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ALS・と・コミュニケーション



■スピーキングバルブ/小型コンプレッサー(スピーキングコップレッション)
■文字盤・他
■意志伝達装置
■「伝の心」
■脳波スイッチ/脳血流スイッチ
■歴史
■立岩真也『ALS――不動の身体と息する機械』より
 第9章「その先を生きること1」6「送信」全文

情報・コミュニケーション/と障害者(別ファイル)

川口 有美子 2007/09/30 「ALS患者と共に考えるコミュニケーションの質」,日本質的心理学会第4回大会自主シンポジウム 於:奈良女子大学
松原 洋子 2007/09/30 「ALS-ITプロジェクトの概要」,日本質的心理学会第4回大会自主シンポジウム 於:奈良女子大学
◆日高 友郎・水月 昭道・サトウ タツヤ松原 洋子 2007/10/26 「ITによるALS患者のコミュニケーション・サポートの場の分析」,『立命館人間科学研究』15:25-38(立命館大学人間科学研究所)
松原 洋子・水月 唱道・日高 友郎・サトウ タツヤ 2007/10/26 「インターネットを利用したALS患者集会の試み」,『立命館人間科学研究』15:141-156(立命館大学人間科学研究所)
◆日高 友郎・水月 昭道 2007/11/20 「神経難病患者が主導するATの普及活動――ALS患者の技術ピアサポート」
 科学技術社会論学会第6回大会ワークショップ「病気や障害をもつ身体を介した技術知と生の技法」 於:東京工業大学

スピーキングバルブ/小型コンプレッサー(スピーキングコップレッション)


◆スピーキングバルブ
 →吉田 雅志のホームページ
 http://www2.snowman.ne.jp/~masasi/speak.htm

鎌田 竹司さん(宮城県)のホームページより
 http://www.isn.ne.jp/~kamata/

 「私は,小型コンプレッサー(スピーキングコップレッション)を使って声を出しています。平成7年日本ALS協会総会の時千葉支部のALS患者水野さんが呼吸器を付けていたがスピーキングコップレッションを使い肉声で話をしているのを見て私も気管切開の時は、これを付けようと思っていました。気管切開35日後にスピーキングコップレッションを導入し肉声を取り戻し現在は声は低いが日常会話が出来ています。
 スピーキングコップレッションを使い発声するには、気管カニューレの問題もあります。「ポーカレイド」を使用します。これはカフの上に開口部のある細い管があります。ここからスピーキングコップレッションで空気を入れると空気が声帯を通りますので話ができるわけです。
 このポーカレイド・カニューレはかなり嚥下困難が強くても食事が口から食べられることです。つまり、カフを十分膨らましておくと、口から摂ったものが気管の方に誤嚥されても吸引できるからです。ポーカレイドは、発声によし、嚥下によし、また喉頭洗浄が可能と、利点があります。
 スピーキングコップレッションで出来ることうがい空気が送れられているのでガラガラと気持ちよくうがいが出来ます。 食事ですが、気管切開後1年ですが普通に食べています。
 時々家族で外食にも行きます。
 気管切開手術の次の日より普通食にしていただきました。はじめは喉にカニューレがあるのでとても違和感があり飲み込むとき苦労しましたが10日もするともう何でも食べられるようになりました。とろろそばが一番良かったように思います。
 お酒も少し頂きますが、ストローのせいか酔いが回るがとても早いです。」(鎌田)

◆若生 良一(兵庫県伊丹市) 2003- 『励まされ 支えられ 私は今』http://hccweb.bai.ne.jp/~hce19001/
 (手術から)「3日目、手術後初めてのカニューレ交換。主治医、耳鼻咽喉科の先生のお計らいでスピーキングカニューレに挑戦はしたものの、私には合いませんでした。残念な気持ちもあったが、痛み、苦しさ、えずきの激しさには勝てなかった。主治医のU先生、耳鼻咽喉科のO先生はしばらく様子を診て下さっていましたが、私の意志で諦めた」
 「気管切開後、意思伝達用パソコンはあっても自分の意思を文章で表現するのが難しく、スピーキングバルブにも挑戦しました。」
 「スピーキングバルブにも挑戦しましたがカニューレのカフのエアーを減らすと微かに声が漏れ意思を伝えることが出来ます。」


文字盤・他


◆山口進一
 橋本みさおについて。「この方はコンピュータも使えますが、通訳の方法がすごいのです。橋本さんが母音の形に口を開くと、通訳の方がその子音を発音し、目的の言葉がでたところで瞬きをするのです。電話をかける時の様子の映像をお見せします。(映像)ゆっくり話すひとだったらこの人にはかなわないほど、ものすごく早く話します。」
意志伝達装置

川口 武久 1984/01/09
 「奈良にいるAさんの弟さんから、便りが届く。鳥取大学病院に入院中のAさんが、新しく開発されたパソコンレター作成機を使って、意志伝達のテストを開発された、という。
 手紙によると、新しい機械は、ワープロとパソコン、筋電計をセットしたようなものらしい。ひら仮名の五十音順が表示された画面を、タテ、ヨコ二本の細い帯(選定帯、カーソル)が上から下へ、左から右へと動く。それを見ながら、使いたい文字のところへきたとき、まばたきをしたり、あるいは奥歯を軽く噛んで合図する。すると、頬にはりつけてある電極が筋肉のかすなかな動きをとらえ、その文字が印字されて出てくるという。
 自分の意志が伝えられる。これほどの喜びがあろうか。特にAさんの場合は、六年間の”沈黙”がある。体の自由を奪われ、一言の意志表示もかなわなかった六年。それにひたすら耐え、ようやくにして”言葉”を取り戻そうとしておられる。Aさんの喜び、家族の方がたの感激はいかばかりだろう。
 ……」(川口[1985:228])

川口 武久 1984/01/27
 「名古屋の労災病院で、寝たきりの患者でも、身の回りのことができる機械が開発されたという。ベッドの上げ下ろしはもちろんのこと、テレビや電話までも、その機械に息を吹き込むだけで操作できるらしい。手足のきかいな人にも自活の道を開く、画期的なものといえるのではないか。
 ありがたい、これなら私にも使えると思ったが、この病いが進めば、肝心の息が吹き込めないことに気づき、現実に引き戻される。運動神経がすべて閉ざされてしまうのでは、話にならない。
 頭の機能だけは、最後まで残るという。それを活かしたものが開発されないものか。せめて意志だけでも、自由に伝えられる装置が作り出せないものだろうか。それは夢の夢なのか。」(川口[1985:236])

◆198604 土屋敏昭。「しゃべれない私たちにとって素晴らしいプレゼントがあった。それは病(p.91)院でワープロを買ってくれたのである。たったひとつ残念なことに、そのワープロはひとりでは操作できないという欠点があった。誰かにボタンを押してもらわなければならないのである。付き添いがいるのだから、そんなことはどうでもいいことだが、とにかく私たちには素晴らしい贈り物には違いなかった。/[…]たとえば、画面に五十音が全部出るから、その五十音の上をカーソルという四角い棒状の物が動く。「あ」を書きたいとき、まずカーソルが「あ行」にきたら目で合図を送る。すると付き添いがボタンを押す。」(土屋他[1998:91-92])

◆松本茂 1986
 「六一年一〇月には、すっかり言葉をなくしてしまった。私はこれまで書く方はさっぱり駄目で、もっぱら口に頼っていたので、言葉だけはと祈る思いだった。別れは何でもつらいが、言葉との別れは格別つらく、未練が残った。
 手足も駄目、そして言葉も駄目となると、自分の意思伝達ができない。万事休す。もはやこれまでかと、さすがにがっくりきた。
 そんなある日、本部の松岡事務局長から電話があり、スイッチ一つで文字を打てるパソコンがあると聞き、さっそく導入することにした。一〇〇万円も出せばすぐに使える立派なのがあるとのことだが、できるだけ経費節減といきたいので、いろいろ調べてみた。」(松本[1995:35])押しボタンスイッチ、ソフト、MSXパソコン、プリンター一式、一四万五千円で購入。

◆土屋 とおる 1992
 1991年2月発症 8月16日山梨県立中央病院神経内科入院
 1992年2月22日 「山梨大学の山下先生らの尽力により、意思伝達装置「パソパルPC」 が私たちのような病人にも送られてきた。早速使ってみる。打った文字が画面と音声になって出、ワープロと同じように印字もできる。口や手で意思の表示が出来ない私たちにとってこんないいものはないと、新しい世界が生まれてきたような気がする。」(p.182)
 土屋 とおる 19930111 『生きている 生きねばならぬ 生きられる』,静山社,198p. 1300

◆土居喜久子。文字盤を使っていたが、まばたきを使うワープロを使うようになる。「初期のころは、十分も打ちますと目は疲れ、腰は痛く、長続きするかしらと思いましたが、十五分、二十分と時間を延ばし、今でも急ぐことがあれば、七時間くらい通して打てます。[…]/ちなみに、紙一枚、約四百字打ちますのに二時間かかるというスローペースのワープロですが、少しでも私の心の思いが通じ、理解してもらえたらと願って打続けております。/ワープロは、私の命。心のままに活躍してくれるのが不思議です。」(土居・土居[1998:49])  「文字盤では表現しえないことばの数々、文字に表わして感謝とお礼のことばを打てた日の喜びは、今も脳裏から離れません。」(本田昌義への手紙より、土居・土居[1998:51])
◆「退院後一年ほどして瞼の動きで操作できるワープロを入手して、受動的な生活から脱することのできた喜びはこたえようもなかった。」(東御建田[1998:2-3])

◆山口 自分の声による発声

 「最後に意思伝達装置についてお話しします。意思伝達装置というのは世の中にたくさんあり、こんな声が出ます。(装置の音声)「これは新しい音声合成システムです」私は声が出なくなっても、こんな声で意志を伝えたくない。自分の声で伝えたい、と思っているのです。ALSに罹って間もないまだ元気な頃に、自分の声をたくさん録音しておけば話せるんじゃないかと試したものです。これは電話を想定して収録した声です。(山口氏の声)「もしもし、山口です。お元気そうですね..。」ところがこんな語句は数限りなくあるわけです。話せなくなった時のための言葉の全てを、今思い浮かべることなんてできない。あいうえお、をそのまま録音しておけばいいと思われる方もいるかもしれませんが、するとこんな声になるのです。「お・は・よ・う (<語句の間が間延びしている)」これは確かに私の「声」ですけど、私の「言葉」じゃないですよね。
 そんなとき、ニック・キャンベルさんという方にお会いしました。日本で「チャター」という音声合成システムを研究されています。パソコンで文字を入力すると、チャターが私の言葉で話してくれると言うものです。日本語は50音だけでなく、一万何千という音があるそうです。それらの音を合成するシステムです。これは黒柳徹子さんの文章です。彼女の朗読テープから音を拾って声を合成したものを、黒柳さんに送付したところ、返事がきました。チャターを使ってこの手紙を読むとこうなります。(黒柳徹子の声)「私の声のテープを聴かせてもらいました。声、息の抜き方、息の切り方もよく似ています。」もう一人慶応大学のSFCにおられる飯田さんという方を紹介しますが、この方はニック・キャンベルさんのシステムにさらに感情という要素を加えようと研究されている方です。同じ文章を悲しい声、喜んだ声、怒った声に分けて伝えようとされています。
 私はぜひ両氏の研究に関わりたいと、強く申し出ました。そうしたら私の声で合成してくれることになったのです。まず声のデータをとる必要がありました。両氏と共に、九州芸術工科大学の立派な無響室を使わせていただきました。全ての音片(おんぺん)を含む文章を録音していきました。(音声のデータ収録風景の映像)そして、つい一週間ほど前に私の声の音声合成システムができました。私の声に似ているかどうか聞いてみて下さい。(チャターの声)「私もいつかは声が出なくなり、意思伝達装置が必要になります。その時にあの無機質な声ではなくて、自分が元気な頃の声で話せたらどんなによいか、と考えました。...」まだまだ改良する必要がありますが、このチャターがあれば声を失った後も、今日のような講演ができるのです。将来に非常に希望を与えてくれる装置です。」★
★ 2001/01/27 「自分の声で生きたい。──ALS患者の挑戦」 RKB毎日放送『電撃黒潮隊』(JNN系2001年1月27日放送)http://www.fsinet.or.jp/~makosanz/index.htm

■制度

◆1990年度
 意志伝達装置の支給始まる
 「これは日常生活用具として支給する形なので、行政の末端では従来の観念から、在宅の患者さんだけにしか支給できないと考えているところがあるようですが、この機器は入院患者さんにも支給してさしつえないと厚生省は明言していますので、皆さんぜひ申請していただきたいと思います。
 もし入院患者には支給できないというところがあったら、事務局にご連絡ください。支給してもらえるよう働きかけていきます。」
 『JALSA』022号(1991/07/08):07

 「平成二年度の一番大きな成果は、意思伝達装置(コミュニケーション機器)が日常生活用具として給付されるようになったことだと思います。
 […]まだ実施されていない府県もあるようですが、東北六県、千葉、福井、岡山、宮崎などではもう実施され、入院患者にも何台も支給されています。またALS以外の方にも支給され、喜んでくださっています。」
 平成三年度総会 会長挨拶
 『JALSA』022号(1991/07/08):04


 
 
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「伝の心」
http://www.hke.co.jp/products/dennosin/denindex.htm


◆1997/12/  「伝の心」(日立製作所)発売
◆1998/08/26 日立製作所、ALS患者向けの意志伝達装置『伝の心』の機能強化を発表
 ASCII24 1998/08/26
 http://ascii24.com/news/i/serv/article/1999/08/26/604089-000.html
◆2000?   バージョンアップ
 『JALSA』49:19-21
◆2000/07/  インターネット接続を標準機能に組込んだ「伝の心」(日立製作所)発売

 「何故この伝達装置に取り組んだかと申しますと、日立製作所の社員がALSに罹りました。…二番目の要因として、北里病院東病院から共同研究の提案がありまして、私共の関係ですとALSの患者さんとの接触は余りありませんので、こういう提案があったというのは非常にラッキーだったと思います。三番目の要因として、お金が取れたということです。財団法人のテクノエイド協会という厚生省の外郭団体ですが、そこから平成六年度、七年度、合計二千万円の補助金が取れたということで、この三つが重なりまして「伝の心」の開発に至ったということです。」(p.26)
 小澤邦昭「「伝の心」について」『JALSA』044号(1998/07/28):26-29
 (平成10年度日本ALS協会総会・特別講演)

 

◆1998/08/26 日立製作所、ALS患者向けの意志伝達装置『伝の心』の機能強化を発表
 ASCII24 1998/08/26
 http://ascii24.com/news/i/serv/article/1999/08/26/604089-000.html
 「(株)日立製作所は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者に向けた意志伝達装置『伝の心(でんのしん)』を機能強化して、10月1日に発売する。ALSは、脊髄の運動神経が冒されて徐々に全身の運動機能が低下する難病で、宇宙物理学者のホーキング博士もこの病に侵されている。日立製作所の社員がこの病気にかかったのを契機に'97年に『伝の心』を開発したことは、以前にもこのサイトで紹介したことがある。

意志伝達装置『伝の心』

 同製品は、体のごくわずかな動きをセンサーで感知し、その信号をパソコンに送ることでさまざまな機器の制御を可能にするものである。今回の機能強化のポイントは、以下の2点。
 まず1つめは、迅速なコミュニケーションを可能にしたこと。これまでの製品のように画面上の文字を1つ1つ選択して文章を作るのではなく、用意された日常会話文や自分で登録した文章から、素早く文章を作成できるように改善された。2つめは、利用できる周辺機器を増やしたこと。前製品では、テレビのリモコンが利用できるだけだったが、今回の機能強化で、コントロールできる周辺機器が拡張された。患者は、さまざまな周辺機器を接続して、本を読んだり、ゲームをしたり、金魚に餌をやったりすることが可能になった。

『伝の心』で利用できるページめくり機『りーだぶる』

 こうした拡張は、“学習リモコン”の開発によって可能になった。家電用リモコンのセンサーの赤外線コード(機器操作の情報)を学習リモコンに記憶させることで、家電製品がリモコン操作で利用できる。現在利用できる周辺機器は、ページめくり機『りーだぶる』、金魚などの自動給餌『魚・ぎょっ』(ともにダブル技研(株)製)、リモコンビデオカメラ(キャノン販売(株)製)など。

説明をする小澤邦昭情報機器アクセシビリティ事業推進室長

 発表会で同社の情報・通信グループ新事業推進センタ、情報機器アクセシビリティ事業推進室長である小澤邦昭氏は、「既に約300人に利用されている『伝の心』だが、音楽を聞いたり本を読んだりしたい、という患者さんの声を聞いて更なる改良を考えた。」と語った。また、今後はインターネットなども利用できるように更に改良を加えたいという。
 挨拶に立った日本ALS協会副会長兼事務局長の熊本雄治氏は、「ALSでは、患者は自分で出来ることがどんどん少なくなっていく。少しでも自分自身でできることが増えるのは、患者にとって大きなプラスになる。」と同製品への期待を述べた。
 『伝の心』は、ソフトウェア『伝の心』がインストールされたノートパソコン(またはデスクトップパソコン)、磁気センサーなどの入力装置、プリンタ、モデム、学習リモコンで構成される。対応OSはWindows95/98で、価格は50万円。この価格は、厚生省の設定する日常生活用具の購入補助限度額が50万円であることを配慮して設定された。したがって、購入する際には、原則として患者には負担がかからない。
 日立製作所『伝の心』紹介ページ (http://www.hitachi.co.jp./Int/skk/kai_de...)
 【関連記事】眼球以外まったくなにも動かせなくなる人も出るALS患者の支えに----日立製作所の活動 (http://www.ascii.co.jp/ascii24/call.cgi?...) 」
(編集部 堀田ハルナ)

 
 
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脳血流スイッチ/脳波スイッチ


 「脳血流スイッチ基本技術とは  暗算をしたり、手を握ろうとすることにより(実際には手が動かなくても)、脳血流量が増える──この事実に着目して、日立製作所はALS患者さんを対象に「脳血流スイッチ」の実用化を国の開発事業の中で進めています。日本ALS協会にもご協力をいただいています。
 「脳血流スイッチ」の基本技術は、赤外線を頭部から照射してその反射光を測定するものです。脳血流量が増えると近赤外線が吸収されて反射光の量が減ります。問いかけに対して患者さんが意図的に脳血流量を増やせば、反射光の量が減るので、この場合に「YES」と回答したとみなします。脳血流量が増えなければ「No」と回答したとみなします。」(小澤邦昭さんから照川貞喜さんへのEメイル)
 照川貞喜(てるかわ・さだよし) 20010601 「ALSに希望のスイッチ!」
 『難病と在宅ケア』07-03(2001-06):61

島崎八重子 20040101 「「脳血流テスト」に参加します」(紗羅双樹の花の色・79)
 『難病と在宅ケア』09-10(2004-01):69 [B]

◆2000/08/16
 「介護・福祉機器[コミュニケーション機器] 事例・体験談」より
 よみがえった会話:仙台市・和川さん
 「NHKニュース10」が、仙台の和川さんを紹介!
 http://www.technosj.co.jp/fukusi/mctos/jirei.htm
 cf.和川 次男

◆2001/05/01 NHKテレビ・ニュース10
 「脳血流スイッチ基本技術」と「マクトス(脳波スイッチ)」の紹介

◆2001/08/18土 21:00〜21:50 NHK総合【903857】
 NHKスペシャル「“いのち”の言葉〜あるALS患者・脳からのメッセージ」

◆MCTOS
 兵庫県姫路市の福祉機器メーカー「テクノスジャパン」が発売を開始した意志伝達装置「マクトス」。和川次男(仙台市)が使っている。
 「ベッドに横たわり、装置のベルト部分を顎に巻きつけた次男さんは、はつみさんやヘルパー、訪問看護婦が50音順に読み上げる単語に時々反応する。その極めて弱い脳波(ベータ波)が電気信号に変換されてブザーが鳴り、次男さんが反応した単語をつないで家族が言葉にする。/次男さんの病状が進んでからは、コミュニケーションが全くできなかった。はつみさんは「この装置のおかげで夫の希望に添った納得できるケアが可能になった。効率的なのでレスバイト(介護人の負担減)にもつながっている」と話す。」


◆「大島さんの壮絶な奮闘体験記を読む
 容子さんは大学病院よりある本を借りて来て、私も読ませていただきました。男性の介護では藤沢の大島さんの壮絶な奮闘体験記が目にとまり、奥様がALS発病、当時はお手紙も頂きました(書道の先生)。進行が加速、現在では医師伝達は脳波のマクトスをご使用です(テレビ出演の際視聴しました)。」(46)*
島崎八重子 20030401 「ディーサービスに出掛けました」(紗羅双樹の花の色・70)
 『難病と在宅ケア』09-01(2003-04):46-47


 
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◆<福祉機器情報>リーディングエイド
 『JALSA』021:32(1991/04/28) ナムコ



◆小西 哲郎(国立宇多野病院副院長) 20000501 「筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者のコミュニケーションについて」『難病と在宅ケア』06-02(2000-05):33-37

◆こころWebの環境制御装置関係のページ
 http://it.jeita.or.jp/jhistory/document/kokoroweb/chap19/kkr19p1.html
◆(有)アルファテック *
 http://www.a-paso.com
 (「私達の会社では、カスタムメイドのDOS/Vパソコンを製造販売しております。またALSをはじめとする難病の方や身体障害者の方を対象に、ITと電子回路技術を組合わせて、コミュニケーションや生活環境の改善に貢献させて頂いております」HPより)

 
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■歴史

[◇]七五年五月にALSの母がいる鈴木千秋が医師から聞いた言葉。[209]にも引用。「口、手足から体全体が動かなくなるのを待つばかりだが、頭と眼の機能だけは残るから、壁に大きな文字を貼って視線で追えば意思伝達は可能である。」(鈴木[1978:57])

[◇]川合亮三[◇]、七五年頃。「私はいずれ字が書けなくなることを知っていた。それなりの覚悟も出来ていたつもりである。ところが、いざその時が来てみると、意思を相手に伝える手段のないことに気がついて、うろたえた。妻は、唇のかすかな動きを見て日常の用を足してくれるが、その妻にも、少しこみ入った話になると解って貰えない[…]/字が書けなくなって半年を過ぎた頃、<あ・い・う・え・お>を紙に書いたものを目で追い、妻がそれを拾えば意思が伝わることを知った。思っていることが相手に伝わり、目の前が急に明るくなった。」(川合[1987:154])

[◇]伊井[◇]、七五年。「足指のところに置かれた押し板でブザーを鳴らし、目の正面の壁に貼られたアイウエオの文字表を使って、まばたきの回数から、奥さんが一字一字探し出しあてて伊井さんのことばを作り出していく。」(木下[1996-(10):37]に川村他[1978:167-169]からの引用として)

[◇]橋本みさお[◇]の発病は八五年だが、「その頃の日本では、ALSは死に至る病で、終末期には眼球によるモールス信号でのコミュニケーションしかない、と言われた絶望的な病でした。たった十五年前のことです。」(橋本[20010603])

 
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■立岩真也『ALS――不動の身体と息する機械』より

 第9章「その先を生きること1」6「送信」全文
 「思いが伝わらず、したいことができないのはつらい。痒くても掻けないこと、蚊が飛んできても払えないことが、実感としてわかりやすくもあるから、よくあげられる。
【427】 長尾義明[252]を主に取り上げた新聞連載に徳島保健所長(当時)の佐野雄二の言が紹介されている。《蚊が体に止まった。刺すのも分かる。それでも振り払うことはできない。病状が進めば動くのはまぶたぐらい。かゆい。手助けを求めようとしても声を出す能力が失われている。気付いてもらおうとまばたきを繰り返すが、すぐそばにいる人にすら訴えが伝わらない。すべてが分かりながら、どうすることもできないのがこの病気の特殊性》(『徳島新聞』[2000])
【428】 同じ連載中に同様のことが長尾義明の言葉として引かれる。《どこかかゆくても、じっと我慢し、蚊が飛んできても、血を吸い終わるまで待つ情けなさ。毎晩寝る前に、今夜こそはこのまま眠らせてと頼むのだが…》(『徳島新聞』[2000])
【429】 山口進一(福岡県)は一九九六年にALSの診断を受けた人で、自分の声を用いた音声合成装置を使って話し講演もする人だが、その講演の冒頭にも次のような部分がある。《まず、ショッキングな写真をお見せすることになるのですが、この方はALSの重症患者さんです。歩きにくくなったり話しにくくなったりと、ALSはいろんなところから進行しますが、最終的にはみんなこうなります。全身の筋肉がピクリとも動かない。見た感じは植物人間ですが、この方の頭脳は全く正常なのです。目はまぶたを誰かが開けてやれば見えるのです。耳も聞こえます。かゆさ、痛さもよくわかります。でも自分で掻けない。とまったハエをはらうことすらできない。誰かにはらってほしいと伝えたくても、一言も話せない。つらいですよね、やはり。/皆さんもこの状態を体験することができます。一番楽な姿勢でベッドに横たわり、微動だにしないで一時間過ごしてください。たぶん一〇分も我慢できないと思います。一〇分もしないうちにどこかが痒くなる。それを訴えることができない。動けないということもつらいのですが、それを表現することができないというのが、一番つらいことなのです。しかし最近のデジタル機器の発達により、このような方でも、意思を伝えることができるようになってきました。これが我々の救いなのです。》(山口進一[2000])
【430】 《入院中に一番我慢できなかったことは頭がかゆかったこと》(島崎[1997-(61):(62)])
 痒いところを掻かせるためだけでなく、コミュニケーションの手段の獲得はまったく大きな意味をもっていた。それは多くの人によって一番大きな出来事として語られる。してほしいこと、してほしくないことを伝えることができると同時に、表現すること自体に意義が感じられる。それは長い時間を過ごすための営みともなる。こうして数多くの絵画も書かれたし、数多くの手記、闘病記も書かれた。
 以下技術的なことの紹介は他の書籍・ホームページ等に譲り、ごく簡単に言葉の伝え方を記していく。
 まず気管切開し人工呼吸器を付けると発声ができなくなるかというと、そうではない。人工呼吸器を使っていても発声できる場合がある。呼吸器を付けると声が出なくなるのは空気が声帯を通らなくなるからだが、息を吐き出す時に空気を咽頭に送れるようにして発声できるようにする。「スピーチカニューレ」と呼ばれるものがある。また「スピーキングバルブ」という小さな器機がよく使われる。米国の筋ジストロフィーの人が考案したもので、一方向にしか空気が流れないバルブが付いている(土屋竜一[1999][2002:134-154]等。コミュニケーション方法全般を解説した小西[2000] にも解説がある)。
 他にも様々ある。ポンプの技術者だった水野靖也(千葉県)は経験を生かしスピーキングコンプレッションという機械を開発し、自ら使いはじめる(『読売新聞』[2000(3)])。後に製品化もされる。
【431】 鎌田竹司[357]は、一九九七年一〇月に気管切開、呼吸器装着。《私は、小型コンプレッサー(スピーキングコンプレッション)を使って声を出しています。平成七年日本ALS協会総会の時千葉支部のALS患者水野さんが呼吸器を付けていたがスピーキングコンプレッションを使い肉声で話をしているのを見て私も気管切開の時は、これを付けようと思っていました。気管切開三五日後[…]導入し肉声を取り戻し現在は声は低いが日常会話が出来ています。》(鎌田[199?b])
 ただ声を出すにはいくらかは筋肉が動かなければならないから、ALSの場合にはうまくいかないこともあるし、次第にうまくいかなくなることもある(若生[2003-])。呼吸器を付けないにせよ付けるにせよ発声ができなくなったときにどうするか。一九七〇年代の状況についての記述もいくつか拾える。
【432】 七五年五月にALSの母がいる鈴木千秋が医師から聞いた言葉。[298]にも別の部分を引用。《口、手足から体全体が動かなくなるのを待つばかりだが、頭と眼の機能だけは残るから、壁に大きな文字を貼って視線で追えば意思伝達は可能である。》(鈴木[1978:57])
【433】 川合亮三[313]、七五年頃。《私はいずれ字が書けなくなることを知っていた。それなりの覚悟も出来ていたつもりである。ところが、いざその時が来てみると、意思を相手に伝える手段のないことに気がついて、うろたえた。妻は、唇のかすかな動きを見て日常の用を足してくれるが、その妻にも、少しこみ入った話になると解って貰えない[…]/字が書けなくなって半年を過ぎた頃、〈あ・い・う・え・お〉を紙に書いたものを目で追い、妻がそれを拾えば意思が伝わることを知った。思っていることが相手に伝わり、目の前が急に明るくなった。》(川合[1987:154])
【434】 伊井[293]、七五年。《足指のところに置かれた押し板でブザーを鳴らし、目の正面の壁に貼られたアイウエオの文字表を使って、まばたきの回数から、奥さんが一字一字探し出しあてて伊井さんのことばを作り出していく。》(木下[1996-(10):37]に川村他[1978:167-169]からの引用として)
【435】 橋本みさお[416]の発病は八五年だが、《その頃の日本では、ALSは死に至る病で、終末期には眼球によるモールス信号でのコミュニケーションしかない、と言われた絶望的な病でした。たった一五年前のことです。》(橋本[2001a])
 実際によく使われるのは文字盤だろうか。身体で動く部分の小さな動きで合図を送ることは多くの人が行なっていることだが、言葉にしようとすると、五〇音にいくつかの定型的な表現を加えた文字盤を用いる。手や首が動くならその動きを使える。また眼球が動くなら、文字を目で追い、それを読み取る。
【436】 透明な盤に五〇音の表があり、その盤の向うにいるALSの人がある文字を見る、その人の視線と文字盤に記された文字とを一致させるというやり方で読みとることができる。このタイプのものを私が見たのは、二〇〇三年の春、大澤真幸が京都大学の大学院の演習に高井綾子(東京都)を招待した時だった。高井は八二年に発症、八九年に呼吸器を使いはじめた人で、様々なものを発明してきた発明家なのだが(高井[1998(?)][2001])、文字盤も彼女が改良したものだった(大澤が高井と彼女のもとにやってくる人たちのことを書いた文章に金子・大澤[2002:65-81]、大澤[2002:219-220])。
 もちろん交信も身体の状態に左右される。呼吸がうまくいかないと文字盤での発信も難しい。
【437】 《できるだけ人工呼吸器の使用時間を短くしたい、人工呼吸器に頼ってはいけない、という気持ちが彼の闘病意欲を支えているかのようでした。ですから、訪問している間、かなり苦しそうな様子のときも、なかなか人工呼吸器を使用しません。無理な負担はかえって病気の進行をはやめることをいくら説明してもなかなか理解してはいただけませんでした。/ある訪問の日、Bさんは息苦しさのため文字盤もうまく読めなくなってしまいました。[…]本人が何と言おうと、文字盤を使用しているときだけ人工呼吸器を装着することにしました。実際呼吸器を着けてみると、いままでの苦労はどこへいったのか分からないほど、スムーズに文字盤を読み取ることができました。[…]/こんなことをきっかけに、Bさんの人工呼吸器に対する考え方は変わってきました。》(奥山[1999:31-32])
【438】 橋本みさお[435]は《現在ワープロは右足親指で、ナースコールは額に付けて使っています。日常会話は、母音を唇で形作り介護者に、母音の形を覚えてもらい「う」の形の時は、ウクスツヌフムユルと言ってもらって「く」と言いたいときは、「く」で、まばたきをします。」唇の動かせない患者には、介護者が「アイウエオン」と言って患者に合図してもらい、母音が決まった五〇音表を横に進んで子音を選びます。もちろんその逆でも良いのですが「ん」を忘れると永遠に話は終わりません。文字盤を使う方が多いのですが、「努力、根性、忍耐」のすべてを欠いた私には向いていないようです。患者も介護者も五〇音表を丸暗記しなければなりませんが頭の体操にオススメです。》(橋本[1997g]cf.橋本・安城[1998])
 これでは途方もない時間がかかりそうだが、そうでもない。《ゆっくり話す人だったらこの人にはかなわないほど、ものすごく早く話します》(山口進一[2000])というほどとは思わなかったが、橋本は十分に速く話す。習熟した介助者であり通訳である人が、「ウクスツヌ…」と言いながら、橋本から発せられた字の列を記憶していき、一文になったあたりでまとめて言ってくれる。だから、どこかが動く限り特別の機器がどうしても必要なのではない。ただ読み手の側の学習が必要ではあり、そして多くの場合に読み取りに時間はかかる。多くの入院患者を相手にする病院等で、意志を通じさせるための人と時間が提供されず、意志を伝えることのできない苦痛は[414]でも語られていた。
 だからどうしても機械が必要なのではない。人工呼吸も手押しのバッグでやっていた時代があった[287]。生きていくのに高度な機械が必須であるわけではない。ただ、コンピュータを使う場合には他人の技術や時間の有無に依存する度合いが減る。川口武久のように文章を書くのにカナタイプや普通のワープロをいくらか工夫して使う人はいるが、指にも力が入らなくなればそれも使えなくなる。そこで橋本の介助・通訳者のような働きをするコンピュータが登場する。
 画面上をカーソルが一定の速度(速い遅いは設定できる)で「あ・か・さ・た・な…」と動いていく。例えば瞼の動きを信号に変えて、あ行を指定する。こんどはカーソルは「あ・い・う・え・お」と動く。そうして字を選ぶ。五〇音以外にも日常的によく使う言葉を設定しておくことができ、それらについては一つひとつ文字を拾わなくてもよい。こうした機器が使われるようになるのは一九八〇年代の半ばからのようだ。
【439】 川口武久は、自らは使うことはなかったが、情報は得ていた。一九八四年一月。《Aさんの弟さんから、便りが届く。鳥取大学病院に入院中のAさんが、新しく開発されたパソコンレター作成機を使って、意志伝達のテストを開発された、という。/手紙によると、新しい機械は、ワープロとパソコン、筋電計をセットしたようなものらしい。ひら仮名の五〇音順が表示された画面を、タテ、ヨコ二本の細い帯(選定帯、カーソル)が上から下へ、左から右へと動く。それを見ながら、使いたい文字のところへきたとき、まばたきをしたり、あるいは奥歯を軽く噛んで合図する。すると、頬にはりつけてある電極が筋肉のかすなかな動きをとらえ、その文字が印字されて出てくるという。/自分の意志が伝えられる。これほどの喜びがあろうか。特にAさんの場合は、六年間の“沈黙”がある。体の自由を奪われ、一言の意志表示もかなわなかった六年。それにひたすら耐え、ようやくにして“言葉”を取り戻そうとしておられる。Aさんの喜び、家族の方がたの感激はいかばかりだろう。》(川口[1985:228])
【440】 松本茂[414]は一九八六年九月にワープロを打てなくなる(松本茂[1985:16])。《一〇月には、すっかり言葉をなくしてしまった。私はこれまで書く方はさっぱり駄目で、もっぱら口に頼っていたので、言葉だけはと祈る思いだった。別れは何でもつらいが、言葉との別れは格別つらく、未練が残った。/手足も駄目、そして言葉も駄目となると、自分の意思伝達ができない。万事休す。もはやこれまでかと、さすがにがっくりきた。/そんなある日、本部の松岡事務局長から電話があり、スイッチ一つで文字を打てるパソコンがあると聞き、さっそく導入することにした。一〇〇万円も出せばすぐに使える立派なのがあるとのことだが、できるだけ経費節減といきたいので、いろいろ調べてみた。》(松本[1995b:35]。松岡は当時日本ALS協会事務局長の松岡幸雄。押しボタンスイッチ、ソフト、MSXパソコン、プリンター一式を一四万五〇〇〇円で購入)
【441】 一九八六年四月、土屋敏昭[424]の場合は、一部は人が受け持つ方法が取られた。《しゃべれない私たちにとって素晴らしいプレゼントがあった。それは病院でワープロを買ってくれたのである。たったひとつ残念なことに、そのワープロはひとりでは操作できないという欠点があった。誰かにボタンを押してもらわなければならないのである。付き添いがいるのだから、そんなことはどうでもいいことだが、とにかく私たちには素晴らしい贈り物には違いなかった。/[…]たとえば、画面に五〇音が全部出るから、その五〇音の上をカーソルという四角い棒状の物が動く。「あ」を書きたいとき、まずカーソルが「あ行」にきたら目で合図を送る。すると付き添いがボタンを押す。》(土屋他[1998:91-92])
【442】 土屋融[247]は一九九一年二月に発症、八月に山梨県立中央病院神経内科入院。九二年二月。《山梨大学の山下先生らの尽力により、意思伝達装置「パソパルPC」が私たちのような病人にも送られてきた。早速使ってみる。打った文字が画面と音声になって出、ワープロと同じように印字もできる。口や手で意思の表示が出来ない私たちにとってこんないいものはないと、新しい世界が生まれてきたような気がする。》(土屋[1993:182]。パソパルは一九八六年発売のナムコの製品)
【443】 東御建田郁夫[197]。《退院後一年ほどして瞼の動きで操作できるワープロを入手して、受動的な生活から脱することのできた喜びはたとえようもなかった。》(東御建田[1998:2-3])
 ただ、想像できることだが、時間はかかる。
【444】 松本茂[440]の著書(松本[1995b])は四〇章からなるのだが、《各章は短いものでも三〜四日、長いものは二週間以上かけて打った》(松本[1995b:20])
【445】 土居喜久子[426]。文字盤を使っていたが、まばたきで入力するワープロを使うようになる。《初期のころは、一〇分も打ちますと目は疲れ、腰は痛く、長続きするかしらと思いましたが、一五分、二〇分と時間を延ばし、今でも急ぐことがあれば、七時間くらい通して打てます。[…]/ちなみに、紙一枚、約四百字打ちますのに二時間かかるというスローペースのワープロですが、少しでも私の心の思いが通じ、理解してもらえたらと願って打続けております。/ワープロは、私の命。心のままに活躍してくれるのが不思議です。》(土居・土居[1998:49])
《文字盤では表現しえないことばの数々、文字に表わして感謝とお礼のことばを打てた日の喜びは、今も脳裏から離れません。》(本田昌義[385]への手紙より、土居・土居[1998:51])
【446】 橋本みさお[438]。《現段階で私に残されている機能は、顔の表情を作れることと左足の指でワープロが打てることでしょうか? だからと言って、左足でバチバチとキイ・ボードを叩く図は想像しないで下さいね。かろうじて動く左足第一指の動きを、光センサーが感知してパソコンの障害者用ソフトで変換してゆくのです。私の残存機能で、四〇〇字打つためにおよそ一時間かかりますが、だからと言って五時間で二〇〇〇字と言う計算は成り立ちません。一時間を過ぎると極端に疲労が進み、八〇〇字打ち終わるために三、四時間はかかります。》(橋本[1998a])
 こうして伝えるのと声で伝えるのと、まったく同じにはいかない。
【447】 土屋敏昭[441]。《母に文句を言う時は、文字板を使うと途中でやめられるから、ワープロに「ばか、あほ、まぬけ」などど思いつくかぎりの悪口を書く。しかし、そう書いてみたところで、胸がスーッとするわけでもないし、後味が悪いだけだ。お互いに気分を悪くするなら、時間をかけてわざわざ書く必要もない。/一度でいいから、思いっきり叫んでみたい。「ばか野郎!」と。自己中心的な考え方をするのは、自分の身体がままならない苛立ちと、今までのつもりつもった気持ちの鬱積をどうしようもない心の焦りが、人間の心まで変えてしまうのかもしれない。》(土屋他[1989:181-182])
 それでも、こうして伝えることができ、伝えたように人が動いてくれるなら、そして人がいたり人以外のものがあったりする場にいることができるなら、またその場に出かけることができるなら、まずはやっていける。病から身体の苦痛を差し引けば、それに関係して生じる不自由が結局残り、そしてそれは完全になくすことはできないにしても、かなり減らすことができる。
 コンピュータ関連では様々な製品が出ている。例えばコンピュータ等に接続するスイッチの類がある。しかし機械があってもそれだけでは使えない。身体のほんの微かな動きをうまく伝えるために、適した製品を使い、うまく設定して、それでようやく使えることがある。その支援の活動を行なっている人がいる。ALS協会近畿ブロックでは西村泰直が長くこうした援助活動を行なってきた。
 ソフトウェアとして開発、発売されているものもある。ソフトウェアを組込んだ機械が開発され、販売されることもある。何種類かあるが、よく使われている「伝(でん)の心(しん)」(日立製作所)は一九九七年に発売された。九八年に機能強化した製品が発表され(堀田[1998])、二〇〇〇年七月にはインターネット接続を標準機能に組込んだ製品が発売された。利用者には照川貞喜(千葉県勝浦市、照川[2003b]等)、等々。
【448】 《日立製作所の社員がALSに罹りました。…二番目の要因として、北里病院東病院から共同研究の提案がありまして、私共の関係ですとALSの患者さんとの接触は余りありませんので、こういう提案があったというのは非常にラッキーだったと思います。三番目の要因として、お金が取れたということです。財団法人のテクノエイド協会という厚生省の外郭団体ですが、そこから平成六年度、七年度、合計二千万円の補助金が取れたということで、この三つが重なりまして「伝の心」の開発に至ったということです。》(小澤[1998:26]。他に小澤[2002])
 こうして発信の手段は様々ある。それが知らされないことが当然、不満・批判の対象になる。
【449】 鹿野靖明[417]は一九九五年に人工呼吸器を付ける。主治医はキーボードを押して音声を出す装置を紹介したが、鹿野はキーボードを押せず使えなかった。《パソコンやワープロを重度身体障害者用の意志伝達装置として「生活用具を給付する」公的制度があるのを知ったのは、退院してから二年も経った頃のことでした。[…]/トーキングエイドのキーボードは押せませんでしたが、パソコンのマウスは自由に操ることができました。もっと早い段階で制度を知っていて、この方法が病院に持ち込まれていたら、人工呼吸器を装着した直後の苦しみは間違いなく半減しただけではなく、周囲の負担も大きく違ったことでしょう。》(鹿野[2001:56]。トーキングエイドはナムコの製品、一九八五年発売)
 しかしALSの場合、やがて最後まで残ると言われる眼球の動きもなくなってしまうことがある。「(トータリィ・)ロックトイン」などと言われる状態であり、意識があってもそれを表出する術を失うことになる。こうなったときにはどうなのか。むろん自らが呼吸器を外すことはできない。他の人もできないとしよう。とするとその状態で生きることになるが、それはつらいだろう、そんな未来を予期して、呼吸器を付けない選択――これは許されているとされる――をして早く人生を終わらせるより、外すこと――を本人から(あらかじめ)依頼された誰かが外すこと――を認めた方が、かえって長い時間を生きられるのではないか。そんなことも言われる。どう考えたらよいのか。それは第12章に残す。
 次の章では、痛くないように、極端に危ない目にはあわないように、そして退屈しないように暮らしていくために必要なものが、ともかくいくらかはこの社会にあるようになったその過程を追う。」

 第12章「さらにその先を生きること」8「発信の可能性について」全文
 「前者、発信の可能性について。全身が動かなくなるといっても、どこも動かなくなるのではない。ALSの場合、例えば内臓の働きは続く。ただこれは多く――川口武久の小説[341]の場合には意図して行なえる肛門筋の収縮が可能なことが発見されるのだが――不随意の動きで、発信のためには使えない。しかし、ALSの場合に限らず、意識のある状態があるということは、脳のどこかは動いているということだとは言えるだろう。そして意識や情動の動きは制御できることがある。となると意識によって制御できる部分があればよい。つまり、考えたり意志したりすることが脳内における物理的な過程でもあるなら、ものを思っている限り脳に物理的な動きがあり、それを信号に変換し伝えることが原理的には可能なはずである。そしてALSの人の受信の機能は残り、目が見えたり耳が聞こえるから、言葉による交信が可能なはずだ。川口武久は既に一九八〇年代半ば、このことを考えている。
【519】 一九八四年一月。《名古屋の労災病院で、寝たきりの患者でも、身の回りのことができる機械が開発されたという。ベッドの上げ下ろしはもちろんのこと、テレビや電話までも、その機械に息を吹き込むだけで操作できるらしい。手足のきかない人にも自活の道を開く、画期的なものといえるのではないか。/ありがたい、これなら私にも使えると思ったが、この病いが進めば、肝心の息が吹き込めないことに気づき、現実に引き戻される。運動神経がすべて閉ざされてしまうのでは、話にならない。/頭の機能だけは、最後まで残るという。それを活かしたものが開発されないものか。せめて意志だけでも、自由に伝えられる装置が作り出せないものだろうか。それは夢の夢なのか。》(川口武久[1985:236])
 こう書かれたことはまったくの夢というわけでもなく、二通りの仕方で実現しつつある。具体的な紹介は略さざるをえないが(私のホームページ中、「ALSとコミュニケーション」http://www.arsvi.com/d/als-c.htmで以下に述べるよりはすこし詳しく紹介している)、一つは脳波を使うものであり、一つは脳血流の増減を利用するものだ。後者から。
【520】 《暗算をしたり、手を握ろうとすることにより(実際には手が動かなくても)、脳血流量が増える――この事実に着目して、日立製作所はALS患者さんを対象に「脳血流スイッチ」の実用化を国の開発事業の中で進めています。[…]/「脳血流スイッチ」の基本技術は、赤外線を頭部から照射してその反射光を測定するものです。脳血流量が増えると近赤外線が吸収されて反射光の量が減ります。問いかけに対して患者さんが意図的に脳血流量を増やせば、反射光の量が減るので、この場合に「YES」と回答したとみなします。脳血流量が増えなければ「NO」と回答したとみなします。》(照川[2001] に引用されている小澤邦昭[448]から照川へのEメール)
 テストは続けられており、島崎八重子の二〇〇四年の文章(島崎[1997-(79)])にもテスト参加についての短い記述がある。
 もう一つは福祉機器メーカー「テクノスジャパン」(兵庫県姫路市、http://www.ngy.3web.ne.jp/~technosj/index.htm)が発売を開始した意志伝達装置「マクトス(MCTOS)」。
 和川次男(仙台市)が使っている。頭の中で意識的に何かを考えたときに発生するベータ波と呼ばれる脳波を検出し、それを電気信号に変え、ブザーなどを鳴らす装置だ。指や瞬きを使う装置と同じく、また脳血流利用の場合も同様に、「あかさたな」…↓「な」を指定↓「なにぬね」↓「ね」を指定、というように、文字盤を人が示すのに、コンピュータの画面でカーソルが動くのに、あるいは人や機械が音を読み上げるのに応ずる。この装置を使って、和川は何年か言葉を発することができなかった状態から、言葉を発することのできる状態に戻ってきた。二〇〇〇年八月(NHKテレビ〈ニュース10〉)、二〇〇一年八月(NHKスペシャル『“いのち”の言葉――あるALS患者・脳からのメッセージ』)等、マスメディアでも紹介される。
【521】 一九九九年。《脳波スイッチが実際に和川家に現れたのは平成一一年五月であった。その最初の試用日の様子は一部始終をはっきり記憶している。どんなスイッチも装着して直ぐにうまく操作できるものではなく、やはり操作についての慣れが必要である。まして、脳波を検出して信号に変えるという雲を掴むようなスイッチであるから、余計そうだ。当然、最初のうちは支離滅裂の様相を呈していた。しかし、数時間使用しているうちに、和川さんの反応に心なしか手応えを感じるようになってきた。始めてから四時間半を経過した頃に当日の試用を終えることにし、最後に何か言いたいことは無いかと和川さんに尋ねた。その質問に対する答えは「ほんた×○い」であった。(残念ながら×○に相当する文字を記憶していない。)最初はこの文字列の意味が理解できなかったが、はっと気が付き、「本体」を見せろ、ということかと尋ねたところ、YESのブザーが脳波スイッチから発せられたのである。ここに至り、和川さんは脳波スイッチの制御に成功したと私は確信した。/それ以来、ちょうど二年が経過した。途中多少の曲折はあったが、和川さんは脳波スイッチを利用してご家族や介護の人達と意思の疎通を図っている。そして、二年の間に書きためた俳句を、このたび出版するという。》(坂爪[2001:81-82]。板爪新一は「コム・イネーブル」代表。マクトスの情報を入手し購入、和川を支援してきた)
 もちろん脳波や脳血流を使った発信は、少なくとも今のところは、まったく稀に実現されていることでしかなく、それをもって発信できない状態が解消したと考えるのは楽観的に過ぎるというもっともな指摘はある。私が話を聞いたALSの家族の人は、こうした技術について懐疑的だった。年齢のこともあるし、そんな技術を習得するのは誰でもできるものではないはずだと言う。たしかに、いま紹介した人だけではないにせよ、今のところ、使っている人の数は少ないようだ。けれども数少なくは可能になっていることももう片方の事実ではある★07。そして、そのように私は思いたいということなのかもしれないのだが、発信したいという元気のある人はたぶん発信することが可能だと思う。
 人は意識があるかないかのいずれかである。何かを伝えようとする意志、そのような意識がある限り、それは身体内の物理的な現象でもあるのだから、それを伝えられる手法が原理的には存在する。他方で意識が薄れそしてなくなっていく時には苦痛という感覚もなくなるだろう。不幸であるという意識もないだろう。このいずれかであるなら、いずれも、少なくともその当人にとってわるい状態ではない。意識がなくなっていれば、あるいはとても静かな状態にいるのであれば、それもまた、その本人にとってはつらい状態ではない。とすると、実は、決定的な(死んだ方がよいと思えるほどの)不幸というものはそう多くは存在しないということなのかもしれない。」
 「★07 吉田雅志(北海道)のホームページに、米国でのマクトスの入手方法やこれを使った人についての報告があるホームページを翻訳したファイルがある(吉田[-2000])。」


REV:.....20021027,28,20030410,0703..20040416,0705 20080317,0509 20090101
コミュニケーション  ◇ALS  ◇異なる身体のもとでの交信 

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