◆米本 昌平 19880630 「遺伝子診断・遺伝子治療と倫理の問題」
「85年秋にNIHはガイドラインの一部補足を行った。……これによって,遺伝子治療のための基準はいちおう定まったのであるが,87年末現在なお実行されていない。これは,当初理論的に考えられていたよりは,実際に治療効果をあげるまでには多くの技術的障壁をのり越えなければならないためである。(p.291)
……ADA酵素欠損は世界中で 100人程度しか知られていない稀な病気である。つまり,遺伝子治療は技術開発が困難である割には,対象は特殊な病気に限られる傾向が強く,人間のDNA操作という思想的な衝撃力に比べ,医学的な影響は当面は小さいといえよう。
ただし一般的には,欧米的精神世界においては,胎児診断はもちろん,遺伝子治療の研究も促進されるべきものと受けられている。これに対して日本では,このような政策や技術開発は危険な優生学に接近するものであり,障害者差別を助長するとする反対意見がきわめて強い。」(米本昌平[1988:219-292]
*このあと米本はこの差異について,「胎児は前世と後世との間に浮かんでいる不安定な存在であり,その状態をのぞきこんで,それを根拠に生む生まないを決するのはしてはならないことと,とわれわれは感じているのではないか」といった「文化的な因子」を指摘し文章を続け,終わるのだが,この指摘は(当たっているとしても)遺伝治療に直接関わるものではない。(立岩)
「研究者の中には,「アンダーソンは半ば売名行為で遺伝子治療を行ったのだ。その証拠に,いまでは研究の現場には立たないで,ベンチャー・ビジネスのコンサルタントとして忙しい」という声もある。が,そんな現状も彼は承知のうえで,こうもいう。
「遺伝子治療は素晴らしい可能性をもっているのは間違いないが,まだまだ未知の部分が多い医療です。これを進めるには,誰か牽引車となる者が必要なのです。臨床応用第一号をめざしたときから,私がその役目を負うつもりだったんですよ」
いま世界中で,六百以上のテーマで遺伝子治療の研究や臨床応用が進められているという。そのどれもが,ADA欠損症のような成果を夢見ているのだが,同時に,研究費の調達も,研究時間の積み重ねも,社会の理解の獲得も,まだまだ足りない。そんなことから,純粋な研究の積み重ねとともに,博士のような機関車的な存在も必要なのだろうと思ったものであった。」(大朏博善[1996:38],I部−1の末尾の部分)
大朏 博善 19960925 『いま,遺伝子革命』,新潮社,250p. 1500
REV:20090120