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死刑関連ニュース1989年 朝日新聞(4月)



1989年4月1日 朝刊 1社
◆元警視庁警部、2審も「死刑」 山梨の連続強盗殺人


 山梨県山中湖畔の別荘で昭和59年10月、男女2人が相次いで殺された事件で強盗殺人、死体遺棄などの罪に問われ、1審の東京地裁で死刑判決を受けた元警視庁警部沢地和夫(49)、元不動産仲介業猪熊武夫(39)両被告と、無期懲役とされた元会社役員朴竜珠被告(52)に対する控訴審の判決公判が、31日東京高裁刑事9部で開かれた。内藤丈夫裁判長は「極めて計画的で、冷酷、無残な犯行。反省している点などを考慮しても、極刑が相当」などとして、沢地被告らの控訴を棄却した。



1989年4月3日 朝刊 3総
◆名誉白人扱いお断り 市民グループ、南ア紙に意見広告掲載へ【大阪】


 南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する京都の市民グループが2日、「名誉白人」と呼ばれることを拒否し、南ア製品をボイコットすることなどを柱とした「市民宣言」を採択した。賛同者から1口1000円のカンパを募り、今夏までに南アフリカ現地の新聞に意見広告として掲載する。全国組織の日本反アパルトヘイト委員会が1987年冬、88年夏の2回、南アの新聞に意見広告を掲載したことがあるが、地方のグループでは初めて。
 このグループは、同市内で、反アパルトヘイトを訴えるバッジの作成やコンサートの開催などに取り組んできた大学教授や学生、看護婦、画家ら約15人が中心となって去年9月に結成した「反アパルトヘイト市民宣言89京都の会」。この日、同市北区の府部落解放センターで、宣言を採択するための「起草の集い」が開かれ、約200人が参加した。
 南アで最も古い民族解放組織、南アフリカ・アフリカ人民会議(ANC)のジェリー・マツィーラ駐日代表は「肌の色は歴史の偶然であって、支配を決める要因にはならない。皆さんも南アへの経済制裁などで協力して下さい」と訴えた。
 宣言は「私たち(日本人)の生活が、人間の尊厳を踏みにじるアパルトヘイトによって支えられていると思うと、黙っていられない。南ア政府から頂いた『名誉白人』という不名誉な称号を返還する」としたうえで、貿易を通じてアパルトヘイトに加担することや南ア政府による政治犯の死刑執行などに反対することなどを表明している。
 連絡先は、京都市左京区田中門前町、「市民センター左京」内の同宣言の会(075−712−4244)。



1989年4月5日 朝刊 1社
◆在日韓国人政治犯の康宗憲さん、14年ぶり帰国 【大阪】


 ソウル大医学部留学中の1975年12月、スパイ容疑で逮捕され、昨年12月に仮釈放された在日韓国人政治犯の1人、大阪市生野区出身の康宗憲(カン・ジョンホン)さん(37)=同区中川4丁目=が4日夜、大阪空港着の大韓航空機で14年ぶりに生まれ故郷へ戻った。家族や、政治犯救援団体のメンバーら約50人が待つロビーへ姿を見せた康さんは「何の罪もないのに一時は死刑囚にされましたが、みなさんの支援で救い出されました。これからは、まだ獄中に残っている同胞が1日も早く自由の身になれるよう、全力で救援運動を続けたい」と決意を話していた。



1989年4月5日 朝刊 1社
◆金賢姫に死刑求刑 大韓機事件でソウル地裁


 【ソウル4日=波佐場特派員】一昨年11月の大韓航空機事件で、韓国の検察当局から国家保安法違反などの罪で起訴された金賢姫=キム・ヒョンヒ=(27)に対する第3回の公判が4日、ソウル地裁であり、検察側は金に死刑を求刑した。25日に開かれる次回の公判で判決が言い渡される。
 この日の公判では、検察側が「金が北の金日成集団の操り人形で、罪を悔い反省していることは十分理解できるが、民間人の乗った航空機を爆破した残忍性は到底許せない」として極刑を求刑した。
 金はこの日も、ややうつむき加減で入廷。遺族の怒号に、涙をこらえるような表情で被告人席に座り、ほとんど身動きもしないままだった。
 死刑の求刑が行われたその瞬間もとくに動揺したような様子を見せず、裁判長に最終陳述を促されると、静かに立ち上がり、「この裁判を通じて真相が明らかになったのは幸いです……金日成、金正日を呪(のろ)いながら……遺族にどう謝ればいいか……」と、消え入るような小さな声で陳述を行った。



1989年4月6日 夕刊 2社
◆在日韓国人政治犯の姜さん、妻と再会 成田に到着


 韓国で12年前にスパイ容疑で逮捕され一時は死刑判決を受けて服役、昨年暮れ釈放された在日韓国人政治犯として最高齢の東京都江戸川区北小岩2丁目、会社役員姜宇奎さん(72)は6日午後、ソウルからの大韓航空機で成田に到着、妻の康華玉さん(69)と再会した。
 姜さんは商用で韓国を訪れた際にスパイとして逮捕され、死刑判決を受けた。その後、無期懲役、さらに懲役20年に減刑されていた。康さんは協力者とされ、韓国に行けば逮捕されるため面会もできなかった。昨年12月、政治犯に対する赦免・復権措置がとられ、姜さんも釈放された。
 姜さんは、日本に戻るための査証取得に時間がかかり、韓国に滞在していた。この間、康さんとは電話で話しただけだった。
 空港には康さんら家族のほかに、「姜宇奎さんを救う会」の会員ら20人が出迎えた。



1989年4月8日 朝刊 5面
◆表現の自由を冒涜する映画(声)


   横浜市 堤道雄(キリスト教伝道 70歳)
 「悪魔の詩」に対する死刑宣告がヨーロッパで事実となったことを聞き驚いた。これに関連して私は、歴史的人物は、その人が故人であっても、その名誉を守るべきだ、と思う。まして事実を全く無視した場合、言論は自由、表現は自由ということが許されるであろうか。
 最近、キリストについても、このようなことがなされている。1月末から3月にかけて、東京、横浜で「最後の誘惑」という映画が上映された。この原作は「キリスト最後の誘惑」というのであるが、映画ではなぜかキリストの文字を取ってしまったのである。「最後の誘惑」では何なのか分からない。
 この映画の最後の40分ほどは全くの作り話で、十字架から天使に導かれて下りたキリストが、マグダラのマリヤという女性と結婚し、余生を送って静かに死ぬというのである。これだけなら我慢できるが、何の意図かキリストとマリヤのベッドシーンが展開する。これはキリスト教徒なら我慢できないことである。それでも死刑宣告するというなら、私は「それは間違っている」と思う。
 だが、私がはっきり言わなければならないのは、多くの人が信じ、尊敬している人物を、理由なく根拠なく侮辱しながら、これを言論の自由、表現の自由と強弁することは決して許されないという点である。これは、むしろ自由に対する冒涜(ぼうとく)である。



1989年4月8日 朝刊 2外
◆院長射殺のモスク、新院長にも脅迫の電話 ブリュッセル


 【ブリュッセル6日=友清特派員】ブリュッセルのモスク(イスラム寺院)の新院長として着任したばかりのサウジ・サミル・アル・ラハジ師に、暗殺を予告する脅迫電話があったことを、ブリュッセル検事局が6日明らかにした。
 同寺院では、先月29日にアブドラ・アル・アハダル師が側近とともに射殺された。アハダル師は、イランのホメイニ師が小説「悪魔の詩」の著者に死刑宣告したことをテレビインタビューで批判し、匿名の脅迫電話を受けていた。



1989年4月9日 朝刊 読書
◆西洋中世の罪と罰 阿部謹也著 「死」のイメージ探る(書評)


 ヨーロッパにおける死者の扱われ方や、イメージのされ方を、ゲルマン古来のそれとキリスト教的世界観の影響下のそれとの比較を通じて、罪の告解と罰が、権力による個人の囲い込みという仕掛けの核心となったことを示す意義深い論稿集である。「亡霊の社会史」という副題は、やや衝撃的に過ぎるかもしれないが、民衆が死者を恐ろしい亡霊と見るかどうかに、ヨーロッパ精神史の大きな中核的課題があるという著者の認識が理解されれば納得出来るものだ。
 中世都市ハーメルンの笛吹き男伝説や死刑執行人の歴史をめぐって、学術的でありながら一般の読者にもスリリングな著述を重ねている著者は、今度はうってかわって正面から生の史料を提示している。一見、正統的で温厚に見えるが、じつは触れれば切れるほどの鋭敏な感受性を持っている著者としては、おそらく、すべて著者の解説を待つという従順な読者にここらで挑戦してもみたかったのだろう。
 それにしても、けっして大きな本ではないのに、カトリック教会文書、各種サガを引用しつつ読者に示される資料はかなりの量で、かつ硬質のものだ。
 エッダやサガに見られる初期ヨーロッパの死者のイメージは、元気でときには生者を圧倒し、恐れさせもしているが、やがて生者に哀れみを乞う存在に変わる。人狼や吸血鬼のイメージも大いに横溢(おういつ)する古ゲルマンの世界観が、キリスト教会の力によって次第に押さえ込まれて行くわけである。
 教会の贖罪(しょくざい)規定書は、おどろくほどの細かさで、魔術的な行為やおどろおどろしい伝承や呪術(じゅじゅつ)への恐怖に基づく民衆の行為への対応を規定し、要するに、結局はそれらを許すという形で、キリスト教的世界の中にとりこんでいったようだ。なるほど、これほど丹念にゲルマン的な呪術性に対さねばならなかったとするならば、ヨーロッパ精神の土台に脈々と魔術への敬意が残存したとしても歴史的に納得出来るというものだろう。また、キリスト教なるものが、なぜあれほどに強かったのかという疑問も、逆の角度からかなりに氷解する。
 けれども、この書を読んで、逆に疑問として大きく浮かび上がらねばならぬ問題があるようだ。それは、古ゲルマン人がなぜそこまでして教会に服従したのか、また教会が何故そこまでして彼等を支配しようとしたのかの言わば共犯関係の根源である。この根本問題は、ひょっとしたら著者にだけ負わすのは虫が良すぎるのかも知れないが。=栗本慎一郎=
 (弘文堂・251ページ・1,500円)



1989年4月12日 朝刊 1社
◆検察側が控訴 久留米の両親殺し 【西部】


 競艇にのめり込んで借金がかさみ、両親を殺して金を奪ったとして強盗殺人などの罪に問われた福岡県久留米市山本町豊田、無職中村彰被告(40)に1審の福岡地裁が無期懲役判決を言い渡したのに対し、福岡地検は11日、「犯行の重大性や残虐性に比べて刑が軽すぎる」として福岡高裁に控訴した。検察側は1審で死刑を求めていた。



1989年4月13日 夕刊 文化
◆『悪魔の詩』騒動、ノーベル文学賞に影(海外文化)


 『悪魔の詩』事件でおそらく世界で最も困らされたのは、ノーベル文学賞選考機関でもあるスウェーデン王立アカデミー文学部会のメンバー18人ではなかろうか。
 同アカデミーやスウェーデンの基本方針は、言論の自由を擁護し、その弾圧に対してたたかうことである。しかし今回の事態の発展の極端さは、皆を深刻なジレンマに陥れた。
 原則からいうならば、著作が原因で個人が国家から死刑を宣告されること、しかもそれが公然たる他国民暗殺の奨励というのは、言論への脅威であり国家主権の侵害である。けれども、これに対抗して、経済的制裁から軍事的制裁まで容認しかねない空気もまた異常だ。これまでアラブ世界のよき理解者として進んできたスウェーデンにしてみれば、いわゆる西欧側のイスラムへの無理解、これを機にイランをたたこうという戦略にも反対せざるを得ない。スウェーデンにまで国際テロ活動などが持ちこまれてはたまらない。
 王立アカデミー文学部会は、3月はじめまで数回にわたって歯切れの悪い大激論をかわした末、ようやく「なんらの声明もおこなわない」という声明を発表した。
 それは、全文をあげるとしてもきわめて短いものだが、要点は2つある。その1は、「事態は今や政治的な段階に達したので、ノーベル賞が政治的要因によって決定されるものではないことを示すためにも、アカデミーの伝統に従って、事件から距離をおく」こと。第2は、「この決定は言論の自由への弾圧を是認する意味でないのは自明のこと」という点である。
 文学部会の目下の心配は、どこかから「ルシュディにノーベル文学賞を与えよ」などという、お先走りの世論がわいてくること。中立志望国にとって、これくらい迷惑で危険な“世論”はないのである。



1989年4月14日 朝刊 1外
◆モンタゼリ師の息子と娘婿拘束 イラン、反体制組織


 【ニコシア13日=五十嵐特派員】イラクに本拠を置くイランの反体制組織ムジャヒディン・ハルクが13日伝えたところによると、モンタゼリ師の失脚後、ホメイニ師の命令によって、モンタゼリ師の息子サイード氏と、娘婿でモンタゼリ事務所を統轄していたハディ・ハシェミ氏の2人が治安部隊によって逮捕され、現在も身柄拘束の状態が続いているという。逮捕された日は明らかにされていないが、ムジャヒディン・ハルクの声明によると、2人は自宅にいたところを治安部隊に逮捕されたという。ハシェミ氏の兄も2年前に汚職容疑で裁判にかけられて死刑になっているという。
 また、モンタゼリ師支持の暴動が起きた同師の生誕地ナジャファバードでは数百人の治安部隊員がホメイニ師に反抗したとして解雇され、いまだに投獄されている隊員もいるという。



1989年4月21日 夕刊 1社
◆波紋広がる女高生殺人 少年法改正の論議が活発に


 東京都足立区で無職少年グループが女子高生を監禁、殺害した事件をきっかけに、少年法の見直し論議が活発化している。朝日新聞社にも「少年法の対象年齢を引き下げるべきだ」などの投書が相次いでいる。少年法の改正論議は、法制審議会が中間答申をまとめた昭和52年6月以降、鳴りをひそめていた。法務省は「今回の事件で改正作業が加速することはない」というが、改正に反対の立場をとる日本弁護士連合会は「感情論が先走りすぎている」とみて、今回の事件と改正論についての見解を独自にまとめることにしている。
             
 現行の少年法では、16歳以上の少年が刑事事件を起こした場合、家裁が検察庁に送り返す「逆送」措置により、成人と同じように刑事責任が問われることになっている。成人と異なるのは、18歳未満は刑が緩和され、死刑相当が無期刑に、無期相当が10年以上15年以下となる仕組みだ。また、仮出獄の規定では、無期刑の場合、成人が10年経過して許されるが、20歳未満では7年経過後から許されることになっている。
 さらに、少年法61条は、罪を犯した少年について、氏名や容ぼうなど「本人であることが推知できるような記事又は写真」の掲載を禁じている。
 今回の事件をきっかけに、少年法改正をめぐる投書が20通近く朝日新聞社に寄せられたが、その多くは「鬼畜にも劣る犯行であり、保護する必要はない」などと、少年4人の名前の公表や、保護すべき年齢の引き下げを求めている。事件を捜査した警視庁にも「少年の名前を発表せよ」「極刑に処せ」などの投書や電話が相次いだ。
 ほとんどの報道機関は、少年を仮名で報道したが、「週刊文春」だけは逮捕された4人と親の実名を掲載した。花田紀凱編集長は「掲載すべきかどうか、悩んだが、少年法改正をめぐる論議を広げるための問題提起として、あえて踏み切った」と語る。この実名記事に対し、約20件あった反響のうち9割が「支持」の声だったという。同誌の氏名掲載に対して、法務省人権擁護局調査課は「関心はあるが、現段階ではコメントを避けたい」との態度だ。
       
 ●少年法 改正派「対象年齢下げよ」×日弁連「感情論が先走り」
 法務省が少年法改正に動き出したのは昭和41年。当時の構想の中心は、対象年齢を引き下げることにあり、18、19歳を「青年」として、すべての事件を成人と同じ刑事手続きで行うよう提案した。また、現在のように少年事件の全部を家裁に送るのではなく、検察官が送致について判断できるよう改めることもねらった。
 45年に法制審議会に諮問し、動きは本格化したが、日弁連と精神医学会などから(1)個人個人で成長の異なる少年を一律に18歳で区切る意味がない(2)検察官の権限が強くなる(3)保護・教育優先から刑罰優先主義へと法の理念が変わり、世界の動きに逆行している、などの反対論がわき起こった。
 7年越しの審議の結果、52年に中間答申が出たが、反対論を考慮して当初の構想が弱められ、18、19歳は「特別扱いにする」というにとどまった。
 法務省の馬場俊行・青少年課長は「答申は、様々な意見の最大公約数的な形でまとまった。現在は関係機関のコンセンサスを得ながら、速やかに改善すべく、作業を進めている段階だ」と語る。
 改正論を唱える小田晋・筑波大教授(精神衛生学)は「少年らの成熟度が早まっている。少年犯罪を未然に防ぐためにも扱いを変えるべきで、重大事件では厳しく処罰すべきだ。今回の事件は、親も含めてすべて実名で報道すべきだ」という。
 一方、日弁連の少年法「改正」対策本部は、月に一度のペースで定例会議を開いているが、今月11日の全体会議で、今回の事件をきっかけに法改正論が出始めていることが大きな議題となった。「少年法改正の様々な問題点を棚上げにしたまま、極刑を求める声ばかり強くなっているのは危険な兆候だ」として、来月16日の全体会議で討議し、見解をまとめることにした。個々の事件に対して日弁連が見解を出すのは異例だ。
 対策本部長の阿部三郎弁護士は「今の制度で、少年らは十分に刑事責任を問われる。少年法は、少年の犯罪には教育や家庭などの社会的背景があるとして、矯正と保護を目的として生まれた経緯がある。安易に『法が甘い』『だから凶悪犯罪が起こる』とすべてを法のせいにして、感情論がひとり歩きしていくことが心配だ」と話している。



1989年4月22日 朝刊 5面
◆いのち軽視の社会を恐れる(声・女高生監禁殺害)


   東京都 渡辺慶子(主婦 36歳)
 幼児や女性に対する殺人事件が続いています。その残酷さには、ほんとうに胸のふさがる思いです。特に幼い2人の子をもつ母として不安でなりません。
 でも、こうした事件が起こるたびに「犯人を死刑にしろ」と声高にいわれるだけで、なぜ同じような事件が続くのか、真剣に論じられることもなくすませてしまう風潮にも、大きな危惧(きぐ)を覚えるのです。
 どうしてこのように「いのち」が粗末にされ、他者を傷つけることがいとも簡単に行われるのでしょう。それはいまの社会のいたるところで、「いのち」が軽んじられ、人間の尊厳が無視されているからではないでしょうか。
 子供たちをお互いに競争させ、クラスぐるみの“いじめ”を見て見ぬふりする「教育」、地域に根づよく残るさまざまな差別……。そして、ごく簡単に、「犯人を死刑にせよ(殺せ)」という声が出てくるところにも、それが反映されているように思えます。
 死刑に凶悪な殺人を防止する効果がないということは、よくいわれています。私は死刑制度に反対するものです。「いのち」を粗末にする社会、そして法と正義の名のもとに人を殺す社会に、いったいどんな未来があるのでしょうか。



1989年4月23日 朝刊 読書
◆言挙げする女たち 円谷真護著(よみもの)


 言挙(ことあ)げする女たち  
 日本が近代化を果たしていく過程で、女性たちがどのような問題意識を持ち、主張を掲げてきたか。さまざまな分野の女性たちの文筆の跡をたどり、その生涯と作品を解説する。日本最初の女性ジャーナリスト清水紫琴、大逆事件でただ一人女性で死刑になった管野須賀子など“言挙げした女たち”が、近代化に果たした役割は大きい。
 (社会評論社・1,700円)



1989年4月23日 朝刊 読書
◆原爆を盗んだ男 ノーマン・モス著 急進科学者の罪と罰(書評)


 米ソを中心とする国際スパイ戦で、これまでソ連が有利だったのは、西側に報酬を求めず、社会主義の祖国ソ連のために、あえて国を裏切ってくれる一流のエリートがいたことである。米国のオッペンハイマー博士と比肩される原子力の権威であり、アメリカの原爆製造マンハッタン計画の中心となったクラウス・フックス博士がそのもっとも重要な人物である。
 書名の『原爆を盗んだ』という表現は適切でない。まさしく原爆の秘密そのものが、自ら情報をスターリンに告げたようなもので、スパイ小説にありがちのスリルはほとんどない。
 それよりも、ナチスをきらってドイツ共産党に入り、英国に亡命して科学者生活に入り、いつの間にか原爆という最高の機密を自らつくり出す役割をになう過程や、親切な英米の科学者との家族ぐるみの付き合いの中で、彼らを裏切る二重生活の心理的かっとうに興味がある。
 同じ時期、名門ケンブリッジ大出のエリートで外務官僚のマクリーン、バージェス、キム・フィルビーが、スパイ発覚寸前にモスクワに逃亡した事件が世界を驚かした。日本でもソ連のスパイ、ゾルゲに協力した尾崎秀実のケースがある。
 フックスがスパイを自白したのは、スターリンの秘密警察のやるような拷問によるものではない。原爆秘密がもれるので動き出した英国警察に自白したのである。フックスはスターリンの暴政が明らかになったことで、共産主義に対して疑念が生じ、動揺していたのである。
 英国の法廷は寛大で、フックスが情報を流していた時期、ソ連は同盟国だったという理由で、14年の刑となり、実際は9年4カ月の服役ですんだ。もし要求に従ってアメリカに引き渡されていたら、極刑の死刑になっていたとみられている。
 フックスは英国人と英国式生活に愛着をおぼえ、英国市民権の存続を望んだが、英国もさすがにそこまでは甘くなく市民権を剥奪(はくだつ)した。フックスは東ドイツに帰ってロッセンドルフの核研究所副所長をつとめ、忠実な東独共産党員として昨年1月に死んだ。
 この本は反共ムードに流されず、ジャーナリストらしく淡々と、しかも克明にフックスの足跡を追っており、いわば急進的知識人の「罪と罰」といったおもむきがある。
 ソ連社会主義の問題点があからさまになった現在、ソ連は献身的に働いてくれる西側のエリートのスパイの補給に苦しんでいるのではないか。
 =大谷健=
 (壁勝弘訳、朝日新聞社・279ページ・1,900円)



1989年4月23日 朝刊 読書
◆沖野岩三郎 野口存弥著 生き続けた聖書の句(書評)


 沖野岩三郎(1876−1956)は、自分の生涯の初期におこった2つのことについて、日本社会の空気がどのようにかわっても口をとざすことなく、ある時には小説としてある時には童話として、ある時には思い出ばなしとして、くりかえし語って生涯を終えた。
 ふたつのことのひとつは彼が私生児としてうまれたことである。実母は早くから他家にとつぎ別の姓を名のっていた。実父には、役場ではたらきはじめてからあったが、酒のみの無責任な男と思えた。小学校の教師となって、隣村の僧侶から聖書をかりて読み、次の句に出会った。「わが母、わが兄弟とは誰ぞ」
 この言葉が彼をキリスト教会に導き、やがて彼はユニテリアン教会の牧師となった。米国のユニテリアンが、エマソンらの影響をうけて、インドの経典の洞察をもとりいれるひらかれた形をもつものであることが沖野の宗教心にかなう。沖野は、日本の神話を勉強して彼自身の古代史を書き、敗戦直後にも、「何もかも軍閥と財閥に罪をなすりつけないで、少しは自分自身を考えてほしい」と述べた。
 もうひとつは、1910年の大逆事件の捜査に際して沖野が逮捕をまぬがれたことである。このでっちあげの素材となった1909年の大石誠之助宅新年会に出席しなかったことが彼を救った。彼の書いた脚本「爆弾」が警察に見つかっていたら彼も一味としてとらえられていたにちがいないが、それをもっていった友人がさらに売薬行商人にわたし、その行商人は大逆事件の記事を見てストーヴでもやしてしまい、おかげで沖野はまきこまれずにすんだ。このことを沖野は深く徳とし、獄中の友人とその家族を助ける。彼自身の危険をかえりみず、1916年大石誠之助(すでに死刑)の遺族の故郷脱出を助ける。その後彼は大正・昭和を通じて大石たちのすぐれた人がらについての証言をつづけて戦中においてもやむことがなかった。
 「誰にても天にいますわが父のみこころを行うものは即ちわが兄弟、わが姉妹、わが母なり」という彼をとらえた一句は彼の生涯に生きつづけた。ひとりの自由な宗教家・教育者として見る時、彼は明治以後の独創的な人物のひとりである。この人の姿を、著者は広く資料を見てしっかりと書きのこした。
 =鶴見俊輔=
 (踏青社発行、審美社発売・560ページ・4,500円)
    
 ◇のぐち・のぶや 1931年東京生まれ。早大卒。著書に『父 野口雨情』、編著書に『内藤しん策^ 人と作品』ほか。



1989年4月25日 夕刊 1総
◆金賢姫に死刑判決 「悲劇だが許せぬ」 大韓機事件でソウル地裁


 【ソウル25日=波佐場特派員】乗客・乗員115人を乗せたままビルマ沖上空で消息を絶った一昨年11月の大韓航空機事件で、韓国の検察当局から国家保安法違反などの罪で起訴された金賢姫=キム・ヒョンヒ=(27)に対する判決公判が25日午前10時から、ソウル地裁で開かれ、「航空機の爆破は国際法的に見ても厳罰に処されるべきだ」として求刑通り死刑の判決が言い渡された。事件発生以来1年5カ月。起訴からは3カ月足らずだった。
 金自身はこれまで「どんな判決が出てもそのまま従いたい」との意向を示してきたといわれ、このまま刑が確定する可能性がある。
 この日の判決で裁判長は「事件は分断が生んだ悲劇で、本人も後悔している」と一部情状を酌みながらも「犯行自体は許せない」として求刑通りの極刑を言い渡した。この結果、金が7日以内に控訴の手続きを取らなければそのまま死刑が確定する。しかし、その場合でも、金自身が事件の重要な「証拠物」であり、生かしておく必要があるとの理由などから処刑は行われず、いずれ赦免で釈放されるとの観測が広まっている。



1989年4月25日 朝刊 群馬
◆29日、高崎で初の「ぐんま女のまつり」 買い物の途中にどうぞ


 車座になって、消費税やリクルート問題などの社会問題について語り合いませんか。登校拒否や原発問題など、社会問題に強い関心を寄せる県内の女性10人が集まって実行委員会を組織し、29日午前11時から高崎市の城址公園で初の「ぐんま女のまつり」を開く。同実行委員会は参加者とスタッフを募っている。
 まつりの中心は、会場で午後1時ごろから車座になって行うフリーディスカッション。消費税問題やリクルート問題、環境問題などのほか、フリーライターで死刑廃止運動家の丸山友岐子さんを招き、拘禁2法の問題についても話し合う。また、無農薬野菜や古着などのバザー、アコーディオンのサークルやロックバンドの演奏会なども予定している。
 会場となる城址公園は、高崎市の商店街に近いことから、同実行委員会は「買い物の途中で気軽に立ち寄り、実感してきたばかりの消費税のことなど、自由に話して下さい」といっている。問い合わせは実行委員の中山幸代さん(0273−23−6361)へ。



1989年4月25日 朝刊 2社
◆金賢姫に判決言い渡し ソウル地裁 大韓航空機事件


 【ソウル24日=波佐場特派員】一昨年11月の大韓航空機事件で、韓国検察当局から国家保安法違反などの罪で起訴された金賢姫=キム・ヒョンヒ=(27)に対する判決公判が、25日午前10時からソウル地裁で開かれる。
 前回、4日の公判で死刑が求刑されているが、乗客・乗員115人が犠牲になったという点や、民間航空機テロに対する国際世論などを考え合わせ、求刑通りに極刑が言い渡されるとの見方が広まっている。



1989年4月26日 朝刊 2社
◆アムネスティ日本支部も死刑廃止のキャンペーン


 国際的人権擁護団体「アムネスティ・インタナショナル」が世界各国で死刑廃止キャンペーンを始めたのに伴い、25日、同日本支部(イーデス・ハンソン支部長)も、今年末まで街頭での呼びかけや講演キャンペーンを繰り広げると発表した。
 東京・銀座での死刑廃止を呼びかけるパンフレットの配布や、死刑存置国に対し廃止を求める手紙作戦を進め、7月には再審無罪となった元死刑囚、免田栄さんによる全国各地での巡回講演を行う。



1989年4月28日 朝刊 千葉
◆崔さんの釈放求め緊急集会 松戸市


 「崔哲教(チェ・チョルギョ)さんの即時釈放を求める緊急集会」(崔さんを支援する松戸市民の会主催)が27日、松戸市の市婦人会館で開かれた。
 崔さんは松戸市馬橋に住んでいたが、昭和49年に韓国に住んでいる肉親に会いに行った際、国家保安法違反で逮捕され死刑判決を受けた。昨年12月には懲役20年に減刑された。
 この日の集会には約50人の市民が参加。市民の会から「昨年は政治犯19人が釈放された。頑張れば崔さんの釈放も近い。世論を盛り上げ、崔さんの帰国を実現させよう」と呼びかけた。



1989年4月29日 朝刊 4面
◆控訴期限迫る金賢姫 大韓航空機事件


 物証乏しい中でのスピード死刑判決 未解明のナゾ多く
     
 大韓航空機事件で死刑判決を受けた金賢姫=キム・ヒョンヒ=被告(27)は、5月2日までに控訴しないと刑が確定する。「どんな判決にもそのまま従う」意向といわれる金が法廷で語った言葉は、ごくわずか。機体も遺体も見つからず、物証が乏しい中でのスピード裁判に、未解明のナゾは多い。(ソウル=波佐場清特派員)
                                    
      
 <スピード> 裁判で際立つのは、進行の早さだ。金が起訴されたのは、ことし2月3日。それから今月25日の判決まで3カ月足らずだった。しかし、弁護人は「比較的、十分な審理ができた。本人がすべてを認めており、実際には2回程度の公判で終えることもできた」(安東壹弁護士)という立場。検察に近い筋も「本人がすべてを自白し、争点もないのに時間をかける必要はない」と語る。公安事件では、被告人の自白があると、裁判は早く進むことが多い。
       
 <166点> 遺族らが納得しかねているのは物証の少なさだ。金が「爆破した」とする大韓航空機は何の無線連絡も発しないまま消息を絶った。大型ジェット機はどこへ、機体や乗客らはどうなったのか−−これがこの事件の最大のナゾだった。
 検察側が提出した証拠物件は166点。事件から2週間たった87年12月13日、ビルマの貨物船がラングーンの南方海上で回収したとする救命ボートとその付属品や、ビルマの海軍がアンダマン海域で回収したというテーブル。さらに、暗号が書かれていた金の手帳、金らが使った飛行機搭乗券などだ。
 救命ボートに記載されている番号が事件機の搭載品目明細書の番号と一致する、と大韓航空整備本部の職員が法廷で証言した。テーブルにはハングルも記載されていた。
 しかし、遺体はもちろん、遺品1つない。半面、金や事件直後に自殺した金勝一(当時69)の所持品などが証拠品の多くを占め、法廷ではその1点1点について金自身による確認が求められた。
 そのたびに金は「ネー、マッスムニダ(はい、その通りです)」と判で押したように繰り返した。ただ一度、金勝一の下着について弁護士が「本当に間違いないか」と念を押したのに対し「モルゲッスムニダ(わかりません)」と答えたのが例外といえば、いえた。
       
 <赦免?> 死刑が確定してもいずれ赦免される、との見方が強い。観測筋などが強調するのは、北への対策。北が主張する「韓国当局による自作自演」説に反論するために、金を処刑するわけにはいかないというのだ。
 さらに、北に対する宣伝効果。韓国ではこれまでも北のスパイを転向させ、宣伝材料として使ってきたが、金はその格好の材料になるとの見方だ。ある情報機関関係者は「数個師団の火力にも匹敵する」と語ったとも伝えられている。
      
 <過去の人> 事件から29日で1年5カ月。当初、金は偽造旅券の日本名「真由美」の名で関心を集め「ぜひ結婚の相手に」との申し出まで飛び出したが、裁判を見守る韓国民の目はさめていた。新聞も判決当日の夕刊紙で1面3段程度か、せいぜい準トップの扱いだ。
 事件直後の大統領選挙と盧泰愚政権の誕生、それに続く総選挙、ソウル五輪、全斗煥氏の落郷、対「北」開放政策……。めまぐるしい韓国社会の動きの中、金は「過去の人」として急速に話題の中心から消えようとしている。