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死刑関連ニュース(1988)


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*以下、作成中のファイルです。


◆犯行名乗る電話/パンナム機惨事
【ロンドン欧州総局二十二日】二十二日、AP通信ロンドン支局に対し、匿名の男性から「パンナム機惨事はわれわれの仕業であり、さる七月の米海軍巡洋艦に よるイラン機撃墜への報復である」との電話があった。AP通信によると、電話の男は「われわれ『イスラム革命の守護隊』は、アメリカに対する英雄的な死刑 執行を行った」と述べたという。
1988/12/23 読売新聞 東京朝刊


◆ 「名張毒ブドウ酒殺人事件」 再審請求棄却の奥西元被告が異議申し立て
「名張毒ブドウ酒事件」の犯人として死刑が確定、今月十五日、名古屋高裁で第五次再審請求を棄却された奥西勝・元被告(62)(名古屋拘置所在監中)の弁 護団(団長・吉田清弁護士)は十九日、棄却決定を不服として、同高裁へ異議申し立てを行った。
 不服理由について、同弁護団は「客観性のない不当な判断が多く、最高裁の白鳥決定(五十年)、財田川決定(五十一年)の意味が全く理解されていない」と している。
1988/12/19 読売新聞 東京夕刊


◆アルメニア人虐殺で被告の1人に死刑判決/ソ連・スムガイト事件
【モスクワ十七日=小島特派員】ソ連最高裁は十七日、二月末、アゼルバイジャン共和国スムガイトで起きたアルメニア人虐殺事件で騒乱罪と殺人罪に問われ た、アフメド・アフメドフ被告に死刑を言い渡した。この事件で極刑を科されるのは初めて。同事件では三十一人が殺害され、アルメニア・アゼルバイジャン両 民族の対立を決定的に高めた。
1988/12/18 読売新聞 東京朝刊


◆ソ連、経済犯の死刑を廃止 企業活動活性化を反映 新刑法草案の大綱を公表
【モスクワ十六日=布施特派員】ソ連最高会議幹部会は十六日、新しい刑法草案の大綱を公表した。大綱では、ゴルバチョフ政権の経済改革に伴う市民の経済活 動の活性化を反映して、経済犯罪に対する死刑の規定が廃止された。この大綱は来年三月十五日まで国民討議に付されたうえ、最高会議で採択を審議する見通 し。
 ◆「集団殺りく罪」は追加◆
 同日付政府機関紙「イズベスチヤ」に発表された大綱によると、新刑法の特徴は〈1〉経済犯に死刑を適用しない〈2〉「国内流刑」(特定の区域への居住指 定)と「国内追放」(特定の区域からの居住締め出し)を廃止する〈3〉新たに「集団殺りく罪」を設定する−−など。
 このうち、死刑の適用に関しては、対象が「国家反逆罪、スパイ行為、テロ行為」などとされており、現行刑法にある「通貨偽造」「通貨流通規則違反(ヤミ 行為)」が除外された。これに伴い従来重罪とされていた「私的企業活動」などに対する罰則も軽減されると見られる。
 また、「国内流刑」は十九世紀ロシア以来の独特の罰則だが、現実には適用されることがまれで、法学者らの間で廃止を求める声が強かった。八〇年一月のア ンドレイ・サハロフ博士に対する「国内流刑」は、刑法でなく最高会議幹部会令という行政命令で行われている。
 大綱はさらに、「民族、人種の平等の権利に対する侵害」を新たに犯罪規定に盛り込んでおり、「集団殺りく罪」とともに、アルメニア、アゼルバイジャン両 民族の衝突、暴動の発生を受けて加えられたものと見られる。
1988/12/17 読売新聞 東京夕刊


◆「毒ブドウ酒事件」請求棄却 再審の流れにブレーキ(解説)
 ◆鑑定に疑問示唆したが確定判決そのまま容認◆
 昭和三十六年、三重県名張市で、農薬により主婦ら女性五人が毒殺された「名張毒ブドウ酒事件」で、死刑が確定した後も無実を訴えている奥西勝・元被告 (62)の第五次再審請求審で、名古屋高裁は十五日、請求を棄却する決定を下した。
                        (中部本社 浮島 勤)
 この事件は物証の極端に少ない事件といわれ、一審(三十九年十二月)の津地裁以来、争われてきたのは、毒を入れたブドウ酒瓶の王冠に残された歯形。この 歯形が奥西元被告のものかどうか。津地裁は「歯形の断定は不可能」として、奥西元被告に無罪を言い渡し、二審(四十四年九月)の名古屋高裁は、検察側が出 した松倉豊治・大阪大教授(当時)の「傷あと、傷幅等を検討しても歯形は一致(奥西元被告のもの)する」との鑑定をより所の一つに、死刑判決を下した。
 第五次の再審請求で、事実調べが始まった五十四年二月以降、弁護団が最も力を入れてきたのは、この松倉鑑定を崩す新たな鑑定。依頼したのは、土生(は ぶ)博義・日大助教授で、同助教授は、平面的に傷を比べる松倉鑑定とは対照的に、歯形を立体的に計測する最新技術「表面粗さ測定器」を使用し、「平面的に は一致するように見える傷も、立体的には異なる」と鑑定した。
 弁護団はこの土生鑑定に大きな期待をかけたが、この日の決定は「(土生鑑定は)奥西元被告の歯形と断定した従来の鑑定の証明力を減殺はしたが、奥西元被 告の歯形であることを否定できていない」と判断。他の証拠も、これまでの証拠をくつがえす「明白性がない」として再審請求を棄却した。
 「疑わしきは罰せず」とする刑事裁判の原則を再審の審理にも適用した「白鳥決定」が出たのは五十年。以後、「財田川」「免田」「松山」と相次いで死刑囚 に再審開始の決定が出された。弁護団はこの“再審の流れ”が、毒ブドウ酒事件にも流れるのでは、と考えていただけに、松倉鑑定の証拠力を減殺しながらの棄 却決定のショックは大きい。
 吉田清弁護団長は「再審の流れを大きく変える不当な判断だ。異議を申し立てて争っていく」と、決定への不満を口にする。
 また、再審事件を研究している大出良知・静岡大助教授は「白鳥決定以後の流れからしても、クロ鑑定の証明力の減殺自体、再審開始に足る合理的理由となる はず。棄却は明らかに矛盾した決定。問題が残る」と指摘する。
 一方、名古屋高検は「再審の流れなどというものはない。あくまで事件ごとに判断されてしかるべきだ」と話す。
 しかし、唯一の物証に真犯人と断定する根拠が薄いことを示唆しながら、大きく揺れ動いた住民らの証言などの状況証拠で、再審請求審も確定判決をそのまま 認める形になったことは、再審開始への流れに少なからずブレーキをかけたといえよう。今回の決定が他の再審請求事件に及ぼす影響は大きい。
1988/12/16 読売新聞 東京朝刊


◆南アフリカ 政治犯を続々減刑・釈放(解説)
 南アフリカで、政治犯の減刑、釈放など“恩情”措置が相次いでいる。七日には反アパルトヘイト(人種隔離政策)闘争のシンボル的人物、ネルソン・マンデ ラ氏(70)も病院から一戸建ての官舎に移送された。(ナイロビ支局 那須省一)
 ◆マンデラ氏移送 制裁回避が狙い◆
 非合法黒人解放組織、アフリカ民族会議(ANC)の元議長で、政府転覆を図ったとして一九六二年以来獄中にあるマンデラ氏が移送されたのは、ケープタウ ンの東約五十キロのワインで知られる町パールにあるビクター・フェスター刑務所敷地内の官舎。官舎といってもテラス、庭園、プール付きの現代的つくりの一 戸建てだ。刑務所当局は今後、マンデラ氏がウィニー・マンデラ夫人ら家族と無制限に面会できる「自由」にも言及した。クチエ司法相は、氏の生命、安全が左 右両派の過激分子のテロから守られる「手厚さ」を強調した。
 この移送のほか、南アではこの三週間、ピーター・ボタ大統領が立て続けに“和平攻勢”に出ている。
 まず、先月二十三日、シャープビル・シックスと呼ばれる黒人死刑囚六人の再審請求が上告審で却下されるやいなや、六人を懲役刑に減刑する大統領令を発表 した。この六人は八四年九月にシャープビルという名のタウンシップ(黒人居住区)で起きた政府協力派のタウンシップ役員殺害事件で逮捕され、殺害の目的で 集まった群衆と「同じ意図」を有していた、という論拠から死刑宣告を受けた。このため英米政権を始め国内外から助命嘆願が寄せられていたもの。
 続いて、二十六日には終身刑を受け服役中だったANCのライバル団体、パンアフリカニスト会議(PAC)のゼパニア・モトペング議長(75)、ANC指 導者の一人、ハリー・グワラ氏(69)の老政治犯二人も「人道上の措置」で無条件釈放された。
 しかし、こうした一連の措置は南ア政府の人権、政治犯に対する考え方が変わったことを意味するものでは決してない。
 確かにマンデラ氏が病院を除き、獄舎での生活から解放されるのはこれが初めてだ。だが、ウィニー夫人や国内外で氏の釈放を訴え続けてきた人々の願いは、 こうした形での“釈放”ではない。南ア国内の反アパルトヘイト活動家は深い失望感を表明。夫人も「マンデラはまだ南ア政府の囚(とら)われの身」と語り、 すべての政治犯が釈放されない限り、氏と無制限に会えるという“特恩”を拒否し続ける考えを明らかにしている。
 それでは政府の狙いはどこにあるのか。
 マンデラ氏に限って言えば、氏の投獄を続け、獄中死される事態は絶対に避けたい。かといって、右派保守党の台頭に脅かされている現状では、国内外の世論 に屈した印象を与える形での氏の釈放も阻止したい。また、氏に何ら規制を課すことなく自由の身とした場合、黒人社会に及ぼす余波も計り知れない。ボタ政権 は「段階的釈放」という形をとり、国内の反応を試す策に出た、と言える。
 また、大局的には、国内外にボタ政権の和平の姿勢を強調したいことが挙げられる。ブッシュ次期米政権が誕生すれば、対南ア・サンクション(制裁)強化論 争が再燃するのは必至。疲弊しつつある国内経済を抱えたボタ政権はなんとしても新たなサンクションだけは回避しなければならない。
 さらに、アパルトヘイト改革路線の行き詰まりを打破したいという思いもある。改革の切り札にしたい、としているのが黒人代表を入れた国家評議会(仮称) の設置だ。マンデラ氏移送には、国家評議会設置工作の一環という側面もうかがわれる。
198812/15 読売新聞 東京朝刊


◆「名張毒ブドウ酒殺人事件」 名古屋高裁で再審の可否決定へ
 三重県名張市で三十六年三月、毒入りブドウ酒を飲んだ女性五人が死亡した「名張毒ブドウ酒事件」の死刑囚、奥西勝・元被告(62)の第五次再審請求審 で、名古屋高裁刑事一部(山本卓裁判長)は、十五日午前九時から再審開始の可否について決定を下す。
1988/12/15 読売新聞 東京朝刊


◆名張毒ブドウ酒事件 名古屋高裁、5度目の再審請求棄却 歯形新鑑定認めず
 昭和三十六年三月、三重県名張市で、農薬混入のブドウ酒を飲んだ女性五人が毒殺された「名張毒ブドウ酒事件」で、死刑確定後も無実を訴え続けている奥西 勝・元被告(62)(名古屋拘置所在監)の第五次再審請求を審理してきた名古屋高裁刑事一部の山本卓裁判長は十五日午前九時すぎ、「新たに出された証拠に は確定判決に疑問を投げる明白性がない」として請求を棄却する決定を下した。物証が乏しく、一審(津地裁)無罪、二審(名古屋高裁)死刑と戦後の裁判史 上、極めて異例の経過をたどった同事件は、死刑確定後四度にわたる再審請求が棄却され、五十二年五月の五度目の請求で初めて事実調べが開始されたが、奥西 元被告の有罪の決め手となったブドウ酒瓶の王冠の歯形について弁護側が提出した新鑑定が「新たな証拠」として認められず、“無実の叫び”は届かなかった。
 決定の中で、山本裁判長は、今回の請求審でも最大の争点となった唯一の物的証拠とされる王冠の歯形について「奥西元被告以外の可能性はあるが、同元被告 の歯によってつけられたとしても矛盾はない」と判断。弁護側が新証拠として提出した土生(はぶ)博義・日大歯学部助教授の「歯形とされる傷の凹凸を立体的 に精査した結果、奥西元被告の歯形と一致しない」とする新たな鑑定について、「その可能性が高いとするだけで、測定方法などにまだ疑問があり、奥西元被告 の歯形の可能性を否定し切れていない」と退けた。
 また、毒混入の機会があったのは、奥西元被告が事件現場の公民館で一人でいた十分間しかあり得ない、とする犯行機会の限定について、弁護側は「(奥西元 被告が)十分間一人でいたことはない」とする主婦の新証言を新たに提出し、「混入の機会は他の関係者にもあった」と主張したが、同裁判長は「新証言が思い 出されるに至った経緯が全く不明で、他の関係者の証言は崩れない」としてこれも退けた。
 さらに、自白調書と関係者の供述の信用性については「捜査当局が誘導した証拠は見当たらない」とし、請求棄却を結論づけた。
 決定に対し、弁護団(吉田清団長)は、同高裁へ異議を申し立てる予定だが、考えられる証拠はすべて出し尽くした感があり、再審への道のりは険しくなった と見られる。
 大出良知・静岡大助教授(刑事訴訟法)の話「死刑・有罪判決を支えている歯形について、この日の決定は証拠としての証明力の減殺を認めている。にもかか わらず、『奥西死刑囚が犯人であると考えて矛盾はない』といった程度の理由で、裁判所は請求を棄却している。歯形以外の証拠が、確たるものとは言い難い状 況証拠である以上、明らかに矛盾がある」
 〈名張毒ブドウ酒事件〉三十六年三月二十八日、名張市葛尾(くずお)の公民館で開かれた生活改善クラブ総会で、女子会員にふるまわれたブドウ酒に農薬が 混入され、奥西元被告の妻、愛人を含む五人が死亡、十二人が農薬中毒にかかった。
 事件から五日後、奥西元被告が「妻、愛人との三角関係を清算するためにやった」と自供、逮捕された。その後、自供を翻し、一貫して犯行を否認し続けた が、津地検は「総会前に一人きりになった午後五時すぎの十分間に、ブドウ酒の王冠を歯でこじ開け、農薬を混入した」と殺人罪などで起訴した。
1988/12/15 読売新聞 東京夕刊


◆金賢姫、来年初めに初公判 年内起訴へ/大韓航空機爆破事件
 【ソウル十日=平野特派員】昨年十一月二十九日に起きた大韓航空(KAL)八五八便爆破事件(乗客、乗員百十五人死亡)を捜査している韓国のソウル地検 公安一部は十日までに、犯人の金賢姫(キム・ヒョンヒ)(26)を国家保安法、航空法、刑法違反の容疑で年内に不拘束起訴する方針を固めた。公安関係者が 明らかにしたもので、これにより初公判は来年初めにも開かれる見通し。
 国家保安法では「反国家団体の指令を受けた者が目的遂行のため殺人を行った時は、死刑、無期、または十年以上の懲役に処す」と規定しており、金が起訴さ れれば極刑となるのは間違いない。しかし、刑確定後、政府が特赦を発表するとの見方が強い。
1988/12/11 読売新聞 東京朝刊


◆ゴルバチョフ・ソ連書記長の国連演説の内容=図付き
 【ニューヨーク支局】七日、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が国連で行った演説の要旨は、次の通り。
 ◆国際対話◆                                 一、現在の状況が要求しているのは、国際問題の正常かつ建設的な発展 を保証するための対話に、インド、中国、日本、ブラジルのような大国やその他の大中小諸国を含む、世界のすべての国、地域を継続的かつ積極的な基礎の上に 参加させることである。
 一、だれもが世界のより大きな統一を目ざす運動に参加すべきだ。
 ◆国連◆
 一、各国は国連に対する態度を、ある程度、見直すべきだと思う。このユニークな機関なしには、世界政治は、今日、考えることもできない。
 最近国連の平和醸成の役割は再び活発化している。そのことは、加盟国が現代の脅威となる様々な挑戦に対処し、また関係を和らげる努力をするのに対して、 国連が支援する能力を持ち合わせていることをあらためて示した。
 一、国連は様々な国の利益を一つにまとめる。国連は加盟各国の二国間、地域、世界的努力を一つの流れにまとめる能力を持つ唯一の組織である。今や国連の 責任分野に入って当然のすべての領域、すなわち政治・軍事、科学、技術、環境、人道の各領域で新しい展望が開けつつある。
 ◆債務問題◆ 
 一、対外債務問題は最も深刻な問題の一つである。植民地主義の時代に、開発途上世界は、無数の損失と犠牲を払って、世界共同体の大きな部分の繁栄をまか なったことを忘れないようにしよう。地球上の物質的前進のために開発途上世界が行った歴史的、悲劇的貢献に伴う損失を償う時がきた。
 われわれはアプローチを国際化することによって出口が示されると確信する。物事を現実的に見れば、累積債務が当初の条件で支払われることなど不可能だと 認めなければならない。
 ソ連は後発開発途上国の債務について、最長百年までの長期間の支払い猶予制度を導入する用意がある。さらにかなりの場合、債務全額を帳消しにするだろ う。
 一、他の開発途上国について、われわれは次の点を考慮すべきだと思う。〈1〉各国の経済成績に応じて公的債務の支払いに限度を設けるか、債務の大部分の 返済について長期間の据え置き期間を与える〈2〉商業銀行に負っている債務の削減に関する国連貿易開発会議(UNCTAD)のアピールを支持する〈3〉第 三世界の負債問題の解決を助けるための市場取り決めを政府レベルで支援するようにする。この支援は、負債を値引いて買い戻す特別の国際機関を設立すること を含む。
 一、ソ連は、国連の主宰の下、債権国、債務国の政府指導者が集まって協議することを含め、債務危機を解決するため、多国間協議で実質的な討論を行うこと を支持する。
 ◆アフガン・PLO◆
 一、国連やペレス・デクエヤル事務総長、さらに彼の代理人たちが、困難な地域問題を解きほぐすため払っている努力を全世界が歓迎している。
 一、ヘミングウェーが彼の有名な小説の題辞として使用した英国の詩人の言葉をもじって、私は次のように言いたい。あらゆる地域紛争の鐘は、われらすべて のために鳴るのだ−−と。
 一、アフガニスタンを特に取り上げよう。
 一、ジュネーブ協定は、その根本的、実践的意義が世界中で称賛されたが、同協定は今年末より前に和解のプロセスを完結させる可能性をもたらしていた。だ が実際にはそうはならなかった。
 私はこの演壇をだれかを非難するために利用したいとは思わない。
 しかし、われわれの考えでは、十一月に採択された総会決議は、国連の権限においていくつかの具体的措置を補足できたはずである。
 一、この決議の言葉によれば、幅広い基盤を持つ政府の問題をアフガニスタン人自身が早急に包括的解決を行うため、以下のことが実行されるべきである。
 −−一九八九年一月一日を期しての完全停戦、及びあらゆる攻撃的な活動、砲撃を停止すること。交渉期間中は、敵対するアフガニスタン人諸集団は、自分た ちが統治する地域を保持することとする。
 −−これに関連し、同日付で、すべての交戦勢力に対する武器供給を全面禁止する。
 −−幅広い基盤を持つ政府を樹立する期間中は、国連総会決議にも記されているように、国連平和維持軍をカブール及び国内の他の戦略地点に送る。
 一、われわれは、国連事務総長に対し、アフガニスタンの中立、非武装化に関する国際会議開催構想の早期実現を促進することも要請する。
 一、われわれは、国連支援の下に、アフガニスタン再建を手助けするボランティアの国際平和部隊創設の提案を支持する。
 一、(アラファト・パレスチナ解放機構=PLO=議長に対し米政府がビザ発給を拒否した事件は)他の地域紛争が、多くの場合、米ソの助けを借りながら、 政治的解決に向かっているという前向きの潮流が明らかになってきた時に起こった。われわれはこの事件を極めて遺憾に思い、PLOへの連帯を表明する。
 ◆ペレストロイカ◆
 我が国は、真の革命的高揚期を迎えている。
 ペレストロイカは、勢いを得て前進している。われわれは、まず、ペレストロイカの理論的概念を明確化することから始めた。われわれは、諸問題の大きさと 本質を評価し、過去の教訓を理解し、それを政治的結論、政治的プログラムの形で表現しなければならなかった。それは終了した。
 われわれは急進的な経済改革に着手した。われわれは経験を積み重ねてきた。来年初めには、国家経済全体が、新しい形態と運営方法へと方向転換されるだろ う。このことはまた、生産関係の根本的再編成と社会主義固有の巨大な潜在能力の解放を意味する。
 ソ連最高会議が最近、憲法改正と選挙法採用に関する決定を下したことに伴い、われわれは政治改革の第一段階を完了した。われわれは、間髪を入れず、中央 と各共和国間の関係改善、ロシア革命から受け継いだレーニン主義的国際主義の原則に基づく民族間関係の調和、そして同時にソビエト権力の地方制度の再編成 を主要任務とする政治改革の第二段階を開始した。
 最も重要なのは、我が偉大な国家のすべての民族と、すべての世代にわたる市民が、ペレストロイカを支持している点だ。
 われわれは、法の支配に基づく社会主義国家の建設に、まい進してきた。一連の新しい法律の制定作業は、すでに完了ずみか完了間近である。その多くは、一 九八九年には発効する予定であり、われわれは、これらの法律が、個人の権利保障という点で最高の水準を満たすものと期待している。
 一、ソ連の民主主義は、しっかりした規範に基づくものとなろう。私がここで言及しているのは、特に、良心に従う自由、グラスノスチ(情報公開)、社会団 体、組織に関する法律のことである。
 一、獄中には政治的または宗教的信条のために有罪とされた人はいない。
 (政治的、宗教的理由による)迫害を禁じる新しい法案には、さらに新たな保障が加えられる。
 一、刑法改正作業が行われ、今は施行を待っている。改正される条項の中には、死刑に関連したものも含まれる。わが国への入国及びわが国からの出国の問題 は、家族と合流するための出国も含め、人道的精神をもって取り扱われている。
 一、ご承知のように、出国拒否の理由の一つは、ある人々が機密の知識を持っていることである。機密に関する規則に今後ははっきりした時効が適用される。 特定の機関や企業に職を求めるものは、だれしもこの規則について教えられる。異論がある場合は、上訴の権利も法に定められている。これによりいわゆる「リ フューズニク(出国拒否されたユダヤ人)」の問題はもう議論の対象にはならなくなる。
 一、われわれは国連及び全欧安保再検討会議(CSCE)の人権監視の取り決めへのソ連の参加を広げていくつもりだ。人権に関する合意の解釈及び履行に関 してハーグの国際司法裁判所が持っている司法権をすべての国家で義務づけるべきであると信じる。
 一、われわれは、ソ連に届くあらゆる外国ラジオ放送の電波妨害をやめることが、ヘルシンキ(最終文書履行の)プロセスの一環であると考えている。
 ◆軍縮◆
 一、軍縮なしでは二十一世紀の問題は一つとして解決できないだろう。
 あす八日で米ソ中距離核戦力(INF)全廃条約は調印一周年を迎える。私は、条約の実施−−ミサイル撤去−−が信頼に基づいた実務的な雰囲気の中で順調 に進んでいるのを特に喜ばしく思っている。
 このようにして一見除去不可能に思えたさい疑心と憎しみの壁に大きな突破口が開けられた。われわれは新たな歴史的現実が出現するのを目撃している。つま り超大軍備の原則から合理的で十分な防衛力という原則への転換である。
 われわれは、新しいタイプの安全保障の誕生に立ち会っている。すなわち、過去においてほとんどいつもそうであったように軍備を増強するのではなく、反対 に、妥協に基づき軍備を削減することによる安全保障である。
 一、ソ連指導部は、この健全なプロセスを推進する用意があることを、言葉だけでなく行動で、あらためて示すことを決めた。
 今日、私はソ連軍の削減を決定したと報告できる。
 今後二年以内に、ソ連兵力は五十万人削減されよう。通常兵器の数もまた相当に削減されよう。これは、ウィーンで行われる会議(通常兵力安定交渉のこと) を決める話し合いと関係なく、一方的に行われるものだ。ワルシャワ条約機構同盟諸国との合意の上で、われわれは一九九一年までに東ドイツ、チェコスロバキ ア、ハンガリーに駐留する六個戦車師団を撤退させ、それらを解体することを決めた。
 攻撃上陸部隊ほか攻撃渡河部隊を含むいくつかの編隊、部隊も、その武器、装備とともに、これらの諸国に駐留中のソ連軍から撤退する。
 これら諸国に駐留するソ連軍のうち兵員五万人、戦車五千台が削減されよう。
 同盟諸国に当面とどまるすべてのソ連師団は、再編される。その構成は現在とは異なるものとなり、戦車の大幅削減以後は明確に防衛的なものとなるだろう。
 同時に、われわれは、ソ連の欧州部(ウラル山脈以西)に配備している兵員の数と兵器の数を削減することになろう。
 わが国のこの地域と欧州の同盟諸国領内のソ連軍は、総計で、戦車一万台、大砲八千五百門、戦闘機八百機が削減されるだろう。
 われわれは今後二年間で、ソ連のアジア地域の兵力も大幅に削減するつもりだ。モンゴル人民共和国との合意により、同国に現在暫定的に駐留中のソ連軍の主 要な部分は帰還することになろう。
 一、この根本的な決断を行うことにより、ソ連指導部は社会主義社会全体の抜本的改革を行ってきたソ連国民の意思を表現しているのである。
 われわれは自国の防衛能力を、どんな国も、ソ連と同盟国の安全への侵害を考えたりしないよう、合理的かつ信頼するに足る水準に維持するだろう。
 これによって、またすべての国際関係の非軍事化を志向した行動を行うことにより、もう一つの緊急の課題に国際社会の関心を喚起したいと思う。それは軍備 の経済から軍縮の経済への移行の問題である。
 軍事生産からの転換は現実的なことだと考えている。
 一、ソ連は次のことをする用意がある。〈1〉経済改革の枠組みの中で、(軍用から民用への)転換を図る計画を策定し、これを公表する〈2〉一九八九年の うちに、実験として二、三の軍事工場を転換する計画を策定する〈3〉軍事産業の専門家に雇用を提供し、その施設、建物、構造を非軍事生産に使用することに ついて、われわれの経験を公表する。
 一、すべての国家が、まず第一に軍事大国が、自国の転換計画を国連に対し提出することが望ましい。転換の問題を全体的に、かつ個々の国家、地域に応じて 徹底的に分析し、国連事務総長に対し報告を行い、その結果、国連総会の場でこの問題の検討が行われるようにするため、科学者グループを設置するのが有益で あろう。
 ◆米ソ関係など◆
 一、ここ二、三年間、米ソ関係の実質と雰囲気が改善されたので、全世界は安どのため息をつくことができた。
 一、米ソ間の相違、重要問題の困難さを過小評価しようと思うものはいない。しかし、われわれは、お互いに理解し合い、双方の、また一般的な利益となる解 決を探すことを学ぶ小学校の段階をすでに卒業した。
 一、将来の二か国間、多国間合意に向けて経験を蓄積しつつあるのは、米ソ両国である。
 一、われわれはこのことを評価する。レーガン大統領及びジョージ・シュルツ氏をはじめとする米政権の人々の貢献を認識し、感謝する。
 一、ジョージ・ブッシュ氏を長とする米次期政権は、われわれが長期の逡巡(しゅんじゅん)や堂々めぐりをすることなく、現実主義、開放性、善意の精神で 対話を続ける用意があり、ソ米関係と世界政治の主要問題に関する話し合いで、具体的成果を達成したいと願うパートナーであるとわかるだろう。
 一、とりわけ私が考えているのは、戦略攻撃兵器半減交渉を、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)条約を維持しつつ、条約締結に向けて着実に前進させることであ り、化学兵器廃止に関する取り決めに関する作業を進める中で、今や一九八九年を決定的な年とする必要条件が存在していること、そして欧州の通常兵器・兵力 削減に関する交渉である。
 一、私はまたもっとも広義の意味での経済、環境、人間の諸問題についても考えている。
 一、中小国はもとより非同盟運動や各大陸にまたがる非核六か国グループを含む多くの国々は、それぞれ重要かつ建設的な役割を果たしている。
 一、われわれにとって喜ばしいのは、ますます多くの政治家、政党、公人、そして特に強調したいのだが、科学者、文化人、大衆運動や種々の宗教団体の代表 者たち、さらにいわゆる民間外交の活動家たちが人類共通の責任を担おうとしていることである。
 一、この点に関し、国連の後援のもとに社会組織の大会を定期的に開催する構想は注目に値すると思う。
 一、確かに軍縮志向は強い勢いを得、その過程はそれ自体の弾みをつけて動いている。しかし、それはまだ不可逆的なものとはなっていない。
 一、確かに、対立をやめ、対話と協力に賛成する意向が強く感じられている。しかし、それが国際関係の実行動の永続的特徴となるにはまだ程遠い。
 一、確かに、核兵器のない、非暴力の世界に向けての運動は、わが地球の政治的、知的認識を根本的に変えることができる。しかしその第一歩は踏み出された に過ぎず、一部の影響力ある勢力の不信や抵抗にさえ直面している。               ◇東西欧州軍事力比較(図 省略)
1988/12/8 読売新聞 東京夕刊


◆上海の日本人旅行者殺しに死刑求刑
 【上海六日=藤野特派員】上海のホテルで今年七月、日本人旅行者の板金業小林康二さん(当時五十九歳、岡山県勝田郡勝北町市場七九〇の九)が殺された事 件の第二回公判が六日、上海市中級人民法院で開かれ、検察側は被告の元京劇俳優、朱文博(43)に死刑を求刑した。
 起訴状によると、朱はさる七月二十九日夜、上海の錦江飯店で知り合ったばかりの小林さんの部屋を訪ね、小林さんを殺して現金二千元(一元約三十五円)と 日本製たばこ一カートンを奪った。しかし、朱は小林さんに日本留学の経済保証人になってもらうのを頼むことなどを目的に、小林さんの部屋を訪れたが、断ら れてもみ合いになったと主張し、故意に殺すつもりはなかったと殺意を否定している。
1988/12/7 読売新聞 東京朝刊


◆イスラエル、乗っ取り犯をソ連に送還
 【エルサレム四日=高木特派員】ソ連南部でバスを襲った後、ソ連機でイスラエルに逃げ、同当局に投降した犯人五人が四日、ソ連に送り返された。対ソ関係 改善をはかるイスラエル政府当局の“政治決着”によって三日夜、わずか二日間のスピード解決をみたものだ。ソ連当局から事前に犯人たちのイスラエル行きに ついて通告を受けたイスラエル当局は、二日夕、厳戒体制の中で同機の受け入れを認め、その直後から外務省の特別チームが駐イスラエル領事部及び駐ソ・イス ラエル領事部と密接な連携を取り、事件処理に当たった。
 エルサレム消息筋によると、ソ連側がイスラエルに、五人に対して死刑判決を下さないと秘密の約束をしたためスピード解決となった。
 イスラエル側は、ソ連との間に犯罪人引き渡し条約がないため、この措置について犯人の身柄引き渡しではなく、あくまで国外追放だとの立場を表明してい る。
1988/12/5 読売新聞 東京朝刊


◆島田事件再審の判決公判は1月31日に 静岡地裁が通知=続報注意
 昭和二十九年、静岡県島田市で、当時六歳の幼女が殺された「島田事件」の死刑囚、赤堀政夫被告(59)(静岡刑務所在監)に対する再審で、静岡地裁刑事 一部(尾崎俊信裁判長)は一日、判決公判を来年一月三十一日午前十時から開くことを静岡地検と被告弁護団に通知した。最高裁で死刑が確定して以来二十七年 ぶりのやり直し裁判は、初公判から約一年三か月でようやく判決が言い渡されることになった。
1988/12/2 読売新聞 東京朝刊


◆栃木の幼児・女高生殺しに死刑判決/宇都宮地裁
 隣近所の幼児と女子高生を殺したとして、殺人、死体遺棄罪に問われた栃木県鹿沼市緑町一の三の六、理容業篠原伸一被告(38)に対する判決公判が、二十 九日午後、宇都宮地裁で開かれ、上田誠治裁判長は「なんの罪もない二人を殺害した責任は重大で、情状酌量の余地はなく、極刑が相当」として、求刑通り死刑 を言い渡した。
1988/11/30 読売新聞 東京朝刊


◆6死刑囚を懲役刑に 南ア大統領が減刑措置
 【ヨハネスブルグ二十四日=那須特派員】南アフリカのピーター・ボタ大統領は二十三日、黒人居住区評議会員殺人事件で死刑判決を受け、二度にわたる再審 請求が却下された女性一人を含む黒人被告六人(シャープビル・シックス)を死刑から懲役刑に減刑した。この六人は直接犯行に及んだ証拠は見つからなかった ものの、「評議会員を殺すために集まった群衆と同じ目的をもっていた」との論拠から死刑を宣告された。このため、内外から強い批判を呼び、英米政権もボタ 大統領に助命嘆願を訴えていた。
1988/11/25 読売新聞 東京朝刊


◆南ア、被告6人の再審請求を再び却下 4年前の黒人居住区暴動
 【ヨハネスブルグ二十三日=那須特派員】南アフリカのブルームフォンテイン上告最高裁は二十三日、四年前の黒人居住区暴動で殺人罪に問われ、死刑宣告を 受けた黒人被告六人の再審請求を再び却下した。この結果、六人の刑執行停止はピーター・ボタ大統領の政治判断ひとつにかかることになった。
1988/11/24

◆三宅 富士郎氏(元東京高等裁判所判事、弁護士)死去
 三宅 富士郎氏(みやけ・ふじろう=元東京高等裁判所判事、弁護士)十七日午後三時三十二分、脳コウソクと肺ガンのため、東京都渋谷区の日赤医療セン ターで死去。八十五歳。告別式は二十一日午後一時から目黒区下目黒一の八の五の大円寺目黒斎場で。自宅は同区中目黒一の一の一七の五〇五。喪主は長男、崇 之(たかゆき)氏。
 昭和二十九年、渋谷区内で発生したカービン銃ギャング事件で、主犯格の元保安隊員(現在の陸上自衛隊員)に対し、一審の死刑判決を破棄、無期懲役を言い 渡したほか、三十三年八月に起きた小松川女高生殺しの控訴審などを担当した。
1988/11/19 読売新聞 東京朝刊


◆反アパルトヘイト活動の4人に国家反逆罪/南アフリカ
 【ナイロビ支局十八日】八四年九月、南アフリカ全土に広がった反政府暴動を扇動したとして国家反逆罪などに問われていた統一民主戦線(UDF)の幹部ら 十九人に対する公判が十八日、南ア最高裁プレトリア支部で行われ、UDFの幹部三人を含む四人に国家反逆罪の適用が確定した。判決言い渡しは十二月五日か ら始まる最終弁論後になるが、南アでは国家反逆罪は死刑となるのが通例。UDFは南ア最大の反アパルトヘイト(人種隔離政策)団体で、被告らのうちUDF の幹部は、三年四か月に及ぶ裁判の間も獄中につながれたままだっただけに、死刑が執行されれば国際社会の強い非難を招くことになろう。
 国家反逆罪が確定したのは、ポポ・モレフェ元UDF全国書記長、テラー・レコタ元UDF主任スポークスマン、モーゼス・チカネ元UDFトランスバール州 支部長と、トーマス・マンタタ牧師。残る被告十五人のうち、七人は国家反逆罪は免れたが、暴動に関与したとして有罪、八人には無罪が確定した。
 裁判の焦点となっている八四年の黒人暴動におけるUDF幹部の役割について、検察当局は非合法黒人解放組織・アフリカ民族会議(ANC)に扇動されて暴 力によって国家転覆を図ろうとしたと主張、一方、被告のUDF幹部らは「平和的な抗議行動を呼びかけただけ」としていた。この点について、裁判官は検察側 の主張をほぼ全面的に認めた。
1988/11/19 読売新聞 東京朝刊


◆光州事件、「全斗煥氏に発砲の責任」 金大中氏が公聴会で証言
 【ソウル十八日=大江特派員】一九八〇年五月に起きた「光州事件」(戒厳軍と光州市民・学生の衝突事件)の真相解明を進めている韓国国会の光州事件特別 委員会は十八日、初の公聴会を開き、当時、内乱陰謀の首謀者として死刑判決(無期懲役減刑後に昨年復権)を受けた金大中・平民党総裁が証言に立った。金総 裁は鎮圧軍に発砲命令を下した最高責任者は当時、国軍保安司令官だった全斗煥・前大統領だとして厳しく非難した。全氏本人の処罰問題については、不正疑惑 問題を含めて真相が徹底解明されれば、刑事処罰は要求しないとの立場を明確にしたが、野党側は証人尋問を通じ全前大統領糾弾の姿勢を強めており、週明けに 予定されている特別声明で、実際に全氏が光州事件に関しどこまで踏み込んだ「謝罪」を表明するかも焦点となってきた。
 光州事件について、金総裁は「一部の政治軍人が政権に就くため、(朴正煕・元大統領暗殺後続いていた)戒厳令を解除せず、民主化を進めなかった」のが原 因と断じたうえ、全斗煥・前大統領、盧泰愚大統領、鄭鎬溶・民正党議員(いずれも陸士十一期)の三人をその中心勢力として名指しした。
 国軍と市民との銃撃戦という悲惨な事態の端緒となった戒厳軍側の「発砲命令問題」で、金総裁は、光州事件の鎮圧にあたった当時の鄭鎬溶・特戦司令官が光 州を離れ、何度か全氏(当時、国軍保安司令官)と会った事実を挙げ、全前大統領が最高責任者だと主張した。こうした経緯を確認するため、全氏、崔圭夏氏の 前・元大統領を証人喚問するよう改めて求めた。
 また、韓国軍の作戦指揮権を持つ在韓米軍との関連で以前から指摘されてきた米国の責任問題について、金総裁は「戒厳軍と光州市民との調整役割を行わず、 傍観の姿勢を示したのは背信行為ではないか」と述べ、間接的責任があるとの見解を示した。
 事件当時、金総裁は反政府デモを扇動し、事件を背後で操ったとして「内乱陰謀罪」などで逮捕、死刑判決を受けたが、この日の公聴会で金総裁は一連の容疑 はすべてデッチ上げられたものだとして、全面的に否定した。また、この日の公聴会では、金総裁に続いて、事件当時戒厳司令官だった李熹性氏が証言に立ち、 鎮圧作戦での発砲は「軍の自衛権の発動」であり、「私は指示していない」と釈明。また、全前大統領が軍内部の実権を掌握した、いわゆる粛軍クーデター(七 九年十二月十二日)について、同日深夜まで野党議員らの追及を受けた。なお、同日の公聴会に出席を求められていた全氏と光州事件当時、大統領だった崔圭夏 氏の二人は出席を拒否した。同公聴会は十九日も開かれる。
 全斗煥政権発足の直接の契機となった光州事件は、政権自身に「解決不能の課題」として常に暗い影を落としてきた。盧政権は政権発足から一か月後の今年三 月末、政府談話を発表し、「公式謝罪」を初めて表明、光州市民ら事件関与者の名誉回復と補償に着手した。今回の特別委公聴会もこうした流れの一環だが、真 相を徹底して究明した場合、一方の当事者だった全前大統領の責任追及は免れない状況にあった。今後さらに調査が進展すれば、全一族の不正疑惑問題とあわ せ、在任七年余に及んだ全政権が「全面否定」される傾向が強まることになろう。
 ◇百字注釈 光州事件 八〇年の全国戒厳令強化や金大中氏拘束などに反発した学生、市民により同年五月、全羅南道光州市で起きた。警察、戒厳軍側が激し く弾圧。十日間にわたり銃撃戦を展開、死亡者百九十三人、負傷者数百人(政府発表、現在調査中)が出た。
1988/11/19 読売新聞 東京朝刊


◆現状肯定の流れ鮮明 米新政権に問われる指導力 読売アメリカ総局長・宝利尚一
 レーガン政権下の八年間、副大統領を務めてきたジョージ・ブッシュ氏が次期米大統領に決まった。アメリカ人は相対的な繁栄、安寧を求め、現状肯定型の候 補を選んだ。それは、レーガン政権への信任をも意味する。
 にもかかわらず、多くのアメリカ人の間には、次期大統領の指導力への懸念、経済の先行きに対する不安が見え隠れする。今年の大統領選への有権者の関心は 「平均以下」といわれてきたが、その背景には、共和党のブッシュ氏も民主党のマイケル・デュカキス氏も、九〇年代のアメリカが抱えるさまざまな重要問題に 気づいていながら、ともに有権者を納得させるだけの明確な処方せんを書き切れなかったことがある。
 次期大統領に決まったブッシュ氏も敗れたデュカキス氏も、出自は異なるものの、いずれも米社会のエリート層に属している。どちらもそれなりの実務能力を 持っている。デュカキス陣営は、選挙キャンペーンのミスに加え、ブッシュ陣営の執ようなネガティブ・キャンペーン(中傷作戦)に敗れたと主張するが、両者 の差異は、単なる選挙戦術の差以上に大きい。その差は、共和党がアメリカ社会の価値観の変化を正確に把握していたのに対し、民主党が伝統的な政治ビジョン に固執していたためといえる。
 「中流クラスのアメリカ人は、リベラリズムに忠実でない。彼らは反個人主義的な傾向に反対し、集団行動、集団的な解決等に反対するからだ。彼らは、自ら の繁栄が維持されているかぎり、福祉国家を支持する」
 アメリカ社会学会のハーバート・ガンズ会長はこう語る。ガンズ会長のこの見解は過去二十年間、五回の大統領選で、共和党大統領候補が平均して、民主党候 補の得票率を上回っている事実とも符合する。また、一九三〇年代後半から世論調査を続けているギャラップ世論調査によると、アメリカ人はいつの時代にもリ ベラルより保守を好むという結果が出ている。
 建国以来二百年余りの歴史の中で、アメリカ政治の価値観はリベラルな民主主義と自由を擁護することだった。だが、アメリカ社会の価値観は「アメリカの 夢」を実現するための個人の自由、政府からの自由を守ることであり、社会現象に対してより保守的になる。多くのアメリカ人は、デュカキス氏の主張するホー ムレス対策や大学生へのローン供与よりも、家庭と国家への忠誠を守り、増大する犯罪、麻薬事件の克服を支持し、死刑制度に賛成する。彼らは少数民族、労働 者階層、知識人など、さまざまな利害グループを支持する候補より、階層意識の低い「中流アメリカ人」の繁栄を守る候補に共感を示すことになる。そこでは、 リベラリズムが犯罪などの社会現象に「寛大」と映り、手ぬるいとみられがちになる。
 デュカキス陣営は、ベトナム戦争の影が常につきまとっていたリベラルな六〇年代と、中間階層と労働者階層の経済的対立が薄まっている「繁栄」の八〇年代 の差異を正しく認識できなかったといえるかも知れない。また、今回の選挙は、八〇年代の二期八年のレーガン政権の保守回帰が決して一過性のものではなく、 アメリカ社会に定着する社会現象であることを改めて示したといえるだろう。アメリカ社会のこうした「保守の基調」に対し、民主党はかつてのニューディール 政策や「偉大な社会」を超える魅力的な政策を掲げることができなかった。
 もちろん、アメリカ人が平衡感覚を失ったわけではない。有権者は、保守主義の特徴的な兆候である孤立主義にくみしないし、民主党支配の議会と共和党のホ ワイトハウスという「二つの政府」を支持し、チェック・アンド・バランスを好む。民主党は一九五五年以来下院を支配し、過去三十六年間のうち二十八年間上 院を支配している。
 今回の大統領選挙は争点のない中傷合戦に終始した選挙といわれたが、こうした批判は常にいわれてきたことだ。
 今、アメリカの大統領に求められているものは、政治、経済、外交上の自助努力と、激しく変質する世界情勢への対応、役割を根本的に再検討することだろ う。また、利害グループのアマルガム(混合物)以上の複雑さを示し、コンセンサスのとりにくいアメリカ社会に新たな価値観を模索することだろう。ブッシュ 氏は「アメリカの本流の価値観を持つ」と自負するが、レーガン氏ほどのタフさを保持できるかどうか。「本物のブッシュは古いブッシュではない」と強調する 「新しいブッシュ」が来年一月以降、真の指導力を発揮できるかどうか−−。アメリカ人だけでなく世界が注視している。
1988/11/9 読売新聞 東京夕刊


◆米大統領にブッシュ氏 “守り”に入ったアメリカ 「政治、経済」試練受け
 【ワシントン八日=斎藤特派員】七六年、八〇年そして今年と、記者は三回の米大統領選の取材を体験した。米国民は七六年選挙では、ほとんど無名に近かっ たジミー・カーター民主党候補を大統領に選び、八〇年には、共和党にクラ替えし、当時六十九歳と高齢のロナルド・レーガン氏をホワイトハウスに送り込ん だ。そして今回の八八年選挙−−。
 ◆星条旗の下に国民結束◆
 民主、共和両党の党勢は、その時の政治状況、国民のムード、経済に大きく左右され、ホワイトハウスの主も変わってきた。だが、アメリカという国全体の動 きを見た場合、七〇年代から一貫してひとつの方向に固まってきた、という印象を禁じ得ない。
 それは、まだ建国三世紀への途中にある進取のアメリカが、すでに「守り」の時代にはいった、ということである。
 七六年大統領選挙。ベトナム戦争とウォーターゲート事件で政治不信が高まり、「清新さ」を売り物にカーター候補を擁した民主党が八年ぶりに政権の座に返 り咲いた。
 だが、それまでニクソン(二期)、フォード(一期)と続いた共和党政権当時の政治の流れと比べて、大きく変わったわけではない。人口五百人の南部田舎町 のピーナツ農場主を、あれよあれよという間に新大統領に押し上げた「カーター現象」は、実は、リベラル対保守、タカ派対ハト派といった従来の政治見取り図 を超え、穏健派のハンフリー上院議員、超保守派のウォーレス・アラバマ州知事まで巻き込んだ、ルーズベルト以来の「民主党大連合」に支えられたものだっ た。
 その証拠に、カーター大統領は、就任後、国防費削減を提唱する一方で「国防力増強」を説き、MX新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)、巡航ミサイル、ト ライデント新型原潜など戦略核近代化を進めた。内政では、今年の大統領選でも争点のひとつだった「中絶」問題について、はっきり反対姿勢を打ち出した。公 立学校での人種融合を促進するための「黒白強制バス通学」にも、くみしなかった。
 共和党から民主党に政権が移ったのは、米国民がリベラル志向になったからではなく、共和党は党大会でも、最後までフォード、レーガン両候補の対立と亀裂 が深刻化し、「挙党一致」の民主党の善戦と、ウォーターゲート事件の影響があったからにほかならない。
 八〇年選挙。その前年には、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、テヘランの米大使館員たちがイラン過激派集団の人質にとられた。「試練」と受け止めた国民の 愛国心は、ますます高まり、ニューヨークの民主党全国大会会場では、持ち込まれる星条旗の数が、めっきり増え、「軍事力を背景とした強いアメリカ」が政策 綱領として採択された。
 共和党は、デトロイトの全国大会で「力による平和」のより鮮明な保守路線を打ち出し、内政でも、それまで四十年間にわたった「ERA(男女平等への憲法 支持)」支持をとりやめた。
 ここでも、両党候補にとって勝敗のキメ手になったのは「保守かリベラルか」の選択ではなく、国民全体の保守化ムードの中で、時局の展開と「挙党体制」づ くりができているかどうかだった。
 結局、十一月四日、たまたまイラン人質事件発生一周年にぶつかった投票日までに、米大使館員たちがいぜん解放されなかったことが、米国民のカーター政権 不信を高じさせ、一方では党大会最終日まで尾を引いたエドワード・ケネディ候補との党内指名争いがシコリとなり、レーガン候補の下に結束した共和党に政権 を明け渡している。
 今日でも、専門家たちは、もし投票日前に米人人質が解放されていたら、カーター氏が再選されていたとの見方で一致している。それだけ外部からの挑戦を受 けて米国民は、星条旗の下に身を固め始めていたことになる。
 そしてレーガン再選(八四年)に続く八八年選挙。今回ほど「星条旗への忠誠」をめぐる愛国心論争が、選挙戦の前面に躍り出た大統領選挙も珍しい。ブッ シュ共和党候補は、デュカキス民主党候補がマサチューセッツ州知事として、かつて学校での「星条旗への忠誠」式強制実施に拒否権を行使したことを攻撃材料 に使い、支持を集めた。選挙戦後半には、これを無視するだけだったデュカキス氏も、各遊説先の会場に星条旗をあふれるほど飾りつけ「忠誠」を誇示したほど である。
 これは、何を意味するのか。
 今、ソ連の軍事的脅威が増大しているわけではない。米国民は、イラン人質事件のような国際事件に振り回されてもいない。だが、代わって、アメリカの経済 競争力低下、空前の財政赤字、日欧諸国による対米投資、企業買収が「脅威」として叫ばれている。
 「平和と繁栄」を売り物にしてきたブッシュ氏が次期大統領に選出されたことは、アメリカが、変化やリスクを求めず、確実に「守り」の時代にはいったこと を意味するものと言えよう。
 ◆ブッシュ政権の政策◆
【外交】「強いアメリカ」を理念に、米国の指導的立場を維持。力、現実主義、対話を三本柱とする。
【対ソ】ゴルバチョフ政権との対話は続けるが、力の立場に立つ外交を維持。人権問題を重視。ソ連の国内改革は見守るが、幻想は抱かない。早期に首脳会談を 実現。
【対日】日本は一層大きな国際的役割を担うべきであり、防衛面でも分担増を求める。日米関係はすべての貿易障壁の撤去によって一層強化される。市場開放を 求めるとともに、日本からの投資は米国の雇用拡大をもたらすので歓迎。
【国防】戦略防衛構想(SDI)は、技術的に可能なものから配備する。一方的な核凍結には反対であり、戦略核、通常戦力、化学兵器の近代化を図る。今後も 国防予算を増額する。
【経済・通商】レーガン政権の行った経済政策を継承し、向こう8年間に3000万人の雇用を創出。自由な企業活動、市場と「小さな政府」が基本。自由貿易 を堅持。保護主義は米国の繁栄も損ねる。自由貿易圏構想を推進。
【財政】増税は行わない。予算項目別拒否権の立法化や弾力的支出凍結などで、93年までに財政均衡を実現。
【社会】死刑制度支持。人工妊娠中絶に反対。
1988/11/9 読売新聞 東京夕刊


◆工場長殺しに死刑判決 仕事さぼる工員、処分命令を逆うらみ/中国
 【北京四日=高井特派員】四日の「人民日報」によると、湖北省武漢市で、工場長の処分命令を逆うらみし、工場長を殺害した工員に、このほど死刑が言い渡 された。経営の合理化を目指す中国では、工場長の職場管理の強化が求められているが、その反面、管理強化に乗り出した工場長が殺害されたり、いやがらせを 受ける事件が各地で発生しており、厳しい判決は管理の強化を支持したものといえよう。
 死刑判決を受けたのは武漢市第四冷凍工場の工員、張志発。張は長期間にわたって仕事をさぼり、仲間の工員らに暴力を振るったりしたため、先月二十一日、 潘茂華工場長から工場からの除籍と一年間の観察処分を受けた。だが、張は反省するどころか、三十一日朝、ナイフを持って工場長の事務室に乱入し、潘工場長 の背中や胸など四か所を刺し、潘工場長は出血多量で死亡した。
 潘工場長は今年四十八歳で、上級の公司から昨年移籍し、工場長に就任して以来一年間で、赤字の工場を黒字に変えた有能な経営者だったという。そのせいか 一審の判決は、事件発生からわずか三日目というスピード判決だった。工場長殺害事件は、報道されただけでも、さる七月遼寧省瀋陽市、九月に江西省南昌市で 発生。瀋陽市の事件でも死刑判決が言い渡されている。
1988/11/5 読売新聞 東京朝刊


◆米大統領選 ワシントンポスト紙は「棄権」 公式の立場を論説欄で表明
 【ワシントン一日=水島特派員】二日付のワシントン・ポスト紙は、八日に投票が行われる米大統領選でジョージ・ブッシュ副大統領(共和党)、マイケル・ デュカキス・マサチューセッツ州知事(民主党)のいずれの候補をも支持しないとの同紙の公式の立場を論説欄で表明し、「今回は棄権する」と宣言した。
 論説は、まず「ブッシュ氏の選挙運動がデマゴギーに満ち、ナンセンスであり、争点をゆがめた」と批判。そして「財政赤字問題や、妊娠中絶、死刑廃止問題 などでは、デュカキス氏を支持する」としながらも、デュカキス氏の大統領としての素質に疑問を投げかけ、「デュカキス氏の防衛問題などについての考え方は 学者的に過ぎて危険だ」と判断、双方の候補が大きな欠点を持っているとして、支持を見送ったと述べている。
 米国の選挙では、新聞が特定候補の支持を表明するのが習慣で、今回もデュカキス氏に対しては、ニューヨーク・タイムズ、フィラデルフィア・インクワイア ラー紙などが支持し、一方、ブッシュ氏への支持は、マイアミ・ヘラルド、デンバー・ポスト紙などが表明している。
1988/11/3 読売新聞 東京朝刊


◆スターリン粛清の犠牲者、新たに10人が復権
 【モスクワ一日=布施特派員】タス通信によると、スターリン粛清犠牲者の復権問題を検討しているソ連党政治局委員会は一日定例会議を開き、一九三七年の 裁判で死刑となったロシア革命指導者、シュリャープニコフ(元労働人民委員=労相)ら十人の名誉回復を新たに決定した。
 シュリャープニコフは二月革命期に中心的役割を果たした労働者出身の指導者で、革命後、党中央委員候補(現在の政治局員級)、労相を務めたが、「労働者 反対派」を結成して党中央と対立、三七年の「モスクワ反革命組織事件」で銃殺刑を言い渡された。
 同委員会は十人について、法的復権のほかに党籍回復問題も検討され、近く結果が公表されるとしている。
 同委員会では、今年八月までに六百三十六人の法的復権を決めていた。
1988/11/2 読売新聞 東京夕刊


◆[重要日誌]10月23日(日)→10月29日(土)
[皇室]
 天皇陛下の下血は少量で輸血を見合わせる(23・24日)多量(相当量)の下血で緊急輸血と夜の二回計八百cc輸血(25日)落ち着いた状態を取り戻さ れ、二百ccの輸血(26日)下血と輸血はない(27日)下血で三回計六百ccを輸血(28日)夜、九月十九日以来最高の下血があり緊急輸血(29日)
[政治]
 富山知事に中沖氏 富山県知事選投票が行われ、即日開票の結果、現職の中沖豊氏(61)(自民)が三選(23日)
 野党にもリクルートコスモス株譲渡 トンネル会社から政界への流れが判明(25日)田中慶秋代議士(民社)が五千株入手を認め陳謝(26日)
 蔵相、名義貸しで再答弁 株取引について宮沢蔵相は衆院税制特別委員会(金丸信委員長)で服部恒雄・前蔵相秘書官が名義貸しを承諾、私の監督不行き届 き、と重ねて陳謝した(27日)
 内閣支持率は44%にダウン 読売新聞社の全国世論調査では、竹下内閣支持率は44・0%で前回九月調査に比べて6・6%下降した(27日付)
 税制公聴会 自民が強行決定 衆院税制特別委員会は消費税導入の公聴会を十一月四日に開くことを全野党反対の中で自民党だけの賛成多数で強行採決し決定 (27日)
 前政権の官房長官、副長官秘書も 中曽根内閣の官房長官をつとめた藤波孝生代議士(自民)の徳田英治秘書が一万二千株、副長官だった渡辺秀央代議士 (同)の小杉徹四秘書が一万株のコスモス株を取得していた、と両代議士が認める(29日)
[経済]
 イラン石化調査団が帰国 イラン・イラク戦争の被害状況を探ったイラン・ジャパン石油化学(IJPC)現場調査団が帰国し「爆撃の被害は甚大で事業再開 は困難」と強調した(24日)
 年金支給は段階的に65歳から 厚生年金などの年金支給開始年齢を現行の六十歳から六十五歳へ早期移行するなど明記した福祉ビジョンを政府が衆院税制特 別委員会に提示(25日)
 円高で日銀が介入 米商務省発表の米国民総生産(八八年七―九月、速報値)の伸びは実質二・二%(26日)と米国の干ばつで成長率が低下し、欧米の外国 為替市場は四か月半ぶりに一ドル=一二五円台の円高(同日)東京市場も一時一二五円台になり、日銀は六か月ぶりに円売り・ドル買いの市場介入を実施(27 日)
[社会]
 「氷室」の木簡初めて発見 奈良時代の左大臣、長屋王の平城京にあった邸宅跡から天然氷を貯蔵した「氷室」(ひむろ)の記録が墨書された木簡が見つかり 公開(25日)
 元警官・広田被告に死刑判決 警官殺しなど五十九年九月の連続強盗殺人事件(警察庁指定一一五号)の元京都府警西陣署巡査部長、広田雅晴被告(45)に 大阪地裁の青木暢茂裁判長が求刑通りの死刑。同被告は控訴(25日)
 西武が三連覇 プロ野球日本シリーズ第五戦で西武ライオンズが7対6で中日を振り切って、4勝1敗となり三年連続五度目の優勝を飾った(27日)
 文化勲章受章者と文化功労者決まる 考古学の末永雅雄さん(91)ら五氏が今年度の文化勲章受章者、小説の遠藤周作さん(65)ら十三氏が文化功労者に 決定し発表された(28日)
 「なだしお」衝突事故の補償交渉 「第一富士丸」の死亡した乗客二十八人の補償額は防衛庁が約二十一億円と算定し遺族に提示(28日)
 【物故】玉の海梅吉さん。75歳(23日)
[国際]
 OPECの生産協定は先送り 価格動向監視、長期戦略両委員会のマドリード合同会議は参加八か国の調整が不調に終わり、イラクの復帰を含めた生産協定作 りは先送りにされた(22日)
 独ソ首脳会談 コール西独首相と閣僚、政財界代表百十人が訪ソ、ゴルバチョフ・ソ連党書記長らと会談。三十億マルク(約二千二百五十億円)の対ソ借款、 独ソ共同事業など三十件の契約書に調印(24日)来年ゴルバチョフ訪独を再確認し環境保護など政府間の六協定に調印した(25日)
  コメ提訴は条件付き却下 日本にコメ市場の開放を迫るため米政府に通商法発動を求めていた全米精米業者協会の提訴を米通商代表部が却下。ヤイター代表 =似顔=は十二月のガット多角的貿易交渉で日本が市場開放の公約を示さなければ提訴を受理する、との条件付きを説明(28日)
 英国で日本人少女が心臓移植 ロンドンのヘアフィールド病院で四日、M・ヤクーブ博士が執刀、同地在住の六歳の日本人少女がドミノ方式で心臓移植を受 け、退院後も順調と判明(29日)
[今週の予定]
 31日(月)
日米欧三極特許庁首脳会合▽イラン・イラク停戦交渉再開(ジュネーブ)▽貝塚・女性殺人再審初公判(大阪地裁堺支部)
 1日(火)イスラエル総選挙
 2日(水)織田が浜埋め立て差し止め訴訟判決(松山地裁)
 3日(木)アルジェリア国民投票▽秋の叙勲▽第31回東日本縦断駅伝ゴール
 4日(金)共通一次試験出願締め切り(当日消印有効)
 5日(土)’88日米野球開幕
 6日(日)ニューカレドニア問題をめぐる仏国民投票
1988/10/31 読売新聞 東京朝刊


◆福島大学に「松川事件資料室」 元被告の手紙など5万点 あす31日開設
 昭和二十四年、東北本線で列車が転覆、三十三人が死傷し、下山、三鷹事件とともに戦後の三大公安事件に数えられている松川事件の関係資料を集めた「松川 資料室」が三十一日、事件発生四十周年を来年に控えて福島市松川町の福島大学(山田舜学長)内に開設される。資料は約五万点に及び、中には元被告らが獄中 で書いた手記や日記、家族や支援者らとやり取りした手紙など貴重な未公開資料が多く、注目を集めそうだ。
 松川事件は、昭和二十四年八月十七日に東北本線松川駅付近で起きた国鉄列車転覆事件。犯人として国鉄労組員二十人が逮捕され、一、二審で死刑を含む有罪 判決が下されたが、三十八年九月、最高裁判決で全員無罪が確定した。 一般の利用は無料だが、当面、木曜日のみに限られる。連絡は福島大学東北経済研究所 (電〇二四五・四八・五一五一)へ。
1988/10/30 読売新聞 東京朝刊


◆東京・大田区の伯父一家殺し、上告取り下げで死刑が確定/最高裁
 五十八年一月、東京都大田区東雪谷で、伯父の元昭和石油取締役、新津専吉さん(当時七十六歳)一家三人を殺害、強盗殺人罪に問われ、一、二審で死刑判決 を受けた元保険代理業、今井義人被告(47)が、上告を取り下げていたことが二十八日、わかった。同被告は死刑が確定した。
 死刑事件の取り下げは、このところ相次いでおり、最高裁係属中の事件としては、二件目となった。
1988/10/28 読売新聞 東京夕刊


◆「死刑囚に面会させないのは不当」 養親夫妻が国を訴える/東京地裁
 殺人罪で死刑が確定した元被告と、その養親となった夫婦が「東京拘置所長の面会禁止措置で精神的苦痛を受けた」として二十六日、国を相手取り二百万円の 慰謝料の支払いを求める国家賠償訴訟を東京地裁に起こした。
 訴えたのは、東京拘置所在監中の安島(旧姓小山)幸雄・元被告(38)と、安島元被告と養子縁組をした東京都武蔵村山市緑が丘、配管工安島敏市さん (43)夫婦。
 安島さん夫婦は、裁判中から同元被告の支援を続けていたが、死刑が確定すると親族以外は面会できなくなるため、確定直前に同元被告を養子にする縁組をし た。しかし、東京拘置所長は最高裁で死刑が確定した直後の六十年五月二十七日、同元被告の外部交通(面接、文通、差し入れなど)をすべて禁止するとの決定 を下し、以後、安島さん夫婦の面会も許可していないという。拘置所側の禁止措置について、原告代理人の黒田純吉弁護士は、「安島元被告が、拘置所内で待遇 改善を主張していることが一因ではないか。今後再審請求も考えており、養親との面会はぜひ必要だ」としている。これに対し、江頭利彦・同拘置所総務部長は 「死刑確定者の外部交通は、監獄法令に基づいて行っており、安島元被告の場合も同じだ」と話している。
1988/10/27 読売新聞 東京朝刊


◆死刑判決を不服とし連続強盗殺人の元警官「広田」が控訴
 連続強盗殺人事件で二十五日、大阪地裁から死刑判決を言い渡された元京都府警西陣署外勤課巡査部長、広田雅晴被告(45)と弁護団は同日午後、判決を不 服として大阪高裁へ控訴した。
1988/10/26 読売新聞 東京朝刊


◆[よみうり寸評]物証のない元警官の連続殺人に死刑判決
 物証のない、あるいは薄い事件を手がける捜査官の苦労は、並大抵ではない。きのう、大阪地裁で死刑判決のあった元警官のけん銃強奪・連続殺人事件は、そ の壁を乗り越えたケースになった◆被告の元京都府警巡査部長、広田雅晴被告は捜査段階では自供したものの、公判では一貫して全面否認だった。広田は無罪判 決を予想してみせたというが、どっこい、そうは問屋がおろさなかった◆広田の強気は、犯行に使われた包丁とピストルが発見されていなかったからだろう。だ が、決め手の凶器を欠きながらも、丹念に間接証拠を積み重ねた結果が有罪につながった◆京都と大阪の事件の弾丸の線条痕の鑑定でまず二つの事件が連続犯行 とされた。さらには数々の目撃証言、現場周辺での指紋検出、広田が買ったのと同一の包丁と被害者の傷との一致。これら一連の事実で、判決は広田が犯人であ る心証十分とした◆広田の控訴で裁判はなお上級審へと続く。だが、この判決、少なくとも一般論として、凶器などの証拠さえ残さなければ、無罪だなどと考え る浅はかな犯罪者にはいい戒めだ。天知る、地知る、人知る◆凶器はおろか、死体なき殺人事件で有罪判決の例もある。
1988/10/26 読売新聞 東京夕刊


◆大阪の連続殺人事件 死刑…裁判長にらむ元警官・広田 無念と怒り新たな遺族
 「被告人を死刑に処す」。判決が言い渡された瞬間、法廷は静まり返り、元警官、広田雅晴被告(45)は身じろぎひとつせず、青木暢茂裁判長をにらみつけ た。二十五日午前、京都、大阪での連続強盗殺人事件(警察庁指定一一五号)が裁かれた大阪地裁の二〇一号法廷。自らの強弁をことごとく突き崩された広田 は、動揺を押し隠して表情をまったく変えず、判決に聞き入った。夫や息子を奪われた傍聴席の被害者の遺族らは、被告への恨みと、改めてこみあげる無念さ、 怒りが交錯、やりきれない思いに唇をかみしめていた。
 広田被告は午前十時十分、刑務官に付き添われ、両手錠、腰縄をされて入廷した。ブルージーンズの上下。肩までのばした長い髪。どす黒い顔色。左手で軽く 髪をかき上げて被告席に立ち、裁判長に視線を送って頭を下げた。死刑判決の場合、主文は判決文の最後になることが多いが、この日は冒頭に読み上げられた。 極刑の宣告を受けても平然とあごをやや上げて裁判長を見すえたままだった。
 「夫を殺した男の最後を見届けたい」。広田被告に射殺された鈴木隆さんの妻、直子さん(31)は、そんな思いで法廷にやってきた。そして死刑の判決を聞 き、改めて憎しみが増した感じがした。
 直子さんは現在、大阪府泉佐野市内の市営住宅で、母親(60)と小学二年の長女(7つ)の三人でひっそりと暮らしている。事件当時、泉南市内の紡績会社 に勤めていたが、体調を悪くして昨年二月に退職。多くはない貯金と母の年金が頼りの生活という。
 これまで法廷に出向いたのは、一、二回目の公判と今年七月、証人として出廷したとき。広田被告のふてぶてしさに憎しみがつのり、足が遠のいた。だが、判 決が近づくにつれ、やはり心が揺れ動いた。
 自宅の部屋には、鈴木さんの遺影が掲げられている。わずか三歳で父を奪われた長女が時折、思い出したように遺影を見つめるたびに、直子さんは涙ぐむ。 「お父さんに会いたいとせがまれるのが一番つらいんです」
1988/10/25 読売新聞 東京夕刊


◆連続殺人の元警官・広田に死刑判決 全面否認のまま/大阪地裁
 ◆目撃証言、信用できる◆
 五十九年九月に連続発生した京都・船岡山公園の警官殺害・ピストル強奪と大阪・京橋のサラ金強盗殺人の両事件(警察庁指定一一五号)で、強盗殺人罪など に問われた元京都府警西陣署外勤課巡査部長、広田雅晴被告(45)に対する判決公判が二十五日午前十時過ぎから大阪地裁刑事一部で開かれた。広田被告は公 判で全面否認し、凶器のピストルも未発見のままだが、青木暢茂裁判長は、多数の目撃証言や現場周辺の遺留指紋、ピストルの同一性を示す弾丸鑑定などをもと に「計画的で冷酷残虐な犯行であり動機などにしん酌すべき余地は全くない。改悛(かいしゅん)の情が見られず、遺族の被害感情も厳しいこと、社会的影響の 大きさを考えると、罪責は重大」とし、求刑通り死刑を言い渡した。(関連記事社会面に)
 判決によると、広田被告は、西陣署勤務時代の五十三年に起こした郵便局強盗事件で懲役七年の判決を受け服役、五十九年八月三十日、仮出所したが、警官を 殺してピストルを入手しようと計画。同年九月四日午後零時五十分ごろ、京都市北区紫野北舟岡町の船岡山公園頂上付近で、パトロール中の西陣署十二坊派出所 勤務、鹿野人詩巡査(当時三十歳、殉職後警部補)を襲い、包丁(刃渡り十六・九センチ)で顔、胸、腹などをメッタ突きにし、ピストル(ニューナンブ式三八 口径、実弾五発入り)を強奪し、背中に一発発射して即死させた(京都事件)。
 さらに、このピストルを持って、三時間後の同四時ごろ、大阪市都島区東野田町二、永井ビル二階、サラ金「ローンズタカラ京橋支店」に押し入り、「金を出 せ」と脅し、従業員の鈴木隆さん(当時二十三歳)の胸にピストル一発を命中させ殺害、六十万円を奪って逃走した(大阪事件)。
 青木裁判長は自白の任意性を認め、京都事件で、現場から返り血をつけて犯行直後に立ち去った男について「十一人もの目撃者が証言する男の顔、頭髪、年 齢、体格などの特徴が被告と一致し、その人物が逃走途中に立ち寄った映画館に残された指紋が被告のものと一致することからも、男と被告との同一性に疑いは ない」と認定。さらに、被告が犯行前日に購入した包丁が京都事件の警官襲撃の凶器と同じ形状であったことなどを指摘した。
 また大阪事件でもサラ金の女子店員の証言について「その信用性は高い」とした。
 両事件の被害者の体内から検出された弾丸の線条痕鑑定をもとに、弾丸は「同一ピストルから発射された」とし、「証拠上、被告のいう共犯の存在がうかがえ ないことを考えると、犯人は同一犯」と認定。「自白以外の証拠による間接事実だけでも、犯人が被告であることに高度の心証が形成でき、自白もその任意性を 担保している」とし、被告を両事件の犯人と断定した。
 検察側は両事件の弾丸の線条痕鑑定から同一犯の連続犯行としたうえ、〈1〉京都事件の直後、返り血を浴びて船岡山公園から立ち去る広田被告を見たという 市民の目撃証言〈2〉大阪事件の現場に居合わせた女性従業員の目撃証言〈3〉両事件の犯行前後に犯人が立ち寄った京都市内の映画館、大阪・京都の飲食店な どから検出した広田被告の指掌紋〈4〉被告が購入したのと同種の包丁と鹿野巡査の傷の形の一致を示す鑑定〈5〉自供の核心部分は真実であり、信用性があ る、などを挙げ「連続犯行の証明は十分で、平然と他人の生命を犠牲にした冷酷、残虐さは殺人鬼同然」と死刑を求刑した。
 これに対し弁護側は「目撃証言はあいまいで、被告を犯人と断定するのは疑問。唯一の直接証拠である捜査段階の自供も拷問によるもので、証拠価値はない」 と無罪を主張していた。
 広田被告は、事件翌日の五十九年九月五日逮捕され、京都府警、京都地検の取り調べには「一緒にいた覚せい剤の取引仲間が鹿野巡査を殺害した」などと犯行 を否認。同二十七日、大阪府警に再逮捕されて自白、同十月十九日、大阪地検から、京都、大阪両事件の強盗殺人、銃刀法、火薬類取締法違反の罪で起訴され た。しかし、公判では捜査段階の自供をひるがえし全面否認。鹿野巡査が奪われたピストルと、凶器の包丁は発見されていない。
1988/10/25 読売新聞 東京夕刊


◆連続強盗殺人の元巡査部長「広田」、あす25日判決/大阪地裁
 五十九年九月、京都・船岡山公園で警官が殺されてピストルを奪われ、大阪・京橋でサラ金従業員が射殺された連続強盗殺人事件(警察庁指定一一五号)で強 盗殺人罪などに問われ、死刑を求刑されている元京都府警西陣署外勤課巡査部長、広田雅晴被告(45)に対する判決が、あす二十五日午前、大阪地裁刑事一部 (青木暢茂裁判長)で言い渡される。凶器の包丁やピストルが未発見で決め手になる物証がなく、被告は捜査段階で犯行を自供したものの、公判では全面否認し て無罪を主張。これに対し、検察側は両事件現場周辺での多数の目撃証言や遺留指紋などによって立証を積み重ねてきた。有罪となれば、事件の凶悪性からみて 極刑は免れないとの見方が強いだけに、判決が注目される。
1988/10/24 読売新聞 東京夕刊


◆東京・銀座のクラブママ殺人死刑囚が上告を取り下げ
 五十三年五月から六月にかけ、東京・銀座のクラブママら女性二人を殺害、強盗殺人、死体遺棄などの罪に問われ、一、二審とも死刑判決を受けた元化粧品会 社社長、平田光成被告(52)が二十日までに、自ら上告を取り下げ、死刑が確定した。今月半ばにも、北海道夕張市の炭鉱下請け会社の宿舎に放火し、六人を 焼死させた夫婦が控訴を取り下げ、そろって死刑が確定したケースがあったが、最高裁に現在、係属中の死刑事件三十件三十二人の中で、上告を取り下げた例は 初めて。
 一、二審判決によると、平田被告は、経営する化粧品会社の従業員の野口悟被告(41)と共謀、五十三年五月、銀座のクラブママを絞殺、現金や小切手など 約一千七百万円相当を奪った。さらに二人は、同年六月、ソープランド嬢を愛媛県松山市の山林に連れ出して絞殺し、現金など約六万円相当を奪った。
 一、二審では、平田、野口両被告とも死刑判決を受け、それぞれ、事実誤認などを理由に五十七年一月、上告していた。二人のうち平田被告だけが、十九日 夕、上告を取り下げたもので、平田被告の弁護人は「将来予想される恩赦に期待をかけたようだ。けっして勧めなかったが、本人の意思で決めた」と話してい る。
1988/10/21 読売新聞 東京朝刊


◆北海道夕張・保険金目当ての放火殺人の夫婦 控訴取り下げで「死刑確定」
 北海道夕張市で五十九年五月、炭鉱下請け会社の宿舎が焼け、坑内員ら六人が焼死した保険金目当ての放火殺人事件で、主犯として現住建造物放火、殺人、詐 欺罪に問われ、一審でともに死刑判決を受けて札幌高裁に控訴していた暴力団組長の同市南部青葉町、炭鉱下請け業日高安政(45)、妻の信子(42)両被告 が十四日までに、自ら控訴を取り下げ、死刑が確定した。控訴審は「殺意の有無」を争点にすでに四回の公判が行われているが、両被告が今後、有利な展開は望 めないと判断、取り下げたとみられる。死刑事件は最高裁まで争われるのが一般的で、一審で確定するのは異例。
 控訴の取り下げは、信子被告が十一日、続いて安政被告が十三日、それぞれ行った。
 主任弁護人の佐藤敏夫弁護士は、「取り下げは、本人たちが親族に相談し、真剣に考えた末の結論だと思う。自らの生命がかかっている事件でもあるし、取り 下げたことに対しては、弁護人としてもとやかく言えない」と話している。
1988/10/15 読売新聞 東京朝刊


◆デユカキス氏、悲観主義で苦境に 米大統領戦テレビ討論の詳報
 【ワシントン十三日=宝利、斎藤特派員】十三日ロサンゼルスで行われた米大統領選のジョージ・ブッシュ(共和)、マイケル・デュカキス(民主)両候補に よる第二回テレビ討論で交わされた主な論争点は次の通り。
 〈死刑〉
 デュカキス氏 私は反対だ。暴力的な犯罪に対応するためのより良い、より効果的な手段があると思う。私の州でそれを実行してきた。われわれが全米の工業 州で犯罪率を最も低くし、殺人事件を最低の率にした理由の一つはそのためである。しかし、われわれは(犯罪につながる)麻薬撲滅の真の戦争と闘わなければ ならない。(大統領就任式の)一月二十日以降、できるだけ早い時期に、(西)半球首脳会談を開催し、麻薬撲滅戦争に対処したい。
 ブッシュ氏 私は彼と全く違う意見を持っている。一部の犯罪は非常に憎むべきものであり、非常に残酷で、凶暴なものだ。特に警察官殺害のような真に残酷 な犯罪に対しては死刑が妥当だと信じる。そして、これは抑止力だと思っているし、必要だと思う。われわれ二人はこの点、全く意見を異にしている。私は死刑 を支持し、彼はそれを支持しない。
 〈税金〉
 ブッシュ氏 私は増税しないと誓っている。減税をしたが、過去三年間、連邦政府の歳入は増えている。この拡大傾向を維持するつもりだ。わが国の歴史上の いつよりも、現在ほどアメリカ人が職についている時はないし、より大きな労働力が保持されている。この傾向を止めてしまうのは増税である。私が提言してい るのは増税ではなく、行政府と議会の規律を守るということだ。議会は財政赤字問題で責められるべきである。デュカキス氏はマサチューセッツ州で数回増税し てきた。
 デュカキス氏 ブッシュ氏が増税しないという誓いは、この一年で三回も破られている。彼は実質的にあらゆる兵器システム開発に数十億ドルを支出すること を望んでいる。その一方で増税しないと発言している。こうした政策を今後も続ければ、新たな債務が納税者にのしかかり、負担が増大する。今やわれわれは国 を指導し、議会を非難せずに指導できる大統領、そして赤字を削減できる大統領を必要としている。
 〈中絶〉
 ブッシュ氏 私は一人娘を亡くした。彼女は白血病で二、三週間しか生きられないと宣告されたが、ニューヨークの医師らの努力で六か月生き永らえた。現在 の医療知識に基づいて例外を作るべきではない。人間の生命は非常に大切なものだ。他の人と意見が異なることは知っている。私の孫(養子)が教会で洗礼を受 けるのを見た時、私は母親が中絶せずに、養子にしたことを非常に喜んでいる。
 デュカキス氏 私もブッシュ氏と同じような経験をしたことがある。私も赤子を亡くした。しかし、真の問題は、だれがこの非常に困難で、悲しい決断をする かという点だろう。女性自身が良心と宗教的信条に照らして決めるべきだ。わが国では女性が決断する権利を認めることを望んでいる。
 〈副大統領〉
 ブッシュ氏 私は、クエール副大統領候補に絶大な信頼を置いている。私は、彼のような若い上院議員がこれほどまでにアンフェアな批判の矢面に立たされる のを見たのは生涯で初めてだ。(民主党の)大統領候補が(共和党の)副大統領候補をこれほどまでに争点にするのはかつてない。彼は、ベンツェン民主党副大 統領候補とほぼ同様の議会経験を持っている。下院議員を二期、上院議員を二期つとめ、「職業訓練法」を立案した。彼は、私の対立候補と異なり、国防問題の エキスパートだ。彼は「良い、健全な条約」になるように、中距離核戦力(INF)全廃条約の修正にもひと役買った。
 年齢の若さだけで人を判断してはならない。三十代、四十代の人たちが副大統領になることは、私の誇りである。彼は仕事が出来る。
 デュカキス氏 副大統領候補をだれにするかという問題は、私たち二人の大統領候補にとって「大統領の資質」を問われる最初の決断だった。最初の国家安全 保障上の重大な決断でもあった。というのは、副大統領はもし大統領になった場合、同時に全軍の最高司令官でもあるからだ。私は、その仕事の最適任者として ベンツェン氏を選び、ブッシュ氏はクエール氏を選んだ。彼は、決断する以前に「副大統領候補の私の選択を見守ってほしい。その選択がすべてを語ってくれ る」と言いふらした。間違いなく、すべてを物語ってくれた。
 〈国防・軍縮〉
 ブッシュ氏 国防予算の中で、私が大統領になった場合、削る計画のひとつは、HEMAT重軍用トラックだ。予算は、パッカード委員会が提出した報告書で 勧告されている「競争戦略」を実行することにより節約可能だと信じる。
 しかし、ソ連との戦略兵器削減交渉(START)に取り組んでいる途中の段階で、戦略兵器近代化のいくつかのオプションを断念することは、バカげてい る。私が大統領となったら、国防長官は、どの兵器システムを生かし、どれを捨てるか難しい選択をしなければならないが、現段階では、核近代化のオプション をレーガン政権は確保している。というのは、ソ連も近代化を図っており、計画を継続しているからだ。「もう核兵器は十分だ。凍結しよう」とただ言うだけで はすまされない。われわれは、ミサイル近代化を進める必要がある。それとパッカード報告の「競争戦略」の推進だ。
 デュカキス氏 ブッシュ氏の主張通りなら、ソロバン勘定が合わないのは目に見えている。彼が提案するような各種の新兵器開発を現在の国防予算の中で全部 やることはとうてい不可能だ。このことは、国防総省も含めすべての人が分かっている。
 新しい国防長官には、予算が議会に送付される前に、決断をしてもらわなければならない。われわれは、スターウォーズ兵器や鉄道移動式MXミサイルのよう な新兵器に何十億ドルも費やすことはしない。ワシントン―東京間の宇宙航空機計画に何億ドルも出費しない。その反面、ステルス戦闘・爆撃機、トライデント 2、「D5」潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、高性能巡航ミサイル開発、通常戦力強化などは推進する。
 強力かつ効果的核抑止力を堅持することは重要だが、すでにアメリカは一万三千個もの核弾頭を保有している。近代化そのものは否定しないが、これは驚異的 な規模の核抑止力だ。国防支出には、他の国内支出と同様、おのずと限度がある。さらに、ブッシュ氏が見逃している重要なことは、軍事的安全は経済的安全と 切り離せないという点だ。大幅財政赤字を抱え込んだまま、どのようにして軍事的に「力強いアメリカ」が作れるというのだろうか。
1988/10/15 読売新聞 東京朝刊


◆麻薬殺人に死刑も 米上院が新取締法案を可決
 【ワシントン十四日=水島特派員】アメリカ議会上院本会議は十四日開き、麻薬関連殺人犯に最高刑として死刑を科し、麻薬犯に対する社会保障の恩恵を大幅 に制限するなどの厳しい内容を盛り込んだ新麻薬取締法案を八七対三票で可決した。
 同法案では、行政当局が同法違反者に対し公共住宅から立ち退かせることができ、さらに、農業補助金や学生ローンなども停止される。また、同法に三回以上 違反すると終身刑を科せられ得る。同法では、向こう二年間で総額二十億六千万ドルを麻薬追放教育や更生施設の拡充、さらに連邦捜査局(FBI)など取り締 まり機関の捜査能力増強にあてる。同法に反対する人権擁護グループなどは、捜査権の乱用への懸念や、政府補助打ち切りなどには憲法違反の疑いがあるとして いる。しかし、大統領選で麻薬追放への強い姿勢を求める声が強まったため、リベラルな“注文”は、事実上封じられた。
1988/10/15 読売新聞 東京夕刊


◆米大統領選 最後のTV対決 副大統領と国防費問題で攻防
 【ロサンゼルス十三日=山田(浩)特派員】米大統領選最後のヤマ場となる第二回公開テレビ討論が、投票日(十一月八日)まであと二十六日と迫った十三日 午後六時(日本時間十四日午前十時)から、ロサンゼルスのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)構内にあるポーリー・パビリオンで行われた。討論 時間は一時間半で、共和党のジョージ・ブッシュ候補(副大統領)(64)と民主党のマイケル・デュカキス候補(マサチューセッツ州知事)(54)が、死刑 の是非、副大統領候補の適格性、財政赤字、増税、軍縮などをめぐり、一億人近いと見られる視聴者に向かって熱弁をふるった。
 テレビ討論はまずデュカキス候補に対し死刑問題への対応策をただす形で口火が切られ、質問者から「あなたの夫人が暴行を受けて殺されても、犯人の死刑に 反対するか」と問われたデュカキス候補は、「犯罪を防止する方法はほかにもあるはずだ」と答えた。ブッシュ候補は「私はデュカキス氏と違い、死刑に賛成す る」との立場を改めて表明した。
 焦点の副大統領問題では、ブッシュ候補が若さと経験不足が指摘されているジェームズ・ダン・クエール副大統領候補(上院議員、四十一歳)について、「良 い選択だったと信じている」と従来の立場を繰り返したのに対しデュカキス候補は「ブッシュ氏は私の選択を見守ってくれと語ったが、その結果はこの通りだ」 とクエール候補の資質を皮肉った。
 また、国防費の削減問題でデュカキス候補は二五%カット案について「難しい」としながら、「将来、一定の削減は可能」との見方を示し、ソ連との軍縮交渉 の重要性を強調した。これに対し、ブッシュ候補は「ケネディ政権(民主党)当時より国防費は減らせる」と皮肉ったうえで、「われわれは軍備でリードすべき である。われわれは強いアメリカを選択すべきだ」と述べた。
 米テレビ解説者は全般に互角ないしブッシュ氏のリードといった見方をしており、実際、テレビ討論直後のABCテレビによる世論調査ではブッシュ四九%、 デュカキス三三%との結果が出た。
1988/10/14 読売新聞 東京夕刊


◆[’88米大統領選挙]ブッシュとデュカキス、予断許さぬ接戦 投票まで1か月
 【ワシントン六日=水島特派員】米大統領選は十一月八日の投票日まで一か月と迫った。全米を対象の各種世論調査では、ジョージ・ブッシュ副大統領(共和 党)と、マイケル・デュカキス・マサチューセッツ州知事(民主党)が「誤差の範囲内」の大接戦を演じているが、州ごとの選挙人数では、ブッシュ氏が優勢、 との予測が出ている。副大統領候補の公開討論は五日、両陣営が共に「勝利」を自賛する形で終わり、残り一か月の選挙戦は、十三日か十四日にロサンゼルスで 行われる両大統領候補の最後の公開討論を軸に展開されるが、主要な州での両候補の差はきわめて小さく、なお予断を許さない情勢である。
 ◆州別でやや優勢−ブッシュ氏 戦術転換の兆し−デュカキス氏◆
 ワシントン・ポスト紙の世論調査では五一%対四四%、ニューヨーク・タイムズ紙は四八%対四六%、ハリス社調査では四九%対四六%と、いずれもブッシュ 氏が小差のリード。しかし、州別では、ブッシュ氏が三十州前後でリードし、デュカキス氏優勢は十州前後で、残りが互角というのが各種調査の結果。州ごとの 選挙人数を見れば、ブッシュ氏が当選に必要な全体の過半数二百七十人以上を獲得しそうな勢いである。
 大ざっぱに見て、地域的に、ブッシュ氏がリードしているのは、南部、西部。デュカキス氏は北東部諸州で優勢を保ち、中西部の大票田ミシガン(選挙人二十 人)、イリノイ(同二十四人)、オハイオ州(同二十三人)などで互角の戦い。
 南部では、注目の大票田テキサス州(同二十九人)が、民主党の副大統領候補ロイド・ベンツェン上院議員の出身地ながら、ブッシュ氏が、わずかにリードし ている。ベンツェン氏の強力な組織力にもかかわらず、石油不況から抜け出す民主党の雇用、エネルギー政策が十分浸透していないためだ。ジョージア(同十二 人)、テネシー(同十一人)、ケンタッキー州(同九人)などでもブッシュ氏がやや優勢で、フロリダ州(同二十一人)はブッシュ優位が動かない。一方、西部 はカリフォルニア州(同四十七人)で、双方が激しい戸別訪問などに組織を動員するなど、全く互角の戦い。中西部のミシガン州(同二十人)は、労組が強く本 来ならデュカキス氏の優位だが、ブッシュ氏も善戦。デュカキス氏は北東部のニューヨーク(同三十六人)、ペンシルベニア州(同二十五人)をほぼ固めたと見 られている。
 州別に見てブッシュ氏が現在、やや優勢に立っている理由の一つに、同陣営の巧みな宣伝戦が挙げられる。デュカキス陣営は、レーガン政権後の時代を、イデ オロギー離れが進む現実主義の時期、と読み、州知事の実績を強調して、“実務型大統領”としてのイメージ売り込みを狙い、序盤戦では、国民の「変化」への 期待の取り込みにも成功した。しかし、共和党大会を機にブッシュ陣営は反撃に転じ、政策よりも、国旗への宣誓や愛国心など政治的な「シンボル」を前面にか ざして、デュカキス氏にいくつもの“踏み絵”を用意した。そして、レーガンの八年間で死語になりかけていた「リベラル」のレッテルをデュカキス氏に張るな ど、イデオロギー攻勢を強めた。ブッシュ陣営はさらに、今回の選挙を国家危急の争点がない選挙、と読んで、人工中絶、死刑廃止、ピストル所持の自由などを めぐる個別的な論争を挑んだ。この戦略は今のところ、テキサス州などとくに南部保守層などに効果を上げ、“レーガン支持の民主党員”をつなぎとめている。 女性票も戻ってきた。
 デュカキス氏は防戦にまわった格好で、肝心の政策論争の柱の一つである経済的不平等の是正などの公約の影が薄くなった。レーガン―ブッシュ政権での腐敗 追及も、「平和と繁栄」という“実績”の陰に、ややかすみかけている。雑誌「タイム」の調査でも、国民の四六%がレーガン政権下で家計が豊かになった、と 答え、「悪くなった」の三〇%を上回っており、一般的な国民の気分は「現状維持」にある。
 このため、民主党内部には、デュカキス陣営が巻き返すためには、大衆受けする単純なメッセージを、国民の心情にアピールできるかどうかにかかっている、 との見方が一層強まっている。例えば、大激戦地である中西部諸州で、失業の危機に直面する労働者や農民に、思い切って経済保護主義を訴えるなどだ。さる四 日、同氏はイリノイ州での演説の中で、ブッシュ氏の対日貿易政策の誤りを、国際テロや麻薬密輸対策の失敗と同列に取り上げて激しく非難し始めるなど、戦術 の変化の兆しも見えてきた。
    〈米大統領選情勢表〉
 ◎=優勢 〇=やや優勢  −−=伯仲
          選挙  ブッ デュカ
  州名      人数  シュ キス
カリフォルニア    47 −−  −−
ニューヨーク     36     ◎
テキサス       29 〇    
ペンシルベニア    25     ◎
イリノイ       24 −−  −−
オハイオ       23 −−  −−
フロリダ       21 ◎    
ミシガン       20 −−  −−
ニュージャージー   16 −−  −−
マサチューセッツ   13     ◎
ノースカロライナ   13 ◎    
ジョージア      12 〇    
インジアナ      12 ◎    
バージニア      12 〇    
ミズーリ       11 〇    
テネシー       11 〇    
ウィスコンシン    11     〇
ルイジアナ      10 〇    
ワシントン      10 −−  −−
メリーランド     10     ◎
ミネソタ       10     〇
アラバマ       9  〇    
ケンタッキー     9  〇    
コロラド       8  〇    
コネチカット     8      〇
アイオワ       8      〇
オクラホマ      8  〇    
サウスカロライナ   8  ◎    
アリゾナ       7  ◎    
カンサス       7  〇    
ミシシッピ      7  ◎    
オレゴン       7      〇
アーカンソー     6  〇    
ウェストバージニア  6      ◎
ネブラスカ      5  〇    
ニューメキシコ    5  〇    
ユタ         5  ◎    
アイダホ       4  ◎    
ハワイ        4      ◎
メーン        4  〇    
モンタナ       4  〇    
ネバダ        4  〇    
ニューハンプシャー  4  〇    
ロードアイランド   4      ◎
アラスカ       3  ◎    
デラウェア      3  −−  −−
ノースダコタ     3  −−  −−
サウスダコタ     3  −−  −−
バーモント      3  −−  −−
ワイオミング     3  ◎    
ワシントンD.C.  3      ◎
   合計      538     
1988/10/8 読売新聞 東京朝刊


◆ピノチェト大統領不信任 チリ政情、一気に流動化 野党の大同団結がカギに
 【サンチアゴ六日=波津特派員】チリの大統領信任投票でアウグスト・ピノチェト将軍の敗北が決まった。一九七三年のクーデター以来十五年間続いた軍政は 約束通りに幕を下ろすのか。同床異夢でまとまりのない野党陣営が民主化実現に大同団結できるのか。チリの政治情勢は一気に流動化してきた。
 六日未明マテイ空軍司令官がいち早く「“ノー”の勝利」を認め、スタンゲ警察軍各司令官も同意した。軍の指導者が敗北を認める中で、当のピノチェト将軍 は、沈黙を守り、政庁モネダ宮二階の執務室に閉じこもりっ放しだった。
 将軍は勝利を確信していたようだ。好調な輸出、たった一〇%(年末の予想)の物価上昇率、九・一%と低い失業率、年末には前年比七%上昇を見込んでいた 実質賃金−−経済指標はいずれも、中南米ではとび抜けた好水準にあった。十五年に及ぶ軍政の中で、今ほど将軍に有利な瞬間はなかった。
 しかし、債務問題や極端な自由経済のしわよせで、中間層や貧困層の生活は悪化するばかりだった。約千二百万国民のうち五百万人が貧困に苦しんでいるとい う現実がある。そして何より、血みどろのクーデターによって成立した軍政に多くの市民は“正統性”を認めなかった。確かにこうした暗いイメージをぬぐおう と将軍は今年八月、クーデター以来のほとんどの期間続いていた非常事態令を解除、九月には、アジェンデ元大統領未亡人ら亡命者の帰国を認めるなど民主化の 姿勢を打ち出した。しかし、国民には、選挙対策としか映らなかった。
 今回の国民投票は陸、海、空、警察の四軍司令官で構成する最高権力機関である「軍事評議会」が選んだ大統領候補の信任を問うもので、その単一候補には当 初ピノチェト将軍ではなく、文民を指名する動きが強かった。対外イメージ問題以外に「ピノチェトでは勝てないかも」という不安は軍の側にもあったからだ が、それを将軍が押し切った。
 一方、「反ピノチェト」で団結した民主派の内部も複雑だ。今回の国民投票が、単一候補による大統領信任投票ではなく、複数候補による自由な大統領選挙 だったら中道、中道左派、左翼、極左と複雑に対立する民主派は統一候補擁立はむずかしく、民主派の票が割れてピノチェト将軍の当選となった可能性が強いと の見方もある。
 軍に対する態度も微妙な違いを見せている。
 中道野党のキリスト教民主党(DC)のパトリシオ・エイルウィン党首は六日未明の勝利宣言で、「“シー”(信任)に投票した人々も、軍、警察も共に力を 合わせて、民主的な母国を建設しよう」と、軍に対し特別に神経を使っている。中道各党は「ピノチェト」と「軍」は違うとの立場を強調している。軍の多数派 がむしろ強硬なピノチェト路線を嫌い、文民政権を許容する意思があると見ているためだ。しかし軍にとって「左翼政権の復活」だけは受け入れられない。
 DCなど中道六党は先月、ピノチェト不信任後の大統領選挙に統一候補を立てることで合意しているが、二十三項目からなる政策協定にはスト権の承認、死刑 の廃止などの民主化プログラムと並んで〈1〉私有財産の保証〈2〉自由主義経済の堅持〈3〉農地改革は行わない−−などの現状維持の立場を前面に押し出し て軍との接点の拡大を図っている。
 しかし、こうした動きには、社会党各派、民主党、共産党などアジェンデ左翼政権の系譜を引く中道左派と左翼からの反発が強まっている。チリは伝統的に国 民が保守、中道、左翼にほぼ三等分されており、ピノチェト将軍という“保守の代表”の退場が決まった今、かつての民政時代と同様の“三つどもえ”の政治抗 争が始まる可能性がある。
1988/10/7 読売新聞 東京朝刊


◆中国、経済事犯に死刑執行
 【北京二十七日=山田(道)特派員】経済事犯が頻発している中国で、鋼材を盗み、ヤミ転売した鉄鋼メーカーの幹部がこのほど死刑を執行されたことが明ら かになった。激しいインフレに見舞われている中国ではヤミ転売や横流しなどが横行しており、今回の処刑は、“見せしめ”のためのものと見られている。
1988/9/28 読売新聞 東京朝刊

◆[心の探求者として]宮城音弥さんに聞く(3)科学主義者と呼ばれて(連載)
 「二十世紀研究所」では、講演会を開いたり、パンフレットを作ったりしていました。それぞれの考え方の違いから、メンバーは次第に離反してゆき、研究所 の活動は、いつとはなしにたち切れといった感じになりました。でも、いろいろと思い出は残っていますよ。
 戦後の論壇で大きなテーマとなった「主体性論争」にも、丸山真男さんらとともに参加しました。この論争は、人間の主体性をめぐるものだったんですけど、 倫理的な面を強調する人たちに対して、私はあくまで「主体性といっても、天から降ってきたものではなく、自然や社会への適応という点から、科学的に考えて いくべきだ」と主張しました。そんなこともあって、“科学主義者”なんていわれたものです。
 《こうして、論壇でも活発に発言するようになっていく。心理学者による社会評論の先駆けといえるだろう》
 東京工業大から誘いがありまして、二十一年から講座をもっていましたが、新制に切り替わった二十四年に、正式に東工大の教授になりました。考えてみれ ば、大学を卒業して十八年目にして、はじめて一人前の月給をもらえる職に就けたわけです。
 そのころすでに、社会評論みたいなことは始めていました。新聞の匿名批評欄に書いたり、大宅壮一さんとラジオの対談番組を続けたりもしました。そうこう しているうちに、なにか犯罪事件があると、マスコミからコメントを求められるようになりました。いろいろな事件がありましたが、「帝銀事件」(昭和二十三 年)は強く記憶に残っていますね。
 この事件は結局、平沢貞通が逮捕され、死刑の判決を受けたわけですけど、私は判決に異を唱えたのです。確かに私も、犯行自体は平沢がやったことだと思っ ています。しかし、彼は性格異常であり、その原因は狂犬病の予防注射によって脳を侵されたためだったのです。
 私は、犯罪を引き起こすのは悪人、病人、変人の三者だと考えていますが、彼は病人と変人の中間の状態だったと思います。ですから、責任能力という点から 見て、死刑の判決には納得できませんでした。彼は、刑務所ではなく病院に行くべき人間だったのです。この考えは、今でも変わっていません。
 《宮城さんは「チャタレイ裁判」でも話題を呼んだ》
 伊藤整さんが翻訳した「チャタレイ夫人の恋人」が、ワイセツ文書だとして起訴された事件ですが、伊藤さんが東工大の同僚だったこともあって、私は弁護側 の証人になりました。その時、ワイセツには、(1)露骨であること(2)性感を引き起こす刺激となること(3)社会的慣習とぶつかること−−の三条件が必 要である、と主張しました。
 そして証言の中で、ポリグラフ(うそ発見器)を使った実験の結果を明らかにしたのです。実験というのは、検察官がワイセツとした部分と、ポルノ雑誌の、 どっちがより性的な欲望を引き起こすかを、測定し比べたものでした。これによって、ポルノ雑誌の方が強い刺激であることが、はっきりしました。
 つまり、ワイセツとは、検察官が頭の中で決めるものではなく、社会の慣習と個人の感じ方のかねあいで考えるべきことである、と訴えたんです。そんなわけ で、またしても“科学主義者”と呼ばれてしまいました。
 だいたい、日本という国は、どうも倫理とか道徳というものを重視しすぎる傾向があります。法律家にしろ、教育者にしろ、倫理や道徳を持ち出す前に、精神 病理学とか精神衛生の知識を、きちんと持ってもらいたいものです。
 現在、教育の場面では、青少年の非行といったことが問題になっていますが、思春期の青少年は多かれ少なかれ、精神病理的な要素を抱えている。ですから、 ただ単にしつけとか、心がけといった修身的な教育では、問題は解決しないのです。教育者は、効率のいい教え方だけを研究するのではなく、精神衛生的な側面 から、青少年を見ていくようにすべきだと思いますね。
 (聞き手・小林 敬和記者)
1988/9/28 読売新聞 東京夕刊


◆痛いのはイヤだ 殺されるのもイヤだ 日本アムネスティがキャンペーンコピー
 「痛いのはイヤだ。苦しいのもイヤだ。殺されるのもイヤだ」−−。コピーライターの仲畑貴志さんが、アムネスティインターナショナル(人権を守る国際救 援機構)日本支部のキャンペーン用のコピーを作った。同支部の依頼にボランティアで応じたもので、さらにこれを大型のカラーポスター五百枚に刷ってプレゼ ント。同支部では「若い人たちの感性に訴える新しいイメージができた」と喜んでいる。
 今年は世界人権宣言が採択されて四十周年。同支部では記念キャンペーン活動に熱を入れているが、「良心の囚人を救おう」「拷問や死刑をやめよう」といっ た人権活動は、「正論だけど固くて近寄りにくい」と、若い人に敬遠されがち。
 そこで、新しいキャッチフレーズが必要と、仲畑さんに白羽の矢が立った。昨年夏、一枚のダイレクトメールをきっかけに同支部の賛助会員になっていた仲畑 さんは、この申し出を快諾。当初はコピーだけの予定だったが、予算がない同支部の内情を知ると、「じゃ、うちでつくるわ」とポスターまでもつくった。
 「“今、人権を”じゃ、分かりにくい。救おうったって、目の前には救う相手がいないんだから。相手を身近に感じられるようなコピーにしたかった。だれで も痛かったり、苦しかったり、殺されたりなんて、いやだよ、泣いちゃうよね。そんなことがストレートに届けばいい」と、仲畑さんは語る。今春、農協の祭り のコピーも手掛けたが、「依頼者の持つイメージを代弁するのはどんなものでも同じ」という。
 ポスターは、二十七日に東京ドームで行われるアムネスティのミュージックイベント「ア・コンサート・フォー・ヒューマン・ライツ・ナウ」会場にはりめぐ らされる予定。
1988/9/26 読売新聞 東京夕刊


◆法医学書にかみつく 再審松山事件など3弁護団 「無罪者の名誉棄損」
 東大法医学教室の石山イク夫(いくお)教授が、刑事裁判の再審請求事件を中心に法医学論を述べた著書「法医鑑定ケーススタディ」(立花書房)の記述をめ ぐり、再審無罪が確定した「松山事件」など三件のえん罪事件の弁護団が「えん罪被害者の名誉を棄損した部分がある」とかみついた。近く釈明を求める公開質 問状を出す予定だが、法医学者の著書に対し、複数の弁護団が“抗議行動”に出るのは異例のことだ。
 ◆石山・東大教授の著書に公開質問状◆
 公開質問状を出すのは、「松山事件」(五十九年七月、仙台地裁で再審無罪確定)のほか「財田川事件」(同年三月、高松地裁で同確定)と「横浜・山下事 件」(昨年十一月、横浜地裁で一審無罪確定)の各弁護団。
 弁護団側は、石山教授が今年二月に発刊された同書の中で、三事件について自ら問題点を指摘したうえ、「この点に疑問を持った法医学者がこの事件に関係し ていれば、別の方向に発展していったかも知れない」とか「特徴ある所見に対して、なぜその特徴が生ずるかという点を明らかにしなかったのが鑑定人の失敗 だった」などと記述していることに対し、「鑑定人が失敗したため無罪になったといわんばかりだ」と反発している。
 また、財田川事件に関して、石山教授がもともと存在しない被害者の腹巻きを念頭に、再審無罪判決を批判しているのは、そもそも前提が間違っている、とし 「一般読者や捜査関係者に、ほんとうは有罪のはずだった、との誤解を抱かせる恐れがある」と危惧(きぐ)している。
 弁護団の中の一人は「石山教授が学問上の意見を述べるのは自由だが、それを超えた範囲で、検証もなく無罪批判をした部分は、えん罪被害者の人権に対する 配慮を欠いている」と指摘。公開質問状の中で、こうした記述の根拠や謝罪の意思の有無などの釈明を求めたいとし、対応次第では、損害賠償請求など法的措置 も考える、と強硬な構えだ。
 これに対し、石山教授は「ほんとうは有罪だったなどとは一切書いていないし、法医学者がそこまで言及できるはずもない」と反論。「私は、無罪の人は完全 無罪を証明されるべきだとの考え方に立ち、鑑定はあいまいに終わってはならない、少なくともこういう点を明らかにすべきだったと提言したに過ぎない。それ が今後の裁判のためにも、被告のためにもなると思う」と、安易な判決批判ではないことを強調している。
 そして、「腹巻き」の問題については「警察学論集を読んでの提言だが、仮にそれが誤りならば、私も訂正に応じるつもりだ」と言っており、今後、公開質問 状に対する対応が注目される。
 石山教授は東大医学部卒。五十八年、同大教授となり、専門の法医学では、わが国の権威の一人。最近では、昭和三年に広島県内で起きた養母殺し「山本老事 件」(最高裁で無期懲役確定)の再審請求裁判(最高裁に係属中)で扼(やく)殺説に立った鑑定を行ったほか、現在判決待ちの「島田事件」再審裁判でも犯行 順序や凶器は被告の自白通りだとする検察側主張に沿う鑑定意見書を提出している。
                ◇
 ◇松山事件 昭和三十年十月十八日、宮城県志田郡松山町の農家で、夫婦と子供二人が殺され放火された。別件で逮捕された飲食店員が、犯行を自供後、公判 で全面否認したが、三十五年十一月、最高裁で死刑が確定。第二次再審請求が認められ、五十九年七月、無罪が確定した。
 ◇財田川事件 昭和二十五年二月二十八日、香川県三豊郡財田村(現在財田町)で、ヤミ米ブローカーが刺殺され、現金一万三千円が奪われた強盗殺人事件。 三十二年二月、最高裁で死刑が確定したが、二度の再審請求の後の五十四年六月、高松地裁が再審開始決定を出し、五十九年三月、同地裁で無罪判決が確定し た。
 ◇横浜・山下事件 五十九年三月二十二日、横浜市旭区上白根町の会社員宅で、妻が死んでいるのが発見された。検察側は、夫の会社員が、就寝中の妻を殺し たとして、殺人罪で起訴したが横浜地裁は昨年十一月、病死の可能性を示唆して無罪判決が確定した。
1988/9/26 読売新聞 東京夕刊


◆栃木で幼児ら2人殺した篠原被告に死刑求刑
 近所に住む幼児と女子高生の二人を殺したとして、殺人、死体遺棄罪に問われた栃木県鹿沼市緑町一の三の六、理容業篠原伸一被告(37)に対する論告求刑 公判が十三日午前、宇都宮地裁(上田誠治裁判長)で開かれ、検察側は「なんの罪もない二人を殺害した責任は重大で、極刑に値する」として、死刑を求刑し た。
1988/9/13 読売新聞 東京夕刊


◆逆恨みで老夫婦強盗殺人 17件目(今年)の死刑判決/仙台地裁
 一昨年二月、仙台市で年金暮らしの老夫婦を殺害し、預金通帳などを強奪したとして、強盗殺人、死体遺棄の罪に問われた同市沖野無尻橋三六、左官堀江守男 被告(37)に対する判決公判が十二日、仙台地裁刑事一部で開かれ、渡辺達夫裁判長は求刑どおり、堀江被告に死刑を言い渡した。死刑判決は全国で今年に 入ってこれで十七件目。
 判決によると、堀江被告は一昨年二月二十日午後、知人の同市旭ヶ丘二の二の二一、無職阿部弘さん(当時八十二歳)方を訪れ、左官の仕事を紹介してくれな いことを逆恨みして、阿部さんの頭を鉄棒でめった打ちにして殺害。さらに、約三十分後に帰宅した妻千重さん(当時七十五歳)も鉄棒で殴り殺し、郵便貯金証 書など額面約四百五十万円相当と現金一万二千円を強奪、死体を同市内の松林に捨てた。
1988/9/12 読売新聞 東京夕刊


◆米大統領選追い込み ブッシュ氏に勢い 浮動票獲得がカギに
 【ワシントン五日=水島特派員】米大統領選は五日のレーバー・デー(労働記念日)を期して追い込み段階に突入した。最新の各種世論調査では、共和党候補 のジョージ・ブッシュ副大統領と、民主党候補のマイケル・デュカキス・マサチューセッツ州知事が、ほぼ互角の戦いぶりを示しているが、全米的なムードは、 八月の共和党大会後、急速に劣勢をばん回したブッシュ氏に勢いがついている。これとともに、国民のムードもこれまでの「変化への期待」から「(レーガン) 路線の手直し」へと変化しつつあるようだ。
 十一月八日の投票日まで約二か月。大統領選のレーバー・デーのキャンペーンは、伝統的に最重要視され、ホームストレートに入る秋の選挙キャンペーン・ス タートの日とされている。この日デュカキス氏は、前二回の大統領選で共和党に投票した、いわゆる「レーガン・デモクラット」(共和党支持の民主党員)の多 いデトロイトに乗り込んだ。
 一方、ブッシュ氏はロサンゼルス郊外のディズニーランドでソウル五輪米選手団壮行会に出席、愛国心の高揚を強調していた。各陣営の最大の関心は、約二割 を占める浮動票の獲得に移ってきた。それは「レーガン・デモクラット」の行方に絞られ、地域的には、接戦が続く大票田カリフォルニア、テキサス両州、さら には中西部での浸透が注目される。
 五日の両候補の動きは、それぞれ、今選挙の焦点をなぞることになる。まず、ブッシュ氏は同日午後、激戦地カリフォルニア州アナハイムのディズニーランド で行われる米国ソウル・オリンピック選手団壮行会に出席、その愛国的雰囲気を効果的に利用しようと狙う。また、ロサンゼルス市警のピクニックにも同行し、 「法と秩序」のアピール作戦。一方、デュカキス氏は、中西部諸州で、レーガン・デモクラットの一翼である労働者への働きかけを展開、五日(日本時間六日未 明)はミシガン州デトロイトで、同陣営がキャンペーンのハイライトの一つにしたい重要演説を行う。この中で、同氏は、ブッシュ陣営の“繁栄のアメリカ” キャンペーンを逆手にとって、「家庭の繁栄を築こう」と訴え、拡大する所得格差の是正などを説く。このスローガンは今週から放映を開始するテレビ・コマー シャルのキーワードでもある。
 共和党が行った最新の世論調査でも、両陣営の戦いは五分五分の情勢で、五〇%が、投票日までに支持候補を変える可能性があるとしている。レーバー・デー 時点でのこれほどまでの接戦は、さる六〇年のケネディ・ニクソンの対決以来だ。
 このつばぜり合いの中、まずデュカキス氏の課題は、これまで強調してきた「変化」の内容を具体的に示すことにある。七月党大会直後の世論調査でブッシュ 氏に大きくリードを奪ったのは、“レーガンの八年”からの「変化」を求める国民の“ムード”のためだった。しかし、八月の共和党大会で、同党が民主党の十 倍近い長さの綱領で政策を具体的に示し、また、ブッシュ氏が新しいリーダーとしてのイメージチェンジに成功したために、このリードが崩れた。ブッシュ氏 は、デュカキス氏のオハコである教育、環境、福祉問題で、新たな公約を矢継ぎ早に打ち出し、討論会で予想されるデュカキス氏からの批判を事前に封じ込めよ うとしている。
 接戦が続けば、ブッシュ氏は「外交」「安全保障」を切り札に使い、デュカキス氏は「繁栄の裏での社会的不平等の克服」をあらゆる機会をとらえて訴えるこ とになろう。また、最近、ブッシュ陣営は、デュカキス氏が学校での国旗敬礼に反対し、死刑廃止論者であると批判、「アメリカ社会の主流から外れたリベラ ル」と激しい攻撃をしかけており、ほこ先は出身校ハーバード大学の校風にまで及んでいる。
 デュカキス陣営はこうした攻撃を無視する姿勢を貫いているが、選挙戦が白熱するにつれ、両陣営の非難・中傷合戦が、思わぬ展開を見せる可能性がある。
 また、ブッシュ陣営にとり、“兵役逃れ”のスキャンダルがくすぶる副大統領候補ダン・クエール上院議員の扱いも課題で、「クエール氏のような軽い人間を 副大統領に指名したブッシュ氏の見識と指導性を疑う」という批判は依然として根強い。
1988/9/6 読売新聞 東京朝刊


◆国会論戦の詳報 31日の参院予算委から 新政ク・田 英夫氏
  ◇…金大中氏問題…◇
 田氏 金大中氏に対する一九八〇年の軍事裁判で、日本における言動が原因で死刑判決が下された。一九七三年の日韓政治決着違反だ。
 宇野外相 日本政府としては、在日中の言動については裁判において触れられていないと判断している。金大中事件に関する外交的決着には違反していない、 というのが日本政府の立場だ。
 田氏 今年中に金大中氏が訪日希望を持っているが。
 首相 韓国野党の二人の総裁とは会って意見交換をした。日本政府は与野党を通じて信頼関係がある。(金大中氏が来日するなら)それにふさわしい迎え方を したい。
1988/9/1 読売新聞 東京朝刊


◆連続企業爆破の大道寺ら「新証拠」で東京地裁に再審請求
 四十九年の三菱重工ビル爆破など「連続企業爆破事件」で、爆発物取締罰則違反や殺人罪などに問われ、昨年三月死刑判決が確定した「東アジア反日武装戦 線」の大道寺将司(40)、益永(旧姓片岡)利明(40)両元被告は、一日午前、「殺意を否定する明白な新証拠があらわれた」として、東京地裁に再審請求 を行った。
 両元被告が新証拠としてあげているのは、都立大工学部の湯浅欽史助教授の鑑定書。同鑑定書は、三菱重工事件に使用された爆薬「セジット」について「四十 九年当時、日本国内に文献が乏しく、大道寺らも爆薬調合の方法をよく知らなかった。爆薬製造の過程でたまたま、大きな爆発力を得られる乾燥した粒状態に なった」としている。
1988/9/1 読売新聞 東京夕刊


◆日本赤軍・坂東のオーストリア入国を確認 盗難の旅券を使う
 日本赤軍のテロ実行部隊長格の坂東国男(41)が、六十一年二月にスペイン・マドリードで盗難にあった元京都市議の旅券を使用していた事件で、警察庁な ど公安当局は二十三日までに、坂東がこの旅券で昨年十一月末にオーストリアに入国していた事実を突きとめた。オーストリアは、日本赤軍のヨーロッパの活動 拠点のひとつといわれており、他のメンバーの入国も確認されている。公安当局では、盗難旅券で東南アジア、ヨーロッパを動き回っていた坂東が、オーストリ アを足場に、ソウル五輪を狙ったテロなどを画策していた恐れが強いとみて、旅券法違反(偽造旅券の行使)の疑いで本格的な捜査に着手、容疑が固まり次第、 逮捕状を取る方針を固めた。
 これまでの調べによると、坂東は昨年八月中旬、元京都市議Sさん(46)の旅券の顔写真を張り替えた偽造旅券を使い、マニラの日航支店で成田行きの航空 券を入手、出国した。坂東が乗り込んだ飛行機には、Sさんと同姓の人が四人搭乗していたが、成田空港でのSさん名義の入国記録はなく、坂東は途中、トラン ジットで立ち寄った香港などで飛行機を降りていた疑いが強まった。
 こうした中、坂東は昨年十一月二十五日、Sさん名義の旅券を使い、オーストリア・ウィーンに入国していたことが、オーストリア当局などの調べで明らかに なった。坂東は昨年春ごろから、この旅券でマニラを中心とした東南アジアのほかヨーロッパ数か国を動き回っていたとみられているが、具体的な入国記録が判 明したのは初めて。
 坂東が入国したオーストリアは、東南アジアのフィリピンと並び、日本赤軍がヨーロッパの活動拠点として設定している国。
 これまでにも、東南アジアに潜伏していることが確認された戸平和夫(35)が六十一年春に、旅券法違反で起訴された泉水博(51)が昨年春に、また、ハ イジャック防止法違反などで起訴された丸岡修(37)が東京都内で逮捕される直前の同十一月初めに、それぞれオーストリア・ウィーンに潜入していたことが 明らかになっている。
 このため、公安当局では、坂東のオーストリア入国は、他の日本赤軍メンバーらと接触し、一年足らずに迫っていたソウル五輪の開催を妨害するためのテロ活 動や昨年三月に死刑が確定した連続企業爆破犯、大道寺将司(39)の奪還工作を画策するためだった疑いが強いとみている。
1988/8/24 読売新聞 東京朝刊


◆アフガン政権、ソ連軍「撤退」後へ支配権固め 地方掌握や軍との合体
 ジュネーブ協定による駐留ソ連軍撤退や、「敵対国」パキスタンのハク大統領死去など、アフガニスタンを取り巻く情勢があわただしい。ソ連、政府軍への攻 撃を続ける反政府ムジャヒディン諸勢力が「共産主義者とは連立しない」と公言する中で、ナジブラ政権の内情はどうなのか。現地でさまざまな情報筋と接触し てみた。
                    (カブールで、池村俊郎特派員)
 ◆三勢力による内部抗争も◆
 駐留ソ連軍十一万五千(ソ連側発表)がジュネーブ協定に基づき、半数の五万七千五百となったさる十五日、撤退ソ連軍の取材でカブール入りを認められた西 側報道陣の前に、ナジブラ大統領が現れた。外務省での記者会見。「大統領職をやめる気はない」「元国王ザヒル・シャーも民族和解案に基づき、将来の政権に 参加できよう」−−などと強気の発言をした。記者団を見おろす演壇に座り、見た目は快活そう。カブール外交筋に流れる「精神不安定」をうかがわせる様子は なかった。
 記者団は数日前に質問状の提出を求められた。合わせて百の質問が出たというが、外務省が微妙に選択し、内容にも手を加えたフシがあった。たとえば、「た だ一つの政党、人民民主党(PDPA)でハルク(人民)派とパルチャム(旗)派の対立はどうか」の質問が、「大統領閣下、あなたは政府のナンバーワンか」 に変わった。
 「首都に戒厳令を布告する用意があるか」の問いは、「死刑執行を開始する用意があるか」に変化していた。その結果、「あなたは政府のナンバーワンか」 と、外務省の役人が読みあげると、大統領がニヤリとして、「わが国の憲法では政府と大統領の権限は別。政府の代表は首相ですよ」と答える仕組み。最高権力 者の耳に心地良い質問と舞台作りをしたとしか思えなかった。
 対照的だったのが、ジュネーブ協定発効後、ソ連軍第一陣が撤退した五月十五日直後に就任したモハマド・ハッサン・シャルク首相の会見。日本やインドの駐 在大使を歴任し、人民民主党員でもない首相は、「(民族和解のため)大統領職や国防大臣のポストも明け渡す用意がある」と発言したものの、質問に応じて用 意された回答書を読みあげるだけ。首相の権限のありようと、回答の有効性の有無がたやすく推理できた。
 国権をにぎるPDPAは、ソ連軍撤兵に合わせ、正規軍との合体を急いでいる。地方主要都市での組織作りや地方行政の掌握、軍の中枢と党を連関させる「撤 兵後」に向けた体制固めだ。抵抗するアフガン・ムジャヒディン七組織が、「共産主義者=PDPAと手を組まない」と主張するのに対し、アフガニスタン国内 ではPDPAしか有効な組織となり得ない情勢作りが急進展しているのだ。
 党の支配権固めの一方で、内部のライバル抗争も顕在化している。外交筋の話を総合すると、PDPAには有力な三勢力がある。ナジブラ大統領派と、対抗勢 力のサイド・モハメド・グラブゾイ内相派。さらに現在ソ連にいるとされるカルマル前大統領派も勢力を保つ。最近、党中央委員会の建物を狙ったミサイル攻撃 の陰謀が摘発され、カルマル氏の親族などが大量逮捕されたという。西欧の外交筋は「カルマル派つぶし」と事件を観測する。
 ナジブラ大統領は元秘密警察(KHAD)長官。約二万といわれる精鋭のKHADメンバーを握る。今年三月、首都防衛の名目で精鋭師団結成を発表した。学 歴の高い青年男女を対象に、三万を目標に厳しい人集めをしているという。外交筋の情報は「本当のねらいは、大統領府の警護と、非常事態に備える配下の精鋭 部隊作りではないか」と推理する。
 そのライバルとされるのが、グラブゾイ内相。党内ではかつてナジブラ大統領より上位にあった。警察力をにぎり、地方で警察隊と、大統領配下の秘密警察の 衝突もうわさされる。PDPA再編(七六年)にあたり合体した二組織、「ハルク」と「パルチャム」のうち、グラブゾイ内相は「ハルク」出身で、シャハナワ ズ・タナイ軍参謀長とも関係があるとされる。PDPAの実力者、モハマドアスラム・ワタンジャール通信相も同じ輪にいる。「パルチャム」出身のナジブラ大 統領は、出自の点でも孤立している。
 ソ連誌との会見で、アフガニスタンの元ソ連軍軍事顧問キム・ツァゴロフ中将が「『ハルク』と『パルチャム』の対立が極限まで行かないか、不安だ」と発言 し、驚かせている。カブールで政府当局者から聞いた情報だと、先月、ソ連大使館の隣の民家から、大使館に向けロケット弾攻撃をしようとした男たちが逮捕さ れている。首都の内懐まで侵入した男たちは、「反政府ゲリラ」と発表されたが、党内ライバル抗争で混乱を起こす意図をもった者の回し者、といううわさも あった。今後の国内情勢を見る上で、グラブゾイ内相、タナイ参謀長、ワタンジャール通信相の動向は要注意といえる。
1988/8/24 読売新聞 東京朝刊


◆日本の姿勢に不満表明 “来日”の金大中氏 ら致事件の決着で
 韓国の野党第一党平和民主党総裁、金大中氏が二十三日午後、フィリピンからの帰国途中、成田空港に立ち寄り、同空港近くのホテルで記者会見した。
 金氏はさる四十八年八月、東京・九段下のホテルグランドパレスで起きた同氏のら致事件にからみ、警視庁公安部が要請した同氏への事情聴取を拒否した理由 について「日本政府が事件の真相を解明し、私の原状回復を図るよう努力する姿勢を見せない限り(事情聴取に)応じるつもりはない」と述べた。
 同氏はさらに「ら致事件について日韓両国政府がうやむやのまま政治決着をつけたことで、その後、私は死刑判決(一九八〇年)や米国への亡命生活など家族 ともども人権を著しく侵害された」と述べ、同事件解明への日本政府の姿勢に強い不満の意を表明、「ら致事件が当時の韓国中央情報部によって実行されたのは 明らかで、日本政府は国内での主権侵害に対し、韓国政府に適当な措置を求めるべきだ」と述べた。
1988/8/24 読売新聞 東京朝刊


◆「金大中氏ら致事件」の政治決着に矛盾点 調査委が指摘
 国会議員や学者などで組織する「金大中氏拉致事件真相調査委員会」(事務局長・伊藤成彦中大教授)は十九日、さる五十五年の軍法会議で金大中氏に言い渡 された死刑判決の全文を公表、その内容が、ら致事件後に日韓政府間で行われた政治決着と矛盾していることを指摘し、外務省などに対し、改めて事件の真相究 明を求めていくことを明らかにした。
 四十八年八月に起きた金大中氏ら致事件をめぐっては、日韓政府によって同年十一月、五十年七月の二度にわたり政治決着がなされ、「金大中氏の日本におけ る言動の責任は問わない」ことなどがうたわれた。この後、金大中氏は五十五年五月の光州事件の際、国家保安法違反、内乱陰謀などの罪で起訴され、同年九月 の一審判決、同十一月の二審判決とも、軍法会議で死刑が言い渡された。
 同調査委員会は今月初め、これら一、二審判決の全文を平和民主党から入手、判決文を翻訳して検証したところ、「日本など友邦国に反韓世論を起こし、友邦 政府をして反韓政策をとるように誘導した」などと、死刑の判決理由がもっぱら四十七年から四十八年にかけての日本での言論活動を問題にしていることがわ かったという。
1988/8/20 読売新聞 東京朝刊


◆ブッシュ氏の大統領候補指名受諾演説要旨
 【ニューオーリンズ十八日=浅海、水島特派員】ジョージ・ブッシュ共和党大統領候補の指名受諾演説の要旨次の通り。
 一、私は大統領候補指名を受諾する。それは激しく戦い、さまざまな問題に立場を貫くことであり、つまり勝利するということだ。政治の世界では弱いとされ た方が勝った例は数多くある。今回の大統領選もそうなるだろう。われわれはダン・クエール上院議員の手助けを得て勝利する。
 一、七年半にわたり、私は大統領が最も難しい仕事を遂行するのを助けてきた。ロナルド・レーガンは私から誠実と忠誠を得た。
 一、事実はわれわれの側にある。私が大統領を目指すのは一つの目的のためだ。その目的は、時を超えて何百万人ものアメリカ人をつき動かしてきたものだ。 よりよいアメリカを築きたい。それはとても単純だが、とても大きな目的だ。
 一、今年の選択は決定的なものだ。両候補者の間の違いは長い歴史上でもかつてなかったほど深くかつ広いからだ。二人は人間として非常に異なっているとい うだけではない。未来に対する考え方も非常に異なっており、投票日にはその是非が決せられる。
 一、アメリカは衰退してはいない。アメリカは昇りゆく国である。私はアメリカを指導者と考える。この世界で特別な役割を持つユニークな国だ。今世紀はア メリカの世紀と呼ばれた。われわれが世界で善のための圧倒的な勢力だったからだ。今われわれは新しい世紀の手前に来ている。次の世紀はどの国の世紀になる のか−−それはまたアメリカの世紀になる、と私は言おう。
 一、今回の大統領選はわれわれの共有する信念、価値観、原則にかかわるものだ。
 一、われわれの勝利の大きさを考えてみよう。アメリカの有職者数の割合は最高記録だ。新しい産業が生まれるのも最高記録なら、実質個人所得の伸びも新記 録だ。われわれの就任時、インフレは一二%だった。われわれはそれを四%に落とした。利子は二一%以上だったが、それを半分にした。失業率は上昇の一途 だったが、今や過去十四年間で最低のところにある。
 一、アメリカの女性は発展の担い手である。女性たちは新しい仕事をつくり出し、それらのどの仕事も三分の二は女性たちが占めた。私はアメリカの女性にこ う言いたい。あなたがたは、平等というものは、経済的能力が伴って実現するものだということをだれよりもよく知っている。
 一、世界に目を向けてみれば、民主主義の精神が、太平洋地域に広がっている。中国は変化の風を感じている。南アメリカでは新たな民主主義が芽生えてい る。軍隊の力ではなく、理想の力によって、自由のない場所が一つずつ消えていく。
 一、わが国は、ソ連と新しい関係を樹立している。中距離核戦力(INF)全廃条約、アフガニスタンからのソ連軍の撤退開始、アンゴラでの代理戦争終結の 兆しとそれに伴うナミビアの独立などである。イラン・イラク戦争も、和平に向けて動き出している。今が転換点なのである。
 一、ソ連の震動が続いている。ソ連で起こりつつあることが世界を永久に変えることになるかもしれないし、そうではないかもしれない。われわれは力を堅持 し、冷静な外交で臨まなければならない。
 一、理想と価値観の選択はまた哲学を選ぶことでもある。私にはそれがある。輝きの中心にいるのは、個人だ。一個人から光を放っているのが家庭、つまり愛 情、親しさの本質的な要素なのだ。それというのも、家庭こそ、私たちの子供へ、二十一世紀へ、文化や信仰心、伝統、歴史を伝えるものだからだ。
 一、異常に無慈悲な、暴力的な罪を犯した者に死刑を与えるべきだろうか。相手の陣営はノーだ。だが私はイエスだ。子供たちに学校で自発的な礼拝を許すべ きか? 彼らの答えはノー。私はイエスだ。自由な市民が銃を持ち、家庭を守る権利を持つべきだろうか? 彼らはノー、私はイエスだ。
 一、私は増税しない。私の対立候補は増税は最後の手段だと言っている。政治家がこんなふうに言うのは、その手段を実際に検討する、ということだ。彼は増 税の可能性を排除しない。私は排除する。議会が増税せよと私に圧力をかけてこようと、私は「ノー」と何度でも言う。新しい課税はしない。職について約束し よう。次の八年間で三千万人の仕事を創出するのが私の使命だ。
 一、アメリカから麻薬を追放しよう。これは難事業である。だが、今晩、私は、この国の若者にあえて言いたい。密売人とは手を切りたまえ、さあ、我々と共 に仕事に精を出そうではないか。我が政権は密売人たちに忠告する。必要とあらば我々は何でも(対抗策を)やる。君らの時代は終わった。
 一、身体障害者に手を差し伸べ、アメリカ社会での活躍の場を広げたい。
 一、エネルギー問題では、外国産の石油にこれ以上依存しないことがアメリカの安全保障を維持する道だ。国内のエネルギー産業をもっと活力あるものにす る。
 一、外交面では、まず、戦略(核)兵器、通常兵器とも米ソ間で一層の削減を目指す。科学技術の近代化とその維持に努める。地球上から、化学、生物兵器を 一掃しよう。私はまた、「自由」を擁護するつもりだし、東西を問わず、自由を戦い取ろうとする者には友好の手を差し出そう。
1988/8/19 読売新聞 東京夕刊


◆米共和党大統領候補 ブッシュ氏が受諾演説 「力」背景に平和継続を強調
 【ニューオーリンズ(米ルイジアナ州)十八日=水島特派員】さる十五日からニューオーリンズのスーパードームで開かれていた米共和党全国大会は、十八日 夜(日本時間十九日朝)、副大統領候補にダン・クエール上院議員を正式に指名、十七日に大統領候補の指名を受けたジョージ・ブッシュ副大統領とクエール氏 がそれぞれ受諾演説を行い、閉幕した。これにより十一月八日の大統領選投票日に向け、民主党正副大統領候補マイケル・デュカキス・マサチューセッツ州知事 とロイド・ベンツェン上院議員のコンビとの間で、本格的な選挙戦がスタートすることになる。
 ブッシュ氏は指名受諾演説の中で、レーガン政権を副大統領として支え、大統領に忠誠を誓ってきたことを強調、自らの大統領としての「使命」を、「より良 いアメリカを築くこと」と言い切った。
 デュカキス氏については、名指しこそ避けたものの、二人の政策の違いを明確に指摘しつつ、厳しい批判を展開した。まず、「(デュカキス氏も)成長と平和 を語っているが、実績のある人(私)だけがそれを実現できる。(デュカキス氏は)列車を定刻に走らせる能力はあるが、どこに向けて走らせるかは理解できな いのだ」と述べた。
 さらに、デュカキス氏との政策の違いを具体的に列挙、死刑の存続、学校での礼拝法制化賛成、市民のピストル所持の権利擁護、増税反対−−などを訴えた。 経済問題でも、雇用拡大や実質収入アップなどのレーガン政権の実績をたたえた上、今後も自由、公正な貿易を推進し、減税と国家支出の縮小を約束した。
 さらに、力を背景にした平和の継続を訴え、ソ連との間で戦略核および通常戦力削減交渉を促進するとともに、戦力の近代化を進め、また化学兵器、生物兵器 については禁止の意向を明らかにした。
 内政では、人種問題の解決などで、「アメリカは新しい調和と大きな忍耐を必要とする」と訴えた。この演説の最大の特徴は、自らの誠実で率直な人柄を打ち 出そうとした点で、ブッシュ氏は、「私は雄弁家ではなく、時には不器用でもある。しかし、言葉が石油を掘り当てることはできない。私は静かな男だが、国民 の声なき声を聞く耳を持っている」と語りかけた。
 “第一声”ともいえるブッシュ氏の演説は、自信に満ち、国民にゆったりと語りかけるスタイルで、「自信に裏打ちされた新しいブッシュのイメージを作っ た」(ABCテレビ)と言えそうだ。(ブッシュ氏演説要旨2面、特派員座談会3面、関連記事2・3面に)
1988/8/19 読売新聞 東京夕刊


◆島田事件の再審結審 疑問残した未提出証拠 検察主張に矛盾(解説)=続報注意
 「島田事件」の再審が九日静岡地裁で、弁護側の最終弁論で結審した。獄中生活三十四年の赤堀政夫被告(59)に、一日も早い判決を望む。
                         (静岡支局 三島 勇)
 昨年十月十九日の初公判から最終弁論まで約十か月。過去の死刑囚再審無罪事件に比べると「松山事件」(八か月)に次ぐ早さで、「免田事件」(一年七か 月)、「財田川事件」(二年)よりはるかに早い結審となった。
 訴訟手続き上では、審理のスピード化を図るために、裁判所、検察、弁護の三者が、公判を二か月に一度、二回連続して開くことを申し合わせた。公判ごとに 事前に三者が、立証計画や証拠の提出についても協議した。また、確定審の一―三審と再審請求の一―四次までの膨大な証拠を、裁判所が職権で調べたことが、 審理の迅速化につながった。
 再審公判での争点が、被害者の胸の傷についての法医鑑定に絞られたことも、審理が短期間で終わった大きな要因だ。検察側は、二人の法医学者を証人に立 て、尋問と反対尋問が、五回の公判で繰り広げられた。実質審理が、ほとんど法医鑑定論争、特に被害者の胸の傷についての鑑定に費やされた。検察側の論告の 六分の五が胸の傷についての論述だったことがこれを象徴している。
 争点がこのように絞り込まれたのは、再審開始決定などで、「被害者の胸の傷に疑問が生まれ、自白の犯行順序が客観的事実と合わなくなった」とする重大な 疑問が生じ、検察側が確定判決を維持するため、裁判所のこの一つの疑問を払拭(ふっしょく)することに全力を注いだからだ。
 再審では、問題点も残されている。検察側が捜査資料などの未提出証拠の提出をかたくなに拒否したことだ。弁護側は、再審請求審から〈1〉赤堀被告以外の 容疑者の自白調書〈2〉事件当時の捜査日誌の提出を求めた。検察側は、これまでプライバシーの侵害などを理由に捜査日誌の表紙と「凶器の石」の発見日の昭 和二十九年六月一日欄のみしか提出していない。
 弁護側が指摘するように、プライバシーの侵害を言う検察側が、再審公判で事件発生当初から赤堀被告が容疑者の一人として捜査線上にいたことを裏づける補 強証拠として提出した捜査報告書には、別の容疑者の名前も記されている。これはどう説明がつくのだろうか。
 過去の死刑囚再審無罪三事件だけをみても、検察が開示した未提出証拠が、再審無罪判決などの有力な証拠になっている。「免田事件」は、アリバイ証言や証 拠が、「財田川事件」は、五冊にわたる捜査報告書などの書類のつづりが、「松山事件」は、捜査側が隠していた布団の襟当ての血液の鑑定書などが弁護側の強 い要求で提出された。「島田事件」で検察側が、未提出証拠の提出を強硬に拒んだことに対して、弁護側は「検察は、違法捜査などが国民に明らかにされること を恐れているのではないか」と指摘する。
 再審問題に詳しい大出良知・静岡大助教授(刑事訴訟法)は「過去の死刑囚再審無罪事件では、未提出の記録が出されているのに、この事件だけ提出されない のは理解しがたく、また問題だ」と話している。
 審理の迅速化は、大いに評価できるが、未提出証拠に対する検察側の対応には、後味の悪さが残った。
1988/8/10 読売新聞 東京朝刊


◆「私の無実を晴らして」 赤堀被告が最終陳述/島田事件再審公判=続報注意
 「裁判官の皆さまにお願いします。私の無実を晴らして下さい」−−。昭和二十九年、静岡県島田市で六歳幼女が殺された「島田事件」で死刑が確定した赤堀 政夫被告(59)(静岡刑務所在監)の再審第十二回公判が九日、静岡地裁刑事第一部(尾崎俊信裁判長)で開かれ、弁護側最終弁論と赤堀被告の最終意見陳述 が六時間半にわたって行われた。「原審妥当」として再び死刑を求刑した八日の検察側論告に対し、弁護側は約三十万字の弁論書の要約を読み上げてそのことご とくに反論、赤堀被告も切々と無実を訴えた。これで十か月に及ぶ再審公判は結審、早ければ年内にも判決が言いわたされる。
 最終意見陳述で赤堀被告は「赤堀政夫は絶対に犯人ではありません。私は島田事件と関係ありません。無実であります。ひどい調べを受けて、無理やりにうそ の自白をさせられ、死刑判決を受け、悔しくて残念でなりません」と、便せん二枚にしたためた原稿をゆっくり読み上げた。最後に「一日も早く、赤堀政夫は無 実という判決をして下さい。裁判長さまにお願いします」と訴えた。(解説11面に)
1988/8/10 読売新聞 東京朝刊


◆島田事件、再審の論告公判も死刑求刑=続報注意
  昭和二十九年、静岡県島田市で、当時六歳の幼女が殺された「島田事件」の死刑囚、赤堀政夫被告(59)=写真=(静岡刑務所在監)に対する再審論告求 刑公判が八日、静岡地裁(尾崎俊信裁判長)で開かれ、検察側は赤堀被告に、原審裁判と同様、死刑を求刑した。
 論告の中で、検察側は、「被告を犯人と断定した確定審裁判所の判断が正当であったことがより明らかになった。犯行は重大で、被告は弁解を繰り返して反省 の色はなく、情状酌量の余地はない」と断じた。
 再審公判では、被害者の佐野久子ちゃんの胸にあった傷をめぐっての法医鑑定が最大の争点となり、検察側が、確定審の決め手となった古畑種基・東大名誉教 授(故人)の「被害者の胸の傷は、凶器の石でできた生前のもの」とする鑑定の妥当性を主張したのに対し、弁護側は、「胸の傷は死後で、凶器の石ではできな い」との新鑑定を軸に反論した。
 午後一時からの論告で、検察側は、この傷について、勝又義直・名古屋大教授と石山イク夫(いくお)東大教授の法医鑑定により、「被害者の生前かつ扼頚 (やくけい)前に、血液分布が不均衡で血圧が高度に低下した状態で受けたもの」とし、あくまでも「生前の傷」を主張した。
1988/8/9 読売新聞 東京朝刊


◆島田事件再審公判 弁護側が最終弁論で「えん罪明白」主張/静岡地裁=続報注意
 再び死刑を求刑された「島田事件」の赤堀政夫被告(59)(静岡刑務所在監)に対する第十二回公判が九日午前十時から、静岡地裁刑事一部(尾崎俊信裁判 長)で開かれ、最終弁論に立った弁護側は、八日の「原審妥当」とする検察側主張にことごとく反論、赤堀被告の無実を主張した。
 十四人の弁護団は、五百二十四ページ、約三十万字の弁論書の要約を交代で読み上げ、「この事件は、見込み捜査、別件逮捕、うその自白強要、科学鑑定への 盲従など『えん罪の構造』が明白。再審公判でその実態がより鮮明になり、無罪判決しかない」とした。
 弁護側は、「被害者の胸の傷は凶器の石でできた生前のもので、自白の犯行順序『暴行―胸を石で殴打―扼殺(やくさつ)』と合う」とする検察側の法医鑑定 は「科学的根拠に欠ける」と指摘。
 また、赤堀被告の自白に基づいて発見されたという凶器の石について、「再審開始決定などで認定されたように、凶器でないことは明らか。犯人しか知り得な い『秘密の暴露』にならないだけではなく、発見経過などにも問題があり、警察によるトリックだ」などと主張した。弁論は、同日午後にまで及び、続いて行わ れる赤堀被告の最終意見陳述で結審する。
1988/8/9 読売新聞 東京夕刊


◆島田事件の再審論告求刑公判が始まる/静岡地裁=続報注意
 死刑囚四人目の再審として注目されている「島田事件」の赤堀政夫被告(59)(静岡刑務所在監)に対する再審論告求刑公判が八日午前十時五分から、静岡 地裁刑事一部(尾崎俊信裁判長)で始まった。検察、弁護双方から出された法医意見書など二十一点の証拠調べが進められ、午後からの論告求刑で検察側は、殺 人罪などで確定審・一審の求刑(三十二年十月二十二日)と同じ死刑を求刑するものとみられる。あす九日の最終弁論で結審、年内にも判決が言い渡される。
 これまで十回の再審公判では、被害者の佐野久子ちゃん(当時六歳)が、犯人にこぶし大の石で殴られてできたとされる胸の傷をめぐる法医鑑定が最大の争点 となった。
 この傷について確定審は、「凶器の石でできた生前の傷」とする古畑種基・東大名誉教授(故人)の鑑定が、赤堀被告の自白調書の犯行順序「暴行―胸を石で 殴打―扼殺(やくさつ)」に合うとしたが、第四次再審請求審で、「胸の傷は死後のもの。また、凶器とされる石ではできない」とする弁護側の新鑑定が採用さ れ、再審開始が決まった。
1988/8/8 読売新聞 東京夕刊


◆インディラ・ガンジー前首相暗殺犯に死刑判決/インド
 【ニューデリー三日=木佐特派員】さる八四年十月のインディラ・ガンジー前インド首相暗殺事件を審理していた最高裁は、三日、一、二審で死刑判決を受け たシーク教徒三被告のうち、暗殺実行犯の元デリー警察首相警護隊巡査サトワント・シン被告と共謀の同隊元警部補ケハル・シン被告については上告を棄却、死 刑判決を支持したが、共同謀議していたとされる同隊元警部補バルビール・シン被告には無罪判決を下した。
1988/8/4 読売新聞 東京朝刊


◆イラン悩ます反体制グループ民族解放軍とは? 12万の大軍を相手に善戦
 世界中が全く予期しなかったイランの国連安保理のイラン・イラク戦争停戦決議受け入れから二週間。平和への高まる期待と裏腹に、前線ではイ・イ戦争史上 でもまれな激戦が繰り広げられ、この中で中心的な役割を果たしたのが、聞き慣れないイラン反体制グループ「ムジャヒディン・ハルク(人民の聖戦の戦士)」 だった。その戦闘部隊であるイラン民族解放軍(NLA)は先月二十八日、結局イランの十二万人ともいわれる大軍を前に本拠地イラクへの撤退を余儀なくされ たが、イラン領内百二十キロへの侵攻は、イラク軍でさえ経験したことのないものだった。(カイロ・佐藤伸特派員)
 先月二十五日から二十八日にかけて、イラン西部の都市イスラマバードガルブとカランドで行われたイラン軍とNLAの攻防は激戦だった。この戦闘で、イラ ン軍は十二万人を投入、うち四万人のイラン兵が死傷した、とNLAは伝えている。一方、イラン側は、NLA七千人のゲリラのうち四千八百人を殺し、千人が 負傷したと反論している。
 最大二万五千人とも言われるNLAにとっては大きな痛手だったが、イラン側はこの戦闘で大学の学期末試験を延期、サッカーの試合も中止してムッラー(イ スラム教の聖職者)全員に前線に向かうよう促した。NLAとの対決にかけるイラン側の意気込みをうかがわせるものだが、実際、昨年夏から、NLAがしかけ たイラン領内での作戦でNLA側が敗北したのは今回の戦闘だけで、過去一年イランはNLAに悩まされ続けていたのである。
 NLAの指導者はマスード・ラジャビ氏(40)。イラン東北地方ホラサン州の出身で、六六年に設立されて間もないムジャヒディン・ハルクに加わった。 パーレビ国王時代の七一年に逮捕され、国家反逆罪で死刑判決を言い渡されたが、なぜか終身刑に変更され、七九年恩赦で釈放された際には、ムジャヒディン・ ハルクの指導者の中ではただ一人の生存者となっていた。
 パーレビ国王体制打倒で利害が一致、イラン革命直後は、ホメイニ師と協力関係にあったが、ムジャヒディン・ハルクは宗教的色彩よりも民族主義的色彩が強 く、やがてホメイニ師から「えせイスラム教徒」「反革命分子」と呼ばれて反目、八一年七月二十八日にパリに亡命した。
 ラジャイ大統領、バホナール首相など七人の政府要人が爆死した事件をはじめ、さまざまなテロの黒幕だったムジャヒディン・ハルクも、こうして八一年秋以 降は影をひそめ、イラン・イラク戦争が長引くとともに忘れられた存在となっていた。ラジャビ氏が再び脚光を浴びたのは八六年六月、フランスがイランの要求 をのんで、同氏を追放した時のことで、ラジャビ氏は本拠地をバグダッドに移し、イラク政府の資金援助を得て八七年六月、軍事組織NLAを結成した。
 記者(佐藤)は今年五月、NLAのメンバーに初めてバグダッドで会った。メンバーはいずれも、パリッとした紺のスーツに身を包み、アタッシェケースを持 つ、洗練されたセールスマン・タイプ。PRの対象は欧米が中心で、かつてのテロ組織ムジャヒディン・ハルクとは別組織であるかのような印象を受けた。
 現に、この西側重視作戦は功を奏しつつあり、米下院外交委のドナルド・ルーケンズ(共和党)、マービン・ダイマリー(民主党)両議員はNLA支持で知ら れ、ダイマリー議員は米NBCテレビに「アメリカが彼ら(NLA)に道徳的、政治的、外交的支援を与える時がきたようだ」とまで語っている。
 しかし、イランの停戦決議受け入れで、NLAの「イランは好戦的」という従来の批判は通用しなくなった。それ以上に、これまでNLAに支援を続けてきた イラクが、停戦となればNLAを見捨てるかも知れないという恐れも抱かざるを得なくなった。
 テヘランでは今、七月のNLAのイラン侵攻作戦は、イランとイラクが仕組んだNLAつぶしといううわさがささやかれているという。
 NLAは、読売新聞カイロ支局にテレックスで毎日のように声明文を送って来る。その七月二十九日付の声明で、NLAはイラン領からの撤退の理由について 「ホメイニ政権打倒のための広範で致命的な今後の戦闘の準備のため」としている。しかし、これまでの過去一年間の作戦総括と違い、捕虜にしたイラン上級将 校の氏名、出身地のリストは今回に限って流されていなかった。
1988/8/4 読売新聞 東京朝刊


◆[’88米大統領選・デュカキス評伝](3)自信過剰で知事転落(連載)
 一九七八年春の世論調査で、マイケル・デュカキスは当時のライバル政治家たちに三十 以上の差をつけていることが分かった。知事就任一年目に財政危機に 直面し、州議会の指導者とも根強いあつれきがあったにもかかわらず、デュカキスは自らの職務にひたむきに取り組んだ。ワシントンでは実力ある州指導者の一 人という評判を勝ち取り、マスコミの一部から、民主党の新しいプラグマチック・テクノクラート派のリーダーと目されるに至った。デュカキスは自信にあふ れ、「学生時代から自分が抱いていた野心は正しかった。知事こそわが天職だ」と考えていた。
 しかし、彼の自信過剰な性格とクールな態度、そしてたとえ友人であっても政治的なひいきはしないという姿勢によって、多くの支持者らが彼から離れていっ た。また、反対意見を軽べつし、自分の主張を頑固に押し通そうとする性質も人間関係の面で災いした。ある側近によれば、デュカキスの選挙運動のスタッフは ほぼ全面的に州の仕事から締め出されてしまったという。
 七八年秋の予備選の前に開かれたテレビ討論会の時ほど、デュカキスが自信過剰ぶりを見せつけた時はない。対立候補のキングは減税、死刑廃止などあらゆる 問題をとらえてデュカキスを攻撃したが、デュカキスはぶっきらぼうなほど冷淡で、やり返さなかった。彼はすっかり落ち着いてリラックスしており、うぬぼれ が強いように見えた。
 デュカキスが再選を期して臨んだ予備選は、キングの勝利に終わった。デュカキスにとっては、このような苦痛を味わうのは初めての体験だった。彼はマサ チューセッツ州知事という年来の夢をいったん実現したものの、今それはあっという間に彼の眼前から消え去ってしまった。彼は有権者が自分の人間性に腹を立 て、また、自分の政治スタイルにも嫌けがさしていることを悟った。妻のキティにとっても敗北の精神的痛手は大きかった。彼女はその七年後にAP通信記者の 取材を受けた際、「本当に身の毛のよだつような思いでした。体がぞっとしてしまって……。つまり、人前で死んでしまったようなものですからね」と語ってい る。
 この時の敗北は多くの要因が重なって生じたというのがデュカキスの見解であり、自ら「税金のことで私に憤りを感じていた人もいるし、私のやり方が気に食 わないという人もいた。キングは非常に巧みにいくつかの主要な問題を取り上げて攻撃を仕かけてきたが、私は決して応酬しなかった」と言っていた。デュカキ スは根本的には、彼自身の過度の自負心と、それによってチャンスを逸したために敗北したのだった。一九七九年一月四日、デュカキスは静かに州政庁の執務室 から立ち去った。この年の十一月、落選の悲運に追い打ちをかけるように、デュカキスの父親、パノスが八十三歳で死去した。
 再び浪人の身となったデュカキスは、ハーバード大学のケネディ・スクールに講師の職を得た。彼は州及び地方自治体の運営に関する講座を担当したが、人気 は上々で、教室は学生であふれ返った。ケネディ・スクール時代、デュカキスは政治とのかかわりには慎重だったものの、ボストンに小さな事務所を構え、着々 と復権への準備を進めた。そこで降ってわいたように起こったのが、キング知事の公金使い込み事件だった。私的な食事やクリーニングの代金に公金を流用して いたというもので、キングの株は急落し、デュカキスにとっては絶好の雪辱のチャンスが巡ってきた。
 八一年が近づくとともに、デュカキスのリターンマッチが始まった。彼の資金調達作戦は非常に快調なスタートを切り、組織固めもうまく進んだ。同年四月に 開かれた民主党綱領討議大会のほとんどの重大な表決でデュカキスは勝利を収め、陣営の活動家たちの意欲は一気に高まった。
1988/8/4 読売新聞 東京朝刊


◆「日本は謝罪の立場にはない」 梁井大使が韓国平民党の要求に表明/金大中事件
 【ソウル二日=大江特派員】「金大中内乱陰謀事件死刑判決」に関連し党声明を発表した韓国の平民党は二日午後、李龍煕・同党「金大中ら致事件真相調査委 員会」委員長ら党幹部三人をソウル市内の日本大使館に送り梁井新一大使と面談、日本政府に対し謝罪を求めるとともに「ら致事件」の真相を究明するよう公式 に要請した。
 同党の要請に対し、梁井大使は〈1〉七五年の「ら致事件政治決着」は、日韓両政府が決定したものであり、日本政府は以後これを尊重してきている〈2〉死 刑判決に至った裁判問題は元来、韓国の内政問題であるが、日本政府は裁判の過程で再三関心を表明してきた−−などの経緯を説明、「日本政府として謝罪する 立場にない」旨を表明した。
1988/8/3 読売新聞 東京朝刊


◆金大中事件で韓国平民党が日韓政府に謝罪要求
 【ソウル二日=山岡特派員】韓国の野党第一党・平民党は二日、韓国大法院(最高裁に相当)が八一年一月に確定した「金大中内乱陰謀、国家保安法違反判決 文」に対する反論声明を発表し、韓国政府と日本政府に対して、真相を明らかにしたうえ、謝罪するよう求めた。この判決文は、金大中氏(現平民党総裁)に死 刑を宣告したもので、平民党は、この事件が「軍事独裁政権が再執権するためのでっちあげだ」と非難している。
1988/8/3 読売新聞 東京朝刊


◆トロツキーの孫、祖国ソ連を語る ゴルバチョフ改革を絶賛 名誉回復を要請
 「ペレストロイカ(立て直し)は注目すべき変化」「ゴルバチョフ氏(ソ連共産党書記長)は社会主義の可能性を自覚した人物」−−。メキシコ市コヨアカン にある旧トロツキー邸(現トロツキー博物館)で、スターリンに暗殺された革命家の孫エステバン・ボルコフ氏が、ソ連のペレストロイカとグラスノスチ(情報 公開)に対する熱い期待を語った。祖父トロツキーの復権についても、氏は最近、ソ連最高裁に法的名誉回復を要請したことを明らかにした。(メキシコ市・波 津特派員、写真も)
 エステバン(ロシア名ステパン)・ボルコフ氏は一九二六年、トロツキーの最初の妻との間に出来た二女ジナイーダとボリシェビキ革命家ボルコフの間に生ま れた。祖父がスターリンによって国外追放にあった後、その後を追ってトルコ、オーストリア、フランスなどを転々とし、一九三九年八月、トロツキーより二年 遅れてメキシコ入り、祖父の暗殺までちょうど一年間、コヨアカンのトロツキー邸で生活をともにした。
 そのボルコフ氏と会ったのは、今ではトロツキー博物館となっている邸の中庭にあるトロツキーの墓碑の前だった。
 「ペレストロイカ、グラスノスチはソ連だけでなく、社会主義世界全体にとっての注目すべき変化だ。ゴルバチョフ指導部は、ソ連の官僚独裁体制が破産した ことを明らかにし、真の社会主義の可能性を示した。社会主義は物質面だけでなく、社会的、倫理的な面においても資本主義よりずっと豊かに、そして生産的に なりうる−−書記長が言わんとするのは、まさにこの点なのだ」
 氏はゴルバチョフ改革を絶賛した。祖父の創設した第四インターナショナルをはじめ、どの特定の政党にも加わっていないというが、ボルコフ氏は確固たる社 会主義者だった。
 一九四〇年八月二十日、祖父がシンパを装ったスターリンの刺客ラモン・メルカデルのピッケルの一撃を受けた日のことを、ボルコフ氏はよく覚えている。 「私が学校から帰ったのは、祖父が襲われてから約三十分後だった。祖父は食堂の床に血まみれになって倒れていた。意識ははっきりしていて、犯人を生かし、 証言させるように、としきりに言っていた」
 生前のトロツキーについては「あんなひどい仕打ちを受けながら、とても明るく楽観的な人だった。よく冗談を言って私たちを笑わせてくれた」という。
 ボルコフ氏にとって、祖父を殺したスターリン主義は「ロシアの貧しさと後進性」がもたらした「社会主義の病気」であり、「本来のマルクス主義とは無縁」 の体制だった。そして「ペレストロイカは決して“もう一つのスターリン主義”ではない。ゴルバチョフ氏は確かに官僚集団から出た人間だが、この官僚集団 を、権力を独占して特権化し、社会に寄生するカーストから、民主的に選ばれ、労働者各層の利益に沿って、社会を調整、指導する存在に変えようとしている」 と最大限に評価する。
 こうした期待の中で、ボルコフ一家は最近、連名で、ソ連最高裁あてに、一九三六年の欠席裁判で下されたトロツキーの死刑判決と「反革命」の数々の罪状に ついて「無効」を宣するよう要請した。「まず法的名誉回復、そして歴史的復権を求める。世界は変わりつつあるんだよ」−−ボルコフ氏には相当、自信がある ようだった。
 ここまで話した時、ボルコフ氏の秘書が近づいて「中国人記者とのインタビューはいつにしましょうか」と尋ねた。記者(波津)が「それは大陸中国の記者 か」と聞き直すと、秘書は「共産党機関紙『人民日報』の記者です」と答えた。ボルコフ氏は「どうだい」とでも言わんばかりに、こちらに向かって心からうれ しそうに笑ってみせた。
    ◇
 メキシコでは昨年三月、旧共産党系を中心に、左翼諸党が合体してメキシコ社会党(PMS)を旗揚げしたが、かつての共産党も、現PMSも、トロツキー復 権には肯定的だ。
 アマリア・ガルシアPMS国際局長は、ボルコフ家が出したトロツキーの名誉回復要請について「私たちは心から共感する。トロツキーの第四インター建設は 最善の道ではなかったかもしれないが、彼が革命の指導者であったことは間違いない」と、すでにメキシコ党内ではトロツキーの“名誉回復”が終わっているこ とを明確にした。また、第四インター加盟のトロツキスト政党・労働者革命党(PRT)については「まぎれもなく革命勢力であり、昨年のPMS形成時には合 体の呼びかけも出した。PRTはこれを拒否したが、今も密接な関係を維持している」と“仲間”であることを繰り返し強調した。
 「レッテル張りはもはやはるか過去のメンタリティーです」−−ガルシア局長が最後に付け加えた一言が印象的だった。
1988/7/22 読売新聞 東京朝刊


◆政権奪回めざす米民主党 対照的コンビで「強さ」訴え
 マイケル・デュカキス米マサチューセッツ州知事とロイド・ベンツェン上院議員は、十八日開幕する民主党大会で、正副大統領候補の正式指名を受け、民主党 として八年ぶりのホワイトハウス“奪回”を目指す。ギリシャ系移民二世の若き精鋭デュカキス氏と、“貴族的ムード”の老練ベンツェン氏のコンビが、果たし てアメリカ社会の期待にこたえ、最終的支持を勝ちとれるかどうか−−民主党大会を前に、二人の人物像、政策などに焦点を当てた。(米ジョージア州アトラン タ・斎藤、浅海特派員)
 ◆移民二世デュカキス氏 「柔軟」、麻薬撲滅を◆  
 ◆大地主の子ベンツェン氏 「頑固」、死刑制は必要◆
 「両親はアメリカン・ドリームを求めてこの国にやってきた」「妻子と私にとって夢は現実となった。それはまた、みなさんたちすべての人々に属するもの だ」−−アメリカ中のラテン系市民の全国組織「全米ラテン系アメリカ市民連盟」年次大会がさる七日、うだるような暑さのテキサス州ダラスで行われ、二千人 以上の聴衆がデュカキス知事のスペイン語まじりの演説に耳を傾けた。
 共和党のブッシュ候補が米東部エスタブリッシュメントの伝統の中で育ち、それだけ新鮮味に欠けるのに対し、「ギリシャ移民二世」デュカキス候補の強み は、“人種のるつぼ”アメリカでしか実現できない夢物語を、自らの人生に照らしながら、選挙民にアピールできる点である。
 父親のパノスさんは、十五歳で祖国ギリシャからアメリカに渡り、夜学に通いながら苦学して医学博士号を取得、ボストンで開業医になった。その息子は、父 母、兄弟の援助に支えられて、名門校ブルックライン・ハイスクールからハーバード大、そしてマサチューセッツ州知事へ−−デュカキス氏が選挙スローガンに 掲げる政策はそのほとんどが、こんな家庭環境、実体験をもとにした信念、哲学から生まれている。
 同候補によると、「過去二百年、強いアメリカを支えてきたのは、強固なファミリーがあったからである。ファミリーはあらゆる人生の中で最も重要なもので ある」「強固なファミリーは、すべての働く能力のある人々のための雇用の機会、国民健康保険、教育の向上、麻薬の撲滅などによって形成される」という論法 になる。だが、アメリカではいま家族の崩壊、危機が叫ばれている。中でも最も深刻なのが麻薬問題だ。世界人口の五%にすぎない米国民の麻薬使用量は世界全 体の五割近くを占めていると言われる。
 デュカキス氏は「アメリカにとって、中米ニカラグア・サンディニスタ共産政権の存在より、麻薬のアメリカ社会への侵食の方がより大きな脅威」と主張、麻 薬の恐ろしさを国民に理解させ、社会から追放するために、州予算の一部を「麻薬教育」に充て、小、中学校で特別授業を開始している。
 レーガン政権が過去七年半の「経済再建」を誇示しているにもかかわらず、職にあぶれ、物ごいの生活を強いられている「ホームレス」たちの存在も、アメリ カの大きな社会問題となりつつある。
 この点、デュカキス知事は「マサチューセッツ州は、私が知事になって以来、失業率は二・八%に大幅減少した。私が大統領に当選したら、このような“マサ チューセッツの奇跡”を全国規模で実現する」と説いて回っている。
 国家財政の大幅赤字も深刻化しつつあるが、対照的にマサチューセッツ州が、毎年達成してきている「財政均衡」は、同候補のセールス・ポイントのひとつで ある。
 「超ハト派」のイメージを振り払い、同時に雇用、福祉、教育重視を訴えるデュカキス氏。「十一月決戦」の成否は、そうした民主党としての“新しい実験” がどこまで選挙民にアピールするかにかかっていると言えよう。
    ◇
 「ベンツェンこそ大統領向きではないか」−−民主党副大統領候補の指名が発表された十二日、米国内ではこんなささやきが盛んに聞かれた。
 ロイド・ベンツェン上院議員(67)。白髪、長身、優雅な物腰……。あだ名は「テキサスの王党派」。多くの米国民がこんな同氏に「移民の子」デュカキス 候補にはない雰囲気を感じとったのは間違いない。
 実際、テキサス州リオグランデ渓谷の大地主の子として生まれ、復員後、二十七歳で下院議員に当選、三期で辞任後、保険会社を経営して大金持ちに。そして 上院議員になり、財政委員長……という経歴は「アメリカの貴族」と言ってもいいくらいだろう。
 すきのない服装は、自分の農場でくつろぐ時も同じ。飾りのついた牛革の靴もお気に入りだ。
 デュカキス氏と同様「冷徹な政略家」と言われる。「細部まで知り尽くし、無理をせず、じわじわと攻める」(ダンフォース上院議員=共和党)その政治手法 は、相手にとって何とも手ごわい。
 もっとも、「冷徹さ」を除けば、ベンツェン=デュカキス間には、共通点より相違点ばかりが目立つ。政策をみれば一目りょう然だろう。
 死刑制度=「必要だと思う」、ニカラグアの反政府ゲリラ「コントラ」への援助=「不可欠」、MXミサイル=「これなしに、大陸間弾道弾(ICBM)時代 の軍縮交渉はやれない」……こんなベンツェン氏の主張はすべてデュカキス氏の政策に相反するものだ。
 しかし、あるデュカキス派幹部は「ベンツェン氏には、あえて自説を主張し続けてもらいたい」ともらす。デュカキス氏は、とかく「柔軟すぎて無原則」と見 られがち。だからベンツェン氏の「頑固さ」が有権者に「安心感」を与え、さらには民主党コンビを「強く」見せるのに欠かせない。ベンツェン氏指名のもう一 つの理由はこの点にあるというわけだ。
 とはいえ、こんな“デュカキス=ベンツェン戦略”が本当に奏功するのかどうか−−。
 南部の有権者がレーガン大統領への投票を通じ、余りにも共和党に慣れ親しんでしまい、共和党が今後デュカキス=ベンツェン間の相違を徹底的につく構えを みせていることなどから、民主党側戦略の失敗を予想する向きもないわけではない。
1988/7/18 読売新聞 東京朝刊


◆両親絞殺の大学生に死刑判決 成績悪化なじられ凶行 虚栄心を糾弾/中国
 【北京十五日=高井特派員】今年二月、中国・南京市で、学業成績の悪さを批判されたことに腹を立て、両親を絞殺した大学生、王林(19)に同市中級人民 法院は十四日、死刑の判決を言い渡した。
 事件は、両親ともに大学教授という教育一家で起き、中国社会に大きな波紋を呼んだ。発端は、文科系志望の王を、両親が無理に理科系の夜間大学に入学させ たことだった。王は不本意な進学で、勉強に積極的でなく、ふだんから王をしかっていた父親は昨年末、王に対して「一科目でも落第点を取ったら、学費を出さ ない」と言い渡した。王の入学した大学は、国立ではなく、年間千五百元(一元は約三十五円)もかかる学校だった。
 ところが、王は英語の期末テストでカンニングが発覚して零点となった。このままだと、大学の継続も、就職もままならないと思いつめた王は、睡眠中の両親 をナワで絞殺、ベッドの下とタンスの奥に遺体を隠した。犯行の翌日、王は五人の友達を自宅に招いて、平然と酒を飲み、食事をしていた事実がさらに反響を呼 んだ。
 事件は、学歴偏重の風潮と若者のすさんだ精神状況を示すものとして、大きな論議を呼び、「人民日報」紙なども「悲劇の背後にある教訓を学ぼう」といった 評論を掲げた。犯罪の客観的な背景を考慮すべきだとか、王は精神病であったなどの同情的な報道もあったが、判決は「犯行は一種の極端な虚栄心が導いた変態 心理が作り出したもの」として、死刑を確定した。
1988/7/16 読売新聞 東京朝刊


◆連続殺人の警官「広田」に死刑求刑/大阪地裁
 五十九年九月に連続発生した京都・船岡山公園の警官殺害・ピストル強奪と大阪・京橋のサラ金強盗殺人の両事件で、強盗殺人罪などで起訴された元京都府警 西陣署外勤課巡査部長、広田雅晴被告(45)に対する論告求刑公判が十二日午後、大阪地裁刑事一部(青木暢茂裁判長)で開かれ、検察側は「目的のためには 手段を選ばない冷酷非情な殺人鬼同然の計画的犯行」として死刑を求刑した。九月八日に弁護側が最終弁論を行い結審、年内に判決が言い渡される。
1988/7/13 読売新聞 東京朝刊


◆[アメリカの挑戦]88大統領選(1)麻薬撲滅、漂う虚無感(連載)
 記録的干ばつの続くアメリカで大統領選が大詰めを迎えようとしている。民主党は今月十八日からの党大会で、マイケル・デュカキス候補(マサチューセッツ 州知事)、共和党は来月十五日からの党大会でジョージ・ブッシュ候補(副大統領)の指名をそれぞれ最終決定し、秋の決戦に向けてラストスパートをかける。 「強いアメリカ」を旗印にしたレーガン革命後を担うのはどちらの陣営かは依然、流動的だが、いまアメリカ社会が抱える課題も数多い。両陣営の政策を検証し ながら、新政権の挑戦を待ち受ける社会の断面に迫ってみた。
 ◆常習者500万人にも◆
 「麻薬撲滅戦争で、私たちは間違いなく敗退を続けていますよ。このままだと全面降伏ですよ。何しろ人手も金もなしに素手で戦っているようなものなんだか ら」
 マンハッタン西四十二丁目のビルの一室にあるマンハッタン第四民生部。ボランティアの地区住民五十人とともに地区の生活相談を引き受ける市職員ビル・ラ イアンさん(28)は、このところ、麻薬情報をニューヨーク市警に流す仕事に追われっ放しだ。
 第四区は西十四丁目から五十九丁目まで。中でも四十二丁目から四十八丁目にかけての一帯はマンハッタンでも指折りの“麻薬汚染地帯”だ。
 「ウエストサイドの私の受け持ち地区では、古いアパートが次々に麻薬アジトに占領されている」とライアンさん。確認ずみだけですでに数十か所。マンハッ タンの特殊事情で、アパートの家主が値上げに応じない店子を追い出すため、いやがらせに麻薬の売人を引き込むからという。
 全米のコカイン体験者は数千万、常習者は推定五百万といわれる。ニューヨークがそのうち二十万人を占める。三年ほど前、安くて効き目が強烈なクラックが 登場してから爆発的に麻薬禍が広がった。今やクラックは中、高校生からサラリーマン、黒人低所得者からヤッピーまで無差別に拡散中である。
 その一因は、まず取締官の不足と刑務所の不足、社会復帰施設の不足……と不足ずくめにある。特に刑務所はどこも超満員で、麻薬で捕まっても翌日には町に 出てくる。一年に逮捕歴が三十回、五十回という麻薬取引人も珍しくないという。ライアンさんは「何をやってもむなしいだけ。無力感をひしひしと感じます」 と訴える。
 同市最大の麻薬中毒患者のリハビリテーション・センター「フェニックス・ハウス」。二十年カウンセラーを務めるクリス・ポラカノさん(49)も「クラッ クがアメリカ社会を崩壊させつつある」と警告する。入院患者の八割はクラック。しかも女性が急増中で三割を占めるという。
 ポラカノさんは「子供を育て、夫を助け、ひいてはアメリカ社会を支えているのは女性です。その女性が次々に麻薬に侵されていけば、やがてアメリカは崩壊 します」と話す。
 麻薬撲滅は、共和、民主両党ともに大統領選キャンペーンの目玉に掲げ、互いにどちらがより厳しいプログラムを用意しているか、を競い合っている。
 共和党有力候補のブッシュ副大統領陣営はいう−−。「重犯罪人には死刑も適用する」「不要不急の基地を閉鎖して、麻薬犯罪人用の刑務所につくりかえ る」。そして民主党有力候補デュカキス・マサチューセッツ州知事を「犯罪防止・取り締まりに優柔不断」と攻撃する。
 一方のデュカキス陣営は「麻薬追放国民同盟を結成し、子供を麻薬から守る」「国境の麻薬流入取り締まりを強化し、協力しない外国には対外援助をストップ する」。そしてブッシュ副大統領とパナマのノリエガ国防軍司令官との“コネクション”を攻撃。
 麻薬の需要を断つことに重点をかける共和党と、供給面を断つのに力点を置く民主党とで多少の違いはあるものの、具体策に欠ける点では共通している。
 ライアンさんは「過去七年も八年も、何ら有効な手も打ってなくて、急に大ぶろしきを広げられても……」と信じられないといった口ぶりだ。
 ポラカノさんも「ランボー・スタイルの宣伝文句は聞きあきた」と答える。同センターでは収容人員に限度があり数か月待たされるのがふつう。「その間に死 んでしまうか、中毒患者に逆戻りするか、二つに一つしかないのを政治家たちは知ってるのでしょうか」と問いかける。
 (ニューヨーク・中園特派員、写真も)
1988/7/12 読売新聞 東京朝刊


◆日本も南ア制裁に同調を 「アパルトヘイトを考える夕べ」で訴え
 「一生に一度でいいからヒューマニティー(人間愛)ということを考えて下さい」−−南アフリカ共和国の黒人解放組織「アフリカ民族会議(ANC)」の東 京事務所開設(五月二十五日)を記念して、「アパルトヘイト(人種隔離政策)を考える夕ベ」が先ごろ東京で開かれ、ジェリー・マツィーラ同事務所代表が約 千五百人の参加者を前に熱っぽく訴えた。
 「考える夕べ」は映画監督の山田洋次さん、漫画家の手塚治虫さんが発起人となって開かれたもの。発起人の一人、フォト・ジャーナリストの吉田ルイ子さん が「南アで日本人が“名誉白人”として白人政権の後ろ盾になっていることに強い怒りを覚える」とあいさつすると、続いてマツィーラ代表が立ち、静かな口調 で南アの現状を語った。
 「南アは非常事態宣言三年目に入り、軍が権力を増しつつある。反アパルトヘイト運動を弾圧するため子供にまで銃が向けられている」
 マツィーラ代表はさらに「自由を求めたというだけで四十四人が死刑を宣告され、獄につながれている。こんな現状を打破するため日本も対南ア制裁に同調し て欲しい。いまこそ南ア孤立化のため立ち上がるべき時だ」と訴えた。
 「考える夕べ」ではこのあと、スライドや音楽を使った南アの現状リポート、反アパルトヘイト運動への参加呼びかけが行われた。参加者たちは口々に「マ ツィーラさんの呼びかけに心を打たれた。僕も彼らのために何をできるか考えたい」(二十五歳の会社員)、「日本が黒人を苦しめる片棒をかついでいることが いやでいやで……。恥ずかしいことですよね」(三十二歳の主婦)などと語っていた。 (小沢記者)
1988/7/9 読売新聞 東京朝刊


◆北京大学院生殺人犯グループの主犯に死刑判決
 【北京三十日=高井特派員】六月初旬、北京大学生らのデモや壁新聞による政府批判事件のきっかけとなった大学院生殺害事件の犯人グループに対する判決公 判が二十九日、北京の中級人民法院で行われ、主犯格の一人に死刑、もう一人に執行猶予二年の死刑、さらに残る四人にも懲役三年から十五年の厳しい刑が言い 渡された。
1988/7/1 読売新聞 東京朝刊


◆再審請求の袴田事件 弁護側が自白した逃走経路の矛盾点で新証拠提出
 四十一年六月、静岡県清水市のみそ製造会社の専務一家四人が殺された事件で犯人として逮捕され、無実を訴えながら死刑が確定している元プロボクサー袴田 巌元被告(52)(東京拘置所在監)が再審を請求している「袴田事件」で、弁護側の依頼を受けた横田英嗣・東海大工学部教授(光学工学)が一日までに、新 証拠とする鑑定書をまとめた。鑑定書は、捜査段階で元被告が逃走経路として自白した被害者宅の裏木戸に関する静岡県警の実験写真をコンピューターで解析、 この結果、元被告がくぐり抜ける状態を再現した裏木戸の開き方では、実況検分で施錠されたままになっている上部の留め金がはずれてしまうと鑑定。弁護団 (伊藤和夫団長)は「原判決の証拠となった書類、証言などが虚偽と判明した」(再審請求要件)として、近く静岡地裁にこの鑑定書を提出する。
 問題の裏木戸には扉中央部のかんぬきのほか、上部と下部に留め金がついていたが、警察の実況検分では事件当時、上部留め金は施錠されていたことが確認さ れている。
 また袴田元被告の捜査段階の自白では、元被告は四人を殺害した後、裏木戸の下部の留め金と中央部のかんぬきをはずし、上部留め金は施錠したまま扉の下方 を押しあけていったん脱出、向かいの工場から混合油の入ったポリ容器を持ち出し、再び被害者宅に戻り、放火して逃げたことになっている。
 県警では、自白を裏付ける証拠として裏木戸の実物大模型を作り実験、その結果「上部の留め金をかけたままでも、人の出入りは可能」との結論を出し、捜査 報告書にまとめた。確定判決はこれらをもとに、裏木戸を出入りの経路と認定した。
 横田教授は、県警の捜査報告書に付けられた再現模型の裏木戸から人が出入りしている状態を写した二枚の写真を鑑定した。この写真には木戸の下方しか写っ ておらず、上部留め金は写っていない。このため同教授は写真に写っている下部の扉の開き方、しなり方をコンピューターで解析した。
 その結果、実際には上部の留め金は木戸底部から百五十五センチの位置にあるが、写真通りの開き方では、扉の左右が接する位置は、一枚は約二百八十セン チ、もう一枚も約二百九十センチとなり「誤差を計算に入れても接点は実際の上部留め金よりはるかに上部になってしまう。つまり写真での扉の開きでは上部留 め金ははずれてしまう」と結論した。
 これは、事実上、上部留め金をかけた状態で裏木戸を通り抜けることは不可能であることを意味するもので、弁護団では「自白や実況検分と明らかに矛盾す る」として再審開始決定に向けての有力な新証拠となるものとみている。
1988/7/1 読売新聞 東京夕刊


◆上司ら2人をバットで殴殺 石田被告の死刑が確定/最高裁
 東京・神田駿河台で、五十六年七月、会社の金の使い込みがバレるのを恐れ、上司とビル管理人の二人をバットで殴り殺したうえビルに放火し、強盗殺人、現 住建造物等放火の罪に問われた北海道生まれ、元会社員、石田三樹男被告(40)について、最高裁第二小法廷(奥野久之裁判長)は一日午前、「犯行の動機に 酌量の余地はなく、態様も悪質で残忍。死刑判決はやむを得ない」と一、二審の死刑判決を支持、石田被告の上告を棄却した。これで今年に入って最高裁で死刑 が宣告されたのは七人(昨年は六人)となり、過去十七年間で最も多い記録になった。
1988/7/1 読売新聞 東京夕刊


◆仮出獄中に強盗殺人 トビ職に再び無期/東京高裁判決
 一昨年十一月、横浜市旭区で、なじみのスナック経営者鎌田節子さん(当時四十三歳)を乱暴したうえ殺害、現金などを奪ったとして、強盗殺人などの罪に問 われた秋田県横手市出身、とび職人木村誠被告(49)の控訴審判決が、二十八日午後、東京高裁刑事八部(石丸俊彦裁判長)で言い渡された。石丸裁判長は 「別の殺人罪で仮出獄中の犯行で、極悪非道、鬼畜に等しい行為だが、なおまだ死刑をもって臨むにはちゅうちょせざるをえない」と述べ、一審の無期懲役判決 を支持して、検察側(一審で死刑求刑)の控訴を棄却した。
1988/6/29 読売新聞 東京朝刊


◆通常兵力削減を早期に EC首脳会議が政治声明
 【ハノーバー(西ドイツ)二十八日=原野特派員】西ドイツ・ハノーバーで開かれていたヨーロッパ共同体(EC)首脳会議は二十八日、東西関係、南アフリ カ問題など六項目の政治声明を発表、ウィーンで開かれている全欧安保協力再検討会議の早期合意を全参加国に呼びかけた。声明は先月中旬に同会議に参加する 中立、非同盟国が提出した合意文書案に沿って早期妥結を図るよう呼びかけるとともに、同会議で早急に欧州の通常兵力交渉を始めることの必要性を強調してい る。
 また、南ア問題ではボタ南ア大統領に殺人罪で死刑判決を受けているシャープビル黒人居住区の黒人六人の刑執行停止を訴え、さらに、南ア政府が反アパルト ヘイト(人種隔離政策)組織への外国援助禁止措置を強化すれば、さらに南ア制裁の枠を広げると警告した。
1988/6/29 読売新聞 東京朝刊


◆党籍回復はありえぬがトロツキーが法的復権へ ソ連党理論誌副編集長が表明
 【モスクワ二十七日=布施特派員】第十九回ソ連全国党協議会の開催を前にした二十七日、党理論誌「コムニスト」のオットー・ラツィス副編集長はモスクワ で記者会見し、スターリンの最大の政敵として、これまでソ連史からほぼ抹殺されていたレオン・トロツキーの法的復権と歴史的再評価が行われる見通しである ことを明らかにした。ブハーリン、ジノビエフらの名誉回復に続きトロツキーの復権が果たされれば、ゴルバチョフ政権下で進む歴史見直しの動きは、フルシ チョフ時代のスターリン批判をしのぐ新たな一段階に入ることになる。
 この日の会見でラツィス副編集長は、トロツキーの復権問題について、〈1〉法的復権〈2〉党員としての復権(党籍回復)〈3〉歴史的復権−−の三点から 考える必要があると述べた。
 トロツキーは、ジノビエフらを裁いた一九三六年八月の粛清裁判で欠席のまま死刑判決を受けているが、同副編集長はまず法的問題について、デッチ上げの罪 をきせられたという意味で「復権に値する」と述べた。
 また歴史的役割についても、赤軍(現ソ連軍)の創設者であり、軍事革命評議会議長を務めたトロツキーに関して、「歴史から抹殺するのをやめ、あるがまま に描く必要がある」と断定した。
 さらに、「ソ連のすべての読者が、その著作に接するようになるはずだ」と、著作解禁の可能性を強調した。
 しかし、同副編集長は、「トロツキーは(粛清裁判でなく)反党活動で党除名になった」として、党籍回復はありえないことを示唆した。
1988/6/28 読売新聞 東京朝刊


◆[ペレストロイカ第二の鼓動](4)法改革 権力乱用の再現を防ぐ(連載)
 法・司法制度改革は、党機構改革、ソビエト(議会)の役割の拡大と並んで、政治制度改革の大きな柱。しかし党協議会の討議の基礎となる「中央委員会テー ゼ」には、この点について具体的な青写真がない。
 −−法再編作業はどの程度進んでいるか。
 「対象は憲法、経済関係法、刑法の三つにあるが、このうち刑法は今年中に草案が発表になる。この中では、経済犯に対する死刑の規定や、流刑が廃止され る。またそれに伴い、新(刑事)訴訟法も来年完成する。刑法改正は改革の中でも最も急がれた分野だ。これは、不法と専横と権力乱用の時期があったという歴 史的事実から説明することができる。刑法が十分に機能しないという苦難があったからだ」
 −−経済犯に対する死刑の廃止というのは、国営企業法、協同組合法といった経済新法、改革に伴う経済活動の変化が理由と考えてよいか。
 「三つ理由がある。一つは規定が(ヤミ活動など経済犯の予防に)効果がないとわかったからだ。もうひとつは、どれだけ蓄財したにせよ、人の命には代えら れないとの意識が社会に育っていることだ。三番目は私個人の考えだが、この規定は六二年の導入時、経済改革を遂行する代わりに(枠をはみ出した経済活動 に)刑事罰を科したという意味がある。だから、官僚側が犯罪とみなす理由がなくなるとともに、実際には死刑そのものもなくなった」
 党機構改革、ソビエトの役割の拡大は、法再編と密接にかかわっている。「テーゼ」は、党の活動が「厳格に法のもとで行われなければならない」として、党 の“超越性”を明快に否定しているが、問題はそれだけにとどまらない。政治改革によって党の構造や機能の見直し、ソビエトの権限の拡大が実現すれば、当然 その法的裏付けが必要になる。ひいては憲法の改正にもつながることになろう。
 「国家構造の中で、『党の指導的役割』(憲法条文)が占める範囲をより厳密かつ正確に規定することが不可欠だ。『指導的役割』が厳格な法の統治のもとに 置かれなければならないと考える。政府機関、省庁についても同様だ。社会主義に、伝統的な分権の理論を注入しなければならない」
 −−憲法改正を行うということか。
 「二つ意見がある。アメリカのように修正条項をつけ加えるというもの。それに、憲法を現実に機能する構造に変えるというものだ。憲法に反するような権力 執行者の行為は、すべてなくす必要があるからだ。だが、こうした提案は今のところ、学者の間で議論されているに過ぎない」
 改革の進行とともに、こうした法改正と同時に、全く新しい法律を作成する作業も進んでいる。グラスノスチ(情報公開)や人権に関する立法だ。ヤコブレフ 氏(60)は、現在準備されている例に「新聞法」「情報公開法」をあげた後、人権にかかわる問題として、パスポート制度(国民の常時携帯、提示の義務)に 言及した。今これが「社会問題」となりつつあるのは、この制度がスターリン時代に確立された「行政的指令的経済管理制度の産物」だからであり、法的に廃止 できるかどうかは経済改革の成功いかんにかかっているというのだ。
 −−つまるところ、法・司法制度改革は、ソ連の法治国家としての再編を意味すると考えてよいか。
 「全くその通りだ。スターリン時代のソ連は、例えば刑法の上から言えば、あからさまな無法状態だった。法の執行によって、国民が国家を統治しなければな らない。国家を法のもとに−−そのような構造を打ち立てることが、スターリン時代の権力乱用の再現を妨げると信じる」(モスクワ・布施特派員)
1988/6/25 読売新聞 東京朝刊


◆西アフリカは産業廃棄物の墓場じゃない 先進国が外貨をエサにエゴ
 【ナイロビ十九日=那須特派員】西アフリカ各地に、欧米先進国が産業廃棄物を投棄する動きが次々と明らかになり、こうした動きを非難するアフリカ諸国の 大合唱が起きている。対外債務を抱え、外貨収入の伸びもままならないアフリカ諸国の苦しい台所事情に付け入り、正規に処理すれば膨大な費用のかかる廃棄物 を“手軽に葬ろう”という意図が見え見え。国連環境計画(UNEP)も事態を重視、来年三月をメドに「有毒廃棄物の国境を越える搬送の規制に関する世界会 議」を、スイスのバーゼルで開催する方向で協議を進めており、先進国の“エゴ”に歯止めをかける動きが強まっている。
 ◆毒物など大量に投棄◆
 ギニアでは大西洋に浮かぶ無人島に、毒性の廃棄物一万五千トンが捨てられていることが今年四月、判明した。廃棄物を捨てたのはノルウェーの会社で、レン ガ製造プロジェクトの一環と偽って搬入されていた。計画では計八万五千トンが運び込まれることになっていた。契約をかわしたギニア政府系会社は一トン当た り五十米ドル、総額四百二十五万ドル(約五億三千万円)を受け取る計算だった。政府は今月初め、計画に加担したノルウェーの名誉領事(ギニア人)を逮捕す るとともに、ノルウェー政府に対し、投棄物の回収を求めた。ノルウェー政府は今月二十五日から回収作業に入ることを約束した。
 ギニアビサウでは、政府当局がロンドンの貿易業者などと直接契約を交わし、五年間に千五百万トンもの膨大な毒性化学廃棄物の投棄を引き受けたことが明る みに出た。欧米の製薬会社などから出たもので、引受額は一トン当たり四十米ドルで、総額にすると六億ドル(約七百五十億円)に達する。人口九十万のこの国 の国民総生産(GNP)は一億五千万ドルに過ぎず、この廃棄物の収入は四年分のGNPに相当。対外債務二億七千万ドル(八六年末推定)の支払いも一挙に解 決する巨額だ。だが、ギニアビサウ政府は内外の強い批判を浴び、先月三十一日、ついに契約破棄を正式に表明するに至った。
 また、ナイジェリアではイタリアからの放射性物質を含む千トン以上の毒性廃棄物が同国南部の小港、ココに捨てられている事実が明るみに出た。ナイジェリ ア政府はこの投棄計画に関係した本国人十五人を逮捕、有罪判決が下された者は「死刑に処する」と厳しい態度で臨んでいる。
 こうした安易な受け入れに反発する動きも強まっている。ガンビアは米国とフランスの会社から廃棄物投棄の打診を受けたが、これを拒否。ベニンが産業廃棄 物だけでなく、フランスの放射性物質を向こう三十年間の経済援助と引き換えに受け入れに合意した、と報じられたのに対し、ナイジェリアは真相究明の代表団 をべニンに送り、ベニン側から「この申し入れを拒否する」との確約をとりつけた。
 ナイジェリアは、五月下旬に開かれたアフリカ統一機構(OAU)首脳会議でも、「アフリカに核廃棄物、危険な産業廃棄物を捨てることは、アフリカとアフ リカ人に対する犯罪行為である」とうたい上げた決議を採択する先頭に立った。
 産業廃棄物に詳しい関係者によると、西アフリカが投棄の場所として狙われるようになったのはここ数年のこと。南太平洋やカリブ海の投棄場所が飽和状態に なったことのほか、欧米から比較的近く、しかも、経費が安上がり。欧米では廃棄物の処理、投棄は厳しい法で規制されており、米国では定められた処理場を建 設するのに最低でも三千万ドル(約三十八億円)の費用がかかる。また、ヨーロッパで廃棄物を処理するには一トン当たり千ドルかかる。
1988/6/20 読売新聞 東京朝刊


◆日本赤軍・丸岡、日本潜入の目的を解明 皇族を誘拐→大道寺奪還
 日本赤軍最高幹部、丸岡修(37)(ハイジャック防止法違反で起訴、拘置中)の日本潜入目的を捜査中の警視庁公安部など治安当局は十七日、国内で皇族を 誘拐し、大道寺将司(39)(死刑確定)ら連続企業爆破の犯人グループを獄中から奪還するのが目的だったと断定した。丸岡が日本赤軍の非公然支援組織「ア デフ」(反戦民主戦線)の一部と共同して、皇族の身辺調査などを進めていたことなどからこの計画が明らかになった。「反帝国主義」「反皇室」を掲げる日本 赤軍だが、皇室をターゲットにした犯行計画が具体的に明らかになったのは、これが初めて。公安部ではソウル五輪に向けて動きを活発化させている日本赤軍 が、丸岡、泉水博(51)らメンバーの奪還に、再び皇族誘拐を計画する恐れもあるとして警備体制を強化した。
 これまでの調べによると、丸岡は昨年六月フィリピン人名義の旅券で国内に潜入、八月に香港に出国するまでの間、北海道から沖縄まで八都道府県を渡り歩 き、「アデフ」づくりに奔走。国内に、日本赤軍の指令で動く約十人の「中核指導部」を中心に、合わせて数十人の支援グループを組織していたことが明らかに なっている。
 公安部で、丸岡の所持品の分析や、これらの支援グループの家宅捜索を行った結果、丸岡が支援者数人とともに、皇族の動向を探っていたことが判明した。調 査は皇室の現況から皇太子殿下のお住まいのある赤坂御用地周辺の地理、その他の皇室施設の所在地、皇族のご訪問先などにまで及んでいた。
 一方、日本赤軍は、昨年三月、最高裁で死刑などの判決が言い渡された連続企業爆破事件の大道寺ら東アジア反日武装戦線の四人について、丸岡が国内に潜入 する直前の同五月、「獄中で敵の死刑・重刑攻撃と闘っている同志たちの闘いを支持する」などと書いた声明文を発表しており、大道寺の奪還闘争を示唆してい た。このため、丸岡の国内潜入の任務には、当初から、奪還のための準備工作が含まれていたとみて、公安部で捜査を進めていたが、これまで具体的な奪還工作 については明らかになっていなかった。
 日本赤軍はこれまでのテロでハイジャックや公館占拠などの直接行動をとってきたが、五十二年のダッカ事件後は警備、取り締まりが強化されたため、要人誘 拐を基軸に戦術転換したとされる。公安部では、丸岡やその支持グループが、わざわざ警戒厳重な皇室施設に近づいた事実や、丸岡の所持品の分析などから、丸 岡は大道寺らの奪還のため、戦術転換路線通りに身辺調査をした皇族をターゲットにした誘拐を企てていたと断定した。
 この計画がいつ、どのような形で実行されようとしたかについてはわかっていないが、丸岡は「アデフ」構築を進める中で、皇族誘拐の下地をつくるのが主な 役割だったとしている。実行犯は、大道寺らと同様に連続企業爆破事件に加わった日本赤軍メンバー、佐々木規夫(39)らが予定されていたとの見方を強めて いる。
 佐々木は東アジア反日武装戦線のリーダーで、さる四十九年八月には、大道寺らと共謀して、那須から帰京される天皇陛下の特別列車を荒川鉄橋で爆破しよう とした「虹作戦」を企てたことがある。佐々木は五十年八月の在マレーシア大使館占拠事件(クアラルンプール事件)で拘置中を奪還され、日本赤軍に合流した が、その後、フィリピンに潜伏していた泉水のアジトに頻繁に出没。
 泉水のアジトからは、外国人の目から日本の皇室のあり方を分析した「天皇ヒロヒト」(レナード・モズレー著)や皇室関係の記事を特集した週刊誌などが押 収されており、皇室関係の情報を集めて分析していたとみられる。佐々木は丸岡とも接触していたことが確認されており、この際、丸岡から皇族の身辺調査の結 果について報告を受け、皇族誘拐計画は日本とフィリピンを結んで検討されていたとみられる。
1988/6/18 読売新聞 東京朝刊


◆[新連合への模索・フランス](下)保守と極右 威力見せた「協定」(連載)
 ◆地方選へ機うかがう◆
 フランス総選挙は、極右勢力を再び国民議会から一掃してしまった。四月の大統領選第一回投票で、共産党候補を上回る得票率一四%をあげたジャンマリー・ ルペン氏が率いる極右「国民戦線」(FN)は、八六年比例代表制総選挙で獲得した三十五議席からわずか一議席に急落した。軒並みはずれた仏世論調査機関の 予測が極右候補の“惨敗”だけはピタリと当てた。FNは仏政界から本当に消滅したのか。
 選挙戦中、仏マスコミの関心を最も集めた南仏マルセイユ。あのルペン氏がパリの地盤を離れ、マルセイユで立候補し、社会党は実業家でプロサッカー・チー ムのオーナーでもあるベルナール・タピ氏を推薦して対抗した。
 中東・アフリカへの窓口で移民が多く、犯罪発生率も高い都市。「移民追放」「死刑復活」を叫ぶルペン氏のスローガンが浸透しやすい。大統領選でもマルセ イユでは、ルペン氏がミッテラン大統領を抑え、一位だった。その一方で、郊外には共産党が伝統的に強い地区もある。玉石混交、背景も違う多様な候補が熱い 選挙戦を闘った。
 マルセイユ周辺の情勢は、選挙後も関心をひき続ける。結果的に一議席に急落したとはいえ、FNの潜在的な政治力が仏政治の底流に確かな地歩を築いている のと、今後予測される保守再編成の予兆が集約的にあらわれていると見られるからだ。
 五日の第一回投票前、マルセイユで会ったFN現職議員ロナルド・ペルドモ氏が予言していた。「比例代表制でない今回の総選挙はわが党に不利。議席は減る が、同じように保守本流も減る。そうなった時、必ずFNの力を頼りにしてくるはずだ」−−と。
 そのマルセイユを含むブシュデュ・ローヌ県十六選挙区で、決選投票の直前、ルペン氏と仏民主連合(UDF)の“策士”ジャンクロード・ゴダン候補が選挙 協定を結び、フランス中をアッと驚かせた。
 全十六区で、決選の第二回投票に残ったFN候補と、保守のUDFか共和国連合(RPR)候補が、最も得票率の高い候補を残し、立候補を取り下げる協定。 地域協定とはいえ、総選挙で保守主流が初めて極右勢力と手を結んだのである。
 社会、共産党も同じ選挙協力で対抗した。FN八人、保守本流RPR・UDF統一候補八人が十六選挙区で左翼候補と争ったすえ、定数十六のうちRPR・ UDF統一候補七、社会七、共産二と分けた。FNはルペン党首を始め全員落選。ただ社会、共産各党の候補を追い詰めたし、ミッテラン大統領が個人的にも応 援した実業家タピ氏を落選させるのに、FN支持票が確実に効いた。
 落選したとはいえ、ルペン氏を始め、ペルドモ氏らFN候補は第一回投票で二五―三五%の得票率をあげた。当選一議席に急落した表面の数字だけでは測れな い不気味な力が示されている。今回の選挙協力で、保守本流は極右FNにどんな見返りを渡すのか。来年、統一地方選がある。FNの戦略はそこをにらんでい る。市町村の助役や治安責任者などの地位にFN党員を送り込み、草の根から上に力を積みあげる戦略で機をうかがう。
 ブシュデュ・ローヌ全選挙区で保守本流とFNが協定した時、中道保守の中心にいる元欧州議会議長シモーヌ・ベイユ女史は「悪魔との取引」と批判した。極 右FNにある反ユダヤ主義、人種差別の傾向を絶対拒否する中道勢力の声は、保守本流の右寄りの勢力とたもとを分かつ“のろし”ともなりえよう。少なくと も、今後、保守の右派勢力とFNの連携が進行していけば、保守本体が中道と右派に分離するのを加速しよう。
 大統領府エリゼ宮と首相府を中心に進む社会・中道連合の模索と、南仏マルセイユで起きた事態とは決して切り離せないコインの表裏なのである。
 (パリ・池村俊郎特派員)
1988/6/15 読売新聞 東京朝刊


◆南ア最高裁、黒人政治犯の再審請求を却下
 【ナイロビ十三日=那須特派員】南アフリカ最高裁は十三日、黒人居住区の役員殺害事件に加担したとして死刑宣告を受け、執行直前に処刑の一時停止が認め られていた黒人政治犯六人の再審請求を却下した。最高裁は同時に、弁護団に最高裁長官に直訴する最後のチャンスとして、三十五日間の執行猶予を与えた。
 シャープビル・シックスと呼ばれる六人の事件は八四年九月、ヨハネスブルグ南方のシャープビルで起きた。六人が直接犯行に及んだ証拠は見つからなかった が、役員を殺すために集まった群衆と「同じ目的を持っていた」という理由で死刑宣告を受けた。このため、レーガン米、サッチャー英政権を始め、国内外から 広範な助命嘆願が寄せられ、「政治的裁判」として注目を集めた。
1988/6/14 読売新聞 東京朝刊


◆ソ連史見直しが一段落 スターリン粛清で犠牲のジノビエフ氏ら復権
 【モスクワ十三日=布施特派員】ソ連最高裁は十三日、スターリン粛清の犠牲となったロシア革命の指導者ジノビエフ、カーメネフらの名誉回復を決定した。 ゴルバチョフ政権下では今年二月、ブハーリンら一九三八年の第三次粛清裁判で有罪とされた指導者ら二十人が復権しているが、今回の決定はこれに先だつ第一 次、第二次裁判の被告たちの有罪判決を破棄したもので、三次にわたるスターリン粛清裁判すべてが完全なデッチ上げだったことが司法当局によって認定された ことになる。
 政府機関紙「イズベスチヤ」によると、この日名誉回復が決まったのは、三六年七月の「合同本部事件」で死刑となったグリゴリー・ジノビエフ(コミンテル ン議長)、レフ・カーメネフ(モスクワ・ソビエト議長)と、三七年一月の「併行本部事件」で処刑されたトロツキー派のカール・ラデック(コミンテルン書 記)、ユーリー・ピャタコフ(ウクライナ共和国首相)ら。
 同紙は名誉回復の理由について、「法と国家と国民の名において、これらの被告たちが有罪でないことが証明された」として、最高裁が明快にこれら裁判の不 法性を認めたことを示している。
1988/6/14 読売新聞 東京朝刊


◆[’88年カンヌ映画祭から](2)「殺すなかれ」不条理の殺人描く(連載)
 黒白モノクロームと見間違えるような灰色の陰欝(いんうつ)な画面が、群衆の中から任意に取り出したような三人の男を見せて行く。街をうろつく若い男、 中年のタクシー運転手、駆け出しの弁護士。
 やがて若い男はタクシーを拾い、町外れに行ったところで、白い細ひもを取り出し、運転手の首に巻き付ける。外そうとひもを掴(つか)む運転手。しかし、 まもなく彼はぐったりとなる。男が金を探しているすきに運転手は、ドアを開けて転げだす。男は川のほとりで追いつき、毛布をかぶせた運転手の顔めがけ、大 きな石を振りかぶる。
 一撃、二撃。毛布から血がにじみだす。うめき声。ここで隣の人が、たまりかねたように席を立つ。方々でイスがバタンバタンと音を立てる。退場者が続出し ているのだ。
 そして後半、逮捕された男は絞首刑になる。ポーランドでは絞首台ではなく、死刑囚の足元の床が開く。天井に吊(つ)られた滑車を通った絞首索は床の小さ な巻き上げ機で、ほどよい長さに調節される。死刑執行人の綿密なテスト。そして目隠しされ暴れる男を押え付けての死刑執行。
 ◆人間であることの悲しみ◆
 クシシトフ・キシロフスキー監督「殺すなかれ」というポーランド出品作である。もともと「十戒」というテレビシリーズの一部として作られたフィルムだと いう。
 刑の執行の前に、男は弁護士に告白する。妹が酔っ払い運転のトラクターにひき殺され、そのとき自分も酔っていた。以来、運転手は妹の敵と思うようになっ た、と。
 非論理的な動機だが、カミユの「異邦人」と共通する不条理の殺人であることが示唆される。冷酷きわまりない殺人を徹底したリアリズムで描き切ることで、 人間であることの重い悲しみを訴えることに成功したといえよう。
 上映時間一時間二十五分。これ以上長くては、感動よりも重圧の方が大きくなる。今年のカンヌでいちばん強烈な衝撃を受けた映画だった。審査員賞どまり だったのは、あまりの強烈さのせいかもしれない。さすが、国際批評家協会は敢然と賞を与えたが。
                     (編集委員・河原畑 寧)
1988/6/7 読売新聞 東京夕刊


◆3億円保険金殺人の荒木被告の申し立て却下/最高裁
 三億円の保険金目当てに、妻子三人を乗せた車を海中に転落、水死させたとして一、二審で死刑判決を受け、上告中の大分県別府市照波園町、無職荒木虎美被 告(61)が申し立てていた拘置理由開示について、最高裁第一小法廷(角田礼二郎裁判長)は六日までに、これを門前払いする却下決定を下した。
1988/6/6 読売新聞 東京夕刊


◆仏総選挙 苦戦の「国民戦線」ルペン氏落選予測 終盤のマルセイユからルポ
 あす五日、第一回投票が行われるフランスの総選挙で、予想されるのは社会党の圧勝と、共産党に加え、極右「国民戦線」(FN)の大幅な議席減。共産党が 党史始まって以来の減退を見込まれるほかに、先の大統領選で「ルペン現象」を巻き起こしたFNがなぜ議席減に見舞われるのか。余裕の社会党の表情は? 全 選挙区の中でも動向が注目される南仏の港湾都市マルセイユで、終盤の選挙戦を追った。
          (マルセイユで、池村俊郎特派員、写真も)
 ◆一区一人の選出で 実業家も推薦、余裕の社会党◆
 花冷えでセーターさえ恋しいパリとは対照的に、地中海に臨むマルセイユは夏の装い。Tシャツ姿の市民や観光客が、陽光あふれるヨット・ハーバーをそぞろ 歩く。
 マルセイユは大統領選で激震区となった。南への窓口として北アフリカ、中東からの移民が多いこの地区で、「就職を脅かす移民を許すな」と訴えたジャンマ リー・ルペンFN党首が、大統領選第一回投票(四月二十四日)で二八%の得票率を獲得した。ミッテラン大統領の二六%をしのぐトップ。今回の総選挙で、そ のルペン氏がパリの地盤を離れ、マルセイユを立候補区に選んだことで、一挙に話題が集まった。
 マルセイユ郊外に広がるブシュデュ・ローヌ県第八選挙区。一日、遊説に回るルペン氏に同行した。心臓の不調で大統領選後、一時入院したその顔は、やはり 大統領選の疲れを隠せない。「政治家も有権者も七年に一回の大統領選でエネルギーを消耗しきった。これでは必要な政治論議も起きない。何のための選挙か ね」と、まくしたてる。憲法評議会に対し、大統領の国会解散命令の無効を訴えてもいる。
 「ピエ・ノワール」(黒雨靴の人)と呼ばれる旧仏領アルジェリア植民者の多いカイヨル地区に着く。市場の前で支持者が迎えた。その一人、古物商のピエー ル氏(24)が「小さな商店主にルペン支持者が多いことに注目してくれ。反移民や死刑制度の再導入ばかりがひきつけるんじゃない」と説明する。
 労働組合に守られない小商店主は、年金や老後生活、後継ぎ問題に不安がある。「高い税金でやる気を失わせる。この国の政治家は小商店主をずっと無視して きた」と言う。中小企業家や商店主が中心となり、かつて過激な反政府、反納税を掲げた極右プジャード運動があった。「その力をルペン氏が吸収している」と ピエール氏は指摘する。
 だが、ルペン氏のマルセイユ立候補は「窮余の一策」という声が強い。その背景に今回の投票方法がある。八六年三月の前回総選挙で、当時の社会党政権が退 潮を食い止めるため、小選挙区比例代表制を導入。その制度下で得票率九%台をとったFNは三十五議席(その後三人離党)を得た。これに対し、その後シラク 保守内閣が従来の二回投票制を復活、区割りを一区一人選出の小選挙区にした。
 第一回投票で絶対過半数を得れば当選。それで決まらないと、決選投票で一位が当選となる。つまり、どう善戦しても、高い得票率を集めようと、それを一% でも上回る候補者が出ると、全部“死に票”。大政党に絶対有利。五百四十人にのぼるFN候補は全員、小党の悲哀に泣く。ルペン党首すら、FNの牙城(が じょう)とはいえ、にわかマルセイユっ子として苦戦はまぬかれない。地元出身の社会党マリユ・マス候補に決選投票で大差をつけられ、敗れるだろうという世 論調査が出た。ルペン氏の顔色がもう一つさえないのは、エネルギー消耗ばかりが理由ではなさそうだ。
 同じマルセイユのスポーツ・センターでは、ミシェル・ロカール首相を迎え、社会党集会が開かれていた。新首相は遊説に熱を入れる。午前中、パリで執務の 後、昼から深夜まで地方集会十三か所を回る強行スケジュールをこなしたことも。センターでの集会は広い会場に三分の一の入り。最前列に地域の社会党系候補 が並ぶ。
 報道陣のカメラが、若手実業家で有力プロ・サッカー・チーム「オランピック・ド・マルセイユ」をもつベルナール・タピ氏に集中する。社会党推薦でマルセ イユ市街地から立候補した。ロカール首相が「社会党外から大統領多数派に参集した目玉候補の一人」と売り込む。ルペン氏が「タピ氏はバラ(社会党のシンボ ル)を持った百万長者」と毒舌を浴びせるが、人気は高い。社会党絶対有利の声が強いせいか、各候補の表情に余裕があるのが印象的だ。
 世論調査機関BVAの調査では、特殊な地域事情や計量化しにくい個人人気を無視すると、全国で国民議会の定数五七七のうち、社会党とその支持候補が三百 八十三から最大四百五十二議席の大多数派となる予測が出た。これに対し、FNと共産党はゼロ議席。
 「総選挙は地元との密着度が第一。反中央集権、反パリ意識の強いマルセイユでは特にそれが言える。大統領選と違い、イメージの影響力は薄い。ルペン氏も そこで計算違いしたのでは……」という市民もいた。ルペン氏に聞くと、「世論調査の操作ぶりは目にあまる。BVAを告訴した」と、最後はコブシを振って “ルペン節”が出た。
1988/6/4 読売新聞 東京朝刊


◆大阪・名古屋の4人殺し 上告棄却、死刑確定/最高裁
 四十二年から四十八年にかけて大阪、名古屋で女性三人、男性一人を殺し、所持金などを奪ったとして、強盗殺人罪に問われた埼玉県生まれ、住所不定、無職 渡辺清被告(40)について、最高裁第一小法廷(高島益郎裁判長=先月二日死去。判決は四ツ谷巌裁判官が代読)は二日午前「金欲しさから約六年間に四人を 殺害した冷酷、残忍な犯行で、遺族に謝罪しているなど被告に有利な情状を考慮しても、二審の死刑判決が不当とは認められない」として、二審の死刑判決を支 持、渡辺被告の上告を棄却する判決を言い渡した。
 上告審で被告、弁護側は、四件の殺人事件のうち二件について新たに「無罪」の主張を展開したが、同小法廷は「一、二審判決は被告の自白を唯一の証拠とし て有罪認定したものではなく、被告の主張は適法な上告理由に当たらない」と、この主張を退けた。
 一、二審判決によると、渡辺被告は未成年だった四十二年四月二十四日朝、名古屋市中区の旅館で、売春相手の女性(当時三十六歳)を絞殺して現金約三万五 千円を奪うなど四件の強盗殺人事件を起こしていた。
1988/6/2 読売新聞 東京夕刊


◆東大の五月祭始まる 人事のゴタゴタめぐり討論も
 東京大学の五月祭が二十八日から、東京・本郷のキャンパスで始まった。
 「近年のテーマは意味不明。言葉には限界がある」(五月祭常任委員会)という理由から、今年の統一テーマはなし。代わって、五月祭常任委が作曲した「イ メージソング」に、学生たちからタイトルと歌詞を募集するという新しい試みが行われた。
 初日のこの日はあいにくの小雨模様となったが、朝早くから学生たちが模擬店を出し、呼び込みに懸命。
 各種の企画の中で注目を集めたのは、教養学部の人事をめぐるゴタゴタから辞任した西部邁元教授と体制批判派ながら大学に残った蓮実重彦教授による討論。 正午過ぎから、「大学はいかにして死ぬか」をテーマに、大学活性化の可能性について主張を展開、会場には三百人を超す学生らがつめかけ、討論後には会場と の質疑応答も。
 最終日の二十九日には、「死刑を考える」と題したシンポジウムも開かれ、元死刑囚で五十八年に再審無罪となった免田栄さんが死刑廃止を訴える講演を行 う。
1988/5/28 読売新聞 東京夕刊


◆東大五月祭 統一テーマ“死の時代” 西部前教授の対談 免田さん死刑廃止講演
 「大学はいかにして死ぬか」。時代を映して毎年話題を呼ぶ東京大学の五月祭で、今年はこんなテーマの対談が企画されている。人事をめぐるゴタゴタで辞め た西部邁前教授自身が登場し、経緯を語る。このほか「えん罪」「脳死」など“硬派モノ”の企画も多いが、その反面、今年の統一テーマは言葉による主張では なく、初のイメージソングで、「テーマの死の時代」とか。政治色抜きの感性路線は相変わらずのようだ。五月祭は本郷キャンパスで二十八、二十九日の二日間 行われ、十万人の人出が見込まれている。
 ◆テーマは初のイメージソング◆
 今年の五月祭常任委員会(鈴木直志委員長)によると、二十一日までにまとまった参加企画総数は三百五件。
 注目される企画としては、対談「大学はいかにして死ぬか」。中沢新一・東京外語大助手の助教授任用見送りで教養学部を辞職した西部邁前教授と、同学部の 論客の一人、蓮実重彦教授とが、大学活性化の可能性の有無を論じ合う。西部前教授、蓮実教授とも東大の現状には批判的な立場だが、大学を去った側ととどま ろうという側の組み合わせがミソ。
 二十九日には、話題の主、中沢新一・東京外語大助手がシンポジウム「地域研究と大学制度」に参加する。
 また、「死刑を考える」と題したシンポジウムでは、再審無罪となった元死刑囚の免田栄さんが、自らの体験に基づいて「死刑制度廃止」を訴える講演を行 う。
 最近、幅広い論議を呼んでいる「脳死と移植」をテーマにした講演・シンポジウムもあり、この問題に多角的にメスが入れられる。
 一方、今年の統一テーマはシンセサイザー演奏の「イメージソング」。常任委員の一人、千葉克哉さん(22)(文学部四年)の作品で、喜多郎さんの「シル クロード」のテーマを思わせる。常任委では、楽譜を載せたチラシを作ってこの曲の歌詞を募集、二十九日のイメージソングフェスティバルで入賞者を選ぶこと にしている。
 学生運動が激しかった時代、五月祭のテーマは「反戦」「連帯」などを訴えるものが中心だった。その典型は「くりかえすまい“わだつみの声”!みつめよう 祖国と大学の歴史を かちとろうわれわれの未来を!ベトナムの友に呼応して」(四十三年)。それが次第に、「聴くがいい、澄んだ音。和するがいい、人間の 新しいハーモニー」(五十一年)といった、コピー調のソフトムードに変わった。
 今回も常任委は統一テーマ作りを目指して協議したが、「近年のテーマは、意味不明だったり、若さ、青さ、熱さが見られなかったりする。言葉には限界があ り、陳腐なものしか出てこない。今はテーマの死の時代」=横山昭雄五月祭常任委企画局長(法学部四年)=との考えから、史上初のイメージ曲を作ることで意 見がまとまった。
 評論家赤塚行雄さんの話「六〇年代は政治的なものに価値があったが、七〇年代に入ってそれがちょう落、大学祭も事実上“おもしろ探し”の場となった。 テーマも単なる飾りで、実際の催しからは浮いていたことを考えると、一つのお祭りに共通なテーマ音楽を設けるというのは、むしろ自然な流れかも知れない」
1988/5/21 読売新聞 東京夕刊


◆今年5人目の死刑確定 群馬・女性殺しの篠原被告/最高裁
 群馬県内で農作業中の女性二人を殺し、殺人、婦女暴行致傷罪に問われた同県佐波郡境町、無職篠原徳次郎被告(61)について、最高裁第二小法廷(奥野久 之裁判長)は二十日午前、「わずか九か月間に何の落ち度もない女性二人を殺害した極めて重大悪質な犯行で、動機に酌量の余地もない」として、一、二審の死 刑判決を支持、篠原被告の上告を棄却した。今年に入って、最高裁で死刑が確定するのは、同被告が五人目。
 一、二審判決によると、篠原被告は五十六年十月二日、同町内の桑畑で農作業をしていた主婦光山さださん(当時五十六歳)に乱暴し、手ぬぐいで首を絞めた うえ、小刀でメッタ突きにして殺した。さらに五十七年七月三日、同県勢多郡宮城村の畑で、除草作業をしていた阿久沢タキさん(当時七十九歳)を手ぬぐいで 絞め殺した。
 篠原被告は三十四年、若い女性を乱暴して殺害し、無期懲役となったが、五十一年に仮釈放されていた。
1988/5/20 読売新聞 東京夕刊


◆「死刑執行停止連絡会議」を結成
 死刑制度の廃止を訴える文化人や市民団体が、「死刑執行停止連絡会議」を結成、来月十一日午後一時から、明大大学院南講堂で呼びかけ人総会を開く。西欧 諸国を中心に、死刑廃止に踏み切る国が増える中、わが国でも一定期間、死刑の執行を停止し、その間に死刑をめぐる論議を深めようという狙いで、“死刑執行 停止法案”の国会上程を求める一方、各種のシンポジウムや講演会を開催する。最高裁で死刑確定が相次いでいるだけに、この初の試みは波紋を広げそうだ。
 同連絡会議は先月発足、代表世話人には、「犯罪と非行に関する全国協議会」事務局長の菊田幸一・明大教授、松川、免田事件などのえん罪事件の弁護で知ら れる倉田哲治・弁護士、フリーライターの丸山友岐子さんの三人が名を連ね、現在、死刑廃止を訴える市民団体や宗教団体など七グループと個人約五十人が参加 している。
1988/5/18 読売新聞 東京朝刊


◆アゼルバイジャンでの民族暴動の裁判が始まる/ソ連
 【モスクワ十一日=布施特派員】十一日付ソ連党機関紙「プラウダ」によると、さる二月末、三十二人の死者を出したアゼルバイジャン共和国スムガイト市の 民族暴動を裁く裁判が、同日から同市の共和国最高裁で始まった。
 同紙によると、この暴動で刑事責任を問われているのは約八十人で、この日はまず殺人罪などで起訴されたパイプ製造工場の工員(21)一人が被告席に立っ た。
 姓名からアゼルバイジャン人系と見られるこの工員は「集団的無秩序と意図的殺害に加担した」とされており、有罪となれば死刑または八年以上の自由はく奪 刑を受けることになる。
1988/5/12 読売新聞 東京朝刊


◆「牟礼事件」の再審請求棄却に即時抗告
 東京都三鷹市牟礼(むれ)で昭和二十五年、若い女性が殺された「牟礼事件」の犯人とされ、先月三十日、第八次再審請求が東京地裁で棄却された死刑確定 囚、佐藤誠・元被告(80)(仙台拘置支所在監中)は、九日までに東京高裁に即時抗告した。
1988/5/10 読売新聞 東京朝刊


◆仏の極右FN現象 愛国主義に安心感求め 次期政権へテーマ暗示(解説)
 仏大統領選第一回投票で、一挙に仏政界の表舞台に躍り出た極右「国民戦線」(FN)躍進に、どんな仏国民の問いが隠されているのか。(パリ支局 池村  俊郎)
 先月二十四日の第一回投票後、仏マスコミは、共産党候補をはるかに引き離し、得票率第四位、一四・三%(仏内務省確定)をあげたFN党首ジャンマリー・ ルペン氏の大躍進を分析し、論評に大わらわだ。今月八日の決選投票に臨む現職大統領、首相が対決し合った先のミッテラン―シラクTV討論でも、冒頭部分で “極右FN現象”が問題となった。
 「失業、テロ、犯罪の温床である移民を許すな」「死刑復活」「エイズ患者を野放しにするな。拘置せよ」−−移民とエイズがルペン氏の二大テーマ。祖国フ ランス、純血フランス人のための祖国を訴える。愛国主義と、左右両陣営・政治エリートへの攻撃。豊富な語彙(ごい)と表現を操るルペン氏にかかると、論理 が厳密でなく、具体的な政策がなくてもメディア時代にぴったりと合致し、聴衆をひきつける。
 仏領インドシナ、アルジェリア独立戦争に従軍し、常に反独立の側に立った人物。二十七歳で国会に初当選し、アルジェリア独立を認めていくドゴール大統領 を「裏切り」と非難し続けた。七二年FN結成。二年後、大統領選に初出馬し、得票率はわずか〇・七%。八一年には推薦人五百を得られず出馬できなかった。 左翼のドゴール批判と違い、その全否定ともいえる軌跡は、仏政界の異端児だ。
 FNは八三年秋の地方選挙からしだいに人気を集め、八六年総選挙で九・八%を獲得、三十五議席をとった。しかし、今回は移民の多い南仏で保守本流のシラ ク、レモン・バール両候補の票を食い、北部工業地帯でもミッテラン票を少なからずとった。“FN現象”は約二百六十万に増えた失業者やテロ問題だけで説明 しきれない。
 日本、米国、西独などと異なり、七九―八〇年の第二次石油ショックでも、産業構造の転換に遅れたフランスには、今後の構造転換とその余波に漠然とした不 安がある。主要候補が九二年の欧州統合市場完成を前提に、ヨーロッパの時代を強調するのに対し、その影響で「フランスはどうなるのか」の問いもある。
 伝統的に国家が経済分野でイニシアチブをとり、行き届いた社会保障で国民生活が保障されてきたフランス。恩恵を与えてくれた国家が、競争原理と自助能力 をうたって国民生活と距離を置き始めるのかという不安。有力候補が「国家先導型かリベラリズムか」で議論し合ううちに、そんな不安をかぎとった有権者がル ペン流「愛国主義」の音色に、安心感を求めたのではなかったか。
 ルペン支持者には、伝統的な極右主義、人種差別主義など、健全な社会に反する要素があるのは間違いない。が、それだけならば得票率は数パーセントがせい ぜい。一晩で四百五十万票を集められるわけがない。
 富を国家に集中させ、国家が与恵者となった伝統。その伝統を現代政治にはめ込んだドゴールの第五共和制。世界経済の変化と、その対応から「良きドゴール 主義」からの脱却を迫られるフランス。ルペン現象に反映した国民の不安には、八八年に選出される新大統領の直面する大テーマがすでに暗示されていると思わ れる。
1988/5/5 読売新聞 東京朝刊


◆第8次再審請求も棄却 牟礼事件で東京地裁が決定
 さる二十五年、東京都三鷹市牟礼(むれ)で若い女性が殺され、土地や家屋が売り払われた「牟礼事件」で、死刑が確定している佐藤誠元被告(80)(仙台 拘置支所在監中)から出されていた第八次再審請求について、東京地裁刑事七部(佐藤文哉裁判長)は二日までに、請求を棄却する決定を下し、関係者に通知し た。弁護側によると、佐藤元被告は、現在拘置中の確定死刑囚の中で最高齢で、死刑確定からの拘置期間二十九年も最長。弁護団は即時抗告を検討している。
1988/5/3 読売新聞 東京朝刊


◆茨城の中学生殺人 綿引被告の死刑確定
 五十三年十月、茨城県日立市で知り合いの女子中学生を誘拐して殺害、身代金三千万円を要求したとして身代金目的誘拐や殺人などの罪に問われた同市久慈 町、鉄工業綿引誠被告(49)の上告審で、最高裁第一小法廷(角田礼次郎裁判長)は二十八日午前、「犯行は計画的で、冷酷非情なもの。遺族の被害感情も深 刻で社会に与えた影響も大きい」として、死刑を言い渡した一、二審判決を支持、綿引被告の上告を棄却する判決を言い渡した。これで同被告の死刑が確定す る。
 上告審で被告・弁護側は、「犯行の動機は単に少女を乱暴したいということで、身代金誘拐の目的はなかった」と主張、死刑制度の違憲論も展開し、無期懲役 への減刑を求めた。
 この日の判決で、同第一小法廷はまず、「死刑制度を違憲とする主張には理由がない」とし、犯行の動機についても「身代金を奪取する目的があったとした 一、二審の判断は正当」と認めた。
1988/4/28 読売新聞 東京夕刊


◆勉ちゃん誘拐殺人に無罪 自白偏重に警鐘 詰めが甘い捜査当局(解説)
 岩城勉ちゃん誘拐殺人事件で、大阪地裁の西田元彦裁判長が二十六日言い渡した無罪判決は、自白偏重の見込み捜査への厳しい警鐘となった。(大阪本社 谷  高志)
 誘拐殺人事件での無罪判決は、今年二月、富山・長野連続誘拐殺人事件で、富山地裁が共犯者とされた被告に(主犯は死刑)下したのに続くケースだが、単独 犯では例がない。
 被告だった住所不定、土木作業員野崎登さん(64)は、勉ちゃんが遊んでいた大阪市西成区の萩之茶屋中公園から連れ出して一緒にいたところを目撃された 最後の人物。事件当時まで三回の幼児誘拐と殺人の前歴があったことから、捜査当局は、遺体発見後、五日目の五十七年四月九日、野崎さんを犯人として指名手 配、神奈川県平塚市内で逮捕した。
 供述は変転しながらも、捜査段階でいったん犯行を認める供述をしたことが、捜査当局のその後の気の緩みとツメの甘さを招いたと言える。
 公判で否認する被告に対し、検察側は〈1〉凶器と同一タイプのナイフを持っていた〈2〉ジャンパーに勉ちゃんと同じA型の血痕が付着〈3〉現場に土地カ ンがあり、自供は具体的−−などと、状況証拠の積み重ねで無期懲役を求刑した。
 これに対し、弁護側は「警察での取り調べで、首を絞められたり、座っていたいすをけり倒されたり暴行を受け、『このままでは殺されてしまう』との恐怖か ら自白した」と主張した。
 西田裁判長は、判決で「逮捕後の護送途中、報道陣にツバを吐きかけるなど被告が粗暴な態度を見せていたことからすれば、取り調べ中に捜査員が、暴れる被 告を制止した際、もみ合いになったことは容易に想像でき、自白の強要は認められない」と任意性は認めた。
 しかし、客観的証拠と自白を詳細に検討、信用性については〈1〉凶器が切り出しナイフであることは、自白前から捜査員が知っていた〈2〉犯行順序は、被 告が想像で自白した疑いも否定できない〈3〉起訴後、取調官にあてた犯行を認める被告の手紙も、いつ警察に襲われるかわからないという思いで書いたもの− −と指摘。
 「被告が犯人であるという嫌疑はあるが、犯行時、被告がはめていたとされる軍手に血痕が付着していないことや死体の状況が自白と矛盾することなども考え 合わせると、自白には犯人しか知り得ない事実がなく、客観的証拠との符合性にも数々の疑問があり、信用できない」と断じた。
 その上で、勉ちゃんがすでに殺されていたはずの事件当日の夕方、自宅近くの公園で勉ちゃんを見たという複数の幼児や小学生の証言について「捜査当局は小 学生らが日付を勘違いしたものと一しゅうしたが、十分に真否を明らかにしていない」と予断を持ったズサンな捜査を批判した。
 ジャンパーの血液は「事件後、被告が東京でけんかした際に付いた可能性もある」などと述べ、「状況証拠だけで性急に犯人と断定するのは危険」とした。い わゆる“灰色無罪”ではあるが、刑事訴訟法の大原則である「疑わしきは被告人の利益に」を貫いた。
 判決に対し、安田佳秀・大阪府警捜査一課長は「捜査は慎重かつ適正に行った。犯人に間違いないと確信している」と言う。
 中道武美弁護士は「裁判所は自白調書に信用性がないと、冷静に判断したと思う」と評価する。
 富山・長野連続誘拐殺人事件でも、富山地裁は自白の信用性を否定、共犯者に無罪を宣告している。凶悪犯罪捜査での失敗だけに批判は大きく、影響も重大 だ。捜査当局は、自白偏重主義をもう一度猛省すべきだろう。
1988/4/27 読売新聞 東京朝刊


◆戦犯“イワン雷帝”に死刑判決/エルサレム特別法廷
 【カイロ二十五日=佐藤(伸)特派員】ナチ、トレブリンカ強制収容所で約八十万人のユダヤ人をガス室に送り込んだ、として戦争犯罪に問われていたウクラ イナ出身の元アメリカ人自動車修理工ジョン・デミヤニュク被告(68)に対する判決公判が二十五日、エルサレムの特別法廷で行われ、ツビ・タル裁判長は 「自らの手で数万を殺した残虐性は許し難い」として、死刑判決を言い渡した。一九五〇年に制定された「ナチおよびその協力者処罰法」が適用され、死刑判決 が言い渡されたのは六二年に処刑された元ナチ将校アドルフ・アイヒマンに次いで二人目。
 裁判ではデミヤニュク被告が、トレブリンカ収容所で「イワン雷帝」と恐られていた死刑執行人と同一人物かどうかが焦点の一つで、被告弁護側は「人違い だ」としている。
1988/4/26 読売新聞 東京朝刊


◆誘拐殺人に異例の無罪 大阪・勉ちゃん事件 自白に信用性なし/大阪地裁
 五十七年三月、大阪市西成区内の公園で、市立今宮小一年岩城勉ちゃん(当時七歳)を誘拐、大阪府和泉市内の山中でナイフでメッタ突きにして殺害したとし て誘拐、殺人罪に問われた川崎市生まれ、住所不定、土木作業員野崎登被告(64)に対する判決公判が、二十六日午前十時から大阪地裁刑事四部で開かれた。  西田元彦裁判長は「被告と犯行とを結びつける客観的証拠はない。犯行時、被告がはめていたとされる軍手に血痕が付着してなく、死体の状況も自白と矛盾す るなど種々の疑問を残しており、自白調書に信用性は認められず、犯罪の証明が不十分」として無罪(求刑無期懲役)を言い渡した。誘拐殺人事件での無罪判決 は、今年二月、富山・長野連続誘拐殺人事件で富山地裁が共犯者とされた被告に無罪(主犯は死刑)を下したのに続くケースだが、単独犯の事件では例がなく、 捜査側にとって大きな黒星となった。
 起訴状によると、野崎被告は五十七年三月十九日正午ごろ、西成区の萩之茶屋中公園で遊んでいた勉ちゃんを「飯を食べに行こう」と誘い出し、近くの食堂で 食事したあと、大阪府和泉市伯太町の松林まで連れて行った。遊んでいるうちに勉ちゃんが「帰りたい」と泣き出したのに腹を立て、そのまま帰らせると誘拐が 発覚すると、ナイフで胸、腹などを十数回刺して殺した。
 野崎被告は約一か月後、神奈川県平塚市内で逮捕され、いったん犯行を自供した。ところが公判では、公園から連れ出して食事をさせたことは認めたものの、 「現場へは行っていない」と一貫して否認。弁護側は「自供は拷問と誘導によるものだ」と無罪を主張。
 これに対し、検察側は論告で〈1〉被告は凶器と同じタイプのナイフを所持していた〈2〉自供は具体的で証明は十分−−などとして起訴していた。
 西田裁判長は判決の中で、自白の任意性は認めたが、自白以外の物証や目撃証言を検討。被告のジャンパーのそでなどに勉ちゃんと同じ血液型(A型)の血痕 が付いていたとする検察側の主張について、「誘拐事件後、被告が東京でけんかした際に付着した可能性もある」とし、凶器と同型のナイフについても「事件当 時、被告が所持していた可能性は十分あるが、決定的証拠となり得ない」と判断。
 さらに犯行現場に近い和泉市内での主婦ら三人が「被告が勉ちゃんを連れ歩いていた」と証言したことにも「漠然として信用性がない」と退け、結果的にこれ ら客観的、状況的証拠は「有罪の証拠とはできず、嫌疑を抱かせるにとどまる」と認定した。
1988/4/26 読売新聞 東京夕刊


◆仏大統領選、不満票集めた極右のルペン氏
 【パリ二十五日=池村特派員】仏大統領選第一回投票で移民排除と愛国主義を主張する極右「国民戦線」(FN)のジャンマリー・ルペン候補が、不満票も多 く吸収し、党中枢の予想をも上回る一四%台の支持率を集める情勢となったのは、共産党にかわる仏政界の新たな要因が保守、右翼陣営に生まれたことを意味し よう。ルペン氏は二十四日夜、テレビを通じ、「フランス政治はもう自分を除いては何も進まない」と強調した。そして、決選投票で保守陣営からミッテラン氏 に挑むジャック・シラク氏に協力するかどうかは、「(シラク陣営からの申し入れを)私は待つ」と述べ、保守本流に食い込む政治取引に出る意向を表明した。
 シラク氏に協力するためには〈1〉移民問題〈2〉死刑復活〈3〉選挙制度に比例代表制を加える改正−−などの問題でのシラク氏の態度表明しだい、とい う。ほかに閣僚ポスト配分もねらっているようで、FNは押せ押せムードである。
 ルペン氏はその上で「五月一日、私の支持者に決選投票でだれに投票すべきか明らかにする」と表明した。ルペン票のうち約二〇%は決選投票でミッテラン支 持に回るノンポリ不満票といわれる。それでも一四%台の高い支持率は、今後シラク氏を揺さぶり、保守本流の一角に食い込むきっかけを与えたといえる。
1988/4/25 読売新聞 東京夕刊


◆ユダヤ人虐殺の「イワン雷帝」に有罪 エルサレム法廷、最終判決は死刑か
 【カイロ十八日=高木特派員】第二次世界大戦中、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)で知られるポーランド・トレブリンカ収容所で約八十五万人のユダヤ人を ガス室に送り込んで殺害したとして戦争犯罪に問われていたウクライナ出身のアメリカ人元自動車修理工、ジョン・デムジャンジュク被告(68)に対する判決 公判が十八日、エルサレムの特別法廷であり、レビン裁判長は、被告が「イワン雷帝」の別名で恐れられた看守であると断定する有罪裁定を言い渡した。最終判 決は二十五日に言い渡される予定で、最高刑の死刑宣告がなされる可能性が高い。
 今回の裁判は一九五〇年に制定された「ナチおよびその協力者処罰法」によるもので、同法の適用は六二年に処刑された元ナチ将校アドルフ・アイヒマンに続 き二人目。
 判事三人からなる十八日の特別法廷では四百五十ページからなる裁定内容が十二時間にわたって読み上げられ、この中でデムジャンジュク被告は戦争犯罪、ユ ダヤ人に対する犯罪、人類に対する犯罪、虐殺された人々に対する犯罪の四項目の訴因内容すべてについて有罪と断定された。昨年二月以降十四か月にわたる裁 判では、五人のホロコーストの生き残りが証人として立ち、被告を「イワン雷帝」だと証言した。これに対して弁護側は五人の証言の不確実性、被告のアリバイ などを指摘したが、特別法廷ではいずれも否定された。
 デムジャンジュク被告は、戦後アメリカに入国して国籍を取得したが、国籍申請の際の虚偽証言を見破られて裁判にかけられ、八一年六月に「イワン雷帝」だ と断定されて国籍がはく奪された。結審後イスラエルからの要求に基づいて身柄が引き渡された。十八日の特別法廷開廷前に、背中の痛みを訴えた被告は法廷に 隣接する囚人房に入れられて、首席判事の読み上げる審理内容を聞いたが、閉廷後護送車に乗るために法廷から出てきたところで、記者団に対し「私は無実だ。 上告して必ず勝つ」と息まいた。
1988/4/19 読売新聞 東京夕刊


◆[ミニ時典]軍法会議
 旧軍時代の軍法会議の確定判決でも再審請求はできる、と最高裁の判断が示されたが、軍法会議とは、旧日本陸海軍の軍人、軍属などの刑事裁判を扱う特別裁 判所のこと。
 当時の軍人、軍属には、普通の刑法のほかに軍刑法(反乱、抗命、逃亡、軍用物損壊など)が適用され、ともに軍法会議が取り扱った。
 その目的は軍紀(軍隊の規律)維持、軍機(軍事秘密)保護にあり、一般の司法制度とは別の軍事司法制度として統帥権(軍隊を指揮統率する権能。旧憲法で 天皇の大権と規定)に属していた。
 このため、軍隊指揮官が軍法会議長官として裁判を指揮し、裁判官(判士)は大部分が現役将校だった。検察官も将校(法務将校)で、その下に憲兵が司法警 察官として捜査を担当した。平時の常設軍法会議と、戦時の特設軍法会議とがあり、特に戦時の裁判はきびしく、「敵前逃亡」などは死刑(銃殺)判決が多かっ たという。
 現在の自衛隊には、この種の制度はゼロ。隊内の秩序維持に当たる警務官がいる。(原)
1988/4/16 読売新聞 東京朝刊


◆北九州市の病院長殺害 2被告の死刑確定 複数極刑24年ぶり/最高裁棄却
 五十四年十一月、北九州市で起きた病院長バラバラ殺人事件で、強盗殺人、死体遺棄罪に問われ、一、二審で死刑判決を受けた同市小倉北区木町、元釣具店経 営杉本嘉昭被告(41)と、同市戸畑区椎ノ木町、元スナック経営横山一美被告(35)について、最高裁第二小法廷(香川保一裁判長)は十五日、「極めて計 画性の強い悪質、非道な犯行で、動機に酌量の余地もない」と、両被告の上告を棄却する判決を言い渡した。被害者が一人の殺人事件で、複数の被告の死刑が確 定するのは極めて少なく、最高裁によると、三十九年十二月に確定した強盗殺人罪の二被告以来という。
 一、二審判決によると、両被告は遊ぶ金欲しさに、北九州市小倉北区で病院を経営していた津田薫病院長(当時六十一歳)から大金を奪って殺害しようと計 画。五十四年十一月四日夜、「歌手の小柳ルミ子に会わせる」とだまし、同病院長を横山被告の経営するスナックに誘い込んで監禁。猟銃で脅したうえ、あいく ちで同病院長の胸を切りつけて重傷を負わせ、所持金約九十五万円を強奪した。
 さらに翌朝、同病院長に自宅へ電話させ、妻に指示して現金二千万円を市内のホテルのフロントに預けさせたが、受け取りに失敗。その後、両被告は、出血で 衰弱し、ひん死の状態にあった同病院長の首を絞めるなどして殺害、遺体をバラバラに切断して、小倉発松山行きのフェリーから大分県・国東半島沖の海中に捨 てた。
 香川裁判長は判決の中で、死刑制度の違憲論を「理由がない」と退けたうえで、二人の犯行について「非情かつ残酷極まりない犯行で、その動機も身勝手な金 銭欲以外の何ものでもない。遺族の受けた衝撃と悲しみは、とりわけ深刻なものがある。犯行は二人が終始、一体となって行ったもので、刑事責任に軽重の差は 見いだせない」と厳しく断罪。両被告が現在、深く反省していることなどを考慮しても一、二審の死刑判決はやむをえない、と結論付けた。
1988/4/16 読売新聞 東京朝刊


◆三重県・名張毒ぶどう酒事件の再審請求 弁護団が証拠開示を要求
 昭和三十六年三月、三重県名張市の生活改善グループの懇親会で、ぶどう酒を飲んだ女性五人が死亡、十二人が中毒した「名張毒ぶどう酒事件」で、殺人罪な どに問われ、最高裁で死刑が確定した奥西勝・元被告(62)の再審請求について、奥西元被告の弁護団(吉田清団長)は十五日、前田宏検事総長に対し、これ までにまだ提出していない証拠を、全面的に開示するよう求める要請書を提出した。
1988/4/16 読売新聞 東京朝刊


◆爆弾所持・菊村の旅券に偽造スタンプ 赤軍「アデフ」協力の影
 日本赤軍の周辺人物とされる宮崎県出身の菊村憂(35)の消火器爆弾所持事件を捜査している警察庁など公安当局は十四日、菊村が不正所持していた京都市 在住の病院看護員、岸園正俊さん(36)名義の旅券に日本の偽造出入国スタンプが押され、一般旅行者を装う工作がされていた事実をつかんだ。昨年十一月に も日本赤軍幹部、丸岡修(37)が旅券の不正入手で逮捕されているが、公安当局では、菊村の旅券入手の背景にも、丸岡らが進めていた日本赤軍の非公然支援 組織「アデフ」など国内協力者が介在していたのは間違いないと見ており、「アデフ」組織の洗い出しを進める。
 公安当局が、米捜査当局から得た情報などによると、菊村が持っていた岸園さん名義の旅券には、スイス、スペイン、米国など欧米諸国への出入国を示すスタ ンプのほか、先月二十日、成田空港から出国したことを示すスタンプなど数個の日本の出入国スタンプが押されていた。
 しかし、公安当局で入管当局に照会したところ、岸園さんの出入国の記録はゼロで、旅券が使われた形跡はなく、旅券に押されていた日本の出入国スタンプは 偽造であることが分かった。
 また、菊村自身も六十一年五月一日のスキポール空港爆弾事件で八月二十七日に日本に強制送還され、わずか二日後に香港経由でユーゴスラビアに向かった 後、足跡を絶ったままで、それ以降、日本へ入国した事実はない。
 一方、岸園さんが旅券を取得したのは菊村が強制送還される七か月前の六十一年一月。「まもなく紛失した」と供述していることから、公安当局では、菊村 が、強制送還されて一時帰国した際か、その後、岸園さんの旅券を入手した日本人協力者が海外活動中の菊村に手渡し、菊村が写真をはり替えるなどして使用し ていたと見ている。また、日本の偽造出入国スタンプは、一般旅行者を装うためのもので、各種の偽装工作に手慣れた支援組織が背後にあるのは確実と見てい る。
 公安当局によると、テロやゲリラ工作グループが偽造旅券や不正入手した旅券を使うのは常とう手段。昨年十一月、日本に入国したところを逮捕された日本赤 軍幹部の丸岡は、昨年六月にフィリピン人の旅券でいったん日本に入った後、マニラの泉水博(50)の手助けで、沖縄県在住の日本人旅券を七月に不正入手。 その後、この旅券で、香港やユーゴスラビア、ギリシャ、マレーシア、中国など計八か国を渡り歩いたうえ、二回にわたって再入国。東京、京都、大阪など八都 道府県を転々とし、「アデフ」の組織作りをしていたことが分かっている。
 特に京都、大阪など関西方面は、もともと赤軍派の発祥地で、丸岡が「アデフ」作りの中心地としていたことが確認されている。
 今回、菊村が使った旅券も京都が紛失地であるうえ、菊村と日本赤軍の関係が深いとみられることから、公安当局では岸園さんの旅券を入手し菊村に手渡した のは、丸岡が接触した「アデフ」の関西組織の活動家である可能性が強いとみている。
 ◆テロ国際化時代に法の盲点 爆発物取締罰則 国外犯規定なし◆
 菊村は六十一年八月、TNT火薬と雷管をオランダへ持ち込もうとして逮捕され、日本へ強制送還されたが、その二日後になぜ日本を出国できたのか。これは 特別法の爆発物取締罰則に国外犯の処罰規定がないことも一因だった。菊村が米国へ再び爆弾を持ち込んだ今回の事件は、テロ、ゲリラの国際化時代の課題を浮 き彫りにした。
 現行刑法の第三条には、「国民の国外犯」の規定があり、殺人など重要犯罪については、外国で犯罪を犯した場合でも、刑法を適用して日本で処罰出来るとし ている。また、特別法でも、主にテロ行為を防止するための「航空機の強取等の処罰に関する法律」(ハイジャック防止法)、「航空の危険を生じさせる行為等 の処罰に関する法律」「人質による強要行為等の処罰に関する法律」など、大半のものには、国外犯処罰規定がある。
 ところが、爆発物取締罰則には、この規定がない。同罰則は明治十七年、太政官布告の形で制定されたが、その背景には百五十個もの爆弾を製造して、政府要 人の暗殺をねらった加波山事件など、自由民権運動の過激化という社会情勢があった。それだけに、量刑も爆発物使用が死刑、無期もしくは七年以上の懲役また は禁固、未遂にも最高無期があり、厳罰主義が貫かれている。
 現行刑法が制定された明治四十年当時、刑法以外の特別法で必要性があるものには国外犯規定が加えられたが、同罰則には盛り込まれなかった。その理由は、 同罰則が爆弾による国内の公共の平穏が害されるのを防ぐことを目的にしていたためとされている。
 爆弾犯については、諸外国でも処罰のための法体系が完備しているなどの理由で、国外犯規定の追加は公式議論にはのぼっていない。しかし、菊村の場合、犯 罪発生国で処罰されず、国内法もスリ抜けてテロ活動を続けていた。
 テロの国際化は今後も強まるとみられ、菊村のようなケースが繰り返されると、テロの“国際輸出国”のそしりを招きかねない。それだけに、今回の事件は、 治安問題に新たな一石を投じたといえる。

【旅券偽造取得に関する一連の動き】
61. 1. 9 岸園正俊さん旅券の発給を受ける。
    5. 1 〈菊村〉ユーゴ航空機で、オランダ・スキポール空港に到着。TN         T火薬などの不法所持で逮捕。
    7.18 〈菊村〉逮捕手続きに違法性があり、無罪判決。
    8.27 〈菊村〉成田に強制送還。千葉県警の事情聴取。
    8.29 〈菊村〉成田から出国。
    9. 2 〈菊村〉ユーゴスラビアのベオグラード入り。
62. 7.18 〈丸岡〉他人名義で旅券を取得。
    8. 3―11.8 〈丸岡〉成田から香港、北京、ギリシャ、ユーゴスラビ         アなどを転々。
   11.21 〈丸岡〉香港経由で日本に帰国。深夜逮捕。
63. 3. 8 〈菊村〉パリから米国入り。
    4.12 〈菊村〉米ニュージャージー州で爆発物不法所持で逮捕。
    4.13 京都府警が岸園正俊さんから事情聴取。
1988/4/15 読売新聞 東京朝刊


◆「反アパルトヘイト」 国会議員133人が署名、南ア紙に意見広告
 土井社会党委員長、江田五月社民連代表ら野党国会議員百三十三人が署名した南アフリカ共和国・反アパルトヘイト(人種隔離政策)の意見広告が十日付の地 元紙「サンデー・スター」(発行部数二十二万)に掲載された。十一日国会内で記者会見した江田代表が明らかにしたもので、広告の内容は、黒人政治犯六人の 死刑執行停止、同国内での日本人「名誉白人」の称号拒否、日本企業の黒人従業員からの家賃天引き制の廃止などを訴えている。
 これは、反アパルトヘイトの市民団体や労組が企画した意見広告に社会党、社民連の有志が賛同、これに社会党九十四人、民社党三十二人、公明党二人、社民 連五人が加わり、他の一般市民とともに肩書なしで名前を連ねている。わが国は対南ア貿易額が世界一だとして世界から批判を浴びているが、日本の国会議員に よるこうした集団的な動きは内外の反響を呼びそうだ。
1988/4/12 読売新聞 東京朝刊


◆[あっとらんだむ]黒人がからむ2つの殺害事件 減刑で矛盾する南ア大統領
 南アフリカのタウンシップ(黒人居住区)シャープビルで八四年九月に起きたタウンシップ役員殺害事件で、死刑を宣告された黒人六人の助命嘆願には冷淡 だったピーター・ボタ大統領が、別の殺人事件では堂々と裁判に介入、被告の黒人警察官や兵士を減刑、裁判中止に処し、矛盾をさらけ出している。
 シャープビルの六人は処刑が十五時間後に迫った三月十七日午後、プレトリア最高裁で一か月の執行停止を認められた。この裁定を導き出したのは、被告弁護 人団の粘り。弁護人団は検察側証人の一人が「警察に強制され、被告の一部が実際に犯行に及ぶのを見た、と偽証した」事実を新しい証拠として提出、裁判官も 死刑執行を見合わせざるを得なかった。
 もともと、この裁判は死刑判決の根拠が「六人はタウンシップ役員を殺害するために集まった群衆と同じ目的を持っていた」というだけ。国内外からこの理由 の薄弱さのために刑の執行停止を強く求められ、執行計画が明らかになった三月十四日以降はボタ大統領のもとに、国外から「慈悲ある措置」を強く求める声が 殺到した。しかし、ボタ大統領は「大統領といえども司法に介入することはできない」と介入を拒否し続けた。
 ところが、その後、明らかになったところによると、ボタ大統領はこれより約三週間前の二月二十五日、プレトリア郊外のタウンシップで三年前に、無抵抗の 少年を射殺した黒人警察官の死刑判決を、懲役八年に減刑した。さらに、大統領は三月二十二日、南アが不法支配下に置くナミビア(旧南西アフリカ)で八五 年、反南ア闘争を展開している南西アフリカ人民機構(SWAPO)メンバーを殺害した罪に問われた兵士六人の裁判の中止を命じ、事実上、無罪放免とした。 ボタ大統領はこの措置の根拠として、治安当局者がテロの疑いに対し「誠実に」対処した結果、裁かれるのであれば、これを免除する、という防衛法の一項を適 用した。
 だが、司法の独立を理由に、シャープビルの六人の死刑執行への介入を拒み続けたことと、警察官、兵士被告に示した配慮の落差は大きい。法律関係者は兵士 の裁判に関し、大統領が裁判途中で介入したことを重大視、司法制度の根幹をゆるがす暴挙と非難している。(ナイロビ・那須省一特派員)
1988/4/7 読売新聞 東京朝刊


◆クーデター未遂、兵士5人に死刑判決/バングラデシュ
 【ニューデリー五日=木佐特派員】ダッカの消息筋が五日、読売新聞に語ったところによると、バングラデシュ軍部の一部分子がクーデターを企て、うち兵士 五人が秘密裏の軍法会議にかけられて、このほど死刑を宣告された。
 死刑を宣告されたのはモハマド・アブドス・サラム伍長、アブドル・カユム伍長ら五人。
 同筋によると、昨年七月、東ベンガル連隊と野戦砲兵隊に所属する中佐、少佐を含め計三十五人の将兵がクーデターを計画していることが発覚、陸軍当局に よって逮捕された。将兵らは動機を「腐敗したエルシャド政権と将軍らを一掃するつもりだった」と述べたという。軍当局は、このうち位の高い将兵について は、軍内部の反発、動揺を避けるため責任を問わず、下級兵士五人だけを軍法会議にかけていた。
1988/4/6 読売新聞 東京朝刊


◆母娘殺しに死刑判決/新潟地裁
 新潟市上木戸の住宅街で六十二年一月四日、別れ話のもつれから付き合っていた女性とその母親を刺殺、家族三人に重傷を負わせ、殺人、同未遂罪に問われた 同市弁天二の三の三〇、スナック経営桑野藤一郎被告(43)に対する判決公判が三十日、新潟地裁で開かれ、堀内信明裁判長は求刑通り死刑を言い渡した。
1988/3/31 読売新聞 東京朝刊


◆さらば狼刑事 警視庁の鍬本警部あす31日定年 カービン銃事件など数々の手柄
 終戦直後から四十年間、ひたすら犯人を追い続けてきた警視庁の敏腕刑事、鍬本実敏警部(60)が、あす三十一日、定年退職を迎える。戦後復興期に世間を 騒然とさせた築地八宝亭事件やカービン銃ギャング事件など、現代事件史に残る大事件をはじめ、八十件以上の殺人事件の捜査を手がけた。「組織捜査の時代に なっても、やはり刑事一人ひとりの力が問われる」と、半生を振り返る鍬本警部。たたき上げの“職人刑事”が、また一人警視庁を去る。
 巡査拝命はさる二十三年。戦争の傷跡が生々しく残る有楽町派出所が振り出しだった。ヤミ屋、浮浪児などを相手に奮闘、二年後、警察署の私服刑事に抜てき され、三十三年に巡査部長。
 この間に、一家四人が従業員に惨殺された築地八宝亭事件(二十六年)や公金強奪のカービン銃ギャング事件(二十九年)など、大事件の捜査をたて続けに担 当。同ギャング事件では、わずかな手がかりから犯人グループを割り出す大手柄をたてた。
 こうした活躍が認められ、警視庁捜査一課に迎えられたのが、さる三十六年。以後、小岩質店強盗殺人事件(三十七年)、高輪少女強姦(かん)殺人事件(三 十九年)など難事件を次々と解決。池上署管内で、さる四十年に起きた自殺偽装の古本屋強盗殺人事件では、偽装工作を直感で見抜き、粘り強い聞き込みを続 け、犯人が強奪品をひそかに処分したことを突き止め、工作を崩したという。
 四十七年には同課の主任刑事(警部補)となり、抜群の記憶力から、“警視庁のコンピューター”の異名も。否認の犯人を激しく追及、自供に追い込んだこと も多かったが、厳しい取り調べの中にも人情味に触れた犯人が、刑期を終えた後、懐かしがって警視庁まで訪ねてきたことも。
 十年前に捜査三課に移った後は、数多くの盗難現場を踏んだ。その一方で若手刑事の指導にあたり、やがて警部に昇任。
 「今の若い刑事も捜査には一生懸命ですよ。犯罪の広域化などで、聞き込み一つとっても難しくなり、努力が報われにくくなってはいますがね」と、後輩をい たわることも忘れない。
 聖書を離さず、日本基督教団狛江教会に礼拝に通い出してもう二十年になる。「死刑になった犯人のことを考えると、やり切れなくなるから」という。「刑事 は飢えた狼(おおかみ)であれ」をモットーに突き進んできた鍬本警部。来月からは、民間会社で第二の人生のスタートを切る。
1988/3/30 読売新聞 東京朝刊


◆大学生誘拐殺人に死刑 共犯3人は無期―18年/熊本地裁
 熊本県玉名市の資産家の会社社長の長男で、大学生、上田創昭(のりあき)さん(当時二十一歳)を、六十二年九月に誘拐、殺害したとして、身代金目的誘拐 と殺人罪などに問われた住所不定、無職田本竜也(22)ら四被告の判決公判が三十日、熊本地裁であった。
 荒木勝己裁判長は求刑通り主犯の田本被告に死刑、住所不定、無職坂井正則被告(36)に無期懲役(求刑無期)、同結城忍被告(20)に同二十年(同)、 同坂本聖也被告(20)に同十八年(同)の判決を言い渡した。
 判決によると、田本被告らは六十二年九月十四日、玉名市築地の路上で、女友達(21)とドライブ中の顔見知りの上田さんを誘い出し、同市内の山中にある 廃材捨て場に連れ出し、空き瓶やコンクリートブロックで殴るなどして殺した。この後、女友達を同月二十五日、横浜市で解放するまで計十二日間、ホテルなど に監禁。この間、坂井被告が上田さんの父親に身代金五千万円を要求する電話をかけていた。
 初公判では四被告とも起訴事実を認めたが、その後、田本被告を主犯と主張する他の三被告と、指示はしていないと反論する田本被告が対立していた。
1988/3/30 読売新聞 東京夕刊


◆[顔]戦後17代目の検事総長になった 前田 宏さん
 まえだ・ひろし 東大法卒。昭和26年任官。法務省官房長、刑事局長、事務次官を歴任。60年東京高検検事長。東京都出身。61歳。
                  ◇
 どこか謹厳な教育者を思わせる。
 戦後の司法修習三期生で「戦前の刑事司法は人権侵害があると言われた。身を投じて改革しなければ」と検事に。
 「凡百の事件といえども被疑者、関係者には一生の一大事。人権に配慮して罰すべきを罰し、許すべきは許す。誤りは許されない」。生まじめな“検事哲学” は今も変わらない。
 精密機械のような完全主義者。法務省官房長時代、上司の刑事局長が自ら書き上げた局長の国会答弁案に「意味が通じない」と筆を加えた。「おれの答弁なの に」と苦り切ったこのときの刑事局長が、伊藤栄樹前総長だった。
 その前任者ほど華やかさはなくても、徹底した議論と熟慮で解決策を探るのが前田流だ。若手の検察離れなど課題は多いが、「上下一体、衆知を集めれば克服 できる」。法相の指揮権発動に関しても「とことん話し合えば意見は分かれない」。
 しかし、手堅い語り口に似ず、一度決断すると度胸がいい。発想は新しく、事件指揮はむしろ強気、と言われる。刑事局長だった五十八年、死刑囚初の再審無 罪となった「免田事件」で、部内の異論に抗して、免田栄さんの釈放を決めた。一方、一昨年の撚糸(ねんし)政界汚職では、東京高検検事長として終始、積極 論に立った。
 「前向きで着実な検察」。ご本人が「柄にもなく勇ましく」と考えたキャッチフレーズはもう一つ控え目だが、内に秘めた陣頭指揮の決意は固い。
 好きなマージャンは、負けを恐れず、清一色(チンイツ)、混一色(ホンイツ)のきれいな手一辺倒。かけ出しの東京地検八王子支部で知り合った正子夫人 (54)と二女の三人暮らし。  (社会部 山口 寿一)
1988/3/25 読売新聞 東京朝刊


◆石垣島の少女誘拐殺人 比嘉被告に死刑判決/那覇地裁
 六十一年十二月、沖縄県・石垣島で起きた女子小学生誘拐殺人事件で、殺人、わいせつ(目的)誘拐、死体遺棄罪などに問われた石垣市桴海(ふかい)、養豚 場作業員(当時)比嘉正直被告(40)に対する判決公判が、二十三日午前、那覇地裁石垣支部で開かれ、姉川博之裁判長は「少女に対する三件(五人)目の、 しかも残虐非道な犯行で、再犯の恐れもあり、情状酌量の余地は全くない。極刑が相当」と求刑通り死刑を言い渡した。
 判決によると、比嘉被告は六十一年十二月十四日午後六時ごろ、自宅近くの公民館で遊んでいた同市平得(ひらえ)、建設会社役員宮良元(はじめ)さん (45)の長女奈美紀ちゃん(当時八歳、平真小二年)を誘拐、農道に連れ込んでいたずらしようとした。しかし「おじちゃんの顔は覚えているから、言い付け てやる」と言われ、首を絞めたうえ、石を頭に数回投げつけて殺害、翌日、死体を農道わきの草やぶに隠した。
1988/3/23 読売新聞 東京夕刊


◆徳島の4人殺傷男に無期懲役の判決/徳島地裁
 徳島県日和佐町で六十年六月、不仲の隣人ら三人を猟銃で射殺、一人に重傷を負わせ、殺人、同未遂罪に問われた同町奥河内、山林作業員池本登被告(55) の判決公判が二十二日午前十時、徳島地裁で開かれ、山田真也裁判長は無期懲役(求刑死刑)を言い渡した。
1988/3/22 読売新聞 東京夕刊


◆南ア、黒人政治犯6人の処刑を延期
 【ナイロビ十七日=那須特派員】南アフリカのプレトリア最高裁は十七日、国内外から助命嘆願の声が相次いでいた、女性一人を含む黒人六人の十八日に予定 されていた死刑執行を、一か月延期する裁定を下した。裁判官は弁護人団が訴え出た「検察側証人の一人は警察に強制され偽証した」可能性を認めたうえで、弁 護人団に対し、四月十八日までに再審請求を準備するよう求めた。
 この六人は南アに黒人暴動のあらしが吹き荒れ始めた八四年九月、ヨハネスブルグ南方の黒人居住区シャープビルで起きた居住区役員殺人事件の被告。裁判で は六人が直接犯行に及んだことは証明されなかったが、同役員を殺すために集まった群衆と「同じ目的を有していた」という理由で死刑判決を受けた。このた め、死刑執行日(十八日)が明らかになった十四日以降、レーガン米政権を始め西側政府、教会、人権擁護団体から、ピーター・ボタ大統領に六人の死刑執行停 止を求める要請が続々と寄せられていた。南アでは十七日、六人の助命を訴える抗議運動が起き、ケープタウンでは反アパルトヘイト(人種隔離政策)の白人婦 人グループ「ブラック・サッシュ」のメンバー二十一人がデモ行進、逮捕された。
1988/3/18 読売新聞 東京朝刊


◆東京・杉並の家族4人殺人放火事件 二男に無期懲役/東京地裁
 東京都杉並区下井草三丁目の建築会社社長伊藤正之助さん(当時六十九歳)方で一昨年十一月、正之助さんら家族四人を殺し、家に放火したとして殺人、非現 住建造物放火などの罪に問われた二男の同社役員、伊藤竜被告(31)の判決公判が十八日午前、東京地裁刑事一部で開かれた。
 島田仁郎裁判長は、「短絡的で残虐な犯行ではあるが、被害者の不用意で冷たい一言が犯行の引き金になったことは同情の余地がある」などと情状を最大限に 考慮、同被告に無期懲役(求刑・死刑)を言い渡した。
 判決によると伊藤被告は、さる六十一年十一月三日夜、自宅で妻の香芳さん(当時二十七歳)と一人娘の玲ちゃん(同二歳)の教育問題などをめぐり口論に なった際、香芳さんから「この子には、あなたの血なんか入っていない。別の男の子供よ」と言われたことにカッとなり、香芳さんの首を絞めて殺害、寝ていた 玲ちゃんも絞殺した。
 さらに翌四日夜、父親の正之助さんに犯行を打ち明けたが、「お前はもともとオレの子ではない。どうなろうと知ったことではない」などとば倒されたため絞 殺、正之助さんの内妻笠井節さん(同六十五歳)まで殺害した。四日後四人の死体を一階寝室に集め、灯油をまいて放火、室内を焼いた。
 公判で弁護側は、「当時被告は精神分裂病で、心神喪失状態だった」などとして、無罪もしくは減刑を求めていたが、島田裁判長はこの日の判決で、「公判で の言動を見ても、犯行当時精神分裂病でなかったことは明らか」と指摘、「愛すべき家族の一員に尊い生命を奪われた四人の無念さは察するに余りある」と厳し く断罪した。
1988/3/18 読売新聞 東京夕刊


◆政府、政治犯の死刑執行停止を南ア政府に要請
 政府は十七日、南アフリカ共和国で十八日に死刑執行が言い渡されている女性を含む六人の政治犯について、死刑執行を停止するよう東京の総領事館を通じて 南アフリカ共和国政府に要請した。
 テレサ・ラマシャモレ女史ら六人は、黒人居住区評議会員を殺害した罪で死刑が宣告されていた。
1988/3/17 読売新聞 東京夕刊


◆南ア、女性含む政治犯6人の死刑執行へ
 【ナイロビ十四日=那須特派員】南アフリカ政府は南ア国内だけでなく、国際社会から助命嘆願が出されていた女性一人を含む政治犯六人を十八日に死刑執行 することを、これら政治犯の弁護士に伝えた。六人は四年前の八四年九月三日、ヨハネスブルグ南方六十四キロのタウンシップ(黒人居住区)・シャープビルで 起きた暴動で、タウンシップ評議会員を殺害した疑いで死刑を宣告されていた。ただ一人の女性、テレサ・ラマシャモラ被告(26)は、南アでこの種の政治犯 として死刑執行を受ける初めての女性となる。
 この裁判はシャープビル・シックス(シャープビルの六人)として、国内外の注目を集めてきた。裁判の過程で六人が直接、タウンシップ評議会員の殺害に関 与したことは証明されなかったが、裁判官は状況証拠から死刑を宣告した。これに対し、被告弁護人団はピーター・ボタ大統領に直接助命を嘆願、国際アムネス ティ、西側諸国からも死刑執行の停止を求める要請が相次いで出されていた。
1988/3/15 読売新聞 東京夕刊


◆死刑判決の藤間被告が控訴/神奈川の母娘ら5人刺殺
 神奈川県藤沢市内で母娘三人を刺殺するなど、五十六年から五十七年にかけて連続三件、計五人を殺害し、横浜地裁で死刑判決を受けた同県平塚市上平塚一一 の四、無職藤間静波(せいは)被告(27)、弁護側は十日午後、東京高裁に控訴した。
1988/3/11 読売新聞 東京朝刊


◆建設会社元役員の控訴を棄却 名古屋の保険金殺人
 会社の従業員三人に各三億円の保険をかけて一人を暴力団員に殺害させ、他の二人を殺害しようとしたとして、殺人、同未遂などの罪に問われ、犯行を一貫し て否認したまま一審で死刑判決を受けた名古屋市西区山田町比良、建設会社「日建土木」元役員山根一郎被告(50)の控訴審判決公判が十一日、名古屋高裁刑 事二部で開かれた。鈴木雄八郎裁判長は、山根被告の控訴を棄却する判決を言い渡した。
1988/3/11 読売新聞 東京夕刊


◆神奈川・藤沢市の母娘ら5人殺し 藤間被告に死刑判決/横浜地裁
 神奈川県藤沢市内で、五十七年五月、母娘三人を刺殺するなど、五十六年から五十七年にかけて連続三件、計五人を殺害、殺人、窃盗罪に問われていた同県平 塚市上平塚一一の四、無職藤間静波(せいは)被告(27)に対する判決公判が十日午前、

REV: 20160515
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