HOME > 事項 >

死刑関連ニュース1989年 朝日新聞(12月)



1989年12月1日 朝刊 5面
◆「○○容疑者」の表記を原則に(読者と新聞 編集局から)


 1面にお知らせを掲載しましたように、朝日新聞社は人権にいっそう配慮した報道を目指し、本日付紙面から、刑事事件の被疑者について「呼び捨て」の原則を改めることにしましたが、新しい方針のあらましは次の通りです。
 (1)逮捕されたり、指名手配されたりした被疑者は、これまでのように呼び捨てにはせず、「○○容疑者」と表記するのを原則とする。
 (2)汚職、会社犯罪など被疑者の職業、地位が事件に関連している場合は、肩書呼称を併用する。
 (3)社会的非難の度合いがそれほど強くないような場合、摘発の是非について見方が分かれるような場合などは、肩書呼称(事例によっては敬称)を使うことも考える。
 (4)交通・海難・火災など過失によって起きた事件では、肩書呼称を中心とする。
 −−ざっと、以上の通りですが、(3)と(4)については、これまでもおおむね、この線に沿って表記してきました。また、被疑者が起訴され、裁判の段階にある時は、これまで通り「○○被告」と書きますが、実刑が確定したあとも、これからは呼び捨てにせず、原則として「○○服役囚」「○○死刑囚」のように呼称をつけることにしました。
 事件報道では日々、いろいろと難しい問題に直面します。逮捕された被疑者の呼び方もその1つですが、日本の社会では長い間、呼び捨て報道が習慣になってきました。その背景には、例えば幼児誘拐殺人事件のように、被疑者の人権への配慮と同時に、被害者や一般市民の感情も考慮しなければいけない、という事情がありました。しかし近年、事件報道に対する読者、国民の感覚に大きな変化が見られるようになり、呼び捨て原則を維持することに、社内外から疑問が出されるようになりました。
 本社では、事件取材の多い社会部を中心に、議論を重ねてきました。若い記者を中心に「この際、全部に氏やさんの敬称をつけたらどうか」という意見も出ました。それに対して「凶悪事件のような場合、敬称がすんなり受け入れられるだろうか」という反論も出ました。さまざまな議論をたたかわせた末に、いわば最大公約数としてまとめたのが、上記の諸点なのです。
 これらとて、一応の目安です。事件の姿は千差万別ですから、一線記者やデスクは、どんな呼称が一番適切か今まで以上に悩みながら、締め切り時間とたたかうことになります。
 朝日新聞社は今後とも、事件報道のあり方について、さまざまな角度から検討を加えていく考えです。



1989年12月2日 朝刊 1社
◆死刑囚への養子の接見、制限は違法と勧告 福岡県弁護士会 【西部】


 福岡市早良区の福岡拘置支所に収監されている死刑囚に、養子が面接しようとしたところ、支所が許可しなかった。手紙も返送してきた。これは、死刑囚との接見や文通を、刑事被告人に準じて原則的に自由としている監獄法9条などに反し、死刑囚の人権を侵害する違法なやり方だ、と福岡県弁護士会(近江福雄会長)が1日、秋吉政信・拘置支所長に「制限しない取り扱いをしてほしい」と勧告した。
 死刑囚は、1978年から79年にかけ、福岡県内で保険金を目当てに3人を次々に殺したとして、昨年4月に死刑が確定した元タクシー運転手(62)。養子は東京都町田市在住の女性(31)。宗教活動をするうちに死刑囚と知り合い、昨年4月に養子縁組をした。
 死刑囚との面会は、監獄法に基づき、親族や、再審などのため必要ある弁護士に限って拘置所長が許可している。
 養子の女性は「気軽な話をして支えてやりたい」と昨年4月、福岡拘置支所に2回、面接を申し出た。だが拘置支所は「養子縁組は接見などの目的のための形式的・便宜的なもの。本来の親族とはいえない」と判断、2回とも不許可にした。また、昨年7月までに、手紙や現金1000円入りの現金書留などを2回郵送したが、渡されなかった、という。
 このため、死刑囚が人権救済を福岡県弁護士会に申し立て、同弁護士会が1年前から調査していた。
 秋吉支所長は「私たちとしては死刑囚の心情の安定を図ることが一番大事と考えている。(養子は)死刑廃止を標ぼうする人々とかかわりが深く、本人の気持ちを荒立てるおそれがあると判断した」と話している。



1989年12月2日 朝刊 1社
◆差し戻し審を控え名古屋へ被告移す 山中事件 【名古屋】


 最高裁が死刑判決を破棄し、審理のやり直しを命じた「山中事件」の差し戻し審が12日に名古屋高裁で始まるが、名古屋高検は1日、石川県江沼郡山中町東町1丁目、蒔(まき)絵師霜上則男被告(43)を拘置先の金沢刑務所から名古屋拘置所に移管した。



1989年12月3日 朝刊 読書
◆図説死刑物語 カール・B・レーダー著 説得力のある廃止論(書評)


 フランス大革命のとき、ある死刑囚は「ああ! しかし友愛は存在しません」と検察官に書き送った。「人権宣言」になぞらえて「女権宣言」を起草したオランプ・ド・グージュが、ルイ16世の死刑に反対した科(とが)で断頭されたとき「ひとは“まさに精神を殺したのだ”と、気づいて」いた(共にO・ブラン著、小宮正弘訳『150通の最後の手紙』朝日新聞社)。
 現代日本でも、死刑をいったん宣告された人があい次いでより高次の裁判で無罪放免される事態を眼前にして、わたしたちは「ひとは神であり得るのか」と問いたくなる。しかし、この本は、さらにすすんで「ひとはなぜ、神であろうとするのか」という問いに、死刑の歴史の沿革をたどりつつ、正面から答えようと試みている。
 死刑の発生を、著者は、原始社会におけるタブーの体系、血の復讐(ふくしゅう)、人身御供からたどる。いずれの場合もそれは、「自分の罪を自分で克服しようとしないで他のものに転嫁する」ことによって、共同体社会の一体性、正統性を確保しようとする行為と関連している。この共同体的行為こそが、現代社会の「死刑を求める声」にまで、つながっているのである。
 死刑の歴史をみると、石打ちや十字架、斬首、生き埋め、火刑などじつに多様だが、「人道的」とされるギロチン、絞首刑、電気椅子、ガス室、銃殺など近代的な処刑手段にいたるまで、死刑は残虐さからけっして解放されない。それは死刑執行吏自身をも差別や自殺に巻きこむほどのものだ。
 死刑賛成論者はしばしば、「目には目を」という同害報復の論理や、犯罪の再発を防ぐ威(おど)かしの作用や、社会の安全性を守る、という議論をする。しかし、報復の論理は今日の法治主義では許されないし、凶悪犯罪は社会のモラルが高く、暴力を退けるような雰囲気のなかではじめて減少するのだ。むしろ、欠陥や誤りの多い「現代国家」制度が正統性を独占して、かけがえのない人間の生命を左右するところにこそ問題はないだろうか? 死刑対象者に被差別者、非識字者、少数集団、外国人が多いことは、社会自身のかかえる問題を「犠牲の山羊」に転嫁しようとする非合理的な社会心理と関連していないだろうか?
 死刑の歴史は全体主義、独裁制に奉仕してきた「流血の物語」にほかならぬと、本書は結論する。東独で言論問題により25年の懲役をかつて宣告された著者の死刑廃止論は説得的である。
 =西川潤=
 (西村克彦・保倉和彦訳、原書房・356ページ・2,500円)



1989年12月3日 朝刊 2社
◆揺らぐ死刑判決 「山中事件」差し戻し審を前に:上 【名古屋】


 最高裁は共犯の自白に疑問投げた
         
 12日に名古屋高裁で、死刑判決をめぐる注目の裁判が始まる。17年前、石川県・山中町で元タクシー運転手が殺された「山中事件」で、最高裁が今年6月、1、2審の死刑判決に数々の疑問点を指摘し、異例の審理のやり直しを命じた。これまで最高裁が死刑判決を破棄した松川事件や八海事件など戦後の著名事件と同様に、無罪となる公算が大きい。1日には、被告が金沢刑務所から名古屋拘置所に移された。初公判を前に、審理の焦点と、揺らいだ死刑判決をめぐる人模様を報告する。
             
 いで湯と漆器の山中町で、残忍な殺人事件が発覚したのは、昭和47年7月26日。加賀市山代温泉幸町、元タクシー運転手出島武夫さん(当時24)が町外れの林道で、白骨死体でみつかった。
 2日後、知人の木地業手伝いのAさん(41)=懲役8年服役済み=が犯行を自白した。
 「あれをやったのは霜上だ。霜上がナイフで3回ほど突いて、まさかりで殴って殺した。わしはそばにおって見ていただけだ」
      
 ●一切犯行を認めず
 実行犯と名指しされたのは、同町東町1丁目、蒔絵(まきえ)師霜上則男被告(43)。当時、霜上被告はこの年の5月14日に、Aさんの所持金を奪うため、Aさんを刺し殺そうとしたとして、強盗殺人未遂の別件で公判中だった。
 捜査段階でも裁判でも、霜上被告は殺人事件について、事件当日の5月11日のアリバイを主張し、一切犯行を認めなかった。
 しかし、1審判決はAさんの自白を有罪の決め手として、「霜上被告は遊ぶ金欲しさにAさんに金融業者から30万円を借金させたうえで、Aさんを殺して金を奪うことを計画し、まず借金の保証人の出島さんを殺した」と認定、死刑を言い渡した。
 その時の裁判長(65)は「その心情の非人間性にはいうべき言葉もない」と決めつけた。2審も「全く悔悟の情を示さない」とはねつけた。
 ぎりぎりまで追い込まれたなかで、最高裁はこの自白に疑問を投げかけた。
     
 ●刃物の傷にも疑点
 最高裁判決は(1)自白は霜上被告が被害者の左わき腹を刺したのを目撃したとするが、着衣のその部分に刃物の傷がない(2)自白通りの打撃方法では、頭部の骨折が生じない(3)車内からみつかった血痕が自白で示した場所と違う−−など自白と客観的証拠との矛盾を指摘し、「1、2審の証拠だけでは有罪と認めることは許されない」と死刑判決を批判した。
 裁判の流れは一転して、無罪の方向へと大きく変わった。
 「1、2審の裁判官がけしからんということではない。良心に従って誠心誠意の結論だったのだろう」と、山中事件に関与した最高裁関係者は言う。
 そして「最高裁は1、2審のように被告を直接調べたり、現場を検証して心証を取ったわけではないが、事実認定にちょっとでも疑問があったら、死刑判決は出せない。1、2審はそこを解決したつもりだったのだろうが……」と続けた。
      
 ●罪軽減図る場合も
 冤罪事件に詳しい静岡大学の大出良知助教授(42)=刑事法=は「もともと、共犯者の自白は自分の罪を軽くしようとして、他人を引っ張りこみ、責任を押しつける危険性がある」と指摘する。
 「日本の巌窟王事件」はその典型として知られる。大正2年に名古屋・今池で起きた強盗殺人事件で、故吉田石松さんは真犯人2人に罪に陥れられた。無期懲役で服役し、仮出所したあと、真犯人を捜しだし、昭和38年に50年がかりで冤罪を晴らした。
 山中事件でも、同様の過ちが繰り返されたのだろうか。



1989年12月4日 朝刊 3総
◆「死刑存続」3人に2人 凶悪犯罪の増加を懸念 総理府世論調査


 総理府は3日付で、「犯罪と処罰に関する世論調査」の結果を発表した。それによると、9割以上の人が「凶悪犯罪が増えている」と感じ、3人に2人が死刑存続の意見を持っていることが分かった。ともに前回(昭和55年)の調査と比べて両方とも増加しており、凶悪犯罪への危機感が死刑存続論に結びついているようだ。
 調査は今年6月から7月にかけ、全国の20歳以上の男女3000人を対象に面接で行い、2293人から回答を得た。
 まず4、5年前と比べた凶悪犯罪の増減については、90.8%が「増えている」と答え、「減っている」はわずか0.9%。「増えている」という回答は昭和42年の調査では73.9%、55年の84.1%と、増加傾向にある。
 そのうえで、死刑に対する態度を質問したところ、「廃止反対」が66.5%、「廃止賛成」が15.7%だった。死刑存続派は昭和42年調査の70.5%から50年には56.9%と、いったん減ったが、55年には62.3%と上昇、今回も増加。一方で死刑廃止派は、50年の20.7%から55年は14.3%に減少したが、今回は1.4ポイント上昇した。
 死刑存続の根拠(複数回答)は、「凶悪犯罪は命をもって償うべきだ」(56%)、「死刑を廃止すれば悪質な犯罪が増える」(53.1%)、「被害者や遺族の気持ちがおさまらない」(39.7%)などが多く、逆に死刑廃止の理由では、「裁判に誤りがあると取り返しがつかない」(45.8%)、「人道に反し、野蛮」(43.3%)、「更生の可能性がある」(34.2%)などだ。



1989年12月4日 朝刊 2社
◆揺らぐ死刑判決 「山中事件」差し戻し審を前に:中 【名古屋】


 支援の輪が「隔てられた親子」を包む
     
 先月27日、金沢刑務所の霜上則男被告(43)のもとに、母の美弥子さん(68)が1カ月ぶりに訪ねて来た。
 「元気でおるか」「母さんこそ、病院の検査の結果はどうやった」
 会話用の小さな穴があいたプラスチックの板越しの面会。母と子が隔てられて、もう17年が過ぎた。
 霜上被告は石川県・山中町で漆器業を営む鉄男さん(69)、美弥子さん夫妻のひとり息子だ。小学3年生の時に結核性こ関節炎にかかったのが原因で、1年進級が遅れた。中学校を卒業したあとは家業の手伝いをしていた。事件で逮捕された時は26歳だった。
 霜上被告の自宅には、長靴と懐中電灯が10人分ほど備えてある。「大勢の人に犯行現場の林道を見てもらい、息子の無実を知ってほしい」という願いからだ。
      
 ●現場見せ無実訴え
 夜9時すぎ。霜上被告を実行犯と名指しした共犯者Aさん(41)の自白に基づき、夫妻は犯行時間帯に現場に立った。
 杉の木立が月明かりをさえぎる。懐中電灯を消すと、目を凝らしても、足元すらおぼつかない。犯行当夜は月も出ていなかった。
 「自白によると、車の中で被害者を刺し、外に引きずり出した。逃げた被害者を追いかけ、さらに刺したうえ、ヨキ(オノの一種)で頭を一撃した」と、鉄男さんは身ぶりを交えて再現する。
 「暗やみのなかの犯行は困難を極めたはずなのに、自白からはその様子が伝わってこない。いとも簡単にやり遂げている。車のルームランプをつけていたというが、数メートルも離れた場所で、倒れた被害者の頭にヨキを命中できるだろうか」。最高裁の判断同様、両親にとっても自白は疑問だらけだ。
      
 ●弁護団30人に増強
 2審も死刑判決となり、窮地に追い込まれた霜上被告と両親の闘いが大きく輪を広げたのは、昭和59年。冤罪事件の救済に取り組む日本国民救援会が支援を決定した。
 山中町で開かれた同会の全国大会に、両親が助けを求めたのがきっかけだった。
 それまで2人だった弁護団は一気に30人近くに増強された。死刑判決が最高裁で破棄され、無罪へと逆転した八海事件の原田香留夫弁護士、死刑囚が初めて再審無罪となった免田事件の真部勉弁護士らそうそうたる顔触れが集まった。
 一方、翌60年から現地調査が始まり、これまでに8回、延べ約800人が全国から参加した。
 刑事訴訟法のゼミで山中事件を学ぶ島根大学の学生たちも昨年4月、現地を訪れた。
 「真っ暗な林道に連れ込まれるのに、被害者が不審にも思わなかったというのは、不自然だ」と、引率した川崎英明助教授(38)は指摘する。
 「現場を見れば、共犯者の自白がおかしいと必ず分かってもらえる」と、山下茂・同会石川県本部事務局長(60)は話す。
        
 ●9都府県に守る会 
 「霜上則男さんを守る会」は東京など9都府県にできた。今回、差し戻し審が始まるのを機に、名古屋でも大学教授や弁護士が中心になって、結成の準備が進められている。
 最高裁判決のあと、面会時間は2倍の20分に延びた。しかし母と子にとっては、それは短い。霜上被告は「1日も早く自由になりたい」と初公判の日を待ちわびているという。



1989年12月5日 朝刊 2社
◆揺らぐ死刑判決 「山中事件」差し戻し審を前に:下 【名古屋】


 「山中事件の死刑判決には科学的な誤りがある」と指摘する法医学者がいる。
 豊明市にある藤田学園保健衛生大学医学部の内藤道興教授(65)。
 東大講師だった30年以上前から、警視庁の嘱託として活躍、これまでに1200体の遺体解剖を手がけている。死刑囚が再審無罪となった島田事件など数多くの難事件の鑑定にも携わった法医学の第一人者だ。
         
 ●「有力証拠」の死角
 「初めて裁判記録を読んでいるうちに、犯行に使った車から人血が検出されたとする警察の鑑定が目にとまった。検査に問題があると直感した」
 昭和59年の春、1、2審の死刑判決をあらゆる角度から検討するため、霜上則男被告(43)の弁護団が内藤教授に鑑定を依頼したのだった。
 人血が検出されたというのは、被告の父鉄男さん(69)の乗用車。後部座席を覆うビニールカバーの縫い糸に2、3ミリの幅でついていたとされる。共犯者の友人(41)の自白では、被告はこの車の後部座席で、被害者の元タクシー運転手(当時24)を小刀で刺したという。
 1、2審はこの警察鑑定について、自白の信用性を裏付け、被告と犯行を結びつける有力な証拠と判断した。
 内藤教授が疑問を感じたのは、その検査方法。「人間のたんぱく質が検出されたにすぎない。別の試験で赤血球固有のたんぱく質を検出しなければ、人血とは断定できない」と批判する。
 それは1、2審の審理では一度も問題にされることがなかった。まさに死角だった。
          
 ●「心強い援軍」期待
 さらに、ヨキ(オノの一種)で被害者の頭を殴ったとする自白についても、内藤教授は首をかしげる。
 頭にあった陥没骨折は直径2.7センチ、深さ0.7センチ。
 死刑判決は「ヨキで生じる可能性がある」とした三木敏行・東大教授(当時)の鑑定を採用したが、内藤教授は「重量のあるヨキで殴ったら、この程度で済むはずがない」と真っ向から反論する。「川のなかに落とされた時に、石にぶつかったとみるのが自然だ」
 名古屋高裁で12日から始まる差し戻し審で、弁護団は有力な無罪証拠として内藤鑑定を再び提出する。梨木作次郎・主任弁護人(82)は「これほど心強い援軍はない」と期待を寄せる。
         
 ●検察にも歳月の壁 
 一方、守勢に回った検察側はどう対応するのか−−。
 「有罪であることは間違いない。最高裁が指摘した疑問点にこたえれば、死刑判決は十分維持できる」と名古屋高検幹部は自信を見せる。
 共犯者の自白通りの方法でも殺害が可能だったことを立証するのが、検察側の課題。このため、共犯者を法廷に呼び、犯行の模様を証言させるほか、現場の検証や被害者の受傷状況についての再鑑定を請求するものと見られている。
 しかし、事件から17年という歳月は、検察側にとっても厚い壁として立ちはだかる。
 「捜査段階で、証拠の吟味を尽くさなかったうらみは残る」。捜査の在り方に少なからず問題があったことを、この幹部は暗に認める。
 石川県の事件が、名古屋高裁の金沢支部ではなく名古屋の本庁で審理される例はめったにない。早期決着のための判断という。霜上被告の拘束は、6400日を超えた。



1989年12月7日 朝刊 2外
◆インド洋の小国コモロ揺さぶる雇い兵 アブダラ大統領暗殺事件


 【ナイロビ6日=五十嵐特派員】コモロ・イスラム連邦のアブダラ大統領暗殺事件は、同政権を支えてきた外国人雇い兵の犯行との見方が固まった。独立から14年。力を持ち過ぎた雇い兵の切り捨てを図ったのが原因とみられる。背後には経済進出を強める南アフリカ共和国と、旧宗主国フランスの利害も交錯する。両国は3日、話し合いをして雇い兵の退去勧告を決めたが、反発した雇い兵らは首都モロニの防備を固めているといわれ、インド洋の小国は混迷が続いている。
         
 先月26日の暗殺後、憲法の規定に従って最高裁長官が暫定大統領になった。だが、実質的に権力を握ったのは仏人雇い兵のボブ・デナール隊長(60)を中心とする白人雇い兵約30人とみられる。雇い兵の指揮下にある大統領護衛部隊(コモロ人で編成)の約650人を率いて、約500人の国軍を武装解除。主要施設を監視下に置いた。
 唯一の国営放送ラジオ・コモロにも護衛部隊が進駐。同国入りした外国人ジャーナリスト十数人はホテルに軟禁され、一歩も外に出られない状態といわれる。
 これに対し全国の教師らは生徒を一斉に帰宅させるなど抵抗を試み、一部にはゼネストも計画されたが強大な力の前に押しつぶされた格好だ。
 断片的な情報を総合すると、大統領を殺害したのはデナール隊長か副官格の仏人少佐らしい。
 26日夜、2人は官邸でアブダラ大統領と話すうち口論となった。大統領がボディーガードを呼んだため副官がこれを刺殺。短銃に手を伸ばした大統領をいずれかが射殺した−−と伝えられる。
 同大統領はこの数年、護衛部隊を握って絶大な権力を振るう雇い兵の排除を画策していた。南アフリカ共和国が護衛部隊に武器、資金を供与。強まる南アと雇い兵の結びつきを懸念していた、ともいわれる。
 このため11月初めには国民投票を実施して憲法を一部改正。来年1月の3選を早ばやと決めるとともに大統領権限の強化を図った。これが殺害の直接の引き金になった、との見方が強い。
 デナール隊長の大きな発言力は、アブダラ氏を大統領の地位につけたのが彼ら雇い兵だったことによる。
 アブダラ氏は75年7月の独立と同時に大統領に就任したが、翌月のクーデターで失脚。しかし78年5月、デナール隊長に率いられた雇い兵部隊がモロニに上陸して実権を奪い、10月、アブダラ氏が大統領に復帰した。
 アブダラ氏が亡命先のパリで画策したクーデターと伝えられる。
 デナール隊長は、アフリカでは有名な白人雇い兵。本名ジルベル・ブルジュ。仏ノルマンディー地方に生まれ、仏軍兵士としてインドシナ半島、アルジェリアを転戦。モロッコの警官を最後に雇い兵部隊に入った。旧ベルギー領コンゴ(ザイール)、北イエメン、アンゴラなどで名を挙げた。ベニンでは77年、クーデター未遂事件で死刑判決を受けている。
 経済制裁に苦しむ南アはこのところ、コモロへの経済進出を強めてきた。多額の投資を進め、ホテルなど観光事業を興こす一方で、モザンビークの反政府ゲリラなどへの武器輸出の中継地として利用していた。その南アが水面下で接触していたのがデナール隊長だった。
 これに対し、コモロと関係の深い旧宗主国フランスは、南アの経済進出を警戒。パリに本拠を置く反政府勢力に肩入れしていた。
 しかし、大統領暗殺事件後の3日、フランスと南アの外交筋はモロニで会談。南ア側は今月いっぱいで護衛部隊に対する援助を打ち切ることで合意し、デナール隊長ら雇い兵の退去を推進することで一致した。両国外務省はともに、「武装集団による実権把握」を民主的国家運営と相入れないと非難。「公正な選挙の実施」を要求した。これに対し大統領護衛部隊は、モロニの港に部隊を配置して防御を固め始めた。
 現地からの情報によると、デナール隊長は5日、モロニ市内のイスラム寺院を訪れ、事件後初めて住民の前に顔を見せた。周辺に集まった住民数百人からは「人殺し」との罵声(ばせい)が飛んだという。
       
 <コモロ・イスラム連邦共和国> インド洋に浮かぶ島国で人口47万人。旧フランス植民地。近海がシーラカンスの生息地として知られる。4つの小島から成り、首都モロニを含む北部3島はイスラム教徒が大多数を占める。南端に位置するマヨット島はキリスト教徒が大半で、76年の住民投票でフランスに残留の意思を明らかにした。南アとは観光や貿易で深いつながりがある。



1989年12月8日 夕刊 文化
◆講演会「被害者の遺族が語る死刑廃止」(会と催し)


 10日午後2時、東京・市谷の家の光ビル(JR飯田橋駅下車)。死刑廃止をテーマに、作家の佐木隆三氏、アムネスティ日本支部長のイーデス・ハンソン氏、「死刑をなくす女の会」事務局長の丸山友岐子氏がてい談する。入場料800円。アムネスティ日本支部東京事務所(03−203−1050)。



1989年12月8日 夕刊 1社
◆42年ぶり仮釈放された元死刑囚石井さん、つらかったと涙 【西部】


 終戦直後の昭和22年に、福岡市で中国人商人ら2人が射殺された「福岡事件」で、殺人の罪に問われ、死刑が確定し、その後恩赦で無期懲役に減刑された石井健治郎・服役囚(72)が仮釈放を認められ8日午前、服役中の熊本市の熊本刑務所を出所した。石井さんの死刑確定は戦後第1号だった。石井さんの無罪を訴えてきた熊本県玉名市の「シュバイツァー寺」住職古川泰竜さん(68)が身元引受人となり、死刑確定から33年、逮捕から42年ぶりに「自由の身」になった。
 石井さんは午前11時半、古川さんと一緒に乗用車で、古川さんが住職をしている玉名市の「シュバイツァー寺」に着いた。「お帰りなさい」という支援者らの声に笑顔を見せ、しっかりとした足取りでお寺に入った。
 茶色の作務衣(さむえ)に白い足袋姿。首には大きな数珠をかけていた。
 玄関前で、留守番をしていた古川さんの4女さゆりさん(34)としっかりと握手。何度も「良かったね」と話しかけるさゆりさんに、石井さんは目をうるませ、うなずいた。
 石井さんは支援者らと肩を抱き合いしばらくは無言のまま涙を流していた。「私のために運動してくれた人はみんな先に亡くなってしまった。つらかった。過去のことを思えば涙が出て仕方がない。しばらくは古川さんに頼りながらゆっくり今後のことを考えてみたい」と語った。
 身元引受人の古川さんは「恩赦は十数年前に出ているので、今回の出所は仮釈放という形をとった。石井さんの服役態度がすぐれ、1級の模範囚だったため、出所が許可されたと思う」と話していた。



1989年12月8日 夕刊 娯楽
◆犯罪報道の呼称変更の背景(メディア・インサイド)


 根づいた人権意識を配慮 視聴者からの異論はなし
                                    
      
 TBS、日本テレビ、テレビ朝日、テレビ東京の4系列が、犯罪報道で逮捕段階での呼び捨てを相次いでやめ、「容疑者」を付けることにした。朝日新聞や共同通信など全国紙や通信社も、ほぼ同時期に同じ措置をとっているが、社会的に人権意識が高まっていることや、最近、冤罪事件や捜査ミスが相次いだことなどが、今回の呼称変更につながった。各局とも有罪確定までは「推定無罪」であるという立場を取ったものといえる。
 NHKとフジテレビ系は、すでに昭和59年4月から、原則として呼び捨てをやめている。再審裁判で、死刑囚に無罪判決が出たことなどで、人権意識が高まったことへの配慮だった、という。
 今回の呼称変更は、2度目のうねりといえるが、TBS系は先月27日から、日本テレビとテレビ朝日、テレビ東京の3系列は、今月1日から踏み切り、全局の足並みがそろった。各局とも、逮捕から起訴までは「容疑者」の肩書を、起訴後は「被告」を付け、有罪(実刑)確定後にはじめて呼び捨てにする、ことを原則としている。また、日本新聞協会によると、先月1日から毎日新聞、この1日から朝日、産経、東京、東京タイムズ、日本経済、読売の各紙と共同通信、時事通信が同様の措置をとった。
 これまで呼び捨てをしてきた理由は、犯罪に対する国民感情や被害者の感情、マスコミの担っている社会的機能、統計上の起訴率の高さ、など。しかし、市民社会に人権意識が着実に根づいたうえ、冤罪事件や捜査ミスなどで捜査機関への信頼度低下が指摘され、人権擁護の面から、呼び捨て報道への反発が強まった、と各局は受け止め、呼称変更を決断したようだ。
 決定までの経過では、「2、3年前から検討していたが、今回はとくに若い記者の間で、有罪が確定するまで呼び捨てで決めつけるのはおかしい、という意見が多かった」(早河洋テレビ朝日報道部長)に代表されるように、各局とも系列局間、局内でもほとんど異論はなかった。また視聴者からの異論もほとんどなく迎え入れられた、という。
 東京弁護士会報道と人権部会長の梓沢和幸弁護士は「今回の措置は唐突な印象を受けるが、ひとつの前進だと思う。ただ、問題の本質は呼称ではなく、逮捕されたという警察の情報をどうとらえ伝えるかという報道内容にある」と指摘している。
 また、今後の犯罪報道で焦点になると見られる、容疑者の匿名化については、「軽微な事件の場合はすでに匿名にするケースも出ており、今後増えていくと思うが、汚職などの権力犯罪などでは追及が弱まることにもなりかねない」(太田浩TBS報道総局長)、「知る権利とプライバシーの境界線をどこで引くかは難しい」(中本達雄テレビ東京ニュース報道部長)との意見が多く、まだ具体的な検討段階には入っていない。



1989年12月8日 夕刊 1社
◆元死刑囚、33年ぶり仮釈放 福岡事件の石井さん


 終戦直後の昭和22年に、福岡市で中国人商人ら2人が射殺された「福岡事件」で、殺人の罪に問われ、死刑が確定し、その後恩赦で無期懲役に減刑された石井健治郎・服役囚(72)が仮釈放を認められ、8日午前、服役中の熊本市の熊本刑務所を出所した。石井さんの死刑確定は戦後第1号だった。石井さんの無罪を訴えてきた熊本県玉名市の「シュバイツァー寺」住職古川泰竜さん(68)が身元引き受け人となり、死刑確定から33年、逮捕から42年ぶりに「自由の身」になった。
 22年5月、軍服の取引を巡り、中国人の商人と日本人ブローカーが射殺された。犯人として7人が逮捕され、31年に石井さんら2人の死刑が確定した。
 物的証拠のない事件とされ、死刑囚の教戒師をしていた古川さんらが36年から再審請求運動を展開。主犯格とされた西武雄元死刑囚(当時61)は50年6月17日に刑が執行されたが、実行犯とされた石井さんは同じ日に、「他の共犯者に比べ刑が重すぎ、しかも改悛(しゅん)の情が明らか」として、審査で特定の者に行われる個別恩赦で無期懲役に減刑された。
 石井さんはその後も無罪を訴え、再審請求をしてきた。無期懲役は服役から10年以上経過すると、仮釈放の審査の対象になる。熊本刑務所によると、石井さんは、無期懲役に減刑されてからすでに14年経過し、しかも服役中の生活態度が極めてよく、仮釈放が認められた、としている。古川さんらの支援グループでは、石井さんが高齢で体が弱っていることも考慮されたのではないかとみている。
 石井さんは8日午前、熊本刑務所を出所したあと、古川さんに身元を預けられた。



1989年12月9日 朝刊 1外
◆民主化運動弾圧の中国警官殺害で2被告に死刑


 【北京8日=田村特派員】8日付の北京晩報によると、北京市中級人民法院(地裁に相当)は同日、今年6月4日の戒厳部隊などによる民主化運動弾圧の際に武装警官1人を殺した3被告に対し、反革命殺人罪と同傷害罪を適用、2人に死刑、1人に無期懲役の判決を下した。



1989年12月9日 朝刊 1社
◆上告を棄却、死刑が確定 伊勢崎市の2中学生殺し


 群馬県伊勢崎市で昭和51年、強盗に入った家にいた女子中学生2人を殺したうえ放火したとして、強盗殺人と現住建造物放火などの罪に問われていた住所不定、無職、田村正被告(38)に対する上告審の判決が8日、最高裁第2小法廷であり、島谷六郎裁判長は「犯行は残虐であり、被害者の家族に与えた影響は深刻で、社会的影響も無視できない」とし、死刑を言い渡した1、2審判決を支持して田村被告の上告を棄却した。これで死刑が確定する。
 1、2審判決によると、田村被告は51年4月1日午後1時半ころ、伊勢崎市三和町の自宅隣の会社員宅に入り込み、長女とそのいとこの中学2年生2人を包丁で刺殺。貴金属を盗み、犯行を隠すため、遺体に灯油をかけて家もろとも焼いた。



1989年12月10日 朝刊 3総
◆今週の動き(12月11日−12月17日)


 <11(月)>
 ●消費税廃止関連法案を参院で採決社会党など野党4会派提出の9法案が税制問題等特別委員会と本会議で採決される。衆院では12日から審議入り予定
 ●リクルート裁判のNTT・文部省ルート初公判 午前10時から、東京地裁。小林宏、長谷川寿彦、式場英、高石邦男の4被告
    
 <12(火)>
 ●第2回ソ連人民代議員大会 共産党の指導的役割を規定した憲法第6条の修正問題が焦点
 ●ルーマニア共産党中央委員会総会
 ●外国人労働者問題閣僚懇談会が初会合 単純労働者や研修生の受け入れについての対応を協議するもので、外務、法務など16閣僚と自民党4役らで構成。海部首相も出席する
 ●「山中事件」差し戻し控訴審初公判 名古屋高裁刑事1部。昭和47年、石川県・山中町の元タクシー運転手殺害の容疑で、1、2審死刑判決を受けた霜上則男被告(43)。最高裁が今年6月、審理やり直しを命じた
 ●日本銀行企業短期経済観測調査結果 11月調査。公定歩合引き上げを受け、企業の景気、物価の先行きの見方が注目される
 ●機械受注統計(10月)
 ●輸出確認・輸入報告統計(11月)
    
 <13(水)>
 ●リクルート裁判(NTTルート)真藤恒被告初公判 午前10時から、東京地裁
 ●自民党全国政調会長会議 党本部。消費税見直し案を説明し、地方組織の意見を聴く
 ●西側24カ国東欧支援閣僚会議 ブリュッセル
 ●米国の11月の小売り売上高
 ●国民生活選好度調査 日本人のライフスタイル、生きがいなどについての外国人の見方を経企庁が分析
 ●全日本卓球選手権 17日まで、東京・駒沢屋内球技場ほか。男子シングルスでは、斎藤清(日産自動車)が6度目の優勝を狙う
 ●浅間選抜スピードスケート競技会15日まで、浅間国際スケートセンター
 ●かくれ念仏 31日まで、京都市東山区の六波羅蜜寺。毎日午後4時から、僧が念仏踊りをする
 ●スス払い 正月を迎えるため、家の内外を清掃する年中行事。最近は大掃除の意味で、正月飾りの直前にあたる25日前後にする家が多いが、もとは年神祭りのための物忌みに入る日で、13日とするのが古風だった、と百科事典に。別名、正月事始め。気ぜわしさ、いよいよ……。
    
 <14(木)>
 ●北大西洋条約機構(NATO)外相会議 15日まで、ブリュッセル
 ●チリ大統領選・総選挙 大統領選はアジェンデ政権が誕生した1970年以来、19年ぶり
 ●介護対策検討会報告書 老人などの介護の問題について専門家が報告書を厚生省に提出
 ●関西新空港「東京アピール89」 東京のホテル。関西国際空港全体構想早期実現期成会が、運輸相や内外航空会社代表らを招いて促進を働きかける
 ●高原経済企画庁長官と経団連幹部との懇談会
 ●国際親善バレーボール 16、17日も、早稲田記念会堂ほか。男子の富士フイルムが、ベルギー、米国、ソ連のクラブチームと対戦
           
 <15(金)>                         
      
 ●リクルート裁判の政界ルート初公判 午前10時から、東京地裁。江副浩正、小野敏広、藤波孝生、池田克哉の4被告
 ●澄田日本銀行総裁お別れ会見 後任は三重野康氏
 ●米国の10月の貿易収支
 ●米国の11月の卸売物価指数
 ●鉱工業生産動向確報(10月)
 ●総合エネルギー調査会原子力部会
 ●全米大学体育協会バスケットボール公式戦 17日まで、千葉・幕張メッセ。ルイジアナ工科大学、アーカンソー大学リトルロック校、セント・メリーズ大学が来日する
 ●世田谷のボロ市 16日まで、東京都世田谷区の通称ボロ市通り(東急世田谷線上町駅下車)。問い合わせはボロ市実行委員会(03−429−1829)
    
 <16(土)>
 ●米仏首脳会談 ブッシュ、ミッテラン両大統領がカリブ海の仏領サンマルタン島で
 ●コール西独首相、ハンガリー訪問
 ●第116臨時国会が閉幕 9月28日召集以来、80日間の会期を終える
 ●新高松空港開港 香川県・香南町に完成。午前8時半、東京行きの1番機が飛び立つ。2500メートルの滑走路はジェット機も離着陸できる
 ●東大寺秘仏特別開扉 三月堂の執金剛神像と開山堂の良弁僧正像を年1回公開。午前9時−午後4時
 ●スキーW杯ジャンプ札幌大会 17日まで、札幌市宮の森
 ●関東大学ラグビー交流試合 17日まで、秩父宮。大学選手権を目指して、対抗戦グループとリーグ戦グループの上位4校がぶつかる
 ●プロボクシング日本フライ級王座決定戦 岩手・一関文化センター体育館。1位の佐々木修(金子)と4位の松岡洋介(黒潮)
    
 <17(日)>
 ●ブラジル大統領選決選投票 11月15日の第1回投票で50%の得票を超す候補者がいなかったため、上位2人で争う
 ●サッカークラブ世界一決定戦 国立競技場。欧州代表のACミラン(イタリア)と南米代表のナシオナル・メデジン(コロンビア)の対決
 ●アメフット甲子園ボウル 甲子園球場。東の日大、西の関学が、大学王座に挑む
 ●プロボクシング東洋太平洋Jバンタム級タイトルマッチ 北九州市・西日本総合展示会場。ローランド・ボホール(比)に杉達也(マサ伊藤)が挑戦する
 ●春日大社若宮おん祭 平安時代から江戸時代までの装束をつけた約1000人と馬46頭が、奈良県庁から三条通を経て春日大社まで練り歩く。午後0時半出発



1989年12月11日 夕刊 2社
◆自白の信用性が争点 山中事件、あす差し戻し審 【名古屋】


 石川県江沼郡山中町で昭和47年に起きた、元タクシー運転手殺人事件で殺人罪などに問われ、1、2審で死刑判決を受けた同町東町1丁目、蒔(まき)絵師霜上則男被告(43)に対し、最高裁が死刑判決を破棄、差し戻した「山中事件」の初公判が、12日午前10時から名古屋高裁刑事1部(山本卓裁判長)で開かれる。
 最高裁判決は、霜上被告を殺害の実行犯と名指しして有罪の決め手となった共犯者の自白の信用性に疑問を指摘しており、差し戻し審ではこの信用性が最大の争点になる。
 最高裁が死刑判決を破棄した主な事件は、これまでに松川事件(福島県)や8海事件(山口県)など5件あり、いずれも無罪が確定している。これらは自白重視の旧刑事訴訟法の影響が残っていた昭和20年代に発生した事件で、科学的捜査が定着したとされる昭和40年代の事件が審理やり直しとなったのはきわめて異例だ。



1989年12月11日 朝刊 1家
◆アムネスティ日本支部がポスターとコピー募集 90年に設立20周年


 政治囚への公正な裁判や死刑の廃止を求める国際的な組織、アムネスティ・インタナショナル日本支部が、アムネスティを知らせるポスターとコピー(標語)を募集している。
 アムネスティは世界160カ国に約70万人のメンバーをもち、47カ国に支部がある。日本支部は来年設立20周年になり、活動を広く知ってもらうためのポスターとコピーをコンテストで選ぶことにした。
 ポスターは、B2判。写真、絵画、イラスト画など形式は自由だが、アムネスティという団体名と住所、電話番号は必ず画面に入れる。コピー部門は、キャッチフレーズ、スローガン、標語などをはがき1枚につき1案記入する。コピー部門は人気コピーライター、仲畑貴志さんが審査をする。仲畑さんは去年「世界人権宣言40周年」のポスターをアムネスティのために制作している。また、ポスターはアムネスティ会員の審査で、最優秀作品が印刷される。
 締め切りは、来年3月31日。応募資料の請求先は、〒169東京都新宿区西早稲田2ノ3ノ22、アムネスティ・インタナショナル日本支部コピー、ポスターコンテスト係(03−203−1050)へ。



1989年12月11日 朝刊 2社
◆なぜまた人を殺すのですか 死刑廃止、殺人の遺族も訴え 米の女性


 次女を誘拐され殺されたにもかかわらず、死刑制度の廃止を訴えている米国人女性を囲む討論会「89いま死刑廃止のとき」が10日、東京都新宿区の家の光ビルで開かれた。アムネスティ・インタナショナル日本支部の主催で、約140人が参加し、死刑廃止を訴えた。
 この女性は、米・ミシガン州デトロイト市に住むマリエッタ・イェーガーさん(52)。1973年、家族7人でモンタナ州へキャンプに出かけた時、次女のスージーちゃん(当時7つ)が誘拐され殺された。
 娘の行方がわからなくなって2週間後、イェーガーさんの犯人に対する憎しみはピークに達した。「今、この瞬間に娘が生きて戻ってきても、私は犯人を殺してやりたい」。夫を相手に叫んだ。
 しかし一睡もできないベッドの中で、「憎しみの気持ちを抱えたまま一生暮らすのか」と考え始めた。「犯人を人間として考えよう。人間としての尊厳があるのだから。殺してやりたいと思うのは動物的な復しゅう心で、復しゅうしたからといって、自分の気持ちがおさまるわけではない」と思うようになった、という。
 事件未解決のまま迎えた1年後、地元新聞のインタビューで、「娘を心配しているのと同様に、犯人がどういう状態でいるのかも心配している」と話した。それがきっかけで、男から電話が入った。直接、会うことも含め3回話し合ううち、男は犯行を認めていった、という。
 犯人は、キャンプ場近くに住む26歳の電気修理工で、他にも幼い男女を殺害しており、逮捕された。
 殺人事件の遺族たちなどでつくる全米的な団体「ソレース」のメンバーで、ボランティア団体「ミシガン人権連盟」の専務理事も務めているイェーガーさんは、討論会で「人を殺すことがいけないことだと示すために、なぜまた人を殺すのですか」と問いかけた。



1989年12月12日 夕刊 2社
◆元裁判長の揺れる胸中 「山中事件」差し戻し審 【名古屋】


 最高裁が疑問を投げかけた「山中事件」の死刑判決に関与した元裁判長は今、戸惑いを見せている。
 1審の元裁判長(65)は「裁判官は何も弁明せず、また辞めてからも弁明できない」としながらも、「死刑判決は一生懸命、良心に従って判断した結論だ」と言う。裁判官を退き、今は公証人を務めている。
 1審判決のなかで、この元裁判長は「被告が殺人事件の犯人であることに間違いないとの確信を得ることができた」とし、そのうえで「被告の心情の非人間性には言うべき言葉もない。極刑をもって臨むこともやむをえない」と結論づけた。
 「最高裁の判決や差し戻し審の審理について、どう思うか」との質問に、「事件はていねいに調べるほど、真相が出てくるから結構なことだ。こと人権、人命にかかわることだから」と語り、揺らぐ心境をのぞかせた。
 一方、「被告は全く悔悟の情を示さず、死刑の選択は相当」として控訴を棄却した2審の元裁判長(65)は「裁判が継続中のものについては、一切コメントできない」と語った。



1989年12月12日 夕刊 2社
◆問われる自白重視 「山中事件」差し戻し審<解説> 【名古屋】


 名古屋高裁で12日始まった「山中事件」の差し戻し審では、共犯者の自白に寄りかかって有罪の決め手とした裁判が改めて問われている。
 共犯者の自白は、もともと自分の罪を軽くするために、他人を引っ張り込み、責任を押し付ける危険があると指摘されて久しい。故吉田石松さんの「がんくつ王事件」や「八海事件」などは、その典型の冤罪として知られている。
 山中事件を審理した1審の裁判官もその点を留意したことを判決で触れている。さらに、別件の強盗殺人未遂事件では共犯者が被害者になっている特殊な事情も踏まえ、「霜上被告に悪感情が作用する危険性がある」として、慎重な姿勢を示した。
 そうしたうえで1審は、自白の補強証拠を法医学鑑定に求めた。(1)犯行に使った車に血痕がついていた(2)被害者の衣服に刃物の傷があった(3)頭の骨折がヨキの形状と矛盾しないなどとする鑑定結果を基に、自白の信用性が裏づけられたと判断した。2審の結論も同じだった。
 ところが、最高裁は「血痕は自白と異なる場所からみつかった。腹部を刺したというのに、着衣のその部分に傷がない。ヨキで殴れば、骨折はもっと大きい」として、自白と鑑定結果のズレをことごとく指摘し、逆の判断を示した。
 一方、起訴以来、霜上被告の拘置は17年半を超えた。山中事件と同様に、最高裁で死刑判決が破棄された八海事件は3度も最高裁で審理されながら、起訴から17年9カ月で無罪が確定した。霜上被告と弁護側は、差し戻し審の早期決着を強く望んでいる。



1989年12月12日 夕刊 1社
◆扉開いた「生への訴え」 「山中事件」差し戻し審 【名古屋】


 「私は無実です。1日も早く無罪判決を」。6400日を超える日々を獄中で送り、死刑の恐怖と闘ってきた霜上則男被告(43)が、8年ぶりに法廷に立った。「山中事件」の差し戻し控訴審が始まった12日、名古屋高裁2号法廷。17年前に逮捕された時、26歳の青年はすでに不惑の年代。「やっていないのに、他人のうそで罪を着せられてたまるか」と獄中から無実を訴え続けてきた。最高裁が開いた生への手がかりに励まされてか、2審判決以来の裁判の場で、霜上被告の表情は明るく見えた。すぐ後ろの傍聴席で、両親の鉄男さん(69)、美弥子さん(68)が熱い視線を送る。全国を行脚して無実を叫ぶ父母の姿に打たれ、支援の人々も傍聴席を埋めた。死から生の方へ。裁判の流れが動き始めた。
                                    
      
 ◆法廷内で 手記代読聴き入る 傍聴席最前列に両親
 多くの傍聴人が見つめる中、午前10時5分すぎ、紺の背広とスラックスに身を包んだ霜上被告が法廷に姿を現した。人定質問に入る。山本卓裁判長の「名前は」との問いかけに、「霜上則男です」と力強い声で答えた。生年月日と本籍の応答の後、「後ろに腰かけて」という裁判長に、「はい」と答えた声は一段と大きく法廷に響いた。長い獄中生活で顔は白いが、血色はよく、無罪判決にかける意気込みさえ感じさせた。
 弁護団の真部勉弁護人が立ち上がる。「控訴趣意補充書の陳述に入る前に、霜上則男君の手記を読み上げたい」。この日のために、霜上被告が何度も書き直したという手記が、弁護士の手で代読された。「拘禁生活と死刑判決の二重の重圧を背負いながらの闘いは苦しみの連続でした。裁判長、私は無実であります」。ゆっくりと読み上げられる手記に、霜上被告は体を硬くして、じっと聴き入っていた。
 控訴趣意補充書の陳述では、鳥毛美範弁護人が最大の争点となっている共犯者の自白について、「ひとつの真実もない。この自白に頼って被告を有罪とした死刑判決は明らかに誤りだ」と指摘した。傍聴席の最前列中央には両親が座り、8年ぶりに法廷で見る息子の元気な姿にほっとした表情だった。
                                    
      
 ◆法廷外で 「もうひと頑張り」 
 霜上被告の両親は午前の審理の後、高裁隣の名古屋弁護士会館で会見した。
 鉄男さんは「想像の通り、先生(弁護人)方の明快な弁論で安心して聴けた。せがれはやや太ったよう」と感想を述べた。美弥子さんは「日光に当たらないせいか。顔色が青白く思った」と母親らしい気づかいを見せた。
 両親が名古屋高裁前に到着したのは、午前8時40分ごろ。全国から集まった支援者らにあいさつで、美弥子さんは、「一時間でも早く則男を自由の身にさせて欲しい。最高裁判決を読んで、(名古屋高裁は)絶対無罪判決を出して下さると信じております」と訴えた。
 地元の「山中事件石川守る会」のメンバーらは午前7時に高裁に到着。愛知や東京、大阪など全国から続々と支援者らが詰めかけ、午前9時半には約100人にふくれあがる中、鉄男さんは「最高裁の意向をくみ取って1日も早く結審して欲しい。1、2審の審理を繰り返して長引かせないで欲しい」と話していた。
 名古屋高裁前には開廷の1時間以上前から、傍聴券を求めて大勢の人たちが詰めかけ、傍聴券63枚に対し126人が並んだ。
 鉄男さんと美弥子さんは、並んだ傍聴希望者や支援者などから握手、励ましも。「ありがとうございます」「頑張ります」と頭を低く垂れてお礼。「息子は無実です。助けて下さい。事件の日、息子は家にいました」。鉄男さん、美弥子さんのたすきには「息子の無実」を訴える言葉が並んでいる。
 この17年間は両親にとっても、闘いの日々だった。北海道から九州まで出かけて支援を呼びかけた。支援組織は9都府県に広がった。「犯行現場を見てもらえれば、自白がうそだっていうことが分かってもらえる」と、支援者を山中町の町外れの林道に案内した回数も数え切れない。
 ようやく、この日の差し戻し審にまでこぎつけた。「無罪までもうひと頑張りです」と決意を新たにしていた。
        
 ●自白は信用できぬ
 共犯者の自白が冤罪につながった「梅田事件」の再審開始を決めた元札幌高裁裁判長の渡部保夫北大教授(刑事法)の話 山中事件の共犯者の自白は、客観的な事実と一致しなかったり、または客観的な事実を説明できなかったり、めちゃめちゃだ。検察側はそう簡単に引っ込まないと思うが、本件の殺人事件は無罪の方向になるだろう。ただ、共犯者が被害者になっている別件の強盗殺人未遂事件について、起訴事実通りなのか、弁護側の言うように単なるけんかなのか、分からない点が多い。
      
 ○原判決破棄に心躍る 心境手記
 平成元年6月22日に言い渡された上告審判決書を読み、差戻し審に対する心の準備をして居ります。
 拘禁生活と死刑判決の二重の重圧を背負い乍らの闘かいは苦しみの連続でしたが、原判決破棄の知らせによって初めて心から喜こぶことが出来ました。この時の感激は一生忘れません。
 本日から差戻し審が始まりますが、裁判長、私は無実であります。裁判所に於ては真実を正しく見極めて1日も早く無罪判決を下されるよう心から願って居ります。
 霜上 則男
      (原文のまま)



1989年12月12日 夕刊 1社
◆死刑判決破棄の山中事件、差し戻し審開始


 石川県江沼郡山中町で昭和47年、元タクシー運転手を殺害したとして殺人罪などに問われ、1、2審で死刑判決を受けた同町東町1丁目、蒔絵(まきえ)師霜上則男被告(43)に対し、最高裁が死刑判決を破棄し、審理のやり直しを命じた「山中事件」の差し戻し控訴審の初公判が、12日午前10時から名古屋高裁刑事1部(山本卓裁判長)で開かれた。差し戻し審では、1、2審が有罪の決め手とした共犯者の自白の信用性が最大の争点となる。検察側が最高裁で指摘された自白の矛盾を解決し、改めて有罪を立証するのは極めて困難との見方が強く、早ければ来年中にも本件の無罪判決が言い渡される公算が大きいとみられる。
 起訴事実は、殺人、死体遺棄罪の本件と、共犯者に対する強盗殺人未遂罪で構成されている。
 1、2審は「共犯者が金融業者から借りた金を奪うため、まず借金の保証人の元タクシー運転手を殺害。完全犯罪を狙って共犯者も殺そうとしたが、失敗した」と認定。これに対し、被告、弁護側は「別件は本件と関連がなく、偶然起きた友人同士のけんか。金を取る意志も殺意もなく、傷害罪が相当」と主張しており、この点も差し戻し審では争点になる。12日の初公判は弁護、検察双方が旧控訴審の控訴趣意書、答弁書を提出した。
 続いて、弁護側が霜上被告の心境を記した手記を代読。「裁判長、私は無実であります。1日も早く無罪判決を下されることをお願いします」。本件の殺人事件については、改めて否認した。



1989年12月13日 朝刊 2外
◆「暗殺部隊」疑惑 元警察官が体験を暴露(国際事件簿・南ア)


 警察内に反アパルトヘイト(人種隔離)活動家を葬る「暗殺部隊」があった−−。衝撃的な疑惑が南アフリカ共和国を揺るがしている。
 発端は、黒人死刑囚ブタナ・ノフォメラ元巡査が、死刑執行直前の10月19日に行った宣誓供述。「警察官時代、C1と呼ばれる秘密部隊に属し、反アパルトヘイト活動家3人の暗殺などに加わった」というものだった。
     *    *
 80年にスワジランドと南アで「アフリカ民族会議」(ANC)活動家を射殺。81年には進歩派黒人弁護士グリフィス・ムセンゲ氏を殺した−−という。死刑は直ちに延期された。
 同元巡査は、警察をやめた後、白人農夫を殺したとして死刑判決を受けた。無実の訴えに元同僚らは冷淡だったため供述を決意したという。
 反アパルトヘイト組織やマスコミが調べを進めると、供述を裏付ける証拠が次々と出てきた。
 南ア各紙によると、「83年、スワジランドでANC活動家の暗殺を謀ったとき、誤って同僚の足を撃った」との供述に対し、国境に近い南ア側の病院で同僚が治療を受けたカルテが見つかった。「人権運動家の車を盗んだ」件では、「トランク内の生きた鶏5羽」など供述通りの品物が、保険会社への盗難届に記入されていた。
 11月半ば、地元紙が同元巡査の上司のインタビュー記事を掲載した。
 同元巡査が「C1の指揮官」と名指しした白人のダーク・クチエ元警部が、「暗殺部隊」の仕事ぶりを洗いざらい告白したのだ。政府の調査の手が及ぶ寸前、モーリシャスに逃げ、ヨーロッパへの逃走資金欲しさにインタビューに応じたらしい。
 クチエ元警部は、ノフォメラ元巡査が供述した3件以外の暗殺に触れたほか、同部隊へ指令を出していたとして前警察長官や現職の警察高官計5人の名を挙げた。
     *    *
 これに対しデクラーク大統領は徹底調査を約束したものの、警察側は「当局は関知せず、彼らの独自の行動」と主張している。
 11月末、警察当局は別の2人の元警察官の逮捕を公表した。今年5月、ヨハネスブルクの人権運動家デビッド・ウエブスター氏暗殺と9月、ナミビアでの「南西アフリカ人民機構」白人幹部アントン・ルボウスキー氏暗殺の容疑だ。後者の事件では、ナミビアの警察がすでにアイルランド出身の白人男性を逮捕している。南アの警察当局は「警察内のはね上がり分子と白人極右が組んだ犯行」とした。
     *    *
 しかし、奇妙な事実が分かった。この2人の元警察官はウエブスター事件のあと、すでにある市民から「殺人事件に関与した」と警察に告発されていた。当局は疑惑が明かるみに出てから逮捕したともとられかねない。クチエ証言ではウエブスター事件は「暗殺部隊の仕業」としている。
 デクラーク大統領は8日、「解明は検察、警察の手にゆだねる」と表明したが、人権団体によると、この10年間で未解決の暗殺事件は約40件、誘拐・失踪(しっそう)事件は約10件に上るという。
 うずまく疑惑の中で、クチエ元警部はヨーロッパのどこかへ姿を消した。関与が指摘された警察高官は、いずれも「それぞれの希望で」職を退いた。検察、警察の合同チームで始まった本格的捜査がどこまで真相に迫るか。デクラーク「改革路線」の真価が問われている。(ナイロビ=五十嵐特派員)



1989年12月13日 朝刊 1社
◆検察、消極的な姿勢 山中事件差し戻し審 【名古屋】


 名古屋高裁刑事1部(山本卓裁判長)で12日に始まった「山中事件」の差し戻し控訴審は同日午後、検察、弁護双方が新たな証拠の取り調べを請求したが、検察側は争点になっている共犯者の自白の信用性について、新たに裏付けられるような立証方針は明らかにせず、消極的な姿勢に終始した。
 死刑判決を破棄した最高裁は、霜上則男被告(43)が被害者の腹部を小刀で刺し、頭をヨキ(オノの一種)で殴って殺害したのを目撃したとする共犯者の自白について、1、2審の法医学鑑定との矛盾を指摘した。差し戻し審では、法医学の立場から、検察側の反論が予想されたが、この日は1、2審の法医学者2人の証人尋問を求めただけで、新たな鑑定を請求しなかった。
 さらに、事件の全体にわたって、カギを握っているとみられる共犯者を証人として調べることも避けた。
 次回の公判は来年2月9日に開かれる。「ヨキのような重量のあるもので強く殴れば、被害者の骨折のように小さなものではなく、もっと大きい」として、2審で被告・弁護側に有利な鑑定を出した木村康・千葉大医学部教授を証人尋問する。
 また、山本裁判長は、来年5月に犯行現場とされる石川県・山中町の林道で検証を行う方針を明らかにした。
 一方、初公判のあと、霜上被告の両親は記者会見し、「検察側の証人は1、2審で証言ずみで、引き延ばし以外に考えられない。1日も早く結審して、息子に無罪判決を出して欲しい」と訴えた。



1989年12月14日 夕刊 2社
◆戸惑いながらも自由かみしめ 「福岡事件」仮釈放の石井さん【西部】


 市役所の住民票登録手続き、庭のはき掃除、温泉での入浴。そして、錠のかからない部屋での就寝。昭和22年の「福岡事件」で強盗殺人の罪に問われた元服役囚石井健治郎さん(72)が、仮釈放で熊本刑務所から出所して14日で、1週間。身元引受人となった熊本県玉名市立願寺、住職古川泰竜さん(68)のシュバイツァー寺で、自由な市民生活に少しづつ溶け込んでいる。
 寺の物置を改造した離れが石井さんの住まい。3間ある。正面の板ばりの部屋に、金ぱくのあみだ様を乗せた仏壇が飾ってある。4畳ほどの居間には、テレビとラジオなどが。「何の不足もありません。歯が悪いのでおかゆまで作ってもらって。寝るも自由、起きるも自由なんですが、朝7時起床、夜9時就寝がくせになっていて、なおらんもんですなー」。熟睡できるようになったのは4日目からだ。
 刑務所でテレビも新聞も自由に見れたので、世間の動きは知っていた。刑務所の部屋から熊本城も見えていた。また、戦地から引き揚げたあと、事件までは熊本市に住んでおり、町のことはよく知っているつもりだった。
 ところが刑務所を出て玉名市に着くまで車の中から見た町は、道路も建物も変わってしまっていた。古川さんと近くの市営温泉に行ったが、すれ違う車に思わず身がすくんだ。「まったく知らん町に来たような、外国人になったような感じでした」という。
 福岡事件では、中国人ら2人が射殺された。7人が逮捕され、主犯格とされたAさんと石井さんが死刑判決を受けた。石井さんは「誤射」を主張して、殺意を否定し、再審請求を繰り返した。Aさんは50年6月17日に刑が執行され、石井さんは同じ日、恩赦で無期懲役に減刑された。以後、古川さんは、仮釈放にかけてきた。
 死刑判決から3年ほど後に、石井さんはカトリックの洗礼を受けた。古川さんの尽力で無期懲役になったとき、「気持ちは仏門に帰った」。仮釈放の約1カ月前、西本願寺の御門主から仏に帰依する帰敬式を受けた。
 シュバイツァー寺には、Aさんの遺骨がある。「めい福を祈りたい。また2人の遺族にも、気の毒と思っている。機会があれば、ぜひお墓に参りたい」。石井さんは今、部屋の仏壇に毎朝、お経をあげている。
 仮釈放後、寺には「死刑囚をかくまうのか」といったいやがらせの電話もあったが、激励の手紙も多い。石井さんは、寺の周りの空き地に花を植えることから、社会復帰の一歩を踏み出した。
 再審請求手続きの簡略化などを求めている日本弁護士連合会の再審法改正実行委員会も、石井さんの仮釈放を明るいニュースとして受け止めている。委員長の竹沢哲夫弁護士(63)は「理屈を超えて喜ばしいことだ。昭和50年当時は、再審に対する国の壁は厚く、絶望的ともいわれていた。死刑囚の場合、刑が執行されたら取り返しがつかなくなるわけで、再審請求をせずに刑務所から出ることだけを考えた古川さん、石井さんの判断はやむを得なかった。それにしても、Aさんの処刑は残念だし、石井さんももっと早く仮釈放されるべきだった」と話している。



1989年12月14日 夕刊 1社
◆親子3人殺しに死刑判決 「責任は重大」 岐阜地裁 【名古屋】


 今年2月、別れた妻の両親と妹の3人を刺し身包丁で刺し殺したとして、殺人、銃刀法違反の罪に問われている住所不定、無職宮脇喬被告(46)に対する判決公判が14日、岐阜地裁で開かれた。橋本達彦裁判長は「確定的殺意で及んだ凶悪かつ残忍な犯行。一定の計画性も認められる。動機も短絡的で、自己中心的。社会に与えた影響も大きい。犯行を素直に認め、反省の面もあるが、3人の貴重な生命を奪った責任は重大である。」として宮脇被告に死刑(求刑死刑)の判決を言い渡した。
 判決によると、宮脇被告は今年2月14日午前3時半ごろ、別れた妻の父の岐阜市椿洞、中島春雄さん(当時67)方に刺し身包丁を持って侵入、2階にいた元の妻の妹智子さん(当時32)、春雄さん、母のよし子さん(当時57)の胸や腹を次々と包丁で突き刺し、3人を失血死させて逃げた。
 宮脇被告は昭和63年3月に離婚。復縁を強く望んでいたが、元妻の両親と妹が宮脇被告の女性関係などを理由に強く反対したため、それを恨んで3人を殺害した。
 弁護側は宮脇被告に殺意はなかったと主張、検察側は確かな殺意があったとして争っていた。
 宮脇被告は、硬い表情で入廷。判決理由の朗読中は、ずっと前を向いていたが、死刑の判決が言い渡された瞬間は、少し下を向き、うなだれた感じだった。



1989年12月14日 朝刊 2外
◆インディラ元首相暗殺から5年、「共犯容疑」の5人を釈放 インド


 【ニューデリー13日=竹内(義)特派員】数多くのナゾに包まれたインディラ・ガンジー元首相暗殺から5年余。事件は、インドのラジブ・ガンジー前首相の選挙大敗・退陣とともに、劇的な終幕となった。前首相が退陣を決意する直前に、暗殺共謀容疑の5人に対する起訴をすべて取り下げ8日までに全員を釈放するという「超法規措置」に踏み切ったためだ。
 インディラ元首相がシーク教徒のベアント・シン警護官に暗殺されたのは84年10月末。シン警護官は現場で射殺された。今年1月には、共犯と断定されたシーク教徒2人が絞首刑に。国内の知識人や人権擁護組織アムネスティ・インタナショナルの「証拠不十分」との指摘を無視しての死刑執行だった。
 事件はこれで一応終結した、とされていた。ところが、政府の特別調査チームが今年4月になって突然、パンジャブ州の地方政党で、シーク過激派とされるマン派アカリ党のマン総裁ら5人を、共犯者として起訴した。同総裁は、国家反逆罪で84年秋に逮捕、獄中にあった。
 その10日前には、極秘とされていた事件の調査報告書が国会で公表され、「首相側近に共謀の疑惑あり」との指摘が明るみに出ていた。マン総裁らの起訴は、この指摘から国民の目をそらすのが狙いとの批判が噴出した。
 そして先月末の総選挙。パンジャブ州の下院議席13のうち、マン派アカリ党が6議席を獲得、同党の推薦を受けた無所属3人と多数派党1人も当選。前回選挙で7議席を占めた穏健派は一掃され、6議席だった与党国民会議派はたった2議席の惨敗だった。
 マン総裁は獄中からの立候補だったにもかかわらず、得票率90%の圧勝。「犯行後、無抵抗だったのに射殺された背後には何らかの陰謀があったはず」と訴え続けてきたシン警護官の未亡人と父親も当選を果たした。ほかにも、マン総裁とともに起訴されたカリスタン解放機構のA・P・シン議長も、獄中からの立候補で当選した。
 2日、ビハール州の刑務所から釈放されてパンジャブ州の都市アムリツァルに着いたマン総裁は、熱狂的な歓迎を受けた。「この間、さまざまな残虐行為がこの地で行われ、今も続いている。国民会議派のパンジャブつぶしに対抗しよう」と訴えた。
 「超法規措置」をとった理由としてガンジー前首相は、(1)マン氏が選挙でパンジャブ問題の平和的解決を呼びかけた(2)有権者の圧倒的支持で下院議員の地位を得たから、と説明する。
 ブタ・シン前内相に起訴取り下げの指示をした際、前首相は「この不幸な出来事の幕を引くとしたら、退陣の今しかない」と語ったと伝えられる。
 しかし、それならマン総裁らの起訴は一体何だったのだろう。
 シン新首相は、シーク教徒によって引き起こされているパンジャブ問題の解決を図るため、17日にすべての政党による対策会議開催を決めた。



1989年12月15日 朝刊 1社
◆3人を殺した男に死刑判決 岐阜地裁


 今年2月、別れた妻の両親と妹の3人を刺し身包丁で刺し殺したとして、殺人、銃刀法違反の罪に問われていた岐阜県羽島郡生まれ、住所不定、無職宮脇喬被告(46)に対する判決公判が14日、岐阜地裁で開かれた。
 橋本達彦裁判長は「はっきりとした殺意を持った凶悪で残忍な犯行。一定の計画性も認められる。動機も短絡的で、自己中心的。犯行を素直に認め、反省の面も見られるが、3人の貴重な生命を奪った責任は重大である」として、求刑通り死刑の判決を言い渡した。



1989年12月16日 朝刊 東京
◆とんぼ(89警視庁記者クラブ) 東京


 不思議な優しさ 「死体わきにビデオを」
            
 弁護人「リンチが終わったあと、君はどうしたの」
 少年「『大丈夫か』と聞くと、とぎれとぎれに『苦しいです』と言いました」
 弁護人「彼女は、何回も言ったんですか」
 少年「……実は、幻聴で、今でもその言葉が聞こえて来るんです。その時に何回言ったのかわからない」
 東京地裁刑事部法廷。3月末に発覚した女子高校生監禁殺害事件の被告、少年4人の裁判が、週に1、2回のペースで、暮れが押し迫っても続いている。
     *    *    *
 昨年11月末、埼玉県の路上で帰宅途中の高校3年の女生徒を拉致。足立区綾瀬の仲間の家に約40日間監禁したうえリンチして殺し、ドラム缶にコンクリート詰めにして捨てた。彼らのせい惨なリンチの詳細が法廷で生々しく再現される度に、満員の傍聴席からため息がもれる。
 冒頭は、リーダー格の少年(19)が弁護人質問で最後のリンチをした様子を語った時のやり取りである。小学生の時から「ワル」で通り、高校を中退してからは婦女暴行、ひったくりなどを繰り返してきた。
 事件発覚から取材にかかわった。彼らの素顔を確かめたいと、何度か傍聴席に足を運んだ。他の少年らが弱々しく弁護人の質問に答えるのとは対照的に、彼だけがよどみなく、声も法廷に響くほどだ。あいまいな質問には意味を確認しながら、内容を限定して答える、という話術の巧みさも見せる。
 しかし、そんな彼が口にした「幻聴」の言葉が強く耳に残った。女子高生を殺害した「狂気」とは似つかわしくない内面の弱さ。幻聴を引き起こすのは、彼が当時乱用していたシンナーの後遺症のせいなのか、それとも、片隅に眠っていた「良心」のなせるものなのか。
     *    *
 グループの中で、事件を最初に自供したのは彼だった。別の婦女暴行事件の容疑者として逮捕され、少年鑑別所での余罪取り調べ中の3月29日、一気に話し始めた。
 法廷での彼の証言。「隠している間、時々(彼女の)声が聞こえてきて、怖くて眠れなかった。壁から手が出てきたり、窓から見える木が話しかけてきたり。ああ、先祖が自分を怒っているんだ、と思った」
 裁判で情状を求め、自己弁護をしている面もあるのだろう。しかし、事件には口をつぐんだまま既に少年院に収監されていた少年もいた。彼の自供がなければ、事件が発覚しなかったともいえる。
 人間性を無視した凶行の合間に、彼は瞬間的に不思議なやさしさもかいま見せている。
 監禁中の昨年のクリスマスのころ、彼は「クリスマスに何がほしい」とたずねた、という。「ケーキがほしい」という彼女に、数日後、約束どおりに買ってきた。
 殺害した後、コンクリート詰めにする際には、彼は「ドラム缶の中に、花束と『とんぼ』のビデオを入れてやろう」と仲間に話した。
 「とんぼ」とは、テレビドラマの題名である。長渕剛が主演したやくざの物語。欠かさず見ていたという彼女は、最終回が放映された11月25日にさらわれた。最終回を見たいという彼女の言葉を、彼は覚えていた、というのだ。
     *    *
 結局は仲間の反対にあって、花とビデオは入れずじまいに終わる。
 なぜ、彼がそうしたかったのか分からない。自分に有利なことばかり証言をしている、ともとれるだろう。しかし、彼が見せた「人間の顔」だった、と思いたい。
 弁護人は言う。「死刑の可能性があることを、彼自身よく承知している。犯行時の彼の心は乱れに乱れていた。せめて判決を受けるとき、『真っ白』にして立たせてやりたい」
 彼女が好きだった「とんぼ」の最終回は、やくざの主人公が刺されて死んでしまうストーリーだった。だが、皮肉にも彼女はやくざを装った彼らにさらわれ、殺された。
 彼女はもう、戻らない。
  × × ×
 昭和から平成へ。めまぐるしく揺れ動いた89年の首都を、事件取材を通して振り返る。(辺)



1989年12月17日 朝刊 千葉
◆山田守さん 「静かな駅」シンポを市原で開いた(ひと・近況) 千葉


 「ないこと」の美しさ! 「騒音天国」に再考促す
      
 市原ロータリークラブの会長。13日に市原市のホテルで、昨年夏に発車予告ベルを廃止したJR千葉駅の板倉義和駅長を招いて、「静かな駅」のシンポジウムを開いた。地元のJR駅長や市教育委員、商工会議所会頭なども参加して、活発な意見が展開された。
 「15年前にピアノ殺人事件があり、その被告が死刑判決を受けた。この判決は騒音被害による苦しみをみじんも考慮していないと私は思う。この判決が日本の騒音天国を象徴していると思う。騒音による苦しみは、時としてその人を異常心理にさせる」。設計事務所を開くが、いま、近所のカラオケに悩まされている。
 「騒音だけではなく、路上にクモの巣のように張りめぐらされている電線や町並みを醜くさせている看板なども、はんらんしている。ないことの美しさ、快適さに、鈍感過ぎます。『川をきれいにしましょう』の大きな看板を立て、川の美観を悪くしている、などはおせっかいのいい例です」
 市原商工会議所がコンビナート、ゴルフ場のイメージから新しい町づくりを目指すなど、最近、市原市では文化都市に生まれ変わろうとする動きが活発だ。その推進役の1人である。



1989年12月17日 朝刊 声
◆「今冬こそ」 釈放の日待つ在日韓国人政治犯(日曜ルポ) 【大阪】


 クリスマスをだれよりも期待をもって待つ人々がいる。祖国・韓国で、「北」(朝鮮民主主義人民共和国)のスパイとされ、国家保安法違反で獄につながれている在日韓国人政治犯たちだ。これまでに約100人が投獄されたが、救援運動や民主化の流れの中、徐俊植さん(41)=京都出身=ら7割は釈放され、死刑や無期の人たちも有期刑へ減刑されるなど、事態は大きく明るい方向へ進み、最終局面を迎えつつある。とはいえ、俊植さんの兄の徐勝さん(44)ら30人が、まだ残されている。「東西冷戦の産物」といわれる国家保安法だが、ベルリンの壁の開放や米ソの協調で、冷戦構造そのものが崩れようとしている。韓国で「特赦の日」のひとつとされるクリスマスを前に、獄中の彼らと家族らは、重い扉が開け放たれるのを願っている。(植村隆記者)
      
 《手紙》「ひょっとすると、今回が獄中最後の断食になるかもしれない」。韓国・大田矯導所に収監中の徐勝さんから11月初め、京都市西京区に住む弟の徐京植さん(38)に、こんな手紙が届いた。勝さんら獄中政治犯が釈放などを求めて25日間のハンストをした、ということを伝えてきたのだ。
 昨年の「クリスマス特赦」で無期懲役から懲役20年になり、93年3月には、刑期が満了する。徐勝さんは在日韓国人政治犯のシンボル的存在。手紙の「最後」という言葉に、日本の救援運動関係者は「徐勝さんの釈放が早まるのでは」との観測が広がった。
 京植さんは「機は熟している。東欧の変化に関して、韓国の盧泰愚大統領は北朝鮮に東独を見習え、といっていますが、韓国内でも国家保安法の廃止や政治犯の釈放などのペレストロイカをやるべきです」といい、「動きがあれば、すぐにも渡韓する予定です」と心は早くも海を越えている。
      
 《生還》「去年の今ごろはいてつく獄中にいた私が、壇上に上がってしゃべるなんて、感慨無量です。次はまた別の人が出獄して、そこに立ってほしい」。康宗憲さん(38)=大阪市生野区=は11月30日、大阪市で開かれた集会での講演を終え、つぶやいた。75年11月、当時の韓国中央情報部(KCIA)が発表した「11・22学園スパイ事件」の主犯の1人とされ、一度は死刑判決が確定した。後に減刑され、昨年末仮釈放された。
 「在日韓国人政治犯を救援する家族・僑胞の会」によると、その4年前に起こった徐兄弟事件以来、在日韓国人政治犯として約50件、100人が投獄された。確定判決では11人が死刑、18人が無期懲役となった。しかし、その後、徐々に減刑措置がとられ、死刑が無期に、無期が有期刑となり、有期刑の人でも、刑期が満了するまでに釈放されるケースが相次いだ。ことし11月現在、約70人が出獄。日本に留学などで一時滞在した人も含め、30人が獄中に残されているが、死刑、無期の人はゼロになった。
 「11・22在日韓国人留学生・青年不当逮捕者を救援する会」のメンバー、金鍾八さん(42)は「在日韓国人政治犯の事件に関連して処刑された本国の人もいる。そうした中で、在日の政治犯が処刑されず、釈放されているのは大変なこと。支援の人たちが微力だけれど声を上げ続けたからだ」という。
       
 《懸念》大阪市城東区、旅行会社経営山本常雄さん(47)の実弟、李憲治さん(37)は81年に逮捕され、いま全州矯導所にいる。山本さんが11月27日に憲治さんと面会した際、憲治さんは「盧大統領が西ドイツで『韓国には政治犯はいない』といっているから、今年は釈放はないかもしれない」と話し、顔をくもらせたという。
 憲治さんが話題にしたのは、「韓国日報」(11月23日付)などで報じられたニュースらしい。盧大統領が同21日に西独経済人に対し、韓国への経済投資を拡大するよう求めた時の発言として「韓国のすべての政治犯は釈放され、一切の人権違反行為はなくなった」と強調したというのだ。
 分断直後の48年12月公布された国家保安法は、北朝鮮や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を反国家団体とみなし、そことの交流を「不法」とする。
 盧大統領が去年7月、南北交流の特別宣言を出して北朝鮮を「民族の同伴者」と表現したことに伴い、同法の改定作業が伝えられたことがある。しかし、韓国の民主化を求めるジャーナリストが発行している「ハンギョレ新聞」(11月22日付)は「法務部発表では、同法違反の逮捕者は10月末で342人と昨年の2.6倍になった」と報道した。
 山本さんは、弟の身の上を、けっして楽観していない。
            
 ●主な在日韓国人政治犯(89年11月末現在)
 〔「在日韓国人政治犯を救援する家族・僑胞の会」調べ〕
 氏名      出身地   逮捕  確定判決  減刑後の現状
 徐 勝(44) 京都市  1971  無期    20年
 崔哲教(58) 千葉県  1974  死刑    20年
 陳斗鉉(61) 東京都  1974  死刑    20年
 白玉光(41) 大阪市  1975  死刑    20年
 孫裕炯(60) 大阪市  1981  死刑    20年
 李憲治(37) 神戸市  1981  無期    20年
 金泰洪(32) 神戸市  1981  無期    20年
 徐聖寿(37) 神戸市  1983  無期   (20年)
 金炳柱(67) 松阪市  1983  死刑    20年
 李成雨(64) 静岡県   84▲  無期    20年
 金吉旭(61) 大阪市  1985 15年   (15年)
 金淳一(31) 浜松市  1986 12年   (12年)
 李東基(40) 東京都  1986  7年   ( 7年)
 高賛昊(48) 東京都  1987 15年   (10年)
 〔▲は事件発表年。現状のカッコは昨年のクリスマス特赦で「残余刑半減」の措置がとられた〕



1989年12月19日 朝刊 2社
◆霜上被告の保釈 特別抗告を棄却 「山中事件」で最高裁 【名古屋】


 最高裁が死刑判決を破棄、差し戻して今月12日に名古屋高裁刑事一部で差し戻し審が始まった「山中事件」で、殺人、強盗致死未遂罪に問われている霜上則男被告(43)の弁護団が行った保釈不許可の異議申し立て棄却決定を不服とする特別抗告に対して、最高裁は18日までに、この抗告を棄却する決定をした。



1989年12月20日 朝刊 5面
◆ハイジャックの中国人一家を助けてあげて(声)


   仙台市 佐藤道子(主婦 40歳)
 「台湾に亡命しようとして、中国民航機をハイジャックしてしまった中国人一家の命を、助けてあげてください。お願いします」
 私の小学生と中学生の子供たちが書いたこの短い手紙のあて先は、ない。強いていえば、母親である私の良心にあてたものであろうか。
 1987年4月から88年3月まで、私ども家族は北京で暮らした。広い街路、青い空。楊樹の並木。人びとのさんざめき。中国の人々は、気長にコツコツと働き、衣食は質素でも悠々と生きていた。子供たちは中国や中国の人々に悪い感情を持たなかった。
 飛行機から落とされて動けなかった中国人も、あの1人なのだ。帰れば死刑になるだろう。
 過去、日本軍兵士が無数の中国人を殺りくしたとき、日本人はそれを止めることができなかった。今年6月、天安門広場で、たくさんの中国人学生が死んだときも何もできなかった。
 あの中国人の命を助けることはできまい。国と国との友好の波間で、彼の命は消える。「窮鳥、懐に入らば猟師もこれを殺さず」とは言うけれど。



1989年12月20日 朝刊 1社
◆死刑判決の宮脇被告が控訴申し立て 岐阜の殺人事件 【名古屋】


 今年2月に別れた妻の両親と妹の計3人を刺し殺したとして、14日に岐阜地裁で死刑判決を受けた岐阜県羽島郡笠松町生まれ、住所不定、無職宮脇喬被告(46)が18日、判決を不服として控訴申し立てをした。



1989年12月23日 朝刊 5面
◆ハイジャック犯人引き渡しは信念を持って(声)


   所沢市 小柳三郎(自由業 59歳)
 中国民航機乗っ取り犯の引き渡し問題で、政府は内外の世論を気にしているとか。相も変わらぬ信念欠如はどうしたことか。考え過ぎではないのか。それとも小生が単純なのか。
 機内で暴力はなかった由だが、当の中国民航機乗員は何らかの強制は受けているはずである。ならばやはりハイジャック犯である。当人の主張では政治犯だそうだが、甘ったれてはいないか。理由のいかんを問わず、無関係な人々に迷惑をおよぼすハイジャックをする人物が、特別な考慮の対象にしうる政治犯であるとは考えられない。
 しかし、時代は国際的に民主化の流れの中にある。先の天安門事件は、中国の内政問題だと主張したが、各国の非難をあびた。法が人のためにあり、場合によっては人が法に先行していいものと考えるならば、犯人に対する処罰について、日本政府は中国政府に対し、亡命行為にかかわる部分の穏便な処置を要請した上で犯人を引き渡せばいい。だれにしても、暴力行為をしない人が死刑にでもなったら、寝ざめが悪いのである。
 それにしても亡命の手段にハイジャックとは、愚かなことをしたものである。意地悪く勘ぐれば、新手の経済難民ではないのかと言う気がしないでもないが、そこまではあり得まい。



1989年12月23日 朝刊 2社
◆「名張毒ブドウ酒」弁護側、証拠の開示を名高検に要請 【名古屋】


 昨年12月に第5次再審請求が棄却され、名古屋高裁に異議を申し立てている「名張毒ブドウ酒事件」の弁護側は22日、「奥西勝死刑囚(63)の無罪立証に有利な証拠が隠されているのではないか」として、名古屋高検に対し、未提出証拠を全面的に開示するように要請した。これに対し、高検側は「必要な証拠はすでに提出してある」と答え、消極的姿勢を示した。



1989年12月24日 朝刊 声
◆問われる日本の責任 釈放待つ在日韓国人政治犯(日曜ルポ)【大阪】


 あと1週間余りで迎える1990年で、在日韓国人政治犯問題の皮切りといわれる71年の徐勝・徐俊植兄弟事件からちょうど20年目となる。同事件以来、約100人の在日韓国人たちが次々と「北(朝鮮民主主義人民共和国)のスパイ」にされ、国家保安法違反で投獄されていった。期待された「クリスマス特赦」もなく、30人は今も獄にある。1世の父を奪われた家族は生活の危機に直面したままで、2、3世の息子を奪われたアボジ、オモニは日韓両国の狭間(はざま)で絶望の日々が続く。事件は、政治犯となった彼らが「在日」であることを抜きにしては考えられない。政治犯の家族や友人らは、「日本の問題でもある」との考えを深めている。(植村隆記者)
        
 《反論》「15年間、外務省通いをしました」。朴三順さん(57)=東京都世田谷区=は12月8日、東京・永田町の参院議員会館で外務省の今井正・北東アジア課長にこう切り出した。クリスマスを前に毎年、政治犯救援団体が行う対政府交渉の席上のことだ。朴さんの夫陳斗鉉さん(61)は74年9月に逮捕され、死刑判決が確定したが、その後懲役20年に減刑されて収監されている。
 朴さんは続けた。「『在日』は全生活が日本にあります。選挙権がないだけです。夫がいない、息子がいないことは大変に苦しいことなのです。いつものように『人道的立場』と言って逃げないで下さい。お願いですから、最後の喜びを与える架け橋になってください」
 今井課長は、交渉の前に「在日韓国人政治犯問題は、韓国人に対する韓国司法の問題。日本としては干渉しづらい。しかし、『在日』であり、政府としても深い関心がある。適当な機会に待遇とかで、好意的配慮をするように韓国政府に要望している」と話した。それに対する朴さんの悲痛な反論だった。
               
 《喪失》84年夏、留学先の大学に戻るため韓国の金浦空港に到着後、逮捕され、2年間の獄中生活をした趙伸治さん(33)=兵庫県尼崎市出身=のパスポートからは「協定永住」の4文字が消えた。日韓条約に基づく「法的地位協定」で、日本政府は、戦前から日本に住む韓国人やその子らに無条件で永住の資格を与えた。戦後処理の1つだった。
 しかし、趙さんは身柄を拘束されている間に「永住資格」が失効した。「再入国許可」の期限が切れたためだ。日本に在留する外国人が出国し、再度帰日する場合、出国前に「再入国許可」を取らねばならない。許可は1年以内に日本に戻ってこなければならないとされる。このため、趙さんは釈放後はソウルの日本大使館で「特別在留許可」を取り、法的には新規に入国する外国人として帰日した形だ。この秋、「一般永住」の資格を取ったが、強制退去の脅威も強まった。
 趙さんは憤る。「納得できない事件に巻き込まれたのに、協定永住資格を失った。在日としての自分にとっての、よりどころの1つだったのに」というのだ。
 趙さんだけではない。在日政治犯はだれでも、獄中生活が長びくことで「協定永住許可」を失っている。
        
 《日韓》大阪府吹田市の小学校の教壇に立つ大角貴久子さん(40)は、学校の同僚が、75年に発生した「11・22学園スパイ事件」の主犯の1人とされた李哲さん(41)=熊本県出身、昨年10月、仮釈放=と同じ熊本県の人吉高校出身だったという縁で、76年秋、大阪で李さんの救援会を作った。李哲さんを、「イ・チョル」と読むことに驚いたくらい、最初は隣国のことを全く知らなかった、という。
 78年春、矯導所の係官に「婚約者だ」と偽って、死刑囚だった李さんに初めて面会した。以来、数度渡韓し、韓国の民主化運動指導者らにも支援を訴えた。
 ところが、その度に「日本では在日韓国人が差別されている」という批判と指摘を受けた。救援活動だけでなく朝鮮文化や歴史、言葉も少しずつ知るようになった。「在日の人々が日本で生きることが、どういうことなのかわかってきました」という。
 徐事件以来日本での救援運動の中心となってきた「在日韓国人『政治犯』を支援する会全国会議」代表の吉松繁牧師(東京・王子北教会)は「最初は、韓国の独裁政権の非人道的弾圧という観点で運動が始まった。しかし、政治犯の犯罪立証には、日本の公安当局がかかわっていることも分かった。さらに政治犯の在留資格のはく奪、再入国許可の問題……。そしてなぜ彼らが日本に居住するようになったのか。追究すればするほど、日本の問題につながったのです」という。この20年間の“総括”である。



1989年12月24日 朝刊 読書
◆パスクアル・ドゥアルテの家族 カミロ・ホセ・セラ著(書評)


 今もパワーある傑作
     
 「わたしは、セニョール、悪人ではない」と獄中で告白をはじめるパスクアル・ドゥアルテは妹の情夫であり、かつ妻を妊娠させた男を殺し、3年後に自由の身となり再婚するが、1922年2月10日、こんどは母親を殺す。さらに、彼はその後、村の名士だった伯爵をも殺す。
 今年のノーベル文学賞を受賞したセラの代表作であり、1942年、26歳のときに書いた処女作である。小説はパスクアルの回想録を転写したという形をとっていて、この主人公の出生から村や家のことが語られる。パスクアルが生まれた寒村は「アルメンドラレホから2レグアほどのところに、パンのない1日のように坦々と長く、死刑を宣告された人間の−−その平坦さと長さは幸いにもあなた様にはご想像もつかない−−日々のように、坦々と長い街道にへばりついていた」。
 父親はパスクアルと母親に暴力をふるい、精薄の弟は9歳のとき、油のかめで窒息して死ぬ。パスクアルはこの弟が死んでも涙ひとつ流さず平然としている母を憎悪するようになる。
 主人公は暴力と悲惨な死を坦々と語るが、それだけに凄(すさ)まじい印象をあたえる。随所で血がどくどくと流れるような小説だ。訳者の解説によれば、この小説にみられる残虐性と醜悪なものへの嗜好(しこう)はスペインの戦後文学に影響をあたえ、それはトレメンディスモ(凄絶主義)と呼ばれたそうだ。
 パスクアルは結婚し、妻が流産すると、貯金箱をひっくりかえして、財布に金を入れ、「心にのしかかるうっとうしい考えを井戸の底に投げ込み、泥棒そのままに夜陰に乗じて」逃走する。マドリードで遊び、ラ・コルーニャで中南米行きの船に乗ろうとするが、金が足りなくて、村にもどってくる。
 妻は帰ってきたこの夫に、相手の男の名前を告げて死ぬ。パスクアルはこの男の顔の真ん中を腰掛けで殴り、さらにそのあと、膝で胸を押さえ、「少し力を入れて踏んだ……。胸の肉が串焼きにされたような音を出した……。口から血を吐き始めた。わたしが立ち上がった時、彼の頭が−−がくっと−−一方に落ちた……」。
 47年前に書かれた小説なのに、いまもパワーにあふれた小説だ。もっと早く紹介されてしかるべきだった小説の傑作だ。
 =常盤新平=
 (有本紀明訳、講談社・233ページ・1,500円)



1989年12月26日 夕刊 1総
◆チャウシェスク夫妻を処刑 非公開で宣告、執行 ルーマニア


 ルーマニアの新政権・救国委員会は25日夜(日本時間26日未明)、チャウシェスク前大統領とエレナ夫人に非公開の特別軍事法廷で死刑を宣告、処刑が行われたと発表した。ルーマニア国営放送はこの処刑について「素晴らしいニュースだ」と伝えた。非公開での死刑判決・処刑は国の内外から批判も出ているが、世論はおおむね処置を受け入れる方向だ。一方、救国委がチャウシェスク派の治安警察部隊に対して投降期限としていた同日午後5時(26日午前零時)をすぎても首都ブカレストなどで戦闘が散発的に続いているが、全体としては収束に向かっている模様だ。米国は同日、救国委を新政権として承認することを表明、ソ連も事実上の承認を打ち出しており、新政権の国際的な認知は加速するものとみられる。
         
 【ブカレスト26日=大野記者】ルーマニアの暫定政権である救国委員会は25日午後9時20分(日本時間26日午前4時20分)コミュニケを発表し、非公開の特別軍事法廷がチャウシェスク前大統領と、第1副首相でナンバー2の座にあったエレナ夫人に死刑を宣告、同日執行した、と明らかにした。
 処刑の場所、日時などは明らかにされていないが、ルーマニア国営テレビは26日未明(日本時間同日午前)、特別軍事法廷で裁かれる前の前大統領夫妻の姿を放映した。
 コミュニケはチャウシェスク前大統領らの罪状について、(1)6万人にものぼるルーマニア国民を殺した(2)軍および治安警察部隊を国民と国家権力に敵対する形で組織した(3)公共の財産、建物、町を破壊した(4)国民経済を崩壊させた(5)10億ドル相当以上を外国銀行に預金し、国外逃亡を企てた、の5つを挙げ、夫妻の財産は没収したとしている。
 処刑を報じたルーマニア国営放送のアナウンサーは「素晴らしいニュースだ。キリストに背くものがクリスマスに死んだ」と伝えた。
 国営テレビは26日午前1時40分(日本時間同8時40分)、軍事法廷に臨む前に健康のチェックを受けるチャウシェスク夫妻との説明付きで、拘束後初めてその姿を公開した。
 テレビ画面では、粗末な机の前に、コート姿で並ぶ夫妻が映し出され、前大統領は毛皮の帽子を持った手を神経質そうに動かした。後ろ姿の兵士が何ごとか告げると、前大統領は帽子を机の上にたたきつけた。
 夫人はほおづえをつくなど、いらいらした表情で時折、夫をのぞき込んだ。2人ともやつれた様子がありありとしていた。
 このビデオは音声がなく、約3分間放映された。同放送でアナウンサーはほかにもビデオがあると述べたが、処刑の様子が写っているかどうかは不明。
 チャウシェスク夫妻は、21日に首都ブカレストにもデモが及んだ後、22日に姿を消し、同日新政権が成立した。救国委員会はチャウシェスク夫妻の逮捕を23日夜に発表したが、救国委支持の軍とチャウシェスク派の治安警察部隊の激しい戦闘が各地で続く間、夫妻に関する詳細な情報は発表されていなかった。
 前大統領の次男のニク氏(共産党幹部)は22日に逮捕されている。



1989年12月26日 夕刊 1社
◆「解放へ当然」「なぜ非公開」 チャウシェスク夫妻処刑に賛否両論


 【ブカレスト26日=北山特派員】ルーマニア暫定政権が25日、チャウシェスク前大統領夫妻を大量虐殺など5つの罪状で処刑したと発表したことについて、ブカレスト市民の反応は「殺人者だから当然」とする声と、「なぜもっと民主的な裁判をしなかったのか」という意見の2つに分かれた。一方、西側外交筋の間では、前大統領が秘密警察を使い多くの秘密を握っていたことから、公開裁判の実施を嫌う動きが新政権内部にも働いたのではないか、との観測も出ている。
       
 テレビを見て処刑を知ったという33歳の錠前作りの男性は「処刑は当然だ。チャウシェスク子飼いの治安警察部隊が救出を企てないとも限らないからだ」と話す。2カ月前まで、兵役だったという20歳の青年も「国民から食べ物まで奪った独裁者からこれで本当に解放された、という気がする」と予想外の早期処刑にも驚いた様子は見せない。
 ルーマニア国営放送によると、ある地方の女性は「チャウシェスクの遺体はルーマニアの地に埋葬すべきではない」と語った。
 一方、市中心部の路上でデモの犠牲者を悼むロウソクに火をともしていたブカレスト大学の学生(23)は、「どんな犯罪者でも公正な手続きで裁判を受ける権利を認められるべきだ。新政権は国民をがっかりさせないようもっと民主的にやってほしかった」と語った。
 無職の若者(20)は「国民が知らないうちに処刑するのはフェアでないと思う人が多いのではないか。新政権と、(それを支持している)国民の間に少し溝ができるかも知れない」と心配する。
 西側外交筋は、今回のデモ弾圧の大量流血の責任だけをとっても、チャウシェスク夫妻の死刑はいずれ避けられなかった、とみる。だが、身柄の拘束からわずか3日後というスピード処刑を予想していた向きは少ない。
 ルーマニア自由テレビ放送を通じて繰り返し暴かれているのは、いまのところチャウシェスク一家の権力乱用、腐敗ぶりに焦点が当てられている。しかし、同政権下で「甘い汁」を吸っていた人たちが新政権の周辺や軍部などに残っているとの見方もあり、「すべてを知っている権力者」の“口封じ”の意味も否定しきれないという。
 また「チャウシェスクの亡霊」に早く別れを告げ、新時代の国づくりを進めようという気持ちの表れ、と解釈する向きもある。



1989年12月26日 夕刊 1社
◆チャウシェスク夫妻の処刑を肩書抜きで報道 中国・新華社


 【北京26日=斧特派員】26日朝の北京放送は国際ニュースの最後で、ルーマニアのチャウシェスク前大統領夫妻が軍事法廷で死刑の判決を受け、すでに処刑されたとの25日夜のルーマニア国営テレビの報道を、ブカレストからの新華社電で短く伝えた。チャウシェスク夫妻の名前を呼び捨てにしており、党や国家・政府の肩書は一切つけられていない。



1989年12月27日 夕刊 1社
◆「私が大統領だ」 チャウシェスク前大統領裁判 ルーマニア


 【ブカレスト27日=大野記者】ルーマニア国営テレビは27日午前零時(日本時間同7時)から約50分にわたって、チャウシェスク前大統領夫妻に死刑を言い渡した軍事法廷の模様を初めて音声入りの画面で流した。この中で、前大統領は「私は依然大統領であり、大統領を裁くことができるのは大国民議会だけだ」として、軍事法廷の無効を主張。「憲法を読め」と法廷を非難した。これに対し法廷側は「我々は憲法は読んでいる。あなたよりはよく知っている」と答えるなど激しいやりとりが行われた。
 前大統領は、国民の大量虐殺といった罪状をすべて否定し、暫定政権である救国戦線評議会についても、「国民を代表しているのは自分だ」として、正当性を認めなかった。そして、「国家の破壊を狙う外国勢力と結託し、クーデターを起こした悪党集団と、人民は闘うべきだ」と指を突き上げたり、腕を振ったりしながら叫んだ。
 ティミショアラでの反政府デモに対する流血の武力鎮圧とのかかわり方など、多くの質問には「私は労働者階級にだけ答える。質問には答えない。私の沈黙を勝手に答えと解釈するな」と回答を拒否した。
 なぜ国民は飢えなければならなかったか、との質問には、「それはうそだ。注意深く考えよ。それは、最近の愛国精神の欠如のせいだ。工場などを回ったが、そうした声は聞かず、かえって感謝された」などとはねつけた。
 エレナ夫人は前大統領よりずっと発言が少なく、時折、微笑をもらしたり、何かをつぶやいたりしていたが、法廷側の質問にいら立ち、夫に向かって「どうしてこんなことを言わせておくの。学識ある人間にこんな話し方をするのを許すの」と詰め寄った。また、前大統領の精神状態に問題があったのではないかとする質問には、「良好であり、完全に責任能力がある」と語気を強めて否定。自らについては、「14歳の時から人々のために闘ってきた」と強調した。



1989年12月27日 朝刊 1総
◆ルーマニア元首にイリエスク氏 新指導体制を確立


 【ブカレスト26日=大野記者】ルーマニアの救国戦線評議会は26日、イオン・イリエスク元共産党中央委書記(59)を評議会議長(国家元首)とする新指導体制を確立、本格的政権づくりに乗り出した。首都ブカレストでは、24年余のチャウシェスク独裁政権を流血の中で倒した市民らから、イリエスク新体制への熱い歓声があがった。またチャウシェスク前大統領夫妻が処刑された時の模様が国営テレビで放映された。前政権派の治安警察部隊はまだ一部で抵抗を続けているものの、各地で投降が相次いだ。
       
 イリエスク新体制のメンバーは、同日午前11時(日本時間同日午後6時)すぎ、同テレビで発表された。イリエスク議長のほか、ドミトル・マジル氏が副議長、ペトレ・ロマン氏が首相に、それぞれ選出された。国防相のニコラエ・ミリタル将軍以外は、いずれもチャウシェスク体制から外されたり批判的立場にあった人たちだ。特にイリエスク議長は、チャウシェスク政権批判で、党中央委書記の要職から外され、国営出版社の副社長に降格されていた。同議長は評議会のスポークスマンとして活動していた。
 チャウシェスク前大統領夫妻の処刑が発表された直後の新指導部の選出であり、来年4月約束された大国民議会の自由選挙まで、国軍と前政権派の治安警察部隊の戦闘が続くなど混乱した国内情勢の収拾にあたることになる。
 一方、国営テレビは26日午後1時(日本時間同8時)すぎ、銃殺されて壁の前に倒れている前大統領夫妻の遺体を映し出した。夫妻は逮捕のとき着ていた服のまま、壁の前に2メートルほど離れて横たわっていた。夫妻が死刑を宣言されている場面も放映したが、実際に処刑される場面は放送していない。
 評議会筋によると、チャウシェスク前大統領夫妻は2人一緒に処刑されることを望み、処刑は銃殺隊によって同時に行われたという。
 首都ブカレストではオトペニ国際空港が再開、外国からの救援機が到着するなど、事態の正常化がさらに進んでいる。ほとんどの商店も営業を再開した。国防省周辺などの銃撃戦も26日には下火となっている。
 運輸・通信省も同日までに、全国の鉄道、バスなどの運行がほぼ正常化した、と発表した。
       
 <おことわり> 
 本社はルーマニアの新指導部をこれまで「救国委員会」としてきましたが、新指導部人事発表の声明に従って、今後は「救国戦線評議会」、「大統領」を「救国戦線評議会議長」と表記します。



1989年12月27日 朝刊 1総
◆「血の革命」(天声人語)


 ルーマニアの新政権が、チャウシェスク夫妻を処刑したという。これを国営放送は「素晴らしいニュースだ」と伝えた。安穏な生活の中で聞くと、ぎくりとする。6万人もの国民を殺した、10億ドル相当以上を外国銀行に預金、逃亡をくわだてた、などの罪だそうだ▼「処刑前」といわれるテレビの映像を見ると、医者がチャウシェスク氏の血圧をはかっている。殺す前に血圧検査が必要なものだろうか。これは長くなるかも知れぬ収監の準備だったのではないか、などと想像をめぐらした。だが発表は、非公開の特別軍事法廷で死刑宣告、処刑、である▼民衆が怒り、王の首をはねた革命の歴史がこの発表に重なって思い出される。人々の恨みを買った指導者の末路は無残だ。チャウシェスク夫妻は危険をさとり国外に逃げようとした。人々に背を向け、逃げ出した指導者を思い出す。イランのパーレビ国王、ウガンダのアミン大統領、フィリピンのマルコス大統領……▼本来ならばチャウシェスク前大統領と実力者だったエレナ夫人とを公開の裁判にかけ、圧政をただすのが法治国のやり方だろう。ブカレストで市民の考えを取材した北山特派員によると、人々の反応は「殺人者なのだから、当然だ」「なぜもっと民主的な裁判をしなかったのか」との2つの意見に分かれているという▼逃亡が22日、処刑発表が25日。この早さには、それなりの理由があるに違いない。いまなお抵抗を続けるチャウシェスク支持派の治安警察部隊に親玉が死んだことを知らせ、士気をくじくという計算。あるいは人々の憤怒が私刑をも辞さぬほどの激しさで、それを発散させる措置▼こんな推測もある。チャウシェスク氏は、強権をほしいままにした時代に秘密警察を使い、あらゆることを知っていた。公開裁判になると彼の証言により不利益をこうむる人が出る……。処刑までの真相は不明だが、無血の東欧改革でここだけが「血の革命」になった。



1989年12月27日 朝刊 3総
◆古川泰竜さん 元死刑囚の身元を引受け社会復帰を見守る住職(ひと)


 熊本県玉名市のシュバイツァー寺で、元死刑囚石井健治郎さん(72)の身元を引き受けて、2週間がすぎた。終戦直後、福岡で起きた射殺事件で逮捕されてから、42年ぶりに自由な空気を吸い、事件関係者のめい福を祈る石井さんの姿に、「感慨無量です」。
 獄中で「事件ははずみだった」と、強盗殺人の罪に異を唱えた石井さんと接触したのは37年前だった。元検事総長の故伊藤栄樹氏が法務省参事官時代、真意を確かめに面会を求めて来たことがある。そのとき「裁判に間違いはない」と言っていた伊藤氏が他界して1年後、石井さんは仮釈放が認められた。
 直木賞作品「復讐するは我にあり」のモデルとなった連続殺人犯、西口彰(死刑執行)が昭和39年正月、弁護士を装って自宅を訪ねてきた時に見破り、逮捕のきっかけをつくったことで有名。死刑囚の再審請求運動が孤立していたときだった。「古川の目は間違いないと、多くの支援者が出来ました」
 運動が縁でシュバイツァー博士の遺髪を贈られ、世界で初めて仏教とカトリックの交流を実践するシュバイツァー寺を開山。今年2回にわたり、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世と会見した。
 昭和56年から産業医科大学(北九州市)で「死学」講師を務めている。死にゆく患者をどう指導するかを教える。がん告知については、慎重だが、「宗教的には、告知した方が良い。人間は死ぬ気にならないと、本気で自分の人生を考えない」。
 石井さんが恩赦で無期懲役に減刑された昭和50年6月、事件のもう1人の死刑囚が処刑された。ショックで7キロやせたまま。以来伸ばしているひげが優しい。
 (福原信彬記者)
       
 ふるかわ・たいりゅう 佐賀県生まれ。高野山専修学院卒。死刑囚教戒師となり、福岡事件を知る。家族とともに、再審運動を続ける。著書に「歎異抄−最後の1人を救うもの」など。69歳。



1989年12月27日 朝刊 5面
◆ルーマニア革命の希望と悲劇(社説) 


 ルーマニアの激動は、まさに革命のドラマである。首都ブカレストには、市街戦の銃声がとどろき、街角は血に染まる。
 フランス革命からちょうど200年、われわれはいま眼前に、音をたてて崩壊する東欧のアンシャン・レジーム(旧秩序)をみる。逃亡をくわだてて、逮捕された独裁者夫妻の姿をみる。そして、たたみかけるように、かれらが処刑されたとの報が届く。
 運命のつむじ風が、ルーマニアの地を吹き荒れているのだろう。そのあわただしさは、目をみはるばかりである。
 民主化を求める大衆の声は、津波となって首都をおおい、チャウシェスク前大統領を権力の座から引きずり落とした。実権を掌握した救国委員会はただちに「一党独裁の廃止、自由選挙の実施」など、10項目の民主化提案を掲げて、新生ルーマニアに向けて、希望の一歩を踏み出した。
 国軍はいちはやく新政権側についたものの、チャウシェスク前大統領を支えてきた治安警察などの親衛隊は、抵抗の姿勢をくずさず、首都ブカレストばかりでなく、地方都市でも激しい戦闘が続いた。20余年も権力の甘い香りを吸ってきた前政権は、さまざまな暴力機構を周辺に築いて、自己の安泰をはかってきた。
 ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、東独、チェコスロバキアと続いた東欧の改革は、「革命」と呼ぶにふさわしいものだが、いずれも無血のまま進行してきた。武力ではなく、情報と言論が革命の原動力となっていたのである。われわれはこれを特筆すべきものとして、高く評価してきた。
 しかし、ルーマニアにいたって、様相が変わった。その第1の理由は、もちろんチャウシェスク前大統領の並外れた独裁体制に求められる。彼は70年代、ソ連との間に一線をかくして、独自の自主路線を歩んだこともあったが、次第に個人崇拝と独裁色を強め、最近では権力機構の要所に身内を配するなど、同族支配体制をかためるようになった。
 形の上では、共産党の一党独裁制をとっているものの、その実はチャウシェスク氏の個人独裁だったのである。したがって、今回の激動にさいしても、共産党は組織として、なんの役割を果たすことなく、書記長とともに背景に退いてしまった。
 指導者個人を中心とする王朝的な権力に支配されていたゆえに、ルーマニアの革命は暴力的たらざるをえなかったのである。
 しかしながら、新政権がチャウシェスク夫妻に対し、非公開の特別軍事法廷で死刑を宣告し、そのまま処刑したことを、われわれはきわめて残念に思う。新政権は民主主義を旗印に、新しい体制を敷こうとしているのだ。チャウシェスク夫妻に大罪のあることが明らかだとしても、正当な法の手続きをへて、有罪を宣告するのが、民主主義の大原則だからである。
 報道の伝えるところによれば、ブカレストの市民の間にも、突然の処刑に戸惑う声が聞かれるという。新政権が広い地平を開いていくためには、「目には目を」の激情を克服していかねばなるまい。
 革命は未来への希望と血ぬられた悲劇との混じり合ったるつぼである。しかし、いつの日か、希望が悲劇に打ち勝たねば、真の革命は成就しないであろう。
 ローザ・ルクセンブルクが獄中から友人に送った手紙には、草花や小鳥にしめす革命家の優しい心が、じつにいきいきと記されている。その優しさの先にこそ、革命の銃声を越える道がみえるのではあるまいか。



1989年12月27日 朝刊 1外
◆ルシュディ氏 隠れ家転々、非難には反論(ひと・この1年:2)


 「今でもあの本はよく売れていますよ」とロンドンの繁華街にある大手書店ディロンズの店員。出版元のペンギン・バイキング社によると、12月半ばまでに104万3758部が売れた。ハードカバーの本としては大ベストセラーだ。
 あの本とは「悪魔の詩」。その内容がイスラム教を冒とくしているとして、今年2月、イランの故ホメイニ師が著者のインド系英国人サルマン・ルシュディ氏に死刑宣告する事件を引き起こした。「表現の自由」侵害に敏感な西欧諸国は一斉に駐イラン大使を引き揚げ、英国はイランと断交した。
 ルシュディ氏は、暗殺を恐れて、10カ月後の今も身を隠している。どこに居るのか。何を考えているのか。出版社も氏の代理人も「ノーコメント」を繰り返す。一緒に逃げ回っていた、妻の作家、マリアン・ウィギンズさんとは7月に別居した。
 さまざまな報道を総合すると、死刑宣告直後にロンドン北部の自宅から姿を消した氏は、以後MI−5(英国内情報部)などの保護下に、隠れ家を転々としているという。マリアン夫人は別居して姿を現した時、「半年足らずの間に56回、居場所を変えた」と、疲れ切った表情だった。
 電話は自分からは出来るが、番号は教えられない。手紙などは連絡人がまとめて届ける。ルシュディ氏は話好きで、パーティーにもよく顔を出していた。「彼にとってはまるでろう獄生活だろう」と友人はいう。
 しかし、ひたすら恐れおののいているわけではない。日曜紙には時々、他人の著書の批評を発表している。「事件」に触れたり、イスラムを批判することは避けているが、「イスラム教徒からも、本について支持の手紙をたくさんもらった」との声明を出し、新聞に自分への非難が載ると反論を投稿する。
 事件そのものは、火種がまだ残っている。今月15日、英マンチェスター市のモスクで同地のイスラム教導師は改めて「死刑宣告は依然有効」と宣言した。宗教が侮辱されたとの思いは、まだ信心深いイスラム教徒の胸の奥深く燃えているようだ。
 一方で事件は風化しつつある。イランから引き揚げた欧州各国大使はすでに帰任した。ハード英外相は最近イランとの関係改善を重ねて口にした。個人や自由の問題より、長期的に国家の利益が優先するのは、中国・天安門事件の後始末と同じである。
 ルシュディ氏は隠れ続ける。いったい、いつまで。
 9月、ある雑誌に彼の詩が載った−−。
 隠れ続けるのは問題ではない
 それが唯一の選択だから
 黙らない
 攻撃にもかかわらず、私は歌
 を歌い続ける
 (ロンドン=吉田〈秀〉特派員)



1989年12月27日 朝刊 特集
◆東西協調の時代 朝日・ハリス共同世論調査−−詳報


 北京・天安門広場での中国民主化運動の武力鎮圧、ベルリンの壁開放に象徴される東ヨーロッパの政治改革、風雨のマルタ島で行われた繰り上げ米ソ首脳会談。そしてベルリンの壁を崩した東独のクレンツ氏はもはや指導者の地位になく、最後まで変革をこばんでいたルーマニアでも、チャウシェスク政権が倒された。世界はこれまでに例のない速度で動いているが、朝日新聞社が米国・ハリス社と共同で、米ソ首脳会談の直後に日、米で行った世論調査でも、ソ連観などに大きな変化が出ていることがわかった。
                                    
      
 ●緊張緩和 明るい見通し急増 日米とも過半数占める
 マルタ会談で、40年続いた冷戦の「終結」が宣言されたが、今後の東西関係を日米両国民はどうみているのだろうか。
 東西の緊張は今後、「かなり緩和される」と明るい見通しを抱く人が日本で54%、米国で65%と、共に過半数を占め、「変わらない」という見方は、両国とも3割と少数派だ。
 同じ質問は、87年12月の米ソ首脳会談の直後にも行っている。このときの会談では、史上初の核兵器削減を目ざすINF(中距離核戦力)全廃条約の調印が行われたが、日本では「かなり緩和」は35%で、「変わらない」の50%を下回っていた。一方、米国でも「かなり緩和」と「少しは緩和」が合わせて51%、「変わらない」は45%で、見方は半々に分かれていた。2年前に比べると、今回の会談を機に、日米両国民とも、「東西協調の時代」の到来を実感しはじめたことがわかる。
 日本では前回、年齢、職業にかかわらず「変わらない」という見方が優勢だったが、今回はどの階層でも一転して「かなり緩和」とみる人が多くなっている。とくに、女性より男性で楽観的見方が強い。また、地域では大都市居住者、職業では管理職、事務職、自営・商工業者層など、今回の会談に関する情報に接する機会の多い人ほど、緊張緩和の見通しを持っている。
 米国では前回、「変わらない」が多かった女性やホワイトカラー、労働者層、民主党支持層の間でも、今回は「かなり緩和」とみる人が6、7割。また、日本の場合と同様、管理職や専門職で緩和論が強い。
                                    
      
 ●対ソ連観 日本の信頼派43%に 北海道での伸び際立つ
 ソ連に対する信頼感は、日米とも87年調査より高まっている。特に日本は、前回「信頼できる国になってきている」とみる人が34%、「そうは思わない」46%と警戒感の方が強かったのに、今回は43%対36%と評価が逆転している。米国では前回調査ですでに「信頼」が55%と過半数だったが、今回は62%にまで増えた。
 両国とも信頼派が増えたのは、ペレストロイカや米ソ首脳会談の影響だろうが、米国に比べ、日本では信頼派が過半数に達していない。これは、敗戦時のソ連軍の行動や北方領土問題への歴史的なこだわりも影響しているようだ。
 それをうかがわせるのが年齢別の傾向だ。日本では戦争体験を持つ60歳以上の世代で信頼派が33%と極端に少なく、若くなるほど信頼派が増える。一方、米国では年齢差はあまりなく、65歳以上の「信頼」は72%とむしろ高めだ。
 もっとも、日本でもほとんどの職業、年齢層で信頼派が増えている。特に管理職層の変化が大きく、前回32%と平均以下だった信頼派が、今回は52%と過半数を占めている。
 北日本で信頼感が高く、西日本でやや低くなっているのも今回の特徴だ。特に北海道では、前回24%対56%と否定的な見方が過半数を占め、他の地域よりも警戒感が強かったが、今回は57%対33%と、最も信頼が高くなっている。「冷戦終結」に加え、11月に来日したヤコブレフ・ソ連共産党政治局員兼書記が、北方領土問題に関連して「第3の方法」という柔軟発言をするなど、ソ連側の変化に対する好感が大きく表れたといえそうだ。
 米国では、職業、年齢、政治的立場の違いにかかわらず、信頼派が過半数を占める。日本と同様に管理職の信頼派が78%と最も多く、新しい流れに敏感な面をうかがわせている。
                                    
      
 ●中国の民主化 予測分かれる日本 米は「動き起きる」55%
 中国では今年6月、民主化運動を進めていた学生らに対し、人民解放軍の戒厳部隊が武力で制圧する「天安門事件」が起きた。活動家の逮捕や死刑執行が相次ぎ、民主化を求める動きは現在、抑えこまれている。
 では、中国で近い将来、民主化に向けた変化が、再び起きると思うかどうか、尋ねたところ、日本では「起きる」と「そうは思わない」が43%対42%で見方が相半ばした。一方、米国では55%対36%で、民主化への動きを信じる声が過半数を占め、日米両国民の認識の違いがはっきりあらわれた。
 職業別にみると、日本では、事務職層、管理職層で「そうは思わない」が5割と高め。年代別では30代、40代で、「そうは思わない」派が上回っている。またこの見方は大都市居住者ほど強い。
 社会への関心が比較的高いといわれるこれらの層は、対ソ観ではむしろ楽観的な見方をしており、対ソ観と対中観では傾向が異なっている。
 一方、米国ではすべての階層で「民主化の動きが起きる」という人が「そうは思わない」を大きく上回っている。収入や学歴が高い人に「そうは思わない」がやや増える傾向にあるものの、あらゆる層で「起きる」が5割を超えているのが特徴だ。
                                    
      
 ●東欧の人が求めるもの 米は「政治的自由」、日本「生活水準」 
 せきを切ったように進む東欧共産主義諸国の改革。そこに住む人々が求めているものは、「政治的自由」なのか、「生活水準の向上」なのか、それとも「共産主義そのものの放棄」なのだろうか。
 共産主義の資本主義に対する敗北と受けとめる「失敗した共産主義の放棄」という見方は、日本で8%、米国でも17%と少数派にとどまった。日米両国民には、東欧の人々の欲求は、そんな体制論ではなく、生活や自由な選挙にかかわる具体的なものに感じられたようだ。
 日本では「生活水準」が41%、「政治的自由」が40%とほぼ並んだ。一方、米国では「政治的自由」が48%で「生活水準」の30%を大きく上回り、「自由」へのこだわりが強く出た。日本では、20代から30代前半にかけて「生活水準の向上」を挙げる人が過半数を超え「政治的自由」は40%前後だった。しかし、50代以降では「生活水準」が激減し、「政治的自由」の方が上回る。ところが米国での傾向は日本と逆で、30代までの若い世代で「政治的自由」を挙げる人が50%を超え「生活水準」を大きくしのいでいる。日米両国の若者の、この視点の違いは象徴的だ。
                                    
      
 ●ペレストロイカ 「成功の可能性」は日本7割、米8割
 ゴルバチョフ議長が書記長就任の85年以来推進してきたペレストロイカ(改革)路線。程度の差はあれ、「成功の可能性がある」と肯定的にみるのは、日本では約7割、米国では8割と大半を占めた。否定的な見方はともに2割に満たなかった。
 ペレストロイカは東欧の民主化を促したものの、ソ連国内では食糧不足やインフレが進み経済不振が深刻化。さらに民族対立や労働者のストライキも続発して、改革は困難に直面しているとさえ伝えられている。
 それだけに、肯定的な見方の多さは印象的だ。ソ連の深刻な国内事情とは別に、両国民の多くが、「冷戦」時代の終わりを感じさせるような最近の動きを評価し、ゴルバチョフ議長の指導性に強く期待を寄せていることの表れ、ともいえそうだ。
 肯定的な見方がより強いのは米国。成功の可能性が「少しはある」は日本57%、米国59%で差がないのに、「大いにある」は日本の10%に対して、米国では21%。ソ連に対する信頼感も米国の方が大きく、それがペレストロイカの成否の見方にも反映しているようだ。
 日米両国とも、肯定的にみるのは、女性よりも男性、産業労働者層や熟練工よりも管理職層や事務職層、ホワイトカラーという共通点がある。さらに、支持政党による見方の違いもほとんどない。
 日本では、公明支持層で成功の可能性がある、と答えたのは64%とやや低いが、自民支持層で72%、社会支持層で69%など差はほとんどない。米国も同様で、共和党支持層は82%、民主党支持層では80%が「成功の可能性がある」と答えた。



1989年12月27日 朝刊 1社
◆「撃つなら撃て、認めぬ」処刑直前のチャウシェスク夫妻 ルーマニア


 「撃つなら撃て」と罪状をあくまでも認めず、居直るチャウシェスク前大統領。「私はお前の母親みたいなものだ」とすごみながら刑場に引かれたエレナ夫人。ルーマニアの前大統領夫妻の死刑宣告と処刑のやりとりが26日明らかになり、国営テレビは、人々を抑圧し続けた前大統領の遺体を生々しく写し出した。一方で「チャウシェスク王朝」と呼ばれた過酷な支配の舞台となった首都ブカレストの街では、長い間、恐怖政治を支えた治安警察が張りめぐらした地下道が次々にあばかれている。6万人といわれる国民の犠牲であがなった「血の革命」は、血にまみれた独裁者の最期で結末を迎えた。
      
 【ブカレスト26日=ロイター共同】25日行われたルーマニアのチャウシェスク前大統領夫妻の特別軍事法廷の死刑宣告と、続いて直ちに執行された処刑の際のやりとりが26日、救国戦線評議会のメンバーの証言から明らかになった。
 評議会のメンバーによると、チャウシェスク夫妻は法廷のメンバーがただの市民にすぎないと主張、何の権威もないとして裁判を認めず、むしろ大国民議会(国会)での審理を求めた。
 チャウシェスク氏は「撃つなら撃つがいい。しかし私は君たちを裁判官とは認めない」と述べた。夫妻は弁護士も拒否したという。
 チャウシェスク氏は6万人の虐殺の責任について否認。彼と家族が約10億ドルの横領をしたという点についても否認した。
 評議会筋によると、チャウシェスク夫妻の処刑は25日午後4時(日本時間同11時)に行われた。エレナ夫人が「一緒に死にたい。情はいらない」と言ったため、処刑は2人同時に行われたという。
 また、夫妻が兵士によって処刑場に連行される際、エレナ夫人が「私はお前にとっては母親みたいなものだ」というと、兵士の1人は「一体あなたのどこが母親だというのか。われわれの母親を殺した張本人じゃないか」と言い返したという。
 評議会メンバーによると、チャウシェスク氏処刑の銃殺隊メンバーを兵士の間から募ったところ「全員が志願した」ため、くじ引きで3人を選んだという。



1989年12月28日 朝刊 群馬
◆事件・事故(89ニュース抄録:上) 群馬


 遠足帰りバス衝突、56人けが ジャンボ機事故、全員不起訴
        
 1月19日 太田市の小八王山中で、埼玉県幸手市の主婦(40)が死体で見つかる。主婦と交際していた茨城県古河市の運転手(48)が同月25日、和歌山県の海岸で、犯行をほのめかす遺書を残して投身自殺。
 1月25日 吾妻郡中之条町で61歳の男性=殺人未遂罪で公判中=が、夫婦げんかで妻(59)に重傷を負わせる。また、自宅の火災で次男の妻(32)とその次女(6)が焼死。
 2月4日 勢多郡赤城村津久田、自動車販売会社の経営者(49)が渋川市行幸田、スナック女子店員(38)を猟銃で撃ち殺し、自分も自殺する。
 2月12日 藤岡市上日野の林で多野郡吉井町吉井、暴力団組長(58)が死体で見つかる。対立する暴力団員による金銭上のトラブルからの犯行とわかる=公判中。
 2月17日 架空の労組員の借入申込書などで、多額の現金をだまし取ったとして、県労働金庫太田支店の元融資課長(45)が詐欺などの疑いで逮捕される。
 3月13日 高崎市正観寺町、食肉処理作業員のマレーシア人(25)が、金欲しさから同僚(25)を殴り殺す=無期懲役の判決で高裁に控訴。
 3月22日 高崎市倉賀野町、トラック運転手(21)が、カラオケの歌集の取り合いから安中市大竹、大学生(20)を刺し殺す=懲役4年の判決。
 4月21日 安中市郷原、そば店従業員(39)=懲役8年の判決=が、酔って口論の末、全盲の同僚(46)の背中に灯油をかけ、火をつける。同僚は大やけどで死亡。
 4月23日 水上温泉のホテルで、宿泊客がエレベーターに乗ろうとしたが、エレベーターの箱がついていなかったため、15メートル下の1階部分へ転落し重傷。
 5月8日 「月見草油」などの健康食品を「やせる薬」と偽り、1都7県で600人以上の客に売りつけて約1億円の利益を得たとして高崎市の健康食品等販売会社が薬事法違反の疑いで高崎署に摘発され、社長ら幹部3人が逮捕される。
 5月14日 勢多郡黒保根村の第3セクター「わたらせ渓谷鉄道」で、気動車が崩れた土砂に乗り上げて脱線、乗客1人が転倒してけが。被害総額は1億円。開通後、初の事故。
 5月18日 沼田市郊外の山林内で15年前、通学途中の県立沼田女子高生(16)が殺された事件が時効に。
 5月30日 碓氷郡松井田町の国道18号バイパスで、遠足帰りの高崎商科短大付属高校の女生徒を乗せた観光バスと大型トレーラーが衝突、生徒ら56人が重軽傷=写真A(略)。
 6月19日 前橋市千代田町2丁目の交差点で87年6月、横断歩道を自転車で渡っていた女性会社員を乗用車ではねて死亡させたとして業務上過失致死罪に問われた大学生に対する判決公判で、前橋地裁高崎支部は「はねた車は青信号で進入した」と無罪を言い渡す。前橋地検が控訴を断念し無罪が確定。
 6月22日 87年4月の県議選新田郡区で落選した木村力雄派の運動員だった同郡笠懸村議と選挙対策責任者だった同村議の計9被告に対し、前橋地裁桐生支部が有罪判決。12月14日、東京高裁が控訴棄却。
 7月24日 参院選に保守系無所属で立候補、落選した新顔の駒井実候補派の運動員5人が公選法違反(供応)の疑いで逮捕される。
 8月30日 前橋市で県立高校1年生(16)が母親を金属バットで殴り殺す。11月22日、前橋家裁は医療少年院に送致する保護処分を決定。
 9月1日 約8年間、館林市役所と東京の陶芸作家(54)との間で争われていた同市の壁画の著作権裁判が、東京高裁で決着。和解の条件は問題になった地名入りの陶壁画に郷土ゆかりの絵画を加えること。
 9月8日 名古屋市のNTT名古屋会館に研修で宿泊した前橋市の前橋たばこ販売協同組合員の中から2人の真性コレラ患者が見つかる。観察収容も含め21人が病院に隔離された。
 9月14日 高崎市内の幼稚園児荻原功明ちゃんが誘拐、殺されてから2年が経過。15日には新田郡尾島町の小学生大沢朋子ちゃんが誘拐されて殺された事件も発生から2年を迎えた。
 9月19日 利根郡利根村根利で、林業経営者(57)が社員(53)に猟銃で撃たれ死亡、社員も自殺を図り、重体。
 9月27日 渋川市石原で会社員(41)の妻(41)が突然押し入った男に刺されて重傷を負い、現金が奪われた。10月5日、渋川署は、前橋市荒口町、クラブホステス(25)ら3人を強盗殺人未遂の疑いで逮捕。うち2人が起訴される。会社員と親しく付き合っていたホステスが同僚と強盗を装って殺人を計画したとして、公判中。
 10月4日 関越自動車道で制限速度を78キロも超えて乗用車を運転していたとして道交法違反に問われた高崎市倉賀野町、屋根材販売業者(45)に対し、前橋簡裁は警察の速度違反測定装置の操作に誤りがあったとして、検察側の公訴を棄却。
 10月13日 前橋市上泉町でブティック店員(18)が殺されてライターを奪われた事件で、前橋東署は食料品製造販売店員(24)を強盗殺人の疑いで逮捕した。製造販売店員は市内のサラ金業者から借金があり、金目的の犯行とみられている=公判中。
 10月23日 女性の寝姿を見ようと近所の家に侵入したとして、住居侵入の罪に問われた桐生市の工員(40)に対し桐生簡裁は「被告の自供や被害者の証言は信ぴょう性に欠ける」として無罪の判決を言い渡す。
 11月17日 利根郡新治村猿ケ京の地域住民共有地に大量の建設工事残土などを不法投棄したとして、沼田署は地元建設業者2社を含む4建設会社と役員らを廃棄物処理法違反の疑いで前橋地検に書類送検。
 11月22日 85年8月の日航ジャンボ機墜落事故の刑事責任を東京地検とともに追及していた前橋地検は日航、運輸省、米・ボーイング社の関係者計31件30人を全員不起訴処分にした=写真B(略)。処分を不満とする遺族らは12月19日に前橋検察審査会に審査を申し立てた。
 11月28日 桐生市錦町1丁目のスナックから出火、周りの商店など計8棟が全半焼した。
 12月1日 富岡市7日市郵便局に刃物を持った男が押し入り、約170万円を奪って逃走した。16日には高崎市山田町の「カネコ質店」にも刃物をもった男が押し入り、約250万円が奪われた。
 12月8日 76年、伊勢崎市で強盗に入った家にいた女子中学生を殺し、放火したとして強盗殺人と放火などの罪に問われた男(38)に対して、最高裁は被告の上告を棄却、死刑が確定した。
 12月15日 暴力団組長(53)が、群馬郡榛名町中里見の自宅で、3年前に破門した元組員(46)から、ナイフで刺されて死亡。一緒にいた組長の妻(43)や別の組員(26)も短銃で撃たれるなどして重体、元組員ももみ合いの最中、胸などをけがして重体に。
 12月19日 邑楽郡邑楽町の古物商夫婦(38)が、子ども(5)が脳性まひとなったのは出産直後の医療ミスが原因として、産婦人科医を相手に訴えていた損害賠償請求訴訟で、前橋地裁は被告の医師に約8500万円を支払うよう命じる判決を言い渡す。
 12月22日 県内の交通事故による死者が223人となり、昨年1年間の220人を突破。ここ15年間でも最悪の記録となる。発生件数、負傷者は過去最悪に。
 (本文中の職業、年齢などは当時)



1989年12月29日 朝刊 5面
◆秘密の処刑は民主化の汚点(声)


   東京都 萩原重夫(大学教員 38歳)
 ルーマニア政変において、逮捕されたチャウシェスク前大統領が、処刑された。この処刑の決定は秘密裁判でなされたとある。罪状は6万人以上を虐殺、共産主義の強制、私腹を肥やしたことなどという。当人の罪が確かに右にあげたとおりであり、その責を負うべきことが明らかであるとしても、私は、秘密裁判とそれにもとづく処刑には反対である。今回の処刑は、ルーマニア民主化の歴史においても汚点となって残るであろう。
 このようなやり方は、立場を変えれば、過去、幾多の独裁者が反対者にたいして行ってきたものにほかならない。「民主化」とは、このようなものを否定することではなかったか。
 秘密裁判は、絶対に認めることができず、死刑もまた生命の尊重に反する。過酷な弾圧にあえいできたルーマニア国民の感情は理解できるけれども、やはり公開の裁判で、指弾されている罪状を明らかにし、刑罰が妥当であるとしても、死刑は避けるべきではなかったか。そうすることが、ルーマニア民主化の輝きを一層増すことだったに違いない。



1989年12月31日 朝刊 3総
◆週間報告(12月23日〜12月29日)


 ●24日(日)
 ノリエガ将軍亡命申請 パナマの最高実力者マヌエル・ノリエガ将軍がパナマ市内のローマ法王庁(バチカン)大使館に政治亡命を申請。米国は同将軍の身柄引き渡しを求めたがバチカン側は拒否。ノリエガ派パナマ国軍と米軍の戦闘はおさまった。
 ●25日(月)
 第3次公定歩合引き上げ 3.75%から4.25%に。潜在的な物価上昇圧力への対応と、市場金利との調整のため。日銀は「予防的措置」を強調。
 チャウシェスク夫妻処刑 ルーマニア新政権・救国戦線評議会は非公開の特別軍事法廷でチャウシェスク前大統領夫妻に国民殺害、経済破壊などの罪で死刑を宣告、銃殺刑にした。
 ルーマニア新政権続々承認 米国、ソ連など各国がルーマニア新政権・救国戦線評議会を承認、国家再建に支援を表明した。
 受精卵凍結児が誕生 千葉県市川市の東京歯科大市川総合病院で、体外受精卵を凍らせて保存した後、解凍して子宮に戻す「受精卵凍結」の方法で妊娠した37歳の母親が女の双子を出産。受精卵凍結の技術を使った赤ちゃん誕生は国内初。
 交通事故死、最近15年で最悪 今年の交通事故の死者数は23日で1万831人。この15年で最悪の記録となったことが警察庁のまとめでわかった。北海道、神奈川、愛知など26府県で昨年の死者数をすでに突破。
 ●26日(火)
 大和証券に行政処分 「損失保証事件」で大蔵省は大和証券に業務改善命令を出した。
 ルーマニア新指導体制 ルーマニアの救国戦線評議会はイオン・イリエスク元共産党書記を評議会議長(国家元首)とする新指導体制を確立、食料品の輸出を禁止するなど悪評だった前政権時代の政策の撤廃を打ち出した。
 ●27日(水)
 核疑惑に米国が照会拒否の回答 1965年に沖縄近海で水爆搭載機の水没事故を起こした米空母「タイコンデロガ」の核持ち込み疑惑で、米政府が照会拒否の回答を寄せたことについて、外務省は「理解する」という見解を示した。
 企業交際費は4兆5000億 昨年1年間に全国の企業が使った交際費は、過去最高の約4兆5000億円になることが国税庁のまとめで分かった。対前年比8.7%の増。
 エジプト・シリア国交回復 エジプトの故サダト大統領がイスラエルを訪問した1977年11月以来断絶していたエジプトとシリアの外交関係が回復した。
 ●28日(木)
 防衛費は1%枠内で決着 1990年度予算案の閣僚折衝で、防衛費は89年度当初予算に比べて6.1%増の4兆1593億円で決着。対国民総生産(GNP)比は0.997%で、当初予算案としては4年ぶりに1%未満となった。政府開発援助(ODA)費も8175億円、8.2%増で決着、冷戦構造の変化に対応する姿勢を示した。
 首相、2月総選挙を確認 海部首相は、小沢自民党幹事長と会談して通常国会再開後に衆院を解散し、2月に総選挙を行う方針を確認した。
 社党、規約見直しに着手 社会党は、規約改正等委員会で、綱領「新宣言」の社会民主主義路線との矛盾が指摘されている党規約見直し作業に着手した。
 ●29日(金)
 1990年度予算案決定 政府は、総額66兆2736億円の1990年度一般会計予算案を閣議決定した。前年度当初予算に比べて9.7%増。赤字国債の新規発行を16年ぶりにゼロにする財政再建目標を達成した。政策経費である一般歳出の伸びを、81年度以来の高水準である3.9%とし、自民党が反発した老人医療制度の改正を先送りするなど総選挙対策が色濃いものになった。
 チェコ新大統領にハベル氏、ドプチェク氏も復権 チェコスロバキア連邦議会は、民主化運動組織「市民フォーラム」の指導者バツラフ・ハベル氏(53)を満場一致で大統領に選出、同氏はただちに就任した。また、同連邦議会は28日、「プラハの春」の指導者のドプチェク元共産党第1書記を議長に選び、同氏は約20年ぶりに政治の表舞台に復権した。
 ルーマニア新政権を承認 政府は、イリエスク救国戦線評議会議長を元首とするルーマニア新政権の承認を決めた。
      
 ○ひとこと
 金丸信・自民党竹下派会長
 (来年2月に予想される総選挙後の政局に触れて)参院の与野党逆転状態は当分続く。こうした状況を打開するため、自民党は左派を除いた社会党と大同団結することを考えてもよいのではないか。



1989年12月31日 朝刊 新年特設面
◆89出来事ファイル


 《1月》
 4日 米、リビア軍機撃墜 地中海上で2機の戦闘機を撃墜した。米政府はリビア機の敵対行動に対する自衛措置と説明したが、リビアは「公然たるテロ」と非難、リビアの化学兵器工場の建設疑惑をめぐり両国の軍事的緊張が高まった。
 20日 米国大統領にブッシュ氏就任 米国の大統領就任式が行われ、第41代大統領にブッシュ前副大統領(64)が就任した。
 24日 原田経企長官が辞任 リクルート関連企業からの政治献金閣僚調査で、原田憲経済企画庁長官が献金を受けたことがわかり、引責辞任した。昨年12月末に発足した竹下改造内閣は1カ月足らずで長谷川峻法相に次ぎ2人の重要閣僚が辞任。
 31日 島田事件死刑囚に無罪 1954年3月、静岡県島田市で幼女が殺害された事件の犯人として死刑が確定、以来無罪を叫び続けていた赤堀政夫さん(59)の再審裁判で静岡地裁は「自白の信用性は乏しい」と無罪判決。刑事補償金は1億1900余万円と、再審事件では最高。
    
 《2月》
 13日 江副前会長を逮捕 未公開株譲渡事件で東京地検は株譲渡をわいろと断定、江副浩正リクルート前会長(52)らを逮捕するなど、強制捜査に乗り出し、3月に入って、真藤恒NTT前会長(78)、加藤孝元労働事務次官(58)、高石邦男前文部事務次官(59)らを次々と収賄容疑で逮捕、起訴した。5月には、捜査が政界ルートに及び、公明党の池田克也代議士(52)、続いて自民党の藤波孝生・元官房長官(56)を22日、受託収賄罪で在宅のまま起訴、捜査は終結し、11月から裁判が始まった。
 14日 「悪魔の詩」で国交断絶 インド出身の英国作家ルシュディ氏の作品「悪魔の詩」がマホメットを侮辱した、とイランの最高指導者ホメイニ師がルシュディ氏の処刑を宣告。欧州共同体(EC)はこれに抗議し20日、駐イラン各国大使らの召還を決め、イランもすぐに対抗してEC諸国駐在のイラン大使を召還。インド、パキスタンでは出版禁止を求めるデモで死者が出、外交問題に発展した。3月7日にはイラン外務省が、英国と国交断絶を発表するまでにエスカレートした。
 15日 ソ連軍、アフガン撤退完了 9年2カ月にわたりアフガニスタンに駐留していたソ連軍は、昨年4月に調印されたジュネーブ合意に基づき、最後の部隊が帰国、撤退を完了した。
 22日 吉野ケ里で古代史ブーム 佐賀県神埼郡の吉野ケ里遺跡で弥生時代後期としては最大規模の環濠(かんごう)集落が見つかった。佐賀県教委が3月2日、墳丘部を発掘したところ、かめ棺から特別な飾りのついた有柄銅剣1本と緑色ガラス製管玉1個を発見。さらに翌日、長さ6.5センチの弥生時代では最大のガラス製管玉も出土した。7月17日には、わが国最古の染色絹も見つかった。
 23日 民社・永末体制が発足 リクルートコスモス社の未公開株5000株を譲渡されていた塚本三郎委員長の退陣表明を受け、党大会で新委員長に永末英一氏を選出した。
 24日 恩赦、約1100万人救済 昭和天皇のご逝去に伴う政令恩赦、特別恩赦が「大喪の礼」にあわせて実施された。対象者は大赦3万人、復権が延べ約1100万人、特別恩赦は数千人。野党の反対が強かった選挙違反者も1万5000人が復権した。
    
 《3月》
 5日 ラサで騒乱、12人死亡 中国・チベット自治区のラサで独立を求める大規模な騒乱が発生、公式報道でも12人が死亡、戒厳令が敷かれた。
 8日 法廷傍聴メモは自由 傍聴人にメモを許可しないのは、憲法が保障する知る権利を侵し、裁判公開の原則に反するとの米人弁護士の訴えに、最高裁は「審理を妨げない限りメモは原則自由」の初判断を示した。
 14日 知事交際費の公開命令 大阪府公文書公開等条例に基づき、市民グループが知事交際費の公開を求めた訴訟で、大阪地裁は「条例で定める非公開文書、情報に当たらない」と全面公開を命じた。自治体首長交際費の情報公開をめぐる司法の初判断。
 17日 玉ぐし料、公費支出違憲 愛媛県が靖国神社と県護国神社へ玉ぐし料や供物料を支出したことは「憲法に定めた政教分離原則に反する」との地元住民の訴えに、松山地裁は「公金支出は宗教活動」とし違憲の明確な判断を示した。
 18日 日本選手初の金 フィギュアスケートの世界選手権がパリで行われ、女子シングルで伊藤みどりが優勝した。
 26日 ソ連人民代議員選挙でエリツィン氏圧勝 新しい最高権力機関、人民代議員大会の複数候補制による代議員選挙の投票で、急進的な改革派エリツィン元政治局員候補(58)が圧勝、党幹部は各地で敗北した。
    
 《4月》
 1日 仙台、指定都市に 東北の中核都市・仙台市(2月末現在人口90万1192人)が政令指定都市に移行した。80年4月の広島市以来9年ぶりの誕生、全国で11番目。
 5日 東邦優勝 第61回選抜高校野球大会の決勝戦は、東邦(愛知)が延長の末、上宮(大阪)を3−2で破り、48年ぶり4回目の優勝を飾った。
 7日 ソ連原潜が火災、沈没 核魚雷2基を積んだマイク級原子力潜水艦「コムソモレツ」がノルウェー沖で火災を起こし沈没、42人の乗組員が死亡した。
 11日 竹やぶに2億3500万円 川崎市高津区の竹やぶで、タケノコ採りに来た人が1億4500万円入りのバッグを発見、16日には9000万円入りの手提げ袋が見つかった。神奈川県警の調べに、5月8日、東京都大田区の通信販売会社社長(46)が「置いた」ことを認めた。
 15日 サッカー場で95人死ぬ 英国中部のシェフィールドで、サッカーの試合中にフェンスが崩れて観衆がグラウンドになだれ落ち、95人が死んだ。
 28日 自民、予算案を単独可決 リクルート疑惑解明で混迷する国会は、衆院本会議で全野党欠席のまま89年度(平成元年度)予算案を自民党単独で可決した。
 28日 FSXやっと離陸 航空自衛隊の次期支援戦闘機(FSX)の共同開発をめぐる日米交渉が決着。生産分担の40%を米が確保、日本の独自開発技術は無条件で米に供与するなど、日本側の大幅譲歩となった。
    
 《5月》
 1日 外貨準備、1000億ドル超す わが国の4月末の外貨準備高が1003億6100万ドルと大蔵省が発表。47年に国際通貨基金(IMF)が発足して以来、1000億ドルの大台に乗ったのはわが国が初。外貨準備高は、56年に8億3000万ドル、71年に100億ドル台で、最近の“黒字大国”を浮き彫りにした。
 7日 水爆搭載の米軍機水没 沖縄近海で65年12月米空母から水爆を積んだ艦載機が転落、水没したことが米誌の報道で判明した。同空母は2日後、横須賀に入港しており、米艦の核持ち込みが極めて濃厚になって「非核3原則」厳守の声が盛り上がった。
 10日 和泉雅子さん北極点に到着 スノーモービルとソリで800キロ近い氷原を走破、62日目で「地球のてっぺん」に立った。
 13日 村田投手が200勝 ロッテの村田兆治投手(39)が、山形県野球場で行われた日本ハム7回戦に登板、完投勝利。プロ21人目の200勝投手となった。
 16日 中ソ関係正常化 ソ連最高首脳として30年ぶりにゴルバチョフ書記長が訪中し、トウ^小平・中央軍事委主席と会談。対立していた中ソ関係の正常化を宣言した。また書記長は、ソ連は極東で12万人の兵力と太平洋艦隊の16隻の艦艇を89−90年に削減すると発表。中ソの国境地帯の非武装化を目指すとともに、経済特別区を創設する考えも明らかにした。
 16日 サンゴ損傷事件 4月20日付朝日新聞夕刊に掲載の「地球は何色?
 サンゴ汚したK・Yってだれだ」の写真について、本社は沖縄県竹富町ダイビング組合からの指摘を認め、社告で、ねつ造の事実と関係者の処分を発表した。第11管区海上保安本部は同20日、写真部員から事情聴取を開始。本社は10月9日、不祥事の再発防止のため、「ねつ造報道」を生んだ経過と改善策を報告、同26日にサンゴの修復状況について調査報告した。那覇地検は12月15日、この事件の関係者の不起訴処分を決定。
 17日 公明党委員長が交代 「明電工」関連株取引に関与の疑惑が持たれた矢野絢也委員長が辞任を表明。去年1月の砂利船汚職やリクルート事件関与など同党議員による一連の不祥事の責任をとった。18日、後任に石田幸四郎副委員長が昇格した。
 29日 難民漂着ラッシュ 長崎県五島列島の美良島(びりょうじま)に、ベトナム難民とみられる107人が上陸。以来、九州を中心に難民船の漂着が相次ぎ10月28日現在で2804人(法務省調べ)に達した。うち1660余人は中国からの偽装難民と判明。
    
 《6月》
 3日 ガス爆発が列車直撃 ソ連・バシキール自治共和国のシベリア鉄道沿線で、液化石油ガスの輸送管が爆発。通りかかった旅客列車2本が巻き込まれて炎上、キャンプに向かう子どもら607人が死亡した。
 27日 第2次教科書訴訟で訴え却下 家永三郎・元東京教育大教授が文部大臣を相手取り、高校日本史教科書の改訂検定不合格処分の取り消しを求めた「第2次教科書訴訟」の差し戻し審で、東京高裁は「訴えの利益はない」との判断を示し、訴えそのものを却下する原告敗訴の判決を言い渡した。また、「検定制度は、憲法が保障する表現の自由や学問の自由に反する」と国を訴えた「第3次教科書訴訟」で東京地裁は10月3日、検定の一部に裁量権の乱用があったとして、国に10万円の損害賠償の支払いを命じたが、検定制度自体は合憲とした。
 28日 日米電気通信交渉が決着 自動車・携帯電話などの市場開放をめぐる日米交渉が、米モトローラ社方式の自動車、携帯電話を首都圏、中部圏に参入させるため、周波数を割り当てることで合意。交渉10日目での決着。通信分野での対日制裁は回避された。
 30日 廃金庫に1億7000万円 横浜市旭区の産業廃棄物処理場に運ばれた耐火金庫から、旧1万円札ばかりで1億7000万円が出て来た。7月3日になって、当時の創価学会総務、中西治雄さん(60)が「持ち主」と名乗り出た。
    
 《7月》
 13日 伊東沖で海底噴火 6月末から群発地震と微動が続いていた静岡県伊東市の沖3キロ付近で、噴煙を伴って高さ約30メートル、直径約100メートルの水柱が6回にわたって噴き上がり、気象庁は海底噴火と断定した。けが人などはなかった。
 16日 がけ崩れ小型バス直撃 福井県・越前海岸沿いの国道で山側斜面が崩れ、防護施設を押しつぶした。通行中の観光マイクロバスが岩石の直撃を受け、滋賀県の青果食品関係者15人全員が死亡した。
 23日 参院選で自民大敗北 消費税、リクルート事件、農政の「3点セット」が争点となった第15回参院選(改選議席数126)が行われた。その結果、自民党は改選議席69から36へと激減したのに対し、社会党は改選議席の2倍を上回る46と大躍進した。初挑戦の連合も11議席獲得の健闘。参院勢力は与野党逆転し、自民の単独支配は崩れた。
    
 《8月》
 3日 大学進学率、女子が逆転 大学、短大に今春進んだ学生のうち、女子の進学率が史上最高の36.8%に達し、初めて男子を上回った。
 11日 「しんかい」が世界記録 潜水調査船「しんかい6500」が、宮城県金華山沖で6,527メートルの海底に到達、現役の船では世界記録を達成した。
 18日 コロンビア麻薬組織が大統領候補暗殺 次期大統領の最有力候補とみられていたルイス・カルロス・ガラン上院議員が、世界最大の麻薬密輸組織「メデジン・カルテル」に暗殺された。
 22日 帝京が初優勝 第71回全国高校野球選手権大会の決勝戦は、帝京(東東京)が延長10回、2−0で仙台育英(宮城)を下し、初優勝した。
 25日 山下長官、女性で辞任 発足して間もない海部内閣で山下徳夫官房長官の女性交際問題が表ざたとなった。官房長官就任の話が出たあと、女性に口封じともとれる300万円を渡していた。
 29日 都銀同士の大型合併 銀行のなかで預金量7位の三井銀行と8位の太陽神戸銀行が、合併することで基本的に合意。90年4月に実現の予定で、預金量は約37兆円と都市銀行で2位、店舗、従業員の数はトップとなる。金融の自由化、国際化が進み、自己資本の充実が必要なため。
    
 《9月》
 12日 礼宮さま、ご婚約 天皇家の次男、礼宮さま(23)の婚姻に関する皇室会議が開かれ、学習院大大学院生、川嶋紀子さん(23)との婚約が、全会一致で決まった。
 14日 南ア、新大統領選出 南アフリカ共和国は人種別3院制議会で、新大統領に白人与党、国民党のフレデリク・デクラーク党首(53)を選出。11年間政権を握ってきたボタ前大統領が黒人抵抗運動を弾圧したのに対し、デモを公認する柔軟策をとった。10月15日には黒人政治犯のウォルター・シスル氏(77)を26年ぶりに釈放。
 22日 千代の富士、最多勝を記録 大相撲秋場所13日目で、横綱千代の富士は序ノ口からの通算965勝をあげた。大潮(現・錣山親方)の記録を抜いて史上1位。29日、相撲界では初の国民栄誉賞を受賞。
 24日 時速300キロで営業開始 フランスの超高速新幹線の新世代、TGVアトランティックが時速300キロの世界最高スピードで営業運転を開始した。
 26日 ベトナム軍、カンボジア撤退 カンボジアに駐留していたベトナム軍の残留部隊2万6000人(ベトナム発表)が最終撤兵した。これでほぼ11年間に及んだカンボジアへの軍事介入に終止符が打たれた。
 27日 コロンビア映画を買収 ソニーは米大手映画会社コロンビア・ピクチャーズ・エンタテイメント社を買収する、と発表。買収金額は1株当たり27ドル、総額34億ドル(約4800億円)で、11月6日に買収完了。日本企業による米国での最大の企業買収となった。ソニーは2年前にCBSレコードを20億ドルで買収している。「米国の魂の一部を買うようなもの」とニューズウイーク誌が報道したほか、11月15日には米下院の委員会で異例の公聴会が開かれた。
    
 《10月》
 1日 ソ連より日本が脅威 米ニューズウイーク誌は米国人600人を対象にした世論調査で、米国に対する脅威として「日本の経済力を挙げた人が52%で、ソ連の軍事力が脅威であるとした33%を上回った」と報じた。
 5日 ダライ・ラマにノーベル平和賞 ノーベル賞選考委員会は、平和賞にインド亡命中のチベット仏教最高位聖職者でチベット解放運動指導者ダライ・ラマ14世(54)を決めた。
 8日 IJPC、清算で合意 日本とイランの合弁プロジェクトだったイラン・ジャパン石油化学(IJPC)の事業清算が正式に決定。着手以来18年の歳月と6000億円をつぎ込んだが、革命、戦争で中断を繰り返し、85%まででき上がった工場群は120発余の弾痕を残し幕。日本側の清算金は約1300億円。
 9日 立山で遭難、8人死亡 富山県・北アルプス立山連峰で、京都、滋賀両府県の税理士夫婦など10人の登山グループが、猛吹雪に見舞われ、8人が死亡した。
 10日 8年ぶりに2階級制覇 ユーゴ・ベオグラードで行われた世界柔道選手権で、小川直也5段(明大)が95キロ超級で優勝。15日の無差別級にも優勝して、山下泰裕6段に続く、8年ぶり史上2人目の偉業を達成した。
 11日 小2少女を誘拐殺人 愛知県豊橋市の小学2年生、小林美幸子ちゃん(8)が誘拐された。愛知県警は13日、同市内の元喫茶店経営者(27)を逮捕したが、美幸子ちゃんは静岡県湖西市内の雑木林で遺体で見つかった。
 14日 田中元首相が引退 病気療養中の田中角栄元首相(71)が次期衆院選に出馬せず今期限りで42年にわたる政界からの引退を発表。
 17日 米西海岸で大地震 サンフランシスコ市一帯でマグニチュード7.1の地震が発生。高速道路が崩壊したほか、建物の倒壊、火災が起こり、60人を超す死亡が確認された。
 17日 象牙(ぞうげ)の取引全面禁止 スイスで開かれたワシントン条約締約国会議(加盟103カ国)で、アフリカ象の商業取引全面禁止案が採択された。
 29日 20歳で天皇賞連覇 競馬の第100回天皇賞で、スーパークリークが優勝。武豊騎手は弱冠20歳で、史上5人目の天皇賞春、秋連覇。
 29日 巨人が逆転で日本一 プロ野球日本シリーズで巨人が近鉄に3連敗のあと4連勝し、8年ぶり17回目の日本一となった。
 31日 パチンコ献金表面化 10兆円産業といわれるパチンコ業界から与野党国会議員が多額の政治献金を受けていたことが明るみに。自民党は過去13年間に党、個人あわせ約1億1800万円、野党は社会党の802万円をはじめ公明、民社、社民連なども顔をそろえた。
 31日 ロックフェラーと提携 三菱地所は米国ニューヨークのロックフェラーセンターはじめ市内に14のビルを保有しているロックフェラーグループ社(略称RGI社)の株式51%を8億4600万ドル(約1200億円)で買収、資本提携したと発表。
    
 《11月》
 9日 トウ^氏、党中央軍事委主席を辞任 中国の最高実力者、トウ^小平氏(85)が最後のポストである党中央軍事委主席からの引退を申し出、13期5中全会で承認された。後継には江沢民総書記が選出された。
 13日 日本初の生体肝移植 島根医大は、先天性胆道閉鎖症で入院中の男児(1)に父親(26)の肝臓の一部を移植する手術を行った。
 20日 減反面積の凍結決定 農水省は来年度から始まる水田農業確立後期対策(90−92年度)について、減反目標面積を現状凍結し、83万ヘクタールにすることを正式決定。
 21日 「新・連合」スタート 総評が39年の歴史を閉じ解散した。新たに民間労組と官公労組を統一した日本労働組合総連合会(新「連合」)と、反「連合」の全国労働組合総連合(全労連)が誕生。新「連合」は国内で史上最大の約800万人を、一方、全労連は約140万人を結集した。
 22日 ジャンボ機墜落全員不起訴 520人の犠牲者を出した85年8月の日航機墜落事故の刑事責任を追及していた前橋地検は、日米の関係者30人全員を不起訴処分にした、と発表。
 29日 ガンジー首相辞任 インドのガンジー首相は、与党国民会議派が総選挙で大敗した責任をとり辞任した。新首相には、ジャナタ・ダル(JD)のV・P・シン総裁が就任。ほぼ10年ぶりに国民会議派以外の政権が誕生した。
 30日 ドイツ銀行頭取暗殺 西独最大の民間銀行であるドイツ銀行のヘルハウゼン頭取が乗車中の車を爆破され即死。極左テロリストグループ「西独赤軍」(RAF)の犯行と見られる。
    
 《12月》
 1日 フィリピン軍の一部が反乱 反アキノ大統領派の国軍将兵約2000人がビリャモア空軍基地、国営テレビ局、国際空港などを占拠した。マニラ市内を中心に銃撃戦をしたうえ、大統領官邸を爆撃した。6日、アキノ大統領は国家非常事態宣言を発動。7日、反乱軍が投降し、6日ぶりに収束へ向かった。死傷者は600人以上にのぼった。
 1日 ソ連とバチカン和解 ゴルバチョフ・ソ連最高会議議長がバチカンを公式訪問。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世と会見し、70年余り続いた対立関係を終え和解した。
 2日 米ソ首脳会談 ブッシュ大統領とゴルバチョフ最高会議議長の首脳会談がマルタ島マルサシュロック湾に停泊するソ連客船マクシム・ゴーリキーで行われた。2日間にわたる会談後、そろって会見した両首脳は冷戦の時代が終わり、新しい時代に入ったことを確認。戦略兵器削減交渉(START)と欧州通常戦力交渉(CFE)が、来年合意できるとの期待を寄せた。
 14日 チリ、民政復帰へ チリで19年ぶりに大統領選が行われ、反軍政派の統一候補パトリシオ・エイルウィン氏(71)が圧勝。ピノチェト軍事体制から16年ぶりに民政への移管が決まった。
 20日 米、パナマに侵攻 パナマの最高実力者ノリエガ将軍の身柄拘束などを名目にパナマへ軍事介入。同国軍と激しい銃撃戦を行った。24日、ノリエガ将軍はパナマ市内のバチカン大使館に亡命を求め、パナマは21年間の軍主導の政治体制が崩壊、米国の支援で発足したエンダラ新政権が本格的に始動することに。
 25日 凍結受精卵で赤ちゃん 体外受精卵を凍らせて保存したあと、解凍し子宮に戻す「受精卵凍結」の方法で、37歳の母親が千葉県市川市にある東京歯大病院で女の双子の赤ちゃんを出産。国内で初めて。不妊症の女性には朗報で、生命の永久保存にもつながるが、倫理上の問題はある。
 29日 来年度予算は66兆円 1990年度(平成2年度)の政府予算案が決まった。一般会計総額は66兆2736億円で、前年度当初比9.7%増と9年ぶりの大型。赤字国債の新規発行も16年ぶりにゼロとなった。
 (海外のニュースは現地日時)
    
 ●昭和天皇ご逝去 元号は平成
 昭和天皇は1月7日午前6時33分、十二指腸部の腺(せん)がんのため、皇居・吹上御所でお亡くなりになった。87歳だった。明仁親王が直ちに皇位を継ぎ、新天皇となられた。政府は新元号を「平成(へいせい)」と制定、昭和時代は終わった。昭和天皇の在位期間の62年は歴代最長。また、天皇として最もご長命だった。新元号は中国の古典「史記」の中の「内平かに外成る」、「書経」の中の「地平かに天成る」から「平」と「成」の文字を組み合わせた。政府はその意味を「国の内外にも天地にも平和が達成される」ことだと説明した。2月24日に行われた「大喪の礼」は、164カ国、28国際機関の弔問代表ら約9800人が参列した。
    
 ●消費税3% 存続か廃止か
 ほとんどの商品、サービスに3%の税率がかかる消費税が4月1日、実施された。高齢化社会対策などの是認論に対し、低所得層に影響が大きいといった批判が相次ぎ、9月28日開幕の臨時国会では、野党4会派が消費税廃止、税制再改革基本法など関連9法案を提出した。自民党は12月に非課税品目の拡大を主とした見直し案を発表。結局、野党案は参院で可決されたものの衆院では審議未了、廃案となり「消費税の存廃」は、来年2月にも予想される総選挙の結果待ちになった。
    
 ●民主化つぶした天安門事件
 胡耀邦前総書記(73)の急死に端を発した中国学生の民主化要求運動に対し、北京に戒厳令を発令していた政府は6月4日、人民解放軍を動員、天安門広場で非暴力のデモやハンストを行っていた学生、市民に発砲、武力鎮圧した。李鵬首相(61)によると、死亡者は319人にのぼった。政府は「反革命分子」狩りを強行。多数の学生指導者や市民が逮捕され、破壊行為を理由に死刑を受ける者も出て国際的非難が高まった。中国共産党は13期4中全会のコミュニケを発表、学生運動を「反革命暴乱」と位置づけ、責任者として趙紫陽総書記(69)を糾弾、党内のすべての職務を解任。新総書記に江沢民政治局員(62)を選出した。
     
 ●破壊される環境、地球を救え
 第15回主要先進国首脳会議(サミット)が7月14日、パリのアルシュで開かれ、政治、経済問題とともに地球環境保全についても論議された。「大気、湖沼、河川、海洋における汚染の増大、酸性雨、危険物質及び急速な砂漠化と森林減少に対し重大な懸念をもって留意する」と宣言。また3月、124カ国が参加した「オゾン層を救う−−ロンドン会議」は「オゾン層を守るため、フロン、ハロンを全廃することが共通の認識」との議長声明を発表。5月には、モントリオール議定書第1回締約国会議がヘルシンキで開かれ、フロンガスを西暦2000年までに全廃するとの宣言を採択した。
    
 ●竹下・宇野、そして海部首相
 リクルート疑惑をきっかけとする政治不信、消費税強行導入−−世論の怒りの高まりに竹下登内閣は支持率が1ケタ台に追い込まれ6月2日、総辞職。575日の短命に終わった。後継に難産の末、宇野宗佑氏が選出され「改革前進」をうたい2日組閣した。だが、参院選で自民惨敗という激震を受け、自らの女性問題にも足を引っ張られ、8月9日退陣。わずか68日の超短命政権で消えた。自民結党以来の危機を背負って同日、昭和生まれ初の首相として海部俊樹内閣が誕生。国会の首相指名投票で、参院では、土井たか子社会党委員長に敗れ、41年ぶり国会史上2度目の事態という波乱のスタート。「対話と改革」を掲げたが、国民の政治への信頼回復、消費税見直し、対外経済摩擦と難問山積である。
 <首相3人、今年のひとこと>
 ●平常心● 竹下首相
 (退陣表明の記者会見で)元来、自分の感情を表に出さないことをむねとしてきたので、無念ということはない。平常心だ。
 ●明鏡止水● 宇野首相
 (退陣表明の記者会見で)自分としてやるだけのことはやった。これだけの敗北(参院選)だから責任はとる。明鏡止水の心境だ。
 ●対話と改革● 海部首相
 (政権発足の抱負を尋ねられ)対話と改革。風通しを良くして、永田町と国民の間にある乖離(かいり)をなくしていきたい。
    
 ●連続幼女誘拐、むごい結末
 埼玉県と東京都内で昨年8月から4人の幼女が行方不明になり、3人が遺体で発見されたり、自宅に遺骨が送り付けられた事件で、警視庁は8月11日、4件のうち東京都江東区の幼稚園児野本綾子ちゃん(当時5つ)の誘拐殺人容疑で東京都西多摩郡五日市町、印刷業手伝い宮崎勤容疑者(26)を逮捕した。警視庁・埼玉県警合同捜査本部の調べに対し、宮崎容疑者は14日までに、埼玉県入間市の今野真理ちゃん(当時4つ)、同県川越市の難波絵梨香ちゃん(同)の誘拐殺人も自供した。行方が分からなかった同県飯能市の吉沢正美ちゃん(当時7つ)についても、宮崎容疑者が犯行を自供。合同捜査本部の捜索で9月6日、ほぼ供述通り五日市町の山林で、正美ちゃんの遺体を発見した。東京地検は10月19日までに、埼玉県内の事件を含めた4件の事件で、宮崎容疑者を誘拐、殺人などの罪で起訴、連続幼女誘拐殺人事件の捜査は終結した。
    
 ●東欧に民主化 「ドミノ」現象
 東欧の社会主義国が民主化の「ドミノ」現象で政権交代。保守的な社会主義を貫いてきたルーマニアは12月22日、反政府デモを武力弾圧し多数の犠牲者を出したチャウシェスク政権が崩壊。24年間君臨した同大統領(71)とエレナ夫人(70)は25日、処刑された。イリエスク元共産党中央委書記(59)を議長とする救国戦線評議会が実権を握った。「ベルリンの壁」も11月9日、実質的に崩壊。東独はこの日、西独との国境を開放した。これに先立ち10月18日、18年間権力を振るってきたホーネッカー国家評議会議長兼社会主義統一党書記長(77)が退陣。後任のクレンツ書記長(52)も12月3日、辞任した。チェコスロバキアでも、11月24日、ヤケシュ書記長(67)が辞任、指導部を大幅刷新。12月28日、「プラハの春」の立役者ドプチェク氏が約20年ぶりに復権、議長に。社会主義国で初の自由選挙を行ったポーランドでは、圧勝した自主労組「連帯」主導の内閣が9月12日、発足。社会主義労働者党(共産党)を社会党に改名していたハンガリーは10月23日、人民共和国から「ハンガリー共和国」へ国名を変更。ブルガリアでも、11月10日、35年の間、絶大な権力を握ってきたジフコフ党書記長(78)が辞任した。