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第5号 現代史としての光州・パレスチナ・イスラーム ਾऀ㰀甀氀㸀Ⰰ㙻⁓윀Ⲍ㭧ꥎ湿︰⡳W%䰥ࡽﭮ㸰᩹ﭏ먰鍎㲕⼀甀氀㸀⼀
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第38号 フランス大革命=クナシリ・メナシ蜂起200 年 ऀ㰀甀氀㸀Ⰰ㍻㤀⁓蠀뭭㺌᩹湏ꐰ뼰ﰰ픰ꜰꐰ뤰㰰⼀甀氀㸀䀀
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23|[対談]人類史のクライシスとしての現在―――野間宏+いいだもも 司会・津村喬 㰰䈀刀㸀
3|[アンケート]二十世紀の十大事件――― ૿ 0000000000000000000000000000000尰쿿뀥챥톑辑콹蔥けᡵ콟弥祓콞༥ぜݵ쁒쑹쾖쨥ゃ硦㱑䈀刀㸀
|●金達寿●栗本信一郎●高峻石●国分一太郎●吾郷健二 ૿ 0000000000000000000000000000000尰쿿褥嶅콛倥⽏絏쮖콎ほ極m칎쾐䤥晧獦콞拉蕺덑캂㲐䈀刀㸀㸀
|●中島誠●中村雄二郎●新島淳良●廣松渉●富士正晴 ਚ 0000000000000000000000000000000尰쿿䴥힖쁥쑻쾖縥ꅧ⭏콙焥肋쁺콹焥ぜ䉵셗콎⨥煪絜⭙㱙䈀刀㸀ff
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75|現代資本主義論の展開―――伊藤誠
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107|イギリスのマルクス経済学―――アンドルー・グリン 訳・清水敦
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133|”現実の社会主義”批判と人類文化の危機―――ロベルト・ハーベマン 訳・篠原正瑛
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144|二つのカイ放のもつ矛盾―中国社会瞥見―――大内力
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169|中国社会主義と日本経済―――新田俊三 ਼ᄀᓿ峿㻿᩹㭏ꥎ湿ذ桟︰齳ᕛ谠䅎ᙓN湽夰፥ᖊᔠᔠ蘒㹛鑜칎㲐䈀刀㸀
182|ヤマトと向き合う島社会―琉球弧通信(1)―――新崎盛暉 ઁᄀᗿ峿㯿읛㶊퇿湎쬰龐ٓ桴谰䅎ᙓN葽ﹶᕎᔠᔠと偵침ஐ刺蕺潑wᩓﭏ䐰䐰怰舰舰㰰䈀刀㸀㌀
216|わたしにとって科学とは何か―――柴谷篤弘 ૿ሀᇿ峿楙殗䨰儰謰꼰栰꼰ᔰᔠᔠ갠㒙轘豛㱎䈀刀㸀
237|マルクスと預言者イザヤ―――鄭敬謨 㰀䈀刀㸀
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59|戦後史と椊民地解放―――北沢洋子
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88|鬼太郎と寅次郎―――斉藤孝
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142|世紀の中頃から中頃まで―――井汲卓一
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184|百年という単位に意義あり―――宇沢弘文
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215|権威の崩壊から文明史的考察へ―――佐藤進
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|リトグラフ―――富山妙子
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1|『季刊クライシス』を創刊するにあたって
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244|編集後記・投稿規定
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…もともと、百年というのは、人類が偶然採用した10進法とあう数の数え方との関係からだけしか、その意味をもたない。数え方の単位という点からは、12進法とか60進法の方がずっと合理的でもあり、人間の生活と密接な関わりをもち、生き生きとした概念を提起するように思われる。 㰀䈀刀㸀
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■第2号= 生き方・死に方を変えるવ㰀䈀刀㸀匀
53|食い方を変えなければならない―――津村喬 |[座標] ૺ 000㰰昀漀渀琀 猀椀稀攀㴀∀ⴀ∀㸀ᾎ豎湎蜰ᙥ湓︰葎赶ὑ硵㰰⼀昀漀渀琀㸀 00000000000000‰᐀᧿峿듿쵒鉐鈰摣妖謰∰蜀ᙥ≓ༀ塡ᖋᔠᔠ㠠煎쭜道停㱛戀爀㸀鰀
83|料理屋文化と学校給食―――江原恵 50|「ロマン・ポルノ《考―――深江誠子 ઁ ᤰ峿篿ի梀渰焰塑ᕛᔠᔠ츠ⲑ१ॎT000000000000ᔰᇿ峿釿❢鉗謰䢉樰估夰謰蜰ᙥᕓᔠᔠ倠⽏偭㱛䈀刀㸀刀
99|葬式をする動物―――いいだもも 104|文字と文化支配―――中山茂 ૿ᄀᇿჿ峿㳿愀 栀爀攀昀㴀∀⌀琀愀洀愀猀栀椀爀漀∀㸀謀窕㭶ꥎ蝿桦㐰ᕬᔠᔠ褠칳㱔⼀愀㸀 00000000‰ ᄰჿᗿ峿뫿ᅎ﵎湖र豙ᖌᔠᔠ焠ぜ䉵셗㱎䈀刀㸀뤀
118|河川独裁を民衆管理へ―――高杉晋吾 107|日本のイデオロギー脱落状況―――柴谷篤弘 ᄀ᧿峿쇿䡹र❎轙讉敟毿Ցཬ騰ᕦᔠᔠᜠꉓ剬晠_ᄰᗿ峿扎溗樰䐰蜰ᙥᕓᔠᔠほ極m칎㲐戀爀㸀脀
189|労働者と文化 労働者の文化―――中島誠 176|文化の日と勲章―――斉藤孝
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コミュニケーションとコミューン
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『近代文学』荒正人のことなど |リトグラフ―――富山妙子
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6|民衆の力を見落とすな!朴暗殺の背景―――鄭敬謨
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24|[鼎立書評]李恢成『見果てぬ夢』―――望月清司・磯貝治良・山川暁夫
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35|[座談会]インドシナショックとわれわれ―――ペギー・ダフ+ピエル・ルッセ+北沢洋子
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128|[座談会]沖縄文化の可能性を探る―――新川明+幸喜良秀+喜紊昌吉+新崎盛暉 ੲ㰀戀爀㸀똀
231|[創刊号批評]
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|響き合い団結する人民の「協働作業《―――協働社編集部 |多国籍企業と社会主義―平川均 ૿ 00尰뇿쬰쌰뼰漰湖ܰ՜枀漰樰䬰挰弰ᔰᔠᔠἠ镗Ɏ䞃R00‰尀ᇿ䙬溈䒕䰰脰䵺侮坑昰䐰謰ᴰ❠ᕠᔠᔠ쬠ꙝ㲞戀爀㸀䈀
|金芝河氏らを殺すな!―――湘南・金芝河氏を救う会 |南無マルクス大明神―――府川充男 ਠ 00尰र楙殗䨰儰謰꼰栰꼰ਰ鈰괰鎊朰ᔰᔠᔠ䴠攀䷿ 00000000‰ 0尰ذ❴䰰唰聛攰綖ᕺᔠᔠ䮚٪㱎戀爀㸀
|創刊号によせられた「読者カード《から |一人ひとりの顔は見えているか―――内海伸彦 ૿ 000000000000000000000000000000000000000000000尰拿괤֊᪀桏왽풖ᩔᕏᔠᔠ䐠䐰怰舰舰㰰戀爀㸀ᔀ
109|第3号(特集=文化を読解する)予告 ਠሀᓿ峿왽貖ᡟ㲊戀爀㸀攀
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身土上二の文化の現代的再生へ
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はじめに なぜ<食>か
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「どうやって食べている人?《というききかたは、ほとんど「彼は誰か《というにひとし言葉としてつかわれます。
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…「どうやって食べている人《かということの中味が、自分のからだに対してどういう態度をとる人であるか、からだの中の自然と外の(~p.53)自然をどう結びつけようとしている人であるか、夫婦の間でどんな質の結びつきをつくろうとしている人であるか、自分のしごとが生態系にとってもつ意味をどうとらえる人であるか、生産者との間にどんな関係を結んでいる人か、生活のどれくらいを商品に依存せずに築いていける人かといったことの全部を含むものとして考えられねばならないものと思うのです。
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…食べものの質を考える論理はもともとマルクス主義にはない…石油タンパクや原子力を安全性が確立すればとか、社会主義的に管理すれば、とかの相対的条件によってではなく、絶対的に拒否する論理はマルクスの中にあるのか、識者にたずねてみたく思います。
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マルサスが食糧生産は人口増加にいつかないといういまや切実な説をたてたキッカケは、アイルランドの飢餓にあったそうですが、(~p.54)…ブリテンの侵略がアイルランドの飢餓をひきおこしたのであって、このことを抜きにしたマルサスの分析はナンセンスです。そして肝心なことは、今日の世界にあっても、たしかに人口のかつてない爆発が進行していますが、やはり人口*食料の量的比率において飢えが生みだされているのではなく、依然として続いている帝国主義的関係が、一日一万人、八・六秒に一人の飢餓者または栄養失調が原因の病死者を生み出しているのだということです。
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…私たちが牛や豚を喰うというのは、まぎれもなく人肉を喰っていることになります。今夜ビフテキを食べるとしたら、その「原料《は、バングラディッシュやカンボジアやニジェールの子供たちの肉なのです。…食卓の上はドラマにみちみちています。何百種もの毒性のはかり知れぬ食品添加物が渦をまき、その背後に企業と完了の癒着の長い物語があり、アフリカ沖から来た鯛の刺身や韓国の浅草ノリやアメリカ大豆の醤油がそれぞれもの問いたげにしています。
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2 革命の根本問題は「吃飯問題《である(~p.56)਼㰀瀀㸀☀ꉫ煬湧吰估䒂䈰湦地岄歏İరᄰ䙬溈✰⍙栰䐰䘰渰䰰䈰訰縰夰Ȱ0嵎N嵎瑎湞鐰פֿ䭖햐湒ⴰ李İ崰渰넰䱬☰ﭮ䑝昰䐰謰蠰䘰樰蜰杺夰Ȱ휰뼰ꈰ蜰ᙥ❓楙綗湔ⴰ李渰ర✰⍙ᔰᔠᔠځ湒ᠰژŒځ歒栰挰昰樰谰ꨰ垉錰怰묰꼰젰攰䓿命敾䇿㹭敭軿撖敜ヿ鉗蔰䢍弰⌰ᕔᔠᔠ漠怰侐鐰ݎ琰䵞湒匰渰퀰督殍唰䬰渰簰挰昰敵奧謰蠰䘰欰ᴰ䙠渰朰夰䰰İ崰渰⌰鉔蠰猰䬰儰謰㤰潢唰恏挰弰渰朰地蜰䘰䬰Ȱ崰谰漰İర먰湵㤰ⱨ佧䱕澘樰欰䬰Ȱ崰谰漰ᴰ̰侘䱕ᾘ࠰쇿ﰰ픰ꄰꜰ옰ꌰİ銘䚘栰䐰䘰估䱕ঘ柿䈰謰ਰ栰䐰䘰0쁎死䈰謰蠰䘰欰섰歹漰ᴰ䡠縰夰Ȱ堰歓ర̰蚘칎ὕ૿࠰哿禘弰ἰ棿䐰䘰渰䰰ర匰錰欰愰漰ਰ欰䈰弰褰䘰⠰止樰挰昰䐰弰︰齳湛䦘溙匰栰怰儰朰漰樰䐰漰娰朰夰Ȱ㰰戀爀㸀
彼はあの文章の中で、「革命の根本問題は飯を食う問題である《と書いてもよかった。たずねられればそう言ったと思います。「革命の根本問題は権力の問題である《といったレーニンが結局農業問題でつまづき、ミール共同体の潜勢力を生かせないばかりか農民から食料を強奪し、それを償うために国家資本主義の道を歩むしかなかったことを思うと、毛のこれは「正解《です。 ૿ ☰ⴠ﵎潖谰쵎溑ర̰侘䱕ઘ鈰䬰䬰䠰昰䐰縰地弰Ȱ爰栰搰漰İ눰ᆏꮁ䲎〰㭗桎촰ꖎ溕⼰䵥溑舰栰朰İ䚘欰䢘樰䐰똰䭲歡ﴰ䒏搰脰褰谰İⱥ葧ꈰꬰ渰윰Ⲍ䱧攰捑昰䴰昰崰谰䰰縰夰縰夰ꀰὒ喐谰昰䐰挰弰栰䐰䘰匰栰Ȱ舰䘰爰栰搰漰İ꠰➁橙ﴰ蕖ᆖᵬ䇿ᅭ摬湜堰⡛杗夰Ȱ䈰栰朰爰崰䬰欰Ȱ掊啫谰謰渰朰夰䰰İ0ᵧ歒䭦谰弰䈰湦రⴰ﵎㹖᩹я蹔撖湜ذ遒੧朰漰İ匰䘰地弰䄰橭奭謰휰뼰ꈰﰰ젰匰崰䰰椰綗湔㬰魎쵒悎栰䑦昰䐰謰Ȱ匰渰㬰魎쵒䲎ځ杒䢘謰蠰䘰欰樰謰匰栰朰İ騰䁛뉷ᖏᆀ湬ꀰ얌艢娰䐰瘰錰ᬰ詮縰夰Ȱ崰渰ڐ䱒唰褰欰〰㭗鉎匰ቢ坐İ촰ꖎ銕匰ቢ奐謰樰褰İర̰侘䱕ઘ漰谰摎樰䰰褰窉坬縰夰Ȱﴰ蕖ᆖ䱬䢘謰蠰䘰欰樰謰Ȱ匰谰䰰ⴰ﵎譖㺕湥ꬰ기朰地弰Ȱ怰䬰褰匰崰䐰命啾谰弰䄰ᅭ杬䈰謰ⴰ﵎멖ᅎ㺉쵥澎İరᔰ妀촰誎ખ栰地昰縰娰笰㑶坘İ쨰步縰朰讁渰朰夰Ȱ㰰戀爀㸀舀
こうしてみると、彼が「吃飯問題《といったことが、単に食べものの量的保証をするということでないことははっきりします。海外の資本を導入して「近代化《をおし進め、工業をおこしてアメリカなどの余剰農産物を買う方向へ行った方が、食を充たすというだけのことでいえば近道だったかもしれません。(~p.57)そうした「近代化《をもとめる論理は党内にずっとありましたが、毛沢東が生きている間は主流になりませんでした。…実際そのやりかたで彼は戦争に勝ったばかりでなく、あの広い貧しい土地でともかくも一人の餓死者も出ない社会をつくることに成功したのです…。
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第三世界の飢えは、長い帝国主義支配によって、…モノカルチュア化して来た結果です。そのために、膨大な量の小麦や乳製品などを北米、欧から輸入しなければなりません。「援助《とよばれるものも、結局第三世界が「自前で食える《生産体系を生み出すことを阻害しています。
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日本も、今は大量の食料を海外から買える状態ですが、問題の性質は、椊民地的単作化のために薄氷をふむ想いで外から買い食いをしなければならない旧椊民地諸国と同じです。すでに、一貫して、「吃飯問題《があるのですが、それが目先の物質の豊かさのために気づかれていません。しかし、それがむき出しに問題として現れてくる時機は、そう遠くないように思います。 ઊఀ̰侘䱕ઘ舰縰弰倰䁽湜栰匰贰İ⤰魪湒估䱕枘䈰訰İ㬰⥎湪估䱕枘夰Ȱﴰ뙖⥛魪鉒搰估訰䬰䠰弰怰儰朰漰窉坬樰䐰Ȱᄰ䙬犈栰訰爰栰訰䰰İځ湒䒘䬰弰欰搰䐰昰㬰⥎鉪匰慢弰昰İ따問娰İ따問谰樰䐰ᾘ㭵鉭匰慢弰昰謰栰䐰䘰匰栰樰渰朰夰Ȱ㰰戀爀㸀
自力更生という言葉は中国の専売特許ではなく、日本の高橋是清蔵相のもともと言ったことです。昭和農業恐慌の中で農民たちにむかって、政府はお前らを救う能力がない、よろしく自力更生すべし、と率直というか、露骨に言ったわけです。農民団体は憤激しましたが、石川三四郎は、「結構じゃないか、それでこそわれわれの理想であり目標だ。国家に頼らず耕す者が自力で主権をうちたてよう《とよびかけます。この思想は三四郎が親しかった章炳麟や宋教仁のものでもありましたから、この肯定的な意味の自力更生が中国に入り、それを半世紀近くたって毛沢東が使ったと、これは私の勝手な推測です。 ૭ ﴰ뙖湛鬰杒ర鮁ὦੵ夰謰匰栰漰朰䴰縰嬰錰Ȱ崰谰漰젰渰鼰溚ℰ譱橫倰鱽杧舰ะ襦䬰朰夰Ȱ࠰廿烿⸀㔀㠀ऀ㳿戀爀㸀舀
「プロレタリアートは全人類を解放することなしに自らを解放しえない《というのをもじれば、「すべての生物、いや無生物を含む地球の全体の解放なしに、わが身の解放はない《というのがエコロジストの原則といえましょう。このわが身と地球とが、<身>と<土>とか対話をすることが「食《であり、「吃飯問題《にほかなりません。
ਉ㰀戀爀㸀言
I 八〇年代の焦点としての食料・農業問題
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…古代の天皇制成立以後、政治的メディアの根幹をなして来たのは、穀物流通、とくにコメの流通でした。アジア的とよばれる二重の共同体の体制を支えたのもコメを中心とした貢紊制でしたし、徳川のコメ本位制下で政治力のいっさいがコメの石高で表現されたこともその延長上のことでした。このことはある面では今日の食管体制にまで続いています。 ઉ☀ⱥ湧윰Ⲍ㭧ꥎ葿텶ᙎ潓İ匰渰䀰楺ὲ⍵卵ﭏ鉼椰䘰爰䴰搰䐰怰朰地蜰䘰䬰Ȱ࠰廿烿⸀㘀 ऀ⛿ठ摎渰뤰恰儰İ阰릉鉰侮坑昰䨰䴰弰䐰栰ᴰ䑠縰夰Ȱ㰰戀爀㸀ⴀ
ひとつは、近代化の中でこの国内椊民地的穀物生産は解体されずに、さらに拡大再生産されたということです。コメが飢餓輸出されたこと、つまり生糸と並ぶ輸出商品として、国内需要をみたしえないのに輸出されたことはその端的なあらわれです。農民には重税がかけられ、農家の子女は紡績女工に象徴される姿で徹底的に搾取されました。農民の犠牲において日本は言っての「富国強兵《をなしとげ、それによってアジアに出ていく力をもったわけです。 ૿ ⰰ豻歎İﴰʐᙞ湓桬細獶螘ᙥ桓䰰︰坟弰栰䐰䘰匰栰朰夰Ȱ☰吠估0源昰뙫桛䘰뙕杛İ崰谰舰츰湥匰栰栰地昰朰漰樰估禘昰䐰弰細獶䱼İⴰ⹎왙⦖葪ﵶʐᙞ桓栰舰欰Ȱᅞ湬㠰殘樰挰昰䐰䴰縰夰Ȱ터䂖歺蠰挰昰䢈謰눰ᆏ潬䐰嘰襷娰İ細獶鉼ⴰ썎歟夰谰瀰팰뼰䰰ਰ덎垍弰ᨰខ橬椰䰰侮晑估謰Ȱ崰谰栰터ᙎᵓ翿உ䭭渰꠰溘䱯倰獽搰䐰昰İᴰ煏葽ᾘ㭵䱭䔰貐昰䨰訰İ缰➉鉫輰쒉桻地樰儰谰瀰樰褰樰䐰栰䐰䘰రа੨暙ਜ਼䰰縰䬰訰ᨰ掐昰䐰䴰縰夰Ȱ☰素獶湼‰敫䲖侮晑䴰弰䈰武İ0륎来婷♝機椰漰İ萰獳텼䂖歺䬰䠰谰İ栰ꐰ貊謰옰⦖葪ﵶʐᙞ鉓礰③坒弰渰朰夰䰰İ潙ะ田횘ྊ鈰䑦昰ⴰᑎ䪐橺ﴰʐᙞ텓ᙎ杓樰估ﰰ쌰터☰罎欰搰䴰氰儰謰礰䴰怰栰㬰㕎坟縰地弰Ȱﴰʐᙞ歓︰坛昰İ〰륗鉥贰赑墊型昰ర焰靜歧ㆁ塵奛ਰ栰樰謰渰栰İ✰獫橼缰欰樰谰栰䐰䘰渰栰İ崰谰䰰ะ뭦塷몋湎谰幎讘桗䐰䠰縰夰䰰İᾘ㭵歭搰䐰昰舰崰渰谰摎䰰漰挰䴰訰栰謰覉谰縰地弰Ȱ䐰娰谰欰嬰蠰倰鱽桧地昰漰İ細獶㡼梘䐰䘰ⴰ鍎蒕ﵶʐ蝞ᙥ䱓İరରꡭᚘ渰崰했鉒ἰ鍵怰栰䐰䘰匰栰朰夰Ȱ㰰戀爀㸀
それが三番目の問題につながっていきます。日本経済調査協議会のレポート『総合食料政策の樹立』(1967年)の中に面白い表現がありました。「第二次世界大戦にかけて、日本の食生活は量的にも、質的に著しい改善をみせたのであるが、今日の日本の領土を前提とすれば、当時の日本の食生活の改善は、自給率の低下によって達成されたのである《―――これはどういうことかといいますが、台湾・朝鮮でのコメの開発、台湾の砂糖、満州の大豆の開発輸入、さらに捕鯨を含む遠洋漁業の拡大によって、食えるようになったということです。…「この自給率の低下のために、戦時中、終戦直後に日本は非常な食糧危機になやまされるのである《とレポートはつづけます。はっきりしているのは、自給率が低いということは、他に依存するということで、他を侵すか、他に屈するか、どちらかなのです。敗戦にさいしても、農地改革によっても、日本は本当に自前で食える農業をつくれなかった。他を侵す「食生活向上《から、今度はアメリカの余剰小麦を買わされるMSA体制下の「食生活向(~p.61)上《へと切り替わっただけで、まさに自給率の一貫した低下、食料にかんする主権の喪失が「食生活向上《と呼ばれ続けてきたわけです。
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日本資本主義はこの問題を解決できなかったし、まだ解決の方向を見出していない。それどころか、ますます決定的な矛盾におちいりつつある。 ૿ ℰ塼歓䐰䐰縰夰栰İ䐰縰㼰鱥桞ꄰ䲌潵İ縰夰縰夰눰涏鉩樰估地昰䐰匰䘰栰地昰䐰謰Ȱ☰눠Œ潷唰褰欰İ눰뚏湛欰牑歒䈰弰謰簰浑뉩뚏鉛搰瘰地昰䐰匰䘰栰夰謰뤰銑怰地昰䐰謰Ȱ☰Ƞ浜뉩뚏恛儰謰捫昰İ崰匰欰ἰし鉗옰膖昰Ꚛ⥞⡒坵弰笰䘰䰰䐰䐰栰䐰䘰輰儰朰夰Ȱ崰地昰☰눠咏䱓İ欰ݑܰ꼰뼰ﰰİሰ᯿쵮桓䐰䘰娰侚礰䴰ర㮁轎㚉뤰銑䘰愰怰地縰地弰Ȱ㰰戀爀㸀栀
赤字財政の元凶は食管だという声がだんだん強まってくる。企業の方も…海外進出して、…その分モノを買わなければならない、その買う分だけ、国内の上採算部門を切り捨てていかざるをえないわけで、そうなってくると、国際的に一番上採算なのは農業ですから、農業全廃論がでてくる…労働運動もそうです。71年以来同盟は、農産物前面自由化をとなえて農民に敵対している。79年には松下労組などの音頭とりで財界人と労組指導者の農業問題懇談会ができ、農産物保護が労働者の生活を圧迫しているから自由化せよという世論づくりをあらためてはじめている。労時一体で、自給率を下げることによる食生活「向上《をとなえているわけです。農協までがこの方針に迎合したのは、農協が農民を離れた商社、金融機関でしかなくなった現れです。
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…玉城哲氏は、日本の食糧自給率が低いのは平和の保障である、と冗談を言ったことがあります。食料が自給できるなら日本の軍国主義者がなにをするかわからないというのは確かにそうです。逆に、防衛当局者の側からいうと、食いものがないと戦争できない、これは問題だということになる。 ગ 㜰㜀琀歞İ䈰し㉵宖膈睞颕䱛褰桛鱏뾖ﮊᩧ湏ᨰ睏殕樰挰昰0ᵧ湒픰譎桎地昰İะ襼桛鱏殖ꈰ妕謰퀰cྊ鈰縰栰脰縰地弰Ȱ崰谰欰蠰謰栰İ☰襢뙎䭲橡椰朰㠰斏䱑䴰扒릗젰쌰휰夰謰栰İ0멎Neݖܰꬰﰰ欰樰謰栰䐰䘰࠰鞊鉻地昰䐰謰Ȱ彛䴰訰İ몀李0乧ࡏ廿烿⸀㘀㈀ऀÿ济ݑܰꬰﰰ栰䐰輰谰縰夰䬰褰İ匰谰漰萰挰昰ἰ䵵昰䐰謰栰䐰䘰怰儰朰İ☰襢鉎夰謰椰匰贰朰漰䈰訰縰嬰錰Ȱ崰匰朰İ갰村䈰谰漰缰ⱥ歧༰Ꙝ溞쨰╽屠鉎夰謰栰䬰İ崰谰厁䱏浝ﵩ솈湔蠰䘰欰蝬奥谰瀰侮晑估謰栰ᴰ䑠배鎏朰䐰昰漰ᠰ䑵輰儰朰鼰﹛坳崰䘰欰䈰訰縰嬰錰䰰İ栰舰䬰估䐰贰䐰贰渰ꨰ湣鉿栰挰昰0멎Ne歎ݑܰꬰﰰ鈰舰挰昰侮㉶宖鮈桒夰謰İ栰䐰䘰渰朰夰Ȱ㰰戀爀㸀ﰀ
76年に三菱総研が『日本経済のセキュリティについて』というレポートを出してから、安保というものを軍事は軍事、通貨は通貨、エネルギーはエネルギーと考えてきた戦後の抽象的「戦略《思想に反省が出てきました。野村総研の「クライシス・マネジメント《もそういう意味での研究ですし、大平が就任と同時にうちだした「総合安保《もこうした文脈をもっています。…
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これは日本資本主義が百年のあいだに、出発のところでの矛盾をずっとひきのばしてきたことに由来します。条里制崩壊のところだもう一度くりかえされようとしていると私がいうのはそのためです。ただあの時には、関東・中部の大河川の上流に次々にできていった武装せる農業コミューンが次の時代を準備していったのですが、今度はそういう新しい〝農〟のにない手が見えているでしょうか。それを見出さないと、現体制の矛盾を解決しえないまま、私たち自身の食生活が、ということは社会全体が崩壊していくことになります。 ੪㰀戀爀㸀ꨀ
4 危機の諸相 ૌ㰀戀爀㸀
ではどのように崩壊がおきるか、それをもう少し具体的に考えてみましょう。 ⱥ潧䐰縰İᘰ䱎湵뼰ᎌ武縰輰唰谰謰馘湥鼰歛㈀⸀㈀─鈀恲葓歶㠰斏坑昰䐰縰夰Ȱ㜰㠀琀Ꙟ湞터䶑殘地昰㌀㐀Ѐ쥑朰夰Ȱ栰估欰ᨰ䑙渰漰༰Ꙝƞ✰ꙙƞ젰댰뜰İ匰䘰訰茰錰İ쀰ꐰ먰朰匰渰㔰搀鈰࠰ࡔ妊謰栰㈰㜀 ܀졎欰樰訰縰夰Ȱ匰谰鈰ἰ⍵奵謰渰欰漰䨰蠰崰㠰㈀ ܀꼰뼰ﰰİᜰ睓卭源栰扑䶗歺䈰弰謰ᔰむ䱗씰腟枉夰Ȱ☰ⱥ䱧눰涏革⍘湵夰魏䱒䈰謰欰舰䬰䬰輰褰娰崰谰鈰䨰匰弰訰İ터殑縰䬰嬰昰뜰䒌縰估挰昰䐰謰渰漰䐰挰崰䘰꼰橲葿杶夰Ȱﰰ馘䁥楺歲倰貖瀰İ㔀─鈀ⱥ潧恲坓昰䐰縰夰Ȱ㰰戀爀㸀鼀
このことは、現に餓死者が大量に出ている世界の現状にたいして非道であるだけでなく、日本人にとっては、いつ糧道を断たれるこ(~p.63)とになるかわからないという問題です。 ਰ 㜰㌀琀湞✰䙙熌当湪䈰武İﴰ蕖ὑ⍵䱵輰娰䬰瀰ե毿樰挰昰䨰訰İ地䬰舰㠰斏湑㠰㜀─䱎ꈰꬰ欰옰ⶖ坎昰䐰謰匰栰䰰촰œ啷谰弰欰舰䬰䬰輰褰娰İ︰⡳杗舰ﴰ蕖ὑ⍵潵田䠰娰İꈰꬰ쀰ꐰ먰䰰㤰㔀─欀縰朰田䠰昰䐰縰夰Ȱ匰渰✰䙙䲌攰捑昰匰樰估樰謰栰İ䘰傌ઁ䙽澌䨰贰䬰İⱥ湧猰湔侮ⱗ鉧樰地昰䐰謰봰İꐰ릑繬朰䰰搰估谰樰䐰匰栰欰樰訰縰夰Ȱ☰㰠戀爀㸀
…考えておきたいことが二つありま(~p.64)す。ひとつは「異常気象《の問題、もうひとつは「戦略兵器としての食糧《という問題です。 દఀ瀰㡵慬ઌ渰估䱕梘䐰䘰渰漰舰栰舰栰㌰ 琀歎0Ꙏ坞䬰䨰匰褰樰䐰蠰䘰樰ᜰ慬溌猰䝞䭐褰渰먰鈰䐰䘰渰朰夰䰰İ☰ఠ瀰㡵ਫ਼栰䐰挰昰舰뀰芊䨰椰褰䬰樰䐰栰䐰䘰田䘰欰樰挰昰地縰䐰縰地弰䰰İ椰䘰舰〰͗䱴뀰彥樰༰㝜덬Ὤ歧耰䬰挰昰툰띛ᙑ坓昰䐰䴰崰䘰怰栰䐰䘰匰栰漰İᜰ慬暌՛満✰ڐ湒錰枕࠰པ䱡朰䴰搰搰䈰謰蠰䘰朰夰Ȱ弰怰椰谰估褰䐰渰옰朰崰谰䰰㈰肐䬰欰搰䐰昰漰娰䐰瘰錰唰䒐䰰䈰訰縰夰䰰İ㤰ⱨ٧ঘཔ橬椰漰吰估터䒏ذ敜歧稰马葛橶रᙙ䱓䨰䴰栰謰0掊昰䐰謰地İᾘ䭵晡湛缰㢉ݎ즗པ艬İ崰谰欰舰栰攰䐰昰昰䪋鉔稰坶昰䐰謰Ȱ☰ࠠ廿烿⸀㘀㔀ऀ㳿戀爀㸀
…気象条件から、日本の食糧事情は悪くなっても良くはならない。世界的に見ても、今より収量のあがる地域というのは少なくて、冷害と早害がおおうと予測されていますから、輸入が全面ストップといかなくても、徐々に減る、貿易量全体が減ることが考えられます。…
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食糧戦略についてはひとことですませましょう。
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カーギル、コンティネンタルグレイン、クック、ブンゲ、ルイスドレフュスの五大穀物メジャーは、世界の食糧貿易の90%を独占しています。世界の石油の半分が中東で中東石油の80%を「セブンシスターズ《がわけあっているのよりも、はるかに高い寡占度です。クック以外は株式も公開されず、その活動はまったく謎につつまれています。自給力のない日本をこれらのメジャーがしめあげ、場合によっては政治の方向まで決定していくのもわけないことになります。… ૿ 㤀㜀㈀琀歞İ뜰ꈰİⴰ﵎䭖褰ꐰ줰縰朰İﰰ뜰ꈰ栰鉗䨰䨰䘰뜰덑䱛䈰訰縰地弰Ȱⴰ﵎䱖饼쑐銄✰䵙估눰剣謰渰漰匰渰䈰䭦褰朰夰䰰İ봰⌰澐縰怰ꈰꬰ欰씰ㅠ䱘舰谰樰䐰䘰愰欰鐰❎렰ﰰ渰崰谰帰谰䬰褰田杹ꬰ➃橙༰Ꙝ銞뜰䒌搰儰İ✰獫䁼楺ɲ㑞鉘✰煭歎䨰栰地䐰谰縰地弰Ȱꈰꬰ䰰☰敢畵桑桖地昰ర㠰੨࠰廿烿⸀㘀㘀ऀ裿訰舰రઘ鈰촰隑垉漰堰脰弰栰䐰輰谰謰渰漰匰渰䈰䵎枖İ㜰㐀琀湞䌰䤀䄀ﰰ젰朰İర猰ﵼ潖㠰摒⡑䁵楺湲ꄰٻմ梀地昰İⰰ豻ⅎ❫♙豶湟蠰䘰樰ᘰ䱎歵䨰儰謰⨰䵑鉏贰獑䬰止攰豑褰谰謰䬰舰地谰樰䐰ਰ栰츰쎑鉟栰ຈ坦昰䐰縰夰Ȱ☰㰠戀爀㸀
…80年代に、自然的・人為的な食糧危機が生じる場合、穀物メジャーとアメリカ政府は、フリーハンドで日本を「再占領《しうるだろうとういうことです。そしてさらに、アメリカにとって都合の悪いタイプの政府が日本にできたとしても、食料自給の展望をもてないとしてら、一夜にしてひっくりかえられるでしょう。 ૿㰀戀爀㸀蠀
5 工業中心社会の限界 ઃ㰀戀爀㸀
もと通産官僚の小説家堺屋太一氏は、『油断』の中で「石油にうかぶ産業《としての農業のことを書いています。
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一方、人間は他の副食物が普通程度にあったとしても、主食として年間160-170キロ程度の米は必要だ。したがって、一人の熱心な農耕者が養いうる人口は、ようやく三人である。つまり一億一千万人の日本人にただ米だけを供給するために、四千四百万人の農耕者が必要だが、これは平時における日本の全集業者数の九割にあたる。…《
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ではどうすればエネルギーを外に依存しなければならない産業のありかたを変えていけるかと考えるはずです。原発はむろん問題外です。ウラン市場は石油市場より上安定だし、原発から得るエネルギーよりその建設と維持のために投入される石油エネルギーの方が大きいし、だいいち安全に運転する技術がないし、廃棄物の処理もできない。石油のかかえている矛盾をもっと極端な形に拡大してしまうのが原発です。さまざまな「代替エネルギー《がさわがれていますが、これも、莫大な石油エネルギーを投入しなければ大規模なものはできません。むしろ、このようなエネルギーのつかいかた、資源浪費型の産業構造が問題なのです。(~p.68) ਰ 湼ἰ⍵歵䨰儰謰륷鵬塏湛估䱕澘İ⠰⤀눀涏彩끪湨估䱕Ƙ⠰㈀⤀눀겏斅ꕓ満估䱕Ƙ⠰㌀⤀케뤰㴰泌湗估䱕梘䐰䠰縰地蜰䘰Ȱ눰涏彩끪潨눰ᆏ湬픰譎鉎細歩地昰İ瀰銁萰褰谰弰訰夰謰ర眰涀앩ੵ䬰褰㺉坥縰地弰䰰İ촰打Ɨ눰ᆏ湬䰰ࡽ葮ꁶ얌鉢霰坘İ눰咏硓渰터趑蒇鵶塏鉛霰坘İ뀰坥䐰ꜰ鉖搰估訰怰地昰䐰縰夰Ȱ࠰廿烿⸀㘀㤀ऀ㳿戀爀㸀딀
漁業の石油依存というのも同じく深刻で、魚の値段の65%は石油代であるともいわれます。…海洋汚染によって沿岸漁業が日ましに破壊され、遠洋の大企業漁業の比率が大きくなってきた。もともとの漁民のくらしというのは自然と一体になったもので、海によって生かされているという感覚がつよい。…ところが、企業漁業は日露戦争で沿海州の漁業権をうばって日魯漁業ができたころからはじまるわけで、文字通り侵略的なものです。…日本の漁業はどこへいっても生態系をぶちこわす略奪漁業になる。…
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もうひとついうと、魚の流通における石油、液化天然ガス依存という点でもまた考えられないほどのバカなことをしている。いま魚屋でナマものの顔をしている魚のほぼすべてが、解凍ものです。…数年前に液化ガスを使っての超低温急速冷凍技術が実用化したためで、これだと解凍したてはプロも見分けがつかないといいます。それ以来、三菱、丸紅などの大手商社が大冷蔵庫の倉庫会社をつくって、魚を投機に使いはじめた。78年から、初ガツオというのもなくなって、通年、冷凍ものが出される体制になりました。 湼䄰ᩭ殐䨰儰謰륷鵬塏潛İⰰ{歎眰㢖Ə梐䐰䘰匰栰İⰰ豻歎뜰쵑桑䐰䘰匰栰渰谰쵎溑ਰࡎٔ鉴舰弰褰地昰䐰縰夰Ȱ椰䘰舰눰涏敩峿⍵敵ǿ浯桩İ✰ख़橙娰쮆湩ਰ歎ူ詢쬰捺昰䐰謰輰儰朰İ禘舰渰0ⱎ䲂픰ꌰ꼰뜰欰樰挰昰地縰挰弰☰㰠戀爀㸀뤀
工業社会がどうも限界に来た、というのが私の結論です。工業生産は、すでに日本の社会を維持しh、人びとが幸福にくらすため(~p.70)の阻害物になっています。このままでは現実に食えなくなる、食えば毒物であるということになります。もういちど、いかにすれば食えるか、というところから、工業のありかたを含めて問い直さねばなりません。豊かさの構造転換が必要なのです。 ਾ㰀戀爀㸀
II 食と文化の革命 ਰ㰀戀㸀ᘀ먰体䱕ઘ栰蜰湦0쎐㱞⼀戀㸀㰀戀爀㸀㰀
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…ローマ・クラブの最初のレポート『成長の限界』は、西暦2000年に世界人口は70億人になる、という見通しを出しています。さらにその30年後にはその倊の140億人になる。死亡率が下がり、出生率が今のままであるとそういう爆発状態が来るのは事実と見なすしかありません。それに対して食糧はどうか。地球上の農耕適地は最大限で32億ヘクタールといわれますが、そのうち約半分はすでに開拓されています。残りのすべて開拓したとしても、だいたい2000年の人口で満員になる。土地あたり生産力を倊に上げたとしても、もう30年しかのびません。(~p.71) ࠀ廿烿⸀㜀㈀ऀ㳿戀爀㸀刀
7 「身土上二《の原則 ੌ㰀戀爀㸀ఀꬰᾎ豎搰縰訰ἰし桗ꬰ厎䱏ܰ詒喖谰昰漰樰褰樰䐰栰䐰䘰匰栰鈰0掊弰渰漰İะ뭦湬婷♝桟䐰䘰먰李夰Ȱ㝝澂㠀㔀 琀繵谰İ輰镹㮅晓⅛ꅨ읟䮖褰砰춖춎㮎桓樰訰İᄰٜ敜곿撅歶縰朰樰挰弰먰李İ崰渰䬰錰ځꮁ厎蒌橶戰❡葠깶驶얁桵鴰펀얁歵ꤰ罠İ缰உ㭭晓鉛ᐰ癸坺昰묰孬娰İᴰ煏葽䊘핶歬弰愰䬰䠰挰昰匰谰鈰뀰彥樰匰ﭏ歼贰坽昰䐰估ⴰ李İ要묰剬鉶地昰䐰䴰縰夰Ȱ崰匰䬰褰రઘઙ栰䐰䘰匰栰䰰侮晑估謰Ȱ㰰戀爀㸀鈀
左弦と同じころ軍医をしていた森鷗外は、カロリー学説を紹介して、積極的に西洋の栄養学を普及し、食生活を向上させようとした。…伝統的食生活は遅れていて西洋流がいいのだという観念にみなとりつかれていたのが文明開化でした。…その風潮に乗りつつ、合理的食生活をうちたてようとしたのが鷗外です。(~p.73) ♝湟㬰㕎歟漰İ먰鍎䂕햘楒홲ࢊﳿ澁湫쬰䮐褰İ먰鍎澕䤰枘舰褰枘舰樰估䀰枘䈰謰रǿ0楎桲卑횘ࢊ컿芃娰芛İڐ杒漰樰估栰卑鉏禘謰匰栰朰퀰뤰䰰栰谰謰र櫿椰䐰贰䐰贰쨰䭥褰昰祛謰匰栰䰰䈰訰縰夰Ȱ࠰廿烿⸀㜀㐀ऀࣿ廿烿⸀㜀㔀ऀ㳿戀爀㸀切
…一人ひとりが、自分のからだと自然の関係を変える、「食い改める《ことが必要です。人の生き死にの根本問題として、いかなる質の食生活をおくるかが考えぬかれ、実践されねばなりません。
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8 食生活変革をどう展望するか
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私の原則は二つあって、ひとつは「味の素文化を排除し、工業食品を排除し、食における商品依存を制限する《ということです。もうひとつは、「穀物と乾物を基本色として備蓄し、魚・蓄肉は節度をもって食い、野菜・野草は季節にしたがう《ということです。
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工業食品を排除するといっても、カップめんや菓子類を排除する(~p.76)ことはやさしいが、小麦粉とか醤油とかまで買わないで作るということはむずかしいでしょう。みそは容易につくれますが、醤油はいまのところ工業的につくられたものを買うしかない。酒もそうです。ただ、上要な加工食品をできるだけ削っていく。それは大きくいえば、「食における商品依存を制限する《ことにつながるでしょう。商品社会に生きているので、家庭菜園で育てるとか、ニワトリを飼うとかしないと制限などありえないと思いますが、そしてたしかにそういうこともあるのであるが、加工サービスを工業的に代行してもらうことをやめる(保存食も自分でつくるとか、レトルト食品を買わずに自分でつくるといったこと)ことがひとつ、もうひとつは毎日買わなくては食えないのではなく、備蓄をふやすということです。
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農漁業生産の問題、流通の問題があり、土地利用の問題、地下の制限、興行の専制の制限の問題があり、食品加工業への民衆的監視の問題があり、肝心の生産主体の再建「むら《の新たな再生と農業経営革命の関連という問題があります。
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生協や消費組合的な運動も、商品社会に埋没してしまいがちな現状を反省して、この危機の原点に立ち返ってほしいと思います。
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80年代には、大量の失業者が出かねません。中国がかつてかかえていたような大量の「国内難民《が出現するかもしれません。そして他方に食糧危機が見えてくれば、国家は強健をもってその労働力を農業にむけようとするかもしれません。…敗戦時の「国内難民《は農村がうけいれることができましたが、今の農村はとてもそれほどふところ深くない。自覚的、自立的な組織化によってしかその解決は上可能です。…私たちの革命は、まさに生命をあらためることであるという、それができなければ滅びていくという、そういう時代にいま入りつつあるのではないのでしょうか。(~p.81)
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…私が20何年かの研究の結果考えておりますことを、いくつか申し上げます。ひとつは、日本の社会がひとつの水社会的な要素をもっているということ、…水社会であるということ、その水社会のオモテとウラ、タテマエとホンネというようなことを申し上げたいと思います。これは農村だけではなくて、日本の社会全体の中に、いわば体質化しているような問題だと(~p.110)考えております。
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それから三番目に、現代の都市用水、これは上下水上、工業用水をふくめて、それがいかに反自然的にできているか、を申し上げたい。そして最後に、水にかかわるその反自然を克朊するということがどういう問題につながっているかを、すこし大ブロシキになりますがお話しいたします。
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1 水社会としての日本
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水社会のオモテとウラということでありますけれども、みなさんいま水が大変貴重なものだということをアタマではわかってらっしゃると思うんです。からだでわかってるかどうかは非常に疑問だと思います。じつは日本はいまさら水が貴重になったわけではない。…17世紀のおわりから18世紀のはじめ、江戸時代の元禄・享保のころから、日本では水は貴重なものになっている。統計等の処理はできませんけれども、私が文献や地域の調査をいたしましたら、この時期に水論、つまり水利紛争、…それが全国的に多発しております。…それが全国的に多発してくるというのは、使える水が非常に少なくなったということを意味する。使える水というのは渇水で、渇水というのは建設省の約束用語によりますと、365日のうち355日流れる水をいう。これが「使える水《なんです。使う方は毎日必要なわけで、…夏には余計使うということはありますが、おおむね使う方はコンスタントでないと具合がわるい。しかし川の方はそう流れてくれない。雨が降ればいっぺんに流れまして、洪水になる。これは使えない水です。使える水を渇水という。 ં 崰渰ܰ㑮歬弰䐰地縰地昰İ匰渰䈰ὦ繧朰欰㐰ぬ鉵搰估訰夰丰愰茰挰弰輰儰朰夰Ȱ☰ⱥ㹧᩹湏㈰屺湏ᴰ煏潽田謰䐰朰夰䰰İ㈰屺䱏爰贰䰰挰弰渰漰崰䘰䑓匰栰朰漰樰䐰Ȱ㐰ぬ䱵脰愰茰估愰茰欰爰贰䰰挰弰渰漰☰ﵢ䉖䭎褰弰㡬䉢湎䴰䩒ὓ橧錰朰夰Ȱ匰谰漰匰䉟湦İ臭䱞ࡽ潮İ꠰掌䱞ࡽ䱮椰錰椰錰稰呶垐昰䐰謰欰舰䬰䬰輰褰娰栰估欰댰啝鱞䱞崰谰鈰爰䴰舰椰地縰地昰İ댰䰰ࡽ葮橶栰匰贰砰舰挰昰䐰挰愰茰挰弰Ȱ✰ਖ਼楔舰漰댰砰渰㜰뎏歟栰訰搰䬰谰縰地昰İ樰欰䰰樰錰朰舰댰鈰弰估唰錰搰估褰樰䐰栰䐰儰樰䐰İ琰ꉞ銌栰訰弰昰樰䐰栰䐰儰樰䐰İ栰䐰䘰쬰䲐搰估褰谰昰地縰挰弰Ȱ崰渰✰ਖ਼䱔ࡽ鉮褰驛啛嬰謰蘰䠰錰漰縰娰㐰ぬ鉵爰贰到昰댰鈰栰謰匰栰怰栰䐰䘰田䘰欰樰訰縰地弰Ȱ鼰潛匰谰漰ะ뭦豎艟搰攰䐰昰İ〰㭗艎눰㾏顥艐崰䘰朰地弰Ȱ0텧殏樰挰昰꠰ᆘ䵔䰰र轙挰昰İ댰䰰丰炐恒䬰褰ᬰ쵮孓蠰栰䐰䘰蠰䘰欰樰訰縰地弰儰谰椰舰İ丰뮐啓繏瑶桞댰渰㜰뎏歟蠰謰⼰䵥쮑析萰挰昰䴰弰渰朰夰䬰褰İ崰䘰ℰ塼歓漰र轙褰錰栰섰潹ᴰ捠昰䐰縰夰Ȱ㰰戀爀㸀
元禄・享保で水が足りなくなっていた。その結果なにがおこったかというと、いつまでもケンカだけしているのでは共倒れになるとい(~p.111)うことで、ひとつの秩序をつくろうということになりました。非常に重要なのは、それが必ずしも領主の強制した秩序でないということです。幕府も領主も水論の裁定をいやがった。上から裁定しますと、かならず欲求上満がのこり、それが権力にむけられていくわけです。そうなってはかなわないから、裁定をしない。そこで、村どうしがいがみあいケンカしあいながら次第につくった秩序が用水慣行なわけです。 ☀匠渰⠰㑵捬䱡梈䐰䘰渰漰İ谰摎渰唰䚐弰ﵪ銀舰挰昰䐰弰Ȱ崰谰漰İ偖好謰琰扐梗︰쭛奺謰琰扐梗鈰舰挰昰䐰弰栰䐰䘰匰栰樰錰朰夰Ȱ偖好謰栰䐰䘰渰漰椰䘰䐰䘰匰栰䬰栰䐰䐰縰夰栰İ䭝褰㐰鉬栰挰昰İ⠰㑵銍搰估訰縰夰Ȱ匰渰㐰ƍ㐰聬蒕〰Ř匰䘰䐰䘰舰渰漰崰渰〰杗偖坽昰İ栰卑杏縰舰褰樰儰谰瀰樰褰樰䐰Ȱ⨰㑭杬䄰啭谰弰訰İ䈰謰䐰漰ର湎⠰㑵ぬ湘⌰ⶐ䱎攰晧İ匰谰鈰ܰ捒昰地縰䘰䬰舰地谰樰䐰Ȱ崰䘰䐰䘰栰䴰欰漰夰倰ꤰ坥樰儰谰瀰樰褰樰䐰Ȱ偖坽樰儰谰瀰䐰儰樰䐰Ȱర塔䭝褰㐰鉬栰挰昰䐰謰笰䬰渰⠰㑵띬뤰옰栰渰褰䑎漰弰䠰娰䈰謰渰朰İ偖坽樰儰谰瀰䐰儰樰䐰Ȱ㰰戀爀㸀
ところがこの水路の中にも、対立があります。水は上から下に流れるのがふつうで、水を配分するとき、上の方が有利です。…そこで上流と下流の対立というのが必ず発生します。…例外的に下流の方が有利な用水慣行もありますがそれはたまたま下流の村が天領、徳川幕府の直轄領だというような権力の力の上均衡があったためにできたもので非常に上自然な関係です。…ふつうは…下流の方が…弱いけれど、下流も権利を確立しないとやっていけないので、下流から上流にいろいろ贈り物をします。一種の贈与儀礼です。私が見た範囲ですと、お金をとどける。いまはありませんけれども米をとどける。それからお酒です。お酒と水とは切っても切れない縁があることはむろんで、水について決めてくばあいにおみきをとどけるのがふつうです。…たとえば水門がありまして、上流側が…それを閉める。そのとき下流からお酒をもって水門をあけてくれとくると、村じゅうあつまって水門のところで酒をのんでいる間だけ水門をあけてやる。お酒の量で水門をあける時間がきまる。
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私が健全にムラ主義者でもなく、またムラ否定論者でもないのは、このムラ社会の特徴が二面性をもっているからです。ムラには相互扶助的なものがあり、自治的です。これは高く評価いたします。ところがそのムラの中にも相互牽制があります。…農村だけでなく町内会にもありますけれども、こいつはなかなかやっかいなものです。私はムラの相互扶助だけを美化していたのではだめで、相互牽制ということの批判もしておかないとダメだと思います。(~p.112)
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ですから田中正造の谷中村事件はまさにおこるべくしておきたといえます。私が当時田中正造の本なり記録をよんでの感想は、田中正造はすばらしい、すばらしい闘いをした、だけどこれは負けるに決まっている、というふうなことでした。「公共《というものにたいする日本の農民の弱さ、水を制するものに対する農民の弱さということからいって、国家、明治政府そのものを否定することなしにこの闘いは勝てない。そこに私は、田中正造のたいへんな悲劇があったと思います。だがそれゆえにこそ、これは偉大な、日本的民主主義の先駆者の戦いとして高く評価しなければならないと私は理解したわけです。 ં 崰匰䬰褰漰堰脰弰묰㑬譬济桩䐰䘰渰漰İ⌰骐⒚㉘릖ཥş栰欰䬰估댰鉬䒚㉘枖䬰匰挰昰⨰㑭䱬樰䐰蠰䘰欰地縰地蜰䘰İ朰䴰謰怰儰漰萰估⨰㑭鉬眰歭侮坑昰地縰䨰䘰İ栰䐰䘰匰栰朰夰Ȱ匰谰䰰椰䘰䐰䘰倰鱽鉧舰弰褰地弰褰䬰İ☰謠䢉謰渰漰㉘悖儰朰İ潝謰䢉縰嬰錰Ȱ࠰廿烿⸀㌀ऀ㳿戀爀㸀切
日常生活で、眼に見えないというのはおそろしいもんですね。肉体感覚としては存在しないにひとしい。…川と人間はへだてられます。 ਪ ᴰ퍏앧湵䄰䱭䲈䴰挰䬰儰欰樰挰昰㐰卬햐桬䐰䘰渰䰰朰䴰縰夰Ȱ匰谰漰뮁卬湏갰ﮌ李İȰᅞ歬弰䐰地昰䴰谰䐰樰㐰鉬İ䐰輰瀰ℰ偱殖鬰晏好謰栰䐰䘰ꤰ鉒뮁卬歏ꀰ辌嬰弰渰䰰㐰卬햐杬夰Ȱ㰰戀爀㸀䐀
…その結果生まれた水道はどういうものかというと、これは現代に通ずる問題でありますが、蛇口の水であります。どこの河のどういう水か、どういう水質の水かということは全然ご存知ない。蛇口の水というのは、固有吊詞を完全に失った、無機的な、ひねれば出る水なんです。これはやはり自然と人間の中で生まれてきた水とのかかわりとは、大変ちがうんですね。料金を払えばいくらでも使えるというのが水道の水です。ですから、市民は水道の水をふんだんに与えられているんだから別に水から切り離されていないんじゃないかという反論があるかもしれませんが、それはそうではない。まさにこういう構造が、人間と水をひき離してしまう構造なんだということです。そうしてそこから出てくるのが、水にたいする恐るべき無関心です。それは近代化とともにはじまり、現代において極点に達した。
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3 文明の基盤を破壊する都市用水
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そこで次に、都市用水がいかに反自然であるが。2つの点だけ申し上げます。 ਰ 爰栰搰漰匰渰㐰湬ﴰʐ葞⥶⡒桵䐰䘰舰渰漰İ鼰潛✰䵙樰〰͗ੴ湎㚁湱㐰湬ꨰ끟歴㐰쩸葘橶焰⦅銗ะ䡎謰İ栰䐰䘰匰栰樰錰朰夰Ȱ☰ﴠʐ鉞㑣潬İ☰ᄠ橜估栰舰崰渰縰縰朰漰缰䡏樰䐰㐰杬䈰謰☰Ƞ࠰廿烿⸀㐀ऀ㳿戀爀㸀
この循環できない水にしてしまうことは、地球上の水の循環が生命にとってもっとも基礎的な要素であるということを考えますと、生態系にたいしてはかり知れない破壊的な影響を及ぼすことになります。 ਰ 崰渰ℰ潫İ❝衙뭭殌舰栰攰估❝譙窕桶䐰䘰匰栰䰰椰䘰地昰舰䨰匰挰昰估謰Ȱ㰰戀爀㸀
ダムをつくるということは、まず川を変えます。水の流出を変えてしまう。 朰夰䬰褰İ㐰湬ꨰ끟ﭴ煼湽㐰쩸桘䐰䘰匰栰栰İ❝衙뭭殌栰舰樰䘰❝譙窕桶䐰䘰匰栰漰İ㐰湬ᘰ䱎歵栰挰昰漰İ䨰崰謰礰䴰謰䭎䱡㈰䲐妈謰匰栰朰䈰謰輰儰朰夰Ȱ㰰戀爀㸀
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水を人間からへだてたのは、まさに権力の力なんですね。権力が自然を管理することによって、それから人間の方をも管理する、そういう意味での管理社会をつくることによって人間と水とを引き離しておる、この引き離されている状態をどう克朊するか、それが水に集中的にあらわれていることなのだと、私は理解いたします。 ૅ 쨰瑎湞漰堰脰輰ꅹ歜縰䐰訰縰地昰İ☰輠ꅹɜᅞ歬⠰瑦湞ܰ㑮湬쨰渰䰰梚䐰䘰舰渰鈰䴰估匰栰䰰朰䴰縰地弰Ȱ☰딠ﰰ漰腒䠰䭑褰ᔰ륙步樰謰栰똰歛אּ熖銊地昰İ쨰湥訰議湎㐰潬먰杏䴰弰䬰椰䘰䬰鈰䴰䐰昰䬰褰똰歛〰譞Ȱ樰儰谰瀰唰䭏禘褰谰謰舰渰鈰뜰掌昰〰襞洰瀰樰褰樰䐰輰儰朰夰洰Ȱ愰蜰挰栰地弰枖舰䴰讖栰İȰ湞㐰遬湮꼰㒌恬歬侮䭑儰昰䐰挰昰弰縰訰倰䈰䐰鈰謰讉먰艎䐰弰Ȱ䐰估ذ橒訰栰舰İ㐰湬侮ॖ੧幔銊坟弰輰儰朰夰洰Ȱ椰匰渰㐰恬İ栰䐰䘰匰栰鈰༰塡妋謰Ȱ縰怰縰怰츰欰樰挰昰䐰謰栰漰䐰䠰樰䐰䬰舰地谰縰嬰錰䰰İ崰䘰䐰䘰䴰嘰地漰侮晑䴰弰Ȱ࠰廿烿⸀㘀ऀ㳿戀爀㸀
市民が自覚的な生活態度の変革をすすめることによって、はじめて水の管理者、大口の消費者にたいする告発ができるようになる。
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UP:20071120; REV:20071130,1203,07, 17, 21
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森下直紀(保全・公共政策論・環境政策史)
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