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被害者学・被害者支援 文献


last update: 20131111


○生存学創成拠点関係者による文章[PDFデータあり]
大谷 通高 2008/03/31 『コア・エシックス』Vol.4 pp.25-35
 「社会的な救済の対象として「犯罪被害者」が現れる契機について
            ――60・70年代の日本の被害者学と補償論の考察から」[PDF]
大谷 通高 2008/03/31 『コア・エシックス』Vol.4 pp.395-405 
  「少年法改正をめぐる犯罪被害者遺族の言明
              ――2000年の少年法改正をめぐる言説」 [PDF]
小宅 理沙 2006/03/** 『コア・エシックス』Vol.2
「犯罪被害者女性の妊娠に対する支援の実態と今後の課題」[PDF]
小宅 理沙2007/03/** 『コア・エシックス』Vol.3
 「『望まない強制妊娠』をした被害者女性への支援活動と被害者女性の人権
                    ――産む・産まないの二項対立を超えて」[PDF]
小宅 理沙 2007/10/26 『立命館人間科学研究』15 115-125pp.
 「アメリカの犯罪被害者支援における民間団体
     ――The Crime Victims’ Center of Chester County, Inc.視察から――」[PDF]


■1950年代

◆中田修 1958「Memdelsohn氏の被害者学」、『犯罪学雑誌』24巻6号、pp8

■1960年代

◆古畑・吉益・広瀬・中田 1960「被害者学について(シンポジウム)」、『犯罪学雑誌』25巻6号、pp8−以下
◆樋口幸吉 1960「近親殺人の被害者に関する研究−被害者学への一寄与」、『犯罪学雑誌』25巻6号、pp2−以下
◆中田修 1963「被害者学から見た暴力犯」、『犯罪学雑誌』29号1号、pp30項
◆中田修 1963「被害者学」、『自然』11号、pp62−以下
◆宮澤浩一 1963「被害者学」、『総合法学』12号、pp25−以下
◆山岡一信 1964「対人犯罪における被害者の有罪性について−殺人犯罪と性犯罪に関する被害者学的考察−」、『科学警察研究所報告』7号、pp42−以下
◆宮澤浩一 1965「現代人の科学―被害者学」、『中央公論』2月号、pp139−以下
◆泉屋英樹 1965「対人非行場面における人間関係−強姦保護事件に関する被害者学的考察」、『犯罪心理学研究』2巻1号、pp39−以下
◆荒木友雄 1967「被害者をめぐる諸問題――ヴィクティモロジー」、『創立20周年記念論文』第3巻(刑事編)、司法研修所
◆宮澤浩一 1966『被害者学の基礎理論』、世界書院
◆宮澤浩一 1966「被害者学の成立過程」、『法学研究』38巻8号、pp37−以下
◆宮澤浩一 1967「被害者学」、『研修』4月号、pp3−以下
◆宮澤浩一 1967「被害者学について」、『罪と罰』4巻3号、pp35−以下
◆宮澤浩一 1967「女性のための被害者学入門」、『婦人公論』11月号、pp336−以下、
◆宮澤浩一 1967『被害者学』、紀伊国屋書店、紀伊国屋新書
◆樋口幸吉 1968「少年非行の被害者学」、樋口編『講座少年非行第一巻』、pp264−以下

■1970年代

◆宮澤浩一 1970「被害者学研究の国際的動向について」、『行政』81巻10号、pp12−21
◆諸沢英道・宮澤浩一 1970「犯罪予防と被害者学」、森下忠編『犯罪学演習』、pp274−
◆宮澤浩一 1970〜79『犯罪と被害者』1〜3巻、成文堂
◆宮澤浩一 1974「オーストリアの『被害者補償制度』について」、『法学研究』47巻5号、pp49−
◆宮澤浩一 1974「スウェーデンにおける被害者補償制度」、『法学研究』47巻8号、pp57−
◆宮澤浩一 1974「被害者学をめぐる諸問題」、『刑法雑誌』20巻2号、pp218−232
◆諸沢英道 1975「国際被害者学会」、『ジュリスト』595号、pp86−89
◆諸沢英道 1975「被害者の権利と被害者学−新しい被害者学の試み−」、『青柳文雄教授退職記念論文集』、pp205−225
◆宮澤浩一 1976「スティーブン・シェーファー教授の急逝」、『ジュリスト』620号、pp84−
◆宮澤浩一 1977「被害者学入門――被害者学の基礎概念」、『警察公論』32巻8号、pp
◆宮澤浩一・諸沢英道・大谷實 1978「第二回国際被害者学シンポジウム」、『刑法雑誌』22巻2号、pp257−279
◆坂本英雄 1979『被害者学概説』、高文堂出版社

■1980年代

◆宮澤浩一 1980「紹介と批評、G・F・キルヒホフ=K・ザッサー編『犯罪の被害者―被害者学リーダー(1979)』」、『法学研究』53巻4号、pp123−129
◆宮澤浩一 1980「被害者のない犯罪と気付かされる犯罪」、『法学セミナー』310号、pp22−29
◆藤本哲也・朴元奎・河合清子 1981「被害者学再考(1)・(2)」、『比較法雑誌』15巻1号、pp103−、15巻2号、pp34
◆諸沢英道 1981「被害者学の最近の動向―第1回被害者学世界会議での研究補国を中心として」、『ジュリスト』734号、pp86−89
◆諸沢英道 1982「第4回国際被害者学シンポジウム―その議論と論点」、『ジュリスト』779号、pp68−72
◆日高良則 1984「高齢者と犯罪被害」、『罪と罰』21巻3号、pp5−17
◆宮澤浩一 1984「刑事手続における被害者の地位」、『判例タイムズ』538号、pp1−
◆宮澤浩一・諸沢英道 1984「犯罪被害者の権利―第7回国連犯罪防止会議へむけて―」、『法学研究』57巻11号、pp
◆宮澤浩一 1985「社会の多様化と犯罪被害者」、『法律のひろば』38巻11号(特集・第7回国連犯罪防止会議の概要)、pp24〜31
◆宮澤浩一 1985「被害者学事始め 第3講 被害者学の国際組織化」、『時の法令』1263号、
◆宮澤浩一 1986「被害者の法的地位」、『法学研究』59巻12号、pp45−
◆石井光 1986「現代的犯罪における被害者特性」、『法律のひろば』39巻3号、pp
◆大谷實 1986「最近における犯罪被害者の救済と実体」、『法律のひろば』39巻3号、pp
◆宮澤浩一 1986「伝統的犯罪の被害者と現代的犯罪の被害者」、『法律のひろば』39巻3号
◆森本益之 1986「犯罪被害者の人権保護」、『法律のひろば』39巻3号、pp
◆諸沢英道 1986「欧米における被害者学の動向」、『法律のひろば』39巻3号、pp34〜41
◆森本益之 1986「犯罪被害者の人権保護」、『法律のひろば』39巻3号、pp
◆久我洋二 1986「矯正と犯罪被害者―交通事犯受刑者の場合を中心として―」、『罪と罰』24巻1号、pp
◆佐藤勝 1986「更生保護と被害者」、『罪と罰』24巻1号、pp
◆宮澤浩一 1986「被害者調査に寄せて」、『罪と罰』24巻1号、pp
◆百瀬武雄 1986「加害者の意識から見た犯罪被害の原因」、『罪と罰』24巻1号、pp
◆諸沢英道 1986「被害者政策の必要性と問題点―"被害者の復興期"を迎えるに当たって」、『罪と罰』24巻1号、pp
◆井上五郎 1987「なぜ今被害者か」、『法律のひろば』40巻1号(犯罪被害の原因と対策)、pp
◆大谷實 1987「被害者保護と犯罪被害給付制度」、『法律のひろば』40巻1号、pp
◆久我洋二 1987「犯罪被害者と矯正の現場」、『法律のひろば』40巻1号、pp
◆佐々木俊夫 1987「高齢者被害の現状と対策」、『法律のひろば』40巻1号、pp
◆辻本義男 1987「犯罪被害の暗数―1つの見方」、『法律のひろば』40巻1号、pp
◆宮澤浩一 1987「犯罪被害と被害者特性」、『法律のひろば』40巻1号
◆宮澤浩一 1987「被害者化とその対策」、『犯罪と非行』73号、pp2−33
◆宮澤浩一 1987「犯罪被害者の法的地位について」、『研修』473号、pp3−
◆奥村正雄 1988「イギリスの刑事手続における犯罪被害者の保護」、『刑法雑誌』29巻2号、pp281−
◆田口守一 1988「西ドイツにおける犯罪被害者の地位」、『刑法雑誌』29巻2号、pp221−
◆中野目善則 1988「アメリカ合衆国における刑事手続での被害者の役割、被害者の刑事手続への参加」、『法学新報』94巻6・7・8号、pp116−
◆稲村博 1988「いじめと被害者」、『法律のひろば』41巻7号、pp
◆小田晋 1988「加害者の心理、被害者の心理―特に比較行動学の視点から」、『法律のひろば』41巻7号、pp
◆栗原宣彦 1988「財テクブームと被害者」、『法律のひろば』41巻7号、pp
◆藤本哲也 1988「犯罪被害者救済政策−アメリカを中心として」、『法律のひろば』41巻7号、pp
◆宮澤浩一 1988「社会の複雑化と被害者」、『法律のひろば』41巻7号(現代社会と被害者−被害者は被害者か?)、pp
◆諸沢英道 1988「現代型被害における被害者特性と被害者の有責性」、『法律のひろば』41巻7号、pp
◆諸沢 英道 19980701 『被害者学入門 新版』,成文堂,546p. ISBN:4-7923-1477-1 3990 [boople][amazon][bk1] ※
小西 聖子  19981031 『犯罪被害者遺族 トラウマとサポート』,東京書籍,287p. ISBN-10:4487754909 ISBN-13:9784487754908  \1785 [amazon][kinokuniya] ※ c0120 (新規)
坂上 香・アミティを学ぶ会 編 200202 『アミティ・「脱暴力」への挑戦―傷ついた自己とエモーショナル・リテラシー』,日本評論社,233p. ISBN: 4535561885 1785 [boople][amazon]
原田 正治 200408 『弟を殺した彼と、僕。』,ポプラ社,265p. ISBN: 4591082350 [boople][amazon] ※

◆酒井 肇・池埜 聡・酒井 智恵・倉石 哲也 20040727 『犯罪被害者支援とは何か――附属池田小事件の遺族と支援者による共同発信』,ミネルヴァ書房,246+18p. ISBN:4-623-04123-9 1890 [boople][amazon][bk1]
□内容説明[bk1]
事件の遺族と、遺族を支えてきた専門家による犯罪被害者支援の提言。事件の経過、遺族の気持ちの変化を丹念に辿りながら、被害者は何を感じ、支援者はどう行動すべきなのかを訴える。
□著者紹介[bk1]
〈酒井〉大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件遺族。

◆佐藤 恵 20011124 「被害者の社会学に向けて――犯罪被害者家族における支え合いの困難とその支援」 第74回日本社会学会報告 ※


 
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■引用

◆宮澤浩一 1966『被害者学の基本構造』、世界書院

被害者の存在
「確かに、被害者の存在は、犯罪学者の関心の枠外にあったといえよう。ゼーリッヒの言葉を借りれば、「犯罪である以上、そこに被害者がいるのは自明の理である」と通常考えられてきたように思う。だからこそ、被害者の特性を研究することは、長い間放置されていたままであり、たとえ扱われたとしても、全く周辺部位で論じられていたに過ぎなかった。」(宮澤[1966:3])

被害者学の研究テーマ
「被害者の中に、被害者になりやすい人格があるのではないか、被害者になる傾向が潜在的にあるのではないか、被害者が意識的もしくは無意識的に、被害者になりやすい状況に身を置き、それによって自らを被害者に陥れるのではないかといった考慮は、犯罪学ではほとんど成されておらず、被害者学がその固有の研究テーマと成しうるのである。」(宮澤[1966:21])


◆諸沢英道 1975「被害者の権利と被害者学」、『法学研究』49巻1号、pp205−225

被害者の存在
「犯罪者と被害者の関係を科学的に分析しようとする試みは、それほど新しいものではない。しかし、ここ数世紀に亙って、犯罪研究および刑事司法の運用上、最も感化されていた問題は、恐らく被害者の存在ではなかろうか。」(諸沢[1975:206])

刑事司法上の被害者の権利
「被害者が現実に発生した後の権利はどうか。被害者は、身体的精神的に苦しい中で、任意ではあるが、警察官から取り調べを受ける。被疑者が起訴されると、警察官や検察官とは被害者と縁が切れ、広範準備は被害者と関係なく進められる。公判が進むと、多くの被害者は証人として法廷に出頭させられ、正当な理由なしに召喚を拒めば、勾引されることもある。公判維持の上でやむをえないとしても、いまだ被害を救済されていない被害者が銀だけを強要されるのは、如何にも不公平である。刑事訴訟法は、被疑者、被告人の権利を保障するが、配慮を欠いていると思われる。」(諸沢[1975:207−208])

被害者学の「被害」の射程
「つまり、被害者学には、被害を予防し、被害に遭遇したものを治療するための方法を提示し、従来見逃されていた「気付かれざる被害」については、これに対し立法的・政策的勧告をするという、尊い使命がある。従って被害者学で扱う被害者には、このような予防的・救済的施策を要する者を含まなければならない。逆説的ではあるが、その被害を放置することが正義に反すると思慮される場合は、すべて被害者学の対象となろう。但し、被害者として定義された者すべてが、被害を回復される必要はないし、その権利を認めるべきであるというわけでもない。
 このような基本理念に立つて、「被害者」を、次のように定義したい。
「被害者とは、国家、社会、人間、自然によって、権利を侵害された者(およびその集団)である。」」(諸沢[1975:216])

被害者補償と被害者学の刑事政策上での関係
「ある人間が、憲法上保障されている基本的権利を侵害されたとき(その多くは、法律上犯罪として当然に処罰されるわけであるが)、彼は被害者として、被害者学の対象となる。それは、刑事責任、民事責任の追及ばかりでなく、社会保障、社会福祉の対象としても考慮される。もつとも、すべての被害が回復される必要はないであろうから(自ら招いた被害や軽微な被害などについては、特に検討の要あり)、回復すべき被害か否かを識別する作業も、被害者学には必要である。被害者学は、救済されるべき被害者がどのようなものであるかを態度決定するための資料を、立法・司法・行政機関に提供する。」(諸沢[1975:217−218]

刑事司法上の被害者の権利について
「被害者学が侵害された「権利」に限定して論じる意義は、権利が侵害された以上は、その被害を問題にしなければ習いという必要性からであるが、権利を侵害された「被害者」を論じる意義は、司法制度の形成過程から言っても、それを等閑視してはいけないという、当然の要請にある。刑事司法の分野においては、犯罪者を処罰し教育する幾多の改革を見た。しかしその歴史は、処罰の人道化の歴史であり、被害者の存在は、処罰の原因でしかありえなくなりつつある。応報的厳罰主義を唱える必要は全くないが、被害者の「被害意識」の問題は、緩刑の傾向にある時にこそ、留意しなければならない問題である。犯罪者の処遇は、主として国家的・社会的要請からであり、被害感情の満足は付随的なものとなっている。犯罪と被害者の「権利」をバランスシートで見るならば、被害者の問題は、まだまだ緒についたばかりである。被害者に対する制度の充実は、犯罪者処遇改善の前提でもあろう。被害者学の発展が期待される理由は、ここにもある。」(諸沢[1975:218])


◆宮澤浩一 1974「被害者学をめぐる諸問題」、『刑法雑誌』20巻2号、pp218−232

被害者学の使命
「被害者学は、犯罪の発生を未然に防止するための防犯の科学に寄与しうる。これこそ、市民の安全の擁護でなくて、なんであろう」(宮澤[1974:222])

被害者学の概念状況
「被害者学が、一応、現在の犯罪諸科学の中にある程度の地歩を占めるに至った今日、いつの時代にもみられるように、概念論争が挑まれる。もちろん、学者の属性として、新しい科学の位置づけとか学問的性格づけをしないことには、論理的に先に進めないといった性癖があるから、此の種の概念規定をまずはじめに試みる必要もあろうが、しかし、あくまでも概念論争は概念の争いであって、これにとらわれて先に進めないというのでは余りにも実り少ない企てといわねばならない。本来考えねばならないことは、この学問を主張していくことの実益が何処にあるかを見極めることにある。終局的には、すでに述べたように、被害者学は、弱い立場にある被疑者・被告人、広くは市民に対して権利擁護に役立ち、刑事司法の運営の合理化を促す学問であると考えられる。現在は、その方策を模索中であり、いろいろな立場からの発言が散在している段階である。」(宮澤[1974:225])


◆諸沢英道・宮澤浩一 1970「犯罪予防と被害者学」、森下忠編『犯罪学演習』、pp274−

被害者学の応用可能性
「防犯の科学化、犯罪捜査への手がかりの提供、刑の量刑や少年事件の場合の処遇の選択、矯正段階における被収容者に対する矯正教育の指針の方向付け、被害者補償制度ができた場合の補償額の決定など、広範囲にわたって実務的に応用される。」(宮澤・諸沢[1978:261−262]」


◆藤本哲也・朴元奎・河合清子 1981「被害者学再考(1)」、『比較法雑誌』15巻1号、pp83−131

被害者学の概念状況
「被害者学がこのように理論的、方法論的側面と実際的側面との間においてアンビバレントな状況を呈しているのは、おそらく被害者に対してさまざまな問題関心を持ち、またさまざまな角度からアプローチしてきたことこれまでの被害者研究を「被害者学」という一つのルツボ(melting pot)の中に一緒くたにしてしまったことに起因しているものと思われる。」(藤本[1981:84−85])

◆藤本哲也・朴元奎・河合清子 1981「被害者学再考(2)」、『比較法雑誌』15巻2号、pp33−73

メンデルソーンの被害者学への評価
「メンデルソーンが犯罪対策と予防をより実行あるものにするという刑事政策的課題に対して、犯罪から総ての個人ないし社会を防衛することは不可能であり、それよりは個人の自己防衛的な教育的治療に力点を置くことによって、個人が被害者とならないようにするためにはどのようにしたらよいのかという被害者サイドから犯罪(被害)予防を考えたほうが、より現実的であり、また適切であると主張したことは銘記されてよいと思う。そして、その前提として被害者人格の問題を被害者学の研究課題の一つにしていることは、犯罪の原因論と対策論との有機的な結合という実証主義的犯罪学理論の思考図式をそのまま受け入れたものであったといえよう。」(藤本他[1981:38])

「メンデルソーンは、かつての実証主義犯罪学がそうであったのと同様に、「犯罪」と「病気」とを類比し、医学と被害者学との類似性を強調する。一般に、説明上の便宜上、犯罪問題を病気(病理)に擬えて説明することがあるが、これは一見分かり易いようでいて、実は犯罪問題の本質を見誤らせるおそれがある。なぜならば、犯罪は、それ自体一つの法的・社会的価値評価そのものであり、従って、犯罪行為はそのような価値評価に関係付けられた事実であるのに対して、病気は、それ自体、法的・社会的価値評価からはあくまでも中立的・中性的なものであり、両者は本質的に性格を異にするものであるからである。従って、メンデルソーンのように、単なる「苦痛」という結果の類似性のみを取り上げてあらゆる決定因による被害者という一般的カテゴリーをむけるというアプローチは、被害者原因の異質性ということを無視してしまい、その限りで、犯罪、非犯罪的所為、自然現象といったそれぞれ固有の特徴ないしは本質を持ったものの区別を不分明にしてしまうことになるのである。このことは、すくなくともメンデルソーンの当初の意図、犯罪の予防、対悪に新しい有効な手段を提供するという意図よりすれば、むしろ回避すべき帰結であったといえよう。」(藤本他[1981:39−40])

被害者学的犯罪予防策の限界
「よしんば、(潜在的)被害者に対してなんらかの働きかけがなされるとしても、それは、吉岡一男が指摘しているように、被害者研究から導かれた被害者特性を有する人々に彼ら自身に関する情報緒を提供することにとどまるものといえるだろう。(潜在的)犯罪者の場合とは異なり、犯罪被害と結びつきやすい人格上の負因などが存在する場合でも、犯罪防止のために、そういう人々を、例えば施設収容したり、強制的な負因除去作用に服せしめたりすることを主張するものはないであろうし、現実的に見ても、これらの強制的な被害者の予防的処置というものは、人権侵害の危険からまったく実現不可能なことであるといえる。従って、被害者に対する働きかけといっても、その多くは、現実の事例から得られた知見を、例えば子供の育て方や自己啓発のための資料、情報として提供し、人々の自発的な努力をまつことになると思われるのである。われわれは、まさにこの点に被害性の存在を前提としたメンデルソーンの被害者学、ひいては社会防衛的思想に基づく犯罪予防策の限界を見出すことができるのである。それゆえ、被害者学の犯罪予防に対する寄与といっても、それほど積極的な役割を演じるというわけではなく、被害者に対する積極的な働きかけが実際上不可能である以上、まさに従来の主として犯罪行為に向けられた積極的な犯罪予防策を補足するのに役立つ面を部分的かつ消極的に有しているにしかすぎないものと言えよう。」(藤本他[1981:53−54])


 
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おおさか被害者支援センター・マーガレット(2005設立)


*このファイルは文部科学省科学研究費補助金を受けてなされている研究(基盤(B)・課題番号16330111 2004.4〜2008.3)の成果/のための資料の一部でもあります。

*作成:大谷通高
UP: 20050730 REV:20060717 20090823, 20100503, 20131111
犯罪・刑罰
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