4野党が政治資金規正法改正要綱 社会、公明、民社、社民連の4野党が、政治資金規正法改正の共同要綱をまとめた。3年後をめどにした企業献金の廃止や政治資金を複数の団体に小口分散する“抜け道”の防止策などが特徴。
欧州議会、左派が過半数 1992年の経済統合を控えた欧州共同体(EC)12カ国で欧州議会選挙。社会主義グループ、環境保護主義「虹」、共産主義グループの左派が過半数に達する見込みとなった。
経済5団体が政治改革提言 経団連など経済5団体のトップが自民党4役に政党や政治団体の政治資金の出入りや政治家個人の収支の完全公開など10項目からなる政治改革の提言を手渡し、その実現を求めた。
1−3月のGNPは年率9.1%成長 経済企画庁が発表した国民所得統計速報によると、1−3月期の実質経済成長率は、前期比(季節調整値)で2.2%、年率換算でみる景気の瞬間風速は9.1%の高い水準となった。
対中新規援助を凍結 中国情勢の変動を踏まえ、同国への政府開発援助(ODA)の対応方針を検討していた外務省は、新規案件については情勢の落ち着きを見極めるまで停止し、事実上凍結する方針を固めた。月末にワシントンで予定される日米外相会談で、三塚外相が米側に伝える。
百里基地訴訟で最高裁が憲法判断を回避 航空自衛隊百里基地の用地売買をめぐる争いから憲法9条論争に発展した長期裁判で最高裁は「憲法9条は本件のような私法上の行為には直接適用されない」と憲法判断を避けて、国側勝訴の1、2審判決を支持、住民側の上告を棄却した。
旧中曽根派、派閥主催のパーティー開催へ 自民党旧中曽根派は総会で、9月14日に派閥主催のパーティーを開くことを決めた。桜内義雄会長の就任披露が名目だが、「派閥の弊害是正」に逆行する派閥単位の資金集めの性格が強い。
死刑判決を破棄 昭和47年に起きた石川県・山中温泉の殺人事件で、1、2審とも死刑判決を受けた霜上則男被告(43)の上告審で、最高裁は「共犯者の自白には疑問があり、有罪と認めることは許されない」として、2審判決を破棄、名古屋高裁に審理やり直しを命じる判決を言い渡した。
民主化闘争に処刑続く 武力制圧前後に北京で戒厳部隊と衝突、死刑判決を受けた労働者、農民ら7人が処刑された。21日には上海で、列車焼き打ち事件の3被告が銃殺処刑された。
都議選スタート 東京都議会選挙が告示された。参院選の前哨戦としてリクルート、消費税が最大の争点、246人が立候補した。宇野内閣発足後、最初の大型選挙で、投票は7月2日、開票は3日。
社会党、中国共産党との交流を凍結 社会党の山口書記長は記者会見で、中国情勢に関連して、同党と中国共産党の交流を当面凍結し、参院選後に予定していた山口氏自身の訪中も再検討することを明らかにした。
1989年6月26日 朝刊 特集
◆´89世相語年鑑・1〜6月
「昭和64年」が7日間で終わって「平成元年」に。あわただしい代替わりになったのは、「リクルート事件」の摘発と重なったせいだろう。竹下内閣がつぶれた。こんなことが起こっていいはずがない。政治家が口しげく約束した「けじめ」の言葉。今年上半期のキーワードとなった。
おまけに「消費税」の実施が重なり、国民の不満爆発は「うねり」となって地方の選挙で反自民票に。けじめを見守る「世論の目」が、表には出ないがもう1つのキーワードである。
「青天のへきれき」の宇野内閣誕生、川崎の「竹やぶ1億円フィーバー」、中国で「天安門の虐殺」。どの1つをとっても、「平成」は筋書きのないドラマで幕を開けた。世相語も出来事を追うのが精いっぱいである。
(広本義行記者)
●昭和から平成へ 現憲法下初の改元、お言葉も“改言”
天皇が1月7日、十二指腸の腺がん(せんがん)のため亡くなられた。この日夕刊各紙の見出しは1面ヨコぶち抜きで「天皇陛下 崩御」だったが、沖縄の2紙は「ご逝去」と伝えた。
皇太子明仁親王が皇位を継ぎ、新天皇となられた。天皇家に伝わる「三種の神器」のうち剣と璽(曲玉)を新天皇に引き継ぐ「剣璽等継承の儀」と、新天皇が初めて国民の代表にあいさつされる「即位後朝見の儀」が行われ、「皆さんとともに日本国憲法を守り」とお言葉を述べられた。
亡くなられてから2日間、国民は政府の要請もあって「歌舞音曲」を自粛し、新聞やテレビは特集や特番を組んで「人間天皇」をしのんだ。皇居前広場などの弔問記帳は全国で233万余人に。一方で、外電を含めて「天皇の戦争責任」が問われた。
「大喪の礼」は東京・新宿御苑で行われ、海外からも163カ国の代表が参列。「昭和天皇」の追号が贈られた。天皇誕生日も新天皇の12月23日に改められたが、いままでの4月29日も「みどりの日」の祝日として残されることに。
皇位継承に伴って、「昭和」の元号が改められ、1月8日から「平成」が始まった。複数の学者に依頼して用意した候補の中から内閣が元号法に基づいて決定したもので、現憲法のもとで初めての「改元」である。
出典は中国の「史記」と「書経」。「内平かに外成る」(史記)、「地平かに天成る」(書経)とあるうちの「平」と「成」をとった。他に「修文」「正化」が候補にのぼっていたといわれる。
改元に伴い、1月8日から平成1年となるが、政府公文書などでは「平成元年」が使われることになった。元号の使用は法的には義務づけられていないが、政府は国民に元号使用への協力を呼びかけた。
改元とともに、ハンコ屋に注文が殺到し、伝票や帳簿類の新規発注など「改元特需」が話題になり、「平成」にあやかった商標登録や社名申請が相次いだがそれも一段落し、国民生活ではおおむね西暦と元号の両方が使われている。
●政治 けじめなき利狂人(リクルート)で表紙抜け
「リクルートはずし(関係議員排除)」のはずで昨年暮れ発足した竹下改造内閣。在任4日目で法相が、次いで経企庁長官が辞め、4月には江副前会長からの借金がバレて竹下首相自らまで退陣表明。「今日のような政治不信を惹起(じゃっき)させる大きなうねりになるとは」。民社、公明両党首も辞任へ。「そして、だれもいなくなった」といわれた「構造汚染」。
「秘書が、妻が」と、株譲渡をめぐる苦しい言いぬけ。フタを開けてみると実は「本人へのわいろ」で、リ事件摘発は前会長逮捕の「NTTルート」頂上作戦から。次いで「労働省、文部省ルート」へと進み、戦後初めての「事務次官の犯罪」へ。「政界ルート」は藤波元官房長官と池田公明党代議士が起訴され、「戦後最大の疑獄」ともいわれたが、秘書ら4人の略式起訴をもって東京地検が「捜査終結」。「大山鳴動」したわりには「ネズミ2匹」のシリすぼみ疑獄に。
事件にかかわった政治家の「けじめ」が問われた。後継総裁を固辞した伊東正義氏は「本の表紙だけ変わってもダメ」と事件に関係した党幹部らの総退陣を提唱。自民党のプロジェクトチームがあわてて作った「けじめ」策は議員自らの進退については、「自主的判断」にゆだねた。その後、議員の辞職はない。国民は納得せず、本紙世論調査でも82%が「不満」を表明。
「江副は日本政治の偉大な改革家」と米紙が皮肉ったが、事件のおかげで一気にまとまったのが自民党の「政治改革大綱」。「パーティー券の購入制限」や「冠婚葬祭への寄付禁止」など、これまでになく大胆な改革というが、国民には常識。「私生活との間にあまりにも間隔」(竹下首相)が目立った。
その自民党の後継総裁に「消去法」で「あれよあれよ」の宇野宗佑氏が浮上。宇野内閣は「不退転の決意」で政治改革に取り組むという。「裂帛(れっぱく)」の気合でともいうが、その意味は「きぬを裂く音のように、声が鋭く激しいこと」(岩波国語辞典)。発覚した「女性問題」の答弁は「公の場では」とうってかわって小声。
この間、「1票一揆(いっき)」といわれた「逆風」が吹き荒れた。参院福岡補選で社会党新人が劇的な大差、「完敗だわな」(竹下首相)。各地の知事、市長選でも思いもかけない自民批判票が出て、党幹部の「応援お断り」が続出した。
●国際 暴乱封じに新しい風はいつ?
ブッシュ米大統領が1月の就任演説で4度も繰り返した言葉が「新しい風」。「独裁者の時代は終わった。全体主義の時代も終わった」。5月の演説ではソ連に対して、慎重姿勢を持しながらも「封じ込め政策の終えん」を告げた。
そのソ連で3月、初めて複数候補の競争を原則とした人民代議員大会選挙の投票が行われ、モスクワでは改革派の旗手エリツィン氏が党の推す対立候補に大差で勝利。「民主主義の最初の授業」といわれ、その「実験場」ともなった人民代議員大会では、かつてない自由な発言と「反対」表明が見られた。
ポーランドでは政労「円卓会議」で合意に達した上、下院の「自由選挙」が行われ、在野勢力の自主管理労組「連帯」が圧勝。首相まで落選の党・政府側は早々と敗北を認めたが、「民主主義と改革の路線から引き返すことはない」と国民に約束。
ゴルバチョフ書記長がソ連の最高首脳としては30年ぶりに中国を訪れて、歴史的な中ソ和解。お互いに「社会主義建設の多様性」を承認し、1つのモデルしかないとした過去の考え方を否定した。その訪中さ中に、天安門広場で起こった民主化要求の100万人デモとハンスト。最初は「動乱」、最後には党と国家の転覆をねらった「暴乱」と決め付けた中国政府は強硬姿勢をエスカレート、戒厳部隊が発砲する「血の日曜日」に。密告電話まで用意して「反革命分子」狩りと「死刑執行」が行われた。背後で指導部の権力争いと伝えられたが、それにしても「なぜ、こんなことに」。世界中の疑問と非難が集中した。
イランの最高指導者ホメイニ師が死去。英国作家の小説「悪魔の詩」がマホメットを冒とくしているとして作家に「死刑宣告」を出し、両国は国交断絶状態になっていた。
●社会 変竹林な3%転嫁で不満も点火
「消費税」が4月からスタート。ほとんどの買い物先で「外税」、つまりレジのたびに3%の税金を払わされることになった。そのつど痛税感を伴う、とんだ「間接税」の導入である。1円玉の「復権」は支払いのためより、生活防衛の象徴でもある。
「便乗値上げ」の不愉快もさることながら、気になるのが払った3%の行方。「高齢化社会への準備」といいながら、年金受給年齢は65歳に引き上げられそう。
佐賀県「吉野ケ里遺跡」が一躍、全国ニュースになったのは「邪馬台国時代のクニの1つ」ともらした学者のひと言から。魏志倭人伝には邪馬台国の女王、卑弥呼の邸宅に「楼観」があったと書いてあるが、それらしい物見やぐら跡が初めて見つかった。邪馬台国論争がまた一段と面白くなりそうだ。
一律1億円の「ふるさと創生」資金。どの辞典を探しても「創生」は見当たらない。この竹下造語、どうみても言語明瞭(めいりょう)でない。察するに「新しく生み出す」といった意味だろうが、そうすると「ふるさと」にうまくつながらない。もっとも、「ふるさと」共同体はなくなり、あるのは「ふるさと幻想」だけとの見方をとれば、わからないでもない。
川崎市の竹やぶで2度にわたって計2億2000万円の札束が拾われたのには日本中がびっくり。落とし主の推理が茶の間をにぎわせたが、警察がやっと通信販売会社社長を割り出してみると、「お金によって左右される人生が嫌になった。だれかに拾われ、社会福祉に役立ててもらえばと思った」。最後までやぶの中を付き合わされたような「現代版竹取物語」。
この春から「春闘」という言葉が消え、「春季総合生活改善闘争」と呼ぶ労組も出た。「ゆとり獲得」を目指して、これまでの賃上げ1本から、初めて「時短(労働時間短縮)」をセットにして要求した。休日増1−3日を獲得したものの、労働日が休日出勤日に振り替わるだけの「時短元年」も。
美空ひばりさん死す。「女王」というくらいしか、言葉が見つからないが、この人の歌抜きでは戦後の世相は語れない。
●事件 人間性もバラバラに焼き捨てた今田勇子
昨年8月、失跡した埼玉県入間市、今野真理ちゃん事件は2月、自宅玄関前に「真理 焼」の挑戦状と遺骨入り段ボール箱が置かれてから、異常ずくめの展開を見せている。「所沢市 今田勇子」の差出人名で朝日新聞東京本社に「御葬式を早くしてあげて」と犯行声明。真理ちゃんの告別式の日に合わせて告白文。実は真理ちゃんの骨には「私の子の骨」も入っており、「共々、葬ってやることができました」というのだ。思わせぶりな偽名で文体も女性を装っているが、犯人男性説も。「こんなことをする人間がふつうに生活していると思うと耐えられません」(母親の幸恵さん)
埼玉県飯能市の霊園で見つかったバラバラ死体の女児は東京都江東区の野本綾子ちゃん(5)と判明。残虐な手口から、ここにも「今田勇子」の影。
東京都足立区の少年グループが女子高生を40日間も自宅に監禁、殺害、コンクリート詰めした事件が発覚。残虐さの一方で、逮捕後の少年たちは素直に自供、「ずっとうなされていた」「死んでおわびしたい」などといっているという。
●女性 ぬれ落ち葉には無理なてっぺん
女優の和泉雅子さんが日本人女性として初めて厳寒の大氷原を走破して「地球のてっぺん」に到着。「最後の最後まで乱氷と氷の割れ目ばかりでした」「(北極は)何もない魅力です。東京には何でもありますから」
東京都婦人問題協議会が「時代に即して改正を」とお役所言葉から「婦人」を追放するよう提言、都側も見直すことになった。「婦人は結婚した女性と誤解される」「男性の対語としての女性の方が適切」という理由から。福岡市では一足早く「婦人対策課」が「女性企画課」に改まり、京都府でも「青少年婦人課」が「女性青少年室」に格上げされる。
定年後、家庭で自立できない会社人間の夫が「ぬれ落ち葉」と言われている。行き場所がなく払い落とそうにもベタッと妻の足元にまとわりついて離れない。評論家、樋口恵子さんによると「私は広めただけ。読み人知らず」だそうだ。
「女が変わる 男が変わる 社会が変わる」。労働省が今年の婦人週間に向けて作ったポスターのキャッチフレーズ。女が変わるには男も変わらなければダメ、というわけで、「男の自立元年」がいわれ始めている。
●科学 オゾンましい温室効果
「人類が行ってきた科学プロジェクトの中で最も困難」(米原子力委員会)といわれた「核融合」に、米英の科学者が「試験管の中で成功」の一報。日本でも数十の大学、研究機関が「追試」に色めき立ったが、肝心の中性子の検出をめぐってはいまだに真偽の結論が出ていない。世界の専門家による米国での研究会議の総括も「何か新しい反応が起きているようだ」。「シンデレラ」に出会ったことまでは認めたが、その正体はこれから協力して突きとめようという。ちなみにこのニュース、本紙では「常温核融合」と伝えているが、「低温核融合」「室温核融合」の報道も。
地球規模の「環境保全」が、にわかに「世界の流れ」になった。地球のオゾン層を破壊するフロンを今世紀末までに全廃するとした「ヘルシンキ宣言」。半導体など洗浄用のフロン113を始め、わが国は特に使用が多いが、企業も死活問題として「脱フロン」の代替品開発に走り出した。
もう1つのキーワード、地球の「温室効果」についても、国連環境計画(UNEP)で「温暖化防止」のための国際条約づくりが決議された。南極のオゾンの穴、北極がすみ、砂漠化と海面上昇、酸性雨など、気がついたら、おぞましい指標にかこまれている。
米国のランチョセコ原発をめぐる住民投票で「運転継続ノー」の票が過半数を占め、直ちに炉の停止作業が始まった。故障続きだったとはいえ、運転中の原発では初めてのこと。「即核停止」を勝ち取った脱原発派の市民団体「セーフ」は手弁当の草の根運動が頼りだった。
「エコポリス」。エコロジカル・ポリスのことで、「人と環境の共生する都市」実現を目指して今年の環境白書が作った造語。
●経済 黒字大国突くスーパー301条の矛
米国の「スーパー301条」発動で、日米摩擦がまた、きしみ始めた。日本を「不公正貿易国」と決め付け、スーパーコンピューターなど3品目で制裁をちらつかせながら「貿易障壁」の撤廃を迫っている。政府はまともには応じられないとしつつも、「日米貿易戦争のスタートは避けたい」。発動をめぐっては米国でも「貿易戦争」が心配された。
「FSX(次期支援戦闘機)」の日米共同開発計画が米議会で見直しを迫られ、再交渉。将来、米国の「航空宇宙産業の脅威になる」というのだ。やっと合意したものの、これまで両国間では防衛と貿易はからめないとした「安保聖域論」が「暗黙の了解」でなくなった。「コンテイニング・ジャパン(日本封じ込め)」「ジャパン・フォービア(日本恐怖症)」。最近、米国でささやかれている言葉である。
日本の外貨準備高が初めて1000億ドルの大台に。かつて中東のオイルマネーも1国としてはここまで膨らんだことはない。「ドルをため込むだけの黒字大国」と言われかねない。もっとも今年の「通商白書」は、内需拡大が輸入増に結びつきやすい体質に変わってきたとして、「輸入大国」への転換進行中を指摘している。
大手企業の3月決算は大幅な増収増益。製造業、なかでも「鉄の復権」が目ざましい。鉄だけに頼っておれないという、必死の「リストラ(リストラクチャリング、事業の再構築)」に、鉄鋼需要の「追い風」。
「経営の神様」といわれた松下幸之助氏が94歳で死去。自社のことを「人をつくるところです。あわせて電気器具もつくっております」と紹介した。一味違った「アントレプレナーシップ(企業家精神)」の持ち主であった。戦後日本復興の「創業者たち」の代表格。
●現象 ばななは若い女性好み
1億総感涙を呼びかねない勢いだった「一杯のかけそば」現象が、ここにきて「実話としては不自然」とか論議を呼んでいる。好悪含め童話がこれほど話題になったのも、近年例がない。
「村上春樹現象」が去って、出版界に「吉本ばなな現象」。旧世代からは少女小説とかコミックとかの批評もあるが、圧倒的に多い若い女性ファンには不思議と「元気が出る本」らしい。
1989年6月27日 夕刊 1総
◆上海列車爆破、20人死亡 トイレ内に爆発物 「報復テロ」の見方も
【上海27日=堀江特派員】27日朝の上海人民放送ラジオによると、上海市郊外で26日午後11時13分(日本時間同)ごろ、急行旅客列車が爆破され、乗客が少なくとも20人死亡、11人が重傷を負った。軽傷者も出た模様。同放送は「人為的な爆破」と伝え、国営新華社通信は、現場の捜査でダイナマイトによる爆発と断定した、と伝えた。同市では今月6日、民主化運動参加の群衆が列車に放火、当局は21日に犯人とされる3人を処刑している。これら当局の締めつけと今回の事件が関係あるかどうかは不明だが、報復テロ行動との見方も出ている。
爆破が報じられたのは、上海駅から南西約40キロの上海市松江県の瀘杭線松江−協興駅間。上海市鉄道局の調べによると、杭州発上海行きの急行旅客列車(15両編成)が松江県の華陽橋にさしかかったとき、7号車付近で突然、大音響とともに爆発が起き、近くにいた乗客が吹き飛ばされるなどした。7号車は「硬座車」と呼ばれる普通車で、爆発物はトイレに仕掛けられていたという。
鉄道局によると、死傷者には日本人など外国人はいなかった。上海の日本総領事館も、日本人の死傷者がいなかったことを確認した。
新華社通信によると、上海市の副市長が現場へ急行し救出作業を指揮。現場の調査で爆発はダイナマイトにより起きたことが明らかになった。詳細について引き続き調査中だという。事故から約5時間後の27日早朝に列車の運行は再開された。
上海では、今月6日深夜から翌未明にかけて、市北部で立ち往生していた北京発上海行き旅客列車が放火され、9両が全焼する事件があった。その「犯人」とされた3被告に対して中国当局は21日、国際世論を無視する形で死刑を執行した。
同放送は原因について、今回の爆破事件がこの列車焼き打ち事件など、一連の民主化要求運動と関係があるかどうかについて触れていない。
中国では工事関係者がダイナマイトやシンナー類など爆発・引火物を無断で運ぶことがあるなどから、必ずしも断定できないが、何らかのテロ活動か、テロを計画中に誤って爆破したなどの可能性も捨てきれない。
●爆発や火災 相次ぐ事故
中国では、80年10月29日、北京駅で文化大革命時に地方へ下放された青年の持つ爆弾が爆発して9人が死亡、81人が負傷する事件が起きている。このほか86年1月15日、広東省で列車が爆破され7人(一説では3人)が死亡。87年4月22日、黒竜江省で特急が爆発、11人が死亡、45人が負傷。88年1月7日には湖南省の駅に停車中の急行列車が燃え出し、死者34人、30人が負傷するなど、列車の爆発、火災事故が続いている。
1989年6月27日 夕刊 らうんじ
◆“オウム返し”で処刑(特派員メモ・パリ)
フランス革命200年祭にあわせて、関連の本や雑誌を読みあさり、歴史家に話を聞いている。
ロベスピエールの生まれた町アラスに、遠縁の子孫を訪ねると、約束の場所に地元新聞の通信員が待っていた。当方の取材ぶりを記事にする、という。取材のあと、地元新聞の支局に寄り、シャンパンで乾杯して、200年祭をどう思うかなど論議した。
帰りの汽車で「イストリア」という歴史雑誌を読んでいたら、こんな記事があった。
1793年の8月、アラスのある侯爵夫人とその父親が逮捕された。家宅捜索で「ジャコ」という名前のオウムが見つかった。革命政府の兵士たちを横目に「ビッブ・ル・ロワ、ビッブ・レ・ノブレス(国王万歳、貴族万歳)」と、このオウムはくりかえし歌っていた。
やかたの召使と乳母、赤ん坊までが、「国家に対する裏切り」の罪で逮捕された。侯爵夫人と父親と召使の3人は、ジャコが何よりの証拠となり、94年4月23日の裁判で死刑判決。その晩のうちにギロチンにかけられた。
ジャコはその後、別の人に引き取られ、「国民万歳」と歌うよう再教育されたとも、ギロチンにかけられた、ともいう。
当時、小型のギロチンで鳥やネズミを処刑するのが流行していた。中世やアンシャン・レジームでは動物に対する裁判は珍しくなかったし、とくに人間を襲ったオオカミやブタに対する裁判が多かった……。
パリに戻ってしばらくすると地方紙が送られてきた。写真付きの記事は、「日出づる国がフランス革命に目覚める時」と大見出し。いやはや、何とも大げさな一刀両断ではあった。(清水)
1989年6月27日 夕刊 2社
◆韓国の元死刑囚が7月、九州で「証言」 【西部】
大阪府に住む在日韓国人で、ソウル大学在学中に国家保安法違反などで逮捕され死刑判決を受けた康宗憲(カン・ジョンホン)さん(37)が7月7日、長崎市興善町のルーテル長崎教会で13年間に及んだ獄中体験を語る。全政治犯の釈放を実現しようと、今月16日から実施している全国巡回行動の一環。九州では8日に鹿児島市、9日に福岡市、10日に佐賀市を訪れる。
康さんは奈良県出身。昭和47年、ソウル大学医学部に入学した。50年に逮捕され52年、死刑が確定。5年後、特赦で無期懲役に減刑されるまで死刑囚として過ごした。その後、さらに特赦などで減刑され昨年12月に釈放された。受け入れ団体である「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」の高実康稔事務局長(長崎大助教授)は「自由と平等、民族統一をいちずに願っていた青年が、スパイ事件をでっち上げられた。率直な証言をぜひ聞いてほしい」と話している。
当日は午後6時から。ビデオ「87韓国民衆抗争の記録」の上映などもある。参加費500円。問い合わせは同教会(電話0958−23−5459)へ。
1989年6月27日 朝刊 2総
◆対中抑制姿勢を強調 中国孤立回避探る 三塚外相・ベーカー長官会談
【ワシントン26日=生井記者】米国を訪問中の三塚外相は26日午前(日本時間26日夜)、米国務省でベーカー国務長官との会談に入った。引き続きブッシュ大統領を訪問する。外相は、ベーカー長官との会談で、中国情勢について、中国指導部による民主化運動への武力制圧や死刑執行に対して深い憂慮を表明すると同時に「中国を孤立化させ、封じ込めるべきでない」との考えを強調。制裁措置を取らない日本の立場を説明、7月の主要先進国首脳会議(サミット)にも「抑制的な対応」で臨むことを伝え、米側の理解を得たい考えだ。日米両国は、今後の対中政策について緊密な協議を続けることを確認する見通しだ。
今回の日米外相会談は、宇野内閣発足後初めて。首相自身の早期訪米が見送られたことから、三塚外相としては、ブッシュ政権との協力姿勢を確認すると同時に、「スーパー301条」問題など日米間の懸案については、竹下政権が確認した「政策協調と共同作業」の原則を継承し、宇野政権として責任を持って対処することを米側に伝えるのが最大の狙いだ。
サミットを控え、焦点となっている中国情勢については、新体制発足によって「内政の異常事態に一応の終止符が打たれたが、全般的には依然として流動的」との日本政府の認識を伝え、民主化要求への弾圧は人道上容認できないという点では、日本は米国と基本的に同じ考えであることを強調する。
日本の対応として(1)第3次円借款など、新規政府開発援助(ODA)に関しては「中国情勢の落ち着き先を見極め、国際的な動向を見て検討する」として、事実上凍結している(2)民間企業にも国際的な誤解を招かないような配慮を求めている−−などの現状を説明する。しかし、日本が歴史的にも中国と特殊な関係にあることも指摘し「対応は、国によって濃淡があってもよい」として、具体的な制裁措置をとる考えのないことを表明し、今後の対中政策については、米国との緊密な協議の必要性を強調する。
さらに、中国の反体制物理学者方励之氏夫妻の保護をめぐって緊張している米中関係に関しては「良好な米中関係がなくては、良好な日中関係は成り立ちにくい」との観点から、悪化への懸念を表明。「中国を孤立化させないように、米国の中国に対する対応や、サミットで協議する場合も、抑制的な対応をした方がよい」との日本の考え方を強調し、米側と意見をすりあわせする考えだ。
1989年6月27日 朝刊 2外
◆戦犯かくまった修道院 ナチス協力者逮捕(国際事件簿・フランス)
避暑地で名高いニース。旧市街にある聖ジョセフ修道院に、パリから駆けつけた国家警察のルコルドン中佐らが乗り込んだのは、5月24日朝7時すぎだった。踏み込まれたとき、ポール・ラクロワという名の男とその家族は、まだ部屋着のままだった。
* * *
本名ポール・トゥビエ。74歳。第2次大戦中、リヨンで親独義勇隊の局長を務め、レジスタンス弾圧に奔走。戦後、欠席裁判で2回、死刑判決を受けたほか、殺人未遂・不法逮捕・監禁の「人道に対する罪」で国際指名手配されていた。
捜査の手が近づいたのを察知し、逃げ出す寸前で、車にはトランクも積んであった。大量の書類や手紙、日記はそのまま押収された。
つかまる2日前、北フランスの修道院(僧院長はラフォン師)と、カトリック伝統主義者ルフェーブル神父のパリ郊外の自宅が家宅捜索を受けた。さらに別の僧院の捜索で、捜査員はトゥビエが聖ジョセフ修道院にいることをつかんだ。
1944年に姿をくらまして以来、実に45年ぶりの逮捕だった。ユダヤ人強制収容所遺族協会の代表は「朗報だが、これほど時間がかかったことに怒りを感じる。政治的な結託、一部の教会関係者の助力があったに違いない」と語った。
* * *
逮捕のきっかけは、カトリックの信徒団体「ノートル・ダム騎士団」とトゥビエの関係が暴露されたことだった。ドイツ占領下に結成された同騎士団は「対独協力へのノスタルジーを抱く者の集まり」といわれる。一時衰退したが、ラフォン師が再建。団員は約400人。ラフォン師がある僧院でトゥビエに会って以来、騎士団の幹部が毎月送金していたとの報道もある。
ローマ法王から破門されたルフェーブル師も騎士団パリ支部の責任者だ。
「私の犯罪はすべて時効になっているはずだ」「どんなにひどい生活だったか。まるで、地下室で暮らしていたようだ」−−ニースからパリへ護送される機内で、トゥビエは捜査員にくり返したという。
第2次大戦直後から、教会の保護を受けた。67年に死刑判決が時効となり、71年にはポンピドー大統領の恩赦も受けたが、各地の修道院や僧院を転々とする逃亡生活は終わらなかった。
83年3月に国際再手配。翌年9月、地方紙にトゥビエの死亡広告が出た。捜査陣は彼の銀行口座に、2週間ごとに3000フランが振り込まれていることを突き止め、逆に捜査を強化した。
* * *
今回の事件を、聖ジョセフ修道院の信者たちは、冷静に受け止め、教会を支持している。戦時中、多くの神父がレジスタンスの闘士やユダヤ人をかくまったし、戦後は対独協力者、戦犯を保護したのも事実だ。
しかし、トゥビエがこれほど長期間の保護を受けたのは、単なる慈悲でなく、教会にとって都合の悪い「秘密」を相当握っていたからだろう、と指摘する歴史家もいる。
トゥビエは、記録や書類整理のマニアを自任していた。押収された文書は大型トランク6個分で、数百通の手紙、いつ、どこで、だれと会ったかを刻明に記した日記などがある。レジスタンス弾圧の実態ばかりかカトリック教会がなぜ、彼を保護したかが、あきらかになるはずだ。
弁護士によると、トゥビエはがんにかかっており、裁判に耐えられるかどうか疑問だという。しかし、予審判事はすでに数回にわたって、トゥビエの調べを行った。
6月25日、リヨン郊外でナチに虐殺されたユダヤ人の追悼集会が開かれ、参加した遺族の1人は「トゥビエは自分のしたことで裁きを受けねばならない。今年の追悼集会は特別の感慨がある」と語った。
(パリ=清水特派員)
1989年6月27日 朝刊 1社
◆アベック殺人、あす判決 名地裁、主犯少年らどう判断 【名古屋】
名古屋市緑区で昨年2月、若い男女2人が襲われ、殺された「アベック殺人事件」で、殺人、死体遺棄、強盗致傷などの罪に問われ、死刑を求刑されている主犯の名古屋市港区、とび職A(20)=犯行時19歳=と共犯5人に対する判決が、28日午前9時半から名古屋地裁刑事4部(小島裕史裁判長)で言い渡される。遊ぶ金欲しさの強盗が、殺人に発展した凶悪事件で、Aに対し求刑通り死刑が言い渡されるか、情状を酌量して刑を軽減するか、裁判所の判断が注目される。
Aのほかに判決を受けるのは、同市中村区本陣通5丁目、暴力団員高志健一被告(21)▽同市中川区、とび職B(18)▽同市港区、無職C(20)=犯行時18歳▽同市港区、同D子(18)▽愛知県海部郡、同E子(18)の5人。高志とBは無期懲役、Cは懲役15年、D子、E子は懲役5−10年を求刑されている。
起訴状によると、Aらは昨年2月23日未明、名古屋市緑区の大高緑地公園で車を止めてデートしていた大府市朝日町、理容師野村昭善さん(当時19)と愛知県知多郡東浦町石浜片山、理容師見習末松須弥代(すみよ)さん(当時20)の2人を鉄パイプなどで襲い、現金約2万円などを奪った。
犯行を隠すため、翌24日、愛知県愛知郡長久手町の墓地で、AとBの2人が野村さんをロープで絞め殺した。さらに、25日、三重県阿山郡大山田村の山林で、AとBが末松さんを絞殺し、2人の遺体を埋めた、とされている。
検察側は、ことし1月の論告求刑で、Aについて、(1)冷酷、残虐な犯行を思いつき、平然と実行した(2)犯行時19歳6カ月で実質成人と変わりない(3)矯正不可能で、社会に戻せば、再び悲惨な犠牲者が出る、などと主張し、「死刑以外にありえない」とした。Aの弁護側は起訴事実を認めたうえで、「精神が未熟な少年が集団心理で暴走した果ての犯行で、1人だったら起きなかった。深く反省し、立ち直る可能性が十分ある」と、刑の軽減を求めている。
1989年6月28日 夕刊 1総
◆「19歳」主犯に少年では10年ぶりの死刑 アベック殺人で地裁判決
名古屋市緑区で昨年2月、若い男女2人が襲われ、殺された「アベック殺人事件」で、殺人、強盗致傷などの罪に問われ、死刑を求刑された主犯の名古屋市港区、とび職A(20)=犯行時19歳=と、共犯5人に対する判決公判が28日午前9時半から、名古屋地裁刑事4部で開かれた。小島裕史裁判長は、6人全員を有罪としたうえで、「遊ぶ金目当てに強盗を計画し、犯行の発覚を免れるため、殺害を決意した。命ごいする被害者を長時間、死の恐怖にさらして平然と順次殺害した行為は残虐、冷酷きわまりない。精神的に未熟な少年の集団犯罪であったことなど有利の情状を考慮しても、刑事責任は重大」と述べ、Aに求刑通り死刑を言い渡した。犯行時、少年に対する死刑判決は、4人連続射殺事件の永山則夫被告(40)=上告中=に対する昭和54年の東京地裁判決以来、10年ぶり。
近年、裁判所は死刑の適用に慎重な姿勢を示してきたが、少年犯罪が凶悪化する中、厳しい姿勢で臨むことを示した注目される判決例となった。
Aのほかの量刑は、同市中川区、とび職B(18)を求刑通り無期懲役、同市中村区本陣通5丁目、暴力団員高志健一被告(21)を懲役17年(求刑無期懲役)、同市港区、無職C(20)=犯行時18歳=を懲役13年(同15年)、同市港区、同D子(18)と愛知県海部郡、同E子(18)の2人をいずれも求刑通り懲役5−10年の不定期刑とした。
判決によると、Aら6人は遊ぶ金目当てにアベックを襲うことを計画。昨年2月23日未明、名古屋市緑区の大高緑地公園で、デートしていた大府市朝日町、理容師野村昭善さん(当時19)と愛知県知多郡東浦町石浜片山、理容師見習末松須弥代(すみよ)さん(当時20)の2人を鉄パイプなどで襲い、現金約2万円を奪った。
そのうえで、6人は犯行が発覚するのを恐れて野村さんらの殺害を決意した。AとBの2人は翌24日、愛知県愛知郡長久手町の墓地で野村さんを、25日には三重県阿山郡大山田村の山林で末松さんを、相次いでロープで絞め殺し、2人の遺体を埋めた。
判決理由で、小島裁判長は6人全員の情状として、「被害者を1−2日間連れ回し、命ごいする野村さんをまず殺害。さらに、末松さんを長時間、死の恐怖にさらしたうえ、死亡が確認されるまで平然と首を絞め続けて殺害し、執よう、冷酷きわまりない」と指摘した。
さらに、Aの情状について判断。「殺害を計画、実行し、首謀者的な地位にあった。仕事を嫌って暴力団に所属するなど、犯罪性の根深さがうかがわれ、刑事責任は重大」とした。また、同じ殺害の実行犯のBについて、「犯行時、17歳に達したばかりだが、殺害を実行した責任は重い」とした。
こうした事情を総合して、小島裁判長は「有利な事情のほかに、さらに可朔(そ)性に富む少年に対する極刑の適用は特に慎重であるべきことを考慮しても、Aには死刑に処する以外にない。Bについては死刑を選択するものの、少年法51条により、無期懲役にする」と述べた。
ことし1月の論告求刑公判で、検察側は、犯行が2日間にわたり、命ごいする被害者を順次殺害した残虐性を重視、殺害の実行犯Aに死刑を求刑した。
Aの弁護側は起訴事実を認めたうえで、情状酌量による刑の軽減を主張。その理由として、死刑の適用は慎重でなければならず、特に少年の場合は健全育成を目指す少年法の理念に著しく矛盾する、などを挙げた。
<少年法51条>
罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもって処断すべきときは、無期刑を科し、無期刑をもって処断すべきときは、10年以上15年以下において、懲役または禁固を科する。
1989年6月28日 夕刊 1総
◆少年法51条<用語>
罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもって処断すべきときは、無期刑を科し、無期刑をもって処断すべきときは、10年以上15年以下において、懲役または禁固を科する。
1989年6月28日 夕刊 1総
◆名古屋のアベック殺人に死刑判決 当然控訴すると弁護人 【名古屋】
死刑判決を受けたAの白浜重人弁護人の話 正直言ってコメントする気力がわいてこない。少年への死刑判決は特に慎重にすべきだというのが法曹界の常識になりつつあるのに、(判決は)情状面が簡単すぎる。客観面だけで判決を下しており、生いたちや成育歴など主観面の考慮が欠けているし、(被告が)矯正可能かどうかの判断が全くない。集団犯罪だ、との主張もほんの数行で片付けられている。午後一番に拘置所へ行って本人の意思を確認するが、当然控訴することになると思う。
1989年6月28日 夕刊 2総
◆アベック殺人事件の「少年死刑」判決理由<要旨>
28日、名古屋地裁で言い渡された「アベック殺人事件」の判決要旨は次の通り。
本件は、犯行時17歳3名、18歳1名、19歳1名、20歳1名の計6名の被告人が共謀の上、深夜から早朝にかけて立て続けに金品強取を目的として、3組の男女6名に対し暴行脅迫を加えて、内4名から金品を強取し、最後に襲った1組の男女については、さらにその女性を被告人らのうちの3名において乱暴した上、犯行の発覚を免れるため、この両名を1ないし2日連れ回した上、順次絞殺して山中に遺棄した事案である。
犯行態様について見るに、金城ふ頭における強盗行為が未遂に終わるや、再び同所に戻った上で強盗行為に及び、その上さらに大高緑地公園へ赴いて野村昭善らに対し強盗行為に及んだもので短時間のうちに3件、しかも前の2件は同じ場所において敢行している点も、大胆かつ悪質というべきである。
殺人においては、大高緑地公園における暴行により傷害を負った野村及び末松須弥代に何らの治療も施さずに、野村を丸1日、末松にいたっては丸2日連れ回し、野村殺害の際には、同人が「殺さないでください」と命ごいするのに耳を貸さずに、無抵抗の同人を絞殺し、また末松殺害の際にも、既に観念し、無抵抗状態の同女に対し、被告人Aにおいて「綱引きだぜ」と口にしながら実行行為に及び、同高志においては笑いすら浮かべて傍観し、さらにいずれの殺害においても、被告人A及び同Bにおいて、「このたばこを吸い終わるまで引っ張ろう」と話し合いながら平然と首を絞め続けており、しかも、実行中再三にわたって被害者の生死を確認し、死亡が確認できるまで首を絞め続けて殺害しており執ようかつ冷酷極まりない。
次に前記の一般的情状に加えて、以下、各被告人の個別的情状について検討する。
被告人Aは本件犯行時19歳6カ月の年長少年であったが、本件強盗の犯行を最初に提案した上、急襲する男女を指示し、殺人及び死体遺棄の共謀においても率先してその方法を提案し、なおかつ両罪の積極的実行行為者であって、野村、末松殺害後も平然としてたばこの吸いがらを拾うなど罪証隠滅工作をしており、また、窃盗の前歴を有している上に保護観察中に別罪を犯したり、家庭裁判所において不処分決定が出るや予定された就職先を嫌って直ちに所属していた暴力団事務所に戻るなど、犯罪性の根深さがうかがわれ、その上、少年鑑別所において、反省しているとは思えぬ態度が散見されたことをも併せ考えればその刑責は誠に重大である。しかし他方、本件犯行後、殺害した両名のことに思いを致し涙を流し、さらには拘置所移監後、実母との面会の際にも涙を流すといった反省の態度も芽生えており、当公判廷においても反省していると述べていることなど、有利な事情も認められる。
被告人Bは、本件犯行当時17歳に達したばかりの少年であるが、被告人Aとともに、野村及び末松殺害の実行行為者であり、殺害後も被告人A同様平然とたばこの吸いがらを拾い集めるといった罪証隠滅工作をしており、しかも、14歳未満のころ窃取行為を犯した前歴を有していること、少年鑑別所において官本に落書きをするなど反省しているとは思えぬ態度が散見されたことを併せ考えると、その刑責は誠に重大である。しかし他方、被告人A同様犯行当時薗田組を離脱して、とび職として稼働しており、無為徒食していたわけではないこと、当公判廷において反省していると述べていることなど有利な事情も認められる。
以上の事情を総合すると、被告人A及び同Bの罪責は誠に重大であり、前認定の被告人に有利な事情を考慮に入れても、さらに可そ性に富む少年に対する極刑の適用は特に慎重であるべきことを考慮に入れても、被告人Aについては死刑に処する外はない。そして、同Bについては死刑を選択するも少年法51条により無期懲役に処することとする。その他の被告人4名については、前認定の事情の下、それぞれその責任が重大であることは論を待たないが、おのおのにつき認められる各事情を総合考慮すれば有期懲役刑に処するのを相当と認め、それぞれ主文のとおり量刑した。
(被害者の敬称は略しました)
1989年6月28日 夕刊 1社
◆死刑論議に広がる波紋 名古屋のアベック殺人判決<解説>
永山被告の連続射殺事件で、最高裁が昭和58年に死刑適用の基準を示して以来、1審段階では少年事件で初の死刑判決が28日、名古屋地裁で言い渡された。判決は主犯Aの情状を認めながらも、事件の残虐性など刑事責任の重大さを指摘し、死刑を選択した。この事件に限らず、最近社会的論議になる少年の凶悪事件も相次いでおり、これらも犯罪の一般予防の見地から、量刑に影響を与えたと見られる。ただ、成人に比べ手厚い保護が保証されている少年にあえて極刑で臨んだことは、死刑の適用枠の拡大にもつながりかねず、死刑制度をめぐる論議が再び活発になるとみられる。
死刑には(1)犯罪者の抹殺により社会悪の根源を絶つとともに、威嚇力によって同種犯罪の再発を防ぐ(2)犯した罪と刑罰の均衡を保つ、という2つの意義があるとされる。
しかし、死刑は最も冷厳な制裁で、執行されると取り返しがつかない。58年7月、最高裁が死刑の適用基準を示した後に、死刑囚の再審無罪が相次ぎ「誤判の恐れがなくならない現状では、死刑制度を廃止すべきだ」と、問い直す機運が高まった。
これ以前から、裁判所は死刑の適用に慎重になり、死刑確定者は20年代に332人だったのが、50年代には30人に減った。このうち、少年で死刑が確定したのは戦後、計40人いるが、50年代以降は2人だけだ。
永山被告に対し、死刑判決を破棄して無期懲役に軽減した56年の東京高裁判決は「どの裁判所でも死刑を選択する場合に限られる」との判断を示した。これに対し、最高裁は、犯行の動機や態様、被害者数などから見た死刑の判断基準に合致するとして、この判決を破棄差し戻したが、「死刑に慎重であるべきだ」という姿勢は追認した。とりわけ少年事件の場合、少年法により慎重な判断が求められる。永山事件も同じ19歳の犯行だったが、4人を殺害したきわめて凶悪な事件だった。
今回の事件は被害者が2人のうえ少年事件での、死刑の適用基準を満たすかどうかが最大の争点とされてきた。凶悪化する少年犯罪の中で、それをどう根絶するか。少年の矯正も含め、大人社会としてもどう対応するかも社会問題となってきたが、この日の判決は、裁判所として、犯罪の一般予防の見地から狭められつつあった少年への死刑の枠をここで押しとどめることによって、対応する姿勢を示したと受け取れる。
1989年6月28日 夕刊 1社
◆残虐な暴走に極刑 宣告に少年「えっ」 名古屋のアベック殺人判決
「被告人を死刑にする」。小島裁判長の言葉に、Aは「えっ」と問い直すように正面を見据え、視線を次第に落とした。28日、名古屋地裁1号法廷。廷内がざわめく中、裁判長の声が響いた。「執ようかつ冷酷だ」。「綱引きだぜ」と言いながら首を絞め、若い2人をなぶり殺しにした名古屋・アベック殺人に、少年の1審判決としては、永山則夫被告以来10年ぶりに死刑判決が下った。遺族は「殺された者は戻らない」と、なお晴れぬ思いに目をはらしていた。
判決公判は午前9時半から。Aは赤の横しまシャツにジーパン姿で、裁判長から見て右から3番目に座った。その隣に高志。2人を挟むようにB、E子らが並んだ。小島裁判長は判決理由から述べ始めた。「末松さんを裸にし、たばこを押しつけた」。「助けて下さいと叫ぶ野村さんの首にロープをかけ、長時間にわたって強く引っ張った」。殺害方法が次々明らかにされるたびに、傍聴席からはうめき声が漏れ、ハンカチで目を覆う人もいた。
情状面で裁判長は「Aは『綱引きだぜ』と末松さんの首にかけたロープを引っ張り、『たばこが吸い終わるまで引き続けよう』とも言った。執ようかつ悪質である。犯行の動機も、単に遊び金がほしいというだけで酌量の余地はない」と厳しく述べた。Aは力なく頭をぐらぐらさせ、高志は首を右に傾けた。
最後に主文。起立したAに「死刑」との判決が下った。傍聴席で、殺された野村昭善さんの父親和善さんは目を見開いてAを見つめ続け、末松克憲さんは娘の須弥代さんのことを思い出すように、じっと目を閉じていた。
Aは逮捕されてから、しばらく少年鑑別所に入れられていたが「少年だから大した罪にならないと思っていた」とか「刑を終えたらD子と結婚する」と悪びれずに述べたりもした。しかし死刑が求刑されてからは「眠れない。足がフラつく」とふさぎこみ、母から勧められた般若心経の写経や、少年犯罪に関する本を読みあさっていたという。
●社会への警告
小田晋・筑波大教授(心理学)の話 死刑判決は、少年とはいっても、犯行当時19歳6カ月と、成人にかなり近く、成人の暴力団員の方が従犯であり、成人と同等に見たのではないか。少年犯罪でも、本件のような場合は死刑判決もやむを得ないのではないか。この判決は社会への警告と考えるべきだ。刑の当否については控訴審で、慎重に審理されることを望む。この犯罪のほか、性的倒錯に基づく残酷な殺人が増えているが、これは(1)マスコミなどによる性倒錯情報の普及(2)スキンシップの減少(3)競争心、物質主義の横行、が原因。この事件ではとくにシンナーが引き金になっていることに注目すべきだ。
●更生の機会を
宮沢浩一・慶応大法学部教授(刑法・犯罪学)の話 私は死刑廃止論者ですべての死刑に反対する。今回の事件は報道通りだと、残忍な行為で、死刑やむを得ない、という判決が実務的には導き出せるのだろうが、犯行当時は少年であり、もう一度立ち直る機会を与えてほしかった。
1989年6月28日 朝刊 1外
◆外からの目 「トウ^氏後に揺り戻し」(新体制の中国:下)
中国の新体制について米国務省のバウチャー次席報道官は26日、「新しい指導者のもとで中国が発展するよう期待する」と、発表した。歓迎表明にはほど遠い、紋切り型の短い声明だった。米政府の複雑な心境が、にじみ出ている。
○江氏に「2つの顔」
米政府が現状を暫定的な指導体制と見ているのは否めない。「トウ^小平・中央軍事委主席が死んだ時に揺り戻しが起きるだろう」(スカラピーノ・カリフォルニア大教授)。それが、米国内の一般的な認識である。
江沢民・新総書記に対しては、経済改革と開放政策の推進論者である半面、今回の民主化闘争では「言論の自由を封殺し、上海の3被告をまっ先に処刑した」と国務省当局者は指摘する。そのどちらの側面が今後より強烈に出てくるのか、米国はいまのところ短期的な見極めすらつけられない。
一方で、ホワイトハウスは、「どんな人物であれ(米中関係維持という)ビジネスは続ける」と、現実的な構えを崩さない。
中国は核を保有し、資源と潜在経済力に富む大国であることに加え、カンボジアやアフガニスタンの地域紛争解決に重大な役割を担っている。米ソ緊張緩和の潮流の中で、「中国が米国にソ連カードをちらつかせることは非現実的」とも読む。「中国は少し締めつけるだけで十分。限定的な制裁を受ければ中国は自制せざるを得なくなる」と、米当局者の多くは声をそろえる。
ブッシュ政権の対中制裁は、軍関係者の交流中止と武器売却の禁止に続き、米政府高官の接触禁止と国際的な対中融資の延期要請へと拡大した。しかし、いずれも中国への決定的な打撃とはいい難い。つまり米国は中国に対し、本格的な損害を与えないで制裁効果を上げたい、という一見矛盾した措置を取ることで、中国側の自覚を促そうとしているのだ。
○サミットが焦点に
西側各国内では、カナダとオーストラリアが駐中国大使の召喚を決めたのを始め、フランスが外交関係を凍結。西独は連邦議会で死刑中止を決議したほか、対中開発援助計画も見合わせた。政府高官レベルの接触禁止はベルギー、イギリスにも及び、日本やイタリアも対中新規援助を凍結。世界銀行は今年度末(6月30日)までに決めるはずだった7件の対中融資審査(総額7億8000万ドル)を延期した。
いずれも中国に対して限定的な制裁策であり、その意味で米国は対中措置に関する主導が実を結んだとみる。フランスや西独が米、日、欧州共同体(EC)の全体でそろって、より強力な経済制裁の導入に傾く姿勢を示しているが、米国が応じなければ協調制裁は実現しない、と米政府は見通している。
ブッシュ大統領の当面の狙いは、こうした西側陣営の「中国に対する批判の声」を蓄積し、7月中旬パリで開く主要先進国首脳会議(サミット)で、中国当局による人権抑圧政策を非難することにあろう。それまでの間、国際世論をいかに盛り上げるべきか、をホワイトハウスは連日協議している。
○ソ連は政策に注目
新体制の行方を注視しているのは、西側ばかりではない。ソ連にとって江沢民・新総書記は古くからつながりのある人物だ。1955年ごろに、技術面の実地教育・研究のために、自動車企業・ジルにいたことがある。ロシア語のほかに英語、ルーマニア語もこなす高い教養の持ち主と評価されている。
同じように経済改革に取り組むソ連にすれば、江氏が経済実験の「基地」ともいわれている上海で、学生、市民運動をくぐり抜け、精力的に多くの経済改革、外国との協力推進に取り組んできた点にも注目する。
ソ連・極東研究所のゴンチャロフ・中ソ関係部長は、「中国指導部は西側との経済関係・協力を拡大するために、これまであった制限を取り外すなど、もっとラジカルな措置をとるかもしれない」と指摘。「新総書記が天安門事件をどう位置づけ、国づくりに関し、どのような独自のプログラムを打ち出すか注目している」と語った。
27日、スペイン・マドリードのEC首脳会議は、中国に対する武器禁輸など横断的な経済制裁措置で合意した。中国がここで反発姿勢を強めれば、西側諸国の非難はさらに本格的に火を噴こう。ソ連にしても中国指導部の一連の力による解決には同意できないとし、対話路線への転換を強く希望している。
こういう外からの目に、中国はどうこたえていくのだろう。
(ワシントン・島田、モスクワ・新妻特派員)
1989年6月28日 朝刊 2社
◆「中国は死刑やめよ」 水俣の市民団体が抗議 【西部】
熊本県水俣市の市民団体「アジアと水俣を結ぶ会」(浜元二徳代表、会員240人)は27日、中国政府の民主化運動に対する弾圧に抗議し、報復、みせしめの逮捕、死刑をただちにやめるよう求める抗議文を中国大使館あてに郵送した。
1989年6月28日 朝刊 1社
◆民主の女神像つくろう 天安門虐殺に追悼と抗議 尼崎で市民【大阪】
中国民衆への連帯をこれで示そう、と中国の民主化運動のシンボルだった北京・天安門広場の「民主の女神像」を、尼崎市の喫茶店経営者らが尼崎市神田北通1丁目の中央公園に再現する。戒厳部隊による虐殺事件から1カ月目の7月3日夕に建て、その夜は、天安門広場の学生たちにならって、公園に座り込んで徹夜し、殺された人への追悼と弾圧への抗議を表す。
尼崎市東園田町5丁目、喫茶「どるめん」経営金成日さん(37)と客の同市、西宮西高校美術講師武内司郎さん(31)、宝塚造形芸術大の学生、人権擁護団体のメンバーら8人。金さんは在日朝鮮人2世。これまで韓国の民主化運動を支援してきた。「天安門の虐殺も、韓国の光州事件も、政治体制こそ違うが独裁政権下で起きた民衆弾圧という点で共通している。天安門の女神は倒されたが、像に込めた民衆の願いを一部でも、私たちが引き継げたら…」と、像再現を友人らに呼びかけた。
像は本物の3分の1ほどの高さ約3.5メートル。高さ2メートルの台に建てる。28日ごろから、「どるめん」の近くの看板製造工場に間借りして、新聞や雑誌に掲載された像の写真を手本に、木の骨組みづくりや肉付けの金網張りをする。3日朝から公園で組み立てて、石こうや布で仕上げる。27日夜も「どるめん」に金さん、武内さんら7人が集まり、打ち合わせをした。武内さんが金網で試作した頭部を囲み、深夜まで相談が続いた。
北京の女神像は、天安門広場の学生や市民と軍との間の緊張が高まった5月30日に建てられ、6月3、4日の虐殺の中で、戒厳部隊によって引き倒された。金さんらは、虐殺や、それに続く運動参加者の弾圧に抗議して、大阪市西区の中国総領事館前に、「死刑反対」のプラカードを持って立つなどの行動をしてきた。この運動を根付かせるため、中国民主化に関心のある人が集まれる場所をつくることも、像建設の狙いの1つだ。
7月3日は、上海と北京で処刑された人々の遺影を飾り、花を供える。中国政府に逮捕者の即時釈放を求める請願文を印刷した手紙1000通以上を用意して、参加者や通行人に署名してもらい、「中国政府行き」と書いた“私設ポスト”に集める。公園にはテントも設け、今後の運動の進め方を語り合い、北京で学生たちが歌った「インターナショナル」を合唱する。
すでに、京都大学の学生十数人が参加を決めており、当日は、北京と同じように手製の旗を掲げて公園に繰り込む。ある中国人留学生は「息長く民主化運動を続けるため、今はしっかり勉強して早く本国に帰るつもりだ。日本のみなさんによる支援運動が、新しい女神像を中心に大きくなってくれることを熱望します」と話している。
1989年6月28日 夕刊 2総
◆名古屋のアベック殺人事件判決理由<要旨> 【名古屋】
28日、名古屋地裁で言い渡された「アベック殺人事件」の判決要旨は次の通り。
本件は、犯行時17歳3名、18歳1名、19歳1名、20歳1名の計6名の被告人が共謀の上、深夜から早朝にかけて立て続けに金品強取を目的として、あらかじめ準備した木刀、鉄パイプ、特殊警棒を使用し、人気の少ないふ頭、公園の自動車内で逢瀬(おうせ)を楽しんでいた3組の男女6名に対し暴行脅迫を加えて、うち4名から金品を強取し、最後に襲った1組の男女については、さらにその女性を被告人らのうちの3名において乱暴した上、犯行の発覚を免れるため、何ら落ち度のないこの両名を1ないし2日連れ回した上、順次絞殺してその死体を人里離れた山中に遺棄した事案であり、まず、その一般的情状について検討する。
犯行態様について見るに、末松須弥代に対する強盗致傷等については、たばこの火を身体に押し付け、シンナーを注ぎかける行為に及ぶなど、その暴行の程度は被告人ら自身やり過ぎたと自覚するほど強烈であった。
金城ふ頭における強盗行為が未遂に終わるや、再び同所に戻った上で強盗行為に及び、その上さらに大高緑地公園へ赴いて野村明善らに対し強盗行為に及んだもので短時間のうちに3件、しかも前の2件は同じ場所において敢行している点も、大胆かつ悪質というべきである。
殺人においては、大高緑地公園における暴行により傷害を負った野村及び末松に何らの治療も施さずに、野村を丸1日、末松にいたっては丸2日連れ回し、その間右両名に対し、将来解放することをほのめかしながら、結局は両名をいずれも殺害しており、ことに末松に対しては、2月24日午前中、同女が金城ふ頭岸壁から海中に飛び込もうと試みるほど同女を精神的に追い込み、死の恐怖に長時間さらした末にこれを絞殺したものである上、野村殺害の際には、同人が「殺さないでください」と命ごいするのに耳を貸さずに、無抵抗の同人を絞殺し、また末松殺害の際にも、既に観念し、無抵抗状態の同女に対し、被告人Aにおいて「綱引きだぜ」と口にしながら実行行為に及び、同高志においては笑いすら浮かべて傍観し、さらにいずれの殺害においても、被告人A及び同Bにおいて、「このたばこを吸い終わるまで引っ張ろう」と話し合いながら平然と首を絞め続けており、しかも、実行中再三にわたって被害者の生死を確認し、死亡が確認できるまで首を絞め続けて殺害しており執ようかつ冷酷極まりない。
次に犯行の動機について見るに、強盗未遂及び強盗致傷の各犯行はいずれも、遊興費欲しさに加えて、他人に暴行脅迫を加えて快感を得ようとの欲求に基づくものであり、酌量の余地はない。
殺人及び死体遺棄については、いずれも自己の保身のためには他人の生命など全く省みないという被告人らの態度の発現であることがうかがわれ、極めて自己中心的であり、これまた酌量の余地はない。
殺人については、何ら落ち度のない春秋に富む野村及び末松を絞殺し、かけがえのない生命を次々に奪ったものであって、その結果が極めて重大であることは、いうまでもない。両名とも理容師として将来大成する希望に燃えていた矢先、被告人らの凶行によって非業の死を余儀なくされたものであるが、野村は末松を被告人らの下に残したまま殺害され、また末松は、先に野村が殺害されたことを悟り、丸1日恐怖にさらされながら殺害されたものであって、両名の生前における苦痛及び無念さは、察するに余りあるものといわねばならない。
犯行はいずれも計画的である。殺人、死体遺棄においても、共謀の上、両名殺害に先立ち絞殺用の凶器として青色ビニール製洗濯用ロープや青色ビニールひもを購入し、あるいは死体遺棄のための穴掘り用にスコップを準備するなど、これまた計画的である。
本件は、深夜早朝にわたって見ず知らずの男女を次々と急襲したもので、言わば通り魔的犯行であり、何ら関係のない一般市民もいつ何時被害に遭うやも知れないという社会不安を生じさせたものであり、また欲求不満にかられるまま暴行を働き、金品を強取するといった本件のごとき犯行態様は、その模倣性が高く、本件各犯行の社会的影響は極めて大きい。野村及び末松の両名にこれまで深い愛情を寄せていた両名の遺族らの無念さも甚大なものがあり、被害感情の深刻さもとりわけ深く、遺族らは示談を遂げながらもなお被告人6名に極刑を望んでいる。
以上のように、被告人6名に共通した不利な情状が認められるが、他方、犯行は、それらにより被害者らに与える損害及びその重大性を必ずしも十分に認識し得ない精神的に未成熟な少年らが集団を形成し、相互に影響し合い刺激し合い同調し合って敢行したものであると認められ、被告人6名の刑責を量定するについて有利にしんしゃくすべきものというべきである。
次に各被告人の個別的情状について検討する。
被告人高志は、本件犯行約1カ月前に20歳に達した成人であるが、本件において主導的役割を担ったものとはいえず、さらに、野村及び末松の遺族らとの間で示談が成立し、また当公判廷において終始反省の態度を示しているといった有利な事情も認められる。
被告人Aは本件犯行時19歳6カ月の年長少年であったが、本件強盗の犯行を最初に提案した上、急襲する男女を指示し、殺人及び死体遺棄の共謀においても率先してその方法を提案し、なおかつ両罪の積極的実行行為者であって、野村、末松殺害後も平然としてたばこの吸いがらを拾うなど罪証隠滅工作をしており、その上、少年鑑別所において、反省しているとは思えぬ態度が散見されたことをも併せ考えればその刑責は誠に重大である。しかし他方、本件犯行後、殺害した両名のことに思いを致し涙を流し、当公判廷においても反省していると述べていることなど、有利な事情も認められる。
被告人Cは、本件犯行当時18歳10カ月の年長少年であり、殺人及び死体遺棄の共謀においては被告人Aの被害者両名を殺害する旨の提案に対し積極的にこれを支持する発言をし、その刑責は重大であると言わざるを得ない。しかし他方、殺人及び死体遺棄の現場に居合わせていないことなど、有利な事情も認められる。
被告人Bは、本件犯行当時17歳に達したばかりの少年であるが、被告人Aとともに、野村及び末松殺害の実行行為者であり、殺害後も被告人A同様平然とたばこの吸いがらを拾い集めるといった罪証隠滅工作をしており、少年鑑別所において官本に落書をするなど反省しているとは思えぬ態度が散見されたことを併せ考えると、その刑責は誠に重大である。しかし他方、当公判廷において反省していると述べていることなど有利な事情も認められる。
被告人E子は、本件犯行時17歳7カ月であるが、大高緑地公園で再度強盗を行うことを提案していることを考慮すれば、その刑責は重大であると言わざるを得ない。しかし他方、当公判廷において反省の態度を示していることなど、有利な事情も認められる。
被告人D子は、本件犯行時17歳1カ月であるが、E子同様末松に対し残忍な暴行行為に及んでいることなどを考慮すれば、その刑責は重大であると言わざるを得ない。しかし他方、弁護人あての手紙や当公判廷において反省の態度を示していることなど、有利な事情も認められる。
以上の事情を総合すると、被告人A及び同Bの罪責は誠に重大であり、前認定の被告人に有利な事情を考慮に入れても、さらに可そ性に富む少年に対する極刑の適用は特に慎重であるべきことを考慮に入れても、被告人Aについては死刑に処する外はない。そして、同Bについては死刑を選択するも少年法51条により無期懲役に処することとする。その他の被告人4名については、前認定の事情の下、それぞれその責任が重大であることは論を待たないが、おのおのにつき認められる前記各事情を総合考慮すれば有期懲役刑に処するのを相当と認め、それぞれ主文のとおり量刑した。(被害者の敬称は略しました)
1989年6月28日 夕刊 2社
◆死刑判決こう思う 名古屋アベック殺人事件 【名古屋】
名古屋市近郊で起きたアベック殺人事件で28日、名古屋地裁は主犯の少年(当時)に死刑判決を言い渡した。凶悪な少年犯罪は多発の傾向だが、識者はこの判決をどうみたかを聞いた。
○最高裁判断に沿う
大塚仁・愛知大学教授(刑法) 日本の場合、死刑廃止の流れはあるが、それが世論を構成するほどには至っていない。ある大学で学生を対象にした調査でも70%が死刑を支持している。裁判所もこうした世論を判断の基礎においていると思う。さらに、犯罪の内容は情状出来るものではなく、死刑判決は慎重でなければならないものの、遺族感情を無視出来なかった。加えて、最近の少年犯罪の多発、凶悪化がある。裁判官の意識の中に危機感があり、死刑を言い渡さざるを得なかったと見る。58年に最高裁が死刑判決の判断基準をあらためて示しており、これに沿ったものだ。
○周辺の指導が大切
内山道明名古屋女子大文学部長(心理学) 結局、少年法で定められたことは配慮の余地がないということでしょうか。最近の犯罪が凶悪化していることは分かるし、被害者・遺族の気持ちには同情するが、ただ事件はその時の社会的背景の上に成り立っていることを考えると、判決の是非を論ずるより、少年法にうたわれている、若者の健全な育成は社会に課せられた課題という精神が、判決によって無視されるようなことになってはならないと思う。判決の痛みは社会全体が分かち合い、考えなければならない。この事件の特徴としては女性を含めた集団行為、シンナーの常習などが指摘されるが、非行の芽を断つため、周辺の者の指導が大切だ。
○犯行の背景考えよう
今津孝次郎名大助教授(教育社会学) 少年が凶悪犯罪を起こすたびに考えることは、何が彼らをそうさせたかということだ。19歳になって突然、殺人を犯すわけではない。そこに至るまでにさまざまな問題が積み重なっていたに違いない。恐らく彼らの背後には想像を絶するような家庭環境や地域社会状況が存在しており、それらが彼らをゆがめていったに違いない。親や教師を含めた大人たちはその時どきに彼らを保護し、教育していく責任を果たしていたかどうか。そのことの検討を抜きにして、この種の犯罪を防止する実質的な力は出てこないだろう。今回の死刑判決は、被告がかかえた問題を根本的に解決するものではないと思う。
○立ち直る機会与えて
宮沢浩一・慶応大法学部教授(刑法・犯罪学) 私は死刑廃止論者ですべての死刑に反対する。今回の事件は報道通りだと、残忍な行為で、死刑やむを得ない、という判決が実務的には導き出せるのだろうが、犯行当時は少年であり、もう一度立ち直る機会を与えてほしかった。犯罪が起きる原因は社会の状況にもあるからだ。
1989年6月28日 夕刊 1社
◆名古屋のアベック殺人で死刑判決 悲しみ、恨み消えぬ遺族【名古屋】
「死刑が出たことはもちろん妥当です。でも私の心の中では少年ら全員が死刑になることを願っていました」。判決後、名古屋地裁内の司法記者クラブで記者会見に臨んだ末松須弥代の父、克憲さん(54)は、重苦しい表情で、心境を語った。克憲さんは妻のスミノさん(54)とともに、判決を傍聴し、スミノさんは死刑判決の後、目をぬらしていた。克憲さんは「こんな残虐な行為があっていいのだろうか。娘はどれだけ恐怖にさらされたことか」と唇をふるわせた。夫婦は須弥代さんの墓へ向かった。
殺された野村昭善さんの父、和善さん(48)と母の芳子さん(44)もこの日の法廷に姿を見せた。芳子さんは死刑判決を聞いた後、涙を浮かべながら「これから息子のところへ判決の報告に行きます。1人は死刑になったけれど、他の人間はいずれ出てくるのですから……」と複雑な表情だった。
息子の野村昭善さんを理容師の修業に出し、一人前になる寸前で命を奪われた和善さん=名古屋市中村区長筬町=は昨年暮れ、20年近く続けていた名古屋市南区の理容店を閉めた。現在は自動車部品の製造会社に勤める。
生前、昭善さんは末松須弥代さんを和善さんのもとへ何度も連れてきていたといい、「将来は一緒に店を持たせてやりたい」と和善さんの夢もふくらんでいた。凶行に走った少年たちの側からは、1人の母親から手紙があっただけで、あとは何の謝罪もなかったという。
「無期判決などあってはならんこと。人を殺したんですから。子供、大人は関係ないですよ」と判決前に話していた和善さん。
愛知県知多郡東浦町の静かな住宅街の一角にある末松さん宅では、末松克憲さん、スミノさん夫婦の手で箱に収められた須弥代さんの遺品が、生前使っていた2階の部屋で眠っている。「親がいうのも変だが、礼儀正しい子で、私が帰るまで娘は休んだことがなかった。娘が働き始め、女房と私と3人で一緒に勤めに出て行った。あのころが一番楽しかったな」と克憲さんは須弥代さんの思い出を振り返る。
2回目の公判を傍聴した時、娘が殺されるまでの経過が再現され、あまりのむごたらしさに克憲さんは思わず法廷を出た。スミノさんは行動的だった須弥代さんのことを思い出し、涙にくれることが多いという。
「今の裁判は被害者の方を向いていないから、期待できない。10年、20年たとうが、娘が殺されたことは忘れられない」と語っていた克憲さん。少年たちへの恨みは消えそうにない。
●コメント控えたい 近藤太朗・名古屋地検次席検事の話
少年といえども冷酷非情な犯罪に対しては厳罰で臨むという判断で死刑を求刑していたが、人の命がかかるという極刑の判決が出たので、軽々にコメントすることは差し控えたい。名古屋高検と十分協議し、対応を決めるつもりだ。
●暴力団に入り、相次いで盗み 主犯の軌跡
死刑判決を受けたAは昭和43年、長野県で生まれた。その後、名古屋市に転居し、56年に同市内の中学校に入学したが、在校中にバイクを盗んで、補導されたことがある。卒業後、職業訓練校に進んだが、教師に暴力を振るって、2カ月で退校。その後、うどん店や内装会社などに勤めたが、長続きせず、61年11月ごろ、暴力団員となった。この直後、相次いで窃盗事件を起こし、保護観察処分を受けた。
Aは62年8月ごろから、名古屋市の繁華街で暴走行為を繰り返すうち、Bらと知り合い、「バッカン」と称してアベックから金などを奪ったりしていた。
●傍聴求め185人が列
アベック殺人事件で、主犯の少年に死刑が言い渡されるかどうか関心は高く、28日朝、名古屋地裁には雨のふりしきる中を185人が傍聴に来た。法廷の入り口に長い列を作り、抽選で56人が法廷に入った。前日まで、裁判所には開廷時間を問い合わせる電話がかなりあった。
1989年6月29日 朝刊 5面
◆死刑と無期の分かれ目(社説)
立法論として「死刑廃止」を唱えている団藤重光元最高裁判事は、死刑を宣告する日、黒っぽいネクタイと白ワイシャツを身につけて、言い渡しの場にのぞんだ、という。
被害者の生命もかけがえがないが、被告の人生も1回きりだ。判決が「死刑」になるか「無期懲役」かは、天と地ほどにも違う。その分け目を裁く裁判官の心中は、重く、つらいものなのだろう。
昨年名古屋で起きた「アベック殺人事件」で、名古屋地裁は主犯の犯行時19歳6カ月の少年に、求刑通り死刑を言い渡した。少年に死刑が宣告されたのは、1審判決としては、4人連続射殺事件の永山則夫被告以来10年ぶりだ。
暴走族の男女6人が、アベックを次々と襲って金品を奪ったあげく、ひと組の男女の女性に乱暴、2人を順に殺して死体を捨てたこの事件は、犯行の残虐さから、発生当時、社会に大きな衝撃を与えた。
判決は、犯行について「重大性を十分に認識しえない精神的に未成熟な少年らが、集団を形成し、相互に影響し合い刺激し合い同調し合って行われた」などと、少年の集団事件に特有の心理的背景などを指摘している。
しかし、結論としては、命ごいをする被害者を平然と無視したこと、長時間死の恐怖にさらしたうえに、「綱引きだぜ」といいながら首を絞め続けたなど、執よう、冷酷な行為を重くみた。
なんの関係も落ち度もないまま、生命を奪われた被害者の家族にとっては、憎んでも憎みきれない犯行であり、判決はやむを得ないと考える人は少なくあるまい。家族の1人は判決のあと、「心の中では全員死刑」と無念さを語ったが、そうした激しい感情にかられるのもわからないではない。
しかし半面、判決も言うように、未熟さ、集団心理が働いたこと、少年に反省の態度も芽生えていること、裕福でない少年の両親が遺族に対し長期にわたって慰謝料を支払い始めていることなどを考えると、立ち直りの可能性はあるようにも思われる。
少年法は、18歳未満の犯罪については、死刑を科さないことを決めている。少年の犯罪や非行が、大人になっていく過程での不適応現象と見、将来の可能性に道を開いておこう、という考え方によるものだろう。
しかし、世界的に犯罪の凶悪化、低年齢化が進むなかで、こうした考えに逆行する動きも強まっている。
アメリカの最高裁は26日、16歳と17歳の被告に死刑を宣告したケンタッキーなど2つの州の裁判について、5対4のきわどい表決で、「残虐な刑罰とはいえず、合憲」の判断をくだした。米国では、年少者の凶悪な犯罪が増えているのも反映して、全体として死刑復活の動きも強まっている。
一方、わが国でも、東京・綾瀬で起きた女子高生殺しなどをきっかけに、一部で少年に対し厳罰でのぞむ声が強まり、少年法論議が再燃している。
裁判は、報復の場ではない。加えて、「死刑」に犯罪を抑止する効果があるかどうか、は専門家からも強い疑問がだされている。
少年事件には、社会環境や家庭のありようが深くかかわっていることはだれも否定できまい。その意味で、少年の裁判では、われわれの社会が裁かれるともいえる。
事件の残酷さに目を向け、厳罰論をふりかざすだけでは、実益はない。少年非行の深刻さが叫ばれている今こそ、どこに対策を求めていくべきか、の冷静な分析や判断が求められている。
1989年6月29日 朝刊 2社
◆榎井殺人事件の元被告が再審請求へ 服役終えてから34年間
終戦の翌年、香川県で専売局職員が射殺された「榎井殺人事件」で、香川県弁護士会は28日、人権擁護委員会を開き、懲役15年の刑が確定、刑期を終えた元被告の申し立てを受けて再審請求の手続きをとることを決めた。近く高松高裁へ請求する。刑確定から40年、服役を終えてから34年間にわたって着せられた殺人犯のぬれぎぬを晴らしたいとしている。
再審請求をするのは、愛媛県今治市の無職吉田勇・元被告(61)=当時高松市在住。事件は昭和21年8月21日未明、同県仲多度郡榎井村(現在、琴平町)、専売局職員の高津与三郎さん(当時45)が、自宅敷地内に侵入した2人組の男に短銃で撃たれて殺された。
吉田元被告は、友人のA元被告(62)=窃盗罪などで懲役6年=とともに窃盗容疑で逮捕されたが、A元被告が「銃声が聞こえ、吉田さんが短銃を持っていたことを知った」と供述したため、殺人罪で起訴された。
高松地裁は22年12月、無期懲役(求刑死刑)の判決を言い渡し、高松高裁で懲役15年に減刑され、24年4月、最高裁の上告棄却で刑が確定。吉田元被告は高松刑務所に服役、同30年5月に出所した。
吉田元被告は1審以来一貫して否認し、61年10月、同弁護士会に救済を申し立てた。同弁護士会はA元被告からも「捜査員に強要されてうその供述をした」との証言を引き出したとしている。
吉田さんは28日夜、高松市内で、「私は何もやっていない。捜査当局のでっちあげだ」と再審に臨む決意を語った。
1989年6月30日 朝刊 1総
◆サミットの政治宣言、中国の非難めぐり調整 日本は消極姿勢
7月14日からパリ郊外デファンスのアルシュで開かれる主要先進国首脳会議(サミット)で採択される政治宣言(または声明)は、人権、東西関係、テロ対策の3つとなる方向が固まった。日本政府筋が29日明らかにしたもので、すでに事務レベル協議で基本的な合意に達しており、議長国のフランスを中心に文案の作成に入った。革命200年を迎え、サミットでの「人権宣言」採択を強く求めるフランスの要請を入れる一方、これまで政治宣言で扱っていた麻薬問題は、資金面から規制する狙いから、環境問題とともに、経済宣言に盛り込むことも固まった。こうしたことからサミットでの首脳協議では、「人権」の中で民主化運動を抑圧、国際世論の非難を浴びている中国問題をどう扱うかが最大の焦点となる。中国を名指しすることを求める欧州諸国に対し、わが国は中国を特定して非難の対象としたくない立場から米国などに同調を働きかけているが、苦しい対応を迫られることは必至だ。
政府筋によると、5月末の経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会の際、パリで行ったサミットの事前協議の場やその後の折衝で、政治アピールについては、東西関係、人権、テロ対策の3項目について出すことで各国が基本的に合意した。形態については議長国のフランスが各国の完全な合意を意味する声明または宣言とすることを要求、少なくとも「人権」については声明または宣言とすることが確認された。これに基づき、フランスが3項目について各国の意向をきき、原案づくりの作業を進めている。
これまでの非公式協議で、「人権」については、フランスが「1789年のフランス人権宣言に匹敵する高い理念を掲げたものに」と主張しており、国連憲章など人権に関する各種宣言を踏まえ、人権尊重を改めて高らかに宣言することにした。とくに、人権の尊重が西側の東側に対する精神的優位の源泉になってきたことを強調することになりそうだ。
欧州各国はこの中で、中国問題を取り上げ、民主化運動を武力で弾圧し、国際世論に抗した形で死刑を強行した中国政府に対し「非難」「制裁」を盛り込むべきだというのが基本的立場だ。
これに対し日本は「東西間の信頼関係を醸成していくためにも人権の尊重に基づく社会の開放、民主化を進めていくことが不可欠」との考え方を盛り込むことを求めながらも、中国だけを特定して取り上げることは「中国をいたずらに刺激し逆効果」(外務省筋)との立場で、米国や英国に同調を働きかけるなど巻き返しに懸命だ。しかし、27日の欧州共同体(EC)首脳会議で、新規対中経済協力の中止などを盛り込んだ中国非難声明を発表するなど、欧州側は一段と強硬姿勢を見せており、サミットでの日本の立場は厳しいものになりそうだ。
東西関係では、ゴルバチョフ政権のペレストロイカ(改革)路線を歓迎、「世界は急速に変化している」として、新たな緊張緩和(デタント)の時代に入ったことを宣言する方向だ。日本は米国とともに、ソ連評価についてなお慎重に見定める必要があるとして、アジア・太平洋地域の視点も踏まえて、楽観的評価一色にならぬようクギを刺す考えだ。「人権」で中国を批判する一方で、「東西」でソ連を評価することになれば、「国際評価での中ソのバランスを崩し、中国を重視している日本にとって最も望ましくないシナリオになる」(政府筋)からだ。
さらに、「テロ対策」では、米国が最近になって、イランをテロ支援国家として非難し、制裁措置を盛り込むよう働きかけている。各国がこれに同調する可能性は少ないとみられるが、万一、「イラン非難」が盛り込まれた場合、石油輸入などを通じ、西側の中でもとりわけイランに理解を示してきた日本にとって、これまた苦しい立場に立たされる。
一方、麻薬問題を経済宣言に盛り込むことになったのは、議長国のフランスが麻薬問題を資金面から規制することに強い関心を示しているためだ。麻薬関連国際条約の早期批准要請や麻薬取引利益の凍結のための協力などが、盛り込まれることになりそうだ。
〈注〉アルシュとは、「弓形をした門」のことで、パリ市に隣接するデファンス地区に建造されている大型国際会議場ビルにつけられた名。凱旋(がいせん)門になぞらえて「第2凱旋門」とされ、今度の主要先進国首脳会議で7カ国首脳、外相、蔵相らによる全体会議の会場となる。このため、仏政府はこのサミットの呼称を「アルシュ・サミット」としている。
1989年6月30日 朝刊 1外
◆湖南・四川で殺人・強盗犯ら計21人が死刑 中国
【北京29日=斧特派員】29日に北京に到着した湖南日報などによると、中国・湖南省の長沙、株洲などで今月22日、殺人、強盗など重罪犯13人が銃殺刑に処せられた。この13人は、一連の「動乱」「反革命暴乱」とは関係ないが、湖南省高級法院(高裁に相当)は同日、「暴乱を起こし、動乱を作り出す反革命分子と重大刑事犯に打撃を与えるのが、当面の各級法院の重点工作でなければならない」と述べている。
また四川省成都では、やはり今月20日、8人の重罪犯に対して死刑が宣告され、即日処刑が執行された。
1989年6月30日 朝刊 2社
◆新婚殺傷のタクシー運転手2人に死刑 タイ
【バンコク29日=宇佐波特派員】タイのノンタブリ地方裁判所は29日、さる3月21日、バンコク国際空港から客としてタクシーに乗った神奈川県逗子市、県立横浜平沼高校教諭、渡辺俊輔さん(32)を殺害、所持品を奪った、として強盗殺人罪に問われていたタクシー運転手スラチャイ・ミトーン(35)と同ピチット・チャラムパープ(30)両被告に対して、それぞれ死刑の判決を言い渡したほか、妻田鶴子さんに補償金約2万9000バーツ(約14万5000円)を払うよう命じた。