HOME >

宮崎透析拒否事件

人工透析/人工腎臓/血液透析


 作成:有吉 玲子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)*

■新刊

◆有吉 玲子 20131114 『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』,生活書院,336p. 3200+160 ISBN-10: 4865000178 ISBN-13: 978-4865000177 [amazon][kinokuniya] ※ a03. h.

『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』表紙

■事件の経緯

◇1991年 (H3) 7月28日 宮崎日日新聞

 「透析断られ死亡 
  腎臓悪化の精神障害女性 治療に適応せず
  県立宮崎病院診察し判断」

  精神に障害があり、佐土原町の一ツ瀬病院に入院していた高鍋町の女性(四三)が腎臓の機能が悪化。透析が必要と診断されたため宮崎市の県立宮崎病院に治療を依頼したところ、「本人の維持透析の必要性の了解、自己管理等の自制力を得られないような精神障害があると判断せざるを得ず、透析の適応はない」として透析が受けられず、女性は県立宮崎病院から一ツ瀬病院に戻ってきた翌日の二十日に腎不全で死亡した。透析は特別な治療のため県立宮崎病院の取った処置を他の専門医も否定はしていないが、佐々木院長は「治療を受ける権利が無視されている。命にかかわることでもあり、公的機関の県病院に、本人のためになる可能性を判断してほしかった」と医療現場に問題を提起している。

  …担当医は「透析は社会復帰が目的。本人の了解、自己管理能力がないとできない。途中で勝手にやめられたりすると、かえって残酷な結果になる。何もしないのが本人のためと皆で議論して結論を出した」と話している。
  …最初にこの女性を治療した専門医は「患者は透析を理解する能力はなかったと思うので、県病院の理由も分からないことはない。しかし、精神科もあり透析もできる病院は県内では少ないのだからやってほしかった。患者を戻すにしても他の療法を指導していくべきだったのでは」と話している。


◇1991年(H3)7月29日付 毎日新聞朝刊22面(社会)全国版
 全文
 
「精神障害理由に透析を拒否
  県立宮崎病院 転送の女性死亡」
  
 精神障害のある宮崎県児湯郡高鍋町の無職女性(四二)が腎不全状態になり、入院中の精神病院の紹介で宮崎氏の県立宮崎病院(本松研一院長)に人工透析治療に出向いたところ、精神障害を理由に拒否され、翌日尿毒症による心不全で死亡していたことが二十八日わかった。透析医療関係者の間では、精神障害者の透析は難しい面があるとの指摘もあるが、県立病院の担当医は、この女性の死を予測しながら、紹介元の病院に引き取ってもらっており、精神障害者の人権問題とも絡んで論議を呼びそうだ。
  この女性は糖尿病で同郡川南町の国立療養所宮崎病院に入院していたが、ヒステリー症状がひどくなり昨年八月、宮崎郡佐土原真町の精神病院「1ツ瀬病院」(佐々木達郎院長)に転院、治療を続けていた。ところが、糖尿病が原因で腎機能が低下。近くの泌尿器科医院で診てもらったところ、今月十一日「慢性腎不全のため透析治療が必要」と診断された。このため女性は翌十二日、一ツ瀬病院の佐々木院長(四三)の紹介状を持ち、家族と一緒に県立宮崎病院内科で診察を受けた。
  しかし、担当医は「本人が透析の必要性を了解し、自己管理を含めスタッフの指導を受け入れることと外来通院透析の確保の二点が確認できなければ透析できない。家族の負担も多く、それを覚悟の上でどうしてもという場合は連絡してください」という佐々木院長あての返事を文書にして持たせ、一ツ瀬病院に帰した。
  一七日朝、女性は尿毒症が進んで意識がもうろうとした状態になったため、一ツ瀬病院から再度救急車で県立宮崎病院に入院。
  しかし、前回と同じ担当医は一九日「人工透析を継続する必要性を理解できなかったり、自己管理などの自制力がないような精神障害があり、透析の適応はないと考える」との返事(文書)で再び一ツ瀬病院に送り帰した。
  この際、担当医は「生命の予後は不良と思われますが、保存的にみるしかないと思う」とも述べ、透析しないことで死亡することを"予知"していた。
  佐々木院長によると、一ツ瀬病院に一九日昼ごろ、県立宮崎病院の精神科の看護士の付き添いで帰ってきた女性は既に意識がなく、こん睡状態で、やむなく同病院で治療を続けたが、翌二十日午前六時、死亡した。
  一ツ瀬病院の藤田淳郎副院長(四三)が二十三日、県立宮崎病院を訪ね、副院長の清田正司・内科部長に会って説明を求めたが「主治医の判断だから」と答えただけだったという。
  藤田副院長は「女性には興奮や妄想、幻覚など全くなく、暴れて透析ができないという状態ではなかった。なぜ拒否されたのか理解に苦しむ」と語り、佐々木院長は「生命に危険があるのに透析など積極的な治療は必要ないというのでは、見殺しにしたも同じ」と厳しく批判している。


◇1991年7月29日  毎日新聞朝刊宮崎県内版
 
 「糖尿病患者 翌日に死亡
  県立宮崎病院「死」を予測しながら」

  ……
 「まず治療、が医の常識」 
  今回の県立宮崎病院の処置について同県腎臓病患者連絡協議会の亀川紀暉会長は「透析をしなければ死ぬとわかっていたようだし、とりあえず透析を始めるのが医師として常識と思うが…。会としても病院側に事情を聴くことを検討したい」と話している。
  腎不全による透析患者は年々増え続け、全国で十万人を超えている。このうち、精神障害患者については、実態が正確にはつかめていないが、宮崎県では、精神科と内科がある宮崎市内の民間病院で透析治療をうけているケースがある。
  王丸鴻一・宮崎県透析医会会長の話
  透析は一度始めると一生続けなければならない。精神障害者の場合、その継続に耐えられるか、また家族にも相当な負担になるなど、現実問題として難しい面をもっている。担当医がこれがベストと思って判断したことと信じたい。ただ、現に精神障害者で透析を受けている人もいるし、今後、精神医と透析担当医、家族の連携について論議を深めてほしい。


◇1991年7月30日 毎日新聞宮崎県内版

 「痴呆性老人も断る
  透析拒否の県立宮崎病院担当医「治療困難」と」

  …断った理由について、県立宮崎病院の内科担当医(三八)は「精神科の医師と十分相談したうえで透析は困難と判断した。重い精神障害があったためで、本人が一生透析を続けることは難しい状況であったし、女性にとっても単なる延命策となるだけで、かわいそうな面もあった。これまでも老人性痴ほう症や末期がん患者ら死を前にした人たちの透析を断ったケースはいくらでもある」と説明。
  精神科の担当医によると、入院後、検査をした上で、これまでの経過などから、重度の精神障害と診断、内科担当医と協議。最終的に内科担当医が透析困難と判断した。十八日と十九日朝には、家族と精神科、内科の担当医が一緒に話し合い、透析をしないことを両親に納得させ、同意書を取った上で、一ツ瀬病院に帰したという。
  これに対し、一ツ瀬病院の藤田淳郎副院長は「県立病院が言うように重くなかった。どんな診断をしたのか明らかにしてほしい。また単なる延命策を言われるが、彼女の場合、末期がんなどと違い、透析さえすれば確実に1,2年、あるいは、5年、10年生きた。彼女に"死刑宣告"した重みがわかっていないのではないか」と厳しく批判している。


◇1991年9月8日 毎日新聞宮崎県内版

 「精神医学会が調査へ」

  …日本精神神経医学会は、7日開いた理事会で現地調査の実施を決めた。同じ精神科医の学会組織である病院・地域精神医学会や自治体病院協議会と協議し、合同調査団を派遣する。
  本松研一・県立宮崎病院長の話
  どういう事情で派遣するのかわからないが、来るというのなら受けるつもり。この件に関しては担当医師の判断は誤りでなかったという当病院の姿勢に変わりはない。


◇1991年9月13日 毎日新聞宮崎県内版

 「カルテなど証拠保全 遺族申し立てで宮崎地裁」

  …宮崎地裁は12日、遺族からの申し立てを受け同病院に対しカルテなど関係書類の証拠保全を行った。遺族側が損害賠償請求の民事訴訟に持ち込むかどうかは現在検討中で、近く弁護団と協議して結論を出す予定。


◇1991年9月20日 毎日新聞朝刊

 「透析拒否は不法
  女性死亡 遺族、県相手に賠償訴訟へ」


◇1991年9月21日 毎日新聞宮崎県内版

 「母親の願い届かず
  問われる医のあり方」

  …遺族が県立宮崎病院と担当内科医を相手取り、民事訴訟を起こすことを決め、法定の場に持ち込まれることになった。…

 「県と内科医の答弁に食い違い 県議会一般質問で」

  宮崎市の県立宮崎病院が精神障害を持つ女性に対する人工透析をしなかった問題は、20日の県議会一般質問でも取り上げられた。
 徳地市次議員(社会)がこの問題の事実経過をただしたのに対し、田原直弘・県環境保健部長は「維持透析の場合、週2,3回通院し、日常でも食事療法や水分制限などが必要。今回の場合は、単に精神障害があったからではなく、総合的に検討、ケース・バイ・ケースで対応した」と答えた。
  しかし、県立宮崎病院の内科医は、当初「本人の維持透析に対する必要性の理解、自己管理の自制力を得られらないような精神障害があり、透析の適応はない」とか「重い精神障害があったので、単なる延命策としての透析はしなかった」と話しており、透析しなかった理由については、田原部長の答弁とは大きな食い違いを見せている。


◇1991年10月30日 宮崎日日新聞

 「拒否された透析<上> 治療せず退院通告 「生きる力あったのに…」

  腎不全だった精神障害の女性が七月、県立宮崎病院で人工透析を拒否され四十二歳の命を終えた。医師と患者の間でインフォームドコンセント(説明と同意)の重要性が叫ばれているにもかかわらず、女性は「生」ではなく、「死」
へ同意を家族ともども押しつけられた。救命に最善を尽くさねばならないはずの医師、公的医療機関である同病院。この問題を契機に、公正な医療を求める声は大きくなっている。
障害者に対する偏見はなかったか。医療に差別があってはならない。……


◇1991年10月31日 宮崎日日新聞

 「拒否された透析<下> 遺族、きょう提訴 患者差別はなかったか」

  10月14日。障害者たちの怒りが爆発した。
  「透析の目的が社会復帰なら、役に立たない人間は治療しないというのか」。県立宮崎病院の"差別"にこだわり続ける車いすの障害者たち。
  「医療に行政が立ち入ることはできない」と県側は繰り返すだけだった。
  集まったのは日本脳性マヒ者協会中国・九州ブロックの青い芝の会・全国障害者解放運動連絡会議・全国「精神病」者集団から26人。彼らの主張は「救命行為は、だれに対しても等しく最善の努力をするのが原則。障害を理由に医療を拒否するのは差別的な人間観に基づく」。

  …透析の目的は社会復帰にあるのだろうか。A子さんの担当医は「教科書通りのことをやっている。」と家族に何度も言った。そして、そうした選択が日本の透析医療の主流とも言う。
  「分からないでもない」「ケースバイケース」という医師もいる中で、大分協和病院内科の医師は厳しく批判する。「それは医師の勝手な妄想だ。社会復帰とは、何も仕事に就くことではない。入院していも家にいても、人間性を保てることをいう。社会復帰が人間の生存権を上回るなんてありえない。医師が患者の生存権を否定し、選別を始めたら危険」と主張する。


◇1991年11月1日 毎日新聞宮崎県内版

 「問われる医療の姿(解説)」

  今回の問題は、患者が精神障害者だったことから、人権問題の側面と、医療行為の技術問題の両面から論議を呼んだ。その中で、原告弁護団は「救命のため透析することが、医師の義務だった」と倫理感そのものを問うている。
  これに対し、担当内科医は、当初「維持透析の必要性の理解や、自己管理などの自制力を得られないような精神障害があった」としていた。
しかし、問題が表面化したあと、病院を監督する立場にある県は「精神障害が主たる原因ではなく総合的に判断したはず。透析拒否ではない」と釈明。透析をしなかったことと、精神障害を切り離したい姿勢を見せている。
  精神障害者に対する“透析拒否”は、透析が始まって間もない約二十年前には、人工腎臓(透析器)が少なくて、病院独自に設置された透析適応委員会で実際に行われていた、と文献にある。……
  「透析が始まったころは、患者の社会への貢献度や経済力、合併症の有無などから選別していた病院もあった」(全腎協事務局)という。
  だが、患者が十万人に膨あ上がった今日では、さまざまな合併症を持つ腎不全患者は避けられず、「患者の社会的地位、医療スタッフへの協力性、知能、経済的能力などへの考慮を払う必要性は全くない」(高久史麿・東大教授監修「腎炎・ネフローゼ」)という考えが一般的になっている。……


◇1991年11月6日 毎日新聞宮崎県内版

 「揺れる透析現場(中)嫌がる患者無理には 医師に立場 精神医との信頼関係必要」
 
  今回の問題が表面化して以来、精神障害者の透析適応そのものが論議されている。それでは、精神障害者の腎不全患者は現実にどうしているのだろうか。3人の精神障害者を透析治療している宮崎市の*病院を訪ねた。
  …透析を受ける精神障害者はいずれも分裂病と診断され、二人は精神科に入院、一人は通院しながら透析。最も長い患者は81年に導入。すでに10年になる。
  診察室で同病院の透析部長(34)に会った。「透析する前に本人と家族に"これは命にかかわることです"と説明します。腕にシャントを設ける外科手術は痛いし2日に1回は針を刺すわけですから、納得してもらわないと。それは、精神障害者であろうとなかろうと関係ありません。」と言う。それでも、実際彼らに透析する時、心配なことがある。針を刺す前に抵抗されないか、ベッドで1日4-5時間の安静に耐えきれず針を抜かないか。…
  …同病院の精神科担当の副院長(64)も「3人は透析の必要性やつらさを理説明したうえで導入した。精神病の場合、データで重い、軽いを分類できないが、生命にかかわることは根本的に理解できるはず」との見解…
  だが、嫌がる患者を無理に透析できない。数年前運び込まれた重度の精神薄弱者の場合、針を見るだけでパニック状態に陥り、「透析室に近寄ることすらできなかった」と副院長は残念そうにつぶやいた。
  今回の問題について、透析部長に聞いてみた。
  「正直に言うと、私も迷います。人権上、すべての人に透析したい。しかし、家族が本当に協力できるのか、そして、私自身がその患者をずっと診てあげれるのか。患者も医者も人それぞれですから、いちがいに判断しづらいのです。…」


◇1991年11月7日 毎日新聞宮崎県内版

  「揺れる透析現場(下)治療拒否に反響大きく 命の問いかけ 障害者団体の指摘や市民討論会」

  「精神障害」と「透析」という言葉は、一般にはなじみが薄い。にもかかわらず、今回が人の生命にかかわる問題であっただけに反響はおおきかった。
  10月末の日曜日、宮崎市内で討論会が開かれた。「医療現場だけでなく、市民も話し合おう」との呼び掛けに集まったのは、宮崎医科大の学生や他病院の看護婦のほか主婦や関心ある市民ら20人。
  「救命という点では、その人の命も変わりはないはず。精神障害を理由に透析しないのはおかしい」「意識がもうろうとしている患者に対し『透析に対する理解』うんぬんと言っていられるのか」
  一方で、看護婦や医科大生からは「新聞報道では人権ばかり問題にするが他に技術的な理由があったのでは」「県立病院に運び込まれる以前に、そこまで腎機能が低下したのはおかしい」と精神病院や「透析が必要」と判断を下した泌尿器科医院の管理まで言及する人もいた。
  …10月15日、全国組織の障害者団体である日本脳性マヒ者協会中国・九州ブロックの青い芝の会・全国障害者解放運動連絡会議・全国「精神病」者団体の障害者26人が県庁を訪れ、応対に出た県立病院課課長補佐に「死ぬとわかっていて、透析拒否すれば見殺しにしたも同然。宮崎県はそんな差別行政を許しているのか」と激しく詰め寄った。青い芝の会会長は「今回の問題は、医療の現場で"役に立つ人間"とそうでない人間を選別する構図が見える」と指摘している。



■各団体の動き

◇全腎協(全国腎臓病患者連絡協議会)

 「県腎協(宮崎県腎臓病患者連絡協議会)は、県保健予防課長に申し入れをしましたが、「家族の同意があったので」と病院側の対応を支持する立場にに終始しました。県腎協では、病院側にも改めて事情の説明を求めることにしています。
  全腎協では、「どのような疾患や障害があっても、必要な患者には透析治療が受けられることを望んでいる。(県立病院の対応は)非常に残念である」との会長声明を発表」(全国腎臓病患者連絡協議会、1991年3月6日号『全腎協』No.122:15)

 「全腎協としては、問題が法廷での争いになるのにともない、幹事会、運営員会で基本的な立場、方針を改めて協議することにしています」(全国腎臓病患者連絡協議会、1991年11月6日号『全腎協』No.123:12)


全障連(全国障害者解放運動連絡会議)

  1991年10月14・15日にかけて現地での情報収集と宮崎県行政との話し合い申し入れ行動。

 「「……私たち障害者や「病」者は、一方では本人ののぞまない医療を強制され、一方では、求める医療からは排除されてきた。その典型的な例が「生理時に情緒不安定になる」からと子宮を摘出された岡山のAさんへの子宮摘出事件であり、今回の透析拒否による見殺しの事件である。とりわけ今回の事件は、医療拒否によって殺されたも同然で、だからこそ重視し全国闘争課題として取り組むことを決定した。そしてすでに今回の行動の前に申し入れ書を提出している」(全国障害者解放運動連絡会議 『全障連』No.111 [1991:7])。

 「それにしても、我々障害者にとって、これほどの大きな問題、少なくとも明らかに透析拒否という事実と、それによって人ひとりが死亡しているというのに、社会的に断罪されるべき事として、
この事態が取り扱われないないのかと考えさせられてしまう。そこには紛れもなく、見殺しすら容認してしまう社会的にはびこっている「精神障害者」に対する深い差別というものを痛感せずにはいられない。」<0008<


日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会総連合会

 「先端医療に対する質問書
  文部省 高等教育局 医学教育課様

  ……ひとの手を借りて生きなければならない立場の者にとって、ひとの世話が本来あるべき姿ではないという価値観に変っていく時、いわば、病気や障害の根絶をもって、自分のことは自分でせねばならないと解釈された時、ただ生きるだけの意義は効力を失い、もはや、表面的に生きることさえも価値がないようしむけられていくのです。……<0129<

  質問項目
  1. 7月におきた宮崎県立病院での女性精神障害者の透析拒否殺人行為は、余りにも人の命の尊さを愚ろうした空恐ろしい処遇である。病院側は反省も示さず、痴呆性老人の治療制限も当然であるかの感覚である。治療していく時治療目的がわからなければなにをやってもよいという発想は、上記にあげた2つの問題(脳死臓器移植・体外受精)と同じである。これに対しての考えを述べてもらう……<0130<」(日本脳性マヒ者協会『青い芝』No.115[1994:129-130])


◇日本透析療法学会 1992年
 「倫理委員会報告――見透析腎不全患者死亡について 中間的まとめ」,『日本透析療法学会雑誌』25(2):199

 「…一般慢性腎不全患者に対する維持透析への患者選択の基本的態度については、これまで大きな混乱がなかったと思われるが、我が国では更生医療の適用もあって、諸外国に比し、より積極的に治療される傾向にある。…
 従って、精神障害者などにおいては、少なくともその専門医により、一般患者と同様のルーチン透析が可能と判断された場合を除き、適当な専門施設内において透析がおこなえるように設備・体制を整えることがのぞましい。…
以上により、このような施設が整備されるまでは次の二点を原則とすることを提案する。
  1、緊急の場合には、事情の許す限り治療プログラムに受け入れるよう対応するが、それが不可能な場合は他施設の斡旋に努力する、   2、透析の実施に当たっては、紹介医師の専門的協力による綿密な患者管理を要請する。」(平成3年(1991年)12月24日付け)

 
◇日本弁護士連合会人権擁護委員会  
 「精神障害を理由とする人工透析の拒否(警告・勧告・要望),『日弁連人権侵犯申立事件警告・勧告・要望例集5』2005:641-666

1994年1月21日
 警告:県立宮崎病院担当内科医師に対して
 勧告:県立宮崎病院病院長に対して
 要望:厚生大臣および宮崎県知事に対して

調査報告書より
 1、申立の主旨 
 「県立A病院において、申立両人の長女B(以下「B」という)にてうき、精神障害者であることを理由に人工透析の拒否が行われその結果、Bが死亡するという重大な人権侵害の事態が発生したが、本件と類似のケースは、透析の医療現場において、全国的に発生しているものと思われるので、貴会の人権擁護委員会において早急に調査の上、医療機関を監督する権限と義務を有する厚生省、厚生大臣、その他行政機関、とりわけ、本件について直接の監督責任がある県及び県立A病院、並びに当該担当医師らに対し、警告、その他適切な措置をとられたく本救済申立をする。」<0647<

 4、当委員会の判断
 「…とりわけ、相手方医師は、前損害賠償請求訴訟の被告本人尋問において、次のとおり供述している。
 (腎機能が悪化していって生命が危くなった場合に、最後に残された唯一の救命方法としては、人工透析しかないのではないかとの問いに)
  「救命という意味がどうとらえるかでしょうけれども、延命のみを目的とした医療ということであれば透析療法の適応があるという方針の医療施設並びに論文もあっても構わないと思いますけれども、そうではないのもあると。そうではないという意味は我々が以前から主張しているように、救命といいますか、延命のみを目的とする、特に長期血液透析というのは方針としない施設もあるということもあると思います。」
 …
(仮に透析を導入してもQOLを獲得できないケースについてはどうかとの問いに)
 「透析導入が困難だという理由は、そういうことになります。」
(QOLを獲得できないから透析しないという趣旨かとの問いに)
 「ですから、QOLという意味がいろいろあると思いますけれども、入院生活を、日常生活が送れるかどうかととらえるかどうかという議論にもなると思います。入院生活を送る、結局永続的にですよ。退院の見込みがないような患者さんにQOLを獲得してもらうのは難しいだろうと思います。」
(患者や家族に理解する能力がなければ医療努力を放棄してよいかとの問いに)
 「努力をして、それが報われるほどのケースであれば、それは幾らでも努力いたしますけれども、このケースの場合はもうかなり重症の、しかも回復不可能の精神分裂症があったということですので、そういう努力をしても無意味ではないかと思います。」



■第一審 宮崎地裁

◇<医師側の主張・反論>
 ・長期血液透析を実施するための適応があるか否かは、長期血液透析により改善される病態があり、患者がそれに耐えられ、その結果が有意義であると考えられる場合をいう。
 当該患者に精神障害があるから適応がないという意味ではなく、精神的障害が、患者の自制心、自己管理能力及び医療スタッフに対する協力等長期血液透析に必要不可欠な要件が満たされない程度に重症であれば適応とはならないということである。
 ・長期血液透析療法の適応のない患者であってもその家族等からの要請により長期血液透析がなされる場合がある。この場合には血液透析療法の実施を要請する家族等が長期血液透析について十分に理解し、家族としての負担に耐え、積極的に患者を支持する決意が必要であり、単に長期血液透析を行えばすべて患者が救われるなどとの安易な発想からの要請であれば、長期血液透析療法を行うことは患者に対して無益な苦痛を与えるだけである。(判例タイムズ927号[1997:206])

◇<争点>
 1、平成3年(1991年)7月12日、長期透析療法を行う適応がないとして、県立病院から一ツ瀬病院に帰院させたことが不法行為を構成するか
 2、平成3年(1991年)7月17日以降において、長期血液透析療法を実施しなかったことが不法行為を構成するか
 3、原告らの損害額

◇<判決>(1996年(H8)3月18日)
 損害賠償A子本人にたいする慰謝料500万円および弁護士費用
 →一部容認・控訴

 「(県立病院で診察を行った:筆者の補足)時期は腎不全による尿毒症症状が既に発現
している時期であり、尿毒症においては、中枢神経系の障害として、意識障害、昏睡、
脳波異常、痙攣が伴うことは珍しくないのであるから、この時期に精神疾患につき正確
な診断がなされ得たとは考え難い。以上のとおり、A子の精神疾患の正確な診断名が何
であるにせよ、A子は腎不全症状から解放されるならば精神科医師が入院の必要がない
と判断する程度には他人との意思疎通をなし得る精神的能力を有していたものである。」(判例タイムズ[1997:217])

 「A子の精神症状の程度からするならば、県立病院においてその受入れをすることが人的物的施設の関係で不可能であるとは考えられない。
  …A子のように意思表明を行い、他人とコンタクトをとることのできる患者について、患者本人は拒否しておらず、家族は血液透析を積極的に希望しているにもかかわらず、血液透析への導入を疑問とするものは見当たらない」(判例タイムズ927号[1997:217])

 「…7月17日に適切な血液浄化法が導入されていたならば、A子は7月20日に死亡することはなく、相当期間生存できたと確認できるけれども、自立生活を送ることができるまで回復したとは認めがたく、かつ、その余命はさほど長くなったであろうと考えられる。
 以上のとおり、被告(医師)の不法行為とA子の死亡との間には右の限度において相
当因果関係が認められることになる。」(判例タイムズ[1997:217])


■控訴審 福岡高裁宮崎支部

◇<争点>
 1、死因は末期腎不全が原因だったか
 2、緊急かつ一時的な血液透析を行えば、症状が改善して長期血液透析に移行する必要がなかったか
 3、長期血液透析の適応があったか
 4、7月12日に帰院させたことが不法行為を構成するか
 5、7月17日以降、A子に長期血液透析を実施しなかったことが不法行為を構成するか
 6、損害関係

◇判決
 1997年(H9)9月19日 控訴棄却

 適応が問題となり得るのは、「当該施設の人的物的設備に限界があり事実やむを得ない場合であり、そのような状況でないのであれば、血液透析の施行自体が困難となったり、日常の自己管理が出来ず血液透析を施行しても死亡する事態となることが、近い将来に予想されるか、腎不全状態が改善されても、退院して日常生活を営み得る可能性がない場合などの事情がある場合でなければ、血液透析をなすべき義務があるというべきである。」(判例タイムズ[1998:179-180])



■事件にかんする言及

山田 富秋 『季刊福祉労働』(19911225)、『ノーマライゼーション研究』(19920625)、『あくしょん』22(19920705)

 「 「人工透析を継続する必要性を理解できなかったり、自己管理などの自制力がない」という、精神障害に対する偏見と差別意識に基づいて透析を拒否した。」(山田[19920625:89])

 「もし、相手が子どもであれば、透析の意味がわからなくても「正常」な状況にはいる。さらに、もし相手が外国人であってもそうだろう。しかし、同じ文化の成員で大人であれば、透析の意味が理解できないことは、「異常」な状況になるのである。そして、「異常」なのは精神障害者であり、それが精神障害者日常世界から排除し、死に至らしめることを正当化<0083<する根拠になっている。
 こうした思考方法が具体的な患者を診察することなしに行われたことに注目すべきである。つまり、透析の意味が実際に理解できないかどうか確かめたわけではなく、
また、透析の意味を説明する努力も一切なされなかった。ということは、普通の大人が透析の意味を理解できない「異常な状況」が発生したのではなく、
「精神障害」だから当然「異常」なはずであるという一種の循環論法が持ち出されているのである。」(山田[19920625:83-84])
 
 「ここで動員されている思考法は、障害者を加害者に仕立てあげるために、障害をもって個人が犯してもいない罪(トラブルを犯す可能性が将来にあるかもしれないという罪)を障害者に被せ、障害者を日常世界から隔離し、排除することを正当化することである。日常的にはそれは、障害者と共にこの日常世界で一緒に暮らそうとすることを放棄して、国家や医療機関や施設に「障害」の管理を委ねることを意味する。」(山田[19920625:86])

 「しかしながら、公共性の強い県立病院という性格を考慮に入れれば、医療体制が不十分であるということは透析を拒否する理由にはならないだろう。むしろ。この患者に透析をする決断を下して、外来通院が確保できる医療体制を全力で整えていくというのが道理ではないだろうか。
 横浜身体障害者団体連合会が発行している『浜身連』という刊行物にこの事件について斎田岑生という方が同様な指摘をしている。つまり、外来通院が確保できるかどうかは患者の問題ではなく、
どのように医療体制を整えるかという問題として捉えなければ、高齢化を迎えた現在、「本来治療を最も必要とする重度の患者を拒否することにもなり兼ねない」のである。(9月24日付『浜身連』「国障年一〇年心の壁深刻――透析を拒否され精神障害者女性死亡記事に想う」) 」(山田[19920625:87])

 「…つまり医療体<0087<制の問題として捉えず、患者の問題として、患者に責任があるように捉えていった背景には、精神障害者が「社会復帰できない」という決めつけがあると思われる。
 …つまり障害とは更生したり、治療することによって「克服」すべきものだと捉えるかぎり、障害は「あってはならないもの」というマイナスの烙印になる。」(山田[19920625:87-88])


中谷 瑾子 1998 「透析の導入――医師の裁量権と法律」,『臨床透析』14(9):21-30→中谷[2001]
―――― 20010630 『続 21世紀につなぐ生命と法と倫理――生命の終期に至る諸問題』,有斐閣,327p. ISBN-10: 4641027528 ISBN-13: 978-4641027527 6510 [amazon] ※ be ml

 「4.透析導入の是非、継続、中止を決定するのは患者自身
 …透析の導入が必要であるのに、患者がそれを望まない場合には、…さらに透析の必要性と透析医療の内容について詳細な説明をし、理解と同意を求めることが必要である。そのうえでなお患者の同意を得られない場合には、患者の自己決定を尊重し、透析以外の治療法を選択する以外に方法はない。つまり医師は患者の透析拒否に対してできるかぎりの説得をしても、なお患者の透析導入への同意を得られなった場合は、強制はできないのであって、「遅れると(ためらえば)危険(Gefahl im Verzug)という緊急の場合を除いて、導入しなかったことについて医師が法的責任を問われることはない。」(中谷[1998:27])

 「5.医師の導入拒否と法的責任
 腎不全患者で人工透析の必要があると判断された場合で、患者本人が導入を希望している場合には、透析設備がないといって物理的条件欠如<0027<の場合を除き、原則として導入拒否はできない(医師法19条1項参照)。少なくとも適切な医療施設の斡旋に努力すべきで、さもなければ、法的責任を問われることになる。」(中谷[1998:27-28])

 「…宮崎県立病院に対する1,2審判決は、個別事例に対するものとして結論として支持できるが、精神病やハンセン病療養所に入所もしくは通院中で直接の導入が必要となった二重障害者に対する透析導入の是非についてはなお検討を要する問題がある。」(中谷[1998:28])

 「7.患者の意思に反する家族の導入拒否、中止ならびに継続の要請と意思の裁量権
 患者本人の意思と家族の意思が相反する場合、とくに本人は透析医労を拒否し、いったん導入した透析の中止を希望しているのに、家族は一日も長い延命を希望している場合が問題となるが、この場合も医療サイドでは、本人の意思を確認したうえで本人の決定に従えば、事後の法的責任は問われないものと考える。もとよりその場合には両者に対する周到な「説明」を前提とすることは、いうまでもない。<0029<  …なお本人の希望に沿って透析を中止し、そのために多少死期を早めても、殺人罪はもとより安楽死としての刑事責任を問われることはない。」(中谷[1998:29-30])

 「腎不全の治療における人工透析患者の数を他の治療(たとえば臓器移植)<0183<と比べて、国際比較においてきわめて異例であることは…。これが真に妥当な医療姿勢なのか、医療に素人の筆者には判断しかねるが、学会での慎重な検討のうえでの態度表明がなされることが望ましい。少なくとも医療費の側面からは、生体、死体腎移植がより適正な規模で実施されてよいようにおもわれる。
 将来あるべき透析医療は、患者のQOLに奉仕する健全で公平、かつ質の変らないものでなければならない。同時にそれは、慢性透析患者の生活・福祉に奉仕し、健常者と同質の生活――たとえば治療に要する時間の制約はあっても、職場からの締め出し(★1)に合うことのないような配慮のものに――が保証されるような社会的制度を調整する必要があろう。」(中谷[1998:183-184])
 ★1 北信観光タクシー事件(長野地裁平成8年11月29日判決)参照


◇深谷 翼(ふかや よく) 1997 「精神疾患を併有する腎不全患者に対する血液透析拒否の適否」,『治療』連載:医療過誤判例解説 79(5):167-173

 「…本件判決も指摘するとおり、Y1病院(県立宮崎病院)の地域の中核病院としての社会的責任を考えると、本件の場合、前示の依頼を受けたY2医師(県立宮崎病院担当内科医師)としてh、精神疾患と腎障害を有する患者の治療に苦慮している地域の医師の立場に十分に配慮し、客観的に不可能でない限り、A(本事件の女性)を入院患者として受け入れ、病院に属する各専門分野の医師の協力を得て多角的な観点から総合的な治療をおこなうことができるよう努力すべきであったともいえよう。」(深谷[1997:171])

 「…本件判決が、患者本人の意思確認が困難である場合には、その介護に責任を有する親族(家族)の意向が重視されるべき、患者および親族が治療を希望し、客観的条件にも問題がない場合には、当該医療行為に延命の可能性しかない場合でも、医師は拒否してはならないとした点は臨床医家としては、傾聴に値しよう。」(深谷[1997:172])


高橋 涼子 19960308 「患者からユーザーへ――精神医労から考える患者―医療者関係とインフォームド・コンセント」,『岩波講座現代社会学14 病と医療の社会学』:151-168 岩波書店
――――  19960420 「裁判を傍聴して――宮崎透析拒否裁判について」,『けんりほうnews』57:3-5

 「医療者(特に医師)が「患者には十分に説明して納得してもらった」と考えても患者側のリアリティとは異なっている可能性は十分にある。」(高橋[19960308:152])

 「…被告側(医師側)の主張は1992年9月の準備書面によれば「被告医師が診察した当時、Aに血液透析について承諾能力を認めることは到底できない。…被告医師は、Aについて血液透析の適応の有無を慎重に検討した。その結果、Aには血液透析の適応がないと判断し、その旨を十分に両親及び妹らに説明した。…この説明に、両親等も血液透析を行わないことに同意したのである。したがって、被告医師が血液透析を拒否したものでは断じてない」というものであった。一方、Aさんの母親の1992年1月の意見書による事実<0153<認識は、「県立病院では、検査らしい検査もせず、私だけが診察室に残されました。そして、D先生(引用者註:県立宮崎病院担当内科医師)が、『入院患者には透析はしません。社会復帰できる人だけにします。透析治療で一家倒産になった家庭もあります。透析はあんたたちが考えているような簡単なものじゃありません。本人には絶対透析ということは話さないように』などと言われ、結局透析してもらえませんでした。…19日(Aさんの死亡の前日)の8時半に病院に行きましたら、E先生(県立病院の精神科医師)とD先生が『昨日の検査の結果、透析はできないと決まりました。それでここに入院していても無駄だと思いますので、退院していもらいます。私は教科書どおりのことをしたまでです』と言われ…E先生に『これに名前と印鑑を』と言って、用紙を渡して室外に出て行かれました。…私は涙で書いてあるものも見えず、退院届と思い、名前を書きました」となっており、その差は大きい。」
(高橋[19960308:153-154])

 「事件発生当時は、精神医療における患者の人権抑圧への一般的な批判を背景に、県立病院受診以前の治療を問題視する声や、透析医療は特殊で専門家の領分だから素人は口出しできないという声もあった。  …精神科患者が他科の治療を受ける権利を侵されることのないよう、医療者自身が真摯に受け止めるべき課題は大きく、関係学会の対応が望まれる。また、医療の内容のチェックを医療者側に期待できない閉鎖的な日本の医療環境を、第三者や患者本人による評価の視点によってオープンにしていく必要性を強く感じた。」
(高橋[19960420:5])


◇高宮 澄男 1997 「精神障害者と人工透析療法に関する裁判の判決文を読んで」,『日本精神病院協会雑誌』16(1):43-48

 「…M医師(引用者註:県立宮崎病院担当内科医師)の意見、態度は多少「ちぐはぐ」的な点も印象づけられる。  精神障害だから拒否したのではない。精神障害のために、自己管理能力がない、治療への理解力がないため適応外としたものであるとする。即ち、精神障害一般を適応外とするのではなく、本人の精神障害の状態が適応外と判定されるとなるはずであるが、これがそのように解釈されることなく、精神障害だから適応外としたとそのままに受け止められて終わった。そのあたりのM医師の意見がすっきりしない。その表現があいまいであり、又精神障害に対する理解度が不十分であったとも思われよう。<0046<…17日になり、家族が協力態勢を整えて再来院した段階では、今度は低ナトリウム血症の理由によって、適応外(危険性が大きい)とする。…おそらくM医師としては、敢えて導入後の危険性を考慮したら、それが100%発生しないとしても、おそらくは単なる延命的な処置に終るしかあるまいとの了見があったとしか推定できない。」(高宮[1997:46-47])

 「説明と同意が形式的に遂行されても、いざ裁判になれば、余りその抑止力はないことになる。M医師と精神科医師がBら(引用者註:家族)に説明して、非導入の同意を得た(文書も作成されている)。しかし、裁判の過程では、それは一顧だにされていない。同意があったか否かの問題ではなく、その医療行為を実施した、又は実施しなかったことが、法的に適切であったかどうか、それらが現行の医療水準に適合したものであるかどうか、合理的であるかどうかが問題解決の鍵となることを物語っている。」(高宮[1997:47])

「この判例でも読みとられるように、最近の医療水準判断が、一種の規範的判断として要求されることが多くなっているようだ。…この判例でも、M病院(引用者註・県立宮崎病院)はその地域における中枢的存在として、その機能も充実しており、総合的な医療体制が組織づくられているし、公的医療機関として格段の医療水準が保持されており、又要求されていることは当然のこであると認定している。これは誠に正当な認定であるとされなければなるまい。
従って、M医師はその職務上の責任を十分に果たしたとは認められない。そしてその責任をとわれたとしていることになろう。
 M医師の立場からすれば、高々いくばくかの延命的な対応であるし、又却って危険性があろうとの理由があったことは、裁判官一部認めての結論であることも否定できない。」(高宮[1997:48])


◇佐々木 達郎 1998 「精神障害を理由に県立病院内科で透析を拒否された症例――家族が民事裁判によって損害賠償を請求している事例の報告」,『病院・地域精神医学』41(1):34-36

 「この裁判は、医療裁判としては特異的で、奇妙でさえあった。被告M医師は、診断としては慢性腎不全として、透析をしなければ患者Aさんは死亡すると予測していて、その意味での誤りはなかった。その前提がありながら、原告である家族は、病態論的に透析をする必要があったことを証明しなければならなかった。」(佐々木[1998:36])
 「一方、精神科医療関係者は、人権問題と直面することを避けて、内科医らに言われなく差別される者は合併症病棟に入院させればすむと語ることが多い。しかし、身体的医療は、年々高度に専門的に発達しており、精神科治療と重複した身体疾患の治療はノーマライゼーションという見地からも、患者がその専門性を求めて、普通に病院にかかったり、入院できるようにということが原則であると考える。」(佐々木[1998:36])


◇日台 英雄 2000 「訴訟を起こされた場合」,『透析ケア 冬季増刊』6(14):258-266

 「…この事件では一精神病院から県立宮崎病院へ慢性腎不全を合併した精神分裂病患者が透析を求めて紹介され入院しましたものの、透析療法を理解しうるレベルではないこと、導尿とか点滴注射などの医療行為は時として受け入れるものの、場合によっては拒否されるため、腎内科医師は患者さんの理解とコンスタントな協力なしでは安全な長期透析は行いえないと判断し、元の精神病院へ透析は不向きである旨の返書とともにこの患者さんを送り返しました。<0265<…
 しかし、私はもしこの透析医療を理解しえない患者さんが透析をいやがっているのを無理に何人かで抑えつけて穿刺し、4時間の間透析ベッドに縛り付けておかねばならなくなったとき――この可能性はかなり高いものと思われます――、無理に抑えつけたり緊縛することこそ人権を侵害するものだと思っています。
 ご存知のように、わが国の一般人口当たり透析人口は1997年時点で1395人/100万人とヨーロッパ平均434人/100万人のなんと3.2倍です。こういった患者さんのなかに透析医療者が十分なインフォームド・コンセントなしで、というより精神状態などで問題があって透析することが本当に患者さんのためになるのか疑わしいと考えていても、宮崎地裁や日弁連の勧告におびえて、とにかく透析をやっておこうというケースが含まれていなければよいが、と考えています。」(日台[2000:265-266])


*作成:有吉 玲子
UP:20090916 REV:20091206, 08, 20100429 
人工透析/人工腎臓/血液透析
TOP HOME (http://www.arsvi.com)