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ベーシック・インカム
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◆はてなダイアリー 「ベーシック・インカムとは」
 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D9%A1%BC%A5%B7%A5%C3%A5%AF%A5%A4%A5%F3%A5%AB%A5%E0
◆はてな 「ベーシック・インカムとは」
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生活保護

■新着

◆20070916 障害学会第4回大会 シンポジウム1
 於:立命館大学朱雀キャンパス
山森 亮 20070916 「「生きていることは労働だ」――運動の中のベーシック・インカムと「青い芝」」
 障害学会第4回大会シンポジウム「障害と分配的正義――ベーシックインカムは答になるか」
野崎 泰伸 20070916 「価値判断と政策――倫理と経済のダイアローグ」
 障害学会第4回大会シンポジウム「障害と分配的正義――ベーシックインカムは答になるか」
立岩 真也 20070916 「ベーシックインカムは答になるか?」
 障害学会第4回大会シンポジウム「障害と分配的正義――ベーシックインカムは答になるか」


野崎 泰伸 200706 「生活保護とベーシック・インカム」,『フリーターズフリー』1:282-292
 http://www.freetersfree.org
 cf.http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070627/1182917197
立岩 真也 20060707 「質問(?)」
 Workshop with Professor Philippe Van Parijs 於:立命館大学
立岩 真也 2005- 「家族・性・市場」『現代思想』連載(↓)

■HP

◆Basic Income European Network
 http://www.bien.be/

◇関連HP(作成:齊藤 拓 近日中に掲載再開予定)
 http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~ps004995/class/dd1/

■本

◆Philippe Van Parijs 1995 Real Freedom for All: What (If Anything) Can Justify Capitalism?, Oxford Univ Pr (Sd) Oxford Politician Theory ; ISBN: 0198293577 U.K. 定価: £24.49 ¥5,453 [amazon] 
 *齊藤拓の訳で近刊予定。

◆Fitzpatrick, Tony 1999 Freedom and Security: An Introduction to the Basic Income Debate, Macmillan Press=20050525 武川 正吾・菊地 英明訳,『自由と保障―ベーシック・インカム論争』,勁草書房,265p.,ISBN: 432660185X 3600+ [amazon][boople]  ※,

◆小沢 修司 20021030 『福祉社会と社会保障改革――ベーシック・インカム構想の新地平』,高菅出版,195p. 2200 ※
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0210os.htm

■論文等

牧野 久美子* 2002 「ベーシック・インカム・グラントをめぐって−南アフリカ社会保障制度改革の選択肢」
 『アフリカレポート』34

◆宮本 太郎 2002 「福祉国家再編の規範的対立軸――ワークフェアとベーシックインカム」
 『季刊社会保障研究』38-2

山森 亮 200211 「市場・脱商品化・基本所得」
 小笠原・武川編[2002:53-71]*
*小笠原 浩一・武川 正吾 編 200211 『福祉国家の変貌――グローバル化と分権化のなかで』(シリーズ社会政策研究 2),東信堂,186p. \2,000 pp.53-71 ※  →http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0211yt.htm

山森 亮 20030201 「基本所得――多なる者たちの第二の要求によせて」
 『現代思想』31-02(2003-02):130-147
 →http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0302yt.htm

◆宮本 太郎 200402 「社会的包摂への三つのアプローチ――福祉国家と所得保障の再編」
 『月刊自治研』vol.46 no.533

◆小沢 修司 200402 「ベーシックインカム構想からの思考――日本における導入の姿とその効果」
 『月刊自治研』vol.46 no.533

◆都留 民子 200402 「フランスの参入最低限所得(RMI エレミ)をめぐる論議」
 『月刊自治研』vol.46 no.533

◆齋藤 拓 200403 「世界規模のベーシック・インカム」
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/d/b03003.htm

◆齋藤 拓 20060331 「   」
 『Core Ethics』02

◆齋藤 拓 20060331 「   」
 『Core Ethics』02

◆Callinicos, Alex(アレックス・カリニコス) 2003 An Anti-Capitalist Manifesto, Polity Press=20040915 渡辺 雅男・渡辺 景子 訳,『アンチ資本主義宣言――グローバリゼーションに挑む』,こぶし書房,こぶしフォーラム11,249p.,ISBN:4-87559-186-1 2940 [amazon][bk1]
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/callinic.htm
 過渡期のプログラム(pp.179-188)
 ・第三世界の債務の即時帳消し
 ・国際通貨取引におけるトービン税の導入
 ・資本コントロールの回復
 ・普遍的なベーシック・インカム制度の導入(pp.181-182)
 「たとえば社会的に認められた生活に必要な最低限ニーズに見合うレベルで、す(181)べての市民にベーシック・インカムを受ける権利が与えられるという考え方は、それが資本の独裁から労働者を解放する助けになりうるという点で、魅力的である。ベーシック・インカムは労働と資本との交渉力を大きく変えることになるだろう。なぜなら、潜在的な労働者は、場合によっては、有給雇用に取って代わる選択肢を選ぶこともできるからである。さらにまた、すべての市民が同一額(おそらく年齢や身体障害や扶養する子供に応じて調整を受ける)のベーシック・インカムを受給するから、この制度の導入は優位へのアクセスの平等性を確立する上で重要な一歩となるだろう。」(pp.181-182)
 ・週労働時間の短縮
 ・公共サービスを守り、民営化された産業を再び国営化すること
 ・公共サービスの財源に充てるための、また、富と所得の最分配を行うための累進課税
 ・移民規制の撤廃と市民権の拡大
 ・環境の破局を未然に防ぐプログラム
 ・軍産複合体の解体
 ・市民的自由を守ること

cf.
生活保護
公的年金


 
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◆立岩真也 2005- 「家族・性・市場」『現代思想』連載

◇「労働について(これからの予定)――家族・性・市場 9」
 20060601 『現代思想』34-7(2006-6)

「★03 基本所得、ベーシック・インカムという案がある。代表的な著作としてよくあげられるのはParijs[1995](近く齊藤拓による訳書が刊行される予定)、翻訳が出ているものとしてFitzpatrick[1999=2005]。日本では、書籍として小沢[2002]、論文では宮本[2002]、山森[2002][2003]、小沢[2004]、齊藤[2005]。他に例えばCallinicos[2003=2004:181-182]に「過渡期のプログラム」の一つとしてあげられている。南アフリカ共和国での試みについて牧野[2002]、フランスについて都留[2004]。一国単位の制度からの拡張の可能性についての議論の紹介として齊藤[2004]。また一括給付金を与えようという資産ベース政策、それとベーシック・インカム政策との異同について齊藤[2006a][2006b]。
 注(2)との関連では、ベーシックインカムを主張する人たち(のある部分)は、「働かない権利」を主張するという。Parijs[1997]の表紙にはサーフィンをする人の写真があって、働かず(金を稼がず)一日サーフィンをしている人であってもベーシックインカムは受け取れるのだいうメッセージだともいう。そしてそれが批判の論点になってもいるようだ。どのような意味で「働かない権利」が言われているのか。注に私が記したことにどのように対しているのか、あるいは対していないのか。検討してみたいと思う。
 さらに、こうしたアイディアはとくに最近現われたのでないことも、当たり前のことなのだが、確認しておく必要はある。つまり、どれほどの理屈が上乗せされていたかは別として、みなが暮らせるだけの所得保障をという主張はずっとあったのであり、それをことさらに新しいものとして取り上げることは恥ずかしいことだと言うべきだろう。例えばフェミニズムとの関連では小倉・大橋編[1991]における小倉の提起。またここでは、人間の活動はすべて労働だと言ってしまうという方向と労働に重みを置くことをやめようという方向と、実際にはあまり変わらないところもあり、また同時に差異もある二つの言い方がなされたのでもある。このことについても過去の議論を検証し、考えておく必要かある。」

◇撤退そして基本所得という案――家族・性・市場 11
 20060801 『現代思想』34-09(2006-08):008-020

□別の話を割り込ませることについて
□個人賃金制という案
 引用:小倉[1991b:108]
□みなが労働者であるという主張
□個人賃金制の構想
□「社縁社会からの総撤退」について
□予告
 ヴァン=パレースが、福岡で開催された国際政治学会の大会に招待されたついでに、7月7日に立命館大学にやってきたので、彼が書いていることについていくつか疑問をまとめることになった。そもそも、そんなことがあったために予定を変更したのだった。しかし、結局、その前段で、似ているところもあり、また違うところもあるようである議論をすこし紹介して、今回は紙数が尽きることになった。そのときに作った文章はホームページに掲載しているからそれをご覧いただけばと思う。論点は大きくは三つある。
 一つは、政治が関係する分配政策としては基本所得だけでいくのか、それがよいのかである。私は生産財の分配、労働の分配、そして所得の分配と三本立てがよいと考えている(立岩[2002][2004][2005])。どちらがよいのか。
 一つは、「労働の義務」についてである。「働かない権利」という主張は、最初の部分に記したように、また小倉や加納が撤退の主張において述べたように、わかる話ではある。またリベラルな立場から「生き方の自由」という標語のもとに主張される。ならばそういうことにしておいてよいのか。
 もう一つは、一律の基本所得という考え方からは、個々人の境遇の差異への対応は肯定されるのか、肯定されるとしたらどの程度肯定されるのかという問題である。私はそれこそが肯定されるべきだと考えるのだが、基本所得論者はそうでもないようだ。そしてこのことに関わってヴァン=パレースは不可解、と私には思える、議論をしている。
 以上についてこのたび作った文章を書き直し、書き足すことから次回は始まるはずである。

 「以下は『働く/働かないフェミニズム――家事労働と賃労働の呪縛?!』(小倉・大橋[1991])という本などをとりあげた前回の続きでもある★01。「個人賃金制」といった案もあったことを紹介した。それは「ベーシック・インカム」(以下「基本所得」)という案をどう考えようかという主題にも関わっていた。その案は、無条件に同じだけの基本所得を支給するという案である。もちろん、その「基本」とはいったいいくらのつもりなのか、とまず最初に思うだろう。そして私は、三つのことが気になった。一つは、分配は所得の分配に限られるのかということ。私は、その他に生産財の分配と労働の分配が必要だと考えている。一つは、労働の位置づけ。労働の分配という点で一つ目にも関わるが、とくに労働の義務について。一つは、個々人の境遇の差異に応じた分配をどう考えるか★02。今回はその二番目について私はどう考えるか、ごく基本的なところを述べる★03。それも、結局は家族や性別分業の現在からその先を見てみようという作業にとって、考えておくべき課題である。」

□義務は与えられる

 労働の義務について、おおまかなことは、この連載の第9回(6月号)の注に簡単に記し、さらにそれにすこし書き足して、『希望について』(立岩[2006a])に再録した「ニートを生み出す社会構造は」(立岩[2005])に付した新たな注とした★04。ただ、そこでは、実際の政策としては就労を要求する必要はない、むしろ現今の状況の下ではすべきでないことを主に述べた。ここでは、もうすこし基本的なところから述べる。論の範囲はずいぶんと広がってしまう。迂遠なことのように思われるだろうが、それでもひとたびは必要ではあろうと考える。
 まず基本所得の主張との関係から。基本所得は(働けない人だけではなく、働くことができても)働かない人にも支給される。だから、それは働く義務を否定していると受け止められることがある。もしかするとこの政策を主張する本人たちもそう思っているかもしれない。しかしそんなことはない。義務は基本所得の主張そのものの中にある。まず誤解を解くことから始めよう。
 基本所得を主張する人たちは、それを受け取ることは権利であると言うだろう。とすれば、既に、受け取られるものを提供するのは義務である。このような意味で、基本所得を支持する人たちも義務を認めている。でなければ税金を使った基本所得は成立しない。
 このことは社会的給付を認めるすべての主張について言えることである。人の権利を認めることは、その権利を認める義務が人々に課されることである。人が生きる権利があることは、生きることを可能にする義務があるということである。生存・生活のために消費は必要であり、そのために生産は必要であり、労働は必要である。これは自明である。生存が権利であるなら、その手段としての労働は義務だと言える★05。
 もちろん、実際には強制することなく、例えば自発性によって、必要なだけが得られることはありうる。そしてそれはよいことであるかもしれない。しかしこのことは、義務は義務としてあることを否定するものではない。そのことは現実に強制を発動する必要がないことを言うだけであるからである。現実の条件が変われば、現実に義務を課すこともなるだろう。また、一部の人たちの自発性によって必要が満たされたとして、ではそれ以外の人たちに義務がないと言えるかと考えると、そうではないとも言いうる★06。
 以上を基本所得という政策を主張する人は認めざるをえない。ただ、その人たちは、労働を強制しているのではなく、働いて何かを生産した場合、収入を得た場合に、その一部を拠出すべきだと主張しているのだと言うだろう。そしてこれは、私もリバタリアンの批判に関説して述べたことでもある(立岩[2004:43])。しかし、ただそのことを言って終らせることもできない。たしかに徴税は狭い意味での強制労働ではないにしても、強制ではある。これを含めて考えておく必要がある★07。

□どの範囲にある問題なのか
□1・離せないもの★08
□2・負荷
□特定された行為の義務はあまり課される必要がない
□義務としてなされると無効になる行ない
□他人に役立たないもの/必須であるもの

◇ワークフェア、自立支援・3――家族・性・市場 17
 20070201 『現代思想』35-2(2006-2)8-19
□復習
□権利と義務の割り振りという問題
□仕事を課すこと/褒美を与えること
□褒美に釣られない人のこと
□苦労できない人にとっての迷惑
□決定的な手段はない

★03 立岩[2001a→2006:177-178]でこのことに言及している。そしてそこでは、これが所得保障だけでなく、既存の労働市場への参入が阻まれている人が労働を求める理由の一つであり、所得の分配だけでなく労働の分配が正当される理由の一つであるとした。
 それは基本所得(ベーシックインカム)(昨年十二月号の特集では堅田・山森[2006])に関連して述べたことの一つでもある。私は所得の分配とともに生産財と労働の分配があってよいと考える。
 他に、一人ひとりの違いに対応して保障は一律であるべきではないということが一つ。この主題はVan Parijs[1995]でも論じられているが、その論には奇妙なところがある。立岩[2006b]でこのことにすこしふれた。
 そして、いま記したことも含め、社会的分配は、個別主義から逃れることはできないし、逃れるべきでもなく、逃れられるふりをするべきでもないというのが一点。
 そしてもう一つ加えると、やっかいな問題として、私的扶助・扶養、贈与という契機にどう対するかがある。

□□労働を得る必要と方法について――家族・性・市場 18
20070301 『現代思想』35-3(2007-3):8-19

□全体の中に位置づけて見るべきこと
……

★02 これは基本所得を正当化する論ともなる。働いている人たちには収入以外に様々な余禄がある、上乗せがある。そして、たんにそれを得ているというのではなく、職を独占し、そのことによってその特権を他を排除して享受している。だから、働かない者が基本所得を受け取るとして、働いている側の人たちはそう文句を言ってはならない。このように主張するのである。

◇「技術について――家族・性・市場 19」
 20070401 『現代思想』35-(2006-4):

□復習等
□技術



 社会政策、社会保障政策に比較的詳しい人たちの書くものにおいては、さすがに、基本的な問題が所得保障政策そのものであることは自覚されている。例えば、既存の制度に代えて、基礎年金を税による拠出による制度にして、あとは民営化するといった方策が検討される、あるいは推奨される。そして、これは今どきの意味において「構造改革」を主張する人たちにもある意見であるが、「基本所得」の主張とも親和性を有する。そして私の見解もそれに近い。ずいぶんと違うはずの人たちが、同じものを支持していることになる。「新自由主義」を熱心に支持している人と、それに熱心に反対している人の差異がよくわからなくなる。
 では実際に違いはないのかといえば、そんなことはない。基本的な問題は、その「基本」をどこに設定するのか、そしてそのための資源を誰からどんな割合でとってくるのかである。たんなる数字の問題とも見えようが、また実際にたんなる数字の問題なのだが、これはまったく重要な論点である。もし、たとえば「基本所得」を主張したい人たちが、「セーフティ・ネットは必要だ」という人たちのある部分と違うことを主張していると言いたいのであれば、むろん一つに給付の「無条件性」を言うのだろう――これは吟味・検討すべき論点であり、私が考えることは以前述べた――が、それ以外にどのような違いがあるのかを言わねばならないということである。そしてその上で、他の政策についてどんな態度を取るかである。


作成:齊藤拓(予定)/立岩真也 UP:2004 REV:20041102,1207 20060410 20070713,0831 0902

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