「ただ声を出すにはいくらかは筋肉が動かなければならないから、ALSの場合にはうまくいかないこともあるし、次第にうまくいかなくなることもある(若生[2003-])。呼吸器を付けないにせよ付けるにせよ発声ができなくなったときにどうするか。一九七〇年代の状況についての記述もいくつか拾える。
【432】 七五年五月にALSの母がいる鈴木千秋が医師から聞いた言葉。[298]にも別の部分を引用。《口、手足から体全体が動かなくなるのを待つばかりだが、頭と眼の機能だけは残るから、壁に大きな文字を貼って視線で追えば意思伝達は可能である。》(鈴木[1978:57])
【433】 川合亮三[313]、七五年頃。《私はいずれ字が書けなくなることを知っていた。それなりの覚悟も出来ていたつもりである。ところが、いざその時が来てみると、意思を相手に伝える手段のないことに気がついて、うろたえた。妻は、唇のかすかな動きを見て日常の用を足してくれるが、その妻にも、少しこみ入った話になると解って貰えない[…]/字が書けなくなって半年を過ぎた頃、〈あ・い・う・え・お〉を紙に書いたものを目で追い、妻がそれを拾えば意思が伝わることを知った。思っていることが相手に伝わり、目の前が急に明るくなった。》(川合[1987:154])
【434】 伊井[293]、七五年。《足指のところに置かれた押し板でブザーを鳴らし、目の正面の壁に貼られたアイウエオの文字表を使って、まばたきの回数から、奥さんが一字一字探し出しあてて伊井さんのことばを作り出していく。》(木下[1996-(10):37]に川村他[1978:167-169]からの引用として)
【435】 橋本みさお[416]の発病は八五年だが、《その頃の日本では、ALSは死に至る病で、終末期には眼球によるモールス信号でのコミュニケーションしかない、と言われた絶望的な病でした。たった一五年前のことです。》(橋本[2001a])
実際によく使われるのは文字盤だろうか。身体で動く部分の小さな動きで合図を送ることは多くの人が行なっていることだが、言葉にしようとすると、五〇音にいくつかの定型的な表現を加えた文字盤を用いる。手や首が動くならその動きを使える。また眼球が動くなら、文字を目で追い、それを読み取る。
【436】 透明な盤に五〇音の表があり、その盤の向うにいるALSの人がある文字を見る、その人の視線と文字盤に記された文字とを一致させるというやり方で読みとることができる。このタイプのものを私が見たのは、二〇〇三年の春、大澤真幸が京都大学の大学院の演習に高井綾子(東京都)を招待した時だった。高井は八二年に発症、八九年に呼吸器を使いはじめた人で、様々なものを発明してきた発明家なのだが(高井[1998(?)][2001])、文字盤も彼女が改良したものだった(大澤が高井と彼女のもとにやってくる人たちのことを書いた文章に金子・大澤[2002:65-81]、大澤[2002:219-220])。
もちろん交信も身体の状態に左右される。呼吸がうまくいかないと文字盤での発信も難しい。
【437】 《できるだけ人工呼吸器の使用時間を短くしたい、人工呼吸器に頼ってはいけない、という気持ちが彼の闘病意欲を支えているかのようでした。ですから、訪問している間、かなり苦しそうな様子のときも、なかなか人工呼吸器を使用しません。無理な負担はかえって病気の進行をはやめることをいくら説明してもなかなか理解してはいただけませんでした。/ある訪問の日、Bさんは息苦しさのため文字盤もうまく読めなくなってしまいました。[…]本人が何と言おうと、文字盤を使用しているときだけ人工呼吸器を装着することにしました。実際呼吸器を着けてみると、いままでの苦労はどこへいったのか分からないほど、スムーズに文字盤を読み取ることができました。[…]/こんなことをきっかけに、Bさんの人工呼吸器に対する考え方は変わってきました。》(奥山[1999:31-32])
【438】 橋本みさお[435]は《現在ワープロは右足親指で、ナースコールは額に付けて使っています。日常会話は、母音を唇で形作り介護者に、母音の形を覚えてもらい「う」の形の時は、ウクスツヌフムユルと言ってもらって「く」と言いたいときは、「く」で、まばたきをします。」唇の動かせない患者には、介護者が「アイウエオン」と言って患者に合図してもらい、母音が決まった五〇音表を横に進んで子音を選びます。もちろんその逆でも良いのですが「ん」を忘れると永遠に話は終わりません。文字盤を使う方が多いのですが、「努力、根性、忍耐」のすべてを欠いた私には向いていないようです。患者も介護者も五〇音表を丸暗記しなければなりませんが頭の体操にオススメです。》(橋本[1997g]cf.橋本・安城[1998])
これでは途方もない時間がかかりそうだが、そうでもない。《ゆっくり話す人だったらこの人にはかなわないほど、ものすごく早く話します》(山口進一[2000])というほどとは思わなかったが、橋本は十分に速く話す。習熟した介助者であり通訳である人が、「ウクスツヌ…」と言いながら、橋本から発せられた字の列を記憶していき、一文になったあたりでまとめて言ってくれる。だから、どこかが動く限り特別の機器がどうしても必要なのではない。ただ読み手の側の学習が必要ではあり、そして多くの場合に読み取りに時間はかかる。多くの入院患者を相手にする病院等で、意志を通じさせるための人と時間が提供されず、意志を伝えることのできない苦痛は[414]でも語られていた。」(立岩[2004])
"橋本みさお"について
「この方はコンピュータも使えますが、通訳の方法がすごいのです。橋本さんが母音の形に口を開くと、通訳の方がその子音を発音し、目的の言葉がでたところで瞬きをするのです。電話をかける時の様子の映像をお見せします。(映像)ゆっくり話すひとだったらこの人にはかなわないほど、ものすごく早く話します。」
「在宅療養になって停電になると「いつ復旧するか?」と思うのが最大の関心事です。すぐに電力会社に問い合わせようとしたら、電話もデジタルのためにかからず無念の涙を飲んだことがあります。その後、古いダイヤル式の黒い電話機は、磁石方式なので停電でも使える、とのことで、NTTに返納せずに冷遇されていたのに、長時間の停電のときは、茶の間でどっかりと存在価値を示しています。今は携帯電話があります。と言われそうですが、私方にもありますが、小さいものですから置き忘れもあるが、なによりも南は海、後の三方は山という自然の要塞のような地形の電波の不安もあるので、ダイヤル電話機はここ一番の信頼はあります。このように[古い奴]に助けられて生活しています。」(pp.30-31)
http://www2.snowman.ne.jp/~masasi/speak.htm
「私は,小型コンプレッサー(スピーキングコップレッション)を使って声を出しています。平成7年日本ALS協会総会の時千葉支部のALS患者水野さんが呼吸器を付けていたがスピーキングコップレッションを使い肉声で話をしているのを見て私も気管切開の時は、これを付けようと思っていました。気管切開35日後にスピーキングコップレッションを導入し肉声を取り戻し現在は声は低いが日常会話が出来ています。
スピーキングコップレッションを使い発声するには、気管カニューレの問題もあります。「ポーカレイド」を使用します。これはカフの上に開口部のある細い管があります。ここからスピーキングコップレッションで空気を入れると空気が声帯を通りますので話ができるわけです。
このポーカレイド・カニューレはかなり嚥下困難が強くても食事が口から食べられることです。つまり、カフを十分膨らましておくと、口から摂ったものが気管の方に誤嚥されても吸引できるからです。ポーカレイドは、発声によし、嚥下によし、また喉頭洗浄が可能と、利点があります。
スピーキングコップレッションで出来ることうがい空気が送れられているのでガラガラと気持ちよくうがいが出来ます。 食事ですが、気管切開後1年ですが普通に食べています。
時々家族で外食にも行きます。
気管切開手術の次の日より普通食にしていただきました。はじめは喉にカニューレがあるのでとても違和感があり飲み込むとき苦労しましたが10日もするともう何でも食べられるようになりました。とろろそばが一番良かったように思います。
お酒も少し頂きますが、ストローのせいか酔いが回るがとても早いです。」(鎌田)
(手術から)「3日目、手術後初めてのカニューレ交換。主治医、耳鼻咽喉科の先生のお計らいでスピーキングカニューレに挑戦はしたものの、私には合いませんでした。残念な気持ちもあったが、痛み、苦しさ、えずきの激しさには勝てなかった。主治医のU先生、耳鼻咽喉科のO先生はしばらく様子を診て下さっていましたが、私の意志で諦めた」
「気管切開後、意思伝達用パソコンはあっても自分の意思を文章で表現するのが難しく、スピーキングバルブにも挑戦しました。」
「スピーキングバルブにも挑戦しましたがカニューレのカフのエアーを減らすと微かに声が漏れ意思を伝えることが出来ます。」
「だからどうしても機械が必要なのではない。人工呼吸も手押しのバッグでやっていた時代があった[287]。生きていくのに高度な機械が必須であるわけではない。ただ、コンピュータを使う場合には他人の技術や時間の有無に依存する度合いが減る。川口武久のように文章を書くのにカナタイプや普通のワープロをいくらか工夫して使う人はいるが、指にも力が入らなくなればそれも使えなくなる。そこで橋本の介助・通訳者のような働きをするコンピュータが登場する。
画面上をカーソルが一定の速度(速い遅いは設定できる)で「あ・か・さ・た・な…」と動いていく。例えば瞼の動きを信号に変えて、あ行を指定する。こんどはカーソルは「あ・い・う・え・お」と動く。そうして字を選ぶ。五〇音以外にも日常的によく使う言葉を設定しておくことができ、それらについては一つひとつ文字を拾わなくてもよい。こうした機器が使われるようになるのは一九八〇年代の半ばからのようだ。」(立岩[2004])
「奈良にいるAさんの弟さんから、便りが届く。鳥取大学病院に入院中のAさんが、新しく開発されたパソコンレター作成機を使って、意志伝達のテストを開発された、という。
手紙によると、新しい機械は、ワープロとパソコン、筋電計をセットしたようなものらしい。ひら仮名の五十音順が表示された画面を、タテ、ヨコ二本の細い帯(選定帯、カーソル)が上から下へ、左から右へと動く。それを見ながら、使いたい文字のところへきたとき、まばたきをしたり、あるいは奥歯を軽く噛んで合図する。すると、頬にはりつけてある電極が筋肉のかすなかな動きをとらえ、その文字が印字されて出てくるという。
自分の意志が伝えられる。これほどの喜びがあろうか。特にAさんの場合は、六年間の”沈黙”がある。体の自由を奪われ、一言の意志表示もかなわなかった六年。それにひたすら耐え、ようやくにして”言葉”を取り戻そうとしておられる。Aさんの喜び、家族の方がたの感激はいかばかりだろう。……」(川口[1985:228])
「名古屋の労災病院で、寝たきりの患者でも、身の回りのことができる機械が開発されたという。ベッドの上げ下ろしはもちろんのこと、テレビや電話までも、その機械に息を吹き込むだけで操作できるらしい。手足のきかいな人にも自活の道を開く、画期的なものといえるのではないか。
ありがたい、これなら私にも使えると思ったが、この病いが進めば、肝心の息が吹き込めないことに気づき、現実に引き戻される。運動神経がすべて閉ざされてしまうのでは、話にならない。
頭の機能だけは、最後まで残るという。それを活かしたものが開発されないものか。せめて意志だけでも、自由に伝えられる装置が作り出せないものだろうか。それは夢の夢なのか。」(川口[1985:236])
「しゃべれない私たちにとって素晴らしいプレゼントがあった。それは病(p.91)院でワープロを買ってくれたのである。たったひとつ残念なことに、そのワープロはひとりでは操作できないという欠点があった。誰かにボタンを押してもらわなければならないのである。付き添いがいるのだから、そんなことはどうでもいいことだが、とにかく私たちには素晴らしい贈り物には違いなかった。/[…]たとえば、画面に五十音が全部出るから、その五十音の上をカーソルという四角い棒状の物が動く。「あ」を書きたいとき、まずカーソルが「あ行」にきたら目で合図を送る。すると付き添いがボタンを押す。」(土屋他[1998:91-92])
「六一年一〇月には、すっかり言葉をなくしてしまった。私はこれまで書く方はさっぱり駄目で、もっぱら口に頼っていたので、言葉だけはと祈る思いだった。別れは何でもつらいが、言葉との別れは格別つらく、未練が残った。
手足も駄目、そして言葉も駄目となると、自分の意思伝達ができない。万事休す。もはやこれまでかと、さすがにがっくりきた。
そんなある日、本部の松岡事務局長から電話があり、スイッチ一つで文字を打てるパソコンがあると聞き、さっそく導入することにした。一〇〇万円も出せばすぐに使える立派なのがあるとのことだが、できるだけ経費節減といきたいので、いろいろ調べてみた。」(松本[1995:35])押しボタンスイッチ、ソフト、MSXパソコン、プリンター一式、一四万五千円で購入。
1991年2月発症 8月16日山梨県立中央病院神経内科入院
1992年2月22日 「山梨大学の山下先生らの尽力により、意思伝達装置「パソパルPC」が私たちのような病人にも送られてきた。早速使ってみる。打った文字が画面と音声になって出、ワープロと同じように印字もできる。口や手で意思の表示が出来ない私たちにとってこんないいものはないと、新しい世界が生まれてきたような気がする。」(p.182)
土屋 とおる 19930111 『生きている 生きねばならぬ 生きられる』,静山社,198p. 1300
文字盤を使っていたが、まばたきを使うワープロを使うようになる。「初期のころは、十分も打ちますと目は疲れ、腰は痛く、長続きするかしらと思いましたが、十五分、二十分と時間を延ばし、今でも急ぐことがあれば、七時間くらい通して打てます。[…]/ちなみに、紙一枚、約四百字打ちますのに二時間かかるというスローペースのワープロですが、少しでも私の心の思いが通じ、理解してもらえたらと願って打続けております。/ワープロは、私の命。心のままに活躍してくれるのが不思議です。」(土居・土居[1998:49])
「文字盤では表現しえないことばの数々、文字に表わして感謝とお礼のことばを打てた日の喜びは、今も脳裏から離れません。」(本田昌義への手紙より、土居・土居[1998:51])
「退院後一年ほどして瞼の動きで操作できるワープロを入手して、受動的な生活から脱することのできた喜びはこたえようもなかった。」(東御建田[1998:2-3])
「生まれながらにして脳性麻痺という重い疾病を持つ篠原さんは、現在ご家族の温かい介護を受けながら在宅療養中である。毎日パソコンに向かって、これまでお世話になった方々や友人にメールを出すのが日課になっている。27歳の頃、初めてパソコンを購入し、本格的に自分でプログラムなどを組み込みながら勉強していた。その頃一生懸命勉強していたことが、今の生活でも大いに役立っているという。
篠原さんが今使用している意思伝達装置(NECのソフトパートナー)は、横浜のあるリハビリセンターの先生に推薦されたものである。有明の東京ビッグサイトで開催された展示会へ出向き、実際に下見した。〜中略〜このソフトパートナーは足でボタンを押すだけでマウスやキーボードを操作できる。装置画面にキーボードを自分で作成し、縦のカーソルと横のカーソルが交差するところでボタンを押す。パソコンの操作は篠原さんにとってはお手の物だった。時にはお父様も、パソコン操作でわからないことがあると篠原さんに教えてもらうほどの腕前である。篠原さんにとってはパソコンが何よりの楽しみであり、生きがいでもあった。これがあれば言語障害があろうと、手足が不自由であろうと、北海道から沖縄まで多くの友人たちと意見交換や、情報交換を行うことができる。電話をしたり、手紙を書いたり、パソコンのキーボード操作が何の障害なくできる健常者にとっては、メールはコミュニケーションの一手段に過ぎないが、身体障害を持つ人にとってはどんなに有り難いものであるか、篠原さんが熱心にパソコンを打つ姿を見ながら痛感させられた。篠原さんはこのパソコンを使ってメールを送受信したり、はがきを作成している。「たとえ返事が来なかったとしても、一度でもお世話になった方には必ず毎年、年賀状や暑中お見舞いのはがきを出すんですよ。迷惑でなければいいけど…。」とお母様が笑っていた。今年の暑中お見舞いの葉書を見た限りでは身体に障害がある人が作ったとは思えないほどの出来栄えであった。」
「株式会社テクノワークスが1998年に発表したTE−9100自立支援型介護システムを取り上げ、コミュニケーション・ツールの有効性を述べる。当社では1991年に注視点検出技術の事前調査及び基礎研究を開始し、1993年にTE−9100自立支援型介護システムの研究開発に着手した。この製品は戦闘機などの軍事目的の戦略兵器やドライビングシュミレーター、研究用途の眼球測定装置に利用されている人間の目線を検出する技術を生かしたものである。開発着手から5年間研究開発を重ね、ついに1998年、研究用のシステムと同等の検出精度を持つ高性能で安価な福祉用システム『TE−9100自立支援型介護システム』を実現し、1999年には日常生活用具の給付の対商品となる。」
「最後に意思伝達装置についてお話しします。意思伝達装置というのは世の中にたくさんあり、こんな声が出ます。(装置の音声)「これは新しい音声合成システムです」私は声が出なくなっても、こんな声で意志を伝えたくない。自分の声で伝えたい、と思っているのです。ALSに罹って間もないまだ元気な頃に、自分の声をたくさん録音しておけば話せるんじゃないかと試したものです。これは電話を想定して収録した声です。(山口氏の声)「もしもし、山口です。お元気そうですね..。」ところがこんな語句は数限りなくあるわけです。話せなくなった時のための言葉の全てを、今思い浮かべることなんてできない。あいうえお、をそのまま録音しておけばいいと思われる方もいるかもしれませんが、するとこんな声になるのです。「お・は・よ・う (<語句の間が間延びしている)」これは確かに私の「声」ですけど、私の「言葉」じゃないですよね。
そんなとき、ニック・キャンベルさんという方にお会いしました。日本で「チャター」という音声合成システムを研究されています。パソコンで文字を入力すると、チャターが私の言葉で話してくれると言うものです。日本語は50音だけでなく、一万何千という音があるそうです。それらの音を合成するシステムです。これは黒柳徹子さんの文章です。彼女の朗読テープから音を拾って声を合成したものを、黒柳さんに送付したところ、返事がきました。チャターを使ってこの手紙を読むとこうなります。(黒柳徹子の声)「私の声のテープを聴かせてもらいました。声、息の抜き方、息の切り方もよく似ています。」もう一人慶応大学のSFCにおられる飯田さんという方を紹介しますが、この方はニック・キャンベルさんのシステムにさらに感情という要素を加えようと研究されている方です。同じ文章を悲しい声、喜んだ声、怒った声に分けて伝えようとされています。
私はぜひ両氏の研究に関わりたいと、強く申し出ました。そうしたら私の声で合成してくれることになったのです。まず声のデータをとる必要がありました。両氏と共に、九州芸術工科大学の立派な無響室を使わせていただきました。全ての音片(おんぺん)を含む文章を録音していきました。(音声のデータ収録風景の映像)そして、つい一週間ほど前に私の声の音声合成システムができました。私の声に似ているかどうか聞いてみて下さい。(チャターの声)「私もいつかは声が出なくなり、意思伝達装置が必要になります。その時にあの無機質な声ではなくて、自分が元気な頃の声で話せたらどんなによいか、と考えました。...」まだまだ改良する必要がありますが、このチャターがあれば声を失った後も、今日のような講演ができるのです。将来に非常に希望を与えてくれる装置です。」
「今ではパソコンでメル友を紹介していますので、患者さん同士でメール交換されている方も多く、一つの生きがいにもなっているようです。当支部がいちばん訪れる活動は、スイッチの作成です。患者さん宅を訪問して、今迄のスイッチが使用できなくなって困っているという悩みが多かったので、遺族の高橋弘さんにそうした技術の修得してもらい、高橋さんには随分と活動してもらっています。患者さんの訪問をしていただいて患者さんの残された機能〜力が残っているのはどこかを探して、その患者さんに合った使いやすいスイッチを作って貸し出しています。」
「川崎市の田辺陽一さんは現在21歳。若くして病を得た彼の今のモットーは、「悩んで悩んで、そして楽しむ」。「病気だからちょっと不自由なだけで、あとは本当にフツーそのもの。迷惑をかけているかわりに、周りの人を少しでも笑わせてあげたいな、といつも思っています」。文字盤を介しての彼の言葉には病気の気負いはなく、おおらかに病気を受け入れ今の生活を楽しんでいる余裕さえ感じられる。〜中略〜現在は目と額の筋肉でコミュニケーションをとっている。
生活スタイルは変化しても、自分らしさこだわる前向きな姿勢は変わらない。人工呼吸器や吸引機、エアマットを選ぶ時も、主治医に詳しい話を聞き、さらにインターネットで調べ、いろいろ試した上で納得のいくものを選んだ。〜中略〜多くの難病患者と同様、陽一さんもパソコンを愛用している。一日におよそ5、6時間、おもに情報収集に使っている。「これから自分の病状がどう進むのか、どんなものが必要になるのか、必要な時が来たら何を基準に選ぶか。そういったことを自分なりに調べて準備しておきたいと思っているんです」。〜中略〜高校の時に作ったホームページの更新も続けているが、パソコンの利便性に向ける彼のまなざしは、「これは魔法の箱じゃない」ととてもクール。「僕のような動けない人間にとって、パソコンはすごく便利です。でも、その反面パソコンに触っているだけで何かをしているような錯覚を起こしてしまいがちだと思う。本当に大事なのは、パソコンを使って何ができるかなんですよね」。」
身体の不自由な方のための意思伝達装置
「伝の心」 概要
http://www.hke.jp/products/dennosin/denindex.htm
1997/12/ 「伝の心」(日立製作所)発売
「ALS患者向け意思伝達装置「伝の心」の開発」,『第12回リハ工学カンファレンス講演論文集』pp.91-96
「日立製作所、ALS患者向けの意志伝達装置『伝の心』の機能強化を発表」,『ASCII24』1998/08/26
http://ascii24.com/news/i/serv/article/1999/08/26/604089-000.html
「意志伝達装置に望まれていること――「伝の心」を例として」,『第11回リハ工学カンファレンス論文集』pp.497-502
「「伝の心」について」,『JALSA』044:26-29(平成10年度日本ALS協会総会・特別講演)
「日立製作所の社員がALSに罹りました。[…]二番目の要因として、北里病院東病院から共同研究の提案がありまして、私共の関係ですとALSの患者さんとの接触は余りありませんので、こういう提案があったというのは非常にラッキーだったと思います。三番目の要因として、お金が取れたということです。財団法人のテクノエイド協会という厚生省の外郭団体ですが、そこから平成六年度、七年度、合計二千万円の補助金が取れたということで、この三つが重なりまして「伝の心」の開発に至ったということです。」(小澤[1998:26]、立岩[2004]に引用)
「日立製作所、ALS患者向けの意志伝達装置『伝の心』の機能強化を発表」,『ASCII24』1998/08/26
http://ascii24.com/news/i/serv/article/1999/08/26/604089-000.html
「(株)日立製作所は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者に向けた意志伝達装置『伝の心(でんのしん)』を機能強化して、10月1日に発売する。ALSは、脊髄の運動神経が冒されて徐々に全身の運動機能が低下する難病で、宇宙物理学者のホーキング博士もこの病に侵されている。日立製作所の社員がこの病気にかかったのを契機に'97年に『伝の心』を開発したことは、以前にもこのサイトで紹介したことがある。
同製品は、体のごくわずかな動きをセンサーで感知し、その信号をパソコンに送ることでさまざまな機器の制御を可能にす るものである。今回の機能強化のポイントは、以下の2点。
まず1つめは、迅速なコミュニケーションを可能にしたこと。これまでの製品のように画面上の文字を1つ1つ選択して文章を作るのではなく、用意された日常会話文や自分で登録した文章から、素早く文章を作成できるように改善された。
2つめは、利用できる周辺機器を増やしたこと。前製品では、テレビのリモコンが利用できるだけだったが、今回の機能強化で、コントロールできる周辺機器が拡張された。患者は、さまざまな周辺機器を接続して、本を読んだり、ゲームをしたり、金魚に餌をやったりすることが可能になった。
こうした拡張は、“学習リモコン”の開発によって可能になった。家電用リモコンのセンサーの赤外線コード(機器操作の情報)を学習リモコンに記憶させることで、家電製品がリモコン操作で利用できる。現在利用できる周辺機器は、ページめくり機『りーだぶる』、金魚などの自動給餌『魚・ぎょっ』(ともにダブル技研(株)製)、リモコンビデオカメラ(キャノン販売(株)製)など。
発表会で同社の情報・通信グループ新事業推進センタ、情報機器アクセシビリティ事業推進室長である小澤邦昭氏は、「既に約300人に利用されている『伝の心』だが、音楽を聞いたり本を読んだりしたい、という患者さんの声を聞いて更なる改良を考えた。」と語った。また、今後はインターネットなども利用できるように更に改良を加えたいという。
挨拶に立った日本ALS協会副会長兼事務局長の熊本雄治氏は、「ALSでは、患者は自分で出来ることがどんどん少なくなっていく。少しでも自分自身でできることが増えるのは、患者にとって大きなプラスになる。」と同製品への期待を述べた。
『伝の心』は、ソフトウェア『伝の心』がインストールされたノートパソコン(またはデスクトップパソコン)、磁気センサーなどの入力装置、プリンタ、モデム、学習リモコンで構成される。対応OSはWindows95/98で、価格は50万円。この価格は、厚生省の設定する日常生活用具の購入補助限度額が50万円であることを配慮して設定された。したがって、購入する際には、原則として患者には負担がかからない。
日立製作所『伝の心』紹介ページ (http://www.hitachi.co.jp./Int/skk/kai_de...)
【関連記事】眼球以外まったくなにも動かせなくなる人も出るALS患者の支えに----日立製作所の活動 (http://www.ascii.co.jp/ascii24/call.cgi?...) 」
(編集部 堀田ハルナ)
バージョンアップ 『JALSA』49:19-21
「何故この伝達装置に取り組んだかと申しますと、日立製作所の社員がALSに罹りました。…二番目の要因として、北里病院東病院から共同研究の提案がありまして、私共の関係ですとALSの患者さんとの接触は余りありませんので、こういう提案があったというのは非常にラッキーだったと思います。三番目の要因として、お金が取れたということです。財団法人のテクノエイド協会という厚生省の外郭団体ですが、そこから平成六年度、七年度、合計二千万円の補助金が取れたということで、この三つが重なりまして「伝の心」の開発に至ったということです。」(p.26)
「インターネット機能の意思伝達装置「伝の心」への組み込み」,『第15回リハビリテーション工学カンファレンス講演論文集』
「ALS患者向け意思伝達装置「伝の心」貸出機の設置を迅速化――日立グループ3社がボランティアで支援」
http://www.hitachi-densa.co.jp/news/pdf/050412.pdf
「日本ALS協会は、日常生活用具の給付条件を満たさないALS(Amyotrophic Lateral Sclerosis:筋萎縮性側索硬化症)患者に重度障害者用意志伝達装置を貸し出している。今回、貸出用装置の設置支援をしている株式会社日立製作所、株式会社日立ケーイーシステムズに新たに日立電子サービス株式会社が参加したことにより、意志伝達装置「伝の心(でんのしん)」の設置にかかる期間を大幅に短縮した。
日常生活用具給付制度では、重度身体障害者用の意志伝達装置を給付する条件として、「学齢児以上で身体障害者手帳の交付を受けた者」「両上下肢機能の全廃と言語機能を喪失した者」「コミュニケーション手段として必要と認められる者」と定めている。
これらの条件すべてを満足しないと意志伝達装置は給付されないため、例えば、「手足が全く動かなくなっても、言葉が話せる」という場合は、条件を満たさないので給付されない。こうしたケースの場合、症状が進み人工呼吸器を取り付けて話せなくなり、身体障害者手帳に言語障害3級と明記されたときに初めて給付条件を満たす事となる。こうしたことから「給付が遅すぎる。これでは意志伝達装置の操作について質問したくても声が出ない」と患者から早期給付を望む声 が広がっている。
ALS協会では厚生労働省に早期給付を働きかけるいっぽうで、給付条件を満たす前の患者に「伝の心」を貸出している。貸出用の機器は、日立製作所と日立ケーイーシステムズから「伝の心」出荷1000台を記念して2001年10月に寄付されたもの。日本ALS協会では、この10台を給付前の患者に貸出しを始めたが、希望者が多かったことから、2002年6月には2社からさらに追加寄付のあった10台と合わせて合計20台を貸出用として運営している。
この貸出機は、患者からの申込みがあると日本ALS協会療養支援部で審査する。貸出が認可されると、ALS協会は日立製作所に連絡を、日立製作所は日立ケーイーシステムズと分担して、ボランティアで貸出し希望者の自宅や病院等に出かけて貸出用装置の設置をしていた。遠隔地の場合、東京から出向くためにすぐには設置できないこともある。最も悲しいケースとして、認可から設置までの期間が2週間程度あいて、設置の翌日に患者が亡くなったことがあったという。
そこで、設置期間を短くするために、2004年11月から、全国のATMをはじめとする情報システム全般の保守をする日立電子サービスが「伝の心」の設置にボランティア参加を始めた。日立電子サービスの参加により、認可されてから3日以内の設置が、離島は除く全国どこででも可能となった。
また、「伝の心」操作説明を設置時に1時間聞いても、患者は説明された操作全部を覚えきれず、後から介護者がマニュアルを見て説明したり、日立製作所に問合せをするケースがあった。この問題を解決するために、日立電子サービスで作成したビデオテープ「「伝の心」設置編・操作編」を装置と一緒に貸出すことにしたことから、設置時に長い説明をしなくても、使う人のペースで「伝の心」の操作を勉強しながら使えるようになり、患者に喜ばれている。」
「病院で呼吸器装着後一番困ったことは、やはり、夫とのコミュニケーションの問題でした。わかっていたことでしたが、気管切開後すぐに、夫が私に話し掛けようとして声が出なかった時に、本当に辛くてパニックになってしまったことがありました。〜中略〜もともと仕事でいつもワープロを使っていた夫はすぐにマスターして、それ以来「伝の心」は夫にとって大事なパートナーとなったのです。それと同時に介護者である私や夫の母も「言いたいことをわかってあげられる」と喜びました。その後、申請をして市から「伝の心」を給付していただきました。「伝の心」の操作にも慣れた夫は、在宅療養スタート後、「伝の心」の画面で「本が読みたいんだけど、どうしたらいいかな?」と私に言いました。〜中略〜それは本をスキャナーでパソコンに取り込み、フロッピー・ディスクに保存して、そのフロッピー・ディスクを「伝の心」で開いて読書するという方法です。〜中略〜夫によると、「伝の心」の読書はフロッピーディスクさえあれば好きな時間に好きなだけ、場所を選ばずに読書ができるところが良いそうです。文字の大きさも自分の目に合わせられるのが助かるということでした。」
重度障害者用意思伝達装置の開発の歴史を述べた文献によれば、わが国では1970年代から研究開発が始まり、1985年4月時点で市販されていた製品は次の通りであった。フレンド社が開発・販売した「フレンドワード」、鳥取大学医学部で研究され三菱電機から製品化された「パソコンレター」、兵庫県リハビリテーションセンターで研究開発されパシフィックサプライから販売された「P−WORD」である。これらの製品の中ではフレンド社の製品が「現在わが国で最も普及している」と紹介されている。これらの製品は現在販売はされていないが、「P−WORD」は「漢字Pワード」に発展して、日本IBMのフリーソフトとなっている。現在市販されている製品は、ナムコの「パソパソマルチ」、広島情報シンフォニーの「トーキングパートナー」、ライベックスの「トーキングノート」などであり、「伝の心」はこれらの製品に遅れて1997年12月に市場に出た。
「コンピュータ関連では様々な製品が出ている。例えばコンピュータ等に接続するスイッチの類がある。しかし機械があってもそれだけでは使えない。身体のほんの微かな動きをうまく伝えるために、適した製品を使い、うまく設定して、それでようやく使えることがある。その支援の活動を行なっている人がいる。ALS協会近畿ブロックでは西村泰直が長くこうした援助活動を行なってきた。
ソフトウェアとして開発、発売されているものもある。ソフトウェアを組込んだ機械が開発され、販売されることもある。何種類かあるが、よく使われている「伝(でん)の心(しん)」(日立製作所)は一九九七年に発売された。九八年に機能強化した製品が発表され(堀田[1998])、二〇〇〇年七月にはインターネット接続を標準機能に組込んだ製品が発売された。利用者には照川貞喜(千葉県勝浦市、照川[2003b]等)、等々。
【448】《日立製作所の社員がALSに罹りました。…二番目の要因として、北里病院東病院から共同研究の提案がありまして、私共の関係ですとALSの患者さんとの接触は余りありませんので、こういう提案があったというのは非常にラッキーだったと思います。三番目の要因として、お金が取れたということです。財団法人のテクノエイド協会という厚生省の外郭団体ですが、そこから平成六年度、七年度、合計二千万円の補助金が取れたということで、この三つが重なりまして「伝の心」の開発に至ったということです。》(小澤[1998:26]。他に小澤[2002])
こうして発信の手段は様々ある。それが知らされないことが当然、不満・批判の対象になる。
【449】鹿野靖明[417]は一九九五年に人工呼吸器を付ける。主治医はキーボードを押して音声を出す装置を紹介したが、鹿野はキーボードを押せず使えなかった。《パソコンやワープロを重度身体障害者用の意志伝達装置として「生活用具を給付する」公的制度があるのを知ったのは、退院してから二年も経った頃のことでした。[…]/トーキングエイドのキーボードは押せませんでしたが、パソコンのマウスは自由に操ることができました。もっと早い段階で制度を知っていて、この方法が病院に持ち込まれていたら、人工呼吸器を装着した直後の苦しみは間違いなく半減しただけではなく、周囲の負担も大きく違ったことでしょう。》(鹿野[2001:56]。トーキングエイドはナムコの製品、一九八五年発売)
「コンピューター機器などの開発会社「テクノスジャパン」(本社・兵庫県姫路市)は十六日、脳波などの生体信号でスイッチを入れたり切ったりするシステム「マクトス」と意思伝達器「イエスノン」を売り出した、と発表した。手足や声を使わないため、まったく動けない重度障害者や難病患者もテレビなどの電源の操作を寝たまま一人でできるという。人間が何かを強く意識したさい発生する脳波の一種ベータ波と、網膜に起こる「眼電インパルス」などに着目。額につけたヘッドギアがそれをとらえ、コントローラーが制御信号に換える仕組み。イエスノンと併用すると、「はい」「いいえ」の電照表示を意識した方で点灯させ、音声に変換できる。声が出なくても病院の看護婦詰め所からの問い掛けに答えることができるようになるという。同社は「脳波でソフトを動かせる製品は世界初」としており、あらかじめ用意した約二百種類の言葉を音声出力する意思伝達装置も開発中。マクトスとイエスノンのセット価格は二十八万円と三十七万円の二種類。」
「介護・福祉機器[コミュニケーション機器] 事例・体験談」より
よみがえった会話:仙台市・和川さん
「NHKニュース10」が、仙台の和川さんを紹介! cf.和川 次男
http://www.technosj.co.jp/fukusi/mctos/jirei.htm
「脳血流スイッチ基本技術」と「マクトス(脳波スイッチ)」の紹介
「脳血流スイッチ基本技術とは暗算をしたり、手を握ろうとすることにより(実際には手が動かなくても)、脳血流量が増える――この事実に着目して、日立製作所はALS患者さんを対象に「脳血流スイッチ」の実用化を国の開発事業の中で進めています。日本ALS協会にもご協力をいただいています。
「脳血流スイッチ」の基本技術は、赤外線を頭部から照射してその反射光を測定するものです。脳血流量が増えると近赤外線が吸収されて反射光の量が減ります。問いかけに対して患者さんが意図的に脳血流量を増やせば、反射光の量が減るので、この場合に「YES」と回答したとみなします。脳血流量が増えなければ「No」と回答したとみなします。」(小澤邦昭さんから照川貞喜さんへのEメイル)
兵庫県姫路市の福祉機器メーカー「テクノスジャパン」が発売を開始した意志伝達装置「マクトス」。和川次男(仙台市)が使っている。
「ベッドに横たわり、装置のベルト部分を顎に巻きつけた次男さんは、はつみさんやヘルパー、訪問看護婦が50音順に読み上げる単語に時々反応する。その極めて弱い脳波(ベータ波)が電気信号に変換されてブザーが鳴り、次男さんが反応した単語をつないで家族が言葉にする。/次男さんの病状が進んでからは、コミュニケーションが全くできなかった。はつみさんは「この装置のおかげで夫の希望に添った納得できるケアが可能になった。効率的なのでレスバイト(介護人の負担減)にもつながっている」と話す。」容子さんは大学病院よりある本を借りて来て、私も読ませていただきました。男性の介護では藤沢の大島さんの壮絶な奮闘体験記が目にとまり、奥様がALS発病、当時はお手紙も頂きました(書道の先生)。進行が加速、現在では医師伝達は脳波のマクトスをご使用です(テレビ出演の際視聴しました)。」(46)*
「「脳血流テスト」に参加します」(紗羅双樹の花の色・79),『難病と在宅ケア』09-10(2004-01):69
「ロックドイン症候群のコミュニケーションエイドの相談はそれほど多くはないが、ターミナルのALSの場合、人を呼ぶ手段の確保すら困難な「トータリー・ロックトイン・ステイト」となり、スイッチの選定が出来ない、次の手がないといった高難易度の適合技術を要する相談が増える傾向にある。特に、家族など特定の人のみが「yes,no」を判別できる状態では、機器が代替することは不可能に近く、同時にシッチの設置には高度な観察力とテクニックが求められ、特定の人のみがかろうじて出来ているといった状態である。〜中略〜機器は、曖昧な運動の中から本人の意味のある発信を選別する作業では、まったく歯が立たないのは当然のことである。この繰り返しの中で、私のわずかな成功事例と悪戦苦闘の実態を紹介したい。98年、桜新町クリニックの半田理恵子言語聴覚士から在宅でのロックトイン症候群の医師伝達装置のスイッチについての協力依頼があり、半田言語聴覚士と松本繋さん宅に訪問を行った。ロックドイン症候群の身体機能は、眼球の上下の動きのみが、多くの場合唯一の表出運動であるのは、ご存知のことと思う。以前、まぶたの近くに貼り付ける赤外線のスイッチを使用していたが、角膜炎を起こしたことから、他の身体部位での操作を本人及び家族から希望が出された。
2003年の1月号で紹介したALSの方の場合、家族からスイッチがつかえなくなったと連絡があり、ジェリービンスイッチ、スペックスイッチ、ポイントタッチスイッチへとその時々に応じて変更してきたが、遂に操作可能なスイッチの「限界」まで来てしまった状態であった。「マクトス」のデモ依頼で訪問したが、閉眼することが出来ない状態になっており、コミュニケーションが取れなくなって既に数ヶ月経過していた様子であった。マクトスの体験結果は、事実上困難と判断して他の身体部位を検討することにしたが、目視ではまったく動く部位を確認することが出来ず、使用可能な身体部位(頚部、表情筋、指先など)を探すこと20分。閉眼は困難であるが、眼球の動きには問題がなく、天井を見上げると「まぶた」もそれに合わせて連動することが判明し、アルミ箔をまぶたに貼り付けピンタッチスイッチを眉毛に設置したところ確実にチャイムを鳴らすことが出来た。」
和川次男(仙台市)が使っている。頭の中で意識的に何かを考えたときに発生するベータ波と呼ばれる脳波を検出し、それを電気信号に変え、ブザーなどを鳴らす装置だ。指や瞬きを使う装置と同じく、また脳血流利用の場合も同様に、「あかさたな」…↓「な」を指定↓「なにぬね」↓「ね」を指定、というように、文字盤を人が示すのに、コンピュータの画面でカーソルが動くのに、あるいは人や機械が音を読み上げるのに応ずる。この装置を使って、和川は何年か言葉を発することができなかった状態から、言葉を発することのできる状態に戻ってきた。二〇〇〇年八月(NHKテレビ〈ニュース10〉)、二〇〇一年八月(NHKスペシャル『“いのち”の言葉――あるALS患者・脳からのメッセージ』)等、マスメディアでも紹介される。
【521】 一九九九年。《脳波スイッチが実際に和川家に現れたのは平成一一年五月であった。その最初の試用日の様子は一部始終をはっきり記憶している。どんなスイッチも装着して直ぐにうまく操作できるものではなく、やはり操作についての慣れが必要である。まして、脳波を検出して信号に変えるという雲を掴むようなスイッチであるから、余計そうだ。当然、最初のうちは支離滅裂の様相を呈していた。しかし、数時間使用しているうちに、和川さんの反応に心なしか手応えを感じるようになってきた。始めてから四時間半を経過した頃に当日の試用を終えることにし、最後に何か言いたいことは無いかと和川さんに尋ねた。その質問に対する答えは「ほんた×○い」であった。(残念ながら×○に相当する文字を記憶していない。)最初はこの文字列の意味が理解できなかったが、はっと気が付き、「本体」を見せろ、ということかと尋ねたところ、YESのブザーが脳波スイッチから発せられたのである。ここに至り、和川さんは脳波スイッチの制御に成功したと私は確信した。/それ以来、ちょうど二年が経過した。途中多少の曲折はあったが、和川さんは脳波スイッチを利用してご家族や介護の人達と意思の疎通を図っている。そして、二年の間に書きためた俳句を、このたび出版するという。》(坂爪[2001:81-82]。板爪新一は「コム・イネーブル」代表。マクトスの情報を入手し購入、和川を支援してきた)
もちろん脳波や脳血流を使った発信は、少なくとも今のところは、まったく稀に実現されていることでしかなく、それをもって発信できない状態が解消したと考えるのは楽観的に過ぎるというもっともな指摘はある。私が話を聞いたALSの家族の人は、こうした技術について懐疑的だった。年齢のこともあるし、そんな技術を習得するのは誰でもできるものではないはずだと言う。たしかに、いま紹介した人だけではないにせよ、今のところ、使っている人の数は少ないようだ。けれども数少なくは可能になっていることももう片方の事実ではある★07。そして、そのように私は思いたいということなのかもしれないのだが、発信したいという元気のある人はたぶん発信することが可能だと思う。
人は意識があるかないかのいずれかである。何かを伝えようとする意志、そのような意識がある限り、それは身体内の物理的な現象でもあるのだから、それを伝えられる手法が原理的には存在する。他方で意識が薄れそしてなくなっていく時には苦痛という感覚もなくなるだろう。不幸であるという意識もないだろう。このいずれかであるなら、いずれも、少なくともその当人にとってわるい状態ではない。意識がなくなっていれば、あるいはとても静かな状態にいるのであれば、それもまた、その本人にとってはつらい状態ではない。とすると、実は、決定的な(死んだ方がよいと思えるほどの)不幸というものはそう多くは存在しないということなのかもしれない。」
「★07 吉田雅志(北海道)のホームページに、米国でのマクトスの入手方法やこれを使った人についての報告があるホームページを翻訳したファイルがある(吉田[-2000])。」(立岩[2004])
「兵庫県高砂市に住む浦野晃一さん(21)は1月下旬、年に1回開かれるお楽しみ演芸会で漫才を披露した。相方役が「ここは漫才のM―1グランプリ。ほらそこに島田紳助さんも来ておるし」とボケをかますと、「そんなやつ、おらんやろ〜」と晃一さんがツッコミを入れた。会場がワッと沸く。実は、晃一さんはウェルドニッヒ・ホフマン病という難病に侵され、生まれた時から体が全く動かせない。口が動かず、言葉も出せない。動くのは眼球だけだ。自力では呼吸すらできない。舞台には、小型の人工呼吸器を積んだ車いすに横たわった状態で上がった。タイムリーなツッコミを入れられるのは、「マクトス」という脳電位スイッチのお陰だ。装置は弁当箱大。バンドで患者の額に固定した3個のセンサーが脳の電位変化を拾ってピッという電子音とごく短い電気信号を発する。この信号でスイッチを動かし、事前に録音してもらった漫才のセリフの中からツッコミを選ぶ。開発したのは、福祉機器メーカーのテクノスジャパン(本社・兵庫県姫路市)。
大西秀憲社長は「海外の福祉機器の見本市をみても、同種の機械は他にない」と胸を張る。99年の発売以降、約400台を出荷した。マクトスは100万分の1ボルトといった非常に微細な電位変化を感知して作動するため、常にうまく動くとは限らない。「動作の正確さはたぶん50%程度。でも福祉機器なので要は使えればいいんです」と大西社長。母親の明美さん(46)は、晃一さんにマクトスでひらがなをタイプさせようと6年間努力したが、文章にならなかった。「でも、晃一にとっては、画期的な機械でした」と振り返る。外出の時など晃一さんに話しかけてくれる人がいた。でも、何も反応を返せないと分かると次第に相手をしてくれなくなる。ところが「どんだけぇ」とか「なんでやねん」といった声が機械から飛び出ると、みんな喜んで話し掛けてくれる。録音した音声を選ぶ方法をマスターすると、店での買い物や駅での切符の購入を一人でする訓練にも発展した。明美さんは「百%正確でなければダメとか、本当に晃一の気持ちを反映しているのかという人もいた。でも機械は目的ではなく、あくまで手段。何かを人に伝えたいという気持ちを内面に持ち続けることが大事なのだと思ってます」と話す。
「平成二年度の一番大きな成果は、意思伝達装置(コミュニケーション機器)が日常生活用具として給付されるようになったことだと思います。
[…]まだ実施されていない府県もあるようですが、東北六県、千葉、福井、岡山、宮崎などではもう実施され、入院患者にも何台も支給されています。またALS以外の方にも支給され、喜んでくださっています。」
平成三年度総会 会長挨拶 『JALSA』022号(1991/07/08):04
「これは日常生活用具として支給する形なので、行政の末端では従来の観念から、在宅の患者さんだけにしか支給できないと考えているところがあるようですが、この機器は入院患者さんにも支給してさしつえないと厚生省は明言していますので、皆さんぜひ申請していただきたいと思います。
もし入院患者には支給できないというところがあったら、事務局にご連絡ください。支給してもらえるよう働きかけていきます。」
『JALSA』022号(1991/07/08):07
「AT(Assistive Technology)を利用しなければならない障害のある人にとって、情報を入手できたとしても、その利用には機器の購入や設定など、第三者の支援を必要とする場合がほとんどである。ところがAT利用をサポートする人材の不足は深刻である。米国ではRESNA(北米リハビリテーション工学協会)やCSUN(カリフォルニア州立大学ノースブリッジ校)を中心にAT教育プログラムが実施され、ATに関する知識を持った多くの専門家がサポートを行っている。わが国では、これまでIT利用のためのATを体系的に学ぶカリキュラムがなく、IT機器に詳しい人たちがパソコンボランティアと称して、サポートの中心となってきた。そこで、経済産業省は、平成13年度から、ニューメディア開発協会の中に「支援技術利用促進検討委員会」を設置し、50時間のAT研修プログラムを開発中である。また、厚生労働省は福祉施設職員を対象に、平成13年度にパソコン支援者養成事業を実施予定である。」(pp.8-9)
http://it.jeita.or.jp/jhistory/document/kokoroweb/chap19/kkr19p1.html
(「私達の会社では、カスタムメイドのDOS/Vパソコンを製造販売しております。またALSをはじめとする難病の方や身体障害者の方を対象に、ITと電子回路技術を組合わせて、コミュニケーションや生活環境の改善に貢献させて頂いております」HPより)
『JALSA』021:32(1991/04/28) ナムコ
「音声言語の表出が困難な人のコミュニケーション手段を保障するという考え方から、残存する音声、ジェスチャア、シンボルなど、その人が今使える方法や手段を使ってコミュニケーションを確保しようとするアプローチの仕方があります。拡大代替コミュニケーション(AAC=Augumentiative and Alternative Communication)と呼ばれ、欧米を中心に研究開発が進められてきました。日本でもコミュニケーションに関する臨床分野や施設、養護学校などを中心に実践研究活動が進められています。拡大代替コミュニケーションという考え方は、従来からあるリハビリテーションの訓練を否定するものではありません。特に発達の途上にある子どもの場合には”コミュニケーションする”ことを通して、聞く力、話す力、ことばを使いこなす力が発揮され発達が促されるという面があります。このことからも、音声言語にこだわらずに手段と方法を確保していくという考え方は重要です。」
「眼球運動は随意運動としても利用可能で、視線自体をコンピュータのマウスポインタとして使い、ディスプレイ上の文字盤やメニューバーを固視するとその文字が選ばれたり、機能が動作するように使うことが可能です。(p.17)
視線入力意思伝達装置の名称「愛言葉」は、メーカーや関係者が知恵をしぼり、患者さんと密接なコミュニケーションができることを願って、「合い言葉」という意味を掛けて命名されています。(p.17)
この装置は視線入力により、ワープロと定型句での文章入力や読み上げをWindows98パソコンで行うことを中心に構成し、電子メール機能やインターネットを見ることも可能にしました。テレビ、赤外線リモコンで操作可能な環境制御などにも対応しています。コンセプトモデルではあらゆるWindowsアプリケーションソフトを視線で操作できるように作りましたが、実際の人の固視微動の振幅は大きいため、メニューバーが小さなものは使いづらく、実用モデルでは文字盤とメニューは大きく組んだ専用のアプリケーションソフトを作成しました。Windowsパソコン上ですので、かな漢字変換はWindowsのものが使え、ユーザー辞書も使えます。また、ネットワークの接続は大変容易で、LAN、電話、ISDN,PHS,ケーブルネットワーク、無線LANなどあらゆる通信回線に対応可能です。テレビに接続することができ、画面でテレビを見たり、音声やチャンネルを替えたり、ワープロに切り替えたりすることをすべての視線で操作可能です。画面は両眼のディスプレイのため、実用モデルでは立体映像には対応していませんが、基本設計上、映像回路は2系統内臓されており、仮想現実映像などの立体映像を今後、映し出せるような仕組みも引き継がれています。(p.18)」
株式会社テクノワークスが1998年に発表したTE−9100自立支援型介護システムを取り上げ、コミュニケーション・ツールの有効性を述べる。当社では1991年に注視点検出技術の事前調査及び基礎研究を開始し、1993年にTE−9100自立支援型介護システムの研究開発に着手した。この製品は戦闘機などの軍事目的の戦略兵器やドライビングシュミレーター、研究用途の眼球測定装置に利用されている人間の目線を検出する技術を生かしたものである。開発着手から5年間研究開発を重ね、ついに1998年、研究用のシステムと同等の検出精度を持つ高性能で安価な福祉用システム『TE−9100自立支援型介護システム』を実現し、1999年には日常生活用具の給付の対商品となる。
「病院には意思伝達装置はなく、文字盤を使ってコミュニケーションが行われた。「文字盤で自分の意思を汲み取ってくれる看護師は1つの病院に2、3人くらいしかいないのが現状。私の場合、ベテランの看護師より若手の人がやってくれることが多かった。会話が出来ると思うと、シフトが変わってしまったり…。もちろん医療スタッフも最善を尽くしてくれていると思うが。」上岡さんにとって、病院より在宅の方が精神的な安定を得られるようであるが、それと同時に、受け身にならざる得ない文字盤よりも、自ら入力できるパソパルは人間らしく意志を表現するための最後の砦としてのツールであるらしい。今や、話をすることも、文字で書くこともままならない上岡さんの気持ちがここまで理解できるのも、このツールのおかげである。」(p.20)
「日本で初めて遠隔看護モデル事業を実施 松山で多くの難病患者さんを引き受けるベテル訪問看護ステーション」,『難病と在宅ケア』(9)1 pp.4-6
「訪問看護師さんの顔を見て相談できる」ことへの安心感と「毎日いろいろな看護師さんの顔を見られて楽しかった」との声もあり、患者に社会的な広がりを持たせQOLの向上にも役立っていることが伺えた。訪問看護サイドでも成果は大きかった。呼吸器の異常、腹部膨満、食事摂取内容などが画面でわかり、すぐに指導することができる。そのほか、利用者の口の動きや表情、ジェスチャーでコミュニケーションも取れるなど利点があった。成果があった反面、今後の課題となる事項についても明確になった。まず対象者サイドから、定時のコールについては、拘束されているように思ったとの意見が出された。訪問看護サイドでは、照明が不足すると(特に夜間)、映像が不鮮明になり、アセスメントがうまくできないことが問題となった。またテレビ電話が携帯できるタイプであれば、もっとタイムリーに場所に縛られずに患者さんに対応できると考え、今後の課題として盛り込んでいくことにした(pp.5-6)。」
「思いが伝わらず、したいことができないのはつらい。痒くても掻けないこと、蚊が飛んできても払えないことが、実感としてわかりやすくもあるから、よくあげられる。
【427】 長尾義明[252]を主に取り上げた新聞連載に徳島保健所長(当時)の佐野雄二の言が紹介されている。《蚊が体に止まった。刺すのも分かる。それでも振り払うことはできない。病状が進めば動くのはまぶたぐらい。かゆい。手助けを求めようとしても声を出す能力が失われている。気付いてもらおうとまばたきを繰り返すが、すぐそばにいる人にすら訴えが伝わらない。すべてが分かりながら、どうすることもできないのがこの病気の特殊性》(『徳島新聞』[2000])
【428】 同じ連載中に同様のことが長尾義明の言葉として引かれる。《どこかかゆくても、じっと我慢し、蚊が飛んできても、血を吸い終わるまで待つ情けなさ。毎晩寝る前に、今夜こそはこのまま眠らせてと頼むのだが…》(『徳島新聞』[2000])
【429】 山口進一(福岡県)は一九九六年にALSの診断を受けた人で、自分の声を用いた音声合成装置を使って話し講演もする人だが、その講演の冒頭にも次のような部分がある。《まず、ショッキングな写真をお見せすることになるのですが、この方はALSの重症患者さんです。歩きにくくなったり話しにくくなったりと、ALSはいろんなところから進行しますが、最終的にはみんなこうなります。全身の筋肉がピクリとも動かない。見た感じは植物人間ですが、この方の頭脳は全く正常なのです。目はまぶたを誰かが開けてやれば見えるのです。耳も聞こえます。かゆさ、痛さもよくわかります。でも自分で掻けない。とまったハエをはらうことすらできない。誰かにはらってほしいと伝えたくても、一言も話せない。つらいですよね、やはり。/皆さんもこの状態を体験することができます。一番楽な姿勢でベッドに横たわり、微動だにしないで一時間過ごしてください。たぶん一〇分も我慢できないと思います。一〇分もしないうちにどこかが痒くなる。それを訴えることができない。動けないということもつらいのですが、それを表現することができないというのが、一番つらいことなのです。しかし最近のデジタル機器の発達により、このような方でも、意思を伝えることができるようになってきました。これが我々の救いなのです。》(山口進一[2000])
【430】 《入院中に一番我慢できなかったことは頭がかゆかったこと》(島崎[1997-(61):(62)])
痒いところを掻かせるためだけでなく、コミュニケーションの手段の獲得はまったく大きな意味をもっていた。それは多くの人によって一番大きな出来事として語られる。してほしいこと、してほしくないことを伝えることができると同時に、表現すること自体に意義が感じられる。それは長い時間を過ごすための営みともなる。こうして数多くの絵画も書かれたし、数多くの手記、闘病記も書かれた。
以下技術的なことの紹介は他の書籍・ホームページ等に譲り、ごく簡単に言葉の伝え方を記していく。
まず気管切開し人工呼吸器を付けると発声ができなくなるかというと、そうではない。人工呼吸器を使っていても発声できる場合がある。呼吸器を付けると声が出なくなるのは空気が声帯を通らなくなるからだが、息を吐き出す時に空気を咽頭に送れるようにして発声できるようにする。「スピーチカニューレ」と呼ばれるものがある。また「スピーキングバルブ」という小さな器機がよく使われる。米国の筋ジストロフィーの人が考案したもので、一方向にしか空気が流れないバルブが付いている(土屋竜一[1999][2002:134-154]等。コミュニケーション方法全般を解説した小西[2000] にも解説がある)。
他にも様々ある。ポンプの技術者だった水野靖也(千葉県)は経験を生かしスピーキングコンプレッションという機械を開発し、自ら使いはじめる(『読売新聞』[2000(3)])。後に製品化もされる。
【431】 鎌田竹司[357]は、一九九七年一〇月に気管切開、呼吸器装着。《私は、小型コンプレッサー(スピーキングコンプレッション)を使って声を出しています。平成七年日本ALS協会総会の時千葉支部のALS患者水野さんが呼吸器を付けていたがスピーキングコンプレッションを使い肉声で話をしているのを見て私も気管切開の時は、これを付けようと思っていました。気管切開三五日後[…]導入し肉声を取り戻し現在は声は低いが日常会話が出来ています。》(鎌田[199?b])
ただ声を出すにはいくらかは筋肉が動かなければならないから、ALSの場合にはうまくいかないこともあるし、次第にうまくいかなくなることもある(若生[2003-])。呼吸器を付けないにせよ付けるにせよ発声ができなくなったときにどうするか。一九七〇年代の状況についての記述もいくつか拾える。
【432】 七五年五月にALSの母がいる鈴木千秋が医師から聞いた言葉。[298]にも別の部分を引用。《口、手足から体全体が動かなくなるのを待つばかりだが、頭と眼の機能だけは残るから、壁に大きな文字を貼って視線で追えば意思伝達は可能である。》(鈴木[1978:57])
【433】 川合亮三[313]、七五年頃。《私はいずれ字が書けなくなることを知っていた。それなりの覚悟も出来ていたつもりである。ところが、いざその時が来てみると、意思を相手に伝える手段のないことに気がついて、うろたえた。妻は、唇のかすかな動きを見て日常の用を足してくれるが、その妻にも、少しこみ入った話になると解って貰えない[…]/字が書けなくなって半年を過ぎた頃、〈あ・い・う・え・お〉を紙に書いたものを目で追い、妻がそれを拾えば意思が伝わることを知った。思っていることが相手に伝わり、目の前が急に明るくなった。》(川合[1987:154])
【434】 伊井[293]、七五年。《足指のところに置かれた押し板でブザーを鳴らし、目の正面の壁に貼られたアイウエオの文字表を使って、まばたきの回数から、奥さんが一字一字探し出しあてて伊井さんのことばを作り出していく。》(木下[1996-(10):37]に川村他[1978:167-169]からの引用として)
【435】 橋本みさお[416]の発病は八五年だが、《その頃の日本では、ALSは死に至る病で、終末期には眼球によるモールス信号でのコミュニケーションしかない、と言われた絶望的な病でした。たった一五年前のことです。》(橋本[2001a])
実際によく使われるのは文字盤だろうか。身体で動く部分の小さな動きで合図を送ることは多くの人が行なっていることだが、言葉にしようとすると、五〇音にいくつかの定型的な表現を加えた文字盤を用いる。手や首が動くならその動きを使える。また眼球が動くなら、文字を目で追い、それを読み取る。
【436】 透明な盤に五〇音の表があり、その盤の向うにいるALSの人がある文字を見る、その人の視線と文字盤に記された文字とを一致させるというやり方で読みとることができる。このタイプのものを私が見たのは、二〇〇三年の春、大澤真幸が京都大学の大学院の演習に高井綾子(東京都)を招待した時だった。高井は八二年に発症、八九年に呼吸器を使いはじめた人で、様々なものを発明してきた発明家なのだが(高井[1998(?)][2001])、文字盤も彼女が改良したものだった(大澤が高井と彼女のもとにやってくる人たちのことを書いた文章に金子・大澤[2002:65-81]、大澤[2002:219-220])。
もちろん交信も身体の状態に左右される。呼吸がうまくいかないと文字盤での発信も難しい。
【437】 《できるだけ人工呼吸器の使用時間を短くしたい、人工呼吸器に頼ってはいけない、という気持ちが彼の闘病意欲を支えているかのようでした。ですから、訪問している間、かなり苦しそうな様子のときも、なかなか人工呼吸器を使用しません。無理な負担はかえって病気の進行をはやめることをいくら説明してもなかなか理解してはいただけませんでした。/ある訪問の日、Bさんは息苦しさのため文字盤もうまく読めなくなってしまいました。[…]本人が何と言おうと、文字盤を使用しているときだけ人工呼吸器を装着することにしました。実際呼吸器を着けてみると、いままでの苦労はどこへいったのか分からないほど、スムーズに文字盤を読み取ることができました。[…]/こんなことをきっかけに、Bさんの人工呼吸器に対する考え方は変わってきました。》(奥山[1999:31-32])
【438】 橋本みさお[435]は《現在ワープロは右足親指で、ナースコールは額に付けて使っています。日常会話は、母音を唇で形作り介護者に、母音の形を覚えてもらい「う」の形の時は、ウクスツヌフムユルと言ってもらって「く」と言いたいときは、「く」で、まばたきをします。」唇の動かせない患者には、介護者が「アイウエオン」と言って患者に合図してもらい、母音が決まった五〇音表を横に進んで子音を選びます。もちろんその逆でも良いのですが「ん」を忘れると永遠に話は終わりません。文字盤を使う方が多いのですが、「努力、根性、忍耐」のすべてを欠いた私には向いていないようです。患者も介護者も五〇音表を丸暗記しなければなりませんが頭の体操にオススメです。》(橋本[1997g]cf.橋本・安城[1998])
これでは途方もない時間がかかりそうだが、そうでもない。《ゆっくり話す人だったらこの人にはかなわないほど、ものすごく早く話します》(山口進一[2000])というほどとは思わなかったが、橋本は十分に速く話す。習熟した介助者であり通訳である人が、「ウクスツヌ…」と言いながら、橋本から発せられた字の列を記憶していき、一文になったあたりでまとめて言ってくれる。だから、どこかが動く限り特別の機器がどうしても必要なのではない。ただ読み手
の側の学習が必要ではあり、そして多くの場合に読み取りに時間はかかる。多くの入院患者を相手にする病院等で、意志を通じさせるための人と時間が提供されず、意志を伝えることのできない苦痛は[414]でも語られていた。
だからどうしても機械が必要なのではない。人工呼吸も手押しのバッグでやっていた時代があった[287]。生きていくのに高度な機械が必須であるわけではない。ただ、コンピュータを使う場合には他人の技術や時間の有無に依存する度合いが減る。川口武久のように文章を書くのにカナタイプや普通のワープロをいくらか工夫して使う人はいるが、指にも力が入らなくなればそれも使えなくなる。そこで橋本の介助・通訳者のような働きをするコンピュータが登場する。
画面上をカーソルが一定の速度(速い遅いは設定できる)で「あ・か・さ・た・な…」と動いていく。例えば瞼の動きを信号に変えて、あ行を指定する。こんどはカーソルは「あ・い・う・え・お」と動く。そうして字を選ぶ。五〇音以外にも日常的によく使う言葉を設定しておくことができ、それらについては一つひとつ文字を拾わなくてもよい。こうした機器が使われるようになるのは一九八〇年代の半ばからのようだ。
【439】 川口武久は、自らは使うことはなかったが、情報は得ていた。一九八四年一月。《Aさんの弟さんから、便りが届く。鳥取大学病院に入院中のAさんが、新しく開発されたパソコンレター作成機を使って、意志伝達のテストを開発された、という。/手紙によると、新しい機械は、ワープロとパソコン、筋電計をセットしたようなものらしい。ひら仮名の五〇音順が表示された画面を、タテ、ヨコ二本の細い帯(選定帯、カーソル)が上から下へ、左から右へと動く。それを見ながら、使いたい文字のところへきたとき、まばたきをしたり、あるいは奥歯を軽く噛んで合図する。すると、頬にはりつけてある電極が筋肉のかすなかな動きをとらえ、その文字が印字されて出てくるという。/自分の意志が伝えられる。これほどの喜びがあろうか。特にAさんの場合は、六年間の“沈黙”がある。体の自由を奪われ、一言の意志表示もかなわなかった六年。それにひたすら耐え、ようやくにして“言葉”を取り戻そうとしておられる。Aさんの喜び、家族の方がたの感激はいかばかりだろう。》(川口[1985:228])
【440】 松本茂[414]は一九八六年九月にワープロを打てなくなる(松本茂[1985:16])。《一〇月には、すっかり言葉をなくしてしまった。私はこれまで書く方はさっぱり駄目で、もっぱら口に頼っていたので、言葉だけはと祈る思いだった。別れは何でもつらいが、言葉との別れは格別つらく、未練が残った。/手足も駄目、そして言葉も駄目となると、自分の意思伝達ができない。万事休す。もはやこれまでかと、さすがにがっくりきた。/そんなある日、本部の松岡事務局長から電話があり、スイッチ一つで文字を打てるパソコンがあると聞き、さっそく導入することにした。一〇〇万円も出せばすぐに使える立派なのがあるとのことだが、できるだけ経費節減といきたいので、いろいろ調べてみた。》(松本[1995b:35]。松岡は当時日本ALS協会事務局長の松岡幸雄。押しボタンスイッチ、ソフト、MSXパソコン、プリンター一式を一四万五〇〇〇円で購入)
【441】 一九八六年四月、土屋敏昭[424]の場合は、一部は人が受け持つ方法が取られた。《しゃべれない私たちにとって素晴らしいプレゼントがあった。それは病院でワープロを買ってくれたのである。たったひとつ残念なことに、そのワープロはひとりでは操作できないという欠点があった。誰かにボタンを押してもらわなければならないのである。付き添いがいるのだから、そんなことはどうでもいいことだが、とにかく私たちには素晴らしい贈り物には違いなかった。/[…]たとえば、画面に五〇音が全部出るから、その五〇音の上をカーソルという四角い棒状の物が動く。「あ」を書きたいとき、まずカーソルが「あ行」にきたら目で合図を送る。すると付き添いがボタンを押す。》(土屋他[1998:91-92])
【442】 土屋融[247]は一九九一年二月に発症、八月に山梨県立中央病院神経内科入院。九二年二月。《山梨大学の山下先生らの尽力により、意思伝達装置「パソパルPC」が私たちのような病人にも送られてきた。早速使ってみる。打った文字が画面と音声になって出、ワープロと同じように印字もできる。口や手で意思の表示が出来ない私たちにとってこんないいものはないと、新しい世界が生まれてきたような気がする。》(土屋[1993:182]。パソパルは一九八六年発売のナムコの製品)
【443】 東御建田郁夫[197]。《退院後一年ほどして瞼の動きで操作できるワープロを入手して、受動的な生活から脱することのできた喜びはたとえようもなかった。》(東御建田[1998:2-3])
ただ、想像できることだが、時間はかかる。
【444】 松本茂[440]の著書(松本[1995b])は四〇章からなるのだが、《各章は短いものでも三〜四日、長いものは二週間以上かけて打った》(松本[1995b:20])
【445】 土居喜久子[426]。文字盤を使っていたが、まばたきで入力するワープロを使うようになる。《初期のころは、一〇分も打ちますと目は疲れ、腰は痛く、長続きするかしらと思いましたが、一五分、二〇分と時間を延ばし、今でも急ぐことがあれば、七時間くらい通して打てます。[…]/ちなみに、紙一枚、約四百字打ちますのに二時間かかるというスローペースのワープロですが、少しでも私の心の思いが通じ、理解してもらえたらと願って打続けております。/ワープロは、私の命。心のままに活躍してくれるのが不思議です。》(土居・土居[1998:49])
《文字盤では表現しえないことばの数々、文字に表わして感謝とお礼のことばを打てた日の喜びは、今も脳裏から離れません。》(本田昌義[385]への手紙より、土居・土居[1998:51])
【446】 橋本みさお[438]。《現段階で私に残されている機能は、顔の表情を作れることと左足の指でワープロが打てることでしょうか? だからと言って、左足でバチバチとキイ・ボードを叩く図は想像しないで下さいね。かろうじて動く左足第一指の動きを、光センサーが感知してパソコンの障害者用ソフトで変換してゆくのです。私の残存機能で、四〇〇字打つためにおよそ一時間かかりますが、だからと言って五時間で二〇〇〇字と言う計算は成り立ちません。一時間を過ぎると極端に疲労が進み、八〇〇字打ち終わるために三、四時間はかかります。》(橋本[1998a])
こうして伝えるのと声で伝えるのと、まったく同じにはいかない。
【447】 土屋敏昭[441]。《母に文句を言う時は、文字板を使うと途中でやめられるから、ワープロに「ばか、あほ、まぬけ」などど思いつくかぎりの悪口を書く。しかし、そう書いてみたところで、胸がスーッとするわけでもないし、後味が悪いだけだ。お互いに気分を悪くするなら、時間をかけてわざわざ書く必要もない。/一度でいいから、思いっきり叫んでみたい。「ばか野郎!」と。自己中心的な考え方をするのは、自分の身体がままならない苛立ちと、今までのつもりつもった気持ちの鬱積をどうしようもない心の焦りが、人間の心まで変えてしまうのかもしれない。》(土屋他[1989:181-182])
それでも、こうして伝えることができ、伝えたように人が動いてくれるなら、そして人がいたり人以外のものがあったりする場にいることができるなら、またその場に出かけることができるなら、まずはやっていける。病から身体の苦痛を差し引けば、それに関係して生じる不自由が結局残り、そしてそれは完全になくすことはできないにしても、かなり減らすことができる。
コンピュータ関連では様々な製品が出ている。例えばコンピュータ等に接続するスイッチの類がある。しかし機械があってもそれだけでは使えない。身体のほんの微かな動きをうまく伝えるために、適した製品を使い、うまく設定して、それでようやく使えることがある。その支援の活動を行なっている人がいる。ALS協会近畿ブロックでは西村泰直が長くこうした援助活動を行なってきた。
ソフトウェアとして開発、発売されているものもある。ソフトウェアを組込んだ機械が開発され、販売されることもある。何種類かあるが、よく使われている「伝(でん)の心(しん)」(日立製作所)は一九九七年に発売された。九八年に機能強化した製品が発表され(堀田[1998])、二〇〇〇年七月にはインターネット接続を標準機能に組込んだ製品が発売された。利用者には照川貞喜(千葉県勝浦市、照川[2003b]等)、等々。
【448】 《日立製作所の社員がALSに罹りました。…二番目の要因として、北里病院東病院から共同研究の提案がありまして、私共の関係ですとALSの患者さんとの接触は余りありませんので、こういう提案があったというのは非常にラッキーだったと思います。三番目の要因として、お金が取れたということです。財団法人のテクノエイド協会という厚生省の外郭団体ですが、そこから平成六年度、七年度、合計二千万円の補助金が取れたということで、この三つが重なりまして「伝の心」の開発に至ったということです。》(小澤[1998:26]。他に小澤[2002])
こうして発信の手段は様々ある。それが知らされないことが当然、不満・批判の対象になる。
【449】 鹿野靖明[417]は一九九五年に人工呼吸器を付ける。主治医はキーボードを押して音声を出す装置を紹介したが、鹿野はキーボードを押せず使えなかった。《パソコンやワープロを重度身体障害者用の意志伝達装置として「生活用具を給付する」公的制度があるのを知ったのは、退院してから二年も経った頃のことでした。[…]/トーキングエイドのキーボードは押せませんでしたが、パソコンのマウスは自由に操ることができました。もっと早い段階で制度を知っていて、この方法が病院に持ち込まれていたら、人工呼吸器を装着した直後の苦しみは間違いなく半減しただけではなく、周囲の負担も大きく違ったことでしょう。》(鹿野[2001:56]。トーキングエイドはナムコの製品、一九八五年発売)
しかしALSの場合、やがて最後まで残ると言われる眼球の動きもなくなってしまうことがある。「(トータリィ・)ロックトイン」などと言われる状態であり、意識があってもそれを表出する術を失うことになる。こうなったときにはどうなのか。むろん自らが呼吸器を外すことはできない。他の人もできないとしよう。とするとその状態で生きることになるが、それはつらいだろう、そんな未来を予期して、呼吸器を付けない選択――これは許されているとされる――をして早く人生を終わらせるより、外すこと――を本人から(あらかじめ)依頼された誰かが外すこと――を認めた方が、かえって長い時間を生きられるのではないか。そんなことも言われる。どう考えたらよいのか。それは第12章に残す。
次の章では、痛くないように、極端に危ない目にはあわないように、そして退屈しないように暮らしていくために必要なものが、ともかくいくらかはこの社会にあるようになったその過程を追う。」
第12章「さらにその先を生きること」8「発信の可能性について」全文
「前者、発信の可能性について。全身が動かなくなるといっても、どこも動かなくなるのではない。ALSの場合、例えば内臓の働きは続く。ただこれは多く――川口武久の小説[341]の場合には意図して行なえる肛門筋の収縮が可能なことが発見されるのだが――不随意の動きで、発信のためには使えない。しかし、ALSの場合に限らず、意識のある状態があるということは、脳のどこかは動いているということだとは言えるだろう。そして意識や情動の動きは制御できることがある。となると意識によって制御できる部分があればよい。つまり、考えたり意志したりすることが脳内における物理的な過程でもあるなら、ものを思っている限り脳に物理的な動きがあり、それを信号に変換し伝えることが原理的には可能なはずである。そしてALSの人の受信の機能は残り、目が見えたり耳が聞こえるから、言葉による交信が可能なはずだ。川口武久は既に一九八〇年代半ば、このことを考えている。
【519】 一九八四年一月。《名古屋の労災病院で、寝たきりの患者でも、身の回りのことができる機械が開発されたという。ベッドの上げ下ろしはもちろんのこと、テレビや電話までも、その機械に息を吹き込むだけで操作できるらしい。手足のきかない人にも自活の道を開く、画期的なものといえるのではないか。/ありがたい、これなら私にも使えると思ったが、この病いが進めば、肝心の息が吹き込めないことに気づき、現実に引き戻される。運動神経がすべて閉ざされてしまうのでは、話にならない。/頭の機能だけは、最後まで残るという。それを活かしたものが開発されないものか。せめて意志だけでも、自由に伝えられる装置が作り出せないものだろうか。それは夢の夢なのか。》(川口武久[1985:236])
こう書かれたことはまったくの夢というわけでもなく、二通りの仕方で実現しつつある。具体的な紹介は略さざるをえないが(私のホームページ中、「ALSとコミュニケーション」http://www.arsvi.com/d/als-c.htmで以下に述べるよりはすこし詳しく紹介している)、一つは脳波を使うものであり、一つは脳血流の増減を利用するものだ。後者から。
【520】 《暗算をしたり、手を握ろうとすることにより(実際には手が動かなくても)、脳血流量が増える――この事実に着目して、日立製作所はALS患者さんを対象に「脳血流スイッチ」の実用化を国の開発事業の中で進めています。[…]/「脳血流スイッチ」の基本技術は、赤外線を頭部から照射してその反射光を測定するものです。脳血流量が増えると近赤外線が吸収されて反射光の量が減ります。問いかけに対して患者さんが意図的に脳血流量を増やせば、反射光の量が減るので、この場合に「YES」と回答したとみなします。脳血流量が増えなければ「NO」と回答したとみなします。》(照川[2001]
に引用されている小澤邦昭[448]から照川へのEメール)
テストは続けられており、島崎八重子の二〇〇四年の文章(島崎[1997-(79)])にもテスト参加についての短い記述がある。
もう一つは福祉機器メーカー「テクノスジャパン」(兵庫県姫路市、http://www.ngy.3web.ne.jp/~technosj/index.htm)が発売を開始した意志伝達装置「マクトス(MCTOS)」。
和川次男(仙台市)が使っている。頭の中で意識的に何かを考えたときに発生するベータ波と呼ばれる脳波を検出し、それを電気信号に変え、ブザーなどを鳴らす装置だ。指や瞬きを使う装置と同じく、また脳血流利用の場合も同様に、「あかさたな」…↓「な」を指定↓「なにぬね」↓「ね」を指定、というように、文字盤を人が示すのに、コンピュータの画面でカーソルが動くのに、あるいは人や機械が音を読み上げるのに応ずる。この装置を使って、和川は何年か言葉を発
することができなかった状態から、言葉を発することのできる状態に戻ってきた。二〇〇〇年八月(NHKテレビ〈ニュース10〉)、二〇〇一年八月(NHKスペシャル『“いのち”の言葉――あるALS患者・脳からのメッセージ』)等、マスメディアでも紹介される。
【521】 一九九九年。《脳波スイッチが実際に和川家に現れたのは平成一一年五月であった。その最初の試用日の様子は一部始終をはっきり記憶している。どんなスイッチも装着して直ぐにうまく操作できるものではなく、やはり操作についての慣れが必要である。まして、脳波を検出して信号に変えるという雲を掴むようなスイッチであるから、余計そうだ。当然、最初のうちは支離滅裂の様相を呈していた。しかし、数時間使用しているうちに、和川さんの反応に心なしか手応えを感じるようになってきた。始めてから四時間半を経過した頃に当日の試用を終えることにし、最後に何か言いたいことは無いかと和川さんに尋ねた。その質問に対する答えは「ほんた×○い」であった。(残念ながら×○に相当する文字を記憶していない。)最初はこの文字列の意味が理解できなかったが、はっと気が付き、「本体」を見せろ、ということかと尋ねたところ、YESのブザーが脳波スイッチから発せられたのである。ここに至り、和川さんは脳波スイッチの制御に成功したと私は確信した。/それ以来、ちょうど二年が経過した。途中多少の曲折はあったが、和川さんは脳波スイッチを利用してご家族や介護の人達と意思の疎通を図っている。そして、二年の間に書きためた俳句を、このたび出版するという。》(坂爪[2001:81-82]。板爪新一は「コム・イネーブル」代表。マクトスの情報を入手し購入、和川を支援してきた)
もちろん脳波や脳血流を使った発信は、少なくとも今のところは、まったく稀に実現されていることでしかなく、それをもって発信できない状態が解消したと考えるのは楽観的に過ぎるというもっともな指摘はある。私が話を聞いたALSの家族の人は、こうした技術について懐疑的だった。年齢のこともあるし、そんな技術を習得するのは誰でもできるものではないはずだと言う。たしかに、いま紹介した人だけではないにせよ、今のところ、使っている人の数は少ないようだ。けれども数少なくは可能になっていることももう片方の事実ではある★07。そして、そのように私は思いたいということなのかもしれないのだが、発信したいという元気のある人はたぶん発信することが可能だと思う。
人は意識があるかないかのいずれかである。何かを伝えようとする意志、そのような意識がある限り、それは身体内の物理的な現象でもあるのだから、それを伝えられる手法が原理的には存在する。他方で意識が薄れそしてなくなっていく時には苦痛という感覚もなくなるだろう。不幸であるという意識もないだろう。このいずれかであるなら、いずれも、少なくともその当人にとってわるい状態ではない。意識がなくなっていれば、あるいはとても静かな状態にいるのであれば、それもまた、その本人にとってはつらい状態ではない。とすると、実は、決定的な(死んだ方がよいと思えるほどの)不幸というものはそう多くは存在しないということなのかもしれない。」
「★07 吉田雅志(北海道)のホームページに、米国でのマクトスの入手方法やこれを使った人についての報告があるホームページを翻訳したファイルがある(吉田[-2000])。」