川口 武久 1984/01/09
 「奈良にいるAさんの弟さんから、便りが届く。鳥取大学病院に入院中のAさんが、新しく開発されたパソコンレター作成機を使って、意志伝達のテストを開発された、という。
 手紙によると、新しい機械は、ワープロとパソコン、筋電計をセットしたようなものらしい。ひら仮名の五十音順が表示された画面を、タテ、ヨコ二本の細い帯(選定帯、カーソル)が上から下へ、左から右へと動く。それを見ながら、使いたい文字のところへきたとき、まばたきをしたり、あるいは奥歯を軽く噛んで合図する。すると、頬にはりつけてある電極が筋肉のかすなかな動きをとらえ、その文字が印字されて出てくるという。
 自分の意志が伝えられる。これほどの喜びがあろうか。特にAさんの場合は、六年間の”沈黙”がある。体の自由を奪われ、一言の意志表示もかなわなかった六年。それにひたすら耐え、ようやくにして”言葉”を取り戻そうとしておられる。Aさんの喜び、家族の方がたの感激はいかばかりだろう。
 ……」(川口[1985:228])

川口 武久 1984/01/27
 「名古屋の労災病院で、寝たきりの患者でも、身の回りのことができる機械が開発されたという。ベッドの上げ下ろしはもちろんのこと、テレビや電話までも、その機械に息を吹き込むだけで操作できるらしい。手足のきかいな人にも自活の道を開く、画期的なものといえるのではないか。
 ありがたい、これなら私にも使えると思ったが、この病いが進めば、肝心の息が吹き込めないことに気づき、現実に引き戻される。運動神経がすべて閉ざされてしまうのでは、話にならない。
 頭の機能だけは、最後まで残るという。それを活かしたものが開発されないものか。せめて意志だけでも、自由に伝えられる装置が作り出せないものだろうか。それは夢の夢なのか。」(川口[1985:236])

◆198604 土屋敏昭。「しゃべれない私たちにとって素晴らしいプレゼントがあった。それは病(p.91)院でワープロを買ってくれたのである。たったひとつ残念なことに、そのワープロはひとりでは操作できないという欠点があった。誰かにボタンを押してもらわなければならないのである。付き添いがいるのだから、そんなことはどうでもいいことだが、とにかく私たちには素晴らしい贈り物には違いなかった。/[…]たとえば、画面に五十音が全部出るから、その五十音の上をカーソルという四角い棒状の物が動く。「あ」を書きたいとき、まずカーソルが「あ行」にきたら目で合図を送る。すると付き添いがボタンを押す。」(土屋他[1998:91-92])

◆松本茂 1986
 「六一年一〇月には、すっかり言葉をなくしてしまった。私はこれまで書く方はさっぱり駄目で、もっぱら口に頼っていたので、言葉だけはと祈る思いだった。別れは何でもつらいが、言葉との別れは格別つらく、未練が残った。
 手足も駄目、そして言葉も駄目となると、自分の意思伝達ができない。万事休す。もはやこれまでかと、さすがにがっくりきた。
 そんなある日、本部の松岡事務局長から電話があり、スイッチ一つで文字を打てるパソコンがあると聞き、さっそく導入することにした。一〇〇万円も出せばすぐに使える立派なのがあるとのことだが、できるだけ経費節減といきたいので、いろいろ調べてみた。」(松本[1995:35])押しボタンスイッチ、ソフト、MSXパソコン、プリンター一式、一四万五千円で購入。

◆土屋 とおる 1992
 1991年2月発症 8月16日山梨県立中央病院神経内科入院
 1992年2月22日 「山梨大学の山下先生らの尽力により、意思伝達装置「パソパルPC」 が私たちのような病人にも送られてきた。早速使ってみる。打った文字が画面と音声になって出、ワープロと同じように印字もできる。口や手で意思の表示が出来ない私たちにとってこんないいものはないと、新しい世界が生まれてきたような気がする。」(p.182)
 土屋 とおる 19930111 『生きている 生きねばならぬ 生きられる』,静山社,198p. 1300

◆土居喜久子。文字盤を使っていたが、まばたきを使うワープロを使うようになる。「初期のころは、十分も打ちますと目は疲れ、腰は痛く、長続きするかしらと思いましたが、十五分、二十分と時間を延ばし、今でも急ぐことがあれば、七時間くらい通して打てます。[…]/ちなみに、紙一枚、約四百字打ちますのに二時間かかるというスローペースのワープロですが、少しでも私の心の思いが通じ、理解してもらえたらと願って打続けております。/ワープロは、私の命。心のままに活躍してくれるのが不思議です。」(土居・土居[1998:49])  「文字盤では表現しえないことばの数々、文字に表わして感謝とお礼のことばを打てた日の喜びは、今も脳裏から離れません。」(本田昌義への手紙より、土居・土居[1998:51])
◆「退院後一年ほどして瞼の動きで操作できるワープロを入手して、受動的な生活から脱することのできた喜びはこたえようもなかった。」(東御建田[1998:2-3])

◆山口 自分の声による発声

 「最後に意思伝達装置についてお話しします。意思伝達装置というのは世の中にたくさんあり、こんな声が出ます。(装置の音声)「これは新しい音声合成システムです」私は声が出なくなっても、こんな声で意志を伝えたくない。自分の声で伝えたい、と思っているのです。ALSに罹って間もないまだ元気な頃に、自分の声をたくさん録音しておけば話せるんじゃないかと試したものです。これは電話を想定して収録した声です。(山口氏の声)「もしもし、山口です。お元気そうですね..。」ところがこんな語句は数限りなくあるわけです。話せなくなった時のための言葉の全てを、今思い浮かべることなんてできない。あいうえお、をそのまま録音しておけばいいと思われる方もいるかもしれませんが、するとこんな声になるのです。「お・は・よ・う (<語句の間が間延びしている)」これは確かに私の「声」ですけど、私の「言葉」じゃないですよね。
 そんなとき、ニック・キャンベルさんという方にお会いしました。日本で「チャター」という音声合成システムを研究されています。パソコンで文字を入力すると、チャターが私の言葉で話してくれると言うものです。日本語は50音だけでなく、一万何千という音があるそうです。それらの音を合成するシステムです。これは黒柳徹子さんの文章です。彼女の朗読テープから音を拾って声を合成したものを、黒柳さんに送付したところ、返事がきました。チャターを使ってこの手紙を読むとこうなります。(黒柳徹子の声)「私の声のテープを聴かせてもらいました。声、息の抜き方、息の切り方もよく似ています。」もう一人慶応大学のSFCにおられる飯田さんという方を紹介しますが、この方はニック・キャンベルさんのシステムにさらに感情という要素を加えようと研究されている方です。同じ文章を悲しい声、喜んだ声、怒った声に分けて伝えようとされています。
 私はぜひ両氏の研究に関わりたいと、強く申し出ました。そうしたら私の声で合成してくれることになったのです。まず声のデータをとる必要がありました。両氏と共に、九州芸術工科大学の立派な無響室を使わせていただきました。全ての音片(おんぺん)を含む文章を録音していきました。(音声のデータ収録風景の映像)そして、つい一週間ほど前に私の声の音声合成システムができました。私の声に似ているかどうか聞いてみて下さい。(チャターの声)「私もいつかは声が出なくなり、意思伝達装置が必要になります。その時にあの無機質な声ではなくて、自分が元気な頃の声で話せたらどんなによいか、と考えました。...」まだまだ改良する必要がありますが、このチャターがあれば声を失った後も、今日のような講演ができるのです。将来に非常に希望を与えてくれる装置です。」★
★ 2001/01/27 「自分の声で生きたい。──ALS患者の挑戦」 RKB毎日放送『電撃黒潮隊』(JNN系2001年1月27日放送)http://www.fsinet.or.jp/~makosanz/index.htm

■制度

◆1990年度
 意志伝達装置の支給始まる
 「これは日常生活用具として支給する形なので、行政の末端では従来の観念から、在宅の患者さんだけにしか支給できないと考えているところがあるようですが、この機器は入院患者さんにも支給してさしつえないと厚生省は明言していますので、皆さんぜひ申請していただきたいと思います。
 もし入院患者には支給できないというところがあったら、事務局にご連絡ください。支給してもらえるよう働きかけていきます。」
 『JALSA』022号(1991/07/08):07

 「平成二年度の一番大きな成果は、意思伝達装置(コミュニケーション機器)が日常生活用具として給付されるようになったことだと思います。
 […]まだ実施されていない府県もあるようですが、東北六県、千葉、福井、岡山、宮崎などではもう実施され、入院患者にも何台も支給されています。またALS以外の方にも支給され、喜んでくださっています。」
 平成三年度総会 会長挨拶
 『JALSA』022号(1991/07/08):04




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「伝の心」
http://www.hke.co.jp/products/dennosin/denindex.htm


◆1997/12/  「伝の心」(日立製作所)発売
◆1998/08/26 日立製作所、ALS患者向けの意志伝達装置『伝の心』の機能強化を発表
 ASCII24 1998/08/26
 http://ascii24.com/news/i/serv/article/1999/08/26/604089-000.html
◆2000?   バージョンアップ
 『JALSA』49:19-21
◆2000/07/  インターネット接続を標準機能に組込んだ「伝の心」(日立製作所)発売

 「何故この伝達装置に取り組んだかと申しますと、日立製作所の社員がALSに罹りました。…二番目の要因として、北里病院東病院から共同研究の提案がありまして、私共の関係ですとALSの患者さんとの接触は余りありませんので、こういう提案があったというのは非常にラッキーだったと思います。三番目の要因として、お金が取れたということです。財団法人のテクノエイド協会という厚生省の外郭団体ですが、そこから平成六年度、七年度、合計二千万円の補助金が取れたということで、この三つが重なりまして「伝の心」の開発に至ったということです。」(p.26)
 小澤邦昭「「伝の心」について」『JALSA』044号(1998/07/28):26-29
 (平成10年度日本ALS協会総会・特別講演)



◆1998/08/26 日立製作所、ALS患者向けの意志伝達装置『伝の心』の機能強化を発表
ASCII24 1998/08/26
http://ascii24.com/news/i/serv/article/1999/08/26/604089-000.html
「(株)日立製作所は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者に向けた意志伝達装置『伝の心(でんのしん)』を機能強化して、10月1日に発売する。ALSは、脊髄の運動神経が冒されて徐々に全身の運動機能が低下する難病で、宇宙物理学者のホーキング博士もこの病に侵されている。日立製作所の社員がこの病気にかかったのを契機に'97年に『伝の心』を開発したことは、以前にもこのサイトで紹介したことがある。

意志伝達装置『伝の心』

同製品は、体のごくわずかな動きをセンサーで感知し、その信号をパソコンに送ることでさまざまな機器の制御を可能にするものである。今回の機能強化のポイントは、以下の2点。
まず1つめは、迅速なコミュニケーションを可能にしたこと。これまでの製品のように画面上の文字を1つ1つ選択して文章を作るのではなく、用意された日常会話文や自分で登録した文章から、素早く文章を作成できるように改善された。2つめは、利用できる周辺機器を増やしたこと。前製品では、テレビのリモコンが利用できるだけだったが、今回の機能強化で、コントロールできる周辺機器が拡張された。患者は、さまざまな周辺機器を接続して、本を読んだり、ゲームをしたり、金魚に餌をやったりすることが可能になった。

『伝の心』で利用できるページめくり機『りーだぶる』

こうした拡張は、“学習リモコン”の開発によって可能になった。家電用リモコンのセンサーの赤外線コード(機器操作の情報)を学習リモコンに記憶させることで、家電製品がリモコン操作で利用できる。現在利用できる周辺機器は、ページめくり機『りーだぶる』、金魚などの自動給餌『魚・ぎょっ』(ともにダブル技研(株)製)、リモコンビデオカメラ(キャノン販売(株)製)など。

説明をする小澤邦昭情報機器アクセシビリティ事業推進室長

発表会で同社の情報・通信グループ新事業推進センタ、情報機器アクセシビリティ事業推進室長である小澤邦昭氏は、「既に約300人に利用されている『伝の心』だが、音楽を聞いたり本を読んだりしたい、という患者さんの声を聞いて更なる改良を考えた。」と語った。また、今後はインターネットなども利用できるように更に改良を加えたいという。
挨拶に立った日本ALS協会副会長兼事務局長の熊本雄治氏は、「ALSでは、患者は自分で出来ることがどんどん少なくなっていく。少しでも自分自身でできることが増えるのは、患者にとって大きなプラスになる。」と同製品への期待を述べた。
『伝の心』は、ソフトウェア『伝の心』がインストールされたノートパソコン(またはデスクトップパソコン)、磁気センサーなどの入力装置、プリンタ、モデム、学習リモコンで構成される。対応OSはWindows95/98で、価格は50万円。この価格は、厚生省の設定する日常生活用具の購入補助限度額が50万円であることを配慮して設定された。したがって、購入する際には、原則として患者には負担がかからない。
日立製作所『伝の心』紹介ページ (http://www.hitachi.co.jp./Int/skk/kai_de...)
【関連記事】眼球以外まったくなにも動かせなくなる人も出るALS患者の支えに----日立製作所の活動 (http://www.ascii.co.jp/ascii24/call.cgi?...) 」
(編集部 堀田ハルナ)

中島孝 2001「実用モデル『愛言葉』の誕生―視線入力意思伝達装置の科学と哲学―」『難病と在宅ケア』(7)7 pp.15-19

眼球運動は随意運動としても利用可能で、視線自体をコンピュータのマウスポインタとして使い、ディスプレイ上の文字盤やメニューバーを固視するとその文字が選ばれたり、機能が動作するように使うことが可能です。(p.17)
視線入力意思伝達装置の名称「愛言葉」は、メーカーや関係者が知恵をしぼり、患者さんと密接なコミュニケーションができることを願って、「合い言葉」という意味を掛けて命名されています。(p.17)
この装置は視線入力により、ワープロと定型句での文章入力や読み上げをWindows98パソコンで行うことを中心に構成し、電子メール機能やインターネットを見ることも可能にしました。テレビ、赤外線リモコンで操作可能な環境制御などにも対応しています。コンセプトモデルではあらゆるWindowsアプリケーションソフトを視線で操作できるように作りましたが、実際の人の固視微動の振幅は大きいため、メニューバーが小さなものは使いづらく、実用モデルでは文字盤とメニューは大きく組んだ専用のアプリケーションソフトを作成しました。Windowsパソコン上ですので、かな漢字変換はWindowsのものが使え、ユーザー辞書も使えます。また、ネットワークの接続は大変容易で、LAN、電話、ISDN,PHS,ケーブルネットワーク、無線LANなどあらゆる通信回線に対応可能です。テレビに接続することができ、画面でテレビを見たり、音声やチャンネルを替えたり、ワープロに切り替えたりすることをすべての視線で操作可能です。画面は両眼のディスプレイのため、実用モデルでは立体映像には対応していませんが、基本設計上、映像回路は2系統内臓されており、仮想現実映像などの立体映像を今後、映し出せるような仕組みも引き継がれています。(p.18)

鈴木善晴 2001 「『伝の心』で読書」『難病と在宅ケア』(7)7 pp.21-23

病院で呼吸器装着後一番困ったことは、やはり、夫とのコミュニケーションの問題でした。わかっていたことでしたが、気管切開後すぐに、夫が私に話し掛けようとして声が出なかった時に、本当に辛くてパニックになってしまったことがありました。〜中略〜もともと仕事でいつもワープロを使っていた夫はすぐにマスターして、それ以来「伝の心」は夫にとって大事なパートナーとなったのです。それと同時に介護者である私や夫の母も「言いたいことをわかってあげられる」と喜びました。その後、申請をして市から「伝の心」を給付していただきました。「伝の心」の操作にも慣れた夫は、在宅療養スタート後、「伝の心」の画面で「本が読みたいんだけど、どうしたらいいかな?」と私に言いました。〜中略〜それは本をスキャナーでパソコンに取り込み、フロッピー・ディスクに保存して、そのフロッピー・ディスクを「伝の心」で開いて読書するという方法です。〜中略〜夫によると、「伝の心」の読書はフロッピーディスクさえあれば好きな時間に好きなだけ、場所を選ばずに読書ができるところが良いそうです。文字の大きさも自分の目に合わせられるのが助かるということでした。

上岡清治 2002 「意思伝達が出来てこその在宅療養」『難病と在宅ケア』(8)8 pp.20-21

病院には意思伝達装置はなく、文字盤を使ってコミュニケーションが行われた。「文字盤で自分の意思を汲み取ってくれる看護師は1つの病院に2、3人くらいしかいないのが現状。私の場合、ベテランの看護師より若手の人がやってくれることが多かった。会話が出来ると思うと、シフトが変わってしまったり…。もちろん医療スタッフも最善を尽くしてくれていると思うが。」上岡さんにとって、病院より在宅の方が精神的な安定を得られるようであるが、それと同時に、受け身にならざる得ない文字盤よりも、自ら入力できるパソパルは人間らしく意志を表現するための最後の砦としてのツールであるらしい。今や、話をすることも、文字で書くこともままならない上岡さんの気持ちがここまで理解できるのも、このツールのおかげである。(p.20)

小澤邦昭 2002 「意志伝達装置「伝の心」を世に出すまで」『難病と在宅ケア』(8)8 pp.22-25

重度障害者用意思伝達装置の開発の歴史を述べた文献によれば、わが国では1970年代から研究開発が始まり、1985年4月時点で市販されていた製品は次の通りであった。フレンド社が開発・販売した「フレンドワード」、鳥取大学医学部で研究され三菱電機から製品化された「パソコンレター」、兵庫県リハビリテーションセンターで研究開発されパシフィックサプライから販売された「P−WORD」である。これらの製品の中ではフレンド社の製品が「現在わが国で最も普及している」と紹介されている。これらの製品は現在販売はされていないが、「P−WORD」は「漢字Pワード」に発展して、日本IBMのフリーソフトとなっている。現在市販されている製品は、ナムコの「パソパソマルチ」、広島情報シンフォニーの「トーキングパートナー」、ライベックスの「トーキングノート」などであり、「伝の心」はこれらの製品に遅れて1997年12月に市場に出た。

照川貞喜 2004 「一つの補助電気と応急処置あれこれ」『難病と在宅ケア』(9)12 pp.30-31

在宅療養になって停電になると「いつ復旧するか?」と思うのが最大の関心事です。すぐに電力会社に問い合わせようとしたら、電話もデジタルのためにかからず無念の涙を飲んだことがあります。その後、古いダイヤル式の黒い電話機は、磁石方式なので停電でも使える、とのことで、NTTに返納せずに冷遇されていたのに、長時間の停電のときは、茶の間でどっかりと存在価値を示しています。今は携帯電話があります。と言われそうですが、私方にもありますが、小さいものですから置き忘れもあるが、なによりも南は海、後の三方は山という自然の要塞のような地形の電波の不安もあるので、ダイヤル電話機はここ一番の信頼はあります。このように[古い奴]に助けられて生活しています。(pp.30-31)




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◆小西 哲郎(国立宇多野病院副院長) 20000501 「筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者のコミュニケーションについて」『難病と在宅ケア』06-02(2000-05):33-37