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ALS・2010年4月〜6月の報道等

ALS 2010 (English)
ALS

last update:20100709


 *以下、寄せられた情報を掲載。webmaster@arsvi.comまで情報をいただければ掲載いたします。

  ◆ALS・2010
 
新聞記事見出し
◆2010/04/04 「全身マヒの人 脳波で意思伝達」
 『読売新聞』2010-04-04
◆2010/04/05 「大宅賞に上原氏、川口氏が受賞」
 『スポーツ報知』2010-04-05
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20100405-OHT1T00191.htm
◆2010/04/05 「大宅賞に上原、川口両氏」
 『時事通信』2010-04-05
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201004/2010040500730
◆2010/04/05 「大宅壮一ノンフィクション賞に上原善広さんら」
 『読売新聞』2010-04-05
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100405-OYT1T01089.htm
◆2010/04/06 「訃報:松浦弥生さん 70歳=日本ALS協会島根県支部長 /島根」
 『毎日新聞』2010-04-06
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20100406ddlk32060467000c.html
◆2010/04/10 「閑想閑話:筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の松浦弥生さんが… /島根」
 『毎日新聞』2010-04-10
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20100410ddlk32070532000c.html
◆2010/04/11 「【手帖】大宅賞に「異色作」2作」
 『MSN産経ニュース』2010-04-11
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100411/bks1004110947008-n1.htm
◆2010/04/15 「妻介護 40年の手記」
 『読売新聞』2010-04-15
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20100415-OYT8T00047.htm
◆2010/04/17 「世界中が涙した感動のノンフィクションを舞台で。「モリー先生との火曜日」」
 『リアルライブ』2010-04-17
http://npn.co.jp/article/detail/58760430/
◆2010/04/18 「難病患者の写真作品展」
 『読売新聞』2010-04-18
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyazaki/news/20100417-OYT8T00735.htm
◆2010/04/19 「『逝かない身体』が大宅壮一賞に!」
 『週刊医学界新聞』2010-04-19
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02876_02
◆2010/04/19 「iPad、障害者支援機器としても大きな注目」
 『AFPBB News』2010-04-19
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/it/2719361/5636101
◆2010/04/20 「大宅賞:受賞『逝かない身体』の川口有美子さん、難病の母を介護した12年を記録 」
 『毎日新聞』2010-04-20
http://mainichi.jp/enta/art/news/20100420dde018040072000c.html
◆2010/04/22 「歌の輪 福祉市民団体と音楽家交流」
 『朝日新聞』2010-04-22
http://mytown.asahi.com/ishikawa/news.php?k_id=18000001004220003
◆2010/04/29 「ALSの原因遺伝子特定 運動神経に影響か」
 『47NEWS』2010-04-29
http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042801000892.html
◆2010/04/29 「ALSの原因遺伝子を発見=共通メカニズム解明の可能性−広島大など」
 『時事通信』2010-04-29
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201004/2010042900039
◆2010/04/29 「普天間移設 県外全面移転は困難 政府、最終決着へ舵切る」
 『琉球新報』2010-04-29
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-161456-storytopic-25.html
◆2010/04/29 「「普天間」最終案、米国の同意優先…地元反発」
 『読売新聞』2010-04-29
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100429-OYT1T00201.htm
◆2010/04/29 「ALS原因遺伝子特定 徳島大2教授、世界初治療薬開発に弾み」
 『徳島新聞』2010-04-29
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2010/04/2010_127250522069.html
◆2010/04/29 「ALS発症の仕組み解明、治療薬開発に大きく貢献…徳島大など」
 『読売新聞』2010-04-29
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/research/20100429-OYO8T00443.htm
◆2010/04/29 「ALS:療養環境改善調査、県に協力を要望−−協会県支部 /島根」
 『毎日新聞』2010-04-29
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20100429ddlk32040605000c.html
◆2010/05/03 「[杜の回覧板]夫が残した大きなもの=宮城」
 『読売新聞』2010-05-03
◆2010/05/03 「脳波で意思伝達 市場調査などへの応用も」
 『日本経済新聞』2010-05-03
http://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A9C93819595E0EAE2E29C8DE0EAE2E6E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E7E3E0E0E2E2EBE0E2E3E2
◆2010/05/04 「[読者と記者の臨時便]「望まなかった延命」に反響 揺れる気持ち 難病患者も」
 『読売新聞』2010-05-04
◆2010/05/05 「[オピニオン]未来への時間旅行」
 『東亜日報』2010-05-05
http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=100000&biid=2010050542778
◆2010/05/08 「徳田氏“徳之島移転は無理”」
 『NHK』2010-05-08
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100508/t10014311511000.html
◆2010/05/10 「「医療行為」見直しを 重度障害児の母ら要望提出へ」
 『中日新聞』2010-05-10
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010051090090324.html
◆2010/05/13 「脳神経細胞、死滅の仕組み一端解明 秋田大」
 『日本経済新聞』2010-05-13
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E3E0E2E69B8DE3E0E2E7E0E2E3E29180EAE2E2E2
◆2010/05/13 「アルツハイマー型認知症治療にも期待」
 『日テレNEWS24』2010-05-13
http://www.news24.jp/nnn/news8613412.html
◆2010/05/15 「追跡・発掘:患者の家族守る「レスパイト入院」 受け入れ医療機関わずか /山梨」
 『毎日新聞』2010-05-15
http://mainichi.jp/area/yamanashi/tsuiseki/news/20100515ddlk19040062000c.html
◆2010/05/17 「難病乗り越え念願のサークル 京の数学教諭 科学実験」
 『京都新聞』2010-05-17
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100517000035&genre=F1&area=K00
◆2010/05/18 「読書日和:注目です 名訳者のあとがき」
 『毎日新聞』2010-05-18
http://mainichi.jp/enta/book/news/20100518dde012070084000c.html
◆2010/05/18 「ALS患者入院中もヘルパー派遣可能に 厚労省方針」
 『朝日新聞』2010-05-18
http://www.asahi.com/national/update/0518/TKY201005180490.html
◆2010/05/19 「ALS:患者に療養アンケ 意見交換会に反映――協会県支部 /島根」
 『毎日新聞』2010-05-19
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20100519ddlk32040461000c.html
◆2010/05/19 「こんにちは広島:日本ALS協会県支部長に就任する、岩森孝夫さん /広島」
 『毎日新聞』2010-05-19
http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20100519ddlk34040531000c.html
◆2010/05/20 「難病患者と家族の意思疎通支援へ一歩 仙台市検討委設置へ」
 『河北新報』2010-05-20
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/05/20100520t15014.htm
◆2010/05/23 「9人が「呼吸器外した」…ALS治療の専門医4500人調査」
 『読売新聞』2010-05-23
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=25462
◆2010/05/23 「歌集「歯と瞼」:ALSで逝った田中俊一さん、命の証し 今月末に発刊へ /愛媛」
 『毎日新聞』2010-05-23
http://mainichi.jp/area/ehime/news/20100523ddlk38040416000c.html
◆2010/05/26 「患者のDNA保管「難病バンク」設立へ…厚労省」
 『読売新聞』2010-05-26
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100526-OYT1T00698.htm
◆2010/05/26 「舞台「モリー先生との火曜日」主演、60歳俳優・加藤健一に若さの秘訣を聞く!」
 『リアルライブ』2010-05-26
http://npn.co.jp/article/detail/22744468/
◆2010/05/26 「厚生労働省、「難病バンク」設立へ」
 『読売新聞』2010-05-26
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=25675
◆2010/05/27 「言葉の持つ本当の力に挑戦 加藤健一 舞台「モリー先生との火曜日」」
 『MSN産経ニュース』2010-05-27
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100527/tnr1005271320006-n1.htm
◆2010/05/27 「舞台「モリー先生との火曜日」で、心温まる二人芝居に挑戦。高橋和也に聞く!」
 『リアルライブ』2010-05-27
http://npn.co.jp/article/detail/13541350/
◆2010/05/31 「第2881号 【大宅賞受賞記念インタビュー】患者の周囲の他者が,「私たちのために生きていてほしい」と願い,その生を最後まで肯定していくのは,当たり前のこと。川口有美子氏に聞く」
 『週刊医学界新聞』2010-05-31
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02881_02
◆2010/05/31 「加藤健一事務所:二人芝居「モリー先生との火曜日」上演 30周年記念の第3弾」
 『毎日新聞』2010-05-31
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20100531dde012200043000c.html
◆2010/06/01 「ALS:新たな原因遺伝子発見」
 『毎日新聞』2010-06-01
http://mainichi.jp/select/science/news/20100601ddm016040007000c.html
◆2010/06/01 「泉:地道な取り組み伝える /山梨」
 『毎日新聞』2010-06-01
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20100601ddlk19070018000c.html
◆2010/06/03 「有料老人ホームの運営「訪問診療医との連携が重要」―医療法人財団コンフォート・西郊理事長」
 『キャリアブレイン』2010-06-03
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/27926.html
◆2010/06/04 「30周年記念を締めるこだわりの作品 加藤健一事務所「モリー先生との火曜日」」
 『MSN産経ニュース』2010-06-04
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100604/tnr1006040802001-n1.htm
◆2010/06/04 「加藤健一と高橋和也の2人芝居「モリー先生との火曜日」」
 『朝日新聞』2010-06-04
http://www.asahi.com/showbiz/stage/theater/TKY201006040263.html
◆2010/06/05 「「F4」ジェリー、多忙で「退廃的」!?」
 『テレビ朝日』2010-06-05
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/geinou/geinou_news/contents/hot_20100605_140.html
◆2010/06/07 「つま先の訴え国動かす ALS患者、ヘルパー病院派遣可能に」
 『佐賀新聞』2010-06-07
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1654436.article.html
◆2010/06/07 「ジェリー・イェンの“成熟”と日本進出宣言、8千人のファンが目撃―東京」
 『Record China』2010-06-07
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=42752&type=5
◆2010/06/08 「NO DOUBTが愛用の品々をチャリティー・オークションに出品」
 『OOPS!』2010-06-08
http://oops-music.com/info/view_news.html?nid=57095
◆2010/06/08 「小脳変性に関与する分子メカニズムを解明 (神経変性疾患の治療開発につながることが期待)」
 『科学技術振興機構』2010-06-08
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20100608/
◆2010/06/14 「ALSの療養環境改善を」
 『朝日新聞』2010-06-14
http://mytown.asahi.com/shimane/news.php?k_id=33000001006140004
◆2010/06/14 「ALS:初の意見交換会で、患者や家族が訴え「医療と行政、連携を」 /島根」
 『毎日新聞』2010-06-14
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20100614ddlk32040411000c.html
◆2010/06/14 「ALS患者の会が意見交換会」
 『山陰中央新報』2010-06-14
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=520255004
◆2010/06/15 「手話の輪育んだ二人三脚 漫画に」
 『朝日新聞』2010-06-15
http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000001006150001
◆2010/06/15 「キム・ミョンミン「どんな演技も大変」」
 『朝鮮日報』2010-06-15
http://www.chosunonline.com/entame/20100615000029
◆2010/06/15 「短歌コンサートの夕べ:ALSで逝った田中さん追悼、歌集出版を記念――松山 /愛媛」
 『毎日新聞』2010-06-15
http://mainichi.jp/area/ehime/news/20100615ddlk38040657000c.html
◆2010/06/16 「大人気の「F4」ジェリー・イェン、身に付けていたタンクトップが60万円で落札!」
 『ハリウッドチャンネル』2010-06-16
http://www.hollywood-ch.com/news/10061601.html?cut_page=1
◆2010/06/16 「【感動秘話】女性お笑い芸人が死ぬ前に残した『遺言ビデオ』」
 『ロケットニュース24』2010-06-16
http://rocketnews24.com/?p=36738
◆2010/06/23 「F4ジェリー・イェン、ALS協会への寄付オークションを行う」
 『サーチナニュース』2010-06-23
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0623&f=entertainment_0623_019.shtml
◆2010/06/26 「ALS患者支援研究会、福島で26日発足へ」
 『読売新聞』2010-06-26
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100626-OYT1T00064.htm
◆2010/06/27 「ALS患者の心理学ぶ支援研究会発足、講演に100人」
 『読売新聞』2010-06-27
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20100627-OYT8T00158.htm
◆2010/06/27 「このひと文字を生きる証しに ALS闘病の日々、随筆集に」
 『河北新報』2010-06-27
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/06/20100627t53025.htm
◆2010/06/29 「香川県内・同人誌紹介/川柳」
 『四国新聞』2010-06-29
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/culture/article.aspx?id=20100629000106



催しもの、その他
□「地域生活を考える―その3
――地域の行政サービスをつかって、安心元気に自宅で生活する秘訣」
関連HP:http://www.arsvi.com/o/ar.htm
日 時:2010年4月24日(土)15時〜18時
ところ:永原診療会 「自在館」嬉楽家
◇京都市上京区浄福寺上立売上ル大黒町686
◇市バス 51・59・203・201系統「今出川浄福寺」/ 6・46・206・59系統「千本上立売」徒歩5分
時 間:茶話会 15時〜18時(受付開始14時30分〜)
    懇親会 18時〜
参加費:勉強会 500円(お茶と資料代として)
    懇親会 2000円
主 催:地域生活を考える事務局
企画趣旨:
 「地域生活を考える」企画も第3弾となりました。2010年春の催しでは日本ALS協会の川口有美子さんとりべるたすの伊藤佳世子さんをお招きし、重度障害をもつ人の在宅生活についてお話していただきます。
 川口さんはお母さんがALS(筋萎縮性側索硬化症)になられてから長いあいだ在宅で介護された経験があり、いまでも重度障害者の生活を様々な面で応援されています。
 伊藤さんは、病院生活の長い筋ジストロフィー患者を在宅生活への移行支援をされた経験をお持ちです。その後は千葉で介護派遣事業所を開き、多くの方の在宅生活を支えておられます。

  おふたりとも現場の最前線でご活躍された経験が豊富で、これまでもさまざまな患者さんやそのご家族を支援されています。その活動や経験から、重度障害者の在宅生活にかかわる制度のことや生活の知恵などについて広くお話してもらい教えていただこうと思います。
ぜひみなさんにも参加していただき、困っていることやみなさんがしておられる工夫などを話して共有できればと思います。


川口有美子
1962年東京都中野区生まれ。81年都立西高等学校卒業。85年東京学芸大学教育学部を卒業。足立区の小学校に赴任。同年結婚。88年、夫の海外勤務に同行するため退職。フィラデルフィアに次いでロンドン駐在中の95年3月に実家の母がALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。同年12月帰国。96年2月から在宅人工呼吸療法を行う。しかし、家族介護に限界を感じ2003年5月、母の在宅療養を支援してきた仲間たちと介護人派遣会社(有)ケアサポートモモ設立。在宅人工呼吸療法の普及を目指して、ヘルパー養成研修事業「進化する介護」もスタートさせた。03年6月、NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会設立。04年4月ALS等の難病支援に関する研究を志し、立命館大学大学院先端総合学術研究科に進み、その後国際的なALS支援ネットワークの構築に携わる。

伊藤佳世子
訪問介護事業所「りべるたす」管理者、サービス提供責任者。「進化する介護IN千葉」を主催。成田国際介護専門学校非常勤講師。社会福祉士。立命館大学大学院博士後期過程。






 
 
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◆2010/04/04 「全身マヒの人 脳波で意思伝達」
 『読売新聞』2010-04-04

 「体を動かせず、話もできない重度の運動障害の人でも、意思を素早く伝えられる装置を産業技術総合研究所(茨城県つくば市)の研究グループが開発した。関心のある事に対して強い脳波が出る現象を利用する。512通りのメッセージを選ぶことができる。
 「ニューロコミュニケーター」と名付けた装置は、小型の無線脳波計が付いた帽子と、パソコンで構成。パソコン画面に「飲食する」「移動する」「気持ち」など、動作や心身の状態などを示すマークが表示される。
 目当てのマークが光ると、脳波の強度が増し、脳波計が検知。マークを複数選択すれば細かい意思も表現できる。結果は自動的に文章化され、画面の人物が「和食を食べたい」「風邪薬を飲ませて」などと、音声と文字で周囲に伝える。
 全身が徐々にマヒする筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)患者の協力で実地試験を始めた。産総研の長谷川良平グループ長は「数年で実用化したい」と話している。」(全文)
 
 
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◆2010/04/05 「大宅賞に上原氏、川口氏が受賞」
 『スポーツ報知』2010-04-05
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20100405-OHT1T00191.htm

 「大宅賞に上原氏、川口氏が受賞
 第41回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)は5日、上原善広さんの「日本の路地を旅する」(文芸春秋刊)と川口 有美子さんの「逝かない身体」(医学書院刊)に決まった。賞金は各100万円。贈呈式は6月18日、東京・内幸町の帝国ホテルで行われる。
 上原さんは1973年大阪府生まれ。中学校非常勤講師などを経てノンフィクションの取材、執筆を始めた。
 川口さんは62年東京都生まれ。NPO法人「さくら会」理事。」(全文)

 
 
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◆2010/04/05 「大宅賞に上原、川口両氏」
 『時事通信』2010-04-05
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201004/2010040500730

 「大宅賞に上原、川口両氏
 第41回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)は5日、上原善広氏(36)の「日本の路地を旅する」(文芸春秋)と、川口有美子氏(47)の「逝かない身体―ALS的日常を生きる」(医学書院)に決まった。賞金各100万円。授賞式は6月18日、東京・内幸町の帝国ホテルで。(2010/04/05-20:20)」(全文)

 
 
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◆2010/04/05 「大宅壮一ノンフィクション賞に上原善広さんら」
 『読売新聞』2010-04-05
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100405-OYT1T01089.htm

 「大宅壮一ノンフィクション賞に上原善広さんら
 第41回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)は5日の選考会で、上原善広(よしひろ)さん(36)の「日本の路地を旅する」(文芸春秋)と川口 有美子さん(47)の「逝かない身体」(医学書院)の2作に決まった。
 正賞100万円。授賞式は6月18日午後6時、東京・内幸町の帝国ホテルで。
(2010年4月5日21時21分 読売新聞)」(全文)

 
 
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◆2010/04/06 「訃報:松浦弥生さん 70歳=日本ALS協会島根県支部長 /島根」
 『毎日新聞』2010-04-06
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20100406ddlk32060467000c.html

 「訃報:松浦弥生さん 70歳=日本ALS協会島根県支部長 /島根

 ◇詩や句でALS支援訴え

 全身の筋力が低下する難病「筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症」(ALS)を発病し、病気への理解や支援を求めて詩や句の執筆や日本ALS協会島根県支部の活動に尽力した、同支部長の松浦弥生さんが4日、すい臓がんのため亡くなった。70歳だった。
 松浦さんは88年3月、47歳の時にALSと診断され、夫の和敏(かずとし)さん(77)が中学教諭を退職し介護を続けてきた。
 呼吸困難の症状が出てからは人工呼吸器を装着。介護者が50音を読み上げ、まばたきした時の文字を読み取って意思疎通を図り、闘病生活などを詩や句にしたためた。和敏さんがまとめて本を自費出版すると、県内外の読者から感動の声が寄せられた。また、99年の日本ALS協会県支部設立やその後の活動も夫婦で尽力した。
 通夜は6日午後7時、葬儀は7日午前10時、いずれも大田市仁摩町馬路1737の6の馬路まちづくりセンター。自宅は同1220。喪主は和敏さん。【御園生枝里】
毎日新聞 2010年4月6日 地方版」(全文)

 
 
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◆2010/04/10 「閑想閑話:筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の松浦弥生さんが… /島根」
 『毎日新聞』2010-04-10
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20100410ddlk32070532000c.html

 「閑想閑話:筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の松浦弥生さんが… /島根
 筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)患者の松浦弥生さんが今月4日、70歳で亡くなった。その日に夫の和敏さんが連絡をくれ、松江市内の病室を訪ねた。体のほとんどを動かすことができず、目で意思疎通をしていた弥生さん。だが、呼び掛けても反応はなかった▲弥生さんは、島根大生のボランティアの手を借り、日記をつけていた。「ALS 確かな手ごたえ ないままに 今年も暮れる “明日”を夢見て」。闘病生活の中でも、感謝しながら、希望を持って生きる姿が表れていた。そして、病室の花、毎日選んで付ける髪飾り、知人への手紙や贈り物。学生たちにお願いして、気配りを絶やさなかった。いろんな面で尊敬していた▲昨年末の「あと1週間」の余命宣告より、3カ月も長く生き抜いた。亡くなった翌日は、51回目の結婚記念日だった。病室で和敏さんが言った。「がんばりやです。仕事も家庭もがんばりやでした。幸せでした」。弥生さんにも聞こえていてほしい、と願った。【御園生枝里】」(全文)

 
 
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◆2010/04/11 「【手帖】大宅賞に「異色作」2作」
 『MSN産経ニュース』2010-04-11
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100411/bks1004110947008-n1.htm

 「【手帖】大宅賞に「異色作」2作
2010.4.11 09:46

 上原善広さん(36)の『日本の路地を旅する』(文芸春秋)と、川口 有美子さん(47)の「逝かない身体―ALS的日常を生きる」(医学書院)のダブル受賞となった第41回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)。
 「2作とも、賞の歴史の中でも異色作」―。5日、都内で開かれた発表会見で、選考委員を務めたノンフィクション作家の柳田邦男さん(73)はそう指摘し、「日本人の姿や価値観など深い問題が現れている」と講評した。
 「逝かない身体」は、全身の筋肉が動かなくなる難病ALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)を患う母親の13年間にわたる介護体験を振り返りながら、人間の生命や死のあり方を問う意欲作。
 川口さんは「ベッドで横たわることしかできない状況でも、家族にとってその命はほかの人には伝わらないほど重たいもの。もし母親が生きていたら、一番喜んでくれたと思う」と、声を震わせながら語った。
 『日本の路地を旅する』は、著者が中上健次にならって「路地」と呼ぶ被差別部落を訪ね歩き、路地の「今」を点描したルポルタージュ。柳田さんは「圧倒的な重量感の一方、読後感はさわやか」と激賞した。
 大阪の路地に生まれた上原さんは「運動ではなく、自分一人でものを考えてみたいと思ったのが物書きになるきっかけだった」と振り返り、「(路地への取材は)ライフワークとしてこれからも続けていく」と力を込めていた。


【写真説明】第41回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した上原善広さん(左)と川口 有美子さん(右)」(全文)

 
 
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◆2010/04/15 「妻介護 40年の手記」
 『読売新聞』2010-04-15
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20100415-OYT8T00047.htm

 「【全身の筋肉が次第に動かなくなる難病「筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症」(ALS)の患者や家族を支援する日本ALS協会県支部に対し、郡山市富久山町の野地力(ちから)さん(82)が、2005年7月に亡くなった妻の好子さん(当時75歳)の介護体験記を送った。体中の筋力が低下する難病「多発性筋炎」を患った妻を約40年介護してきた経験をつづったもので、同支部の活動を取り上げた3月の本紙県版連載記事を読んだのがきっかけ。力さんは「介護で苦労している人たちの参考になれば」と話している。(船越翔)
 好子さんが発病したのは1964年秋。実家の福島市から郡山市の自宅に向かう電車内で突然倒れ、起きあがれなくなった。すぐに病院に運ばれたが、病名は不明。意識ははっきりとして会話も出来たが、全身がしびれ、寝たきりの生活を余儀なくされた。
 入院から1年後に退院し、力さんと息子2人による介護生活が始まった。好子さんは我慢強い性格だったが、病気のストレスから徐々に力さんに不満をぶつけるようになった。食べ物をうまくのみ込めず、食事はすべてミキサーにかけてどろどろにした幼児食を用意。それを「もっとおいしいものが食べたい」と文句を言った。夜中は腕と腕をひもで結び、トイレやマッサージに対応できるようにした。睡眠時間がほとんど取れない毎日が続いた。
 病名が多発性筋炎と判明したのは、発症から20年近くが過ぎてから。根本的な治療法は確立していない病気だった。回復の兆しのない妻を見るのはつらく、「いっそ心中してしまおう」と、4度考えたという。
 そんな力さんを踏みとどまらせたのは息子たちの存在だった。発症当時、長男は中学2年、次男は小学4年。工場勤務の力さんが家を留守にする際には、介護や家事を進んでこなしてくれた。勉強する時間が十分取れたわけではなかったが、2人とも大学の建築科に進み、「母親の介護の経験を生かしたい」と障害者用のトイレなどの設計に取り組んだ。
 同じように難病と闘う患者や家族も心の支えになった。通院していた郡山市の病院の待合室で出会った人に愚痴をこぼしたり、手当の申請方法を教えあったり。近所や親類に打ち明けていない悩みも不思議と話すことができた。
 05年夏に好子さんは「気分が悪い」と訴えて病院に運ばれ、集中治療室に入った。それから会話もできないまま1か月後に亡くなった。しかし、「やるだけのことはやれたと思う。けんかも多かったけど、後悔はしていない」。
 県内でALS患者を介護する家族の1人は、体験記の送付を聞き、「参考にしたい。実際に会って話を聞けたら」と興味を示す。
 力さんは「難病は介護する家族もつらい。そのことを理解する人たちが病名に関係なく協力し合える態勢ができることを期待したい」と話している。
(2010年4月15日 読売新聞)


【写真説明】妻・好子さんの介護の記録を読み返す野地さん(郡山市の自宅で)」(全文)

 
 
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◆2010/04/17 「世界中が涙した感動のノンフィクションを舞台で。「モリー先生との火曜日」」
 『リアルライブ』2010-04-17
http://npn.co.jp/article/detail/58760430/

 「世界中が涙した感動のノンフィクションを舞台で。「モリー先生との火曜日」
 俳優・加藤健一が「本当に芝居の好きな役者たちを集めて舞台づくりをする場を」と1980年に発足した加藤健一事務所。その30周年記念ラスト公演は、世界中が涙した感動のノンフィクション「モリー先生との火曜日」を上演する。
 ルー・ゲーリック(ALS)病を患う大学時代の恩師モリー先生の元を訪れたミッチは、「君は自分自身に満足しているかい?」という、先生の言葉が脳裏から離れない。16年ぶりに再会した恩師がかつての教え子に託すさまざまな「人生の意味」とは何か。加藤健一(モリー先生)と元「男闘呼組」の高橋和也(ミッチ)の“心温まる”珠玉の二人芝居。とかく流されやすい現代に、ぜひ見ておきたい一作だ。
 「モリー先生との火曜日」は2010年6月3日(木)〜15日(火)下北沢 本多劇場で(前売開始:4月18日(日)


【写真説明】加藤健一(モリー先生)と元「男闘呼組」の高橋和也(ミッチ)」(全文)

 
 
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◆2010/04/18 「難病患者の写真作品展」
 『読売新聞』2010-04-18
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyazaki/news/20100417-OYT8T00735.htm

 「難病患者の写真作品展
 宮崎 生命力あふれる20点

 全身の筋肉が次第に動かなくなる筋萎縮(いしゅく)性側索(そくさく)硬化症(ALS)やパーキンソン病の患者が撮影した「難病患者の写真作品展」が、宮崎市原町の県福祉総合センターで開かれている。18日まで。
 県難病団体連絡協議会(首藤正一会長)が主催。看護師らで構成された難病患者や精神障害者を支援する任意団体「サークル虹」(木村喜久子代表、都城市)と関係する患者らが撮影したツクシやツバキなど約20点を展示している。
 同協議会の首藤会長によると、ALSの患者は寝たきりの人も多く、指も満足に動かせない中、支援者の力も借りて撮影するという。「患者さんが最大限の努力をして切り取った生命力あふれた写真を多くの人に見てほしい」と話している。入場無料。
 問い合わせは県難病相談・支援センター(0985・31・3414)へ。
(2010年4月18日 読売新聞)


【写真説明】難病患者が撮影した写真が展示されている会場」(全文)

 
 
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◆2010/04/19 「『逝かない身体』が大宅壮一賞に!」
 『週刊医学界新聞』2010-04-19
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02876_02

 「第2876号 2010年4月19日
『逝かない身体』が大宅壮一賞に!
 第41回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)の選考委員会が4月5日に東京都内で開催され,川口有美子『逝かない身体――ALS的日常を生きる』(医学書院)が選出された。川口氏はALSに罹患した母の介護を機に訪問介護事業所やNPO法人を設立。現在は国際的なALS支援ネットワークの構築に携わっている。≪シリーズ ケアをひらく≫の一冊である同書は,「ALSの母が重力に抗して生きた12年を身体ごと支えた記録」(本書オビより)である。
 受賞記者会見で選考委員の柳田邦男氏は,「この時代へのメッセージ性に満ちた作品で非常に評価が高かった」と述べ,同じ選考委員である立花隆氏の「圧倒的に重量感のある作品で他の候補作がすべて色あせて見えた」という言葉を伝えた。続いて会見場に現れた川口氏は高評価に驚きながら,「動かない母が,家事やガーデニングしか知らない私に,自分の身体を通して社会というものを教えてくれた」と感謝の言葉を述べた。


【写真説明】川口有美子氏」(全文)

 
 
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◆2010/04/19 「iPad、障害者支援機器としても大きな注目」
 『AFPBB News』2010-04-19
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/it/2719361/5636101

 「【4月19日 AFP】米アップル(Apple)の新型タブレットPC「iPad(アイパッド)」は、多くの人にとっては洗練されたマルチメディアエンターテインメント機器だ。だが、米ウィスコンシン大学マディソン校(University of Wisconsin at Madison)のグレッグ・バンダーハイデン(Gregg Vanderheiden)教授は、iPadこそ会話によるコミュニケーションが困難な人々が待ち望んでいた安価な支援機器だと考えている。

■iPad+アプリで高額機器不要に

「脳卒中の後遺症で失語症になってしまった人がいるとしましょう。会話支援機器を購入すれば5000ドル(約46万円)もかかります。でも、iPadを買ってアプリケーションソフトをダウンロードしたら――ほら、これだけでコミュニケーションが可能になります」
 バンダーハイデン教授は、話すことができなかったり会話に不自由がある人々を支援する同大トレース研究開発センター(Trace Research and Development Center)のセンター長を務めている。
 同教授以外にも、比較的低価格なコミュニケーションツールとしてiPadに期待を寄せる人々は多い。米カリフォルニア州を拠点に、障害のある子どもや大人たちに支援機器の利用を促す活動をしているATA(Alliance for Technology Access)のカレン・シーハン(Karen Sheehan)氏も、「iPadには注目が集まっている」と語る。
 脳卒中の後遺症に苦しむ人や脊髄(せきずい)損傷患者、脳性まひや全身が動かなくなる筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者、さらには自閉症の人々――。本体価格がわずか499ドル(約4万6000円)〜829ドル(約7万6000円)のiPadの活用によって恩恵を受けると考えられる人たちは多い。

■大きな画面も利点

 すでに、iPhoneとiPod Touch向けに会話支援ソフト「Proloquo2Go」を販売するアシスティブウエア(AssistiveWare)社が、同ソフトのiPad版の提供を189.99ドル(約1万7000円)で開始した。このソフトは、単語を表した図像を選択するか単語を直接タイプ入力して、テキスト音声化技術で読み上げる機能を提供するものだ。
 シーハン氏は、iPhoneやiPod Touchは画面が小さく、運動能力の制限された人にはアイコンが小さすぎてちゃんとタップできないという問題があったと指摘。大きなタッチスクリーンを搭載したiPadなら「簡単に『ジュースが飲みたい』とか『映画が観たい』と伝えられる」として、より幅広い人々に利用が広がる可能性に期待を寄せた。(c)AFP/Chris Lefkow


【写真説明】ニューヨーク(New York)にある米アップル(Apple)の直営店で、新型タブレットPC「iPad」を試す客(2010年4月3日撮影)。(c)AFP/Getty Images/Spencer Platt」(全文)

 
 
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◆2010/04/20 「大宅賞:受賞『逝かない身体』の川口有美子さん、難病の母を介護した12年を記録 」
 『毎日新聞』2010-04-20
http://mainichi.jp/enta/art/news/20100420dde018040072000c.html

 「大宅賞:受賞『逝かない身体』川口有美子さん、難病の母を介護した12年を記録
 第41回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)に選ばれた川口有美子さん『逝かない身体』(医学書院、2100円)は、筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)という難病の母を12年間、看護した記録だ。歴代の受賞作は、歴史的な事件や人物を追った作品が多い。その中では異色といえる。
 ALSは、全身の筋肉が萎縮し、筋力が低下する病気だ。手足に加え、口やまぶたも動かなくなることがある。重症の場合は、他者との意思疎通がほとんどできない。
 川口さんの母親は1995年6月に発症し、約半年後に人工呼吸器を使い始めた。眼球やあごも動かなくなり、07年9月に亡くなった。
 受賞作はその過程を淡々とつづっている。川口さんは会見で「できるだけクールに、ありのままを書いた。介護技術についても、高齢者や末期がん患者の介護に応用できるように記した」と説明した。
 普通の生活を送る人には、あまりにも過酷に感じられる介護だ。しかし、川口さんは「呼吸器をつけている寝たきりの患者から、社会の見方を学びました。母はずっと、自分だけでなく、他のALS患者の生活を心配していた」と語る。「一日中、微動だにしない人間は生きる価値がなく、かわいそうな生き物だと思われるが、家族にとって、その人の命は本当に大切なのです」とも。
 自分が本に込めた思いが審査委員に伝わった、と感じたという。「今回の受賞を、世界中のALS患者の家族と分かち合いたい。勇気を持って、明るく患者さんの命を支えていってほしい」
 同時に受賞が決まったのは、上原善広さんの『日本の路地を旅する』(文芸春秋、1680円)。贈呈式は6月18日、東京・帝国ホテルで行われる。【鈴木英生】」(全文)

 
 
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◆2010/04/22 「歌の輪 福祉市民団体と音楽家交流」
 『朝日新聞』2010-04-22
http://mytown.asahi.com/ishikawa/news.php?k_id=18000001004220003

 「歌の輪  福祉市民団体と音楽家交流
 2010年04月22日
◆小室等・谷川賢作さん 24、25日小松で◆
 小松市を拠点に、高齢者を対象にした聞き書きボランティアや障害児の居場所づくり、がん患者支援など、様々な活動を続けている市民グループ主催の「いのちにやさしいコンサート」が24、25日に同市内で開かれる。活動に賛同して協力を続けている歌手の小室等さん、作曲家でピアニストの谷川賢作さんらが出演。グループのメンバーは「気取らず、やさしい気持ちになれる場なので、ぜひ一度、聞きに来てほしい」と呼びかけている。
(長田豊)

=患者宅で演奏機に=
 グループは「いのちにやさしいまちづくりネットワーク」。代表を務める金沢大学助教(地域看護学)の榊原千秋さん(48)=同市園町=を中心に、地域での介護や子育ての支援のあり方などを模索しながら、10年以上にわたって、ほぼ毎年1回のペースで小室さんらを招いたコンサートを開いてきた。
 きっかけは1996年、榊原さんが同市在住の筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)患者、西尾健弥さんの介護ボランティアを始めたこと。「能登を旅したい」「人と出会いたい」という西尾さんの願いをかなえるために支援者組織が発足。97年に西尾さんの自宅で開いたホームコンサートが、今も続くコンサートの最初の一歩となった。
 活動の継続を後押ししたのは、97年から毎年のように参加してくれた詩人の谷川俊太郎さんの存在。西尾さんが谷川さんのファンだと知り、手紙を送って会いに来た榊原さんに、谷川さんがホームコンサート出演を快諾。99年3月に西尾さんが57歳で亡くなった後も「大事な活動だから続けよう、と谷川さんから言っていただいた」と榊原さん。その後も毎年のように息子の賢作さんや小室さんらと小松市を訪れ、コンサートへの出演を続けてくれた。
 榊原さんらは06年、活動10周年を機にコンサートなどで知り合った仲間と「いのちにやさしいまちづくりを考える会」を立ち上げた。昨春から同ネットワークとして、県内の医療関係者や福祉団体とも連携した活動を続けている。
 榊原さんは「コンサートは年1回、様々な活動を続けている仲間が集う貴重な機会になっています。日ごろ抱えている悩みも話しやすい場だと思うので、気軽に足を運んでほしい」と話している。
 コンサートは24日午後6時半から約1時間、同市野田町の西圓寺(前売り大人2千円、学生千円)▽25日午後1時半から約2時間、同市西町の称名寺(同大人3千円、学生1500円)。問い合わせは、つじぶん(0761・21・2323)へ。


【写真説明】コンサート当日の役割分担などを話し合う榊原千秋さん(左から2人目)ら=小松市園町の榊原さん宅」(全文)

 
 
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◆2010/04/29 「ALSの原因遺伝子特定 運動神経に影響か」
 『47NEWS』2010-04-29
http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042801000892.html

 「ALSの原因遺伝子特定 運動神経に影響か
 運動神経が侵され全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の新たな原因遺伝子を突き止めたと広島大原爆放射線医科学研究所の川上秀史教授らが、28日付の英科学誌ネイチャー(電子版)に発表した。
 この遺伝子の変異によって、炎症などに関与する物質が過剰に活性化し運動神経に影響を与えるとみられる。川上教授は「動物実験を進め、治療法開発につなげたい」と話している。
 川上教授らは、両親ともに保因者の可能性が高い家族性のALS患者の遺伝子を調べ、「OPTN」という遺伝子に変異を見つけた。OPTNは「正常眼圧緑内障」の原因遺伝子として知られていたが、ALSでは緑内障とは異なる場所に変異があった。
 家族性ではない孤発性のALS患者でも、OPTN遺伝子に変異がある患者が見つかった。これまで知られている別の原因遺伝子の変異がある患者でも、OPTN遺伝子が作るタンパク質に異常があり、これがALSの病態に広く関与すると考えられるという。
2010/04/29 02:02 【共同通信】」(全文)

 
 
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◆2010/04/29 「ALSの原因遺伝子を発見=共通メカニズム解明の可能性−広島大など」
 『時事通信』2010-04-29
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201004/2010042900039

 「ALSの原因遺伝子を発見=共通メカニズム解明の可能性−広島大など
 筋力が衰える難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の新たな原因遺伝子を、広島大と関西医科大、徳島大などの共同研究グループが突き止め、28日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。非遺伝性を含めたALSすべてに共通する発症メカニズムに関与している可能性があり、その解明と治療法開発を目指すとしている。
 ALSの約1割は遺伝性と言われ、いくつかの原因遺伝子が見つかっているが、まだ原因はほとんど分かっていない。
 研究グループは、遺伝性のうち両親とも染色体に異常がある(劣性遺伝)と考えられる症例に着目し、6症例の遺伝子の個人差(SNP)を詳細に解析。うち3例で、細胞内のシグナル伝達にかかわる物質「NFカッパーB」を抑制するたんぱく質「OPTN」の遺伝子に変異があった。
 NFカッパーBは、がんや炎症への関与が知られている。劣性遺伝以外の非遺伝性など、ほかの症例でもこの遺伝子の変異が見つかった。
 一方、発症部位である脊髄(せきずい)の細胞を調べると、非遺伝性や、OPTNとは別の原因遺伝子による症例でも、OPTNたんぱくの固まりがみられた。
 これらの結果から、OPTNが原因遺伝子の一つにとどまらず、すべてのALSの発症に関与していることが示されたとしている。(2010/04/29-02:40)」(全文)

 
 
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◆2010/04/29 「普天間移設 県外全面移転は困難 政府、最終決着へ舵切る」
 『琉球新報』2010-04-29
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-161456-storytopic-25.html

 「普天間移設 県外全面移転は困難 政府、最終決着へ舵切る
2010年4月29日
 政府は28日、米軍普天間飛行場の返還問題で、県内移設による最終決着に向け大きく舵(かじ)を切った。鳩山由紀夫首相は同日、徳之島の「実力者」である徳田虎雄元衆院議員を訪ね徳之島移転案を打診。同時に会談の席で、沖縄県外への普天間の全面移転は困難との認識を示した。政府は近く基本政策閣僚委員会を開き、移設案を正式決定したい考えだが、連立を組む社民党は反発。委員会について「まだ時期ではない」と出席自体を拒む姿勢だ。
 「報道などで混乱させてしまい申し訳ない」。会談の冒頭、車いすの徳田氏を前に首相は陳謝。そして「2000メートルの滑走路を持つ徳之島空港を使いたい。在沖米海兵隊2500人のうち千人の航空部隊もしくは訓練を受け入れてもらえないか」と率直に考えを伝えた。

文字盤で回答
 徳田氏は筋委縮性側索硬化症(ALS)のため、言葉を発することができず、目線で文字盤を示し返答した。「何でもできることは協力したいが、基地問題は無理がある」。首相と古くから付き合いがある徳田氏は、首相に最大限配慮しつつ要請を明確に拒んだ。
 会談に同席した徳田氏の次男、徳田毅自民党衆院議員は同日昼、官邸で平野博文官房長官と会った。徳之島案に対する米側の反応や移転規模の詳細を尋ねたが、平野氏から具体的な説明は一切なかった。
 鳩山首相も虎雄氏との会談後は「政府案が最終的に固まっているわけではない。考え方は(徳田氏に)示したが、いちいちコメントはしない」と発言。徳田氏側に説明してもなお政府案を明らかにしない。

「沖縄なぜ反対?」
 首相は5月4日には沖縄入りし仲井真弘多知事と会談の予定。「25日までは手出しはできなかった」(政府関係者)と県民大会後に一気に動いた形だ。
 政府は名護市辺野古沿岸部を埋め立てる現行計画の修正案について、「環境に優しい」として評価するくい打ち桟橋方式の採用を有力視している。羽田空港の滑走路拡張でも採用された工法で、前原誠司国土交通相兼沖縄担当相も支持。社民は国民新党と共闘して阻止する考えだが、国民新の下地幹郎衆院議員は「くい打ち桟橋は埋め立てとは違う」と述べるにとどめ、明確には反対していない。
 「首相は県外と言ってやっている。なぜ沖縄県民は反対するのか」。ある閣僚は28日、首相が徳之島という「県外」移転方針を明らかにしたことに触れ、こう語った。防衛省の幹部は、「現行案修正プラス徳之島一部移転」という案では沖縄の理解は得られないとの見方を示した上で「努力したという姿勢を示すことが政権には大事。そう強調するしかない」とため息をついた。(仲井間郁江)」(全文)

 
 
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◆2010/04/29 「「普天間」最終案、米国の同意優先…地元反発」
 『読売新聞』2010-04-29
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100429-OYT1T00201.htm

 「「普天間」最終案、米国の同意優先…地元反発
 米軍普天間飛行場移設問題で、沖縄での「県内移設」である現行計画を基本とする政府の移設案が28日、大筋で固まった。
 現行計画を「唯一実現可能」として主張してきた米国の同意を優先させた形で、今後、沖縄や社民党の一層強い反発が予想される。

   ◆一定の理解?
 公約した「5月末決着」まで1か月に迫り、鳩山首相は28日、自ら調整に乗り出した。初の沖縄訪問を表明し、移設先にあがる鹿児島県・徳之島に影響力を持つ徳田虎雄・元衆院議員とは直談判した。日米のもともとの合意に基づく現行計画に「回帰」したことで、首相は米国の一定の理解を得られたと踏んだようだ。確かに、外務省の梅本和義北米局長らと28日に会談したキャンベル米国務次官補は会談後、「よい話し合いだった」と満足そうだった。

 ◆不発?
 しかし、問題は、米国以外の当事者との合意形成だ。首相は決着を「米国、移設先の地元、与党の3者同時に同意を得る」としてきた。
 周辺によると、首相は当初、30日にも沖縄での「県内移設」と、徳之島への移転に強く反対する社民党に話を通した上で、沖縄入りするつもりだった。沖縄では、仲井真弘多(ひろかず)県知事に最終案を示し、沖縄県内で発表することも検討していた。
 ところが、首相は28日、徳田氏に徳之島案の受け入れを要請。同席した次男の自民党衆院議員・毅氏がこの後、記者会見して内容を発表してしまった。
 いくら地元議員でも、社民党より先に自民党議員に伝えたことは不用意ともいえる。首相は28日夕、記者団に「まだ政府案が最終的に固まっているわけではない」と苦しい説明だった。
 「出来ることは協力したいと思っているが、基地問題は無理だ」
 徳田氏は首相に協力を拒んだ。徳田氏は全身が徐々にマヒする筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)を患い、会話が不自由となったため、文字盤を使っての会談だった。首相は食い下がったが、同島の3町長との面会への協力を取り付けるのがやっとだった。
 さらに、18日に移設に反対する大規模な島民集会が開かれた後に、3町長の頭越しに徳田氏と面会したことは、地元に対しても、反発の火に一層油を注いだ。伊仙町の大久保明町長は28日、鹿児島市内で記者団に「なぜこんな形で訪問するのか。普通のやり方じゃない」と不信をあらわにした。
 名護市の稲嶺進市長も那覇市内で記者団に、現行計画の修正案に「まかりならない。先頭に立って反対する」と怒りを表明。社民党の重野幹事長も記者会見で「あらゆる方策を講じて、何としても県外、国外実現のために頑張る」と訴えた。

 ◆腹案?
 28日に固めた移設案は、首相が繰り返した「腹案」だったのかどうか。疑問視する声が多い。
 首相は3月31日の党首討論で「腹案を持ち合わせている」と発言した。この時、政府は名護市の米軍キャンプ・シュワブ陸上部か、うるま市の米軍ホワイトビーチ沖の埋め立て地に代替施設を作り、徳之島へのヘリ部隊移転などを組み合わせる案を柱にしていた。首相の「腹案」もそれが念頭にあったようだ。
 この案について米側は、ルース駐日米大使が今月9日、岡田外相に〈1〉米軍の運用面で現実的でない〈2〉地元合意がない――などと厳しく指摘。米側寄りの現行計画修正案は、その後になって、苦肉の策としてひねり出されたもののようだ。(政治部 白川義和、志磨力)
(2010年4月29日09時50分 読売新聞)」(全文)

 
 
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◆2010/04/29 「ALS原因遺伝子特定 徳島大2教授、世界初治療薬開発に弾み」
 『徳島新聞』2010-04-29
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2010/04/2010_127250522069.html

 「ALS原因遺伝子特定 徳島大2教授、世界初治療薬開発に弾み 2010/4/29 10:40
 運動細胞が壊れ全身の筋肉が次第に動かなくなる難病「筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症」(ALS)の新たな原因遺伝子を、徳島大学ヘルスバイオサイエンス研究部の梶龍兒(りゅうじ)教授と徳大病院の和泉唯信臨床教授(ともに神経内科)が世界で初めて突き止めた。
「オプチニューリン(OPTN)」と呼ばれる遺伝子で、あらゆるタイプのALSにOPTNの変異が関与しているとみられる。ALSの発症メカニズムの解明と根本的な治療法の確立に道を開く画期的な発見で、28日付の英科学誌「ネイチャー」電子版に掲載される。
 ALS患者の1割は遺伝性。これまでに見つかった原因遺伝子はそのうちの一部の症例に当てはまるだけだった。
 梶教授らは、広島大学原爆放射線医科学研究所との共同研究で、遺伝性の6症例を精査した。いずれにも見られたOPTNの変異に着目し、非遺伝性の症例でも調べたところ、同様の変異を確認。ALSにOPTNが深くかかわっていると結論付けた。
 梶教授らによると、OPTNは緑内障にも関係することで知られる遺伝子。OPTNが変異し機能を失うと、がんや炎症を引き起こすタンパク質「NFκ(カッパ)B」が細胞内で増殖。異常にたまったタンパク質が運動細胞を死滅させALSが発症するとみられる。
 ALSとNFκBの関連は、ほとんど注目されていなかった。NFκBの抑制剤は既に実用化されており、ALSの治療薬開発にも大きな弾みがつく可能性がある。

 治験が視野に
 厚生労働省神経変性疾患に関する調査研究班の中野今治研究代表の話OPTNが非遺伝性のALS発症に関与している可能性を示すもので注目される。NFκBの阻害薬による治験が視野に入ったことも大きな成果。
 ALS 体を動かす神経が徐々に侵され全身の筋肉が動かなくなる原因不明の難病。感覚や知能に影響はないが、症状が進行すると自発呼吸もできなくなる。有効な治療法は見つかっていない。厚労省によると、発生割合は1年間で10万人に1人程度。国内の患者数は2009年3月時点で約8300人。県内では約80人。」(全文)

 
 
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◆2010/04/29 「ALS発症の仕組み解明、治療薬開発に大きく貢献…徳島大など」
 『読売新聞』2010-04-29
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/research/20100429-OYO8T00443.htm

 「ALS発症の仕組み解明、治療薬開発に大きく貢献…徳島大など
 全身の筋力が徐々に失われる難病「筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)」の原因とみられる遺伝子と発症の仕組みを、徳島大の梶龍兒教授らと広島大の川上秀史教授らの両チームが解明した。病気の進行を抑える治療薬開発に大きく貢献する発見という。米科学誌「Nature」電子版で28日発表した。
 ALS患者には、約1割の遺伝性と9割の非遺伝性の両患者がおり、これまで原因遺伝子はいくつか見つかっているが、発症の仕組みは解明されていなかった。
 梶教授らのチームは、「オプチニューリン」と呼ばれる遺伝子が異常を起こすと、「NFkB(エヌエフ・カッパ・ビー)」というたんぱく質が活性化し、ALSの原因となる仕組みを突き止めた。「NFkB」は、発がんや炎症を促す働きがあるとして知られていたが、今回初めてALSにも影響していることが判明。この発症の仕組みは遺伝性、非遺伝性の両患者に共通するという。
 「NFkB」を抑える薬はすでに流通しており、梶教授は「ALS治療に応用すれば、進行を抑える薬の開発に大きな弾みがつく」と期待している。
(2010年4月29日 読売新聞)」(全文)

 
 
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◆2010/04/29 「ALS:療養環境改善調査、県に協力を要望−−協会県支部 /島根」
 『毎日新聞』2010-04-29
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20100429ddlk32040605000c.html

 「ALS:療養環境改善調査、県に協力を要望−−協会県支部 /島根
 日本ALS(筋萎(い)縮性側索硬化症)協会県支部が28日、錦織厚雄・県健康福祉部長に面会し、患者の療養環境改善を目的としたアンケート調査への協力を要望した。錦織部長は「できる範囲で協力したい」と答えた。
 同支部によると2月現在、県内のALS患者は87人で、同協会に入会しているのは8人。アンケートを依頼するには、個人情報の保護の点で送り先などの把握が難しいため、県に協力を依頼した。
 ALS患者で、山陰放送で記者をしていた谷田人司さん(48)=松江市=が、がん患者が自ら発言して療養環境を改善してきた「島根方式」と呼ばれる患者、医療、行政などの連携を取材してきた経験から意見交換会を計画した。谷田さんは「患者の埋もれている声を掘り起こし、療養環境改善の切り口にしたい」と話した。【御園生枝里】」(全文)

 
 
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◆2010/05/03 「[杜の回覧板]夫が残した大きなもの=宮城」
 『読売新聞』2010-05-03

 「仙台に4月に転勤してきたのを機に、2000年7月に本紙くらし家庭面「医療ルネサンス」で闘病の様子を連載記事で紹介した、加美町の鎌田竹司さんの家族を訪問した。
 竹司さんは03年5月、突然の心停止で52歳で亡くなったが、この約10年前から、全身の筋力が失われる難病、筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)を患い、人工呼吸器をつけてずっと自宅で療養していた。
 意識ははっきりしているのに、動くのは眼球と口だけ。治療法はなく、妻の幸子さん(59)が24時間つきっきりで介護した。
 それでも、竹司さんは亡くなる1年半前、呼吸器をつけて米国で開催された患者団体の国際会議に出かけ、闘病中もアイガモを水田に放って無農薬米を作る「アイガモ農法」の組合長を務め続けた。
 竹司さんの死後、新たに2人の孫が生まれ、鎌田家は現在10人家族。幸子さんは「夫が亡くなった後のほうが忙しい」と元気そうだった。
 幸子さんは03年秋にヘルパー2級の資格を取った。経験を生かし、県内のALS患者の世話を続ける。「夫がいなかったら出会わなかった人がたくさんいるし、今の仕事にも縁がなかった。夫は本当に大きなものを残してくれた」と言う。
 ここ数年、ALS患者の間では、人工呼吸器をつけた後に意思疎通ができなくなった場合に死を選択したいと考える人も出てきていると聞く。難病患者たちの声を伝え、生きることの意味を考え続けたい。(石塚人生)」(全文)

 
 
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◆2010/05/03 「脳波で意思伝達 市場調査などへの応用も」
 『日本経済新聞』2010-05-03
http://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A9C93819595E0EAE2E29C8DE0EAE2E6E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E7E3E0E0E2E2EBE0E2E3E2

 「脳波で意思伝達 市場調査などへの応用も
  編集委員 賀川雅人
  2010/5/3 8:00
 産業技術総合研究所が脳波で512種類の意思を伝達できる装置「ニューロコミュニケーター」を開発した。話したり書いたりするのが困難な重度の運動障害者の自立支援を目指すもので、家族などからの問い合わせが殺到した。頭に取り付ける脳波計は小型・軽量。装着したまま行動できるので、マーケティング調査や教育、スポーツなどでの脳科学応用を促進する可能性を秘めているという。
 新装置は脳と機械を結びつけるブレイン・マシン・インターフェース(BMI)の一種で、認知型BMIと呼ばれる。超小型の脳波計を頭部に付け、パソコン画面を見ながらメッセージの選択を繰り返す。
 画面には「飲食する」「移動する」「気持ち」など8種類の選択肢が表示され、一見ランダムなように1つずつ一瞬だけ光っていく。利用者が1つに注目していると、それが光ったときの脳波の変化をとらえ、どれを選んでいたかを判断する。
 例えば「移動する」を選ぶと、次の選択画面に移り、「洗面所」「風呂場」「他の部屋」などと表示される。こうして「移動する」「洗面所」「歯磨き」と3回選ぶと、「洗面所に行って歯を磨きたいです」と示される。8種類の選択が3段階なので、最大512通り(8の3乗)の意思表示ができる。
 どれを選んだかの判断には「P300誘発脳波」を利用している。これは視覚や聴覚に対する刺激があると300ミリ秒後に起きる脳波の変化で、注意や意思決定に関係して反応の強さが変わる。これを「仮想意思決定関数」という推定手法で高速・高精度に予測する。条件が良いと1つ選ぶのに2〜3秒で済み、精度90%程度だという。
 筋萎縮性側索硬化症(ALS)などで体を動かせず発話も難しい人が意思を伝えるのに役立つとみている。3月末に発表したところ、患者の家族などからの問い合わせが殺到し対応に追われた。「患者さんの協力を得てテストを始めており、実績を積んでいきたい」と産総研の長谷川良平ニューロテクノロジー研究グループ長は話す。
 一方で、ビジネスなど他の応用も期待する。例えば脳科学を商品開発などに生かすニューロマーケティングだ。通常のアンケート調査は消費者が意識的に回答する。これだけでは分からない無意識的な好みなどを脳の計測から分析しようというのがニューロマーケティングで、企業でも研究が進んでいる。
 ただ基礎的な段階で、脳の信号が何を意味しているのかよく分からないことも多い。研究にはデータを大量に集める必要があり、これからは「フィールド実験が必要になる」と長谷川氏はみる。それに今回の脳波計が役立つという。
 開発した脳波計は帽子のように装着でき、本体は縦3.3センチメートル、横5.5センチメートル、厚さ1.5センチメートル、重さ24.2グラム。電極コードが伸び、8チャンネルで脳波を測定する。BMIで実用化を目指す脳波計としては世界最小レベルという。
 これだけ小型・軽量だと取り付けたまま行動できる。従来のニューロマーケティング研究は実験室内でコマーシャル(CM)の映像を映して反応を計測するなど場所が限られた。新開発の脳波計は無線式でもあり、装着して実際に店頭でブランド品の買い物をしてもらうといったフィールド実験が可能になるという。
 また、教育やスポーツのニューロフィードバックシステムにも応用を期待する。これは脳活動の強弱などをリアルタイムで本人に示すことで、意識状態を自分で制御するように訓練するシステムのこと。
 例えばリラックスしている状態と相関関係がある脳波がどれだけ出ているかを表示する。そうすると、何も手がかりがないままよりも、意識してリラックス状態に持っていきやすくなるとされる。同様に集中力を自分で高める訓練もあるという。
 「リラックスしているか、集中しているかは、自分でもよく分からないもの」(長谷川氏)。持ち運び可能な脳波計だと、運動しながら、勉強しながらなど現場で計れるため、利用が広がる可能性があるそうだ。
 もっとも、技術的に可能だからといって、すぐに簡単に実用化されるわけではない。脳はまだまだ謎が多く、脳科学の応用には慎重さが求められる。思わぬ副作用や倫理的な問題を懸念する指摘もある。技術革新が急速に進み新たな可能性が開ける一方で、危険性などの活発な研究や議論も欠かせない。


【写真説明】産総研が開発した意思伝達装置は頭に小型の脳波計をつける」(全文)

 
 
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◆2010/05/04 「[読者と記者の臨時便]「望まなかった延命」に反響 揺れる気持ち 難病患者も」
 『読売新聞』2010-05-04

 「◇「望まなかった延命」に反響(下)
 ◆「皆のためがんばらねば」「もう疲れた」
   筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)という病気をご存じですか。体を動かす神経が徐々に侵され、全身が動かなくなる原因不明の難病です。〈望まなかった延命治療〉反響編の最後に、46歳でALSを発症、今は人工呼吸器を着けておられる鳥取市の岡本充雄さん(52)の便りを紹介します。これまで、終末期について主に語り合ってきたので、このように手紙も頂ける岡本さんは、ご事情が違うのですが??。
 〈私は病院の臨床検査技師でした。それが一変し、病院で嫌になるほど見てきた「生かされている患者」に仲間入りしました。今はわずかに動く足で専用パソコンを操作し、手記を書いています〉
 岡本さんはALSによって呼吸するための筋肉が動かなくなり、人工呼吸器なしでは生きられません。2007年2月、呼吸不全で病院に運ばれ、気管切開されて呼吸器を着けました。意識が混濁した状態で装着を頼んだようです。発症時に「着けないで」と主治医に伝えていたのとは、違う結果になりました。
 〈こうして手記が書けるのも、医師たちが助けてくれたからですから、責める気持ちは全くありません。ただ、自分の意思に反し呼吸器を着けられた人には死ぬ権利を与えて良いのではないかと思う〉
 すぐには同意も反論も出来ずに、先週、ご自宅を訪ねてきました。
 岡本さんは、太いまゆ毛に眼鏡をかけた温厚そうな方でした。付き添っておられる奥さんの典子さん(52)によると、「発症前は、釣りやドライブの大好きなアウトドア派でした」とのこと。私が自己紹介をすると、足で操作したパソコンから、文字と電子音で〈こんにちは〉と返ってきました。今のお気持ちを尋ねると、10分以上かけて、こんな答えが画面に出ました。
 〈「皆のためにがんばらねば」という気持ちと、「もう疲れた。死にたい」という気持ちが心の中で振り子のように揺れているのが現状です〉
 岡本さんはパソコン以外に、まぶたを2回閉じると「はい」、眼球を左右に動かすと「いいえ」の意思表示ができますが、さらに病状が進むと、TLS(完全な閉じこめ状態)といって、意識や感覚はそのままなのに、全く発信が出来なくなるそうです。痛くても、苦しくても表すすべがない……。典子さんが、「この苦しみや恐怖は、本人にしか分からないと思います」とおっしゃいました。
 頂いた手紙には、岡本さんがずっと考えているという疑問が記されていました。
 〈私は医療従事者の時、「医療は患者さんの生命を守ること」と信じていました。その考えが崩壊しようとしています。誰か答えを教えて下さい。医療とは何ですか?〉
 「その答えは、ご自分でもわからないままなのですね」と聞くと、岡本さんは、まぶたを2回閉じました。
 大阪に戻る前、同じ鳥取市内で終末期患者のホスピスケアをしている「野の花診療所」に立ち寄りました。4月に「魂 プロの背中」という連載でご紹介したので、ご記憶の方もあるかもしれません。年に100人ほどの患者さんを看取(みと)る徳永進医師(62)に、話を聞いてみたくなったのです。徳永さんが言ったのは、「呼吸器着けても、外しても、途中で着けてもどれでもいい。臨床ではひとつに決められない。一番大事なのは、みんなの心が通い合うこと」でした。
 岡本さんの恐怖や奥さんたちの気持ちと心を通わせるなら、どんな選択になるのでしょうか。そもそも私たちが今生きている社会は、互いに心を通い合わせる力が衰えているのでは??。帰路、いくつもの問いが浮かびました。
 最初に届いたKさん(68)の便りをきっかけに、いろいろな心情、事情を紹介してきましたが、私自身はまだ「こうすべきだ」という答えにたどりつけずにいます。ただ、多くの方がご自分の選択のことを〈あれでよかったのか〉と、行きつ戻りつ考えている様子にふれ、そんな「迷い」をとても大切に感じました。命に対する畏敬(いけい)の表れでもあると思ったからです。(祝迫博)」(全文)

 
 
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◆2010/05/05 「[オピニオン]未来への時間旅行」
 『東亜日報』2010-05-05
http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=100000&biid=2010050542778

 「アイザック・ニュートンとアルベルト・アインシュタインに続き、「宇宙の秘密に一番近づいた物理学者」と評される英国ケンブリッジ大学のスティーブン・ホーキング教授(68)は、ひたすら本のみで知識を得るばかりが勉強ではないということを示してくれている。オックスフォード大学に通っていた時代には、体重が軽いという理由で、漕艇チームのコックスを務め、一週間に6日を川で過ごした。筋萎縮性側索硬化症(ALS)にかかり、車椅子生活を余儀なくされ、気管支の切除手術を受け、音声合成装置を用いて意思表現をするが、講演とTV番組を通じ、難しい物理現象を平たくわかりやすい言葉で説明し、大衆に近づいている。
◆ブラックホール理論の創始者であるホーキング博士が、最近想像力を刺激する興味深い理論を相次いで打ち出している。来週、ディスカバリーチャンネルで放送される「スティーブン・ホーキングの宇宙」というドキュメンタリー番組のインタービューで、彼は「ほかの星に外界生命体が存在すると信じる。だが、接触は避けるべきだ」と述べた。自分の惑星にある資源を枯渇させた宇宙人が流れ者になってほかの惑星を征服し、植民地化する可能性があるということだ。映画「アバター」で、資源枯渇に直面した人類が、パンドラ惑星の資源を目当てに、ナビ族を追い出そうとする設定の逆の状況だ。
◆宇宙人の存在論に続き、ホーキング博士は、同じ番組で未来への時間旅行が可能だと主張した。相対性理論によると、時間旅行をするためには、物体が光より速くなければならない。ところが、光より速い物体はない。よって、時間旅行は不可能だということが定説だった。しかし、ホーキング博士は、時間旅行が可能な根拠として光速に近い速度で飛ぶ宇宙船での一日は、地球での1年に匹敵し、この際の加速運動をする物体の周辺で時間が遅くなると説明した。ただ、過去への時間旅行は「原因が結果に先立つべきだ」という原則に反するため、不可能だと付け加えた。
◆時間旅行は、人間の好奇心と探求欲を無限に高める。そのため、実現不可能なことであることを承知しながらも、数多くの小説、漫画、映画が時間旅行と空間移動を素材としている。ホーキング博士も、「過去への時間旅行をするならば、マリリン・モンローに会いたい」と話している。いずれにせよ、彼の時間旅行可能論は、人間の固定観念のひとつをまた打ち破るものだ。未来に向かうことが、サイエンス・フィクション(SF)の中の話のみではないと、世界的な碩学が語っているのだから、彼のタイムマシーンに一度乗ってみたいものだ。
鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com」(全文)

 
 
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◆2010/05/08 「徳田氏“徳之島移転は無理”」
 『NHK』2010-05-08
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100508/t10014311511000.html

 「徳田氏“徳之島移転は無理”
  5月8日 17時56分
鹿児島県徳之島を含む衆議院鹿児島2区から選出されていた徳田虎雄元衆議院議員は8日、NHKの取材に応じ、沖縄のアメリカ軍普天間基地の機能の一部を徳之島に移すことについて、「住民の大多数が反対なので無理だと思う」と述べ、将来的にも困難だという認識を示しました。
徳田虎雄元衆議院議員は、鹿児島県徳之島の出身で、政界を引退したあとも地元に影響力を持っていて、先月28日には、普天間基地の移設問題をめぐって鳩山総理大臣と会談しています。徳田氏は8日、都内の自宅でNHKのインタビューに応じました。徳田氏は、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病のALS=筋萎縮性側索硬化症を発症し、手足を動かしたり、話をしたりすることができませんが、文字盤を目で追って意思疎通を図ることができます。徳田氏は、普天間基地の機能の一部を徳之島に移すことについて、「わたしは子ども時代に8年間、アメリカ軍による支配に嫌な思いをした経験がありますから、わたしの年代が皆、反対するのはあたりまえです」と述べました。そのうえで、徳田氏は、今後、徳之島が基地機能の一部を受け入れる可能性があるのかどうかについて、「住民の大多数が反対し、アメリカも難色を示しているなかで、基地は無理だと思う」と述べ、将来的にも徳之島が受け入れる余地はないという認識を示しました。また、徳田氏は、仮に鳩山総理大臣から再度、面会の意向が示された場合は、「礼儀を尽くして住民の民意を理解してもらうしかない」と述べ、基地機能の移転に反対する住民の意思をあらためて伝える考えを示しました。」(全文)

 
 
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◆2010/05/10 「「医療行為」見直しを 重度障害児の母ら要望提出へ」
 『中日新聞』2010-05-10
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2010051090090324.html

 「「医療行為」見直しを 重度障害児の母ら要望提出へ
  2010年5月10日 09時46分
 重度の障害で自宅療養する子どもの親たちが、たんの吸引などの負担を背負い込んでいる。医師法でたんの吸引は医師や家族のみができる「医療行為」とされ、ホームヘルパーは合意文書を交わした場合に特例的に認められるという制度の壁があるためだ。愛知県一宮市の主婦らが所属する保護者の団体は「吸引できる人が拡大すれば、子どもたちの社会参加の機会が増える」として、体制整備を求める要望書を今週にも厚生労働省などに提出する。
 生後間もなく低酸素脳症になった一宮市木曽川町玉ノ井の宮田晴叶(はると)君(4つ)。起きているときは1時間おきにたんがたまるので、母幸恵さん(30)が絶えず付き添い、吸引器で処理する。
 週に1日頼んでいるホームヘルパーは合意文書がないため吸引ができない。保育園に通う兄(6つ)と弟(2つ)が病気になった時などは、医師法では認められないものの、善意で手伝ってくれる友人に吸引をしてもらっている。
 「兄弟が大きくなれば、外出の機会も増える。ヘルパーさんはよくしてくれるけど、友人などの素人でもできるぐらいの作業が頼めないなんて…」と幸恵さんは困惑。「この子と生きていくため、家族の負担を減らして」と訴える。
 厚労省は2003年に筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)の在宅患者について、05年にはその他の疾病在宅患者についても、医師や家族以外の第三者によるたん吸引を特例的に認めた。
 しかし、現行制度で吸引はヘルパーの業務とされず、個々のヘルパーと患者や家族が同意書を交わしたうえで行っている。危険を伴う作業にもかかわらず、責任はヘルパー個人が負う仕組みのため、全国ホームヘルパー協議会(東京)は「ヘルパー個人の意欲に頼っているのが現状。(ヘルパーを派遣する)事業所は尻込みしてしまう」と指摘する。
 要望を提出する「人工呼吸器をつけた子の親の会」(大阪府箕面市)によると、同会に所属する呼吸器を付けた小児の在宅患者は発足時の1990年に全国で1人しかいなかったが、機器の進歩などによって現在は会員の子どもだけで200人以上。会員以外も含めれば推計で1000人ほどに増えているとみられ、ヘルパーによる吸引を求める声は強い。
 厚労省医事課の担当者は「現行制度の見直しを検討する方針は決まっている」と話すが、見直しの具体的な内容は未定で、保護者らは動きが鈍いと感じている。経管栄養チューブの挿入やカテーテルによる排尿など、吸引以外の日常的な介護作業には特例措置もないのが実情だ。
 親の会の折田みどり事務局長は「きちんとした実習を積めば誰にもできる作業ばかり。生活を支援する行為として、医療行為とは切り離してほしい」と訴えている。
 【医療行為】実行することで人体に危害を及ぼすおそれがあるとして医師、歯科医師、看護師以外には禁じられている行為。家族は「本人に準ずる」として、医療行為を行っても医師法違反には当たらない。実態として医師や家族以外の介護者が行っていた行為もあり、体温や血圧の測定、かん腸などは2005年に厚労省が「医療行為ではない」と認めている。
(中日新聞)」(全文)

 
 
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◆2010/05/13 「脳神経細胞、死滅の仕組み一端解明 秋田大」
 『日本経済新聞』2010-05-13
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E3E0E2E69B8DE3E0E2E7E0E2E3E29180EAE2E2E2

 「脳神経細胞、死滅の仕組み一端解明 秋田大
  アルツハイマー治療に道 2010/5/13 2:01
 秋田大学の佐々木雄彦教授らはマウスを使った実験で、脳神経細胞が死ぬ仕組みの一端を解明した。細胞内で不要になったリン脂質を分解する酵素が働かなくなると細胞が失われ、運動機能に障害が出ることを確認した。酵素の働きを応用すれば神経細胞の働きが失われるアルツハイマー病などの治療や、脳卒中の後遺症軽減に役立てられる可能性がある。
 研究成果は13日、英科学誌ネイチャー(電子版)に掲載される。
 佐々木教授らは細胞膜を構成するリン脂質の分解酵素に注目。この酵素をなくしたマウスをつくるとリン脂質が分解されずに細胞にたまり、細胞の死を招いた。その結果、体が勝手に動くなどの運動障害が起きた。
 古いリン脂質がたまると細胞は神経伝達物質の一つ、グルタミン酸に過剰に反応するようになることもわかった。高濃度のグルタミン酸は細胞に対し毒性を持つことが知られている。それと同じ反応が起きて、細胞が死ぬと考えられるという。
 佐々木教授は酵素が「リン脂質の量を調整して細胞を守る働きをする」とみている。酵素は「INPP4A」と呼ばれ、存在は知られていたが神経細胞の死に関連していることはわかっていなかった。今回の成果はアルツハイマー病のほかALS(筋萎縮性側索硬化症)の治療法開発などに役立つとみられる。


【写真説明】酵素をなくしたマウスの脳(右)では、神経細胞が死んで黒く萎縮している(左は正常なマウス、佐々木教授提供)」(全文)

 
 
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◆2010/05/13 「アルツハイマー型認知症治療にも期待」
 『日テレNEWS24』2010-05-13
http://www.news24.jp/nnn/news8613412.html

 「これは秋田大学大学院微生物講座の佐々木雄彦教授をはじめ、秋田大学が群馬大学などとの共同研究の成果として発表したものです。
アミノ酸の一種グルタミン酸は、脳の正常な働きに欠かせない一方、脳神経細胞を殺す毒性もあわせもっています。脳神経細胞の死は脳卒中の後遺症やアルツハイマー型認知症などの原因とされています。佐々木教授たちはこの脳神経細胞の死が”細胞にある一つの酵素=INPP4A”によって抑制され、細胞が守られている仕組みを解明したものです。
佐々木教授は「アルツハイマー型認知症やALSなどの神経変性疾患の革新的な治療につながる可能性もある」と話しています。
[5/13 13:08 秋田放送]」(全文)

 
 
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◆2010/05/15 「追跡・発掘:患者の家族守る「レスパイト入院」 受け入れ医療機関わずか /山梨」
 『毎日新聞』2010-05-15
http://mainichi.jp/area/yamanashi/tsuiseki/news/20100515ddlk19040062000c.html

 「追跡・発掘:患者の家族守る「レスパイト入院」 受け入れ医療機関わずか /山梨
 ◇利用拡大で県が支援事業
 難病患者などの介護で家族が共倒れになるのを防ぐ「レスパイト(休息)入院」の利用を広めようと、県は4月から新たな支援事業を始めた。対象は筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)などに限られるが、医療機関と家族双方に対する経済支援を用意していることから患者らには期待の声も広がる。ただし、どの程度の医療機関がこの支援制度を活用して「レスパイト入院」を受け入れるかの見通しは立っていない。定着までには時間がかかりそうだ。【小林悠太】

 「ここ数年間、まとまった睡眠は毎晩3時間程度です」。笛吹市議の北嶋恒男さん(62)=同市八代町=の妻英子さん(59)は21年前にALSと診断され、02年から人工呼吸器を付けての生活を送る。英子さんが支部長を務める日本ALS協会県支部は5年ほど前から県にレスパイト入院支援を要請してきた。恒男さんは「家族は介護を休めず、自分自身が病気することさえ許されなかった。短期入院ができれば、息抜きもできる」と喜ぶ。
 ALSは、手足やのど、舌などの筋肉が少しずつやせ、力がなくなっていく病気。人工呼吸器を付け、会話ができなくなった後も、知能や視力、聴力などは保たれ、意識がはっきりしているのも特徴だ。治療法はまだ見つかっていない。
 ALSは、たんの吸引が数時間おきに必要で、人工呼吸器が外れると生死にかかわるため、入院時にはこまめな見回りが必要だ。まばたきなどの細かい動きから患者と意思疎通を図るため、初対面の看護師には意思疎通が難しく「お年寄りの介護の方がずっと楽だ」(医療関係者)と言われていた。
 一方で、治療を行わないレスパイト入院は収入が入院基本料の1万3000円程度にしかならない。手間がかかるのに、収入が少ないことが、受け入れを敬遠されてきた要因だとみられている。
 今回の支援事業は、県と委託契約を結んで患者を受け入れた医療機関に対し、患者1人当たり日額1万3000円を支給する仕組み。入院基本料と合わせて、医療機関の収入はこれまでの約2倍になるという。
 また、家族が入院中の介助を担うヘルパーを雇った場合、県が日額1万円を補助する。自宅でヘルパーを雇った場合は公的補助が出るのに、入院時には全額、自己負担だったのを改めた。利用限度は1回最長7日間で、年間延べ42日間まで可能だ。恒男さんは「普段から担当のヘルパーの付き添いが可能になれば、意思疎通は容易になる。病院側の負担も減って大きなプラスだ」と評価する。
 課題はレスパイト入院を実施する医療機関が容易に増えないことだ。恒男さんは「ほかの患者さんがレスパイト入院を依頼しても、ほとんど断られている」と現状を訴える。事実、県が委託契約を結ぶ予定の病院は5月14日現在で、わずかに二つ。受け入れ態勢は十分と言えない。
 県の難病患者入院事業の拠点病院となっている山梨大医学部付属病院の有田明美・医療福祉支援センター専任看護師長は、今回の事業を「画期的だ」と評価する。その一方で「医療機関が受け入れない理由は看護師や専門医の不足にある」と指摘し「県が率先して、協力医療機関を探さなければ絵に描いた餅になる」と話す。
 県内では峡南病院(富士川町)が09年、中央市の60代の女性ALS患者のレスパイト入院を初めて受け入れた。院内に反対論もあったが、看護師の教育効果にも期待し、2週間程度の入院を2回受け入れた。志村光子看護師長は「受け入れが一部の病院のみでは負担が大きい。すべての病院が行えるようにならないといけない。医療機関の意識変革が必要だ」と語る。
 英子さんに支援事業への感想を尋ねると、唇と指でパソコンを操作し「家族の介護は盆、正月なく365日続くので、患者、家族にこの上ない朗報だ。うまく軌道に乗ってほしい」と訴えた。」(全文)

 
 
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◆2010/05/17 「難病乗り越え念願のサークル 京の数学教諭 科学実験」
 『京都新聞』2010-05-17
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P20100517000035&genre=F1&area=K00

 「難病乗り越え念願のサークル
  京の数学教諭 科学実験
 全身が動かなくなっていく難病、筋委縮性側索硬化症(ALS)で寝たきりになった京都市立中の数学教諭井上秀雄さん(56)=休職中=が、情熱を傾けてきた「仮説実験授業」の市民向けサークルを立ち上げた。かつてのように自ら教壇に立つことはできないが、16日には念願の「授業参観」がかなった。井上さんは「サークルが地域の学びの場になっていくことが、私の夢」と、今も教育に熱い思いを抱き続けている。
 井上さんは一昨年7月、やせ始め、歩きにくくなった。ALSと診断され入院。呼吸機能が衰えて人工呼吸器を装着し、西京区の自宅で療養生活を送る。病は進行し、左手の指と足指以外は動かなくなっていった。
 落ち込んだ井上さんの支えは、仮説実験授業だった。実験結果を予想、討論して実験に臨む授業スタイルで、かねて退職後のサークル設立を考えていた。「退院後にサークルを始めたい。でも、自分は何もできない」。メールで仲間に夢を伝えた。
 元教員らの協力が得られ、昨年5月に井上さんを代表に「街角かがく倶楽部・洛西」が発足した。年4回の授業が始まり、わずかに動く足の指で井上さんがメールを作成し、講師を依頼した。
 授業への参加はあきらめていたが、人工呼吸器を積める車いすがあれば可能と分かった。授業への参加が決まった夜は「うれしくて寝られなかった」。
 16日の授業。井上さんは妻と看護師の付き添いで、退院後初めて外出し、自宅近くの会場に到着。かつての教え子や近所の小学生たちと一緒に、問題に取り組んだ。
 実験テーマは「水分子の冒険」。井上さんは水槽に浸したティッシュペーパーに水がどのように浸透するかなどを問う選択問題に挑み、妻の介助で手を挙げ、予想を発表。実験で水の性質を学んだ。
 「久しぶりに脳みそがよく動いた」と、ユーモラスに感想を話した井上さんは「続けていきたい。もっと参加する子どもが増えてくれたら」と意欲をみせた。


【写真説明】「街角かがく倶楽部・洛西」の授業に初めて参加し、実験結果を予想するALS患者の井上さん(16日、京都市西京区・竹の里会館)」(全文)

 
 
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◆2010/05/18 「読書日和:注目です 名訳者のあとがき」
 『毎日新聞』2010-05-18
http://mainichi.jp/enta/book/news/20100518dde012070084000c.html

 「読書日和:注目です 名訳者のあとがき
 文化大革命期(1966〜76年)の中国を理解する上で必須の史書として話題になり、07年にアジア・太平洋賞大賞を受賞した「周恩来秘録」上下(高文謙著・上村幸治訳)の文庫版(文春文庫・各770円)が刊行された。
 中国共産党の直属機関で機密文書を扱える立場にあった著者が描く権力闘争の内幕はすさまじい。周恩来に嫉妬(しっと)し、がん手術を許さない毛沢東。追い詰められながらも最後まで忠誠を尽くす周恩来。日本語訳の読みやすさは元毎日新聞中国総局長の訳者の文章力に負うところが大きい。
 文庫版のあとがきで上村氏は晩年の毛沢東と同じ神経難病のALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)を発病したことを告白している。
 ALSは筋肉が弱まり、身体の自由が次第に失われるが、思考力は衰えない。上村氏は病気の経験を踏まえ、周恩来のがん治療を認めなかった毛の判断は「脳に支障のない状況」で行われたなどと毛の意図や周の真意を再推理している。
 上村氏は「同じ病気になったから、毛沢東の考え方がわかるということにはならない」と慎重だが、「病気になって初めて気がついたことも確かにあった」と指摘する。死後の歴史の評価を恐れる「二人の老人」の悲劇との解釈には説得力がある。【坂東賢冶】」(全文)

 
 
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◆2010/05/18 「ALS患者入院中もヘルパー派遣可能に 厚労省方針」
 『朝日新聞』2010-05-18
http://www.asahi.com/national/update/0518/TKY201005180490.html

 「ALS患者入院中もヘルパー派遣可能に 厚労省方針
  2010年5月18日23時31分
 厚生労働省は、全身の筋肉がまひする難病の筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)患者が、家族の負担を軽くするために短期入院した場合、入院先に介護保険のヘルパーを派遣できるよう通知を見直す方針を決めた。
 重度のALS患者は、わずかに筋力の残った部分を動かし文字盤を使って会話するなどする。患者の特性を熟知したヘルパーが食事介助などの介護をする必要がある。
 現在の保険診療のルールでは、入院患者の看護はその病院の看護師が実施することになっていて、入院中はヘルパーを利用できない。ALS患者が短期間入院する場合、看護師との意思疎通が難しく、患者の不安が大きいと問題になっていた。
 特定の地域に限って規制を緩和する構造改革特区の検討を進めようと、佐賀県から提案があり、厚労省は全国的な対応が必要と判断した。(月舘彩子)」(全文)

 
 
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◆2010/05/19 「ALS:患者に療養アンケ 意見交換会に反映――協会県支部 /島根」
 『毎日新聞』2010-05-19
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20100519ddlk32040461000c.html

 「ALS:患者に療養アンケ 意見交換会に反映――協会県支部 /島根
 日本ALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)協会県支部はこのほど、県の協力を得て、ALS患者の療養環境を調査するアンケートを県内の患者92人に送った。結果は6月13日に行政や医療関係者らと開く意見交換会に反映する。
 ALSは全身の筋力が低下する難病。手がうまく動かず字を書けなかったり、呼吸不全で気管切開して発声できなかったりする症状が考えられ、回答には家族や介護者の協力が求められている。
 アンケートでは、発症から診断までの経過、告知の内容、療養について受けた説明、在宅・入院療養の内容、問題などを尋ねている。県支部では患者の住所など個人情報を入手できないため、協力を依頼された県が送付した。
 アンケートを発案したALS患者で山陰放送統括担当部長の谷田人司さん(48)は「県支部には患者が8人しかおらず、回答がなければ意見交換会は骨抜きになってしまう」と協力を呼び掛けている。【御園生枝里】」(全文)

 
 
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◆2010/05/19 「こんにちは広島:日本ALS協会県支部長に就任する、岩森孝夫さん /広島」
 『毎日新聞』2010-05-19
http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20100519ddlk34040531000c.html

 「こんにちは広島:日本ALS協会県支部長に就任する、岩森孝夫さん /広島
 ◇喜び悲しみ分かち合い――岩森孝夫さん(57)=西区
 「ALSの患者さんには積極的に外に出て、必要な情報を得てほしい。外に出て世間に知ってもらうことで、ALSへの理解も深められる」
 「筋萎縮性側索硬化症」(ALS)は、運動をつかさどる神経が障害を受け、手足・のど・舌の筋肉や、呼吸に必要な筋肉がやせて力が無くなっていく病気だ。原因不明の進行性の病気で、症状が軽くなることはないという。県内では176人(今年3月現在、県まとめ)いるとされる。患者や家族らでつくる日本ALS協会の県支部長に6月就任する。
 兵庫県尼崎市出身。03年に広島に移り、調理人として喫茶店で働いていた。04年10月、勤務中に左手の力を失いフライパンが持てなくなった。「まるで電池が切れてしまったようだった」。整形外科で精密検査をしたが病名ははっきりしなかった。リハビリを続けたが症状は改善せず、同年12月に別の病院で「ALSで3〜5年の命です」と宣告された。
 仕事を辞め、持ち家もローンを払いきれないと思い、売り払ってしまった。しかし、難病と認定されるとローンの支払いは免除されるという。「何も知らなかった。情報がちゃんとあれば」と悔やんだ。介護や障害者の支援制度を知らずに、負担を抱え込んでいる家族は少なくない。自身の経験を生かし、06年ごろから広島大学の難病対策センターでALS患者の相談に乗り始めた。その後、「話を聞くだけでなく、実生活の支援をしたい」と考え、たんの吸引方法や呼吸器リハビリの勉強会の開催を県支部に提案し、ヘルパー養成のサポートに力を入れている。
 医師から告げられた余命を過ぎても、話すことができる。「宣告されて5年目からの人生は生かされていることを実感し、恩返しする期間なんです」。病気を発症した人の相談に乗ることが幸せと言う。「病気になって殻に閉じこもる人は多いが、ぜひ人とつながる機会を作ってほしい。喜びも悲しみも分かち合いたい」。日本ALS協会県支部事務局(倉掛さん、082・848・0584)。【北浦静香】」(全文)

 
 
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◆2010/05/20 「難病患者と家族の意思疎通支援へ一歩 仙台市検討委設置へ」
 『河北新報』2010-05-20
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/05/20100520t15014.htm

 「難病患者と家族の意思疎通支援へ一歩 仙台市検討委設置へ
 筋委縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)など、家族との意思疎通も難しくなる難病患者へのコミュニケーション支援策について、仙台市は25日に検討委員会を発足させる。日本ALS協会宮城県支部の代表らの意見を生かし、まだ全国にもない自治体、医療・福祉、IT(情報技術)の関係者が連携する支援機関づくりの具体化を急ぐ。
 コミュニケーション支援機関づくりは同県支部が昨年12月、奥山恵美子仙台市長に要望した。同市障害者更生相談所(大島和久所長)を窓口に、コミュニケーション支援機関検討委員会(仮称)を発足させる。
 委員にはALS協会県支部(和川次男支部長)の患者の家族やボランティア、障害者のIT支援に携わるNPO法人の代表、病院の作業療法士らが委嘱される。
 全身の筋肉、話す力も衰えるALS患者らのコミュニケーション支援には現在、五十音表を用いた対話、指や顔の筋肉などを使う電気スイッチ、脳波に反応する意思伝達装置の利用などがある。
 検討委の協議ではALSなど神経難病を主な対象に(1)在宅の患者・家族がどんなコミュニケーション支援を必要としているか(2)どんな人材の確保や養成が必要か(3)支援の相談の場をどこに設けるか(4)それらをつなぐ支援機関をどうつくるか―などが課題となる。
 同相談所は「行政の本格的なコミュニケーション支援は他自治体にも例がない。夏をめどに検討を急ぎたい」と話す。
 ALS協会県支部は18年前、有志の技術支援ボランティアが、パソコンを操作する特殊なスイッチを開発。希望する患者に無償で提供し、画面の文字盤での対話、ネットやメールの利用を広めてきた。
 だが患者宅訪問など独力の活動が年に160日を超え、後継ボランティア探しも難しく、自助努力は限界にきている。
 ALS患者の和川支部長は現在、脳波を使って音を鳴らす機器を通して対話する。検討委員を委嘱された妻はつみさん(57)は「家族のきずな、人として生きる希望をコミュニケーションが支える。一日も早く支援機関を実現させたい」と期待している。
2010年05月20日木曜日


【写真説明】ALS患者へのコミュニケーション支援を訴えてきた和川さん夫婦=仙台市泉区」(全文)

 
 
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◆2010/05/23 「9人が「呼吸器外した」…ALS治療の専門医4500人調査」
 『読売新聞』2010-05-23
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=25462

 「9人が「呼吸器外した」…ALS治療の専門医4500人調査
 全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病の「筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)」の治療で、調査に回答した医師の約2割(287人)が、患者や家族から生命の維持に必要な人工呼吸器を外してほしいと頼まれた経験があり、うち9人が過去に外したことがあると答えたことが、北里大などの調査でわかった。
 調査の概要は22日、東京都内で開かれた日本神経学会で発表された。昨年3月、日本神経学会の専門医約4500人に行い、1495人から回答があった。人工呼吸器を外した時期などについては不明。
 人工呼吸器を外す権利については、今後、何らかの条件がクリアできれば認めるべきとの答えが約6割だったのに対し、「認めるべきではない」は24%だった。
 ALSは進行すると自力呼吸ができなくなり、人工呼吸器が必要になる。この日の学会では、患者や家族から「いったん呼吸器外しが認められると、周囲のサポートなしでは生きていけない患者に圧力がかかる」という意見も出された。
 人工呼吸器外しをめぐっては、富山県の射水市民病院で、末期がんなどの患者7人の人工呼吸器を外し死亡させたとして医師2人が殺人容疑で書類送検されたが、2009年、嫌疑不十分のため不起訴となった。国は07年に終末期医療の指針をまとめているが、中止の具体的な基準には触れていない。
(2010年5月23日 読売新聞)」(全文)

 
 
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◆2010/05/23 「歌集「歯と瞼」:ALSで逝った田中俊一さん、命の証し 今月末に発刊へ /愛媛」
 『毎日新聞』2010-05-23
http://mainichi.jp/area/ehime/news/20100523ddlk38040416000c.html

 「歌集「歯と瞼」:ALSで逝った田中俊一さん、命の証し 今月末に発刊へ /愛媛
 ◇歯で棒くわえ文字盤たどり、瞼で「OK」 生と死問うた100首
 難病のALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)を患いながらも今年3月に70歳で亡くなるまで短歌を詠み続けた西条市の田中俊一さんの歌集「歯と瞼(まぶた)」が今月末、松山市の出版社、晴耕雨読から発刊される。
 田中さんのサラリーマン時代から定年後病床で亡くなるまでに詠んだ約1500首の中から100首が掲載されている。
 定年後に第二の人生を楽しもうとしていた田中さんは、61歳で運動神経細胞が侵され筋肉が動かしにくくなる進行性の難病ALSを患った。発症して2年目に入院してからは、のどに人工呼吸器を付けたため声を発せなくなった。
 意識ははっきりしているが体は動かせないため、入院して亡くなるまでの約8年間は歯にくわえた棒を使い、妻が持つ文字盤で文字を選択。妻が文字に起こしたその短歌を、田中さんが瞼でOKの合図を出す方法で歌を詠んでいた。「歯と瞼」という書名はここからきている。
 晴耕雨読代表の高松源一郎さん(61)は「田中さんが病床で病気と闘い、自らの生と死などについて繰り返し問い続けた短歌が掲載されている。命をかけて詠んだ短歌をぜひ読んでほしい」と話している。県内の書店で購入できる。1800円。問い合わせは同社(089・933・3273)。【村田拓也】」(全文)

 
 
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◆2010/05/26 「患者のDNA保管「難病バンク」設立へ…厚労省」
 『読売新聞』2010-05-26
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100526-OYT1T00698.htm

 「患者のDNA保管「難病バンク」設立へ…厚労省
 厚生労働省は、難病患者の細胞やDNAなどの生体試料を保管する「難病バンク」を設立する。早ければ11月に研究者や製薬企業への提供を始める計画で、難病の原因解明や治療法の開発に役立つと期待される。
 正式名称は「難病研究資源バンク」。バンクが置かれる医薬基盤研究所(大阪府茨木市)と、熊本大、理化学研究所が中心となって事業を行う。
 医薬基盤研は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)など130の難病患者から同意を得て生体試料を集める。提供者を匿名にした上で、研究者や製薬企業に配布する。
 熊本大は、難病患者の細胞から新型万能細胞(iPS細胞)を作り、理研などを通じて、希望する研究者に渡す。iPS細胞は神経や筋肉などさまざまな細胞に変化させられるので、幅広い研究に活用できる。
(2010年5月26日14時38分 読売新聞)」(全文)

 
 
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◆2010/05/26 「舞台「モリー先生との火曜日」主演、60歳俳優・加藤健一に若さの秘訣を聞く!」
 『リアルライブ』2010-05-26
http://npn.co.jp/article/detail/22744468/

 「長きに渡って舞台や映画、テレビドラマで活躍している俳優の加藤健一が、東京練馬区の地に「本当に芝居の好きな役者たちを集めて舞台づくりをする場を」と1980年に発足した加藤健一事務所。ここで芝居を学んだ多くの若者たちが、演劇や芸能の世界にはばたいている。そんな加藤健一事務所30周年記念ラスト公演は、世界中が涙した感動のノンフィクション作品「モリー先生との火曜日」(2010年6月3日(木)〜15日(火)下北沢 本多劇場)を上演。今年の10月には61歳になるも、エネルギッシュに主演する加藤に“若さ”の秘訣を聞いた。
 「モリー先生との火曜日」あらすじ、ルー・ゲーリック病(ALS)を患う大学時代の恩師モリー先生の元を訪れたミッチは、「君は自分自身に満足しているかい?」という、先生の言葉が脳裏から離れない。16年ぶりに再会した恩師がかつての教え子に託すさまざまな「人生の意味」とは。加藤健一(モリー先生)と高橋和也(ミッチ)の“心温まる”珠玉の二人芝居。
 コダイ:公演3週間を切りましたが、「モリー先生との火曜日」の仕上がり具合はいかがでしょう?
 加藤:まだまだ、お稽古が折り返し地点なのでこの後もたっぷり時間をかけていいものをつくっていきます。
 コダイ:お稽古期間がまる一ヶ月って、長くないですか?
 加藤:加藤健一事務所のお芝居は、いつもこれぐらい時間をかけて練習します。演技、舞台セット、小道具、衣装デザイン、その他音響などそのつどよりよいものを選び、考慮して、当日には最良の舞台になるようにもっていくんです。
 コダイ:舞台ってとても贅沢なものですね。公演が楽しみです。共演の高橋さんについては?
 加藤:二人芝居ですが、彼は、「お稽古好き」なので、とてもやりやすいです。
 コダイ:先ほどお稽古を見て、ルー・ゲーリック病(ALS)を患うモリー先生の、不自由な様子がとても上手かったのですが、どうやって練習するのですか?
 加藤:映像などを見て勉強します。
 コダイ:加藤さん、記者が子供の頃(30年くらい前)にテレビで見た時と見た目があんまり変わってません。その若さの秘訣を教えてください。それからモリー先生はかなり高齢の役なのですが、そんなに若くて大丈夫なのでしょうか?
 加藤:(ちょっと笑って)今は特殊メイクの技術も進んで、髪も白髪になります。老人に見えるように姿勢や動きにも工夫をこらします。若さの秘訣…。わかりません。
 キュートな笑顔を見せる加藤さんの、若さの秘訣は聞けなかったが、いつも若い役者たちに囲まれ、信頼するスタッフと共に、常に新しいお芝居に挑戦し続けるという、まったくもってうらやましい生き方をしている加藤さんは、老けるはずが無い。そんな若々しい俳優・加藤健一からの「心の贈り物」を、同世代の男性にもぜひ感じてほしい。
 「モリー先生との火曜日」は下北沢 本多劇場で2010年6月3日(木)〜15日(火)まで上演(お問合せ 加藤健一事務所まで)
(聞き手 コダイユキエ)


【写真説明】加藤健一(モリー先生)と高橋和也(ミッチ)」(全文)

 
 
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◆2010/05/26 「厚生労働省、「難病バンク」設立へ」
 『読売新聞』2010-05-26
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=25675

 「厚生労働省、「難病バンク」設立へ
  難病患者の細胞やDNA保管 研究に活用
 厚生労働省は、難病患者の細胞やDNAなどの生体試料を保管する「難病バンク」を設立する。
 早ければ11月に研究者や製薬企業への提供を始める計画で、難病の原因解明や治療法の開発に役立つと期待される。
 正式名称は「難病研究資源バンク」。バンクが置かれる医薬基盤研究所(大阪府茨木市)と、熊本大、理化学研究所が中心となって事業を行う。
 医薬基盤研は、筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)など130の難病患者から同意を得て生体試料を集める。提供者を匿名にした上で、研究者や製薬企業に配布する。
 熊本大は、難病患者の細胞から新型万能細胞(iPS細胞)を作り、理研などを通じて、希望する研究者に渡す。iPS細胞は神経や筋肉などさまざまな細胞に変化させられるので、幅広い研究に活用できる。
(2010年5月26日 読売新聞)」(全文)

 
 
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◆2010/05/27 「言葉の持つ本当の力に挑戦 加藤健一 舞台「モリー先生との火曜日」」
 『MSN産経ニュース』2010-05-27
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100527/tnr1005271320006-n1.htm

 「言葉の持つ本当の力に挑戦 加藤健一 舞台「モリー先生との火曜日」
  2010.5.27 13:16
 加藤健一事務所30周年のラストを飾る記念公演「モリー先生との火曜日」が6月3日から上演される。
 今回は元男闘呼(おとこ)組で、最近では韓国スター、イ・ビョンホン出演作の日本語吹き替えで評価を受けるなど、俳優として活躍の場を広げている高橋和也が初出演する。

 ■生き方と死に方
 《人気スポーツライターのミッチ(高橋)はある日、大学時代の恩師の教授、モリー(加藤)が難病であることを知る。一度の訪問のはずが、やがて回数を重ね、人生の成功者であると思っていたミッチは自身の生き方に疑問を抱き始める。16年ぶりの再会は2人だけの講義の始まりとなった。その最後のテーマは死、欲望、家族、社会、人生の意味…》
 高橋は「随分前にこのドキュメンタリー小説を読んでいて、改めて深い話だな、と。ミッチとは同世代なので考えるところはありますね」と語り、加藤が29年前に出演していたドラマ「想い出づくり。」を強烈に覚えていると付け加え、「加藤さんとの2人芝居は光栄で、感慨深いものもあります」。
 加藤は「これはアメリカで実際にあった話で、モリー先生が自分の命を懸けて死ぬ間際までテープに録った講義を文章におこしたもの。だから、本当の意味での言葉の持つ力があるんですね。死に方が分かれば生き方が分かる。生き方を見つめれば、死に方がはっきりしてくるっていうセリフは非常に印象深い」と話す。
 ■「ミッチにぴったり」
 高橋については「ミッチという役は、イメージとしてはエネルギッシュでカッコ良くってスポーティー。そんな条件がぴったりの人を探していたら、和也君がいた。初共演だし、楽しみです」と期待を寄せる。
 作品は、2000年にアメリカでテレビ映画化され、名優、ジャック・レモンの遺作となった。02年にはオフブロードウェーで初演され、日本での翻訳上演は初となる。(松本明子/SANKEI EXPRESS)
       ◇
 【ガイド】
 6月3〜15日、東京・下北沢の本多劇場。(電)03・3557・0789


【写真説明】【ステージドア】加藤健一さん(左)と高橋和也さん(松本明子撮影)」(全文)

 
 
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◆2010/05/27 「舞台「モリー先生との火曜日」で、心温まる二人芝居に挑戦。高橋和也に聞く!」
 『リアルライブ』2010-05-27
http://npn.co.jp/article/detail/13541350/

 「舞台「モリー先生との火曜日」で、心温まる二人芝居に挑戦。高橋和也に聞く!
 加藤健一事務所30周年記念ラスト公演、世界中が涙した感動のノンフィクション作品「モリー先生との火曜日」(2010年6月3日(木)〜15日(火)下北沢 本多劇場)に加藤演じるモリー先生に、さまざまな「人生の意味」を託される教え子ミッチを演じる高橋和也。「まじめでお稽古好き」と加藤に太鼓判を押された高橋にこの舞台の仕上がりと、見どころを聞いた。
 「モリー先生との火曜日」あらすじ、ルー・ゲーリック病(ALS)を患う大学時代の恩師モリー先生の元を訪れたミッチ(高橋)は、アメリカ全州に流れるスポーツニュースのライター。名声も収入も十分にあるはずの彼は、ある日テレビに出演するかつての恩師、モリー先生(加藤健一)に気づき、16年ぶりに彼の元を訪れる…。世界中が涙した感動のノンフィクション作品。
 コダイ:共演の加藤さんはどんな方ですか?
 高橋:子供の頃、「想い出づくり」というドラマに出ている加藤さんを観て「すごい役者さんだなぁ」と、思っていました。その加藤さんと共演できて、すごくうれしいです。最初は緊張しましたが稽古が進むうちにそれは無くなりました。
 コダイ:ちょうどお稽古の折り返し地点ですが「モリー先生との火曜日」の仕上がり具合は?
 高橋:最初の頃の緊張も解け、いまは順調です。自分自身のミッチ(高橋の役名)に重なる部分も見えてきました。
 コダイ:お稽古を見させてもらいましたが、お芝居の中のモリー先生とミッチはすごく仲が良くて、もう師弟愛を超えている関係に見えます。高橋さんと加藤さんの関係はどうでしょう。
 高橋:それに近いものはありますね。ずっと憧れていたので、師弟を超えた「愛」もあると思います。(ちょっと笑って)
 コダイ:加藤さんは、ずっと二人でしゃべりっぱなしなのでスタミナの維持に気をつけたいとおっしゃってます。高橋さんはいかがですか? セリフ以外はどんなシーンがありますか。
 高橋:はい。セリフの多い会話劇なので集中力とやはり体力も維持しないと…。会話以外にあと僕はピアニスト役という場面もあります。加藤さんはちょっとだけダンスをするシーンがあるのですが、それが可愛いんです。
 コダイ:ミッチはアメリカの人気スポーツライター、という役ですね。華やかな雰囲気が伝わってきました。お芝居の見どころは?
 高橋:前半のミッチは華やかなマスコミの世界で成功し、自分に足りないものは無いと信じている。しかし、モリー先生との授業の中で本当に大切なものは何かを見出していく後半は、人間としての内面が変わっていきます。この舞台を見た人は誰でもミッチのような気持ちになり、今の自分のあり方を考えるようになる。それが見どころだと思います。
 落ち着いて、すっかり大人の俳優に成長した彼が、尊敬する俳優・加藤健一と共演できることを少年のように喜ぶ。日々の多忙に追われるミッチがゆっくり時間をかけて自分をとりもどす姿は、華やかだった若い頃から一転、じっくり思考を重ねながらひとつの舞台をつくりあげる高橋さんの姿に重なる。かつての「男闘呼組」ファンたちは、今や子育てや責任ある仕事に追われ、最も忙しい世代だ。そんな人たちにもぜひ、見に来てほしい。
 「モリー先生との火曜日」は下北沢 本多劇場で2010年6月3日(木)〜15日(火)まで上演(お問合せ 加藤健一事務所まで)
(聞き手 コダイユキエ)


【写真説明】ミッチ役の高橋和也氏」(全文)

 
 
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◆2010/05/31 「第2881号 【大宅賞受賞記念インタビュー】患者の周囲の他者が,「私たちのために生きていてほしい」と願い,その生を最後まで肯定していくのは,当たり前のこと。川口有美子氏に聞く」
 『週刊医学界新聞』2010-05-31
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02881_02

 「第2881号 2010年5月31日
 【大宅賞受賞記念インタビュー】

 患者の周囲の他者が,
 「私たちのために生きていてほしい」と願い,
 その生を最後まで肯定していくのは,
 当たり前のこと。

 川口有美子氏に聞く

 第41回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)に,医学書院刊 『逝かない身体――ALS的日常を生きる』が選出された。喜びさめやらぬ著者の川口有美子氏に,受賞作に託したメッセージや難病介護の現状に思うこと,これから取り組みたいことを伺った。

――受賞,おめでとうございます。

川口 ありがとうございます。このような大きな賞をいただくとはまったく考えてもいなかったので,とにかく驚きました。いまだに驚きが続いていて,私はどこにいってしまうのだろう,という気持ちです(笑)。
 本を書いたことは家族には内緒にしていたので,受賞によって知られてしまった今,どういう顔を向けたものか。家族も,自分たちのことが書かれている本がこうして世に出ているわけですから,少々複雑な面持ちでした。

――審査員の柳田邦男さんの講評をお聞きになって,いかがでしたか。

川口 共感の言葉がうれしかったです。柳田さんご自身が脳死状態の息子さんを看取った父親として,生と死の狭間での葛藤を『犠牲(サクリファイス)――わが息子・脳死の11日』(文藝春秋)に書かれていたこともあり,ご自身の過去を振り返りつつ『逝かない身体』を読んでくださったのかもしれない,と勝手に推測してしまいました。
 また,逝きゆく身体のケアにおいて言語化されていないことが多々あり,それらを文学にしたことを評価してくださったのも,ありがたかったです。

■病人はアスリート,介護者はトレーナー

――ALS介護の記録というと,感傷的な「闘病記」と受け取られるかもしれませんが,それとはまったく別のものですよね。「植物的な生」を肯定し,植物を育てるがごとくケアをする。潔ささえ感じます。

川口 ALSの患者さんは文字盤を通して,「薬指にくっついている小指をちょっとだけ離して」といったミリ単位の要求をしてきます。「ン? 指の位置がおかしいの?」と言うと,パチッとまばたきが返ってくる。そこから位置の調整を始めて,またまばたきでOKが出るまで,何度も繰り返すのでたいへんな時間がかかります。
 1日24時間,家族とヘルパーさんが交替でそうした身体の微調整をずっと繰り返しているのが,ALSの介護。慰め合っている暇もありません。

――感傷に浸っている場合ではないと。

川口 ええ。患者さんは神経を研ぎ澄ませて身体に極力集中し,ベストな体調にコントロールしてもらおうとします。「今日は睡眠薬を4分の3に削って何時に飲ませて」「今日は気分があまりよくないから,呼吸回数をちょっと落として,呼気の量を450から475にして」などと実に細かく指定してくる方もいます。そうした調整を刻々と続けていると,良い体調は皆で作るという気概が生まれてきて,病人といえどもオリンピックのアスリートのようになってくるんですよ。介護者は,縁の下で支えるトレーナーの気分です。

――それは,患者が何も発信できない状態(TLS : Total1y Locked-in State)になっても同じなのですか。

川口 突然その状態になるわけではないので,介護のスタンスは変わらないですよ。それまでも経験の積み重ねを総動員させてケアをしてきており,患者さんの顔を見て,何を言いたいのかだいたい読み取ってきていますしね。あうんの呼吸です。そうして亡くなる瞬間まで,患者の意思を汲み取ろうとして身体をとても大事にし続けます。
 ですから,そんな身体介護をしてきた人にとっては,世話する身体を喪失したときが死なのです。私がいちばん悲しかったのは,母のお棺に釘を打つそのときでした。呼吸器が外された後も身体が存在している間は冷静でいられましたが,火葬場のボイラーが点灯した瞬間が最もつらかったですね。
 そんなふうに,身体を心や意識と同等に大切なものとして扱うことを心身一元論と呼びますが,母や他のALSの介護の様子から,そうした理論は自然に身に付いたと思います。

――日本には昔から,そうした考え方がありますよね。

川口 むしろどこの国にも,原初的な心身一元論はあるのではないかと思います。西欧では主流でないだけです。
 西欧では「我,思うゆえに我ありのデカルト的な心身二元論に基づいた生命倫理観が主流で,まず高尚な魂=思考する脳が重要視されているため,自己決定ができなくなったら生きていても意味がないと考えられがちです。
 そうした思考はALSの医療にも反映されていますよ。例えば,英国では優れた緩和ケアのプロセスがありますが,長期人工呼吸器の装着はQOLの低下であるとして,選ばないよう導かれます。自己決定できなくなるのだから自律できなくなる。だから呼吸器を選ばないという考え方が主流です。オーストラリアの患者会でもALS患者家族を対象に,穏やかな死を迎えるための講習会が行われています。

「それでも生きたい」への共感

――呼吸器の選択については,本人の意思が重要だとして,事前指示書やリビングウィルを書いておくべきとする風潮が,日本でも強まっていますね。

川口 それも,西欧的な心身二元論に基づくものでしょう。日本は西欧に比べて遅れていると言われますが,「あなたは生きたいか,生きたくないか」という問いそのものが,おかしいという議論もあります。
 心の中では生きたいと願っている患者さんでも,先々に不安があったり,自分が生きていることで家族が苦しむと思うと,その生きたい気持ちを表出することは難しい。葛藤の末「呼吸器を着けない」選択をしてしまうこともあります。日本は現在のところ呼吸器を選ぶことができる国ですが,ALS患者8000人強のうち,呼吸器を着けていない7割の中にも,そうした事情から着けられない方はかなりいます。押しつけに近いかたちで生死の選択を迫られるALS患者の悲しみを,私は日ごろからひしひしと感じています。
 人間は孤独ですが,独りぼっちで生きているわけではなく,他者との関係性で生き方も考え方も変化していきます。誰かに好かれ望まれればうれしいし,嫌われると悲しい。ですから「死にたい」という者に対して家族,友人,恋人などの他者が「私たちのためにこそ生きていてほしい」と願い,その生を軽んじることなく肯定していくのは,当たり前だと思うのです。しかし,そうしたごく自然な感覚が,ALSをめぐる医療からはスポッと抜け落ちているように感じます。

――「機械に囲まれて生かされていて,かわいそう」という声も聞かれます。

川口 一般的には,医療機器に頼らないで,「最期まで自分らしく」「自然に」亡くなることが良いことだと考えられているかもしれません。でも私たちは,たとえまったく体が動かなくなっても,呼吸器を着け,経管栄養になっても,自分らしさを失わずに明るく生きている人を知っていますよね。その点はしっかりと伝えていきたいですね。

――『逝かない身体』には,診療所の中村洋一先生が,呼吸器を着けて生きることに意味があると励まし続けてくれたことが書かれていました。

川口 生きる意味を見失って悩み苦しんでいる母に対して,「それでも生きていたいよね」と共感してくれる人は本当に少なかったのですが,中村先生は一貫して「地域医療のパイオニアになるって言ったよね」と母を元気づけてくださっていました。
 先生は,母が「死にたい」などと言っても,「今度はいつ温泉へ行きましょうか」なんて質問をするんです(笑)。すると母も,「うーん…じゃあ,○月×日に」と(笑)。支援する人は患者の悲しみは受け止めても取り込まれずに強くありたいものです。一歩一歩,苦痛も生きている証と肯定して,「いっしょに生きていきたい」と言ってあげてください。

すべてが実践から生まれた

――「この病いは,あらゆることを体験から学びなおす機会を与えてくれる」(p. 160)とありますが,人工呼吸器や経管栄養も観念的な議論に固執せず,実践を繰り返したことで得られたものがとても大きいように感じました。

川口 私はそれまで医療を勉強したことがまったくなく,突然母の介護現場に足を踏み入れたんです。
 だから,それまで家族は全員同じご飯を食べていたのに,胃瘻にしたとたん母だけが急に食べる物も変わるなんてことは念頭になかった。母も経管栄養剤には吐き気を催していたので,極力ミキサー食を漉して経管で胃に流して命をつなぎました。管を詰まらせずに注入する方法を工夫し,カロリー計算をしつつオリジナルの経管栄養を作ったりしました。その他のケアにも勘を働かせて野性的な介護をしてきたのですが,それでも母は12年間元気に生きられたので,これでよかったんだ,という確信が得られました。

――医療者のほうが意外にも,人工呼吸器や経管栄養に否定的な場合が多いかもしれません。

川口 それは医療が標準化されてしまって,一対一の人間関係から入っていけないからではないでしょうか。
 介護者と一対一の関係での患者さんは唯一無二の存在ですから,できることは片っ端から試してみたくなるのは当然です。多くの介護者が戸惑いを感じ始めるのは,生存自体が苦痛であるとか,介護者のせいで苦痛を長引かせているなどと他人に言われたときからです。まぁ,生きていても仕方がないとさっさと見切りをつけてしまう介護者も少なからずいるんですけどね。

誰でも介護ができる社会へ

――12年間ALSの介護を経験されて,難病介護の現状や今後について,どう考えておられますか。

川口 今,病気になって治療しても治らないことがわかると,一足飛びに死ぬ話になってしまい,その“間”のこと,「ケア」がスポンと抜けているように感じます。でも介護や看護によってその“間”は埋められるし,元気なころよりも豊かな人生を過ごしている人もいます。
 そうした“間”のケアの大切さは実践の経験からしか学べませんので,誰でも基本的な介護――身体が不自由な人の車椅子への移乗や外出の介助,トイレや入浴介助――ができるといいなと思います。NPO法人さくら会でも,介護の未経験者向けに20時間の講習会を行っています。身体の介助などは現場で時間をかけて練習すれば身に付くので,この講習会では主に意思伝達が困難な重度障害者に対する支援の理念について教えており,これまでに約900人のヘルパーを養成しています。
 皆が障害に対して正しい考え方を身に付ければ,障害のある人への偏見もなくなるでしょう。それに並行して介護を有償化して,家族以外にも介護を依頼しやすくしたり,アルバイトで介護を手伝ったりできればと,次の障害者施策にも提言しています。

――家族だけで抱え込んでしまわないことが大切なのですね。

川口 家族だけで対処しようとすると,次第に介護やお金の工面に疲れ果てて,チラッと「いなくなれば楽になる」という考えが浮かぶ。やがて存在の否定が始まります。ですから最後までその生を肯定し看取るために,それこそ「ケアをひらいて」,他人と代われるところは代わりつつ,家族は愛情や思い出の共有といった家族でしかできない支え方をするべきだと,経験から学びました。

「個」ではなく「関係」が人間存在の最低条件

――『逝かない身体』では書ききれなかったこともあるのでしょうか。

川口 死にたいという人に「生きろ」と励ますのは傲慢だと批判されることもあります。「つらい」「死にたい」という思いに共感して楽に死ねるように支援することも重要だと。なぜ私たちが患者さんに,あるいは患者同士が「あなたには“生きる義務”がある」と言っているのか,この本には十分には書ききれなかったです。
 その答えは,歴代の,さまざまな医療介護制度を作ってきたALS当事者の生きざまに端的に現われていますから,彼らのことはいつかどこかに書きたいです。私の母の物語は文学的でロマンチックでさえありますが,それとは違い,重度障害者たちの破天荒な生き方や秀逸なアクティビストとしての顔を記した内容になるでしょう。
 例えば橋本操(ALS当事者/日本ALS協会副会長)さんは,お兄さんが何人もいて,生まれたときから至れり尽くせりで要介護度5だったという人で(笑),人は「生きる意思」だけでは生きられないことが,よくわかっている人です。人は原子のように「個」として存在するのではなく,「関係」を存在の条件と知っている。本人は自覚していないかもしれませんが(笑)。

――天性のものなのでしょうね。

川口 私と橋本さんは,よくコンビを組んで国の会議などで発言しますが,彼女は本当に短い言葉しか言いません。それを私が膨らませて説明しているから,どうしても私の考え方がブレンドされてしまって,橋本さんの思いとは,多少ずれていることもあります。でも橋本さんは,それでもいいと達観している。彼女の他者を信じる力,人を動かす才能が,彼女の療養を支えていると思います。



――これからこの本を手に取られる方に,ひと言お願いします。

川口 読む方によってはともすると耳の痛い記述もあるかもしれないのですが,私の経験してきたことを素直に書いたつもりです。ALS当事者の家族からは,本を読んで「自分がやっていたことが間違っていなかった」「ほっとした」とも言われますので,そう感じてくださる方もいるかもしれません。
 家族の介護をしている方,在宅介護の最前線で悩んでいる看護師さん・ヘルパーさんらに,ひらかれたケアで生の希望をつないだ私の体験を届けられたらうれしいです。

――ありがとうございました。

(了)


【写真説明】川口有美子
1985年東京学芸大教育学部卒。小学校教員となる。88年に退職,夫の海外勤務のためフィラデルフィア,次いでロンドンに渡る。95年,日本にいた母がALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し,介護のため帰国。2003年,訪問介護事業所ケアサポートモモ,NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会設立。04年立命館大大学院先端総合学術研究科入学。05年日本ALS協会理事。09年ALS/MND国際同盟会議理事。座右の銘は「求めなさい。そうすれば与えられます」。」(全文)

 
 
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◆2010/05/31 「加藤健一事務所:二人芝居「モリー先生との火曜日」上演 30周年記念の第3弾」
 『毎日新聞』2010-05-31
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20100531dde012200043000c.html

 「加藤健一事務所:二人芝居「モリー先生との火曜日」上演 30周年記念の第3弾
 二人芝居「モリー先生との火曜日」を、加藤健一事務所が6月3〜15日、東京・下北沢の本多劇場で上演する。難病に侵された恩師とかつての教え子の、2人だけの「最後の講義」をウイットに富んだ会話でつづる。1997年に米で出版されたベストセラーの舞台化。モリー先生を演じる加藤健一は「命を削って残した言葉の、素晴らしさに引かれた」と話す。
 人気スポーツライターのミッチ(高橋和也)は、大学時代の恩師モリー先生がルー・ゲーリッグ病(ALS)であることを知り、久しぶりに先生を訪ねる。そして毎週火曜日の、人生の意味や死について講義が始まる。
 「二人芝居はすごく充実感がある」という加藤。一方で、難病の老人役という難しさもある。「モリー先生がそうだったように、暗くならないように、笑いを見つけ、エンターテインメントとして、楽しくメッセージを届けたい」とけいこ場でも試行錯誤を重ねる。
 加藤のプロデュース公演の場として事務所がスタートして、今年で30周年。「モリー先生」は記念の第3弾になる。「新鮮な共演者を迎えてきた。役者同士の対峙(たいじ)を楽しんでくださっているのでは」と変わらぬ人気を分析する。「これからも、ただひたすら本を読んで、やってみたいという作品を見つけたい」。ファンにはうれしい言葉だ。問い合わせは03・3557・0789へ。【濱田元子】
毎日新聞 2010年5月31日 東京夕刊」(全文)

 
 
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◆2010/06/01 「ALS:新たな原因遺伝子発見」
 『毎日新聞』2010-06-01
http://mainichi.jp/select/science/news/20100601ddm016040007000c.html

 「ALS:新たな原因遺伝子発見
 筋肉が次第に動かなくなる神経の難病、筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)の新たな原因遺伝子を広島大、徳島大などの研究チームが発見し、英科学誌「ネイチャー」に発表した。
 ALSは年間10万人あたり2人程度の患者が報告され、9割は原因がはっきりしない孤発性、残りが遺伝性だ。
 研究チームは原因遺伝子を探るため、遺伝性のALS患者に着目した。父由来と母由来の遺伝子に同じ変異がある場合に発症する可能性を考え、近親婚の両親を持つ患者6人の遺伝情報を調べた。
 その結果、半数の3人が、緑内障の原因遺伝子「OPTN」に変異を持っていた。OPTNはがんや炎症に関与するたんぱく質が過剰に働くのを抑える役目がある。変異によってこの機能が失われ、運動神経に影響を与えたと推定された。
 広島大の川上秀史教授(分子疫学)は「孤発性の患者でも、この遺伝子が作るたんぱく質に異常が見られることから、この遺伝子は発症に関与していると思う」と話す。
毎日新聞 2010年6月1日 東京朝刊」(全文)

 
 
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◆2010/06/01 「泉:地道な取り組み伝える /山梨」
 『毎日新聞』2010-06-01
http://mainichi.jp/area/yamanashi/news/20100601ddlk19070018000c.html

 「泉:地道な取り組み伝える /山梨
 介護で家族が共倒れになるのを防ぐために難病の患者が短期入院する「レスパイト(休息)入院」への支援を県が始めたことを、5月15日の山梨面で紹介した。
 手足やのどなどの筋肉が少しずつやせていく筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)などの患者が対象だ。
 県はレスパイト入院を受け入れる病院に補助金を出すなどの支援をする。しかし、病院側も看護師や職員の負担が大きくなるため、協力する病院はまだ少ない。しかし、記事で支援事業を知った山梨市立牧丘病院が新たに協力することになった。古屋聡院長は「大病院は急患が中心なので、中小の医療機関が受け入れることが重要」と話す。
 県によると、4月末には、他の病院で初めて制度が利用された。ALSの男性患者は「妻が入院して介護してくれる人がおらず、困っていた」と喜んだという。
 記事掲載後、取材に協力してもらったALS患者の北嶋英子さんから「世間に実情を知ってもらう機会になりました」とのメールが届いた。地道な取り組みを伝える大切さを再認識した。【甲府支局・小林悠太】
毎日新聞 2010年6月1日 地方版」(全文)

 
 
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◆2010/06/03 「有料老人ホームの運営「訪問診療医との連携が重要」―医療法人財団コンフォート・西郊理事長」
 『キャリアブレイン』2010-06-03
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/27926.html

 「有料老人ホームの運営「訪問診療医との連携が重要」―医療法人財団コンフォート・西郊理事長
 医療法人財団コンフォートの西郊学理事長は6月3日、東京都内で開催された高齢者住宅フェア(主催=高齢者住宅新聞社)のセミナーで講演し、有料老人ホームの安定的な運営には「訪問診療医との密接な連携が重要」と強調。「医療」を営業戦略ととらえれば、新規入居者獲得競争で他との差別化になると述べた。
 西郊理事長は、長期入居者の高齢化や新たな疾患の発生などにより、「有料老人ホームでの医療行為は不可欠になる」との見通しを示す一方、「訪問診療をしている医療機関に任せきりにすれば、入居者への責任の所在が分散する」と指摘。あくまで「入居者中心」「ホーム中心」の視点を持った「独自ノウハウの確立が必要だ」と説明した。
 独自ノウハウを確立するための具体策については、▽施設看護師の役割拡大と24時間体制の確立、看護師の増員▽近隣病院との連携見直し▽訪問診療医のシステム構築への参画―などを挙げた。

■医療的ケアは「緊急処置扱いで実施」―NPO法人あい
 セミナーでは続いて、NPO法人あいの福田美恵理事長が「有料老人ホームにおける医療的ケア」と題し講演。看護師が指導しながら、痰の吸引の研修を定期的に実施するなど、同法人での取り組みについて紹介した。有料老人ホームで医療的ケアが必要な理由については、「途中から身体機能が衰えた入所者に対応するため。最初から医療が必要な人を受け入れているわけではない」と説明した。
 また福田理事長は、当初、東京都が有料老人ホームの介護職員が医療的ケアを手掛けることを問題視していたというエピソードを紹介。その上で、「都に対しては『(痰の吸引などの)医療ケアは、AEDと同じで、緊急処置として実施するもの』と説明し、黙認してもらっている状態」と、苦しい実情について語った。
 介護職員の医療的ケアについて厚生労働省は2003年、在宅療養のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者に限り、家族以外による痰吸引を認める通知を発出。10年には、一定の研修を受けた特別養護老人ホームの介護職員が、胃ろうによる経管栄養や口腔内の吸引を実施することを「許容」する通知を各都道府県知事にあてて出している。
( 2010年06月03日 20:33 キャリアブレイン )


【写真説明】講演で「訪問診療医との連携」を強調する医療法人財団コンフォートの西郊理事長(6月3日、都内)」(全文)

 
 
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◆2010/06/04 「30周年記念を締めるこだわりの作品 加藤健一事務所「モリー先生との火曜日」」
 『MSN産経ニュース』2010-06-04
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/100604/tnr1006040802001-n1.htm

 「30周年記念を締めるこだわりの作品 加藤健一事務所「モリー先生との火曜日」
  2010.6.4 07:59
 上質な海外戯曲の上演で定評のある加藤健一事務所が、創立30周年記念公演の締めくくりとして、米国の実話を舞台化した「モリー先生との火曜日」(ミッチ・アルボム原作、高瀬久男演出)を日本初演している。筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)で余命わずかの大学教授と教え子との対話で進む2人芝居。舞台にこだわり続けた加藤健一らしい節目の作品だ。
 「先生が実際、原作者のミッチに残した講義の録音が基になっていますから、言葉に力がある。舞台ならではの人間同士のぶつかり合いという形で伝えたい」と加藤は言う。
 原作は1997年に米国で出版され、700万部超のベストセラーになったノンフィクション。加藤演じるモリー先生がALSに冒されたことを知ったスポーツライターのミッチ(高橋和也)が先生を訪ね、毎週聞くことになった講義の形式で舞台は進む。「翻訳者に勧められて気に入り、30周年の最後に、という気持ちがありました」と加藤。
 海外の演劇情報に目を光らせ、年間150〜200本の戯曲を読み続ける。30年前、「自分がやりたい演劇をやるため事務所を作った」からこそ、作品は厳選する。上演に至るのは20〜30本に1本だ。
 創立当初は手元に90万円しかなく、一人芝居をやるしかなかった。戦時中の人肉食事件を扱い、加藤が2時間40分間しゃべりっぱなしの代表作「審判」に始まり、海外コメディー路線の第1号「セイムタイム・ネクストイヤー」など再演を重ねる作品も多い。
 「遊び続けてきたらお客さんがついてきてくれた。作品選びや、演出家、俳優への依頼も、好きな道具集めであり、仲間集めなんです。これからも自分をより磨ける作品を上演したい」
 15日まで、東京・下北沢の本多劇場。(電)03・3557・0789。(飯塚友子)


【写真説明】「一年中、舞台のことを考えられるようになった」と話す加藤健一=東京・江古田」(全文)

 
 
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◆2010/06/04 「加藤健一と高橋和也の2人芝居「モリー先生との火曜日」」
 『朝日新聞』2010-06-04
http://www.asahi.com/showbiz/stage/theater/TKY201006040263.html

 「加藤健一と高橋和也の2人芝居「モリー先生との火曜日」
  2010年6月4日
 加藤健一事務所が30周年公演の最後の作品「モリー先生との火曜日」(ミッチ・アルボム作、ジェフリー・ハッチャーとアルボム脚色、吉原豊司訳、高瀬久男演出)を東京・下北沢の本多劇場で15日まで上演している。
 人気スポーツライターのミッチ(高橋和也)が、運動機能を失う難病にかかった恩師の社会学者モリー(加藤健一)に受けた「最後の講義」を通して、人生、死、老いなどを考える。実話をもとにした2人芝居だ。5500円、高校生2500円。電話03・3557・0789(劇団)。
 19日には神奈川県藤沢市の湘南台文化センターでも公演する。」(全文)

 
 
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◆2010/06/05 「「F4」ジェリー、多忙で「退廃的」!?」
 『テレビ朝日』2010-06-05
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/geinou/geinou_news/contents/hot_20100605_140.html

 「物語は難病ALSを患った女性との悲恋。今回は、ヒロインと同じく日本でALSに苦しんでいる人たちを助けようと、劇中の衣装や小道具全9点をYahoo!オークションに出品。落札金額451万500円を日本ASL協会などに寄付した。」

 
 
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◆2010/06/07 「つま先の訴え国動かす ALS患者、ヘルパー病院派遣可能に」
 『佐賀新聞』2010-06-07
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1654436.article.html

 「2010年06月07日更新
  つま先の訴え国動かす ALS患者、ヘルパー病院派遣可能に
短期入院中も介護保険の対象に
 「短期入院中も、ヘルパー派遣を認めてほしい」−。全身の筋肉がまひする難病の筋委縮性側索硬化症(ALS)患者で、人工呼吸器を装着する中野玄三さん(55)=佐賀市大和町=が、わずかに動く足の指先を使って書いたメールの訴えが、県と国を動かした。厚生労働省は、重症ALS患者が、家族の負担を軽くするための短期入院をした場合、認めていなかった介護保険のヘルパーを派遣できるよう見直す方針を固めた。
 39歳で発病した中野さんは現在、妻の由美子さん(52)をはじめ、看護師やヘルパーら二十数人のチームに支えられ、自宅で生活する。
 「深夜、たんの吸引のため3〜4回起きなければいけない」(由美子さん)など、家族は気を抜けない生活が続く。中野さんは2008年秋、疲弊している介護家族を支える目的で行う患者の短期入院「レスパイトケア」を利用した。
 ところが入院施設では、ヘルパー利用が認められず、病院から「経口食は難しい。点滴でお願いしたい」と告げられた。前傾姿勢で体を固定し、刻み食を食べる中野さん。慣れていない看護師では時間的にも、人的にも不可能−という判断だった。保険診療では入院患者の看護と介護は、その病院の看護師が行うと規定し、ヘルパー介護は、原則認めないという現行のルールが壁になった。
 「点滴栄養になった1週間で、食べる機能が衰えてしまはないか。不安で仕方なかった」と中野さんは振り返る。
 09年1月、古川康佐賀県知事に制度の不備や改善を求めるメールを送り、やり取りした。意見を反映する形で、佐賀県は特定の地域に限って規制を緩和する国の「構造改革特区」に提案。厚労省は全国的な対応が必要と判断した。
 中野さんは「1人の患者の声が反映され、使い手の側に立った制度に充実していく見通しになり、うれしい」。足先を使い、パソコン画面に打ち出した文字や、顔の表情を通じて、喜びを伝えた。


【写真説明】入院中のヘルパーの派遣を認めるよう、メールで訴えた中野玄三さん(中央)。妻の由美子さん(右)をはじめ、ヘルパーら多くの人に支えられている=佐賀市大和町」(全文)

 
 
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◆2010/06/07 「ジェリー・イェンの“成熟”と日本進出宣言、8千人のファンが目撃―東京」
 『Record China』2010-06-07
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=42752&type=5

 「ジェリー・イェンの“成熟”と日本進出宣言、8千人のファンが目撃―東京
2010年6月5日、「流星花園〜花より男子〜」で知られる人気ユニットF4のジェリー・イェン(言承旭)が単独で東京を訪れ、ファン8000人と対面した。中国大手ポータル・新浪(SINA)エンターテインメント版の報道。
ドラマ「Starlit〜君がくれた優しい光」のDVD発売を記念して東京の中野サンプラザで行われたイベントは、DVDを購入したファンの中から8000人が、昼の回と夜の回の2回に分けてジェリーとの対面を果たした。
ファンを前にしたジェリーは日本語での自己紹介をはじめ、司会者の質問にもできる限りの日本語で回答。実は以前に日本での映画出演をオファーされたことがあったが、語学力に自信がないため断ったことを明かし、「近々、外国映画に出演する予定もあり、将来的には日本にも進出したいと思っています。なるべく多くの時間を日本で過ごし、実地訓練で日本語を上達させたい」と決意を表明した。また、ファンと一緒の撮影タイムでは目に涙を浮かべ、「このところ、仕事でいろいろと問題があって気分の晴れないことが多かったけれど、みなさんの応援に元気づけられました。再び質のよい仕事をして、みなさんにお見せしたいと思います」とコメントした。
この日は珍しくヒゲを蓄えて登場したジェリー。グッと成熟味を増した雰囲気でファンをドキドキさせたが、「何だかやさぐれて見えるかな?」とおどけて見せた。
「Starlit〜君がくれた優しい光」の作中で取り上げられた難病・筋萎縮性側索硬化症(ALS)の子どもたちを支援するため、この日はチャリティーオークションも開催。ジェリーが撮影で着用した衣装9点は、約340万円の寄付金となって日本ALS協会などに贈られた。幼少時、貧しい暮らしを余儀なくされたジェリーは、「困っている時はいつも誰かが助けてくれ、僕たち家族を幸せな気持ちにしてくれた。今の僕には、困っている誰かを手助けする力が与えられている。だから、助けが必要な人の力になりたいんだ」と、心をこめて語っていた。(翻訳・編集/愛玉)
2010-06-07 22:49:43 配信


【写真説明】5日、F4のジェリー・イェンが単独で東京を訪れ、ファン8000人と対面した。写真は6月16日発売の写真集「9314 Man&Boy」より。」(全文)

 
 
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◆2010/06/08 「NO DOUBTが愛用の品々をチャリティー・オークションに出品」
 『OOPS!』2010-06-08
http://oops-music.com/info/view_news.html?nid=57095

 「NO DOUBTが愛用の品々をチャリティー・オークションに出品
 ノー・ダウトが、メンバー愛用の品々をチャリティー・オークションに出品した。
 今回出品されているのは、2009年の復活ツアーでメンバーが着用していたステージ衣装をはじめ、メンバー愛用の楽器類、サイン入りポスター、現在は入手不可能なレコードなど、ファンにとって興味深い品々ばかり。同オークションの収益は、畜産動物の救助グループである〈Animal Acres〉、発展途上国に清潔な水を提供することを目的に活動している〈Charity Water〉、筋萎縮性側索硬化症の治療法を研究する〈The ALS Association〉、オレンジカウンティの小児病院〈Children's Hospital Of Orange County〉という4つの団体に寄付されるという。
 ヴォーカルのグウェン・ステファニーは、今回のオークションにあたり、「出品したものの多くは、本当は手放すのが惜しかったの。でも、ファンといっしょにチャリティーをすることに大きな意味があるわ。4つの慈善団体は、私たちを必要としているのよ」とコメント。また、愛用のギターを出品したトム・デュモントは、「できるだけ多くの寄付金を集めるために、2つの大切なギターを手放すことにしたんだ。そのギターは、ノー・ダウトにおける僕のキャリアのなかで、もっとも貴重で価値のあるものなんだよ」と述べている。
 同オークションは、世界最大級のオークション・サイト〈eBay〉にて6月11日まで開催されている。」(全文)

 
 
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◆2010/06/08 「小脳変性に関与する分子メカニズムを解明 (神経変性疾患の治療開発につながることが期待)」
 『科学技術振興機構』2010-06-08
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20100608/

 「


【写真説明】5日、F4のジェリー・イェンが単独で東京を訪れ、ファン8000人と対面した。写真は6月16日発売の写真集「9314 Man&Boy」より。」(全文)

 
 
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◆2010/06/14 「ALSの療養環境改善を」
 『朝日新聞』2010-06-14
http://mytown.asahi.com/shimane/news.php?k_id=33000001006140004

 「ALSの療養環境改善を
  2010年06月14日
◆松江、関係者ら初会合◆
 運動神経細胞が侵されて全身の筋肉が萎縮(い・しゅく)する難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の療養環境を改善しようと、患者と行政、医療、介護関係者らによる県内初の意見交換会(日本ALS協会県支部主催)が13日、松江市殿町のサンラポーむらくもであった。約100人が参加し、活発に議論を交わした。
 会は、県内のALS患者に療養環境などを尋ねたアンケート結果をもとに、患者側からみた問題点を紹介。それに対して医療や行政の関係者らが意見や感想を述べる形で進んだ。
 「介護保険制度など利用できる行政サービスの医療現場での説明が不十分」という患者側の意見に対し、錦織厚雄・県健康福祉部長は「医療と行政の連携に課題があると再認識した。行政は心に留めなければならない」と話した。ALSは現時点で有効な治療法が確立されていない。患者の家族からは「告知の仕方は闘病生活に影響を与える。どれだけ医療や行政が支えてくれるかが大事」と、告知のあり方に対する配慮を求める声もあった。(大野正智)


【写真説明】ALSの患者や行政、医療関係者らが活発に意見交換した=松江市殿町」(全文)

 
 
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◆2010/06/14 「ALS:初の意見交換会で、患者や家族が訴え「医療と行政、連携を」 /島根」
 『毎日新聞』2010-06-14
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20100614ddlk32040411000c.html

 「ALS:初の意見交換会で、患者や家族が訴え「医療と行政、連携を」 /島根
 筋肉が次第に動かなくなる神経の難病、筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)の療養環境を改善しようと県内の医療機関や行政、大学などの関係者が一堂に会して話し合う意見交換会(日本ALS協会県支部主催)が13日、松江市殿町で初めて開かれた。患者や家族ら約100人も参加し、療養や介護に関する問題点などが話し合われた。
 意見交換会ではALSに罹患(りかん)した母親の介護の日々をつづった「逝かない身体〜ALS的日常を生きる」の著者、川口有美子氏が自身の体験をもとに司会を務めた。患者の谷田人司副支部長は県内患者38人を対象としたアンケートから、医療現場と行政の連携不足▽情報不足▽意思伝達の難しさ−−などの問題点を指摘。患者や家族からは告知時の環境改善や入院先の看護師不足の解消、煩雑な各種支援制度利用のための専門家サポートの充実を求める声が上がった。
 県健康福祉部の錦織厚雄部長は「かなり行政に対して厳しい意見をいただいた。医療と行政の連携に問題があると再認識した」と述べ、県健康推進課の田中央吾課長は「行政だけでは分からないことが多く、患者や家族からどんどん声をあげてもらうことが大切」と話した。【岡崎英遠】
毎日新聞 2010年6月14日 地方版」(全文)

 
 
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◆2010/06/14 「ALS患者の会が意見交換会」
 『山陰中央新報』2010-06-14
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=520255004

 「運動神経が侵される進行性の難病・筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)の患者らでつくる日本ALS協会島根県支部(景山敬二支部長、会員88人)が、在宅療養などの支援を求め、医療・行政関係者との意見交換会を13日、松江市内で開いた。同支部の呼び掛けで今回初めて実現。患者やその家族から出された生の声を基に、ALS患者が安心して暮らせる支援の在り方などを探った。
 意見交換には、小林祥泰・島根大付属病院長や錦織厚雄・県健康福祉部長、森本幸子・県看護協会副会長、中村宏子・自立生活センター松江代表らが参加。ノンフィクション作家川口有美子さん(東京)の司会で、患者や家族らがALS患者を取り巻く環境について意見を交わした。
 この中でALS患者で谷田人司・同副支部長が、県内にいる患者92人を対象に、同支部が今年4〜5月にかけて実施した実態調査結果を報告。病態が進行するとたんの吸引など医療的な管理が必要になるが、医療機関や行政との連携が不十分で、実態は家族が24時間つきっきりで介護している−などと訴えた。
 患者側の訴えに対して、小林院長は「家族の努力やボランティアの力に頼るのではなく、一時入院なら介護者の負担を軽減するサポート態勢が必要」と強調。ただ、看護師確保が難しいなど医療側の問題や課題を指摘した。錦織部長は「具体的な支援制度などを議論してゆきたい」とした。
 同支部の新治弘念事務局長は「患者アンケートの意味は大きい。今回の試みは第一歩。医療、行政などとの連携を密にし、課題や問題の多い療養環境の改善を促したい」とした。」(全文)

 
 
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◆2010/06/15 「手話の輪育んだ二人三脚 漫画に」
 『朝日新聞』2010-06-15
http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000001006150001

 「手話の輪育んだ二人三脚 漫画に
  2010年06月15日

「一人でも多く、手話のできる人を育てたい」。ともに聴覚障害を抱えながら語りあった妻は5年前に先立った。30年もの間、二人三脚で歩んできた伊東市の聴覚障害者の夫婦の歩みが、月刊コミックの漫画になった。難病に苦しんだ妻が、死ぬ間際に残した言葉は「ありがとう」。そして、漫画のタイトルは「愛ア・リ・ガ・ト・ウ」だ。(白石陽一)

 ◆「愛ア・リ・ガ・ト・ウ」月刊誌掲載
 同市松原、理容店経営井上健さん(65)は生後まもなく、高熱で聴覚を失った。母1人子1人の暮らし。ろう学校で理容免許を取得したが、独立のための融資の申し込みもなかなか受け入れてもらえなかった。
 旅館を経営していた母親に保証人になってもらい、1974年に同市新井1丁目に理容店をオープンさせた。翌75年、同じ聴覚障害者で、8歳年下の美恵子さんと知り合い、結婚した。同じく理容師免許を持つ美恵子さんと2人で店を切り盛りした。
 当時、市内には手話通訳者がいなかった。夫婦で市福祉事務所に手話講習会を開くようかけあい、78年に初めて手話講習会の開催にこぎつけた。
 この講習会から手話サークル「ゆりかもめ」が生まれた。その名には、会員が渡り鳥のように手話を広め、健聴者と聴覚障害者の交流を深めてほしいとの願いを込めた。
 03年の暮れ、美恵子さんは体が思うように動かせなくなった。全身の筋肉がまひする難病、筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)とわかった。
 05年3月、母親が膵臓(すいぞう)がんで亡くなった。その8カ月後、白血病を併発していた美恵子さんも後を追うように亡くなった。
 昨春、夫婦をよく知る20年来の友人から漫画化を勧められた。福祉問題を手がける漫画家、ハザマ紅実さんに描いてもらってはどうか、との提案だった。ハザマさんの作品を送ってもらい、まじめに向き合う姿勢がすばらしい、と思えた。
 井上さんは半年近くかけて、自らの幼少期から現在までを手記にまとめた。400字詰め原稿用紙で30枚近く。漫画はこの手記を原作に描かれた。
 5月、竹書房(東京都千代田区)の「女の感動物語」6月号に100ページ掲載された。井上さんの携帯電話には「感動した」など100通ほどのメールが寄せられた。
 井上さんは「妻の死後は、3カ月ほど悩んで、苦しんだ。いまは妻の遺志を引き継ぎ、いつでも、どこでも手話のできる人が駆けつけてくれるような街づくりを人生の目的にしていきたい」と話す。


【写真説明】月刊コミックの漫画となった「井上健・美恵子物語 愛ア・リ・ガ・ト・ウ」」(全文)

 
 
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◆2010/06/15 「キム・ミョンミン「どんな演技も大変」」
 『朝鮮日報』2010-06-15
http://www.chosunonline.com/entame/20100615000029

 「前作『私の愛、私のそばに』で、「ルー・ゲーリック病」とも呼ばれる筋委縮性側索硬化症(ALS)患者を演じたが、「前作では肉体的な限界に挑戦をしなければならなかったため、精神的な想像だけではできなかった」と話した。 「当時は実際に近い体験をしなければならなく・・・・・・」

 
 
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◆2010/06/15 「短歌コンサートの夕べ:ALSで逝った田中さん追悼、歌集出版を記念――松山 /愛媛」
 『毎日新聞』2010-06-15
http://mainichi.jp/area/ehime/news/20100615ddlk38040657000c.html

 「短歌コンサートの夕べ:ALSで逝った田中さん追悼、歌集出版を記念――松山 /愛媛

 ◇「患者の励みに」−−音楽と短歌のコラボレーション
 難病のALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)を患いながらも、3月に70歳で亡くなるまで短歌を詠み続けた西条市の田中俊一さんの歌集「歯と瞼(まぶた)」の出版を記念した「短歌コンサートの夕べ」がこのほど、松山市錦町のギャラリーキャメルKで開かれ、約40人が命を紡いだ歌に聴き入った。
 コンサートでは、県内を中心に活躍する南米音楽ユニット「ロスコンドルス」の仙九郎さんらが奏でる篠笛(しのぶえ)やギターに合わせて、フリーアナウンサーの木城香代さんが、田中さんの短歌45首を読み上げた。
 「何を見て 人は命終 迎ふるや われもうつつの 別れ路に立つ」など、生と死を書いた田中さんの歌が音楽と共に流れ、涙を流す人もいた。木城さんは「田中さんの歌は心の中に響く。少しでもALSの患者、家族の方に励みになればうれしい」と話した。
 同ギャラリー(089・913・2002)は、新田高校教諭の書家、加藤一止行さんが書いた田中さんの歌20首を16日まで展示、販売している。【村田拓也】
毎日新聞 2010年6月15日 地方版」(全文)

 
 
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◆2010/06/16 「大人気の「F4」ジェリー・イェン、身に付けていたタンクトップが60万円で落札!」
 『ハリウッドチャンネル』2010-06-16
http://www.hollywood-ch.com/news/10061601.html?cut_page=1

 「大人気の「F4」ジェリー・イェン、身に付けていたタンクトップが60万円で落札!
  2010/06/16
[エンタメ]
台湾の人気アイドルグループ「F4」のメンバー、ジェリー・イェン。4月2日〜5月28日の間、Yahoo!チャリティーオークションにて、最新主演作ドラマ「starlit」の作品内でジェリーが身につけていたグッズ9点を出展されて、落札金総額が341万500円に達していたことが判明した。
総額341万500円という金額を叩き出し、日本でのジェリー人気の高さを証明した今回のチャリティーオークション。グッズの種類だが、Tシャツ、腕時計、ベルト、Yシャツなどジェリーを肌で感じることができるファンにとってお宝グッズが出品されたが、なかでもタンクトップが601,000円で高額落札された。これらの落札金は、「starlit」ヒロインの小鹿が患う難病ALSの国内支援団体「日本ALS協会」および、このチャリティー・オークションを運営した環境団体「グリーン・クロス」へ全て寄付される。
そんなジェリーが主演した「starlit」は、本格純愛ラブストーリー。ジェリーは不治の病に冒されたヒロインを献身的に支え、一途な愛に生きる悲運の天才ピアニストを熱演。切なくも美しい、涙と感動の物語が描かれる。本作のDVDが「Starlit〜君がくれた優しい光 【完全版】」として登場。DVD-SET1は4月2日、DVD-SET2は4月21日リリースされたばかり。この完全版では、日本のテレビ放送で尺の都合でカットされてしまった部分も観ることができる。


【写真説明】大人気のジェリー・イェンが、切なくも美しい恋愛映画に出演」(全文)

 
 
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◆2010/06/16 「【感動秘話】女性お笑い芸人が死ぬ前に残した『遺言ビデオ』」
 『ロケットニュース24』2010-06-16
http://rocketnews24.com/?p=36738

 「【感動秘話】女性お笑い芸人が死ぬ前に残した『遺言ビデオ』
  2010年6月16日

去る5月21日、米国の女優、コメディアン、歌手として多彩に活躍したカーラ・ジルベール・スミスさん(47歳)が亡くなった。彼女は亡くなる前に家族や友人に内緒で遺言ビデオを撮影しており、葬儀でその映像が公開されたのだが、その映像が動画共有サイト『Youtube』に公開され話題になっている。
コメディアンとして活躍した彼女らしく、笑いを誘う内容になっているのだが、大切な人たちへのメッセージを語る場面では目に涙を浮かべている。遺言ビデオでもユーモアを忘れない彼女の姿は、涙なくして見ることができない。
カーラさんはカナダ、ボストン、ニューヨークなどの劇場で女優として活躍していた。歌手としても才能を発揮し、交響楽団やロックバンドなど、様々な音楽ジャンルとのコラボレーションを試みている。非常に才能に溢れた人物として知られていたのである。
そんな彼女だが、2007年12月に筋萎縮性側索硬化症(通称:ALS)と診断され、以来闘病生活を送っていた。ALSとは筋肉の萎縮と筋力低下をきたす病気で、治療法のない病気といわれている。発症から3〜5年で呼吸筋麻痺により死に至る。彼女は長い闘病生活を経て、2010年5月21日に永眠した。
彼女が撮影していたビデオは、葬儀までの間の1年間、家族や友人には一切秘密にされていた。葬儀の席上で映像が公開されると、列席者一同は大変驚いたそうだ。
映像の中で彼女は、背中に羽、頭には天使の輪が浮かべ、青空の下で、ビデオに向かって語りかけている。神様が特別に許可して、天国からの生中継をしているという設定だ。彼女は天国の暮らしに満足しており、心配はいらないと家族を慰めた。そして多数の有名人と会い、若くして亡くなった俳優のリバー・フェニックスとデートをしたとも伝えている。
映像の後半で、家族や友人の名前を語り、「天国ではあなたたちに会えないのが寂しい」と涙ぐみながら、思いを語った。「私のために泣かないで。元気を出して。楽しんでね」。そして、最後に最高の笑顔で「バーイ!」と言って、映像は終わっている。最後まで本当に人を楽しませ、笑顔を届けようとした彼女の生き様が、この映像に納められている。カーラさんはきっと、この映像のように天国でも楽しく過ごしていることだろう。ご冥福をお祈りする。


【写真説明】米国の女優、コメディアン、歌手として多彩に活躍したカーラ・ジルベール・スミスさん(47歳)」(全文)

 
 
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◆2010/06/23 「F4ジェリー・イェン、ALS協会への寄付オークションを行う」
 『サーチナニュース』2010-06-23
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0623&f=entertainment_0623_019.shtml

 「F4ジェリー・イェン、ALS協会への寄付オークションを行う
  【エンタメニュース】 2010/06/23(水) 11:34
中国語学習―中国語で読む中国旬のニュース

 F4メンバーのジェリー・イェンが日本でファンミーティングを行い、集まった8千人のファンを魅了した。
 来日は「心星的涙光」のドラマDVDとソロ写真集「9314男人与男孩」のプロモーションのためだが、ジェリーひげを伸ばしたスタイルでファンミーティング会場にお目見えし、その成熟した姿にファンから歓声がとんだ。
 ファンらと記念撮影をした彼が、「最近仕事でいろいろなことがあり、気分が滅入っていたけど、ファンの皆さんが応援してくれる姿を見て、皆さんに良い仕事を見せられるよう頑張ろうという気持ちになりました。」と涙を浮かべたり、ファンのハグを求める声に応える一幕もあった。
 子供の頃、家が貧しく人に助けてもらった経験を持つジェリーは、今は誰かを助ける番だと、「心星的涙光」衣装のオークションを行い、9枚のオークションで集まった341万500円、全てを日本ALS協会の患者児童に寄付した。


【写真説明】F4メンバーのジェリー・イェンが日本でファンミーティングを行い、集まった8千人のファンを魅了した。」(全文)

 
 
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◆2010/06/26 「ALS患者支援研究会、福島で26日発足へ」
 『読売新聞』2010-06-26
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100626-OYT1T00064.htm

 「ALS患者支援研究会、福島で26日発足へ
 医療相談員やケアマネジャー、介護ヘルパーらが筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者らへの支援方法について、共に考え、学ぶ「ALS等難病者支援研究会」(長谷川秀雄代表)が26日、福島県内で発足する。
 日本難病・疾病団体協議会(東京)は「職種の垣根を超えて学ぶ組織は全国で初めてでは」と話している。
 同県古殿町で昨年8月、ALS患者(当時68歳)の介護に疲れた妻(65)が無理心中を図り、患者を刺殺した事件がきっかけ。ケアマネジャーらが訪問看護などを増やすよう助言したが、妻は「今のままでいい」とかたくなに拒んだという。
 介護現場で「福祉サービスを受けることを恥ずかしく思う患者や家族の説得が難しい」との声が多いことから、研究会は、患者や家族への接し方を学ぶ講習会を定期的に開く。
(2010年6月26日03時08分 読売新聞)」(全文)

 
 
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◆2010/06/27 「ALS患者の心理学ぶ支援研究会発足、講演に100人」
 『読売新聞』2010-06-27
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukushima/news/20100627-OYT8T00158.htm

 「2010.06.27 ALS患者の心理学ぶ 支援研究会発足、講演に100人=福島
 意識はあるものの、全身の筋肉が次第に動かなくなる「筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)」などの難病患者への支援方法について、医療相談員やケアマネジャー、ヘルパーら介護業務に携わる人たちが一緒に考え、学ぶ「ALS等難病者支援研究会」(長谷川秀雄代表)が26日、県内で発足した。この日は郡山市内で群馬県伊勢崎市のALS患者の牛久保結紀さん(49)らによる講演会が開かれ、参加者は難病患者の心理について理解を深めた。
 在宅看護師として働いていた牛久保さんがALSを発症したのは2004年秋。実際に患者となって看護や介護を受ける立場になり、「これまで良かれと思ってしてきたことも自己満足だったのではないか」と感じたという。発症直後は自立心が強いため、「医療者が近づくといや応なく自分の置かれている立場をむき出しにされる気がして、そっとしておいてほしくなる」と説明した。
 こうした経験から、「患者は発症直後は病気を受け入れにくい。福祉サービスは開始するタイミングが重要」と強調。患者の家族の負担について「不眠、不安、葛藤、経済的負担など挙げればきりがない。社会資源を上手に利用するべき」と訴えた。参加したヘルパーやケアマネジャーら約100人はメモをとりながら、熱心に耳を傾けていた。
 同研究会の発足は、古殿町で昨年8月、ALS患者(当時68歳)の介護につかれた妻(65)が無理心中を図り、患者を刺殺した事件がきっかけ。ケアマネジャーらが訪問看護などを増やすよう助言したが、妻は「今のままでいい」とかたくなに拒んだという。介護現場では「福祉サービスを受けることを恥ずかしく思う患者や家族の説得が難しい」との声が多いことから、研究会では今後、会員を集め、難病患者の介護経験者らを講師に招き、患者や家族への接し方などを学ぶ研修会を定期的に開く。」(全文)

 
 
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◆2010/06/27 「このひと文字を生きる証しに ALS闘病の日々、随筆集に」
 『河北新報』2010-06-27
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/06/20100627t53025.htm

 「このひと文字を生きる証しに ALS闘病の日々、随筆集に
 元山形県職員で、全身の筋肉が衰える進行性の病気、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と闘う山形市の鏡一男さん(63)が、山形の農業や食を主題にした随筆集「おおやま桜」を自費出版した。同書を読んだ友人らから励ましの手紙が寄せられるなど、静かな反響の輪が広がっている。
 書名は、生まれ育った山形市の自宅近くにある並木道にちなむ。随筆集を自らの「生きた証し」(鏡さん)として残そうと執筆を進めながら、常に心の中にあったふるさとへの思いを込めた。
 闘病生活や身の回りの話題、幼少時の思い出などをまとめた「私の症状とうれしい便り」と、農業の可能性や課題を考える「山形の食と農」の2部構成。病気の進行で話すことは難しくなったが、電子メールで交わした「会話」も収めた。
 県庁を離れ、県土地改良事業団体連合会(山形市)の専務理事として全国を飛び回っていた2005年秋ごろ、手足の軽いしびれに気付いた。ALS以外考えられないと診断された06年夏以降、症状は少しずつ進んだ。
 出張で上京中、歩道で姿勢を崩して転び、背広が裂けた。階段の上り下りがつらくなった。ワイシャツのボタンがはめられない。ビールを飲むジョッキがコップ、そして杯へと代わった。「私の症状―」の中で「ストローで飲めるのでまあいいかと自分に言い聞かせた」と、当時の気持ちを振り返っている。
 執筆開始は09年春。指先のかすかな動きで操作できるパソコンソフトを用い、1文字ずつ文章を紡いだ。1日200字ほどの執筆が日課になった。日常の喜怒哀楽を淡々とつづるが、打ち合わせと違う介助を受けた際に声を発せられない苦しみを描くくだりでは感情をあらわにする。「重みに耐えられないので、冬でも布団は掛けない」といった穏やかな記述が、苦しみを際立たせる。
 後段の「食と農」では、辛口の評論を試みた。農業工学の専門家として水田農業の大規模化などを担ってきたが、山形県の農業生産品目が水稲と果物、枝豆などに偏っていると問題提起。名物の芋煮が他県や外国産の野菜で賄われる現状に「主食とデザートでは県民が育たない」と異を唱え、地域の特性を生かした多品目化の道を説く。
 鏡さんは現在、山形市内で入院生活を送る。見舞客らとの会話は透明な文字盤で行う。視線の動きとまばたきで介助者が1文字ずつ言葉を拾う。刷り上がった本を見て「は・ず・か・し・い」と照れる鏡さんに、妻悦子さん(65)は「お父さんの気持ちが伝わる本になったね」と語り掛けた。
 A5判372ページ。300部刷り、宇都宮大の同級生や県庁時代に出会った仲間に無償で配ったところ、励ましの手紙や制作費の足しにとカンパが相次いだ。連絡先は県土地改良事業団体連合会の細矢一総務部長023(647)5385。
2010年06月27日日曜日


【写真説明】わずかに動く指先でパソコンを動かす鏡さんと、見守る妻の悦子さん=山形市」(全文)

 
 
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◆2010/06/29 「香川県内・同人誌紹介/川柳」
 『四国新聞』2010-06-29
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/culture/article.aspx?id=20100629000106

 「香川県内・同人誌紹介/川柳
「せんりゅう野菊」(6月号)
 山下芙美は巻頭言で「野菊」の森初代会長をしのび、旧宅の変わりように思いをはせる。

 「百花苑(えん)」(会員自選)には、熊井艶子「一歩一景 母の日の車椅子(いす)」、遠 山茶「母の絵に昨日も今日も癒(い)やされる」、馬場みのる「農繁期ネコが田圃(たんぼ)で見張ってる」、山下みえこ「さりげなく愚痴言うしあわせのひとつ」、宮本意志子「少女の笛 未来に続く青い空」、山下芙美「こんな時 畑は身内の顔になり」など13人の各4句収録。

 「百花苑鑑賞ノート」は橘のぶ子が担当。(高松市由良町494の1、山下芙美方)

   ◇  ◇

「たまうら」(6月号)
 兼題「茶」(大谷晋一郎選)の特選句は清子「茶柱が立ってこころの鈴が鳴る」(人)、紀子「欠け茶碗(わん)老いの生きざま捨てきれず」(地)、知恵子「ふる里の便りのような新茶飲む」(天)。

 軸吟(選者吟)は「茶柱が立つ月曜の海光る」「母と呑(の)むお茶がこんなに美味(うま)いこと」。

 兼題「仲間」(島田治選)の天位句は志津江「大笑いしたく仲間の輪にはいり」。(さぬき市鴨庄3613、山本正子方)
(non)

随筆「ずいひつ無帽」(6月号)
 三島由紀夫と香川県とのつながりをさぐるのが剣持雅澄の「三島由紀夫の琴弾」。

 三島が滝沢馬琴の「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」を歌舞伎上演の際、琴弾八幡宮の場で、原作にはない琴を弾かせる場面を設定した点、観音寺市民としては「快哉(かいさい)するところ」である、とする。

 三島流のマゾ・サド美学に触れ、琴弾八幡宮の縁起を説いたあと、観音寺に「琴に関連することはすべて何もかにも集めて大団円としての『琴の絆(きずな)』というべきものを作ろう」と提案する。

 高木白は「またも老人のこと」について書く。56歳の独身の男が、パーキンソン病を患う86歳の母親を5年間、献身的に介護した末、暴力を振るって死亡させる。この裁判を通じて、日本の福祉や老人問題を考える。

 最後に川口有美子の「『逝かない身体』ALS的日常を生きる」(医学書院)を紹介する。難病の母親を家族も自分も犠牲にして13年間も看病した1女性の記録だという。「一行一行を血と涙で震いながらしたためていったのではないかとさえ思える一冊の本」と推奨。

 山成康子の「絵本を読む」は読み聞かせの会で、後藤竜二・作、岡野和・絵の「くさいろのマフラー」を取り上げた話。ドラマチックではないが、少年の心の動きがしみじみと伝わる作品だという。筆者は「絵本は詩に似ている」と説く。

 ほかに北川藤子の「環境の激変」と八坂俊生の川柳60句。(坂出市谷町1丁目9の1、高木白方)
(K)

(敬称略)」(全文)







*作成:長谷川 唯山本 晋輔
UP:20100227 REV:20100709
ALS  
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