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死なせることを巡る言説 1990年代

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1970年代  1980年代  1990年代  2000年代


 ◆老い・1990年代
 ◆「寝たきり」

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◆厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課 19900331 『寝たきりゼロをめざして――寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究 第2版』,中央法規出版,160p. ASIN: 4805806818 1100 [amazon][boople] ※, b fm/a01 d/n01

◆大熊 由紀子 19900920 『「寝たきり老人」のいる国いない国――真の豊かさへの挑戦』,ぶどう社,171p. ASIN: 4892400955 1500 [amazon][boople] ※, b a01 d/n01

◆大塚 宣夫 19900928 『老後・昨日、今日、明日――家族とお年寄りのための老人病院案内』,主婦の友社,225p. ASIN: 4079340109 1400 [amazon][boople] ※, b a06

6章 寝たきり老人を起こす
 「起き老人」のヨーロッパ事情
   ほんとに寝たきりはいないのか?の疑問
 「昭和六十三年六月、老人病院の管理運営に当たっている仲間とともにヨーロッパへ出かけました。目的はヨーロッパの平均的な老人病院や介護施設を見ることでしたが、特に感心があったのは、当時わが国の新聞、雑誌、テレビなどで散見されていた次の二点の真偽でした。
 第一は、ヨーロッパの老人施設にはわが国でいういわゆる「寝たきり老人」がきわめて少ないこと、第二は、ヨーロッパの国々では高齢者に延命のための医療行為はほとんどなされないということについてでした。」(大塚[1990:114])
 当病院の「寝たきり起こし」
  最初に手がけたのは、病院職員の意識改革
  老人に生気が戻った
 「しかしながら、この試みを通じて現体制の老人病院で、ヨーロッパで見てきたような対応をすることがいかに困難であるかもあらためて思い知らされました。
  人手と設備が豊富に必要
 第一の困難は、マンパワーの確保です。
 […]<0133<
 もう一つの大きな困難は、建物の構造、設備にあります。
 […]<0134<
 ヨーロッパの施設で見てきたもう一つの大きな違い、老人のいわゆるいちばん最後の部分の対応については、今日までのところヨーロッパ流のやり方を本格的に導入するところまでは踏み切れません。
 「自分で食事ができなくなった老人に対して、口の中に食事や水分を運んでやるが、それを飲み込めなくなったら、それ以上の手段は講じない」、この考えの中には、最後の最後まで、個人個人に選択の余地を与える、あるいは自分で決定するチャンスを与えるというヨーロッパ流の個人主義が息づいているように思えます。
 これに対して、わが国では、老人の終末の形は、老人本人の意思には関係のない形で進<0135<められます。
 たとえば、食事を飲み込む能力すらなくなった老人に対してどんな手段をとるかの選択は、ほとんどの場合家族と担当の主治医の話し合いで決められます。
 ここでは、老人患者を個人というよりは、あくまで家族の一員として、家族の思いの中で生きる存在としてとらえるきわめて日本的な価値観を見ることができるように思います。
 当病院でも、多数の老人患者の終わりをみとってきました。これ以上どんな処置をしても、けっして助からないだろうと思いながらも、家族があきらめきれず希望すれば、各種の延命のための処置が延々とつづけられる。これがわが国の実情でもあります。
 これは、どちらがすぐれているというよりも、文化の違いというべきなのでしょう。
 一日を横になって過ごすことへの評価にも、畳の文化といすの文化の違いを感じます。これは、どちらがすぐれているというよりも、文化の違いというべきなのでしょう。一日を横になって過ごすことへの評価にも、畳の文化といすの文化の違いを感じます。いすの文化の国々では,生きるということは、頭を地面を少しでも高い所におくことであり、頭の位置が高ければ高いほど、質の高い生き方をしていると思っているフシがあります。
 これに対してわが国では、横になることは最も安楽な、つくろぎの姿勢ととらえて、<0136<けっして恥ずべき姿とはとらえられていないのです。」(大塚[1990:133-137])

◆Outerbridge, David .E. & Hersh, Alan R. 1991 Easing The Passage, Arthur Pine. =19930424 山崎 章郎 訳,『安らかに死ぬということ――死と向き合い、最後の人生を豊かなものにするために』,講談社,230p. ISBN-10:4062064367 ISBN-13: 978-4062064361 \1100 [amazon][kinokuniya] ※ et-1990d t02
◆厚生省 編 19910401 『厚生白書〈平成2年版〉――真の豊かさに向かっての社会システムの再構築 豊かさのコスト――廃棄物問題を考える』,厚生問題研究会,402p. ASIN: 4324026173 1500 [amazon][boople] ※ b / ts2007a

 第1編・第1部・第2章「新たな社会サービス供給システムの構築」第1節「地域に密着した老人保健福祉サービスの展開」1「高齢者保健福祉推進十か年戦略」(ゴールドプラン)の推進」(2)「「ねたきり老人ゼロ作戦」の展開」
 「高齢者対策の進んでいる北欧等においては、自立を支えるという観点から、ねたきりにしないことに重点が置かれているため、我が国と比較して、ねたきり老人の割合が極めて少ないものとなっている。
 また、我が国では、従来ねたきりは高齢者には避けられないものと受け取られているが、介護を必要とする高齢者の自立を助け、生活の質を高めることができるようにするためには、介護を必要とする後者異ができることとできないことを見極めた上で、可能な限りねたきりにしないための対策を推進していく必要があると考えられる。
 こうした観点から、「寝たきりは予防できる」ことについての意識啓<0062<発を行うととこに、脳卒中等のねたきりの原因となる病気の予防、適切なリハビリテーションの提供、在宅の保健、医療、福祉サービスを円滑に提供する情報網(脳卒中情報システム)の整備等を内容とする「ねたきり老人ゼロ作戦」を展開している。」(厚生省編[1991:62-63])
 在宅及び施設でねたきり状態にある老人比率の国際比較(厚生省編[1991:63])

◆二木 立 19910720 『複眼でみる90年代の医療』
,勁草書房,231p. ASIN: 4326798734 2520 [amazon][boople] ※, b m/e01

3章 90年代の医療供給制度
 五 高齢者保健福祉推進十ヵ年戦略(ゴールドプラン)は「みせかけ」か?
 […]
 寝たきり老人ゼロ作戦は「寝たきり」と「寝かせきり」とを混同
 最後に、ゴールドプランの問題点で、一般にはほとんど見落とされている点を指摘したい。それは、<0136<ゴールドプランの「目玉」とされている「寝たきり老人ゼロ作戦」における、「寝たきり」と「寝かせきり」との混同である。これは、私が医師として専門としていたリハビリテーション医学の視点からの検討である。
 私は障害を持った老人の能力は複眼的に評価する必要があると思っている。
 一つは、「自立度」という概念である。これは、他人の介助、監視、あるいは促し、励ましを得ずに、自力でどこまでいろいろな動作ができるかということである。この視点から見ると、たとえ早期からリハビリテーションを徹底して行っても、歩行が自立する老人、つまり狭義の「寝たきり」状態を脱する老人は三分の一しか減らせないというのが、冷厳な事実である<(20)五九頁,(42)二三四頁>
 しかし、これだけにとどまっていると重度の障害老人の切り捨てになる。それを避けるためのもう一つの評価の視点は、他人の介助を受ければ、最大限どこまでの動作ができるかということである。そして、自力では起きられない、あるいは歩けない老人、狭義の「寝たきり老人」のうち、介助をすれば起きられる、歩ける老人が大半なのである。
 私自身の脳卒中早期リハビリテーションの経験でも、発症後早期の「寝たきり老人」のうち約九割は介助をすれば起こしたり、座らせたり、歩かせることができる。それに対して、重篤な心臓疾患や肺疾患などがあり、全身状態が不安定なために医学的な理由から絶対安静を必要とする老人は、一割にすぎない。<0137<
 『寝たきりゼロをめざして』という、厚生省の特別研究の報告書の中でも、老人医療で有名な東京の青梅慶友病院の実践例として、自力では起きたり、歩けない慢性疾患・障害老人のうち、介助をすれば起きたり、歩ける老人が九割だと報告されている<(43)四九頁>。
 大熊由紀子(朝日新聞)が先駆的に明らかにしてきたように、北欧諸国には、「介護の必要なお年寄り」はいるが、「寝たきり老人」がほとんどいないというのは、この意味においてなのである<(38)>。そのため、私は「寝たきり老人ゼロ作戦」というのは不正確な表現で、「寝かせきり老人ゼロ作戦」と言い替えるべきだと思っている。
 早期リハビリテーションを徹底して行うと同時に、慢性期に入った障害老人に維持的・継続的なリハビリテーションを行い、早期リハビリテーションによって達成した「自立度」を維持することは非常に重要である。しかし、先述したように、その効果は限られている。
 そのために、自力では起きたり、歩けない、という意味での「寝たきり老人」を「寝たきり老人」にしないためには、これらの老人を介助によって起こしたり、歩かせるという援助が不可欠である。そして、これを徹底的に行うためには、大量のマンパワーの投入が不可欠で、ゴールドプランとは桁違いの費用がかかる。」(pp.136-138)

(20)二木 立 19880905 『リハビリテ−ション医療の社会経済学』,勁草書房,勁草−医療・福祉シリーズ29,259p. 2400
(42)二木 立・上田 敏 198010 『世界のリハビリテ−ション――リハビリテ−ションと障害者福祉の国際比較』,医歯薬出版,238p. 4500
(43)厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課 1989 『寝たきりゼロをめざして――寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究』,中央法規出版
(38)大熊 由紀子 19900920 『「寝たきり老人」のいる国いない国――真の豊かさへの挑戦』,ぶどう社,171p. ASIN: 4892400955 1500 [amazon][boople] ※, b a01

◆日本医師会第III次生命倫理懇談会 19920309 「「末期医療に臨む医師の在り方」についての報告」
 「[…]他方において、安楽死の立法を促進する要因としては、自然死の進展に見られるような自己決定の尊重ということがある。自己決定という点からすれば、生命維持装置の取り外しという、いわゆる消極的安楽死と、積極的行為による積極的安楽死との違いは、質的なものではなくなり、量的な差にすぎなくなるとも考えられる。リビング・ウイルによる自然死を認めるならば、本人の意思に基づく安楽死を認めない理由はない、ということにもなりそうである。
 このように、安楽死を認めるか否かについては、新しい要因が生じており、状況が変化していることを考えなければならない。しかし、それらを含めた現在の状況の下では、安楽死の立法をすることは、やはり不適当であり、特別の事情がある場合に個別的に例外として安楽死を認めるという現状を維持するほかはない、といわなければならない。」
 「わが国では、これまで長い間死を口にすることは、不吉であり、避けるべきものとされ、一種のタブーのようになっていた。そのために、末期医療のあり方についても、あまり議論がされなかった。  しかし、今日では、末期医療の問題は、事柄が重要な上に、現実にさしせまった問題でもあるので、あいまいなままに放置しておくことはできない。近年では、わが国でも、死についての学問や、死についての教育の必要性が多くの人々によって説かれるようになってきている。人の生命に係わりをもつ医師としては、死をめぐる諸問題についても、率先して合理的な対処の仕方について考察を深め、広く国民に周知させていく必要がある。この「末期医療に臨む医師の在り方」についての報告が、そのための一助となることを期待したい。」(日本医師会第III次生命倫理懇談会 19920309 「「末期医療に臨む医師の在り方」についての報告」の「おわりに」)
◆199205  読売新聞社「がんと尊厳死に対する世論調査」
 全国の有権者3000人対象 質問:「尊厳死とは回復の見込みがない末期患者に、ただ生命を延ばすためだけの医療を続けるよりも、寿命のまま人間らしい死に方を願うという考え方だが、あなたはこの尊厳死の考え方を認めますか、認めませんか」→「認める」54%、「どちらかと言えば認める」32%


◆池上 直己 19920610 『医療の政策選択』,勁草書房,p.177 ASIN: 4326700416 3360 [amazon][boople] ※ b m/e01 ts2007a

 「明確な資源制約の下に医師に最大の裁量権を与えているのがイギリスの国営医療であり、イギリスではプライマリ・ケアのレベルの開業医が患者が病院を選択できるかどうかを決めており、さらに病院レベルの専門医には予算制約を設けている。たとえば50歳以上で腎不全になった患者には通常透析治療を開始していない(但し、これは新規に開始する場合であり、50歳以前から腎透析を行っている患者についてはもちろん透析を継続している)。このような配給基準はどこにも銘記されておらず、あくまでも50歳以上に開始した場合には予後が悪いという医師の「医学的判断」による裁量権が前面に立っており、医師を守るために医療訴訟やインフォームド・コンセントのあり方について一定の制限を設けている(Aaron & Schwartz, 1984)。」(池上[1992:51])
 →人工透析

Aaron, H. J. & Schwartz, W. B. 1984 The Political Prescription: Rationing Hospital Care, Wahshington, D. C.: Brookings Institution

◆二木 立 19921015 『90年代の医療と診療報酬』,勁草書房,251p. ASIN: 4326798815 [amazon][boople] ※, b m/e01 ts2007a
 「第二は、在宅障害老人地対する単なる「延命」のための医療の再検討である。
 わが国は世界に冠たる「延命医療」の国であるから、在宅の寝たきり老人の状態が悪化した場合には、病院のICU(集中治療室)に入れられることも少なくない。このことの「再検討」とか「制<0142<限」などというと、「医療費の抑制」とか「患者の人権無視」といった非難をたちどころに浴びせられる可能性がある。
 しかし、ここで考えなければらならないことは、多くの医療・福祉関係者が理想化している北欧諸国や西欧諸国の在宅ケアや施設ケアでは、原則として延命医療は行われていないなことである。
 この点に関しては、有名な老人病院である青梅慶友病院院長の大塚宣夫先生の著書『老後・昨日、今日・明日』(主婦の友社、一九九〇)がもっとも参考になる。同書によると、大塚先生はヨーロッパ諸国を訪ねて「次の二点の真偽」を確かめたかったそうである。「第一は、ヨーロッパの老人施設にはわが国でいういわゆる『寝たきり老人』が極めて少ないこと、第二は、ヨーロッパの国々では高齢者に延命のための医療行為がほとんどなされていないということ」(一一四頁)。そして結論は、二つともその通りであったとのことである。
 あるいは、ドイツの老人ホームを実地調査した『ドイツ人の老後』(坂井洲二著、法政大学出版会、一九九一)によると、ドイツでは人々がホームに入る時期を遅らせ、死期が近づいた状態になってはじめて入る人が増えてきたため、「三〇〇人収容の老人ホームで一年間に三〇〇人も亡くなった」例さえあるという(一〇八頁)。わが国でこんなホームがあったら、たちどころに「悪徳ホーム」と批判されるであろう。
 わが国では、ヨーロッパ諸国の在国ケアや施設ケアという、なぜか「寝かせきり」老人がいない<0144<ことに象徴されるケアの水準の高さのみが強調される。しかし、単なる延命のための医療を行っていないという選択もきちんと理解すべきである。
 誤解のないようにうと、私は障害老人に対する単なる延命のための医療を一律禁止すべきだ、といっているのではない。しかし、事実として、延命治療よりもそれ以前のケアを優先・選択する「価値観」「文化」を持っている国があることを見落とすべきではない。
 そして、わが国でも、今後は同じような「選択」が必要になるであろう。デンマークの福祉に詳しい有名な有料老人ホーム経営者は、「わが国で、一方ではデンマークやスウェーデン並みのケア、他方で効果の非常に疑問な末期の延命医療を無制限に行うとなると、どんな立場の政府でも、その財政負担に耐えられない」といわれている。」(二木[1992:142-144])

 cf.大塚 宣夫 19900928 『老後・昨日、今日、明日――家族とお年寄りのための老人病院案内』,主婦の友社,225p. ASIN: 4079340109 1400 [amazon][boople] ※, b a01
 cf.坂井 洲二 19911010 『ドイツ人の老後』,法政大学出版局,291p. ASIN: 4588050745 2415 [amazon][boople] ※, b fm/a01

◆1993 日本尊厳死協会
 「日本尊厳死協会
  故太田典礼氏が提唱した日本尊厳死協会は1976年に設立され、十数年の苦難の時期を経て死ぬ権利運動がようやく社会に容認されるようになりました。会員は1990年8月に1万人に達しましたが、その後尊厳死に対する社会的動きと相まって、その数はうなぎ登りに増えています。1991年末に3万人に達した会員は、1992年末には5万人の大台に乗りました。
 当協会のアンケート調査では、 93.54%の医師が尊厳死(個人の意志)を認める医療行為を施してくれています。
 宣言書(リビング・ウィル)、入会申込書を求める手紙や電話の問い合わせも多く、1992年の3月には1万人分以上の資料をお送りするほどでした。
 リビング・ウィルの文面と入会申込書等のお問ん合わせは下記の通りです。」
 (p.254)
 細郷 秀雄 19930208 『わたしは尊厳死を選んだ――ガンに生きた900日』,講談社,253p. 1700(日本尊厳死協会推薦)より

◆児島 美都子 19930130 『「寝たきり」をつくらない福祉――福祉とは何かを問いつづけて』,ミネルヴァ書房,251p. ASIN: 4623022579 1937 [amazon][boople] ※ 07a

◆岡本 祐三 19931210 『医療と福祉の新時代――「寝たきり老人」はゼロにできる』,日本評論社,272p. ASIN: 453558141X 2100 [amazon][boople] ※, b a01 07a

◆1993   「「日本尊厳死協会」で1993年から「痴呆症の尊厳死」を協会のリビング・ウィルの条項に加えようという議論が始まった。それが報道され、96年には「呆け老人をかかえる家族の会」から申し入れもあり、結局「時期尚早」としたものの、協会とその役員はあくまで自分たちの主張が正しいとした。筆者はこの経緯を簡単にではあるが辿り、その上で、協会の主張が延命措置停止についての判例の規準からも、協会の尊厳死の定義からも逸脱していることを記している(第7章)。」(立岩 2003/08/25 「その後の本たち・1」(医療と社会ブックガイド・30),『看護教育』44-08(2003-08・09):682-683 紹介している本:斎藤 義彦 20021225 『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』,ミネルヴァ書房,240p. ISBN:4-623-03658-8 2000 ※ [boople][bk1] ※)

◆1993

◇真部 昌子 20070711 『私たちの終わり方――延命治療と尊厳死のはざまで』,学習研究社,学研新書12,226p. ISBN-10: 4054034756 ISBN-13: 978-4054034754 756 [amazon][kinokuniya] ※ d01 et
 「日本では、厚生省が一九九三年に全国の成人男女三〇〇〇人に対し「末期医療に対するアンケート調査」を行っています。その結果は、単に延命を図る治療は希望しない者が多く、また、「積極的安楽死」を希望する者は少ない、ということでした。
 時代と共に医学・医療の発展や進歩だけでなく、医療全体を取り巻く環境が大きく変化していることから、国民の医療に対する意識が変化していくであろうことが考えられます。
 末期医療に関しては、幾度か同様の調査が行われました。しかし、結果は九三年のものと大きくは変わらず、日本においては「積極的安楽死」はなじまない状況が確認されてい<123<ます。」(真部[2007:123-124])

◆日本学術会議 死と医療特別委員会 19940526 「尊厳死について」
 町野朔他編[1997:146-152]* *
*町野 朔・西村 秀二・山本 輝之・秋葉 悦子・丸山 雅夫・安村 勉・清水 一成・臼木 豊 編 19970420 『安楽死・尊厳死・末期医療――資料・生命倫理と法II』,信山社,333p. ISBN:4-7972-5506-4 3150 [boople][bk1] ※ b ** *d01
 尊厳死:「助かる見込みがない患者に延命医療を実施することを止め、人間としての尊厳を保ちつつ死を迎えさせることをいう」
 「末期医療においても、医療の原点であるインフォームド・コンセントの原理に立脚して患者の自己決定権ないし治療拒否の意思を尊重し、患者が選択した生き方ないし人生最後の迎え方を尊重すべきであるということが、尊厳死問題の本質であると考える」
 「4.延命医療中止の条件」より
 「第一に、医学的に見て、患者が回復不能の状態(助かる見込みがない状態)に陥っていることを要する。単に植物状態にあることだけでは足りないと解すべきである。」(→報告全文

◆三好 春樹 19940306 『なぜ"寝たきりゼロ"なのか――新しいケアが始まっている』,ライフケア浜松,77p. SBN-10: 4887201249 800 ISBN-13: 978-4887201248 [amazon] ※ b 0fm/a01 ts2007a

 「ここでちょっと考えて見ましょう。なんで寝たきりはゼロにしなければいけないのか。寝たきり老人がいるのは、日本だけだなんて言いますね。朝日新聞あたりが主催するセミナーなんか行きますと、みんな暗い顔をして帰ってくるそうです。西洋は素晴らしくて、日本はだめだ、一体どうなるんだろう。で、みんな北欧を見に行ったりするんです。町長以下、みんな北欧に行って見てきたなんて町が一番やってないですね(笑)。日本じゃ何にもできないって諦めてるところがある。おかしな話です。
 私は寝たきり老人が日本に多いっていうのは、決して悪いことではない、いや、それ自体は悪いことなんだけど、マイナスだけで捉える必要はないと思います。というのは、まず寝たきりになっても栄養が行き届くっていう豊かさがないと、寝たきり老人なんていな<0009<いんですよ。脳卒中になって生き長られえる国っていうのは、世界で数えるくらいしかないんですからね。旧共産圏だとか、発展途上国ではできないですからね。さらにその上、他人に依存しても生きてゆけるという文化を持っているところでなければならない。これ西洋じゃ無理なんです。西洋は自立してなかったら人間じゃない、っていう世界です。自立のためには必死でやりますが、一度他人に依存しちゃうと、もう生きていけないという世界ですね。依存して生きていけるというのは、東洋なんです。
 この二つの条件を満たしている国が日本だけなんです。それで寝たきりが多い。日本の悪徳みたいに言われていますが、そういう意味では老人の寝たきりをいかに克服していくのかっていう方法論も、この二つを武器にする他ない。一つは豊かさ、もう一つは相互依存手です。自立というのは、人間にとっては幻想みたいなものですね。自立、自立なんていわれていますが、自立して生活している人なんか、どこにもいないんです。
 人間は一生に3回、他人に頼らなければいけ<0010<ない。子供の時、病気の時、年取った時です。最後の年取った時というのは、長生きした者の特権ですから、援助してもらってありがとうと言えばいいんです。そういう文化をいまだに持っているんですからね。これを使って寝たきりの問題を何とか解決していこうということです。ですから、外国に対して恥ずかしいから寝たきりを減らそうなんていう発想では困るんです。」(三好[1994:9-11])

◆二木 立 19941125 『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』
,勁草書房,237p. ASIN: 4326798939 2625 [amazon][amazon] ※, b m/e01 07a

 「[…]慢性疾患・成人病中心の現代にあっては、平均寿命だけで、先進諸国の医療の質(この場合は治療効果、outcome)を判断・比較することはできず、ADL(日常生活動作)やQOL(生活の質)を加味した指標を用いることが不可欠である。しかし、ADLやQOLの世界共通の評価尺度は未確立であり、この面での医療の質の厳密な国際比較を行うことはできない。
 このような制約下にあって注目すべきことは、朝日新聞論説委員の大熊由紀子氏が、早くから(なんと一九八五年から)「寝たきり老人」(彼女の表現を用いると「寝かせきりにしてしまっていたお年寄り」)が多数見られるのは、先進諸国の中では日本だけなことを発見し、これがわが国の老人医療・福祉の立ち遅れの産物であることを、鋭く指摘してきたことである(21)。この事実は、その後厚生省の委託研究でも確認され、その結果は『厚生白書一九九一』(六三頁)にも掲載された(22、23)。」(p.12)
(21)大熊 由紀子 19900920 『「寝たきり老人」のいる国いない国――真の豊かさへの挑戦』,ぶどう社,171p. ASIN: 4892400955 1500 [amazon][boople] ※, b a01
(22)厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課 1989 『寝たきりゼロをめざして――寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究』,中央法規出版
(23)厚生省 編 199104 『厚生白書〈平成2年版〉――真の豊かさに向かっての社会システムの再構築 豊かさのコスト 廃棄物問題を考える』,厚生問題研究会,402p. ASIN: 4324026173 [amazon][boople] ※(本では『厚生白書一九九一…』とあり)

◆Moreno, Jonathan D. ed. 1995 Arguing Euthanasia, Miller Agency. =19971220 金城 千佳子 訳,『死ぬ権利と生かす義務――安楽死をめぐる19の見解』,三田出版会,311p. ISBN-10:4895832155 ISBN-13: 978-4895832151 \2400 [amazon][kinokuniya] ※ d01 et-1990d
◆竹中 文良 19951030 『続・医者が癌にかかったとき』,文藝春秋,267p. ASIN: 4163507701 1500 [amazon][boople] ※, b y/c01 ts2007a

 「在宅医療のこれから
 夫妻で尊厳死協会に入っておられた。病気についても過不足ない知識をもち、しっかりした死生観をももっておられた。手術のあとは定期健診を続け、必要に応じて入退院を繰り返していた。前々からの希望で、治療の手段が何もなくなって、衰弱が進み、いよいよという時点に達したなら、自宅で過ごしたい、とういのがお二人の一致した考え方だった。
 […]<228<
 ところが、これだけ自分の考えをしっかりもった人たちでも、個人主義を貫くことは難しかった。それがこの国の現状、平均値ということだろうか。親戚が見舞いにきては、「この状態で医者にもみせず、病院にも入れないとはなにごとか」と轟々の非難が夫人に浴びせられた。夫は夫人一人の大切な人でない。結局はそれらの人々の反論に屈した。
 病人は、見覚えのある個室で目を覚ました。酸素吸入が施され、彼の体には点滴、フォーレ、心電図と複数のチューブがつながれていた。
 「どうして、こういうことなってしまうのだ?」
 弱々しいながら、腹立ちまぎれのため息がもれる。不本意な最期はただただ気の毒だった。
 いわば冠婚葬祭要因としての親戚に押し切られたかっこうで、時間をかけ熟慮した二人のプランは生かされなかった。納得のゆく終末期医療については、個人の意志だけではでうにもならない部分があるようだ。」(竹中[1995:227-228])

◆西野 辰吉 19960430 『安楽――生と死』,三一書房,200p. ISBN-10: 4380962431 ISBN-13: 978-4380962431 [amazon][kinokuniya] ※ d01 et
 「この三月十日の″NHKスペシャル″の後に、「朝日新聞」テレビ欄の「はがき通信」に、こういう記事が載った。
 <安楽死を望むのはエゴイズムだと思う。その人たちにはどんな状態でも生きていてと願う肉親はいないのでしょうか。人間は時として他者のためにも苦痛に耐えて生きねばならないと(p.66)思う。自然に息が絶えるまで>
 これは六十五歳の東京の主婦の投書なのだが、エゴだといいながら、他者のために苦痛に耐えろというのが他者のほうのエゴだという矛盾をもっている。
 介護する――患者の死にふかく関わる肉親のなかには、どんな状態でも生きていてほしいと願う心情があるだろう。しかしそれは肉親であっても、″死″にとっては他人なのであって、他者の視線で″死″を見ているのだ。」(西野[1996:66-67])

◆岡本 祐三・八田 達夫・一圓 光彌・木村 陽子 19960501 『福祉は投資である』,日本評論社,201p. ASIN: 4535560234 1890 [amazon][boople] ※, b

◆『imago』1996-9 特集:ターミナルケア
吉福伸逸   父のプロセス
A・ミンデル/藤見幸雄訳  COMA:植物/昏睡状態とのワークの実践
藤見幸雄   コーマ・ワーク  
柳田利昭 永沢 哲  [インタヴュー]生を全うする体育、死を守る体育
帯津良一 宮迫千鶴  【徹底討議】 生と死を貫く希望
柏木哲夫   [インタヴュー]日本のターミナルケア
K・ドゥルナー/市野川容孝訳  精神病院の日常とナチズム期の安楽死
市野川容孝  ナチズムの安楽死をどう〈理解〉すべきか
小俣和一郎  安楽死と精神医学
滝上宗次郎  日本の二重苦、財政難と超高齢社会
横内正利   高齢者の終末期医療とは何か
和田秀樹   治らぬ者への精神療法
廣野喜幸   生命至上主義の帰趨
林 真理   死を巡る科学的言説の政治学
鶴田博之   死ぬ権利の陥穽
C・グローブ/安藤治訳  終末期癌患者への心理療法的アプローチにおけるMDMAの効果

◆星野 一正 19961125 『わたしの生命(いのち)はだれのもの――尊厳死と安楽死と慈悲殺と』 ,大蔵省印刷局,348p. ASIN: 4175502009 1835 [boople][amazon] ※, b d01 et

■1997〜 『「福祉のターミナルケア」に関する調査研究事業報告書』(1997)〜

◆199702 加賀乙彦
 「この宣言の趣旨は、回復不能の植物状態でいつまでも生きたくないという意思とともに、そのような状態でいつまでも生き続けて、医療費や精神的気遣いの負担で家族や知人を苦しめたくないという気持ちと、自分がふさいでいた病院のベッドをもっと必要で緊急な病気の人のために早く明けわたしてあげたいという願いが含まれている。私は自分の死に方をそのような方向で決定しているのだ。むろん、ここでも消極的安楽死や尊厳死に反対という人に私は反対しない。人の死に方は人さまざまであって、むしろそのように多様であるほうが人間の自由を守るし、また自然なあり方であるという私の考えは変わらない。
 こういうリビング・ウィルは自分で文章を作るだけでなく、私の場合は妻や息子や娘に自分の意思をよく説明し、宣言内容についての承諾を得ている。
 死んだ人間をあとで世話するのは家族や友人である。私は、死ぬときに、家族や友人に余分な負担をかけたくないのである。」
(加賀乙彦「素晴らしい死を迎えるために」※p.28 ※加賀編[1997:9-38]
 文中の「この宣言」は日本尊厳死協会「尊厳死の宣言書(リビング・ウィル)」
 1976年2月とほとんど同文)
 加賀乙彦 編著 19970227 『素晴らしい死を迎えるために――死のブックガイド』
 太田出版、268p.、1700

松田 道雄 19970424 『安楽に死にたい』,岩波書店,133p. 1200 ※ ** *d01
 cf.立岩 2001/07/25 「死の決定について・4――松田道雄のこと」(医療と社会ブックガイド・7),『看護教育』42-7(2001-7):548-549

◆宮野 彬 19970520 『オランダの安楽死政策――カナダとの比較』,成文堂,268p. ASIN: 4792314399 5250 [boople][amazon] ※, b d01 et

◆西村 周三 19970620 『医療と福祉の経済システム』,筑摩書房,ちくま新書,218p. ASIN: 4480057110 735 [amazon][boople] ※ m/e01
第2章 高齢社会の見通し―経済社会の変貌と医療・福祉の将来
 「[…]「寝たきり老人」をゼロにするという高い理念がある[…]すなわちただ単に要介護者のお世話が大変だから、介護福祉を充実するという<0063<ことにとどまらず、要介護者の自立を支援するということが目標とされている。
 筆者の知る限り、この理念が日本で重要な意味を持つようになったのは、八〇年代のはじめ頃からデンマークをはじめとする北欧諸国の実態を調査し、「寝たきりはゼロにできるのだ」というキャンペーンを展開した大熊一夫氏、大熊由紀子氏、岡本裕三氏らの努力によるところが大きい。彼らの啓蒙活動が次第に普及するなかで、スウェーデン大使館勤務の経験を持つ厚生省若手官僚たちがこれに呼応して、九四年に「高齢者介護・自立支援システム研究会」が設置された。同報告書はこのような彼・彼女らの長い努力の結実である。
 ただ介護保障の現状は、このような理念が掲げるところとはかなりかけ離れている。」 (西村[1997:63-64])
 「たとえばデンマークの国民医療費はイギリスや日本とともに、対GNP費でかなり低い。そしてそれにもかかわらず、介護福祉が充実しているために、国民の満足感は比較期高い。デンマークの現状は、介護福祉サービスの充実が、必要な医療費をかなり軽減する可能性を示唆している。
 そして各国はデンマークの実態を見習って、どのような介護福祉を充実させれば、医療費の抑制が可能かという視点を強く打ち出している。このような見解の歴史的変遷には、もちろん福祉についての考え方の変遷も作用している。心身に障害を有する人々に対するケアは、以前は施設中心の発想であったが、「ノーマライゼーション」の思想が普及すると共に、個々人の「生活」そのものを優先するなかで、必要なケアの提供を行うという発想に転換してきたために、病院中心のケアよりも、在宅ケアを重視するという発想が生ま<0066<れてきた。
 ところが、日本では[…]医療費と福祉費の比率は一〇対一近くになっている。高齢化のスピードと比べれば、その伸びは依然低いと言わざるをえない。」(西村[1997:65-66])
 「終末期の医療費が、一カ月一〇〇万円以上と群を抜いて他の時期の医療費より高いことはよく知られており、もし現在の趨勢でいわゆる「病院死」が増えれば、それだけで二〇<0066<一〇年には、さらに数千億円の余分の医療費を要することになる。またこれはフローの意味で余分に必要とされる額であるが、これだけの死亡者の増加に対処するためには、現状の病床数では、他の患者を追い出さない限り不十分であり、さらに多額の設備投資を必要とする。
 もちろん病院死が、国民の大多数の望むところであるというのなら、国民がそれだけの負担増をあえて甘んじて受けてでも、このような投資が必要と思われるが、はたしてそうであろうか。この種の問題は、一般の市場メカニズムによる解決と違って、大部分が公的資金によってまかなわれるために、真の国民の希望をとらえるのが難しい。たとえば決して「ホスピス」という施設が望ましくないというのではないが、ホスピスに入所している人々には、月間で約九〇万円の費用がかかっている。これに対していわゆる在宅ホスピスに用いられている公的資金は、ヘルパー、訪問看護婦の派遣、往診などを含めた外来医療費など、高く見積もっても月間一〇万円程度にしかならない。これでは、人々が家族介護の負担への考慮を含めて、施設を選ぶのは当然の帰結である。
 このような現状を踏まえるならば、どちらが真の国民の選ぶところかを知るためには、在宅終末期医療に月一〇〇万円程度かけたうえで、そのどちらを選択するかを問うてみる必要がある。したがって長期的視点からは、このような試みを政策的に実行してみることが必<<要なのではないかと思われる。
 ところが残念なことに、さまざまな制度的行き違いが、この種の試みの実現を困難にしている。」(西村[1997:67-68])

◆1998   厚生省「末期医療についての意識調査」(1998年1〜3月)
  医師1577人、一般市民2422人対象
  医師:回復の見込みがないうえに死期が半年以内に迫っている患者に「延命医療はやめたほうが良い」62.1%、「やめるべきだ」15.3% 計約8割、そのうち88%:延命医療を中止した後に行う措置として「患者の命が短くなる可能性があっても、痛みなどの緩和に重点をおく」
  一般市民:治る見込みのない病気で自分に死期が迫った場合に医師が行う治療について「延命治療はやめた方がよい」51.7%、「延命治療は続けられるべき」16.0%。
  「末期医療に関心がある」一般市民80.9%、医師93.9%
  「安楽になるために積極的な方法で生命を短縮させる」一般市民13.3%、医師1.9%
  「持続的植物状態における延命治療をやめたほうがよい、やめるべき」一般市民78.8%、医師86.2%
  「リビング・ウィルについて賛成」一般市民47.6%、医師69.5%
  「リビング・ウィルについて取り扱い方の法制化をすべき」一般市民47.8%、医師55.2%

◇立岩 真也 1998/01/20 「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」
 『仏教』42:85-93(特集:生老病死の哲学) 25枚
 →立岩『弱くある自由へ』(青土社,2000)に収録

◆山口 研一郎 編 19980320 『操られる生と死――生命の誕生から終焉まで』 小学館,287p. ISBN:4-09-386018-1 1900 [boople][bk1] ※ *d01
 清水 昭美  19980320 「「安楽死」「尊厳死」に隠されたもの」
 山口研一郎編[1998:079-108]
 小松 美彦 19980320 「「死の自己決定権」を考える」
 山口研一郎編[1998:109-152]
cf.立岩 2001/06/25 「死の決定について・3」(医療と社会ブックガイド・6),『看護教育』42-6(2001-6):454-455

◆1998/06/06 シンポジウム「高齢者の終末期医療−尊厳死を考える」
 老人の専門医療を考える会(会長=青梅慶友病院長 大塚宣夫氏)主催
 『週刊医学界新聞』2299(1998-07-27)
 http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1998dir/n2299dir/n2299_08.htm
 「高齢者終末期医療への視点――老人の専門医療を考える会シンポジウムより
 さる6月6日,東京の銀座ガスホールにおいて,老人の専門医療を考える会(会長=青梅慶友病院長 大塚宣夫氏)主催によるシンポジウム「高齢者の終末期医療−尊厳死を考える」が開催され,高齢者医療に取り組む第一線の演者らが話題を提供した。

死は医療のものか
 「これからのターミナルケアに求められる視点」を口演した広井良典氏(千葉大助教授)は,「超高齢時代においては後期高齢者の死亡が急増し,長期の介護の延長線上にあるようなターミナルケアが増加すると見込まれる。より,ソーシャルサービスや『生活モデル』的視点の重要性が高まる」との見解を示した。
 その上で,戦後日本においては「疾病構造の変化,医療技術の高度化,病院化の進展の中で,急速な死の医療化(medicalization)が起こり,病院での死が急増した(日本人の病院での死亡率は,1965年には死亡者全体の29%だったが1995年には74%に拡大)」と指摘。「日本における死に場所としての病院への集中と,ターミナルへの今日の人々の意識は,高度経済成長期を中心とするこの30年の時代環境と,制度・政策のあり方によって大きく規定されたものである」との考えを示した。
 さらに広井氏は,「死は医療のものか」と問い,「死は医療サービスにより一義的に決められるものではない。個人の判断による死のあり方の『選択』の幅を拡大すること。それを可能とするような政策的支援が重要である」と強調した。
 具体的には,在宅・福祉施設でのターミナルケア,施設や居宅に孤立しないような通所型サービスへの支援などをあげるとともに,「死生観そのものを含めて,ターミナルケアというものを,より広い視点から捉え直す作業がいま何より求められているのではないか」と問題を提起をした。

 「みなし末期」は許されるか
 一方,「終末期医療の検証を」を口演した横内正利氏(浴風会病院診療部長)は,「高齢者の末期については多くの誤解と混乱がある。末期とは考えられない状態までも末期とみなされて議論されている」と危惧を表明。「虚弱・要介護のレベルにある高齢者は,急性疾患などによって容易に摂食困難に陥るが,多くは治療によって疾患が軽快すれば,経口摂取が再び可能となる。しかし,もし治療しなければ死に至ることも少なくない。このような高齢者の摂食困難に対して,それを不可逆的なものとみなして医療を実施しないとすれば,それは『延命』治療の放棄ではなく,治癒の可能性をも放棄することだ」と述べ,治癒の可能性があるにもかかわらず,末期とみなすこと(「みなし末期」)を「国民的合意なしには許されるものではない」と主張した。
 また,高齢者医療における治療法や治療の場の選択については,「一定のレベルを超えた治療は望まない,ある限られた範囲内の治療で治癒を試みてほしいという『限定医療』を望む場合が一般的である」と述べ,「この場合,『みなし末期』との決定的な違いは治癒する可能性が十分残されていることであり,医療者が『自然な看取り』を心がけるのは危険である」と警鐘を鳴らした。」(記事全文引用)

◆池上 直己 19980608 『ベーシック 医療問題』,日本経済新聞社,日経文庫,174p. ASIN: 4532106818 950 [amazon][boople] ※, b m/e01

 「費<0097<用効果分析[…]は、ある医療サービスを提供すると、その結果として、どれだけ生活の質(QOL,Quality of Life)を考慮した寿命を延長させることができるかをその費用との関係で分析します。こうした分析により、社会全体の効用に高める医療サービスを優先して資源を配分することになります。
 表3−1はイギリスでまとめられた、各医療技術ごとの1QALY(Quality Adjusted Life Year、質修正生存年=質を調整した寿命の延長)です。たとえば、寝たきり状態での10年を健康な状態の1年に換算)の効果を得るために、どれだけお金がかかるかを試算した結果を示しています。通常提供されている医療サービスの中には、1QALYの成果を上げるために、非常に大きなコストの差があることが明らかです。
 […]
 イギリスにおいても、こうした費用効用分析の結果が直ちに医療資源の配分に反映されているわけではなく、まして個々の患者に対する医療サービスの提供には影響していません。この点、アメリカのような保険者による「標準」医療の<0099<強制とは基本的に異なります。しかしながら、長期的な展望に立たなければならないマンパワーの養成、施設設備の整備、という計画レベルでは影響が現れはじてめています。」(池上[1998:97-99])

◆『ヒポクラテス』 19980801 特集:死の自己決定 『ヒポクラテス』02-05 980
 立岩 真也 1998/08/01「「そんなので決めないでくれ」と言う――死の自己決定、代理決定について」(インタヴュー)
 『ヒポクラテス』2-5(1998-8):26-31
 →立岩『弱くある自由へ』(青土社,2000)に収録

◆鶴田 博之 19980920 「「安楽死」「尊厳死」に潜むもの――何か変ではないですか?」,生命操作を考える市民の会編[1998:98-111]*
*生命操作を考える市民の会 編 19980920 『生と死の先端医療――いのちが破壊される時代』,部落解放・人権研究所,211p. ISBN:4-7592-6043-9 2310 [boople][BK1] ※ b ** *d01

◆滝上 宗次郎 19981201 『「終のすみか」は有料老人ホーム』,講談社,278p. ISBN-10: 4062093308 ISBN-13: 978-4062093309 [amazon] ※ a06
 「私が、北欧諸国の介護と、そこに住む高齢者を、この自分の目でみたくて現地を訪れたのは、平成二年のことです。訪問を強力に支援してくれたのは、大熊由紀子さんと現在は神戸市看護大学教授をしている医師の岡本祐三さんでした。」(滝上[1998:77])
 *この時点で、滝上はこの2人に対して肯定的。デンマーク等で高齢者が早く亡くなることについての言及はない(?)。
 →滝上 宗次郎 20010210 「(続)介護保険はなぜ失敗したか――21世紀の社会保障制度とは」,『週刊東洋経済』5677:78-81


UP:20061206 REV:20061213,22 20070403 20080329, 20101116
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