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老い・1990年代

老い


田島 明子 2009/01/31 「「寝たきり老人」と/のリハビリテーション―特に1990年以降について」
 第76会SPSN(Social Polcy Studies Network)研究会 於:法政大学市ヶ谷キャンパス
→cf. 井口高志氏(信州大学)によるコメント
◆仲口 路子・有吉 玲子・堀田 義太郎 20070916-17 「1990年代の「寝たきり老人」をめぐる諸制度と言説」
 障害学会第4回大会 於:立命館大学
◆『「福祉のターミナルケア」に関する調査研究事業報告書』(1997)〜

■1990

◆向井 承子 19900320 『病いの戦後史――体験としての医療から』
 筑摩書房,246p. ISBN-10: 448085536X ISBN-13: 978-4480855367 1495 [amazon][kinokuniya] 品切(2001) ※
 「寝たきり老人を大量生産する」(向井 1990:169〜)以降からの引用
 「それにはもちろん、費用がかかる。私たちは、区役所に行って、東京都が行なっている「寝たきり老人福祉手当」の対象者として登録した。初めて私たちが登録した時は月額一万七五〇〇円だったが、一九八九年一〇月から四万一〇〇〇円と、じりじり上がってきている。介護手当も月に七〇〇〇円出る。そして、行政が行なっている対策で利用できるものはなんでも利用することにした。そんな流れの中で、在宅寝たきり老人を訪問してくれた保健婦さんのお世話で、シャワー・イスも無償で風呂場に備えることができた。その椅子は、つい最近までよそのお年寄りが使っていたのだが、<171<亡くなった方のでもいいですか、と尋ねられたものだった。(中略)
 繰り返すが、この全てが費用がらみである。それができる、という程度の生活を私たちがどうにかしているという証明なのだろう。でも、母自身の収入といえば、月三万円足らずの老齢福祉年金だけで、収支のバランスは全くとれない。老人福祉手当は、そんな自立を助けるための費用としては、少しは役に立つものだった。この制度ができたのは昭和四七年(1972年/引用者補足)一〇月、シビル・ミニマムなどの地方自治の発想を基本に福祉を重点に据えた美濃部都政が始まった時だった。その遺産である福祉の制度を鈴木都政も引き継ぎ成長させている。首都圏の他県とは桁外れの高額の「手当」を、私たちはありがたく利用させてもらっている。ありがたい、という意味は、その伝統を築いた歴史の担い手たちへの謝辞である。
(中略)
 この数字をどう見るか。たとえば介護者に毎月支給される介護費用七〇〇〇円では、家政婦費用の丸一日分にも満たない。介護者が一日でもだれかを頼んでゆっくり休める費用にもならない。また、老人福祉手当にしても、安心して身辺を任せられる人を頼む費用にはならないし、老人用の品<172<を整えようとすると、ベッドひとつとっても桁違いである。その制度について国はなんの補助も出していない。そして、在宅、在宅と声高にいわれる昨今がやってきている。在宅福祉とは、ほんとうはきめを細かくしようとすると、施設よりも費用がかかるものなのに、実際はある程度の生活レベルを保てる家族と同居を前提の、ちょっとお小遣い程度の金銭のばらまきを福祉といっているのではないか、と私には感じられる。仕事をしている女性にとっては、仕事をやめた方が安上がりの、主婦の在宅前提の考え方が頑固に基調にある。しかも、ひとりになにもかも背負わされて疲労困憊の主婦の立場には思いをやらない、「うちてしやまん」式の親孝行の実践が期待されている日本を象徴してはいまいか。
 それでも東京とは他府県とは比較にならないほど高いのである。在宅の「寝たきり」、あるいは「痴呆性老人」とその家族に行政が手渡す金額は、月五万円近いのが東京都、たとえば神奈川県では年額三万五〇〇〇円、千葉県では月額一万一五〇〇円の市町村への補助金交付、そして国は零円である。みんな、どうやってくらしているのだろう、と私は思う。そして、ふいに一番簡単な結論に思いがいってしまうのである。
 病気が一番好都合なのである。世間も納得するし、家族も楽である。そして、老人医療もあって、付き添いをつければ還付の制度もある。なんと、好都合なことであろうか。まるで「姥捨て山」のような病院の光景はたぶん、そこかしこに存在しているのだろう。」(向井 1990:171-173)
「たとえば、老人福祉手当てを受けるには資格がいる。在宅で六ヵ月以上、入院で三ヶ月以上を寝たきり状態にあることである。「寝たきり」の基準というのがあって、食事、排泄、入浴、その他の、身辺の具体的な自立機能について民生委員による調査と証明がいる。父も母も、この資格に合格して受給者になれたのだが、ここで矛盾が出てくる。少しでもこの基準から外れると資格を喪失してしまうことである。極論に聞こえるかもしれないが、寝たきりを強いておけば、資格喪失には<174<ならない。応々にして、その方がみとる側にとって楽なことがある。そうやって、死に追いやるのを奨励しているのかなあ、と思うことがある。(中略)
 病院で寝かせておけば、受給資格は死亡時まで永遠である。そして、現行の健康保険制度のもとではその方が遥かに安上がりとなる。その事自体の問題は問わずに手間と費用をかけた在宅介護の結<175<果だけを審査して資格を云々する根底の思想の貧困に私は苛立ってしまった。寝たきりから、少し自立し始めた時期を支える方法はまるで用意されていない。いや、念頭にもないといった方があたっているかもしれない。事実、老人福祉手当関連の書類には、資格喪失を届け出る項目があるのだが、そこには、「死亡」、「転出」、「その他」などの項目はあるのだが、「快癒」という項目は見たことがない。たぶん、初めから想定されていないのに違いない。」(向井 1990:174-176)

浜田 晋 19900324 『老人たちは,今』,日本看護協会出版会,237p. 1600 ※ a06

◆厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課 19900331 『寝たきりゼロをめざして――寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究 第2版』,中央法規出版,160p. ASIN:4805806818 1100 [amazon][boople] ※, b a06
 研究班長 竹中治(社会福祉・医療事業団)
 研究班員 大塚宣夫(青梅慶友病院)/木下康仁(日本老人福祉財団)/中田まゆみ(川崎市立井田病院)/七田恵子(東京老人総合研究所)/松田鈴夫(時事通信社)/山口明(国立精神・神経センター)/米本恭三(東京慈恵医科大学)

 表−16 日本と欧米の文化的背景の違い
    日本/欧米
社会の人権観 まだ人権観は確立されていない/戦後のノーマライゼーション運動の結果人権観が確立された
自己意識 依存「お世話になります」/自立「自分のことは自分でする」
家庭での老人観 古希をあがめる/自立を援助する
長期ケアの理想的あり方 そっとしておく/できるだけ自立を助ける
住宅環境 畳生活「横にならせて下さい」 車椅子は入りにくい/椅子、ベッド生活「腰をかけさせて下さい」 ベッドは寝るところであり日常的に寝食分離している

 V わが国で老人の寝たきり化を予防する方策
 「寝たきり老人を作らないためには、自立に向けての「生活意欲」を各老人が持つこと、さらに、社会全体がそれを支援していくことがまず出発点である。具体的な予防の方策は、まず「寝たきり」に導く原因疾患の発生を予防すること、原因疾患が発生したらそれによる障害を予防すること、不幸にして障害が発生したら障害の悪化を予防するため、逆に積極的にあらゆる方策を用いて「動かす」ことが重要である。これらの諸方策は数多くあり、種々のレベルで複雑にからみ合っている。今回提言を明確なものにするため、あえて重複を恐れず、二つの別の立場から、つまり一つは老人個人に着目し、個人に必要とされる諸方策を、健常な老人から障害を起こすまでの時間的経過に対応して整理し、また、もう一つは実施・支援する側に着目し、例えば実施・支援する人や場に対応して整理し、さらに、この二つの方策を推し進めるための地域ケア体制の確立のため、国、自治体等が行うべき方策について以下にまとめた。」(p.23)

◆岡本 祐三 19900510 『デンマ−クに学ぶ豊かな老後』,朝日新聞社,226p. ISBN-10: 4022561408 ISBN-13: 978-4022561404 1550 [amazon] ※ b a02 a06

◆根本 博司 編 19900825 『援助困難な老人へのアプロ−チ』,中央法規出版,おはようbooks,264p. 2000 ※ ** a

浜田 晋 199008 『お年寄りとともに――老人の地域内ケアを考える』 日本看護協会出版会,看護セミナー・ブックレット8,109p. 1000 a06

浜田 晋 19900910 『老いを生きる意味――精神科の診療室から』 岩波書店,229p. 1600 ※ ** a06

◆NHK取材班 19900920 『痴呆症――謎はどこまで解明されたか』 日本放送出版協会,250p. 1500 ※ **

◆大熊 由紀子 19900920 『「寝たきり老人」のいる国いない国――真の豊かさへの挑戦』,ぶどう社,171p. ASIN: 4892400955 1500 [amazon][boople] ※, b a06

大塚 宣夫 19900928 『老後・昨日、今日、明日――家族とお年寄りのための老人病院案内』,主婦の友社,225p. ASIN: 4079340109 1400 [amazon][boople] ※, b a06

6章 寝たきり老人を起こす
 「起き老人」のヨーロッパ事情
   ほんとに寝たきりはいないのか?の疑問
 「昭和六十三年六月、老人病院の管理運営に当たっている仲間とともにヨーロッパへ出かけました。目的はヨーロッパの平均的な老人病院や介護施設を見ることでしたが、特に感心があったのは、当時わが国の新聞、雑誌、テレビなどで散見されていた次の二点の真偽でした。
 第一は、ヨーロッパの老人施設にはわが国でいういわゆる「寝たきり老人」がきわめて少ないこと、第二は、ヨーロッパの国々では高齢者に延命のための医療行為はほとんどなされないということについてでした。」(大塚[1990:114])
 当病院の「寝たきり起こし」
  最初に手がけたのは、病院職員の意識改革
  老人に生気が戻った
 「しかしながら、この試みを通じて現体制の老人病院で、ヨーロッパで見てきたような対応をすることがいかに困難であるかもあらためて思い知らされました。
  人手と設備が豊富に必要
 第一の困難は、マンパワーの確保です。
 […]<0133<
 もう一つの大きな困難は、建物の構造、設備にあります。
 […]<0134<
 ヨーロッパの施設で見てきたもう一つの大きな違い、老人のいわゆるいちばん最後の部分の対応については、今日までのところヨーロッパ流のやり方を本格的に導入するところまでは踏み切れません。
 「自分で食事ができなくなった老人に対して、口の中に食事や水分を運んでやるが、それを飲み込めなくなったら、それ以上の手段は講じない」、この考えの中には、最後の最後まで、個人個人に選択の余地を与える、あるいは自分で決定するチャンスを与えるというヨーロッパ流の個人主義が息づいているように思えます。
 これに対して、わが国では、老人の終末の形は、老人本人の意思には関係のない形で進<0135<められます。
 たとえば、食事を飲み込む能力すらなくなった老人に対してどんな手段をとるかの選択は、ほとんどの場合家族と担当の主治医の話し合いで決められます。
 ここでは、老人患者を個人というよりは、あくまで家族の一員として、家族の思いの中で生きる存在としてとらえるきわめて日本的な価値観を見ることができるように思います。
 当病院でも、多数の老人患者の終わりをみとってきました。これ以上どんな処置をしても、けっして助からないだろうと思いながらも、家族があきらめきれず希望すれば、各種の延命のための処置が延々とつづけられる。これがわが国の実情でもあります。
 これは、どちらがすぐれているというよりも、文化の違いというべきなのでしょう。
 一日を横になって過ごすことへの評価にも、畳の文化といすの文化の違いを感じます。これは、どちらがすぐれているというよりも、文化の違いというべきなのでしょう。一日を横になって過ごすことへの評価にも、畳の文化といすの文化の違いを感じます。いすの文化の国々では,生きるということは、頭を地面を少しでも高い所におくことであり、頭の位置が高ければ高いほど、質の高い生き方をしていると思っているフシがあります。
 これに対してわが国では、横になることは最も安楽な、つくろぎの姿勢ととらえて、<0136<けっして恥ずべき姿とはとらえられていないのです。」(大塚[1990:133-137])

上野 千鶴子 19900810 『40才からの老いの探検学』,三省堂,221p. 1200 ※ ** a06

■1991

◆厚生省 編 19910401 『厚生白書〈平成2年版〉――真の豊かさに向かっての社会システムの再構築豊かさのコスト――廃棄物問題を考える』,厚生問題研究会,402p. ASIN: 4324026173 1500 [amazon][boople] ※ b a06 ts2008a

 第1編・第1部・第2章「新たな社会サービス供給システムの構築」第1節「地域に密着した老人保健福祉サービスの展開」1「高齢者保健福祉推進十か年戦略」(ゴールドプラン)の推進」(2)「「ねたきり老人ゼロ作戦」の展開」
 「高齢者対策の進んでいる北欧等においては、自立を支えるという観点から、ねたきりにしないことに重点が置かれているため、我が国と比較して、ねたきり老人の割合が極めて少ないものとなっている。
 また、我が国では、従来ねたきりは高齢者には避けられないものと受け取られているが、介護を必要とする高齢者の自立を助け、生活の質を高めることができるようにするためには、介護を必要とする後者異ができることとできないことを見極めた上で、可能な限りねたきりにしないための対策を推進していく必要があると考えられる。
 こうした観点から、「寝たきりは予防できる」ことについての意識啓<0062<発を行うととこに、脳卒中等のねたきりの原因となる病気の予防、適切なリハビリテーションの提供、在宅の保健、医療、福祉サービスを円滑に提供する情報網(脳卒中情報システム)の整備等を内容とする「ねたきり老人ゼロ作戦」を展開している。」(厚生省編[1991:62-63])
 在宅及び施設でねたきり状態にある老人比率の国際比較(厚生省編[1991:63])

1991年4月 特例許可老人病院入院医療管理料の新設
        看護料,投薬料,注射料および検査料を包括化
        特例許可外老人病院の注射料の適正化
        注射料の入院時医学管理料への包括化

◆相野谷 安孝 19910704 『国が医療を捨てるとき』,あけび書房 pp.75-87

 「お年寄りに国が医療費をかけない一番の方法――それが「長く入院させない」「とくに高齢者の入院を長びかせない」ことだった。・・具体的に「長く入院させない」しくみをみていくことにしよう。現在、診療報酬の体系は二本立てになっている。70歳の誕生日をさかいに「老人特別掲載診療報酬」という70歳未満とは別建ての診療報酬が適用される。この「老人特別掲載診療報酬」は1983年の老人保健法制定のさい「老人の心身の特性をふまえ、老人に適切な医療が提供されることを確保する」と称して定められた診療報酬である。<0077<・・一年以上の入院患者に対しては一日に何回どのような処置を行っても、一日210円しか認められない。年齢プラス入院期間で制限、差別が拡大するのである。」 「・・1990年4月の診療報酬改定では、食事を摂取している場合の点滴や静脈注射の薬剤料は、一日どれだけ実施しても、500ccでカットされることになった。また入院が一年を超えると、脳波、超音波などの検査は3ヶ月に1回しか認められない。<0081<」  「入院料や入院に関わる検査や費用が低く抑えられている反面、外来や在宅療養では70歳以上のみ点数化されている項目がある。退院時の指導料がそれだ。6ヶ月以上の長期入院患者にたいし、退院するよう「指導」して退院させれば一人あたり2000円が支払われる。退院時におけるリハビリの指導料や退院前の訪問指導料も69歳以下にはない点数である。<0085<」

◆青木 信雄・橋本 美知子 編 19910710 『「寝たきり」老人はつくられる――寝たきり大国からの"脱"処方箋』,中央法規出版,284p. ISBN-10: 4805808616 ISBN-13:978-4805808610 2000 [amazon] ※ b a06 ts2008a

山井 和則 19910710 「北欧の現状から対策を考える」,青木・橋本編[1991:121-143] ts2007a
 「一九八九年、イギリス、スウェーデン、デンマーク、アメリカ、シンガポールで八か月間、老人ホームに住み込んだり、ホームヘルパーの方にお供しながら、勉強をさせていただきました。それは、残念ながら「いかに日本の高齢者福祉が遅れているか」を、この目で確認する旅でした。」(山井[1991:121])

◆二木 立 19910720 『複眼でみる90年代の医療』,勁草書房,231p. ASIN: 4326798734 2520 [amazon][boople] ※, b m/e01

3章 90年代の医療供給制度
 五 高齢者保健福祉推進十ヵ年戦略(ゴールドプラン)は「みせかけ」か?
 […]
 寝たきり老人ゼロ作戦は「寝たきり」と「寝かせきり」とを混同
 最後に、ゴールドプランの問題点で、一般にはほとんど見落とされている点を指摘したい。それは、<0136<ゴールドプランの「目玉」とされている「寝たきり老人ゼロ作戦」における、「寝たきり」と「寝かせきり」との混同である。これは、私が医師として専門としていたリハビリテーション医学の視点からの検討である。
 私は障害を持った老人の能力は複眼的に評価する必要があると思っている。
 一つは、「自立度」という概念である。これは、他人の介助、監視、あるいは促し、励ましを得ずに、自力でどこまでいろいろな動作ができるかということである。この視点から見ると、たとえ早期からリハビリテーションを徹底して行っても、歩行が自立する老人、つまり狭義の「寝たきり」状態を脱する老人は三分の一しか減らせないというのが、冷厳な事実である<(20)五九頁,(42)二三四頁>
 しかし、これだけにとどまっていると重度の障害老人の切り捨てになる。それを避けるためのもう一つの評価の視点は、他人の介助を受ければ、最大限どこまでの動作ができるかということである。そして、自力では起きられない、あるいは歩けない老人、狭義の「寝たきり老人」のうち、介助をすれば起きられる、歩ける老人が大半なのである。
 私自身の脳卒中早期リハビリテーションの経験でも、発症後早期の「寝たきり老人」のうち約九割は介助をすれば起こしたり、座らせたり、歩かせることができる。それに対して、重篤な心臓疾患や肺疾患などがあり、全身状態が不安定なために医学的な理由から絶対安静を必要とする老人は、一割にすぎない。<0137<
 『寝たきりゼロをめざして』という、厚生省の特別研究の報告書の中でも、老人医療で有名な東京の青梅慶友病院の実践例として、自力では起きたり、歩けない慢性疾患・障害老人のうち、介助をすれば起きたり、歩ける老人が九割だと報告されている<(43)四九頁>。
 大熊由紀子(朝日新聞)が先駆的に明らかにしてきたように、北欧諸国には、「介護の必要なお年寄り」はいるが、「寝たきり老人」がほとんどいないというのは、この意味においてなのである<(38)>。そのため、私は「寝たきり老人ゼロ作戦」というのは不正確な表現で、「寝かせきり老人ゼロ作戦」と言い替えるべきだと思っている。
 早期リハビリテーションを徹底して行うと同時に、慢性期に入った障害老人に維持的・継続的なリハビリテーションを行い、早期リハビリテーションによって達成した「自立度」を維持することは非常に重要である。しかし、先述したように、その効果は限られている。
 そのために、自力では起きたり、歩けない、という意味での「寝たきり老人」を「寝たきり老人」にしないためには、これらの老人を介助によって起こしたり、歩かせるという援助が不可欠である。そして、これを徹底的に行うためには、大量のマンパワーの投入が不可欠で、ゴールドプランとは桁違いの費用がかかる。」(pp.136-138)

(20)二木 立 19880905 『リハビリテ−ション医療の社会経済学』,勁草書房,勁草−医療・福祉シリーズ29,259p. 2400
(42)二木 立・上田 敏 198010 『世界のリハビリテ−ション――リハビリテ−ションと障害者福祉の国際比較』,医歯薬出版,238p. 4500
(43)厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課 1989 『寝たきりゼロをめざして――寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究』,中央法規出版
(38)大熊 由紀子 19900920 『「寝たきり老人」のいる国いない国――真の豊かさへの挑戦』,ぶどう社,171p. ASIN: 4892400955 1500 [amazon][boople] ※, b a06

和田 努 19910901 『老人医療の現場――明日の高齢者福祉を考える』,東林出版社,288p. ISBN-10: 4795235627 ISBN-13: 978-4795235625 1800 [amazon] ※

デンマークの高齢者福祉に学ぶ――日本人は自己決定すべきとき 237
 「私はこの市のプライエム、在宅ケアの現場を多く見せてもらったが、寝たきり老人――伊東氏流に言えば、「寝かせきり老人」を一人も見ることはなかった。」([和田:1991:246])
 「高齢者も身体的な障害はどんなに重くても在宅ケアで支えられることを実証し、費用の最も多くかかるプライエムは減らしていこうというのがデンマークの最近の政策である。ネストベッズ市の場合も現在のプライエムは漸次縮小していき、一九九五年までには閉鎖する計画である。痴呆のような自立できない人だけが施設ケアの対象になるようだ。」([和田:1991:246])
 「一九八〇年前後にデンマークで社会的入院があったということは驚きである。高齢者福祉が整備されたのは比較的最近であったことに気づくのである。
 一九七八年、超党派の「高齢者問題委員会」がつくられ、この委員会は長期的な高齢者福祉医療政策の理念と方法を追求して報告書を政府に答申した。この報告書は高齢者医療福祉政策の三原則を打ち出した。
 「継続性の尊重」――生活をなるべく変えないで高齢者を支援する。
 「自己決定の尊重」――自分自身の方向性は高齢者自身が決定し、周囲はそれを尊重する。
 「残存能力の活用」――残された能力を維持し、それを最大限に活用する。」([和田:1991:246])

「死の問題を日常に取り戻す」
 和田 私事にわたって恐縮ですが、二年前に私の父は八六歳で亡くなりました。死の直前まで自宅ですごしましたが、終末ぎりぎりになって入院させました。そうしたら主治医が私を呼んで「あなたのお父さんは腎不全になりそうだから人工透析をしたらどうですか」と勧めるわけです。「私の父は八六歳まで生きさせていただきました。天寿をまっとうできたと思っています。いまさら人工透析をする必要はありません」と断わりますと、その主治医は言うわけです。「人工透析をしたら多少は延命できると思うのですが、それを断るというのは息子さんとしては冷たいんじゃ<275<ありませんか。ほかのごきょうだいと相談された結果なんですか」と。さらに父が昏睡状態におちいり、あと数時間の生命だという時に、「人工呼吸器を装着しますか」というようなことを医師が言うわけです。私は断わりました。八六歳の老人のわずかな時間の延命のために多くの費用と技術がつかわれることになるのですが、私の父の生命の質がこれらによって高まるわけではありません。「もっと自然な寿命というものを受けいれるべきではないか」とつくづく考えさせられましたね。
 岡光 考えさせられますね。こういう一面があるんですね。ベッドを占拠されてて、大した医療を行わないと病院は赤字になるんですね。終末期において相当集中的な医療を行って赤字部分を埋め直しているという側面を否定できないと思いますが、経営のことを考えれば、ある意味では当然おこるべきことかもしれません。そして診療報酬が悪いんだ、といわれるかもしれません。
 ですから平成二年(1991年/引用者補足)、から特例許可老人病院入院医療管理料を新設して、定額制を導入したわけですが、そういう仕組みにして、介護にかかる人件費に充ててその他の経費はできるだけ圧縮したらどうですか、というやり方を提案したわけです。
 和田 私自身は定額制の導入はすごく高く評価しています。
 岡光 経営的な要素と、もうひとつは今までは医師は生かすことしか考えていない。死の問題はいやな問題ですからね。特に老人の医療ということになると終着点は死なんだから死にどうやってたどり着くかという話は避けてしまっていると思います。<276<
 和田 しかし医療において、とりわけ老人医療においては死は絶対に避けてはいけない問題なんですね。
 岡光 そうなんです。特に最近は死を真正面に見つめていこうという考え方が出始めてきたと思いますね。個人レベルでも「私の終末はどうしたらよいのか」と大きな課題になってきている。 
 和田 現代人は死を間近に見るということが少なくなって、死のことを忘れてしまってるきらいがありますよね。昔と違って死のイメージが非常に希薄になっている。そういう意味では死を日常に取り戻すということは大切なことじやないかと思うんです。
 岡光 聖隷福祉事業団の長谷川保先生が、子供とか若者に死に立ち合わせろ、とおっしゃっていますが、それは大切なことなんですね。そ<277<ういう意味で最近死の問題が出てきたことはいいと思うんですが、死というものに対して日本人の覚悟は実はできていないと思うんです。ヨーロッパの発想はどこまでが本当かよく分かりませんが、本などで読みますと、自分のロから食べられなくなったらおしまいだ、という発想があるらしくて、中心静脈とか気管切開をするなんてことはヨーロッパでは考えられない。やはり食べられなくなったら終りとか、生命の限界というふうに考えているようです。それに対して、日本人は日本人の死生観をなくしているんじゃないだろうかと思うんです。
 和田 「天がしかるべき時に死を与える」というような表現を読んだことがありますが、自然な寿命というものを私たちは受容すべきじやないかと思いますね。
 岡光 いまホスピスの動きが出ていますよね。がんの終末期が対象になっていますが、私はがん以外の病気のホスピスがあってもいいんじやないかと思います。
 和田 大賛成です。生の医療と並んで、死の医療も必要だと思うんです。ホスピス・ケアは高齢化社会において、すべての老人の天寿をまっとうさせてあげるために在るべきだとうんです。
 岡光 そうだと思います。ですから、終の住家というか、死に場所というか、「それはどこなんだ」というのを、それはもちろん複数でいいんですが、解答を出さなきゃいけないんだと思います。
 和田 それはとても重い問題ですけど、解答を迫られていますよね。死にゆく者の、あるいは死者を送る者の願望からいえば、終の住家は住み慣れた家、地域社会でありたいと思う。しかし、<278<昔だったら、広島で生まれたら、広島の地域社会で死ぬのは当たり前だった。ところが現代はそれはむずかしいことなんですね。私は広島市に生まれましたけど、首都圏に核家族をつくって住んでいる。私の母親は広島市に独居老人として住んでいます。母にとって終の住家は広島市の長年住みなれた自宅なんだろうか……。できれば広島市の自宅を終の住家にしてやりたい。息子である私は首都圏に住み、母は広島市に住む。ここに社会福祉が必要なところだと思うんですね。家族福祉とか地域福祉を超えた問題だと思います。
 岡光 そうなんですね。社会福祉、社会保障の現在の社会の位置づけはやっぱりそういうことだと思うんですね。個人レベルではどうしようもないレベルがある。それを社会全体で何とかしてあげようということだろうと思います。それがこれからの高齢者の社会福祉だと思いますね。

生活の介護を通して生きる意欲を引き出す
 和田 死を視野に入れた医療が必要じやないか、という話が出ましたが、医療の世界の中には、絶対的延命主義というか、一分でも長く延命させるのが善であるという考え方が根強くあるわけですが、自然な寿命を受容するというか、人間の老いとか死を受容するという哲学を再確認する必要があるのではないかと私は考えています。その考え方の延長線上にあると思いますが、老人医療というものは治療から看護に転換されなくては絶対にいけないと思っているのですが……。<279<
 岡光 老人医療を考えると、疾病を管理するという点からも、老人医療というのは特異で非常に変っているということを基本的に認識する必要があるのではないか。むしろ極端な言い方をするドクターがいらっしゃいます。「粗診粗療のほうが元気になるよ」と。
 和田 分かります。お粗末な医療というふうに誤解されては困るけど(笑い)
 岡光 あまり薬を与えたり、いろいろな治療をするよりも日常生活の世話をする、介護をするほうが、お年寄りは元気になるというような経験にもとづく発言もあるんです。
 和田 なるほど。
 岡光 最近、老人保健施設がどんどん作られています。タイプとしては病院と併設というのが多いんです。病院に入院していて病状が安定すると老人保健施設に移されます。老健施設で何をやっているかといえば、実は定型的な、表現は適切ではないかも分かりませんが、軽い医療しか行われていません。
 和田 「軽い医療」というのはおもしろい表現ですね。つまりケアということですよね。
 岡光 そうです。日常の世話、介護ですね。それでお年寄りは老健施設に移されると元気になるんです。看護婦さんはそういうのを見て、病院で一生懸命治療をしていた時の状態と、老健施設に移って、毎日の生活、食事の世話とか、風呂に入れるとか、トイレに連れて行くとか、ちょっとした運動、作業をするとか、みんなでレクリエーションをするとかやっていたら病院の時より元気になるのを見て、「今まで自分たちは一体何をしていたんだろう?」と。そんな声が現場か<280<ら少しずつあがってきているんです。
 和田 これまでの入院治療に対する常識とか専門性というものが問われているんですね。
 岡光 そういうことなんですね。
 和田 先はども少し出ましたが、昨年四月の特例許可老人病院入院医療管理科の新設と定額性(ママ)導入はそういう意味で評価したいと思うんです。
 岡光 ご存知のように一般診療報酬の場合は出来高払いですが、特例許可老人病院のうち特に介護に重点を置いているような老人病院については、介護というのは人件費ですからいろんな経費を包括払いにしてしまおうじやないか。いねば全体の診療報酬の九〇%程度を一括払いにする定額払いに近い診療報酬にする。そういう診療報酬が自分の病院としてはふさわしいと思えばそれを採用していただいて結構です、という仕組みにしました。
 和田 医学的処置よりも生活面のケアを必要としているお年寄りを収容している場合、定額払いに近い診療報酬は病院にとっても、お年寄りにとっても良いと思いますよ。
 岡光 採用した病院ではずいぶん変化が出てきました。ある病院のケースですが、診療収入は今までと比べて大体同じくらい。そうダウンしていないそうです。特色として出ているのは極端に薬の使い方が減ったことです。従来、全体の支出に占める医薬品の割合が二二%くらいあったそうですが、新しい包括制の診療報酬を採用して一一%になったそうです。半分になったんです。収入が大体同じで、人も同じくらいいて、経費の中で薬代が半分に減ったわけですから利益とし<281<ては上がったわけです。病院も経営的には非常に良くなった。
 和田 それはいいですねぇ。
 岡光 それから点滴をやめたそうです。点滴の中でも特に抗生物質の使用量が極端に減ったんです。またボケ防止というか、脳循環を良くするという抗痴呆薬の類の薬も使わなくなったそうです。
 和田 もともと不必要な点滴、抗痴呆薬だった、という気もいたしますね。
 岡光 表現が適切かどうか分かりませんが、どうも抗生物質を使い過ぎていたんだし、脳循環を改善する薬なんか、おそらく使わなくていいということなんでしょうね。
 和田 老人医療の現場を取材していて、何種類もの薬を飲まされて腹いっぱいになって食欲がないというケースもありますからね。
 岡光 そういえば、点滴をやめたらお年寄りはお腹がすきはじめたんでご飯を食べるようになったというんです。ご飯を食べ出したら元気になっちゃった。
 和田 まさに病院がつくっていた医原病という気がいたしますね。私の知っている特別養護老人ホームでは、病院から退院してきた老人の、病院でつくられた褥瘡を治し、病院でつくった点滴による食欲不振から治していくといいます。
 岡光 それから看護婦さんは点滴注射のセットをしなくていいものだから、投薬に関する業務量が断然減って、日常生活の介護に重点を置けるようになった。事務の人や先生方は診療報酬に<282<関する請求事務が包括払いになったものだから、これも事務量が激減してしまった。請求に頭を悩ませることもなくなった。
 和田 それは画期的なことですね。
 岡光 それで医師は患者のほうを向き出した。看護婦は日常生活の介護に力が入る。患者自身はご飯を食べて元気になっちゃった、というわけで、実は包括払いは、私たちが見ても、望ましい方向に進みつつある現象が起こっています。ですから繰り返しになりますが、どうもお年寄りの医療というのは、いわゆる治療よりも生活の介護を中心に行なうのがふさわしいのではないか、という感じが最近しているのです。」(和田 1991:275-283)

◆山井 和則 19910920 『体験ルポ 世界の高齢者福祉』,岩波書店,岩波新書,226p. ISBN-10: 4004301866 ISBN-13: 978-4004301868 [amazon] ※ b a02 a06

 1988年「当時、私は財団法人・松下政経塾の研究員として、日本各地の老人ホームを実習して回っていた。実習すればするほど、「人間が死ぬ前に、”寝たきり”になって悲惨になるのは、仕方のないことだ」とあきらめが深まっていった。そんな時、朝日新聞社『AERA』主催の福祉のシンポジウムを傍聴した。「北欧には、寝たきり老人がいない」という。半信半疑であった。」(山井[1991:ii])
 1989年、インド、イギリス、スウェーデン、デンマーク、アメリカ、シンガポール、バングラデシュの老人ホームを回る。
 「私を「寝たきり」問題に開眼させて下さったのは、『朝日新聞』論説委員大熊由紀子さんと、阪南中央病院の岡本祐三先生であった。」(山井[1991:223])

◆坂井 洲二 19911010 『ドイツ人の老後』,法政大学出版局,291p. ASIN: 4588050745 2415 [amazon][boople] ※, b a06

◆Butler, Robert N. 1975 Why Survive ? : Being Old in America, Harper & Row= 19911018 グレッグ・中村文子訳,『老後はなぜ悲劇なのか?――アメリカの老人たちの生活』,メヂカルフレンド社,488p. 4600 ※ **

■1992

◆春日 耕夫・春日 キスヨ 199202 『孤独の労働――高齢者在宅介護の現在』,広島修道大学研究叢書第67号,広島修道大学総合研究所,153p.

◆厚生省 編 199204 『厚生白書 平成3年版――広がりゆく福祉の担い手たち・活発化する民間サービスと社会参加活動』,厚生問題研究会,発売:ぎょうせい,432p. ISBN-10: 4324033102 ISBN-13: 978-4324033104  1631 [amazon] ※ b a06
 http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz199101/

第1編
第3部 厚生行政の動き
第1章 保健医療・福祉サービスの総合的な展開
第1節 地域における高齢者の保健・福祉サービスの総合的な推進
1 高齢者の保健・福祉サービスの積極的な推進(高齢者保健福祉推進十か年戦略の展開)
(3) 寝たきり老人予防対策
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz199101/b0082.html
「寝たきりゼロへの10か条
 寝たきり予防に向けた啓発活動や寝たきり予防のための総合的な施策を柱とした「寝たきり老人ゼロ作戦」を効果的に展開するため,啓発活動の一環として,「寝たきりゼロへの10か条」を平成3年3月に策定した。
第1条 脳卒中と骨折予防寝たきりゼロへの第一歩
第2条 寝たきりは寝かせきりから作られる過度の安静逆効果
第3条 リハビリは早期開始が効果的始めようベッドの上から訓練を
第4条 くらしの中でのリハビリは食事と排泄着替えから
第5条 朝おきて先ずは着替えて身だしなみ寝・食分けて生活にメリとハリ
第6条 「手は出しすぎず目は離さず」が介護の基本自立の気持ちを大切に
第7条 ベッドから移ろう移そう車椅子行動広げる機器の活用
第8条 手すりつけ段差をなくし住みやすくアイデア生かした住まいの改善
第9条 家庭でも社会でもよろこび見つけみんなで防ごう閉じこもり
第10条 進んで利用機能訓練デイ・サービス寝たきりなくす人の和地域の和
 このほか,全国6か所で厚生省と県が共同して「寝たきり防止シンポジウム」を開催したり,平成3年度から全都道府県に「寝たきりゼロ推進本部」を設置するなどして「寝たきり老人ゼロ作戦」を実施している。」(厚生省 1992)

◆山口 昇 19920501 『寝たきり老人ゼロ作戦』,家の光協会,222p. ISBN-10: 4259543954 ISBN-13: 978-4259543952 1325 [amazon][kinokuniya] ※ b a06

 「平成3年「寝たきりゼロへの10か条」(山口[1992:126-128])
 「従来、わが国では寝たきりの程度を判定する基準がなかった。その地域で、また判定する個人によって、それぞれがばらばらな判定をしていた。御調町でも今から一〇年前までは判定基準がなく、したがって民生委員が寝たきりと判定した老人が、保健婦が行なってみると庭まで下りていたり、まだ逆に寝たきりではないと判定された老人が、実際には寝たきりであったりということがあった。そこで御調町では数年前からADLの程度によってこれを点数化し、その点数によって寝たきりか否かを判定するようにした。このことにより、かなり客観的に判定されるようになった。
 国も公衆衛生審議会の答申を得て、平成三年一一月、「障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準」を作成した。私もその作成委員の一人としてこれに関与したが。要はいつでも誰でもどこででも判定できるものを作ろうという発想であった。今後はこれにより寝たきり度が判定され、平成四年度から五年度にかけて策定される予定の地方老人保健福祉計画にもこれが適用されることになった。
 新しい判定基準では、起居移動にウェートを置いて、全体を四つのランクに分けている(表16参照)。まずランクJは、なんらかの障害は有しているが日常生活はほぼ自立<131<<【表16】132<<【表17】133<しているグループである。ランクAは、いわゆる閉じこもり(House bound)であり、準寝たきりに属する。ランクBは、車椅子では移動できるがなんらかの介助を要するグループ(Chair bound)であり、ランクCは、ベッドから離れることができないbed boundである。そして、これらをさらに二つの程度に分けている。また、これら四つのランクに加えて、七種類のADLの程度により必要なサービスを選択できるようになっている(表17参照)。従来の五種の介助に整容と意思の疎通を加えたものである。
 私たちはこの寝たきり度の判定基準に当てはめてみたところ、表16に示したとおりで、そのランク別とは得点はほぼ一致していることがわかった。私たちは、こうして従来のADLの程度で判定する点数制と今回の判定基準との整合性を図ることができた。
 次に寝たきりにならないために、私たちの病院では具体的にどのような方法を行なっているか、少し紹介してみたいと思う。原則的には国が作った「寝たきりゼロへの一〇か条」で十分であるが、私たちは本人向けと家族向けの十か条を作っている(一三九〜一四一ページ参照)。病院のお年寄りのおられる人たちに、あるいは何かの参考になるかもしれない。」(山口[1992:130-134])

◆二木 立 19921015 『90年代の医療と診療報酬』,勁草書房,251p. ASIN: 4326798815 [amazon][boople] ※, b m/e01 ts2007a

 「第二は、在宅障害老人地対する単なる「延命」のための医療の再検討である。
 わが国は世界に冠たる「延命医療」の国であるから、在宅の寝たきり老人の状態が悪化した場合には、病院のICU(集中治療室)に入れられることも少なくない。このことの「再検討」とか「制<0142<限」などというと、「医療費の抑制」とか「患者の人権無視」といった非難をたちどころに浴びせられる可能性がある。
 しかし、ここで考えなければらならないことは、多くの医療・福祉関係者が理想化している北欧諸国や西欧諸国の在宅ケアや施設ケアでは、原則として延命医療は行われていないなことである。
 この点に関しては、有名な老人病院である青梅慶友病院院長の大塚宣夫先生の著書『老後・昨日、今日・明日』(主婦の友社、一九九〇)がもっとも参考になる。同書によると、大塚先生はヨーロッパ諸国を訪ねて「次の二点の真偽」を確かめたかったそうである。「第一は、ヨーロッパの老人施設にはわが国でいういわゆる『寝たきり老人』が極めて少ないこと、第二は、ヨーロッパの国々では高齢者に延命のための医療行為がほとんどなされていないということ」(一一四頁)。そして結論は、二つともその通りであったとのことである。
 あるいは、ドイツの老人ホームを実地調査した『ドイツ人の老後』(坂井洲二著、法政大学出版会、一九九一)によると、ドイツでは人々がホームに入る時期を遅らせ、死期が近づいた状態になってはじめて入る人が増えてきたため、「三〇〇人収容の老人ホームで一年間に三〇〇人も亡くなった」例さえあるという(一〇八頁)。わが国でこんなホームがあったら、たちどころに「悪徳ホーム」と批判されるであろう。
 わが国では、ヨーロッパ諸国の在国ケアや施設ケアという、なぜか「寝かせきり」老人がいない<0144<ことに象徴されるケアの水準の高さのみが強調される。しかし、単なる延命のための医療を行っていないという選択もきちんと理解すべきである。
 誤解のないようにうと、私は障害老人に対する単なる延命のための医療を一律禁止すべきだ、といっているのではない。しかし、事実として、延命治療よりもそれ以前のケアを優先・選択する「価値観」「文化」を持っている国があることを見落とすべきではない。
 そして、わが国でも、今後は同じような「選択」が必要になるであろう。デンマークの福祉に詳しい有名な有料老人ホーム経営者は、「わが国で、一方ではデンマークやスウェーデン並みのケア、他方で効果の非常に疑問な末期の延命医療を無制限に行うとなると、どんな立場の政府でも、その財政負担に耐えられない」といわれている。」(二木[1992:142-144])

 cf.大塚 宣夫 19900928 『老後・昨日、今日、明日――家族とお年寄りのための老人病院案内』,主婦の友社,225p. ASIN: 4079340109 1400 [amazon][boople] ※, b a06
 cf.坂井 洲二 19911010 『ドイツ人の老後』,法政大学出版局,291p. ASIN: 4588050745 2415 [amazon][boople] ※, b a06

◆新村 拓 19921030 『ホスピスと老人介護の歴史』,法政大学出版局,214p. ISBN-10: 4588312057 ISBN-13: 978-4588312052 2520 [amazon] ※ b a06 d01 t02

■1993

◆児島 美都子 19930130  『「寝たきり」をつくらない福祉――福祉とは何かを問いつづけて』,ミネルヴァ書房,251p. ASIN: 4623022579 1937 [amazon][boople] ※ 2008a
1 人間らしく生きる
 人間らしく生きるために――海外の在宅ケア・日本の在宅ケア

◆京極 高宣 19930415 『高齢者ケアを拓く』 中央法規出版,192p. 2200 ※ **

◆向井 承子 19930930 『老親とともに生きる』,晶文社,285p. ISBN-10:4794961375 ISBN-13: 978-4794961372 1835 [amazon][kinokuniya] ※ b a02 a06
 【内容(「BOOK」データベースより)】
東京に住む向井さんの家に、両親が身を寄せたのは、1972年の春のことでした。お父さんは73歳。お母さんは68歳。二人ともいくつかの病気を抱えていました。当時の平均寿命が、男69歳、女74歳。「親孝行も数年のことだと思った」と向井さんは正直に書いています。でも、それは「甘っちょろい誤算」でした。すでに日本の高齢化社会は急速に進みつつあったのです。老父母との20数年間の暮らしのこまごまを記録し、日本の老人医療・福祉のありかたを根本から問い直す本。

◆岡光 序治 19931020 『老人保健制度解説――第一次、第二次改正と制度の全容』,ぎょうせい,328p. 7000 ISBN-10: 432403866X ISBN-13: 978-4324038666 [amazon]※ a06

◆岡本 祐三 19931210 『医療と福祉の新時代――「寝たきり老人」はゼロにできる』,日本評論社,272p. ASIN: 453558141X 2100 [amazon][boople] ※, b a02 a06

◆大渕 律子 19931215 「痴呆性老人を抱える家族援助と訪問看護」,上田敏・大塚俊男編[1993:205-221]

■1994

◆三好 春樹 19940306 『なぜ"寝たきりゼロ"なのか――新しいケアが始まっている』,ライフケア浜松,77p. SBN-10: 4887201249 ISBN-13: 978-4887201248 800 [amazon] ※ b a06 ts2008a

 「ここでちょっと考えて見ましょう。なんで寝たきりはゼロにしなければいけないのか。寝たきり老人がいるのは、日本だけだなんて言いますね。朝日新聞あたりが主催するセミナーなんか行きますと、みんな暗い顔をして帰ってくるそうです。西洋は素晴らしくて、日本はだめだ、一体どうなるんだろう。で、みんな北欧を見に行ったりするんです。町長以下、みんな北欧に行って見てきたなんて町が一番やってないですね(笑)。日本じゃ何にもできないって諦めてるところがある。おかしな話です。
 私は寝たきり老人が日本に多いっていうのは、決して悪いことではない、いや、それ自体は悪いことなんだけど、マイナスだけで捉える必要はないと思います。というのは、まず寝たきりになっても栄養が行き届くっていう豊かさがないと、寝たきり老人なんていな<0009<いんですよ。脳卒中になって生き長られえる国っていうのは、世界で数えるくらいしかないんですからね。旧共産圏だとか、発展途上国ではできないですからね。さらにその上、他人に依存しても生きてゆけるという文化を持っているところでなければならない。これ西洋じゃ無理なんです。西洋は自立してなかったら人間じゃない、っていう世界です。自立のためには必死でやりますが、一度他人に依存しちゃうと、もう生きていけないという世界ですね。依存して生きていけるというのは、東洋なんです。
 この二つの条件を満たしている国が日本だけなんです。それで寝たきりが多い。日本の悪徳みたいに言われていますが、そういう意味では老人の寝たきりをいかに克服していくのかっていう方法論も、この二つを武器にする他ない。一つは豊かさ、もう一つは相互依存手です。自立というのは、人間にとっては幻想みたいなものですね。自立、自立なんていわれていますが、自立して生活している人なんか、どこにもいないんです。
 人間は一生に3回、他人に頼らなければいけ<0010<ない。子供の時、病気の時、年取った時です。最後の年取った時というのは、長生きした者の特権ですから、援助してもらってありがとうと言えばいいんです。そういう文化をいまだに持っているんですからね。これを使って寝たきりの問題を何とか解決していこうということです。ですから、外国に対して恥ずかしいから寝たきりを減らそうなんていう発想では困るんです。」(三好[1994:9-11])

◆山井 和則・斉藤 弥生 19940920 『体験ルポ 日本の高齢者福祉』,岩波新書,240p. 780 ※

◆二木 立 19941125 『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』,勁草書房,237p. ASIN: 4326798939 2625 [amazon][amazon] ※, b m/e01 07a

 「[…]慢性疾患・成人病中心の現代にあっては、平均寿命だけで、先進諸国の医療の質(この場合は治療効果、outcome)を判断・比較することはできず、ADL(日常生活動作)やQOL(生活の質)を加味した指標を用いることが不可欠である。しかし、ADLやQOLの世界共通の評価尺度は未確立であり、この面での医療の質の厳密な国際比較を行うことはできない。
 このような制約下にあって注目すべきことは、朝日新聞論説委員の大熊由紀子氏が、早くから(なんと一九八五年から)「寝たきり老人」(彼女の表現を用いると「寝かせきりにしてしまっていたお年寄り」)が多数見られるのは、先進諸国の中では日本だけなことを発見し、これがわが国の老人医療・福祉の立ち遅れの産物であることを、鋭く指摘してきたことである(21)。この事実は、その後厚生省の委託研究でも確認され、その結果は『厚生白書一九九一』(六三頁)にも掲載された(22、23)。」(p.12)
(21)大熊 由紀子 19900920 『「寝たきり老人」のいる国いない国――真の豊かさへの挑戦』,ぶどう社,171p. ASIN: 4892400955 1500 [amazon][boople] ※, b a06
(22)厚生省大臣官房老人保健福祉部老人保健課 1989 『寝たきりゼロをめざして――寝たきり老人の現状分析並びに諸外国との比較に関する研究』,中央法規出版
(23)厚生省 編 199104 『厚生白書〈平成2年版〉――真の豊かさに向かっての社会システムの再構築 豊かさのコスト 廃棄物問題を考える』,厚生問題研究会,402p. ASIN: 4324026173 [amazon][boople] ※(本では『厚生白書一九九一…』とあり)

◆199407〜199412 高齢者介護・自立支援システム研究会
 http://www.yuki-enishi.com/siryou/siryou199412-00.html
 http://www.umin.ac.jp/govreports/nursing/
 委員名簿 http://www.umin.ac.jp/govreports/nursing/names.txt
 高齢者介護・自立支援システム研究会委員名簿
(座長) 大森 彌・東京大学教養学部教授
(座長代理) 山口 昇・公立みつぎ総合病院長/岡本祐三・阪南中央病院内科医長/京極高宣・日本社会事業大学教授/清家 篤・慶応義塾大学商学部教授/橋本康子・東京弘済園弘済ケアセンター所長/樋口恵子・東京家政大学教授/宮島 洋・東京大学経済学部教授/山崎摩耶・帝京平成短期大学助教授
高齢者介護・自立支援システム研究会の開催経過
第1回 7月1日
・高齢者介護をめぐる現状について
第2回 7月13日
・老人保健福祉サービスの現状について
・諸外国の高齢者保健福祉システムについて
第3回 7月25日
・地域における先駆的な取組について
・これからの介護サービス体系のあり方について
第4回 8月1日
・現状制度の機能と限界について
・費用保障制度のあり方について
第5回 8月23日
・基本理念及びこれまでの議論の整理について
・サービス利用の基本的仕組み等について
第6回 9月21日
・高齢者の住宅問題、マンパワー問題について
(建設省住宅局住宅政策課、厚生省老人保健福祉局老人福祉振興課、社会・
援護局施設人材課からヒアリング)
・要介護認定基準について
第7回 10月6日
・ドイツの介護保険制度について
マイデル教授(マックス・プランク海外/国際社会研究所長)
・アメリカの介護制度について
バトラー博士(マウントサイナイ医科大学老年学部長兼教授、国際長寿社
会米国リーダーシップセンター理事長)
・ストーン博士(米国厚生省次官補代理、大統領医療改革タスクフォース長期
介護部会長)
第8回 10月17日
・家族からみた高齢者の介護と扶養義務、介護と相続の問題等について
(名古屋大学法学部 水野教授からヒアリング)
・介護システムと費用負担について
第9回 11月4日
・研究会報告書の項目立ての検討について
第10回11月14日
・研究会報告書スケルトン(案)について
第11回 11月25日
・研究会報告書(案)について
第12回 12月5日
・研究会報告書(案)について
 →報告書 199412

◆高齢者介護・自立支援システム研究会 199412 「新たな高齢者介護システムの構築を目指して」

 http://www.yuki-enishi.com/siryou/siryou199412-00.html
 http://www.umin.ac.jp/govreports/nursing/nursing.txt

 […]高齢者のQOLを高めるという視点から、主として北欧諸国で打ち出されてきた政策は、「寝たきり」をなくすために高齢者の自立を支援するような介護のあり方を模索するという方向で<0204<あった。そして日本でも、このような方向を強く打ち出すべきことが、94年に厚生省に設けられた私的諮問組織「高齢者介護・自立支援システム研究会」によって報告されたのである。このころの厚生省の政策の理念は、すでに1990年のゴールドプランとして具体化されていたが、さらに「21世紀福祉ビジョン」が示され、今後の施策の重点を医療から介護に移すことがうたわれた。」(西村[2002:204-205])*
*西村 周三 20000220 『保険と年金の経済学』,名古屋大学出版会,236p. ASIN: 4815803722 3360 [amazon][boople] ※, b m/e01
 『厚生白書 平成7年版』
 http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz199501/b0115.html
 「また,3大臣合意においては,より効率的で国民だれもがスムーズに利用できる介護サービスの実現を図る観点から,新しい公的介護システムの創設を含めた総合的な高齢者介護施策の検討を進めることとされたところである。こうした新しい公的介護システムについては,平成6年12月に,厚生省の研究会である「高齢者介護・自立支援システム研究会」の報告書が提出されている。この報告書では,「高齢者の自立支援」を介護の基本理念として介護に関する既存の福祉,医療などの制度を再編成し,高齢者自身がサービスを選択することを基本とする社会保険方式の導入などが報告されている。この研究会報告などを参考にしつつ,平成7年2月より老人保健福祉審議会における検討が開始されたところである。こうした新介護システムの導入に当たっては,これを支える介護サービス基盤の整備が不可欠であり,新しい公的介護システムの検討と並行して,新ゴールドプランに基づく介護サービス基盤整備の促進を行うこととしている。」
 『厚生白書 平成8年版』
 http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz199601/b0041.html
 「高齢者介護・自立支援システム研究会報告(1994(平成6)年)
 1994(平成6)年7月,21世紀福祉ビジョンで示された高齢者介護に関する基本的な論点や考え方について検討を行うため,学識経験者を委員とする「高齢者介護・自立支援システム研究会」が発足する。研究会は,12回にわたる検討を経て,同年12月に「新たな高齢者介護システムの構築を目指して」と題する報告をまとめた。
 この報告ではまず,福祉,医療など介護に関連する現行のシステムによる対応の限界を指摘した上で,高齢者介護の基本理念を「高齢者が自らの意思に基づき,自立した質の高い生活を送ることができるように支援すること,つまり『高齢者の自立支援』である」として,「新たな基本理念の下で関連制度を再編成し,21世紀に向けた「新介護システム」の創設を目指すことが適当である」と提言した。その上で,新介護システムの費用負担方式については,高齢者自身によるサービスの選択,サービス受給の権利性,保険料負担とサービス受益との対応関係の明確性および受益に見合った利用者負担(応益負担)という点で,租税を基礎とした公費方式よりも社会保険方式に基礎を置いたシステムが最も適切であると述べている。」

■1995

◆山本 茂夫 199503 『福祉部長 山本茂夫の挑戦』,朝日カルチャーセンター,226p. ISBN-10: 4900722146 ISBN-13: 978-4900722149 1529 [amazon][kinokuniya] ※ b a02 a06

◆山井 和則 19950703 『家族を幸せにする老い方』,講談社,277p. ISBN-10: 4062077191 ISBN-13: 978-4062077194 [amazon] ※ b a02 a06

「なぜ、医療や年金に比べて、介護の予算はケタ違いに少ないのか?
 答えはお金の集め方の違いにある。年金も医療も保険で集めている。しかし、介護(福祉)の財源は税金、いわゆる一般財源と呼ばれるものである。<0236<
 […]「増税」に対しては国民の多くが反対する。実際、増税をすることは至難のわざである。つまり、年金や医療のお金は保険方式なので増やしやすいが、介護(福祉)のお金は増税につながるので増やしにくい。「増税分が本当に福祉に使われるのか」という不安と疑問が国民に根強いからだ。[…]
 これに関連して「消費税を福祉目的税に」という意見がある。しかし、これは実現性が低い。[…]
 そんななか、一九九四年に厚生省が提案したのが「公的介護保険」である。」(山井[1995:236-238])

◆川上 昌子 19951022 「都市における介護問題の現状」,『今日の生活と社会保障改革』啓文社 pp.249-276

「ちんまりした生き方の先に「寝たり起きたり」がある。さらにその先に「寝たきり」がある。・・「寝たり起きたり」とはADLつまり日常生活能力のことであ<0265<る。その基となるのは身体能力であるが、全く一致するわけではない。室内歩行可のものが15ケース中9ケースである。ベッド上座位保持可が5ケースである。室内歩行可のものが起きて歩くことに不思議はない。むしろ寝るのはなぜかである。ベッド上座位保持可のものは車イスか、介助してもらうか、抱きかかえてもらうかでなければ食堂や風呂場に移動できない。<0266<・・・このように、介護はできる範囲の中でなされているのである。積極的介護はなされていない。とはいえもちろん、それでも大変であり、それしか出来ないのであるから外から非難出来ることではない。だが、その結果として屋内歩行可の身体能力がありながら、座って、あるいは寝ながらテレビを終日みているというか、テレビがつけてあるという暮らしになっている。「寝たきり」とはどういうことか、表8によると、身体能力はさらに低下しているが全介助が必要なものばかりではない。不可能動作は増えているが、それに対応した介護がなされていない。寝たきりにして、オムツをしておく方がむしろ楽だという介護者の話もよくきいた。何よりも指摘したい点は「寝たり起きたり」の生活状況の延長線上に「寝たきり」があることである。寝たきり、オムツ使用が老人病院や特別養護老人ホームの問題点として指摘されるが、在宅でも同じなのである。ただ、在宅の場合は他人の目にはつかないのでわかりにくい。在宅とはブラックボックスだと感じたことであった。<0267<」
 「第二にいえることは介護内容の貧困である。要介護になる以前の高齢期の生活そのものがちんまりと貧弱であるとするならば、介護だけが立派になるわけが無い。介護方法についての知識の不十分さもあろうが、人手も少なく、積極的介護の必要性も感じられていない。「寝たきり」になればそのまま世話するまでである。食べること、排泄の世話、できる限りでの身体の清潔さの保持である。積極的介護は、一般に家族介護ではなしえていなといえる。もし「介護保険」がつくられたとして、このような結果としての「寝たきり」を切り取り、その部分への対応しか考えられないとしたら、「寝たきり」は、家族の中でか、施設の中でか増加し続けることになるのではないだろうか。「寝たきり」は身体状態の老化の当然の帰結ではないことは明らかである。<0275<」

■1996

◆生井 久美子 199602 『付き添って――明日はわが身の老人介護』,朝日新聞社,292p. ISBN-10: 4022569360 ISBN-13: 978-4022569363 [amazon][kinokuniya] ※ b a06→20000201 『付き添って――ルポ 老人介護の24時間』,朝日新聞社,朝日文庫,321p. ISBN-10: 4022612835 ISBN-13: 978-4022612830 693 [amazon][kinokuniya] ※ b a06
【内容(「MARC」データベースより)】
家政婦紹介所から病院に派遣される「付き添いさん」。彼女たちの仕事や生活を通して、この国の医療やお年寄りの介護の実態を取材。厚生省の指導による「付き添いさん」廃止は、医療現場に何をもたらしたかを検証。
◇山本 茂夫 199503 『福祉部長 山本茂夫の挑戦』,朝日カルチャーセンター,226p. ISBN-10: 4900722146 ISBN-13: 978-4900722149 1529 [amazon][kinokuniya] ※ b a02 a06
 「その後、劣悪な老人介護について、問題提起をするジャーナリストはあらわれなかったが、平成六年六月一日から朝日新聞紙上に連載された『付き添って――ルポ老人介護の24時間』という記事は私にとって新しい衝撃であった。生井久美子記者が病院と付添さんの了解を得て何日間も病院に泊り込ん<166<で取材したもので、標準的な病院における付添看護の実態であるだけにショックは大きかった。[…]」(山本[1995:166-167])

吉田 寿三郎 199602 『文明病としての高齢社会――ウエルエージングの思想』,創知社,244p. ISBN-10: 4915510700 ISBN-13: 978-4915510700 [amazon] [kinokuniya] ※ b a06
【関連情報】
◆日本ウエルエージング協会(元・日本壽齢科学協会)
http://www.wellaging.ne.jp/

◆和田 秀樹 19960401 『老人を殺すな!――老人専門総合病院の現場から警告する』,KKロングセラーズ,222p. 1600 ※

■1997

◆毎日新聞社 19970127 「老人医療に新たな一石、現場からも賛否」 東京朝刊 26頁

老人医療に新たな一石、現場からも賛否−−高知の老人病院「消極的安楽死」
1997.01.27 東京朝刊 26頁 社会 (全1,056字) 

 「食べられなくなったら、寿命」なのか。高知市の老人病院が「人工栄養チューブは使わない」という方針をとっていることについて専門家に意見を聞いた。

 ◇決めつけは重大差別−−老人医療に詳しい浴風会病院(東京)の横内正利診療部長の話
 今回の「安楽死」で危ぐするのは「高齢者は生きているだけで価値がある」と考える人を無視している点。「植物状態はみじめ」とか「栄養チューブは無駄」と決めつけるのは重大な差別ではないか。病院が栄養チーブをつけないと方針を立てること自体、たとえ少数でも延命を望む人をねじ伏せることになる。
 高齢者の末期は一つではない。一般的に医療を尽くしても肺炎などの病気が回復しない場合が末期で、「生命の末期」と呼ぶ。老人は治療しても食べられない状態が恒常化する時期がある。これを「老化の末期」と呼ぶ。一時的に食べられないだけの状態を「みなし末期」と呼び、治療で回復することが多い。「食べられない」状態が治るかどうかは診断が難しく、治るのに生命的な末期とみなし治療を放棄する危険がある。本人意思不明なのに「老化の末期」に人工栄養を選ばないのは法的に問題が残る。
 ただ、欧米では治療可能でも「食べられなくなれば生きる意思がない」と判断され、人工栄養までして延命しないという。それが欧米のコンセンサスだ。
 日本では「食べられなくなったら終わり」のコンセンサスはないし、高齢者の末期について情報が知れ渡っていない。事前の意思表示(リビングウイル)は尊重されるべきだが、末期医療に画一的な価値観は押しつけられない。時間をかけ国民全体で考えるべきだ。

 ◇一般の人も望んでる−−金子仁郎・大阪大名誉教授(精神神経科)の話
 尊厳のある自然な死に方だと思う。昔は老人の多くは自宅で死んだが、栄養チューブなどなく、食べられなくなったら終わりだった。今回の方法は、あるがままの自然な死に戻すだけで、法的にも倫理的にも何も問題はないと思う。
 現在は、回復する見込みがあるなしにかかわらず、栄養チューブを入れているのが現状だ。ところが、一般の人は、ただ生かしておくだけの処置はやめ、自然に死ぬことを望んでいる。
 特に痴ほう症は末期は植物状態になり、哀れで、介護は困難を極める。いかに尊厳をもって死ぬかが重要だ。植物状態だと本人の意思確認ができないのが難点だが、医師が家族とよく相談し、決めればよい。
 諸外国では、本人の生前の意思が不明でも裁判で生命維持装置を外すことが認められたケースもある。
 (この記事には表「高齢者の末期3類型と治療法」があります)

毎日新聞社

◆日野原 重明 19970425 『豊かに老いを生きる』,春秋社,215p. 1800 ※ ** a

◆199705 閣議決定「経済構造の変革と創造のための行動計画」より
 http://www.miti.go.jp/topic-j/e3275amj.html

 「介護については、介護を医療保険から切り離し、社会的入院の解消を図る条件整備を図るため、また、民間事業者を含む多様な事業主体の参入を促進することにより、効率的にサービスを提供する仕組みとするため、現在、介護保険制度の創設に関連する法律案を国会に提出しているところであり、平成12年度より介護保険制度を実施する。」

出口 泰靖 19970530 「「痴呆」にまつわる現象の「臨床社会学的」エッセイ:その一――「痴呆性老人」とのコミュニケーションの断絶とバーチャル・リアリティ」,『オープンフォーラム』02:09-12

◆渡辺 俊介 19970512 『介護保険の知識』,日本経済新聞社,日経新書,177p. ISBN-10: 4532107490 ISBN-13: 978-4532107499 872 [amazon][kinokuniya] ※ b a06
第4章 先例に学ぶ
 1 介護先進国デンマーク
 2 グラッドサックス市のケース
 3 介護保険を始めたドイツ
 4 日本の介護先進地域・御調町

◆西村 周三 19970620 『医療と福祉の経済システム』,筑摩書房,ちくま新書,218p. ASIN: 4480057110 735 [amazon][boople] ※

第2章 高齢社会の見通し―経済社会の変貌と医療・福祉の将来
 「[…]「寝たきり老人」をゼロにするという高い理念がある[…]すなわちただ単に要介護者のお世話が大変だから、介護福祉を充実するという<0063<ことにとどまらず、要介護者の自立を支援するということが目標とされている。
 筆者の知る限り、この理念が日本で重要な意味を持つようになったのは、八〇年代のはじめ頃からデンマークをはじめとする北欧諸国の実態を調査し、「寝たきりはゼロにできるのだ」というキャンペーンを展開した大熊一夫氏、大熊由紀子氏、岡本裕三氏らの努力によるところが大きい。彼らの啓蒙活動が次第に普及するなかで、スウェーデン大使館勤務の経験を持つ厚生省若手官僚たちがこれに呼応して、九四年に「高齢者介護・自立支援システム研究会」が設置された。同報告書はこのような彼・彼女らの長い努力の結実である。
 ただ介護保障の現状は、このような理念が掲げるところとはかなりかけ離れている。」 (西村[1997:63-64])
 「たとえばデンマークの国民医療費はイギリスや日本とともに、対GNP費でかなり低い。そしてそれにもかかわらず、介護福祉が充実しているために、国民の満足感は比較期高い。デンマークの現状は、介護福祉サービスの充実が、必要な医療費をかなり軽減する可能性を示唆している。
 そして各国はデンマークの実態を見習って、どのような介護福祉を充実させれば、医療費の抑制が可能かという視点を強く打ち出している。このような見解の歴史的変遷には、もちろん福祉についての考え方の変遷も作用している。心身に障害を有する人々に対するケアは、以前は施設中心の発想であったが、「ノーマライゼーション」の思想が普及すると共に、個々人の「生活」そのものを優先するなかで、必要なケアの提供を行うという発想に転換してきたために、病院中心のケアよりも、在宅ケアを重視するという発想が生ま<0066<れてきた。
 ところが、日本では[…]医療費と福祉費の比率は一〇対一近くになっている。高齢化のスピードと比べれば、その伸びは依然低いと言わざるをえない。」(西村[1997:65-66])
 「終末期の医療費が、一カ月一〇〇万円以上と群を抜いて他の時期の医療費より高いことはよく知られており、もし現在の趨勢でいわゆる「病院死」が増えれば、それだけで二〇<0066<一〇年には、さらに数千億円の余分の医療費を要することになる。またこれはフローの意味で余分に必要とされる額であるが、これだけの死亡者の増加に対処するためには、現状の病床数では、他の患者を追い出さない限り不十分であり、さらに多額の設備投資を必要とする。
 もちろん病院死が、国民の大多数の望むところであるというのなら、国民がそれだけの負担増をあえて甘んじて受けてでも、このような投資が必要と思われるが、はたしてそうであろうか。この種の問題は、一般の市場メカニズムによる解決と違って、大部分が公的資金によってまかなわれるために、真の国民の希望をとらえるのが難しい。たとえば決して「ホスピス」という施設が望ましくないというのではないが、ホスピスに入所している人々には、月間で約九〇万円の費用がかかっている。これに対していわゆる在宅ホスピスに用いられている公的資金は、ヘルパー、訪問看護婦の派遣、往診などを含めた外来医療費など、高く見積もっても月間一〇万円程度にしかならない。これでは、人々が家族介護の負担への考慮を含めて、施設を選ぶのは当然の帰結である。
 このような現状を踏まえるならば、どちらが真の国民の選ぶところかを知るためには、在宅終末期医療に月一〇〇万円程度かけたうえで、そのどちらを選択するかを問うてみる必要がある。したがって長期的視点からは、このような試みを政策的に実行してみることが必<<要なのではないかと思われる。
 ところが残念なことに、さまざまな制度的行き違いが、この種の試みの実現を困難にしている。」(西村[1997:67-68])

◆毎日新聞社 19970829 「老人医療の現場から/下」 大阪朝刊 27頁

老人医療の現場から/下 「死に方」の国民的議論を1997.08.29 大阪朝刊 27頁 社会 (全1,805字)

 人工栄養による老人の延命の是非が議論を呼ぶ中、自ら食事を拒否し、死を選ぶ「老人の拒食死」が病院や老人ホームで現れ始めた。「在宅死」を選ぶ人も増えている。欧米では人工栄養チューブによる延命はあまり行われず、"チューブは日本固有"との見方もある。さまざまな死から、「老人の理想の死」を考えた。【斎藤義彦】

□拒食死□
 「きれいに死にたい」。おばあさん(96)はそう話し、すべての食事を拒否し始めた。寝たきりになって2カ月目だった。老人ホームの職員らは口をこじ開け、スイカなど好物を流し込もうとしたが、かたくなに拒否。水は少し飲んでくれた。点滴を入れても抜いてしまう。チューブも受け付けない。
 おばあさんは世話されるのを嫌った。夫は既になく、子供もない。「早く死にたい。体の中はきれいにして死ぬものよ」。やせても気丈に話した。
 拒食して2カ月、意識は混濁し、体がミイラ状になって静かに亡くなった。1994年の夏だった。「死期をさとって、自ら死を選んだ」と職員は話す。
 「死ななければ家に帰れない」。茨城県の老人病院に入院していた女性(88)も食事に一切手をつけなくなった。2年前のことだ。体調は安定していたが、退院しても世話をしてくれる家族はいない。女性は拒食死を選んだ。
 医師は人工栄養チューブをすすめたが、家族が反対。意識がもうろうとなって、点滴だけ受け入れた。が、すぐに亡くなった。「年をとるのはつらい」。死の1週間前にこぼした一言が女性の遺言になった。
 「迷惑をかけるから死なせて」。こう言い残して人工栄養を拒否、死亡する「老人の拒食死」は、明らかになっただけでも全国で4件。拒食死する老人の叫びは孤独だった。

□在宅死□
 病院でなく自宅での死を選ぶ人もいる。
 「お父さん。どうして体が冷たいの」。昨年1月、高知市の美吉幸子さん(77)は自宅療養中の夫、美雄さん(85)に添い寝した。体をこするとぬくもりが戻る。さすり続けて夜を明かすと、往診した医師は臨終を告げた。「いつ亡くなったか分からない眠るような死でした。最期までみとれてよかった」と幸子さんは話す。
 「自然に生きたい」。それが夫婦の願いだった。がんが悪化してからも自宅に戻った。それを毎日の訪問看護と往診が支えた。食事はのどを通らなくなったが、チューブは入れなかった。幸子さんはまくら元で一緒に食事した。夫は少しだけ食べた。娘が子供時代にひいたピアノ曲も聞かせた。美術館のこと、孫の受験のこと。美雄さんは意識が遠のきながら幸子さんと語り明かした。
 遺志で葬儀は行わず、遺骨は3カ月後、散骨を進める市民団体の船で、神奈川県の沖に散骨した。
 往診した今井稔也・近森リハビリテーション病院医師は「現在の医療は死に勝てると勘違いしている。自宅で自然に死ぬのを支えるのも医療だ」と話す。

□欧米では□
 老人の延命は欧米ではどう扱われているのか。
 「あなたは何て恐ろしいことをするのか」。特別養護老人ホーム「くすのきの郷」(東京都)の柏木洋子施設長が95年、北欧3カ国で半年間、現場研修した時だ。オランダのホームで、食事しようとしない痴呆性老人の口をこじ開け、スプーンを入れようとすると、ソーシャルワーカーが怒鳴りつけた。「食べたくないのに。あなたは老人の"自己決定"を侵している」
 ワーカーは日本に手紙を送ってきた。「私たちは食事は並べるが、無理に食べさせたり、チューブを入れたりしない。そのままでも安らかに死ねる」と記す。 神奈川県の老人病院で今年1月、食事が飲み込めないカナダ人男性(87)の親族が「ナチュラルに」と人工栄養チューブを拒否。男性は点滴だけを受け、3週間後に死亡した。欧米のホームや病院で、人工栄養チューブを付けた老人を「ほとんど見なかった」と話す医師は多い。ある医師は「人工栄養チューブは日本固有の文化」とみる。
 老人医療に詳しい横内正利・浴風会病院(東京都)診療部長は「欧米が優れているわけではない。医療はその国の文化。どのような延命医療を選ぶのか、時間をかけ国民全体で考えるべきだ」と指摘する。

 ご意見、情報を 新社会面に関するご意見、情報は、名前(掲載の場合匿名を希望する方も)、年齢、職業、電話番号を明記のうえ、手紙(〒530−51 毎日新聞大阪本社新社会面編集室=住所不要)かファクス(06・346・8104)でお寄せ下さい。紙面掲載分は、本社データベースに収録されます。

毎日新聞社

◆琵琶湖長寿科学シンポジウム実行委員会・村井淳志編.亀山正邦監修.199711.「高齢者の介護とターミナルケア」,『総合ケア・別冊』110p. NDC:369.26 \2,800 (税込\2,940)
 http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9971430606&REFERER=0
 http://www.so-net.ne.jp/medipro/isyk/new_info/9711/77020-m.htm
 http://www.ishiyaku.co.jp/search/details.cfm?bookcode=770200

春日 キスヨ 19971210 『介護とジェンダー――男が看とる女が看とる』,家族社,251p. 1714 ※ a06

『「福祉のターミナルケア」に関する調査研究事業報告書』(1997)〜

◆19971217 介護保険法(平成九年十二月十七日法律第百二十三号)

■1998

三好 春樹 19980130 『老人介護問題発言――黙ってはいられない!』,雲母書房,244p. 2000 ※ ** a

◆高崎 絹子 編 19980202 『“老人虐待”の予防と支援――高齢者・家族・支え手をむすぶ』,日本看護協会出版会,294p.ISBN:4-8180-0608-4 2625 [amazon][bk1] ※ **

◆199802〜『社会保険旬報』における石井暎禧氏・横内正利氏・広井良典氏による「論争」
 →『「福祉のターミナルケア」に関する調査研究事業報告書』(1997)〜
 石井暎禧横内正利広井良典

◆19980311〜第142回国会衆議院厚生委員会
 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/142/0223/14203110223003c.html

◆井藤英喜・井口昭久・佐々木英忠・鳥羽研二.19980511.「〔座談会〕老年医学の新たなる展開――介護保険導入を前に」,週刊医学界新聞、第2288号(1998年5月11日).
 http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1998dir/n2288dir/n2288_01.htm

◆19980613 京都老人のターミナルケア研究会主催「高齢者の終末期ケア講演会」
 http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1998dir/n2287dir/n2287_08.htm
 ※以下、講演会の部分を上記から引用。
○高齢者の終末期ケア講演会
 開催案内 6月13日/京都市
 京都老人のターミナルケア研究会が主催する「高齢者の終末期ケア講演会」が,きたる6月13日,「最期まで人間らしい生を 老いて死にゆく人へのケア」をテーマとして,京都市の京都アスニーで開催される。
・プログラム
〔基調講演〕ここまでできる高齢者の終末期ケア(高知愛和病院長 村井淳志)
〔パネルディスカッション〕座長=弥栄町国保病院長 三宅貴夫,滋賀県立成人病センター部長 藤本直規 ※その他,現場からの報告として,終末期を介護した家族の体験などが
披露される
・事務局:〒780-8130 高知市一宮3894-2 高知愛和病院(村井淳志)
 TEL(0888)45-1641/FAX(0888)46-2811

小沢 勲 199806 『痴呆老人からみた世界――老年期痴呆の精神病理』,岩崎学術出版社,258p. ISBN:4-7533-9807-2 3150 [boople][amazon] ※

◆水野 肇・青山 英康 199809 『PPK(ピンピンコロリ)のすすめ――元気に生き抜き、病まずに死ぬ』 ,紀伊國屋書店,211p. ISBN-10: 4314008245 ISBN-13: 978-4314008242 1890 [amazon][kinokuniya] b a06 ※
 「《内容》 80歳を過ぎても健康で元気な人の秘密とは? 平均寿命が男女ともに高く、老人医療費が日本一少ない健康長寿の地域として知られる信州・長野への大掛かりな調査によって、健やかに老い、健やかに天寿を全うするピン・ピン・コロリ(PPK)の 条件が浮かび上がってきた。PPKへの普及化・全国化へ向け行政・医療・住民の介護をめぐる意識改革を促す書。」

◆19980904 日本老年医学会老人医療委員会倫理委員会発足

「平成10年9月4日、日本老年医学会老人医療委員会のもとに「老年医療の分野における終末期医療のあり方を含めて広く倫理的諸問題について検討し、理事会の諮問に応じて協議答申すること」を目的として倫理委員会が発足した。当初の委員は以下である。
委員長   佐々木秀忠 東北大学老年・呼吸器内科教授(平成12年より交代)
副委員長 井口昭久 名古屋大学老年科教授(平成12年より委員長)
委員    飯島節 国際医療福祉大学教授(現筑波大学心身障害系教授)
       遠藤英俊 国立療養所中部病院医長
       加藤正弘 江戸川病院院長
       小出五郎 NHK解説委員
       袖井孝子 お茶の水女子大学生活学部教授
       野口美和子 千葉大学看護学部成人看護教授
       松下啓 東京都老人医療センター副院長(現勝楽堂病院)
幹事    植村和正 名古屋大学第三内科助手(現名古屋大学病態内科助手)
 ここに、昨今のわが国の高齢者医療、とりわけ「終末期医療」を取り巻く複雑多岐にわたる諸問題に対する日本老年医学会の倫理的立場は如何にあるべきか、検討する場が設置された。本節では設置以来の倫理委員会の議論を中心にこの問題に対する日本老年医学学会のこれまでの活動をふりか<222<えり、今後の課題や展望にまで言及したい。」(植村 2003:222-223)

→植村和正 20031220 「終末期医療」,日本老年医学会編『老年医療の歩みと展望――養生訓から現代医療の最先端まで』,メジカルビュー社.222-225.

1.はじめに (植村 2003:222)
2.倫理委員会の発足 (植村 2003:222)
3.第一回倫理委員会(平成10年9月4日) (植村 2003:223)
4.第二回倫理委員会(平成10年11月20日) (植村 2003:223)
5.第三回倫理委員会(平成11年4月13日) (植村 2003:223)
6.第四回「老年医学」市民公開講演会「終末期医療の目標――日本老年医学会の立場」 (植村 2003:224)
7.第四回倫理委員会(平成12年5月31日) (植村 2003:224)
8.第42回日本老年医学会学術集会シンポジウム(平成12年6月17日) (植村 2003:224)
9.学術評議員に対するアンケート調査 (植村 2003:224)
10.第五回倫理委員会(平成13年3月27日) (植村 2003:224)
11.「高齢者の終末期の医療およびケア」に対する日本老年医学会の「立場表明」 (植村 2003:225)
12.今後の課題と展望 (植村 2003:225)

◆前田 泰樹 19981122 「医療場面における情緒をめぐるやりとりの分析可能性について――痴呆に関する問診場面の相互行為分析」,日本社会学会第71回大会報告

◆19981224 介護保険法施行令(平成十年十二月二十四日政令第四百十二号)
 http://www1.mhlw.go.jp/topics/kaigo99_4/kaigo5.html(Q&A)

出口 泰靖 199811 「「痴呆性老人」の「幼児扱い」に関する一考察――施設ケアにおける処遇の実情と問題解決の可能性」,『老人生活研究』(老人生活研究所)1998-11

出口 泰靖 199811 「自分がおかしいという「病感」あり症状に隠された「わけ」の理解を」,『ばんぶう』(日本医療企画)1998-11:118-119

◆滝上 宗次郎 19981201  『「終のすみか」は有料老人ホーム』,講談社,278p. ISBN-10: 4062093308 ISBN-13: 978-4062093309 [amazon] ※ b a06 ts2008a

◆厚生省老人保健福祉局老人保健課 199812 『新寝たきり老人ゼロ作戦関係通知集――各種保健福祉サービスの概要』,日本法令,452p. ISBN-10: 453971614X ISBN-13: 978-4539716144 2900 [amazon][kinokuniya] ※ b a06

【内容(「MARC」データベースより)】
新寝たきり老人ゼロ作戦の概要から、老人保健法や老人福祉法、介護保険法などの関連法令、各通知までを一冊にまとめる。参考資料として、高齢者保健福祉推進10か年戦略の見直し、介護保険制度概要を付す。

概要:新寝たきり老人ゼロ作戦体系図/新寝たきり老人ゼロ作戦の概要/寝たきり老人等の状況 ほか
法令:老人保健法/老人福祉法/介護保険法 ほか
通知:新寝たきり老人ゼロ作戦総合推進事業の実施について/新寝たきり老人ゼロ作戦普及啓発推進事業の実施について/「寝たきりゼロへの10か条」の普及について ほか

出口 泰靖 1998 「「呆けゆく」人びとの「呆けゆくこと」体験における意味世界への接近――相互行為的な「バイオグラフィカル・ワーク」を手がかりに」,『社会福祉学』(日本社会福祉学会)39-2

出口 泰靖 1998 「「呆けゆくこと」体験の研究における可能性とその方法」

出口 泰靖 1998 「「呆けゆくこと」に対する歴史・文化・社会的「まなざし」――「痴呆性老人」と介護者との相互作用における臨床社会学的研究」,(財)明治生命厚生事業団編『第4回「健康文化」研究助成論文集』91-113

■1999

◆(財)医療経済研究・社会保険福祉協会 医療経済研究機構
 平成11年度の調査・研究実績の概要
 http://www.ihep.jp/publish/report/h11.htm
 ↓
◆医療経済研究機構.1999.「終末期におけるケアに係わる制度及び政策に関する研究」報告書
 http://www.ihep.jp/publish/report/past/h11/h11-3.htm#1-3-3

◆鶴見 俊輔・浜田 晋・春日 キスヨ・徳永 進 199902 『いま家族とは』,岩波書店,226p. ISBN: 4000027921 2100 [boople] a06

◆水野 肇 19990315 『病まずに生きる 死に方健康学――安らかな老いを生き抜くために』,文化創作出版,218p. ISBN-10: 4893871757 ISBN-13: 978-4893871756 1733 [amazon][kinokuniya] ※ b a06

◆生井 久美子 199903 『人間らしい死をもとめて――ホスピス・「安楽死」・在宅死』,岩波書店,289p.,ISBN:4-00-001750-0 2310 [amazon][boople][bk1] ※ b a06 d01 et
cf.立岩 2001/05/25 「死の決定について・2」(医療と社会ブックガイド・5),『看護教育』42-5(2001-5):378-379

◆山口 道宏・根本 悦子 編 19990525 『老いを戦略するとき』 現代書館,302p. 1800 ※ **

出口 泰靖 199910 「呆けゆくこと」における「気づきの文脈」と「呆けゆく」本人にとってのサポーティブ・ケアに関する考察」
 第72回日本社会学会大会報告

◆嶺 学・天本 宏・木下 安子 編 19991115 『高齢者のコミュニティケア――医療を要する在宅療養者の生活の質の向上を目指して』,御茶の水書房,法政大学多摩地域研究センター叢書3,249p. ISBN-10: 4275017900 ISBN-13: 978-4275017901 3990 [amazon] ※ b a06
◇天本 宏「高齢者にとってよい医療とは」,嶺・天本・木下編[1999:89-102]*

 「例えば、摂食嚥下障害、高齢者に対する栄養摂取のあり方は大きな問題である。西洋では食べられなくなったら死ぬのが当たり前という考え方であるが、日本人は、高齢者が、「どうして食べないんですか。鼻腔栄養しても死ぬんですか」と質問される場合が非常に多い。」(天本[1999:89])
 歴史的にみると、スウェーデン、イギリスなど諸外国は
 without them→for them→to them→with them
 with them:「これは、"we"(年齢、障害に区別なく人間として一緒に生きる)現在のノーマライゼーションという考え方で、障害者も年寄りも同じく、「自立」をキーワードに、できないことだけを助けることにした。ある意味では、冷たい位に徹底的に、合理的な生活支援スタイルをとることである。[…]
 いまの日本のお年寄りにとって、自我はむしろ否定されてきたわけで、自我の抑制こそ、3世代が仲良く同居生活する基本原則であった。急に「自立」が目標と言われても困って質うことは理解できる。<0092<
 我々も「寝たきりゼロ作戦」で、お年寄りをどんどん起こすようにしたが、評判は良くなかった。「起きて、私は何をするんでしょう」ということで、お年寄り自身の方向性がはっきりせず、何をしたいという意思がないことに、一番困っているのが実態である。」(天本[1999:92-93])

◆長谷川 和夫(聖マリアンナ大学副学長)×武藤 香織 199912 「対談:わが国のアルツハイマー型痴呆のこれから――老いと痴呆にやさしい社会の実現をめざして」,『CLINICIAN』46(486):8-28.

◆春山 満 199912 『介護保険・何がどう変わるか』,講談社,講談社現代新書,230p. ISBN-10: 4061494848 ISBN-13: 978-4061494848 714 [amazon] ※ b a06 

◆(財)医療経済研究・社会保険福祉協会 医療経済研究機構
 平成11年度の調査・研究実績の概要
 http://www.ihep.jp/publish/report/h11.htm
 ↓ ◆医療経済研究機構.1999.「終末期におけるケアに係わる制度及び政策に関する研究」報告書
 http://www.ihep.jp/publish/report/past/h11/h11-3.htm#1-3-3

□cf.

◆立岩真也 2007/01/26 「おわりに――よい死・18」,『Webちくま』[了:20070126]

 「第二に、どの範囲にどの程度知られどの程度の影響力があったのかわからないが、「欧米の事情」が伝わり、「福祉先進国」でも「延命」は行なわれていないことか言われる。一般に、とくに短期の海外――に限らないが――研修・見学の場合、見たいものがあって、それを確認して帰ってくるということはある。またたいがい見させられるものは、熱心に取り組まれうまくいっているところであり、先進的な事例であるから、その他の事情はわからないままということがある。ただそれでも、時にはだからこそ、それは積極的な役割を果たすことがあった。例えば北欧はしかじかであるという報告は、遅れた日本の状況を改善すべきであるという話に結びついてきた。デンマーク他には「寝たきり老人」がいないという報告にもそのような効果があった。ただ、そのことを知り、肯定しつつも、それがどうして成り立っているかと思った人のなかに、そこでは、たんにケアが充実しているというだけでなく、あるいはそのケアを充実させるためにも、ある時点で医療を停止していることを知り、そのことを報告する人たちがいる。別の人たちはそのように受け止めなかったかもしれないし、たんに知らなかったのかもしれない。あるいは、このことは言わない方がよいと思ったのかもしれない。ただ、ある部分ではそのことは言われるし、そのまたある部分においては、それはしだいに共通の了解になっていったのかもしれない。」



◆Palamore,Erdman Ballagh 1999 Ageism : Negative And Positive, 2nd Edition, Spring Publishing Company=20020930 鈴木 研一 訳,『エイジズム――高齢者差別の実相と克服の展望』,明石書店,明石ライブラリー43 422p.ISBN:4-7503-1627-X 5000 [amazon] ※ ** b a06


*作成:-2007:天田城介立岩真也 2008-:老い研究会
UP: 20040828 REV:2021 20061213 20071220(ファイル分離),23,25,30,31 20080213
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