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遠位型ミオパチー(distal myopathies)


last update:20210903
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■目次

紹介
文献
引用
ニュース

◆2021/09/21「超希少疾病でも一人暮らし 見つけた存在理由 伝えたい「絶望だけじゃないよ」/兵庫・丹波篠山市」
 9/2(木) 10:01配信 丹波新聞
 https://news.yahoo.co.jp/articles/d91a92c6faf547e6233659f5f4e5a2f81aba59f3
 写真:超希少疾病「遠位型ミオパチー」を患いながらも、自立生活を送り、前向きに生きる竹川さん=2021年8月27日午前8時45分、兵庫県西宮市で

 筋力が低下する病で、日本で300―400人ほどしか確認されていない超希少疾病の難病「遠位型ミオパチー」を患っている兵庫県丹波篠山市出身の竹川友恵さん(43)が、3年前から同県西宮市内で一人暮らしをしている。発症から数年で車いす生活になり、現在も病は進行しているが、一日の大半の時間に介助者が寄り添うことで「自由な生活」を実現。NPO法人のスタッフにもなり、障がいへの理解を広める活動に励んでいる。発症時の「絶望」から、今は、楽しい生活と障がいのある自分でないとできない仕事にたどり着き、「障がい者だからといって何もかも我慢しなければならないのではなく、いろんな人の助けを借りて自立の道があることを知ってほしい。『絶望だけじゃないよ』と伝えたい」と話している。
◇サポート受けて「自由」な生活
◇「希望と絶望」 繰り返した末
◇考え方に感動 協会スタッフに →メインストリーム協会
◇自立生活できる 選択肢の一つに
 ※メインストリーム協会が運営に協力する「筋ジス患者の自立生活セミナー」が9月5日午後1時半から4時50分、オンラインで開催される。主催は「筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト」。筋ジスの主人公を描くノンフィクション「こんな夜更けにバナナかよ」の著者、渡辺一史さんの講演や全国の自立生活当事者6人によるトークセッションなどがある。無料。問い合わせは、自立生活センターとくしま。



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■紹介 遠位型ミオパチー(distal myopathies:distal[末端]、myopathies[筋疾患 筋障害])

◆定義(平成22年度 難病情報センター 遠位型ミオパチーの実態把握と自然歴に関する調査研究班より)
・概要:遠位筋が好んで侵される遺伝性筋疾患の総称。世界的には少なくとも9つの異なる疾患が含まれるとされているが、これまでのところ、本邦では「縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー」(常染色体劣性)、「三好型ミオパチー」(常染色体劣性)、「眼咽頭遠位型ミオパチー」(遺伝形式不明)の3疾患しか見出されていない。何れも本邦において発見された疾患である。
・症状:「縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー」は、10代後半〜30代後半にかけて発症し、前脛骨筋を特に強く侵すが、進行すると近位筋も侵される。病理学的に縁取り空胞の出現を特徴とする。「三好型ミオパチー」は10代後半〜30代後半に発症し、主に下腿後面筋群が侵されるが進行すると近位筋も侵される。病理学的には筋線維の壊死・再生変化が特徴であり、血清CK値が高度に上昇する。「眼咽頭遠位型ミオパチー」は通常成人期〜老年期にかけて発症し、眼瞼下垂、眼球運動障害、嚥下障害に加えて、特に前脛骨筋を侵すミオパチーを呈する。筋病理学的には縁取り空胞を認める。

◆定義(wikipediaより)
 遠位型ミオパチー(えんいがた - 、Distal Myopathy)とは体幹から離れた部位から筋肉が萎縮していく病気である。ミオパチー(Myopathy)とは筋肉の疾患を表す総称で非常に多くの病気を含んでいる。例えば、筋ジストロフィーもミオパチーの一種である。ただ、一般的には筋ジストロフィーとミオパチーは別個のものとして認識されている場合が多い。その理由の1つは筋ジストロフィーは患者数が多く、その中でもデュシェンヌ型は幼少時に発症し若くして命を落としてしまうという重篤な病気であるため、筋ジストロフィーという病名が一人歩きして多くの人々に認識されているからである。一方、ミオパチーという病名が付いている病気にも多くの種類が存在するが、患者数が少ないこともあり、一般的にはあまり認知されていない。筋肉の疾患は大まかに、体幹に近い部位から侵されるもの(近位型、proximal)と体幹から離れた部位から侵されていくもの(遠位型、distal)が存在する。デュシェンヌ型筋ジストロフィーを含む多くの筋疾患は近位型であり、手足の先の方から筋肉が萎縮していくごく少数の疾患が遠位型ミオパチーとして分類されている。筋ジストロフィーとミオパチーの臨床上の違いは、前者は筋肉の壊死と再生を激しく繰り返しており、血中のCK値が跳ね上がっている(正常値の数十倍以上)のに対し、後者では激しい壊死は見られず血中CK値は比較的安定(正常値の数倍程度)している点である。
 [外部リンク]遠位型ミオパチー

◆難病情報センター 遠型ミオパチー概要(平成22年度)
 [外部リンク]http://www.nanbyou.or.jp/entry/704
◆難病情報センター 遠位型ミオパチーの実態把握と自然歴に関する調査研究班(平成22年度)
 [外部リンク]http://www.nanbyou.or.jp/entry/1120
◆難病情報センター 遠型ミオパチー概要(平成21年度)
 [外部リンク]http://www.nanbyou.or.jp/entry/520
◆難病情報センター 遠位型ミオパチーの実態調査班(平成21年度)
 [外部リンク]http://www.nanbyou.or.jp/entry/934

■関連サイト

◆遠位型ミオパチー患者会(PADM [Patients Association for Distal Myopathies])
 [外部リンク]http://enigata.com/index.html
 →PADM(パダム)遠位型ミオパチー患者会のブログ [外部リンク]http://ameblo.jp/dmio-kanjyakai
◆「眼咽頭・遠位型ミオパチー」
 [外部リンク]http://www.distal-myopathy.com/
◆「筋疾患百科事典」
 遠位型ミオパチー">http://www.jmda.or.jp/6/hyakka/kin250.htm#遠位型ミオパチー
◆縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー(DMRV)患者登録サイトRemudy
 http://www.remudy.jp/dmrv/
◆Support_PADM
 https://twitter.com/Support_PADM/media

■新着

◆2014/08/01 「医療費助成対象に113の難病 厚労省が案示す 伊藤綾」
 『朝日新聞』2014年8月1日21時10分
 http://www.asahi.com/articles/ASG81469FG81ULBJ00B.html

 「厚生労働省は1日、医療費助成の対象として検討する113の難病の案を、有識者でつくる委員会に示した。白血病ウイルス感染者で両足がしびれる「HTLV―1関連脊髄(せきずい)症」(HAM)、目や口が乾き、関節が痛む「シェーグレン症候群」など46の難病を新たな候補にあげた。
 難病医療法が5月に成立したのを受けた。厚労省は現在56の対象難病を、来年夏までに2段階で約300に広げ、対象患者を現在の78万人から150万人に増やす。対象は、原因不明▽治療法が未確立▽長期の療養が必要、などの要件を満たす疾病。患者数は人口の0・15%にあたる18万人未満を目安に決めた。
 1日に示した案は、パーキンソン病や潰瘍(かいよう)性大腸炎など従来対象だったものを中心に、来年1月から先行して助成する分。委員会で議論し、今月中にとりまとめる。難病の対象か情報収集が不十分な病気は今秋以降に議論し、来年夏から助成する。
 新しい制度では、医療費の患者負担は現行の3割から2割に減る。しかし、全額助成されていた重症者も所得に応じて自己負担があるほか、軽症者が対象から外れる場合もある。(伊藤綾)
□来年1月から助成される主な難病(案)と患者数
パーキンソン病(10万8803人)
・HTLV―1関連脊髄(せきずい)症(3千人、新規)
遠位型ミオパチー(400人、新規)
全身性エリテマトーデス(6万122人)
・シェーグレン症候群(6万6300人、新規)
・再発性多発軟骨炎(500人、新規)
・IgA腎症(3万3千人、新規)
網膜色素変性症(2万7158人)
・自己免疫性肝炎(1万人、新規)
クローン病(3万6418人)
・潰瘍(かいよう)性大腸炎(14万3733人」

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■文献

◆織田 友理子 20110930 『心さえ負けなければ,大丈夫』,鳳書院,208p. ISBN-10:4871221644 ISBN-13:978-4871221641 \1200+税 [amazon][kinokuniya] ※ dm02. n02.
◆中岡 亜希 20110222 『死なないでいること、生きるということ――希少難病 遠位型ミオパチーとともに』,学習研究社,165p. ISBN-10:4054048285 ISBN-13:978-4054048287 \1400+税 [amazon][kinokuniya] ※ dm02. n02.


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■引用



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■ニュース


◆2011/11/17 「[支える]遠位型ミオパチー患者会 治療薬の研究を後押し」
 『読売新聞』東京夕刊 08頁
 ◎組織と活動
 遠位型ミオパチーは筋肉の病気の一つで、脚や手など体幹部から遠い部位の筋力が少しずつ衰え、歩行困難から車いす生活、寝たきりになる。20〜30歳代に、つまずきやすくなったり、爪先立ちができなくなったりするのが最初の症状であることが多い。筋肉の細胞に関係する遺伝子の変異が原因。国内の患者は300〜400人。
 2008年の発足。代表は滋賀県の辻美喜男さん。医師、研究者に協力し、治療薬の研究開発がしやすい環境を作るのが大きな目的。公的な研究助成を受けられるように、政府への要望、街頭での署名活動なども行っている。
 ◎連絡先
 ウェブサイトhttp://enigata.com ファクス050・6860・5921 メールアドレスdmio‐infoあっとenigata.com

◆2011/02/04 「希少難病」考えよう 6日、左京で公開討論会=京都
 『読売新聞』大阪朝刊 28頁
 患者数が少なく、実態が国内で把握されていない「希少難病」について考える公開討論会が6日午後1時から国立京都国際会館(左京区)で開かれる。主催者のNPO法人「希少難病患者支援事務局(ソルド)」(北区)が参加者を募っている。
 欧米では難病患者の遺伝子の情報を元に、病気の治療法を探る動きが主流になりつつあり、ソルドは日本でもそうした機運を高めようと活動している。
 討論会では、第1部で遺伝子の診療や全遺伝情報(ゲノム)解析、iPS細胞の研究者が講演。
 午後2時40分に始まる第2部は、ソルド副代表で、難病「遠位型ミオパチー」患者の中岡亜希さんが「患者自らが行動する重要性と課題」と題して話す。
 定員120人で参加費無料。事前申し込みが必要で、申し込みはソルド(075・491・5553)へ。

◆2011/01/29 希少難病:研究にiPSバンク 京都のNPO・東海大連携
 『毎日新聞』大阪夕刊 1頁
 病名が判明しないなど国の難病対策から外れている希少難病の患者を支援するNPO法人「希少難病患者支援事務局(SORD=ソルド)」(京都市)が、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を難病患者の血液から作って研究に生かす「iPSバンク事業」を東海大医学部との連携で2月からスタートさせる。国内初の試みで、同月6日に国立京都国際会館(京都市左京区)である「希少難病フォーラム」で構想を発表する。
 難病検査は現在、組織を採取するなどの方法が一般的だが、受診回数が多く、患者の負担が大きい。医師によって病名判断が分かれるケースもある。
 iPS細胞は理論上、体を構成する全ての組織や臓器に生まれ変わる能力があるとされる。将来は、患者のiPS細胞から生まれ変わった組織や臓器などに投薬実験をし、病巣の変化を確かめることも可能になるとみられている。
 計画では、東海大医学部の佐藤健人准教授(生体防御学)の協力で患者の血液からiPS細胞を作成。理化学研究所(埼玉県和光市)に管理を委託し、国内外の研究者に提供する。またiPS細胞の研究を進めている東京大医科学研究所(東京都港区)からも事業協力してもらうことになっている。
 患者が提供する採血量は10ミリリットル程度。既に手足の筋力が失われる難病「遠位型ミオパチー」を患うソルドの女性会員の血液で東海大医学部がiPS細胞の培養に成功しており、筋肉繊維を生成する予定だ。今後は他の会員(約310人)にも血液提供を求める。
 佐藤准教授は「難病の研究が進まない理由の一つは、研究者が患者の生体試料を入手できない点にある。国内外の幅広い研究者に難病の解明に関心を持ってもらうきっかけにしたい」と話している。【山田尚弘】
 ■ことば
 ◇希少難病
 原因不明の高熱や聴覚異常などさまざまな症状がある。厚生労働省は5000〜7000疾患があると推測しているが、国内の患者数は不明。国は現在、1972年に当時の厚生省がまとめた「難病対策要綱」に基づいて130疾患を研究対象に指定しているが、ほとんどの希少難病は含まれていない。

◆2010/11/02 三重大「はまゆう祭」、命みつめる 難病患者講演、ライブも /三重県
 『朝日新聞』朝刊 23頁
 6日の三重大学祭で、医学部が主催する「はまゆう祭」が、命をテーマにしたチャリティーライブを開く。演奏の間には、学生が実習で出会った難病患者が闘病体験を語り、難病指定を訴える。(藤崎麻里)
 はまゆう祭実行委員長で医学部3年の植田大樹さん(21)が「医療に関心がない人にも関心を持ってもらおう」と仲間に声をかけ、ライブと講演会を企画した。
 ライブに出演するのは、バンド活動を応援してくれた知人を突然亡くしてから、「命」と「幸せ」をテーマに曲作りをする兵庫県のロックバンド「おかん」。中部地方で弾き語りしているアーティスト渡部裕也さんも命をテーマにしながら、曲を披露する。
 一方、講演するのは、難病の遠位型ミオパチーの患者で、津市白塚町の伊藤孝通さん(41)。伊藤さんは中学2年の秋から腰に違和感を感じだし、次第に、鉄棒にもぶらさがれなくなった。17歳で、手指や足の先など体の末端から筋力が低下していく遠位型ミオパチーと診断された。
 「何でもやればできると思っていたが、やっても無理になった。ジレンマがすごかった」と話す。
 特別な運転免許を取得し、車の部品を組み立てる会社に就職したが、腕が上がらなくなり、自身の成人式の日に帰郷。「こういう自分やで」と思えるようになったのは30歳ごろ。インターネットで全国の患者のことを知り、出会いも生まれた。昨年8月に退院し、一人暮らしを始めた。ヘルパーが20時間以上の態勢で支えながら、野球観戦など外出することも増えた。
 植田さんは大学1年の病院実習で、伊藤さんと出会い、前向きな姿勢に触発された。遠位型ミオパチーは、原因や治療法もわかっていないという。患者数が少なく、特定難病疾患として指定されていないが「難病指定を求める署名の輪をさらに広げたい」と講演を依頼。当日は署名活動もする。伊藤さんは「難病をめぐる状況について訴えたい」と話している。
 はまゆう祭は午後1〜3時、津市の同大学山翠ホールで。無料。問い合わせは、植田さん(090・5467・7287)へ。

◆2010/11/02 治療薬開発費増額に協力を 難病ミオパチーの伊藤さん 三重大で署名活動=三重
 『読売新聞』中部朝刊 27頁
 ◇難病「ミオパチー」の伊藤さん 6日、三重大で署名活動 
 原因不明の難病に長年苦しむ男性がいる。津市白塚町の伊藤孝通さん(40)は、10代で、手足の先から徐々に筋力が失われる「遠位型ミオパチー」と診断された。治療法はないうえ、患者が少ないため、薬の開発も進まない。伊藤さんは治療薬開発の研究費増額を国に求めるため、6日に、三重大(津市)の学園祭で署名活動を行う。(加藤雅浩)
 ◇「誰かが同じ病気で苦しまないように」 
 「体の向きを変えてもらえますか」。ベッドに横たわる伊藤さんは、丁寧な口調で介護ヘルパーの男性に声をかけた。床ずれを防ぐためだ。伊藤さんは16年間の「規則正しい」入院生活を経て、昨年8月に現在の自宅で一人暮らしを始めた。首から下はほとんど動かない。食事や風呂、トイレは24時間の介助が必要だ。それでも、伊藤さんは「自由になるのが遅すぎたね」と、にかっと笑う。
 高校入学後、体の異変に気づいた。思うように走れない。運動不足が原因と自分に言い聞かせ、体を鍛えることで不安を紛らせた。体育の授業で鉄棒につかまろうとしたが全く力が入らず、怖くなって四日市市内の病院に駆け込んだ。詳しい病名はわからず、4か月後、愛知県内の病院で遠位型ミオパチーと診断された。入院の話も薬の処方もなかった。治らない病気だと、その場で悟った。医者もそう言った。けれど、なぜかほっとした。「正体がわかった。ようやく自分の体と向き合える」、と。
 だが、こうした気持ちは続かなかった。高校卒業後、四日市市の仲介で同県蒲郡市内の自動車部品工場で働いた。伊藤さんの勤務条件は、車いすに乗りながら仕事をすること。「まだ歩けるのに」と葛藤(かっとう)もあったが、それも1か月だけ。疲労が重なり、車いすなしでは日常生活もままならなくなっていた。会社を1年で辞め、四日市市の実家に戻った。病気の進行は加速し、トイレや風呂も全介助となった。鈴鹿市内の病院に入院することになり、16年間を同じ部屋で過ごした。
 パチンコぐらい行けたかもしれない。友達と絶叫マシンにも乗れただろう。好きな女の子に気持ちを伝えることもできたはずだ。「いくらでも挑戦できたのに、理由をつけて先送りにしては、あきらめた」
 薬の影響を実際の患者で調べる臨床試験が、今月から東北大(仙台市)で始まるが、来年2月末で独立行政法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構」からの支援が打ち切りとなる。来春に控えた本格的な臨床試験に必要な資金もメドがたっていない。遠位型ミオパチー患者会(127人)は先月20日、厚生労働省に要望書を提出し、治療薬の開発費増額を求めた。伊藤さんは学園祭でこう訴える。「誰もが発症する病気ではないけれど、誰かが同じ病気で苦しむことがない世の中にしよう」??。
 
 〈遠位型ミオパチー〉
 手足の筋力が次第に低下していく進行性筋疾患の総称。原因遺伝子によって分類され、世界では10以上、国内では「縁取り空胞型」「三好型」「眼咽頭遠位型」の3疾患が確認されている。20、30歳代での発症が多く、国内の患者は200?300人と推定される。

◆2010/11/02 署名活動:生きる姿に感銘、ともに署名活動 難病患者と三重大生、特定疾患認定求め
 『毎日新聞』中部夕刊 7頁
 ◇6日の学祭で
 手足の筋力が徐々に低下する難病「遠位型ミオパチー」の患者、伊藤孝通(たかゆき)さん(40)=津市白塚町=が6日、三重大(津市)の学園祭で、特定疾患認定を国に求める署名活動を行う。入院生活で出会った同大の学生が企画。16年間の入院生活から飛び出して1人暮らしをする伊藤さんを支える。伊藤さんは「将来をあきらめなければならなくなる患者を増やしたくない」と言葉に力を込める。【福泉亮、写真も】
 伊藤さんは13歳のころ、時折、手足に力が入らなくなることに気付いた。高校2年の時には手すりが握れなくなり、遠位型ミオパチーと診断された。「自分はこれからどうなるのか……」。将来の仕事や恋愛などを語る仲間と同じ夢を持てないことが悔しかった。
 高校卒業後、愛知県蒲郡市の障害者施設で自動車部品を組み立てる仕事に就いたが、病気が進行し、1年で入院を余儀なくされた。決められた毎日の入院生活に「生きている実感」はなかった。
 それでも、特定疾患の認定を求めて患者会の署名活動に参加。そして昨夏、「自分らしく生きる」と退院を決意し、ヘルパー付き添いで電動車椅子での生活を始めた。「毎日の献立を考え、スポーツ観戦に出かけられることがこんなに楽しいとは思わなかった」
 今回、署名運動を企画した学園祭実行委員長の植田大樹さん(21)=三重大医学部3年=は、2年前に実習先の病院で伊藤さんと出会った。絶望の底をはいながら署名活動を続ける伊藤さんの姿に心打たれ、学園祭で「命」がテーマの催しを企画する際、伊藤さんの姿が目に浮かんだ。「少しでも支援したい」と思ったという。
 遠位型ミオパチーは現在、国の難治性疾患克服事業で治療法研究を行っているが、予算は単年度。伊藤さんが所属する患者会などは、研究を継続的に行う特定疾患治療研究事業への指定を求めている。
 伊藤さんは6日、同大学で講演も行う。「この病気は若くして発症する。まずは病気を知ってほしい」と訴えている。
 ■ことば
 ◇遠位型ミオパチー
 手足の先から筋力が低下していく難病。20〜30代に発症し、徐々に進行し、日常生活は介助が必要となる。治療法は現在のところなく、国内には数百人の患者がいると推定されている。

◆2010/08/18 車いす女性富士登頂 筋力失われる難病 19時間かけ30人支えた=京都
 『読売新聞』大阪朝刊 28頁
 ◇宇治の中岡さん 昨年は断念 夢かなえた
 手足の先から徐々に筋力が失われる難病「遠位型ミオパチー」患者の中岡亜希さん(33)(宇治市)が支援者らの助けを受け、車いすで富士山に初めて登頂した。昨年は悪天候で断念していただけに、1年越しで夢を実現した中岡さんは「感謝の気持ちでいっぱい。体が不自由でも、様々なことに挑戦できることを見せられた」と喜んでいる。
 中岡さんは25歳のとき、この病気の診断を受け、現在、下半身がまひ、上半身もほとんど動かせず、車いすで生活している。
 昨年9月、難病患者でも日本一高い山に登れるとのメッセージを発信しようと初挑戦したが、5合目を出発する前から天候が悪化。同行した登山家の三浦雄一郎さん(77)に励まされて再挑戦を決意し、予行演習として6合目まで登った。
 2度目の挑戦となった今回は、7月28日午前9時半に5合目を出発。中岡さんが常任理事を務めるNPO法人「希少難病患者支援事務局」(SORD、北区)のメンバーや三浦さんら約30人が、交代しながら中岡さんの車いすを引っ張って山頂を目指した。雨が降ったりやんだりと天候がめまぐるしく変わり、体調管理に苦労したという。
 9合目の山小屋に到着したのは同日午後4時半頃。眼下の雲間に、鮮やかな虹が浮かんでいた。休憩を取り、翌日午前4時半にたどり着いた山頂は、風雨が強くて周囲の様子やご来光を見られなかったが、達成感に満たされたという。
 登山の前後に静岡県庁を訪れ、知事や副知事から激励された。中岡さんは「これからも人生の様々な山に挑戦したい」と意気込む。
 同行したSORDの小泉二郎代表理事(41)は「障害者の中にも、日本一高い富士山に登りたいと思う人がいる。そうした挑戦する気持ち、日常生活での困難なことを、周囲の人たちが自然に助けられるような社会を目指したい」と話した。

◆2010/08/02 無理だとあきらめず、一歩踏み出そう 難病の中岡さん、車いすで富士山登頂 /静岡県
 『朝日新聞』朝刊 25頁
 ごくまれな難病を抱え、車いすで生活する女性が7月末、富士山の登頂に成功した。悪天候の中、サポートメンバーに車いすを引き上げてもらいながらの達成だったが、「最高に幸せな経験だった」と笑顔で振り返る。「何事もどうせ無理だとあきらめず、一歩を踏み出す勇気を持とう」。そう呼びかける。(長谷川潤)
 登頂に成功したのは、京都府に住む中岡亜希さん(33)。日本航空で国際線の客室乗務員をしていた2003年、体の末端から徐々に筋力が失われていく「遠位型ミオパチー」と診断された。
 百万人に2〜3人が発症するとされる希少難病。絶望し、しばらくの間、泣いて暮らしたが、病気が進行し、立てなくなった日、思った。
 「泣いても笑っても一日は同じ」
 闘病生活の末、2008年4月に患者の会を立ち上げた。すぐに国へ要望書を提出。署名活動を通じて、希少難病患者の置かれた状況を改めて知ると、8カ月後には、NPO法人「希少難病患者事務局」(SORD)を創設した。自ら理事として、患者の実情を知ってもらおうと活動する。
 今回の登頂は、何げない会話から始まった。3年前、長野県の1700メートル級の山へ誘われた。最初は、無理だとあきらめた登山。でも、仲間の助けを得て、頂上に立つことができた。気持ちいい達成感と目の前の素晴らしい光景に「いつかは富士山に挑戦しよう」。みんなで約束した。昨年に初めて挑んだが、断念。今回が再挑戦だった。
 特殊な車いすにロープをかけて、サポートメンバーが交代で引く。足場の悪い登山道を進むのは、引く方も、座っている方も容易ではない。加えて、今回は悪天候にも悩まされた。天候と体調を慎重に見極めながらのアタックだった。
 深夜1時半に9合目を出発。約2時間後、頂上にたどり着いた。悪天候のためご来光はおがめなかったが、「また挑戦した時まで取っておきなさいということだと思うんです」と前向きだ。
 体が不自由でも、夢を抱き、それを実現することができると考える中岡さん。同じような境遇や困難な状況にある人が、自らの姿を見ることで一歩を踏み出してくれたらと、様々な挑戦を続ける。
 「死なないでいるということと、生きるということは違います」。来春は北極圏を犬ぞりで冒険する予定だ。

◆2010/07/31 富士山登頂:難病の京都・中岡亜希さん、初登頂を報告−−県庁を訪問 /静岡 
 『毎日新聞』地方版/静岡 27頁 
 ◇夢を実現−−「厳しさも味わった」
 難病を患いながら、車椅子で富士山登頂を果たした京都府宇治市の中岡亜希さん(33)が30日、元気に下山し、県庁を表敬訪問した。中岡さんは、この登山に「難病や障害を持っていても、どんどんチャレンジできる世の中になってほしいとのメッセージを託した」と語り、日焼けした顔をほころばせた。
 中岡さんはNPO理事で8年前、手足の先から筋力を徐々に失っていく難病「遠位型ミオパチー」にかかった。車椅子を自力で動かせないため、総勢24人の支えで登頂の夢を実現させた。
 中岡さんは28日午前、富士宮口5合目から登山を開始。アウトドア用の軽量車椅子に乗り、支援者の後押しを受けて登った。9合目で1泊してから29日未明、風雨が吹きつける中を出発。同日早朝、山頂に達した。
 中岡さんは大村慎一副知事に登頂を伝え、「9合目からは本当につらい2時間で、富士山の厳しさも味わった」と振り返った。山頂での「ご来光」を29日は悪天候で見られず、30日早朝も再び山頂に登ったが、かなわなかったといい、「富士山に『またおいで』と言われたのだと思う」と話した。
 中岡さんは8月7日、富士山に初めて登る予定の川勝平太知事にあてて9合目の山小屋に手作りの贈り物を置いてきたと明かし、「楽しんできてほしい」とエールを送った。【平林由梨】

◆2010/07/31 難病乗り越え 車いす富士登頂=静岡
 『読売新聞』東京朝刊 32頁
 難病を患いながら車いすでの富士登山に挑戦した京都府宇治市の中岡亜希さん(33)が30日、県庁に大村慎一副知事を訪れ、登頂成功を報告した。
 中岡さんは所属するNPO「希少難病患者支援事務局」のスタッフら計25人で28日午前に富士宮口から登りはじめ、29日午前3時半に登頂に成功、同日午後に下山した。
 中岡さんは、登山中に暴風雨に見舞われたことなどを披露し、「山頂への道のりは想像以上に厳しかったが、幸せな経験が出来ました」と笑顔で話した。大村副知事は「勇気づけられる方がたくさんいると思う」とたたえた。また、福岡県へ出張中の川勝知事から「無事でなにより。本当におめでとうございます」と中岡さんへ電話があったという。
 中岡さんは25歳の時、手足の先から徐々に筋力が失われる難病「遠位型ミオパチー」と告知され、現在、下半身は動かない状態だという。昨年9月も富士登山に挑戦したが、悪天候などにより6合目で登頂を断念、今回が2回目の挑戦だった。中岡さんは「障害を持つ人でも、富士登山が出来るということを伝えていきたい」と語った。

◆2010/07/29 富士山登頂:心一つに夢かなえた 京都・宇治の難病女性が成功
 『毎日新聞』大阪夕刊 10頁
 手足の先から徐々に筋力が失われる難病「遠位型ミオパチー」を患う京都府宇治市の中岡亜希さん(33)が29日早朝、プロスキーヤーで登山家の三浦雄一郎さん(77)=札幌市=ら約40人の支援者に車椅子を引かれて富士山登頂を果たした。悪天候でご来光は見られなかったが、中岡さんは「障害があっても力を合わせれば夢はかなう。みんなが一生懸命、ロープを引っ張ってくれ、気持ちが伝わった」と涙ぐんだ。
 中岡さんは昨年9月にも、自ら理事を務めるNPO法人「希少難病患者支援事務局」(京都市)の支援者らと臨んだが、悪天候のため6合目付近で断念。今回は28日に静岡県側の富士宮口から登り始め、夕方に9合目に到着。29日午前1時半に山小屋を出発し約30人が交代で車椅子を引いた。風速20メートルを超える暴風雨や霧の悪天候だったが、午前4時半ごろに登頂した。三浦さんは「厳しい状況もあったが、みんなで心を一つにして成功し、感激している」と話した。【山田尚弘、写真も】

◆2010/07/02 難病:夢の頂、さあ一歩 京都・宇治の女性、富士山に挑戦
 『毎日新聞』大阪夕刊 9頁
 ◇できないと思ったこと、みんなの力で可能に
 手足の先から徐々に筋力が失われる難病「遠位型ミオパチー」を患う京都府宇治市の中岡亜希さん(33)が28日から2日間の日程で、プロスキーヤーで登山家の三浦雄一郎さん(77)=札幌市=らに車椅子を引かれて富士登山に挑む。初挑戦した昨年は悪天候に見舞われ途中で断念しただけに、中岡さんは「同じ境遇の人に『できないと思っていたことも、みんなの力を借りれば可能になる』とのメッセージを伝えたい」と願う。【山田尚弘、写真も】
 大手航空会社で国際線の客室乗務員だった25歳の時、疲れやすいなどの異変を感じて受診。「手足に力が入らず、やがて歩行困難になる」と診断され、3年後に退職した。現在、下半身はほとんど動かず、握力もわずかで、食事にも介助が必要だ。将来は寝たきりになる可能性もある。発症後、できないことが次々に増え、涙を流す日々を送った。
 しかし、「前向きに生きよう」と心を奮い立たせ、難病患者を支援する京都市のNPO「希少難病患者支援事務局=SORD(ソルド)」の設立(09年)に携わり、08年から地元FM局でパーソナリティーも務めてきた。こうした姿が評価され、09年7月の「人間力大賞」(日本青年会議所主催)で最高賞のグランプリに輝いた。
 その際、選考委員を務めた三浦さんから「亜希ちゃんにも富士山が登れる」と勧められ、同9月に約40人の支援者と臨んだ。だが、強風により6合目付近で断念。この時は、悪路対応のタイヤをつけた四輪車椅子だったが、今回は、小回りが利く三輪のアウトドア用車椅子で挑む。
 隊長は三浦さんの次男で、リレハンメル、長野の五輪2大会でモーグル代表となった豪太さん(40)=神奈川県逗子市=が務め、SORDのメンバーら約20人が交代で車椅子を引く。28日にふもとから登り始め、29日早朝に山頂で“ご来光”を眺める予定だ。
 雄一郎さんは「苦しさやつらさを自分で乗り越えていこうとする亜希ちゃんを支え、難病患者支援を社会全体で考えてもらうきっかけにもしたい」とし、中岡さんは「発症してからは登山など思いもよらず、まして富士山なんて夢のまた夢だった。支えてくれる皆さんに感謝したい」と話している。

◆2010/03/23 立命館宇治、あと一歩 広陵7−6立命館宇治 第82回選抜高校野球大会 /京都府
 『朝日新聞』朝刊 29頁
 第82回選抜高校野球大会第2日の22日、立命館宇治は第3試合で広陵(広島)と対戦し、7―6で惜しくも敗れた。悲願の甲子園初勝利はならなかったが、強豪相手に最後まで食い下がった選手らに、観客から大きな拍手が送られた。
 ◇1回戦(第3試合)
広陵    103 030 000|7
立命館宇治 401 000 001|6
 ◎…優勝候補の一角・広陵を相手に、立命館宇治が手に汗握る接戦を演じた。初回1点を先制されたものの、その裏、小崎、田口の連続適時打で逆転。清水の適時二塁打でさらに2点を加えた。3回に追いつかれたが、直後の攻撃で広陵の主戦・有原の制球の乱れに乗じ、再び1点リード。しかし5回、主戦・川部が3単打を浴びるなどして3失点。9回、1点を返し、なおも2死一、三塁の好機を作ったが、及ばなかった。
 打線は有原の低めのスライダーに苦戦し、13三振。川部は序盤制球に苦しんだが、終盤は打たせてとる投球で広陵を抑えた。
 ◇「エースの仕事」最後まで 川部投手
 「ピンチの場面で踏ん張るのがエースの仕事」
 立命館宇治の主戦・川部開大君(2年)は、自分の役割をこう表現する。
 同点で迎えた5回表1死一、二塁の場面。内野ゴロに打ち取った打球を、二塁のベースカバーに入った遊撃手の土肥純平君(2年)が一塁に悪送球。二塁走者が生還し、1点を勝ち越された。
 川部君の頭を、昨秋の近畿大会準決勝・大阪桐蔭戦の記憶がよぎった。味方の5失策から投球が崩れ、9失点で大敗。「失策で気持ちが切れた自分は、エースになれていなかった」
 この日の川部君は違った。土肥君はそれまでの3打席で3三振していた。「打てない悩みが守備のミスを生んだんだろう。カバーできるのは投手だけだ」。川部君は土肥君に声を掛けた。
 「気持ちやぞ、これからやぞ」。土肥君は「秋の大会では、ミスが出ると僕も川部もしゅんとなったが、この言葉で気合を入れ直した」。
 8回表1死一塁。打者が送りバントに失敗し、打球が高く上がった。川部君は右足を地面に打ちつけながらダイビングキャッチ。飛び出していた一塁走者もアウトにした。反撃へ希望が残った。
 その裏、2死一、二塁の好機で川部君は右足を引きずりながら打席に立った。ここまで3三振。だが、卯瀧逸夫(うだきいつお)監督は代打を送らなかった。結果は空振り三振。「僕は打てない。最後まで投げてこいということだったと思う」。期待に応え、川部君は9回、広陵打線を三者凡退に抑えた。チームはその裏、1点差まで広陵を追いつめた。
 「投球も打撃も全国では下のほうだと分かった。上を目指したい」。川部君は、今夏の甲子園での雪辱を誓った。(竹山栄太郎)
 ◇速い球を攻略、自信になった
 立命館宇治・小崎裕之主将の話 初回の攻撃など、速い球を放る有原君をある程度攻略できたのは自信になる。ミスをした方が負けると思っていた。守備練習をして守り勝つチームをつくり、夏また甲子園に帰ってきたい。
 ◇守備立て直し、夏に臨みたい
 立命館宇治・卯瀧逸夫監督の話 序盤は狙っていた直球にタイミングが合い、去年の夏に広陵と練習試合をしたときより互角に戦えた。川部は後半よく持ち直したと思う。大事な場面で乱れた守備を立て直し、夏に臨みたい。
 ◇「信じていた」「これから」 アルプスから1000人応援
 一塁側アルプススタンドでは、立命館宇治の生徒や保護者、OBら約千人の応援団が立命館カラーのエンジ色ジャンパー姿で声援を送った。
 1点先制されて迎えた1回裏、小崎主将が同点打を放ち、逆転の流れを呼び込んだ。父の裕治さん(48)は「よくやった。『僕が何とかする』と言っていたので、打つと信じていた」。
 3回が終わって5―4と1点先行。応援団長の野球部員、春名祥平君(17)は「エースの川部は気持ちで抑えるタイプ。大丈夫。応援でチームに力を与えたい」。
 5回表、守りのミスもあって3点を取られ、逆転されるとスタンドは一瞬、静まり返った。「まだまだこれからだ」。グラウンドに向かって声が飛んだ。土肥純平遊撃手が小学校時代に所属した軟式野球チーム「橋本クラブ」(八幡市)の冨岡裕馬君(10)も「まだ逆転できる。僕も将来は甲子園に出たい」。
 9回裏、1点差に迫り、なお2死一、三塁。逆転を信じスタンドの興奮も最高潮に。が、一塁走者が盗塁に失敗。応援団はため息に包まれた。すぐに選手をねぎらう温かい拍手が送られた。川部投手の父、桂三さん(50)は「最後まで投げきった。ほめてやりたい。この経験を糧に、夏に向け一生懸命やってほしい」と話した。(岩井建樹)
 ●「勇気もらった」 希少難病の中岡さん
 体の末端から筋力が失われていく「遠位型ミオパチー」を患い、車いすで生活する宇治市の中岡亜希さん(33)が「地元の学校を応援したい」と甲子園に駆けつけた。
 中岡さんは希少難病に苦しむ患者を支援するNPO法人「希少難病患者支援事務局」(京都市、SORD〈ソルド〉)の常任理事を務める。「病気だから無理」と思ってしまう心の壁を取り除きたいと、登山やラジオのパーソナリティなど新たなことに挑戦している。
 甲子園を訪れたのはこの日が初めて。車いす席が満席だったためにアルプススタンドでの応援は叶(かな)わず、内野席からの応援になったが、「みんなで応援している一体感を味わえて感動した。最後まであきらめずにプレーした選手たちから勇気をもらえました」と話した。

◆2010/01/31 シンポジウム:難病「遠位型ミオパチー」 患者会、支援訴え−−橿原 /奈良
 『毎日新聞』地方版/奈良 27頁
 ◇治療法研究や現状を報告
 手足の先から筋力が低下する難病「遠位型ミオパチー」を広く知ってもらうためのシンポジウム(遠位型ミオパチー患者会主催)が30日、橿原市の県医師会館で開かれ、患者ら約200人が講演などに耳を傾けた。
 遠位型ミオパチーは20歳代で発症することが多く、徐々に進行して10年程で歩けなくなり、寝たきり状態になるという。治療法は確立していない。百万人に数人が発症するとされ、患者は全国で500〜1000人程度と推計される。
 講演で、国立精神・神経センター神経研究所の西野一三部長は、この病気を持つマウスにシアル酸を投与すると治療効果がみられたと報告。一方で、患者が少なく、莫大(ばくだい)な薬の開発費を回収することは難しいと指摘した。
 パネルディスカッションで、患者会代表代行の織田友理子さん(29)は、国の難病指定を目指す会の活動を紹介し「病気だからこそ出来ることがある。問題を知ってもらうための患者会にしたい」と支援を訴えた。また、神田加津代県議は「シンポが治療にむけての原動力になれば」などと話した。
 患者会代表の辻美喜男さん(49)は「これからも全国でシンポを開催し、地方の盛り上がりを全国に広めたい」と話した。患者会のホームページ(http://enigata.com/)から難病指定を要望する署名が出来る。【上野宏人、阿部亮介】

◆2010/01/31 難病ミオパチー シンポに200人 橿原=奈良
 『読売新聞』大阪朝刊 26頁
 手足の先から徐々に筋力が低下する難病・遠位型ミオパチーへの理解を深めてもらうシンポジウムが30日、橿原市内膳町の県医師会館で開かれ、市民ら約200人が参加した。
 全国の患者でつくる「遠位型ミオパチー患者会」(辻美喜男代表)が主催。治療薬の開発を研究している国立精神・神経センター神経研究所の西野一三部長は、国内の患者は150〜400人いるとされ、10代後半〜30代後半の発症が多く、個人差はあるものの、発症から約10年で車いす生活が続いている状況などを説明した。
 この後のパネルディスカッションには、同会代表代行の織田友理子さん(29)や、遠位型ミオパチーの実態調査をしている県立医大の杉江和馬講師らが出席。患者会で難病指定や新薬開発の支援などを求めて署名活動を続ける織田さんは「今の私だからこそできることに取り組みたい。自分たちだけでなく、いろいろな病気の問題を知ってもらうことにつながれば」と語った。

◆2010/01/20 遠位型ミオパチー:難病、多くの人に理解を 一般を対象にシンポ−−30日 /奈良
 『毎日新聞』地方版/奈良 19頁
 手足の先から徐々に筋力が低下する原因不明の難病「遠位型ミオパチー」を広く知ってもらうおうと、「シンポジウムin奈良〜難治性疾患、克服へ向けて」(遠位型ミオパチー患者会主催)が30日午後2時から、橿原市の県医師会館で開かれる。同会によると、一般の人を対象にしたシンポジウムは全国で初めてという。
 遠位型ミオパチーは、20歳代で発症することが多く、歩行障害が進行して10年前後で歩けなくなり、やがて寝たきり状態になるという。100万人に数人が発症するとされ、患者は全国で500〜1000人と推計されている。
 シンポジウムは、第1部で、国立精神・神経センター神経研究所の西野一三部長が「現状と今後」について基調講演。第2部は、西野部長や武末文男・県健康安全局長、奈良難病連の森岡和子理事長、患者会の織田友理子代表代行らが「難治性疾患、克服へ向けて」と題してパネルディスカッションを行う。
 約120人が参加する患者会の辻美喜男代表(49)は「一人でも多くの人に病気を理解してもらい、どうあるべきか考える機会にしてもらえれば」と話している。参加申し込みは、メール(dmio‐info@enigata.com)またはファクス(050・6860・5152)で。事前申し込みがなくても参加は可能。【阿部亮介】

◆2010/01/20 難病・ミオパチー理解を 橿原で30日 治療の現状など説明=奈良
 『読売新聞』大阪朝刊 26頁
 手足の先から筋力が徐々に低下する難病で、治療法が確立されていない「遠位型ミオパチー」について考えるシンポジウムが30日午後2時から、橿原市内膳町の県医師会館で開かれる。参加無料。
 治療法の研究に取り組む国立精神・神経センター神経研究所の西野一三部長が、基調講演で病気の現状などを説明。この後、パネルディスカッションには、患者会代表代行の織田友理子さん、武末文男・県健康安全局長、奈良難病連の森岡和子理事長らが出席する。
 「遠位型ミオパチー患者会」(辻美喜男代表、患者118人)が初めて市民向けに企画した。同会は、難病指定や特定疾患への認定などを国に求める署名活動を続けている。
 辻代表(49)は「一人でも多くの人に理解してほしい」と参加を呼びかけている。定員は250人。問い合わせは、同会事務局の南部さんへファクス(050・6860・5152)か電子メール(dmio‐info@enigata.com)で。

◆2009/09/20 車いす富士登頂「来年こそ」 宇治・中岡さん、悪天候で断念=京都
 『読売新聞』大阪朝刊 22頁
 ◇三浦雄一郎さん激励に決意 
 手足の先から徐々に筋力が失われる難病「遠位型ミオパチー」の患者で、様々な難病の患者や家族を支援するNPO法人「希少難病患者支援事務局」(北区)の活動を知ってもらおうと、12日に車いすで富士山登頂を目指した中岡亜希さん(32)(宇治市)。悪天候で登頂を断念したが、今回の計画を支援してくれた登山家三浦雄一郎さんの励ましもあり、来年の再挑戦を決定。天候が回復した13日、来年の予行演習も兼ねて6合目まで登った。登山の様子と来年の抱負を聞いた。(上野将平)
 ――登山の手応えは
 一行は約40人で、5合目までマイクロバスで上がり、正午から1時間30分かけて登りました。車いすに体を固定、仲間がザイルで引っ張ってくれました。ペースを保てれば、次回は登頂できると実感しました。
 ――印象に残った風景は
 13日は快晴で、右側に富士山の山頂がくっきりと見え、近くに感じられました。左側には山中湖や河口湖、信州の山々が綿々と連なる様子を見渡せ、爽快(そうかい)でした。次回はぜひ、山頂からの夜空と日の出を見たいですね。
 ――山登りに使った車いすは専用のものではないそうですが
 前輪や後輪、背もたれ、首の支えを取り換えましたが、普段使っている車いすです。私のように体があまり動かなくても、普通の車いすで、誰もが富士山に登れる可能性があるとのメッセージを込めました。
 ――体への負担は
 風が吹いた時は少し、涼しかったです。体を動かさず、体温が低くなるので、薄手のダウンジャケットやフリースを何枚も着込み、服にカイロも張りました。血中酸素濃度や脈拍の測定器を人さし指にはめて、体調を把握してもらいました。
 ――1年後の再挑戦を決めたきっかけは
 一度、登山中止を決めた後、三浦雄一郎さんから「来年も応援する。13日は次回につながる練習をしよう」と電話があり、決心しました。三浦さんは当日、一緒に登ってくれました。おかげで、自分が1年後に登っている姿を思い浮かべられ、意欲が高まりました。病気は進行しますが、体をいたわりながら来年に備えたいと思います。

◆2009/09/12 「難病知って」車いす女性、富士登山に挑む 三浦雄一郎さんら協力/京都
 『読売新聞』大阪朝刊 34頁
 ◆京都の中岡さん、車いすで 
 手足の先から徐々に筋力が失われる難病「遠位型ミオパチー」を患い、車いすで生活している中岡亜希さん(32)(京都府宇治市)が12、13両日、難病やその患者に対する理解を広げようと、初めての富士山登頂に挑戦する。遠位型ミオパチーは国の指定疾患でなく、治療法も確立されていないが、中岡さんは「このような病気があることを多くの人に知ってもらい、国を動かすきっかけにしたい」と意気込む。
 中岡さんは国際線の客室乗務員だった7年前、同病と告知された。日本に推定300人の希少難病で、原因不明。現在は下半身がまひし、上半身が少し動く程度。国から研究費や治療費の補助を受けることができる特定疾患に指定されていないため、リハビリと検査を続けるしかないという。
 日に日に力が入らなくなり、落ち込むばかりの中岡さんだったが、「病気は進行していく。誰かが助けてくれるのを待ってはいられない」と奮起。今年1月、様々な難病が国の指定を受けられるように、NPO法人「希少難病患者支援事務局」を結成。富士山登山を企画した。
 今回は、知人を介して交流を始めたプロスキーヤーの三浦雄一郎さん(76)が「病と向き合いながら理解を広げようとする姿に共感した」とサポート。三浦さんの次男でモーグル五輪元代表の豪太さん(40)が中岡さんに呼吸方法などを指導している。
 当日は豪太さんが隊長を務め、三浦さんや同法人のメンバー、看護師ら約40人が参加。中岡さんの体や首を車いすに固定し、仲間がザイルで引っ張るなどして支えて登る。登頂は13日未明から早朝にかけてになる見込みで、中岡さんが「日本一高い山から見たかった」という星空と日の出を眺める予定だ。

◆2009/08/24 (ひと)中岡亜希さん 希少難病患者を支援するNPOを設立した
 『朝日新聞』朝刊 2頁
 NPO法人「希少難病患者支援事務局」(京都市、SORD<ソルド>)の常任理事として、国に支援を求める署名を集め、講演で全国を駆け回る。9月にはプロスキーヤー三浦雄一郎さんら、支援者約30人と初の富士登山に挑み、患者が少なく、治療法の研究が進んでいない希少難病への理解を訴える。
 「多くの人に助けられているからこそ、自分も誰かのために生きたいと思うのかもしれません」
 8年前、体の末端から筋力が失われていく「遠位型ミオパチー」と診断され、車いすで生活する。兆候は日航の客室乗務員となって2年後の99年、東京で一人暮らしをしていた時にあった。歩くのがつらくなり、やがて耐え難いだるさに襲われた。複数の病院で検査を受け、「10年前後で歩けなくなる」と告知された。
 「大事なものが一つ一つ人生からもぎ取られていくようだった」。京都府宇治市の実家に戻って泣き暮らした。つえを使っても立てなくなった日、「泣いても笑っても一日は同じ」と気づいた。
 インターネットで知り合った同じ病気の人はみな、「私と同じように孤独だった」。今年1月、現代表とともにSORDを設立。ホームページに線維筋痛症やシェーグレン症候群など希少難病の検索システムを載せ、患者同士の交流を助ける。
 「進行性の病気を持つ私たちは、誰かがやるのを待つという選択肢はありません。時間がないんです」
 (文・江戸川夏樹 写真・高橋一徳)
    *
 なかおかあき(32歳)

◆2009/04/17 難病の特定疾患認定求める要望書と署名 患者会が厚労省に提出
 『読売新聞』大阪朝刊 31頁
 手足の先から筋力が低下する難病「遠位型ミオパチー」の患者会(辻美喜男代表、96人)は16日、厚生労働省を訪れ、特定疾患の認定などを求める要望書を、約130万の署名を添えて舛添厚労相あてに提出した。
 国の難病研究予算の増額を受けた研究促進や、希少疾患の新薬開発を促す制度確立も求めている。

◆2009/03/12 [ニュースが気になる!]国の難病研究予算が大幅増 医療費助成なお不十分
 『読売新聞』大阪朝刊 37頁
 原因不明で治療法が確立していない難病(特定疾患)をめぐり、国の研究予算が新年度に大幅に増額される。2月には厚生労働省の厚生科学審議会に設けられた難病対策委員会も7年ぶりに開かれ、将来的な取り組みを論議するなど難病対策は前進しつつある。ただ、疾患の数や患者数など難病の実態把握は十分とはいえず、治療法の確立しないまま病気に苦しむ患者の救済が急がれている。
 ■増える「難病」
 国の研究予算の対象になる特定疾患は〈1〉希少性(患者数がおおむね5万人以下)〈2〉原因不明〈3〉効果的な治療法が未確立〈4〉生活への長期の支障??の4要件を満たす疾患から、同省の特定疾患対策懇談会が決定。一部については医療費の公費助成が適用される。
 特定疾患は1997年度に118あったが、それ以降は2003年度に3、07年度に2、08年度に、体の一部が肥大する「先端巨大症」など7疾患が追加されただけだ。医学の進歩で新たな難病が発見・分類されており、専門家によると未指定の難病は200?1000疾患にのぼるという。
 ■公費支援
 舛添厚労相は昨年6月、研究予算を大幅に増額する方針を打ち出し、08年度に24億4000万円だった研究予算は、新年度予算案に100億円盛り込まれた。
 一方で、医療費の助成対象は01年以降追加されておらず、45疾患(患者数約61万5000人)にとどまる。本来、助成額の半分は国負担だが、現状では、国の財政難を理由に約7割を都道府県が負担している。
 新年度は、国・都道府県負担分の約900億円のうち231億円分が保険負担に制度変更されるため、同省は「負担減で、自治体が独自の難病施策を行う余地が生じる」とする。しかし、財政難の自治体がどのような施策を打ち出せるかは未知数で、患者支援に地域格差が生じる恐れもある。
 ■待たれる薬
 難病に指定されても、治療薬の開発には長い年月と膨大な経費が必要だ。患者数の少ない病気は薬を開発しても利益が見込めず、製薬会社主導による開発は極めて難しい。手足の先から筋力が低下する「遠位型ミオパチー」は国内の患者数が約300人とされるが、こうした患者団体は、難病指定だけでなく治療薬の開発まで国が責任をもつ仕組みづくりを求めている。
 日本難病・疾病団体協議会の伊藤たてお代表は「研究予算の増額は歓迎できるが、難病対策は国の医療、福祉の基盤だ。医療保険制度の改革まで前進させてほしい」と訴えている。(社会部・関口和哉)

◆2009/02/11 講演:SORD理事・中岡亜希さん、難病と闘う現実語る−−府庁 /京都
 『毎日新聞』地方版/京都 20頁
 ◇「死なないことと、生きることとは違う」 「つまずいてもその度に立ち上がればよい」
 「つまずいてもその度に立ち上がればよいと思う。その繰り返しが人生ではないか」――。1月に発足したNPO法人「希少難病患者支援事務局(北区、略称SORD)」の理事で、指先など体の末端から徐々に筋力が低下していく「遠位型ミオパチー」と闘う宇治市の中岡亜希さん(32)がこのほど、「『死なないことと、生きることとは違う。』希少難病患者の現実」と題し、府庁(上京区)で講演した。約30人の聴衆が聴き入った。
 中岡さんは客室乗務員だった25歳の時に発症。「症状の進行とともにできたことができなくなり、自分の大事なものがもぎ取られていく気持ちになる。悔しくて涙することもあるが、それでも前を向いて歩いていきたい」と語り、「病気になった私だからこそできることがあると思う。多くの希少難病患者が救われるよう自分にできることをしていきたい」と笑顔を見せた。
 難病の娘がいる40代の主婦が「病気と闘いながらもどう前向きに生きていけるのか」と問うと、「私もいつも明るく生きられるわけではない。むしろ落ち込みマイナスに考えてしまう自分さえも受け入れてあげようと思っている。希望は自分が捨てない限り、なくならない」と返答。「自分の人生をどう生きるのかということを常に自問している。ああ、やっぱりあきらめたくないと思う」と話した。
 一方、SORD理事長の小泉二郎さんは「希少難病は患者が少ないため、治療法などの研究、開発が進まず、情報も得にくい。患者は孤立している」と指摘し、「専門の研究機関の設置や新薬開発のための環境整備が不可欠だ」と訴えた。【谷田朋美】

◆2009/02/06 ソルド:指定外の難病患者を支援 NPO、左京区で発足式 /京都
 『毎日新聞』地方版/京都 25頁
 ◇国への働きかけ、HPで情報交換など
 原因不明や治療法がないのに、国の指定がないため研究費や医療費助成が受けられない難病患者らを支えるNPO法人「希少難病患者支援事務局―SORD(ソルド)」(小泉二郎代表)の発足式が1月31日、左京区であった。患者同士の連携や難病(特定疾患)指定を求める運動を支える。小泉代表は「患者さんやいろいろな人たちと協力して、難病患者の支援をしていきたい」としている。
 国は、症例数が少ない▽原因不明で治療方法がない――などの条件を満たす病気を「特定疾患」に指定している。治療法確立に向けた研究費の支出や、医療費の公費負担がある。
 発足式では、手足の先から徐々に筋力が低下する「遠位型ミオパチー」の患者で、指定を求める活動をしている中岡亜希さん(32)=宇治市=が「私はあきらめない。できることから頑張っていきたい」と決意を語った。
 同NPOは今後、ホームページ(http://www.sord.jp)で患者同士の情報交換や、患者と子供との交流、行政への働きかけをしていく。【田辺佑介】

◆2009/01/25 筋力低下「遠位型ミオパチー」 難病指定求め、署名活動 目標100万筆=滋賀
 『読売新聞』大阪朝刊 32頁
 ◇彦根の男性ら、目標100万筆 国に提出へ 
 国の難病(特定疾患)に指定されておらず、治療法も確立していない「遠位型ミオパチー」の患者会が、難病指定と治療薬の早期開発を求めて署名活動を続けている。当初目標の60万筆を達成し、近く90万筆に達する見通し。今後、100万筆を新たな目標にし、厚労相への要望書提出や、国会への働きかけなどを予定している。
 この病気は、手足の先から筋力が低下していく進行性の難病で、20〜30歳代で発症、平均十数年で車いす生活となる。患者会は昨年4月に発足、会員数は88人。
 同年11月、代表に就いた辻美喜男さん(47)(彦根市)は20歳頃に発病し、大学を中退。結婚を機にパソコンを学び、1986年、ブリヂストン彦根工場にプログラマーとして就職した。しかし、病気は徐々に進行し、今ではわずかに動く右手親指と口にくわえた棒を頼りにパソコンを操作する。
 同工場では、署名活動への協力だけではなく、スロープや自動ドアを設けるなどの支援をしてくれているといい、辻さんは「職場や家族に支えられている自分は、まだ幸せ。大学や就職など夢がかなったとたん、あきらめなければならない若い患者のため、まずは研究予算の対象にしてほしい」と訴える。
 ◇薬開発めど立たず
 一方、治療薬開発までの道のりは険しい。国立精神・神経センター(東京都小平市)などで治療薬の研究が進むが、開発のめどは立っていない。
 同センターの西野一三・疾病研究第1部長は「理論的に治療薬開発は可能だと信じているが、開発までに巨額の費用がかかる。患者数が少ないと採算が見込めないため、製薬会社の協力を得るのは難しい。日本には希少疾病の治療薬開発を支援する仕組みがなく、構造的な問題だ」と指摘する。

◆2009/01/24 難病患者に心の支援 連携・交流の場づくり NPO法人、京都で31日発足
 『読売新聞』大阪夕刊 10頁
 ◇特定疾患 指定めざす 
 治療法の確立されていない難病の患者・家族を支援するNPO法人「希少難病患者支援事務局」が31日、京都で発足する。患者同士の連携によって特定疾患指定を目指し、子どもらとの交流を通じて難病に対する社会の理解を深めていく。国は新年度、難病治療法研究の予算を大幅に拡大する予定で、メンバーは「難病患者を取り巻く環境の変化に弾みをつけたい」と期待している。
 同事務局の設立メンバー、中岡亜希さん(32)(京都府宇治市)は国内に推定300人とされる「遠位型ミオパチー」の患者。国際線の客室乗務員だったが、2001年に告知を受けて仕事を辞めた。手足の先から筋力が低下し、十数年で歩行困難になる進行性の難病で、現在は車いすで生活している。
 昨春発足した患者会(88人)で初代の代表に就任。大学時代に発症し、手足を動かせなくなった現代表の辻美喜男さん(47)(滋賀県彦根市)らと共に特定疾患指定を求める署名活動に取り組み、60万人分を集めた。さらに、活動に賛同した京都市内のフリースクール経営者らと「患者の連携を深めよう」と話し合い、NPO法人の設立を決めた。
 同事務局は、難病患者同士が交流する場を設けるほか、子どもや学生のボランティアを募り、患者の望むレクリエーションを実現できるようにする。今夏には患者とボランティアで富士登山も計画している。
 中岡さんは「患者が孤独から解放され、希望を持って生きていけるよう活動したい。一つの疾患の患者数は少なくても、多くの疾患の患者の声を合わせれば大きな力にできる」と話している。問い合わせは平日午後3〜8時、希少難病患者支援事務局(075・491・5553)。
 
 〈特定疾患〉
 〈1〉希少性(患者がおおむね5万人以下)〈2〉原因不明〈3〉効果的な治療法が未確立〈4〉生活への長期の支障、の4要件を満たす疾患のうち、国の特定疾患対策懇談会が治療法などの研究予算の対象を決める。現在は123疾患あり、うち悪性関節リウマチやパーキンソン病など45疾患は医療費の公費助成が受けられる。4要件を満たしながら未指定のままの難病は、数百にのぼるとされる。

◆2009/01/18 遠位型ミオパチー、難病「国の認定を」 指先から筋力低下、やがて車いす生活/福島県
 『朝日新聞』朝刊 37頁
 指先などから徐々に筋力が低下し、いずれ車いす生活になる「遠位型ミオパチー」。原因不明で治療法はなく、患者数など実態もつかめていない。昨年4月にできた患者会(事務局・埼玉県蓮田市)には約90人が参加、治療法の確立などを求めて国の難病(特定疾患)認定をめざす署名活動を続けている。これまでに1万人近くの署名を集めた、患者の一人で郡山市の浅川ひろ子さん(55)=写真=は「道は遠いが、この病気を多くの人に知ってもらい、認定に向けて頑張りたい」と話す。(日高敏景)
 浅川さんが体の異変に気づいたのは、26歳で次女を出産した直後のこと。腰痛と思って病院に行ったが、結果はいつも「異常なし」だった。ところが徐々に歩き方がおかしくなり、足を踏み出すにも時間がかかるように。指先には力が入らず、洗濯ばさみは口で挟んだ。つらく、不安な日々が続いた。
 病名が分かったのは次女の出産から6年後。当時住んでいた岐阜の大学病院で「筋肉の難病、原因不明、治療法なし、進行する」と知らされた。
 やれることは月1回程度のリハビリだけ。その後、症状は進み、40歳すぎには自力で立てなくなった。首の筋力も落ち、居間で座っている時にバランスを崩して仰向けに倒れたこともたびたびだった。
 浅川さんは当時を振り返る。「娘2人の手を引いて仲良く歩いた経験もない。母親らしいことを何もしてやれず、心の中で『ごめんね』って言い続けた。すてきな女性に育ってくれた娘たちを、今は誇りに思っています」
 9年前、夫の転勤で郡山に越してきた。見知らぬ土地で家にこもりがちだったが、介護ヘルパーの助けも借りて電動車いすを使うようになり、パソコン教室に通うなど行動範囲が広がった。発足したばかりの患者会のことをインターネットで知った時は、「私と同じ病気の人たちがこんなにいる」と胸打たれた。
 友人、知人が署名活動に協力してくれた。昨年9月にはJR郡山駅前で、知人ら30人と街頭署名を呼びかけた。「活動を通じて人の心の温かさ、つながりを感じました」と浅川さんは言う。
 国からの研究費補助対象になる特定疾患への認定をめざし、患者会は60万人を目標に署名活動を続けている。昨夏には舛添厚生労働相に要望書と署名の一部を手渡した。患者会のホームページ(http://enigata.com/)ではオンライン署名も受け付けている。問い合わせは浅川さん(024・938・0293)へ。
 ◇キーワード
 <遠位型ミオパチー> 筋肉そのものに原因がある筋原性疾患(ミオパチー)の多くは、筋ジストロフィーのように胸や腰、大腿(だいたい)部など体の中心に近い筋が侵されるが、遠位型は手足の先から筋力が低下する。国内の患者は300〜400人と推定されるが、はっきりした統計はない。
 代表的な三つの型のうち浅川さんの「縁取り空胞型」は20〜30代で発症、10〜15年で車いす生活になる。最近になってマウス実験が始まったが、現在123ある特定疾患ではないため、巨費が必要な「治験」の段階には、ほど遠いという。

◆2008/12/11 ラジオパーソナリティー:難病に負けず、声の笑顔届け−−京都・宇治の女性
 『毎日新聞』大阪夕刊 8頁
 手足の先から徐々に筋力が低下する原因不明の難病「遠位型ミオパチー」と闘う京都府宇治市の中岡亜希さん(32)が、今月から週1回、地元ラジオ「FMうじ」でパーソナリティーを始めた。夢をかなえた客室乗務員の仕事を病気で断念したが、同じ病気の人たちと患者会を作って活動している。「私自身、多くの人に助けられて生きてきた。悩みがある人に前向きな気持ちを伝えたい」と笑顔を見せた。
 中岡さんは97年に日本航空に入社。国内・国際線勤務だったが、99年ごろから歩くのがつらくなった。01年に病名告知。「不規則な仕事は無理」と思って休職した。症状は徐々に悪化し、つえが必要になり何度も転んだ。「当たり前のことがもぎとられていく」と悔しさに涙した。
 05年に両親のいる宇治市に戻った。車椅子で生活し、今は下半身はほとんど動かず握力もわずかだ。背中や肩の筋肉を使って着替えをする。医師のアドバイスで今年4月に患者会を結成。8月には約20万人分の署名を集め、治療費補助を受けられる「特定疾患」認定を国に求めた。
 ラジオ番組の司会者が署名活動のことを知ったのがきっかけで、中岡さんの共演が実現した。リスナーから寄せられた「口癖の『あーしんど』を言わないことにします」とのメッセージに対し、中岡さんは「私も言ってしまいます。少しだけ前を向く軽い気持ちが大事」と答えた。今後、告知された瞬間の思いや両親への感謝などを話すという。
 番組は毎週水曜日午前11時5分から10分間の「空と向日葵(ひまわり)」。同社ホームページ(http://www.fmuji.com/)でも聴ける。【藤田健志、写真も】

◆2008/09/03 [おかやま・ぱーそんず]難病と闘う仲間のために 中嶋嘉靖さん44=岡山
 『読売新聞』大阪朝刊 30頁
 ◇中嶋嘉靖(よしやす)(岡山市) 
 ◇指定目指し署名活動 
 循環器系、神経内科系の病に倒れ、4年前から5回の入退院を繰り返している。今でも筋力が低下する原因不明の病に苦しみながら、自分と同じような原因不明の病「遠位型ミオパチー」の患者に協力、難病指定を目指して署名活動に奔走している。「患者を支える輪を広げ、気持ちを共有したい」
 2004年5月、突然胸が苦しくなって総合病院に入院。心臓の筋肉が異常な動きをして脈拍が1分間に120以上にもなっており、「心室頻拍(ひんぱく)」と診断された。体内に入れた除細動器(ICD)が命をつなぐようになった。
 最初の入院から1年後、20〜30分立ち続けると、太ももやふくらはぎに激痛が走る症状が出始めた。薬の量を調節するなどして症状が和らぐのを待ったが、一向に改善されない。07年6月、国内トップレベルの専門医療機関として国立精神・神経センター(東京都小平市)を紹介され、血液を送った。今年4月、原因不明の難病だとの検査結果が届き、いっそう不安になった。
 病室に持ち込んだパソコンで、不安を紛らわせようとインターネットのサイトに自己紹介を登録していた。検査結果が判明したその日、遠位型ミオパチー患者の20代女性から、「良かったら難病指定を求める署名に協力して」と、メールが来た。
 メールで、その病気は手足の先から筋力低下が進む原因不明の筋疾患で、国内の患者数は約100人。難病指定を目指して今年4月、患者会が発足し、署名活動を始めたと知った。「僕はいつ意識を失うかわからない。その女性や会員たちの不安が実感できた」と話す。すぐ賛助会員になった。
 退院するまでの2か月間、担当医、看護師ら約40人から署名を集めた。退院後は筋委縮性側索硬化症(ALS)や膠原(こうげん)病など、様々な筋難病の患者会の総会に出向いたり、大学病院を訪ねたりしては、それらの患者や医療関係者に、遠位型ミオパチー患者の苦境を伝え、署名活動への参加を呼びかけている。これまで1人で約400人分の署名を集めた。
 一般に知られていない病気だからこそ、患者が精神的に支え合い、共に病魔に立ち向かえるよう支援したい――。薬で抑えても、日に何度も手足の激痛に襲われながら、病気は違っても「仲間のために」と、活動に励んでいる。(黒田聡子)

◆2008/08/19 「遠位型ミオパチー」難病指定へ応援求める 子どもらが知事訪問=滋賀
 『読売新聞』大阪朝刊 32頁
 ◇署名活動の子どもら、知事訪問 
 心臓から離れた指先などから筋力が低下し、治療法が確立されていない「遠位型ミオパチー」の難病指定を求める署名活動をしている子どもたち7人が、患者会の代表らとともに県庁を訪れ、嘉田知事に、病気への理解と署名活動への応援を求めた。
 京都市北区のフリースクール「イクイップ」に通う小学生は、患者会の中岡亜希代表(31)(京都府宇治市)に英語を教わっている。「僕たちも何かしたい」と、6月から各地で署名活動をしているという。
 嘉田知事から「国に対して、みんなが頑張っていることを伝えます」と励まされると、子どもたちは「病気のことをみんなに知ってもらいます」と応えた。
 草津市立矢倉小3年、小泉允志君(9)は「署名活動を頑張って、元気になった亜希ちゃんと一緒に遊びたい」と意気込み、中岡代表は「子どもたちのエネルギーをもらって早く病気を治し、活動の輪を広げたい」と話していた。

◆2008/07/13 筋力低下「遠位型ミオパチー」 難病指定へ支援訴え 患者会、知事と面会=滋賀
 『読売新聞』大阪朝刊 32頁
 ◇患者会代表ら知事と面会 
 指先など体の中心部分から離れた部位から筋力低下が徐々に進行する「遠位型ミオパチー」の難病指定を求める患者会の中岡亜希代表(31)(京都府宇治市)らが、県庁で嘉田知事と面会し、支援を訴えた。
 患者会によると、遠位型ミオパチーは原因不明で、20〜30歳代に発症するケースが多い。症状が進行すると、立つことや歩くことができなくなるほか、寝たきりになる可能性もあるといい、患者会には全国で56人の患者が登録している。
 国が難病(特定疾患)に指定すると、治療費の助成や原因究明などを行っている研究グループが研究費補助を受けられる。
 患者会では、遠位型ミオパチーの治療法が確立していないことから、「多額の調査研究費が必要」として、全国で署名活動を展開。今月中にも国に署名を提出したい考えだ。
 知事には、ともに20歳代前半で発症し、車いす生活を送っている中岡代表と彦根市の辻美喜男さん(47)が面会。中岡代表は「進行性の病気で時間がない」、辻さんは「病気自体が知られていないので、遠位型ミオパチーであることを認識していない患者がいる可能性がある」とそれぞれ訴え、知事は「できる限りの支援をしたい」と応じた。

◆2008/07/13 遠位型ミオパチー:難病指定に支援を 患者会が知事に要請 /滋賀
 『毎日新聞』地方版/滋賀 26頁
 指先など体の末端から徐々に筋力が低下していく「遠位型ミオパチー」の患者会(事務局・埼玉県蓮田市)がこのほど、県庁で嘉田由紀子知事と面談し、国の難病指定に向けた支援を要請した。
 遠位型ミオパチーは治療法が確立していない進行性の筋疾患。100万人に数人の割合で、多くは20〜30代で発症する。10年前後で歩行困難になり、病状が進むと、寝たきり状態になることも。現在、国立精神・神経センター(東京都)で薬を研究中だが、難病指定外で研究費補助が出ないため、開発のめどは立っていないという。
 潜在的な患者は全国で300〜400人とも言われるが、同会の中岡亜希代表(31)=京都府宇治市=は「病気の認知度が低く、正確な診断を受けていない人も多い」と指摘。今月中には、難病指定を求める署名約17万筆を厚労省に提出する予定で、中岡代表は「県からも応援メッセージを送ってもらえれば」と嘉田知事に要望。知事は「できるだけの支援をしたい」と応じていた。
 署名の協力など問い合わせは同会事務局(048・764・3881)。【近藤希実】

*この頁は平成24〜25年度 厚生労働科学研究 難治性疾患克服研究事業「患者および患者支援団体等による研究支援体制の構築に関わる研究」の一環として、その資金を得て作成されています。


*作成:櫻井 悟史矢野 亮
UP: 20120709 REV: 20120812, 13, 16, 20140120, 0805, 16, 20160116, 20210903
「難病」  ◇病者障害者運動史研究  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 
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