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人工内耳(Cochlear implant)

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last update:20150601
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■目次

概説
人工内耳の歴史
関連する事項・人物・著作・組織
報道・ニュース等


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■概説

人工内耳とは両耳とも補聴器を装用効果のないほど重度の感音性難聴やろうのうち、内耳に障害を持つ者を対象(手術適応基準については参照※)として開発された人工臓器であり医療補助機器である。内耳を含めてそれより奥の問題で重い聴覚障害がある場合、補聴器の効果には大きな限界がある。しかし、電極を内耳に埋め込み、聴神経を直接電気刺激することによって音声情報を中枢に伝えるこの機器は、聴力を全く失くした重度の聴覚障害者のうち、内耳性の障害者にきこえの改善の可能性を与えた。
 人工内耳の歴史を概観すると、1960年前後から欧米とオーストラリアで研究・実験(手術)が始まり、70年代に初回の国際学会が開催され始めるなどして世界に広がり出した。電極が複数ある多チャンネル型の開発も試みられたが技術的な問題から、単チャンネル方式での実験となった。1対の電極が異なる周波数を担当する聴神経をまとめて刺激する単チャンネル方式は、音はきこえるようになっても音声語の情報をキャッチするには限界があることがわかってきた。しかし1978年、オーストラリア メルボルン大学にて クラーク教授が10チャンネル型人工内耳試作品の成人中途失聴者への植え込み手術に成功した後、80年代初頭には、22チャンネル型人工内耳治験が世界中で実施された。80年代半ばにはアメリカFDA(食品薬品衛生局)でオーストラリアで開発されたコクレア社の22チャンネル型のものが販売認可されるようになった。それ以来人工内耳はオーストラリア・コクレア社N22を中心に装用者が増えていった。小児への適用については、当初、疑問や不信感を持たれる面が少なくなかったがその効果と安全性が確認されるにつれて、欧米豪各国では装用児が増え始め、90年代には急増化していった。
 日本では1980年代に入ってから、中途失聴成人の数名への単チャンネル型人工内耳の手術実施以降、85年にコクレア社製22チャンネル型の埋め込み手術が成人に、91年に小児(10歳,8歳,7歳,他)に実施され、94年に健康保険適応が認可されるようになった。日本の場合、諸外国と比べて小児の適応について慎重な傾向がみられ装用児が急増することはなかったが、98年に日本耳鼻咽喉科学会が小児の人工内耳適応基準として手術の年齢条件を2歳以上とする(2006年には新基準が示され1歳半以上が対象となった)こと等を示して以来、徐々に装用児は増えていった。又、2000年に厚生労働省が開始した新生児聴覚スクリーニング事業(註5)により、聴覚障害を早期発見される乳幼児が増え、早期のうちに人工内耳の手術に踏み切る親子も増えていった。
また、1990年代後半以降、日本にもコクレア社以外のメーカーが参入し(米・バイオニクス社、オーストリア・メドエル社)、各メーカーの技術開発による新型モデルの登場や音声処理法(コード化法)の多様化等の影響もあり、装用者のききとり成績も向上していった。
 以上のように、人工内耳の歴史を辿ると、短い期間内に目覚ましい変化がみられる。最近の注目課題は、日本独自には「両耳装用者が出てきていること(諸外国では珍しくない)」であり、世界共通の話題としては「ハイブリッド型(補聴器と人工内耳が一体になっているもので、聴力が残っている低音域に対しては補聴器を活用し、聴力が障害された高音域に対しては人工内耳で刺激し、併用して対応するもの)の開発」や「装用者数が増加の一方であること」である。1983年(人工内耳国際会議10周年)の世界における装用数は約1000台(この時期は単チャンネル式装用者の割合は多かったが1987年に米3M社単チャンネル人工内耳製造中止して以降減少、一部は多チャンネル型の埋め込み再手術をしていると思われる.日本でも単チャンネル型装用者は8人いたが一部は装用停止、他の一部がN22の埋め込みの再手術、装用継続者数は確認できていない)だったが、1992年には世界の装用者は5000人以上(小児期(18歳未満)からの装用開始者3割以上)・日本161人(小児期からの装用開始者1割未満),2003年になると世界約7万人(小児約5割)・日本3000人弱(小児約3割))といった具合である。最近はそれが更に激化し、世界では2007年度末14万人(小児約5割)、2009年10月15万7000人、2010年8月約20万人、日本では2007年度末5200人(小児約3.9割)、2009年10月5700人、2010年8月約7000人という状況である。日本では小児装用者の割合が各国に比べて低いことが特徴であったが、2010年現在は全装用者の4割近くを占めるようになってきている。今後は成人(18歳以降)装用開始者よりも、小児(期からの)装用開始者の割合が大きくなっていくと推測される。
 このような状況は、人工内耳の技術(機器・医療)の向上と安全対策への信頼度が向上してきたことも関係しているだろう。また、それ以前にみられた小児適応についての過激な批判も目立たなくなってきた。とは言え、小児期からの装用を決めるということは、その子どもと親が「聴こえない」ということをどのように受け止め、「聴覚活用をして音声語コミュニケーション中心の社会に適応する力をつけていくこと」と「ろう文化を誇りに手話を母語として生きていくこと」についてどう折り合いをつけるのか、といった人生観・障害観とも係わってくる問題である。手術の対象が「1歳半から」と早まり2歳代の装用児が急増し始めている現在、意思決定能力のない幼児本人に代わって手術を検討する親自身の慎重な姿勢とともに、適切で充分な情報提供を行うことが、聴覚障害児とその家族に係わりのある周囲に求められている。

■人工内耳の種類等

  既述のように、人工内耳には初期の開発の中心であった単チャンネル式(刺激電極が1本)と、多チャンネル式(4〜22本の複数電極)とがあるが、開発当初より、多チャンネル式のほうがより有効だろうと推測されてきた.欧米では、4チャンネルのユタ大学方式とウィーン大学方式のものも、関係者には良く知られているが、単チャンネル式と比較して多チャンネル式の有効性を明らかにしたのは、22チャンネルのメルボルン大学方式である。これは、オーストラリア・ニュークレアス社(現在コクレア社)と共同開発したもので、特に高く評価され、世界中に普及していった.日本での導入は、1980年に単チャンネル式のものであったが、1985年に導入された初めての多チャンネル式人工内耳は22チャンネルのメルボルン方式である.現在世界で装用されている人工内耳の7割は、メルボルン方式、すなわちコクレア社製である.コクレア社製以外に普及しているのは、米国バイオニクス社製、オーストリア・メドウェル社製の人工内耳である.
以上、述べてきたように、かつては単チャンネル式人工内耳もあったが、安全性や聴能効果の側面から装用者はほとんどいないとみてよいだろう.従って、ここには多チャンネル式人工内耳の「構造と機能」・「効果と問題」・「適応基準」について示す.

■構造と機能

 人工内耳は体外装置(ことばの情報を電気信号に変え、体内装置に伝える役割)と体内装置(頭皮下にあり、受信用アンテナと発信器に続く10数mmの電極からなる)に分かれる。

(1)体外装置
@マイクロホン:外界の音情報をスピーチプロセッサーに入力する。
Aスピーチプロセッサー:ある音に対して蝸牛に代わってどの電極にどのように通電し、一次聴神経を刺激するか決定する装置。従来の携帯型に加え耳かけ型へと小型化している。
B送信コイル(アンテナ):スピーチプロセッサーで処理された音信号を頭皮下の受信コイルに伝えるアンテナ。磁石によって頭皮下の受信コイルに密接する。

(2)体内装置
@受信コイル:ループ状の部分で磁石で体外部の送信コイルと頭皮を挟んで接し、音情報を受けとって、これを受信‐刺激器に伝える。
A受信‐刺激器:スピーチプロセッサーで処理された音情報を送信コイル・受信コイルを介して受信した後、蝸牛内の各電極に刺激伝達する部分。側頭骨を削ってはめ込み固定される。小型化が進められているが、尚数ミリの厚さを持ち外力に強いチタンなどで覆われている。
B電極:蝸牛の鼓室階に卵円窓部を開窓して挿入される。機種によって電極数は異なる。

■効果、及び問題

 元々聴こえていた人が、成人してから中途で聴覚を失った場合でも、埋め込み手術をした後は、音に慣れるためにリハビリテーションが必要になる。その後は電話での会話も出来るほどに回復する例も多い。聴力レベル90dB〜100dB以上の重い聴覚障害者が人工内耳を装用した場合、35〜40dBの音が聴こえるような調整(マッピング)が行われている。日本では健康保険も適用され、聴覚を取り戻したい人にとっては有効な手段ではあるが、体内に異物である機械を埋め込むことへの抵抗を感じる人も少なくない。
 また、言語習得前の聴覚障害児の場合、成人へのリハビリテーションとは違ったハビリテーション(聴覚活用による言語獲得を目指した療育)が必要といった問題もある。手術の適応基準も成人の基準とは別に設けられている。成人の、適応基準に基づいた手術決定や術後のリハビリテーションは比較的容易であるのに対して、小児の場合は手術決定においても術後ハビリテーションにおいても慎重に進めていくことが求められている。また、親による手術の決定に対して「子どもの自己決定権を無視した人権侵害云々」の声も上がっており、その点でも慎重な姿勢が必要であるのは既述の通りである。

■人工内耳適応基準

日本耳鼻咽喉科学会は人工内耳適応基準委員会を作り、1998年4月に「人工内耳の適応基準」、2006年12月には「新基準」を示している。二つの基準の詳細は、それぞれ下記HPを参照のこと。
・1998年4月「人工内耳の適応基準」([ACITA]人工内耳あれこれ「人工内耳適応基準コーナー」):
http://www.normanet.ne.jp/~acita/info/arekore2.html#arekore3. 
・2006年12月「新基準」
@日本耳鼻咽喉科学会・人工内耳適応基準に関するHP:   http://www.jibika.or.jp/admission/kijyun.html
A基準見直しの概要と解説記事: http://www.jibika.or.jp/admission/kijyunminaoshi.html)

■用語解説

◆音入れ:手術の2〜3週間後、初めて電極を作動させ、人工内耳の機器で音を聞く事が出来る状態にすること.アメリカでは「スイッチオン」と表現.
◆マッピング:音入れ後、人工内耳体外部(スピーチプロセッサ)が行う音の分析を、装用者の感知状態に適合するように、調整すること.

[参考資料]
・フリー百科事典「ウィキペディア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%86%85%E8%80%B3 ・「人工内耳あれこれ」 監修:城間将江 人工内耳友の会[ACITA]発行http://www.normanet.ne.jp/~acita/info/arekore2.html ・「人工内耳あれこれ」 監修:城間将江 人工内耳友の会[ACITA]発行http://www.normanet.ne.jp/~acita/info/arekore2.html
・「言語聴覚士テキスト第1版」広瀬肇監修 中村公江著 医歯薬出版株式会社2005年発行
・「言語聴覚士テキスト第2版」広瀬肇監修 熊川孝三著 医歯薬出版株式会社2011年発行
・「改訂 聴覚障害 I」山田博幸編 倉内紀子著 2007年11月建帛社発行
・「言語聴覚士のための聴覚障害」 喜多村健 編, 栫 博幸著 2010年1月 第6刷発行
・「聴覚障害」日本聴能言語士講習会実行委員会編 加我君孝・城間将江著2010年2月第4刷 協同医書出版社発行


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■人工内耳の歴史(【1〜4】時代,◆人工内耳関連,◇聴覚障害関連)

【1】人工内耳前史
◆1800年 イタリア 人工内耳に関連する一番古い報告(電池を発明したアレキサンドロ・ボルタが、自分の耳に通電したところ、水が沸騰する時の音"ゴボゴボ"と聴こえるような感覚を覚えたと報告。)

◆1800年6月26日 イギリス J.バンクス ボルタの実験に触発され、金属棒を自分の耳に突っ込んだ実験を行い、国際科学会議で発表.帯電した金属板二枚(金か銀の板と無鉛板)を30〜40組用いた装置を両耳に挿入、金属棒のコードの先端を装置に取り付け、回路接続後、しばらくして雑音に似た音を感じたと報告.音は「湯だっているというか発酵しているというか、パチパチピチピチひび割れて響く感じ」で「大きさに変化はなく、ただ継続的にきこえるだけ」だったこと、脳に適合しないような刺激に危険を感じ実験を中止したと報告.♯0

◆1850年頃 フランス ドゥシェンヌ 自分の耳を使って回路にコンデンサーと誘導コイルをつけた振動板で交流を起こす実験実施.「湯だったような重い感じではなくバッタがガラスとカーテンの間にはめられてもがいて鳴いているような軽い感じの音を感じた」と報告.♯0

◇1878年 日本 日本で初めての聾学校「京都盲唖院」開設.古河太四郎はろう児達が自然に交わす身振りコミュニケーションに着目、手の動きを体系的に整理した「手勢法」(スペイン系のものとは系統が異なる、日本で独自に考案された手話法:当時「手まね」と呼ばれる)を考案して、それによる教育を実施.♯2,♯7

◇1880年 世界 イタリア・ミラノでの第2回聾教育国際会議で、ろう教育における口話の優秀性が認められ、ろう教育で採用することになる.以後、ろう教育現場では手話が見られなくなっていく.日本にもアメリカから口話法が伝えられ手話が禁止されるようになる(1925年以降).♯2

◇1908年 日本(明治41年) 初めてカーボン式補聴器輸入・販売される.♯1

◇1915年 日本(大正4年) 日本聾唖協会設立 ♯1
◇1915年 日本(大正4年) 吉田勝恵(東京)により補聴器の輸入販売開始.♯1

◇1920年 日本 日本聾話学校を開校.ライシャワー博士(長老派協会宣教師として明治学院に赴任)とその妻が、病気で聴力を失った長女の為にアメリカに帰米、口話法の学校で娘を学ばせ母親自身も口話による教育法を学んだ.それを日本に持ち込み、教会内に口話法聾学校を開いたのが始まりである. ♯7

◇1925年 日本 「日本聾口話普及会」が発足して当時の文部省も口話法の普及に力を入れたため、海外と同様、手話が禁止されていく.♯2  手話法の重要性を訴える高橋潔(大阪市立聾唖学校長)や佐藤在寛(函館盲唖院長)らとの間に激しい論争が巻き起こる.♯7

◇1926年 日本(昭和元年) 東京聾唖学校に難聴学級を設置.東京聾唖学校長の川本宇之介の他に、橋村徳一(名古屋市立盲唖学校長)、西川吉之助(滋賀県立聾話学校長)らによって口話法は推進される. ♯1

◆1930年頃  ウィーバとブレイ 猫を用いた実験で、電気刺激に対する聴神経の反応は自然音に対する反応と似ていることを実証.♯0

◆1930年頃 ロシア 科学者たち 聴覚の電気刺激反応について実験.言語音もはっきり聴取れたというが被験者が健聴であるとか残存聴力があったので信憑性に欠け、聴覚反応の解釈には慎重を要するという結論に達した.♯0

◆1930年代後半 アメリカとソ連で、別々の研究者達が同時期に、聾であっても内耳に電気刺激を受けると聴感覚を得られることを発見(臨床応用可能なインプラントは未完成).

◇1933年 日本 当時文部大臣だった鳩山一郎が口話教育推進の訓示.それまで、口話法推進者に対しては高橋潔(大阪市立聾唖学校長)や佐藤在寛(函館盲唖院長)らが手話法の重要性を訴え、両者間に激しい論争があったが、この訓示以降、日本のろう学校の大半は口話教育が主となり(大阪市立聾学校などの例外もあった)、手話使用は禁じられることが多くなった.


◇1937年 日本(昭和12年) 盲聾者ヘレン・ケラー女史初来日、その後2回来日♯1

◇1938年 (昭和13年) 日本 荒木貞夫文部大臣により、口話法が適さない児童生徒に口話法を強要することが無いよう配慮を求める訓示があったが口話法への流れは変わらなかった[5]。

◇1946年4月 日本 「官立盲学校及び聾唖学校官制」公布 ♯4
◇1946年11月 日本 「日本国憲法」公布 ♯4
◇1947年3月 日本 「教育基本法」「学校教育法」公布 ♯4
◇1947年 日本(昭和22年) 全日本ろうあ連盟設立.♯1 ♯2
◇1947年5月3日 日本 日本国憲法施行
「ろうあ者の権利」のスタートは、基本的人権をうたいあげた日本国憲法の施行にある。憲法があってこそ「ろうあ者の自覚の高まり、ろうあ者福祉の前進と手話のひろがり…といったろうあ運動の発展がある。」「(基本的人権が認められていなかった)戦前までは、ろうあ者はまさしく『半人前』の存在だった。学校教育を受けられたのは一部の人たちだけだったし、その学校教育も『如何にして健聴者に近づけるか』ということを至上の命題として、ろうあ者の言葉である手話は排除されていた。成人後も、ろうあ者は『保護』され『善導』される存在であり、人間としての尊厳はしばしば無視されてきた。」
(日本聴力障害新聞1990年5月1日12面)

◇1947年12月 日本「児童福祉法」公布 ♯4
◇1948年4月 世界 世界保健機関(WHO)憲章効力発生 ♯4
◇1948年4月 日本 「中学校の就学義務並びに盲学校及び聾学校の就学義務及び設置義務に関する政令」公布(盲学校・聾学校小学部への義務制が学年進行により施行 ♯4

◇1948年 日本 ヘレン・ケラー来日 ♯4
◇1948年12月 世界 第3回国連総会「世界人権宣言」採択 ♯4
◇1949年 日本 身体障害者福祉法が制定、翌年から施行 補聴器が補装具として認められる.♯1

◇1950年 日本 全日本ろうあ連盟 財団法人化 ♯2
◇1950年代 日本のろう難聴児教育-オージオロジーの進歩や工学の飛躍的進展を背景に、聴覚口話法への期待の高まりと熱心な実践の累積が特徴.

◇1950年代 ソヴィエトのろう難聴児教育-早期教育、手指の活用、文字指導の早期化を行う新口話主義に基づく実験教育時代.

◇1951年3月 日本 「社会事業法」公布 ♯1 ♯4
◇1951年5月 世界 第4回WHO総会(日本参加、加盟承認) ♯4
◇1951年6月 日本 身体障害児の療育指導、補装具の交付制度創設 ♯4
◇1951年 日本 厚生省 第1回身体障害実態調査実施(以後5年毎に実施) ♯4
◇1951年 世界 世界ろう連盟(WFD)結成(ローマ会議) ♯4
◇1953年 日本 全日本ろうあ連盟主催「第4回全国聾唖者大会」で「聾唖者のための専任福祉司を」というスローガンを掲げ、初めて手話の分かる身体障害者福祉司の設置を要求.

◇1953年10月 日本 「盲学校およびろう学校の就学に関する部分の規定の施行期日を定める政令」公布(盲学校・ろう学校中学部への義務制を学年進行により施行) ♯4

◇1953年 日本 全日本ろうあ連盟主催「第4回全国聾唖者大会」で「聾唖者のための専任福祉司を」というスローガンを掲げ、初めて手話の分かる身体障害者福祉司の設置を要求.♯2

◇1954年 日本 3月3日が耳の日と定められる.♯1
◇1954年3月 日本 児童福祉法の改正(身体障害児の育成医療の給付、身体障害者に対する厚生医療給付の創設、「ろうあ者更生施設」の創設) ♯4

◇1954年5月 世界 第7回WHOの総会(日本常任理事国になる) ♯4
◇1954年6月 日本 「盲学校、聾学校、及び養護学校への就学症例に関する法律」公布 ♯4

◇1955年12月 日本 第11回国連総会(日本加盟承認) ♯4
◆1957年 フランス 科学者で外科医のアンドレ.ジュルノとシャルル.アイリスらが患者(ボランティア)の聴神経への電気刺激に成功.
患者は「ルーレットの回る音」「コオロギが鳴くような音」をきいたと報告.ジョルノらは、電気刺激は、言葉のリズムを認知させ、読話の補助になると結論づける.近年の人工内耳製品開発の先駆けとなる.「コクレアインプラント」または「人工ラセン器」とも呼ばれ、蝸牛を直接電流で刺激する方式としては最初の臨床応用である(庄野久男氏(当時リオン株式会社聴能研究室長).(財)日本障害者リハビリテーション協会発行「リハビリテーション研究」1985年第50号35頁〜40頁,伊藤寿一「人工内耳について」耳鼻臨床学会誌81:6:p.779〜786 1988年 .

※単チャンネル式の電気刺激による実験は、(この後)ロサンゼルスにあるハウス聴覚研究所のW.ハウス、スタンフォード大学のF.シモンズ、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のR.マイケルソン等も行っている.(R.フィン「人工内耳の進歩『Beyond Discovery: The Path from Research to Human Benefit』:日経サイエンスHP 「Beyond Discovery」) ♯4

※ジュルノとアイリスの実験の逸話は『人工内耳のはなし』でも触れられている.「神経移植手術中、前回の手術の後遺症で患者の聴神経が一部露になっていたところに小さな誘導コイルを側頭筋の片方に埋め込んだ。コイルのついた一方のリードは聴神経の上におかれ、もう一方は不関電極として機能するように筋肉の上においた。三日後、コイルの上に毎秒100パルスの変調を加えた10メガヘルツの刺激を送るような無線アンテナの外部コイルをあてがった。患者はコオロギやバッタに似た音だと報告。ピッチの高い音は混乱したが、パパ、ママ、こんにちは、等の単純なことばは理解できた。その後、ジュルノらはストレプトマイシンで失聴した女の子に電極を埋め込み同様の結果を得た.♯0

◇1958年4月 日本 国立聴力言語障害センター開所   ♯4
◇1958年4月 日本 「学校保健法」公布
◇1959年4月 日本 「国民年金法」公布 ♯4
◇1959年 デンマーク「1959年法」制定(バンク・ミケルセンの唱えたノーマライゼーション理念が基調になったもの) ♯4

◆1960年 アメリカ 外科医 ウィリアム.F.ハウス 難聴患者から、ジュルノの研究の新聞の切り抜きを見せられ、患者への試用を思い立つ.

◇1960年 アメリカ ウィリアム・ストーキー(ギャローデット大学 Gallaudet University教員)『手話の構造』発表.アメリカ手話(ASL)を対象に、研究し手話の文法について著した.これにより、手話が言語として認識され始める.(大江 希望氏HP<き坊の棲家>「き坊のノート(13)」「大橋力『音と文明』の周辺」-第5章手話とは何か-)

◇1960年代 日本のろう難聴児教育-口話法を補完するキュード・スピーチの提唱と実践.♯6

◇1960年代 アメリカのろう難聴児教育-トータルコミュニケーションの理念提示とそれを基盤とした指導、調査研究、手話に関する科学的研究や著作物公刊が盛んになる.

◇1960年代 イギリスのろう難聴教育―従来、聴覚口話法を至高の理念とした実績を誇ってきたが、聾学校や卒業生のコミュニケーションの実態調査した報告書(1968年公表)で、指文字や手話がかなり利用されていること、「あらゆる年齢のすべての聾児に適する唯一の方法など存在しない」こと、教育の場における指文字や手話の位置づけの本格的研究の必要性が指摘され、国内外の反響を喚起した.

◇1960年 日本 「道路交通法」公布 (身体障害者の運転免許取得可能となる) ♯4

◇1960 9月 世界 第1回パラリンピック・ローマ大会開催(この大会以後、オリンピック開催年に、同じ場所でパラリンピックを開催することになる)♯4

◇1961年 日本 児童福祉法の改正(3歳児健康診査及び新生児訪問指導制度の創設等) ♯4

◇1961年 11月 日本 障害者福祉年金支給開始 ♯4
◇1961年 日本 国民皆保険・皆年金実現 ♯4

◆1961年 アメリカ W.ハウス 上記の試験的治療開始.当初より、複数の刺激電極がある多チャンネル方式の人工内耳の研究を模索し始めるが、技術的に難しく単チャンネル(刺激電極が一つの方式)の研究に専念.具体的経過は以下の通り.
一人目の患者(ジョン.M.ドイル,男性)への試み…患者の持病(メニエール病)の一症状であるめまいを軽減させる手術を行う際に、電極を聴神経に設置.手術を行う前に世界で初めてのプロモントリーテストを実施.患者から聴覚反応が得られた.手術後の患者の反応は良好だったが刺激が大きすぎたので電極は取り外された.次に、5個の電極が試験的に埋め込まれ良好反応が得られた.全身麻酔下でシリコンゴムで覆われた5本の電極の誘導コイルシステムが蝸牛内に埋め込まれたが、電極に対してアレルギー反応を起こしたため電極は取り除かれた.(伊藤寿一「人工内耳について」耳鼻臨床学会誌81:6:p.779〜786 1988年によると、「〜合併症の為3週間で摘出を余儀なくされた」)
二人目(女性患者)への人工内耳治療の試み…単チャンネルの電極を埋め込む手術だったが、感染を起こし取り除かれる.
二人の患者への短い試験的治療を通じて、人工内耳には諸問題が残ることがわかったが、聴感覚が得られることがわかった.埋め込む電極が感染を起こさないよう改良することが緊急課題であるとされた.♯0

◆1962年 アメリカ ウィリアム ハウス等 多チャンネル人工内耳の開発が技術的に難しいことから単チャンネル(刺激電極が一つの方式)の研究に専念する.(船坂宗太郎「人工内耳」『医学のあゆみ』Vol.141. No.8 p.450 1987.5.23?4.4?)
ハウスは、当初から多チャンネル方式の蝸牛への挿入を試みたが技術的限界から失敗に終わり、単チャンネル方式を実用化させることにしたようである.単チャンル式によるきこえの限界は当初から想定されていたものの、具体的には以下のように報告されている.
「1対の刺激電極が異なる周波数を担当する聴神経をまとめて刺激するため、言葉に含まれる周波数情報を充分に聴神経に送り込めず、音はきこえても言葉の情報は殆ど伝えることができなかった」(内藤泰「人工内耳の適応と課題」『補聴援助システムとリハビリテーション-全難聴主催シンポジウム資料』).

ハウスの、ボランティア患者の協力のもとでの単チャンネル式人工内耳実験が基礎となって、多チャンネル方式の開発に繋がっていくことになる.そのことをR.フィンが、米国科学アカデミープロジェクト『Beyond Discovery: The Path from Research to Human Benefit』に書いた「人工内耳の進歩(日経サイエンスHP「Beyond Discovery」)」の中で次のように表している.「ボランティアたちはシングルチャンネルから膨大な聴覚情報を引き出すことができた。会話はほとんど理解できなかったが,例えば聞こえた言葉が1音節なのか2音節なのかがわかったし,また神経信号のタイミングによって音の高さをある程度は感じることができた。これだけでも読唇術を補う手段として十分に役立った。この驚くべき成功が研究者たちを勇気づけ,1970年代初めにはいくつかのグループが多数の電極をもつ精巧な装置の開発に取り組んで」いくことに繋がったと言う.そして後に、電極を複数化し入力周波数に応じて蝸牛の別々の部分の聴神経を活動させ言葉の認知を可能にする多チャンネルシステムが開発されるが、それにはこの後約20年を要することになる.

◇1963年 日本 初めての手話サークルが京都で発足.♯1
◇1963年7月 日本 国立身体障害者更生指導所にリハビリテーション技術研究所を設置 ♯4
◇1964年 アメリカ 「公民権法」制定 (公民権法:黒人や他の少数派の教育・雇用・選挙など様々な分野における白人と同等の権利を守り差別を禁止する法律) ♯4

◇1964年 日本 アジア地域で最初のパラリンピック・東京大会開催(22か国567人参加) ♯4

◆1964年 アメリカ スタンフォード大学、B.シモンズ等のグループが6チャンネル人工内耳の開発研究を行う.全聾の人の蝸牛に6個の電極を刺入して交流信号で通電した結果、音の高さの違い(周波数)の弁別が可能と報告(伊藤寿一「人工内耳について」耳鼻臨床学会誌81:6:p.779〜786 1988年)、音の高さは電極の位置と刺激周波数の両方に依存して変化し、音の大きさは刺激の強度とともに増強することを見出した(伊福部達「人工内耳」日本人間工学会誌24(3)1988.6).

◇1965年 アメリカ チョムスキー 言語学の会議で「言語は『音声と意味の特定の対応関係である』」との見解を述べた.その後、手話の研究者から「ろう者の手話をどう思うか」との質問を受け、「言語は『シグナルと意味の対応関係』」と訂正した.つまり、言語の定義を手話も含めたものに訂正した、という.(大江 希望氏HP<き坊の棲家>「き坊のノート(13)」「大橋力『音と文明』の周辺」-第5章手話とは何か-)

◇1965年 日本 「理学療法士及び作業療法士法」公布 ♯4
◇1965年 日本 「母子保健法」公布(母子保健施策を総合的、体系的に整備) ♯4

◇1965年 日本 この年以降全国各地に難聴者協会が設立される.♯1
◇1965年 日本 みみより会第3回全国大会でOHP要約筆記実施(東京). ♯1

◇1965年 日本 蛇の目寿司事件発生.
◇1966年 日本 文部省「盲学校及び聾学校の高等部の学科を定める省令」を公布 ♯4

◇1966年 日本 「特別児童扶養手当法」公布(重度精神薄弱児扶養手当法を改正し、支給対象を重度の身体障害児に拡大等) ♯4

◇1966年 日本 前年に起きた蛇の目寿司事件でろう者被告に対する手話通訳保障の支援運動を展開.♯2

◇1966年 日本 第1回全国ろうあ青年研究討論会が京都で開催され「ろう者に対する差別は社会的問題である」という共通認識を確認、差別撤廃運動スタート.♯2

◇1967年 日本 東京都中野区で手話通訳が付いた立会演説会が行われる.♯2

◇1967年10月 日本 東京都で第1回全国ろうあ者体育大会開催  ♯4 

◆1967年 オーストラリア グレアム.クラーク(当時シドニー大学) 人工内耳の基礎研究開始―動物実験により蝸牛神経(聴神経)刺激について研究 『人工内耳のはなし』学苑社♯0
※ 研究初期、ネコによる動物実験で徹底的な研究を行い、生体工学的に人工内耳の最適な設計方法を検討.多チャンネルを用いる方法を最も有効と示唆.

◆1968年 アメリカ UCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)マイケルソン教授、動物実験により蝸牛内電極の長期安全性を証明.

◆1968年 アメリカ W.ハウスら 3人の希望者に多チャンネルの銀電極システムを埋め込む.最終目的は携帯用刺激器を設計し、人工内耳を常時使えるように実用化することとする. ♯0
一人目の患者:無線士で電気に造詣が深く音刺激に対する反応を詳しく説明してくれた.電極の故障のため、結果的に数回の試験的手術を受けることになったが快く引き受けてくれる.試験期間中、機器がどのような状況の時に、どういう機能をしているか、どういう感覚を呼び起こすか、詳細に日記に書き留めた.エンジニアにとって、ピッチや音圧、電気刺激の長さなどを設定するのに有益な情報となった.(例)鳥の鳴き声、車の騒音、台所用品の音、妻や同僚の声など(きこえた).ことばの理解には不充分でメロディー識別は困難であったが、音を知覚しているのは確か.
結局、この患者の電極は、4年後に機能不全のため取り除くことになった.故障の原因は、体液や電気刺激による変化ではないことが分かった.このように、気の遠くなるような研究と経過観察を必要とした.オージオロジストや言語療法士を含む研究チームを結成しパラメディカルの人たちにカウンセリングや術前術後の評価、訓練、リハビリテーションを任せた.

◆1968年 アメリカ W.ハウス等 単チャンネル型臨床研究再開(伊藤寿一「人工内耳について」耳鼻臨床学会誌81:6:p.779〜786 1988年).
単チャンネル型人工内耳で言葉と音声の知覚を得て読話能力の強化に繋がった者もいた.また、仕事や社会生活を妨害されずに装着できる初めての人工内耳を開発した.この開発から人工内耳研究は基礎研究から応用研究の時代に移る.

◆1968年 日本 舩坂医師 アメリカ スタンフォード大 F.ブレア.シモンズ教授の「ヒトの聴神経電気刺激」に関する論文二編(6本の電極を使った多チャンネル型刺激装置の説明.聴神経を電気刺激したときの音の感覚と語音弁別について述べた論文)を読む.(後に著した『回復する聾』の中で舩坂氏は、読後「恐れに似た興奮と共に(米国と日本の落差からの)諦め」を感じたと振り返っている.)

◇1968年以前 心臓ペースメーカー開発中に試用されたものの中から、人体に埋め込んでも安全な材料が生み出される.電気パルスの長期刺激による人体への影響を観察する機会が与えられた.♯0

◇1969年 日本  「私たちの手話」発刊.♯2
◇1960年代 日本 ろう者運動−手話サークル+社会運動(手話のできるSWの要望)

◇1960年代 日本 難聴者運動−補聴機器の機能向上への期待+システム整備+要約筆記者養成

◇1960年代 日本のろう難聴児教育-口話法を補完するキュード・スピーチの提唱と実践.♯6

◇1960年代 アメリカのろう難聴児教育-トータルコミュニケーションの理念提示とそれを基盤とした指導、調査研究、手話に関する科学的研究や著作物公刊が盛んになる.

◇1960年代 イギリスのろう難聴教育―従来、聴覚口話法を至高の理念とした実績を誇ってきたが、聾学校や卒業生のコミュニケーションの実態調査した報告書(1968年公表)で、指文字や手話がかなり利用されていること、「あらゆる年齢のすべての聾児に適する唯一の方法など存在しない」こと、教育の場における指文字や手話の位置づけの本格的研究の必要性が指摘され、国内外の反響を喚起した.

◆1960年代後半〜1970年代前半 世界 ハウスは、多チャンネル人工内耳については失敗し、単チャンネル式人工内耳の研究を再開している.しかし、この時期、他にシモンズ、クラークの他、Michelson、Eddington、Hochmairらが複数の電極を配列した電極アレイを鼓室階に挿入する多電極人工内耳を開発している.電極の配列や刺激提示について、それぞれ独自の方法を提案し、それらの優劣について、盛んに議論された(伊福部達「人工内耳」日本人間工学会誌24(3)1988.6).
※『人工内耳のはなし』の著者、ジューン・エプスタインによると、上記の他、1970年初期にサンフランシスコ大のシンドラー教授・メルツェン教授チームによって、単チャンネルと多チャンネルの人工内耳試作品が15人に埋め込まれた.

◆1970年 オーストラリア クラーク 博士論文「中耳と聴覚神経機構および聾へのとりくみ」をまとめる.「人工内耳のはなし」学苑社

◆1970年 オーストラリア クラーク メルボルン大学初代教授となり、人間への人工内耳適応のプロジェクトを推進.「人工内耳のはなし」学苑社
クラーク教授の考えでは、目指す人工内耳は、@聾の人々にとって会話がききとれるもの(環境音やことばが時々きこえる程度では不十分)、A電極は体内に完全に埋め込み、無線によって刺激するもの(海外の人工内耳の多くは埋め込まれた電極が体の外に出ていて感染の危険が多い)、B最小リスクで最大効果を狙うため電気刺激法使用(小さなラセン器損傷することがないような挿入技術の開発)である.  開発するにあたり、多くの問題?膨大な資金を要しリスクも抱えることになる。そこで、大学の研究チームと政府と企業"ニュークレアスグループ"注が協力して、人工内耳を製造し世の中に出した.("ニュークレアスグループ":心臓ペースメーカー製造会社"テレクトロニクス"の社長、P.トレーナが新たに設立した高度先進医療機器の製造会社グループ.本企業の埋め込みペースメーカーの技術[軽くて体液による腐食に強いチタンの使用、絶縁のためのセラミックスの使用、溶接密閉技術]が、人工内耳開発に多大な影響を与えた.)♯0

◆1977年 オーストラリア クラーク博士 携帯用人工内耳を完成させる.携帯用とはいえ、スピーチプロセッサーは1.25s、大きさ:縦横15p,幅6pもあった.♯0

◇1970年 日本 心身障害者対策基本法施行.♯1

◇1970年 日本 厚生省の手話奉仕員養成事業開始.各地で手話講習会開催.その後手話通訳者設置事業、手話奉仕員派遣事業開始.♯2

◆1971年 5月アメリカ マイケルソン教授 単チャンネル式での研究結果「感音性難聴者の蝸牛刺激の成績」を耳科学会で発表.臨床応用できるという評価を得て国防省からの出資による助成金も獲得した.このデータを基に、その後、多チャンネル式人工内耳の研究開発をしていくことになる.しかし、立場の違う科学者からは不信表明を出される.

◇1971年4月 日本 国立聴力言語障害センターに聴能言語専門職員(田中註:現「言語聴覚士」)養成所設置 ♯4

◇1971年8月 世界 第6回ろうあ世界大会(パリ)で「聴力障害者の権利宣言」決議 ♯4

◇1972年 日本 全国難聴者組織推進準備会発足.♯1
◇1972年 日本 手話通訳設置事業開始.♯1
◇1973年 日本 全国難聴者組織推進単位地区研究協議会発足(京都). 機関誌「新しい明日」発刊(機関誌名1991年12月から「福祉『真』時代」へ変更).♯1

◇1973年 日本 京都で要約筆記者派遣開始.♯1
◇1973年 日本 警察庁が補聴器着用を条件に運転免許取得可能と通達.♯1

◆1973年 オーストラリア メルボルン大学 クラーク教授 4匹の猫を用いた実験研究結果「高度感音難聴のための補装具」を発表.

◆1973年 アメリカ ウィリアム・ハウス 単チャンネル人工内耳システム、患者のための術前評価、術後リハビリテーションプログラムを開発.
単チャンネルの人工内耳システムはその後3M/Houseデバイスとして3M社が商業化して製造するようになったもの.3M社が生産停止をするまでの間、世界中の外科医が数百人の成人小児の失聴患者に植込んだ.カリフォルニア大 シンドラー博士は「この時のパイオニア的な努力がなかったら人工内耳の進歩はなかったといっていい」と述べている.(カリフォルニア大 ロバート・シンドラー博士著『人工内耳に対するわが回想』1999.4)

◆1973年 日本 神尾友和氏(後に本邦初単チャンネル式人工内耳手術を行うことになる日本医科大耳鼻科医)1976年まで米国留学.
ロサンゼルスのW.ハウス博士に弟子入りし耳科学研究所で人工内耳の手術技法を学ぶ(この時身に着けた技術を持ち帰ったことで1980年の単チャンネル式人工内耳手術実施に至る).日経ビジネス1994年10月24日号p.80〜83

◆1973年 アメリカ サンフランシスコ UCSF(カリフォルニア大・サンフランシスコ校)で「高度感音難聴者の治療のための聴神経の電気刺激」に関する国際学会(人工内耳をテーマにした第1回国際会議)開催.
会議では反対の見解が優勢であった.その第一点は、安全性と有効性のデータは動物実験からでも得られるという倫理面のからの批判、第二点は重度聴覚障害者の一人ひとりの神経障害は幅広く不可逆的なもので機器自身が作動するはずがないという非科学的であるという批判であった.しかし、これが契機となって少数の研究者以外の医者や聾団体、一般人に「人工内耳の研究開発の事実」が知られ始める.またこれ以降,オージオロジスト,生物工学者,言語聴覚士,心理学者,ソーシャルワーカー,耳鼻科医らが協力し,多くの人工内耳チームが世界中で作られた.(カリフォルニア大学 ロバート・シンドラー医学博士著『人工内耳に対するわが回想』1999.4)

『人工内耳のはなし』では「(この会議によって)多くの科学者は(人工内耳に)興味を持つ.より詳細情報を欲しがる」と記している.♯0

◆1973年 アメリカ W.ハウス この年までに約10人の患者に単チャンネル人工内耳システムを使用した(伊藤寿一「人工内耳について」耳鼻臨床学会誌81:6:p.779〜786 1988年).これにより患者のための術前評価、術後リハビリテーションプログラムを開発した.
この人工内耳システムは、その後3M/Houseデバイスとして3M社が商業化して製造するようになった.3M社が1987年?に生産停止をするまで、特に1970年代後半までは世界中の耳鼻科医が使用するのはハウスの単チャンネル人工内耳で、数百人の成人小児の失聴患者に植込まれた.カリフォルニア大 シンドラー博士は「この時のパイオニア的な努力がなかったら人工内耳の進歩はなかったといっていい」と述べている(カリフォルニア大 ロバート・シンドラー著『人工内耳に対するわが回想』1999.4).
ハウスの業績に対して前述のような賞賛の評価がある一方、別の一方では「ハウスの単チャンネル方式は会話能力の回復は思わしくなく、材料の不備から化膿するもの、器械がうまく作動しないものもあって不評をかった」と負の評価を指摘する声もある(舩坂宗太郎「人工内耳」『医学のあゆみ』Vol.141. No.8 p.450 1987.5.23).

◇1974年 日本 軽難聴者友の会発足.♯1
◇1974年 日本 全国手話通訳問題研究会発足.♯1
◇1975年 日本 中途失聴・難聴者対象の手話講習会開講(東京).♯1
◇1975年 日本 手話通訳派遣事業開始.♯1

◇1975年 スウェーデン 学校教育庁は「手話こそ聾者の第一言語であり、聾者のアイデンティティ形成の基礎になる」と主張、聴覚障害児への手話コミュニケーションを推奨.教育理念・方法・内容の大転換で聴覚障害学校は大混乱、多くの教師が転職を考えるほどだったが実行した教師は少数だった模様.(〜1980年半ば) ♯6

◇1975年8月 日本 東京にて第14回聴覚障害児教育国際会議開催 ♯4
◇1975年10月 日本 東京教育大学付属聾学校創立百周年 

◆1975年 アメリカ 国立言語障害/脳疾患障害研究所[NINCDS] 人工内耳装用者の評価テストの実施.ハウス教授がマイケルソン教授に申し入れる.[NINCDS] とピッツバーグ大学耳鼻咽喉科の共同作業.13人の人工内耳装用者の検査実施.♯0

◆1975年 オーストリア ウィーン大 人工内耳8チャンネル方式鋳造型装置の開発♯0

◆1976年 西ドイツ P.バンファイ教授チームによって十数年間、人工内耳の研究が行われてきた.16チャンネル式蝸牛外型電極システムの開発.♯0

◇1976年1月 日本 聴覚障害誌 同時法の特集号.栃木県立聾学校での同時法手話の実践と研究について報告論文が掲載される.統合教育・福祉教育の理念についても記載.

◆1976年 フランス パリ大学 C.ショアール教授チーム、独自の人工内耳を数年間研究し、12チャンネルのコリマック12を開発.♯0
方針:皮膚を通して無線で作動させるので円錐台形をしている.教授は、全聾の子どもはできるだけ早く人工内耳を装用すべきと考えるが、幼児の場合、聴力の確定が困難なため、4〜7歳未満は蝸牛外型単チャンネルシステムを使用し、音に対する経験を与え、4〜7歳になれば従来の補聴器が聴覚の助けになるかどうか判断、役立たないと判断されれば、多チャンネル式人工内耳を装用する.(この12チャンネル人工内耳装用児たちのりハビリ見学報告は、「聴覚障害」誌1990年12月号に掲載された筑波技術短大の大沼教授の記録を参照[実際の訪問は1989年9月])

◆1976年 日本 日本耳鼻咽喉科学会総会 アメリカ W.ハウス博士「人工内耳」に関する講演

◆1976年秋  日本 神尾友和(日本医科大耳鼻科医) ハウス耳科学研究所への留学を終え日本に帰国 日本医科大学にて講演 「神経耳科学における最近の進歩について」 日本医科大学雑誌 昭和51年12月15日発行. 

◆1976年12月 日本 日本医科大学学内研究誌に、神尾友和(日本医科大耳鼻科医)が前に行った講演「神経耳科学における最近の進歩について」を掲載.内容:留学先ハウス耳科学研究所で得た2つのこと「Cochlear implant人工蝸牛による高度難聴者の治療」「内耳麻酔による内耳障害の診断」についての解説.
前者の内容と解説:
 1961年以来、ハウス耳科学研究所が人工蝸牛の適応について検討してきた結果、以下のことが分かった。@感音性難聴のうち、有毛細胞の障害によっておこる難聴に対してのみ適応 Aプロモントリーテスト(人工内耳埋込術の術前検査.鼓膜に局所麻酔をほどこし電極を外耳道から鼓膜をとおして中耳のつきあたりの壁に電極の先を刺し、電気刺激を与えてそれが音として感じられるかどうかを調べる検査.この検査によって0.3〜1.5Vの30〜120Hzサイン波に反応する場合を感音性難聴と診断 B18〜65才の間で両側とも95dB以上の高度難聴を示し難聴のはじまりが言語機能取得以後におきた例を適応とした.
 体内装置は、1本の電極が蝸牛内正円窓を通して鼓室階に約20mm植込まれ、皮膚の内面に置かれた誘導コイルと繋がっている。これが体外部の刺激装置と繋がっている外面の誘導コイル(側頭部に置く)から電気刺激を皮膚を通して音を甘受できる仕組みになっている。着脱可能な刺激装置の完成をみるとともにこのシステムが確立した.
 15年間に16例の人工蝸牛の植え込み手術が行われ、現在13例が機能.  高度難聴者に対して人工蝸牛が果たす役割を考える際、人工蝸牛を通して受信した音が、ヒトに与える心理的認識効果についての3段階分類説を参考にすることができる.第1段階はprimitive Level(原始音段階))−自分がおかれている位置を自覚するのに必要な周囲の雑音が認識できる段階.第2段階はwarning Level(警告音認識段階)と呼ばれる.第1と第2段階は動物が生存するのに必要な最低条件の段階.第3段階はCommunication levell・speech perception level(コミュニケーションレベル・音声知覚レベル)と呼ばれ、人間社会関係を形成するのに大切な段階である。
 現在の人工蝸牛の意義は第1段階と第2段階の音効果を高度難聴者に与えることにあると考えられている.(「日本医科大学雑誌」 昭和51年12月15日発行)

◆1977年 オーストラリア グレアム.クラーク博士 携帯用人工内耳を完成させる.携帯用とはいえ、スピーチプロセッサーは1.25s、大きさ:縦横15p,幅6pもあった. 「人工内耳のはなし」学苑社

◆1977年 オーストリア ウィーン大 8チャンネル式人工内耳埋め込み手術実施 ♯0

◇1977年 日本 NHK「聴力障害者の時間」放映開始.♯1
◇1977年 日本 聴覚障害誌  「トータル・コミュニケーション」について、  4月・6月号、「キュード・スピーチ」について8月号に掲載.

◇1977年6月 日本 厚生省 1歳6か月児健康診査制度創設 ♯4
◇1978年2月 日本 前年の聾教育研究会全国大会でのシンポジウム(聴覚活用)内容を聴覚障害誌1月号に掲載.

◇1978年2月 日本 京都にて「全難聴」(全日本難聴者・中途失聴者団体連合会)設立(1991年 社団法人化).中途失聴・難聴者協会の活動(補聴器の公費助成・磁気ループ・OHPの要求等)が全国各地で活発化する(全難聴HPより).またこの当時の様子について、1998年に開催された[ACITA]創立10周年記念の式典あいさつで横浜市中途失聴・難聴者協会会長 長尾重之氏は次のように語っている. 「〜(1979年)発足以来、自分たちの問題の解決のため自身のコミュニケーション能力訓練や方法の改善、筆記通訳あるいは手話通訳制度の改善、補聴機器の改善、開発等の情報収集、行政への要望に取り組んでまいりました〜」

◆1970年代 世界 人工内耳による機械的または電気的な副損傷についての報告がなされ、適切な材質や通電方法の検討が色々なされるようになった.同時に多チャンネル方式の研究が盛んになった.代表的なものとして4チャンネルのユタ大学方式、ウィーン大学方式、22チャンネルのメルボルン大学方式がある.これらについては安全性が格段に高まり、会話聴取能も良好で、今や実用化の時代に入ったといえる.(舩坂「回復する聾」)

◆1978年 オーストリア ウィーン大 8チャンネル式人工内耳埋め込み手術2例目実施(その後、6チャンネル、4チャンネル方式へと設計が改良される).♯0
※蝸牛外人工内耳はアメリカ3M社によって製造開発されたもので、蝸牛の損傷を避けるため電極を蝸牛外においている.声と雑音を区別したり、幾つかの環境識別はできるが単語や会話を理解するのは不可能.

◆1978年8月1日 オーストラリア メルボルン大学でG.クラーク教授とB.パイマン医師によってマルチチャンネル(10チャンネルの試作モデル)型人工内耳の試作品植え込み手術を完全聾の成人中途失聴者に対して実施.
 患者は2年半前の1月、46歳時に事故で頭部を強打し、後遺症で全聾となったロッドという男性.補聴器も読話も役に立たず会話が出来ず鬱状態となった.事故前は健聴で言語力正常、発音明瞭の人だったので、人工内耳を介してどのような音がきこえるか、十分に説明してくれるであろうと教授らは考えた.
 検査(聴力検査−補聴器が無益である事の確認,レントゲン−蝸牛に異常がないことの確認,プロモントリーテスト−聴神経が活動することの確認,内科的検査−全身状態良好であることの確認)と術前カウンセリング(試験的段階の手術であるので過剰期待は持たないことの確認)を実施.諸検査後、患者は「人工内耳手術は他人の強制によらず、自分の自由意志(ママ)で決断したことを倫理委員会で証言」手術後、傷口が完全に治ってから音入れを行う.コンピュータプログラムの誤りのため、最初と2回目の音入れはうまくいかなかったが、3度目の音入れによって人工内耳埋め込み手術が成功したことが確認できた.但し、この試作品で音をきくためには大きなコンピュータの前に座っていなければならなかった.(『人工内耳のはなし』pp.18-21)

◆1978年 オーストラリア メルボルン大G.クラーク教授 多チャンネル人工内耳試作品2番目の装用者への手術実施.
 2番目の患者は62歳のジョージという男性.30年数年前の太平洋戦争中に、ニューギニアで爆撃を受けて鼓膜を負傷して以来補聴器を装用.その後、37歳のある朝、いつものように補聴器をしても何もきこえなくなり完全失聴、それから約25年経つ.
 術前検査で左耳の方が良好な反応だったことから左耳に手術.手術は成功し、音入れの日には25年ぶり位にきく初めての音に「きこえてくる!高く、低く、長く、或いは短く」と応える.「二回目のリハビリの朝、(中略)オージオロジストが読み上げる新聞の一遍を、口許を見ながらきいていた彼(ジョージ)はオーム返しにすらすら繰り返した。これには関係者一同嬉しい悲鳴をあげた。(中略)ある朝、『ジョージさん、おはよう』というオージオロジストの呼びかけが口許を見なくてもきき取れた。なんとすばらしいことだろう。彼は二十年ぶりに自分の名前をきいたことに感動した。手術後、三か月たち、きこえも徐々に改善した。ところがある朝突然、『プツッ』という音とともに全くきこえなくなった。オージオロジストやエンジニアがコンピュータを操作して調べたが、依然として何もきこえてこなかった。(中略)結論としては、埋めこんだ電極のショートが原因と思われた。(中略)『電極をとり出さないことには、本当のことはわからない』といわれ、再び手術台に上った。その時彼は『子どもにおいしい食べ物を与えておいて取り上げるようなものだ』といった。『もうこれで一生聾だ』と諦めたが、幸いなことに、それは後日くつがえされることになる。(試作品人工内耳は取り出されたが、後22チャンネル人工内耳の治験の希望者6人のうちの一人に選ばれ再び音の世界を取り戻すことになった)
(『人工内耳のはなし』p.22-25,56-58)

◆1978年 日本 船坂宗太郎耳鼻科医(東大医学部) 東京大学医学部音声言語医学研究施設の斎藤牧三教授よりメルボルン大学クラーク教授の論文コピーを譲り受ける.内容は「聾患者用15チャンネル人工内耳に関するもの」.船坂氏はそれを読みクラーク教授の研究に参加したい願望を抱く.*3-1 *3-2

◇1978年 日本 栃木ろう学校が実践したトータルコミュニケーションの理念は、全国組織としての「トータルコミュニケーション研究会」(TC研)の発足へと繋がった[7].
 このTC研は1980年代半ばから、トータルコミュニケーションの研究を越えたろう教育の研究の場となる.1989年に「ろう教育の明日を考える連絡協議会」を開催して手話法の必要性を大々的に議論することとなった。これをきっかけとしてトータルコミュニケーション研究会は発展的に解消され、「ろう・難聴教育研究会」となった。

◇1978年 日本 聴覚障害誌8月9月号 草薙進郎「アメリカ聾教育におけるトータル・コミュニケーションの問題(その1,その2)」
1.トータルコミュニケーションの台頭と展開, 2.トータルコミュニケーション台頭・展開の要因, 3.トータルコミュニケーションの理念についての論文掲載.8月号竹村茂「手話の言語的特性・手話をどう考えるか」について掲載.9月号 「日本手話学術研究会第4回大会について」報告文掲載.

◇1979年1月 日本 聴覚障害誌1月号  T・C研究会「トータル・コミュニケーション大会(第1回)について」報告文掲載.2月号

◇1979年 日本 養護学校教育の義務制を実施 ♯4

◇1979年7月 日本 「国立身体障害者リハビリテーションセンター」を設置(所沢市).国立身体障害者センター、国立東京視力障害センター、国立聴力言語障害センターを統合して発足.同敷地に「国立職業リハビリテーシセンョンター」も設置♯4

◇1979年 日本 民法11条改正、準禁治産者から「聾者・唖者・盲者」を削除.♯1

◆1979年7月 オーストラリア メルボルン大G.クラーク教授 多チャンネル人工内耳試作品3番目の手術実施.
  患者は??歳のジョアン.キートリーという女性.17歳の時に髄膜炎に罹り失聴.読話を習得し、日常的に不自由を感じることなく聴覚障害者のボランティア活動を行っていた.キートリー夫人は娘のヘレンとともに大学で「聴覚のリハビリテーション」コースを専攻、1977年に卒業.翌78年に人工内耳のことを知り病院の門をくぐった.当時のことを振り返って彼女は言った.「〜試験的な段階で手術を受けるのはためらいがありました。でもクラーク教授チームの、高度難聴者の治療にかける熱意に感じるものがありましたのでおまかせすることにしました。(中略)失敗にたいする不安感の対応方法は教えてくれませんでした。それでも手術は自分で決めたことで、他人の強制ではありませんでしたから、自分で納得するよう努めました。そんな時、先に手術をしたジョージさんとお話できたのは本当に心強かったですよ。(中略)手術室に入った時のことですが、自分自身のためというよりも、後に続く聾者のために手術するんだと気負っていたように覚えています」
  結局、彼女の蝸牛は組織でつまっていたため、電極を挿入することができず失敗に終わった.教授はその時のことを後に「我々は骨を削って電極を設置することもできましたが、試験的な段階でそのような危険を犯(ママ)すのは止めるべきだと判断し、埋め込みをあきらめました。現在(1988年)ではそういう問題に遭遇した時の対処法はありますが、その時はよくわからなかったんです」
  キートリ―夫人の思いは「手術の失敗は私の家族にとって辛いものでしたが、病院の先生たちにとっても残念なことだったと思います.私自身は信仰を持っていますので『すべては主の御心のままに』とかろうじて平安を保つことができました。手術後、しばたくたってから、労をとって下さったお礼をいうためクラーク教授を訪ねました。その帰り道、流れてくる涙をおさえ切れませんでした。周りの方々も親切にして下さり、(傷口の)回復も早かったのですが、冬の寒さはこたえました(後略)」。
  歳月が流れて、1986年にクラーク教授から、技術も向上したので再度手術を受ける気にならないか、との連絡を受けた彼女は、覚えていて下さってありがたく思いましたが、熟慮の末に断る。夫人は「苦難を通して、本で学ぶよりも深く哲学を味わい、説教をきくよりも深く神の真理を知ることができた」という.つまり、自分自身が聾である故に、他の難聴者達のカウンセリングや諸活動を行うことできるのだということ、「希望もなく、失意の中にある難聴の人達と関わるほうが生活の意義を感じる」という現実的な信条を得たことから、手術を断った.彼女は難聴者の会話能力を高めるための諸活動を行い、この年(1979年)表彰された.(『人工内耳のはなし』p.25-27)

◆1979年 オーストラリア メルボルン大G.クラーク教授 多チャンネル人工内耳試作品4番目の手術を他の女性に実施.手術は成功するも、きこえてくる音が不快な音でしかないと、患者の要望で電極を取り出すことになった.その後、女性は手話と読話で会話することに慣れ、満足する.(『人工内耳のはなし』p.27-28)

◆1979年 アメリカ 人工内耳の仕組みを応用した「聴性脳幹インプラント(Auditory  Brainstem Implant、以下ABI)」が脳神経外科医Hitselberger2によって開発される. 
これは、人工内耳でも解決できない聴神経由来の後迷路性難聴の外科的治療法で、脳幹の蝸牛神経核を直接電気刺激して聴覚を取り戻す方法である.聴神 経よりもさらに中枢にある脳幹の聴覚路を直接に電気刺激して聴覚を取り戻すもの.この後ABIは、その後コクレア社との共同研究により、多チャンネル化と性能の向上が図られることになる.(仕組みと機能について:装置のシステムは人工内耳と同様であるが、人工内耳が内耳(蝸牛) に埋め込まれるのに対し、ABI はさらに中枢にある脳幹の蝸牛神経核の表面に置かれる。ABI では電極の形状が3 × 8mmの長方形で、ここに8 個の丸い電極板が配列.蝸牛神経核内でも神経細胞はある程度、周波数にしたがって配列しており、刺激部位によってピッチの弁別が可能.したがって複数の電極が使えれば、人工内耳の原理同様、音声のフォルマント情報の提供可能. (人工臓器学会レジストリー委員会編集『聴性脳幹インプラント』「日本人工臓器学会会誌」人工臓器第30巻別冊.2001年(平成13年)6月30日発行)

◇1979年 日本 聴覚障害誌2月号―北原一敏(東海大)「特殊教育元年としての新発足を−国連の障害者権利宣言に向けて−」 小川再冶「我が国の手話の読み易さついて−アメリカ手話との比較−」研究論文,渡辺 繁義「「手話」ところどころ −その言語学的側面から−」随想文掲載.5月号―井口 昭・野口 陽子他「難聴学級における統合教育の実践」報告文.8月号―板橋 正邦「NHKの公共性と字幕問題−78.10.13交渉に関して感じたこと−」所感掲載,「トータル・コミュニケーション創刊号」書評掲載.9月号「来日する沈黙の集団「アメリカ・デフ・シアター」紹介.

◇1970年代 世界のろう難聴児教育―コミュニケーション手段論議が一段と深まった時期.
ユネスコ(国際連合教育文化機関)は1974年、聴覚障害児教育の方に関する専門家会議を招集、一定の方向性を示すことを企図したが、専門家たちの見解もまちまちで結論は出ず散会.1975年開催の国際セミナー(全英聾協会主催、欧米各国の聾学校校長、オージオロジスト、医師、親、心理専門家、ソーシャルワーカー、教師、教育行政家等参加)では参加者の見解に大きな相違がみられたが、皆、この教育の進展を真摯に願っていること、どの国の教育も現状は満足できるものでないことの一致が見られた.聴覚口話法、キュード・スピーチによる聴覚口話の補完法、トータル・コミュニケーション法、それぞれの短所、長所、改善方向に関して建設的論議を行い、この時点までの聴覚障害児教育における手指コミュニケーションに関する研究の概観記録が翌年公刊.翌年(1976年)にアメリカOyerによりまとめられた欧米諸国、日本を含んだアジア諸国における聴覚障害児・者のコミュニケーションに関する現状と課題からも世界各地で教育方法革新への胎動や新指導法の急展開の動きを見ることができる.手話は不完全で動物的なコミュニケーション手段だと侮蔑され、その使用は非難・攻撃の的となってきた.しかし1960年代に台頭してきた公民権運動の流れから、1970年代のアメリカでは手話や手指によるコミュニケーションについて冷静に評価され研究・応用が進展、手話を含むあらゆるコミュニケーション手段を活用する「トータル・コミュニケーション」が主流となる.(中野善達「全国障害者福祉研究」)

◆1980年10月 日本 立木孝氏(当時岩手医科大学教授)が全日本聾教育研究会盛岡大会記念講演(「ろう教育の歴史と医学の立場」)で最新治療のトピックスとして「蝸牛内埋込電極法」(人工内耳のこと)という治療法が試みられていることについて触れている.
  「完全聾を対象としたもので蝸牛がなくとも(田中註:現在、手術の適用として蝸牛は必要条件.蝸牛が機能しなくともと言う意味か?)聴神経が機能していれば音を聞くことができるようになる実験段階のもので、『出来上がるには何十年かかるだろうと思うが将来はできるかもしれない』」と説明.
  また、この治療法の研究者であるW.ハウスの『ヒヤリングプロセスの三次元説』注についても説き、「第一は言葉が分かる段階、第二は環境音の意味が分かる段階、第三は言葉・環境音は分からなくとも音の存在の有無が分かる段階。ハウスは第三段階であっても、人が世界との繋がりの中で生存していることを実感できるこのとは人間の心理的安定のため重要であると説いている」と紹介している.(立木孝「ろう教育の歴史と医学の立場」『聴覚障害』誌 1980年12月号・1981年1月号 聾教育研究会発行

田中注)きこえの3段階説について、立木氏はハウスの説のように紹介しているが、これはラムスデルの説を引用したものと思われる.立木氏の他に、日本で初めて単チャンネル式人工内耳埋め込み手術を行った神尾氏も、報告記録の中で、ハウスの説として「聞こえの3つのレベルを紹介しているが、その典拠はラムスデル説である.その詳細は以下の通り.

▼ラムスデル(Ramsdell)は、きこえには3つのレベル(「記号のレベル」「信号・警告のレベル」「原始的・背景レベル」)があり、3つめの「原始的・背景レベル」での聴覚の重要さを説いた(ラムスデルの説).
3つのレベルの具体的説明をすると、まず「記号のレベル」は、普段、我々が日常生活でごくふつうに行っている会話を主としたコミュニケーションのレベル.次に「信号・警告のレベル」は、簡単なものでは目覚まし時計の音や自動車のクラクションや正体不明の音.このレベルの音を聞いた場合、私たちは何の音かと意識を集中したりして、その音の正体が分かるまでは、意識的な注意のレベルから消すことはできない.最後に「原始的・背景レベル」であるが、日常生活において私たちを取り囲んでいる背景雑音のレベルのことである.つまり、換気扇の音・冷蔵庫の音・風の音・自動車の走る音など様々な音を日常聞くことによって、何事もなく生活が進行しているという一種の安堵感も得ている.それとともに、生活やコミュニケーションの活動中に、これらの音を意識的に聞くことはせず、記号のレベルである会話に集中できる.
このように無意識に聞き流していることも多い原始・背景レベルの音であるが、にもかかわらず、この音を失うと、世界や社会と連帯している感覚がなくなり、疎外感に悩んだり欝状態に陥ったりするなど、精神を蝕むことにもつながる非常に重要なきこえのレベルであるとラムスデルは考えたのである. (参考資料・文献:アズマ補聴器センターHP,「言語聴覚士テキスト」医歯薬出版p.338,Ramsdell, R.S. (1978) The psychology of the hard-of-hearing and the deafened adult. In H. Davis & S.R. Silverman (Eds.), Hearing and deafness (4th ed., p. 499-510). New york: Holt, Rinehart & Winston.)
  Ramsdell、R.S.(1978)難聴者・失聴者の心理学. H.デイビス&S.R.シルバーマン(編),聴覚と聴覚障害(第4版。p.499〜510).ニューヨーク:ホルト、ラインハート&ウィンストン.

◇1980年 日本 総理府に「(田中註:翌年の)国際障害者年(のための)推進本部」を設置.♯4

◇1980年 世界 WHO世界保健機関「国際障害分類試案」(ICIDH)発表.障害を「機能障害」「能力障害」「社会的不利」の3つのレベルに区分.♯4

◇1980年 日本 聴覚障害誌 3月号―星龍夫「聴覚活用(シンポジウムの要旨一部)」,6月号―今西孝雄(聴覚障害者教育福祉協会)「今月の言葉:聴力障害者情報文化センターの設立」,6月・7月・8月・9月号―田上隆司・森明子・立野美奈子「ろう教育における手話の論点(その1・その2『併用時の知覚上の問題』・その3『口話と手話の相互補完』・その4『「中間型手話および問題点の要約」)」

◇1980年代(〜90年前半)の北欧諸国のろう難聴教育―中野善達氏(筑波大)の報告文.
「スウェーデンでは1975年に学校教育庁が、聴覚障害幼児への手話コミュニケーションを推奨(言語学者に依頼した実験教育の結果に基づき、手話は聾者の第一言語であり、アイデンティティ形成の基礎になると結論)し、1983年には教育課程での手話必修を規定する等、手話を積極的に教育に取り入れてきた.こうして80年代半ばごろまで現場(聴覚障害学校)に大混乱を引き起こした.その後は、安定した.1990年代に至っても教師の手話技能は十分とは言えないが様々な研修の機会を設けたり、大学の聴覚障害児教育教員養成コースの入学要件に教職経験年数3年以上であることと手話試験合格が付加されるなど、聴覚障害学校教員の資質確保のための工夫が行われている.スウェーデンの聴覚障害児教育の大転換に至る経緯はスウェーデン聾連盟などの長年の働きかけとともに、個の尊重の徹底化といったこの国のあり方によるところが大きい.スウェーデン人は少なくとも二つの言語に通じていること、移住者の国民の中に占める比率が高いことも関連があり、移住者の第一言語をその子弟に指導することが法律で定められ40以上の言語指導されているといった背景もある.」 ♯6

◇1980年代 (〜90年前半)のアメリカのろう難聴児教育
1960年代は黒人解放の時代、1970年代は女性解放の時代、1980年代は障害者解放の時代と言われ、1981年は国際障害者年(国連提唱)として全世界的に障害を持つ人々への認識の深まりが図られた.
「完全参加と平等」はスローガンとしても実体として着実な進展を見せた.その到達点ともいうべきものとして制定されたのがADA(障害のあるアメリカ人法.1990年7月制定)である.障害を持つ人々の市民権保障の動きは聴覚障害児者や教育面にも影響を与えた.聴覚障害者自身の市民権保障への意識の高まりに加えて、北欧諸国での手話をろう難聴教育に積極帝に取り入れる動向も刺激となり、ろう教育にける「手話」は口話法を補完するため活用するものではなく「手話こそ聾者の第一言語、手話による教育こそ当然のあり方」との主張が唱えられ実践に影響を与えるようになった.♯6

【2】日本における人工内耳T期

◆1980年12月3日 日本 日本医科大学 神尾友和助教授等によるハウス・イヤー研究所製単チャンネル型人工内耳(シグマタイプ)の58歳(56歳?)※男性(H氏)左耳への埋め込み手術実施.
  男性の病歴‐20歳時脳脊髄膜炎後遺症により両側高度難聴となる.失聴期間30数年.(※田中注:「耳鼻咽喉科・頭頸部外科(第62巻・6号)」1990年6月号には、単チャンネル式手術の初症例であるH氏の年齢を、56歳と記載されているが、1981年5月、新聞に発表された記録やその他の資料では58歳と記されている.)
  神尾医師等が後に発表した論文によると「術後2カ月の装用時閾値測定では250Hz‐50dB、500Hz‐65dB、1000Hz‐70dB、2000Hz‐75dB、4000Hz-80dB(術前は250Hz-90dBスケールアウト、500Hz・1000Hz・2000Hz・4000Hz-110dBスケールアウト).リハビリ経緯は、6か月後の単語理解‐2音節と3音節の弁別80%以上可、同音節数同士の弁別は10%程度、読話が急速に上達し自声の調節可能となった.しかし本人の意欲消失と経済的理由で上京が疎遠となり訓練も十分実施できないまま人工内耳使用放棄の結果となる」.
  同論文では、H氏自身が書いた人工内耳によるきこえの感想(日記から引用)「聞こえるのは音ではなくモールス信号のようであり、昔、自分が聞いていた肉声とは全くことなり、これでは役に立たない」も紹介.(神尾友和他 『単チャンネル方式人工内耳の実際』「耳鼻咽喉科・頭頸部外科(第62巻・6号)」1990年6月号掲載内容参照)

◆1981年1月 日本 聴覚障害誌1月号に、前年10月盛岡大会における立木孝氏(医師)の講演記録が掲載される.トピックスとして「人工内耳」の話題が取り上げられる(ハウスの単チャンネル式人工内耳に関する話).

◇1981年2月1日 日本 日本聴力障害新聞(ろう者団体機関誌) 10面に「兵庫イヤーバンク開設(大見出し)」の記事を事務所写真と耳の構造の図解入りで掲載.中見出しには「伝音障害/鼓膜・耳小骨の移植可能性」
  要旨「イアーバンク(耳の銀行)、すでに本紙1979年7月号で‥(イアーバンクの構想を)紹介しましたが、わが国初の『財団法人兵庫イアーバンク』」(理事長米次氏・ライオンズクラブ国際協会…○地区名誉顧問会議長、西宮市長)が去る11月1日認可され、このほどライオンズクラブ国際協会…□地区、兵庫医科大学、兵庫県の三者協力によって開設されることになりました。」、本文では「イアーバンクが難聴の研究・医療、専門医の教育を目的として伝音性難聴者に手術が成功するよう中耳(鼓膜・耳小骨)を提供して下さる方々、移植希望の方々の募集・登録をするとともに、提供登録者の死亡通報により医療機関への連絡を行い円滑に移植手術ができるようにします。難聴で悩んでいる方々の相談や、聴覚器官に関する知識の普及・啓蒙活動を行います。〜(伝音器の構造や機能の説明、アメリカでは十余年前から実施し成果を上げているとの説明)」,
  12面の読者のページには読者からの投書「イヤーバンク発足に思う」を掲載、本文には「〜視力障害者に角膜移植をするための『アイバンク』は全国に存在、知名度もあるが、イアーバンクは〜やっと発足の運びとなった。聴力障害者に鼓膜、耳小骨の移植を行うための提供者を登録する『イアーバンク』、新たに聴覚障害センターを設立する際は〜事業の中に含めるような機構づくりを進めてもらいたい。福祉と医療、教育の三者ががっちり手を結んで総合センターづくりの機運がたかまり、聴覚障害者の生活と権利を守る砦が、全国のいたるところに拡がってゆくことを心から願うー」と掲載.

◇1981年 世界 「国際障害者年」(1973年に出した国際連合の「障害者の権利宣言」を国際的な取り組みとして実現するために定めた国際年.障害者に関する世界行動に関する世界行動計画を採択する)

◇1981年 世界 障害者インターナショナル(DPI)第1回世界会議をシンガポールにて開催 .日本からも多くの障害者が参加し、後にそのメンバーらが中心となりDPI日本を立ち上げる原動力となる.♯4

◇1981年 日本 国際障害者年 「障害者に関する世界行動計画」を採択.♯1,障害者団体をはじめ、マスコミもあげて障害者問題に関する啓発活動を展開し、施策の推進を支援.♯5

◇1981年 日本 国際障害者年をきっかけに手話講習会・手話サークルが拡大.♯2

◇1981年 日本 厚生省身体障害者社会参加促進事業に要約筆記奉仕員養成事業が追加.♯1

◇1981年 日本 ミニファクス登場、聴覚障害者の間でも普及しはじめる.♯1
◇1981年 5月 日本 「障害者に関する用語の整理のための医師法等の一部を改正する法律」公布(つんぼ、おし、めくら等を改める).♯4

◆1981年5月16日 日本 毎日新聞  前記、日本初単チャンネル型人工内耳の埋め込み初症例について報道.
  21面(社会面)に、大見出し「電子の耳で音が戻った」、中見出し「内耳性難聴者にでっかい福音」「信号にかえ伝達」、小見出し「大分の男性へ埋め込み手術成功」「日本医大の神尾助教授ら」と、単チャンネル式人工内耳のことを「電子の耳」といった表現で記された記事が掲載される.本文は以下のように表されている.
  「電子の耳を埋め込むことによって、全く音が聞こえなかった人が三十八年ぶりに音を聴くことができるようになった−うれしい成果が十五日、京都で開かれた第八十二回日本耳鼻咽喉科学会の学術講演会で発表された。この『電子の耳』はストマイ難聴など内耳性難聴だけに効果があり、聴こえるのも言葉ではなくモールス信号のような音という限界はあるが、大きな福音になりそうだ。 「電子の耳」を日本で初めて患者の耳に埋め込む手術をしたのは、日本医大耳鼻咽喉科の神尾友和助教授らのグループ。 昨年十二月初め、大分県に住む男性、Aさん(58)の左耳に埋め込み、今年一月にテストしたところ、音を聴くことができるようになった。 Aさんは二十歳の時、脳脊髄膜炎にかかり、全く耳が聴こえなかった。
  「電子の耳」は、ロサンゼルスにある耳科学研究所のW・ハウス博士が開発、二十年前から実用化されており、これまでに米国内で百二十一人、その他六か国で二十四人が埋め込まれた。日本では、同研究所に研究留学した神尾助教授が、五年前から、埋め込みに適した患者を待っていた。 (内耳性難聴の説明は略)「電子の耳」は、小型マイクロホン、埋め込み用の電極と誘導コイルなど四つの部品から成り、音はメガネのワクに取り付けたマイクロホンから入り、ポケットに入れた変換器で電気信号に変えられる。この電気信号が側頭部に置かれる外部誘導コイルの作用で皮膚の下の骨にセットした埋め込み誘導コイルを経由して中耳と耳管に埋め込まれた二本の電極の間を流れる。その際に聴覚神経が刺激され、脳が音として感知する。『電子の耳』 は年齢十八-六十五歳で両耳とも九五デシベル以上の高度難聴者で、言葉を覚えたあとで難聴になった症例が適しているという。Aさんの場合、音の高低や大小の区別は可能となった。現在、ろう学校の先生から環境音の識別や話す訓練を受けている。米国の例では、この装置で、単に音としてではなく、言葉として聴き取れる人も出ている。 神尾助教授は「人工内耳としては、不十分ななものだが、全く音のない世界にいる人たちいとって、音として信号が入ることは精神心理学的にも大きな意味がある。これによって、身の回りの音がわかるようになり、読唇などで他人との意思の疎通がうまくいくようになるだろう。」と語っている.

  また、単チャンネル式人工内耳についての解説文も加わっており、見出し「米国製で35万円…将来は国産も」、本文は、以下のように記されている.
  解説-難聴には伝音難聴と感音難聴とがあり、伝音難聴については治療法はほぼ確立されている。一方、感音難聴には、内耳性、神経性、中枢性があるが、いずれも治療が困難とされている。日本の高度難聴者と全ろう者の数は約五十万人と推定されている。その何%が内耳性かのデータはないが、かなりの数の患者がいるものとみられる。 「電子の耳」は一式三十五万円。現在は米国製の装置を使っているが、国産化の話が進んでいる。神尾助教授は、このあと五人の患者に手術をする予定という。 人工内耳の開発は米カリフォルニアなどで続けられ、電極五本を内耳に埋め込んだ例もあるが、これまでのところ機能の向上は見られず、さらに優れた人工耳の開発には、何らかの技術突破が必要だとされる。現在の装置では、音節数が同じ言葉は区別がつかない。例えばトマト(三音節)とハナ(二音節)の区別はつくが、トマトとガラスの区別はできない。 耳の不自由な人のためには、軽度な場合は補聴器が役に立つ。鼓膜や外耳、中耳に障害がある人でも、内耳以降が健全なら、骨導補聴器という装置があり、音の振動を内耳に直接伝えればいい。電話用の骨導補聴器も電電公社(田中注:現NTT)から売られている。しかし、内耳以降に障害がある場合は、これらの装置も全く役に立たない。
  この「電子の耳」は誘導コイルを用い、磁場の作用も利用している。このため強力な磁場に近づくと強い音ショックを受ける可能性があるが、そんな場合、外部の装置を外せるので心配はないそうだ。(牧野 賢治記者)

◆1981年7月 日本 "全難聴(社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会)"の前身「全国難聴者連絡協議会」の機関誌「新しい明日」(31号・7月15日号)に「医療情報」として、単チャンネル式人工内耳手術についての記事を大きく掲載.
  「日本で初めての成功」とし「今年1月、日本で初めてこの、『電子の耳』の臨床応用が成功、58歳の中途失聴者に38年ぶりの?音"をよみがえらせました。この患者さんは20歳のとき脳脊髄膜炎により内耳をやられ全く失聴。昨年12月、電極埋め込み手術をうけたもので、この成果が、日本医大神尾友和助教授らにより、5月15日京都で開かれた第82回日本耳鼻咽喉科学会で発表されました」と伝える.
  見出しは「電子の耳 内耳障害(感音性難聴)に福音」と掲げ、「人工内耳の仕組み」について図解入り説明、「どう聴こえるか」「適応症」について等も説明.文責は津名道代氏.後1987年11月発行「聴覚障害への理解を求めて@」にも同記事を収録.

(「新しい明日」の記事から難聴者団体の人工内耳に対する関心の高さが伺えるのに対して、ろう者団体"全日本ろうあ連盟"の機関誌「聴力障害者新聞」では人工内耳についてとりあげておらず人工内耳への評価が定まっていないのかと思われる.以前の号(1981年2月1日号第10面)では「兵庫医科大学が兵庫イヤーバンクを開設し『伝音性障害が鼓膜・耳小骨の移植』により聴力改善の可能性」を伝える記事や読者ページでの読者からの積極的評価の声を掲載.これらのことから、単純に聴覚機能の改善について反対の立場をとっていることから、人工内耳についてとりあげない姿勢をとっているのではないと推察する.:田中注)

◆1981年 日本 舩坂医師(東大医学部)文部省在外研究員に指名される.(オーストラリアのメルボルン大クラーク教授の下で研究の予定だったが、クラーク教授の人工内耳研究が国家プロジェクトとなった為、舩坂氏の受け入れは困難になり急遽アメリカの人工内耳の視察に行くこととなる.以下は、当時を回想して語られた舩坂氏による「アメリカの各大学の人工内耳研究事情」である *3)
・アメリカ ユタ大学の人工内耳:現在の"シンビオン"注の原型が10人に埋め込まれていた.会話は可能な状態になっていたが、「『大まかな音響分析』であり『差し込みプラグが突き出している』形状であることが気になった」*3
・アメリカ ハウス研究所の人工内耳:「患者には会えずじまい」だった.*3
・アメリカ ワシントン大:サルを使った条件反応の基礎研究実施⇒「蝸牛の電気刺激により言葉の情報伝達が可能」と思われた.フィングスト博士より、正常な蝸牛が三か月間の電気刺激で骨化してしまう例がある事実を知らされる.
チームリーダーの教授の言葉に勇気づけられる「耳硬化症に対する手術も初期には成績と倫理上の点で反対があったが、後に日常的なものとなり多くの人が救われている.(人工内耳に取り組む者も)プラス面を見て真剣に取り組んでゆかねばならない」⇒船坂医師の米国視察見聞後の感想「人工内耳には追求されるべき基礎的問題が多く臨床応用は時期尚早(と思ったが、後に考えが変わる).」*3

(注)この後、シンビオン社は、8つの電極を持ったインナーエイドという人工内耳装置を1985年に開発.6本の電極が蝸牛内に、2本の電極が蝸牛内に挿入され、装用者の頭蓋に開けられた切り口から耳の後部の突き出したコネクターを外部装置とプラグで接続して使用.18歳以上の中途失聴者を対象としている.♯0
(※その他 サンフランシスコ大でも多チャンネル人工内耳の手術実施 ♯0)

◇1981年 日本 国際障害者年 「障害者に関する世界行動計画」を採択.♯1

◇1981年 日本 国際障害者年をきっかけに手話講習会・手話サークルが拡大.

◇1981年 日本 厚生省身体障害者社会参加促進事業に要約筆記奉仕員養成事業が追加.♯1

◇1981年 日本 ミニファクス登場、聴覚障害者の間でも普及しはじめる.♯1
◇1981年11月  日本 聴覚障害誌11月 海外聾教育レポート「デンマークにおける手話と手話コミュニケーション研究」掲載.

◇1981年12月 日本 政府、毎年12月9日を「障害者の日」に制定することを宣言. ♯4

◇1982年 日本 国際障害者年推進本部「障害者対策に関する長期計画」を決定.「身体障害者の利用を配慮した建築設計標準」を策定するなど、各省庁、地方公共団体はそれぞれの立場で障害者対策の新たな計画立案と実施の方向を打ち出す.♯3

◇1982年 日本 全国難聴者連絡協議会に要約筆記専門部新設.国際難聴者連盟(IFHOH)準加盟.事務局を京都から東京へ移転.♯1

◆1982年  オーストラリア ニュークレアス社・コクレア社、1978年から重ねてきた10チャンネル試作モデル人工内耳の安全性、耐久性、情報伝達改善面の研究が進み、世界初人工内耳用チタン製ケース使用(その後他社も使用)、22チャンネル型人工内耳システムの製品化実現.
  (『人工内耳のはなし』によると、定価10,000ドル[ヨーロッパ製の人工内耳システムは色々なタイプがあり、価格も3,000ドルから13,000ドルまで幅がある].コクレア社は、製品化した人工内耳がオーストラリア内だけを対象とするだけでは採算がとれないため、医療機器の品質と安全を保障する世界的に認められた機関であるFDA(米国食品医薬品局)の承認を得ることを目指したと記している.またオーストラリア政府[審理委員会]は、人工内耳に対して最初[1980年初頭頃]、懐疑的であった.が1985年頃までには、研究を継続するために、倫理的にも資金的にも援助するようになった.賛否に関わりなく人工内耳研究は人間の聴覚系の機能に関する膨大な知見に基づいており、外科医、オージオロジスト、エンジ二アなど多くの人が、その専門知識を更に広げ、人工内耳以外の分野にとっても有益なものとなった.)
  製造された人工内耳(オーストラリア・メルボルン大学チーム開発Nucleus22チャンネル(以下N22 人工内耳と表記))の治療実験(人への植え込み手術)を6人の患者に開始.コクレア社の人工内耳適応基準は、@18歳以上で、言語習得後の失聴者(幼小児にも行っている施設は多い),A術前X線検査で蝸牛基底回転が電極挿入できる状態にあること,B両側高度難聴,C補聴器と読話を用いても音声の弁別ができないこと,以上4条件が最低条件である.更なる条件として耳鼻科医,聴力検査士,言語治療士,ソーシャルワーカー等がチームワークを組んで人工内耳リハビリに取り組み、装用児の親がリハビリに協力できることとしている.

◆1982年11月 日本 川嶋稔夫(苫小牧工業高等専門学校電気工学科)、小原和明(北大応用電気研究科)、伊福部達(北大応用電気研究科)「人工内耳のための進行波型刺激装置の設計(1)」発表.
要旨:人工内耳について「1チャンネルの電極により伝えられる情報には限界があり、読唇の補助手段として利用されているに過ぎない。一方多チャンネルの場合(も)、信号のスペクトラムパタンを電流の空間分布パタンに変換するだけでは単極と同程度の効果しかあげられないことが分かっている」とし、多チャンネルの電極による人工内耳の問題点が、刺激の時間パタンにあると仮定し、設計した進行波型刺激装置によるモデル研究を行った.その結果、多チャンネル方式で音響信号の伝達能力の向上が期待できたが、まだいくつか解決せねばならない問題も残っていると報告している.『苫小牧工業高等専門学校紀要第18号』p.45-48,昭和57年11月30日 (国会図書館記載出版年は1983年3月)

◇1982年 日本 聴覚障害誌 1月号―渡辺 繁義 書評掲載「再びろう教育の基本にかかわって 「手話の世界」田上隆司・森明子・立野美奈子著 日本放送出版協会刊」,7月号―「口話法に思う」,草薙新進郎・上野益雄編「アメリカ聴覚障害教育における教員養成の動向その1」(8月号―その2,9月号―最終回),ダニー・D/スタインバーグ「一歳の先天性聴覚障害児の文字習得(上)」(8月号―「下」),三上純一「音声をはっきりきかせるために(最終回)」,案内文「昭和57年度 第9回「言語・聴能教育実践夏期講座」,9月号―ジョージ・モントゴメリー「有効な頭脳か欠陥をきたした耳か」,11月号―「第5回トータル・コミュニケーション研究大会」「第15回全国手話通訳問題研究集会」報告文,12月号―アーネスト・ゼルニック「アメリカに於ける補聴器のスペシャリスト教育のための教育課程」・館野 博・稲葉久子「難聴児の音楽指導」,

◇1983年 日本 「聴覚障害」誌 2月号 「1983年を迎えて」 専門家諸氏からの提言
原田政美氏(東京都心身障害者福祉センター所長(当時))
副題:「聾児用器械が盲児用を追い越すように」
要旨:▼視覚、聴覚の代用になる器械の開発競争において、1971年に全盲児でも普通の文字が読める器械オプタコンが発明されて以来、盲児用器械が優位に立っている.▼聾児用の方は「他人の音声を振動に変えて手指で感知したり(注)、可視情報に変えて目で見る方法(注)などの研究は前にもまして盛んなようであるが、聾児用器械の開発が遅々として進まないのに対して、盲児用の分野では更に大発明が行われた。米国のurzweil氏がコンピュータ内臓のリーディング・マシンという器械を開発、英文ならば普通の読書速度で器械が声を出して読んでくれるもので、盲児はそれを耳で聞いていればよく、試用結果でも実用的であると判明している.▼新年を迎えて、今年こそは盲児用器械を追い越すような、実用的な聾児用器械の出現に期待したい.

田中美郷氏(帝京大医学部耳鼻科教授(当時)
副題:「聾教育界に対する希望」
要旨:
(1)聴覚障害教育が当面する問題 @優れた教師の養成と確保A幼児期からの一貫した科学性に裏づけられた聴覚障害児教育の在り方の確立
(2)新年度の抱負 @正常児および重複障害児の乳幼児期の発達を調べ、早期・超早期リハビリの意義と方法を医学的見地から基礎づけしてみたい A聴覚障害児教育の実態を調べ、現状を客観的に分析し批判したい 
(3)聾教育界に対する希望 @近年の進歩(聴覚活用,インテグレーション,早期教育)→最近の動向-聴覚活用について、以前に比べ不徹底(←キュード・スピーチ,トータル・コミュニケーション,早期からの文字導入→)聴能・スピーチ面で問題の多い者が目につくA教育の現状と課題―聾学校―閉鎖性からの脱却,聾学校教師は難聴学級・普通学級との交流を計り聴覚障害児それぞれについて最良の教育の方向を見出す努力をしてほしい。

◇1983 日本 聴覚障害誌 1月号‐三澤 泰太郎「第三の耳−正聴器の開発に向かって−」,2月号―鳥居 英夫「ろう又は高度難聴児の可能性について」掲載,7月号ウィリアム・マックローン「日本における聾学校とリハビリテーションセンターの印象」,10月号 大塚明敏「口話サインと発音指導」の書評掲載.11月号―相原益美「口語法とトータル方式」,鈴木 健一「トータルコミュニケーション」新刊紹介,12月号ー附属聾学校専攻科「文字多重放送を見て」

◇1983年 日本 聴覚障害誌8月号(p.33〜36)入谷仙介氏(島根大教授)「難聴者運動とは?」
内容:▼難聴者運動は関西で始まったことから勢力は西日本に偏在、新しい運動であるのと歴史的地理的原因から、首都でありマスコミの集中する東京や全国への影響力が弱かった.一説には300万人とも言われるほど多数の難聴者の大部分は、社会の差別、偏見に悩みながら、福祉の存在を知らず、ひっそり暮らしている現状を思うと難聴者運動に携わる者の責任は重大.▼難聴者の全国組織「全国難聴者連絡協議会(全難聴)」は1978年2月に結成、結集しているのは数千人の新しい運動団体である.▼今年4月、「全難聴」は国際難聴者連盟「IFHOH」(結成:1977年,書記局:西ドイツ・ハンブルグ)に加盟を認められたが、国際事情も同じで、加盟国は十数か国(ほとんど西欧先進国)、スェーデンが3万5千人の会員を擁しているほかは、どこの国も会員は数千人規模である.▼今日、難聴は文明病ということができる.医療の進歩により中耳炎等による伝音性難聴は減少してきたが、ストレプトマイシン、カナマイシンなどの医薬の副作用、工場・飛行場・新幹線・自動車・オートバイ、ヘッドホーン等による騒音などを原因とした難聴は増加した.これらは内耳以降の問題で起きる、治療困難で補聴器効果も薄い感音性難聴である.▼障害者の福祉と運動とは常に一体で、「障害者の福祉は、組織に加盟している人数に比例する」ということばがそれを端的に表現している.難聴者の運動、福祉は何故立遅れたのか.その原因は不自由さが他人から分かりにくいことである.視力・肢体の障害に比べて障害が見て分かりにくく、ろうあ者と比べても言葉を普通に話していることから障害は軽くみられる.難聴者自身も自分たちが援護・福祉の対象となるとは考えにくく、障害を隠してひっそりと生きるか個人的努力で克服しようとしたり、つっぱって生きるなどしてきた人たちが多い.

◇1983年 日本 聴覚障害誌2月号―鳥居 英夫「ろう又は高度難聴児の可能性について」掲載,10月号 大塚明敏「口話サインと発音指導」の書評掲載.11月号―相原益美「口語法とトータル方式」,鈴木 健一「トータルコミュニケーション」新刊紹介,12月号ー附属聾学校専攻科「文字多重放送を見て」

◇1983年 世界 「国連障害者の10年」開始.♯1

◇1983年 日本 公職選挙法により立合演説会廃止.♯1
◇1983年 日本 NHK文字多重放送実験放送開始.♯1
◇1983年 日本 全国要約筆記関係者懇談会が全国要約筆記問題研究会に改編.♯1

◆1983年 世界 オーストラリア・メルボルン大 コクレア社製人工内耳装用者7人

◆1983年 アメリカ アイオワ大学病院・テキサス州ヒューストン大学病院 オーストラリア・ニュークレアス社からの依頼で、アメリカにおける最初の人工内耳センターとして臨床試験を開始することを決定.♯0

◆1983年 オーストラリア アメリカ等でのその後の活動のために、ニュークレアス社の人工内耳部門が「コクレア社」となる.その後、1980年代後半に"オーストラリアコクレア社"、"アメリカコクレア社"、"イギリスコクレア社"、"スイスコクレア社"、"日本コクレア社"、という一連の会社が設立される.♯0
※この年、オーストラリアでは、シドニー聖ビンセント病院でJ・トンキン医師(国内における難聴の権威で豪州聴覚障害研究基金に関する責任者)によってハウス/3M社製単チャンネル人工内耳の国内初の手術実施.その後、6歳児を含む多くの患者に人工内耳を埋め込む.何人かの子どもに多チャンネル人工内耳使用.♯0

◆1983年 世界 アメリカ・カナダ・西ドイツ、3ヵ国の9つのセンターにおいてコクレア社人工内耳の治験が行われ高度難聴者の会話の言語弁別の助けになることが立証された.半数の人が読話なしで会話が分かり、3分の1の人は何らかの形での電話を使用できた.♯0

◆1983年 アメリカFDA(食品医薬品衛生管理局) コクレア社N22人工内耳に関する治療実験開始.

◆1983年 アメリカ UCSF 人工内耳に関する国際会議10周年記念大会開催.世界の14施設で1000台以上の人工内耳植え込み手術実施の事実が明らかとなる.10年前、懐疑的ムードに包まれた会議だったが、楽観姿勢優勢ムードに変化していた.(カリフォルニア大・ロバート・シンドラー博士『人工内耳に対するわが回想』1999.4)
(この頃、後に京大医学部と大津赤十字病院で人工内耳手術を担当することになる伊藤壽一氏はロサンゼルスに留学中で、人工内耳のパイオニア、ハウスの研究所に手術を見学したり手術結果に満足している患者さんをみたりして「日本に帰ったら私もいつかは手術を行いたい」と思うとともに、「内耳の中に刺激用電池を一本だけいれる〜単チャンネル人工内耳〜だと、どんな音を聞いても基本的には同じ音のように聞こえ〜言葉の理解は出来なかったと思います。〜電極の数を増やせば〜という質問をハウスにしたところ、ハウスは『当然そのような研究は行っているがまだあまりうまくいっていない。しかしオーストラリアのメルボルン大学のグループが〜複数の電池を入れ、かなり良い結果が出ている〜現在世界で最も多く使用されている22チャンネル人工内耳です。』と振り返っている.*10)

◆1983年 日本 暁清文氏博士論文「人工内耳に関する実験的研究:刺激電極の設置部位、刺激波形、ならびに内耳への電極植え込みの安全性への検討」

◆1983年 日本 日本音響学会会報 小原和昭氏等(北大応用電気研究科) "人工内耳のための時系刺激法の評価" 発表.

◇1983年 世界 「国連・障害者の十年開始年」(1983〜1992年)♯1,♯4
◇1983年 スウェーデン ろう学校における教育をバイリンガル教育に移行した.それは、ろう児に、第1言語として手話(スウェーデン手話)を、第2言語として音声言語(スェーデン語)の読み書き能力(リテラシー)を重視して習得させるもので「スウェーデン・モデル」と呼ばれた.(鳥越隆士「バイリンガルろう教育の実践」全日本ろうあ連盟出版局発行 p.11参考)

◇1983年 日本 運輸省「公共交通ターミナルにおける身体障害者用施設設備ガイドライン」策定 ♯4

◇1983年7月 日本 「障害に関する用語の整理に関する法律」公布(不具、奇形、廃疾、白痴者を改める)

◇1983年 日本 公職選挙法により立合演説会廃止.♯1
◇1983年 日本 NHK文字多重放送実験放送開始.♯1
◇1983年 日本 全国要約筆記関係者懇談会が全国要約筆記問題研究会に改編.♯1

◇1984年 日本 聴覚障害誌1月号 志水 康雄「補聴器装用効果の評価」,  3月号ー松木 澄憲「聴覚活用の教育的評価」6月号ー大沼 直紀「補聴器イヤモールドの音導中の異物により補聴効果の一時的低下を来した症例」,技術情報「文字電話装置」,案内「聴覚障害教育工学・夏期講習会」昭和59年度第5回インテグレ−ション研究会全国大会,7月号ー特集「聴覚活用」ー岡本 猛「ワイヤレス補聴器の発端」,松木 澄憲「聴覚活用とループシステム」,岡 辰夫「補聴器のフイッティング」,佐藤 忠道「聾学校幼稚部における聴覚活用」,清木 隆・山根 正之「養護・訓練」における聴覚活用の実際」,新宮 絹子「難聴学級における聴覚活用」,梶尾 猛「技術情報ー最近の補聴器の動向」,新刊紹介ー聴覚障害児の教育コミュニケーションの方法,8月号ー特集「視聴覚を利用し阿多指導」−鈴木 壽「感覚の優位性」,石川 健「創造的な物の見方・考え方を育てるための試み−VTRを用いたイメージ化の指導を通して−」,松木 澄憲「視聴覚機器と聴覚活用」,兵頭 大彦「聴覚障害児の映像(物語のVTR)の受容について」,さとうせいろく随筆「鬼の大三の「聴能語録」」,

◇1984年 日本 日常生活用具(障害者基本法の理念に則り、障害児者等に対し、日常生活を容易にする為に給付・貸与される用具)にミニファックスが加わる.♯1

◇1984年 日本 日常生活用具(障害者基本法の理念に則り、障害児者等に対し、日常生活を容易にする為に給付・貸与される用具)にミニファックスが加わる.♯1

◆1984年 オーストラリア メルボルン大 コクレア社製人工内耳装用者16人(1年前と比較して9人増)

◆1984年 オーストラリア政府 クラーク博士の、科学技術分野における著しい貢献に対して、4万ドルのBHP賞授与.4万ドルは人工内耳の研究財源として使われる.

◆1984年 イギリス A.モリソン博士 首に埋め込まれた接合箱と胸郭の皮膚下にあるレシーバーをつなぐタイプの5チャンネル人工内耳を開発.ストーズ社をスポンサーとして治験開始.ニューロダイン社によって蝸牛内電極、手術用具、4チャンネル受信器、携帯用スピーチプロセッサーからなるシステムが生産された.1986年までに13人に埋め込まれ、有望な結果が得られた.

◆1984年4月1日 日本 暁清文(愛媛大医学部 耳鼻咽喉科学教室)「論文:人工内耳に関する実験的研究―刺激電極の設置部位、刺激波形、ならびに内耳への電極植え込みの安全性への検討―」日本耳鼻咽喉科臨床学会誌77巻4号p.959-980に掲載.(論文作成1983年)
(内容) 人工内耳に関する基礎的問題を研究する目的でモルモットを用いて実験を行い、刺激電極の設置部位、刺激波形と聴覚閾値との関係、鼓室階への電極植え込みの安全性などの問題点について検討を行った論文.実験結果、一番反応が良く閾値が低かったのは聴神経への直接刺激、次に基底回転鼓室階から第3回転前提階刺激が同じ程度によい反応だった.蝸牛外では閾値は約2倍、鼓室階双極刺激では5倍となりダイナミックレンジはかなり狭かった.刺激パルスの波長が6KHzよりも短い場合、E-ABR閾値の電気量は一定であるが、波長が長くなるに従い、電極と聴神経間の生体容量の影響を受けて閾値は上昇した.鼓室階への電極植え込みについては、挿入操作が重要であり、操作的に内耳を傷害しなければ電極を植え込むこと自体は安全であることがわかった.

◆1984年8月27日 オーストラリア 王立ヴィクトリア眼科・耳科病院内にオーストラリア人工内耳研究所発足.同研究所は、海外と情報交換しマイクロチップとコンピュータを駆使して、聾の人のための貢献を目的にする.♯0

◆1984年9月1日 日本 リオン(株)(補聴器メーカー)オーダーメイドの耳形補聴器販売開始.「耳の中に装置」などの見出しと「〜装着性が良く音量も難聴の程度にあわせられるのが特徴。価格は九万八千円」といった紹介記事を日本聴力障害新聞が掲載.

◇1984年10月1日 日本 日本聴力障害新聞(ろう者団体機関誌)、これまで人工内耳に関する情報は記事にしていないが、人工中耳についての情報記事を掲載.12面全面使用 見出し「いろんな音が聞こえる」、要旨「『人工中耳の埋め込み・愛媛大グループ世界初の手術成功』−こんなニュースが、近ごろ新聞紙上を賑わしました。六十一歳の難聴患者は『急にいろんな音が戻った』とよろこんでいますが、人工中耳の開発は今後もさらに進歩してゆくものと期待されています。」また、人工中耳三機種(半植込み型・非充電式全植込み型・充電式全植込み型)の特徴「体内部品、電源の寿命、電源交換方法、電源スイッチ、音量・音質スイッチ、外観、電源以外の寿命など」についても掲載され比較できるよう一覧表にして掲載されている.

◆1984年 10月 日本 「聴覚障害」誌10月号 「1985年8月4日〜9日開催の聴覚障害児教育国際会議」に会議主題について案内.

「1.教育,2.スピーチと言語,3.コミュニケーションの方法,4.メインストリーミングと社会的インテグレーション,5.両親の役割,6.選別検査と評価,7.医学的側面,8.技術開発,9.重複障害,10.職業問題,11.心理学的側面」.

※8月5日午後のシンポジウムテーマ「人工内耳」については表記されず.

◆1984 12月 アメリカ ギャローデット大学にて「聴能工学」の全米会議開催.
テーマ:蝸牛電極とその訓練法.演者はハウス耳科学研究所研究者(「聴覚言語障害」誌 都築繁幸著「聴覚障害児教育国際会議の印象」)

◆1984年 アメリカ コクレア社 FDA(食品医薬品衛生管理局)にN22人工内耳の販売承認申請

◆1984年10月25日 日本 神尾友和医師,日本医科大グループによって、両耳失聴期間3年の25歳男性D氏の左耳にハウス研究所製シグマタイプを改良したアルファタイプ(米3M社製)の単チャンネル型人工内耳を埋め込む(日本における単チャンネル方式手術2例目).
  後日発表した論文によると、D氏の病歴は1979年20歳で左耳突発性難聴発症、22歳時右耳突発性難聴発症し聴力回復せず両側性感音難聴となる.1982年、23歳時右耳に補聴器を適合するも聴力悪化.日本医科大初診時(1984年8月、25歳)の右耳補聴器装用時語音明瞭度は5%.同年10月人工内耳手術実施の約4か月後、装用時の閾値測定では125Hz‐80dB、250Hz・500Hz‐70dB、1000Hz‐60dB、2000Hz・4000Hz‐55dB、8000Hz‐75dB(手術前は2000Hz‐105dBで反応が見られた以外、500Hz・1000Hz・4000Hz・8000Hz全て110dBスケールアウト).
  @環境音(犬の鳴き声・自動車クラクション・ヘリコプター・飛行機・電話等)弁別や理解が可能 A2音節と3音節の弁別率(読唇なし)‐95%以上B読唇の急速な上達 C2音節語、3音節語、各単語の理解率(読唇併用)‐90%以上.D右補聴器と左人工内耳による3音節単語理解の比較‐人工内耳(左耳)での理解の方が補聴器(右耳)での理解よりもやや優れていた.論文では、人工内耳と補聴器の違いについて書いた以下のようなD氏の日記の一部も紹介している.
  「補聴器による音と人工内耳による音の性質は全く異なっている。補聴器は音として大きく聞こえるが、音が割れて不明瞭で音源の区別がつきにくい。聞こえる音と聞こえない音がある。人工内耳は音が澄んでいる。音源の差を明確に感じることができる。全ての音に反応する。しかし環境音が大きいと会話音は理解できなくなる。会話の理解は日によって異なる。集中しないと理解できないことが多い。右の補聴器、左の人工内耳を同時使用すると、音は人工内耳よりも補聴器の方に早く入り、ずれがでて判りにくくなるので現在は左の人工内耳により生活している。」神尾友和他 『単チャンネル方式人工内耳の実際』「耳鼻咽喉科・頭頸部外科(第62巻・6号)」

◆1984年 12月 アメリカ FDA 3M/House方式の人工内耳の製造販売を18歳以上の患者にのみ適用することを条件として許可すると発表.3M社のものは単チャンネルのもので、House Institute(ハウス耳科学研究所)で最も多く(約600治験例)試されたものを改良したといわれる.

◇1984年12月 アメリカ ギャローデット大学にて「聴能工学」の全米会議開催.
テーマ:蝸牛電極とその訓練法.演者はハウス耳科学研究所研究者(「聴覚言語障害」誌 都築繁幸著「聴覚障害児教育国際会議の印象」)

◆1984年 アメリカ コクレア社 FDA(食品医薬品衛生管理局)にN22人工内耳の販売承認申請

◇1985年 日本 厚生省身体障害者社会参加促進事業に要約筆記奉仕員派遣事業が追加 ♯1

◆1985年1月 オーストラリア メルボルン大 10代後天性障害の小児への初症例.14歳男児.コクレア社では小児のために小型のミニ受信刺激装置の設計に取り組んでいたが、この時点では未達成.10代の子どもを対象に成人と同じ受信刺激装置使用.♯0

◇1985年 日本 聴覚障害誌 1月号―秋山隆志郎・塩崎伊知朗「文字多重放送の字幕の理解」・戸田吉浄「学校における字幕テレビの活用」報告文掲載.2月号ー大塚明敏「耳を使うことの教育的解釈」,5月号ー三浦一史「聾者の生活を支えるシステムづくり」,11月号ー「字幕入りビデオ制作システム」・「「聴覚障害者と社会」12月号ー田上隆司 論説「障害者観の移りかわり」

◆1985年 4月 日本 日経サイエンス 「人工内耳の開発」G.E.ロウブ著・小野博訳 (内耳の有毛細胞を通さずに聴神経に電気刺激を伝える"植え込み式聴覚機能代行装置"として紹介)」
「後天的な原因で耳の聞こえない人々は、内耳の有毛細胞が損なわれていることが多い。この有毛細胞を通さずに、聴覚神経に電気刺激を直接伝える"植え込み式聴覚機能代行装置"ができた。この便利な装置のおかげで、耳の不自由な人々は音の世界を取り戻せるだろう」と紹介.人工内耳の原理、シングルチャンネル式、マルチチャンネル式、それぞれの仕組みや聞こえ方についても言及.シングルチャンネルについては、約400人の患者に試みられたことやその結果について触れている.出力が最も大きな補聴器でさえ役に立たなかった重度の患者にとっては電話や自動車の音など騒音の有無、その性質、音声の大きさや抑揚についての情報が入る有効性はある.しかしシングルチャンネルの刺激では、視覚的手がかりなしに会話ができる情報を神経組織に伝えることはできない.マルチチャンネルについては、メカニズムが複雑で少数の患者にバラバラにしか研究されていないので今のところ評価が定まっていない、しかしメルボルン大クラーク教授の開発した22個の電極をもつシステムでは、何人かの患者は語音聴取検査でかなりの成績をあげたと述べている.

◇1985年 日本 字幕放送※開始.(※文字多重放送のうち、テレビ画面の音声情報表記の為に使われるものを指す〜ウィキペディア〜.全難聴HP「沿革欄」では1986年)
NHK総合テレビ、民放では東京と大阪を中心に開始.当初、実施局は少なかったが、放送法の改正(多重放送の免許が不要となる)による規制緩和で1997年秋以降に全国ほぼすべての局で順次開始した.(ウィキペディアフリー百科事典より) 

◆1985年 オーストラリア メルボルン大 コクレア社製人工内耳装用者34人(前年比18人増)

◆1985年 日本 琉球大学医学部 耳鼻咽喉科教室員1名をドイツ ハノーファ大学に留学させた.教室では人工内耳の資料収集と勉強会を開始.沖縄では風疹による難聴者集団発生の歴史があり、彼らの聴力を何とかしたいとの考えが根底にあったと琉球大医学部 宇良 政治教授は述べる.*8

◆1985年 日本 京都大医学部 米国に留学していた伊藤壽一氏が耳鼻咽喉科教室に戻る.本庄巌教授の勧めで人工内耳の臨床応用にむけての勉強会開始.

◆1985年8月 イギリス 3日から9日まで、マンチェスター市で聴覚障害者(児)教育国際会議開催.5日午後に人工内耳をテーマに数名のシンポジストによる討議会が開かれる.
(第1回が1878年のパリで開かれ、この年、16回目となる歴史ある会議である.出席することの意義を都築繁幸氏(ろう教育研究者)は「聴覚教育の国際的流れを感じとる機会であると同時に現在の日本が志向している聴覚障害教育を客観的な立場からながめられるチャンス」と述べている)

  「聴覚言語障害」誌※1 第14巻第2号によると、午後のシンポジウムは「蝸牛電植(人工内耳)」がテーマであった(福岡教育大学石井武士氏.日本学術振興会研究員都築繁幸氏).英国,米国の研究実践報告を基に、「蝸牛電植」の功罪をイギリス経験論の哲学的立場から論じていく形で進行(都築繁幸).ハウス博士の報告は、3M/ハウス人工内耳(単チャンネル)装用児(2歳4か月〜17歳)182名についての装用効果についてで、大部分がトータルコミュニケーション法によるクラスで教育を受けたが聴能面で有意な進歩が見られたと述べる.
  都築繁幸氏は、「米国出席者の大半の興味の的は、英国がどの程度進歩しているか※2にあった」「米国のオージオロジー関係者の中には、米国の研究水準が英国を上回っていたとほこらしげにされる方々もおられた」「それはどちらでもいいとして『何のために蝸牛電植をするのか』という観点が重要であるように筆者は思える」「会場では、『蝸牛電植』に反対する英国ろうあ連盟がビラを配り、聾者の権利を訴えるキャンペーンが展開される一面もみられた」と「聴覚言語障害」誌に記している.
  「聴覚障害」誌※3(1993年4月号)の田中美郷氏の報告では「子どもに対する人工内耳の適応について」によると、「人工内耳反対の立場のろう者達が会場を取り囲み、デフコミュニティ、デフカルチャーの構築、存続を訴える動きもあった」とある.
  出席者の高橋信雄氏(愛媛大学教育学部教授)も後日、当時のことをこう振り返っている.「イギリスのマンチェスターで聾教育の国際会議があり、そのときに外国の人工内耳の状況の一端にふれることができました。その時のシンポジウムで人工内耳をどう考えるべきか大論議がなされました。そして、会議場の外では、聾者が人工内耳植込み反対のデモをしていました。」*18

(※1) 東京学芸大学に事務局を置く聴覚言語障害学会が、1972年から年に数回発行している機関誌.聴覚や言語の障害に関する心理・医療・教育等について、関連分野に携わる者同士が、脳科学や認知神経科学の成果を取り入れた支援方法、学校・医療・地域を包括した支援システムの創成などについて、研究論文、現場での実践的研究・報告、事例報告、関連事項の解説などを通して情報を交換し、目前の子どものニーズに応えうる多様なサービス提供への活用や研究の向上を目指している.
(※2)1985年当時のイギリスにおける人工内耳開発について、ジューン・エプスライン『人工内耳のはなし』によると、「1984年A.モリソン博士が開発した 5チャンネルシステムの人工内耳」は「1985年にストーンズ社をスポンサーとして治験」を行い、「ニューログイン社によって(中略)生産され1986年までに13人に埋め込まれて有望な結果が得られている」と記されている.
(※3)1960年から聾教育研究会[日本の聾教育界において聴覚口話法教育のリーダー的役割を果たしてきた東京教育大(後の筑波大)付属聾学校教員等設立の研究会]が発行し続けている月刊誌.1985年10月号(大会出席者による報告特集)、11月号でも報告文が掲載された。「人工内耳」をテーマにしたシンポジウムや反対運動の様子について、10月号では、4人の参加者がそれぞれの立場から、以下のような報告をしている.

  松島みどり氏(筑波大付属聾学校教諭)は、人工内耳シンポジウムの概要について以下のように述べている。 「〜人工内耳の良い点を論述する壇上の医師らのグループに対し、会場から聾者や親の立場での発言〜成年には良いが、判断力のない年令の者に手術を受けさせるのは良くない、残っている聴力さえも奪う危険性があるし、将来医術がもっと進歩したときにより良い手術を受けられる可能性を残しておくべきだ、というのが反対者の見解のようであった。聾は病気ではないのだからという主張もあって、話し合いは物別れに終わった。」
  また、伊藤政雄氏(筑波大学付属聾学校教諭)は、国際会議開会式前日(8月4日)から広げられた反対活動の様子を報告している。「二十数名の英国聴覚障害者協会幹部ら聴覚障害者註が世界からの参加者に『我々聴覚障害者は聴覚障害教育に要求する』のビラを配布したり、"We say yes to Deaf Rights in Education"(ママ:我々は教育にも聴覚障害者の権利を認めよ),"We say No!to Cochlear Implants"(我々は電極蝸牛埋込型補聴器を認めない)のステッカーを参加者の胸に貼ったりする活動をした。」
  伊藤氏はまた、8月6日午後、英国聴覚障害者協会役員(Harry Cayton)によって特別講演「電極蝸牛埋め込み型補聴器に関するモラル倫理について」が行われたことも紹介している。(田中註:二十数名の聴覚障害者は英国聴覚障害者協会幹部の他、スェーデン、デンマーク、オランダなどから参加した聴覚障害者.彼らのほとんどは、7月22日から27日まで英国西にあるブリストルで開催された聴覚障害者だけの国際シンポジウムに参加した後、マンチェスター大会に参加しているとのこと.ブリストルでの国際大会は世界初の聴覚障害者だけの国際シンポジウムで、主催は英国聴覚障害者協会、ブリストル大学ヨーロッパ手話研究センター、英国聴覚障害者研究所.)
  今西孝雄氏(当時聴覚障害者教育福祉協会専務理事)は、"シンポジストの一人として出席したハウスの「20年にわたる研究成果と170症例の詳細報告」"と"賛否両面「幼児の適用について時期尚早とする慎重論」対「新たな希望と今後の研究への期待を感じさせるもの」"を紹介."ハウスに投げかけられた質問「もし(手術が)不成功に終わった場合、子は親を訴えることができるのか」に対して「手術を受けて訴えられることよりも、手術を受けさせないことへの訴えがはるかに上まわるだろう」と自信に満ちた答弁をハウスが返したことが特に印象的だった"と述べている.
  大嶋功氏(当時日本聾話学校校長)は「開会式の午後の電極蝸牛埋込みの講演と討議は時宜に適った企画だった。技術的なことは全く分らないけれども、駄目と云う事を禁句にして、どこまでも追及して行く精神こそ聴覚障害者教育の真骨頂である。それにしても、月に行き宇宙を飛びまわる技術的経済的努力の一部がこの方面に割かれたら、との思いを禁じ得ない。」と述べている。
  ※この国際会議での人工内耳への批判については、『人工内耳のはなし』の中で著者ジューン・エプスタイン氏は触れている.要旨は以下のとおりである.

【会議での人工内耳に対する抗議行動について】
聾者の代表と主張するグループからの抗議行動があった.『5年ごとに開かれる会議の内容は世界中の聾学校に大きな影響を与える.会議の代表者は実験的な人工内耳のことよりも教育問題を扱うべき』と主張.複数の難聴者協会が会議をボイコットし単独の会議を別の場所で開催."聾者の教育の権利キャンペーン"と称する新結成グループが、人工内耳討論会場の外で抗議デモを行った.その主張は、人工内耳は実験初段階のもので長期的影響もわかっていない.難聴児親の会も、人工内耳の経済的負担や健聴者が難聴者よりも優れているのは当然と子ども達が考え、どんな犠牲を払ってもきこえるようになりたいと思い込むことを懸念.補聴器を使って口話を教えるか、読話を使って口形に注目させるか、手話を使うか、という教育方法に関する議論を再燃させた.

【聾者からの批判の一つ】
僅かな人にしか恩恵をもたらさないプロジェクト研究に対して多額の費用をかけすぎていること.その費用を多数の聾者に望まれるような設備など有効に使うべき.例えば、テレタイプで難聴者と連絡をとろうとした場合、700ドルの電話代がかかることへの助成.また、相手も同じテレタイプを持っていないと通信できなかったり.その他、生活を便利にする機器(例えば赤ちゃんの泣き声に反応する機器、玄関呼び鈴によって室内のライトが点く機器等)購入への助成などに費用を充てるべきである.

【当事者の声】
・高度難聴者のブルダ(ギャローデッド大・聾学校教員養成課程専攻学生)…出生時は健聴、成長するにつれて徐々に失聴.「人工内耳の背景には"聾"という状態を医療の対象とする観点に立っている.聾者は自分自身を病気であるとは考えていない」といい、聾児は手話と母国語の二つの言語を持つべきであると信じている.
・デビット・ライト「沈黙の世界に入ってから40年たった今、まるでやどかりと貝殻の関係のように、この関係に馴染んでしまったので、明日私に聴覚が戻っても、それは役に立つというよりも苦渋に見えるかもしれません」
  →ろうや難聴の人々には、コミュニケーションができるようになるための方法を選択する権利がある.

◆1985年8月 オーストラリア メルボルン大 クラーク教授「人工内耳の国際シンポジウム」開催.多くの症例報告と手術の実習指導実施.*3

◆1985年8月 日本 舩坂教授(東京医医科大教授)、上記シンポジウムに参加.
  人工内耳メーカー ニュークレアス社(現コクレア社)見学しワシントン大のフィングスト博士から聞いていた「臨床応用できるもの」といった評価を思い出す.
  シンポジウムでの装用報告(オーストラリア人と結婚した日本女性の人工内耳装用者が英語のリハビリしか受けていないのに日本語の聴き取りが出来るようになった症例等)の聴講により、世界では人工内耳は実用段階にあること、日本は十年の遅れがあることを実感.手術実習体験により人工内耳手術はできるとの自信も持つ.*3

◆1985年8月 日本 東京医科大学学長と病院長 人工内耳治療試行を許可.*3-1 *3-2

◆1985年8月 日本 舩坂氏、厚生省健康政策局総務課(医療技術開発室長H氏)と面談、人工内耳プロジェクトのことを相談、新医療技術研究事業「厚生科学研究費補助金制度」の情報の提供を受け早速申請する. *3-1*3-2

◆1985年  日本 舩坂医師、日本耳鼻咽喉科学会岡本途也理事長に人工内耳治療に取り組むことを報告.*3

◆1985年9月(〜11月)日本 東京医科大学耳鼻咽喉科教室のスタッフ総出で人工内耳とそのリハビリについてニュークレウス社の人工内耳マニュアルを翻訳.マッピング用パソコンの輸入手続きはダナ・ジャパンの協力を得てコンピューターの整備・調整を行う.3か月間でリハビリの全容を掴み、患者へのリハビリ態勢を整える. *3-1*3-2

◆1985年 オーストラリア ニュークレウス社、東京医科大病院には言語評価のシステムが(公認されているコトバの聴き取り検査表)がないことを理由に同医科大にN22人工内耳システムを販売しないと連絡.*3

◆1985年 日本 上記、言語(聴き取り)評価のシステムに関して、日本耳鼻咽喉科学会、日本聴覚医学会とも五十音と数字語の語音検査表しか決めておらず、単語や文章についての公認検査表がなかったことから、東京医科大学病院だけではなく、日本全体の問題であることが明らかとなる.船坂氏、クラーク教授に上記の問題を相談.「人工内耳患者の言語(聴き取り)評価のための語音、単語、文の検査表を必ず作る」と約束(翌年、国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所ST福田友美子氏協力の下、検査表を作成)したことで,クラーク教授からニュークレアス社に話をつけて貰い,輸入実現.後に、国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所ST福田友美子氏協力の下、検査表を作成.*3

◆1985年 日本 オーストラリア ニュークレアス社からN22人工内耳システムが届くも、医療機器として未認可であることから薬事法の下での輸入許可の対象にならず、成田に据え置かれたままとなる.このままでは国内に持ち込めないため、厚生省から「医師船坂宗太郎の個人責任で輸入した」との証文を貰ったことで東京医科大学に届けられる.*3

◆1985年 日本 耳鼻咽喉科学会 メルボルン大 ウェッブ博士「人工内耳」講演.
聴講した虎の門病院耳鼻科の熊川孝三医師は後日談で「まるで夢のような話、まさかそれほど聞こえるはずはなかろう、せいぜい読話に役立つ程度であろう、という認識」だったと述べている.しかし、ビデオで「中国語を知らないオーストラリアの患者さんが後ろから言われた中国語を聞こえた通りに反復できた」のをみたとき、「これは本物だ、と衝撃で身体が熱くなりました」とその時の驚きと感動を語っている.*5

◆1985年10月 日本 日本耳鼻咽喉科学会誌 平川勝洋氏の論文「電気刺激の蝸牛に及ぼす形態学的変化〜人工内耳の基礎的研究」掲載
「モルモット、チンチラを用い、蝸牛外電極を通して内耳を電気的に刺激し、コルチ器、蝸牛神経線維および神経節細胞の形態学的変化を観察した結果、電気刺激自体は直流成分を含まない刺激であれば、蝸牛に形態学的影響のないことが分かった」と報告している.

◆1985年10月 アメリカ FDA コクレア社の人工内耳を医療機器として公式に承認.城間将江「監訳者まえがき p.xv」『人工内耳のリハビリテーション』1999.尚、この時の対象は18歳以上後天聾で、試験的販売の許可である.その他、『人工内耳のはなし』に記されていることも特記しておく.  「多チャンネル人工内耳として初めての許可である.オーストラリアの人工内耳が中途失聴高度難聴者に とって、安全で有効な機器として販売されることになった.」♯0
「米連邦保健局はメルボルン大のシリコンチップ技術を応用した高度難聴者のための受信送信器改良研究に3年計画で45万ドルの研究補助金を与えた.」♯0 

◆1985年 オーストラリア メルボルン大 クラーク教授チーム 新型22チャンネルミニ電極の開発と成人人工内耳の実績から10代前半・10代未満小児への適応開始.
  一人は10歳スコット君.3歳時に髄膜炎で失聴.補聴器の効果なし.フットボール等スポーツ好きだったが納得して手術を受けた.集中的な訓練を行った後、発話の明瞭度、環境音認知、呼名への返事などの面で改善が見られるようになった.手術後、安全用ヘルメットを使えばフットボールをやってもいいと医師が許可してくれたことがスコットにとって嬉しいことだった.
  もう一人は6歳ブライアン君.3歳時に髄膜炎で失聴.振動補聴器を胸につけて音の大小・長短を感じていた.キュードスピーチで読話を補助したが日に日にあいまいになっていき他人との会話がスムーズにいかないことに苛立ってきていた.6歳で手術を受け、多くの人達の援助もあって会話力は回復しつつある.

◆1985年10月 日本 「聴覚障害(1960年から聾教育研究会[日本の聾教育界において聴覚口話法教育のリーダー的役割を果たしてきた東京教育大(後の筑波大)付属聾学校教員等設立の研究会]が発行し続けている月刊誌)」に、同年8月、イギリス・マンチェスターで開かれた聴覚障害児教育国際会議への参加者の報告文が掲載される.マンチェスター大会関連記事合計12本のうち、「人工内耳」に関して触れているのが6本、詳細に記載されているものが4本であった。

◆1985年11月 日本 根本匡文「蝸牛への電極埋め込み(聴覚障害児教育国際会議マンチェスター大会での人工内耳のトピックス)」 聴覚障害誌11月号
テーマ「イギリス全国聴覚障害協会の『蝸牛への電極埋め込み』に関する解説と見解」

要旨:去る8月、イギリスマンチェスターで開催聴覚障害児国際会議第一日午後、「蝸牛への電極埋め込み(Cochlear Implantsの訳語には『蝸牛殻移植』や『人工内耳』があるが、ここでは『蝸牛への電極埋め込み』を使う、との断り)」に関するシンポジウムが行われ、国際会議のプログラムの一つとして計画された全国聴覚障害児協会(NDCS)の展示室で入手したパンフレットの内容について報告.

パンフレットの内容「『蝸牛への電極埋め込み』とは:
1.一種の補聴器.音が入ってきた時、電流が内耳を直接刺激する.3つの部分([体内器]@電極,Aコイル,[対外器]B1.ポケットラジオのような箱型・耳かけ型の発振器で構成.
2.効果と限界:電極が聴神経を電気的に刺激し重度の聴覚障害者にも音の感覚を与えることができる.しかし長期間の訓練が必要で聴覚障害自体は残る.
3.補聴器活用者には不適当なもの.
4.現段階では外科的手術自体に問題はない(治療法全体は実験段階で適用条件、埋め込み後の結果や有効性が不明).
5.研究開発施設は米ロサンゼルスのハウス耳科学研究所.その他にパリ、ウィーン注、オーストラリアのメルボルンでも開発.イギリスでは王立聾研究所協力のもと、ロンドン大学病院で言語習得後に失聴した成人3人に「電極埋め込み」を行った.
6.問題点として、手術後の感染、顔面変形、耳や皮膚の麻痺などの危険性がある.長期間電気的に刺激を与え続けることの影響についての情報もない.
7.対象者:両耳難聴であり補聴器で十分な恩恵が得られない、知的、心理的に問題のない人に限られる.イギリスでは1000人以下、子どもは10人以下と推測.
8.子どもの場合、医学的、倫理的問題がある.

(注:"ウィーン方式について"…『人工内耳のはなし』によると、「担当はブリアン教授、半数の装用者は言語獲得前失聴、人工内耳埋め込み部位は「蝸牛内」「蝸牛外」、対象年齢は3歳児〜70歳.1987年までの患者は120症例.教授によると『装用者の60%は読話なしで音声理解力が確実に改善.蝸牛内型・蝸牛外型とも読話無しで会話理解が改善されるが、改善度は蝸牛内型の方が高い.それでも蝸牛外装置を使用するのは3歳くらいの小さい幼児の場合、全聾であることを見極めるのがとても難しいから.蝸牛を保護するため蝸牛組織を傷つけない蝸牛外装置を使う.』」)

  以上の基本説明に加えて「蝸牛への電極埋め込みは耳を破壊することになり、一旦破壊されれば回復は不可能、倫理的には、医学的に必要のない実験的な手法を子どもの承諾なしで行なうことは正しいことではない」とし、全国聴覚障害児協会(NDCS)の「蝸牛への電極埋め込み」に対する見解として以下のようにまとめている。「医学的問題−感音性聴覚障害は病気ではなく、病人ではない聴覚障害児に対して手術をする必然性はない.外因性の聴覚障害者の聴力回復が安全で効果的になされたとしてもいくつかの疑問がある.「電極埋め込み」は実験段階のものなので成果が予言できない.蝸牛の結果的にもともとの耳を壊すことになり、将来、今より改善された補聴器を選ぶか蝸牛への電極埋め込みを選ぶかという余地を子どもから奪ってしまうことになる.発達途上の子どもの蝸牛に電極埋め込みを行い、脳に長期間電気的刺激を与え続けることがどんな結果をもたらすのか明らかでない試みを続けることは、聴覚障害児の将来についての予言不可能な仮説を設けることになる.危険があるのか効果があるのかわからない段階で回復不可能な試みを行なうことことについては子どもだけでなく成人にとっても危険性があるが大人の場合は自分で幅広く情報を得たりカウンセリングを受けたり心理面の検査を受け、自分で判断し決定することができる.それに対して聴覚障害児は自分で判断できない.まだはっきりしないことがあり、危険性もあることを承知で子どもに蝸牛への電極埋め込みを受けさせようとする親は、子どもの手術の必要性についてよりも聴覚障害を正しく受容することのカウンセリングや助けを受けることの方が大事なことである.」更に、NICSが個々の聴覚障害児、聴覚障害児全体とその家族の幸福を考える立場から、「蝸牛電極埋め込み」が倫理的、医学的に受け入れられる状態になったとしても、それがごくわずかの聴覚障害児にしか使えないものである限り、多くの研究費用がかかって莫大な財政的、人的資源が使われる結果、大多数の聴覚障害児の必要に応じるために使われるべき資源が少なくなってしまうことへの疑問もある.「蝸牛電極埋め込み」について「電子の耳」といった誤った名前が使われ、親の「治療」への望みをかきたてることは有害な働きを示していると考える.必要なことは障害故のコミュニケーション、教育、就職の面で問題があるとしても、人間としての価値を損なうものではないと愛情をもって受容し、聴覚障害者の本来の姿と?を?権利を尊重することが、実質的に社会的に教育的に聴覚障害児を救済することでありNDCSはそれを推進し追求していく」との一文も加えている.

◆1985年11月 日本 リオン株式会社聴能研究室室長、庄野正男氏は 高度難聴者用として「通常の補聴器」の他に「振動補聴器」や「人工内耳」のことも(財)日本リハビリテーション協会の研究誌「リハビリテーション研究」で紹介.
  「〜蝸牛を直接に電流で刺激する人工内耳(コクレアインプラントまたは人工らせん器とも呼ばれる)についてみると、この方式は1957年にフランスのDjournc & Eyries(ママ)が行った最初の臨床応用から、すでに30年近い歴史がある。日本でも早くから多くの人々が計画をすすめていたと聞くが、1976年の日本耳鼻咽喉科学会の総会で、当時すでに世界的な活躍をしていた米国のDr.W.F.House(Ear Reserch Institute)を招き、特別講演が開催され、国内の認識も一段と高まった。ところで、Dr.Houseが組織した世界の研究協力チームや、欧州と豪州の多くの研究施設で試みられた人工中耳の臨床応用はG.Bell協会の推計によると、1954年半ばで、すでに2,000例を越えたとみられている。もっとも、これまでには植え込み手術の可否、年齢や聴力損失の下限、装置や手術の安全性、あるいは電極数や音処理回路のチャンネル数とその方式などについて尨大な量の報告と討論が重ねられて来ている。その結果、米国のFDAは、遂に1984年12月に3M/House方式の人工内耳の製造販売を18歳以上の患者にのみ適用することを条件として許可すると発表した。3Mのものは単チャンネルのもので、House Instituteで最も多く試されたものを改良したといわれる。また、3Mに続いてFDAへの製造許可申請を出したのは、Melbourne大学を中心に開発した22チャンネル方式のもので、1985年末に許可を得、米国のCochlear社から発売された模様である。このほか、大学の協力で製造許可申請のための臨床試験を続行しているのは、現在のところすべて米国の企業で、Bioear Inc., Storz Instrument Co., Symbion Inc. などがある。他方、研究の盛んな国としては、フランス、イギリス、西独、オーストリア、オーストラリア、ノルウェーおよびスイスなどがあり、主として国立の機関や大学が実績を積んでいる。特にイギリス、ノルウェー、オーストリアなどでは、電極を蝸牛に直接植え込むことを避け、より安全な中耳腔の壁、なかんずく正円窓や卵円窓の附近に植え込む方式で挑戦しているグループもある。
  さて、日本の場合には早くからDr.Houseの研究グループとして参加していた日本医大の神尾助教授らによって、1980年12月に初めて第1例の臨床試験が行われた。また1985年10月(ママ.田中補足:正確には1984年10月)に第2例として3M/House方式が試験され、それぞれはシングルチャンネル方式でありながらすぐれた実用性のあることが実証されつつある。さらに多チャンネル方式では、1985年12月に東京医科大の船坂教授らによって、Melbourne大−Nuclens社方式の22チャンネルの装置が試験され、その結果が待たれている。
  なお、人工内耳の植え込みには、装置の費用の外に手術と入院の経費が必要で、米国ではその殆んどを政府のMedicare(ママ,医療?)予算と、民間の保険で支払われるという。しかし、人工内耳の最もよい条件(後天ろうで、しかも失聴後2〜3ヵ月)の人でも、手術後の読話を含めた種々の訓練に数ヵ月を要するといわれているので、全体としてはこの費用も見込んでおかなくてはならない。

(参考までに「高出力補聴器」と「振動補聴器」についての紹介は以下のような内容である.
  前者:「従来の箱型補聴器だけではなく「耳かけ型補聴器」でも130デシベル程度の音響出力が十分に出せるようになったことを紹介、また、「〜箱型補聴器では、140デシベルを越す驚異的な製品も市場には多い。このような補聴器を用いると、極めて僅かの残存聴力も利用でき、読唇と併用して驚ろく程の成績を上げている例も少なくない。しかし、強力な補聴器を常用する場合、最も心配されるのは補聴器を用いたことによる聴器障害、また障害によって起こる聴力の低下である。このことは様々な内的要因による事もあるが、強大な音響を聞くことが引金になって起こる聴力低下もまれにあるようで、専門医の指導助言による細心な聴力管理が大切である。」
  後者:「聴覚の利用に限界が感ぜられる高度の聴覚障害者の為には、他の感覚チャンネルを用いようとする尨大な研究がすでに行われて来た。しかしこれまでの研究用機器は形状が大きすぎ、日常の使用訓練の機会が少なく、その結果としては十分な成績があげられなかった。しかし、最近のマイクロプロセッサとソフトの発達で、ようやくポータブル型のセットが製作されるようになり、かなりの成績が得られるようになった。例えば、Melbourne大学のClark教授が実用化しつつあるものに"TIKLE-TALKER"(ママ, 田中補足:Tactile Vocoder・Tactile Aid:触覚補助装置)と称する触覚利用の小型セットがある。このセットが開発された動機は、人工内耳の植え込みを両親が希望するほどの難聴であっても、幼小児は一般に残存聴力を正確に測定することが困難なので、早期から音や音声の存在を認識させる訓練の必要性があると強く感じられたからだといわれる。このため、このセットでは音声をマイクロプロセッサで4つの帯域に分け、親指を除いた片手の4指に、それぞれ一対となって接近させた4組の振動子を割り当て、訓練効果をあげている。また、皮膚の電気刺激を利用したものにMunich大学のHoffmann教授らのセットがある。電流を流しての刺激は接触による刺激に比べ約1/100の電力でよいといわれ、電池式で小型のポータブルセットとなっている。信号は12チャンネルのVOCODAR方式で処理し、12組の電極に導びかれ、それぞれの正負電極は接近して組み合わせ、6組ずつを左右の前腕にリングで取付け使用する。6人の少年で実験をしたところ、読唇によらず単独で使用した場合でも、母音で90%、数字では50〜98%の成績をあげたといわれる。」
(「リハビリテーション研究」1985年11月(第50号)35頁〜40頁)

◆1985年12月 日本「聴覚言語障害(東京学芸大・特殊教育研究施設内にある聴覚言語障害研究会が1972年以来発行している季刊研究誌)」第14巻第2号 石井武士氏、都築繁幸氏、それぞれ聴覚障害児教育国際会議に参加しシンポジウムのテーマ「人工内耳」について報告.
石井氏は「人工内耳」は「蝸牛核移植」ともいわれるが、臓器移植ではなく電極を内耳に埋め込むものであること、感音難聴のうち、感覚細胞のダメージによるものに適用されるもので鑑別診断が前提となること、ハウスの報告例では低年齢児(2〜5歳)が多く含まれていたが小児の鑑別診断の困難さや成長途上にあることの問題が話題となったことについて記載.都築氏は、シンポジウムで「蝸牛移植」の功罪を「医の倫理、子の権利、親の権利」の視点から論じあわれたこと、当日「蝸牛電植」に反対するビラをろうあ連盟が配布していたことも報告.

◆1985年12月 日本 東京医科大学 舩坂教授 コクレア社N22人工内耳植え込み手術実施(日本初,この年の手術実施病院は1病院,装用者1人,女性,失聴期間1年未満)
http://www.ningen-rekishi.co.jp/details/4-89007-092-3.htm
舩坂教授が東大時代の上司だった関係から、この手術を見学させてもらった虎の門病院の熊川医師は、その手術は簡単なものではなく大きな問題があることを知る(髄膜炎が原因で失聴された患者さんの内耳の中が、事前のCTスキャンでは問題はなかったにもかかわらず、内部が埋まっていることを目の当たりにした.手術は成功したが、CTでもわからないことを予めどうやって調べようか?…).*5

◇1986年  日本  全日本ろうあ連盟  1981年の国際障害者年をきっかけに手話講習会・手話サークル活動拡大後、厚生省に対してボランティアに依存した手話事業の見直しを求める.厚生省から委託されて、手話通訳制度化に関する検討会を3年間実施した結果、手話通訳制度化運動普及.「アイ・ラブ・コミュニケーション」パンフレット発行.手話と手話通訳の社会的認知を推進.

◇1986年1月 日本 東京医科大学 上記患者への最初の音入れ. ニュークレウス社からスッタフがマッピング(人工内耳の調整)応援の為に来訪.初日の聴き取りで患者は「アシ」と「イシ」の違いがはっきりと分かる.「きこえます.分かります」と涙ぐむ.病院スタッフ等も一様に胸を熱くする.*3

◆1986年1月1日 日本 聴力障害新聞に、ろう教育国際会議での人工内耳シンポジウムと人工内耳そのものへの批判記事が掲載される.
大見出し「マンチェスター聾教育国際会議を強く批判」,中見出し「惨!そして怒り」,「今の今になぜ『人工内耳』か」.
本文要旨
「1985年8月5日〜9日 イギリス・マンチェスターで第9回ろう教育国際会議開催.日本から105名参加.『聴覚障害誌』10・11月号は同国際会議参加者の感想文特集.会議では来賓ロバート・ダン氏(英国国会議員,文教委員会所属)が統合教育の成果を評価し、ろう教育の専門性も評価.しかし今後2〜3年のうちに若干のろう学校閉鎖が避けられないことから、統合教育そのものへの疑問があることを表明.英国ろうあ連盟からはマンチェスター会議への批判『聴力障害者の立場を汲み上げていない』『会議のうち、重要企画であるシンポジウムテーマとして"人工内耳移植"が選ばれたこと』『日本からの参加者、聴覚障害者教育福祉協会理事である今西孝雄氏が人工内耳のことを"〜新たな希望を感じさせる明るいものであり…"と報告』.英国成人聴覚障害者からは『ろう学校卒業性の学力が8歳半止まりで、ろう学校の廃校が続いている今の時代に、何故人工内耳なのか』と怒りの声を上げている」

◆1986年1月 日本 聴覚障害誌1月号 前年8月にイギリスマンチェスターで開催されたれた聴覚障害児教育国際会議の報告会の記録が掲載される.
田中コメント:前年10月11月号掲載の各参加者の報告文からは、8月5日の「人工内耳シンポジウム」の賛否両論の盛り上がりが伝わってきた。それに比べるとこの号では「人工内耳シンポジウム」に全く触れておらず、開催されたこと自体分らない内容となっている.前年中に、参加者のうち大会にて研究発表した人が同内容を報告し合うという内容だったせいかもしれない。また、人工内耳に対しての疑問点や不安な面が漠然としていて意見を述べる状況でないのかもしれない。それにしても、あれだけの話題となったことに関して、全く触れられていないのは不自然であり、そのこと自体に問題を感じる。トピックス的に取り上げた可能性があるとしたら、同号で掲載された、日本聾話学校校長大嶋功氏の講演「日本における聴覚障害児教育―過去、現在、未来―」くらいだろう。いずれにしても、他の教育関係者の「人工内耳」に対する考え、姿勢など、立ち位置を決めかねているということだろうか。

◆1986年1月19日 日本 難聴者団体「全難聴」機関紙『新しい明日』49号 第4面と第6面に人工内耳関連記事掲載 

第4面―1985年度全難聴・記念大会(広島) 講演記録
記念講演「人工中耳・内耳の時代へ」・研究レポート「補聴器利用詳細調査」(4面2/3程度)
記念講演―広島大・原田康夫先生「医学からみた難聴者の社会参加」要旨:「難聴の仕組みいついて(説明略)医者は聴覚障害を手術によって止めたり治したりできないか追究している.帝京大・愛媛大による植込み式人工中耳は、側頭部に人工中耳を植え込み、あぶみ骨を直接語化して音を伝える仕組みで課題はあるが希望の持てるもの.人工内耳について、欧米―千例以上の症例.日本では2例(田中注:この時点で単チャンネル式は2例,22チャンネル式の手術が1例実施されていた)、うち1例がうまくいっているだけ.今後11月日に『人工内耳研究班』は発足、真剣に取り組んでいく.日本の耳鼻科医は手術の面で遅れているが、医者の側からのアクションが必要.更に補聴器についての知識も高めていかないと高齢化社会に対応できない」

研究レポート―三好耳鼻咽喉科病院・三好彰先生「全難聴会員を対象に実施した補聴器利用に関するアンケート調査結果を報告.対象―314人(男性155人・女性158人・不明1人),障害種類―感音性168人・不明47人,等級―2級92人・3級62人・4級55人,補聴器使用状況―使用者255人・使用経験無し35人・使用中止者23人,補聴器タイプー箱型108人・耳かけ型106人,両耳装用者―41人(そのうち感音性21人),※アンケートから分かったことは、補聴器そのものに対する要望の他、支給・販売システムについての要望も目立つことが分かった.耳鼻科医の、難聴者や補聴器に対する関心の低さが様々な影響を与えている」

 ※参考データ:難聴者大会の参加者に行ったコミュニケーションに関するアンケート調査の結果(215人)−コミュニケーション方法の多い順に並べると@補聴器と筆談(91人)A筆談のみ(58人)B補聴器と手話(27人)C補聴器・手話・筆談(22人)で、補聴器のみ、手話のみの人は一人もいなかった。
 第6面-「愛媛大耳鼻科が人工内耳アンケート 83%知っている,33%受けてみたい」(第6面の1/3程度)

要旨:愛媛大医学部耳鼻咽喉科学部室の柳原尚明教授ら人工内耳研究スタッフは、愛媛難聴者協会会員を対象にアンケート調査を実施.柳原教授らは人工中耳手術をスタートした後、人工内耳の研究を進めている.▼2年前から、1,000例以上の手術実績があるアメリカへ、柳原教授、暁講師らが長期滞在し手術に立ち会うなど精力的研究を進めてきた.このたびのアンケートは、アメリカに比べて遅れている研究を如何に進めていくかの基礎資料とするために実施.会員のうち、中・高度障害の250名を対象に実施、195名回答.▼Q:人工内耳を知っているかーA:知っている(83%),Q:人工内耳の診察を受けてみたいかーA:受けてみたい(66名(33%)),※人工内耳への関心が高いことが分かった.▼人工内耳については、愛媛大の他、広島大の原田教授の森  健二「言語指導(聴覚利用・読話・発音指導など)について〈前・後〉」,スタッフらが中心となり「研究グループ」の組織化が行われている.関連してせかいあっ国の資料収集も行われている.人工内耳のメカニズムと手術のビデオなども入手されており、愛媛ではビデオを見て人工内耳の学習会を本年早々に予定している.

◇1986年1〜12月 日本 聴覚障害誌ー2月号今月の言葉ー田中美郷「障害受容について」,4月号ー戸田吉浄「聴力障害者情報文化センター(紹介文)」,6月号ー丸山修ー意見「耳が聞こえないということについて」,7・8月号ー森  健二「言語指導(聴覚利用・読話・発音指導など)について〈前・後〉」,8月号ー鏡 隆左エ門ー今月の言葉「もはや「九歳の壁」など今は存在しない」,8月号‐大沼直紀 訪問記「オーストラリアの聴覚障害児教育(詳細は後述参照)」,9月号ー笠松 長重「ろう学校における音楽教育の変遷」・吉田 千恵子「音楽リズムの指導についての一考察」,10月号ー「適切な教育を補償するためのadvocacy」,11月号ー松尾安雄「スピーチトレーナーについて」,

◇1986年12月 日本 聴覚障害誌12月号 特集「難聴学級の教育」ー今月の言葉ー寺田庄次「難聴・言語障害学級の諸問題」,中本秋夫「きこえとことばの教室の実状」・舘野博「難聴学級の歩みと指導の実際」・村上眞知子「通級制の難聴学級における指導内容と方法」・香川哲「中学校難聴教室での指導」,「全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会茨木大会の報告」.

◆1986年3月1日 日本 全日ろう機関紙「日本聴力障害新聞」第6面の4分の1のスペースに人工内耳に関する記事が掲載される.
見出し「人工内耳の研究進む 開発へ意欲的な愛媛大」要旨「外耳や中耳に原因する難聴に比べ内耳や蝸牛神経、聴覚中枢に異常があり聴力100dB以上の高度難聴者に対して有効な治療が見つかっていない.内耳性聴障者に有効な人工内耳の研究は欧米では実用化されているのにわが国では二例の報告(柳原教授)があるだけで、かなり遅れています。(中略)わが国では人工内耳は薬事法上、まだ医療装置として認められていません。このため愛媛大学医学部の医学研究倫理委員会は12月24日、人工内耳の臨床応用について条件付きで承認、柳原教授らの研究スタッフは今夏に向けて治療をはじめました。広島大学医学部でも、耳鼻咽喉科の原田康夫教授らの研究スタッフは同様の研究が進んでおり『臨床応用に必要な準備はほぼ整った』として同大医学部医学研究倫理委員会に諮り、まもなくスタートするといいます。柳原教授らの研究スタッフは本格的に着手しますが、人工感覚器を開発する一方、ろう心理学の高橋信雄同大教育学部助教授の協力を得、手話や読話などの併用により術後の聴能訓練を高めるなどのリハビリテーションの確立をめざし、独自の治療システムを研究しています。こうした臨床応用に成功すれば、人工中耳とあわせて難聴治療はさらに前進、愛大医学部は人工感覚器の開発と人体適応の分野で世界でもトップレベルに達することになります。柳原教授は『聴障者の期待も大きく慎重に進めていく。人工中耳と違って聴能訓練が重要ポイントになる。海外には秀れた(ママ)実例もあるが、日本的な治療法として開発していきたい』と話しています。」(田中コメント:柳原教授の話として『(日本の人工内耳手術は)二例の報告があるだけ』と記していることから、この記事で取り上げているのは「ハウス/3M社製単チャンネル式」人工内耳のことだということがわかる.愛媛大は県聴覚障害者団体["県聴覚障害者協会"が昭和22年に活動開始し、全日本ろうあ連盟に所属]と協力関係を築きあげており、その情報網を通してこの記事が書かれたものと推察される.それに比べて東京医科大学は、難聴者やろう者等、聴覚障害者団体との繋がりは全くなかったことから、22チャンネル式人工内耳の手術は既に実施されていたにも関わらず、ろう者団体に関連情報は流れず、愛媛大医学部研究倫理委員会が単チャンネル式人工内耳手術の臨床応用についての条件付き承認のことが記事になったものと推察される.

◆1986年3月14日 日本 神尾友和医師,日本医科大グループによる3M社製単チャンネルアルファタイプ人工内耳を言語獲得前失聴(先天性難聴)17歳女子高生の右耳に埋め込む手術を実施(日本医科大学における3例目)
後に発表した論文では、女子高生の生育歴は2歳半で両側高度難聴と診断され、3歳〜5歳時右耳に補聴器装用し聾学校で教育を受ける.読話力もつけ3,000語習得し小・中・高等学校の通常級に通う.補聴器は小学校3年から使用せず.1985年4月、高校2年時に日本医科大受診.ABR無反応、電気鼓室岬検査では、左耳の反応は右耳と比較して一定しない.自声のフィードバックはなく声の調子はずれ、ガ・ザ・ダ行等、「濁音の構音障害」「子音への置換」「会話明瞭度の障害」が高度に認められる.読唇は57式表で100%可能.1986年3月に手術実施.その47日後(5月7日)の閾値測定結果は250HZ‐50dB、500Hz‐55dB、1000Hz・2000Hz・4000Hz‐60dB、8000Hz‐80dB、それ以降今日(1990年)まで右耳人工内耳で環境音識別、音節数別による語音識別のリハビリテーションと構音訓練実施.その結果、@環境音識別可能、音節識別は読唇なしに95%以上可能となるA1から5までの数字は読唇なしに識別可Bエレクトロパラトグラフによる構音訓練でサ・シャ・チャ行音は改善、ザ・ダ・シャ行は単語では改善したが文章中では未改善.論文では、人工内耳のきこえ方について書いた以下のようなTさんの日記の一部も紹介.「補聴器よりも音が澄んでいて読唇が楽になったが、会話は聞き取れない。家族や友達は発音が良くなったと言ってくれるが、自分でははっきり判らない。」神尾友和他 『単チャンネル方式人工内耳の実際』「耳鼻咽喉科・頭頸部外科(第62巻・6号)1990.6月発行」

◆1985年度末 世界(豪,米,カナダ,西独,日本等)の人工内耳装用者数200人以上

◆1986年 オーストラリア メルボルン大 コクレア社製人工内耳装用者49人(前年比19人増),アメリカ ハウス/3M社製人工内耳装用者35人

◆1986年 アメリカ 米連邦保健局 オーストラリア・メルボルン大 人工内耳スピーチプロセッサー改良研究に対して、3年計画で35万ドルの研究補助金を与えた.

◆1986年 世界 オーストラリア・メルボルン大チームの国際的貢献が認められ、パイオニアとして重要視される.♯0

◆1986年 日本 日本耳鼻咽喉科学会 日本聴覚医学会で 舩坂他「22チャンネル コクレアインプラント‐そのシステム紹介と本格的言語訓練前の話声聴取能について」発表(「…発表したとき、討論もなく、なんとなく反対という雰囲気でした。そのうち「舩坂も『ヤキ』がまわったナ」との噂が私にも届いたのです。舩坂「[ACITA]十周年を迎えて-人工内耳スタート四方山話-」[ACITA]創立10周年記念誌寄稿文)

◆1986年 日本 日本音響学会聴覚研究会 舩坂氏他「コクレアインプラント‐そのシステムとリハビリテーション法‐」発表

◆1986年 世界 カナダではトロント、バンクーバー、エドモントンの3か所で人工内耳手術実施(当時札幌医科大耳鼻科医山中昇氏の回顧文「[ACITA]10周年記念誌での『回想と展望』」*12)

◆1986年5月15日 日本 読売新聞第1面に日本で初めての22チャンネル式人工内耳手術の成功を伝える記事が掲載される.大見出し「人工内耳で聞こえた」、中見出し「日本で初の手術成功 東京医大の舩坂教授ら(人工内耳を埋め込んだ状態の耳の構造図入り)」、小見出し「電流で聴神経刺激 東京の主婦(患者の写真入り)」といった表現が、本文は以下のような文で多チャンネル式人工内耳のことを紹介している.
「髄膜炎で両耳ともまったく聞こえなくなった主婦が、わが国では初めての人工内耳を埋め込む手術で音の世界を取り戻したー。感激にふるえながら、人工内耳を使って会話の訓練に励んでいるのは、東京都杉並区高円寺南の原田京子さん(四〇)筆談や読話に頼るしかなかった原田さんに、再び会話ができる音の世界を与えることに成功したのは、東京医大耳鼻咽喉科・船坂宗太郎教授らのグループだ。この成果は今月二九日、札幌市での日本耳鼻咽喉科学会で発表される.」「原田さんが、耳鳴り、難聴、めまい襲われ出したのは昨年の二月半ばごろ。三月五日、突然の顔面マヒと吐き気・おう吐で東京医大病院に緊急入院する。脳脊髄(のうせきずい)に細菌が入り込んで起こる髄膜炎とわかり、徹底的な治療で治ったものの聞こえの方は次第に悪化、同月二十六日には全く聞こえなくなった。 自殺の恐れがあると見た病院側は入院させたままで読話を訓練、七月十日、退院となった。(中略)『退院後も、聞こえないためにテレビやラジオから逃れ、社会から置き去りにされるという恐怖感、絶望感で、死ぬことばかり考えていた」という. その後八月、オーストラリアのメルボルン大で招待講演した船坂教授は、同大クラーク教授が開発した人工内耳による治療を見る機会を得た。同国ではすでに四十例、八〇-八五%の成功率を知った教授は人工内耳を導入することにし条件にかなう第一号候補に原田さんが選ばれた。(「内耳性難聴」、「人工内耳のしくみ」についての説明部分は略) 十一月二十八日(新聞以外の記録、船坂氏や他の関係者の記録や論文で発表されている数字は12月とマクドナルド)、原田さんの左耳に埋め込み手術が行われた.(注略)〜言語治療士の協力のもと、原田さんにとって言葉が最も聞き取りやすいようにスピーチ・プロッセッサーの音量を調節することで治療は完了した。『忘れもしない十二月三十日、人工内耳をつけて初めて聞いた音は宇宙のエコーのような感じでした。雑音でも聞こえたことで涙があふれてきて……』と原田さん。今では会話に不自由しなくなった原田さんの訓練は、似かよった音の識別に移っている。『人間の聴神経は二万数千本もあり、二十二本の電極で蝸牛の機能を代行することに無理はあるのだが、結果があまりによいことに、私自身、驚いている』という船坂教授.同じようなケースに対して、人工内耳による治療を積極的に進めたいとしている.」読売新聞では日本で初めて実施された多チャンネル人工内耳手術について、上記のように好意的に紹介した.これに関連して、人工内耳手術執刀医である船坂教授は以下のように振り返っている.「(当時)医学界、聾教育界等、関連専門家の間では懐疑的な受け止め方をされたのに対し、新聞各紙やテレビ等マスコミの取り上げ方は好意的であったと船坂氏は回顧する.前年末の手術の成功が「耳鼻咽喉科医のみならず、音響・聴覚を研究している工学者にも大きなインパクトをもたらし〜新聞の一面のトップニュース」となったのだろうと、著書『回復する聾』の中で船坂氏は振り返る.新聞で好意的に取り上げられたことが更にプラスに影響して、厚生省による「治験」「保険適用」の許認可につながったのだとも分析している([ACITA]十周年記念誌).マイナスに影響したこととして、人工内耳の効果が大きく取り上げられ、限界面については余り語られなかったことで、リハビリが必要なことや聴こえに限界面があることについて理解不足のまま手術を希望する患者がいたことについても同記念誌で運営委員によって語られている.*1)

※参考までに難聴者団体・ろう者団体・聴覚障害児教育者集団の各機関誌・研究誌での単チャンネル人工内耳と多チャンネル人工内耳について、話題としての取り上げ方について下記に示す.

・1981年7月  "全難聴(社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会)"の前身「全国難聴者連絡協議会」の機関誌「新しい明日」(31号・7月15日号)に「医療情報」として、単チャンネル式人工内耳手術について、独自の記事を大きく掲載.多チャンネル式人工内耳については、非常に小さい記事で読売新聞に掲載された内容をほぼそのまま使用.
・1981年5月〜1年間 ろう者団体"全日本ろうあ連盟"の機関誌「聴力障害者新聞」では単チャンネル式人工内耳についてとりあげていない.聴覚の機能改善について関心が薄い為ではないことは、他の号では「耳小骨移植による聴力回復のための『イヤーバンク開設』に関する記事」などが大きく取り上げられていることから推察できる.多チャンネル式人工内耳については、読売新聞を内容を圧縮した形で掲載.
・1981年5月〜数年 聾教育界の主流―聾教育研究会発行「聴覚障害」でも日本で行われた単チャンネル人工内耳のことはとりあげていない.しかし、欧米の小児人工内耳事情については掲載されたり、時には聴覚障害教育学会研究大会等で人工内耳への抗議デモが行われたことがトピックスのように掲載されたときがある.

◆1986年6月11日 オーストラリア シドニー大 ギブソン教授 10代の後天性障害児2例目への適用(16歳男児・デヴィット君にコクレア社製人工内耳N22手術実施)
本症例は2歳半時に髄膜炎で失聴し、まもなく話さなくなった.手術当時は聾学校に在籍し、午後から普通学級に通級.7月4日に音入れ開始.2歳半失聴以降、初めて音・人の声をきく.読話はより正確になり、人とのコミュニケーションが上手になった.

◆1986年7月1日 日本 日本聴力障害新聞10面に22チャンネル式人工内耳手術の記事掲載.
見出し「日本初人工内耳手術成功 『聞こえる』と喜ぶ原田さん」、要旨[愛媛大医学部などで研究がすすめられていますが、東京医大耳鼻科・舩坂教授らグループが治療に成功し5月29日札幌での『日本耳鼻咽喉科学会』で発表.患者は髄膜炎で両耳とも聞こえなくなった、東京都の主婦Hさん。"聞こえなくなった経緯と、東京医大にて昨年12月28日、左耳に埋め込み手術を行い再び会話音が聞き取れるほど回復したこと"を記載、Hさん本人が語った『忘れもしない12月30日、人工内耳をつけて初めて聞いた音は宇宙のエコーのような感じ〜中略〜聞こえたことで涙があふれてきました』との喜びのことばも掲載.(読売新聞の記事内容を少しアレンジしたもので、聴力回復を喜ぶことを支持する立場.1985年秋に聴覚障害者教育国際学会マンチェスター大会で人工内耳がテーマになったことを批判的に報じる立場と矛盾している)]

◆1986年7月4日 日本 全難聴機関誌「新しい明日」51号に日本で初めて22チャンネル式人工内耳手術が行われた記事掲載.単チャンネル式の手術実施について報じた記事に比べ、非常に小さく、内容も事実を述べるだけのものである.(田中コメント:大きく取り上げたにもかかわらず、単チャンネル式が期待はずれだったことの反動か?)
見出し「人工内耳の手術」 本文「愛媛大学医学部で人工中耳の手術をしたことは以前に紹介したが、今度は東京医大で初の人工内耳手術が行われて成功した。(ママ.田中注:正しくは「初の多チャンネル人工内耳手術が〜」とすべき.「初の人工内耳手術」は1980年に日本医科大で行われており、そのことは同年に全難聴機関紙『新しい明日』でも報じている.因みに読者からの指摘があり、翌月8月号に訂正とお詫び文が掲載される).そのしくみは、体外部分にマイクと、音を電流に変えるスピーチプロセッサー、その電流を電磁波に換える発振コイルがあり、体内に、電磁波を電流にするマイクロプロセッサ―とそこから伸びる22本の白金電極。白金電極は蝸牛にうめこまれて聴神経を刺激する。蝸牛に障害がある時に有効であろう。(読売新聞5・19→正しくは5・15掲載)

◆1986年 オーストラリア メルボルン大 新型22チャンネルミニ電極の人工内耳開発.

◆1986年 オーストラリア メルボルン大 後天性聴覚障害児への人工内耳適用開始する.
症例1) 10歳男児スコット君…3歳時に髄膜炎で失聴、補聴器効果なし.補聴器は嫌がり非装用で過ごす.手術当時は地区の聾学校に在籍.スポーツ好きであるが、フットボールの制限があることも納得して手術を受ける.手術後、特別製のヘルメット使用によりフットボールをすることも許可される.補聴器の時は嫌がったが、人工内耳に対しては協力的である.
症例2) 6歳男児ブライアン.3歳時、髄膜炎で失聴.補聴器は役立たず振動触覚器使用、音の大小、長短は分かる.手術後、会話力を取り戻しつつある.
※症例から言えることは、小児の手術の場合、周囲の反対を押し切って決断することもあるため、精神的な強さが両親に求められる.適応条件として、年齢、健康上の問題、耳の状態、社会的・教育的背景などの違いを超えて共通して言えることは、「人工内耳に対する姿勢」である.これは心理的評価ではなく問診で判断することができる、としている.

◆1986年8月 日本 大沼直紀(国立特殊教育総合研究所)「オーストラリヤの聴覚障害児教育―メルボリンにおける聴覚補償の教育機関―」 聴覚障害誌41巻8号 p.40−43
要旨:国立特殊教育総合研究所では、アジア・太平洋地域教育開発計画のある15の参加国(豪、バングラデシュ、中国、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、ネパール、パキスタン、フィリピン、スリランカ、タイ、ニュージーランド、シンガポール)の特殊教育に従事する関係者を招へいし「ユネスコ・APEID特殊教育セミナー」を実施してきた.この10月、第6回会議で1サイクル終了予定.これに関して、文部省の命を受け、タイのユネスコ事務所、ニュージーランド文部省、オーストラリア文部省を訪問.本稿はオーストラリアの、メルボルン市とその近郊の、聴覚活用教育で成果をあげている代表的聴覚障害児教育機関の概要報告.
  見学コースを設定してくれたのはアーバー博士(元CID[米・中央聾研究所]のスタッフ.日本でも聴能評価開発者として有名で聴能訓練担当者にはなじみ深い人).1980年にCIDとワシントン大助教授を退職、豪州に移転.豪州でも聾学校で子供の聴能訓練担当.ビクトリア大のオージオロジーの講師として勤めたあと、メルボルン大に移った.現在、リンカーン保健科学研究所の教育オージオロジストとして研修、研究、臨床に活躍.

▽リンカーン研究所
メルボルン都市圏内に位置する.コミュニケーション障害専門家養成部と聴覚・言語障害クリニックで二つの業務を行っている.「・・養成部」はスピーチパソロジストとスピーチセラピストの養成を目的にした大学の学部レベルのコースである.「クリニック」はメルボルン都市圏の聴覚・言語障害児の検査、診断、評価、相談、訓練を目的としたもので「聴覚リハビリテーションクリニック」では、補聴器のフィッティングと聴覚活用を中心としたコミュニケーション指導が行われている.同時に、中途失聴難聴成人や言語習得前に聾となった生徒に対する聴能訓練や言語指導プログラムも用意されている.この国のオージオロジスト養成は主にメルボルン大とマクアリー大の耳鼻科が大学院レベルオージオロジー1年コースを設置して行っている,特にメルボルン大耳鼻科では、国際コクレアインプラント(蝸牛植込)シンポジウムが1985年秋に開催されたばかりで、この大学の開発した多チャンネルの人工内耳への関心は高い.東京医大(舩坂教授)の行なった我が国で第3例目の蝸牛植込手術(多チャンネルでは第1例目,1986)※もメルボルン大の22チャンネル方式であった.

▽グレンドナルド聾学校
アーバー博士の聴能訓練の理論,方法,教材をクラスの子供達に実際に応用したのがこの学校.メルボルン郊外の住宅地の中にある大規模校.「GASP!」を開発した学校として有名であること(GASP!-アーバーの聴能評価マトリクスのうち、@語音の一部の検知 A単語の識別 B文の理解 の3点について、刺激に対する反応の課題の達成をみる簡便な聴能評価表)
  当校は、日本の聾学校の小・中・高等部に相当する組織で、比較的聴力障害の思い6〜18歳の聴覚障害児117名が在籍.教師-30名.口話法を中心とした指導法採用.当校への就学指導は教育局の判定委員会によってなされる.入学後も保護者との話し合いにより必要に応じて地域の学校へ通学することも検討.その場合、訪問教師性の適用を受けフォローアップ.子どもたちの補聴器選択はNAL(国立音響研究所・後述)が行い、その後の点検、修理にもNALの巡回サービスが行う.そのため、学校の専任スクールオージオロジストの仕事は、子供の聴覚管理、聴能評価、訓練プログラム作成等の領域に専念できる条件がある程度保証されていると思われる.特徴的教育内容は、「コンピューター学習」や「電話コミュニケーション」の指導があること.聴覚障害児にとって電話によるコミュニケーションは難しすぎる、と一般に考えられがちだが、易しいレベルから始めて、次第に電話コミュニケーションの3条件(会話の内容の具体性、応答相手の協力性、視覚情報の併用性)を手がかりに、少しずつ難しいレベルに進めていく.指導は、[補聴器]や[電話と補聴器をつなぐ付属機器]、[テレビ画像などの視覚情報を伝送する機器]などハードウェアの有効な使い方を教えるだけではない.何をどう伝え合ったらよいのか、コミュニケーション成立のためのほとんど全ての基礎能力、すなわち言語・発音発語・聴能・国語の指導等、聾・難聴教育の重点が総合され「電話コミュニケーション」に応用されるという意味では、今後、日本でも体系的指導プログラムを検討する必要がある.
  高等部には、家具製造、木材工芸、陶芸、溶接、機械、タイプ、グラフィックなどの職業科目がある.授業は一般の工業高校等にそれぞれ出向いて健聴生徒と共に受ける.15歳以上の生徒に対しては職場での実習の機会が設けられる.通学範囲が広いので寄宿舎があり、金曜に帰省、月曜朝に登校する.都市部から通学する児童生徒にはスクールバスがある.

▽NAL(国立音響研究所)ヒアリングセンター巡回補聴サービス
当研究所はビクトリア州全域にわたって聴覚補償サービスを無償で実施.6つのヒアリングセンターが各地にあり、それぞれの受け持ち区域に対して移動巡回バスが各聴覚障害児教育機関を定期的に訪れるシステムになっている.キャンピングカー様小型バスの中に、聴力検査、補聴器特性測定関係機材が設定され、補聴器フィッティングの為の諸検査、補聴器点検、修理を効率的に実施.NALには中央研究所がシドニーにあり、オージオロジー研究も実施.日本では、最近になって高度難聴用にも適用が勧められるようになった耳かけ形補聴器を、大部分の児童・生徒が装用.

▽タラリー聴覚障害幼稚園
メルボルン郊外、数10kmにあるブラックバーン市の小さな町中の幼稚園.43名の聴覚障害児が健聴幼児と、母親と共に早期に交流学習体験をするパイロットブロジェクト(実験事業)学校.ビクトリア州の、?聴覚障害児のための諮問委員会"の実施する9つの事業(学校教育、教材開発、メルボルン大等と連携した研究、訓練プログラムの開発、図書・出版サービス、奨学金、擁護運動など)のうちの一つ.理想的な自然環境の中に遊戯フィールドと教室が巧みに配置された幼稚園.
  聴覚障害児の年齢は8ヵ月から6歳.クラスは16名の健聴児と4名の聴覚障害児といった配属で構成.常勤スタッフは約20名.内訳は聾教育の専門教師4、幼稚園教師4、教育オージオロジスト、スピーチセラピスト、心理療法士、ソーシャルワーカー、研究補助員、図書司書が各1他.指導は母子コミュニケーションを中心としたプログラムで健聴児の活動を観察しながら母親が聴覚障害幼児とどのようにかかかわったらよいのかを学ぶ.また、聾の母親とその健聴の子、聾の母親と難聴の子といった母子コミュニケーション指導も実施.メルボルン大オージオロジー学部の研究や臨床実習とも連携して新しい試みを実践.例えば特定の母子,指導者との園内における全行動・発話を各所に設けられたモニターカメラと各自の携帯するFMマイクにより記録、それらを母親指導や教育実習での分析資料とすることができるよう、観察室が機能的に設計されている.ほとんどすべての幼児が耳かけ形補聴器を装用、音響フィードバック(ハウリング)音を起こしていなかったのはNALのヒアリングセンターの巡回サービスや教育オージオロジストのイヤモールド採取がうまくいっているからだろう.しかしFM補聴器の供給はNALからだけのものでは十分でないという不満もあり、種々の補助金を調達しながら充足に努力している.」以上、ビクトリア州における特に聴覚障害児の聴覚活用で成果を上げている代表的機関の概要.

著者所感)聴覚障害の早期発見・診断・評価のシステムについては相当に整備されている印象を持った.就学相談、聾学校と通常学級との行き来に関しては、?親関与"による話し合いの姿勢を基本方針としながら、なお重要課題として種々の実践的試みを通して検討している段階.

◆1986年9月 日本 東京医大 コクレア社製人工内耳N22の埋め込み手術2例目の実施. *4

◆1986年9月 日本 (株)日本コクレア設立(主に心臓ペースメーカーを扱う医療機器輸入代理店の日本テレクトロニクス社から独立)*2*14

◇1986年9月1日 日本 全日ろう機関誌「日本聴力障害新聞」6面(5分の1のスペース使用)聴覚障害児の早期発見啓発ビデオ完成の記事掲載.
見出し「京都 字幕付『早く見つけて』完成 聴障児の発見啓発ビデオ」、要旨「▼聴覚障害児の早期発見の重要性や発見のポイントなどを解説したビデオ・テープ〜が京都で製作されました。▼聴覚の障害に限らず、障害を持つ子どもを早期に発見し、早期に教育・訓練の場に導く事が、その子の発達にとって大変重要な問題です。▼これまで、耳の障害についての検査は4〜5歳にならないとできないと言われていました。しかし聴覚障害児の場合、コミュニケーションの問題だけでなく、この一次障害が大きく、より早期に発見する必要があります。▼最近、聴覚障害児の早期教育に関する研究や補聴器の改良など大きな進歩が見られます。また、京都でも児童福祉センター、ろう学校幼稚部、難聴学級、聞こえの教室といった教育訓練体制が整えられてきました。そして耳の検査も、脳波などをつかって、生まれてすぐに検査ができるようになってきています。▼ところが、残念なことに、一般の医院や保健機関などでもこうした認識が十分でなく、親が難聴を疑っていても、教育・訓練の場に正しく導かれない子どもの例が少なくありません。▼今回製作されたビデオでは、親や保母・教師など子どもをとりまく人々の他、保健機関や一般の医師も対象にして、早期発見の重要性、発見のポイント、検査や訓練の方法などをわかりやすく解説しています。製作にあたっては〜児童福祉センター(職員?)、ろう学校(教員?)、(保育所)保母も含む企画委員をつくって検討を進めてきました。〜貸し出し。販売のお問い合わせは、京都市聴言センターまで」
(田中コメント)ここで紹介しているビデオでの指導は、恐らく聴覚口話法に基づいたものと思われる.全日ろうの立場に聴覚活用を認める立場と認めない立場が混在しているものと思われる.

◆1986年9月前後〜10月 日本 東京医科大での人工内耳リハビリテーションの様子…同病院にてマッピングや聴能リハビリに携わっていたST城間将江氏は次のように回顧している。
「〜当時日本コクレア社も未だ日本エレクトロ二クスという会社で、主に心臓ペースメーカーを扱っている医療機器の輸入代理店でしたので、人工内耳は未知の分野でした。さて、どこで必要な情報を入手していいのかわからず困りました。船坂先生を筆頭に湯川先生や故高橋整先生、STの林原先生がすでに機器や手術に関する相当量の英語のマニュアルを日本訳にしてありました。しかしながら、細かいことが次々と起こり、わからないことだらけでした。補聴器と違って外部からモニターが出来ませんので、患者さんがどんな音をきいているのか皆目検討(ママ)がつきません。マップもマニュアル通りどうにか作ってみるものの、原理をよく理解していないので、問題が生じても対応できません。リハビリテーションも一般の補聴器装用後のケアでいいのかどうかわかりません。そこで、にわか研修でオーストラリア本社やアメリカに行かせていただいたり、逆に来ていただいて教授してもらいました。電話を頸に挟み、オーストラリア本社の担当者に質問しながらコンピューター操作してマップを作ることが何度かありました。機械の操作なぞ苦手なのにコンピューターがないとリハビリにならないなんてもっての他だと思いましたが、つぶやいている場合ではありません。やっと作ったマップなのに〜…つい力を入れすぎて曲げる作業をしている間にワイヤが折れたりしてあせりました。三人目の患者さんは[ACITA]の小木保雄現会長(当時)でした。エンジニアなので電気や機械が得意で、逆にスピーチプロセッサや付属品の構造について教えて頂きました。〜四人目、五人目…と患者さんが続き、次第に聴覚に興味がわいてマニュアルをみながら色々実験しました。〜冷や汗をかきながら学習している間に半年が過ぎ、厚生省のにんかを得るために臨床治験が1987年4月から始まることになって続投することになりました。」*14 
  当時(その後も)、国立身体障害者リハビリテーションセンター研究員の福田友美子氏は、その頃の人工内耳患者の聴能評価やリハビリテーションに関することとして次のような言葉で語っている.「〜東京医科大学耳鼻科のスタッフの方々とご一緒にさせていただいた仕事は、人工内耳の使用効果を評価するための評価方法を新たに開発することでした。すでにオーストラリアやアメリカなどでは、コクレア社製の人工内耳の優秀さが評価されはじめたころで、その報告論文も出版されていました。私は評価法を作成するために、それらの報告論文を一生懸命読むことから始めました。そこから、人工内耳の患者さんでは、多分、視覚からの読話も重要な情報源になっているのではないかと予測して、ビデオテープを使って、単音節・単語・文について、人工内耳を通じての聴取と読話を組み合わせて評価できるような評価方法を作成しました。患者さんの社会復帰への熱意とスタッフの方々の毎日のリハビリテーションへの積極的な努力があって、重度の聴覚障害をもつ方々にとって、人工内耳の効果は補聴器から得られないものであることが、序々(ママ)にあきらかにされていったのでした。私自身は実際のリハビリテーションに関わらなかったのですが、見学に出かけた折に、それぞれの患者さんがさまざまに工夫する姿を拝見し、また、困ったときに助け合うための情報交換している様子をお聞きしたりして、様々な良い経験をさせていただきました。そして、患者さんがグループを組織して情報交換する必要性、さらには、自分たちの経験なり、要求なりを社会に向かって発信する必要性を、感じたものでした。」*17 初期の人工内耳リハビリテーションの特徴について、1990年代初期から人工内耳リハビリに係わるようになった虎の門病院のST氏田直子氏はこう語る「初期はリハビリの資料について、外国のものが多少あるだけ」で補聴器と違い、リハビリ担当者が試聴することができないので「マッピングなどについて患者と医師とリハビリ担当者が一体となって模索」「患者さんにいろいろなきこえの様子を聞きながら、マッピングをしたり、聞き取り訓練をしたり、どんなカウンセリングや説明をすべきなのかについて考えたりしました。」*15

◆1986年10月1日 日本 全難聴機関紙『新しい明日』52号24面「なんでも情報版」に前号掲載の人工内耳手術記事に関するおわび記事が掲載される.内容は以下の通り.
「おわび:▼51号のこの欄「人工内耳の手術」(読売新聞引用)で、東京医大で初の人工内耳手術が行なわれた、とあるのは誤りでした。▼東京医大でのものは、メルボルン大で開発した多チャンネルのもので、多チャンネルでは初めてでしたが、シングルチャンネル(アメリカ・ハウス方式)のものは日本医科大(神屋助教授(ママ,田中註:正しくは神尾助教授)で、すでに2例(ママ,田中注:正しくは3例)が行われている、とのこと。▼この件に関し、各方面からご指摘を頂きました。ありがとうございました。)

※田中コメント:単チャンネル式人工内耳は導入時期こそ注目を浴びたが、大きな効果が見られたとの報告がきけないうちに、人々の記憶から遠ざかってしまっていたものと思われる。それにしても、難聴当事者にとっては強い関心・期待を持つ対象であろうかと想像されるにもかかわらず、訂正記事自体にも2点も間違いがあることが分かり驚くばかりである.それだけ期待や関心が持たれていないと受けとめるこが出来る.

◆1986年 10月 日本 NHK教育番組で人工内耳をテーマにした初のドキュメンタリ―番組が放映される.コクレア社製22チャンネル方式人工内耳2例目手術を取り上げ、「クローズアップ人工内耳  音がよみがえった〜人工内耳で難聴克服〜」とのテーマで「画期的治療として紹介」.
このことについて、執刀に当たった東京医大 船坂Dr.は、先の読売新聞も含めて、多くの報道機関が社会に向けて「好意的に紹介してくれ」たことも影響して後々の「治験許可という障害」も通過できた、と後日談で語っている.(マスコミでの好意的報道で両側感音性重度聴覚障害に苦しむ成人の中途失聴者で手術を受ける人達が徐々に増え始める.(よみがえった音の世界確認)).

同年6月から東京医大耳鼻科に勤務し始めた河野医師は、[ACITA]会報十周年記念誌の中で次のように振り返る.「放送での反響はものすごく、連日電話の問い合わせや手紙などの応対に追われたのを覚えております。また学会での発表も日本耳鼻咽喉科学会総会、日本オージオロジー学会(現日本聴覚医学会)などでは、会場には立ち見が出て足の踏み場もないほどの大盛況であり、未だかってこれほど人数を集めた演題の記憶は私はありません」.また、人工内耳を介した聴取能力について感じたこととして、「驚くばかりであり、再び聞こえを取り戻し日常生活を過ごせるようになった患者さまの喜びは、感動的ですらあり、それを目の当たりにすることができた自分にとって、東京医科大学への勤務は運命的に思え、その後の医師生活を決定的なものにしたと言っても過言ではありません」と熱く語っている.*4

※田中註:上記の本放送は10月に、87年1月か2月に再放送されているが、この間もしばらく後も、難聴者団体機関誌(「新しい明日」)、ろう者団体機関誌(「日本聴力障害新聞」)、ろう教育関係者研究誌(「聴覚障害」)で人工内耳について取り上げた記事は掲載されていない.

◆1986年12月 日本 東京医大 人工内耳N22 3例目の手術実施
患者当事者である小木保雄氏(後の[ACITA]会長)は11年後、[ACITA]10周年記念誌の中で、手術前後の当時の状況を語っている.
「87年の初頭からリハビリを開始しって、ふたたび音を聞くことができるようになりましたが、その声はとても人類の発するものとは思えず、先生の顔からも想像しがたいものでした。しかし、数回のマップ調節や慣れもあり、少し人類のものに近づきました。また、リハビリの先生は慈母ような厳しさで、時にはゲンコツ?もありましたが、今では心暖まる思い出です。 当時は、装用者として悩みや相談があっても、私を含めてまだ3人しか装用者がおらず、自分で体験しながら乗り越える以外にないことも多く、一人で考え込んでしまうこともあり〜ある程度使えるようになるのに一年近くかかりました。〜しかし、決して耳そのものが治るのではなく、あまり欲張らずに使用しなければならないのは、機器性能がアップしても同じでしょうし、これからもうまく使うにはどうすべきか、音がまったく聞こえなかった時と比べてどうなのか、などを考えながら装用すべきと思います。人工内耳は、私のように人生の中途で聴力を失い、音以外に会話の方法を持てなかった者には救いの神で、中途失聴者には誰が何と言おうと効果抜群です。でも、一部の同障者の中にも否定的な声もあり、何が何でも人工内耳とは言いませんが、コミュニケーションの一方法で、日常生活で役立っているものがいるのも認知して欲しいです。〜」

◆1986年 日本 京都大学医学部耳鼻咽喉科 本庄巌教授、メルボルン大のウェッブ教授の多チャンネル型人工内耳特別講演(手術方法、術後成績)を聞き、予てから内耳性難聴患者の聴力回復を願っていたこともあり、人工内耳治療を開始することを決意.耳鼻咽喉科伊藤講師と土師助手は短期研修(オーストラリアのメルボルン大、アメリカのカリフォルニア大サンフランシスコ校・スタンフォード大等)により人工内耳治療を学ぶ.メルボルン大では22チャンネル式人工内耳の開発者クラーク教授以下スタッフの指導で手術の仕方、術後リハビリテーションの方など朝から晩まで教えてもらうことができた」*6*10

◆1986年 日本 京大医学部 「京大医学部倫理委員会」に人工内耳臨床応用実施申請書提出するもなかなか承認を得ることができなかった(「Cochlear Implant」を「蝸牛移植」と直訳したため「生体肝移植」が問題になっていた事情がある).年末に承認され指針書が出る.*6?*10?

◆1986年 フランス ボルドー市 国立保険医療研究施設・聴覚研究所のM.ポートマン教授チーム(フランスにおける人工内耳研究の中心・パリ大学チーム[12チャンネル型コリマック開発]の他グループの一つ.単チャンネル蝸牛外型プレルコ使用.他グループによる患者も含め、1986年までに20数名に手術.)による人工内耳研究.部分麻酔下で挿入でき装用者は数日でリハビリを開始できるのが特長.

◆1986年 アメリカ アイオワ大学 タイラー博士 人工内耳装用者間(数種のメーカー)の言語聴取能を比較した結果からコクレア社のN22の卓越さを報告(城間将江他著 『22チャンネル方式人工内耳の適応とリハビリテーション』「聴覚言語障害」 第17巻 第4号 ).

◆1986年12月8〜12日 世界  香港にて第1回アジア・太平洋地域聴覚障害会議開催(聴覚障害誌1987年2月号p.34-35に今井秀雄氏(国立特殊教育総合研究所))による報告文掲載.
同会議香港大会委員長:香港聾学校校長バウ氏,参加国:アジア・欧米諸国・  ナイジェリアなど,参加者数:600人以上(日本40人)
  全大会で広い領域にわたって多くの依頼講演があった.初日には教育工学領域でリー博士(アメリカ)による?人工埋めこみ耳"のテーマで概説が述べられた.その後の自由発表でも、開発したオーストラリアの人達による"人工埋めこみ耳の成果"についていくつかの発表があった.
  初日(8日)の人工埋めこみ耳に関する説明と報告をまとめると、22チャンネル方式は、オーストラリアで開発されたもので、手術後の患者の応答の様子(ビデオでの紹介)からみて、読話も含めれば日常会話は可能のようだった.
  11日午前には、フランス12チャンネル方式についてクオード氏の話もあった(代読モルガン氏).これは内耳挿入方式ではないが、やはりかなりの成果のようだ.こどもについて賛否両論のようだが、2歳以後ならとか、内耳の外から刺激する方式なら良いとか述べられていた.人工内耳(ママ)もだんだん具体的な時代に入ってきたことを感じた.
  その他、補聴器に関して、全体会ではオーストラリアのバイルンの選択に関するもの(同国研究所NALによる特性選択方式がより良いという話)、英国のフールシンの音調受聴を強調した補聴器など(音調方式は低音だけきこえるという高度難聴者用で、声の高さを抽出してそれを正弦波としてそれだけを聞かせた方が読話併用時に理解が良くなるとの話)があった.中国系のことばは、四声と言われる音調理解が大切なことばであるが、英国の音調方式を応用していけないかと思った.
  日本からの発表(今井氏)は、研究所で進めているコンピューター・フィッティングに関する話.
  英国(マーチン氏)は?コミュニケーションテクノロジーの進歩"というテーマで発表.内容は「補聴器の一般的な話」と「電話利用の際に外部入力利用により、テレタイプ等を持っていない一般の人もオペレータを介在させながら文字によって聴覚障害者と?話"ができるという方法が進められている話」「"メイル・ボックス"を通じて聴覚障害者が情報にアクセスできる可能性が大きいのではないかという話」
 マーチン氏の最後の話に関してフロアからは「香港では既にそのシステムが作られている」との発言があった.
  マイコン(小型コンピュータ?)関係の発表はあまり出ていなかった.
  11日午後の自由発表の中のテクニカル・サービスのセッションー「電話指導プログラム(キャッスル夫人)」「字幕挿入装置(小畑先生)」「家庭・学校・職場でのADL(Assistive Learning Device=田中注:学習支援装置?学習補助具?)の話(デンマークのローデ氏)」
  10日午後-香港聾学校見学:50年の歴史.幼・小・中学部,全児童数-約260名.幼稚部は全員FM補聴器,小学部以上は全員集団補聴器使用(ヘッドホン方式で一人ひとりワンマン方式か卓上式マイクがついていて、先生が手持ちマイクで話した声が入るようになっている.)今井氏の感想:子どもも先生も、集団補聴器を毎日よく使っている感じで大変手慣れていた.日本の10年前というよりも、今の日本の個人補聴器方式で本当に確実に音が入っているのだろうか疑問に思っていたので、香港聾学校の様子を見て考えさせられた.本当に子どもの耳をよりよく使う心構えがあるかどうかが肝心である.

◇1987年 日本 聴覚障害者参政権保障委員会 発足.♯1

◇1987年 日本 視覚・聴覚障害者のための3年制大学、筑波技術短期大学設立.♯1

◇1987年 日本 全日本ろうあ連盟内に「手話研究所」設立.
◆1987年3月 アメリカ NIH(国立衛生研究所)の医療研究基金を通じて、政府はメルボルン大耳鼻咽喉科における乳幼児の人工内耳適用に向けた研究、そして頭蓋の成長や神経系の成熟における人工内耳の影響を明らかにするための研究に対して175万ドルを5年計画で与えた.♯0

◆1987年 世界 国際人工内耳シンポジウムで他のチャンネル方式や単チャンネル方式に比べて、22チャンネル方式が語音聴取能の改善に優れた効果をもたらすといういくつかの報告がなされた.(城間将江他「聴覚言語障害」1988.12)

◆1987年4月6日 日本 京大で初めての人工内耳手術を実施.患者は55歳男性.屋根からの落下で内耳骨骨折による聾.正円窓の完全骨化により電極を入れる場所がはっきりわからず手術時間が長くなった.音入れの時、機械の接続部が故障していたこと等で途方に暮れたりしたが結果的には手術は成功.患者は手術が成功したことの安心感、言葉がわかったことの嬉しさとで身体全体を震わすほど、付き添っていた奥さんはハンカチで目を抑えていたという.*6*10

◆1987年4月 日本 コクレア社製人工内耳N22の治験開始(第1号が東京医科大学病院.参加病院は次々増え1989年に終了するまでに計8病院が参加),この年の手術実施病院は東京医科大学の他に虎の門、京都大が加わり3病院、装用者累計13人.治験にまつわる話を虎の門病院STの氏田氏は後日、10周年記念誌の中で語っている.(「臨床治験のためのデータが必要で〜人工内耳の有効性を理解してもらうために、聞き取りの成績をアピールすることが大切だったのです。」)*15

◆1987年4月 日本 舩坂宗太郎(東京医科大)「人工内耳の現状」内容:人工内耳の概要と著者の経験した22チャンネル型コクレアインプラントの使用成績の報告.『医学の歩みVol.141 』4月4日発行

◆1987年5月 日本 『医学のあゆみ』141巻,8号,p450-452 (医歯薬出版1987.5.23発行)に船坂宗太郎「人工内耳」掲載.
主な内容は22チャンネル人工内耳の紹介.人工内耳の歴史について、1チャンネル方式時代から多チャンネル方式時代となり、現在世界中で多く使われている22チャンネル式の人工内耳に至るまでの簡単な歴史.22チャンネル式人工内耳の構造について前回4月4日号より詳細に紹介.また、サイドメモでは、人工内耳の副作用としてあげられる「通電による蝸牛の骨化とらせん神経節細胞減少」について、前回に引き続いて触れている.前回はネコを用いた実験で通算2000時間の通電で何の変化もなかったこと、臨床的にも32名の患者の2年間追跡調査結果、何の異常もなかったと述べるに留まったが、今回は患者の中には8年以上も使用している患者もあり、一応問題ないと思われる、との述べている.

◆1987年 オーストラリア メルボルン大 先天性ろう児への人工内耳適用初症例.対象はコリンという視覚聴覚二重障害を持つ女児. ♯0

◆1987年  オーストラリア シドニー大学のW.ギブソン教授による4歳児への適用と先天性聴覚障害児への適用  ♯0 
4歳児症例)  4歳女児ホリーは1986年10月に細菌性髄膜炎により失聴し全聾となる.3〜4ヶ月後に手術、その後のリハビリは1週間に2回通院し、オージオロジストに最初の使用訓練のチェックをしてもらい、家庭での課題を決めて貰う.全ての電極の音入れ完了後は1週間に1度の通院.『人工内耳のはなし』の著者ジューン・エクスプラインは「〜本人には電極設定のための課題は意味がないように見えたに違いない。毎週毎週どうしてそんなことをやるのか、言い聞かせるのが一番の問題」であったが、全部の電極バランスとボリュームが完全に調整されると、読話しながらの会話が劇的に改善、話しことばの崩れも止まり、難聴者特有の平坦な調子もなくなったという.「『音入れ』完了6週間後は、発音は改善し、ことばは誰にでもはっきりとわかり、他の人々と遊んだりやりとりするのも容易になり、地元の小学校に通えるほど…」と記述している.

先天性聴覚障害児への適用)  6歳女児ピアは、残存聴力はあるものの、聴力の変動があり補聴器効果がはっきりしない.両親はギブソン教授を訪ねて相談.オージオロジストとニュークレアスが、アメリカのFDAに手術の適用になるかどうか問い合わせたところ、実質的意味で全聾であると見なされ手術の許可がおりた.手術後、ピアは地元の公立小学校で学び、両親や教師に励まされながら聴覚や口話をコミュニケーション手段として用いている.人工内耳装用前は、発話は不明瞭で話したがらなかったが、術後は絶えず誰かや空想の友達とおしゃべりすることを楽しむ社交的な子どもになった.

◆1987年 日本 日本耳鼻咽喉科学会会報 船坂他「22チャンネル コクレアインプラント患者の言語聴取能」発表

◆1987年 世界 国際人工内耳シンポジウムで他のチャンネル方式や単チャンネル方式に比べて、22チャンネル方式が語音聴取能の改善に優れた効果をもたらすといういくつかの報告がなされた.(城間将江他「聴覚言語障害」1988.12)

◆1987年 日本 厚生省 オーストラリア ニュークレウス社から「治験」に対するクレームを受ける.厚生省の規定では「新製品が有効か否か」をみるため「2施設以上で総計60例以上のデータをとることが定められ、患者には治療を無料で行い、開発会社がその費用をすべて負担する」ことになっている.N22の治験を規定通りにすれば、入院・手術・薬代、約2億円が会社の負担となりかねない点を懸念したニュークレウス社は「世界的信用のあるアメリカFDAの認可を受けたN22については規定を緩和するよう」主張.しかし厚生省は「日本は日本だ」の一点張りで認めなかったとのこと.(東京医大の船坂氏[ACITA]会報.創立十周年記念誌「回想と展望」の回顧文.*3)

◆1987年 日本 厚生省 前述「治験」に関して、オーストラリア首相から日本政府宛抗議を受けたこと、自民党代議士を通じての船坂氏の依願によりN22「治験」について、「5施設で計30例の実施、費用持ちは半数の15例」でよいこととなった.*3

◆1987年4月 日本 この時期に東京医大で手術をうけた石井正恵さんはその当時抱いた期待感や不安感について振り返りながらこう記している
「〜私が手術を受けようとした頃は、副作用があるのではないか?音として自分のものになるのか、それとも新しい音を自分のものに変えていくのだろうか、手術費がどれくらい必要なのだろうか等々、すべて未知数であり、とても不安があった。これらに関して、東京医大の城間先生からすごく励まされ、一気に安心感が出た事や、聞こえるようになりたいと言う一念だけで勇気がわいて来た事など、数々の思い出や感動は十年の年月を経て忘れつつあるが、今、人工内耳は第二の人生の生きがいになったのは確かである。〜当時の、電池を三本使用する重いスピーチプロセッサー(WSP)をベルトでウエストにしめつけ、一日仕事が終わりとりはずした時は、『ああ今日も疲れたが一日無事であった』と感謝していたが、これも月日を経てスペクトラが出現し、音や軽さの点で大きく進歩した。そして送信コイルがソフトになったのが一番うれしかったし、これは自身にもつながった。[ACITA]の活動の中で一番大きな成果は、健康保険の早期適用を装用者として訴えたことだ。関係者の皆様の努力はもちろんだが、[ACITA]」の努力によるもので忘れてはならないものの一つでもある。これにより多くの方が恩恵を受けたのは確かで、会員増にもつながり、今の私達の[ACITA]をささえているものだ。〜」*22

◆1987年 アメリカFDA コクレア社N22人工内耳適用範囲を18歳未満の子どもまで拡大.

◆1987年 日本 帝京大学 単チャンネル型人工内耳(3Mハウス社)手術(第4、5症例).
単チャンネル型では日本医科大に続く2番目の手術病院である.一人は20歳、高等専門学校3年の男子学生Aさん.13歳時聴力低下、数年の間に左右交互に聴力が低下し3年前こうとうに両側感音性難聴となる.補聴器は語音聴取に効果なく使用しないまま過ごし、この年に同病院耳鼻科を受診、本人・家族共に人工内耳装用を強く希望、卒業後コンピューター会社にプログラマーとしての就職が内定しており、手術後、聴覚音声を用いた社会参加への高い意欲を見せた.術前2カ月間は補聴器適合と装用指導を行ったが効果がないことが確認された.他の術前検査(中耳・内耳X線検査,プロモントリー聴神経自覚的反応,知能検査,性格検査,社会参加意欲)も良い結果が得られ、人工内耳の適用があると判断された.ニュークレアス社の多チャンネル型人工内耳植込みも日本で行われている説明もした上で、Aさんが米国3M社製アルファ型単チャンネル人工内耳(α型は内耳の挿入する電極部分が6oと短いので、蝸牛が骨化して電極挿入が難しい症例や将来、進歩した人工内耳への交換がようであるといった利点があり小児にも米国では実施…広田栄子『単チャンネル人工内耳適応症例におけるリハビリテーションとその評価』「聴覚言語障害17巻第4号」)を植込みを希望していることを確認、手術を実施する.術後2カ月目、人工内耳体外部装着、聴能・読話訓練開始.週1回の6か月訓練した結果、人工内耳では補聴器と比べて閾値が低く日常会話音や環境音の聴取に有効、聴能訓練によって単語、文章レベルの聴取能改善、単音節聴取能の改善はわずか、人工内耳による聴覚は読話を併用したときに有効で聴覚読話併用による会話理解力改善は顕著であることがわかった(広田栄子他著「単チャンネル人工内耳適用症例におけるリハビリテーション」聴覚言語障害誌17巻第4号.著者は「米国37症例でも補聴器と比べて環境音・会話音の聴取能が改善する点で一致.多チャンネル人工内耳装用でも大多数は聴覚活用と読話の併用が必須であると言われている」ことにも触れている).

◆1987年11月 日本 津名道代「聴覚障害への理解を求めて@」全難聴(社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会)11月12日発行)に「電子の耳 内耳障害(感音難聴)に福音」と題して日本初の単チャンネル式人工内耳手術についてとりあげた記事掲載(全難聴の前身「全国難聴者連絡協議会」の機関誌「新しい明日31号・7月15日号」から転載).

◆1987年 世界 国際人工内耳シンポジウムで他の多チャンネル方式・単チャンネル方式注に比べて、22チャンネル方式が語音聴取能の改善に優れた効果をもたらすといういくつかの報告がなされた.(城間将江他「聴覚言語障害」1988.12)
注:フランスのC.シュアトル教授チームの4〜7歳を基準にして単チャンネル蝸牛外型と多チャンネル蝸牛内型等を使い分ける方式,ボルドー市国立聴覚研究所M.ポートマン教授チーム方式や他のチームによる単チャンネル蝸牛外型式,オーストリアのウィーン方式(蝸牛内型・蝸牛外型),西独のP.バンファイ教授の16チャンネル蝸牛外型方式,スイス方式(チューリッヒのディラー医師・スピルマン医師の研究),イギリス・A.モリソン博士による5チャンネル方式,アメリカの3Mハウス方式がある.アメリカでは、それまでは3Mハウス方式が優勢であったが、1982年にオーストラリアのニュークレアス22チャンネル型が進出した後、コクレア社にその地位を譲っていくことになる(N22の装用者の割合75%).

◆1987年 アメリカ3M社単チャンネル人工内耳製造中止.多チャンネル人工内耳が、読話を併用せずに言葉の認知が可能である(欧米各国でも多チャンネル式は開発されたが、オーストラリア・メルボルン大N22システムの業績が特に大きい)のに対して単チャンネルシステムでは大半の者は聴覚のみでの言語認識は困難であることから、多チャンネル型の優位性が明らかとなったことから製造中止に至った.
(製造中止後も、この人工内耳の埋め込み手術は1990年頃?まで?行われ、3M/ハウス.単チャンネル人工内耳は欧米を中心に2,000人以上に埋め込まれたという.

◇1987年 日本 聴覚障害誌1月号―今月の言葉・田中 美郷「「聞く」と「聴く」雑感」,研究・浅野  尚「学校医の聴覚言語障害児の対応−主として就学前乳幼児への対応−」,2月号―講演・G.W.Fellendorf「一般社会の人びとに聴覚障害への理解をふかめてもらうために」,4月号―「聴覚障害児の耳の活用について」(ヴォルターレビューより),7月号―今月の言葉・星龍雄「トータル・コミュニケーションと口話法」,8月号―別府亮次「本校幼稚部における聴覚活用の実践」,紹介「上智大学聴言センター言調聴覚法(ヴェルボトナル・メソッド)について」,9月号―草薙進郎「トータル・コミュニケーションの動向」・越智公政「聾学校とトータル・コミュニケーション」・ 岡橋滋夫「コミュニケーションメディアをめぐって―両親の役割―」・「TC研第10回記念大会プログラム」, 10月号―今月の言葉・星龍雄「コミュニケーションメディア特集によせて」・菅原廣一「口話法について」,栃木県立聾学校「同時法について」・上野益雄「アメリカへの手話法導入にみる口話法の一側面」,12月号―佐藤清六「フランス ルアーブルのロンサルト重度難聴学級」・「海外事情・第16回リハビリテーション世界会議」・千種聾学校「千種聾学校指示法について」.

◆1988年 日本 愛媛大学 3Mハウス社製単チャンネル型人工内耳手術(第6、7、8症例).
  リハビリを担当する事となった同大学教育学部の高橋教授はこう振り返っている.「その頃(田中注:聴覚障害児教育国際会議出席時)は、内耳の素晴らしさには、正直言ってさほど感じませんでした。しかし、帰国してから、実際に内耳を植え込んだ患者を目の前にしますと、なんとその人は全く聞こえない世界から読話を併用して、コミュニケーションがとれるではありませんか?筆談に頼らざるを得ない状況から、一転して口話で話ができたのです。
  しかし、シングルでのリハビリの道は険しいものでした。なにしろ一本の電極ですべての情報を伝えるわけですからできようはずもありません。16キロヘルツの搬送波に音波形をAM変調して送り込むというAMラジオと全く同じ方式の実に簡単な信号処理であの複雑な音のキューを全て聞き分けろということ自体そもそも困難なわけですから、リハビリは実に大変でした。それでもイントネーションの情報や簡単なことばを聞き分けることができ、感激しあったものでした。
  その後、一年の間に3名の患者さんにリハビリをしました。いずれの方も実によく頑張って下さいました。読話併用が前提ですが、どうにか簡単な日常会話ができるようになるとそれは嬉しかったものでした。しかしその過程で、私自身が学んだこともまた多くありました。
  まず、第一に音が取り戻せるというのはこんなにも素晴らしいことなのかということを改めて思い知らされました。音の世界、いやこの世全てから隔絶されてしまった自分が再び蘇り、自己の存在意義を確認できる存在になる・・・。しかし、その後、残念ながら、音は感じてもそれがなかなか音声にならない。実に歯がゆい思いを患者さんと一緒にしたものでした。『もっと聞こえるようになりたい!』『どうしてわからないの?』という患者さんの思いと目の前の現実、どこで妥協点を見いだすか思い悩んだ日々でした。でも、この人工内耳でもいまだに十分に活用でき、日常生活を豊かに過ごしていらっしゃる方々がいることは私にとってはこの上ない喜びでした。ある時ふと気がつきました。そうだ、選択肢が広がると言うことは、素晴らしいことだ!。今まではそれしかなかったものが、少しでも選択の余地ができてきたと言うことは人が気持ちの上でも豊かになれるではないか!〜
  そして、第二に、同じ日本の中でも音声の使用はこれほど違うのかと改めて思い知らされたことです。人工内耳の効果を評価するためにアクセントの検査を作成している際のことでした。生まれ育った関東地方のアクセントと四国では全く違うことが多く、非常な戸惑いを感じたものでした。
  一方、同時的に日本で始まったマルチチャンネル形の人工内耳には、実に目を見張るものがありました。正直言って早くそちらに切り替えたい思いが満ち満ちていました。それから、数年を経ずしてマルチチャンネル形への切り替えのために苦しい資金集めの日々が続きました。幸いなことに県の難聴者協会の協力をいただくことができ、数人分のプロセッサー購入資金ができました。折しも、教育学部には、特別設備費がつき、何はさておき、デュアルプロセッサインターフェイスなどマッピングに必要な機材を揃えることができました。これで、ようやくマルチチャンネル形の内耳のリハビリができる!! マルチチャンネル形の最初の患者さんはシングルで大変な努力をされたHさんでした。音入れの日のHさんの笑顔が今でも印象的です。〜『Hさん、きこえますか?』というと、『はい分かります』と返答が返るではないですか!。リハビリは、シングルに比べたら、実にスムーズでした。ほとんど努力せずにどんどん分かっていくではないですか?それまでは穴のあくほど顔をみつめられていたものですから・・・。
  しかし、事態はそんな生やさしいことだけではありませんでした。小学生のリハビリが始まると、毎日が大変でした。音の有無から入って話しことばの存在の気づきへとつなげていくことは、長い年月を要しました。この過程で、たとえ子どもであっても植え込み前に如何に聴覚をかつようしておくかが、その後の聴覚活用の方向を示すようです。きっと聞くとい行動の態度の形成が容易なためではと思われます。そして相手と通じ合おうというコミュニケーションの姿勢が何よりも求められます。~
  こうしたリハビリは、子どもの場合、特に長期的に責任を持って係わる機関が必要となります。したがって、植え込みや人工内耳のプログラムをする医療機関と日々の発達の中で子どもの活動を見据え指導していく療育・教育・機関の連携が大きな課題となります。」*18 

◆1988年 日本 3Mハウス社製単チャンネル型人工内耳製造中止となった為、治験は8例で打ち切りとなる.8名患者のメンテナンス(機器修理,ケーブル交換等)は日本コクレア社が引き継ぐ. 

◆1988年 日本 伊福部達(北海道大学)著図書「人工内耳の設計に関する生体工学的研究」出版

◇1988年 日本 全国補聴器メーカー協議会設立,全国補聴器販売店協会設立.♯1

◆1988年3月 日本  日本人間工学学会誌「人間工学」24巻第3号(特集号・人間工学における感覚代行)に、伊福部達(北海道大学 応用電気研究所)「人工内耳」掲載.p.151−156 
内容:人工内耳の構造としくみ,歴史、単チャンネル式と数種の多チャンネル式について、音声信号処理方式について、人工内耳の効果についての説明.人工内耳は、聴神経が残っており、有毛細胞が消失している高度難聴者、特に好転難聴者に有効である.先天的聾者にとっては、与えた刺激は初めて体験する感覚であるため、新しい刺激に適応するのは大変である.他の感覚をうまく併用しどのようにしたら最適なトータルコミュニケーションができるか追究することが課題.情報受容能力の観点から、視覚が圧倒的に大きいの読話と併用するという方法をとるべき.中枢神経系障害のある高度難聴者は視覚や触覚を介する補助手段を積極的に利用する.

◆1988年4月 日本 人工内耳友の会[ACITA](日本で唯一の全国版当事者組織)発足,第1回懇談会開催(正会員16名(翌5/31付)のうち東京医科大で手術を受けた患者7人,東京医大スタッフ4人以上,東京テレクトロニクス(日本コクレア社前身)スタッフ2人参加)当面は情報交換,親睦中心の活動.会報第1号8頁40部発行(懇談報告を中心とした記事).*1
※友の会発足のきっかけとなったエピソードについて、当時東京医科大でSTをしていた城間将江氏は10周年記念誌の中で次のように語る。「〜リハビリテーションや機械の限界が言語臨床を行う中でわかってきました。同時に、患者さんのおかれた心理的な状態は私の理解を超えていて、カウンセリングも表面的になるおそれも感じていました。そこで同障者でしか解りえない苦しみもあることを知り、患者さん達に友の会の結成をよびかけたところ、快く承諾してくださいました。とりあえず、東京医科大学と虎の門病院で手術した最初の方々で集まりました。名称は世界にも通じ、日本語でもわかりやすいようにということで、Association of Cochlear Implant Transmitted Audition を船坂先生がご発案して下さいました。直訳すると『人工内耳を介した聴覚活用をするものの会』の意味があります。頭文字をとるとACITAで、日本語的に読むと「アシタ」、明日にかける希望と輝かしい未来を予兆する響きがあり、全員一致で採用になりました。〜」*12

◆1988年4月 日本 手術実施病院数−5(東京医科大,虎の門病院,京都大,札幌医科大,琉球大),装用者累計30人.*1
前述5病院が治験に参加.後にこれに係わるエピソードとして札幌医科大耳鼻咽喉科 形浦昭克教授が次のような話をしている.「〜コクレア社の方にいまだ健保適用ではなかった人工内耳埋込み術について話を進めてみるが、わが国では少数の施設のみであると言われて拒否されたことを覚えている。札幌に来られる度に教室の中耳手術の実態を説明するが受け入れてもらえなかった。」(札幌医大はその後、治療施設として認められ治験にも加わるが、保険適用認可前の時期、治療施設に対して人工内耳関係者が治療やリハビリを円滑に進め健康保険が認められ、異端ではない正統な治療法としての地位を築くために如何に慎重であったかが伺えるエピソードである.蛇足になるが、埋め込み手術後の言語リハビリ整備(特にST配属)が何年がかりかで実現した苦労もあったが、小児へのリハビリについては、聾学校の先生達とのチームワークで円滑に進められていること、友の会札幌支部『かたつむり』との協調関係にあることについても触れられている.

◇1988年4月22日 日本 全難聴 機関紙「新しい明日」No.58 25面約3分の1のスペース(「みんなのひろば」=読者欄)に難聴者用「会議モニター開発」に関する記事掲載.記者は埼玉の川原英夫氏
見出し:難聴者用「会議モニター」※開発の可能性
(※会議中の普通に話し声がモニターテレビに、次々に文字表記されては消えてゆく.難聴者はそれを見ながら会議に参加、発言できる、というもの.田中注:パソコンの音声認識によるモニターへの文字表示.現在のパソコン要約筆記システムの前段階ものか?)

要旨:去る1月20日、日立中央研究所に「会議モニター」の技術レベルの現状を確認、難聴者の希望仕様を伝え、早期開発を希望することを具申することを目的に行った,
  研究所からの話:各国とも数百億円を投入して研究を進めているものの、現状は厳しく実現は何年先になるかわからないとのこと.難点は@丁寧に発声した母音は何とかなるが、子音の発音時間が、母音の千分の1〜10秒と短い.A人の音声の波長には特徴があり皆違う.B話す速さも一定せず、5〜15音節/秒と幅があり、スピード変化によって調音結合現象がおきる(田中注:例えば、・・イアを速く言うと、音の特性領域が移動し、・イと・アが重なって・ヤとなる).C雑音や他人の重なり音が区別しにくい.D小声での入力は不鮮明.E部分的に認識した音声から、キーワードなどを推定するためには、機械にも常識を多く入れておく必要がある.F人間には話の流れが理解できているため、僅かな誤りは修正してとらえられるが機械には難しい.G発音が画像に現れるのに10秒以上かかる(希望は2〜3秒以内).H人間が幼時から聞き覚えてきた言語内容は、超繊細かつ膨大な量で機械は簡単には真似できない.などである.以上9点が伝えられた.
  著者の印象と研究所への具申:研究所の開発現況は総合的研究の中の一部にすぎず、難聴者が抱く希望仕様は、特に高度なものばかりでなく重点的開発は不可能ではない.
  今後、難聴者側に必要なこと:@難聴者にとっての具体的必要仕様のまとめ A早急に厚生省を動かすだけの資料作り(国からの要請があれば開発も早まるが、運動しなければ何十年先になるかわからない).B今後もユーザーとして、メーカー側へ情報を流し、開発の方向づけをバックアップする.以上

◇1988年4月22日 日本 全難聴 機関紙「新しい明日」No.58 第26面約4分の3のスペース(「みんなのひろば」=読者欄)に耳科学に関する記事前半掲載.記者は徳島県の堀北重文氏.見出し「間違いだらけの耳医学(1)」(後半部は次の7月6日号に掲載) 内容は医学に関して素人であるが「自分なりの見解を述べる」として、耳の構造と機能についての概説が記されている.前半部は主に外耳と中耳について、構造と機能について書かれている(続きは次号).

◆1988年6月 日本 伊藤寿一(京都大学医学部人工内耳執刀医)論説「人工内耳について」で人工内耳の歴史、単チャンネル式・マルチチャンネル式の説明、適応条件、術前検査、手術、術後リハビリテーション、今後の展望について述べている.この中で、単チャンネル人工内耳は一種類の音を伝達することから言語の認識という面では不十分な点が多いこと、これに対して多チャンネル式、特にメルボルン大学法式22チャンネルは言語の認識という面で優れており、1988年現在世界中で400名以上の患者に使用されていることに触れている.耳鼻咽喉科臨床学会誌81:6:p.779〜786 1988年6月

◆1988年 6月 日本 日本人間工学会誌の人間工学における感覚代行・特集に伊福部達(北海道大学 応用電気研究所)「人工内耳」掲載.
内容:人工内耳の歴史、仕組み、効果について記述.特記事項としては、オーストラリア・コクレア社の人工内耳以外の多チャンネルタイプのしくみについての記述がある.オーストリア・ウィーン大学Hchmaier等の開発した方式はボール状の電極が8対並んでいるもので電極を奥まで挿入できないため多くの電極を蝸牛外に設置して低音域まで刺激しようという試みがあること、その方法は手術に要する負担は大きいが内耳の破壊を防ぐ利点があること、が述べられている.更に、ウィーン方式以外の多チャンネル式の場合、電極を蝸牛管の奥まで挿入するため、内耳本来の機能を完全に破壊してしまうこと、大きな手術が必要でコストもかかるという問題がある、としている.そして、人工内耳は周波数分解能は著しく悪いが、時間分解能は正常の聴覚と変わらないことから、刺激の時系列を工夫することで、伝達情報量を増加させることが期待できるという観点から、北海道大学では音声のピッチと母音の第2ホルマント周波数を抽出し、それらを組み合わせて時系列刺激をつくり、蝸牛外電気刺激法により母音の認識を刺せる研究が進められている、とも記す.最後に「後天性難聴者には効果が期待できるが先天的聾者にとっては、与えた刺激は初体験の感覚なので適応は容易ではない.人工内耳は万能ではないので、その適用範囲や音声音響情報の需要能力を明確にしたうえで他感覚(視覚、触覚)をうまく併用し最適なトータルコミュニケーションを追究することが課題である」と結んでいる.(伊福部達「人工内耳」日本人間工学会誌24(3)1988.6).

◇1988年 日本 聴覚障害誌6月号―「TC研究会討論集会」,7月号―今月の言葉・馬場顕「障害の受容」,上野益雄「伊沢修二と発音指導」,講演・W.E.Castle「社会適応の重要性」・NEWS:小畑 修一「ハワイ大学にギャローデット大学・聴覚障害センターが開設された」.

◆1988年7月3〜8日 世界 スイス・モントルー市にて難聴者国際会議開催.参加者34ヵ国800名、日本から派遣された代表団は40名.参加者は難聴当事者の他、補聴器メーカー、オージオロジスト、医師、教師、心理学者、ケースワーカー.会議の模様はNHK教育TV「聴力障害者の時間」でとりあげられる.(全難聴機関紙「新しい明日」No.60第1面に報告文.1988.9.7発行)
会議概要:7/3−難聴児教育担当の教師の会合.4日AM-開会式と講演、4日PM〜5日・7日―3つの部屋で分科会が同時並行開催.3〜4日夕―2つのレセプション.6日-観光日
分科会テーマ:福祉機器(補聴器)、医療(内耳移植)、教育、コミュニケーション訓練、難聴者の心理、青年問題…と広範囲にわたる.

※会議とは別に7/3に国際難聴者連盟総会開催.1996年国際会議開催国として日本が立候補可能かどうか検討中との話題.

8日午前-講演と閉会式
参加者・入谷仙介氏の報告文概要(「新しい明日」No.60.第4面):日本代表団は募集30名を上回る40名となった.その所属は全難聴幹部、地方協会幹部、耳鼻科医、大学教授等多彩(他に個人参加者が3名、アメリカから参加した日本人1名参加).現地では、コミュニケーション保障として日本では活用されている?要約筆記"が珍しいようで、前回会議同様に注目を浴びた.ヨーロッパでもOHPは使うがタイプしておいた文書を映し出すのが主で、要約筆記は補助にすぎず、筆記者のための養成講座も特にないとのこと.スピーチ内容をほぼ同時的に伝えていく日本の要約筆記は驚異的に受けとめられた.会場には文字を映し出すOHPの他に、?読話用スクリーン"、?赤外線ループ(日本語用の割り当て含)"などが用意されていた.国際難聴連会長、米難聴協会理事、ドイツ難聴連会長との会談し、米、ドイツとの今後の交流の約束などの収穫があった.1996年の国際会議主催の可能性のある国として、今回の経験を生かして国内態勢を整備する必要がある.

参加者・藤田保氏の分科会報告文概要:
T、「中途失聴者」分科会:米人2名、スイス人1名、ポーランド人1名の発表.それぞれ中途失聴者に対する取り組みの実態紹介と今後に向けての提言.特に失聴直後の喪失体験に伴う心理的精神的危機に対して、精神療法的手法などの活用によって支持すること、正しく障害を受容し聴障者としてアイデンティティを確立することが強調されていた.それができないとその後のリハビリなどが効果的に行ない得ないとのこと.欧米では中途失聴者への取り組みの必要性が認識され始め、実践システムも整備されつつある.スイス難聴者協会には中途失聴者部会があり、きめ細かい活動状況をパネルや資料で展示.中途失聴部会の連絡先付きカードや中途失聴者への対応法を明示したパンフレット(家族や周囲の人への説明用)もあり積極的に社会へPRしようとする姿勢がある.本邦の難聴者運動も学ぶべき.

U、「人工内耳」分科会:スイス人4名、西独人2名、オーストラリア人1名の発表.どれも人工内耳植え込み手術経験の報告と問題点の提示.欧州では実施数が多く、適応も重度難聴者だけに限定せず広げられつつある.効果も悪くないよう、内耳性難聴お治療法として確立しつつある印象.問題は、適応例の選択や経済的負担の大きさ.前者は術後リハビリテーションを積極的いこなせるという点も重要であるとされていた.本邦でも最近は全国各地で植え込み手術が始まり、今後一層活発となって内耳性難聴おコミュニケーションが飛躍的に改善される可能性がある.以上

◆1988年7月6日 日本 全難聴 機関紙「新しい明日」No.59,22・23面半分以上のスペース(「みんなのひろば」=読者欄)を使って耳科学に関する後半部の記事掲載(内容は中耳の疾患と治療・内耳の機能、疾患、治療についてで、人工内耳についても言及している.前半部は前号4月22日号に掲載,前半内容は主に外耳・中耳の構造と機能について).記者は徳島県の堀北重文氏.
見出し:「間違いだらけの耳医学(2)」
内容:後半部の話は内耳についての説明も含まれており、話題は人工内耳についても及んでいる.その箇所を抜粋して以下に紹介する.「内耳については驚くほど精巧にできているから、コルチ氏器官、有毛細胞等は素人はわからない。ただ、人工内耳という問題は、一度うめるととれないし、機能はどうこういうより電極であり、ピアノのキーが並んだ様に優秀ではない。昔あったホシノの人工コマク※1みたいなもの。聴力は改善されても音色まで合成されはずがない。単にきこえるだけでは神経性難聴※2の改善につながらない。動物を解剖して人間の聴器と比較したところでどれぐらいの知識を提供するのであろうか。兎の耳や犬の耳は人間よりよくきこえるが、言葉を理解する能力はゼロである。神経性難聴※2とは言葉を理解してこそ改善されたといえる。きこえても理解困難な聴力は動物の耳とかわらない。よくきこえようがきこえまいが、理解する能力がないかぎり無用の長物である。」

※1人工コマク(田中注:正確な定義は不明であるが、現在言われている「人工鼓膜」の以前の段階のものか?) 人工鼓膜:中耳炎を何度も繰り返したり怪我をしたりして破れた鼓膜の穴が大きかった場合、鼓膜はきれいに治らない場合が多く、開いた穴を一時的に塞ぐことで回復を促す必要がある。その時に使う薄い膜(鼓膜の大きさに丸く切ったものを鼓膜表面に貼り付けて穴を塞ぐ膜)のこと。「人工コマク」とは「人工鼓膜」の治療効果が安定していなかった段階のものと想像される.
参考資料―共立耳鼻咽喉科HP 耳鼻科の病気参照
http://homepage3.nifty.com/jibika-tv/index.html

※2神経性難聴:鼓膜の炎症等、外耳や中耳の問題で集音力の低下によっておこる難聴を伝音難聴と言う。中耳より奥にある内耳以降の問題で、蝸牛内にある感覚細胞(内・外有毛細胞)、その奥の聴神経、脳聴覚野という音の感知力の低下でおこる難聴を感音難聴と言う。感音難聴には、内耳に問題がある内耳性難聴と内耳より奥の神経に問題がある神経性難聴、皮質性難聴に分けることが出来る。内耳性難聴と神経性難聴を合わせて神経性難聴ということもある。

参考―岐阜耳鼻咽喉科医師会HP http://www.gent.gifu.med.or.jp/gent/

◆1988年8月 日本 「実用技術となった人工内耳」サイバーバンクの技術論〈海外取材特集〉科学朝日8月号

◇1988年9月1日 日本 全日ろう「日本聴力障害新聞」9面 「松下が商品化 『発声発語訓練装置』」の記事掲載.
要旨「松下通信工業は、パソコンの画面を見ながら、発音練習ができる装置を開発し、8月から販売を始めると発表.同種システムは、すでに1985年本紙に掲載したように、京都市聴覚言語障害センターで『発語訓練システム』として耳鼻咽喉学会でも発表.今回の装置は通産省(当時)の関係の補助を受けて開発、国立リハビリセンターや兵庫県立こばとろう学校など全国の施設で臨床実験を重ねている。装置の仕組みは声帯、舌、鼻など発声器官の状態を5種類のセンサーで検出、有声、無声の区別のほか、舌の位置、鼻骨の振動状態などを電気信号に換え、モニターテレビの画面上にイラストやグラフを使っている。あらかじめ記憶されている模範的な発音パターンが表れるため、障害者は自分の発声との微妙な違いを目で確認することができる。操作は画面との対話形式ですすむため、先生の指導で障害者の状態にあわせた練習プログラムを作ったりアニメーションを使ってテレビゲーム感覚で覚えることもできるという。〜問題は、この訓練機を使いこなすスタッフ(専門の言語療法士、ろう学校の教師)が少なく、どう利用するかが問題。価格は、機器、ソフトを含め481万4千円。」

田中コメント:音声機能の改善・獲得のための訓練装置について、かなり詳しく紹介している。利点についてだけ紹介しているところが興味深い.

◇1988年9月1日 日本 全日ろう「日本聴力障害新聞」10面 「2歳聴障児が保育園 よかったね信子ちゃん」「岡崎市聴障協の運動実る」の記事掲載.
要旨「愛知県岡崎市の六名保育園に六月中旬から耳の不自由な二歳の女の子が通い始め、健常児に囲まれた保育園生活に踏みだしている。」「〜会社員T.H夫さん(30)一家は家族四人全員がろうあ者で、次女信子ちゃん(二つ)も生まれつき耳が不自由。長女H子ちゃん(四つ)は県立岡崎ろう学校に通っており、母のK子さん(29)が午前九時から午後四時ごろまで付き添わなければならず、信子ちゃんを見る余裕がなくなっていた。岡崎市の保育園のゼロ歳保育(0〜2歳)は、ろう幼児は認められないことになっていた。岡崎市聴覚障害者福祉協会などがこの問題をとりあげ、市議や関係者に呼びかけ運動をすすめた結果、特例として入園が認められた」「岡崎市聴障協は『特例扱いでは、基本的な解決にならない。今後も同様のケースが出てくることも考えられ、市当局に対して再交渉してみる方針だ』、母のK子さんは『今までの苦労から解放されて大変助かり、関係者に感謝しています』、と話している。」

◆1988年 日本 琉球大治験参加 (5施設の琉球大での治療とリハビリ状況を宇良助教授は次のように述べる.「最初の症例は後天性聾の成人、失聴期間が長かったせいか、目立って良好な成績とはいえなかった.しかし全体としての成績は良好で(あるとの評価のおかげで4年後の)高度先進医療承認に繋がった.」と分析する.また、約10年人工内耳治療に取り組んできた中で、印象深い患者のことを十周年記念誌で紹介している.「Tさんは64歳で手術を受けた.勘がよく努力家でどんどん積極的に色んなことにとり組む.人工内耳で音楽にも挑戦しようとハモニカ、キーボード、沖縄民謡にチャレンジ.磁気ループやFM補聴システム、携帯電話も活用している」

◆1988年10月 日本 人工内耳友の会[ACITA]第2回懇談会開催 参加者正会員約20人のうち12人と家族,医療関係者 合計30余人.*1

◆1988年頃 日本 病院における、当時の人工内耳リハビリ状況について、城間将江氏は次のように語っている。
「〜聴覚障害関係でリハビリテーションを担当する〜ST(言語聴覚士)は少なく、各施設(田中補足:人工内耳治療・リハビリ)における担当者の背景もさまざまでした。そこで、人工内耳リハビリテーションの内容や評価の共通理解を目的に、当時の虎の門病院のST矢野明子先生やコクレア社の関川宏美さんと三人で、英語のリハビリテーションマニュアルを参考にしながら、文法構造や音素構成が日本語に対応するように変え、当時のスピーチプロセッサの作動原理に合わせて再構成しました。その後何度かスピーチプロセッサの原理が変わりましたので、マニュアル改訂も必要になりました。改訂版は、〜大阪大学の井脇貴子先生、虎の門病院の氏田直子先生、またコクレア社の和木美穂子さんらとの共同作業によるものです。原理はことなるものの、日本ではすでに愛媛大学や帝京大学などでシングルチャンネル人工内耳の実績がありましたので、人工内耳をはじめた当初はハウス聴覚研究所のリハビリテーションマニュアルも・・・・・。愛媛大学の高橋信雄先生のご好意で参考にさせていただきました。評価教材は訓練教材と異なり、評価を受ける対象者に対しては内容を明らかにする性質のものではありません。しかし、この評価テストによって、人工内耳の効果を測定するのですから、理論的に構成されていなければなりません。これは、福田友美子先生(国立リハビリテーションセンター)、中西靖子先生(当時、学芸大学)が作成して下さいました。後に、MSPとスペクトラの比較評価をする教材を私が作成したときも、お二人のお力添えをいただきました。読話教材については、国立リハビリテーションセンターの関育子先生の訓練を見学させていただいたり、文献を紹介していただいたりで、直接・間接的にお世話になりました。〜」*12

◆1988年12月 世界 コクレアN22人工内耳-世界約30か国,病院数218,全装用者数1487人(@米1038,A豪179,B西独130,C加43,D日本31,E南アフリカ11,Fノルウェー10,Gアルゼンチン8,Hスイス6,Iニュージーランド4,J東独・仏・韓・英・トルコ‐3,Oイスラエル・ヨルダン・ポルトガル・スウェーデン‐2,S伊・メキシコ・オランダ・プエルトリコ-1)

◆1988年 世界 単チャンネル人工内耳(600例+α)を併せてコクレア社製他の多チャンネル人工内耳各種適用症例総数は3,000以上(アメリカ国立衛生研究所発表「開発会議における人工内耳に関する声明文 1998」「聴覚言語障害」誌17号4巻). 

(*参考データ:庄野久男氏によると、1985年の世界における年間の補聴器総生産台数推計は約345万台、日本の生産は34、5万台という推計を紹介している.-出典財)日本障害者リハビリテーション協会発行「リハビリテーション研究」1985年11月(第50号)35頁〜40頁)

◆1988年 アメリカ 国立衛生研究所 人工内耳の効果や限界についての論議と、子どもに適応する際の特別な配慮についての討議を行う.
「小児の適応基準は一応成人に準ずるが高度難聴である確証があること、補聴器装用で60dBHLの聴力が得られない者(コクレア社の基準では70dBHL)」とする.特別な配慮として、「難聴児の場合、正確な聴力検査が困難であることが多いので、言語行動観察やABRの結果などを用いて総合的に診断、更にCTやMRIなどを用いて蝸牛の状態を調べることも必須」とする.(城間将江著『アメリカにおける幼小児の人工内耳の現状』「聴覚言語障害」誌 18巻 第3号 1989)

◆1988年度 日本 手術病院数-5,装用者累計-22人.[ACITA]正会員22人,会報No.4は24頁70部発行.*1

◆1989年2月 日本 人工内耳友の会[ACITA]会報No.5(30頁)70部発行.

内容:「手術の成功はマスコミ等で良い事ずくめのように紹介されていますが、結果に百パーセント満足している人は少なく、まだ多くの問題があります。[ACITA]も単なる情報交換の場より少し飛躍し、社会福祉などの為に何が出来るか考えてみたい」との提起文(運営委員の一人岩沢氏が課題面について提起).*1

◆1989年2月 日本 榊原淳二,伊藤寿一「人工内耳のハードウェア・音声処理の検討」記事掲載 耳鼻咽喉科臨床学会誌

◆1989年3月 日本 東京医科大学病院ST城間将江他は「聴覚言語障害」第17巻第4号『22チャンネル方式人工内耳の適応とリハビリテーション』の中で、適応条件(@18歳以上の成人 A言語習得後の難聴者 B蝸牛の形態異常がなく蝸牛骨化等がない C聴神経が活動している D両側性高度感音難聴)、人工内耳の構造としくみ、聴能訓練・評価・カウンセリングの実際を紹介.手術・リハビリ後の患者(東京医科大と虎の門病院)16名の聴取能成績から22チャンネル方式人工内耳が聾患者に対して有効なものであると結論されたことを報告.

◇1989年 日本 全国難聴者連絡協議会の名称を「全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(略称:全難聴)」とし法人化推進委員会が正式発足.♯1

◇1989年 日本 手話通訳士試験開始.♯1
◇1989年 日本 厚生労働省 聴覚障害者の日常生活用具に聴覚障害者用屋内信号装置を取り入れる.♯1

◇1989年 日本 全日本ろうあ連盟とろう教育団体によつ「とう教育の明日を考える連絡協議会」結成.ろう教育に手話の導入を求める運動が活発化.♯2

◆1989年 日本 横浜中途失聴・難聴者協会 会員でもあり、[ACITA]運営委員でもある岩沢 清氏が人工内耳を装用するようになってから、筆記通訳、手話通訳、補聴機器の開発情報取集など行政への福祉制度改善要求だけではなく医学的改善法への関心が高まり始める.([ACITA]10周年記念誌 横浜市中途失聴・難聴者協会会長)*21

◆1989年8月 日本 日本耳鼻咽喉科学会誌に暁清文他(愛媛大 医学研究科)著  「デジタル遅延回路の応用による単チャンネル人工内耳の言語聴取能の改善法」掲載.「一回のチャンネル蝸牛注入による言語知覚は、音声信号の符号化プロセスを修正することによって、ある程度改善できる」といった内容.

◆1989年10月 日本 全国ろう学校PTA連合会会誌『道遠けれど第16集−道標その5−聴能教育に関する一つの考え』
第七章 補聴器最前線のトピックスとして人工内耳の実用化について紹介(「埋め込み型補聴器の実用化」という項に、平均聴力レベル130dBの言語獲得後中途失聴した「後天性難聴者」が埋め込み型補聴器の適用者であると紹介している.「筆者の考えですが、いわゆる『先天性』と言われる難聴児にも『後天性難聴』と同じような状態を作れるなら、近い将来、この『埋め込み型補聴器』が必ず役立つだろうと信じています。そのためには、多少不細工な補聴器であっても聴こえにぴったりの器種を選んで、聴能訓練の効果が確実に現れるようにしたいと思っているのです。…」とのコメントも加えている.

◆1989年10月 日本 [ACITA]第3回懇談会開催 単チャンネル人工内耳装用者も出席.*1

◆1989年11月以前 日本 産経新聞大阪本社版で関西地域の人工内耳装用者や[ACITA]のことが紹介される.*1

◆1989年11月 日本 人工内耳友の会[ACITA]会報11月号で人工内耳体外部機器の新製品MSP(Mini Speech Prcesserの略,従来品は「Wearable S P」)の紹介.*1
WSPからMSPへのアップグレードにまつわる話として虎の門病院ST氏田氏は「『機器の改良によるきこえの改善』が可能でも、『買い替えによる経済的な負担』が大きく、『買い替えができない』という問題が出てきました。」*13

◆1989年12月 日本 日本聴覚言語障害誌 東京医大ST城間将江「アメリカにおける幼小児の人工内耳の現状」掲載.城間が当時務めていた東京医大で成人の人工内耳治療が順調に進んできたことから、次段階として小児への手術ができるような整備をし始めている.その一環としてSTである城間がアメリカの小児人工内耳リハビリテーションを見学した報告文.内容はコクレアインプラントのしくみと幼小児の適応についての説明. 

◆1989年12月 日本 コクレア社製N22治験終了(8病院参加,計30症例)*2

◇1989年1月〜12月 日本 聴覚障害誌 5月号―特集「聴覚活用は、ここまできている」―今月の言葉・今井秀雄「「聞く」ということ」,斉藤修「聴能教育用の補聴器の展望」,清木隆・山根正之「ループ式補聴施設の拡充について」,澤山 義隆「耳かけ型補聴器におけるFMの活用」,9月―上野益雄「聾教育人物伝(2) 伊沢修二」,10月号―栃木県立聾学校「同時法について―手指法指導の実際―」,矢沢国光「ろう教育への手指法の導入について(1)」,石原佳敏「デンマークの手話―幼児のための手話本」,Jean.S.Mo「トータルコミュニケーション対オーラルコミュニケーション―米国における聴覚障害児教育の動向(1)」,11月号ーJean.S.Moog「聴覚補償、蝸牛移植とタクタイル・エイドと各種補聴器―米国における聴覚障害児教育の動向(2)」,12月号ー特集「難聴学級の教育」ー村上宗一他「難聴学級における聴覚活用の指導」ー蒲生誠「高度難聴児の指導事例」.

◆1989年度末 日本 手術病院数−5,装用者累計−47人.[ACITA]正会員38人,会報22頁120部発行「運営委員の人材難」についてふれている.*1

◆1990年2月 日本 日本コクレア社 厚生省薬務局医療機器開発課にコクレア社製人工内耳N22の輸入販売承認の申請.*2

◆1990年3月 日本 「聴覚言語障害」誌 第18巻3号に城間将江著『アメリカにおける幼少児の人工内耳の現状』掲載
内容:第一部はコクレアインプラントの総論.このうち、特に記しておくべき事項として、コクレア社が示す「@幼小児の適応基準」と「A考慮の必要な諸側面(聴覚的側面,医学的側面,教育的側面,家族の協力関係の側目)」があげられる.@では、「両側の高度難聴,もしくは聾」「補聴器装用効果がみとめられない」「2-17歳である(2-4歳は特別な考慮を要する)」「人工内耳の手術やリハビリにとって、医学的な問題がない」「心理的、精神的に問題がない」「人工内耳の成果に対する家族の現実的な理解が得られる」「患者自身、家族、教育関係者が手術の前後の評価や訓練に協力的である」「会話に音声を使っている(10歳以上の患者の場合)」「口話法による教育を受けている、もしくは受けられる環境にある」を基準として挙げている.また、小児のリハビリ内容(術前術後)や目標は、言語発達レベルごとに設定する必要がある。つまり、言語知覚能力の改善に影響の大きい失聴時期による分類を行い「A.言語獲得前失聴児(音声の知覚経験がなく、言語を音声によって獲得しえなかった者)」と「B.言語獲得後失聴児(音声によって言語を獲得した者.文献によってまちまちであるが4〜6歳以降の失聴児)」、その中間期にあたる「C.言語獲得途上失聴児(音で言葉を認知した経験があり、3-5語文の発話が可能であったにもかかわらず、手術時には聴覚による言葉の認知が不可能であるような幼児期の中途失聴者)」、それぞれに合わせたリハビリ目標の設定と指導を行う必要がある. A考慮の必要な諸側面では、聴覚的側面として「難聴児の第一選択は補聴器であり十分な音声情報が得られない者には『tactile aid(田中補足:振動補聴器)』の使用や併用による訓練を行い、いずれからも利益が得られない場合にコクレアインプラントを選択するべき」「アメリカ国立衛生研究所が人工内耳の効果や限界についての論議と子どもに適応する際の特別な配慮についての討議を行う(適応基準等の詳細は1988年アメリカ 国立衛生研究所の行に記したものと同様).医学的側面として挙げられている中で「コクレアインプラント児の原因疾患の最も多いのが髄膜炎(50%)、次に原因不明(38%).髄膜炎による難聴は回復する可能性があるため、コクレアインプラントの適応は失聴後6か月から1年は診断を待つべきだという意見と、逆に髄膜炎後の内耳の骨化現象は早く進み手術を困難にして、結果的に電極の挿入困難につながるため失聴後早期に埋め込むのが望ましいとする見解がある」ということが特記すべきこととして挙げることができる.教育的側面では「聴覚口話法が手話法に比して、術後の聴覚使用や発話明瞭度を高めるという報告に基づき、適応基準に『聴覚口話法による教育を受けられる環境にある』ことが上げられている」.第二部では、筆者が幼小児のコクレアインプラント(人工内耳)患者の現状を知る目的で1989年秋に渡米した際の、訪問病院・難聴教育施設、同年開催のASHA学会(アメリカ言語治療士の学会)参加の見聞報告が記されている.後記にて筆者は「どの訪問先でも、ASHAの発表でもコクレアインプラントの有効性を見聞きした.コクレアインプラント児の効果が高いとは言え、高度難聴者としてのリハビリテーションを要するのが現実、有効性評価については、発達途上小児には発達の要素も考慮して評価をする必要がある.聴覚的知覚能力や発話力の術前術後の改善度だけではなく、心理学的、行動学的な二次的効果も考慮した総合的評価をするべきと考える」とまとめている.(城間将江著『アメリカにおける幼小児の人工内耳の現状』「聴覚言語障害」18巻 第3号 1989)

◇1990年 日本 NHK 手話講座の放送開始.
◇1990年 日本 「全難聴」国際難聴者連盟正会員となる.♯1
◇1990年 アメリカ 「ADA」(障害を持つアメリカ人法:身体的・精神的な障害を理由とした差別を禁止した法律)制定.♯1

◆1990年 アメリカ FDA コクレア社N22人工内耳適応範囲を子どもの先天聾(24か月以上)まで拡大

◆1990年 スウェーデン 食品・薬品管理局 コクレアN22の販売を承認(TC研報告書『北欧のろう教育から学ぶ』2001)
◇1990年5月1日 日本 全日ろう機関紙・日本聴覚障害新聞に聴覚障害児早期教育についての記事掲載. 
見出し「0歳からの難聴児教育」「インテグレーションにも成果 大阪ゆうなぎ園」
要旨「ろう学校の幼稚部入学は3歳からとなっていますが(中略)0歳から難聴児の訓練・指導を行っているところとして、難聴幼児通園施設があります。大阪にある「ゆうなぎ園」を訪ね、(中略)施設の現状や抱えている課題をさぐってみました。〜中略〜絵本を見たり、まねをしたりして、楽しそうに遊んでいます。集団での遊びを通して、子どもの心身の全体的な発達を促すと同時に、日常の基本的な生活習慣が身につくように、年令別のグループで訓練が行われています。4月現在、通園児童は23名。園長、嘱託医のほか、12名の職員(聴能言語訓練士、保母、指導員、事務員、調理員)で運営にあたっています。対象年令は0歳から6歳まで。4,5歳になるとインテグレーションとして一般の一般の幼稚園い週4〜5日通う併行通園が始まります。3歳から6歳までは、ろう学校幼稚部と年齢層としてはダブっていますが、この施設の特徴のひとつはインテグレーションがスムーズに勧められていることです。等」その他、最近のゆうなぎ園修了園児の進路については「普通小‐約80%、難聴学級‐約15%、ろう学校小学部‐約5%」、施設の課題としては「重複障害児の相談の増加。難聴と肢体不自由の訓練が必要だが二重措置として現在認められていない。適切な対応と職員の専門性向上が求められている。」としている.また、「聴障の保護者には手話で」との見出しで、手話が出来る職員がいることにより取り組んでいることについても触れている。「ゆうなぎ園児童の保護者がろうあ者というケースが2件あり、親を対象としたコミュニケーション保障(ろうあ者保護者との懇談時等)が課題であること、5,6歳児には指文字を使って訓練すること、週1回の職員会議での手話学習、成人ろうあ者との交流」
  その他、早期教育の要点について(日本聾話学校校長大島功氏):@落胆してしまわないこと A親の不安・動揺・焦りが少ない環境で育てること B然るべきところ(聾学校、保健所、大学病院など)で両耳補聴器装用による教育についての助言と指導を受ける C親子の楽しいコミュニケーションの仕方について学び、教え込むのではない方法で言葉を育てる  D3歳頃からは、専門家による練達した集団指導・個別指導を受ける E健聴児とも接触させ年齢相応に成長させる F立派に育った聴覚障害児の先輩親子にも学ぶ

◆1990年6月 日本 日本医科大耳鼻科神尾医師が、担当した単チャンネル型人工内耳症例(ハウス研究所製シグマタイプ1例注1、ハウス・3M社製アルファタイプ2例注2)について総括論文発表.
「〜高度難聴者および聾のリハビリテーションとしての人工内耳の最終的なゴールは、健常者と同じように会話を楽しむことにあるが、筆者の経験した単チャンネル人工内耳の3症例では読唇なしに会話を十分に理解することは不可能であった」「音の認識は心理学的に三段階に分けられる。第一段階は環境音認識段階と言われ、自分が置かれている位置とか状態を把握するのに必要な周囲の雑音を聞くことができる基本的な段階である。たとえば森の中にいるという状態をにんしきするのには、小鳥のさえずり、木々のざわめきなどが聞こえなくてはならない。第二段階は警告音認識段階と言われ、サイレンの音、クラクションの音、非常ベルなど、これらの音が聞こえなければ生命が脅かされる段階である。第三段階は伝達音認識段階と言われ、音によっれ相互に理解できる段階、すなわち会話が理解できるレベルでもっとも発達した段階である。現時点での単チャンネル人工内耳による音の認識は、この第一段階と第二段階について満足させることができるが、第三段階を満足させるまでに至っていない。
  言葉も判らず、環境音すらも肉声ではなくモールス信号のようであっても『単チャンネル人工内耳』が無意味であるとは決して言えない。音の世界から全く隔絶された社会に生きている人達にとって、たとえモールス信号のようであっても自分を取りまく周囲の音とか救急車、パトカーなどのサイレン、自動車のクラクションなどの警告音が耳で判るようになり、それらに対して速やかに対処することが可能となるからである。子供の泣き声、電話のベル、男性の声、女性の声、高い音、低い音などでも区別できるようになる。さらに音楽のテンポやリズムも判るようになるからである。
  1987年2月にアルファタイプの製造が中止され〜ハウスタイプの単チャンネル人工内耳使命は終わったと考えられる。しかしながら、今日でこそ4極から22極の多チャンネル方式が人工内耳の主流を占めてはいるが、1961年から今日までの約30年間に渡るW.House単チャンネル人工内耳に対する精力的な活動が、現在の多チャンネル方式の基盤となっていることを忘れてはならないだろう。
  今後、装置の改良が進み健常者の蝸牛機能を完全に代行し得る人工臓器としての人工内耳が完成し、人工内耳の適応、結果の安全性など臨床応用面での問題も解決され、高度難聴者もしくは聾者の社会復帰の一助となることは、それほど遠くない将来にあることを確信する。」
日本医科大耳鼻科神尾友和『単チャンネル方式人工内耳の実際』「耳鼻咽喉科・頭頸部外科(第62巻・6号)」1990年6月号.

田中注1) 本論文では、この単チャンネル式人工内耳埋め込み手術第1症例の患者のことを生年月日1922年3月20日生まれの56歳(手術当時)と紹介しているが、手術は1980年12月に行われているので、正しくは58歳である(毎日新聞等で取り上げられた記事では、正しく「58歳」と紹介されている).本論文をまとめる時に、初診の1978年3月時の年齢を誤記したものと思われる.(第1症例の詳細については1980年12月3日欄(手術日)参照).
田中注2) 単チャンネル式人工内耳、第2・第3症例にことは、それぞれの手術日、1984年10月25日・1986年3月14日の欄に詳しく記載している。本論文に記載している当時の年齢は、それぞれ25歳と17歳で、生年月日との矛盾はない.

◆1990年 日本 北澤茂良(静岡大学)人工内耳関連図書「知覚と認知に関する弁別素性理論とその工学的応用に関する研究」出版

◆1990年 日本 伊藤寿一(京都大)図書「人工内耳の基礎的及び臨床的研究」出版

◆1990年7月29日〜8月3日 世界 米・ロチェスター市 第17回国際聴覚障害者教育会議開催 (「聴覚障害」誌p.46-47 お知らせ欄に案内掲載)
全体会と分科会テーマ:
1.言語能力の開発,2.コミュンケーション,3.指導,4.認識力及び学習,5.教育の指針と補助,6.教育施設とプログラムの構成、運営,7.特別な対応を必要とする生徒,8.社会心理的成長と心身の健康,9.教育と職業,10.大学及び成人後の教育,11.聴覚学的、医学的観点からみた聴覚障害児,12.成人聴覚障害者の社会参加.

※田中注:人工内耳のことは、以上のうち11番の中で、「聴取補助機器および知覚補助器(蝸牛管移植を含む)」というテーマ内で取り上げられた.29日開会式と2日目・4日目以外は、3日目午前・午後の分科会、5日目は全体会と午前午後の分科会、最終日午前分科会で取り上げられた.

◆1990年8月 日本[ACITA]会報 「〜問題は費用、先進国で人工内耳の手術で保険がきかないのは日本だけとか。保険の適用運動の機運あり、いよいよ友の会の出番である」(人工内耳は機器319万円,手術30万円,入院治療・リハビリ通院治療費100万円,費用合計四百数十万円で負担が大きいと翌年発行会報でも訴える.*1
費用のことでの苦労は琉球大医学部 宇良助教授(当時)も、担当する患者さんのエピソードを交えて十周年記念誌の中で次のように語っている。「治療に際しては人工内耳は無償提供されていたが、高度先進医療となって、負担する費用が約400万円とあり、これが大きな負担となった。四百万円を捻出するために季節労働に出た方や、手術を決意して一年間必死に費用を貯めたがどうしても一部足りずに、会社社長を交えてこれから行われる人工内耳を理解していただき、給料の前借りをした方々など、それぞれに費用捻出に苦労していた姿が思い出される。健康保険が適応されるようになっても、本人で二割、家族で三割の負担は大きく、高度医療の還付はあるが、一時支出せねばならないのは大きな負担であった。市町村の自治体からの補助や更生医療、育成医療は当初から前例がないこととして認可が難しかったが、現在では全例が適応されている。最近では福岡在住の成人に更生医療が認めてもらえ、熊本県からの小児にも育成医療を認めてもらえた。これによって一時負担金も大幅に減らすことができた。しかしながら、まだ周辺機器やメンテナンスなどの費用は結構かかる。あとは周辺機器の整備と費用の引き下げなど、コクレアに努めていただきたいものだ。」

◇1990年10月1日 日本 全日ろう機関紙日本聴力障害新聞第3面 骨伝導ヘッドホンについて記事掲載.
見出し「きれいな音楽聴けた骨伝導ヘッドホンを使用 NTT主催コンサート」
要旨「NTTは、電話100年記念事業の一環として『耳の不自由な方にもライブコンサートを』と、骨伝導ステレオヘッドホンを使用したコンサートを開催した。札幌、名古屋、北九州の各市で各々公募30名お難聴者らを招待した。招待を受けたろう学校生などは『リズムも楽しめた等』『初めて聴くきれいな音楽に感激した』などの感想を述べた。骨伝導ステレオヘッドホンは、NTTのシルバーホンひびき(骨伝導電話機)の原理を応用して、NTTと岩崎通信電気が共同開発。伝音系・感音系難聴どちらの障害でも使える。招待者は自分の聴きやすい音を調整しコンサートに出席。このヘッドホンは、今回、特別30台製造されたがNTTは現在のところ市販の予定はないと言っている。

◇1990年11月1日 全日ろう機関紙・日本聴力障害新聞第一面に、文部省の1991年度(平成3年度)予算要求に「聴覚障害児のコミュニケーション手段に関する調査研究」(要求額=千三百万円)が、新規事業として盛り込まれたことが掲載.事業内容は@調査研究協力者会議の設置 A調査研究校の指定 @は調査研究校の校長・教諭、その他の校長・教諭、学識経験者など、合計15名の委員によって構成され、会議は年間8回開く計画。研究計画は@幼稚部、小学部における読話・発音発語の指導の在り方、A中学部・高等部における多様なコミュニケーション手段の指導の在り方、B重複障害児のコミュニケーション手段の指導の在り方となっている。その背景として、近年の聴覚障害者のコミュニケーション手段として手話が国民的な理解の中で普及し、平成元年には手話通訳士の公認試験が始まったこと、このような状況を踏まえ、ろう学校または小中学校の難聴学級におけるコミュニケーション手段の指導の在り方について、調査研究を行い。、聴覚障害教育の振興・充実を図ろうとするもので「手段」の中には手話も含まれるものと考えられる。全日本ろうあ連盟は、長年にわたって聴覚障害児に対する教育の拡充を、文部省に要望してきており、今年の全国大会でも「ろう学校でも『手話』学習の保障を求めていこう」等の決議採択.

◆1990年11月以前 日本 (株)日本コクレア社 人工内耳外部機器WSPの使用者が新型のMSP(正規価格137万円)を購入する場合は下取り販売をすると発表.*1

◆1990年11月 日本 [ACITA]会報 第4回懇談会後の報告として「〜医学や教育関係に限らず、人工内耳関連の研究開発や情報網は急速に拡大〜当面する医療法や社会環境の整備は、関係当局に委ねるが治験段階の装用者の発言も重要」と提言.*1

◇1990年1〜12月 日本 聴覚障害誌ー8月号ー特集「手指言語メディアの使い方」
ー今月の言葉・田上隆司「手指メディアについて」ー杉田春男「手話の併用をめぐって」−細倉哲穂「沼津聾学校中学部における手指法教育の理論と実践」ー前田浩「障害認識とコミュニケーション」ー長谷川雅幸・中野茂彦・手話言語メディア使用の実際「歯科技工科における専門用語のメディア」について」ー橘高敏也「手話コミュニケーションについて」ーR.G.Stoker「TCとは、口話に手話を加えただけのものか」ー9月号・特集「聾教育国際会議」ー今月の言葉・大嶋功「聾教育国際会議ロチェスター1990」ー鷲尾純一「国際聴覚障害者教育会議に参加して」ー細田和久「国際会議(ロチェスター)に参加して」ー真島輝幸「第17回国際聴覚障害者教育会義に参加して」ー前田 芳弘「教育への参加とDeaf Power」ー土屋道子「ロチェスターの風はさわやかだった」ー弘田文範「第17回ICED参加報告」ー11月号・特集「難聴教育」ー村上宗一「通級制の目指すものと現状」ー青森県言語障害児教育研究会難聴部会「聴覚機能を高めるための指導はどうあればよいか」ー妹尾 幸代「高度難聴児のコミュニケーション能力の改善」ー田中美郷「幼小児難聴の聴覚的・医学的側面」―資料「都道府県別難聴学級数(平成2年度)」,12月号ー馬場 顕「トータル・コミュニケーションに関する2・3の疑問」

◆1990年 日本 聴覚障害誌12月号に「人工内耳」をテーマに掲げた初めての記事が載る.大沼直紀氏(日本における先駆的教育オージオロジストでありその研究者)「子どもの人工内耳〜フランスにおける症例から現状と課題〜」報告文掲載.『聴覚障害』のテーマとして、「人工内耳」が正面から取り上げられるのはこの記事が初めてである.内容は以下の通りである
I はじめに
  わが国においても成人聴覚障害者に対する人工内耳適応症例数が近年急速に増加し、リハビリテーション効果に関心が高まっている.子どもに対しては電極挿入の医学的問題だけでなく、他の多様な聴覚補償手段を適用した場合や補聴効果の予測など比較・評価の困難性、言語獲得期の教育的措置の問題等が加わり、適応を決定するに至る要件は複雑であり、適応症例はなかったが、適否の検討を迫られる時期にきている.文科省研究費補助金国際学術研究「欧米諸国における特殊教育の実態と新しい展開に関する比較分析調査研究」の一環として1989年9月にフランスを訪問し聴覚障害児に対する聴覚補償の実態を調査する機会を得た.その際にサン・アントン病院の人工内耳装着患者の子どもの3症例についての報告と、パリ地区における子どもの人工内耳の適応の現状と問題点について考察について述べる.

II フランスにおける人工内耳の現状
  パリのサンアントン病院のショアー教授が開発した12チャンネル電極の蝸牛内植込み式人工内耳はフランス方式と呼ばれ、オーストラリアのメルボルン大学方式、オーストリアのウィーン工科大学方式などとともに代表的多チャンネル式人工内耳である.フランス全体では200名以上の人工内耳装着障害者がいる.パリ地区にグルノーブルとリヨン病院を加えたチームで協議した同一手順での適応・評価を実施.1976年から1982年にかけてサンアントン病院で手術を受けた58名の内、36名は言語獲得前失聴者、22名は言語獲得後失聴者.13名は18歳以下、12歳から最年少9歳までの子どもは5名.子どもの患者は全て先天性聴覚障害児.ショアー教授は12チャンネル蝸牛内植込み手術を、より低年齢の子どもに適応しようとしているが、10歳未満の子どもに対しては主に蝸牛内神経保存の観点から電極を蝸牛内に挿入しない、旧式蝸牛外単チャンネル方式が採用されている.パリ地区でこの方式の人工内耳装着児は約20名、調査報告する以下の3症例も単チャンネル蝸牛外人工内耳適応例である. 

III 症例
〈症例1〉 1歳10か月女児.先天性感音性両側難聴.音声言語以外は正常発達.500Hz以上全周波数で100dBHL以上.3週間前に右耳に蝸牛外単チャンネル人工内耳手術実施.1週間前より通電開始(田中註:音入れ).特性調整中、数日間隔で母子通院し装着練習中.
〈症例2〉 8歳女児.言語獲得後3歳時、髄膜炎で失聴.両側耳とも500Hz以上120dBHLでスケールアウト.5週間前、右耳に蝸牛外単チャンネル人工内耳手術実施.2週間前より音声言語リハビリ実施.祖母の付添で1週間間隔で通院.通常学校に在籍.側音化構音傾向あり、やや発語不明瞭.受聴明瞭度の悪さは読話で補完.体系的手指言語は習得していないがジェスチャーによる受容表出が多い.
〈症例3〉 15歳男児.言語習得後失聴.両側耳とも500Hz以上120dBHLでスケールアウト.2か月前、右耳に蝸牛外単チャンネル人工内耳手術実施.通常学級に在籍し2種類以上の補聴器を試用したが効果認められず.人工内耳手術後も音声言語リハビリに来院した時以外は装着したがらず日常生活は視覚メディア中心.

IV 症例から見た問題点と今後の課題:
@ 機器の装用性:側頭内に埋め込まれた信号受信コイル部分が体外に大きく盛り上がっており、体外受信装置との磁石接合では皮膚に擦り傷ができるので頭髪を刈り、ネットバンドを用いて固定.ベビータイプの高出力型補聴器のサイズや装着性と比較して、身に付けなければならない人工内耳の各部品の大きさに問題があり、症例1の乳幼児は装着を嫌がり、症例2,3では日常生活での常時携帯装用困難等の問題につながる.
A 補聴効果:症例2,3は単チャンネル方式であるため、音のon/off検知には優れているが音節や単語の識別レベルには至らない.多チャンネル方式を子どもにも適応しなければ従来型高出力補聴器をしのぐ補聴効果は得られない.フランス方式では埋め込み部品が大きすぎ10歳未満児には単チャンネル方式を採用せざるを得ない現状.今後単チャンネル蝸牛外人工内耳と振動式補聴器との間での、補聴効果、生理学的影響、経済性、装用性について比較し、子どもの発達レベルに即してどちらが合理的か検討する必要がある.
B リハビリ体制:装着後の指導はショアー教授グループメンバーであるフゲイン博士が担当、手術後病院での約2か月間の集中的聴覚音声リハビリプログラムが用意される.しかし、その後は本来の教育機関に戻すだけで十分なフォローアップ体制はない.
C 適応決定までの手続き:例えば、症例1の幼児の聴力について、幼児聴力検査に熟達した検査者が多様な技法を用いて行なったと信頼できるオージオロジカルデータは十分ではなく適応決定以前に2〜3個の従来型補聴器を試用し、その補聴効果の限界が評価してあっただけである.それでも症例1,2は保護者が同意し手術結果に満足している状態にある.しかし症例3の患者は積極的に聴覚を活用しようとする意欲を欠き適応決定に問題がある例である.(この方式では手術結果、予後が悪くても、もう一度従来方式の補聴器に戻すことができるのが救いである.しかし補聴器の何十倍もの出費が犠牲になる.)
D 課題解決のための他の専門機関との連携:耳鼻科医の他に音声学・音響学・心理学の関係者を含めて、人工内耳の評価に関する研究会が開催されるようになったが、聴覚障害の教育やリハビリテーションに実践経験のある聾学校・難聴教育機関の教師、オージオロジスト、スピーチセラピスト、補聴器フィッティング専門家との連携が不十分.

V おわりに
  世界中では2500名以上(1988年アメリカ国立衛生研究所の発表では3000名以上)の人が様々なタイプの人工内耳を装着し、ほとんどが一定の条件を満たせば保険でカバーされようとしている.わが国の装着者数は60名に迫ろうとしており(田中注:実際には60名以上)、その治験例をもとにした中央薬事審議会での検討も終わり正式認可されようとしている時期である.成人に対して22チャンネルコクレアインプラントの適応が本格的に開始されることを意味している.現在、全国の5つの病院(東京医科大、虎の門病院、京大、札幌大、琉球大)で手術が行われ約60名の22チャンネル人工内耳装用者と関係者が人工内耳友の会[ACITA]を組織している.成人に対する人工内耳適応の主な条件は「両側性の最重度感音性難聴」「補聴器、触振動覚補助機器によって効果が得られない」「言語習得後の後天性難聴」「蝸牛電気刺激検査結果、聴神経が生きている」「適応に支障をきたす医学的禁忌がない」である.今後、中途失聴成人のリハビリテーションの結果得られる知見をもとに先天性の成人に対してはどうか、更に言語獲得前の子どもに対してはどうかといった問題が検討されなければならない.アメリカにおいては1990年6月、FDAが子どもに対しても22チャンネルコクレアインプラントを認可した.成人の条件に加えて子どもの適応に関しては次のようなことが必要条件となるだろう.「2歳以上」「両側性最重度感音難聴」「補聴器、触振動覚補助機器によって効果が得られない」「蝸牛電気刺激検査結果、聴神経が生きている」「適応に支障をきたす医学的禁忌がない」「聴覚を通して学習する積極的姿勢がある」「聴覚活用を中心とした教育プログラムが補償される」
  人工内耳は医学の領域を中心とした先験的な開発・研究努力により急速に発展し、新たに生まれてくるであろう一部の非常に重い聴覚障害を持つ子どもにも将来画期的な恩恵をもたらすことは疑いのないことである.しかしわが国における聴覚補償の医学と教育の連携は、従来型の補聴器をどのように聴覚特性に合わせて処方し適合調整し聴覚活用の教育プログラムを用意するかなどに関して、ようやくその間隙を埋めるオージオロジー研究実践の成果が共有されてきたところである.今後更に、子どもに対する人工内耳の適応についても、学際的・トータルな聴覚障害学の観点から慎重に対応を検討する必要がある.(「聴覚障害12月号」1990.12.25発行)

◆1990年12月 日本 厚生省 コクレア社製人工内耳医療機器として承認 *1*12
コクレア社は人工内耳を輸入販売することが認められる.

◆1990年12月 日本 厚生省 コクレア社製人工内耳医療機器として承認 *1*12
コクレア社は人工内耳を輸入販売することが認められる.

【3】日本における人工内耳U期
◆1991年1月 日本 (株)日本コクレア社、N22の健康保険適用を申請.*1
◆1991年2月 日本 [ACITA]今後は健康保険適用が認められるような働きかけと会員増加につながる活動を展開するという方針が会報に掲載される.*1

◆1991年 1月 日本 厚生省 コクレア社N22人工内耳の輸入販売を許可

◆1990年度末 手術病院数−8,装用者累計−66人.[ACITA]正会員53人,会報No.12は27頁170部発行.*1

◆1991年3月4月 日本 厚生省 日本コクレア社の人工内耳健康保険適用申請に対して説明会を設けて回答.
保険適用は早急には無理.その前に高度先進医療(医療技術が新しく開発され安全性や効果が認められるようになっても、健康保険適用が認められるまでの間の医療費は個人負担の限度を超えてしまうことが多い.保険適用までの間の個人負担を軽減するためにできた助成制度)の適用認定を受けるように」とのこと.*1:*2(人工内耳は機器319万円,手術30万円,入院治療・リハビリ通院治療費100万円弱,費用合計400余万円で患者の自己負担が大きい.そのためにも保険適用を要望するのであるが、船坂医師は厚生省側からの健康保険適用の医療経済的側面からも検討することを考えに入れ、それが保険財政を圧迫しない説明の必要があったことを回顧談で述べている.一人当たり保険からの補助に約400万円かかり、年間100人が手術を受けると計算しても、年間総額わずか4億円ですむことになり、この点は問題なかったと振り返っている.)*3

◇1991年 日本 東京で第11回世界ろう者会議開催.日本から初めて世界ろう連盟理事が選出される.♯2

◆1991年5月 日本 人工内耳友の会運営委員の一人、埋め込んだ人工内耳体内部に対して、異物への拒否反応(非常に稀な反応)が出たことで人工内耳を取り外し退任.*1

◆1991年5月14日 日本 読売新聞東京版朝刊12版12頁 読者投稿欄・気流に中原英臣(当時山梨医科大学助教授)「先端医療普及のため援助基金設立を望む」掲載.
要旨「日本で試験的に行われ厚生省から発売認可を受けている人工内耳は、300万円余り、手術代を含めると約450万円にもなる。一刻も早く健康保険適用を受け、難聴者にとって真の朗報となるよう期待したいが、時間がかかりすぎ『○○ちゃん基金』などという国民の善意を頼りにすることになりそうだ。21世紀に向けて、次々開発されている先端医療技術の『健康保険適用』までの『つなぎ』として『先端医療援助基金』の設立を望む。耳の不自由な先天ろう幼児への治療は、ある一定の年齢までにしないと間に合わない」.

◆1991年 6月 世界 コクレア社製人工内耳装用者数 世界39ヶ国3421人(米2230人,ドイツ335人,豪281人,カナダ131人,日本66人,英61人,仏54人,西37人,スェーデン31人,南アフリカ29人,韓国27人,その他18か国139人),
上記中、小児装用者数2〜3歳162人(米99人,ドイツ25人,豪22人,カナダ4人,日本0人,英5人,仏3人,西0人,スェーデン0人,南アフリカ3人,韓国0人,その他18か国1人)、 4〜6歳241人(米163人,ドイツ23人,豪18人,カナダ10人,日本0人,英6人,仏6人,西1人,スェーデン0人,南アフリカ2人,韓国0人,その他18か国12人)、7〜12歳253人(米180人,ドイツ21人,豪21人,カナダ10人,日本0人,英7人,仏5人,西1人,スェーデン0人,南アフリカ1人,韓国0人,その他18か国7人)、13〜18歳(未満)161人(米98人,ドイツ13人,豪16人,カナダ6人,日本0人,英3人,仏4人,西2人,スェーデン1人,南アフリカ3人,韓国2人,その他18か国13人).
([ACITA]会報No.14 『世界の人工内耳使用者』 コクレア資料の統計(1991年6月3日現在)をもとにまとめた報告 1991年8月号)

◆1991年7月11日 日本 日本音響学会の音声・電気音響・聴覚研究会と電子情報通信学会の音声・応用音響・ディジタル信号処理研究専門委員会と日本耳鼻咽喉科学会東京支部の共催  マリー.ジョー.オズバーガー(米.インディアナ大学医学部準教授)特別講演「聴覚障害児の音声聴取と発話の能力」 内容は、主に音声聴取能力の側面からの話.講演内容の一部を日本音響学会誌47巻10号(1991年10月)に、「人工内耳・触覚表示器・補聴器を装着している聴覚障害児の発話能力の比較」と題して掲載.

◆1991年7月26日 日本 京都大学付属病院 小児の人工内耳手術実施 初症例8歳9か月男児(1982年10月生.1歳6か月頃罹患した髄膜炎によって失聴.失聴期間7年3か月)2歳時より市立保健センター通所.3歳から聾学校幼稚部在籍、小学部入学.初診時の聴力検査全ての周波数で反応なしスケールアウト.学校や家庭でのコミュニケーションは、手指で行うキュードスピーチか筆談.WISC−R知能検査は動作性・言語性とも正常.手術後3週間後(8歳10か月)より人工内耳装着しリハビリテーション開始) (川野道夫『人工内耳装着患者への援助-成人から学童へ-』「聴覚障害 第48巻4月号」1993年4月発行)
※上記症例のT君は、成人してから後(2011年)に母親とともに人工内耳に関することで取材を受けている.その記事内容の一部を以下に紹介する(本人の名前はイニシャルで?Tさん"と表記).

失聴がわかったとき、母親は「この子は一生しゃべれないんだ、耳がきこえなくなったとうらみをいうこともないんだ」と息子が不憫で毎日泣き続けた、という。その後、「地域の教育研究所で聴覚活用の訓練を受け」「3歳から府立聾学校へ通って、キュードスピーチの訓練を受け、同聾学校の小学部に入学」、「キュードスピーチで両親や兄弟との会話はできていた」が、「補聴器の効果はほとんどありませんでした」。そんなとき、「親戚が新聞で人工内耳の記事を見つけ」Tさんの両親に知らせた。両親は「すぐ耳鼻科医に連絡を入れて面会」。医師から「日本ではまだ、小児への人工内耳の手術の前例がない」「9歳ぐらいまでにした場合は効果があるかもしれない」という話を聞く。「大病して救われた命だから、プラスになることは何でもしてあげよう」と話し合い、「人工内耳のことや術部の感染症のこと、機械の入った頭を守るためにはどんな注意が必要かについて情報を集め、人工内耳の手術をすることを決め」た。手術は小学3年生の夏休みにおこなわれた。その時の手術のことを、後に担当医が学会誌に「成人の手術に比べそれほど困難な点はなかった」と報告している(日本耳鼻咽喉科学会会報96巻6号)。母親は「電極を入れる蝸牛が骨化していたため、急遽ドリルで、電極が通る道筋を開けたそうです」とも言っている。手術後3週間目の音入れの時のことを、「初めは脳がピリピリする感じで、とても抵抗感を感じた」とTさん。「いやがって泣くので、なかなかマッピング(田中注:個々の装用者にとって最も聞き取りやすい状態に人工内耳のプログラムを調整すること)をするまでに至らず、父に叱られたことを覚えています」とも語る。お母さんはその時の様子を次のように言う。「音入れをしたら、私たちの声がすぐ聞こえるものと思っていたので、Tが嫌で泣くのを見たときはうろたえました。長時間の手術に耐えた本人が、これから始まる長期のリハビリに通うことが負担になるのではないか、手術をして本当に良かったのか、と自問自答し続けました」。徐々に慣れ、術後8週間目にマッピングも安定し、「以後は週1回、病院にあるリハビリテーションセンターに通って、発音と聴能の2つの訓練を受けました。しかし、生活音や環境音といった音の有無はわかるようになったものの、それ以上は変化が見られませんでした」。その後、両親と医師が相談、Tさんは4年生から近所の小学校に転校。理由は「言語環境に良いから」で、転校前から、「病院側が学校に対し人工内耳の説明会を開き、視覚からも情報が得られる授業方法の提案をおこなうなど、協力体制を整える働きかけ」も行った。「それを受けて、担任の先生がキュードを覚え、授業は常にキュードを使って進めてくれ」「クラスの児童にも積極的にキュードを教えたので、(Tさんは)小学生のときは学習面でも友だちとのコミュニケーション面でも、わからなくて困ることはなかった」とのこと。転校して良かったことは「友だちの数が増えたこと」、悪かったことは「いじめられたこと。といっても、深刻なものではありませんでしたが…」とTさんは当時をさらりと語る。母親は、当時Tさんから「耳が聞こえないって、別に大したことじゃないね」という言葉をきき、「息子から大切なことを教わったと、思わず号泣した」とも振り返っている。

◆1991年7月30日 日本 東京医科大学病院 小児人工内耳 2例目の手術(10歳女児.[ACITA]会報では、この女児と周囲の環境面について以下のように紹介.
「4歳半時ウィルス性感染症により失聴.失聴期間5年半.両親や友達との会話は主に読話、時々指文字併用.地域の通常小学校在学.授業時の先生との会話はクラスメイトの指文字による通訳を交えた筆談.学校の担任の先生達は、手術数か月前から受け入れの為に、病院を訪れて人工内耳の情報収集や、成人装用者と意見交換するなど準備をすすめてきた.このように、手術後も恵まれた環境のもとで学校生活が出来そう…」[ACITA]会報 No.14 1991年8月号

◆1991年7月以降、同年度内に上記の8歳児、10歳児以外に7歳,他(19歳?)の小児手術実施.平均年齢は11.2歳
  この頃の状況について、虎の門病院STの氏田氏は「成人の中途失聴者に対する人工内耳の効果が認識されてきて、一部の病院で中途失聴者を中心に子供に対する手術も始まります。」と語り、大阪大学医学部耳鼻科ST井脇氏は「〜小児に対して人工内耳が埋め込まれるようになったのは1991年からです。成人より6年遅れてのスタートでした。小児に対しては危険性が少ないことが成人で確証されてからの適応と考えられていたことや、まだまだ補聴器に対する信頼度、依頼度が高かったこと、また、手術が介入することへの抵抗、あるいは小児のリハビリテーション体制の準備等から子どもへの適応が遅れたものと思われます。当時小児に人工内耳を埋め込むにあたり、海外における前例から、当該医療施設には、次の条件が整っていることが求められました。@医師、オージオロジスト、スピーチセラピスト、教育関係者、心理学者、ソーシャルワーカーを含むチームの協力が大切。 A聴覚的評価、補聴器フィッティング、聴能訓練の経験が必要。 B今までに5人の成人の成功例がある。 C家族、教育機関の協力が得られる。」と語っている.*13*14
  更に、井脇氏は次のエピソードも添えている.「私の勤める大阪大学においては1992年に17歳の少年を第1号として小児に対しても人工内耳が埋め込まれるようになりました。この少年の場合は誕生した時より難聴を伴っておりましたが、それが進行し補聴器を用いても言葉の聞き取りが困難になったため、人工内耳の装用に至ったのですが、年齢も17歳と高かったので小児といっても、生まれつき聞こえない幼小児とは少し異なります。」*14

◆1991年7月18日 日本 読売新聞大阪版朝刊 11頁 見出し「聴覚障害で幅広い論議 国際シンポジウム 閉幕/大阪」, 内容「松下電器産業と松下通信工業主催『音声と聴覚に関する国際シンポジウム』が16〜17日の二日間、大阪市守口市で開催.同シンポには海外を含め生理学、心理学、教育の専門家約260人が参加、聴覚障害に関する幅広い論議を行った.アメリカ・インディアナ大医学部メラリー・ジョー・オズバーガー助教授は、成人になってから行うケースの多い人工内耳の体内埋め込み手術を、2,3歳乳幼児期にすると効果があるという実証結果を発表、注目を集めた」.

◆1991年8月 世界 コクレア社製人工内耳装用者約3,400人(2割弱が2歳〜12歳で手術装用) *1

◆1991年 アメリカ人工内耳最新事情:入院は一泊のみ.セット価格約450万円,リハビリは3〜6か月間の計10回で終了.*1

◆1991年 日本 大阪大学医学部 人工内耳手術を始める(初年度成人3例).

◆1991年 日本 全難聴(全日本難聴者・中途失聴者団体連合会)の活動として人工内耳の問題に取り組み始める.人工内耳保険適用を求めて日本耳鼻咽喉科学会や国会議員への働きかけ、都議会で人工内耳保険適用要請を行う.その結果、全会一致で決議があげられる.([ACITA]10周年記念誌「人工内耳普及のために」高岡正(社)全日本難聴者・中途失聴者団体連合会理事長) *20

◆1991年9月 日本 全難聴 社団法人としての認可取得.*20
◆1991年9月19日 日本 読売新聞東京版朝刊 14版30頁 ニューススポットに人工内耳の記事掲載. 見出し「人工内耳手術を一部保険適用」 本文「厚相の諮問機関である中央社会保険医療協議会は18日、病気などでまったく耳が聞こえなくなた人が音を感じることができるようになる人工内耳手術の一部を、高度先進医療として保険適用とすることを認めた.人工内耳は、耳に機械を埋め込み、音声を信号化することで脳に音を認識させる装置。手術後2、3ヶ月の訓練で音が聞こえるようになる。今回、高度先進医療用の申請があった東京医科大学病院の手術について、保険適用の対象とした。いままで、約450万円かかった費用のうち、約100万円が保険適用になる。」

◆1991年9月19日 日本 毎日新聞 東京版朝刊26頁社会面 見出し「人工内耳 東京医科大学での手術に限り承認――中央社会保険医療協議会」 本文「18日、病気などでほとんど耳が聞こえない人の聴力を回復させる『人工内耳』を東京医大での手術に限り高度先進医療として承認した。これにより同手術に10月1日から健康保険が適用され、約450万円かかっていた手術が350万程度に軽減される.〜」

◆1991年10月 日本 厚生省 東京医科大学病院を人工内耳治療の高度先進医療病院として承認.*2

◆1991年10月 日本 マリー.ジョー.オズバーガー「人工内耳・触覚表示器・補聴器を装着している聴覚障害児の発話能力の比較」日本音響学会誌47巻10号に掲載.訳:福田友美子(国立身体障害者リハビリテーションセンター)
【初めに】
  重度の聴覚障害児の発話訓練補助手段−音声を視覚表示する訓練室用機器があるが発話改善に画期的効果はない.通常の補聴器で効果が得られない重度障害児にも、人工内耳、感覚補助機器(触覚表示器)が使えるようになった.補助機器の利点―日常のコミュニケーションで自分の音声のフィードバックを即時に受けることができる.聴覚補助機器の利点―耳が音声の分析や処理について、目や皮膚よりも優れていること.これらの点を確かめるために補聴器・人工内耳・触覚表示器を使っている子どもたちの発話能力について比較検討する.さらにそれらのデータから装着できる補助機器を使うことによって音声のどのような特徴要素が獲得しやすいかを知る.獲得しにくい特徴要素は、将来補助機器で抽出できるかもしれない.研究対象はインディアナ大学医学部で人工内耳植込みや触覚表示器の装着をさせた子供たち.コミュニケーション環境‐「口話法」,「トータルコミュニケーション法」による様々な学校環境.子どもたちのすべてに同じように装着直後から集中的な聴覚・音声・言語訓練を6ヵ月間実施する.その後、学校で受ける訓練の質や量は異なっている.このような経過に対して、人工内耳の植込みや触覚表示器の装着前、その後6ヵ月ごとに発話能力の評価を行った.
  子どもたちの暦年齢、聴覚障害の発症の年齢、人工内耳や触覚表示器を使い始めた年齢が異なっているために発話能力は広い範囲にばらついている.データの解析便宜上、被験児を次の3つの組に分けて検討.@聴覚障害の発症時期が早く(3歳以前)、補助具使用開始までの聴覚障害児期間が長い(6年以上) A聴覚障害の発症時期が遅く(4歳以後)、補助具使用開始までの聴覚障害の期間が多様(1年以上6年以下) B聴覚障害の発症時期が早く(3歳以前)、補助具使用開始までの聴覚障害の期間が短い(5年以下)

▽補聴器装用児データ把握、他の補助機器装用効果評価の参考にする.
  初めに通常の補聴器装用の子どもたちの発話データを調べる.重度の聴覚障害児の発話明瞭性に大きな個人差があるのは、個々の子供の残存聴能の量的な違いが関係していると考えられる.重度の聴覚障害児に分類される子供たちの一部は、振動触覚によってしか音に反応できない.これらの子供たちは多くの場合、明瞭な発話を習得させることができない.この研究では、補聴器装用児と裸耳での純音の音圧可聴域値に基づいて、重度聴覚障害児の残存聴能の違いを表すようなグループ分けをした.「金」グループの補聴器装用者は、可聴域値が3周波数(500,1,000,1,500Hz)の平均で90〜100dBHLで、少なくとも2,000Hzまでこの程度の値を持つ.「銀」グループは可聴域値が100〜110dBHLで、1,500Hz以上は聴力がほとんどないか全くない.「銅」グループは低い周波数域についてだけしか音に反応しないので、通常の補聴器からは効果を期待できない.このようなグループ、「金」9人、「銀」3人、「銅」8人について、文章了解度を測定.これらの子供たちは、2.5歳から聴覚補助機器としての補聴器を使用.発話を記録した時点でこれら被験者の平均年齢は9.5歳だった.
  聴覚障害児の発話に慣れていない人達が判定した、簡単な文の中の単語了解度を百分率で示す(本文では図示.金−60〜100%,銀−10〜30%程度,銅―20%未満).「金」は比較的高い了解度になっているのに対し、他の二つのグループの了解度は低い.「金」は明らかに聴覚的フィードバックによって発話能力を獲得したのに対し、「銀」「銅」にとっては、音声の音響的情報が明瞭な発話を習得するのに十分ではなかった.このデータでは、「銀」は被験者の数が少ないが、数を増やすと個人差はもっと増えると思われる.そのため、以後は、「金」と「銅」のデータだけを扱う.
  「金」と「銅」で、音声学的特徴要素を発話する能力について、音声パタン対立テストの刺激※を使って、強制選択応答によって調べた.このテストは、1音節語をそれぞれの被験者に文字と音声で課題を示したうえで、それを模倣して発話させるもので、録音した発話サンプルを判定者達に再生し、子供が発話したのはどの語であったかを4語の組から選択してもらう.6個のサブテストを用いて、「ストレスの有/無」、「イントネーション(上昇/下降)」、「母音の舌の高/低」、「母音の舌の前/後」、「子音の有声/無声」、「連続性(破裂音/連続音)」、「調音位置」について判定し、判定結果は、対立が正しく聴き取られた回数を百分率で表した.この集計では、判定不能な場合を補正したうえで、全部の判定者について平均してある.
  図2-(上)にはストレス・イントネーション・母音の高低・母音の前後、の対立についての正しい発話の百分率を、金と銅のグループについて示してある.「銅」に比べて「金」の得点が、すべての項目にわたって高く、特にストレスとイントネーションで高い.(図2(上)ではストレス-「金」ほぼ100%-「銅」60%未満、イントネーション-「金」約90%-「銅」約10%満、母音の高低-「金」70数%-「銅」約60%、母音の前後-「金」約77%-「銅」約55%)
  図2-(下)には、子音の無声/有声、連続性、調音位置、などの特徴要素について、それぞれのグループの得点を示してある.ここでも同様の結果がみられ、全体として「金」は少なくとも70%の正確さで対立を発話できるがm「銅」では50〜60%以上にはならない.(図2(下)では子音(有声/無声)-「金」約80%-「銅」30数%、連続性-「金」約80%-「銅」約40%、調音位置-「金」約80%-「銅」約50%)
  これらの結果から、「金」は「聾」に分類されてはいても、通常の補聴器を使うことで明瞭な発話を習得する潜在能力を持っている事を示している.特に、高周波数域で十分な残存聴力がある場合、そう言える,これに対して「銅」は実質的な残存聴力がない子供達では、通常の補聴器だけを使っていたのでは、発話能力の獲得には限界があることを示している.
  これまでの経過からみて、「銅グループ」の子供達が、人工内耳か触覚表示器を通して音声情報を手に入れたとしたら、明瞭な発話を習得できるかどうかの疑問が起きる.現在までに人工内耳や触覚表示器を使用するようになったのは、「銅グループ」に分類されるはずの子供達である.そこで、3M/HOUSE単チャンネルの人工内耳と、NUCLEUS22チャンネルの人工内耳と、2チャンネルの振動触覚表示器を使用しているグループの被験者について、発話能力の評価比較をした.

【まとめ】
1) 聴力損失が90〜100dB位で、2,000Hzまで残存聴能がある子供達は、通常の補聴器を装着すれば、明瞭な発話を習得する潜在的能力を持っている.
2) 強力型補聴器を使っても低周波数域の音に対してだけしか反応しないような重度聴覚障害では、通常補聴器を活用しただけでは、発話能力を発達させることはほとんどできないだろう.
3) 聴力損失が100dB以上で、高周波数域(例えば1,500Hz以上)で残存聴能がないような重度聴覚障害児では、明瞭な発話を習得する可能性については、現時点では明らかでない.
4) 通常の補聴器からは実質的効果が得られない重度の聴覚障害児が、早期に多チャンネルの人工内耳を植込めば、明瞭な発話を習得する潜在的能力は大きく改善される.
5) これらの聴覚障害児が、単チャンネル人工内耳や2チャンネルの触覚表示器を使った場合、通常の補聴器を使った場合よりも、発話能力を発達させることができる.しかし、これらの補助機器による向上は、多チャンネル人工内耳を使った場合に比べると少ない.
6) 多チャンネルの触覚表示器が、重度聴覚障害児の発話習得にどのように役立つかについては、まだ十分なデータが得られていない.

※以下、訳者による補足)
 ▽触覚表示器 Tactile aid:聴覚の代わりに指先や腕の皮膚を通して、振動触覚あるいは電気触覚で音声信号を伝える方式で、単チャンネルの型と、音声信号を周波数域に分割して多チャンネル振動子アレイによって伝える型がある.(中略)竹井機器工業の触知ボゴーダなど、携帯型のものが製品化されている.更に高度な音声信号処理を導入した機器も開発が続けられている.(伊福部達 "視覚以外の感覚を介する聾者用音声伝達方式"音響学会誌43,368-373,1987)
 ▽発話訓練機器 Speech training aids : 自分の発話あるいは教師の発話の音声の聴覚的なフィードバックが使えない聴覚障害児に対して、音声の音響的あるいは調音的な種々な特徴を、主な視覚的に表示して、発話訓練に役立てる装置である.近年は、高度な音響分析法や調音動作の観測法と、電子計算機の利用を組み合わせた訓練システムが実用化されている.(福田友美子)

◆1991年11月 日本 松村雄斉著『ママさんの問答教室-聴覚障害幼児の指導-』(11月1日財団法人聴覚障害者教育福祉協会発行)の第15問「最近の新しい補聴器についての情報を知りたいのですが教えて下さい。」への回答欄に人工内耳について記述される(田中注:この質問と回答欄は、母とこの教室編『こどもの補聴器』からの引用であるが、1984年発行初版のものか、それ以降のものかは不明).回答文では、最新補聴器として3つのうちの1つとしてあげられている(他の2つは「植え込み式人工中耳」と「耳穴式補聴器」).関連箇所を引用する.
「埋め込み式補聴器:
▽内耳の中に電極を埋め込んで、直接聴神経を電気的に刺激して音を伝えるという内耳埋め込み式の補聴器も、外国では多く試みられています。まだ耳の代わりというところまでは行かず、読話の補助程度です。しかし、心臓のペース・メーカーと同じように、こういう生体工学的な補聴器が利用されるようになるのも夢ではなくなりつつあります。
▽音やことばの持つ情報は、複雑なものです。ですから、それをコンピューターで分析して、音をその人の聞こえの状態に最も適した形として聞かせてやるということが可能になってくるでしょう。耳の中に入るような、マイクロコンピューターが組み込まれた携帯用の補聴器の出現も期待したいものです。」

◇1991年12月(〜2003年) 日本 全難聴機関誌名「新しい明日」から「福祉『真』時代」へ変更.

◇1991年 日本 聴覚障害誌ー3月号―日本聴覚医学会「聴覚検査法(1990)の制定について」―7月号・大沼直紀「教育機器と聴覚障害教育の専門性」・小林正幸「リアルタイム字幕挿入システムについて」・千種ろう学校「テレビ・ビデオの効果的利用・工夫」ー本田晃「「時差法」の活用について」,9月号・特集「音楽・体育」ー坪井 幹雄「聾学校における音楽教育」ー森道興「本校におけるハンドベル指導の実状」ー徳田宗千「音楽指導の在り方」ー安田美和子「聾学校の音楽授業で」,10月号ー田中美郷「聴覚活用について」ー今井秀雄・中川辰雄・立入哉「補聴器フィッティング」ー三上純一「DRF−SSM法 どこまで「ききみみ頭巾」に近づけられるか」ー馬場顯「口話と手話−附属聾学校の場合」ー論説「口話と手話−附属聾学校の場合」,11月号ー井原栄二「ひとことー全国難聴学級の実態調査」ー資料「聴覚活用」.

◆1991年12月日本 全難聴 「人工内耳の実状と相談の会」開催 人工内耳の正しい理解を求める運動として開催.(その後全国40か所以上で開催+関西ブロック「人工内耳フォーラムin京都」開催)

◆1991年 日本 舩坂宗太郎(東京医科大)図書「人工内耳における最適スピーチ・プロセッシングの開発」1991年出版

◆1991年 日本 伊福部達(北海道大) 図書「蝸牛外刺激型人工内耳の試作研究」出版

◆1991年 日本 大津赤十字病院 同病院初人工内耳手術実施.
◆1991年度 日本 手術病院数−11,装用者累計−99人.[ACITA]正会員72人,会報16号19頁,230部発行.*1

◆1992年 世界 人工内耳使用者総数5,185人(成人対小児の割合−2:1)(@米3224,A独489,B豪368,C加193,D英162,E仏143,F日本128,Gスペイン89,Hスウェーデ57,I韓50,J南アフリ40,Kノルウェ31,Lスイス24,M伊27,Nイスラエ22,Oニュージラン12,Pエジプト10,Qベルギ・ブラジル9,Sトルコ・アラブ首長国6,ポルトガ4,香港3)

◇1992年 日本 文部省(当時) 「聴覚障害児のコミュニケーション手段に関する調査研究協力者会議」を設置.♯2

◆1992年2月 日本 厚生省 虎の門病院を人工内耳高度先進医療病院に承認.*2
この頃のリハビリについて、虎の門病院ST氏田氏は10周年記念誌でこう語る「(病院では)どのようなマッピングをすべきか、聞き取りの訓練やカウンセリングについて何をすべきかについて、リハビリ担当者の間での情報交換の必要性が高まってきました。それまで医師がリハビリも担当することも多かったのですが、患者さんの人数が増えるにつれ、STなどのリハビリ専任の担当者がリハビリを担当する施設が増えてきました。」(10周年記念誌)*13

◆1992年4月 日本 琉球大 小児人工内耳手術を開始.
宇良医師の回想文を要約すると「7歳の先天性聾児でT・Cレベルも問題なく測定でき術後1年で構音の歪み改善した(と思った)が、約3か月訓練間隔が空くと構音の乱れが生じた.言語習得前失聴では構音が定着するのは訓練3年以上頻回に行う必要があると痛感」とある.しかしその後、埋め込み手術をした「3歳の先天性聾児は比較的歪みの少ない構音を獲得し、聾学校幼稚部から普通学校へインテグレートし今では時々歌もうたってくれる」といった逸話も紹介し、「言語習得前失聴者に聴覚のみでなく〜歪みのない言葉〜構音のことを考えると3歳が一つの時期、しかし、年長でも〜聞き取りの効果は目を見張るものがある」とまとめている。更に課題として「言語習得前失聴の子に人工内耳を埋め込むと盛んに声を出すようになるが、急に声を出さなくなることがある。自分の声と周りの声との違いにとまどいをみせるのであろうか。ある年齢になると周りの目、耳を気にするようにもなる。とりわけ中学生くらいの思春期になると、世の中の事、自分にまつわることをはすに眺める時期が来る。『もう中学生になったのだから病院はいかなくてもいい』とか『いくらか聞こえるようになったとはいえ普通の人と同じになった訳ではないからもうなにもしない』と言い出したりで、手を焼くことも少なくない。言い出すのはそれぞれにわけがあり、たとえば英語の勉強のようにヒヤリングが要求されるようになると、英語に対する興味と自分の能力との差を目のあたりにする。なかなかうまくいかないもどかしさと、そのことを解ってもらえないいらだちから、現状を離れようとする。この時期は誰でも一度はとおる時期だが聞こえのハンデを負っている分悩みも多いと思われる。〜ついには聴覚活用を否定し視覚活用(手話や要約筆記)を全面にだして、『聞こえないんだ』という事を表現する場合もある。」と分析、教育やカウンセリング、社会福祉面で関連専門家のチームワークによる支援や一般社会への理解を広げる必要があると訴える.

◆1992年6月以前 日本 厚生省医療課長 「衆院労働委員会で人工内耳の保険適用は時期尚早(高度先進医療承認病院が2病院のみでは少ない)と判断」された事を示唆.*1

◆1992年6月 日本 厚生省 札幌医大・京都大学を高度先進医療病院に承認.*1

◆1992年8月 日本 厚生省 宮崎医大を高度先進医療病院に承認.*1
後日、[ACITA]十周年記念誌の中で、牛迫医師は人工内耳リハビリを地域リハビリテーション、つまり出張リハビリによって実施せざるを得なかった実情について語っていることを要約すると「宮崎医大は非常に不便なところにあり、患者さんの9割近くが県外在住者、4割が高齢者ということから、通院リハビリが難しい状況.通院時間の平均値が往復8時間、時間も費用もかかるので、九州各地域別のリハビリを行うことにし、鹿児島市、熊本市、福岡市、大分市、宮崎市の5地域の障害者センターを利用、会場予約と地域の患者への連絡は友の会各県支部にお願いすることに.機械の調整や検査道具は出張リハビリ用に一組そろえて病院と同じことができるようにした.コクレア社や(補聴器会社の)ダナジャパンさんの協力も得て、一地域、4カ月に1度土曜日開催を基本に実施.一人に30分程度の個人リハと昼休み一時間合同リハビリを組み合わせて実施.合同リハでは機械の使い方の解説や患者さん同士で色々な工夫を話し合ってもらう.「地域合同リハビリ」には装用者10〜15人の他、人工内耳に興味を持つ人たちも集まり相談会やマスコミを通じて社会啓発活動にもなっている.問題は参加者数が増え、リハビリが一日では済まなくなってきていることと地域では診察ができないということ.一年に1回開かれる装用者の会「ひびきの会」総会に合わせて人工内耳大検診を計画している.将来、幼児の人工内耳も始まるので「地域リハビリ」を計画、優秀な聴能・言語訓練を実施しているろう学校や通園施設にも人工内耳の能力と限界も理解してもらって一緒に検討し合い考えていけたらと思う」*9

◆1992年8月 日本 [ACITA]元運営委員より[ACITA]会員の特殊性(加入動機に積極的意思がない)について指摘がある.その一方で全国各地で「人工内耳」の説明と相談会が催され、運営委員の体験発表などの需要は高まる.*1

◆1992年9月24日 日本 京都大学附属病院 京大病院2例目の小児人工内耳の手術実施

◆1992年9月 日本 ジューン・エプスタイン著,中西靖子編訳『人工内耳のはなし』 学苑社発行
この中で、人工内耳への批判と人工内耳にかかわるオージオロジストの立場について、以下のように著わされている.「人工内耳はきこえることを目的に考えられており、それが明らかな『口話主義』の立場に立った装置であるために、聾者の社会から大きな反発を受けています。」「人工内耳を装用する子ども達は、効果的に使用する最良の機会を与えられるべきです。人工内耳は本質的にはもう一つのタイプの補聴器であり、それを効果的に使用するために『きこえ』というものは、注意深く育てられ、訓練されなくてはならないのです。人工内耳適用には手術が必ずつきものであるため、人工内耳に対して正しい倫理観点を持つことは重要です。」

◆1992年10月 日本 人工内耳友の会[ACITA]編『よみがえった音の世界-人工内耳を使用して-』学苑社発行

◆1992年12月1日 日本 鈴木純一・小寺一興「人工内耳と人工中耳」日本医師会雑誌

◆1992年11月以前 日本 琉球大学病院 先天性難聴児(8歳)への手術実施.*1

◆1992年11月 日本 琉球大学病院を高度先進医療病院に承認.*2

承認されるまでのことを琉球大の宇良政治助教授(当時)は「全体としての成績は良好で(あるとの評価のおかげで4年後の)高度先進医療承認に繋がった.」「高度先進医療に承認」されるための書類作成は大変でリハビリ担当者は「資料収集、書類整備に病院中を駆け回り、諸氏と喧嘩したりなだめたり、おだてたりして仲良くしてやっとそろえた.承認されたときは苦労が報われ保険適応も間近になった思いで感極まるものがあった.」とふりかえっている.*8

◆1992年11月 日本 [ACITA]編集により装用者体験集「よみがえった音に世界」出版.*1

◆1992年 日本 伊福部達(北海道大学) 人工内耳関連図書「聴覚障害、教育工学のための感覚代行装置の活用法と改良に関する研究」出版

◆1992年12月1日 日本 鈴木純一・小寺一興「人工内耳と人工中耳」日本医師会雑誌

◇1992年 日本 聴覚障害誌ー1月号・三宅良ほか「聴覚障害児が自ら学ぶ意欲を高める映像教材の利用法」ー4月号・本田晃「「時差法」(T・D法)の活用について(続)」ー6月号・特集「コミュニケーションモード」ー小畑修一「聴覚障害教育におけるコミュニケーションの課題」・根本匡文「附属聾学校高等部におけるコミュニケーションモード」・愛甲洋「口話法による教育について」・石橋綾子「キュードスピーチについて」・広島聾学校「幼稚部における身振り、手話とキューサインの併用について」ー7月号・草薙進郎「アメリカ聾教育におけるトータル・コミュニケーションの検討」ー8月号・甲泰史ほか「キュードスピーチの使用の実態について」,10月号・馬場顕「ろう教育の明日を考える全国討論集会に参加して」.」

◆1993年1月 日本 高橋信雄「幼児への人工内耳の適用―その意義を探る」愛媛大教育学部障害児教育研究室研究紀要 1993年1月号

◆1993年2月 日本 聴覚障害者教育福祉協会 聴覚障害児者関係者向け「人工内耳・人工中耳(啓発用ビデオ)作製.

◆1992年度末 日本 手術病院数−13,装用者累計−161人,小児累計15人. [ACITA]正会員109人,会報No.20は22頁300部数発行.*1

◆1993年3月前 日本 東京医大耳鼻科同窓会員S医師、東京医大の人工内耳患者等をみて「是非、保険に組み入れなくては」と国会議員に働きかける.国会議員団、厚生省幹部役人、厚生大臣に会う機会を手配する.*3

◆1993年3月 日本 人工内耳友の会[ACITA]会長小木氏、東京医科大学病院の船坂医師、城間STが衆院議員団(8名)に人工内耳の仕組みの説明と保険適用の請願を行う.議員団は保険適用の必要性を認め、厚生大臣への申入書提出約束.*1

◆1993年3月 日本 東京都議会 代表質問で人工内耳の健康保険適用の問題が論議され、政府への意見書として提出される.*2

◇1993年 日本 障害者基本法施行

◆1993年4月 日本 国会議員団 人工内耳健康保険適用要請「申入書」を厚生大臣に提出.*1

◆1993年 日本「聴覚障害」4月号−「人工内耳」特集 掲載記事6本(医者−人工内耳のしくみ,聴覚障害児教育との関係,子どもの手術の適応基準等,教育者−聴覚障害教育との関係など)
  掲載記事のうち、菅原廣一氏(当時国立特殊教育総合研究所聴覚・言語障害教育研究部所属所員)の『人工内耳と聴覚障害教育』と舩坂宗太郎氏(当時東京医大・人工内耳手術執刀耳鼻科医)の『聾児教育と人工内耳』、川野道夫氏(当時京大附属病院・人工内耳手術とリハビリ担当医)の『人工内耳装着患者への支援‐成人から学童へ‐(田中補足:小児初の手術とリハビリについて紹介.詳細は1991年7月26日付記録参照)』、田中美郷氏(当時帝京大学病院耳鼻科医.補聴器装用聴覚活用を取り入れた聴覚障害児療育に先駆的に取り組んできた医師)の『子供に対する人工内耳の適応について』、加我君孝氏(当時東京大学病院耳鼻科医)の『人工内耳手術の病理学的問題と人工聴神経の適応』の要約文を紹介する.菅原文要約:「30年近く前の昭和39年夏季聴能研究会で音響学権威、佐藤孝二会長が『補聴器活用による聴覚補償教育は九分九厘まで方針が立った、と聴覚活用による早期教育におって聴覚障害児は通常の子どものように話せるようになる、これは子に全体の聴覚障害児の救済であり家族の福音となる』と語った.当時は教育的に主たる情報の入り口を聴覚中心にするか聴覚以外の諸感覚にするかの境目が聴力閾値60dB近辺であったが補聴技術の発達とともに今日では90dB〜100dBあたりと考えるのが一般的になってきた.人工内耳に関する話を初めて耳にしたのは昭和55年全日聾件盛岡大会における立木孝氏(岩手医科大教授)の記念講演で用語も『蝸牛内埋込み電極法』であった.数年後わが国の手術が行なわれ現在160例(ほとんどが最重度難聴成人)を超えていると聞くが、得られた貴重な諸知見を幼児や児童に如何に適用していくかが今問われ出している.教育,医学,福祉など関連諸領域がこれまでの蓄積資産相互提供に立脚した共同の営みが前述の先達の本意を実現することになる」

  舩坂文要約:「人工内耳は聾患者が会話できるようになる画期的人工臓器であり、1980年代より実用化、当初は言語習得後聾が対象であったが1990年代になると言語習得前聾、特に聾幼児に対して積極的に使用されるようになった.日本を除く先進各国では人工内耳の対象は1/3が小児であり、聾教育に携わる方々が避けて通ることができない実情であり日本も早晩同様の事態になるだろう.正常な耳は精密な分析能力と広範囲なエネルギー検出能力を兼ね備え、幼児でも音声(言語音の周波数は最大で100〜6000Hz,通常会話音の音圧範囲は30〜70dB)を弁別し言語音として学習することができる.しかし高度感音難聴児は周波数の区別ができず、大きさが異常に増大するレクルートメント現象(言語音の弁別が難しく、少し音が大きくなると騒音やガンガンした音になる)が起こるので、ことばの力が伸びないのは当然である.高度感音難聴の子どもの聴覚補聴をする機器に補聴器があるが、音を大きくする機械であり先ほどの問題、周波数分解能低下やレクルーとメント現象を補償するものではないため言語習得面で個人差はあるとしても限界がある.人工内耳の聴覚補償はある程度音声分析でき、母音弁別、個人性識別に必要な第1,第2、第3ホルマントまで抽出し、ヒトの聴神経に音声情報として送ることが可能であり、最小可聴電流閾値と最大快適電流閾値内に収まるようになっているので補聴器にありがちな頭がガンガンしたり痛くなったりするということがない機器である.人工内耳の対象児の聴能・言語訓練的条件は@すべての周波数で残聴がないA残聴があっても補聴器効果がないB残聴があっても話声を認知できない、以上でありおそらく100dB以上の難聴児のほとんどが対象となる.それに言語習得臨界期面のことも考えて対象児を決める.
  人工内耳装用による言語習得の効果として、6〜7割の幼児が普通学級に進むことができる.音の長短の区別、構音点の際、男声・女声の区別、2母音の識別が80%以上の成績となり補聴聴力35〜50dBの幼児に相当する成績である.言語の聞き取りでいうと単語の同定は40%、前もって10の品物の絵を見せておきこれらを用いた質問文、命令文に対して読話併用で80%の正答率となる(前述補聴聴力30〜35dB幼児では95%).以上のように人工内耳は聾に対して画期的治療法であるが、それを実現するためには言語治療士、児童心理学者、聾教育教師、普通教育教師、医師の密接なチームワークが必須であるがその点でわが国は遅れている.行政、民間支援教育、リハビリテーションの各方面からの積極的アプローチを望む.」

  川野文要約:「京大附属病院では人工内耳埋めこみ手術とリハビリテーションを1987年から実施.1989年から言語習得前失聴の成人にも手術を行い有効であることを確認.その成果を踏まえ、1991年7月から言語獲得前失聴の小児の手術とリハビリテーションを行っている.経過をみてきたまとめとして、人工内耳装着の対象となる言語習得前失聴小児は、1993年4月現在のところ年齢5〜6歳以上、補聴器ではことばを聞き取れない子どもといえる.リハビリでは人工内耳装着当初はストレスを伴うが、環境音を認知させることで音の有用性を感じるようになった子どもと人間関係を深め、次第に口話を用いるよう指導する.人工内耳の効果は読話併用によって対話でき、言語習得後失聴患者と同等のコミュニケーション能力を獲得することが分かった.」

  田中文要約:「子供に対する人工内耳の適応に考慮されるべき前提条件@人工内耳は聴覚活用に徹するという厳しい条件で選択されるべき.A聴覚学習は乳幼児期に始めるのが最適.100dB以上高度難聴児は一般的に補聴器活用不可能で人工内耳適応児と判断されがちであるが、補聴器の効果的活用可能な子供もいる.3歳頃までは補聴器による聴覚活用に徹し、その上で人工内耳適応を検討するのがよい.B幼児期早期から文字による言語指導により高い言語水準に達している事例は人工内耳の非適応.長じてから人工内耳を選択するには幼児期から聴覚学習を綿密に積み重ねる必要がある.C幼児期人工内耳手術は子供に代わって親が選択しているという倫理的問題がある.親が子供の意志に反し人工内耳を強制し聴能訓練を徹底した場合に生じる心理的問題も予測してかかるべき.1985年マンチェスターでの聴覚障害者教育会議では、ろう社会・ろう文化の構築を目指すろう者達が人工内耳に反対する主張を訴えており、ろう者の人権問題とも関連して、幼児期の人工内耳について考えるべきである.

  加我文要約:「現在、手術適応は言語習得後の18歳以上高度感音難聴成人であるが、対象を子供にも拡大させるべき時期にきている.わが国は難聴児の早期発見早期教育は欧米よりも進んでおり、多くは補聴器装用聴覚活用によって言語獲得をし、成果著しく高等教育を受けている大学生も増加している.しかし、一部にサイトメガロウィルス胎内感染や内耳奇形のように補聴器が役に立たない子供がいる.外国ではそのような例も人工内耳によって聴覚・言語獲得が出来ているとの報告が増えておりわが国でも公的基金を用意して3歳前後の小児への手術を開始したい.人工内耳の手術が成功するには蝸牛神経の存在が必要である.蝸牛神経の病理学的問題があり、人工内耳手術の成果の得られない場合、人工聴神経の適応がある可能性もあり基礎的研究が必要.一方で聴覚活用できない場合や敢えて手術を拒否しキュードスピーチや手話によるコミュニケーション方法を継承する立場も考慮されるべき.」

◆1993年 日本 大阪労災病院 人工内耳手術開始 大阪大学が市内福島区から北部郊外に移転により通院距離が遠くなった患者に対して術後リハビリテーションを大阪労災病院が担当 *19

◆1993年5月 日本 衆議院労働委員会で人工内耳健康保険適用問題を論議.*2

◆1993年5月 日本 人工内耳友の会[ACITA]、装用者からの人工内耳に関する質問や要望について、まとめたものを(株)日本コクレア社に提出(@機器定期点検の方法 A付属品の新製品が出来た時の随時の情報提供と既存付属品のカタログ集を作り全員に配布 B故障時まずは手術病院に相談することになるので、その時の為に病院に予備部品を常備してほしい).運営委員の活動として前述の「定期点検や予備品等に関する装用者からの要望等を日本コクレア社に伝える」他に、「会報発行」「懇談会開催」「実態調査」等が必要であることを確認.*1

◆1993年 日本 全国難聴児を持つ親の会(聴覚に障害を持つ子ども達により良い教育・生活環境を整備するため、親たちの情報交換、互助、教育関係者や行政への働きかけを目的として設立した会)の啓発的手引き書「聴覚障害児理解のために」第20集として「人工内耳と聴覚障害児教育」発行.

◆1993年 日本 ろう文化の振興を目的とした団体「Dプロ」設立.ベン・バーハン、ハーラン・レイン、MJビエンヴニュらアメリカの急進的ろう運動論客の影響を直接受けた木村晴美や米内山昭宏らが中心となった.

◆1993年7月 日本 厚生省 金沢大病院を高度先進医療病院に承認.*2
◆1993年8月 日本 人工内耳友の会[ACITA]による初の実態調査実施.
◆1993年9月 日本 全国難聴児を持つ親の会会報「べる」に初めて人工内耳に関する記事が掲載される(大津赤十字病院 伊藤寿一教授寄稿「べる82号」).

◆1993年9月 日本 参議院決算委員会で人工内耳健康保険適用問題を論議.*2

◆1993年9月 世界 コクレア社製人工内耳39ヶ国装用者数7,199人
◆1993年10月 日本 厚生省 兵庫医大病院を高度先進医療病院に承認.*2
◆1993年10月 日本 田中裕二編著『続・ママさんの問答教室』(10月1日財団法人聴覚障害者教育福祉協会発行)の第28問「最近『人工内耳・人工中耳について』の話を耳にしますが、人工内耳、人工中耳についてどういうものであるのか、わかりやすく おしえてください。」への回答欄に人工内耳について記述される.回答文のうち、人工内耳関連箇所を引用する.
「人工内耳について:
▽人工内耳は、働きを失った有毛細胞の代わりに音を伝える電極を蝸牛の中に埋め込み、聴神経に直接電気信号を送る、という人工臓器です。
▽図1(側頭部から蝸牛の人体解剖図とその中に埋め込まれた人工内耳の内部機器が描かれた図)表示〉 そのためには、聴神経がいきているかどうかをまず調べなければいけません。
▽人工内耳の対象となるのは、内耳の機能がおちてなおかつ聴神経が生きている方。相当程度内耳機能が侵された高度難聴で、音が有るのは分ってもそれがどのような音なのかが分りにくく、補聴器が有効に働かない方などが対象となります。▽表.人工内耳の適応条件:1.高度の感音難聴であること。2.補聴器の装用効果が得られない。3.言語習得後の失聴である。4.蝸牛電気刺激検査で聴神経が生きている。5.手術予定側に活動中の中耳炎がない。
▽人工内耳はことばを覚えた後、少なくとも5〜6歳に失聴された方が最も適しているといえます。現在世界中でおよそ5,000人の方々に使われていますが、そのうちの30%近くが18歳以下の子供たちです。この中には生まれつき耳の聞こえない子供たちも含まれています。こうした先天性の子供の場合は、リハビリテーションが非常に重要な問題となってきます。人工内耳がその効果を上げるためには、耳鼻科医による手術が行われるだけでなく、人工内耳による新たな言語を習得するための長期にわたるリハビリテーションと聴覚障害児教育が不可欠であると言わざるを得ません。
▽中途失聴の成人の場合は一般的に2〜3ヶ月程度、言語治療士によるリハビリテーションによって人工内耳からの音を自分の音にしていくことができるのです。人工内耳は、エレクトロニクスと医学の進歩が生み出しました。しかし、自然の内耳にはかないません。もともとは読話を補助する目的で開発されたもので、一般的にひあ読話との併用が必要ですが、中には人工内耳だけでも驚くほど良くことばが分かり、電話での会話が可能な方もいます。
▽人工内耳は、マイク・スピーチプロセッサ・送信アンテナ、側頭部に埋め込まれる受信アンテナ、蝸牛に挿入される電極から出来ています。マイクから入った音はスピーチプロセッサで電気信号に変えられ、電気信号は送信アンテナから受信アンテナに送られます。受信アンテナから蝸牛の中に入った電極へ電気信号が流れ、有毛細胞の変(ママ)わりに聴神経を刺激し、大脳へ音を届けるのです。
▽日本で採用されている多チャンネル式の人工内耳は、1978年オーストラリアのメルボルン大学とNeclcus(ママ)-Cochlear社が共同開発したもので、現在約30ヵ国で使われています。人工内耳を埋め込んだ後は、その部分をぶつけたりしないような注意は必要ですが、スポーツなどは可能であり、水泳もマイク・スピーチプロセッサを外せば問題ないとされています。」

◆1993年11月 日本 衆議院厚生委員会で人工内耳健康保険適用問題を論議.*2

◆1993年12月 日本 上記実態調査報告書発行(122人からの回答,小児からの回答は合計5人,その内訳は10歳未満-男児2人,10代-男児1人・女児2人).結果を整理し実態を把握した上で、当事者の立場から病院とコクレア社に要望や提言を行う.

◆1993年 日本 北澤茂良(静岡大)図書「聴覚末梢系の整理モデルに基づく新しい人工内耳システムの研究」出版

◆1993年 日本 愛媛大 以前に単チャンネル型人工内耳を埋め込んだ患者、H氏が22チャンネル型人工内耳手術を受ける.
リハビリを担当していた高橋教授が回想文の中で、単チャンネル型人工内耳のリハビリの大変さとそれに比べて22チャンネル型人工内耳のリハビリが如何にスムーズであったかを次のように語っている.「〜シングルでのリハビリの道は険しいものでした。何しろ一本の電極ですべての情報を伝えるわけですからできようはずもありません。16キロヘルツの搬送機に音声波形をAM変調して送り込むというAMラジオと全く同じ方式の実に簡単な信号処理であの複雑な音のキューを全て聞き分けろということ自体がそもそも困難なわけですから、リハビリは実に大変でした。それでも、イントネーションの情報や簡単なことばを聞き分けることができ、感激し合ったものでした。〜読話併用が前提ですが、どうにか簡単な日常会話ができるようになるとそれは嬉しかったものでした。〜音は取り戻せるというのはこんなにも素晴らしいことなのかということを改めて思い知らされました。一方〜マルチチャンネル形の人工内耳は実に目を見張るものがありました。正直言って早くそちらに切り替えたい思いが満ち満ちていました。それから、数年経ずしてマルチチャンネル形への切り替えのために苦しい資金集めの日々が続きました。幸いなことに県の難聴者協会の協力をいただくことができ、数人分のプロセッサ購入資金ができました。折しも、教育学部には、特別設備費がつき、何はさておき、デュアルプロセッサインターフェイスなど、マッピングに必要な機材を揃えることができました。〜これで、ようやくマルチチャンネル形の内耳のリハビリができる!!。マルチチャンネル形の最初の患者さんはシングルで大変な努力をされたHさんでした。音入れの日のHさんの笑顔が今でも印象的です。そして、何よりも目を見張ったのは、すごいではないですか!『Hさん、きこえますか?』というと、『はい分かります』と返答が返るではありませんか!。リハビリは、シングルに比べたら、実にスムーズでした。ほとんど努力せずにどんどん分かっていくではないですか?。それまでは穴のあくほど顔をみつめられていたものですから・・・。 〜」*18

◇1993年1〜12月 日本 聴覚障害誌ー1月号・講演Daine L.Castle「職場で聴覚障害者が利用するテレコミュニケーション技術について」,質問に答える「補聴器の有効性について」,NEWS‐「国連・障害者の十年」記念式典‐,  4月号・初の「人工内耳特集号」・菅原廣一「人工内耳と聴覚障害教育」,田内光「人工内耳のしくみ」・舩坂宗太郎「聾児教育と人工内耳」・川野通夫「人工内耳装着患者への援助」・田中美郷「子供に対する人工内耳の適応について」・加我君孝「人工内耳手術の病理学的問題と人工聴神経(Central Electro Prosthesis)の適応」,10月号・松原太洋「先生、どうしてお口をかくしてお話するの?」,12月号・特集「口話法」ー斎藤佐和「私たちの時代の「口語法のゆくえ」」,馬場顕「口語法について考える」,松木澄憲「聴覚活用を基礎とした口話法」,大塚明敏「口声模倣の扱いについて」.

◆1994年1月 日本 全国難聴児を持つ親の会会報「べる83号」大沼直紀教授レポート「子どもの人工内耳(オーストラリアのリハビリ専門機関の紹介」

◆1994年2月26日 日本 福島県にて開催された全国難聴児を持つ親の会地方代表者研修会で大沼直紀氏(当時筑波技術短期大学教授)『聴覚障害児教育の現状と未来について』講演.
内容:難聴児教育は直接子どもに教えるより母親を教育する方が効果的.アメリカのCID(ろう工科大学)のシモンズマーチ先生のデモンストレーションホーム(聴覚障害児の母親に家庭療育の手本を見せる空間)に貼ってある8つの注意事項:@補聴器が故障していないか A子どもの前から話しかけているか B子どもの目の高さで話しかけているか C注意を向けさせてから話しかけているか D光を背にしない位置で話しかけているか E子どもの話が通じなくても落胆させない態度をとっているか F繰り返し沢山話しかけているか G目の前の物事を言葉におきかえているか

  ※人工内耳に関して前述難聴児教育の概説の後、親との質疑応答を通して説明:「人工内耳での聴力閾値は40dB前後」「適応対象児は両耳が110dBか120dB以上の平均聴力レベル」「手術は内耳の蝸牛内に電極のついた1本の線を挿入するので、残っていた聴覚有毛細胞を壊す.そのためその後補聴器をつけても手術前に聴こえていた場合の聴こえは取り戻せない」「人工内耳適応か非適応か判断するときの目安にしたい110〜120dB以上の聴力かどうかを知ろうとしても、行動観察的聴力検査や聴性脳幹反応(ABR)では一部の周波数について約100dBまでの聴力が把握されるにすぎず正確に把握するのは難しい.メルボルン大の『幼児用自動脳波聴検装置』などの開発研究の動向に期待したい」「世界的には2〜4歳の適応例が増加傾向.補聴器の効果が期待できそうにないと早期に診断された重度聴覚障害幼児に初めから確実に音の入る人工内耳を装用させて言語獲得の最適期である2歳の時期を逃さないような成功例もある.親の障害感や人生観が問われる難しい問題」「人工内耳によるきこえの状態は中等度難聴と同程度なのでそのままの聴こえ程度で放っておいたり、普通学級に入って何の配慮もないままで教育を受けるのでは、その後のコミュニケーション能力に必ず支障をきたしこれまでの投資や努力が無駄になる.日本の現状は手術後の子どもの教育体制の受け皿はないが、理想は『人工内耳子ども医療センター』のような機関をできるだけ早く設立し、そこで人工内耳適応かどうかの判定や術前術後の補聴効果の評価、音声言語リハビリ等に責任を持って当たる必要.また一定期間責任をもって聾学校や難聴学級が受け入れ、個別的聴覚学習プログラムを作成しリハビリ実施するシステムや『人工内耳教育センター』の機能を持つ機関(オーストラリアの『人工内耳共同研究センター』のように聴覚を通して自ら学習するための道具の一つに人工内耳が位置づくように教育する機関)が必要.」‐全国心身障害児福祉財団発行難聴児を持つ親の会編集「べるNo.85」1994.8月発行

人工内耳に関して良くある質問に対して以下の応答.
@人工内耳装用時の聴力は?⇒35dBから40dB前後.ちょうど70dB程度の難聴児が補聴器装用時のきこえの状態.

A左右の聴力90〜100dB程度の幼児で、両耳装用での聴力は40dB前後.人工内耳の手術を受けた方が効果があるか?⇒人工内耳は、元来、補聴器をフィッティングし、どんなに聴能訓練をしても音の聞き分けが出来ない程厳しい聴覚障害者に対して、せめて中等度の難聴者程度まで聴力を補償できればという手段.現在、補聴器活用で同程度の効果が得られているのであればわざわざ人工内耳を選択する必要はない.少なくとも110dBか120dB以上の平均聴力レベルでなければ、適応対象にはならない.

B一度人工内耳を試して、効果がなかったら補聴器に戻りたいが・・⇒埋め込み手術で電極を蝸牛に挿入するとき、聴感覚の有毛細胞も壊す.挿入した電極を後で引き抜いたり、交換したりすることはしない.電極が入っている耳に補聴器をつけても以前のような聞こえは取り戻せない.故に試しをすることはできない.

C右耳の聴力70dB、左耳120dB、左の耳に人工内耳を付けて補聴器と併用したいが・・?⇒片耳が、補聴器効果が得られるほど良い場合は、適応対象ではない.併用しても、補聴器を通した増幅音と人工内耳を通した電気信号音という異なった形で、同時に左右から入るので、脳の中での情報処理がうまくいくのかという問題が残る.オーストラリアなどでは、問題を解決するために、両方の耳の間でバランスよく融合させるための信号処理装置を開発し「併用形補聴方式」を検討し始めている.また、人工内耳を両耳装用するための「バイノーラル人工内耳」の研究も進められている.

D人工内耳を付けた方が補聴器よりも効果があると判断するための、重度聴覚障害児の聴力検査法はあるか?⇒早期から人工内耳の恩恵を受けられるようにしようとすればするほど、今まで以上に正確な幼児用聴力検査が行われる必要がある.現在行われている行動観察的聴力検査や聴性脳幹反応(ABR)聴力検査法では、一部の周波数について約100dB程度までの聴力が把握されるに過ぎない.人工内耳適応かどうかを判断するときの目安としたい、110〜120dB以上の重い聴力レベルなのかどうか知ろうとすると無理な状況にある.後になって普通の聴力検査が受けられるようになった時に人工内耳の手術をするほどでもなかった、補聴器でも恩恵が受けられるほ程度のの聴力だったのではないかと悔やむことになるかもしれない危険率が残っている.メルボルン第の「幼児用自動脳は聴力検査装置」などの開発研究の同湖プは今後期待して見守りたい.

E生後、6ヵ月で難聴発見、2歳になるまで聴覚活用の教育で頑張ってきた.口話の能力は伸びてきたが、補聴器を良くフィッティングしても250dB〜500Hzの音をわずかにききとるのが精一杯.いつ人工内耳の手術を受けたらよいでしょう?⇒主体的な聴能基礎力が育っている子どもには、人工内耳を装用して早期から音声言語を獲得させる方法が有望で世界的には、2歳から4歳にかけての人工内耳適応例が増加傾向.補聴器の効果が期待できそうにないと早期に診断された重度聴覚障害児に、初めから確実に音の入る人工内耳を装用させて言語獲得に最も適当な2歳の時期をのがさないようにしようという考え方もあり、その成功例も多くみられる.聴覚障害児を持つ親としての障害観や人生観が問われる難問である.

F早期からの補聴器装用のおかげで、電話が使えるほど音声言語コミュニケーション能力を伸ばすことが出来たが、高校から大学にかけて、120dBまで聴力が低下し、補聴器が役に立たなくなった.手話もつかえるようないなったが耳を以前のように使いたい.⇒先天難聴であっても中途失聴者の場合のように人工内耳の効果が期待できそうだが、効果があるかないかは、新しい音に意味を見出す聴能訓練の成果次第ということになる.同じ聴力でもきく能力に差が出るように、個人差が大きい.

G更に進歩した人工内耳が開発されたとき、交換は可能か?⇒埋め込まれた部分を交換するための再手術は出来ない.現在の22チャンネルの電極数が、将来ケタ違いに多くなるという可能性は少ないので、基本的原理は変わらず、交換の必要ななさそう.スピーチプロセッサーの内部は音声の情報しょる方法の改良や電池の小型化の進歩により、モデルチェンジしていくことは明らかで、必要に応じて新しいものに交換していくことになる.尚、人工内耳の対外部の各パーツは数年で修理・交換する必要が生じるのは、補聴器管理と同じ.

H子どもには、補聴器フィッティングが容易でないのと同じように、人工内耳の調整は難しくないか?⇒手術後、約2〜3週間後に、「音入れ」が行われる.約20全ての電極について、最少可聴レベル(かすかに聞こえる音の大きさ)と最大可聴レベル(最も大きく聞こえる音の大きさ)の検査をし、そのデータをコンピュータに入力.全体的な聞こえのバランスを調整してプログラムを作成する「マッピング」検査は、音の大きさの感覚(ラウドネス)について、自分で判断し表現できない子ども相手日した場合、困難な作業になる.子どもの等正反応行動を引き出し、的確に観察して測定するプレイオージオメトリ―(遊戯聴力検査)が上手にできるスタッフが必要になる.日本には幼児聴力検査の技術をもった専門家は非常に少ない状況で、同時に音の大きさに対してきちんとした反応を表現できる子どもでないと、手探りでフィッティングせざるを得ないわけです.

I人工内耳の手術を受けた後は、聾学校をやめて普通の学級に入って教育を受けるのがよいですか?⇒人工内耳装用の聞こえの状態は、中等度の難聴と同程度.そのままの聞こえの状態で放っておいたのでは、コミュニケーション能力医必ず支障を来す.一定期間責任をもって聾学校や難聴学級が受け入れ、個別的聴覚学習プログラムを作成し実施し投げればいけない.しかし、人工内耳手術後の子どもの教育体制の受け皿はほとんど出来ていないのが現状.日本でも例えば、「人工内耳子供医療センター」のような機関をできるだけ早く設立する必要がある.そこで人工内耳が適応できるかの判定や、術前から術後までの補聴効果の評価、音声言語リハビリ等に責任を持ってあたるのが良い.さらに「人工内耳教育センター」の機能を持つ機関を作ることが必要.なぜならば、子どもにとっての人工内耳は、聴覚を通して自ら学習するための道具の一つに人工内耳が位置づくように教育する必要があるから.オーストラリアには「人工内耳共同研究センター」が組織され、装用児を受け入れる教育機関の体制が大変よくできている.聾学校では装用児に対する聴覚学習プログラムを提供しながら、通常の学級への橋渡しに積極的支援を行っている.

K世界の装用者数は?日本では?⇒世界全体では、22チャンネル人工内耳の手術は、42ヵ国の医療施設で約8,000名、そのうち3分の1以上は17歳以下の子ども.日本では22の病院等で約300名が手術を受けている.そのうち教育機関に学ぶ年齢の幼児・児童・生徒は約30名.

講演のおわりを以下のように締めくくる「人工内耳をつけた人は聴力は良くなるが、聴能がよくなるもだめになるも本人の頑張りようである.聴覚障害児に対する周囲の環境が良くなるにつれて、自分の感覚を主体的に働かせようと努力する子どもを育ててほしい」.(1994年2月26日 福島県で開催された難聴児を持つ親の会・地方代表者会議の講演記録)

◆1994年 世界 22チャンネル人工内耳手術実施国42か国,装用者数−約8000人(その内17歳以下装用児は3分の1).日本では22病院で実施、装用者数約300人(幼児・児童・生徒は1割の約30人)(例:子どもの左右の聴力やその他の状況を親が伝え、大沼氏が人工内耳装用対象かどうかコメント.左右どちらかの聴力が90〜100dBあれば該当しないとの返答)の記録「べるNo.85」‐全国心身障害児福祉財団発行難聴児を持つ親の会編集「べるNo.85」1994.8月発行

◆1993年度末 日本 [ACITA]会報で保険適用後の会員急増を見据え、支部や青年部設立について提案.*1

◆1994年3月 日本 全国難聴児を持つ親の会会報「べる84号」トピック欄に『人工内耳の健保適用』記事掲載 4月1日付で健康保険適用が開始されること、日本では18病院で270例の手術が実施され、手術と術後経費が350万〜400万円であること、世界(オーストラリア,アメリカ)では7,000例が日本の半分以下の経費で実施されていることを紹介.健保適用により健保加入者本人はこれまでの1割、家族は3割負担、高額療養費制度利用によりその負担も軽減されることが紹介される.

◆1993年度末 日本 手術病院21,装用者累計−247人,小児累計30人(2歳〜4歳未満児への手術初症例,年度内手術児総数15人,平均年齢8.6歳),
上記に関連した小児人工内耳リハビリ状況ついて、当時大阪大学病院耳鼻科に勤めていたST井脇氏はこのように振り返っている「〜見ることなすこと初めてのことが多く、何しろ当時は人工内耳といっても、まだ全国で20施設くらいしかなく、子どもの人工内耳においてはわずか7施設15名の装用児しかおりませんでしたので、ほとんど試行錯誤で行ってきたといっても過言ではないと思います。聾学校や難聴通園施設の教育カリキュラムを利用させていただいたり、学会のおりに城間先生や他の医療施設の方とお会いして、教えていただいたり、情報交換するのが唯一の情報源でした。」*13
[ACITA]正会員159人、会報No.20は22頁、300部発行.*1

◇1994年 世界 スペインのサラマンカで「特別ニーズ教育世界会議」開催.「インクルーシブな方向を持つ学校(インクルーシ教育を目指す学校.インクルーシブ教育とは、障害者も含め、特定の個人や集団を排除せず、学習活動への参加を平等に保障することを目指す学校教育のこと)こそがノーマライゼーション社会実現の土台になる」などの「サラマンカ宣言」が出される.

◇1994年 世界 世界ろう連盟  上記のサラマンカ宣言に異議を申し立て「ろう者のあいだに交わされるコミュニケーション方法としての手話の大切さは認知されなければならず、すべてのろう者が自国の手話で教育を受けられるようにすべきである」と主張.それが認められ、同宣言の「特別なニーズ教育に関する行動の枠組み」にその内容が明記される.

◇1994年 日本 文部省、1992年から開始した 「聴覚障害児のコミュニケーション手段に関する調査」の結果、「学校教育は基本的に国語(日本語)による教育をベースにするが手話をコミュニケーション手段の一つとして認知し、教育の手段として位置づけた.♯2

◆1994年 アメリカ(ニューヨーク大,フロリダ大,インディアナ大(1993年),) 先天聾小児に対する人工内耳の効果について発表「聴覚のみでオープンセットの語彙の聴取が55〜82%の例で可能(必須条件:5歳までに人工内耳手術,2年以上のリハビリテーション))

◆1994年4月 日本 衆議院厚生委員会 人工内耳の健康保険問題を論議.*2

◆1994年4月 日本 厚生省 コクレア社製人工内耳N22の健康保険適用.*1
◆1994年4月 日本 厚生省 保険適用病院、高度先進医療病院、それ以前からの承認病院も含め全部で8病院を認定(東京医大、虎の門、京大、札幌医大、琉球大、宮崎医大、兵庫医大、金沢大)*1
  これに関連して虎の門病院STの氏田氏は10周年記念誌の中で「健康保険の適応によって、患者さんの経済的負担はかなり軽減したと述べている.

◆1994年4月以降 日本「手術する病院の数も手術を受ける患者さんの数も着実に増.〜が、手術する病院の増えた地域がある一方で、全くない地域もあって、地域による人工内耳手術病院数の格差が生まれました」「初期に人工内耳手術を受けた方で高齢化に伴う手術病院通院困難問題から近隣病院でのリハビリや医学管理といった要望」「先天性高度難聴の人工内耳装用児も増え家庭と医療、教育の連携の重要性の表面化」「健康保険適用により個人負担の軽減から気軽に手術を受けられることから以前よりもスピーチプロセッサーや人工内耳でのきこえを大切にしない方もたまにいる問題」(氏田記 10周年記念誌).

◆1994年5月 日本 人工内耳友の会[ACITA]会報 健康保険適用と高度先進医療が認められた病院、及び今後認定される予定の病院名を紹介.今後の課題として、保険の適用範囲に、使用中に体外機器が故障や破損した場合や保険適用前に手術し「修理不能」となった場合は含まれないなど装用者の自己負担度がまだまだ高いことを指摘.*1健康保険が認められてからも費用面の苦労が続く様子について、琉球大医学部宇良助教授(当時)はこのように語っている「健康保険が適応されるようになっても、本人で二割、家族で三割の負担は大きく、高額医療の還付はあるが、一時支出せねばならないのは大きな負担であった。市町村の自治体からの補助や更生医療、育成医療は当初は前例のないこととして認可が難しかったが、現在では沖縄県(筆者注:他県でも)では全例が適応されている」.*8

◆1994年6月 日本 衆議院厚生委員会で人工内耳健康保険適用問題を論議.*2

◆1994年7月 日本 全難聴の人工内耳への取り組み(保険適用以降)
  [ACITA]からのインタビューを受け、会長(高岡正氏)は「人工内耳の正しい理解とまわりの人達の理解を広めること、リハビリが大切なので聞く訓練と仲間づくりが同時にできるような環境作り、言語訓練士さんの育成、子供の発音教育に力を入れる等に取り組んでいきたい」と答える.また「現在会員は約6,000名ですが、日本では65歳以上の方が1300万人、そのうち聴力に不自由を感じている方は600万人いると言われている.中々自分の障害を受け入れることが出来ない方も多く、障害に対する考え方を変えていくなど社会的使命を果たしていきたい.」とも語る.([ACITA]No.26)
  
◆1994年 日本 日本聴覚障害教育研究会主催 ジュディ・シムサー女史(カナダ・オージオロジスト,リング教授の聴覚法に基づいて難聴児の息子を育てた経験者)講演「聴覚障害幼児への人工内耳手術」

◆1994年8月8日 日本 難聴児を持つ親の会発行機関誌「べる85号」に筑波技術短期大学教授(当時)大沼直紀氏の講演(『聴覚障害児教育の現状と未来について』と題した難聴児教育の講演録が掲載される.(内容は2月26日大沼氏講演記録参照.

◆1994年9月 日本 財団法人聴覚障害教育福祉協会発行、北原一敏編著『お早ようママさん―きこえの障害と育児の心がまえ―』「(3章)一歳頃から二歳頃まで」―(五)手術ではお子さんの耳はなおりません」には人工内耳のことについて次のように説明されている。
「―内耳性難聴に対しては、近年アメリカで内耳に極めて細い針金を数本入れ、音を電気刺激にかえて聴神経を刺激する方法も試みられています。これによって一部の全く音を失った人に音に似た感覚をよみがえらせることができるようになりましたが、しかしこれは、補聴器を使っても全く音を聞くことができないような人にのみ行われるべき方法で、特に日本のような社会的事情の異なる国ではこのような手術は行いうる態勢になっていません」。(田中注:これは、当時、ろう教育関係者が抱いたり学校現場に漂っていたりした人工内耳というものへの懐疑的姿勢を端的に表し、現在も残っている数少ない記録である.)

◆1994年10月 日本 (株)日本コクレア社「偶発事故による人工内耳体外部スピーチプロセッサー使用不能事態対応の保険」という装用者の要望に応えて、損害保険会社に交渉し「スピーチプロセッサー総合保険」を紹介.(〜1997年--235人加入)

◆1994年 11月前 日本 全国難聴者福祉大会 人工内耳実態調査書が「最優秀賞」受賞. *1

◆1994年11月 日本 人工内耳友の会[ACITA]会報「リハビリ要員「言語療法士」の不足から手術数が頭打ちとなっている」と指摘.体外機器であるスピーチプロセッサーの新製品「スペクトラ」の紹介記事掲載.内容は機器の解説と試聴記で「騒音下での聞き取りは良好」と報告.*1
「スペクトラ22」のきこえについて「『簡単な内容なら電話ができる』という方が増えたため、初期に考えられていたリハビリ内容だけでは足りなくなり、より難しい訓練課題を作る必要が出てきました。」(その一方で、失聴期間の長い人や先天性の聴覚障害成人の方のように、リハビリを初期のものから少しずつ長期間にわたって続けなければならない患者も増えるなど様々なきこえの段階に対応した多様なリハビリプログラムが要求されていることにも触れている.)*1

◆1994年 日本 全国障害者問題研究会「障害者問題研究」に海外動向として人工内耳の話題もとりあげられる.(著者:アンネッテ・レオンハルト(ミュンヘン大学教授)
ドイツ、およびヨーロッパにおける口話言語と手話言語に関する今日的論争点」…要旨:聴覚口話中心主義と手話中心主義の対立が昔から続いている.近年は医学的診断の改良、診断直後からの早期教育、性能の良い補聴機器の使用を通じて、生徒集団がろう学校から難聴学校、通常学校へと移動し、ろう学校の少人数化現象がある.更に人工内耳装用児急増現象(独・最年少の手術年齢-15ケ月)が見られ緊急教育学的考察の必要がある.

◇1994年 日本 足立ろう学校幼稚部 「聴覚手話法」の実践を報告.1990年代になって、「聴覚・手話トータルコミュニケーション法」を試行する動きが見られるようになった.
「手話・指文字活用の成果を更に発展させるためには聴覚活用の成果に学ぶべきことはないのか」と足立ろう学校幼稚部が発送したことから始まった実践の報告.手話を使う環境の中でも補聴器が活用される様子が明らかになっていった.聴覚手話法では個人差に応じた指導計画作りを重要視し、初期の指導法はその開始された年齢に応じて見直しを図る年齢の目安が立てられる.(大沼直紀「教師と親のための補聴器活用ガイド」コレール社1997年1月発行 p242)

◆1994年 日本 Dプロ(木村晴美(ろう者),米内山明宏(ろう者),市田泰弘(聴者)ら設立のろう文化振興団体)のミニコミ誌『D』にて「人工内耳とデフコミュニティ」を発表.ろう者の母語は手話であり、人工内耳で聴覚口話コミュニケーションを目指すことはろう者アイデンティティ否定に繋がると主張、人工内耳をろう文化尊重の立場から批判する.

◇1994年 日本 聴覚障害誌 4月号ー大沼直紀「初めての補聴器」,根本 匡文「聴覚障害児の教育の場で用いられるコミュニケーション手段」, 7月号・特集「言語指導法」ー菅原廣一「言葉の開花と結実」・後藤まさ子「聴覚口話法―その長所と問題点―」・藤根喜美子「キュードスピーチの利点と問題点」・前田芳弘「幼児期の言語・コミュニケーションの指導における手話・指文字活用の長所と課題」・お知らせ「全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会(栃木大会)」,8月号・特集「聴覚活用」−今井秀雄「聴覚学習」,「インタビュー聴覚活用―田中美郷先生にきく―」,庄司和史「箱形補聴器の活用について」,金山千代子・南村洋子「耳かけ型補聴器の活用」,井坂行男・石原保志 研究「字幕入りビデオ教材の言語指導への活用」.

◇1995年1月 日本 阪神淡路大震災.「全難聴」組織をあげて同障者救援活動に出携わる.♯1

◆1995年2月 日本 装用児全体の1割程を占めるようになり小児のACITA会員も20数名となったことから、会報28号より「子供達の広場」のコーナーが設けられ、装用児と共に親や関係者の意見や情報の交換の場となる.

◆1995年2月 日本 岡本途也氏(昭和大学耳鼻咽喉科教授.1985年、日本に人工内耳治療を導入する際、舩坂教授が挨拶と承認を得に足を運んだ相手である.当時日本耳鼻咽喉科学会理事長であり、その前後には日本オージオロジー学会(現在日本聴覚医学会)理事長を歴任した、権威ある耳鼻咽喉科医.聴覚障害児教育にも熱心に係わり、教員や親からの信頼も厚い.)その著書『こどもの難聴 医学編』聴覚障害児と共に歩む会・トライアングル発行.
「Q&A―岡本先生に質問」のコーナーで、人工内耳について発言している.以下は「難聴の原因と治療の可能性」に関するQ&Aからの引用である.
Q:難聴の原因には、どんなものがありますか。また、それらは治療で回復できますか。また、将来、医学の進歩による治療の可能性はありますか。
A:難聴の原因は大きく分けて、先天性と後天性になります。前者は治りにくく、後者は治るものもあります。治療で回復できるものは、聴器の奇形で手術可能なもの、伝音性難聴です。内耳の疾病は回復困難です。遠い将来は別として最近医学では治癒することは難しいでしょう。
  人工内耳が話題になっています。現在の補聴器を使用しても、全く何の効果もない人にはその効果を否定しませんが、言語習得以前の難聴児については慎重に判断すべきかと思われます。
  人工内耳実施後は、現在補聴器を使用し聴覚を活用したり、発音の訓練を受けていると同様に、強力な訓練や教育が絶対必要です。どちらがその難聴者にとって効果的か、専門医と十分検討して下さい。

◆1994年度末 日本 手術病院−25,装用者累計−370人,小児累計−44人. [ACITA]正会員237人、会報No.28は54頁470部発行. *1

◆1995年3月(号) 日本 Dプロの木村晴美+市田泰広「ろう文化宣言-言語的少数者としてのろう者」を『現代思想(青木書店)』で発表.ろう者、ろう文化の存在とその尊重を訴える.「宣言」の「メインストリーミングと人工内耳」という項で「デフ・コミュニティを揺るがすトピックとしてメインストリーミングと人工内耳(内耳埋め込み)」を挙げている。メインストリーミングについてはノーマライゼーション思想に裏打ちされた障害者を隔離せず統合していくという実践で、他の障害者への政策としては必要ではあっても、ろう者にとってはろう者としての自己確立する場や機会を奪う「健常者との同化主義に堕する危険性のあるもの」と批判する.人工内耳は「蝸牛に電極を差し込んで聞こえない耳を聞こえるようにし『ろうを治す』もっとも究極的な方法でありデフ・コミュニティーからの大きな反発を招いている」と紹介.「中途失聴者と違って、先天性のろう者にとって『ろう』は突然ふってわいた災難ではなく、生まれ落ちた時からずっと自分自身の一部で『自分自身であることの証し』.ろう者にとって『ろう』は治療すべき『障害』ではない。特に遺伝性のろうの場合『遺伝性のろうの予防』という考え方のもとには優生思想があり倫理的問題が大きく横たわっている」と主張.小児の人工内耳治療に対して存在自体に懐疑的である立場であることを明らかにしている.掲載誌が一般人を対象にしたものであった為、「ろう」や「手話」と無関係で生活してきた人や一般社会に与えた影響や反響は大きかった.

◇1995年 日本 厚生省 障害者対策推進本部「障害者プラン〜ノーマライゼーション七カ年戦略」を決定

◇1995年 日本 文部省  1992年から開始した 「聴覚障害児のコミュニケーション手段に関する調査」の結果から、「学校教育は基本的に日本語による教育をベースにしつつ、手話もコミュニケーション手段の一つとして認知し、教育の手段として位置づけたことから、「聴覚障害教育の手引き〜多様なコミュニケーション手段とそれを活用した指導〜」を発行.♯2

◆1995年 5月前日本 日本聴力障害新聞「人工内耳への警告と議論」の記事掲載.

◆1995年 5月 日本 [ACITA]会報に上記記事に対して「(人工内耳を検討することは)親として当然のこと.正しい理解を得る努力も必要〜社会の制度を変えなければ・・」等の意見掲載.*1

◆1995年7月 世界  第12回世界ろう者会議の決議内容「ろう児に人工内耳を勧めない.何故なら、人工内耳はろう児の言語獲得に約に立たず、情緒的、心理的人格形成と身体的発達を阻害しうるからである.反対に、手話の中で育つ環境が言語的ならびに他の発達を含む全面的発達を支える」

◆1995年7月 日本 (株)日本コクレア社 装用者の要望「部品代金の分割払い」に応え、信販会社の協力を基にした「コクレア・クレジット」で分割払いを可能にした.

◆1995年 日本 高田英一(日本ろうあ連盟役員)「第12回世界ろう者会議報告」『JDジャーナル』第15巻第9号の中でろう者団体の世界会議における人工内耳への批判を報告.

◆1995年 日本 本庄巌(京都大学耳鼻咽喉科)「小児人工内耳への対応」
要旨「わが国で人工内耳適応は言語習得後失聴成人とされてきたのは、手術侵襲で合併症を来たした場合、小児ではコントロールが困難ではないかとの危惧、術前聴力域値の正確な評価、術後マッピングを含めたリハビリテーションに困難が予想されることによる.
  欧米では1994年5月時点で、17歳以下人工内耳小児例は8491例中3267例(38.5%)で、なかでも言語習得前失聴例を多く含むと考えられる6歳以下小児は1853例(21.8%)に達している.わが国の小児人工内耳265例中26例(9.8%)、6歳以下の8例(3%)と比べるとかなりの差異である.〜ろう小児に聴覚を与えることが成人と同等かそれ以上に大きな意義を持つことは明らかで〜今後小児人工内耳症例の増加が予想される.
  しかし小児における人工内耳をわが国で定着させるためには、明確にしておかねばならない幾つかの条件がある.Mpeak方式コクレア社製22チャンネル人工内耳装用の場合、3つの条件をあげることができる.

1.小児の身体的な発達の面(人工内耳手術のための側頭骨の解剖学的条件)について:側頭骨の解剖学的条件からみると、日本人小児は欧米人のそれに比べ、かなりの発達の遅れがあるものと考えられ、手術に際し重要となる側頭骨の厚みの観点からすると、4歳児以降であれば平均して人工内耳体内部の側頭骨外への突出を避けることができるなど、4歳を過ぎて行う方が安全と判断される.

2.小児期に特有の中耳の炎症性疾患の問題について:滲出性中耳炎の合併を危惧する意見が多くみられるが、W.ハウスらによる調査報告によると、滲出性中耳炎の発生頻度は人工内耳手術によっても有意に増加することはないこと、人工内耳症例によって滲出性中耳炎を合併しても、これが内耳炎などの重篤な合併症につながらないことが確認され〜滲出性中耳炎が本手術に及ぼす影響は殆どないと考えて良い.

3.リハビリテーションの面から、難聴というハンディキャップを含めた小児期の精神,心理学的な発達面に対する配慮について:小児例での人工内耳を、成人の場合とほぼ同等のレベル、すなわち術前の聴力域値の決定と、術後の正確なマッピングによって管理しようとすれば、患児からの正確な応答がえられる4歳児以上、構音指導を含めた広義のリハビリテーションに際しても患児の発達段階がその成果に大きく影響し、4歳児以上であることが望まれる.

  以上3側面の他に、欧米における術後成績の面から、言語習得前誌失聴の場合、早期手術を勧める立場、小児の高年齢群の成績がよいという報告、5〜11歳手術群と2〜5歳手術群に大きな差異がなかったという報告、様々で明確な結論は出ていない.多くの報告の共通事項は言語獲得前失聴例の思春期以降の人工内耳例は大幅に劣るという事実で、言語中枢を含めた大脳の可塑性の限界があると推察される.
  まとめとして、わが国での今後の人工内耳適応拡大と、医療としてのより良い定着を考えた場合、小児人工内耳手術年齢は、解剖学的、精神的発育の面から、4歳以降が望ましいと考えられる(しかし、人工内耳内部の大幅な小型化が進められつつあり、術後にリハビリテーションを要しない程の良好な言語理解のソフト部改良が達成されれば、年齢制限も再考しなければならなくなる).
  現時点での小児人工内耳例に対する取り組みは、手術までの間に充分な言語環境に小児を置き、手術によって聴覚刺激が入るとすみやかに言語理解力が伸びてゆく様な体制づくりが重要」 耳鼻咽喉科臨床学会第88巻:1;1〜6,1995年 

◆1995年 日本 舩坂宗太郎「人工内耳患者における音声聴取」要約「人工内耳は聾患者が音声で会話可能となる画期的人工臓器であるが、旧型音声分析器WSPの改良型MSPによる語音聴取に比べ、最新のスペクトラでは20%以上の改善が得られると結論された.わが国での先天聾への応用が期待される.」日本音響学会誌第51巻第4号:330-332

◆1995年10月 日本 人工内耳友の会[ACITA]懇談会、初の地方(大阪)開催.*1

◆1995年10月 日本 全国難聴者福祉大会の分科会「最新の補聴器と人工内耳」に多数の参加有.「人工内耳」への関心は高いが実情について理解普及の必要有と[ACITA]会報では分析..*1

◇1995年 日本 聴覚障害誌 5月号・特集「読話」ーBill Chippendale他「読話についての教師の見解(イギリスの場合)」,編集部「読話についての教師の見解(日本の場合)」,齋藤友介「聴覚障害児の読話に関する実験的研究」,川本宇之介「読話の地位」,大沼直紀「補聴器が活かされる音環境」,鈴木陽子「Integration から Inclusion へ」,7月号・斉藤佐和「新しい枠組みの中の聴覚口話法」,8月号・質問に答えるー両角五十夫「聴力検査の結果について」,10月号・特集「難聴学級」ー川瀬いく子「中学校難聴学級の指導の実際」,「指導児童のデータベース化」,長安康憲「難聴学級の聴覚学習」, 長瀬和美「個別指導計画の立案と指導」,海外事情・鈴木陽子「米国インクルージョンの現状」,イスラエル会議の中から「テクノロジーと聾のリハビリテーションとの関係」.

◆1995年度末 日本 手術病院−30(難聴児親子教室を耳鼻科に併設して聴能と言語指導の長い実績がある帝京大学病院が手術実施病院に加わる),リハビリ施設−2,装用者累計−546人(後536人),その内小児−60人.[ACITA]正会員317人、会報No.32は48頁550部発行. *1

◆1996年1月 日本 ACITA第2回実態調査実施(調査結果報告書は1998年8月発行).

◆1996年2月 日本 (株)日本コクレア社 豪州コクレア社見学ツアー開催 正会員27名、家族12名、日本コクレア4名、添乗員1名、総勢44名.交流会日豪約70名.*1 

◆1996年3月前 日本 「回復する聾-人工内耳で聴覚は蘇る」船坂宗太郎著 出版

◇1996年 日本 全難聴 「テレビの字幕放送拡充」を求め国会請願のための署名40万5千名分集める.

◇1996年 日本 PHS電話で文字通信サービスが始まる.

◆1996年4月 厚生省 人工内耳の健康保険適用範囲を拡大認定.以前は再手術が必要になった場合、体内部は保険適用・体外部は適用外であった.1日の見直しで、体内部、スピーチプロセッサー、ヘッドセットは故障で修理不能の場合は再適用と明文化された.*1

◆1996年4月 日本 京都大医学部主催 第1回人工内耳シンポジウム開催―「脳幹インプラント」特別講演,「多種人工内耳の比較シンポジウム」.主催者の京大医学部教授 本庄教授は「アジア諸国、特に中近東からの参加もあり、会の開催により日本の人工内耳のレベルは大幅に進歩した」と喜びの文章を残している.*6

◆1996年4月(号) 日本 青木書店 前年3月号『現代思想』の反響が大きかった為、この号では「ろう文化」特集号を発行.Dプロ木村晴美+市田泰広「ろう文化宣言-言語的少数者としてのろうあ者」も再録の上、他の立場(医者、言語学者、ろう学校教員、難聴者、ろうの子を育てた親、ろう者家庭で育った聴者、映画評論家)による「ろう文化」をテーマにした文章を掲載した.

◆1996年度初め 日本 人工内耳友の会[ACITA]活動計画「人工内耳の正しい情報提供」「ST国家資格化実現」「会報発行」「名簿作成」「実態調査書U発行」「懇談会開催」「低料金郵便制度調査」「保険適用範囲の拡大要望書」「創立十周年記念行事計画」「会則検討会と制定」「[ACITA]のPR」*1

◆1996年6月 日本 第10回人工内耳友の会[ACITA]全国懇談会において初の子ども分科会開催.親と専門家に向けて、それぞれアンケートを行い実態調査実施.

◆1996年6月 日本 上記分科会では初の装用児親子の交流の場が持たれ、  色々な情報交換意見交換、子ども同士が交流する. この会に参加した、小児で初めて人工内耳の手術をしたYさん注の母親が「人工内耳を使わない選択をした」と、会の後で報告がある.([ACITA]10周年記念誌 加藤記.)

注:当時、Yさんが小児で人工内耳埋め込み手術第1号と受け止められていたが、4日前に手術をうけた男児がいることが、後にわかった.Yさんは女子では初の装用者である )

◆1996年6月 日本 NTT移動通信網研究開発部で実験 携帯電話の通信電波が人工内耳に影響がないか実験.多くの機種は人工内耳に「雑音」が聞こえることが判明.*1

◆1996年 日本 北野庸子・内藤明「人工内耳を装用した先天性ろう児の聞きとり能力の変化」ろう教育科学会誌 第38巻第4号

◆1996年7月 日本「聴覚障害」7月号−ろう学校現場における装用児ハビリテーション実践報告1本

◆1996年8月・11月 日本 『ACITA会報34号/35号』に「懇談会再現記(田中多賀子/加藤慶子)」として、6月の大会で得た人工内耳装用児の現状と課題について掲載.特に装用児に係わる専門家間の連携システムが未整備であることが浮き彫りとなる.保護者や関係する専門家へのアンケートから浮き彫りとなったが、それを裏付ける記録として、愛媛大で手術を受けた小児のリハビリを担当した高橋教授の言葉を引用する.
「〜小学生のリハビリが始まると、毎日が大変でした。音の有無から入って話しことばの存在の気づきへとつなげていくことは、長い年月を要しました。この過程で、たとえ子どもであっても植え込み前に如何に聴覚をかつようしておくかが、その後の聴覚活用の方向を示すようです。きっと聞くとい行動の態度の形成が容易なためではと思われます。そして、相手と通じ合おうというコミュニケーションの姿勢が何よりも求められます。〜こうしたリハビリは、子どもの場合、特に長期的に責任を持って係わる機関が必要となります。したがって、植え込みや人工内耳のプログラムをする医療機関と日々の発達の中で子どもの活動を見据え指導していく療育・教育・機関の連携が大きな課題となります。」*18 

◆1996年 11月前 日本 人工内耳友の会[ACITA]、言語聴覚士法の資格制度要望の署名5796名分を厚生省に提出. *1

◆1996年 11月前 日本 郵政省 [ACITA]会報を低料第三種郵便として認定.*1

◆1996年 アメリカ FDA アドバンスト・バイオニクス社のクラリオン人工内耳を認可

◆1996年 オーストラリア コクレア社 N24人工内耳 臨床治験開始

◆1996年 日本 日本バイオニクス社クラリオン人工内耳の埋め込み手術実施(日本初)

◆1996年 アメリカ 国際難聴者会議にて人工内耳各メーカーが参加し公開討論会が行われる.

◆1996年 日本 「人工内耳装用者と難聴児の学習―家庭でできるドリルブック」城間将江他著 出版. *1

◆1996年 日本 元東京医大耳鼻科教授舩坂氏 自宅の一部を改造し、小児向けの人工内耳リハビリテーションセンターを開設.センターと通室児のことや今後の希望について、船坂医師は[ACITA]会報十周年記念誌、及び自著『回復する聾』の中で次のように語っている(要約).
「コクレア社を含む数社の協力で、(リハビリ機器を調達したり)人工内耳リハビリで世界的に有名なシムサー先生からの指導法教授の機会を作ってもらいながら、(幼児教育経験者の)ボランティアでの言語訓練を数名の子どもたちに実施.その中のA児、B児は聾学校幼稚部在学時、人工内耳の手術を希望したが聾学校の反対により、手術時期が5歳直前となった.両親も懸命に努力し地域の小学校に入学.入学当時は二人への中傷が飛び交い先生も非協力的.C児は入学した地域の小学校の先生の理解があり学校生活に適応している」A児、B児の「国語の成績は『上』か『並』」C児は「喜んで学校に行き担任の先生の評価も良い」「チルドレンセンターが公認された福祉施設になり、国、地方自治体、企業の援助で〜台湾やシンガポールに劣らない立派なものになることを願って」「こうしたチルドレンセンターが各地にでき、遠くから通わなくてもすむ日が一日も早く来ることを〜願っています」*3

◆1996年頃 日本 小児の人工内耳対象年齢の低年齢化に関する周囲の状況を、京大の本庄教授は、所属する研究室での例を挙げて述べている.
「〜一例毎に教室で医師、言語聴覚士、看護婦からなる症例検討会を開き、適応の決定を慎重にしつつ対象の低年齢化を進めてきた.その一方では脳機能画像による観察で、特に先天聾の小児の場合には、脳の可塑性の面から人工内耳の適応には一定の年齢の上限があることがわかり、これを学会その他で発表していった(このような経緯をたどる中、人工内耳の適応基準の見直しの気運が高まり、耳鼻咽喉科学会の中に委員会をもうけられ検討することになり、1998年の人工内耳適応基準作りに繋がっていったことが示唆されている)」*6

◇1996年 日本 聴覚障害誌ー
4月号・特集「聾教育の課題」ー矢沢国光・前田芳弘「聴覚手話法のこころみ」ー図書紹介・田中美郷「通級による障害児指導ガイドブック」,5月号・堺校幼稚部「教育相談の福祉部による制度化について」―聴能一口メモ・本宮敏司「補聴器の利用と管理」,7月号・実践報告.加藤昭子「人工内耳装用幼児のハビリテーション」,聴能一口メモ・庄司和史「補聴器の選択と調整」,図書紹介・菅原廣一「聴覚活用の実際」,10月号・特集「第5回アジア・太平洋聾問題会議」,聴能一口メモ・庄司和史 「聴覚活用における人的環境」,12月号・聴能一口メモ・今西茂子「補聴器の操作や管理に慣れる(その1)」.

◆1996年度末 日本 手術病院−38,リハビリ施設−4,コクレア社製装用者累計−737人,その内小児−91人.[ACITA]正会員441人、会報No.36は74頁、800部発行.*1

◆1997年 日本「聴覚障害」1月号−ろう学校現場における装用児へのとりくみ実践報告記事1本

◆1997年1月30日 日本 大沼直紀著「教師と親のための補聴器活用ガイド」(コレール社)発行.人工内耳については、最新補聴器の一つ「体内埋め込み形補聴器」として紹介.
第9章 「聴覚活用の新しい課題」のうち、第2項「人工内耳と補聴器」でとりあげている.要旨は以下の通り.

▽世界中で人工内耳を装用している人は約60か国、約15,000名.18歳以下の子どもの装用者数は約半数.日本では718名のうち約80名が18歳以下.(1996年10月)

▽補聴器が全く使えない感音性聴覚障害の耳に最終手段として選ぶもの.補聴器から人工内耳に乗り換えることはできても、逆はできない一方通行の関係.人工内耳を内耳に埋め込む手術の途中で、僅かに残っていた蝸牛の感覚の働きを損なってしまうため、補聴器にはもどれない.人工内耳で効果が無かったら、また補聴器に戻るということはできない.補聴器が役に立たないとか、効果がないと思っている聴覚障害者は相当多いが限界を安易に決めてあきらめてしまう者も多い.最新の色々な補聴器を最大限に試しても効果が上がらな買ったのかということがはっきり確かめられる必要がある.適当にいい加減な補聴器をちょっと使ってみただけで、合わない、うるさい、面倒くさいと残存聴力活用によるコミュニケーションをあきらめてしまった人には人工内耳を受ける資格はない.補聴器が使いこなせなかったのと同様に人工内耳も使いこなすことができないことが予想されるからである.「聴く心」「ことばの力」を伸ばす努力をし、聴きたい意欲は十分にあるにもかかわらず補聴器の効果が上がらない厳しい聴力の人に人工内耳が有効.

▽手術後の(人工内耳装用時)聴力は多くは40〜50dB程度.全く音が聞こえない130dB以上の人でも90dB程度の難聴の人でも、同じ程度のきこえになるので、難聴程度が悪ければ悪いほど人工内耳手術の効果は大きいことになる.

▽人工内耳適応条件―
・手術前残存聴力レベルー耳鼻科医の間でもリハビリ担当のスピーチセラピストの間でも、聾学校の教員の間でも意見が分かれ、誰もはっきり断定できず、自信のないのが正直なところ.おおよそ90dB以上とする意見から、130dB以上でなければとする意見まで大きな幅があるのが現状.欧米では比較的軽い難聴者まで手術する例も多いが、日本で手術を受けた人工内耳装用者の聴力レベルは、ほとんどが110dB以上の重度の者に限られている.現在、手術できる34病院では、欧米に比べて慎重に進めている.
・年齢,失聴時期―失聴が先天性・後天性・中途失聴、どの場合も、失聴時から手術時までの期間が短いほど効果が上がる.比較的効果の上がるのは、後天性、中途失聴、或いは3〜4歳以降、ことばを獲得した後に失聴し、失聴期間が短いうちに装用できた人.音声言語の能力が頭に残っている中途失聴成人では、聴能・言語のリハビリテーションを適切に行なえば確実にコミュニケーション能力が回復する.
  最も効果が期待しにくいタイプは、先天性、或いは乳幼児期などことばを獲得する前に失聴し、その後長い間補聴器から音を聞いた経験のない成人聾者.日本語の音声言語を獲得しないうちに失聴してしまった子どもや先天性聴覚障害者では、聴力は格段に良くなっても、新しい音とことばの世界に慣れるまで、相当の厳しい訓練を覚悟する必要がある.

▽言語獲得前聴覚障害児が補聴器から人工内耳への渡りをつけるチャンス(補聴器を使い続けた者に限る)@.早期から補聴器を最大限に活用した結果、聴覚を手がかりにする幼児にはなったが、補聴器の効果が音声言語獲得には期待できないと判断された場合.A.補聴器を最大限に活用したおかげで非常によく聴能と言語が発達し、聴覚的受容の欠かせない成人になったが、その後、補聴器がコミュニケーションに役立たないほど、聴力が低下してしまった場合.B.手話を含めトータルなコミュにケーション手段を駆使できる成人になって、環境からの音信号が補聴器よりも人工内耳の方がよくきこえると自ら納得した場合.

▽子どもの人工内耳―手術をすべきかどうか解決されない問題が多いのは、本人が手術を受ける意志をはっきり言えないという問題、難聴が発見された後、脳の発達が著しい幼児期の早い内に人工内耳の手術を受ければ言葉の獲得に有効だと分かっていても、本当に人工内耳しか残された手段がないほど悪い聴力なのかどうか断定しにくいこと.幼児の聴力検査は難しく、正確な聴力が把握できるようになるには4歳頃まで待たなければならないこと.手術後、聞くことと話すことの専門的な学習を誰がどこで教えてくれるのか保障がないといった問題.耳鼻科とスピーチセラピストと聾学校・難聴学級の協力関係がうまくいかない場合には通常の小学校に入ってもコミュニケーション上のさまざまな困難が解決されないまま学級不適応を起こす恐れがある.オーストラリアなどの先進国では、人工内耳手術後のリハビリテーションや教育の善し悪しが最も効果に影響することが分かっているので、その面での体制作りが良くできている.
  人工内耳手術後のコミュニケーション能力改善には、過剰な期待をし過ぎてもいけないが、巧くいかなかった例だけを採り上げて過小評価すべきでもない.人工内耳に対する装用者の不満も、初期の頃は補聴器のそれと全く同じ状況であったが、次第に人工内耳も音環境の善し悪しと相手次第で、どうしても聞き取りの効果には限界があることが認識されてきた.人工内耳友の会活動は大変貴重で、会報[ACITA]には人工内耳装用者の貴重な体験や実用的な解説が分かりやすく編集されている.今後も機器の改善は進むだろうが、コミュニケーション訓練のためのカウンセリングやガイダンスを行う人と場所が必要.子どもの療育には成人のリハビリ訓練プログラムをそのまま踏襲することはできない.学ぶ側の子どもの内発性・主体性に着目した聴覚学習の姿勢が求められる.幼小児の人工内耳適応判定、術前から術後までの補聴効果の評価、聴能言語指導プログラム作成などに責任を持つ「(仮称)人工内耳子ども医療センター」や「人工内耳教育センター」の機能を持つ機関の設定が必要.

▽人工内耳と聴覚障害教育―言語獲得前、言語獲得途上の聴覚障害児に対する聴覚補償の成果は、単に補聴器性能の進歩やフィッティング技術向上によるものではなく、補聴器が良く活かされるための家庭と学校などにおける教育的環境改善に負うところが大きい.早期からの両親教育援助、音声言語コミュニケーション環境、聴能・言語・発話指導のための専門教育プログラム、カウンセリング・ガイダンスのプログラムなどの充実である.特に最重度の聴覚障害児に対するわが国の聴覚活用に関する教育実践からは、欧米のトータルコミュニケーションを標榜する教育環境に比べて、聴能の発達面で優れた成果と治験が得られている.このようn教育オージオロジーに関わる領域が用意されない限り小児に対する人工内耳の効果は十分には期待できない.人工内耳により音の有無を検知する「聴力」の閾値レベルは見かけ上良くなるが、音を聞いて意味を理解する「聴能(聴覚的理解能)」は、さらにコミュニケーション環境の中で学習されなければならない.「補聴器が全く使えない」ゆえに人工内耳が適応された言語獲得前の最重度聴覚障害児のコミュニケーション能力を、視覚情報依存の傾向から聴覚を通して学習する姿勢へと次第にシフトさせていくには、残存聴力を最大限に活用してきた我が国の聾学校・難聴学級、難聴幼児通園施設、難聴幼児クリニックなどの教育内容・方法を含めた教育的資源環境の現状を理解し、それらを活用する余地があるかないか検討する必要がある.子どもの人工内耳に関わる教育機関では以下のことを念頭に入れておく必要がある.

@.我が国の補聴器による聴覚補償教育の早期開始体制にあることは、幼児期の人工内耳の適応前と適応後のカウンセリングとガイダンスを進める上で都合の良い教育環境である.(1.信頼性の高い幼児聴力検査で110‐120dB以上かの確認.2.最新の補聴器選択調整技術を駆使したフィッティング[最大出力音圧,最大音響利得への挑戦].3.補聴効果の評価(補聴器装用時閾値60dB以上か確認).4.聴覚活用能力評価(音のON/OFF情報を手がかりにするか)
A.早期教育や聴能・言語・発話指導などの養護訓練を担当する専任教師がが聾学校などの各教育機関に配置されていることは、人工内耳手術後のコミュニケーション指導の受け皿になりうる教育機関の確保に都合がよい(1.補聴器フィッティングと人工内耳の管理に詳しいか2.補聴器効果の測定・評価ができるか.3.聴能訓練ができるか.4.聴覚を活用した発音訓練ができるか.5.一斉(集団)指導だけでなく、個別指導ができるか.6.聴覚障害児のコミュニケーション上の問題に教育相談できるか.
B.親および担当教師の聴覚活用に対する熱意は非常に強く、たとえ相当に重度な聴覚障害児であっても残存聴力の最大限の活用に努力が向けられる.これは補聴器を最大限に活用した後に人工内耳を検討するという意味で望ましい状況である.
C.人工内耳に期待する親への教育支援:最近では、人工内耳の適応はかなり重度な者に限られることが良く知られているので補聴効果の良好な、およそ90dB以下の難聴児に対して人工内耳を積極的に希望する親はいない.110dBを超えると補聴効果が他の難聴児に比べてあまり期待できないことが親にも判ってくる.親には依然として聴覚活用の熱意が強いにもかかわらず補聴器の限界と教育機関からの聴覚補償サービスの限度を感じとらないわけにいかない状況が現出し、その結果、人工内耳に対する期待が高まる.ここで問題になるのは、どうしても補聴器を装用したがらなかったり装用できない最重度の聴覚障害児や重複障害児を持つ親、両親が聾の場合などに、聾学校などにおける両親教育支援プログラムが、補聴効果の期待できるグループを対象とした教育サービスに比べて充実していないこと.こうした不満を背景に最後の手段として人工内耳を志向する親は多いと思われる.それまで聴覚活用の基礎知識を習得する機会に恵まれず、音声言語コミュニケーションについてのカウンセリングとガイダンスを十分に受けられなかった親子の中から人工内耳候補者が生まれることを認識しておかなければならない.将来人工内耳適応候補となる幼児にこそ低域の残存聴力を最大限に活用した韻律的情報の聴取機会をできるだけ多く保障しておく必要がある.
D. FMマイク入力方式の配慮など補聴環境への配慮(教室騒音の中で教師の声が届かないなど、補聴環境の悪さに影響されることは人工内耳でも補聴器でも全く同様である.)
E.人工内耳の高域周波数情報を使った発音指導:補聴器と比較して容易に高域への聴覚情報補償の拡大が可能となりサ行音などの指導は非常に楽になる.伝統的発音指導法を応用しながら人工内耳の周波数情報補償の特徴を踏まえた新しい指導法が検討される必要.
F.手指モードと人工内耳:130dB以上の聾児には明らかに従来の補聴器による補聴効果に限界がある.故に人工内耳による聴覚補償の可能性に対する期待と早期からの手話や指文字を導入して情報補償する方法に期待する気運とが混在している状況.人工内耳の適応となるほど厳しい聴力である幼児であればコミュニケーションの手がかりとして当然手指モードが導入されていただろう.そのような子どもの視覚的補助サインへの依存傾向を人工内耳を装着したからといって急激に聴覚的受容に変更させない配慮が必要.
G.両親が聴覚障害者で手話中心の教育方針をもつ家庭の子どもに対する聴覚補償のあり方は聾者のアイデンティティーを尊重することと関わって慎重に検討されなければならない.両親聾に対する教育支援の体制がしっかり用意されないと、その子どもに人工内耳を適用していくのには相当の困難が伴うことを覚悟する必要がある.

◇1997年 日本  全日本ろうあ連盟 「日本語・手話辞典」発行

◆1997年2月前 日本 人工内耳友の会[ACITA]、多くの会員から「人工内耳用電池(ニッケル・水素)の持ち時間が不安定」との意見が寄せられ、調査したところ74名中67名が「不安定」と感じていることが分かった.(株)日本コクレア社に改良か無償交換を要請.*1

◇1997年 日本 郵政省が字幕放送普及目標の指針を発表.
◆1997年5月前 日本 (株)日本コクレア社 「コクレア社スペクトラ22スピーチプロセッサーを耳掛式にするプロジェクトを開始し、(豪州では)2年以内に発売予定」「次世代人工内耳ニュークレアス24システム(オプションとして耳掛式スピーチプロセッサーと次世代スピーチコード化法が提供される最初の人工内耳システム)が(豪州で)今年後半に発売予定」であることを発表.「ニッケル・水素電池の持ち時間不安定の問題に対して、新型充電器を無償交換する」と回答.*1

◆1997年6月 日本 「子どもの人工内耳(リ)ハビリテーション(聴覚活用の実際を学ぶ)」ワークショップ開催.講師−ジュディ・シムサー氏,主催−子どもの人工内耳ワークショップ事務局(コクレア社別組織),後援−聴覚障害教育福祉協会,全国聾学校PTA連合会

◆1997年6月 世界 コクレア社製装用者累計−15,788人(内小児6961人). *1

◆1997年8月 日本 日本聴覚医学会誌「AUDIOLOGY JAPAN」Vol.40,No.4に、中原はるか他(虎の門病院耳鼻科)「人工内耳長期装用者の電極の安定性」掲載.
要旨:4年以上最長10年人工内耳を装用している患者達は、電極の使用状況が1年過ぎて安定した後は、ほぼ変化なく使用していることを報告.全ての電極が使用可能であった10症例では、各電極について、最少可聴閾値・最大快適レベル・ダイナミックレンジとも4年間で平均25μアンペア以内の変動と安定している.10年間長期装用症例も安定した反応を示し、長期間の電気刺激が蝸牛神経にもたらす影響は聴取能に影響を与えるほどのものではないと結論した.

◆1997年8月 日本 全国難聴者・中途失聴者協会(以下全難聴と略)主催「人工内耳プレフォーラム(同年度末に開催予定の本番シンポジウムに向けて非公開で開催)」

◆1997年8月 日本 聴覚障害誌8月号 Darrell E. Rose「海外文献:聾児に対する人工内耳手術について」掲載

◆1997年8月 日本 虎の門病院耳鼻咽喉科 中原はるか、熊川孝三他『人工内耳長期装用者の電極の安定性』日本聴覚医学会誌「AUDIOLOGY JAPAN VOL.40 NO.4 August」内容:人工内耳長期装用者(4年以上装用経過者)について、電極の安定性を調べ、蝸牛神経に与える影響について考察.人工内耳の電極はスイッチオン後1年は変動するが、1年を過ぎると安定し、4年を経過しても電極使用率の変化はほとんど認められず、安定した状態を示した.全ての電極が使用可能であった10症例では、各電極について、最小可聴閾値(T値)・最大快適レベル(C値)・ダイナミックレンジ(DR)とも4年間で平均25μA以内の変動と極めて安定しており、10年の長期装用症例でも電極は安定した反応を示した.人工内耳による長期間の電気刺激が蝸牛神経にもたらす影響は、聴取能に影響を与えるほど大きなものではないと結論.

◆1997年10月 日本 フィッティングフォーラム(聾学校において聴力検査,補聴器調整,聴能等を担当している教員等の全国的な実践研究会)主催「人工内耳フォーラム」開催(医療、教育、福祉、当事者、親、それぞれの立場からの意見交換と連携の重要性)

※この時親の立場からディスカッションメンバーとして加わった田中多賀子の提言内容と配布資料は12月発行の「みみだより」に転載される.「聴覚障害児にとっての人工内耳の現状と課題」詳細は12月欄参照.

◆1997年10月 日本 愛媛大学教育学部聴覚言語研究室(的場 恵,高橋信雄教授)「聾学校における人工内耳装用児の調査」実施

◆1997年10月 日本 「言語聴覚士法案」国会へ提出.(「全難聴」,[ACITA],他の障害当事者団体と協力し運動) *1*20

◆1997年 11月前 日本 (株)日本コクレア社 騒音下で聴き取り易い補聴装置「オダリオン」を発表.MSPやスペクトラに接続して使用するもの.米国では1997年後半に発売予定.*1

◆1997年 日本 長瀬修著「ろう児の人工内耳手術の問題点」『生命倫理』発行.
この中で長瀬氏は中途失聴者にとって人工内耳の果たす役割を評価しつつ、ろう児(聴力損失を持ち、将来、日本手話という日本語とは異なる言語を核心とするろう者社会に帰属意識を持つ可能性が高い子ども)への人工内耳手術について疑問を投げかける.手術が広がり装用児が増えつつある欧米先進諸国で政治問題化していることも取り上げている.他に人工内耳に対しては性能についての問題が取り上げられ重大な問題ではあるが、将来的には性能が良くなり言語獲得が確実になった時点で消滅する問題である、と前者の批判とは質的に区別する.聴者の親がろう児本人の意向抜きで聴者に変えようとする倫理的問題を前者は抱えているという.親というだけで子どもを少数派の「ろう」から多数派「聴」に変えることが許されるのかという根源的批判であることをこの文を通して指摘している.

◇1997年 イギリス P・マクガイヤーら PETを使ってろう者が手話を使用するとき、聴者が音声語を使うときと同様、脳の左半球が活動することを確認.(ろうの手話者がイギリス手話を心の中で思い浮かべるときと、聴者が英語の文を心の中で思い浮かべるときの脳の動きを調べたところ、両者とも同じように左半球下前頭葉の活性化が見られ、右半球の活性化は見られなかった.(斉藤くるみ『少数言語としての手話』東京大学出版会2007 p12)

◆1997年12月8日 日本 「みみだより」335号に人工内耳装用児の親の立場から書かれた「聴覚障害児にとっての人工内耳の現状と課題」掲載(記事は10月に開催されたフィッティングフォーラム'97の資料を転載したもの).詳細は以下の通り.
テーマ:「聴覚障害児にとっての人工内耳の現状と課題」
著者:田中多賀子(当時[ACITA]運営委員,福祉専門学校講師)

内容:
▼1.はじめにー次男が1歳4ヶ月時、髄膜炎の後遺症として聴覚に障害を負って以来(130dBスケ−ルアウト)、多くの教育、医療機関や先生方の支援を受けながら母親として療育に専念してきました。
  今から約3年前、子どもが9歳の時に人工内耳の手術を受け、やっと高度難聴児並みの音の世界に入ることができました。息子、そして他の色々な年齢層の装用児や、親子とのふれ合いを通して実感するのは、「補聴器では全く聞こえない状態、あるいはそれに近い状態だった子どもたちが世の中に音というものがあることを知り、その子なりの反応がでてくること、そのことを親子の関わりで共感し合えることは素晴らしいことだ」ということです。
  しかし、それと共に考えておかなくてはいけない問題もあります。子どもの身体に傷をつけ、異物を入れるということ(・・・手術の危険性の有無は事前に病院でチェックして頂くので信頼して良いと思いますが)、術後も異物が体内に入っていることに伴うリスクは覚悟しなければいけません。そのことも考慮に入れた上、総合的には得ることの可能性が大きいと判断し決断するのです。また、子どもの障害を否定したいという逃げの姿勢から、人工内耳手術によって"聞こえる人"にしようとして手術を選択することは本人にとっても親にとっても大変不幸なことです。たとえリハビリに励み、装用効果が大変良好な場合でも、聞こえにくい不自由さは残るということを周囲も本人も自覚すべきでしょう。また、その自覚は不自由さを否定するものではなく、きこえ以外の力で補ったり、別の能力も伸ばしていく自信につながるものとして育てたいものです。
   ところで、次男の受障以前から身体障害者の社会復帰訓練施設に勤め、現在は医療と福祉の専門学校講師としてリハビリテ−ションに関わってきた経験も、親としての経験談に加えて以下に装用児の現状と課題についてまとめたいと思います。

▼2.装用児の現状(昨年ACITAで実施したアンケ-ト調査や交流会での関わりを通して)
・3才前後で装用した場合
プラス面=聴能リハビリの効果大、単感覚聴覚活用の可能性も大(個人差有)
問題点=現在、補聴器装用の中等度難聴児が抱える問題と共通では?
      聴能や発音は改善するが、必ずしも言語力に結びつくとは限らない.
      周囲(本人も含め)に障害について認識されにくいのではないか.

・幼児期までに装用した場合(〜6才代)
プラス面=聴能リハビリの効果がそれなりにある
問題点=聴覚活用だけではコミュニケ-ション困難なので、視覚を使ってキュ-ドサインや指文字、手話などを
      入れていく場合が多い・・・人工内耳の活用との兼ね合いは?とまどいながら中途半端な
      視覚モ−ドを入れるのでは音声も手指サインも不完全な入り方となってしまい、大事な
      時期に正しい日本語が身につかないのでは?

・児童期以降に装用した場合(7才〜思春期)
プラス面=音声・環境音について、限られた範囲での理解ではあるが、本人・親の心理的安定・
      QOL(生活の質)の向上
問題点=聴覚活用の限界.この時期までに言語力を獲得していなければ、 以降の装用効果として
      言語力の改善に直接結びつけるのは難しい

・思春期以降
プラス面=本人自身の選択によって手術が選択できる.
       リハビリの取組みも自主的、積極的?
問題点=本人自身の自覚がないまま周囲のすすめで何となく手術した場合、心理的動揺大。思春期
      自体が心理的不安定期、アイデンティティを これから確立していくという時期、「きこえない」
      ということを受容し、アイデンティティとして積極的に主張することを選んだ場合、親の選択を
      否定する可能性もある。

※その他、すべての装用時期に共通して、グレーゾーンの装用希望児が増加傾向にある.
注)グレーゾーンとは、聴力90〜110dBの、補聴器装用効果があるとも、ないとも言えない高度難聴の層と考えています。90dB未満や120dB以上の層が、ある程度、補聴器装用効果について目安をつけることができることに比較して、グレーゾーンというとらえ方をしています。

▼3.人工内耳装用児リハビリにおける医療・教育・福祉の連携
   〜総合リハビリアプロ−チの提案〜
   聴覚障害児教育をリハビリアプロ−チとして以下のように整理してみましたが、人工内耳によって改めて*印部分についてアプロ−チのあり方が問い直されます。(田中注:田中の資料は、WHO提唱の生活機能の3分類の視点に沿ったリハビリアプローチの図を掲げて示しているが、本年表では省略.*印のついているのは、以下の「 」内のアプローチに対してである.すなわち、医療や教育分野で行うリハビリアプローチとしての「機能回復訓練(聴力検査・補聴器フィッティング)」、社会福祉的分野からアプローチする「地域社会の受け入れ(幼稚園・保育園・学校へのインテグレーション)」「補装具給付」「各種福祉制度」「保険適用・育成医療適用」、「社会啓発(聴覚障害とは)」「QOL(生活の質・人生の質)の向上のためのケースワーク・カウンセリング(人工内耳の役割、ろう文化の理解と共存)」:田中注

▼4.今後の検討課題〜医療・教育・福祉の連携〜装用児支援のネットワ−ク
(1)医療現場はこれまでの聾教育の積み重ねをどう活かしていくのか。マッピングを含めた聴覚リハビリを教育現場にどうつなげていくのか、言語コミュニケ−ション指導にどうつなげるか。手術後のリハビリ環境として普通小をすすめるケ−スも少なくないようだが環境調整などの問題が残る。
(2)教育現場(聾学校、ことばの教室等)では、聴能学習に最大限の聴覚活用アプロ−チをどうとり入れるか。幼児の手術対象適・否の判断(裸耳聴力、補聴器装用時聴力把握、グレイゾ−ン以上か、両親指導)。
(3)両現場でのアプロ−チに加え社会福祉的アプロ−チの可能性。手術を行った病院ST、MSWの援助有無、福祉制度の適用について市町村の対応の違いなどの問題についてコ−ディネ−ト的役割の必要→病院ST・SW・親・教師などのネットワ−ク、ACITAやコクレア社の支援

◆1997年 日本 T大病院で手術を受けた装用者の一人が原因不明の人工内耳の故障で突然全く聞こえなくなり埋め変え手術を行った(世界で3例目のトラブル).*4

◆1997年 オーストラリア コクレア社1.5テスラまでのMRI検査に対応可能インプラント発表(世界初).

◆1997年 オーストラリア コクレア社人工内耳に神経反応テレメトリ(NRT)機能搭載(世界初).

◆1997年12月 日本 言語聴覚士法が制定(最終改正2001年12月)され、その中で言語聴覚士の定義付けが行われた。第四十二条に「言語聴覚士は,…診療の補助として,医師又は歯科医師の指示の下に,嚥下訓練,人工内耳の調整その他厚生労働省令で定める行為を行うことを業とすることができる。…」と規定された。

◆1997年12月 日本 (株)日本コクレア社 MRI(磁気共鳴画像診断装置)対応型の インプラントを製品化.従来、人工内耳装用者はMRI検査は禁忌であったが、簡単な手術で埋め込み磁石部の取り外しが出来てMRIの強磁界への耐性もあるインプラントが開発・製品化されたこと、厚生省の輸入承認を得たことを発表.新規装用者からの使用となる.*1

◇1997年 日本 聴覚障害誌
ー1月号・吉野公喜「脳で聴き,心でわかる」・立入哉「聴能サービスの環境整備」・延本啓二「意欲的な聴覚学習をめざして」・大原良紀「赤外線を利用した集団補聴システム」・加藤哲則「最重度難聴児の補聴を考える」・佐々木勝「本校における人工内耳装用時の取り組み」,2月号・特集「テレコミュニケーション」ー大沼 直紀「今月の言葉:聴覚障害児のテレコミュニケーション学習の課題」・佐藤正幸「聴覚障害児におけるテレコミュニケーション」・秋田聾学校「電話やファクシミリの使用について」・多田幸治「マルチメディア活用とコミュニケーションのひろがり」・福本弘文「実践的なコミュニケーション能力を育てるには」,C.J.Jensema「聴覚障害児のためのテレコミュニケーション」・ 宍戸淳子「聴能一口メモ 楽しんで聴くために」・関根秀子「聴能一口メモ 幼児期の聴覚活用の実際」,施設紹介・土谷道子「聴力障害者情報文化センター」,情報コーナー「聾教育研究会がノーマネットに情報発信,8月号・日高雄之「補聴器の自己管理に向けて」,Darrell E. Rose「海外文献:聾児に対する人工内耳手術について」,10月号・新刊紹介・たかね・きゃら廣済堂新書『手話で伝えたい−キャンパス物語−』,『手話で伝えたい−オフィス編−』.

◆1998年2月 世界 コクレア社製人工内耳は世界59か国の18,000人が装用(世界中全メーカーの装用者の80%以上を占める.この内小児は8,100人(コクレア社製装用者全体の45%),アメリカにおけるコクレア社製装用者数8,100人.*2

◆1997年度末 日本 手術病院−43,リハビリ施設−4,コクレア社製装用者累計−1014人(内小児131人),[ACITA]正会員562人,会報No.40-100頁,1200部発行.*1

◆1998年 オーストラリア コクレア社 耳掛け型スピーチプロセッサESpirt発表(世界初)

◆1998年 日本 「聴覚障害」2月号−2本掲載 「人工内耳と補聴器との比較」「聴覚学習について」
◆1998年 日本「聴覚障害」3月号− 教育現場における実践報告1本,「ろう学校の役割」1本

◆1998年3月 日本 全難聴主催「人工内耳フォーラム」(後日、冊子『人工内耳の理解のために』として発行)
医療、教育、福祉、当事者、親の立場からの意見交換.ろう教育界はこの時点で慎重な立場の専門家が少なくなかった.それに対し、執刀医の一部にはろう学校と協力関係を結ばず担当患児を地域の幼稚園、通常学校にインテグレートさせる方針をとるなど連携関係づくりへの道は険しい状況であった(その後、ろう学校が聴覚障害児教育に果たしてきた役割に理解があり、補聴器装用による幼児への指導経験のある病院医師・STらや装用児への教育に積極的なろう学校教師・親等が当事者団体「人工内耳友の会の会[ACITA]」の協力も得て徐々に連携関係を積み重ねていく事になる.但し個別的な連携関係であり、連携システムは未だに成立していない).

この日の発表及びシンポジストらによる討議のうち、親の立場から参加した田中多賀子の発言内容の要旨は以下の通りである.

▼装用児の親としての発言
  「田中です。よろしくお願いします。本日配った資料に私の発言したい内容が載せてありますが、ご覧ください。次男は1歳4か月の時、髄膜炎で失聴しました。療育に専念しましたが、補聴器の効果はなくスケールアウトの聴力でした。6歳のときに人工内耳を検討しましたが、中耳炎を起こしていたので手術は9歳の時点でした。今までの話にも出ていますが、音に対する敏感な時期を外しています。その意味で幼児に比べると。効果はそれほどにはならないという現実もあります。親として感じるのは他人との比較ではなく、それまで後ろから読んでも振り向かない子供が振り向く、顔を合わせていなくても外界の音を認識する、そこのところで親子のかかわり(繋がり?)ができる、という体験は素晴らしいということです。

  しかし、問題もあります。ドクターから手術について安全面でのチェックはありますが、補聴器のように外せませんし、体の中に異物が入っている点です。傷口が塞がりにくかったり頭部をぶつけることによって、埋め込んだ部分が壊れるかもしれない等、親としての心配が絶えないリスクを覚悟しないといけないということが言えると思います。また、別の問題点として、親の中には子どものきこえの障害に対して、現実認識が出来ていないところで、補聴器より人工内耳がよいと単純に人工内耳を選ぶ危険性があることもあげられます。例え、人工内耳をして、早期に手術をして言語獲得ができ、聴能的に発達効果があらわれても成人の体験でありましたように、1対1なら効果があるが、集団のなかでのコミュニケーションには限界があります。きこえの不自由さがあるということを認識すべきと思います。不自由さがあるからだめなんだというのではなく、不自由さをもっていても、それをきっかけに別の能力を引き出す自信をつけたり、不自由さに対し個人的に解決するだけでなく、個人的に解決するだけでなく、生活しやすい世の中になるよう社会啓発していく積極性や自己確立、アイデンティティ確立につなげるような育て方をしたいと思います。前述の点では、ろう者の方の人工内耳に対しての不安、疑問点と共有できる部分もあり、もう少し理解し合える部分があると思っています。
  以上が私の体験でしたが、ページを元に戻して頂き、他の子どもとの係わりや、親向けアンケート調査結果を通してわかった現状を話します。
  配った資料は一昨年の調査です。最近2月に行った親向け調査結果も加えながら話します。「現状」は「装用時期」で分けて「効果、プラス面」等を整理しました。後でお読みください。今はまとめて話します。
  言語獲得前の聴覚障害児の装用効果です。まず、3歳代で装用した場合、聴覚活用の可能性が大きいということがあげられます。3歳代より上、4〜6歳代では、きこえの反応はそれなりにあるが、発音改善は3歳代に比べるとそれほどではないということです。次に言語力ですが、3歳代〜6歳代までの場合、きこえが良くなっても直接それが言語力の向上に結び付いてはいません。これ(一昨年の結果)に対し、今回アンケートに答えてくれたのは、言語力を獲得した上で装用しているのか、言語力での不安など問題にはなっていません。コミュニケーション面では皆さん評価しています。スムーズにいくようになった、話内容の充実などが言えます。精神面での安定、効果についても評価されています。意欲、積極性が出てきたとあげています。年齢には関係ありません。私自身も心理的に安定しました。結果として親子間でのコミュニケーションが充実したという例もよくあげられます。精神面での安定で、例外なのは、思春期に手術をした時の不安は大変大きいという点です。
  以上は「プラス面」「どちらともいえない」ですが、「マイナス面」もあります。全ての年齢層にいえることですが、身体面のことです。体内部に埋め込んだ部分の故障、危険性がアンケートに記載されただけでも2例あります。また、それはなかったがいつも気になって、心理的負担になっていることが少なくない人数の親からあげられています。
  以上が、アンケート結果を整理した現状ですが、今後、出てくるだろうと思われる問題点として、現在、中等度難聴児が抱えている問題と共通のものが出てくるのを危惧しています。きこえや発音面で一見問題なさそうなのに言語力、思考力の点で偏りがあることが少なくないこと、周囲にも本人にも、「きこえにくい障害」を正しく認識されないということです。
  ところで、電話や手紙、或いは直接の相談が最近多くなっているので、装用希望の親が増えているな、というのを実感します。相談者に対して言えることは、スケールアウト、120dB以上の子どもさんの場合、補聴器に比べれば音のオン・オフが分かるということだけでもよかったと全ての親が認めている.例え、聴能の評価が客観的にはそれほどではなくても良かったと感じている、ということ.ところが、グレーゾーンの90dB〜110dB代の補聴器の効果が「グレー」、「あいまい」な層の手術が増えてきた場合の問題として、言語力の効果など直接結び付く訳ではないことがわかると、親の満足感は出ない、やってよかったのかという問題をひきずるということです。まして、医療面でのトラブルを抱えた場合、なおさらです。このような、120dB以上かグレーゾーンか、90dB以下かという手術の適否の判断をする聴力把握、補聴器適合が病院や学校でどこまでなされるか不安を感じます。
  そこで、私は聴覚障害児教育のあり方として、病院と学校、そして聴覚障害者(児を持つ親)の団体が社会啓発していく「社会福祉面」での多面的で総合的なリハビリテーションアプローチを提案します(別添資料参照=参加者に配布した資料.本年表では「1997年12月8日欄 の 「みみだより」335号に「聴覚障害児にとっての人工内耳の現状と課題」として載せた資料)。
  検討課題を整理すると、まず、医療機関と教育機関の連携を良くしてほしいということです。医療現場でのリハビリをは、1週間に一度、1〜2時間程度ですので、人工内耳で得られた聴能効果を言語能力・コミュニケーション能力面につなげることについては難しい現実があります。それに対して、ろう教育現場では、言語力・コミュニケーション能力を引き出すための、100年以上の歴史の中での積み重ねがあるので、連携をとって頂きたいのです。教育現場では、聴能面の専門情報・技術をもたない学校の先生も中にはいらっしゃるという問題を解決する策として、医療機関と連携をとって外からの刺激も受けていただきたいと思います。今回、シンポジストとして参加して下さっている大沼先生、三浦先生は、超能面の専門知識と力をお持ちの、日本で有数の方々ですが、全国のろう学校で同様の人的に環境整備されているかは疑問です。教育現場も医療現場も、まず補聴器の最大限の活用を今まで以上にアプローチして、それでも無理なら人工内耳といったように、親に対して安心できるアドバイスのできるシステム確立をお願いします。
  また、社会福祉的なこともリハビリ面では必要です。相談で聞いた話では、ある市町村の福祉課では、その地域の子どもさんが人工内耳の手術をしたということで、聴力の回復ととらえて身体障害者手帳の等級の変更や、障害児手当取り消しも検討したこともあるそうです。結果的には、市から県に問い合わせ、県から厚生省に問い合わせて、手帳(等級)変更の対象でないことがわかり、手当も継続されることになったようですが…、人工内耳を装用しても聴覚障害は残るということも含めて、もっと社会啓発をする必要があると思います。友の会活動とか、難聴者団体の人たちと協力を得て、親のつながり、ネットワークもより活発にしていきながら、装用児のきこえの改善だけではない、QOLの向上を目指せたらと思います。

▼装用児の親から人工内耳手術執刀医への質問
  「舩坂先生に質問します。先生には、親の立場を代表して、人工内耳を日本に取り入れたパイオニアとしてのご苦労をお察しし、まずお礼を申し上げたいと思います。有難うございます。また、坂井先生には、病院とろう学校とのつながりを築いて頂きましたが、今後、教育と医療とのチームアプローチとしてのリハビリテーションモデルになるかと期待しています。
  さて、質問ですが、先ほどから、それぞれの立場からの意見として、STの先生も、教育分野の大沼先生、三浦先生も「連携」ということの大切さ、そして子どもの環境調整のための他機関への働きかけの大切さを述べられました。舩阪先生もチルドレンセンターで術後の子どもの療育援助をされていますが、準備段階で配られた資料を読みますと、ろう学校との連携の担当者が明示されておらず、連携については積極的ではなく、消極的かなと思います。その場合、それに代わる環境調整、普通学校に行ったときの調整は、チルドレンセンターのどなたがされているのか、先生が出向かれているのかお聞きしたいと思います。

▼医師からの応答
  「二つに分けて答えます。ろう学校との連携について、私が積極的でないということ。それと保育園・幼稚園に行かせた時の連絡ですね。
  まず、ろう学校に積極的でないという点、人工内耳をつけた子どもは耳がきこえます。ところが、ろう学校の先生は口を見せながら、補聴器を使って教える。しかし、補聴器は音がききわけられず、視覚に頼ります。子どもはそれでは会話できません。水を「ピズ」という子どもがいる。ところが、先生は自慢げに話している。それには驚いた。視覚に頼る風習は子どもから除くべきで、耳からの練習をしないといけないと思います。それが世界の潮流でもあります。カナダのシムサー先生もスピーチセラピストですが、同じことを言っています。口を隠して話しかける。耳を使わざるを得なくなります。そしてイントネーションを教えます。「カ」「タ」(といった単音節の指導)でなく、「チョウダイ」という(単語全体の)アクセント、イントネーションを言わせる。合っていなければいけない。子どもが自分の耳で、お母さんの言葉の「ちょうだい」と自分の「チョウダイ」とは違うと気づいていきます、子どもは。ところが、ろう学校の先生は、それに積極的でない。(+ろう学校の個別指導のやり方についての疑問) 以上がろう学校との連携について積極的でない理由です。保育園・幼稚園との連絡は以下(略)のように行っています。」

◆1998年3月 日本[ACITA]会報28号〜40号の「子供たちの広場」掲載文と1996年度「子どもの分科会」の報告記、アンケート調査の報告記等をまとめて、「子供たちの広場特集号」として発行.

◇1998年 日本 厚生省が手話奉仕員及び手話通訳養成力リキュラムを通達.♯1

◇1998年 日本 障害者団体9団体(「全難聴」「全日本ろうあ連盟」も参加)で、障害者をあらゆる職業から閉め出す差別法令の改正を目指して運動を開始.(後の2001年に薬剤師法、医師法等27の法律と31の制度が改正する)

◆1998年 アメリカ FDA コクレア社N24人工内耳認可(小児は18か月以上),コクレア社製装用者約8,100人

◆1998年4月 日本 日本耳鼻咽喉科学会 人工内耳の適応基準が示される.小児の場合、 「2歳以上」が適応となる.これにより小児への人工内耳治療が積極的に取り組まれ始める(1980年代半ば手術が施行され始めた当初は、適応は言語習得後の失聴成人で精神・神経学的に   問題ないことが求められていた。その後、各病院の判断で適応範囲が小児にも広がり徐々に低年齢化していった。そのため厚生労働省の働きかけもあり日本耳鼻咽喉科学会による人工内耳適応基準が示されることとなった。小児の場合,年齢は2歳以上で,両側100dB以上の高度難聴で補聴器装用効果の少ないものとされた).詳細は下記HP参照  http://www.normanet.ne.jp/~acita/info/arekore2.html#arekore3

◆1998年 日本 北野庸子・内藤明「人工内耳を装用した先天性ろう児の聞きとり能力の変化(2)−人工内耳装用効果を予測する際の留意点−」ろう教育科学会誌第40号第3号

◆1998年 日本 「聴覚言語障害」誌(東京学芸大学に事務局をおき、ろう学校教員や聴覚言語障害分野の専門家を中心に活動を続けている老舗の研究会(この年、「学会」に変更).しばらく休刊が続いていたが発行再開した.24巻3号・4号が合本で発刊、25巻・26巻が欠本、 27巻1〜4号が合本で発刊となった.27巻では久しぶりに人工内耳のことを取り上げている.

◆1998年5月 日本 [ACITA]会報41号に 田中多賀子「人工内耳装用児(親)のニーズと[ACITA]の活動への提案」と題した文掲載.同年2月に装用児の親を対象に実施したアンケート結果を整理し、装用児の現状と関係諸機関・専門家への要望としてまとめたもの.

◆1998年6月 日本 [ACITA]10周年記念誌 人工内耳に関する寄稿文 伊藤壽一(当時大津赤十字社Dr.)は体験から人工内耳の歴史をふりかえりつつ「小児の人工内耳リハビリは本人家族は当然のこと、周囲の関係者の援助協力なくしてはうまくいきません」と述べ、加藤慶子(ろう学校教員)は人工内耳の関するろう学校の実態として、「@ろう学校教員の人工内耳情報の不充分さA初期装用児で成長後非装用を自己選択している事例もあること」を報告、必要な整備として「@適用条件に関して、数字だけではない個別的検討の必要性(重複障害のある場合等) Aろう学校内聴覚活用クラスBろう学校側からの人工内耳検討対象と考えられる子どもの親への対応C装用児(親)ならではの(病院,リハ,機器等について)語り合いの場D装用児担当教員支援システム」を挙げている.

◆1998年6月 日本 [ACITA]10周年記念誌 「大阪大学における九年間の歩みと将来展望」の中で大阪大医学部久保武Dr.と井脇STは述べている.
  「日本における小児人工内耳治療は、近年増加傾向にあるものの諸外国(欧米、アジア諸国では全体の約40%)に比べると少なく(コクレア社1998年3月現在の統計:全症例数は約千例、そのうち13歳以下の小児の比率は11.3%)ことが特徴であるとしている.小児人工内耳が伸びない理由として、術前術後のリハビリプログラムが未確立,リハビリを行う施設が整っていないことなどが考えられる」と述べる。先天聾、言語習得前小児への人工内耳埋め込み術と2〜3年のリハビリ実施結果の聴取能力についての要約は以下の通りである.
  「@埋め込み後3年以上装用している先天聾、言語習得前失聴児は、オープンセット(内容の限定されない話題)での聞き取りが人工内耳単独で可能 A言語習得中失聴児は環境音の認知は早期より可能となるが音声言語獲得の点ではクローズドセット(内容の限定された話題)での聞き取りが、人工内耳単独で聴取可能となるまでに約1年を要す B言語獲得後失聴児は術後早期より聴取能の改善が見られ、言語聴取能は成人中途失聴者のいわゆる star patients(形患者)に匹敵する結果.電話も可能、音楽を楽しむことを目標とするまでに至る 小児症例」両群において長期に渉り聴取能の改善がみられ、オープンセットでの聞き取りは2〜3年の長期リハビリが必要」.人工内耳の短所は『手術後の合併症:めまい、耳鳴り増大、顔面神経麻痺など.いずれも一過性で安全面の問題はない』『術後にMRI検査が行えない』『タバコ大外部装置の常時携帯』であるとし、一番の弱点『MRI検査が行えない』『タバコ大外部装置の常時携帯』も人工内耳で得られる長所と比較すると小さな問題であり「MRI‥の問題」については現段階でも簡単な手術で体内マグネットを一時的にはずしMRI検査ができるようになっている」と述べる.今後の展望として小型化した耳掛型の開発、生活の質を高める音声聴取が可能なコード化法等開発を挙げている.

◆1998年6月 日本 [ACITA]10周年記念誌 「人工内耳装用児の教育的課題」の中で大沼直紀氏(当時筑波記述短期大学教授)は、わが国の聴覚障害教育機関の現状として「@早期から聴覚補償のできる体制であること A聴覚活用を勧める教育環境が整備されていること」をあげている.
課題としては「@人工内耳に期待する保護者への教育支援(どうしても補聴器を装用したがらない最重度の聴覚障害児や重複障害児を持つ親への支援が、補聴効果の期待できるサービスに比べて充実しにくい状況にある。聾学校 聴覚活用や音声言語コミュニケーションについてのカウンセリングとガイダンスを十分に受けられなかった親子の中から人工内耳候補児が生まれることが多い現状を改善する必要) A補聴音響環境の改善 B人工内耳の高域周波数増幅特徴の利用 C新しい補聴器を使った人工内耳手術適応前の聴能訓練と評価 D手話と聴覚活用の融通 E両親聾の聴覚障害児の人工内耳」をあげている.

◆1998年6月 日本 全難聴理事長 高岡正氏 [ACITA]10周年記念誌 にて「全難聴が昭和53年に設立され、平成3年社団法人として認可される以前、中途失聴者難聴者が社会の中で障害者として福祉の恩恵を受けずにきたことを訴える.
当事者団体として全難聴を結成した現在、高齢化社会の急速な進展とともに難聴化社会の対策が警鐘される中、「要約筆記の普及」、「字幕放送普及」、「耳マークの普及」など聞こえの保障を運動として求めてきた結果、「要約筆記養成事業」「テレビの字幕放送」など実現化したこと、人工内耳の一層の普及のためには更に多くの国民、聴覚障害者に人工内耳の正しい理解を進めること、ろう者にも聴覚障害を持つ子どもの親の理解や人工内耳に関する情報公開の必要、[ACITA]との協力関係の下、人工内耳普及に尽力していくことを伝えている.

◆1998年 オーストラリア コクレア社 世界初の耳掛型スピーチプロセッサESpirtを発表 *1

◆1998年8月 日本 ACITA1996年1月実施の第2回実態調査の報告書発行.病院やメーカーへの要望だけでなく当事者自身の工夫を含めた意見、健康保険適用や公的補助など国の制度、施策に関する意見も出される.

◇1998年1〜12月 日本 聴覚障害誌 5月号―特集・聴覚活用 立入哉「教育オーデイオロジーの課題」―柴田和千代「相互通話式集団補聴器及び口話教育についてのアンケート」・大原良紀「赤外線を利用した集団補聴システム(その2)」・佐々木勝「人工内耳装用児の成長会」・根本重勝「人工内耳装用児のリハビリテーション」,*筑波大学附属聾学校小学部「聴能一口メモ 補聴器の管理と活用(その2)」,6月号・特集「考え方の多様化」―E. Ross Stuckless「聴覚障害児のバイリンガル,バイカルチュア教育について」―堀江久美子ほか「小学部における話し合い活動」,森井結美「早期教育部のコミュニケーション援助」―加藤哲則ほか「交流からインテグレーションへ」―曳地信勝「よりよいコミュニケーションを求めて」,7月号・特集「言語力」―脇中起余子「手話表現の仕方による算数文章題の正答率について」・大阪府立堺聾学校「補聴器装用の実態と聞こえに関する意識について」,*報告・中山康「オリンピック,パラリンピックにおける聴覚障害者に対する情報保障について」,8月号―大沼直紀「人工内耳と聾学校の役割」・9月号石井清一他「寄宿舎におけるテレコミュニケーション」・伊藤 僚幸ほか「*実践報告 中学部生徒の聴覚活用(2)」・*大嶋功先生を偲んで.11月号・特集「第6回アジア・太平洋聴覚障害問題会議」・*実践報告・金子俊明他「中学部生徒の聴覚活用(4)」・12月号・今月の言葉・詫間宏道「幼児・児童・生徒の減少と聾教育」.*実践報告・内田匡輔他「中学部生徒の聴覚活用」

◆1998年度末 日本 手術病院−51,リハビリ施設−4,コクレア社製装用者累計−1243人(内小児201人).

◆1999年1月 日本 全難聴主催シンポジウム「補聴器・補聴器援助システム・人工内耳のリハビリテーション」開催 ♯1

◇1999年 日本 聴覚障害誌 1月号―渡辺真知子「同時法スタートから30年 改めて手話を考える」・木島照夫「コミュニケーション手段の選択と活用について」,実践報告・金子俊明他「中学部生徒の聴覚活用(6)」,2月号―「聴覚障害,メールで応援」・新刊紹介『学習場面で使う手話』・6月号―草薙進郎「手話の早期導入を考える」・岩渕 成子「手話と日本語の関わりを考える」・ 書評『手話・日本語大辞典』,7月号・今月の言葉・馬場 顯「聴覚口話法の存在理由」,9月号―大竹一成「-高等部養・訓だよりを通して(5)-高等部における補聴について(1)」,10月号・特集「聴覚活用」−大沼直紀「聴覚活用−聴覚障害教育における意義とその課題」・両角五十夫「聴力検査法と実施上の留意点」・立入哉「補聴器フィッティング後の評価と教育オーディオロジーの基本的技能」・田中 瑞穂「相互通話式集団補聴システムの使用について」・加藤 大典「日本聾話学校の赤外線補聴システムの理念とその実際」・中川辰男「人工内耳−補聴器との比較を通して」

◆1999年2月 世界 コクレア社製装用者累計−21,067人(内小児9925人)

◇1999年 日本 厚生省が要約筆記奉仕員養成力リキュラムを通達.♯1
◆1999年 日本 人工内耳友の会[ACITA]に小児部(後、親子の部と名称変更)がでる.

◆1999年 日本 厚生省 コクレア社N24人工内耳を認可

◆1999年 日本 厚生省 アドバンスト・バイオニクス社のクラリオン人工内耳認可

◆1999年 スウェーデン マニラろう学校の現状(日本の研究者、鳥越隆士氏(兵庫教育大)が学校訪問、スウェーデン・モデルのバイリンガルろう教育の実際を見学し状況を確認.学校全体の様子から、人工内耳装用児の受け入れ状況に至るまでの説明は以下の通り.
  マニラろう学校はスウェーデンの国立ろう学校5校のうちの1つで、1809年、スウェーデンのろう教育開始年に開校した最も古い伝統あるろう学校.ストックホルム市の中心からバスで約20分の所にある.1年生から10年生までと就学前クラス(1年のみ)の全員で100人余りの生徒が在学する.スウェーデンの義務教育は9年制だが、ろう学校課程は1年間プラスされ10年制となっている.
  マニラろう学校1年生の現状―生徒14人、先生4人.主任教師は、デフファミリー出身、20年以上ろう学校勤務のベテラン男性教師.2人目の教師は健聴女性、20年以上ろう学校勤務.20年前はトータルコミュニケーションからバイリンガル教育に移行しつつある時期.3人目教師は若い難聴女性.デフファミリー出身、スウェーデンがバイリンガルろう教育を選択した後に大学で教育を受けた.4人目はトルコ出身のろうの男性教師.1歳で失聴、9歳でスウェーデンに移住してきた.スウェーデンの進んだろう教育の評判を聞いて、多くのろう児とその家族が他国からこの国を目指した.ろう教育に限らず、この国では移民を積極的に受け入れてきており、現在は東欧や旧ソ連からの移民が多いとのこと.移民したろう児の両親たちは、生活のためにスウェーデン語を学び、手話も学ばねばならない.家族が手話を学習するための手厚い支援プログラムがあるが、(家族には?)大きな負担となっているという.
  鳥越氏は生徒のうち人工内耳装用児や難聴児が多いことへの驚きの声を以下のように述べている.
「・1年生14人のうち、人工内耳装用児が3人、難聴と判定された子どもは4人もおり、半数が聴覚を通して第1言語としてのスウェーデン語を習得しつつある、またはその可能性を持つ子どもたちということになる.〈手話だけが飛び交う、ろう児のための教育の場〉というイメージを持って入った教室で、肩透かしを食らった.あちこちで(スウェーデン語)が飛び交っている.
・ただ、それぞれの子どもに応じて個々にコミュニケーションモードが選択されているのかというと、実はそうではない.やはり教室の言語は、スウェーデン手話なのである.まずはスウェーデン手話が100%通じる環境が整えられている.
・ここに通う人工内耳装用児や難聴児の両親たちは、自分の子どもたちをまず手話の環境に置くことを選択しているのである.」

◆1999年3月 日本 第1回言語聴覚士国家試験実施.これにより人工内耳手術実施病院において、医師の指示のもとで人工内耳マッピングを行う国家資格としての専門家が誕生する(第1回合格者4,003人,年に1回実施され、毎年1000人程度、2008年は1800人近く、2010年は1600人余の合格者が誕生している.2010年3月末日までの言語聴覚士合格者数累計は17,315人、免許申請登録率が99.8%であることから、厚生労働省発行の免許証取得者は17,280人前後と考えられる.

◆1999年3月 日本 「聴覚言語障害」誌 第27巻第1,2,3,4合併号に野田寛(琉球大学耳鼻科人工内耳手術執刀医)『先天性聾小児の人工内耳‐良好な言語発音は得られるために‐』掲載.
内容は「先天性聾小児の場合、『ろう者』としての生き方も選択肢の一つであるが、人工内耳により「言葉のコミュニケーション」を希望する人々に、良い成果が得られるために検討してきた結果、次のことが言える.@プロモントリーテスト(田中補足:人工内耳の適応を決めるにあたって、術前に蝸牛神経の機能状況を調べる検査)の成績は参考資料に留めたものであるが、幼児で必要な場合、他覚化(田中補足:全身麻酔下にて正円窓に銀ボール電極を使用して電気反射を引き起こしたものを画像化した検査「eSR」「eABR」)で確認出来る.A術後の他覚的な電極のレベル設定について、4歳以下はCレベル(快適閾値)の自覚応答が曖昧かつ不充分なのでeSRを用いる(成人の人工内耳患者の、自覚的CレベルとeSRで得られた値をみると殆ど同じ値を示すことが判明).琉球大の4歳以下の8症例中、eSRが得られなかった2症例は中耳奇形などの為であり、eSRにてCレベルを設定することが出来なかった.Cレベル設定可能例と不可能例では当初明らかな相違があり、早期のCレベル設定が言語発育面で重要と判明.B小児の手術時期と構音の変化-補聴器装用効果判定が可能な2歳以後について、不充分と判定されたら3歳台までの早期に人工内耳手術を行うべき.補聴器による聴覚補償が不充分なまま過ごし、手術が遅くなった場合、人工内耳による聴覚補償が充分なされても歪んだ構音の矯正は困難になる.」

◆1999年4月 世界59カ国でのコクレア社製装用者累計−22,855人(小児累計−1,0742人)

◆1999年度 日本 手術病院-54-1999年8月,コクレア社製装用者累計-1487人(小児累計-268人)-2000年2月

◆1999年10月8〜9日 アメリカ(ジョージア州アトランタ市) 先天聾および高度難聴児のための国際聴覚口話フォーラム開催.以下は「人工内耳友の会[ACITA]会報ML特集号 『めざせ!未来の星』」巻末に寄せられた大根田芳浩氏によるレポートの要約.
▽序章―米南東部5州を中心とした地域で、先天聾と高度難聴児のための国際聴覚口話フォーラムが2年に1度開催.本年は「未来に向けて聞く」というテーマでアトランタ市にて開かれる.オージオロジスト、ST、装用児両親、医師がパネラー(30組)として、USコクレア社、アドバンスドテクノロジー社、メドエル社が参加.初日だけで1,000人余り参加.セッションの行なわれる30部屋の他、各人工内耳機器メーカーやFMシステムメーカーの展示ブース、子どもの聞こえのトレーニングに使って効果のある玩具の展示ブースがあった.30セッションは5つずつ同時に6時間帯に分けて開催.フル参加しても最高6セッションしか参加できない.子どもを対象にリハビリを行うSTが多数いて、積極的にFDA(アメリカ食品衛生局)や医師団体と共に、よりよいリハビリのための環境整備に熱心に取り組んでいることが分かる.

今回の会議開催目的:高度難聴と先天聾の子どもたちに、どのように効果的なリハビリテーションを行って、聴覚口話を獲得させるかということを過去2年間の実績やデータなどを通して発表するもの.


▽第1章:参加者が前提として理解していること(会議に先立って行われた開催の辞の中で、主催者代表が述べた言葉)

@.聴覚口話法は高度難聴、全聾の子どもにとってのひとつのコミュニケーション手段.読話、手話、キューなどの手段、またはその組み合わせによるコミュニケーションの改善を否定するものではない
A.高度難聴の早期発見、ハビリテーションの早期開始が重要課題(2010年までに、すべての新生児に聴覚スクリーニング検査を行い難聴児には2〜3ヶ月で補聴器をつけ、効果をみたうえで6ヶ月目には人工内耳手術を行い、ハビリテーションを始める.民営の健康保険しかないアメリカでは、保険対象をどうしていくかも課題.難聴児の1/3が小学校に上がる際に、最低1学年の遅れを伴ってしまっているという統計もあることから、遅くとも言葉を覚えるための「芽生え」が始まる3歳までにリハビリを開始することが大事.
Bきこえのレベルを数値で判断することはできても、ききとり(ききわけ)は数値化できない.それは、聴く態度、聴く姿勢を養いしつけて能力を育てる必要がある.
C.ききわけ能力の向上には、子どもの性格、家庭環境、機器の調整などの要素をみたうえでの総合的判断が不可欠.STはそこまで突っ込んだ関わり方をする必要があり、親への指導は成功の可否を握るので、それなりの強い意志を持って臨まなくてはならない.「親にその仕事(子どものききとり能力を養うこと)をさせるのがSTの仕事」 
D.オージオロジストとSTのコミュニケーション改善が必要でSTがイニシアティブをとっていくべき.
E.補聴器と人工内耳の「きこえ」の比較において、現段階では人工内耳の方が総合的に良いと判断できる.

▽第2章:補聴器、人工内耳装用後の重要な一年(Ms.カレン.ロズウェル-ヴィヴィアンの発表.オージオロジストとSTの両資格所持者.カリフォルニアで個人でリハビリテーションの会社設立、現場と経営を両立させている.要旨:最初1年間を4半期毎に分けて、難聴児に身につけさせたい技能を説明、そのために効果的とされるハビリテーションについてビデオをみながら解説.ビデオの男の子は2歳で人工内耳装用.装用前、きこえは両耳とも95dB以上、簡単な手話サインで両親とコミュニケーションをとっていた.装用開始1年間は「ヒヤリング エイジ」と言い「きくようになってからの1年」を指して、生後1年とは区別.話しの前提として、3歳までの間に補聴器・人工内耳によって聴覚口話が可能な聞こえを獲得した場合を想定.

@.なぜ最初の1年が大切なのか?―3歳までの間に言葉を覚える能力の「芽生え」が始まる.最初の1年間が今後の「きく」経験への道しるべとなる.聴覚学的にも初めの1年間が会話を身につけるための「きく」能力の開発期間である.
A.最初の3ヶ月までに身につけさせたい技能―音の存在を知り知覚する,音を意識する.距離を変えてきくこと.効果的トレーニング法― “多くの語りかけ”“子どもとの行動を実況中継するように話しかける”“お母さんだけでなく、お父さんも、いれば兄弟も話しかける” 
B.4〜6ヵ月までに身につけさせたい技能―“ききわけ”?ききとり”に専念させる.効果的トレーニング法―“いないいないばあ(交替しながら)”“親子が、おもちゃで一緒に遊ぶ際、親が自分でやって、子どもにやらせる(交替)”“子どもが何かしようとしているときにじっくり待ってやらせてあげる(できたら誉める)”
C.7〜9か月までに身に着けさせたい技能―どこからきこえてくるのか見つける.喃語を話し始める.リピートしようとする.音と物を一致できるようになり始める.効果的トレーニング法―“犬と猫のおもちゃを置いて「ワンワン」をきかせたら犬、「ニャーニャー」なら猫をとるよう指導”“「電話が鳴った時『あ、なんか聞こえるね』と耳を指さし、どこで何が鳴っているのか探させる”“何かを発声した時、熱心にきいて耳に手を当てて「きこえたよ」と誉めてあげる”
D.10〜12か月―きいたことを覚えるようになる.簡単な行動をきいただけでできるようになる.誰が話しているのか分かるようになる.リピートができるようになる.効果的トレーニング法―“一日の中で一緒にする簡単な決め事を子どもだけでするように言葉で伝え始める.例:ピアノを弾く⇒「ピアノを弾こうよ」と言葉を伝えて、ピアノのところに行くように指導.他に「ごちそうさま」「バイバイ」なども.“保育園や公園での遊びなどで、いろんなお友達の声をきく.(数値でない「きこえ」のガイドラインに基づいたこのセッションは大変盛況で今後もっと本格化されそう?)


▽第3章:聞こえと聞き分けーきく態度の確立?
講師:Ms.ジュディ.シムサー(世界的に有名なSTの権威.カナダのオンタリオでの勉強と研究後、現在は台湾にてSTを養成に携わりながら自分もSTとして10名の難聴児のリハビリに関わっている.このセッションではジュディ氏の経験をもとにしたリハビリ方法と理論をビデオを見せながら紹介.

@ STと両親の信頼関係の構築(STが両親の精神状態、家族の環境などを把握し両親のよき相談相手になれるように努力
A 「前向きな姿勢」をキーワードに取り組む.(以下はジュディ氏が示した指導例を田中の解釈で要約したもの)
 小さい子どもは誰でも学習面で態度の問題があり、更に難聴というハンディがあるので、教えるのは難しい.思ったように行動してくれないからと言って、厳しく怒ったり、禁止したりすることを重ねる教え方は逆効果、といったことをビデオを見せながら説く.ビデオで聴能訓練にのってこない2歳児に無理強いするのではなく、指導用に用意したバケツやアヒルの人形は気に入らないようなので、それは使わず、臨機応変におきに入りの犬を使い、その犬小屋を即席で作る.犬小屋のドアの手前に犬の人形を置き、子どもに見せないようにして、両親が「ワンワン」という.子どもは気が付いて犬小屋の前のドアをあけ好きな犬を掴む…というように誘導していく.嫌いなアヒルへの抵抗感をなくすためには、いきなりそれを使って聴能訓練をするのではなく、子どもが喜びそうなかわいいアヒルの本を読んで「クワックワッ」を別に指導しておき、その後、犬の鳴き声をきく訓練をするのと同様のやり方にもっていく.両親には、何があっても怒らず我慢してもらい、時間がかかっても、できたら誉めてあげるように指導する.工夫として試みて効果があったのは、「好きな方を選ばせてあげる」「(親子が)フェアに交替々々して遊ぶ」「生活の決め事を守る(お父さんが出かけるときは必ずバイバイ)」「禁止の言葉を使わない表現『ドアを開けちゃダメ』→『ドアを閉めてくれてありがとう』」「微笑みながら『こんなことしちゃだめよ』と中途半端な叱り方ではなく、必要なときはきちんと叱る」.

【ジュディ氏のまとめ】
・聴覚口話法を身につけるには、子どもの性格、家庭環境、国の文化まで考慮に入れた密接なコミュニケーションと信頼関係が必要.
・グローバルな視点で世界の情報や症例なども見られるようなシステムが必要.


▽第4章―補聴器と人工内耳機器の技術革新

1.補聴器―補聴器の技術が伸び、「アナログ」から「デジタル」へと変遷.これからは「プログラム可能なデジタル補聴器」へと進化.声の音域(300〜3000Hz)の拡声を充実させて、他周波数帯域を低減するといった「マッピング」もできるようだ.「インプラント補聴器」は人工内耳のように外科手術でデバイスを埋め込み、耳かけのプロセッサーから信号を送る「インプラント補聴器」も開発されている.イヤモールド装着不要.
2.メドエル社製人工内耳システム「コンビ40+」―アクセサリーが充実.「耳かけタイプ」と「持ち歩きタイプ」とあり、両方のプロセッサーが支給される.3つまでマッピングが入る.耳かけはボタン電池使用一体型と乾電池使用電池別タイプがある.コイルあ外れたときに音が鳴るので小児が知らないうちに外しても音で分かる.箱型タイプのマイクにはライトがついていて音を拾っているかが見える.電池箱、ケーブル、マイク、コイルなどの色が豊富.
3.アドバンストバイオニクス社製人工内耳システム「クラリオン」―コイルががずれた時に音が鳴るようになっているので小児が知らないうちに外れたりしても音で分かる.箱型プロセッサーは他の2社のものよりも小さい.マッピングは3つ入る.耳かけタイプは開発最終段階で市場には出ていないが、マッピングは3つ入り、コイルが小さく見た目がスマート、米国では難聴児の5割がクラリオンを選んでいる.
4.コクレア社製「N22システムの耳かけタイプ」開発状況―オーストラリアで2名での装用実験開始したところで、製品化されるとしたら、来年夏以降.消費電力が大きいため電池消耗のことなど解決すべき問題があり時間がかかる.N24については発表なし.
5.簡単にできるSPEAK22のケーブルとマイクのチェック法(展示ブースの脇で掲示によって紹介)―アクセサリーを改造してマイクやケーブルの断線をチェックするというテクニック.FMレシーバーを持っている人にしか対応されない.しかし中を開けて配線を足してハンダ付して直すという簡単な方法で、完璧な効果がある.


▽最終章―その他と総評

【オージオロジスト向けセッション(音響学的観点から)】

【脳生理学のセッション】
・脳機能の活性化要因―「前向きで楽しいことを思う」「規則正しい食生活と睡眠」「沢山の色をみる」「沢山運動する」「音楽などでリラックスする」
・脳機能の不活性化要因―「バランスの悪い食生活」「不規則な睡眠」「精神的ストレス」「同じ動作の繰り返し」「過去へのこだわり過ぎ」
・脳の質量では男性の方が女性より多いが、女性の脳には男性の脳に比べて会話機能を多く設計されている.

▽筆者(大根田氏)の所感―どのセッションも充実していた.4章のテーマ、最新機器導入や、オージオロジストとSTのコミュニケーション作り等、日本でも取り組んでんでいくテーマが多い中、厚生省はリーダーシップをとっていって欲しい.

◆1999年10月31日 日本 人工内耳友の会[ACITA]の会報特集号として『めざせ!未来の星☆』発行.[ACITA]メーリングリスト(登録者100名以上)に蓄積された子ども人工内耳装用に関する意見・情報(1999年1月〜10月初旬)を集約したもの.
話題に上がったテーマ:
【装用時の親から】[静電気が起きやすいこと],[K県小児部親子の集いの報告],[耳かけマイクの汗対策(耳かけ部分のカバー作成・サランラップで巻く工夫)],[アメリカでの手術とリハビリ事情紹介],[[ACITA]全国大会(大阪)の報告],[買い物中、子どもが迷子になった時の親の苦労],[[ACITA]の役割について質問:親のネットワーク作りとは?−地域活動は地域や病院単位で実施してもらい各地域の連携強化を友の会[ACITA]が支援する],[スピーチプロセッサーの過充電の問題・保管は縦?横?],[電池の持ち時間:一日8時間程度か?],[湿気予防のシリカゲルは海苔用を使用可能?],[中高生の経験談で、聴覚活用時は人工内耳を使用し、集中したい時は聴覚を使わず視覚情報だけ入れるため人工内耳を外すという使い分けもしている話をきいた],[聴覚障害教育では「聴覚口話法」「キュード法」「トータルコミュニケーション法」等があるが人工内耳によって最大限聴覚活用するなら、まずは「聴覚口話法」で取り組む.徹底するなら読話も入れない「聴覚法」],[3年前(1995年?)頃までは人工内耳は小児に普及しておらず、指導機関から「とんでもない(もの)」と一蹴されたが(今ではそこも)推進派となっている], [未装用児親の人工内耳手術への迷い(補聴器でも反応はあるが人工内耳の方が良いかどうか迷っている)への回答―人工内耳の適応基準として、自分の子どもは手術を受けた(3年前1996年)頃までは120dBスケールアウトで3歳以上だったが、今は100dB程度で2歳位でも適応?],[未装用児の親が抱いている人工内耳への抵抗感(一生、身体内部に異物が入っていること・装用の不便さ・子ども自身が良かったと思ってくれるか・「ろう者」としての生き方もあるのでは?・手術を受ける子どもが多くないのは?)に対して回答―「(私も、子どもの人工内耳手術前に相談したところ)医者に『手術を受けたら蝸牛の有毛細胞が壊れる.埋め込み部が壊れ、機械が壊れてしまったら(補聴器に戻ることもできず)、全く無音になってしまい却ってつらい目に合わすことになる』その他色々言われ、混乱した(が、手術後、人工内耳を外して裸耳聴力を測ったところ、以前の聴力と同じ聴力結果だった.)」,「私たちなりに、親としてその時その時の最善策を考えての(その結果選んだ)人工内耳(である)」]

【コクレア社から】[電磁波の健康への影響],[ABI(脳幹インプラント)情報],[新生児聴覚スクリーニング情報]

【成人装用者から】[携帯電話からの電波の影響][汗対策工夫についてのアドバイス],[[ACITA]の役割について回答:親のネットワーク作りとは?−地域活動は地域や病院単位で実施してもらい各地域の連携強化を友の会[ACITA]が支援する],[スピーチプロセッサーの過充電の問題・保管は縦でも横でも.縦が望ましいかも],[電池の持ち時間:一日8時間程度か],[湿気予防シリカゲルは海苔用使用可],

【未装用の親・祖父母から】[人工内耳手術への迷い(補聴器でも反応はあるが人工内耳の方が良いかどうか迷っている)],[人工内耳への抵抗感(一生、身体内部に異物が入っていること・装用の不便さ・子ども自身が良かったと思ってくれるか・「ろう者」としての生き方もあるのでは?・手術を受ける子どもが多くないのは?)],[人工内耳に関する番組やビデオの紹介],[おたふく風邪後遺症により両耳聴覚障害となったお孫さんのことで祖母からの相談],[出生時低酸素によって聴覚障害児となった子どもの親から「医師からいきなり人工内耳のことを勧められて戸惑った」との相談],[人工内耳は補聴器よりもきこえが10dB〜20dB位良くなる?言葉を覚えるスピードも速くなる?],

【STから】[ある担当児について、補聴器装用時と比較して人工内耳装用によって反応がはるかに良くなったことの報告]

【アメリカ在住の装用児の親より】[特別寄稿「先天聾および高度難聴児のための国際フォーラム:「未来に向けてきく」1999年10月8日〜9日 米ジョージア州アトランタ市 国際聴覚口話会議レポート 報告者:大根田芳浩]要旨は1999年10月8日〜9日欄参照.

◆1999年度 日本 日本人工臓器学会レジストリー委員会による人工内耳の実態調査実施.99年度に手術実施の49病院対象、42病院から回答.@手術件数と人工内耳機種、A適応疾患ごとの例数、Bトラブル・副作用発生件数、C電極の摘出・再手術数、D装用状況、E補聴器との併用状況等).
  その結果、明らかとなったことは「@99年度は12月末までに246例の手術実施(そのうち小児症例75例で全症例の3割以上でこれまでの年度で最多、 4歳未満児は37例で小児例の半分弱).うちコクレア社製244例,保険未適応のクラリオン2例,1985年からの手術数累計1491例.A99年度の適応疾患の最多は先天聾が後天聾を超え68例、次いで進行性感音難聴、髄膜炎による内耳炎、中耳炎による内耳炎、突発性難聴が上位.B皮弁の壊死・感染が8割、次いで電気刺激時の顔面痙攣が5例、手術時顔面神経麻痺4例(1.6%)、急性中耳炎併発4例、電極スリップアウト3例、レシーバ・スティムレータ(RS)露出2例.装置の不具合としてスピーチプロセッサー42例、電極ショート3例、原因不明の広範な無反応8例.C88年から99年末までに計18施設で累計35例の電極摘出.原因は電極束のスリップアウト8例、RS露出・感染5例、電極不具合3例、と医学的理由が大多数であることがわかった.このうち22例で電極入れ換え手術実施.再手術は16例が同側、6例が対側.D長期間来院や連絡ない等の状況から非使用者である可能性の高い例は36例で全体の2.6%.理由の最多は先天聾成人例のことばの聞こえが不満14例、前記以外の例のことばの聞こえの不満5例、使用電極の問題で十分に聴取出来ない1例、小児期手術例で思春期に装用への疑問を感じた3例、その他10例.E99年度は、補聴器装用者68例(99年度手術例の27.6%)の不良聴耳側に手術実施.その結果61例が術後主に人工内耳を装用、7例が両方を同時装用し状況により人工内耳と補聴器を使い分けていた.主として補聴器装用の例は皆無」
  考察として「@手術病院数も年間手術実施数も増加の傾向.A疾患別で初めて先天聾が最多となる.99年度中の小児の比率、特に4歳未満児の比率が増加し欧米の傾向に近づきつつある.B電極の広範な無反応は静電気による誘発の可能性があり97年度の装置からは対策が施されている.スピーチプロセッサーの不具合には更に改善が望まれる.副作用について、顔面神経麻痺はマップ上で責任電極非活性化で解決.99年度は前回96年度に比べ皮弁壊死・感染、手術時顔面神経麻痺等医学的合併症が増加.施設数、手術数増加に伴う医学的トラブルへの注意喚起必要.C電極摘出・再手術の原因の最多は電極束のスリップアウト、次にRS露出・感染と医学的理由が大きいので技術的改善の必要.摘出後、再手術の7割以上が同側に実施.D先天聾成人例のことばの聞こえが不満な例は手術時期が問題と考えられ適応基準(早期の手術)を考える上で重要.小児期手術例で思春期以降に装用への疑問を感じて使用しなくなったという3例は音声言語以外の手段(手話等)を好む場合に見られる現象で医学的有用性とは別問題.手段として音声言語か手話かの選択は個人の好みや判断に委ねるべきだが先天聾の小児にとって人工内耳を会話の道具の選択肢に加えるという意味では有意義である.E従来の適応基準は平均聴力レベル100dB以上で補聴器装用効果のない者とされていたが、人工内耳聴取能について確実に進歩しているとの認識が得られたためか、補聴器活用可能な68例に不良聴耳側に手術実施していることがわかった.そのうち61例が人工内耳を主として使用するようになっており人工内耳聴取成績の改善が適応基準拡大をもたらしていることが明らかになった」としている.
  総括と展望として「人工内耳の有効性、安全性等についてほぼ満足できる段階.内耳性高度難聴への有効な治療法として評価される.今後、埋め込み電極の工夫として蝸牛軸に近接した湾曲電極の使用が開始、それによる電流量低減、ダイナミクスレンジ拡大、詳細なピッチ感覚、電極間干渉減少等に期待できる.新言語処理方法導入による言語成績改善も期待される」との報告している.

【4】日本における人工内耳V期
◆2000年1月 日本 城間将江(国際医療福祉大学教授)『人工内耳と聴覚障害児教育』聴覚障害誌1月号
  内容:はじめに‐「〜テクノロジーの進歩は日常生活だけではなく教育改革をも余儀なくさせている。〜ところが、そのスピードが急速であるために困惑することが昨今は多々である。デジタル補聴器や人工内耳もまさに近代的テクノロジーの申し子であるといえよう。前者は過去の歴史の延長線上にあるので革命的ではあっても受容しやすい。しかし後者は全く新しい概念の製品であると同時に医学的な手術の介入もあって、教育界では受容に時間がかかったような印象をうける。従来の価値観も大切にしなければならない反面、新しいテクノロジーの恩恵にあずかる子どもが存在するのであれば、そのニーズに応えなくてはならないという現実もある。
  人工内耳が導入された当初は教育界から反対の声がきかれることが多かった。現在は人工内耳装用児をかかえる教育機関が多くなり、むしろ積極的に人工内耳を支援する教師も増えてきた。その背景には、人工内耳装用の有効性を実感するとか、あるいは就学時の時点で既に人工内耳を装用している子どもに遭遇せざるを得なかったという事実があるかも知れない。親が最新医療に関する情報に詳しいことや人工内耳手術の低年齢化が進んできたこともあって、教育機関に関わる前に医療措置がなされることが多くなってきたこともあげられよう。その経緯はともかく、人工内耳手術後の教育プログラムの構築、教育機関、教育と医療の連携の在り方については、それぞれの関係者が考えていかなければならない課題である。そのためには人工内耳をとりまく国際的動向を把握し、医療機関、そして親(子)が情報を共有することが大切」「人工内耳のしくみ、テクノロジー、開発の歴史について説明」「適応の拡大」「人工内耳による効果(成人の場合、小児の場合)」「指導方法」「教育と医療の連携」「終わりに:人工内耳の出現で聴覚障害児教育も改革が迫られている。方法は変わっても根本的教育理念は普遍的である。人工内耳を通して医療と教育が有機的協力体制を整えることで、その成果が子どもに還元されることを願う」‐「聴覚言語障害」1999年度第28巻第2号2000年1月発行.

◆2000年 日本 「聴覚障害」1月号(人工内耳特集)−記事5本「装用状況」「ろう学校の養護・訓練における人工内耳」「指導上の課題」「効果的聴覚学習」「各機関との連携」

◆2000年3月 日本 「手話コミュニケーション研究」第35号 『小児人工内耳をめぐって』特集記事として掲載.
  巻頭言「特集として人工内耳を取り上げた理由として以下6点があることが巻頭言として述べられる.@最近、ABR(聴性脳幹反応検査)による早期発見と2歳前ごろに人工内耳手術をするかしないか医師から問われて悩む聴覚障害児を持つ親が増え、手話の存在を肯定しつつも1〜2歳段階でできることの一つとして人工内耳手術を、とする流れが大きくなっている.A本人に代わって手術を決定する親が考えなければばらない問題について未整理なまま.BABR検査の実施と術後受け入れ体制も未整備.C医療関係者の手話への誤解・偏見を解く課題.D人工内耳装用と聴覚障害児のアイデンティティ確立の問題.E聴覚障害児にとって、人工内耳を肯定否定の二者択一に捉われない施策・課題を考える必要.」

増田慎(広島大学・医師)『小児人工内耳とめぐって-医師の立場からー』
  要旨「@難聴と診断することと治療教育法の選択の自由を養育者に与える重要性.A重度難聴を伴う小児の適応を考える難しさー親の悩み[人工内耳をしてでも日本語を習得することがそれぞれの子どもにとってどれだけ意味のあるのか。予想することも断定することもできない答えをさがしながら時間だけが過ぎていくことも多い.B手術を実際に行う上での留意点.C人工内耳装用中の医学的管理 D聴覚スクリーニングにおける人工内耳の存在意義 ※将来こどもたちが成長した時に必ず出てくる質問に養育者が答えられるのかが私のひとつの目安「なぜ私に人工内耳なんかしたの」,人工内耳をしなかった子どもたちが言う「なぜ私に人工内耳をしてくれなかったの」

城間将江(国際慰労福祉大学・言語聴覚士)『小児人工内耳リハビリテーションをめぐる考察』
  要旨「補聴器か人工内耳かについて−補聴器も人工内耳も聴覚補償手段である.人工内耳の選択は補聴器が役に立たない程に難聴が高度である場合に行うのであり、補聴器装用効果の可能性に期待している期間は人工内耳の手術は止めた方がよい.人工内耳の効果と個人差−聴き取り面について、2〜3ヵ月で電話が可能になる人もいれば数年使用しても聴き取り困難な人もいる.聴き取り面以外に心理的安定や社会参加など二次的効果(小児も聴き取り以外に発声発語や言語力、心理面、交友面での効果)が見られる.聴き取り面に効果がみられない場合の要因として、聴覚機能障害に加えて運動機能・認知機能が低い場合.効果があるのは手術時期が早く、装用期間が長く、教育方法は聴覚口話、また、残存聴力があるほうが早期に効果が現れるとの報告がある.人工内耳を希望する親の心理―親の90%以上は聴者であり、子どもが難聴になったことは他の外科的・内科的疾病と同様で可能な限り医学的治療法を求めるのは自然なことである.人工内耳は2〜3時間の手術で10日ほどの入院で2〜3週間後には音が聞こえるようになるもの、生命を危険にさらすことはなく副作用はごく稀、保険が適応され高額医療の対象になっており、経済的負担も軽い、といった条件が整えば、ほとんどの親が「手術に賭けます」と、病気をなおしたい気持ちになるのは当然.子どもが高度の聴覚障害で音声言語の獲得は困難だと診断されるときの衝撃は大きい.親は音声言語の社会に生きてその恩恵を享受しているので音が聞こえないことは不幸であり難聴があっても音声言語を獲得させることが子どものためだと信じ込んでも不思議ではない(障害は不自由なだけで不幸ではないと考えられるには時間が必要).子どもが社会で自立して生活していけるかどうかは親として最も気にかかることで、判断能力のない子どものかわりに人工内耳を選択する権利があるかどうかという議論がある〜個人的な結論としては、親が子どもにとっての最良だと考える選択をして養育するのは当然のことであり、音声言語で教育するという選択は、手話で教育するという選択と同じ重みをもつと考える.子どもが自分で判断できるようになれば親とは異なる見解がでてくる.〜聴者の養育者が自分の子どもを手話で教育するには潔さが必要であるように思える.子どもの聴覚障害を全面的に受容ができるか、受容せざるを得ない状況だと親が納得しない限り難しい.障害受容は頭で考えるほど容易なことではない.親は子どもの発達過程において悩みながら、その時に最良だと思われる判断をして子育てをしているのである.おわりにーコミュニケーションが成立して共感する場面が増えると、本人も家族も共に障害受容できていくように思われる.実際に、子どもの人工内耳装用効果が現れるに伴って親も安定してくることが多い.コミュニケーション〜の手段は音声言語でも視覚言語でも〜第三者にしか通じないような身振りであってもいい.しかし人間は社会的動物であり〜それぞれの社会でコミュにケーションがとれることが必要である.理想としては人工内耳装用児もバイリンガルで教育できればいいが、現在のところは教育的、社会的体制が整っていないので非現実的であり、ある一定期間はどちらか一つを選択しなければならない.人工内耳はその選択肢の一つである.どちらの選択をするとしても言語聴覚士としては親を援助したいと思う.コミュニケーション手段に関わらず、親子の安定した関係が子どもの言語能力の発達、アイデンティティーの確立に大きく影響すると考えるからである」

加藤慶子(埼玉県坂戸ろう学校・教諭)『人工内耳装用児を受けとめるろう学校をめぐる諸問題』
  要旨「聴覚障害児教育の変化-1993年文部省『聴覚障害児のコミュニケーション手段に関する調査研究協力者会議報告書』がでた.聴覚障害児教育の現状と今後の方向性示唆…〈@発達段階に応じた言語教育の方法を発展させる A多様なコミュニケーション手段が用意され、子どもの条件を考慮した選択 B手話の有用性を認め、中高生段階の指導に取り入れる C手段習得に終わらず、望ましい教育活動が展開でき人格形成がはかれること〉を、前報告を更に発展させた2000年3月東京都教育委員会『コミュニケーション指導等の研究委員会報告』では障害認識指導の必要を説き、〈聴覚障害者である自分について肯定的な自己像が描けるかどうかの課題解決が欠かせない〉といった点まで言及.人工内耳の装用閾値は40dB(田中注:この当時40dB程度とされていたが、現在は30〜40dB程度とされている)であるとされており、高度・重度聴覚障害児の補聴器装用閾値に比べて聴こえるようにはなっているが、人工内耳装用児も聴覚障害児であるという認識を周囲も持つ必要があるし、装用児への障害認識指導が必要である.また、装用児の家族への相談援助(手術前の相談から装用前後のリハビリ、また手術非適応となった場合の支援)も含め、装用児に関わる医療・教育機関の新たなネットワーク作りが求められている.現状では、日本には人工内耳センターはなく、ろう学校教員の個々の努力や人工内耳友の会[ACITA]全国大会親子分科会、親子交流会、病院や地域での懇談会で対応しているが限界がある.

◇2000年 日本 社会福祉事業法が社会福祉法に改変.第2種社会福祉事業に手話通訳事業が規定.♯1,♯2

◇2000年 日本 全難聴・全要研(全国要約筆記通訳研究会)共同で厚生省カリキュラム準拠の要約筆記テキスト(基礎課程)を作成.♯1

◇2000年 日本 「全難聴」文化庁からテレビ放送のリアルタイム字幕送信事業者に指定される.♯1

◇2000年 日本 NHK「ニュース7」に初めて生で字幕が付く(著作権改正により、テレビ放送のリアルタイム字幕送信が可能になる).♯1

◇2000年 フィンランド  ヨーロッパで初めて憲法で手話に言及する.1995年に手話を他の少数言語とともに憲法条文で《言語》として認知され、さらにそれを促進する法律を制定して手話を使用する人の権利、及び障害により通訳または翻訳の援助が必要な人の権利を保障することも規定された.政府は憲法により、言語に関する様々な権利の実現を監督し、促進する責任を負っている.詳細は言語法で定められ、司法省がこの法律の施行状況をモニタリング(監視・勧告)して、必要な対策を講じることになっておりその中に手話も含まれている.さらにフィンランド言語研究所に関する法令においてもフィンランド手話は研究対象となる言語の1つとして明記されている.手話通訳の利用について、司法、保健分野では当局が責任を持って手配することになっている.♯2

◆2000年 日本 厚生省 コクレア社N24人工内耳,バイオニクス社のクラリオン人工内耳の健康保険適応認可.N22に比べ小型化したN24の認可により小児への手術がより安全で簡便になり4歳未満児の装用者数が急増する.また、ACE、CISコード法、耳かけ型の登場、クラリオンの参入もあり、成人失聴者の選択肢が増え、この年以降、装用者の飛躍的増加に繋がる.

◇2000年1〜12月 日本 聴覚障害誌 1月号・特集「人工内耳」−編集部「人工内耳装用の状況」・宮田佳代子「人工内耳」・高橋正子「人工内耳装用児の指導上の課題」・大河内晴美「効果的な聴覚学習を目指して」・金森純和「人工内耳装着児の指導における各機関との連携について」・大沼直紀「聴覚学習:教育オーディオロジー概説」,2月号・大沼直紀「聴覚活用:アナログ補聴器とデジタル補聴器」・庄司和史「用語解説:補聴器」・三浦憲一「海外事情:バイリンガル教育における読み・書き指導に対する工夫」,3月号・大沼直紀「聴覚学習:聴能評価の観点」,4月号・沼津聾学校「沼津聾学校における手指メディアについて」・水口修三「聴覚活用で言語形成をしていくための手立て」・矢沢国光「聴覚手話法」・大沼直紀「聴覚学習:最早期聴覚障害補償教育の成果の検証」,6月号・大沼直紀「聴覚学習:補聴器の効果を左右する要因」・小畑修一「国際会議:聴覚障害教育国際会議(I.C.E.D)の系譜と最近の動向」,7月号・大沼直紀「聴覚学習:補聴器の比較選択法」・森明子「用語解説:用語解説」,8月号・大沼直紀「聴覚学習:名前を用いた補聴効果の簡易評価法」,9月号・特集「補聴器」・立入哉「補聴器を選ぶ」・両角五十夫「「補聴相談」の取り組み」・佐藤正幸他「聴覚障害児におけるコミュニケーションのハンディキャップ」・樋口恵子「幼児への耳あな形補聴器の適応」・細矢義伸「デジタル補聴器と重度聴覚障害児」,10月号・特集「国際会議」―Robert R. Davila「聾教育の過去、現在、未来―ICED and APCD in Sydney」・小畑修一「第17回聴覚障害児教育国際会議兼第7回アジア太平洋地域聴覚障害問題会議報告」・森道興「オーストラリア・国際会議に参加して」,大沼直紀「聴覚学習:子どもの人工内耳」,12月号―田中温子「手話を活用し「読み書きの力」をどうつけるか」

◆2000年 日本 手術病院61/リハビリ施設8…7月末,クラリオン装用者累計16人(内小児5人)…4月末

◆2000年度末 日本 手術病院−64,コクレア社製装用者累計−約1800人

◆2000年 世界 コクレア社製装用者累計−28000人余人

◆2000年 スウェーデン 人工内耳装用児増加傾向.3月に実施したTC研究会の北欧バイリンガルろう教育視察旅行の報告書によると、訪問した学校の中のマニラろう学校では、2年生(8歳児)10人(男子2人、女子8人)のうちの女子4人が人工内耳を装用.同校ではこの年に初めて装用児を受け入れたが、増加する傾向にあるので学校の対策も考えなければならないとの説明を視察団は受けている.(編集責任者 新井孝昭 TC研究大会報告書 『北欧のバイリンガル教育 その理論と実践』2000 ).

◆2000年4月 世界 クラリオン装用者累計−約5500人(内小児の割合:約5割)

◆2000年 アメリカFDA コクレアN24新形状、超小型インプラント認可(小児は12カ月以上)

◆2000年 アメリカ ギャローデット大学内のローラン国立ろう教育センターに付属施設として人工内耳教育センターが開設される.ろう文化を尊重する教育機関でありつつ聴覚補償の可能性も追究する.
ギャローデット大学は、1864年、当時の米大統領リンカーンの署名により設立されたろう・難聴学生の為の世界初の大学.大学内でのコミュニケーション手段はアメリカ手話と書記英語であり、手話を知らない新入生、新採用教職員、他国からの留学生は新学期に備えて手話を習得する必要がある.この大学の教員ウィリアム・ストーキー(言語学者)が、1960年に発表した論文により、手話が自然言語である事を学問的に初めて指摘したことや他の大学に先駆けて聴覚障害者の高等教育、権利獲得運動で果たした役割が大きいことでも有名である.大学は学部、大学院の他にアメリカ手話センター、ギャローデット大学研究所など調査研究施設がある.その一つローラン・クレーク国立ろう教育センターには付属ろう学校があり、乳幼児と親のための教育、第8学年までの初等教育、12学年までの中等教育が行われている.

◆2001年 世界 コクレア社製装用者累計− 約31890人(1位:米13017人,2位:独2708人,3位:英2402人,4位:日1822人(小児の割合:2割4分弱),5位:豪1739人,6位:加,7位:仏,8位:ス,9位伊,10位:台)

◆2001年 スウェーデン オスターヴァンろう学校校長クリステル フルール氏「バイリンガル主義の立場からみた人工内耳」と題した文章を発表.

 「1990年人工内耳販売許可以後、装用児数は増加しているがバイリンガル聾教育にとって代わるものになるとは捉えていない.唇を見ないで音声言語を認識できる子どもの少数であり人工内耳を装着しても、ろう児であることに変わりはない.ろう児や難聴児に知識と発達を保障したければ母国語を第二言語に据えた手話環境の中で、手話によるコミュニケーションを図る必要がある」(編集責任者 矢沢国光 TC研究大会報告書 『北欧のろう教育から学ぶ』2001 ).

◆2001年 デンマーク TC研究会の北欧バイリンガルろう教育視察団報告書の中で「ストックホルムの聴こえない子どもたちの保育園」の項に「人工内耳の子どももひとりおり、パソコンで聴覚学習をしているとのことだった」と記録(因みに前年の同研究会が主催する北欧バイリンガルろう教育視察団の報告書では、デンマークでの報告に人工内耳について触れられた記録はなかった).編集責任者 矢沢国光 TC研究大会報告書 『北欧のろう教育から学ぶ』2001).

◆2001年 日本 厚生労働省 コクレア社人工内耳・耳掛け型スピーチプロセッサESpirtを保険適用

◇2001年 日本 全難聴・全国要約筆記通訳研究会 要約筆記テキスト応用課程を作成.♯1

◇2001年 日本 道路交通法・医師法等の一部の欠格事由改正法案可決.♯1

◆2001年 日本 聴覚障害誌4月号・特集「人工内耳」−大沼直紀「聴覚補償と情報補償」・内藤泰「人工内耳の医療と倫理」・佐々木繁「医療と教育の連携のあり方について」・三浦康宏「人工内耳を装用している児童の指導から学んだこと」・「人工内耳適応基準について」

◆2001年4月 日本 手術病院−66,リハビリ施設−11

◆2001年7月 日本 クラリオン装用者累計−100人弱
◆2001年8月25日 日本 『聾教育の脱構築』金澤貴之編著・明石書店発行.
  長年、日本のろう教育は、口話法、聴覚口話法(補聴器出現以降)で進められてきたが、一部の者が成果を収めるだけで限界があった.本書は、聾教育のパラダイム転換が必要なこととその根拠等を歴史学・心理学・言語学的視点、現場経験からの視点(ろう学校教師、ろう児の親、成人当事者、大学教員、国立身体障害者リハビリセンター学院手話通訳学科教官らの現場経験に基づく視点)に立って論じたものである.そのうちの、聴能に詳しく教育相談担当経験もあるろう学校教員である八木 治 氏は110dB以上の聴力の子どもに対する人工内耳の効果を認めつつ、それても限界のあることを親も周囲も認識した上で教育する必要性を説く.その点からも、装用児を育てる場合、ろう者としての自覚を持たせてる必要性も説いている.
  上記の裏付けとして、聴覚口話法による教育が限られた子どもしか成功に導けないものであったことの反省を込めて、成功の5条件と逸話を紹介している(5条件は田中美郷氏の言葉引用).

1. 子どもの条件―知的に優れ、情緒が安定し、学習意欲が高い
2. 親の条件―情緒が安定し、教育熱心、子育て上手、聴覚学習,言語指導の原理が良く理解でき
  て、子どもとのコミュニケーションが豊かにできる.
3. 家庭の条件―家族の和があり、母親を家族がサポートできる.
4. 幼児期から両親に対するよき指導者に恵まれ、学校教育においても良き教師や友達に恵まれ
  てきた.
5. 言語指導法は聴覚口話法に徹し、乳児期の早期から療育を持続してきた.

※.近年の人工内耳装用児の増加傾向,人工内耳と聴覚活用(言語獲得前聴覚障害児)に関して、以下のような解釈と疑問を語る.

【人工内耳ある高名な先生のことばに見る本音】
「人工内耳が出て、正直言ってほっとしたよ(聴覚活用一本でやってきたが、聴力110dBを超えるお子さんが相談に来ると「苦しい」ものを感じつつも聴覚活用を勧めていた。補聴器では聴覚活用ができないことを知っていて、勧めることの心苦しさがあった。しかし人工内耳が出たからもう大丈夫)」

【上記の逸話への疑問】
→正直な方だなあと思いつつ…、人工内耳が出て、本当にほっとしてよいのか.中途失聴者にはひとつの福音になった.失った音と言葉が取り戻すことができる.しかし、生まれつき聞こえない子どもにとっては、取り戻すべき音も言葉も持っていない為、術後の経過は中途失聴とは異なる.

それでも「人工内耳が出てほっとした専門家」は多く、わが国でも、人工内耳の埋め込みが積極的に勧められて、ここ2、3年、人工内耳装用児は飛躍的に増えてきた.

その結果は、子どもによるばらつきが非常に大きい.〜中等度難聴程度の「聞こえ」になった子どもは一部にいる一方で、まったく役に立っていない子ども達も多い.

米国では、ローズ(1997)らが、人工内耳を埋め込んだ約半数の子ども達がノンユーザーになっていると報告している.当然ながら医療の現場は、(略)ノンユーザーになることをもっとも警戒する.したがって脳の可塑性の問題を考えて手術の時期が低年齢化してきており、わが国では2歳代での手術が勧められるようになってきている.しかし聴者になる機械ではない.

「ほっとした」のも束の間、人工内耳の限界と早期埋め込みという条件が見えてきて、かの先生は「苦しいもの」を再び感じ始めてみえるのではないか.たとえば教育相談の現場では、発見が遅れたり親が迷っていたりして、子どもが4歳を過ぎてから人工内耳の相談にくる親もいるのである.

【口話法はどう語られてきたか、その変遷と行く末への疑問】
▽補聴器が入ってくる前―「口話法はどの子どもにも適用できる」
▽米国から補聴器が入ってきてそれが普及し出した頃―「今や聴覚の支援なくして、口話法は成立しない」と華々しく叫ばれた.「補聴器には無限の可能性がある」
▽現在―「今や人工内耳の支援なくして聴覚口話法は成立しない」
▽未来―「今や“スーパーイヤー”の支援なくして、聴覚口話法は 成立しない」「今や“リアルイヤー”の支援なくして・・・・」
▽いつの日か、技術の進歩によってろう者が聴者になる機械が出来るのだろうか.ろう者はそれを選ぶだろうか、それは疑問である

【“教育相談を受ける親への初期指導”について八木氏の提案】
▽親に何を伝えなければならないのか―「ろう」の世界の扉を開けるはじめの一歩を誘う言葉の断片集
「まず、補聴器を着けましょう.お子さんの聞こえに合うようにできるだけの努力をします.でも感音難聴は音が歪んで聞こえますから、100%聞き取ることはできません.人工内耳も基本的には同じことです.少しでも聞かせるためには、お母さんの語りかけ方にも注意が必要です.現実には聴力の限界を超えることは大変難しいことです」

「個人差はありますが、聴力が厳しいとなかなか上手に喋るようにはなりません.お母さんや先生には分かっても、一般の人に分かってもらえるようになるのは、なかなか難しいです」

「聞くことや喋ることに限界がある以上、それだけにすべてを賭けるわけにはいきませんね.耳から漏れるものを補うことが必要です.それが手話です.幼稚部に入るまでは、お母さんがこの子に接する時間が一番長いわけですから、お母さんが手話を覚えて使っていく必要があります.お母さんが手話を100覚えると、この子は90の手話が自分で使えるようになります.200覚えると、180.お母さんが頑張れば頑張るほど、この子とのコミュニケーションはスムーズになり、深まっていきます」

「大人との関わりも大切ですが、子どもは子ども集団の中で成長していきます.幼稚部へ上がる頃になると、大人相手だけでなく、子ども同士でもきちんと通じ合えるようになることが必要です」

「大人のろうの人たちは、手話ということばを使う、自分たちだけの世界をもっています.会社でも社会でも周りは聞こえる人たちばかりですから、聞こえる人たちとも上手くつき合っていかなければなりません.でも、仕事が終わって、ろうの仲間が集う喫茶店で、彼らはホッとします.筆談や口話というストレスのかかる方法ではなく、手話で自由に思いの丈を語り合います.この世界があるからこそ、聞こえる人たちの世界の中でもいきていけるんです」

「お子さんを、将来、ろうの世界へ入れてあげましょう.私たちがいる世界とは少し違うけれど、そうすることが、この子一人前の社会人として自立させていくことですよ.お母さんがそれを拒んだ場合、この子は、ろうの人たちの世界にもいけず、聞こえる人たちばかりの世界で自由に生きていくこともできず、自分に自信の持てない大人になってしまいます.聞こえる人間にどうやって近付けようかと考えるよりも、ろう者として自信を持って生きていける、立派なろう者に育てていく方法を考えましょうよ」

◆2001年秋 日本 人工内耳友の会[ACITA]の会報特集号として『がんばれ!いんぷらきっず』発行.装用児の親、これから子どもに人工内耳を考えている親、医療・教育関係者のニーズに対応するため、数少ない装用児の体験談集第1弾を発行.人工内耳友の会−東海−編集.先天性高度難聴児の人工内耳適応事例が少なく、参考になる体験談が見つからないことから親たち自身が作った記録.下記紹介文は人工内耳友の会東海のHPに記載されたものを転用.
「この世の中には「音」というものがあるんだよ、物には名前があるんだよ、音には大きい・小さいがあるんだよ・・。毎日、絵カードで言葉を教え、来る日も来る日も言葉のシャワーを浴びせかけ、たくさん、たくさん話しかけをしました。まだパパ・ママとも呼んでくれない泣きじゃくる赤ん坊を抱きかかえ、親達も必死の思いで過ごし、やがて人工内耳手術に踏み切ったのを思い出します。
手術にあたって、聞こえるようにする事が本当に幸せなのか、体に害は無いだろうか、生活が制限されるんじゃないだろうか、色々と心配をしました。我が子の難聴と向き合い、人工内耳を検討するにあたって色々考え、様々な思いの中で装用を決意した悩みや願いが記された貴重な体験談でした」

◆2001年12月 日本 厚生労働省 重度難聴幼児にたいする人工内耳適用の適切な普及を図る一環として調査研究を要望、国立身体障害者リハビリテーションセンター顧問柴田貞雄、他4名の研究者がそれに応えて「人工内耳装用児等の言語習得訓練状況についての全国調査と訓練法の開発」を設定し、全国調査を行った.

◇2001年1〜12月 日本 聴覚障害誌の掲載記事―1月号・特集「今までの聾教育・これからの聾教育」−都築繁幸「21世紀の聴覚障害児教育をめぐる諸問題」・大沼直紀「1990年代の聴覚補償教育の成果・課題とこれからの展望」・神田和幸「手話言語」・岡義一「日本語教育と手話の狭間で」,3月号・特集「コミュニケーションモード」−上農正剛「聴覚障害児教育における言語観と学力問題」・馬場顯「聴覚口話法」・木島照夫「「聴覚手話法」の実践」・前田芳弘「日本語による一言語教育の見直し」,4月号・特集「人工内耳」−大沼直紀「聴覚補償と情報補償」・内藤泰「人工内耳の医療と倫理」・佐々木繁「医療と教育の連携のあり方について」・三浦康宏「人工内耳を装用している児童の指導から学んだこと」・「人工内耳適応基準について」,7月号―大宮ろう学校「最早期におけるコミュニケーション」・徳島県立聾学校「早期教育への手話の導入について」・阿部敬信「ろう学校における子どもたちの手話獲得」,12月号―*海外事情・Asa Helmersson「バイリンガル教育による指導からの経験」.

◆2002年2月 日本 ACITAによる第3回実態調査実施(全装用者約2,300人(コクレア約2200人,クラリオン約100人)の内、1,068人から回答).
  調査結果をまとめ、機種やメーカーの違いによる会話理解(静かな場での1対1の会話,家族の団らんの場,静かな所で2〜3人での会話,大勢でのがやがやした会議,街頭や職場の騒がしい所での1対1の会話,少し騒がしい所での 2〜3人での会話)度を数値で示した.人工内耳で聴く「音楽」、日常生活音がきこえることによる「行動や気持の変化等」についてもデータとしてまとめられた.(後にこの実態調査の結果をもとにして、ACITA会長小木保雄氏が「人工内耳装用者からの声−自助活動の一環として−」という文にまとめ、東京医学社発行『Johns,20巻1号(耳鼻咽喉科・頭頸部外科等医療関係者を読者としたジャーナル)』に記事として掲載される.

◆2002年 日本 聴覚障害誌 3月号「医学と聾教育特集」―田中美郷「聴覚障害児教育と医学」・神田幸彦「小児人工内耳と教育に望むこと」・宇良政治他「人工内耳により良好な聴覚補償を得たTypeIII Usherの症候群の1例」・釧路聾学校「人工内耳装用児の指導の取り組み」

◆2002年3月末 世界 コクレア社製装用者累計−約37,000人(小児約5割)
◆2002年3月末 日本 手術病院−71,リハビリ施設−12,コクレア社製装用者累計−約2,200人(小児約3割),クラリオン装用者累計‐100人以上)

◆2002年3月 日本 医歯薬出版株式会社 新編「言語治療マニュアル」(言語聴覚士の活動の核となる検査,訓練・指導の内容を具体的に記述したテキストで、1984年11月に発行された「言語治療マニュアル」を改訂したもの)発行.第7章 聴覚障害のうち、小児聴覚障害の冒頭部で、"人工内耳"を介して"聴覚活用"と"ろう者としての障害認識と自己確立"の矛盾と葛藤の問題、専門家の一方的な価値観からの脱却と当事者の立場からみた聴覚・口話法の可能性と限界を明らかにした上での支援の体制化を図る必要性について述べられている.

◇2002年 日本 新障害者基本計画の策定、要約筆記者の養成と普及が盛り込まれる.♯1

◇2002年 日本 全日本ろうあ連盟・全国手話通訳問題研究会・日本手話通訳士協会の3団体共同で社会福祉法人全国手話研修せんたーを設立.

◆2002年5月 日本 日本学校保健会のアンケート調査で把握できた人工内耳装用者数:2018人(内訳:成人1407人,小中高等学校生186人,就学前乳幼児425人)
   18歳以下の手術年齢:0歳-0人,1歳-約10人,2歳-110人+α,3歳-150人+α,4歳-約90人,5歳-60人+α,6歳-40人弱,7歳-20人+α,8歳-15人+α,9歳-20人+α,10歳-15人+α,11歳-15人+α,12歳-10人+α,13歳-10人+α,14歳-約15人,15歳-2,3名,16歳-約10名,17歳-約3名,18歳-約10名
 (尚、これは上記保健会が病院と全国小中学校にアンケートを配布し回収できたものをもとにしている.配布出来なかった病院、回収できなかった病院や学校があっただろう事を考えると、コクレア社が同年のデータとして発表している、装用者の全人数に比べて数値が少なくなっているのは仕方のないことである.)

◆2002年 世界 人工内耳装用者総数55000人,コクレア社製装用者累計− 約39300人(成人約19000人:小児約20000人)

◆2002年 アメリカの装用者22,000人(みみだより440号)
◆2002年 オーストラリア コクレア社製人工内耳・テレコイル内蔵型スピーチプロセッサー(世界初)Esprit 3Gを発表. 

◆2002年12月 日本 手術病院−79,リハビリ施設−19,コクレア社製装用者累計−約2532人(成人:1832人:小児700人),クラリオン装用者累計−170余人

◇2002年1〜12月 日本 聴覚障害誌―1月号・特集「これからの聾教育」−藤本裕人「「21世紀の特殊教育の在り方について」最終報告から1年」・宍戸和成「就学基準の改善と聾教育」・中澤惠江「障害の重度・重複化」・石原保志「聾教育における情報技術の活用」・阿部 厚仁「これからの「通級による指導」」・根本匡文「これからの後期中等教育と高等教育」・別府亮次「聾教育の専門性」・「参考資料:21世紀の特殊教育の在り方について」,2月号・特集「聾教育とテクノロジー」―志水康雄「聾教育とテクノロジー」・立入哉「補聴器とテクノロジー」・木村和弘「わかりやすい字幕の試み」・中村好則「テクノロジー活用による数学指導の改善」・永野哲郎「聾学校における字幕付きビデオ教材の作成について」,3月号「医学と聾教育特集」―田中美郷「聴覚障害児教育と医学」・神田幸彦「小児人工内耳と教育に望むこと」・宇良政治他「人工内耳により良好な聴覚補償を得たTypeIII Usherの症候群の1例」・釧路聾学校「人工内耳装用児の指導の取り組み」,5月号・特集「読みの指導」・菅原廣一「回想・コミュニケーション手段研究」,6月号・特集「情報保障」をテーマに佐藤正幸・柴崎美穂他・遠藤良博の記事,根本匡文「一般大学で学ぶ聴覚障害学生の支援」「聴覚障害者の声(1)(2)」,12月号・全国研究大会特集(第36回全「教育と医学」―立入哉「ピンチにチャンスを」・三科潤「新生児聴覚スクリーニング」・庄司和史「新生児聴覚スクリーニングとその後の早期教育について」・鈴木克美「人工内耳の自己評価・補聴器から人工内耳へ」・下島かほる「WHOの障害観(ICF)から、学校環境の整備を考える」日本聾教育研究大会(北海道大会・第31回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会(北海道大会)),松井茂「実践報告:キュー・サインのCD-ROMを活用した交流教育」

◆2003年1月25日 日本 鳥越隆士,グニラ・クリスターソン『バイリンガルろう教育の実践―スェーデンからの報告』 全日本ろうあ連盟出版局発行 「第1部 スウェーデンにおけるバイリンガルろう教育」の、第1部−第5章の中の、「心理学研究所」「スウェーデンろう連盟」「カナバックススコーラン:6つ目のろう学校?」「人工内耳装用児への対応」という項で、スウェーデンにおける人工内耳教育事情について報告.(下記文章中「私」と記されているのは執筆担当者・鳥越隆士氏のこと)
▽心理学研究所(ストックホルム大学内:田中注)
「同大心理学研究所のグニラ・プライスラーの研究グループは、ろう児たちの手話の習得過程や家庭の中での支援について、調査・研究を進めてきた.最近は難聴児や人工内耳装用児のコミュニケーションの発達過程についても研究を広げている.スェーデンでも人工内耳装用児が増えつつあり、是非の論争が展開されている.親たちも子ども達に難聴学級やインテグレーションではなく手話のあるろう学校を選択している.耳から言語音を何とか聴取できたとしても、十分でないとき、手話のあるろう学校(バイリンガル言語環境)が適切であるからだ.ろう児であろうと難聴児であろうと、視覚的には100%のコミュニケーションが保証されるからだ.しかし現実に難聴児や人工内耳装用児がインテグレーションするケースもある.プライスラーらは子ども達を追跡し、難聴児や人工内耳装用児が通常学級や難聴児クラスに通い、音声言語のみの不確かなコミュニケーション環境にある時、言語発達や認知発達全般に様々な困難さが持たされることを報告している.難聴児や人工内耳装用児にとっても第1言語として手話を習得することの利点は大きい.」

▽スウェーデンろう連盟(本項の内、バイリンガルろう教育における人工内耳の問題について記されている箇所のみ抜粋:田中注)
「2つの問題の1つが移民の問題.バイリンガルろう教育を成功させるためには両親の協力が不可欠である.移民してきた親たちは、生活のためにまずスェーデン語を学ばねばならず手話の学習は二の次になってしまうという問題.もう1つが人工内耳の問題である.」
「スウェーデンのろう教育システムでは、人工内耳を装用しようとも、ろう児と同じ様にバイリンガルろう教育が保障されているのではないですか?」と(筆者・鳥越隆士氏が:田中注)尋ねるとそうでもないとのこと.前述したように、子どもに人工内耳を選択し教育環境として手話の豊富なろう学校を選択する親もいる.しかし、ろう教育や手話についての十分な情報を親たちに提供せずに、人工内耳の手術を勧める医者があとをたたないという.「常にろう者団体として政府や医療機関に対して圧力をかけ続けていて、やっと今の状態が保たれているんですよ.」との発言.システムが出来上がっているからと言って、政府や専門家任せにせず、常に自分たちが主役となって社会を方向づけていくことが大切.

▽カナバックススコーラン:6つ目のろう学校(?)
(予算削減の為、国立から地方自治体運営立になったろう学校.国内で唯一の国立の枠から外れているろう学校ということもあるためか、いろいろな教育実践の試みがやりやすい.その1つが「人工内耳装用児の教育」である、という.:田中注)
「・スウェーデンでも人工内耳を装用する子ども達が増えてきた。バイリンガル教育を認めつつも、聴覚の活用を望む親たちが人工内耳を選択するというケースが増えている.しかしながら、ろう者団体もろう学校の教員団体も公式には人工内耳に反対してきた。その中でカナバックスろう学校だけは、積極的に人工内耳を装用したろう児たちを受け入れてきたのである。
・そのことでろう者団体や教員組織から批判を受けた.そんな経緯があるからだろう。手元にある教員組織の発行しているろう教育関係機関のリストの中に、カナバックスろう学校の名前はなく、難聴学級に分類されているのだ。
・今でもカナバックスろう学校の名前を聞くと、顔をしかめる人たちもいるという。あそこは口話法の学校だという理由らしい。ただ授業を見学した限りでは、難聴児学級とろう児の学級とに分けられているが、ろう児の学級では手話をベースにした授業を行っていた。まさしく6番目のろう学校である。
・この学校の教育実践が少しずつ評価されているのだろう。最近発行されたろう連盟の機関紙に、校長先生の写真入でカナバックスろう学校が好意的に紹介されていた。ろう団体にもやっと認知されたようだ。」

▽人工内耳装用児への対応
「・マニラろう学校でも人工内耳装用児が増えつつある。先生方にうかがうと、教員組織は現在も表向き人工内耳に反対している。しかし、実際に装用する子どもたちを目の前にして何もしない訳にはいかず、その現実への対応が迫られているとのことだった。
・私が継続して参観していたマニラろう学校のクラスにも3人の人工内耳装用児がいた。しかし、聞いてみると親たちは決して手話をベースにした教育実践に不満で、人工内耳を選択しているのではないという。バイリンガル教育の枠組みの中で、なおかつ聴覚の活用も求めているのである。スウェーデン語を眼からだけでなく、耳からも学習させたいという思いを親たちは持っている。
・2000年の訪問時、マニラろう学校の1、2年生の合同授業(選択科目の時間)で、難聴児と人工内耳装用児だけのグループが作られ、集団で音遊び(音の聞き分けなど)を行っていた。まだまだ取り組みは限定的だったが、担当していた健聴の先生は、このように難聴児だけでグループを作り、聴覚活用に関する授業を集団で行ったのは、マニラろう学校がバイリンガルろう教育に移行して以来はじめての試みではないかと言っていた。
・スウェーデンのろう学校は大きく変わりつつある。一方ではより完成したバイリンガル教育をめざしている。すなわち手話をベースとしてどのようにスウェーデン語(読み書きの力)の指導を行うかについて、理論的にも実践的にも検討されつつある。また、その一方で増加する難聴児の入学者や人工内耳装用児に対しての対応を迫られている。これまでどちらかといえば、聴覚の活用やスピーチはスウェーデンのろう教育の本流から脇に置かれてきた。それに対しても真正面から取り組まなければならない時代に入ってきたのかも知れない。」(「バイリンガルろう教育の実践」全日本ろうあ連盟出版局発行,p.77−11行目〜〜p.79−13行目)

◆2003年 日本 聴覚障害誌2月号・人工内耳特集ー山田忠博「聴覚活用からろう教育をみると」・高木明「小児人工内耳症例からみる言語発達」・渡辺真一(日本コクレア社)「人工内耳の手順と原理」・丸山剛史(新生児聴覚検査に取り組む小児科医)「新生児聴覚スクリーニング」・両角五十夫(ろう学校オージオロジスト)「人工内耳装用児の指導について」.

◇2003年 日本 支援費制度スタート.♯1
◇2003年 日本 全難聴 「難聴者・中途失聴者の理解 ケアマネジメント講座」開催.♯1

◇2003年 世界 国連ESCAP(エスカップ/アジア太平洋経済社会委員会)ワークショップ(タイ・バンコク)で全日本ろうあ連盟理事が提案した「『言語』には音声言語と手話が含まれる」という文言を採り込んだ条約草案(「バンコク草案」)が採択される.♯2  

◆2003年 日本 トータルコミュニケーション研究会(2004年度より「ろう・教育研究会」に名称変更)第26回大会にて「ろう教育に人工内耳をどう位置づけるか」をテーマに各界の立場(医師、教師、親、聴覚障害当事者)から話し合われる.

◆2003年 日本 コクレア社製人工内耳・テレコイル内蔵型スピーチプロセッサEsprit 3G保険適用

◆2003年 日本 日本学校保健会による人工内耳装用の小中学校生の実態調査:総人数121人,内訳(保健会発表の%から導いた田中概算):小学生79人+ろう学校小学部23人 (1年-約34人,2年-約16人,3年-12人,4年-約10人,5年-約18人,6年-12人),中学生15人+ろう学校中学部4人(1年-約5人,中2-約3人,中3-約11人),小中通学校在籍94人(通常級在籍数約7割、難聴学級等固定式特別級在籍数約3割)

これらのデータ(普通小学校1,2年生の割合が多い事等)から、今後普通小低学年装用児の急増化が予測された.人工内耳、補聴器を装用した難聴児たちの学校生活で困っていることについての実態調査も行い、学校での受け入れ態勢の整備が必要である実態が明らかとなった.

◇2003年6月 日本 全日本難聴者・中途失聴者団体連合会の機関誌名「福祉『真』時代」から「難聴者の明日」変更.

◆2003年5月 日本 手術病院−80,リハビリ施設−19
◆2003年6月 世界 コクレア社製装用者累計−約50,000人
◆2003年12月 世界 クラリオン装用者累計−約15,000人(内小児約4割)
◆2003年12月 日本 クラリオン装用者累計−約250人(内小児約4割8分)
◇2003年1〜12月 日本 聴覚障害誌 1月号・特集「教育改革に思う」ー小畑修一「聾教育改革に思う」・立入哉「「特別支援学校」「特殊教育総合免許」などの動きを受けて」・菅原廣一「教育改革と聾教育への期待」等,2月号・人工内耳特集ー山田忠博「聴覚活用からろう教育をみると」・高木明「小児人工内耳症例からみる言語発達」・渡辺真一「人工内耳の手順と原理」・丸山剛史「新生児聴覚スクリーニング」・両角五十夫「人工内耳装用児の指導について」.3月号・特集「社会受容」ー河崎佳子「聴覚障害者(児)の心理」・原田美藤他「松山市小中「学校生活支援員」制度」・宮下恵子「自立活動における「障害認識」の指導内容について」,5月号ー小田候朗「聴覚障害児教育とリテラシー」・阿部敬信「手話と書きことば−アメリカの先行研究から」・編集部「*トピックス:今後の特別支援教育の在り方について」,6月号・特集「交流教育」ー佐藤忠道「交流教育の進化とノーマライゼーション」・小畑修一「*聾教育の歩み(3):昭和30年代−学習指導要領の施行と早期教育・聴能教育の推進−」・「*報告:関東教育オーディオロジー研究協議会設立記念講演・シンポジウム」,7月号ー小畑修一「*聾教育の歩み(4):昭和40年代−統合教育の進展と教育体制・指導方法の変化」,9月号ー庄司和史「*実践研究:赤ちゃんの補聴器タイプの選択について」・小畑修一「*聾教育の歩み(5):昭和50年代−国際化そして聴覚障害者の社会的自立を可能にする社会システムの構築−」,10月号・特集「難聴学級・ことばと聞こえの学級」―鷲尾純一「学級参加における「支援」の意味を考える」・大崎美保「聴覚障害理解のための教材開発とそれを活用した授業」・豊田弘巳「「やさしさってなんだろう?」の試み」・大沼直紀他「*調査:聴覚障害学生の残存聴覚の活用に関する調査」・小畑修一「*聾教育の歩み(6):昭和60年〜平成6年〜情報化社会の到来、筑波技術短期大学の開学と情報技術教育の普及、聾教育への手話の導入並に国際会議ラッシュ」・12月号・特集「全日聾研・全難言協の大会」,有馬もと「聴導犬ユーザーは、また聴導犬リピーターになる」・小畑修一「聾教育の歩み(7)」.

◆2004年1月 日本 聴覚障害誌1月号・特集「教育と医学」−立入哉「ピンチにチャンスを」・三科 潤「新生児聴覚スクリーニング」・庄司和史「新生児聴覚スクリーニングとその後の早期教育について」・鈴木克美(成人当事者)「人工内耳の自己評価・補聴器から人工内耳へ」・下島かほる「WHOの障害観(ICF)から、学校環境の整備を考える」.

◆2004年1月 日本 東京医学社発行『Johns』20巻1号(医療専門家ジャーナル)にACITA会長小木保雄の文「人工内耳装用者からの声−自助活動の一環として−(2002年2月人工内耳装用者を対象に実施した第3回実態調査の結果からまとめた当時者から医療専門家への提言)」掲載.

◆2004年 6月 日本 聾教育研究会発行「聴覚障害」6月号−ろう学校実践報告大城 麻紀子「小学部の人工内耳装用児の現状と課題」,

◆2004年 日本 ろう・難聴教育研究会(旧:TC研究会)上記大会報告書「手話と人工内耳に向き合って」発行.人工内耳の位置づけを新種の補聴器(聴覚障害をなくす機器ではない,ろう者の存在を脅かす不気味な怪物ではない)として捉える考え方が示される.

◆2004年9月 世界 コクレア社製装用者累計−約58,000人(小児割合約5割)

◆2004年9月 日本 コクレア社製装用者累計−約3,160人(小児割合3割3分)

◆2004年10月 日本 手術病院−88,リハビリ施設−23,3メーカーの装用者累計総和数−3540人(メドエル社製装用者数不明)

◆2004年10月 日本 聴覚障害誌10月号・特集「難聴学級」―深江健司「全難言協全国大会(近畿大会)に参加して」・仲原美奈子(沖縄県立沖縄ろう学校)「人工内耳装用児に対する支援-医療・ろう文化・教育の観点より考えるー」

◆2004年 日本 人工内耳をテーマにした番組「NHKスペシャル 音のない世界で」(http://www.nhk.or.jp/jp-prize/past/28/post-j.html)放映.優れた教育テレビ番組の中でも特に教育的価値が高い優れた番組)として「日本賞」「総務大臣賞」を受賞した.人工内耳の移植により耳の不自由な人々の聴覚が回復する可能性が広がってきている。聴覚に障害のある我が子に移植を受けさせるか、あるがままの姿を尊重すべきか難しい選択を迫られる二組の夫婦を追ったドキュメントである.

◆2004年 日本 日本学校保健会 前々年、前年と続けて行った補聴器・人工内耳装用児童の実態調査の結果と小中学校側で必要な難聴に関する理解と必要な支援・環境整備についてまとめた冊子が完成.全国の小中学校、ろう学校に一校につき一冊ずつ配布される.

◆2004年12月 日本 武田篤氏(秋田大教育文化学部)『通常学校で学ぶ人工内耳装用耳への支援‐FM補聴システムによる語音聴取改善の検討‐』内容:ここ数年、人工内耳は先天ろうを含む小児例への適応が増え、年間手術例の半数近くを占めるに至った.装用児の通常学校への就学も増えている.従来から聴覚障害児が音声を中心とした授業を受ける際に問題となっている一つに教室の音響環境問題がある.通常級で学ぶ装用児も補聴器装用児と同様、音声の聴き取りを向上させるためにFM補聴システムの使用が推奨されているが(日本コクレア,1995;杉井,井脇,高橋ら)その効果についての検討はじゅうぶんなされてきていない.そこで通常級在籍人工内耳装用児3症例に対して、実際の教室でFM補聴器システムを使用したところ、語音聴取成績が大きく改善することが明らかになった(FM補聴器併用により第1症例は55%→85%,第2症例35%→50%,第3症例60%→85%).人工内耳装用児在籍通常学校や通常級の担任教師に理解してもらうことが課題であるが、装用児の聴き取りが話し手の距離等によって如何に制約されるかや、その克服にFM補聴器が如何に有効であるかについて客観的検査成績提示により必要性を認知してもらう.聴き取り評価を行うにあたり、肉声による67-S語表を使用.この検査法は@特別な機器がいらず簡便、A短時間で実施可能、B小学校低学年児童でも実施可能 CFM補聴システムの使用時・不使用時の比較で、使用による利点や有用性について学校側や教師に実感してもらうことができた.日本聴覚言語障害学会発行「聴覚言語障害」第33巻第2号

◇2004年1〜12月 日本 聴覚障害誌へ掲載記事(多様な指導法・情報提供等)一覧―1月号・特集「教育と医学」−立入哉「ピンチにチャンスを」・三科潤「新生児聴覚スクリーニング」・庄司和史「新生児聴覚スクリーニングとその後の早期教育について」・鈴木克美(成人当事者)「人工内耳の自己評価・補聴器から人工内耳へ」・下島 かほる「WHOの障害観(ICF)から、学校環境の整備を考える」,4月号・特集「特別支援教育」―藤本裕人「具体的な検討に入った「特別支援教育」」・安達セツ子「聾学校に通級指導教室がおかれたということ」・白井一夫「特別支援教育下の聾学校通級指導教室」・上田桂子「地域の特殊教育センターとしての聾学校を模索して」,5月号・特集「聴能教育」―大矢桂「幼稚部における聴能教育の実践報告」・半谷道子「聴覚障害児と音楽活動」・島田郁子「一人一人を見つめた聴覚活用を広げる指導(小学部)」・宇留嶋伸明「聴覚活用を考えた字幕ビデオ教材提示の工夫」・坂本多朗「現場の先生方へ:聾学校に付き添われる母御の役割と母御に期待するもの(I)」,6月号ー大城麻紀子「小学部の人工内耳装用児の現状と課題」,8月号・特集「重複障害」―塩谷治「「盲ろう」をめぐる世界のこと」・水戸聾学校小学部「重複学級の取り組み」・菅井裕行・.吉武清實「視覚聴覚二重障害教育を担当する教師の専門性」,9月号・特集「社会性の育成」,10月号・特集「難聴学級」―深江健司「全難言協全国大会(近畿大会)に参加して」・仲原美奈子「人工内耳装用児に対する支援」,11月号・特集「伝える、分かる」―岡山聾学校「分かろう・伝えようとする意欲を育むために−幼児手話辞典の作成に向けて−」・小林庸浩「パソコン要約筆記の遠隔支援に関する現状報告」・星佑子「盲ろう教育とコミュニケーション」.

◆2005年4月15日 日本 田中美郷(田中美郷教育研究所)「医療・人工内耳の観点から」 聴覚障害誌4月号

要旨:聴覚障害児教育は今世紀に入る頃から大きな変革を迫られている.在籍児の激減により聾学校は今や存亡の危機にあるというのに、その危機感を抱く教員が少ない.聴覚障害児の言語教育は聴覚活用と視覚活用に分けられる.前者についてのトピックは人工内耳の普及.補聴器のほとんど役立たない重度難聴児に聴覚活用の道を開いたのは画期的.コミュニケーションや発語面では目覚ましい改善を見せているものの言語の面からは楽観視できない.その理由は、医療側も保護者も聞こえと発音面の改善に目を奪われていること、教育側にも指導上の確固たる方法論をもたないなどの問題があるということである.

聴覚障害児に対する指導法には二つの異なるアプローチがある.一つは伝統的聴能訓練法(単感覚法)で、重度難聴児には苛酷すぎて一時顧みられなくなったが、人工内耳の登場で再浮上してきた.しかしこの方法は、子どもを情緒不安にさせたり、言語習得も容易に進まないといった例もある.聴能の発達を促すには脳の可塑性の高い乳幼児期の装着が望ましいとの理由で手術年齢を下げる主張もあり理論的に妥当性があるとしても、年齢が低いほど、聴力の正確な測定は難しく、手術による事故も増大する.子どもの将来を考えた場合に、近視眼的アプローチが妥当かどうか疑問を感じる.

重度難聴児には補聴器活用に加えて、手話や指文字も導入し、親子のコミュニケーションの円滑化と情緒の安定を図り言語発達を促し、その上で人工内耳を装着させて聴覚活用に導くという方式を提案する.これは語の意味を手掛かりにしてことばの聴覚的認知・理解の発達を促すというトップダウン方式の原理.

また、日本語の聴覚学習において、発音訓練も重要.補聴器のなかった口話法時代、聾学校には発音指導に熱心な先生がいた.発音指導の為にも日本語の音韻の知覚・認知と産生の発達を促す為にも、聴覚と筋運動覚を一体として考える方法、先人の残したオーソドックスな発音訓練を取り入れた方法の復活を提唱する.

 ○岡田俊惠(大阪府立堺聾学校)「いま乳幼児教室に要るもの」
   従来の来談は1歳半健診後.新生児聴覚スクリーニングが実施されるようになってから0歳の赤ちゃんが通ってくる事例が増加.早期教育の点では評価できるが、「赤ちゃんに(そんな早くから)何ができるか」という課題.何かが出来ると確信するが、そのために乳幼児教室に何が要るか?

(a).悲嘆から回復に向かう家族を支援する相応の器量(人柄・資質),
(b)赤ちゃんの諸発達を観る目,
(c).補聴器適合・装用援助等発達的知見に基づいた聴覚補償サービス,
(d).多様な障害に対応できる知見と技量,
(e).より早い障害発見に対応する為の教育・医療・福祉機関の連携.諸機関統括センター的役割の自覚.

★これまでの聾教育のノウハウだけでは対応できない、新たな知見・技量が求められている.いまは聾教育の伝統を掘り起こしつつ、専門性を「創る」ことが求められている.

 ○藤本裕人(国立特殊教育総合研究所)「教育研究の立場から」
  学校や教師の役割と聴覚障害教育の課題、実践研究の時代的意味づけ、研究結果の解釈に関する課題をあげる.

◆2005年 日本 国会にて障害者自立支援法成立 人工内耳の医療費が応能負担から応益負担となる.自立支援医療:身体障害者手帳を有する18歳以上対象(小児の場合の確認必要),術前申請.人工内耳手術入院・通院での自己負担は1割(高額療養費限度額は7万2,300円)、食費は実費.

◆2005年 オーストラリア コクレア社製人工内耳 デュアル・マイクロホン内蔵型の防沫スピーチプロセッサ(世界初)Freedomサウンドプロセッサを発表.

◆2005年7月 日本 全日本ろうあ連盟・ろう教育の明日を考える連絡協議会は同協議会発行『日本の聴覚障害教育構想プロジェクト最終報告書』の中で人工内耳についてコメント.「〜1990年代、人工内耳手術が幼児にも適用されるようになり、聴覚口話法の理念・方法をより徹底したものとして、人工内耳が広まりつつある。ここに、聴覚障害教育が、手話と人工内耳の二極に分解するのではないかと危惧される事態となっている。/だが、冷静に人工内耳の効果や意義が評価されるにつれ、人工内耳は『聴覚障害』そのものを解消する魔法の機器ではなく、また聴覚障害者に敵対する怪物でもないことが明らかになってきた。『人工内耳は補聴器の一種である』という認識が受け入れられつつあり、その上で、人工内耳と手話の共存が、今後の課題として登場している。/つまり、聴覚口話法(人工内耳)と手話は、二者択一でもないし、互いに他を否定するものでもないことが明らかになりつつある。」

◆2005年7月 日本 聴覚障害誌7月号・特集「人工内耳」―大沼直紀「筑波技術大学の開学−聴覚障害者のための高等教育の継承・革新・共有-」・榎文子「人工内耳の基本原理」・氏田直子「ST側の療育の立場から」

◆2005年8月 日本 手術病院−91,リハビリ施設−24(※数字はACITA会報の毎号巻末掲載の一覧表からの抜粋である.2004年迄は病院名、施設名が通し番号付で掲載されていたがこの年から地域別一覧となり番号が消える.

◇2005年10月 日本 障害者自立支援法 制定.(施行開始06年4月)♯1
◇2005年 日本 聴覚障害誌1〜12月号、「多様な指導法・情報保障等」掲載記事一覧 3月号・特集「聴覚の活用」―廣田栄子「根拠に基づいた教育・療育」・庄司達夫「聴覚障害児の理解のために−補聴器・補聴器援助装置・補聴器交付について」・中井弘征「幼稚部における聴覚学習−聴覚学習の考え方と指導の実際−」・宮澤 則子「幼稚部の音楽リズムについて」,4月号「聾教育の課題と展望」特集のうち、医者の立場からの意見:田中美郷「医療・人工内耳の観点から」掲載,報告文・横山 知弘「文字放送表示システムの導入について」,6月号・特集「情報教育」―田村順一「聴覚障害教育と情報化」・太田弘美「自ら学び自ら考える力を育てるために−「デジタル教材」作成の試み−」・加藤友仁「生活に生かせる視覚情報活用能力を育成する」,7月号・特集「人工内耳」―大沼直紀「筑波技術大学の開学−聴覚障害者のための高等教育の継承・革新・共有-」・榎文子「人工内耳の基本原理」・氏田直子「ST側の療育の立場から」,*報告・立入哉「University of Colorado, Bouder 障害者学生支援センター訪問報告」,8月号ー*研究・田中美郷「我々の臨床からみた聴覚障害乳児に対する早期療育支援の現状と課題」,9月号・特集「地域支援」―斎藤佐和「センター的機能の多様な在り方−特別支援教育特別委員会の議論を踏まえて−」.

◆2006年2月 日本 聴覚障害誌 両角五十夫「オーストリアの人工内耳事情-コクレア社のHOPE International Network Programme に参加して」

◆2006年3月 日本 全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会発行『きこえとことば研修テキスト(初任者入門テキスト)』に「人工内耳」の説明が入る.主に構造、適応について500字程度にまとめた文である.

◆2006年 日本 聴覚障害誌9月号 今月の言葉:グレッグ・リー「新時代の聴覚障害児教育−早期発見、人工内耳、コミュニケーション手段の多様化−」

◆2006年4月 日本 障害者自立支援法施行、人工内耳治療費(機器,入院費,通院リハビリ費用)にも適用.

◆2006年 日本 厚生労働省 コクレアN24新インプラント認可
◆2006年 日本 厚生労働省 メドエル(オーストリア)コンビ40+(人工内耳システム)認可

◆2006年6月 世界 コクレア社製装用者累計−約76,000人(内小児約5割)
◆2006年6月 日本 コクレア社製装用者累計−約3900人(小児割合:3割6分)〜コクレア社以外不明〜

◆2006年8月 日本 手術病院−92,リハビリ施設−27
◆2006年 日本 日本耳鼻咽喉科学会 人工内耳の適応の新基準が示される.「18ヶ月以上」で「両耳90dB以上感音性難聴」の「小児、又は重複障害児(聴覚障害の他に知的障害,視覚障害,肢体不自由,病弱の何れか1つ以上を合併する子ども)」で「聴覚補償が有効であると予測」「聴覚を主体として療育を行うため医療機関、教育機関、家族の総合的支援が得られると予測」できる場合が適応児と見なされる.

 ※日本耳鼻員脳科学学会HP「小児適応基準」欄参照
 (http://www.jibika.or.jp/admission/kijyun.html)
 ※同HP「小児適応基準見直しの概要と解説欄参照 
(http://www.jibika.or.jp/admission/kijyunminaoshi.html))

◆2006年9月 日本 聴覚障害誌9月号 グレッグ・リー「新時代の聴覚障害児教育−早期発見、人工内耳、コミュニケーション手段の多様化−」掲載.

◆2006年10月 日本 障害者自立支援法地域生活支援事業施行.高額療養費限度額が7万2,300円から8万100円に上がる.

◇2006年12月13日 世界 第61回国際連合総会で言語の選択と使用を保証する文言も入った「障害者権利条約(21世紀初の国際人権法に基づく人権条約)」が採択される(発効2008年).♯2

◇2006年1〜12月 日本 聴覚障害誌1〜12月号「多様な指導法・情報保障等」掲載記事一覧.3月号・特集・福島徹「ことばの教室担当者による難聴児童の在籍学級及び教職員への難聴理解のための授業と研修会の実施」,4月号ー福岡県立小倉聾学校・特別支援教育部「特集:地域センター的役割を担う学校作りの課題」,5月号・特集「地域との連携」―田村悟・望月立弥「きこえとことばの相談支援センターについて」・沓掛英明「聾学校の地域化と学校運営」,7月号・特集「情報機器」―横尾俊「情報教育と情報格差」・愛知県立名古屋聾学校・図書情報教育部「情報機器の活用について」,8月号・特集「APCD2006を前にして」ー大沼直紀「聴覚障害教育の専門性の継承・確信・共有」・第9回アジア太平洋地域聴覚障害問題会議,八田徳高「*研究:APD(聴覚情報処理障害)への教育オーディオロジーからのアプローチ」,9月号・グレッグ・リー「新時代の聴覚障害児教育−早期発見、人工内耳、コミュニケーション手段の多様化−」

◆2007年1月 日本 聴覚障害誌1月号−水島宣子(ろう学校卒業生)「人工内耳装用2年(体験記)」,

◆2007年2月 日本 聴覚障害誌2月号−アジア太平洋地域聴覚障害問題大会の特集. グレッグ・リー氏「早期自己認識、人工内耳、コミュニケーションの多様性」

◆2007年 日本 洗足学園音楽大学内に松本祐二・丸山典子らによって、音楽感受研究室(研究機関)が設置される.人工内耳装用者の音楽聴取についての研究を行っている.

(沿革)当研究室の母体は、1998年、同大学に岡田知之・松本祐二らによって発足した大学内打楽器研究所.打楽器の研究をする中で松本は2001年に打楽器音と人工内耳の関係性に着目.それ以後、打楽器に限らず様々な楽器・音楽と人工内耳についての研究を始め、同研究所内に「ミュージックラボルーム」を開設.2007年、「洗足学園大学打楽器研究所」より独立し、「洗足学園音楽大学音楽感受研究室」開設に至る.

   (研究成果)2005年、日本私立学校振興・共催事業団の学術研究振興資金援助対象研究に「人工内耳装用者の為の音楽感受向上法の研究」採択.2009年・2010年・2011年には、日本音楽療法学会学術大会において口述発表に採択される.

   (演奏会)以下のような「音楽完寿研究室コンサート」を開催.
     ・「音楽を聴きに来ませんか」
人工内耳装用者や聴覚に障害を持つ人対象のコンサート
・「音楽で遊びませんか」
人工内耳装用児や、聴覚に障害を持つ子ども対象のコンサート
・「届けたい きみの耳に 音楽を!」
人工内耳メーカー.・日本コクレア社と合同開催コンサート.洗足学園音楽大学に足を運ぶのが難しい遠方者対象.全国各地で開催.

◇2007年度  日本 「特殊教育から特別支援教育へ」という新しい理念に基づく教育開始

◆2007年 日本 厚生労働省 コクレア社製人工内耳・防沫型サウンドプロセッサー保険適用認可.

◆2007年3月 日本 上農正剛(九州保健福祉大学 )「聴覚障害児の言語獲得における多言語状況」(『Core Ethics』 vol.3)
◎本稿において上農氏は、人工内耳治療が導入されて10数年経た現在、新生児聴覚スクリーニングの浸透の影響もあり、装用児急増・人工内耳浸透拡大といった傾向をろう教育の危機として以下のような懸念があることを訴えている.

▽聴覚障害児に対する医療と教育はこの数年、様々な意味で過渡期に差し掛かっている。医療の領域では1998年に厚生省(当時)により試験的導入が開始された新生児聴覚スクリーニング検査の実施により、出生直後の新生児の聴覚障害の早期発見が可能になった。そして、それは必然的に聴覚障害児に対する最早期養育を要請する結果となった。聴覚障害児医療はこの要請に対し人工内耳という新たな医療技術で応えようとしている。このスクリーニングによる早期発見から人工内耳への誘導という一連の流れは「早期発見・早期治療」という医療概念により創設された新たな聴覚障害児医療の「市場」とも言える。これは聴覚障害児に対し、あくまで音声言語の習得を目指させる従来の取り組みの更なる強化、推進である。聾学校等の教育現場や聴覚障害者当事者からは、人工内耳浸透拡大傾向に懸念の声もあがっている。なぜなら、聾教育に携わった教師やその影響を被った聴覚障害児たちは、音声言語を絶対視した口話法という教育の問題性を経験的に認識しており、この数年はその反省、改善が聾教育の主要な課題だったからである。そうした立場からは、この傾向は音声言語のみを絶対視するかつての口話法的理念への回帰、退行にも見える。医療側は人工内耳の技術の有用性を強調する「成果」を積極的に公表しており、その実施数は年々増加しつつある。新たな救済策を選択する保護者も急増しているのが現実であるが、「成果」について検討が要る。人工内耳の限界性、制限性が医療者にどこまで明確に認識されているか、医療者の認識状態の結果として、選択する際の最終責任者である保護者がその限界や制限についてどこまできちんと理解した上で人工内耳の埋め込みを選択、決断しているかということである。つまり、保護者は人工内耳という医療技術に関する情報をどこまで遺漏なく正確に説明された上で、それを選択しているのかという「インフォームド・コンセント」の問題がある。

◆2007年 日本 「聴覚障害」2月号 ろう学校教育オージオロジストの報告記「オーストラリアの人工内耳事情−コクレア社インターナショナルネットワークプログラム参加記録」掲載

◆2007年6月末 世界 コクレア社製装用者累計−約88,000人(小児割合:約5割)

◆2007年6月末 日本 コクレア社製装用者累計−約 4,350人(小児割合:約3割9分)

◆2007年8月 日本 人工内耳友の会[ACITA]の会報特集号として『がんばれ!いんぷらきっず2』発行.装用児と保護者の体験談集.6年前発刊の第1弾の続編15組、この号が初編となる27組の親子の体験談集.

◆2007年 アメリカ ハーラン・クレイン(心理学・言語学・社会学の学者(聴者)でろう文化運動の論客、ノースイースタン大学教授)は『善意の仮面』の中で、ろうを治すべき損傷と捉えて人工内耳を強制し、手話を否定して音声言語社会への同化を迫る聴能主義を批判.
「人工内耳手術を受けた子どもは、訓練によっていくらか聴者の言葉を分別できるようになるかもしれないが、聴者のように自由に音声を聞き分け、聴者世界で聴者のように自由に振舞えるようになるわけではないのみならず、ろう社会で自由に振舞うために不可欠な「ろう者の手話」の学習と、ろう社会の基本的な価値観の習得に失敗する危険が高い。子どもが音声と手話のいずれのコミュニケーション手段も全く身につけずに成長するとしたら、それは言語能力に致命的なダメージを与えるかもしれないゆゆしきことであり、アイデンティティ問題はいうまでもなく、悪くすると精神的適応や精神保健の問題すら抱え込む恐れすらある。」

◆2007年 スウェーデン 2000年以降バイリンガルろう教育は大きな変革の時期を迎えているとされる.
  理由の一つ目はろう学校で学んだ子供たちの成績が予想以上に悪かったことである.具体的には、中学卒業学年の学力が高等学校進学許可レベルに達している生徒の各中学毎の割合の平均90%であったのに対し、ろう学校生に限ると40%程度だったことから、スウェーデンのバイリンガルろう教育も、完璧なろう教育のシステムとは言い難いことが判明した.
  二つ目の理由は、近年、重度聴覚障害児の人工内耳装用率が激増、新生児においては9割が装用手術を受けている為、聴覚活用が可能な聴覚障害児の数が増え、聴覚障害児のろう学校への進学率が下がっているということである.
三つ目の理由として、既存のろう学校に対しても聴覚活用へ要求が強くなっており、聴覚口話法と手話法の両方の選択肢を用意しているろう学校も存在するということがあげられる.
  1983年のバイリンガルろう教育導入以降は20年間、音声言語の発声を同時に行う同時法手話(音声言語対応手話)のろう学校での使用は公的には禁止されていたが、人工内耳装用の一般化に伴う聴覚活用ニーズの高まりとともに解禁された.(鳥越隆士『ろう教育の明日』「バイリンガルろう教育1」「バイリンガルろう教育2」; http://www.edu.hyogo-u.ac.jp/torigoe/sweden1.pdf; http://www.edu.hyogo-u.ac.jp/torigoe/sweden2.pdf

◆2007年 イギリス 英国聴覚障害児協会他「人工内耳手術を受けた子供のその後に関する調査」公表.
13-17歳の生徒たち(その多くは人工内耳手術を受けて7年間程度経過している)は、圧倒的に人工内耳にポジティブな評価を行っている. この調査は、イギリスの2つの人工内耳センターで教育されている生徒から128名を無作為抽出し、回答のあった約30名の意見をとりまとめたものである.
概要 「生徒の3分の2は音声言語を選好し、3分の1は音声言語と手話を選好.相手によって音声言語か手話かを柔軟に使い分けできる生徒が大半である」  「会話が家族に『常に又はほとんどの場合に』理解されていると感じている生徒が回答者の約3分の2」  「生徒は、聴こえない世界と聴こえる世界の両方に所属していると感じており、そのことをポジティブに受け止めている」  「人工内耳に対する生徒たちの感想は圧倒的に良いものであり、人工内耳の決定は正しかったと感じている」 「(自己決定できない時期に)人工内耳手術を選択した親を批判的に見ている生徒は回答者の中には皆無」であった.

◇2007年1〜12月 日本 聴覚障害誌 「多様な指導方法・情報保障等」関連記事一覧.1月号−「人工内耳装用2年(ろう学校卒業生体験記)」,2月号−アジア太平洋地域聴覚障害問題.グレッグ・リー氏「これからの聾教育:早期自己認識,人工内耳,コミュニケーションの多様性」,3月号ー細田 和久「特別支援教育における寄宿舎の意義と役割について」,6月号・特集「特別支援教育における聴覚障害教育」,7月号・特集「難聴教育」―編集部「第36回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会(東京大会)に参加して」・田原佳子「きこえない・きこえにくい子どもが自己肯定感をもって学校生活を送るための支援−自己認識に関する学習とピア・グループ支援−」,8月号・特集「地域との連携」ー斎藤佐和「地域の中の聾学校」・橋晶子「通級指導教室における難聴児の指導の実際−聴覚障害理解啓発のための取り組み−」・田中聡「開かれた学校作りと新しい学校組織−教育相談からセンター的機能へ−」・原田美藤「聾者の体験をゲーム感覚で」,9月号ー宮井清香・広瀬信雄「ロシアのろう教育における手話−ろう教育概史とロシア手話・指話法−」,10月号・特集「高等教育支援」ー大沼直紀「聴覚障害者の高等教育の課題」・白澤麻弓「大学における聴覚障害学生への支援−現在の到達点と体制向上にむけた働きかけのポイント−」,11月号・廣田栄子「乳幼児教育相談と新生児聴覚スクリーニング」.

◆2007年度末 世界 人工内耳装用者累計総和:約141,000人(コクレア社のシェア率約7割, メドエル社を含むかどうか不明)

◆2007年度末 日本 全人工内耳装用者累計総和:約5,200人(コクレア社のシェア率約9割メドエル社を含むかどうか不明)

◆2007年 日本 手術病院−94,リハビリ施設−27
◇2007年9月28日 日本 国連総会で採択された障害者権利条約(21世紀で初の国際人権法に基く人権条約で手話言語の選択と使用を保証する文言も入ったもの)に署名するも、日本障害者フォーラム(JDF:JAPAN Disability Fourum,日本国内の障害者団体で構成されている機関)は障害者制度改革がないままの形式的な条約批准への反対もあり、2011年現在に至るまで批准は見送られている.♯2(ウィキペディアによると世界195か国中、批准国は106か国)

◇2007年 世界 国際連合は国連総会で採択された国連障害者権利条約の中で締結国に義務付けている「障害者の権利実現のための立法措置(手話の使用を認め、促進することも含まれた措置)」の実現促進のために、『(立法者である)議員のためのハンドブック』を作成.参考例として手話を認知している国(フィンランド、ニュージーランド、ハンガリー等)を紹介.♯2

◆2008年 1月 中国 人工内耳の独自開発.
新華社ウェブサイトでは、中国での人工内耳治療について以下のように伝える.

「中国は完全に独自の知的財産権を持つ人工内耳を上海で発表.オーストラリア、米国、オーストリア等、数カ国による技術独占状況を打破、価格は他社製品の半額以下となる見込み」
「中国には現在2000万人以上の聴覚・言語障害者がいる.うち重度の聴覚障害者は約800万人で、毎年3万人前後の先天性聴覚障害児が出生している.
重度、極重度の聴覚障害の聴覚回復において、人工内耳は現在世界的に認められている唯一の効果的技術.内耳内に長期間埋め込むことができ、音声と電気信号の変換装置によって、蝸牛殻内の失われた有毛細胞の機能を代替し、聴神経を直接刺激することで、大脳に再び聴覚を生じさせる.
聴覚障害者に福音をもたらすこのハイテク製品は、3〜4カ国による独占状況が続いてきたが、中国科学院の院士で復旦大学附属眼耳鼻咽喉科病院の王正敏教授らは、10年近くの研究を経て、独自の革新技術と特許を持つ中国初の『多重チャンネルプログラム型人工内耳』を開発、世界の先端レベルに達し、3年近くの努力を経て、環境音、母音、子音に加え、中国独特の発音の「四声」も聞き分けられるものとなった.
同技術は安定性と量産面の難関を突破し、年間2000セットを生産できる見込み、価格も製品化されればオーストラリアやアメリカの製品の半額程度になる」

「人民網日本語版2008年1月15日号」; http://japanese.dl.gov.cn/jpinfo/189927_282329.htm

◆2008年3月 世界 コクレア社製装用者累計−96,000人(小児約5割),世界では両耳装用の効果(成人・小児共)についての臨床研究進行.

◆2008年3月 日本 コクレア社製装用者累計− 4,350人(小児約3割9分)
◆2008年3月 日本 人工内耳友の会―東海―編集「がんばれ!いんぷらきっず2」 人工内耳友の会[ACITA]発行.全42編中、今回は新たに27編の新しい方の体験談を掲載.前回投稿出来なかった方の今までの記録や、お子さんご本人の思いや、2006年までに手術した最近の幼児の体験談もある.編集にあたった人工内耳友の会-東海-のHPでは、当冊子を以下のように紹介.
今回、新規に書いてくださった方の体験談は、まだ手術をしたばかりのお子さんの事例もあり、最近の様子として参考になるかと思います。私たちが昔知りたくても知る事ができなかったことが、この体験談に凝縮されています。みんな家庭で悲しみやつらさを体験し、そしてそれを乗り越え、親も子も共に頑張っています。私たちがたどってきた道を、皆さんのご家庭での育児や教育の参考にして貰えれば幸いです。少しでも参考になり、共感し、心が楽になればうれしい限りです。我が子に対する想いを綴った記録として、子供に捧げるパパ・ママからのラブレター☆それぞれのストーリーです。君達の幸せを祈りつつ・・・。

◆2008年4月 日本 バイリンガル・バイカルチュラルろう教育を行う明晴学園開設(幼稚部・小学部のみ.中学部は2010年に開設).文部科学省認可のもとで日本語とは異なる文法を持つ日本手話を母語として教育を行う唯一のろう学校.日本手話で言語の基礎力を築いた後、第二言語として書記日本語獲得することを目指す.開校後の報告として、聴覚活用を必要としない学校生活を送る中、子どもたちは自然に補聴器を装用しなくなっている、と同学園公式ウェブサイトで紹介.補聴器や人工内耳の使用に反対したり規則で禁止したりしていないとも明言しているが「聞こえない子に音によって言語を習得させようとするのは、自然な言語の獲得を阻害するだけでなく、子どもの正常な発達も妨げるおそれがあり…明晴学園にかかわる多くの成人ろう者は、過去のろう教育が作り出したこの問題の深刻な被害を受けてきました」との記述からも、ろう者が聴覚口話を活用したコミュニケーションをとることに対し、理念として反対の見解を持っていることがわかる.同学園の母体は、1993年にDプロ(ろう文化の尊重を訴えて)設立に至る運動から独立する形で1998年にできた組織で、翌年「全国ろう児をもつ親の会」の支援も受けて、日本手話で教育を行うフリースクール「龍の子学園」の開設、2008年4月に、幼稚部と小学部をもつ文部省認可の「明晴学園」へと発展してきた経緯からも、同学園がろう教育実践の上で補聴器を必要とせず、人工内耳については疑問視していると言える.

◇2008年5月3日 世界 国連「障害者権利条約(21世紀初の国際人権法に基く人権条約)」発効.

条約は21世紀では初の国際人権法に基く人権条約であり、2006年12月13日に第61回国連総会において採択された。日本政府の署名は、2007年9月28日であった。2008年4月3日までに中華人民共和国、サウジアラビアも含む20ヵ国が批准し、2008年5月3日に発効した。2011年12月3日現在日本国は批准していない。2011年12月3日現在の批准国は106カ国

◆2008年7月 聴覚障害誌7月号・特集「聴覚障害教育と言語聴覚士」(人工内耳関連記事)ー深浦順一(言語聴覚士)「言語聴覚士の現状と聴覚障害教育へのかかわり」・富沢晃文「言語聴覚士の職能と求められる資質−聴覚障害児教育との接点から−」・市橋詮司「言語聴覚士に求められる資質」・中瀬 浩一「聾学校教員の立場から見た言語聴覚士に対する期待と課題−聾学校に言語聴覚士は必要か?−」・上前牧「北米の教育オーディオロジーにおけるオーディオロジストの役割」

◆2008年9月 聴覚障害誌9月号・特集「乳幼児教育」(人工内耳関連記事)ー佐藤操・佐川透・藤森直子「秋田県における新生児聴覚スクリーニングの現状と本校における聴覚障害乳幼児への支援」

◆2008年 日本 ACITA会報11月号で紹介の手術病院数−93,リハビリ施設−26(但し2007年4月現在数. 2006年までACITA会報で紹介され続けてきた手術病院とリハビリ施設の一覧表だったが、2007年途中から掲載中止.久しぶりに掲載されたが2007年4月の情報.病院数、施設数とも以前より1減少.)

◇2008年1〜12月 日本 聴覚障害誌「多様な指導法・情報保障等」掲載記事一覧.3月号・特集「重複障害」ー中澤惠江「重複障害,そして盲ろうの子どもたちに−特別支援学校にのぞむこと−」,4月号・特集「コミュニケーション」―福田佳子「言語習得とコミュニケーションの広がりを目指した取り組み−「同時法」をめぐって−」,5月号・特集「筑波技術大学を考える」,6月号・特集「発達障害」―濱田豊彦・大鹿綾「聾学校における発達障害の調査から見えてくるもの」,7月号・特集「聴覚障害教育と言語聴覚士」ー深浦順一(言語聴覚士)「言語聴覚士の現状と聴覚障害教育へのかかわり」・富沢晃文「言語聴覚士の職能と求められる資質−聴覚障害児教育との接点から−」・市橋詮司「言語聴覚士に求められる資質」・中瀬浩一「聾学校教員の立場から見た言語聴覚士に対する期待と課題−聾学校に言語聴覚士は必要か?−」・上前牧「北米の教育オーディオロジーにおけるオーディオロジストの役割」,9月号・特集「乳幼児教育」ー佐藤 操・佐川透・藤森直子「秋田県における新生児聴覚スクリーニングの現状と本校における聴覚障害乳幼児への支援」・岩本眞千子「0・1・2歳児の教育」・庄司和史「聴覚障害乳幼児の補聴器装用開始時の支援について」

◆2009年2月 中国 「北京市身体障害児童リハビリ補助暫定法」により、009年から毎年約4200万元が障害を持つ児童のた補助されるようになった。この政策によって、約2万人余の障害児がリハビリなどの恩恵を受けることができ、7歳未満児の人工内耳手術の20万元(約260万円)近くの費用のすべても公費で支払われるようになった.2月12日北京同仁病院で人工内耳手術をした2歳の少女・趙思文ちゃんは、2月24日午後に同病院のヒアリング能力センターにて人工内耳機能の評価をおこなった.「愛する子どもの聴力が回復するかもしれない」と両親の表情には希望と喜びが満ち溢れている(北京市身体障害者連合会・市衛生局・市教育委員会・市財政局共同発表).
http://www.excite.co.jp/News/china/20090225/Searchina_20090225086.html?tbpage=1

◆2009年3月 日本 人工内耳友の会「オレンジ デイズ〜人工内耳を装用した中高大学生たちの想い〜」発行

◆2009年3月 日本 坂本 徳仁(当時立命館大学大学院先端総合学術研究科立命館大学衣笠総合研究機構研究員)「人工内耳装用児におけるリテラシー・言語・学力」を発表.『Core Ethics』 vol.5
研究の背景・目標)アメリカの学力調査で、高校卒業時点で約半数の聴覚障害者の読み能力が4 年生未満の水準にある実態が明らかになった。年齢が上がるほと健聴児に比べて学力差が開くということも指摘され(Traxler 2000)ている状況下で、人工内耳(CI)装用児童が急速に増加。CIは補聴器に比べて補聴効果が高く、音声言語がよく聴こえるようになるため、聴覚障害児童の言語能力や学力の向上に効果があると期待されている。とはいえ、CI装用児が健聴児や補聴器装用児に比べて、どの程度の学力や言語能力を獲得できるのか、教育において使用されたコミュニケーション方法はどう学力に影響するのか、統合教育はCI装用者・補聴器装用者間で違いをもたらすか、のデータ分析もなく“人工内耳の効能”が期待されるというのは健全でない。より多くの情報が聴覚障害児と家族、聾教育に携わる実務家、研究者の間で共有されることを目標とする。

研究内容)人工内耳装用児の学力やリテラシー(読み書き能力)に関する諸研究の成果の概観

研究方法)人工内耳装用者のリテラシーと学力を巡って海外で為されてきた計量的手法に基づく研究を収集・分析し、それらの研究成果に よって現時点で明らかにされたこと、ないし示唆されることを概観。

先行研究※で明らかとなったこと)
※2000年から開始したスコットランド在住の聴覚障害児童の学力  データを整備するプロジェクトによる研究.Thoutenhoofd(2006)の執筆時点で、1752名もの聴覚障害児のデータが含まれた.

@人工内耳が補聴器に比べて学力向上効果があるかは疑わしいが、人工内耳装用児が統合教育を受けている場合は、他の教育方法を選択している聴覚障害児童に比べて学力向上効果が認められる可能性がある。
A人工内耳装用児も非装用児同様に年齢とともに健聴児との学力の差が拡大する傾向にある。
B人工内耳の早期介入には学力向上効果があるかもしれないが、 その効果を確定できる段階にはない。
C人工内耳を常用している者ほど学力が高いかもしれない。
D音声言語による早期教育や集中教育プログラムには学力向上効果が 認められるかもしれないが、現段階では不明である。
E手話言語と音声言語を併用することが人工内耳装用児童の言語発達の妨げになる可能性があるが、現段階では不明である。

  上記6つの事項が現時点での人工内耳装用者の学力を巡る諸研究の到達点である。人工内耳がやり方次第では言語獲得や学力の向上に大いに役立つ可能性があることを示唆しているものの、本当に早期埋め込みや早期教育が有効であるのか、統合教育は分離教育よりも優れているのか、手話言語を併用した教育はどうなのか、人工内耳は常時装用した方がいいのか、といった諸問題に先行研究は明確な回答は出せない。
  前述のように、先行研究には限界と問題点があり、今後、実証的研究で為されるべきこと、改善すべき点についての検討が必要。最後に、本稿で触れられなかった点や留意すべき点を列挙し、生産的かつ建設的な議論の場を醸成するために何が必要かを考察する。

考察)
  第一に、本稿では音韻意識に関する研究を紹介しなかったが、その理由は聴覚障害者の音韻意識に関する研究の活発さに比べて、人工内耳装用者の研究がほとんど為されていないためである。今後、心理学・言語学の知見に基づいた実証的研究がより多く為されることが必要。
  第二に、口話主義と手話主義の不毛な論争については、いくつかの技術的な点から再検討されるべきかもしれない。もし、目標に共通する部分があって、それを達成するための手段に関する対立であるのなら、データに基づいた分析及び質的調査に基づいて議論を構築していくことが生産的・建設的議論を生み出すだろう。手話が全てのろう者の生まれながらの母語であるべきだ、という強固な信念にまでは至らず、単なる学力やコミュニケーション向上の一手段として手話の有用性を主張する人達は、計量的手法や質的調査に基づく分析の結果を知ることで、より有意義な議論の場をもつことができる。
  第三に、黒田(2008)で触れられているように、補聴器の場合には得られなかった形で、人工内耳は親子間コミュニケーションを改善する効果があるのかもしれない。聴覚障害者の両親の9 割は健聴者であることを考えると、自然言語としての手話によるコミュニケーションを全ての聴覚障害児に求めることは困難であると思われる。「人工内耳は満足できるものである」と装用者の多くが回答している調査結果(Wheeler, et al. 2007)もあるように、期待されている言語獲得や学力向上効果以外に、人と人とのつながりを促進するという重要な機能を人工内耳がかなりの程度補助しているのかもしれない。
  最後に、本稿で提示された未解決問題や研究課題を克服するために、多くの人々の努力が必要で有意義な行動を起こしてくれることを望む。筆者も諸問題解決に貢献したい。

◆2009年6月 日本 NHK教育テレビ「ろうを生きる 難聴を生きる」で『知っていますか?人工内耳"ありのまま"』『知っていますか人工内耳"ありのまま"(2)』の放映.近年、人工内耳の手術を受ける人が増加している反面、正確な情報が広く普及していにない状況にあること、手術後、言語聴覚士による人工内耳の調整(マッピング)とリハビリの必要なこと、事例の紹介、周囲の人工内耳の受けとめ方等が紹介される.
(http://www.nhk.or.jp/fukushi/chokaku/backnumber/2009/906.html#20090614)

◆2009年7月 日本 「言語聴覚研究 第6巻第2号」(言語聴覚士協会 学術専門誌)にシンポジウム『テクノロジーの進歩と聴覚臨床』特集内『教育臨床における補聴器・人工内耳・FM補聴器の活用(愛媛大教授 高橋信雄)』で、技術革新に支えられた人工内耳著しい進歩発展に支えられてきた事実とともに補聴器と比較しての問題として、事前の効果確認ができないこと、両耳装用が日本では少ないこと、最新機種でも故障(汗対策、製品の良・不良のバラつき)が多いことを指摘.聴神経切断の場合は聴性脳幹インプラント・聴性中脳インプラント適用対象.課題として聴こえにくさの問題は機器による解決だけでなく周囲の理解を促す啓蒙活動が必要.

◆2009年 日本 全国難聴児を持つ親の会代表者研修会「人工内耳」をテーマに開催

◆2009年 日本 上記親の会会報「べる」9月号上記記録掲載「聴こえるってそういうことなんだ!」

◆2009年 日本「聴覚障害」10月号 人工内耳特集 記事5本(「幼児への適応と評価」「からだ・こころ・ことば そして人工内耳」「最近の知見」「幼稚部装用児(4歳7カ月装用開始児)事例)」「小学部事例(日記から育ちを見直す)」)

◆2009年 日本 ACITA会報5月号で紹介の手術病院数−93,リハビリ施設−26(但し2007年4月現在数)

◆2009年5月末 日本 手術病院−97,リハビリ施設−30(ACITA会報2010年2月号掲載)

◆2009年 日本 厚生労働省 コクレア社製人工内耳Freedomを保険適用認可.

◆2009年7月 中国 2011年までに聴力障害児1500人に人工内耳予算化,医療援助に4億元投入
中国国際放送局によると、「中国では貧困家庭の聴力障害児に対する大規模な医療援助プロジェクトが6日にスタート.中国身障者連合会によって実施され、投資額は4億元(約50億円)に達する.このプロジェクトは、2009年から2011年までに1500人の聴覚障害児に内耳移植、2012年末までにリハビリ終了を目標にしている.その他、9000人の聴覚障害児に無料で補聴器を配る」とのこと.中国では「1988年から、政府は聴力障害児治療を国家発展5カ年計画に取り入れ、各界からの援助を受けて計画を進め」「2006年、身障者に対する抽出調査の結果、6歳までの聴力障害児の数は13万7000人、ほとんどが補聴器やリハビリを通じて回復した」とのこと.中国国際放送局サイト: http://japanese.cri.cn/881/2009/07/06/1s143077.htm

◆2009年10月末 世界 人工内耳装用者累計総和:約157,000人(メドエル社製を除く)

◆2009年10月末 日本 人工内耳装用者累計総和:約  5,700人(メドエル社製を除く)

◆2009年10月 日本 聴覚障害誌10月号・特集「人工内耳」―樋口恵子「人工内耳の幼児への適応と評価」・古川郁子「からだ・こころ・ことば そして人工内耳」・福島邦博「人工内耳についての最近の知見」・山中健二「幼稚部での人工内耳装用児の育ち−4歳7ヶ月で人工内耳を装用した事例を通して−」・山本晃「小学部での人工内耳装用児の育ち−A児の50冊の日記を読み直して−」

◆2009年11月 日本 東京大学医学部耳鼻咽喉科 小児の両耳装用治験者募集

◆2009年11月・12月 日本 NHK教育テレビ「ろうを生きる 難聴を生きる」『人工内耳・各地に誕生する「自助活動」』放映.聴覚障害者間で急速に普及している人工内耳の現状について伝える.
顕著な効果がでるケースがいる一方で、期待した効果が出ない人もあり個人差が大きいこと、長くリハビリが必要なことが浮き彫りとなったことを紹介.全国各地で当時者同士のメンタルサポート・自助活動が行われていることや、その重要性についても紹介.http://www.nhk.or.jp/fukushi/chokaku/backnumber/2009/911.html#20091129

◇2009年1〜12月 日本 聴覚障害誌「多様な指導法・情報保障等関連記事」−1月号・特集「センター的機能」―玉木健治「聾学校の果たすべきセンター的機能とは」・5月号・特集「ことばを支える」―斎藤佐和「「ことばを支える」そして「ことばに支えられる」・飯田茂「言葉や単語の理解と情報処理に悩む生徒への学習支援−難聴通級指導教室の試み−」,6月号・児玉眞美・福島智「聴覚障害児の早期教育における緊張感の生み出す諸問題について(2)口話法と手話法中心の指導児の実例の比較紹介」,8月号・特集「難聴教育」―岩谷力「子どもたちの夢と希望の実現に向けて支援をつなぐために」・伊藤僚幸・福地陽・「第38回全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会,第42回全国情緒障害教育研究協議会全国大会に参加して」・木村照美「中学校難聴学級の実践から」,*研究‐小畑修一「『手話・日本語大辞典』の構造分析」・9月号・特集「第10回アジア太平洋地域聴覚障害問題会議」,10月号・特集「人工内耳」―樋口恵子「人工内耳の幼児への適応と評価」・古川郁子「からだ・こころ・ことば そして人工内耳」・福島邦博「人工内耳についての最近の知見」・山中健二「幼稚部での人工内耳装用児の育ち−4歳7ヶ月で人工内耳を装用した事例を通して−」・山本晃「小学部での人工内耳装用児の育ち−A児の50冊の日記を読み直して−」,12月号・特集「教員養成」ー澤隆史「特別支援教育における教員養成の現状と課題」・坂井美惠子「教員の養成」・鈴木茂樹「教員養成について」.

◇2009年 ハンガリー 障害者権利条約にそった国内法の改正に先立ち、 「ハンガリー手話及びハンガリー手話の使用に関する法律」制定.ろう者はハンガリー社会の平等な一員であり、手話にはコミュニティや文化の形成を促す力があることを認め、ろう者の言語に関する権利と公共サービスへのアクセス保障が定められている.また、ろう者が手話を習得する機会の提供についても言及し、就学前教育からの手話指導や保護者への手話講習についての規定も設けている.2012年1月には「ハンガリー手話をハンガリー文化の一部として保護する」ことを明記した新しい憲法が施行されることになっている.♯2
◇2009年12月 日本 「障害者の権利に関する条約」(2006年12月第61回国連総会で採択、2008年5月発効.日本は2007年9月署名)の批准に向けて、内閣総理大臣を本部長とし、文部科学大臣も含め全閣僚で構成される「障がい者制度改革推進本部」設置.当面5年間を障害者制度改革の集中期間と位置付け、改革の推進に関する総合調整、改革推進の基本的な方針の案の作成及び推進に関する検討等を行うこととされた。

◆2010年1月 京都大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科等共済 市民公開講座『難聴を克服するために〜難聴治療の最新事情〜』で、同大学にて最新型人工内耳(対外装置・電池不要の完全埋め込み型)の開発プロジェクトが立ち上がったこと、ハイブリッド型人工内耳(電極を短くして低音域を補聴器で入力するタイプ,略語;EAS)、120チャンネル式人工内耳(ハイレゾ120というソフトで仮想チャンネルを使い音楽の聞こえを改良するタイプ)、聴性脳幹インプラント(脳に近い聴神経に障害のある人対象に脳幹に電極を貼り付けるタイプ,略語;ABI)の技術の進歩と将来展望を紹介.

◇2010年1月 日本 「障害者制度改革推進会議」スタート.会議にろう者委員が手話で参加したことにより日本語(音声)と手話の二つの言語を使用すべきことが認識されたと同時に、手話が音声言語と同様に機能することが証明された.この様子はCS障害者放送「目で聴くテレビ」で、手話通訳と要約筆記(字幕)を付けて生中継された.♯2

◆2010年2月15日 日本 大沼直紀(東京大学 先端科学技術研究センター)「今、聴覚活用を考える」重度難聴者の手話、聴覚、人工内耳の活用の可能性について語る.
聾・難聴教育の世界的権威シルバーマン博士、聴覚生理学でノーベル賞候補にも挙げられたデービス博士、二人の共著『Hearing and Deafness 』 (第4版訳本は「聴覚障害学」)の第4版には、初めて第15章に「手話」の章が、第20章には「聾文化」の章が加えられた.聴覚口話法こそが唯一正しい道だと信じていた人たちにとってはショッキングな出来事.その後10年ほど遅れて日本にも手話の波が寄せてきた.

『いい補聴器を着け聴能や発音の訓練を受ければ、よくコミュンケーションできる子どもに育つと信じ、幼少時から聴覚口話法で頑張ったが、小学生になっても結局は満足に日本語が獲得できず、人の話を聞くこともできず、相手に通じにくい不明瞭な声しか出せない。今になってみれば、どんな思い聴覚障害児であっても聴覚活用の可能性があるとは信じられない。補聴器を装用させたのは無駄であった.小さいときからあのような苦労を強いられるよりは、手話によるコミュニケーション方法を採るべきだった』という感想が重度な聴覚障害児を育てた親から訴えられる時代が来た。かつて、聴覚障害教育の専門家が熱心さの余り『どんなに重い難聴であってお残存保有する聴力があり、それを最大限に活用してコミュニケーションし頑張れば、人の話を聞き分け明瞭な声で話すことができるようになり、電話が使えるようになることも夢ではない。』と親を鼓舞したことからもたらされた誤解は、この言い方の後半(人の話声にこだわりすぎた説明)にあったと思われる。

かつての日本では、「聴覚口話法」のなかの「口話(読話)法」の部分を主に批判しようとしたが、勢い余って「聴覚」まで否定してしまったのではないか.空気中に生まれた生物としてのヒトには音を享受する権利があり、聴覚障害者は活用可能な残存聴力を有している.「音を感じる世界と言葉を見る世界」とに自分をうまく適合させた新しいタイプの聾者・重度難聴者が生まれ育ってきている.人工内耳は我々の予想を超えて進歩してきた,「人工内耳を装着して手話を使う聾者」が出現してもおかしくない時代を迎えている。

◇2010年 フィンランド 「障害者のための通訳サービス法」制定.観光、仕事、留学のための海外旅行を含め、すべての生活分野において無料かつ時間無制限で手話通訳が利用できる権利が定められている.

◇2010年 欧州連合(EU) 欧州ろう連合(EUD)が中心になり、手話立法の導入実現に関する国際会議開催.「欧州連合における手話に関するブリュッセル宣言」が出される.EUDが行った調査『EUにおける手話立法』では27の加盟国中、17か国が手話を認知していることが報告されている.♯2

◆2010年3月5日 日本 「平成22年厚生労働省告示第73号(特掲診療料の施設基準等の一部を改正する件[特掲診療料:病状や処置法によって対応が大きく異なるため、基本診療料と言った包括的な支払になじまないもので個々の行為について評価して算定できるようにしたもの.人工内耳の診療も対象]の施設基準等の一部を改正する件)」が公布(平成22年4月1日より適用).医科点数表第2章第10部 手術の通則第4号に掲げる手術の施設の項に、人工内耳埋めこみ術の施設基準として、「(イ)当該療養を行うにつき十分な専用施設を有している病院であること (ロ)当該保険医療機関内に当該療養を行うにつき必要な医師及び看護師が配置されていること」と示した.また、人工内耳埋込術に関する施設基準として「(1)耳鼻咽喉科を標榜、(2)内耳又は外耳の手術が年間30例以上ある、(3)常勤耳鼻科医師が3名以上配置、このうち2名以上は耳鼻咽喉の経験を5年以上有しており1名は少なくとも1例以上の人工内耳埋込術の経験を有していること、(4)言語聴覚療法に専従する職員が2名以上配置されていること。尚、届出を行う保険医聾機関と密接な連携を有する保健医療機関で人工内耳埋込術を実施した患者のリハビリテーションを行う場合は、リハビリテーションを実施する施設に常勤の耳鼻咽喉科医師が1名以上及び言語聴覚療法に専従する職員が2名以上配置されていれば差支えない」と示した.

◆2010年3月 日本 全国早期支援研究協議会(2005年から、全国の聾学校や難聴学級教員、療育機関の言語聴覚士、耳鼻科医、聴覚障害児を育てた親、成人聴覚障害者、大学等の研究者など約130人が構成メンバーとなって、聴覚障害児の「早期支援に関する情報提供とメールによる相談」「養育・指導等に関する定期研修会開催」「保護者や聴覚障害児関係者のための図書や教材作成・提供」「聴覚障害児早期支援・教育に関する実践・調査・研究」を中心に活動している研究会)による人工内耳アンケート調査実施(調査結果報告書は8月発行).対象は聴覚障害乳幼児相談担当者,聴覚障害児(1〜18歳,27歳合計271人、そのうち装用児160人、就学前48人、就園児59人、小学生36人、中学生以上21人)の保護者.

◆2010年3月 コクレア社製の日本を含む諸外国での装用者数は約12 万人(2010 年3 月末現在)-文責者小木保雄[ACITA会報]別冊「人工内耳あれこれ 3-10版」2010年10月発行

◆2010年 日本 人工内耳の施設基準が厚生労働省告示第73号に示される.
第61 人工内耳埋込術 
1 人工内耳埋込術に関する施設基準 
耳鼻咽喉科を標榜している病院であること。(2)内耳又は中耳の手術が年間30例以上あること。(3)常勤の耳鼻咽喉科の医師が3名以上配置されており、このうち2名以上は耳鼻咽喉科の経験を5年以上有しており、1名は少なくとも1例以上の人工内耳埋込術の経験を有していること。(4)言語聴覚療法に専従する職員が2名以上配置されていること。なお、届出を行う保険医療機関と密接な連携を有する保険医療機関で人工内耳埋込術を実施した患者のリハビリテーションを行う場合は、リハビリテーションを実施する施設に常勤の耳鼻咽喉科医師が1名以上及び言語聴覚療法に専従する職員が2名以上配置されていれば差し支えない。以下の、2 届出に関する事項は省略.

◆2010年4月 日本 言語聴覚士合格者数の累計は17,315人、免許申請登録率が99.8%であることから、厚生労働省発行免許証取得者は17,280人前後と考えられる.

◆2010年4月 日本 「音声言語医学(日本音声医学会学術誌)」第51巻第2号の特集〈重複障害のある難聴児への聴覚言語獲得支援〉の『人内耳の問題点と対応(平海晴一 都立大大学院医学研究科教授)』の中で、人工内耳が広汎性発達障害を合併した難聴児に一定の効果があること、装用による訓練目標について「難聴のない広汎性発達障害」とすべきであることを発表.

◆2010年4月アメリカ JAMA誌(アメリカ医師会誌)にジョーンズ ホプキンス大学病院、耳科外科医ジョン・ニパルコ氏が、高度、重度感音性難聴児への人工内耳手術は生後18カ月未満で受けることが聴覚・口話力向上面で利益が大きいことを報告.日経メディカルオンライン; http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/jama/201005/515146.html

◆2010年5月 日本 読売新聞「難聴治療に道、マウスiPS細胞から音を感知する細胞」の記事掲載.音や体の傾きを感知する内耳の有毛細胞を、マウスのiPS細胞(新型万能細胞)から作ることに、米スタンフォード大学の大島一男講師らが世界で初めて成功、今後ヒトでも実現すれば人工内耳にかわる新しい難聴の治療法開発に道を開くことになる、14日米科学誌「セル」に発表する、と報道.http://fcm-news.blog.so-net.ne.jp/2010-05-14

◆2010年7月 日本 第33回ろう難聴教育研究会大会開催 話題は「ろう学校教員の人事異動」とともに「人工内耳装用児の増大」の問題を中心に話し合われる.

◇2010年7月 世界 カナダ・バンクーバーでの世界ろう教育国際会議第21回大会において、手話の使用を禁じた1880年のミラノ会議の決議が撤廃され、「ろう教育はすべての言語とコミュニケーション方法を受け入れる」などの声明が発表される.ろう教育において手話を排除し、ろう教育を口話法に限定したことが過ちであったとされた.♯2

◆2010年8月 日本 前述した3月実施の人工内耳アンケート調査の結果をまとめた冊子、「わが子と人工内耳-装用した子・してない子・全国保護者アンケート270人の回答から‐(全国早期支援研究協議会 編集」が発行される.2006年1月の人工内耳適応基準改定以後の傾向として、装用児の手術前聴力の低聴力化(以前は対象者45名中1名が90dB台で9割近くは100dB以上だったが、改定後は102名中1名が80dB台、90dB台25%、100dB以上70%程度に変化)と手術時期の低年齢化(以前は就園期が約7%、学童期が約55%、中学生以降が約38%だったが、改定後は3歳未満約12%、3歳代約25%、就園期約52%、小1約8%、10歳以上約3%)が進んだことなどが明らかになった.文末では「子どもの人工内耳装用を何故決意したのか、しなかったのか、真剣に考えた末のことであることが、自由記述欄に書ききれないほど綴られた文から親たちの心が伝わってくる.賛否両論あるが、子どもの人生に責任を持つことのできない第三者が『人工内耳手術をした方がよい、しない方がよい』と安易に言うことを慎み多様な考えに接することが求められる」と訴えている.

◆2010年8月 世界 コクレア社製装用者累計−14〜15万人(世界全体の数に対してコクレア社のシェア7割程度)

◆2010年8月 日本 コクレア社製装用者累計−6,000余人(日本全体の数に対してコクレア社のシェア8〜9割)
◆2010年8月 日本 メドエル社製装用者累計−600余人(小児累計100〜200人?)
※上記のうち、人工内耳装用者数は詳細な数字、概数ともにほとんどがコクレア社発表によるものである。但し2005年以降の情報は概数としての提示になる.また、2002年調査の就学前装用児、小・中学校児童と高校生、成人のそれぞれ装用者数については日本学校保健会によるものである.

◆2010年8月 日本 聴覚障害誌8月号 杉崎きみの「用語解説:人工内耳」掲載.

◆2010年10月 日本 [ACITA会報]別冊「人工内耳あれこれ 3-10版」発行.この中で、元会長、2010年10月現在相談役の小木氏はあとがきの中で、日本における人工内耳の現状についてと所感について次のように語っている、「装用者は6000 〜 6500 人位.人工内耳のメーカーは3 社、手術病院は100個所、手術病院以外にリハビリを行う施設も32か所と充実し、当時とは比較にならない程の情報もあふれています。この間の充実と機器などの進歩と装用経験が、人工内耳を必要としている人々に正しく伝わって欲しいと思います。自分にも人工内耳が最適との判断なら、早期の装用をお勧めします。皆様の最適なコミュニケーション方法の選択に小誌が役立ち、人工内耳に到達する迄の「道のり」が1 日でも縮められれば本望です。」

◆2010年10月 日本 NHK教育テレビ「ろうを生きる 難聴を生きる」で『人工内耳と向き合った270人の肉声〜「全国早期支援研究協議会」アンケートから〜』放映.同年3月に実施したアンケートをもとに8月に出版された「わが子と人工内耳-装用した子・してない子・全国保護者アンケート270人の回答から‐」の内容を紹介.アンケート結果をまとめた冊子でも紹介された文末の"子どもの人工内耳装用を何故決意したのか、しなかったのか、真剣に考えた末のことであることが、自由記述欄に書ききれないほど綴られた文から親たちの心が伝わってくる.賛否両論あるが、子どもの人生に責任を持つことのできない第三者が「人工内耳手術をした方がよい、しない方がよい」と安易に言うことを慎み多様な考えに接することが求められる"ということをテレビでも訴える.
http://www.nhk.or.jp/fukushi/chokaku/backnumber/2010/10/1003.html

◇2010年1月〜12月 日本 聴覚障害誌 多様な指導法・情報保障等関連記事―2月号・特集「今、聴覚活用を考える」(今月の言葉:大沼直紀)・中瀬浩一「「聴覚活用」「聴覚学習」を考える」・立入哉「補聴器は今;母子コミュニケーション場面におけるノンリニア補聴器の設定」・庄司和史「新生児聴覚スクリーニング後の教育の課題−0歳からの教育支援における専門性−」・板橋安人「日本語習得につなげる「発音・発語」学習」,3月号ー*図書紹介『難聴児・生徒理解ハンドブック 通常の学級で教える先生へ』,4月号・特集記事の中で、「聾教育の専門性−現状と課題−」として以下のテーマが取り上げられる。「新生児聴覚スクリーニング(庄司和史)」「早期教育(齋藤佐和)」「聴覚活用−早期に脳に音や声を届けよう−(西海昭延)」「教科指導−生徒の学力の向上を目指して−(松藤みどり)」「重複障害教育−聴覚障害教育に新たな財産を−(中山哲志)」「聴覚障害教育のセンター的機能・通級指導−本校での取り組み−(田原佳子)」「手話の活用(小田侯朗)」「聴覚障害教育における情報保障(石原保志)」,6月号・特集「通級指導教室」―井口昌一「難聴児が地域で普通に暮らすため−ことばの教室が支援できること−」・飯田茂「軽度難聴に併せ複数の障害がある生徒への学習支援−生活の緊急課題に向き合う姿勢を培うために−」・田原佳子「通級指導教室−きこえない・きこえにくい子どもが通常学級で豊かな学校生活を送るために−」・全難言協事務局「全国の難言学級と難言通級指導教室−平成21年度「全国基本調査」から−」,8月号・特集「重複障害教育」―中村淑子「ろう学校における盲ろう生徒の日本語獲得への取り組み」・遠藤由香「聴覚障がいと知的障がいを併せ有する自閉症児のコミュニケーション支援−Aさんとの3年間のかかわりを通して−」・安東秀成「聴覚障がいに併せて知的発達の遅れ・左半身マヒがある中学部3年Aさんへの進路指導の工夫−高等部進学に向けた実際の支援についての検討−」・大阪市立聴覚特別支援学校「研究:通級指導教室における障害認識の取り組みから」・杉崎きみの「用語解説:人工内耳」,10月号・乳幼児教育ー庄司和司「「母親支援」と「家族支援」」・鈴木実「早期教育と母親支援−支援と教育の可能性が開かれた時代を迎えて−」・片山幸子・橋本奈々・嶋田記枝・岡田俊惠「今,早期教育に問われるもの−新生児聴覚スクリーニング検査が始まって−」・佐藤幸子「乳幼児教育相談における母親支援−母親支援と乳幼児期のことばの育ちについて−」,12月号・特集「ICTの活用」―今井二郎「教育の情報化とICTの活用」・新谷洋介「携帯電話利用に対しての情報モラル教育の取り組み」・白澤麻弓「アメリカにおけるICTの活用−文字通訳技術を中心に−」

【5】日本における人工内耳W期

◆2011年3月1日 全日ろう機関紙・日本聴力障害新聞第8面前面に、日本における小児人工内耳手術初症例のJさん(取材当時28歳)と母親に、手術とリハビリ開始当時のことについて取材した記事が掲載される.記事内容の詳細は1991年7月28日欄にも掲載.見出し等は以下の通り.また、ろう学校での人工内耳装用児の割合や成人ろう者の立場からの意見も同紙面に掲載(以下を参照).
▼大見出し「-増える小児への手術- 人工内耳は、今 連載H成人した当事者たち=Tさんの場合〈1〉」
▼中見出し「日本で最初に手術を受けて」
▼全国ろう学校の人工内耳装用児の割合(2010年8月ろう教育を考える全国討論集会での報告): 早期教育相談―10%,幼稚部―23%,小学部―18%,中学部-10%,高等部―5%
▼成人ろう者からの小児人工内耳に対する意見―私は自身がろう者で、ろう児2人の親でもあります。ろう児の親たちから、「医師から子どもの耳が聞こえないと告げられたとき、大きなショックを受けた」という話をよく聞きます。私の親もそうでした。しかし私は子どもが聞こえないとわかったとき、「手話で話ができる」と嬉しくなりました。昨年夏、ろう聾教育の明日を考える集会のパネルディスカッションで、医師から「人工内耳による脳の活性化」について発言がありましたが、そういう話を聞いて、子どもに手術を受けさせるケースが増えていることに、疑問を感じます。産婦人科、耳鼻科の医師、補聴器店などと話し合った経験から、私は手術を受けるかどうかは、ろう者としてのアイデンティティ確立後、本人が判断すべきと思っています。そして、ろう者としての誇りをもって生きていく力を育てるために「ろう教育」の重要性をもっと認識し、手話を音声言語と対等の言語と認め、手話教育の柱を確立していくことが優先されるべきとも思います。私たちろう者は、たくさんの仲間たちと力をあわせ、差別法を撤廃し、手話を普及させてきました。共に助け合い、支えあうことで、生きる力を育て、人が人として尊重される社会を築くことが大切です。医者は、人工内耳手術の是非に悩む親たちに多大な影響を与える情報提供者です。ゆえに、人工内耳に関するアイテムや音読みの効果など医療情報だけではなく、聴覚障害者の福祉、教育、労働、文化等を幅広く知って情報提供するべきです。」

◆2011年3月10日 日本 言語聴覚士テキスト第2版(医歯薬出版(株)発行)の第一章(基礎医学)一口メモ欄に「人工内耳 最近のトピックス」掲載(虎の門病院耳鼻科医の熊川孝三氏著).
内容は「電気刺激・補聴器併用のハイブリッド型人工内耳が開発され、欧州では認可されている」「仮想多チャンネル化(隣り合う2つのチャンネルを、電流割合を変え同時刺激することで16チャンネルを使って最大120チャンネル化したもの)により音質向上、イントネーション聴取や音楽聴取も可能になる」「脳幹インプラント:ABIは両側の聴神経腫瘍の障害で高度難聴となる場合が手術の適応で、神経線維腫瘍摘出時に電極埋め込み手術を行う.最近は先天性の内耳・聴神経形成不全小児や両側内耳の完全骨化例なども適応となっている.手術後のきこえ改善度は人工内耳の成績には及ばないが今後さらなる改善が期待される」


◆2011年6月18日 日本 東京医科大学 ACIC年次フォーラムY(補聴器と人工内耳に関するフォーラム)開催
午後の講演者−大西 孝志・特別支援教育調査官(文部科学省初等中等教育局特別支援教育課)
テーマ「日本の聴覚障害教育の現状と課題」配布資料をもとに以下情報整理.
・ろう学校在籍の聴覚障害児数約1万名弱(H.22聾学校8591名・通級1982)
・ろう学校(現行の特別支援教育制度では聴覚特別支援学校):約100校
・小・中学校の難聴特別支援学級:約720学級、その他通級教室
・上記のうち、ろう学校における人工内耳装用児の割合は、H23度で全体では6人に1人弱(16%)、幼稚部では4人に1人弱(26%).急激に変動しているようで、学年により3人に1人、学校によっては半数以上人工内耳装用児という実態も.
・H23年度は、聾学校全体で人工内耳装用児童が150人増加、特筆すべきは幼稚部の3歳入学で人工内耳装用児が100人を越えたという状況.
・補足―幼稚部終了後、地域の小学校に行く子どもが20%弱いることから、通級を含めると人工内耳装用児の割合はもっと高くなると思われる.
・聾学校全体ではH20年度が10人に1人弱であったものが、わずか3年後のH23年度に6人に1人弱まで割合が上昇.特に幼稚部・小学部で人工内耳装用児の割合が急増傾向.
◆2011年7月2日 日本 近畿大学医学部耳鼻咽喉科学教室主催・メドエルジャパン(株)・日本光電(株)協賛「大阪人工内耳フォーラム2011」開催.
内容:テーマ・・・

@近大医学部耳鼻科教授・土井勝美氏「高齢者への人工内耳」,Aメドエルジャパン(株)Lurz Ressel氏「ヨーロッパにおける人工内耳」,B大阪府立生野聴覚支援学校教諭中道勝久氏「本校における人工内耳の現状と幼児に対する個別指導のとりくみ」,C福岡医学部耳鼻科教授 中川尚志氏「福岡地区における小児人工内耳の現状」,D東大医学部耳鼻科教授山岨達也氏「小児の人工内耳:評価法、適応の決定、術後成績に影響する重要な因子」,

要約
@高齢者群に対する人工内耳手術はについてわが国では、内科疾患等合併による手術自体の危険性の増加や聴覚中枢の機能低下、認知や情動障害合併例では術後訓練に困難が予想され家族の支援を得られない場合があることも指摘され議論になってきた.しかし欧米の例や近大での実施例から、予想言語聴取能の再獲得の点でも、QOLや感情面の改善の点でも若年者群との差も認められず良質の医療であることが分かった.

Aヨーロッパの総人口は7億人、EU(欧州連合)加盟国は27か国5億人.主要国と各人口‐独(8180万人)、仏(6470万人)、英(6200万人)、伊(6000万人)、西(4600万人)、ポーランド(3800万人).EUで使われている人工内耳の殆どは4大メーカー製(アドバンスドバイオニクス[親会社Sonova-スイス]、コクレア(豪)、メドエル(オーストリア)、Neurelec(仏)).統計について、ヨーロッパではベルギー、オランダ、スイス、イギリスの四か国のみが中央に集中して登録された人工内耳データを所有.18か国の装用者数等の[絶対数、人口100万人に対する装用者数・埋め込み数、両耳装用者数]が発表された(が、配布資料からは読み取れずここに示すことが出来ない).欧州連合の"CIU(人工内耳装用者)"にはドイツの装用者数のデータがない(メドエル内部データからの概算では2500人以上).スイスでは約3割の人工内耳装用者が両耳装用である.現在の手術適応基準では、語音弁別‐30%以下〜60%以下(医師がガイドラインと柔軟に解釈する国もある)、聴力レベルは65dB以上〜90dB以上等.新たな適応基準‐「部分的難聴(低音域は軽度から中程度で高音域で重度の急墜型難聴)」「片側性難聴(片耳(ほぼ)正常、もう片方が人工内耳適応)」→騒音下での語音の聴き取り向上と音源定位の改善効果.年齢面での適応基準‐年齢制限のない国も.生後4か月で両耳に手術をした例も.90歳を超えた手術例も.1年に100以上の手術を行うクリニックもある.音入れは埋め込み手術の3〜6週間後、外来で1日で行うところから5日間入院して2回のセッションを行うところ等様々.場所は通常は手術実施病院だが子供の場合リハセンターで行うことも.マッピングやリハビリによるフォローアップは最初の1年間は1・3・6か月毎‥と頻繁に2年目以降は1年に1回、子供にはマッピングもリハビリもより頻繁に行う.リハビリテーションについて、国によっては成人装用者に対して保険でカバーされる.ドイツでは4週間入院してのプログラム提供のクリニックも.装用者グループについて:欧州の多くの国では強固なネットワークを有するグループがある.ドイツには80のグループ、約1700名のメンバー.雑誌「Schnecke(蝸牛)」年4回発行.6000部.最新場にはドイツ首相(メルケル氏)の挨拶文が掲載されるなど社会的認知度も高い.

B生野聴覚支援学校では聴覚活用を基本にキュードスピーチ、手話・指文字も使用.幼稚部ではの今年度在籍数は166名、3歳未満教育相談は0歳児-8名、1歳児-11名、2歳児-25名、合計44名が通室.幼稚部以上の在籍に占める重度難聴(90dB以上)は107名でそのうち人工内耳装用者数は38名で全在籍の23%(2011年6月現在).

◇2011年8月5日 日本 障害者基本法の一部を改正する法律が公布され「言語に手話を含む」と条文に明記される.
「改正障害者基本法(抜粋)−第三条第三項−全て障害者は、可能な限り、言語(手話を含む。)その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が確保されるとともに、情報の取得又は利用のための手段についての選択の機会の拡大が図られること。」「成立時の衆議院・参議院における附帯決議(抜粋)-・その者にとって最も適当な言語(手話を含む)その他の意思疎通のための手段の習得を図るために必要な施策を講ずること。・障害者に係る情報コミュニケーションに関する制度(略)について検討を加え、その結果に基づいて、法制の整備その他の必要な措置を講ずること。」♯2

◆2011年 日本 テクノエイド協会「聴覚障害児の日本語言語発達のためにー」に、聴覚障害児のコミュニケーション方法について調査した結果の報告記事掲載.
■幼児期における施設のコミュニケーション方法の現状把握
調査対象児(幼児期)が通う療育施設や教育施設がコミュニケーション(会話)に使用している言語と読み書き学習手段は、次のような結果でした。
@音声言語のみ使用:4(医療機関)2(療育教育施設)
A音声言語+視覚的方法を使用:12(医療機関)21(療育教育施設)

◆2011年 日本 公益財団法人テクノエイド協会から「聴覚障害児の日本語言語発達のために〜ALADJIN※のすすめー感覚障害戦略研究・聴覚障害児の療育等により言語能力等の発達を確保する手法の研究ー」発行.「聴覚障害児を取り巻く現状」の章、第5項に、岩崎聡・西尾信哉(信州大学)による共同研究報告「本邦における人工内耳装用児の現状(ALADJIN※という日本語言語発達検査パッケージを使った検査結果)」掲載.p.106-113

   ※ALADHIN
言語発達をみる検査―「質問-応答関係検査」「標準学力検査」「絵画語彙発達検査-R」「語流暢性想起課題」「STA(失語症構文検査試案)言語理解・合計点」「STA(失語症構文検査試案)言語産生・総得点」
背景因子をみるための検査−「レーヴン色彩マトリックス(非言語性知能検査)」「パーズ(PARS:広汎性発達障害尺度)」

【調査内容】
@聴覚障害児の中に占める「片側人工内耳装用児」・「人工内耳と補聴器併用児」・「両側人工内耳装用児」の割合、難聴診断年齢、新生児聴覚スクリーニング受検率などの現状の検討
A片側人工内耳装用・人工内耳と補聴器併用・補聴器のみ装用のグループ別に裸耳聴力、装用閾値、最高語音明瞭度(67S語表)について検討.
略語:人工内耳=CI , 補聴器=HA

【結果】
@対象者―戦略研究登録者638名中のCI使用285名(44.7%)
・CI装用児に占める「CI+HA併用児」の割合69.5%(198名:男100名、女98名)
・    〃      「片側CIのみ児」−29.8%(85名:男35名、女50名)
・     〃     「両側CI装用児」−0.7%(2名:男1名、女1名)
・難聴発見年齢の平均―「CIのみ」児12.5%、「CI+HA併用」児10.9%
・新生児聴覚スクリーニング受検率ー「CIのみ」23.5%,「HAのみ」28.5%,「CI+HA」48%
A人工内耳の早期装用開始が言語発達に及ぼす影響
・CI装用開始月齢(回答数195名)の平均−42ヵ月(3歳6ヵ月),20〜50ヵ月前後が多い
・CIの早期装用は装用閾値には影響しないが、語音弁別能(単音節の聞き取り能力)とは負の相関が認められた.(係数r値−0.52)
・CIの早期装用が言語発達に及ぼす影響検討のため、生後24ヵ月以前に装用開始した群と、以降に装用した群の日本語発達の比較検討実施(両群とも100ヵ月時)

【検査項目と評価点】−「質問-応答関係・合計点」「標準学力検査国語・合計点」「標準学力検査算数・合計点」「絵画語彙発達検査-R・修正点」「語流暢性・動物カテゴリー想起課題・合計点」「語流暢性・?あ""か""し"文字語想起課題・合計点」「STA言語理解・合計点」「STA言語産生・総得点」

【背景因子をみるための検査】−「レーヴン色彩マトリックス(非言語性知能検査)」「パーズ(PARS:広汎性発達障害尺度)」―実施結果、背景因子であるレーヴンマトリックスやパーズの点数に大きな違いはなかった(田中注:更に両群とも発達障害の問題はない?)

○言語発達検査の結果
*検査項目の大部分で、早期CI装用児の方が平均点が高かった.
*特に、「語流暢性課題の文字想起課題合計点」「STA理解合計点」「STA産生総得点」は早期CI装用児の方が有意に得点が高いことが明らかとなった.

BCI装用児における手話併用と言語発達との関連
○保護者へのアンケートで把握した「手話使用群(111名)と未使用群(154名)」の日本語言語発達(上記検査結果)の比較検討(手話使用群の主なコミュニケーションモードは、手話〜聴覚口話まで様々でネイティブの手話話者の評価ではない)
○比較結果
*「絵画語彙理解」「STA理解」「STA産出」「標準学力検査」で手話を使用しない児の方が平均点が高い傾向があったが、有意差はなかった.「語流暢性課題」「標準抽象語理解力」「質問-応答関係検査」の結果は殆ど差はない.
*下位検査項目の得点比較をすると、「STA理解」のレベルW受け身文、関係節分、「標準学力検査」国語の「読む能力」「書く能力」は手話を使用しない児の方が有意に得点が高い.
*以上の結果から、複雑な日本語の文章(受身文、関係節文)の理解を苦手としている手話併用児が比較的多い可能性があるといえる.

C補聴手段による影響
・背景因子としての非言語性知能の指標である「レーヴン色彩マトリックス検査」、行動面を評価する「パーズ(広汎性発達障害日本自閉症協会評定尺度)」ともに「CIのみ」「CI+HA」「HAのみ」の各群の間の差はなかった.
・裸耳聴力・装用閾値・最高語音明瞭度の平均について
「CIのみ」‐110.8dB,36.6dB,84.4%「CI+HA」-108.5dB,35.2dB,76.1%、       「HAのみ」-97.6dB,51.4dB,48.6%.⇒CI装用児の方が有意に裸耳聴力が悪く、装用閾値は良く、最高語音明瞭度は高いことが明らかとなった.
・語彙に関する検査「絵画語彙検査」「標準抽象語理解検査」「語流暢性検査」とも、「CIのみ」「CI+HA」の方が補聴器のみの装用児に比べ高得点だった.
・「CI+HA」は「CIのみ」に比べ、統語に関する検査「STA」、言語性コミュニケーション能力に関する検査―質問・応答検査でも高得点だった.
・書字・読字に関する検査では3群間で差はみられなかった.

●まとめー人工内耳装用児の現状としてわかったこと
@高度・重度聴覚障害児でCI装用児は、年中から小学4年生の場合、50%弱.小学5〜6年生ではやや少ない傾向がみられた.⇒1998年から本邦で小児が人工内耳の適応となり、装用が始まったころの学年であるためと考えられます。(ママ:田中注⇒1991年から小児への手術は開始しているが、日本耳鼻咽喉科学会が小児適応の条件を両耳の聴力レベルとも100dB以上の2歳以上…といった条件を明示したのが1998年.その頃0〜1歳だった子が、本調査実施当時の5〜6年生にあたり、下の学年児に比べ装用児が少ないことが改めて明らかになったといえる.)また、4年、6年では「片側CIのみ児」の割合が多かったのに対し、下の学年では「CI+HA」併用の割合が多い(約70%).人工内耳がスタートした当初は「電気刺激によるCIと音響刺激によるHAの中枢での統合は困難で、言語聴取は低下する」と考えられていたが、その後「電気的・音響的聴覚刺激は中枢で統合され、言語聴取成績の向上が得られる」との報告※が増え、本邦においても併用が一般的となってきた結果と考えられる.また、「片側CIのみ」児よりも「CI+HA」併用児のほうが難聴発見年齢は早い(順に12.5ヵ月,10.5ヵ月).これは、新生児聴覚スクリーニング受検率が人工内耳と補聴器併用児群で高かった(48%)ことが一つの要因と考えられる.

A早期人工内耳装用の有効性
・CI早期装用により高い語音弁別能が得られる可能性が高いと考えられる.(「24ヵ月未満〜CI装用児」と「24ヵ月以降CI装用児」の比較から)
・CI早期装用は、言語発達にも有益であることが示唆された(「24ヵ月未満〜CI装用児」と「24ヵ月以降CI装用児」の比較から).
(今回の検査対象は、装用開始時期ピーク20ヵ月〜50ヵ月(平均42ヵ月)で、近年の状況と比較するとやや装用時期が遅いことが明らかとなった.これは、1998年に本邦における人工内耳適応に小児の条件が追加され、徐々に手術時年齢が低年齢化しているためと考えられる.早期装用の有効性が明らかとなり、早期CI装用開始のためには早期診断が重要で、方策の一つとして新生児聴覚スクリーニング受検率の向上が重要と考えられる)

B手話の併用
【CI装用児の、手話使用児と非使用児の日本語言語発達検査結果の比較】
・語彙レベルでの大きな差はなかった.
・構文構造の理解面について、複雑な文章(受身文、関係節文)理解に問題を抱える児が手話併用群に多い.同群は標準学力検査U国語の「読む能力」、「書く能力」の項目で得点が低く、それも構文理解の問題を抱えていることが一因と考えられる.
・複雑な文章理解に問題を抱えることについて「手話をしようしているから」と結論すべきではない.理由―手話併用の理由や背景に関する検証ができていないため、手話併用と言語発達との因果関係を述べることはできない.例えば早期から手話を用いており人工内耳装用が結果的に遅くなった児にとっては「第一言語は手話、第二言語が日本語」となっている可能性がある.また、人工内耳装用効果が乏しく、結果的に手話を併用している児が少なからずいる.
・上記検査結果が意味することは「手話併用児の中には、特に構文理解の指導を要する児が比較的多く含まれている可能性がある」ということ.手話併用でコミュニケーションを行っている人工内耳装用児に対しては、ALAJIN※による評価の中でも構文理解や学習の習得状況に関する確認を行うことが重要.

C補聴手段の違いによる影響について
・3群の中で「CI+HA併用群」が、すべての言語評価において最も高いスコアを示した.
・一般的にCI装用後の言語発達には聴力レベル、難聴の期間、CI使用期間、IQ、ワーキングメモリー、家族の収入などがかんよすると報告されている.
・今回の解析ではCI装用児は補聴器のみの装用児に比べ、裸耳聴力は悪いにも関わらず、装用閾値が良好で最高語音明瞭度は高いことがわかった.このことから、難聴がより重度であってもCI装用により、良好な装用閾値と語音明瞭度が得られることがわかった.また、装用閾値(田中注:正しくは「早期装用」ではないか?)が日本語言語発達に影響を及ぼす要素の一つであることが明らかとなったため、補聴器で十分な閾値が得られない場合は、人工内耳を早めに検討する必要があることが示唆される.
・これまでの人工内耳の言語発達に対する検討は、単音節、単語、文章の聞き取りの評価が一般的.今回の検討により、人工内耳は語彙の理解と産生の発達に効果的である可能性があり、「CI+HA」による両耳聴は統語の理解と産生、語用的能力(言語性コミュニケーション能力)の向上に有利に働くことが示唆された.海外では、早期装用により、言語理解のみならず産生にも有効であるとの報告※がみられるが、日本語の発達においても同様の確認ができたことは大きな意味を持つ. 

◆2011年5月 聴覚障害誌 5月号 平島ユイ子「人工内耳装用児の1例の 学齢期の英語聴取を含めた言語発達の経過」

◇2011年1〜12月 日本 聴覚障害誌 多様な指導法・情報保障等の記事一覧.5月号―平島ユイ子「人工内耳装用児の1例の学齢期の英語聴取を含めた言語発達の経過」,9月号ー研究実践報告・白澤・三好・磯田・蓮池「東日本大震災における聴覚障害学生への支援−大学間連携とモバイル型遠隔情報支援システムの活用」,12月号・特集「社会性の向上」―筑波大学附属聴覚特別支援学校寄宿舎「社会生と自主性を育む舎生会活動−舎生会での自治活動を通して−」など.

◆2011年12月25日 日本 教育医事新聞(The EM)・年末年始号に人工内耳をテーマにして、5つの記事が掲載される(全記事数約30).以下に代表的な3つの記事を挙げる.
第1面・・・大見出し「人工内耳装用 小学校以降の読み書き能力に直結とは言えず」、中見出し「小〜高で発達の個人差が顕在化 口話・手話・指文字の柔軟な活用を」
  内容:米国における学齢期人工内耳装用児の言語成績に詳しい斉藤雄介・大東文化大教授によると、生後2歳代までにCIを埋め込んだ子どもでは、良好な言語聴取能や明瞭な構音の獲得が期待できることが多いが、そのことが小学校以降の読み書き能力(リテラシー)に必ずしも繋がるとは言えないことが、近年の様々な研究で明らかになっている、とのこと.ギアーズらは"イヤー・アンド・ヒヤリング"誌(2011.第32巻、特集号)で、小学校在籍児(8.1歳)に読書力検査(PIAT)を受けたCI装用児181人のうち、高校時点で(平均16.7歳)で再検査可能であった112人の成績について報告.また、グラフも示しながら、読書力の推移は『年齢相応の発達群37%』『発達の可能性あり群46%』『発達が認められない群17%』の3つに大別されること、小学校から高校にかけて発達の個人差が次第に顕在化し、CI児の誰もが順調に推移するわけではないのです」と話す.また、「本研究の対象児は知能の高い家庭的も恵まれた環境の子どもが多く、この結果をCI児に一般化することには問題がある.学齢CI装用児の読書力は、埋め込み時期・装用期間だけでなく、埋め込み前の家庭での母子間のコミュニケーションの成立や手話の語彙力など多くの要因が複雑に影響すると言われている.CI埋め込み前のTC(トータルコミュ二ケーション法)で獲得した語彙力が、後の読書力を伸ばすとする報告もある.同教授は、聴覚障害児教育が世界的に見ても転換期にあると指摘する.「CI装用児が自らの人生の道筋の中で、コミュニケーション方法を柔軟に切り替える状況を英国の研究者が『コミュニケーション方法を巡る旅』と表現するように、教育や療育の現場で使用される方法も二者択一的なものではなく、口話の他、手話や指文字を年齢に応じて柔軟に活用することが、聴覚障害児の全人的発達に最も資するのではないでしょうか」と話している.

第4面…「人工内耳装用児の就学後の問題点と対策」について、国際医療福祉大学・城間将江教授は、「地域の学校の通常級に在籍する子どもの場合、FMシステムや筆談などによる支援も必要であるが、低学年のときから始めることには疑問がある」と指摘している.「低学年に対して行う支援は、筆談での情報を得ることの難しさや、担任が補助者に任せきりになるといった問題がある.低学年では、他者との関わりを大切にし、教員の口元がみえやすい座席の位置や指示の出し方、視覚情報の追加などの配慮をすることで、情報不足を補うことはできる.高学年になると学習内容が抽象的になるので、教科によって学習補助者を配置したり、FMシステムを活用したり、補修指導を行うことも必要になってくる」という.
  人工内耳装用児の急増、中央教育審議会ではインクルーシブ教育など、特別支援教育の在り方を検討。口話法一辺倒から手話の時代へと変化してきた聴覚障害教育は今後更なる変革を求められているが、城間教授は、「個別教育支援計画を立て、学校全体で人工内耳装用児への理解を深めること.人工内耳装用児への理科を深め、人工内耳の知識や学習場面での配慮事項を先生方に周知してもらう研修体制の整備も望まれる」とも.

第7面…「人工内耳の効果を左右するものは何か(成人と幼児の違い)」
  日本耳鼻咽喉科学会では適応基準を原則1歳6ヵ月以上としている.日本における人工内耳装用者は約6,000人.その6割を子どもが占める.人工内耳の効果には個人差があるが、効果を左右するものは何か、成人と幼児の違いについて、加我君孝氏(国立病院機構等居医療センター臨床研究センター名誉センター長に聞いた.加我センター長は「成人では言語中枢うも音楽中枢もすべて完成しているが、乳幼児では未完成.発達とともに成熟していくところに根本的違いがある.健聴児は1歳頃から片言の日本語を話し始める.1歳半には言語中枢の神経の髄鞘化が完成し脳活動は著しく活発になるので手術は早いほどよく、海外では生後7〜8ヵ月で実施し良い成果を得たという報告もある.しかし安全な手術を考えると1歳半を過ぎてからがよい(髄膜炎で失聴した場合、蝸牛が骨化して電極を埋められなくなるため、例外的に1歳半未満でも手術をしたほうがよい).」
  新生児聴覚スクリーニングは先天性難聴児医療に革新的成果を上げた.生後6ヵ月までに補聴器フィッティングを行い聴覚学習を指導し、もし効果が不十分な場合は2歳前後で人工内耳手術を実施.術後のトレーニングは親や言語聴覚士によるサポートは欠かせない.「ところが、手術をしトレーニングをしても、きく力、はなす力が伸びない子がいる.発達障害や自閉的傾向を合併している場合、小児神経や小児精神の専門家と連携して、合併症児の教育を担当する環境や施設が求められる」
  人工内耳は音の高低が分かりにくく、大人でも音楽が楽しめる人が少ないのが実情だが、子どもの場合は聴覚口話法の教育によって明瞭でイントネーションも健聴児に近い発音で話せるようになりますが、最初から視覚言語が中心の教育が先行すると、菊地から、話す力の発達がなかなか追いつきません.とにかく音のシャワーを浴びさせて、聞く訓練をさせることが20世紀の知の巨人のチョムスキーが指摘するように重要.

◆2012年2月15日 日本 聴覚障害誌2月号 <特集>人工内耳 
 *武居 渡(金沢大学教授)「聴覚障害児とコミュニケーションの選択」
要旨:90dB以上の聴覚障害があると補聴器の有効性が下がるといわれた時代は遠い昔、今は最重度の聴覚障害があっても残存聴力の活用が可能な時代.また人工内耳によって、最重度の聴覚障害児も聴覚を活用してスピーチを理解する可能性が広がった.一方、テレビで手話のドラマや手話学習番組が放映され、地域に手話サークルができるなど、手話が認知される社会状況になった.さらに、批准する方向で検討が始まった障害者権利条約のなかには、「手話の使用を承認し促進すること(第21条)」や「手話の習得やろう者の言語的アイデンティティの促進を容易にすること(第24条)」など、聴覚障害児の手話獲得を社会が積極的に支援する方向性が打ち出されている.技術の進歩や社会の変化によって、聴覚障害者は多様な生き方ができるようになったが、ある聴覚障害児が度の生き方を選ぶのか、重大な選択を教師や第三者が決めることは到底できない.決められるのは保護者しかいないが、保護者の選択も聴覚障害者本人が是とするわけではない.容易に解決できない問題に対し、以下のように考える.聾学校教師や聴覚障害の専門家ができることは、「保護者に悩んでもらうこと」.人工内耳に心が傾いている保護者に対しては、手話の魅力や手話コミュニケーションによって得られる豊かな心の育ちなどの話をし、容易に人工内耳の決断をしないように悩んでいただく.手話で育てるという方向で考えている保護者に対しては、デジタル補聴器や人工内耳の近年の目覚ましい成果について話をして、悩んでいただく.他の選択肢についてもしっかり勉強し、最終的に決めた決断に対して背中を押すのが専門家の役割ではないだろうか.どんな方法で教育を受けても、、大人になったどの聴覚障害者も、日本語の読み書きと手話の両方を獲得してほしい.社会で活躍し、社会を変えていくためにも、日本語の読み書きの力もしっかり獲得してほしい.

@中道勝久(生野聴覚特別支援学校教員)「人工内耳装用幼児に対する個別指導のとりくみ」 要旨:平成23年10月現在、本校幼稚部(3〜5歳児在籍57名)には13名の装用児在籍(乳児教育相談の通室装用児は7名).年令別の装用児数/在籍数…0歳児-0/11,1歳児-0/13,2歳児-7/26(27%),3歳児-6/17(35%),4歳児-3/21(14%),5歳児-5/19(26%),
人工内耳適応年齢低年齢化が進む中、3歳未満の早期教育相談の時期における指導が重要となってきている.低年齢の時期においても、適応後の聞き取り状況の変化を把握し、評価していくことが大切である.聴覚の活用を促すことで自然な発声や発語を引き出し、口声模倣を促すことが大切な課題である.また、適応が重複障がい児にも広がっていいるが、全体発達を考慮した上で過度な期待はせず、聴覚だけを課題にするのではなく視覚的手段も取り入れて指導する.重度難聴児にとって、人工内耳は補聴器に変わる補聴手段となりつつあるが、効果には個人差が大きい.聞き取りが良好でも視覚を中心に使っている子がおり、コミュニケーションモードには違いがみられる.十分な効果が得られていない装用児に対するフォローもろう学校が担わなければならない課題.2002年以降、幼稚部を終了した人工内耳装用児43名のうち、30名(70%)は本校小学部に入学、そこでの人工内耳への指導も重要課題.人工内耳の評価が、医療機関はもとより、聾学校のなかでも客観的かつ総合的に行なわれるようと取り組む必要.

A栗原房江(聴覚障害当事者,東京大学大学院特任研究員)「様々なきこえの経験と人工内耳装用を選択した過程のまとめ」

要旨:
▽成育歴)小学校3年時に軽度の感音性難聴の診断を受けるも高校まで聴者と同様に修学、きこえの配慮皆無だったが自分でも聞こえに関するバリアが生じていることに無自覚.19歳時に聴力低下し中等度難聴になり、20歳時に左耳に耳穴型デジタル補聴器装用.25歳時、右耳が100dB弱重度難聴となる.30歳時左耳聴力低下、聴力測定不能レベル.10年間の経過から、聴力低下という身体的変化+心へ与える影響大.
▽両耳失聴から人工内耳手術選択まで)両耳失聴によって「安堵(きこえなくなるかもしれない不安の消失)」を感じた.両耳失聴後、人工内耳の手術を選択するまでのこと.周囲に装用者がいても、第3者的な立場で自身が検討することはなかったが、聴力低下が止められないと感じ始めた85dB辺りのころ、考え始めた.失聴前から人工内耳手術検討開始までの過程二ついて大田によるアンダースリーの援助の考え方(「当事者=1人称」「家族・ピア=2人称」「援助者=3人称」と仮定し、援助者は当事者を眼前にした際、2人称の場からの援助を目指すことが望ましいが2.5人称程度で限界.そのため、2人称の者の力を借りて、1人称の者へより近づく努力をすることが大切、との大田の説.‐大田仁史と南雲直二の対談"障害受容"とは何か?,リハビリナース,メディカル出版,1(6),12‐13,2008)を用いて展開する.その説を大田自身の経験に照らし「聴覚障害者として、1人称から3人称の間を往来しながらも、失聴するまで人工内耳装用については3人称の場にいました.当時、周囲の2人称の者がみえているようで、みえておらず、人工内耳手術の検討が必要な聴力レベルの1人称へ至り、初めて1人称から2人称、3人称を眺められるようになったと実感しています.今回の経験から、1人称の当事者であっても、みえているようで、みえていない事象や側面があることに気づきました.つまり、聴覚障害をもつ支援者(1人称かつ3人称)として周囲の聴覚障害者にかかわる際、個々のきこえ、アイデンティティ、コミュニケーション方法の違いにより、みえない事象や側面が生じうることを心得て積極的に学びながら、支援を行う必要があると思います」と思い至る.結局、太田は以下の点を根拠として手術を選択.「失聴した状況から、人生の基盤(安定した就労や生活)を新たに構築できるヴィジョンはみえなかった」「失聴前に得た人間関係に自身のアイデンティティがあることを実感し、その場におけるコミュニケーション方法は聴覚音声であった」「専門職として再就労を検討する際、失聴前のきこえの程度を得られるならば、失聴前のキャリア(資格や就労上の工夫等)を活用し、継続、発展させる機会を得られる」
▽人工内耳手術後の変化及び補聴器と人工内耳の併用)2010年9月手術.同月、音入れの時点で失聴前同様の聞こえを実感.
  プラス面の変化―人の声は肉声、マイク音声、肉声の録音再生音の順に聴取しやすい.音楽も同様に生演奏が聴取しやすい.失聴前より聴取できていない音(ウミネコの鳴き声等)があることを知った.胸が軽くなった(「きこえなくなるかもしれない不安」のあった場所が軽くなった).音の聴取に意識を集中せずともきこえるため、心身疲労が大幅に軽減.
  聴取しづらい場面―賑やかな場所、多人数同時の会話空間、音の拡散と反響が大きい場、緊張する場面、初めて会う人の声(人にもよる)
  現在、右耳に耳かけ補聴器、左耳に人工内耳装用.右耳は耳元で会話した時に話者の声と呼気が響く感じ、左耳は1m程離れて会話した時の話者との距離を置いたきこえに類似している.両耳から異なる音が入ることへの混乱は経験していない.FMシステムや磁気ループを介すると、両耳で聴取しているような聞こえが得られる.
  人工内耳装用に関する意見)全く同様の経過(手術の手技、人工内耳の機器、リハビリ効果)を辿った場合でも、音を認識する脳の機能は装用者毎に異なるため、人工内耳のきこえは高い個別性を生じる.「きこえるようになる可能性」を含むコミュニケーション方法の1つであり、装用者が聴者と同様のきこえを得るための魔法の機器には相当しない.装用を検討する際には、補聴器、手話、筆談など複数のコミュニケーション方法の活用も同列にあげ、最終的に個々の自由意思を根拠としてコミュニケーション方法を選択できることが最善.小児の場合は保護者が選択するため、成人とは多少、異なる過程になるものと推測.しかし、どのコミュニケーション方法を選択しようとも、それらを肯定した療育や教育環境の選択の幅を有していることが望ましい社会であるように思う.経済学者のアマルティア・センは、自由を「本人が価値をおく理由のある生を生きられる」とし、自己にも他者にもその理由をつまびらかにしながら、ある生を価値あるものとして選び取っていくという個人の主体的かつ社会的営みが実質的に可能であることを意味する(アマルティア・セン,後藤玲子:福祉と正義,東京大学出版,17,2008)と述べている.同時に、これらの自由を保障するために必要な諸条件(生存を支える物質的手段の保障、社会的諸関係や精神的・文化的手段)整備の必要性まで言及している.センの論理に倣うと、人工内耳を含む聴覚障害者のコミュニケーション方法の選択は個人の自由に委ねられ、かつ、尊重されると同時に、選択後の社会生活に必要な支援体制の整備が求められるといえる.現在、障害者権利条約への批准に向けた法律の整備も進められており、聴覚障害者個々のコミュニケーションニーズに対応可能な柔軟性を有する支援体制の検討や立案が望まれている.

B板橋安人(筑波大付属聴覚特別支援学校教員)「人工内耳装用児の『発音・発語』学習で考えられる指導上の観点

要旨)最近の補聴システムによる口話教育を受けている言語習得前の重度から最重度難聴児の話しことばの発達ペースは平均すると、健聴児のおよそ半分のペースとされている.この遅れは、しばしば低いリテラシー(読み書き能力)水準をもたらす.近年、新生児聴覚スクリーニングによって聴覚障害の有無が早期にわかるようになり、それに伴い0歳から聴覚活用が開始されるようになった.早期教育のなかでCIを装用した場合、CIが提供する音響情報によって、聴覚障害児は早期から話しことばへの接近が可能になる.この可能性は、適切な教育実践と相まって、幼ないCI装用児に話しことばの技能を発達させるよい機会を提供する.CI装用経験の増加とともに、聴覚障害児が音声の知覚と表出(発音)の技能を習得する機会も増してきた.(中略)ここから、音声の知覚と表出(発音)、言語の語彙・統語・語用などの面で同齢の健聴児の水準ぬ、より近い能力が発揮できるようになることを期待したいと願うのは筆者だけではあるまい.こうした能力の育成に指導上の力点が置かれる教育がCI装用児に求められている.ただ効果には大きな差が見られる.装用開始年齢、聴神経の損傷程度、調整法、認知技能、動機づけ、手話コミュニケーションを重視する教育と社会環境、親の協力などにより効果は可変すると言われている.CI装用後4〜6年間の使用経験においては、聴覚活用、発音、言語、読書力などの技能は、非言語性IQ、CIの機能、口話コミュニケーションによる教育などと深く関連していると考察した.こうした要因は、補聴器を装用している児童で、その効果が出ていない場合にも同様に当てはまる(Geers & Moog, 1989; 1992)との指摘がある.筆者が担当したCI装用児の観察からは、発音・発語に関しては全般的に以下の傾向がある.1.音声の知覚と表出(発音)の力の向上,2.口頭によるコミュニケーション力と1.の力との高い関連性,3.母音や子音などの分節面と音節の発音、リズム・イントネーション・語調などの超分節面の向上,4.聞きやすい声質,5.発話の明瞭性の向上,6.日常生活の多くの場面で発音を使う頻度の増大,7.日本語の力の習得の促進.以上の考察から、CI装用児の自立活動の発音・発語学習では、「聞く・話す」活動が「読む・書く」活動にスムーズにつながっていく生きた言語活動を行うことに配慮することが肝要(板橋安人:人工内耳装用児のための発音指導上の留意点と教材の扱い方.筑波大学付属聴覚特別支援学校紀要,34,2012)日本語を読話併用で詳しく聴き、正しく模倣する力の育成は補聴器装用児と同様に行なうことである.読話と聴覚活用の重視、話しながらその場で使うべき適切な表現を知らせ、日本語の感覚を研ぎ澄ます扱いも必要.「今その発音がちょっと…」と感じる場合は、対象児が発話した文を書かせ、改めて正しい日本語表現を確認することも発音・発語の学習では大切なプロセスとなる.話しながら担当者ろの積極的な心の交流があり、対象児が話してよかったと思わせる展開に持ち込む指導技術を磨くことも重要である.(中略)発音・発語の授業が発話の明瞭性だけを高めるだけの無味乾燥な扱いになっていないかの点検も担当者は怠ってははならない.

◆2012年 2月18日 日本 東京大学 人工内耳シンポジウム開催 
主催 : 東京大学医学部耳鼻咽喉科学教室
共催 : 財団法人日本障害者リハビリテーション協会
会場 : 東京大学構内山上会館大会議室

講演者:
坂田英明 (目白大学保健医療学部),安達のどか(埼玉県立小児医療センター)
伊藤 健 (帝京大学耳鼻咽喉科),鈴木光也(東邦大学佐倉病院耳鼻咽喉科)
柿木章伸 (東京大学耳鼻咽喉科),やまそば山岨達也 (東京大学耳鼻咽喉科)
尾形エリカ (東京大学リハビリテーション部)

・坂田教授:「難聴の診断と評価」要旨:五感のうち、視覚、臭覚、味覚、触覚 は生後2〜3ヶ月のうちに完成するが、「聴覚」が完成には、約2年を要する.人間が死ぬときも、「聴覚」は一番最後まで残る.難聴の原因のうち、特に老人性難聴についての話.老人性難聴は、内耳の酸化ストレスなどにより、ミトコンドリアのBak遺伝子が活性化することで発症すると判明.
http://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/tanokura091110.pdf#search='Bak遺伝子'

・安達先生:「高度難聴の発見と原因」要旨:新生児の聴覚スクリーニングと療育について.新生児聴覚スクリーニングの普及率―日本はまだ70%程度.外国に比べて遅れている.長野県など2〜3の県は90%以上.東京都は50%以下.発見の遅れが言語発達に悪影響を及ぼすことが懸念されている.乳児の聴力は胎生5、6週〜発生開始、1歳半ごろまでに完成.その間、聴覚は未熟で、あらゆる刺激に反応して活性化することが期待できる.音楽療法、骨導補聴器などを使い積極的療育必要,埼玉県立小児医療センターには「難聴ベビー外来」あり.

・伊藤教授「補聴器の効果と限界」要旨:補聴器の種類や性能についての話.補聴器相談医、認定補聴器技能者等の資格制度があるので有効に活用して欲しい

・鈴木教授「人工内耳の原理」要旨:音には高さ・大きさ・音色等の要素がある.人工内耳で再現する場合、音の高さは電極番号(刺激位置)、音の大きさは電荷量(信号の振幅×時間)、音色は複数の刺激電極の組み合わせによって決まる.音楽などの複雑な情報を持つ音は再現するのが難しいが、人間の声には特有のパターンがありそれをヒントに声を再現することができる.母音は、フォルマント(周波数成分の大きい所)の位置によって区別が可能.子音はやや複雑な信号を含み、聞き取りの良し悪しは、電極の「刺激頻度」も影響しているものと思われる。べケシーの蝸牛管モデルや、実際の蝸牛断面の様子など、図解での説明あり. アドバンスト・バイオニクス社の仮想120チャンネルは、ふたつの電極に流す電流を、例えば8:2などと分割することで、中間にピッチが生じたように聞こえるという発想で作られている.音楽がきれいに聞こえるという触れ込みだが、そこまでの実績は確認されていない。(山岨教授からの補足)

・柿木先生「人工内耳手術の実際」 要旨:具体的にどんな人が手術の対象となるかについての話.イラストによる内耳の解説.実際の手術の様子を録画再現で解説.手術では、ドリルの下に位置する顔面神経を傷つけないよう慎重に進めるとのこと.電極が入った後は、蝸牛内の液体が漏れてこないよう、穴を固めて手術を終了.

・山岨教授「小児における人工内耳の術後成績に関する因子」 要旨:小児の術後の成績には、様々な要因が関係している.例えば、難聴の原因、その程度、生後の補聴開始時期、人工内耳の手術時期、療育方法、障害の有無、残存神経、電極の位置や数等.幼児の場合、聴覚口話法は「聴力」を伸ばし、手話などを交えたトータル法は「言語能力」を伸ばすと考えられている.聴覚口話法を中心にすると聴力が伸び、トータル法を中心にすると聴力は伸びない.「聴力を伸ばす」ためには、トータル法では効果がなく、療育に携わる方々はこの点で、思い切って考えを変える必要.補聴器と人工内耳は別のものと区別し、人工内耳装用の場合、聴覚重視の訓練をするべき.先天性難聴児に対しては、生後できるだけ早く、音を入れる(補聴)ことが特に重要.(富士見台診療所等、前向きに取り組んでいる施設の名前をあげる)

・尾形先生「言語聴覚士からみた人工内耳」要旨:人工内耳の聞こえは個人差が大.まったく効果がない場合もないわけではない.音の検知、音の認識、音声産生、自尊心、活動、社会的相互作用などの点からQOLを分析すると、バラつきはあるものの一定の効果が確認できる。小児の場合、聴能訓練をしっかりした上で「読み書き」の訓練で言語能力を高めることが大切.  「両耳装用」のメリットは、雑音下での聞き取りが向上すること.(山岨先生からの補足で、ある耳鼻科医師で両耳装用の方が、会議などに出席してもほぼ聞き取れるとのこと.これは、個人差もあるこで必ずそうなるわけでもないとのこと.

・会場からの質疑とそれへの応答(主に山岨先性)
@一歳の先天性の難聴の場合、補聴はすぐに始めたほうが良いのか?
⇒一歳であれば、すぐに始めてほしい.害があるということはない.
A三歳児の装用に関して、人工内耳のデメリットが心配なのだが?
⇒デメリットはインプラントの故障、MRIの制限、スポーツのときの注意.
 少し遅いかもしれませんが、すぐに始めたほうがいいでしょう。
B人工内耳の手術をすると残存聴力は完全に失ってしまうのか?
⇒最近は短い電極を使うなどの方法で低侵襲の手術も行われている. 実際に術後も聴力が残っている場合があるが聞こえに大きい影響はない. どうしても残存聴力を残しておきたいならば、場合によっては補聴器の装用を考えるという方法もあるかと思います。
C聾学校で教えていますが、療育に関する医療側からの情報が乏しい点に不安を感じています.
⇒人工内耳について、病院の方から相談を持ちかけても、積極的反応が得ら れないのが現状.こちらから相談することはあっても、施設の側から相談を受 けることはなかった.こちらからの情報発信の仕方にも反省点があるかもしれませんが、施設の側も少し意識改革の機運があってもよいように思います。

◇2012年4月27日 日本 文部科学省 中央教育審議会 初等中等教育分科会 特別支援教育の在り方に関する特別委員会 「特別支援教育の在り方に関する特別委員会」第17回会議開催 下記資料が配付される.(文部科学省HP参照)
資料5-2:特別支援教育の在り方に関する特別委員会報告(委員長試案)平成24年4月27日
「○教員養成段階においても、聴覚障害の学生がいると学生は手話を覚え、視覚障害の学生がいると点字を覚え、肢体不自由の学生がいれば、介助等様々な支援を通じて周囲の学生の理解が深まる。高等教育の教員養成課程の中に障害のある学生が入学してくるような環境整備が行われることが望まれる。」
※田中注:上記は「障害者の権利に関する条約」(2006年12月第61回国連総会で採択、2008年5月発効.日本は2007年9月署名)の批准に向けた動きの一環である.すなわち、2009年12月に内閣総理大臣を本部長とし、文部科学大臣も含め全閣僚で構成し設置した「障がい者制度改革推進本部」が当面5年間を障害者制度改革の集中期間と位置付け、改革推進に関する総合調整、改革推進の基本的方針案の作成及び推進に関する検討実施の一環である。

◇2012年 日本 聴覚障害誌1月〜5月号 多様な指導法・情報保障等の記事掲載一覧―2月号・特集「人工内耳」,2・3月号「聴覚障害児の早期教育における母親の支援の重要性(1)(2)(児玉眞美・大沼直紀・福島智)」,5月号・特集「聾学校の授業(中学部・高等部)」―脇中起余子「「視覚優位型・同時処理型」の生徒に対する指導について−算数・数学における授業の試み−」・飯田茂「一側性難聴と発達障害がある生徒の生活再生を図る教育相談と支援−病床につき母親の代役を担う祖母への教育相談を通して−」

[参考資料]
*1 「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『T・会報でたどる[ACITA]のあゆみ・・[ACITA]運営委員会』参照
*2「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『U・日本における人工内耳のあゆみ…(株)日本コクレア』参照 
*3−1 「回復する聾-」船坂宗太郎著 参照
*3−2「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望- 人工内耳スタート四方山話-東京医大・船坂宗太郎(Dr.)』参照
*4「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-人工内耳に携わって-東京医大・河野淳(Dr.)』参照
*5「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-第0(ゼロ)回人工内耳友の会から今まで-虎の門病院・熊川孝三(Dr.)』参照
*6「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-アジア・太平洋人工内耳シンポジウムのことなど-京大医学部・本庄巌(Dr.)』参照
*7「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-人工内耳埋込み術、10年の歩み-札幌医大・形浦昭克(Dr.)』参照
*8「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-人工内耳雑感-琉球大・宇良政治(Dr.)』参照
*9「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-地域リハビリテーションの試み-宮崎医科大・牛迫泰明(Dr.)』参照
*10「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-人工内耳を始めた頃のころ-大津赤十字病院・伊藤壽一(Dr.)』参照
*11「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-大阪大学における9年間の歩みと将来展望-大阪大医学部・久保武(Dr.)・井脇貴子(ST)』参照
*12「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-全く聞こえなかった、前の自分を思えば…。-和歌山県立医大・山中昇(Dr.)』参照
*13「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-皆、明るく生き生きと-浜松医科大 星野知之(Dr.)』参照
*14「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-ふりかえり、そして新たな明日へ-国際医療福祉大・城間将江(ST)』参照
*15「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-[ACITA]とリハビリテーション-虎の門病院・氏田直子(ST)』参照
*16「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-遊ぶことから始めました-大阪大学医学部耳鼻咽喉科・井脇貴子(ST)』参照
*17「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-雑感-国立リハセンター研究所・福田友美子(ST)』参照
*18「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-人工内耳の思い出と期待-愛媛大教育学部・高橋信雄(言語リハ)』参照
*19「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-はじめの一歩から十歩めに…-埼玉県立大宮ろう学校(当時)・加藤慶子』参照
*20「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『V・回想と展望-人工内耳装用児の教育的課題-筑波技術短大教授・大沼直紀』参照
*21「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『W・メッセージ/お祝いの言葉-大阪の南の拠点に-大阪労災病院耳鼻咽喉科・奥村新一』参照
*22「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『W・メッセージ/お祝いの言葉…全難聴理事長・高岡正』参照
*23「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『W・メッセージ/お祝いの言葉…横浜市中途失聴・難聴者協会会長・長尾重之』参照
*24「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『X・第1回懇談会参加者の思い出…装用者・石井正恵』参照
*25「人工内耳友の会[ACITA]会報 創立10周年記念誌」 『W・第1回懇談会参加者の思い出…装用者,友の会会長・小木保雄』参照
♯0 「人工内耳のはなし」ジューン・エプスタイン著 学苑社発行
♯1 社団法人全日本難聴者中途失聴者団体連合会HP 沿革(全難聴の沿革・聴覚障害者関係年表)参照 ♯2 財団法人全日本ろうあ連盟発行 『みんなでつくる手話言語法』「これまで手話は?(日本における手話のあゆみ)」2011年10月発行 参照
・「神尾友和,他:単チャンネル方式人工内耳の実際…神尾友和他」『耳鼻咽喉科・頭頸部外科』62巻6号 1990年6月
・「よみがえった音の世界」人工内耳友の会編 学苑社発行
・「回復する聾」船坂宗太郎著 人間と歴史社発行
・「ろう児の人工内耳手術の問題点」長瀬修著 第8回日本生命倫理学会年次大会抄録集
・「難聴児童生徒へのきこえの支援――補聴器・人工内耳を使っている児童生徒のために」財団法人 日本学校保健会発行
・バイオニックイヤーシステム:http://www.bionicear.jp/
・医療法人財団 神尾記念病院:http://www.kamio.org/
・日本コクレア社:http://www.cochlear.com/jp/
・日本バイオニクス社:http://www.bionics.co.jp/
・メドエル:http://www.medel.at/japanese/index.php
・人工内耳友の会[ACITA]:http://www.normanet.ne.jp/~acita/
・人工内耳友の会―東海―:http://www2u.biglobe.ne.jp/~momo1/
・[外部リンク]人工内耳‐フリー百科事典『ウィキペディア』
・きこえとことばの情報室(黒石耳鼻咽喉科,黒石敏弘医師開設ホームページ http://www20.big.or.jp/~ent/jinkounaiji/jinkounaiji_index.html
・日本耳鼻咽喉科学会 http://www.jibika.or.jp/
・聾教育研究会 http://www1.normanet.ne.jp/~ww100114/
・全国難聴児を持つ親の会 www.zennancho.com
・[外部リンク]全国ろう児をもつ親の会 ・ろう・難聴教育研究会 http://www.normanet.ne.jp/~deafedu/index-4-2.html
・全国早期支援研究協議会 http://www.soukisien.info/
・ギャローデット大学同窓会日本支部 http://www.mars.dti.ne.jp/~507rei/g_unive07.html
・日経メディカルオンライン:http://medical.nikkeibp.co.jp
・北京(サーチナ)エキサイトニュース:   http://www.excite.co.jp/News/china/20090225/Searchina_20090225086.html?tbpage=1
・中国国際放送局サイト:http://japanese.cri.cn/881/2009/07/06/1s143077.htm
・人民網日本語版サイト:http://japanese.dl.gov.cn/jpinfo/189927_282329.htm
・ろう教育‐フリー百科事典『ウィキペディア』:   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8D%E3%81%86%E6%95%99%E8%82%B2
・ろう文化‐フリー百科事典『ウィキペディア』:   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8D%E3%81%86%E6%96%87%E5%8C%96


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■関連する事項・人物・著作・組織

作成中。ごく一部だけ掲載。
[事項]
聴覚障害・ろう(聾)
聴覚障害/ろう(聾)の本
盲ろう(者) deaf-blind individuals
サイボーグ
道具/福祉機器
異なる身体のもとでの交信――情報・コミュニケーションと障害者
人工臓器 artificial organ

[人物] ◇上農 正剛
坂本 徳仁
長瀬 修

[著作など] ◇黒田 生子 20080120 『人工内耳とコミュニケーション――装用後の日常と「私」の変容をめぐる対話』,ミネルヴァ書房,254p. ISBN-10: 4623050378 1890 [amazon][kinokuniya]
◇人工内耳友の会(ACITA) 19921025 『よみがえった音の世界――人工内耳を使用して 』,学苑社,232p.ISBN-10: 4761492112 ISBN-13: 978-4761492113 1600 [amazon] ※
◇舩坂 宗太郎 19960131 『回復する聾――人工内耳で聴覚は蘇る』,人間と歴史社,224p. ISBN-10: 4890070923 ISBN-13: 978-4890070923  3800 〔amazon〕※ d/c02

◇Blume, Stuart 199507 =長瀬 修訳 199603 「人工内耳に関するフランスの動き」,『みみ』71(1996-3),全日本ろうあ連盟
長瀬 修 19951001 「世界ろう者会議に参加して――ろう者は言語・文化集団 」,『ノーマライゼーション 障害者の福祉』15-10(1995-10):74-76,15-11(1995-11):49-50
長瀬 修 1997 「ろう児の人工内耳手術の問題点 」,『生命倫理』8
長瀬 修 19980325 「インタビュー カロリーヌ・リンク 映画「ビヨンドサイレンス」――あるがままを受けとめる」『季刊福祉労働』 78:8-11
トータルコミュニケーション研究会 2000年TC研究大会報告書 編集責任者:新井孝昭「北欧のバイリンガル教育の理論と実践」2000年8月発行,2001年TC研究大会報告書 編集責任者:矢沢国光「北欧のろう教育から学ぶ」2001年7月発行

[組織]
ろう・難聴教育研究会(旧トータルコミュニケーション研究会)
◇人工内耳友の会 [ACITA] (全国組織)
 http://www.normanet.ne.jp/~acita/
◇人工内耳友の会 [かたつむり] (ACITA北海道支部)
 http://www.sapmed.ac.jp/unc/katatsumuri/SnailHomePage.html
 ◇人工内耳友の会 –東海支部- (ACITA東海支部)
  http://www2u.biglobe.ne.jp/~momo1/
◇社団法人 全日本難聴者・中途失聴者団体連合会 (略称 全難聴)http://www.zennancho.or.jp/


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■報道・ニュース等

追加予定



*作成:田中 多賀子
UP:20100623  REV: 20100624, 0705, 0714, 0823, 1020, 1127, 20110608, 1117, 1210, 20120131,0610, 0612, 0627, 0629, 20150601
聴覚障害・ろう(聾)  ◇道具/福祉機器  ◇異なる身体のもとでの交信  ◇サイボーグ 
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