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東日本大震災 障害者関連報道 2012年11月

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災害と障害者・病者:東日本大震災

 last update:20130204
新聞記事見出し

新聞記事本文
◇希望新聞:東日本大震災 歩む・岩手県陸前高田だより 伝統のツバキ油作り再開
’2012.11.30 毎日新聞東京朝刊 24頁 総合面)
 作業場に、甘い香りが漂った。ツバキ油の生産では列島北限の、岩手県陸前高田市。障害者就労施設「青松館 せせらぎ」で、石川秀一さん(63)が実の乾燥度を確かめながら慎重に、搾り機を操っていく。「うん、良い出来だね」。三陸の冬の風物詩が今月、2年ぶりに戻ってきた。
 1955年に創業した石川製油所の2代目だった。三陸・気仙(けせん)地方のツバキは激しい寒暖の差で実が締まり、純度が高い「気仙椿」油は全国でもファンが多い名品だ。大手の一般食用油に押されて同業者が次々店をたたむ中でただ一人、技術を守り続ける誇りと使命感を持っていた。
 しかし、大津波が全てを流した。何より、長男(当時37歳)が消防団活動中に殉職したことで、心が折れた。「後継者を失ったら普通は廃業じゃないか」
 青松館から声をかけられたのは、昨年夏。「うちなら国の補助が出る。施設で再開し、就労者を指導してほしいんだ」。固辞はしたが、相手は引かない。「伝統の灯を消して、後悔しないのか?」
 今春、青松館に待望の機械が導入された。試し搾りしてみると、南隣の宮城県気仙沼市から人が訪ねて来た。「老人クラブ費を工面したいんで、冬に実を買い取ってほしい」
 地元の顔見知りも、復活の日が楽しみだよと寄ってくる。思わぬ反響。石川さんは「皆から背を押されて……。息子も満足かな」とはにかんだ。この秋、畑作りも始めた。【根本太一、写真も】


◇福祉避難所:災害時のサポート、成田市が11施設初指定 「全然足りない」 県内自治体整備進まず /千葉
(2012.11.29 毎日新聞地方版/千葉 22頁)
 成田市は今月、昨年3月の東日本大震災を踏まえ、大規模災害時に高齢者や障害者などの避難生活をサポートする「福祉避難所」として、老人ホームなど11施設を初めて指定し、協定書を締結した。災害弱者には欠かせない避難所であり、市は今後も指定施設を増やす方針。しかし、県内の市町村の中で1カ所でも指定している自治体は9月末で37・0%と、11年度末時点の全国都道府県平均(41・8%)を下回っている。全国平均は震災後、上昇しているとみられ、県は「千葉は整備が遅れている。必要性を各自治体に説明し、働きかけていきたい」と話している。【味澤由妃】
 福祉避難所は、一般の避難所での共同生活が難しかったり、特別な配慮が必要なお年寄りや障害者、妊産婦らとその家族が避難する施設。老人ホームなどをあらかじめ指定し、災害時、速やかに利用できるようにする。成田市が締結した11施設は、成田市と富里市にある特別養護老人ホームや障害者支援施設で、災害発生時の状況によって異なるが、11施設で約120人が受け入れ可能という。
 厚生労働省は08年に福祉避難所のガイドラインを策定し、既存施設の中から「福祉避難所」を指定するよう自治体に促してきた。しかし、指定は各市町村に委ねられており、指定の状況は地域格差が大きいのが実情だ。
 震災時では、宮城県など東北の被災県で、事前に指定された施設がなく、福祉避難所を急きょ整備するまでに数カ月かかったケースがある一方、旭市では10年2月に市内6施設と既に福祉避難所の協定を締結していたため、震災発生日のうちに開設することができたという。
 しかし、県によると、9月末時点で、福祉避難所は県内54市町村のうち20市町村にある340施設。11年3月末の13市町村146施設より増えているが、全国と比較すると、依然、自治体の指定率は低いまま。今回、締結を結んだ成田市も、災害時に1人で避難が難しい住民約1万300人を抱える。実際に福祉避難所が必要な人数を調査中だが、「11施設では全然足りない」(同市)状況だ。
 また、岩手県の施設では震災時、避難が長期化し、無料で利用する避難者と、利用料を払っている元々の入居者との間に不公平感が生まれ、避難者が施設を出ざるを得なくなった場合もある。利用期間など運用方法の整備も急がれるという。
 同市は「協定施設を増やすほか、通常の避難所に福祉コーナーを設置するなどして、避難所のサポート環境を改善していきたい」と強調している。


◇[復興掲示板] 
(2012.11.23 読売新聞東京朝刊 復興A)
 ◇東日本大震災
 ◎復興住宅着工 まだ2割 河川堤防、国道は9割復旧 政府が初の報告書 
 政府は22日、東日本大震災の復興状況に関する報告を閣議決定し、国会に報告した。復興事業の進展状況を割合で示しており、河川堤防や国道など社会基盤の復旧は9割以上と高かった一方で、復興住宅の着工は2割にとどまるなど、被災者の住まいの再建に時間がかかっている現状が改めて浮き彫りになった。
 復興基本法は、政府が毎年、国会に復興状況を報告することを義務づけており、この日閣議決定されたのは同法に基づく初めての報告。主に今年9月末までの状況を復興庁がまとめた。
 報告によると、社会基盤の復旧状況では、被災した国直轄の河川堤防2115か所のうち99%の2111か所で工事が完了したほか、国直轄国道も被災した1161キロのうち97%の1127キロが開通するなど、ほぼ復旧している。ただ、「海が見えなくなる」と地域住民から反対の声もあがる海岸堤防や防災林の再生事業の着工は、約2割にとどまった。
 一方、主に市町村が進めている被災者の住宅再建は、用地取得などに時間がかかっていることから着工が遅れており、避難者の「仮設住まい」の長期化が懸念される。
 復興住宅の必要世帯数2万952戸に対し、着工できたのは20%の4227戸。高台移転などを進める防災集団移転事業についても、工事を始めるのに必要な国の同意を得られた地区は58%の159地区にとどまっていた。
 避難者は震災直後の約47万人から14万人以上減って32万6873人。民間アパートなどを借り上げる「みなし仮設」が最も多く16万2056人、次いで仮設住宅が11万3956人、公営住宅などが2万9822人だった。原発事故に見舞われた福島県の避難者は約15万9000人で、このうち約11万1000人は、避難指示区域などからの避難者だった。
 ◎再予算化「手続き簡素に」 復興相 
 震災の災害復旧費約2800億円が今年度末以降は繰り越せず、国庫返還の恐れが出ている問題について、平野復興相は22日の閣議後記者会見で、「現場の声はきちんと受け止めて考えなければならない」と述べ、被災自治体の要望に、対応を検討する考えを示した。
 昨年度予算で計上された岸壁補修や農地復旧などの予算の多くは今年度へ1度繰り越されているが、工事は遅れている。地方自治法などの規定から来年度に再繰り越しはできないため、消化できなかった予算は国庫返還後に再予算化しなければならない。その場合は事務作業が膨大となるため、平野復興相は「手続きを簡素化する」と話した。
 ◎県内のアドバイザー 除染などで意見交換 環境省と福島県
 環境省と福島県は22日、県と県内市町村が委嘱している放射線などに詳しい専門家のアドバイザーを集めた意見交換会を、福島市で開いた。
 放射線の健康への影響や除染作業などについて助言を得るため、市町村などがそれぞれ医師や大学教授らにアドバイザーを委嘱している。会合では、県や環境省の担当者が県民健康管理調査や除染の現状について説明。アドバイザーからは、「除染の手順が国の手引に縛られ、無駄が多い」といった意見や、「(健康調査で)甲状腺にしこりが見つかった子どもの人数は多いと言えるのか」といった質問が出ていた。
 意見交換会には市町村の担当者も参加し、「住民から『どれくらいの数値の線量が安全なのか、基準を示してほしい』と言われる」「市独自に甲状腺検査を行っているが、県の傾向と異なる」といった現場の実情なども訴えた。
 意見交換会は、今年度中に、あと3回開催する予定。
 ◎本殿土台 修復終わる いわき・住吉神社 
 大震災で傾いていた福島県いわき市の県指定重要文化財「住吉神社本殿」が22日、土台の修復工事を終えて、一般公開された。
 現在の本殿は1641年に建築されたもので、江戸初期の桃山建築の遺構を伝える建造物。震災で土台に亀裂が入り、建物が傾斜するなどの被害を受けた。
 大きな地震が再び起きれば倒壊のおそれがあるため、10月から約1か月かけて土台部分をワイヤや合板などで補強する工事が行われた。
 22日は、地元住民らが訪れ、修復を手がけた1級建築士の松本庸器(つねき)さん(54)の説明を聞きながら、補強された柱や補修された彫刻などを見学した。同市小名浜住吉の竹原公一さん(68)は「建物の内部を見たのは初めて。江戸時代の建築技術に感心した。元通りに戻って、安心した」と話していた。
 ◎「福島の誇り」胸に走る 白河市の公務員ランナー 大阪マラソンへ 
 大阪市を舞台に開催される第2回大阪マラソン(25日、読売新聞社共催)に、震災と原発事故の影響が続く福島県から47人が出場登録している。その一人、同県白河市教委に勤める有馬英寿さん(34)=写真=は、陸上の有力選手を輩出してきた地として「ランナー王国・福島の誇りを胸に、自己記録の更新を」と誓う。
 福島県は長距離競技が盛んで、出身者には箱根駅伝で活躍した柏原竜二選手、今回大阪も走る北京五輪代表の佐藤敦之選手らがいる。
 有馬さんは震災で同県須賀川市内の自宅が全壊。月350キロ以上走っていたが、放射能汚染への不安から練習もやめ、酒をあおる夜が続いた。
 「このままでは落ち込むばかり」と考えた時、思い至ったのはやはり走ることだった。半年後に練習を再開。市町村対抗の「ふくしま駅伝」に出る地元チームのコーチも、今年5月から務めるようになった。
 一方、職場では市の体育施設の除染作業を担当する。「警戒区域を除けば普通の生活が戻りつつある」が、除去した土の保管先に困る現状もあって、復興はまだまだ道半ばとも感じる。
 18日に行われたふくしま駅伝には、51市町村のランナーが集い、原発事故で避難生活が続く双葉郡からも6町が参加した。「今、自分と同じように、郷土の誇り、絆を深めたいと走る県民は多い」と感じた。大阪では自己最高2時間57分を破ることで、自分なりの福島の誇りを見せたいと思っている。
 ◎完済なくても抵当権抹消 宮城の26金融機関 集団移転へ協力 
 集団移転で自治体が被災宅地を買い取る際に抵当権が障壁となっている問題で、宮城県銀行協会加盟の全26金融機関が、被災者が土地の売却代金をローン返済に充てることを条件に、完済されなくても抵当権を抹消することで合意した。県銀協が22日発表した。
 同県では集団移転が本格化しており、移転先が決まった被災者は、自治体と被災した土地の買い取りについて話し合いを始める。しかし、抵当権が残されたままだと、自治体は、規則などで物件を購入することができず、移転の妨げになるという懸念が出ていた。
 このため県銀協が今月、加盟金融機関に抵当権抹消への協力を文書で呼びかけ、県内の有力地銀である七十七銀行や仙台銀行が応じる意向を示した。また、住宅ローン大手・住宅金融支援機構(東京都文京区)も、同様の条件で抵当権を抹消する方針を示している。
 ◎メダリストら仙台でパレード 来月2日 
 日本オリンピック委員会(JOC)と日本障害者スポーツ協会は22日、震災復興支援のため、今夏のロンドン五輪、パラリンピックのメダリストと参加選手の仙台パレードを12月2日に行うと発表した。選手たちは被災地の仮設住宅なども訪問する。
 レスリング女子48キロ級金メダルの小原日登美選手(自衛隊)や陸上男子ハンマー投げ銅メダルの室伏広治選手(ミズノ)ら50人以上が参加する予定。
 2日午前は、3班に分かれた選手たちが福島県二本松市、宮城県名取市、岩手県大船渡市の仮設住宅などを訪問。その後、同日午後2時半から仙台市内の宮城野通りを徒歩でパレードする。3日には福島県会津若松市、仙台市、岩手県の宮古市と山田町を訪れる。
 記者会見した小原選手は「力をいただいた被災地の皆さんにありがとうと伝え、金メダルのパワーを分かち合えればうれしい」と語った。詳細はJOC公式サイト(http://www.joc.or.jp/)で。
 
 〈難題がれき〉
 ◎大阪市への搬入始まる
 大震災で発生した岩手県のがれきが22日朝、大阪湾の人工島・夢洲(ゆめしま)(大阪市此花区)のコンテナ港に陸揚げされた。大阪市は今月中に試験焼却し、安全性を確認して来年2月から本格処分に入る。西日本での震災がれきの受け入れは北九州市に次いで2例目だ。
 運び込まれたのは木くず中心の可燃がれき約100トン。岩手県を17日に出港したコンテナ船は午前8時前、夢洲に到着。作業員が甲板上でコンテナ10個の放射線量を測って基準値を上回っていないことを確認し、クレーンでトラックに移した。コンテナは22日夕までにすべて夢洲の保管施設へ搬送された。
 大阪市は試験焼却で問題がなければ、来年2月から来年度末までに震災がれき約3万6000トンを受け入れる方針だ。
 
 ◎宮古の不用漁具を金沢で受け入れへ 市長が意向表明
 金沢市の山野之義(ゆきよし)市長は22日の市議会で、震災の津波で使えなくなった岩手県宮古市の漁具、漁網を受け入れる意向を表明した。山野市長は「議会の議決が得られれば岩手県と協定を締結したい」とし、来年12月までに約5000トンを受け入れ、金沢市内の埋め立て場で最終処分する方針。埋め立て場周辺に放射線を測定するモニタリングポストを設置することも説明した。
 経費については原則、国や岩手県の負担で調整するとし、「被災地が処理に困る漁具、漁網を受け入れることで復興が大きく前進することを期待する」とした。
            ◇
 これまでに身元が判明した犠牲者の方々は、「ヨミウリ・オンライン」(http://www.yomiuri.co.jp/)で、掲載しています。
 
 ◎情報をお寄せください。〒104・8243 読売新聞東京本社 復興掲示板取材班へ郵送、ファクス(03・5200・1836)、電子メール(naishin@yomiuri.com)で。住所、氏名、連絡先の電話番号を記してください。インターネットなどで使うこともあります。
 

◇車いすで被災地歩く あす、大阪のイベントで報告
(2012.11.22   読売新聞大阪朝刊 生活A 25頁)
 東日本大震災の復興に障害者の視点をと、車いすの人らが8月、岩手県の沿岸部約150キロの道のりを12日間かけて歩いた。「みちのくTRY(トライ)」と題したこの取り組みについて、今月23日、大阪市内で開かれる被災障害者支援イベントで、参加者らが報告する。
 「TRY」は、鉄道のバリアフリー化を求め、障害者が野宿しながら沿線を旅する運動。1986年、関西の障害者が始め、各地に広まった。
 今回は被災地の障害者団体などが呼び掛け、神戸、沖縄、名古屋などから約50人が集まった。8月19?30日の日程で、宮古市田老地区から陸前高田市の「奇跡の一本松」までを踏破。途中、バス会社や鉄道会社、自治体に立ち寄って要望書を提出。課題を指摘してきた。
 大阪市住之江区のNPO法人「自立生活夢宙センター」(平下耕三代表)からは、岡前美保子さん(46)ら車いすの3人と、スタッフ5人が参加した。
 炎天下、頭に何度も水をかけながらの行脚。ガタガタになった舗装の亀裂や歩道の段差に車輪が引っ掛かり、3人がかりで押し上げた急坂もあった。公民館や作業所などで寝泊まりした。仮設住宅にも立ち寄ったが、風呂やトイレに段差があり、不便を感じたという。
 また、みちのくTRYの事務局を務めた自立生活センター「CILもりおか」(盛岡市)の川畑昌子さんは、無人駅では介助者の確保が難しく、車いすでの利用に支障が出る場合もあるなどの問題を挙げている。
 岡前さんは「やり残したことがまだあるように思う。被災地ではこれからもTRYを続けてほしい」と話していた。
       ◎
 23日のイベント「第3回東北←→関西ポジティブ生活文化交流祭」は午前11時?午後5時、大阪市東住吉区の長居公園で開催。ステージや飲食ブース、さをり織りなど被災地で作った物品の販売もある。活動報告は午後1時10分からの予定。問い合わせはNPO法人ゆめ風基金(06・6324・7702)。


◇南海トラフ巨大地震:県の津波浸水想定、鳴門市で自主防に説明 /徳島
(2012.11.21 毎日新聞地方版/徳島) 
 県が南海トラフ巨大地震の新たな津波浸水想定を10月末に発表したことを受け、鳴門市役所で20日、市内の自主防災会の代表者らを集めた会議が開かれた。県の担当者らが、同市の浸水面積が国の想定の2倍以上の35・3平方キロに拡大したことなどを説明した。
 会議には、各地区の自主防災会長ら約40人が参加。県の担当者からは、市内の粟田漁港や里浦海岸などの地点の津波の到達時間や高さなどについて説明があった。参加者からは「数値だけ教えられても住民に逃げようとの実感が湧かない。具体的な被害や対策を教えてほしい」などの声が上がった。
 また、会議では、高齢者や障害者ら災害時の避難に助けが必要な住民を登録する「災害時要援護者避難支援登録制度」に関しても説明があり、市の担当者が防災会による要援護者の把握と登録推進を呼び掛けた。【加藤美穂子】


◇新聞配達員が「見守り」 宅配業者も 長浜市が協定締結=滋賀
(2012.11.20 読売新聞大阪朝刊 セ滋賀)
 長浜市は19日、読売センター(YC)など市内の新聞販売店18店舗やヤマト運輸2支店と、独り暮らしの高齢者や子ども、障害者らを対象にした「見守り活動」に関する協定を結んだ。新聞販売店との見守り支援の協定締結は、県内の自治体では初めて。
 市は2008年度から、民生委員や自治会などと連携し、災害時の避難支援や日常的な見守り活動に取り組んできた。高齢者の孤立死や児童虐待などを防ぐため、より幅広く協力を求めることにした。
 協定では、配達や集金などの業務を通じ、「家に新聞や郵便物が数日間たまっている」「顔や体に不自然なあざや傷ができている」といった異変に気付いた際、市や警察、消防署に連絡する、としている。
 この日、市役所で協定の伝達式があり、藤井勇治市長が、各店の代表らに協定書を手渡した。市は今後、郵便局などにも協力を呼びかけていく。
 

◇東日本大震災:住民発の構想を行政に 復興住宅考えるシンポ−−仙台・あすと長町仮設 /宮城
(2012.11.19 毎日新聞地方版/宮城) 
 仙台市太白区のあすと長町仮設住宅で18日、復興住宅(災害公営住宅)のあり方を考えるシンポジウム「復興のその先にあるハウジング〜シェアある暮らしの創造へ〜」が開かれた。同仮設住宅の住民は、復興住宅への移転後も仮設住宅で醸成されたコミュニティーを維持しようと、自分たちで復興住宅の構想を練る取り組みを続けており、参加者は「住民発のアイデアを行政につないでいく仕組みが必要」などと訴えた。
 同仮設住宅の住民でつくる「あすと長町仮設住宅コミュニティ構築を考える会」などが主催し、市民ら約40人が参加した。
 シンポジウムでは、集合住宅入居者の居場所づくりに取り組む住民らが、共同で農園を営む横浜市の「さくらガーデン」や、障害者と健常者が共に暮らす東京都の「ぱれっとの家いこっと」などを紹介した。
 パネルディスカッションもあり、登壇した愛知産業大大学院造形学研究科の延藤安弘教授は「行政任せにすると、モノや金のことばかり考えた復興住宅になってしまう。住民主導で人ありきの住宅を考えるべきだ」と指摘した。【金森崇之】


◇(リポートおおいた)福祉避難所、指定は進むが 地震想定し高齢者ら避難訓練/大分県
(2012年11月18日 朝日新聞朝刊 大分全県・1地方)
 災害時に高齢者や障害者らが避難生活を送る福祉避難所=キーワード=の指定が進んでいる。県が年内の目標とした314施設の指定は、達成できる見通し。ただ、そこまで移動する交通手段の確保、避難先での介助要員の確保など、課題は多い。

 「避難警報が出ました。小学校に避難して下さい」
 10月29日午後1時、津久見湾に面した津久見市長目の養護老人ホーム「しおさい」で県主催の避難訓練が始まった。最大震度7の地震が起き、高さ2メートル以上の津波が来るとの想定だ。
 参加した入居者は26人。半数近くは歩行器や杖を頼りに、320メートル離れた一時避難先の長目小学校の体育館を目指した。自力で歩けない人はホームの車3台に分乗。最後の車が出発したのは1時13分だった。
 全員が体育館に着いたのは「地震発生」から21分後。国が発表した南海トラフ巨大地震の被害想定によると、津久見市への津波(高さ1メートル)の到達は最短で地震から37分後。それには間に合った。
 「現地への支援を、お願いします」。体育館から市福祉事務所へ、ホーム職員が携帯電話で要請した。
 市福祉事務所は県に、県は周辺市町村に連絡。各市町村は地元の指定福祉避難所に電話を掛け、被災を免れて受け入れ可能な施設を探す。見つかれば、県と津久見市を通じてホーム職員に連絡が入る手はずだ。
 連絡が入るまで9月の初訓練では1時間、10月の2回目は37分を要した。3回目の今回は36分だった。
 今回は豊後大野市の特別養護老人ホーム「紫雲荘」が引き受けたという想定。ここからは入居者6人とホーム職員2人が訓練を続けた。午後2時過ぎ、県社会福祉協議会(社協)が用意したバスで体育館を出て、約1時間後に33キロ先の紫雲荘へ到着。健康診断で6人の体調に異常はなかった。

 ◎移動手段に課題 「1次避難所の整備を」の声も
 3回の訓練について県社協は「毎回、運用を改善した。3回目の反省点は、ほぼなかった」。県は、障害者施設から旅館・ホテルへ避難する想定の訓練も年内に行い、福祉避難所の運営マニュアル作りに生かす。
 だが、課題は残る。特に1次避難所から福祉避難所への移動手段は問題だ。
 今回の訓練で使ったバスは県社協が用意したが、実際の災害発生時に、どこがバスを出すかは決まっていない。県社協は「7月の豪雨で、ある高齢者施設が被災した時、他の施設から職員が応援に来た。バスなどの物的支援も施設間で出来るはずだ」と説明する。
 地震で道路が壊れれば移動できない。県福祉避難所指定促進事業推進会議委員で県ボランティア連絡協議会長の松本保さんは「道路が通じるまでの数日間は1次避難所で過ごさねばならない。学校の体育館ではなく教室を提供するなど、1次避難所でも要援護者に配慮すべきだ」と指摘する。
 福祉施設以外の旅館やホテルなどを福祉避難所に指定した場合、手すりやスロープを設置するなどのバリアフリー化、介助員の確保も課題になる。県は、避難所に指定されてもバリアフリー化の費用を補助する予定はなく、介助員は要援護者の家族やボランティアをあてにしているという。
 福祉避難所より1次避難所の確保が先だという指摘もある。今回の訓練に参加した老人ホーム「しおさい」は標高3メートルという低地にあり、裏手は山。高台に逃げるには、けもの道を通るしかない。ホーム施設長の小野淳哉さんは「近くに1次避難所がない。まず、それを整備しないと生き延びられない。福祉避難所の指定だけでは安全につながらない」と懸念している。
 (新宅あゆみ)

 ◎キーワード
 <福祉避難所> 高齢者や障害者、妊婦ら災害時に援護が必要な人たち(要援護者)に配慮した市町村指定の避難所。耐震やバリアフリーの構造を備え、介助員を置くことなどが条件で、老人ホームや障害者療護施設が多い。県内は8月27日現在で228施設が指定済み。県は1小学校区に1施設を基準とし、年内に314施設(他に旅館・ホテル12施設)の指定を目指す。それで約2200人分を確保できるという。県内の要援護者は推計20万人。


◇ボランティアに親しむイベント 文京=東京
(2012.11.18 読売新聞東京朝刊 都民)
 ボランティア活動に親しんでもらうための「文京ボランティア・市民活動まつり」(文京区社会福祉協議会主催)が17日、文京区民センター(本郷4)で開かれ、区内を中心に約70のボランティア団体やNPO法人が参加。活動報告のパネル展示や、ダンス・演劇などの日頃の練習成果を披露した。
 災害をテーマにしたコーナーでは、身近なものを活用した避難グッズを展示。割れたガラスから足を守る新聞紙製のスリッパや、粉じんを予防するトイレットペーパーでできたマスクを紹介した。
 災害時に障害者が何を必要としているかを理解するためのシンポジウムも開かれ、外見だけでは判断ができない聴覚障害者への支援の必要性などが議論された。


◇福祉サービスに暴排基準 福岡市審議会答申 災害対策充実も=福岡
(2012.11.16 読売新聞西部朝刊 福岡)
 福岡市保健福祉審議会(委員長=石田重森・福岡大名誉学長)は15日、高齢者や障害者へのサービス事業について、暴力団排除や災害対策の充実など、市に独自の基準を設けるよう答申した。
 高齢者や障害者の入所施設やホームヘルプなどサービス事業は、厚生労働省が設備や運営の基準を設けていたが、法改正により条例で定めることになった。そこで市は、どのような基準とすべきか、同審議会に諮問していた。
 答申では、これまでの厚労省の基準に加え、施設やサービス事業から暴力団を排除する項目を設定。高齢者向けの福祉施設に関しては、地震や土砂崩れなど災害別に行動計画を策定することや、グループホームなどにも手すりを設置するなど24項目をまとめた。
 答申を受け、市は12月に条例を制定し、来年4月の施行を目指す。


◇災害弱者の名簿 開示可能 市町村と福祉団体 緊密連絡 法改正へ
(2012.11.14 読売新聞東京夕刊 夕一面)
 ◎緊急時すばやく避難誘導 
 災害時に、支援が必要な高齢者や障害者などの避難誘導と安否確認を迅速に行うため、内閣府は、災害対策基本法を改正する方針を固めた。提供に同意した個人の情報を集めた名簿の作成を市町村に求めるほか、民間の福祉団体などに、平常時から開示できるようにする。有識者による議論を経て、来年の通常国会への法案提出を目指す。
 市町村が作る災害時要援護者名簿は、災害発生後だけでなく、平常時の防災訓練や避難支援計画作りなどにも活用する。その際、地域の障害者団体や福祉事業所など民間団体の協力を得るため、氏名、住所、年齢、性別、身心の状況などの個人情報を開示して共有できるように定める。
 東日本大震災では、市町村職員も被災し、行政による安否確認と支援が遅れた。そのため、現地支援を行っていた民間の障害者団体が、安否確認のために身体障害者手帳などの個人情報の開示を求めるケースが相次いだ。だが、読売新聞が震災から3か月たった昨年6月に実施した調査では、開示を求められた宮城、岩手、福島3県の8市町村のうち、応じたのは福島県南相馬市だけ。その結果、支援が届かず、孤立する障害者らもいた。
 現在、各市町村が定めている個人情報保護条例でも緊急時には個人情報を第三者に開示できる。しかし、被災市町村の担当者からは「どういう団体かも知らずに開示はできない」という声が聞かれた。緊急時の開示が実現しなかった背景として、平常時から官民の協力体制を作っていなかったことが指摘されていた。
 法改正により、迅速な支援が期待される反面、個人情報の流出や悪用をどう防ぐか、名簿への記載を拒んだ人への支援をどうするかといった課題は残る。内閣府は今年度末までにこれらも検討し、指針に盛り込む予定だ。
 
 〈災害時要援護者名簿〉
 自力での避難が困難な高齢者、障害者、乳幼児、妊婦など「災害時要援護者」の所在や状況を把握し、避難誘導に役立てるため、平常時から市町村が作成しておく名簿。氏名や住所などが掲載される。現行では、国は法律ではなく、ガイドラインで市町村に作成を促している。2012年4月1日現在、作成済みの市町村は64%。
 

◇災害時 要援護者受け入れ 三朝町 民間福祉法人と協定=鳥取
(2012.11.14 読売新聞大阪朝刊 鳥取2)
 三朝町は、老人福祉施設などを災害時の要援護者の一時避難所として利用する協定を、同町の社会福祉法人「福生会」と町社会福祉協議会との間で結んだ。町によると、民間施設を避難場所に使う協定は県内では鳥取、境港両市と智頭町が結んでいるが、県中部では初めてとしている。
 地震や風水害の際、町の要請に基づき、福生会の介護老人福祉施設「三喜苑」と町立福祉センターで、自力避難が難しい町内の要介護者や身体、精神、知的障害者を受け入れる。町内には要介護者や障害者が約230人いるが、両施設で合わせて約40人を受け入れられるという。
 町総合文化ホールで行われた締結式には、吉田秀光町長と福生会の谷口宗弘理事長、町社会福祉協議会の鳥羽正芳会長が出席。吉田町長が「弱い立場の人を守るための協定であり、意義深い」とあいさつ。谷口理事長は「町と顔の見える関係を築き、三朝の安全を守りたい」と、協力を約束した。


◇要援護者リスト:同意なしで町内会長らに提供、秋田市覚書 災害時に迅速救助へ /秋田
(2012.11.14 毎日新聞地方版/秋田) 
 秋田市は、高齢者や障害者など災害時に自力避難が困難な要援護者のリストを、本人の同意なしに、町内会長と民生委員、自主防災組織代表に対して提供する取り組みを今月中に始める。3月に制定した市災害対策基本条例に基づくもので、同市寺内地区の13町内会長と民生委員14人との間で12日に覚書を締結した。覚書の締結は初めて。他の地区でも順次、締結を進める。【仲田力行】
 同条例は、災害時要援護者の所在を事前に地域で把握してもらうことで、迅速な救助や支援につなげる狙い。これまで個人情報保護の観点から本人の合意のない情報提供は困難だったが、東日本大震災を受け、災害時は近隣の助け合いが不可欠だとして条例を制定した。市によると、同様の条例は全国的にも少ないという。
 リストには、要介護度3〜5▽視覚障害1級▽聴覚、肢体不自由(下肢、体幹)の障害1、2級――の状態にある対象者の名前、住所、年齢、性別が記載される。覚書では、情報の利用は緊急時に限ると明記し、情報管理に万全の注意を払うものとしている。町内会長や民生委員が交代すれば市は改めて後任者と覚書を締結する。
 市は条例が施行される7月以降、寺町地区を含む15地区で同条例の説明会を開催。覚書の締結を進める。残る23地区の説明会も早期に開催したい考えだ。
 市地域福祉推進室によると、昨年12月時点の市内の要援護者約2万5000人のうち、同条例の対象者は約5000人とみられる。施設入所者などは対象外のためリスト掲載人数はさらに少なくなる見込み。同室は「災害はいつ起こるか分からない。早期に説明会開催と覚書の締結を進め、災害時に地域で助け合える態勢づくりを進めたい」と話している。


◇(声)災害時の要援護者一覧、作れ  【大阪】
(2012年11月13日 朝日新聞朝刊 オピニオン2)
 社会福祉法人施設理事長 三宅保昌(兵庫県たつの市 81)
 東日本大震災の津波被害を受けた福島県南相馬市で、市の健康福祉部長が障害者保護のために個人情報を福祉施設に示したことの是非が、議論になったという。それを報じた4日付「プロメテウスの罠(わな) どんな処分が出ても」を読んで、くぎ付けとなった。
 1995年1月の阪神・淡路大震災をきっかけに、災害時に援護を必要とする人々のリストの整備が、私たちが住む揖保郡御津町(当時)でも課題になった。独り暮らし老人世帯、寝たきり老夫婦世帯、乳幼児を抱える家庭、母子家庭、障害者を抱える世帯などを住宅地図に色分けしたリストを作ることになった。当時民生委員でかつ児童委員であった私は、該当する家庭を一軒一軒回って同意を求めた。
 当然ながら守秘義務の励行や、個人情報保護法との兼ね合いが議論になった。私はそのたびに「人の命は何ものにも代え難い。だからリスト作りを優先すべきだ」と主張し続けた。
 「プロメテウスの罠」では、障害者の個人情報を外部に提供したことについて南相馬市健康福祉部長は、「市民の命をとにかく救いたかったから。どんな処分が出ても受けるつもりだった」と話したという。その姿勢に共感した。


◇つむぐ:2012・11 あすと長町 仮設のコミュニティーを維持 住民主導の復興住宅 /宮城
(2012.11.14 毎日新聞地方版/宮城) 
 ◇自ら設計し、仙台市の公募に参加へ
 東日本大震災で自宅を失った被災者約225世帯が暮らす仙台市太白区の「あすと長町仮設住宅」。福島県や岩手県も含め、バラバラの地域から集まった被災者が入居する同市最大の仮設住宅で、震災後、ゼロからコミュニティーを作り上げた。住民たちは「仮設で作ったつながりを壊したくない」と、仮設住宅の近くにコミュニティーを維持したまま入居できる復興住宅(災害公営住宅)づくりという新しい取り組みを、行政任せではなく住民主導で進めている。
 同仮設住宅は、内陸部に位置したために希望者が少なく、多地域から住民が集まることになった。60歳以上が約65%を占め、健康問題やコミュニティー作りの課題に対応するため、住民は昨年8月からイベントなどで交流を深め、今年3月には自治会も作った。
 そして7月、復興住宅の在り方を住民主体で話し合うため、岩手県の被災者も含め100世帯以上が参加して「あすと長町仮設住宅共助型コミュニティ構築を考える会」を設立。識者や建築専門家を交えたワークショップを月1回開いている。
 住民からは「孤立しないよう隣人の息遣いが聞こえる住宅を」「子供も高齢者も一緒に過ごせる場所がよい」などの意見が出た。自治会ができる前の同仮設の住民リーダーだった鈴木良一さん(70)は、仙台市若林区の自宅が津波で流された。「考える会」が設立される前から「とにかく明るい仮設にしたい」と、イベントなどを企画して集会所に人を集めようと奔走してきた。
 鈴木さんは「建物が立派でも、住んでいる人が明るい復興住宅でないと意味がない。私たちの手で作っていこう」と、復興住宅の建物の姿形だけでなく、暮らしそのものにも思いをはせる。入居者でカフェを運営する案や若者向け仮設店舗を整備する案なども出され、話し合いには笑顔が絶えない。
 仙台市は、市内に建設を予定する3000戸の復興住宅のうち、1380戸については民間業者からの公募買い取りで住宅を調達する計画だ。「考える会」は、設計事務所や建設会社と協力して公募に参加する方針で、同仮設が建つ土地(約2万3600平方メートル)を所有するUR都市機構と土地買い取りの時期や手法などについての協議も始める。
 「考える会」は既に、約55世帯が入居できる地上11階建ての復興住宅を、専門家の助けを借りて設計。計画では、現在仮設が建っている敷地の北部分に2棟を建設し、1階には高齢者向けのデイサービス施設や集会所を設け、福祉や見守りに配慮した住宅とする。敷地南部分には戸建ての復興住宅や託児所、グループホームなどの整備も検討しており、今後、住民の意見を取り入れながら修正を加えていく。
 課題もある。仙台市が決めた復興住宅の入居優先順位だ。
 防災集団移転(防集)の対象者らは抽選をせずに優先的に希望の復興住宅に入居できるほか、障害者や70歳以上の高齢者がいる世帯にも専用の応募枠を設けており、抽選ではあるものの優先的に入居できる。当然ながら、「あすと長町」の住民は防集の対象者ばかりではない。市は、その他の一般抽選の中で、地域性を考慮した集団での応募を認めているが、どの程度の規模まで認められるかは不透明だ。自ら計画して建てた復興住宅に、住民が入居できない可能性もある。
 「考える会」は18日午後2時から、同仮設集会所で、復興住宅の在り方について考える無料のシンポジウム「復興のその先にあるハウジング」を開く。同仮設住宅の飯塚正広自治会長(51)は、「課題は残っているが実現したい。復興住宅での自治会など、ソフト面の組織作りもやっていきたい」と話している。【金森崇之】


◇行政ファイル:災害時要援護者支援の条例案を議員提案へ /兵庫
(2012.11.13 毎日新聞地方版/兵庫) 
 神戸市議会の民主、自民、公明、自民党神戸の4会派は12日、自力で避難するのが難しい障害者や高齢者ら「災害時要援護者」を支援する条例案を27日開会の11月市議会に議員提案すると発表した。阪神大震災や東日本大震災で要援護者が多く犠牲になったが、市個人情報保護条例で要援護者の情報が地域で共有されないなどの課題が指摘された。条例案では、情報提供に同意した要援護者の個人情報を支援団体に提供。市は福祉避難所を整備し支援団体とともに支援計画を策定する。


◇土砂流入:那智勝浦の障害者施設で 11日の大雨で山崩れ /和歌山
(2012.11.13 毎日新聞地方版/和歌山) 
 11日午後7時ごろ、大雨の影響で、那智勝浦町天満、知的障害者入居施設のグループホーム「ゆうなぎの家」(2階建て)付近の山ののり面が崩れ、2階の一室のベランダの窓ガラスを割って土砂が流入した。新宮署によると、けが人はなかった。入居者9人は別の施設に避難した。
 同施設のそばには、昨年9月の台風12号災害で被災した人たちの応急仮設住宅があり、同町総務課によると、15世帯27人が入居している。入居女性(72)は「近くに避難していて、戻ってから土砂崩れを知った。心配だ」と話していた。【岡村崇、藤原弘】


◇要援護者:横浜市、来年にも名簿提供 災害時、避難支援や安否確認 町内会などに、拒否者のみ除外 /神奈川
(2012.11.10 毎日新聞地方版/神奈川) 
 横浜市は、1人暮らしの高齢者や障害者ら災害時に自力で逃げるのが難しい「災害時要援護者」の個人情報について、町内会など地域で活動する団体に原則提供する方針を決めた。迅速な避難支援や安否確認をできるようにするほか、日ごろからの地域の絆づくりを図る狙いもある。来年2月の市議会に市震災対策条例の改正案を提出し、来年中の運用開始を目指す。【松倉佑輔】
 同様の施策は東京都渋谷区や中野区などでも行われているが、政令市では初めて。
 市の個人情報保護条例は、本人の同意があれば個人情報を提供可能と規定。区役所からの確認に同意があった場合は名簿を提供できる。しかし、同意確認に対して積極的に返信する人は多くない。区の確認に同意した要援護者の割合は、最低の保土ケ谷区で31%、最高の栄区でも54%にとどまっている。
 そのため、地域の団体と要援護者の双方から「行政は個人情報保護ばかり重視せず、情報を提供して地域の関係作りに生かすべきだ」「支援が本当に必要な人の把握につながらない」などの声が多く寄せられていた。
 新たに想定している方法は、区役所が要援護者に対して個人情報を提供する前提で事前に通知。拒否の意思表示がなければ、町内会などに名簿を提供できるようにする。この方法により、要援護者の8〜9割をカバーできると見込んでいる。
 対象となる要援護者は、要介護3以上の人や1人暮らしの高齢者、認知症高齢者などで約13万人に上る。提供する個人情報は、氏名、住所、年齢、性別を予定している。提供先は、自治会町内会や連合町内会、地域防災拠点運営委員会、民生委員、マンション管理組合などで、区役所と情報の管理責任などについて協定を締結してもらうという。
 条例改正案は、日ごろから地域で支え合う取り組みを推進することも明記する予定で、社会問題となっている孤立死などの対策にもつなげたい考えだ。
 市健康福祉局は「これをきっかけに地域での要援護者との関係づくりを進めてもらい、いざという時に備えられるよう支援したい」と説明している。

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 ◇横浜市が想定する要援護者の名簿提供の仕組み
地域の自治会町内会など→名簿の希望      →区役所→個人情報提供の事前通知   →対象の要援護者
 〃         ←拒否者を除いて名簿提供← 〃 ←望まない人のみ拒否の意思表示← 〃


◇可茂特別支援学校を高齢者らの避難所に 美濃加茂市=岐阜
(2012.11.10 毎日新聞中部朝刊 岐阜)
 美濃加茂市は9日、同市牧野の県立可茂特別支援学校と、災害発生時に援護が必要となる高齢者や障害者らの一時避難場所として同校の施設を使用するための覚書を締結した。
 同校は昨年春に開校し、車いすの児童・生徒も登校しているため、施設内は段差などがないバリアフリー構造になっている。覚書には、同校の体育館(約550平方メートル)などに、同市牧野地区や下米田地区などの地域住民約100世帯、280人を受け入れることなどが盛り込まれている。
 市役所で行われた調印式には、渡辺直由市長と原武志校長が出席。渡辺市長は「高齢者や障害者らが安心して避難できます」と感謝の意を伝え、原校長は「地域のため、学校の施設を有効活用できてうれしい」と話していた。災害に備え、市は今後、同校で非常食や飲料水、毛布などの備蓄を進めるという。


◇(一歩)仮設支える手作り地図 「つながり」図式化、互助の手がかり 飯舘村/福島県
(2012年11月10日 朝日新聞朝刊)
 県内では今も、3万人以上が仮設住宅で暮らしている。住民らは不慣れな土地で新たな近所づきあいを続けるが、お互いのことを知るのは難しい。そこで飯舘村では、一風変わった地図作りをテコに、手助けが要る人をすくい取り、支え合いにつなげようとしている。
 机の上に広げられた1メートル四方の模造紙は、茶・紫・ピンクなど、色とりどりの文字や線で埋まっていた。「要介護 声かけ」「長距離トラック 不在多い」などすべて手書き。仮設住宅に住む人の特徴や人間関係が一目でわかる「支え合いマップ」だ。
 作ったのは、福島市の旧明治小仮設住宅に住む飯舘村の人たち。一人暮らしのお年寄りや障害者らの状況を把握し、助け合う仕組みを作れないか。村地域包括支援センターのそんな提案を受けて今年9月、住民6人が集まった。
 「この2軒は親戚関係だ」「ここには花の世話をしながらしゃべってる人たちがいる」――。各世帯の特徴を書き、つながりを線で結んでいく。すると、世話好きな女性の家に多くの線が集まる一方、周囲との関わりが少ない世帯も浮かび上がった。

 ◎多くは開所時初対面
 仮設住宅周辺の商店や公共施設などの地図を作る例は珍しくないが、住人同士のつながりを「地図化」するケースはあまりない。避難先での急ごしらえの集団を、「ご近所さん」にしようという試みだ。「人付き合いの薄い世帯があることは何となくわかっていたが、地図に書くとはっきりした」と参加した小林洋子さん(50)は話す。
 この仮設住宅に住んでいるのは27世帯。避難前は各自、別の地区に住んでいたため、昨年7月の開所時は初対面の人が多かった。それから1年4カ月。少しずつお互いの状況はわかってきたが、手助けが必要な人は誰で、その人を支えられるのは誰なのか、把握しきれない面があった。
 支え合いマップは、「住民流福祉総合研究所」(埼玉県)の木原孝久所長(71)が、近所同士が助け合う力をもっと活用しようと、約20年前に提唱した。自治体や社会福祉協議会の担当者の間で広まったが、同研究所などによると、仮設住宅での取り組みは飯舘村が初めてという。

 ◎個人情報保護が課題
 ただ、課題もある。マップは言わば、個人情報の塊。作成の是非、取り扱いには細心の注意が必要だ。飯舘の場合、完成した地図は村が保管している。
 また、数百人が暮らすような大規模な仮設住宅ではマップの作成自体が難しい。数人集まれば、全体の様子がわかるという訳にはいかないからだ。2年前からマップ作りに取り組んでいる福島市社会福祉協議会の地域福祉コーディネーター近藤靖子さんは「大規模なコミュニティーには不向き。いざという時、すぐ助けられる距離というのが大事だ」と話す。
 飯舘村では既に三つの仮設住宅でマップを作った。今月、さらにもう1カ所で作る予定だ。
 (野瀬輝彦)

 ◎今も4カ所で建設中
 県建築住宅課によると、県内には現在、185カ所・1万6千戸の仮設住宅があり、3万2千人が暮らしている。風呂の追いだき機能や物置設置の遅れが課題となっている。
 今も建設が続いているという点も特徴だ。現在、いわき市、南相馬市の計4カ所で工事中。県外や中通り地方に避難していた沿岸部の被災者が、少しでも地元近くに戻ることを求めているためだ。他方、一部の仮設住宅では、空き部屋も増えている。
 仮設住宅の入居期間は災害救助法で、完成から2年と定められていた。だが、厚生労働省は今年4月、長期間暮らす住居を整備するには時間がかかると考え、入居期間を1年延長。完成から3年とした。


◇災害 これ見て備えて 草津市作成、全戸に配布=滋賀
(2012.11.09 読売新聞大阪朝刊 滋セ2)
 ◎発生後2週間の行動など記載 
 草津市は、市民や避難所の管理者、市職員向けの「防災ハンドブック」(A4判、カラー刷り43ページ)を初めて作成した。災害発生から2週間までの間、どう行動したら良いかをまとめたチャート表や、市から約60キロの大飯原発で事故が起きた際の避難方法などを盛り込んだ。6万部印刷し、全戸配布する。
 東日本大震災や福島第一原発事故で、被災者が長期間の避難生活を強いられていることを踏まえ、市が6月に策定した「地域防災計画原子力災害対策編」の内容を反映させた。
 発生から3日間は、支援が届かなくても生活できる程度の備蓄が必要とした。原発事故で屋内退避の指示が出た場合、マスクやハンカチで口を覆い、内部被曝(ひばく)を防ぐ必要があることなども、図を使ってわかりやすく説明している。
 介助が必要な高齢者や障害者のための「福祉避難所」4か所を含む市内の全避難所の地図も掲載した。添付の防災カードは、災害伝言ダイヤルの使い方などが記載され、必要な情報を持ち歩ける。
 橋川渉市長は「家族や地域で熟読し、防災に活用してほしい」と話している。
  

◇原発防災 8市町に計画 改めて要請 府、要配慮者「在宅」など3分類=京都
(2012.11.09 読売新聞大阪朝刊 京市内)
 国の新たな原子力災害対策指針が決定したことを受け、府は8日、関係自治体などを集めた会議を上京区で開き、福井県の原発30キロ圏内にある8市町に改めて来年3月中旬までに原子力災害に備えた地域防災計画を定めるよう求めた。関係自治体は、すでに策定作業を進めているが、要配慮者の避難など山積する課題に頭を悩ませている。
 京都市など府内24市町、府警本部の担当者らが参加。府が福井県の大飯原発、高浜原発から30キロ圏内にある舞鶴、綾部市などに対し、実効性のある計画策定を要請した。
 一方、府が作成する高齢者や障害者といった要配慮者の広域避難計画は、医療施設、福祉施設、在宅療養者の3分類でまとめる方針を示した。両原発30キロ圏には、医療施設では9病院・10診療所に約1100人の入院患者、福祉施設は80か所に約2500人が入所していると説明。在宅療養者は不明で、今後、自治体を通じて把握するとした。
 ただ、要配慮者の避難について、舞鶴市の今儀浩一危機管理・防災課長は「東北では、避難させないでおいた方が安全だったという声もあった。必要な車両や交通手段が見あたらない」と指摘。府防災・原子力安全課の木村兼喜参事は「今から協議したい」と述べ、今後の検討課題とした。


◇災害時要援護者 情報共有に本人同意不要 県、名簿作成促す=富山
(2012.11.08 読売新聞東京朝刊 富山)
 ◎支援指針改定 
 県は、災害時に避難の手助けがいる高齢者や障害者など「災害時要援護者」の支援体制整備を市町村に促すため、県災害時要援護者支援ガイドラインの改定版を作成した。市町村が要援護者の名簿を作成する際に壁となっていた個人情報について、本人の同意なしでも関係機関が共有する方式を基本とするなど、新たに指針を示している。
 旧ガイドラインは2005年に策定。昨年3月の東日本大震災では犠牲者の6割以上が高齢者で、災害時要援護者の把握が不十分だったなどの教訓を踏まえ、県が見直しを行った。
 県厚生企画課によると、9月1日現在、全15市町村で2万9701人が災害時要援護者名簿に登載されている。全体の対象者数は不明だが、10年の国勢調査では一人暮らしの高齢者だけでも3万人を超え、対象者はもっと多いとみられる。
 これまでは、民生委員などが要援護者本人に同意を求めて情報を収集する場合がほとんどだった。改定版では把握できる範囲を広げるため、本人の同意を得なくても、関係機関の間で情報を共有する方式を基本とすることとした。守秘義務のない自治会や自主防災組織などに情報提供をする際は、誓約書を取り交わすなどの方法を例示している。
 名簿が災害時に役立つためには、要援護者一人ずつについて避難支援者や避難先などを記した「個別支援計画」が必要だ。だが、県によると、個別計画が作成されているのは富山市、射水市、入善町の2041人分にとどまる。同課は「要援護者を把握する重要性が震災で改めて認識された。各市町村で検討が進むことを期待している」と話している。
 ガイドラインではほかに、災害時に高齢者や障害者を受け入れられる福祉避難所の設置も促し、老人福祉施設などと協定を結ぶ際の協議項目などを示した。9月1日現在、10市町村の112か所が福祉避難所に指定されている。


◇福祉避難所:水戸市、特別支援校などと覚書 災害時の受け入れで /茨城
(2012.11.08 毎日新聞地方版/茨城) 
 災害時に介助が必要な高齢者や障害者らを受け入れる福祉避難所を確保するため、水戸市は6日、市内にあるいずれも県立の特別支援学校3校と盲学校1校との間で「福祉避難所の設置運営に関する覚書」を締結した。東日本大震災で避難生活の苦労を味わった特別支援学校生徒の保護者の要望を受け、学校側が市に働き掛けて実現した。
 「安心して避難できる場所が確保できないか」。11年11月中旬、水戸市飯富町の県立水戸飯富特別支援学校(寺門洋一校長)で震災をテーマに開かれた委員会。水戸市地域安全課職員に対して、保護者から同校を避難所に指定するよう求める声が上がった。震災時、一度は近くの小学校に子どもを連れて避難したものの、騒がしくするなど「他人に迷惑が掛かる」と、車中泊せざるを得なかった体験があったからだ。寺門校長は「集団生活が苦手な子どももいる」と話す。
 市が福祉避難所に指定したのは同校のほか、水戸特別支援学校、内原特別支援学校、盲学校。市は既に老人福祉施設など10施設を福祉避難所に指定しているが、特別支援学校の指定はなかった。今回の指定により、災害発生時には特別支援学校に避難することができ、専門職員によるサポートを受けることができるほか、市からの物資提供を受けることができるようになる。
 寺門校長は「自分たちの学校が避難所となるので、子どもも保護者も安心する」と喜ぶ。高橋靖市長は「災害時には、障害者の方々ができるだけ過ごしやすい、慣れた環境で避難できる環境作りが大切」と話した。【杣谷健太】


◇東日本大震災:福祉施設の復興補助、交付まだ1割 地域の計画遅れ
(2012.11.04 東京朝刊 29頁) 
 東日本大震災で被災したお年寄りや障害者の施設の復旧を進めようと、震災直後の11年度一般会計補正予算に計上された施設整備の補助費670億円の「消化率」が1割以下にとどまり、61億円しか使われなかったことが厚生労働省への取材で分かった。同省は整備費用の補助率をかさ上げしたが、移転や現地再建が進まず、ほとんどが補修など「小口」の申請にとどまったのが原因。被災地の実情と国の発想のズレが浮き彫りになった。【野倉恵】
 同省によると、震災では児童施設を含む社会福祉施設1626件(昨年5月時点)が被災した。同省は早期復旧には再建時の補助の強化が不可欠と判断。再建にかかる費用の補助率を従来の「2分の1」から「3分の2」にアップすることを決め、補正予算を組んだ。
 ところが11年度に補助が決まったのは高齢者910件・43億円と障害者289件・18億円の計1199件・61億円。一部損壊した施設など軽微な補修が大半を占めた。津波で流されるなどした施設の多くは、地域の復興計画策定が遅れ用地確保のめどが立たないことなどから、申請に至らなかった。このため補正予算の多くが繰り越され、12年度予算の新たな計上は「ゼロ」になった。
 12年度の繰り越し分には岩手、宮城、福島3県で22件(高齢者15、障害者7)15億2000万円分の申請があり、今月半ばから正式に補助が決まる。再建が本格化するとみられるのは13年度だが、「一般会計予算は災害復旧のためでも3年目には繰り越せない」(同省)ため、13年度は復興庁の概算要求で施設整備補助費として高齢者5件、障害者19件分の計約60億円が計上されたにとどまる。
 同省や自治体によると、被災3県で全壊した▽特別養護老人ホーム▽老人保健施設▽養護老人ホーム▽軽費老人ホーム計19件のうち3件が再建を断念。16件中2件は11年度に補助が交付され、5件は12年度に交付予定だ。残る9件のうち5件は13年度、申請にこぎ着ける見通しという。
 宮城県気仙沼市の特別養護老人ホーム「恵風荘」は浸水を免れたが、同じ社会福祉法人が市内で運営する特養「恵心寮」が1階屋根まで浸水したため入所者を受け入れ、一時は定員が27人も超過。肺炎が流行するなどし、昨年4、5月の2カ月間で今年同期より4倍多い13人が死亡した。同市は平地が少なく、恵心寮の移転先の確保は難航。ようやく建物の設計に入った段階だ。
 佐藤久子施設長は国の予算について「多くつけたからといって施設の再建が進むわけではない。現場で適地を探したり膨大な事務処理をこなしたりする人手が必要だ」と話す。
 厚労省高齢者支援課と同障害福祉課は「過去の大災害と違って現地復旧が困難で、時間がかかることは理解している」と話している。


◇減災へ情報を共有 「隣組」強化・各家庭に防災ラジオ 土石流で死者出た岡谷/長野県
(2012年11月04日 朝日新聞朝刊 長野東北信・1地方)
 土砂災害の危険と隣り合わせの長野県。発生した際に、どうすれば少しでも被害を減らすことができるのか。2006年7月、豪雨による土石流の直撃で、死者も出た岡谷市を訪ねた。
 諏訪湖西岸からほど近い、岡谷市湊の花岡区。山に向かう斜面に、民家が点在する。06年7月19日未明、2日前から降り続いた大雨の影響で、区一帯は大規模な土石流に襲われた。
 「恐ろしい光景だった」と当時の区長小口ひろ明さん(68)は振り返る。ゴロゴロといった音が鳴り響き、大量の岩や土砂、流木に、住宅は次々とのみ込まれた。
 古い区史には、約400年前にも、同様の災害が起きたと記されている。だが、小口さんは「誰も知らなかったし、『まさか岡谷で災害が起こるなんて』という思いだった」と振り返る。同区での死者は7人。大惨事は、地域の防災を見直すきっかけとなった。
 災害で露呈したことの一つが、地域のつながりの希薄さ。地区の住民は約1500人。この規模でも、どこに誰が住んでいるのか、隣の家の人は自力で避難できるのか、はっきりせず、安否確認に手間取った。
 この体験から、災害後は「隣組」の結びつきを強めた。避難の際はまず組単位で集まる。近隣住民の安否が分かるようにするためだ。各組長は、各家庭の家族構成を把握し、高齢者や障害者といった災害弱者を手助けする担当の人も決めた。
 小口さんは「何でも行政に頼りすぎていた。身を守るために、自分たちでできることから始めた」と話す。
 市は、砂防堰堤(えんてい)の増設といったハード面の整備に加え、情報伝達などの強化を図る。災害時に屋外にある防災無線が聞き取りづらかったという反省から、07年から市が4200円を負担し、避難勧告や土砂災害警戒情報などの情報を流す防災ラジオを1千円で各家庭に提供。全約2万世帯に対して、すでに1万3千台を配布済みだ。
 市では、災害発生の7月19日を「岡谷市防災の日」とし、啓発活動を行っている。しかし、災害から6年たち、市民の記憶も少しずつ薄れつつある。災害地花岡区での防災訓練は、最高で6割だった参加率が年々減少し、今では3割ほどだという。
 市危機管理室の古川幸男室長は「災害後、大雨が降れば、土砂災害を連想するようになった。災害の怖さを伝え、共有することが、いざという時に役に立つ。防災意識を高める妙案はないが、地道に啓発を続けたい」と話している。
 (軽部理人)

 □戦後に起きた県内の主な土砂災害
   発生日  災害名     主な被災地 被災状況
1959年8月 台風7号     県内全域 死者65人、行方不明者6人、重軽傷者382人
  61年6月 梅雨前線豪雨   県内全域 死者107人、行方不明者29人、重軽傷者1164人
        (三六災害)  (特に南信)
  84年9月 県西部地震    王滝村  死者29人、重軽傷者10人
  85年7月 地附山の地すべり 長野市  死者26人、重軽傷者4人
2006年7月 7月豪雨     県内全域 死者12人、行方不明者1人、重軽傷者20人
 ※「2010県の砂防」より


◇常陸太田市:7施設と災害時福祉避難所協定 /茨城
(2012.11.02 毎日新聞地方版/茨城) 
 東日本大震災を踏まえ、常陸太田市は1日、大地震や台風など風水害時の要援護者避難施設に指定した7施設代表と、福祉避難所の設置運営に関する協定を締結。災害時の介助員派遣に関する協定を市社会福祉協議会と締結した。
 7施設は市内にある特別養護老人ホームや介護保健施設。受け入れ対象は在宅の65歳以上の世帯や重度障害者などで、同市によると受け入れ人数は7施設で約200人という。介助員は避難を余儀なくされた要援護者の介助業務に当たるもので、介護福祉士やホームヘルパー2級以上、または看護師が対象。
 大久保太一市長は「福祉避難所の指定は特に重要で、心強い。災害時要援護者避難支援プランを作成しており、円滑な避難支援体制を構築したい」と強調。施設の関係者も「災害時にはできる限りの協力をしたい」と話した。【臼井真】


◇迫る計画、焦る市町 広域避難、進まぬ策定 原発防災域30キロ圏に拡大 /福井県
(2012年11月01日 朝日新聞朝刊 福井全県・1地方)
 原子力規制委員会が31日、原発から半径5キロ圏を即時避難の区域、半径30キロ圏を防災対策の重点区域の目安とする原子力災害対策指針を決めた。しかし、県などが求めた避難指示の基準などの細部は盛り込まれず、先送りされた。来年3月までに地域防災計画の策定を迫られる市町には、困惑が広がる。

 新指針では、避難や屋内退避などの準備が必要な重点区域が、原発の半径8〜10キロから30キロに広がった。県内では敦賀、美浜、大飯、高浜の4原発の30キロ圏内に32万人が暮らす。
 敦賀市は、国が公表した予測で、敦賀原発と美浜原発で重大な事故が起きた場合、ほぼ市全域に高濃度の放射性物質が降り注ぐとされた。市危機管理対策課の小川明課長補佐は「全市民避難を前提に、京都府や岐阜県も含めた計画を作らないといけない」と焦る。
 敦賀市では2010年から携帯型ラジオを無償で市民に配るなどしているが、介助が必要な高齢者や障害者の把握と避難方法などは手つかずだ。防災計画の見直しに専従できる職員は3人しかおらず、市は民間のコンサルタント会社との契約も検討している。
 若狭町は、美浜原発と大飯原発のそれぞれ30キロ圏にかかる。担当者は「県外避難を考えていく」とし、普段から交流がある滋賀県高島市や大阪府吹田市への避難も視野に入れる。小浜市生活安全課の天谷祥直課長も「県はなるべく早く計画の見直しをしてほしい」と求める。
 県内の立地4市町が持ち回りで実施してきた防災訓練も、見直しが急務だ。けが人の搬送先などの想定を30キロ圏外に広げる必要があるからだ。高浜町防災安全課の山本通久課長は「立地だけで訓練をしても意味がない」と指摘する。

 ◎避難基準先送り
 西川一誠知事は31日、新指針に避難基準などが盛り込まれず、「目安」などのあいまいな表現で決定されたことに対し、「国が責任を持って厳しい原子力災害に取り組むことが明記されていない。地方の意見も反映されていない」と批判した。
 西川知事は、広域避難については国が主導・調整すべきだとする立場も変えず、「国は、まず近接地域の対策を具体化すべきだ。広域防護範囲についての科学的・合理的根拠、避難の判断基準などの技術的項目を示し、早急に責任ある対応をする必要がある」とコメントした。
 県が6月に公表した避難計画の暫定案は、春や秋の平日昼間に一つの原発で事故が起きる場合を想定。避難者は最大9万人で、県外への広域避難は見込んでいない。県幹部は「(暫定案に)問題があるのは理解している」と話すが、国に先駆けて他府県との調整に乗り出すことには消極的だ。(室矢英樹、堀川敬部、高橋玲央)


◇米原市:高齢者や子ども、不法投棄など 異変があれば情報提供 郵便局と「安心協定」 /滋賀
(2012.11.01 毎日新聞地方版/滋賀) 
 米原市は、市内などの郵便局9局と「絆で築く安心なまちづくりに関する協定」を結んだ。災害時の相互協力だけでなく、不法投棄など、郵便配達中の局員が日常と違う様子に気付いた時は市に情報提供するという内容。高齢者や子どもの異変も含む複数の通報項目で自治体と「安心協定」を結ぶのは、県内初という。
 同市が進める「絆プロジェクト」の一環。今回の協定は米原郵便局、伊吹郵便局など市内7局と、長浜、彦根両郵便局が対象。高齢者、障害者、子どもらの異変▽道路などの異常▽不法投棄と思われる廃棄物――などを局員が発見した時は速やかに市防災危機管理局に通報。同局が該当部署に連絡して対応する。同市は先月上旬、「生活協同組合コープしが」とも同種の協定を結んでいる。【桑田潔】


◇◇◇
◇(プロメテウスの罠)残された人々:20 未来へ火は消せない
(2012年11月11日 朝日新聞朝刊 3総合)
 取り残された障害者を救うには、どうするのが一番いいのか。南相馬市の福祉NPO代表理事の青田由幸と、市健康福祉部長を退いた西浦武義。2人はそれぞれの立場で模索を続けている。
 青田のNPOは市内で三つの福祉施設を運営している。そうした施設の立て直しに取り組む日々だ。
 原発事故後、若い職員の多くが去った。
 最も原発に近い施設「ぴーなっつ」で第一原発から24キロ。3施設とも何の制限もなくいられる地域にあるのだが、職員数は3施設合計で事故前の約半分だ。50歳代以上が目立ち、福祉現場の未経験者も多い。
 職員の求人を出しても応募者は少ない。若い職員が少ないので、軸になる後継者も育ちにくい。にもかかわらず、施設の利用者は震災前より3割も増えている。
 災害時の情報開示については、求められるたびに積極的に話をしてきた。感じたのは、地元でも話を知らない人が多いということだった。
 「うちらが先例になれば、ほかでも開示されやすくなると思った。でも、そうでもなかったですね」
 足場を固めるため、地元で話を広めることに力を入れるつもりだ。
 ともかく、目に見えるすべてのこと、考えるすべてのことが、放射能というスクリーンを通してでないと判断できなくなった。
 福島の障害者救出についてどういう未来が描けるのか。すぐには思い浮かばない。しかし「火は消せない。動き続けるしかありません」。
 そして西浦。
 再任用後の市職員の仕事や農作業の傍ら、震災発生からの市内の様子を資料としてまとめた。
 11月17日、原発に近い京都府舞鶴市で講演する。そのための資料だ。人前で講演するのは初めてだ。内閣府の会議に出たときと同様に、青田に頼まれた。
 不安げな表情で避難場所に集まる市民、市内のガソリンスタンドに並ぶ車列、津波が押し寄せた自宅周辺……。資料には、様々な場面で自分が撮った写真を入れた。
 もちろん、障害者を救うには個人情報の開示が絶対に必要だと訴えるつもりだ。
 「南相馬の障害者に、あのとき何が起きていたか。ともかく、それを伝え続けていきたい」(岩堀滋)
     ◇
 次回から第20シリーズ「飛び出した町」が始まります。


◇(プロメテウスの罠)残された人々:19 押しつけられた責任
(2012年11月10日 朝日新聞朝刊 3総合 003)
 今年7月3日、東京・霞が関の弁護士会館で、災害時の個人情報の取り扱いをテーマに、シンポジウムが開かれた。
 日本弁護士連合会の主催で、関東1都3県の自治体の福祉担当職員ら約200人が参加した。南相馬市の福祉NPO代表理事・青田由幸は、パネリストとして壇上に座った。
 青田は、南相馬市では「取り残された障害者」を救うために、障害者の個人情報が開示されたことを報告した。当時の市健康福祉部長・西浦武義が努力したことも話した。
 「しかし、西浦部長は定年退職した。今後災害が起きても、個人情報が開示されるかどうかわからない。自分の自治体で同じことが起きたら何ができるのか。皆さんは今のうちからよく考えてください」
 参加者の7割がアンケートを記入した。
 「青田さんの思いを無駄にしないよう、われわれも取り組んでいきたい」といった感想が多かった。
 一方で、個人情報開示に否定的な意見や、消極的な反応も目立った。
 「結論ありきの内容だ。災害に乗じた詐欺など犯罪が起きる可能性があり、開示には不安がある」
 「障害者であることを地域に知られたくない人もいる。開示に同意してくれない場合は難しい」
 「訴訟を起こされたりしたことを考えると、消極的になってしまう」
 シンポジウムを企画した弁護士の1人、岡本正(33)は、その反応にショックを受けた。
 「何か不祥事が起きたときの責任ばかり考えている。これでは住民の命を救えない」
 個人情報保護法では、地方自治体が持つ個人情報を開示するかどうかに、国が関与するとの表記はない。
 「地方自治体は、区域特性に応じて必要な施策を策定し、実施する責務がある」と書かれている。つまり、各自治体独自に「条例」で対応することが求められる。
 岡本は「現行法では、自治体に開示の判断と責任が押しつけられているんです」という。
 南相馬市は今年3月、個人情報保護条例の一部を改正した。
 従来は、市内部の個人情報のやり取りも、審査会の判断がないとできなかった。それを、災害時には担当部署で開示の可否が判断できるようにした。
 西浦と青田が生み出した動きが、条文として残ったことになる。(岩堀滋)


◇(プロメテウスの罠)残された人々:18 もろ手を挙げて賛成
(2012年11月09日 朝日新聞朝刊 3総合 003)
 岩手県の陸前高田市では、被災障害者の安否確認調査が進んでいた。
 調査は今年4月に始まった。
 対象は身体障害、精神障害、知的障害の計1357人。それを約90人のボランティアが、2人1組で確認して回っている。
 障害程度や避難状況、健康状態を調べ、市への要望を聞く。同時に、災害時に個人情報を開示していいかも確認する。
 障害者サイドから、この調査についての苦情は出ていない。調査は早ければ11月中に完了する。
 しかし、初めから順調に進んだわけではない。
 津波で市庁舎は全壊し、行政資料は流失していた。震災直後から、県と市、地元の支援団体が、県の障害者手帳のデータをもとに安否確認調査をしたが、なかなかつかめない。障害者の犠牲者数さえはっきりしていなかった。
 日本障害フォーラム(JDF)いわて支援センター事務局長の小山貴(おやまたかし)(42)は気が気でなかった。JDFは障害者支援の民間組織の連合体で、小山は奥州市で知的・精神障害者の施設を運営している。
 「このままでは支援活動も進まない、と思いました」
 福島県の南相馬市が個人情報開示に踏み切った話は知っていた。情報開示してほしいという要望書を、陸前高田市長の戸羽太(とばふとし)(47)あてに送った。南相馬での活動の様子をまとめたJDFの報告書も同封した。
 その結果、陸前高田市の社会福祉課職員と今年1月6日に会うことができた。小山は南相馬の事例を詳細に説明した。
 戸羽は、情報開示を求める小山の話を職員から聞くと、もろ手を挙げて賛成した。
 「ゼロからのまちづくりに障害者も参加してもらうつもりだ。そのときの参考になる、と思いました」
 2月20日、市は「今後も市の障害福祉施策を支えていく」という条件で、JDFに障害者手帳と療育手帳の情報を開示すると説明した。個人情報の扱いについては、市とJDFで覚書を交わした。
 戸羽は、国や県の情報開示の姿勢に注文がある。現場の自治体は震災の処理で大忙しだ。そんな最中に情報開示の責任まで背負い込むのは、大変な重荷になる。
 「それぞれの自治体に情報開示のげたを預けるのではなく、国がまずきちんと判断を示すべきではないかと思います」(岩堀滋)


◇(プロメテウスの罠)残された人々:17 どこでも、命救える
(2012年11月08日 朝日新聞朝刊 3総合 003)
 南相馬市が断行した個人情報開示は、ボランティアらを通じ、他の自治体にも広がり始めた。
 今年1月29日、沖縄県宮古島市の下地克子(しもじかつこ)(54)はボランティア活動を志願し、飛行機と新幹線、バスを乗り継いで2日がかりで南相馬市に入った。青田由幸のNPOの施設「ぴーなっつ」の活動に加わる。
 現地に着いたとき、鉛色の空からごみが降っていた。それはごみではなかった。初めて見る雪だった。
 下地は宮古島で精神障害者らの就労移行支援施設「くこりもや」を営む。日本障害フォーラムからの支援要請で、昨年6月の宮城県石巻市に続き、2度目の被災地入りだった。
 福島入りに、家族は放射能の影響を心配したが、「50歳を過ぎたら大丈夫」といって出てきた。
 1週間の滞在中、「ぴーなっつ」で精神障害者の生活支援をした。
 青田は、下地らボランティアに、南相馬市の個人情報開示の経験を話した。
 「南相馬は特殊事例じゃない。どこでも、災害時に個人情報を開示すれば、多くの命が救える」
 青田は下地に、宮古島市の災害時要援護者対策がどうなっているか調べてみるよう頼んだ。
 下地は昨年の石巻市で、被災した障害者を探し回った際、どこにだれがいるか分からないという苦労を経験した。聞き込んだ情報を市の担当者に尋ねても、「いえません」の一点張りだったのだ。
 宮古島ではどうなのか。
 ボランティア活動を終えて宮古島に戻ると、すぐ市長の下地敏彦(しもじとしひこ)(66)に会いに行った。
 市長の下地は話を聞き、手を打つ必要を感じた。すぐに職員を呼び、条例がどうなっているのかを調べさせた。
 宮古島市の個人情報保護条例では、生命や財産などの危険を避けるため、緊急でやむを得なければという開示の例外規定を設けているが、具体的ではなかった。
 近所づきあいの濃い宮古島では、普段から人の動きはある程度分かる。だが実際に災害が起きたとき、それが通用するとは限らない。
 市長の下地はいう。
 「個人の権利を侵害しなければ、個人情報保護はある程度緩やかでいいと思います」
 市民からの抗議があるかもしれないが、南相馬の事例に共感した。
 障害者の個人情報を開示できるよう、改善を指示した。(岩堀滋)


◇(プロメテウスの罠)残された人々:16 「惻隠の心は仁の端」
(2012年11月07日 朝日新聞朝刊 3総合 003) 
 南相馬市の健康福祉部長だった西浦武義は、今年3月に市役所を定年で退いた。
 代々の農家だ。市の海岸寄り、鹿島区の北屋形地区。海から4キロの高台にある。通り抜ける風は潮の香りがする。字名にも「西浦」がつく。
 高台の下に、見渡す限り緑に覆われた広野がある。そばに行くと、それは荒れはてた田んぼだと分かる。震災ではここに津波が押し寄せ、がれきが埋め尽くした。
 以前は松林があり、海まで見渡すことはできなかったが、いまはまったく障害物がない。
 タオルで汗を拭きながら、作業着の西浦がいう。
 「田んぼは耕運したんだけんども、除塩が追いつかねえ」
 がれきもまだ少し残っている。
 田んぼは明治になって開いた干拓地だ。開拓後、地域住民は小作として働いた。「のどかでいいとこだけんど、貧しかったんだね」
 田は1町5反。コメは農協を通じ、主に沖縄県に出荷していた。
 退職後は、農業のかたわら、鹿島区の生涯学習センターで再任用の市職員として働く。区の文化協会理事長として、囲碁や将棋、踊りなどの文化活動の運営の相談に乗る。
 農家の長男だから、家業を継ぐつもりだった。ところが地元の農業高校に進んだ1960年代後半、国の農業政策は増産から減反へと大きく方向転換した。
 農業ではもう食えないと考え、当時の相馬郡鹿島町役場に就職した。
 「なぜ好きな農業ができないのか。なにが減反だ。腹が立ったね。そんだから反骨になったかな」
 役場職員として福祉の仕事に長く関わった。現場で障害者と接することも多かった。仕事にすっかりのめり込んだ。その仕事ぶりが評価され、2010年4月に健康福祉部長に任命された。
 しかし退職した今、自分の田んぼは塩水を吸い込み、雑草だらけだ。来年に向け、南相馬の一部では試験的に稲作が行われているが、「やるせない。不安だらけだ」。
 コメをつくっても、風評被害で売れないかもしれない。同居の長男は会社勤めで、手伝ってくれる時間がない。
 「それでも、やらないと自分がだめになる」
 孟子の「惻隠(そくいん)の心は仁の端なり」という言葉が好きだ。他人を思いやっていれば、それが大きな徳に通じるとの意味だという。(岩堀滋)


◇(プロメテウスの罠)残された人々:15 霞が関で訴えた
(2012年11月06日 朝日新聞朝刊 3総合 003)
 南相馬市の個人情報開示を受けて、昨年5月から、残された障害者の調査が再開した。市と福祉施設「ぴーなっつ」、日本障害フォーラムが共同で安否確認を行った。
 原発から20キロ圏内を除き、安否不明の障害者は1139人だった。
 今年1月の段階で、それが23人に減った。調べが進むと、そのほとんどが震災前に亡くなっていた。これで対象者の安否がほぼつかめた。
 在宅が確認できると、市職員が食料などを届けに行った。さまざまな行政サービスが再開した。
 1月23日、市健康福祉部長の西浦武義は、東京・霞が関にいた。内閣府で開かれた「障がい者制度改革推進会議」に出席するためだった。
 そもそもは「ぴーなっつ」の青田由幸に出席要請がきたものだ。しかし青田は「ぜひ行政担当者を」と西浦を推薦した。
 西浦は3月に定年退職を控えていた。迷ったが「もう何をいっても大丈夫だろう」と考え、決断した。
 会議で西浦は、身体障害者手帳と療育手帳に関する個人情報を、第三者に開示したことを話した。
 要援護者名簿についても触れた。
 「民生委員、行政区長、消防団等に配布しておりました。しかし地域全域が避難となったため、機能しなかったものであります」
 「名簿は重度の方を対象にしておりましたが、家族構成によって、軽度の方でも、車や支援する家族がいないことで避難出来ない方が数多くおりました」
 自分の目が行き届かなかった部分も隠さずに話した。
 個人情報開示のきっかけとなった内閣府のガイドラインについても述べた。
 「県もあまりよく理解していなかったが、恥ずかしいことに、私も知りませんでした」
 「開示について異論はありました。しかし、こういうときにやらないでいつやるのか」
 ほかの自治体でも情報開示を進めてもらいたい。個人情報保護を緩やかにしないと人が救えない。これをとにかく訴えたかった。
 会議は、各種福祉団体や学識経験者、首長らが出席した。会議は自然と、西浦への質疑が中心になった。
 西浦は、自らまとめた資料をもとに淡々と答えた。2796人分の身体・知的障害者の個人情報を開示したこと。それにより、確認できていなかった590人の安否が分かったこと――。
 (岩堀滋)


◇(プロメテウスの罠)残された人々:14 苦情は来なかった
(2012年11月05日 朝日新聞朝刊 3総合 003)
 南相馬市の「残された障害者」をめぐる個人情報開示の問題は、市長の桜井勝延の決断で、ひとまず決着した。
 桜井はいう。
 「市民の安否確認が出来る態勢をつくるのは、行政として必要。自力で避難できない人たちをいかに支援するかが重要で、協力が得られる団体には率先して情報を出したほうがいい。どう思われようと、やってしかるべきだったと思う」
 懲戒免職を覚悟して情報を開示した市の健康福祉部長、西浦武義には強い支えとなった。
 中断していた「ぴーなっつ」職員とボランティアによる調査が再開した。市の依頼で調査をしていると書かれたチラシが各戸に配られた。
 西浦は、個人情報を勝手に使っていると抗議が来るだろうと覚悟していた。だが、調査が終わるまで苦情は来なかった。逆に、「行政に見捨てられていなかったんだ」という喜びの反応の方が多かった。
 桜井の決断のきっかけは「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」だった。それをつくったのは内閣府。障害者制度改革担当室長を務める東俊裕(ひがしとしひろ)(59)はいう。
 「障害者の支援には、手帳などの個人情報開示が必要だと考えてはいたが、被災地ではうまく進まなかった。南相馬に屋内退避指示が出ると、障害者が放置されているのではないかと思い、たまらなかった」
 東は自ら車いすを使う障害者だ。原発事故から間もない昨年3月下旬、南相馬に入って福祉NPO代表理事の青田由幸にも会っている。
 各種障害者団体で組織する日本障害フォーラム(JDF)幹事会議長の藤井克徳(ふじいかつのり)(63)も、個人情報が開示される動きになったことで南相馬に注目した。自身が視覚障害者だ。
 「他の市町村ではほとんど情報開示が進まなかった。こんな極限状態で、個人情報を悪用することなど考えられないのに」
 JDFは震災直後から、青田のNPO「さぽーとセンターぴあ」への支援を全国に呼びかけ、ボランティアを集めた。彼らが「残された障害者捜し」に走り回ったのだ。
 彼らは支援方法について毎晩遅くまで議論し、西浦が開示した情報を元に南相馬市をくまなく調査した。
 西浦はいう。
 「行政ができないことを、彼らが真剣に取り組んでいる。自分だって自分にできることをしないと、と思ったね」(岩堀滋)


◇(プロメテウスの罠)残された人々:13 どんな処分が出ても
(2012年11月04日 朝日新聞朝刊 3総合 003)
 南相馬市の健康福祉部長・西浦武義が、障害者の個人情報を外部に見せたことは、昨年5月に入ると庁内で問題になりはじめた。
 個人情報保護法によると、人の生命や財産の保護のために必要で、本人同意を得るのが難しい場合に、自治体は第三者に個人情報を提供できることになっている。市の条例でも、そう書かれている。
 だが西浦は、障害者の個人情報を第三者に開示することが妥当かどうか、市として正式に判断する前に、福祉施設「ぴーなっつ」の青田由幸に見せていた。
 市幹部の会議の場で「本当に大丈夫か」といわれた。つらかったのは、別のときに部下から「部長のやっていることは条例違反です。意義はあると思いますが、すぐに中止すべきです」と、面と向かっていわれたことだった。
 そのたびに、西浦は「すべて私が責任取っから」と答えた。
 そういえたのは、個人情報を出す前に、青田が特例事項を探し出してくれたからだ。内閣府の検討会が2005年にまとめた「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」だ。
 ガイドラインは、避難に手助けが必要な人の住所などを関係機関と共有し、一人ひとりの避難計画をつくることを、市町村に求めている。
 さらに、市町村の持つ個人情報の第三者への開示は、守秘義務を確保したうえで積極的な開示を促す。福祉サービスが継続できるよう、協力団体を支援することも訴えている。
 青田は、これで少しでも西浦を支えられる、と考えた。西浦はいう。
 「情報を開示したのは市民の命をとにかく救いたかったから。どんな処分が出ても受けるつもりだったから、これで救われた、と思ったね」
 一方で、身体障害者手帳と療育手帳について、情報開示を認めてもらうよう、庁内で申立書を出した。しかし手続きはなかなか進まない。
 市に迷惑をかけるのはまずいと考え、5月の連休が明けると青田に頼み、残された障害者の調査を中断してもらった。
 青田は、市長の桜井勝延(さくらいかつのぶ)(56)に直訴することにした。
 「悲鳴を上げている人がたくさんいる中で、今調査をやめたら大変なことになる。トップダウンでやってもらいたい」
 桜井は理解を示す。最終的には5月26日、申立書が決裁され、正式に手帳情報が開示された。調査も再開した。
 (岩堀滋)


◇(プロメテウスの罠)残された人々:12 避難先「いえません」
(2012年11月03日 朝日新聞朝刊 3総合 003)
 南相馬市でヘルパー活動を再開した社会福祉協議会の高野和子は、獅子奮迅の働きだった。
 3月20日に活動を再開したとき、協議会には要介護者からの支援要請が山のように届いていた。原町区だけで在宅介護者は約700人いる。そのほとんどが残っていた。
 まずは掃除。
 食事づくりは当然だ。
 床ずれ処置をする。酸素吸入の人を風呂に入れる。本来は看護師がやる作業だ。床ずれ処置は専用シートなどないため、ラップで代用した。
 多少動ける人もいた。しかし家族が避難していて食料がない。そういう家には食料を届けた。
 「避難所では生活できない」「避難したくてもガソリンがない」と、愚痴をこぼされた。自らの食事もろくに取れなかった。
 「でも、気が張っていたので苦になりませんでした」
 支援と同時に安否確認もした。玄関を開けて応答がなければ、室内で倒れている可能性もある。上がって室内やトイレをくまなく調べることもあった。
 そんな活動で最大の障害になったのが、個人情報の問題だった。
 どこにだれがいるのか。どこに避難したのか。市は「いえません」。近所の人々に聞いて回ってやっと分かることもあった。以前から担当してきた人がどこに行ったのかわからないまま、くじけそうになることもあった。
 「混乱の中では個人情報保護なんていっていられないはずなのに。命にかかわることだってあると思う。なんとかしなければいけないことなのに、忙しいのでうやむやにされている」
 市内を走り回るのに、放射能への恐怖はあった。
 「初めは防護服を着てました。でも動きにくいし、『いまさら何したってだめだべ』って脱いじゃいました。マスクも一緒に」
 高野は昨年8月、協議会のヘルパーから生活支援相談員になった。仮設住宅を回り、要介護者を中心に避難者の心身状態を調べている。
 仮設住宅からあいさつにも出てこなかった人が、一生懸命に話をしようとする。一方で「子どもが戻って来ねえ」「いつまで仮設で暮らすのか」と悩みを漏らす人もいる。
 高野はできるだけ頻繁に足を運び、話を聞こうと思っている。昨年3月のつらさを思えば、何ということはない。(岩堀滋)


◇(プロメテウスの罠)残された人々:11 一人で支え続ける
(2012年11月02日 朝日新聞朝刊 3総合 003)
 南相馬市では、多くの障害者や要介護のお年寄りが、避難できずに居残った。そのとき支援する側が避難してしまっていたら、どうなるのだろう。
 市社会福祉協議会の高野和子(たかのかずこ)(58)は、協議会所属の約40人のヘルパーのうちたった1人、屋内退避地域で避難せず残った。自宅に住み続け、残された要介護者を支えた。
 「ヘルパー仲間の方も、自分たちが逃げていいのかなという気はあったようです。でも家族のこともあるし、残れという指示もなかった。広報車が避難しろといって回っていたので、避難して当然でしょう」
 高野の夫は電気部品製造会社で働き、震災1年前から中国に単身赴任中。同居の娘は市内の病院の臨床検査技師で、震災後は病院に泊まり込んでいた。避難するか残るかは、自分1人で判断すればよかった。
 11日の震災当日は、相次ぐ余震の中で要介護者の世話を続けた。
 12日の原発爆発後、自主避難するヘルパーもいて、活動が事実上中断したため、介護依頼の電話があっても断るしかなくなった。
 「日頃から世話をしている人々です。実情がわかるだけに、断るのは本当に苦痛でした」
 屋内退避指示が出た15日からは、娘の病院で手伝いを始めた。
 18日、全市の避難勧告に合わせ、協議会はいったん閉じられた。
 協議会の常務理事・佐藤信一(さとうしんいち)(64)は利用者のことが心配だった。
 「でも市民は続々と避難していたし、協議会の職員にも家族がいますからね。やむを得なかった。在宅障害者の人たちも避難したと思っていた。多くが残っていたことは避難してから分かりました」
 市健康福祉部長の西浦武義は「頼りの協議会が閉鎖するなんて」と驚いた。会津地方に避難していた佐藤と連絡が取れた。佐藤も気になっていた。すぐ南相馬に戻った。
 20日午後、無人の協議会で西浦と佐藤が話し合っていると、高野が偶然、忘れ物を取りに顔を出した。
 「ヘルパーさんだって? いいところに来てくれた!」
 西浦は思わず声を上げた。介護依頼の電話が、市にも入っていたからだった。高野は以後、朝の7時過ぎから要介護者の家を回り、夜は9時ごろに帰宅する生活となる。
 1人ではとても手が回らない。1週間後、まずは避難していた同僚のヘルパー1人を呼び戻す。それまでは無我夢中だった。(岩堀滋)


◇(プロメテウスの罠)残された人々:10 手話が見えない
(2012年11月01日 朝日新聞朝刊 3総合 003)
 南相馬市では、聴覚障害者も混乱した。
 広報車の音声が聞こえない。防災無線にも気がつかない。何よりも、停電の暗闇で手話が見えなかった。
 原町区の八巻江津子(やまきえつこ)(55)は、「放射能、という意味がしばらく分かりませんでした」という。「放射能」という手話の表現を知る機会がなかったのだ。
 原発が爆発した直後、長男が「早く窓を閉めて! 窓の隙間を埋めて! 換気扇を止めて!」と慌てているのを見て初めて、これはただごとではないと思った。
 震災1週間後の3月17日から一時期、夫や長男らと東京の長女のところに避難した。だが八巻には、避難しなければならない理由が理解できない。いわれたから仕方がなく、という感じだった。
 かつて弟が福島第一で働いていた。しかし話を聞いたことはない。「放射能」を理解したのは、やっと秋になってからだった。
 「何も聞こえないから何も分からない。基本的には、家でじっとしているだけでした」
 八巻の仲間で同じ聴覚障害者の松田邦子(まつだくにこ)(69)は、停電で隣家にいる兄の家族と過ごした。暗闇で手話が通じず困った。八巻が松田に携帯メールで「大丈夫?」と送った。しかし一時避難があったり、電池切れだったりで読めなかった。
 八巻と松田は、健常者も参加する市内の手話サークル「耳通口(みみずく)」のメンバー。原発爆発後、何が起きたのか、サークルのメンバーに尋ねようとした。しかし多くが避難してしまって連絡がとれなかった。
 八巻たちにとって、手話以外の数少ない伝達手段が携帯メールだ。「耳通口」メンバーの平野道代(ひらのみちよ)(59)は自宅に残った。震災前日の3月10日に、市の緊急情報等サービスに登録したばかりだった。災害情報が自動的に送られてくる。
 それを分かりやすく書き直し、必死で2人に送り続けた。
 「余震が続いているのでお気をつけ下さい。夜ねる時は物が倒れてくるおそれのないように」
 「各地に避難勧告がでてますが、原町区はまだ入ってません」――
 爆発が相次いだあとは、ひっきりなしにメールを打っていたように思う。八巻はのちに「このメールが頼りだった」と平野に感謝した。
 八巻はいう。「聴覚障害は、見た目は健常者と変わらない。大変さを理解されないのです」(岩堀滋)


*作成:
UP:20121127 REV:20130204
災害と障害者・病者:東日本大震災 

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