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老い・1970年代

老い


◆田島 明子・坂下 正幸・伊藤 実知子・野崎 泰伸 20070916-17 「1970年代のリハビリテーション雑誌のなかの「寝たきり老人」言説」
 障害学会第4回大会 於:立命館大学


■1970

◆森 幹郎 19700415 『ヨーロッパの老人福祉』,全国社会福祉協議会,259p. ASIN: B000J9OXZA 480 [amazon] ※ b a02 a06
 「わたくしは昭和四四年の二月から一〇月までの間、西欧、北欧および中東の国々に滞在して、老人に対する保健福祉の実態を体験的に学ぶ機会を与えられた。本書はまず上司に対する出張復命書であり、また同時に、関係者に対する体験的報告記でもある。……」(森[1970]「自序」より)

◆佐口 卓・森 幹郎・三浦 文夫 19700715 『老人はどこで死ぬか――老人福祉の課題』,至誠堂,184p. ASIN: B000J9P7M8 420 [amazon] ※ b a02 a06
 第U部 老人はどこで死ぬか(座談会) 佐口卓・森幹郎・三浦文夫
 「I「問題の提起」をめぐって
 佐口 まず、最初に、老人はいかに死ぬか、死ぬべきか、また、どこで死ぬか、あるいは死というものにぶちあたるまでの老衰末期の問題をどう取扱うか、こういう問題提起をしたわけですが、両先生はともに老人福祉の研究を進めておられるので、その点、問いかけに最初いったいどういう感想をお持ちになったかをうかがってみたいのです。
 森 「老人はどこで死ぬか」というようなことを、実は、これまであまり考えたことかありませんでした。ということは、まさに、従来の老人福祉対策をそのままあらわしているのだと思うのですが、わが国の老人福祉対策は、従来、いってみれば老人ホーム対策だったと思うのです。私どもがいままで老人福祉の対象としてきた老人というのは、老人ホームの老人しかいなかったわけです。したがって「老人はどこで死ぬか」といえば、老人ホームしかなかった。ですから、いま改めてこの問題を考えてみますと、まず、老人ホームで生活している老人は全国の六五歳以上の老人のわずか一パーセントそこそこに過ぎないんだ、ということを再認識しなければいけないと思うんです。そして、つぎに、水底で生活している残りの九九パーセントの老人のなかには、たとえば、ねたきりの老人が数十万人もいることを再認識しなければならないと思うんです。<62<
 戦後四分の一世紀、老人福祉法が制定されてから七年を経たい今日、これほど老人の問題が世間でやかましくいわれながらも、実は、行政的な面では最近まで家庭の老人のことが生活保護を受けている老人などのほかにはあまり顧みられないできたという意味で、「老人はどこで死ぬか」という問題は、私にとって、ショッキングな問いかけであったわけです。
 さて、「老人はどこで死ぬか」ということからまず第一に連想するのは、「ねたきり老人」の開題です。その数は、昭和四三年、全国の民生委員が老人の総点検をした結果によりますと、七〇歳以上の老人については一八万人、六五歳以上の老人については四〇万人と推計されていますが、これらの老人が、どこで、どのようにして死んでいくのかということは大きな問題です。つまり、家族や看護婦の看護も受けないで、はなはだしい場合には、ゴハンは一目に一回しかあてがわれないとか、納戸にねかされほったらかされているとか、人間としての生活を保障されていない老人もモのなかには少なくないことを知って、「どこで、どのようにして」、ということをもう一度、謙虚に、素直に見直さなくてはいけないと思うんです。老人福祉といいますが、人権にもかかわるこのような大きな問題が民生委員の老人総点検が行なわれるまでほとんど問題にならなかったということは、大きなショックでしたね。
 三浦 「老人はどこで死ぬか」という問題提起にどう答えるべきかということになると、正直いってハタと当惑してしまいます。この当惑感は何であろうかとふり返ってみますと、いろんなことが考え<63<られますが、その一つには、老人問題を考えるときに死という問題はできるだけ避けるという世間一般の空気と関係かあるように思います。私どもも、しらずしらずのうちに、老人の死という問題については、あからさまに問題にするのは慎みたいというような気持もなかったとはいえません。しかしこういう形で真正面から問題を提起されてみると、この問題を避けるということでは済まないことであると思います。よく考えてみますと、この問題は老人対策、老人福祉対策の場合に、非常に重大な問題を含んでおることに気がつきました。
 ところでこの問題を受けとめてみまして、まず頭に浮かんだのは、老人ホームをターミナル・ステーションとして考えようとする提案でした。たしか昭和四十三年の老年社会科学会の席上であったかと思いますが、杉村春三先生が老衰末期者の対策と関連して、老人ホームはどのような性格をもつべきかという問題提起をされて、ターミナル・ステーションということをいわれていますが、率直のところ、そのとき私はこの提言がピンとはきませんでした。しかしいま改めて、「老人はどこで死ぬか」という問題を出されてみると、この杉村先生の発言は老人ホームにとっても非常に重要な問題であったということに気がつきます。その意味でも、この問題はもう一度考えてみなければならないと思いました。」(佐口・森・三浦[1970:62-64])

「佐口 いかに死かぬべきかということになれば、場所の問題もあるけれども、もう一つはやはりそれに耐えるだけの気持を養っておかなければならないという自分自身の問題だということですね。
 森 そうですね。いわゆる老年性痴呆のような老人は別としても、心身の比較的元気な老人については、とくにこのことが強調されなければならないんじゃないですか。
 佐口 ただたしかに生ける屍になったときのあの状態というのは、悲惨であると同時に本人には自覚できないことだし、そうなってくると、安楽死というような問題も本当は出てくることですね。
 森 ですから、私は前からこんなことをいったり書いたりしているんです。それは、養護老人ホー<136<ムがまだ、生活保護法の養老施設といっていた昭和三七年の調査なんですが、収容されている老人の六四・一パーセントは健康な老人なんですね。これらの老人には、本当は、住宅をあげればいいんです。そして貧しくて生活ができなければ生活保護法でみてあげればいいんです。とにかく住宅をあげる。そして、そのあとの空いたところには比較的病弱な老人や、ねたきりの老人をいれたらいいと主張してきたんです。
 しかし、従来、とくに戦後しばらくのあいだは日本の住宅行政が労働政策の一環として、つまり労働力の再生産という立場から推進されていたということもあって、健康な老人が住宅を与えられないまま養護老人ホームに入ってきたため、一方では四〇万人というねたきり老人が、世間から忘れられたまま、老人ホームに入れないでいたんですね。わが国でも北欧のように福祉住宅や低家賃住宅の建設、あるいは家賃補助の制度を実施していれば、健康な老人は養護老人ホームに入る必要もなく、養護老人ホームにはまず病弱な老人をいれることができたはずなんです。
 戦後もすでに二五年、四分の一世紀が過ぎたんですから、もうそろそろ老人ホームの住宅代替機能は払拭したいもんです。健康な老人にたいする三食つき、寮母さんつきのオーバー・サービスは決して老人の人権を尊重したことにはならないと思うんです。
 佐口 これから老齢人口がどんどんどんどんふえていく状勢のなかで、ねたきり老人の数もまたふえていくと思うんですが。<137<
 森 ねたきり老人の数は、今後は医学の進歩につれて、むしろ減るんじゃないですか。というのは老人をねたきりにして動けなくしてしまったのは医学の責任なんですね。つまり、いままで、脳卒中といえばとにかく寝かせておくしかなかったんです。それが最近では、発作後一週間もしないうちに起こすようになりましたからね。ねたきり老人のうちの半分は脳卒中の後遺症なんですから、少なくとも脳卒中の後遺症によるねたきり老人の数は相当に減ると思うんです。
 ただ老衰末期の老人は佐口先生かおっしゃったように、これはふえると思います。昔なら、ほっておく以外に治療方法のなかったような病人も、いまでは、とにかく呼吸だけは続けさせることができるんですからね。植物人間、そういうような意味で死ぬないで生きていく人もふえてくるでしょう。
 佐口 どうも題名からしてこの木は非常に暗いんですけどね。結論もなんとなく暗くなってきたわけですが、老人の死をみつめて、われわれが何か考えるべきことがあることだけはわかる、受け取り方はさまざまで、宗教の問題であろうと何であろうと、もっと真剣に考えるべき問題だという警告を与えるという点ではいいじゃないですか。今まで老人福祉を語るときには老人天国のようなことが多すぎたと僕は思うんですよ。そうじゃないんだ、それをやろうとしたって残る問題は死というものがあるんじゃないかと考える。その死にいたるまでの老人のあり方について、世の中に警告を発する意味では、たとえ暗くともこの本は非常に有意義だと思うんです。」(佐口・森・三浦 [1970:136-138])

◆197009 「豊かな老後のための国民会議」開催

◆197011 中央社会福祉審議会『老人問題に関する総合的諸施策について』

■1971

◆『厚生白書(昭和45年版)』
総論―老齢者問題をとらえつつ―
第2章 老年と健康
7 リハビリテーション対策をまちのぞむ老齢者
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197001/b0009.html
 「「全国社会福祉協議会が昭和43年に行なつた居宅ねたきり老人実態調査によれば,70歳以上の居宅ねたきり老人の数は約20万人で,当該年齢層人口の5.2%にあたることが明らかにされているが,これらの人々の疾病の状態をみると,第2-8表に示すように老衰26%,脳卒中22%,高血圧18%,リューマチ,神経痛15%等が上位を占めている。これらの老齢者のめんどうをみるためにほとんど同数あるいはそれ以上の家族が多大の負担を負つていることは想像にかたくない。」

総論―老齢者問題をとらえつつ―
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197001/b0000.html
 「「豊かな老後のための国民会議」は,高齢化社会の到来に備えて老後の問題に関する国民的目標の設定をねらいとして,国民各層を代表する「豊かな老後のための国民会議委員会」が主催し,昭和45年9月20日,21日,22日東京において開催された。会議は,全国から約2,000人の各層代表が参加して,所得,健康,家庭,地域社会,住まい,仕事,社会参加の各問題について検討された。 」

◆1971年〜 森幹郎と関増爾の『浴風会』での論争?
◇関 増爾 199004 『生きているだけではいけないのだろうか――年寄りに学ぶ』,日本看護協会出版会,230p. ISBN-10: 4818001147 ISBN-13: 978-4818001145 1632 [amazon] ※ b a06
 「ねたきり老人とは何か――特別養護老人ホームよりは病院を!
 「ねたきり老人焼死」とか「老人またも孤独死、風呂場で冷たく一週間」などという悲惨なニュースが最近の新聞にしばしば見られます。そして、ねたきり老人や、ひとり暮らしの老人に対する施策の充実が叫ばれています。
 これに対して政府も、全国で約三十万といわれる居宅のねたきり老人には、不充分ながらも老人家庭奉仕員の派遣や、ギャッジベッドの貸与、訪問健診などと、その対策を進めています。また、老人施設としては養護老人ホームとともに、ねたきり老人のためにという唱い文句で特別養護老人ホーム(特養)の増設を進めています。
 『浴風合』2号でも厚生省の森幹部氏は「老人ホームの方向」の中で「今後の養護老人ホームは病弱者を中心とした施設に、特養はねたきり老人を中心とした施設に専門化し……」<86<と、その方向を示唆していますが、私は、ねたきり老人収容施設すなわち特養とする考え方には、どうしても納得しかねるものがあります。
 それは、「ねたきり老人」という言葉・概念の中で具体的にはどのような老人を考えるかのちがいに端を発しており、ひいては特養とはどういう施設であるかという認識にちがいがあるからだと思います。
 結論をはじめにいえば、私は「ねたきり老人」は特養ではなく、病院へ収容するのが正しいあり方であると考えます。
 その理由を述べましょう。
 まず、はじめに、「ねたきり老人」とはいったい何かという疑問です。「ねたきり老人」という言葉は老人のある状態を示すのに便利な言葉として便われます。そして、多くの場合、それはまさに字のごとく、ねたきりであって自分の用もほとんどできない老人を意味しているようです。
 厚生省の特養への収容措置の基準も、そのようなことになっていると解釈されます。それは、特養へ収容すべき老人としてつぎの二つの条件を定めています。老人福祉法では「欠<87<陥」、厚生省社会局長通知には「障害」という言葉が便われていますが、ここでは後者を取り上げました。
 すなわち、その老人は、
(1)身体上又は精神上の著しい障害のため、常時臥床しており、かつ、その状態が継続すると認められる場合、と、
(2)身体上又は精神上の著しい障害のため、常時臥床はしていないが、食事、排便、寝起き等、日常生活の用の大半を他の介助によらなければならない状態であり、かつ、その状態が継続すると認められる場合、なのです。
 では、そのような老人はいったいどのような状態の老人なのでしょうか。それを具体的に知るために私達が行った調査(関増爾ほか「特別養護老人ホーム入所者の日常生活動作能力の全国調査成績」浴風園調査研究紀要、第45輯、昭和43年)から見ると、実際に特養に入っている老人の活動能力はきわめて低い者が多く、平均してオムツ使用者が約三分の一、便器使用者が約四分の一、着衣・入浴は約三分の二が介助を要し、食事も箸を便って自分でできる者が半数にすぎませんでした。<88<
 しかし、重要なことは、ただそれだけではないのです。特養入所者は医学的に見ると、脳卒中などの脳血管性障害あるいは高血圧などの循環器疾患、さらには精神障害の患者がおり、入所者の七〇%弱が投薬、注射などの治療を行っています。そして、特養の死亡率は昭和四十三年では一七%という高率を示しています。これらの状態は、浴風会病院の入院患者の状態とそれほど変わらないと考えられるものでした。なお、慈恵医大・新福尚武教授の全国調査(全国施設老人の精神医学的実態調査・社会精神医学研究所紀要1巻1号・昭和45年)によると、特養には痴呆およびその他の精神障害を有する老人が、三七%も見られます。
 以上非常に簡単に調査結果の概要を記しましたが、見られるように、特養に現実に入っている「ねたきり老人」は「ただ単にねたきり老人」ではないのです。それらの老人は「ねたきりであると同時に医療を必要とする相当の病気をもっている老人」なのです。
 「ねたきり老人」という言葉・概念は、そのような事実を合んでいると理解すべきです。
そういう概念で使われるべき言葉であると考えます。実際に老人を処遇した方々はきっと、この考え方がおわかりいただけると思います。
 では、このような「病人であるねたきり老人」がなぜ特養に入ってきたのでしょうか。<89<
 それは、特養の入所基準がある意味では忠実に守られているからにほかなりません。そして、その入所基準に基本的な誤りがあるのではないかと思われます。
 入所基準に「身体上又は精神上著しい障害のため……」と規定されているような老人は「単なる障害者」ではなく、現実には「障害をもった病気の老人」が多いのです。そのような老人を単に「障害」という面からのみ、あるいは、「どの程度動けるか」という面からのみ医師ではない者が判断して区分し処遇しており、老人を心身両面から全体としてみないというところに本質的な誤りがあるのではないでしょうか。
 それはまた、「老人」とはどのような人間であるかというその認識の仕方に根本的な問題があるのだと思いますし、その基本的認識のいかんが老人福祉の方法論の基盤になるものだと思います。たとえ胃癌患者であっても相当進まなければ活動能力はそれほど衰えません。
 また、たとえば、熱があるというのは一つの症状であっていろいろの原因から起こります。単なるカゼでも、肺炎でも熱が出ます。
 熟のある老人にカゼ薬だけをのませるか、抗生物質を使うか、あるいは入院させて治療<90<するか、その原因を確かめて処置するのが、患者を取り扱う常識です。「ねたきり老人」という言葉は熱があるというのと同じように一つの症状です。それがどういう原因で起こっているかを確認してからその老人を処遇すべきでしょう。したがって「ねたきり老人」だから介護をというのは、熱があるからとりあえず解熱剤をというのと同じ発想によるものです。
 日本医大、村地悌二教授の調査(村地悌二著「健康老年者の栄養状態」日本老年医学会雑誌、3巻、237頁、昭和41年)によりますと、自覚的に健康であると思って日常生活を追っている老人でも、その約七割には何らかの障害が見られます。またいうまでもなく、老人の身体の状態は、それがいつまでも同じ状態で継続しているものではありません。常に衰退の坂道を下っています。年をとればとるほどその速度は遠くなります。そのような過程にあるものとして老人の精神および肉体を捉え、認識しなければなりません。
 「身体上又は精神上の著しい障害のある……」ような老人であれば、同時に相当の病気をもっていると考えねばなりません。そう考えることが、老人を人間として、より正しく認めることになるのだと思います。<91<その理念の上に立って行われる福祉こそほんとうの老人福祉であると思います。
 特養がわが国で設置されてきた過程とその理由は、理解できないことはありません。

 急性期を過ぎたばかりの脳卒中患者を病院から引き取らされ、あるいは、発作がなく徐々に動けなくなった脳軟化症のオムツ患者を抱えて、少ない職員の養護老人ホームではほんとに困っていました。医師のいない老人ホームで淋しく死んでいく老人が少なくはありませんでした。
 現在の医療保険制度の下では、付添婦をつけられないタレ流しの生活保護の老人患者を好んで引き取ってくれるような病院はありません。
 また、老人患者は入院期間が長く病室の回転率を非常に悪くします。そのため急性の患者が入院できなくなるとか、そのほか種々の理由で、慢性病の老人患者は一般の病院からは閉め出されています。
 そのような状態にくらべれば、たしかに特養は十分ではありませんが、養護老人ホームよりは多い職員で老人の世話ができ、また、ある程度の治療も行えるということはいえましょう。<92<
 しかし、現実の特養を見るとき、「これがほんとの老人福祉のための施設である」、「これで事終われり」と考えられては困ります。
 特養は病院ではありません。しかし、現実には病院の役割を相当に果たしています。そして「ねたきり老人は特養へ」という唱い文句のためにますますその方向へ進んでいるような気がしてなりません。
 特養に病院の肩代りをさせてはなりません。老人のための病院をつくるべきです。
 老人の慢性病患者をも優先的に収容する充実した老人病院は、現在の日本にはありません――(今の浴風会病院は老人患者を収容して、できるだけのことはしておりますが、これがほんとの老人病院であると考えられては困ります)――。特養の入所基準から考えられるような慢性病患者をも収容する老人病院を設置する方向へ進むのが、老人のことを考えた行き方だと思います。
 現在の特養入所者が全て入院を必要とする患者であるとはかぎりません。しかし特養の根本的な矛盾はその入所基準と、入所決定に医師が全くタッチしないことにあります。
 それをまず速やかに変えることであると思います。現在の特養はこのままの姿ではなく、<93<あくまでも過渡的なものとしての意義があるのだと思います。
 最後に、以上のことに関連して、浴風会における特養のあり方についての私の考え方を述べたいと思います。
 なお、浴風会では福祉事務所から養護老人ホームヘ送られてくる老人を、まず新入者寮に収容し、そこでいろいろのインフォメーションを与え、また、精密な身体検査および専門家の心理面接などを行っております。その結果にもとづいて医師が老人の収容区分(養護老人ホーム一般寮・虚弱者寮・病院)を決定して、その健康度に応じた処遇を行ってきました。
 また、浴風会独自の判断で養護老人ホームの中に虚弱者寮を設けて、集団生活に耐え難いと思われる虚弱・病弱老人や、退院患者の予後観察を行い、その養護を特別に行ってきました。それは必ずしも充分なものではありませんが、しかし、老人をその健康度に応じて処遇するという点で相当大きな寄与をしているものと確信しています。
 さて、「今後の老人施設は住宅部門、ナーシング・ホーム部門、病院部門の三者を併設し<94<たワンセットシステムでなければならず……これは欧米諸国で最も望ましい形の老人施設とされているものです」と森幹郎氏は言われています。それが一つの方向であるとして、その姿を、自分流に想い浮かべ、現状に当てはめながら考えますと、浴風会には一応曲がりなりにも養護老人ホームという住宅部門? 老人患者を収容している病院が併設されています。そのような所における特養は、病院部門のない特養とは質的に異なってよいのではないか、いや、むしろ異なるのが当然であると考えます。病院部門のない所の特養は、現実に病院の役割をも果たさざるを得ない状況ですが、それと同じ質のものを、病院のある浴風会の中につくるのであれば、それは何の理念もない、見通しのない、全くナンセンスなことです。
 もし、一般の特養と同じものが浴風会の中に生まれるのであれば、それは浴風会という団体の存在意義を失うことにもなるといってもよいでしょう。言葉をかえていえば、一般の特養と異なった質の、新しい特養を設置することこそ、浴風合の存在価値があるのだといえましょう。
 普通に見られる特養の設置は、他の人々におまかせし、それをそのまま真似をする必要<95<は毛頭ないと思います。
 浴風会におけるいわゆる特養は、養護老人ホーム、病院とともにワンセット・システムの中のものとして、あるべき姿を追求する新しい質のものであらねばなりません。
 浴風会の現状としては、たとえば養護老人ホームの共同生活が困難な虚弱者寮の老人を収容し、その判断は医師が行うべきものであると考えています。そして、将来、病院および養護老人ホームの改築と処遇の改善に伴って、そのあり方も当然変化していくべきものだと思います。
 浴風会であればこそ為しえること、あるいはまた、浴風会でなければできないこと、それを行うところに浴風会の社合的意義が見いだされるのではないかと考えます。
 そういう理念のもとに、浴風会の特殊性を認め、それを利用することこそ、欧米ではなく、日本の福祉の具体的方向を究明するための、またとない機会になるものと考えます。
 関係官庁ならびに老人福祉関係者および読者各位の深きご理解とご協力ならびにご援助を切に望むものであります。
 (浴風会3号・昭和46年3月)」(関 1971→1990:86-96)

■1972

◆1972 東京都 福祉手当
 「東京都では、昭和四七年に制度化されたねたきり老人などへの福祉手当は、現在でも七〇歳以上の要介護者に月額五万一千円の手当が支給されている。この金額は、他の自治体では想像できないほどの高額なもので、全都で約四〇〇億円の福祉手当(臥床)が支給されている。」(山本[1995:127]*)
*山本 茂夫 199503 『福祉部長 山本茂夫の挑戦』,朝日カルチャーセンター,226p. ISBN-10: 4900722146 ISBN-13: 978-4900722149 1529 [amazon][kinokuniya] ※ b a02 a06

◆197204 東京都老人総合研究所(現 財団法人東京都高齢者研究・福祉振興財団 東京都老人総合研究所)開所

◇露木まさひろ 200609 「福祉関係者なら知っておきたい『東京都老人総合研究所』の不思議・前編(1/5)」
 http://www.hhcs.co.jp/Article_070820_ToroukenNoFushigi_01.html
 「3期12年のなかで、朝鮮大学校の認可、都営ギャンブル廃止など、人々をアッとさせる施策を断行。昭和43年には「東京都公害研究所」を発足させ、翌年には工場にはかなり厳しい「東京都公害防止条例」も公布した。さらに、目玉施策の一つに〔老人対策〕を掲げてきたため、昭和46年には老人医療費無料化をやってのける。この老人対策の一環として都老研も設立されたのである。
 この時代、日本の高齢化率はまだ7%ほど。今日の超高齢化社会を想定できる人は少なかったものの、将来を見越した動きは出ていた。
 昭和43年には国民生活審議会老人問題小委員会が『深刻化するこれからの老人問題』を報告。翌年には、厚生省の森幹郎専門官が、『老人福祉の動向』を出版し、特養『悠生園』を開設した田中多聞氏が、昭和44年に『新老人福祉論』で課題提起をした。そして、昭和45年版の『厚生白書』には、「老齢問題をとらえつつ」の副題が付けられたのだ。
そうしたなかで折しも、明治初期に創設され、戦前戦後をとおして高齢者と身体障害者の福祉に大きな役割を果たしてきた日本最古の総合福祉施設「東京都養育院」が、昭和47年に100 周年を迎えようとしていた。しか
し、長い歴史のなかで見劣りがする施設となっていたため、大改造をする構想が浮上したのだ。
 この構想は、医療依存度の高い養育院入居者のための附属病院に医局員を派遣するなどで関係が深かった東大医学部の教授らによってまとめられ、「都内の老人の医療の現状と対策」「養育院の近代化と老人問題研究所の必要性」などが都知事に進言された。
老人対策を都政の柱にしてゆくことを決めていた美濃部都政は、そうした進言に我が意を得たりの心境となり、昭和46年に発表された『東京都中期計画』にも、そうした趣旨が盛り込まれる。
 構想は素早く具体化されてゆき、養育院全体をリニューアルして、それまでの収容所的な福祉施設の造りと閉鎖的な運営にもメスを入れて大改革をする…養育院附属病院を一般都民も利用できるリハビリ重視の老人専門病院に建て替える…同時に、高齢者問題を、生命科学、医科学、心理学、社会学、看護学、生活環境、といった幅広い視点から考察し究めてゆく総合研究所を新しく併設する…というものだった。

◇露木まさひろ 200609 「福祉関係者なら知っておきたい『東京都老人総合研究所』の不思議・前編(2/5)」
 http://www.hhcs.co.jp/Article_070820_ToroukenNoFushigi_02.html
 『恍惚の人』と厚生官僚
 これが、昭和47年に誕生する国内初の高齢者問題研究所となるわけだが、当時、類似の研究所はアメリカや旧ソビエトにあったくらいで、しかも、福祉施設と医療施設と研究所が三位一体になった〔総合施設〕はどこにもなく、世界初の快挙となるのだった。
奇遇なのか同年の6月、作家の有吉佐和子さんが『恍惚の人』を著し、たちまち大ベストセラーとなった。有吉氏は、この頃すでに国内でも使われ始めていたジェロントロジー(老年学)という言葉も知っていて、数少ない文献にもしっかりと目をとおしながら、その作品を書き上げたという。『恍惚の人』が、一般国民に〔高齢者問題〕への関心を広めたのはいうまでもない。
 しかし、美濃部知事は、国が環境庁を発足させる昭和46年より3年前に東京都公害研究所(昭和60年に東京都環境科学研究所と改称)を設けたり、中央官庁が困惑する独走と独自の施策が目立ったため、都庁と中央官僚との間には、しっくりしないムードが広がってしまう。
 「昭和46年に東京都が老人医療費の無料化に踏み切ったため、全国の世論が老人医療無料化に沸いてしまい、昭和48年に国としても導入せざるを得なくなった。しかも、高齢者問題の総合研究所を、国を越して設立したことで、厚生省は東京都にいい感情をもたなったようだ」と複数の関係者は証言する。
 都老研が業績を築くほど、国の厚生行政との間に、深くて冷たい溝が形成されていった。都老研が、早急に国策として組み入れるべき普遍性のある研究結果を出しても、国の対応は遅く、5年後10年後にようやく国策に組み込まれるのである。[…]」

◆197205

◇朝日新聞社 編 19721130 『高齢社会がやってくる』,朝日新聞社,307p. 540 [amazon] ※ b a06
 「社会保障の貧しさが「死にたい病」を
 「私は、ある病院の一室で患者として治療をうけています。毎日の検査検査で次第に体力が衰え、現在では自分で何もできず、寝たきりの病人になりました。毎日、何人かの人の世話になり、そして私は苦しみ続けております。なぜ、安楽死が許されないのでしょうか。若い人なら、いかなる病気でも治療する必要がありましょうが、八十歳をこえた私にはこの苦しみに耐えられません。どうか法律で安楽死を認めて下さい」
 四十七年五月末、こんな投書が名古屋の朝日新聞『声』欄に載り、大きな反響を呼んだ。書いたのは豊田市の松平すゞさん。投書が新聞に載った約半月後にガンで死んだ。
 すゞさんが「時々、息が苦しくなる」といいだしたのは四十七年四月末ごろ。<104<
 病院で診察したら、ろく膜付近に多量の液がたまっていることがわかり、その場ですぐ入院。五月十一日のことである。その日と翌日の二回に分けて、トマトジュースのような真赤な液を千八百cc抜いた。その後で胸と胃のレントゲン検査がたて続けに行われた。液のなかからガン細胞が見つかったからである。すゞさんが投稿したのはこのころだ。
 「八十歳を越えたら、いつ死んでもよい。健康保険が赤字だというのに、私のように治る見込みがない老人が治療を受ける必要はない」
 すゞさんはベッドで息子の浣二さんにそういった。旧士族の次女に生れ、尋常小学校を出たあと独力で教員免許をとったすゞさんは気丈な明治気質の女性であった。
 「社会的に用がなくなった人間には安楽死が許されるべきだ」
 といい、すゞさんは人間の社会的有用性の基準を八十歳に置いていた。
 み仏の 光りあまねく身に受けて 今しいかなん 西方浄土に
 死期を察したすゞさんだが、こんな辞世の句をつくるほど冷静だった。
 有吉佐和子の小説『恍惚の人』の読後に「年とってボケてしまい、しもの世話が自分でできなくなったら安楽死したい」と考える人も多い。
 が、安楽死は刑法で同意殺人とみなされ、安楽死をさせた者は六月以上七年以下の懲役か禁固<105<に罰せられる。欧米でも禁じられ、このためアメリカでは三千人、イギリスでは六百人の会員を持つ安楽死協会が「安楽死を法で認めよ」と立法化を働きかけている。
 平均寿命がのびるにつれ、老人と安楽死の問題は将来、深刻になるだろう。
 だが――
 「病気や、ボケてしまった老人に安楽死を認めよ、という考え方には危険な落し穴がある」
 と福岡の特別養護老人ホームの田中多聞園長はいう。それによると、老人の“不安愁訴”のひとつに「死にたい病」がある。
 年を取ると、こんなつらくて、いやな思いをするなら死んだほうがましだ、と「死にたい、ポックリと楽に死にたい、と口走る。しかし「死にたい」ともらす心の奥には「生きたい」という願望があって、寝たきり老人へのホームヘルパーの充実など老人への社会保障が理想的に整えば「死にたい病」しは解消する、というのだ。
 「老人の五〜一〇パーセントは何らかの精神障害を特っている。そうした老人のことばを額面通りに受取って、老人に安楽死させろ、という主張は、老人の心理や生理についてくわしい専門家が少ない日本では危険な考え方だ」
 と田中園長は指摘する。<106<
 また宮野彬・鹿児島大助教授も、
 「ドイツでは第一次世界大戦のインフレ時に刑法学者のK・ビンディングと精神病医のA・ホッヘが『生きる価値のない生命を絶つことの許容性』という論文を発表。これがナチの安楽死思想につながり、第二次世界大戦中に老人や精神障害者が二十万人もガス室で殺された。老人の安楽死を容易に認めると、そんな事態も起り得る」
 と警戒している。
 安楽自殺は認めるが、安楽他殺は許されない、という立場から評論家の松田道雄さん。
 「寿命がのびるにつれ楽に死にたい、と願う人はふえるだろうが、あくまで本人が選択することであって、医者やまわりの親族が口出しすべきでないし、立法化の必要もない。何となく生きていて何となく死ぬ。日常生活の延長線上でそっと死を選ぶ。そういう安楽死なら理想なんだが……」
 「おふくろが病気の老人に安楽死を認めて、といったのには反対でした。でも、死顔は眠るように静かでした。最後まで最善の治療を受けたのだから、これが本当の安楽死だと思っとります」
 息子の松平浣二さんは、すゞさんの遺影に手を合わせた。」(朝日新聞社編[1972:104-107])
 →安楽死・尊厳死優生・ナチス・ドイツ

◆有吉 佐和子 19720610 『恍惚の人』,新潮社,312p. ASIN: B000J95OE4 690 [amazon] ※→2003 『恍惚の人』(改版)新潮社,新潮文庫,437p. ISBN:9784101132181(4101132186) 660 [amazon]

 「『この特別養護老人ホームというのは、なんでしょうか』/『ネタキリ老人とか、人格欠損のある方を収容する施設です』/寝たきり老人というのは一つの熟語として専門用語になっているらしいと分かったが、人格欠損は分からない。質問してみると、相手はちょっと昭子の顔を見て口籠もりながら、『失禁するとかですね……排泄物を食べたり……躰になすりつけたりするような老人の場合ですね』と言ったから、昭子も驚いた。」(有吉 1972→2003:308)
 「私こそ気の毒なのだと言いたいのを昭子は喉許(ルビ:のどもと)で抑えて、黄色いパンフレットを指さして訊いた。
 『この特別養護老人ホームというのは、なんでしょうか』
 『ネタキリ老人とか、人格欠損のある方を収容する施設です』
 寝たきり老人というのは一つの熟語として専門用語になっているらしいと分かったが、人格欠損は分からない。質問してみると、相手はちょっと昭子の顔を見て口籠もりながら、『失禁するとかですね……排泄物を食べたり……躰になすりつけたりするような老人の場合ですね』
 と言ったから、昭子も驚いた。」(有吉 1972→2003:308)

 「はっきり分かったのは、今の日本が老人福祉では非常に遅れていて、人口の老齢化に見合う対策は、まだ何もとられていないということだけだった。もともと老人は希望とも建設とも無縁な存在なのかもしれない。が、しかし、長い人生を営々と歩んで来て、その果たてに老耄が待ち受けているとしたら、では人間はまったく何のために生きたことになるのだろう。あるいは、彼は、もう終った人間なのかもしれない。働き、子孫を作り、そして総ての器官が疲れ果てて破損したとき、そこに老人病が待っている。癌も神経痛も痛風も高血圧も運よくくぐりぬけて長生きした茂造のような老人には、精神病が待ちかまえていたのか。」(有吉 1972→2003:314)

 「信利も箸を置いて、黙っていた。彼はこの日、目も見えず、耳も聞こえず、食物を <0326< 咀嚼することもできなくなった寝たきり老人の話を聞いたばかりだった。鼻孔からプラスティック製のチューブを挿入して液状化した食物をポンプで送りこむ。しかも、そうした状態で、人間はポンプの故障でもない限り、二十年から生きられるのだという。おそらく茂造以上に老耄した頭の中で、その老人は何事を考えて日を送っているのだろうか。躰の寒くなるような話だった。それを聞かしてくれた男は、信利の表情を読んで、もうそれ以上は言えないと言った。信利も訊けなかった。医学の進歩も残酷なものですよ、生かさず殺さずということですからな、と言ってから、相手は更に驚くべきことを、一度は口籠った話を続けた。プラスティックのチューブは差しこみっぱなしにしてあるので、鼻孔の入口を摩擦して皮膚が次第に腐り始める。うっかりすると蠅がそこにたかって卵を産みつけ、蛆がわき出すというのだった。いつ思い出しても信利の全身が寒くなってくる。
 さらに信利は別の知人から聞いた話も思い出していた。戦後の日本では急速に人口の老齢化が起っていることを、その男はいらいらするほど正確な数字や百分比をあげて説明したのだ。本当か嘘か知らないが、今から何十年後の日本では六十歳以上の老人が全人口の八十パーセントを占めるという。つまり一人の若者のまわりに四人の老人が取り囲んでしまう社会が現出する。生活力を持たない四人の老人を、一人の若者 <0326< が養わなければならない大変な時代がくる。なぜそんなことになるかといえば、フランスのように日本の人口も、ある時期から出生率が急激に減退し始め、しかも医学の進歩によって老人の死亡率は低くなっているからだ。それを要するに老齢人口の急増という。
 これを現実に考えれば、何十年後には信利も昭子も完全に老人と呼ばれるべき年齢になっていて、敏は一個の社会人として老化した両親の他に赤の他人の古ぼけたのを二人抱えて生きなければならないということになる。また別の男の口からは、違う数字が聞かされた。昭和八十年には六十歳以上の人口が三千万人を超え、日本は超老人国になる運命をもっているという。そうなるまでには、なんとか死んでいたいと思うが、その話を妻にする元気は信利にはなかった。それでなくても彼の耳の奥には、ずっと前に敏が言い捨てた言葉がこびりついている。パパも、ママも、こんなになるまでに長生きしないでね。」(有吉[1972→2003:325-327])
 cf.人口

上野 千鶴子 2005 「生き延びるための思想」,『quarterly at』0→上野[2006:236]*
 *上野 千鶴子 20060207 『生き延びるための思想――ジェンダー平等の罠』,岩波書店,277p. ISBN-10: 4000221515 ISBN-13: 978-4000221511 2520 [amazon] ※ b a06 d01 t02
 「今から思えば、わたしは有吉佐和子って偉かったって思います。あの方が『恍惚の人』(有吉[1972])を書いた時に、文芸評論家の平野謙と対談しています(2)。[…]平野謙さんが、オレは嫌だ、こんな状態になるくらいなら死にたいと、とっても「男らしい」ことをおっしゃた。それに対して、有<0236<吉さんは当時三〇代の終わりかなあ、きっぱり彼に言ったんですよね。
 「耄碌して、はたに迷惑かけても、私は生きてやろうと思います」と。おお、立派な人じゃ(笑)、って思っちゃいました。ですから、惚けて垂れ流しになってるわたしやあなたに、そのまんま生きていていいんだよって言ってあげるのが、思想の役目でなくして何なんだ、ということですよ。」(上野[2005→20060207:236])
 (2)有吉佐和子・平野謙「”老い”について考える」『恍惚の人』付録、『波』一九七二年六月号にも掲載。

◆19720616 70歳以上の老人医療費の公費負担(本人無料化)を内容とする老人福祉法の一部改正案が成立(「老人医療費無料化」)1973年施行

◆197207

 「四十七年七月、田中新内閣発足の翌日、ささやかだがちょっと目をひく四十人あまりのデモが東京の都心をねり歩いた。(中略)<60<このデモを組織したのは東京都老後保障推進協議会。日雇労務者の団体や老人クラブなどでつくっている老後対策要求の組織だ。デモの先頭にはスローガンを書きなぐったポンコツ寸前の愛用車にマイクをにぎった町田市老後連盟の古宮杜司男委員長がいる」(朝日新聞社編[1972:60-61]*)
*朝日新聞社 編 19721130 『高齢社会がやってくる』,朝日新聞社,307p. 540 [amazon] ※ b a06

◆朝日新聞社 編 19721130 『高齢社会がやってくる』,朝日新聞社,307p. 540 [amazon] ※ b a06

■1973

◆『厚生白書(昭和47年版)』
各論
第4編 社会福祉の増進
第3章 老人の福祉
第2節 老人の保健医療対策
3 老人医療費の支給
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197201/b0246.html

「そして,44年8月には「老齢保険制度」の創設を内容に含めた「医療保険制度の改革要綱試案」が厚生大臣から社会保障制度審議会および社会保険審議会に諮問され,46年9月および10月にその答申が行なわれたが,いずれも老人の医療費についてなんらかの措置を講ずる必要を認めつつも,老齢保険制度については賛意を示すものではなかった。
 この間,ますます深刻化する老人医療費問題に関し,45年9月に開かれたわが国初めての「豊かな老後のための国民会議」においても,同年11月中央社会福祉審議会から厚生大臣に対して行なわれた「老人問題に関する総合的諸施策について」の答申の中でも,老人医療費問題についてはその実態の緊急性にかんがみ,早急に結論が出されるべきであるとの意見が強く打ち出された。」

◆197301 70歳以上の老人医療費の公費負担(本人無料化

◇山本 茂夫 199503 『福祉部長 山本茂夫の挑戦』,朝日カルチャーセンター,226p. ISBN-10: 4900722146 ISBN-13: 978-4900722149 1529 [amazon][kinokuniya] ※ b a02 a06
 「昭和四八年一月より、老人医療費支給制度の実施により七〇歳以上の高齢者に対する医療費の無料化が実施されたことにより「老人病院」が各地で繁盛した。」(山本[1995:165])

◇岡本 正・高橋 晄正・毛利 子来・大熊 由紀子(司会) 19731015 「日本医師会のタテマエとホンネ」,朝日新聞社編[19731015:161-217]*
*朝日新聞社 編 19731015 『荒廃をつくる構造』,朝日新聞社,朝日市民教室・日本の医療5,254p. ASIN: B000J9NNZG 500 [amazon] ※ b
 「岡本 国民皆保険の実施でも、老人医療の無料化にしても、すべての政府の虚栄(ヴァニティ)が生んだ、みせかけの社会福祉政策ですよ。そういう世間をとりつくろう政策がでると、日本医師会はかならず乗っかっていきますね。そして、もうける。
高橋 老人医療の無料化は、空きベッドをうまく操作するのに役立つ。看護婦不足なら、なるべく手のかからない老人でも入れときゃいい。家族は養老院へやったとなると世間体が悪いが、老人ならたいていどこかぐあいが悪い、病院に入れておけば、安くすむし、かっこうもいい。ほんとうの意味での老人対策の欠陥を全部医療の中へほうりこんだだけだ。医者もそれでもうかる。で、根本の薬の科学性を問わないまま膨大な薬をのませるから、結局あれば安楽死への道へつながりますよ。
毛利 まったくそのとおりで、このままでいったら水俣病の二の舞で、スモンだけでなく第二、第三、第四ときりのないほどの薬害が明らかになるときが意外に近くなるような気がしますね。」(p.187)

◆1973 東京都、在宅福祉サービスの三大新規事業として、福祉電話、友愛訪問員、家庭家事雇用費助成事業を実施

 「昭和四八年度、東京都は在宅福祉サービスの三大新規事業として、福祉電話、友愛訪問員、家庭家事雇用費助成事業を実施した。家庭家事雇用費助成事業とは、東京都と都内の家政婦協会が協定を結び、市町村は協定料金で介護券を協会から買い上げ、ホームヘルプサービスの必要な家庭に介護券を配布するという画期的なものであった。私は、ホームヘルパーの常勤化を進める一方、ヨーロッパの福祉先進国では、非常勤ホームヘルパーの活用で量的に対応しているとの先例を知り、東京都の新制度の推進に積極的に努力した。
 美濃部革新都政の現実的な対応として出された介護券によるホームヘルパー派遣の新規事業であったが、労働組合、特に特別区職員労働組合の連合組織である「特区協」が反対運動を展開した。武蔵野市職労にも、民生局(現在の福祉局)に対する抗議行動への参加について上部組織から指令や、ホームヘルパーへの直接な働きかけなどがあったが、担当係長であり執行委員長として、私はそれらの動きを黙殺していた。」(山本[1995:131]*)
*山本 茂夫 199503 『福祉部長 山本茂夫の挑戦』,朝日カルチャーセンター,226p. ISBN-10: 4900722146 ISBN-13: 978-4900722149 1529 [amazon][kinokuniya] ※ b a02 a06

◆水野洋(当時、大阪大学医学部助手・衛生学) 1973 「安楽死と人権」『ジュリスト臨時増刊号』11月25日号No.548pp.29-39より
 8.ぽっくり信仰の社会的意味
 医療問題の話し合いの場で、最近奈良生駒にポックリ寺というのがあって参詣人が多いという話題が出たが、8月28日付の毎日新聞に「老人に“ポックリ信仰”大繁盛、福祉なしに安楽祈る」
の見出しでそれが紹介された。厚生省の平均寿命発表と関連させたもので、大勢の老人が、病気で倒れても国の福祉政策では周囲の人に迷惑をかけるだけで、長患いせずポックリ死ねるようにと訪れているというのである。実際に臨床や住民健診の場で老人とくに老女が脳溢血でポックリ死ねたら幸せだという声を耳にする。この声も、毎日新聞が使った安楽死の意味もポックリ信仰も、人間が本来 もつ極楽往生したいという願いからではなく、半身不随で家族の迷惑や気がねをしながら下の世話までしてもらってまで生きるのは最後の不幸であり、そんなことにはなりたくないという切実な願いから来ているのである。このように元気な時から 安楽死を望むのは、決して自ら認めて医師の手で安楽死させてもらいたいという願いではなく、まさに自ら自然の力でポックリと死にたいという願望であ<0032<る。

◆座談会 医療の進歩と人権 1973 『ジュリスト臨時増刊号』11月25日号No.548pp.84-99
出席者:川上武(当時杉並組合病院医師)、藤木英雄(当時東京大学教授)、塩口喜乙(当時朝日新聞編集委員)
老人問題の社会的背景について
 塩口:最近、老人問題に社会の関心が集まっているひとつの背景は、恍惚人間になることに対する恐怖感ですね。自分が恍惚人間になって、自分の身のまわりの始末もできない、意思もない、そういう形で自分が生きているというときにどうするのだということでこの問題が非常にクローズアップされたと思うのです。これから社会が進歩してくると、恍惚人間になったときには生きてないのだという人がかなり出てくる可能性はありますね。そういう形で、もっと違う領域で議論がでてくるのではないかと思うのです。
 川上:ですから恍惚人間についてやはり社会がどういう姿勢をもっているかをきちっとしておかないと、恍惚にまだならない人が自分が恍惚になったときはどうかというように非常に短絡反応を起こしますね。
 藤木:だからいまの社会の人間の生活のシステムの中で差別、疎外されないということは一番大事なことなんですね。老人はみんな老人ホームに送り込めばいいということでは困るわけで、家庭という生活単位があるわけですから、その家庭という生活単位の中で障害者あるいは恍惚人間がしかるべく位置づけられるようにしなければならない。どこか特別の場所をつくって、そこへ送り込めばいいという形には、これはいまの社会生活の形態をとっている限りはしてはいかぬことなわけです。ですから、それに対する何らかの国の施策を講ずるといっても、やはり家庭の中にいるそういう人に対して何とか積極的な位置づけをするためのサポートをするという形にしていかなければいけない。それがまた非常に大きな問題をほかにはらんでいるということでむずかしいことになるかとおもいます。
 川上:そういう点では、人間を生産性というか、労働力の面だけから見る考え方は非常に危険なのではないか。やはり人間の生きがいの重要部分は、労働をしていけることのうちにある。しかし労働できなくなっても、その人間が生きていく側面は一ぱいあるということをはっきりさせておいて、生産性が上がったら、それは、労働力を失った人に使っていけばいいというくらいの社会の体質変化をきちっとしておかないと、人権を尊重するといっても、ことばの上に終わる危険が多いのです。そういう点で、いま医学のほうで困っているのは、やはり技術の進歩が非常に不完全なために、ガンで苦しむ患者さんが出たり、脳卒中で半身不随になる人が多いわけです。しかしほんとうはこれらになっても治せる技術があれば一番いいわけです。だけれども、なかなかそういう技術を開発していくとなると、そこにむずかしい問題があるわけです。<0096<

◆田中多聞(当時東京都老人総合研究所顧問研究員・老人社会医学) 1973 「老人医療と老人福祉」『ジュリスト臨時増刊号』11月25日号No.548pp.255-260
3.老人福祉の視点から
 福祉行政の重大な誤りは施設重視、地域軽視である。一見、福祉的施策かに見える施設量産は実は救貧的・素人的施設への老人隔離であり地域福祉充実をサボった非人間的処遇と断じたい。地域での福祉的(医療を含む)ケアを主とする体系確立には多額の投資を要求されるが、施設量産福祉は極めて安上がり的である。ケア従事者も素人で可能であるし運営に関しても非専門的施設は専門施設(老人病院など)よりも極めて安価であることが量産ベルトに乗っているのである。施設収容福祉重点主義は、障害がコンクリート化した後での名目的収容方式とも考えられるし、障害の予防、早期ケアから家庭および社会内適応、つまり人間としての基本的権利と自由の回復を考える福祉とは、地域内福祉重点と専門施設を一時的滞在・利用する福祉の方法である。地域内福祉を行うには、人材の育成、確保が先決である。容れ物は形として残り行政効果が期待されるが、人に予算を注ぎ込むのはそれらのメリットがないから行政は渋る。<0256<

■1974

◆『厚生白書(昭和48年版)』
各論
第4編 社会福祉の増進
第3章 老人の福祉
第1節 概説
 http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197301/b0242.html

「こうしたことから,厚生省では,45年9月の「豊かな老後のための国民会議」で討議された成果や,同年11月の中央社会福祉審議会(中川善之助委員長)から厚生大臣への「老人問題に関する総合的諸施策について」の答申等の提言を体的施策に取り入れるために,46年3月,大型の老齢者対策プロジェクト・チームを発足させ,検討した。その結果,老人医療費支給制度の創設という大きな成果を実らせた。また,47年12月に中央社会福祉審議会老人福祉専門分科会(安田厳会長)から提言された「老人ホームのあり方」に関する中間意見の趣旨を施策に生かすべく,その当面の方策として,48年度から養護老人ホーム及び軽費老人ホーム(A型)の国庫補助基準面積の改定を実施した。これは,現在の老人ホームを「収容の場」から「生活の場」へと高め,新しい老人ホームへ脱皮すべく,その第1弾としてホームの居住性を高めることにしたものである。

 また,厚生省では,従来から,老人福祉施設の効果的実施を図る上から,各省関係部局とも密接な連絡を保ってきているところであるが,本年4月,総理府に老人対策本部(本部長;内閣総理大臣,副本部長;総理府総務長官,厚生大臣)が設置され,その事務推進機構として,老人対策室が総理府内に発足した。この本部は,老人に関する施策について関係行政機構相互間の事務の一層の緊密な連絡を図るとともに,総合的かつ効果的な対策を推進するために設けられたものである。 」

◆1974 老人問題懇談会 『今後の老人対策についての提言』
 http://www8.cao.go.jp/kourei/yushiki/free-society/houkoku.html
 「1973(昭和48)年、政府は、内閣総理大臣を本部長とし、各省庁の事務次官等を本部員とする老人対策本部を設置するとともに、老人問題懇談会を開催して、当面の老人対策について検討を進め、老齢人口の急増に備えるためにも、立ち遅れていた老人対策の充実に努力を傾注することとした。その年は、いわゆる「福祉元年」に当たり、老人医療費の無料化、物価スライドの導入などの年金給付の大幅な改善が行われた。」

◆1974 「老化の医学的社会学的背景の研究――小金井市70歳老人の総合健康調査」開始

◇露木まさひろ 200610 「福祉関係者なら知っておきたい『東京都老人総合研究所』の不思議・前編(5/5)」
 http://www.hhcs.co.jp/Article_070820_ToroukenNoFushigi_05.html
 「前代未聞の〔小金井研究〕とは
 都老研の名を高らしめたのは、通称〔小金井研究〕だ。この研究を抜きに都老研は語れないほど画期的な内容となった。これは「百歳老人の生活史」研究を発展させたもので、「老化の医学的社会学的背景の研究〜小金井市70歳老人の総合健康調査」の名称で昭和49年から着手された。
 […]
 都老研の研究者40人ほどが参画したこの〔小金井研究〕に付随して、同市の寝たきり高齢者宅の家に看護職が上がり込み、生活やケアの実態を把握する調査も行われた。担当したのが、賀集竹子さん率いる看護研究室で、後に〔訪問看護の鎌田〕といわれるほど著名になってゆく鎌田ケイ子さんも昭和50年から一員に加わった。
 鎌田さんは、東大医学部衛生看護学科を卒業後、心臓血管研究所や東京女子医大高等看護学校の教師などをしてきたものの、臨床経験の少なさに焦りと悩みを感じていた頃、都老研職員の話が舞い込み、何となくの気分で入所したという。「老化の生命科学はもちろん、高齢者のことも何も知らなかったわけですから、暗中模索のスタートでした」と語る鎌田さんにとって、在宅寝たきり高齢者宅の訪問が、本格的な臨床体験となった。
この頃すでに、家庭奉仕員制度があったにせよ、所得制限のため派遣できる家庭は少なく、ましてや看護職が家庭を訪問するなど考えられなかった。
 ほとんどの寝たきり高齢者が、介護も看護もなく、入浴もできず失禁状態にもあるのに、家庭内で放置されている状態だったのだ。15人ほどのメンバーが手分けをして約80世帯を訪問しながら、寝たきり高齢者の寝床で看護職は何ができるのか?何をすべきなのか?何をすれば効果があるのか?といった試行錯誤が始まった。
 訪問看護は都老研が創始した
 この訪問看護の研究で鎌田さんらが驚いたのは、寝たきり高齢者の褥瘡の凄さだった。看過できないため実態研究だけでなく、褥瘡と全身を清潔にする処置や家庭看護のイロハを指導する実践活動が加わっていった。
 すると週1回でも看護職が訪ねて看護的な処置をすると、3カ月で褥瘡が回復したり…寝具が衛生的になったり…食欲が出たり…と寝たきり高齢者の生活環境がはっきりと改善してゆくのが判っていった。
 こうした研究成果が、『小金井市における寝たきり実態調査と訪問看護に関する報告書』としてまとめられ、都の民生局も称賛したのだが、それ以上に喜んだのは〔調査対象〕だったはずの寝たきり高齢者とその家族だった。小金井市役所に感謝の声が続々と寄せられたのだ。そこで、調査研究で終わせることなく、訪問看護を制度化する方向に発展。昭和52年から東京都が全国に先駆けて訪問看護を導入することになったのだ。
 看護研究室が訪問看護ステーションを兼ねたわけだが、この実績が都老研の価値基盤を築いたともいえる。「老人研究所が何の役にたつのか?税金の無駄づかいではないのか?」といった一部の都庁幹部にあった無用論の打ち消しにも貢献したわけだ。ついでに記せば、訪問看護制度が国の制度になったのは、昭和57年施行の『老健法』からである。
[[…]」

◆1975 社会保障長期計画懇談会 『今後の社会保障のあり方について』

◆1975 社会保障制度審議会 『今後の老齢化社会に対応すべき社会保障のあり方について』

◆Paul Tournier 1971 apprendre a vieillir=19750610 山村嘉己訳 『老いの意味』,ヨルダン社,414p.,2000 ※

◆Tournier, Paul 1971 Apprendre a vieillir, Delachaux et niestle=19750610 山村 嘉己 訳,『老いの意味――美わしい老年のために』,ヨルダン社, 414 p. ISBN:4842800852 [amazon] ※ **2

◇中川 晶輝 19840425 『ここに問題が――老人の医療と福祉』,同時代社,206p. ASIN: B000J727AU 1890 [amazon] ※ b a06
 「まず七五年七月に大蔵省が無料化制度への批判を公にしたのにつづいて、翌七六年大平首相は「老人医療費有料化を進める」と言明、七八年の小沢私案、七九年の橋本試案、と歴代の厚相が有料化へ向けて次つぎとアド・バルーンをあげ、八〇年五月には野呂厚相が社会制度審議会に対し、「老人保健医療制度のあり方」について諮問する、というかたちで、事実上有料化への足固めがおこなわれました。さらに八一年三月、渡辺厚相は初めて「老人保健法」という名をつかって社会保険審議会と社会保障審議会に諮問、「大筋で了承」との答申を得、早くも五月に同法案を第九四国会に提出、何度かの修正を経て、八二年八月十日ついに成立に至りました。
 ところが年の暮れも押し迫ったこの年の十二月二十九日の夕方七時すぎに、突然「診療担当規準」なるものが厚生大臣によって提示され、中央社会保障制度審議会に諮問がなされたのでした。そして審議会はわずか一時間の討議だけで、老人に対する「診療差別」を内容とした、諮問に沿った答申を出しました。まさに電光石火の早わざです。これが実は老人保健法の「本命」だったのです。」(中川 1984:56)

田中 多聞 19760120 『寝たきり老人は起ち上がれる――自立と看護の実際』,社会保険出版社,204p. 1200
 二 寝たきり老人 pp.25-33
1 寝たきり老人の多くはつくられたもの
 老人は、老化現象と病気になる危険性とを同時に背負った人といえます。老化現象をわかりやすく述べると、人間が受胎したときから始まり、死によって終わるとも いえましょう。老化は、血管と体の細胞に特有な変化を現わします。血管とくに動脈の変化―動脈硬化と細胞の萎縮(細胞の数の減少と性質が変化する)が基本となって います。筋肉、関節、骨、その他の諸臓器についても同じです。筋肉がやせ、力がなくなりますし、関節の動きが悪くなったり、骨がもろくなって折れやすくなります。 心臓を養う動脈(冠動脈)に動脈硬化がひどくなりますと、心筋梗塞というこわい病気をおこします。これらは動脈の老化が基本にあって、それから病気になるのです。
 ここで注意しておきたいことがあります。それは、特別な病気はないのに運動不足のために病気になるということです。学問的にいいますと「生理的必要最小限の運動 を怠ったためにおこる病気で、この病気を総称して低運動性症候群と呼びます。
 老人が死亡する場合これで亡くなることが意外に多いのです。(表3)
 たとえば骨折したことが直接の原因となって死亡することよりも、長い間寝こんだために肺炎をおこして死亡することがよくあります。脳卒中の場合でも同じです。
 この一例でもおわかりのように、老人にとって命をおびやかすものは何か?といえば、もちろん脳卒中や心臓病があげられますが、それに次ぐものとして、長い間運動を しなかったり、寝こんでしまうことなどです。

 じっと坐ってばかりいて、仕事をしない。散歩や外出をしない、家事や片づけもしない。身の回りのことも自分でしないですべて世話してもらうなどは、自から病気を つくっているのです。そうしていて、足腰が弱くなったから車椅子を買ってくれとか病院に入院するなどいったのでは、いくらお金があっても足りませんし、他人の世話 を始めから終りまで受け続ける結果となります。自から求めた結果ですからいいとしても、世話する人はたまりません。私はこの十年間に、ずい分このような老人を みましたし、治療してきました。
 社会的にいわれている寝たきり老人の多くは、何らかの病気が土台にあって、その治療が的確さを欠いた、看護や生活指導が不適当であるとか、老人自身の責任、その他 の原因からなるのですが、寝たきり老人は一つの原因からなるのではなくて、いろんな原因がからみ合っておこる社会病理現象なのです。
 こういった考え方から、私は「寝たきり老人という表現をやめましょう」といろんな機会にいってきました。
 このように、「寝たきり老人」の正しい定義がないままに、社会で使われて大変誤った考え方が医師、看護婦、セラピストなどの医療関係者から福祉関係者、その他の 一般社会の人たちの間に植えつけてしまっているのです。私の臨床経験では、寝たきり老人と決めつけられた患者の八割が、自立に成功しています。寝たきりの状態に なった老人、といえば科学的だし良心的ですが、寝たきり老人といいますと、もうどうしようもない絶望的な老人というイメージを与えてしまいます。私は過去十年間 寝たきり状態の老人のうち、八割近くを医療とくにリハビリテーションによって自立させることに成功しました。それらを詳細に分析しますと、発病時およびその後の ケアの誤りが原因で寝たきりになったという例があまりにも多かったのに驚きました。
 発病後大学、国立、公立、私立などの病院に長い間入院したり、往診してもらっていたのが七六%もいながら、私のところに来たときは寝たきり老人になってしまって いたのです。それらの状態を紹介しますと、手足の拘縮(関節が硬くなって動きが鈍くなる)、変形、筋肉の萎縮と筋力の低下、失禁、ボケなどをほとんどがもっており、 それらの三割ちかくが褥瘡(床ずれ)をつくっていました。
 命は助かっても廃人になっていたのです。どういう治療をうけてきたかと聞きますと薬物療法だけで、自立への訓練を受けてきた人は全患者約千名中五名しかいません でした。その五名も、これ以上はなおらないからといわれて、ていよく退院させられているのです。入院できた人は幸せな人で、その他の多くの方は自宅で往診を受けて いたのです。医師の多くは忙し過ぎるので、とても生活のしかたや訓練の指導まではしてくれません。病人は寝たきりのまま幾年も過ごしてしまい、とうとうどうしよう もない寝たきり状態になってしまうのです。こう考えてきますと、寝たきり状態になる原因としては、
  1 医療内容によると考えられるもの
  2 看護に関係あるもの
  3 老人自身の意欲になどに関するもの
  4 病気によるもの
 などにまとめられます。病気によるものは、重症である、動かせない(痛みやその他の症状のために)などでしょうが、半日に五分ていど手足を動かしてはいけない ほどの重症者は危篤状態ですから除外しましょう。
 そうしますと、寝たきりになる原因は、どうも病気よりもケア内容によるものが多いことがわかります。寝たきりになったから特別養護老人ホーム(特養)に収容させ よう、そのためには特養を増設させようと、国や自治体は大変な腰の入れ方ですが、まったくナンセンスではありませんか。いま、もっとも必要な行政の手は、つくらなく てもすむ寝たきり老人をつくっている原因をただし、解決して、一人でも寝たきりになる老人を救うこと、予防する手だてをすることなのです(表4参照)。

2 にせもの(仮性)の寝たきり
 寝たきり状態の老人の八〇%は、にせもの(仮性)であることを私は実証してきました。過去十年間に、一〇〇〇人以上の「寝たきり老人」を対象に臨床と研究を 行なった実績から、確信をもっていえます。仮性寝たきりとは、病気その他の原因で老人が一定期間臥床を続けたために、手足の拘縮、筋力の低下、仮性失禁(後述)、 仮性痴呆(後述)、低運動性症候群(前述)、栄養障害などを伴ない、老人の心と体の機能障害をおこし一日の大半を臥床している状態をいいます。仮性寝たきり状態 は必ず改善できます。その回復の程度は、発病後三年以内ならばよくなります。ところが、仮性寝たきりを真性寝たきりと誤って判断して寝かせっぱなしにしていますと、 真性寝たきりになり回復が困難になってしまいます。

3 ほんもの(真性)の寝たきり
 真性寝たきりは、病気が重症か、脊椎、四肢の拘縮が強く、また?幹、四肢の筋力が極度に弱く、低運動のため循環不全(起立性低血圧など)などをおこし、坐ることも できない重症の状態をいいます。真性寝たきりの場合は、寝がえりさえできないというより危険でさせてはいけない場合がほとんどで、医師がドクターストップをかける 重症状態をいいます。しかし、ごくまれですが、脊椎から股、膝、足の関節までが、強い拘縮をおこし、ちょうど首から足まで一本の棒状にかたまっている患者がいます。 私は過去十年間ケアしてきた寝たきり老人のうち四名認めています。当然ですが、真性失禁、真性痴呆のほか、いろいろな感染症を合併していることが多く、おそかれ 早かれ死を招きます。
 いかがですか? 真性よりも仮性が多いのです。特養に収容して「寝たきりが歩けるようになった」と施設が強調するのは、おかしいことです。栄養がよくなり、環境 が改善されれば、元気になるのは当然のことです。歩けるようになったのは、もともと歩けるものが仮性寝たきりで一時的に寝こんでいたのにすぎないのですから、当然 なことなのです。しかし、歩けるようになったことは大変うれしいことに違いありません。寝かせっぱなし、オムツのあてっぱなし、ボケさせても平気で「老衰末期の 老人たちが多いからどうしようもありません」と、得々と語る特養にくらべれば立派です。
 ある大学の教授が「特養はオムツ老人をつくっている」と話したと聞きましたが、特養のレベル(非治療的)からすれば、決してそのような特養を責めるわけにはいかない のも事実です。とにかく、寝たきり老人が真性か仮性かを医学的に診断している病院、医師はほとんどないでしょう。「これは一年以上たっているから、リハビリをやって も無駄です、と冷たく突き放されました」と、多くの家族が涙声で訴えたのがしばしばでした。
 このような事実からでも、寝たきりは人によって(老人を含めて)つくられたものが多く、決して病気だけが原因ではないということがおわかりだと思います。

◆塚本 哲 1976 『ぽっくりさん信仰』,保健同人社

◆東京都老人総合研究所編.197803.『寝たきり老人の看護と予防』(ゼロントロジー公開講座),東京都老人総合研究所.60p.

◆1979

 「一九七〇年代の終わりごろから、私は、苦痛の緩和・除去及び看護・介護サービスの充実等いくつかの点の改善を条件として、「特別養護老人ホームを老人のホスピスにするこ<14<と」を提唱してきたが(7@)、これは特別養護老人ホームが「終のすみか」となることを期待したものであった。
 一九七九年(昭和五十四年)、四十代の研究者が「森幹郎は特別養護老人ホームはホスピス(死にかけ老人収容施設)となることを乱暴にも肯定しているが、この主張の間違いは、訪問看護の実践からも証明できる」と反論した(7A)。ホスピスを「死にかけ老人収容施設」と説明するのも研究論文として無神経に過ぎるが、私も「訪問看護」の重要性については十分に認識していた。
 乱暴と言われた拙稿は、中軽度の介護の必要な老人に対しては在宅ケアを、そして、常時、濃厚なケアの必要な老人に対しては、入院ケアではなく、特別養護老人ホームにおけるケアを提言したものであった。
 すでに一九六八年(昭和四十三年)、六十五歳以上のねたきり老人の数は四十万人と報告されていたが(本書一〇ページ)、一九七四年(昭和四十九年)時点でもホームヘルパー数は一万七二〇人に過ぎず、先進諸国の高レベルケアに倣うなら、八十五万人の配置が必要であろうと、私は試算した(7B)。それから三十数年、平成十六年時点でも、介護保険法による訪問看護職員は十五万三二三二人に過ぎない(7C)。八十五万人! 夢のまた夢である。」(森 2007:14-15)
※[引用者補足説明]注(7)は以下の通り。
@例えば、「ホスピスとその問題点」『断章・老いと死の姿――死ぬことの社会学』保健同人社、一九八三年(一七九―一八五ページ)に所収。
A前田信雄「病める人を地域でみる」『講座日本の中高年(六)』垣内出版株式会社、一九七九年(一八七ページ以降)
B『ホームヘルパー』日本生命済生会社会事業局、一九七四年(一四ページ)。『戦後高齢社会基本文献集(第二十一巻)』日本図書センター。
C厚生労働省『平成一六年介護サービス施設・事業所調査結果の概況』




◆Tournier, Paul 1971 Apprendre a vieillir, Delachaux et niestle=19750610 山村 嘉己 訳,『老いの意味――美わしい老年のために』,ヨルダン社, 414 p. ISBN:4842800852 [amazon] ※ **2
◆Butler, Robert N. 1975 Why Survive ? : Being Old in America, Harper & Row= 19911018 グレッグ・中村文子訳,『老後はなぜ悲劇なのか?――アメリカの老人たちの生活』,メヂカルフレンド社,488p. 4600 ※ **


*作成:-2007:天田城介立岩真也 2008-:老い研究会
UP: 20040828 REV:2021 20061213 20071220(ファイル分離),25 20080116,0213
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