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死なせることを巡る言説 2000年代

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◆西村 周三 20000220 『保険と年金の経済学』,名古屋大学出版会,236p. ASIN: 4815803722 3360 [amazon][boople] ※, me

 「日本において介護の重要性の認識が生まれたのは1980年代の中頃からである。それまで日本においては、1970年代はじめに実現した老人医療費の無料化以降[…]二つの問題を引き起こした。まず第一に、その後の経済成長の低下、高齢者数の伸び、医療技術の進歩などにより、老人医療費の財政負担が深刻化した。しかし問題はそれだけにとどまらなかった。第二に、急速な高齢者医療需要の増大が、その質の低下という現象を同時にもたらしたのである。すなわち、長期入院の増大が、かえって寝たきり老人を増加させることになった。
 […]<0204<[…]日本では、福祉サービスの提供が医療に比べてきわめて少なかったため、寝たきり者の増加を防げなかったと考えることもできる。[…]世界的に見て、高齢者とくに後期高齢者(75歳以上を指す)の増大にともなって、医療から介護へのサービスのシフトが要請されてきたのである。
 […]高齢者のQOLを高めるという視点から、主として北欧諸国で打ち出されてきた政策は、「寝たきり」をなくすために高齢者の自立を支援するような介護のあり方を模索するという方向で<0204<あった。そして日本でも、このような方向を強く打ち出すべきことが、94年に厚生省に設けられた私的諮問組織「高齢者介護・自立支援システム研究会」によって報告されたのである。このころの厚生省の政策の理念は、すでに1990年のゴールドプランとして具体化されていたが、さらに「21世紀福祉ビジョン」が示され、今後の施策の重点を医療から介護に移すことがうたわれた。」(pp.204-205)

 「現実には、いわゆる家族による虐待だけでなく、一見したところの家族介護の「優しさ」に隠れて高齢者の自立を妨げるような介護もある。そもそも家族介護の質の評価は、社会的介護の評価に比べてより困難が伴うから、単純な家族介護擁護論は、将来に向けて禍根を残す可能性もあるのであ<0215<る。家族介護に給付を行うことを決めたとたんに、それまで私的なことにとどまっていたものが、社会的なものとなる。私的な問題にとどまる限りは、高齢者個々の生き方にまで社会が干渉すべきではないであろうが、社会的なことからになれば、たとえば「可能な限り自立を求める」といった方向性を決めることも重要となる。」(西村[2000:215-216])

横内 正利(いずみクリニック院長) 20001202 「北欧の高齢者医療はなぜ日本に正しく伝えられないか」,『週刊東洋経済』2000-12-2 http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/mokuji/w20001202.html

◆滝上 宗次郎 20010210 「(続)介護保険はなぜ失敗したか――21世紀の社会保障制度とは」,『週刊東洋経済』5677:78-81

 「本誌12月2日号に「北欧の高齢者医療はなぜ伝えられないか」という副題で、横内正利医師は北欧の優れた一面だけを日本に紹介してきた医師やジャーナリストに対して、日本国民を愚弄していると批判し、「日本は、日本にふさわしい独自の高齢者福祉・高齢者医療を目指すべきだ」と結語した。

 市野川容孝東大助教授は、福祉国家は優生学と親和性があると述べている(立岩真也著『弱くある自由へ』2000年、青土社)。誰が「生きるに値する」のかという選別の問題が、「すべての者に」という理念とは矛盾する形で出てきてしまう。つまり、福祉の理念は天井知らずだが、財源は有限だからというのである。優生思想は人間に序列をつけて間引きする。劣生を排除するための不妊手術を認めた優生保護法はナチス的であるとして96年廃止されて、日本の医療には今のところ優生思想はない。
 だが、人間に序列をつける考え方が、高齢化に伴って頭をもたげてきたことを筆者は深く憂慮する。すなわち、終末期医療費が極めて高額で無駄な医療であるかのような事実無根の情報を流して、「延命医療は疑問」「健康寿命が大切」といった宣伝活動が出てきたことである。
 前者は、延命医療という言葉を救命医療に置き換えれば打ち消すことができる。国民、さらにはマスコミまでもが高齢者における延命医療と救命医療の違いを理解できないでいる、という死角を突いた絶妙な死のスローガンである。後者は、体力の衰えた高齢者の人命の貴さを卑しめている。これらのプロパガンダを行う厚生労働省や経済学者は、自分たちは憲法二五条の生存権を認めていない、ということを国民の前に明らかにしてほしい。
 昨秋、御用機関である医療経済研究機構は、「終末期におけるケアに係わる制度および政策に関する研究」という報告書を世に出した。「死亡直前の医療費抑制が医療費全体に与えるインパクトはさほど大きくないと考えられる」と正確な記述もあるものの、一〇〇ページを超えるこの報告書は、全体が高齢者の生存権を否定する思想で満ちている。その表題にあるように「政策に関する研究」だからであろう。
 昨年の老年医学会学術集会の会長を務めた佐々木英忠東北大学教授は94年にある調査を行った。人口一・五万人の宮城県のある町では、死亡直前一・五カ月間の医療費は八四歳前では約七〇万円であるのに対して、八五歳以上は二〇万円、九五歳以上は一〇万円と極端に少ない。
 ではなぜ高齢者医療が無意味であるという一部の世論があるのか。それはがんの末期に焦点を絞ってマスコミが繰り返し報道するからだろう。苦痛を和らげる以外の延命治療はせずにホスピスに移ったり、住み慣れた自宅に戻って最期を充実して過ごすがん患者は少なくない。しかし、治る見込みがなく、苦痛があり、余命があと少し、だと予測できる病気はほかにどれほどあるのか。さらに高齢者のがんならば、多くは苦痛もなく進行が極めて遅い。余命は判断できずとても長いのである。
 経済学者は、非高齢者のがん患者への延命医療を例に挙げて、まったく根拠もなく要介護の高齢者の救命医療までも否定するが、人命無視もはなはだしい。厚生労働省は、弱者の人権無視に転化しやすい「健康日本21」運動を即刻やめるべきだ。早朝に庭師が盛りを過ぎた花を刈り取るバラ園はいつ見ても美しい。だが、日本社会はバラ園ではない。」(

◆200202? 石川憲彦「できないままの自分」,『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』2000冬→石川[2005:135-138]*
*石川 憲彦 20050520 『こども、こころ学――寄添う人になれるはず』,ジャパンマシニスト社,198p. ISBN-10: 4880491756 ISBN-13: 978-4880491752 1575 [amazon] ※ b m d07d

 「春以来寝たきりだった義父が、一〇月に他界しました。義父の看病を通じて、老化と障害について再び考えはじめていた矢先、金井康治さん、熊谷あいさんと相次ぐ突然の悲報がまいこみました。金井さんは二〇年前から、熊谷さんは現在、障害児が普通学級で学ぶ道を、きりひらき、共生への歩みを求めつづけてきた障害児者でした。
 そして、義父の葬儀に追われてほんの数日留守にした間に、追いうちをかけるように母が入院。あれよあれよというまもなく、寝たきりになってしまいました。<0135<
 一〇年前、父が九〇歳で死んでから、母は希死願望をもつようになりました。「何もできなくなった。生きていてもしかたない」というのです。とりわけ身体の衰えが目立ちはじめた八〇代後半からは、私の顔を見ると「なんか、医者やろ、楽に死ねる方法、教えて」と訴え、ついには「殺して」があいさつになります。
 職業柄「死にたい」と訴える人とのおつきあいは少なくありません。しかし、親子となると、つい口論になります。
 […]「自分より弱い人のことを、自分以上に大切にしなさい」が口ぐせで、私は小さい頃から毎日念仏のように聞かされて育ちました。私が医者になったのはこの口ぐせの影響が大です。
 その母から、「殺して」と頼まれると、むなしくて、つい本気で怒り<0136<をぶつけてしまいます。[…]
 「気持ちがわからないのではありません。その生いたちから気位だけで人生を支えてきた母のこと。人にしてあげることは大好きでも、されることにはがまんできない。それが、自分がどんどん無力になって、一方的にされる立場になっていく。金井さんをはじめ、障害者とのつきあいがなかったら、きっと私も、母の気持ちに深く同調し、尊厳死を願っていたことでしょう。
 「できなくなったら終わり」「人のお世話になりたくない」。この潔癖すぎる個人主義は、人間と人間の本来の関係を否定します。できないままの自分を素直に生き、おたがいに迷惑をかけあうところから、初めて本当の人間関係が始まる。障害者の主張を、そんなふうに聞けるようになり、すべてを一人で背負いこむ自己完結型の自立を幻想であると理解できるまでには、ずいぶん時間がかかりました。」(石川[2005:136-137])

◆二木 立 20000420 『介護保険と医療保険改革』,勁草書房,272p. ASIN: 4326750448 2940 [amazon][boople] ※, b m/e01 ts2007a

 「私自身も、一九九二年に、「これからのあるべき在宅ケアを考える場合」には「広義の文化的問題、あるいは価値観に属する問題を再検討しなければならない」と問題提起し、その一つとして「単なる延命治療の再検討をあげたことがある。
 しかし、本報告書第4章「ターミナルケアの経済評価」(鈴木玲子・広井氏執筆)は、定義・将来<0160<予測・仮定がきわめて恣意的で、費用計算の方法も粗雑であり、結論(死亡場所の大幅な変化――病院死から自宅死・福祉施設での死亡へのシフト――により、二〇二〇年に一兆円もの医療費が節減できる)は、誤りである。以下、その理由を示す。」(二木[2000:160-161])
 →『「福祉のターミナルケア」に関する調査研究事業報告書』(1997)〜

◆二木 立 20011120 『21世紀初頭の医療と介護――幻想の「抜本改革」を超えて』
,勁草書房,308p. ASIN: 4326750456 3360 [amazon][boople] ※, b m/e01 ts2007a

第3章 わが国の高齢者ケア費用―神話と真実
 「現実に即して終末期を死亡前一ヵ月間に限定すると、わが国の終末期入院医療総額(老人分+「若人」分は一九九八年度で七八五九億円であり、国民医療費のわずか三・五%にすぎない。これは、厚生労働省の外郭団体である医療経済研究機構が発表した『終末期におけるケアに係る制度及び政策に関する研究報告書』(二〇〇〇年)が行っている推計である(9:42)。
 […]終末期医療費をめぐる論争には決着がついたと言える。」(190)

◆篠原 駿一郎・波多江 忠彦 編 20020315 『生と死の倫理学――よく生きるためのバイオエシックス入門』 ,ナカニシヤ出版,246p. 2520 ASIN: 4888486840 [amazon][boople] ※, b be

◆伊藤 道哉 20020325 『生命と医療の倫理学』 ,丸善,現代社会の倫理を考える2,190p. ASIN: 4621049887 1995 [amazon][boople] ※, b be

問題解決への道標
 「第8章:末期医療の権威であるK教授の考えについて
 年齢によらず、治癒の見込みがなくなった時点で、緩和ケアが開始されるべきである。高齢者だから、若年者だからと年齢を理由に差別するのは、エイジズムに他ならない。死の受容は、年齢によらず、多くの人々の支えを要する。フォーマルな支援のみならず、友人、ボランティアなどのインフォーマルな支えが必要となる。年齢を問わず、生きた証を残す支援することが極めて重要である。
 第9章:神経難病筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の安楽死について
 死にたいということと、死にたいほど苦しいということとを混同してはいけない。我が国で、積極的安楽死が容認されるのは、肉体的苦痛に対して、打つ手がなく、死が切迫しており、本人の明示の<0175<意思表示がある場合に限られる。介護負担、家族への気兼ねのため安楽死を希望するということは、医療福祉の貧困を示すものであり、あらゆる手だけを尽くして、ご本人の精神的苦痛を緩和し、生き抜く意味を見いだしていただく家族の支援を行い、そのことでご本人のQOLが高まるよう社会資源を活用してゆくことが必要である。」(伊藤[2002:175-176])

◆池上 直己・Campbell, John C. 著/高木 安雄 監修・訳 20020720 『高齢者ケアをどうするか――先進国の悩みと日本の選択』,中央法規出版,256p. ASIN: 4805820489 3150 [amazon][boople] ※, b fm/a01

「高齢者ケアにおける家族の役割」 袖井 孝子 045-055
 「施設に入居している高齢者の家族にとって、もっとも重要で難しい意思決定は終末期のケアである。老人ホームでは医療、とくに高度な治療は認められていないので、高齢者は死期が迫れば、病院に送られる。しかし、筆者自身も含め、多くの家族は高齢の親をできれば病院に入れたくないと思っている。なぜなら、終末期に施される高度医療は、不要な苦痛を長びかせるだけだからだ。リビング・ウィルやインフォームド・コンセントは日本ではまだ広まってはおらず、多くの情報がすべての人に開示されてはいない。そこで、死期の迫った親のケアはほとんどすべて医師の手に委ねられることになる。」(袖井[2002:52])

「高齢者ケアと痴呆」 Whitehouse, Peter J. 111-118
 「<終末期のケア>
 厳密にいえば、終末期のケアは先に述べたケア全体の調整と医療と社会モデルの統合問題に分かれる。ここでは現在軽視されているが、将来は重要になるという理由から別個に取り上げたい。ホスピスの哲学とプログラムは、さまざまな病気で死に向かう患者の助けとなっているが、痴呆のために特別に開発されたものではない。おわりのないお葬式といわれるような病気を抱えた患者に対して、最期の問題にどう取り組めばよいのか。こうした患者は多くの場合、家族やスタッフと言葉でまったくコミュニケーションがとれない。
 さらに、保健医療に対するコストの抑制が次第に厳しくなっており、終末期にある患者にどのくらいのケアを提供できるのか考える必要がある。経管<0116<栄養の挿入は終末期いケアにおいて重大な判断になると考えている。保健医療制度の社会的な目標と同じように臨床うえの目標についてもっとよく考えるようになり、重度痴呆症の終末期患者に提供されるケアは現在より少なくなくかもしれない。抗生物質や経管栄養の利用も減るだろう。ケアの目標について考える場合、単なる財政的な動機ではなく、倫理的な検討と研究成果への配慮が生かされることが重要である。
 まとめ
 今後は痴呆患者が増え、保健医療制度は圧迫されるにちがいない。生物学的・心理社会的に統合されたケアモデルが重要な要素となる。痴呆症に対応できて、患者と介護者のニーズに応えられる介護モデルを開発する必要がある。理論的には、ケアの成果に対する評価が指針となって、地域と施設の介護の成功の鍵が明らかにされよう。とくに重度の痴呆の場合、単なる生命の持続ではなく、生活の質に関心を払うことが重要だろう。また、患者や介護者の精神的なニーズへの配慮も、ケアプログラムに盛り込む必要がある。医療モデルと社会モデルの統合は容易でないが、資源を最大限に必要するには重要なことである。」([116-117])

◆黒川 由紀子 編 20020820 『老人病院――青梅慶友病院のこころとからだのトータルケア』,昭和堂,243p. ASIN: 4812202256 1575 [amazon][boople] ※ 0fm/a01
第2章 高齢者のこころ 神定 守 1-16
 「大往生で見送ります
 老人の時間は死と隣り合わせです。元気な方がいいのは当たり前ですが、どんな人にも必ず死はやってきます。不幸にして病院で死を迎える人にはできるだけいい死、大往生をさせてあげなければなりません。
 老人病院は死を避けるためにいたずらに延命措置をするようではいけません。大事なことは、必要な医療処置はする、不必要な処置はしないということです。考えられ<0015<る処置をすべてしておかけないと万一訴えられら負けると思う医療者にとって、これは「言うは易く行うは難し」かもしれません。しかしその人の人生を知り、家族とのコミュニケーションを図っていればそんなことは問題になりません。」(神定[2002:16])

座談会 大塚 宣夫・黒川 由紀子・桑田 美代子・草壁 孝治 207-239
 大塚 […]例えば「ご飯を食べない」、「さあ、起きましょうね」と言って、本人は「やだ」と言うのは、家族にしてみたらそれは本人のわがままですよね。本人は「もう死にたい」と言っているのに、家族が「あんた、なんて馬鹿なことを言うの」と、はじめから決めつける。あるいは本人の意思表示に関係なく、家族が「一瞬でも長く生きるようにお願いします」と医者に頼み込んで、チューブをつけたり人口呼吸器をつけたりして強制的に生かし続ける。まあこんなのも、だいたい同じ発想のなかにあるんですね。つまり、この期におよんで家族のために無理やり生きなきゃいけない。自分のわがままというか、自分のやりたいことができない、というところがありますよね。
 桑田 あります。<0223<
 黒川 いままで日本では、どちらかというと家族の意向を重視する傾向がありましたが、どちらかというと家族に告知を先にする。それが少しずつシフトしてきているのでしょうか。
 大塚 社会にすごく気兼ねして生き、年とったら家族にすごく気兼ねして生きていてね、結局、最後の最後までずーっと気兼ねしながら生きていて、本当の自分のやりたいことって言いだせないままに終わってしまう人って、けっこうたくさんいるみたいなんですよね。
 黒川 本人の気持ちや意思を、最大限に尊重することが、とても大切なことのような気がします。私の印象では、大塚先生はご家族を非常に重視してらっしゃるように思っていましたが、今日のお話を聞くと、ご本人はさらに大事だと。
 大塚 我がこととなると、そりゃ家族よりは自分の意志を尊重してもらいたいですね。
 桑田 人のこころって変わるじゃないですか。前にある患者さんが「私がこんなになったら、もういいからね」と元気な頃に息子さんと話をしていたそうです。<0224<その患者さんが入院して状態が悪くなったので、息子さんが「お母さん、もういいよね」とたずねたら、首を横に振ったと言うのです。実際に生き死にのことになってくるとちがう。いまは私たち、元気ですから、「もういいわよ、あんなになったら」と思うかもしれませんが、高齢者であっても気持ちは変わると思います。そういうことはどうなのでしょうか。
 黒川 リビングウイルとかいろいろ前もって書いても、いざというときは変わる可能性がありますよね。それから死にたいという気持ちは、人間は誰でももつことがあります。先生、ないですか。
 大塚 毎日思ってますよ、それは(笑)。
 黒川 ですよね。
 大塚 いや、死にたいという気持ちよりも、むしろ「もういい」って感じでね。
 黒川 本当にそうだろうなと思うんですね。人って「もういいや」「もうたくさん」と、死に引かれる気持ちは、若くて元気なときでもあるのですから、ましてや病気や障害をお持ちのお年寄りは、積極的に「自害したい」とまでは思わないまでも、「もうお迎えが来てほしい」と思われることがある。そういう思いを<0225<ていねいにするお聞きすることはとても大切だと思います。話は変わりますが、この病院にはずいぶんおおぜいの心理職がいて[…]」(大塚・黒川・桑田・草壁[2002:207-239])

◆田尾 雅夫・西村 周三・ 藤田 綾子 編 20030410 『超高齢社会と向き合う』,名古屋大学出版会,236p. ASIN: 4815804621 2940 [amazon][boople] ※, b fm/a01
III 政策・制度・組織
  2 保険・年金・医療・介護制度 西村 周三 168-188
 「「どちらかと言えば」どちらを望むのかの意向を、必ずしも本人から聞き出しにくいという事情がある。なぜなら、家族に対する遠慮や配慮によって、本音が語られにくいからである。極端に言えば、日本人にとっては、老人の身体や心が、本人だけのものではなく、家族のものではないかとはさえ思わざるを得ない状況がある。そういった思いやりの精神は、確かに日本のよく伝統ではあるが、同時に問題の解決を難しくしている。
 一例をあげれば、一定の介護を要する期間を終え、いよいよ終末に近い状態を迎えたとき、いわゆる「死に場所」としてどこを選ぶか、という問題である。どちらかと言うと、本人は、自宅でのあまり過度な医療行為が行われ<0187<ない状況を選びがちであるが、家族の方は、少しでも長い延命を願って、病院への入院を望むことが多い。もちろん、この背後には、純粋な延命の期待と家族での介護の負担の忌避とが相混ざっている。しかもこの際、本人も、家族への思いやりから、本音を語ることをしない。結果的には、より医療機器などが整備した(ママ)施設が選ばれることになるのである。
 厄介なのは、国民の中に、医師が「終末の時期」をある程度的確に予測できるという期待と誤解がある点が、より問題を複雑にする。その結果、医療費も介護費用も、やや過大と思われる程度にまで費消されることが多いのである。」(西村[2003:187-188])

終章 変化に対する適応力 西村 周三 223-231

 「北欧が、かつて超高齢社会を迎えるに際して経験した次のような例が参考になる。いわゆる後期高齢者を大量に抱えることを最初に経験したのは北欧諸国であるが、この時期に、北欧は、いわゆる「寝たきり老人」を最小限にすることに成功した。それは医学の発展の成果を受け入れることで成功したのではなく、それまで医学分野ではいわばマイナーな技術であった「リハビリテーション」に政策の力点をおくことで成功した。80年代頃から、スウェーデンは、後期高齢者を大規模病院に「収容」することで、社会保障を充実することから、在宅ケアを重視し、生活の場でのリハビリに力点をおくことで、意外にも寝たきりの高齢者を減少させることに成功したのである。
 このような試みは、いまでは世界の主要先進諸国では当たり前のことになっているが、政策が打ち出された当初は、多くの偏見と不満があったことが想像できる。いまでは、多くの研究者は、この変化を「健康変換(health transition)と呼び、高く評価しているが、この転換は、研究室や病院での<0230<医学の技術進歩から生まれたのではなく、まさに「変化に対する、社会制度の柔軟な適応力」から生まれたと言ってよい。」(西村[2003:230-231]

向井 承子 20030825 『患者追放――行き場を失う老人たち』,筑摩書房,250p. ISBN:4-480-86349-4 1500 [amazon][boople][bk1] ※ b
cf.立岩 2003/10/25 「向井承子の本」(医療と社会ブックガイド・31),『看護教育』44-9(2003-10):784-785(医学書院)

◆小笠原 信之 20031120 『許されるのか?安楽死――安楽死・尊厳死・慈悲殺』,緑風出版,260p. ASIN: 4846103137 1890 [amazon][boople][amazon] ※, b d01 et

◆葛生 栄二郎・ 河見 誠 20041025 『いのちの法と倫理 第三版』,法律文化社,293p. ASIN: 4589027755 2940 [amazon][boople] ※, b

◆樋口 範雄・土屋 裕子 編 20051230 『生命倫理と法――東京大学学術創成プロジェクト「生命工学・生命倫理と法政策」』,弘文堂,423p. ASIN: 433535343X 2940 [amazon][boople] ※, b be

◆小澤 勲・黒川 由紀子 20060120 『認知症と診断されたあなたへ』,医学書院,136p. ISBN: 4-260-00220-1 1600 [boople][amazon] ※,

◆大熊 由紀子・開原 成允・服部 洋一 20060225 『患者の声を医療に生かす』,医学書院,200p ISBN: 4-260-00229-5 1800 [boople] ※,

小泉 義之 20060410 『病いの哲学』,ちくま新書,236p. ISBN: 4480063005 756 [boople][amazon] ※,

小澤 勲 20060501 『ケアってなんだろう』,医学書院,300p ISBN: 4-260-00266-X 2000 [boople][amazon] ※,

◆伊勢田 哲治・樫 則章 20060515 『生命倫理学と功利主義』,ナカニシヤ出版,276p. ASIN: 477950032X 2520 [amazon][boople] ※, b be

長岡茂夫 「事前指示」,伊勢田・樫編[2006:121-142]
 6 ドレッサー―現在の利益説―
 「第一に、永続的に無意識の患者においては、生存において苦痛は存在しないはずだが、他方延命から得られる利益も存在しない。この場合には家族の負担や苦痛、社会にとってのコストを原理原則にしたがった形で考慮に入れること<0140<も許される。[…][Dresser and Robertson 1989]。」(長岡[2006:140-141])

◆米沢 慧 20060610 『病院化社会をいきる――医療の位相学』,雲母書房,193p. ASIN: 487672203X 1785 [boople][amazon] ※,

 
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■文献表

Dworkin, Ronald 199406 Life's Dominion Vintage Books=19980620 水谷英夫・小島妙子訳,『ライフズ・ドミニオン――中絶と尊厳死そして個人の自由』信山社,発売:大学図書,450+14p. ASIN: 4797250674 6400 [amazon][boople] ※ b d01 2007b1
◆堀田 義太郎 20061201 「決定不可能なものへの倫理――「死の自己決定」をめぐって」,『現代思想』34-14(2006-12):171-187
◆二木 立 19880905 『リハビリテ−ション医療の社会経済学』,勁草書房,勁草−医療・福祉シリーズ29,259p. 2400
◆二木 立 19910720 『複眼でみる90年代の医療』,勁草書房,231p. ASIN: 4326798734 2520 [amazon][boople] ※, b m/e01
◆二木 立 19921015 『90年代の医療と診療報酬』,勁草書房,251p. ASIN: 4326798815 [amazon][boople] ※, b m/e01
◆二木 立 19941125 『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』,勁草書房,237p. ASIN: 4326798939 2625 [amazon][amazon] ※, b m/e01
◆二木 立 20000420 『介護保険と医療保険改革』,勁草書房,272p. ASIN: 4326750448 2940 [amazon][boople] ※, b m/e01
◆二木 立 20011120 『21世紀初頭の医療と介護――幻想の「抜本改革」を超えて』,勁草書房,308p. ASIN: 4326750456 3360 [amazon][boople] ※, b
◆二木 立・上田 敏 198010 『世界のリハビリテ−ション――リハビリテ−ションと障害者福祉の国際比較』,医歯薬出版,238p. 4500
◆西村 周三 20000220 『保険と年金の経済学』,名古屋大学出版会,236p. ASIN: 4815803722 3360 [amazon][boople] ※, b m/e01
◆大塚 宣夫 19900928 『老後・昨日、今日、明日――家族とお年寄りのための老人病院案内』,主婦の友社,225p. ASIN: 4079340109 1400 [amazon][boople] ※, b a01
◆田尾 雅夫・西村 周三・藤田 綾子 編 20030410 『超高齢社会と向き合う』,名古屋大学出版会,236p. ASIN: 4815804621 2940 [amazon][boople] ※, b fm/a01

◆香川 知晶 20061010 『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』,勁草書房,440p. ASIN: 432615389X 3465 [amazon][boople] ※, b d

佐々木 公一 20060601 『やさしさの連鎖――難病ALSと生きる』,ひとなる書房,239p. ASIN: 4894640910 1680 [boople][amazon] ※, b d als

◆「生きる力」編集委員会編 20061128 『生きる力――神経難病ALS患者たちからのメッセージ』,岩波書店,岩波ブックレットNo.689,144p. ASIN: 4000093894 840 [amazon][boople] ※, b d als
 http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-009389-4


UP:20061229(ファイル分離) REV:
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