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「死刑執行人」年表
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last update: 20160526
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「死刑執行人」職務規定年表
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「死刑執行人」関連年表
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■「死刑執行人」職務規定年表
(日本)
◇1889(明治22)年6月:内務省訓令第29号「看守及監獄傭人分掌例 第五章 押丁ノ職務」第64条 「死刑者アルトキハ上官ノ指揮ヲ受ケ其執行方ニ従事スヘシ」
◇1909(明治42)年:「看守及ヒ女監取締職務規程」(監甲1534ノ1)第45条 「看守ハ上官ノ指揮ヲ承ケ死刑ノ執行ニ従事スヘシ」
◇1991(平成3)年:「行刑施設の規律の維持等に関する刑務官職務規程」→「看守及ヒ女監取締職務規程」(監甲1534ノ1)第45条破棄
◇2006(平成18)年5月24日:「刑務官の職務執行に関する訓令」
◆言及・引用(年代順)
◇吉野 和博, 1991, 「刑務官職務規定の解説(第六回)」『刑政』,刑務協会,102(12): 94-103
「職務規定では、「行刑施設の規律および秩序の維持並びに警備」に関する基本的事項が定められたために、旧規定の条文で言えば、第三条、第二一条、第三四条、第三八条、第四〇条、第四一条、第四五条に規定されていた事項について規定されていません。しかし、刑務官の職務から、これらの事項に関する職務が除かれたと解するのは相当ではなく、それぞれ当然の職務の内容と考えられているものと思われます」(p103)
◇櫻井 悟史 20080331 「死刑存廃論における「死刑執行人」の位置についての一考察――日本の公文書に見る死刑執行現場の生成と消滅」『Core Ethics』,立命館大学大学院先端総合学術研究科,4:93-104
「一点目は、「死刑執行人」の不在である。
明確に看守が死刑を行うという一文が書かれた「看守及ヒ女監取締職務規程」を破棄し、その後の規定からはその一文が消去されたため、誰が死刑囚を殺すかを示した法律文書は、1991(平成3)年以降存在しなくなった。
人事院規則九―三〇(特殊勤務手当)第10条第1項でも、「死刑執行手当は、刑務所又は拘置所に所属する副看守長以下の階級にある職員が死刑を執行する作業又は死刑の執行を直接補助する作業に従事したときは、それぞれの作業一回につき五人以内に支給する」とあるとおり、死刑に従事するものを看守と限定せず、あえて「副看守長以下の階級にある職員」とすることによって、「殺人」の料金が支払われる人間の顔が曖昧にされてしまっていて、具体的に誰が執行するかは示されていない。
もう一つの点は、死刑執行の経過の省略である。
監獄法第72条「死刑ヲ執行スルトキハ絞首ノ後死相ヲ検シ仍ホ五分時ヲ経ルニ非サレハ絞縄ヲ解クコトヲ得ス」は、2005(平成17)年に施行された刑事施設及び被収容者等の処遇に関する法律第179条(解縄)「死刑を執行するときは、絞首された者の死亡を確認してから五分を経過した後に絞縄を解くものとする」へと変更されたが、ここ>98>では「絞首ノ後」から「絞首された者」へとニュアンスが変化していて、前者が、生きている死刑囚の首に縄をかけるところからの経過を含んでいるのにたいし、後者では、すでに死刑囚がぶら下がっているところから話がはじまっている。
以上の二つの点からわかるのは、法律文書内における死刑執行現場の消滅である。
現在、国家公務員法第98条第1項「職員は、その職務を遂行するについて、法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」が、刑務官が死刑執行に従事する唯一の根拠であると示されている。死刑執行の命令は法務大臣が死刑執行命令書にサインすることによって出される。しかし、この命令が誰に対する命令であるかは法律にない。これは、刑務官の中から「死刑執行人」が選ばれなければならない、という根拠が存在しないことを意味している。このような現象は、1991(平成3)年以降になって初めて現れた現象である」(pp98-99)
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■「死刑執行人」関連年表
(日本)
※以下の文献を参照しつつ作成中
◇財団法人刑務協会 編 [19430705]19741228 『日本近世行刑史稿 上・下』, 矯正協会
◇布施 弥平治 19830820 『修訂 日本死刑史』, 巌南堂書店,730p. ASIN: B000J7C01G 22000
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◇手塚 豊 19840315 『明治刑法史の研究(上) [手塚豊著作集]第四巻』, 慶應通信
◇重松 一義 20070710
『日本刑罰史年表 増補改訂版』
, 柏書房,410p. ISBN-10: 4760131655 ISBN-13:978-4760131655 6800
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1868(明治元)年8月 東京府囚獄取締ヲ囚獄長ニ改メ准六等ノ待遇トス(類聚法規)
1868(明治元)年8月 東京府牢屋同心ヲ改メ囚獄使部ト為ス准九等ヲ以テ待遇ス(類聚法規)
1868(明治元)年10月29日 仮刑律 刎、斬、磔、焚、梟の五種
1868(明治元)年11月13日 梟、斬、絞――火附と強盗が人を殺すものに限り梟首、磔は君父を殺すものについてのみ行う【布施1983:566】――「官人と諸藩士には刎首、自尽を行い、梟首は行わないこととし、その他、火刑、晒引廻し鋸引きは廃止」【布施1983:561】 (法規分類大全、第一編、刑法門。憲法類編)
1869(明治二)年2月 囚獄見廻廢セラレ石出帯刀解職匝瑳卿輔囚獄長(六等官)申付ラル(豊多摩舊記)
1869(明治二)年8月 山田浅右衛門、首討役申付けられる。手当金1ヶ月金5両(豊多摩旧記)
1869(明治二)年8月5日 磔を磔罪、梟首を梟示、刎首を斬罪と改めた。即ち袈裟斬による死刑はなくなった【布施1983:566】
1869(明治二)年11月 死罪に当たる者の処断を停止、新律頒布まで待たせる(刑部省指令)
1869(明治二)年11月 山田浅右衛門依願免となり山田源蔵が跡目役を申し付けられる(豊多摩旧記)
1870(明治三)年4月15日 試し斬りなど刑死遺体の取締りに関し布令せられる。すなわち従前刑余の体を以て刀剣の利鈍を試み来りたる。右は残酷の事に付厳重取締可致其人胆或は○天蓋、陰茎など密売致すやに聞ゆる処、其効無之に付厳重取締可致旨布告される(太政官布告)。
1870(明治三)年9月 死罪のみ刑部省伺のうえ処断
1870(明治三)年12月20日 新律綱領6巻発布、正刑として苔杖徒流死の5刑、閏刑として「辺戍の役」、狂人には瘋癲殺人として終身鎖錮などの刑が設けられる(太政官布告第940号)
1871(明治四)年6月 梟首行刑の者の断頭場所を関西に本籍のある者は鈴ヶ森刑場、関東にある者は小塚原刑場と改める(官令沿革表)。
1871(明治四)年7月 鈴ヶ森刑場を廃止(刑部省達・重松刑罰史蹟考43頁)。
1871(明治四)年7月9日 刑部省・弾正台を廃し司法省置かれる。
1871(明治四)年7月14日 廃藩置県。
1871(明治四)年8月9日 斬髪廃刀を許す。
1871(明治四)年8月28日 穢多非人の称を廃止、「自今身分職業共平民同様タルヘキコト」と民籍編入を指令される。
1872(明治五)年4月 懲役法ヲ儲ケ、今後苔杖罪ヲ犯ス者ハ別紙(略)懲役圖ニ依リ懲役ニ服セシム。但シ懲役執行シ得サル府縣ハ當分從來ノ通實決ヲ妨ケサルコトゝナス(布告第一一三號)
1872(明治五)年11月29日 「監獄則並図式」頒布される(太政官達第378号)。
1873(明治六)年2月 苔杖実決を禁止(達第71号)。
1873(明治六)年2月7日 仇討を厳禁する。
1873(明治六)年3月 各府県懲役場取拡げまで苔杖実決を認める(司法省達第39号)。
1873(明治六)年4月 監獄則の施行は予算上不都合につき中止と布達(司法省布達第61号)。
1873(明治六)年6月 改定律例を頒布(太政官布告第206号)。
*作成・担当者:
櫻井 悟史
追加者:
UP:20080911 REV: 20160526
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