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死なせることを巡る言説 1970年代

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※1960年代については以下の資料集を作っています。どうぞ。
立岩真也 編 2015/05/31 『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』Kyoto Books \700

松田道雄の文章からの引用は別掲。
 これ(だけ)はかなりの分量があります。

◆太田 典礼・渡部 淳一 1972 「安楽死はどこまで許されるのか」,『暮らしと健康』27-9→1974 長谷川泉編[1974:168-176]* <1997:168>
*『現代のエスプリ』83 1974 「安楽死」,至文堂(長谷川泉編) b ※
 「基本的には本人の苦しみですよ。しかし、本人が無意識の場合がありますからね。その場合、第三者の見た苦しみを、苦しみとみるかどうかは、これは医者の判断…。」(対談での発言、太田・渡辺[1972→1974:170])

◇朝日新聞社 編 19721130 『高齢社会がやってくる』,朝日新聞社,307p. 540 [amazon] ※ b a06
 「社会保障の貧しさが「死にたい病」を
 「私は、ある病院の一室で患者として治療をうけています。毎日の検査検査で次第に体力が衰え、現在では自分で何もできず、寝たきりの病人になりました。毎日、何人かの人の世話になり、そして私は苦しみ続けております。なぜ、安楽死が許されないのでしょうか。若い人なら、いかなる病気でも治療する必要がありましょうが、八十歳をこえた私にはこの苦しみに耐えられません。どうか法律で安楽死を認めて下さい」
 四十七年五月末、こんな投書が名古屋の朝日新聞『声』欄に載り、大きな反響を呼んだ。書いたのは豊田市の松平すゞさん。投書が新聞に載った約半月後にガンで死んだ。
 すゞさんが「時々、息が苦しくなる」といいだしたのは四十七年四月末ごろ。<104<
 病院で診察したら、ろく膜付近に多量の液がたまっていることがわかり、その場ですぐ入院。五月十一日のことである。その日と翌日の二回に分けて、トマトジュースのような真赤な液を千八百cc抜いた。その後で胸と胃のレントゲン検査がたて続けに行われた。液のなかからガン細胞が見つかったからである。すゞさんが投稿したのはこのころだ。
 「八十歳を越えたら、いつ死んでもよい。健康保険が赤字だというのに、私のように治る見込みがない老人が治療を受ける必要はない」
 すゞさんはベッドで息子の浣二さんにそういった。旧士族の次女に生れ、尋常小学校を出たあと独力で教員免許をとったすゞさんは気丈な明治気質の女性であった。
 「社会的に用がなくなった人間には安楽死が許されるべきだ」
 といい、すゞさんは人間の社会的有用性の基準を八十歳に置いていた。
 み仏の 光りあまねく身に受けて 今しいかなん 西方浄土に
 死期を察したすゞさんだが、こんな辞世の句をつくるほど冷静だった。
 有吉佐和子の小説『恍惚の人』の読後に「年とってボケてしまい、しもの世話が自分でできなくなったら安楽死したい」と考える人も多い。
 が、安楽死は刑法で同意殺人とみなされ、安楽死をさせた者は六月以上七年以下の懲役か禁固<105<に罰せられる。欧米でも禁じられ、このためアメリカでは三千人、イギリスでは六百人の会員を持つ安楽死協会が「安楽死を法で認めよ」と立法化を働きかけている。
 平均寿命がのびるにつれ、老人と安楽死の問題は将来、深刻になるだろう。
 だが――
 「病気や、ボケてしまった老人に安楽死を認めよ、という考え方には危険な落し穴がある」
 と福岡の特別養護老人ホームの田中多聞園長はいう。それによると、老人の“不安愁訴”のひとつに「死にたい病」がある。
 年を取ると、こんなつらくて、いやな思いをするなら死んだほうがましだ、と「死にたい、ポックリと楽に死にたい、と口走る。しかし「死にたい」ともらす心の奥には「生きたい」という願望があって、寝たきり老人へのホームヘルパーの充実など老人への社会保障が理想的に整えば「死にたい病」しは解消する、というのだ。
 「老人の五〜一〇パーセントは何らかの精神障害を特っている。そうした老人のことばを額面通りに受取って、老人に安楽死させろ、という主張は、老人の心理や生理についてくわしい専門家が少ない日本では危険な考え方だ」
 と田中園長は指摘する。<106<
 また宮野彬・鹿児島大助教授も、
 「ドイツでは第一次世界大戦のインフレ時に刑法学者のK・ビンディングと精神病医のA・ホッヘが『生きる価値のない生命を絶つことの許容性』という論文を発表。これがナチの安楽死思想につながり、第二次世界大戦中に老人や精神障害者が二十万人もガス室で殺された。老人の安楽死を容易に認めると、そんな事態も起り得る」
 と警戒している。
 安楽自殺は認めるが、安楽他殺は許されない、という立場から評論家の松田道雄さん。
 「寿命がのびるにつれ楽に死にたい、と願う人はふえるだろうが、あくまで本人が選択することであって、医者やまわりの親族が口出しすべきでないし、立法化の必要もない。何となく生きていて何となく死ぬ。日常生活の延長線上でそっと死を選ぶ。そういう安楽死なら理想なんだが……」
 「おふくろが病気の老人に安楽死を認めて、といったのには反対でした。でも、死顔は眠るように静かでした。最後まで最善の治療を受けたのだから、これが本当の安楽死だと思っとります」
 息子の松平浣二さんは、すゞさんの遺影に手を合わせた。」(朝日新聞社編[1972:104-107])

◆1973 しののめ会※

 しののめ編集部 編 19730315 『強いられる安楽死』
 しののめ発行所,53p. 200円 (東京都身体障害者福祉会館404→COPY)

 ※「しののめ会は,自主的な身体障害者のグループです。季刊の雑誌『しののめ』
   と,単行本による『しののめ叢書』の発行を主な活動にしています。」
  (「あとがき」より)

  一,安楽死の行なわれている事実        3 山北厚
  二,歴史の流れの中で            13 花田春兆
  三,“安楽死”をさせられる立場から     27 山北厚
  四,福祉・社会・人間            39 花田春兆

「ここでとりあげるのは、厳密な意味での安楽死ではありません。
 それは、確実な死が眼前に迫っているわけでも、耐えがたい肉体的苦痛が身をさ
いなんでいるわけでも、本人の死を希望する意志が確かめられたわけでもないから
です。安楽死を肯定しようとする人々でも、正常な神経の持ち主ならば、当然数え
あげる筈の最低の条件を満たしていないことになります。
 ですから、それは、安楽死という名をかりた殺人に違いないのです。[…]」
(p.1「出版にあたって」)

「この冊子でとりあげ問題にしようとしているところの“安楽死”が、社会的ニュ
ースとなり、問題となり出したのは、一九六〇年ごろ世界的に大問題になったサリ
ドマイド奇形児をベルギーの一母親が殺し、それが裁判の結果無罪となった事件と、
同じころ日本でも同様の事件が起ってか(p.4)らのことでしょう。
 先に述べたポリオの大量発生ということとこのサリドマイド児の“安楽死”事件
が一つのきっかけになったのでしょう。重症心身障害児の問題を訴える文が「拝啓・
総理大臣殿」という形で水上勉氏によって書かれ、それと関連して、某雑誌で企画
した石川達三、小林提樹、水上勉の三氏による座談会の席上で、「生命審議会とで
もいうものを設け、その者を生かしておく価値があるかどうかを審議するようにし
たらどうか」というような恐るべき発言がなされたのも当時のことでした。」
(pp.4-5)

 「一九三九年の夏、第二次世界大戦のヨーロッパでの口火となった、ポーランド進攻のはじまる直前、ある父親が、重複重症のある息子に対して、安楽死を与えることを許可するように、との手紙をヒトラーに直<0021<接親呈しているのです。
 ヒトラーは、カールブラント博士に命じて、許可の指示を与えたのです。このことは、世論を沸かせました。しかし、戦争を目前にした殺気だった事態の下では、平常の判断などかき消されてしまうものです。ヒトラーは、この父親の手紙をフルに活用して、安楽死させることの正当性を国民に向って宣伝するのでした。(この歴史は決して死んではいない、という気がしてならないのです。昨秋、いわゆる“安楽死”事件が二つ続いたとき、安楽死を法的に認めさせようとし、日本安楽死協会の設立を目指した動きが、クローズアップされたことがありました。ことさらに法的に認めさせようとする動きの底に、権力と結びついて、生産力となり得ないものを抹殺しようとする暗い圧力、となりかねない力を感じないわけにはいかないのです。たしかに、それは杞憂と呼べるものかもしれません。しかし、それが杞憂に終るのだ、という保証はどこにもな<0022<いのです)」(花田[1973:21-23])

◇cf.
 「例えば、死に対する自己決定として主張される「安楽死」「尊厳死」に対して早くから疑念を発してきたのも障害を持つ人達だった◇05。ここには矛盾があるように見える。[…]」
 「◇05 かなり早くになされた批判としてしののめ編集部[1973]がある。」(立岩『私的所有論』

◆19740315 太田典礼『毎日新聞』1974-3-15
 「ナチスではないが、どうも「価値なき生命」というのはあるような気がする。[…]私としてははっきした意識があって人権を主張し得るか否か、という点が一応の境界線だ[…]自分が生きていることが社会の負担になるようになったら、もはや遠慮すべきではないだろうか。自分で食事もとれず、人工栄養に頼り「生きている」のではなく「生かされている」状態の患者に対しては、もう治療を中止すべきだと思う」(『毎日新聞』1974-3-15、清水昭美[199803:89]に引用 ファイル「太田典礼」でも同じ箇所を引用)

◆1960'〜1970' 日本安楽死協会→日本尊厳死協会

 「…私は前から医師として安楽死の実践をしていたのであるが、論文として発表
したのは、有名な名古屋高裁判決の出た翌年の三十八年で、『思想の科学』八月号
の「安楽死の新しい解釈とその立法化」である。日本における論争はすでに昭和の
初期から始まっており、とくに刑法学者の間では肯定論が有力になりつつあったが、
医学関係者は僅かな先覚を除いてはほとんど否定的であった。私はこれに対して積
極論を述べたのであり、臨床医としては最初のものであった。むしろ、おそきに失
した感があったほとである。でも手応えはまったくなく、非難も起こらず無視され
た格好だった。ただ一人旧友の松田道雄から激励のハガキを貰っただけであった。
 ところが十年ほどたつと、安楽死事件が相ついで起こり、それに対して世間の同
情が集まり議論がまたさかんになって、私の論文の転載を求める雑誌や出版社があ
らわれてやっと注目され出した。…」(太田典礼『反骨医師の人生』、p.249)

 「日本で安楽死(のちに尊厳死と呼ばれる)法制化の運動を積極的に推進したのは
まず太田典礼だが、彼は一貫して優生断種を擁護している(太田[1967])。さら
に例えば次のような発言。

 「基本的には本人の苦しみですよ。しかし、本人が無意識の場合がありますから
ね。その場合、第三者の見た苦しみを、苦しみとみるかどうかは、これは医者の判
断…。」(対談での発言、太田・渡辺[1972→1974:170])

 「命(植物状態の人間の)を人間とみるかどうか。…弱者で社会が成り立つか。
家族の反社会的な心ですよ。人間としての自覚が不足している。」
(太田、当時日本安楽死協会理事長)
 「不要の生命を抹殺するってことは、社会的不要の生命を抹殺ってことはいいん
じゃないの。それとね、あのナチスのやった虐殺とね、区別しなければ」(和田敏
明、当時協会理事)
(一九七八年一一月一一日、TBSテレビの土曜ドキュメント「ジレンマ」での発
言、清水昭美[1994:213-214][1988:89]に採録――前者と後者の採録の内容は若
干異なる、前者から引用)」
 (「日本で安楽死…」以上、立岩『私的所有論』第4注12、p.168に少し加筆)

 「ナチスではないが、どうも「価値なき生命」いうのはあるような気がする。
[…]私としてははっきした意識があって人権を主張し得るか否か、という点が一
応の境界線だ[…]自分が生きていることが社会の負担になるようになったら、も
はや遠慮すべきではないだろうか。自分で食事もとれず、人工栄養に頼り「生きて
いる」のではなく「生かされている」状態の患者に対しては、もう治療を中止すべ
きだと思う」
(『毎日新聞』1974-3-15、清水昭美[199803:89]に引用)

長谷川 泉 編 1974 『現代のエスプリ 特集:安楽死』、至文堂
神奈川大学評論編集専門委員会 編 1994 『医学と戦争』、御茶の水書房、
       神奈川大学評論叢書5、244p. <262>
太田 典礼 1967 『堕胎禁止と優生保護法』 経営者科学協会
――――― 19800227 『反骨医師の人生』 現代評論社、270p. 1400
太田 典礼・渡部 淳一 1972 「安楽死はどこまで許されるのか」、
       『暮らしと健康』27-9→1974 長谷川泉編[1974:168-176] <168>
清水 昭美 1994 「「人間の価値」と現代医療」、
       神奈川大学評論編集専門委員会編[1994:200-233] <168>
――――― 1998 「「安楽死」「尊厳死」に隠されたもの」、
       山口編[1998:79-108]
山口 研一郎 編 1998 『操られる生と死――生命の誕生から終焉まで』、小学館

◆197707  成田薫「安楽死について」 於:九州大学医学部
 「太田たちの安楽死運動に反対する急先鋒は、主に障害者運動の活動家たちであった。七七年七月、九州大学医学部で両者が対立する事件が起こった。太田と元名古屋高裁主任判事の成田薫弁護士によって「安楽死について」という議題の講演会が開かれていたときのことである。
 成田が論壇に立つと、車椅子に乗った日本脳性マヒ者協会福岡青い芝の会員の会員三名が会場に入り込んだ。「障害者を抹殺するのか」などと大声をあげ、場内は騒然となったのだ。さらに、彼らを支援する青年医師連合のメンバーが「安楽死立法化は障害者抹殺への道」というパンフレットを配って歩いた。/「安楽死は、障害者問題とはまったく無関係だ」/と成田がなだめても、彼らは聞き入れなかった。それどころか、成田に平手打ちを食らわせたのだ。話し合いになったが、議論は平行線をたどり、一向に噛み合わなかった。」(福本[2002:144])
*福本 博文 20020220 『リビング・ウィルと尊厳死』,集英社新書,204p. ISBN: 4087201317 693 [boople] ※,
 福岡青い芝の会は1977.3結成(『全健協』:24-26) cf.青い芝の会

◆197811  安楽死法制化を阻止する会(発起人:武谷三男・那須宗一・野間宏・松田道雄・水上勉)の声明(猪瀬[1987:153])
 「このような動きは明らかに、医療現場や治療や看護の意欲を阻害し、患者やその家族の闘病の気力を失うばかりか、声明を絶対的に尊重しようとする人々の思いを減退させている。[…]   現在、安楽死肯定論者が主張する「安楽死」には、疑問が多すぎるのである。真に逝く人のためを考えて、というよりも、生残る周囲のための「安楽死」である場合が多いのではないか。強い立場の人々の満足のために、弱い立場の人たちの生命が奪われるのではないか。生きたい、という人間の意志と願いを、気がねなく全うできる社会体制が不備のまま「安楽死」を肯定することは、事実上、病人や老人に「死ね」と圧力を加えることにならないか。現代の医学では、患者の死を確実に予想できないのではないか……。」(部分引用→全文:「安楽死法制化を阻止する会」の声明

八木 晃介 2012/06/30 「「尊厳死問題」を知ろう」(講演)→『バクバク』102
 バクバクの会勉強会2012年6月30日
 http://www.bakubaku.org/seimeirinri-rensai102.html
 「[…]太田典礼さんの1973年の著書『安楽死のすすめ』をベースに、76年に「日本安楽死協会」を設立します。翌々年78年に「末期医療の特別措置法案」を発表しました。これは積極的安楽死を推進する内容です。
 これを見て、これは大変な問題を含んでいると考えた人々によって、同じ年に「安楽死法制化を阻止する会」が立ち上げられました。その時の発起人は皆さんすでに亡くなっているのですが、物理学者の武谷三男さん、作家の野間宏さん、水上勉さん、社会福祉学の那須宗一さん、小児科医で評論家の松田道雄さんでした。事務局を当時大阪大学医療技術短期大学部の助教授をされていました清水昭美さんと私が担いました。この時はかなりあちこちに宣伝して、趣旨に賛同していただいて、たくさんの方々に参加していただき、割と活発に活動しました。」

◆19781111 TBSテレビの土曜ドキュメント「ジレンマ」に太田典礼・和田敏明出演
 「命(植物状態の人間の)を人間とみるかどうか。…弱者で社会が成り立つか。家族の反社会的な心ですよ。人間としての自覚が不足している。」(太田、当時日本安楽死協会理事長)
 「不要の生命を抹殺するってことは、社会的不要の生命を抹殺ってことはいいんじゃないの。それとね、あのナチスのやった虐殺とね、区別しなければ」(和田敏明、当時協会理事)
 (清水昭美[1994:213-214]に採録)。

◆19781220 「安楽死法制化を阻止する会」の声明に対する反駁声明

「一、「安楽死法制化を阻止する会」の声明は誤解に基づき、理論的根拠がない。
 二、われわれは心情的生命尊重論を排し、かねてより、末期患者の人権を護るた
  めの立法案を作成し、近く成案を発表する。
 三、これは第二回国際安楽死会議の決議によるサンフランシスコ宣言の国際合意
  に基づくものである。
     ちなみに「阻止する会」が指摘する「もし安楽死が法制化されたら云々」
     の懸念は、現に法制化されているアメリカ八州においては、そのような
     事態はなく、根拠のない杞憂にすぎない。
   一九七八年十二月二十日
                          日本安楽死協会」

◆太田典礼→法制化を阻止する会

 「法制化を阻止する会
 一九七八年十一月、この名の会が発足した。発起人は武谷三男、野間宏、水上勉、
那須宗一、松田道雄らの文化人五氏とあり、協会はその生命に対して、誤解にもと
づき、理論的根拠がない、という反駁声明を出したように、国際的な動きに目をつ
むる知性の不足がある。そしてアメリカと日本は風土がちがうという古さである。
ヒステリックな生命尊重論やニヒリスト的な見解から、青医連的な発想まであって
まとまっていない。(p.266)
 一番問題なのは文化人という肩書きにあぐらをかいていることである。文化人な
ら何でもできるという思い上りがある。五氏はそれぞれ優れた業績の持主ではある
が、国際的感覚のない連中を文化人といえるかどうか。
 困るのは松田道雄である。私とは古い友人で同じような経歴をもち、かつては安
楽死支持者であった人なのにどうして正反対にまわったのか、私より数年若いはず
なのに老化したのか。同じ道を歩いたものが敵意をもって人間的にも憎しみあうよ
うな関係になったのはまことに心外で、何度も話しあいたいと思ったが、ここまで
ふみ切った以上は面子もあり後へは引けないだろう。残念ながらあきらめざるを得
ない。これも安楽死思想の運命なのか。
 安楽死を強者の論理として攻撃する向きがあるが、安楽死こそ病者という弱者の
ためであり、私個人も昔から弱者の見方として努力して生き、そのために多くの苦
汁をなめた。私を石で打つことのできる文化人はいないはずである。日本の文化の
おくれのせいか、風土か。日本人の大きな欠点は島国根性であり、視野もせまい。
文化人は進歩的な人に多く、そうであってはならないはずなのに、かえって進歩を
くいとめるような反対によく顔を出し、それを誇っているようなところがある。反
対が変革への言動力になる場合が少なくないが、合理化反対のように、革新につな
がるとは限らない。」(19800227 『反骨医師の人生』、pp.266-267)

 日本安楽死協会、日本尊厳死協会の安楽死・尊厳死に関する発言の紹介、批判と
して清水[1994:213-221]。

◆197808
 「太田は、七八年杷八月に京都大学の学生実行委員会から十一月祭シンポジウムへの出席を要請されていた。ところが、十月になって突如、主催者から学内に反対があって、身の安全も保障しかねるので降板してほしい、という連絡を受けた。
 「学内に障害者解放運動に敵対する団体が登場することは許すことはできない。講演を行なうことは構わないが、会場に於いてどのような事態が発生しても責任は一切負えない。」
 という全国障害者連絡会議からの反対声明がよせられたのである。」(福本[2002:145])
 *全国障害者連絡会議→全国障害者解放運動連絡会議


20061229(ファイル分離) REV:20080116, 20150227, 20160620
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