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ドーマン法


last update:20110204

■文献

◆日木 流奈 20020507 『ひとが否定されないルール――妹ソマにのこしたい世界』,講談社,246p. ISBN:4062113120 ISBN-13:978-4062113120 1575 [amazon] d/l03 d/p
◆―――― 20040226 『自分を完全肯定できますか――「ひとりヨシヨシ」で生きる』,講談社,254p.ISBN:4062122758 ISBN-13:978-4062122757 1575 [amazon]d/l03 d/p
◆滝本 太郎・石井 謙一郎 編 20020628 『異議あり!「奇跡の詩人」』,同時代社,237p. ISBN-10:4886834752 ISBN-13:978-4886834751 1300+ [amazon][kinokuniya] ※ m/nhk, d00b, cp, c07

◆20020516, 「重度脳障害児「日木流奈くん」ファミリーと奇妙な教団の接点――NHKスペシャル「奇跡の詩人」に誰もが疑問」『週刊文春』44(19):149-151.
◆岡田光世 ,20020604, 「脳障害治療ドーマン法は奇跡を生むか(ワールド・ナウ)」『世界週報』83(21):56-58.
◆20020609, 「流奈クン騒動――ドーマン法は奇跡の回復術か」『読売ウイークリー』61(24):90-91.
◆千田顕史(創風社) 20020610 「なぜ日本の脳性麻痺医療はおくれてしまったのか」
 http://www.soufusha.co.jp/igaku/cpr.html
◆小田桐誠, 200207, 「放映後賞賛と抗議と計二千本の電話が――NHK「奇跡の詩人」めぐる議論沸騰(特集・テレビが危うい!)」『創』32(6):42-49.
◆滝本太郎・石井謙一郎, 200208, 「告発ルポ NHK「奇跡の詩人」重大な罪――半年間もの取材でNHKは何を検証したのか!?」『文芸春秋』80(10):338-347.
◆2002/09/30 NHKへの公開質問状  http://members.at.infoseek.co.jp/saihikarunogo/20020930nhk.html
◆NHKスペシャル番組部長・天城靭彦 2002/10/28 回答
 http://members.at.infoseek.co.jp/saihikarunogo/20021030nhk.html
◆2002/12/10 NHKへの反論〜NHKスペシャル『奇跡の詩人』について〜
 http://members.at.infoseek.co.jp/saihikarunogo/20021210nhk.html
◆saihikarunogo 2002/12/23 「ドーマン法を始めようかと迷っている人のために」
 http://members.at.infoseek.co.jp/saihikarunogo/informationdoman.html
(「Yahoo!掲示板の「ドーマン法について教えてください」トピックの投稿をまとめました。ドーマン法を始めるかどうかだけでなく、赤ちゃんを育てていくときに、状況によっては、おかあさん、おとうさんが誰でも抱くことがある不安が語られているような気がします。(2002年11月23日〜12月23日)」)
◆20070315, 「虐待風「ドーマン法」で長男を鍛える「ジャガー横田」夫妻(ニッポンの「親バカ」大集合)」『週刊新潮』52(10):146-147.
◆杉本健郎/立岩真也(聞き手) 2010/03/01 「「医療的ケア」が繋ぐもの」(インタビュー),『現代思想』38-3(2010-3):52-81

◆「ドーマン法を考える」
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/doman/


■新聞記事

1987.07.31『読売新聞』
[ひと・スポット]運動利用し障害児療育/さざんかの会・倉持親優さん
 障害児の療育法はいろいろある。遊戯療法、音楽療法、感覚統合療法、家族療法、ドーマン法……。しかし、どんなにすぐれた療育法にしろ、指導者が熱心でないと、効果はあまり期待できない。
 東京・北区の「精神発達障害指導教育協会(通称さざんかの会)」の倉持親優(ちかのり)さん(33)は、軽い運動を取り入れた指導を実践している。このほど「運動チャレンジ」という本を出版したが、家庭でもできる運動が、絵入りで説明されている。
 「まずその子の行動体力をつかみ、手助けしながらやっていく。でも、手助けが過ぎてもいけません。子どもが自分で動くよう、触れる面積と時間を少しずつ減らしていくことが大切です」と強調した。

1988.05.09『読売新聞』
奇跡のラブちゃん 10歳少女、猛訓練で脳性マヒ克服 米のドーマン博士が指導
 後天性の脳障害で全身がマヒ、言葉もほとんど話せなかった京都市西京区の十歳の少女が、元騎手の福永洋一さんを治療したことで知られる米国フィラデルフィア、グレン・ドーマン博士の人間能力開発研究所の指導で奇跡的に回復、復学も可能な状態となった。両親が二年がかりで付きっきりの機能回復訓練をしたことが実ったもので、日本でのドーマン法治療成功の第一号。同博士は十一日、久留米大学で開かれる小児脳神経学会で成果を報告する。
 ◆「歩けるよ、話せるよ」 手に血マメ、耐えた2年間◆
 少女は、西京区下津林佃、会社役員小西直樹さん(41)の二女楽歩(らぶ)ちゃん。生後一か月で食道障害が起き、手術を受けたが、この時、呼吸と心臓が一時停止したのが原因で脳性マヒとなった。三歳になっても手足が自由に動かず、発育も不十分、言葉や感覚もマヒしていた。
 小学校へ入学したものの二年で中断。六十一年二月、神戸市の小児歯科医佐本進さん(51)が同博士の研究所の「ジャパンオフィス」を同市内に開設したことを読売新聞で知った直樹さんが早速連絡を取った。
 同博士は「脳細胞は一部が損なわれても、使うことによって成長。回復の可能性は無限にあり、運動刺激でそれを引き出せる」との理論で知られる。
 四十年前に米国で研究所を設立、脳外科医、心理学者らスタッフをそろえ、手術、薬剤をいっさい使わず治療し、自宅で家族と共に訓練するのが特色で、患者の家族、保護者が同研究所で理論と実習の講義を受け、症状に合った訓練プログラムを作って実践する。
 佐本さんの紹介で直樹さんは六十一年四月渡米、一日十時間の講義を一週間受け、帰国したその日から楽歩ちゃんの失った運動機能を取り戻す猛訓練を開始した。
 「機能回復は最初から徹底的に繰り返し、強く継続する」との理論から、赤ん坊のように手足をバタバタさせる「パターング」を一日六十分、腹ばい移動二キロ、はいはい二・七キロ、前後百八回、はしごにつかまっての歩行一・六キロなどのハードな訓練に手に血マメを作りながら八歳の楽歩ちゃんと母のレイ子さん(40)が連日取り組んだ。この結果二か月後にはけいれんの発作が止まった。単独歩行ができ、大きな声で話せるようになるとさらに訓練を強化した。
 訓練結果はビデオで博士の研究所へ送り、ファックスでアドバイスを受けた。年二回の研究所員の来日指導も効果を高めた。
 こうして訓練に明け暮れる二年が過ぎ、今では走る以外はほぼ健常児並み。レオタード姿で体操もこなせるようになった。
 今ではテレビゲームさえできるようになった楽歩ちゃんは「つらい訓練だけど、いろんな事が出来るようになってうれしい」と目を輝かせ、両親は「訓練法を信じたかいがありました。遊び盛りなのによく辛抱してくれた」と親子で勝ち取った機能回復に感激している。
 ドーマン博士の話「ラブは障害がかなり重かったが、最初の九か月で健康児の三八%の成長率にまで回復した。その後の回復は驚異的で学習知能の進歩もめざましく、正常の二倍近い進歩ぶりだ。親の意気込みがあったからこそだが、他の障害児にいい励みになると思う」

1988.09.04『読売新聞』
息子のリハビリ助けて ボランティア不足、両親悲鳴/東京・豊島の中村さん
 「脳性マヒの息子のリハビリ訓練に手を貸してくれる人はいませんか」−−豊島区長崎五の二七の八、公務員中村修治さん(41)夫妻が今、二男の哲治ちゃん(5つ)の治療で、ボランティアを懸命に探している。
 ◆「福永」治療のドーマン法に脳性マヒ回復を託す◆
 訓練は、元騎手の福永洋一さんを治療したことでも知られる米国のグレン・ドーマン博士が提唱する「ドーマン法」で、これまでの二年半のリハビリが功を奏し、哲治ちゃんは少しずつ回復の兆しを見せてはいるが、訓練は一度に大人三人の手が必要。これまで手伝ってくれた人が、事情があって手を貸せなくなったためで「もう少しの訓練で、一段と回復するのに……」と夫妻は途方に暮れている。
 哲治ちゃんは、生後六か月になっても首がすわらず、脳性マヒと診断され、三歳になっても症状は少しもよくならなかった。そのころ修治さんが、同じ障害児を持つ知り合いから、ドーマン法を六年間実施したことにより、ある程度の機能を回復した話を聞き、そのリハビリ訓練を試みてみることにした。
 ドーマン博士は「脳細胞は一部が損なわれても、使うことによって成長する。回復の可能性は無限にあり、運動刺激でそれを引き出せる」との理論で知られ、治療法は手術、薬剤を一切使わず、自宅で家族とともに訓練するのが特色。修治さんと妻久子さん(38)は、知人からこのドーマン法の手ほどきを受けて、訓練を開始した。訓練は徹底的に繰り返すことが必要で、一日中行うため、久子さんは保母の勤めもやめた。
 訓練自体は難しくないが、朝から夜まで一日五回、一回に一時間から一時間半ほどかかる。手足の指をマッサージして血行をよくしたり、手足を赤ん坊のようにばたつかせたり、逆さづりにして絵本を見せたりする。これらのことを行うため一度に三人の大人の手が必要。修治さん夫妻はこれまで知人、近所の主婦、豊島区社会福祉協議会のボランティア連絡協会などに応援を頼んでいた。
 二年半にわたり、毎日毎日訓練を続けたことで哲治ちゃんは、手足の指が動くようになり、まだ、ハイハイすることはできないが、支えて立たせると一生懸命歩こうとするようになった。また、障害の話を周囲がすると哲治ちゃんがいやがるなど、知恵も発達してきた。しかし最近になり、ボランティアの都合などで、久子さんが加わっても訓練に必要な三人がそろわない日も出てきて、昼間の訓練に支障をきたすようになった。中村さんの連絡先の電話は、九五九―二三三七。

1989年09月09日『朝日新聞』
障害児を理解して 藤沢市の「キラキラ学園」
 藤沢市藤沢の障害児通園施設「キラキラ星園」(0466−27−1700)は、9日午前10時から市民会館でキラキラ星園を知ってもらう会を開く。施設長の本多正明医学博士が脳の仕組み、脳障害児の治療法、よりよく生きる法などを講演。同園は脳障害児にドーマン法という訓練を施し、才能教育の考え方で指導している。

1990年03月13日『朝日新聞』(週刊アエラ)
神戸の名士、佐本進さん自殺(先週今週・追悼)
 佐本進さん(54)は神戸では名士の1人である。小児専門の歯科医の草分け的存在、脳障害治療ドーマン法の普及者、自宅にミニシアターを作り、若い芸術家に開放する文化人と、いくつもの顔を持っていた。2月28日朝、三宮の繁華街に歯科医院を開業しているビルから飛び下り自殺した。
 その前日、初診で虫歯治療に訪れた同市兵庫区北逆瀬川町1丁目、会社員臼井勝成さん(27)の長男大介ちゃん(3)を治療中、死なせた。笑気麻酔をかけて間もなく容体が急変、県立こども病院に運んだが、午後5時半すぎ、心不全で死亡した。
 小児歯科専門医として開業して18年。大血管転位症など先天性の心臓病で、一昨年には2度の手術をした大介ちゃんの既往症を母親の幸子さん(28)から聞いた上で、治療にかかったのだろうが、幼い患者は帰らなかった。
 佐本さんは、脳障害児治療法で注目された米国のグレグ・ドーマン博士に共鳴、日本事務所を86年に開設。ドーマン法は、元騎手福永洋一さんのリハビリを指導したことから日本でも一般に知られ、治療を受けたいという希望者が相次いだ。
 若い芸術家の間で人気が高いミニホール「シアター・ポシェット」も、佐本さんが83年、異人館街にある自宅庭に自費でつくった。使用料が安いため、音楽、演劇など年間200回近い公演が行われてきた。
 信望が厚いだけに、患者死亡のショックは大きかったようだ。当夜はふさぎこみ、翌朝はいつもより早く自宅を出た。医院事務所で遺書5通を書き、手術用メスを持って屋上に上がった。左手首の血管と頚の動脈を切ったが死に切れず、飛び下りたらしい。遺書には「事故の責任は私にあります。死んでおわびします」とあった。
 家族ぐるみの親交をもつ劇団神戸主宰の夏目俊二さん(63)は「患者の死という場面にはほとんど巡り合わない歯科医、まして子どもが大好きだった佐本先生にとって、耐えられないことだったのでは。お世話になった先生のためにも追悼公演ができればと思っている」

1991.04.28『読売新聞』
脳障害者訓練方法の説明会/東京・渋谷
 「ドーマン法」と呼ばれる脳障害者訓練方法を紹介する「あなたの脳障害児をどうするか」と題した説明会が、きょう二十八日午前十一時から、JR渋谷駅東口東急文化会館七階の東急ゴールデンホールで開かれる。
 米国のグレン・ドーマン博士が開発した訓練法で、元競馬騎手の福永洋一さんが日常生活を送れるまで回復したことで日本でも知られるようになった。当日は同法を導入している人間能力開発研究所ジャパンオフィスや訓練風景をビデオで紹介、質疑応答などが行われる。会費千円。

1992年12月03日『朝日新聞』
講演 インフォメーション・3日 兵庫
 障害児の心身回復と社会参加をめざして
 5日午後1時、神戸市東灘区御影町のサーラ・デ・ムスク(078・842・1357)。佐野正幸、佐野久美子さんが「なぜ私達がドーマン法(障害児の機能回復訓練法)を続けられたか」について話す。1000円。

1992.12.29『読売新聞』
[医療ルネサンス](114)変わる医療現場 反響・番外編(連載)
 ◆昏睡の医学生を激励 多数の体験談や電話
 交通事故により昏睡(こんすい)状態が続く茨城県下妻市、新潟大学医学部二年生、本橋仁史(ひとし)さん(20)の闘病記を、先月三十日と今月一日付の本欄で二回にわたり報告したが、読者から励ましの手紙や電話が六十件以上も本橋さん宅や健康医療問題取材班に寄せられた。特に「居ても立ってもいられなくてペンをとった」と肉親が仁史さんと同じ体験をした人からの励ましが目立った。
 小学四年生の長女が昨年車にはねられ、意識不明の状態が一週間続いたという神奈川県大和市の母親から「絶対に希望を捨てないで下さい。目の前の小さな目標に向かって、少しずつ進まれるのがいいのでは」との手紙を頂いた。
痛み糧に将来築こう
 手紙によると当初、意識は戻ったものの、左半身は完全マヒ。主治医から「一生車いすの生活の可能性も」と言われた。リハビリ病院で毎日四時間近い訓練の結果、二か月後には退院でき、今は歩いて通学している。
 「娘は将来、医療に携わる仕事をしたいと申しています。医師を目指されている仁史さんも、娘も自分の痛みを糧にして、将来に羽ばたいて欲しい」と結んであった。
 また東京都狛江市の女性からは「高校生の時、オートバイの事故で一年七か月昏睡状態になった息子がある日、突然意識を戻した」との電話を受けた。「今は成人した息子の運動機能はだめですが、会話は電話にも出られるほど。『お父さん、お母さん』と言ってくれた時は、涙が止まりませんでした」と、受話器の向こうで息を詰まらせた。
 「意識のない間も、あきらめずにマッサージを続けたほうが良い。目覚めた後のリハビリの効果が違うはず」と、アドバイスしている。
 このほか、オートバイ事故で意識不明になったが、今はワープロも打てるようになった男性、一時は葬式も準備したが回復し二児の母になった女性など。一時は絶望に追い込まれた肉親の体験が、数多く寄せられた。
 また励ましだけでなく、千葉県八街市の女性からは、「ドーマン法というアメリカで行われているリハビリ療法がある。本橋さんに教えてあげたい」との申し出も。落馬事故で脳挫傷となった競馬の福永洋一騎手が続けていることでも知られている療法だ。
電気刺激法に望み
 この女性は十七歳になる娘さんに、脳内出血後のリハビリのため、九月から治療を始めているという。
 仁史さんは先月からセキ髄電気刺激法を続けているが、硬直している手足は、柔らかくなっており、近く、自治医大病院で脳への血流の状況を検査する。父親の隆一さんは「血流が増えていれば良いのですが」と期待する。
 記事掲載後、自宅へも多くの見舞いや励ましがあった。隆一さんは「思いやりあふれる言葉に触れるとともに、同じ苦しみを抱える人がこんなにいたとは」と語る。
 「一人寂しく悲しんでいたが、世間に知ってもらうことで、強くたくましくやって行けると確信した」。仁史さんに手紙を書き続けている父親はこう記した。
 本橋さん一家は、今は電気刺激法に望みを託すことにしている。
 (この「反響・番外編」の次は「記者座談会」です)

1993.03.15『読売新聞』
「奇跡のラブちゃん」小西楽歩さん 京都の中学を卒業
 京都市内の市立中学七十九校で十五日、一斉に卒業式があり、同市西京区下津林の市立桂川中(岡本幸一校長、八百十七人)では、昨冬、後天性の全身マヒを克服して六年ぶりに復学し「奇跡のラブちゃん」と呼ばれた小西楽歩(らぶ)さん(15)が、クラスメート二百六十九人とともに、一年余りを過ごした母校を元気に巣立った。
 この日、父親の直樹さん(46)、母親のレイ子さん(45)が見守る中、岡本校長から卒業証書を受け取った楽歩さんは、「この一年間は充実していて、まるで六年分ぐらいに長かった。修学旅行は一番の楽しい思い出。初めて親と離れてみて、自分に何ができ、何ができないかがわかり、自信につながった」と、実りの多い一年を振り返っていた。
 楽歩さんは生後一か月で中脳に障害が起き、全身マヒに。米国の博士が唱える「ドーマン法」という家族ぐるみの訓練に取り組むため、同市立川岡小を三年から休学。一日十五、六時間もの訓練を粘り強く続け、自由に歩き、英会話も堪能になるなど、見事に障害を乗り越えた。昭和六十三年には「奇跡のラブちゃん」(彩古書房)と題した闘病記録が出版され、読者の感動を呼んだ。
 「進学するなら最後のチャンス」という本人の希望で同中二年の三学期から復学。三年に進級してからは、九州への修学旅行に参加。自宅から約一キロの登下校も、当初四十分かかったのが、今では十五分で歩けるように。六年間のブランクを取り戻すため、自宅での勉強に励み、念願の高校受験も果たして、十六日の発表を待っている。

1993年10月18日『朝日新聞』
1993年春(刻まれたシーン) 【大阪】
 あれから14年。「天才」福永洋一は妻裕美子と共に闘い続ける。
 彼はそこにいた。
 ソファ横の椅子に座り、両足を伸ばしてサイドチェアに乗せている。私が彼の妻・裕美子と話し込んでいた時間、彼は同じ姿勢でじっとしていた。
 一度、彼は手洗いに立った。くるぶしの上まである革靴をはかせてもらう。特製の靴で、右靴の底は外側に大きく湾曲して作られている。左脳の損傷がひどかった彼は、いまも右半身が不自由である。
 「さあ、洋ちゃん、がんばって」
 妻の声に促され、彼は立ち上がった。一人で右足を引きずりながら、ゆっくりと歩を進めていった。
 言葉は不自由だが、こちらの意思は伝わる。片言の会話もできる。上唇が少しめくれて、終始笑みをたたえたような表情は現役時と変わらない。
 一九九三年春。滋賀県栗東町。静かな午後だった。あいまいな春の日差しが、居間の隅に届いている。その光の加減なのか、黒々とした髪の間に、一本だけ白いものが混じっているように映るときがある。あの日からすでに十四年の歳月が過ぎ去っている――
 競馬界はいま、天才騎手という呼び声も高い武豊の時代である。ただし、天才という異名をはじめて付与されたのは、彼・福永洋一が最初である。
 落馬事故が騎手生命を奪った。重い脳挫傷。一年数カ月、寝たっきりの生活が続く。もっとも辛かった時期、と裕美子はいう。
 ドーマン法というアメリカで開発された脳障害からの新しい回復法を知る。ハードトレーニングによる治療手段である。以来、一日数時間のトレーニングを一日も欠かさず積み重ねてきた。立ち上がり、歩き、そして片言の意思表示。すべてこのトレーニングの成果だった。
 正直、夫妻を訪れることに気が重たかった。その歳月の重さを知っているのは当事者のみである。それをわかったような素振りをして、活字になる話をきき出していく。己の中でザラッと嫌なものが走っていく。今回もきっとそんな思いを味わうのだろう……。
 が、いつの間にか、忘れていた。彼女がそれほど、自然な明るさをもった人だったからである。
 「自分が特別なことをしてきたとは思わない。こういう立場にたてば、だれだって同じことをしただろうと思いますよ。同じやるなら笑ってやりたいと思ってきましたから」
 今、あの事故をどう? 「もちろん事故がなければどんなによかったろうとは思いますが、ああいうことが起こったが故に、知ったことや出会った人も随分とありましたよね。だから得をしたこともあったかなって。そんなこと、よく思いますね」
 短大を卒業後、二十一歳で結婚した。二人の子供ができた。「平凡な主婦」の日常ががらりと変わった。日々、すべきことが山ほどある。「追われること」がこの十四年だったという。
 それ以上のことはいわなかった。きかなかった。
 今春、中学を卒業した長男の祐一が騎手を目指して競馬学校に入学した。最初は反対した。いまも気持ちは変わらない。だけどこう思い直した。きっと考え抜いて決意したことだろう。息子は自分の人生を選ぶ権利がある。それを止めることなんて誰にもできはしないんだ、と。
 息子から便りがくることがある。
 どんなこと書いてありました?
 「それは秘密!」
 そういって、彼女はこの日一番の笑顔を見せた。
 (後藤正治・ノンフィクション作家)

1994年01月08日『朝日新聞』
脳細胞活性化治療のドーマン博士が9日、大阪で講演 /兵庫
 眠っている脳細胞を活性化させる画期的なリハビリ治療を開発した米国の人間能力開発研究所理事長、グレン・ドーマン博士(七四)=写真=が来日し、九日に大阪市北区の毎日新聞ビル・オーバルホールで講演する。関西での講演は三年ぶり。
 同研究所は米・フィラデルフィア市に本部があり、三十年以上にわたって脳障害児者のために力を尽くしている。治療方法はドーマン法と呼ばれ、「親こそ最良の医師」という博士の信条にもとづき、家族による治療プログラムが最も重視される。日本では、落馬事故に遭い昏睡(こんすい)状態だった元騎手の福永洋一さんを、普通の生活ができるまで回復させた治療法として知られる。
 この治療法を日本に初めて導入したのは、神戸の歯科医師佐本進さん。一九八六年、神戸市中央区割塚通に同研究所のジャパンオフィスを開設して、障害児治療の最前線に立った。九〇年に佐本さんが他界してからは夫人の幸子さん(五三)がそのあとを継いでいる。
 講演は「脳障害児の為に」(午前)と「子どもの知能をいかにのばすか」(午後)の二部構成。同時通訳のため全席指定になる。問い合わせは同研究所ジャパンオフィス(〇七八―二五一―三二四〇)。

1994年04月17日『朝日新聞』
「時間もらえませんか?」 脳障害の長男にリハビリを 常北町/茨城
 脳障害の長男のために、あなたの時間を少しだけいただけませんか――。東茨城郡常北町石塚の石崎義明さん(三五)と妻のひさ子さん(三五)が、発達障害のある長男義英ちゃん(二つ)のリハビリ訓練を手伝ってくれる人を探している。一度の訓練には最低三人の人手が必要だが、石崎さん方は核家族のうえ、五年前に引っ越して来たばかりで、手伝いに来てくれる人がなかなか見つからないという。
 九二年一月十八日、ひさ子さんは何げなく、歩行器で遊んでいる生後七カ月の義英ちゃんをカメラに収めた。今のところ、その二枚が「自力」で立っている義英ちゃんの最後の写真だ。
 その翌朝、義英ちゃんは突然血を吐き、けいれんを起こして病院に運ばれた。四カ月後に退院したが、大脳に損傷が残り、その後遺症で知的にも身体的にも発達が遅れた。二歳十カ月の今も意味が通じる言葉が出ず、歩くことはもちろんお座りもできない。うつぶせではいはいができず、背中ではって移動する。
 「何とかしてやりたい」。模索していた石崎さん夫妻は昨年十一月、脳障害の子供が治った実例もあるという「ドーマン法」にめぐりあった。アメリカの理学療法士、ドーマン博士が開発したこの方法は、成長の過程で自然に子供が受けている刺激を意図的に与えて脳の発達を促し、障害を克服しようというもの。すべての子が治るわけではないというが、「やらないであきらめるより、少しでも可能性があるならやってみたい」と、ひさ子さんは今年一月、一週間の研修を受けた。
 滑り台とパターニングが義英ちゃんの訓練内容。滑り台を使った訓練は一人でもできるが、主要な訓練であるパターニングには一度に三人の人手が必要。頭と両手足をリズムに合わせて交互に動かすだけの単純な運動で、補助はだれでもできるが、一回五分ずつ一日に十八回行うのが望ましいとされる。今は会社員である義明さんの出勤前と帰宅後に数回できるだけなので、訓練としては不十分だ。
 月―土曜日の午前十時から正午までと午後一時半から三時まで、毎回二人ずつ一日四人の人手が必要という。ひさ子さんは「午前、午後のどちらかだけで十分ですし、週に数回とか、月に数回、という方が何人かいてくだされば毎日訓練ができる。一人でも多くの方にお手伝いしていただければ」と話している。
 石崎さんの連絡先は、〇二九二―八八―四二〇四。

1997年04月22日『朝日新聞』
健太郎君 「自分の足で歩ける日」夢見て(東京ものがたり) /東京
 八王子市緑町の杉山栄二さん(四四)と志登美さん(三八)の長男、健太郎君はもうすぐ十一歳になる。脳に障害があり、両腕と両足がまひしたままだ。
 健太郎君には大きな目標がある。「自分の足で立って歩く」。志登美さんや地元のボランティアの人たちの助けをかりて、自宅で毎日、リハビリを始めて六年になった。
 生後間もなく、呼吸停止に陥ったり、けいれんが続いたりした。約三〇〇〇グラムあった体重が生後三カ月には約二五〇〇グラムにまで落ちた。救急車で横浜の病院に転院して、手術を受けた。が、術後、医師からは「障害が残ります」と言われた。「自分たちががんばれば、治ると信じていた」という志登美さんや栄二さんにとって、つらい宣告だった。
 それから週に一回、病院に通って、リハビリをする生活になった。三歳ごろまで続けたが、二人には物足りなさが残った。「かたくなった体を週に一回、戻すような感じで、この子にとってこのままでいいのかと思うようになってきた」と志登美さんは振り返る。
 □
 そんな時、テレビのドキュメンタリー番組で、「ドーマン法」と言われる方法で脳障害児が歩けるようになった姿を見た。米国・フィラデルフィアに研究所を持つグレン・ドーマン博士が考案した、脳障害児のための訓練だ。「親として、できる限りのことをしてあげよう」と二人で相談し、自宅で行う「ドーマン法」のリハビリに切り替えた。
 健太郎君の一日のスケジュールを見せてもらった。朝起きてから寝るまでの間、一時間刻みでリハビリのメニューが続く。歩行の感覚を体得したり、手足を自由に動かすための訓練だ。家の中は栄二さんが作った特別なリハビリ用の器具でいっぱいだ。「やらなきゃいけない、というのは本人も分かっている」と栄二さんらは話すが、つらそうな表情を見せる時もある。
 学校には行っていない。自宅でリハビリを続けながら、仕事を終えた栄二さんが夜中、自宅のパソコンで作った教材で、漢字や生き物の名前などをおぼえていった。
 本を読むのが好きだ。小さな細い棒を口にくわえて、ページをめくる。パソコンの操作もできる。知識量は同世代の子供と変わらないか、それ以上だ。
 □
 小さかった体は今、身長一二〇センチ、体重一七キロまでに成長した。これまで、近所の主婦を中心に三十人弱のボランティアに手伝ってもらってきた。しかし、健太郎君の体が大きくなるにつれ、志登美さんやボランティアの女性たちが体力的に「きつい」と感じる時が出てきた。
 目標に一歩でも近づくため、二人は若い学生のボランティアを探している。リハビリの介助やパソコンを使った教材作りの手伝いをしてほしいという。栄二さんは「家の中にいても、若い人と接触することで、社会性が身についてくれれば」と願っている。
 ボランティアの問い合わせは杉山さん方(電話0426・23・7884、電子メール vt2e―sgym@asahi―net.or.jp)へ。
 (敏)
 【写真説明】
 お母さんたちの助けを借りて、立つ練習をする健太郎君=八王子市緑町の自宅で

1997年11月25日『朝日新聞』
家庭での機能回復法紹介 指導の弁護士、仙台で協力を呼びかけ/宮城
 暴行を受けて一時植物状態になった県内の青年(二一)の機能回復に協力している大阪弁護士会の佐野正幸弁護士(五三)の講演会が二十五日、仙台市青葉区の仙台東急ホテルで開かれる。働く女性らでつくる仙台パイロットクラブの主催で、機能回復法の「ドーマン法」を実例をもとに紹介する。佐野さんは、青年のリハビリは家族だけで続けるには限界があり、「手助けをしてくれる方を見つけるきっかけにしたい」と話している。
 講演のテーマは「ドーマン法と私たちの子ども」。佐野さんの長男靖文さん(二六)は五歳の時、インフルエンザにかかった後、歩くことも、言葉を発することもできなくなった。佐野さんは当時、裁判官。同じく裁判官だった妻の久美子さんは退職、靖文さんを連れてドーマン法を学ぶために渡米した。家庭で訓練を続けた結果、靖文さんは歩けるようになり、就職も果たした。
 こうした経験から、佐野さんは九二年、公的な脳障害研究施設の設立をめざして裁判官を退職。現在、弁護士をしながら、講演やドーマン法の指導を続けている。
 ドーマン法は、米国のグレン・ドーマン博士が「親こそ最良の医師」という信条をもとに、脳障害児・者のために考案した家庭での機能回復法。落馬事故で植物状態になった元騎手の福永洋一さんも、博士の指導で回復した。
 佐野さんは今年九月から、青年のリハビリを指導するため、大阪から仙台に通っている。青年は昨年二月に少年七人に暴行を受けて以降、入院生活を続けていたが、今年七月に退院。佐野さんの指導で、自宅でドーマン法のリハビリを始めてから右手が動くようになり、言葉も交わせるようになっているという。
 主要な訓練の「パターニング」は、頭と両手足をリズムに合わせて交互に動かす単純な運動だが、人手が必要だ。現在は、父親らの出勤前の短時間しかできていないという。佐野さんは「継続して訓練を続けられれば、もっと回復できるはず。多くの方に協力をいただきたい」と話す。
 講演は午後二時半から、無料。問い合わせは、カネサ藤原屋内の仙台パイロットクラブ事務局(〇二二―二三九―二八九八)へ。

1999年02月20日『朝日新聞』
脳障害の子の詩、歌に乗せ 歌手ミネハハさんがコンサート/神奈川
 脳に障害を持つ九歳の男の子が作りためた詩がある。横浜市緑区に住む日木流奈(ひきるな)君。話すことも、一人で歩くこともできない。CMソング歌手のミネハハさん(四三)=東京都=は、その詩を読んで感動し、歌にのせて伝えたいと思った。二十日午後五時から、同市港南区民文化センターで開かれるコンサートで、ミネハハさんの歌う「G線上のアリア」をバックに、母の千史(ちふみ)さん(三五)が、わが子の詩を朗読する。
 流奈君は、極小未熟児で生まれた。生後二週間のうちに受けた手術の影響などで脳障害が起きた。四歳から、米国のグレン・ドーマン博士が考案したリハビリ治療法「ドーマン法」を始めた。
 五十音や「はい」「いいえ」などが書かれた文字盤を使い、自分の意思を伝えられるようになったのは、五歳の秋。文字を一つずつ指さして、「会話」が出来るようになった。千史さんによると、そのころから詩をつくり始め、両親が書きとめてきたという。
 ミネハハさんは昨年十月、人や自然への愛をテーマにした流奈君の詩を初めて目にした。「ぜひ読んで」と、知人がファクスで送ってくれた。一気に読み、「目頭が熱くなった」と言う。
 ミネハハさんは約二千のCMソングの歌い手として知られ、五年前からソロ活動を始めた。全国各地で「いやしのコンサート」を開いている。流奈君は、文字盤を使って、こう語る。
 「(コンサートで)私の気持ちとミネハハさんの心がひとつになる 心をのせて歌う 同じだから 思いは」
 ◇
 ボランティアグループ「虹のWA」(大場多美子代表)がコンサートの運営に協力し、詩をパネルで展示する。
 問い合わせはミネティー社(〇四二六−六九−五五二〇)へ。
 【写真説明】流奈君(左)を抱くミネハハさん=横浜市緑区で

1999.04.08『読売新聞』
障害持つ青年が絵と書の作品展 「だいすき」思い込め 12日から大阪の画廊で
 ◆夢や身近な人々描く 絵筆持つ手、母が支えて
 重い病気で脳に障害を受け、言葉や手などが不自由になりながらも絵と書をかき続ける青年の「だいすきです 個展です」が、12日から大阪市北区の茶屋町画廊で開かれる。長時間、筆を持つことができないため、母親に手首を支えられての約40点。一点一点、素直な心が表れ、温かみにあふれた作風になっている。
 兵庫県芦屋市の井上智史さん(25)。
 生後1か月、風邪から髄膜炎を発病したのがきっかけで、脳に障害を負った。何度も手術を重ねたが、けいれん発作が続き、5歳の時には、右手がまひ。両足も弱く、体のバランスが取れないため、一人で立つことも、座ることもできず、読み書きもできなかった。
 16歳の時に厳しい機能回復訓練で知られるドーマン法と出合い、3年後には、大阪芸術大の野田燎教授の指導で、音楽と運動による刺激を組み合わせて脳を活性化させる音楽運動療法を始め、歩いたり、文字の読み書きができたりするまでに回復。4年前から、知り合いの画家の勧めで書道を始め、その翌年からは絵画教室に通い始めた。
 母の清美さん(48)が、一つひとつの作品を額に入れて自宅で飾っていたところ、野田教授が高く評価。昨年12月に初個展を開き、今回が3度目になる。
 智史さんはずっと、腕を上げていることができず、絵を描く時には、清美さんが手首を支える。二人の会話は智史さんが清美さんの手のひらに指で文字を書いてすすめ、何か言いたいことがある時には、じっと、清美さんの顔をのぞき込むのが合図だ。
 芦屋市内の肢体不自由児の学校に通いながら、絵画教室には毎月2回、清美さんとともに顔をだす。一度に2時間程度描き、絵は約8時間がかりで完成させる。
 風景、静物、人物画など幅広く、油彩も水彩もこなす。最近作の「デート」では、今の自分の夢を表現し、電話や財布のほか、電車、コーヒーなど、デートにまつわるものが、明るい色調で描かれている。音楽運動療法の時にピアノを弾いているスタッフがモデルという「だいすきなひと」は、緑色の背景に、黄色い服を着てほほ笑む女性が描かれている。
 書も個性的で、斜めに傾いたり、端に寄ってしまったりした作品もあるが、署名とセットで見ると、調和を保っている。
 清美さんは「上手に描こうというのではなく、好きなものを好きなように、無心に描いているのがいいのかも。私たちには描けないものばかりで、見ていて元気になります」と話す。「私たちが忘れてしまった『普通』の良さがある」と、評価している専門家もいるという。

 作品展は無料。17日まで。時間は、午前11時から午後7時まで(ただし、最終日は午後5時まで)。問い合わせは茶屋町画廊(06・6374・0356)へ。
写真=智史さんの夢が詰まった作品「デート」 
写真=「竹」。一文字の中にも、智史さんの個性が光っている
写真=清美さんに手首を支えてもらいながら絵筆を走らせる智史さん

2000年09月18日『朝日新聞』(週刊アエラ)
脳障害詩人育むニューファミリー 天才児と呼ばれる流奈くんの悟り
 障害の克服よりも常識を乗り越える。
 世間に役立たなくても、ありのまま真剣に、愉快に、可愛く。
 そんな確固たる自己肯定の力が迷う大人をひきつけている。
 (ジャーナリスト・川崎由香利 写真・稲垣徳文)
 世の中の常識は私にとって奇異なものに映ります。父親という鎧、男であるという鎧、その他たくさんの鎧を着てギクシャクと苦しむ姿はとても気の毒です。
 *
 八歳で初のエッセー『はじめてのことば』(大和出版)を出した日木流奈くん(10)のコトバが、口コミで人気を広げている。六冊目の新刊『伝わるのは愛しかないから』(ナチュラルスピリット)は、今年六月に発売されて二週間で初版が完売した。
 極小未熟児として生まれた著者は、生後すぐの手術の負担で脳に重い障害が残った。両親と暮らす公営住宅を訪ねると、3DKはリハビリ器具で埋まっていた。
 「うああああー」
 天井を貫きそうな泣き声。頬一面の涙が、窓から射す陽で光る。
 歩行訓練台の傍らで補助する父の貴さん(34)が、息子の目線におりて歌い出した。懐かしいクイーンの曲。やがて軽やかなロックと入れ替わるように妻千史さん(37)が童謡を歌う。声優志望だった夫婦の歌声が交互に響くうち、ふっと流奈くんの顔が緩み、足が一歩前へ出た。
 ○乳児期から文字情報を
 壮絶な頑張り……。一瞬の筆者の思いを悟ったのか、流奈くんは訓練台を下りてから、
 *
 頑張るのがいいことじゃない。それやってるヒトが輝いて見えるから勘違いする。私も頑張らなくちゃって。ちゃうでしょ。
 *
 そう切り出した。自分の口で話すことはできない。母に腕を補助してもらい、五十音の文字盤の文字を指して言葉を綴る。五歳のときに成功したFC(ファシリテイテッド・コミュニケーション)と呼ばれる意思疎通の方法だ。
 *
 わたしゃ脳障害で必要があってやってる。ラクしたいよホントは。自分ができる範囲のことしてればいいだけよ。みんな義務化してやらなければという思いでやるからつまんないのよ。
 *
 文字盤をポンポンとリズミカルに叩くとき、アーモンド形の瞳が一層大きくなって、輝きを増す。
 流奈くんが二歳の時、父母は家庭でリハビリと教育を行うドーマン法の訓練を選択。二十四時間の親の愛情を脳発達の糧とする方法に賭けた。押し入れには父が作った一万枚のパネル教材が詰まっている。文字の大きさだけを考慮して、乳児期から大人と同じ文字情報を与えた。
 初めて書店に入った日を流奈くんは「光」の印象として思い出す。
 *
 なんかね、不思議な記号の渦ね。すごかった。キレイだった。
 *
 まるで「脳を潤すジュース」のような「言葉」の感覚が、流奈くんの心をとらえる。やがて毎日一冊の本を読破。大量の活字と、大人たちの会話。他人との比較や評価のメスをあてられたことのない流奈くんは、受けとった情報を統合しながら「胸におちて、心地よいこと」をつかみとる。それが彼の「学ぶ」実感。
 *
 学ぶことが楽しくないはずないのよ。何か世の中のひと、苦しいことと勘違いしてる。
 *
 人が知らず知らず自分にレッテルを貼ってゆくとすれば、生きることの本質に目を向ける流奈くんの言葉は、それをはがしてゆく。
 *
 真剣にゆかいに、そして役に立たない人間。これが私の目標です。役に立たないというのは、国のためとか会社のためとかではなく、自分らしく生きるという意味で(中略)。ただの子供、ただの青年、ただのおじさん、ただのおじいさんを目指すという意味です。
 *
 障害を克服して世に貢献しようなどと気負わない。社会には、人の役に立とうと頑張り過ぎて、苦しむ人間が多過ぎる。どんな状況であろうと、自分を受け入れ、楽しく生きたい。徹底した自己肯定を時に哲学的な詩に綴り時にエッセーにする。そのコピーがボランティアの手から、その友人へと渡り、皮肉にも「癒される」「ラクになる」と、世に出るきっかけになった。
 HP(ホームページ)には毎日読者からのメッセージや相談が届く。パソコンからプリントアウトした質問のメールが、電話帳ほどの厚さに溜まっていた。
 恋愛で悩む女性、両親の影響で自分を好きになれないという二十代の主婦、「ふっと」会社を辞めた二児の父もいる。二十代のパラサイトシングルの女性は、自分を「ゴミ」のように感じて、自己肯定し切れないと吐露する。
 「ひとと比べず、自分を愛し癒してあげる。私にとっては一億円つくれ、というより難しく感じます」
 流奈くんは「自分を愛するコツ」を問われて、答える。
 *
 簡単よ。自分を喜ばすことをしてあげればいいの。歌いたいなら誰が何といっても歌えばいいし、自然と戯れたいならそうしてあげればいいの。
 *
 彼がサラリとそう言える背景には、どんな家庭環境があるのか。
 ○「否定」を体験しない
 医療として認可されていないドーマン法を始めても、親の負担が増えるうえ、よくなる保証はない。それでも両親が決意したのは、ドーマン博士の教育観に子供の頃から抱き続けた「気持ち悪さ」が洗い流されたからだという。
 他人との比較も判断もされず、ただ自分の進歩を楽しむ環境で学べば、子供の能力は飛躍的に伸びる。その前提に、
 「そうそう、そうなの、こんなふうに育てて欲しかったのよ私たちって思った。障害が重い流奈は、人より優秀になんて考える状況ですらないですし」
 自分の世代とは違う教育環境を願いつつ、常につきまとった「でも世間では」の言葉。その「でも」以降がスッと消えて、世間や学校で無理なら、親が環境を与えればいい、と千史さんは素朴に思った。
 現実社会の棘のない家庭での子育てに冷ややかな目もあるが、
 「自分への否定的な目を体験することが成長でしょうか。遠回りだと私は思う。否定を乗り越えてきた子と、全く否定を体験しなかった子では、後者の方が心が豊かで強いはずです」
 明朗な千史さんは一家のムードメーカーだが、かつては何かにつけて自分を責める、寡黙な少女だった。受験競争の過熱期に育ち、競争なんて、と嫌悪しながら試験の順位に一喜一憂した。表面的な交友が苦手で、いじめられた。声優を目指したのは、感情を解放したかったから。心から湧き出るものと、言葉や声を一致させることをようやく学んだ。
 「それが仕事じゃなくて、家庭に生かされちゃって」
 と千史さんは、笑う。初めて心の底からコミュニケーションできた男性が、貴さん。一人っ子のマイペースぶりに苛立つこともあるが、時間がかかっても気持ちの部分を大事に考える夫の性質に、救われる。喧嘩の時も行動は咎めない。問題は気持ちが通じているか。
 「その時どう感じたのかを出しきっておかないと、しこりになるから」
 流奈くんを身籠もったことで決めた結婚だったが、感情を偽らない家庭を夫と築けたことに千史さんは癒された。子育てをしながら、気持ちに濁りや矛盾がなくなってゆく自分を、どんどん好きになれたのだという。心がもろい分だけ正直な母の涙や夫婦喧嘩に流奈くんは学ぶ。訓練中の号泣が、いつも即座に笑顔に変わるのも、
 *
 私は辛いときには辛い思いを我慢しないで出し切るの。出すとあとを引かない。笑っている自分に気づく。感情はためてはダメよ。次へ進めないから。
 *
 流奈くんが「トチ」と呼ぶ、トヨエツ似の貴さんがふっと笑う。
 *
 私なんか真面目に生きてんのに。トチは笑いとばすのよ。ばからしくなっちゃったよ。
 *
 どうやら流奈流ユーモアの底流には父の人生観があるらしい。
 ○食わせたるよワタシ
 流奈くんが「妙」と形容する父、貴さんはすべての出来事をあるがまま受け入れて、笑いに転化してきた。仰向けで動けず後頭部が禿げた流奈くんを「はげピー」と笑い、減薬の苦しみにうなる息子を「うなルナ」と渾名する。薬剤の副作用で両眼のレンズを摘出した手術は、貴さんの人生で最も辛い出来事だったが、それでも、手術後に特殊な眼帯をした流奈くんの姿が「ウルトラマン」に見えると爆笑する。妻もそんな夫をつくづく「妙な男」と思うが、それが強がりでなく、慈愛なのだと知っている。悲しみに溺れないで、表層のおかしさを笑う。そんな父を、流奈くんは、
 *
 まだまだのひとよ。
 *
 とからかう。日木家には来年第二子が誕生する予定。父が、
 「すぐに追い越されるゾ」
 と反撃しても、
 *
 嬉しいね。ちっこいの来る、食わせたるよ。ワタシ。
 *
 と流奈くんはヘコまない。図らずも、一家の大黒柱は流奈くんだ。七月に七冊目の本『月のつぶやき』が出た。社会的、経済的目標などに縛られず、人として楽しむ心を軸に生きたい。貴さんは自分では真摯と思うその生き方を、妻と出会うまで周囲に理解されず息苦しさを感じてきた。戦後復興の担い手となった親世代を尊敬しながら、その価値観の延長に将来像を結べず、大学を出たあと声優という「声の職人」を目指したというが、
 *
 なれなかったのよね。
 *
 と、流奈くん。常識的とは言えない自分たちの価値観で育った流奈くんの言葉が世間に出るときは、怖かった。特別視されたり、孤立したりするのではないか、と。
 ○父も生きやすく
 「不思議なものです。今は世間に迎合しなくても、逆に共感する人が向こうから来てくれる。年を経るごとに、生きることがラクになります。僕らが何十年かかけて獲得した心の自由が、流奈には、もう普通にある。それがまた次の世代に繋がってゆくんでしょう」
 今年四月に出版された、貴さんの本のタイトル『人生、楽あれば楽あり』は結婚当初からの彼の口癖だった、と千史さんはいう。
 *
 別に、すっごい優秀な親というわけではないの。見ればわかると思うけど。子供といかに真剣に本気に向き合ってコミュニケーションを取れるか。私はそれが恵まれてると思う。
 *
 派遣の仕事をやめた貴さんは、「流奈パパ」人気で失業の身から、本や講演の引き合いが来るようになった。「妙な」父について、流奈くんは『月鏡』で、書いている。
 *
 私は、父が定職についていなくても、父を嫌うことはありません。お金をたくさんくれなくても嫌うことはありません。同様に彼は、私が一生歩けなくても、しゃべらなくても、私を嫌うことはないのです。何者であろうと、人はただそこに存在するだけでいい。
 【写真説明】言葉の広がりがあって、意識はものを知覚する。流奈くんは言葉を「自分を乗せる船」という
 はじめはホチキス留めの手作り本500冊。口コミですぐ1500冊、3000冊と増刷され、出版社が着眼した
 障害と闘う姿に打たれる。そんな声に貴さんは違和感を抱く。「障害ってみんなあるんじゃないでしょうか。程度の差こそあれ、きっと僕も」
 生理面と運動面の機能回復訓練は、分刻みで行う
 手に絵の具をつけ、補助を受けながら自分の心を絵にする

2000.11.24『読売新聞』
メディカ 医療事故防止 リスクマネジャー導入、システムで見直し=京都
 《検証・医療現場》
 ◆広大病院
 命を預かる医療現場で、手術する患者の取り違えや手術部位の勘違い、点滴、薬剤を間違えて投与するなどの重大なミスが後を絶たない。これらのほとんどが人為的なもので、医療機関には事故防止を推進するリーダー役の「リスクマネジャー」を導入したり、注射や投薬の際に患者にはっきりと名前を告げてもらうよう求めたり、事故防止策をさらに徹底する動きもある。広島、滋賀県守山両市の病院での試みを取材した。
 (広島総局 太田 匡彦、彦根支局 渡辺 征庸)
 広島大病院(広島市)の東病棟三階のナースステーション。「点滴のルートは元から見なさい」。看護婦らのミーティングで、点滴が患者に正しく投与されているか確認するよう求めた米田悦子・看護婦長の鋭い声が響く。
 米田婦長は、同病院が今年八月に任命した六十九人のリスクマネジャーの一人。ほかに任命された医師や婦長らと共に、医療現場で〈ひやり〉としたニアミス事例の報告を受ける窓口となり、スタッフの健康状態や機器の安全性などをチェック。また、医療事故が起きた際には、専門委員会を開いて対応を協議する。
 これまで看護部では、リストバンドを付けて患者の取り違えをなくしたり、点滴チューブの接続部分の形状を違うものにするなどして接続ミスを防いだり、独自で事故防止策を講じてきた。
 マネジャー制度の導入で、福田ムツ子・副看護部長は「看護婦だけで考えるのではなく、システムとして業務を見直す機運が出てきた。マネジャーを中心にニアミス事例について議論を重ね、どうすれば事故を避けられるのか検討したい」と期待する。
 今年三月、手術を受けた男児が重い脳障害になる事故があった社会保険広島市民病院(広島市)では四月に、医師や看護婦らでつくるリスクマネジメント委員会を設置。事故防止のマニュアルづくりや誤投薬防止のためのチェック、事故の検証を行うなど意識改善を進めている。
 荒巻謙二・泌尿器科主任部長は「さらに万全を期すためには、事故防止を専門に担当する医師や看護婦も必要」と言っている。
 一方、リスクコンサルティング会社「安田リスクエンジニアリング」(東京都新宿区)は昨年十二月から、リスクマネジャーの養成研修を始めた。申し込みは多く、研修回数を増やすなどして、ニアミス事例の分析と改善策、委員会の運営方法などをアドバイスしている。

 ◆滋賀県立成人病センター 患者にリストバンド
 滋賀県立成人病センター(守山市)では、横浜市立大付属病院の手術患者取り違え事故(一九九九年一月)の直後に、患者用のリストバンドを導入した。
 さらに、患者に対し、注射や薬を渡す際、名前を声に出して職員に伝えるよう求めている。井村寿男院長は「これらの対応で第三者と間違えるミスは防げる」としている。
 また、患者が転ぶなど、ひやりとした事例をリポートで提出させ、医師や看護婦、技師、薬剤師らでつくる「医療安全委員会」で検討。
 同委員長の上畠拓・副院長は「他の職員の体験や提言をともに考えることで、医療過誤の起きない院内体制を整えることが重要。問題点を積極的にあぶり出していきたい」と話している。
写真=点滴を調べるリスクマネジャーら。複雑化する医療現場でマネジャーへの期待は高まっている(広島市の広島大病院で)
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 ◆「ドーマン法」で脳障害回復
 ◇インフルエンザ脳炎の長男就労可能になった訓練紹介
 佐野さん夫婦 研究センター設立
 インフルエンザウイルスによる脳炎などで脳に障害を受けた長男に、米国で開発された知的、身体的訓練法「ドーマン法」を行い、就労できるまでに回復させた大阪市北区の元裁判官で弁護士佐野正幸さん(56)、久美子さん(57)夫婦が「脳障害研究センター」を設立、同訓練法の紹介などを行っている。正幸さんは「家族が脳障害になっても、どうしたら回復させられるのか具体的に教えてくれる人はほとんどいない。障害克服を研究する公的研究機関の設立を目指したい」と意気込んでいる。
 佐野さん夫婦は司法修習の同期生で、共に裁判官に任官。七〇年に結婚し、同年に長男靖文さん(30)が生まれた。
 しかし、靖文さんは五歳だった七五年末、インフルエンザにかかり、三日間、高熱に苦しんだ後で言葉が不自由になり、感覚の大半を失った。医師は「半年たてば良くなるのでは」などと言ったが、あまり回復せず、佐野さん夫婦は専門家に相談するなど様々な訓練法を模索した。
 そんな中、新聞で、米国フィラデルフィアで人間能力開発研究所を主宰するグレン・ドーマン博士が開発したドーマン法を知った。
 損傷を免れた脳細胞を再開発して、知的、身体的に発達させようとする訓練法。腹ばい、歩行、ランニング――など乳幼児が成長に応じて行う運動を、脳障害者に繰り返し行わせ、それぞれの運動で使われる脳の部分を開発させる。一方で、絵本などを使った知的訓練も実施する。
 大きな成果が上がったケースもあるが、当時、わが国ではほとんど導入されていなかった。
 佐野さん夫婦は七九年三月、大阪府豊中市立小に通っていた靖文さんを連れて渡米し、ドーマン博士から教えを受けた。帰国後、腹ばいで一キロ以上進むなどのハードな訓練を連日夜遅くまで行った。訓練には、温かな目で見守る保護者が根気強く付き添うことが不可欠。専念するため、久美子さんは八〇年末、神戸地・家裁伊丹支部判事を退官した。
 やがて、靖文さんは桃山学院高(大阪)に聴講生として通い、高度な数学や英語、社会の問題が解けるまでになった。そして就職し、現在は同府内の紙管会社に勤務している。
 正幸さんは同様の患者や家族らのため、公的研究機関を設立しようと、九二年四月に奈良地・家裁葛城支部判事を退官し、五月に脳障害研究センターを設立した。九五年から不定期で機関紙「ル・セルヴォ」を出し、ドーマン法などを紹介。十一号を数え、部数も千二百部に増えた。読者からは「一人でも多く自立を目指して頑張る方が増えるといいですね」など激励の声が届いている。
 佐野さん夫婦がドーマン法を知ってから二十数年。しかし、同法の導入をめぐる状況などは、ほとんど変わっていないという。
 正幸さんは「他の脳障害の団体とも手を携え、医師も交えて、まずは脳障害研究の集まりをつくり、何ができるのか話し合っていきたい」と力を込めた。
 問い合わせは久美子さん(06・6365・0021)か、正幸さん(06・6365・0384)へ。
写真=ドーマン法などを紹介する「ル・セルヴォ」の編集方針について話し合う佐野正幸さん(中央)と久美子さん(左)
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 《病と向き合う》 
 ◆胃かいよう十二指腸かいよう ピロリ菌退治すれば完治
 ◇とくも胃腸科・皮ふ科(広島県福山市光南町) 徳毛健治院長 44
 ストレスの多い現代人を悩ませている胃かいようや十二指腸かいよう。やっかいなのは再発しやすいことだが、胃の中の細菌「ヘリコバクター・ピロリ」を退治すれば完治することが、近年、わかってきた。数週間の投薬治療が90%以上の人に有効といい、「胃腸薬が手放せない人には、ぜひ検査を勧めます」と呼びかける。
 強酸性の胃酸に満たされた胃の中に菌はいない、とされていた。しかし、オーストラリアの研究者が一九八一年、胃の中からべん毛を持つ、らせん形の奇妙な菌ヘリコバクター・ピロリを発見、培養に成功して常識を覆した。この研究者は自らピロリ菌を飲み、胃炎が起きることを証明。除菌すれば胃炎や胃かいよう、十二指腸かいようが劇的に治ることもわかり、九四年に世界保健機関(WHO)の下部組織・国際がん研究所が「ピロリ菌は胃がんの原因の一つ」と発表した。
 東京医科大卒業後、広島大病院に勤務。内視鏡室長を務めた八〇年代後半にピロリ菌に興味を持ち、開業翌年の九五年から除菌治療を本格的に行っている。
 内視鏡で採取した胃の粘膜を使って菌の有無を調べる方法を採用。「検査した胃炎患者の全員、かいよう患者でも80%以上が感染者だった」といい、二種類の抗生物質を一日四回、二週間飲み続ける治療を約千人に施したところ、90%以上の除菌に成功した。「血を吐いて倒れるような重症患者や、病院を転々としていた慢性患者も治った」と効果を強調する。
 十一月一日には、検査や除菌への保険適用も認められ、治療しやすい環境も整いつつある。自覚症状のない人でも衛生状態の悪い時代を経験した四十歳以上では70%が感染しているともいわれ、「がんに移る可能性も危ぐされており、早めの検査と除菌が肝心」と訴えた。
(福山支局 原 典子)
写真=「胃かいようなどを完治させるにはピロリ菌の除菌が有効」と話す徳毛さん
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 《ミニニュース》
 〈兵庫〉 今年の幸せを語り合って免疫力をあげるつどい 12月16日午前11時、神戸市中央区橘通、市総合福祉センター。がん患者が自らの経験を語り合う。昼食あり。会費1200円。申し込みは10日までに、がん患者グループゆずりは(平日午後7―10時、078・641・6232)。
 〈京都〉 市民公開講座「21世紀のがん治療」 12月7日午後6時半、京都市上京区河原町通広小路西入る、府立医大図書館ホール。市川平三郎・国立がんセンター中央病院名誉院長や峠哲哉・広島大原爆放射能医学研究所教授らが講演。無料。府立医大消化器外科学教室(075・251・5527)。
 〈滋賀〉 開設30周年記念・県民公開講座 12月2日午後1時30分、守山市守山、県立成人病センター研究所講堂。同センターの小菅邦彦・救急部医長ら医師3人が生活習慣病の予防法などを解説。福井次矢・京都大大学院教授の記念講演「より良い医療をめざして」も。先着150人で無料。同センター総務課(077・582・5031)。
 〈奈良〉 奈良ADHD(注意欠陥・多動性障害)の会の立ち上げ講演会 25日午後1時、王寺町畠田、町文化福祉センター。えじそんくらぶの高山恵子代表が「ADHDの理解と援助、配慮の仕方」と題して講演。500円。奈良ADHDの会の楠本代表(0745・32・9240)。
 〈和歌山〉 「最新の医療・研究」カンファランス 12月16日午後2時、和歌山市紀三井寺、県立医大生涯研修・地域医療センター。臨床検査医学教室の中峰寛和講師が「和歌山県における遠隔医療の実際」と題してパソコン通信を使った病理診断、医学医療情報研究部の入江真行助教授が「情報化で医療が変わる」をテーマにそれぞれ講演。無料。同センター(073・441・0789)。
 〈福井〉 ホスピス市民教室 12月15日午後1時、福井市和田中町、県済生会病院2階医師会交見室。ホスピスについての話やホスピスの見学など。定員20人で無料。同病院のよろず相談外来(0776・23・1111)。
 〈鳥取〉 県医師会公開健康講座 12月21日午後2時、鳥取市戎町、県健康会館。鳥取生協病院脳神経外科部長斎藤基さんが「脳出血と脳こうそく」と題して講演した後、質疑応答。参加自由で無料。
 〈香川〉 成長ホルモン療法講演会 12月7日午後1時半、高松市桜町、市保健センター。対象は、背が伸びず、同療法を受けている18歳未満の子供を持つ保護者。高松赤十字病院の岡本喬・第一小児科部長が「成長ホルモン療法中の家族のかかわりについて」と題して講演。無料。30日までに市保健所保健予防課(087・839・2870)。
 〈岡山〉 糖尿病講演会と試食会 12月17日午前10時、岡山市湊、湯原内科医院。生活習慣病予防のビデオ観賞や心筋こうそくなどについての講演。薬ぜんの試食会も。720円。申し込みは同医院内のみさお会事務局(086・277・5560)。

2001年04月06日『朝日新聞』
愛を伝えたい 脳障害の日木流奈君と挿絵・山本さん2人展 /岡山
 私にできること。それは、私がどうしてこんなに幸福であるか、少しでも多くの人に知ってもらうこと――。脳障害児の日木流奈(ひきるな)君(11)の詩と詩集の挿絵を手がける山本さとみさんの原画が織りなす「二人展 私は愛を伝えたい」が岡山市内山下1丁目のワールドハーモニー・テラ内のギャラリーで開かれている。
 流奈君は極小未熟児として生まれた。生後2週間に3回の大手術をし、そのストレスで脳に水がたまって脳障害が起きた。脳細胞を活性化させるドーマン法というリハビリを2歳の時に始め、驚異的に知能が発達。5歳で初めて他人に意思を伝えた。
 母親の千史さんに腕を補助してもらい、五十音の文字盤を指して言葉をつづる。千史さんが読み上げ、父親の貴さんがワープロで打つ。両親の支えで作られる詩からは、人間の温かさや幸せがあふれ出る。
 山本さんが流奈君と知り合ったのは4年前。リハビリを手伝い、流奈君の言葉に感銘を受け、手作り本「想ふ月」を刊行した。半年で3000冊を完売し、これが大和出版の目にとまって、「はじめてのことば」として出版。「あなたはあなたのままでいい」という流奈君のメッセージは大きな反響を呼び、これまでに7冊の本を出した。
 流奈君は本の中で、両親にありのままに受け入れられたこと、生まれた瞬間から死と隣り合わせだったことが詩を生み出したと述べる。山本さんは「感動したり共鳴したりするのなら、それはあなたのもの。流奈君はいつもそう話している」。
 山本さんの描く挿絵は羽の生えた男の子がほとんど。流奈君のイメージ「流奈天使」だ。寝転がったり、1月に生まれたばかりの妹を抱きしめたりしている。実際にはできないことだ。「さとみん(山本さん)の愛を感じるね」。絵を見て流奈君はこう言ったという。
 展覧会は16日まで。6日午後4時から、父親の貴さんと山本さんのお話し会(参加費2000円)、6時半からは食事会(同3000円)。14日午後7時からはバイオリニスト牧美花さんのコンサート(同2000円)がある。いずれも要予約(086・234・9790)。
 【写真説明】2人の発するメッセージに見入る人たち=ワールドハーモニー・テラのギャラリーで

2001年04月21日『朝日新聞』
ボランティア情報 あなたも参加しませんか /大阪
 ◆リハビリの手伝い
 月曜日〜日曜日、1回20分〜30分程度、泉南市に住む発達障害のある女の子が、自宅でドーマン法というリハビリをする際にお手伝いくださる18歳以上おおむね50歳代までの方を募集。高校生不可。交通費は依頼者が負担。詳細は、泉南市ボランティアセンター(0724・83・0294)扇谷(おうぎや)さんまで。

2001.06.25『読売新聞』
地域の応援でぐんぐん回復 龍ヶ崎で車いすの19歳青年=茨城
 ◆近所の80人がリハビリ手助け 交通事故で一時植物状態から6年 自力で立つまでに
 六年前、中学校への通学途中に交通事故に遭い、一時は植物状態となった少年が、約八十人の近所の人たちの手助けによるリハビリを続け、自力で立ち上がるまでに回復した。リハビリに励むのは龍ヶ崎市長山、池田尚士(たかし)さん(19)。家族は「来年の成人式には自分で歩いて出席できるかもしれない」と期待している。
 尚士さんは九五年七月、自転車で通学中、乗用車にはねられた。四十日間意識不明の状態が続き、父の尚人(なおと)さん(60)は、医師から「意識が戻っても体は動かない。あきらめて下さい」と宣告された。
 意識は回復したものの、脳障害で記憶と言葉を失い、まぶたと左手の指先しか動かなくなった。一時はリハビリ専門の病院に入院したが、訓練時間が一日約四十分に限られたため、家族は自宅で付きっ切りのリハビリに専念する道を選択。「最も厳しいリハビリ」とされるドーマン法に取り組んだ。
 この方法は、一日二回、最低五人の介助者を必要とするのが難点。土地柄が新興住宅地だけに尚人さんは悩んだが、九八年二月、尚士さんの同級生の両親に悩みをうち明けると、口コミで地域に情報が伝わり、「ぜひ手伝わせて」という主婦の申し出が相次いだ。現在、約八十人のボランティアが毎日二回、代わる代わる手伝いに来てくれる。
 うつぶせの尚士さんの両手両足を周囲の五人がそれぞれもみほぐし、八十回動かした後、腹ばいで床を数ミリずつ二百メートル分移動する尚士さんを「頑張れ、頑張れ」と手拍子で声援する。
 そんな日々の繰り返しの結果、今年二月、尚士さんは車いすから自力で立ち上がった。今は、天井からつり下げられたゴムに支えられ、歩行練習に取り組んでいる。記憶も徐々に戻りつつあるという。
 「地域がこれほど温かいとは思いませんでした。感謝してもしきれません」と尚人さん。
 週二回訪れる同市平台、主婦山村俊子さん(59)は「ここに来て友達も増えたし、感謝したいのはこちらの方。それにしても尚士さんの回復ぶりには驚かされます」と話している。
 尚人さんは「もっと大勢の人に手伝ってもらえたら」と話している。問い合わせは池田尚人さん(0297・66・6978)へ。
 写真=地域住民のボランティアによって何とか歩くまでに回復した尚士君

2002年12月07日『朝日新聞』
お知らせ /富山
 ◆「ドーマン法」ボランティア募集 県ボランティアセンターは、脳の障害などで手足を動かせない子どもの機能訓練「ドーマン法」のボランティアを募集している。ドーマン法は、アメリカのグレン・ドーマン博士が考案したリハビリ治療法で、医療としては認可されていないという。
 内容は、手足を持って動かす「パターニング」訓練が中心。活動する場所は富山市、滑川市、福岡町の各対象者の自宅。申し込み・問い合わせは県ボランティアセンター(電話076・432・6123)へ。

2003.03.15『読売新聞』
子供の脳性まひ訴訟 リハビリ費含めた賠償、病院に命令/那覇地裁沖縄支部 
 「長男(9)が脳性まひになったのは、分娩(ぶんべん)時に病院側が適切な処置を怠ったため」として、沖縄県勝連町の主婦と長男が、総合病院を経営する医療法人(沖縄県中城村)を相手取り、総額一億九千二百万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が十三日、那覇地裁沖縄支部であった。飯田恭示裁判長は病院側の過失を認めたうえ、脳障害児の機能回復を図る治療法「ドーマン法」の費用約二千二百万円(一九九五年四月から十年間)を含め、約一億三千八百万円の支払いを命じた。
 原告側弁護士によると、ドーマン法によるリハビリ経費を損害として認めた判決は全国で二例しかなく、将来分までを認めたのは全国で初めてという。

2005年04月13日『朝日新聞』
講座・講演 マリオン
 ◆すぐれた脳を作る
 25日月曜午後2時、東京都新宿区内藤町の四谷区民センター9階、区民ホール(新宿御苑前駅)。環境問題が人体に及ぼす影響などを研究するIP生命医学研究所長の門馬登喜大さんが、脳を活性化させるためにはどんな栄養と刺激を与えたらいいのかを話す。子どもの脳を成長させる方法や米国のグレン・ドーマン博士が考案した「ドーマン法」についても言及する。1500円。定員450人。要予約。電話健康ジャーナル社(03・3813・5771)。ホームページ(http://www.kenko−journal.com/)からも申し込み可。

2007年04月03日『朝日新聞』
(Media Times)政治VS.テレビ:上 強気の総務相、摩擦呼ぶ
 メディアタイムズ
 テレビ番組での捏造(ねつぞう)をきっかけに放送法の改正案が固まった。総務省によるテレビ局への介入が指摘されるなか、圧力を強める政治と、対応に追われる放送局の「攻防」をつぶさに追う。(編集委員・川本裕司)
 ●あるある 「私の考えと世論、違わない」
 「こわもて大臣と批判されるが、当たり前のことをしているだけ。私の考えと世論は違わない」
 3月30日午後、年度末で慌ただしい東京・霞が関の総務大臣室。菅義偉(すがよしひで)(58)は昼前、同じ部屋で関西テレビ社長千草宗一郎に「警告」を通告したばかりだった。この日に予定されていた放送法改正の閣議決定が見送られたにもかかわらず、いつも通り強気だった。
 1月20日、納豆ダイエットを紹介した「発掘!あるある大事典2」のデータ捏造が発覚した。菅は、納豆の平均家計支出が放送翌日から2倍近くにはね上がったことを知る。テレビの影響力の大きさを実感した。
 関西テレビが総務省へ2月7日に提出した報告書が分岐点となる。菅は「責任を孫請けの制作会社にすべて転嫁している」と怒り、9日、報告書の再提出を求めた。「自浄能力がない」と見切った菅は同時に、放送法改正を決断した。
 菅のもとに、取り上げる食品情報を事前に関係者が流して利益を得るインサイダー疑惑の情報も寄せられた。疑惑は確認されなかったが、「事実なら停波(放送停止)と考えていた」と語る。
 菅は総務相になった翌月の06年10月、NHKの短波ラジオ国際放送で、拉致問題を重点的に扱うよう放送命令を出す意向を示した。「報道の自由に対する介入」との批判がわき起こった。
 ●放送命令 マスコミ批判にも動ぜず
 菅が命令放送の制度を知ったのは、05年11月に就任した総務副大臣のときだった。北朝鮮にいた拉致被害者本人から「救出運動を知ったとき生きる希望をもった」と聞いていた。総務相の座につき、拉致問題留意の放送命令を決意した。
 横浜市議を経て衆院当選4回。マスコミから批判されても一歩も引かなかった背景には、地元・横浜の集会で聞いた支持の声があった。菅は「人道的問題であり、国民の半数は支持してくれると思っていた」と話す。11月の朝日新聞世論調査では、菅の放送命令について賛成(46%)が反対(35%)を上回った。
 NHKとの初の接点は、菅の2期目にあった。02年11月の衆院決算行政監視委員会で、菅は脳に重い障害がある少年の創作活動を描いたNHKスペシャル「奇跡の詩人」について質問した。
 厳しいリハビリ方式のドーマン法を取り上げた番組に異議が出され、横浜で脳障害児の親の会顧問をしていた菅も関心を寄せた。NHK放送総局長の「ドーマン法を肯定も否定もしていない。番組上問題はない」という答弁に、菅は「もう少し謙虚になって反省すべきだ」と追及したが、かみ合わないまま終わった。
 ただ、この質疑と総務相としての政策判断について、菅は「全く関係がない」と言う。
 ■ ■
 強引ともいえる菅の手法は、ときに周囲と摩擦を生む。元総務相で放送行政に影響力をもつ参院自民党幹事長、片山虎之助(71)は「当選回数が比較的少ない中で大臣になったため肩ひじ張っている面がある。放送命令は党内の反対が強かった」。
 NHKと民放が作った第三者機関の放送倫理・番組向上機構(BPO)が放送局への調査権をもつ自律的な機能強化策が3月7日に公表された。
 しかし、菅の評価は低かった。「2月21日に総務省が再発防止策を打ち出したあと、放送側が動き出した。BPO強化策が機能している間は作動させるつもりはないが、緊張感をもたせるには法改正が必要だ」
 菅が3月中旬に決めた放送法改正案には、虚偽の放送で国民経済や国民生活に悪影響を及ぼすかその恐れがあるとき、総務相は放送事業者に再発防止策の提出を求められる、という条項が新設された。
 放送界は「行政がいくらでも介入できる」と反発した。キー局のある役員は「報道の自由を訴える放送局と、額面通りに受け止めていない視聴者が乖離(かいり)する間に権力が入ってきた」とくちびるをかみしめる。(敬称略)

2007年05月17日『朝日新聞』
(いのち)回復信じ、読み聞かせ1000冊 脳に重い障害ある娘に、17年間/東京都
 寝ても覚めても絵本、絵本――。脳に重い障害がある娘の回復を信じ、17年間、絵本の読み聞かせを続けている母親がいる。町田市忠生2丁目の原洋(ひろ)子さん(47)。これまでに読み重ねた回数は3万回、約1千冊にもなる。子育ての歩みをまとめた手記が、反響を呼んでいる。(永沼仁)
 原さんが、次女マリナさん(21)=本名・麻里奈=の異変に気づいたのは生後2週間。細菌性の髄膜炎だった。一命はとりとめたものの、脳に重い障害が残り、2歳になっても座ったり話したりすることができなかった。
 呼吸困難を伴う激しいけいれん。昼夜を問わず襲ってくる発作にうろたえ、原さんは部屋に引きこもる日々が続いたという。
 「どんなことをしても治したい」。そう考えてたどりついたのが、「ドーマン法」だった。脳を眠らせる薬をやめ、機能回復訓練を繰り返す治療法。家族で渡米し、提唱者の講義も受けた。
 ○「もっと話しかけて」
 そのプログラムの中に、絵本の読み聞かせがあった。当初は治療の一つとして取り組んだ程度だったが、マリナさんが4歳の時、夫の雄三さん(63)の「もっとマリナに話しかけてくれ」という言葉で、原さんは変わった。
 それまで、「どうせ話せない」との思いから、黙々と世話をすることが多かったが、その後は話しかける時間をつくろうと、読み聞かせに熱を入れるようになった。
 1日に読む本は約20冊。言葉の繰り返しが多く、絵がシンプルではっきりしている本を買い求めた。季節に合わせ、春なら花や鳥。声のトーンに強弱や緩急をつける。雨が降る日は、雨音が聞こえてくるように読む。
 読み終えた本には、「正」の字で回数を記録した。マリナさんが気に入った本には、正がいくつも並んだ。傷んだ本は、同じものを何冊も買い足した。
 ○12歳、初の「ハーィ…」
 12歳と1カ月。原さんがいつものように「マリナさーん」と呼びかけると、「ハーィ……」。生まれて初めて言葉を発した。ラストシーンで太陽が舌を出す「あかんべノンタン」を読むと、イラストをまねして、舌を出した。
 今も、話をすることはできない。しかし、日常の簡単な言葉は理解し、食べものの好き嫌いは表現できる。みんな、絵本で覚えたことだという。
 「ドーマン法か、読み聞かせのおかげなのか、それは分かりません。でも、絵本がなかったら、いまの笑顔いっぱいのマリナにはならなかったと思います」
 マリナさんは今、養護学校を卒業し、通所施設でクッキーを焼く手伝いをしている。原さんの夢は、障害者も自由に出入りできる、絵本に囲まれたカフェを、家族で開くことだ。
 「夢があるから続けられた。マリナと一緒に、ずっと絵本とつきあっていきたい」
 ◇すでに2000部増刷、来月講演会 町田で
 原さんは、マリナさんとの歩みを詩や文章にして、時折、雑誌に投稿してきた。その一編が出版社の目に留まり、今年2月、手記としてまとめて出版した。
 タイトルは「マリナと千冊の絵本」(いのちのことば社フォレストブックス)。「ちびゴリラのちびちび」「りんごがドスーン」「うんちがぽとん」「あかんべノンタン」など、最終章では、原さんが読んだ千冊の絵本のうち、マリナさんお気に入りも紹介している。
 初版は3千部。地元の町田市内の販売部数が伸び、すでに2千部を増刷した。同社出版事業部では「短期間の増刷に驚いています」と話す。
 「マリナさんの心に通じることを信じ続ける母親の姿に思わず涙しました」(60代女性)/「わが家にも2歳半の孔脳症の孫がいます。たくさんの励ましをいただきました」(50代主婦)
 読者カードには、読者からの反響が寄せられてくるという。
 手記の人気ぶりに、町田市民文学館(原町田4丁目)では、6月9日、原さんの講演会を企画した。山田他美子学芸員は「自分を信頼している、大好きな人が繰り返し読んでくれる読み聞かせの素晴らしさ、絵本の力の大きさが伝わってくる」と話す。
 講演では、原さんが選んだ絵本の朗読も織り込む予定だ。時間は午後2時〜4時。無料で定員は先着100人。問い合わせは同館(042・739・3420)へ。
 【写真説明】マリナさんに絵本の読み聞かせをする原洋子さん=町田市忠生2丁目で
何度も読み返した絵本には「正」の文字が並ぶ。本もボロボロになる
原さんの手記「マリナと千冊の絵本」(いのちのことば社フォレストブックス)

2009年11月06日『朝日新聞』
懸賞論文で大畑さん1位 ノーマライゼーション社会テーマ /京都府
 ノーマライゼーション社会をテーマにつづる懸賞論文で、上京区の大畑楽歩(らぶ)さん(31)が応募した「私たち障害者ができること」が1位に入賞した。障害者問題専門誌「リハビリテーション」が公募するもので、今回で47回目。10月28日に、主催する鉄道身障者福祉協会による表彰式があった。
 大畑さんは、脳性まひのため車いすを使って生活している。23歳で結婚、現在は専業主婦として小学生の長男(8)の子育てに奮闘する毎日だ。「同じ人間として理解してもらう近道は、異質な存在として観察されることを受け入れることだ」との考えは、周囲の子どもたちとの触れ合いから生まれた。
 「母となり、息子の友人やそのご家族、PTAなど、社会的なつながりが次々と生まれた。その喜びを伝えたいと思って書きました」と大畑さん。作品では、「『健常者』や『障害者』という言葉を知る前に、できるだけ早い時期から自然な形でかかわり合う機会を持つ環境を整備することこそ大切」と訴えた。
 今の夢は、脳性まひの代表として、障害についてありのままを知ってもらう活動をすることだという。現在は来年の出版を目指し、自伝を執筆中。子どものころに取り組んだドーマン法という厳しい訓練についても「デメリットを含め、真実を伝えたい」と考えている。
 【写真説明】表彰状を受け取る大畑楽歩さん(左)=上京区


■関連HP


ドーマン研究所
http://www.doman.co.jp/

耕一朗AGAIN
http://www.oct.zaq.ne.jp/koichiro/koichiro/top1.html

ドーマン法(ファシリテーテッド・コミュニケーション)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/doman/

2009年9月27日 (日)
新連載 ドーマン法に生きていた私〜脳性まひ者の告白〜/第1回 奇跡のラブちゃん
http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2009/09/1-d8e0.html


*作成:植村要
UP:20110204 REV:
リハビリテーション  ◇脳性麻痺  ◇なおすこと  ◇病・障害  ◇病者障害者運動史研究  ◇生存・生活 
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