「たとえば社会的に認められた生活に必要な最低限ニーズに見合うレベルで、す(181)べての市民にベーシック・インカムを受ける権利が与えられるという考え方は、それが資本の独裁から労働者を解放する助けになりうるという点で、魅力的である。ベーシック・インカムは労働と資本との交渉力を大きく変えることになるだろう。なぜなら、潜在的な労働者は、場合によっては、有給雇用に取って代わる選択肢を選ぶこともできるからである。さらにまた、すべての市民が同一額(おそらく年齢や身体障害や扶養する子供に応じて調整を受ける)のベーシック・インカムを受給するから、この制度の導入は優位へのアクセスの平等性を確立する上で重要な一歩となるだろう。」(Callinicos[2003=2004:181-182])・週労働時間の短縮
「ベーシック・インカムは賃金労働と分業を前提としている限りにおいて、社会主義の分配の改良版にとどまると言わざるをえない。たしかに、市民手当・参加所得などと区別される、資本のコミュニズムとしてのベーシック・インカム構想はよりマシな再分配を説得するための戦術として重要である(フランスのRMI[参入最低限所得]の経験を参照)。しかし、それだけでは、資本の社会主義に回収されてしまう。」(小泉[2006:187]、他の箇所では小泉[2006:140-143]◇)
「ベーシック・インカムとは、私の直感的な理解によれ>0086>ば、生きているというその一点において、その人に保護されるべき基本的な所得である。cf.
たとえば私は、前述のとおり、長いあいだ生活保護を受給していた。この受給には生活困窮者という条件があるので、その条件をクリアしていさえすれば、だれでも堂々ともらってよいはずだ。しかし、残念なことに、そこには数かずの偏見がある。その偏見をなくすために闘ったり、条件撤廃を求めたりすることを考えると、ベーシック・インカムの考え方はよりシンプルだ。
人間はやりたいことをやって生きていけるはず、と私は信じている。つまり、仕事も、みんながやりたい仕事につけるはずだし、ついていいのに、「お金をも らうのだから、イヤな仕事でもがまんしてやらなければならない」と思わされている人があまりに多い。
また、どんなに好きな仕事であっても、長時間やり続けていたら、イヤになるだろう。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは、世界中の人がそれぞれ自分のしたい仕事を一日四時間すれば、世界が平等で平和に暮らしていけるはずだ、と言っている。それだけの労働で、全世界の人口をまかなうにじゅうぶんな食料やサービスを生み出せるというのだ。
この社会のなかで多くの人たちが感じている生きにくさ・非情さは、分配の不公平からきているのではないか。それをキックするのが、ベーシック・インカムの考え方だと思う。
もし、生まれてきた段階でだれもが一定の所得を保障され、そのことを子ども自身がきちんと知ら>0087>されて認識していれば、虐待する親のもとにずっと留まりたいと思う子はいないだろう。もっとも、親のほうも、子どもを食べさせなければならないという強力なプレッシャーから解放されるわけだから、虐待自体もなくなるだろう。
食べるためには働かなければならない切迫感は、ベーシック・インカムの実現によって劇的に変化するにちがいない。」(安積[2009:86-88])