(中世盛期に至るまで)「法は秩序ordoの再生を、傷ついた秩序Un-Ordung の是正を目ざすものであった。だからこそ犯人がどのような動機で行動したのかはどうでもよいことであった。同様に犯人の行為を倫理的な基準で評価することも意味のないことであったに違いない。犯人ではなく犯行が法の中心にあったからである。」(Achter、Geburt der Strufe、1951.S4,阿部謹也[1978:397]より引用)(10)
(10)「一二世紀の前半までは、ゲルマン古来の法観念が持続している。ここでは、法は、恒常不変の「古き法」として、人間の意志を越えた、硬直的な存在であって、呪術と一体をなしている。そして人間の行為はこの神聖なマギ的調和の一部である。いまもしこの調和が、ある行為によって乱されるときは、反射的にその修復がなされることになると意識されている。従ってここでは、「犯行」という・マギ的調和秩序の一部を乱す外観が出発点であって、これにたいして、その犯行の主体である・「犯人」という個性的なものは表面に現れてこず、考察されることはない。そして、この犯行の結果、すなわち犯行にたいする制裁は、もっぱら、乱されたマギ的秩序の修復として、即自的・反射的・自動的に招来されるものであって、決して倫理的観点から合理的・反省的・個別的に衡量してなされているのではない。一一五○年以前の資料には、裁判手続の具体的側面について何らふれるところがないのは、すべてが古来の、化石化した状態にあって、とくにこれらについていうを要しないからである。」(塙[1960:44])