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東日本大震災 障害者関連報道 2012年1月

3月4月 1(1〜10日)4月 2(11〜20日)4月 3(21〜30日)5月6月7月8月9月10月11月12月
災害と障害者・病者:東日本大震災

作成:有松 玲 last update:20120112
*以下については別頁にも記事掲載されています。
人工透析 ◆ALS

◆テレビ報道

◆救援活動の写真 https://picasaweb.google.com/107166457718666569802
 「マスコミや各団体の広報等に活用できるように下記のURLに救援活動の写真をUPすることにしました。ご自由にダウンロードしてお使いください。」とのことです。

新聞記事見出し
◆2012/01/26大震災での支援きっかけ
讀売新聞 2012年01月26日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/news/20120125-OYT8T01128.htm
◆2012/01/25ルポ・復興:東日本大震災 現場を歩く 障害者の就労施設 /岩手
毎日新聞 地方版 2012年01月25日
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20120125ddlk03040063000c.html
◆2012/01/24被災障害者どう支援 制度改革推進会議 自治体連携必要
しんぶん赤旗 2012年01月24日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-24/2012012404_02_1.html
◆2012/01/22東日本大震災:福祉作業所に笑顔 南三陸町「のぞみ」、自らの力で再開 /宮城
毎日新聞 地方版 2012年01月22日
http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20120122ddlk04040003000c.html
◆2012/01/21震災時の障害者支援に遅れ 講演会で専門家ら警鐘
共同通信 2012年01月21日
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012012101001885.html
◆2012/01/20宮城の義援金 3次配分基準決定
msn産経ニュース 2012年01月20日
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120120/myg12012002270001-n1.htm
◆2012/01/17生活情報/掲示板
河北新報 2012年01月17日
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/01/20120117t13027.htm
◆2012/01/17高齢者・障害者・妊婦受け入れ 福祉避難所、わずか11か所…岡山
讀賣新聞 2012年01月17日
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=53058
◆2012/01/17防災態勢見直しへ 震災や台風避難教訓に 三木市
神戸新聞 2012年01月17日
http://www.kobe-np.co.jp/news/touban/0004747999.shtml
◆2012/01/07心のケア拠点、10日に開設 震災、原発事故にも対応
共同通信 2012年01月07日
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012010701001087.html
◆2012/01/07豊の命:2012「滅災」のいま/4止 障害者避難/下 備えなく憂いあり /大分
毎日新聞 地方版 2012年01月07日
http://mainichi.jp/area/oita/news/20120107ddlk44040436000c.html
◆2012/01/07なでしこの時代:/6止 聴覚障害を持つ映像作家・今村彩子さん /愛知
毎日新聞 地方版 2012年01月07日
http://mainichi.jp/area/aichi/news/20120107ddlk23040176000c.html
◆2012/01/06豊の命:2012「滅災」のいま/3 障害者避難/上 工夫と理解で共存 /大分
毎日新聞 地方版 2012年01月06日
http://mainichi.jp/area/oita/news/20120106ddlk44040384000c.html
◆2012/01/05【千葉】絆 再生−ちばのNPOから<4>ぐらすグループ 地域にとけ込む障害者
東京新聞 2012年01月05日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20120105/CK2012010502000049.html


 
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◆大震災での支援きっかけ
(讀売新聞 2012年01月26日)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/news/20120125-OYT8T01128.htm
「東日本大震災の被災地支援がきっかけとなって、菰野町と茨城県東海村は25日、大規模地震や豪雨に備えた災害時の相互応援協定を締結した。菰野町が同様の協定を結ぶのは新潟県三条市に次いで2例目。東海村は茨城県外の自治体と締結するのは初めて。(小栗靖彦)
 東海村は巨大地震に伴って液状化が発生し、下水道施設が甚大な被害を受けた。全国町村会を通じた職員派遣の要請を受けて菰野町は、下水道施設復旧のため、昨年8月から交代で職員を派遣。3月まで2人を村内に常駐させ、復旧事業にあたっている。
 協定締結は、村上達也村長が石原正敬町長に対し、「お世話になった。今後、菰野町で何かあったときに恩返ししたい」と申し出て実現した。
 協定に基づき、両町村は支援が必要な災害時に水や食料をはじめとした物資を供給、職員やボランティアを派遣する。高齢者や障害者といった要援護者を中心とした住民の安全な避難場所の確保も行う。東海村で原子力発電所の事故が起きたときには、菰野町が避難住民を受け入れる。
 町役場で行われた締結式には、石原町長と村上村長らが出席した。石原町長は「少し離れた自治体が大災害が起きたとき、派遣を通じて、相互に支え、つながりあう意義を改めて感じた。形だけでなく、住民同士も交流し、顔が見える関係を築いていきたい」と語った。村上村長は「あのような震災に遭うと、近隣も人手がない。遠方との協定を結ぶ必要があることを痛感していた。協定が実効をあげられるように努力していきたい」と述べた。
写真:協定を締結して握手を交わす石原町長(右)と村上村長(左)」(全文)

 
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◆ルポ・復興:東日本大震災 現場を歩く 障害者の就労施設 /岩手
(毎日新聞 地方版 2012年01月25日)
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20120125ddlk03040063000c.html
「◇特需失速、受注にかげり 細くても長期支援必要
 「いらっしゃいませ。お一ついかがですか」。大船渡市にある公共施設。昼食時間に設けられた訪問販売のブースで、同市の障害者就労支援施設「星雲工房」に通う花崎蓮さん(19)が施設職員の指導を受けながら、クッキーやシフォンケーキの販売に精を出していた。売れ行きはまずまずで、花崎さんは「多くの人たちと接することができて楽しい」と話す。
 震災で甚大な被害を受けた沿岸部では、釜石市と大槌町の障害者就労支援施設2カ所が津波で全壊したほか、多くの施設が被災した。現在は、場所を移転するなどして、すべての施設が再開しているが、製造関連の軽作業や箱作り、農産物の皮むき、清掃など、これまで施設に仕事を発注してきた多くの企業が被災したため、新たな仕事の受注が課題になっている。
 そのため県は県社会福祉協議会に運営を委託している「障がい者就労支援振興センター」(盛岡市)のサブセンターを昨年9月、大船渡市に設置。地元で雇用した3人のコーディネーターがそれぞれの人脈を生かして、復興支援イベントでの出店・販売、軽作業の仕事獲得に努めている。この公共施設での訪問販売は、市出身のコーディネーターで震災前は水産加工会社などで働いていた佐々木悦郎さん(57)が知人を通して交渉した。
 佐々木さんは気仙地区を中心に印刷会社や縫製工場、自動車部品工場などを回り続ける日々を送るが、「どこもまだ原状回復にはほど遠く、仕事をもらえる状況ではない」とため息をつく。
 陸前高田市の就労支援施設「あすなろホーム」では利用者約30人が菓子作りや箱折り作業に取り組んでいる。この施設での物品販売は、震災前は県内からの受注が主だったが、震災後は復興支援を目的に全国から急増。ピーク時には月150件に上り、現在でも毎月50件以上の注文があるという。だが、昨年末から受注にかげりも見えてきた。県障がい者就労支援振興センターの千葉淳所長は「現在は特需のようなもので、この状態がいつまでも続くとは思えない」と危機感を抱く。
 壊滅的な被害を受けた陸前高田市では元の取引先が9割以上被災。千葉所長は「地域の復興もなかなか進まない中、細くても長期的な支援が必要。県内外の企業と信頼関係を築きながら、継続した付き合いができるようにしなければ」と話す。【金寿英】
 □ことば
 ◇障がい者就労支援振興センター(被災地支援サブセンター)設置運営事業
 障害者の工賃は元々月平均約1万5000円と少ないが、新規事業の開発支援や民間企業の業務受託のマッチングなどの販路開拓を通して障害者の工賃上昇を目指す。11年度は1274万円が計上され、12年度から2年間についても国の第3次補正で予算措置された。」(全文)

 
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◆被災障害者どう支援 制度改革推進会議 自治体連携必要
(しんぶん赤旗 2012年01月24日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-24/2012012404_02_1.html
「障害者施策全般の見直しをすすめている政府の障がい者制度改革推進会議が23日、開かれ、「災害と障害者」について検討しました。
 被災地で障害者支援をした団体の代表が発言。▽被災した障害者の安否や支援ニーズの把握を国や県、市町村と連携する必要性▽「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」が周知されず生かされなかった―など問題点が浮かび上がりました。
 同会議の藤井克徳議長代理は、東日本大震災と障害者について国が把握、検討すべきこととして、(1)障害者の犠牲者の正確な数(2)震災直後の生活実態(3)既存の災害政策が障害者に対し有効だったか否か―を上げました。
 障害者自立支援法廃止後の新法についても議論に。新法法案は、24日からの通常国会に提出されることが閣議決定されています。それを踏まえて厚生労働省は現在、同法案を作成中です。
 同会議の東俊裕担当室長は、新法について検討する総合福祉部会の開催を厚労省に要請していると述べました。委員からは「ある国会議員は自立支援法を廃止せず一部『改正』で済ますと言っている。それが事実なら、会議として働きかけが必要だ」「自立支援法を引き継ぐ『改正』は納得いかない」など批判の声が上がりました。」(全文)

 
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◆東日本大震災:福祉作業所に笑顔 南三陸町「のぞみ」、自らの力で再開 /宮城
(毎日新聞 地方版 2012年01月22日)
http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20120122ddlk04040003000c.html
「◇震災乗り越え別の場所に拠点 「古里にお返ししたい」
 東日本大震災の被災地の障害者に笑顔が戻りつつある。南三陸町の福祉作業所「のぞみ」は津波被害で全壊したが、2カ月後に拠点を確保し、昨年9月には従来の作業を再開した。「『のぞみ』がなくなって寂しい」。居場所を失った知的障害者らの声に応え、施設側は行政の指示を待たずに動き出した。【平川哲也】
 「何べんも叫びました。『助けて』と」。利用者の高橋博行さん(38)は3月11日を振り返り、涙をこぼした。海から約1キロ離れた旧作業所。1階天井付近まで達した黒い波に、高橋さんは車いすごとのみ込まれた。畠山光浩所長(55)に助けられて難を逃れたが、津波は19年過ごした作業所と仲間2人の命を奪った。
 隣接する高校の教室に、利用者や保護者、施設職員ら約20人が避難した。教室にあったジャージーを借り、ストーブで暖を取った。事態はのみ込めず、電話も通じない。
 すすり泣く利用者もいた。だが、別の利用者が「大丈夫」と声を掛け、仲間同士が冗談を言い合って笑い声も漏れた。「支えられているのは、私たち職員の方だ」と、畠山所長は思ったという。利用者のため何ができるか。職員たちは、それだけに集中することができた。
 被災を免れた近くの家からストーブの灯油を分けてもらい、高校の教室で約1週間避難生活を送った。利用者を引き取りに来た家族には、避難先と連絡を取る方法を聞いた。家族の一人には「『のぞみ』はどうなるんですか」と聞かれ、畠山所長は「必ず元に戻します」と力強く答えた。
 3月中に再開に向けて動き出したが、発生直後の混乱で、行政とは連絡を取ることすら難しかった。避難所で暮らす利用者は「皆はどうしているの?」と聞く。当面の拠点を職員自ら探し、約300平方メートルの休耕地がある町内の利用者宅にたどり着いた。
 5月。プレハブの作業所を建てると、利用者が帰ってきた。被災前はシール貼りなど室内の作業が主だった利用者が、畑仕事を始めた。笑顔がはじけた。
 畠山所長は言う。「行政からの指示を待つことはできた。けれど『のぞみ』は、利用者の家族がつくってきた施設。待たせるわけにはいかなかった」
 作業所は、同様の施設が町内になかった76年に開設された。機運をつくったのは知的障害者らの家族たちで、工賃が支払われる仕事を自ら町内の企業に探し求めた。一昨年から社会福祉法人に運営がゆだねられたが、近隣住民が利用者に気軽に声を掛ける雰囲気は変わらなかった。
 そんな古里に根付いた作業所は今、震災前の輝きを取り戻そうとしている。利用者の大半は仮設住宅から通うが、9月にははがきの製作を受注、10月には別の高台に仮設作業所を移し、被災後初の工賃が手渡された。高橋さんは「仕事は楽しい。皆と一緒に仕事ができる『のぞみ』はもっと楽しい」と言う。「きっちりとした形で、古里の宝である『のぞみ』を町にお返ししたい」。畠山所長は将来を見据えて語る。」(全文)

 
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◆震災時の障害者支援に遅れ 講演会で専門家ら警鐘
(共同通信 2012年01月21日)
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012012101001885.html
「東日本大震災の経験から災害時の障害者支援を考える講演会「災害と障害者のつどい」が21日、神戸市内で開かれた。講演した専門家らは、震災で浮き彫りとなった災害時における対応の遅れを指摘。阪神大震災を経験した兵庫県でも自治体によって支援体制の整備が遅れている現状に警鐘を鳴らした。
 講演の冒頭では福島県南相馬市のNPOが活動を報告。震災直後に多くの障害者が避難できず取り残されたことや、行政が事前に作成していた障害者など「要援護者」の名簿に多くの漏れがあったことを振り返った。
写真:「災害と障害者のつどい」で質問に答える兵庫障害者センターの井上義治事務局長(左)=21日午後、神戸市中央区」(全文)

 
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◆宮城の義援金 3次配分基準決定
(msn産経ニュース 2012年01月20日)
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120120/myg12012002270001-n1.htm
「県災害義援金配分委員会(委員長・岡部敦県保健福祉部長)が19日開かれ、第3次配分の基準が決まった。基準によると、東日本大震災による死者・行方不明者の遺族▽災害障害見舞金支給の対象者▽半壊以上の住宅被害を受けた母子・父子世帯や震災で母子・父子となった世帯▽大規模半壊以上の被害を受けた高齢者や障害者施設入所者−に、これまでの配分額に10万円を上乗せする。
 津波や浸水で住宅が被害を受けた世帯主に、全壊20万円、大規模半壊10万円、半壊5万円と損壊程度に応じて支給する新たな基準も設ける。
 このうち大規模半壊以上で仮設住宅や民間の借り上げ住宅を利用していない世帯主には、さらに10万円を加える。
 日本赤十字社などの義援金募集は3月31日で終了するが、これ以降も義援金が寄せられることが見込まれるため、県独自で9月30日まで募集する。」(全文)

 
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◆生活情報/掲示板
(河北新報 2012年01月17日)
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/01/20120117t13027.htm
「<ポリテクセンター宮城/再就職へ訓練の受講生を募集、CAD・NC加工技術など>
 ○独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構宮城職業訓練支援センター(ポリテクセンター宮城)は、震災後の再就職を目的とした公共職業訓練「震災復興訓練」の受講生を募集している。
 募集コースと訓練期間、訓練場所、応募の締め切りは次の通り。
 CAD・NC加工技術科=訓練期間1月31日〜7月31日、名取市植松のポリテクセンター宮城名取実習場。1月18日締め切り▽溶接施工科=同▽生産設備メンテナンス科=2月3日〜7月26日、仙台市宮城野区榴岡のポリテクセンター宮城仙台実習場。1月20日締め切り
 原則として、雇用保険による失業手当の受給者が対象。宮城県内の公共職業安定所に申し込む。定員はそれぞれ若干名。受講は無料だが、いずれも資料代7000円程度は自己負担。連絡先は仙台実習場022(792)8066。」(全文)

 
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◆高齢者・障害者・妊婦受け入れ 福祉避難所、わずか11か所…岡山
(讀売新聞 2012年01月17日)
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=53058
「災害時に高齢者や障害者、妊婦らを受け入れる「福祉避難所」が、岡山県内で5市2町の11施設しか指定されていないことが県のまとめで分かった。
 福祉避難所は1995年の阪神大震災を機に創設された制度で、東日本大震災でも福祉避難所の不足が問題となった。県は、2014年度末までに全27市町村に指定施設が広がるように、市町村への支援を強化する。
 福祉避難所は、災害救助法に基づき、在宅の高齢者や障害者らに対応出来るように専門の介助員を配置するなどした施設。市町村が、あらかじめ特別養護老人ホームなどを福祉避難所に指定し、災害時に活用する。阪神大震災で、高齢者や障害者らが一般の避難所に逃れた後、十分なケアが受けられず、体調を崩して亡くなる震災関連死が相次いだことを教訓に創設された。
 県によると、16日現在、福祉避難所を指定しているのは瀬戸内(3か所)、高梁(2か所)、備前、新見、総社(各1か所)各市と、吉備中央(2か所)、早島(1か所)両町の7市町。福祉施設の多くが日常業務で手いっぱいで、災害時に介助員を出す余裕がないことなどから、指定が進んでいないとみられるという。
 ただ、東日本大震災でも、高齢者や障害者への対応が問題となった。県は「同じことを繰り返してはいけない」として、県市長会、県町村会と、県老人福祉施設協議会との間で、福祉避難所の増設に向けた協定締結を目指すことを決定。さらに、福祉避難所を指定する際には、経費の一部を市町村に補助する方針で、12年度一般会計予算の概算要求に250万円を盛り込んだ。
 福祉避難所をまだ指定していない岡山市は「介助員の人繰りが難しかったが、今年度中にも設置したい」と説明。倉敷市も「早期に協定を結びたい」とする。
 県保健福祉課は「災害弱者の関連死を少しでも減らすために全力を注ぎ、次の災害に備える」としている。(辻田秀樹)」(全文)

 
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◆防災態勢見直しへ 震災や台風避難教訓に 三木市
(神戸新聞 2012年01月17日)
http://www.kobe-np.co.jp/news/touban/0004747999.shtml
「2011年の東日本大震災や兵庫県三木市で初めて避難勧告が出た台風15号は、市にもさまざまな教訓をもたらした。阪神・淡路大震災から17日で丸17年。市は地震による最大震度の想定を変更し、12年度中に防災計画を大幅改定する方針。福祉避難所開設のマニュアル作りにも着手した。市は「災害時は地域で助け合うという意識を高めてほしい」と呼び掛ける。(斉藤正志)
 □防災計画
 東日本大震災を受け、市は、これまで防災計画で設定していた市内で最大の地震を、マグニチュード(M)7・7、震度6強から、M8・0、震度7に引き上げる方針。
 これに伴い、想定する避難者数は現在の最大2094人から、数倍に膨れ上がるとみられる。備蓄品や人員配備態勢なども同時に見直すため、12年度に防災計画を大幅に改定するという。
 市内を走る活断層の評価を変えることが要因。これまで最も被害の大きな地震を起こすのは、市東部の有馬高槻構造線と六甲断層帯とみていたが、市西部の山崎断層帯と想定を変更する。山崎断層帯の避難者数は、現在の防災計画では459人だが、改定すれば1万人を超すとみられている。
 □福祉避難所
 昨年9月20、21日の台風15号を受け、市と市社会福祉協議会は共同で福祉避難所開設のマニュアル作りを始めている。
 台風15号では、3自治会124世帯に「避難勧告」、31自治会3689世帯に災害時要援護者の避難を促す「避難準備情報」を発令。最大で7カ所に47人が避難した。
 この際、福祉避難所をめぐり、連携などに課題が見つかったという。市社協がデイサービスセンターで高齢者などの受け入れ準備を進めていた一方で、市は地域の特別養護老人ホームに高齢者2人の受け入れを要請していた。
 市はあらかじめ福祉避難所を指定しておらず、昨年10、12月の2回、健康福祉部と市社協の担当者らが集まり、対策を協議。災害時に福祉避難所を円滑に設けるため、人員配置や役割分担などを検討している。
 今回の台風では避難者が少なかったが、市と市社協の担当者は「大規模な災害になると対応はより難しくなる。今回の経験を生かさないといけない」と口をそろえる。
 □災害時要援護者
 一人で避難できない要援護者の支援は、かねて課題だった。
 昨年12月25日現在で、避難を助ける個人や組織をあらかじめ決めておく「個別支援者」「地域支援者」は、市に登録する要援護者3285人のうち、3071人(93・5%)で決まっている。
 一時は伸び悩んだが、09年度から、個人だけでなく、組や隣保など組織単位で支援者を決めることを地域に呼び掛け、登録数が飛躍的に伸びたという。
 しかし、実際の災害時に想定通りに動けるのか、不安視する声もある。ある地域の自治会役員は「災害時の役割分担を把握しているかどうかなど、住民の中でも意識に濃淡がある」と明かす。
 市の井上茂利防災監は「ハード面だけでなく、日常から地域力を高めることが大切。要援護者の安否確認などは、訓練を積み重ねることで、実効性は上がってくる。訓練の必要性などを呼び掛けていきたい」と話す。
【災害時要援護者】
 高齢者や障害者、妊婦、乳幼児、外国人など、災害時に一人で逃げられず、支援が必要な人のこと。2004年の新潟・福島豪雨や新潟県中越地震で高齢者の被災割合が高かったことから、国が避難支援のガイドラインを作り、自治体に支援態勢の整備を呼び掛けていた。
 福祉避難所 高齢者や障害者など、健常者と同じ施設では生活が困難な人のため、特別な配慮をした避難所。バリアフリー化され、専門スタッフが配置されている福祉施設や特別支援学校などを自治体が指定する。国が阪神・淡路大震災後の1996年に打ち出し、2008年に設置・運営のガイドラインを設けた。
写真:台風15号による避難勧告で避難した住民たち。三木市はこの時の教訓から、市社協と福祉避難所開設のマニュアル作りを始めている=昨年9月20日、同市細川町西」(全文)

 
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◆心のケア拠点、10日に開設 震災、原発事故にも対応
(共同通信 2012年01月07日)
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012010701001087.html
「東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で、病院の閉鎖が続くなど危機的な状況にある福島県沿岸部の相双地域の精神科医療を立て直すため、福島県立医大などのグループは10日、新たに「心のケア」の拠点を同県相馬市に開設する。
 以前からの精神科患者に加え、原発事故や津波で心的外傷後ストレス障害(PTSD)などを発症する恐れがある被災者のケアも想定している。
 県によると、相双地域では精神科のある4病院のうち、3病院が原発事故の警戒区域内にあり閉鎖中。残る1病院や診療所も週に数日の外来診療のみの状況だ。」(全文)

 
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◆豊の命:2012「滅災」のいま/4止 障害者避難/下 備えなく憂いあり /大分
(毎日新聞 地方版 2012年01月07日)
http://mainichi.jp/area/oita/news/20120107ddlk44040436000c.html
「東日本大震災での身体、知的、精神障害者の死亡率は住民全体の2倍以上−−。毎日新聞が11年10月、宮城、岩手、福島3県の33市町村に行った調査で、自力で動けなかったり、津波が迫るのが分からず逃げ遅れた障害者の多さが明らかになった。障害者はもちろん高齢者、妊産婦、外国籍住民など情報不足に陥りやすかったり移動が難しい災害弱者のリスクをいかに減らすかが問われる。
 NPO法人チャレンジおおいた福祉共同事業協議会が先月開いたシンポジウムで、大分大教育福祉科学部の山崎栄一准教授は、阪神大震災で生き埋めから救出された人の多くが家族や友人、知人に助けられたことに触れ、「地域の避難支援が必要」と指摘。個人情報の集約、共有が役立つが、漏えいに不安を感じる人も多く、「同意を地道に得て、自治会や民生委員らが台帳を作るしかない」。また避難経路で本当に車椅子が使えるかなど、実態に即した訓練の必要性も主張。更に「投薬や介護、障害への配慮など、避難所生活の支援もないと、震災関連死につながりかねない」と訴えた。
 公助も肝要だ。例えば介護専門職員がいたり洋式トイレがあるなど、避難生活で配慮が必要な人を受け入れる「福祉避難所」(社会福祉施設など)は11年12月1日現在、10市町村105カ所(2237人)。最大約20万人の県内災害弱者のわずか1%しかカバーできず、早急な指定が求められる。同NPOが避難訓練をした大分市の福祉避難所(特別養護老人ホーム)は「一般の救援物資が高齢者でも食べられるものなのか検討が必要」としており、指定だけで終わらず「いかに機能するか」も課題だ。
 「障害種別に色分けしたテープを障害者に張って避難訓練をしたがプライバシーとの折り合いをつけるのが難しい」「非常持出袋に個人情報を書いたカードを入れるべきだ」「車での避難は危ないが一部の障害者にとっては合理的」−−など、同NPOが県内5カ所で実施した防災研修で浮かんだ課題は報告書にまとめ、県内市町村や民生・児童委員、各施設などに配布する。
 丹羽和美・同NPO理事長は「少しずつでも課題を見出し、改善したい。たまたま大分で起きなかっただけで支援を受けていたのは私たちだったかもしれないのだから……」【土本匡孝、深津誠】=おわり」(全文)

 
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◆なでしこの時代:/6止 聴覚障害を持つ映像作家・今村彩子さん /愛知
(毎日新聞 地方版 2012年01月07日)
http://mainichi.jp/area/aichi/news/20120107ddlk23040176000c.html
「◇社会の壁を取り払う
 ドキュメンタリー映画「珈琲とエンピツ」が上映中だ。主人公は、静岡県湖西市でサーフショップを営む聴覚障害者の太田辰郎さん(49)。客が店にやってくると自慢のハワイアンコーヒーでもてなし、鉛筆を手に会話が始まる。筆談だけでなく、身ぶりや笑顔、ハグも交えて思いを伝え合う姿を丹念に追った。名古屋市緑区の映像作家、今村彩子さん(32)が監督した。自身も生まれつき耳が聞こえない。
 「珈琲とエンピツ」は09年秋から2年かけて撮影した67分の長編。プロに依頼するつもりだったナレーションにも今村さんが初挑戦した記念碑的作品となった。自主上映会は昨年10月の湖西市民会館を振り出しに、2月に豊橋市と名古屋市、3月には東京の映画館で2週間公開される。
 多くのろう者を撮影してきた。だが、太田さんの生き方を通して「伝える自分自身が、ろう者と健聴者を区別していた」と告白している。作品のメッセージは明快だ。ナレーションのひたむきな語り口は、等身大の今村さんの苦悩や感慨を紡ぎ出す。
 小学生の時にビデオで見た洋画「E.T.」が、映像作家を夢見た原点だ。普通のテレビは家族と一緒に楽しめなくて寂しかった。作品が字幕つきだったおかげで内容が初めて理解でき、宇宙人と少年が言葉の壁を越えて心を通い合わせるテーマに心をわしづかみにされた。テレビを字幕放送にしてほしいと、中学時代は駅頭で署名活動をする行動的な少女だった。
 県立豊橋聾(ろう)学校を卒業後、愛知教育大に進学。ろう学校の教師を目指しつつも映画製作の夢を捨て切れずに米国へ。99年1月から1年間、カリフォルニア州立大ノースリッジ校に留学し、映画製作の基本や米国手話を学んだ。
 帰国後は母校でビデオカメラを回した。けんかしたり、恋愛にときめく普通の高校生の姿を撮影した。12分間の第一作「めっちゃはじけてる豊ろうっ子〜愛知県立豊橋ろう学校の素顔〜」は、01年の第3回名古屋ビデオコンテストで優秀賞に輝き、今では、ろう教育の教材DVDとして活用されている。
 身長152センチ。右手でビデオカメラを構え、東日本大震災の被災地へ4度も乗り込んだ。「ろう者が健聴者に合わせなくてはいけない、社会の壁を取り払いたい」。芯は強い。ろう者に避難所や食料配布の情報が伝わらない現状を「架け橋」シリーズとして映像化、自主上映会や講演会場を飛び回る。「ろう者の復興はまだ遠い。今年1年間は震災に絞って伝えます」。新年の決意は固い。【山田泰生】=おわり
 □人物略歴
 ◇いまむら・あやこ
 1979年生まれ。名古屋出身。「Studio AYA」代表。CS放送「目で聴くテレビ」ディレクター。名古屋学院大などで講師も務める。」(全文)

 
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◆豊の命:2012「滅災」のいま/3 障害者避難/上 工夫と理解で共存 /大分
(毎日新聞 地方版 2012年01月06日)
http://mainichi.jp/area/oita/news/20120106ddlk44040384000c.html
「「障害者の姿が見えない……」。東日本大震災の避難所を映すテレビ。県内8社会福祉法人でつくるNPO法人チャレンジおおいた福祉共同事業協議会の丹羽和美理事長は気になった。「周囲に迷惑をかける」と避難所を出たり、初めから行かなかったことを後日知った。
 先月16日、同協議会は中津市で大地震を見据えた避難所運営訓練をした。9〜12月、県内5カ所で障害者や高齢者ら延べ約700人が訓練した一つ。12施設から身体、知的障害者、高齢者、スタッフら約100人が参加した。「入り口付近は寒いがトイレには近い」「元気な人から奥にしよう」。話し合いの末に段ボール、シートを敷き居住空間を確保。「わずかな段差でもつまずく」とシート端にテープを張ってバリアフリー化する人も。約2時間後、弁当が配られると、非日常で元気がなかった障害者もようやく笑顔を見せた。
 記者は訓練中、障害者自身やスタッフに「避難時に何が困るか」などを尋ねた。
 「耳が不自由です」と書かれた紙を胸に張った聴覚障害の福成明美さん(55)は「聴覚障害は外見では分からない。他の人に『情報が分からない』と気付いてもらえないのが不安」▽電動車椅子の三宅サトノさん(79)は「避難所に洋式トイレがあれば」▽聴覚障害の吉田裕子さん(54)は「掲示板近くに居住空間を確保したい。助けてもらうため普段から自分のことを近所の人に積極的に知らせたい」▽視覚障害の80代の女性は「トイレへ誰に連れていってもらったらいいのか分からない」−−。中津市の授産施設長、湯浅浩さん(54)は「知的障害者が大声を出すこともあるが、環境変化が原因。少しずつ落ち着くので理解を」と話した。主催者側に誘われ、急きょ一般参加した会社員、川嶋良治さん(52)の感想が印象的だ。「最初は障害者に戸惑ったが構える必要はなかった。手を握ったり笑ってうなずくだけで障害者の緊張も解け、居心地の良い空間が作れた」【土本匡孝】」(全文)

 
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◆【千葉】絆 再生−ちばのNPOから<4>ぐらすグループ 地域にとけ込む障害者
(東京新聞 2012年01月05日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20120105/CK2012010502000049.html
「写真:事業所「ぐらす」で活動する人たちと友野さん(左端)=船橋市で
船橋市に拠点を置く「ぐらすグループ」は、電話一本で呼ばれれば、家庭の草取り、掃除、庭木の伐採、粗大ごみの処分など何でも請け負う。仕事をするのは障害がある人たち。NPO法人が中心になって障害者の就労を支援する事業所・作業所を七つ運営している。
 安全な仕事ばかりを選んだりはしない。ときには屋根に上る危険な作業もある。自分たちの仕事を「便利屋業」と呼んでいる。
 「浦安市内に作業所がない」という障害者の母親の訴えに応え、昨年三月一日にJR京葉線・新浦安駅近くに開設した事業所「なゆた」もその一つだった。直後の東日本大震災による液状化で建物は傾き、水道、電気、ガスは止まってしまった。活動休止を覚悟したが、復旧に追われる親たちを思い、子どもたちが集まれる場として同二十日に活動を再開した。
 震災後は、自転車の「ノーパンクタイヤ」作りで、被災地支援にも乗り出した。タイヤのチューブを空気を入れなくても済む素材に入れ替え、パンク知らずにしてしまう。以前から他の作業所で製造していたが、がれきが散らばる東北の被災地でこそ有効と考えたからだ。
 浦安市から放置自転車五十台を提供してもらい、七月中旬、ノーパンクタイヤに替えて岩手県大辻町に届けた。周囲に何もない不便な仮設住宅で喜ばれ、さらに三十台を追加で送った。
 「浦安=被災地=支援される場所。障害者=弱者=支援される立場。この構図をひっくり返したかった」。グループ代表の友野剛行さん(42)はこう話す。新しい障害者福祉の世界を切り開くのが目標だ。
 地域で共に生きる場所と仕事をつくるため、便利屋業など地域のニーズを探り続ける。働く障害者にも「周囲の人に名前を覚えてもらい、地域で役に立つ、価値ある存在になってほしい」(友野さん)と願う。
 高齢者福祉と違い、障害者福祉は年長の支援者が先に現場を去らなければならないことが多い。作業所の存続のため、意志を引き継ぐ人材とシステムづくりも必要だった。
 別のNPO法人の作業所施設長だった友野さんは二〇〇八年、株式会社「ふくしねっと工房」を設立した。会社法改正で最低資本金が撤廃され、株主一人の「一人会社」設立が可能になったからだ。
 ぐらすは、同工房と二つのNPO法人の下に、事業所と作業所、障害者が共同で生活する八つのグループホームなどが、組織化されている。
 一人会社を設立したのは、組織を機動的に運営するためで、「なゆた」には同社から運転資金四百万円を出した。「理事会のあるNPO法人なら、とても承認されないでしょう」と友野さんは笑う。
 昨年九月からグループで企業と提携し、高齢者宅に弁当を配達する新たな仕事に乗り出した。弁当を届けながら話し相手になったり、安否確認をしたりする。四月にはグループホームが十カ所に増える。
 障害者が「地域に必要とされる存在」としてあり続けるため、着実に“経営”の地歩を固めつつある。 (林容史)
<ぐらすグループ> 働く、生活する、相談する−総合的な障害者支援を目的に2008年、船橋市滝台町に「ワーカーズハウスぐらす」を開所。株式会社「ふくしねっと工房」、NPO法人「1To1(ワントゥワン)」「なゆた」を核に、それぞれ就労支援や介護を行う多機能型事業所、作業所、グループホーム、リサイクルショップなどを運営する。(1)社会的価値や所属場所の喪失から仲間を守る(2)地域にとって必要な1人1人になる(3)地域のニーズに即した事業を展開する−が設立理念。スタッフの生活設計の支援も主要事業とし、これからの障害者福祉を支える人材育成に力を入れる。現在、利用者は15〜68歳の85人。スタッフは55人。」(全文)

*作成:有松 玲
UP:20120112 REV:,
災害と障害者・病者:東日本大震災 
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