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corneal transplantation 製作:長谷川唯、植村要(立命館大学大学院先端総合学術研究科*) *http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce ◆人工透析 ◆人工角膜 ■日本における角膜移植の歴史 1924年 ソ連のオデッサ大学のフィラトウ教授によって死体からの角膜の移植が可能であり有効であると報告 ※ これにより角膜移植は実用的な眼科手術の一つとして認められるようになった。 1945年 ニューヨークに世界で初めてのアイバンクが設立。 ※ これにより、米国各地、欧州各地にアイバンクが普及し、ドナー角膜の入手が容易になり、欧米では角膜移植が盛んに実施されるようになった。 1949年11月 岩手医科大学の今泉亀撤によって日本で第一例目となる角膜移植が実施される。 1950年 中村康が日本眼科学会総会の特別講演において、164例の角膜移植の症例報告。 ※ 当時、日本には、アイバンクも角膜移植に関する法的な規定がなかったため、死体から角膜を切り取ることは、死体損壊罪に問われるおそれがあった。 ※ ドナー角膜の入手は非常に困難であった。 ※ 疾患により眼球を摘出したが角膜は正常であった人の同意を得て角膜の提供を受けるか、篤志家による献体の際に家族の同意を得て眼球の提供を受けるかしか手段がなかった。 ※ 限られた者にしか角膜移植の機会が与えられなかった。 ◇桑原 安治 19501028 「人工角膜の移植に関する研究 第一報」《日本眼科学会雑誌》54-10:pp400-402. (引用) 1824年 Reisinger 以来、角膜移植の問題が大いに議論せられ、同種角膜移植、異種角膜移植、人工角膜移植の三方面に向つて研究せられた。 異種角膜移植、人工角膜移植は Hippe1 等の努力にも拘らず、不成功に終り、他方同種角膜移植は Zirm(1906)の成功例が学界の注目を惹いて以来、多数の追試者が現れ、就中 Elschnig の偉大なる努力によつて大なる発展を来した。本邦に於ても河本、市川、越智の諸教授に次で、第54回日本眼科学界に於ては中村康教授の厖大且つ精細なる角膜移植に関する特別講演が行われるに至つた。然し乍ら今日最も発達した同種角膜移植法も仔細に検討するならば 尚実施面に於て二三の欠点を有しておる。第一は移植する角膜片の入手が中々困難なる事である。たとい屍体角膜を使用するにしても、未だ日本の社会事情に於ては遺族に屍体角膜を懇請する事は中々の難事である。勿論生体角膜を使用し得る機会は極めて稀れである。第二の問題は同種角膜移植法が大いに発達したとは謂え、折角移植した角膜片が再び溷濁し、視力を失う場合が少くない事である。此等の欠点を除去し失明者に永遠の覗力を与える為には 入手容易の物質で、然も透明であり、人体に刺戟の僅少なるものを選び、其れを以て人工角膜を造り 角膜えの移植が成功するならば 上記の欠点が除かれる訳である。 1956年 在日米陸軍補給廠に勤務していたJoel Steinbeger氏が日本眼衛生協会を訪問し、「日本の盲人の視力回復のためにアイバンクの設立に協力したい」と申し出る。 ※ 角膜移植に関する法律の制定に大きく貢献した「目の銀行委員会」発足のきっかけとされている。 1956年3月 今泉氏が岩手医科大学内に独自のアイバンク「目の銀行」を設立。 目の銀行協力委員会が発足。 ※ 日本眼衛生協会において、全国の盲学校在学中の生徒に対して失明原因の調査を実施した結果、角膜疾患による失明が20パーセント前後であり、欧米と比較して多く、角膜移植によって視力の回復が可能である盲人のためにアイバンク設立の必要性を痛感する調査結果もあり、目の銀行協力委員会が発足した。 ※ 角膜移植に関する法律の制定とアイバンク事業の推進についての協議が重ねられ、日本眼衛生協会、日本赤十字社、日本眼科学会、日本眼科医会、日本盲人会、全国盲学校長協会などにも協力を呼びかける。 1956年11月 角膜移植に関する法案が臨時国会に提出されるが、審議未了で流される。 1956年12月 協力団体代表者の連名で、「角膜移植法制定に関する請願書」を衆参両院議長に提出。 1957年 緒方氏と筒井氏が熊本、岡山に独自のアイバンクを設立。 ※ 今泉氏、緒方氏、筒井氏は眼科医。特に今泉亀撤は、日本で初めて角膜移植を成功させ、角膜移植制度の確立とアイバンク創設の基礎作りに貢献した。 1957年10月 森岡事件。 ※ 角膜移植法がない中で独自のアイバンクでのドナーあっせんによって角膜移植を実施したために、刑法190条に触れる行為であるとされ、仙台高等検察庁を通じて盛岡地方検察庁に詳細な報告書を指示し、実施した今泉氏に事情聴取を行った。その結果、「今泉氏の行為は、法的には問題があるとしても、社会性に富んだ正当な医療行為で、且つ、医師として全く崇高な行為であるから、道徳的、人道的にみて犯罪の成立は認められない」と最高検察庁の正式見解が表明され、加えて、角膜移植法の成立遅延の方に罪があるとした。 ☆『日本経済新聞』1957年11月3日「角膜移植をした医大教授ら調査」 ☆『毎日新聞』1957年11月2日「"目の銀行"初のお手柄」 ☆『日本経済新聞』1957年12月4日「角膜移植、違法でない」 ☆『毎日新聞』1957年12月4日「「目の銀行」お手柄第一号」 1957年12月 角膜移植に関する法律の法案が再度、国会に提出される。 ※ 同時に眼の銀行委員会は、法律の実施に備えて受入れ体勢を整えるために、全国約400の主要施設眼科部長に対して、献眼者の登録と盲人の角膜移植手術に尽力するよう依頼した。 ※ 依頼を受諾した79施設を「眼球銀行協力病院」として名簿を作成し、献眼者の登録カードとアイバンク事業の推進要綱を送付し、献眼者の登録を開始できるように準備態勢を整えた。 1958年4月 「角膜移植に関する法律」が成立、公布される。 1958年7月 「角膜移植に関する法律」が実施される。 厚生省より、法律を実施するための「角膜移植に関する法律施行規則」が定められる。 ※ 法律が制定されたことにより、死体損壊罪に抵触するおそれがあった死体からの角膜移植が合法的に行えることになった。 ※ しかしこの法律だけでは摘出された眼球を別の施設にいる患者に対してあっせんすることは出来なかった。角膜移植は、亡くなった提供者と提供を受ける患者が同じ施設内にのみ可能であった。 1963年6月 厚生省が「眼球提供あっせん業の許可について」を定め、亡くなった提供者がいる施設から角膜移植を希望する患者がいる施設へ眼球をあっせんするアイバンクを発足させる。 …… ◆1976〜1980にかけて福岡で、福腎協会員が自主的にアイバンク登録、透析患者家族による死後の腎提供運動を行う。→県民に反響をおこし、ドナー登録者が増加(前田[1982:318]) …… ◆1979/12/18 「角膜及び腎(じん)臓の移植に関する法律」 …… ○使用した文献 ◇前田 こう一 198206 『難病の海に虹の橋を』,労働経済社,349p. ASIN: B000J7NPW4 [amazon] >TOP ■文献 ◆三島 済一・塚原 勇・植村 恭夫 編集主幹/三島 済一 編集企画 19810920 『角膜――最近の知見』,金原出版,眼科MOOK15 160p. ISBN:4307640209,4500, [amazon] ※ b c03 ◆総務庁行政監察局 編 1987 『角膜及び腎臓の移植に関する現状と課題――総務庁の行政監察結果からみて』 ,大蔵省印刷局 ◆佐々木 美代子 19900720 『透きとおった贈り物――角膜移植を受けて』,新潮社,214+10p. ISBN:4103292032 1300 [amazon] b c03 ◆坪田 一男 19921225 『アイバンク――ここまで進んだ角膜移植』,日本評論社,139p. ISBN:4535981205 1250 [amazon] ※ b c03 ◆青野 透 200012 「角膜移植と臓器移植法の基本理念――法はどう機能したか」,植野妙美子編『清水睦先生古希記念論文集 現代国家の憲法的考察』,信山社 http://www.law.kanazawa-u.ac.jp/aono/kakumakuisyoku.htm UP:20070419 REV:20080201 ◇臓器移植 ◇人工角膜 |