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ALS:国際交流・国際発信

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 ■新着・このサイト関係者の文章 等
 ■1992  ■1997  ■1998  ■1999  ■2000  ■2001  ■2002  ■2003  ■2007  ■2009
 ■関連組織・HP等
 ■立岩『ALS――不動の身体と息する機械』より


 
 
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■新着・このサイト関係者の文章 等

川口 有美子 2010/03/20 「患者会組織の国際的展開 ―― 「ALSにグローバル・スタンダードは必要なのか?」」,『生存学』2:265-296
『生存学』vol.2表紙

◆立岩 真也 2009/06/20 「御挨拶」,ALS患者医療介護フォーラム,於:台北花園ホテル [Chinease][English]

◆Hotta, Yoshitaro, Abe, Akira, Matoba, Kazuko & Arima, Hitoshi May 9, 2009 "The Importance of Social Support in Decision Making regarding Terminal Care: What ALS Patients in Japan can Teach us", Poster Presentation, 11th Congress of the EAPC, Vienna, Austria

◆2009/02/21 「東アジアALS患者在宅療養研究シンポジウム」,於:立命館大学衣笠キャンパス,

◆ANDO Michihito, HOTTA Yoshitaro, KAWAGUCHI Yumiko, TATEIWA Shin'ya 2007/09/17 "Reexamining the capabilities of ALS patients"(「ALSにおけるケイパビリティアプローチ」),Conference of the HDCA(the Human Development and Capability Association ): "Ideas Changing History"September 17-20, 2007 in NY,
 http://www.capabilityapproach.com/pubs/AndoHottaKawaguchiTateiwa07.pdf

 
 
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■1992

 [◇]1992/11/ 国際ALS/MND協会同盟 14か国から20団体、35名が参加
 「国際ALS/MND協会同盟結成される」『JALSA』027号(1993/05/10):04-05

 
 
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■1997

 [◇]松本茂の日本ALS協会九七年総会挨拶。「まだ具体的に決まってはいませんが一九九九年、日本でALSの国際会議を開くようにとの打診があり、現在手続きを始めています。日本も世界の国々と肩を並べ、ALSの研究や交流を行い、大きく前進したいと思いますが、いかがでしょうか。/話によりますと、これまでの国際会議には患者や人工呼吸器を着けた患者はあまり参加しなかったようですが、日本でやるときには患者がいっぱい集まって来て、呼吸器を着けても人間らしく生きていけることを皆さんに見てもらいたい。「なるほど日本は頑張っている」といってもらえるようにと、私は夢を膨らませています。まだ決まっていない予告を申し上げ、失礼とは思いますが、関係者の皆さんのご検討、ご協力によって本番が決まりましたら、皆さんで盛り上げ、実り多い国際会議にしたいと思います。」(松本[1997]*)
松本 茂 1997 「総会開会挨拶」,『JALSA』41(http://www.nemoto.org/ALS/OLD/JALSA-41/KAIKAI.html×)

 
 
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■1998

 1998 ALS/MND協会国際同盟第6回年次総会 於:ミュンヘン

 
 
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■1999

 1999/11/12〜13 ALS/MND協会国際同盟第7次年次総会 於:バンクーバー 日本ALS協会から熊本事務局長1人が参加
 熊本雄治「ALS/MND協会国際同盟第7次年次総会等に参加して」,『JALSA』049(2000/02/11):22-24
 「人工呼吸器の装着については、お国柄でまちまちなのが実状ながら(講演Dr.デビット・オリバー氏)、会議の場では、国情の違いによるよりは、むしろ個人的な考え方や事情による違いの方がウェイトが大きく、悔いのない選択や励まし合う意味から”患者・家族等の交流会の有用性は極めて高い”と総括された。」(p.23)

 
 
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■2000 於:デンマーク

橋本 みさお 2000/09/20 「ALS国際会議参加を目指して」,『JALSA』051号:29

 「…飛行機嫌いの私を、厳寒のデンマークへと引き寄せたのは、一九九九年冬の日の新聞記事でした。そこにはALS患者が、北欧を訪ねた体験談を寄せていたのです。
 たしかに福祉先進国かも知れないし、夏の北欧の美しさは想像に難くありません。でもそこに、引用されていた医師の談話の「人工呼吸器は、神の意志に逆らう行為なので、呼吸器は付けない」には、不快感を禁じ得ませんでした。
 私達の在宅介護支援は、誰彼なしに、呼吸器を付けて欲しいというつもりなど、毛頭ないのです。「生きたい人が生き、死にたい人が死ねる」といった環境が欲しいのです。
 […]およそ国情の違いは、不公平の一言で済まされない、大きな悲しみを発生させるのです。日本には「告知」の壁がありますが、欧米にはそれはありません。日本には呼吸器の選択肢はあるのですが、多くの患者に呼吸器の選択肢は与えられないのです。  ALS患者の介護を考える時、現実に呼吸器を装着して社会で暮らす人々がいて、その生活を支える家族がいる以上「呼吸器をつけて生命を永らえることは、神の御心に反する」の一文は承服できないのです。もしも、皆様が、学齢期の子を持つ、終末期のALS患者であったならば、親の介護を手伝う子等に「あなたの親が生きることは神が許さない」と言えるでしょうか。」

◆「「呼吸器」への偏見なくしたい 装着の難病患者ら12月国際会議でスピーチへ」
 『読売新聞』2000年10月17日 東京読売朝刊
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/ne0a1702.htm

 「全身の筋肉が動かなくなる難病ALS(筋委縮性側索硬化症)の患者3人が、12月にデンマークで開かれる国際会議に、人工呼吸器を着け日本から初参加する。海外では、ALS患者が人工呼吸器を装着して長期療養するケースは多くないと言われ、3人は「社会や家族に支えられて暮らす私たちの姿を見てもらい、世界中の患者たちに勇気を与えたい」と意気込んでいる。
 「生き生きと暮らす私たちの姿を見て」
 東京・練馬区の橋本みさおさん(47)は15年前、腕に力が入らないのに気づきALSと診断された。当時、一人娘は5歳。「ほかのお母さんのようには一緒にいられないかも」と告げ、泣かれた記憶がある。
 病状は次第に進行し、やがて寝たきりに。今では、まぶたがわずかに動くだけだ。
 でも、橋本さんはホームヘルパーなどに支えられ、テレビ観賞も読書もする。まばたきで、夫の会社員誠さん(49)らとの会話も楽しむ。6月の総選挙では車いすを押してもらって投票にも行った。
 「体は動かなくても、いろんなことができる。毎日を楽しんでます」と橋本さん。
 呼吸するための筋肉もまひし、8年前にのどに穴を開け人工呼吸器を着けたが、実はその際、ずいぶん悩んだ。
 切開したのどにはどうしても痰(たん)がたまる。それを多い時は2、3分おきに吸い取らないと窒息してしまう。自宅で暮らし続けるなら、昼夜、その役目を引き受ける人が必要になるからだ。
 幸い福祉制度などでヘルパーを毎日24時間確保でき、夫の誠さんら家族も全面協力してくれた。
 そんな中、今年初め、ある新聞記事にショックを受けた。オランダの神経難病協会会長が「呼吸器を着けて生き続けることは神の意思に反する」と語っていたからだ。
 林秀明・東京都立神経病院副院長によると、例えばイギリスではごく最近までALS患者は人工呼吸器や経管栄養を使わず、ホスピスで最後を迎える人が多かったという。
 文化の違いはあるだろう。「でも、人工呼吸器を着け生き生き暮らす私たちの姿を見てほしい」。橋本さんは12月初めデンマークで開かれるALS/MND(運動神経疾患)国際同盟の第8回国際会議に参加することを決意。スピーチをすることになった。
 また、やはり人工呼吸器を着けたALS患者の山口進一さん(62)(福岡県宗像市)、熊谷寿美さん(50)(兵庫県尼崎市)も一緒に参加する。人工呼吸器を装着した患者の同会議出席は初めてという。
 日本ALS協会(東京)事務局長の熊本雄治さんは「人工呼吸器を拒み死を選ぶ背景には、支援体制が不十分という事情もある。人工呼吸器の是非だけでなく、そうした課題も議論を」と話している。
 デンマークへは医師やボランティアらも同行し渡航費がかなり膨らむため、橋本さんらは財政的支援も求めている。問い合わせは同協会(03・3267・6942)へ。

 ALS 運動神経が侵され筋肉が委縮していく進行性の神経難病。次第に話すことも食べることも呼吸も困難になる。40―60代の発病が多い。患者は全国に約4500人。イギリスの宇宙物理学者ホーキング博士も患者。」

◆20001106 「ALS患者が国際会議へ 来月、デンマークで 人工呼吸器つけて元気に暮らす姿見て」,『読売新聞』20001106 朝刊

橋本 みさお 2001/12/19 「東の果てに生まれた私には、デンマークが、暗く淋しい国に感じましたし、漁師の娘としては、気風の良さもメリハリも感じません。/日本は良い国です。まぶしい太陽が、ただですし、取りあえず人は平等です。/今回の発表の後で、ベルギー患者は、「自分の将来に希望が生まれた」と泣いていましたし、イギリスの医師は、今まで呼吸器はお金の無駄だと主張していましたが、今後は「呼吸器を勧めます。」と言いました。」(橋本[2000/12/19])

橋本 みさお 2001/02/26 「国際会議に参加するまでの経過と謝辞」,『JALSA』052号:07-08

◆熊谷 寿美・博臣 2001/02/26 「「デンマーク国際会議」参加を振り返って――強く印象に残ったことあれこれ」,『JALSA』052号:08-09
 「橋本・熊谷の発表の後、人工呼吸器を着けていないベルギーの患者が「呼吸器」を着けて生きることの意味を見つけることが出来た!」と感想を言って頂いた。その日までのいろいろな苦労を忘れさせる嬉しい感想でした。その後の会食の時に聞いたところによると、医師から「人工呼吸器を着けて生きてどうなるの?」と言われているとの事でした。」(p.9)

山口 進一 2001/02/26 「ALS国際シンポジウムに参加して」,『JALSA』052号:09-10

 「今回私がこの会議に参加する目的は二つありました。ひとつは「発病してからずっと私が続けてきた講演活動を国際会議の場で実行すること」もうひとつは「呼吸器を装着して目的を持って生きている我々患者を世界中から集まった人達に見て貰い、気管切開・呼吸器装着を拒否して安楽死を選択することが多いという欧米の風潮に異議を唱えること」でした。」(p.9)

橋本 みさお 2000→立岩『ALS――不動の身体と息する機械』(2004,p.59)で引用

 【112】《今回、私がこの場で、皆様の貴重なお時間をいただいた大きな理由は、「ALSは死病ではなく最重度の障害を伴う病である」と、伝えたかったからなのです。》(橋本[2000c]。デンマークでの国際会議(↓第11章4節)での発言)

◆丹保 七七恵(フジ・アールシー株式会社本郷人工呼吸器センター) 20010301 「ALS国際同盟事務局会議に参加して」,『難病と在宅ケア』06-12(2001-03):31-33

 「橋本みさおさん、熊谷寿美さんの発表
 国際会議の2日目に橋本さんと熊谷さんの発表がありました。会議の初日より、呼吸器をつけた患者さんの初参加という事で注目を集めていたため、お2人の発表にも大変な注目がありました。「日本の呼吸器使用患者の実態」というテーマで、写真やビデオを使った発表でした。発病から今までの経歴、旅行を楽しんでいるところや、日常的なコミュニケーションの仕方など、制限時間ギリギリまで色々なお話をされていました。
 会議に出席されていた他の国の患者さんにはとても衝撃的だったようで、中でも台湾の女性の患者さんが、「自分には子供がいるのですが、これから病気と闘って生きていく事に大変勇気が持てました。自分が呼吸器をつけることになっても頑張っていきたいです」と、涙ながらにおっしゃっていたのがとても印象的で、意味のある参加だったと実感させていただきました。」(p.33)

 
 
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■2001 於:米国・サンフランシスコ

 山口衛 2001年11月から12月
 [◇]「さて、昨年初めの毎日新聞の記事に見られるように、欧米のALS患者における尊厳死ONLYの風潮は、憂うべき現実です。
 私は、日本の人工呼吸器装着者の国際会議参加によって、人間の真の尊厳とは何か? 尊厳死も人工呼吸器装着も選択肢の一つだと考えてもらえるように行動したいと考えてきました。ALSは決して死病ではないこと、生きる方法は存在していることを、つまり人工呼吸器を装着することによって、ほとんどの患者が人工呼吸器を装着せず死を選択して行く欧米の現状に一石を投じることが出来ればと考えています。何よりも私は、人工呼吸器装着を「神の意志に反した行為」などと言う人達に、私達の姿と活動を見せつけることで人工呼吸器装着の持つ可能性を理解させたいと思っています。
 そして、このことに成功すれば、日本のALS関係者にとって何よりの励みになると同時に、厚生労働省を始めとする日本の社会のALS理解を深めるものと確信しています。
 昨年は、3人の日本の人工呼吸器装着患者が始めて人工呼吸器をつけた患者として国際会議に参加し、その活躍ぶりを紹介して欧米の人たちのみならず会議の参加者全員に強いインパクトを与えることに成功しました。
 今年は、私を含めて7人の日本の人工呼吸器装着患者が国際会議に参加して2005年の国際会議の日本開催を申し出る予定です。」(山口衛[200110]☆)

 「二〇〇一年のサンフランシスコでの会議には呼吸器を付けた七人が参加した(『難病と在宅ケア』2002-1:4-6に写真と記事)。
【496】 山口衛[468]の募金要請の文書から。《昨年初めの毎日新聞の記事に見られるように、欧米のALS患者における尊厳死ONLYの風潮は、憂うべき現実です。/私は、日本の人工呼吸器装着者の国際会議参加によって、人間の真の尊厳とは何か? 尊厳死も人工呼吸器装着も選択肢の一つだと考えてもらえるように行動したいと考えてきました。ALSは決して死病ではないこと、生きる方法は存在していることを、つまり人工呼吸器を装着することによって、ほとんどの患者が人工呼吸器を装着せず死を選択して行く欧米の現状に一石を投じることが出来ればと考えています。何よりも私は、人工呼吸器装着を「神の意志に反した行為」などと言う人達に、私達の姿と活動を見せつけることで人工呼吸器装着の持つ可能性を理解させたいと思っています。/そして、このことに成功すれば、日本のALS関係者にとって何よりの励みになると同時に、厚生労働省を始めとする日本の社会のALS理解を深めるものと確信しています。/昨年は、三人の日本の人工呼吸器装着患者が始めて人工呼吸器をつけた患者として国際会議に参加し、その活躍ぶりを紹介して欧米の人たちのみならず会議の参加者全員に強いインパクトを与えることに成功しました。/今年は、私を含めて七人の日本の人工呼吸器装着患者が国際会議に参加して二〇〇五年の国際会議の日本開催を申し出る予定です。》(山口衛[2001a]。報告は山口[2001b]、旅行記に山口[2002])」(立岩[2004])

 
 
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■2002 メルボルン

 「二〇〇二年のメルボルンでの会議には呼吸器を付けた人が四人参加。ただ医療関係者の会議という性格が強いこの会議で、発表は事務局会議、ポスターセッションの場に限られた(金沢[2003])。」(立岩[2004])

 
 
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■2003 ミラノ

 「二〇〇三年はミラノで開催。橋本みさお[492]と舩後靖彦[239]が参加。舩後は二年続けての参加だった。 【497】 《二度目の参加をさせて頂きました。/その中で思いましたのは「なかなか患者自身がその活動を、発言するのは難しいという」と言う事です。実は、昨年の参加以来、会議の主体が介護者側にあると気がついた私は[…]テーマを「ピアサポート」とした発表意志を示しました。ところが、頂いた返事は残念ながら「却下」だったのです。[…]「過去三年間、日本に優先発表をさせたから」との事由を知りました。諦めきれなかった私は[…]再度のお願いを国際会議本部に致しました。結果[…]ショートスピーチの時間を頂ける約束を得ました。》(舩後[2004b:12-13])   二分間のショートスピーチ、発表できなかった一〇分の発表の原稿を含むより詳しい報告は彼のホームページにある(舩後[2003])。専門職フォーラムに出席したら、(トータリィ・)ロックトインの状態(↓第12章)になったら呼吸器を外してくれと言われていた場合に外すべきかが論じられていた。《結局「私は日本の患者です。/私の呼吸器は体の一部です。/それを止めるのは自殺を意味します。/日本では考えられない事です」/とだけ発言致しました。これで精一杯でした。/結論!「文化の違い」で片付けられました。/お粗末様です。》(舩後[2003]。それ以前の国内での講演に舩後[2002b]) 【498】 《日本から頑張って来た患者さんたちに一応の驚きと感動の声が聞かれたが、人工呼吸器を装着してまで遠路参加することに対して理解が出来ないという他国の協会員もいたのは事実》(川上[2003a:80])」(立岩[2004])

 
 
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■2007

◆ANDO Michihito, HOTTA Yoshitaro, KAWAGUCHI Yumiko, TATEIWA Shin'ya 2007/09/17 "Reexamining the capabilities of ALS patients"(「ALSにおけるケイパビリティアプローチ」),Conference of the HDCA(the Human Development and Capability Association ): "Ideas Changing History"September 17-20, 2007 in NY,
 http://www.capabilityapproach.com/pubs/AndoHottaKawaguchiTateiwa07.pdf

 
 
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■2009

◆2009/02/21 「東アジアALS患者在宅療養研究シンポジウム」,於:立命館大学衣笠キャンパス,

◆Hotta, Yoshitaro, Abe, Akira, Matoba, Kazuko & Arima, Hitoshi May 9, 2009 "The Importance of Social Support in Decision Making regarding Terminal Care: What ALS Patients in Japan can Teach us", Poster Presentation, 11th Congress of the EAPC, Vienna, Austria

◆ALS患者医療介護フォーラム,於:台北花園ホテル
 立岩 真也 2009/06/20 「御挨拶」 [Chinease][English]

 
 
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■関連組織・HP等

◆ALS Association アメリカALS協会(研究事業など掲載)
 http://www.alsa.org/
◆ALS News Letter(アメリカ筋ジストロフィ協会のニューズレター(英文))
 http://www.mdausa.org/publications/alsnews.html
◆Als Digest(バックナンバーを収載。英文)
 http://www.brunel.ac.uk/~hssrsdn/alsig/alsig.htm
◆The Nicholas Family Homepage (ALS Digest)
 http://www.flash.net/~gnichola/index.htm
 (週刊のインターネットニュ−ス。ALSに関する学会や各種の集会案内、専門誌の抄録、薬の使用経験、音声合成装置の使用経験、患者の投書欄、Q & AなどALSに関するニュ−スを幅広く集めている。(「神経筋難病情報サービス」による紹介より)
◆ALS: A Guide for Patients by D. Eric Livingston, M.D.
 http://http1.brunel.ac.uk/~hssrsdn/alsig/guide0.htm
 (自分自身がALSに罹患している内科医が、ALSの患者さんを対象にして、食事、運動、入浴など、日常生活で必要なことや、治験薬のことについての情報を提供している。(「神経筋難病情報サービス」による紹介より)
◆ダグ・ジェイコブソン
 http://home.earthlink.net/~jakesan/
×http://www.phoenix.net/~jacobson/(旧)

 
 
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■立岩『ALS――不動の身体と息する機械』(2004)第11章「死の位置の変容」第4節「世界に向かって言う」(p.336〜)全文

『ALS――不動の身体と息する機械』表紙  「4 世界に向かって言う
  この国の様々な運動は、これまで、国際的な潮流、「先進国における対応」を、自らの国の何かをもっとましにしようとするときの根拠、材料として使ってきた。使えるものを使うことは、獲得すべき目的を是とし、そのための手段して効果的であるなら、わるいことではなかった★03。
  しかし少なくともALSに限っては外国は見本にならない。外国がこうだから日本もこうしなければならないという筋の話はALSの場合にはできない。呼吸器を付けて生きることは世界標準ではなく、日本よりさらに高い割合で呼吸器を付けないでALSの人たちが亡くなる。むしろ、日本のALSの人たちは、呼吸器を使って生きればよいのだと言いに外国に出かけて行った。
  一九九二年一一月、国際ALS/MND協会同盟が結成される。総会には一四か国から二〇団体、三五名が参加した(「国際ALS/MND協会同盟結成される」、『JALSA』27:4-5)。
【489】 ALS協会九七年総会での会長・松本茂の挨拶。《まだ具体的に決まってはいませんが一九九九年、日本でALSの国際会議を開くようにとの打診があり、現在手続きを始めています。日本も世界の国々と肩を並べ、ALSの研究や交流を行い、大きく前進したいと思いますが、いかがでしょうか。/話によりますと、これまでの国際会議には患者や人工呼吸器を着けた患者はあまり参加しなかったようですが、日本でやるときには患者がいっぱい集まって来て、呼吸器を着けても人間らしく生きていけることを皆さんに見てもらいたい。「なるほど日本は頑張っている」といってもらえるようにと、私は夢を膨らませています。まだ決まっていない予告を申し上げ、失礼とは思いますが、関係者の皆さんのご検討、ご協力によって本番が決まりましたら、皆さんで盛り上げ、実り多い国際会議にしたいと思います。》(松本[1997])
  一九九六年、日本ALS協会は二〇〇〇年の会議の開催地に名乗りを上げ決定されるが、事務局長の松岡幸雄が九七年に死去、その時には日本での開催を返上せざるをえなかった(『JALSA』43:42-43)。一九九八年の第六回年次総会はミュンヘン、九九年一一月の第七回年次総会はバンクーバーで開催され、日本ALS協会からは熊本事務局長一人が参加した。
【490】 《人工呼吸器の装着については、お国柄でまちまちなのが実状ながら(講演Dr.デビット・オリバー氏)、会議の場では、国情の違いによるよりは、むしろ個人的な考え方や事情による違いの方がウェイトが大きく、悔いのない選択や励まし合う意味から“患者・家族等の交流会の有用性は極めて高い”と総括された。》(熊本[2000:23])
  支援する側のこうした中庸な報告に比べ、その後、外国に出かけたALSの本人たちの捉え方、主張はより明確なものである。二〇〇〇年にはデンマークでの会議に人工呼吸器を付けた三人が参加した。
【491】 山口進一[429]。《今回私がこの会議に参加する目的は二つありました。ひとつは「発病してからずっと私が続けてきた講演活動を国際会議の場で実行すること」もうひとつは「呼吸器を装着して目的を持って生きている我々患者を世界中から集まった人達に見て貰い、気管切開・呼吸器装着を拒否して安楽死を選択することが多いという欧米の風潮に異議を唱えること」でした。》(山口[2001:9])
【492】 橋本みさお[472]。《飛行機嫌いの私を、厳寒のデンマークへと引き寄せたのは、一九九九年冬の日の新聞記事でした。そこにはALS患者が、北欧を訪ねた体験談を寄せていたのです。/たしかに福祉先進国かも知れないし、夏の北欧の美しさは想像に難くありません。でもそこに、引用されていた医師の談話の「人工呼吸器は、神の意志に逆らう行為なので、呼吸器は付けない」には、不快感を禁じ得ませんでした。/私達の在宅介護支援は、誰彼なしに、呼吸器を付けて欲しいというつもりなど、毛頭ないのです。「生きたい人が生き、死にたい人が死ねる」といった環境が欲しいのです。/…/およそ国情の違いは、不公平の一言で済まされない、大きな悲しみを発生させるのです。日本には「告知」の壁がありますが、欧米にはそれはありません。日本には呼吸器の選択肢はあるのですが、多くの患者に呼吸器の選択肢は与えられないのです。
  ALS患者の介護を考える時、現実に呼吸器を装着して社会で暮らす人々がいて、その生活を支える家族がいる以上「呼吸器をつけて生命を永らえることは、神の御心に反する」の一文は承服できないのです。もしも、皆様が、学齢期の子を持つ、終末期のALS患者であったならば、親の介護を手伝う子等に「あなたの親が生きることは神が許さない」と言えるでしょうか。》(橋本[2000b:29])
【493】 《東の果てに生まれた私には、デンマークが、暗く淋しい国に感じましたし、漁師の娘としては、気風の良さもメリハリも感じません。/日本は良い国です。まぶしい太陽が、ただですし、取りあえず人は平等です。/今回の発表の後で、ベルギーの患者は、「自分の将来に希望が生まれた」と泣いていましたし、イギリスの医師は、今まで呼吸器はお金の無駄だと主張していましたが、今後は「呼吸器を勧めます。」と言いました。》(橋本[2000c])
【494】 《橋本・熊谷の発表の後、人工呼吸器を着けていないベルギーの患者が「呼吸器」を着けて生きることの意味を見つけることが出来た!」と感想を言って頂いた。その日までのいろいろな苦労を忘れさせる嬉しい感想でした。その後の会食の時に聞いたところによると、医師から「人工呼吸器を着けて生きてどうなるの?」と言われているとの事でした。》(熊谷・熊谷[2001:9])
【495】 《国際会議の二日目に橋本さんと熊谷さんの発表がありました。会議の初日より、呼吸器をつけた患者さんの初参加という事で注目を集めていたため、お二人の発表にも大変な注目がありました。…会議に出席されていた他の国の患者さんにはとても衝撃的だったようで、中でも台湾の女性の患者さんが、「自分には子供がいるのですが、これから病気と闘って生きていく事に大変勇気が持てました。自分が呼吸器をつけることになっても頑張っていきたいです」と、涙ながらにおっしゃっていたのがとても印象的で、意味のある参加だったと実感させていただきました。》(丹保[2001:33])★04
  二〇〇一年のサンフランシスコでの会議には呼吸器を付けた七人が参加した(『難病と在宅ケア』2002-1:4-6に写真と記事)。
【496】 山口衛[468]の募金要請の文書から。《昨年初めの毎日新聞の記事に見られるように、欧米のALS患者における尊厳死ONLYの風潮は、憂うべき現実です。/私は、日本の人工呼吸器装着者の国際会議参加によって、人間の真の尊厳とは何か? 尊厳死も人工呼吸器装着も選択肢の一つだと考えてもらえるように行動したいと考えてきました。ALSは決して死病ではないこと、生きる方法は存在していることを、つまり人工呼吸器を装着することによって、ほとんどの患者が人工呼吸器を装着せず死を選択して行く欧米の現状に一石を投じることが出来ればと考えています。何よりも私は、人工呼吸器装着を「神の意志に反した行為」などと言う人達に、私達の姿と活動を見せつけることで人工呼吸器装着の持つ可能性を理解させたいと思っています。/そして、このことに成功すれば、日本のALS関係者にとって何よりの励みになると同時に、厚生労働省を始めとする日本の社会のALS理解を深めるものと確信しています。/昨年は、三人の日本の人工呼吸器装着患者が始めて人工呼吸器をつけた患者として国際会議に参加し、その活躍ぶりを紹介して欧米の人たちのみならず会議の参加者全員に強いインパクトを与えることに成功しました。/今年は、私を含めて七人の日本の人工呼吸器装着患者が国際会議に参加して二〇〇五年の国際会議の日本開催を申し出る予定です。》(山口衛[2001a]。報告は山口[2001b]、旅行記に山口[2002])
  二〇〇二年のメルボルンでの会議には呼吸器を付けた人が四人参加。ただ医療関係者の会議という性格が強いこの会議で、発表は事務局会議、ポスターセッションの場に限られた(金沢[2003])。二〇〇三年はミラノで開催。橋本みさお[492]と舩後靖彦[239]が参加。舩後は二年続けての参加だった。
【497】 《二度目の参加をさせて頂きました。/その中で思いましたのは「なかなか患者自身がその活動を、発言するのは難しいという」と言う事です。実は、昨年の参加以来、会議の主体が介護者側にあると気がついた私は[…]テーマを「ピアサポート」とした発表意志を示しました。ところが、頂いた返事は残念ながら「却下」だったのです。[…]「過去三年間、日本に優先発表をさせたから」との事由を知りました。諦めきれなかった私は[…]再度のお願いを国際会議本部に致しました。結果[…]ショートスピーチの時間を頂ける約束を得ました。》(舩後[2004b:12-13])
  二分間のショートスピーチ、発表できなかった一〇分の発表の原稿を含むより詳しい報告は彼のホームページにある(舩後[2003])。専門職フォーラムに出席したら、(トータリィ・)ロックトインの状態(↓第12章)になったら呼吸器を外してくれと言われていた場合に外すべきかが論じられていた。《結局「私は日本の患者です。/私の呼吸器は体の一部です。/それを止めるのは自殺を意味します。/日本では考えられない事です」/とだけ発言致しました。これで精一杯でした。/結論!「文化の違い」で片付けられました。/お粗末様です。》(舩後[2003]。それ以前の国内での講演に舩後[2002b])
【498】 《日本から頑張って来た患者さんたちに一応の驚きと感動の声が聞かれたが、人工呼吸器を装着してまで遠路参加することに対して理解が出来ないという他国の協会員もいたのは事実》(川上[2003a:80])
  安楽死に反対する人たちは外国にはいないのかといえば、そんなことはない。そして反対者はカトリックなどの宗教的生命尊重主義者たちに限られるかと言えばそんなこともない。例えば米国には『まだ死んでない(Not Dead Yet)』(http://acils.com/NotDeadYet/)というホームページがあり、次のようなことが書いてある。《障害をもつアメリカ人は、あなた方の憐れみもいらないし、私たちを死に追いやる慈悲もいらない。私たちが欲しいのは自由だ。私たちが欲しいのは「生」だ。》。また探してみると、「反安楽死国際機動部隊(International Anti-Euthanasia Task Force)」(http://www.iaetf.org/)などという組織もあるらしい(私のホームページですこし紹介している)。
  こうした組織がどれほどの規模のものなのか、またどのくらいの影響力があるのか私は知らない。大きな組織だとは思えない。論文や書籍で紹介されているのを見たことはない(そんなわけで私は、二〇〇一年二月、NHK教育テレビ〈人間ゆうゆう〉の「安楽死法成立・あなたはどう考える」という回に呼んでもらった時、こうした組織のことを無理やり、短い時間に押し込んで話した)。ただ、生きたい人はどこにでもいるということだ。日本で生きているALSの人たち外国の会議に出かけていって、そのことを言ってきた。そして二〇〇六年の国際会議の横浜での開催が実現することになった。静山社の松岡祐子は開催のために三〇〇〇万円を寄付した(『JALSA』56:1)。この会議の時にまた、この国のALSの人たちは呼吸器を付けて生きることを言うだろう。
  こうしてこの国のALSの人たちははっきりと生きることを主張してきた。ただ同時に揺れてもいる。そしてALS協会はこの主題について主張の一致した人たちの集まりではない。組織を構成するのはALSの当人たちだけではない。家族がおり、遺族もいる。遺族の中には呼吸器を付けずに亡くなったのに立ち会った人がおり、付けないという本人の意志を受け入れた人もいる。
  そして生きる方に傾いている本人にしても、やはりこの病はきびしいという思いがある。呼吸器を付ければさらに状態は進んでいく。それでも生きることだけを言っていけるだろうかと思う。
  だから、やはり、「その人のことだから、その人に」、と言えばよいのではないかとも思える。ALSや他の病や障害の人たちが言い、行なってきたのも、一つには自らが知らされないままものごとが決められ、思い通りにならないことに対する抗議だった。それは本人の意志の尊重ということだ。となれば、やはりその人の選択ではないか。
  次の章ではそのことを考えてみる。選ぶことを全面的に否定しようというのではない。しかしそれを終着点にしてしまったら違うと私は考える。ALSの人たちが言ってきたことは、たしかに引用した[492]も[496]も自分で選ぶことだとも書かれているのだが、それで終わらないと思う。そのことを書く。その前に、ここまで何を見てきたか、書いてきたかを簡単にまとめておく。」
 *「【489】ALS協会九七年総会」は現在の版では「【489】ALS協会九五年総会」」と誤った記載がなされています。もうしわけありません。訂正いたします。


REV:20100918(頁分離), 19
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