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老人医療費無料化までの経緯

老い


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老い・1950年代
■1950年代
・「たとえば、最近、とみに人々の関心をひくようになった「寝たきり老人」は、昨日や今日突然に発生したものではない。昭和二十八年に行なわれた内閣総理府と郵政省の共同調査でも、その後の数次にわたる厚生省の各種調査でも、つねにその存在は明らかにされていたものである。そ<163<の推移は表29のとおりで、毎回、わが国の六十歳以上の人口の数パーセントは半年以上床につきっきりであることが推計されていたのである。
 ピーター・タウンゼントらによる『工業化された三国の老人問題』によると、老人人口の中に占める「寝たきり老人」の割合は、イギリス三%、アメリカ二%、デンマーク二%となっているから、わが国の割合のほうが高いことが知られる。
 わが国の寝たきり老人について、その原因をみると、さきの昭和二十八年の調査でも、三十八年の調査でも、その四〇%は脳卒中の後遺症によるものと推計されている。しかし、近年におけるリハビリテーション医学の教えるところによれば、脳卒中を発病した場合、二人に一人が生き残り、生き残った人については、その九五%までが自分で自分のことぐらいはできる程度に回復するばかりか、さらに少なからぬ割合の人が職場にも復帰するという。とすると、三十数万人に及ぶ「寝たきり老人」の半数近くは、「安静にしていなさい」という医師の言葉を忠実に守ってきたがための犠牲者ではないだろうか。老人でなくても、1ヶ月も絶対安静にしていれば、手足や身体の各所が衰えてくるからである。」(森[1972:163-164])
◆森 幹郎 19720225 『日本人の老後――“豊かな老後”はいつの日か』,日本経済新聞社,日経新書,201p. ASIN: B000J9NRRA [amazon][kinokuniya] ※ b a02 a06

〔天田補足〕表29「寝たきり老人の割合(日本)(60歳以上に人口につき)」では、各調査年次ごとの「寝たきり老人」の割合を示している(単位:%)。昭和28年(1953年)の「老後の生活についての世論調査」(郵政省・総理府)では5%、昭和35年(1960年)の「高齢者調査」(厚生省)では男性4.5%、女性4.0%。昭和38年(1963年)の「高齢者実態調査」(厚生省)では男性6.0%、女性5.3%、昭和43年(1968年)の「高年者実態調査」(厚生省)では3.5%、昭和45年(1970年)の「老人実態調査」(厚生省)では3.2%となっている。

・「一九五〇年(昭、二五)といえば朝鮮戦争の起こった年であるが、この年現行の生活保護法が制定された。…生活保護の方法としては、生活扶助、住宅扶助、医療扶助等があり、その中心をなすものは生活扶助であるが、これは「被保護者の居宅において行う」ことを原則としている。そして、居宅において保護を行なうことができないとき、保護の目的を達しがたいとき、または被保護者が希望したときは、それそれ保護施設に収容して保護を行なうこととなっている(第三十条、生活扶助の方法)。
 老人を収容する保護施設を養老施設といい、「老衰のため独立して日常生活を営むことのできない要保護者を収容して、生活扶助を行うことを目的とする」(第三十八条、保護施設の種類)と規定されていたが、これは古くから、いわゆる養老院といわれてきた<140<ところのものである。
 すなわち、当時の老人対策は、老人が生活に困窮した場合その最低限度の生活を保障するものであって、このかぎりにおいては消極的な意味しか持たなかったといえよう。」(佐口・森・三浦[1970:140-141])
◆森 幹郎 19700715 「戦後老人対策のあゆみ」,佐口・森・三浦[1970]
*佐口 卓・森 幹郎・三浦 文夫 19700715 『老人はどこで死ぬか――老人福祉の課題』,至誠堂,184p. ASIN: B000J9P7M8 420 [amazon] ※ b a02 a06


老い・1960年代
■1960年12月 
・岩手県沢内村で65歳以上の老人に対して外来10割給付実施
1961年には対象年齢を60歳以上にする(篠崎編[2006:83])
※岩手県では、1949年から、日頃市村の国保診療所で医療の10割給付を実施していた。その仕組みは、出来高払いではなく、値段表によらない医療であり、診療所の経営は国保の保険料と村の一般会計からの繰入だけで経営されていた。そして重症患者は、県立病院に定額請負契約で診療を委託する、という仕組みであったようである。この方式は広がり岩手県下18市町村の国保に普及したという。しかし、国民皆保険制度の実施に伴い、医療費の支払いが出来高払いに統一されたため、この方式は壊滅した(朝日新聞社編[1973d:189-208])経緯がある。
◆朝日新聞社編197312『朝日市民教室――日本の医療7 どう医療をよくするか』に収載されている「X「岩手の医療」はとりもどせるか 大牟羅良氏に聞く」
◆菊地 武雄 19680120 『自分たちで生命を守った村』,岩波書店,岩波新書,210p. ISBN-10: 4004150108 ISBN-13: 978-4004150107[amazon] ※ b a06


■1962年
・「一九六二年(昭和三十七年)に厚生省(二〇〇〇一年、労働省と合併、厚生労働省となる)が行なった調査によると(11)、生活保護法の養老施設の時代、入居者の健康状況は、健康六四%、病弱二七%、臥伏中九%と報告されている。つまり、養老施設は生活保護階層に属する老人の住宅事情、家庭事情又は健康・疾病状況等に応じて、それぞれ住宅、老人ホーム又は病<24<院として機能していたのである。」(森[2007:24-25])
◆森 幹郎 20070915 『老いと死を考える』,教文館,253p. ISBN-10:476426904X ISBN-13: 978-4764269040 1575 [amazon][kinokuniya] ※ b a06


■1963年 老人福祉法
・「その源流は、先きにものべた一九五三年(昭、二八)の潮谷・杉村両氏による老人福祉法試案にまでさかのぽることができるが、翌年の全国社会福祉事業大会において、「養老年金制度を中心とする老人福祉法の制定」が決議されて以来、老人福祉法の制定は関係者のあいだの悲願となってきた。
 一九六一年(昭、三六)、右の試案は若干改正されて、九州社会福祉協議会の試案として採択された。また、同年、民社党は政策審議会の案として老人福祉法案要綱を発表した。つづいて自民党も老人福祉法要綱の紅露試案を発表した。
 このような老人福祉法の制定に対する世論を反映し<147<て、一九六三年(昭、三八)、老人福祉法の制定をみるにいたったのであるが、これによって老人対策が新しい考え方に立ったことはいうまでもない。すなわち、「この法律は、老人の福祉に関する原理を明らかにするとともに、老人に対し、その心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な措置を講じ、もって老人の福祉を図ることを目的とする」(第一条)ものであり、さらに、「国及び地方公共団体は、老人の福祉を増進する責務を有する」(第四条第一項)と規定されたからである。従来、民間または地方公共団体が自由に進めてきた老人福祉の増進が、いまや国および地方公共団体の責務であると宣言されたのである。
 先きに国民皆年金、国民皆保険の体制がしかれ、いままたここに老人福祉法の制定をみ、憲法第二五条に規定する「社会福祉、社会保障の向上及び増進に努める」ための体制は一応立法上その形をととのえるにいたったのである。
 一方、これより先き、政府は、ようやく顕在化してきた老人問題の重要性を痛感し、一九六一年(昭、三六)六月、厚生省組織令の一部を改正して新時代に即応する組織をととのえていた。
 すなわち、従来、生活保護法に基づく養老施設に関することは祉会局施設化課の所管で、その所掌事務は「養老施設の設備及び題言に関する指導及び助成を行なうこと」と規定されていたのであるが、新しく、「老人福祉事業の指導及び助成に関すること」がその所掌事務に加えられたからである。法令用語として「老人福祉事業」という言葉が用いられたのはこれが最初である。
 さらに、老人福祉法の制定された翌年四月、厚生省社会局には老人福祉課が設置され、またその翌年一九六五年(昭、四〇)には、東京都も民生局内に老人福祉課を設置した。現在、地方公共団体の民生局に老人福祉課を設置するものは、二(東京都、大阪市)、老人福祉係を設置するものは二八に及んでいる。
 なおまた、老人福祉法の付則において社会福祉事業法の一部改正が行なわれ、厚生省の付属機関である中<148<央社会福祉審議会のなかには、既設の生活保護専門分科会とともに老人福祉専門分科会が設置された。以来、中央社会福祉審議会は、数次にわたって、老人福祉施策の推進に関する答申・意見具申を行なってきた。」(佐口・森・三浦[1970:147-149])
◆森 幹郎 19700715 「戦後老人対策のあゆみ」,佐口・森・三浦[1970]
*佐口 卓・森 幹郎・三浦 文夫 19700715 『老人はどこで死ぬか――老人福祉の課題』,至誠堂,184p. ASIN: B000J9P7M8 420 [amazon] ※ b a02 a06

・「昔、養老院(一九三一―一九四七)、養老施設(一九四七−一九六三)に収容されていた老人は、たとえ病気になっても、そう簡単に医師の治療を受けることはできなかった。(中略)<171<<172<
 一九六〇年代に入って、医療費保障の制度が軌道に乗ってくると、事情は一変した。病<173<人のケアは福祉行政から一転して医療行政に移ることになったからである。一九六三年老人福祉法が制定されたが、特別養護老人ホームは「身体上又は精神上著しい欠陥があるために常時の介護を必要と」する(老人福祉法第一一条)老人を対象とするもので、「欠陥」という用語の解釈上「病人」を対象とするものではなかったから、特別養護老人ホームは競って保険診療機関を併設することとなった。」(森 1989:171-174)
 ◆森 幹郎 198909 『老いとは何か――老い観の再発見』,ミネルヴア書房,OP叢書

・「老人福祉法においてあらたに制度化された施策の多くは、身体的、精神的または経済的にハンディキャップを有する特定の老人を対象とするものであったが、広くすべての老人を対象とする施策の一つに老人健康診査がある。
 これは国の事務と考えられ、市町村長に委任されるものとされたが、私の知るかぎりでは、老人の健康診査を国の事務としている例は世界にもないように思われる。
 老人福祉法において健康診査が制度化されたのは次ぎのような事由による。すなわち、いかなる疾病の治療も早期発見、早期治療がもっとも望ましいものであり、そのためには平素から健康診査を受けて健康管理を行なっていることが必要であるのはいうまでもない。とくに老人に多くみられる脳卒中・ガン・心臓病は三人成人病といわれ中年期以降に比較的多い病気であるが、早期治療の効果に著しいもののあることが知られている。このため、最近、職場等においては成人病の健訴訟査が活発に行なわれている。
 一方、現行の医療保険制度のもとでは健康診査は保険の給付の対象とされていないから、被保険者は健康診査を受けようと思っても、その費用をすべて自己負<155<但しなければならない。しかし、老人は、多くの場合、その費用を負担することができないから、積極的に健康診査を受けようとしないのがふつうである。他の年齢階層の者にくらべて、老人は、有病率の高い割合に受療率が低いのはこうした事情によるものと思われる。
 これらのことを考え、老人の健康を守るという立場から健康診査を積極的に行なうことが必要とされ、老人福祉法の制定に当たって制度化されるにいったのである。
 その結果は、当初の予想どおり、受診者の約半数については療養を必要とするものと診断された。しかし、療養費の給付については国民皆保険の体制のしかれた今日、医療保険各法または生活保護法(医療扶助)において行なわれるべきものである。医療保険の給付率は、健康保険の本人が一〇割給付であるほかは、その家族に対する五割給付、または国民健康保険の被保険者に対する七割結付となっており、その残りの三割または五割についてはそれぞれ自己負担しなければならない。しかし、老人は多くの場合その自己負担には耐ええないものであるから、療養を必要とすると診断されながらも治療の継続を期待できないというのが実情である。
 このような実情に対処して、政府では、医療制度の抜本対策についてかねてからいろいろと検討中であるが、その改善のなされるよりも早く、地方公共団体においてはすでに具体的にこれにこたえる対策を進めてきた。すなわち、給付率の引き上げがこれである。
 老人に対する給付率の引き上げをはじめて行なったのは岩手県沢内村であり、それは一九六〇年(昭、三五)のことであっだ。その後各市町村においてもこれにならうものがあらわれ、現在、東京都、秋田県のほか一〇七市町村(一九六九・一〇)がこれを行なっている。具体的にそのやり方をみると、一〇七市町村のうち、ハ○歳以上の老人に一〇割給付して全額無料としているのが五四市町村で、半数を占め、このほか、八〇歳以上の老人に九割給付が一六市町村、七五歳以上の老人に一〇割給付が二一市町村となっている。また、給付率の引き上げを行なっている市町村の大半が東北地方にあるのも特徴的である。<156<」(佐口・森・三浦[1970:154-156])
◆森 幹郎 19700715 「戦後老人対策のあゆみ」,佐口・森・三浦[1970]
*佐口 卓・森 幹郎・三浦 文夫 19700715 『老人はどこで死ぬか――老人福祉の課題』,至誠堂,184p. ASIN: B000J9P7M8 420 [amazon] ※ b a02 a06


■1967年
・4月15日 統一地方選挙で東京都知事に社会党と共産党の共同推薦の美濃部亮吉が当選
 その後1975年までの間に「革新知事は10人に達した」(石川[2004:114])
◆石川 真澄 2004 『戦後政治史』新版,岩波新書


■1968年
・「筆者は、スクラップを繰ってみた。
 一九六六年(昭和四十一年)九月十五日(老人の日)の毎日新聞夕刊によると、「昭和四十年一年間の六十歳以上の自殺は、四、四九三人、六十歳代で人ロ一〇万につき四〇人、七十歳代で六〇人、八十歳代で八七人が自殺している。老人福祉法第三条の〈老人は、健全で安らかな生活を保障される〉との精神からはほど遠いとしても、せめて老人を自殺に追いやることが<76<ないような対策が、早急に立てられなければならない」と書いてある。
 また同日の朔日新聞朝刊は、東京巣鴨のアパートに一人暮らしの七十八歳の老女が、ながながお世話になりましたと書置きして六月末に家出をし、ゆくえ不明のまま、やっと十四日に宇都宮の山中で、 自殺死体として発見された、と報じている。」(田中 1969:76-77)
田中 多聞 196909 『新老人福祉論』,社会保険出版社,326p. ASIN: B000J9OYJU.[amazon] b a06

・「一九六八(昭和四十三年)、民生委員制度発足五十周年を記念して行なわれた、全国社会福祉協議会のねたきり(ねたきりに傍点/引用者補足)状態実態調査の結果報告によると、六十五歳以上のねたきり老人の数は四十万人と発表された。その惨状は広く報道されたが、介護する家族の負担がひときわ目を引いた。…」(森[2007:10-11])
◆森 幹郎 20070915 『老いと死を考える』,教文館,253p. ISBN-10:476426904X ISBN-13: 978-4764269040 1575 [amazon][kinokuniya] ※ b a06

・森「…さて、「老人はどこで死ぬか」ということからまず第一に連想するのは、「ねたきり老人」の開題です。その数は、昭和四三年、全国の民生委員が老人の総点検をした結果によりますと、七〇歳以上の老人については一八万人、六五歳以上の老人については四〇万人と推計されていますが、これらの老人が、どこで、どのようにして死んでいくのかということは大きな問題です。つまり、家族や看護婦の看護も受けないで、はなはだしい場合には、ゴハンは一目に一回しかあてがわれないとか、納戸にねかされほったらかされているとか、人間としての生活を保障されていない老人もモのなかには少なくないことを知って、「どこで、どのようにして」、ということをもう一度、謙虚に、素直に見直さなくてはいけないと思うんです。老人福祉といいますが、人権にもかかわるこのような大きな問題が民生委員の老人総点検が行なわれるまでほとんど問題にならなかったということは、大きなショックでしたね。」(佐口・森・三浦[1970:63])
◆佐口 卓・森 幹郎・三浦 文夫 19700715 『老人はどこで死ぬか――老人福祉の課題』,至誠堂,184p. ASIN: B000J9P7M8 420 [amazon] ※ b a02 a06

・老後生活調査によると、61%が自力では生活困難で、子や孫の扶養に頼っている、しかも老齢者の23%があまり元気でない、14.2%が病気がちであり4.3%が半年以上床につききりという実情(社会保険法規研究会[19710830:28])
・鹿児島県国民年金課の調査によると年金のうち医療費の占める割合は、単身世帯で25.6%、夫婦世帯で41.3%、多人数世帯で31.1%ある(社会保険法規研究会[19710830:28])
・横浜市が75歳以上の国保被保険者の自己負担部分を、市が全額負担、1970年には80歳以上の国保被保険者の給付率を9割に引き上げる。
・8月 園田直厚相が、高齢者に対する医療費の公費負担制度を提示
内容は、健康保険の被扶養者5割負担、国保の3割負担を公費で賄い、保険給付と公費負担で10割給付を図るもので、対象者は70歳以上の老人とし、老齢福祉年金の受給資格者程度の所得階層とされた(社会保険法規研究会[19800512:4])。自己負担額が、入院時月額2,000円、入院外月額1,000円を超える場合につき、超えた部分に対して公費で10割負担を図り、実施主体は市町村とし、費用分担は国が8割、都道府県が1割、市町村が1割という構想であったが大蔵省の反対で実現しなかった(厚生省保険局[1968b:21-22])(社会保険法規研究会[19800512:4])。
・8月13日 日本医師会は地域保険・産業保険・老齢健康保険の構想を打ち出す(社会保険法規研究会[19800512:4])。
・10月30日 日本医師会は地域保険・65歳以上の高齢者を対象とする老齢保険・産業医学を必要とする産業保健の3本立てを提言。この構想では、地域保険の被保険者本人が10割給付、家族は7割給付、老齢保険と産業保健は10割給付、という内容。
日医の構想は、「老齢人口の増加は、現在においても保険財政に大きな圧迫を加えており、保険財政確立の面からも、その対策を考慮せねばならない」として「65歳以上の年齢階層の国民を対象として老齢健康保険を創設し、老人福祉の開発を期する」というものであった(社会保険法規研究会[19800407:4])。
・同日 自民党医療基本問題調査会(鈴木善幸会長)は、老人保健・被用者保険・地域保険(被用者保険の家族も含む)の3本立て試案を報告
◆厚生省保険局 19681010 『社会保険時報』第42巻4・5・6・7・8・9号
◆社会保険法規研究会19710830 『週刊社会保障』Vol.25No.632
 ―――― 19800407 『週刊社会保障』Vol.34No.1068
―――― 19800512 『週刊社会保障』Vol.34No.1073


■1969年
・「いちばん病気の多い子どもや老人層に、医療保険が百パーセント給付でないというところに、日本の医療保険の大きな矛盾がある。」(田中 1969:31)
田中 多聞 196909 『新老人福祉論』,社会保険出版社,326p. ASIN: B000J9OYJU.[amazon] b a06

・秋田県で、75歳以上の人を対象に、自己負担額が入院で2000円、外来で1000円を超える額を全額公費負担
・東京都は老齢福祉年金受給程度の所得以下で70歳以上を対象とし、全額東京都が負担(社会保険法規研究会[19710830:30])(北場[2000:76])(伊藤[2007:175])
・4月10日 自民党医療基本問題調査会(鈴木善幸会長)は、国民医療対策大綱案として、勤労保険(被用者本人)・国民保険(被用者保険の家族も含む)・老齢保険(被用者本人を除く70歳以上を対象)の編成を行い報告
・8月 厚生省はこの試案に沿った医療保険制度改革要綱案を提示し、老齢保険制度の創設を明らかにし、社会保障制度審議会と社会保険審議会に諮問
 試案の内容は、対象者を70歳以上(被用者保険本人は除く)とし、医療給付は、在宅診療10割、外来診療では一部負担を設け、入院診療は7割とするもの
 社会保険審議会は一貫して公費負担医療を主張、また事業主側は「特別な老齢保険を創設するより、公費負担、医療保険、老齢者福祉対策などの総合的施策により対応する必要がある」とし、日本労働組合総評議会(総評)・中立労連側は「65歳以上はすべての老人は公費負担による老人医療をうけることができることにする」、同盟側も「65歳以上の老人(所得税の非課税者)に医療については公費負担よることとし、…」と主張(社会保険法規研究会[19710830:28-29])。
◆伊藤 周平 2007 『権利・市場・社会保障――生存権の危機から再構築へ』,青木書店
◆北場 勉 2000 『戦後社会保障の形成――社会福祉基礎構造の成立をめぐって』,中央法規


老い・1970年代
■1970年
・『厚生白書(昭和45年版)』
総論―老齢者問題をとらえつつ―
第2章 老年と健康
7 リハビリテーション対策をまちのぞむ老齢者
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197001/b0009.html
 「「全国社会福祉協議会が昭和43年に行なつた居宅ねたきり老人実態調査によれば,70歳以上の居宅ねたきり老人の数は約20万人で,当該年齢層人口の5.2%にあたることが明らかにされているが,これらの人々の疾病の状態をみると,第2-8表に示すように老衰26%,脳卒中22%,高血圧18%,リューマチ,神経痛15%等が上位を占めている。これらの老齢者のめんどうをみるためにほとんど同数あるいはそれ以上の家族が多大の負担を負つていることは想像にかたくない。」


■1971年
・厚生省は老齢者対策プロジェクトチームをつくり検討
・8月24日 翌年度の予算省議で、70歳以上の老人医療について、自己負担分を公費負担(国が1/2、残りは地方負担)とする老人医療特別措置制度大綱案を報告した。
→国庫負担・所得制限などで自民党内でも意見がわかれる。社会保険審議会の被保険者側委員は対象年齢を65歳以上とすることを主張(社会保険法規研究会[19710830:30])
9月の答申で社会保障制度審議会は、老人医療については給付率の引き上げが望ましいとし、10月の答申で社会保険審議会は公費負担(保険+公費)との意見(社会保険法規研究会[19800512:4])


■1972年
・1月 各県が独自の老人医療を実施し、このときには老人医療費対策の未実施県は2県のみ
・政治状況は「1971年6月の参議院選挙で自民党が敗れ、保革の兆候がみえはじめた状態のもとで1972年12月の衆議院選挙を戦わなければならなくなった」(横山・多田編[1991:174])
・6月23日 老人福祉法のなかで、老人医療費支給制度(老人医療費無料化、保険+公費負担)が創設される(1973年1月1日施行)。
内容は70歳以上の老人を対象とし、国が2/3、都道府県と市町村が残りの1/3を負担
1973年4月からは65歳以上の寝たきり老人について老人医療費支給制度を発足させた。
◆横山 和彦・多田 英範 編 1991 『日本社会保障の歴史』,学文社

・「70 歳以上の老人医療費を無料にする老人福祉法改正案もこの年の国会に提出された。70歳以上の高齢者を対象に,医療保険の自己負担分を全額公費で支給する,というもので,2 月17日に国会に提出された。老人医療の無料化は,市町村がまず実施していた。世論に押されて都道府県がそれをすくい上げて実施し,そうした自治体の動きと世論に押されて国が 実施に踏み切った。昭和47年の通常国会は佐藤内閣の最後の国会で,重要法案が軒並み審議未了廃案に追い込まれるなかで,老人福祉法改正案だけは衆参両院とも全会一致で可決 され,国会の最終日の6 月16 日に成立した。改正法は6 月に公布され,昭和48 年(1973)1月から無料化が実施された。」(日本医師会HPより)
◆日本医師会HP  http://www.med.or.jp/ における
日本医師会通史昭和47年 http://www.med.or.jp/jma/50th/pdf/50th147.pdf


作成:老い研究会(情報集約:有吉玲子
UP:20090325 REV:20090328
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