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■新着(ではありません 2001〜)

◆『脱毛少年M』(森 博史 2006/06〜)
 http://www.geocities.jp/hiroshi_japan1981/index.html
◆朽網 由紀 2003/03 「容貌問題を巡る「語り」と「法」」
 九州大学大学院法学研究科修士論文
◆川添 裕子 2001 「美容外科手術と外見――「普通になりたい」」
 http://www0.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/kawaz9806.html
 『仮想・医療人類学・通信』(医療人類学プロジェクト)
 http://www0.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/VmapNews-j.html
◆西倉 実季 2001 「「美しさ」の再生産に関する一考察――美容整形に携わる人々の語りから」
 お茶の水女子大学大学院人間文化研究科修士論文(2000年度) ※
松本 学 20010331 「顔にdisfigurementを抱える人々の選択する自己提示のストラテジー」
 障害学研究会関西部会第10回研究会
◆20010303 日本顔学会第10回シンポジウム「顔」  2001年顔の旅‐Face Odyssey‐
◆20010222 第4回顔塾
 西倉 実季「「美しさ」の再生産に関する一考察〜美容整形に携わる人々の語りから〜」
 
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■引用 *リンク先に引用等含むもの含む

花田 春兆 1962/09 「ケンカする気じゃあないけれど」,『しののめ』48→19681020 『身障問題の出発』,pp.23-32

 「――障害者が書いたかどうか疑わしい。たとえ障害者が書いたものであっても、このように暗い内容のものを載せることが、障害者にどのようなショックを与えるかを考えるのだ編集者の良識といえるのではないだろうか。社会の人々に障害者への温かい暇をひらかせるために、あえて掲載したように断り書しているが、センセーショナルを売物にした以外何物でもない――手記というたくみな方法で身障者を見苦しい者として扱っており、――私ははずかしめに対する怒りで体がふるえた――
 『「女性自身」に抗議。障害者をべっ視』こういう勇ましい三段抜きの見出しで『朝日新聞』(大阪本社版)七月一〇日付朝刊に載った、女性自身七月九日号掲載の「私を殺してほしい」という身障者の手記があまりに暗くショッキングであり身障者を売り物にしたものだから謝罪文を出せという関西の一都市の肢体不自由者協会会長なる人の談話とやらがこれなんです。カッパブックス等で旭日昇天の光文社にケンカを売れば(買わなくても大新聞に載△026 れば)一躍男をあげられます。
 […]
 見苦しいもののように扱う!
 「主観的とか精神的には別だが、客観的に肉体的には、どう見たつて障害児は見苦しいよ。決して見よくはないな」
 「だからこそ、心理的にも苦しむのじやないか。身よけりや苦労するもんか」
 「見苦しくない障害者、そんなの我々の基準からすればナンセンスだよ。見苦しくない程度の障害者なんて障害者の部類には入らないよ、そんな入らないようなのを基準にす△030 るからあんな身障者雇用促進法になるんだ」
 こんな会話を載せると、又噛みつかれるかもしれません。しかし、一つの現実であることに間違いはない筈です。ついでにもう二言加えましょう。
 「本当に見苦しくないと信じているのかね。余程偉いか、その反対だな」
 「この写真、苦労しているね、見苦しさを出す気なら真正面から撮ればいいのさ。いくらでも見苦しく出来るさ。苦労せずに、ね」

 はずかしめに対する怒り!
 全く同感ですよ。たまらない気持ちですね。それも前述したように、自責の念をかきたてられるようなものでなく、恥部に触れられるというくらいな感情でも極めて素朴に同調出来ないことはありません。
 でも、考えてみてください。その手記と共に載つている写真の主の心情を。この被写体になつた女性だつて、鏡のない国に住んでいるのでもなれば、人並みに羞恥心もあれば、はずかしめに対する怒りだつて備えているに違いないのです。では何故、敢然と撮らせたのでしようか。個人を超えて多くの人々の声にもならずにいる訴えを、個人の感情をコロすことで、より昇華したカタチに燃え上がらせたかったのだ、とは考えられないのでしょうか。
 ともかく、これだけ言いたかつたのです。
 それにしては光文社の弁護をしすぎたよ、と言われるかもしれませんね。でも、手記な△031 るものがこの「しののめ」が引金役を果たしている以上、光文社はとばつちりであり抗議は当然こちらに向けられて然るべきものなんですから致し方ありません。ケンカする気じゃないけれど、仕方ないんです。」

◆Duden, Barbara 1985 「身体を歴史的に読み解く――<健康(ヘルス)>という名のイデオロギー批判」,『思想』736:127-135 玉野井麻利子訳(1985年5月28日にAmerican Association of Advanced Sciencesのシンポジウム「医療科学:もうひとつの洞察と接近方法」で発表)

 「私はつねに、自分は身体を有していることをあたりまえだと思っていました。(けれども)私が研究した(一八世紀のドイツの)女性の誰も、所有代名詞を使って自分を語るということがありませんでした。」(Duden[1985:127]、( )内は引用者、cf.第5章注22)
  立岩 真也『私的所有論』第4章注2(p.165)より

Haraway, Donna J. 1991 Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Free Association Books and New York: Routledge=20000725 高橋さきの 訳,『猿と女とサイボーグ――自然の再発明』,青土社,558p. ISBN-10: 4791758242 ISBN-13: 978-4791758241 3600 [amazon] ※ b02.

 「西欧人にとっての適性な状態とは、自己に対する所有権を有し、コア・アイデンティティをあたかも所有物のごとくに所有し、保持している状態である。この所有物は、さまざまな原材料から時間をかけて作ってもよいし、――つまり、文化の産物であってもよいし、――生まれつきのものであってもよく、ジェンダー・アイデンティティとは、こうした所有物なのである。自己を財産として所有してないということは、主体ではないということであり、したがって,媒介作用を有さないということである。」(p.258)

 「サイボーグたちは、真の生命/生活を得んだための犠牲といった発想をイデオロギーの源泉とすることを拒む。…生存こそが最大の関心事である。」(p.339)

 「…道具とつながっているという我々の感じ方は、つよまっていると思う。コンピュータ・ユーザーが経験するトランス状態は、SF映画や文化ジョークの定番になった。ひょっとすると、他のコミュニケーション装置との複雑なハイブリッド状態について最も強烈な経験が可能で、場合によってはすでに実地で経験ずみなのは、対麻痺をはじめとする障碍の重い人々であるのかもしれない。アン・マキャフリーは、プレ・フェミニズムの『歌う船』(1969)で、あるサイボーグ――障碍の重い子ども(p.340)の誕生後に作製された、その女の子の脳と複雑な機械装置のハイブリッド――の意識について探究した、この物語では、ジェンダー、セクシュアリティ、ものごとの具体的なかたち、スキルといったもの――要するにすべて――が再構築される。なぜ、我々の身体は、皮膚で終わらねばならず、せいぜいのところ、皮膚で封じこめられた異物までしか包含しないのだろうか、と」(pp.340-341)

◆寺山 修司 19930200 『畸形のシンボリズム』,白水社、147p. ISBN:4560042985 1835 [amazon][kinokuniya] ※ b02.

・私たちの社会に存在しているのは「等身大人間への幻想」である。
「等身大人間の現実は、同じ場所の中で、彼らのアイデンティティの問題を考察しようとするあまり、無縁なもの同士の唐突な隣接による新しい空間の現出を怖れ、「共通の場所」の中で、「欠落をもった人間」として彼らを愛しつつ排除してきたのである。つまり、普通の等身大人間は、彼らの「背足らざる部分」を意味化し、因果の罰という婦幼童蒙のための教訓材をつくりだした。彼らの手に入れる幸福は、畸形としての社会性の中には決して見出されることはなく、つねに同じ現実の中で、等身大に接近することによってのみ保証されてきたのである。」(寺山[1993:25])
・畸形の身体を持つ存在とは即ち、聖と俗の媒介者である。
「生産や交換が日常的に行われている俗な空間では、彼は「畸形」として差別され、あるいは「異物」として排除されることになる。」「俗な空間で排除されてきた畸形たちが祝祭的芸能空間で奪還しようと「国奮りあそび」の復讐戦をたくらんだとしても、そこで手に入るのはせいぜい形を変えた見世物小屋の一つ二つにすぎないだろう。問題はむしろ、「生産とか交換とかが日常的に行われている俗な空間」と「日常性から切り離された禁域、神話的体系に支配された聖なる空間」とを野合させ、混在させるための媒介として、一寸法師の役割を考えてみる、と言うことなのである」。畸形の「身体的特色は決して「俗な空間」の日常性を代行しない、ということが大きな魅力」なのであるから。(寺山[1993:44])
・畸形の身体は社会の「意味」を揺るがせる。
「祝祭的聖空間の特権性を切り捨てて、まぎらわしい日常の現実の中に立ち戻ってきた一寸法師の役割は、とある夕暮に、一切の事物から俗空間の名辞を剥ぎとり、意味を無化する、ということである。彼は「代理人」としてではなく、<混在郷>への媒介を果す案内人として、町のマンホールの蓋をあけて、地球の空洞をかいま見せたり、人々を「意味という名の電車」から下車させたりする。それは、身体の「畸形」性を疑うためではなく、ニュートラルな身体などというものが、俗空間に住む人々のイメージの影でしかないことを報わせるためである。」(寺山[1993:48])

◆立岩 真也 1993/11/01「身体の私的所有について」,『現代思想』21-12,pp.263-271

◆鷲田 清一 19981104 『悲鳴をあげる身体』,PHP新書,201p. ISBN-10: 4569603092 ISBN-13: 978-4569603094 ISBN: 4569603092 690 [amazon][kinokuniya] ※ b02.

◇立岩真也 1998/11/29「書評:鷲田清一『悲鳴をあげる身体』」,『東京新聞』1998-11-29

◆石井 政之 20010215 『迷いの体――ボディイメージの揺らぎと生きる』,三輪書店,253p. ISBN-10: 489590136X ISBN-13: 978-4895901369 [amazon][kinokuniya] ※ b02.

◇立岩 真也 2001/05/15「書評:石井政之『迷いの体――ボディイメージの揺らぎと生きる』,『ターミナルケア』(三輪書店)
◇立岩 真也 2001/04/13「書評:石井政之『迷いの体――ボディイメージの揺らぎと生きる』(2001年,三輪書店)」『週刊読書人』2382:6

◆荻野 美穂 20020215 『ジェンダー化される身体』,勁草書房,416p. ISBN-10: 4326652640 ISBN-13: 978-4326652648 3990 [amazon][kinokuniya] ※ b02.

◇立岩 真也 2002/05/31 「書評:荻野美穂『ジェンダー化される身体』」『週刊読書人』2439:3

◆金井 淑子・細谷 実 編 20021010 『身体のエシックス/ポリティクス――倫理学とフェミニズムの交叉』,ナカニシヤ出版,224p. ISBN-10: 4888487235  ISBN-13: 978-4396110178 \2200 [amazon][kinokuniya] ※ f01 b02.

Sontag, Susan 2003 Regarding the Pain of Others, Farrar, Straus and Giroux=20030708 北条 文緒 訳,『他者の苦痛へのまなざし』,みすず書房,155p. ISBN:4-622-07047-2 1800 ※ b02. cf.暴力

「苦しみを容認せず、苦しみに抵抗することは、何を意味するのか。
 苦しみの図像には長い系譜がある。描く価値があるとされた苦しみの最も代表的なものは、神ないし人間の怒りから生じたと考えられる苦しみである。(病気や出産のような自然に起因する苦しみなどというものは、美術史上、めったに描かれていない。あたかも手落ちないし不運による苦しみなどというものは存在しないかのように、事故に起因する苦しみが描かれた例は事実上、皆無である。)ラオコーンと息子たちが苦しみもがいている彫刻群、キリストの受難を描いた無数の絵画と彫刻、キリスト教殉教者たちの残酷な処刑の尽きることのない図像――それらは疑いなく人びとを感動させ、刺激し、教訓と規範を与えるべく意図されている。見る者は苦しむ人の苦痛を思いやる(キリスト教の聖人たちの場合には、規範的な信仰と身体に戒められ、霊感を与えられる)が、それは嘆いたり競ったりすることを超越した運命である。
 苦しむ肉体の写真を見たいという欲求は、裸体の写真を見たいという欲求とほとんど同程度に強い。何世紀ものあいだ、キリスト教美術においては、描かれた地獄がその二つの基本的な欲求を満たしていた。」(Sontag[2003=2003:38-39])

「[…]極度の実際の苦しみ〔顔を打ち砕かれた第一次大戦の退役軍人の写真のような実在の恐怖〕を見る権利があるは、その苦しみを軽減するために何かができる人々――例えばこの写真が撮られた陸軍病院の外科医たち、またそれから何かを学べる者たち――だけだろう。その他の者は、自分の意図とはかかわりなく、覗き見をする者である。」(2003=2003:39-40)

「美術画廊で他の人々の苦痛の心痛む写真を見るとき、彼らの苦痛を搾取しているように感じられる。」(Sontag[2003=2003:120])

◆小泉 義之 20060410 『病いの哲学』,ちくま新書,236p. ISBN: 4480063005 756 [amazon][kinokuniya] ※ b02.

 「ICUの末期状態の病人については、スパゲティ症候群などというふざけた呼び名で管の数の多さを嘆くのはまったく間違えている。そうではなくて、複雑な生理的システムを繊細に調整して病人を生き延びさせるためには、管の数が少なすぎると憤るべきなのだ。そして、いつか膨大な数の管が開発され、一つに纏められ、肉体に内蔵される日が来ることを願い信ずるべきなのだ。その日のためにこそ、現在の病人は苦しんでいるのではないか。」(pp.223-224)

◆三井 絹子 20060520 『抵抗の証 私は人形じゃない』,「三井絹子60年のあゆみ」編集委員会ライフステーションワンステップかたつむり,発売:千書房,299p. ISBN-10: 4787300466 ISBN-13: 978-4787300461 2100 [amazon][kinokuniya][JUNKDO] ※ d i05 i051970 b02.

  婦長への抗議 100-102
 「それからはNさんは「親しくしている人なら、男の人でもトイレをやってもらっても、いいじゃないか。」と言いましたね。[…]Nさんは男女の区別を乗り越えるのが本当だと言いましたね。だったらなぜ、現在男のトイレと女のトイレを別々にしてあるんですか。」(p.101)

◆立岩 真也 2008/07/01- 「身体の現代」,『みすず』2008-7(562):32-41から毎月連載 資料

◆熊谷 晋一郎 20091215 『リハビリの夜』,医学書院,260p. ISBN-10: 4260010042 ISBN-13: 978-4260010047 2100 [amazon]//[kinokuniya] ※ b02.

◆安積 遊歩 20100115 『いのちに贈る超自立論――すべてのからだは百点満点』,太郎次郎社エディタス,190p. ISBN-10: 4811807340 ISBN-13: 978-4811807348 1680 [amazon][kinokuniya] ※ b02.

VI 自分のお尻を拭けなくたって――プライバシーと自立観
  自分のお尻を自分で拭かなくてもいい
 「動かない手足が現実なのだから、自分のお尻を堂々と他人に預けるというのが、私たちの自立となるのだ。[…]
 プライベートとか個人のテリトリーとかいう考え方は、障害をもった人の現実にはまるで役に立たない考え方であり、ときには害をもたらしさえすると言っておこう。」(安積[2010:153])
  排泄の音
 「プライバシーの概念から自由な子どもや知的障害の人とつきあってみると、そもそもプライバシーというものがどういうふうに人と人との関係に役立ち、一人ひとりを大事にするものなのかがわからなくなるのだ。食べること、動くこと、移動すること、ときには眠ることにさえ人の手を借りなければならないときには、プライバシーさえ分かちあわれることとなる。分かちあわれたプライバシーは、プライバシーと呼べるのだろうか。」(安積[2010:157])


 
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■文献

◆石福 恒雄 1977 『身体の現象学』,金剛出版 b c
◆管 孝行 1982 『関係としての身体』,れんが書房新社 b c
◆三橋 修 1982 『翔べない身体――身体性の社会学』,三省堂,294p. <169> b c
◆市川 浩 19841115 『<身>の構造――身体論を超えて』,青土社,218p. 1600 ※ b c
◆Duden, Barbara 1985 「身体を歴史的に読み解く――<健康(ヘルス)>という名のイデオロギー批判」,『思想』736:127-135 玉野井麻利子訳(1985年5月28日にAmerican Association of Advanced Sciencesのシンポジウム「医療科学:もうひとつの洞察と接近方法」で発表)
◆角田 忠信 19851201 『続 日本人の脳――その特殊性と普遍性』,大修館書店,289p. ISBN-10:4469211281 ISBN-13:978-4469211283 \1680 [amazon][kinokuniya] ※
栗原 彬・今 防人・杉山 光信・山本 哲士 編 19860520 『身体の政治技術』 新評論,叢書社会と社会学3,301p. 2800 杉並361 b c
金塚 貞文 19861210 『人工身体論』,創林社,174p. 1600 杉並114 b c
◆樺山 紘一 19871030 『歴史のなかのからだ』,筑摩書房,256p. 1200 ※ b c
◆Duden, Barbara 1987 Geschichte unter der Haut: Ein Eisenacher Arzt und seine Patientinnen um 1730, Klett Cotta=19941025 井上 茂子 訳 1987 『女の皮膚の下――十八世紀のある医師とその患者たち』 藤原書店,324p. 4400 ※ b c
大澤 真幸 199004 『身体の比較社会学1』,勁草書房,386+14p. ISBN:432615232X 4532 [amazon][boople] ※
小倉 利丸 1990 『搾取される身体性――労働神話からの離脱』,青弓社 2000 ※ b c
◆Haraway, Donna J. 1991 Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Free Association Books and New York: Routledge=20000725 高橋 さきの訳,『猿と女とサイボーグ:自然の再発明』,青土社,558p. ISBN-10: 4791758242 ISBN-13: 978-4791758241 3600 ※ b c01 c02
大澤 真幸 199209 『身体の比較社会学2』,勁草書房,513+19p. ISBN:4326100966 6180 [amazon][boople] b c
Haraway, Donna J. 1991 Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Free Association Books and New York: Routledge=20000725 高橋 さきの訳,『猿と女とサイボーグ:自然の再発明』,青土社,523+XXXVp.,3600 b c
cf.立岩 2000/12/15 「二〇〇〇年の収穫」,『週刊読書人』2366:2
◆Synnott,Anthony 1993 The Body Social : Symbolism,Self and Society = 19971216 高橋勇夫『ボディ・ソシアル――身体と感覚の社会学』 筑摩書房 p454.ISBN-10: 4480842462 ISBN-13: 978-4480842466 3780 [amazon] ※
◆寺山 修司 19930200 『畸形のシンボリズム』,白水社、147p. ISBN:4560042985 1835 [amazon][kinokuniya] ※ b02.
遠藤 知巳 19930810 「観相学的身体の成立」,『ソシオロゴス』17:156-173 ※
◆港 千尋 19930813 『考える皮膚』,青土社,294p. ISBN-10:4791752627 2400 [amazon] ※
鷲田 清一 19931101 「身体の人称/人称の身体――制度としての《私の身体》」,『現代思想』21-12(1993-11):240-249
◆立岩 真也 1993/11/01「身体の私的所有について」,『現代思想』21-12,pp.263-271
◆木岡 伸夫 19940523 「習慣としての身体」,『生命とシステムの思想』(岩波講座・現代思想12):195-225
◆TASC(たばこ総合研究センター) 編/アンドルー ワイル・永沢 哲・多田 富雄・伊藤 源石・横山 輝雄・他 19970718 『パラドックスとしての身体――免疫・病い・健康』,河出書房新社,285p. ISBN-10: 4309611613 ISBN-13: 978-4309611617 2400+ [amazon][kinokuniya] ※ b02. ms.
◆北島 行徳 19971210 『無敵のハンディキャップ――障害者が「プロレスラー」になった日』,文藝春秋,317p. 1524 ※ b c d
◆遠藤 知巳 1997 「ポピュラー・フィクションにおける身体変容の表象」,『変身の社会学』,世界思想社 ※注文
◆Julian, Robinson 1998 The Quest for Human Beauty,W. W. Norton & Company. Inc.=20051031 伴田 良輔 訳 『肉体美大全』,東洋書林,293p. ISBN-10: 4887217013 ISBN-13: 978-4887217010 2940 [amazon]
◆『現代思想』 19980201 特集:身体障害者,『現代思想』26-02(1998-02) 1300 ※
◆鷲田 清一 19981104 『悲鳴をあげる身体』,PHP新書,201p. ISBN-10: 4569603092 ISBN-13: 978-4569603094 ISBN: 4569603092 690 [amazon][kinokuniya] ※ b02.
◇立岩真也 1998/11/29「書評:鷲田清一『悲鳴をあげる身体』」,『東京新聞』1998-11-29
◆鵜飼 正樹・北村 皆雄・上島 敏昭 19991000 『見世物小屋の文化誌』,新宿書房、340p. ISBN:4880082589 3150 [amazon][boople] b c01
◆甲野 善紀・前田 英樹 20000707 「身体の武術的転換のために」,栗原・小森・佐藤・吉見編[20000707:167-194] ※
◆加藤 秀一 20010220 「構築主義と身体の臨界」,上野千鶴子編[2001:159-188] ※
◆石井 政之 20010215 『迷いの体――ボディイメージの揺らぎと生きる』,三輪書店,253p. ISBN-10: 489590136X ISBN-13: 978-4895901369 [amazon][kinokuniya] ※ b02.
◇立岩 真也 2001/05/15「書評:石井政之『迷いの体――ボディイメージの揺らぎと生きる』,『ターミナルケア』(三輪書店)
◇立岩 真也 2001/04/13「書評:石井政之『迷いの体――ボディイメージの揺らぎと生きる』(2001年,三輪書店)」『週刊読書人』2382:6
大橋 由香子 20010215 『からだの気持ちをきいてみよう――女子高生のための性とからだの本』,ユック舎,188p. 1500 ※
◆加藤 秀一 20010305 「身体を所有しない奴隷――身体への自己決定権の擁護」,『思想』922(2001-03):108-135 ※
◆熊野 純彦 20010305 「所有と非所有の<あわい>で(上)――生命と身体の自己所有をめぐる断章」,『思想』922(2001-03):004-029 ※
◆熊野 純彦 20010405 「所有と非所有の<あわい>で(下)――生命と身体の自己所有をめぐる断章」,『思想』923(2001-04):089-104 ※
◆荻野 美穂 20020215 『ジェンダー化される身体』,勁草書房,416p. ISBN-10: 4326652640 ISBN-13: 978-4326652648 3990 [amazon][kinokuniya] ※ b02.
◇立岩 真也 2002/05/31「書評:荻野美穂『ジェンダー化される身体』」『週刊読書人』2439:3
◆金井 淑子・細谷 実 編 20021010 『身体のエシックス/ポリティクス――倫理学とフェミニズムの交叉』,ナカニシヤ出版,224p. ISBN-10: 4888487235  ISBN-13: 978-4396110178 \2200 [amazon][kinokuniya] ※ f01 b02.
◆ジャック・ル=ゴフ〔Le Goff,Jacques〕2003 Une Histoire du Corps an Moyen Age,Edition Liana Levi=20060630 池田 健二・菅沼 潤 訳 『中世の身体』 藤原書店,302p,360pISBN-10:4622019329  \3200 [amazon][kinokuniya]
◆小泉 義之 20060410 『病いの哲学』,ちくま新書,236p. ISBN: 4480063005 756 [amazon][kinokuniya] ※ b02.
◆三井 絹子 20060520 『抵抗の証 私は人形じゃない』,「三井絹子60年のあゆみ」編集委員会ライフステーションワンステップかたつむり,発売:千書房,299p. ISBN-10: 4787300466 ISBN-13: 978-4787300461 2100 [amazon][kinokuniya][JUNKDO] ※, d i05 i051970 b02.
荻野 美穂 編 20061222 『資源としての身体――身体をめぐるレッスン2』,岩波書店,248p. ISBN-10: 4000267280 ISBN-13: 978-4000267281 2835 [amazon] ※ b
◆熊谷 晋一郎 20091215 『リハビリの夜』,医学書院,260p. ISBN-10: 4260010042 ISBN-13: 978-4260010047 2100 [amazon]//[kinokuniya] ※ b02.
◆川口 有美子 20091215 『逝かない身体――ALS的日常を生きる』,医学書院,270p. ISBN-10: 4260010034 ISBN-13: 978-4260010030 \2100 [amazon][kinokuniya] ※ b02.
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◆立岩 真也 2017/11/01 「不如意なのに/だから語ること――連載・139」,『現代思想』45-(2017-10):-
◆立岩 真也 2018 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社

 ※生存学創成拠点所蔵

 
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◆National Association to Advance Fat Acceptance(NAAFA)
 (全米ファット受容協会)
 http://naafa.org/

 「自らを統制し、ある方向に向けて鍛練していくという至極単純な営みがある。それ自体は人生の時間の使い方の一つではあり、使い方としては悪くない。さらに他者との関わりが入ってくる場合がある。他者による承認が求められている。自らが自らを他者の要求に合わせて形作ることによって得られる他者による承認がある。この営みは、時にはうまくいき、そしてその人は満足するかもしれない。これはそれで終わりである。私達はおおむねこのようなことがうまくいったりうまくいかなかったり、それを繰り返して生きている。
 ただ単にそれを楽しんでいるようにも思えないことがある。一つに、得たいもの、得なくてはならないものを得るために自らに対して抑制的に関わらざるをえないことがある(cf.[1995c])。一つに、なにかを克服しようとしている、あるいはなにかに抵抗しようとしているように見えることがある。例えば、自らを制御できなくなることに耐えられず、そのことによって死を決定する。このような安楽死への志向がある([1998a]=本書第2章)。このこととある種の身体の統制、身体の支配は似ている。安楽死とダイエットとを一列に並べるのは不謹慎であるかもしれない。しかし、不謹慎であるにしても、共通する部分があると思う。
 自らが制御することができないものとして訪れるもの、あるいは既に訪れてしまったものを、受け入れることができない、あるいはやりすごすことができない。あるいは、受け入れたり、やりすごしたりできないこと、そのようなことがあること、そのことが認められない★16。この時、…」(立岩『弱くある自由へ』)第1章「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」より)


 
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◆三島 由紀夫 1965 「<美容整形>この神を怖れぬもの」→1975 『三島由紀夫全集』31,新潮社→1986 市川崑編『顔――日本の名随筆40』,作品社,266p.:50-63 <169> c
◆山下 柚美  1991 『ルポ美容整形――身体加工のテクノロジー』,三一書房,239p. <169> b c

◆『別冊宝島』 1992 162 人体改造!――きれいになりたい女と男の物語 JICC出版局 b c

◆Glassner, Barry 1988 Bodies=1992 小松直行訳,『ボディーズ――美しいからだの罠』,マガジンハウス,285p. <169> b c

◆藤田 尚男 19890215 『人体解剖のルネサンス』 平凡社,226p. 2200 三鷹491 b c

◆谷本 奈穂 20080711 『美容整形と化粧の社会学――プラスティックな身体』,新曜社, 306p. ISBN-10: 4788511126 ISBN-13: 9784788511125 3045 [amazon][kinokuniya] b02.r07.


REV:....20030527,1021 20040822 20060920 20080911 20090415,0710,0802,1207,1225, 20100217, 20, 20120101, 0910 .. 20220918
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