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死刑関連ニュース1989年 朝日新聞(7月)



1989年7月1日 朝刊 千葉
◆「中国の弾圧に抗議を」 銚子市議会、政府への意見書採択


 銚子市議会は定例議会最終日の30日、「政府が中国当局の反人道的行為に抗議し即時中止を申し入れるよう求める意見書」を超党派で提出、全会一致で採択した。近く首相と外相に提出する。
 意見書は「中国当局は、民主化と自由を求める学生、市民に対し、その人命、人権を無視して、武力による弾圧を加え、多数の死傷者を出した。しかも武力鎮圧後、逮捕・死刑をもって、無抵抗の人々に弾圧を続けている」として、政府は中国当局のこのような残虐行為に断固抗議し、その中止を強く求めてほしい、としている。



1989年7月1日 朝刊 茨城
◆えん罪を訴え、土浦で交流会 「波崎事件」の2団体 茨城


 鹿島郡波崎町で昭和38年8月に起きた保険金殺人事件の死刑囚・富山常喜被告を救おうと運動している「波崎事件の再審をかちとる会」(吉田昇平代表)と「波崎事件対策連絡会議」(篠原道夫代表)は、16日午後1時から、土浦市中央2丁目の亀城プラザで、「波崎事件・土浦交流会」を開く。
 この事件は、41年12月に水戸地裁土浦支部、48年7月に東京高裁、51年4月に最高裁で、それぞれ死刑判決が言い渡された。今、第2次再審請求の審理中。
 当日は三島浩司弁護団長があいさつし、「逆転無罪」の著者で元朝日新聞記者・足立東氏が「波崎事件、3つの焦点」を報告、えん罪を晴らすべく、事件の真相解明をめざす。
 吉田代表は「2次請求の棄却に備え、3次請求の準備も整った。1審判決の行われた土浦で、一般の参加を呼びかけ、えん罪を訴えたい」と話している。
 問い合わせは、北茨城市磯原町木皿1226、かちとる会の吉田代表(0293−43−1566)へ。



1989年7月1日 朝刊 5面
◆反日家を生む中国への対応(声)


  つくば市 宮本洋(精神科医 36歳)
 日本における留学生に対する待遇は欧米諸国と比較して劣るものではない。しかし、アジアから米国や英国に留学した者が、帰国後、親米家や親英家になるのに対して、わが国への留学生は逆に反日家になるものが多いと言われ、これまで問題になってきた。
 今回の中国政府の天安門広場での軍隊による学生、市民の虐殺、さらには逮捕、死刑判決、そして処刑と一連の強圧政策に対する日本政府の対応を見ると、その理由が分かるような気がする。政府は過去の日中間の歴史から軽々しい対応は出来ないとしている。
 しかし、少なくとも第2次大戦下の侵略行為を念頭に置いたものであるなら、一部支配層にたいする遠慮ではなく、恐怖政治にさらされている国民を援護すべく対応するのが、真に歴史を踏まえた対応ではないか。弱腰の対応の裏に、むしろ現在の経済的な利権を守ろうとする意図を感じる。
 思えばフィリピンでマルコス政権が倒れた際にも、最後まで同政権に癒着し、利権をあさっていたのが日本の商社であった。日本商社の中国駐在員が欧米の目を気にしつつ、強圧にあえぐ中国国民をしり目に早々と経済活動を始めようとする姿はハゲタカかハイエナである。
 留学生たちはやがては帰国し、自国を指導する立場に立つであろう。そのとき、彼らは決して日本を信用しないであろう。長期的に見るなら、今後、日本政府や企業がこうした対応を続ける限り日本の国際的な信用は下落の一途をたどるであろう。



1989年7月2日 朝刊 時評
◆週間報告(6月24日〜6月30日)


 ●24日(土)
 中国新指導部選出 中国共産党は第13期中央委員会第4回全体会議(13期4中全会)を23日からの2日間、北京の人民大会堂などで開き、趙紫陽総書記を「反党・反社会主義動乱」に責任がある、として糾弾、党内のすべての職務を解任した。新総書記には江沢民政治局員(上海市党委書記)が選ばれた。
 アンゴラで全面停戦 アンゴラ政府と反政府ゲリラ組織「アンゴラ全面独立民族同盟」(UNITA)がモブツ・ザイール大統領らの仲介で全面停戦実施。
 ●25日(日)
 参院新潟補選で社党が大勝 宇野政権発足後初の国政選挙だった参院新潟選挙区補欠選挙で、社会党新顔の大渕絹子さんが自民党の新顔に約8万票の大差で当選した。
 ●26日(月)
 ソ連原潜事故 ソ連北洋艦隊所属の原子力潜水艦がノルウェー沖で原子炉の故障を起こし浮上。ヤゾフ・ソ連国防相は「原子炉の1次冷却系のパイプが破損した」と説明した。ノルウェー国防省は現場海域の放射能異常を否定。
 ●27日(火)
 首相、進退に言及 宇野首相は深夜、公邸に自民党の橋本幹事長、江藤幹事長代理らを緊急招集、「女性問題」といった私行上の問題がマスコミなどでしきりに取り上げられることに懸念を示し、自らの進退まで口にしたが、出席者の説得で翻意した。
 8月半ばに臨時国会 宇野首相は自民党国会対策委員会の新旧正副委員長との懇談で、前国会で継続審議となった公職選挙法改正案、政治資金規正法改正案などの早期成立を目指して、8月半ばに本格審議のための臨時国会を召集する考えを示した。
 EC、対中経済協力を延期 欧州共同体(EC)首脳会議が中国の民主化要求運動弾圧に対する抗議として、新規対中経済協力停止や武器援助禁止などの措置をとると発表した。
 家永第2次教科書訴訟で訴え却下の判決 家永三郎・元東京教育大教授が文部大臣を相手取り、高校日本史教科書の改訂検定不合格処分の取り消しを求めた「第2次教科書訴訟」の差し戻し審で、東京高裁は「訴えの利益はない」との判断を示し、訴えそのものを却下する原告敗訴の判決を言い渡した。
 ●28日(水)
 第8次選挙制度審議会が始動 17年ぶりに設置された第8次選挙制度審議会の初会合が開かれ、宇野首相は政治資金制度、選挙制度の抜本的改革案の取りまとめを諮問。来年3月末をめどに答申するよう求めた。
 日米電気通信交渉が決着 自動車・携帯電話などの市場開放をめぐる日米交渉が、米モトローラ社方式の首都圏、中部圏参入のための周波数割り当てで合意。通信分野の対日制裁は回避された。
 少年事件で10年ぶりの死刑判決 名古屋市内で昨年2月起きた「アベック殺人事件」で名古屋地裁は、犯行当時19歳の主犯少年に求刑通り死刑の判決。少年事件の死刑判決は10年ぶり。判決理由は、「命ごいする被害者を長時間死の恐怖にさらして平然と順次殺害した行為は残虐、冷酷きわまりない」。
 ●29日(木)
 株主総会の集中化一段と 全国の企業1503社(警察庁調べ)の株主総会が一斉に開かれた。総会屋排除を狙った集中化で、総会件数は過去最多。米国企業の買い占めにあっている小糸製作所など一部の企業を除き、大半は例年通りの短時間総会で終わった。
 西独が利上げ 西独連邦銀行がマルク安防止のため公定歩合を0.5%引き上げて年5.0%にした。スイス、フランスなど欧州諸国も一斉に追随。
 ●30日(金)
 廃品の金庫から現金約1億7000万円見つかる 横浜市旭区の産業廃棄物処理業「横浜オール清掃」のゴミ処分場で、前日に運び込まれた耐火金庫の中から約1億7000万円の札束が出てきた。すべて旧1万円札だった。
 金融先物取引スタート 金利や通貨の先物を売買する日本で初めての金融先物取引が、東京金融先物取引所(東京・大手町)で始まった。
    
 ○ひとこと
 塩川正十郎・官房長官
 (宇野首相の辞意発言騒動について、自民党長老に説明)酔ってこぼしたグチを(マスコミに)漏らした人がいて、それが誇大に伝わった。



1989年7月2日 朝刊 5面
◆名古屋のアベック殺人、社会にも責任(声)


 柏市 梅靖三(学校職員 61歳)
 「証拠を調べ尽くし、有罪の確信をもっていたが、判決の言い渡しの前後それぞれ1週間くらいはあまり食事が進まず、何か祈るような気持ちだった。同じ人間にこんなことまで許されるのか、とその都度悩むからである」−−これは元札幌高裁長官・横川敏雄氏が40年間にわたる裁判官生活をふり返った著書『ジャスティス』の中で、死刑を下すときの裁判官の心境について述べた言葉である。
 名古屋市内で起こった“アベック殺人事件”の主犯の少年(当時)に死刑を宣告した小島裕史裁判長も同じ心境だったに違いない。裁判長は可そ性に富む少年に対する極刑の適用は特に慎重であるべきとしながらも「集団で行われた通り魔的犯罪は模倣性が高く、その冷酷非情な犯行が与えた社会的影響は極めて大きい」と判決理由を読み上げた。犯行に加わった6人の少年全員に死刑を求める被害者の遺族の心情を考えれば、極刑もやむを得まい。
 けれども、今回の事件では、少年たちをまともな人間に育てなかった大人社会の責任も厳しく問われているのだ。子供が一人前のおとなとなる過程で非行を犯したとき、彼らを矯正して社会に迎え入れるのが少年法の趣旨である。
 死刑が必ずしも犯罪予防に効果を上げていない、と思われる今日、後で誤判と分かった場合、救済の手段のない死刑の廃止を求める意見が強く、世界の大勢もその方向に進んでいる。
 少年たちは改悛(かいしゅん)の情を示しているという。模範囚として人間的に立ち直れば遺族の気持ちも和らごう。控訴したら名古屋高裁の審判を見守りたい。



1989年7月2日 朝刊 5面
◆人の命の貴さ考えるべき時 名古屋のアベック殺人(声)


 八王子市 奥田とも子(主婦 31歳)
 名古屋の“アベック殺人事件”について、19歳の少年だった被告に死刑の判決が下り、それに対して賛否がわかれているが、私はたとえ19歳であっても、人の命を、人生を、たちきってしまったことに対しては、やはり自らの死をもって償う以外にないような気がする。
 そして、死刑の執行まで毎日訪れる死の恐怖と生の喜びを味わい、自分の人生の意味を考え、殺してしまった方の人生にも思いをいたしてほしい。
 人の命は、自分の命を含めて、それほど大切で意味のあることだとさとり、それを簡単に絶ちきってしまったことに対しては、自分の命と、おわびの気持ちで償うほかないとさとってほしい。
 女子高生のコンクリート殺人や幼女の殺人に対しても同様で、今、人の命・自分自身の命の貴さを私も含めて、皆で考えてゆくべきだと切に思う。



1989年7月2日 朝刊 5面
◆中国の指導者は「人間の心」で人民と理解を(声)


 坂戸市 新見哲也(予備校生 19歳)
 中国の民主化運動における列車焼き打ち事件で、上海市の労働者ら3人が死刑の判決を受け、銃殺刑に処された、という記事を読んだ。彼らが公共物を破壊し、市民生活を混乱させたとするなら、その点では確かに罰を受けるべきであろう。しかし、極刑に処するという処置に、私は恐ろしさと憤りを感じた。
 なぜなら、この刑の目的が罪自体を罰するよりも、むしろ「見せしめ」として運動の根を絶つことにあろうからだ。人間の貴い命をこのように物でも扱うかのごとく政治的に利用しようとする行為が、果たして許されてよいだろうか。
 今回の事件によって、民主化を望む人民は命を一部の指導者たちに握られ、さらにその恐怖のために、自由に考え、発言する権利さえ奪われてしまった。
 中国の指導者は一刻も早くこのことを認識して、「人間の心」を持って、人民との相互理解に努めるべきである。



1989年7月2日 朝刊 読書
◆私記 松川事件弁護団史 大塚一男著 権力の犯罪裁く(書評)


 いまからちょうど40年前の夏、1949年8月17日、東北本線・松川−金谷川駅間で列車が転覆し、機関士ら3人が死亡するという事件がおこった。
 同じ年7月の下山事件、三鷹事件につづく松川事件の発端である。
 犯人として逮捕され、「汽車転覆致死罪」で起訴された無実の人びとは国鉄労組員はじめ20人にのぼり、翌年12月の1審判決では死刑5人を含む全員有罪の判決がいい渡された。
 事件が、権力によって仕組まれた思想弾圧のためのフレームアップ(デッチ上げ)であったことが明白となり、全被告の無罪が確定するまで、実に14年1カ月という長い時間を必要としている。
 松川事件については広津和郎が「中央公論」誌上に前後54回にわたって連載し、後に上梓された「松川裁判」、また広津にきっかけを与えた「真実は壁を透して」はじめ幾多の「松川運動史」がまとめられているが、延べ411人にものぼった壮大な松川弁護団の活動を内側から総括し、記録するという作業はいまだ試みられたことがなかったという。
 著者は平事件の弁護にはじまり、一貫して人権抑圧事件の弁護活動に携わってきた「闘う弁護士」として余りに著名で、日弁連人権擁護委員長もつとめたことがある。弁護士登録の日からわずか3カ月目にして松川事件と交差し、以来、事件の捜査段階から最終公判に至るまで、常に裁判闘争の中心に立ち、すべてを直接体験してきた。歴史の空白部分を核心の位置から補填(ほてん)し、裁判と弁護活動の詳細を伝えるのにもっともふさわしい証言者といえる。
 記述は、刑事裁判の推移に沿い1審、2審、上告審、差し戻し審、最終審へと展開されるが、2審判決のあと、ほとんど絶望視された上告がいかにしてかちとられていくか、感動的で、貴重な新事実が明らかにされ、歴史に書き加えられた。
 またここには言論の怖さと強さが、同時に示される。松川運動に対する大新聞、週刊誌などジャーナリズムが、また田中耕太郎、尾高朝雄ら「斯道の権威」がどのように攻撃をくり返したか、警察部外秘文書からの引用も含めて収録されている。
 松川事件の逆転無罪は、人権擁護の一点で結集した人びとの長い苦難の戦い、そして権力との闘いによって初めて可能であったことを証明し、見事に「権力の犯罪」を裁いている。
 =内橋克人=
 (日本評論社・404ページ・2,524円)



1989年7月3日 夕刊 2社
◆死刑囚の佐藤、恩赦出願を取り下げ 三鷹の「牟礼事件」


 昭和25年、女性が行方不明になり、2年半後に東京都三鷹市牟礼で白骨死体で見つかった「牟礼事件」の死刑囚、佐藤誠(81)=仙台拘置支所在監=は3日までに、今年5月22日に弁護団を通じて提出していた恩赦出願を取り下げた。
 佐藤は「えん罪」を訴えて第8次再審請求中。大喪恩赦の時期に合わせた5月の恩赦出願について、佐藤自身は消極的だったが、弁護団の説得で同意。しかしその後、撤回したい、との心境をもらしていたという。



1989年7月4日 夕刊 1総
◆臨済宗開祖の栄西没 2・26事件で死刑判決(あすは)


 たいしたことはないが、将軍実朝はその日いささか具合が悪かった。前夜の飲み過ぎが原因らしい。臨済宗開祖栄西(1215年7月5日没、6月説もある)が、良薬ですと、宋から持ち帰った茶を献上した。二日酔いたちまち全快し、実朝おおいに喜んだ……。『吾妻鏡』に出て来る話。それに比べ、お茶ぐらいでは治らぬわれらが二日酔いは、日ごろの酒びたりのせいか。▼昭和11年この日、東京陸軍軍法会議、2・26事件で17人に死刑判決。



1989年7月4日 夕刊 文化
◆文学・美術・歴史など各界、天安門事件に怒りの抗議続く(点描)


 轟音(ごうおん)を響かせて進む戦車隊と闇(やみ)に放たれた銃弾の雨。中国・天安門広場を埋めた学生を、け散らした6月4日の「血の日曜日」事件からはや1カ月たつが、「権力の暴挙」への怒りの声は今も各界で相次いでいる。
 文化関係では、事件翌日に学者・知識人がいち早く抗議声明を出した。これには全国から約400人の署名が寄せられたが、その後も詩人会議や、新日本文学会、美術家平和会議、歴史学研究会、日本科学者会議などが抗議の意志を表明した。また、「犠牲者の家族に義援金を送ろう」と都内で現代画のチャリティ・バザールを開いた美術家たちもいる。
 各団体はいずれも今回の事態を「民主化を要求した学生への武力弾圧」だとして中国政府に抗議する一方、伝えられる死刑執行などの即時中止や、自由と人権の回復を要請。同時に日本政府に対しても、在日中国人留学生などを人道的立場から保護するよう万全の措置を求めている。
 声明文に共通するのは、素手で立ち上がった学生を武力で排除したことへの激しい憤り。「狂気のファシズム的行為」「恐るべき流血の武力弾圧」など最大限の表現もみられるが、そこには戦前の日本の体験を踏まえつつ、新しい国づくりを進める中国への期待を裏切られたという悲痛な思いもにじんでいる。
 新日本文学会の声明も同様な視点で、とりわけ「人民とともに戦ってきた中国人民解放軍が、徒手空拳の学生・市民を乱射するとは、わが眼、わが耳を疑う」と解放軍への深い失望感を述べた。文章はけっして声高くはないが、今や人々が沈黙した中国に対し「私たちはおののく心で思い返す」として、権力に虐殺された教え子を悼む魯迅の次の言葉で結んでいる。
 「滅びゆく民族がなぜ沈黙するかの理由が私にはわかる。ああ、沈黙!沈黙のなかで爆発しないならば、沈黙のなかで滅びるだけだ」



1989年7月4日 夕刊 2社
◆天安門事件から1カ月 焦点、サミットの対応 日本では支援運動続く


 天安門での流血の武力弾圧から4日で1カ月たった。北京は表面上平静を取り戻したが、日本では弾圧に抗議し留学生や中国国内の民主化運動を支援する運動が続いている。中国人留学生、研修生の在留期間延長を求める動きも後を絶たない。一方、中国進出企業の社員らのUターンはかなりの数にのぼったが、まだ政府の退避勧告は続いているため、半数くらいは模様眺めを続けている。14日からのパリ・サミットで先進国が中国制裁でどんな対応を打ち出すかが焦点となってきた。
        
 東京都三鷹市の大沢地区公会堂。3日夜から4日未明にかけ、国際基督教大生らの呼びかけで討論やスライド上映会が開かれた。中国人留学生をはじめ、アメリカ、オーストラリア人を含む約20人が戒厳令下の天安門広場を写したスライドを見ながら熱っぽく語り明かした。
 呼び掛け人は三鷹市深大寺3丁目、同大教養学部4年森永誉さん(26)。大阪外大モンゴル語学科時代の86年夏から秋にかけて2カ月あまり、中国新疆ウイグル自治区で卒論のための調査を行った。「経済の自由化が貧富の拡大や一部の党幹部の特権階級化につながっているのを目のあたりにした。今回の天安門事件も、そうした全国的な不満の爆発だったと思う」と森永さん。
 米国ノースカロライナ州から夏の間、企業研修のために来日中のウェイク・フォレスト大大学院生デビッド・L・グレゴリーさん(28)はこの5月から6月にかけ研修の一環として訪中。「あちこちでデモする市民に囲まれ、サインを求められた。歴史の証人になってほしい、との中国人の気持ちのあらわれだったのだろう」と振り返った。
 5日午後2時には、渋谷の山手教会で在日中国人団結連合会が「1カ月集会」を開く。京都の大学生と留学生が制作した「自由の女神」を囲んで討論する。
 13日午後6時半、東京・市谷の日本YMCAでは「ピープルズプラン21世紀」が「中国民衆の闘いと私たちの立場」をテーマに討論集会を開く。アジア経済研究所の加々美光行氏、アジア太平洋資料センターの武藤一羊代表らが出席する。
 同日午後7時半からJR国立駅近くの国立市公民館では、アムネスティ・インタナショナル国立が「中国の死刑−−今、中国で何が起こっているのか」のテーマで話し合い、中国要人に弾圧をやめるよう求める手紙をまとめる。
 中国人留学生や専門学校への就学生らが母国の情勢不安を理由に日本での在留期間の延長を求める申請も後を絶たない。法務省資格審査課によると、申請数は天安門事件から6月末までで70件にのぼった。
 一方、日本からの進出企業の社員らの北京へのUターンはかなりの数になっている。連絡のために北京に往復するだけの人も多いため、日本大使館も実態を把握しきれていないが、北京の主要企業で作る日本商工クラブの調べでは、6月末現在で、加盟する306企業・団体のうち190企業・団体で職員が北京に戻っており、人数では、会員956人のうち466人が戻っている。
 日本貿易振興会(ジェトロ)の担当者は「まだ戻らない企業の多くは、今月14日からのパリ・サミットで主要先進国の中国への対応がどうなるか模様をながめている」と語っている。



1989年7月4日 朝刊 5面
◆応報刑よりも冷静な判断を(声)


   川崎市 長岡範泰(学生 18歳)
 「残虐な」殺人事件の主犯格である犯行当時少年だった被告に、名古屋地裁は死刑判決を下した。この判決の妥当性自体が議論の対象である。しかし、現行法体系を順守すべき裁判官の使命と職責を考えれば、あるいはいたし方ない一面もあろう。
 しかし、判決にからめて取りざたされる少年法の改正は別問題である。肝心の「少年」不在のまま、一部の人々が少年法改正を叫んでいるが、それとこれとは話が違う。
 若年層は、選挙権などの諸権利を与えられず、また若年者ゆえの規制を受ける。その一方で少年法などにより保護されている。保護されるべきか否かには、当然個人差もあろう。
 しかし、人の権利を守るために必要な客観的規制のために、客観的でおおむね妥当な法的基準がなくてはならない。この基準が18歳などの年齢である。ある犯罪者への「正当」な応報と引き換えに、どれほどの人権が侵されるか予測もできない。
 最大の問題は、「改正」に賛同する人の多くが感情的に応報刑を求めている点である。刑罰は応報のみならず、犯罪者の更生を重要な使命としている。それだからこそ、今、感情に流されてはならない。冷静な判断が求められている。



1989年7月5日 朝刊 1社
◆山中温泉殺人事件差し戻し審は名古屋高裁本庁で 【名古屋】


 石川県・山中温泉で昭和47年、元タクシー運転手が殺害された「山中殺人事件」で、最高裁は6月22日、「重大な事実誤認の疑いがある」として、1、2審で死刑判決を受けた同県江沼郡山中町東町1丁目、蒔絵師(まきえし)霜上則男被告(43)に対する審理のやり直しを命じる判決を言い渡したが、これに対し、名古屋高裁は4日、差し戻し控訴審を同高裁刑事1部(山本卓裁判長)に係属させることを決め、検察、弁護側双方に通知した。
 この事件は1審金沢地裁、2審名古屋高裁金沢支部で審理。弁護側は関係者が石川県に在住していることから、差し戻し控訴審も引き続き、同支部で開くことを要望していた。



1989年7月6日 夕刊 2社
◆シンナー、共同生活で克服 悩み話し合い薬物依存治す 【名古屋】


 シンナーを吸っていた少年らによるアベック殺人事件が起きるなど、薬物乱用が深刻な問題になっている名古屋市内に、このほどシンナーや睡眠薬、鎮痛剤などの薬物依存者の民間リハビリ施設「ダルク」が開設された。薬物依存の悩みを持つ人同士や家族、関係者が意見を交換し合って、社会復帰を目指すのが狙いだ。
 ダルクは日本で唯一の民間薬物依存リハビリ施設で、3年前に東京に開設され、名古屋が2カ所目としてオープンした。仲間同士が共同生活し、毎日のミーティングでお互いの依存歴を告白しながら、依存を断ち切る。すでに、名古屋ダルクではシンナーなどに苦しんだ5人がリハビリをしている。
 現在、薬物依存症の治療法としては精神病院への入院が主流を占めるが、結局クスリを断ち切れず入退院を繰り返す患者が多い。東京ダルクには3年間に約100人が入所し、その多くが社会復帰しており、精神科医の間でダルクのような自助グループの治療効果が注目されている。
 名古屋では、去年2月シンナーを吸っていた少年グループがアベックをリンチ殺害、28日に主犯の少年(当時)に死刑判決が出るなど、薬物乱用が大きな社会問題となっている。事件後、愛知県警では、セントラルパークにたむろしてシンナーを吸う少年らの補導や、暴力団によるシンナー密売の取り締まりに力を入れている。
 東京のダルクで勤務後、名古屋ダルク代表となった外山憲治さん(38)は「薬物依存は競争社会の中でこれからも増え続けて行くでしょう。でもこの病気は必ず治る。克服するための受け皿さえあれば」と話す。
 ダルクは募金によって運営されており、後援会員を募集している。21日午後6時からは同市昭和区の南山学園講堂でチャリティーコンサートもある。入場料大人1000円。
 問い合わせは、名古屋市北区長田町4ノ67、ダルク(052−915−7284)へ。



1989年7月6日 朝刊 2外
◆オチョア将軍らに死刑求刑 麻薬密輸事件でキューバ軍事法廷


 【サンパウロ5日=小里特派員】キューバで、国防次官のオチョア将軍ら軍、内務省の高官らが麻薬密輸にかかわった疑いで逮捕された事件で、14人が軍事法廷で大逆罪に問われ、同将軍ら7人が5日までに死刑を求刑された。キューバ軍の英雄オチョア将軍が革命30年で最大の汚職事件に巻き込まれたことは、同国内外でさまざまな憶測を呼んでいる。
                
 オチョア将軍(逮捕後、一切の称号、階級、地位をはく奪された)らは6月半ば、腐敗を理由に逮捕された。共産党機関紙グランマによると、コロンビアの麻薬組織メデリン・カルテルが3年間に15回、キューバを経由して計6トンのコカインを米国に密輸するのを助け、340万ドル受け取ったほか、砂糖、ダイヤモンド、象牙(ぞうげ)などを密輸していた。反革命活動をした証拠はないという。
 オチョア将軍は、カストロ兄弟らが率いる反バチスタ独裁政権のゲリラに加わり、革命後はエチオピア派遣軍、ニカラグア軍事顧問、アンゴラ派遣軍の最高責任者を務めた輝かしい経歴を持つ。84年には過去5人しか受賞していない軍人の最高栄誉「共和国英雄」の称号を与えられ、共産党中央委員会のメンバーでもあった。
 カストロ首相は最近、行政の腐敗・非能率・官僚主義の弊害が目立つとして、ソ連のペレストロイカ(改革)とは対照的に、自由化を排し中央集権化と革命精神の高揚で生産性の向上を目指す「矯正」路線を打ち出した。
 そうした中で、オチョア将軍らには銃殺刑が適用される見通しと伝えられる。軍高官の腐敗に対し「真の革命はいかなる人物にも免責を許さない」(カストロ国防相)として断固とした姿勢を貫くことで、革命を推し進める決意を内外に示そうとしているといえる。
 だが、パナマの最高実力者ノリエガ将軍の麻薬密輸容疑に関係して去年2月、パナマ高官は「カストロ首相が84年にノリエガ将軍とメデリン・カルテルの調停をした」と証言(同首相は否定)している。
 このためカストロ首相がこの事件をまったく知らなかったのは不自然とみて、オチョア氏追放は、体制内でなんらかの権力闘争が起きた結果だと推測する声が米国などにある。その1つが軍内部の対立説で、アンゴラからのキューバ軍撤兵をめぐり、一部をナミビアに振り向けようとしたカストロ首相にオチョア将軍らが抵抗したとの観測だ。



1989年7月7日 夕刊 1社
◆被告が名古屋高裁に控訴 アベック殺人死刑判決 【名古屋】


 名古屋地裁で先月28日、少年としては10年ぶりに死刑判決を受けた「アベック殺人事件」の主犯の名古屋市港区、とび職A(20)=犯行時19歳=は7日、判決を不服として名古屋高裁に控訴した。
 ほかの5人は控訴するかどうか態度をまだ明らかにしていない。



1989年7月7日 朝刊 1総
◆中国「戒厳令、長引きそう」 対外修復は模索中 一時帰国の中島大使


 一時帰国中の中島敏次郎中国大使は6日、朝日新聞などのインタビューで、北京・天安門広場での武力制圧から1カ月間の中国情勢や、日本の今後の対中政策などについて語った。この中で、日本が中国の改革・開放の努力を支持する立場から経済制裁などに慎重な姿勢を示していることについて、北京で中国当局者と接触した感触として「日本の態度を中国側は十分評価している」と述べた。ただ、北京市内の情勢については「戒厳令が簡単に解除されることはない」との見通しを明らかにして、日本政府が出した、日本人旅行者の中国渡航の自粛と中国滞留邦人の退去を求めた、それぞれの勧告を解除するのは尚早と判断していることを示した。
 中島大使は、パリ近郊で開かれる主要先進国首脳会議(サミット)で中国問題が重要なテーマになることから、宇野首相、三塚外相らに直接、中国情勢を報告するため2日に帰国した。
 インタビューで中島大使は、中国情勢について、先月24日までに中国共産党の第13期中央委員会第4回全体会議(4中全会)が開かれ、新指導部が選出されたことで「学生らの民主化要求運動から始まった2カ月間の混乱は政治的に一応収拾された」との認識を示した。また、4中全会コミュニケで改革・開放路線は変わらないとしていることから、「中国にとって経済建設を進めるのが重要な国家目標であることに変わりない」との見方も示した。
 そのうえで大使は、武力制圧に対する西側諸国の批判に対し「中国当局は、外圧に屈しない、との強い態度を取っているものの、メンツを失うことなく西側全体との協力関係を修復したい気持ちがある」と述べ、中国政府として修復の道を模索している状況にあるとの見方を示した。
 また、これに関連して、大使は「日本は中国が近代化政策を追求することがアジア・太平洋の安定にとって重要と考え、中国の近代化政策を支持してきたが、そうした日本の中、長期的な観点に立った態度を、中国も心の中では十分評価している」との見方を示した。また、サミットでも、西側諸国は人道上の問題は批判しつつも「中国が近代化政策を追求するなら西側も協力する用意があることを、サミットを通じメッセージを送るべきだ」との考えを示した。
 さらに大使は、最近は中国当局が労働者らの死刑を執行して「見せしめ」にすることがなくなっていることを挙げ、「中国指導部の(国際世論に対する)ひそかな配慮が感じられる」とも述べたが、民主化運動のリーダーらの摘発が続いていることなどから「戒厳令が簡単に解けることはない、というのが中国人社会や北京の外交団の間での観測だ」と述べた。



1989年7月7日 朝刊 1総
◆中国問題は特別声明で パリサミット、外務省首脳が見通し


 外務省首脳は6日夜、14日からパリ近郊のアルシュで開かれる主要先進国首脳会議(サミット)での政治討議の最大の焦点となるとみられる中国問題の取り扱いについて、政治宣言として採択される人権についての宣言とは切り離した別の特別声明(宣言)を発表することになる、との見通しを明らかにした。また、これに関連して同省幹部は「人道上の観点からの非難はするが、制裁を伴うようなものにはならないのではないか」と述べ、日本の主張が採り入れられた形で経済制裁などを伴わない非難の内容で参加国の合意が得られるとの見通しを示した。
    
 サミットに関する参加各国のこれまでの非公式協議で、「人権」については、フランスが「1789年のフランス革命時の人権宣言に匹敵する高い理念を掲げたものに」と主張し、人権に関する各種の宣言を踏まえ、人権尊重を改めて高らかに宣言する方向が固まっている。さらに欧州各国は、この中で、民主化運動を武力弾圧し、国際世論に抗した形で死刑を強行した中国政府に対し「非難」「制裁」を盛り込むべきだ、との基本的立場をとってきた。
 これに対し、日本は「東西間の信頼関係を醸成していくためにも人権尊重に基づく社会の開放、民主化を進めていくことが不可欠」との考えを盛り込むことを求めながらも、経済制裁などをちらつかせて中国に圧力をかけることは「中国をいたずらに刺激し、逆効果になる」との立場で、米国や英国に同調を働きかけてきた。
 先の三塚外相の訪米によるベーカー米国務長官との会談の際にも、やはり経済的な実質制裁には慎重な米側から理解を取りつけ、日米が「中国を国際的な孤立化に追い込まない」ことを確認し合っている。
 外務省首脳や幹部のこの日の発言は、こうした非公式な働きかけによって、日本の主張がほぼ入れられつつある、との見通しを示したものだ。外務省首脳は「フランスが主張してきた人権宣言は、中国問題とは切り離した、もっと大きな観点からのものになるようだ」と述べるとともに、中国問題については特別声明(宣言)の形でまとめられる見通しを示した。
 宣言、声明とも参加国の合意にもとづいて作成されることでは同じ重みを持ち、アピール効果を考慮してその時々で使い分けられている。しかし、人権宣言は今度のサミットの看板であり、その中に中国問題を盛り込むことは、中国を刺激し、孤立化に追い込む懸念がある。従って人権宣言と切り離して特別声明(宣言)を出すことによって批判の調子を弱めようとの狙いがある。
 外務省幹部もこの関連で、中国に対して人道上の非難などはこの声明の中に盛り込むものの、制裁を伴うような内容を打ち出すことは避ける方向で参加国の間でほぼ合意が得られつつある、との現時点の見通しを示したものだ。
 サミットに向けては事務レベルの協議が今週末にもパリで開かれる予定だ。日米両国と同様経済的な制裁に慎重な姿を示している英国以外のフランス、西独、イタリアなどにはなお、何らかの形の制裁的要素を盛り込むべきだ、との強い声があるといわれ、外務省首脳らの見通しにもかかわらず、なお流動的な要素も残っている。



1989年7月8日 夕刊 2総
◆「英雄」の元将軍、密輸で死刑判決 キューバ


 【サンパウロ7日=小里特派員】キューバからの報道によると、コロンビアの麻薬密輸組織メデリン・カルテルと関係していたとして反逆罪に問われたキューバの元「共和国英雄」のオチョア元将軍ら4人に対し軍事法廷は7日、死刑判決を言い渡した。また他の共犯者10人に対しては10−30年の禁固を言い渡した。
 オチョア元将軍らは先月中旬に逮捕され、同法廷では密輸で得たドルは「国の観光事業を進めるため、ホテル建設などに投資していた」と釈明していた。



1989年7月8日 夕刊 1社
◆金賢姫の情状酌量を求める 控訴審初公判で弁護側 ソウル高裁


 【ソウル8日=波佐場特派員】大韓航空機事件で、1審のソウル地裁で死刑判決を受けた金賢姫=キム・ヒョンヒ=被告(27)に対する控訴審の第1回公判が8日午前10時から、ソウル高裁で開かれ、検察側は1審通り死刑を求刑し、結審した。この日の控訴審の中で、弁護人側は(1)金被告の犯行は「北」の指令にもとづいて行われたもので、立場上拒否できる状況にはなかった(2)犯行を、深く悔いている−−などと情状の酌量だけを求め、犯罪事実については争わなかった。金被告は、裁判長が現在の心境を聞いたのに対し、「遺族に申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と消えいるような声で答えた。次回22日に判決公判が開かれる。
 金被告は1審のころと比べて、若干やつれたような表情だった。



1989年7月8日 朝刊 1社
◆死刑判決の被告少年が控訴 名古屋のアベック殺人


 名古屋地裁で先月28日、少年としては10年ぶりに死刑判決を受けた「アベック殺人事件」の主犯の名古屋市港区、とび職A(20)=犯行時19歳=は7日、判決を不服として名古屋高裁に控訴した。
 ほかの5人は控訴するかどうか態度をまだ明らかにしていない。



1989年7月11日 夕刊 文化
◆「脱革命」の時代(近代のゆくえ フランス革命200年:5)


 人権尊重し個人主義を評価 「大きな理想の物語」を失い
    
 フランス革命200年といっても今のフランスの精神状況はさめていると多くの日本の研究者はいう。渡辺守章東大教授は革命を信じていたのはサルトルまでと話す。ソ連の収容所列島化、5月革命の挫折、中国の文化大革命の失敗、カンボジアのポル・ポトの大虐殺、ホメイニのイスラム革命……社会主義革命とコミュニズムに対する「大きな理想の物語」が失われたことが脱革命の風潮を広めている。
 西永良成東京外語大助教授はいう。「E・モランのいうようにこれまでフランス革命の未来はロシア革命とみられてきた。だが70年代以後はロシア革命の未来がフランス革命となった。デモクラシーがコミュニズムの未来というわけだ。だからいま若者たちは、ボートピープルを救おうとか、なりたい職業は国境なき医師団のメンバーとか、日常のところで人権を社会参加の柱にしようとしている。人権はブルジョア的・形式的なものでなくそれ自体に価値があるという考え方だ」
 “新哲学派”といわれたA・グリュックスマンは、70年代によき権力とよき国家とをもたらすことを絶対目的としてきた“革命”と別れ、人権尊重を戦争(闘争)万能主義に反対する最良の立場とみた。戦争、破壊、強制収容所的地獄、憎悪、権威主義といった普遍的悪のメンタリティーを飼いならしていくのは、個人の倫理的生き方しかないというのだ。
    * * *
 晩年に左翼と急進主義に絶望したサルトルが見いだしたのは、個人的な同志意識、友愛、倫理だったと西永氏はいう。M・フーコーも「モラルと美」に希望を最後に見いだしたとも指摘していた。
 蓮実重彦東大教授は第2次大戦後のフランス精神をこう分ける。1940−50年代は実存主義の時代。6、70年代は構造主義、システムの時代。そして80年代は個人主義の時代というのである。確かに80年代になってフランスでは大出版社を中心に個人主義に関する著作(例えばリポヴェツキー「空虚な時代」)がいくつも出版されている。
 海老坂武一橋大教授は、80年代に入って5月革命の評価がそれまでの直接民主主義、対抗文化、文化革命運動というのから、突如、運動全体を“個人主義”思想の展開であったという議論が押し出されてきたという。だが、こうしたバリケードの上での“エゴのコミューン”という個人主義の肯定的評価は、同時に80年代のフランス社会の否定面もあらわしている。
 「政治への無関心と私的生活への閉じこもり、瞬間的快楽への没入、大きな世界への好奇心の欠如、イデオロギーの拒否と宗教ブーム、精神的、肉体的健康への関心といったフィンケルクロートのいう西欧の“自律的個人”でなく消費社会で原子化された“ナルシス的個人”がフランス社会にも増加したあらわれだ」という。
 70年代以後の消費社会の進行や80年代のテクノクラシー社会主義が、いま革命からもっとも遠いパリといった状況を作り出している−−というのが日本のフランス研究者の大方の見方だった。
    * * *
 同時にフランス革命のもつ流血粛清という革命の恐怖政治(テロル)に対するさめた目もある。作家のP・ソレルスは、革命をテロルから考え、ジャコバン独裁の権力者サン・ジュストの演説を分析し、その徹底的な非カトリック化による新しい宗教を作る考え方と理想のなかに、死のイメージがあり、テロルは“死の宗教”のおもむきがあったと述べている。
 日本でもフランス文学者の小西嘉幸氏はこう述べている。「ロベスピエールやサン・ジュストのテロルにしても、啓蒙的理性、つまり光を遍在させることで個別利害の影や窪みの部分を一掃して、社会を完全に透明で可視的にするというラジカルな試みが、まさに王の首、王という首を切り落して自律化した社会的現実の深部の不可視性を露出させてしまって、恐怖と死と闇を呼び寄せることになる」(「現代思想88年11月号」)
 だが他方、遅塚忠躬東大教授のように革命期のテロルが、93年憲法の社会の目的は共同の幸福にあるという“革命的理想主義”に支えられており、そのために敵対する勢力の排除を目的としていたので、全体主義のテロルとは根本的に違うという意見もあった。
 脱革命の時代は、果たして“革命の消滅”につながるのだろうか。海老坂氏は、フランス革命は“未完の人権革命”だという。革命から200年のあいだに、女性参政権、死刑廃止、移民労働者の人権についての運動は続いてきた。血統に価値を置かず、特権的な人間を作らないという共和派の思想は200年後も、日本では理想になり得る。
 (西島建男記者)
 =おわり



1989年7月11日 朝刊 3総
◆麻薬の密輸で革命の英雄に死刑判決、揺れるキューバ(時時刻刻)


 キューバ最高の栄誉「共和国英雄」に輝いたアルナルド・オチョア前将軍(57)をはじめ4人が軍事法廷で7日、銃殺刑の判決を、女性1人を含む10人の元軍人が30年−10年の禁固刑を言い渡された。国際的な麻薬組織の密輸に手を貸すなどして国家への裏切り行為をしたためだ。今年でちょうど30年の歳月を刻んだ革命の歴史の中で、最悪の汚職事件となった。フィデル(首相)、ラウル(国防相)のカストロ兄弟が一貫して実権を握り、革命精神を純化することで社会主義の建設を目指すカリブ海の“異端の国”が足元から揺れている。(サンパウロ=小里仁特派員)
     
 先月27日夜、国営テレビは法廷で目を伏せる軍服姿の将軍(その後、軍・党から追放、称号もはく奪された)を映し出していた。「私は自分を裏切った。もう生きていても仕方がない。……ただ1つ気掛かりなのは、自分が裏切った革命の評価がどうなるかです。……銃殺刑の判決が出されたら、その時、私が最後に考えるのは、フィデルと彼がわが人民に与えてくれた偉大なる革命についてです」。その前日に開かれた軍事法廷は、かつての仲間、47人の軍高官が裁判官として立ち会い、大逆罪で正式に軍事裁判にかけるべきだ、と勧告していた。
 カストロ兄弟らが率いる反バチスタ独裁のゲリラに加わったオチョア将軍は革命後、日の当たる道を歩いてきた。エチオピア、アンゴラへ出兵したキューバ軍の司令官、ニカラグア軍事顧問団長を務め、84年にはこれまで5人しか受けたことのない最高の称号「共和国英雄」を受けた。親友のラウル・カストロ国防相を支える国防次官の1人で、共産党中央委員会のメンバーでもあった。
 事件はその2週間前、将軍ら7人の突然の逮捕で始まった。「腐敗」「砂糖の密輸」が理由とされた。数日して共産党機関紙グランマは、コロンビアを拠点とする世界最大のコカイン密輸組織「メデリン・カルテル」との関係を暴露した。
 調べによると、87年から今年の初めにかけて15回、国内の空軍基地や領海内を利用させて米国への密輸を助け、見返りに340万ドル受け取っていた。また、アンゴラでぞうげ、ダイヤモンドの密輸、キューバからのガソリンなどをやみ市場に流して私腹をこやした。アンゴラの密林に高級木材を使って豪華な邸宅を造らせていた。当局はパナマにあるオチョア将軍の口座を差し押さえるなどして120万ドル、乗用車、武器186丁を没収した。
 米政府は以前から、キューバを経由して同カルテルのコカインが米国に流れ込んでいる、と非難を浴びせてきたが、カストロ首相は「米国の陰謀だ」と色をなして反ばくしてきた。それが一転、こともあろうに、キューバの「英雄」が取り仕切っていたことが判明したというのだ。メンツを失った政府は、内相を管理不行き届きを理由に解任、カストロ兄弟に次ぐナンバー3のコロメ将軍を据えて立て直しを誓った。
 正式の軍事裁判で将軍や副官のほか、内務省の情報部門の責任者アントニオ・デラグアルディア大佐らの被告たちは「祖国や人民、革命を裏切り、カストロ首相への信頼を失わせた」「米国、メキシコ、コロンビア、パナマ、アンゴラなどの国々への敵対行為を働いた」と断罪された。
 しかし、海の向こうの米国は事件を別の見方でとらえている。キッシンジャー元米国務長官は最近、「カストロ首相は潜在的な政敵を排除するために、麻薬事件を利用した」と論評した。スキャンダルに名を借りた権力争いではないか、というのだ。キューバ側は「腐敗はあったが、将軍に反革命の動きはなかった」とこれを否定。しかし、主人公があまりにも大物だけに、疑いはなかなか晴れない。
 革命直後から米国の断交に遭って、経済的にはキューバは慢性的に外貨不足に悩まされている。ソ連に主力産品の砂糖を国際市場の4倍(西側の推定)もの高値で買ってもらい、逆に割安でソ連などから輸入した石油を再輸出して外貨を稼ぐ構造だが、砂糖生産の伸び悩み、石油価格の低迷で外貨は入ってこない。
 将軍は「密輸で得た金は、政府が外貨を稼ぐため推進しているホテル建設などの観光に投資した」と釈明した。将軍と一緒に麻薬に手を染めていた内務省の情報部門は、米国の禁輸措置の網をくぐってパナマなどを経由して西側の医療機器、コンピューターなどの先端機器を密輸入するのが本来の業務であることが、裁判で明るみに出た。
 軍事最高裁は9日、被告の上告を退けた。最高機関の国家評議会(議長・カストロ首相)は10日午前、全員一致で判決を支持、4人の銃殺が決まった。



1989年7月11日 朝刊 1社
◆少年3人、ビデオ見てウサギ惨殺 「残酷、まねしたかった」 厚木


 神奈川県厚木市内の2つの小学校校庭で飼われていたウサギ11匹とチャボ2羽を次々にプールの水中などに投げ込んで殺していた同市在住の少年3人が10日までに、器物損壊と動物保護・管理に関する法律違反の疑いで県警少年課と厚木署に逮捕され、横浜地検小田原支部に送検された。少年らは「残酷な場面だけを集めたビデオを見て、一度まねしたいと思っていた」などと供述しているという。ビデオ専門店の話では、いわゆる「残酷ビデオ」は20種類以上あり、ここ数年、若者らがよく借り出している。貸し出しの際、年齢制限などもしておらず、これらのビデオが少年たちに及ぼす影響も改めて問題になりそうだ。
        
 送検されたのは、厚木市内に住む18歳と15歳の無職少年、18歳の土木作業員の3人。
 調べによると3人は、5月31日午後8時ごろ、市立厚木第2小学校の校庭すみにある鉄骨造りの飼育舎(約26平方メートル)に、入り口のドアのすき間から入り込み、中にいた親子のウサギ計5匹を外へ持ち出した。うち4匹は足をしばり、振り回して同校のプールの水に投げ込み、他の1匹も校外に持ち出し、水を張ったバケツの中に入れ、殺した疑い。
 残酷な行為が表面化したのは翌朝で、同校のプールに、ウサギが浮いているのを近所の人が見つけ、学校に連絡したのがきっかけ。届けを受けた厚木署で調べたところ、同校だけでなく、市内の住宅街にある緑ケ丘小学校でも、校庭近くにある飼育舎(6.6平方メートル)から、5月上−中旬ごろ、親子のウサギ6匹とチャボ2羽が持ち出され、池の中などで死んでいるのが見つかっていたことがわかった。
 同署で捜査を進め、両校や緑ケ丘児童館周辺でいつも遊んでいる少年グループがいることが明らかとなり、6月末、無職の少年(18)を呼んで事情を聴いたところ犯行を自供した。犯行の手口が残酷で、社会的な影響が大きいとして、同署は3人を逮捕した。3人は小学生のころから一緒に市内のゲームセンターなどに出入りしていた。
 調べに対し、主犯格の無職少年は「家にいても怒られるばかりで面白くなかった。約2年前、市内のビデオ店で、国内外の映画から残酷な場面だけを集めて編集したビデオ、『ザ・ショック』を借り出し、見たときから、一度残酷なことをしてみたいと思っていた」などと話しているという。
 横浜市内のあるビデオ店の話では、いわゆる「残酷ビデオ」は同店にも30本近く置いてあり、若者を中心によく貸し出されている。国内外の恐怖映画の場面をつなぎ合わせて編集したもののほか、ビデオ用に製作されたものもあるという。内容は、災害の犠牲者や死刑を執行される囚人、動物の解剖などをとり上げたケースが多いとも。「アダルトビデオと違って貸し出しの年齢制限はなく、小、中学生の場合でも、求めがあれば応じているのが実情」と店側では説明している。
 厚木第2小学校のウサギは、3年生の5クラス187人が数人ずつグループになり、春、夏、冬の休みも、1日も欠かさず世話してきた。近所の八百屋などから野菜くずなどももらい、大事に育ててきただけに、ウサギが死んだことを知って、泣き出す子どもたちもいたという。馬渡賢治校長は「あまりにも殺し方がひどいので、子どもたちには、本当のことを告げることはできなかった。残念でなりません」といっている。
                
 ○何が現実かの感覚を見失う
 社会評論家赤塚行雄さんの話 小学校低学年のころに、トンボの羽をむしったり、尾を半分切ったりしておもしろがり、そしてすぐにそれが「残酷」なことであると学んだものだ。普通は15歳くらいまでの成長の過程で「抑制力」が身につくものだが、いろいろな社会環境の変化で、抑制力を失い、「生」の感覚がゆがんだ少年が育ってきたのかも知れない。ビデオを見たり、テレビゲームをする中で、何が現実かの感覚が後退していってしまったのだろう。



1989年7月12日 朝刊 1総
◆ウサギは泣いている(天声人語)


 ぼくはウサギです。ぼくたちの世界を、いま悲しい知らせが通り抜けました。神奈川県厚木市の小学校で飼われていた仲間11匹が、少年3人に惨殺されたというのです▼足をしばってプールに投げ込んだり、水を張ったバケツに突っ込んだりしたそうです。苦しかったことでしょう。先月、鹿児島県根占町の小学校では、やはり飼われていた子ウサギ6匹がひどい目にあいました。教頭さんが「えさが足りないから」と生き埋めにしたのだそうです。いま全国で、目を真っ赤にして仲間が追悼の会を開いています▼といっても、とくに今だけが受難の時だというわけではありません。ついこの間も福岡県遠賀町の小学校で仲間26匹が皆殺しにあいました。去年、埼玉県坂戸市の幼稚園で起きた事件では、仲間4匹が無残な最期をとげました。地面にたたきつけられたり、ひもで首をしめられたり。みんな人間のいたずららしいのです▼そうでなくとも今は大変な時期で、住みにくくなってます。イタリアの仲間は、チェルノブイリの事故で汚染された草を食べたというので何万匹も処分されました。日本でも農薬にはよほど気をつけないと、とぼくたち注意しています。むろん、いちばん危険なのは人間です。ぼくたちを食べる人もいるし残酷な人も多い。それは十分に承知しています▼人間同士で惨殺するのですものね。綱引きのように首をしめた名古屋の「アベック殺人事件」など、ぼくたちも判決に耳を立てました。死刑でした。残酷なビデオを見て「まねしたかった」と厚木の少年は言っているそうです。フランスでは子どもに見せぬよう、暴力と性を扱ったテレビ番組を夜10時半まで禁止しました▼残酷さの原因は知りません。残酷でなく、友だちになってくれる人も多いので希望は捨てていません。もう少し、ぼくたちの世界への想像力と愛情を、と願うだけです。ご存じですか。ぼくたちには涙腺がない。涙もかれました。



1989年7月12日 朝刊 3総
◆かわら長助さん 死刑反対を上方漫才風喜劇で訴える(ひと)【大阪】


 なんとも奇想天外な喜劇を仕立て上げた。題して「絞められて殺されて」。
 囚人服の上にかみしもをつけた死刑囚が4人。花柄の背広を着た司会役(これも囚人)が、クイズを出す。
 「シンデレラの死因は?」
 かみしも男が答える。
 「靴ずれ」
 上方漫才のギャグで描いたこの劇は、大阪・ミナミの小劇場で先月上演され、約400人の観客をわかせた。「ある国」の拘置所が舞台で、死刑囚と所長が「死刑記念日」を祝うという設定だ。
 死刑廃止を求める市民運動グループ「かたつむりの会」から頼まれ、脚本、演出、演技指導を引き受けた。自らも司会の囚人役で出演した。
 「こんな集会のやり方もあるんやでと、世間に向かって花火を打ち上げたつもり」
 吉本興業の漫才台本やテレビ番組「抱腹Z」を手がける放送作家。大学の落語研究会(オチ研)のころから、お笑い一筋。そのかたわら、雑誌『思想の科学』を愛読する友人の影響で、死刑や冤罪(えんざい)の問題に関心を持った。
 これまでにも、死刑をテーマにお笑い劇を2作書き、仕事仲間の漫才師らと自主上演したことがある。40万と100万円の赤字を出した。
 「死刑囚に俳句や哲学を学ばせ、教戒師が説教して人格を高め、立派な人間に改造した果てに、殺してしまう−−現実の死刑こそギャグそのものやないですか」
 「絞められて…」の台本に書いた「ヒ素ミルクで確実な死をお約束」などの表現では、かたつむりの会に「問題だ」と指摘され、深夜まで議論を重ねた。「弱い者をあざ笑うのは絶対いけない。けれど、何でも笑いとばせるしたたかさ、冷静さも、大事です」
 (伊藤景子記者)
      
 かわら・ちょうすけ 本名・長川原繁。岐阜県萩原町生まれ。岐阜大教育学部中退。アルバイトをしながら漫才作家をめざした。80年ごろの漫才ブームで数多くのヒット作を書いた。39歳。



1989年7月12日 朝刊 2社
◆共犯の被告も控訴 名古屋のアベック殺人 【名古屋】


 「アベック殺人事件」の共犯として、先月28日、名古屋地裁で懲役17年の判決を受けた名古屋市中村区本陣通5丁目、暴力団員高志健一被告(21)は11日、「判決には事実誤認があり、量刑が重すぎる」として名古屋高裁に控訴した。被告6人のうち、控訴したのは、死刑判決を受けた同市港区、とび職A被告(20)=犯行時19歳=に次いで2人目。
 一方、検察側は高志被告について、求刑通りの無期懲役が相当として、控訴期限の12日に控訴する方針。



1989年7月13日 夕刊 2総
◆免田栄さん 死刑廃止、全国回り体験的訴え(人きのうきょう)


 アムネスティ・インタナショナルによる「死刑廃止キャンペーン89」の一環として、6年前に死刑囚から再審無罪となった免田栄さん(63)が、16日までの予定で全国講演キャラバンを続けている。
 「えん罪を訴えながら、死刑を執行されて行く人もいた。人が人を裁くのに、完全はないと思うんですよ」。誤判の面からの死刑廃止論は体験的なものだ。
 100人規模の講演の積み重ね。聴衆からは被害者感情をどう考えるか、の質問が目立つ。
 「日本人は、『私』の犯罪は厳しく非難するが、一方で『公』の犯罪には弱い。戦争がいい例です」
 最近では、有名落語家による「やってねえわけねえんだ」発言まで飛び出した。名古屋地裁の少年死刑判決も、それほど大きな論議にはなっていない。
 「一方的に被疑者だけを責め、国民の感情をかきたてる報道のあり方も問題です。終戦後40年たっても、司法も、日本人も変わらない。だから、私は悩むんです」
 講演の旅は6月28日の兵庫県姫路市から京都、大阪、名古屋、浜松と、北上を続けており、16日の仙台市での講演で、計13カ所、19日間の日程を終える。



1989年7月13日 朝刊 千葉
◆10の質問(主な候補者に聞く 89参院選千葉選挙区:7)


 ●10の質問
 (1)子供のころ、あこがれた職業は
 (2)尊敬する政治家は
 (3)最近読んで印象に残った本は
 (4)自分の欠点は
 (5)自分の長所は
 (6)モントリオール議定書でフロン全廃をめざすのは何年か(2000年)
 (7)ロードショー映画館の入場料金は(1600円) 標準価格米10キロの値段は(3760円)
 (8)「DINKS」の意味は(共稼ぎで子供のいない夫婦)
 (9)リクルートの江副浩正前会長にひとこと
 (10)もしあなたが首相なら、中国にどんな態度を取りますか
   *    *    *
 (届け出順、カッコ内は推薦の政党)
                                    
      
 ○糸久八重子氏 (57) 社前(社民・サラ)
 (1)医者。家伝の薬などがあり、関心をもっていたので。
 (2)加瀬完。県教組出身で30年間、参院議員だった。
 (3)読む暇がないが、「ダイヤモンドダスト」は読んだ。
 (4)いろいろあるけど。そそっかしいし、気が多い。
 (5)まじめ。頼まれると何とかやらなきゃと思って。
 (6)う〜ん。詳しくないけど……。1995年くらい。
 (7)1500円。「レインマン」を見たい。米は姉から来るので。
 (8)よくわからない。
 (9)あなた、大変なことをしてくれましたね。
 (10)「日中間の友好にひびが入る」ときちんと伝える。
     
 ○倉田寛之氏 (51) 自前
 (1)小学生のときはパイロット。消防士にもあこがれた。
 (2)県議だった父親。厳しい人だったが、影響を受けた。
 (3)最近は読む暇がない。三国志や太平記は何度も読んだな。
 (4)自分の意思と違うことがあると、短気な面が出てしまう。
 (5)我慢強く、一つ一つ丁寧にやること。
 (6)何年までかな。通産政務次官のころはよく勉強したんだが。
 (7)ラストエンペラーを見た。1300円かな。米は4000円前後。
 (8)夫婦であって夫婦でないような関係、といった意味では。
 (9)金ですべてを握ろうとした。非常にけしからん人だ。
 (10)残念で不幸なこと。でも国家に対する干渉になるから……。
     
 ○上田不二夫氏 (56) 無新
 (1)検事、医者、大学教授。できるなら今でも兼業したい。
 (2)吉田茂、とでもしておこう。
 (3)仙台刑務所に入っていた元死刑囚の体験記。題名は忘れた。
 (4)怒りっぽいところ。性格が激情型ですから。
 (5)温かい心で是々非々を貫き通す。不正は絶対に認めない。
 (6)環境問題にも関心はあるのだが、知らない。
 (7)4000円ぐらい。米は知らない。外食がほとんど。
 (8)さあ。何のことでしょうか。
 (9)有能だが方法を誤った。成り上がり根性が災いした。
 (10)裁判の方法に正義が感じられない。経済制裁を検討する。
     
 ○小田桐朋子氏 (33) 諸新
 (1)担任の女性教師の影響で、教師。または弁護士。
 (2)緑の党の対馬テツ子党首。学生時代に知り合った。
 (3)緑の党でよく読まれている「太陽への道」。
 (4)こうと思ったら自分の考えを他人に押しつけてしまう。
 (5)突き進んでいくところ。
 (6)わかりません。
 (7)2000円くらい。米は3500円といくらか。
 (8)わかりません。
 (9)金をばらまいて政治を動かすのは良くない。
 (10)内政問題だから、中国の内部で解決すべきことだ。
     
 ○板垣英憲氏 (42) 太新
 (1)新聞記者。中学のときテレビドラマ「事件記者」を見て。
 (2)ワシントン。大統領を1期でやめたのが潔い。
 (3)「大国の興亡」。日本国家の衰亡のきざしを感じた。
 (4)物事にこだわりすぎて、何事にもしつこい。
 (5)いやなことは、すぐに忘れてしまう。
 (6)以前に論文を書いたことがあるんだが。1992年ごろ。
 (7)1500円かな。最近見てないから。米は1200円ぐらい。
 (8)ジンクスじゃなくてディンクス? 聞いたことない。
 (9)悪をして善をなした功労者。政治改革の原点になった。
 (10)弾圧中止を要請する。でも制裁や亡命受け入れは難しい。
                                    
      
 ○石井正二氏 (44) 無新(共)
 (1)探検家か宇宙飛行士。「鉄腕アトム」の世代ですから。
 (2)元京都府知事蜷川虎三。しっかりした骨組みを持っていた。
 (3)稲の起源をたどった「稲の道」。生活の歴史に興味ある。
 (4)引っ込み思案と言われる。選挙出馬を聞いて仲間が驚いた。
 (5)昔の恩師が「正ちゃんは正義漢だった」と手紙をくれた。
 (6)わからない。資料は集めているが、よく読んでいなくて。
 (7)2000円ぐらいかな。米は5000円。
 (8)(つづりを書いてみて……)共稼ぎで子供がない。
 (9)ったことを洗いざらい明らかにしてもらいたい。
 (10)断固抗議する。国際世論で包囲しなければならない。
                                    
      
 ○菅原道生氏 (38) 進新
 (1)テレビの特派員。海外に行けるというのが魅力だった。
 (2)田川誠一。自分の政治信念を貫き通すから。
 (3)鈴木牧之「北越雪譜」。雪に苦しむ農民の生活が印象的。
 (4)整理整とんがダメ。典型的なB型で、他人が気にならない。
 (5)明朗で、腹を立てない。
 (6)うっかりしてたね。うーん、1997年かな。
 (7)1500円か2000円。米は家から送って来るので、約2000円。
 (8)よく聞くんだけど。意味はわからない。
 (9)あなたのお陰で、日本中が政治に目覚めた。ありがとう。
 (10)ニューヨーク市長が言った「シェイム(恥)」と同感。



1989年7月14日 朝刊 1外
◆麻薬密輸事件で死刑判決のオチョア元将軍処刑 キューバ 


 【サンパウロ13日=小里特派員】キューバからの報道によると、国際麻薬組織の密輸にかかわって国家を裏切ったとして軍事法廷で銃殺刑の判決を言い渡された革命の英雄、アルナルド・オチョア元将軍(57)ら4人は13日、夜明けとともに銃殺隊により処刑された。
 革命30年の歴史の中で最大の政治的衝撃を与えた事件となったが、現地の外交筋の間ではともに革命で戦ったカストロ国家評議会議長が4人を終身刑に減刑するのではないかとの観測が流れ、またローマ法王やアムネスティ・インタナショナルなどが寛大な処置を訴えていた。
 しかし同議長は「内外に甚大な影響を与えた深刻な事件であり、減刑は免責の印象を与えることになる」として、減刑を認めず、軍の規律を最優先する立場を明らかにした。



1989年7月14日
◆処刑などの報道減ったが… 宣伝消えても死刑執行続く 中国


 【北京13日=斧特派員】13日北京に届いた情報によると、中国・四川省の成都で、民主化要求運動に参加した男性2人が8日、死刑を執行された。6月の「暴乱鎮圧」直後の見せしめ処刑以後、処刑についての報道は少なくなっており、一部には「国際世論に配慮して自制しているのでは」との見方も出ていたが、大々的な宣伝がなくなっただけで、関係者の捜索、逮捕とともに、裁判や処刑は各地で続いているようだ。
 13日北京に到着した四川日報(9日付)によると、6月初め四川省成都で起きた騒動で、焼き打ちなどに加わった若者2人に今月1日、1審で死刑の判決、8日に執行された。別の4人のうち1人に死刑(執行は2年間猶予)、3人に無期懲役の判決が確定している。
 他の地方紙から拾った関係記事によると−−。
 ▽遼寧省瀋陽の遼寧大学歴史科に盗みに入り、陳列棚から文物70件を盗んだ2人に今月3日、瀋陽で死刑執行(9日付遼寧日報)
 ▽吉林省長春で殺人、放火、婦女暴行、強盗など重大犯罪人159人の公開判決言い渡し大会を6月29日に開き、うち16人に死刑判決(4日付吉林日報)
 ▽新疆ウイグル自治区バーチュー県の労働者、謝旺泉(24)と羅志強(21)の2人は「6・4事件」にからみ「デマを流した」かどでバーチュー公安局に4日つかまった(6日付新疆日報)



1989年7月16日 朝刊 3総
◆中国問題で日本の経済力、無視できず アルシュ・サミット政治宣言


 【パリ15日=今西記者】「ひとつ間違えば、日本が袋だたきに遭う場面も」−−主要先進国首脳会議(サミット)に臨んだ宇野首相がもっとも気をもんでいたのが、中国問題に対する参加各国、なかでも欧州勢の反応だった。ところが、結果は、それほど激しい応酬もないまま、「中国が孤立化することを避けるよう期待」と、中国当局の対応を促す形で政治宣言での対中非難は全体として抑制の効いたものになったと首相一行は受け止めている。基本的には日米両国が組んだ“タッグマッチ”で米国が日本の立場を後押ししたのに加え、中国に厳しい姿勢を示していた欧州勢が、アジアの中で大きな位置を占める「経済大国ニッポン」の意向を尊重せざるを得ないと判断したことがその背景にある。
    
 「中国に関する宣言」で、中国への新たな制裁措置が回避されたことについて、外務省幹部は「日米間で事前の意見調整が終わっていた上に、欧州各国の首脳の間でもサミット参加7カ国のうちで中国の実情を一番良く知っているのは結局のところ日本、との見方で一致したのが大きい」と説明する。
 中国問題で日本政府の気のつかいようはたいへんなものだった。サミット出席に先立って三塚外相は、ベーカー米国務長官に対し、中国の孤立化はアジアの平和と安定に重大な障害をもたらすことを強調。中国通で知られるブッシュ米大統領も理解を示し、サミットでは東欧諸国の民主化推進を期待する米国の立場を日本が後押しするのと引き換えの形で、米国が中国への「慎重な配慮」を求める日本を真っ先にバックアップした。
 例えば関係者によると、東欧、中国問題を集中的に協議した14日夕の第1回外相会合で、三塚外相は先頭を切って米国の東欧支援を評価、資金協力を含めた「応分の協力」を表明した。続いて、中国問題に入ると、ベーカー米国務長官が「孤立を避ける」との日本の方針に賛成を表明。これにカナダ、英国、西独の順で次々と同調、異論なしで了承されたという。
 欧州各国にしてみれば、中国への日本の「生ぬるい」対応に不満は残しながらも、中国の民主化のためには経済改革が欠かせぬとの気持ちもあって、その経済力を背景にアジア世界で抜きん出た発言力を身につけてきた日本の意向を無視するわけにはいかなかったようだ。
 武力弾圧に対する国際世論の厳しい非難を浴びた中国当局だが、最近は労働者らの死刑を執行して「見せしめ」にするといったことがなくなるなど、西側全体との協力関係修復を模索しているふしがある。中国への厳しい非難の姿勢を崩していないフランスなど西欧各国も、こうした現状を踏まえて、中国自身に厳しく孤立化回避への対応を負わせる形での表現で、あえて日本などの主張に歩み寄った、という側面もありそうだ。
 経済大国から政治大国への脱皮を目指す日本は、昨年のトロント・サミットで「カンボジア問題」「フィリピンへの経済援助」「ソウル五輪の成功」などアジアの政治テーマを積極的に取り上げた。宇野首相は、サミット出席に先立って韓国の盧泰愚大統領に電話して、「アジア・太平洋の一員としての立場で臨みたい」と約束したが、中国問題ではその通りイニシアチブを発揮した。
 次々と日米間の懸案を片づけ、まさに政権の絶頂期にトロント・サミットに臨んだ竹下前首相と、もともと政権基盤が弱い上に逆風のただ中で外交的対応などほとんどできないままで出席した宇野首相。その立場には比較にならない開きがあったが、結果からすると、サミットでの2人の発言力に大きな差はなかった。裏返していえば、政権の安定度のいかんによらず、日本の経済力の大きさは無視できないものがあるといえる。
 ただ、日本がアジアの「盟主」然と振る舞い始めれば、近隣諸国の反発を招くことは必至。「アジアを代表してのサミット出席」という立場がこの先定着してくれば、その分、日本の国際社会での調整力が厳しく試されることにもなろう。



1989年7月17日 朝刊 茨城
◆再審の実現へ土浦で交流会 茨城・波崎の保険金殺人事件


 鹿島郡波崎町で昭和38年に起きた保険金殺人事件の富山常喜死刑囚の無実を訴え、再審請求運動をしている「波崎事件の再審をかちとる会」(世話人・吉田昇平さんら約20人)が16日、土浦市中央1丁目の亀城プラザで「波崎事件・土浦交流会」を開いた。
 この事件は、昭和38年8月26日午前零時半ごろ、富山死刑囚の内妻のいとこで、波崎町に住む農業石橋康雄さん(当時35)が、自宅から約1.3キロ離れた同死刑囚宅から帰宅した後、苦しみ出し、病院へ収容されたが死亡したもの。
 昭和48年の東京高裁判決によると、同死刑囚が保険金をだまし取ろうとして、石橋さんに600万円の生命保険をかけさせたあと、交通事故死にみせかけようと計画、立ち寄った石橋さんに青酸化合物入りのカプセルを飲ませた、とされている。
 同死刑囚は捜査段階から一貫して犯行を否認。青酸化合物の入手先がはっきりしないなど、決め手となる物証もない難事件とされていたが、1審の水戸地裁土浦支部は41年、石橋さんが死ぬ間際に「薬を飲まされた」「箱屋(同死刑囚の通称)にだまされた」などとしゃべったという妻の証言などから、死刑判決を下し、東京高裁、最高裁もこれを支持した。
 かちとる会では現在、部分的に判決の不合理を訴える第2次再審請求をおこしている。交流会には、かちとる会のメンバー、弁護士ら約20人が集まり意見交換をした。この事件を研究している元朝日新聞記者で当時事件の取材にあたった足立東さんは「捜査には自白も、裏付けとなる物証もない」とえん罪を主張した。



1989年7月18日 朝刊 1外
◆韓国、安企部の徐議員スパイ断定で引き締め強化へ 平民党は窮地に


 【ソウル17日=小田川特派員】韓国の第1野党、平民党の徐敬元議員の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)訪問事件が17日、国家安全企画部(安企部)によって「スパイ事件」として発表されたことは、韓国社会に大きな衝撃を与えている。国会議員が北朝鮮を利するスパイ罪に問われたのは69年の金圭南議員(死刑)のケース以来。この日の発表で、民主化闘争のリーダーを自認してきた平民党(金大中総裁)はさらに窮地に立たされた。与党民正党は利敵行為を取り締まる国家保安法の改正の白紙化を打ち出し、韓国政府は当面、引き締めを強める様相だ。ソウルでは、南北対話は一層後退を余儀なくされるとの見方が強い。
      
 韓国当局はこの間、徐議員、在野勢力指導者である文益煥牧師の訪朝、全国大学生代表者協議会代表の林秀卿さんの平壌での世界青年学生祭典参加を、野党、急進派の在野勢力、学生らの締めつけのテコにしてきた。17日の安企部発表はこうしたタイミングの中で「国会を舞台にしたスパイ事件」と決めつけたもので、衝撃は極めて大きい。
 検察当局は今後、平民党の金大中総裁、文牧師の実弟である文東煥前副総裁に対して、事件の参考人として事情聴取をするなど、同党に対する追及を続ける方針だ。
 これに対して、平民党は17日、「金総裁は事件に無関係。捜査には絶対に応じない」と改めて表明。徐議員に対する弁護人接見禁止の違法性などを主張、盧泰愚政権は平民党へのダメージをねらっているとして謝罪を求めた。しかし平民党に対する韓国世論の風当たりは強い。平民党は当分、党立て直しへけわしい道を歩むのは必至。同党が先頭に立ってきた全斗煥政権時代の不正、光州事件の解決など、民主化に欠かせぬ問題の解明も遅れるとの見方が出ている。
 一方、民正党の朴浚圭代表委員は17日、政府の許可なしの徐議員らの訪朝事件は「北朝鮮の対南戦略だ」として、北朝鮮の方針に変化がない限り、今後1−2年間は国家保安法を改正しないと表明した。同法は民主化に伴う「悪法改廃」が迫られる中で、民正党が2月の臨時国会に改正案を提出したが、文牧師訪朝事件で審議が中断している。野党、共和党(金鍾泌総裁)も民正党の方針変更に同調する姿勢と見られる。文牧師訪朝後に強まった韓国の引き締めは、「スパイ事件」発表を契機に、さらに厳しくなる見通しだ。
           
 <徐敬元議員>
 全羅南道の貧しい農家に生まれ、学校には小学校も含め一度も通ったことがない、といわれている。72年にカトリック農民会に加入してから本格的に農民運動に身を投じ、農民デモなどで2回にわたって投獄を経験。84年から88年に平民党に入党する直前まで同農民会の全国会長を務めた。総選挙後の初登院のさいには白のゴム靴、韓服姿で現れ、話題をまいたりもした。



1989年7月19日 朝刊 1外
◆ミャンマーで民主勢力、平和行進へ 政府は首都の外出自粛訴え


 【バンコク18日=宇佐波特派員】ミャンマー(旧ビルマ)の消息筋が18日伝えたところによると、建国の父、アウン・サン将軍が暗殺されて42回目の記念日を迎える19日、反政府派最大勢力の全国民主連盟(NLD)の総書記長アウン・サン・スー・チー女史は他の104政党とともに会場のアウン・サン廟までの平和行進を予定している。これに対し国家法秩序回復評議会(ソウ・マウン議長)は「個人、政党を問わず記念日に行う政治的目的の行進は認めない。もし、この禁止令を破れば、軍は必要な措置を取る」と警告している。また、軍は18日、首都ヤンゴン(旧ラングーン)に広報車を出し、19日は昼間の午前6時から午後6時までの外出を控えるよう市民に呼びかけた。
 スー・チー女史の父親であるアウン・サン将軍が暗殺されたのは1947年7月19日。命日には将軍をしのぶ記念式典が開かれ、独立の功労者の家族らが、政府に招待されてきた。ことしは、スー・チー女史ら9家族が招待され、8家族までは出席を表明している。しかし、スー・チー女史は欠席の方針で、代わりに、軍事政権とは無関係の民主勢力による平和行進を計画、軍部を硬化させている。
 一方、ヤンゴンの聖地シュエダゴン・パゴダで17日午後、約300人の僧、市民らが軍事政権を非難するビラをまき、デモをしたため、軍と治安警察隊が出動し、解散させた。反軍感情は、去年の民主化デモから1年を迎え、次第に高まりつつある。
 19日の政府によるアウン・サン将軍をしのぶ記念式典は午前8時(日本時間同10時半)から予定され、軍はアウン・サン廟やNLD本部の周囲に完全武装の兵隊を配置するなど首都警備を増強した。18日の国営放送によると、ヤンゴンなどの3地方の軍管区司令官に司法権が与えられた。市民法廷とは無関係に軍事法廷を開き、被告には最低3年の懲役から終身刑、死刑まで科すことができる。



1989年7月22日 夕刊 1総
◆控訴審も死刑支持 大韓機事件の金賢姫


 【ソウル22日=波佐場特派員】大韓航空機事件で、1審のソウル地裁で死刑判決を受けた金賢姫=キム・ヒョンヒ=被告(27)に対する控訴審の判決公判が22日、ソウル高裁であり、裁判長は1審の判決を支持し、控訴を棄却する判決を言い渡した。弁護人側はこの判決を不服として金被告と協議のうえ上告する構えをみせているが、7日以内に手続きをとらないと死刑が確定する。
 この日の判決で裁判長は「北に操られていたことや、反省していることは理解できるが、運航中の民間航空機を爆破するというのは、最も非倫理的行為で、とうてい許せるものではない」として、控訴を棄却した。



1989年7月22日 夕刊 らうんじ
◆独断撤退:20 他部隊も相次ぎ退く(空白への挑戦)


 8月下旬のソ蒙軍の総攻撃で壊滅状態となり、やむなく撤退したのはフイ高地だけではなかった。
 23師団長・小松原道太郎中将の日記によると、25日の井置支隊の脱出を皮切りに29日までに支隊2、連隊6、大隊2が守備地から撤退している。ノロ高地方面守備の長谷部支隊、バルシャガル高地方面守備の山県部隊などである。
 このうち7部隊を小松原は、部隊長の独断による撤退としている。その責任をとって、山県、伊勢、井置、長谷部の4人の部隊長が戦場や後方で自決した。ほかにも3人の部隊長が敗退を恥じて、みずから命を絶った。
 このように大隊以上の部隊が次々に戦場で守備地を放棄した例は、日本軍の歴史の中ではきわめて珍しいことだった。ノモンハンが初めてだったのである。
    *   *   *
 当時の陸軍刑法は、「司令官軍隊ヲ率イ、敵前ニオイテ故ナク守備地、モシクハ配属ノ地ヲ離レタルトキハ死刑ニ処ス」として厳しく退却に制約を設けている。
 また陸軍作戦要務令は、「戦闘ノ経過ツイニ不利ナルニアタリ退却ヲ実行スル際ハ、上級指揮官ノ命令ニヨルヲ本則トス」として独断退却を戒めている。
 荻州6軍司令官や小松原23師団長が井置に自決を勧告した根拠は、この2つの規則であった。
 撤退の中でもフイ高地の場合は、ソ蒙軍の北翼からの南下を許し、中央戦線の日本軍の壊滅の主因となったと見られていた。「軍法会議で死刑になるより、自決の方が軍人として名誉」と2人は考えたのである。
 陸軍刑法と作戦要務令を、よく見てほしい。前者が禁じているのは、「故なき場合の退却」である。後者は「退却の際の指揮官命令は原則」といっている。
 井置支隊長の撤退の判断を、私が正しいと考える理由を3つ挙げる。
 (1)24日からの攻勢転換を前に、小松原は「フイ高地固守」を23日午後に下達した。井置支隊の無線機は同日午前に破壊されていた。井置は自分の判断で行動するしかなかった。
 (2)攻勢転換作戦の舞台は、戦線中央と南翼だった。最北翼のフイ高地はソ蒙軍にふみにじられ、すでに固守する意味は失われていた。
 (3)日本軍では損耗率50%を、壊滅状態とみる。井置支隊の損耗率は、撤退時には51%に達していた。本隊の捜索23連隊の損耗率は、実に73%だった。
    *   *   *
 防衛庁の公刊戦史も、「井置支隊は22、3日に後方へ下げ、主力に加えるべきだった」と述べ、用兵の失敗を指摘している。
 もう1人、井置を自決に追い込んだ男がいる。関東軍参謀・辻政信である。
 関東軍機密作戦日誌には、こう書かれている。「(フイ高地撤退に関し)井置中佐の師団長あての報告には謝罪の字句なし。(中略)暗然たるものあり」。前線から戻った辻の報告である。
 井置がフイ高地から撤退して自決もせず、謝罪もしなかったので、辻参謀もまた激怒したのであった。=敬称略
 (石川巌記者)



1989年7月22日 朝刊 1外
◆スー・チー女子とティン・ウ氏、1年間外出禁止に 総選挙出馬阻む


 【バンコク21日=宇佐波特派員】ミャンマー(ビルマ)の消息筋が21日伝えたところによると、同国の国家法秩序回復評議会(ソウ・マウン議長)は同日朝、反政府派最大勢力の全国民主連盟(NLD)総書記長、アウン・サン・スー・チー女史(44)と議長のティン・ウ元国防相(66)の2人を、20日朝からヤンゴン(ラングーン)市内の自宅に軟禁したことを正式に発表した。2人には1年間の移動・外出禁止が命じられ、事実上、来年5月に予定されている総選挙への出馬が不可能となった。
           
 自宅軟禁の理由として同評議会スポークスマンは「2人は国家治安維持法に違反し、この2カ月前から国軍と国民を分裂させるようなさまざまなたくらみを行い、国家の治安を脅かすさまざまな違法行為を重ねてきたため」と説明した。
 同法は1975年に公布され、違反者には1年間の自宅軟禁が適用され、必要に応じてさらに3年延長される。この間、外出禁止、電話での外部との接触、外国大使館・政党との接触も禁じられる。家族も官憲の監視なしに外出できない。
 同スポークスマンは、NLDの存続は認めると語ったが、ソウ・マウン政権に対する抵抗のシンボルであるスー・チー女史が活動の自由を奪われたことは、今後の反政府運動にとって大きな打撃となろう。しかし、こうした強硬措置は「公正・自由な選挙の実施」というソウ・マウン政権の約束をほごにするものであり、国民の反発を一層、深めることになろう。
 2人の自宅軟禁についてバンコクの外交筋は、NLDを軸に反政府運動が盛り上がりを見せ始めたのを軍事政権が警戒。運動を早い段階で封じ込めるため取った強硬策と見ている。
 ソウ・マウン政権は18日には、戒厳令違反者に対して首都を含む三軍管区司令官が、一般法廷とは別に軍事法廷を開き、死刑判決を下すことができる、という軍政の強化策を打ち出し反政府派の動きをけん制したばかり。
 スー・チー女史に対しては、これまでにも選挙遊説中に軍人らが妨害。6月21日の反政府暴動1周年記念の追悼集会では軍が発砲して、1人が死亡、その際、スー・チー女史が一時身柄拘束される事件が起きていた。
 また、今月7日にシリアム精油所で起きた爆弾死傷事件についても、軍部はNLDの若手活動家の犯行だったと発表するなどNLDを「危険な党」として印象付けていた。5月末公布された選挙法にも、外国勢力と関係の深い者、外国から市民権を与えられた者の立候補を禁じる、との1項があり、これも英国人の夫を持ち英国暮らしが長いスー・チー女史の出馬制限をねらったもの、との見方も出ていた。



1989年7月25日 夕刊 娯楽
◆映画「殺人に関する短いフィルム」のキェシロフスキ監督に聞く


 ポーランド映画界の異才、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の新作「殺人に関する短いフィルム」が公開中だ。昨年のカンヌ映画祭審査員賞、第1回ヨーロッパ映画賞グランプリなどをとった秀作である。このほど来日したキェシロフスキ監督が、自作について語った。
      
 2つの殺人が描かれる。1つは、うっ屈した青年の衝動殺人、もう1つは、社会の制裁としての死刑という名の殺人。それも、青年の内面に深入りせず突き放し、裁判の過程も一切省略、かわりに殺人場面を過剰なほどリアルに描写する。
 「普通の映画は、殺人の動機を見せる。しかし、この映画のテーマはそこにはない。私自身、青年がどうして殺人を犯したのかわからない。私が描きたかったのは、何の利益も生まない、そしてだれにも理解できない暴力というものそのものなのです。暴力描写が残酷だという批判はありますが、この映画の場合、あのように描く必要があったのです。殺人という行為の真実だからです。たしかに、これは心地よい映画ではないでしょう。が、それだからこそ観客は居住まいを正して見てくれると思う」
 若い弁護士が登場する。彼を通して、映画は死刑制度に疑問をなげかける。
 「私自身、死刑制度には反対です。死刑もまた殺人だからです。ただし、私はそのことを言いたくてこの映画を撮ったのではありません。こういう話を現代という時代の中で見てもらいたかったからにすぎません」
 物語は、寒々としたワルシャワの風景の中で展開される。くすんだカラーの、時にわざとシミをつけた画面が、この冷厳な物語に一層冷え冷えとした感触を与えている。
 「特殊なフィルターをつけて撮影しました。冷たく醜い雰囲気を出すための工夫でした。光の加減の方がせりふよりずっと雄弁ですから」
 キェシロフスキは、1941年、ワルシャワ生まれ。「ある党員の履歴書」(75年)などの記録映画、「ペルソナ」(同)などのテレビ映画で国際的に知られるようになった。劇場用映画は、モスクワ映画祭金賞の「アマチュア」(79年)を含め、これが5作目だ。
 記録映画はもう撮らないという。「人間の内面を突っこんで描きたいから。記録映画ではもの足りなくなったのです」。ドストエフスキー、カミュが好きだという。「人間の真実を描いているから。それもおそろしいほど奥底深く」
 ポーランド映画の現状には「少しずつ良くなっている」が、楽観視はしていないようだ。



1989年7月27日 夕刊 2社
◆「牟礼事件」の死刑囚、佐藤が“獄中結婚” 相手は短歌誌同人


 昭和25年に女性が行方不明になり、2年後に東京都三鷹市牟礼で白骨死体で見つかった「牟礼事件」の死刑囚、佐藤誠(81)=仙台拘置支所在監=が、福島県相馬市の特別養護老人ホーム「相馬ホーム」で療養している短歌同人の滝田アキノさん(82)と結婚していたことが分かった。
 佐藤は「えん罪」を訴えて第8次再審請求中。関係者によれば、自分の死後も再審請求を承継してもらう願いもあって、“獄中結婚”に至ったようだ、という。婚姻届は26日に受理された。滝田さんは、佐藤が主宰する短歌誌「スズラン」の同人。佐藤と文通を続け、再審請求の運動にも熱心に取り組んでいるという。



1989年7月27日 朝刊 2外
◆騒乱利用した2強盗に死刑 中国で判決


 【北京26日=田村特派員】26日付の夕刊紙・北京晩報によると、北京市中級人民法院(地裁に相当)は同日、5月から6月の「動乱と反革命暴乱の時期」に治安取締員や交通警官を装って、農民を襲い金などを奪っていた農民2人に対し、強盗罪などで死刑の判決を言い渡した。



1989年7月28日 夕刊 らうんじ
◆独断撤退:24 井置に厳しい小松原(空白への挑戦)


 23師団長・小松原道太郎=当時54歳=は、戦場の幕舎でもロウソクの灯のもとで日記を書いた。
 彼は語学研修生や武官として3度もモスクワで勤務し、日本陸軍の中ではソ連通の1人だった。容姿端麗で、貴族的な人柄だった。
 同じ陸軍中将だが、第6軍司令官・荻州立兵=当時56歳=は、陣中で昼間からウイスキーを飲み、いつも赤い顔をしていた。
 こちらは日中戦争の徐州会戦で武勲を上げたバンカラ型で、猪首(いくび)で小兵の将軍だった。
    *   *   *
 昭和14年の小松原日記は、現在、東京・目黒の防衛庁戦史部図書館に保存されている。「小松原師団長ノモンハン陣中日誌」である。ノモンハン事件の貴重な資料の1つとされている。
 愛用の日記帳は、博文館の当用日記。Gペンを走らせた米粒のような字が、ぎっしりつまっている。4、5ページおきに赤鉛筆と青鉛筆で色を入れた戦況図が書き込まれ、新聞記事や戦場のスナップ写真まではってある。
 その日の戦況、作戦計画、受領した命令、部下の評価、師団長としての所感や反省……、そうした内容を克明に書きつづっている。小松原のきちょうめんな性格が一目でわかる日記である。
 小松原日記を読んでいて、驚くことが1つある。フイ高地守備隊の井置栄一支隊長を、一貫して痛烈に批判していることである。
 「敵一大隊ヲコトゴトク撃退セリ」(7月21日)。「フイ高地ハ防戦ハナハダ務ム」(8月21日)。褒めている個所もなくはない。
    *    *    *
 しかし、井置の撤退前から自決後まで、小松原は日記の中でしつこいほど彼をこきおろしている。
 要するに井置はソ蒙軍の総攻撃前から師団司令部にしばしばSOSを発して小松原を驚かせ、意志薄弱のため陣地を死守せずに撤退した、というのである。
 某中佐の話として、「井置中佐、“ロス”ノ鉄帽ヲカブリ、脱走セリ」と書いている個所もある。ソ連兵の鉄カブトをかぶって、変装して退却したというのだろう。まさか井置がそんなことをするはずはあるまい。
 「井置夫人ハ感謝ノ念ナシ」。妻いくにまで、小松原は八つ当たりしている。彼女から夫の死因を追及されて、よほど不愉快だったのだろう。かなり好悪の感情が強い人のようである。
 小松原は井置に、なにか含むところでもあったのだろうか。23師団の情報参謀だった鈴木善康元少佐(89)が、東京・世田谷に存命である。おりあしく入院中だったので、知人を介して鈴木に聞いてもらった。
 「小松原師団長が、井置中佐に含むところはなかったはずだ。フイ高地撤退を23師団の敗因と思い込んでおられたようだ。軍法会議の死刑より、自決の勧告の方を選ばれたのだろう」。それが鈴木の返事だった。
 関東人と関西人、都会育ちと田舎育ち、スタイリストとマジメスト……。小松原と井置は相性が悪かったとしかいいようがない。=敬称略
 (石川巌記者)



1989年7月29日 夕刊 2社
◆金賢姫が大法院に上告 大韓航空機事件


 【ソウル29日=波佐場特派員】大韓航空機事件の控訴審で、1審の死刑判決を支持する控訴棄却を言い渡された金賢姫=キム・ヒョンヒ=被告(27)はこのほど、この判決を不服として大法院(最高裁)に上告した。



1989年7月31日 夕刊 1社
◆両親殺しに無期懲役判決 新潟地裁


 一昨年8月、草刈りがまなどで老いた両親を殺したうえ、めい2人に大けがをさせたとして、殺人と同未遂罪に問われた新潟県岩船郡神林村生まれ、住所不定、無職高野重春被告(40)に対する判決公判が31日、新潟地裁刑事部で開かれた。森真樹裁判長は「犯行は非道かつ凶暴、動機は理不尽で自己中心的。ただ計画的なものではなかった」などとして無期懲役(求刑死刑)判決を言い渡した。