26日
http://www.business-i.jp/news/enter-page/enter/200710260004o.nwc
余命半年をテーマにした映画「象の背中」(井坂聡監督)が27日、全国公開される。末期がんを宣告された48歳の主人公、藤山幸弘を演じたのは、国際派
俳優として活躍する役所広司(51)。延命治療ではなく、大切な人たちに別れを告げていく幸弘を演じた思いから、役者としてのこだわりまで、語ってもらっ
た。
≪役作りで減量≫
−−まず、原作を読んで
「原作を読み、末期がんで死を前にした幸弘の行動に、涙なしではいられなかった。余命半年を宣告されたあと、延命治療ではなく、今まで出会った大切な人
たちに別れを告げに行く。幸弘なりに、いい生き方をしたと思います。もし、僕が宣告されたなら、七転八倒するでしょう」
−−「象の背中」というタイトルで、イメージするものは
「別れです。象は死期を察すると群れから去っていくという意味では、いいタイトルだと思います」
−−役作りの一環で、10キロ減量したと
「減量は、(役柄に合わせて)衣装を変えることと一緒。気持ちよく“うそ”をつく上で、今回の役はやせた方がいいと判断しました。減量自体は、食事療法
なので苦労はないですよ。それに、役作りは僕だけがやっていることではなく、俳優は皆隠れて必死にやっています。投げやりに取り組んだら、投げたなりの結
果しか出ませんから。映画に対し、もっともっと、とあきらめない姿勢で挑みたいと思っています」
−−撮影現場では皆、役所さんの芝居をみて、勉強しようとしていた
「僕としては、幸弘の役をまっとうするだけです。息子役の塩谷瞬くんと、娘役の南沢奈央さんには、思い切ってやればいい、と言いましたが。基本的に、役者に意見をいうのは監督ですしね」
≪生き方考える≫
−−20年ぶりの映画出演となった今井美樹さんとの共演は
「今井さんは、歌という3分間を演じていますから、映画出演が久しぶりでもブランクなんて感じさせない女優さんです。第一、撮影現場では力があり、夫婦役の相手として頼もしかった。いつからか、僕たちは自然とお父さん、お母さんと呼び合っていました」
−−公開に向けた思いを
「映画を観終わったあと、人生をいかに生きるべきか考えたり、先送りにしていたことに取り組んだり、何かを感じてもらえればうれしいですね。皆、余命何年という時間を生きているので」
−−「SAYURI」「バベル」など、海外作品にも出演している。出演作品を決める基準は
「出演したい脚本や、演じたいキャラクターで決めさせていただいています。基本的には、声をかけてもらったら参加しよう、という気持ちはあります。海外
作品は、各国の撮影現場や監督の動きをみたいので、積極的に挑みたいと考えています。また、若い監督の作品に新しいセンスを感じたときは、ぜひ参加したい
と思います」
◇
【あらすじ】
末期の肺がんと宣告された48歳の中堅不動産会社部長・藤山幸弘(役所広司)は、余命半年の生き方を延命治療ではなく、今まで出会った人に再び会って自
分なりの別れを告げようと決意する。そして、すべてを受け入れる妻・美和子(今井美樹)、大学生の長男・俊介(塩谷瞬)、高校生の長女・はるか(南沢奈
央)とともに「今」を生きる…。
◇
「象の背中」は作詞家、秋元康氏が手掛けた初の長編小説で、2005年1月から6月まで産経新聞に連載された。06年4月に単行本(1575円)が産経新聞出版から、今年9月には文庫本(650円)が扶桑社から発売された。
◆2007/11 「安楽死をめぐるオランダの動向(人権口コミ講座27)」
きょうと府民だより(中井伊都子、甲南大学法学部教授・財団法人世界人権問題研究センター嘱託研究員) 2007年11月号
2001年に世界ではじめて、一定の条件の下での医師による安楽死*と自殺幇助*を合法化する法律がオランダで採択されました。オランダでは消極的安楽
死(たとえば延命のための輸血の打ち切り)や間接的安楽死(鎮静剤の大量投与の副作用としての死亡)は通常の医療行為とみなされており、いわゆる「積極的
安楽死」のみを安楽死として扱っています。
この法律は必ずしも患者の「死ぬ権利」を保障したものではなく、あくまでも刑法が規定する嘱託殺人罪を、医師によって「相当な注意」の条件(患者の十分
に考慮された自発的要請、耐え難い持続的苦痛・苦悩、回復の見込みがないこと、他の医師の意見など)の下で行われた場合には適用しないという内容です。こ
れによって、1970年代初めからの激しい議論の中で示された判例やオランダ法務省のガイドラインがようやく法制化されたわけですが、同時に、安楽死審査
委員会の監視が事後に限られること、「自発的」「耐え難い」などの基準のあいまいさによる濫用の危険性などの問題点も指摘されています。
一方、オランダでは、自らの意思を表明できない幼児や認知症の患者などの生命を終焉させる行為も実際多数行われていることが報告されていますが、新生児
についてオランダ政府は、医療現場で用いられている要件(回復の見込みなし、耐え難い苦痛、2組の医師の意見の一致、両親の同意)を法律の変更などは行わ
ずに政策として採用することを明らかにしています。
人間の尊厳に最も深く関わる困難な問題を、常にオープンに議論してきたオランダ社会の姿勢は見習いつつ、積極的安楽死の是非や自らの意思を明らかにできない患者の扱いについての議論を、日本に住む私たちも深めていくべき時にきているのではないでしょうか。
*安楽死・・・自発的(患者の意思に基づいている)で積極的(死に至る薬剤を投与する)なもの
*自殺幇助・・・患者が自らの生命を終焉できるように、医師が死に至る薬剤を処方あるいは提供すること
◆2007/11/10 「医師と看護師の増員を求め]
四国放送 2007年11月10日
http://www.jrt.co.jp/news/scripts/newscont.asp?NewsId=10250
医師と看護師の増員などの法律の制定・改正をもとめた署名活動ナースウェーブが、きょう、徳島市で行われました。
署名活動を行ったのは、県医療労働組合連合会と県民主医療機関連合会に所属する看護師など60人です。
今、医療現場では、医師・看護師が不足しているため、病院や病棟の閉鎖や過密労働による退職者が後を絶ちません。
この署名は、勤務条件を整え、医師と看護師を確保・増員するための法律の制定・改正と、医療費と社会保障予算の引き上げを求めて行われました。
切実な呼びかけに、買い物客や学生は足を止めて、ペンを取っていました。
署名は、この秋から来年春までに全国で100万人を目標に集められ、来年春の通常国会に提出されます。
◆2007/11/10 「延命中止の選択肢説明を--医師ら81%、終末期医療」
中日新聞 2007年11月10日18時13分
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007111001000447.html
患者が回復の見込みがない終末期の状態に陥った場合、医師や看護師らの81%が「患者や家族に延命治療中止を選択肢として説明すべきだ」と考えているこ
とが、国立病院機構本部中国四国ブロック事務所(広島県東広島市)の田中信一郎医療課長らが行ったアンケートで10日分かった。
回答者のほとんどが、延命中止には医療機関の組織的な決定が必要と答えており、厚生労働省が今年まとめた指針に沿う結果。田中課長は「日ごろから家族に意思表示するなど、患者も受け身にならないことが大事」としている。
昨年9月に中国・四国の医師や看護師ら約1700人にアンケートし、約1400人が回答した。
患者の家族から延命中止要望があった場合、「社会通念の範囲内で」(32%)「患者意思が感じられる場合」(21%)を含め、計57%が「応じる」と回答。具体的方法としては、昇圧剤の投与中止や人工呼吸器の停止、透析中止などを挙げた。(共同)
◆2007/11/11 「難病ALS療養の今 自動たん吸引器を開発 気管切開後も発声可能に 「死の法制化」に不安も−−内科、呼吸器科」
西日本新聞(東憲昭) 2007年11月11日朝刊
http://qnet.nishinippon.co.jp/medical/doctor/feature/post_455.shtml
運動神経が侵され、全身の運動機能が次第に失われていく難病の「筋委縮性側索硬化症(ALS)」。病状が進むと自発呼吸もできず、24時間態勢の介護が必
要になる。九州・山口の患者数は約1000人。療養を医療機器の開発や改良が支える一方、患者や家族には自発呼吸の有無などを条件にした延命治療中止の論
議に対する不安も高まっている。
●負担を軽く
「往診先に目覚まし時計が6個もありました。患者のたん吸引は夜中でも1、2時間おきに必要。せめて夜だけでも介護から解放してあげなければ、家族は疲弊しきってしまう」
大分協和病院(大分市)の山本真院長(53)=呼吸器内科=は、実用化に今夏成功した家庭用「自動たん吸引装置」の開発経緯をこう語る。
気管を切開し、人工呼吸器を付けたALS患者は、のどに詰まったたんを自力で出せない。そのため、家族などの介護者が吸引器を使い、手作業で定期的にたんを除去する必要がある。
山本院長らが約8年をかけて開発した装置は、たん吸引口を人工呼吸器の管と一体化させ、複数の電動シリンダーで持続的に吸い出す。息苦しかったり、気管壁を傷つけたりしないように、吸引口の形も改良した。
共同で開発した医療介護機器販売「徳永装器研究所」(大分県宇佐市)の徳永修一社長(57)は「完全自動化は世界初のはず。筋ジストロフィーや脊髄(せきずい)損傷など、人工呼吸器を使う他の疾病にも使える」として、医療機器への承認を申請中。
市販化はまだ先だが、既に複数の研究機関から「臨床試験で使いたい」との申し出を受けているという。
●意思を伝達
病状が悪化しても知覚神経や自律神経は正常なALS患者は、五感や頭脳の働きはずっと明瞭(めいりょう)なまま。そのため声が出せなくなった後に家族らとコミュニケーションを図る「意思伝達装置」も重要だが、この分野の技術革新も著しい。
手や足、頭、口、目…。ALS患者はわずかでも動く部分を使ってスイッチを操作し、意思を伝えているが、まばたきや眼球までもが動かせなくなると「まったく意思の疎通が不可能」とされてきた。
だが、昨年1月、この段階の患者でも意思を読み取れる機器が発売された。暗算や頭の中で歌を歌うなど、意図的に脳を働かせると前頭葉の血液量が増えることに着目し、この変化を額に付けた近赤外光センサーでとらえる装置「心語り」だ。
「イエスかノーか確認する程度で完全な正答率もまだ保証できないが、患者と家族の生きる希望が少しでもつながれば」と、開発販売元のエクセル・オブ・メカトロニクス(東京)技術部の尾形勇氏(41)は語る。
もう1つ、機器の改良で過去のものとなるべきALS療養をめぐる「常識の誤り」がある。
「気管切開をして人工呼吸器を付けると声を失う」と、多くの患者や家族は考え、それが呼吸器装着をためらう大きな理由にもなっている。
しかし、山本院長たちは、人工呼吸器からの吸気の一部を口腔(こうくう)内に入れる給気法で、呼吸器を使っても患者が話せることを数年前から実証。「通常とは逆に息を吸う時に声を出しますが、舌やのどがまひしない限り誰でも話せる」と断言する。
●延命の望み
一方、ALS患者や家族が不安を募らせるのが延命治療論議の行方。
厚生労働省は5月、その中止手順を定めた指針を策定。日本尊厳死協会は、疾病ごとに中止条件を具体的に定め、ALSについては「自発呼吸がない場合は人工呼吸器を外せる」とした。
もちろん、こうした尊厳死は「患者の意思」が大前提で、患者には延命治療を希望する自由がある。
しかし、大分市で16年間にわたりALSの夫昌義さん(70)を介護する本田良子さん(68)は「法制化は介護する家族に気兼ねしがちなALS患者にとっては『死になさい』と圧力をかけるのも同じ」と、危惧(きぐ)しているという。
良子さんが文字盤を順に指さし、昌義さんが「し」の所で合図のまばたきをした。「CDを聞きたいのね」。良子さんの問いかけに、昌義さんはにっこりと笑った。
「主人は体が動かず、言葉が話せないけれど、それは障害。死期が迫ったがんなどと同一には論じられないはずだ」と良子さんは訴える。
●ワードBOX=筋委縮性側索硬化症(ALS)
厚生労働省指定の特定疾患(難病)。原因は不明で、治療法も確立されていない。進行が早ければ数年で寝たきりとなり、発声や自発呼吸もできなくな
るが、感覚や知能は最後まではっきりしている。10万人に3−5人の割合で発症し、その多くは40−60代。同省によると、2006年度末の国内登録患者
数は7695人。05年度調査では、患者のうち在宅療養者は約63%、人工呼吸器使用者は約34%だった。
【写真説明1】山本 真院長
【写真説明2】実用化された家庭用の自動たん吸引器
◆2007/11/11 「天声人語」
朝日新聞 2007年11月11日
ソロンといえば古代ギリシャの七賢のひとりで知られる。諸国巡りの旅に出たとき、ある王に「世界一幸せな人物は誰か」と問われた。王は「自分こそ」のつもりだった。だがソロンが別人の名をあげたので怒る。
ソロンはあわてずに、答えて言った。「あなたに莫大な富があることは知っている。だが生涯を終えるまでは何とも言えない。このうえに結構な死に方ができて初めて、幸福な人物と呼ぶに値するでしょう」。ヘロドトスの『歴史』(岩波文庫)が述べる逸話である。
功なり名をとげた人生も、死に方ひとつで幸不幸の彩りは変わる。ソロンの言う「結構な死」とは、名誉ある死だった。いまなら尊厳ある死だろうか。それを大きく左右するのが、終末期医療だろう。
過剰な延命を望む人は、いまや多くあるまい。さりとて「自然な終わり」を迎えるのは簡単ではない。国などの音頭取りで、延命中止のルール作りが進んでい
る。だが素人目には、死にゆく人を主人公にした印象は薄い。医師による、医師のためのルールでは、という懸念がぬぐえない。
夏に封切られたドキュメンタリー映画『終わりよければすべてよし』も、幸せな最期がテーマだった。生きることを支える力と、人の死への思想が、そのための両輪だと、羽田澄子監督はメッセージを込めている。
先ごろ、小紙「ひととき」欄で「95歳で天国に凱旋した母」という文章に出会った。「凱旋」の語にひかれ、結構な旅立ちは、両の輪がうまくかみ合ってのものだったろうと、独り想像した。
◆2007/11/12 「医師・看護師らが「チーム医療」研修」
TBS 2007年11月12日03時53分
http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news3705272.html
日本のがん医療に欠けるものは何か? 医療の主人公は患者であって、その患者のまわりを医師・看護師・薬剤師などの医療従事者が緊密な連携プレーをとる。こうした「チーム医療」を本場のアメリカから学ぼうと、60人の医療従事者が合宿研修を受けました。
2泊3日の合宿研修に参加したのは、全国のがん診療拠点病院などから選ばれた医師・看護師・薬剤師、合わせて60人です。
「チーム医療」では、内科や外科、放射線科、病理などの医師や、看護師、薬剤師、ケースワーカーなど、多くの専門家が対等な立場でチームを組み、患者一人一人にとって一番良い治療方針を決めていくことになります。このため、患者中心の医療が実現されるわけです。
今回は、“チーム医療のリーダー”養成を目的に、アメリカのがん専門病院、MDアンダーソンがんセンターの「チーム」11人が講師として来日。参加者はワークショップでそれぞれの課題に取り組んでいました。
チーム医療では、各々の医療従事者が専門知識の向上を図り、十分なコミュニケーションを積み上げていくことの大切さを学んでいったようです。
◆2007/11/16 「減り始める?「病院での死」」
朝日新聞(梶本章) 2007年11月16日
戦後、右肩上がりで増えてきた「病院での死」の割合が減る兆しが見えてきた。
厚生労働省の統計「場所別にみた死亡の年次推移」で、06年に病院が0.1ポイント減って79.7%となったのだ。
そもそも、昔はほとんどの人が自宅で死を迎えた。昭和20年代の病院死は1割足らず。8割余りの人が自宅死だった。
その後、病院の整備とともに病院死が増え、77年にはついに逆転。最近では8割に迫り、自宅死は15%を切った。
しかし、我が家で最期を迎えたいという人は多い。厚労省調査では「できるだけ自宅で療養したい」という人が6割だった。医師や看護師ほどそう思う人が多い、というのも興味深い。
現実には、看病する家族の負担を思い、病状が急変した時のことを考え、やはり病院で−−ということのようだ。
それにしても、なぜ、ここで変化が起きたのか。背景の一つに老人ホームや老人保健施設が整備され、そこでも最期を迎えられるようになったことが大きい。
地域医療を充実させるため、開業医が在宅で患者を看取った場合は報酬を手厚くしたことも、効いているに違いない。
日本は、年間の死亡数が100万人余りから今後は170万人へ膨れあがる。在宅で死ねる態勢をつくっていきたい。
そのためには、地域の医師を中心に訪問看護師や介護ヘルパーが連携して、質の高い在宅医療を進めることが不可欠だ。やるべきことは、まだまだ多い。
◆2007/11/20 「終末期の延命治療 医師らの81%が「中止提示は義務」」
中国新聞(上杉智己) 2007年11月20日
http://www.chugoku-np.co.jp/Health/An200711200258.html
▽決定には組織の合意優先 国立病院機構中四国事務所の意識調査
患者が回復する見込みがない終末期医療で、医師や看護師らの81%が「延命治療の中止を選択肢として提示するのが義務」と考え、中止の決定に際しては、
72%が「医療施設の組織的な合意が必要」とみていることが、国立病院機構本部中国四国ブロック事務所(東広島市)の調査で分かった。
調査は、終末期医療に関する現場の意識を探ろうと昨年九月、同事務所が実施。中四国の九県にある国立病院機構の二十六施設で管理職を務める医師や看護師ら約千六百人を対象に尋ね、約千四百人から回答を得た。
患者や家族へ「終末期にある」との告知は、94%が「するべきだ」と回答。さらに81%が「延命治療の中止を選択肢」として説明する考えを表した。患者
の家族から中止の申し出があった場合は、「社会通念の範囲内で」「患者本人の意思が感じられれば」と計57%が「応じる」とした。
中止の決定(複数回答)については、72%が「医療施設の合意」を求め、57%が施設内の「委員会の承認を得る」ことも条件に挙げた。
今回の結果は、現場を預かる関係者が、患者や家族の考えを尊重すると同時に、延命治療の中止には組織としての判断を優先する構えを浮き彫りにした。終末
期医療をめぐっては、厚生労働省が今年五月に「患者の意思決定に基づき、医療チームが慎重に判断する」との指針を示している。
調査をまとめた田中信一郎医療課長は「今回の結果を参考に、病院施設ごとに体制づくりを進めていってほしい」と求めている。
◆2007/12/06 「家族拒否でも救命措置 神戸市消防局が指針策定へ」
神戸新聞(岡西篤志) 2007年12月6日09:39
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0000761490.shtml
神戸市消防局は五日までに、病気などで終末期を迎えた患者の救急対応について、家族が心肺蘇生(そせい)や薬剤投与などの処置を拒否しても、「一一九番通報があった時点で救命の意思があるものとして最善を尽くす」とする指針をまとめることを決めた。消防庁によると、終末期医療について救急現場の対応が明文化されるのは珍しいという。同局の担当者は「長年グレーゾーンだった部分。なるべく早く現場に徹底したい」としており、本年度中の指針策定を目指す。
同局によると、通報を受けて隊員が現場に駆け付けたにもかかわらず、患者の家族から「救命処置をしないでほしい」と言われる事案が月に一件以上はあるという。そのほとんどが、高齢で在宅医療を望んでいる患者のケース。これまでトラブルになったことはないが、一定の指針を設けることで、現場の混乱を避けるのが狙いだ。
終末期患者の救命処置をめぐっては昨年三月、富山県の射水市民病院で医師が患者の人工呼吸器を取り外したことが問題となるなど、医療現場で混乱が生じている。
こうした問題を背景に、厚生労働省は今年五月、延命治療を望まない旨の患者本人の文書などがあることを前提に、患者意思の尊重を主体とした指針を発表。さらに十月には、日本救急医学会が人工呼吸器の取り外しを容認する指針を決めた。
しかし一刻を争う救急現場では、隊員が延命処置中止を判断するための条件や時間は限られており、同局は、家族が患者の救命処置を拒否しても、処置の中断は死につながり慎重な判断が必要▽救命を拒否する患者の事前の意思が現在まで継続しているかどうか、また家族が患者の意思を示したとしても事実かどうかを確認するために時間が必要▽家族の範囲が明確でない-などの点から、現場活動において患者の意思確認は困難と判断した。
一方、こうしたケースのうち、患者本人がかかりつけの医師に事前に延命拒否を告げている場合の対応については、詰めの検討を進めている。
◆2007/12/06 「和歌山県立医大での呼吸器外し 男性医師を不起訴」
朝日新聞 2007年12月06日
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200712060110.html
和歌山県立医大付属病院紀北分院(和歌山県かつらぎ町)で、脳死状態に陥った女性患者(当時88)の人工呼吸器を外して死亡させたとして、殺人容疑で書類送検された男性医師(55)について、和歌山地検は6日、「呼吸器を外したことと死亡との因果関係が認められない」として、不起訴処分(嫌疑不十分)とした。
病院側によると、この患者は06年2月27日、同分院で脳血腫を除去する手術を受けたが、出血が止まらず、翌28日午前4時前に呼吸が停止。男性医師が人工呼吸器を装着した。だが、患者は同日午後5時ごろ、脳死状態と判断され、男性医師が同9時半ごろに呼吸器を取り外したため、同10時ごろ、患者は死亡したという。
同地検は、呼吸器が外された時点で患者がすでに脳死状態にあり、呼吸器の装着を継続していても同時刻ごろに死亡していた可能性が高いと判断。「死亡との因果関係を認める十分な証拠がなく、殺人行為とするのは困難」と結論づけた。
人工呼吸器の取り外しをめぐっては、北海道立羽幌(は・ぼろ)病院で無呼吸状態になった患者の呼吸器を外して死亡させたとして、女性医師が05年5月に殺人容疑で書類送検され、嫌疑不十分で不起訴となった。富山県・射水市民病院のケースでは、富山県警が呼吸器取り外しと死亡との因果関係について捜査している。
◆2007/12/06 「呼吸器外し、医師を不起訴 「社会情勢は考慮外」和歌山地検」
中日新聞 2007年12月6日19:19
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007120601000553.html
88歳の女性患者の人工呼吸器を外し、死亡させたとして殺人容疑で書類送検された和歌山県立医大病院紀北分院の男性医師(55)について、和歌山地検は6日、「死亡との因果関係は認められない」として、嫌疑不十分で不起訴処分にした。
日本救急医学会は今年10月に呼吸器外しを容認する指針を出したが、加藤朋寛次席検事は「社会的情勢は考慮に入れていない」と述べた。
呼吸器外しをめぐっては、北海道立羽幌病院の医師が殺人容疑で書類送検されたが、旭川地検は昨年8月に不起訴処分にした。同年3月に発覚した富山県の射水市民病院で外科部長らが患者7人の呼吸器を外した件は富山県警が捜査中。
和歌山地検は不起訴の理由について「複数の医師から『呼吸器を装着していても患者はまもなく死亡していた』との鑑定意見が出ている」と指摘。「病的な要因で死亡した可能性を否定できない」と説明した。(共同)
◆2007/12/06 「和歌山県立医大の患者死亡、呼吸器外した医師を不起訴に」
読売新聞 2007年12月6日20:10
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071206i411.htm
和歌山県立医科大付属病院紀北分院(和歌山県かつらぎ町妙寺)で男性医師(55)が延命措置中の女性患者の人工呼吸器を外して死亡させたとして、殺人容疑で書類送検された事件で、和歌山地検は6日、「呼吸器を外したことと患者の死亡に因果関係を立証できない」として、医師を嫌疑不十分で不起訴処分にした。
終末期医療での人工呼吸器の取り外しを巡り、殺人容疑で書類送検された医師が不起訴処分になったのは、北海道の女性医師に続いて2例目。
医師は、2006年2月28日午後9時半ごろ、脳内出血で容体が悪化し、人工呼吸器を装着していた女性患者(当時88歳)に対して、呼吸器の挿管チューブを取り外したまま放置し、死亡させたとして、県警が今年1月、殺人容疑で書類送検した。
地検は、専門家の鑑定などから、患者の病状は回復が難しく、呼吸器を外さなくても死亡していた可能性があると判断。加藤朋寛次席検事は「終末期医療の問題ではなく、具体的な事実関係から、殺人の構成要件とはならない」と述べた。
人工呼吸器の取り外しでは、北海道立羽幌病院の女性医師が、04年2月に男性患者(当時90歳)を死亡させたとして、殺人容疑で書類送検されたが、旭川地検は06年8月、死亡との因果関係が不明として不起訴とした。00年〜05年に末期のがん患者ら7人が死亡した富山県・射水(いみず)市民病院の男性医師については、同県警が捜査を続けている。
◆2007/12/06 「呼吸器外し、医師を不起訴=県立医大病院紀北分院−和歌山地検
時事通信 2007年12月6日22:13
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2007120600740
和歌山県立医大病院紀北分院(同県かつらぎ町)で昨年2月、人工呼吸器を外された患者が死亡した事件で、和歌山地検は6日、殺人容疑で書類送検された男性医師(55)を嫌疑不十分で不起訴処分とした。呼吸器外しは認定したが、「死期が早まったとはいえない」と判断した。
患者の呼吸器外しでは、旭川地検が昨年8月、心肺停止状態の患者の死をめぐり、道立羽幌病院の女性医師を不起訴処分にしており2例目。富山県の射水市民病院でも同年3月、末期患者7人の呼吸器が外されたことが明らかになっており、終末期医療をめぐる議論に影響を与えそうだ。
同地検は、(1)患者が既に脳死状態で不可逆的な死への移行過程にあった(2)心臓停止の原因として、患者の病的要因を払しょくできない−と指摘。「呼吸器を外したことは死亡時期に影響を与えていない」と結論付けた。
◆2007/12/07 「延命措置の呼吸器外した医師を不起訴…和歌山地検」
読売新聞 2007年12月7日
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20071207p201.htm
◆「因果立証できず」
和歌山県立医科大付属病院紀北分院(和歌山県かつらぎ町妙寺)で男性医師(55)が延命措置中の女性患者の人工呼吸器を外して死亡させたとして、殺人容疑で書類送検された事件で、和歌山地検は6日、「呼吸器を外したことと患者の死亡に因果関係を立証できない」として、医師を嫌疑不十分で不起訴処分にした。終末期医療での人工呼吸器の取り外しを巡り、医師が殺人容疑で書類送検され、不起訴処分となったのは北海道の女性医師に続いて今回が2例目。
男性医師は、2006年2月、脳内出血で脳死状態に陥り、人工呼吸器を装着していた女性患者(当時88歳)に対して、同28日午後9時32分ごろ、呼吸器の挿管チューブを取り外したまま放置し、死亡させたとして、同県警が今年1月、殺人容疑で書類送検した。
治療の過程で、女性患者の家族は「きょうだいが来るまで延命させたいので、呼吸器をつけてほしい」と男性医師に依頼し、きょうだいが到着後、「最期のお別れができた。これ以上、しのびないので呼吸器を外してほしい」と要望。医師は、いったんは断ったが、懇願されたため、医師個人の判断で受け入れた。
同地検は、専門家の鑑定などから、患者の病状は回復が難しく、呼吸器を外さなくても同時刻に病気で死亡していた可能性があると判断。加藤朋寛・次席検事は「終末期医療の問題ではなく、具体的な事実関係から、殺人の構成要件とはならない」と述べた。
人工呼吸器の取り外しでは、北海道立羽幌病院の女性医師が、04年2月に男性患者(当時90歳)を死亡させたとして、殺人容疑で書類送検されたが、旭川地検は06年8月、死亡との因果関係が不明として不起訴とした。00年〜05年に末期のがん患者ら7人が死亡した富山県・射水(いみず)市民病院の男性医師については、同県警が捜査を続けている。
板倉徹・和歌山県立医科大付属病院長の話「出された結果については真摯(しんし)に受け止め、今後、国全体で多くの人の同意を得られる制度が策定されるよう要望していきたい」
◆2007/12/08 「報道から見る医療の今とは?〜文学部 奈良雅俊君〜」
慶応塾生新聞(中里美紅)
http://www.jukushin.com/article.cgi?k-20071208
教授に訊きたい
報道から見る医療の今とは?〜文学部 奈良雅俊君〜
千葉県救急医療センターが終末期患者7名の人工呼吸器を外す行為を行っていたことを今年10月に公表した。人間の「生」と「死」について改めて考えさせられる今回の報道。この報道から私たちは何を考えるべきなのだろうか。文学部の奈良雅俊氏にお話を伺った。
まずは今回のニュースを整理したい。これは安楽死のケースではなく、治療中止のケースである(この場合の安楽死とは医者が薬などを用いて患者の死期を積極的に早めることを指す)。また内部告発や報道機関からの追求を受けての公表ではなく、医療機関側の自発的公表であった。そして医療機関内で指針(ガイドライン)が整備されておりしっかりとした手続きを踏んで治療中止が行われていた。これら3点がこのニュースの主な特徴であるということができる。今回はその中で「指針」というものに注目してこのニュースの意義を説明していきたい。
これまで日本で治療中止に関する基準となっていたのは95年の東海大学安楽死事件判決の際、横浜地裁から示された「治療行為の中止の三要件」のみであった。しかしこの三要件には具体的な内容がほとんど盛り込まれていない。そのため現場にこれを適用することは非常に困難であり、時には混乱が生じることもあった。具体的な指針がない状態において治療中止を決定する場合の多くが、主治医1人の判断によって家族との「あうんの呼吸」のもとで行われていたのである。
現場が治療中止を決定できる具体的な指針を切望している中で作られたのが今年5月に厚生労働省が作成した「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」である。さらに10月には日本救急医学会も終末期医療に関する指針を公表した。ガイドラインが作られる際最も理想的なのは、国レベル・学会レベル・各医療機関レベルでそれぞれ重視される内容がうまく反映されている状態だ。
しかし国や学会によるガイドラインは実際に医療を行っている現場に向かって一方的に投げられたものであって、そういった点から言えば医療現場の実態に則したものであるとは必ずしも言えない。個々の医療機関レベルでも終末期医療に関する指針づくりを行う必要があるのではないかという意見が出ていた。
このような流れの中で今回の千葉県救急医療センターの公表は@医療機関内に独自の指針が存在していたことA主治医1人の判断ではなく、医療チームの判断によりきちんとした手続きを踏まえて治療中止を決定していたという点において大きな意味を持つと言うことができるだろう。今回のニュースをきっかけに現場の側からの発言がますます大きくなることが予想される。
医療の発達によって「人間の生死」がコントロールできるものになってきている。今回の報道は私たちに改めて生きることとは何かを見つめなおす機会を与えている。
◆2007/12/09 「新刊・ビデオ 「尊厳死」に尊厳はあるか(中島みち著)」
読売新聞 2007年12月9日
2006年3月、富山県の射水市民病院で末期患者7人の人工呼吸器が外され死亡したことが発覚した。
医師は当初、人工呼吸器を外したのは尊厳ある死を迎えるためと主張。この“事件”をきっかけに、全国的に尊厳死の是非を巡る議論が起き、その後、国や学会が相次いで延命治療の中止に関する指針案を公表した。
著者は、7人の患者の経過を克明に取材。高齢の末期がん患者への過剰な手術や、不必要とも思われる人工呼吸器の装着など、治療の過程に問題が多く、患者の死の実態が尊厳死とは呼べないものであることを次々と明らかにしていく。
患者の「尊厳ある生」に最大限配慮した治療が尽くされてこその尊厳死。医療機関の終末期医療の質が担保されていない状態で、安易に尊厳死を議論するのは危険と説く。(岩波新書、700円=税抜き)
◆2007/12/14 「手をつなぐ患者・市民・医療者」
読売新聞(本田麻由美) 2007年12月14日
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/gantowatashi/20071214-OYT8T00268.htm
先月25日、「医療の質・安全学会」(上原鳴夫会長)が東京都内で開かれ、同学会が新たに設けた「新しい医療のかたち」賞の表彰式が行われた。
同賞は、患者本位の医療を目指す注目すべき活動を広く紹介することで、患者・市民の医療参加を支える取り組みを応援し、患者と医療者のパートナーシップのあり方を考えようと創設された。同学会の委嘱を受けた新聞・テレビの医療記者ら9人で選考委員会を構成。私も一員として参加した。自薦他薦含め90団体から応募があり、委員会で投票を繰り返した結果、次の三つの活動が選ばれた。
患者の取り組み部門では、がん患者らが気軽に立ち寄れる場を設け、癒やし、学び合いを支える島根県の「がんサロン」。医療機関の取り組み部門では、医療事故で長男を失った女性を職員とし、患者家族と医療者の対話を深める活動を続けている東京・新葛飾病院の「患者支援室」。地域社会の取り組み部門では、がんなど終末期の高齢者らも安心して住み続けられる地域社会づくりを進める「NPO法人コミュニティケアリンク東京」。
選考委員長を務めた大熊由紀子・国際医療福祉大教授は「患者発、医療者発と出発点は違っても、いずれもパートナーシップを具現化したものが評価された」と説明する。「がんサロン」は、がん患者の納賀良一さんが始め、行政や病院の協力のもと県内15か所に広がった。今では医療者の研修の場となったり、サロンに集まる患者が小中学校へ「いのちの授業」に出向いたりする。大熊さんは「昔は医療者と対立する患者会が目立ったが、患者・市民と医療者らが協力して良い医療をつくっていこうとの方向へ大きく変わった」と、長年の医療記者経験を振り返って感嘆する。
医療技術が発展する一方で、医療のリスクや不確実さも明らかになってきた。医療の選択肢が広がった分、患者の意思や患者と医療者の共同作業が重要な意味を持つようになった。それに伴い、患者の医療参加を支える活動も増えてきている。
こうした動きは歓迎だ。今後は、いかに支援の質を高めていくかが重要になっていくと思う。例えば、電話相談を受けるにしても、自分の考えを押し付けるのではなく、患者の混乱した気持ちの整理を手伝い、何がわからないのかを明確にするなどの技術が必要だ。患者の主体的な医療参加を支援する活動の広がりに期待したい。
◆2007/12/16 「「最期はどこで」考える 福岡市 公開講座に250人」
西日本新聞 2007年12月16日
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/20071216/20071216_002.shtml
自分らしく生き抜くために医療とどう付き合うかを考える公開講座「どこで最期を迎えますか?」(福岡県医師会と西日本新聞社共催)が15日に福岡市であり、看取(みと)りのあり方などをめぐる議論に250人が耳を傾けた。
講演した日本尊厳死協会副理事長の大田満夫氏は、核家族化の時代に在宅での死を望むなら「それを支えるコミュニティー(地域社会)が必要」と指摘した。
続く討論で、県民代表の松尾千恵子さんは「いい人生だった、と思えるのならどこで亡くなろうと場所は問わない」と語った。田川大介・西日本新聞編集委員は「読者から在宅死を望む声が多く届く。希望がかなう医療態勢をつくってほしい」と要望。同医師会副会長の池田俊彦氏は「在宅、病院それぞれに長短がある。心のケアも大切だ」と述べた。(23日の医療・健康面に詳しく掲載します)
◆2007/12/18 「患者との接し方 園児と遊び習得」
読売新聞 2007年12月18日
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20071218us41.htm
教育ルネサンス
医療人を育てる(1)
医学部でコミュニケーションを学ぶ授業が広がる。
木曜午前9時、すぎの子保育園(徳島市)に、エプロンを着けたジャージー姿の男女が集まってきた。その数49人。園児の半分ほどにもなる。すべて医学生だ。「お兄ちゃーん」と駆け寄る男児に男子学生のほおが緩む。学生たちは約2時間、ままごとやリズム遊びをしたり、一緒にクリスマスのブーツを作ったりして園児と過ごした。
地元の徳島大学が昨年度から、医学部の1年生に始めた「ヒューマンコミュニケーション」の授業だ。コミュニケーション授業には、2004年度から、教養教育の一環で取り組んできたが、「講義や学生同士の演習だけでは効果が薄い」と悩んでいた。そんな時、鳥取大学の高塚人志准教授が、高校や医学部で実践してきた手法に出会い、実習の導入を決意した。
それぞれが園児とパートナーを組み、週1度、10週にわたって交流する。園児になつかれずに悔し涙を流す学生もいるが、同保育園の中川千昌園長(50)は「人見知りの時期もあるから大丈夫。子供たちも学生さんも毎回表情が違ってきています」と励ます。
「喜んでもらえることがこれほどうれしいとは思わなかった」「パートナーが心の底から信じ、すべてを受け入れてくれている」――。リポートにも学生の心の変化が綴られている。
医療教育開発センター副センター長の寺嶋吉保准教授(53)は「今の学生は、勉強はできるが、核家族化や少子化のせいか、世代の違う人、特に高齢者や子供との会話が苦手な学生が多い。学生同士も互いに深く干渉しない傾向が強いが、実習で仲間意識もできてきた」と意義を強調する。
こうした保育園での実習は、岐阜大学も来年度から導入を検討している。
患者の気持ちに寄り添える医師を育てなければ、という問題意識は、どの大学も共通している。
埼玉医科大学(埼玉県毛呂山町)では、医学部の「臨床入門」の1年生の授業で、昨年から年1回、東京・杉並区立和田中学校の藤原和博校長(52)を招き、現代社会の様々な課題を学ぶ「よのなか」科の授業を経験している。
10月に行われた今年の授業には地域住民も参加、自殺志願者とそれを止める側を演じ分け、「安楽死」の是非も議論した。学生の意見の大半が否定的だったが、身近な人の死をみとった経験から「安楽死」に肯定的な年配の女性の意見を耳にして、「自分の見方は偏っていたかも」と感想をもらす学生もいた。
「違う世代や考え方が異なる人と話す経験の重要さは、中学生も医学生も同じだ」と藤原校長。
京都大学でも今年度から、医学部1年生に「医療ボランティア実習」を必修化した。夏休みや授業の合間に、車いす介助や外来の案内係、訪問看護の手伝いなどを経験する。
先月、京大付属病院の外来案内に立った佃綾乃さん(19)は8歳で阪神大震災に遭遇。一時的に言葉が出なくなり、医師の支えで精神的ショックから立ち直った経験から医学を志した。「病院が多数の人に支えられていることは、実習がなければ実感できなかったかもしれない。初心を再確認できた」という。学生たちは、新たな経験に敏感に反応している。
しかし、徳島大では教員から「教えることがありすぎて講義時間が足りないのに、どうしても必要な実習なのか」という声も根強くある。京大の実習責任者である平出敦教授も「入学してすぐ経験してもらいたい実習で、実習先の評価も高いが、学内での理解を広げるという点ではこれからが勝負」と打ち明ける。
新たな挑戦は、成果を示すという課題も突きつけられている。(片山圭子、高橋敦人)
進むカリキュラム改革
医学教育は近年、急速に改革が進んでいる。2001年、文部科学省の専門委員会が示した教育内容の指針「モデル・コア・カリキュラム」が改革のはずみになった。
基礎医学を学んでから臨床医学に入るのではなく、両者の「統合カリキュラム」の導入が進み、知識の伝達中心から、学生の自主学習を基礎にしたグループ学習に移す大学が増えた。
中でも重視されているのが、医師として臨床能力の基礎となる人間性やコミュニケーション能力、問題解決能力の育成だ。06年度からは、臨床実習開始前に、診察態度や基本的な技術をみる実技試験(OSCE=オスキー)が全国80の全医学部に正式導入された。OSCEとコンピューターを使用した基礎知識テスト(CBT)の両方に合格しなければ臨床実習に進めない仕組みだ。共用試験は歯学部でも実施しており、薬学部でも10年から正式に導入される。
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また、医学生の臨床実習も、見学型ではなく、実際に診療に参加する「クリニカル・クラークシップ」が主流。昨年の全国医学部長病院長会議の調査では9割の大学が導入している。
04年からは36年ぶりに、臨床研修制度が変わった。医学の専門分野が細分化された弊害を克服するため、医師国家試験の合格後、2年間は内科や外科、小児科、産科など、基本的な診療科を回る研修を必修化することで、総合的な臨床能力を養おうとしている。
◆2007/12/19 「諏訪中央病院を提訴 遺族が損害賠償求め」
長野日報 2007年12月19日06:00
http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=9258
茅野市玉川の組合立諏訪中央病院で、胃がんの治療を受けていた同市内の男性=当時(84)=が、入院から約2カ月後に多臓器不全で死亡した際、病院側が余命を認識しながら、適切な治療と家族への説明義務を怠ったとして、遺族が同病院を運営する諏訪中央病院組合相手に、慰謝料約2000万円を求める損害賠償訴訟を地裁諏訪支部に起こしたことが18日、分かった。
訴状によると、男性は1997年10月上旬に大量の血が混ざった排便をしたことなどから、同病院を受診し、進行性の胃がんで余命3カ月程度と診断され入院。手術を想定した胃バリウム検査や腹痛を抑えるモルヒネ投与などの治療を受けたが、11月下旬に死亡した。
病院の治療のうち、バリウム検査では、事前に肺機能などのチェックをしなかったため、バリウムが気管に流入。男性に肺炎を発症させた。一方、モルヒネ投与では、呼吸回数の減少、無呼吸状態や意味不明な言動の増加など、過剰投与による副作用の症状が現れていたにもかかわらず、漠然と投与し続けた。
急変後の患者の苦痛軽減のため、心停止後に蘇生措置を行わないとした方針は、一部の家族に延命治療と蘇生措置との区別をあいまいに説明し、患者やほかの家族のはっきりとした意向を確認せずに決めた。
原告は「病院は治療方針、緩和医療、延命及び蘇生措置について十分な説明をしない まま治療を進め、患者の医療に対する自己 決定権と人間らしい死を迎える権利を奪った」と主張している。
提訴について同病院は「病院としての対処に間違いはなかったと考えている。訴状の内容を検討し、対応したい」としている。
第1回口頭弁論は来年1月10日に開かれる。
◆2007/12/21 「終末期医療を重視 松阪市民病院、緩和ケア施設完成」
中日新聞 2007年12月21日
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20071221/CK2007122102073765.html
来年1月に開設する松阪市殿町の市民病院増築棟の落成記念式が20日、同棟2階の市健診センターであり、下村猛市長や小倉嘉文院長ら関係者が完成を祝った。新しい病棟では、1階の緩和ケア施設での終末期医療を中心にした医療が展開される。
下村市長は「長期療養患者を視野に入れながら、民間では対応困難な医療に積極的に取り組みたい」とあいさつ。小倉院長は「緩和ケア施設の開設は、公立の総合病院としては県内で初めて。病院の経営環境は厳しいが、職員で一致団結し、適正で高度な医療を提供したい」と力を込めた。
新病棟は鉄筋4階建てで、延べ床面積は約4400平方メートル。緩和ケア施設は有料と無料の個室が各10室あり、付き添いの家族らも使いやすいよう内装を工夫した。「静かに自分を見つめる場」を運営理念に、スタッフが末期のがん患者らを心身両面で支える。
市健診センターでは、生活習慣病を対象にした健康診断などを行う。3階には一般病床39床があり、既に運用を始めている。4階は設備機器などが入る。
新病棟の建設は昨年10月に始まり、今年11月に完成。工事費は約15億5700万円。
◆2007/12/21 「5年後には4人に1人を在宅で看取る 在宅医療推進会議(1)」
ケアマネジメントオンライン 2007年12月21日07:30
http://www.caremanagement.jp/news+article.storyid+1875.htm
国立長寿医療センターは11月、在宅医療についての政策提言などを行うことを目的に設置していた「在宅医療推進会議」の中間報告をまとめた。
そこでは、5年を目標に、4人に1人を在宅で看取ることができる体制を整えることを目標とし、現在の在宅医療を充実させるために必要な取り組みを行うことを提案している。
提案は以下の5項目にまとめられた。
●在宅医療を担う医師・歯科医師・薬剤師・看護師を増やす
●訪問看護ステーションの機能を強化する
●在宅療養支援診療所の機能を強化する
●急性期医療と在宅医療の円滑な連携を促進する
●国民・医療関係者が在宅医療を知ることを促進する
参加団体は、日本ホスピス・在宅ケア研究会、日本医師会、日本看護協会、日本歯科医師会など19団体。住み慣れた地域で安心して暮らし、自宅で最期を迎えられる在宅医療体制を実現するための方策を検討・提案することが目的。
現在、わが国でも死亡場所の85%が病院だが、これは多くの国民の希望ではないとし、今後の5年間で現在の倍の約25%(4人に1人)が在宅での看取りとなっても対応できる体制づくりを努力すべきとしている。
上記5項目の詳細は下記の通り。
●在宅医療を担う医師・歯科医師・薬剤師・看護師を増やす
(在宅医療参入援助研修の実施)
在宅医療推進のためには、参加する医師・歯科医師・薬剤師・看護師が増えることが必須条件。このため、日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会は新たに医師・歯科医師・薬剤師向けに在宅医療に携わるための研修を実施する。
日本看護協会は、今ある研修(訪問看護師養成講習会など)を再評価し。受講者の増加をはかる。
これら研修のプログラムとして、推進会議は「24時間対応する」「自宅で看取りを可能にする」「重症者の在宅医療を可能とする」ことを重視した医師・歯科医師・薬剤師それぞれに向けたプログラムを作成した。
在宅医療参入援助研修の概要
●医師 :開業前の医師、および在宅医療参入希望開業医を対象にし、24時間対応、自宅で看取りを可能とする、重症者在宅医療を可能とするための研修を行う。
●歯科医師 :外来を中心に開業している歯科医師を対象に、終末期まで継続する口腔ケアを可能とするための研修を行う。
●薬剤師 :保険薬局・医療機関に勤務し、在宅医療にかかわる意図のある薬剤師を対象に、終末期までの服薬支援に対応できるための研修を行う。
●看護師 :訪問看護を始めようとする者などを対象に、訪問看護に必要な基本的知識・技術を修得するための研修を行う。
※在宅医療推進のための5項目とは 在宅医療推進会議(2)につづきます。
◆2007/12/21 「在宅医療推進のための5項目とは 在宅医療推進会議(2)」
ケアマネジメント オンライン 2007年12月22日07:30
http://www.caremanagement.jp/news+article.storyid+1876.htm
国立長寿医療センターは11月、在宅医療についての政策提言などを行うことを目的に設置していた「在宅医療推進会議」の中間報告をまとめた。
そこでは、5年を目標に、4人に1人を在宅で看取ることができる体制を整えることを目標とし、現在の在宅医療を充実させるために必要な取り組みを行うことを提案している。
提案は以下の5項目にまとめられた。
●在宅医療を担う医師・歯科医師・薬剤師・看護師を増やす
●訪問看護ステーションの機能を強化する
●在宅療養支援診療所の機能を強化する
●急性期医療と在宅医療の円滑な連携を促進する
●国民・医療関係者が在宅医療を知ることを促進する
上記5項目の詳細は下記の通り。(つづき)
●訪問看護ステーションの機能を強化する
1.訪問看護ステーションの規模について
訪問介護ステーションが週末期まで対応するには24時間365日の安定的な訪問看護サービス供給体制が必要。この体制を構築するには職員の数が決定的要因であり、常勤換算看護職員が少なくとも5名
(望ましくは10名)以上の配置が必要だ。
現在すでに一定規模(常勤換算看護職員5名以上)を備えているステーションは、以下の役割を果たすことが期待される。
・「看取りや医療ニーズの高い事例など」を地域の施設などから積極的に引き受ける。
・事例検討会の開催など地域の在宅医療関係者を参集して、連携を具体的に促進する。
・他の訪問看護ステーションや病院の看護士に実習の場を提供する。
・在宅療養者や家族からのファーストコンタクトを24時間引き受け、必要時に主治医に連絡する体制をとる。
2.「最後まで在宅療養を支援するプログラム」による研修の実施
訪問看護ステーションの機能の中でも、終末期まで対応する能力を強化するために、「最後まで在宅療養を支援するための指導者養成プログラム」「最後まで在宅療養を支援するためのプログラム」を作成
した。これに基づいた研修が一定の実績をもつステーションの管理者に対して行われる。
●在宅療養支援診療所の機能を強化する
在宅療養診療所は在宅医療の中核的な役割を期待されている。しかし全国の9,777の診療所のうち、看取った人数が0人というところが3,168あったというデータもあり、在宅療養診療所はその役割を十分に
果たしていない状態にある。
推進会議作業部会では看取りなどの実績がある在宅療養診療所にアンケートを行い、20人以上の看取りを行っている40の診療所では、地域の訪問看護ステーションや歯科医師、薬剤師との円滑な連携シス
テムができていることがわかった。また、経験豊富な在宅療養診療所からは、他職種の連携があれば看取りを含む終末期医療を担い、推進することは十分に可能と表明された。
また、在宅療養診療所間のネットワークを構築して情報を共有することで知識・技術の向上を図ることができるとし、ネットワークには全国を視野に入れた教育を担う人材や研修のフィールドを提供する役割が期
待される。
●急性期医療と在宅医療の円滑な連携を促進する
高齢者の特質に適切に応じることができる医療を実現するためには、病院での急性期医療と在宅医療が切れ目なく継続されなければならない。
尾道地区の診療所と病院の連携など理想的な病診連携の例がある。また、我が国のがん医療の中核である国立がんセンターは在宅医療との連携を目的として地域の診療所と症例検討会を行っている。推進会
議は病院管理者が在宅医療の現状を理解するためのプログラムを作成するほか、医師や看護師など向けの在宅医療に移行する際の必須項目チェックリストを作成した。
●国民・医療関係者が在宅医療を知ることを促進する
近年、在宅で看取る体験が減少しているため、国民全体で成功体験を地道に積み上げることが重要。在宅での看取りを支えた家族など関係者が経験した例を集め、在宅でも心配なく看取りが行われ、家族も
充実した達成感を抱いたことなどを広く知ってもらうことが大切。
冊子の配布など、看取りについての情報発信を積極的に行い、住民に身近な施設である歯科医院や薬局が在宅医療に関する情報発信の場となることが期待される。
◆2007/12/23 「法の空白判断難しく 揺れる家族 脳死延命中止」
河北新報 2007年12月23日
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2007/12/20071223t43018.htm
家族の言葉は医療現場に難しい判断を迫った。22日明らかになった秋田赤十字病院の延命治療中止ケース。主治医は「法律が埋めてくれない『空白』の部分を、倫理委員会 ...
◆2007/12/23 「長期脳死女性の延命中止 秋田の病院 「死期迫らぬ中」異例」
中日新聞 2007年12月23日
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007122302074348.html
頭のけがが原因で約半年間「長期脳死」の状態だった40代の女性患者について、秋田赤十字病院(秋田市、宮下正弘院長)が2006年3月、病院の倫理委員会の承認を得て人工呼吸器を含む延命治療を中止していたことが分かった。中止を希望した家族も立ち会い、女性は間もなく亡くなった。
病院側は「臨床的脳死判定をし、院内全体で議論した結果」としており、日本救急医学会が今年10月にまとめた終末期医療に関する指針にも合致する対応だが、脳死後も長期間心停止にならず「死期が差し迫ったとはいえない」(同病院)状態での中止は極めて異例。
呼吸器外しのように患者の死に直結する中止行為をめぐっては「生命の切り捨て」との批判もあり、議論を呼びそうだ。
病院によると、女性は05年9月に転落事故による頭部外傷で入院、集中治療を受けたが、血圧が下がり瞳孔も散大した。
脳死移植時の法的脳死判定とほぼ同じ基準で行われる臨床的脳死判定で脳死とされた。
家族は当初、治療継続を希望。病院側は栄養や水分補給、呼吸器のほか、ホルモン補充療法などを実施。約2カ月後の再判定でも変化はなく、コンピューター断層撮影(CT)でも脳全体の壊死(えし)が確認された。
治療方針について家族の気持ちは揺れることもあったが、06年2月ごろには「そろそろ見送ってあげたい。呼吸器も含め中止してほしい」と固まった。
延命治療に対する患者意思を記した文書などはなかった。
病院側は「家族の気持ちに応えるため、病院全体で手順を踏むことが大切だ」(宮下院長)と考え、3月に院長や事務部長、看護部長らによる倫理委員会を開催。審議の結果「家族の理解が十分であれば、延命治療の中止に呼吸器を含めることは是認できる」と中止を承認した。
これを受け、家族に中止の希望を書面で提出してもらった上で最終的に宮下院長が決断、家族が見守る中で治療を中止し女性は約20分後に亡くなった。
心停止後、生前の意思に基づき腎臓と眼球は移植に使われた。
臨床的脳死判定は、患者に負担の大きい無呼吸テストをしないが、同病院は06年9月、より厳格に判断するため「呼吸器外しは無呼吸テストも含め脳死と判定された場合に限る」との指針を策定。
その後、同様のケースはないという。
■市民団体「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の清水昭美事務局長の話
患者の意思が分からない時に家族の判断で生命を左右してはならない。患者の元気なころの意思表示があってさえ治療中止は慎重に考えなければならないのに、それを家族の意思に委ねてしまうのは大変危険だ。家族が決められるという一歩を踏み出してしまえばやがては長期の意識障害の患者や家族の負担になる障害者にも生きることをあきらめてもらおうという、命を粗末にする社会につながるだろう。
◆2007/12/23 「富山呼吸器外し:終末期医療 議論のきっかけに」
毎日新聞 2007年12月23日02:30
http://mainichi.jp/select/science/news/20071223k0000m040133000c.html
富山県射水(いみず)市の射水市民病院で人工呼吸器を外された末期患者7人が死亡した問題で、呼吸器外しの際の7人の容体が明らかになったが、この問題の発覚は、終末期医療の延命治療中止について是非を議論する大きなきっかけになった。それまで、治療の継続・中止の明確な指針がなく、現在、その方向性を示そうとする動きが活発化している。
千葉県救急医療センター(千葉市)は10月、06年10月からの半年間に、末期状態の患者5人の呼吸器を外すなど延命を中止していたと発表した。刑事責任が問われる可能性もあったが、センターは、家族の同意や複数医師の合議など、中止に関する原則を内規として明文化しており「5人のケースでは内規は守られていた。救急医療の現場からの問題提起として発表した」と説明する。
厚生労働省は5月、終末期の治療中止について、治療方針を決める手続きに関する指針を公表。治療の開始・不開始(見送り)や、中止を決める際は複数の職種による「医療・ケアチーム」が慎重に判断するとし、患者の意思が確認できる場合は十分に協議して合意内容を文書で残すことを定めた。日本救急医学会も10月、救急医療を対象にした指針を決めた。
射水市民病院の場合、それらの指針に照らすと、医師が独断で判断するなど明らかに逸脱している面がある。しかし、最近の医学界や医療現場の新たな動きに加え、旭川地検と和歌山地検が呼吸器外しで相次いで立件を見送ったように、終末期患者の死と呼吸器外しとの因果関係を立証することは極めて難しい。それだけに、今回の鑑定結果の意味は極めて大きい。
◆2007/12/23 「長期脳死患者の延命中止=本人意思くみ家族希望−−秋田赤十字病院」
時事通信 2007年12月23日19:39
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007122300167
脳死状態が長期間続く「長期脳死」状態にあった女性患者=当時(43)=について、秋田赤十字病院(秋田市、宮下正弘院長)が2006年3月、人工呼吸器を外し延命治療を中止していたことが23日、分かった。本人の意思は明確でなかったが、家族が本人の意思をくんで希望。病院は会議を開き検討した上で延命医療中止を承認した。
一般に、脳死状態になると1〜2週間で心停止するが、女性は半年以上脳死状態が続き、「死期が差し迫っているとは言えないが、無理に生かしている状態」(宮下院長)となった。日本救急医学会が10月に策定した終末期医療のガイドラインでも想定していない事例で、こうしたケースでの治療中止は異例。
◆2007/12/28 「人権侵害申し立て受理−−県弁護士会、射水の延命中止」
読売新聞 2007年12月28日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/toyama/news/20071228-OYT8T00096.htm
県弁護士会の人権擁護委員会(水谷敏彦委員長)が27日、富山市の県弁護士会館で行われ、射水市民病院の伊藤雅之・元外科部長による延命中止は人権侵害として、大阪市の市民団体が申し立てていた人権救済を受理することを決めた。
今後、申し立てた市民団体代表らから申し立ての趣旨などについて聞く予定だ。
申し立てた団体は「『脳死』臓器移植による人権侵害監視委員会・大阪」。申立書によると、伊藤元外科部長は、7人のうち2人の患者の意思を確認せずに、脳死ではないのに家族に「脳死状態で回復しない」と説明したとしている。