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ALS・2009年1月〜3月の報道等

ALS 2009 (English)
ALS

last update:20091219


2009/02/21土 「東アジアALS患者在宅療養研究シンポジウム」
 於:立命館大学衣笠キャンパス

 *以下、寄せられた情報を掲載。webmaster@arsvi.comまで情報をいただければ掲載いたします。

  ◆ALS・2009
  ◆ALS・2009年4月〜6月の報道等
  ◆ALS・2009年7月〜9月の報道等
  ◆ALS・2009年10月〜12月の報道等

◆2009/01/07 「命ときめく日に」
 『京都新聞』2009-01-07
 http://www.kyoto-np.co.jp/info/syakai/inochi/20090107.html
 S氏写真
◆2009/01/09 「ALS患者の“夢”手助け」(PDF)
 河北新報
◆2009/01/10 「メール、遊び相手… 筋ジス、ALS患者がボランティア募集」
 『信毎WEB』信濃毎日新聞社
 http://www.shinmai.co.jp/news/20090110/KT090108SJI090013000022.htm
◆2009/01/10 「難病ALS男性を非常勤助手に/福祉器具開発へ藤沢の湘南工科大」
 『神奈川新聞』2009-1-10
 http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivjan0901198/
◆2009/01/13 「難病男性・舩後さん 非常勤助手に 湘南工科大(藤沢)」
 『東京新聞 TOKYO WEB』2009-1-13
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20090113/CK2009011302000095.html
◆2009/01/15 「医療ミス、遺族守山市と和解 大津地裁」
 『京都新聞』2009-01-15
 http://kyoto-np.jp/article.php?mid=P2009011500020&genre=D1&area=S00
◆2009/01/19 「ペリー症候群の遺伝子特定 パーキンソン病解明に期待」
 『47NEWS』2009-01-19
 http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009011901000010.html
◆2009/01/19 「呼吸器外れ男性死亡 士別市、遺族に和解金1300万円」
 『北海道新聞』2009-1-19
 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/141805.html
◆2009/01/20 「寄贈:「しんごうき」の収録テープ、盛岡市に /岩手」
 毎日新聞 2009年1月20日
 http://mainichi.jp/area/iwate/news/20090120ddlk03040057000c.html
◆2009/01/23 「ベッカムがある人のもとへ・・・」
 『SerieA.jp』2009-01-23
 http://seriea.jp/pageShw.php?pageid=6357
◆2009/01/26 「展示会:心の力で作品制作 難病ALS、機能衰えても−−金沢 /石川」
 『毎日新聞』
 http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20090126ddlk17040343000c.html
◆2009/01/27 「ヘルパー 自ら育成 ALS患者と家族」
 東京新聞:TOKYO WEB 2009年1月27日 夕刊
 http://s03.megalodon.jp/2009-0128-0042-23/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009012702000227.html
◆2009/01/27 「足で描く生きる力 本町でALS患者作品展」
 『中日新聞 CHUNICHI WEB』
 http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20090127/CK2009012702000189.html
◆2009/01/29 「人物風土記――生と死意識して生まれた音楽贈る――」
 『タウンニュース 港北区版』2009-01-29
 http://www.townnews.co.jp/020area_page/01_thu/01_koho/2009_1/01_29/koho_jin.html
◆2009/02/01 「難病と闘う日下遥ちゃん初の個展へ 徳島市、交流女性ら準備」
 『徳島新聞』2009-02-01
 http://www.topics.or.jp/localNews/news/2009/02/2009_1233451269.html
◆2009/02/02 「私の人工呼吸器を外してください〜〜「生と死」をめぐる議論〜〜」
 NHKクローズアップ現代 2009-2-2
 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2009/0902-1.html
◆2009/02/02 「iPS関連特許10件超出願 京大、日本と米国に」
 『京都新聞』2009-02-02
 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009020200171&genre=G1&area=K00
◆2009/02/03 「もう一度ギターが弾ける 湘南工科大 ALS患者の助手とともに開発へ」
 『産経新聞』2009-2-3
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090203-00000016-san-soci
◆2009/02/03 「難病患者が「呼吸器はずして」 はずすと罪なのか」
 『J-CAST ニュース』2009-02-03
 http://www.j-cast.com/tv/2009/02/03034934.html
◆2009/02/03 「患者が望む “死”は認められるか。」
 『TechinsightJapan テックインサイトジャパン』2009-02-03
 リンク先URL
◆2009/02/08 「ケアノート――介護日記は愛の手紙――」
 『読売新聞』2009-2-8
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/note/20090208-OYT8T00225.htm
◆2009/02/10 「バスケ試合にALS患者招く」
 中國新聞 2009-2-10
 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200902100048.html
◆2009/02/10 「民間活力の活用、地方分権の促進…」
 『西日本新聞朝刊』
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/76357
◆2009/02/13 「【難治性疾患克服研究事業】100億円計上し研究対象疾患拡大」
 『薬事日報』2009-2-13
 http://www.yakuji.co.jp/entry9162.html
◆2009/02/16 「これからの人工呼吸――― 非侵襲的陽圧換気療法NPPVの展望と課題」
 『週刊医学界新聞 』2009-2-16
 http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02818_01
◆2009/02/17 「[解説]特養の医療行為」
 『読売新聞』2009-2-17
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kaigo_news/20090217-OYT8T00248.htm
◆2009/02/19 「鳥取市:難病患者助成金制度、2011年度に廃止方針 /鳥取」
 『毎日jp』2009-2-19
 http://mainichi.jp/area/tottori/news/20090219ddlk31010595000c.html
2009/02/21土 「東アジアALS患者在宅療養研究シンポジウム」
 於:立命館大学衣笠キャンパス
◆2009/02/22 「東アジアALS患者シンポ:心のケアを 韓国の支援者ら、介護の現状など報告 /京都 」
 『毎日新聞』2009-2-22
 http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20090222ddlk26040342000c.html
◆2009/02/24 「難病者宅など訪問 小笠高・女子バンド」
 『静岡新聞』2009-2-24
 http://www.shizushin.com/news/local/west/20090224000000000026.htm
◆2009/02/26 「第10回 ─ ジェイソン・ベッカー」
 『bounce.com』2009-2-26
 http://www.bounce.com/article/article.php/5002
◆2009/02/27 「筋肉の活動、リアルに表示 東大がシステム開発」
 『日本経済新聞』2009-2-27
 http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090228AT1G2702Z27022009.html
◆2009/02/28土・03/01日 国際研究フォーラム「ライフデザインと福祉(Well-being)の人類学」
 於:立命館大学衣笠キャンパス
◆2009/03/01 「患者と医者信頼関係作りを――県医師会 金沢で公開講座――」
 『読売新聞』2009-3-1
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20090301-OYT8T00045.htm
◆2009/03/05 「福祉ナビ:ALS患者、家族を支援する「さくらモデル」とは?」
 『毎日jp』2009-3-5
 http://mainichi.jp/life/health/fukushi/news/20090305ddm013100190000c.html
◆2009/03/05 「理化学研究所、遺伝型ALSのモデルマウスを用いてALS病態の進行メカニズムを解明  」
 『NIKKEI NET』2009-3-5
 http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=214505&lindID=4
◆2009/03/05 「理研など、原因不明の全身麻痺を引き起こす難病の原因を一部解明」
 『財経新聞』2009-3-5
 http://www.zaikei.co.jp/article/biznews/090306/33572.html
◆2009/03/12 「「魂」のコンサート:今年も開催 谷川俊太郎さん、小室等さんら協力、出演 /石川」
 『毎日jp』2009-3-12
 http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20090312ddlk17040384000c.html
◆2009/03/14 「神奈川のひと:湘南工科大学学長・谷本敏夫さん /神奈川」
 『毎日新聞』2009-3-14
 http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20090314ddlk14070074000c.html
◆2009/03/15 「命を輝かせて生きる」
 『琉球新報』2009-3-15
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-141710-storytopic-14.html
◆2009/03/16 「【対談】「患者の権利」はどこまできたか 」
 『医学書院/週刊医学会新聞(第2822号 2009年03月16日)』2009-3-16
 http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02822_01
◆2009/03/23 「患者サポートへ職域超えた連携 岐大病院、難病拠点指定から4年」
 『中日新聞』2009-3-23
 http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20090323/CK2009032302000016.html
◆2009/03/24 「ALS:舩後さんに読書装置 「読める」感動新たに /千葉」
 『毎日新聞』2009-3-24
 http://mainichi.jp/area/chiba/news/20090324ddlk12040197000c.html
◆2009/03/25 「ALS患者支援策探る 中区でケア市民ネット勉強会」
 『静岡新聞』2009-3-25
 http://www.shizushin.com/news/local/west/20090325000000000027.htm
◆2009/03/25 「介護の最新情報を紹介 彦根でALS家族交流会」
 『中日新聞』2009-3-25
 http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20090325/CK2009032502000008.html
◆2009/03/27 「掘り出しニュース:額のシワで本を動かす装置 難病ALS患者向けに開発」
 『毎日jp』2009-3-27
 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090327mog00m040050000c.html
◆2009/03/29 「技術活用シンポ:ALS患者らが装置開発を報告−−湘南工科大 /神奈川」
 『毎日新聞』2009-3-29
 http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20090329ddlk14040160000c.html
◆2009/03/31 「秋田に望む:「木曜の窓」筆者の思い/1 荒谷紀子さん /秋田」
 『毎日新聞』2009-3-31
 http://mainichi.jp/area/akita/news/20090331ddlk05040019000c.html


 
 
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◆2009/01/07 「命ときめく日に」
 『京都新聞』2009-01-07
 http://www.kyoto-np.co.jp/info/syakai/inochi/20090107.html

 「生きる選択肢
◇人工呼吸器が「よこにいた」 仕事も現役 「妥協なし」
動かせるのは左手の中指のみ。そのわずかな動きをセンサーで感知し、パソコンのモニターに長方形や円を描いていく。人工呼吸器が静かに息を紡ぐ。
 京都市左京区の自宅のベッドで、全身の筋肉が動かなくなっていく難病筋委縮性側索硬化症(ALS)を発症して八年になる田中豊亨さん(64)。祖父から三代にわたる図案家で、今もバッグのデザインを続けている。
 長男の晶さん(36)が、出来上がったバッグを見せる。父の目線は厳しい。平仮名五十音を記した透明文字盤から、視線で一文字ずつ選んでいく。
 「しんさくはっぴょうかいは どうする」
 晶さんは「父は妥協がない。ALSを発症してからパソコンを始めたので、最初は四角形を描画するだけで何時間もかかったんですが」と笑う。
 病のため、嫌いだったパソコンを使わざるを得ないことについて、新しい感覚との出合いと田中さんはいう。「絵が全部、頭の中のイメージと違う物になって、面白い。発見がある。病気になって良かったのはパソコンを知ったこと」
 発症前から長年、バッグやタペストリーなどを創作してきた。肩や腕を動かすことがだんだん困難になり、二〇〇一年にALSと診断された。田中さんは告知された時、それがどんな病なのか、「よく分からんかった」。口から食べること、歩くこと、声を出すこと。さまざまな機能を失い、体は動かなくなっていった。
 ALSは、過酷な病だといわれる。主に中高年で発症し、息をする力も衰えていく。治療法は分かっていない。人工呼吸器を使い十年以上長く生きる人もいる。だが七割の人が装着せずに亡くなっている。生きたいとの思いと、寝たきりで全介護となる未来の間で、過酷な自己決定を強いられる。
 妻の京子さん(64)や晶さんたちは、人工呼吸器を装着して、長く生きていてほしいと願った。
 絵を思うように描けなくなっても新しいバッグのアイデアが生まれ、ファッションへの気遣いも忘れない田中さんの生きざま。「なるようになる」
 家族はあえて選択を迫る言葉は口にしなかったが、その思いを受け取った。息が苦しくなった田中さんは〇二年末、人工呼吸器を装着した。
 人工呼吸器とともに生きることをどう捉(とら)えているのか。「きがついたら よこにいよる」と田中さん。表情は動かないが、瞳の中に、からりと笑う姿が見えた気がした。

■人工呼吸器
 自発呼吸の弱くなった人の肺に空気を送る機器。外科手術を要しない鼻マスク・顔マスクのタイプも開発されている。自発呼吸が低下した早期に使用し、呼吸リハビリと組み合わせるケアも進んでいる。現在は健康保険で在宅人工呼吸管理料が認められ、レンタルが可能になった。

◇負のイメージ根強く
昨年七月、京都市北区の佛教大。福祉を専攻する学生を前に、車いすの杉江眞人さん(61)が、ろれつの回らない、不明瞭(めいりょう)な声で体験を語り出した。「昨日まで書けた字が書けなくなる。昨日持てた箸(はし)が持てなくなった」。涙で何度も話は途切れた。
 〇七年に京都市内の大学病院で、進行性の神経難病、筋委縮性側索硬化症(ALS)と知らされた。医師は告げた。「一年たてば、両手両足が動かなくなり、車いすの生活になる。家族の介護がなければ生活できない。人工呼吸器を着けて在宅生活をしている人はあまりいない。介護負担も、経済的負担も重い。病院も看てくれるところは少ない」
 続けて医師は「人工呼吸器を装着するか、しないか決めてほしい」と切り出した。死の選択をその場で迫られ、「何がなんだか分からなかった」。杉江さんは一人暮らし。離れて暮らす娘に介護負担はかけたくなかった。絶望と混乱。「人工呼吸器使用を希望しません」。病院が用意した書面にサインをした。
 人工呼吸器は、かつて患者を病院に縛り付けた。高価で大型の先端医療機器だった。近年の技術革新で、在宅で使え、車いすに積み外出もできるまで小型化され、安価になった。たん吸引などを支える介助の人手があれば、その人らしい暮らしを支えることができる機器になった。
 だが、そのことは医療関係者の中にさえ十分認識されていない。「延命装置」「カネのかかる終末期医療」のシンボルのように語られがちだ。ALS患者の長男から懇願されたとして人工呼吸器を外した母が、嘱託殺人罪で二〇〇五年に有罪判決を受けた相模原事件なども、悲惨なイメージに拍車をかける。
 医療費削減を掲げる政府の姿勢も影響している。厚生労働省は昨年四月、後期高齢者医療制度の中で、終末期医療の治療方法を文書で確認した場合、二千円の診療報酬を支払う「終末期相談支援料」を新設。同省は人工呼吸器を「着ける、着けない」と二者択一させるリビング・ウイル(生前の意思表示)を例示した。
 「人工呼吸器や経管栄養に対する偏見は根強く、末期患者と思われてしまう。家族の事情や福祉の充実度、医師の主観で患者の意志は揺れる。自己決定の名前の下に、患者を治療の不開始へ誘導する無言の圧力になる」。日本ALS協会は、厚労省に激しく反発した。同省の「死亡前一カ月の医療費が約九千億円、在宅死を倍にすれば五千億円を削減できる」との試算公表も批判を浴び、終末期相談支援料は三カ月で凍結に追い込まれた。
 厚労省は「終末期医療のあり方懇談会」で、人工呼吸器など「延命治療」中止要件の論議を続けている。
 杉江さんは昨年冬、自宅で転倒を繰り返し、食事を取り出すのも着替えも難しくなった。週四度、一回一時間ほど滞在するだけのヘルパーでは、独居は限界だった。「生きられるのなら、そりゃ生きたい」。でもその思いを伝えられずにいた。
 杉江さんはその後、看護師や立命館大の学生たちとの出会いで、障害施策のヘルパー制度を活用し、二十四時間、誰かがそばにいる独居生活を始めた。
 学生たちと語り、時に酒を飲む。「人生が始まった。病気は苦しいが、学生たちといると気持ちが若くなる。さみしくはない」。昨年秋から夜に数時間、鼻マスク式の人工呼吸器を使い始めた。」(全文)
(京都新聞朝刊2009年1月7日)

 
 
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◆2009/01/09 「ALS患者の“夢”手助け」(PDF)
 河北新報

 
 
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◆2009/01/10「メール、遊び相手… 筋ジス、ALS患者がボランティア募集」
 『信毎WEB』信濃毎日新聞社
http://www.shinmai.co.jp/news/20090110/KT090108SJI090013000022.htm

 「県厚生連鹿教湯三才山リハビリテーションセンター三才山病院(上田市)は、同病院内にある指定療養介護事業所に入院する患者のゲームの相手や、外出時のサポートをしてくれるボランティアを募集している。同介護事業所には、筋ジストロフィーや筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)といった重い病気を抱える患者が入院しており、容体などを考え外出が制限され、山間地にあるため院外の人との交流が少ない。患者は新たな出会いを求めて自らチラシを作り、「友達感覚で来てほしい」と呼び掛けている。
 現在、同介護事業所(20床)には16人が入院。患者に多い筋ジストロフィーとALSはともに筋肉が衰え、歩行や運動が困難になる病気で、患者は介護や機能回復訓練を受けている。
 職員数が限られていることや、ほかの病気の感染予防対策から、患者が行事などで1年間に外出できるのは、4−10月の原則3回まで。一番近い民家まで約2キロ離れており、周辺地区との普段の交流もないという。
 同病院は、昨年春、同介護事業所で食事介助をしてくれるボランティアを募集。しかし、秋になっても応募はなかった。患者から「食事介助は経験がないと来にくい。欲しいのは遊び相手」との声が上がり、内容を変えて再募集することにした。
 患者は募集のチラシ作りに協力。高橋将大さんは「注目されるように」と期待を込め、オレンジ色を背景したものと、イラストをたくさん盛り込んだ2種類のチラシで、話し相手や将棋、トランプの遊び相手を募っている。
 高橋さんは「友達が来て直接話す機会は少ない」と言い、「来てくれた人とゲームや好きな音楽の話ができたらうれしい」と話す。チラシは上田、松本両市の社会福祉協議会や福祉系専門学校などに送った。
 阿部智和さんも「来てほしいが、(自分が)気後れしてしまうかも」と気恥ずかしそうに話しながらも、「遊びを通してお互いを知り、友達のように一緒に買い物や食事に出掛けたい。メールもやりとりもしたい」と期待している。
 問い合わせは同病院(電話0268・44・2321)へ。」(全文)

 
 
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◆2009/01/10 「難病ALS男性を非常勤助手に/福祉器具開発へ藤沢の湘南工科大」
 『神奈川新聞』2009-1-10
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivjan0901198/

 「湘南工科大学(藤沢市辻堂西海岸)が、難病の筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)と闘う男性を非常勤助手として採用している。同大は障害者向けの福祉器具の開発に取り組んでおり、実際に使う側からアドバイスを受けるのが狙いだ。難題克服へ学生らと日々研さん。ものづくりの可能性が広がっている。
 助手を務めているのは、千葉市に住むALS患者の舩後靖彦さん(51)。商社マンだった一九九九年、四十一歳のときに発病した。筋肉が萎縮し、運動機能が急速に衰える難病。治療法はなく、国内には約七千人の患者がいる。
 病が進行して人工呼吸器を使いながらも、舩後さんは額に着けた二本のセンサーを動かすことで、五十音表の中から文字を選び、パソコンを通じて意思を伝える。これまでに短歌や詩の創作、講演などを行って病気と闘い、同じ病気の人も励まし続けている。
 採用のきっかけは、同大が進める「福祉ものづくり」。横浜市栄区の障害者施設と協力し、重度の障害者でも使える製品を開発している。ALS患者とも交流を深める機会があり、舩後さんと知り合った。
 授業は、週一回程度。インターネットや千葉市内の施設で指導にあたる。今、舩後さんが求めているのは病気になる前のように「ギターを弾くこと」。額の微細な動きを、二本のセンサーを通じて実際に弦を弾く行為にどう結びつけるか―。電気電子工学科四年の山田雅彦さん(23)が難題に挑んでいる。
 「提案に応えることができれば、ほかの障害や難病がある人にもきっと応用できるはず」と目を輝かす山田さん。舩後さんは「自分が持っているものを伝え、教育に携われることはうれしい」と寄せている。」(全文)

 
 
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◆2009/01/13 「難病男性・舩後さん 非常勤助手に 湘南工科大(藤沢)」
 『東京新聞 TOKYO WEB』2009-1-13
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20090113/CK2009011302000095.html

 「学生たちが福祉器具づくりに励んでいる湘南工科大学(藤沢市)は、進行性難病の筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)を患う舩後(ふなご)靖彦さん(51)を非常勤助手に採用した、と発表した。ALS患者の情報伝達装置のモニターを舩後さんに依頼し、技術的な助言をもらう。インターネットを通じ、週1度程度の対面授業も行う。 (加藤木信夫)
 宝飾輸入商社に勤務していた舩後さんは一九九九年に発症。現在は千葉市の介護施設に入所している。ほぼ全身が麻痺(まひ)して人工呼吸器を装着。額に装着したセンサーをまゆで動かし、パソコンへ連動させることで、外部と「会話」している。
 同大ではこれまで、障害者のニーズを直接聞き取り、福祉器具づくりに反映させるボランティア活動を推進してきた。取り組みの数々が本年度、文部科学省の「質の高い大学教育推進プログラム(教育GP)」に選ばれ、初年度分として二千万円の補助金が認められた。
 補助金の一部を舩後さんの採用関連費に充てた。担当者は「より重い障害者のデータを積み上げ、快適な暮らしをサポートできるよう、器具の改良に努めたい」としている。  舩後さんは電子メールで「自分が持っているものをみんなに伝え、教育に活用していただければうれしい」と伝えてきた。バンド演奏を趣味にしていたことから、「自作の詩を曲にしたい。額のセンサーをギターの弦へつないで奏でることはできないか」と求めているという。

<筋萎縮性側索硬化症(ALS)> 感覚や知能ははっきりしたまま、筋肉の萎縮が全身に広がる原因不明の難病。症状が進行すると、呼吸筋が麻痺して自発呼吸ができなくなる。延命措置として人工呼吸器をつけても麻痺は進行し、末期には眼球運動も確認できなくなる。有効な治療法は確立されていない。日本には約7000人の患者がいるとされる。」(全文)

 
 
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◆2009/01/15 「医療ミス、遺族守山市と和解 大津地裁」
 『京都新聞』
 http://kyoto-np.jp/article.php?mid=P2009011500020&genre=D1&area=S00

 「医療ミス、遺族守山市と和解 大津地裁 
 筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した滋賀県守山市の女性=当時(72)=が、守山市民病院の医… [記事全文]
 2009/01/15 08:54 【京都新聞】」

 
 
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◆2009/01/19 「ペリー症候群の遺伝子特定 パーキンソン病解明に期待」
 『47NEWS』
 http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009011901000010.html

 「ペリー症候群の遺伝子特定 パーキンソン病解明に期待
 手足の震えや動作が緩慢になるなどの症状が出るパーキンソン病の一種で、遺伝性の「ペリー症候群」の患者に共通する遺伝子変異を、坪井義夫・福岡大准教授(神経内科)と米国の医療機関などのグループが突き止め、19日までに米科学誌ネイチャージェネティクスに発表した。
 パーキンソン病は遺伝によらない「孤発性」が約9割を占めるとされるが、坪井准教授は「症状の進行が早いペリー症候群の遺伝子の特定は、孤発性パーキンソン病の発症メカニズムの解明にも役立つ」と話している。
 ペリー症候群は1975年にカナダで確認されて以来、日本を含む世界の8家系でしか見つかっていない極めてまれな疾患。40歳代前半での若年発症が多いのが特徴。
 坪井准教授が福岡大の山田達夫教授らとともに2001年に日本で初めての家系を報告して以降、発症者と非発症者を含む全家系の約60人の遺伝子を調査した結果、既に発症した約20人全員について「DCTN1」と呼ばれる遺伝子に変異があることが分かった。
 DCTN1は神経細胞内の物質輸送に関するタンパク質「ダイナクチン」をつくる遺伝子。変異でダイナクチンに異常が生じ、脳内の情報伝達に支障が出るとみられる。
 ほかに、ペリー症候群の患者の神経細胞内に、筋萎縮性側索硬化症(ALS)などでも脊髄などへの蓄積が確認されている別のタンパク質「TDP−43」が蓄積することも判明。このタンパク質の働きには未解明な点が多いが、共通の病理現象として注目されるとしている。

2009/01/19 06:09 【共同通信】」(全文)

 
 
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◆2009/1/19 「呼吸器外れ男性死亡 士別市、遺族に和解金1300万円」
 『北海道新聞』
 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/141805.html

 「同病院によると、男性は全身の筋肉が衰える筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)で入院していたが、同年五月二日、男性ののどにつながる人工呼吸器のホースが外れているのを看護師が発見。男性は約一時間後、低酸素脳症で死亡し、妻らが市に損害賠償を求めていた。 ...」

 
 
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◆2009/1/20「寄贈:「しんごうき」の収録テープ、盛岡市に /岩手」
 『毎日新聞』
 http://mainichi.jp/area/iwate/news/20090120ddlk03040057000c.html

 「全身が動かなくなる難病の筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)を発病しながら創作活動を行った故佐藤力子さん(1938〜2003)が作詞した「しんごうき」(安藤睦夫さん作曲)のカセットテープが、盛岡市に寄贈された。
 寄贈したのは、同市長田町の音楽評論家、秋山繁さん(70)と同市鉈屋町の作詞家、吉田智さん(73)の2人。秋山さんは一昨年3月、力子さんの夫誠一さんから、力子さんと安藤さんのコンビによる全9曲の権利を譲渡された。
 そのうち唯一の未発表曲が「しんごうき」。「あかはとまれのしんごうき−−」など覚えやすい歌詞とメロディーを保育所の子供たちの交通安全教育に活用してほしいとカセットテープ18本に収録した。歌は岩手大学のアカペラグループ「VOIVOI」が担当している。
 テープを受け取った谷藤裕明盛岡市長は「早速市内の保育所に配布する。末永く役立たせてもらいたい」とあいさつ。秋山さんは「この曲を世に出すことができて良かった」と話した。【念佛明奈】」(全文)

毎日新聞 2009年1月20日 地方版

 
 
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◆2009/01/23 「ベッカムがある人のもとへ・・・」
 『SerieA.jp』
 http://seriea.jp/pageShw.php?pageid=6357

 「22日、ミランに所属するイングランド代表MFデイビッド・ベッカムが、ミランやフィオレンティーナで活躍した元サッカー選手のステファノ・ボルゴノーヴォ氏を訪ねた。ボルゴノーヴォ氏は現在、ALS(筋萎縮側策硬化症)という身体の筋肉がなくなってしまうという難病と戦いながら、自身の侵された病気で苦しいんでいる人々を救おうと様々な慈善活動を展開している。ミランとフィオレンティーナはその活動をサポートしており、今回の会談に繋がった模様。ミランを率いるカルロ・アンチェロッティ監督とともにボルゴノーヴォ氏の自宅を訪問したベッカムは、ボルゴノーヴォ氏と握手を交わし記念撮影をするなど和やかなムードで会談を行っていた。 」(全文)

 
 
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◆2009/01/26 「展示会:心の力で作品制作 難病ALS、機能衰えても−−金沢 /石川」
 『毎日新聞』2009年1月26日 地方版
 http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20090126ddlk17040343000c.html

  難病の筋委縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)の患者が描いた絵画などを展示する作品展が、金沢市本町1の金沢福祉用具情報プラザ(ルキーナ金沢)で開かれている。わずかに動く腕、足などで制作した作品には、見る者をたたずませる力がある。入場無料。31日まで。
 ALSは全身の運動神経が次第に侵される難病。作品展は、患者や家族らでつくる「日本ALS協会県支部」(事務局・金沢市)が毎年開いており、県内外から油彩、水彩、俳句など54点が出品されている。
 手が動かなくなり、17年前から足で制作している木脇正敏さん(鹿児島県)の油絵は、古里・徳之島の闘牛や桜島が力強いタッチで描かれている。加賀友禅作家で昨年死去した木村基さんの「阿」は、あどけなく口を開いた幼子を薄墨で表した慈愛にあふれる作品。孫を描き残したものという。
 同支部事務局の永井道子さん(62)は「体の機能は失われても、心は力を秘めている。人間の可能性を感じてほしい」と話す。
 午前10時〜午後7時(最終日は午後4時)。会場は火曜休み。同支部(076・241・9872)。【野上哲】」(全文)

 
 
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◆2009/01/27 「ヘルパー 自ら育成 ALS患者と家族」
 東京新聞:TOKYO WEB 2009年1月27日 夕刊
 http://s03.megalodon.jp/2009-0128-0042-23/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009012702000227.html

 「二十四時間の介護が必要で、普通は病院暮らしや付きっきりの家族介護が必要な筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)患者。だが、首都圏では一人で暮らすなど、自立に向けた試みが進んでいる。患者と家族が、ヘルパーを育てる新システム「さくらモデル」を導入したからだ。活動の輪は、全国に広がろうとしている。 (中部報道部・城島建治)
 三十二歳で発病した橋本操さん(56)=東京都練馬区=は、ほとんど身体を動かすことができないが、五年前に家族から離れ、一人暮らしを始めた。ヘルパーが二十四時間、付き添ってくれているからだ。
 それを可能にしたのが「さくらモデル」。仕組みは▽患者や家族が介護専門学校や福祉系大学の学生らをヘルパーとして養成▽患者や家族が訪問介護事業所を運営し、育てたヘルパーを自分たちの家に派遣する−。
 ヘルパーを養成するのは、特定非営利活動法人(NPO法人)ALS/MNDサポートセンター「さくら会」(東京都中野区)。橋本さんら都内の患者、家族、看護師などの支援者ら五人が二〇〇三年六月に立ち上げた。
 橋本さんらは「介護の負担が重く、家族に自由がなくなり、患者も申し訳ない気持ちでふさぎ込んでしまう。そんな実情を何とかしたかった。研修段階から学生らヘルパーと接するのでコミュニケーション、信頼関係も深まる」と話す。
 二カ月に一度、重度訪問介護の資格を取得できる研修会を開く。大学生や専業主婦を積極的に勧誘し、既に七百人が修了した。
 資格を取ったヘルパーは、東京、神奈川、埼玉、千葉の一都三県で、さくら会会員の患者や家族が経営する二十五の介護事業所に登録され、患者宅に派遣される。現在、約七十人の患者がサービスを受けている。
 事業所は障害者自立支援法などの適用要件を満たしており、自分たちの家だけでなく、希望者宅にヘルパーを派遣すれば収入を得ることもできる。
 深夜帯勤務もしやすい学生ヘルパーのおかげで、家族は安眠できるようになり、患者からも「若い人と接することで元気をもらえる」と好評だ。
 人工呼吸器を付けた患者は、たん吸引という医療行為を伴うため、介護には時間がかかる。そのため、全国的にみればヘルパー派遣を敬遠する介護事業所もあり、十分なヘルパーを確保できず、家族が睡眠時間を削って介護するケースも少なくない。
 さくら会の活動は口コミで広がり、京都市や仙台市でも同じシステムを利用して、一人暮らしする患者が現在三人いる。
 同会代表でもある橋本さんは「さくらモデルが全国に広がって家族の負担が減り、自立に向けた動きが進んでほしい」と話している。

 <筋萎縮性側索硬化症(ALS)> 全身の筋肉が次第に弱くなる難病。頭脳や感覚ははっきりしたまま、発症から2−4年で呼吸筋がまひする。人工呼吸器の装着や、たんの吸引など24時間介護が必要となるため、家族の負担も大きい。全国の患者は約8000人。」(全文)

 
 
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◆2009/1/27 「足で描く生きる力 本町でALS患者作品展」
 『中日新聞 CHUNICHI WEB』
 http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20090127/CK2009012702000189.html

 「7人が力作54点
 筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)患者が描いた絵などの作品展が金沢市本町の「金沢福祉用具情報プラザ ルキーナ金沢」で開かれている。三十一日まで。ALSは、全身の筋肉が徐々に動かなくなる原因不明の難病。会場には、県内外の患者七人の作品五十四点が展示されている。
 三年前に告知を受けた津幡町の渡辺進さんの水彩画は、息子が連れて行ってくれた能登の海岸などの自然風景をかろうじて動く右足を使って描いた。ほかにも、金沢市内の女性がリハビリ中の思いをつづった俳句や、県外の男性がパソコンで制作したグラフィックアートなど、多様なジャンルの作品が並ぶ。
 主催した日本ALS協会県支部は一九九三年の創立以来、毎年作品展を開いてきた。亡き母がALS患者で、開催のために力を注いできた永井道子事務局長は「患者が残された力を総動員してできた作品ばかり。来場者には、作品を見て、生きる力をもらってほしい」と力を込めた。
 入場無料。午前十時から午後七時まで(最終日は午後四時まで)。二十七日は「ルキーナ」が定休日のため、休み。(福田真悟)」(全文)

 
 
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◆2009/01/29 「人物風土記――生と死意識して生まれた音楽贈る――」
 『タウンニュース 港北区版』
 http://www.townnews.co.jp/020area_page/01_thu/01_koho/2009_1/01_29/koho_jin.html

 「生と死意識して生まれた音楽贈る
 ALSという難病と戦いながら、ピアニストとして活躍
 池田 みどり さん  高田東在住 53歳
 ○…脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動神経細胞が侵される難病「ALS」を背負いながら、プロの音楽家として活動している。病気を忘れてはいけないとまとめたエッセイを一昨年発行した後、海外滞在、CDリリース、ホールコンサートの3つの夢を叶えた。「ここまで実現できるとは思っていなかったんですけど、あきらめなかったのが良かったのでは」とあっけらかんと笑う。
 ○…約20年前に診断を受けた。「難病=死」の恐怖を常にもったまま毎日を送ってきた。「私、死ぬんだと思い、パニックになることもありましたね。何をするにも疲れる感じがしました」と振り返る。長い間再検査する勇気がもてなかったが、エッセイを発行する時に意を決して検査を受けた。「進行は見込めない」との診断に「やっと心が落ち着きました」とホッと胸をなでおろす。
 ○…昔からの知り合いに誘われて現在週1〜2回市内でライブ活動を行なっている。「みどり、お帰りなさい」。20年以上前にタイムスリップした感覚を覚えるという。奏でるのは、まっすぐで心地良さを感じる自身の性格のようなメロディ。専門はジャズだが、ジャンルにこだわらずに観客を楽しませることに重きをおく。「音楽は病気を抱えた人や障がいをもった人たちに、心のやすらぎを与えてくれます」
 ○…生と死を意識するようになり、日々目にするものが大切に感じられるようになった。「特に音楽と友人の大切さに気づきました」と感慨深げ。その2つは人生の節目に必ず支えてくれたという。音楽がなければ、どんな人生だったのかと思う。今のような喜びはなかったと断言する。「これからは音楽を通して、周りを元気にしていきたい。それが音楽へ、友人への恩返しにもなると思いますから」。
 やさしい笑顔を見せた。」

 
 
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◆2009/02/01 「難病と闘う日下遥ちゃん初の個展へ 徳島市、交流女性ら準備」
 『徳島新聞』
 http://www.topics.or.jp/localNews/news/2009/02/2009_1233451269.html

 「難病と闘う日下遥ちゃん初の個展へ 徳島市、交流女性ら準備 2009/2/1 10:17
 十万人に一人という難病と闘いながら、家族や周りの人々へ感謝の気持ちを込めた詩を作り続けている日下遥ちゃん(6つ)=藍住町乙瀬=の初めての個展が、二月二日から徳島市内のギャラリー喫茶で開かれる。遥ちゃんの詩に心を動かされた県内の女性らが、運営組織を結成。遥ちゃんや家族と展示内容やPR方法を話し合いながら準備を進めている。
 個展を発案したのは、遥ちゃんと同じ徳島大学病院に孫が入院していた樋口緑さん(50)=徳島市八万町新貝、団体職員。昨年九月の徳島新聞朝刊で、詩集の出版を計画している遥ちゃんのことを知って交流を始めた。樋口さんは「周りの人を元気にする明るい笑顔や、病気と気丈に闘う詩の内容に感動した」という。
 樋口さんは、難病の筋委縮性側索硬化症(ALS)を患いながらパソコンで絵を描き続ける長尾義明さん(61)=板野町中久保=の個展も支援してきた。同じ会場で遥ちゃんの個展を開いて詩集出版を後押ししたいと、母由美さん(27)に提案して同意を得た。
 徳島大学病院に入院していた知人で、遥ちゃんとも交流があった濱口佳子さん(21)=同市南前川町、四国大学二年=ら二人に声をかけ、一月に「ガンバル子どもを応援し隊♪」を結成。由美さんと相談してPRチラシを作るなど連日深夜まで準備している。
 遥ちゃんは、食物として取ったタンパク質が体内でうまく処理できない先天性代謝異常「グルタル酸血症I型」で、生後間もないころから入退院を繰り返してきた。徳島大学病院に入院中の二〇〇七年九月から病気と闘う決意などを込めた詩を作りはじめ、既に五十編以上を書きためている。鋭い視点から生まれた内容や優しさあふれる言葉遣いの作品は、同じ入院患者らを元気づけた。
 一月中旬に退院し、久々に自宅で家族と過ごしている遥ちゃんは、初めての個展を「たくさんの人に見てもらいたい」と心待ちにしている。過去の作品四十点に絵を描き加えるなどして展示用に仕上げ、自ら近所の人にチラシを配って来場を呼び掛けているという。

 個展は、徳島市仲之町のギャラリー喫茶「アンデルセン」で二月十四日まで休まず開く。鑑賞無料。問い合わせはアンデルセン<電088(623)1663>。
【写真説明】遥ちゃんの初の個展の内容について話し合う樋口さん(右)ら=徳島市内のアンデルセン」(全文)

 
 
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◆2009/02/02 「私の人工呼吸器を外してください〜〜「生と死」をめぐる議論〜〜」
 『NHKクローズアップ現代』
 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2009/0902-1.html

 「「私の病状が重篤になったら、人工呼吸器を外してください」。こう訴えるのはALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者、千葉県勝浦市で暮らす照川貞喜さん(68)。今は呼吸器を付けて生活しているが、病状が悪化して意志疎通ができなくなった時点が自分の死と考え、死を求める要望書をかかりつけの病院に提出したのだ。病院は倫理委員会を設置。1年間にわたって議論が行われ、去年「照川さんの意志を尊重すべき」という画期的な判断を示した。しかし、現行法では呼吸器を外すと医師が自殺幇助罪等に問われる可能性があり、波紋が広がっている。患者が望む「命の選択」を社会はどう受け止めるべきかを考える。
 (NO.2691)
 スタジオゲスト : 柳田 邦男さん (ノンフィクション作家)
 スタジオ出演 : 篠田 憲男 (NHK首都圏センター・記者)」(全文)

 
 
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◆2009/2/2 「iPS関連特許10件超出願 京大、日本と米国に」
 『京都新聞』
 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009020200171&genre=G1&area=K00

 「2009年2月2日(月)
 京都大がiPS(人工多能性幹)細胞について、昨年9月に国内で成立した作製法の基本特許のほかにウイルスを使わない作製法など10件以上を日本と米国で特許出願していることが2日、分かった。基本特許は「京大に優位性がある」として、年度内にも複数の企業とライセンス契約を結ぶ見込みという。
 京都市左京区の芝蘭会館で開かれたiPS細胞研究産業応用懇話会で、京大主導で設立された知的財産管理会社「iPSアカデミアジャパン」(上京区)の白橋光臣知的財産・法務部長らが明らかにした。
 京大によると、iPS細胞の関連特許は1月末で京大と米国の大学などから出願された計5件が公開されているが、京大は最も早い2005年12月に基本特許を出願している。
 京大は体細胞に4つの遺伝子を導入する手法の基本特許のほか▽3つの遺伝子を導入する手法▽ウイルスを使わない手法▽効率の良い作製法▽特定の細胞への分化誘導法なども出願しているという。
 iPSアカデミアジャパンはうち9件を管理しており、国内外の約10社の製薬企業からライセンス契約の申し出があり、本年度内に締結できるとの見通しという。iPS細胞から分化させた心筋細胞や肝細胞の製造についてもライセンス契約を目指す。
 また、他の大学や企業が所有する関連技術についても、京大の基本特許と相互供与するクロスライセンス契約の交渉を行っていることを明らかにした。関連技術を1元管理することで研究をさらに推進するのが狙い。

 ■公募の主任研究者に井上治久准教授
 京都大iPS細胞研究センターは2日、公募による初めての主任研究者として医療応用技術開発部門に井上治久准教授(神経内科)が1日付で就任した、と発表した。筋委縮性側索硬化症(ALS)、アルツハイマー病、パーキンソン病など難治性神経変性疾患について、iPS細胞を用いた原因解明や治療法の開発を目指す。
 京都リサーチパーク(京都市下京区)に研究室を開設した。ALSの患者から提供を受けた細胞からiPS細胞の作製を進めており、ALSの発症機構の解明や診断法の開発、治療薬の探索に必要な疾患モデル細胞の作製などを進める。


 [写真]産業界との懇話会で質問に答える山中伸弥・京都大iPS細胞研究センター長(左から2人目)ら=京都市左京区・芝蘭会館」(全文)

 
 
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◆2009/02/03 「もう一度ギターが弾ける 湘南工科大 ALS患者の助手とともに開発へ」
 『産経新聞』2009-2-3
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090203-00000016-san-soci

 「障害者や高齢者が使いやすい福祉器具の開発を目指す湘南工科大(神奈川県藤沢市)が、全身の筋力が急速に衰える難病のALS(筋委縮性側索硬化症)でも演奏できるギターの開発に取り組んでいる。非常勤助手を務めるALS患者の舩後(ふなご)靖彦さん(51)も協力。作詞担当としてバンド活動をしている舩後さんが「もう一度ギターが弾けたら」と願う夢は、学生とともに歩き出した。(今泉有美子)

生きる思い託した160首…舩後さん出版の短歌集が反響
 同大は昨年秋、寝たきりのまま人工呼吸器で生活している舩後さんを非常勤助手として採用。福祉器具を使う立場からアドバイスをもらったり、普段から障害者と接することで倫理観の高いエンジニアを育てる目的があった。
 ALSは難病に指定されており、国内に約7000人の患者がいるとされる。
 舩後さんは約10年前に発病し、3年後には自力で呼吸できなくなった。視力や聴力などは衰えないため、文字盤を介して会話ができる。顔のしわの微妙な動きを読み取る特殊なセンサーを額に装着すれば、パソコンでのメールも可能だ。
 舩後さんと器具の共同開発を行う授業は昨年12月から始まった。
 4年生の山田雅彦さん(23)が開発を担当。パソコンと同じように、しわを動かしてセンサーに反応させ、センサーが弦の上に取り付けた特殊な機械を操って奏でるギターを想定している。山田さんは「弾いている実感をもってもらうため、特にリズムを敏感に察知するギターにしたい」と意気込む。
 舩後さんは同じ病気に苦しむ人の相談にメールで答える「ピアサポート」の活動中、男性患者の自殺を思いとどまらせたこともあったという。その後、「病気に打ち勝つ姿を示せば、同じ病気に苦しむ人を励ませるかもしれない」と考え、積極的に各地で講演活動をし、自作の短歌や詩を披露している。
 非常勤助手の就任要請も舩後さんの活動を知った同大学が依頼。「学生さんが器具を使う患者の笑顔を見て、助け合う喜びを知ってもらえれば」と快諾した。
 学生時代はプロを目指すほどのギターの腕前だったといい、発病後に闘病生活を通じて親しくなった介護福祉士らとフォークバンド「あるけー」を結成し、舩後さんが作詞した曲が定期公演で演奏されている。
 今秋に公演の予定があり「その時までに完成したら、ぜひとも舞台で演奏したい。もう一度ギターの演奏ができるなんて、これ以上の喜びはありません」と舩後さん。ギターの完成を心待ちにしている。
 [写真]昨年11月の福祉イベントで文字盤を使って会話する舩後靖彦さん(右から2人目)と山田雅彦さん(左から2人目)=湘南工科大提供(写真:産経新聞)」(全文)

 
 
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◆2009/2/3 「難病患者が「呼吸器はずして」 はずすと罪なのか」
 『J-CAST ニュース』
 http://www.j-cast.com/tv/2009/02/03034934.html

 「 「意思の疎通が図れなくなったら呼吸器を外していただきたい」――難病のALS(筋萎縮性側塞硬化症)と闘う照川貞喜さん(68)が、かかりつけの病院に出した「死を求める要望書」である。

「他人が『生きて』というのは傲慢」
ALSは「運動神経が侵され全身の筋肉が次第に動かなくなる」(ナレーション)。照川さんが今動かせるのは目と右の頬だけ。微かな動きを読み取るセンサーでパソコンを操作し音声に変換して意思を伝えている。この方法で2年前、要望書を作成した。病院は14人からなる倫理委員会を立ち上げて1年間、議論「照川さんの意思を尊重しないことが倫理に反する」(委員長)と、要望受け入れを決定した。が、院長は「呼吸器を外すことは刑事事件に問われる可能性が高い」として倫理委の決定容認を拒む。
警察官だった照川さんの病が判明したのは49才のとき。3年後、呼吸器装着を余儀なくされるが、生きることに積極的だった照川さんは闘病記を出版、その中に「体は不自由でも心は自由」と書く。妻は「本人が前向きだから周りも看られた」と言う。しかし病は容赦なく進行する。声が出せなくなり、歩けなくなり、食べられなくなる。「マブタが動かせなくなれば何も見えなくなる。意識がはっきりしたまま暗闇に閉じ込められてしまうという恐怖心が照川さんを追い詰めて行く」(ナレーション)。そして「人生を終わらせてもらえることは『栄光ある撤退』と確信しています」と、最期の選択を求めるに至る。
照川さんの要望書について、ALS患者とその家族の賛否両論を番組は紹介するが、どちらかといえば反対論に比重を置く。照川さんと家族ぐるみの付き合いがある患者は「長生きをしてもらいたい。ALSでも治る日がくるかも」とパソコンに入れる。むしろ、照川さんの家族の方が本人の意向に理解を示す。「自分が逆の立場だとしても、ずっと暗闇の中にいなきゃならないのは耐えられない。あまり長く生きていたくないと思う」(長男)。「本人以外の人間が、生きてほしいというのは傲慢だと思う。今でも辛いのに、もっと辛い思いをさせるのはすごく辛い」(妻)。結局、家族4人は「死を求める要望書」に署名する。

5年、10年かけてトコトン議論を
 「もし自分が照川さんの立場だったらと、大いに考えさせられます」(国谷裕子キャスター)。
スタジオゲストの柳田邦男(ノンフィクション作家)は次のように述べる。「医療の発達は呼吸器をつけて延命させたが、その先、どこで外すかの議論を棚上げしてきた。現代医学と社会のジレンマといえる。それを照川さんが問いかけている」とした上で、「精神性をもつ命の重要性を蔑ろにしてきたことを認めなければならない。行政が、線引きしないで個別的な生と死に対応するには刑法とは別な法律をつくる必要がある。そのためには、現場の医療機関サイドの倫理委員会と、全体的な視野をもつ専門家などによる国レベルの第三者的な倫理委員会を、二重構造でつくり、そこで5年、10年かけてトコトン議論を積み重ねて行く努力が要る」。

突きつけた問題は重く辛い。柳田が、長い時間を要するというように、答えは一歩一歩、手探りで探るしかないのだろう。

アレマ
*NHKクローズアップ現代(2009年2月2日放送)」(全文)

 
 
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◆2009/02/03 「患者が望む “死”は認められるか。」
 『TechinsightJapan テックインサイトジャパン』
 http://japan.techinsight.jp/2009/02/terukawasann.html

 「患者が望む “死”は認められるか。
 2009年2月3日 11:30
 体の筋肉が動かなくなる神経の病気「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」を患う68歳の男性が、自然な“死”を求める要望書をかかりつけの病院に提出した。病院では1年間にわたって「生と死」をめぐる議論が行われ、倫理委員会は「患者さんの意志を尊重すべき」という“画期的”な判断を示した。
 2日のNHK 『クローズアップ現代』で紹介された、千葉県で暮らす照川貞喜さん(68)。彼が患う「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」という難病は、10万人に2人程度が発症するといわれ、運動ニューロンと呼ばれる「神経細胞」が侵される為に筋肉への信号が伝わらなくなる病気。手や足の筋肉が麻痺して動きにくくなり、やがて筋肉がやせ細ってくる。日常生活には介護を要し、病気が進行すると呼吸障害など生命の危険にさらされてしまう。現在、原因もはっきり解明されておらず、有効な治療法もない。
 元警察官であった照川さんは、49歳で発症し、長年人工呼吸器を装着している。発病後も前向きな生活を送り、「ALSの認知」の為に各地で公演活動も行なった。病気の症状についての著書もある。
 近年、両手両足も含め麻痺が全身に進行した照川さんは、“片頬”の筋肉だけを動かし“自然な死”を望む「要望書」を作成した。
 「私の病状が重篤になったら、人工呼吸器を外してください。」
 やがて、麻痺で顔の筋肉も全て動かなくなったら、まぶたで目が覆われて「見ること」もできなくなる。“意識”のある状態で、「真っ暗」な海の底に沈んでしまうような恐怖と戦わなければならない。照川さんは“意志疎通”ができなくなった時点が自分の死と考える。「要望書」にはご家族5人のサインもある。
 今回の判断で病院側は、照川さんの気持ちを受け取った形になった。しかし、現行法では呼吸器を外すと医師が自殺幇助(ほうじょ)罪等に問われる可能性があり、波紋が広がっている。今すぐ人工呼吸器を外すのでは無い。あくまでも“その日”(“意志疎通”ができなくなった時点)が訪れるまでは「精一杯生きたい。」それが照川さんのモットーだ。
 自ら“自命を縮める”という選択をどう受け止めるのか。もし照川さんが、自分や家族だったら、海の底のような「生」を受け入れるだろうか。患者が望む「命の選択」を社会が受け止めなければいけない時代になった。照川さんの、かすかに動く強い目が、そう訴えている。「生と死」をめぐる議論はつづく。
(編集部:クリスタルたまき)」(全文)

 
 
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◆2009/2/8 「ケアノート――介護日記は愛の手紙――」
 『読売新聞』
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/note/20090208-OYT8T00225.htm

 「介護日記は愛の手紙

花を見れば輝く義母へ
 洋画家の城戸真亜子さん(47)は3年前から、認知症の義母、トミエさん(87)と一緒に暮らしています。この7年間に実の両親と義父の3人を病気で亡くし、十分な介護が出来なかったのではないか、と悔いが残っているそうです。だからこそ「今を大事にしたい」と、日々介護に向き合っています。

認知症の診断
 東京でマンション住まいの主人と私は仕事が忙しく、埼玉に住む主人の両親とは、年に数回、食事をする程度のつきあいでした。2004年に義父が肝臓がんとわかり、手術で入院した約2か月間、義母は私たちと暮らしました。
 以前から、義母は認知症のようだ、と義父が言っていましたが、私たちにはそう見えませんでした。ところが、一緒に住み始めると、同じことを何度も繰り返して話すなど、様子がおかしい。心療内科で診察してもらったところ、認知症だと診断されました。

城戸さんは、創作活動やテレビ番組への出演などで多忙な日々を送っていた。義父の退院後、同居を持ちかけたが、義父母は2人暮らしを望んだため、近所に引っ越して来てもらった。2人は介護サービスを利用し、城戸さんは様子を見に通い、週2回ほど夕食を共にした。義父が入退院を繰り返したため、3年前から同居したが、その1年後、義父は死去した。

 義母は、義父が亡くなったことを覚えることができませんでした。食事のたびに「おとうさんは?」と聞きます。ケアマネジャーさんの助言で、小型の透明なケースに義父の写真と手紙を入れ、手元に置きました。
 手紙には、義父の命日やお墓の場所、そして義母には『今は私たちと一緒に住んでいます。これからもよろしくお願いします。真亜子』という言葉を添えました。義母は何度も見ては、その都度納得していました。
 朝起きるたびに、自分がどこにいるのかわからなくなりました。ものや場所の名前、伝言を紙に書いて家中に張りました。寝室には『9時ごろ朝ご飯にします。それまでは寒いから布団に入っていてくださいね』とメモを置き、毎朝、話しかけながら体をふき、リハビリパンツを取り換えて起こし、リビングに一緒に行きます。
 義母は以前、お茶とお花の師範をしており、気位の高い人でした。しかし、認知症になってからは、お風呂に何日も入らなかったり、食事の際にお行儀がちょっと悪かったり。主人はそうした姿にがく然としていました。

 現在、トミエさんは要介護度4。週2回のデイサービスと、城戸さんらの仕事の忙しさに応じてヘルパーや、ショートステイを利用。仕事場のアトリエは同じマンション内にあり、食事やおやつの時間には、必ず自宅に戻る。温かい言葉をつづったノートを日記として目につくところに置き、不安にさせないよう工夫をしている。

 介護日記というより、義母への手紙のつもり。私たちに迷惑をかけていると心配し、何度も「帰らなきゃ」と言うので、望まれた存在だと常に伝え、安心させたいんです。
 1日の出来事を書くほか、写真や外食した店の箸(はし)袋、散歩した時に拾った落ち葉などをノートに張り付け、『今日は出かけて楽しかったですね』。野菜の皮むきや洗濯物の片づけなど家事を手伝ってくれた時は『ありがとうございます。助かっています』。何気ない言葉ばかりですが、義母は読んでいる時は笑顔になります。
 暴言を吐いたり、妄想を抱いたりすることもなく、徘徊(はいかい)してマンション外に出ることがないのにも、助かっています。
 2年前、自宅で尻餅をついた際に腰の骨を折ってしまい、しばらく入院しました。寝たきりになると、認知症が進む心配があったので、退院後、ベランダの花が見える日当たりのいいリビングにベッドを移し、積極的に話しかけ、義母が家族の動きを見守れるようにしました。すぐに歩けるようになり、認知症の進行もありませんでした。

 城戸さんは父を肺がんで亡くした後、母が難病のALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)と診断された。病気は急速に進行し、義父が亡くなった3か月後に肺炎で急死した。

思い出の大切さ
 母が突然亡くなり、人の命はいつどうなるかわからないと実感しました。義母を介護するようになり、「大変ね」とよく言われますが、家族のぬくもりを感じながら、介護の役割を果たせることは、私の心の支えになっています。
 時々、花を買って帰ると義母の表情がぱっと明るくなり、見事な生け花に仕上げてくれます。仕事と介護の両立に悩む時もありますが、義母の立ち居振る舞いを見ていると、家族との温かい思い出があれば、年老いても生きていけると教えられています。(聞き手・島香奈恵)

 きど・まあこ 洋画家。1961年名古屋市生まれ。武蔵野美術大学油絵学科卒。81年に女流画家協会展、98年には現代美術の新進作家の登竜門と言われるVOCA展にそれぞれ入選。東京湾アクアライン・海ほたるパーキングエリアの壁画など、作品多数。近年は「水紋」をテーマにした作品を制作している。学研・城戸真亜子アートスクール主宰。

 ◎取材を終えて 介護日記の1冊を見せてもらった。ユズ湯に一緒に入る2人の姿など、ほのぼのしたイラストが随所に描かれている。ふと、トミエさんの頭の部分が切れた写真が何枚もあるのが目についた。「髪の毛が薄くなったことを気にしていて、写真を見てショックを受けることがないように、撮影の角度に気をつけているんです」と城戸さん。細やかな配慮がトミエさんの穏やかな表情につながっている気がした。」(全文)

(2009年2月8日 読売新聞)

 
 
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◆2009/2/10 「バスケ試合にALS患者招く」
 『中國新聞』
 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200902100048.html

 「広島県バスケットボール協会は8日、広島市中区の広島グリーンアリーナであったバスケットボール日本リーグに、全身の運動神経がまひする、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者を招待した。
 同協会の生涯スポーツ推進活動の一環で、初の試み。市内の4患者とその家族、日本ALS協会県支部の会員ら約20人が参加。日本赤十字広島看護大の学生ボランティア8人もサポートした。第1試合のアイシン対北海道戦後には両チームの選手と記念撮影し、選手たちから激励も受けた。
 佐伯区の徳安鏡子さん(67)は17年前に発症した。夫の信さん(74)は「スポーツを見るのは久しぶり。観戦が決まった時から楽しみにしていた。うれしかったでしょう」と思いを代弁した。

【写真説明】日本リーグの試合を観戦後、選手と記念撮影するALS患者たち

 
 
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◆2009/02/10 「民間活力の活用、地方分権の促進…」
 『西日本新聞朝刊』
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/76357

 「民間活力の活用、地方分権の促進…歳出や公務員の削減を目指す方向性は一見もっともだ。だが「健康で文化的な最低限度の生活」にかかわる分野が、採算性に縛られたり、自治体ごとにまちまちでよいのだろうか。
 茨城県にいる母が難病の筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)で、気管を切開し人工呼吸器を装着した。だが痰(たん)を1、2時間おきに吸引しなければならず、78歳の父だけの介護は無理だ。
 病院は「一週間で退院できます」と自分たちの仕事は終わったと言わんばかり。ケアマネジャーが奔走してくれ、夜間介護のヘルパーを確保した。その間、担当市職員は書類を届ける程度で傍観、あげくは家族介護を促すような口ぶりだった。
 デンマークでは医療・介護は公務員が担い、連携ぶりに驚いた記憶がある。病んでも、老いても、障害があっても、安心して暮らせる生活は全自治体に守る責任がある。(笠島)」(全文)
 =2009/02/10付 西日本新聞朝刊=

 
 
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◆2009/02/13「【難治性疾患克服研究事業】100億円計上し研究対象疾患拡大」
 『薬事日報』2009-2-13
 http://www.yakuji.co.jp/entry9162.html

 「 厚生労働省は10日の厚生科学審議会疾病対策部会・難病対策委員会で、今年度の約4倍に当たる100億円を計上した難治性疾患克服研究事業について説明した。予算の拡充により、筋委縮性側索硬化症(ALS)やパーキンソン病など123疾患の研究対象疾患を広げるほか、診断が確定していないため、未対応だった疾患の研究にも取り組む。同委員会は、大幅増となった同事業の説明のため、7年ぶりに開かれたが、今後は数カ月に1回のペースで開くという。また、委員長には金澤一郎氏(日本学術会議会長)が選出された。
 会議の冒頭あいさつした舛添厚労相は、「厳しい財政状況だったが、4倍の予算を計上することができた。難病対策の歴史において新たなページを開いたと言えるよう、省を挙げてがんばっていきたい」と述べた。
 難治性疾患克服研究事業はこれまで、▽革新的診断・治療法を開発する「重点研究分野」▽疾患横断的に病因・病態解明の研究を行う「横断的基盤研究分野」▽123の対象疾患を中心に原因究明などを行う「臨床調査研究分野」――の3分野ごとに進められてきたた、来年度から対象疾患を増やすなど、3分野をそれぞれ拡充する。
 「重点研究分野」には、25億円(前年度5億円)を充て、先端医療開発特区(スーパー特区)制度の活用をを想定した革新的診断・治療法の開発を行うほか、「横断的基盤研究分野」では、生体試料(血液、細胞、遺伝子など)の収集体制整備に21億円(4億円)を計上する。「臨床調査研究分野」には、23億円(15億円)を用い、対象疾患を130に拡大する。
 また、31億円を計上し、希少性が高いため研究が行われず実態が不明な100疾患を対象に疾患概念の確立を目指す「研究奨励分野」、未対応の希少疾患の患者情報を収集・解析する「未知疾患情報探求分野」を新規に立ち上げる。
」(全文)


 
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◆2009/02/16 「これからの人工呼吸――― 非侵襲的陽圧換気療法NPPVの展望と課題」
 『週刊医学界新聞 』
 http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02818_01

 「蝶名林直彦氏(聖路加国際病院 呼吸器内科部長)
中島孝氏(国立病院機構新潟病院 副院長/神経内科)
石川悠加氏(国立病院機構八雲病院 小児科医長)=司会
中山優季氏(東京都神経科学総合研究所 研究職員/難病ケア看護研究部門)

 私がNPPV(noninvasive positive pressure ventilation:非侵襲的陽圧換気療法)の導入を開始した1991年はまだ,神経筋疾患の患者さんが気管切開人工呼吸(TPPV:tracheostomy positive pressure ventilation)で生命を維持できるようになったことがトピックだった時代です。一方,当院ではすでにTPPVの患者さんが20名程度に増加しており,QOL維持のためのマンパワー確保やリスクマネジメントの困難さから,診療体制への展望が描けずにいました。そのような時期に米国のJohn Robert Bach教授(註1)の論文でNPPVの存在を知り,国立療養所での使用経験の報告もあったことから,導入に踏み切りました。
 欧米では超急性期のICUから在宅まで,人工呼吸療法の主流になりつつあるNPPVですが,わが国では評価をされながらも,爆発的に広がったとは言えない状況で推移しています。初めての導入がうまくいかずに,あきらめてしまった施設も少なくないのではないでしょうか。ひとつでも多くの施設に成功してほしいという願いを込め,このたび,JJNスペシャル『これからの人工呼吸 NPPVのすべて』(医学書院)を発行しました。
 この機に合わせ,本日はNPPVのトップランナーにお集まりいただき,座談会形式でこれまでのご経験や課題をお話しいただきました。
(石川悠加・記)

前進するNPPV
より幅広い疾患に適応拡大
石川 NPPVは1990年ごろから,神経筋疾患による慢性呼吸不全に対して適応が開始されましたが,次第に急性期の呼吸管理に広がり,気管内挿管の回避や抜管の促進,再挿管の防止やICU滞在日数を縮減する効果にもつながっています。一時滞っていたわが国におけるNPPVの普及ですが,急性期における適応拡大が再び火をつけ,現在の潮流を生み出していると感じます。急性期のお立場から蝶名林先生は現状をどうご覧になっていますか。

蝶名林 過去30年間で呼吸器領域における最もインパクトのある発明・発見は,DPB(diffuse panbronchiolitis:びまん性汎細気管支炎)に対するマクロライド療法,肺がんに対する分子標的治療薬,そしてこの呼吸不全に対するNPPVではないでしょうか。

 私とNPPVとの出合いは1995年前後です。アンビューバッグのように,人の手で行っていたマスクが器械でできると言われて,当初は半信半疑でした。スタッフ体制も,器械の操作技術も十分でない状態でスタートし,その後1−2年はトライ&エラーを重ねました。それから徐々にチームをつくり,さまざまな疾患の患者さんに適用するようになりました。現在では肺水腫,COPD,急性呼吸不全,肺炎と適応が広がってきています。

石川 気管切開や,気管内挿管数はNPPVによって減少していますか。

蝶名林 そうですね。当院における慢性呼吸疾患の急性増悪例に対するNPPV適用例では,基礎疾患として結核後遺症,間質性肺炎,COPDが3分の1ずつを占めています。かつては基準が合えばまず挿管していましたが,最近ではまずNPPVを導入し,うまくいかない場合は挿管しますが,経過が順調であればウィーニング(離脱)して酸素療法に移行するという流れを取っており,呼吸不全全体に対する治療法が変わってきていますね。

石川 最終的に挿管に移行せざるを得ないケースでは,移行のタイミングの見きわめに難渋される先生方も少なくないと思いますが,判断はどうされていますか。

蝶名林 NPPV導入から1−2時間経過して,血液ガス所見に改善が見られなければ,成功率が低いと指摘されています。現在エビデンスに乏しい疾患では特に,早めの判断が重要でしょう。

中島 私の専門は神経内科ですが,現在,内科の急性呼吸不全にも積極的にNPPVを導入しています。約50床の急性期病床に肺炎,心不全,脳梗塞などの患者さんが連日入院してきますが,心肺停止以外のすべての急性呼吸不全に対して,NPPVから開始する方針で,ほぼ全例が成功しています。人工呼吸器は院内では常時80台稼動し,うち約半分がNPPVです。2−3台は急性期対応の機種です。急性期の適応が可能になった背景には自在にFiO2を設定でき,100%まで設定可能な機種が出現したことがあります。

 当院が以前,結核病院だったこともあり,COPDなどの慢性呼吸不全に対してもNPPVが試されています。また,筋ジストロフィーの方が約100名いて,ALSや多系統萎縮症の方も入院しています。私がこの病院に移った5年前にはすでに,相当数の筋ジストロフィー患者にNPPVが開始されていましたし,最近はALSにもNPPVを標準的に導入しています。

石川 私の施設では,小児期発症の神経筋疾患の患者さんへの導入が中心です。主に筋ジストロフィー,脊髄性筋萎縮症,ミオパチーなどの約100名の患者さんが気管切開を回避してNPPVを使用し,院内では85名,在宅で30名程度を管理しています。NPPVを終日装着している方も40名以上を数え,ほとんどの方が日中は電動車いすで移動しています。

 抜管してNPPVへ移行した症例も十数例経験しました。最近では,他院から紹介の気管内挿管の方を抜管することはありますが,自院内での挿管はなくなっています。

中山 私はALSの患者さんへの学生ボランティア経験から神経筋疾患の患者さんへの看護をめざしました。そのころは,人工呼吸療法といえばTPPVの方しかいなかったわけですが,97年にBach教授が来日され,石川先生と行われた講演のなかで,NPPVでは気管切開が必要ないと知ったときの衝撃はとても強いものでした。しかし,当時は医療関係者にもNPPVに関する情報がもたらされる機会は少なく,私自身も臨床では1例だけの経験でした。

 その患者さんは診断がつかないまま入院されていて,最終的に消去法で「ALSではないか?」ということになり,呼吸障害が出現した段階でNPPVが試験的に導入されました。結果的にはTPPV移行までのわずか1か月間でしたが,「ちょっと息があまる」「このくらいの圧ならちょうどいい」というようにはっきり言葉をもらいながら,患者さんに合う呼吸療法を考えられたことは,NPPVの大きな可能性を感じる機会になりました。

■“患者にやさしい治療”の代名詞,NPPV
蝶名林 NPPVは「非侵襲的陽圧換気療法」と訳されています。これまでの人工呼吸器は侵襲的だった,ということで医療者はひどく悪いことをしてきた気持ちになりますが(笑),この名称が「患者にやさしい治療」の代名詞になったと感じておりまして,よいネーミングだったなぁと思います。

 これまで急性期では十分な鎮静下で挿管を行い,患者がほとんど眠っている状態で呼吸管理をしてきました。一方,NPPVでは常に意識があるわけですから,会話や,痛いというサインを伝達することが可能となり,反射機能も残されています。それが時に障害となる場合もありますが,NPPVによって人工呼吸器関連肺炎の発生率が減少するというエビデンスも出ていますから,やはり非侵襲ということが大きなメリットだと思います。

中山 一般病院から療養型の病院に転院するとき,あるいは自宅に戻られた後,学校や通所へ,となったときに,医療依存度が課題になると思います。気管切開で吸引が必要な場合には受け入れ可能施設が少ないなかで,NPPVであれば選択肢が広がる場合があります。これは,のちほど出てくるデメリットの部分との兼ね合いがあり一概には言えませんが,少なくとも「非侵襲でTPPVと同じ効果が得られること」と,ケアや快適な呼吸療法について患者さんが自らの言葉で表現できることが,やはり最大のメリットではないでしょうか。

参考資料 NPPVのエビデンス(日本呼吸器学会ウェブサイトに掲載のNPPVガイドラインより)

「bilevel-PAPだけ」ではない
中島 私は最初NPPVがうまくいかずに失敗体験を抱え,石川先生の病院に見学に伺った際,筋ジストロフィーの子どもたちがNPPVを使い成長していく過程を見せていただきました。

 そこには,bilevel-PAP(bilevel Positive Airway Pressure:二相性陽圧換気)のNPPVではなく,電動車いすに乗りながらマウスピースで従量式人工呼吸器を使い,食事を経口摂取できるNPPVがあり,ADLを拡大している患者さんの姿をみて感動しました。この石川先生のノウハウはまだ十分に周りに伝わっておらず,さらにマニュアル化し,多くの先生方に伝えていく必要があると思っています。

石川 ありがとうございます。どのような人工呼吸器,インターフェースを選択し,どのような換気モードで導入するのか――ということは,患者さんの状態や希望に応じて慎重に考慮する必要があると思います。特に小児では泣き出さないように鋭い観察をしながら最適条件を見つけていきます。また従量式のNPPVでは,気道内圧の上限を上げ,1回換気量を吐き出さずに2−3回分をエアスタックし,深呼吸の最大強制吸気量を得ることができるので,肺や胸郭の可動性を維持する呼吸リハビリテーションになります。このように,呼吸マネジメントのバラエティーを知ることは重要です。JJNスペシャルには人工呼吸器とインターフェースのさまざまな組み合わせを提示しました。さまざまな条件設定を試すことで成功率は上がっていきますので,あきらめないでいただきたいですね。

中島 早期から短時間でも使え,容易に中断,離脱ができることもメリットです。早期導入により,低酸素血症や高炭酸ガス血症の危険に患者さんをさらさないことで各臓器の機能と活力を保ちます。神経・筋疾患では呼吸器疲労による悪循環が起きますが,NPPVは呼吸筋を休ませ,呼吸筋力を回復させます。
蝶名林 慢性期では生命予後という視点が大事になってくると思います。慢性呼吸不全例で夜間だけNPPVを装着することで,呼吸筋疲労を軽減し,生命予後を延長させることが,京大の坪井知正准教授の研究でもはっきりしていますね。

 私も,肺結核後遺症やCOPDによる慢性呼吸不全の患者さんで,急性増悪をNPPVで乗り切り,在宅酸素療法の経過中に夜間のNPPVを併用しつつ非常に長く療養を続けているケースをたくさん経験しています。

医療者にとっては“侵襲的”
――制度上の課題解決が急務
中島 NPPVは,自ら装着でき,自分で排痰ができる患者さんには大きな効果がある反面,自分で装着できない場合や,喉咽頭機能が低く,排痰ができない患者さんでは,必ず習熟した看護師や理学療法士,呼吸療法士が近くにいて援助する必要があります。重要なのは機械的排痰補助(咳介助)で,MAC(Mechanically Assisted Coughing 註2)と呼びますが,これを行わなければNPPVは継続できません。MACも頻回になると「むしろ気管切開のほうが楽なのではないか」と感じるスタッフもいます。それでもNPPVを開始する意味は高いです。NPPVを使用することで,呼吸器とともに生きることの認識や,必要なケアチームの整備が実現できるからです。

蝶名林 最近の呼吸管理領域では,リスクマネジメントの観点からも呼吸療法サポートチーム(RST:Respiratory Support Team)による管理の重要性が言われています。当院でも職種横断的に取り組んでおり,24時間体制で,呼吸ケア看護師(註3)を中心に医師・臨床工学技士などとともに,NPPVを含めた人工呼吸器装着の患者さんがいる病棟にRST回診を行い,病棟看護師や研修医の疑問に答えたり,定期的な機器回路,アラーム設定などのチェックを行ったりしています。これが,NPPV成功のソフト面の鍵だろうと思います。看護の立場からはいかがですか。

中山 「NPPVは医療者にとっては侵襲的だ」と言われることもあるほど,ケアにかかるマンパワーや技術をTPPVよりも必要とする場合があります。

 気道クリアランスが保てないとNPPVの効果が保てないため,看護職の吸引の技術力ひとつで,患者さんの命を決めてしまうのではないかという緊迫感を強いられ,これが病棟看護師の負担感につながっています。また在宅においても,訪問看護の回数が十分でないことや,MACは在宅普及率が低いという現状のもと,いかに気道クリアランスを保持するかということも大きな課題になっています。

 今後はALSのような進行性疾患の患者さんでは,NPPVの限界をどのタイミングで,どのように判断するのかについてのアセスメントツールの開発に取り組んでいきたいと考えています。また,在宅での介護者の加齢や家族構成の変化が起こったときに,気道クリアランスを保証できる環境が常に整っているかどうか,といった評価法も考えていかなければいけません。

中島 よりよい治療法を選択しようとすると,制度上の問題も出てきます。NPPVを維持するためにMACによる排痰が重要と言いながら,保険適応がなされていません。終日のNPPVでは装着部の褥瘡予防の観点から2種類のマスクを選びたいと思っても,これも保険点数化されていないということがあります。

中山 障害者自立支援法における「重度訪問介護の加算」や「重度障害者等包括支援」の対象者は,「気管切開を伴う人工呼吸器による呼吸管理を行っている身体障害者」と規定されており,NPPVの患者さんは該当しないことになります。先ほども申し上げましたが,看護・介護側のケアの量,質からみれば,NPPVのほうが大変な場面は多く,実際の臨床像との乖離があります。このように,NPPVでは重症度が低く評価されがちになることもデメリットだと感じています。

蝶名林 インフォームド・コンセントも課題です。当院では最近,病状進行時に,患者さん自身にadvance directive(事前指示)の判断を可能な限りお願いしています。蘇生,気管切開,挿管,輸血などとともにNPPVが選択肢として含まれています。この中でNPPVだけは,急性呼吸不全に対する人工呼吸療法から終末期の緩和ケアにまで使用しますから,インフォームド・コンセントが非常に難しいのです。
 現在,当院では終末期のがん患者さんにおいても,2割弱がNPPVを望まれています。NPPVは人工呼吸器なので,装着する際には十分に患者さんと家族にお話をして,ご了解を得た上で装着します。その後,患者さん自身が取り外しを希望された場合は,十分意思確認の後,酸素療法に切り替えていきます。このように,ひとつの選択肢としてNPPVを明示しながら患者さんと対話のなかで選択していくことが,医療者の責任と義務を果たすと同時にNPPVが浸透していくことにもつながっていくと考えています。

■患者さんのより充実した人生のために
石川 インフォームド・コンセントの話題が出たところで,最後に患者さんの意思決定の支援や生活の評価という視点から「NPPVとQOL」についてお話をお願いしたいと思います。

中島 私たちはこれまで,「人間は一生懸命努力し能力や機能を高めていくなかで幸せになり,尊厳を高められる」という教育を受けてきました。そのため,努力にもかかわらず,病気になり機能が低下すると,QOLが低下し,人間性が喪失するという考え方にとらわれてしまい,大変苦しくなります。

 そうではなく,QOLとは,患者さんがその時々に大切にしている生活分野の満足度を改善するために行う操作主義概念であり,機能の低下・人間性の喪失とは全く異なるものです。患者はNPPVを使うことで,容易に,呼吸療法の生理的効果を体感し,ケアチームの援助を得ながら人生を歩むことを理解し,自分の人生のナラティブも書き換えていけます。

 人工呼吸療法は延命治療ではなくて,呼吸不全に対する緩和療法であり,前向きの人生を支えるものとなります。これが本来の緩和ケア概念です。多専門職種ケアチームがこの考え方をとると,患者のQOLは明らかに向上します。QOLは物ではなく患者の構成概念であり,その評価を半構造化面接で行う方法としてWHOが採用しているのがSEIQoLという方法で,私たちが研究を行っています(http://www.niigata-nh.go.jp/nanbyou/annai/seiqol/index.html)。

蝶名林 がんの終末期で間質性肺炎を合併しているようなケースで,酸素療法だけでは非常に苦しい場合,モルヒネなども使いますが,NPPVを装着することがあります。呼吸努力をしなくてもよいので,楽になるとおっしゃる患者さんも少なくありません。このような医療を通じて,たとえ数時間でも,最期のご自身の思いを家族にお話しできる時間がとれるのです。

中山 先日,患者会経由でご相談を受けた東京の患者さんが,北海道の石川先生のところに,飛行機で気管内挿管のまま受診されて,抜管して睡眠時のみのNPPV導入となり,自宅に帰られました。挿管を行った近隣の病院では,いったん挿管した患者さんを移送して抜管するのは難しいと断られてしまったそうです。

 この方は自分の病態では気管切開は必要ないという情報を持っておられたことから,移動のリスクを理解した上で,北海道まで行かれました。そこまでのリスクを取らざるを得なかったことに,医療者としてとてもはがゆい思いがしましたが,国際会議で通訳として活躍されている方でしたので,自分の声を取り戻すことは,ご自分らしく生きていくために絶対に必要であり,強い意志を持って行動されたのだと思います。

石川 私も小児期発症の患者さんにNPPVを導入することで,人生の可能性を広げられる,という姿勢で取り組んでいます。呼吸が不安定ですと,本来子ども同士がするような無邪気なかかわりがしづらく,遠慮を含んだ微妙な人間関係に成長発達過程で影響を受け,人的交流や日常生活の消極性につながってしまうことがあると思います。しかし,NPPVの導入によって外出や運動を安全に安心して行いやすくなり,管楽器の演奏も可能になるなど,アクティビティやQOLを向上できます。

 ただ,行動範囲を広げることと引き換えに,外出先で人工呼吸器トラブルなど不測の事態が発生するリスクもはらんでいます。そのバランスを患者さんご自身が理解したうえで,生活の選択肢を拡大していけるように,私たちが常に支援できる社会をめざしていきたいと思います。本日は,多岐にわたるお話をありがとうございました。

註1:ニュージャージー医科歯科大リハビリテーション科兼ニューロサイエンス科教授。非侵襲的呼吸療法を活用する神経筋疾患患者の呼吸リハビリテーションを手がけるなどNPPVの第一人者。
註2:現在,日本で販売されているMACにはカフマシーン,カフアシストがある。
註3:聖路加国際病院の「呼吸ケア看護師」:基本的に3学会合同の認定による呼吸療法認定士の資格を持つ看護師で,主に集中治療領域や病棟看護師からなる。

【出席者略歴】
蝶名林直彦氏
1976年神戸大卒。虎の門病院内科研修医を経て,呼吸器内科医長として勤務,90年聖路加国際病院呼吸器内科医長,2008年より現職。年間のべ約1万7000人の外来受診,700名以上の入院患者を迎える同科の診療マネジメントを担う。院内外の多職種と連携のもと,呼吸器疾患全般の診療に携わるほか,さまざまな臨床研究や研修医教育に取り組んでいる。主な編著書に『NPPVハンドブック』(医学書院)等がある。

中島孝氏
1983年新潟大卒。NIHフェローを経て,91年国立療養所犀潟病院,2004年より現職。神経内科学,特に神経筋疾患,遺伝子診断,緩和ケア,Bioinformaticsなどの臨床研究に携わる。厚労省難治性疾患克服研究事業「特定疾患患者の生活の質(Quality of life, QOL)の向上に関する研究」の研究者として,半構造化面接を通じた患者中心のQOL評価法SEIQoLの研究・普及に尽力している。監修書籍に『ALSマニュアル決定版!』(日本プランニングセンター)がある。

石川悠加氏
1985年札幌医大卒後,米国ニューオーリンズ市Tulane大医学部Human Genetics & Pediatrics研究員。88年北海道立小児総合保健センター小児科。90年国立療養所八雲病院小児科(94年より現職)。NPPVの世界的権威である米国ニュージャージー医科歯科大J.R.Bach教授の共同研究者。著書に『神経筋疾患の呼吸管理――小児期からのM/NIPPVマニュアル』(日本小児医事出版社,Bach教授との共著)『非侵襲的人工呼吸療法ケアマニュアル――神経筋疾患のための』(日本プランニングセンター)。

中山優季氏
1998年東医歯大卒。学生時代にボランティアでALSの患者にかかわったことから,神経筋疾患の,特に呼吸療法を専門とする看護を志す。東女医大病院での臨床経験を経て,都立保健科学大大学院で博士号を取得。2007年より現職。呼吸療法認定士。『筋萎縮性側索硬化症在宅人工呼吸療養者の社会参加としての外出を促進する要因の分析』をはじめ執筆多数。」(全文)

 
 
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◆2009/02/17 「[解説]特養の医療行為」
 『読売新聞』2009-2-17
 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kaigo_news/20090217-OYT8T00248.htm

 「介護職の処置 常態化
 一部解禁に向けた議論を

 特別養護老人ホームでの介護職員による医療行為について、是非を考える厚生労働省の検討会が発足した。(社会保障部・小山孝)
 [要約]
 ◇看護師不足から、特養の職員が違法と知りながら医療行為を行っている例が多い。
 ◇利用者の安全確保策を定め、一部行為の解禁に向けた議論を早急に進めるべきだ。
 「たんがからんだ高齢者に、看護師が出てくる朝まで待ってとは言えない。仕方がないが、僕らの行為は明らかに法律違反。大きな心の負担となっています」
 東京都内の特養で働く男性介護職員は、夜間に行っているたんの吸引について、苦しい胸の内を語った。
 たんなどの吸引や、管で流動食を胃や腸に送る経管栄養などの医療行為は、医師法などにより、医師や、医師の指示を受けた看護職員しか行えない。しかし、看護師が十分に確保できないなどの理由で、介護職員による処置が常態化し、自治体から是正の指導を受けるケースもある。
 約40万人が暮らす特養では、「生活の場」との位置づけから、看護職員の配置基準は、利用者100人に対し3人。高齢化で医療が必要な利用者が増え、約75%の施設は基準を超える配置をしているが、夜間に常時対応できる施設は少ないのが実態だ。
 昨年の厚労省調査によると、夜勤や宿直の看護職員が必ずいる施設は、わずか約2%。ところが、たんの吸引の約2割は、看護職員が手薄なはずの午後10時〜午前5時台に行われている。
 実際、全国老人福祉施設協議会(老施協)などが2006年に行った調査では、「軽微なら、夜間や緊急時に限り介護職員でも(医療ケアに)対応する」との回答が、経管栄養(胃ろう)では18%、たんの吸引では40%に上った。
 12日に初会合が開かれた厚労省の検討会には、医療、看護、介護関係者や法律学者など8人が出席。介護職員に医療行為の一部を認めるかどうかを焦点に議論が始まった。
 検討会では、介護関係者が「看護職員を増やすにも限界がある。現状で何ができるかを検討してほしい」(桝田和平・老施協総研介護委員長)など対応を求めたのに対し、医療関係者からは慎重論が目立った。
 日本医師会の三上裕司常任理事は、「医療が必要な人は、医療が手厚い施設に行ってもらいたい。たんの吸引でも窒息の危険がある」と主張。日本看護協会の高階恵美子常任理事も、「行為の安全性を考えなければならない」と強調した。
 一方、座長の樋口範雄・東大教授は、「介護職員も看護職員も後ろめたい思いがあるという現場の状況はよくない。何らかの形で一歩を進めたい」との考えを示した。
 明確な指針もなく介護職員が医療行為を行っている現状は、安全性の観点から問題が多い。在宅のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者のたんの吸引が一定の条件のもと、03年からホームヘルパーに認められるなど、在宅分野では既に医療行為の一部が解禁されている。
 認める範囲をきちんと定め、研修を行い、医療職との連携を確立することで、医療行為の一部を介護職員に認めることは十分可能だ。職員の不安を軽減するだけでなく、専門性を高め、待遇を改善するのにも役立つ。医療の必要度が高いため入所を断られたり、退所を求められたりする高齢者や家族には朗報といえよう。
 医療行為といっても、簡単なものから、危険で専門知識が必要なものまで様々だ。利用者の安全を最優先に考え、現実的な解決策を期待したい。」(全文)
(2009年2月17日 読売新聞)

 
 
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◆2009/02/19 「鳥取市:難病患者助成金制度、2011年度に廃止方針 /鳥取」
 『毎日jp』2009-2-19
 http://mainichi.jp/area/tottori/news/20090219ddlk31010595000c.html

 「 ◇患者増加、低金利で運用益確保できず−−慢性腎不全など対象
 鳥取市は、慢性腎不全など一定の疾患の患者に助成金を交付している難病患者助成金制度を2011年度に廃止する方針を決めた。約30年続いてきた助成制度だが、対象の患者が増加している一方、低金利で運用はままならず立ち行かなくなった。【宇多川はるか】
 助成金制度は、慢性腎不全、重症筋無力症、筋委縮性側索硬化症の患者で治療のために入院か通院している人を対象に年1万5000円を助成する制度。77年に市民からの寄付金約100万円で基金を作り、その後も寄付金で基金を拡充してきた。当初は、年1万9000円を助成していたが、異常な低金利が続いて運用益が確保できず、08年度から年1万5000円に引き下げた。
 市生活福祉課によると、助成の対象となる患者は増加の一途をたどっており、98年は合併された旧町村を除いて188人だったが、05年に301人、08年には340人に増えた。
 人工透析の患者らで作る腎友会が07年11月、「一般財源を投入してでも事業を継続してほしい」とする要望書を市に提出。だが、市は「特定の疾病のみを対象とした現金給付の事業の継続は限界。医療機関による無料送迎サービスなど患者の環境は改善されてきた」として制度廃止を決断した。
 助成の今年度の事業費は500万円を超えるが、基金残金は407万円しかない。市は09、10年度は経過措置として年1万円を支給し、費用は一般財源で賄う意向。廃止に伴う患者支援策として、10年度以降は介護保険の利用や行政サービスについて相談に乗る職員を配置するという。」(全文)

 
 
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◆2009/02/21土 「東アジアALS患者在宅療養研究シンポジウム」
 於:立命館大学衣笠キャンパス

 
 
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◆2009/02/22 「東アジアALS患者シンポ:心のケアを 韓国の支援者ら、介護の現状など報告 /京都」
 『毎日新聞』2009-2-22
 http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20090222ddlk26040342000c.html

 「韓国や台湾、モンゴルの患者らとのネットワーク構築をめざす「東アジアALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)患者在宅療養研究シンポジウム」が21日、北区の立命館大であり、各国の患者や支援者らが療養や制度の現状について報告や意見交換をした。
 ALSは全身の筋肉が縮んで筋力が低下する難病。立岩真也教授(社会学)が中心になり、障害や老い、病気と闘う当事者の生き方を考える「生存学」研究の一環としてシンポを企画した。
 日本ALS協会近畿ブロック会長で患者の和中勝三さんが「ほかの患者を訪問して励ましたり、講演活動に積極的に参加することが生きがいになっている」と報告。ヘルパーや家族の支援で自宅療養している台湾の陳銀雪さんは、インターネットや外出を楽しんでおり「目標を持つことで充実した幸せな生活を送っている。患者の尊厳を大切にし、心のケアに目を向けた介護が大事だ」と話した。
 一方、韓国から参加した支援者は「質の良い介護を受けることだけが、苦しい闘病生活を続けていく上での自尊心になっている。介護は生存そのもの。患者が安心して生活できるよう専門病院の建設を目指し尽力したい」と決意を述べた。
 シンポジウムは、長距離移動が困難な人向けにイベントを生中継するNPO法人「STAND」がネットでライブ中継。4000件以上のアクセスがあった。
 立岩教授は「患者たちがどうすれば豊かに生きていけるのか。当事者に調査し、必要な社会システムを提言したい」と話している。【谷田朋美】」(全文)

 
 
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◆2009/02/24 「難病者宅など訪問 小笠高・女子バンド」
 『静岡新聞』2009-2-24
 http://www.shizushin.com/news/local/west/20090224000000000026.htm

 「 小笠高3年の元吹奏楽部員9人が、ボランティアバンド「るーちゃんバンド」を結成し、県内の難病患者宅や福祉施設などを演奏慰問している。
 寝たきりの患者や外出の難しい人にも生演奏を届けたい―と、昨年12月から始動。ホルンやサックス、クラリネットなど楽器を携えて、これまでに10軒ほどを訪れた。
 このほど、焼津市のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者で寝たきりの女性(49)宅には6人が訪れ、「見上げてごらん夜の星を」など3曲を演奏した。昨年のクリスマスに続いて2回目の訪問。女性は「楽しみにしていた。来てくれてありがとう」と伝えた。
 元部長でバンドリーダー伊藤瑠美さんは「喜んでもらうと、自分たちもうれしい」と話した。泣きながら演奏を聞く姿を見て、もらい泣きすることも。バンドに同行する同高講師の石津道弘さんは「自宅で生の音に触れてもらい、患者さんたちの日常生活の励みになれば」と話している。
 訪問演奏の依頼、問い合わせは「憩の家みち」石津さん<電0548(28)0223>またはhttp://www.michi222.jp/へ。」(全文)

 
 
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◆2009/02/26 「第10回 ─ ジェイソン・ベッカー」
 『bounce.com』2009-2-26
 http://www.bounce.com/article/article.php/5002

 「熱きメタル連載〈OSHIETAL〉。今回はジェイソン・ベッカーのベスト盤『Collection』を教えたる! そもそも、このギタリストを知らない若者も多いのではないだろうか? しかしそれはある意味仕方のないこと。なぜなら彼は全身の筋肉が動かなくなってしまう、ALSという大病を患って近年はリタイアしているのだから。
 さて、このベスト盤の何が凄いって、レーベルの垣根を超えまくっている点だ。マーティ・フリードマンとのバンド=カコフォニーで87年にデビューした彼は、翌88年には初のソロ作『Perpetual Burn』発表に至り、その後、デヴィッド・リー・ロス・バンドにスティーヴ・ヴァイの後任として大抜擢。しかし発病という悲劇に見舞われし、最後のギター・プレイを収録したソロ2作目『Perspective』をリリースする……わけなのだが、本作はそんなジェイソンの波乱に満ちたメタル人生をガッチリ網羅しているのである。しかも、彼を愛し、応援し続けているマーティやヴァイ、ジョー・サトリアーニが参加した新曲3曲も収録! また、折良くジェイソン在籍時のデイヴ作品『A Little Ain't Enough』がリイシューされたのに加え、車椅子姿の最新映像などを収録したDVD「The Legendary Guitar Of Jason Becker」もいまなら簡単に入手可能なので、この機会に全部まとめてチェックだ! 何があっても前を見つめ続けるこの男の人生を知らずしてメタルを、そして人生をカタルべからず!」(全文)

 
 
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◆2009/02/27 「筋肉の活動、リアルに表示 東大がシステム開発」
 『日本経済新聞』2009-2-27
 http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090228AT1G2702Z27022009.html

 「 東京大学IRT研究機構の中村仁彦教授らは、運動中に体のどこの筋肉が動いているかをリアルタイムで画面に表示するシステムを開発した。カメラやセンサーが筋肉の活動をとらえ、動いている筋肉を画面に赤く表示する。健康管理や運動選手のトレーニングに役立つという。筋肉が衰える筋萎縮性側索硬化症(ALS)の病気の診断などへの応用も目指す。
 新システムは10台の赤外線カメラ、圧力を検知するマット状の床センサー、パソコンなどで構成する。運動する人の頭や手、足など16カ所に筋肉の伸縮を測る市販の筋電計を張り付け、測ったデータは無線でパソコンに送る。画面には人型が映り、伸縮した筋肉が赤く変化。動いている腱(けん)は青くなる。
 新システムを使えば、トレーニング中に鍛えている筋肉を常に画面上で確認でき、効果的に進められる。今後、研究チームは体を動かしたときに働く筋肉に関するデータベースを作成。筋電計を使わずカメラ1台で撮影するだけで的確に表示できるように、システムを改良する考えだ。(07:00)」(全文)

 
 
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◆2009/02/28土・03/01日 国際研究フォーラム「ライフデザインと福祉(Well-being)の人類学」
 於:立命館大学衣笠キャンパス

 
 
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◆2009/03/01 「患者と医者信頼関係作りを――県医師会 金沢で公開講座――」
 『読売新聞』2009-3-1
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20090301-OYT8T00045.htm

 「県医師会が主催する公開講座「今の医療であなたと家族を守れますか〜患者の本音 医者の本音」が28日、金沢市内で開かれた。阪南中央病院(大阪府)の患者情報室で患者の生の声に耳を傾ける北田淳子さん(46)が講演し、家族を医療事故で亡くした立場から、「患者が望むのは真相解明。医療者は隠さず説明する必要がある」と述べ、医療関係者ら約80人が耳を傾けた。
 北田さんの夫は44歳でALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)を発症。同病院に入院していた2004年、人工呼吸器のバルブが外れる医療事故が起き、2か月後に亡くなった。「事故を風化させないように」との病院側の要請を受け、北田さんは同病院患者情報室で働き始めた。
 北田さんは、「病院に恨みや憎しみを持たなかった理由」について、「事故直後に病院側から謝罪と詳細な説明を受けたため」と説明。医療行為について、「間違いは起こりうる。重要なのはミスを起こさないシステム作りだ」と述べた。
 講演に続き、北田さんや読売新聞金沢支局の石坂麻子記者(26)らによるシンポジウムも行われ、医療事故を巡る報道が議論に上った。石坂記者が「医療事故はすぐには発表されず、内部で処理される印象がある。患者は病院で何が起きているのか知りたいはず」と述べたのに対し、医師会理事からは「マスコミがどう報じるのか不安があり、どんな情報を提供したらよいかわからない。(医療機関とマスコミの間で)信頼関係は必ずしも醸成されていない」などの意見が出た。
 また、会場からは、数か所の病院で診察を受けた末にようやく正しい診断を得られた難病患者の家族らも発言し、患者と医療従事者のよりよい関係づくりに向けて、議論を深めた。」(全文)
(2009年3月1日 読売新聞)

 
 
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◆2009/03/05 「福祉ナビ:ALS患者、家族を支援する「さくらモデル」とは?」
 『毎日jp』2009-3-5
 http://mainichi.jp/life/health/fukushi/news/20090305ddm013100190000c.html

 「◆ALS患者、家族を支援する「さくらモデル」とは?
 ◇ヘルパー、自ら育て派遣 介護や医療的ケア、受ける側が事業運営
 24時間のケアが欠かせない進行性の難病「筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症」(ALS)。首都圏では患者や家族が中心となって、1人暮らしなどの自立を支援する「さくらモデル」という取り組みが始まっている。
 「あかさたな……」。ALS患者の橋本操さん(55)が1人で暮らす東京都練馬区のマンションの一室。ヘルパーの清水仁美さん(21)=日本社会事業大3年=が、橋本さんの顔を見つめながら50音を次々読み上げていく。
 橋本さんは32歳でALSを発病。7年後、気管を切開して人工呼吸器を付けたため、声が出せない。「会話」は、唇のわずかな動きとまばたきを組み合わせた独自の方法で、清水さんが言葉を読み取りやりとりする。体もほとんど動かせないため、家事をはじめ、鼻から管で栄養分を取る経管栄養や、たん吸入なども人の手が不可欠だ。
 04年6月、橋本さんら患者や家族、看護師などを中心に設立したNPO法人「ALS/MNDサポートセンター さくら会」(中野区)が、福祉系大学や介護専門学校の学生らをヘルパーとして養成。その後、学生らが会員の患者や家族が運営する訪問介護事業所に所属し、ケアをしている。
 清水さんは3年前、大学の先輩の紹介で「さくら会」の研修を受けた。計20時間の講座と実習で、難病介護の基本やたん吸引など医療的ケアの方法を学び、都の重度訪問介護の資格を取得。その後、橋本さんが運営する介護事業所に所属した。
 同会の研修修了者は、学生や主婦など約700人。その一部は、会員の患者らが首都圏で経営する介護事業所20カ所に登録し、患者約70人にサービスを提供している。これらの事業所は、障害者自立支援法などの適用要件を満たしているため、ケアを希望する患者宅にヘルパーを派遣し収入を得ることも可能だ。
 同会理事の川口有美子さん(46)らは06年、40カ国のALS団体が集まった世界大会で「さくらモデル」と名付けて報告し、注目を集めた。  「家族の睡眠時間を確保してあげたかった」。橋本さんはさくら会設立の目的をこう説明する。人工呼吸器を付けたALS患者のケアは医療行為を伴うため、派遣する介護事業所が少ない。このため、十分なヘルパーを確保できず、家族に介護の負担が重くのしかかる。
 ALS患者の母親を12年間介護した川口さんは「家族に迷惑をかけたくないと遠慮して、人工呼吸器をつけず亡くなる患者も多い。介護を第三者に任せることで、患者も気兼ねなくケアを頼めるほか、介護の質も上がり、家族も本人も楽になる」と強調する。
 さくらモデルについて、東京大大学院の清水哲郎・特任教授(死生学)は「ケアを受ける患者やその家族が、自分たちでヘルパーの派遣事業を行い、その養成も自前でする点が画期的。派遣業者を通さないため患者は自分専従のヘルパーにケアを受けることができ、ALS特有の症状や患者個別の状態に対応できるヘルパーも育成できる。取り組みが全国に広がれば、ヘルパー不足の解消にもつながるだろう」と期待する。【清水優子】

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 ◇筋萎縮性側索硬化症(ALS)
 頭脳や感覚は正常なまま、運動をつかさどる神経が侵され、全身の筋肉が萎縮していく。症状が進むと全身が動かなくなり、自力呼吸もできなくなる。厚生労働省は原因不明で治療法未確立の難病(特定疾患)に指定しており、国内の患者数は約8000人。ALS患者のたん吸引は従来、医師や指導を受けた家族らにしか認められない医療行為だったが、厚労省は03年、在宅患者についてヘルパーが行うことを認めた。しかし、「当面のやむを得ない措置として許容」との位置づけで、吸引ができるヘルパーの育成は遅れている。」(全文)

 
 
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◆2009/03/05 「理化学研究所、遺伝型ALSのモデルマウスを用いてALS病態の進行メカニズムを解明」
 『NIKKEI NET』2009-3-5
 http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=214505&lindID=4

 「シュワン細胞のSOD1酵素活性低下が筋萎縮性側索硬化症(ALS)を加速
シュワン細胞の正常化でALSの治療に新たな可能性

◇ポイント◇ 
 遺伝型ALSの新しいモデルマウスを用いてALS病態の進行メカニズムを解明 
 シュワン細胞での活性酸素除去が、ALSの進行を遅らせる 
 シュワン細胞が神経栄養因子IGF−1の産生で運動神経を保護 

 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と独立行政法人科学技術振興機構(JST: 北澤宏一理事長)は、神経変性疾患の一つで、全身の運動麻痺を起こす神経難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)のモデルマウスを用い、運動神経の軸索(※1)を取り囲むグリア細胞のシュワン細胞(※1)が病気進行に関与することを発見しました。理研脳科学総合研究センター(田中啓治センター長代行)山中研究ユニットの山中宏二ユニットリーダーらと、米国・カリフォルニア大学サンディエゴ校、仏・国立保健医学研究所(INSERM)などの国際共同研究による成果です。
 筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、全身の筋肉を支配する大脳と脊髄にある運動神経細胞が徐々に死んでいく原因不明の神経難病です。発症すると、認知や思考の能力が保たれたまま、全身の筋肉の麻痺が進行し、寝たきりとなります。通常は、発症から2年ないし5年で、呼吸をつかさどる筋肉が麻痺し、人工呼吸器なしでは生存できなくなる重篤な疾患です。
 研究グループはこれまでに、ヒトの遺伝型ALSで発見されたSOD1遺伝子(※2)の変異を、特定の細胞群から除去できるモデルマウスを開発し、ALSに関与する細胞群の働きを検討してきました。今回、このモデルマウスを用い、シュワン細胞から酵素SOD1の活性酸素を除去する活性が保たれた活性型変異SOD1を取り除くと、ALSの進行が顕著に加速することを発見しました。また、シュワン細胞は、神経栄養因子であるIGF−1 (Insulin−like Growth Factor 1:インスリン様成長因子)(※3)を産生しており、この産生が活性型変異SOD1の発現に依存していることを突き止めました。つまり、シュワン細胞では、SOD1の酵素活性が保たれていることが運動神経の保護に重要で、神経栄養因子IGF−1の産生とともに、シュワン細胞での活性酸素の除去が、ALSの進行を遅延させる治療の可能性として期待されます。運動神経の軸索の維持や再生に重要な役割を果たすことが知られているシュワン細胞が、ALSの病態に積極的に関与することを世界で初めて発見したことになりました。
 さらに、この成果は、シュワン細胞を正常化するなどの方法で、ALSの治療法の開発に大きく寄与することが期待されます。この研究成果は、JST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)の研究領域「精神・神経疾患の分子病態理解に基づく診断・治療に向けた新技術の創出」における研究課題「孤発性ALSのモデル動物作成を通じた分子標的治療開発」(研究代表者:祖父江元、名古屋大学教授)によって得られ、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences』(3月17日号)の掲載に先立ち、2 月27日にオンライン掲載されました。
  1.背景 
 ALSは、全身の筋肉を支配する運動神経細胞を選択的、かつ進行的に障害し、呼吸筋を含む全身の筋肉麻痺を引き起こす原因不明の神経変性疾患です。現在のところ、有効な治療法は見つかっておらず、日本では約6,000人がALS患者と推定されています。患者の苦痛に加え、介護者も長期にわたる重度の介護が強いられるため、その原因の解明と治療法の開発が強く求められている疾患です。ALSの最も特徴的な病変は、運動神経に起こる細胞死ですが、その周囲に存在するグリア細胞でも病的変化が見られます。
 ALSの約1割は遺伝性です。遺伝性ALSでは、原因遺伝子を手がかりとしてモデル動物を作製するなど、遺伝子工学的手法を用いて研究を行うことが可能なため、遺伝性ALSをターゲットとして病態解明に向けた研究が進んでいます。これまでの研究から、ヒトの遺伝性ALSでは、SOD1遺伝子の優性変異が最も多く、遺伝性のうち約2割の患者で見られることが分かっています。SOD1は、活性酸素を除去する働き(酵素活性)を持ちますが、ALS患者由来の変異型SOD1には、その活性が保持されているもの(活性型)となくしたもの(不活性型)があります。
 変異型ヒトSOD1遺伝子を導入したマウスは、ヒトALSの病態をよく再現していることから、モデル動物として広く研究に利用されています。この変異型SOD1は、活性型、不活性型ともに、神経細胞やグリア細胞をはじめとした全身のいたるところの細胞に発現しているにもかかわらず、運動神経に選択的に細胞死を引き起こすことが知られています。
 研究グループはこれまでに、特定の細胞群から選択的に変異型SOD1を除去することができる新たなモデルマウス「LoxSOD1G37R」を作製し、ALSに関与するすべての細胞群の関与を明らかにする研究を進めてきました。その結果、アストロサイト(※4)とミクログリア(※5)の2種類のグリア細胞が、ALS進行に関与する細胞群であることを明らかにしました(2008年2月4日プレス発表)。しかし、運動神経にとってもう一種類の重要なグリア細胞であるシュワン細胞に関しては検討がされていませんでした。運動神経の細胞体から骨格筋に情報を伝える神経繊維からなる軸索は、運動神経の体積の約99%を占めており、その周りを取り囲むシュワン細胞が、軸索の維持や再生に重要な役割を果たします。しかし、このシュワン細胞が、ALSの病態に関与しているかどうかは不明なままでした。
 
2. 研究手法と成果 
 モデルマウスLoxSOD1G37Rは、SOD1遺伝子に活性型の遺伝子変異(SOD1G37R)を持ち、SOD1酵素活性が保たれています。研究グループは、このLoxSOD1G37Rと、シュワン細胞だけに選択的にCreタンパク質※6を発現するマウス(P0−Cre)を交配し、活性型変異SOD1(SOD1G37R)をシュワン細胞だけから除去したモデルマウスを作製しました。このマウス(LoxSOD1G37R / P0−Cre+)を使って、疾患の発症時期、生存期間、罹病期間(疾患の進行)※7を調べました。罹病期間については、活性型変異SOD1(SOD1G37R)をシュワン細胞から除去したマウスと、LoxSOD1G37Rマウス、SOD1酵素活性を持たない(不活性型)遺伝子変異のSOD1G85Rマウスとを比較検討しました。さらに、シュワン細胞から活性型変異SOD1(SOD1G37R)を除去したマウスを用いて、さまざまな神経栄養因子の遺伝子発現の増減を調べました。
  (1) シュワン細胞から活性型変異SOD1(活性型SOD1G37R)を除去したマウスの生存期間
 シュワン細胞から活性型変異SOD1(SOD1G37R)を除去したマウスは、SOD1酵素活性を持つLoxSOD1G37Rと比べ、ALSの発症時期にほとんど違いがみられませんでしたが、生存期間が約42日短縮しました。その結果、罹病期間は活性型変異SOD1未除去群(LoxSOD1G37R)が約61日に対し、除去群では約21日と、約3分の1になりました。これは病気の進行が著しく加速したことを意味しています(図1)。
  (2) シュワン細胞から活性型変異SOD1(SOD1G37R)を除去したマウスの罹病期間
 シュワン細胞から活性型変異SOD1(SOD1G37R)を除去すると、ALSモデルマウスLoxSOD1G37Rに比べて罹病期間が著しく短縮し、不活性型の変異を持つSOD1G85Rマウスとほぼ同程度となりました(図2)。シュワン細胞から変異型SOD1(活性型SOD1G37R)を除去したマウスとSOD1G85Rマウスの平均生存期間はほぼ等しく約13カ月でした。
  (3) シュワン細胞から活性型変異SOD1(SOD1G37R)を除去したマウスでの神経栄養因子の発現間
 シュワン細胞から活性型変異SOD1(SOD1G37R)を除去すると、神経栄養因子であるIGF−1の産生が50%程度低下し、ALSの進行は加速することが示されました(図3)。
   以上の結果から、シュワン細胞におけるSOD1活性は、ALSの進行に強く関与していることが分かりました。アストロサイトやミクログリアでは、活性型変異SOD1(SOD1G37R)を除去するとALSの進行が遅くなったのに対し、シュワン細胞では逆に、活性型変異SOD1(SOD1G37R)を除去するとALSの進行は速くなりました。これはまったく予想外の結果でしたが、シュワン細胞は変異型SOD1の毒性※8にはさほど影響をうけず、むしろシュワン細胞において活性酸素を除去するSOD1の酵素活性が失われることで、ALSの疾患進行が加速すると考えられました。これまで治療の標的としてあまり注目されてこなかったシュワン細胞を正常化することで、ALSを治療できる可能性が実験的に明らかになりました。
 
3. 今後の期待
 本研究で得た知見は、ALSの進行を遅らせる標的として、アストロサイトやミクログリアに加えて、末梢のグリア細胞であるシュワン細胞も有望であることを示す画期的なものです。運動神経の細胞体から骨格筋に情報を伝える神経繊維からなる軸索は、運動神経の体積の約99%を占めており、その周りを取り囲むシュワン細胞は、軸索の維持や再生に重要な役割を果たすことが知られていましたが、本研究成果によりシュワン細胞のALSの病態への関与を、モデル動物を用いて証明できたことになります。
 今後の研究の方向性としては、シュワン細胞における活性酸素の除去や神経栄養因子の産生を増加させることで、運動神経を保護する治療法開発の可能性が考えられます。ALSでは、運動神経の軸索から骨格筋へのシグナル伝達や軸索の機能は早期に障害されることが知られています。シュワン細胞はその軸索に最も近接し、軸索の維持や再生に寄与する細胞として非常に有望であり、シュワン細胞を正常化する方法の研究を通じて、ALSの進行を遅らせる有効な治療法の開発につながると期待されます。
  
(※ 以下は、関連資料参照)
 
● 関連リンク
(独)理化学研究所 ホームページ
独立行政法人 科学技術振興機構 ホームページ

● 関連資料
参考資料:補足・図説 」(全文)

 
 
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◆2009/03/05 「理研など、原因不明の全身麻痺を引き起こす難病の原因を一部解明」
 『財経新聞』2009-3-5
 http://www.zaikei.co.jp/article/biznews/090306/33572.html

 「 理研は5日、米カリフォルニア大、仏国立保険医学研究所(INSERM)などとの共同研究で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を加速させる原因が運動神経の周りにあるグリア細胞、シュワン細胞の変異にあることを発見したと発表した。
  シュワン細胞内の活性酸素除去と神経栄養因子IGF-1の産生がALSの進行を遅延させる治療法となる可能性があるようだ。
  この疾患は神経変性疾患の1つで、全身の筋肉を支配大脳と脊髄にある運動神経細胞が徐々に死んでいく原因不明の神経難病。日本にも6,000人の患者がいると推定されている。
  同疾患は、認知、思考能力は保たれたまま全身が麻痺し寝たきりになる。そして2年から5年で呼吸に関わる筋肉も麻痺してしまい、自立呼吸が出来なくなる。そのため患者はもちろんのこと、介護者も長期にわたる重度の介護を強いられるため、病気の原因と治療法開発が強く求められていた。
  同疾患の約1割は遺伝性のもので、遺伝性疾患は原因遺伝子を手掛かりにモデル動物を作製してその原因を詳しく研究することが出来る。同研究グループは遺伝型ALSに集中して研究。これまでにヒトの遺伝型ALSで発見されたSOD1遺伝子の変異を特定の細胞群から除去出来るモデルマウスを開発し、ALSに関与する細胞群の働きを検討して来た。2008年2月にはアストロサイト、ミクログリアのグリア細胞が関与していることを見つけたが、運動神経にとって重要な働きをするグリア細胞、シュワン細胞については調べられていなかった。
  シュワン細胞は、運動神経の細胞体から骨格筋に情報を伝える神経繊維からなる軸索の周りに存在する。この神経繊維は運動神経体積の99%を占めている。ヒトの遺伝型ALSに最も多く見られる遺伝的異常は、この細胞内にある、活性酸素を除去するSOD1遺伝子に見られることが分かっていたが、同研究成果により、神経栄養因子であるIGF-1の産生にも関与すること、またALSの病態に積極的に関与することが明らかになった。この成果は、遺伝型ALSをシュワン細胞を正常化するなどの方法により、治療に大きく寄与することが期待される。
  同研究成果は、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences』(3月17日号)に先立ち、2月27日にオンライン版に掲載されている。」(全文)

 
 
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◆2009/03/12 「「魂」のコンサート:今年も開催 谷川俊太郎さん、小室等さんら協力、出演 /石川」
 『毎日jp』2009-3-12
 http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20090312ddlk17040384000c.html

 「 ◇出会いの場に…小松の市民グループが開き続ける−−20日、小松市民センターで
 詩人の谷川俊太郎さん、フォークシンガーの小室等さんらによるコンサート「魂のいちばんおいしいところ」が20日、小松市大島町の小松市民センター・大ホールで開かれる。難病の患者・家族を支える思いをきっかけに市民グループが10年以上、谷川さんらの協力を得て続けている地域交流の取り組みだ。【野上哲】
 同市の「いのちにやさしいまちづくりを考える会」(代表・榊原千秋さん)の主催。97年、進行性の難病ALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)の患者だった同市の故西尾健弥さんの自宅で開いて以来、地域住民の出会いと支え合う場にと、ほぼ毎年続けてきた。
 当日は第1部で、谷川さん、詩人の覚和歌子さんが監督した長編写真映画「ヤーチャイカ」(香川照之さんら出演)を上演。恋人の死を機に住んだ村の天文台で彗(すい)星を探す女性、都会で挫折を味わった男性。2人が出会い、悲しみから解放され、生きる力を得てゆく道程を連続写真で描く異色の映画だ。
 第2部のコンサートでは、谷川さん、覚さん、小室さん、作曲家として演劇や映画などで活躍する丸尾めぐみさんが詩と歌のコラボレーションを1時間以上繰り広げる。終了後はサイン会。谷川さんは「私たちが何をするにしても、何を感じるにしてもその源には魂がある」とのメッセージを寄せている。
 コンサートには障害を持つ人、大学生らが幅広く、スタッフとして手弁当で参加する。榊原さんは「このコンサートが出会いの場所となり、ホスピタリティーにあふれた町を作りたい」と話している。
 午後1時開演。前売り一般3000円▽中高・大学生1500円▽小学生以下(2部のみ)1000円。当日は500円増し。問い合わせは「つじぶん」(0761・21・2323)。」(全文)

 
 
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◆2009/03/14 「神奈川のひと:湘南工科大学学長・谷本敏夫さん /神奈川」
 『毎日新聞』2009-3-14
 http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20090314ddlk14070074000c.html

 「 ◇人を笑顔にできる技術 「車椅子」開発で目標発見−−谷本敏夫さん(63)
 「日本の未来を担う頭脳がどんどん海外に流出していく。何とかしなければ」。博士号を取得したものの、就職漂流する「ポスドク」の支援に乗り出した。
 基礎科目の授業で教壇に立ったり、学習支援センターで学生の質問に答えたりする特別講師を採用する。新年度は理数系3人程度だが、英語などを加えて徐々に充実させていく考えだ。背景には、若いころの「苦い体験」がある。
 大阪生まれ。機械関係の会社を経営する父の背を見て育ち、高校生の時に「工学博士になろう」と決心した。授業は常に最前列。念願かなって同志社大大学院で博士号を取ったが、職がなかった。
 論文が評価されて米コロンビア大から客員研究員の声がかかり、渡米。落ち着いて生活できる環境が整った。「このまま米国で研究を続けようか、随分迷いました」。しかし「日本の役に立ちたい」と帰国。その後は10年近く非常勤講師を多数かけ持ちして「食いつなぎました」と笑う。
 専門は人工衛星などに使う先端材料の開発。その材料を使ったソーラーカーで96年世界レースに参戦、3位に入った。
 「先生、これで車椅子を作れませんか」。足の不自由な人たちから頼まれ、人にも地球にもやさしい「ソーラーアシスト電動車椅子」を開発。湘南の日差しをいっぱい浴び、その光をエネルギーに変えて気持ち良さそうに走る人たち−−。
 「そうだ。人を笑顔にできるテクノロジーだ」
 これまで、がむしゃらに取り組んできた学問の目標が、はっきりと定まった。
 湘南工科大では、重度のALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)患者を非常勤助手に採用し、福祉器具を共同開発する教室や、重い障害者が1人で操縦できるユニバーサルカヌーを開発する教室が次々と誕生。学長の“DNA”が学内に浸透してきた。【永尾洋史】」(全文)
毎日新聞 2009年3月14日 地方版

 
 
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◆2009/03/15 「命を輝かせて生きる」
 『琉球新報』2009-3-15
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-141710-storytopic-14.html

 「 2008年4月から3カ月間だけ健康面を担当した。短期間だったが、忘れられない出会いがたくさんあった。中でも「ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者や家族が命を輝かせて生きていくには、みんなが手を取り合わなくてはならない」と言って、患者会である日本ALS協会沖縄県支部設立に尽力した新里美津江さんとの出会いは印象深かった。
 ALSは全身の筋肉が動かなくなる原因不明の難病だ。症状が進行しても、聴覚や視覚などの感覚機能は侵されず、厳しい闘病となる。最終的には自力呼吸ができなくなるため、患者は人工呼吸器を装着するか否かの選択を迫られる。
 美津江さんは07年に夫の盛彦さんをALSで亡くした。盛彦さんは「神様が与えた運命にまかせて生きたい」と呼吸器装着を希望しなかった。呼吸困難に陥った盛彦さんのそばで、美津江さんは何度も気持ちが揺らいだという。「彼が好きだった『アメイジング・グレイス』を歌い聞かせ続けた」と言って見せてくれた写真には、ベッドに横たわり最期を迎えようとする盛彦さんを抱きしめた美津江さんの背中が写っていた。思わず、涙がこぼれた。
 08年6月15日、県支部の設立総会が開かれ、念願の患者会が始動した。病と闘い懸命に生きる人々がいる一方、昨年の自殺者数は全国で3万人を超える見通しだという。美津江さんの言ったことは、世の中全体に当てはまることだと感じた。
(高良由加利、文化部)」(全文)

 
 
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◆2009/03/16 「【対談】「患者の権利」はどこまできたか 」
 『医学書院/週刊医学会新聞(第2822号 2009年03月16日)』2009-3-16
 http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02822_01

 「 1999年1月に起きた横浜市立大学病院における患者取り違え事件などを契機に設立された「患者の権利オンブズマン」が活動を開始して今年で10年。インターネットなどで患者が大量の医療情報を手に入れることが可能となるなかで,医師−患者関係も大きく変わった。
 本紙では「患者の権利オンブズマン」で設立時から理事長を務める弁護士の池永満氏と,患者の権利やインフォームド・コンセントに非常に強い関心を持つ医師であり作家の李啓充氏の対談を企画した。
 なお,本紙では一部のみの紹介となるが,対談の全文は李氏の新刊『続 アメリカ医療の光と影――バースコントロール・終末期医療の倫理と患者の権利』に収録されている。

李 池永先生が中心になって立ち上げられた「患者の権利オンブズマン」(以下,オンブズマン)が,このたび10周年を迎えられました。今年5月には,イギリス,オランダから講師を招き,10周年記念の国際シンポジウム(参照)を開催するということですが,まず,オンブズマンの活動についてご紹介いただけますか。

池永 オンブズマンは1999年6月に結成され,7月から活動を開始しました。医事紛争,医療現場のトラブルなどについて,患者・家族と医療従事者あるいは医療機関が直接話し合うなかで,苦情の原因を探り,問題があればそれを是正して,紛争を解決する。それだけでなく,同種の苦情が起こらないようにすること,すなわち医療サービスの質を向上させるという考え方でやってきました。
 オンブズマンが結成された直接のきっかけは,1999年1月に起きた横浜市大病院の患者取り違え事件です。それ以来毎月のように,信じがたい医療過誤・医療事故が特定機能病院など高度な医療機関で次々と起こりました。そういう事態のなかで,なんとかしなければという思いがあったのです。

李 患者の苦情から学ぶのは医療者として非常に大切な視点だと思います。お聞きするところによると,先生の組織が九大病院の門前に設立された当初は,九大病院から煙たがられる存在だったけれども,いまは協力し合う関係に変わったそうですね。どういう経過だったのでしょうか。

池永 オンブズマンができた時,従来のように,医事紛争や医療事故の法律上の責任の有無を裁判によって決着づけるのではなく,実際の医療現場で,対話のなかで解決を図ることを掲げました。それは患者側と医療側の本来共通の目標である「安全な医療」を実現するための手がかりですので,医療機関にも手を携えて協力してもらえないかという視点でアピールしたのです。
 特に患者が不幸にして亡くなったときに,その原因について遺族が不審を抱いている場合には,解剖して,その結果に基づいて遺族が冷静に判断できれば,対話による解決が進むだろうと考えました。ところが,その当時は残念ながら遺族にとって死因に疑いがあるときに,そのことを知るための解剖の仕組みがなかったのです。患者側が警察に通報して司法解剖されても,その結果は刑事事件の捜査記録としてのみ用いられ,患者側にも医療機関にも開示されません。病院の申し出に応じて病理解剖をした場合であれば,その結果は患者側にも報告されますが,不審に思っている医療機関の依頼による解剖には遺族の心理的抵抗があり,頼みにくい。そこで遺族からの依頼のみで解剖がなされ,その結果が遺族にのみ伝えられるようにしたいと考えました。

李 承諾解剖の制度ですね。

池永 そうです。法律上も可能ということで,オンブズマンと九大法医学教室の池田典昭教授とで覚え書きを取り交わして承諾解剖紹介支援制度を始めました。それが1つの大きなきっかけになって,対立型ではなく,冷静に医療事故の原因を分析していくことが始まったと思っています。

李 そうやって協同してお仕事をされるなかで,信頼関係を構築できたということですね。

池永 九大法医学教室とは提携ができたのですが,臨床の現場,特に民間病院ではオンブズマンへの警戒感がまだ相当ありまして(笑)。「彼らはそんなことを言いながら,いろいろと説明させたものを裁判に使おうとしているんじゃないか」という陰口も当初はありました。しかし,患者側と医療機関が直接対話するときに,オンブズマンのボランティアが立ち会うことで,医療機関側が患者側の苦情を直接聞いて,それに対する説明もできるということで,信頼関係を回復する事例が増えていくなかで,苦情から学ぶというシステムが,病院にとっても非常に大事だという認識が広がってきたのではないかと思います。

李 たしか無過失補償制度が立ち上がったのも福岡が初めでしたね。

池永 そうです。九大産婦人科の先生をはじめ福岡県医師会の皆さんが中心になって。

李 裁判以外の解決法の伝統が,福岡にできあがっていたからなのでしょうか。

池永 そういう意味では,オンブズマンの取り組みも影響を与えた1つかもしれません。

徐々に認められた患者の権利
李 先生は,オンブズマンを立ち上げる前に,「患者の権利法をつくる会」の設立にかかわっておられますね。その経緯をご紹介いただけますか。

池永 私ども弁護士として医療過誤への取り組みの体制ができたのは1980年前後で,実際にたくさんの患者が相談にみえました。日本の医療には対話がなく,患者が医療の「対象」として,客体化されているのではないかということで,「対話なき医療」という言葉も生まれました。そこで,患者を人間として認め,患者を「主体」とした医療をすべきということで,1984年に「患者の権利宣言案」を出したのです。
 それまでは,医療の専門家が,患者のためによかれということを考えて医療を提供するという,いわゆるパターナリズムでした。そこで,患者に十分な情報を提供したうえで,患者の意思決定に基づく医療の提供という考え方を提唱したのです。当初は医療界に非常に大きな反発がありました。しかしながら,これは国際的な考え方でもありますので,1980年代終わりくらいまでには,日本でも徐々にそういう考え方になりました。これを法制化すべきということで,1991年10月に「患者の権利法をつくる会」が「患者の諸権利を定める法律要綱案」を提案しました。最初にいちばん焦点になったのが,インフォームド・コンセント原則の法制化をどう進めるかでした。

インフォームド・コンセントの主語は?
池永 1994年に,柳田邦男氏が座長を務める「インフォームド・コンセントの在り方に関する検討会」を厚生省が設置しました。検討会が到達した結論は,これからの医療はインフォームド・コンセントの原則に基づいてやらなければならない。それは,医師側に義務として強制するという重苦しいものではなく,むしろ医療にとって元気が出るものなのだというものです。ですから,元気の出る医療をつくるためにも,インフォームド・コンセントを原則とする基本的な答申を出したのです。ただ,それを法律に定めるのは時期尚早ということで,法制化にはつながりませんでした。しかし,インフォームド・コンセント原則の考え方が全体的に承認されることになりました。

李 私は,患者の権利法がまだできていないことが,日本の医療現場に大きな混乱をもたらしている原因の1つではないかと思っています。  2つ例を申し上げますが,1つは,延命治療中止に関する議論です。これは,(治療を拒否する権利も含めた)患者の自己決定権という原則に照らせば,簡単に答えが出るもので,患者の意思の確認という手順を踏んでいれば済むことです。もし患者の意思が確認できて,延命治療を中止せよという意思が明らかな場合,生命維持装置を医師が外したからといって,殺人とか業務上過失致死と言われる筋合いのものではない。患者の権利,患者の自己決定権が法律で保証されていれば,そんなことは問題にならなかったろうと思います。
 それから第2点は,いまモンスター・ペイシェントという困った言葉がありますが,患者の権利が法律で保証されていれば,逆に患者側の横暴も起こりにくくなっただろうし,わがままも減っていたと思います。一方,医療側もはっきりと「そういう無理難題を言われても困ります」と申し上げることができたのではないかという気がしてならないのです。
 また延命治療の話に戻りますが,日常医療で,患者の自己決定権が無視されている背景があるのではないか。だから,例えば,延命治療を中止してはならない,一度つけた呼吸器を外してはならないと決める学会が出てくるのではないでしょうか。他の国の医療に携わる人が見たら驚くに違いないのですが……。
 これは実は日常医療で患者の権利をないがしろにしていることの裏返しではないかという気がしてならないのです。そういう意味で患者の権利法ができていないことの副作用と言っていいと思います。アメリカではどこの州に行っても患者の権利法があり,患者の権利が明瞭に定義されていますし,その法律に従って守られています。

池永 ご指摘のとおりだと思います。特に日本の場合,先ほども触れましたが,インフォームド・コンセント原則の重要性が,厚生省の検討会でも出されていますが,実はその理解が非常に曖昧です。インフォームド・コンセントとは,十分な情報を得て,理解したうえで,患者自身が自主的な意思決定をするという原則です。その意思決定に基づいて,あるいはその意思決定を得たうえで医療者は治療を行えるということがポイントです。インフォームド・コンセントの主語は患者なのですが,日本ではインフォームド・コンセントの主語が医師となっています。そうしたことが医療界の専門誌などにも出ています。例えば「今日におけるがん治療においては,患者に対するインフォームド・コンセントをいかに行うかが最も重要である」というように,インフォームド・コンセントを行う主体が医師になっています。私はカルテ開示制度の法制化を協議した厚労省の検討会などに参考人として出たことがありますが,この議論をしていると噛み合わないので,「インフォームド・コンセントの主語は患者なんですよ。患者以外にないんですよ」と言いますと,驚かれた医療関係者や大学教授もおられました。

李 実際に,ある医師から聞いた話では,患者本人にはがんであることが言えないと,勝手に告知をしないと決めているんですね。それでカルテに,「家族からインフォームド・コンセントを得た」と……。「お?」と(笑)。患者は知らされていないわけですからね。

池永 そこのところで,現場の実状としての問題点がいろいろとあるのですが,法制度的な点でも問題があります。裁判では患者本人の治療上の意思決定権は認められているわけです。エホバの証人の患者が輸血を拒否した事件では,患者本人が医療上の意思決定を行う権利は人格権に属するものであるという最高裁判決が出ていますし,90年代初頭から,さまざまな手術や治療について患者の自己決定権が認められています。ですから,これを侵害した場合,あるいは意思決定のために必要かつ十分な情報を提供しなかった場合などは,インフォームド・コンセント違反として損害賠償を命じる判例が確立しているわけです。
 ところが,医療法規では明確にされていません。「医療従事者は理解を求めなければいけない」という努力義務であって,患者の同意,患者の決定がないかぎり医療はできない,ということにはなってはいません。日常医療でも,医療側が決定した方針を説明して同意を得ることに傾いて,患者自身による治療上の意思決定を促すという発想がほとんどありません。何の問題もなくいろいろな分野で社会的活動をしている方が,病院に入院したとたんに,患者本人には情報も提供されず意思も確認されずに,家族とだけ話が進んでいます。

患者不在の延命治療
池永 延命治療の問題にしても,患者自身の意思を聞かずに挿管が行われています。緊急事態ではそういうことはあり得ますが,そうでない場合でも患者に治療上の意思を確認するという作業をやっていないものですから,非常に困るわけです。

李 その裏返しですが,患者が明瞭に繰り返し意思を表明しているのにそれを無視するということも,日本では起こっています。例えばALSの患者が,もう呼吸器を外してほしいと強く希望する。それに対して医師は外さない。患者から頼まれて,頼まれて根負けした母親が外してしまって,自殺幇助の罪に問われて,たしか有罪になっていました。
 もしこれがアメリカで起こっていたら,患者が明瞭に意思を表明しているのに,それを無視して呼吸器をつけ続けた医師の責任が問われるでしょうし,民事訴訟になったら確実に負けるでしょう。そのことをうかがった時に,例えばアメリカ人が,不幸にして日本でALSになって呼吸器をつながれる事態になり,つながれているあいだに「こんなにつながれてまで生き続けるのは嫌だ。外してほしい」と思ったら,きっと強く主張するでしょうし,医師が拒否したら間違いなく訴えると思うんですね。
 本来なら,日本の患者も訴えるべき事例だと思うのですが,そういった訴訟騒ぎというと言葉が不穏当かもしれませんが,それがないと物事は動かないのでしょうか。

池永 いわゆる末期治療の場合とは違って,ALSの場合は,尊厳死として法的なものを取り込むとか,事前指示書で治療の拒否をどう決めておくのかということだと思います。その点についても,オランダの安楽死法のような法制度がないと,一般的には,まだ治療を施せば十分延命できるという可能性がある場合には,患者の強い希望に応えて治療を中断したとしても,医師の刑事責任を問われることはありうるわけです。  ただし,他の専門家を交えて,一定の手続きを踏んで,きちんと行った場合には免責される。オランダ安楽死法もそうした構造になっているわけです。ただ,日本の場合には日常医療における患者の自己決定権も法律で決めていませんので,死ぬ時だけ法制化するというのも困難だという問題があると思います。

李 安楽死ですが,いまの定義では,筋弛緩剤を打つとか,鎮静剤を多量に投与するとかというかたちで,積極的に死という結果を招来する行為が安楽死になります。一方,患者の意思に従ってALSの人工呼吸器を外すというのは,自然の経過を受け入れる(人工的に命を引き延ばすことをしない)ということで,これはいま医療倫理の専門家のあいだでは,安楽死とはしないことになっています。医療倫理的にはそうでも,法律的には別の次元の議論になるのでしょうが……。

池永 特に日本ではALSは別の議論が必要です。問題なのは患者の意思がまったく問われないなかで,呼吸器を外すかどうか,セデーション(鎮静)をかけるかどうか等を,もっぱら家族と相談し,了解を取る方法で進めていることです。そうしたことがマスコミで報道されるよりもたくさん行われている状況を踏まえて,一昨年,「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を厚労省が出すに至ったのだと思います。

裁判外で紛争を解決するために
李 オンブズマンの活動で,裁判外での和解解決が促進されるようになったというお話ですが,訴訟で闘うことは,家族にも患者本人にとっても非常につらい体験であると思っています。医療者にとっても,訴訟は非常に大変な体験ですから,裁判外での解決というシステムが,もっと大きく開けるようになれば,医療者にとっても患者にとっても,とてもよいことではないかと思っています。その裁判外の解決にうまくもっていくために,医療側はどういうことに気をつけたらよいか,先生のアドバイスをお願いします。

池永 アメリカでも言われていますが,まず起きた事実を誠実に患者や家族に告げることです。私たちも友人が亡くなったりしたら,事情が許せば何をおいても駆けつけるし,お悔やみもします。ですから,患者が亡くなった場合は,その点についても人間として誠実に対応することです。その後,医療の立場から,あるいは法律の立場からでも,きちんと事案を検討し,その結果はもちろん報告します。患者側に,カルテの全コピーを渡しておくとか,そういう態度がいちばんだろうと思います。

李 ややもすると「裁判になったら不利になる」と先回りの考えをして,例えばカルテは見せないとか,過去においてはしがちでしたが,それはもうまったく逆効果ですね。

池永 逆ですね。実際に私が事故調査に関与した病院で,「調査をした結果こうでした」と言った時に,家族の方はわかっているんですが,遠方から来られた親戚の方が,「そんなこと言って,病院に都合の悪いことは隠そうとしているんじゃないか」と言われたことがあります。その時,家族が,「何を言ってるんですか。病院からはカルテのコピーを全部もらっているんですよ」「ここは,そんなことは全然していませんよ」と話して,親戚の方も「カルテのコピーをもらっているのか」ということでおさまったことがありました。

李 遠くから来る親戚というのは,医療者にとってトラブルの種になることがとても多いですよね(笑)。そういう意味で,いつも患者の近くにいる家族を含めて,患者とのあいだに明瞭な信頼関係が成り立って,すべてが正直に行われていれば,遠くの親戚が起こすトラブルも避けられるということですね。

池永 そうですね。それともう1つ,オンブズマンの活動をやっていて非常にはっきりしたことがあります。裁判は国家機関を使っての処理ですから,紛争の解決手段としては,非常に負担が大きい。それに代わるものとして,最近ADR(Alternative Dispute Resolution;裁判外紛争解決手続き)として仲裁センターなどの手続きも促進されようとしていますが,どちらにしても被害救済が主な目的になっているのです。起こってしまった被害をどう救済するかという問題です。
 しかし遺族が求めているのは,「元気で歩いて病院に入ったのに,変わり果てた姿で帰ってきた。どうしてそんなことが起こったのか,それがまず知りたい」あるいは,「もう起こってしまったことはしょうがないけれども,同じことを二度と繰り返さないようにしてほしい」という再発防止とかのいろいろな思いです。しかし,それらの思いは裁判による被害救済では償われない問題です。そこをどうするかが非常に大事だということが,だんだんわかってきました。WHOが提唱している裁判外苦情手続(Complaint Procedure)は,まさにそうした原因調査と再発防止による医療の質の向上を目的にしているということです。

〈対談の続きは李氏の新刊『続 アメリカ医療の光と影――バースコントロール・終末期医療の倫理と患者の権利』でお読みください。〉

NPO法人患者の権利オンブズマン創立10周年記念事業「国際シンポジウム」
◆日時:2009年5月31日(日)13時−17時(17時30分から記念レセプション)
◆会場:福岡リーセントホテル舞鶴の間
◆参加費:国際シンポジウムのみ3,000円(レセプションとの通し参加は5,000円)
◆定員:250名
◆テーマ:「WHO宣言(1994年3月アムステルダム)から15年−患者の権利促進のための裁判外苦情手続の現状と今後の課題−患者中心の医療福祉サービスの前進のために」
【プログラム】
第1部 報告(通訳付き)
1)オランダを中心としてヨーロッパ諸国の現状と課題:J.K.M.Gevers氏(オランダ・アムステルダム大教授・健康法/WHO宣言起草者の1人)
2)アメリカの現状からみた日本医療への提案:李啓充氏(医師/作家/前ハーバード大医学部助教授)
3)イギリスからみた日本,韓国,台湾における患者の権利の問題状況−子どもの患者の権利を中心に:Ian Neary氏(オックスフォード大・日産研究所長/日・中・韓における人権研究専門家)
4)患者の権利オンブズマン10年の到達点と今後の課題:久保井摂氏(弁護士/NPO法人患者の権利オンブズマン法律専門相談員)
第2部 シンポジウム
4名の報告者をシンポジストとして,会場参加者との質疑応答・意見交換等を行う。コーディネーター=日野秀逸氏(医師/国民医療研究所長/東北大大学院経済研究科長)

◆問い合わせ先:患者の権利オンブズマン全国連絡委員会事務局(NPO法人患者の権利オンブズマン事務局気付)
 〒812−0054 福岡市東区馬出2−1−22 福岡五十蔵ビル5階(電話:092−643−7579, FAX:092−643−7578)
 E-mail:ombudsman005@patient-rights.or.jp
 URL=http://www.patient-rights.or.jp

李 啓充氏
1980年京大医学部卒。天理よろず相談所病院内科系ジュニアレジデント,京大大学院医学研究科を経て,90年よりマサチューセッツ総合病院(ハーバード大医学部)で骨代謝研究に従事。ハーバード大医学部助教授を経て,2002年より文筆業に専念。主な著書に『市場原理に揺れるアメリカの医療』『アメリカ医療の光と影』『市場原理が医療を亡ぼす』,訳書に『医者が心をひらくとき(上・下)』(ロクサーヌK.ヤング編)(いずれも医学書院刊)など。

池永 満氏
1970年九大法学部卒。77年弁護士登録,80年福岡市で開業。九州・山口医療問題研究会代表幹事,患者の権利法をつくる会事務局長などを歴任。1997年から2年間,英国エセックス大学人権センター特別研究員として留学。帰国後の99年患者の権利オンブズマンの創立をよびかけ,現在患者の権利オンブズマン全国連絡委員会共同代表。2009年度福岡県弁護士会会長。主な著編書に『患者の権利』(九大出版会),『患者の権利オンブズマン勧告集』(明石書店)など。」(全文)

 
 
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◆2009/03/23 「患者サポートへ職域超えた連携 岐大病院、難病拠点指定から4年」
 『中日新聞』2009-3-23
 http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20090323/CK2009032302000016.html

 「 岐阜大病院(岐阜市柳戸)が難病医療拠点病院に指定され、4月で丸4年。医療、福祉の職種を超え、患者を支える関係者のネットワークができつつある。
 「いろんな立場の人が支えてくれるのでありがたい」
 2007年夏から神経系の難病、筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)を患う義母・静江(62)さん=仮名=を世話する本巣市の主婦深沢由美子(35)さん=仮名=は、感慨深げに話す。
 静江さんは人工呼吸器が必要で、首から上しか動かせず寝たきりの状態。静江さんは1年前に入院していた岐阜大病院を退院し、自宅療養に切り替えた。退院前に、難病医療専門員をはじめ、大学病院の主治医や訪問看護師、地元のかかりつけ医、ケアマネジャーら十数人が集まって担当者会議を開いた。
 往診や看護師の訪問の時間など、日常のサポート態勢を話し合った。病院側からの情報提供だけでなく、患者の不安を取り除く方法などをやりとりした。
 県内の難病患者は約8200人。高齢化とともに増えつつあり、患者支援は重要度を増している。  拠点病院の指定には、特定非営利活動法人県難病団体連絡協議会(難病連)の松田之利会長の存在が大きかった。自身も母親を約30年前にパーキンソン病で亡くした。病気や患者会の情報もなく「何を生きがいに生きればいいのか」と苦しむ母親にこたえられずに1人悩んだ。「専門医が近くにいなくても、安心して地元で療養できる環境を整えなければ」。拠点病院の指定に向けて県や岐阜大病院に働きかけた。
 2月20日に大学病院で開かれた「難病ケアコーディネーター研修会」。県内の保健師、訪問看護師ら52人が集まり、神経難病患者に対する面接方法を学んだ。
 以前は、職種を超えて医療、福祉の関係者が集まる会議はなかなか設けられなかったが、大学病院では現在、入院から在宅療養に移るすべての患者に対して会議を開く。松田さんは「ようやく病院と地域の連携が進んできたようだ」と喜ぶ。
 ネットワークが実現したメリットは、患者だけにとどまらない。神経内科を担当する松野泰子看護師長は、患者や家族とのかかわりが増える中で、考え方が変わったという。「病院内ではどうしても一患者としてとらえてしまうが、患者さんも家族の一員として役割を持っている。その役割を生かせる在宅医療を考えられるようになった」
 県難病医療連絡協議会長で、岐阜大病院の森脇久隆院長は「地域によって、医療、福祉の職種を超えて連携できる環境に差がある」と課題を挙げる。患者の家族への負担はやはり重いまま。大学病院の難病医療専門員の堀田みゆきさんは「もっと社会資源で患者や家族を助けることができるはず」と提言する。患者と家族の苦しみをいかに分散し、和らげるか。関係者の連携と専門スタッフの育成がさらに望まれる。
 (徳田恵美)

 [写真]職種を超えて患者に対する面接方法を検討する参加者たち=岐阜市の岐阜大病院で

 【難病】原因不明で治療方法が確立しておらず、病状が慢性に経過し、後遺症を残す可能性がある特定疾患のこと。現在、調査研究対象となるのは123疾患で、そのうち医療費の助成を受けられるのは、リウマチやベーチェット病など45疾患。岐阜大病院が2005年度に難病医療拠点病院に指定され、06年度に「難病医療連絡協議会」の事務局が置かれた。研修会などを通じて専門スタッフを育成するほか、県内の約30の病院などと連携、情報を収集し、患者の療養環境を整える。問い合わせは事務局=電058(230)7100=へ。」(全文)

 
 
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◆2009/03/24 「ALS:舩後さんに読書装置 「読める」感動新たに /千葉」
 『毎日新聞』2009-3-24
 http://mainichi.jp/area/chiba/news/20090324ddlk12040197000c.html

 「 ◇「教え子」湘南工科大生、要望受け開発
 ALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)患者の舩後(ふなご)靖彦さん(51)=千葉市美浜区=が非常勤講師を務める湘南工科大=神奈川県藤沢市=の学生が、舩後さん専用の読書用装置を開発した。17日、舩後さんのベッドに取り付けられた。
 ALSは全身の筋肉が萎縮し動かなくなっていく難病で、舩後さんは42歳の時に発病がわかった。現在は人工呼吸器をつけ、唯一動く額の筋肉を使ってパソコンを操作し、歌の作詞や短歌などの創作活動に励んでいる。
 装置を開発したのは同大電気電子工学科4年の山田雅彦さん(23)。昨年12月から講師を務める舩後さんの実習授業を選択し、舩後さんから「本を読むのが好き。字の大きさに合わせて本を前後に動かせる装置がほしい」という要望を受け、約3カ月かけて装置を作った。
 装置は、舩後さんが額につけたセンサーで本を前後に操作できる仕組み。舩後さんは「装置を使って論語を読むと、小さな返り点がちゃんと見えて感動した」と喜びを語った。山田さんは「自分の作った物が必要とされることがうれしい」と笑顔を見せた。
 山田さんは今後、舩後さんが演奏できるエレキギターの試作に挑む予定だといい、「今回の経験を生かしたい」と意気込みを語った。【斎藤有香】」(全文)
毎日新聞 2009年3月24日 地方版

 
 
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◆2009/03/25 「ALS患者支援策探る 中区でケア市民ネット勉強会」
 『静岡新聞』2009-3-25
 http://www.shizushin.com/news/local/west/20090325000000000027.htm

 「 難病患者と家族を支援する浜松難病ケア市民ネットワークなどは22日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の支援をテーマにした勉強会を浜松市中区の市福祉交流センターで開いた。浜松医科大付属病院の難病医療相談支援センターと日本ALS協会県支部との共催で、県西部の医療従事者や行政の相談員ら約40人が参加した。
 昨年夏に亡くなった県西部のALS男性患者の症例が報告され、医師、医療ソーシャルワーカー、患者の遺族らがそれぞれの立場から、治療の経緯や患者とのかかわりを振り返った。
 治療を担当した浜松医科大付属病院と御前崎市立総合病院の各医師は「呼吸不全など病状が悪化した時の対応策を本人と家族、病院の間で事前に明確にし、情報を共有しておくことが非常に重要」と指摘した。
 遺族の女性は「人工呼吸器を装着するかしないかなど、周囲の多くの人に相談し、励ましと勇気をもらった」と体験を語った。新田新一ALS協会県支部会長は「患者の生活の質を高める上で、患者に密着して話を聞いてくれる保健師や相談員の存在はとても大切」と述べ、病院や行政機関などの横断的な支援体制の重要性を強調した。」(全文)

 [写真]ALS患者の支援策をテーマにした勉強会=浜松市中区の市福祉交流センター

 
 
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◆2009/03/25 「介護の最新情報を紹介 彦根でALS家族交流会」
 『中日新聞』2009-3-25
 http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20090325/CK2009032502000008.html

 「 神経難病の筋委縮性側索硬化症(ALS)の患者家族が集い、情報交換する彦根保健所主催の交流会が24日、ひこね燦(さん)ぱれすで開かれた。
 地元や近隣の患者家族、家族をALSで亡くした人、ケアマネジャー(介護支援専門員)ら約10人が参加。16年間、闘病を続けた夫を亡くしたばかりの女性は「最期は自宅で寝顔のような安らかな顔で息を引き取り、16年間の苦労が報われた」と語った。
 介護の最新情報を紹介した県難病医療ネットワーク協議会メンバーで看護師の福井アサ子さんは「制度運用が変わり、利用できる訪問看護ステーションの数が増える」と話し、介護の人手不足に悩む家族らの関心を集めていた。
 (伊藤弘喜)」(全文)

 [写真]介護のコツや利用できる制度の情報を交換する参加者=ひこね燦ぱれすで

 
 
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◆2009/03/27 「掘り出しニュース:額のシワで本を動かす装置 難病ALS患者向けに開発」
 『毎日jp』2009-3-27
 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090327mog00m040050000c.html

 「 【神奈川】藤沢市の湘南工科大は、重度の難病ALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)患者、舩後(ふなご)靖彦さん(51)を非常勤助手に雇い、学生と二人三脚で福祉器具第1号「本移動装置」の開発に成功した。舩後さんが唯一動かせる額にシワをよせると、感知したセンサーを通じて装置を近づけたり遠ざけたりでき、本を読みやすくなる仕組み。全国約7000人のALS患者に朗報となりそうだ。
 学生は同大電気電子工学科4年の山田雅彦さん(23)。約3カ月、千葉市の舩後さん宅を訪れて意見を交わし、メールでやりとりして改良を重ね、完成にこぎ着けた。
 装置は本体がアルミニウム製で、センサーが読み取った情報をモーターで動かす。舩後さんはメールで「ページこそめくれませんが、これまでのブックスタンドに比べて、介助者の手を煩わすことなく自分で本を前後に自由に動かせるのでありがたい」と使った感想を語る。
 舩後さんは商社マンだった99年、ALSを発病、全身の筋肉がまひし人工呼吸器をつけ、食事はチューブから。「余命3年」と診断されたが、同じ病気の患者同士が助け合うピアサポートに精力的に参加、額の動きで言葉を紡ぐ「講演」を国内外で続けている。アジアのALS患者の会をつくる夢に向けて、この装置でさっそくハングルの勉強を始めたという。
 28日の同大シンポジウムで本移動装置について発表する山田さんは「自分の作った物が必要とされるのはうれしい」と喜ぶ。指導に当たった水谷光准教授は「装置もさることながら、作られた人も喜び、それを知った作り手もうれしい。科学が社会の役に立つことを、学生に学んでもらうことにも大きな意義がある」と話している。【永尾洋史】」(全文)

 
 
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◆2009/03/29 「技術活用シンポ:ALS患者らが装置開発を報告−−湘南工科大 /神奈川」
 『毎日新聞』2009-3-29
 http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20090329ddlk14040160000c.html

 「 藤沢市の湘南工科大で28日「社会と工学をつなぐ技術活用力の育成」をテーマにシンポジウムがあった。市民ら約100人を前に、重度ALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)患者で非常勤助手の舩後(ふなご)靖彦さん(51)らが本移動装置開発の報告をした。
 舩後さんは事前にパソコンに入力した文章を、音声に変換させ会場スクリーンにも映し出し“講演”。「絶望も味わったが、家族の愛と周りの励ましで『命ある限り道は拓(ひら)かれる』ことを学んだ」と闘病生活を語り、「本好きの私のために移動装置を作ってくれた山田君、ありがとう」と結んだ。
 装置を開発した電気電子工学科4年、山田雅彦さんら学生6人が、福祉器具づくりなどの経験を発表した。山田さんは「物作りには、マシン、ユーザー、達成感という自分への三つの愛が必要なことを学んだ」と話した。
 報告に先立ち、同大の真岩宏司教授が「若者の理工系離れは工学と社会に距離があるため。市民の目線に立った工学の活用を実践した」とあいさつ。佐藤達哉・立命館大教授(心理学)が「本当に必要な物を使い手とコミュニケーションをとり作れば、作り手と使い手にかけがえのない人間関係が構築される」などと基調講演した。【永尾洋史】」(全文)
(毎日新聞 2009年3月29日 地方版)

 
 
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◆2009/03/31 「秋田に望む:「木曜の窓」筆者の思い/1 荒谷紀子さん /秋田」
 『毎日新聞』2009-3-31
 http://mainichi.jp/area/akita/news/20090331ddlk05040019000c.html

 「 新人同士による知事選(4月12日投開票)がスタートし、もうすぐ新しいリーダーが誕生する秋田県。今どんなところに課題があり、どんな対応が求められているのか。毎日新聞の「木曜の窓」を交代で執筆する5人から、それぞれが深くかかわる分野を中心に話を聞いた。
 ◇弱い人、見捨てないで
 一番言いたいのは、弱い人、底辺にいる人を見捨てないでほしいということ。
 難病のALS(筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症)患者とその家族を支援する活動にかかわってきた。呼吸器をつければまだまだ生きられるのに、経済的な負担をする余裕がないと家族が首を縦に振らず、あきらめて死んでいくケースを何度か見てきた。これは一種の自殺行為。秋田は呼吸器貸し出しの制度はあるが介護への助成が手薄で、家族は支えきれない。
 県などに頼みごとをしても「病気で苦しんでいるのはあなたたちだけではない」「公平にしなくてはならない」と言われ、結局何も進まなかった。診療報酬の問題から、受け入れてくれる病院もほとんどない。
 公平というが、一律にみんなにばらまくのではなく、本当に必要で困っているところ、特に命にかかわるところを助けるのが行政の仕事ではないのか。
 家族のあきらめの背景には、秋田の所得水準の低さもある。働く場がなく、働いても収入が少ない。親の年金に頼って何とか生活している人は少なくない。2、3万円のお金に困っている人がどれだけたくさんいるか、待遇の恵まれた公務員の人たちはわかっているのだろうか。
 そんな経済状態だからこそ、少なくても子供たちがやりたいことをできるよう、学費の心配をせずに済む奨学制度を充実させてほしい。学費を払えずに進学をあきらめ、そのために就職先も限られ、安定した収入が得られない。そんな話をよく耳にする。
 教育費の心配をせずに済むなら安心して子供を産め、少子化対策にもつながる。これらのことでかかるお金は、知恵を出せば何とでもなる。
 県庁に限らず、さまざまなところで「悪く変わるよりは、今のままの方がいい」という意識が強く、「前例に従う」「前の年と同じように」と言われる。
 秋田をよくするにはどうするか、もっとみんなで議論し、考え直さないといけない。これほど厳しいときだからこそ、県民自身も思い切って変わらなければいけないと思う。(聞き手・古川修司)=つづく
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 ■人物略歴
 秋田市の千秋公園内で山菜など地元食材をふんだんに使った田舎料理店「あやめだんご」を経営。同市在住、67歳。」(全文)
(毎日新聞 2009年3月31日 地方版)


*作成:長谷川 唯山本 晋輔
UP 20090103 REV:20090211, 13, 0305, 26, 0410, 27, 0525, 31, 0616, 0622
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