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東日本大震災 障害者関連政策・報道… 2013年9月

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災害と障害者・病者:東日本大震災


◆2013.09.13 「避難者の介護サービスはどこで? 特養、再建目指すも暗礁に 大熊(下)」[福島県]
 2013.09.13産経新聞
 http://sankei.jp.msn.com/life/news/130913/bdy13091307530000-n1.htm

 写真:夏祭りには多くの大熊町民が訪れた=福島県会津若松市のデイサービスセンター「サンライトおおくま」
 「福島県会津若松市の特別養護老人ホーム「会津みどりホーム」。車椅子の女性(88)は大島一浩施設長を指さすと、手を合わせ、拝むように言った。「あんただった。あんときは大変だった。ありがと、ありがと」
 過ぎる時間
 大島施設長は東日本大震災から10日後、東京電力福島第1原発から避難した特養入所者を迎えに行った。女性はそのときの一人だ。「覚えてたんだ。あのときのこと。大変だったよね」
 双葉町や大熊町の特養から受け入れた入所者は12人。運営する社会福祉法人「博愛会」で陣頭指揮をした小林欽吉常務理事は「見たら、とても黙ってられねかったよ。同じ人間なのに」と言う。当時、特養はどこも受け入れで定員を超過。同ホームはそれが今も解消されない。超過解消を優先すると、地元の待機者が入所できなくなる。今は地元住民を一定数入れると、避難者1人を定員に繰り入れる。避難自治体と受け入れ自治体はサービスを分け合わざるを得ない。
 原発避難者特例法に基づく会津若松市への避難者は約3700人で2割超が65歳以上。受け入れ自治体では介護サービスの需要増も予想される。小林常務理事は「いろいろなことが決まらない間に、避難した高齢者は年を取る。その人らのことを考えないと」。同ホームは需要増も予想し、短期入所を含む40床の増床を予定する。
 だが、かつての特養機能はない。この日は「大熊武扇会」のメンバーが訪れ、歌や踊りを披露。メンバーの一人(64)は「良かったわ。隣の家に住んでいた人もいるの。小さな町だから、みんな顔見知りなのよ」と喜んだ。
 利用者も訪れる人も大熊町民。片道1時間半かけて送迎される人もいる。避難した人は受け入れ自治体のサービスも使えるが、大熊町のコミュニティーがあるここに集まる。
 だが、受け入れ数が限られ、運営は赤字。佐々木正重施設長は「ウチの事業所は大熊町だけだった。『町民イコール私たちの事業所』だったから、どうしても町民のことを考える。別の場所で、別の事業をすることを考えられない」と話す。
 かつてサンライトに入所していた高齢者も、仮設住宅に暮らす高齢者もバラバラになってしまったが、もう一度、大熊町民が集まる特養を作りたい−。避難者が多い、いわき市に土地のあてを付けた。しかし、再集合できる介護職員は10人に満たなかった。いわき市の有効求人倍率(介護職関連)は2・79倍に上る。介護職の引き抜き合戦になれば、受け入れ側の抵抗感も強まる。計画は暗礁に乗り上げている。
 佐々木施設長の気持ちも揺れ動く。「これだけ人も場所もバラバラで大熊町民限定の施設は難しい」。一方でこうも言う。「5年後にどうなるのか。だが、自分で決められるわけではない。最近は腹が据わってきた。町のため町民のため、できることをしようと思う」(佐藤好美、村島有紀が担当しました)」

◆2013.09.12 「福島・南相馬の難病ALS患者 介護の担い手不足、深刻化」(被災地を歩いて:東日本大震災) [福島県]
 毎日新聞 2013年09月12日 西部朝刊
 2013.09.12毎日新聞
 http://mainichi.jp/area/news/20130912ddp012040013000c.html

 「東日本大震災の発生から11日、2年半を迎えた。在宅生活を送る難病患者にとって周囲の支えは不可欠だが、被災地では活動休止に追い込まれた介護事業所もあり、ヘルパーら担当者の退職も相次いでいるという。介護支援の担い手不足の中、患者や家族は現実にどう向き合えばいいのか。筋萎縮性側索硬化症(ALS)を抱えながら福島県南相馬市鹿島区の自宅で暮らす矢野正幸さん(46)を訪ねた。【蒔田備憲】
 福島県北部の太平洋に面する南相馬市。先月下旬、2階建て自宅の庭に建つプレハブ小屋に、矢野さんはいた。6年前、全身の筋肉が徐々に萎縮するALSと診断され、以来、体が動かなくなる症状に苦しみ続けている。溶接関連の仕事の作業中、異変を感じた。工具を持つ腕がしびれ、次第に足取りも不安定になったという。
 あの日、同市も地震と津波に襲われた。幸い、自宅は大きな被害を免れたが、原発事故の影響を恐れ、宮城県内の実家に避難した。が、介護用設備などが整っておらず約2週間後、戻ったという。
 プレハブ小屋は、矢野さんが日常生活を送る居宅。ベッドや介護機具、パソコン、テレビがそろい、愛犬、愛猫が歩き回る。車イスの矢野さんはパソコンの画面の文字を見ながら、接着テープで右手に固定したマウスを操作。車イスの背もたれに貼り付けたもう一つのマウスに首を傾けてクリックする。大きな声は出せないうえ指を自由に動かすことも難しく工夫した。
 施設のデイサービスに週3回通って風呂や食事の介助を受け、残りの平日にはヘルパーが訪問。夜間と土日は家族が手助けする。ショートステイ(短期入所)は人手不足を理由に断られ、長時間のヘルパー派遣を利用できる重度訪問介護については対応できる事業所が市内にはない。
 市の担当者によると、事業所の休止と退職するヘルパーが相次ぎ「申請に対応しきれない」という。介護事業所職員は「震災後、体調を崩すなどで利用者は増えているが、担い手は増えていない。このままではもたない」と危機感を口にする。
 矢野さんの妻幸恵さん(46)は事務の仕事をし帰宅後、介護と家事に追われる日々。「『介護中の家族が無理心中』というニュースに、いけないとは思いながら気持ちは分かる。一体どうしたらいいんだろうって。先が見えなくて」と苦境を語る。そばで聞いていた矢野さん。「家族に迷惑をかけている」とつらそうな表情でパソコンに向かった。
 彼らが孤立し、追い込まれないためには精神的ケアも必要だ。一朝一夕では解決しない課題にどう対処すればいいのか。今も考え続けている。

◆2013.09.11 「被災3県“孤独死”81人 仮設生活長期化で課題」
 2013.09.11産経新聞
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130911/lcl13091116250000-n1.htm×


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UP:2013 REV:
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