last update:20110730
*以下、寄せられた情報を掲載。webmaster@arsvi.comまで情報をいただければ掲載いたします。
◆ALS・2011
■新聞記事見出し
◆2011/04/02 「被災したALS患者に支援を 患者団体が街頭募金」
『47NEWS』
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011040201000708.html
◆2011/04/03 「被災地のALS患者支援イベントを開催」
『読売新聞』
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20110403-OYT8T00052.htm
◆2011/04/03 「希望新聞:東日本大震災 ミニニュース ALS協会が街頭募金」
『毎日新聞』
◆2011/04/08 「大震災と災害弱者」
『ことばマガジン』
http://astand.asahi.com/magazine/kotoba/jinken/2011033100015.html?iref=chumoku/a>
◆2011/04/08 「難病患者 歌で支援 すなほさん、17日チャリティー 益田=島根」
『読売新聞』
◆2011/04/12 「被災地の在宅医療「長期の支援が必要」」
『キャリアブレイン』
https://www.cabrain.net/news/article.do?newsId=33608
◆2011/04/13 「支援の輪 東日本大震災 /愛媛県」
『朝日新聞』
http://mytown.asahi.com/ehime/news.php?k_id=39000001104130001
◆2011/04/13 「左足小指で意思伝える 和歌山市を提訴のALS患者訪ねる /和歌山県」
『朝日新聞』
http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000001104130002
◆2011/04/16 「ALS患者の呼吸器停止 5秒に1回 押し続けた22時間」
『東京新聞』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011041602000026.html
◆2011/04/20 「東日本大震災:首都圏から 計画停電の足立区 区職員の機転、救った命」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110420dde003040033000c.html
◆2011/04/28 「防災とバリアフリーを経済コストで測るな――被災障害者の危機は人災だ」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/select/opinion/iitai/news/20110428ddm004070030000c.html
◆2011/05/03 「被災の地から ALS:1 呼吸器に車のバッテリーも利用」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201105030150.html
◆2011/05/04 「被災の地から ALS:2 緊急入院、意思表示に困る」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201105040143.html
◆2011/05/04 「福島第1原発:一時帰宅 足の不自由な母娘、参加困難」
『毎日新聞』
http://os7.biz/u/t84UL
◆2011/05/05 「特集:検証・大震災(その2止) 「突然の大停電」寸前」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110505ddm010040017000c.html
◆2011/05/05 「被災の地から ALS:3 病院の自家発電が故障」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201105050115.html
◆2011/05/07 「被災の地から ALS:4 まぶたに浮かぶ古里の青い苗」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201105070192.html
◆2011/05/11 「【NEC報道資料】「NEC難病コミュニケーション支援講座」、鹿児島県で初開催」
『Web担当者Forum (プレスリリース)』
http://web-tan.forum.impressrd.jp/r/n2u/items/85027
◆2011/05/17 「「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言」
『ロイター』
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-21136220110517
◆2011/05/17 「ホーキング博士「天国はない、作り話である」-科学者と信仰者の間隙」
『クリスチャントゥデイ』
http://www.christiantoday.co.jp/view-3180.html
◆2011/05/17 「【島根】 出雲・浜田で「難病サロン」オープン」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/health/news/TKY201105170323.html
◆2011/05/17 「世界の雑記帳:「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/select/world/newsinbrief/news/20110517reu00m030001000c.html
◆2011/05/18 「進んだ医療 母国に伝えたい」
『朝日新聞』
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000001105180001
◆2011/05/18 「薬指の長さが筋萎縮性側索硬化症に関係」
『健康美容EXPO』
http://news.e-expo.net/world/2011/05/post-112.html
◆2011/05/18 「天国は「おとぎ話」にすぎない ホーキング博士が語る」
『CNN Japan』
http://www.cnn.co.jp/fringe/30002784.html
◆2011/05/18 「難病サロン:患者ら交流 「他の人の病気も理解」定期開催へ――出雲 /島根」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20110518ddlk32040498000c.html
◆2011/05/19 「東日本大震災その時医療は(中)計画停電、手術に制限(医療)」
『日本経済新聞』
◆2011/05/19 「児玉清さん秘話…浮気発覚時マスコミ1社ずつに丁寧な説明」
『毎日新聞』
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110519/enn1105191152004-n1.htm
◆2011/05/21 「児玉さん通夜に闘病中の篠沢教授が来場」
『サンケイスポーツ』
http://www.sanspo.com/geino/news/110521/gnj1105210503005-n1.htm
◆2011/05/21 「学習院大時代から親交ある篠沢教授は車イスで焼香」
『スポーツニッポン』
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/21/kiji/K20110521000860200.html
◆2011/05/21 「演劇部の先輩、闘病中の篠沢名誉教授も参列」
『デイリースポーツ』
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/05/21/0004087189.shtml
◆2011/05/21 「反町・松嶋夫妻が涙の別れ そのときキムタクは…」
『ZAKZAK』
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110521/enn1105211558008-n1.htm
◆2011/05/21 「ALS闘病20年 妻の命 支えた力伝えたい 写真、絵手紙など2冊に=島根」
『読売新聞』
◆2011/05/23 「認知症介護における介護者のうつを考える」
『週刊医学界新聞』
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02929_04
◆2011/05/24 「在宅医療対応 調査へ」
『朝日新聞』
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001105240002
◆2011/05/25 「[ほのぼの@タウン]5月25日=富山/文字盤使い意思疎通」
『読売新聞』
◆2011/05/27 「命の「電気」確保を 難病患者災害時の不安」
『琉球新報』
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-177525-storytopic-1.html
◆2011/05/27 「節電の夏、患者ら不安、福岡の拠点病院、予備電源確認急ぐ。」
『日本経済新聞』
◆2011/05/28 「難病・障がい者向けの意思伝達装置「レッツ・チャット」発売」
『障がい者の働く場ニュース』
http://www.hatarakuba-info.com/news_60vPgPNri.html
◆2011/05/30 「金口木舌」
『琉球新報』
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-177610-storytopic-12.html
◆2011/06/12 「ALS自宅闘病 愛が支え」
『読売新聞』
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=42084
◆2011/06/13 「竹下景子 篠沢教授とのドキドキする思い出」
『日テレNEWS24』
http://www.ntv.co.jp/pda/news/184466.html
◆2011/06/14 「竹下景子、闘病中の篠沢教授に“お返し”チュー」
『MSN産経ニュース』
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110614/ent11061420480018-n1.htm
◆2011/06/17 「難病併発の神経疾患発見 遺伝子も、iPSで研究」
『47NEWS』
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011061601001059.html
◆2011/06/17 「重度運動障害起こす神経難病 京大教授ら原因遺伝子を発見」
『京都新聞』
http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20110617000020
◆2011/06/20 「筋萎縮性側索硬化症:災害時の課題を報告 ALS県支部が総会/沖縄」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20110620rky00m040008000c.html
◆2011/06/22 「難病の小3詩人 初の県外展」
『読売新聞』
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokushima/news/20110621-OYT8T01113.htm
◆2011/06/22 「神経死なす物質の放出を抑制 難病治療薬に応用期待」
『47NEWS』
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062101000607.html
◆2011/06/22 「筋肉が動かなくなる難病ALS、新薬治験開始へ 東北大」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/science/update/0622/TKY201106220228.html
◆2011/06/23 「アルツハイマー抑制物質を生成、漢方原料で…名古屋大グループ」
『読売新聞』
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20110623-OYT8T00324.htm
◆2011/06/23 「名大ら、アルツハイマーなどの神経変性疾患に対する新たな治療法を開発」
『マイコミジャーナル』
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/06/23/027/
◆2011/06/23 「【156】「伝えたい」という思いは誰にも奪えない(前編)」
『nikkei BPnet』
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110620/274843/?top_bc
◆2011/06/24 「驚愕!iTunesダウンロード2万回超え!母に捧げる無料iPadアプリ【Verbally】」
『iPad News』
http://www.ipadnews.jp/news_rbW3xbQS0.html?right
◆2011/06/26 「難病カルテ:患者たちのいま/2 ALS(筋萎縮性側索硬化症) /佐賀」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/saga/news/20110626ddlk41040223000c.html
◆2011/06/26 「ALS:「一人でも多く救いたい」 協会県支部が定期総会 /宮崎」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20110626ddlk45040284000c.html
◆2011/06/27 「ALS理解し支えて 協会県支部2周年講演会 松山」
『愛媛新聞』
http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20110627/news20110627936.html
◆2011/06/28 「支える:在宅療養への道/1 「独りじゃない」周囲の支えで前向きに /福井」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/fukui/news/20110628ddlk18040755000c.html
◆2011/06/29 「きびたきのおしゃべり:民のつながり生かせ=大場あい記者 /福島」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110629ddlk07070208000c.html
◆2011/06/29 「支える:在宅療養への道/2 和田診療所が決断、後押し /福井」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/fukui/news/20110629ddlk18040587000c.html
◆2011/06/30 「【157】「伝えたい」という思いは誰にも奪えない(後編)」
『nikkei BPnet』
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110620/274844/?top_f2
■催しもの、その他
◆2011/04/03 『〜NEC難病コミュニケーション支援プログラム〜ITで支えて、音楽で励まそう!』
〜NEC難病コミュニケーション支援プログラム〜
ITで支えて、音楽で励まそう!
被災地のみなさま、お見舞い申し上げます。
http://www.rescue-ict.com/index.html
http://www.asahi.com/digital/nikkanko/NKK201104010002.html
3月21日に予定していたITパラリンピックをこの度の震災で中止し、今私たちができる支援を考えてみました。
たくさんの人たちの励ましをIT(twitter,skype)を通して集めます。
義援金・活動支援金のためのチャリティーコンサートを開催します。
震災からの回復を心から願う、「地震(自信)回復コンサート」です。
コンサートや会場の様子はUstreamで中継します。
ALSを発症されてもパソコンで執筆を続ける篠沢秀夫元学習院教授も応援に駆けつけてくれます。
『〜NEC難病コミュニケーション支援プログラム〜ITで支えて、音楽で励まそう!』
開催日 2011年4月3日(日) 12時30分開場 13時開演 16時終了
会 場 3331 Arts Chiyoda 東京都千代田区外神田6丁目11-14
http://www.3331.jp/
入場料 無料
●プログラム
13:00〜14:00 【skype,twitterでつながろう】
会場:コミュニティスペース
全国からの励ましメッセージをお寄せください。
ITパラリンピックに出演予定の皆さんがお待ちしてます。
14:00〜15:00 【緊急時のIT活用】
会場:コミュニティスペース
難病患者向けの支援活動・物資支援報告(かわぐち)
体験談や準備の工夫など、実際に患者さんたちから語ってもらいます。
15:00〜16:00 【地震(自信)回復 チャリティーコンサート】
会場:コミュニティスペース
オーボエとピアノのデュオコンサート
出演:高橋 淳 (元ハンブルグ交響楽団首席オーボエ)
二見麻衣子(二期会会員ソプラノ)
黒田尚子(日本基督教団佐倉教会オルガニスト)
●太陽の恵みの感謝(電気に頼らないで)
会場:公園側ウッドデッキ
ソーラーエネルギーの活用
ソーラーエネルギーで沸かしたお湯でハーブティーを用意しています。
主催:NPO法人ICT救助隊
共催:NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会
協賛:NEC CSR推進部 社会貢献室
協力:3331アーツ千代田
日本ソーラークッキング協会
NPO法人コミュニティーガーデニング協会
日本ALS協会東京都支部
会場では震災への活動支援金の寄付をお願いいたします。
集まった支援金は在宅しているALS患者さんたちを支援する活動の費用とさせていただきます。
現在、活動している人たちは皆さん、ほとんどが自腹です。
このままでは支援活動が先細りになります。
振込も受け付けていますのでよろしくお願いします。
・郵便局からのお振込みの場合
口座名 「特定非営利活動法人ICT救助隊」
口座番号 00140-2-781841
・ゆうちょ銀行
019店 当座 0781841
お問い合わせ先:NPO法人ICT救助隊
TEL.03-3727-0479 Fax:03-3727-0478
メール info@rescue-ict.com
Twitter ID / ictrt Skype ID / ict_rt ustream / ict_rt
※13:00〜14:00のプログラムの中で、全国からの励ましメッセージをお寄せいただきたいと思います。
twitterとskypeを活用しようと思っていますので、インターネットにつながる環境にある方はぜひよろしくお願いいたします。
・twitter
#tunagaru(ハッシュタグ tunagaru)でメッセージをお寄せください。
・skype
当日会場とコンタクト可能な方はあらかじめ登録させていただきますので、skype名ict_rt (表示ICT救助隊)にリクエストしてください。当日順番につなげていきます。
※当日の様子はUSTREAMでライブ中継いたしますので、ぜひご覧ください。
※チャリティイベントを13時から以下のチャンネルで放映しますので、ぜひご覧ください。
http://www.ustream.tv/channel/ict-rt-tv
※当日の様子 http://www.youtube.com/watch?v=3_09JRgrZ-4
※皆様にご支援いただき、当日の募金と国内外からのお振り込みで、本日現在以下の支援金が集まりました。
1,148,258円ご協力いただきました皆さまに心より感謝申し上げます。
皆さまからの募金は、10万円を日本ALS協会「大震災ALS義援金」へ50万円を川口さんから全国障害者介護保障協議会・自薦ヘルパー推進協会団体支援部を通して、東北地方で救援活動中の方々に送らせていただきました。
残りにつきましては、現在支援先を検討中ですので、決まり次第ご報告いたします。
なお、募金活動は引続き4月30日まで受け付けておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
◆2011/04/06 日本ALS協会事務局からのお知らせ
2011年4月6日 日本ALS協会 事務局
* * * * * * * * * *
東日本大震災支援
アイ・エム・アイ(株)より足踏み式吸引器と蘇生バックの貸与
東日本大震災被害にともなう東京電力、東北電力の計画停電時に在宅人工呼吸器療法をされている患者さんに、アイ・エム・アイ(株)より以下の機器貸与支援されます。
必要な方は下記に問い合わせください。
記
●支援医療機器
アンブ社「ツインポンプ」(足踏み式マニュアル吸引器) *3カ月無償レンタル対応
アンブ社「蘇生バック SPURU 成人用」 *3カ月無償貸与対応
●問い合わせ先
アイ・エム・アイ株式会社
東京都台東区北上野1-10-14
TEL03-5246-9463 FAX03-5246-9513
担当:救急教育部 見辺 雅(ミナベ タダシ)
佐藤 純一
E-Mail:tadashi.minabe@imimed.co.jp
ホームページに本件情報を紹介しています。下記URLからご参照下さい。
http://www.imimed.co.jp/
以上
--------------------------------------
日本ALS協会
〒102-0073 東京都千代田区九段北1-15-15瑞鳥ビル1F
tel:03-3234-9155 / fax:03-3234-9155
e-mail: jalsa@jade.dti.ne.jp
URL:http://www.alsjapan.org
◆2011/04/06 日本ALS協会東日本大震災支援委員会からのお知らせ
2011年4月6日 日本ALS協会 東日本大震災支援委員会 委員長 金沢公明
皆様へ
この度の東日本大震災で被災されたALS患者さん等に対して救援物資や義援金の支援に感謝申し上げます。
現在、当協会からの被災県支部への救援物資の届けについては、受入れ先支部からの要請待ちとしていましたが、下記メールのように東北大学病院の青木先生より、支援物資の要請が当協会や関係機関に寄せられました。
つきましては、ご支援ご協力をよろしくお願い致します。
*********************************
Sent: Wednesday, April 06, 2011 7:12 PM
Subject: 石巻から支援物資の要請です
先日はご連絡ありがとうございました。
宮城県石巻地区では多くの医療機関が壊滅的な被災を受けましたが、石巻赤十字病院および斉藤病院2つが孤軍奮闘しております。
未だに救急患者数は全く減っておりません。
斉藤病院はこの地域のALSをはじめとした多くの神経難病患者さんを診療している拠点病院ですが、未だに物流が解決せず、以下の支援依頼を受けました。
・吸引カテーテル
・イルリガートル
・シリンジ
・滅菌綿棒
・ガーゼ
・エンシュアリキッド
・胃ろう栄養カテーテル
東北大学神経内科の私あてにお送りいただければ、こちらのバスで斉藤病院へ搬送いたします。
現在、東北大学にあるものは明日朝のバスで搬入します。
さらに不足分は現在、調査中ですが、既に送付を準備されているものはこちらへお送り下さい。
食糧事情は未だに改善せず、入院患者、医療スタッフは一日2食(低カロリー)のままです。
お米も石巻地区のグランド?には届いているものの、斉藤病院には届いていないので歓迎との話でした。
なぜかお菓子は大量あるそうです。
どうぞよろしくお願いします。
東北大学神経内科
青木 正志
980-8574 仙台市青葉区星陵町1−1
東北大学大学病院神経内科
022-717-7189
◆2011/04/10 患者会「患者の生命保険を考える会」からのお知らせ
被災者の皆様へ
このたびはこの大震災で被災された皆様へ心からお見舞い申し上げます。
患者会「患者の生命保険を考える会」の濱崎と申します。
被災者の方々へ生命保険会社又は(社)生命保険協会から案内されている情報をお届けいたします。
●【生命保険契約の有無照会】
(社)生命保険協会は、今回の地震により被災された方々が、加入していた生命保険会社が判らず保険金の請求を行うことが困難な場合等において、生命保険会社に対し契約有無の調査を依頼します。
「災害地域生保契約照会センター」フリーダイヤル 0120−001731
●【生命保険 保険料払込猶予期間の延長】
生保各社は、被災されたお客様のご契約について、お客様の申し出があれば、保険料払込についての猶予する期間を最長6カ月延長することとしました。
各社連絡先⇒http://www.seiho.or.jp/contact/company.html
●【生命保険 災害特約】
生命保険会社各社は、被災されたお客様のご契約について、地震による免責条項等を適用せず、災害関係保険金・災害入院給付金の全額をお支払いすることを決定いたしました。
●かんぽ生命保険では被災されたお客様の契約について「非常即時払い」を行う。
保険証書や印鑑がなくても、免許証などの本人確認書類があれば、各支店や郵便局の窓口(簡易郵便局除く)で保険金を受け取れる。
かんぽコールセンター(0120・5529・50)。
私達の目標
「生命保険なんて縁起でもない・・」と、このような場で呟くこともはばかられるように感じる人は多いもの。
ですが、漫然と生命保険を放置し、何のためらいもなく“解約や失効”をしてしまったが故に、家計の全ての財産を無くしてしまったという人は多いのです。
皆さまと一緒にどんな備えをしておけばよいかを一緒に考えたいと思います。
**********************************************
患者会 患者の生命保険を考える会
代表 濱崎研治
電話 03-5677-4001
**********************************************
◆2011/04/15 徳洲会の長編ドキュメント放映 『巨大病院の挑戦〜いのちある限り』
『巨大病院の挑戦〜いのちある限り』
「徳洲会の長編ドキュメント放映
『巨大病院の挑戦〜いのちある限り』
平成23年4月15日
日本最大の民間医療グループへと成長した徳洲会にとって、この数年間はまさに激動の時期だった。
修復腎移植問題では患者さんの立場に立ち続けて戦っている。疲弊する自治体病院の指定管理者にもなった。一方、ブルガリアのソフィア徳田病院では、多発性硬化症や自閉症などの治療に果敢に取り組み、アフリカ各国では透析センターを順次立ち上げている。あるいはまた、文部科学省の「オーダーメイド医療実現化プロジェクト」への参加をきっかけに、大規模治験ネットワークを構築し、対がん戦略でも目覚ましい成果をあげつつある。
しかし、こうした急成長の原動力となる理念や精神はなかなか理解されにくい。今回放映が決定した長編ドキュメント『巨大病院の挑戦〜いのちある限り』は、制作に4年もの期間をかけ、膨大な映像資料と丹念な取材で、徳洲会という医療グループの実像に迫っている。
◯放送日 4月24日(日) 午後8:00〜9:30
◯放送局 BS11(ビーエス・イレブン)
◯視聴方法:BS放送用のアンテナと受信機があれば、全国どこでも無料で視聴できる。
ケーブルテレビでの視聴は、加入されているケーブル局にお問い合わせを。
【写真説明】
@ドキュメンタリーのタイトル『巨大病院の挑戦〜いのちある限り』
A強力なリーダーシップを発揮する徳田虎雄理事長
B新築移転した湘南鎌倉総合病院(神奈川県)のセレモニーで挨拶する小泉純一郎・元総理
Cインタビューに答える石原慎太郎・知事
D弟の病気で隣町まで走って医師を呼びに行く少年時代の姿がドラマで再現される
E医師になろうと決心した瞬間
F修復腎移植
G救急は断らない」(全文)
◆2011/04/26 日本ALS協会事務局「厚労省へ大震災要望書提出」
『「震災における長時間停電等に関する要望」を提出しました』
「「震災における長時間停電等に関する要望」を提出しました
2011年04月28日
この度の東日本大震災におきまして、
各方面から、多数のご厚情とご支援を賜り、
感謝申し上げます。
4月26日に当協会より、厚生労働省関係先に、
別紙第二次要望書を提出しましたのでご紹介します。
引き続き、ご支援ご協力をお願い致します。」(全文)
◆2011/05/01 NNNドキュメント’11 「在宅入院 救急医が挑む第3の医療」
『在宅入院 救急医が挑む第3の医療』
「2011年5月1日(日)/30分枠 24:50〜
在宅入院 救急医が挑む第3の医療
制作=広島テレビ
在宅医療は入院、外来に続く“第3の医療”と呼ばれる。コールメディカルクリニック広島は在宅医療専門の診療所。しかも3人の常勤医師はすべて救急医だ。内科・外科問わず、緊急時にめっぽう強く、手術もいとわない。そして24時間365日患者に向き合う。岡林清司院長(58)は救急医を22年経験し、6年前在宅医療の世界に飛び込んだ。家は病室、道路は廊下、電話はナースコール。地域限定の在宅医療を通して生きる希望を見出した頚椎損傷の青年や最期の時間を楽しむ末期がんの患者など、第3の医療を必要とする人々は多数いた。自分らしくよりよく生きるために…厳しい現実をバラ色に変えようと挑む救急医の地域医療のカタチを追った。
ナレーター:萩原聖人
=再放送= 5月8日(日)11:00〜「BS日テレ」/5月8日(日)18:30〜CS「日テレNEWS24」」(全文)
◆2011/05/01 NNNドキュメント’11 「在宅入院 救急医が挑む第3の医療」
『在宅入院 救急医が挑む第3の医療』
「2011年5月1日(日)/30分枠 24:50〜
在宅入院 救急医が挑む第3の医療
制作=広島テレビ
在宅医療は入院、外来に続く“第3の医療”と呼ばれる。コールメディカルクリニック広島は在宅医療専門の診療所。しかも3人の常勤医師はすべて救急医だ。内科・外科問わず、緊急時にめっぽう強く、手術もいとわない。そして24時間365日患者に向き合う。岡林清司院長(58)は救急医を22年経験し、6年前在宅医療の世界に飛び込んだ。家は病室、道路は廊下、電話はナースコール。地域限定の在宅医療を通して生きる希望を見出した頚椎損傷の青年や最期の時間を楽しむ末期がんの患者など、第3の医療を必要とする人々は多数いた。自分らしくよりよく生きるために…厳しい現実をバラ色に変えようと挑む救急医の地域医療のカタチを追った。
ナレーター:萩原聖人
=再放送= 5月8日(日)11:00〜「BS日テレ」/5月8日(日)18:30〜CS「日テレNEWS24」」(全文)
◆2011/05/21 日本ALS協会近畿ブロック総会・交流会
『日本ALS協会近畿ブロック総会・交流会』
「平成23年度 近畿ブロック 総会・交流会は5月2I曰(土)13時から姶まります
自動吸引装置がついに実用化されました。
6年前の2005年(平成17年)6月総会に、大分県から山本真先生においでいただき、『自動吸引装置の開発とALS患者の人工呼吸器療養について』のご講演をいただきました。それ以来、事務局に患者さんやご家族から、「白動吸引装置はどうなりましたか?」と問い合わせがあり、山本先生に「まだですか?」とお聞きしたこともありました。
患者さんによっては1日に100回近くも吸引が必要な方もあれば、1日+数回の方もあり、頻度はそれぞれですが、夜間、吸引のために起きる回数が多ければ、介護者にとっては過酷な夜間介護となり、それは患者さんのQOL低下の一つの要因になります。
吸引の回数が激減すれば、介護の事情は好転するのか、そのために患者さんのそぱに誰もいない時間が増えてしまうことはないのか、別の意味で安全性の検証も今後必要になるのではないでしょうか。今年の総会は、患者の側から、「自動吸引装置についての体験レポート」、家族のご意見なども聞かせていただく予定です。
そして、ALS患者さんで発語障害を持つ方は3分の2以上ですから、吸引と肩を並ベる大問題は「コミュニケーション」そのものです。
今年は東京から高井直子さん(遺族)を講師にお迎えし、『もっとコミュニケーションノ』をテーマにご講演いただきます。療養中、様々な工夫を生かした「発明家」として著名な高井綾子さんを母に持ち、遺志を継いでALS療養のサポートを続けておられます。
また近畿ブロックのコミュニケーション支援のスイッチの活用の実際についても報告いたします。ぜひご来場くださいますようにお順いいたします。
記
日時 平成23年5月21日(土曜日)13時〜16時30分
場所 グランキューブ大阪(府立国際会議場)10階1009号室
大阪市北区中ノ島5丁目3-1 電話 06-4803-5602
(開場12時一受付開始12時30分)
総会 13時〜13時30分 議案(決算・予算等・活動報告・役員挨拶)
講演・交流会 13時45分から16時20分
閉会 16時30分
少し早めですが、本号をもって総会のご案内とし、参加の申し込みをお受けいたします。
(当日参加も可能ですが、車椅子ご使用の方は事前にお申し込みをお願いします)
事務局へFAX(06−6323−6145)メール、郵送などでお申し込みください。
平成23年度 総会&交流会 参加申込書
参加のお申し込み FAXまたは郵送で事務局ヘ
FAX番号06−6323−6151
1お名前
患者:
(車いす使用・人工呼吸器使用・鼻マスク使用)
家族:
(患者さんとの続柄: 配偶者・子供・親・ )
(患者さんとの続柄: 配偶者・子供・親・ )
(患者さんとの続柄: 配偶者・子供・親・ )
その他:
(区分 所属: )
(区分 所属: )
(区分 所属: )
区分は下記から、番号を選んでください。
@医師 A保健師 B看護師 C介護職(介護福祉士・ホームヘルパー)
Dリハビリ関係(PT・OT・ST)E社会福祉士・SW
F親戚 G友人 Hボランティア Iその他( )
2ご住所
(代表のみで可) 電話
3参加者の総人数 人
4患者さんは、利用されるものに○をお順いします。
@自家用車A福祉タクシーBタクシーC公共交通機関
5患者さん用無料駐車場をご利用の方は、車種と色、ナンハ゛-をご記入ください。
(例:トヨタハイエース白 )
当日は、駐車場で、本申込み用紙を係員または会場整理ホ゛ランティアにお見せください。
※13時から総会が姶まります。誘導は13時で終了します。
お早めにお入りください。(エレベーターが混み合います)。
◆2011/05/22 日本ALS協会総会
『日本ALS協会総会』
■日時 5月22日(土)開場受付12時15分〜
■場所 戸山サンライズ2階大研修室
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1 (案内図をご参照下さい)
■総会 13時〜14時30分
■特別講演 15時〜15時55分
最近のALSケアについて〜都立神経病院の経験から
都立神経病院 脳神経内科医長 川田明広先生
■交流会 16時〜16時50分
●懇親会 17時30分〜19時
※詳細につきましては、5月6〜7日発行予定のJALSA80号をご参照下さい。
◆2011/06/09 「MRTニュースワイド」宮大工学部「眼で操作する電動車椅子」放映
『眼で操作する電動車椅子』
6月9日18時15分からの「MRTニュースワイド」にて、宮大工学部の「眼で操作する電動車椅子」と題して放送があります。
◆2011/06/09 日本ALS協会事務局「平成22年度「ALS基金」研究奨励金交付対象研究成果報告書 原因究明及び治療法に関する研究 その1」
『平成22年度「ALS基金」研究奨励金交付対象研究成果報告書 原因究明及び治療法に関する研究 その1』
「平成22年度「ALS基金」研究奨励金
交付対象研究成果報告書
原因究明及び治療法に関する研究 その1
2011年06月09日
平成22年度に「ALS基金」研究奨励金を交付した研究の成果が提出されましたので、全文を掲載いたします。
「上位運動ニューロン変性モデル細胞の作製と解析」
東海大学医学部基礎医学系分子生命科学奨励研究員 大友麻子氏
大友麻子(本文)(428 KB)
大友麻子(図・表)(27699 KB)
「ALS原因蛋白質機能を制御する非コードRNAの機能解明」
独立行政法人産業技術総合研究所
バイオメディシナル情報研究センター研究チーム長 廣瀬哲郎氏
廣瀬哲郎(1921 KB)」(全文)
◆2011/06/09 日本ALS協会事務局「平成22年度「ALS基金」研究奨励金交付対象研究成果報告書 原因究明及び治療法に関する研究 その2」
『平成22年度「ALS基金」研究奨励金交付対象研究成果報告書 原因究明及び治療法に関する研究 その2』
「平成22年度「ALS基金」研究奨励金
交付対象研究成果報告書
原因究明及び治療法に関する研究 その2
2011年06月09日
平成22年度に「ALS基金」研究奨励金を交付した研究の成果が提出されましたので、全文を掲載いたします。
「原因遺伝子TLSの結合タンパク質の同定と神経変性における関与の解明」
広島大学大学院医歯薬学総合研究科教授 内匠透氏
内匠透(2106 KB)」(全文)
◆2011/06/29 日本ALS協会事務局「厚生労働省に「平成23年度ALS等神経難病患者支援に関する要望」を陳情」
『厚生労働省に「平成23年度ALS等神経難病患者支援に関する要望」を陳情』
「厚生労働省に「平成23年度ALS等神経難病患者支援に関する要望」を陳情
2011年06月30日
6月29日、谷博之参議院議員のご尽力を戴き、大塚耕平厚生労働副大臣にALS協会の大震災関係や来年度の診療報酬改定等に関する要望書を提出し、また関係局との話合いを行いました。
要望書は以下を参照してください。
厚生労働省の回答は9月発行予定の機関誌「JALSA84号」にて紹介する予定です。
H23年度ALS等神経難病患者支援に関する要望(153 KB)」(全文)
■日本ALS協会震災募金
◆4月2日(土)12:00−16:00
集合場所は、最寄駅 丸ノ内線銀座駅の宝くじチャンスセンター前 藤棚の下です。
お時間のある方は募金をする人や、募金を集める人になって下さい。
郵貯でも受け付けています。
[振込先]
◎郵便振替口座:00170-2-9438
加入者名:日本ALS協会
備考欄に「大震災ALS義援金」と明記をお願いします。
★募金総額32万8千円
◆4月3日(日)12:00−16:00
集合場所は、最寄駅 丸ノ内線銀座駅の宝くじチャンスセンター前 藤棚の下です。
お時間のある方は募金をする人や、募金を集める人になって下さい。
郵貯でも受け付けています。
[振込先]
◎郵便振替口座:00170-2-9438
加入者名:日本ALS協会
備考欄に「大震災ALS義援金」と明記をお願いします。
★募金総額9万8千円
◆4月9日(土)12:00−15:00
数寄屋橋にて街頭募金。
お時間のある方は募金をする人や、募金を集める人になって下さい。
郵貯でも受け付けています。
[振込先]
◎郵便振替口座:00170-2-9438
加入者名:日本ALS協会
備考欄に「大震災ALS義援金」と明記をお願いします。
★募金総額4万円ほど。
◆4月29日(金)13:00−17:00
有楽町数寄屋橋交差点の交番近くで街頭募金を行います。
お時間のある方は募金をする人や、募金を集める人になって下さい。
郵貯でも受け付けています。
[振込先]
◎郵便振替口座:00170-2-9438
加入者名:日本ALS協会
備考欄に「大震災ALS義援金」と明記をお願いします。
★募金総額4万4902円とクオカードが集まりました。
◆5月5日(木)13:30−17:00
上野公園(京成上野口)で街頭募金を行います。
お時間のある方は募金をする人や、募金を集める人になって下さい。
郵貯でも受け付けています。
[振込先]
◎郵便振替口座:00170-2-9438
加入者名:日本ALS協会
備考欄に「大震災ALS義援金」と明記をお願いします。
◆5月28日(木)14:00−16:00
銀座数寄屋橋宝くじ売り場前で街頭募金を行います。
お時間のある方は募金をする人や、募金を集める人になって下さい。
郵貯でも受け付けています。
[振込先]
◎郵便振替口座:00170-2-9438
加入者名:日本ALS協会
備考欄に「大震災ALS義援金」と明記をお願いします。
★募金総額12万466円が集まりました。
◆2011/04/02 「被災したALS患者に支援を 患者団体が街頭募金」
『47NEWS』
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011040201000708.html
「東日本大震災で被災した、全身の筋肉が動かなくなる難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者らを支援しようと、患者、家族や支援者でつくる「日本ALS協会」(東京)は2日、東京・銀座で街頭募金を行い、寝たきりの患者らが支援を訴えた。
同協会によると、特に被害の大きかった岩手、宮城、福島の3県にALS患者は約420人おり、うち少なくとも4人が行方不明になっている。
首都圏には東京電力の計画停電で対応に苦労している患者もいる。同協会の橋本操副会長は「震災後、流動食やカテーテル、ガーゼ、たん吸引のチューブを洗浄するための精製水などが不足している。施設に避難した患者への介護支援も必要だ」と話した。
2011/04/02 18:52 【共同通信】
【写真説明】東京・銀座で街頭活動するALS患者=2日午後」(全文)
◆2011/04/03 「被災地のALS患者支援イベントを開催」
『読売新聞』
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20110403-OYT8T00052.htm
「被災地のALS患者 支援イベントを開催 きょう千代田
東日本大震災で被災地のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者らを支援するチャリティーイベントが3日午後、3331アーツ千代田(千代田区外神田6の11の14)で開かれる。ALS患者でテレビ番組「クイズダービー」で人気解答者だった学習院大名誉教授の篠沢秀夫さんも参加する。
徐々に体が動かなくなるALS患者らは、症状が進行すると自発的な呼吸が出来ず人工呼吸器に頼る生活を送るようになる。日本ALS協会は地震後、不足していたタンの吸引器のカテーテルやガーゼ、消毒液などを会員らのいる仙台市や郡山市に送ってきた。
イベントでは元ハンブルク交響楽団首席オーボエ奏者の高橋淳氏によるコンサートのほか、ALS患者らが地震体験について語る。
午後1〜4時。問い合わせは、ALS協会の関係者らで作るNPO法人「ICT救助隊」(03・3727・0479)へ。
(2011年4月3日 読売新聞)」(全文)
◆2011/04/03 「希望新聞:東日本大震災 ミニニュース ALS協会が街頭募金」
『毎日新聞』
「東日本大震災で被災した、全身の筋肉が動かなくなる難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者らを支援しようと、患者、家族や支援者でつくる「日本ALS協会」(東京)は2日、東京・銀座で街頭募金を行い、寝たきりの患者らが支援を訴えた。同協会によると、特に被害の大きかった岩手、宮城、福島の3県にALS患者は約420人おり、うち少なくとも4人が行方不明になっている。」(全文)
◆2011/04/08 「大震災と災害弱者」
『ことばマガジン』
http://astand.asahi.com/magazine/kotoba/jinken/2011033100015.html?iref=chumoku
「■大震災と災害弱者
3月11日に日本を襲った大震災。次々と被災地の状況が報じられるなかで、気になっていたのは「災害弱者」と呼ばれる人たちのことです。1995年の阪神大震災のときとも比べながら、朝日新聞の記事を調べてみました。
震災直後の紙面では、人工呼吸器や人工透析を利用しているなど直ちに命にかかわる人たちのことは触れられていますが、特別に災害弱者を取り上げた記事は見あたりません。被災者全員が何らかの困難を抱えており、取材する記者たちも、当初は全体の状況に目が奪われていたのだろうと思います。その後、移動や情報の入手にとりわけハンディがある障害者や高齢者にも徐々に目が向けられていきます。
東日本大震災の報道で、高齢者支援について取り上げたのは6日後(3月17日)の「お年寄りを守れ」、障害者についての記事は、10日後(3月21日)の「障害者 忘れないで」でした。これらは、避難所でどのような配慮が必要かといったことについて書いた実用的なものですが、支援するNPO事務局長の「障害者はすべての被災者のカナリア的な存在。彼らが過ごしやすい環境はほかの被災者も過ごしやすいはずだ。周りの人々が想像力を働かせ、助け合ってほしい」という言葉が印象に残りました。21日の山形版にも「災害弱者どう守る」が出ています。
続いて、22日の「自閉症の子、わかって 周囲に遠慮、車中泊1週間」で、当事者と家族の様子や思いを取り上げています。普段と違う場所や騒音に弱い自閉症の人は、パニックを起こす場合もあり、家族が避難所に入るのをためらうといった事情を説明し、理解を求める記事でした。
東京新聞も「ピアノの調べ被災者癒やす 自閉症の中2が毎朝演奏」(3月26日)、「自閉症の子抱え孤立」(3月27日)という記事を載せていました。女川の避難所でピアノを弾く橋本雅生君の姿は、NHKのニュース番組でも取り上げられました。
16年前の阪神大震災では、被災地の自閉症の子について書かれた記事は、朝日新聞には見あたりませんでした。阪神大震災前の1年間、震災後の1年間を朝日新聞の記事データベースで検索すると、自閉症について触れた記事はおおよそ60〜70件でした。これに対し、昨年3月からの1年間では、190件と3倍近くに。自閉症に対する社会や記者の関心が高まっていると言ってもよいのではないでしょうか。
朝日新聞以外では、岩手県宮古市の知的障害者施設を取り上げた「障害者にストレス 宮古の施設」(毎日新聞3月18日夕刊)が、比較的早かったのではないかと思います。その後は、「孤立する特養」(東京新聞3月20日)、「長期停電で呼吸器ダウン 仙台のALS患者土屋さん一家」(毎日新聞23日夕刊)、「全盲男性『ヘルパーを』 東松島の避難所」(毎日新聞3月28日)、「災害弱者を守って 福島の介護施設、千葉で丸ごと受け入れ」(日経新聞3月28日夕刊)などが目につきました。
阪神大震災のとき、朝日新聞は、発生から2日後の1995年1月19日に、被災した特別養護老人ホームのルポを載せました。1月21日夕刊には「避難所へも行けず 情報得られない視覚障害者」。被災者を記者が訪ね、「物の位置を体で覚えているため、避難所に行くよりも安全」と壊れた自宅に残ったものの、援助物資が届かず困っているという話を伝えました。
また、95年2月13日から4回の連載「ルポ・避難所の老人たち」は、若い人たちが新しい生活を求めて歩き始めるなか、すべてを失って立ちすくむお年寄りの姿を描き出しています。
今回の大震災と阪神大震災のときの朝日新聞の報道を比べると、災害弱者の声を直接伝えるという点では、阪神のときの方が出足が早かったように思えます。都市部を中心とする直下型の震災であった「阪神」と、広範囲にわたって津波に襲われた「東日本」との違いでしょうか。・・・・・続きを読む
【写真説明】避難先で介助を受けながら食卓に向かう目の不自由な男性=3月20日午後、宮城県南三陸町歌津」(全文)
◆2011/04/08 「難病患者 歌で支援 すなほさん、17日チャリティー 益田=島根」
『読売新聞』
「筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)など難病の患者を支援するチャリティーコンサートが17日午後2時、益田市有明町のグラントワ小ホールで開かれる。
ものまねタレントで歌手のすなほさん=東京都=が出演。収益は日本ALS協会県支部に寄付する。
ALSは筋肉が徐々に動かなくなる神経性難病。地方では特に介護などの手が足りない。すなほさんは、益田市出身の友人の母が患者で、昨年9月にも県立石見高等看護学院などでチャリティーコンサートを開いた。
当日は、すなほさんが笑いを交えた語りとともに4オクターブの声域を生かした歌声を披露。東京のロックバンド「Wight Rock Babys」もゲスト出演する。
チケットは高校生以上1000円。中学生以下は保護者同伴で無料入場券が必要。問い合わせは、日本ALS協会県支部の河野さん(090・7135・8438)へ。(小川紀之)
【写真説明】昨年9月のコンサートで歌うすなほさん(県立石見高等看護学院で)」(全文)
◆2011/04/12 「被災地の在宅医療「長期の支援が必要」」
『キャリアブレイン』
https://www.cabrain.net/news/article.do?newsId=33608
「東日本大震災は在宅医療の現場にも深いダメージを与えた。その“爪あと”の深さを探った。
■在宅で増えた褥瘡
保健・医療・福祉の連携により生活を支える医療を目指す「日本プライマリ・ケア連合学会」は3月18日以降、宮城県気仙沼市などの被災地に医師を派遣し、在宅医療の支援活動に当たっている。医師の草場鉄周氏もその一人だ。草場氏は、4月7日から10日までの間、巡回療養支援隊の一員として活動した。
活動中、特に目に付いたのは、「震災後、新たな褥瘡ができてしまう患者が多かった点」だと言う。
草場氏によると、気仙沼市滞在中は、1日に3―5人の患者を診察してきたが、診察した患者全員に褥瘡が確認される日も珍しくなかったという。9日に担当した要介護5の男性(77)も、そんな患者の一人だった。この男性の場合、震災発生後、市内の病院に入院している間に、鶏卵大の褥瘡が腰にできてしまった。
看護師と協力し、壊死した組織を丁寧に切り取るなどの処置を施す草場氏。すべての処置を終えるまでに1時間余りがかかった。男性の症状について、草場氏は「皮膚が壊死し、皮下組織まで見えるV度だが、(傷口から骨が見える)W度に近づいている」とし、完治までには「うまくいって2か月、場合によっては半年かかる」と見立てた。
■停電が原因
なぜ震災発生後、褥瘡ができる患者が増えているのか―。日本プライマリ・ケア連合学会のメンバーで、気仙沼市内で2日から支援活動に携わってきた医師の内山良氏は、震災に伴う停電が最大の原因と指摘する。
「停電中、電動ベッドは動かないし、エアマットも使えない。つまり、患者はクッションもない硬いいすにずっと座り続ける状態になる。この状態だと、数時間で褥瘡ができてしまう場合もある」
中には、骨が見えるステージWの褥瘡ができ、緊急入院を余儀なくされた患者もいたという。こうした状況を受け、日本プライマリ・ケア連合学会では、今後半年間は、被災地の在宅医療に対する支援活動を続ける予定だ。
「地元の在宅医療が完全に復興するまで、年単位の時間が必要だろう。その間は支援を継続する必要があるのではないか」(内山氏)
■相次ぐ余震で関連死も
震災に伴う停電が在宅医療に及ぼした影響は、褥瘡の増加だけではない。患者の生命にかかわる事態を引き起こす時もある。人工呼吸器やたんの吸引の機械が動かなくなる場合だ。
実際、坂総合病院(宮城県塩釜市)では、109人いた在宅医療の患者のうち、津波で亡くなった人は1人だったが、停電でたんの吸引の機械が動かなくなり、死亡した患者が2人確認された。山形県尾花沢市でも、7日の余震に伴う停電で、酸素吸入器が使えなくなった63歳の女性が死亡している。
気象庁は、マグニチュード7クラスの大型の余震が今後も一定期間発生するとの見通しを示している。つまり、「在宅医療の現場における地震関連死」は、今後も発生する可能性があるのだ。
さらに、坂総合病院の看護師・高橋真由美氏は、在宅医療が復興し始めた地域に、重症患者が集中する可能性を問題視する。実際、同病院では、他地域から移って来た脊髄損傷やALS(筋萎縮性側索硬化症)など重症患者の往診を始める予定だという。
高橋氏は「重症の患者の場合、処置や治療に時間がかかる。今後、こうした患者がどんどん増え続ければ、以前から往診していた患者への治療が手薄になる可能性も否定できない。そうした状況を防ぐためにも、在宅医療に対する息が長い支援が必要ではないか」と話している。
【写真説明】看護師(左手前)らとともに、患者を診察する草場氏(右手前)。被災地では一日で3-5人を往診したという(4月9日、気仙沼市内)
( 2011年04月12日 18:38 キャリアブレイン )」(全文)
◆2011/04/13 「支援の輪 東日本大震災 /愛媛県」
『朝日新聞』
http://mytown.asahi.com/ehime/news.php?k_id=39000001104130001
「<募る>
◆県社協がボランティア募集 県社会福祉協議会は5月末まで、災害ボランティアの登録を受け付ける。登録すると、県社協が職員を派遣している宮城県女川町のほか、石巻市、東松島市などからのボランティア募集情報が、県社協から電子メールで届く。希望者は県社協地域福祉班まで、ファクス(089・921・5289)か電子メール(chiiki@ehime−shakyo.or.jp)で申し込む。
◆日本ALS協会県支部が経腸栄養剤の提供呼びかけ 筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者と家族らでつくる日本ALS協会県支部(中谷祐子支部長)が、経腸栄養剤「エンシュアリキッド」の提供を呼びかけている。
日本ALS協会(東京都千代田区)が、東北大学大学院医学系研究科の青木正志教授から提供依頼を受けた。同協会によると、宮城県石巻市内の病院で不足しているという。同協会の担当者は「神経難病の患者だけでなく、口からごはんを食べられない高齢者にとっても必要。備蓄している人はぜひ提供して欲しい」と話している。
提供できる人は、松山市太山寺町2384番地市営太山寺団地3の10の中谷支部長(電話090・6880・9041、ファクス089・979・6506)まで。
<その他>
◆県の緊急雇用創出事業、被災失業者を優先 県は12日、国の交付金を活用した今年度の緊急雇用創出事業で、県内の被災失業者を優先的に雇用すると発表した。県内8市にある公共職業安定所にある被災失業者向けの窓口で相談を受け付ける。」(全文)
◆2011/04/13 「左足小指で意思伝える 和歌山市を提訴のALS患者訪ねる /和歌山県」
『朝日新聞』
http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000001104130002
「全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者2人が、和歌山市に1日24時間の公的介護の提供を求める訴訟を起こして半年あまりが過ぎた。ALSは進行性の病気で、裁判が長引く間も患者らは闘い続けている。原告の一人を訪ねた。
和歌山市内の住宅街。男性患者(74)が住む古びた木造住宅に、近くの診療所の内科医と看護師がやってきた。往診は月2回。男性に聴診器を当てたり、体温や血圧を測ったりしたあと、人工呼吸器と身体をつないでいるカニューレと呼ばれる医療器具を交換する。看護師が呼吸器のパイプを外し、医師が新しいカニューレを挿入した。
ものの数分の作業だが、男性の口から何度もつばがあふれ出た。呼吸器を着けていると、つばをのみ込むことができない。ベッドの横から男性の妻(73)が小柄な体を精いっぱい伸ばして細いチューブでつばを吸引する。ヘルパーを含めて4人がかりの作業だ。
処置を終えて医師らが帰ったあと、男性の呼吸にゴゴゴ……という雑音が混じり始めた。気管にたんがたまり始めたサインだ。妻は呼吸器を外して、チューブをさし込んだ。数秒間かけてたんを吸い取り、呼吸器を元に戻す。この作業が30分ほどの間に3、4回あった。
男性がALSと診断されたのは2006年6月。11月からは訪問介護を受けるようになり、その年の暮れごろからは自力歩行が出来なくなった。その後、自発呼吸が困難になり、翌年3月にのどを切開して人工呼吸器を着けた。現在では指を動かす力も衰え、手足のうち、左足の小指がかすかに動かせるだけだ。
男性宅には、ヘルパーが交代しながら常に1人いて、実質24時間の介護態勢になっている。ただし、市が公的負担の対象としているのは1日約12時間で、これを超える分はヘルパーのボランティアによって無償で提供されている。
和歌山地裁で係争中の裁判で男性側は、必要な介護は公的負担によって提供されるべきだと主張している。
男性のように全身が不自由で長時間の介護を必要とする障害者には、障害者自立支援法に基づき公的負担で介護サービスが提供される。これを重度訪問介護といい、市が提供時間を決める。男性について市は1日約8時間と決定しているが、男性は介護保険を併用しているため約12時間が公的負担分となっている。
市は、妻が自らの生活を一定程度制限しても夫の介護に当たることは当然だ、などとし、24時間の公的介護は必要ないと主張している。しかし妻も足が悪く、たんの吸引などの介護には昼も夜もない。
妻は言う。「自分の体も不自由なのに一人で介護はできない。市の福祉の担当者は病気のことを理解してほしい」。近所には長男(47)が暮らしているが、迷惑をかけたくないという思いもある。
ALSは、神経が障害を受け筋肉がだんだん衰えていく。エアコンの温度を変えてほしい、たんを吸引してほしいといったことを、男性は口をぱくぱくと動かしたりまばたきを繰り返したりすることで妻に伝えているが、こうした意思表示もいつまでできるか分からない。
男性の体がけいれんで震えだした時、妻が「お父さん、たまには入院した方が気分転換になるよ」と冗談交じりに話しかけると、男性はぎこちなく口を開け、歯を見せた。それが「笑い」だということは記者にも伝わった。
言葉で伝えたいことがあれば、左足の小指の先に触れるパソコンの端末を操作する。妻の吸引の仕方が気に入らなければ「へ・た・く・そ」と入力することもある。記者が妻への気持ちを尋ねると、男性はこう返してきた。
「よ・く・や・っ・て・く・れ・る」
(北川慧一)
【写真説明】医師(左)の往診中も、妻(中央)が度々たんの吸引を行っていた=和歌山市」(全文)
◆2011/04/16 「ALS患者の呼吸器停止 5秒に1回 押し続けた22時間」
『東京新聞』
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011041602000026.html
「薄暗い病室。いつもは気にも留めなかった壁の写真が気になった。五秒に一回、二十二時間。ひたすら人工呼吸器を押し続けた−。
三月十一日午後、茨城県日立市の日立港病院。入院患者は約四十人、医師は三年目の岸龍一さん(27)だけだった。地震発生。停電。間もなく非常用電源も使えなくなった。患者の安全を確認して、ひと息ついた時だった。五十代の男性患者の人工呼吸器のバッテリーが切れた。
男性は筋萎縮性側索硬化症(ALS)で数年前に入院。症状が進み、全身の筋肉が動かず、目に見える運動表現ができない状態だった。
すぐに手動の人工呼吸器と、のどに開けた穴とをチューブでつないだ。ゆっくり押し、ぱっと離す。五秒に一回、規則的に繰り返す。握り込む普段のやり方だと続かないと思い、手のひらと腰の間に挟んだ。
点滴用のフックに掛けたペンライトが、やせた男性の顔をぼんやりと照らす。がっちりした体格の教師だったという。壁に教え子たちと撮った写真が何枚も張られていた。
「この手は離せない。今、誰よりもこの患者さんと一緒にいるんだ」。写真の笑顔が気になって仕方なかった。
何度も襲う余震。駐車場で冠水した車のクラクションがけたたましく鳴る。シュークリームやポテトチップスを分け合って食べた。呼吸器をほかの人に任せたのは計約二時間だけ。星がきれいな夜だったと覚えている。
この間、看護師らは転院先を探していた。しかし、電話がつながらなかったり、ベッド不足だと断られたりした。看護師長が院長の知人の医師に直接頼み、市内の別の病院が受け入れてくれることになった。
救急車に同乗し、人工呼吸器につなぐまで見届けた。腕の重みに気付いた。時計は十二日の午後三時五十分を指していた。
× ×
男性は今月五日未明、肺炎を併発して亡くなった。「停電の影響はゼロではないでしょう。悔しいですね」。訃報を聞いた岸さんは、そう話しうつむいた。」(全文)
◆2011/04/20 「東日本大震災:首都圏から 計画停電の足立区 区職員の機転、救った命」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110420dde003040033000c.html
「◇人工呼吸器、車から電源確保
東日本大震災の影響で計画停電が実施された東京都足立区で、在宅の難病患者の人工呼吸器が停止寸前になったため、区職員が自動車のシガーソケットを通してカーバッテリーから電源を取る「非常手段」で急場をしのいだ。東京電力は今後、計画停電を原則不実施としているが、区は夏場の電力不足を危惧。万一に備え、連絡体制の整備や予備バッテリーの補充など準備を進めている。【島田信幸】
足立区では3月16〜18日と22、23日、一部地域で3時間ずつ計画停電が実施された。難病患者らを支援する区西部福祉事務所は同14日、計画停電に備え、人工呼吸器やたん吸引器、在宅酸素などを必要とする患者のうち、停電に対応できない人の把握を進めた。その結果、予備のバッテリーも酸素ボンベもない筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者が1人いた。
ALSは呼吸に必要な筋肉が衰える難病。事務所援護係の社会福祉士、野坂卓生さん(39)は「停電は死につながる」と危機感を覚え、すぐに人工呼吸器メーカーに予備バッテリーの在庫を確認したが、メーカーからは「被災地に送ってしまい在庫はない」と回答が返ってきた。奔走するうち、患者の訪問看護を担当する病院から「車のシガーソケットから電気が取れる」と連絡があった。病院側で作動確認してもらったところ利用可能だったため、準備に入った。
最初の計画停電は同15日の予定だったが直前に中止になった。だが同16日午前9時20分、区から事務所に「計画停電を実施」と電話が入った。突然の連絡に野坂さんは同僚の佐野浩さん(40)と自転車に飛び乗り患者宅に向かった。途中、国道の角で信号機停止に備えて警察官が何人も立っており「本当に停電するんだ」と感じた。患者宅に着くまでに信号が消え始め、ペダルをこぐ勢いが増した。
約15分後、患者宅に着くと家族は停電にぼうぜんとしていた。人工呼吸器の内部バッテリーが切れるまで、猶予は40分程度。「すぐに車を動かして」。家族を促し、患者宅のワゴン車のシガーソケットに変圧器をセットした。ガソリンが半分程度しかなく「どこまで持つか。非常手段だ」と野坂さんは感じた。
ガソリンスタンドには列ができていた。給油まで2時間かかり、量も20リットルまでと決めているスタンドもあった。午前9時50分、ワゴン車から通電が始まり、延長コードを使って車の窓から自宅の窓を通して人工呼吸器に電気を送った。午後0時23分、患者宅の電気メーターが動き出し、「停電が終了したんだ」と佐野さんはようやく安心した。
患者宅では同17日早朝にも計画停電があり、前日午後に届いた予備バッテリーで対応したが、停電開始から1時間半ほどで切れ、結局、患者宅のワゴン車のバッテリーから再び電源を取った。ワゴン車のガソリンは3分の1まで減った。同18日の停電時はホームヘルパーが使っている車を利用した。野坂さんは「ガソリンが底を突かないか気が気でなかった」と振り返る。メーカーから新たな予備バッテリーが届いたのは、この日の夜になってからだった。
区によると、最初の計画停電となった同16日、東電からの連絡は直前の午前9時20分ごろだったという。事務所の下河辺純子所長(49)は「人工呼吸器は精密機械で、純正バッテリーでないと故障しかねない。区として予備バッテリーの輸入を業者にお願いした。東電には計画停電になるような事態になったら余裕を持った事前連絡をしてほしい」と指摘している。
毎日新聞 2011年4月20日 東京夕刊」(全文)
◆2011/04/28 「防災とバリアフリーを経済コストで測るな――被災障害者の危機は人災だ」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/select/opinion/iitai/news/20110428ddm004070030000c.html
「空気ボンベを背負い海に潜るスキューバダイビングは、よく知られている。では、地上で暮らしながら、常に「目に見えない海水」に潜った状態で生活している人たちのことをご存知だろうか。重い病のために、酸素吸入器や人工呼吸器を常時使用している人たちのことだ。
仙台市太白区の土屋雅史さんもその一人で、4年前、全身の筋力が徐々に衰える筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した。人工呼吸器やたんの吸引器が命綱だ。
53歳の今、全身で動くのは眼球だけだ。その目の動きでパソコンを操作し、一文字ずつ言葉を刻み、この度の震災体験をつづった。
「突然大きな横揺れ、すぐ停電。呼吸器の非常アラームがビーッと鳴った」
土屋さんが普段「潜水」を続けていられるのは、電気によって人工呼吸器などが動いているからだ。しかし停電になれば、頼りはバッテリーだけとなる。いわばバッテリーの残量が、「潜水時」の空気ボンベの残量だ。
「いきなり吸引器が止まった。40分のバッテリーだ」
幸い、土屋さんは周囲の人の綱渡りのようながんばりで助かった。他にもきわどい例は多く、今月初めには停電の影響で亡くなった人もいた。
これらの人たちが経験した生命の危機は、天災ではなく人災に属する。つまり、地震による長期の停電を、現行の福祉・医療施策が想定していなかったからである。
ところで今、防災や原発の関係者の口から、「想定外」という言葉がよく出される。それを聞きながら、私は「防災とバリアフリー」の共通点を考えた。
たとえば、障害を持つことは多くの人にとって想定外の出来事だろう。しかし、個人にとって想定外であっても、ある社会の中でどういう障害がどの程度の頻度で発生するのか、その全体的傾向は想定できる。その想定に従い、どんな人が人生のどの時期にどのように特殊な障害を持っても、きちんと生活できるように、最善の社会的取り組みを目指すのが、バリアフリーの基本理念である。
一方、地震や津波など自然災害も、いつどこでどんな災害が発生するか、正確には想定できない。しかし、歴史的・地理的観点で、どんな規模の災害が発生するか、その全体的傾向は想定できるはずだ。いつどこでどのようにまれな災害が発生しても、最善の社会的取り組みを目指すのが、防災の目標だろう。
両者には、さらに二つの共通点がある。第一は、防災もバリアフリーも安全と安心、言い換えれば、人の命や夢や希望を守る営みだということであり、第ニは、いずれも経済的コストがこれらの取り組みへの制約要因になる点だ。つまり、発生頻度の低い障害や災害であればあるほど、それらへの取り組みは「コスト的に現実的ではない」とされてしまうということである。
しかし、これはおかしな発想だ。本来命や夢や希望は、コストを計測できない価値である。それを経済的コストとてんびんにかける発想自体、根本的に誤っていないか。
この度の大震災を経験した日本は、従来の物質的な豊かさとしての経済成長を目指すのではなく、人の命と生活の真の豊かさに力点を置いた、社会・経済・科学技術の発展を目指すべきである。
3・11を人間中心の社会に向かう新たな日本のルネサンスの契機とすることこそ、生を断ち切られた人々の魂に報いる道なのだと思う。
ふくしま・さとし 9歳で失明、18歳で聴力も失い、盲ろう者となる。専攻は障害学、バリアフリー論。博士(学術)。
【写真説明】福島 智 東京大先端科学技術研究センター教授」(全文)
◆2011/05/03 「被災の地から ALS:1 呼吸器に車のバッテリーも利用」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201105030150.html
「自宅のベッドの足元にあるテレビが消えて、停電を知った。3月11日の大地震直後。1週間近い停電の始まりだった。
仙台市太白区の伊藤正巳(いとう・まさみ)さん(58)は、筋肉が次第に動かなくなる難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う。昨年6月に気管を切開し、人工呼吸器を着けた。電気が止まると、呼吸が困難になる。長時間になれば命が危ない。
右手の親指と人さし指に感じたしびれがきっかけで、病気がわかった。2005年にALSと診断され、ホームヘルパーの介護や看護師の訪問看護を受け、家族と暮らしてきた。
3月27日に開かれるはずだった長男の結婚式に出るのが楽しみだった。そのため、人工呼吸器に外付けする外出用バッテリーを昨年11月に買ってあった。停電になり、妻が外出用バッテリーを人工呼吸器につないだ。妻は「停電は長くは続かないだろう」と考えていた。
だが、いつまでたっても復旧せず、充電した状態で約7時間もつ外出用バッテリーが消耗していく。そこで、車のバッテリーを利用することにした。
2メートルの延長コードを4本つなぎ、エンジンをかけたままで外出用バッテリーを充電。ある程度充電してから、外出用バッテリーで人工呼吸器を動かした。
伊藤さんが人工呼吸器を使うようになって、初めての停電だった。ベッドのそばで、妻と長男夫婦が布団を敷いて横になった。長男は「怖くて眠れなかった」と話す。
伊藤さんはわずかに動く口元の筋肉を使って意思を伝える。いつもは、専用ソフトを入れたパソコンを口元に着けたセンサーで操作し、1文字ずつ画面に映し出す。
震災で、テレビに続いてパソコンも内蔵バッテリーが切れ、使えなくなった。電動ベッドも動かない。「頭を上げて」「下げて」といった希望を、眉や口元を動かしたり、文字盤を使ったりして、妻に伝えた。
満タンだった車のガソリンが、地震から2日後の午前中には半分に。ガソリンスタンドはほとんど営業しておらず、確保の見通しが立たない。主治医がいる病院に連絡をとろうと思ったが、電話も通じなかった。(沼田千賀子)
【写真説明】人工呼吸器(奥)を着けた伊藤正巳さん。口元のセンサーに唇を当てて操作し、パソコンに文字を表示する=仙台市太白区」(全文)
◆2011/05/04 「被災の地から ALS:2 緊急入院、意思表示に困る」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201105040143.html
「全身の筋肉が動かなくなっていく筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う仙台市太白区の伊藤正巳さん(58)。3月11日の大地震後の停電で、人工呼吸器を動かす電気が来なくなった。車のバッテリーを使って外出用バッテリーを充電してしのいでいたが、13日午前中にはガソリンが満タンの半分以下になった。
「ガソリンがあと1日もつかどうかわからない。ベッドを空けてもらえないでしょうか」。親族が直談判し、近くの病院に緊急入院できることになった。
入院先が確保できたのを確認し、救急車を呼んで病院に向かった。ふだんは口元の筋肉を動かしパソコンで意思表示する。妻は「電気を借りに行くのに、パソコンまで持って行けない」と思い、代わりに透明のプラスチック板に五十音が並んだ文字盤を持って行った。
でも、文字盤を使って意思を伝える方法は、伝える側と読み取る側の双方が練習しておかないとうまくいかない。今回の入院ではほとんど使わなかった。
慣れない病院で看護師や医師と意思の疎通をはかるのは、思った以上に難しい。「頭を起こして」といった要望を、眉の周囲や口元の筋肉を動かして伝えようとしても、スムーズにいかないことがあった。
16日、自宅に電気が戻った。家族は「ガソリンが買えるようになるまで待って」と説得した。伊藤さんは「帰りたい」と文字盤で訴え、涙を流した。昼間だけ付き添っていた妻が、夜も泊まるようになった。入院10日目の22日に退院した。
その後も余震が続き、そのたびに伊藤さんと家族は停電の不安に襲われた。4月7日午後11時半過ぎに起きた大きな余震で、また電気が止まった。
再び外出用バッテリーと人工呼吸器をつなぎ、なんとか翌朝までもたせた。幸い、朝には電気が復旧した。
伊藤さんは「周りにすべてを任せるほかありませんので、じっとしていました。皆さんはよくやってくれたと思います」と振り返った。
値段は安くないけれど、外出用のバッテリーをもう一つ買っておいた方がいいかもしれない。妻はそう思い始めているという。(沼田千賀子)
【写真説明】人工呼吸器用の外部バッテリー(左)と充電器。通常は自宅の電源から充電する=仙台市太白区」(全文)
◆2011/05/04 「福島第1原発:一時帰宅 足の不自由な母娘、参加困難」
『毎日新聞』
http://os7.biz/u/t84UL
「福島第1原発:一時帰宅 足の不自由な母娘、参加困難
東京電力福島第1原発事故で立ち入りが規制されている警戒区域(半径20キロ圏)への一時帰宅で、福島県南相馬市の足の不自由な母娘の参加が困難な状況になっている。国は「移動に支援を必要とする者は対象としない」との見解を示し、同市も緊急事態発生時の他の参加者への影響を懸念して「残念だがあきらめてもらうしかない」。予行演習となる「トライアル」が3日行われるなど準備が進むが、同様の理由で参加できない住民は多数いるとみられる。
一時帰宅を希望しているのは、南相馬市小高区から市内の警戒区域外に避難中で、左足が不自由なため、つえ無しでは歩けない菊池キヨ子さん(80)と、脳梗塞(こうそく)で左手足がまひしている長女正子さん(59)。
東日本大震災が起きたのは、正子さんがベッドからトイレに行こうと手すりにつかまった時だった。
キヨ子さんは近所の知人に連れられ外出中。正子さんは1人で外に出られないため、「助けて」とベッドにしがみついていたという。2人はその後、近所の住民に連れられて近くの小学校に一時避難した。
3月12日朝に自宅へ戻ったが、原発で水素爆発があったことをニュースで知った。「早く逃げねば」。2人だけでは遠くには避難できない。助けを求めて電話をかけたが、どこもつながらない。近所の人は既に、ほとんどが避難していた。
「待つしかないな」。2人は誰かに気づいてもらえるまで待つことにした。冷蔵庫にあった鶏肉やコンニャク、タマネギ、米でしのいだ。家は雨漏りし、17日になると、食料が底を突きかけた。「どうすべ……」。そんな時、電話が鳴った。民生委員からだった。自衛隊員に救助され、やっと避難できた。
一時帰宅は2人で行きたいと望んでいる。キヨ子さんの夫の位牌(いはい)や預金通帳、保険証などを持ち帰りたい。自宅に残した愛犬「クマ」も気がかりだ。ただ、2人には介助が必要になる。
南相馬市は「市民の要望は国に上げる」とするものの、「原発で突発の事態があった場合、バスに速やかに戻れない方には遠慮してもらいたい。乗り合わせている人まで犠牲にはできない」と説明する。経済産業省原子力安全・保安院は「要望があれば自治体と協議すべきものは協議する」と説明するが、実現は困難な見通しだ。
同市によると、警戒区域内居住で自力歩行が困難な住民の数については、「相当数いるはずだが、把握できていない」という。他の自治体でも、役場機能を区域外に移転した際に資料を残したままの所があるなど、実態の把握は困難だ。
2人は市内に建設される仮設住宅への入居を申し込んだ。放射線量の高い区域にある自宅に、震災前と同じように住めるとは考えていない。それでも、正子さんは言う。
「自分の家なのに一度も帰れないのはあんまり。一度だけでもいい。家に帰らせてください」【鳥井真平】
毎日新聞 2011年5月4日 11時17分(最終更新 5月4日 13時17分)
【写真説明】一時帰宅のためのトライアル(予行演習)を終えスクリーニングをする自治体職員ら=福島県川内村で2011年5月3日午後3時7分、武市公孝撮影」(全文)
◆2011/05/05 「特集:検証・大震災(その2止) 「突然の大停電」寸前?」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110505ddm010040017000c.html
「特集:検証・大震災(その2止) 「突然の大停電」寸前
◇交差点で死亡事故/車を臨時の電源に/制限令発動も
◆14日午後5時、被災地
◇「なぜここが最初に」
救急病院に指定されている茨城県鹿嶋市の小山記念病院(224床)。同県は震災で死者23人、行方不明1人。鹿嶋市内では断水も続いた。14日午後3時20分から同7時までの間に約3時間の計画停電が予定されていた。
午後5時過ぎ、院内は暗くなった。非常用電源では通常電力の約30%しか確保できない。電気を使うのは人工呼吸器やホストコンピューター、ナースステーションなどに限った。全看護師約200人のうち休日返上を含む約120人が万一に備えて待機した。
間もなく、救急車から連絡が入る。「急患です。受け入れは可能ですか?」
しかし、検査機器は使えず十分な処置ができない。隣接する3市でも同じ時間帯に計画停電が予定されている。事前の取り決め通り、遠方の水戸市か千葉県へ搬送してもらうしかなかった。
午後6時半に電気が復旧するまでの間、受け入れられなかった急患は計3人。床枝正行事務長は唇をかんだ。「救急病院の配置を考慮しないで停電にすると、一帯は医療過疎になってしまう。救える命も救えない」
津波で13人が死亡した千葉県旭市。飯岡地区などでは250棟以上の家屋が壊れ、市内4カ所に771人が避難していた。
市立飯岡小学校には約300人がいた。14日、震災後初めて市内の婦人会などボランティアによる炊き出しが行われ、午後4時半過ぎから温かい弁当と豚汁が配られた。そのさなか、あかりが消えた。「何で被災地が最初の計画停電なのか」。そんな声が漏れたが、被災者は耐えるしかなかった。
鹿嶋市や旭市など被災地が県知事らの抗議で停電対象から外れたのは、翌日のことだった。
計画停電初日の14日、東電のコールセンターには苦情や問い合わせが計約5万400件寄せられた。枝野官房長官は同日の定例会見で「関係機関の情報提供には適切でない部分も見受けられ、政府の立場からおわびする」と陳謝した。
◆15日午後6時50分、東京・多摩
◇「信号停止、つかめない」
東京都内で初の計画停電は多摩地区で実施され、JR八王子駅北口は15日午後6時50分、暗闇に包まれた。だが、東電から警視庁への連絡は直前で、どの信号がいつ停電するのかも分からない。
調整窓口役となった警視庁総務部企画課の佐藤善亮管理官は東電に強い不満をぶつけた。「せめて前日までには教えてもらわないと対応が難しい」。東電側は「電力の需要と供給をみて決めているので判断がギリギリになってしまう」と釈明するばかりだった。
都内の信号機は3月末で1万5604カ所。うち停電時に自動で発電する自家起動式発電機を備えた信号機は743カ所、停電時に手動でスイッチを入れる路側式発動発電機のある信号機は109カ所に過ぎない。大半は停電開始とともに消えることになる。
都内約100署にはポータブルの発動発電機がそれぞれ20台ほどあり、使い方を記したマニュアルが各署にメールで送られた。それ以外の場所では署員らが可能な限り、手信号で交通整理するしかない。東電からどの場所で何時から停電があるか情報を得て、警察電報とメールで各署に伝え、各署はどこの信号に警察官を配置するか決めることにした。しかし、対応には限界がある。「停電する具体的な町名まで知らせてもらわないと」。佐藤管理官は苦渋の表情を浮かべた。
都内では、15〜25日のうち7日間、計画停電が行われ、延べ151回に上った。信号機は累計で1万3184回、電気が消えた。警察官ら計6155人が配置されたが、対象地域では、重傷1件を含む人身事故5件、物件事故7件が発生した。
◇発電機をかき集め
16日、群馬県安中市。午前10時半ごろ、見通しの悪い県道交差点で、地元の農業男性(69)のバイクと自営業男性(65)の軽乗用車が出合い頭に衝突。農業男性が骨折に伴う合併症で5時間後、死亡した。
安中署は計画停電に伴い国道18号沿いの交差点4カ所に警察官を配置。発動発電機を東電や消防などから計15台ほどかき集めて対応したが、事故現場の信号機は消えたままで、警察官もいなかった。
同署の窪洋右・交通課長は「すべての交差点に署員を付ければいいが、現実的に不可能。地元の人しか通らない狭くて見通しの悪い道なら、かえって運転が慎重になると思ったのだが」と悔やんだ。
◇薄氷踏む患者対応
東京都足立区で最初に計画停電が実施された16日午前。区西部福祉事務所の野坂卓生さん(39)はある患者の自宅へ同僚と自転車で向かった。
野坂さんは14日、区内で人工呼吸器などを必要とする患者のうち停電に対応できない人を調べていた。予備バッテリーも酸素ボンベもない筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者が1人いた。予備バッテリーは被災地に大量に送られ、メーカーに在庫はない。思案するうち、患者の通う病院から「車のシガーソケットから電気が取れる」と教えられた。試してみると使えた。
患者の自宅に着くと、既に停電していた。内部バッテリーの残り時間は約40分。患者宅の車を動かし、シガーソケットに変圧器を入れた。
正午過ぎ、その日の停電は終わった。だが、翌日も翌々日も続く。その都度、車のバッテリーでしのぎ、メーカーから予備バッテリーが届いたのは18日の夜。まさに薄氷を踏む思いだった。
◆17日午前9時、東電
◇需要、供給力の99・4%に
「電力使用量が昨日の実績を400万キロワットも上回っています」。17日午前5時ごろ、藤本孝副社長の携帯電話が鳴った。管内の電力需要と発電量をリアルタイムで把握する東電本店14階の中央給電指令所からの緊急連絡だった。
この日の都心は真冬並みの寒さとなり、朝から暖房を使う家庭が急増した。東電の電力供給力は一部の火力発電所の復旧で3350万キロワット。震災直後よりは増えていたが、藤本副社長は背筋が凍る思いだった。「電車の運行が増える夕方になれば、首都圏で突然の大停電(ブラックアウト)を引き起こしかねない」
電力需要が供給を上回ると、送電線に障害が起きるのを防ぐため一部地域への電力供給が自動的に打ち切られる仕組みになっている。計画停電とは異なり、どの場所でどの程度の規模で起きるかは、直前まで東電にさえ分からない。「政府機能を守る」という理由で計画停電の対象から外された都心部でも停電に見舞われる恐れがあり、大混乱が生じるのは必至だ。
午前7時過ぎから中央給電指令所で開かれた緊急会議には、社内の気象予報士らを含む約20人が招集されたが、有効な対策は見いだせなかった。「国に節電を呼びかけてもらうしかない」。藤本副社長は腹をくくり、8時過ぎに経済産業省に担当者を送った。
「現在の電力使用量3330万キロワット」。午前9〜10時には中央給電指令所のコンピューター画面に需要が最大供給能力の99・4%まで迫っていることが示された。経産省でも一気に緊張が高まり、幹部は「大臣に緊急会見でブラックアウトを警告してもらうしかない」との意見で一致した。
大臣室に連絡を取ったが、海江田経産相は福島第1原発事故への対応で不在。事態は一刻を争う。午後1時41分、「予測不能な大規模停電が発生する恐れがある」との緊急大臣談話を発表した。
報道やインターネット上で談話が流れた午後1時50分ごろを境に、電力需要は急激に低下。午後3時過ぎには、前日の同時刻の需要を下回った。危機は寸前で回避された。
◇大きな傷痕残し
危機感を共有しながら政府と東電は「停電パニック」を防げず、巻き込まれた現場に傷を残した。
川崎幸病院で計画停電が実施されたのは3月17日。石井院長は自家発電で医療機器を使い続けることに怖さを覚え、東電川崎支社を訪ね、対象から外すよう求めた。が、支社側は「自家発電の技術的なアドバイスしかできない」と繰り返した。23日には停電が予定された時間帯に緊急の大動脈瘤手術をせざるを得ない事態になった。直前に停電は回避されたが、「もし本当に停電していたら……」と院長は憤る。
「医療機関を除かない限り、夏の計画停電は認めない」。14日以降、枝野官房長官は東電に繰り返し求めたが、経産省幹部は22日、「計画停電なんかでは夏は乗り切れない。もっと強力な措置が必要になる」と深刻さを隠さなかった。猛暑になれば電力供給がパンクするのは明白だ。
「強力な措置」とは、74年のオイルショック時に導入した電気事業法27条に基づく電気使用制限。契約電力500キロワット以上の大企業など大口需要家を対象に強制的に一定の電力使用削減を義務付ける「伝家の宝刀」だ。経産省はいったん産業界に夏場の最大電力使用量の昨年比25%削減を義務付ける節電対策原案を固める。しかし、日本経団連の米倉弘昌会長は28日、「どうしても需要超過が避けられない時の最終手段のはずだ」と反発。節電は「企業の自助努力が前提」とけん制した。
政権内でも景気への影響を懸念する与謝野馨経済財政担当相が「産業界の負担が重過ぎる」と見直しを要求。経産省は結局、東電に福島第1原発から30キロ圏内にある被災した火力発電所の復旧を急がせ、夏場の供給力を5500万キロワットまで積み上げさせることで15%削減に緩和した。が、実現を危ぶむ声もくすぶる。
電力問題は迷走含みのまま夏に向かう。
==============
山本明彦、田中成之、三沢耕平、永井大介、宮崎泰宏、立山清也、南敦子、新宮達、井出晋平、谷多由、寺田剛、弘田恭子、岩本直紀、武田良敬、伊澤拓也、喜屋武真之介、島田信幸、松倉佑輔、町田徳丈、山崎友記子、遠藤和行、清水憲司、鈴木直、山田夢留が担当しました。
毎日新聞 2011年5月5日 東京朝刊」(全文)
◆2011/05/05 「被災の地から ALS:3 病院の自家発電が故障」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201105050115.html
「震災から1カ月半。福島県いわき市の佐藤誠二(さとう・せいじ)さん(79)は、故郷から200キロ以上離れた北里大東病院(神奈川県相模原市)の病室にいた。
「早く帰らないとな。離れたままで死ぬわけにいかないもんな」。次男の修(おさむ)さん(45)が声をかけると、誠二さんは何度も首を縦に振った。目尻にしみ出た涙を修さんがぬぐった。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断されたのは2003年。退職し、好きな農作業に専念していた。息切れが強くなり、立てなくなったのがきっかけで病気がわかった。自分で呼吸するのが難しくなり、気管を切開して人工呼吸器を着けた。
妻と修さんの妻が自宅での療養を支えた。夜も2時間おきに必要なたんの吸引は修さんが担った。手足や指が動かせなくなった。この春、家族の休息を兼ね、自宅に近いいわき病院に短期入院することにした。
大地震の日、誠二さんは最も低い位置にある第3病棟1階の病室にいた。海岸から病院まで100メートルほど。「揺れが長い。津波が来る」。関晴朗(せき・はれあき)院長は患者の避難を決めた。140人余りの患者のうち、歩ける人は2階へ。寝たきりの30人を2階に運んでいては間に合わない。
「重症心身障害児病棟へ」。とっさに判断した。数メートル高台にあるその病棟まで、上り坂になっている約100メートルの渡り廊下に患者のベッドが列をなした。最後尾の誠二さんが病棟にたどり着いたとき、第3病棟のドアを破ってなだれ込んだ津波が、渡り廊下の途中で止まった。
誠二さんは異変に気づいたが、寝たきりのベッドからは周りが見えない。津波のことを聞いたのは避難した後だった。
修さんが津波を避けながら車で病院に駆けつけた。誠二さんは「家のかわらは壊れてないか」と口を動かした。
いわき病院への救援はなかなか来なかった。電話も通じない。保存食や、高台のホテルや商店からもらった米でしのいだ。被災から3日後、自家発電機が故障した。看護師や医師が、手動の呼吸器のバッグを交代でもみ、誠二さんに空気を送り続けた。2時間ほどで復旧したが、関院長は限界を感じた。「患者の命が守れない。転院してもらうしかない」(林義則)
【写真説明】誠二さんが短期入院していた病院(右奥)がある地区は津波に襲われ壊滅した」(全文)
◆2011/05/07 「被災の地から ALS:4 まぶたに浮かぶ古里の青い苗」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201105070192.html
「筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う福島県いわき市の佐藤誠二さん(79)は3月11日、短期入院先の市内の病院で津波に遭った。3日後、院長は患者の転院を決めた。
内陸部の市立総合磐城共立病院が誠二さんを受け入れた。面会に来た次男の修さん(45)は病院の緊迫した状態に気づいた。救急車のサイレンが途切れない。夜も外来患者が詰めかけ、子どもの泣き声がやまない。誠二さんを担当する看護師は毎日同じ顔ぶれで、日に日に髪の乱れがひどくなった。
同病院は地域の中核施設として、患者の受け入れを断らない方針だった。断水や停電で市内の病院が診療を続けられなくなり、ここに患者が集中した。医師や看護師も被災していて、勤務できる6、7割の職員が泊まり込んで診療を続けた。
福島第一原発の事故がしだいに深刻になっていく。病院は原発から四十数キロ。樋渡信夫(ひわたしのぶお)院長は「重症患者を事前に避難させる」と決断した。神奈川県相模原市の北里大東病院が誠二さんを受け入れることになった。
23日朝、自衛隊の大型ヘリが迎えに来た。誠二さんが搬送を聞いたのはその直前だった。ヘリ同乗のため来ていた北里大東病院の荻野美恵子(おぎのみえこ)神経内科講師に「いわきに残りたい」とヘリポートで訴えた。
震災以来テレビを見られず、原発事故のことも津波被害の大きさも知らない。孫や妻がどこにいるのか、家や田畑の様子もわからない。「家族に会えなくなる」。不安が膨らんでいた。
誠二さんは予定通り搬送された。それから1カ月余り。事態の深刻さを知り、磐城共立病院にとっても、自分にとっても、転院は仕方がなかったと感じる。家族も東京に移り住んだ。
混乱の中、やむを得なかったとはいえ、荻野医師は「誠二さんの気持ちが置き去りになっていた」と振り返った。
いわきでは今年も田植えが行われる。修さんが告げると、誠二さんは笑顔を見せた。誠二さんにとって、父や祖父が稲作を続けてきた約50アールの水田は、守るべき家族や家の象徴だった。
「原発が収束すれば一刻も早く帰る」。青々とした苗が風になびく古里が、誠二さんのまぶたに浮かぶ。(林義則)
【写真説明】誠二さん(右)は透明の文字盤を使って次男の修さんに意思を伝える=神奈川県相模原市の北里大東病院」(全文)
◆2011/05/11 「【NEC報道資料】「NEC難病コミュニケーション支援講座」、鹿児島県で初開催」
『Web担当者Forum (プレスリリース)』
http://web-tan.forum.impressrd.jp/r/n2u/items/85027
「<NECコミュニケーション支援講座>
http://www.nec.co.jp/community/ja/it/communication.html
2011年5月11日
「NEC難病コミュニケーション支援講座」、鹿児島県で初開催
〜“NPO×企業”でITコミュニケーション支援の可能性を探る〜
NECは、NPO法人ICT救助隊(注1)および日本ALS協会鹿児島県支部と協働し、ALS(筋萎縮性側索硬化症)や筋ジストロフィー等の神経筋難病患者を中心とした重度身体障がい者のITコミュニケーション支援を目的とした「NEC難病コミュニケーション支援講座」を開催します。
詳細は以下のとおりです。
日 時:
2011年5月14日(土)10:00〜18:00・5月15日(日)10:00〜18:00
会 場:
鹿児島市心身障害者総合福祉会館 ゆうあい館
鹿児島市真砂本町58番30号 電話:099-252-7900
主 催:NPO法人ICT救助隊
共 催:日本ALS協会鹿児島県支部
協 賛:NEC
参加者:医療従事者(看護師、作業療法士等)を中心に約50名
内 容:文末別紙をご参照下さい。
本講座は、NECの社会貢献活動の一つで、すべての人に優しい情報社会の実現を目的としたプログラム“NEC IT CONNECTION”(注2)の一環として、2008年度にスタートしたプログラムです。本講座修了後も、最終受益者である重度身体障がい者が実際にITコミュニケーション出来るよう、継続的フォロー(受講者からの相談対応・アドバイスやコミュニケーション機器の貸し出し等の人的・物的サポート)を実施します。
NECでは、今後も全国各地域の医療機関で「NEC難病コミュニケーション支援講座」を開催し、一人でも多くの重度身体障がい者が自由にITコミュニケーションすることができ、社会とつながることを目指していきます。
以上
<本件に関するお客様からのお問い合わせ先>
NEC CSR推進部社会貢献室 池田
電話:(03)3798-9555
E-Mail:s-ikeda@cw.jp.nec.com
<別紙>
<5月14日(土)>
10:00 講座開催挨拶
10:10 透明文字盤と口文字盤(NPO法人ICT救助隊 仁科氏)
携帯型会話補助装置紹介
11:00 伝の心(NPO法人ICT救助隊 今井氏)
12:30 昼食
13:30 オペレートナビ(NEC 鈴木氏)
15:30 ハーティーラダー(NPO法人ICT救助隊 仁科氏)
16:30 講座終了
16:30 希望者:スイッチボックス制作(ゲームパッド改造 実費1000円)
18:00 終了
<5月15日(日)>
10:00 スイッチ適合(川村義肢 日向野氏)
12:00 昼食
13:00 スイッチ作成
15:30 脳インターフェイス(国立リハビリテーションセンター 森先生)
レクチャー
16:00 講座終了
16:00 希望者:脳インターフェイス体験
18:00 終了
(注1)NPO法人ICT救助隊
http://rescue-ict.sakura.ne.jp/
NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会(http://www.sakura-kai.net/)を中心に、IT支援ボランティア団体で活動をしたり、訪問看護事業等に従事している者が、横断的に情報を共有し活動を推進していくために2010年1月17日に結成。活動内容は、主にICT (Information & Communication Technology - 情報通信技術-) を活用した難病患者や重度障害者のコミュニケ―ション支援等。
(注2)NEC IT CONNECTION
NECは、さまざまな要因によって社会的に孤立している人たちが、「IT」を活用することで自由にコミュニケーションがとれるようになり、これによって「人」や「社会」とのつながりを持つことができるようになるだろうと考えています。このような、NECが「デジタルデバイド解消」を目的として取り組む社会貢献活動を総称して「NEC IT CONNECTION」と呼んでいます。」(全文)
◆2011/05/17 「「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言」
『ロイター』
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-21136220110517
「[ロンドン 16日 ロイター] 「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。
ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。
博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患と診断され、余命数年とされた。「自分は過去49年間にわたって若くして死ぬという可能性と共生してきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。まだまだやりたいことがある」と語った。
また、人々はどのように生きるべきかとの問いに対し「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」と答えた。
1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知らるようになった博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている。
【写真説明】5月16日、「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士が、英紙ガーディアンのインタビューで、「天国も死後の世界もない」と語った。カナダで昨年6月撮影(2011年 ロイター/Sheryl Nadler)」(全文)
◆2011/05/17 「ホーキング博士「天国はない、作り話である」-科学者と信仰者の間隙」
『クリスチャントゥデイ』
http://www.christiantoday.co.jp/view-3180.html
「世界的に著名な理論物理学者であるスティーブン・ホーキング博士は、英ガーディアン紙のインタビューに応じ、「天国はない、死後の世界は作り話である」と述べた。科学者と信仰者の間隙が改めて露わとなる見解が示されることとなった。
ホーキング博士は21歳のとき筋萎縮性側索硬化症を発症した。本来であれば早期に死に至る病気であるが、ホーキング博士の病状は途中で進行が急速に弱まり、車いす生活をしながらも健在し、理論物理学・宇宙論で著名な功績を残してきた。同氏は死に対して恐れを抱いてはいないとし、「私は脳というのはその構成要素が欠損するときその働きを停止するコンピューターであると見なしています。コンピューターが故障した後に天国や死後の世界などあるはずがありません。闇を恐れる人々による作り話にすぎないでしょう」と述べ、死後の世界の存在を否定した。
同氏は2010年に「ザ・グランドデザイン」という著書を出版し「宇宙の創造に神の手は必要としない」と著書の中で主張している。同氏は宇宙というものは科学を通して説明され得るものであるという。理神論者のホーキング博士は、宇宙と人類は偶然と自然発生的に生じた創造により形成されてきたと信じている。人格を持たない神が、ただ物質が存在する理由付けの証拠のためだけに存在していると見なしている。
これに対し、宇宙物理学博士で信仰をもつ理由について研究しているジェフェリー・ズェーリンク博士は「ホーキング博士の考えの根本的な欠陥は神は人格を持たないのに、私たち人類は人格を持っていると考えているところにあります。私たちの中には精神があり、霊が存在しています。そして人類の精神の発展を受け継いで存在しています。もし私たちが私たちの精神や物理法則よりも劣る完全に非人格的な魂から人格を与えられたとしたら、なぜ非人格的なものが人格というより優れたものを作り出すことができるのでしょうか」と反論している。
ホーキング博士は1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」が世界的ベストセラーとなり、「アインシュタインの再来」とされ一躍有名となった。宇宙創造・宇宙構造や時間軸、空間やブラックホールの存在について実証主義に基づいた宇宙物理学による説明を展開している。
【写真説明】ヘブル11・3「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで作られたことを知り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです」をイメージした画像(Crossmap)」(全文)
◆2011/05/17 「【島根】 出雲・浜田で「難病サロン」オープン」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/health/news/TKY201105170323.html
「◆ 患者や家族交流 ◆
難病患者や家族の交流の場となる「難病サロン」が出雲、浜田市に設けられる。しまね難病相談支援センターと患者・家族会6団体が主催し、17日に事務局の出雲市塩冶町の支援センターでオープンする。
センターでは2009年から筋無力症、膠(こう)原病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)、網膜色素変性症、リウマチの患者・家族会の役員を対象に交流会を開いてきた。
参加者から「勇気をもらった」「新しい知恵を得た」と好評だった。患者や家族が支え合うがんサロンの活動も参考に、難病サロンの開設に踏み切った。
支援センターの推計では、県内の難病の患者は7千〜8千人で、県民の100人に1人に達する。糸賀浩之センター長は「1人で悩まず、気軽に参加して」と呼びかけている。
年内の開催は、支援センター(島根大医学部付属病院西隣)が今月17日、7月19日、10月18日、12月20日、午後1〜4時。浜田保健所(浜田市片庭町)が6月21日、9月20日、11月15日、午後0時半〜3時半。
申し込みは、しまね難病相談支援センター(0853・24・8510)。医療情報や生活、就労支援などの相談にも応じる。(岡田和彦)」(全文)
◆2011/05/17 「世界の雑記帳:「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/select/world/newsinbrief/news/20110517reu00m030001000c.html
「[ロンドン 16日 ロイター] 「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士(69)は、天国とは闇を恐れる人のおとぎ話にすぎないとし、死後の世界があるとの考えを否定した。16日付の英紙ガーディアンに掲載されたインタビューで述べた。
ホーキング博士は「(人間の)脳について、部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人のおとぎ話だ」と述べた。
博士は21歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)という進行性の神経疾患と診断され、余命数年とされた。「自分は過去49年間にわたって若くして死ぬという可能性と共生してきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。まだまだやりたいことがある」と語った。
また、人々はどのように生きるべきかとの問いに対し「自らの行動の価値を最大化するため努力すべき」と答えた。
1988年の著書「ホーキング、宇宙を語る」で世界中に広く知らるようになった博士は、2010年の著書「The Grand Design(原題)」では宇宙の創造に神の力は必要ないとの主張を展開し、宗教界から批判を浴びている。
【写真説明】5月16日、「車椅子の物理学者」として知られる英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士が、英紙ガーディアンのインタビューで、「天国も死後の世界もない」と語った。カナダで昨年6月撮影(2011年 ロイター/Sheryl Nadler)」(全文)
◆2011/05/18 「進んだ医療 母国に伝えたい」
『朝日新聞』
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000001105180001
「インドネシアから約3年前に来日し、秦野市で看護助手として働きながら日本での看護師資格取得を目指していたルシィ・フィトリアニさん(31)が今春、国家試験に合格した。インドネシア人の合格は県内で2人。今年が初めてだ。4月から看護師として一歩を踏み出したルシィさんは「日本の進んだ医療をインドネシアに持ち帰りたい」と張り切っている。
「おはようございます。よく眠れましたか」。秦野市の鶴巻温泉病院。ルシィさんは患者に笑顔で語りかけながら、体温、脈、血圧などを測り、たんを吸引する。病室をまわり終え、ナースステーションで看護記録をパソコンに入力し、会議に参加。てきぱきと看護師業務をこなす。インドネシアでも3年間、看護師として働いていたが、「やり方の違いが多く、緊張します」。
2008年8月、インドネシアとの経済連携協定(EPA)に基づいて来日。09年2月から鶴巻温泉病院で研修を始めた。
初めは仕事に戸惑った。食事、排泄(はいせつ)、入浴や移動の介助……。母国ではどれも家族の役割だった。日本では介護士や看護師の業務に含まれることを理解するまで、つらさを感じた。
来日直後の半年間、語学研修を受けたとはいえ、日本語もほとんど分からなかった。だが、漢字の部首やつくりの持つ意味を知って面白さに気づいた。「さんずいは水とかね。読めなくても形で何となくわかってきました」
昨年7月、日本語能力試験の3級に合格。国家試験対策の塾にも通い、大人数の教室で日本人と肩を並べて勉強した。
彼女の真剣さに応えようと、病院側もプロジェクトサポートチームを組んで、仕事、生活、教育の面から支援した。
受け入れ施設は、語学研修費や仲介料などとして1人に対し初年度に約60万円を負担するほか、塾代など独自の研修費も支払う。国や自治体から年に最大で数十万円程度の助成はあるが金銭的負担は大きい。
それでもメリットは大きかった。チームの一員だった看護部の増渕優子教育担当科長(54)は「国家試験の勉強も日本語も教え方のノウハウがなく、手探りの部分もあったが、彼女は明るく親しみやすい性格で、一緒にがんばれた」と振り返る。長谷川博副事務長(55)も「教育方法の議論を通して、自分たちの仕事を見直すきっかけになった」と話す。
ルシィさんを支えたのはスタッフだけではなかった。筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者は、透明アクリル板の文字をひとつひとつ目で示し、「試験がんばって下さい」とメッセージを送ってくれた。
今の目標は、患者が伝えたいことをきちんと聞き取れる看護師になること。将来は日本の医療の優れた部分を母国に持って帰りたいという。「インドネシアの看護師は医師の指示がなければ動けないが、日本は一人一人が誇りを持って働いている。そこがすてきです」
(斎藤博美)
◇キーワード・・・EPAによる看護師候補の受け入れ
投資や貿易を円滑にする国家間協定の一環として、政府は2008年度からインドネシア人、09年度からフィリピン人の受け入れを開始し、計約450人の看護師候補がこれまでに来日している。候補は半年間の日本語研修のあと、医療施設で働きながら国家試験を目指す。県内では8施設が18人を受け入れた。
看護師国家試験は年1回。日本語に不慣れなEPA関係者の合格率は低く、09年はゼロ、10年は3人。今年2月の試験では全国でルシィさんら16人が合格したが、合格率は4%。日本人を含む全体の合格率は9割以上で、それと比べると圧倒的に狭き門となっている。
当初の滞在期間は3年、受験機会も3回に限られていたが、政府は今年3月、本人の意欲や試験の成績など一定の条件を満たせば、滞在の1年延長を認める閣議決定をした。
【写真説明】看護師として病室をまわるルシィさん。「ぎりぎりで合格できなかった仲間も多く、来年はもっとたくさんの仲間が看護師になると思います」=秦野市」(全文)
◆2011/05/18 「薬指の長さが筋萎縮性側索硬化症に関係」
『健康美容EXPO』
http://news.e-expo.net/world/2011/05/post-112.html
「人差し指に比べて薬指が相対的に長いことが、致死的な神経系疾患である筋萎縮性側索硬化症(ALS)と関連していることが、英国の研究者らによって報告された。ただし、これは薬指の長い人がこの疾患を発症する、もしくはリスクが高いことを意味するものではないという。
英キングス・カレッジ(ロンドン)神経学・複合疾患遺伝学教授のAmmar Al-Chalabi氏は、「今回判明したのは、ALS患者では薬指が人差し指よりも相対的に長い、より “男性的な”手が多いということである。ALSが男性に多いことは知られているが、この研究はその理由が子宮内で曝露されるホルモンのバランスと関係することを示唆している。これは、指の長さは胎児期に曝露される男性ホルモンの量によって一部決まるためである」と述べている。
同氏らは、ALS患者とそうでない者110人の手と指の長さをデジタルカメラで撮影し、各被験者の右手の人差し指と薬指の長さの比(2D:4D比)を調べた。この比が小さいと、人差し指に比べて薬指が相対的に長い。科学者らは、これが出生前の高テストステロン濃度のマーカーであると考えており、男性は薬指が長く、女性がそうでない理由である可能性が高いという。
研究の結果、ALS患者では非ALS患者に比べて2D:4D比が小さいことが判明した。Al-Chalabi氏は「子宮内の男性ホルモンは神経系や筋肉をより男性らしくするだけでなく、ALSリスクも高める可能性がある」と述べている。ただし、2D:4D比はスクリーニングツールとしては有用でないという。研究結果は、「Journal of Neurology, Neurosurgery and Psychiatry神経学・神経外科学・精神医学」オンライン版に5月9日掲載された。(HealthDay News 5月9日)
http://consumer.healthday.com/Article.asp?AID=652783」(全文)
◆2011/05/18 「天国は「おとぎ話」にすぎない ホーキング博士が語る」
『CNN Japan』
http://www.cnn.co.jp/fringe/30002784.html
「(CNN) 英物理学者、スティーブン・ホーキング博士(69)が英紙ガーディアンとのインタビューで、天国や死後の世界は実在せず、「おとぎ話」にすぎないとの主張を展開した。
15日付の同紙によると、ホーキング氏は人間の脳を「部品が故障すれば機能が止まるコンピューター」と考えていると述べた。そのうえで、「壊れたコンピューターには天国も死後の世界もない。それは暗闇を恐れる人々のためのおとぎ話だ」と主張している。
同氏はまた、21歳で筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)と診断された自身の死について「私は過去49年間、早死にすると言われながら生きてきた」「死を恐れてはいないが、急いで死ぬつもりもない。その前にやりたいことがたくさんある」と語った。
ホーキング氏は昨年9月に出版した著書「The Grand Design」(邦題:ホーキング、宇宙と人間を語る)で、宇宙は神が創造したのではなく、重力の存在によって「自然発生的」に生まれたとの見方を示していた。
【写真説明】スティーブン・ホーキング博士」(全文)
◆2011/05/18 「難病サロン:患者ら交流 「他の人の病気も理解」定期開催へ――出雲 /島根」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20110518ddlk32040498000c.html
「さまざまな難病を抱える患者や家族が集まって体験を語り合う難病サロンが17日、しまね難病相談支援センター(出雲市塩冶町)で初めて開かれた。同センターではこれまで、重症筋無力症やパーキンソン病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)など個別の難病で患者・家族が交流してきたが、さまざまな難病患者の横のつながりを強めようと企画した。糸賀浩之センター長は「違う難病の話で、勇気づけられたり、療養上の知恵を分かち合ってくれればいい」と期待を込める。
パーキンソン病やクローン病、網膜色素変性症、腎臓病などの難病を抱える患者や家族ら20代〜70代の23人が参加。盲導犬と一緒の人や、筆談で会話する人もいた。4〜5人のグループに分かれ、コーヒーを飲みながら、自身の病気のことや体験を語り合った。名刺や携帯電話番号を交換する姿も見られた。
日本網膜色素変性症協会の山陰支部事務局長を務める奥美和子さん(48)は、30歳を過ぎたころ「網膜色素変性症」と診断され、視力を失っていった。「病気の種類は違っても少しずつ進行していく所は同じ。他の人の病気を理解したいし、自分の病気のことも知ってほしかった」と話す。
雲南市木次町の黒田一夫さん(58)は、同市パーキンソン病患者・家族の集い世話人代表。地元でも患者が集まるサロンを開催しており、「他の団体がどんなことをしているのか知り、活動に役立てたい」と意気込んだ。
サロンは、出雲地区と石見地区で定期的に開かれる。次回は6月21日に浜田保健所(浜田市片庭町)で。【宮川佐知子】」(全文)
◆2011/05/19 「東日本大震災その時医療は(中)計画停電、手術に制限(医療)」
『日本経済新聞』
「自家発電、井戸で備えも
東日本大震災では首都圏で「計画停電」が初めて実施され、震災による直接の被害がなかった地域の医療も大きな影響を受けた。自家発電機を備える病院も大量の電気が必要な診断装置を使えず、手術や救急治療を制限。在宅で人工呼吸器などを使う患者も非常用バッテリーの確保に追われた。夏に再び電力不足が予想される中、医療機関は節電対策に加え、自家発電の増強など対応を迫られている。
「電源を切らずに待っていて!」。計画停電の開始予定まで30分と迫った3月22日午後6時前、川崎幸病院(川崎市)でコンピューター断層撮影装置(CT)の電源を落とそうとした放射線技師に医師が慌てて伝えた。続いて容体が急変した入院患者が運び込まれ、撮影を終えて電源を切ったのは停電開始数分前。自家発電による電源のある病室に患者を移して内視鏡手術を始めた直後、病院への電力供給は途絶えた。
同病院は月平均500台近くの救急車を受け入れ、画像診断が不可欠な大動脈瘤(りゅう)手術や脳卒中など一刻を争う治療も多い。CTや磁気共鳴画像装置(MRI)は一度電源を落とすと再起動に1時間以上かかる。
「高度で緊急度が高い手術に必要なCTやMRIの電源は本来、落とし続けることはできない」(小林和彦理事)が、稼働中に電力不足になれば復旧に1〜2日必要。自家発電では安定的に電力供給できない恐れもあり、計画停電中は電源を切らざるを得なかった。
このため、停電時も電力供給を中断せずに自家発電に切り替えられる発電機をCTなどに接続可能か医療機器メーカーと検討中で、近隣の病院と緊急時に医療活動を補い合うことも決めた。小林理事は「自家発電機さえあれば大丈夫だと思っていたが、大きな間違いだった」と振り返る。
人手が欠かせず
湘南鎌倉総合病院(神奈川県鎌倉市)が最初の計画停電を経験した3月15日。自家発電に切り替えた直後に、人工透析の機器のモニターが透析量「99・99リットル」、速度「0」とあり得ない値を示し、高室昌司技士長は冷や汗をかいた。
同病院は地域の中核病院。異常値を示した人工透析機器は設定をやり直して事なきを得たが、「予想外のトラブルだった」(高室技士長)。16日の計画停電でも故障やプログラムの異常が発生。17日以降は停電時間を避けて透析を実施することにした。
医療機器だけではない。透析時間の変更を伝える電話を多くの患者にかけ、エレベーターが使えず妊婦や高齢患者の移動に付き添い、暗くなった館内で患者を誘導………。4回の計画停電を経験した湘南鎌倉総合病院の青木豪志事務次長は「あらゆる作業に人手が必要だった」という。
節電対策も必要
現在、計画停電は中止されているが、需要が増える夏の電力供給は厳しい見通しだ。同病院は1450キロワット分の自家発電能力を倍増するため、1500キロワットの発電機を発注。停電に伴う断水に備え、敷地内に井戸を掘り、1日に消費する200トン超の水を補えるようにした。
自社製の自家発電機が東北、関東地方の病院に計359台ある川崎重工業が、4月下旬までに278台を追跡調査したところ、東北で35台、関東で67台が実際に稼働していたという。
とはいえ、病院全般の自家発電能力は十分とは言い難い。東京都が震災直後に都内646病院に行った調査では、回答のあった535病院のうち自家発電機がないのが113病院(21・1%)。備えていても最大稼働時間が「3時間未満」が122病院あった。
震災以降4月末までに、三菱重工業に病院から自家発電機の発注や見積もり依頼があったのは常時使用できる常用型が12台、非常用型が40台。常用型は1年分、非常用型も半年分で、「とにかく6月までに電源をそろえたいとの注文もあり、驚いている」(同社)。
政府は夏の電力不足対策としてピーク時で昨年比15%の削減を求めており、医療機関は電源確保だけでなく節電対策も迫られている。河北総合病院(東京都杉並区)は照明の電力消費の少ない発光ダイオード(LED)への変更やエアコンの温度調整などを詳細に検討。ピーク時電力を12%削減できるといい、「自家発電機の併用で最大29%を削減できる」とはじく。
医療機器の高度化が進み、特に高度医療に電力は不可欠。大量に電力を消費する病院は節電策を模索しながらも「患者の命に直結するだけに、夏の電力制限には医療機関を対象外にしてほしい」と求めている。
自宅で医療を受ける患者
家族つきっきり
電源確保に苦慮
人工呼吸器などバッテリー限界
計画停電では在宅で人工呼吸器や酸素濃縮装置を使う患者を不安に陥れた。多くの機種は停電しても内蔵バッテリーですぐに止まることはないが、1時間程度しか持たない機種もある。
「7年前に人工呼吸器を装着してから一度も停電を経験したことがなかったのでどうしていいか分からずパニックになった」と、夫がALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う千葉県の50代女性は振り返る。内蔵バッテリーの充電は約40分しかもたず、頼みの綱の小型発電機も震災後のガソリン不足で燃料が手に入らなかった。病院も空きベッドがなく受け入れを断られた。
計画停電が短時間だったため、なんとか自発呼吸でしのげたものの、「死ぬしかないのではと思って夜も眠れなかった」と女性。
日本ALS協会の要望を受けて、市販の自動車用バッテリーを使った停電対策用の電源を2年前に開発した国立長寿医療研究センター(愛知県大府市)の根本哲也・診療関連機器開発研究室長は、電源を患者に無償で配り始めた。20時間程度持ち、女性も提供を受けて「やっと安心できた」。
人工呼吸器や酸素濃縮装置を扱う帝人ファーマ(東京都千代田区)と帝人在宅医療(同)には、計画停電を前に患者らから問い合わせが殺到。全国からの応援社員を停電地区に派遣し、不安解消のため各顧客に対応を説明して回り、万が一に備えて携帯用酸素ボンベや酸素濃縮装置、非常用バッテリーも全国の営業所からかき集めた。
被災地での停電でもメーカーは対応に追われた。フクダライフテック(東京都文京区)は震災当日夕までに常時使っている緊急性の高い顧客をリストアップ。電話が不通の中、社員が車で自宅や避難所を回り、予備ボンベなどを届けた。
計画停電では家族がつきっきりで対応するなどし、停電が原因で死亡した患者はいなかったが、日本ALS協会の金沢公明事務局長は「停電は患者の命に関わる問題。東京電力はもっと配慮してほしい」と憤る。
【写真説明】停電に備え自作バッテリーの使い方をALS患者らに説明する国立長寿医療研究センターの根本哲也氏(左)(3月17日、東京都練馬区)」(全文)
◆2011/05/19 「児玉清さん秘話…浮気発覚時マスコミ1社ずつに丁寧な説明」
『毎日新聞』
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110519/enn1105191152004-n1.htm
「病気休養が発表されてわずか2カ月、胃がんのためあまりにも早く逝ってしまった俳優、児玉清さん(享年77)。インテリ芸能人というカテゴリーでは、くくれないほどの知性と優しさをもって、生き馬の目を抜く芸能界を歩んできた。
学習院大学文学部ドイツ文学科を卒業して役者の道を歩んだ児玉さんが演技に開眼したのは、1期上で同大フランス文学科に在籍していた学習院大名誉教授の篠沢秀夫さん(77)の存在があったためだ。演劇青年だった篠沢さんによる舞台に児玉さんが主演したことがきっかけ。児玉さんは、「学者を目指したかった僕が役者になり、役者を目指していた篠沢さんが学者になった」と周囲に語っていたほどだった。
2人の縁は今もなお続き、最近では、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発病した篠沢さんの車いすを児玉さんが押して、講演会などに参加する姿が見られた。
芸能界きっての読書家。特に語学をいかして海外のミステリー本をいち早く読んでいた。「ひところベストセラー作家だった、トム・クランシーのテクノ・スリラー小説への解説が印象深い。日本と米国が戦火を交える展開で随所に日本への誤解に基づく差別的な記述があったが、それをやんわりといさめつつ、作品の魅力を熱情ある文章でつづっていた」とベテラン週刊誌編集者が振り返る。
役者としてはスターを光らせる名脇役のポジション。80年代以降は司会者が本業と言えるほど出演作は数少なかったが、2001年放送のフジテレビ系の「HERO」での好演を機に、オファーが相次ぐようになったという。そして芸能評論家の肥留間正明氏はこんなエピソードを明かす。
「75〜76年ごろだったかな、児玉さんの浮気が発覚して10社ほどのマスコミが押しかけた。児玉さんは奥さんの了解を得て1社ずつ記者を自宅内に招き入れ、丸一日かけて、事情を丁寧に説明した。そのせいで、浮気報道はほどなく収まった」
当時のギラギラした芸能マスコミも「あんなにいい人なんだから」と追及の手を緩めたという。
「あらゆる面で今の芸能人のお手本となる人。死が実に惜しい」(肥留間氏)
【写真説明】お気に入りの本を前に笑顔を見せる児玉清さん=2002年10月、東京都内のホテル」(全文)
◆2011/05/21 「児玉さん通夜に闘病中の篠沢教授が来場」
『サンケイスポーツ』
http://www.sanspo.com/geino/news/110521/gnj1105210503005-n1.htm
「16日に胃がんのため亡くなった俳優、児玉清さん(享年77)の通夜が20日、東京・文京区の護国寺で営まれ、俳優の反町隆史(37)と女優の松嶋菜々子(37)夫妻や女優の松たか子(33)ら900人が参列した。
通夜には学習院大の旧友、同大名誉教授でフランス文学者の篠沢秀夫氏(77)が駆けつけた。
篠沢氏は児玉さんの学習院大の1年先輩。仏文科の学生だった篠沢氏が企画した仏語劇の主役に児玉さんを抜擢したことが児玉さんの芸能界デビューのきっかけになった。
現在、重篤な筋肉萎縮をもたらす難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)で闘病中の篠沢氏は、車いすで来場し、児玉さんとの別れを惜しんだ。
(紙面から)
【写真説明】児玉清さんの通夜に医療器具を装着して弔問に訪れた篠沢秀夫さん」(全文)
◆2011/05/21 「学習院大時代から親交ある篠沢教授は車イスで焼香」
『スポーツニッポン』
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/21/kiji/K20110521000860200.html
「児玉清さん通夜
通夜には昨年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で共演した俳優の谷原章介(38)らも弔問に訪れた。
07年にTBSの情報番組「王様のブランチ」から司会のオファーがあった際、児玉さんに相談したことを明かし「“役者にとらわれず広く見てもらうことが大切”という言葉で一歩踏み出せた」と振り返った。映画「別れていきるときも」(61年公開)などで共演した女優の司葉子(76)は「テレビでまだまだご活躍なさると思っていたのに、死んでしまっては終わりです。本当に残念」と悔しそうに語った。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っている篠沢秀夫・学習院大名誉教授は車イスで焼香を行った。学習院大時代から60年近くにわたって親交があった。ほかに、ドラマなどで共演した反町隆史(37)、松嶋菜々子(37)夫妻、玉木宏(31)、多部未華子(22)、お笑いコンビ「タカアンドトシ」らも姿を見せた。」(全文)
◆2011/05/21 「演劇部の先輩、闘病中の篠沢名誉教授も参列」
『デイリースポーツ』
http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/05/21/0004087189.shtml
「学習院大学時代の1年先輩にあたる、篠沢秀夫学習院大名誉教授(77)も参列した。大学時代、篠沢教授は演劇部で、もとは道具係を務めていた児玉さんを、仏語劇「ブリタニキュス」(ラシーヌ作)の主役に抜てき。児玉さんを役者の道へと導いた。篠沢教授は現在、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で闘病中のため、車いすで治療器具を装着して、悲しみの列に加わった。
(2011年5月21日)
【写真説明】車椅子で通夜に参列した篠沢秀夫氏=東京・護国寺(撮影・開出 牧)」(全文)
◆2011/05/21 「反町・松嶋夫妻が涙の別れ そのときキムタクは…」
『ZAKZAK』
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110521/enn1105211558008-n1.htm
「★児玉清さん通夜に900人
16日に胃がんのため亡くなった俳優、児玉清さん(本名・北川清、享年77)の通夜が20日、東京・文京区の護国寺で営まれ、俳優の反町隆史(37)と女優の松嶋菜々子(37)夫妻や女優の松たか子(33)ら900人が参列、別れを惜しんだ。
通夜には難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)で闘病中の、フランス文学者で学習院大名誉教授の篠沢英夫氏の姿もあった。児玉さんの学習院大の旧友で、芸能界デビューのきっかけを作った。
また、フジテレビ系ドラマ「HERO」で共演したSMAPの木村拓哉(38)はドラマの撮影が重なり通夜に参加できなかったが、「周りのスタッフや共演者に気を配り、常に目線を下げて温かく接して下さったことが印象的です」とのコメントを寄せた。
主な参列者は八嶋智人、多部未華子、北方謙三、タカアンドトシ、天海祐希、谷原章介、阿部寛、玉木宏ら。」(全文)
◆2011/05/21 「ALS闘病20年 妻の命 支えた力伝えたい 写真、絵手紙など2冊に=島根」
『読売新聞』
「◆松江・松浦さん
難病・筋萎縮性側索硬化症(ALS)の妻・弥生さんを2010年4月に70歳で亡くした松江市宍道町、松浦和敏さん(78)が、学生ボランティアや患者団体など支援者の励ましを受けながら20年以上にわたった妻の闘病生活を、冊子2冊にまとめた。松浦さんは「冊子を通じて弥生の心に近付き、どん底の人間の心理や、生きる力の源を読み取ってほしい」と話している。(佐藤祐理)
弥生さんは48歳の時、全身の筋肉が次第に萎縮、筋力が低下するALSと診断された。当初、「平均余命2、3年。長くても5年で亡くなる可能性がある」と告知され、松江市内の病院で闘病生活を続けた。
松浦さんが付き添えない時は、ALS患者を支援する島根大教育学部の学生ボランティアが週2、3回、病室を訪問。学生は文字板、弥生さんはまばたきで意思疎通を図り、ベッド脇の花瓶の水を替えてもらったり、時には化粧をしてもらったり、つらい闘病生活にも潤いを見いだしてきた。
外出がままならない弥生さんは、季節を織り込んで送られてくる全国の支援者からの絵手紙に癒やされ、いつも心待ちにしていたという。
晩年は膵臓(すいぞう)がんも患ったが、フランク永井の「おまえに」や、島倉千代子の「鳳仙花(ほうせんか)」の曲を枕元でかけて聞かせ、元気づけるなどした。
冊子はそうした闘病の様子や、学生と弥生さんとの写真、支援者の絵手紙、弥生さんの日記を基にした新聞記事などで構成されている。A4判で、38ページと34ページ。4月の一周忌法要で参列者に配られたが、希望があれば10部程度は配布出来るという。
松浦さんは「学生が来てくれなかったら、妻も私もこんなに長く生きることは出来なかった。学生や支援者の力が大きな癒やしになった」と話している。問い合わせは松浦さん(090・4802・0326)へ。
【写真説明@】学生ボランティア(左)に笑顔を見せる弥生さんと和敏さん(2008年2月7日、松江市の玉造厚生年金病院で)
【写真説明A】弥生さんの闘病生活をまとめた冊子」(全文)
◆2011/05/23 「認知症介護における介護者のうつを考える」
『週刊医学界新聞』
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02929_04
「第2929号 2011年5月23日
【寄稿】
認知症介護における介護者のうつを考える
湯原悦子(日本福祉大学社会福祉学部准教授・社会福祉学)
今朝,朝刊を広げたところ,社会面のある記事に目がとまった。「『介護に自信ない』自殺の長女メモ?」(2011年4月4日,中日新聞朝刊)である。老夫婦が自宅で死亡し,長女が飛び降り自殺をしたという内容で,「私がやりました」「今後の介護に自信がない」という内容のメモが残されていたという。自ら命を絶った長女にいったい何が起きたのか,この家庭の介護状態はどうだったのか,記事からは詳細を読みとることはできなかった。
介護者に蔓延する疲労感,将来への悲観
介護者が将来を悲観し,要介護者を道連れに心中を図る,要介護者を殺害するなどの事件(以下,介護殺人)が毎年,全国各地で生じている。
保坂らが2005年に在宅介護者を対象に行った『介護者の健康実態に関するアンケート』によれば,回答した8500人中,約4人に1人がうつ状態で,65歳以上の約3割が「死にたいと思うことがある」と回答した1)。介護殺人の裁判でも,介護を担っていた被告にうつが疑われた事例が少なからず確認されている2)。
私は1998年以降,地方紙を含めた全国各地の新聞30紙を用いて介護殺人の動向について調べている。1998−2010年の13年間では,介護殺人は495件報じられており,502人が死亡していた。被害者は女性が多く(男女比26.7:73.3),加害者は男性が多い(男女比73.5:26.5)。続柄でみると夫が妻を殺害するケースが最も多く(33.9%),次に多かったのは息子が親を殺害するケース(33.3%)であった。
記事内容から確認できた特徴としては,心中するつもりで要介護者を殺した事件が204件(41.2%),2人暮らしが183件(37.0%),加害者も障害または病気など体調不良であったのは196件(40.0%)であった。被害者が寝たきりだったのは148件(30.0%),認知症がみられたのは160件(32.3%)であった。その他,老老介護の事件も多く,加害者が60歳以上の事件は13年間で57.4%を占めており,2010年は77.8%という高い数値を示した。また,2009年には被害者が90歳以上の事件が8件生じており,在宅介護の長期化による介護者の疲弊が伺える。
いくつかの要因が重なって介護者が追い詰められる
ここでは認知症の母と寝たきりの夫を介護していた娘が将来を悲観し,うつ状態になり,心中を図った裁判事例を基に,事件が生じた背景について考察する。
被告は夫,母と3人で暮らしていた。近くに住んでいた子どもたち(娘,息子)とは日常的に交流していた。
事件の5年前,母に認知症の症状がみられるようになった。事件が起きた年には徘徊するなど,目が離せない状態であった。そんななか,夫が脳梗塞で倒れて入院,意思疎通もままならない寝たきりの状態になってしまった。
被告は母の食事の準備や洗濯などの家事をこなした後,夫が入院している病院に行き,また自宅に戻って母の食事の準備をするという生活を送っていた。被告は身体が丈夫ではなく,腰痛や高血圧の持病があった上,経済的にも苦しく,多額の借金を抱えていた。次第に不眠がち,食欲不振状態になり,体重は急激に10キロあまり減少した。
被告は母と2人だけの生活に孤独感を募らせ,「母の世話が大変だ」「夫は回復の見込みがない」「自分自身の体調も芳しくない」「家業でできた借金もある,これから生きていてもしかたない」など将来を悲観するようになった。被告はもともと社交的で朗らかな性格であったが,人に会うこともおっくうになり,子どもらからの電話にも出なくなり,周りに死ぬことをほのめかすようになった。
事件当日,被告は朝から目のかすみを感じ,昼ごろにはめまいがして足もふらついていた。救急車で病院に行ったところ,医師から「脳動脈瘤の疑いがあり,専門医の診察を受けるように」と言われた。自分も手術を受けなければならない,夫と同じように寝たきりになるのではないかと大きなショックを受け,さらに「母は認知症で,娘とは折り合いが悪く,息子も家庭があり頼ることはできない」「自分が自殺した後は母を世話する者がいなくなる。母を一人残して死ぬことはできない」「母を殺し自分も死のう」と考えた。
子どもらに「母も認知症がひどくなり,私自身も病気で,主人も入院しており疲れました,よろしくお願いいたします」という遺書を書き残し,母と共に心中を図った。
介護者が事件を起こすほどに追い詰められる背景には,認知症や寝たきりなど要介護者の症状,不眠や食欲不振など介護者の体調悪化,世帯の経済的困窮など,いくつかの要因が確認できる。これらの困難は,一つひとつであればなんとか乗り越えることができるものかもしれないが,ある時期に集中して生じると,結果として介護者に死を決意させるほどの大きなダメージをもたらす恐れがある。
なかでも,認知症は介護者を追い詰める大きな要因となり得る。妄想,暴行,徘徊などが見られるようになると,介護者は要介護者から目が離せなくなり,外出することもままならなくなる。昼夜逆転になった場合,介護者の体調は一気に悪化する。フルタイムで働いている場合は仕事を続けられず,辞職するケースも多い。これらの症状は,薬を用いればある程度抑えることが可能であるが,要介護者が病院に行くのを嫌がる場合は受診自体が困難になってしまう。また,娘や息子にとって,認知症の親を看るのは精神的につらいことである。元気なころの親の姿を思い出し,現在の姿を受け止められずに苦しむ。このような悩みを一人で抱え込み,うつ状態になった介護者が将来を悲観し,事件発生に至る場合もある。
介護者をうつから救うために求められること
介護疲れなどのストレスが重なったとしても,「殺したいと思う」ほどつらかったとしても,ほとんどの介護者は要介護者を殺しはしない。周囲に助けを求める,保健医療福祉サービスを利用するなどして,なんとか日々の生活を続けている。しかし,ごくまれに要介護者を殺害,あるいは心中するケースが見られる。それらの背景を調べると,うつが事件発生に大きく影響していることに気付く。
うつで危険なのは,判断力が落ち,物事を冷静に考えられなくなる点である3)。健康な状態であればなんとか問題解決の方法を考え出すことができる介護者でも,うつ状態になると,前向きな考えは浮かんでこない。死ぬことこそがこの苦境を抜け出す唯一の方法であると思い込み,それ以外の事態を打開する方法を考えることができなくなってしまう。
一方,要介護者がうつ状態の場合も注意が必要である。常日ごろから要介護者が「苦しい,死にたい」「殺してくれ」と訴え,介護者が「そんなこと言わないで」「何とかがんばろう」などなだめているケースでは,疲労や病気をきっかけに気力が落ちた瞬間,介護者がふっと「一緒に死んだほうが幸せかもしれない」と考え,要介護者と共に心中してしまう事例がみられる。
要介護者がうつ状態の場合,援助者はじっくり話を聞いたり,必要に応じて精神科医の診断を受けてもらったり,ケアの工夫をすることができる。一方,介護者のうつにはどう対応したらよいか。他の家族から精神科を受診するよう勧めてもらう,デイサービスやショートステイを増やし,介護負担の軽減を図るなどの方法が取られているが,それでは解決できないことも少なくない。
岩手県花巻市では,市内の介護者の実態を明らかにする調査を行い,介護者が直面している困難を明らかにした上で,要介護者がいる家庭に行政職員を派遣し,介護者の状況を確認している。この取り組みは要介護者ではなく介護者を直接の対象にしており,行政職員が訪問するという点で注目すべきである。また,神奈川県相模原市では,2008年に起きた老老介護を苦にした無理心中事件をきっかけに,支援を要する高齢者がどこにいるのかを調べる戸別訪問を進めている。
その他,2009年に福島県で起きた,将来を悲観した妻がALSの夫を道連れに心中しようとした事件をきっかけに,日本ALS協会の福島県支部が患者や家族を孤立させない仕組みを作ろうと「ALS等難病者支援研究会」を発足させた。このように過去に生じた事件をきっかけに,同様の事件の再発をいかに防止するのかを考える視点は重要である。
これらの取り組みを全国的に広げ,支援が必要な介護者を早期に発見し,速やかに適切な対応を行える体制の構築が今,求められている。
◆引用文献
1)保坂隆.厚生労働省老人保健事業推進費等補助金(老人保健健康増進等事業分) 介護者のうつ予防のための支援の在り方に関する研究.2006.
2)根本治子.裁判事例にみる医療・福祉・司法の連携の必要性 : 介護殺人事件を素材にして.法政論叢.2007;43(2):39-51.
3)社団法人日本医師会編,西島英利監修.自殺予防マニュアル第2版 地域医療を担う医師へのうつ状態・うつ病の早期発見と対応の指針.明石書店.2008;36-42.」
【写真説明】
湯原悦子氏
名大法学部法律学科卒,日本福祉大大学院社会福祉学研究科博士後期課程修了。介護殺人事件の実体的解決,高齢者虐待の防止,介護者支援をテーマに研究を続けている。著書に『介護殺人――司法福祉の視点から』(クレス出版,2005)等。愛知県高齢者虐待防止対策委員会委員長などを務める。)」(全文)
◆2011/05/24 「在宅医療対応 調査へ」
『朝日新聞』
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001105240002
「学習院大学時代の1年先輩にあたる、篠沢秀夫学習院大名誉教授(77)も参列した。大学時代、篠沢教授は演劇部で、もとは道具係を務めていた児玉さんを、仏語劇「ブリタニキュス」(ラシーヌ作)の主役に抜てき。児玉さんを役者の道へと導いた。篠沢教授は現在、ALS(筋萎縮性側索硬化症)で闘病中のため、車いすで治療器具を装着して、悲しみの列に加わった。
(2011年5月21日)」
【写真説明】車椅子で通夜に参列した篠沢秀夫氏=東京・護国寺(撮影・開出 牧)」(全文)
◆2011/05/24 「在宅医療対応 調査へ」
『朝日新聞』
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001105240002
「▽ 県、停電時の呼吸器など
在宅で人工呼吸器など生命維持に欠かせない医療機器を使っている人の停電への備えを把握するため、県はアンケートを実施する。地震で停電が起きた4月7日に尾花沢市の女性(63)が酸素吸入器が停止したことが原因で死亡したことなどを受けた調査で、県は「停電時に、生命維持にかかわる医療機器を使う人にどう対応すべきかを知る参考にしたい」としている。
アンケートは6月以降、試験的に庄内保健所管内で実施。特定疾患医療受給者証と小児慢性特定疾患受給者証を交付されている計約1900人に郵送する。入院患者も含まれるが、在宅患者の割合が高いという。
調査はまず、医療機器を使っているかを尋ねたうえで、停電に備えた予備電源を用意しているかや、緊急時の主治医との連絡方法などを確認する。結果は年度内にまとめ、災害発生時に保健所やかかりつけの訪問看護事業者などが連携して安否確認ができる仕組み作りに役立てる。
県では3月11日の大震災と4月7日の地震直後に、在宅で人工呼吸器を使用する筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者30人については安否を確認した。だが、県内の特定疾患患者数は昨年9月時点で約6250人おり、在宅で人工呼吸器などの医療機器を使っている人の総数や実態などは把握していないという。」(全文)
◆2011/05/25 「[ほのぼの@タウン]5月25日=富山/文字盤使い意思疎通」
『読売新聞』
「◎タウンリポーターのコーナー
◆文字盤使い意思疎通
◆富山市◆ 安住町のサンシップとやまで2月25日、県難病相談・支援センターの研修会「文字盤をマスターしよう」が開かれた。医王病院の作業療法士・山崎博史さんが講師を務め、参加者全員で文字盤を作成し、実際に体験してみた。
難病で発声が困難になっても文字盤を使えば意思を伝えることができる。研修会には、意思伝達に不安のある難病患者や家族、介護関係者らが参加。透明の塩化ビニール製の板にマジックで50音文字と数字を書き込んだ後、患者や介護者になったつもりで文字を追い、言葉を伝え、また理解をする練習をした。
目で盤を追うのはもどかしく、つい手が出てしまいそうになるが、経験者のやり方を見たり、講師からコツを学んだりして真剣に取り組んでいた。
また、ALS(筋萎縮性側索硬化症)協会県支部の織田昌代事務局長は「エアペン文字盤」について説明した。注視した文字盤のポイントを介護者がデジタルペンで指すと、文字が音声で読み上げられ、パソコンにも表示される仕組みだ。
夫婦で参加した60歳代男性は「向き合って目を見つめ合うのは少々照れるが、意思を伝える手段として文字盤を知り、将来に希望を持つことができた」と話した。(成瀬希美子)
◆フェンスに壁画
◆富山市◆ 水橋町の水橋中部小学校(浦林郁子校長)でこのほど、最上級生が制作した壁画が完成した=写真左=。
同校では、校舎の改築工事が進められているが、工事現場とグラウンドを仕切るフェンスに昨年10月から、学校に向けての想いや願いを発信しようと、現在の6年生が取り組んできた。
話し合いを繰り返し、スケッチを何度も描いてはみんなの気持ちを確認し合った。全校生徒が輝く「大成っ子」になってほしいという願いで太陽を描いたり、強くたくましい「大成っ子」になってほしいと大木の周りに子どもたちを描いたりと、色々と出されたアイデアから全員が協力してペンキで描いた。
完成した絵を見て子どもたちは、「やったぁ。うれしい」。喜びもひとしおだった。(榊原直美)
◆「棟方志功作品展」
◆富山市◆ 第6回棟方志功作品展が31日まで、呉羽富田町の「新古美術作田」(作田岩雄さん経営)で開かれている=写真下=。
今回は「女人 鷹の柵」と「柳緑花紅頌 鯉顔の柵」が新しく加わり、福光時代からの作品約50点が展示されている。釈迦十大弟子や双鯉図のほか、油絵や書簡、年賀状など志功ファンなら一見の価値がある。作田さんは、あり余るエネルギーと情熱を持って制作に取り組んだ志功に感動し、収集を始めたという。
展示期間中は無休。午前9時から午後5時まで。入場料300円。収益は、東日本大震災の被災地のために寄付する予定。問い合わせ先は076・436・2318。(笠島恭子)
【写真説明】文字盤を使って意思の伝達を試みる参加者」(全文)
◆2011/05/27 「命の「電気」確保を 難病患者災害時の不安」
『琉球新報』
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-177525-storytopic-1.html
「生命維持のために人工呼吸器を必要とする筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの難病患者や在宅介護を受けている高齢者などが災害時に避難できる、電源を確保した避難所の整備が遅れている。市郡の大半が整備しておらず、家族などから「人工呼吸器などの医療器具を使っている人にとって電気が『命』だ。整備の遅れで災害弱者にしないでほしい」と整備を求める声が上がっている。
沖縄市が市本庁舎と市男女参画センターに非常用電源を設置しており、医療器具を必要とする人の利用にも備える一方、大半の市が「非常用電源を備えた避難所はない」と回答。那覇市は非常用電源設置の避難所はあるが、医療器具使用者を想定した議論はしておらず、今後調整していく。
台風2号が沖縄本島に近づく中、18トリソミーという難病を患い心疾患や食道閉鎖の合併症がある沙優希(さゆき)ちゃん(2)を四女に持つ下門めぐみさん(40)=糸満市=は、停電が起きないか懸念している。沙優希ちゃんは人工呼吸器やたんの吸引機などで10個のコンセントを使っており、これらはいずれも生命維持に必要な機具だ。
3月11日の東日本大震災時にも、沖縄本島に津波警報が発令されていたため、市役所に「電源が確保できる避難所はないか」と問い合わせたが「電源を確保した避難所はない。電源を必要とするなら、アパート上階の人に部屋を使わせてもらえるよう頼んでほしい」と避難所への避難を断られたという。
下門さんは台風が本島に接近するたび、かかりつけの県立南部医療センター・こども医療センター(南風原町)に病床の空きがないか確認している。これまでに2回、台風接近時に避難入院できたが「娘は重症で優先的に入院できたが、電気を必要とするのに避難入院できない子もいる」と各市町村ごとの整備を強く求めている。
糸満市社会福祉課は「台風など事前に避難が必要と判断できる場合は、こども医療センターに避難してほしい」と説明した上で、「身体障がい者と高齢者を病院などに避難させるよう災害時要援護者支援マニュアル案の中で定めているので、受け入れ先の病院を探す中で、特定疾患の患者さんを受け入れてもらえないかも求めていきたい」としている。(当銘寿夫)
【写真説明】沙優希ちゃんのために、酸素ボンベなどが入った避難用のバッグを準備し「電源が確保できる避難所の整備を」と強く求める下門めぐみさん=26日、糸満市の下門さん宅」(全文)
◆2011/05/27 「節電の夏、患者ら不安、福岡の拠点病院、予備電源確認急ぐ。」
『日本経済新聞』
「人工透析の時間短縮?/人工呼吸器は…
九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)の運転再開の遅れなどで夏場の電力不足が現実味を帯びるなか、福岡の人工透析患者や人工呼吸器を使う難病患者らが不安を募らせている。節電のために治療時間が短縮される可能性があり、電力不足による停電の懸念も拭えないためだ。災害拠点病院も予備電源の確認など備えを急いでいる。
「節電で人工透析治療の時間が短くなるかもしれない。その場合、完全に毒素を抜くことができるのだろうか……」。透析歴約15年という福岡県腎臓病患者連絡協議会(福岡市)の塩屋利且会長(67)は心配する。
人工透析は、腎臓の機能を代替し、血液をろ過して老廃物を取り除く装置を使う。同協議会によると県内の透析患者は約1万3千人。大半は病院に週3回通い、1回4〜5時間の透析を受ける。
東京電力が計画停電を実施した東日本では透析の時間が短縮され、体調を崩す患者も出たとされる。九電は計画停電こそ予定していないものの、15%を目標に家庭や事業所に節電を求める方針で、患者だけでなく医療機関も頭を悩ませる。
福岡県内で透析治療を手掛ける病院の関係者は「透析は患者の生命に関わるもので、本来、時間を短縮すべきではない。まずは空調や照明などで節電するしかない」と苦慮する。
全身の筋力が次第に低下する難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者は24時間稼働させる人工呼吸器などが欠かせず、電気は「命綱」。神経難病患者の医療環境整備に取り組む福岡県重症神経難病ネットワーク(福岡市)には、在宅の患者や家族から停電を心配する相談が相次いでいる。
同ネットワークによると、県内で人工呼吸器を使用するALS患者は現在約300人で、うち約40人が在宅患者。スタッフの岩木三保さんは「停電という万が一の事態に備え、今のうちに呼吸器のバッテリー確保や医療機関の受け入れ態勢の整備が必要」と指摘する。
自家発電装置を備える災害拠点病院も不安を抱える。国立病院機構九州医療センター(同)は東電の計画停電を受け、保有する発電装置2基をチェック。人工呼吸器や緊急手術など「最低限の医療行為」(担当者)に絞れば、仮に停電が起きても1週間程度は対応できることを確認した。
しかし、病院内の空調設備を稼働させると、こうした医療さえ短時間しかできないことも判明。担当者は「高齢者ら冷房が欠かせない患者もいる。万が一の停電に備え、暑さ対策も検討課題になる」と困惑している。
【写真説明】九州医療センターの地下に設置されている発電装置(24日、福岡市中央区)」(全文)
◆2011/05/28 「難病・障がい者向けの意思伝達装置「レッツ・チャット」発売」
『障がい者の働く場ニュース』
http://www.hatarakuba-info.com/news_60vPgPNri.html
「ひとつの入力スイッチで意思を伝える
パナソニック ヘルスケアが言語及び上肢に障がいをもつ人を対象とした意思伝達装置「レッツ・チャット」を発売した。
文字板の点灯や音声ガイドに従ってひとつの入力スイッチ(別売)を押すだけで、文章の作成・保存・呼出および表示・読み上げ・印刷可能な意思伝達装置だ。
この入力スイッチも手、足、頬、瞬き、息、筋電など、身体の様々な部位で操作が可能なので、ALSや筋ジストロフィー、脊髄性筋萎縮症をはじめとする難病患者、脳性まひなどの障がいなど周囲とのコミュニケーションが困難な人でも僅かに動くところを使って意思を伝えることができる。
介護される側とする側のコミュニケーションツール
「レッツ・チャット」はパナソニックの社内ベンチャー会社「ファンコム株式会社」が昨年まで開発・販売を行っていた製品であるが、本製品は、その後継モデルとして発売された。新製品は、音質などの基本性能が改善され、消費電力も約1/2となった。
「レッツ・チャット」を使うことによって、家族や友人、ヘルパーに簡単に意思を伝えることが可能なので、身体的負担の軽減になる。また、家族やヘルパーなど介護する側も本人と楽にコミュニケーションを行うことができる。
※「レッツ・チャット」は、身体障がい者を対象とする福祉用具購入時の補助制度である「補装具給付制度」または「日常生活用具等給付事業」の利用が可能であるが、住んでいる自治体によって異なる場合があるので確認してほしい。
【写真説明】難病・障がい者向けの意思伝達装置「レッツ・チャット」」(全文)
◆2011/05/30 「金口木舌」
『琉球新報』
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-177610-storytopic-12.html
「東日本大震災発生直後、東京電力による突然の計画停電発表にいぶかった。会見を聞きながら「人工呼吸器を使う在宅のALS患者はどうなるのか。せめて一日遅らせればいいのに」と怒りが湧いた
▼ALS(筋萎縮性側索硬化症)は全身の筋肉が萎縮する難病で、進行すると自発呼吸が困難になる。患者の中には、電気で動く人工呼吸器を使い在宅生活を送る方もいる
▼電気などライフラインが寸断された「3・11」は、在宅のALS患者、家族に大きな混乱をもたらした。ある患者は、停電で人工呼吸器の外部バッテリーが止まり、家族が手押し蘇生バッグでつないだ。その後、発電機に切り替えるが、燃料が切れた。周囲の人たちがガソリンを持ち寄り、命をつないだ。まさに命の綱渡りだ
▼県内のALS患者会の集まりに参加したことがある。台風が多い沖縄で、停電になると不安だという介護者に会った。本紙社会面(27日付)でも人工呼吸器を使う小児をケアする母親が紹介され、電源が確保された避難所の整備を強く求めていた
▼日本ALS協会は、公的機関に長時間の停電に耐えられるバッテリーの備蓄を求めている。鈴木啓一理事は「被災して病院に入った方もいずれは在宅に戻る。長期的な支援が必要になる」と語る
▼電気で命をつなぐ人たちがいる。「災害弱者」を支えてこそ、真の復興。目配りを続けたい。」(全文)
◆2011/06/12 「ALS自宅闘病 愛が支え」
『読売新聞』
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=42084
「生きること共に楽しむ
フランス文学者で学習院大名誉教授、篠沢秀夫さん(78)は、テレビのクイズ番組の解答者としても人気でした。
2009年2月に難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、自宅で闘病中です。介護するのは妻の礼子さん(70)。笑いが絶えない家庭ですが、病気をありのままに受け止めるには、覚悟と時間が必要だったと言います。
今月初めの夫の誕生祝いはにぎやかでした。車いすに乗った夫とイタリア料理店に出かけ、教え子や縁のあった人たちで作る「コンビビ会」の方々が集まってくれたんです。コンビビとは、フランス語で「生きることを共に楽しむ」。夫は笑顔でいきいきとしていました。「できる範囲でもっと外出して、一緒に楽しい時間を過ごせればいいなあ」と改めて思いました。
2008年頃からろれつが回らず、話し方が少し変だった。入れ歯が合わないのかと思って治療し、人間ドックにも行った。大学病院の神経内科を紹介され、09年1月に検査入院。正月に普段通り雑煮を食べた姿からは、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病のALSだと予想もしなかった。
出口がない
「治療法がない」と説明する医師に、思わず「奇跡はないんですか」と尋ねました。答えは「誤診でない限り、ありません」。診断書の「進行性」という文字を消したくて消したくて。出口のない場所に閉じこめられた気持ちがしたんです。
医師からは「将来、人工呼吸器をつけ、24時間介護をするようになれば、人手が6人必要」とも言われました。一緒に話を聞いた娘も私もショックでしたが、夫はひょうひょうとしているのです。心の奥には病気を認めたくない気持ちもあったのでしょうね。「検査、検査で病気にさせられた」とも言っていました。
私は食欲が落ちて、眠れず、起きあがれない。うつ病のような状態になりました。
夫は退院しましたが、その年の3月トイレで倒れました。呼吸をする筋肉が弱って酸素を体に取り入れられなくなっていたのです。人工呼吸器をつけるか決断を迫られました。
一つ一つできないことが増え、それが次々に襲ってくるのです。落ち込む私に、娘が「ママにしっかりしてもらわなきゃ困る」と言いました。初孫を産んだばかりで、夫にも「おじいちゃまの記憶が残るまで生きていてほしい」と。それを聞き、大変なのはパパなんだから、私がめそめそしていちゃだめ、と覚悟を決めました。
人工呼吸器をつけた夫を自宅で介護するにあたって、不安だったのは、たんの吸引です。自力でたんを出せないので、四六時中見守り、細い管で取り除かなければなりません。怖くて正直に「自信がありません」と言った私に、主治医が「それは愛です、愛です、愛です」と繰り返しました。病院に泊まり込んで看護の様子を見ました。娘や息子も吸引の練習をして、7月に家に戻りました。
秀夫さんに礼子さんの介護を聞くと、筆談で「家内の介護は、親切、丁寧、徹底的です。『愛、愛、愛、生命力、生命力』と心に叫びながら、たんを取ってもらいます」と答えた。朗らかな礼子さんの笑い声を聞くと「しあわせ感がみなぎります」とも。
家の中が公園
退院当初は、普通に食事をしていましたが、今はミキサー食。好物のうなぎもミキサーにかけて出します。介助なしに歩ける距離もだんだんと短くなりました。一つできなくなるたびに一瞬落ち込みますが、くよくよせず、1日でも長く今の状態を維持して、一緒に楽しく暮らせればと思います。もう少々のトラブルには動じませんよ。
介護保険の要介護度は5。障害者自立支援法の福祉サービスも利用しています。昨春から両方の制度で看護師やヘルパーの方々に来てもらっているので、家の中が公園かと思うほど、しょっちゅう人が出入りしています。安心して夜眠れるようになりました。
秀夫さんはパソコンで闘病の心境を書いた「命尽くるとも」を執筆。フランス文学の翻訳にも取り組む。
病を得ても、夫は人や社会とのつながりを保ちたいのです。「明るい はみ出し」と題した自伝も書きました。楽天家の夫にのんきな私、お互いに少し世間離れして、はみ出しているのかもしれませんね。パパがいてくれるだけでありがたいと思っています。(聞き手・大森亜紀)
しのざわ・れいこ 1940年埼玉県生まれ。学習院大仏文科卒。同大の副手をしていた時に、非常勤講師だった秀夫さんと出会う。65年に結婚。児玉清さん、黒柳徹子さんら約200人の友人らが秀夫さんへ応援メッセージを寄せ、今月出版された本「奇跡を願って」(アートコミュニケーション)を監修した。
◎取材を終えて 「そうよね、パパ」と礼子さんが問いかけると、うん、うんと秀夫さんがうなずく。取材中に何度もそんな場面があった。闘病について秀夫さんに聞くと、「『こうならなければよかった』など考えていたらやり切れない」。だから「古代の心で、今の姿を楽しむ」。生まれた場所でおおらかに暮らした昔の人のように、ありのままを味わう心境という。試練の中でも、分かち合い、理解しあえる夫婦の形を教えてもらった。
(2011年6月12日 読売新聞)
【写真説明】「会話は筆談です。過去の音声録音からパソコンを使って声を再現する計画もあって、楽しみにしているんです」と話す礼子さん(左)と秀夫さん=米山要撮影」(全文)
◆2011/06/13 「竹下景子 篠沢教授とのドキドキする思い出」
『日テレNEWS24』
http://www.ntv.co.jp/pda/news/184466.html
「竹下景子 篠沢教授とのドキドキする思い出
フランス文学者で学習院大学名誉教授・篠沢秀夫さんと女優・竹下景子が13日、東京・千代田区で行われた「篠沢秀夫教授ALS闘病応援メッセージ『奇跡を願って』」の出版記念贈呈式に登場した。
この本は、難病のALS(=筋萎縮性側索硬化症)と診断され、闘病中の篠沢さんを応援するために集められたメッセージ集。先月、胃がんのため死去した大学の後輩で俳優・児玉清さんのメッセージも掲載されている。
現在、篠沢さんはベッドで生活を送り、話すこともできなくなっているが、親交のある著名人200人がメッセージを寄せた本を見ると、表情を和らげて笑顔を見せた。
本にメッセージを寄せた竹下は、かつて篠沢さんとテレビ番組「クイズダービー」で共演している。番組関係者と行った旅行の思い出に話が及ぶと、「宴会の席でもよく飲みました。宿に帰る途中、私、いきなり先生にチュウをされたことがあって…」と暴露。「20代で、結婚もしていない頃だったので、ドキドキした」と話した。
(6/13 23:16)」(全文)
◆2011/06/14 「竹下景子、闘病中の篠沢教授に“お返し”チュー」
『MSN産経ニュース』
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110614/ent11061420480018-n1.htm
「竹下景子、闘病中の篠沢教授に“お返し”チュー
2011.6.14 20:43
難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)で闘病中の学習院大学・篠沢秀夫名誉教授(78)が13日、都内ホテルで行われた「奇跡を願って」の出版記念パーティーに出席。昭和50年代の人気クイズ番組「クイズダービー」で共演した女優の竹下景子(57)、長山藍子(69)が駆けつけた。
“三択の女王”として1977〜88年まで教授と戦った竹下は「収録後よく飲みに連れていってくれて、チューされたことがありました」と明かし、篠沢教授のほおにキス。笑顔の教授に「先生がこうしていらっしゃることが、私たちの力です」と語りかけた。
【写真説明】闘病中の篠沢秀夫・学習院大学名誉教授(中央)へのメッセージを集めた著書「奇跡を願って」の出版記念イベントに登場した左から竹下景子、長山藍子=東京・紀尾井町」(全文)
◆2011/06/17 「難病併発の神経疾患発見 遺伝子も、iPSで研究」
『47NEWS』
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011061601001059.html
「難病併発の神経疾患発見 遺伝子も、iPSで研究
神経難病として知られる脊髄小脳変性症に、筋萎縮性側索硬化症(ALS)に似た症状が加わる新たな疾患と原因遺伝子を京都大と岡山大のチームが発見し、16日付米科学誌電子版に発表した。
京大のiPS細胞研究所が、この患者の細胞で人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作製。チームの小泉昭夫京大教授は「iPS細胞から分化させた神経細胞を正常な人と比べてメカニズムを解明し、治療薬開発に役立てたい」と話す。
脊髄小脳変性症は小脳の神経細胞が機能を失い歩行障害などを起こし、ALSは筋肉を動かす運動ニューロンの障害で全身の筋肉が動かなくなる。
2011/06/17 01:02 【共同通信】」(全文)
◆2011/06/17 「重度運動障害起こす神経難病 京大教授ら原因遺伝子を発見」
『京都新聞』
http://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20110617000020
「重度運動障害起こす神経難病 京大教授ら原因遺伝子を発見
脊髄小脳変性症(SCA)の中で、重度の運動機能障害を引き起こす症例の原因遺伝子を、京都大医学研究科の小泉昭夫教授、小林果研究員、岡山大のグループが突き止め、米学会誌「アメリカンジャーナル・オブ・ヒューマンジェネティクス」で17日に発表する。
SCAは主に中年以降に発症する神経性の難病で、歩行時のふらつきや発音障害などから、運動機能障害がゆっくり進行する。全身が動かなくなる筋萎縮性側索硬化症(ALS)と同様の深刻な障害を引き起こす症例もあるが、原因は分かっていなかった。
小泉教授らは患者の体細胞の遺伝子を解析し、タンパク質合成を制御している遺伝子の一つNOP56に不要な塩基配列が挿入されていることを見つけた。このため、タンパク質の正常な合成ができなくなったり、神経細胞の電気信号が乱れるらしい。
小泉教授らは、患者由来のiPS(人工多能性幹)細胞の作製も始めており、「神経細胞などに分化させることで、病態の再現が可能になる。発症のメカニズムの解明や治療法の開発につなげたい」と話している。
【 2011年06月17日 09時39分 】」(全文)
◆2011/06/20 「筋萎縮性側索硬化症:災害時の課題を報告 ALS県支部が総会/沖縄」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20110620rky00m040008000c.html
「筋萎縮性側索硬化症:災害時の課題を報告 ALS県支部が総会/沖縄
2011年度日本ALS協会県支部総会が19日、宜野湾市の国立病院機構沖縄病院であった。県北部福祉保健所の保健師、島袋津也子さんが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の災害時における問題点と今後の課題について報告した。
島袋さんは、台風時の停電の際に、在宅ALS患者が人工呼吸器が止まらないかという不安を抱えていたり、津波警報発令時の避難に課題を抱えているとして、要援護者のリストづくりや個別対応マニュアル、地域の支援者、関係機関の連携の必要性を指摘した。
ことし3月に北部地域で、訪問看護ステーション、ケアマネジャー、ヘルパー、消防、電力、ALS協会など、関係者による在宅重症難病患者支援関係者連絡会議を設立したことを報告し、「どこに住んでいても安心、安全に暮らせるために連携できる体制、個別に対応できる体制をつくりたい」と話した。
金城勝也県支部長は「先日の台風2号は停電した世帯が多く、真剣に対策しなければならないと感じた。台風があっても命をつなぐ方法をそれぞれの場所で対応できるよう、国、県に要請する必要がある」と述べた。
(琉球新報)
2011年6月20日」(全文)
◆2011/06/22 「難病の小3詩人 初の県外展」
『読売新聞』
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokushima/news/20110621-OYT8T01113.htm
「難病の小3詩人 初の県外展
2011.6.14 20:43
「ぜったいにまけない びょうきにかならずかつ」――。先天性の難病と闘いながら自分の思いを素直に詩に表現してきた藍住町乙瀬、県立板野支援学校小学部3年、日下(くさか)遥(はるか)さん(8)の作品展が25日から、県外で初めて埼玉県日高市で、「遥のスマイルでいこうよ展」と題して開かれる。徳島で展示会を開いてきた主婦亀倉緑さん(52)が、同県所沢市に引っ越し、「遥ちゃんの言葉はいつでも明るく前向き。たくさんの人が元気をもらってくれたら」と考え、紹介するつもりだ。(畑中俊)
遥さんは、20万人に1人ともいわれる難病で、たんぱく質を体内でうまく分解できない先天性代謝異常「グルタル酸血症1型」を持ち、生後1か月から徳島大病院に入退院を繰り返している。4歳の頃から入院生活で感じたことを画用紙にクレヨンで「詩」としてつづるようになった。
亀倉さんは、孫が入院していた同病院の病棟で2008年夏、遥さんの母・由美さん(29)とたまたま話し、娘の遥さんが詩を書いていることを知った。亀倉さんは詩を読み、「こんな大変な病気と闘いながら、周囲を気遣えるなんてすごい」と感動。由美さんの希望に応え、翌年2月に徳島市内の喫茶店で知人らと小さな展示会を開いた。
以来、遥さんの詩は「前向きな言葉に元気が出た」と評判になり、徳島で開いた展示会は7回になった。
亀倉さんは今年4月に所沢市に移住。「遥ちゃんの詩を関東の人にも知ってほしい」「難病と闘う人たちが出会うきっかけになれば」――と考え、埼玉での展示会を企画した。会場を探していた時、知人から日高市の小さな喫茶店を紹介され、「場所は小さくても、一般の人が立ち寄りやすい場所が一番」と思って決めた。
作品展では、遥さんが昨年以降、入院中などに作った詩約30点を展示する。「せんせいが いたいとこない?ってきいてくる あるっていったら なんかするくせに」と、闘病中の苦労を表現したり、「おりょうりをてつだった ちょっとママきぶん」と、生活でうれしかったことを、そのまま書き残したりした。
遥さんは今回の作品展について、「私の詩がみんなの力になれば、うれしいな」と話している。会場は日高市高富の喫茶店「ギャラリーはなもも」(042・978・5855)で午前11時〜午後5時。月、金曜定休。入場無料で展示は7月14日まで。
◇
亀倉さんは同16日〜8月4日、同じ喫茶店で、全身の筋力が衰える難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」と闘いながら、わずかに動く右足の親指一つでパソコンを操作して人物や風景を描いている板野町中久保の長尾義明さん(63)の絵画展も開く。
(2011年6月22日 読売新聞)
【写真説明】埼玉でも作品が紹介される遥さん(藍住町乙瀬の自宅で)」(全文)
◆2011/06/22 「神経死なす物質の放出を抑制 難病治療薬に応用期待」
『47NEWS』
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062101000607.html
「神経死なす物質の放出を抑制 難病治療薬に応用期待
過剰になると神経細胞を死滅させる神経伝達物質「グルタミン酸」が細胞から放出されるのを抑制する化合物を作り出したと、名古屋大などの研究チームが21日発表。米科学誌プロスワン電子版に掲載された。
チームの錫村明生教授は「筋萎縮性側索硬化症(ALS)やアルツハイマー病などの神経難病の進行を抑制する治療薬開発への応用が期待される」と話している。
免疫機能を持つ細胞ミクログリアが活性化すると、グルタミン酸が大量に発生。ギャップ結合という出口から細胞外に放出され、神経細胞を死滅させる。
チームは出口の形成を妨げる化合物を作り出し、モデルマウスに投与したところ、グルタミン酸の放出を顕著に抑えたという。
2011/06/22 06:02 【共同通信】」(全文)
◆2011/06/22 「筋肉が動かなくなる難病ALS、新薬治験開始へ 東北大」
『朝日新聞』
http://www.asahi.com/science/update/0622/TKY201106220228.html
「筋肉が動かなくなる難病ALS、新薬治験開始へ 東北大
2011年6月22日20時2分
全身の筋肉が次第に動かなくなる難病「筋萎縮性側索硬化症」(ALS)の新しい薬の臨床試験(治験)を東北大が近く始める。まずは薬の安全性を確認する段階から始めるが、難病の進行を遅らせることが期待できるという。
ALSは、運動ニューロンという神経細胞が次第に死滅して筋肉が動かなくなり、最後は呼吸もできなくなる。発症した米大リーグ名選手の名前からルー・ゲーリッグ病とも呼ばれ、理論物理学者のスティーブン・ホーキング博士が発症したことでも知られる。原因はよくわかっていない。
研究を進めてきたのは、青木正志教授(神経内科)らのグループ。1993年、SOD1という遺伝子がALSの発症にかかわっていることを発見。2001年にSOD1を操作し、人工的にALSにしたラットの開発に成功した。
そのラットに、大阪大のグループが見つけたHGF(肝細胞増殖因子)というたんぱく質を投与すると、運動ニューロンを保護し、ALSの進行を遅らせることができた。発症後の生存期間は1.6倍に延びた。
さらに、慶応大の岡野栄之教授らとサルの仲間のコモンマーモセットやカニクイザルでHGFの安全性を確認。実際の患者にHGFを投与し、安全性や効果を確かめる治験を始めるところまでこぎ着けた。」(全文)
◆2011/06/23 「アルツハイマー抑制物質を生成、漢方原料で…名古屋大グループ」
『読売新聞』
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20110623-OYT8T00324.htm
「アルツハイマー抑制物質を生成、漢方原料で…名古屋大グループ
名古屋大学環境医学研究所の錫村(すずむら)明生教授らの研究グループが、アルツハイマー病や、悪化すると全身がまひする「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」などの進行を抑えるたんぱく質の生成に成功したと、21日付の米科学誌プロスワン電子版に発表した。
発表によると、生成に成功したのは、漢方薬の原料である「甘草(かんぞう)」の主成分から化学合成した新たなたんぱく質「INI0602」。研究グループは、甘草の主成分が、脳内で多くなるとアルツハイマー病などを引き起こす「グルタミン酸」の大量放出を抑える効果があることを発見した。
この成分が、末端の血管から脳内に行き渡りやすくするために化学合成し、マウスの実験でも、効果が裏付けられたという。錫村教授は「これまでの治療法と違い、症状を根本的に抑えられた。新薬の開発につながる成功で、今後は、薬になじみやすいよう改良したい」と話している。
グルタミン酸はアミノ酸の一種で、脳内に侵入したウイルスを免疫細胞が“退治”する際、副産物として放出される。量が多くなると、神経細胞を傷つけ、アルツハイマー病などの原因になることが知られている。
(2011年6月23日 読売新聞)」(全文)
◆2011/06/23 「名大ら、アルツハイマーなどの神経変性疾患に対する新たな治療法を開発」
『マイコミジャーナル』
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/06/23/027/
「名大ら、アルツハイマーなどの神経変性疾患に対する新たな治療法を開発
2011/06/23
名古屋大学および理化学研究所(理研)の研究グループは、ミクログリアからのグルタミン酸の放出口であるギャップ結合/ヘミチャネルを、新規阻害剤「INI-0602」で阻害したところ、ALS(筋萎縮性側索硬化症)およびアルツハイマー病のモデルマウスの病状が改善したことを確認、ギャップ結合/ヘミチャネル阻害剤が、ALSおよびアルツハイマー病などの神経難病の治療法となる可能性を示した。
アルツハイマー病は、患者数が国内で210万人以上(65 歳以上の15%)、全世界で2000万人以上と言われる神経変性疾患。記憶障害に始まり、数年かけてゆっくり進行し、日常動作の破綻、寝たきりに至るため、患者のみならず家族、介護者の負担が多大で、アメリカでは経済損失効果は年間20兆円と試算されている。原因としては、脳内の老廃物(アミロイドβ、リン酸化タウなど)の異常な蓄積が考えられているが、詳細な発症機序は未解明のままである。現状、治療の主体は補充療法で、根治療法は未だ発見されていない。
一方のALSは、ホーキング博士なども罹患したことで有名な、全身の運動麻痺を来たす疾患。感覚、思考は正常だが、寝たきり、発声、経口摂取、呼吸不能に至るため、機械的補助なしでは発症3〜5年で死亡するというもの。こちらの原因は不明で、未だ根治療法は発見されていない。
これら神経変性疾患に共通の発症機序として、異常に活性化したミクログリアから放出される過剰なグルタミン酸が神経細胞を殺す(興奮性神経細胞死)というメカニズムが提唱されている。この仮説に基づき、これまで、グルタミン酸受容体阻害剤やミクログリア阻害剤が治療法として試行されてきたが、生体内の正常なシグナル伝達を破綻させる副作用や神経保護的なミクログリアをも阻害することによる逆効果により、適用は断念されており、過剰なグルタミン酸のみ、もしくは神経傷害的なミクログリアのみを阻害する治療法が期待されていた。
研究グループは、これまでにミクログリアからのグルタミン酸の放出口がギャップ結合/ヘミチャネルであることを見出しており、ギャップ結合/ヘミチャネル阻害剤により、正常なグルタミン酸代謝に影響を及ぼすことなく、ミクログリアによる神経細胞死を抑制できることを培養細胞モデルで証明していた。しかし、グリチルレチン酸に代表される既存のギャップ結合/ヘミチャネル阻害剤は、血液能関門を通過しないため、中枢神経系へ入らず、神経変性疾患には使用しにくいという問題点があった。
今回、研究グループでは、多数のグリチルレチン酸誘導体を合成し、その中からギャップ結合阻害作用を保持し、中枢神経系への移行性を有する新規ギャップ結合/ヘミチャネル阻害剤「INI-0602」を発見、同阻害剤によるALS およびアルツハイマー病に対する治療効果の検討を行った。
その結果、INI-0602 は、代表的なギャップ結合/ヘミチャネル阻害剤であるグリチルレチン酸誘導体カルベノキソロンと同様にギャップ結合阻害作用を持ち、カルベノキソロンに比べて高い中枢神経系への移行性を示し、副作用および毒性は認められなかったという。また、INI-0602 は、培養細胞モデルおよび動物モデルにおいて、異常に活性化したミクログリアからのギャップ結合からのグルタミン酸放出を顕著に抑制し、神経細胞死を著明に減少させることも確認された。
これらの効果により、INI-0602による治療は、ALSモデルマウスの脊髄運動神経の細胞死を抑制し、生存期間を顕著に延長させたほか、アルツハイマー病のモデルマウスの記憶障害を正常マウスと同程度まで改善させることが確認され、アミロイドβの蓄積量にも影響を与えなかったことが確認された。
この結果は、INI-0602によるギャップ結合/ヘミチャネル阻害が、ミクログリアからの過剰なグルタミン酸放出を抑制することで、アルツハイマー病やALSなどの神経変性疾患に対する新たな治療法となる可能性が示されたこととなる。多様な神経疾患で傷害神経細胞の周囲に活性化ミクログリアの増加が認められていることから、同治療法は、パーキンソン病などの他の神経変性疾患、脳梗塞などの治療法にもなりうる可能性があり、現在それらのモデル動物での有効性の検証を行っているという。また、研究グループでは医薬基盤研究所の支援を受け、臨床応用へ向けて、薬剤の至適化作業を進めており、これらの過程を経て、新規治療薬として開発を進める予定としている。」(全文)
◆2011/06/23 「【156】「伝えたい」という思いは誰にも奪えない(前編)」
『nikkei BPnet』
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110620/274843/?top_bc
「【156】「伝えたい」という思いは誰にも奪えない(前編)
病魔へのタックルをやめなかった、1人のビジネスパーソンの戦い
2011年6月23日
身体中の運動機能を失い、話せなくなっても、妻子や世界に向けて熱いメッセージを伝え続けた男性がいた。
大企業に務めるビジネスパーソンだった倉田真さんは今年4月半ば、40歳になって間もなく、妻とまだ小さな二人の子どもに看取られた。学生時代から続けていたラグビーで活躍していた頃に88キロあった体重は半分以下になっていた。
始まりは、仕事もプライベートも乗りに乗っていた34歳の時のこと。ふとした瞬間、首に違和感を覚えた。とはいえ、(ラグビーの)プレー中にぶつけたのだろう、という程度の認識だったという。
それからまもなく、また異変が彼を襲った。クルマに乗るときに、右手の親指と人差し指を使ってキーが回せない。力が入らないのだ――。そういえば会社でも、クリップで書類を束ねようとする簡単な動作ができなかった。
いくつかの病院で検査を受けたが、診断結果はまちまち。いまひとつ、ハッキリしないまま、1年が経った。当初、右手に覚えた脱力感は左手でも生じ、やがて歩きにくさまで感じるようになってきた。そしてある病院で、「ALS(筋萎縮性側索硬化症と呼ばれる難病)の可能性がある」と言われた。
海外勤務の辞令が出たのは、ちょうどその頃だ。中国での新規事業の立ち上げという重要な任務で、白羽の矢が立ったのだ。病気のことを話せば当然、会社からもストップがかかってしまう。赴任に反対する医師とは診断書を常時携帯することを約束し、家族を伴い、北京行きを決めた。
しかし、仕事は持ち前の気力で乗り切れるものの、体調は日ごとに悪くなっていく。歩くのも辛い状態になっていたが、現地での移動がほとんどタクシーであることに助けられた。
ワイシャツのボタンを留めるなど指先を使う作業は、ほとんどできなくなっていた。自宅では、奥さんがすべてやってくれたものの、上海などに1人で出張するときは、ホテルのボーイさんに頼まなければならなかった。(1/5ページ目)
それから約1年半。本社から北京にやってきた上司が、異変に気がついた。あの偉丈夫から生気が失せている――。慣れない左手でスプーンを持ち、食事をする姿からも、ただならぬ状況であることは明らかだ。
一時帰国を命じられ、直行した医師の元で、ALSと診断された。2007年のことだ。筋肉の萎縮、筋力低下が進行する難病で、今のところ決定的な治療法が見つかっていない。
かつての人気テレビ番組「クイズダービー」(TBS系)で人気を博した、学習院大学の篠沢秀夫名誉教授が、現在闘っていると報じられているのがこの病気だ。
病状が進行すると、体のあらゆる部分で機能が奪われていく。食べることも、そして人工呼吸器なしに呼吸することすら困難になる。倉田さんが恐れたのは、発話機能が低下して大好きな家族と話ができなくなることだった。
「ふたりで乗り越えるんだ」という意志はITを凌駕する
告知後間もない時点で彼は、ALS患者が、どの段階でどの程度のコミュニケーションを取れるのか、相当に調べていた。
「そう遠くない将来、自分は話せなくなる」――。
そう認識した倉田さんは、告知されるとほぼ同時に、奥さんにある提案をした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ここで、ALSに罹病した方がコミュニケーションに困難を来した際に、どのような方法で意思疎通を図っているかを簡単に紹介させていただきたい。
すぐに思いつくのは筆談ではないだろうか。厚手の紙に50音表を書いて、互いに文字を指さしながら伝え合う文字盤方式もある。しかしこれらは、患者の手の筋肉が衰えれば使えなくなる。
手が使えなくても、眼球運動さえ保たれていれば使える透明文字盤方式という方法もある。透明なアクリル板に50音表を書き、患者と家族の間に置く。患者の視線の動きをもとに家族が文字を読みとっていくというものだ。(2/5ページ目)
おそらく彼がこれらを選択しなかったのは、「異物」が自分と家族の間を隔てることに抵抗を感じたのではないか。私はお話を伺いながら、そんな印象を持った。
また近年では、ITの進歩により優れた機器が次々に登場している。例えば日立製作所が開発した「伝の心」。パソコンの画面に50音文字が表示され、その上をカーソルが自動的に移動する。ユーザー(患者)は目的の文字が来たところで、ほんのわずかな動きでスイッチに触れると文字入力される。
さらに、あらかじめ「あ」の所に「ありがとう」「アイスクリーム」「愛している」などと登録しておけば、「あ」に触れると一瞬にして使用頻度の高いフレーズが表示できるなど、利便性に優れたものであるようだ。
倉田さんはITを、家族との会話ではなく、(ホームページやブログで)広くメッセージを伝える道具としての使用に限った。家族との会話は、直接伝え合うことを重視したようだ。
「ようだ」というのは、私は生前、彼にお目にかかっていない。話を聞かせてくださったのは奥さまで、上述の各種「会話補助具」についての見解も、私のにわか勉強を加えたものだ。「いい加減なことを言わないでくださいよ」と、天国の倉田さんはお怒りかもしれない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
さて、倉田さんが病名を告知された直後に、奥さんに提案した内容とはどんなものだったのか。それはこういうことだ。
実際に2人の会話で使われた方法を、奥さんからお聞きしたのでここに記そう。倉田さん自身がブログで、この方法を解説しているので、そちらをお読みいただいてもいいだろう。(3/5ページ目)
それは左右の目の「まばたき」を組み合わせて、直接語りかけることだ。全身の多くの筋肉が衰えても、脳や聴覚の機能はあまり変わらない。そして、視覚やその開閉を司るまぶたの筋肉も比較的衰えにくいようだ。
倉田さんは「コミュニケーションの原点回帰」を果たしていた
だから夫が話せなくなっても、妻から話しかけることは可能だ。そのとき、彼はどうするのか。そこで、「まばたき」で話すのだ。
ここから先は、これまで以上の時間をかけてじっくり読み進み、そして実際に一緒にやってみていただきたい。その覚悟がない方は、ここでこのコラムを読むことをやめていただいても、かまわない。夫婦や家族、愛する者たちが困難を乗り越え、どう会話を交わしたかを知りたい方だけ読んでいただければと思う。
倉田さんの解説を、私流にアレンジして少々簡略化したものをお伝えする。
右目のまばたきの回数が、50音表の「あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ(A・K・S・T・N・H・M・Y・R・W)」という子音(*「あ」「A」は例外)の順番を表す。左目のまばたき回数は「あ・い・う・え・お(A・I・U・E・O)」の母音の順番だ。
例えば、右目のまばたき3回で「S」。左目を3回まばたきすると「U」だ。合わせれば「SU」→「す」となる。次に、右目を2回まばたきすると「K」、左目2回で「I」。合わせて「KI」→「き」。これで「SUKI」→「好き」となる。
要するにパソコンの日本語入力における、ローマ字変換の要領だと解釈していただければいい。慣れると、まばたきだけで相当なスピードで会話が成立する。私が何より素晴らしいと思うのは、互いに顔を見つめ合って伝え合うという、会話の基本がしっかり守られることだ。
この方法が必要になるまでには通常、告知から2年ほどの時間を要する。逆に言えば、わずか2年ほどで患者の発話能力が失われてしまうということでもあるのだ。(4/5ページ目)
中国から帰国し、本社勤務に戻った倉田さんは、告知を受けた後も平常通りの勤務を望み、会社もそれを認めた。病状が進行しているにもかかわらず、一切の弱音を吐かず、満員電車に揺られ出勤した。
しかし実際には、何度となく電車やホームのドアに挟まれた。エレベーターを降りるタイミングを逸し、流血の事態に見舞われたことも一度ではない。出社も週4日が3日になり、1日になり、やがて在宅勤務となっていった。
在宅勤務は休職ではない。倉田さんの仕事への情熱は、衰えることがなかった。周囲も彼の心意気をしっかり受け止めた。家にいながら、勤務時間中はずっとワイヤレスのヘッドフォンを装着し、会議やプレゼンにも参加し、提案をした。
しかし、発言時にしっかり発音しようとすることに意識が集中し、相手の話を聞き漏らす場面が何度かあった。そこで、事前にテーマが分かる事案についてはあらかじめ、自分の主張をメールでメンバーに送っておくことで、コミュニケーションの円滑化を図った。その準備のおかげで、討議されている内容に、しっかり耳を傾ける余裕が生まれた。
私はこの話を伺いながら、「聞いて受け止め、そして発言する」というコミュニケーションの原則をいまさらのように学んだ思いだ。私の想像に過ぎないが、「外から俯瞰する穏やかな目」が社内の議論に幅を持たせたのではないかと思う。
とはいえ、病状は進行していく。自力歩行から松葉杖が必要になり、そして車いすへ――。「人間の体は楽をさせると、その分だけ怠けて機能が低下していく」が持論の倉田さんは極力、次のステップへの移行を遅らせるべく、ギリギリまで踏ん張っていたものの、食事の摂取や発話などにも困難が増してきた。
当初希望していた人工呼吸器の装着は、介護する家族のことを考えたのか「つけない」という決断を下した。
「よく言えばポジティブ、悪く言えば頑固。自分の意志を貫く姿勢はずっと、変わりませんでしたね」
奥さんは、そうつぶやいた。
大好きだったラグビー、仕事。そして、何より大切にしていた家族との語らいまで、ALSは容赦なく奪っていこうとしている。残された貴重な時間を、彼はどのように過ごしたのか。そして家族はどんな風に、思いを通わせ合ったのか。詳しくは次回に綴る。(5/5ページ目)
【写真説明】梶原 しげる(かじわら・しげる)
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーになる。92年からフリーになり、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員を担当。
著書に『すべらない敬語』『図解版 口のきき方』『そんな言い方ないだろう』『老会話』『話がうまい人はやっている「聞き管理」』『最初の30秒で相手の心をつかむ雑談術』『毒舌の会話術』『プロのしゃべりのテクニック(DVDつき)』『即答するバカ』『あぁ、残念な話し方』ほか多数。【詳しくは梶原しげるオフィシャルサイト】」(全文)
◆2011/06/24 「驚愕!iTunesダウンロード2万回超え!母に捧げる無料iPadアプリ【Verbally】」
『iPad News』
http://www.ipadnews.jp/news_rbW3xbQS0.html?right
「驚愕!iTunesダウンロード2万回超え!母に捧げる無料iPadアプリ【Verbally】
2011年6月24日 17:00
コミュニケーションや自己表現、会話を可能に
声を失った障がい者に代わり、テキストを音声で出力する無料アプリケーションソフト「Verbally」が注目されている。今年3月、iTunesでリリースされてから2万回以上ダウンロードされているこのアプリケーションは、開発者が母親を筋萎縮性側索硬化症で亡くしたことがきっかけで生まれたものであった。
操作性も障がい者への配慮が随所に
このアプリケーションは画面にキーボードが表示されていて、どんな言葉や文でもタイプできるよう設計されており、ユーザーがその機能を使ってテキストを入力すると音声が出力される仕組みになっている。
およそ50語の基本単語を表示したり、日常生活でよく使用される語句や自動予測変換機能、男女別の音声を選択できるといった親切機能も盛り込まれている。
また、キーボードのレイアウトもカスタム化することで、打つ作業量を最少に抑えることも可能にした。使いやすさとスピードと選択の幅を最大化することが、設計の基本方針であるという。
斬新な発想とアイデアが次世代ソフト開発のカギか
大企業が販売しているタッチスクリーンのソフトは値段も高く、注文しても1か月以上待たなければならない。進行性の病気を抱える患者にとって、この待ち時間はあまりにも長すぎる。無料で使いやすいソフトの提供により、障がい者に多大な貢献をしたといえる。
このように「こんなソフトがあったらいいな」という発想が新たなアイデアを生み出し、社会的にも大きな影響を与えたことは、未来の起業家予備軍に、よりより影響をもたらすのではないだろうか。
【写真説明】Verbally for iPad」(全文)
◆2011/06/26 「難病カルテ:患者たちのいま/2 ALS(筋萎縮性側索硬化症) /佐賀」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/saga/news/20110626ddlk41040223000c.html
「難病カルテ:患者たちのいま/2 ALS(筋萎縮性側索硬化症)/佐賀
◇「生きる力もらえる」仕事も楽しく、心がけ
佐賀市神野東にある県難病相談・支援センター。部屋を訪ねる難病患者に、スタッフの山本千恵子さん(47)=小城市=は車椅子を軽快に動かし、笑顔で出迎える。「こんにちは。今日はどがんしんさった?」。明るい声が響くと、患者も安心したように笑顔で席に着く。
股関節に病気を抱えていた山本さんは29歳のころ、3度目の手術を受けた。術後、足腰に全く力が入らなくなり「こんにゃくのように腰砕け」になってしまう状態が続いた。リハビリを重ねたが、改善しなかった。
看護師をしていた経験から、頭をよぎっていた病名はあった。検査を受け、予感は当たった。「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」。頭が真っ白になった。「若いのに。これから大変ですね」。しかめっ面でつぶやいた医師の慰めは、耳に届かなかった。
翌年、ほぼ寝たきり状態になった。医師も説明ができないスピードで進行した。不安が募り、「すべてから逃げ出したい」と、食事、回診、治療、すべてを拒否した。7階の窓から身を乗り出そうとしたこともあった。
救ってくれたのは、同じ悩みを抱える女性たちだった。
「ちえちゃん、仕方ないやん。無くしたものばかり数えよらんね」。脊髄の病気で体がまひしている同室の女性は、そう言葉をかけてくれた。その女性もリストカットの経験があった。
別の病院で出会った下半身まひの女性は、強い口調で言った。「元には戻らんし、自分のできることばせんね。もっと重い障害者も、運転できとるよ」
治りたい、元に戻りたいとばかり考え、先が見えなかった将来に、光を見せてくれる言葉だった。
投薬治療で症状が安定した後、障害者用の運転免許を取得した。同じように障害を持つ人たちが集まる会合にも足を向けるようになり、車椅子バスケットにも挑戦した。05年に就職した同センターの仕事も充実している。
それも、症状が安定しているからこそ。いつ体が動かなくなるか分からない。でも今は、目の前の生活、仕事を楽しもうと心がけている。「就職、希望がかなった人の満ち足りた表情を見ると、生きる力をもらえる。後悔無く生きたいから。私も頑張らないとね」【蒔田備憲】
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◇ALS(筋萎縮性側索硬化症)
手足、のど、舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉などが徐々に弱まっていく難病。進行度は人によって異なるが症状が軽くなることはなく、大多数が呼吸器不全で死亡する。原因は不明で、発症者は10万人に1人の割合と推定されている。発症から3年ほどで亡くなる人も多く、15年を超えても車椅子で過ごしている山本さんの症状は珍しいケースだという。医療費助成の対象となる特定疾患に指定されており、09年度にこの病気で助成を受けたのは全国に約8500人。
毎日新聞 2011年6月26日 地方版」(全文)
◆2011/06/26 「ALS:「一人でも多く救いたい」 協会県支部が定期総会 /宮崎」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20110626ddlk45040284000c.html
「ALS:「一人でも多く救いたい」 協会県支部が定期総会 /宮崎
◇県、国への要望事項確認
筋力が低下する進行性の難病「筋萎縮性側索硬化症」(ALS)の患者や家族らでつくる日本ALS協会県支部の定期総会が25日、宮崎市の県福祉総合センターであった。会員ら約40人が参加し、今年度の県や国への要望事項を確認した。
ALSは40〜50代に多く発病する。協会によると、患者数は県内に114人(3月末現在)、全国で約8700人という。
総会では、21年前にALSと診断された平山真喜男支部長が「難病患者をどうしたら一人でも多く救えるか考えたい」と訴えた。要望事項として、在宅療養支援体制の整備▽入院時のヘルパー付き添いを認める▽所得制限に関係なく訪問介護費用の半分を県・市が負担する−−などを決めた。県難病医療連絡協議会の塩屋敬一会長の講演「ALSの最新医療」もあった。
協会は患者、家族の話相手や、介助を支援するボランティアを募集している。問い合わせは事務局0985・74・0529。【川上珠実】
毎日新聞 2011年6月26日 地方版」(全文)
◆2011/06/27 「ALS理解し支えて 協会県支部2周年講演会 松山」
『愛媛新聞』
http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20110627/news20110627936.html
「ALS理解し支えて 協会県支部2周年講演会 松山
難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者と家族、支援者でつくる日本ALS協会県支部(中谷祐子支部長)の発足2周年を記念した講演会が26日、松山市持田町3丁目の県総合社会福祉会館であった。松山ベテル病院のボランティアコーディネーター森菊子さんが「尊厳ある命を支えて」と題して話し、看護や介護職などの約50人が聴講した。
同病院では、1986年に発足した日本ALS協会初代会長の川口武久さん(故人)が闘病生活を送った。森さんは「当時は公的サービスが整っていなかったが、川口さんはボランティアと力を合わせ、4冊の本を記し、患者のもとへ精力的に出かけていた」と述懐した。
森さんは2010年まで18年間の訪問看護活動でALS患者39人と関わり、うち13人が自宅で最期を迎えたと報告。「今は医療や延命処置を自己選択する時代。本人・家族を交えて多職種で話し合い、揺れる気持ちに寄り添ってほしい」と呼び掛けた。」(全文)
◆2011/06/28 「支える:在宅療養への道/1 「独りじゃない」周囲の支えで前向きに /福井」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/fukui/news/20110628ddlk18040755000c.html
「支える:在宅療養への道/1 「独りじゃない」周囲の支えで前向きに /福井
◇体力続く限り診たい
「おはよう。今日は天気だよ」
高浜町和田の自宅で、筋肉を動かす神経が働かなくなる難病「筋委縮性側索硬化症」(ALS)との闘病生活を送る一瀬長義さん(71)に、妻篤子さん(67)が明るく声をかける。一瀬さんは唯一動かせる唇の筋肉で、呼びかけに応える。昨年に次女が嫁いだが、篤子さんは「お父さんがいてくれるから独りじゃない」と、夫婦そろっていられることをありがたく思っている。
06年5月ごろ、一瀬さんを異変が襲った。腹に力が入らない。医師も驚く進度で病状は悪化し、5カ月後には永平寺町の福井大病院に入院。同12月には歩けなくなった。
やがて、ベッドの上で体勢を変えることもできなくなる。肺の機能が衰えて呼吸にも支障が生じ、変えてほしい体勢を口にするのが精いっぱいになった。つらさを訴えることもできない行き詰まった精神状態から、夜中でも体勢を変えるよう付き添いの篤子さんに求め続けた。生来の明るさで夫を励ましていた篤子さんも、この時ばかりは体調を崩し、院内の救急診療にかかったという。
症状が進行しきってできる治療がほとんどなくなり、07年5月に退院せざるを得なくなった。一瀬さんは家族の負担を心配し、別の病院での入院を希望した。しかし、専門医が少なくベッド数も限られているため転院先のめどは立たない。篤子さんが県難病支援センター(福井市)に相談すると、ALS患者の多くが自宅療養をしていることが分かり、6月から家へ連れて帰ろうと決めた。
一瀬さんは、面倒見が良く、勤めた工場の退職後は、区長など地区の役職を一手に引き受けた。篤子さんは「誰彼かまわず世話をするのが大好きだった人。それが人の手を煩わせることになって、どれほど悔しかったことだろう」と、涙声で当時を振り返る。
望んだ在宅療養ではない。しかし、わが家であった。そして天気のよい日に、篤子さんや主治医の井階友貴医師(30)らが車いすで外に連れ出すと、たくさんの知人が声をかけてくれる。
一瀬さんは明るさを取り戻していった。筋肉の動きを伝えて文字にする特殊機器を通じ、「この心地よさは 隣人の心と血の動きと風の清かさよ」と詩をしたためた。「運命の定めに従い、感謝して生きていこうと思います」と前向きな気持ちも表した。
篤子さんも当初は不安だった。初めての介護、見通せない将来……。だが、たんの吸引やおむつの交換など、日々の介護に慣れるうちに意識が変わった。
「お父さんが生きていてくれることが、幸せだと思えるようになった。体力が続く限り、家で診たい」。在宅医療を選択して本当によかったと、今は思っている。
◇ ◇
国は、自宅を「第3の医療現場」として在宅医療を進める方針だが、なかなか広がらない。患者一人一人で望ましい治療のあり方は異なるが、在宅医療のよい面が知られていないことも普及の壁になっていると、医療関係者は指摘する。県内の在宅医療の好例や、地域ぐるみの前向きな取り組みを紹介する。
毎日新聞 2011年6月28日 地方版」(全文)
◆2011/06/29 「きびたきのおしゃべり:民のつながり生かせ=大場あい記者 /福島」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110629ddlk07070208000c.html
「きびたきのおしゃべり:民のつながり生かせ=大場あい記者 /福島
「自分たちが助けられたら、他の患者さんは今どうしているんだろうって心配になって」。筋萎縮性側索硬化症(ALS)の父(74)を自宅で介護する郡山市の公務員、安田智美さん(40)は、最近始めた支援活動について動機を語る。日本ALS協会県支部の活動として、新たにALS以外の在宅人工呼吸器利用患者にもバッテリーの貸し出しなどを行っている。
安田さんの父は、毎日2回の訪問看護を受けていた。東日本大震災後はガソリン不足から週1回に。利用していた訪問介護事業所のなかには、ヘルパーの移動に使う車のガソリンがなくなった時点で、派遣を中止せざるを得ないと伝えてきたところもあった。主治医のいる病院はパンク状態で、入院も断念した。
家族は介護疲れと不安で疲弊しきっていた。ある日突然、被災したにもかかわらず、いわき市のケアマネジャーがガソリンを持ってやってきた。ケアマネは、地元の障害者が避難するためにかき集めたガソリンを分けてくれ、その後も首都圏と郡山を何度も往復して、少しずつ届けてくれた。
在宅介護に必要な消耗品や人工栄養などは、知人が滋賀県のNPO法人に相談し、その知り合いの福井県の団体が全国から集めて送ってくれた。私が「すごいつながりですね」と言うと、安田さんは「『助かりました』で終わらせずに、これからの制度作りに生かさないともったいない」と笑顔で話した。
国として在宅医療を推進するのであれば、こうした善意や民間のネットワークを支える制度が必要だと思う。命をつないだ貴重な事例をすくい上げ、災害時に在宅患者を支援する仕組みを考えていきたい。(北海道報道部)
毎日新聞 2011年6月29日 地方版」(全文)
◆2011/06/29 「支える:在宅療養への道/2 和田診療所が決断、後押し /福井」
『毎日新聞』
http://mainichi.jp/area/fukui/news/20110629ddlk18040587000c.html
「支える:在宅療養への道/2 和田診療所が決断、後押し /福井
◇家で生きるために
高浜町和田の自宅で在宅療養に踏み切った、難病「筋委縮性側索硬化症」(ALS)患者の一瀬長義さん(71)と、妻篤子さん(67)。介護する篤子さんは今、「人の温かさにふれ、夫とともに暮らしていける。在宅には経験して分かるよさがある」というが、支援に熱心な国民健康保険和田診療所(同町)があってのことだった。
当時の診療所長は、一瀬さんが以前に地区委員として招へいにかかわった紅谷浩之医師(35)で、入院先をたびたび見舞った。在宅移行に夫婦が迷っていた時、「家族が疲れないことが大事なんです」と24時間体制でのサポートを約束した。この言葉が、「なるようになる」と夫婦の背中を押した。
紅谷医師の後任の井階友貴医師(30)も、在宅療養を重要と考えており、「患者の生活の質を高めるため、本来あるべきものだ。家で最期を迎えたい人の選択肢という偏ったイメージもあるが、家で生きるためのものだ」と語る。
同診療所は、高浜町が社会保険高浜病院(同町宮崎)を取得して公設民営化すれば、それを機に在宅支援を強化する方針だ。
同病院は社会保険庁解体に伴って存続が不透明になったことから、町が取得を検討している。地域医療の充実を検討した取得後に向けた提言では、医療センターを設け、和田診療所と高浜病院を一体運営する。同病院への入院は急性期患者に限り、療養期の患者は介護福祉施設の充実や、同診療所の訪問診療で支援するシステムが基本線となる。
同診療所は寮整備などで人手を増やせる体制を作り、在宅支援機能を拡大する。現在、和田診療所が約30人、高浜病院が約60人の患者をそれぞれ訪問診療しているが、24時間対応なのは同診療所の患者だけだ。一体運営となれば、同診療所が全員に24時間対応をする方向で検討しており、在宅療養者には朗報となる。
また一体運営で、カルテが共有できたり、介護者の負担軽減のための一時入院がスムーズになるなどの効果を見込め、在宅支援の強化につながりそうだ。
井階医師は「一体的な医療システムで『町民は町で診る』という責任感も生まれる。その結果、今は町外の医療機関へ通う人の信頼も得られれば、移動負担の軽減など住民生活の向上にもつながるはず」と意欲を燃やす。
さらに、人口減などで多くの地域医療機関の経営が難しくなっている中、役割分担によって高浜病院と和田診療所の両立が容易になる経営効果も見込んでいる。同町の取り組みが有効で持続可能な地域医療システムのモデルとなるかは、実現後、他自治体の注目を集めそうだ。
毎日新聞 2011年6月29日 地方版」(全文)
◆2011/06/30 「【157】「伝えたい」という思いは誰にも奪えない(後編)」
『nikkei BPnet』
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110620/274844/?top_f2
「【157】「伝えたい」という思いは誰にも奪えない(後編)
病魔へのタックルをやめなかった、1人のビジネスパーソンの戦い
2011年6月30日
「下の子が小学校に入学する姿を見られるだろうか――」
いつも強気な夫、倉田真さんがふとこんな言葉を漏らしたときの表情を、妻は忘れることができない。学生時代はラグビー部に所属。卒業後は会社勤務の傍ら、週末はクラブチームで引き続きラグビーに熱中。大学時代に知り合った妻との間に二児を授かった。
地元のクラブチームではキャプテンとして活躍。頑強な身体と優秀な仕事ぶりを買われ、中国での新規事業立ち上げに抜擢される。ちょうどそのころ、体の一部に違和感を覚えていたものの、家族とともに北京へ向かった。
ところが病は徐々に、彼の全身の筋肉を蝕んでいく。帰国後、病院でALS(筋萎縮性側索硬化症)の告知を受ける。それが日々進行していることを思い知らされながらも、家族には愚痴ひとつこぼさない。
そんな倉田さんだっただけに、その言葉は妻の脳裏に強く刻まれている――。
身体の機能は徐々に失われていくが、脳や視覚、聴覚の状態は変わらない。見る、聴く、思考するということはできるが、話したり身振り手振り、表情で伝えることは、ほぼできない。
ALS患者とのコミュニケーションがいかに大変かは、前編で記したとおりだ。ところが妻も子供たちも、父とのコミュニケーションにそう困難を感じなかった。それは前回紹介した「まばたき会話法」だけが原因ではなかった。理由はこの先で述べる。
運動機能の衰えと反比例するように、倉田さんの情熱は一気に高まっていく。「生きている証を表現したい!」という思いが吹き出したかのように――。
残された時間を「自分以外の誰かのため」に
その一つが、亡くなる1年半前、2009年10月にスタートさせたホームページ。「NAVY BLUE CHALLENGER MOVE FORWARD WITH STRONG HEART」だ。(1/6ページ目)
倉田さんがかつてWFP(国連世界食糧計画・飢えに苦しむ国や、天災で食糧不足になった地域への援助を行う)でのボランティア活動に参加して以来、コツコツ学び、取り組んできた食糧問題についてチャレンジしていく心意気を英語と日本語の二つのバージヨンで高らかに歌い上げている。言葉で、映像で、図表で。その主張の強さに圧倒される。
「2050年までにこれを解決しないと大変なことになるんです!」。英語で、日本語で、彼の「使命感を果たしたい!」という思いが私の胸を突き刺した。
え? ALSという難病に苦しむなかで、世界の食糧問題?
理解に苦しむ向きもあるかと思うが、「やり残してはならない」という、倉田さんにとってとても大切なテーマであったことを、彼の亡くなる1週間前の行動で我々はようやく理解することになる。
「世界の食糧問題」を語りながら折に触れ、自分自身への励まし、後に残す家族へのメッセージをその中に滑り込ませている部分が見つかる。
例えば、ホームページの中に「Mirai-Miru(未来見る)」というマンガがある。そこでは子どもたちが、将来の食糧問題を学ぶ姿がある。これはすなわち、後に残す2人の子どもへの遺言とも受け取れるのではないか。
とりわけホームページの最後に英語だけで書かれている文章からは、親の家族に対する愛情のほとばしりが、ヒリヒリと痛いほどに伝わってくる。
I'm a navy blue challenger, wishing that my family and friends would be happy forever. God, I have been reckless and never asked for anything. So, as my first and last request, please save their life, in exchange for my life. Hey! You are OK forever, because you have a strong heart same as me.
2010年2月。病床の倉田さんはホームページと並行して綴っていたブログのなかで「ALSタックル・ノート」をつけ始めている。自分の身体をむしばむ病と冷静に向き合う彼の、亡くなる直前までの思いがホームページとは違ったタッチで描かれている。
「僕の夢は、食糧問題で苦しんでいる人を助けることと、家族をもっと幸せにすること。
(略)身体的には少しキツいんだけど、スキあらばカウンターで1トライとれないかなって狙っています!」(2011年2月12日)
この時点では、ほとんどの身体機能が失われているから「少しキツイ」レベルのはずはないが、「1トライを狙っています」と力強い書き込みをしている。「頑固でポジティブ」という奥さんの言葉通りだ。(2/6ページ目)
その約1カ月後の3月11日。テレビで目にした東日本大震災。倉田さんは被災地への思いをいち早くブログに書き込んだ。
「がんばれ! 僕もできること、考えてみる。いまは、心を強く持って、がんばれ!」
3月19日。各避難所で深刻化する食糧不足を、これまで熱心に勉強してきた者からの視点で分析。そして「助けたいです。少しでも」とひと言。身動きのできないいらだちが、ダイレクトに伝わってくる。
3月26日には、こんな提言をしている。
「関東地方の小学校の校長先生へ。
4月から、週に1日、お弁当の日を作りませんか?
その日の給食は、車で運んで、被災地の人たちの晩ごはんに!
おいしいものを食べてもらって、少しでも元気になって欲しい!」
自分も何かしたい! 懸命に模索する姿が行間ににじむ。
動き始めた「気持ちパック」プロジェクト
そして、亡くなる1週間前の4月9日、倉田さんは「気持ちパックプロジェクト」と名づけた被災地への食糧支援計画を立ち上げた。
「小さい子どもたちに甘いお菓子を。
育ち盛りの男の子にハンバーグを。
女子高生にポテチとオレオを。
お兄ちゃんにとんこつラーメンを。
お父ちゃんにフカヒレスープを。
お嬢様と奥さまにビーフシチューを。
おじいちゃんとおばあちゃんに羊かんを。
おいしいものを食べてもらって、少しでも元気になって欲しい!」
彼が選んだ食品を詰め込んだ「気持ちパック」が、彼の情熱に賛同した仲間たちの手によって被災地に送られた。このとき彼は、自分の気持ちを率直に吐露している。
「僕は、2017年(編集注:倉田さんがALSの告知を受けてから10年経過する年)まで生き延びて病気を治そうと思ってるけど、治る前に死んじゃう可能性だってある。今後、言葉もまったくしゃべれなくなってしまうし、PCも操作が難しくなる。僕にとっては、いましかない。これが最後になってもいいと思った。
僕のわがままを聞いてくれたみんな、やらせてくれて本当にありがとう!」(3/6ページ目)
これがブログでの最後の言葉となった。
それから1週間後の4月16日早朝、倉田さんは息を引き取った。
倉田さんは家族に、特に遺言めいた言葉は残していない。
2017年までにALS治療の新薬が完成し、彼は完治する。そして再びバリバリ働くイメージを持ち続けていた。家族に、会社に、仲間にめいっぱいの恩返しをしたい。被災地の人、食糧問題に苦しむ世界の人、そして自分と同じようにALSと闘う人達を助けるというミッションも果たしたい。
そういう大きな目標達成のためならばと、これまでは躊躇していた胃瘻(いろう)の手術(胃に直接食べ物を送り込む手術)も受け入れようと決意したばかりだった。
亡くなる前日、夫と交した3つの会話を、妻ははっきり覚えている。
<1>
妻:(使い捨ての)コンタクトレンズ、なくなっちゃったの?
夫:うん。
妻:寝る前だから看護師さんが取ってくださったけど、残りがもうないのね。
夫:そうなんだ。
妻:明日一番で持って来るからね。
夫:ありがとう。
<2>
(この頃になるとさすがに酸素吸入は拒否できない状態だった)
妻:(鼻と口を覆う酸素マスクが)邪魔なんでしょう。鼻にチューブをつけるタイプに変えられるか、どうか聞いておくね。
夫:ありがとう。
<3>
妻:喉が乾いたの?
夫:うん。
妻:いつものこれでいい?
夫:それそれ。
妻:じゃあまた、明日の朝、来るね。
夫:ありがとう。
文字で見れば、ごく普通の夫婦の会話だ。しかし、夫はベッドで人工呼吸器をつけ、身体全体の筋肉のほとんどが動かない。なぜこの夫婦はスムーズに会話できているのか。倉田さんの奥さんは語る。(4/6ページ目)
ことばの、気持ちの「芯」を読み取れるか
「発病以来、(家族みんなで赴任した)北京から在宅勤務、そして入院を含め、家族でいる時間が、よそのご家庭よりも長く、濃密だったからかもしれません。そのなかで彼の考えが読めるようになったのではないでしょうか。
『今、こうしたいんだろうな』『ちょっとイライラしてる』『本当はおこっている』『嬉しいんだ』など、言葉を聞かなくても夫の立場に立ってものを考える習慣が自然に身についたんですね。
夫が見ているものが何なのかが、分かるようになったと同時に、彼のこともこれまで以上に、しっかり細かいところまで観察するようになりました。『こういうことを言いたいのかな?』ということを尋ねるときはイエスかノーで答えられるように、質問するやり方も自然と身につきました。
彼の唇が乾いている様子を感じると『何か飲みます?』と『飲む』『飲まない』を尋ね、その後で『このお茶がいい?』とか『このジュースがいい?』とかいう調子で、自然と聞いてましたね。
イエスの時、彼は普通は両方の目を閉じるんですが、よく見るとそれにもいろんな表情があるんです。ただの『イエス』ではなく『嬉しい』とか『ありがとう』とか――。
3年前に二人で学習した「まばたき会話法」も、使わなくて済むことの方が多かったんですね。
私の母は、夫の口元からわずかに聞こえてくる声とも言えない声の『芯を聞き取る』ことで、たいていの夫の意図を聴き取れると言ってました。子どもたちの面倒を見るためにうちによくきてくれていましたから。
子どもたちは、もっとすごいんです。『パパの言いたいことは、全部分かるよ』と言っていて、本当に完璧に分かってたみたいです。『うちの子どもたちにはテレパシーがあるんだ』と夫と感心したものです。私はそこまでいきませんでしたが…」
奥さんへのインタビューの最後に、私はあえて酷な質問をした。
「ご主人に言い残したことや、悔やんでいらっしゃることはありますか」
「たくさんあります」「たくさんありました」と、2度繰り返した奥さんは、ハンカチでしばらく目頭を押さえた後、語り始めた。
「今、いちばん悔やまれるのは、主人がもうほとんどしゃべれなくなった頃のことです。何か言おうとしていたことを汲み取れなくて、主人が途中で諦めてしまったんですね。力なく両目で一回まばたいて『もういい、ありがとう』という合図をしたまま寝てしまった。もう少し頑張って、聞けばよかったと思います――」
妻にはそのときの夫の表情が、今でもありありと浮かんでくるのだ。(5/6ページ目)
あの大震災から1カ月とすこしたった日の、朝6時。倉田真さんは病院で静かに息を引き取った。
40歳の人生はあまりに短いが、彼は愛する家族、仲間たち、そして被災地の人たち、世界に向けて沢山のメッセージを残していった。彼の病との闘い、それ自体も多くのものを訴えかけてくれる。
最後に、夫の死後2カ月も経たない時期に、私のようなものに辛い胸の内をお話しくださった奥さまには、心からお礼を申し上げたい。倉田真さんの人となり、そしてALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病について一部でもお伝えできたとすれば、それは奥さんのおかげだ。
編集注:倉田真さんが始めた「気持ちパックプロジェクト」は、彼の遺志を継いだ東京大学ラグビー部の同期の皆さんによって、現在も続けられています。(6/6ページ目)
【写真説明】梶原 しげる(かじわら・しげる)
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーになる。92年からフリーになり、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員を担当。
著書に『すべらない敬語』『図解版 口のきき方』『そんな言い方ないだろう』『老会話』『話がうまい人はやっている「聞き管理」』『最初の30秒で相手の心をつかむ雑談術』『毒舌の会話術』『プロのしゃべりのテクニック(DVDつき)』『即答するバカ』『あぁ、残念な話し方』ほか多数。【詳しくは梶原しげるオフィシャルサイト】」(全文)
*作成:長谷川 唯・山本 晋輔
UP:20100227 REV:20110730
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ALS