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死刑関連ニュース1989年 朝日新聞(3月)



1989年3月1日 朝刊 1外
◆英との断交、イラン国会が決議 「悪魔の詩」内容に反対表明迫る


 1週間の猶予付き
              
 【テヘラン28日=村上(宏)特派員】イラン国会は28日、英政府が1週間以内に、イランに対する姿勢を改め、小説「悪魔の詩」の反イスラム的内容に反対を表明しない場合、英国との国交断絶を求める決議を採択した。1週間の猶予はあるものの、問題の小説の著者に対する最高指導者ホメイニ師の「死刑宣告」が撤回されない限り、英国の態度が変わるとは予想しにくく、断交は必至の情勢である。イラン側は、今回の措置は特別で、孤立を求める考えはないとしているが、断交となった場合、他の西側諸国の態度硬化は十分予想され、イランは再び孤立化の傾向を深めそうだ。
            
 イラン国会の対英断交審議は、議員からの緊急提案に基づくもの。「国交問題は国会が介入すべきことではない」と意見を述べる議員もあったが、政府を代表して意見陳述に立ったベラヤチ外相も、「イランの政策はイスラムが最優先する。『悪魔の詩』の反イスラム的な内容に対する反撃の手段は十分でない」として法案を支持。英国との国交断絶案は、圧倒的多数で可決された。
 しかし、即刻断交すべきだという強硬論より、外務省に実際の対処の仕方を任せるべきだという声が優勢で、実行に当たっては、「英政府が、イスラム世界とイランに敵対する姿勢、及び『悪魔の詩』の反イスラム的内容に反対することを、1週間以内に公式に表明しない場合」という条件が付けられた。
 イラン国民の間には、石油権益などに絡み、長年にわたって英国に富を収奪されたという恨みが深い。1987年6月、外交官のトラブルから外交官追放合戦に発展し、断絶状態になっていた関係を、昨年の停戦後に正常化に合意、徐々に修復してきたものの、根強い反英主張にあって、大使交換にまで至っていなかった。そこへ、この「悪魔の詩」問題。関係修復は振り出しに戻ってしまった。
 問題は、ことが対英関係だけにとどまらないこと。欧州共同体(EC)が大使召還で足並みをそろえたように、イスラムの大義に対し、西側諸国にとっても表現の自由など民主主義の譲れない原則がある。対英断交という強硬措置をとれば、他の西側諸国の対イラン硬化にハネ返る可能性は十分ある。
 シェワルナゼ外相のイラン訪問で、イランとソ連の関係発展がうたい上げられたが、西側外交筋は、イランがソ連との関係強化を進めても、東側に偏ることは考えられず、西側けん制の要素が強いとみている。



1989年3月3日 朝刊 1外
◆各国の新聞・雑誌に声明文 「悪魔の詩」の著者救援に作家ら


 【ロンドン2日=吉田特派員】イランのホメイニ師によって死刑宣告された「悪魔の詩」の著者サルマン・ルシュディ氏を守ろうと、世界中の作家や出版社、書店主などが2日、各国の新聞や雑誌に1ページ大の声明文を出した。
 声明文は「サルマン・ルシュディを守る国際委員会」の名で出され、「内容のいかんにかかわらず、それを表明する自由は守られるべきだ」と主張。ただ、「この本が引きおこした苦痛は理解する」とイスラム教徒側にも配慮を示している。
 署名人は数千人とされ、紙面にはアーサー・ミラー、グレアム・グリーン、フランソワーズ・サガン、遠藤周作など約800人の名前が載せられている。同委員会によると掲載されるのはガーディアン(英)、ルモンド(仏)、ネイション(米)、インディアンポスト(インド)、パギナ12(アルゼンチン)など、予定も含め計29紙誌。



1989年3月3日
◆イスラム諸国に宣告拒否呼びかけ 「悪魔の詩」でマフフーズ氏


 【カイロ2日=萩谷特派員】アラブ世界初のノーベル文学賞を受賞したエジプトの文学者ナギブ・マフフーズ氏(77)は2日、小説「悪魔の詩」の著者ルシュディ氏に対するイランの最高指導者ホメイニ師による死刑宣告を拒否するようイスラム諸国に呼びかけた。
 エジプトの日刊紙、アルアハラムに掲載されたこの呼びかけは、現在の混乱を収拾するため(1)イスラム諸国はイスラムの名においてテロと流血を拒否する声明を出す(2)諸国は民衆の信仰を尊重する(3)悪魔の詩の発行者をボイコットする、という3項目の提案からなっている。
 マフフーズ氏はこの中でイスラムの使命はテロや殺人の扇動にあるのではないとしながらも、発行者のボイコットを支持する理由については「思想の自由を抑圧するためではなく、混乱を鎮めるため」と述べた。



1989年3月4日 朝刊 1社
◆別件逮捕男性、「犯人扱い、一生忘れぬ」 紙箱爆弾事件【大阪】


 若い女性が好むギフト用化粧箱に、ダイナマイト4本と雷管をしのばせて送り届けたのは、元自衛官の藤本広光(40)だった。タクシー会社に再就職し、解雇されたのをうらんでの犯行だった。松山市内のタクシー会社、四国交通社長宅で起きた5人死傷の爆発事件は3日、129日ぶりに解決した。被害者の鵜久森さん(52)らは「ダイナマイトも見つかり、これで安心して眠れる。それにしても元従業員の犯行とは」と、複雑な表情を見せていた。一方、別件逮捕された別のタクシー会社の関係者は「犯人扱いされた悔しさは忘れられない」と憤る。
                                    
      
 この事件に絡み、犯人と疑われ昨年12月に詐欺未遂容疑という別件で逮捕されダイナマイト爆破事件との関連を追及された松山市内の元タクシー会社社長のAさん(48)=和歌山市在住=に、3日午後4時すぎ、松山東署の刑事から、犯人逮捕を知らせる電話がかかってきた。「爆破犯人を逮捕します。別件事件で迷惑をかけたあなたに、まず知らせておきます」。疑いが晴れたというホッとした気持ちと同時に、Aさんは「子どもの前で犯人扱いされた時の悔しさは一生、忘れられません」という。
 Aさんは去年12月19日、松山市内にいたところを突然、捜査本部の刑事に詐欺未遂の疑いで逮捕された。和歌山市の自宅には松山市からやってきた刑事数人が踏み込み、「ご主人を爆破、殺人の容疑で逮捕した」と告げ、妻(40)と高校生の女の子がいる目の前で家宅捜索を始めた。家具のうしろや物置まで手当たりしだいに調べ、「こんな事件を起こすと、ご主人は、死刑ですよ」とまでいった。妻も和歌山東署の取り調べの一室で、8時間も事情聴取を受けたという。
 12月31日に処分保留のまま釈放。逮捕されてから13日目だった。その間、逮捕容疑の詐欺未遂などで調べられたのは最初の3日間だけ。あとは、爆破犯人として取り調べを受けた。「犯人はお前しかいない」と机をたたいたり、吸おうとするたばこを取り上げたりして自白を迫ったという。釈放されたあとも、刑事の尾行は続き、2カ月にも及んだ。
 Aさんは「取り調べは厳しく、あのまま続いたら刑事のいうことを認めたかもしれません」。一部の報道機関では自宅の住所も報道され、居づらくなって今年の1月末に引っ越した。「ダイナマイト事件に関係した人物」として相手にされず、2月末にやむなく会社の経営権を手放した。いま、松山地裁で詐欺未遂の裁判が続けられている。Aさんは「公判の場で、証拠のない別件逮捕の不当性を訴えていきたい」と話していた。
 また、別件の詐欺未遂事件の共犯としてAさんの巻き添えになる形で逮捕、送検され、結局不起訴となった松山市、Bさん(60)はAさんからタクシー会社の経営権を譲り受け、現在は社長。「真犯人がつかまってよかったが、事件に巻き込まれたことで割り切れない気持ちも残る。Aさんが別件逮捕された後は、殺人犯がいるタクシー会社などと、いろいろ陰口やいやがらせを受け、いやな思いもしたが、これからは会社の信用回復目ざして頑張りたい」と話していた。
       
 ●「元部下の犯行とは」 言葉詰まらせる社長
 松山市東野1丁目の四国交通で記者会見した鵜久森さんは「本当にびっくりした。信じられない。藤本が建売住宅を買った時も保証人になってやり、とくに目をかけて大切にしてきたのに……」と言葉を詰まらせた。
 鵜久森さんによると、藤本は60年2月20日、物損事故を起こした。「以前も事故が多かったので、保証人になっていなかったら、とうにクビにするところだ」と言うと、「そう言うんだったらやめる」と反抗してきた。翌日に「やめる」と電話があった。「30分ほど説得したが、酒を飲んでいたのか、言葉が荒く、結局、その日付でやめた。規定の退職金29万円に加えて、特別手当も34万余円だした」という。
   ◇
 藤本は四国交通を辞めたあと、他のタクシー会社運転手やトラック運転手など仕事を転々と変えた。ローンやサラ金への借金返済に困り、昨年夏ごろ松山市畑寺1丁目の自宅から同市上市1丁目のアパートに移った。爆発事件当時、妻が同市内のホテルで働き、アパートでぶらぶらしていた。
 藤本が自衛隊への入隊経験があり、トラブルで四国交通を解雇されたことから、捜査線上に浮かんだが、事件当日の行動がはっきりせず、物証もないなどから、捜査本部は検挙への決め手がつかめなかった。



1989年3月4日 朝刊 1社
◆元運転手が自供、逮捕 解雇恨み、犯行 松山の紙箱爆弾殺人


 昨年10月25日夜、松山市石手白石、タクシー会社「四国交通」社長鵜久森勝(うぐもり・まさる)さん(52)方で紙箱に仕掛けられたダイナマイトが爆発、5人が死傷した事件で、松山東署の捜査本部は3日、同社の元運転手の松山市鷹子町、ホテル従業員藤本広光(40)を殺人、同未遂、窃盗、爆発物取締罰則違反の疑いで逮捕した。藤本は別の窃盗事件で逮捕されていた。解雇されたことへの恨みによる犯行とみられる。この事件にからんで、市内の別のタクシー会社の社長ら2人が詐欺未遂容疑などで逮捕され、事件との関連を追及されたことがあったが、藤本の逮捕で無関係とわかり、別件逮捕への批判が改めて強まるとみられる。
     
 調べによると、藤本は昨年10月7日から11日にかけて、松山市食場町、小倉火薬の火薬庫からダイナマイト約150本と電気雷管約200本を盗んだ。同月25日午前、自宅でダイナマイト4本を使って紙箱爆弾を組み立て、同日午後、鵜久森さん宅に乗用車で向かい、車庫に止めてあった鵜久森さんの乗用車のボンネットに紙箱爆弾を置いて立ち去った疑い。
 同日午後10時半ごろ、帰宅した鵜久森さんが紙箱を居間に持ち込んだところ爆発、下宿していためいの松山商大1年杉野由佳さん(19)が両手を吹き飛ばされ死亡、鵜久森さんら4人が重軽傷を負った。由佳さんの母親の杉野弥生さん(44)と妹の松山東雲高2年仁美さん(17)は通院が続いている。
 藤本は昭和51年10月、四国交通に入社したが、物損事故をたびたび起こし、鵜久森さんに「事故が多い」と責められ、60年2月に会社をやめた。「解雇は一方的で納得できない」と怒り、事件までに鵜久森さん宅に数回、脅迫めいた電話をかけていた。
 調べに対し、「ダイナマイトを盗んだのも仕掛けたのも全部1人でやった」と自供している。
 藤本は福岡県の中学を卒業し、工員をした後、昭和43年に陸上自衛隊に入隊。松山駐屯地や千葉県の習志野空挺団などに約1年間勤務した後、カメラ店員をしたことがある。
 藤本は2月19日に別の4件の窃盗容疑で逮捕されていた。
 藤本は四国交通をやめたあと、ほかのタクシー会社運転手やトラック運転手など、仕事を転々と変えた。ローンやサラ金への借金返済に困っていたが定職にはつかず、妻が松山市内のホテルで働いていたという。
 逮捕される前、藤本は朝日新聞の取材に対し、「社員への締めつけが厳しかったので、狙われて当然と思った。私が疑われるのではと思ったが、私は関係ない」と話していた。
                                    
      
 ●「犯人扱い一生忘れぬ」 別件逮捕の元同業社長 紙箱爆弾殺人
 この事件に絡んで、犯人と疑われ、昨年12月に詐欺未遂容疑という別件で逮捕されて、ダイナマイト爆破事件との関連を追及された松山市内の元タクシー会社社長のAさん(48)=和歌山市在住=は、3日午後4時すぎ、松山東署から犯人逮捕を知らせる電話を受けたが、「ホッとするとともに、子どもの前で犯人扱いされた時の悔しさは一生、忘れられません」と話した。
 Aさんは去年12月19日、松山市内にいたところを突然、詐欺未遂の疑いで逮捕された。自宅には松山市からやってきた刑事数人が踏み込み、「ご主人を爆破、殺人の容疑で逮捕した」と告げ、妻(40)と高校生の女の子がいる目の前で家宅捜索を始めた。「こんな事件を起こすと、ご主人は死刑ですよ」といい、妻も和歌山東署の取り調べの一室で8時間、事情聴取を受けた。処分保留で釈放されたのは12月31日だった。
 Aさんは「ダイナマイト事件に関係した人物」とささやかれ、2月末にやむなく会社の経営権を手放したという。
 また、別件の詐欺未遂事件の共犯としてAさんの巻き添えになる形で逮捕、送検され、結局不起訴となった松山市、Bさん(60)はAさんからタクシー会社の経営権を譲り受け、現在は社長。「真犯人が捕まってよかったが、事件に巻き込まれたことで割り切れない気持ちも残る。Aさんが別件逮捕された後は、殺人犯がいるタクシー会社などと、いろいろ陰口やいやがらせを受け、いやな思いもした」と話していた。



1989年3月5日 朝刊 1外
◆サッチャー英首相、作家を間接的に批判 「悪魔の詩」問題


 【ロンドン4日=吉田特派員】サッチャー英首相は3日、英国人作家サルマン・ルシュディ氏の小説「悪魔の詩」について記者団の質問に答え、「私たちの社会でも、ある行為が他人を深く傷つけることがある。それが今度はイスラム教で起きた。今回のことがイスラム教徒を深く傷つけたことは理解できる」と述べ、間接的ながらルシュディ氏を批判した。前日にはハウ英外相が同様の発言を行っており、英政府としては英国・イラン関係の改善を図りたい意向だ。
 しかし、英国側としては、イランがホメイニ師のルシュディ氏に対する死刑宣告を撤回しない限り、言論の自由の建前から具体的行動を起こすわけにいかず、同首相も「偉大な宗教はこの種の事柄に耐える強さを持っている」と、まずイラン側の自制を求めている。
 4日のイラン国営通信はこれについて、「悪魔の詩の件で英首相によるイスラム教徒への初めての共感の表明」で、イランと英国との対立の解消を目指した「小さな一歩」と評価した。しかし同通信は、この発言がイラン側の要求とはるかにかけ離れたものだとも指摘した。
 英・イラン関係は現在、両国とも外交団を引き揚げているが、他のルートを通じての接触は保っている。「英、イランが正常な関係を持つのが望ましい」(ハウ外相)と、両国とも最近相手側から関係改善の協議申し入れがあったことを明らかにしている。



1989年3月6日 夕刊 2総
◆パレスチナ急進派、『悪魔の詩』著者の「処刑」着手を宣言


 【ニコシア5日=竹信特派員】シリアに本拠を置くパレスチナ解放運動の急進派組織パレスチナ解放人民戦線総司令部派(PFLP・GC)のジブリル議長は5日、ダマスカスで、小説「悪魔の詩」について声明を発表、同組織がイランの最高指導者ホメイニ師の呼びかけに応じて著者のルシュディ氏に対する「処刑」に着手する、と宣言した。
 同声明は、「悪魔の詩」出版と、これをめぐる西側報道機関の報道を「全世界の悪魔のメディアによる宣伝」と強く非難、イスラムに対する「新たな陰謀に対決し、ルシュディに対し、法に基づく行動を起こす」とし、ホメイニ師による「死刑宣告」を執行することを表明している。
 PFLP・GCは、パレスチナ解放機構(PLO)反主流派の1つで、ジブリル議長は、84年のパレスチナ民族評議会(PNC)で追放処分を受けている。



1989年3月6日 朝刊 2総
◆イラン・イラク訪問どうする 悪魔の詩で宇野外相にジレンマ


 西欧の反発懸念
    
 宇野外相が今月下旬、イラン、イラク両国を訪問するかどうかで悩んでいる。昨年10月の予定だったのを、昭和天皇のご病気で延期した経緯がある。大喪の礼を終えて、ようやく具体化できると思ったところ、イランで「悪魔の詩」問題が起き、雲行きがおかしくなった。英国など西欧各国が一斉に反発する中で、日本がイランとのパイプ役を果たすことができれば大成果なのだが、逆に訪問自体が西欧から反感を買う恐れもある。外相は「最終的にどうするか、もう1週間ぐらい様子を見よう」と周囲にもらし、判断をつけかねている。
 宇野外相がイラン、イラク両国訪問を考えているのは、今月21日前後。ちょうど3月末にイラン・イラク戦争の停戦問題の交渉が再開されるため、それに先立って双方と友好関係を保つ日本が、交渉促進を働きかける絶好の機会。両国とも戦後復興のため日本の経済協力を期待しており、大喪の礼に伴う弔問外交の際、イランのミル・サリーム、イラクのマルーフ両副大統領は、それぞれ外相の訪問を改めて要請している。
 しかし、その前後から「悪魔の詩」問題が国際的な波紋を広げ、外相の訪問に微妙に影を落とし始めた。
 弔問外交の中で、英国のハウ、西独のゲンシャー両外相が「表現の自由を守り、(イランのホメイニ師の『死刑宣告』という)殺人教唆を許さないことを、日本も支持してほしい」と求めたが、一方で、イランのミル・サリーム副大統領は「西側世界はわれわれの感情を理解していない。日本から西側に伝えてほしい」と要請。宇野外相は、板ばさみの立場に置かれてしまった。
 一連の会談を通じて宇野外相は「宗教的な国民感情には配慮が払われるべきだ。しかし、表現の自由が侵害されることがあってはならない」と、中立的な立場の表明に努めた。西欧各国のように駐イラン大使の召還は考えていない。こうした日本の立場は、一面では「イラン情勢がわかるだけでも貴重」(外務省幹部)というわけだ。
 だが、西欧のマスコミからは早速、「西欧諸国がイランから引き揚げたすきに、日本が石油の輸入増などを狙うのでは」という疑念を持たれている。また、ソ連のシェワルナゼ外相が中東歴訪の中でイランも訪問、「悪魔の詩」問題で調整役に意欲を示したが、その結果、イランは西欧諸国に対して「ソ連カード」を見せた格好。そこへ宇野外相が訪れると、イランは「日本カード」も手に入れる形になり、西欧の反発を受けかねない、という心配も、外務省にはある。
 外相は「私が行って話の糸口がつかめるといいが……」と周囲に期待を漏らす。半面、「このままこう着状態ならいいが、世界のあちこちでイスラム教徒のテロが続くようだと、いくら日本の独自外交といってもなあ……」と、気をもんでいる。



1989年3月7日 朝刊 1外
◆コソボ問題、逮捕の元代表らに「反革命」罪適用と発表 ユーゴ


 【ベオグラード6日=北山特派員】ユーゴスラビアのセルビア共和国コソボ自治州で起きた共和国憲法改正反対のアルバニア系住民による抗議行動を調べているミトロピツァ地方検事局は5日、指導者として逮捕した共産主義者同盟州委員会のアゼン・ブラシ元代表ら3人に「反革命」罪が適用されると発表した。同罪は社会体制を脅かす重大事件に適用される最も重い罪で、最高刑は死刑。今度の事件に対するユーゴ当局の強い姿勢を改めて示すものといえる。
 自治州の権限縮小を図る憲法改正に反対してミトロピツァのアルバニア系鉱山労働者が坑道に座り込んだのが、今度の騒ぎの発端。ブラシ氏はこの間、現場をひそかに訪問。いったん軟化しかけた労働者がこれを境にスト続行に傾いたとされる。
 ベオグラードのセルビア系各紙が伝えるところによると、これまでに逮捕または取り調べを受けた者の中には、スト労働者に闘争資金を提供した銀行幹部、かねて民族主義的色彩の強かったコソボ電力の企業長など、自治州内の企業家トップも多く含まれている。抗議行動をあおる報道をしたとして地元テレビ局、アルバニア語紙などに捜査の手が及んだとの報道もある。
 これら企業幹部の多くは州党委員会メンバーを兼ねている。
 また、鉱山労働者に同調して店を閉めた商店主らに対しても、ストの指示、圧力があったか否かなどについて調べが行われている。



1989年3月9日 朝刊 1外
◆英、イラン人追放へ 「悪魔の詩」問題で外相表明


 【ロンドン8日=吉田特派員】英国のハウ外相は8日、下院での答弁のなかで、「治安維持のためイラン人を追放する」と述べた。人数については「相当数」と述べただけで明らかにしなかったが、本人には近々国外退去を通告する、という。
 また香港にあるイラン総領事館を閉鎖、館員は2週間以内に退去するよう通告したことを発表した。
 英国には100万人近いイスラム教徒がいるといわれており、イラン出身者も相当含まれている。ホメイニ師が、「悪魔の詩」の著者サルマン・ルシュディ氏に死刑宣告を出したあと、一部のイスラム教徒はそれに同調する動きを見せ、英警察当局は監視態勢を強めていた。



1989年3月9日 朝刊 1社
◆無罪主張退け、控訴棄却 豊田商事会長刺殺 【大阪】


 金の現物まがい商法で多数の被害者を出し破産した豊田商事の永野一男会長(当時32)が昭和60年6月、詰めかけた報道陣の目の前で刺殺された事件で、殺人や銃刀法違反などの罪に問われた鉄工所経営飯田篤郎被告(59)=大阪市東住吉区山坂3丁目=と建設作業員矢野正計被告(34)=同市淀川区加島4丁目=に対する控訴審の判決公判が8日、大阪高裁で開かれた。西村清治裁判長は「永野会長を殺したのは一方の被告」とする両被告の無罪主張を退けたうえで、「残虐で社会的影響の大きな犯罪だが、詐欺商法に対する義憤が主な動機で、同情の余地がないとまで断定できない」と述べ、飯田被告を懲役10年、矢野被告を懲役8年とした1審判決を支持し、両被告の控訴を棄却、同時に「1審判決は軽過ぎる」とした検察側の控訴も棄却した。
                                    
      
 飯田被告は公判で、「現場に詰めかけた報道陣にあおられて矢野被告がやった」と主張。これを立証するため、犯行現場を撮影したテレビ局の未放映ビデオを証拠申請したが却下されたため、「裁判は不公正」と抗議して、この日、出廷しなかった。両被告とも上告する方針。
 1審判決によると、60年6月18日、豊田商事の詐欺まがい商法で多数の被害者が出ているのに憤った飯田被告が、かつて自分の下で働いていた矢野被告を連れて、大阪市北区天神橋3丁目のマンション内の永野会長宅に行き、矢野被告が窓を破って侵入。続いて侵入した飯田被告と2人で、永野会長の頭などを銃剣で刺して殺した。
 控訴審の公判で、飯田被告側は「永野会長宅に侵入してからは記憶がない。気づくと永野会長が寝室に倒れていた」などと主張。一方、矢野被告側も「永野会長の足を刺した記憶しかない」として、両被告とも1審に続いて殺意、事前共謀を否定。そのうえで、「実際に永野会長を殺したのは自分ではなくもう一方の被告」と主張していた。
 判決は「両被告の公判での供述は、不自然で、信用性に乏しい」として、「事前に殺意、殺人の共謀はあった」と認定した。さらに犯行当時、心神耗弱状態にあったとする両被告の主張についても、「異常な行動はなかった」と退けた。「量刑不当」については、「生々しい状況がテレビで放映され市民に衝撃を与え、社会的影響は大きかった点からみると、1審判決は相当。しかし、犯行は計画的ではなく、義憤が主要な動機で、同情の余地がないとまで断定できない」と述べた。
 また報道陣の取材に積極的に応じている点などを指摘し、「報道陣にあおられて犯行が起きたとは認められない」とした。
                                    
      
 ●両被告、罪なすりつけ合い 会長の墓、参る人は叔父だけ
 テレビ画面に惨劇が映し出されてから3年9カ月。豊田商事の永野一男会長の刺殺事件で8日、大阪高裁でも有罪とされた飯田篤郎、矢野正計両被告は、公判を重ねるにつれ相手に罪をなすりつける発言を繰り返し、相互に不信感をつのらせてきた。1審が始まったころは、互いにかばい合ってきたものの、控訴審では対立がエスカレート。「マスコミにあおられたピエロ矢野のハプニング犯行」とする飯田被告と、「飯田に事件に巻き込まれた。(飯田は)死刑にしてくれ」という矢野被告が、法廷で敵意をむき出しにする場面もあった。
 飯田被告は、控訴審の公判が開かれるたび、100枚前後の便せんにびっしり裁判に対する疑問点や不満を記し、裁判所あてに上申書を出し続けてきた。大阪拘置所で、精力的に裁判制度の専門書や新聞を読む毎日。上申書でも、貝塚ビニールハウス殺人事件など近年の無罪判決裁判に触れ、検察、警察だけでなく、裁判制度に対して不信感を強めているという。
 弁護人から、裁判が済むまで雑誌などへの投書はやめるようクギをさされていたが、知人やマスコミ関係者に精力的に手紙を書き、新右翼の機関紙に投稿するなど、裁判への不満をあちこちにぶつけている。
 一方、矢野被告は、病に伏せている父親や、別れた妻子の近況を気にする日々だ。「娘が肩身の狭い思いをしているのが耐えられない。無罪になって、晴れて娘に会いたい」と弁護人にこぼし続けた、という。
 永野会長の遺骨は2年前、島根県浜田市郊外の浜田千畳霊園に、同市に住む叔父の手で葬られた。みかげ石の墓石は高さ2メートルあって周囲の墓よりひときわ立派で小高い丘から日本海を見下ろしている。しかしこの2年間、叔父以外に参る人はいない。
 事件の現場となったマンションの1室は、アルミの防犯柵(さく)がさしかえられ、新たな居住者が住んでいる。「もう昔のこと。私たちには関係ない」と、住民たち。詐欺罪に問われ、公判中の豊田商事の元幹部だけが、「永野さんが生きていてくれたら」と、今も時々こぼす、という。



1989年3月11日 朝刊 2総
◆内閣へ「死刑」求刑?(政界オムニバス)


 ○…盧泰愚韓国大統領の5月下旬来日が本決まりになった10日、首相官邸で記者団から感想を聞かれた竹下首相は「向こうは(人気)上昇中じゃないんか」。「いや、人気薄らしいですよ」と水を向けると「そうか。人さまざまだからなあ」と口を濁した。
 さらに、記者団が「首相も人気の点で厳しいですね」とたたみかけると、「まあ、おれのことはいくら言ってもいいけど、人様のことはな、言っちゃいかんわな。おれのことは、いくら『死刑』とか言ってもいいけど」。リクルート問題に苦しむ首相にとって、国民の政治不信、内閣支持率の低下、野党の責任追及など耳に届く声が、竹下内閣の「死刑」求刑に聞こえるのかも。



1989年3月12日 朝刊 声
◆獄中の白さん、民主化へなお情熱(読者・記者) 【大阪】


 釈放近し喜ぶ恩師 渡韓の友は面会
       
 先日届いた1枚の手紙がきっかけで、韓国で13年間とらわれている元死刑囚で大阪出身の在日韓国人政治犯、白玉光さん(41)の近況を知ることができた。
 投書の主は白さんが大阪府立大手前高校3年の時の担任だった寝屋川市成田東町、南景雄さん(68)。
 「政治デモに、行くなといっても必ず参加する彼に、『けがだけはしないように』というと、いつもニッコリうなずいた」「卒業後のある日、『医学部を志望している同国人の名を教えてほしい』と訪ねてきた。在留帰化する道を選ぶより、祖国に帰ってともに闘おうと呼びかけるつもりだったようだ。結局、断らざるを得なかった」など、思い出をつづりながら、白さんが減刑になったことの喜びを寄せてくれた。
 白さんは阪大文学部を卒業。大阪韓国青年会議所に勤めていた1975年11月、韓国滞在中にスパイ容疑で逮捕され、死刑判決を受けた。82年の恩赦で無期懲役に、さらに昨年12月に懲役20年に減刑された。
 南さんに連絡をとると、同じ教え子で、同級生だった高校教師、石井宏さん(41)=大阪府島本町江川1丁目=が、すぐにも光州市の刑務所で白さんと面会することを知った。
 石井さんは同窓生らと「白玉光氏を救う会」を結成。公判の傍聴やアリバイ確認、死刑判決に抗議のビラ配り、手紙での励ましなどを続けてきた。
 石井さんによると、面会できたのは2月21日の昼前の約30分間。白さんは腰痛があるほかは、元気で、刑務所側は白さんを「氏」づけで呼ぶなど気をつかっている様子だったという。面会は、韓国語で話す条件だったが、石井さんが上手に話せず、途中から日本語になった。立ち会っていた課長は注意したが、そのうちに退席したという。
 白さんの話では、昨年暮れから友人とも手紙のやりとりや面会ができるようになった。発禁本以外は何でも読め、新聞も、国内のものは全部目を通せる。救援会のニュースは不許可だが、実際には読める。労役は園芸の仕事だが免除され、読書などに忙しいという。「民主化のうねりが獄中にも押し寄せていることを強く感じた」と石井さん。
 スパイ事件については「いま国内の学生たちがやっていることの先駆けだった」と語り、まだたくさんいる国内の政治犯のための救援活動を訴えたという。
 「救う会」のメンバーは、今年8月15日の光復節かクリスマスの恩赦で釈放される可能性が高いとみている。在日韓国人政治犯の問題は、十数年来、新聞記者にとっても取材テーマの1つだった。釈放時には、白さんの青春時代の自由を奪うことになったスパイ罪とは何だったのか、聞いてみたいと思うのは私1人だけではないはずだ。
 (中島昭夫記者)



1989年3月12日 朝刊 読書
◆J・グリーン編『最期のことば』(文庫ダイジェスト)


 天寿を全うした死、闘病の末の死、突然死、自殺、死刑まで、訪れ方は多様でも、確かに死はだれにも平等に訪れる。だが、その迎え方はまた人さまざま。死に際の一言ばかり、国王・犯罪者・文化人・聖職者等々と600余人。各人の人生がにじみでていて面白い。「愚かなことばかりして」というホームズ判事の嘆きを忘れず、我々も今から、人生の終わり方を考えておこうか。
 (刈田元司・植松靖夫著訳、現代教養文庫・720円)



1989年3月17日 夕刊 2総
◆ルシュディ氏死刑は退ける ICO外相会議


 【カイロ17日=萩谷特派員】リヤドで開かれていたイスラム諸国会議機構(ICO)外相会議は16日夜、小説「悪魔の詩」の著者サルマン・ルシュディ氏を背教者として認定し、国際社会に同書を禁書とするよう求める特別宣言を採択するとともに、79年のソ連軍侵攻以来空席となっていたアフガニスタン代表としてパキスタンに本拠を置く反政府ゲリラ7派暫定政権を承認して閉幕した。
 イランはルシュディ氏の死刑宣告支持と英国などとの断交を加盟国に求めていたが、サウジアラビアなどの穏健派にしりぞけられた。



1989年3月17日 朝刊 2社
◆金さん14年ぶりの日本 政治犯、特赦で韓国から 【大阪】


 韓国に留学中、スパイ容疑で逮捕され、昨年10月に特赦で釈放された在日韓国人政治犯の1人、金哲顕さん(43)=尼崎市西立花町1丁目=が16日午後4時40分、大阪空港に到着した。14年ぶりに戻った日本に金さんはほっとした表情を見せながらも「つらい思いをさせた父、祖母とも私が刑務所にいる間に亡くなり、その時は涙が流れて仕方なかった。私は何の罪もなく死刑囚にされ、苦しんできた。悔しい気持ちです」と話した。
 金さんは尼崎出身で、同志社大学を大学院まで卒業後、韓国神学大に留学したが、1975年11月22日、「母国留学生スパイ団事件」の容疑者の1人として逮捕され、翌年、死刑判決がでて、数年後、懲役20年に減刑された。去年10月3日、国民の祝日を記念して行われた特赦で釈放され、日本政府のビザが発給されるのを待っていた。



1989年3月18日 夕刊 ワイド文化
◆「悪魔の詩」発言で放送ボイコット(海外情報)


 「悪魔の詩」の著者ルシュディ氏に対する死刑宣告は当然だ、と発言したアメリカのイスラム教徒でシンガー・ソングライターのキャット・スチーブンスの曲が、全米のラジオ局でボイコットされている。
 スチーブンスはここ何年もレコードは出していないが、71年にヒットした「ピース・トレイン」は、今でも放送ローテーションに組み入れている局が多い。しかし、それをすべてカットし、スチーブンスがその言葉を取り消すか、あるいはこの問題が何らかの解決をみるまでは、曲を流さないという方針が主流となっている。(ビルボード誌)



1989年3月18日 朝刊 1外
◆イランの顔立てた背教者認定 「悪魔の詩」でイスラム外相会議


 【カイロ17日=萩谷特派員】イランと英国の断交にまで発展した小説「悪魔の詩」問題についてイスラム諸国会議機構(ICO)外相会議は16日夜、著者のサルマン・ルシュディ氏を背教者と認定する宣言を採択したが、イランの主張する死刑宣告には同調しなかった。イスラム急進派と穏健派の対立をはらむ中でイランの顔を立てつつICOの結束をはかった妥協の産物といえそうだ。
 ルシュディ氏を「背教者」と認定したことについて、穏健派のサウジアラビアのサウド外相は「すでに多くのイスラム法学者が背教者と判断している」と述べ、宣言が新しい内容を含んでいる印象を与えないようクギを刺しており、「ICOは刑の宣告をする場所ではない」との態度。一方、イスラムでは「背教者」は死罪に値するとされるだけに、「イランは自分の主張が通ったということもできる」(会議筋)という解釈も成り立つ。
 「悪魔の詩」を禁書とし、世界の出版社に出版断念、本の回収を求め、これに従わない出版社に対してボイコットを突きつけた宣言は、この問題についてイスラム社会が西欧の常識でははかり知れない怒りを抱いている事実を突きつけている。これを著者への死刑宣告というかたちに先鋭化し、英国との断交など政治問題に発展させたイランは特別とはいえ、穏健派のイスラム諸国も強い不快の念はイランと共有している。
 その一方で、イランと断交状態にあるサウジが穏健派の旗頭であり、同時に今回の外相会議のホスト国だったことがこの問題に別の政治的側面を与えていたことは否定できない。



1989年3月19日 朝刊 1社
◆邦人観光客殺しに死刑 上海の裁判所


 【上海18日=伴野特派員】上海地方裁判所は18日、上海のホテルで金欲しさから日本人観光客を絞殺した元京劇俳優朱文博(42)に求刑通りの死刑判決を言い渡した。
 判決によると、預かっていた友人の日本留学費用を使い込んだ朱は昨年7月29日夜、この日知り会ったばかりの板金業小林康二さん(当時59)=岡山県勝田郡勝北町市場790ノ9=の泊まっている錦江飯店新南楼の部屋を訪ね、小林さんを絞殺して、2000元(1元は約33円)などを奪った。



1989年3月19日 朝刊 1社
◆邦人観光客殺しに死刑 上海の裁判所


 【上海18日=伴野特派員】上海地方裁判所は18日、上海のホテルで金欲しさから日本人観光客を絞殺した元京劇俳優朱文博(42)に求刑通りの死刑判決を言い渡した。
 判決によると、預かっていた友人の日本留学費用を使い込んだ朱は昨年7月29日夜、この日知り会ったばかりの板金業小林康二さん(当時59)=岡山県勝田郡勝北町市場790ノ9=の泊まっている錦江飯店新南楼の部屋を訪ね、小林さんを絞殺して、2000元(1元は約33円)などを奪った。



1989年3月20日 夕刊 1社
◆2審も無期−10年 山口組長ら3幹部射殺で大阪高裁判決


 暴力団山口組の竹中正久・4代目組長(当時51)ら幹部3人が昭和60年1月、射殺された事件で、殺人罪などに問われた首謀者の一和会系悟道連合会会長、石川裕雄被告(40)ら5被告に対する控訴審の判決公判が20日午前、大阪高裁であった。近藤暁裁判長は石川被告を無期懲役などとした1審判決を支持し、検察、弁護双方の控訴を棄却した。
 この事件では、首謀者の石川被告のほか、実行犯として立花和夫被告(56)、長野修一(44)、長尾直美(51)、田辺豊記(41)の4人、見張り役として和田強被告(29)ら3人が起訴されていた。
 1審の大阪地裁は昭和62年3月、石川被告に無期懲役(求刑死刑)、立花被告ら実行犯グループ4人全員に無期懲役、和田被告ら見張り役3人に懲役10年(求刑同20年)を言い渡した。石川被告と和田被告ら見張り役3人の計4被告について、検察側が控訴、立花被告は被告、弁護側双方が控訴していた。残りの3被告は、刑に服している。



1989年3月20日 夕刊 1社
◆石川被告ら控訴棄却 山口組幹部射殺事件 大阪高裁 【大阪】


 暴力団山口組の竹中正久・4代目組長(当時51)ら幹部3人が昭和60年1月、射殺された事件で、殺人罪などに問われた一和会系悟道連合会会長・石川裕雄被告(40)ら5被告に対する控訴審の判決公判が20日午前、大阪高裁であった。近藤暁裁判長は石川被告を無期懲役などとした1審判決を支持し、検察、弁護双方の控訴を棄却した。
 この事件では、首謀者の石川被告のほか、実行犯として一和会系元2代目山広組内広盛会幹部の立花和夫被告(56)と山広組内同心会会長の長野修一(44)、山広組員の長尾直美(51)、山広組内清野組幹部の田辺豊記(41)の4人、見張り役として悟道連合会組員の和田強被告(39)ら3人が起訴されていた。
 1審の大阪地裁は昭和62年3月、石川被告に無期懲役(求刑死刑)、立花被告ら実行犯グループ4人全員に求刑通り無期懲役、和田被告ら見張り役3人に懲役10年(求刑同20年)を言い渡したが、石川被告と和田被告ら見張り役3人の計4被告について「刑が軽過ぎる」と検察側が控訴、立花被告については、被告、弁護側が控訴していた。



1989年3月22日 夕刊 1総
◆私は貝になりたい ヒトラーとパトリック・ヘンリー(あすは)


 初の海外輸出テレビ番組、ドラマ『私は貝になりたい』は、1961年3月23日夜西独で放映。▼その日は1933年、全権委任法が可決、ヒトラーに独裁を許し、その一方、独立前の米国では1775年パトリック・ヘンリーが「われに自由を与えよ、しからずんば死を」と叫んだ日だ。改めて思う、歴史に翻ろうされた庶民のせつなさと自由の貴さと。『貝』は上官の命令で捕虜を刺殺、死刑台に向かう小心な理髪屋さんの最期のつぶやき。(降)



1989年3月23日 夕刊 2社
◆袴田事件の元被告が恩赦を出願 「死刑恐怖は人権侵害」


 昭和41年6月、静岡県清水市で起きた一家4人強盗殺人放火事件(袴田事件)で死刑が確定したが、無実を訴えて再審を請求している袴田巌元被告(54)=東京拘置所在監=は23日までに、「無実の者が、死刑執行の恐怖にさらされるのは人権上許されない」などとして減刑の恩赦を出願した。再審請求中の元被告が恩赦を出願したのは、日弁連によると「帝銀事件」の故平沢貞通・元死刑囚に次いで2人目。



1989年3月23日 朝刊 1社
◆拘禁2法廃案求め宣言採択 大阪の市民集会 【大阪】


 拘禁2法案(刑事施設法案、留置施設法案)は代用監獄の恒久化につながる、とする「拘禁2法に反対する市民のつどい」(大阪弁護士会主催)が22日夕、大阪市北区の同弁護士会館で開かれた。集まった約500人を前に、再審無罪が確定した島田事件や貝塚ビニールハウス殺人事件の主任弁護人、元被告らが、代用監獄で冤(えん)罪がつくられた実態を訴えた後、同法案の審議中止・廃案を求める宣言を採択した。
 島田事件の主任弁護人だった大蔵敏彦弁護士は、自白調書が死刑判決を長年にわたり支えた唯一の証拠だったことを強調。「虚偽の自白がつくられたのは、警察の留置場だったことを思うと、刑事訴訟法施行から40年たった今、代用監獄を廃止しなければならない」と訴えた。
 貝塚事件の平栗勲・元主任弁護人は、1審で有罪判決を受けた5人のうち4人が、逮捕当日に自白を強いられている点を指摘。「早期に拘置所に移されていれば自白は強要されず、拷問に近い暴行を受けることもなかった」と説明した。
 宣言は、代用監獄が国際的に批判されるえん罪の温床であることを指摘し、拘禁2法案廃案の運動を今後、一層強力に進めることをうたっている。



1989年3月24日 夕刊 2総
◆南アの弁護士、プラカシュさん 反差別集会(人きのうきょう)


 外務省の招きで来日中の南ア共和国の弁護士プラカシュ・ディアさん(33)が21日、東京でたまたま開かれていた反差別の集会に飛び入りで参加した。「これです。こういう人々と日本で会いたかった」
 インド系の人で、昨年、南ア政府が死刑執行を中止せざるをえなくなった政治犯「シャープビルの6人」の主任弁護人。「名誉白人というのは、準白人ということで、侮辱的な待遇でしょ。それを日本人が喜んで受け入れているのが不思議でならなかった。集会に出てみて初めて、日本に部落差別や朝鮮人差別があるのを知った。自国の差別に鈍感なら、他国の差別も理解できないかもしれない」
 集会後は若い人々と酒を酌みかわしながら、「たくさんの日本人にアパルトヘイトの現実を伝えて下さい」と激励していた。



1989年3月24日 朝刊 3総
◆鈴木則子さん 東京弁護士会第3回人権賞を受賞(ひと)


 ツエに頼る不自由な左脚には、戦争のツメ跡が刻まれている。開拓団難民として逃げ惑う中で銃弾を受けた。「意識を失って倒れていた時、中国人の人買いにつかまりました。3年間、奴隷でした」
 新中国の成立でその人買いが逮捕され、死刑になった時に、被害者としての証言を求められた。「敵であった日本人を差別しない新政府の態度に目を開かれたのです」
 東京・京橋で青物問屋をやっていた父の商売が戦時統制で行き詰まり、一家は開拓団に活路を求めた。内蒙古に近い草原の開拓村で、小学校の補助教員をしていた。
 ソ連軍に追われた逃避行では「足手まといの乳のみ子は殺せ、という命令が出たのです」。目撃者として、生き地獄の体験は消えない。
 鉱山で働いていた孫元貴さん(68)と結婚して数年の放浪生活に終止符。帰国後、清掃会社に勤め、孫さんは自転車置き場の管理人をしている。5人の子供も自立した。
 だが、帰国後の暮らしの中で、祖国で生きることも楽でないことを知った。
 「何とか帰国者の生活自立に役立ちたい」と7年前、三鷹市に相談所を開いてから、「会」は大きく育った。
 日本語教室が都内などに9教室生まれ、昨秋はハルビン市に、日中協力の「日本語訓練センター」を創設した。残留孤児たちのより所だ。
 会員は500人、手弁当で援護活動に走り回る大学生たちも多い。関係する帰国者も300世帯、1200人に達している。「帰国者が安心して生活できるような環境が生まれない限り、死ねないわ」という。
 「人権賞」を祝って、このほど500人の大集会を開いた。「帰国者の人権はまだまだ認められておりません」(坂本竜彦編集委員)
       
 すずき・のりこ 東京生まれ。昭和18年7月、旧制日本橋高女在学中に旧満州興安南省の開拓団に家族と共に入植。同53年に中国から永住帰国し、現在、中国帰国者の会会長。60歳。



1989年3月24日 朝刊 1社
◆山中温泉殺人事件、最高裁で弁論 被告が無実主張 


 石川県・山中温泉で昭和47年、元タクシー運転手が白骨死体で見つかった事件で、殺人、死体遺棄、強盗致死未遂の罪に問われ、1、2審で死刑判決を受けた同県江沼郡山中町東町、蒔絵(まきえ)師、霜上則男被告(43)に対する上告審で、最高裁第1小法廷(大内恒夫裁判長)は23日午後、弁論を開いた。この事件では、「共犯者の自白」が有罪の決め手とされたが、霜上被告は逮捕以来、一貫して無実を主張。全国的に支援の取り組みも活発化している。判決は、早ければ夏にも言い渡される見込み。



1989年3月24日 朝刊 1社
◆三浦被告、法廷でも否認 一美さん銃撃事件初公判 ロス疑惑


 検察側と全面対立 大久保被告も「加担」否定
    
 ロス疑惑の核心である「一美さん銃撃事件」で、妻に1億5000万円余の保険をかけ、殺害したとして、殺人罪などに問われた元輸入雑貨販売業、三浦和義被告(41)と、駐車場経営、大久保美邦邦被告(37)に対する初公判が23日、東京地裁刑事1部(島田仁郎裁判長)で開かれた。三浦被告は起訴事実について「そういう事実は全くありません」と全面的に否認し、大久保被告も殺人計画への加担を強く否定した。検察側は冒頭陳述で、関係者の証言などを基に「三浦被告は会社経営に困り、巨額の保険金をだまし取る目的で、大久保被告と共謀して、夫婦仲が冷えた妻を殺害した」などと説明した。
    
 起訴状によると、三浦被告は前妻の一美さん(当時28)にかけた総額1億5500万円の生命保険金をだましとるため、取引相手の大久保被告と一美さん殺しを共謀。昭和56年11月、米国ロサンゼルス市内に連れ出した一美さんを、待ち伏せていた大久保被告が22口径のライフル銃で撃ち、1年後に死亡させたとされる。三浦被告は殺人罪と詐欺罪、また、大久保被告は殺人罪と別件の銃刀法違反などの罪で起訴された。
 この事件は、犯行現場が海外であり、犯行を直接裏付ける物証を欠くことや、三浦被告らが捜査段階で全面否認したことなどから、状況証拠と証言の積み重ねによる起訴となった。
 この日の冒頭陳述で、検察側は犯行動機として、三浦被告の経営する「フルハムロード」の経営悪化を挙げ、「犯行直前には4600万円もの借り入れ金を抱え、自転車操業を余儀なくされていた」とした。また、夫婦関係についても「三浦被告は結婚直後から複数の女性と交際し、これを知った一美さんが思い悩んで、夫婦関係は冷えていた」と述べた。
 銃撃の共謀に関して検察側は「2人は犯行前日の午後、ロス市内のモテルで会い、一美さんの頭部を撃った後、三浦被告の足を撃って強盗を装うことを謀議した」と説明。この謀議を裏付ける行動として、大久保被告が現場で目撃された車と同型の白いバンを借りていた、と指摘した。
 これに対し、両被告の弁護側は無罪を主張して全面的に争う方針。公判の長期化は避けられない見通しだ。
                                    
      
 ○言葉も交わさぬ“親友”
 銃撃事件から7年以上が過ぎて三浦被告と大久保被告は初めて同じ被告席に座った。かつては商売上のパートナーとして「三浦さん」「大久保君」と親しく呼びあった仲だったが、この日の法廷で両被告は一言も言葉を交わさず、会釈さえしなかった。
 入廷した三浦被告はグレーのジャンパーと同色のズボン姿。昭和60年9月に一美さん殴打事件で警視庁に逮捕されたころに比べ、かなり太ってみえた。
 罪状認否で、三浦被告は「(起訴事実は)全くありません。不当な起訴で非常に腹立たしい」と捜査当局を強く非難。続いて三浦被告の弁護人が「マスコミは(捜査当局による)供述調書の隠匿など三浦被告に有利な事実をあえて無視、捜査機関のリークを無批判に報道した」などとロス疑惑報道を批判した。
 一方、濃い緑のブレザーとズボン姿の大久保被告は、別件の銃刀法、火薬類取締法違反については「深く反省しています」と認めたが、殺人罪については「一切私は関与しておりません。どうか十分に吟味の上、正当な判断を下さることを切望します」と潔白を訴えた。
 52席ある傍聴席はマスコミ関係者らで満員。一美さんの父親佐々木良次さん(57)の姿も見えた。公判後、佐々木さんは「三浦、大久保ともに死刑にしてほしい。特に三浦は過去、現在、将来ともに許す気持ちになりません。長い裁判になるでしょうが、静かに見守っていきたい」と話した。



1989年3月25日 朝刊 5面
◆日本の死刑制度廃止を望む(声・VOICE)


 人権問題と取り組む国際組織、アムネスティ・インタナショナル・スイス支部から、私たちが深く心を痛めている日本の死刑制度について日本政府および日本の皆さんに呼びかけたいと思います。
 日本で死刑判決を受けている人は現在約90人います。昨年死刑が執行されたのは2件、死刑が確定したのは12人(一昨年は7人)でした。私たちは日本政府にこれまで再三、死刑の執行停止と死刑制度の廃止を訴えてきました。1983年にアムネスティ調査団を派遣し、右の勧告を含む覚書を提出しましたが、今もって公式の回答を得ていません。
 1985年に開かれた「犯罪防止と犯罪者の処遇」に関する国連会議の場で、日本代表から「死刑執行はまれであり、しかも誤審を不可能にする厳正な手続き上の保護策を順守している」旨の発言がありました。
 しかし、幸運にも再審によって無罪をかちとった免田栄(1983年)、斎藤幸夫(84年)、谷口繁義(84年)、赤堀政夫(89年)被告らがすべてえん罪であった事実は、過去にも、また今後も死刑制度がはらむ危険性を立証しているといえないでしょうか。
 極悪犯罪は厳罰をもって臨むべきですが、今日において死刑はきわめて残酷な刑罰であるという点にすべての人が同意すべきである、と私たちは考えます。
 この問題に対する日本政府の回答を促し、勧告実現へ向けて国会議員を始め、同じ問題意識を持つ皆さんのご支援を期待しています。
 (M・V・オールメン スイス)



1989年3月25日 朝刊 1社
◆島田正雄氏死去


 島田 正雄氏(しまだ・まさお=弁護士)23日午後9時58分、白血病による急性呼吸不全のため、東京都文京区の日本医科大病院で死去、67歳。葬儀・告別式は28日午前11時半から千葉県船橋市馬込町1102ノ1の馬込斎場で。喪主は妻寿美恵(すみえ)さん。自宅は船橋市八木が谷4ノ14ノ4。
 戦後、メーデー事件や松川事件の弁護に加わり、昭和59年に死刑再審無罪が確定した松山事件では、弁護団長を務めた。



1989年3月26日 朝刊 5面
◆イスラムの世界をもっと理解しよう(声)


 東京都 大埜直輝(神社職員 23歳)
 サルマン・ルシュディ著『悪魔の詩』が論議を呼んでいる。無論、国境を超えての死刑宣告など許されるものではない。
 しかし、言論の自由と称し、何億もの人々が信仰している対象を悪く言うのはよくないのではないか。イスラム世界は、日本や欧米とは全く異なる暦で社会が動き、一夫多妻制で、窃盗罪には手の切断がなされる。しかし、これらを野蛮と見なすのは視野が狭いのではないか。
 「宗教を盾にとり言論の自由をおびやかす」などと私たちは言うが、イスラム側に言わせれば、「言論の自由を盾にとり宗教をおびやかす」となるのではないだろうか。
 自分たちの常識が世界中どこへいっても通用する、などとは思ってはいけないような気がする。イスラム教は、キリスト教とともに世界に広まっている宗教である。だから、きっとすばらしい宗教であるはずだ。私たちは、イスラム世界についてもっと深く知識を得て、理解すべきではないだろうか。



1989年3月28日 夕刊 2社
◆西尾の死刑確定へ 名古屋の保険金殺人


 名古屋市西区の「日建土木会社」を舞台に昭和52年、巨額の保険金を目当てに同社役員1人を殺害し、社長と従業員の計2人を殺そうとした、などとして、殺人、同未遂など5つの罪に問われた岐阜市領下、会社役員、暴力団組長、西尾立昭被告(52)に対する上告審で、最高裁第3小法廷(安岡満彦裁判長)は28日午前、死刑を言い渡した1、2審判決を支持、上告を棄却した。この判決により、西尾被告の死刑が確定する。



1989年3月30日 朝刊 1外
◆モンタゼリ師失脚 イランの後継体制は不透明 政権内部に対立


 【テヘラン支局29日】最高指導者ホメイニ師の後継者とされていたモンタゼリ師(66)の失脚について、29日のイランの朝刊各紙は国営通信のニュースを大見出しで伝えるとともに、事態を平静に受けとめるよう求めたホメイニ師とモンタゼリ師の呼びかけを載せて、後継体制変更という事態を乗り切ろうとしている。しかし、町にはモンタゼリ師の写真や肖像の残っているところがあり、支持者が少なくないことをうかがわせている。今回の措置がホメイニ体制の強化を示すものなのか、あるいはこれをきっかけに内外政策をめぐる路線闘争が激化する可能性があるのか、テヘランの外交筋も測りかねている。
 昨年7月、対イラク戦争の停戦決議を受け入れた直後から、モンタゼリ師の革命政権に対する批判的言動が目立つようになった。反政府活動家の大量検挙に踏み切った革命政権の強硬姿勢に疑問を投げつける一方、言論の自由、貿易業務における市民の活動の自由などを主張した。停戦後も回復しない経済や、規制の多い社会政策に不満を持つ人びとの声を代弁したもので、その言動は徐々に支持者をふやしていた。
 停戦後の苦境を強硬路線で乗り切ろうとするホメイニ師は、国際的には小説「悪魔の詩」の作者に対する「死刑宣告」で「イスラム防衛」の先頭に立つ厳しい姿勢を見せた。国内でも今回モンタゼリ師「解任」に踏み切ることで、批判勢力を一掃しようとしたものとみられる。
 今後の焦点は新たな後継体制づくりに移る。遠からず専門家会議が開かれようが、テヘランの外交筋などは、憲法の規定に従って同会議議長のメシュキニ師や最高級の宗教権威者であるナジャフィ師(在コム)、ゴルパイガニ師(同)、シラジ師(在マシャド)らによる最高指導評議会体制が確立されるか、ホメイニ師が新たな憲法解釈を示してラフサンジャニ国会議長、ハメネイ大統領らによる集団指導体制を確立するか、その両方を組み合わせた指導体制がつくられるかのいずれかと見ている。
 モンタゼリ師が失脚したところで、経済、社会政策をめぐっては依然、政権内部でムサビ首相ら強硬派とハメネイ大統領らの穏健派が対立する構造は残っている。両派の路線対立が、後継体制づくりにからんで表面化してくる可能性も少なくない。