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東日本大震災 障害者関連報道 2012年4月

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災害と障害者・病者:東日本大震災

 last update:20120618
新聞記事見出し

新聞記事本文
◇障害者の介助者不足が深刻 「緊急募集」街頭で訴え 福島でNPO /福島県
(2012年04月23日 朝日新聞朝刊 福島中会・1地方 029)
 「短い時間、可能な範囲でかまいません。ぜひご協力を!」――。障害者の自立を手助けするヘルパー(介助者)が、原発事故の影響で深刻な人手不足に陥っている。NPO法人ILセンター福島(角野正人代表)は22日、福島市の街頭で窮状を訴えた。
 この日はスタッフや障害者ら16人が、介助ボランティアの緊急募集を呼びかけた。2時間でビラ約1300枚を配布した。スタッフの江川竜二さん(25)は「街頭での呼びかけは最後の手段。熱心に耳を傾けてくれる人もおり、手応えはあったと思う」と話した。
 同センターはさまざまな障害を持つ人たちが1996年に設立。16年前から介助者派遣事業を始め、現在、約80人の常勤・登録ヘルパーがいる。毎月100人以上の在宅障害者にのべ6500時間以上の介護サービスを提供してきた。
 しかし、原発事故後は有給スタッフの県外避難、離職が相次いだ。ハローワークなどに募集をかけても人材が集まらず、欠員補充ができずにいる。
 スタッフの中手聖一さん(51)は「障害者の生活や活動を制限せざるを得ないのが実態」と明かした。状況はどこも同じで、福島市の介護事業者でつくる障害者自立支援協議会の昨年度末のアンケートでも、半数以上の事業所が「原発事故後のヘルパー不足」を訴えた。
 障害者介助には医療的ケアなど専門性の高いものもある。だが、簡単な調理や掃除、洗濯、大工仕事からメークやカット、送迎ドライバーなど、資格、年齢、時間帯を問わない仕事も多い。中手さんらは「身近な手仕事や特技を生かして人との出会いをしませんか」と街頭に立った。
 5月12日午後2時からは同市渡利椚町1の1の同センターで説明会を開く。ボランティア以外に有給で働くスタッフも募集。問い合わせは同センター(電話024・573・2095)へ。(本田雅和)


◇避難の現場から:東日本大震災 「古里なのに冷たい」 福島の知的障害者「つなぎ」施設で生活
(2012.04.03 毎日新聞 東京朝刊 29頁 社会面)
 ◇千葉から帰郷、30畳に20人雑魚寝
 東日本大震災で千葉県鴨川市に集団避難していた福島県内の知的障害者施設の入所者約150人が、古里に戻ってきたものの、落ち着き先のないまま避難生活を続けている。入居するはずだった福祉型仮設住宅の建設などが暗礁に乗り上げ、施設関係者から「古里なのに、あまりに対応が冷たい」との声が上がっている。【竹内良和、写真も】

 ◇経過
 福島県福祉事業協会が運営する9施設に入所していた知的障害者約250人は震災後、福島県内に避難先が見つからず、昨年4月に千葉県が全館貸し切りにしてくれた県立鴨川青年の家(同県鴨川市)に集団避難した。昨年11月から順次福島県に帰郷し、うち約100人は田村市に完成した福祉型仮設住宅に入居した。
 だが、同様に入居を見込んだいわき市の福祉型仮設住宅は、県が地権者の同意を得られず建設が頓挫。南相馬市の協会施設も除染の見通しがつかない。「つなぎ」として身を寄せた県内2カ所の公共施設に約150人が取り残されている。

 ◇現状
 このうち県いわき海浜自然の家(いわき市)には、知的障害者施設「東洋学園」(富岡町)の児童部と成人部の約90人が3階部分を間借りしている。県の当初の説明では「貸し切り」だったが、実際は一般客の予約が入っており、成人部の男性約20人が30畳弱の大部屋に雑魚寝。児童部の居室も狭く、イスや机を出して廊下まで活用している。放射線の影響で屋外の運動も頻繁にできず、部屋にこもりがちな入所者はストレスをためている。
 一般客と障害者の利用スペースは施錠式ドアなどで仕切られ、出入りも障害者は正面玄関ではなく裏口。ある施設職員は「障害者と触れ合う機会をつくるのも、社会教育施設の役目ではないのか」と漏らす。
 一方、食堂は共用で一般客がいる時は食事時間がずらされるため、生活リズムの変化に敏感な障害者はパニックを起こしてしまう。食堂の利用時間は片付けを含め30分。食べ切れない入所者は容器に詰め替えて部屋で食事を取る。
 人手不足も深刻だ。震災後、放射線を心配して福島を離れる職員が続出。震災前より職員数が3割も減り、夜勤や勤務時間を増やしてしのいでいる。東洋学園職員の堀川国芳さん(46)は「職員が足りず、入所者の気分転換になるバスでの外出も週1回ぐらいが限度」と話す。入所者に付き添って鴨川で9カ月間生活し、福島に戻った後も原発から約10キロの富岡町の自宅に戻れない。郡山市に避難する両親と離れ、いわき市の仮設住宅で1人暮らしを続けながら職場に通う。「震災直後から親を置いて入所者に付き添っています。母が、ほぼ寝たきりの父の面倒を見ているので心配です」

 ◇見通し
 県の災害対策本部は2月下旬、県内の避難所がゼロになったと発表。東洋学園の入所者らが身を寄せる2施設は国との調整が遅れ、介護が必要な障害者らを受け入れる「福祉避難所」に指定されていない。本来なら国が負担する運営費も協会が立て替え、山田荘一郎理事長は「これ以上指定が遅れれば資金ショートを起こす」と頭を抱える。
 また、自然の家は8月に退去期限を迎える。県障がい福祉課は行き場がなくならないようにすると説明しているが、具体策は決まっていない。東洋学園の三瓶佳治・成人部長は「私たちは忘れられた存在なのか。千葉県のように古里でも人道的な対応をしてほしい」と求めている。


◇障害者の被災状況 著書に 人工呼吸器つけ車椅子 玄関にスロープなし=福島
(2012.04.02 読売新聞 東京朝刊 福島 31頁)
 ◎県点字図書館長 「支援あれば救助も」 
 県点字図書館館長の中村雅彦さん(65)が、東日本大震災で被災した県内の障害者の状況を調べ、著書「あと少しの支援があれば」にまとめた。中村さんは「あと少し周囲の支援があれば、助かったかも知れない人がいる。この教訓を県内外で共有していきたい」と呼び掛けている。(小沼聖実)
 中村さんは、1972年から35年間、県内の特別支援学校で勤務した。いわき市の県立平養護学校には2度勤め、浜通りには、これまでの教え子が200人近くいる。震災後、その安否を訪ねて回るなかで、同市久之浜に住む卒業生の男性(35)が津波の犠牲になったことを知った。
 男性は難病のため、重さ約4・5キロの人工呼吸器と電動車椅子で生活し、わずかに動く指先でパソコンを使った仕事をしていた。
 「周囲に誰もいないはずがないのに、なぜ……」。自宅を訪ねると、近くでがれきを片付けていた住民から、「そんな障害のある人が住んでいたなんて。知っていたら助けに入ったのに」と聞かされた。津波が来る直前、男性宅へ救助に駆けつけた親族が、波にのまれながらも男性の手をつかんだが、男性は「もういい」と言って手を離し、流されたと知った。
 ほかの障害者についても気になり、浜通りの10市町に問い合わせると、震災による障害者の死亡率が一般の人に比べ3割ほど高いことがわかった。中村さんは半年間で約100人の障害者やその家族に話を聞き、31人の話を著書に記した。
 相馬市の10代の知的障害者の男性は、同居する祖母に家の中にいるよう言われ、祖母とともに津波にのまれた。双葉郡の60歳代の車椅子の女性は、玄関付近で遺体で見つかった。玄関にスロープがなく、自力で逃げ出せなかったとみられる。いずれも、「もし地域の人の手があれば、助けられた」と中村さんは強調する。
 避難生活で苦労する障害者も多い。中村さんの調べでは、昨年3月12日から8月31日に亡くなった身体障害者の人数は、沿岸部の2市2町で計630人で、昨年同期の1・1〜6倍。聞き取りでは、段差の多い仮設住宅暮らしで外出もままならない現状が浮かび上がる。中村さんは「通院や買い物を我慢し、体調を崩したのでは」とみる。
 緊急時に障害者が孤立しがちな背景として、中村さんは障害を知られたくないという本人の思いと、個人情報を保護しようという自治体の考えがあると指摘する。中村さんは「名前や障害の度合いなど細かいことまで知らなくていい。せめて民生委員の間で、近所に障害者がいることさえ共有できればよかった」と振り返る。
 その上で、「災害時は特に障害者が後回しになってしまう。本を読んで、いざというときは助け合おうと思う人が少しでも増えてくれれば」と期待している。
 本は、1470円。問い合わせは出版元のジアース教育新社(03・5282・7183)へ。


*作成:
UP:20120405 REV:20120618,
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