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障害を巡る言説

障害を肯定する/しない〜「障害は個性」〜…

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■関連項目

 ◆水俣病
 ◆原子力発電(所)と障害(者)
 ◆障害学
 ◆名古屋地下鉄広告問題

 肯定 affirmation / 個性 individuality, personailty

[新着]

◆SONY 障害者雇用の頁
 http://www.sony.co.jp/SonyInfo/Jobs/CHANCENavigator/indiv/indiv.html
(リンク切れ/20090617確認)
→2005年度から雇用に関する「ダイバーシティ・プロジェクト(DIVI@Sony)」の一環で障害者雇用
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/csr/employees/diversity/index.html
◆立岩 真也 2002/10/31「ないにこしたことはない、か・1」
 石川准・倉本智明・長瀬修編『障害学の主張』,明石書店,pp.47-87
◆2002/08/05HP掲載 「国際生活機能分類−国際障害分類改訂版−」(日本語版)
 http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html
*英語版
 http://www3.who.int/icf/icftemplate.cfm?myurl=order.html&mytitle=Ordering%20ICF
◆臼井 正樹 2001 「障害者文化論:障害者文化の概念整理とその若干の応用について」
 『社会福祉学』42-1:87-99
◆杉野 昭博 20001120 「リハビリテーション再考――「障害の社会モデル」とICIDH−2」,『社会政策研究』01:140-161
 *田島明子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)による紹介
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0011sa.htm
◆200111 連続学習会「障害について考える―国際障害分類(改訂版)を手がかりに‐」
◆Disability Tribune(DAA (http://www.daa.org.uk )のニュースレター8月号に以下の記事
 On 21 May 2001, the Fifty-fourth World Health Assembly unanimously approved the resolution on a revised International Classification of Function, Disability and Health (ICIDH)
◆200105 長瀬 WHO総会はICF(ICIDH-2から改称)を採択したそうです。
 最終ドラフトは
 http://www.who.int/icidh
Press Release WHA 54/6 22 May 2001の最後のほう
The Assembly endorsed the second edition of the International Classification of Impairments, Disabilities and Handicaps (ICIDH-2), giving it the new title International Classification of Functioning, Disability and Health (ICF). The Assembly urged Member States to use the ICF in their research, surveillance and reporting.
◆三村 洋明 2001
 「障害とは何か?障害者とは誰か?――架空対談から、書き込み・協同作業による構成」
◆三村 洋明 2000
 「ICIDH2批判――障害の生物学的決定論(物象化)批判」
◆寺本 晃久 20001111 「「知的障害」概念の変遷」
 『現代社会理論研究』10
杉野 昭博 20001120 「リハビリテーション再考――「障害の社会モデル」とICIDH−2」
 『社会政策研究』01:140-161

[目次]

●障害の定義?
 ◆ICIDH
 ◆佐藤 久夫 19980708
 ◆ICIDH-2
 ◆三ツ木[1997:25-26]
 ◆『アジア・アフリカの障害者とエンパワメント』,159p〜160p
 ◆石川憲彦 1988
 ◆寺本晃久 2000

●引用集
 ◆横塚晃一
 ◆横田弘 1970
 ◆横塚晃一
 ◆小沢牧子[1977:349]
 ◆古川清治 19780320
 ◆横田[1979:34]
 ◆吉本隆明[1979]
 ◆最首悟[1980→1984:75]
 ◆米山政弘(先天性四肢障害児父母の会常任委員) 19800802→19820310
 ◆最首悟 1981
 ◆Rawls, John 1985
 ◆高橋修 19860707
  聞き取り調査のテープ起こしより(テープ起こし:立岩)
 ◆森村進[1987:117]
 ◆松山 O&G 19880310 「「障害者」が反原発を問う意義――反原発の新しい波 その底に潜みささえる「優生思想」を討つ」
 ◆堤愛子 1988
  「ミュータント(異形人)の危惧」*,『クリティーク』1988-7
 ◆堤愛子 19890315 「「ありのままの生命」を否定する原発に反対」
  三輪妙子編『女たちの反原発』(労働教育センター,230p.,1300)pp.90-105
 ◆堤愛子[1989:34-35]
 ◆千田好夫 1989 「障害者と反原発」,『共生の理論』12:13-15
 ◆大本光子 198806
 ◆安積遊歩(純子) 1990〜
 ◆岡原・立岩[1990:162→1995:162]
 ◆岡原・立岩[1990:163→1995:163]
 ◆立岩[1990:226]
 ◆加藤秀一[1991a]
 ◆ダナ・ハラウェイ(Donna J. Haraway)1991「サイボーグ宣言」
 ◆Singer 1993
 ◆野辺明子 1993
 ◆土屋 貴志 1994
  森岡正博編著『「ささえあい」の人間学』,pp.244-261
 ◆最首悟 1995
 ◆小池将文(総理府障害者施策推進本部担当室長)
  『平成7年度障害者白書』
  『朝日新聞』「論壇」欄「障害は個性と考えたい」
 ◆宮昭夫[1996:2-3]
 ◆佐久本洋二 1996「『障害は個性』は危険な表現では」
  『わだち』37 1996/07
 ◆豊田正弘 1998 「当事者幻想論」
  『現代思想』26-2
 ◆最首悟 1997
 ◆立岩 1999
 ◆森正司 1999
  「障害個性論―知的障害者の人間としての尊厳を考える」

 

●障害の定義?

◆ICIDH
 http://www.who.ch/icidh(リンク切れ/20090617確認)
 →http://www.who.int/icidh

◆佐藤 久夫 19980708
 「lCIDH改正東京会議」(海外リポート)
 『リハビリテーション研究』95:19〜21
  文章URL: http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r095/r0950006.html
(障害者福祉保健研究情報システム(http://www.dinf.ne.jpへリンク)
 (ノーマライゼーション・障害者の福祉増刊)  財団法人 日本障害者リハビリテーション協会  〒162-0052 東京都新宿区戸山1−22−1  電話:03-5273-0601 FAX:03-5273-1523
◆ICIDH-2
 International Classification of Impairments, Activities,and Participation
 -A Manual of Dimensions of Disablement and Functioning
 Beta-1 Draft for Field Trials, June 1997
 World Health Organization, GENEVA, 1997
 国際障害分類第2版(18-7-97版)
 機能障害、活動、参加の国際分類 -障害と機能(働き)の諸次元に関するマニュアル
 フィールドテスト用草案(ベータ1草案)
 http://www.dinf.ne.jp/doc/ntl/icidh/hsa001/hsa00101.htm
(リンク切れ 20090617確認)
  →ICIDH-2に関する情報(障害者福祉保健情報システムhttp://www.dinf.ne.jp内)
 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/intl/icidh/index.html

◆三ツ木[1997:25-26]
「「国際障害者年行動計画」の第62項には,「国際障害者年は,個人の特質であるインペアメント(impairment)と,それによって引き起こされる機能的な支障であるディスアビリティ(disability),そしてディスアビリティの社会的結果であるハンディキャップ(handicap)の間には区別があるという事実について認識を促進すべきである」と述べられている。
 この障害の3つのレベルの具体的な内容は,世界保健機構(WHO)が1980年に発表した「国際障害分類表」で詳細に提示され,わが国の関係者にも大きなインパクトを与えた。
 impairment,disability,handicapの訳語はさまざまであるが,最近では,「機能・形態障害」「能力障害」「社会的不利」か,「機能障害」「能力低下」「社会的不利」の組み合わせがよく使われている。本科目では「機能障害」「能力低下」「社会的不利」の組み合わせを使うことにする。
 「国際障害分類試案」では,「機能障害」「能力低下」「社会的不利」を次のように定義している。
 「機能障害とは,心理的,生理的,解剖的な構造又は機能のなんらかの喪失又は異常である」
 「能力低下とは,人間として正常と見なされる方法や範囲で活動していく能力の(機能障害に起因する)なんらかの制限や欠如である。」
 「社会的不利とは,機能障害や能力低下の結果として,その個人に生じた不利益であって,その個人にとって(年齢,性別,社会文化的因子からみて)正常な役割を果たすことが制限されたり妨げられたりすることである。」
 (三ツ木[1997:25-26])

◆英国ではUPIAS(隔離に反対する身体障害者連盟)が インペアメントとディスアビリティという社会モデルを出していて、WHOの定義に反対しました。佐藤久夫さんの『障害構造論入門』(青木書店)にその経緯があります。(長瀬)

◆『アジア・アフリカの障害者とエンパワメント』,159p〜160p
 「(WHOの定義を紹介した後に)しかしながら、これらの三つの定義に関する重要な問題がある。最初に、三つは「正常」という観念が中心となる医療モデルに基づいている。第二に、損傷と障害の差は実際上何であるのか?「機能の欠如」および「行動能力の欠如」は、ほとんど同じ物である。
障害者運動は、一般に障害の社会モデルに関係した二つの基礎的な概念を支持して、これらの定義を拒絶した
損傷 ―「機能の欠如または異常に加えて、機能への影響」、例えば、対麻痺に加えて歩行の不可。
 障害・ハンディキャップ ―「損傷を持つ人々をほとんどまたは全く考慮せず、かくして社会的活動の中心からその人たちを除外する社会的要素によって起こされる、活動を行う上での不利または制限」
 大部分の言語では「障害」および「ハンデキャップ」という二つの英語の言葉をわずか一語で表すので、途上国の文化では二語の区別をすることはあまり意味がない。「損傷」および「障害」は<機能が欠如>(<>内はゴシック)していることと、<社会態度>によって、障害者にされることの二つの本質的概念に触れている。それは、本書の見解である。」(『アジア・アフリカの障害者とエンパワメント』,159p〜160p*)
 *つるたまさひで(鶴田雅英)さんによる紹介

 

石川憲彦 1988

「「『障害』は病気ではない。だから直す対象として『障害』をとらえることが誤っている」という障害者からの指摘は正しいと思う。しかし、病気と「障害」との差異を強調することだけで(p.35)は不十分である。それは、たちまち「障害」だけを孤立させることになる」(石川[1988:35-36])

◇石川 憲彦 19880225 『治療という幻想――障害の治療からみえること』,現代書館,269p. ISBN-10: 4768433618 ISBN-13: 978-4768433614 2060 [amazon] ※ ms.

寺本晃久 2000

 「「障害」とは何か? たとえば、1980年に世界保健機構(WHO)が提案した国際障害分類(ICIDH)は、障害を機能障害impairment、能力障害disability、社会的不利handicapの3つの階層にわけた。この分類は、それまで「障害」が個人の病理学的な要因においてのみ考えられていたことに対して、社会的な障壁(barrier)によっても「障害」が生産されるという思想へ道を開いた。しかし一方では、handicapの原因としてimpairmentとdisabilityを設定し、依然として比重は個人の身体的要素に置かれていた。そこで英国のオリバーらによって唱道される障害学は、こうした考え方を医学モデルだと批判し、handicapの考え方をさらに進めて、「障害」の本体は端的に社会的差別や障壁だとする社会モデルをうち立てた(Oliver[1990])。だが、他方社会モデルでは説明できないもの、仮に社会的障壁が取り除かれたとしてもなお存在し続けるもの、つまりimpairmentは残るのではないかといった議論もなされた。こうした意見を受けて、オリバーもその後impairmentそれ自体を否定していないと説明したり(Oliver[1996:35-41])、障害学の中にimpairmentによって起こる身体的経験をも含めて考えるべきだといった議論がなされた。impairment/disabilityがあることによって差別・否定されることに抗し、impairmentをもったままで(”ありのまま”で)社会参加する権利が奪われているという主張は、いわゆる障害学においてだけでなく、さまざまな障害者運動の中で語られてきたことでもある。
 しかし、こうした議論が起こるのは、いかに障害問題において「身体性」に対して目を向けることが困難なのかということを表してもいる。……」

寺本晃久 20000225 「自己決定と支援の境界」,『Sociology Today』10:28-41(お茶の水社会学研究会)

 
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■引用集

横塚 晃一
 (立岩「一九七〇年」に引用)

 「よく健全者が、身障者に″理解″を示して″身障者も同じ人間だ″なんていうね。……絶対に違うんだよ。おれたちの最大の生活環境は一人一人が持っている肉体なんだ。これはどこへ行こうとついてまわる。」★08
★08 高杉[1972]に紹介されている横塚晃一の言葉。後で彼自身の文章も引用するが、映画『さよならCP』制作の動機について語っている。

横田 弘 1970
 (立岩「一九七〇年」に引用)

 「「我々の存在を如何に受けとめるか」と大きく書き、その横に横塚夫妻のカッコイイ写真を置いただけの我々のビラは、多くの物のなかでも異色の存在として目立ったようだった。……/私は……通路に座ってビラを渡しはじめた。……少しづつ人の沢山立並ぶ中に膝行していった。……私はふと面白い事に気がついた。……激しく私とビラを拒否する者たちに強い共感を覚えたのだ。/それはなぜか。/烈しく私を拒否する事で、彼はより深く私と係り合う事になるのではないだろうか。或は、私との係り合いを感じたればこそ彼は烈しく拒否したのかもしれない。私もまた拒否されたという形で(だからこそ)我々の存在というナイフをつきつけることが出来たのではあるまいか。/今の我々は、相手に理解されようとする事よりも、むしろ相手に拒否される事が大切なのではないか。というより拒否される形に迄持っていく覚悟が必要なのだ。/……我々の過去は余りにもそうした場面を避け過ぎはしなかったろうか。」(横田「メーデー会場にて」『あゆみ』九号、一九七〇年六月)

横塚 晃一

 「我々が……種々の問題提起をした場合、未だ討議もされないうちに「じゃあどうすればいいのか」という言葉が返ってきます。この場合私は「そんなに簡単に『じゃあどうすればいいのか』などと言うな」と撥ね付けます。なぜなら相手の「じゃあどうすればいいのか」という言葉は、真にどうすべきかということではなく、我々の問題提起をはぐらかし、圧殺することが目的だからです。私はあの時、我々の目的の第一は問題提起であると言いました。それは自己の立場をふんまえた現状分析であり、社会と人間の分析であると思います。」(横塚)

◆小沢牧子[1977:349]

 「父が耳が聞こえたなら、たしかに「便利」ではあるだろう。特に母は「らく」であるだろう。しかし、それは現実感を伴った願望というよりも、そんなことがあるならまあそうだろうが、という程度の架空のはなしという感じにすぎない。父本人にとってもそうなのであると思う。」(小沢[1977:349])

古川 清治 19780320 「子どもとおとなと″科学的概念″と」,『ゆきわたり』66

 「「義務化」阻止の運動に参加して以来、考えぬかなければならないじつにさまざまな問題にぶつかっているのですが、その大問題のひとつとして健康破壊の問題があります。端的にいうなら、水俣病に、四日市ぜんそくに、排気ガスに、注射の打ちすぎに、やられた子どもたちにとって、「(この子は)知恵は遅れているけれど、目は見えないけれど、ふつうの子どもです」というコトバはいかなる意味をもつか、ということです。また、別の問題として、「この子は、知恵は遅れているけれど、耳は聞こえないけれど、健康です」ということがあります。さらに、「どの子とともに生きる」場としての公教育の施設――学校は、ほんとは、このようなものとして絶対に必要なものなのかどうか、という問題もあります。
 これらはすべて、この文章の文脈でいうなら、「さまざまな個性の持ち主である<わたし>が集まってつくる、<わたしたち>の形成」(ひととひととの関係のありようの問題)にとって、きわめて重要な″考えねばならぬ主題″だと思います。
 これら、複雑に重なりあった問題を解いていく論理が、おそらく、「人間を生かす科学」の論理をつくりあげるのだと、ひらすら思いこんでいるわけです。」

 古川 清治  19830525 『オヤジの「障害児」教育論』、柘植書房、245p. 1700
 に引用
 「1978年、子供問題研究会の第3回春の討論集会「この討論集会の第一日目、「『発達』を考える」というテーマの時間に、わたしは、茨城大学の山下恒夫さんの著書『反発達論』の読後感をしゃべれといわれていた。……  ……子問研の機関紙『ゆきわたり』の第66号('78・3・20)に、この集会への「参加にあたって」、参加者に知らせておいたから<意見>をまとめておけ、といわれたらしく、一文を寄せている。見出しはなんと、「子どもとおとなと″科学的概念″と」などという大仰なものになっている。いささか気恥ずかしいけれど…」(pp.95-96)

野辺 明子 1978 「定着したのか父母の会運動――二年間の活動から」
 『先天異常問題』3号
 「手足の外表奇形というこの不幸な先天異常の原因が分からず、しかも環境汚染が深刻化している現代において、以前よりその不幸は誰もが感じている時、すでに子どもが奇形をもって生まれてきたという恐怖と悲しみを体験してしまった私たちは、これ以上このような子どもたちが生まれてこないよう、発生予防の願いをこめて先天性四肢障害の原因究明を誰よりも真っ先に叫び続けなければならない。」(野辺[2000:112-113]に引用)

野辺 明子

 「父母の会では環境汚染のシンボルとしてマスコミに度々取り上げられていた手足の欠損したニホンザル(奇形ザル)の写真展を全国各地で開いていた(七〇年代後半)が、「サルといっしょに私の写真を飾らないで」と小学生の女の子は訴えた。
 全員究明活動そのものというより、四肢障害の子どもをありのままの姿で受けとめられない親の気持ちに潜む矛盾に対しての子どもからの異議申し立てであったかもしれない。環境問題の告発がともすると障害児を単に環境汚染のサンプル的な存在としてしか見なさない危険性を孕んでいくことを私たちは肝に銘じたのだった。」(野辺[2000:114])

◆横田[1979:34]
 (立岩「一九七〇年」に引用)

 「身体障害者の組織、といえば、戦前の傷痍軍人会から始まって、いわゆる、戦後民主主義の中から生まれた「福祉」思想の下に各種の団体が作られていったが、こと、脳性マヒ者に関する限りは、それらの団体の中では完全に疎外された存在として、位置づけられていた。これは、脳性マヒ特有の身体的現象、言語障害、不随意運動等により、特異な存在として、見られがちであったし、労働ができない、つまり、自分で働いて生活できない、ということが、次第に、抹殺の対象としての位置を、脳性マヒ者に与えた結果だろう。」 (横田[1979:34])

◆吉本 隆明[1979]

 「身体障害の問題に関して、仕事上の道行からあるときある時代に、身体障害者の手記とか記録などを調べて読んだことがあります。……読んでみてわかることがあります。……多くの身体障害者、あるいは精神障害者ご当人にとっていちばん難問とされていることは、結婚ということと、就職ということなんです。それが自身にとっていちばんひっかかっているということが、それらを読むと出てきます。」(吉本[1979:14])★

 「それにたいする解決というのは、どういうふうにつけるかといいますと、肉体的身体の障害にたいしては、義手とか義足とかをつけ、リハビリテーションの訓練をやって、出来る限り障害のない人間と同じ肉体的機能に近づけようとすることが、解決の一つの方向になっていることがわかります。
 もう一つの解決があります。それは、その人に宗教を要求することです。……それに伴いますけれども、もう一つあります。両手、両足がない人の手記を読みますと、その人は超人的な努力を重ねて、洋裁などを普通の人と同じか、それ以上にできるというように、じぶんを鍛えあげてしまった、という人の手記があります。
 それらの人の解決の方向が、どこを志向されているかということ、それから何にひっかかっているかということも、型で押したように決っています。ぼくは、型で押したように決っているそのことにたいして、何も触れることはできません。何も触れることのできる切実さを持つことができません。しかし、明日持つかも知れない。それは、いつでもわからないことなんですけれども、それがいいのか、間違いであるのかどうなのか、ということができません。しかし、そういう解決の方向にまつわる一種の重苦しさとか、息苦しさとか、倫理性というものが必ずあるのです。悟りすましたという人の手記を読んでも、やっぱりあるのです。一種のモラリズムなり、宗教があるんです。このことが<何かだ>とおもっているわすです。ですけれども、<それが何だ>というほどぼくは切実ではありません。明日、切実になったらそれをいうことができるかも知れません。」(吉本[1979:14-15]、池田[219-223]にも一部が引用されている。)
 「社会の障害・欠損・欠陥ということ、それから社会のイメージ、つまり政治制度障害・欠損・欠陥ということと、身体の障害・欠損・欠陥」
多分、あらゆる革命とのかの後になお解決されずに残される、人間が最後に解決しなけれはならない問題だ、とぼくには思われるからです。」
 神のように崇められた古代から、働けないから人間以下だ、と蔑まれた近代社会に至るまでの目も眩むような価値観の変遷というものが、障害にたいして与えられてきたわけです。けれども、これに対して現代は、徐々にではありますけれども、身体障害というものは、<神でもなければ人間以下でもないんだ。それは人間なんだ>という概念が少しずつその概念が、少しずつ既得権といいましょうか、少しずつその概念が闘いとられていきつつあるということ。そのことがおおきな解決の、ぼくの考えでは唯一の解決の糸口なんじゃないかと思われます。つまり、解決の基礎になる問題じゃないかとかんがえます。
 あらゆる革命とかの後になお解決されずに残される、人間が最後に解決しなければならない問題だ、とぼくには思われるからです。」

 ※これは一九七九年三月一七日、東京都小金公会堂で行われた「富士学園自主運営五周年記念集会」での記念講演を収録したもの。この講演会は講演終了後、横田弘(青い芝の会)が質問し、それを吉本が聞き取れず、その「通訳」を求めたことから、会場が混乱して終った(池田[  ])。富士学園は東京都国立市にあった小さな施設で、個人によって設立されたが、その人が施設を閉鎖しようとした。これに対して、働いていた池田らがそれに抗議し、自主運営を何年か続けた。(池田[1978][1979][1981][1994])。

最首悟[1980→1984:75]
 (立岩真也『私的所有論』第9章注20(p.438)に引用)

 「公害反対運動と、障害者運動はどこで共通の根をもちうるか…。誤解をおそれずにいえば、公害反対運動は、心身共に健康な人間像を前提にしています。五体満足でありたい、いやあったはずだという思いが、公害反対闘争を根底で支えています。これにたいして、障害者運動は、障害者は人間であることを主張する運動です。」(最首悟[1980→1984:75])

最首悟[1980→1984:80]
 (立岩真也『私的所有論』第9章p.373に引用)
 ※Discourses on Prenatal Diagnosis 4/4に英訳

 「わたしは心身共に健康な子を生みたいという願いを自然なものとして肯定します。しかし、そうは思わない不自然さも、人間的自然として認める余地はないのだろうか。」( 最首悟[1980→1984:80])

◆米山 政弘(先天性四肢障害児父母の会常任委員) 19800802→19820310

 「「父母の会」ができて、私が活動をはしめるようになりますと、「実は親戚に先天異常の子どもが生れたが遺伝じゃないか」とか「身内に先天異常の子供がいたが死んでしまった。子供がほしいので次の子をつくっても大丈夫か」というような質問や相談をうけることがあるのですが、そのたびにあんまりいい気分がしないのであります。なぜ気分が悪いかというと、だいたいそういう質問をするのはその当事者の親でなくて親戚の人が多いのですが、言葉の裏側に”先天奇形の子はまっぴらごめん”という気持がうかがえるからです。
 原因究明という私たちの要求は”二度とこのような子供をつくりたくない”のではなく””二度と私たちのような苦しみを体験させたくない”からです。」(p.121)

 米山政弘「淘汰をゆるす社会であってはならない」
 先天性四肢障害児父母の会 編 19820310
 『シンポジウム先天異常II――いのちを問う』
 批評社、230p. 1500円 pp.117-112
 (第7回シンポジウム「いのちの重みとそのゆくえ」1980年8月2日 日本教育会館 参加者数およそ450名)

◆上田 敏 1980 「障害の受容――その本質と諸段階について」,『総合リハビリテーション』8-7
 この文献の紹介(by 田島明子*)
 http://www5.ocn.ne.jp/~tjmkk/hon004.htm
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/g/ta01.htm

最首 悟 1981 「基層的共同性をもとめて」、『日本読書新聞』1981-6-1→「<水俣>への序――基層的共同性をもとめて」,最首[1984:257-260]*
*最首 悟 19841105 『生あるものは皆この海に染まり』,新曜社,378p. ASIN: B000J71NW8 2200 [amazon] ※/杉並378

 「いい換えれば、わたしたちは肉体的水俣病を発症させた企業や行政の責任とその背景を不充分ながら論じ糾弾するなかで、患者をそのような人災を二度とおこさないための尊い犠牲者と呼ぶことはなかったか、ということである。重度の胎児性患者をそう呼ばなかったか、わたしたちは自問自答すべきである。
 患者にとって企業・行政責任を追及することは第一義的な重要性を帯びていた。しかしそれは病気と格闘しねじふせ生きてゆく場の確保のためであった。経済的補償はそのような場を獲得する必要条件の一つにすぎない。それにたいしてわたしたちは水俣病を不治ととらえ、患者を犠牲者とみて社会的存在からはねだし、その代価としての経済的補償を考えた。犠牲にたいして補償は必要十分条件に近いもののようにみなされた。」(最首[1981→1984:258])

Rawls, John 1985

 「あらゆる人は、正常範囲内の肉体的必要性や心理的力量をもっている、と私は仮定する。そこで、特別のヘルスケアや精神障害者の取り扱い方に関する問題は生じない。こうした困難な問題を考察することは……、われわれと隔たりのある人々を考えざるをえなくするために、われわれの道徳的な知覚を混乱させてしまう」(Rawls, "A Kantian Consept of Equality", J. Ranjchman & C. West eds. Post-Analytic Philosophy, Columbia ninversity Press, 1985, p206, 竹内章郎『現代平等論ガイド』pp.194-195に引用)

高橋 修 19860707
 聞き取り調査のテープ起こしより(テープ起こし:立岩)

 「だから自分の中でさ、優生思想のさ、そのー、はっきりしてないわけ。だから、その中で、できない。
大沢 いやー、そんな、すぐはっきりするもんじゃないと思うなあ。
高橋 最低限さ、青い芝というかね、障害っていうのが問題じゃないんだ、それを差別する社会なり、環境が悪いんだと。だから、健全者が変わりね、まちが変わり、変わるんだというのとさ、水俣みたないかたちの中で、医療的な中で、このからだを返せというさ、そういう思想、考えかたの、その、なんていうかな、つきあげというかさ、その絡みがいまいちはっきりしないのね。それの中で今ちょっと今、いろいろ調べようと思っているんだけどね。それを頭の中で整理しない限りは、自分でもね、どこまで医療がいいのかっていうのはあるわけよ。ねえ、ある面ではさあ、羊水チェックとさあ、なんだ、フェニルケトンだか。ね、かったぽは直るからいいのか、あるわけよ。フェニルケトンだったら直るから、いいっていう感じのさ、羊水チェックはさ、あれは発見した時に、障害児とわかった時に、中絶する、障害者を抹殺する論だから反対なんだというさ。だけど、基本的には90何パーセントって言ったって、障害者が産まれないための社会を作るための一つのチェック・ポイントなわけでしょ。その、関係っていうのが自分の中の頭で整理できないから、なかなか対外的に話できないっていうね。」

◆森村進[1987:117]
 (を含む、立岩『私的所有論』第9章注22)

 「「胎児スクリーニング反対論者は…選択的中絶の許可はその結果として、スクリーニングの網を避けて、あるいはくぐり抜けて生まれてきた遺伝的障害者の軽視を生むと主張する。しかし論理的には、重い障害を持った子の出生を避ける方がよいという判断と、現実に障害を持って生まれてきた人々への尊重と配慮とは両立するものである。」(森村進[1987:117])
 そして米本昌平[1989b]は、米国は実際に両立させていると言う。」

◆松山 O&G 19880310 「「障害者」が反原発を問う意義――反原発の新しい波 その底に潜みささえる「優生思想」を討つ」
 『全障連』074:16-18

 伊方原発(四国電力)出力調整実験を中止させる運動 実験は強行されるが運動はその後も続く

 「全国的に市民運動の沈滞・低迷が叫ばれる中で、この間の一連の運動総てが、日本の市民運動史上に残る驚くべき偉業で在り、市民運動の新たな幕開き、新時代到来といっても過言ではありません。  しかし、その運動の盛り上がりは現存するあらゆる”差別”を肯定・増幅・補強したところで成りたった部分が多いことも事実です。
 今回の盛り上がりの要因の問題性を実はここにあるのです。
 ……
 多くの小・中・高校生が、運動などとは無縁の生活をしていた”ただの「主婦」”が、「新人類」と呼ばれる学生・OLが、どこにでもいるおじさん、おばさんが、自らの意志で参加し、そのほとんどが(p.17)ハンド・マイクなど持つのは初めてであろうその手にマイクを持ち、『放射能の影響が心配で子どもを産めない、妊娠しても産まない』『将来結婚したいのに……』『子どもの将来を思うと……』等など涙ながらに語られ、その度に”共感”の拍手が沸き起こるのです。
 『世界中から原発が無くなる日』それは、『世界中から「障害(児)者が抹殺されいなくなる日』、と言えるくらいに事態はこれ迄になく重大で深刻な形で進行しています。
 ……
 実験が強行された今、運動の焦点は伊方原発=四国電力から東京・通産局と国内全ての原発及び関連施設の立地、地へと移り(ママ)運動そのものも『伊方原発出力調整実験中止』から『全ての原発をなくす運動』へと発展しています。わずか3ケ月余りのこの間に反原発を掲げる市民運動が数多く結成されその数400とも500とも言われています。
 この事実はとりもなおさず、現在日々毎日、日本の何処では、放射能の恐怖と共に優生思想を煽る学習会や講演会が持たれているということです。
 それは、ただ漠然としたものであったりもするし、2月7日に松山でもたれた講演会のように、一頻り放射能の恐怖とヨーロッパにおけるパニック的な状況を述べた後『不幸な子は産むな!』と直接的な発言(綿貫礼子――東京・環境問題研究家)であったりもします。
 その場に私たちが居たからすぐに抗議もできたし、事後、運動内部での啓発もできたのです。
 反優生思想を闘う「障害者」の居ないところでどのような学習会や話がされているのか考えただけで空恐ろしく背筋が凍る思いです。」

堤 愛子 1988 「ミュータント(異形人)の危惧」*、『クリティーク』1988-7
 *甘蔗珠恵子『まだ、まにあうなら』(地湧社)の書評

 「……ある資料には(巨大タンポポが)「お化けタンポポ」と書かれており、私は胸が痛んだ。
 以前、食品汚染のPRビラの見出しに「首の曲がった子になるの、ボクいやだ」と大きく書かれているのを見て、私は身震いするほどの不快を感じた。これを書いた人は、首の曲がっている人の気持ちをどう考えているのだろうと。同様の不快感を「お化けタンポポ」という言い方にも感じたのだ。それは、私自身が生まれながらの脳性マヒで、首も曲ってり、「ビッコ「かたわ」という言葉と共に「お化け」とも言われて生きてきた体験によるところが大きいだろう。
 「お化け」であれ「巨大」であれ、タンポポの「奇型」を強調することによって放射能汚染の恐怖をあおりたてることに、私は言いようのない苛立ちとたまらなさを感じる。結局これらの表現は、「奇型」「障害」をマイナスのイメージに固定させていくことに他ならないからだ。
 誤解されると困るが、放射能の人体への影響を知らせなくていいと主張しているのではない。放射能汚染の恐ろしさを、「障害者」に対する違和感や恐怖心と重ね合わせたところで語ってほしくないということだ。」

 堤1989「「ありのままの生命」を否定する原発に反対」p.97に引用

◆堤愛子 19890315 「「ありのままの生命」を否定する原発に反対」
 三輪妙子編『女たちの反原発』(労働教育センター、230p.、1300)pp.90-105

 反原発運動に対する不安
 障害者は不幸か
 巨大タンポポをめぐって
 多様性こそ生命存続の条件
 優生思想と性の管理は表裏一体

 「……「障害」や「病気」ばかりが、放射能汚染の危険信号として取り上げられていくところに、私はついこだわってしまう。
 今年八月に浦和で行われた「障害者教育交流集会」(障害者の教育権を実現する会主催)は、そんな私のこだわりを整理する上で、大きな力となった。
 この集会は「生命とからだ」をメインテーマとし、障害者の教育問題と共に、広瀬隆さんの講演会や反原発シンポジウムなどの企画も盛り込まれていた。とくに、二日目の夜の小講座、「優生思想は人類を滅ぼす」が印象深かった。
 講師の平林浩先生(和光小)は、遺伝子のメカニズムについて生物学的な立場から詳しく話をしたが、それによれば、生物の遺伝子の何割かは病気や「障害」を引き起こす「不利な遺伝子」で、遺伝子の組み合わせにより、一定の割合で必ず病気や「障害」をもつ生物が生まれる。だからといって「不利な遺伝子」を意図的に除去しようとすると、その種はほろびてしまうそうだ。「多様性こそ、種の存続の条件である」と平林先生は強調する。
 つまり、どんな生物の中にも一定の割合で病気や「障害」が存在しており、それがその種の健康な証拠なのだ。人間の社会は病気や「障害」を極端に嫌うが、人類の存続のためには病気も「障害」も必要不可欠なのだ。
 考えてみれば、人間は歩くことも話すこともできない赤ん坊として生まれ、「老い」とともに身体(p.100)や頭の働きが衰え、やがて死んでいく。元気なとき、病気のとき等、実にさまざまなからだと心の状態を経験する。そして、大人、子ども、老人、若者、障害者等、さまざまな個人が集まって、人間社会を形成しているのだ。多様性があるからこそ、免疫や抵抗力が育ち、いたわりや優しさの心も生まれるのだと思う。
 平林先生の話を聞いて以来、私は放射能汚染の恐さは、「障害者が生まれること」それ自体ではなく、「障害者の割合」が極端にふえたり減ったりして、多様性によって保たれている生態系のバランスがくずれ、生命の存続が危うくなること」だと思うようになった。
 そしてさらに考えを進めていったとき、ふと胎児診断のことに思いがいたった。羊水チェックにより、胎児のうちに「障害児か否か」を判別し、障害児とわかれば中絶をすすめる――私はこれを「生命の選別」であり「優生思想の具体的な表れ」と思っているが、別の言い方をすれば、「多様性の否定」「ありのままの生命の否定」ともいえるのではないだろうか。
 現実の科学と自然のせめぎ合いの中で、なにが「ありのまま」なのかという議論もあるが、あえて大雑把な表現をさせてほしい。
 「障害児」として生まれるはずだった子が、胎児診断によって中絶されていくことも、「健常児」として生まれるはずだった子が放射能の影響で「障害児」とされていくことも、どちらも「人間の科学技術によって、ありのままの生命を否定している」という点で、共通しているのではないだろうか。」(pp.100-101)

◆堤愛子[1989:34-35]
 (を含む立岩『私的所有論』第9章注21(p.438))

 「原発や放射能の恐さについて、『女たちの反原発』では「生態系のバランスがくずれること」と抽象的なことを書いたが、最近の私は「自分の健康がそこなわれること」と考えている。/そういうとすぐに「ほら、やっぱり障害者でない方が、いいんじゃないの」という声が聞こえてきそうだ。/しかし、「障害」と「健康」は、はたして対立する概念なのだろうか。」(堤愛子[1989:34-35]、なお本に収録されているのは堤[1988]、生命倫理研究会のシンポジウムでの発言(生命倫理研究会生殖技術研究チーム[1992])も参照のこと)

 「古川清治[1988]が近いことを述べている。原発に反対するのは、それが障害児を産み出すからではなく、命を奪うことがあるからだと言う。先天性の障害の原因究明を求めると同時に(正確にはこの主張の少し後から)障害があって生きるあり方を探っていった「先天性四肢障害児父母の会」の活動の軌跡が注目される(先天性四肢障害児父母の会編[1982a][1982b]、野辺明子[1982][1989a][1989b][1993]、等)。
 死、苦痛と述べた時に念頭にあったのはハンチンソン病(第7章注15・316頁)。テイ=ザックス病(東欧系ユダヤ人に特に多いメンデル劣性の遺伝病、植物状態が続き二〜四歳までしか生きられない)については米本昌平[1987b:35-37]、DNA問題研究会編[1994:30-31]等に言及がある。」(立岩[1997])

◆千田 好夫  1989 「障害者と反原発」、『共生の理論』12:13-15

 「障害者も事故や病気はできるだけ避けたいものだ。その限りで障害者も安全な食品を求め原発に反対することに賛成し、ともに闘うことができる。しかしその中に少しでも奇形や障害者になりたくないというのがあれば、断固糾弾しなければならない。差別だ、と突き放してもいいが、必ず次のように諭さなければならない。
 まず、けが・病気と障害とは次元の違うものである。現象的には連続しており進行性のものは錯綜しているが、少なくとも平時における社会生活では別物である。けが、病気はどうなるかわからない一時的な状態と言えるが、障害とは一定の状況の固定化であり生命が生を営むかけがえのない基盤なのである。つまり、巨大タンポポも無指症の子猿も被爆者も障害者も、「健常な」ものがそうであるように生を営むものとして等しい存在である。前者がもし「不幸な」ものとして見えるとすれば、それは力もあり多数者でもある後者に責任のある事態、社会的バックアップの欠如に他ならない。(すべてのタンポポが巨大タンポポなら、どうして巨大タンポポが「不幸」であるだろうか。)傷害致死という言葉があるなら、傷害致障害という言葉を作ってもいい。原因は何であれ死者は手厚く葬らなければならないし、原因は何であれ障害者は存在として尊厳を持つものである。そのことと傷害(ママ)の原因と闘うこととは全く別の話なのだ。」(p.14)
「あの指も腕も足さえも満足にない子猿※は、嬉しいことも悲しいこともあったろうに、そしてその必死の生きざまが猿山全体と他ならぬ私たち人間を救ったことに対し感謝の言葉もあればこそ、それらのことはきれいに忘れ去られて「異形」の姿が「悲惨」の象徴としてのみ記憶されるのは、子猿への侮辱である。
 原発は、このような健常者の思い上がりによっては絶対に廃棄し得ない。何となれば、奇形や障害に嫌悪や恐怖心をもつその心情は、「安全な」とこに住み(実際には無意味な)核シェルターに優先権をもち自分だけは助かるつもりでいる原発推進側の「やんごとなき」人々の心情と連綿として続いているからである。共に生きることを徹底的に追求することからしか、原発への根本的批判はありえない。」(p.15)
※「猿山の猿の集団に無指症などの奇形が多発し、それがどうもエサにしていた輸入穀物のせいらしいということで、その衝撃は大きなものがあった。」(p.13)

◆大本光子 198806

 「……四電との直接交渉の席や一階ロビーでの四電社員へ語りかける場面において、「放射能の影響が心配でこのままでは子どもを産めない。将来、妊娠しても産まない」「私は、将来結婚して子どもを産みたいのにどうしてくれるの」……などと、老若男女が涙ながらに切々と語り、その席に同席した人々がともに涙し、共感の拍手を送る。ついには、ある女性″障害者″が自らの苦悩に満ちた人生を語りながら、「私のような不幸な子どもが生まれる可能性のある危険な実験をやめて」と言い、人々に涙と共感の拍手が沸き起こる。そんな始末であったのです。
 そして、もっと最悪なことには、それらはその場にいた多くの子どもたちの心に、あの四国電力の非人間的な対応と共に″鮮明な記憶″として刻み込まれてしまったに違いありません。……」(『月刊地域闘争』1988年6月号)

 堤1989「「ありのままの生命」を否定する原発に反対」p.93に引用
 (「たとえば今年(八八年)一月二五日の高松行動に関わった松山の脳性マヒ者、大本光子さんは、次のように書いている。」の後、上掲の引用)

◆Nagel

 「生まれつきの特徴に対して社会的不利益を系統的に付与することの心理学的帰結は、次のようなものである。つまり、そうした特徴の所有者もそれ以外の人々も、その特徴が本質的かつ重要な特性であって、その所有者に与えられる評価を減少させるものである、と見なし始めるということである。」(Th.ネーゲル 1989 『コウモリであることはどのようなことか』、永井均訳、勁草書房,p.161)

◆安積遊歩(純子) 1990〜

安積純子 1990 『障害は私の個性』神高教ブックレット16
―――― 1993 『癒しのセクシー・トリップ――わたしは車イスの私が好き!』,太郎次郎社
―――― 1996.7.11放映 NHK共に生きる明日「生まれておいでよ 安積遊歩 40歳 出産の記録」

「人と違って何が悪いと一生懸命開き直って障害者運動を戦っていました。マイナスの方に揺れていた自分の自己イメージというものを、こんどは障害者運動の中でプラスに転化しようと思って一生懸命がんばるわけですよね。でもどっちにしても、マイナスからプラスっていうか、極限から極限へという緊張状態にあるわけです。」
(安積[1990:2])

「なんだ、人と変わっていて当たり前じゃないかとかね。人と変わっているということはいいことじゃないか。(中略)日本語でも人と変わっているということを言うときに、少し受け入れやすい言葉として個性的という言い方があると思いますけれど」
(安積[1990:4-5])

「あなたの鼻が高いように、あなたの足が長かったり短かったり。それから目の大きい人小さい人がいるように、そういう個性の延長としてひとつ[個別の障害が]あるんです」(安積[1990:12])

「でも今はほんとに自分が障害を持ったということに対して、これは何かものすごく得をしたというような気がしてるんですね。」
(安積[1990:13])

「これからどんな人生になるだろう。一方的に何かを押しつけられ、様々なものを担わさられる人生なんてもうごめんだ。積極的に遊歩[安積氏のペンネーム]と名のり始めて、さらに人生が興味深く感じられる。私は車椅子の私が好きだ。」
(安積[1993])

◆岡原・立岩[1990:162→1995:162]
 (立岩『私的所有論』第9章注19(pp.437-438)に引用)

 「基本的な問題は、障害がことさらに取り出され、否定され、障害を持つ人に結びつけられ、その人全体が否定されてしまうことである。それに対して、その否定性を受け入れ、改善に向かう、あるいは他の部分を探す…方向があるのだが、それは述べた通り不完全なものだ。そこで逆に否定されたものを肯定すると言わざるを得ない。こうして分岐が生じてしまうのだが、実はこういう選択を生じさせているものが問題なのであり、それを無力にすることがあくまで第一のことなのである。障害を肯定する、障害以外のものを肯定する、部分を肯定する、全体を肯定するということ自体が問題なのではない。否定性を受け入れる必要はないということなのである。」(岡原・立岩[1990:162→1995:162])

◆岡原・立岩[1990:163→1995:163]

 「関係せざるをえない相手として見るに、その人の全てなど決して肯定してほしくない人、肯定されたらかなわない人は確かにいると思う。また例えば、ただ肯定することによっては、両立しない二つの行為のどちらをとるか決められない。だから肯定という言葉は、ある背景・前提をもって初めて成立する言葉なのだと考える。この場合には、障害・障害者が否定されるということが不当で、それを受け入れる必要はないという判断の上で有効、有意味なのである。近年、様々に行われるカウンセリング、「情緒産業」においてどのような「倫理」の基準があるのか、ないのか、また、グループ内の論理と外の社会の中で言われることとの関係、どのようにこれらが説明されているのか興味のあるところだ。また肯定することと「本当の」自分とがしばしば結びつけられること、このこと自体もっと考えておくべきなのだ。ここでは考察を進めることができない。指摘するだけにとどめる。」(岡原・立岩[1990:163→1995:163])

◆立岩[1990:226]

 「つまり私達はこの書で、「障害を肯定せよ」という問いかけに対して、未だ十分に問いを詰めていないし、答えていないのである。」(立岩[1990:226])

◆加藤秀一[1991a]
 (立岩『私的所有論』第9章注19(pp.437-438)に引用)

 「「障害」と「障害者」とは本当に不分離なのだろうか。それはある状況が強いる結合に過ぎないのではなかろうか。「障害」の肯定/否定とは独立に、「障害者」の否定を批判することは可能なのではないか。…女性解放運動は、「女」を否定して「男並み」を目指した第一段階から、今度は逆に「女」という記号に肯定的な価値を与えた第二段階を通って(この経過は黒人解放闘争がくぐり抜けたものと同じである)、「男/女」という二項対立カテゴリーの存立そのものを解体しようとする第三段階にまで、その思想的・理論的射程を拡張してきた。…こうした道程を経た女性解放運動にとって、もはや「女」であることの否定あるいは肯定は、それだけでは「私」であることの否定あるいは肯定にはなり得ない。もちろん誰だって、自分の属性を他人からけなされれば不愉快になる。それが取るに足らない属性であっても。だがそれを「私」というかけがえのない存在の否定として受け取る必然性が生じるのは、ある属性に、「私」の全存在の意味が賭けられているときだけだ。そして、誰もそんなところに陥る必要などありはしない。」(加藤秀一[1991a]、cf.加藤[1991c])

 上の2つの引用に続く立岩『私的所有論』p.438は以下。

 被差別者が差別を告発し自らを主張する時、差別者が設定した範疇に拘ってしまうことは、酒井直樹[1996:211ff]等でも指摘される。けれど同時に、否定性を否定するために、「悪魔祓い」のために、例えば「自己を肯定する」「自分を好きになる」こと、そのための技が、確かに必要とされる。だから安積遊歩(安積[1993]等)らは、祓いを行う巫女である。」

ダナ・ハラウェイ(Donna J. Haraway) Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature=2000 『猿と女とサイボーグ:自然の再発明』,高橋さきの訳,青土社,3600円,560p.

 「…道具とつながっているという我々の感じ方は、つよまっていると思う。コンピュータ・ユーザーが経験するトランス状態は、SF映画や文化ジョークの定番になった。ひょっとすると、他のコミュニケーション装置との複雑なハイブリッド状態について最も強烈な経験が可能で、場合によってはすでに実地で経験ずみなのは、対麻痺をはじめとする障碍の重い人々であるのかもしれない。アン・マキャフリーは、プレ・フェミニズムの『歌う船』(1969)で、あるサイボーグ――障碍の重い子ども(p.340)の誕生後に作製された、その女の子の脳と複雑な機械装置のハイブリッド――の意識について探究した、この物語では、ジェンダー、セクシュアリティ、ものごとの具体的なかたち、スキルといったもの――要するにすべて――が再構築される。なぜ、我々の身体は、皮膚で終わらねばならず、せいぜいのところ、皮膚で封じこめられた異物までしか包含しないのだろうか、と」(pp.340-341)

Singer 1993

 「仮に車椅子の障害者たちが、副作用なしに両足が完全になおる奇跡の薬をいきなり与えられたとするならば、障害を背負った生活が障害のない生活よりも結局のところ劣っているということをあえて認めない人は、彼らのうちにどのくらいいるだろうか。障害者たち自身が、障害を克服し除去するために手に入る医学的援助を求めることは、障害のない生活を望むことは単なる偏見ではないということを示している。」(Singer[1993:139]、訳は土屋 貴志[1994a:139])

 「歩けること、見えること、聞こえること、痛みや不快感が比較的少ないこと、効率的にコミュニケーションできること――こうしたことはみな、事実上どんな社会状況においても、純粋に良いことgenuine benefitsである。こう言ったとしても、これらの能力を欠く人々がその障害を克服したり、驚くほど豊かで多彩な生活を送ることもあるということを否定することにはならない。いずれにせよ、克服すること自体が勝利といえるほど深刻な障害に、私たち自身や私たちの子供が直面しないように望んだとしても、障害者に対する偏見を示していることには全然ならない。」(Singer[1993:54]、土屋 貴志[1994a:139])

◆野辺明子 1993

「社会正義の中に潜む優生思想」
 「…なにか変だなと思うときがある。「障害児」を産みたくないから運動するのか。
 私が感じた疑問や違和感は、たとえば、合成洗剤追放集会や勉強会にでたりするうちに怒りに変わる。「合成洗剤は河川を汚すだけではありません。奇形児が生まれる可能性もひじょうに高いのです。みなさん、粉石けんに切りかえましょう」と、どこで入手するのか、マウスやラットをつかった動物実験のデータとともに、「奇形胎児」の写真がスライドで映しだされる。それを見ればだれだって、「ああ恐い。もし私の子どもがああいう奇形児だったらどうしよう……」と思わずにはいられないだろう。「ああいう奇形児」の「そういう奇形」をもった子の親としてみれば、スクリーンに映しだされるスライドの胎児は、私の子どもといっしょであり、「ね、ね、こんな子が増えてくるとし(p.220)たら恐いでしょ」という見本として引きあいにだされていくのを見るのはいたたまれないのだ。そこには先天異常をもって生まれてくる子どもへの連帯感などありはしないのだから。」(pp.220-221)
 「農協の組織が制作した、『それでもあなたは食べますか』という、アメリカの農産物輸入自由化に反対するための宣言ビデオがある。… 深刻ぶったナレーションと音楽とによって引きあいにだされてきたのが、またしても先天性の障害児であったのだ。このビデオもまた、食品の安全性を求める人たちのあいだでテキストとして高く評価され、ダビングさ(p.221)れ流布していった。」(pp.221-222)

土屋 貴志 1994
 森岡正博編著『「ささえあい」の人間学』、pp.244-261

 「『障害』を規定するものとして唯一正当なのは、世間一般ないし他者の価値観を棚上げにしても、なお不便や苦痛として感じられることだけなのです。」(土屋貴志[1994:247])

 「『障害は個性である』という主張の本意は、どんな妥当な区別であれ、『健常』と『障害』という範疇を立てること自体を拒否するところまで到達していると考えられます。」(土屋貴志[1994:249])

 「たとえ『健常者』といえども、能力の『優れた』人、能力の『劣った』人はいる。だから一般に『障害』とされる特定の状態の欠如も、要するに程度の差にすぎない。『障害』と『健常』の差異は、もともと個人個人の状態の違いと見ればよいのであって、『健常者』と『障害者』をそれぞれひとまとめにして分け隔てる必要はない。」(土屋貴志[1994:248])

 「「個性を見よ」と訴えていくことは非常に重要な指摘になりえます。「障害は個性である」「病気は個性である(なぜなら、その時その人に固有の状態であることに変わりがないから)」「異常は個性である」「未熟さも個性である」「女であることも、男であることも個性である」。こうした言説は、とかく「障害者のくせに」「病人のくせに」「異常者のくせに」「子供のくせに」「女のくせに」などと十把ひとからげに考えてしまいがちな私たちの抜きがたい傾向に対する警句としては、かなり有効でしょう。」(土屋貴志[1994:249])

土屋 貴志 1997

 「土屋貴志は次のように言う。@「筋ジスは、身体的苦痛と生活上の不便をもたらし、将来に対する不安を引き起こしている。それゆえ、現時点では治せない「障害」なのは致し方ないにしても、やがて治せる「病気」になっていくほうがよいと考えることはできる。…だが現時点では、筋ジスは治すことができない」A「生まれてきた罹患者を治せないがゆえに「筋ジスをなくす」医療は、筋ジスにかかった人から筋ジスという偶然的属性を取り除くのではなく、筋ジスをもつ人を根こそぎ存在させないという「予防」の形をしばしば取ってしまう。…出生前診断、…受精卵診断、…女児生み分け、…「優生手術」などがそれに当たる。」B「遺伝子診断は「筋ジスをもった人を存在させない」ために用いられる限り、筋ジス者を貶める眼差しに基づき、その眼差しの再生産に加担することになり、倫理的にみて望ましくない医療となる。」C「しかし、このような遺伝子診断は倫理的に望ましくない医療であるが、かといって禁止すべきでもない。…倫理的にみて望ましくない行為であっても、その行為を社会的に禁じるべきではない場合がある…。」(白井・丸山・土屋・大澤[1994:201-202]、cf.土屋[1994b])BからCに移っていくところに論証がないといった点も指摘されようが、ここではBのように言いうるかどうかである。」(立岩[1997:437])

◆小池将文(総理府障害者施策推進本部担当室長)
 『平成7年度障害者白書』
 『朝日新聞』「論壇」欄「障害は個性と考えたい」

 「我々の中には、気の強い人もいれば弱い人もいる、記憶力のいい人もいれば忘れっぽい人もいる、歌の上手な人もいれば下手な人もいる。これはそれぞれのひとの個性、持ち味であって、それで世の中の人を2つに分けたりはしない。同じように障害も各人が持っている個性の一つと捉えると、障害のある人とない人といった一つの尺度で世の中の人を二分する必要はなくなる」(『平成7年版 障害者白書』p12)

 「「さをり織り」の創始者城みさをさんは、知的障害者の織る作品の素晴らしさに感銘して全国各地への普及を進め、今では海外でも広く取り入れられています。常識や決まり切ったルールにとらわれない作品は芸術性も高く、彼女は「障害は個性というより才能」とまで言っています。」
(『朝日新聞』「論壇」欄「障害は個性と考えたい」)

 「一方で『障害は個性』と主張する障害者がいて、他方でその意見に同調できない障害者がいます。それぞれの主張はうまくかみ合う議論ではなく、どちらが正しいというものでもありません。」(朝日新聞「論壇」)

最首 悟 1995 「私たちは何をめざすのか」『平成六年度障害福祉関係者研修報告書』障害福祉報告書通算第5集、三重県飯南多気福祉事務所、1995年→「星子と場」,最首[1998:301-343]
*最首 悟 19980530 『星子が居る――言葉なく語りかける重複障害者の娘との20年』,世織書房,444p. ISBN-10: 4906388655 ISBN-13: 978-490638865 3780 [amazon][kinokuniya] ※

 「社長に対して「水銀飲め」、「お前もこのからだになってみろ」、「私を嫁にもらってみろ」とせまって(p.322)いくけれども、そういうことが全部実現されたからといって、どうなるもんじゃあない。どうなるもんじゃあないというところの、その這いずりまわり方の中で水俣病の人たちがそれぞれの人生をおくり、その中から水俣病になってよかったという言葉も出てきた。深い言葉です。
 障害というのは、私はすべて一大事だといいましたけども、それはそういうもんなんです。どのようなことが、いろんなことが実現したとしても、障害自体どうなるもんじゃあない。そのことによって人生どうなるもんじゃあない。そのところのすれ違いが大きいのです。つまり、障害をもっていない人や行政的な立場の人の方が、あるいは一般的に物事を考える人の方は、どういうことをすれば障害をもつ人の環境が楽になって、そして、障害をもつ人の気持も少しゆるやかになるか、家族も少し気持がほぐれるのか、と考えたりパパッと言ってしまう。生活が楽になるのはいいです。ひとまずいいことです。けれど、その先は、言っちゃあいけない。というか、言うこと自体が間違っている。障害をもって明るく生きようというようなことはないです。宗教的な透明な明るさというようなものはある。筋ジストロフィーの青年たちに見られるような、私の出合った石川正一君もそうでしたが、その明るさというのは、もう、世を越えての明るさです。でも、普通私たちが言える明るさというのはそういうのじゃあない。にもかかわらずそういうことを無神経に言われたら、障害をもつ人とか、障害をもつ家族はがっくりするわけです。」(最首[1995→1998:322-323])

◆宮 昭夫[1996:2-3]
 (立岩『私的所有論』第9章p.373に引用)
 ※Discourses on Prenatal Diagnosisに英訳

「自分の子供が五体満足ですこやかに生まれてくる事を望むのは、やっぱり差別的なのかね。」
「多分ね。」
「でもそれは人間としてごく自然な感情じゃないか?」
「それはそうだけど、自然な感情であるという事は、そのまま正しいということじゃないし、差別的でないという事でもない。例えば、人よりできるだけ楽をしてうまい物を食いたいと思ったり、人をけ落として競争で一番になりたいと思うのも自然な感情だと言えば言えるだろう。」
「どこか違うんじゃないか? 俺はたとえ子供がどんな状態で生まれてきても、それを引き受けて一緒に生きていこうと覚悟した。それでもやっぱり生まれる時にはすこやかであってくれと思った。正直の所ね。その事で俺は他者をけ落としたり傷つけたりしているか?」
「五体満足で生まれてくれという願いをきく事は、障害者には嬉しくないとは思わないか? 自分が否定されている、少なくとも肯定されていないと感じる。」
「俺も障害者だけど、俺はそんな風に思わないよな。」」

◆佐久本洋二 1996「『障害は個性』は危険な表現では」
 『わだち』37 1996/07

◆豊田正弘 1998 「当事者幻想論」
 『現代思想』26-2

 「マイノリティとして存在する以上、その問題はアプリオリには存在し得ない。マイノリティの問題はそれに対峙するマジョリティとの関係の問題でもある。」(「当事者幻想論」(豊田[1998:103])

 「障害の有無によらず個人の存在は個別的であるから、自身は自身以外ではあり得ないことをもってすべての人は個性的であり、障害者もまたその意味において非障害者と区別される存在では有り得ない。」(豊田[1998:111])

◆最首悟 1997

(1970年代のはじめ)「必然的に書く言葉がなくなった。……そこへ星子がやってきた。そのことをめぐって私はふたたび書くことを始めたのだが、そして以後書くものはすべて星子をめぐってのことであり、そうなってしまうのはある種の喜びからで、呉智英氏はその事態をさして、智恵遅れの子をもって喜んでいる戦後もっとも気色の悪い病的な知識人と評した。……本質というか根本というか、奥深いところで、星子のような存在はマイナスなのだ、マイナスはマイナスとしなければ欺瞞はとどめなく広がる、という、いわゆる硬派の批判なのだと思う。……」(最首「地球二〇公転目の星子」『増刊・人権と教育』26」、199705→最首[1998:369-370](「星子、二〇歳」、『星子が居る』pp.363-385)、立岩「他者がいることについての本」に引用)

◆立岩 1999

 以前ここに、「石川准・長瀬修編『障害者への招待』(1998、明石書店)で論ずる予定」と書きましたが、論じませんでした。あしからず。そのうち?論ずる予定。
 ただし注で少しだけ触れました。以下(注1)。

 「★01 障害とは、できないことであり、異なることであるなら、これらを考えることは社会の基本的な部分を考えることであり、重要なことだと思う。にもかかわらず、そういう仕事があまりないことに不満だった。だから本を書いた。こうして立岩[1997b]は「障害学」の本でもある(この本と、障害(学)との関わりについては立岩[1998b])。
 考えることの一つに「是非」について考えることがある。「ディベイト風」のTV番組の惨憺たる状況を見ていると、こうした問いを立てることは時に趣味の悪いことであるかもしれず、また答え方を間違えると趣味が悪いどころではすまない。しかしいつでもそうではないし、考えないと仕方のないこともある。例えば、「パラリンピックはよくない」という主張。(私は、「いいえ」と答える。ただし、これは「公的資金」を使ってよいかといった問題とは別である。関連して、パラリンピックはミス・コンテストと同じか、その前にミス・コンテストは批判しうるのか、その根拠は何かといった問いが続く。)あるいは「脳死者の問題は障害者の問題である」という主張。(私はすぐに「はい」とは答えない。cf.立岩[1997b:212](注17)にあげた文献。)
 そして「障害は(肯定的な)個性である」という主張をどう考えるか。これは、一つに早期発見・早期治療という主張と実践に投げかけられた疑問、批判に関わる。(文献として日本臨床心理学会編[1987]。ただしこの本ではかなり主題が広げられ拡散しており、固有の問題はむしろ学会誌『臨床心理学研究』を舞台に論議された。)一つには原発に反対する根拠として障害児の生まれることが言われた時になされた批判に関わる(立岩[1997b:438](注21)に挙げた文献の他、千田[1989])。これらの批判に対し「直る場合にも直してはならないと言うのか」、「(死や病でなく)障害だけを生じさせる技術だったらそれは肯定されるのか」という反批判がなされる(cf.立岩[1997b:436-437](注17・18)に引いた文章・文献)。
 最初このことを考えようと思っていた。概要は以下。第一に、「文化」「個性」として「肯定」しようとする営みが「罠」として作用することがある(岡原・立岩[1990:162-163]、石川[1992]、そして立岩[1997b:437ー438](注19)とそこに挙げた文献)。けれど第二に、それでもなお、障害があってよい、あった方がよいと言える場合がある。(ただ、このことをおおまかに言うことはできるがそうするとつまらなくなり、詳しく論じようとすると考えるべきこと書くべきことは多岐に渡り、分量も多くなってしまう。それで断念した。別の機会にとっておくことにする。)第三に、第二点と障害が社会的不利(ハンディキャップ)としてこの社会に現われることは完全に両立する。例えば、インペアンメント(機能・形態障害)としての聴覚障害があることで手話の世界を獲得することができそれはよいことなのだが、他方でそれは、日本語しかわからない私が米国にいたら不便なのと同様、社会的不利として現われることがある。第四に、それでも障害はない方がよいことがあることは否定できない。第五に、しかしそれはいつでも障害をなくすことがよいことを意味しない。多くの場合に「計算間違い」がある。「よくする」のために支払うもの、失うもの、別の手段によって得られるもの、等々のいくつかを、特に「よくする」仕事に従事する人は計算に入れていないのである。
 「障害個性論」に対しては豊田の批判がある(豊田[1996][1998])。第一に、損傷−障害を気にしないでおこう、特別なものと考えないようにしようという文脈で語られる時、それが社会的不利に結びつくこと、その機制を無視している、無視すべきでないという豊田の指摘は当たっている。第二に、プラスの個性でありうるのかという問いについて。ここでは、議論がすれちがっているように思う。障害が不利益をもたらすと同時に、積極的な価値をもちうる場合があり、この時、両者は両立する。」

◆森正司 1999 「障害個性論―知的障害者の人間としての尊厳を考える」



 「★295 私は、機会というものを、発話障害のような(自然の)ハンディキャップによってではなく、参政権からの排除といった(社会的な)不利性[disadvantages]によってのみ毀損されるものとして理解している。これが妥当であるのは、「ハンディキャップ」を狭く解釈するかぎりにおいてである。つまり、自然の原因がある個人のチャンスを減少させるのはそれと働き合っている社会的な原因のせいであるかぎり、その個人は、ハンディキャップを負わされているのではなく、不利性を負わされていると見なされるのだ。 例えば、黒人であることや女性であることは遺伝的特性であるが、それらがある個人の政治的決定に影響を与えるチャンスを減少させるのは特定の社会的背景において――人種差別主義/性差別主義の文化において――のみである。このとき、黒人および女性は、その人種やジェンダーによってハンディキャップを負わされているというよりは、そのような背景によって不利性を負わされていると見なされる。対照的に、知能の低さのせいで公的討議に参加する能力が劣るような人々は不利性を負わされているのではなくハンディキャップを負わされているのだ。彼らが適切な教育へのアクセスを得られていたのだとしたら、彼らは平等以下の機会しかもてなかったと見なされることはない。」


……

■文献(50音順)

安積 純子  1990 『障害は私の個性』,神高教ブックレットO
安積 遊歩  1993 『癒しのセクシー・トリップ ―わたしは車イスの私が好き!』,太郎次郎社
―――――  1996.7.11放映 NHK共に生きる明日「生まれておいでよ 安積遊歩40歳出産の記録」
安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店
―――――  1995 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』,藤原書店
安積 遊歩 19931120 『癒しのセクシー・トリップ』,太郎次郎社,230p. 1800 ※
石井 政之 19990320 『顔面漂流記――アザをもつジャーナリスト』,かもがわ出版,283p. ISBN-10: 4876994439 ISBN-13: 978-4876994434[amazon][kinokuniya]
池田 智恵子 19781225 「富士学園自主運営四年間の闘いの中で」,『福祉労働』01:126-132
―――――  19791225 「地域との交流をめざす富士学園」,『福祉労働』05:128-139
―――――  19810925 「みみの死」,『福祉労働』12:100-103 
―――――  1994 『保護と重度障害者施設――富士学園の3000日』,彩流社,268p. 1800 ※
石川 准   1992 『アイデンティティ・ゲーム――存在証明の社会学』,新評論
―――――  1996 「アイデンティティの政治学」『岩波講座現代社会学15差別と共生の社会学』,岩波書店
―――――  1999 『人はなぜ認められたいのか――アイデンティティ依存の社会学』,旬報社,1600円
―――――  1999 「障害,テクノロジー,アイデンティティ」,石川・長瀬編『障害学への招待』第2章
岡原 正幸・立岩 真也 1990 「自立の技法」,安積他[1990:147-164]→1995 安積他[1995:147-164]
屋 繁男   1993 「臓器移植と市民社会の理念」,『ソシオロゴス』17:92-109 ※
小沢 牧子  1987 「産む性の問題としての早期発見・早期治療」,日本臨床心理学会編[1987:325-367] ※
金澤 貴之  1999 「聾教育における「障害」の構築」,石川・長瀬編『障害学への招待』第7章 ※
石井 政之 1999 『顔面漂流記――アザをもつジャーナリスト』,かもがわ出版,283p. ISBN-10: 4876994439 ISBN-13: 978-4876994434[amazon][kinokuniya]
木村 晴美+市田 泰弘 1995 「ろう文化宣言――言語的少数者としてのろう者」,『現代思想』23-5→1996 『現代思想』24-5:8-17(新たに註が加えられている) ※
倉本 智明  1997 「未完の〈障害者文化〉――横塚晃一の思想と身体」,『社会問題研究』第47巻第1号
―――――  1999 「異形のパラドックス――青い芝・ドッグレッグス・劇団態変」,石川・長瀬編『障害学への招待』第7章 ※
―――――  2000 「障害学と文化の視点」,倉本・長瀬編[2000:90-119]
倉本 智明・長瀬 修 編 2000 『障害学を語る』,エンパワメント研究所,発売:筒井書房 小浜 逸郎  1999 『「弱者」とはだれか』,PHP新書083,222p. 657円 ※
佐久本 洋二 1996 「「障害は個性」は危険な表現では」,『わだち』37:11-14 ※
杉野 昭博  20001120 「リハビリテーション再考――「障害の社会モデル」とICIDH−2」,『社会政策研究』01:140-161
佐藤 幹夫 20030922 『ハンディキャップ論』,洋泉社,222p. ISBN: 4896917553 756 [amazon][kinokuniya][boople] ※ d00d(更新)
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先天性四肢障害児父母の会 1989 『生命の今日・明日――先天異常の原因究明をめぐって』,先天性四肢障害児父母の会
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先天性四肢障害児父母の会 編 19820310 『シンポジウム先天異常II――いのちを問う』,批評社,230p. 1500円
高杉 晋悟  1972 「町をゆるがした″ひとり歩き″――映画『さよならCP』が告発するもの」,『朝日ジャーナル』1972-5-19 ※
立岩 真也  1990 「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」,安積他[1990:165-226→1995:165-226] ※
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 *栗原 彬・小森 陽一・佐藤 学・吉見 俊哉 編 20000808 『語り:つむぎだす』(越境する知・2) 東京大学出版会,317p. 2600
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古川 清治・山田 真・福本 英子 編 1988 『バイオ時代に共生を問う――反優生の論理』,柘植書房
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松山 O&G 19880310 「「障害者」が反原発を問う意義――反原発の新しい波 その底に潜みささえる「優生思想」を討つ」,『全障連』074:16-18
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森 正司   1999 「障害個性論―知的障害者の人間としての尊厳を考える」
森 壮也 1999 「ろう文化と障害,障害者」,石川・長瀬編『障害学への招待』第6章
森岡 正博  1989 『脳死の人――生命学の視点から』,東京書籍,237p.→1991 文庫版
―――――  1989 「臓器のリサイクルと障害者問題――一つの問題提起として」,『毎日新聞』1989-4-21夕刊→1991 森岡[1991([1989]文庫版):236-239]
山田 富秋 1999 「障害学から見た精神障害――精神障害の社会学」,石川・長瀬編『障害学への招待』第10章
横田 弘   1979 「障害者運動とその思想」,『季刊福祉労働』3:34-43
横塚 晃一  1975 『母よ! 殺すな』,すずさわ書店
吉田 おさみ 1983 『「精神障害者」の解放と連帯』,新泉社
吉本 隆明 19790625 「障害者問題と心的現象論」,『季刊福祉労働』03:008-020 

■障害者と医療

◆飯ヶ浜 実・江藤 愛・小原 直美・黒田 雅子・高木 美希 200012 「障害者と医療者――バリアを越えていくために」(2000年度信州大学医療技術短期大学部看護科3年),卒業研究レポート 200012提出

安積遊歩(純子) 「〈私〉へ――三〇年について」
 安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(初版1990,増補改訂版1995)

 「折れたら棒を入れる手術をし、くっいたらとる、まがったらまた手術をする。針金を入れたままにしておけばなんともないのに。その繰り返し。泣けば怒られ、注射さえて痛いって言えばまた怒られるさ。手術する理由なんていわないわけよ。聞けばちょっと教えてくれるけど。六回も七回もやって、私がもういくらやっても同じことの繰り返しだからやめたい、針金を入れたままでいいって十三歳の時、中一の二学期に自分で決めて、ようやくやめることになったのね。今も針金が日本両足に入っている。全然痛くない。ばっかじゃないかって、医者に対して思ったね。やめたいと言ったら、はいやめましょうって感じだったから、今までの手術は何だったんだって思うと。痛いと医者は思うらしいんだけど私は棒が入っても全然痛くないんだよ。聞いてくれればいいのにね。」
 「原因も治療法もわかっていないのに男性ホルモンがいいって言うんで、注射を打つために母が私を背負って一日おきに福島県立医大に通っていたんだ。ついに一年目に医者がなんていったかと言うと、「効果がないからやめましょうね」って。それで現代医学に対する不信が芽生えたんだ。あと小学校三年生くらいまで、カルシウム剤飲まされたりもした。それも効果なかった。小学校にはいるまで十数回、二十歳まで二十回以上骨折し続けた。」

 「看護婦は、私はありがたいと思わない事でも、ありがとうと言えとしつこく言ってくるわけ。薬を貰っても、血沈をとられてもだよ。なんで血を採られてありがとうなんだろう。みんな、ありがとう、ごめんなさい、すみませんっていつも言わなければならないの。一回、必要もないのに血沈をとるからさ、医者の論文書くためにやってたのね、だから「私はモルモットじゃないんだからいやです」って言ったらさ、「わかってるなら黙って従え」って、敵もさるものだと思ったね。こっちの苦しみなんか完全に無視できるんだから。」

 「おまえたちは迷惑をかけているんだってばかり言われるから。ベットでうんちしたら部屋が臭くなるのはあたりまえでしょ。ところが○○さんのは臭すぎるとか、そんな事ばかり言うんだ。おしっこすれば誰ちゃんのは音が大きすぎるとかね。看護婦の機嫌が悪いと、あんた持っていきなさいと、歩ける子にやらせるわけ。とりいっている子は最初は進んでやるの。でも、うまくとりいって2、3回したらうまく他の子におしつけるわけ。

◆樋口 恵子 19980205 『エンジョイ自立生活――障害を最高の恵みとして』,現代書館,198p. 4-88233-045-8 1575 [amazon][kinokuniya][boople][bk1] ※ d

 「寝たきりの生活が始まりました。上半身を硬いギブスベッドの中に入れ、起き上がることもだめだといわれ、じっと天井の模様を数えるような生活でした。その生活が始まって何日目かに、総婦長さんが部屋になってきました。私の部屋は八人部屋で、みんなは施設に隣接する養護学校に言っており、私一人でした。「足が冷たいので、足に巻くようなタオルケットか何かを家から持ってきてもらっていいですか?」と私は何気なく聞いたのです。「一人だけそんなわがままは許しません」というような言葉にあい、驚きました。 その後、婦長さんからは何かあるたびに、私に対して「頭が良いだけじゃだめなのよ」と言いました。私は頭がいいという言葉は誉め言葉だと思っていました。なのに、総婦長さんから聞かされるそれは、なぜか、とても拒否的な響きのある言葉に聞こえてしまうのです。私は、どうしたらここで好かれるのかと悩みました。
 私は幼いときから自分の言葉で自己主張をすることがあたりまえだったのですが、ここではどうもそれは歓迎されないらしいと感じ始めました。自分のことが自分でできない人は「ありがとう」「すみません」「ごめんなさい」といった言葉が似合うらしい、それを繰り返しいれば何の注意も受けないということがわかってきたのです。そうした対応をとる看護婦さんや保母さんが悪いのではないかもしれない、障害をもって生きていくには何か暗黙のルールでもあるではないかと思うようになったのかもしれません。」

 「総婦長さんが私一人だけのときに現れました。「あなたはイエス様に誓って、このことを誰にも言わないと約束できますか?」と、私に聞くというより、絶対に誰にも漏らしてはいけないと言わんばかりに迫ってきて、それはプレッシャー以外の何者でもありませんでした。私はなぜこんなことを言われなければならないのかわからず、考えていました。誓いますという返事はしませんでしたが、そもそも私が返答することは総婦長さんには関係のないことだったというふうで、続けて「今度の面会日にお母さんや誰かが来ても言わないように」と言って、いなくなりました。
 私はその威圧的な言われ方がどうしても納得できず、悔しくてつらくて、三日間涙が流れつづけました。その束縛は私を縛り、私がこのことを人に明かしたのは三十五歳を過ぎてからでした。」

 「薬を続けなくては根本の病気はなおらない、でも、それをするともっとひどい症状に襲われる、私はこんなことを繰り返しながら死んでいくのだろうかと、絶望的になりました。そんなとき、園長先生や総婦長さんも私の力にはなってくれませんでした。」

 「自分の価値をおとしめてしまうことは、数限りなくありました。「誰もいないから大丈夫だよ」と廊下で身体を拭かれたり、みんなが帰省する時期には手術後の人など数人しか施設には残らず、職員の目が届くよう、男女混合の部屋にされることもありました。お盆か正月か忘れましたが、同級生のH君と同室になったことがあります。同級生と言ってもクラスで机を並べてと言う関係ではなく、親しみも何もない人でした。そんな人と同じ部屋にされ、トイレや正式、肩や太股への注射のときの彼のなんとも言えない視線、今ならいやといえるけど、プライバシーもなにもない無権利状態でした。」

 「毎月の定例として、血液をとって(血沈)を計るのと延長先生の診察がありました。ある日、いつのものように私は裸になって診察台の上でそのときを待っていました。どやどやと園長先生以外の若い男の人も入ってきました。私は何でこんな人に自分の体を見られなければならないのかと納得がいかず、早くこの屈辱的な時間が過ぎないか、それとも私が消えてなくなればいいと思いました。彼らは医大のインターンで、私ではなく、カリエスという物体を見ていたのでしょう。自分のベッドに移されてからも私のショックは消えず、やりきれない思い出食事も喉を通りませんでした。当時、インフォームド・コンセントという言葉もなかったし、ましてや障害児の患者に敬意など払われず、「私が障害者だからこんな目に会うんだ」とあきらめるしかなかったのです。
 「この人たちはお医者さんになるために勉強中なので、あなたのことを一緒に診てもらっていいですか?」と聞いてくれたら、あんなにつらくはなかっただろうなと思います。「いやです」といいたくても言えなかったかもしれませんが、それくらいの声かけは、最低の礼儀ではないでしょうか。」


REV:...20040822 20061122 20081025,20090617(近藤 宏) 20090709, 1219,20100717,0922, 20180321
障害学  ◇病者障害者運動史研究 
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