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死刑関連ニュース1989年 朝日新聞(6月)



1989年6月1日 夕刊 娯楽
◆巨匠ラングの4作品上映 傑作「メトロポリス」の監督


 サイレント映画の傑作「メトロポリス」の監督で、ドイツ表現派の巨匠として知られるフリッツ・ラングの作品を集めた上映会が、3日から7月12日まで、東京都文京区の三百人劇場で行われる。
 ラングは、1890年オーストリア生まれ。ウィーンでまず美術などを学んだあと、映画の世界へ進んだ。1920年代に入って「死滅の谷」「ドクトル・マブゼ」などの問題作を立て続けに発表、名前を知られるようになった。
 とりわけ26年の「メトロポリス」は100年後の世界、つまり2026年の大都会を舞台に支配者と民衆との対立をSF仕立てで描いた画期的な大作で、その独創性、スケールの大きさ、撮影テクニックの見事さで映画史に不滅の足跡を残している。
 今回公開されるのは、ラングがヒトラーに反発して米国に渡ってからつくった4作品。いずれもサスペンスもので、息づまるような話の運びはラングならではのものだ。上映スケジュールは次の通り。
 「外套と短剣」(3−16日)▽「暗黒街の弾痕」(17−30日)▽「死刑執行人もまた死す」(7月1−7日)▽「恐怖省」(8−12日)
 問い合わせは三百人劇場(電話03−944−5451)。



1989年6月5日 朝刊 2外
◆ホメイニ師、波乱の86年<年表>


 1902年 9月、ホメイニ師、イラン中西部の町ホメインに生まれる。
 26年 4月、レザ・ハーンがパーレビ王朝を開く。
 41年 9月、パーレビ国王(故人)即位。ホメイニ師は王朝独裁に反対と表明。
 63年 5月、ホメイニ師、パーレビ国王による白色革命への反対デモを指導。軍隊と衝突し、死者数千人。
 64年 11月、ホメイニ師、トルコへ追放▼12月、イラクに亡命。
 78年 10月、イラクから追放され、フランスへ。
 79年 1月、パーレビ国王が出国▼2月、ホメイニ師が帰国し「イスラム革命評議会」を設置。バザルガン暫定政権発足▼4月、イスラム共和国移行を宣言▼11月、ホメイニ師を支持する学生がテヘランの米大使館を占拠し館員を人質に、滞米中のパーレビ前国王の身柄引き渡しを要求。バザルガン内閣総辞職。
 80年 1月、ホメイニ師、心臓病で入院。初の大統領選挙でバニサドル氏選出▼4月、米政府がイランと外交関係を断絶▼9月、イラク軍がイランのフゼスタン地方へ侵攻開始、全面戦争へ。
 81年 6月、バニサドル大統領解任▼8月、イラン首相府が爆破され、ラジャイ新大統領、バホナール首相が死亡。
 85年 11月、専門家会議、ホメイニ師の後継者にモンタゼリ師を選出。
 86年 2月、イラン軍、イラク南部の要衝ファオを占拠▼11月、レバノンの米国人人質解放と武器供給をめぐるイラン・ゲート事件発覚。
                                    
      
 87年 1月、イラン軍がバスラ東郊に進軍▼6月、単独政権与党であるイスラム共和党が活動を全面的に停止▼7月、国連安保理が、イラン・イラク即時停戦決議598を全会一致で採択。米軍がペルシャ湾でクウェートのタンカーの護衛作戦開始。メッカでイラン人巡礼団とサウジアラビア治安当局が衝突、死者約400人。
                                    
      
 88年 4月、イラク軍がファオを奪還。サウジアラビア、対イラン断交▼7月、ペルシャ湾で米艦がイラン航空機を撃墜。イラン、無条件で国連安保理決議598受け入れを表明▼8月、イラン、全軍に停戦命令。イラン・イラク和平直接交渉始まる。
 89年 2月、次期後継者に指名されていたモンタゼリ師が「われわれは過去の過ちを正さねばならない」とホメイニ体制に批判的な発言。ホメイニ師、英国の作家サルマン・ルシュディ氏の小説「悪魔の詩」がマホメットを冒とくしているとして同氏に「死刑宣告」▼3月、イラン、「悪魔の詩」問題で英国と断交。次期後継者に指名されていたモンタゼリ師、失脚▼4月、ホメイニ師、憲法修正を指示▼5月、ホメイニ師、消化管の出血で手術。



1989年6月5日 朝刊 2外
◆「対話」願いつつ内戦懸念 イラン・ホメイニ師死去に西欧


 【ロンドン4日=吉田(秀)特派員】西欧とホメイニ師は、同師が79年にパリからテヘランに勝利の帰国をして以来、敵対関係にあったといえる。
 今年2月、英国作家の著書「悪魔の詩」がイスラム教を冒とくしているとして、ホメイニ師が作家に死刑宣告を下して対立が一段と激しくなったのは最近の一例である。
 西欧は、ホメイニ時代を苦い気持ちで思いおこしながら、後継者として、「対話のできる相手」が登場することを願っている。
 英政府は、作家に対する死刑宣言が取り消されれば関係を正常化したい意向を表明しており、同師の死がそのきっかけとなることを望んでいるのは間違いない。他国も理解し得る関係の構築を希望している。
 ただ、今後のイラン情勢は、後継者争いもあり、流動的で、場合によっては内戦化する恐れもある、との警戒も出ており、当面は慎重に政局の推移を見守る構えだ。



1989年6月5日 朝刊 2社
◆「仲間を返せ!」中国人留学生が涙の抗議 北京の武力制圧【大阪】


 北京・天安門広場に戒厳部隊が突入、学生らに無差別発砲し死傷者多数という衝撃的な事件に、4日、大阪市の中国総領事館前では、関西の中国人留学生らが「仲間を返せ」と、抗議行動を繰り返した。大阪空港では、中国から帰国したばかりのビジネスマンが惨事を生々しく証言した。神戸・元町の南京町では、「祖国はどうなるのか」と不安が高まっている。
        
 関西の大学で学ぶ中国人留学生らで組織する「中国民主化支援連合会関西本部」を中心にした留学生ら約300人は、午後1時前から大阪市西区靭本町3丁目の中国総領事館周辺に集まった。「トウ^小平に死刑判決を」「政府が人民をどれほど殺しても、人民は決して屈しない」などと書かれた横断幕や紙片を掲げ、スカーフを喪章代わりに左腕に巻いた女子留学生も。
 一方、総領事館側は正門のシャッターを下ろして応対を拒否。警察も「無届けの集会に当たる」として機動隊を配備し、付近を通行禁止にした。留学生らは総領事館西側でガードする機動隊員らに詰め寄り、涙声で「通して下さい」などと抗議。もみ合ううち、2人が制止を振り切り突破したとたん、せきを切ったように留学生らが正門に向け走り出した。
 総領事館正面南側で再び機動隊に阻止された留学生らは、ひざまづいて死者に対し哀悼の念をささげ、多くの学生がおえつを漏らした。解散を求める警察に対し、日本語で「人間が死んでいるんですよ」「中国共産党のまねをするな」などの声が飛んだ。
 同連合会関西本部の代表の1人で京大法学部に留学中の季衛東さん(31)が、総領事館に手渡す予定だった「李鵬政府不承認宣言」を読み上げた。「暴政に対し、人民には抵抗の権利がある。民主的な社会建設のために闘おう」などと6項目を読み上げるたび、歓声が渦を巻いた。死者に対し黙とうをささげたあと、別の留学生が中国憲法・法律集を引き裂き、燃やした。「中国に憲法は、もうない」とだれかが絶叫した。
   ◇
 ●帰国者ら惨劇に表情硬く
       
 神戸・元町の南京町には、不安と動揺が広がっている。お茶や菓子、日用品などを中国から輸入販売する会社「広記商行」の社長鮑日明さん(65)は「武力行使は間違っている。中国の動きに世界が注目している。平和な手段で解決してほしい」と話す。
 中華料理店「昌園」を経営して6年の黄棟和さん(47)は「力で解決しようとしても反発が強まるばかり。政府はそのことをよく考えてほしい。親類が住む上海でも、ついこの間、学生たちの集会があった。北京の混乱が長びくと、他の都市にも影響が及ぶのでは」と、心配そうだった。
   ◇
 発砲・流血事件が起きてから初めての帰国者が4日午後、大阪空港へ着いた。
 北京発の中国民航機から降りた久保田鉄工社員島田好昭さん(44)は、先月26日から北京にいた。「昨夜、天安門から西へ1.5キロのホテルで、銃声や、催涙弾の鈍い発射音を断続的に聞いた。朝、学生たちがバリケードにしていたバスが黒こげになっているのを見て、ぞっとした」



1989年6月9日 夕刊 2社
◆死刑廃止、吉本風喜劇で訴え 市民運動グループが大阪で上演【大阪】


 死刑廃止の運動に取り組んでいる関西の市民グループ「かたつむりの会」(事務局・大阪市北区本庄東1ノ3ノ1の大林寺、約150人)が、この問題をテーマに上方漫才風のお笑い劇「絞められて殺されて」を17日、大阪市中央区の島の内小劇場で上演する。脚本、演出を担当するのは、吉本興業の漫才やテレビ番組「ナイトinナイト」などを手がける放送作家かわら長介さん(39)。以前から死刑に深い関心を持っていたかわらさんが、同会のメンバーから「硬いと見られがちな運動のイメージを破る催しをやりたい」と相談を持ちかけられ、企画が生まれた。吉本風のギャグやコントを散りばめながら、問題点を風刺する。
          
 劇の舞台は、ある架空の国の拘置所。死刑制度ができて何年めかの「死刑記念日」の式典を祝う場面から幕が開く。
 所長、来賓の祝辞に続き、死刑の先進国・日本を視察した大学教授らが死刑の有用性を講演。このあと死刑囚たちがアトラクションとしてコント、クイズなどを繰り広げる。ここでは死刑囚が死に方を選べるとの設定で、式典終了後、この日処刑される死刑囚が「被害者の遺族に殺されたい」と希望する。遺族が登場するが、殺すことができずに、もめるうち、突然、拘置所で火事が発生……というストーリー。観客を巻き込む意外な結末が待っている。笑いの中から「死刑でいったい何が解決するのか」という問いかけをしようというのが狙いだ。
 かわらさんは岐阜大学を卒業後、来阪して、76年ごろから人生幸朗ら吉本興業の芸人の漫才の台本を手がけてきた。80年前後の漫才ブームのときには、ザ・ぼんち、阪神・巨人、やすし・きよし、紳助・竜介ら人気コンビの作品の多くを書いた。テレビ番組でも「鶴瓶と花の女子大生」「夜はクネクネ」などを企画、ヒットさせた。
 死刑の問題については、大学時代に友人の影響で関心を持つようになって以来、死刑囚の手記や冤罪事件の本を読み続けている。一昨年春、「主張を芝居で表現してみたい」と、初めて死刑をテーマにした喜劇「君は我が運命」を書いた。友人の漫才師まるむし商店らに声をかけ、自ら主演して心斎橋筋2丁目劇場で自主公演。続いて今年1月には「殺さば死ぬる」を発表。来年春に書き上げる予定の作品で「お笑いによる死刑3部作」の完成をめざしている。
 出演するのは芝居は初めてという人がほとんどで、連日かわらさんの特訓を受けている。死刑問題への発言を続けている池田浩士・京大助教授(ドイツ文学)も教授役で出演する。午後7時開演。1500円。劇についての問い合わせは「かたつむりの会」の吉光さん方(0798−65−5208)へ。



1989年6月10日 朝刊 3社
◆お笑い劇で「死刑廃止を」 関西の市民グループが連日特訓


 関西の市民グループ「かたつむりの会」が、「死刑廃止」をテーマに上方漫才風のお笑い劇「絞められて殺されて」を17日夜、大阪市中央区の島の内小劇場で上演する。脚本・演出はテレビで人気の放送作家かわら長介さん(39)。架空の国の拘置所での「死刑記念日」式典を舞台に、ギャグやコントを織り交ぜて、笑いの中から「死刑でいったい何が解決するのか」を観客に問いかけるのが狙い。出演は池田浩士・京大助教授(ドイツ文学)はじめ、芝居は初めてという人がほとんどで、連日かわらさんが特訓中だ。
 1500円。問い合わせなどは「かたつむりの会」(0798−65−5208)へ。



1989年6月13日 夕刊 1社
◆石田被告の上告棄却、死刑確定へ 埼玉・鳩ケ谷の2女性殺し


 交際していた人妻を殺し、さらに盗みに入った飲食店で女店主を殺したとして強盗殺人罪などに問われた埼玉県鳩ケ谷市桜町3丁目、無職石田富蔵被告(67)の上告審で、最高裁第3小法廷(坂上寿夫裁判長)は13日午前、「てむかう術(すべ)のない女性2人を殺害、態様も冷酷無情、残忍だ」として1、2審の死刑判決を支持し、石田被告の上告を棄却する判決を言い渡した。これで、同被告の死刑が確定する。
 最高裁で死刑が確定するのは今年2人目。
 1、2審判決によると、石田被告は昭和48年8月4日、同県川口市内の農道で、交際していた鳩ケ谷市の主婦、金子とよ子さん(当時33)から別れ話を持ち出されて激高、金子さんの首をシミーズで絞めて殺したうえ、翌5日廃油をかけて焼いた。さらに、49年9月13日未明、鳩ケ谷市桜町1丁目、飲食店「春駒」に盗みの目的で侵入、中で寝ていた経営者の原ナツエさん(当時50)に乱暴しようとして抵抗され、タオルと電気コードで絞殺した。
 被告・弁護側は、(1)金子さんについては、腹を立てて頭を殴ったら思いがけず死に至ったもので、殺意はなかった(2)「春駒」に侵入した時、原さんはすでに死亡していた。強盗殺人罪の認定は事実誤認だ、として上告していた。



1989年6月16日 夕刊 1総
◆素粒子・16日


 #ホーホー蛍こい、蛍の親父は金持ちだ、道理でお尻がピカピカだ、と岩手の子は歌った。
   ×
 尻ピカピカのわが経済大国も円の上下動で、切れかかった蛍光灯のごとし。イライラする。
   ×
 #あっちの水は苦いぞ、どころか、中国で見せしめ的死刑判決。命の水を求めて亡命続く。
   ×
 ジョンソン100メートル9秒83の光も薬物使用ではかなし。しののめにほたるの一つ行く白し 杉風
   ×
 #こっちの水は甘いぞ、とばかりに、離脱は名目だけで派閥にへばりつく金権蛍に誠なし。



1989年6月17日 夕刊 1総
◆米、死刑判決を非難 中国の民主化運動摘発


 【ワシントン16日=島田(数)特派員】米ホワイトハウスのフィッツウォーター報道官は16日、中国が民主化運動摘発で逮捕、起訴した被告に死刑判決を下したことについて、「見せしめ」の裁判であると非難した。
                                    
      
 同報道官は「市民の逮捕や見せしめのための裁判を続けても中国の安定は取り戻せない。必要なのは対話と改革であると信じている」と述べ、上海で民主化運動の被告3人に死刑判決が下されたことを、世論操作目的の「ショー」であると言明した。
 同報道官は、市民らの摘発を中国が続けていることを「遺憾である」としたが、「どのような指導者がその国を治めていようとも、それはその国民が決めたことである。米国はどんな国のどんな指導者ともやっていくつもりである」と述べ、トウ^小平・中央軍事委主席ら保守・強硬派への国際的な非難の高まりにかかわらず、米中関係をこれまで通り維持する方針であると確認した。



1989年6月17日 朝刊 2外
◆中国はどこへ 米ソの中国問題専門家に聞く


 北京の「血の日曜日」から2週間。中国では当局による“暴乱分子”狩りが行われ、上海ではすでに死刑判決を宣告されたものも出ている。強硬派指導部の主導による強引な治安回復が進む一方、中国制裁論が欧米各国で強まり、国際的な孤立化の傾向を見せている。中国はどこへ行こうとしているのか。米ソの中国問題専門家に、一連の事態をどう見るかを聞いた。
     
 ●対話欠く指導部 民主化要求揺り戻し必至
 トーマス・レクフォード氏(米戦略国際関係研究センター主任研究員)
     
 中国の悲劇は、学生の要求しているものを政府当局者のほとんどが正確に把握していなかったことから起こった。
 学生側は自由と民主化を拡大せよと政府に迫る。政府はこれに対し、既存の官僚主義体制を確保しようと血まなこになる。双方の主張がかみ合わず、全く議論にならないまま、どちらもフラストレーションが高まってしまった。それが今回の混乱の基本的な構図といえよう。
 力の強いものが弱いものをたたくというのは幼稚なけんかの常道だ。中国当局は武力で学生を制圧した形になっている。しかしこれで混乱が終結したとは私には思えない。これで終われば、中国は国際的な信望を完全に失墜したままになってしまう。
 学生側の求めているのは集会、表現、批判の自由という基本権利であり、官僚の不正に対する糾弾である。知識層から農民や労働者まで、幅広い支持を学生が得たのは、こうした主張が中国人の一般的な感情を代弁していたからだ。中国最高首脳部は、そこのところを理解できなかった。何よりも、学生らと対話しようという姿勢がなかった。これでは相互理解を築けるはずがない。
 一連の事態は米国、日本、ソ連にも影響を与えずにはおかない。とりわけ米国は中国の混乱を、より深刻に受け止めている。
 米中関係が正常化して以来、米国人は中国に親しみを感じてきた。東洋の魅力をたたえた旅行も人気があるし、米国の政治家とは異質な中国指導者の姿勢は、いつも米国人の興味を引いてきた。それがあの血の弾圧−−。米国の一般市民には、柔和な表情の中国指導者らがそんな暴挙に出るとは、にわかに信じがたいことだった。中国全体に対する深い失望感が、米国人の間に根ざし始めている。
 日本にとっては、この混乱のあと中国の経済改革がどうなるのか、その行方が気になるところだろう。
 ゴルバチョフ・ソ連最高会議議長が5月中旬に北京を訪問した時、すでに北京での学生らのデモ活動には気がついていたと思う。だが中ソ関係改善という「大事業」を前に、同議長は中国側の首脳に対し、あえて学生運動について言及しなかったのではないか。中ソ関係そのものには悪影響は少ないだろうが、ソ連は注意深く北京の動きを見守っていることだけは確かだ。
 民主化要求運動は、今後も中国内で続いてゆくと思う。中国指導部内にも、力による運動制圧に心情的に反対する人物は少なくない。現在のところ主導権を握ったとされるトウ^小平・中央軍事委主席、李鵬首相ら保守・強硬派の行く末も、完全に安泰とはだれもいえない。
 この3、4カ月の間に必ず揺り戻しがやってくると私は見ている。その時、いまの強硬派はどれほど生き残れるだろうか。強硬派内部での権力闘争もあろう。中国はこれからしばらく、ジグザグ道を歩むだろう。
 (ワシントン=島田特派員)
     
 ●戒厳令、成果なし 短期間に具体的措置必要
 セルゲイ・ゴンチャロフ氏(ソ連科学アカデミー極東研究所・中ソ関係部長)
      
 中国の改革は大きな成功を収めはしたが、たくさんの深刻な問題を引き起こした。これまではなかった新しい現象、つまり社会的な差別を生んだ。1985年5月以降の急速な物価上昇で、低所得者層の生活水準が後退しはじめ、階層分化の背景の中で、しだいに不満が膨らんでいった。
 学生たちの掲げるスローガンも、86年の終わりから87年にかけては抽象的なものが多かった。しかし今回は、国民の広範な層に理解される具体的なスローガン、つまりインフレ、買収・汚職反対などを掲げていた。だから、学生運動が大きな支持を受けたのだ。
 権力を握っている者が、私腹を肥やし始めた。食糧や原料を扱っている高官が物資を横流しし、安い公定価格で手に入れた品物を高い市場価格で売りさばき、巨額のカネを稼ぐ。いわゆる「官倒」だ。「官倒反対」は、今度の学生・市民運動の最大のスローガンの1つだった。
 学生・市民が立ち上がった主な理由として、経済改革と政治改革の落差が挙げられているが、これは表面的な見方で、この2つを対立させるべきではない。
 それに、社会主義諸国で目立ってきた「意見の複数主義」がある。これは非常に様々な利害がそれぞれの社会に存在することを反映したものだ。ソ連の場合、新しい最高会議など、様々な立場・利害を表現する政治機構がある。中国には、自分たちの利益・立場をぶつける政治システムがない。
 こうしたいくつかの原因が重なり合って学生・市民運動が大きなうねりを示したのだ。
 中国指導部は戒厳令を敷いた。だが、何も成果がなかった。指導部は、首都さえも掌握できていないと全世界に思われ、メンツをつぶされたと判断したのではないか。指導部としては、中国には強い権力が存在し、事態をコントロール出来る力があることを証明する必要に迫られたのではないか。
 今後、安定するかどうかは、今の政権にいる指導者たちの個人的なつながりや権威にかかっている。だが同時に、学生・市民運動にまで発展した根本的な問題を解決するために、短期間のうちにどれだけ具体的な措置をとれるかが、より大きな要素だ。
 現政権は複雑な状態に置かれている。第1にインテリと都市住民の間で人気が落ちた。第2は、開放政策を続けるために多くの手を打たなければならないことだ。それに、物価を安定させて低所得者層に最低の生活費を保証する措置も取らなければならない。そのためには、大規模プロジェクトを減らさざるを得ない。そうなれば失業者が出る……。あちらを立てればこちらが立たずといった複雑な課題を、今後1カ月から半年の間に、ある程度解決しなければならない。
 中国指導部は逮捕という手段だけで、学生・市民運動を抑え込めるとは思っていない。対話の継続は必要だと考えている。学生運動が再び、噴き出すかどうかは、対話が正常に動き出すかどうかにかかっている。
 (モスクワ=新妻特派員)



1989年6月17日 朝刊 2社
◆揺れる官僚選挙(こんとん参院選 リクルート事件前と後:1)


 “マシーン”動かず 戦略狂い不安増す陣営
       
 「江副のばかやろう。死刑にしたいほどだ」。激しい言葉を浴びせるのは元文相剱木亨弘氏。87歳。文部官僚OBのドンで、福岡県政の長老だ。
 剱木氏が後援会長を引き受ける柳川覚治議員は比例区から再選を目指すが、リクルートからの献金が明るみになったうえ「高石問題」のとばっちりを受ける。
     *    *    *
 参院福岡選挙区から3選を目指す遠藤政夫議員は労働省OBだが、剱木氏から12年前に地盤を引き継いだ。リクルートから夫人が11年間にわたり、計4000万円もの顧問料を受け取っていたことが判明したこともあり、いま“苦戦”が伝えられる。
 次期衆院選に福岡3区から立候補を予定していた高石邦男・前文部事務次官は、株譲渡発覚で出馬を断念した。
 「リクルートさえなければ、みんな楽々と当選できたのに」と剱木氏。官僚マシーンを使って文部省と福岡県政に隠然たる力を持ち続けようとした戦略が狂い、怒りは収まらない。
 柳川議員は、現在、文部省出身のただ1人の国会議員。中曽根派の現職で自民党の名簿登載では「上位」を予想していた。
 柳川議員は、順位を決める材料の1つとなる後援会名簿を4月、自民党に提出した。10カ月かけて集めた名簿は追加分を含め約500万人分。「高石問題がなければあと100万は上積みできた」と同事務所は残念がる。
 名簿登載順位を決めるのは党員集め、後援会員集めなど「数の勝負」といわれ、官僚出身の候補は、官庁や関係業界の力を借りる。柳川事務所も教育関係団体のほか、国立大にも後援会名簿の用紙を送り付けた。
 日教組の調べでは、わかっただけでも東工大、名古屋大、金沢大、九州大など12大学。名古屋工大では、事務局幹部が勤務時間中に用紙を職場に回したため11月、職員組合が「国家公務員法に違反する」と抗議する一幕もあった。
 相前後して高石前次官に関し、株譲渡問題や「励ます会」のパーティー券購入を文部省が全国の教育委員会に持ちかけていたことが明るみに出た。
 「このあと、潮が引くように一斉に各大学から柳川さんの名簿集めの用紙が消えていった」と日教組は指摘し、「高石問題がなければ、いまごろ、やれカンパだ、応援だと大学の現場は大変でしたよ」という。
     *    *    *
 比例区の立候補予定者は、現在、各地で集会を開いている。柳川事務所は「6年前は、地方の集会に文部省の後輩がその土地の親類や知人を派遣してくれた。今回は全然だめ」という。
 2月に予定していたパーティーも、教育問題などをテーマにしたシンポジウムに切り替えた。「前回6000人が集まったが、今回は2000人。文部省関係者の姿がめっきり減った」と同議員。
 文部省は、高石前次官が逮捕されたあと、けじめとして次の次官候補を含むエリート官僚幹部3人を更迭する人事を断行した。「官庁では、先輩の選挙を応援するのが、出世の早道といわれてきたが、高石問題で逆に命取りになった。当分、怖くて文部省の職員は選挙と名のつくものには近づけないのでは」と柳川事務所。
 文部省の国分正明官房長も「あつものにこりて、なますをふくといった状態」と語る。
     *    *    *
 一方、福岡の遠藤陣営。労働省関係を中心に地元に誘致した200近くの施設をPRする。やはり労働省との関係が頼みのツナだが、「選挙事務所には、顔を出すな」と地元の労働省出先機関の幹部にクギをさしている。裏で動くのはともかく、表で「うろうろされ、またマスコミにたたかれでもしたら」(後援会幹部)というのが本音だ。
 福岡選挙区から社会党公認で出馬する小野明参院議員は「リクルート事件がなければ、労働省、文部省をバックにした遠藤−高石の官僚連合軍に攻められ大苦戦になっていた」という。高石前次官は北九州市で教育長をしており、県の教育界への影響力は絶大。小野議員は日教組出身とあって、「教育関係者の票が相当数、遠藤議員に流れる心配があった」と分析するのだ。
 リクルート事件は「官」をバックとした選挙にも大きな影響を及ぼしている。



1989年6月18日 朝刊 3総
◆今週の動き(6月19日−6月25日)


 <19(月)>
 ●社公党首会談 東京。参院選の選挙協力や連合政権協議などで意見交換
 ●米ソ戦略兵器削減交渉再開 ジュネーブ。戦略核の半減をめざして。昨年11月から中断していた
 ●1−3月期のGNP速報 国民総生産の成長率が発表される。1988年度の政府見通し4.9%を超えるか
 ●日米電気通信交渉 ワシントン。携帯電話の日米政府間交渉。21日には小沢前官房副長官がヒルズ米通商代表部代表と協議の予定
 ●1次産品共通基金発効のための批准国会合 国連本部。国連貿易開発会議の採択から13年かけて発効に
 ●国連教育科学文化機関(ユネスコ)理事会 パリ。PLOの加盟問題を協議
 ●全国市町村教育委員会連合会総会
    
 <20(火)>
 ●百里基地訴訟最高裁判決 憲法9条と自衛隊をめぐり国と住民が31年間にわたり争ってきた
 ●4野党による第3回連合政権協議会 憲政記念館。学者らから西欧の連合政権について意見聴取
 ●4月の家計調査報告 全国8,000世帯の家計支出状況。個人消費の動向を支出面からつかむ
 ●マネーサプライ速報5月分 5月末に日銀が9年2カ月ぶりに公定歩合を引き上げたが、その背景を示す指標
 ●月例経済報告閣僚会議 景気の現状を経済企画庁長官が報告
 ●日豪渡り鳥保護会議 21日まで、東京
 ●老人の家庭介護電話相談開設 毎週火曜と木曜日、午前10時−午後5時。03−815−7230(婦人生活社)
 ●日本外科系連合学会第14回学術集会 21日まで、大阪
    
 <21(水)>
 ●衆院公選法改正調査特別委 自民党と社公民3党が別個に出した政治改革関連法案について趣旨説明
 ●輸入拡大要請会議 貿易不均衡是正のため、全国の主要企業300社に対し通産省が輸入拡大を要請する
 ●貿易統計6月上旬分
 ●固体補助ロケット燃焼試験 国産H2ロケット固体補助ロケットのテスト。種子島
 ●冷蔵庫の日(21日) 台所の片隅で1年間働きづめの冷蔵庫を見直す日に、と昭和60年に日本電機工業会が決めた。毎年「夏至」の日。梅雨真っただ中、食品もいたみやすい季節だ。今年は同工業会が、フランス旅行招待つきで、冷蔵庫の広告コピー、キャッチフレーズを募集中。
    
 <22(木)>
 ●通常国会閉幕 175日間の会期が切れる。これに伴い参院選は7月23日投票が確定する
 ●北海道電力・泊原子力発電所1号機 営業運転開始
 ●6月上旬の卸売物価指数
 ●石油統計速報5月分
 ●企業会計審議会第1部会小委員会
 ●山中温泉殺人事件最高裁判決 1、2審で死刑とされた被告が無実を主張
 ●YOKOHAMAスーパーオペラ「海光」公演 26日まで、新横浜駅前の横浜アリーナ。横浜市制100周年、開港130周年を記念する市民参加の創作オペラ。沢田研二、大地真央らが出演
    
 <23(金)>
 ●東京都議会議員選挙告示 7月2日投票、3日開票。定数128
 ●米国耐久財受注高5月分 米景気の強弱を読む有力指標
 ●奈良・大安寺「竹供養」 午前8時から。がん封じの笹(ささ)酒で知られ、竹供養のあと笹酒が出る
 ●全日本競漕選手権 25日まで、埼玉・戸田漕艇場。世界選手権派遣選手選考会などを兼ねて
 ●第71回全国高校野球選手権沖縄大会開幕 奥武山球場ほか。球児たちの夏スタート
 ●沖縄県慰霊の日 糸満市摩文仁の平和祈念公園で、県主催の沖縄全戦没者追悼式
 ●第28回日本白内障学会、第4回日本眼内レンズ学会 24日まで、国立京都国際会館。人間の白内障と動物モデルの接点などがテーマ
 ●中南米諸国外相会談 26日まで、コロンビアのカルタヘーナ
    
 <24(土)>
 ●全日本学生柔道優勝大会 25日まで、東京・日本武道館。52校が出場。団体による優勝争いで、東海大が有力
 ●全日本社会人フィールドアーチェリー選手権 25日まで、群馬県・片品村
 ●日本環境学会第15回研究発表会 25日まで、関西大学千里山学舎。大気汚染、酸性雨、エネルギー、住民運動の展開などがテーマ
 ●日本古生物学会第138回例会 25日まで、長崎大学教養部
 ●大雪山ヌプリコロカムイノミ(山の祭り) 北海道・旭岳温泉。アイヌの儀式による安全祈願。アイヌの民謡や踊りも披露。25日には山開き
 ●第2回あやめサミット(全国市町村花あやめ指定自治体交流会議) 山形県長井市。加盟25自治体のうち16市町村が参加、アヤメを活用した街づくりを話し合う
    
 <25(日)>
 ●参院新潟選挙区補欠選挙投・開票 自、社、共公認の3氏が立候補。宇野政権発足後初の国政選挙
 ●W杯サッカー・アジア1次予選=北朝鮮−日本 北朝鮮・平壌
 ●アメフット・西宮ボウル 西宮球場。東西学生のオールスター戦
 ●全日本学生自転車選手権個人ロードレース 静岡・日本サイクルスポーツセンター
 ●住宅デー 町の左官、大工さんなど職人の存在を身近に知ってもらおうとの狙いで昭和53年に全国建設労働組合総連合会が設けた。全国各地で住宅相談、木工教室、老人宅の無料補修など
 ●知られざる名曲をたずねて−第19回合唱連続演奏会 午後3時から東京カテドラル聖マリア大聖堂。ミサ形式による演奏、東ヨーロッパ諸民族の歌声など。日本合唱指揮者協会主催……………………………………
 日本付近をおおっていた高気圧は東へ移動、梅雨前線は西から北上し前線の上を低気圧が進んでくる。このため西日本から天気は下り坂に。東日本では雲が多いが、北日本では、まだ、晴れ間が多い見込み。



1989年6月18日 朝刊 時評
◆週間報告(6月10日−16日)


 ●10日(土)
 首相、パーティー収入1億円記載漏れ 宇野首相が昭和61年に開いたパーティーの収入約1億円が、自治省に対する政治資金収支報告書で、政治資金規正法で定める事業収入として処理されていなかったことが明るみに出た。
 中国の摘発本格化 戒厳部隊と公安・警察は、10日までに400人余の民主化運動指導者を逮捕した。また、物理学者方励之氏(53)夫妻の逮捕命令を出した。在北京大使館で同夫妻を保護している米政府は、引き渡し拒否を表明した。
 ●11日(日)
 綾子ちゃんバラバラ死体で発見 東京都江東区の団地そばで6日夕に姿が見えなくなった野本綾子ちゃん(5)とみられるバラバラ死体が埼玉県飯能市の霊園内で見つかった。12日、胃の内容物などから綾子ちゃんと確認。
 ●12日(月)
 灰色高官は公表せず 衆院予算委員会で谷川法相と根来法務省刑事局長が東京地検のリクルート事件捜査の概要を最終報告した。起訴された藤波孝生元官房長官と池田克也前公明党代議士以外の国会議員については「職務権限なし」か「職務と株譲渡の間に対価関係なし」のいずれかであるとする一方、「灰色高官」についても「裁判前に資料を公開しないのが原則」などの理由で氏名を公表しなかった。
 カナダが駐中国大使召還 カナダは「武力制圧への抗議を協議するため」としてドレーク駐中国大使を召還することを明らかにした。
 ●13日(火)
 宇野内閣、最悪の支持率 朝日新聞社の世論調査で、宇野内閣は支持28%に対し不支持44%で、1955年の保守合同後の歴代政権のうち成立直後では最悪の支持だった。
 中曽根元首相に「抽象的な職務権限」 参院予算委員会で法務省の根来刑事局長は、リクルート事件で、中曽根元首相については「抽象的な職務権限があったことを否定するわけではない」と述べた。
 個人貯蓄が700兆円突破 預貯金や投資信託、保険などに株式を加えた個人貯蓄残高が今年3月末で746兆5000億円に達し、初めて700兆円の大台に乗った。
 ●14日(水)
 政府専用機調達でリベート疑惑 中曽根政権当時の昭和62年に政府が購入を決めた政府専用機2機の調達問題が衆院外務委員会で取り上げられ、社会党の井上一成氏が(1)日本政府とドル決済で直接契約したとする販売元の米ボーイング社の説明と、ボ社代理店の伊藤忠商事と円建てで契約したという政府の説明が食い違う(2)前渡し金は通常総額の2割程度なのに、既に6割近い200億円が伊藤忠商事に支払われている、として「リベートだ」と追及。政府側は「(伊藤忠の)代理店としての証拠書類も取っている。契約書で(前渡し金の)支払い時期と金額は明記されている」と「疑惑」を否定した。
 金泳三氏、「北」の許タン書記^と会談 韓国の統一民主党の金泳三総裁がモスクワ訪問中の6日、朝鮮民主主義人民共和国の労働党政治局員兼書記、許タン氏と極秘に会談していたことを明らかにした。
 ●15日(木)
 円相場が乱高下 東京外為市場でドルが急騰、1年10カ月ぶりのドルの高値である1ドル=151円30銭で終わった。しかし、そのあとニューヨーク市場でドルが値崩れしたことから、16日の東京市場は一転ドル売りが殺到、終値は145円05銭とわずか1日で6円以上も動く乱高下となった。
 中国大使館員が亡命希望 在京中国大使館領事部の馬秋耘さん(27)が亡命を希望し、日本政府に保護されていることが明るみに。同大使館は身柄の引き渡しを日本政府に求めていることを明らかにしたが、政府は「一切ノーコメント」とした。
 民主化闘争3人に死刑 上海市で起きた列車焼き打ち事件で、同市中級人民法院が被告3人に死刑判決。



1989年6月18日 朝刊 2社
◆吉本風ギャグで死刑廃止を訴え 大阪・かたつむりの会 【大阪】


 死刑廃止運動に市民グループ「かたつむりの会」による上方漫才風のパロディー劇「絞められて殺されて」が17日夜、大阪・ミナミの島之内小劇場で上演された。吉本興業の漫才の台本などを手がける放送作家かわら長介さん(39)の作、演出。会場は約300人の観客で超満員。重いテーマを吉本風のギャグでつないだやりとりに、何度もわいた。
 ある国の拘置所を舞台に、死刑囚にふんしたかわらさんと、同会のメンバーが繰り広げるコントに客席は爆笑に包まれたが、「死刑だって殺人と変わらないじゃないか」という囚人のせりふに、しきりにうなずく観客も。



1989年6月19日 夕刊 1社
◆夏の街に残る冬 「平息」宣伝に躍起 戒厳令から1カ月の北京


 【北京19日=清水(勝)記者】首都北京に建国以来初めての戒厳令が布告されてから1カ月を迎えた19日、当局の手であわただしく「血の弾圧」のあとがぬぐい去られた天安門広場に、真夏を思わせる強い日差しが照りつけた。街角では非番の兵士がアイスキャンデーをなめ、アベックが人気の「美式快餐庁」(アメリカ式ファストフード店)に長い列を作る。その一方で、逮捕した「暴徒」へのスピード死刑判決が見せしめに連発され、深夜の一斉車両検問が続く。昼と夜の顔を使い分けた戒厳体制がすっかり日常化しつつある。
          
 〈兵士ばかり〉
 いま、テレビのニュースで1日に最低100回は聞かれる言葉が2つある。「平息(ピンシー)」(平定)と「慰問(ウェイウェン)」だ。反革命分子を「平息」した戒厳軍部隊を市民や各団体の代表が続々と「慰問」し、活躍を大いにたたえている、というのだ。
 「兵士が暴徒に殺された」現場には、紙製の手作り花輪が並び、市民が記念写真をとる姿が19日も見うけられた。しかし、同じ場所で多数の市民、学生が軍の銃に倒れたことは、だれも語ろうとしない。死んだ兵士の母の、涙もかれ果てた顔がアップで流れるテレビ画面に、殺された学生、市民の遺族が登場することはない。
 一方で、軍の存在を無視するような市民の意地も感じさせる。「戒厳軍に敬意を表す」という大きなスローガンが張られた建物の1階では、若者に大人気のディスコが「正常営業」の張り紙を出している。公園の木陰では年寄りたちがトランプに夢中になり、屋台が並ぶ自由市場では女の子たちがパンティーストッキングを値切ろうと駆け引きを延々と続けている。
        
 〈国威の発揚〉
 来年9月に北京で予定されている中国初のアジア大会が、予定通り開けるのか。内外の危ぶむ声を打ち消そうと、中国政府は「準備はすべて予定通り、順調」と懸命にPR。戒厳軍も13日と16日の2日間、市北郊にある選手村の工事現場に1000人の兵士を動員した。
 アジア大会は、今回の事件が国際世論に与えたダメージを回復し、国威発揚をはかる絶好のイベントになるだけに、いっそう政治色を濃くしてきた。
 大会まであとちょうど500日となった先月9日から、大PR活動が始まった。ところが、学生のハンストと重なり、一流スポーツ選手たちも「我らも熱血漢だ」と書いたプラカードを持って支援デモに参加した。その選手たちもいま、戒厳軍の慰問に駆けつけている。
 そんな中で、「経済大国」日本の対応がより重視されつつある。日本の関係者には「企業スポンサーが思うようには集まらないのでは」と危ぶむ声も出ている。中国唯一のスポーツ専門紙「中国体育報」は「(各国の)140社がすでに協賛を決定」と伝えているが、今後、さらに日本の各企業へ熱い視線が送られそうだ。
       
 〈そろり商売〉
 北京に駐在員を置く日本企業約300社のUターンラッシュは、三塚外相の自粛要請があり、19日でようやく終わり。それでもオフィス街には、退去前のまだ3分の1程度というが、約200人の企業マンが早足で事務所を出入りしている。7日に出した「退去勧告」はいまも有効だというのが、日本政府の見解。日本大使館はいまも、空港や日本人の立ち寄るホテルの計8カ所に、居所を連絡するよう呼びかけるビラを張っている。が、「半数ほどしか知らせてきてはいないようだ」という。
 各社の間では、「当面、もう大丈夫だろう」という見方が一般的。だが、経済活動の全面再開となると、欧米の冷たい視線が気になるところ。ある商社マンは「ひとまず再帰国させる社もある。目立たないように、が合言葉」と語る。
       
 〈観光ピンチ〉
 中国観光局は「旅行は安全、夜間の娯楽も十分楽しめます」と海外向けに異例の「公告」を14日発表した。前日には戒厳令布告と同時に閉鎖していた天安門裏手の故宮を再び開放したばかり。「公告」はさらに、日本など各国旅行代理店が「北京に来て自分の目で安全確認することを歓迎する」と呼びかけた。
 一流ホテルも美人従業員をえりすぐって北京空港で“客引き”を始めた。日本の報道陣とわかると、ホテルのマネジャーが近づいてきて「いつになったら日本の団体客がくるのか」。
 だが、北京にある旅行会社は、「軍隊がいる所へ来るわけがない」と冷たい。年間60万人という最大のお得意先からも逃げられ、早くも身売りするホテルのうわさも飛び交い出した。



1989年6月19日 朝刊 1外
◆平静さの中、重苦しい空気 戒厳令から1カ月の北京


 【北京18日=斧特派員】北京に戒厳令が布告されてから19日で丸1カ月。天安門広場を武力鎮圧した「血の日曜日」からも2週間たつ。当局側の「暴乱分子」狩り、密告奨励、死刑判決など、懸命の抑え込みに、市内には表面的な平静さと裏腹な重苦しい空気が漂っている。「階級闘争」という言葉が久々に人民日報の紙面に躍ったり、海外からの批判を「反中国……」ときめつける排外思想の再登場など、文革時の恐怖政治復活の兆しさえ感じ取れる。
     
 「6・4事件」と76年4月の「天安門事件」には、多くの共通点とともに相違点も目立つ。事件を「計画的・組織的反革命……」「極めて少数の下心ある悪い者が……」と表現しているところは全く同じだ。
 根本的に違うのは、天安門事件で鎮圧に当たったのは公安警察と民兵で、群衆を殴り、死者が出たという説もあるが、少なくとも発砲はしなかった。また今回の「6・4事件」で戒厳側は徹底的にテレビを宣伝と弾圧に利用した。天安門広場や北京飯店などに設置した監視カメラ、モニターテレビ、果ては外国テレビ局が撮影し、衛星中継などで送った未編集画像なども勝手に活用した。テレビがほとんど普及していなかった13年前とは大違いである。
 14日付の人民日報は「一部の都市で重大事件が連続発生したのは何を意味するか」と題する郭玉冰署名論文を掲載。「わが国では、階級闘争が一定範囲内で引き続き存在し……」と、各地の騒乱が階級闘争の反映であると意味づけた。胡耀邦・趙紫陽時代を通じて、ほとんど語られなくなっていた「階級闘争」という言葉が復活していることにも現体制の性格がうかがえよう。
 海外からの虐殺非難を「反中国大合唱」ととらえ、排外思想をあおるやり方も、文化大革命時代そっくりだ。中国人は文革中、海外からの文革批判を「反中国大合唱」だと、それこそ耳にタコが出来るほど聞かされている。
 というのも、トウ^小平・中央軍事委主席ら長老組や、失脚が伝えられる趙紫陽総書記らは文革受難組なのに対し、戒厳態勢の前面に立つ高級幹部子弟グループは、多くが文革中も所属機関の「革命委員会」幹部に収まっていた。文革受益組であり、精神土壌は文革中の極左派のそれと余り変わりがない。こうしたイデオロギー重視派が、保守派長老の後押しを受けて戒厳態勢の中核を占め、とくに宣伝部門を抑えている−−と当地の西側観測筋は指摘する。
 従って、当局がいくら「改革・開放政策に変化はない」と繰り返し表明しても、時代に逆行するイデオロギー重視と改革・開放路線が両立し得るか、疑問視する向きは多い。
 18日もテレビ・ラジオは全国各地でトウ^氏の重要演説学習に励んでいること、まじめに生産に取り組んでいるとのニュースを流し続けた。天安門事件のあとも、連日学習会が開かれた。工場や商店、地域で今回の学習会の規模は、文革中を上回るといわれる。当時、「学習参加」を名目に、仕事をサボることが民衆の抵抗を示すバロメーターといわれたことを想起せずにいられない。



1989年6月19日 夕刊 1総
◆塚本社長の遺体発見 自供通り生駒山中 元警官ら再逮捕へ 【大阪】


 4年前に起きた大阪市浪速区の会社社長塚本成就(しげなり)さん(当時53歳)=兵庫県西宮市高須町2丁目=の失跡事件で、大阪府警捜査1課と阿倍野、浪速両署は19日、窃盗容疑で逮捕し、「塚本さんの死体を埋めた」と自供していた大阪市平野区平野西3丁目、元大阪府警平野署巡査で建設作業員の赤石基=もとい=(28)と、同市阿倍野区松崎町4丁目、出版会社員川島孝文(32)の供述に基づき、奈良県生駒郡三郷町の山中での捜索を再開したところ、正午前、塚本さんとみられる遺体を発見した。同捜査1課は両署に合同捜査本部を置くとともに、2人に対する容疑を強盗致死、死体遺棄に切り替えて再逮捕し、事件の本格的な追及に乗り出す。同府警では去年、堺南署員による拾得金横領事件、枚方署員によるシンナー少年に対する特別公務員暴行陵虐致死事件と、相次いで不祥事が発生、綱紀の粛正につとめていた。今回の事件でも、当時の上司らの監督責任を問うて処分する。
          
 遺体が見つかったのは大阪、奈良府県境の生駒山系南端の信貴山(437メートル)山頂近くにある農業公園造成地の一角。捜査1課は16、17日の両日、延べ約140人の捜査員を動員、掘削機やパワーショベルも使って約400平方メートルにわたって造成地の東側斜面を掘り起こしたが発見できなかった。しかし、遺棄場所についての赤石らの供述内容が一貫して変わらなかったことから、同課は19日、捜索を再開し、南側斜面を中心に掘り起こした。
 捜査本部の調べによると、2人は塚本さんと別れた川島の姉(38)の荷物を引き取るため、85年8月18日午後1時ごろ、塚本さん方を訪れた。同3時半ごろ玄関口に顔を出した塚本さんを捕まえて押し入り、後ろ手に縛って2階の寝室に閉じ込めた。塚本さんが姉の衣類を切りさいたことに「金を出せ」と因縁をつけ口論になり、外国製高級腕時計、ダイヤの指輪など貴金属類27点(時価計約1300万円相当)を奪った。川島がまくらを塚本さんの顔に押しつけたところ、塚本さんがけいれんを起こして死んだため、2人は同夜、死体を塚本さんの車に乗せて奈良県下の山中にまで運んで埋めた疑い。車は大阪府南河内郡美原町内に乗り捨てた。
 当時、大阪府警では塚本さんの親類から捜索願が出されて捜査を始めたところ、(1)塚本さんの会社の経営は順調で、自殺や家出の動機がない(2)姉がふだんから塚本さんに乱暴され、川島が恨みを抱いていた(3)8月18日に川島と赤石らが、塚本さん方に内妻の荷物を取りに行き、その直後から、行方が分からなくなった−−ことなどから事件に巻き込まれた可能性が高いとみて、川島らから事情を聴くとともに、塚本さん方の金庫からなくなった貴金属の行方を探していた。
 川島が85年秋、塚本さんのダイヤの指輪など貴金属数点をブローカーに売りさばいていたことが間もなくわかり、赤石が塚本さんの腕時計を知り合いのブローカーに15万円で売っていたことが今月になって判明。捜査本部は12日に2人を窃盗の疑いで逮捕、自供に合わせて16、17の両日、奈良県・三郷町の山中で遺体を捜索したが発見できず、17日夕で作業を中断していた。
        
 〈注〉強盗致死罪
 刑法240条に「強盗人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ7年以上ノ懲役ニ処ス 死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス」とある。この「死ニ致シタルトキ」には殺意があった場合のいわゆる強盗殺人と、強盗の際に人を死なせた場合を含む。



1989年6月19日 夕刊 1総
◆強盗致死罪<用語> 【大阪】


 刑法240条に「強盗人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ7年以上ノ懲役ニ処ス 死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス」とある。この「死ニ致シタルトキ」には殺意があった場合のいわゆる強盗殺人と、強盗の際に人を死なせた場合を含む。



1989年6月20日 夕刊 1総
◆中国政府の「自制期待」 農民らの死刑判決で三塚外相


 三塚外相は20日の参院外務委員会で、中国当局が民主化要求運動を武力制圧したあと、学生や農民、労働者らを次々と逮捕し、このうち農民、労働者に即座に死刑判決を下していることについて「司法上の問題はあるとして、民主主義国であるわが国の基本的価値観と相入れるものでない」と、中国当局の性急な判決を批判するとともに、「(中国に)自制を要望、期待したい」と述べた。
 外相は中国当局に厳しい姿勢を示していたが、死刑判決を批判し、中国政府の自制を求める発言をしたのは初めて。矢田部理氏(社会)の質問に答えた。



1989年6月21日 夕刊 1総
◆国連事務総長も中国学生らの助命嘆願


 【ニューヨーク20日=横井特派員】国連スポークスマンによると、デクエヤル事務総長は18日、当地の中国国連大使に電話で、死刑判決が下されている学生らの助命を嘆願した。



1989年6月21日 夕刊 1総
◆素粒子・21日


 国民の自民批判は頂点をすぎた、と幹事長。そこでわれ自嘲して『ふじの山』風に歌わん。
   ×
 #あたまを雲の上に出し/四方の民を見おろして/批判の声を下にきく/自民は日本一の党
   ×
 法の違いはあるにせよ、早いね、上海の死刑確定。朝ニ判決アレバ夕ニ殺スモ可ナリ、か。
   ×
 船が氷山にぶつつかつて一ぺんに傾き(『銀河鉄道の夜』)かけたが、全員無事のソ連船。
   ×
 けふ夏至やざる蕎麦啜り平教師 星野麦丘人(江國滋『きまぐれ歳時記』)。蕎麦に酒も!



1989年6月21日 夕刊 1総
◆米、対中制裁を強化 全高官の接触禁止 商務長官、訪中を取りやめ


 【ワシントン20日=島田特派員】米政府は20日、中国当局による民主化運動摘発と運動家らへの死刑判決が相次いでいることに態度を硬化、これまでの軍関係者に加え全政府高官の対中接触を全面的に禁止するなど、中国への対決姿勢を一層鮮明にした。米国はさらに強硬に出ることも示唆しており、79年の国交正常化以来初めて、米中関係は険悪な様相となってきた。
                                    
      
 ホワイトハウスはこの日緊急声明を発表、当面、次官補(日本の本省局長レベル)以上の全政府高官が中国側と接触することを中止し、国際金融機関などに新規の対中借款を延期するよう求めたことを明らかにした。これにより7月10日に予定されているモスバカー商務長官の初めての訪中は、取りやめになった。
 同声明はこの措置が、「民主化を要求した市民への、中国当局の暴力と報復行為に対する、米国の対応」であるとして中国を非難。あらたな対中制裁策であることを明らかにした。
 ブッシュ大統領はすでに対中武器禁輸と軍関係者の米中交流停止を発表しているが、対中制裁措置としては実効性がないと米議会から批判が強まっていた。米政府がここで中国に対して一歩強硬姿勢を進めたのは、こうした米国内の世論を反映したものである。
 実質的な政治折衝を担当する次官補級以上の高官の接触が禁止されることで、米中関係は政治、経済、社会問題での事務レベル協議に著しい支障が生じることになろう。対中借款実施の見合わせは、中国の国家建設と経済開放政策の前途に暗い影を投げかけるものである。
 また、ベーカー国務長官は、同日上院外交委員会(ペル委員長、民主)で証言し、今後の中国政府の対応や事態の進展に合わせて、米国も対中政策を見直さねばならないと述べ、米国が対中措置をこれから緩和するか、あるいはさらに強化するかは中国側の出方次第であるとの見解を明確にした。
 一方、ホワイトハウスのフィッツウォーター報道官は同日、外交ルートを通じて米国が公式に中国の死刑判決に抗議、助命要請を中国最高首脳部に伝達したと語った。
 同報道官によれば、上海と北京で活動家らへの死刑判決が出されたことを深く憂慮するブッシュ大統領は、ベーカー長官を通じて中国側に抗議することを指示。米政府は19日、韓叙駐米中国大使を国務省に呼んで、死刑囚への米政府による助命要請書を手渡した。一連の北京の混乱に関連して、米政府が外交文書で公式に中国側に要請したのは初めてのことである。
 同報道官は、「もし死刑が執行されれば、この数週間の(混乱の)傷口を深めるばかりである」と警告。世界各国が米国に同調することで効果はより高まるとの見方を示し、中国の非人道的行為に対し日本なども対中圧力を増してほしいとの期待を示唆した。



1989年6月21日 夕刊 2社
◆山中温泉殺人事件、共犯の自白が焦点 22日に最高裁判決


 石川県・山中温泉で昭和47年、元タクシー運転手が白骨死体で見つかった事件で、殺人罪などに問われ、1、2審で死刑判決を受けた同県江沼郡山中町東町1丁目、蒔(まき)絵師、霜上則男被告(43)の上告審判決が22日午後1時半、最高裁第1小法廷(大内恒夫裁判長)で言い渡される。この事件は物証が乏しく「共犯者の自白」が有罪の決め手とされたが、霜上被告は無実を主張、支援運動も起きている。



1989年6月22日 夕刊 1総
◆EC、対中関係を見直し 中国の死刑執行


 【ロンドン22日=ヨーロッパ総局】上海の列車焼き打ち事件で中国当局が3人を処刑したことで、欧州共同体(EC)は21日、対中関係の検討をマドリードで26日から始まる首脳会議の議題にすることを決めた。
 また、デュマ外相が中国での外交官の削減を含めた新たな措置の検討に入ることを表明しているフランスは、ミッテラン大統領も「死刑宣告を受けているほかの被告に寛大な措置をするよう」求める声明を出した。



1989年6月22日 夕刊 1総
◆「極めて残念」 中国の死刑執行で宇野首相が見解


 宇野首相は22日午前、中国政府が助命を求める国際世論に抗して上海の列車焼き打ち事件の被告3人の銃殺刑を執行したことについて、首相官邸で記者団に対し「わが国はこれまで中国の改革開放路線を支援してきた立場から、国際世論の高まりのなかで、こうしたことが行われたことは極めて残念だ」と述べた。
 また、中国に対して制裁措置などを考えているかとただされたのに対し「考えていない。制裁という言葉は使わない」と述べた。



1989年6月22日 夕刊 1総
◆中国の死刑執行、米が「遺憾の意」 農産物の補助金付き輸出停止も


 中国当局が西側各国などからの助命要請にもかかわらず、上海の旅客列車焼き打ち事件の被告3人を銃殺処刑したことに対し、21日、各国の非難声明が相次いでいるが、米国のベーカー国務長官は遺憾の意を表明したものの追加的制裁措置については慎重な構えを示した。しかし、ヤイター農務長官は、今後の中国側の対応によっては、政策的な貿易拡大策の停止もありうることを示唆した。またフランスのミッテラン大統領は、他の死刑囚の助命を重ねて要請、欧州共同体(EC)も近く開かれる首脳会議で対中関係の検討を議題にすることを決めた。
      
 【ワシントン21日=島田特派員】民主化要求運動に関連した列車焼き打ち事件で、中国当局が上海の労働者ら3人に死刑を執行したことについて、ベーカー米国務長官は21日、「深い遺憾の意」を表明した。
 しかし同長官は、これ以上の対中追加制裁をいまのところ考えていないと言明、中国側の出方をうかがう方針を明らかにした。ホワイトハウスでブッシュ大統領と協議したあと、記者団の質問に答えた。
 同長官は米中両国が生産的な関係を維持することを、米国として今も期待しているとして、「米中間には可能な限り保たなければならない重要な関係が存在している。米国が(中国に対し)特別な行動を起こす時には、このことを十分念頭に置かねばならない」と語った。
 国務省はすでに、中国の事態の進展に合わせた米国の対応策を列挙した「対中措置リスト」を作成。最悪の場合を想定して、米大使の召還SA面的な経済封鎖の導入なども制裁可能性として考えている。
 しかしベーカー長官の発言は、米国の対中行動の前提として、両国関係を基本的に維持することを米政府が最大目標としていることをあらためて確認。これ以上の性急な中国締めつけ策の実施は、米中関係の将来に決定的な悪影響を及ぼすことになろう、との見解を示した。
 中国が3人の死刑囚を銃殺にしたことは、「米国や他の国々からの助命要請にもかかわらず死刑執行したことを、深く遺憾に思う」と述べただけで、中国が米国の要請を無視したことでさらに何らかの制裁行動をとることは「今の時点で考えていない」と語った。
 【ワシントン21日=高成田特派員】ヤイター米農務長官は21日、民主化運動を弾圧している中国に対する制裁問題に関連して、「通常の商業貿易と、補助金輸出や貿易信用とは区別するべきだ」と述べ、商業貿易への制裁措置を発動するつもりはないが、今後の中国政府の対応によっては、穀物に補助金を付けて安い価格で輸出する補助金付き輸出や、輸出入銀行が貿易を拡大するため輸出入代金の融資をする貿易信用など政策的な貿易拡大策については停止もありうることを示唆した。



1989年6月22日 夕刊 2総
◆中国学生らの死刑、指導部で対立 香港紙が報道


 【香港22日=花野特派員】22日の中立系香港紙・明報は、消息筋の話として、学生指導者や著名知識人の処罰をめぐって、中国共産党指導層に意見の食い違いが出ている、と報じた。同紙によると、楊尚昆国家主席、李鵬首相らが死刑を主張するのに対し、喬石政治局常務委員は「影響が大きく、党内の分裂をさらに拡大する」と同意していない。また、万里全人代常務委員長、李先念政治協商会議主席は懲役刑が妥当、と主張している、という。
 処刑論議の対象になっているのは、同紙によると学生指導者のほか、逮捕が伝えられている厳家其前社会科学院政治学研究所長。死刑是非については、最高実力者、トウ^小平氏は、まだ意思を表明していない。



1989年6月22日 朝刊 1総
◆中国、3人の死刑執行 西側各国、直ちに非難表明 判決の翌日に即決 


 天安門広場の武力制圧に続いて、厳しく民主化運動の摘発を進めている中国当局は21日、上海の旅客列車焼き打ち事件の被告3人を銃殺処刑した。また同日、李鵬首相は「中国人民は外圧には屈しない」と述べ、国際的非難を寄せつけないとの固い姿勢を示した。この死刑執行に対し、日本政府は「踏みとどまってほしかった」(外務省首脳)としつつも慎重な姿勢を崩していないが、サッチャー英首相やデュマ仏外相らは素早い反応を見せ中国を厳しく批判。今後、米国を含めて国際的な対中非難がさらに強まるのは避けられない情勢だ。
     
 【上海21日=堀江特派員】旅客列車の焼き打ち事件で死刑判決を受けた上海市の労働者ら3人が21日午後、銃殺刑に処された。今回の民主化運動をめぐる死刑判決は17日に北京でも8人に言い渡されているが、執行は初めて。
 銃殺されたのは上海ビール工場の労働者、徐国明、上海ラジオ18工場の労働者、厳雪栄(32)と無職、卞漢武(べん・かんぶ)の3被告。3人は今月6日深夜から翌未明にかけて、上海市北部の光新路踏切近くで立ち往生した北京発上海行き列車に放火して9両を全焼させるとともに、警察のサイドカー2台も焼いたり、消火活動を妨害した疑いで、放火罪、交通手段・設備破壊罪に問われた。
 3人の裁判は14日、上海市中級人民法院で始まり、翌日には死刑判決。3人は直ちに高級人民法院に控訴したが、20日却下され、翌日の死刑執行という中国の裁判としては異例のスピードぶりだった。事件発生以来、わずか15日間。現在、マスコミや各職場で繰り広げられている最高指導者、トウ^小平氏の重要演説学習運動など「反革命暴乱」キャンペーンの一環として、中央の意向が強く働いているものとみられる。
 21日夕のテレビは、この事件に関係した他の6人の判決を伝えるとともに、後ろ手に縛られた3人が警察官に付き添われて刑場に送られる場面を放送した。他の6人の判決は無期懲役2人、懲役12年1人、同10年2人、同5年1人。
 【北京21日=田村特派員】21日夜の中国中央テレビによると、李鵬首相は同日、北京の中南海でパキスタン外務省代表団と会見。現在進められている民主化運動摘発にふれて、「2つの性質の異なる矛盾(敵と味方の矛盾、人民内部の矛盾)を区別し、一部の法を犯した者は法律により処理し、大多数のデモやハンスト参加者は寛大、妥当に処理する」などと述べ、硬軟両様の対応をとることを改めて明らかにした。また、「中国人民は、外からの圧力に屈しない」とも述べて、弾圧に非難を高める米国など西側諸国への強い反発を示した。
 さらに西側諸国の外交関係断絶や経済制裁などについては「こうした短期間の困難により、だれが真の友人で、だれがにせの友人かはっきりした」などとも表明した。
 【ロンドン21日=小林特派員】英国、フランス、スペインなど各国政府は21日、上海の列車焼き打ち事件で中国が3人を死刑にしたことを厳しく非難した。
 英国のサッチャー首相は官邸前で「身の毛がよだつ」と述べるとともに、「民主主義の前進を目指そうとしただけの人たちを罰しないよう、中国側に呼びかけている。処刑は、犯した罪に対しまったく不釣り合いの刑だ」などと付け加えた。
 また、フランスのデュマ外相は「残虐な処刑のあった中国との関係を再検討することになるだろう」と表明し、中国での外交官数の削減を含めた新たな措置を検討するだろう、とした。同外相は、来週マドリードで開かれる欧州共同体(EC)首脳会議で中国に対してどのような措置をとるか、各国と協議するつもりである、とも述べた。
 他方、スペインのオルドニェス外相は「中国政府の野蛮さを示している」と語った。



1989年6月22日 朝刊 1総
◆「自ら孤立化、愚行始めた」 中国の死刑執行に米国務省当局者が非難


 【ワシントン21日=島田特派員】中国が上海で3人の死刑囚に銃殺刑を執行したことについて、米政府はいまのところ公式論評を控えている。ブッシュ米大統領は21日、死刑執行に対するコメントを一切拒否した。しかし、米国務省当局者は、北京の民主化運動の支持と死刑囚への助命嘆願は現在の国際世論の潮流である、と指摘。「中国は自らを孤立化に追いやる愚行を始めた」と非難した。



1989年6月22日 朝刊 2総
◆対中制裁、日本は慎重姿勢維持 政府、米中関係の悪化懸念


 政府は21日、中国当局が民主化運動の活動家らの死刑執行に踏み切ったことに衝撃を受け、今後の米中関係の一層の悪化を懸念しつつも、「司法制度の違いもあり、内政干渉とも受け取られかねないので、直接モノは言いえない」(外務省首脳)として、日本として中国政府に抗議するなどの外交的な対応や制裁措置はとらず、あくまで慎重な姿勢を続ける方針を示した。
 外務省首脳は同夜、中国の活動家ら3人の死刑執行について「大変残念だ。踏みとどまってほしかった」と、政府として極めて憂慮される事態になった、との受け止め方を示した。政府はとくに、米国政府が20日に対中制裁を強化する措置を発表した背景に、死刑執行が近く行われるとの情勢をつかんだ米側が何とかストップをかけたいとの思いがあった、とみており、「米側の受ける衝撃は計り知れない」(同首脳)としている。そして、米中関係がより悪化する事態を強く懸念している。
 日本政府の対応については、今回の死刑執行が「あくまで中国の国内法にもとづいて進められており、裁判の内容など事実関係についてすべてを知る立場になく、妥当性なども判断できない」(同首脳)ことを強調。政府が中国側に抗議するなどの措置をとることは、中国側から内政干渉と受けとられかねない、と判断している。



1989年6月22日 朝刊 5面
◆隣人として何をいうべきか(社説)


 一衣帯水の隣国で起きた悲劇に対して、日本はどう対処すればよいのか。
 中国の首都の真ん中で、世界の注目のただなかで、丸腰の学生・市民を正規軍が武力弾圧した。われわれは中国を、古い文化を持った先輩として尊敬し、アジアの平和と発展のために手を取り合う良き隣人として信頼してきた。胸が痛む。
 それだけで足りないというのだろうか。中国当局はすべてを“暴徒”のせいにして、デモ指導者に対する密告を勧め、重刑判決を下し、死刑さえ執行した。
 欧米諸国は厳しい非難を加えている。米国は、軍事援助凍結の制裁をさらに一歩進めて、高官の接触禁止に踏み切った。
 日本としては、「西側の一員」としての付き合いとか、足並みをそろえないと主要先進国首脳会議(サミット)で非難されるとかの次元のことではない。自らの民主主義の基本的価値観に照らし、人道上も容認するわけにはいかない。このことを、隣人の立場からはっきりと中国に伝える必要がある。
 日本は中国に侵略戦争をおこなった歴史の負い目があり、平和につき合ってゆきたい。経済面の関係も深い。外部からの非難に反発して中国が孤立の道を選んだ場合、その影響は欧米よりさらに深刻だ。
 このようなはざまで、外務省は中国向け援助の再点検をしていたが、新規分を凍結する方針を固めたと伝えられる。
 大局的には「中国情勢の落ち着き先を見きわめ、国際的な動向を見て検討する」という方針という。この姿勢は理解できる。
 中国は、日本にとって最大の政府開発援助供与先であり、両国の貿易関係も大きい。カネで圧力を加えるというふうに受け取られないよう、中国当局に理を尽くした説明をすることが肝要である。困難なときにこそ腹を割った意思疎通ができるように、日中国交正常化以来交流を築いていたはずである。
 国と国の外交は、政府当局同士が窓口になるのは当然だが、国民同士の尊敬と共感が基礎であることは、いうまでもない。
 経済援助は究極的には、国民の生活向上のためである。援助が権力の腐敗を生んだとの批判も、中国の一部に出ていた。事実なら、反省すべき点だ。援助を行う場合、その内容や方法は納税者である日本国民が十分に支持できるものでなくてはならない。
 中国当局は「改革・開放路線に変わりはない」といっている。
 しかし、改革・開放とは、資本や技術だけを自分の都合のいいようにつまみ食いすることではない。よって立つイデオロギーは国によって異なるのは当然としても、人間として踏むべき共通の基盤を認め合うことがなければ、真の意味での開放とはいいがたい。
 言葉だけでなくだれもが納得できる行動によって世界の理解を得る努力を、中国当局に期待したい。
 北京ではいまなお戒厳令が続き、外国人も安心して暮らせないでいる。こんな異常な状態では、経済協力をしたくても、進められないではないか。
 在日中国人留学生のあいだには、本国の混乱で不安が広まり、滞在ビザの延長希望もでているという。中国大使館員の亡命問題の処理もある。人道上の見地を含めて、悔いのない対応を心がけたい。
 学生・市民の指導者に対する報復的な追及や極刑判決は、内外ともに建設的な結果を生み出さない、とわれわれは考える。政府は中国の指導者にこれだけは訴えるべきである。「これ以上、人を殺すな」と。



1989年6月22日 朝刊 1外
◆中国、強硬路線緩めず 米の助命要請を無視 内向き姿勢強まりそう


 【北京21日=斧特派員】米国が政府高官の対中接触禁止など制裁を強化し、死刑囚の助命を要請したのを押し切るかのように、中国は21日、上海の列車焼き打ち事件の死刑囚3人を銃殺刑にした。他方、李鵬首相は「外からの圧力に屈しない」と改めて言明した。こうした中国の姿勢に対し西側諸国を中心にする対中非難がさらに強まりつつある。しかし、中国政府は、反体制知識人、方励之氏夫妻を事実上保護している米国に対し「国際法違反」「内政干渉」などとマスコミで繰り返し非難し続けており、米中関係の一層の冷却化も辞さない構えで、対外活動も当分休止、「内向き」姿勢を強めていくことになりそうだ。
      
 中国側は全国に指名手配ずみの方氏夫妻を逮捕するため、米大使館に対し実力行使に出るだろうか。文化大革命のさなかには、紅衛兵などのデモ隊が北京の英国代理大使事務所を襲撃して焼き打ちにした前例がある。しかし、現在の中国は当時とは比べものにならないほど多数の国々と外交関係を結んでおり、ひとたび「外交公館の不可侵権」に挑戦すれば、国際社会から厳しい批判を招いて、外交的にも一層孤立化を強めるのは必至だし、そのこともわかっている。
 何よりも、当局の懸命のキャンペーンにもかかわらず、中国の一般国民の対米感情は、少しも悪くなっていない。反米デモの笛を吹いても、大衆は踊りそうにない。
 懸念されるのは軍部だ。今回の流血の武力鎮圧に対する米国の最初の対中措置が「軍事援助・軍事交流の停止」であったことから、このところ中国軍内部で対米感情が急速に悪化していると指摘する向きもある。当局の反米宣伝を最も単純に受け入れかねないのは軍で、軍の暴走が止められるかどうかで今後の展開も違ってこよう。
 今回の「暴乱」事件にからんで、上海の死刑囚3人を死刑執行したことで、米国はじめ西側先進諸国の反発が一層強まるのは必至。中国の方も意地になって反論を繰り広げることになりそうだ。このところテレビやラジオに登場する中国人学者の主張は、人権感覚が全く異なるし「アメリカの200年の法体系は中国の実情になじまない」というものだ。
 外交孤立化の打開のため、中国は最近しきりにソ連・東欧傾斜のそぶりをみせている。実際には、中国をもう一歩味方に引きつけることが、ソ連にとってそれほど益になる状況でもない。いまだに「チャイナ・カード」の重みがあるかのように振る舞っているあたりも、中国の外交がほとんど機能しなくなっている表れかもしれない。
 李鵬首相は20日、非同盟諸国が中心となってつくっている「77カ国グループ」の発足25周年に祝電を打ち、中国各紙はそれを異様に大きく扱った。同グループは開発途上国をほぼ網羅するが、ふだんなら国際面で小さくしか扱われなかったろう。「世界中にあまねく中国の友人がいる」ことを、強調しなければならないのだ。
 モスバカー米商務長官をはじめ外国要人の訪中も、中国高官の外国訪問も次々に取りやめが続いている。中国の対外活動はほとんど休止せざるを得ない情勢で、当分、「内向き」姿勢を強めることになろう。



1989年6月22日 夕刊 2社
◆不倫の戒め 仮出所の女性殺人犯が手記(ニュース三面鏡)【名古屋】


 24年前に起きた不倫問題に絡む名古屋港殺人事件の主犯とされ、いまは仮出所して働いている女性Aさん(59)がこのほど「私は不倫殺人の主役だった」というタイトルの手記をまとめ、東京の出版社から発刊された。「恥を忍び、事実をそのまま書くことにより、不倫女性に警告したいと思いました。私のような不幸が二度と起きないように」とこの女性は訴えている。
 Aさんはいま、東京のアパートで一人住まい。昼間はビルなどの掃除の仕事をし、夜は食堂の洗い場で働きながら、ざんげの日々を送っている。市販が始まった手記では「花田千恵」という筆名になっている。300余ページにわたって、公務員の夫や息子との幸福な家庭が、不倫によって壊滅状態となった様子が赤裸々に描かれている。
 事件は昭和40年に起きた。岐阜市で営んでいた土建業が倒産、不倫相手でもあったその共同経営者に関係打ち切りを求めたが聞き入れられず、自宅に押しかけられて暴力をふるわれた。第三者の男3人に90万円で仲立ちを頼んだら、3人は男を名古屋港に沈めて殺した。Aさんも主犯として起訴された。
 名古屋地裁の公判では死刑を求刑されたが、判決は無期懲役だった。名古屋高裁は検察、弁護双方の控訴を棄却、無期懲役が確定した。事件を担当した塚平信彦弁護士は「被害者と男の3犯人が全部悪い」として上告を勧めたが、Aさんは「私同様、生活が破壊された被害者のご遺族を考えると、裁判は続けられない」として刑に服した。
 和歌山、笠松(岐阜県)の両刑務所に収容され、58年に仮出所した。36歳から53歳まで刑務所暮らしだった。
 膨大な裁判記録を克明に読んだ。当時の新聞記事を求めて国会図書館や名古屋、岐阜の図書館に通った。メモを記録した大学ノートは十数冊になった。生まれて初めて原稿を書き、62年夏から1年半かけて、402枚にまとめた。紹介を受けた東京の恒友出版(電話03−402−1631)に今年初め持ち込んだ。
 ノンフィクション作家でもある斉藤繁人恒友出版社長は、最初は二の足を踏んだが、Aさんの真剣な考えや原稿の内容に打たれ、同じ女性の編集者を数カ月間専属にして出版にこぎつけた。
 塚平弁護士は「事件の原因はヘビのような、オオカミのような男だ。興味本位でなく、女が一生と引き換えに得た教訓として読んでほしい」といっている。



1989年6月22日 夕刊 1社
◆「あの夜一緒」真実届いた 「山中温泉殺人」死刑破棄 【大阪】


 「真実の声がやっと届いた」−−。昭和47年、殺人などの疑いで逮捕され、一貫して無実を訴えながら、1、2審とも死刑判決。「アリバイがあるんです」と一人息子、霜上則男被告(43)の無実を叫び続けてきた父母の悲痛な願いが22日、実った。最高裁第1小法廷が、1審の金沢地裁を支持した名古屋高裁金沢支部の死刑判決を破棄、審理のやりなおしを命じたのだ。裁判長の言葉を傍聴席で一語一語、かみしめるように聞いていた父鉄男さん(69)、母美弥子さん(68)。そのやつれた顔に17年ぶりに笑顔が戻って来た。そして、救援の輪を全国に広げてきた支援者らとともに力強く言った。「次は無罪判決だ」。
                                    
      
 「よかった。ありがとう」。法廷から出た父鉄男さんは、弁護士らの手を握った。母美弥子さんは涙で声が出ない。「感無量です。(無実を)確信してました」と話す鉄男さんの目も涙でくもっていた。
 息子の無実を、父母が確信したのは、逮捕されてまもなく、共犯者の自供による犯行日時を知ってからだった。「あの夜、居間で『地の果てまで』というテレビ番組を見ていたら、寝間着姿の則男が2階から下りて来た」。アリバイを主張し続けたが、取り上げてはもらえなかった。
 昭和50年10月、金沢地裁は死刑判決の宣告。有罪の決め手は遊び仲間の共犯者の自供だった。「裁判を信じていた。すぐに釈放されるものと思っていた」美弥子さんは驚いた。「自供には信頼性がない」。最初から事件を手掛けてきた林又平弁護士(89)も無実を確信していた。
 鉄男さんは1代で工場を持ったほど、腕のいい蒔(まき)絵職人だった。漆器業界が好況だったこともあって、金銭的には余裕もあり、息子の新居を建てるための貯金をするほどだったが、長引く裁判のためにそれも使い果たした。自宅は人に貸し、約1キロ離れた蒔絵工場に移り住み、先祖からの山の木も売った。
 が、期待をかけた昭和57年1月の名古屋高裁金沢支部も控訴棄却。
 すがる思いでいた58年8月、山中町で、冤罪(えんざい)事件の救済などを手掛ける日本国民救援会の「第38回総会」がたまたま開かれた。死刑囚として初めて再審無罪を勝ち取った免田栄さんが来ていると聞き、父母はかけつけて訴えた。「息子を助けて下さい」。
 1年かけて事件を調査した救援会は翌59年、全面支援を決定。7月には「山中事件霜上則男君を守る会」も結成され、これまでに同会が集めた「無罪判決」を求める署名は全国各地の3000団体、15万人にのぼった。
 弁護団は、冤罪事件で知られる「八海事件」を担当した原田香留夫弁護士らも加わり、27人に。この間「守る会」主催の8回にわたる現地調査のほか、新たに内藤道興・藤田学園保健衛生大学教授(法医学)による被害者の衣類、頭蓋(ずがい)骨の鑑定などから「凶器はヨキでなく、石である可能性が強い。共犯者の自供には矛盾がある」と主張してきた。
 「まちがいなく無罪だ」と信じる多くの支援者らに支えられ、期待を膨らませてこの日に臨んだ老父母だった。それでも、過去2回裏切られてきた2人の心には、最後まで不安がつきまとっていた。
 開廷前の午後零時半、最高裁南門前で、支援者たちの集会が開かれた。支援者約130人の中には、死刑判決から逆転無罪となった松山事件の斎藤幸夫さん(58)、松川事件の赤間勝美さん(58)や徳島ラジオ商事件の故冨士茂子さんのおい渡辺倍夫さん(63)らの顔も見えた。



1989年6月22日 朝刊 1経
◆けいざい5分間(22日付)


 ●米、対中制裁を強化
 米政府は20日、中国当局による民主化運動摘発と運動家への相次ぐ死刑判決に態度を硬化し、全政府高官の対中接触を全面的に禁止するなど、中国への対決姿勢を一層鮮明にした。
 ●大企業に輸入拡大要請
 通産省は21日、銀行、証券、保険を除く主要大企業313社に対し、製品輸入の拡大を要請した。輸入の伸びが昨年後半から鈍り始めたうえ、最近の円安で貿易黒字が拡大する恐れが出てきたため。
      
 ○田淵節也・日本証券業協会会長「東証平均株価はこの1年半で50%も上がり、もうからない方がおかしい状況だった。しかし、日本経済の好調さはピークを打った感じもあり、いつまで好収益をあげられるか」(21日の記者会見で、証券業界に対する「もうけすぎ批判」に触れ)
     
 ●日米電気通信問題、最終局面
 日米電気通信摩擦の最終決着を目指して訪米した小沢前官房副長官は、21日朝からウイリアムズ米通商代表部(USTR)次席代表との交渉を開始した。米モトローラ方式の自動車・携帯電話で譲歩案を示し、同日午後からのヒルズUSTR代表との会談で決着を図る。
 ●ソースコード国産を
 自民党の安全保障調査会など国防3部会の合同部会が21日開かれ、日本の次期支援戦闘機(FSX)の日米共同開発計画をめぐり、米側が開発を譲らない飛行制御用コンピューターソフト(ソースコード)について、「米国製品には故障の実績がある」と、日本による自主開発を求める声が相次いだ。
 ●夢の超ノッポビル
 地上1000メートルの巨大ビルの建設構想を21日、竹中工務店と環境システム研究所が発表した。ビル総重量は600万トン、総床面積は東京都港区の5分の2に匹敵する800ヘクタール。しかし、敷地面積は30ヘクタールあれば建設可能、という。
 ●日米賢人会議のメンバー内定
 21世紀に向け日米間の政策指針をつくる民間人の集まり、「日米賢人会議」のメンバーが21日までに固まった。日本側は委員長に予定されている斎藤英四郎・経団連会長ら6人、米側は委員長のハネウエル会長、エドソン・スペンサー氏ら8人。
 ●株価大暴落から素早い回復
 21日まとまった野村、山一、大和、日興の大手4社の1989年3月期連結決算(半年分)によると、各社とも過去最高水準の業績を記録。ニューヨーク法人も業績が回復し、87年秋の株価大暴落から素早い立ち直りを見せている。



1989年6月22日 朝刊 2社
◆見せしめ…恐れた通り、中国の死刑執行に関西留学生ら衝撃【大阪】


 「暗黒裁判そのものだ」「近代国家のやり方とは思えない」−−。民主化要求運動をめぐって上海市の労働者3人が銃殺されたニュースは、関西で中国政府の武力鎮圧への抗議を表明してきた人たちにも、大きな衝撃を与えた。
 「見せしめのための死刑判決なので執行は早いと思っていましたが、恐れていた通りになりました」。中島みどり・大阪女子大学教授(中国文学)は声を沈ませる。今月初め、学生、市民への弾圧に反対する大学内の署名を呼びかけ、李鵬首相あての抗議文を駐日中国大使に送った。「弾圧はますます強まるでしょう。私たちの力はささやかですが、中国人の人権を守るために少しでも行動したい」。今後、中国人留学生の滞在期間延長を日本政府に要望するなどの支援活動を進める。
 中国の民衆の気持ちを日本人に伝えるため、今月17日に「中国人留学生の訴えを聞く会」を開いた語学教室「アジア語研」(大阪市中央区)の小林正弘主幹は「行きつく所まで来た、という感じだ。非情な殺人鬼ならともかく、彼らは愛国心に燃える清純な若者たち。日本政府も大規模な経済制裁に踏み切るべきだ」と語調を強めた。
 6月10日の大津市議会に「中国政府の暴挙中止を求める意見書」を提出、可決された緑風会幹事・金井長純市議(保守系無所属)は「恐ろしいことだ。このような不幸がさらに広がらないよう祈っている。軍の圧力で民意を抑えているようだが、処刑で治まるとは思えない。日本も対中政策をはっきりさせる時期なのではないか」と話していた。
 一方、約30人の中国人留学生が暮らす吹田市5月が丘北の大阪大学留学生会館。ある阪大留学生は、3人処刑のニュースに「天安門であれだけ殺したのだから、予測はついた」とぽつり。「政府がいかに民主化のうねりを恐れているかの証明でしょう」と言葉を続けた。京都市左京区に住む京大留学生は「国際社会の一員としての祖国は、地に落ちたと思う。恥ずかしい」と言ったきり、黙り込んだ。



1989年6月22日 朝刊 2社
◆中国政府の弾圧・処刑に抗議 在日留学生ら、民主化支援の募金も


 中国で民主化運動の参加者の摘発が進むなか、上海の旅客列車焼き打ち事件に加わったとして3人が銃殺刑に処されたことに対し、日本で学ぶ中国人留学生らで組織する在日中国人団結連合会(カク一生^、楊中美、李廷江代表)が21日夜、東京・渋谷の山手教会で記者会見し、怒りの声をあげた。また、今後も民主化運動への支援を続け、天安門広場の武力鎮圧で負傷した学生、市民を救援する募金活動を行うことを明らかにした。
 在日中国人団結連合会は中国人の留学生、学者、華僑らで5月27日に結成した。
 銃殺刑の死者を悼み、黒ネクタイで会見に臨んだ李代表は「中国人として悲しかった。でも、理想はまっ殺できない。天安門広場で亡くなった人たちや死刑判決を受けた民衆が求めている中国が実現される日を強く信じている」と語った。
 同団体はこの席で、日本をはじめとする国際社会が中国政府のファシズム的行為を中止させるため緊急措置をとるよう訴えた。さらに同日午後、楊代表が自民、社会、民社、公明各党の国会議員らに「人道的立場、中日友好の立場から、中国の弾圧をやめさせるよう働きかけてほしい」などの要請書を手渡したことを明らかにした。
 天安門広場の武力鎮圧での負傷者に対する救援金は、これまでの同団体の抗議活動で集めた資金にカンパを加えて送る計画。送る方法はこれから検討するとしている。同団体の募金委員会の連絡先は03−5992−0629(ファクスも可)。



1989年6月23日 夕刊 1総
◆対中国経済制裁を求め相次ぎ法案提出 米議会


 【ワシントン22日=高成田特派員】米議会で、民主化運動を弾圧している中国に対する経済制裁を求める法案が次々に提出され始めた。限定的な制裁にとどめている米政府に経済面での制裁を促すのがねらいで、最恵国待遇のはく奪、海外民間投資公社(OPIC)の保証禁止、原子力や電気通信など高度技術の移転禁止など。中国が運動参加者への死刑執行などを続ければ、米政府はこうした議会の圧力を受け経済制裁に踏み込むことになりそうだ。その場合、国際的な協調がないと効果が少ないことから、日本などへの同調要請が強まることになる。



1989年6月23日 夕刊 1総
◆素粒子・23日


 こちらに死刑判決破棄あればあちらに即決処刑あり。人と権力の判断に誤りは付き物だが。
   ×
 銀河には太陽系がざらにあるそうな。お天道様(おてんとさま)がいくつもあるにしちゃあ、よく降るねえ?
   ×
 国会終わり、都議選告示で選挙の季節へ。お天道様に顔むけならない人もいるのだろうが。
   ×
 3人いれば派閥、と金丸氏。けじめを、見ざる、聞かざる、言わざる、の3猿じゃないの?
   ×
 社党はほおを緩めっぱなし、と土井委員長の不安。緩みっぱなしはクラシック・パンツも?



1989年6月23日 夕刊 2社
◆市民団体が談志さんの発言でTV朝日に抗議 免田栄さん再審無罪


 テレビ朝日の番組「プレステージ」に今月1日未明に出演した元参院議員の落語家立川談志さんが、再審無罪の確定した元死刑囚・免田栄さんについて、元法相から聞いたという形で「やってねえわけねえんだ」と発言したことに対して、「無実の人々を救おう! 連絡協議会」など11市民団体は22日までに、テレビ朝日に抗議文を出した。「発言は免田さんの名誉を棄損し、えん罪被害者の復権の努力をちょう笑するもの」としている。



1989年6月23日 朝刊 1総
◆最高裁、死刑判決を破棄 共犯者の自白、疑問 山中温泉殺人事件


 石川県・山中温泉で昭和47年、元タクシー運転手が白骨死体で見つかった事件などで殺人、死体遺棄、強盗致死未遂の罪に問われ、1、2審で死刑判決を受けた同県江沼郡山中町東町1丁目、蒔(まき)絵師霜上則男被告(43)の上告審で、最高裁第1小法廷(大内恒夫裁判長)は22日午後、「被告と犯行を結びつける唯一の直接証拠だった共犯者の自白には、信用性に幾多の疑問がある。1、2審の証拠だけで被告を有罪と認めることは許されない」として2審判決を破棄、名古屋高裁に審理をやり直すよう命じる判決を言い渡した。最高裁が死刑判決を破棄した例は他に松川、八海、仁保、幸浦事件などがあるが、これらはいずれも昭和20年代の発生で、最近の事件での死刑破棄判決は極めて異例だ。捜査だけでなく、それをチェックすべき刑事裁判のあり方をも、改めて問うこととなった。
      
 霜上被告が問われていたのは、元タクシー運転手に対する殺人・死体遺棄事件と、友人に対する強盗致死未遂事件の2件だった。この日の判決は本体の殺人事件についてのみ判断し、併合罪のため2審判決を一括して破棄した。これまでの例から、差し戻し審で殺人・死体遺棄事件については無罪となる可能性が開けた。
 殺人事件は、47年7月26日、山中町の林道わきの谷川で同県加賀市山代温泉幸町、元タクシー運転手出嶋武夫さん(当時24)の白骨死体が発見された。石川県警は2日後に、出嶋さんの知人で木地製造手伝いのA元被告(41)を逮捕(1審で懲役8年が確定、服役ずみ)。「遊び仲間の霜上と一緒に殺した」というA元被告の自白により、A元被告を刺したもう1つの事件で拘置中だった霜上被告も再逮捕された。
 霜上被告はA元被告を刺傷した強盗致死未遂事件は大筋で認めたが、出嶋さん殺害事件への関与は一貫して否認した。
 これに対し1審の金沢地裁、2審の名古屋高裁金沢支部の判決は、A元被告の自白をよりどころに、霜上被告が、A元被告に借金をさせたうえ関係者を殺して金を奪い、犯行をも隠そうとした一連の事件だ、と認定。霜上被告は(1)47年5月11日午後9時ごろ、A元被告と2人で、借金の保証人だった出嶋さんを乗用車で林道に連れ出し、後部座席で出嶋さんの左わき腹を小刀で刺した後、引きずり出してヨキ(マサカリに似た刃物)で頭を殴るなどして殺害。死体を谷川に捨てた(2)さらにその3日後、A元被告を殺して金を奪おうと、加賀市の林道に連れ出してA元被告の胸や顔を小刀で刺したが、抵抗されて失敗した、などとして霜上被告に死刑を言い渡した。
 最高裁判決は、まず「本件で被告と犯行を結びつける直接証拠はA元被告の自白のみである」としたうえで、この自白の信用性について検討。
 (1)自白では、「霜上被告は、倒れた被害者の足元か胴体の横からヨキで殴った」とされているが、被害者の頭部骨折の鑑定によれば、逆に頭の方から殴打しなければ形成されない傷だ(2)被害者の着衣に残る刃物の傷と疑われる損傷部位と、「左わき腹を刺した」との自白は符合しない(3)A元被告は、死体放置の状況を詳しく自白しているが、当夜は月もない暗やみで、よく見えなかったはずだ(4)凶器とされたヨキなどが見つかっていない(5)1、2審の有罪の裏付けとされた霜上家の乗用車後部座席に検出された血は、付着位置などから、A元被告の自白する犯行状況と全く異なっている、ことなどを指摘した。
 そのうえで判決は「A元被告の自白は想像に基づいたものではないかと疑う余地があり、それらが取調官に影響された可能性を否定し難い」と述べ、「2審判決は重大な事実誤認をした疑いが顕著であり、破棄しなければ著しく正義に反する」と結論づけた。



1989年6月23日 朝刊 1総
◆北京でも7人処刑 国際世論さらに反発 中国の民主化運動摘発


 【北京22日=田村特派員】天安門広場の武力制圧に続く民主化運動摘発が進む中国で22日、武力制圧の前後に北京で戒厳部隊と衝突し、死刑判決を受けていた労働者、農民ら7人が処刑された。上海で行われた旅客列車焼き打ち事件の3人の被告に対する処刑に続くものだが、北京での処刑は初めて。こうしたスピード判決と死刑執行に対しては、米国など西側諸国は一斉に強く反発しているが、この日の北京での処刑は国際世論の反発にさらに火に油を注ぐことになろう。
 22日の新華社電によると、7人は17日に北京市中級人民法院(地裁に相当)の公開裁判で死刑判決を受け、同市高級人民法院(高裁に相当)に控訴していたが、22日午前に棄却され、直ちに処刑された。
 処刑されたのは、北京市回教徒医院職員、林昭栄▽北京市公共バス会社車掌、羅紅軍▽農民(河北省新楽県)班会傑▽陳堅▽祖建軍▽王漢武▽張文奎の7人の被告。
 いずれも3日から5日にかけて、北京市内で戒厳部隊の兵士を殴ったり、投石し、軍用車両やバスに放火、軍服など軍用物資を盗んだなどとされ、「反革命暴乱の中での重大な刑事犯罪」として極刑に処された。
 一方、22日の北京放送によると、湖南省長沙市で4月22日の胡耀邦・前共産党総書記を追悼する運動の中で「破壊や略奪を働いた」として逮捕されていた27被告の裁判で、1被告に死刑(執行猶予2年)および政治的権利終身はく奪、26人に懲役の判決が言い渡された。



1989年6月23日 朝刊 1総
◆「非常に残念」 北京の死刑執行で塩川官房長官


 塩川官房長官は22日午後の記者会見で、労働者ら7人が同日、北京市で死刑執行されたことについて「さきの上海での死刑執行といい、今回の北京といい、非常に残念だという気がする」と述べた。



1989年6月23日 朝刊 3総
◆「死刑執行続くまい」 中国の強硬策収束か 外務省首脳


 外務省首脳は22日夜、中国当局が死刑執行を続けていることについて「今のところ、このあとに死刑判決を受けそうな人がたくさんいるとは聞いていない。今後もどんどん判決、死刑を執行して行くとは思わない」と述べ、今回の中国政府の強硬措置はひとまず収まるのではないか、との見方を示した。さらに、今回の措置については「米国や西欧諸国が批判を強めていることに対して、中国政府として外国からの圧力には屈しない、という態度を国内向けにも示す必要があると判断したためではないか」としている。
 また同首脳は、趙紫陽共産党総書記をはじめとする柔軟派の今後の処分について、袁木国務院(政府)スポークスマンが先日、米国のテレビとの会見で「ある人物が動乱を支持する過ちを犯した」と発言をした点に注目して、「権力の中枢と相談した上での発言であることは間違いなく、処分の対象は(趙紫陽氏ら)小人数に限られると思う」との見通しを示した。



1989年6月23日 朝刊 3総
◆思い複雑、親中国政治家ら 民主化運動弾圧に声二分(時時刻刻)


 天安門広場の武力制圧に続いて、活動家の死刑執行−−中国当局の民主化運動の弾圧を、「日中友好」に深くかかわってきた親中国派の与野党政治家らは、複雑な思いで見詰めている。米国をはじめとする西側各国は人道上の観点から対中非難を強めているが、日本政府は「極めて残念な結果」(宇野首相)と、憂慮を表明しているものの、その対応は日中関係への配慮もあっていまひとつ「及び腰」。日中友好の「井戸を掘った」人たちを中心に意見を聞くと、日本政府に「き然たる態度」を求める意見と、「慎重な対応」を促す声にほぼ二分された。一方、「今回は遠慮したい」と発言を避けた人も多く、日中間の微妙な関係をうかがわせた。
                                    
      
 ●一貫した態度を
 戦後、覚書貿易交渉などで日中のパイプづくりに努めてきた
 古井喜実さん(85)
 (元法相、日中友好会館会長)
 「巨大な中国人」とつき合うには、10億の民のパワーを信じ、大きな目盛りで歴史の流れを見ないといけない。学生ら若者の民主化運動は当然であり、変わらぬ中国人のパワーを感じさせた。ただ権力好きの年寄り連中が、それを逆手に取ってたたいたに過ぎない。民衆の運動の大きな流れに比すれば、これは「はずみ」だ。中国に対してのわが国の対応は、短兵急であっては困るが、優柔不断のそしりを受けぬよう、一貫した態度は必要だろう。
                                    
      
 ●成り行きを見る
 1963年に当時の周恩来首相と懇談するなど、中国要人との付き合いも深い
 宇都宮徳馬さん(82)
 (参院議員、日中友好協会会長)
 天安門で起きた学生運動、大衆運動による若いエネルギーが巨大な軍事力によって粉砕され、多くの犠牲者を出すことがあれば、最も望ましくない事態だ、と思ってきた。新中国への世界からの期待を裏切ることになるからだ。それが実際に起きてしまった。中国自身のためにも日中友好のためにも、望ましからぬ方向へ進んでいる。ただ、どう批判し、忠告するかとなると、残念ながら真相がよく分からず、判断する材料がない。大きな関心を持ってもう少し成り行きを見守るしかないなあ。
                                    
      
 ●正邪はっきりと
 故松村謙三代議士に同行して1959年に訪中して以来、日中友好の増進に努めてきた
 田川誠一さん(71)
 (進歩党代表、衆院議員)
 中国の国内問題ではあるが、いくら体制が違うといっても、思想上の問題や体制に反対したということで、簡単に人の命を奪うのは行き過ぎだ。改めてもらわないと、国際的な信用を失う。残念なことであり、こういうことが再び起こらぬようお願いしたい。
 日中間には過去に特別の経緯があるが、過去のことと現在のことは区別して判断しなければいけない。親しい関係であればあるほど、正邪の区別をはっきりと言うことが必要であり、奥歯にものがはさまったような態度は、かえって信頼関係を損なうと思う。
                                    
      
 ●人道上許せない
 国交正常化の橋渡しをした1971年の公明党「竹入訪中団」のメンバーだった
  大久保直彦さん(53)
 (公明党副委員長、衆院議員)
 非常に残念な事態になっている。21世紀を展望した中長期の国際関係を考えれば、日中友好は当然の願いだが、死刑執行が事実なら人道上、容認できない。隣国の友人としての発言が『勧告』にとどまるのか、内政干渉なのか、微妙な一面を持っているが、中国が国際社会の一員として諸外国から批判されることのないような状態が早く訪れることを渇望している。
                                    
      
 ●開放策生かして
 田中内閣時代の1972年、自民党日中正常化協議会長として党内調整に奔走した
  小坂善太郎さん(77)
 (衆院議員、元外相、日本国連協会会長)
 昨年会ったトウ^小平さんは好々爺(こうこうや)という印象で、人民解放軍に発砲を命じたとは思えない。北京、上海、広州には、仕事を求めて田舎から大勢の人が来ており、これらの人が暴徒となることを恐れたのだろうか。処刑もひどすぎる。ただし、多くの日本人が中国に居住しているだけに、日本は現実的な対応をすべきだ。ブッシュ米大統領のようにムキになったり、「やはり自由主義が良い」と声高に言い過ぎることもよくない。中国に、日本が台湾に接近するのではないか、と疑念を持たせ、ことをこじらせる。中国が開放政策を変えないよう、慎重に見守ることが大切だ。
                                    
      
 ●党間交流中断も
 1972年9月の国交正常化後、北京の日中青年交流センター建設などに努力した
  田辺誠さん(67)
 (前社会党書記長、衆院議員)
 反革命の名のもとに民衆を死刑にするのは人道上、絶対に許せない。旧日本軍による中国民衆の殺りくという歴史があるだけに、なおのこと、権力による民間人弾圧は見るに忍びない。
 日本政府は、き然とした態度を表明し、経済援助の停止などは、中国の対応を見た上で決めればいい。社会党と中国共産党との党間交流も、中国側が態度を改めないなら、当面は差し控えた方がいい。また、私を含めクリスチャンの国会議員の代表を派遣し、死刑執行停止などの意見を伝えることも検討したい。
                                    
      
 ●静かに説得せよ
 国交正常化直後の1973年から4年間、日本の初代中国大使を務めた
 小川平四郎さん(73)
 (日中協会副会長)
 事実関係がよくわからないという前提はあるが、あえて言えば、中国共産党は学生らの民主化運動が将来、反共運動に発展するのではないかと恐れ、過剰防衛的なことをしたのだろう。各国が非難するのは当然だが、非難しすぎると中国当局は反発してますます死刑執行を繰り返す。そうなっては愚の骨頂だ。静かに説得すべきだろう。日本政府はもう少し様子を見て「心配しているよ」と言ってあげるべきだと思う。



1989年6月23日 朝刊 5面
◆えん罪を防ぐために(社説)


 「まだ最高裁がある」
 「八海事件」を素材にした映画『真昼の暗黒』は、死刑を宣告された被告が鉄格子越しにこう叫ぶ印象的なシーンで終わる。
 「共犯者」とされる人物の自白以外に証拠がほとんどない点で「八海」とよく似ている17年前の殺人事件「山中事件」で、最高裁が2審の死刑判決を破棄し、名古屋高裁に審理のやり直しを命じた。
 被告は、一貫して無実を主張し、上告審では、事件に注目した支援グループによる救援活動も広がっていた。法律判断が中心で、事実調べに踏みこまないのが通例の最高裁が、共犯者の自白を詳細に検討し、信用性に疑問を投げかける判断を示したのは異例のことであり、「まだ……」の声がようやく最高裁に届いた、といえそうだ。
 死刑判決が最高裁で破棄されたケースは、昭和20、30年代では「八海」をはじめ、「二俣」「幸浦」「松川」などの事件がある。しかし、科学的な証拠収集が重視されはじめた近年では珍しく、45年の「仁保事件」判決以来19年ぶりのことだ。
 これらの事件がすべて無罪となったこと、差し戻し審で検察側から有罪の決め手となる新証拠が出される可能性は少ない、などから、殺人罪については、無罪になる公算が大きくなった。
 共犯者の自白をうのみにして、証拠の十分な検討を行わなかった捜査当局や、ずさんな捜査に目をつぶり、不十分な証拠で被告を死刑台におくる判断を下した1、2審の裁判所は、深刻な反省を迫られよう。
 「八海」は、戦後の暗い世相のなかで起きた強殺事件だった。犯行を認めた男が、5人の共同犯行だと供述。他にはっきりした証拠がなく、男の単独犯か、全員の犯行か、をめぐって最高裁だけでも3回審理をやり直す大裁判になった。
 今回の山中事件は、「共犯者の自白」以外に確たる証拠がないことのほか、その「共犯者」が自分は主犯でないとし、有罪を認めて早々と服役してしまった点でも、「八海」と同じ構造を持っている。
 犯人が自分の罪を軽くしようと他人を引っ張りこむようなことは、起きうることであり、そうした「自白」には、厳しい吟味が必要であることはいうまでもあるまい。
 最高裁判決は、共犯者の「自白」を詳細に点検し、被害者の頭部の傷や、着衣の傷が自白と矛盾すること、自白を裏付ける凶器もみつかっていないなどから「信用できない」とし、これらの証拠だけでは有罪と認定できない、との結論を導いた。
 それにしても、国民の目から見て納得できないのは、最高裁が抱いたような疑問が、どうして1、2審段階でチェックされなかったのか、裁判所が違うだけで、なぜこうも結論が違ってしまうのか、という点だろう。
 「八海」も、通算7回の裁判で、被告は死刑と無罪の両極端を、何度も行き来させられた。「事実」はひとつであり、基本的な証拠はほとんど変わらないのに、有罪、無罪の認定が揺れ動くのでは、裁判の権威は損なわれかねない。
 事実を認定し、人を裁くのは、重く、困難な仕事だと思う。そこで指摘しておきたいのは、刑事裁判官の中に、「犯人を逃がさない」任務を重くみるあまり、結果として証拠の評価を誤ることがありはしないか、という点である。
 「疑わしきは被告の利益に」の鉄則に立って厳しい証拠の検討を行う。ここにしか、誤判を防ぐ道はない。



1989年6月23日 朝刊 1外
◆米、国際世論の圧力で対中国制裁狙う ソ連・東欧にも期待


 【ワシントン22日=島田特派員】米政府は中国に対する第2弾の制裁措置として、全政府高官の対中接触禁止や国際金融機関による中国への新規借款供与の見直しなどを求めたが、民主化運動摘発を進める中国当局が22日も処刑を続行したことで、米議会の多数派はさらに強力な制裁策の導入を政府側に迫る方向でまとまりつつある。ブッシュ政権はこれに対し、ソ連や東欧などにも中国非難の同調を呼びかけ、今後は全面制裁策によらず、世論の圧力で中国を追いつめたい考えだ。
           
 米国が公式の外交ルートを通じて中国の死刑囚の助命を要請したにもかかわらず、その直後に死刑執行が行われたことは、米議会の激しい反発を呼んだ。
 上下両院の多数を占める野党・民主党では、全面的な経済制裁の導入以外に中国首脳部への打撃策は考えられない、というのが大勢の見解である。
 与党の共和党でも、パックウッド、ハンフリー両上院議員ら党内有力議員がブッシュ大統領のこれまでの対中措置を、「問題にならないくらい軟弱」と批判。思い切った強硬策を支持する動きを見せている。
 しかし対中制裁を限定的なものにとどめたい、というのがブッシュ政権の一貫した姿勢である。全面的な経済制裁は米中間の基本的な関係を損なううえ、中国当局をより硬化させて死刑執行を進めるばかりであるとの見通しから、「政策の可能性としては考えられても、現実に実施することは困難だろう」(米政府高官)と、ホワイトハウスは取り合わない構えだ。
 米中間の国交を断絶することは、「現在の世界外交の中で何ら生産的なものとならない」(ヘルパーン・スタンフォード大学助教授)という点では、米政治学者、国務省関係者の見解はほぼ一致している。
 ブッシュ政権にとって問題は、議会内に高まっている対中圧力を和らげ、米中関係を基本的に維持しながら、その一方で中国の民主化を回復するうまい方策が早急に得られるかどうか、ということにある。
 ベーカー国務長官は20日の上院外交委員会の証言の中で、ソ連の対中姿勢をとりあげ、「日和見的である」と述べた。
 国務省当局者の説明によると、ベーカー長官はソ連を非難したわけではなく、米国などと一緒にソ連も積極的に中国非難に同調してほしい、という要望を込めた発言だったという。
 米国は具体的な措置行動による対中制裁を一応ここまでにして、あとは国際世論の高まりを待つ戦術に向かい始めているようだ。東欧、第3世界にも外交ルートを通じて米国は呼びかけを進めている。
 西側同盟国の全面支持はもちろん、ソ連・東欧圏、第3世界まで含めた世論が一斉に中国の民主化促進を求めれば、中国指導部も無視できなくなるだろう、というのがブッシュ政権の戦略的な読みといえよう。その意味で今後、日本にも有形無形の要請が米国から増えることが十分に予想される。



1989年6月23日 朝刊 1外
◆サルマン・ルシュディ氏への死刑宣告変更せず イラン議長語る


 【モスクワ22日=時事】訪ソ中のラフサンジャニ・イラン国会議長は22日、モスクワのプレスセンターで記者会見し、「悪魔の詩」の著者サルマン・ルシュディ氏に対する故ホメイニ師の死刑宣告を取り下げる意思のないことを明らかにした。



1989年6月23日 朝刊 1外
◆死刑非難に裁判所反論 上海


 【上海22日=堀江特派員】中国の民主化運動にからむ上海市の列車焼き打ち事件犯人の死刑執行について、上海市高級人民法院の李国光副院長は22日、内外記者団や外国企業の上海駐在員らに事情説明をし「世界のどの国でも交通手段・施設の破壊に対して厳罰を科している。政府転覆罪に次ぐ重罪であり、刑法の規定によって判決を下した」と述べて、死刑の正当性を強調した。
 李副院長は徐国明ら3被告が消防ホースで9両目の車両をグルグル巻きにして転覆させようとしたほか、車内に入ってライターで放火したなどと犯罪事実を説明した。
 この結果、車両9両が全焼、郵便物942袋が焼け、50時間にわたって列車の運行がストップした。
 李副院長は、交通手段・設備破壊罪と放火罪は、刑法で「10年以上の有期、無期懲役または死刑」と定められていると、死刑判決の根拠を指摘。事件後、わずか15日間で死刑執行というスピード処理については、83年の全人代常務委で、社会治安に厳重な影響を及ぼす犯罪分子の裁判は迅速に行うために、起訴状を受け取った後、直ちに開廷し、控訴期間を10日から3日に短縮するよう改正したと説明した。



1989年6月23日 朝刊 1経
◆「北京へのUターン批判はおかしい」 経団連副会長


 中国で民主化運動を進めた人たちの死刑執行が続いていることについて、斎藤英四郎経団連会長は22日の記者会見で「中国にも人道的な配慮というものが当然あるはずなのに、なぜ死刑が執行されるのかわからない。(コメントするには)もう少し事態の推移を見守る必要がある」と述べた。
 また、この会見に同席した河合良一副会長(日中経済協会長)は「商社やメーカーの社員の北京へのUターンを『エコノミック・アニマル』と批判するのはおかしい。中国が戒厳令を出した時に、書類やカネを置きっぱなしにして帰国した社員もおり、それらを整理するために戻った者もいる。仕事をするためとは一概にいえない」と述べた。



1989年6月23日 朝刊 1経
◆けいざい5分間(23日付)


 ●米欧で中国への批判高まる
 中国当局が民主化運動に加わった人たちの死刑を執行し始めたことで、米議会内では21日、中国に対する経済制裁を求める声が高まった。欧州共同体(EC)も対中関係の見直しを、26日から始まる首脳会議の議題にすることを決めた。
           
 ○米上院民主党のミッチェル院内総務「貿易で得られる経済的利益よりも重要なものがあることを、米国が示すときが来ている」(21日、ブッシュ大統領に対中経済制裁の検討を求めて)
        
 ●日本は制裁措置を考えず
 宇野首相は22日、中国での死刑執行について「極めて残念」と述べたが、対中制裁措置については「考えていない」と言明。一方で、米国などへの配慮から、政府が企業に自粛要請をしているため、経済界からは反発の声が出ている。
           
 ○春名和雄・丸紅会長「批判されるのは不本意。我々は火事場泥棒をするような気はまったくない」(政府が商社などの北京駐在員の帰任自粛を求めたことに反発して)
                 
 ●中国、巨額の国債発行へ
 中国政府は22日までに、総額120億元に上る1989年国債の発行通知を出した。通貨の発行量が多すぎて、インフレに拍車をかけている現状に歯止めをかけるため、余剰通貨を回収するのが狙い。引き締め策の一環とみられる。
 ●通信摩擦の決着は持ち越し
 日米電気通信摩擦の解決に向けて、小沢前官房副長官は21日(現地時間)、米通商代表部のヒルズ代表と会談したが、事前の非公式交渉で自動車・携帯電話の周波数割り当てなどに関する隔たりを埋め切れなかったため、事務レベルでさらに詰めて決着させることで一致した。
 ●就職戦線、空前の売り手市場
 就職情報出版会社が22日まとめた来春学卒者の採用計画調査によると、文系、理工系ともに74%の企業が「昨年より求人を増やす」としており、今年の就職戦線は史上空前といわれた昨年を上回る「超売り手市場」となりそう。
 ●「報酬少ない」とFRB辞任
 米連邦準備制度理事会(FRB)のロバート・ヘラー理事は21日、現在の報酬(年収約1200万円)が少なすぎることを理由に辞任を表明した。7月末で退職し、最大手のクレジットカード会社VISAの副社長に就任する予定。
 ●円安進み卸売物価上がる
 日本銀行が22日発表した6月上旬の総合卸売物価指数は89.5で、前旬に比べて0.1%、前年6月に比べて3.5%上がった。円安が進み輸入物価が上昇したため。



1989年6月23日 朝刊 1経
◆米の「制裁」同調迫られる日本(気流)


 中国の「暴乱」に関連して、中国当局が民主化運動に加わった人たちの死刑を執行し始めたことで、米議会内では中国に対する経済制裁を求める声が急速に高まってきた。米上院民主党のミッチェル院内総務は21日、「貿易で得られる経済的利益よりも重要なものがあることを、米国が示すときが来ている」として、大統領が貿易に関連した制裁措置の検討をするよう求めた。
 米国は、経済制裁については慎重だが、それでも、議会の圧力を受けて、世界銀行など国際機関が中国向け融資を見合わせていることへの支持を表明したり、ヤイター農務長官が補助金付きの穀物輸出や貿易信用の供与停止を示唆するなど、次第に制裁強化に傾いてきている。
 アフガニスタンに侵入したソ連への穀物輸出の禁止が、相手よりも自国農業に大きな打撃を与えたことで、米国内には経済制裁の効果を疑問視する向きが多い。80年の大統領選で、レーガン候補が対ソ輸出禁止の解除を公約にカーター大統領を破ったのに倣って、昨年の選挙でもブッシュ陣営は穀物の輸出禁止をしないという公約を繰り返したほどだ。
 それにもかかわらず、経済制裁の有効な策として穀物輸出の禁止が論議される背景には、「民主主義」や「人権」の普遍的な価値を米国民の多くが抱いていて、「中国の国内問題」(弾圧中止を要請した米議員への駐米中国大使の回答)といわれてもたじろがない自信がある。
 米国の「おせっかい」は、中国だけでなく、対中国制裁に足並みをそろえない国に対しても向けられるのは必然で、日本がその標的になる可能性は十分ある。アパルトヘイト(人種隔離)政策を続ける南アフリカ共和国に対する制裁でも、南アへの制裁強化よりも、制裁で漁夫の利を得ている国への制裁が米議会で論議され、日本が非難されてきた。
 南ア黒人運動の指導者でノーベル平和賞を受賞したツツ師が昨年ワシントンを訪れたとき、どんな制裁が必要かと問われて「南アを支配している人々にアパルトヘイトをやめさせる分別をたたき込むことだ」と答えている。中国に分別を促す分別を日本は持てるのか、米国の制裁の余波はそれが試される機会になりそうだ。
  (ワシントン=高成田特派員)



1989年6月23日 朝刊 1社
◆家族ら、「最高の判決」 「山中温泉殺人」死刑破棄 【大阪】


 「ありがとう。無罪へ、戦い抜きます」−−。石川県で昭和47年に起きた山中温泉殺人事件の裁判で22日午後、最高裁の「原判決破棄、差し戻し」判決の朗報を金沢刑務所で聞いた霜上則男被告(43)=石川県江沼郡山中町=は、面会の弁護士に喜びの涙を見せた。この日の判決は、有罪の決め手とされてきた自白と物証の間の矛盾を詳細に指摘、「これらの証拠だけで被告を有罪にすることは許されない」と断じた。息子のために戦ってきた両親は同じころ、東京の最高裁内で記者会見し「息子によかったね、と話したい」と、笑顔を見せた。
      
 金沢市田上町の金沢刑務所に拘置されている霜上則男被告には、本田祐司弁護士と飯森和彦弁護士の2人が22日午後1時52分、判決を伝えるため接見に訪れた。
 2人によると、霜上被告はこの1週間、食事ものどを通らず、5キロやせたといい、接見室では極度の緊張のためか青白く、げっそりした顔で待機していたという。2人が入室した途端、いすから立ち上がって透明な仕切りに手をつき、目を大きく見開いて口もとに注目した。「破棄差し戻しですよ」と本田弁護士が告げると、霜上被告は接見室の机につっぷしてむせび泣き、2人はそれ以上声をかけることもできなかったという。
 数分後、いくぶん落ち着いて「えん罪をはらす機会を与えてくれた最高裁と、私を支援して下さった多くのみなさんに感謝します」といったあと、「この日のために、17年間という人生を犠牲にしてきました。今までどんなことがあっても泣いたことはなかった。初めて見せた涙です」。泣きはらした目で、弁護士らを凝視しながら、「私の無罪が証明されるまで戦い抜きます」といい、やっと喜びの表情を見せたという。
 霜上被告は、無実を訴える手紙を1日2通、支援者に書くのが日課。2度の死刑判決に「もうだめかも」と弱気になる両親には、「殺していないんだから、死刑になるはずがない」と、逆に励ます気丈さもみせていた。
 一方、両親の霜上鉄男さん(69)、美弥子さん(68)は同日午後2時、弁護団とともに最高裁内の一室で記者会見に臨んだ。
 「望み得る最高の判決」とまず、鳥毛美範弁護士(37)。菅野昭夫弁護士(46)は、「判決は、灰色でなく、シロを基調としている」と評価した。続いて鉄男さんが、用意したメモを見ながら、「ただちに則男を釈放してもらいたい」。静かな口調。「無罪が出るまでは油断できないと思います」と語った。
 「息子さんに何と言ってあげたいか」と尋ねられた美弥子さんは、「よかったね、必ず無罪を頂けるよ、と話したい」。なごやかな表情を浮かべた。
 見た目には、落ち着いていた2人だが、記者団から年齢を尋ねられたのに対し、「28歳です」と、美弥子さん。一瞬の沈黙の後、「あ、68歳です。うれしくて、間違えちゃった」。会見場は爆笑に包まれた。
 「一番苦しかったのは?」との質問には、「事件の起きた当時は、おどろきと、うろたえと……」。言葉を探す美弥子さん。そして、「一口に言えないけれど、いろいろ苦しみもありました」。言葉の外に、17年間の重みが、のぞいた。
 傍聴した支援者たちの中には、松山事件で再審無罪を得た斎藤幸夫さん(58)らの顔もあった。「無罪まであと一息。がんばれといいたい。無実の人が死刑になる裁判は、もう二度とあってはいけない」と斎藤さん。徳島ラジオ商事件で死後、再審無罪となった冨士茂子さんのおい、渡辺倍夫さん(63)は「やっと当たり前の判決が出ました」と、話した。
                                    
      
 ●捜査問題なく意外な判決
 石川県警の東保高夫・捜査1課長の話 事件を金沢地検に送検した時点で、警察としての捜査は事実上終了しているので、裁判所の判決自体にとやかく言うことはできないが、今回の最高裁の判決は意外だ。当時の捜査については、犯罪と証拠品の関係についても問題はないと思う。破棄差し戻し審では有罪になるだろうと私は思う。



1989年6月23日 朝刊 2社
◆また「共犯の自白」偏重 「山中温泉殺人事件」死刑破棄<解説>


 刑事裁判では「合理的な疑いを入れない程度の立証が行われた」ことをもって、有罪の認定がなされる。立証責任は検察側にある。山中温泉殺人事件で、死刑判決を出した1、2審でそうした立証が十分であったのか、数々の疑問があった。
 この事件では、霜上被告の側にも「疑わしさ」はあった。犯行を認めたA元被告の自白する事件関係地点は最長12キロも離れており、A元被告は無免許。A元被告は事件のころ、親しい霜上被告運転の車に同乗し、しばしば行動を共にしていた。A元被告が金融業者に借金した際に同行した霜上被告は、その金融業者に対して偽名を使った。また、本件の殺人事件のあったころ、霜上被告はA元被告を刺している。
 しかし、弁護側が内藤道興・藤田学園保健衛生大教授の鑑定などを基に指摘した、自白と客観事実との個々の矛盾の主張も説得力を持っていた。霜上被告側は「偽名を使ったのは、金融業者とかかわりたくなかったため。ずっと以前に飲み屋で会った時から偽名で自己紹介していた。A元被告を刺したのは、A元被告から金を借りようとしたが断られカッとなったため」と説明していた。
 この日の最高裁判決は、弁護側主張を大筋で認め、自白と証拠上明らかになった事実との間の矛盾を認めるものとなった。
 1審判決は「霜上被告の有罪、無罪を決するカギはA元被告の自白の信用力にかかっており、十分な吟味を要する」と、客観事実からの慎重なスタートを切りつつ、何川凉・金沢大教授(当時)が頭の骨折と凶器の関係や、着衣の損傷状況に関して「断定できない」とした鑑定を「否定するものではない」と肯定的に解して、最後に「犯人に間違いないとの確信を得ることができた」とトーンを上げた。
 三木敏行・東大教授(当時)の鑑定などを支えとした2審判決もやはり、「不可能とまでいえない」との表現で、有罪の判断を導き出している。
 「共犯者の自白」に頼った裁判の危なさは、過去の誤判で何度も指摘されてきた。八海事件の第3次上告審判決で、最高裁は「供述内容は客観的事実と符合するかで信用性を吟味すべきだ。この場合の客観的事実は、ほとんど動かすことのできない事実か、それに準ずる程度のものでなければ意味がない」と述べている。
 刑事訴訟法施行40周年の今年、改めて、捜査が「疑わしさ」のみにとらわれてはいないか、証拠上有罪としうるか、をチェックすべき刑事裁判の機能が問い直された形である。



1989年6月23日 朝刊 1社
◆市街地の道で謀議 不自然な共犯者自白 「山中温泉殺人」死刑破棄


 最高裁が22日、山中温泉殺人事件で破棄した1、2審の有罪判決は、共犯者とされたA元被告の自白に基づいて犯行を組み立てたものだった。しかし、自白通りに再現してみると、不自然な点が多すぎる、と関係者はいう。
 1、2審判決によると霜上被告とA元被告は事件の4日前の昭和47年5月7日に、山中町の中心部の道路で、出嶋武夫さんに対する殺人を謀議。犯行当日の午後8時半に、やはり中心部にある「恩栄寺」の前で落ち合った<(1)=略>。霜上被告が乗用車を運転。約2キロ離れた漆器工場団地にある霜上家の蒔(まき)絵工場に寄り、マサカリに似た凶器のヨキとスコップを積み込んだ<(2)=略>。被害者の出嶋さんとの待ち合わせ場所は、加賀市の山代温泉の中心部にある出嶋さん宅近くの路上だった<(3)=略>。弁護側は、「警戒心や注意深さが全くうかがえない」と話し、被告らの行動は不自然、と主張した。
 その後、2人は、出嶋さんを後部座席に乗せ、県道を山間部へ走った。
 現場の南又林道<(4)=略>、県道わきから入る未舗装の山道。便意をもよおしたことを口実に、被告は、800メートルほど奥へ車を走らせた。
 運転席を降りた霜上被告は、後ろの出嶋さんの左側に座り、ナイフで左わき腹を1刺し。車外に引きずり出した後、逃げる出嶋さんを8メートル追いかけ、2回刺した。車に戻り、A元被告からヨキを受け取ると、倒れた出嶋さんの頭を思い切り打った。
 同夜、月は出ていない。A元被告は霜上被告の様子を車から離れず、ルームランプの灯だけで見たことになっている。
 暗やみの中で、死体を谷川に捨て、被害者の靴を拾った。犯行後、2人は再び人目につく工場へ戻る<(5)=略>。工場前の水道で、ヨキを洗い、ぬれタオルでシートマットの血をぬぐった。
 その後2人は、加賀市片山津温泉のソープランドへ遊びに行くことにし、被害者の遺留品の靴を片山津温泉のさらに約3キロ先の休耕田<(6)=略>に捨てた。靴が見つかったのは、車道から12メートル。霜上被告が運転席から徐行しながら投げ捨てた。
 弁護側は、「(実験では)窓枠に手や靴が引っかかるため失敗しやすく、うまく遠くへ飛ばすことができても7−8メートル程度」と主張していた。
 霜上被告らは、血をつけたまま、ソープランド<(7)=略>に行ったことになっているが、目撃者はいない。
 「ドライブしよう」。犯行から3日後の14日、霜上被告はA元被告を誘った。通称「学校山の下林道」で、霜上被告はA元被告の右わき腹を小刀で一刺し<(8)=略>。A元被告は、すきを見て逃げ病院に運ばれた。
 霜上被告は、この事件について、「金銭上のいさかいで起こした」と自供。霜上被告が、この日、A元被告が金を持っているかどうかを確認したか不明なまま、1、2審では、計画的な犯行の一部としてこの事件を位置づけた。



1989年6月23日 朝刊 1社
◆「真実届いた、必ず無罪」 最高裁の死刑判決破棄 山中温泉殺人


 「真実の声がやっと届いた」−−。殺人などの疑いで昭和47年に逮捕されて以来、一貫して無実を訴えながら、1、2審とも死刑判決。「アリバイがあるんです」と一人息子、霜上則男被告(43)の無実を叫び続けてきた老夫婦の悲痛な願いが22日、実った。最高裁第1小法廷(大内恒夫裁判長)が、1審の金沢地裁を支持した名古屋高裁金沢支部の死刑判決を破棄、審理のやり直しを命じたのだ。裁判長の言葉を傍聴席で一語一語、かみしめるように聞いていた父鉄男さん(69)、母美弥子さん(68)。そのやつれた顔に17年ぶりに笑顔が戻って来た。霜上被告は、待ち望んだ知らせに、金沢刑務所の接見室で、声を出さずに泣き崩れた。
     
 午後1時半、最高裁第1小法廷。大内裁判長の開廷宣言に、傍聴する約50人の沈黙が張りつめる。「主文、原判決を破棄する」。かすかな、どよめき。裁判官4人が退廷し始めると、両親とともに前列の十数人が立ち、頭を下げた。緊張が緩み、拍手が1人、2人と広がった。
 「よかった、ありがとう」。法廷を出て鉄男さんが、両手で弁護人の手を握った。美弥子さんは、目頭を押さえて「確信してました」と、声をつまらせた。
 松山事件で再審無罪を得た斎藤幸夫さん(58)も、傍聴していた。「無罪まであと一息。がんばれといいたい」。徳島ラジオ商事件で死後、再審無罪となった冨士茂子さんのおい、渡辺倍夫さん(63)の姿もあり、「やっと当たり前の判決が出ました」と、穏やかに話した。
 両親と弁護士らは午後2時、最高裁内の会見場に。「望み得る最高の判決」と鳥毛美範弁護士(37)。菅野昭夫弁護士(46)は、「判決は、灰色でなく、シロを基調としている」と評価した。続いて鉄男さんが、静かな口調で「ただちに則男を釈放してほしい」と訴えた後、「無罪が出るまでは油断できないと思います」と言った。
 「息子さんに何と言ってあげたいか」と尋ねられた美弥子さんは、「よかったね、必ず無罪を頂けるよ、と話したい」。なごやかな表情を浮かべた。
 この日の破棄差し戻し判決までには、両親の17年間に及ぶ闘いがあった。
 一貫して犯行を否認する息子の無実を、鉄男さん夫婦が確信したのは、逮捕されてまもなく、共犯者の自供による犯行日時を知ってからだった。「あの夜、居間で『地の果てまで』というテレビ番組を見ていたら、寝間着姿の則男が2階から下りて来た」。アリバイを主張し続けたが、取り上げてはもらえなかった。
 名古屋高裁金沢支部も控訴棄却。すがる思いでいた58年8月、山中町で、えん罪事件の救済などを手掛ける日本国民救援会の「第38回総会」がたまたま開かれた。死刑囚として初めて再審無罪を勝ち取った免田栄さんが来ていると聞き、夫婦はかけつけて訴えた。「息子を助けて下さい」
 1年かけて事件を調査した救援会は翌59年、全面支援を決定。7月には「山中事件霜上則男君を守る会」も結成され、同会が集めた「無罪判決」を求める署名は全国各地の3000団体、15万人にのぼった。
                                    
      
 「今まで耐えた 初めて涙が…」 霜上被告
 同じころ、金沢刑務所の接見室では、本田祐司弁護士と飯森和彦弁護士の2人が22日午後1時52分、霜上被告に判決を伝えるため訪れた。
 「破棄差し戻しですよ」と本田弁護士が告げると、机につっぷしてむせび泣いた、という。
 数分後、いくぶん落ち着いて「えん罪をはらす機会を与えてくれた最高裁と、私を支援して下さった多くのみなさんに感謝します」といったあと、「17年間という人生を犠牲にしてきました。今までどんなことがあっても泣いたことはなかった。初めて見せた涙です」。泣きはらした目で、弁護士らを凝視しながら、「私の無罪が証明されるまで闘い抜きます」といい、やっと喜びの表情を見せたという。
                                    
      
 ●厳密な検討を評価 山中事件弁護団の話 
 最高裁が死刑事件で事実誤認を理由に破棄差し戻しの判決を下したのは、45年の仁保事件以来で、画期的といえる。共犯者の自白と法医学的事実を厳密に検討し、合理的疑問を導き出した点に、高い評価を与えたい。
                                    
      
 ●捜査に問題はない 東保高夫・石川県警捜査1課長の話
 判決自体にとやかく言うことはできないが、今回の最高裁の判決は意外だ。当時の捜査については、犯罪と証拠品の関係についても問題はないと思う。破棄差し戻し審では有罪になるだろう、と私は思う。



1989年6月24日 夕刊 1総
◆ブッシュ米大統領、対中制裁で議会に自制求める


 【ワシントン23日=島田特派員】ブッシュ米大統領は23日、上院の有力議員らと会談、米国が中国に対して取るべき姿勢について議会側の「忍耐と寛容」を強く求めた。中国政府による民主化運動弾圧に対する米政府の一連の対中制裁策が手ぬるいと不満を募らせている米議会に、独自に強硬措置の導入などを決議しないよう、大統領自ら要請したものだ。
 会談でブッシュ大統領は、中国当局が国際世論を無視して行っている死刑執行など人権抑圧の現状を「おぞましい」と表現。しかし米中関係を長く維持していく過程には、いろんなことが起こり得ることも指摘し、良好な関係を崩さないためにも、「険悪な行動は取るべきではない。議会の忍耐と寛容を求めたい」とする基本方針を、議会首脳にあらためて伝えた。
 政府の対中方針に批判的なメッツェンボーム議員(民主)も会談後、「対中断交など強硬策を実施するのはやさしいが、長期的な米国の国益という視点から繊細な対応が必要なのだ、ということを大統領はいいたかったのだと思う」と感想を語った。



1989年6月24日 朝刊 栃木1
◆摘発続く情勢で訪中とりやめ続出 募集しても超閑散 栃木


 天安門広場での武力制圧に続き、労働者らの死刑が執行されるなど、民主化運動の摘発が続く中国。こうした中国国内の不安定な情勢を受け、主催する訪中団の派遣を見直そうとする動きが県内の各市町村で出始めている。県内では、宇都宮市や足利市が、中国と姉妹都市提携を結んでいるほか、「近くの隣国」として費用や時間の面で手軽という点が受けて、訪中団を実施する市町村も年ごとに増え、人気も上々だった。それだけに、海の向こうの思いがけない事態の影響に、市町村の担当者らは戸惑いの表情を隠せない。
 
 栃木市と栃木日中友好協会(塚田賢一郎会長、会員300人)は今秋、中国の北京市など4都市を表敬訪問する第7次訪中団員の募集をこのほど始めたが、応募してきたのは定員30人に対し、わずか8人にとどまっている。同市などは55年からこれまで6次の派遣団を訪中させてきたが、いずれも募集定員を上回る人気で、今回のように定員を大きく下回ったのは初めて。同協会事務局は、天安門広場の流血事件に端を発した中国の不安定な情勢が人気を失わせた原因、と分析している。
 同協会事務局では、取りあえず、募集期間を延ばし、再募集しているが、今後の中国情勢次第では「訪中中止」もあり得る、との判断も一部にあり、近く開かれる理事会で、訪中計画を再検討する予定だ。
 足利、佐野両市では、今年秋に予定していた日中友好市民訪中団の派遣を見合わせる。
 足利市は今年で11回目を迎えたが、中国情勢が悪化しているためどうするか検討した結果、見合わせる方針を決めた。
 同市の訪中団派遣は、これまで毎回約20人が参加。上海市から北京市までの各地を10日間かけ訪問、交流を深めてきた。
 しかし、中国の自由化運動参加学生の処刑問題もあって、市民の感情は複雑で、盛り上がりが心配されてきたからだ。
 一方、佐野市も、9回目を迎えるが、この8日に、見合わせることを決めている。約30人が9日間をかけ北京−西安−上海などを訪問する予定だった。
 大田原市も中国情勢を考慮して、「第7次市民訪中団」の団員募集を見合わせた。
 同市は、日中友好と相互理解を深めることを目的に、57年度から毎年、訪中団を派遣(58年度を除く)しており、今年度も先月30日に日中友好大田原市民訪中実行委員会(会長、渡辺正義市長)が、11月6日から同13日まで訪中することを決めていた。しかし、中国情勢の激変を受けて、今月15日発行の同市広報に団員(30人)を募集する記事を掲載する予定も取りやめた。同実行委員会では「情勢などを勘案しながら結論を出したい」としている。
 今年5月に設立されたばかりの鹿沼市国際交流協会でも、15人ほどの訪中団を秋ごろ予定していた。が、この事態で、「今年度の実施は見送らなければならないかもしれない」としている。
 矢板市でも「市民の翼」で3人の派遣を予定しており、来月4日に開かれる「国際交流懇談会」で、実施するかどうかも含め、話し合われるという。
 また、県議会では、秋に行われる議員の海外行政調査で中国へ行くグループについて、「事態をよく見て実施するかどうかを決めたい」(県議会事務局)という。また、県内12市の議長会で毎年行っている議員の訪中団も現在受け付けをしている最中だが、情勢によっては中止もあり得るとしている。



1989年6月24日 朝刊 2総
◆対中関係での社会・民社の態度表明、「弱腰」批判を意識


 社会党の山口書記長は23日、山口氏の訪中延期を含む中国共産党との関係の一時凍結の方針を表明したが、党内の議論は、まだすっきりとまとまっていない。中国を最も強硬に非難している共産党が、社会党を「弱腰」と批判しているので、都議選や7月の参院選を意識して、山口氏が政治判断で党レベルの対中交流凍結に踏み切ったようだ。
 社会党は、中国の戒厳部隊が学生らを殺傷した際に「遺憾」の談話を発表し、土井委員長も衆院本会議の代表質問で政府に「き然たる態度」を求めた。しかし、上海や北京などで死刑が執行されたのを機に、右派の政権構想研究会(政構研)から「執行部の対応は鈍い」(中執委メンバー)との不満が表面化。「人権問題にうるさい土井委員長がなぜきちんと中国にものを言わないのか」(長老)との声も出てきた。ただ、「米中関係が決定的に悪化し、緊張が激化する可能性もあり、その時のためにも、中国との接点を大事にし、あまり踏み込まない方がいいのでは」(中執委メンバー)との慎重論も根強く、今後も党内で議論が続きそうだ。
 一方、「日中国交回復の橋渡しをした」と自負する公明党は、人道上の立場から「相次ぐ処刑は容認できない」との姿勢だが、それ以上の対応となると、中国首脳陣にも知人が多いだけに苦渋を隠せない。
 民社党は、永末委員長が23日午後になって急に、中国の民主化運動弾圧と処刑に抗議するよう政府に申し入れた。社会党と同様、都議選や参院選にプラスに働くとの計算があったためのようだ。
 中国共産党と断絶関係にある共産党は武力弾圧後、いち早く「社会主義的民主主義を踏みにじる暴挙」との非難声明を発表。選挙戦の中で「中国問題」にこと寄せた共産党攻撃が強まっているため、違いを際立たせようと、中国批判をさらに強めている。



1989年6月24日 朝刊 3総
◆「対中姿勢」で政府苦慮、「強硬回避」通じるか サミットへ本格検討


 中国当局による民主化運動の武力制圧と、これに続く逮捕者らへの死刑執行に対する国際世論の高まりの中で、政府はこの問題が主要先進国首脳会議(パリ・サミット)で主要テーマとして取り上げられると判断、対応の本格的検討に入った。「中国の国内問題」として成り行きを静観しようというのが基本的立場だが、「人権」に敏感に反応する西側先進諸国にどこまで理解されるのかは極めて疑問。米議会などからは、日本の対中姿勢について「手ぬるい」との不満がくすぶり始めており、対応に苦しみそうだ。
                                    
      
 今月4日、戒厳軍が民主化を求める労働者、学生らを武力で制圧、各国が次々と非難の声を上げたとき、政府は駐日中国大使を外務省に呼び、「人道の見地から容認できない」と伝えはしたが、非難の声明や制裁措置の用意には慎重な姿勢をとった。その後、欧米諸国が対中批判を強めるのをみて、ようやく第3次円借款や日中友好環境保全センターなど新規の援助案件を凍結する方針を固めたが、経済制裁や外交関係の縮小、凍結といった強硬措置はあくまで避けようとしている。
 政府としては、昨年の日中平和友好条約締結10周年を記念して両国の首脳が相互に訪問し合うなど、日中関係がやっと安定軌道に乗っている時だけに、良好な関係にヒビが入る事態は極力避けたいところ。中国の近代化建設は日本の援助や民間企業の投資、貿易に負うところが大きい。昨年の日中貿易は輸出入合わせて24%も伸びた。「日本が本格的な経済制裁に踏み出したら、中国経済はマヒしかねない」(外務省幹部)という事情もある。
 一方で、日中間には先の戦争の歴史評価などをめぐってぎくしゃくを繰り返してきたいきさつがある。「あまり声高に中国当局の非道をなじったりすれば、『それでは、戦争中の日本はどうだった』とやり返され、関係はこじれてしまう」(政府筋)との心配もある。
 外務省内には「中国をこれ以上追い詰めるのは避け、国際社会に強い非難があることを中国側に伝え、静かに説得するのが日本の務め」「中国を孤立化させるのはアジアの安定に重大な危機を招くだけだ」といった声が強い。
 とはいえ、国際世論は中国非難を一段と強める方向に動いている。比較的慎重に対応してきた米政府も、死刑執行を思いとどまらせようと、政府高官の対中接触を禁止した。米議会では中国への経済制裁を求める法案が続々提出されており、25日から訪米する三塚外相も米国内の厳しい空気を実感させられそう。こうした中で政府が気をもんでいるのが、サミットでの論議の行方。フランス革命200周年でもあり、中国問題が人権問題の一環として討議テーマにのぼるのは確実な情勢。政府首脳は22日、中国を名指しで非難する決議などが提案された場合「同調は難しい」との考えを示したが、3年前の東京サミットでは、リビアを名指ししたテロリズム非難に共同歩調をとらされた経験もある。対応を間違えるとサミット参加各国の総反発を招く可能性もあり、厳しい判断を迫られそうだ。



1989年6月24日 朝刊 3総
◆中国政府への批判は慎重に 野田建設相


 野田建設相は23日の記者会見で、中国の民主化運動に絡む死刑執行について「どういう罪状で、どういう人が処刑されたか、事実関係を冷静に見守る必要がある。テレビを見ても、戦車に火炎びんを投げ込んだ者もいる。単にデモに参加しただけで処刑されるのは、人道上クビをひねらざるを得ないが、事実関係があって法規に照らしてなら、全部免責でなくてもいいのではないか」「情報や確証がなく、欧米のように『けしからん』とやっていいかどうか、慎重にすべきだ」と述べ、現時点で中国政府を一方的に批判するのは好ましくない、との考え方を示した。
 野田氏は、日中協会の理事長を1981年3月から務めている。



1989年6月24日 朝刊 解説
◆「おれは帰りにお寺に寄った」(テーマ談話室 お金)


 死刑囚監房のわきで執務していた。彼らと仲間みたいな間柄となり、事件当時の社会的感情とは別に、人間同士という意識がわいてきた。ある男は「おれがオダブツのときは、あなたの手を貸してくれまいか」と真顔で語りかけた。
 これは出来ない相談だが、官命によって処刑のとき、首にロープをあてがう役目を仰せつかった看守部長は、名状しがたい顔になった。そのはずである。彼氏も家庭には妻子や親が生きている。人間の生命がどんなに大切かは承知しつくしていた。だから私の耳へ「またいやな役をいいつかった」と嘆いた。こんな職務はカネを積まれても拒否したいのが人情だろう。
 やがて死刑執行の儀式は終わった。さっきまで“確定被告1名”として人間扱いだったのが“屍(しかばね)1個”の個体に変わった。やりきれない心情だった。直接絶命に手をかした先輩部長は、当日だけの休暇をもらい帰宅した。あくる日私は「さぞ夢見が悪かったでしょう」ときいた。「おれは帰宅途中にお寺へ行った。せめてもの罪ほろぼしにお経を上げてもらった。執行手当金100円だけでは少ないから、ポケットマネーを足した」といった。
 国法上とはいえ、断罪した責めを読経を願って帳消しにしてもらう切なさが伝わってきた。低い給与ベースの時代だったとはいえ100円の価値は、どう評価してよかろうか。(江南市 板津秀雄 77 元刑務官)



1989年6月24日 朝刊 解説
◆19歳への死刑 名古屋の「アベック殺人」28日に判決


 名古屋市で昨年2月、若い男女2人が少年ら6人に襲われ、殺された「アベック殺人事件」の判決公判が28日、名古屋地裁で開かれる。強盗の果てに、命ごいする被害者2人を殺害した残虐な事件として、検察側は主犯の少年(犯行当時19)に死刑を求刑した。起訴事実に大きな争いはなく、弁護側は、情状面から軽減を求めている。もし求刑通りの場合、少年に対する死刑判決としては、4人連続射殺事件の永山則夫被告(39)=上告中=に対する昭和54年の東京地裁判決以来、10年ぶりとなる。(田中彰記者)
     
 殺人、強盗致傷などの罪に問われ、死刑を求刑されているのは、同市港区、とび職A(20)。
 昨年2月23日未明、同市緑区の大高緑地公園で、デートしていた愛知県大府市朝日町、理容師野村昭善さん(当時19)と同県知多郡東浦町石浜片山、理容師見習末松須弥代(すみよ)さん(当時20)が、行方不明になった。4日後、愛知県警はAら17−19歳の少年3人、少女2人を逮捕し、三重県の山中から遺体を発掘した。
 成人の暴力団員(21)も犯行に加わっていたが、殺害の実行犯は、Aと名古屋市中川区のとび職B(18)で、2人とも暴力団員だった。
 検察側の論告によると、少年らは、遊ぶ金欲しさに、野村さんらを襲い、乱暴したあと、犯行を隠すため、殺害を決意。監禁したまま連れ回し、翌24日未明、愛知県愛知郡長久手町の墓地で、AとBの2人は「助けてください」と命ごいする野村さんをロープで絞め殺した。25日未明、三重県阿山郡大山田村で末松さんを殺し、2人を埋めた。
 検察側は犯行の残虐性を重視。Aに対し、「冷酷非情な犯罪者的性格は矯正できない。少年とはいえ、当時19歳6カ月で成人と実質、差がなく、酌量すべき事情はない」とした。
 死刑をめぐっては、残虐な刑罰を禁じた憲法に違反するとして争われたことがあるが、最高裁は昭和23年、社会防衛上、必要として合憲と判断。そのうえで、最高裁は58年7月、永山被告の差し戻し判決で、死刑の適用基準を示した。このなかで「犯行の動機や態様、被害者数などの情状を考慮したとき、責任が重大で、罪刑の均衡や犯罪予防のためにも、やむをえない場合には許される」とし、現在も下級審の指針となっている。
 論告で、検察側はこの基準を踏まえ、「すべて合致している。凶悪事件に対して死刑をためらうべきでない」と主張。名古屋地検の幹部は「軽減されたら、高検と協議のうえ、控訴する」としている。
 これに対し、Aを弁護する白浜重人弁護士は(1)生命をまっ殺する死刑は、少年の健全育成を目的とする少年法の基本理念と相入れない(2)成育環境に恵まれず、精神が未熟なゆえに、集団心理で暴走した少年犯罪の特質を見落としてはならない(3)深く反省し、矯正は十分可能だ、などと反論。「マスコミを含めて、世間は残虐性にばかり目を奪われている」と指摘する。
 複数殺人は、1人殺害に比べ、死刑の選択率が格段に高いことが、法務省法務総合研究所の調査で明らかになっている。従って、今回の場合は、弁護側が主張するように少年法の趣旨に照らして、裁判所がAの情状をどう判断するかが、量刑の重要な決め手になりそうだ。
 少年法に詳しい白取祐司・北海道大学法学部助教授は「犯行の結果を重視するか、それとも今後の改善可能性に期待するかがポイントだろう」と推測する。
 少年法には、犯行時18歳未満の場合、死刑を適用できない特別の保護規定(51条)があり、同じ実行犯のBは、犯行時17歳だったため、無期懲役が求刑されている。
 この点から、日本大学法学部の船山泰範助教授(刑法)は「少年法が20歳未満までを対象としていることを考慮すると、場合によっては、18歳以上にもこの精神を生かすべきではないか」と指摘する。
 近年、裁判所は成人を含め死刑の適用に慎重になり、死刑判決が減っている。法務省によると、死刑の確定者は昭和20年代に332人だったが、30年代194人、40年代90人、50年代30人と減った。60−63年は計21人とやや増加傾向をみせている。このうち、戦後、少年で死刑が確定したのは40人いるが、50年代以降は2人だけという。
 先進国での、死刑制度廃止との関連においても、今回の判決がもつ意味は大きいとみられる。



1989年6月24日 朝刊 5面
◆中国への対応、毅然たる姿で(声)


   東京都 西山公啓(自由業 57歳)
 22日付の本紙報道によれば、今回の民主化運動に関連して上海で3人の労働者が処刑され、山東省でも17人の死刑判決が出たという。全くやり切れない思いである。
 まるで中世の宗教裁判のような、またスターリン時代の再来を思わせるような今回の一連の事態は、人間解放と真の民主主義実現をうたい上げてきた社会主義の理念が、建国40年の中国で今まさに崩れ落ちようとしているとの観を強く抱かせるものだ。「百花斉放」「造反有理」とは一体何だったのか。
 それにしても、相も変わらぬ日本政府の及び腰的傍観は一体いつまで続くのか。そして一部業界では中国沈静化を理由に、貿易再開の動きさえあるという。これほど私たちの気持ちを逆なでするものはないだろう。
 リクルート事件でけじめをつけられなかった政府は、やはり国際的にもけじめをつけられないのだろうか。今のままでは日本人は、中国政府に間接的に手を貸していると思われても仕方あるまい。今からでも遅くはない。政府の毅然(きぜん)たる対中批判と対応を求めたい。



1989年6月24日 朝刊 2外
◆中国、経済の前途に暗雲 各国の経済制裁で借款の停止も


 香港・台湾マカオ資本、逃避必至の見方
       
 米国を中心として、経済制裁さえ予想される西側諸国の対中非難の本格化に伴い、中国経済の今後に暗雲が広がり始めている。最大の不安材料は、これまで経済建設の柱となった外国からの投融資が今後どうなるかだ。流入ストップ、さらに資本逃避などに発展すると、中国経済は大幅な後退を余儀なくされる。22日の中国各紙によると、中国政府は巨額の国債発行を急きょ決めたが、当局が「堅持」を主張する改革・開放路線という国家戦略は、大きな岐路に差しかかっている。
                                    
      
 ○昨年の<借款>、30%の増加
 借款と直接投資を2本立てとする中国の外資導入の推移をみると、昨年の増え方が際立っている。借款は前年比30.5%増、直接投資は41.2%増。昨年1月、改革・開放路線の旗手、趙紫陽党総書記が、路線発展の具体的な青写真である「沿海地域経済発展戦略」を発表したことが大きい。中国経済がダイナミックに息づき始め、それが外資流入の伸びとなって表れた、とみることもできる。ところが今、その息吹が吹き消されかねないところにきているのだ。
 上海や北京での死刑執行を非難して、米国は世界銀行など国際金融機関に、中国への新規融資延期を要請した。
 中国が改革・開放路線の追求を始めた79年以来の対外借款の内訳をみると、世銀など国際金融機関からの借款と、日本からの円借款をはじめとする政府間借款が中心。それらは主として道路、鉄道、橋、電力設備といった経済の土台作りに使われている。つまり、借款が細れば、経済全体の基盤にボディーブローのような打撃を受ける。
                                    
      
 ○焦点となる<日本>の対応
 焦点となるのは日本の対応だ。79年から86年までの対中借款累計額を国、機関別にみると、その約3割を日本が占める。フランスの8.5%を大きく引き離し、中国に対する最大の借款供与国である。
 日本政府は、25日から三塚外相が訪米し、米政府と対中姿勢について協議するが、その大きなポイントは、昨年夏に竹下首相(当時)が訪中して調印した第3次円借款(90年開始、6年間で総額7700億円)の供与方針についてだ。日本側は借款対象案件の具体的な調査(フィジビリティー・スタディー)は当面見合わせる、という方針を示すとみられる。「首都が戒厳令下にある状況でとても調査どころではない」(政府筋)という建前を、とりあえず対米配慮のたてに使う形だ。
 もっとも日本の政財界には、「日本まで援助凍結、延期などで、中国を『窮鼡(きゅうそ)』の状態に追い込むべきでない」(日本興業銀行)のような意見も根強い。今後の中国経済に、日本経済の存在はこれまで以上の重みを持ってくるのは確かだ。
                                    
      
 ○直接<投資>の動きに不安
 借款と同時に、直接投資の動きも不安視される。この面でのポイントは、香港・マカオや台湾資本の動向だ。
 合弁や100%出資などの直接投資の中心は、香港、マカオ資本。特に労働力不足に見舞われる香港では、製造業のほとんどは、生産拠点を中国にシフト。その受け皿となる深セン^など中国南方の経済特区を活気づかせている。だが、6月4日の「大弾圧」直後に、中国銀行香港支店などで起こった取り付け騒ぎや、香港世論の硬化ぶりなどから、「香港資本の逃避は必至」(日本貿易振興会)という見方が一般的になっている。
 また、87年11月の大陸への親族訪問解禁以来、中国向け投資を活発化させた台湾も、投資の手を引っ込め始めている。
 今年1−4月、台湾対岸の福建省から台湾にかけられた電話回数は、昨年同期の5.6倍。経済関係の強化が、中台関係の結び付きを強めていたが、台湾資本で広州に開業したレストランが大弾圧を契機に閉店するなど、冷えた動きが出始めている。
 中国当局も、「福建省の改革・開放政策は不変」(同省党委員会の陳光毅書記)など、投資不安の解消に腐心しているが、投資の動きは、利潤、採算といった経済原理に忠実なだけに、口先だけの対応では通じそうにない。



1989年6月24日 朝刊 1外
◆西独、対中合同委拒む


 【ボン23日=雪山特派員】西独政府は23日、中国の民主化運動参加者に対する死刑判決・執行に抗議して、今年11月に予定されている西独・中国経済貿易合同委員会の開催を拒否することを決めた。これは中国政府の民主化運動弾圧に対する西独政府の初の具体的措置。西独政府はこれまで中国政府の弾圧は激しく批判しながらも、経済制裁などには慎重な態度に終始してきた。来週マドリードで開かれる欧州共同体(EC)首脳会議で欧州全体としての対中姿勢を示すとしていたが、世論の高まりを見て、とりあえず合同委の拒否を決めた。
 一方、西独連邦議会は同日、中国政府に対して運動参加者の死刑判決や執行を停止するよう要求すると同時に、国連に対しこの問題検討のための緊急安保理開催を求める決議を全会一致で採択した。決議はまた世界銀行に対して対中国信用供与の即時停止を、西独政府に対して政府開発援助による資本援助と輸出保証の停止を求めている。
 連邦議会は22日にも中国問題を討議したが、その際に与党側から示された決議案が穏やかすぎるとして討議を延長、経済制裁措置の要求などを改めて盛り込んだ。



1989年6月24日 朝刊 1経
◆対中制裁で揺れる欧米 米国、強まる議会の圧力 EC、措置には慎重


 中国の民主化運動の高まりをきっかけにした混乱は、西側諸国の対中経済政策に大幅な変更を迫っている。とくに、運動参加者への処刑を含めた弾圧は、経済制裁という新たな問題を提起し始めた。米国では、多国間による制裁が論議されており、7月の主要先進国首脳会議(サミット)で、制裁の協調や同調が話し合われる可能性が高まってきた。とはいえ、東西の緊張緩和の流れのなかで、各国とも中国との関係をあまり冷やしたくない事情を抱えている。それだけに、制裁問題が、本音と建前がからみあう間でどう転がるかは、まだ見通しにくい情勢だ。
    
 【ワシントン23日=高成田特派員】米国ブッシュ政権はいまのところ、1969年の対中貿易の規制緩和以来、20年に及ぶ米中経済関係拡大の歴史を、今回の混乱で逆転させるつもりはない。貿易や投資の広がりが、中国の近代化を進め、それが内側からの自由化要求につながったいきさつがある。そのうえ米ソの緊張が緩和されてきたものの、依然としてソ連への圧力としての「中国カード」を、簡単に捨てるわけにはいかないからだ。
 ベーカー国務長官は22日の下院外交委員会の公聴会で、「人権は米国の外交政策の基本的な要(かなめ)だが、米中の地政学的、経済的な関係の重要性も考慮に入れなければならない」と述べた。対中関係の重要度と人権外交との均衡が必要なことを強調した発言だ。これまでの限定的な制裁の実行は、この均衡を裏付けている。
 しかし、限定的とはいえ、政府高官の中国との接触禁止措置によって、7月に予定されていたモスバカー商務長官の訪中が中止された。
 しかも米議会は、死刑執行を続ける中国政府にいらだちを強めている。下院では、最恵国待遇のはく奪やハイテク輸出の禁止など経済制裁案が次々に出され、一括されて来週中にも採決される見通し。議会の圧力は、米国の経済政策を次第に制裁に向けて傾けさせる勢いがある。
 米国は世界銀行など国際機関の対中融資を停止させるよう働きかけたり、中国の関税貿易一般協定(ガット)加盟に圧力をかけてきている。このまま中国政府の民主化抑圧が続けば、米国が先頭に立って、パリ・サミットで、制裁の協調や同調を各国に求める場面も予想される。
 【ロンドン23日=山田特派員】欧州共同体(EC)加盟12カ国は26日からマドリードで開かれるEC首脳会議で、中国を非難する声明を出すと見られる。自由、人権にはことのほか敏感な欧州各国の首脳はすでに厳しい中国批判を展開し、一部で対中経済貿易合同委員会を取りやめる動きも出ている。しかし、熱っぽい口調とはうらはらに、経済関係に実質的な打撃を与える措置には慎重だ。中国を必要以上に追い詰め、国際的に孤立させることは、緊張緩和の流れに沿って進められてきたEC統合、東西欧州の融和という新秩序に水を差す、とのさめた判断が働いているようだ。
 弾圧・処刑を非難する強い世論とは別に、欧州主要国は、それぞれ中国をあまり刺激したくない事情をかかえている。
 サッチャー英首相は22日の国会で、「英国は香港住民に責任を持っている。危険な状況に加わることは得策ではない」と答えた。英政府は動乱直後、「英国旅券を持つ香港住民の英国への永住希望には弾力的」との方針を示したが、難民が英国に流入すれば混乱は避けられない。サッチャー首相も、対中関係での突出には慎重だ。
 英国は早々と中国への武器禁輸を宣言したが、フランスは黙したままだ。「人民に銃を発射するような国に未来はない」と歯切れいい発言をしたミッテラン大統領も、武器輸出には口をとざしている。
 西独は、自由化の潮流にあるポーランド、ハンガリー、ソ連市場をにらんでいる。東側との緊張が緩むことは国家としての安定を確保するだけでなく、東側への経済活動を盛んにする。再び世界に軍事的緊張が高まることは避けたいところだ。



1989年6月25日 朝刊 3総
◆中国流秘密会で新体制 江氏に市民は「まさか」(時時刻刻)


 北京・天安門広場の流血の武力制圧に続く民主化運動の摘発・弾圧、そして24日夕、一連の混乱を締めくくる中国共産党の新指導部決定。1カ月余り前の北京への戒厳令発動から、主導権を握ってきた強硬派の新体制は、その開会すら公式に発表されない中国流の秘密会で決まった。「反革命暴乱分子」への死刑執行が始まった21日から、江沢民・党総書記誕生までの中国内外の動きを追った。(北京・上海・香港支局)
           
 ○午後6時半
 24日午後5時。北京放送が「午後6時半から重大発表」と告げた。テレビの画面にも、緊急のテロップが流れた。公式な確認がないまま、「開催中」との情報が独り歩きしていた党4中全会が終わり、一連の「動乱」「暴乱」に政治的決着をつける人事が発表されることをだれも疑わなかった。
 要人のあわただしい動きは、あれこれ伝えられていた。窓を覆った何台ものリムジンとバスが、ライトを点滅させた警察の車に守られ、北京市中心部へ向かった、との目撃談。軍事空港に要人を乗せた飛行機が到着していたから間違いない、との情報。「江沢民・上海市党委書記の党総書記就任が決まった」という、結果的に正しかった観測も一部で流れていた。
 24日朝の中国の新聞や放送は、一般ニュースを流し続けていた。「夜店にも客足が戻った」(英字紙チャイナ・デーリー)「トウ^氏の子息が身体障害者の芸能団を率いて戒厳部隊を慰問」(北京日報)。わずかに党機関紙、人民日報が1面の4分の3をつぶして、トウ^小平中央軍事委主席の過去10年間の「語録」を掲載。北京放送もこの記事をニュースで伝え、トウ^氏を頂点とした体制固めが大詰めを迎えていることをうかがわせていた。
         
 ○閉ざした口
 江沢民氏の地元・上海。土曜の午後でもあり、「重大発表」のテレビのテロップに気づいた人は、そう多くなかった。しかし、情報は口コミで広がり、午後6時半にはかなりの人がテレビを見たようだ。
 「江沢民総書記」の情報は香港紙を通じて上海市民にも広まっていた。しかし「そんなことはありえない」と一笑に付す人が多かっただけに驚きは大きかった。ある外資系企業勤務の男性(32)はあきれ顔だった。「中国はそれほど人材が不足しているのか、という思いだ」
 小さな会社の個人経営者(38)は、趙紫陽・前党総書記のヒラ党員降格にむしろショックを受けた。「経済開放の流れが大きく変わることはないと思うが、民主化などの政治改革はあまり期待できない。ただ、文革時代と違って中央委員クラスの若手には西側事情に明るい人もおり、時代に逆行するようなことはできないと思う」
 しかし、繁華街を行く人の大部分は多くを語ろうとはしなかった。民主化運動が盛り上がった時機に、われ先に考えを述べた市民たちは、政治には口を閉ざすかつての姿に戻っていた。
          
 ○香港でデモ
 昼すぎの香港のビジネス街セントラル地区。夕刊2紙が売り出されたが、買い求める人は少ない。前日は1面トップで「4中全会開催」が派手に報じられたのに、この日はその関連のニュースは全くない。
 しかし午後3時過ぎ、報道機関の動きが慌ただしくなった。「北京で重大発表」のニュースが早々と届いたのだ。
 午後5時半(北京時間同6時半)、香港の2つのテレビ局、ラジオは夕方、北京の発表を同時中継で流し始めた。識者を集めた討論番組などが続く。
 やがて香港最大のビクトリア公園で民主団体主催の「中国白色テロ糾弾集会」が始まった。学生たちが天安門広場にたてたものを模した同公園内の「民主の女神」像前を通り、参加者は新華社香港支局へのデモ行進に出発した。
          
 ○弾圧理論化
 各国の対中批判に耳を閉ざすように突き進んできた中国。とりわけ、「暴乱分子」の処刑開始は、国際世論を沸騰させた。
 21日。天安門広場の武力鎮圧に関連して上海で起きた列車焼き打ち事件で、死刑判決を受けていた労働者ら3人の銃殺刑を執行。済南市でも、この日、17人に死刑判決がくだり、全員が銃殺刑にされた。
 22日。天安門広場の武力鎮圧前後に戒厳部隊と衝突し、1審で死刑判決を受けた労働者、農民ら7人の控訴が棄却され、直ちに処刑された。
 この日、地方在住の党中央委員の大半が北京に集まっていることが明らかにされ、4中全会が間近いとの観測が強まった。
 23日朝。中国系香港紙文匯報は「4中全会がこの日から2日間、北京で開かれる」と報道。一方、人民日報は1面トップの社説で10年前にトウ^小平氏が提唱した「4つの基本原則」を堅持しようと強調。さらに、階級闘争激化論と「人民の敵」論を提起し、厳しい弾圧の理論的裏付けを試みた。
 こうした中国の動きに英、仏、スペインなどは敏感に反応した。今週マドリードで開かれる欧州共同体首脳会議では欧州全体としての対中姿勢が検討されることになっている。
 日本政府は「中国が国際的非難を受けないよう措置することを要望する」などと慎重な姿勢を崩しておらず、ブッシュ米大統領も抑制した反応を示し、米中関係の急激な悪化を食い止めようとしている。しかし、趙紫陽氏解任という今回の“決着”は、当面、国際社会の対中批判を高めることはあっても、鎮静させそうにはない。



1989年6月25日 朝刊 時評
◆週間報告(6月17日〜6月23日)


 ●17日(土)
 4野党が政治資金規正法改正要綱 社会、公明、民社、社民連の4野党が、政治資金規正法改正の共同要綱をまとめた。3年後をめどにした企業献金の廃止や政治資金を複数の団体に小口分散する“抜け道”の防止策などが特徴。
 ●18日(日)
 欧州議会、左派が過半数 1992年の経済統合を控えた欧州共同体(EC)12カ国で欧州議会選挙。社会主義グループ、環境保護主義「虹」、共産主義グループの左派が過半数に達する見込みとなった。
 ●19日(月)
 経済5団体が政治改革提言 経団連など経済5団体のトップが自民党4役に政党や政治団体の政治資金の出入りや政治家個人の収支の完全公開など10項目からなる政治改革の提言を手渡し、その実現を求めた。
 伊東氏、政治改革推進本部長に 自民党の伊東前総務会長が党政治改革推進本部の本部長就任を受諾した。本部長代理には後藤田元官房長官、副本部長は党4役の布陣。
 1−3月のGNPは年率9.1%成長 経済企画庁が発表した国民所得統計速報によると、1−3月期の実質経済成長率は、前期比(季節調整値)で2.2%、年率換算でみる景気の瞬間風速は9.1%の高い水準となった。
 ●20日(火)
 対中新規援助を凍結 中国情勢の変動を踏まえ、同国への政府開発援助(ODA)の対応方針を検討していた外務省は、新規案件については情勢の落ち着きを見極めるまで停止し、事実上凍結する方針を固めた。月末にワシントンで予定される日米外相会談で、三塚外相が米側に伝える。
 百里基地訴訟で最高裁が憲法判断を回避 航空自衛隊百里基地の用地売買をめぐる争いから憲法9条論争に発展した長期裁判で最高裁は「憲法9条は本件のような私法上の行為には直接適用されない」と憲法判断を避けて、国側勝訴の1、2審判決を支持、住民側の上告を棄却した。
 ●21日(水)
 旧中曽根派、派閥主催のパーティー開催へ 自民党旧中曽根派は総会で、9月14日に派閥主催のパーティーを開くことを決めた。桜内義雄会長の就任披露が名目だが、「派閥の弊害是正」に逆行する派閥単位の資金集めの性格が強い。
 ●22日(木)
 通常国会終わる 第114通常国会が閉幕した。政府が提出した法案78件のうち60件が成立、条約の承認案件8件のうち6件が承認された。
 死刑判決を破棄 昭和47年に起きた石川県・山中温泉の殺人事件で、1、2審とも死刑判決を受けた霜上則男被告(43)の上告審で、最高裁は「共犯者の自白には疑問があり、有罪と認めることは許されない」として、2審判決を破棄、名古屋高裁に審理やり直しを命じる判決を言い渡した。
 民主化闘争に処刑続く 武力制圧前後に北京で戒厳部隊と衝突、死刑判決を受けた労働者、農民ら7人が処刑された。21日には上海で、列車焼き打ち事件の3被告が銃殺処刑された。
 ●23日(金)
 都議選スタート 東京都議会選挙が告示された。参院選の前哨戦としてリクルート、消費税が最大の争点、246人が立候補した。宇野内閣発足後、最初の大型選挙で、投票は7月2日、開票は3日。
 円ドル相場140円割れ 前週末から円高に転じた外国為替市場は、円高が一層進展し、東京市場では139円台を記録。
 社会党、中国共産党との交流を凍結 社会党の山口書記長は記者会見で、中国情勢に関連して、同党と中国共産党の交流を当面凍結し、参院選後に予定していた山口氏自身の訪中も再検討することを明らかにした。
      
 ○ひとこと
 伊東正義・自民党政治改革推進本部長
 (政治改革推進本部の初会合で)宇野内閣のためではない。(政治改革は)失敗したら自民党の明日はないほど重要な問題だ。



1989年6月26日 朝刊 特集
◆´89世相語年鑑・1〜6月


 「昭和64年」が7日間で終わって「平成元年」に。あわただしい代替わりになったのは、「リクルート事件」の摘発と重なったせいだろう。竹下内閣がつぶれた。こんなことが起こっていいはずがない。政治家が口しげく約束した「けじめ」の言葉。今年上半期のキーワードとなった。
 おまけに「消費税」の実施が重なり、国民の不満爆発は「うねり」となって地方の選挙で反自民票に。けじめを見守る「世論の目」が、表には出ないがもう1つのキーワードである。
 「青天のへきれき」の宇野内閣誕生、川崎の「竹やぶ1億円フィーバー」、中国で「天安門の虐殺」。どの1つをとっても、「平成」は筋書きのないドラマで幕を開けた。世相語も出来事を追うのが精いっぱいである。
 (広本義行記者)
         
 ●昭和から平成へ 現憲法下初の改元、お言葉も“改言”
 天皇が1月7日、十二指腸の腺がん(せんがん)のため亡くなられた。この日夕刊各紙の見出しは1面ヨコぶち抜きで「天皇陛下 崩御」だったが、沖縄の2紙は「ご逝去」と伝えた。
 皇太子明仁親王が皇位を継ぎ、新天皇となられた。天皇家に伝わる「三種の神器」のうち剣と璽(曲玉)を新天皇に引き継ぐ「剣璽等継承の儀」と、新天皇が初めて国民の代表にあいさつされる「即位後朝見の儀」が行われ、「皆さんとともに日本国憲法を守り」とお言葉を述べられた。
 亡くなられてから2日間、国民は政府の要請もあって「歌舞音曲」を自粛し、新聞やテレビは特集や特番を組んで「人間天皇」をしのんだ。皇居前広場などの弔問記帳は全国で233万余人に。一方で、外電を含めて「天皇の戦争責任」が問われた。
 「大喪の礼」は東京・新宿御苑で行われ、海外からも163カ国の代表が参列。「昭和天皇」の追号が贈られた。天皇誕生日も新天皇の12月23日に改められたが、いままでの4月29日も「みどりの日」の祝日として残されることに。
 皇位継承に伴って、「昭和」の元号が改められ、1月8日から「平成」が始まった。複数の学者に依頼して用意した候補の中から内閣が元号法に基づいて決定したもので、現憲法のもとで初めての「改元」である。
 出典は中国の「史記」と「書経」。「内平かに外成る」(史記)、「地平かに天成る」(書経)とあるうちの「平」と「成」をとった。他に「修文」「正化」が候補にのぼっていたといわれる。
 改元に伴い、1月8日から平成1年となるが、政府公文書などでは「平成元年」が使われることになった。元号の使用は法的には義務づけられていないが、政府は国民に元号使用への協力を呼びかけた。
 改元とともに、ハンコ屋に注文が殺到し、伝票や帳簿類の新規発注など「改元特需」が話題になり、「平成」にあやかった商標登録や社名申請が相次いだがそれも一段落し、国民生活ではおおむね西暦と元号の両方が使われている。
         
 ●政治 けじめなき利狂人(リクルート)で表紙抜け
 「リクルートはずし(関係議員排除)」のはずで昨年暮れ発足した竹下改造内閣。在任4日目で法相が、次いで経企庁長官が辞め、4月には江副前会長からの借金がバレて竹下首相自らまで退陣表明。「今日のような政治不信を惹起(じゃっき)させる大きなうねりになるとは」。民社、公明両党首も辞任へ。「そして、だれもいなくなった」といわれた「構造汚染」。
 「秘書が、妻が」と、株譲渡をめぐる苦しい言いぬけ。フタを開けてみると実は「本人へのわいろ」で、リ事件摘発は前会長逮捕の「NTTルート」頂上作戦から。次いで「労働省、文部省ルート」へと進み、戦後初めての「事務次官の犯罪」へ。「政界ルート」は藤波元官房長官と池田公明党代議士が起訴され、「戦後最大の疑獄」ともいわれたが、秘書ら4人の略式起訴をもって東京地検が「捜査終結」。「大山鳴動」したわりには「ネズミ2匹」のシリすぼみ疑獄に。
 事件にかかわった政治家の「けじめ」が問われた。後継総裁を固辞した伊東正義氏は「本の表紙だけ変わってもダメ」と事件に関係した党幹部らの総退陣を提唱。自民党のプロジェクトチームがあわてて作った「けじめ」策は議員自らの進退については、「自主的判断」にゆだねた。その後、議員の辞職はない。国民は納得せず、本紙世論調査でも82%が「不満」を表明。
 「江副は日本政治の偉大な改革家」と米紙が皮肉ったが、事件のおかげで一気にまとまったのが自民党の「政治改革大綱」。「パーティー券の購入制限」や「冠婚葬祭への寄付禁止」など、これまでになく大胆な改革というが、国民には常識。「私生活との間にあまりにも間隔」(竹下首相)が目立った。
 その自民党の後継総裁に「消去法」で「あれよあれよ」の宇野宗佑氏が浮上。宇野内閣は「不退転の決意」で政治改革に取り組むという。「裂帛(れっぱく)」の気合でともいうが、その意味は「きぬを裂く音のように、声が鋭く激しいこと」(岩波国語辞典)。発覚した「女性問題」の答弁は「公の場では」とうってかわって小声。
 この間、「1票一揆(いっき)」といわれた「逆風」が吹き荒れた。参院福岡補選で社会党新人が劇的な大差、「完敗だわな」(竹下首相)。各地の知事、市長選でも思いもかけない自民批判票が出て、党幹部の「応援お断り」が続出した。
         
 ●国際 暴乱封じに新しい風はいつ?               
      
 ブッシュ米大統領が1月の就任演説で4度も繰り返した言葉が「新しい風」。「独裁者の時代は終わった。全体主義の時代も終わった」。5月の演説ではソ連に対して、慎重姿勢を持しながらも「封じ込め政策の終えん」を告げた。
 そのソ連で3月、初めて複数候補の競争を原則とした人民代議員大会選挙の投票が行われ、モスクワでは改革派の旗手エリツィン氏が党の推す対立候補に大差で勝利。「民主主義の最初の授業」といわれ、その「実験場」ともなった人民代議員大会では、かつてない自由な発言と「反対」表明が見られた。
 ポーランドでは政労「円卓会議」で合意に達した上、下院の「自由選挙」が行われ、在野勢力の自主管理労組「連帯」が圧勝。首相まで落選の党・政府側は早々と敗北を認めたが、「民主主義と改革の路線から引き返すことはない」と国民に約束。
 ゴルバチョフ書記長がソ連の最高首脳としては30年ぶりに中国を訪れて、歴史的な中ソ和解。お互いに「社会主義建設の多様性」を承認し、1つのモデルしかないとした過去の考え方を否定した。その訪中さ中に、天安門広場で起こった民主化要求の100万人デモとハンスト。最初は「動乱」、最後には党と国家の転覆をねらった「暴乱」と決め付けた中国政府は強硬姿勢をエスカレート、戒厳部隊が発砲する「血の日曜日」に。密告電話まで用意して「反革命分子」狩りと「死刑執行」が行われた。背後で指導部の権力争いと伝えられたが、それにしても「なぜ、こんなことに」。世界中の疑問と非難が集中した。
 イランの最高指導者ホメイニ師が死去。英国作家の小説「悪魔の詩」がマホメットを冒とくしているとして作家に「死刑宣告」を出し、両国は国交断絶状態になっていた。
                                    
      
 ●社会 変竹林な3%転嫁で不満も点火
 「消費税」が4月からスタート。ほとんどの買い物先で「外税」、つまりレジのたびに3%の税金を払わされることになった。そのつど痛税感を伴う、とんだ「間接税」の導入である。1円玉の「復権」は支払いのためより、生活防衛の象徴でもある。
 「便乗値上げ」の不愉快もさることながら、気になるのが払った3%の行方。「高齢化社会への準備」といいながら、年金受給年齢は65歳に引き上げられそう。
 佐賀県「吉野ケ里遺跡」が一躍、全国ニュースになったのは「邪馬台国時代のクニの1つ」ともらした学者のひと言から。魏志倭人伝には邪馬台国の女王、卑弥呼の邸宅に「楼観」があったと書いてあるが、それらしい物見やぐら跡が初めて見つかった。邪馬台国論争がまた一段と面白くなりそうだ。
 一律1億円の「ふるさと創生」資金。どの辞典を探しても「創生」は見当たらない。この竹下造語、どうみても言語明瞭(めいりょう)でない。察するに「新しく生み出す」といった意味だろうが、そうすると「ふるさと」にうまくつながらない。もっとも、「ふるさと」共同体はなくなり、あるのは「ふるさと幻想」だけとの見方をとれば、わからないでもない。
 川崎市の竹やぶで2度にわたって計2億2000万円の札束が拾われたのには日本中がびっくり。落とし主の推理が茶の間をにぎわせたが、警察がやっと通信販売会社社長を割り出してみると、「お金によって左右される人生が嫌になった。だれかに拾われ、社会福祉に役立ててもらえばと思った」。最後までやぶの中を付き合わされたような「現代版竹取物語」。
 この春から「春闘」という言葉が消え、「春季総合生活改善闘争」と呼ぶ労組も出た。「ゆとり獲得」を目指して、これまでの賃上げ1本から、初めて「時短(労働時間短縮)」をセットにして要求した。休日増1−3日を獲得したものの、労働日が休日出勤日に振り替わるだけの「時短元年」も。
 美空ひばりさん死す。「女王」というくらいしか、言葉が見つからないが、この人の歌抜きでは戦後の世相は語れない。
                                    
      
 ●事件 人間性もバラバラに焼き捨てた今田勇子
 昨年8月、失跡した埼玉県入間市、今野真理ちゃん事件は2月、自宅玄関前に「真理 焼」の挑戦状と遺骨入り段ボール箱が置かれてから、異常ずくめの展開を見せている。「所沢市 今田勇子」の差出人名で朝日新聞東京本社に「御葬式を早くしてあげて」と犯行声明。真理ちゃんの告別式の日に合わせて告白文。実は真理ちゃんの骨には「私の子の骨」も入っており、「共々、葬ってやることができました」というのだ。思わせぶりな偽名で文体も女性を装っているが、犯人男性説も。「こんなことをする人間がふつうに生活していると思うと耐えられません」(母親の幸恵さん)
 埼玉県飯能市の霊園で見つかったバラバラ死体の女児は東京都江東区の野本綾子ちゃん(5)と判明。残虐な手口から、ここにも「今田勇子」の影。
 東京都足立区の少年グループが女子高生を40日間も自宅に監禁、殺害、コンクリート詰めした事件が発覚。残虐さの一方で、逮捕後の少年たちは素直に自供、「ずっとうなされていた」「死んでおわびしたい」などといっているという。
        
 ●女性 ぬれ落ち葉には無理なてっぺん
 女優の和泉雅子さんが日本人女性として初めて厳寒の大氷原を走破して「地球のてっぺん」に到着。「最後の最後まで乱氷と氷の割れ目ばかりでした」「(北極は)何もない魅力です。東京には何でもありますから」
 東京都婦人問題協議会が「時代に即して改正を」とお役所言葉から「婦人」を追放するよう提言、都側も見直すことになった。「婦人は結婚した女性と誤解される」「男性の対語としての女性の方が適切」という理由から。福岡市では一足早く「婦人対策課」が「女性企画課」に改まり、京都府でも「青少年婦人課」が「女性青少年室」に格上げされる。
 定年後、家庭で自立できない会社人間の夫が「ぬれ落ち葉」と言われている。行き場所がなく払い落とそうにもベタッと妻の足元にまとわりついて離れない。評論家、樋口恵子さんによると「私は広めただけ。読み人知らず」だそうだ。
 「女が変わる 男が変わる 社会が変わる」。労働省が今年の婦人週間に向けて作ったポスターのキャッチフレーズ。女が変わるには男も変わらなければダメ、というわけで、「男の自立元年」がいわれ始めている。
                                    
      
 ●科学 オゾンましい温室効果
 「人類が行ってきた科学プロジェクトの中で最も困難」(米原子力委員会)といわれた「核融合」に、米英の科学者が「試験管の中で成功」の一報。日本でも数十の大学、研究機関が「追試」に色めき立ったが、肝心の中性子の検出をめぐってはいまだに真偽の結論が出ていない。世界の専門家による米国での研究会議の総括も「何か新しい反応が起きているようだ」。「シンデレラ」に出会ったことまでは認めたが、その正体はこれから協力して突きとめようという。ちなみにこのニュース、本紙では「常温核融合」と伝えているが、「低温核融合」「室温核融合」の報道も。
 地球規模の「環境保全」が、にわかに「世界の流れ」になった。地球のオゾン層を破壊するフロンを今世紀末までに全廃するとした「ヘルシンキ宣言」。半導体など洗浄用のフロン113を始め、わが国は特に使用が多いが、企業も死活問題として「脱フロン」の代替品開発に走り出した。
 もう1つのキーワード、地球の「温室効果」についても、国連環境計画(UNEP)で「温暖化防止」のための国際条約づくりが決議された。南極のオゾンの穴、北極がすみ、砂漠化と海面上昇、酸性雨など、気がついたら、おぞましい指標にかこまれている。
 米国のランチョセコ原発をめぐる住民投票で「運転継続ノー」の票が過半数を占め、直ちに炉の停止作業が始まった。故障続きだったとはいえ、運転中の原発では初めてのこと。「即核停止」を勝ち取った脱原発派の市民団体「セーフ」は手弁当の草の根運動が頼りだった。
 「エコポリス」。エコロジカル・ポリスのことで、「人と環境の共生する都市」実現を目指して今年の環境白書が作った造語。
                                    
      
 ●経済 黒字大国突くスーパー301条の矛
 米国の「スーパー301条」発動で、日米摩擦がまた、きしみ始めた。日本を「不公正貿易国」と決め付け、スーパーコンピューターなど3品目で制裁をちらつかせながら「貿易障壁」の撤廃を迫っている。政府はまともには応じられないとしつつも、「日米貿易戦争のスタートは避けたい」。発動をめぐっては米国でも「貿易戦争」が心配された。
 「FSX(次期支援戦闘機)」の日米共同開発計画が米議会で見直しを迫られ、再交渉。将来、米国の「航空宇宙産業の脅威になる」というのだ。やっと合意したものの、これまで両国間では防衛と貿易はからめないとした「安保聖域論」が「暗黙の了解」でなくなった。「コンテイニング・ジャパン(日本封じ込め)」「ジャパン・フォービア(日本恐怖症)」。最近、米国でささやかれている言葉である。
 日本の外貨準備高が初めて1000億ドルの大台に。かつて中東のオイルマネーも1国としてはここまで膨らんだことはない。「ドルをため込むだけの黒字大国」と言われかねない。もっとも今年の「通商白書」は、内需拡大が輸入増に結びつきやすい体質に変わってきたとして、「輸入大国」への転換進行中を指摘している。
 大手企業の3月決算は大幅な増収増益。製造業、なかでも「鉄の復権」が目ざましい。鉄だけに頼っておれないという、必死の「リストラ(リストラクチャリング、事業の再構築)」に、鉄鋼需要の「追い風」。
 「経営の神様」といわれた松下幸之助氏が94歳で死去。自社のことを「人をつくるところです。あわせて電気器具もつくっております」と紹介した。一味違った「アントレプレナーシップ(企業家精神)」の持ち主であった。戦後日本復興の「創業者たち」の代表格。
                                    
      
 ●現象 ばななは若い女性好み
 1億総感涙を呼びかねない勢いだった「一杯のかけそば」現象が、ここにきて「実話としては不自然」とか論議を呼んでいる。好悪含め童話がこれほど話題になったのも、近年例がない。
 「村上春樹現象」が去って、出版界に「吉本ばなな現象」。旧世代からは少女小説とかコミックとかの批評もあるが、圧倒的に多い若い女性ファンには不思議と「元気が出る本」らしい。



1989年6月27日 夕刊 1総
◆上海列車爆破、20人死亡 トイレ内に爆発物 「報復テロ」の見方も


 【上海27日=堀江特派員】27日朝の上海人民放送ラジオによると、上海市郊外で26日午後11時13分(日本時間同)ごろ、急行旅客列車が爆破され、乗客が少なくとも20人死亡、11人が重傷を負った。軽傷者も出た模様。同放送は「人為的な爆破」と伝え、国営新華社通信は、現場の捜査でダイナマイトによる爆発と断定した、と伝えた。同市では今月6日、民主化運動参加の群衆が列車に放火、当局は21日に犯人とされる3人を処刑している。これら当局の締めつけと今回の事件が関係あるかどうかは不明だが、報復テロ行動との見方も出ている。
           
 爆破が報じられたのは、上海駅から南西約40キロの上海市松江県の瀘杭線松江−協興駅間。上海市鉄道局の調べによると、杭州発上海行きの急行旅客列車(15両編成)が松江県の華陽橋にさしかかったとき、7号車付近で突然、大音響とともに爆発が起き、近くにいた乗客が吹き飛ばされるなどした。7号車は「硬座車」と呼ばれる普通車で、爆発物はトイレに仕掛けられていたという。
 鉄道局によると、死傷者には日本人など外国人はいなかった。上海の日本総領事館も、日本人の死傷者がいなかったことを確認した。
 新華社通信によると、上海市の副市長が現場へ急行し救出作業を指揮。現場の調査で爆発はダイナマイトにより起きたことが明らかになった。詳細について引き続き調査中だという。事故から約5時間後の27日早朝に列車の運行は再開された。
 上海では、今月6日深夜から翌未明にかけて、市北部で立ち往生していた北京発上海行き旅客列車が放火され、9両が全焼する事件があった。その「犯人」とされた3被告に対して中国当局は21日、国際世論を無視する形で死刑を執行した。
 同放送は原因について、今回の爆破事件がこの列車焼き打ち事件など、一連の民主化要求運動と関係があるかどうかについて触れていない。
 中国では工事関係者がダイナマイトやシンナー類など爆発・引火物を無断で運ぶことがあるなどから、必ずしも断定できないが、何らかのテロ活動か、テロを計画中に誤って爆破したなどの可能性も捨てきれない。
                                    
      
 ●爆発や火災 相次ぐ事故
 中国では、80年10月29日、北京駅で文化大革命時に地方へ下放された青年の持つ爆弾が爆発して9人が死亡、81人が負傷する事件が起きている。このほか86年1月15日、広東省で列車が爆破され7人(一説では3人)が死亡。87年4月22日、黒竜江省で特急が爆発、11人が死亡、45人が負傷。88年1月7日には湖南省の駅に停車中の急行列車が燃え出し、死者34人、30人が負傷するなど、列車の爆発、火災事故が続いている。



1989年6月27日 夕刊 らうんじ
◆“オウム返し”で処刑(特派員メモ・パリ)


 フランス革命200年祭にあわせて、関連の本や雑誌を読みあさり、歴史家に話を聞いている。
 ロベスピエールの生まれた町アラスに、遠縁の子孫を訪ねると、約束の場所に地元新聞の通信員が待っていた。当方の取材ぶりを記事にする、という。取材のあと、地元新聞の支局に寄り、シャンパンで乾杯して、200年祭をどう思うかなど論議した。
 帰りの汽車で「イストリア」という歴史雑誌を読んでいたら、こんな記事があった。
 1793年の8月、アラスのある侯爵夫人とその父親が逮捕された。家宅捜索で「ジャコ」という名前のオウムが見つかった。革命政府の兵士たちを横目に「ビッブ・ル・ロワ、ビッブ・レ・ノブレス(国王万歳、貴族万歳)」と、このオウムはくりかえし歌っていた。
 やかたの召使と乳母、赤ん坊までが、「国家に対する裏切り」の罪で逮捕された。侯爵夫人と父親と召使の3人は、ジャコが何よりの証拠となり、94年4月23日の裁判で死刑判決。その晩のうちにギロチンにかけられた。
 ジャコはその後、別の人に引き取られ、「国民万歳」と歌うよう再教育されたとも、ギロチンにかけられた、ともいう。
 当時、小型のギロチンで鳥やネズミを処刑するのが流行していた。中世やアンシャン・レジームでは動物に対する裁判は珍しくなかったし、とくに人間を襲ったオオカミやブタに対する裁判が多かった……。
 パリに戻ってしばらくすると地方紙が送られてきた。写真付きの記事は、「日出づる国がフランス革命に目覚める時」と大見出し。いやはや、何とも大げさな一刀両断ではあった。(清水)



1989年6月27日 夕刊 2社
◆韓国の元死刑囚が7月、九州で「証言」 【西部】


 大阪府に住む在日韓国人で、ソウル大学在学中に国家保安法違反などで逮捕され死刑判決を受けた康宗憲(カン・ジョンホン)さん(37)が7月7日、長崎市興善町のルーテル長崎教会で13年間に及んだ獄中体験を語る。全政治犯の釈放を実現しようと、今月16日から実施している全国巡回行動の一環。九州では8日に鹿児島市、9日に福岡市、10日に佐賀市を訪れる。
 康さんは奈良県出身。昭和47年、ソウル大学医学部に入学した。50年に逮捕され52年、死刑が確定。5年後、特赦で無期懲役に減刑されるまで死刑囚として過ごした。その後、さらに特赦などで減刑され昨年12月に釈放された。受け入れ団体である「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」の高実康稔事務局長(長崎大助教授)は「自由と平等、民族統一をいちずに願っていた青年が、スパイ事件をでっち上げられた。率直な証言をぜひ聞いてほしい」と話している。
 当日は午後6時から。ビデオ「87韓国民衆抗争の記録」の上映などもある。参加費500円。問い合わせは同教会(電話0958−23−5459)へ。



1989年6月27日 朝刊 2総
◆対中抑制姿勢を強調 中国孤立回避探る 三塚外相・ベーカー長官会談


 【ワシントン26日=生井記者】米国を訪問中の三塚外相は26日午前(日本時間26日夜)、米国務省でベーカー国務長官との会談に入った。引き続きブッシュ大統領を訪問する。外相は、ベーカー長官との会談で、中国情勢について、中国指導部による民主化運動への武力制圧や死刑執行に対して深い憂慮を表明すると同時に「中国を孤立化させ、封じ込めるべきでない」との考えを強調。制裁措置を取らない日本の立場を説明、7月の主要先進国首脳会議(サミット)にも「抑制的な対応」で臨むことを伝え、米側の理解を得たい考えだ。日米両国は、今後の対中政策について緊密な協議を続けることを確認する見通しだ。
      
 今回の日米外相会談は、宇野内閣発足後初めて。首相自身の早期訪米が見送られたことから、三塚外相としては、ブッシュ政権との協力姿勢を確認すると同時に、「スーパー301条」問題など日米間の懸案については、竹下政権が確認した「政策協調と共同作業」の原則を継承し、宇野政権として責任を持って対処することを米側に伝えるのが最大の狙いだ。
 サミットを控え、焦点となっている中国情勢については、新体制発足によって「内政の異常事態に一応の終止符が打たれたが、全般的には依然として流動的」との日本政府の認識を伝え、民主化要求への弾圧は人道上容認できないという点では、日本は米国と基本的に同じ考えであることを強調する。
 日本の対応として(1)第3次円借款など、新規政府開発援助(ODA)に関しては「中国情勢の落ち着き先を見極め、国際的な動向を見て検討する」として、事実上凍結している(2)民間企業にも国際的な誤解を招かないような配慮を求めている−−などの現状を説明する。しかし、日本が歴史的にも中国と特殊な関係にあることも指摘し「対応は、国によって濃淡があってもよい」として、具体的な制裁措置をとる考えのないことを表明し、今後の対中政策については、米国との緊密な協議の必要性を強調する。
 さらに、中国の反体制物理学者方励之氏夫妻の保護をめぐって緊張している米中関係に関しては「良好な米中関係がなくては、良好な日中関係は成り立ちにくい」との観点から、悪化への懸念を表明。「中国を孤立化させないように、米国の中国に対する対応や、サミットで協議する場合も、抑制的な対応をした方がよい」との日本の考え方を強調し、米側と意見をすりあわせする考えだ。



1989年6月27日 朝刊 2外
◆戦犯かくまった修道院 ナチス協力者逮捕(国際事件簿・フランス)


 避暑地で名高いニース。旧市街にある聖ジョセフ修道院に、パリから駆けつけた国家警察のルコルドン中佐らが乗り込んだのは、5月24日朝7時すぎだった。踏み込まれたとき、ポール・ラクロワという名の男とその家族は、まだ部屋着のままだった。
     *    *    *
 本名ポール・トゥビエ。74歳。第2次大戦中、リヨンで親独義勇隊の局長を務め、レジスタンス弾圧に奔走。戦後、欠席裁判で2回、死刑判決を受けたほか、殺人未遂・不法逮捕・監禁の「人道に対する罪」で国際指名手配されていた。
 捜査の手が近づいたのを察知し、逃げ出す寸前で、車にはトランクも積んであった。大量の書類や手紙、日記はそのまま押収された。
 つかまる2日前、北フランスの修道院(僧院長はラフォン師)と、カトリック伝統主義者ルフェーブル神父のパリ郊外の自宅が家宅捜索を受けた。さらに別の僧院の捜索で、捜査員はトゥビエが聖ジョセフ修道院にいることをつかんだ。
 1944年に姿をくらまして以来、実に45年ぶりの逮捕だった。ユダヤ人強制収容所遺族協会の代表は「朗報だが、これほど時間がかかったことに怒りを感じる。政治的な結託、一部の教会関係者の助力があったに違いない」と語った。
     *    *    *
 逮捕のきっかけは、カトリックの信徒団体「ノートル・ダム騎士団」とトゥビエの関係が暴露されたことだった。ドイツ占領下に結成された同騎士団は「対独協力へのノスタルジーを抱く者の集まり」といわれる。一時衰退したが、ラフォン師が再建。団員は約400人。ラフォン師がある僧院でトゥビエに会って以来、騎士団の幹部が毎月送金していたとの報道もある。
 ローマ法王から破門されたルフェーブル師も騎士団パリ支部の責任者だ。
 「私の犯罪はすべて時効になっているはずだ」「どんなにひどい生活だったか。まるで、地下室で暮らしていたようだ」−−ニースからパリへ護送される機内で、トゥビエは捜査員にくり返したという。
 第2次大戦直後から、教会の保護を受けた。67年に死刑判決が時効となり、71年にはポンピドー大統領の恩赦も受けたが、各地の修道院や僧院を転々とする逃亡生活は終わらなかった。
 83年3月に国際再手配。翌年9月、地方紙にトゥビエの死亡広告が出た。捜査陣は彼の銀行口座に、2週間ごとに3000フランが振り込まれていることを突き止め、逆に捜査を強化した。
     *    *    *
 今回の事件を、聖ジョセフ修道院の信者たちは、冷静に受け止め、教会を支持している。戦時中、多くの神父がレジスタンスの闘士やユダヤ人をかくまったし、戦後は対独協力者、戦犯を保護したのも事実だ。
 しかし、トゥビエがこれほど長期間の保護を受けたのは、単なる慈悲でなく、教会にとって都合の悪い「秘密」を相当握っていたからだろう、と指摘する歴史家もいる。
 トゥビエは、記録や書類整理のマニアを自任していた。押収された文書は大型トランク6個分で、数百通の手紙、いつ、どこで、だれと会ったかを刻明に記した日記などがある。レジスタンス弾圧の実態ばかりかカトリック教会がなぜ、彼を保護したかが、あきらかになるはずだ。
 弁護士によると、トゥビエはがんにかかっており、裁判に耐えられるかどうか疑問だという。しかし、予審判事はすでに数回にわたって、トゥビエの調べを行った。
 6月25日、リヨン郊外でナチに虐殺されたユダヤ人の追悼集会が開かれ、参加した遺族の1人は「トゥビエは自分のしたことで裁きを受けねばならない。今年の追悼集会は特別の感慨がある」と語った。
 (パリ=清水特派員)



1989年6月27日 朝刊 1社
◆アベック殺人、あす判決 名地裁、主犯少年らどう判断 【名古屋】


 名古屋市緑区で昨年2月、若い男女2人が襲われ、殺された「アベック殺人事件」で、殺人、死体遺棄、強盗致傷などの罪に問われ、死刑を求刑されている主犯の名古屋市港区、とび職A(20)=犯行時19歳=と共犯5人に対する判決が、28日午前9時半から名古屋地裁刑事4部(小島裕史裁判長)で言い渡される。遊ぶ金欲しさの強盗が、殺人に発展した凶悪事件で、Aに対し求刑通り死刑が言い渡されるか、情状を酌量して刑を軽減するか、裁判所の判断が注目される。
 Aのほかに判決を受けるのは、同市中村区本陣通5丁目、暴力団員高志健一被告(21)▽同市中川区、とび職B(18)▽同市港区、無職C(20)=犯行時18歳▽同市港区、同D子(18)▽愛知県海部郡、同E子(18)の5人。高志とBは無期懲役、Cは懲役15年、D子、E子は懲役5−10年を求刑されている。
 起訴状によると、Aらは昨年2月23日未明、名古屋市緑区の大高緑地公園で車を止めてデートしていた大府市朝日町、理容師野村昭善さん(当時19)と愛知県知多郡東浦町石浜片山、理容師見習末松須弥代(すみよ)さん(当時20)の2人を鉄パイプなどで襲い、現金約2万円などを奪った。
 犯行を隠すため、翌24日、愛知県愛知郡長久手町の墓地で、AとBの2人が野村さんをロープで絞め殺した。さらに、25日、三重県阿山郡大山田村の山林で、AとBが末松さんを絞殺し、2人の遺体を埋めた、とされている。
 検察側は、ことし1月の論告求刑で、Aについて、(1)冷酷、残虐な犯行を思いつき、平然と実行した(2)犯行時19歳6カ月で実質成人と変わりない(3)矯正不可能で、社会に戻せば、再び悲惨な犠牲者が出る、などと主張し、「死刑以外にありえない」とした。Aの弁護側は起訴事実を認めたうえで、「精神が未熟な少年が集団心理で暴走した果ての犯行で、1人だったら起きなかった。深く反省し、立ち直る可能性が十分ある」と、刑の軽減を求めている。



1989年6月28日 夕刊 1総
◆「19歳」主犯に少年では10年ぶりの死刑 アベック殺人で地裁判決


 名古屋市緑区で昨年2月、若い男女2人が襲われ、殺された「アベック殺人事件」で、殺人、強盗致傷などの罪に問われ、死刑を求刑された主犯の名古屋市港区、とび職A(20)=犯行時19歳=と、共犯5人に対する判決公判が28日午前9時半から、名古屋地裁刑事4部で開かれた。小島裕史裁判長は、6人全員を有罪としたうえで、「遊ぶ金目当てに強盗を計画し、犯行の発覚を免れるため、殺害を決意した。命ごいする被害者を長時間、死の恐怖にさらして平然と順次殺害した行為は残虐、冷酷きわまりない。精神的に未熟な少年の集団犯罪であったことなど有利の情状を考慮しても、刑事責任は重大」と述べ、Aに求刑通り死刑を言い渡した。犯行時、少年に対する死刑判決は、4人連続射殺事件の永山則夫被告(40)=上告中=に対する昭和54年の東京地裁判決以来、10年ぶり。
      
 近年、裁判所は死刑の適用に慎重な姿勢を示してきたが、少年犯罪が凶悪化する中、厳しい姿勢で臨むことを示した注目される判決例となった。
 Aのほかの量刑は、同市中川区、とび職B(18)を求刑通り無期懲役、同市中村区本陣通5丁目、暴力団員高志健一被告(21)を懲役17年(求刑無期懲役)、同市港区、無職C(20)=犯行時18歳=を懲役13年(同15年)、同市港区、同D子(18)と愛知県海部郡、同E子(18)の2人をいずれも求刑通り懲役5−10年の不定期刑とした。
 判決によると、Aら6人は遊ぶ金目当てにアベックを襲うことを計画。昨年2月23日未明、名古屋市緑区の大高緑地公園で、デートしていた大府市朝日町、理容師野村昭善さん(当時19)と愛知県知多郡東浦町石浜片山、理容師見習末松須弥代(すみよ)さん(当時20)の2人を鉄パイプなどで襲い、現金約2万円を奪った。
 そのうえで、6人は犯行が発覚するのを恐れて野村さんらの殺害を決意した。AとBの2人は翌24日、愛知県愛知郡長久手町の墓地で野村さんを、25日には三重県阿山郡大山田村の山林で末松さんを、相次いでロープで絞め殺し、2人の遺体を埋めた。
 判決理由で、小島裁判長は6人全員の情状として、「被害者を1−2日間連れ回し、命ごいする野村さんをまず殺害。さらに、末松さんを長時間、死の恐怖にさらしたうえ、死亡が確認されるまで平然と首を絞め続けて殺害し、執よう、冷酷きわまりない」と指摘した。
 さらに、Aの情状について判断。「殺害を計画、実行し、首謀者的な地位にあった。仕事を嫌って暴力団に所属するなど、犯罪性の根深さがうかがわれ、刑事責任は重大」とした。また、同じ殺害の実行犯のBについて、「犯行時、17歳に達したばかりだが、殺害を実行した責任は重い」とした。
 こうした事情を総合して、小島裁判長は「有利な事情のほかに、さらに可朔(そ)性に富む少年に対する極刑の適用は特に慎重であるべきことを考慮しても、Aには死刑に処する以外にない。Bについては死刑を選択するものの、少年法51条により、無期懲役にする」と述べた。
 ことし1月の論告求刑公判で、検察側は、犯行が2日間にわたり、命ごいする被害者を順次殺害した残虐性を重視、殺害の実行犯Aに死刑を求刑した。
 Aの弁護側は起訴事実を認めたうえで、情状酌量による刑の軽減を主張。その理由として、死刑の適用は慎重でなければならず、特に少年の場合は健全育成を目指す少年法の理念に著しく矛盾する、などを挙げた。
                                    
      
 <少年法51条>
 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもって処断すべきときは、無期刑を科し、無期刑をもって処断すべきときは、10年以上15年以下において、懲役または禁固を科する。



1989年6月28日 夕刊 1総
◆少年法51条<用語>


 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもって処断すべきときは、無期刑を科し、無期刑をもって処断すべきときは、10年以上15年以下において、懲役または禁固を科する。



1989年6月28日 夕刊 1総
◆名古屋のアベック殺人に死刑判決 当然控訴すると弁護人 【名古屋】


 死刑判決を受けたAの白浜重人弁護人の話 正直言ってコメントする気力がわいてこない。少年への死刑判決は特に慎重にすべきだというのが法曹界の常識になりつつあるのに、(判決は)情状面が簡単すぎる。客観面だけで判決を下しており、生いたちや成育歴など主観面の考慮が欠けているし、(被告が)矯正可能かどうかの判断が全くない。集団犯罪だ、との主張もほんの数行で片付けられている。午後一番に拘置所へ行って本人の意思を確認するが、当然控訴することになると思う。



1989年6月28日 夕刊 2総
◆アベック殺人事件の「少年死刑」判決理由<要旨>


 28日、名古屋地裁で言い渡された「アベック殺人事件」の判決要旨は次の通り。
       
 本件は、犯行時17歳3名、18歳1名、19歳1名、20歳1名の計6名の被告人が共謀の上、深夜から早朝にかけて立て続けに金品強取を目的として、3組の男女6名に対し暴行脅迫を加えて、内4名から金品を強取し、最後に襲った1組の男女については、さらにその女性を被告人らのうちの3名において乱暴した上、犯行の発覚を免れるため、この両名を1ないし2日連れ回した上、順次絞殺して山中に遺棄した事案である。
 犯行態様について見るに、金城ふ頭における強盗行為が未遂に終わるや、再び同所に戻った上で強盗行為に及び、その上さらに大高緑地公園へ赴いて野村昭善らに対し強盗行為に及んだもので短時間のうちに3件、しかも前の2件は同じ場所において敢行している点も、大胆かつ悪質というべきである。
 殺人においては、大高緑地公園における暴行により傷害を負った野村及び末松須弥代に何らの治療も施さずに、野村を丸1日、末松にいたっては丸2日連れ回し、野村殺害の際には、同人が「殺さないでください」と命ごいするのに耳を貸さずに、無抵抗の同人を絞殺し、また末松殺害の際にも、既に観念し、無抵抗状態の同女に対し、被告人Aにおいて「綱引きだぜ」と口にしながら実行行為に及び、同高志においては笑いすら浮かべて傍観し、さらにいずれの殺害においても、被告人A及び同Bにおいて、「このたばこを吸い終わるまで引っ張ろう」と話し合いながら平然と首を絞め続けており、しかも、実行中再三にわたって被害者の生死を確認し、死亡が確認できるまで首を絞め続けて殺害しており執ようかつ冷酷極まりない。
 次に前記の一般的情状に加えて、以下、各被告人の個別的情状について検討する。
 被告人Aは本件犯行時19歳6カ月の年長少年であったが、本件強盗の犯行を最初に提案した上、急襲する男女を指示し、殺人及び死体遺棄の共謀においても率先してその方法を提案し、なおかつ両罪の積極的実行行為者であって、野村、末松殺害後も平然としてたばこの吸いがらを拾うなど罪証隠滅工作をしており、また、窃盗の前歴を有している上に保護観察中に別罪を犯したり、家庭裁判所において不処分決定が出るや予定された就職先を嫌って直ちに所属していた暴力団事務所に戻るなど、犯罪性の根深さがうかがわれ、その上、少年鑑別所において、反省しているとは思えぬ態度が散見されたことをも併せ考えればその刑責は誠に重大である。しかし他方、本件犯行後、殺害した両名のことに思いを致し涙を流し、さらには拘置所移監後、実母との面会の際にも涙を流すといった反省の態度も芽生えており、当公判廷においても反省していると述べていることなど、有利な事情も認められる。
 被告人Bは、本件犯行当時17歳に達したばかりの少年であるが、被告人Aとともに、野村及び末松殺害の実行行為者であり、殺害後も被告人A同様平然とたばこの吸いがらを拾い集めるといった罪証隠滅工作をしており、しかも、14歳未満のころ窃取行為を犯した前歴を有していること、少年鑑別所において官本に落書きをするなど反省しているとは思えぬ態度が散見されたことを併せ考えると、その刑責は誠に重大である。しかし他方、被告人A同様犯行当時薗田組を離脱して、とび職として稼働しており、無為徒食していたわけではないこと、当公判廷において反省していると述べていることなど有利な事情も認められる。
 以上の事情を総合すると、被告人A及び同Bの罪責は誠に重大であり、前認定の被告人に有利な事情を考慮に入れても、さらに可そ性に富む少年に対する極刑の適用は特に慎重であるべきことを考慮に入れても、被告人Aについては死刑に処する外はない。そして、同Bについては死刑を選択するも少年法51条により無期懲役に処することとする。その他の被告人4名については、前認定の事情の下、それぞれその責任が重大であることは論を待たないが、おのおのにつき認められる各事情を総合考慮すれば有期懲役刑に処するのを相当と認め、それぞれ主文のとおり量刑した。
 (被害者の敬称は略しました)



1989年6月28日 夕刊 1社
◆死刑論議に広がる波紋 名古屋のアベック殺人判決<解説>


 永山被告の連続射殺事件で、最高裁が昭和58年に死刑適用の基準を示して以来、1審段階では少年事件で初の死刑判決が28日、名古屋地裁で言い渡された。判決は主犯Aの情状を認めながらも、事件の残虐性など刑事責任の重大さを指摘し、死刑を選択した。この事件に限らず、最近社会的論議になる少年の凶悪事件も相次いでおり、これらも犯罪の一般予防の見地から、量刑に影響を与えたと見られる。ただ、成人に比べ手厚い保護が保証されている少年にあえて極刑で臨んだことは、死刑の適用枠の拡大にもつながりかねず、死刑制度をめぐる論議が再び活発になるとみられる。
 死刑には(1)犯罪者の抹殺により社会悪の根源を絶つとともに、威嚇力によって同種犯罪の再発を防ぐ(2)犯した罪と刑罰の均衡を保つ、という2つの意義があるとされる。
 しかし、死刑は最も冷厳な制裁で、執行されると取り返しがつかない。58年7月、最高裁が死刑の適用基準を示した後に、死刑囚の再審無罪が相次ぎ「誤判の恐れがなくならない現状では、死刑制度を廃止すべきだ」と、問い直す機運が高まった。
 これ以前から、裁判所は死刑の適用に慎重になり、死刑確定者は20年代に332人だったのが、50年代には30人に減った。このうち、少年で死刑が確定したのは戦後、計40人いるが、50年代以降は2人だけだ。
 永山被告に対し、死刑判決を破棄して無期懲役に軽減した56年の東京高裁判決は「どの裁判所でも死刑を選択する場合に限られる」との判断を示した。これに対し、最高裁は、犯行の動機や態様、被害者数などから見た死刑の判断基準に合致するとして、この判決を破棄差し戻したが、「死刑に慎重であるべきだ」という姿勢は追認した。とりわけ少年事件の場合、少年法により慎重な判断が求められる。永山事件も同じ19歳の犯行だったが、4人を殺害したきわめて凶悪な事件だった。
 今回の事件は被害者が2人のうえ少年事件での、死刑の適用基準を満たすかどうかが最大の争点とされてきた。凶悪化する少年犯罪の中で、それをどう根絶するか。少年の矯正も含め、大人社会としてもどう対応するかも社会問題となってきたが、この日の判決は、裁判所として、犯罪の一般予防の見地から狭められつつあった少年への死刑の枠をここで押しとどめることによって、対応する姿勢を示したと受け取れる。



1989年6月28日 夕刊 1社
◆残虐な暴走に極刑 宣告に少年「えっ」 名古屋のアベック殺人判決


 「被告人を死刑にする」。小島裁判長の言葉に、Aは「えっ」と問い直すように正面を見据え、視線を次第に落とした。28日、名古屋地裁1号法廷。廷内がざわめく中、裁判長の声が響いた。「執ようかつ冷酷だ」。「綱引きだぜ」と言いながら首を絞め、若い2人をなぶり殺しにした名古屋・アベック殺人に、少年の1審判決としては、永山則夫被告以来10年ぶりに死刑判決が下った。遺族は「殺された者は戻らない」と、なお晴れぬ思いに目をはらしていた。
      
 判決公判は午前9時半から。Aは赤の横しまシャツにジーパン姿で、裁判長から見て右から3番目に座った。その隣に高志。2人を挟むようにB、E子らが並んだ。小島裁判長は判決理由から述べ始めた。「末松さんを裸にし、たばこを押しつけた」。「助けて下さいと叫ぶ野村さんの首にロープをかけ、長時間にわたって強く引っ張った」。殺害方法が次々明らかにされるたびに、傍聴席からはうめき声が漏れ、ハンカチで目を覆う人もいた。
 情状面で裁判長は「Aは『綱引きだぜ』と末松さんの首にかけたロープを引っ張り、『たばこが吸い終わるまで引き続けよう』とも言った。執ようかつ悪質である。犯行の動機も、単に遊び金がほしいというだけで酌量の余地はない」と厳しく述べた。Aは力なく頭をぐらぐらさせ、高志は首を右に傾けた。
 最後に主文。起立したAに「死刑」との判決が下った。傍聴席で、殺された野村昭善さんの父親和善さんは目を見開いてAを見つめ続け、末松克憲さんは娘の須弥代さんのことを思い出すように、じっと目を閉じていた。
 Aは逮捕されてから、しばらく少年鑑別所に入れられていたが「少年だから大した罪にならないと思っていた」とか「刑を終えたらD子と結婚する」と悪びれずに述べたりもした。しかし死刑が求刑されてからは「眠れない。足がフラつく」とふさぎこみ、母から勧められた般若心経の写経や、少年犯罪に関する本を読みあさっていたという。
     
 ●社会への警告
 小田晋・筑波大教授(心理学)の話 死刑判決は、少年とはいっても、犯行当時19歳6カ月と、成人にかなり近く、成人の暴力団員の方が従犯であり、成人と同等に見たのではないか。少年犯罪でも、本件のような場合は死刑判決もやむを得ないのではないか。この判決は社会への警告と考えるべきだ。刑の当否については控訴審で、慎重に審理されることを望む。この犯罪のほか、性的倒錯に基づく残酷な殺人が増えているが、これは(1)マスコミなどによる性倒錯情報の普及(2)スキンシップの減少(3)競争心、物質主義の横行、が原因。この事件ではとくにシンナーが引き金になっていることに注目すべきだ。
                              
 ●更生の機会を 
 宮沢浩一・慶応大法学部教授(刑法・犯罪学)の話 私は死刑廃止論者ですべての死刑に反対する。今回の事件は報道通りだと、残忍な行為で、死刑やむを得ない、という判決が実務的には導き出せるのだろうが、犯行当時は少年であり、もう一度立ち直る機会を与えてほしかった。



1989年6月28日 朝刊 1外
◆外からの目 「トウ^氏後に揺り戻し」(新体制の中国:下)


 中国の新体制について米国務省のバウチャー次席報道官は26日、「新しい指導者のもとで中国が発展するよう期待する」と、発表した。歓迎表明にはほど遠い、紋切り型の短い声明だった。米政府の複雑な心境が、にじみ出ている。
                
 ○江氏に「2つの顔」
 米政府が現状を暫定的な指導体制と見ているのは否めない。「トウ^小平・中央軍事委主席が死んだ時に揺り戻しが起きるだろう」(スカラピーノ・カリフォルニア大教授)。それが、米国内の一般的な認識である。
 江沢民・新総書記に対しては、経済改革と開放政策の推進論者である半面、今回の民主化闘争では「言論の自由を封殺し、上海の3被告をまっ先に処刑した」と国務省当局者は指摘する。そのどちらの側面が今後より強烈に出てくるのか、米国はいまのところ短期的な見極めすらつけられない。
 一方で、ホワイトハウスは、「どんな人物であれ(米中関係維持という)ビジネスは続ける」と、現実的な構えを崩さない。
 中国は核を保有し、資源と潜在経済力に富む大国であることに加え、カンボジアやアフガニスタンの地域紛争解決に重大な役割を担っている。米ソ緊張緩和の潮流の中で、「中国が米国にソ連カードをちらつかせることは非現実的」とも読む。「中国は少し締めつけるだけで十分。限定的な制裁を受ければ中国は自制せざるを得なくなる」と、米当局者の多くは声をそろえる。
 ブッシュ政権の対中制裁は、軍関係者の交流中止と武器売却の禁止に続き、米政府高官の接触禁止と国際的な対中融資の延期要請へと拡大した。しかし、いずれも中国への決定的な打撃とはいい難い。つまり米国は中国に対し、本格的な損害を与えないで制裁効果を上げたい、という一見矛盾した措置を取ることで、中国側の自覚を促そうとしているのだ。
              
 ○サミットが焦点に
 西側各国内では、カナダとオーストラリアが駐中国大使の召喚を決めたのを始め、フランスが外交関係を凍結。西独は連邦議会で死刑中止を決議したほか、対中開発援助計画も見合わせた。政府高官レベルの接触禁止はベルギー、イギリスにも及び、日本やイタリアも対中新規援助を凍結。世界銀行は今年度末(6月30日)までに決めるはずだった7件の対中融資審査(総額7億8000万ドル)を延期した。
 いずれも中国に対して限定的な制裁策であり、その意味で米国は対中措置に関する主導が実を結んだとみる。フランスや西独が米、日、欧州共同体(EC)の全体でそろって、より強力な経済制裁の導入に傾く姿勢を示しているが、米国が応じなければ協調制裁は実現しない、と米政府は見通している。
 ブッシュ大統領の当面の狙いは、こうした西側陣営の「中国に対する批判の声」を蓄積し、7月中旬パリで開く主要先進国首脳会議(サミット)で、中国当局による人権抑圧政策を非難することにあろう。それまでの間、国際世論をいかに盛り上げるべきか、をホワイトハウスは連日協議している。
               
 ○ソ連は政策に注目
 新体制の行方を注視しているのは、西側ばかりではない。ソ連にとって江沢民・新総書記は古くからつながりのある人物だ。1955年ごろに、技術面の実地教育・研究のために、自動車企業・ジルにいたことがある。ロシア語のほかに英語、ルーマニア語もこなす高い教養の持ち主と評価されている。
 同じように経済改革に取り組むソ連にすれば、江氏が経済実験の「基地」ともいわれている上海で、学生、市民運動をくぐり抜け、精力的に多くの経済改革、外国との協力推進に取り組んできた点にも注目する。
 ソ連・極東研究所のゴンチャロフ・中ソ関係部長は、「中国指導部は西側との経済関係・協力を拡大するために、これまであった制限を取り外すなど、もっとラジカルな措置をとるかもしれない」と指摘。「新総書記が天安門事件をどう位置づけ、国づくりに関し、どのような独自のプログラムを打ち出すか注目している」と語った。
 27日、スペイン・マドリードのEC首脳会議は、中国に対する武器禁輸など横断的な経済制裁措置で合意した。中国がここで反発姿勢を強めれば、西側諸国の非難はさらに本格的に火を噴こう。ソ連にしても中国指導部の一連の力による解決には同意できないとし、対話路線への転換を強く希望している。
 こういう外からの目に、中国はどうこたえていくのだろう。
 (ワシントン・島田、モスクワ・新妻特派員)



1989年6月28日 朝刊 2社
◆「中国は死刑やめよ」 水俣の市民団体が抗議 【西部】


 熊本県水俣市の市民団体「アジアと水俣を結ぶ会」(浜元二徳代表、会員240人)は27日、中国政府の民主化運動に対する弾圧に抗議し、報復、みせしめの逮捕、死刑をただちにやめるよう求める抗議文を中国大使館あてに郵送した。



1989年6月28日 朝刊 1社
◆民主の女神像つくろう 天安門虐殺に追悼と抗議 尼崎で市民【大阪】


 中国民衆への連帯をこれで示そう、と中国の民主化運動のシンボルだった北京・天安門広場の「民主の女神像」を、尼崎市の喫茶店経営者らが尼崎市神田北通1丁目の中央公園に再現する。戒厳部隊による虐殺事件から1カ月目の7月3日夕に建て、その夜は、天安門広場の学生たちにならって、公園に座り込んで徹夜し、殺された人への追悼と弾圧への抗議を表す。
       
 尼崎市東園田町5丁目、喫茶「どるめん」経営金成日さん(37)と客の同市、西宮西高校美術講師武内司郎さん(31)、宝塚造形芸術大の学生、人権擁護団体のメンバーら8人。金さんは在日朝鮮人2世。これまで韓国の民主化運動を支援してきた。「天安門の虐殺も、韓国の光州事件も、政治体制こそ違うが独裁政権下で起きた民衆弾圧という点で共通している。天安門の女神は倒されたが、像に込めた民衆の願いを一部でも、私たちが引き継げたら…」と、像再現を友人らに呼びかけた。
 像は本物の3分の1ほどの高さ約3.5メートル。高さ2メートルの台に建てる。28日ごろから、「どるめん」の近くの看板製造工場に間借りして、新聞や雑誌に掲載された像の写真を手本に、木の骨組みづくりや肉付けの金網張りをする。3日朝から公園で組み立てて、石こうや布で仕上げる。27日夜も「どるめん」に金さん、武内さんら7人が集まり、打ち合わせをした。武内さんが金網で試作した頭部を囲み、深夜まで相談が続いた。
 北京の女神像は、天安門広場の学生や市民と軍との間の緊張が高まった5月30日に建てられ、6月3、4日の虐殺の中で、戒厳部隊によって引き倒された。金さんらは、虐殺や、それに続く運動参加者の弾圧に抗議して、大阪市西区の中国総領事館前に、「死刑反対」のプラカードを持って立つなどの行動をしてきた。この運動を根付かせるため、中国民主化に関心のある人が集まれる場所をつくることも、像建設の狙いの1つだ。
 7月3日は、上海と北京で処刑された人々の遺影を飾り、花を供える。中国政府に逮捕者の即時釈放を求める請願文を印刷した手紙1000通以上を用意して、参加者や通行人に署名してもらい、「中国政府行き」と書いた“私設ポスト”に集める。公園にはテントも設け、今後の運動の進め方を語り合い、北京で学生たちが歌った「インターナショナル」を合唱する。
 すでに、京都大学の学生十数人が参加を決めており、当日は、北京と同じように手製の旗を掲げて公園に繰り込む。ある中国人留学生は「息長く民主化運動を続けるため、今はしっかり勉強して早く本国に帰るつもりだ。日本のみなさんによる支援運動が、新しい女神像を中心に大きくなってくれることを熱望します」と話している。



1989年6月28日 夕刊 2総
◆名古屋のアベック殺人事件判決理由<要旨> 【名古屋】


 28日、名古屋地裁で言い渡された「アベック殺人事件」の判決要旨は次の通り。
         
 本件は、犯行時17歳3名、18歳1名、19歳1名、20歳1名の計6名の被告人が共謀の上、深夜から早朝にかけて立て続けに金品強取を目的として、あらかじめ準備した木刀、鉄パイプ、特殊警棒を使用し、人気の少ないふ頭、公園の自動車内で逢瀬(おうせ)を楽しんでいた3組の男女6名に対し暴行脅迫を加えて、うち4名から金品を強取し、最後に襲った1組の男女については、さらにその女性を被告人らのうちの3名において乱暴した上、犯行の発覚を免れるため、何ら落ち度のないこの両名を1ないし2日連れ回した上、順次絞殺してその死体を人里離れた山中に遺棄した事案であり、まず、その一般的情状について検討する。
 犯行態様について見るに、末松須弥代に対する強盗致傷等については、たばこの火を身体に押し付け、シンナーを注ぎかける行為に及ぶなど、その暴行の程度は被告人ら自身やり過ぎたと自覚するほど強烈であった。
 金城ふ頭における強盗行為が未遂に終わるや、再び同所に戻った上で強盗行為に及び、その上さらに大高緑地公園へ赴いて野村明善らに対し強盗行為に及んだもので短時間のうちに3件、しかも前の2件は同じ場所において敢行している点も、大胆かつ悪質というべきである。
 殺人においては、大高緑地公園における暴行により傷害を負った野村及び末松に何らの治療も施さずに、野村を丸1日、末松にいたっては丸2日連れ回し、その間右両名に対し、将来解放することをほのめかしながら、結局は両名をいずれも殺害しており、ことに末松に対しては、2月24日午前中、同女が金城ふ頭岸壁から海中に飛び込もうと試みるほど同女を精神的に追い込み、死の恐怖に長時間さらした末にこれを絞殺したものである上、野村殺害の際には、同人が「殺さないでください」と命ごいするのに耳を貸さずに、無抵抗の同人を絞殺し、また末松殺害の際にも、既に観念し、無抵抗状態の同女に対し、被告人Aにおいて「綱引きだぜ」と口にしながら実行行為に及び、同高志においては笑いすら浮かべて傍観し、さらにいずれの殺害においても、被告人A及び同Bにおいて、「このたばこを吸い終わるまで引っ張ろう」と話し合いながら平然と首を絞め続けており、しかも、実行中再三にわたって被害者の生死を確認し、死亡が確認できるまで首を絞め続けて殺害しており執ようかつ冷酷極まりない。
 次に犯行の動機について見るに、強盗未遂及び強盗致傷の各犯行はいずれも、遊興費欲しさに加えて、他人に暴行脅迫を加えて快感を得ようとの欲求に基づくものであり、酌量の余地はない。
 殺人及び死体遺棄については、いずれも自己の保身のためには他人の生命など全く省みないという被告人らの態度の発現であることがうかがわれ、極めて自己中心的であり、これまた酌量の余地はない。
 殺人については、何ら落ち度のない春秋に富む野村及び末松を絞殺し、かけがえのない生命を次々に奪ったものであって、その結果が極めて重大であることは、いうまでもない。両名とも理容師として将来大成する希望に燃えていた矢先、被告人らの凶行によって非業の死を余儀なくされたものであるが、野村は末松を被告人らの下に残したまま殺害され、また末松は、先に野村が殺害されたことを悟り、丸1日恐怖にさらされながら殺害されたものであって、両名の生前における苦痛及び無念さは、察するに余りあるものといわねばならない。
 犯行はいずれも計画的である。殺人、死体遺棄においても、共謀の上、両名殺害に先立ち絞殺用の凶器として青色ビニール製洗濯用ロープや青色ビニールひもを購入し、あるいは死体遺棄のための穴掘り用にスコップを準備するなど、これまた計画的である。
 本件は、深夜早朝にわたって見ず知らずの男女を次々と急襲したもので、言わば通り魔的犯行であり、何ら関係のない一般市民もいつ何時被害に遭うやも知れないという社会不安を生じさせたものであり、また欲求不満にかられるまま暴行を働き、金品を強取するといった本件のごとき犯行態様は、その模倣性が高く、本件各犯行の社会的影響は極めて大きい。野村及び末松の両名にこれまで深い愛情を寄せていた両名の遺族らの無念さも甚大なものがあり、被害感情の深刻さもとりわけ深く、遺族らは示談を遂げながらもなお被告人6名に極刑を望んでいる。
 以上のように、被告人6名に共通した不利な情状が認められるが、他方、犯行は、それらにより被害者らに与える損害及びその重大性を必ずしも十分に認識し得ない精神的に未成熟な少年らが集団を形成し、相互に影響し合い刺激し合い同調し合って敢行したものであると認められ、被告人6名の刑責を量定するについて有利にしんしゃくすべきものというべきである。
 次に各被告人の個別的情状について検討する。
 被告人高志は、本件犯行約1カ月前に20歳に達した成人であるが、本件において主導的役割を担ったものとはいえず、さらに、野村及び末松の遺族らとの間で示談が成立し、また当公判廷において終始反省の態度を示しているといった有利な事情も認められる。
 被告人Aは本件犯行時19歳6カ月の年長少年であったが、本件強盗の犯行を最初に提案した上、急襲する男女を指示し、殺人及び死体遺棄の共謀においても率先してその方法を提案し、なおかつ両罪の積極的実行行為者であって、野村、末松殺害後も平然としてたばこの吸いがらを拾うなど罪証隠滅工作をしており、その上、少年鑑別所において、反省しているとは思えぬ態度が散見されたことをも併せ考えればその刑責は誠に重大である。しかし他方、本件犯行後、殺害した両名のことに思いを致し涙を流し、当公判廷においても反省していると述べていることなど、有利な事情も認められる。
 被告人Cは、本件犯行当時18歳10カ月の年長少年であり、殺人及び死体遺棄の共謀においては被告人Aの被害者両名を殺害する旨の提案に対し積極的にこれを支持する発言をし、その刑責は重大であると言わざるを得ない。しかし他方、殺人及び死体遺棄の現場に居合わせていないことなど、有利な事情も認められる。
 被告人Bは、本件犯行当時17歳に達したばかりの少年であるが、被告人Aとともに、野村及び末松殺害の実行行為者であり、殺害後も被告人A同様平然とたばこの吸いがらを拾い集めるといった罪証隠滅工作をしており、少年鑑別所において官本に落書をするなど反省しているとは思えぬ態度が散見されたことを併せ考えると、その刑責は誠に重大である。しかし他方、当公判廷において反省していると述べていることなど有利な事情も認められる。
 被告人E子は、本件犯行時17歳7カ月であるが、大高緑地公園で再度強盗を行うことを提案していることを考慮すれば、その刑責は重大であると言わざるを得ない。しかし他方、当公判廷において反省の態度を示していることなど、有利な事情も認められる。
 被告人D子は、本件犯行時17歳1カ月であるが、E子同様末松に対し残忍な暴行行為に及んでいることなどを考慮すれば、その刑責は重大であると言わざるを得ない。しかし他方、弁護人あての手紙や当公判廷において反省の態度を示していることなど、有利な事情も認められる。
 以上の事情を総合すると、被告人A及び同Bの罪責は誠に重大であり、前認定の被告人に有利な事情を考慮に入れても、さらに可そ性に富む少年に対する極刑の適用は特に慎重であるべきことを考慮に入れても、被告人Aについては死刑に処する外はない。そして、同Bについては死刑を選択するも少年法51条により無期懲役に処することとする。その他の被告人4名については、前認定の事情の下、それぞれその責任が重大であることは論を待たないが、おのおのにつき認められる前記各事情を総合考慮すれば有期懲役刑に処するのを相当と認め、それぞれ主文のとおり量刑した。(被害者の敬称は略しました)



1989年6月28日 夕刊 2社
◆死刑判決こう思う 名古屋アベック殺人事件 【名古屋】


 名古屋市近郊で起きたアベック殺人事件で28日、名古屋地裁は主犯の少年(当時)に死刑判決を言い渡した。凶悪な少年犯罪は多発の傾向だが、識者はこの判決をどうみたかを聞いた。
                                    
      
 ○最高裁判断に沿う
 大塚仁・愛知大学教授(刑法) 日本の場合、死刑廃止の流れはあるが、それが世論を構成するほどには至っていない。ある大学で学生を対象にした調査でも70%が死刑を支持している。裁判所もこうした世論を判断の基礎においていると思う。さらに、犯罪の内容は情状出来るものではなく、死刑判決は慎重でなければならないものの、遺族感情を無視出来なかった。加えて、最近の少年犯罪の多発、凶悪化がある。裁判官の意識の中に危機感があり、死刑を言い渡さざるを得なかったと見る。58年に最高裁が死刑判決の判断基準をあらためて示しており、これに沿ったものだ。
                                    
      
 ○周辺の指導が大切
 内山道明名古屋女子大文学部長(心理学) 結局、少年法で定められたことは配慮の余地がないということでしょうか。最近の犯罪が凶悪化していることは分かるし、被害者・遺族の気持ちには同情するが、ただ事件はその時の社会的背景の上に成り立っていることを考えると、判決の是非を論ずるより、少年法にうたわれている、若者の健全な育成は社会に課せられた課題という精神が、判決によって無視されるようなことになってはならないと思う。判決の痛みは社会全体が分かち合い、考えなければならない。この事件の特徴としては女性を含めた集団行為、シンナーの常習などが指摘されるが、非行の芽を断つため、周辺の者の指導が大切だ。
                                    
      
 ○犯行の背景考えよう
 今津孝次郎名大助教授(教育社会学) 少年が凶悪犯罪を起こすたびに考えることは、何が彼らをそうさせたかということだ。19歳になって突然、殺人を犯すわけではない。そこに至るまでにさまざまな問題が積み重なっていたに違いない。恐らく彼らの背後には想像を絶するような家庭環境や地域社会状況が存在しており、それらが彼らをゆがめていったに違いない。親や教師を含めた大人たちはその時どきに彼らを保護し、教育していく責任を果たしていたかどうか。そのことの検討を抜きにして、この種の犯罪を防止する実質的な力は出てこないだろう。今回の死刑判決は、被告がかかえた問題を根本的に解決するものではないと思う。
                                    
      
 ○立ち直る機会与えて
 宮沢浩一・慶応大法学部教授(刑法・犯罪学) 私は死刑廃止論者ですべての死刑に反対する。今回の事件は報道通りだと、残忍な行為で、死刑やむを得ない、という判決が実務的には導き出せるのだろうが、犯行当時は少年であり、もう一度立ち直る機会を与えてほしかった。犯罪が起きる原因は社会の状況にもあるからだ。



1989年6月28日 夕刊 1社
◆名古屋のアベック殺人で死刑判決 悲しみ、恨み消えぬ遺族【名古屋】


 「死刑が出たことはもちろん妥当です。でも私の心の中では少年ら全員が死刑になることを願っていました」。判決後、名古屋地裁内の司法記者クラブで記者会見に臨んだ末松須弥代の父、克憲さん(54)は、重苦しい表情で、心境を語った。克憲さんは妻のスミノさん(54)とともに、判決を傍聴し、スミノさんは死刑判決の後、目をぬらしていた。克憲さんは「こんな残虐な行為があっていいのだろうか。娘はどれだけ恐怖にさらされたことか」と唇をふるわせた。夫婦は須弥代さんの墓へ向かった。
 殺された野村昭善さんの父、和善さん(48)と母の芳子さん(44)もこの日の法廷に姿を見せた。芳子さんは死刑判決を聞いた後、涙を浮かべながら「これから息子のところへ判決の報告に行きます。1人は死刑になったけれど、他の人間はいずれ出てくるのですから……」と複雑な表情だった。
 息子の野村昭善さんを理容師の修業に出し、一人前になる寸前で命を奪われた和善さん=名古屋市中村区長筬町=は昨年暮れ、20年近く続けていた名古屋市南区の理容店を閉めた。現在は自動車部品の製造会社に勤める。
 生前、昭善さんは末松須弥代さんを和善さんのもとへ何度も連れてきていたといい、「将来は一緒に店を持たせてやりたい」と和善さんの夢もふくらんでいた。凶行に走った少年たちの側からは、1人の母親から手紙があっただけで、あとは何の謝罪もなかったという。
 「無期判決などあってはならんこと。人を殺したんですから。子供、大人は関係ないですよ」と判決前に話していた和善さん。
 愛知県知多郡東浦町の静かな住宅街の一角にある末松さん宅では、末松克憲さん、スミノさん夫婦の手で箱に収められた須弥代さんの遺品が、生前使っていた2階の部屋で眠っている。「親がいうのも変だが、礼儀正しい子で、私が帰るまで娘は休んだことがなかった。娘が働き始め、女房と私と3人で一緒に勤めに出て行った。あのころが一番楽しかったな」と克憲さんは須弥代さんの思い出を振り返る。
 2回目の公判を傍聴した時、娘が殺されるまでの経過が再現され、あまりのむごたらしさに克憲さんは思わず法廷を出た。スミノさんは行動的だった須弥代さんのことを思い出し、涙にくれることが多いという。
 「今の裁判は被害者の方を向いていないから、期待できない。10年、20年たとうが、娘が殺されたことは忘れられない」と語っていた克憲さん。少年たちへの恨みは消えそうにない。
                                    
      
 ●コメント控えたい 近藤太朗・名古屋地検次席検事の話
 少年といえども冷酷非情な犯罪に対しては厳罰で臨むという判断で死刑を求刑していたが、人の命がかかるという極刑の判決が出たので、軽々にコメントすることは差し控えたい。名古屋高検と十分協議し、対応を決めるつもりだ。
      
 ●暴力団に入り、相次いで盗み 主犯の軌跡
 死刑判決を受けたAは昭和43年、長野県で生まれた。その後、名古屋市に転居し、56年に同市内の中学校に入学したが、在校中にバイクを盗んで、補導されたことがある。卒業後、職業訓練校に進んだが、教師に暴力を振るって、2カ月で退校。その後、うどん店や内装会社などに勤めたが、長続きせず、61年11月ごろ、暴力団員となった。この直後、相次いで窃盗事件を起こし、保護観察処分を受けた。
 Aは62年8月ごろから、名古屋市の繁華街で暴走行為を繰り返すうち、Bらと知り合い、「バッカン」と称してアベックから金などを奪ったりしていた。
      
 ●傍聴求め185人が列
 アベック殺人事件で、主犯の少年に死刑が言い渡されるかどうか関心は高く、28日朝、名古屋地裁には雨のふりしきる中を185人が傍聴に来た。法廷の入り口に長い列を作り、抽選で56人が法廷に入った。前日まで、裁判所には開廷時間を問い合わせる電話がかなりあった。



1989年6月29日 朝刊 5面
◆死刑と無期の分かれ目(社説)


 立法論として「死刑廃止」を唱えている団藤重光元最高裁判事は、死刑を宣告する日、黒っぽいネクタイと白ワイシャツを身につけて、言い渡しの場にのぞんだ、という。
 被害者の生命もかけがえがないが、被告の人生も1回きりだ。判決が「死刑」になるか「無期懲役」かは、天と地ほどにも違う。その分け目を裁く裁判官の心中は、重く、つらいものなのだろう。
 昨年名古屋で起きた「アベック殺人事件」で、名古屋地裁は主犯の犯行時19歳6カ月の少年に、求刑通り死刑を言い渡した。少年に死刑が宣告されたのは、1審判決としては、4人連続射殺事件の永山則夫被告以来10年ぶりだ。
 暴走族の男女6人が、アベックを次々と襲って金品を奪ったあげく、ひと組の男女の女性に乱暴、2人を順に殺して死体を捨てたこの事件は、犯行の残虐さから、発生当時、社会に大きな衝撃を与えた。
 判決は、犯行について「重大性を十分に認識しえない精神的に未成熟な少年らが、集団を形成し、相互に影響し合い刺激し合い同調し合って行われた」などと、少年の集団事件に特有の心理的背景などを指摘している。
 しかし、結論としては、命ごいをする被害者を平然と無視したこと、長時間死の恐怖にさらしたうえに、「綱引きだぜ」といいながら首を絞め続けたなど、執よう、冷酷な行為を重くみた。
 なんの関係も落ち度もないまま、生命を奪われた被害者の家族にとっては、憎んでも憎みきれない犯行であり、判決はやむを得ないと考える人は少なくあるまい。家族の1人は判決のあと、「心の中では全員死刑」と無念さを語ったが、そうした激しい感情にかられるのもわからないではない。
 しかし半面、判決も言うように、未熟さ、集団心理が働いたこと、少年に反省の態度も芽生えていること、裕福でない少年の両親が遺族に対し長期にわたって慰謝料を支払い始めていることなどを考えると、立ち直りの可能性はあるようにも思われる。
 少年法は、18歳未満の犯罪については、死刑を科さないことを決めている。少年の犯罪や非行が、大人になっていく過程での不適応現象と見、将来の可能性に道を開いておこう、という考え方によるものだろう。
 しかし、世界的に犯罪の凶悪化、低年齢化が進むなかで、こうした考えに逆行する動きも強まっている。
 アメリカの最高裁は26日、16歳と17歳の被告に死刑を宣告したケンタッキーなど2つの州の裁判について、5対4のきわどい表決で、「残虐な刑罰とはいえず、合憲」の判断をくだした。米国では、年少者の凶悪な犯罪が増えているのも反映して、全体として死刑復活の動きも強まっている。
 一方、わが国でも、東京・綾瀬で起きた女子高生殺しなどをきっかけに、一部で少年に対し厳罰でのぞむ声が強まり、少年法論議が再燃している。
 裁判は、報復の場ではない。加えて、「死刑」に犯罪を抑止する効果があるかどうか、は専門家からも強い疑問がだされている。
 少年事件には、社会環境や家庭のありようが深くかかわっていることはだれも否定できまい。その意味で、少年の裁判では、われわれの社会が裁かれるともいえる。
 事件の残酷さに目を向け、厳罰論をふりかざすだけでは、実益はない。少年非行の深刻さが叫ばれている今こそ、どこに対策を求めていくべきか、の冷静な分析や判断が求められている。



1989年6月29日 朝刊 2社
◆榎井殺人事件の元被告が再審請求へ 服役終えてから34年間


 終戦の翌年、香川県で専売局職員が射殺された「榎井殺人事件」で、香川県弁護士会は28日、人権擁護委員会を開き、懲役15年の刑が確定、刑期を終えた元被告の申し立てを受けて再審請求の手続きをとることを決めた。近く高松高裁へ請求する。刑確定から40年、服役を終えてから34年間にわたって着せられた殺人犯のぬれぎぬを晴らしたいとしている。
 再審請求をするのは、愛媛県今治市の無職吉田勇・元被告(61)=当時高松市在住。事件は昭和21年8月21日未明、同県仲多度郡榎井村(現在、琴平町)、専売局職員の高津与三郎さん(当時45)が、自宅敷地内に侵入した2人組の男に短銃で撃たれて殺された。
 吉田元被告は、友人のA元被告(62)=窃盗罪などで懲役6年=とともに窃盗容疑で逮捕されたが、A元被告が「銃声が聞こえ、吉田さんが短銃を持っていたことを知った」と供述したため、殺人罪で起訴された。
 高松地裁は22年12月、無期懲役(求刑死刑)の判決を言い渡し、高松高裁で懲役15年に減刑され、24年4月、最高裁の上告棄却で刑が確定。吉田元被告は高松刑務所に服役、同30年5月に出所した。
 吉田元被告は1審以来一貫して否認し、61年10月、同弁護士会に救済を申し立てた。同弁護士会はA元被告からも「捜査員に強要されてうその供述をした」との証言を引き出したとしている。
 吉田さんは28日夜、高松市内で、「私は何もやっていない。捜査当局のでっちあげだ」と再審に臨む決意を語った。



1989年6月30日 朝刊 1総
◆サミットの政治宣言、中国の非難めぐり調整 日本は消極姿勢


 7月14日からパリ郊外デファンスのアルシュで開かれる主要先進国首脳会議(サミット)で採択される政治宣言(または声明)は、人権、東西関係、テロ対策の3つとなる方向が固まった。日本政府筋が29日明らかにしたもので、すでに事務レベル協議で基本的な合意に達しており、議長国のフランスを中心に文案の作成に入った。革命200年を迎え、サミットでの「人権宣言」採択を強く求めるフランスの要請を入れる一方、これまで政治宣言で扱っていた麻薬問題は、資金面から規制する狙いから、環境問題とともに、経済宣言に盛り込むことも固まった。こうしたことからサミットでの首脳協議では、「人権」の中で民主化運動を抑圧、国際世論の非難を浴びている中国問題をどう扱うかが最大の焦点となる。中国を名指しすることを求める欧州諸国に対し、わが国は中国を特定して非難の対象としたくない立場から米国などに同調を働きかけているが、苦しい対応を迫られることは必至だ。
                                    
      
 政府筋によると、5月末の経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会の際、パリで行ったサミットの事前協議の場やその後の折衝で、政治アピールについては、東西関係、人権、テロ対策の3項目について出すことで各国が基本的に合意した。形態については議長国のフランスが各国の完全な合意を意味する声明または宣言とすることを要求、少なくとも「人権」については声明または宣言とすることが確認された。これに基づき、フランスが3項目について各国の意向をきき、原案づくりの作業を進めている。
 これまでの非公式協議で、「人権」については、フランスが「1789年のフランス人権宣言に匹敵する高い理念を掲げたものに」と主張しており、国連憲章など人権に関する各種宣言を踏まえ、人権尊重を改めて高らかに宣言することにした。とくに、人権の尊重が西側の東側に対する精神的優位の源泉になってきたことを強調することになりそうだ。
 欧州各国はこの中で、中国問題を取り上げ、民主化運動を武力で弾圧し、国際世論に抗した形で死刑を強行した中国政府に対し「非難」「制裁」を盛り込むべきだというのが基本的立場だ。
 これに対し日本は「東西間の信頼関係を醸成していくためにも人権の尊重に基づく社会の開放、民主化を進めていくことが不可欠」との考え方を盛り込むことを求めながらも、中国だけを特定して取り上げることは「中国をいたずらに刺激し逆効果」(外務省筋)との立場で、米国や英国に同調を働きかけるなど巻き返しに懸命だ。しかし、27日の欧州共同体(EC)首脳会議で、新規対中経済協力の中止などを盛り込んだ中国非難声明を発表するなど、欧州側は一段と強硬姿勢を見せており、サミットでの日本の立場は厳しいものになりそうだ。
 東西関係では、ゴルバチョフ政権のペレストロイカ(改革)路線を歓迎、「世界は急速に変化している」として、新たな緊張緩和(デタント)の時代に入ったことを宣言する方向だ。日本は米国とともに、ソ連評価についてなお慎重に見定める必要があるとして、アジア・太平洋地域の視点も踏まえて、楽観的評価一色にならぬようクギを刺す考えだ。「人権」で中国を批判する一方で、「東西」でソ連を評価することになれば、「国際評価での中ソのバランスを崩し、中国を重視している日本にとって最も望ましくないシナリオになる」(政府筋)からだ。
 さらに、「テロ対策」では、米国が最近になって、イランをテロ支援国家として非難し、制裁措置を盛り込むよう働きかけている。各国がこれに同調する可能性は少ないとみられるが、万一、「イラン非難」が盛り込まれた場合、石油輸入などを通じ、西側の中でもとりわけイランに理解を示してきた日本にとって、これまた苦しい立場に立たされる。
 一方、麻薬問題を経済宣言に盛り込むことになったのは、議長国のフランスが麻薬問題を資金面から規制することに強い関心を示しているためだ。麻薬関連国際条約の早期批准要請や麻薬取引利益の凍結のための協力などが、盛り込まれることになりそうだ。
 〈注〉アルシュとは、「弓形をした門」のことで、パリ市に隣接するデファンス地区に建造されている大型国際会議場ビルにつけられた名。凱旋(がいせん)門になぞらえて「第2凱旋門」とされ、今度の主要先進国首脳会議で7カ国首脳、外相、蔵相らによる全体会議の会場となる。このため、仏政府はこのサミットの呼称を「アルシュ・サミット」としている。



1989年6月30日 朝刊 1外
◆湖南・四川で殺人・強盗犯ら計21人が死刑 中国


 【北京29日=斧特派員】29日に北京に到着した湖南日報などによると、中国・湖南省の長沙、株洲などで今月22日、殺人、強盗など重罪犯13人が銃殺刑に処せられた。この13人は、一連の「動乱」「反革命暴乱」とは関係ないが、湖南省高級法院(高裁に相当)は同日、「暴乱を起こし、動乱を作り出す反革命分子と重大刑事犯に打撃を与えるのが、当面の各級法院の重点工作でなければならない」と述べている。
 また四川省成都では、やはり今月20日、8人の重罪犯に対して死刑が宣告され、即日処刑が執行された。



1989年6月30日 朝刊 2社
◆新婚殺傷のタクシー運転手2人に死刑 タイ


 【バンコク29日=宇佐波特派員】タイのノンタブリ地方裁判所は29日、さる3月21日、バンコク国際空港から客としてタクシーに乗った神奈川県逗子市、県立横浜平沼高校教諭、渡辺俊輔さん(32)を殺害、所持品を奪った、として強盗殺人罪に問われていたタクシー運転手スラチャイ・ミトーン(35)と同ピチット・チャラムパープ(30)両被告に対して、それぞれ死刑の判決を言い渡したほか、妻田鶴子さんに補償金約2万9000バーツ(約14万5000円)を払うよう命じた。