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人工透析/人工腎臓/血液透析 1900-

人工透析/人工腎臓/血液透析


 作成:有吉玲子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)*

■新刊

◆有吉 玲子 20131114 『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』,生活書院,336p. 3200+160 ISBN-10: 4865000178 ISBN-13: 978-4865000177 [amazon][kinokuniya] ※ a03. h.

『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』表紙

■年表

◆1902 人類初、動物による腎臓移植 
 ウィーンで、外科医エメリッヒ・ウルマン(ハンガリー生まれ、ウィーン大学の講師)が腎臓移植の実験を行ったと発表。イヌの腎臓を摘出して、これを同じイヌの頸にもっていき、腎臓の動きを頸動脈と、静脈と頸動脈と繋いで血を流したところ、この腎臓は正常に機能したと報告。人類の歴史始まって以来、最初の腎臓移植だった。(太田和夫HP[1996])

◆1904 日露戦争
◆1905 アレキシス・カレル(フランス生まれ)が腎移植(イヌ)の仕事を「サイエンス」に報告。カレルは、腎移植以外にも血管吻合法の工夫や組織培養、臓器保存、人工心肺など、最近になって発展してきたと考えられている領域の仕事をすでにこの時代から手がけていた。1912年に39歳の若さでアメリカにおける初のノーベル賞受賞者である。(太田HP[1996])

◆1910 日本で、イヌを使って自家腎移植。
 山内半作という人が臓器移植の実験をしたという記録がある。山内半作の当時の給料は500円、年俸は7,000円。(太田HP[1996])
 エルンスト・ウンガー(ドイツ)が人間にサルの腎臓を移植する(異種移植)が失敗。

◆1912 「1912年、アメリカのAbelにより初めて人工透析がおこなわれました。」
    旭化成メディカルのサイト
    http://www.asahi-kasei.co.jp/medical/ketsuekijokaho/toseki_qa2.html

◆1913 人工腎臓の幕開け。Abel(アメリカのジョンズ・ホプキンス大学薬理学教授)がダイアライザーを使用した動物実験を発表。透析膜は16本、コロジオン(硝酸セルロース)の中空糸使用(前田貞亮他[2004:212])。現在使われている抗凝固剤であるヘパリンもまだ発見されておらず、田んぼで血を吸うヒルからとったヒルジンを使用し、体外循環をして、ウサギにサルチル酸を与え、それを透析でとるというもの。Abelは実験結果を、1913年5月6日にワシントンで開かれたAssociation of American Physiciansで報告している。(太田HP[1996])

◆1914〜1919 第一次世界大戦
◆1918 ハウエル(Howell)がヘパリンを発見。1930年代に精製して使用可能となる。

◆1922 健康保険法(全面的な実施は1927、1942改正)、官業の共済組合にのみ健康保険の代行を認め、民間企業の共済組合は代行を認められなかった (小川[1973:87])

◆1923 ガンター(G. Ganter)が腹膜還流に成功。この頃、腹膜を加工して膜をつくる工夫がなされる。

◆1925 普通選挙法
◆1926 リン・ネッケレス(Lin Necheles)がヒルディング・ヘパリンを用いれば、体外での血液凝固を阻止できると発表 (前田[1982:72])

◆1927 健康保険加入者(被保険者)194万人、国民総数は約6100万人でそのうち被保険者は3%程度である (小川[1973:69])
    1942年までの診療報酬支払い方式は人頭割請負方式:政府と日本医師会との契約によって被保険者一人あたりの年間医療費を決め、被保険者総数費用分を保険医の あいだで保健医療に従事した量に応じて配分されるしくみ<0092< 1926年度の被保険者一人当たりの医療費は、平均診療日数17日に対して一日50銭とし、総額8円65銭と見積もり そのなかから、歯科診療費、看護費、移送費、療養費を引いた7円43銭が一般診療に対する人頭割年額であった。被保険者の受療が高まるほど、医師は多忙となり報酬は安くなることから 保険医が反発。 (小川[1973:92-93])

◆1928 Hass(ドイツ)が最初に人間に血液透析をおこなう。尿毒症の患者に対して、取り出した血液を透析膜の袋に入れ、リンゲル液のなかで30分ほど洗って老廃物を除去したのち、それをまた体に戻すというやり方。

◆1929 世界大恐慌、救護法成立(1932実施、1946生活保護法)
◆1931 満州事変
◆1933 ソビエトの外科医ボロノイが死体腎移植を行なう。2日後に患者は死亡し、結果的には失敗におわるが、このとき免疫反応を抑えるために交換輸血を行なっている。(太田HP[1996])

◆1935 Hassが人工腎臨床応 (前田[1982:72])

◆1936 退職積立金および退職手当法(1944厚生年金保険法)
◆1937 タールハイマー(Thalheimer)がセロファンチューブを透析膜に使った新しい装置をつくる。生理的食塩液を透析液とし、腎臓を摘出したイヌを3時間から5時間透析して、200〜700mgの尿素が除去できたと報告している。(太田HP[1996])

◆1938 国民健康保険法(1958国民健康保険法)「昭和八年から九年(1933〜1934)にかけての東北、北陸10県にわたる調査、農家負債の主要用途別比率で 医療費の占める割合は、件数では11.44%、金額では8.0%を占める。小作農のみの場合は13.0%および11.05%をしめている。件数での比率の順位は第二位という高さ」(小川[1973:96])

◆1939 船員保険法、職員健康保険法(1942健康保険法改正)
★1940年代の医療費
西三郎 19730915 「医療費は高くなったが」『朝日市民教室――日本の医療4 かけ足の医療費』朝日新聞社,PP.149-198
 「都市では、名のある医師でなくとも、往診料の三円は普通である。勿論車代はこの他である。一本の注射に二日分の薬剤二種で、ざっと十円にはなる。一度医師の来診を仰ぐには、 少くともこの位の支出は覚悟せねばならない。一週間か十日で全快すれば、まあ病気が治った喜びの方が先に立つ。三十円五十円の支出は、その月の暮し向に影響があっても、 先ず我慢するのが普通である。然し十日が二十<0151<日となり一ヶ月となり又入院でもしなければならぬとなると、その費用は中々容易の額ではない。国民の 大多数を占める年収千円以下の階級も者の間では、一度病気になれば三ヶ月祟る、一度入院すれば三年祟るといわれている。」(野間正秋『医療制度改善論』、1940)

◆1941 太平洋戦争、医療保護法(1946生活保護法)、労働者年金保険法(1944厚生年金保険法)
◆1940代 アボット(Abbott)が間欠的腹膜灌流装置を開発する。この装置の登場により、1950年代には腎不全の患者がこの方法で生き永らえることが可能になる。一躍血液透析を凌ぐ勢いとなった。(太田HP[1996])
1940年頃から「何か他の人工物で、すなわち抗原性のない無生物で、その器官を代行させたらという新しい着想」がでてくる。 (前田[1982:72])

◆1943〜1944 コルフ(W. J. Kolff)が人工腎臓を使って15の臨床例を行うがいずれも助からず。(太田HP[1996])

◆1945 コルフが人工腎臓を人間に使って初めて救命に成功。木のドラムにセロファンチューブを20mほど巻きつけて使用。ドラムの下に透析液槽があり、ドラムを回転させると、セロファンチューブの中に、動脈血が流れ、透析液にひたりながら、静脈回路にはいり体にもどるという仕組み。
第二次世界大戦終結

◆1947 スウェーデンのAlwallも同様な形でドラムを縦にしてセロファンを巻いて使用。これらはコイル型の前身的なもの。(前田他[2004:212~213])
  死体腎移植が盛んに行われる→ピーター・ベント・ブリンガム病院、すべて失敗

◆1948 Skeggs・Leonardes型、いわゆるキール型の全身的なものが作られる。

◆1950'
 「透析医療は1950年から1953年頃にかけて、機器が発達し透析方法が確立された。当時は朝鮮戦争の頃であり、戦傷による急性腎不全が透析医療の対象であった。次第にその対象が戦傷以外の原因による急性腎不全にも拡大され、慢性腎不全に対しても透析医療が施されるようになった(浅野・芦刈[2005:517-523])」(長谷川[2007:17])
 1950年代 合成繊維の発達とともにビニヨンN、オーロン、ナイロン、ダクロン、テフロンなどの合成高分子材料が登場 (前田[1982:73 ])
日本で初めて人工腎登場
「1954年朝鮮戦争の時、アメリカの腎不全センターでコルフ改良型人工腎の使用によって、腎不全患者の死亡率を40%以上も低下させた事実は、有名な話である。同じ年、わが国で渋沢喜守雄氏らが、積層型を改良した人工腎を試作し臨床に応用したことが記されて<0073<いる。」 (前田[1982:73-74])

◆1954 世界初、一卵性双生児間での腎臓移植成功(ボストン、ピーター・ベント・ブリガム病院)。(Rothman[1991:213])(太田HP[1996])この後拒絶反応に対する研究が進み、放射線照射による方法で移植がすすむ。その間に化学療法剤が発見される。

◆1955 世界初 腎移植成功

◆1955 九州大学沢田内科にKolffの作った回転ドラムを改良した装置が輸入される。並行して日本独自の装置が作成され、1957〜1958年にかけて臨床に使用され始める。セロファンには生のゲル状のセロファンを使用することもあった。(前田他[2004:213])

◆1956 Kolffが当時のトラベノール(現在バクスター社)の協力でコイル型のダイアライザーをディスポーサブル化し市販されるようになる。日本に輸入されるが、当時、1個が3万6千円(100ドル)であった。(前田他[2004:214])
 日本最初の腎移植が新潟大学の楠隆光教授らによって行われる。この症例は生体腎を急性腎不全患者に対し、人工腎臓的に使用したもので現在の移植とは意味合いが異なる。(太田HP[1996])

◆1957 人工内臓研究会がはじまる。

◆1958〜1959頃 日本でイヌの肺を使った人工腎臓を使い、透析あるいは濾過を行なう方法も行なわれる。濾過の仕方は、患者の血液をとりだし補充液を入れて血液を薄め、イヌの肺の気管支から水を搾り取り、血液を体に戻すという方法である。1959年に5例に適用する。濾過の時間は1時間半くらいで1例は死亡するが4例は助かる。(前田他[2004:214])

◆196002 米国ワシントン州シアトル腎センター発足 7人委員会による患者選択制
   →保険会社代表、牧師、ケースワーカーら7人で構成 6年間存在
   →貧しい患者が新聞に記事「この患者は生きるべきか、死ぬべきか」募金

◆1960初め ノルウェーのKiilがキール型のダイアライザーを開発。この装置は血液ポンプが不要でディスポーサブル部分は安価であったため広く普及した。
 またブラッドアクセスの発展の時期。Scribnerが外シャントを考案し普及する。(前田 他[2004:214~215])当時は手術によって血管にカニューレを挿入し、終わればこれを抜き、次の時にはまた新しく挿入するという手術を繰り返しながら透析を維持する状態であった。したがって、長期にわたる透析が必要とされる慢性腎不全患者に、透析を行うことは到底不可能と考えられていた。(太田HP[1996])
 1960年、スクリブナー(Scribner)とクイントン(Quinton)によって外シャントが発明。またA-Vシャントも考案される。 (前田[1982:74])
外シャントの発明により、慢性腎不全患者の維持透析がある程度可能になる。さらにアザチオプリンの臨床応用が可能になり移植が進みはじめる。この2つが重なったことで慢性腎不全患者に対する移植への機運は、急速に高まる。
 「このようにして慢性腎不全患者に対する透析治療がスタートしたのだが、その当時の透析技術は現在からは想像もできないほどの低いレベルであり、またダイアライザーの値段が1ヵ月の給料くらい高価で頻回に使えず、しかも効率が悪いために高血圧、肺水腫、高カリウム血症などで亡くなる患者も多く、惨憺たるものであった。しかしながら、慢性腎不全治療において車の両輪とされる移植と透析、これら2つの医療技術が大きな発展への第一歩を踏み出したのがこの63年で、私たちにとっては新しい展開に胸を躍らされた思い出の年であったことにはまちがいない」(太田HP[1996])

◆1960〜1965 京大病院 透析室
   →「11人の腎不全患者に人工腎治療を行ったが、5年間の長期生存記録は40日で、全員死亡」 (前田[1982:75])
 1966〜1968 同じく京大病院
   →「17人の腎不全患者に治療するが、最長延命記録は170日であり、全員が死亡」 (前田[1982:75])
   →1968年になって、生存率が飛躍的向上 (前田[1982:75])

◆1962 米国ワシントン州にシアトル人工腎臓センター発足、患者の選択と費用の問題
 「透析器自体はすでに第二次世界大戦中のドイツの占領下のオランダで開発されていた。・・対象は急性の腎臓病患者に限られていた。それをスクリブナーは慢性患者にまで対象を広げることを考えた。スクリブナーは透析器の改良後ただちに患者に対する実験を開始、余命1週間と診断された患者が選ばれ、次いで一月後に三名の患者や追加される。十三月後に実験は技術的理由からいったん中止になる。・・問題は費用の点で、患者一人当たり年一〜ニ万ドル。ハートフォード財団の資金援助を受けて、1962年シアトル人工腎臓センターを作る。費用以外の問題は、患者の選択である。 (香川[2000:104])
 二つの委員会をつくり、患者の選択をおこなう。→第一段階、医学諮問委員会(専門家の医師)・・・医学的観点から身体的・精神的に透析に適応のある患者を選択。第二段階として、「生と死委員会、いわゆる神様委員会」・・・委員は「高潔で善良な市民」で報酬なしの匿名のボランティア活動。弁護士・牧師・銀行家・主婦・公務員・労働者の代表・腎臓病専門外の外科医の7名。スクリブナーたちからは、医学的理由で子供と45歳以上の成人は対象からはずすようにとの提案あり。それ以外の選抜の方法として、患者の年齢、性別、既婚・未婚、扶養者の数、収入、純資産、情緒的安定度、教育水準、仕事の性質と過去の業績と将来性、そして、ワシントン州の住人に限定。 (香川[2000:105])
 →選抜の基準は、社会に対する貢献度と患者が亡くなった場合の社会に対する負担の少なさに求められた」(香川[2000:106])
 「設備が無制限でない限りは、誰かが選び出さなくてはいけないと思います。・・でも何と恐ろしい決定なんでしょう。それは神を演じようとするようなものです。はっきりいって驚くのは、お医者さんたちがこうした仕事を進んで引き受ける七人の人を選ぶことができたことです。」(香川[2000:107])
 →選抜方法への批判
 →「生命の尊厳」から「生命の質」への転換(ジョーゼフ・フレッチャーの指摘) (香川[2000:108])
 →資源配分問題
 ラムジー「どのように選択するかを選択する、患者と希少医療資源」
 ジェイムズ・チルドレス「全員が生きられないときに誰が生きるべきか」 (香川[2000:110])
 →委員会を2つ作ったことが意味することは
 「社会全体がどの患者を治療し、どの患者を死なせるのかという選択の重荷を分け持つべきだという原則の採用を意味する」(香川[2000:112])

 「1962年に、米国のシアトルの病院で世界初の透析センターが設けられた時に、この資源配分の問題は、後に大きな批判を浴びる方法で決められた。…」
 宮坂 道夫 2005 「『ALS 不動の身体と息する機械』を読んで――ALSの隠喩について」

◆1963 異種腎移植が行なわれる。
 アメリカの各地で、ヒヒやチンパンジーといった類人猿を使った異種腎移植が盛んに行なわれるが数ヶ月で死亡するなど成功にはいたらず。(太田HP[1996])

◆1963 マレーがアザチオプリンを使用した腎移植の成功例を発表(太田HP[1996])
  長期生着は移植後365日で、それ以外にも移植後110日、60日、40日と、これまでの成績とは比較にならない。

◆1964 国内初の腎移植が行なわれる。
 「1964年3月に東京大学医学部第2外科で行われた。当時は慢性腎不全の患者に対する透析技術も未発達で、健康保険も使えず長期維持は不可能であった。従ってこの病気になった患者は、腎移植が成功しなければ長生きできないという切羽詰まった状況にあった。当時は動物実験でもある程度の成績が得られ、海外では臨床例で1年以上生着したとの報告もなされるようになり、患者が移植を希望し、ドナーがいれば移植を行おうというのが、第2外科の基本的な方針となった。
 64年3月になって実際に腎移植を希望する患者が現れたため、移植患者用の病室などを設置し、腎移植実現に向けて準備を進めていたが、その最中に患者が急死してしまった。この患者は35歳の男性で、むくみが強く、貧血、高血圧なども合併していた。尿の出が少なかったため透析を2回行ったが、死因は高カリウム血症であった。当時は、腎不全患者の管理に関する知識もまだ十分に得られていなかったため、腎不全患者を維持していくこと、それ自体が難しく、尿毒症を起こした患者は高カリウム血症や肺水腫で亡くなることが多かった」(太田HP[1996])

★この頃の日本の透析・腎移植の様子
全腎協結成15周年記念シンポジウムより (全国腎臓病患者連絡協議会[1986e:3])
 小高通夫(日本透析療法学会理事、千葉大学医学部助教授)「1966年頃、当時の日本ではセロファンのもので、ツインコイルキドニーというもので、だいたい血液が900ミリリットルぐらい必要だったわけです。 そのために必ず人の血液を使いませんとプライミングできません。体外循環は循環血液量の15%をこえますと心臓に負担がかかりますので、それ以内の量でやらなくちゃいけない・・・900ミリリットルですから普通の人の 200ミリリットルの血液にしても4.5人分必要だったわけです。毎回それが必要ですからいかにお金がかかったか・・」
小高「当時の記録では1971年(昭和46)当時1年生存率は50%前後」

●1966 南 武氏(東京慈恵会医科大学教授・泌尿器科学教室)「腎不全における人工透析と腎移植」『臨床科学』2巻8号pp.1027-pp.1035
 “3.長期間欠的透析法の実際”
  「この例は論文の発表時まで約8カ月透析を続行していたわけであるが,Johnsonの例では亜急性肝炎で死亡する3カ月前までは全く尿毒症症状がなく,2年2ヵ月も長期透析で生きていた例があり,このほか,22ヵ月後でも1週間40時間の透析で full time 働いている例もある(表1).そして平均19ヵ月間延命されている.そして単なる延命だけでなく,多くの例がかなり快適で有為な生活を送っているのである.わが国の現状は稲生,上田ら,あるいは石井らの報告のとおりで,主として患者側の経済的負担が大きいので,途中で中止のやむなき例が多い.米国でも Merrin らによると,患者1人を1年間透析す るのに,施設と備品の償却を含めてであるが,10,000 ドルを要すると推定している.また吉利もいうように,本法の目的が腎移植を前提とする場合とか,社会復帰にあるのに,現状はあまりにも末期の,ただ延命の目的で送られてくる無意味な例のほうが多いことは残念である.」
 南氏が引用したJohnsonの例の文献は、誌名:Transactions - American Society for Artificial Internal Organs、発行年、巻号、掲載頁:1961;7:136-52、 著者:HEGSTROM RMほか、(上記データで検索すると論文タイトルはHemodialysis in the treatment of chronic uremia.)

◆196712 人工透析の保険適用
    →健保・国保の家族は自己負担5割で、週2回透析で月15〜20万
   →国民健康保険の本人は3割の自己負担 (前田[1982:83])
   →当時の人工腎臓はキール型(平板型)とコルフ型(コイル型)の2種類のみ、キール型で1回の透析医療費は21600円、コイル型では1回の透析費用は34250円 (前田[1982:83])
★当時の様子
大卒男子の初任給4万円前後、年間平均国民所得50万円前後 (全国腎臓病患者連絡協議会[1987c:6])
健保本人は10割給付でも職場復帰はかなり困難、休職期間も切れ退職になれば健保家族か国保に入らざるを得ない。年額200万、300万の負担は延命期間が長くなるほど家計を圧迫する 子の、親の、夫の、妻の医療費を払うために家族は退職金を前借りし、家や土地を手放し、借金し、また生活保護を受けるために離婚したりした。家族に迷惑をかけるからと 外シャントの管をはずして自殺する患者もいた。 (全国腎臓病患者連絡協議会[1987c:6]) 
▽国民一人当たり平均所得 1967年350,126円 1968年411,150円 1969年469,209円 1970年552,847円 
大卒男子平均初任給 1967年26,150円 1968年29,080円 1969年32,406円 1970年37,400円  (全国腎臓病患者連絡協議会[1987c:7])

 キール型は価格は安いが大変な手間がかる→透析の前後に準備や消毒に1時間くらい必要、看護婦やテクニシャンなどの医療スタッフが一枚一枚セロファン膜を張り替える。透析時間を8時間とすると透析スタッフの労働時間は10時間以上になる。 (前田[1982:83])
→小高通夫「透析膜の張替え、これをお医者さんや看護婦さんが張り替えなくてはいけない、しかも毎日張ってそれをホルマリンで消毒して、終わったあとまたかたづけるということで、医療従事者が血液に触れるチャンスが 非常に多くなり医療従事者の血清肝炎の問題がでてきた・・結局再使用のキール型は姿を消した」(全国腎臓病患者連絡協議会[1986e:4])
 コイル型はキール型の次に登場→透析時間は6時間で、準備や消毒の手間もかからず、1回ごとの使い捨てのためキール型より1万円くらい高い (前田[1982:84])
  →「透析医療費の内訳は、ダイアライザーの価格と透析技術料が9200円、灌流液、チューブ、抗血液凝固剤が合計約1万円などで構成されている。コイルは60%以上がアメリカやスウェーデンからの輸入にたよっていた。アメリカの病院で患者が支払うコイル代は17ドル(6000円以下)」 (前田[1982:84])

◆1968 扶桑薬品工業株式会社が、日本で初めて透析液を作る。10倍の濃縮液で20本のアンプルを切って100Lの透析液槽に入れていく。(前田他[2004:215])

◆1969頃? 宮崎県椎葉村
 吉野 住雄 20020915 『人の子よ――ある医師の自分史』,文芸社,266p. ISBN-10: 4835542541 ISBN-13: 978-4835542546 1050 [amazon][kinokuniya] ※

 第4章 無医村の二年
 1967年〜1969年6月末 宮崎県椎葉村立椎葉病院の医師に
「腹膜潅流法
 腎不全の患者さんが入院した。腎臓透析は一九六八〜六九年頃は九州大学でも試みの段階であった。椎葉村なぞではどうしようもない。医学雑誌にはその代わりの治療法として腹膜潅流法が記載されていた。私には経験がなかった。しかし患者さんのためにそれをやろうと決めた。腹の中にチューブを差しこみ、そのチューブを通して腹膜腔に潅流液を流しこみ、血液中の有害物質を潅流液に吸い取り、体外に排出するというわけである。潅流液は宮崎市にもなかった。ということは宮崎県でもまだ行なわれていなかったのである。潅流液は福岡から取り寄せた。<0070<
 お腹に穴を開けることは富村先生にお願いしたが、そのほかはすべて自分で行なった。誰にも教わることなく、医学雑誌だけが頼りであった。健康保険のレセプトを見た保険審査委員は、宮崎の山奥でこのような治療が行なわれたのを見てどう思ったであろうか。
 
 離婚を押しつける
 村の中学校養護教員のご主人が嚢胞腎であることが分かった。腹膜潅流法は行なったが、このままで先行きが暗い。人工透析が適応と考えられたが、何しろとんでもない費用がかかる。医療扶助の制度はまだできていない。教員である妻に負担できるわけがない。そこで一つの提案をした。
 「離婚してご主人を生活保護の状態にして、九州大学で透析してもらいましょう。多少学術研究に協力する必要があるかもしれませんが」  と申し添えて送り出した。
 それから二十数年たって、突然一枚の葉書が届いた。それには「腎透析では九州一の記録保持者です」と書いてあった。今もまだ存命であろうか。」(吉野[2002:70-71])

◆1967〜1974
 「1967年12月に透析療法が医療保険の適用になってから、長期にわたって透析療法を受ける患者が増加した。厚生省の報告では、1968年に215人であった透析患者が、<0017<1971年には1826人となった23)。しかし保健医療に組み込まれてからも、国民健康保険などの一部負担金を必要とする患者の場合は、高額な医療費を自己負担しなければならず、透析機器も不足していたため、透析医療を受けることが困難な状態であった。厚生省は、1971年9月に「腎機能不全者の治療状況に関する実態調査」を実施した結果、人工腎臓装置いわゆる透析機器が不足していること、腎臓移植を希望する人が多いこと等がわかったと報告している24)。この報告に基づいて、厚生省は、1972年から、透析療法と腎臓移植の二本立てでの腎不全対策を講じた。透析療法については、人工腎臓装置(透析機器)の整備と透析医療従事者の研修の対策を講じた。1972年から1974年にわたって699台の人工腎臓装置(透析機器)を国公立病院に整備し、1972年に更生医療の対象とした。更生医療の対象となったことで、医療費の自己負担が免除され、急速に患者数が増加した。また、透析技術の進歩と糖尿病患者などの増加によって、透析を受ける患者が増加した。人工腎臓装置の普及、整備に伴い、人工腎臓を扱う従事者の不足が深刻な問題になってきた。そのため、厚生省は1974年から医師、看護師を対象に研修を開始した(浅野・芦刈[2005:517-523]、田口[1986:836-841]、川口[2002:94-103]、「腎不全対策」厚生省五十年史編集委員会編[1988a:1651-1654])。」(長谷川[2007:17-18])
「23) 厚生省は以下のように報告している。昭和四十二年十二月から、人工透析療法が医療保険の適用を受けることとなり、人工腎臓の長期治療を受ける患者が増加した。すなわち昭和四十三年に二一五人であったものが、昭和四十六年には一、八二六人となった(「腎不全対策」厚生省五十年史編集委員会編[1988a:1651])。」(長谷川[2007:46])
「24) 厚生省は以下のように報告している。厚生省は昭和四十六年九月、「腎機能不全患者の治療状況に関する実態調査」を実施し、その結果、人工腎臓装置が不足していること、腎臓移植を希望する人が多いことがわかった(「腎不全対策」厚生省五十年史編集委員会編[1988a:1651])。」(長谷川[2007:46])

◆197002 「ニーレ友の会」結成 日大病院腎臓病棟 (前田[1982:117])
    →慢性腎炎患者40名で発足。当時、会員は全国にちらばっていた。(前田[1982:117])
    →「日本の医療6 立ち上がった群像」に、笠原事務局長 1972年
    全腎協の母胎


◆197104 京都南病院人工透析友の会結成 (前田[1982:96])
    →「透析患者は金のきれ目が、命のきれ目といわれています」
    「京都府・市はいわゆる革新自治体といわれています。私たちが今立ち上がって「愛知県並みに公費負担せよ!」と要求すればできない筈はない」

☆19710604「ジン臓病との戦い@」読売新聞(大阪)、夕刊、5
  見出し:治療費に月40万円/いのちの綱・人工ジン利用つづかず/ある少年の蒸発/「親にすまないボクさえいなければ・・・」
横浜で、少年(16歳)が透析を受ける日に蒸発、京都で発見されるが、蒸発した理由は当時の患者に共通したもの。「第一は治療費。健康保険に加入していない 場合は、1回の透析に3-4万いるから、月8回の透析で平均3,40万円かかる。10割給付の健保本人ならよいが、3-5割負担の家族だと9-20万かかる。少年の場合、これまでに 750万円支払った。ホテルを経営する父親もこの金額はこたえた。「一生親に負担をかける」という気持ちが少年を苦しめたことだろう。・・少年は将来の進路に思い悩んでいた。さらに 「人工ジンにかからず、死んでしまう人が多い。ぼくがいなくなれば、奥さんや子供がいて、社会で大切な役割をしている患者が、ひとりでも多く人工ジンを利用し、 命を長らえることができる」ともらしていたという。」

◆19710606 全腎協結成 結成総会での報告で自己負担例月22万円 (前田[1982:84])
    →大阪読売 連載「ジン臓病との戦い」1971.6-11(前田[1982:85])
     全腎協の要望:1.人工透析費用を全額国庫負担に 2.透析患者を身体障害者として認定せよ 3.人工腎を増設せよ 4.長期療養患者に治療費等の公費負担を (前田[1982:121]) 
    →厚生大臣に陳情、国会請願全国署名運動、衆・参両院への請願書の提出、大蔵省への陳情 (前田[1982:123])
    →厚生省、1972年度予算に腎不全対策費として10億1300万円を大蔵省に概算要求する
    →政府案決定段階で、5億6721万円程度になるが、前年度の192万円に比べると成果あり。 (前田[1982:125])

☆19710611「ジン臓病との戦いA」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      前ぶれなく進行/沈黙の病気/むくみの時、すぐ診療
☆19710618「ジン臓病との戦いB」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      定期的使用で有害物質除く/血液の洗たく機
☆19710625「ジン臓病との戦いC」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      人工ジンの威力/末期症状から持ち直す/私は助かった

◆19710621 厚生省医務局総務課との話し合いの模様 (前田[1982:124-125])
  全腎協「私達が死ななければ次の方が受けられない。予約している人びとが百人以上もいると聞いている。一日も早く何とかしてほしい。」
  全腎協「私の息子は現在透析を週二回行ないながら学校にいっているが治療費が大変です。現在病院に八十万円も借金している。家族全員が働いても追いつかないのです。   患者も大変だが、その治療にたずさわっているスタッフも労働強化で苦しんでいる。このような状態を解決しないと十分な治療も受けることができない。」
  厚生省技官「いままで研究会を二度やり、そのような実態は専門医から聞いている。現在行っている実態調査をもとにして検討会を近いうちに開く。これは腎臓病医学の長老に集まっていただき総括的な制度を考えている。」 
  全腎協「調査も良いが、いくら調査しても命は助からない。」<0124<
  技官「調査と並行して設備の増強も急ぎたい。」
  全腎協「助かる命を助けるべきだ。来年度予算はどうするのか。」
  技官「政治などとの関係があるので具体的な資料がほしい。予算要求に対してそれなりの説明がいるからだ。」

▽京都大学付属病院 「患者選択基準」医学的基準+社会、経済的基準
透析を受けたいとする患者の前提条件としての医師から患者への問いかけ@自分に打ち勝つ強い意志をもっているかA家族も会社もあなたの治療に協力する覚悟はできているかB治療費は確実に払えるか (前田[1982:85]
医学的基準として、@適応症であることA癌や高血圧の合併症がないことB若い人は原則として腎移植を考えるC50歳までD意思強固で性格が安定し自己管理能力があること(精神科医の性格分析を参考にする)
社会、経済的基準として、@原則として本人の医療費負担がないことA家族が治療に協力的B勤務先の会社に患者を暖かく迎えるという誓約書をかいてもらうC自<0085<宅、病院、会社が近い (前田[1982:85-86])

 泌尿器科講師「ある患者を人工腎にかけたが途中で治療費が切れ、いくら説得しても病院にこなくなった。患者はまもなく死亡した。私は患者に一時の夢しか与えられず患者の家族には借金だけが残った。心を鬼にして治療費を確かめるのは、透析を始めたら途中でやめてはならないからだ」 (前田[1982:86])

▽大阪市公立病院S医師
S医師「保険の利く一年だけでも生きようではないか」と説得、N子さんも「私は生きたい」と漏らし治療に応じる様子を見せた、という。しかし2月はじめ、患者と家族が最終的に話し合ったあとの結論は意外だった。―「本人も私たちも人工腎は希望しません。お世話になりました」 <0088<N子さんが死亡したのは、それから3カ月後の・・ (前田[1982:88-89])

「・・小高通夫氏(人工透析研究会・千葉大医学部講師)の推定によると、四十六年七月人工腎患者は千三百人、うち二百二十人が自己負担している。自己負担総額は年間四億四千万円に上り、一人平均二百万円支払っている計算になる・・。国の四六年度の腎不全対策費は、対策検討費としてわずかに百九十二万円。患者一人の自己負担額にも足りないのである。」 (前田[1982:87])

人工腎の器械が絶対的に不足
1968 人工腎台数 105台   透析患者 215人 
1970   〃   335台    〃   514人
197012末 器械660台で、透析患者1000人
1971 全国の腎不全―尿毒症による死亡者数 1万人〜1万2千人 (前田[1982:90])

覆面病院の存在
大阪で、人工腎の専門病院が開設されるが、<0090<宣伝すれば患者が押しかけ、人工腎を奪い合い混乱がおこるため、覆面をしたまま開業 (前田[1982:90-91])

☆19710702「ジン臓病との戦いD」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      患者殺到避ける/受け入れ態勢不備/覆面病院
  「この2月、大阪市内に1つの民間病院ができた。所在も知られたくないという。・・宣伝すれば患者が押しかけて人工ジンを奪い合い、混乱がおこるので覆面をしたままひっそりと開業。   個人的につながりのある医師や病院に、人工ジン治療に最も適した患者を厳選のうえ紹介してもらって治療しているが、10台の人工ジンを週6日フル運転して23人の入院患者と7人の通院   患者をどうにかさばいている。・・・ジン臓病で死ぬ患者は年間1万人だが、そのうちの半数は人工ジンを利用すれば助かったかもしれないといわれている。・・   昨年(1970年)12月現在で人工ジン保有台数は全国でわずかに666台、透析を受けている患者は949人にすぎない。人工ジンを必要とされる患者の5分の1である。」
  「やたらに人手がいるのも人工ジンの普及を妨げている。透析は約8時間ぶっ通し。その間、人工ジン装置のチェック、寝たきりの患者の看護、それに容態を監視しなければならない。また   透析の前後には老廃物でよごれた装置の消毒、血液をこすセロハン膜の張りかえなどの作業が加わる。覆面病院も30人の患者に医師3人、看護婦11人と手術室波人手をかけている。医師、看護婦とも   不足して医療界が悩んでいるとき、透析室のスタッフをそろえるのは大変である。」

☆19710709「ジン臓病との戦いE」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      意思・体力も強いこと/選ばれる命/人工ジン使用/きびしい条件
  「あなたは自分に打ち勝つ強い意志をもっていますか?家族も会社もあげてあなたの治療に協力する覚悟はできていますか?治療費は確実に払えますか――病気になったとき、医師が治療を始める“前提条件”として   いまあげたような質問をきびしく問いかけたら、あなたはどうするだろう。「医の基本は患者の命をまず救うことだ。金や患者の性格を問題にするのはおかしい」とこたえるはずだ。   ところが慢性ジン不全の患者が人工ジンを利用するためには、医師のあげる条件をすべて満たさなければならない現実がある。・・こうした条件がなぜ必要なのだろうか。   条件は「患者選択基準」と呼ばれるが、京都大学病院泌尿器科の沢西講師はその理由を次のように説明している。「血液透析は、いったん始めたら終わりがない。患者は元通り健康を回復できる反面、毎週1〜3回確実に   透析を続けねばならない。透析は大きな装置を動かし、多くの人手がかかる巨大医療だから1回の透析費は3,4万。10割給付の組合健保本人や資産のある人はよいが、国保や組合健保家族は   払えないことが多い。私もかつてある患者を救いたい一心で人工ジンにかけたが、途中で治療費が切れ、いくら説得しても病院にこなくなった。患者はまもなく死亡した。   私は患者に一時の夢しか与えられず患者の家族には借金だけが残った。心を鬼にして治療費を確かめるのは透析をはじめたら途中でやめてはならないからだ。」人工ジンを扱う医師ならだれでも   こんな苦しい体験をもっている。また人工ジンを利用しているのに、意思が弱くて食事制限を守れず、死んでしまう人もいる。「こんな人はできる限り避けないと巨大医療にかかる労力と金がむだになってしまう。   それに人工ジンは極端に少ないから、できるだけ社会に貢献する人を選ぶのは当然だろう。」と沢西講師はいっている。・・・人工ジンの研究で知られている新潟大学医学部の木下康民教授は   「医師の責任で患者を選ぶのは荷が重すぎる。わが国でも委員会制度を早急につくるべきだ」と訴える。」

☆19710716「ジン臓病との戦いF」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      200万円はかかる/治療費の重み/「人工ジン」多い健保本人
  治療費の支払いに使う保険の種類:人工ジンの患者888人
   @健保本人 64.9%(576人) A生活保護 15.1%(133人) B国保 9.8%(87人) C健保家族 7.3%(85人) D健保家族+生活保護 1.3%(11人)[1970年12月現在、人工透析研究会の小高講師の調査]
  一般の病気の入院患者26583人
   @健保本人 30%(7969人) A国保 25%(6703人) B健保家族 15%(4026人) Cその他 16%(4297人) D生活保護 9%(2332人)[国立病院統計]
  「小高講師の推定によると現在の人工ジン患者は約1300人。うち220人が自己負担している。自己負担額は年間4億4000万に上り、一人平均200万円払っている計算になる。小高氏講師は「国のことしの結核対策費は   469億7800万円だ。もし国が結核対策に取り組む熱意の100分の1、つまり4億4000万円ほどの熱意を人工ジン問題に示せば自己負担の苦しみはとりあえず解消できるのだが・・・」と訴える。   国の今年のジン不全対策費は、対策検討費としてわずかに192万円。患者一人の自己負担額にもならないのである。」

☆19710723「ジン臓病との戦いG」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      提供者求めて/血液がほしい/一人で必死の努力
☆19710730「ジン臓病との戦いH」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      患者に生きる希望/夜間透析/社会復帰へ強い気力
☆19710806「ジン臓病との戦いI」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      夫といつも一緒/家族の協力/勤務かえた看護婦の妻
☆19710813「ジン臓病との戦いJ」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      都市に片寄る/少ない人工ジン/患者・通院でくたくた
☆19710820「ジン臓病との戦いK」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      ただいま11人/家庭透析/セルフサービス治療
☆19710827「ジン臓病との戦いL」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      受け入れ体制まだまだ/社会復帰
☆19710903「ジン臓病との戦いM」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      成功率、欧米なみに/腎移植
☆19710910「ジン臓病との戦いN」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      元気いっぱい勤める/本日1332日/ジン提供の母親に感謝しながら
☆19710917「ジン臓病との戦いO」読売新聞(大阪)、夕刊、7
     “両輪方式”が理想/人工ジンか移植か/生存率はぐんと向上

◆全腎協機関誌(結成直後?)
「関西のある病院で、人工腎が一人分空いたのだが、待っていた患者は5人。医師は悩んだあげく、まず50歳を越えた患者にあきらめてもらった。残る4人は年齢も経済条件もほぼ同じ状況にあった。どうするか? 医師は結局家族を呼んで、患者に内緒で4本のクジで決めたのである。空クジを引いた3人は、ことごとく尿毒症で死んだというのである」 (前田[1982:91])

◆19710926 京腎協 発足
京都南病院の森孝雄医師 創立大会挨拶
「誰が生きる権利があるのか? What is death? And who shall live?-最も恵まれない人達のために医療をー」
採録:昭和47.7/30 南病院友の会機関誌『とうだい』6号 (前田[1982:93])
「問いかけているのは皆様であり、またわれわれであります。しかし問題は生活であります。「誰が生活する権利があるのか」問いかけられているのは社会であり・・」 (前田[1982:93-94])

 「・・いつの日にか、自分と人工腎臓をつないでいるチューブ(血液回路)がとれる日がくるのではないか、と。しかし自分と人工腎臓を結ぶチューブが、死と生をつなぐ「吊り橋」だと思い知らされたとき・・「地獄の深淵」をみるのだ。何のために生きるのか?!家族や社会に迷惑をかけて、ただ生存をつづけるということだけが「生きる」ということなのか?!」  (前田[1982:99])

▽男女差
京都府「腎疾患実態調査集計結果表」197302  (前田[1982:95])
透析患者 男96人(71%) vs 女39人(28%)

☆19711001「ジン臓病との戦いP」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      総合治療体制を/道は敷かれていない/人工ジン知らぬ医師も
☆19711008「ジン臓病との戦いQ」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      自治体が大幅補助/愛知方式/治療・訓練に総合設備
☆19711015「ジン臓病との戦いR」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      厚生省やっと本腰/四つの要求/来年度予算に10億円要求
☆19711022「ジン臓病との戦いS」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      小型化、量産急げ/透析費は安くなる/有利なコルフ型
  人工ジンにはキール型とコルフ型がある。6月現在で全国の人工ジンは1349台、うちキール型は929台、コルフ型は210台。キール型の1回の透析費は平均21600円(厚生省調べ)、コルフ型は1回ごとの使い捨てだが、透析費は高く、1回平均34250円(厚生省調べ)。
☆19711029「ジン臓病との戦い21」読売新聞(大阪)、夕刊、7
      検尿していたら・・・/まぼろしの大学生/1年7ヶ月の闘病むなし
☆19711105「ジン臓病との戦い22」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      予約先の病院で透析/ハワイから来た患者/2週間の旅を楽しむ
☆19711112「ジン臓病との戦い23」読売新聞(大阪)、夕刊、7
      小型ジンが普及/197x年/透析装置はすでに開発
☆19711119「ジン臓病との戦い24」読売新聞(大阪)、夕刊、7
      3分で患者捜す/データバンク/欧州では各国間の提供も
☆19711126「ジン臓病との戦い25」読売新聞(大阪)、夕刊、7
      効果を見なおそう/食事療法/半年で貧血も減る
☆19711203「ジン臓病との戦い26」読売新聞(大阪)、夕刊、7
      命自分たちで守る/手をつなぐ患者/半年間に30団体2000人
☆19711210「ジン臓病との戦い27」読売新聞(大阪)、夕刊、7
      治療費が決めた死/ある現実/医師の説得むなし/結婚目前の娘さん
☆19711217「ジン臓病との戦い28」読売新聞(大阪)、夕刊、7
      健康状態を追跡調査/二つの提案/感染症を予防
☆19711224「ジン臓病との戦い29」読売新聞(大阪)、夕刊、5
      身障者の特典を/厚相への質問/全国的に「腎センター」つくる
 「厚相はジン不全対策について、初めて総合的な国の施策を文書で回答した。そして「一日も早く問題解決を急ぎ、患者の健康回復に結びつく施策を講じる」と約束、 @人工ジン患者を身体障害者として扱い、治療費の公費負担など福祉制度を適用するA輸血用血液の確保は公立、日赤の血液センターで相談の応ずるBジン移植を含む総合的な腎センターを全国的に設置するなどの方針を明らかにした。」

◆立岩真也・尾藤廣喜・岡本厚 20090310 『生存権――いまを生きるあなたに』,同成社
「高額医療の公費負担制度は、生活保護の現場から生まれた」

◆1972 透析患者に更生医療適用 (前田[1982:125])
    第68回国会で「身体障害者福祉法の一部を改正する法律案」が上程され、「腎臓の機能に障害のある者」は内部障害者に認定される (前田[1982:125])
    腎不全対策第一次5カ年計画(1972〜1976)として、予算に人工腎整備費を計上 (前田[1982:126][)
  「人工腎整備5ヵ年計画」は、国立腎センター1ヶ所、都道府県腎センター46ヶ所、地域腎センター一県あたり3〜4ヵ所設置し、人工腎は毎年平均600台を増設予定 (前田[1982:126])・・民間に増設されているという理由で3年で打ち切り(前田[1982:277]
 →ロケット的急上昇 1972頃まで腎不全による年間死者10000〜12000人だったのが、1973,4年以後、年4500〜6500人が人工腎(新規透析患者)で救済に。 (前田[1982:261])
 →民間病院中心に普及・・民間医療機関は全体の8割 (前田[1982:275])

◆1973 第一次オイルショックによりダイアライザーや回路の在庫がすくなくなり透析への不安が生じる (前田[1982:174])
 →京腎協の会長であり、全腎協の副会長である勝山氏がすぐに厚生省に緊急要請する

◆浅井昌弘・保崎秀夫・武正建一・平野正治・大沢炯 197301 「人工透析の精神医学的諸問題」,『精神医学』15-1(169 1973-1):4-17

「T.問題点の概観
 4.基本的問題点
 一般に,種々の条件が良い症例を選んで透析を行なえば結果が良好なことは当然であるが,生命に直接かかわることだけに,それで良いかどうかには問題がある。現状では透析により延命可能な症例数にくらべて,透析装置や専門スタッフが少なく,なんらかの意味で透析療法の適応を決定<0005<し,症例を選択せねばならない。身体的条件は決定しやすいが,精神的条件は決定が困難である3)。精神面で問題が起こりそうだと分かっていたら透析しないのか,それとも危険を承知で予防対策をとりながら透析するべきか。いずれにしても,いったん透析を始めたら引返すことはできず,重大な責任を負うことになるのを充分考えておかねばならない。この問題については人によって考え方が異なるが, Schreinerら61)は透析療法について以下のような問題点を指摘している。「透析療法について患者にどのように説明するのか,尿毒症の患者が正常に考えうるのか,透析により単なる延命を図るのか,リハビリテーツョンを必須のものとするのか,多大な透析費用を誰が負担するのか,症例選択に社会的なものが入るとしたらどのように決めるのか,単なる先着順でよいのか,透析患者が不健康な延命は嫌だと透析中止を申し出たらどう扱うのか……」。
 いずれにしても,透析開姶前に患者と家族に充分,透析療法の問題点や困難さについても話しておくくことが望ましい。透析に過大な希望を持ち過ぎるとあとで失望が大きくなる可能性がある。何よりもまず,患者や家族と医療スタッフとの間に良好な信頼関係をうちたてておくことが必要である。」(浅井他[1973:5-6])

2) Abram, H. S.: The psychiatrist, the treatment of life 1. Amer. J. Psychiat.,124: 1351. 1968.
61) Schreiner, G. E. et ai. : Hemodialysis for chronic renal failure: III Medical, moral, ethical and socio-economic problems. Ann. Intern. Med., 62; 551, 1965.

◆197408 京都難病連 結成 (前田[1982:181])
    スモンの会+ベーチェット病京都府支部のよびかけ (前田[1982:182])
  →当時は上記二団体の他に、日本リウマチ友の会・重症筋無力症友の会・腎炎ネフローゼ児を守る会・筋ジストロフィー協会と京腎協があった
  →個々に運動をしていても成果が上がらない
  →1971年、国は特定疾患対策実施要綱発表、1972年実施
  →京都府としても、団体としても「窓口」が一本化されることが望ましかった (前田[1982:182-185])

◆1974頃 ダイアライザーやシャントの変革期 
   キール型→一枚一枚セロファン膜を貼って使用。手間がかかり、また「リーク(膜が破れて血液が漏れ出ること)」が多いことも問題 (前田[1982:262])
   →小高通夫「透析膜の張替え、これをお医者さんや看護婦さんが張り替えなくてはいけない、しかも毎日張ってそれをホルマリンで消毒して、終わったあとまたかたづけるということで、医療従事者が血液に触れるチャンスが 非常に多くなり医療従事者の血清肝炎の問題がでてきた・・結局再使用のキール型は姿を消した」(全国腎臓病患者連絡協議会[1986e:4])
 コイル型はキール型の次に登場→透析時間は6時間で、準備や消毒の手間もかからず、1回ごとの使い捨てのためキール型より1万円くらい高い (前田[1982:84])
   →「透析医療費の内訳は、ダイアライザーの価格と透析技術料が9200円、灌流液、チューブ、抗血液凝固剤が合計約1万円などで構成されている。コイルは60%以上がアメリカやスウェーデンからの輸入にたよっていた。アメリカの病院で患者が支払うコイル代は17ドル(6000円以下)」 (前田[1982:84])
→フォローファイバー型(中空糸型)が登場 
   →日本では、旭化成、帝人など大手合繊メーカーがダイアライザーに乗り出す。
   一回の透析時間が10時間から5時間に短縮。透析回数は週2回から3回へと。(前田[1982:262])
    外シャント→内シャントへ。これらの普及により生存率向上 (前田[1982:263])
 1970年代後半に、患者数、器械台数ともにアメリカに次ぐ世界第二の透析王国となった (前田[1982:264])

 ★1970年代の日本の状況
 1973年の第一次オイルショックの頃から、高度経済成長政策から低成長、減速経済成長へと方向転換。福田内閣の時代、大平蔵相が「福祉たりとも聖域にあらず。」と。
 →医療福祉の後退政策 老人医療無料化廃止、結核医療における保険優先、第三子以下の児童扶養手当の廃止、公費による医療費負担制度の全面的見直し、医療費抑制政策など。 (前田[1982:264])
 →透析医療の拡大と医療費との矛盾 当時、透析患者の一ヶ月平均医療費は、週三回で入院も含めると80〜100万円、一年間の平均では1000万円 (前田[1982:265])
 透析医療費の保険負担の状況(前田[1982:266-267])・・1973年10月健康保険法改定「高額医療費の自己負担限度額の設定」制度の開始
 →一ヶ月100万円の透析医療費の場合、改定前は社会保険負担は5割(50万)更生医療の対象分5割(50万)であったが、改定後は、社会保険負担が97万で、更生医療の対象は3万となり保険財政への依存が高まる
 →197506、健康保険連合会「高額医療給付共同負担事業」実施、人工透析関係が三分の一を占める (前田[1982:267])
 →1970年代後半、国民総医療費の急増 保険財政の赤字が、国家財政の「癌」のように社会問題化する (前田[1982:268])
  透析患者が電々公社の試験に合格するも、共済組合が「透析患者を採用すると、共済組合の保険財政の大きな負担になる」ということで不採用
  富山県出身者が東京で働いていて透析患者になり、富山県に戻って透析を受けようと手続きをするなか、郷里の町の国民健康保険組合で負担の問題が生じ、患者に対し、富山に戻らず東京で透析をするようにできないかという話がもちあがる。(前田[1982:269])

◆1974〜1978・幸病院(神奈川県) 市田・石井[2010]*より
*市田 良彦・石井 暎禧 20101025 『聞書き〈ブント〉一代』,世界書院,388p. ISBN-10: 4792721083 ISBN-13: 978-4792721084 2940 [amazon][kinokuniya] ※

1974年頃? 「それから糖尿病。これも患者会作って、勉強会やったり、「糖尿病バイキング」なんていう<0185<食事療法の集団指導とか。[…]慢性なんだから、仕事しながら、家庭生活しながらの「闘い」でしょう。消費者相手の商品みたいなものをポーンと「医療」を放り込んだって、かなり徒労なんです。他人を巻き込んだ生活全般を医療的観点から組織し直していかないかぎり、いわゆる「包括医療」が課題になる。これを行政や医者に任せるんじゃなくて、下から 現場的にやっていこうとしていたわけだな。ほんと、自主管理思想であり、自己権力論でしょう? 倫理的に立派な「お医者さん」による「赤ひげ・ヴ・名ロード」でも、権力もった医者が上から治療を押し付けるのでもなく、あくまで医者−患者関係のなかで「階級形成」していく、そんな意識でいたから、大学に残って外科医師連合やってた連中とはどうも感覚がずれてきて、こっちはひたすら臨床志向、現場志向で、とにかく腕をみがきたい。患者との「関係」をどうにかしたい、みたいな。我々も「患者のために」と言うんだけど、奉仕することからも「偉い人」になることからもほど遠い。だから「自己管理を強制する」なんて言ってたんだな。黒岩は同じことを「ビジネスとしての医療」と呼んでた。」(市田・石井[2010:185-186])

1975年3月・幸病院透析室開設/7月・幸病院夜間透析開始 「その危機を乗り切るために、友だちが、じゃあ透析がわりあい利益率が高いから、やったら?と勧めてくれましてね。でも我々は左翼だから、「商売」だけで飛びつくわけにはいかんというんで、内部でちゃんと検討したんです。これをやる意味はなにか、どうやったらいいのか、というようなことを、まあ意思統一はなかなか難しかったですけど、透析をはじめました。しかも、夜間透析の早期開始をめざして、夜間透析というのは、患者さんは昼間働いて病院に来る。透析には本人の自己管理が重要であって、そもそも我々はその技術的なお手伝いをするだけである。夜間透析なら、患者の暮らしの「お手伝い」という側面をよりはっきり打ち出せるだろう。これは我々が目指す自己管理型医療というものに非常にいい分野ではないか、積極的に取り組もう……具体的にはなかなか難しかった。機械室を含めて三部屋つぶしたからね。結局。<0189<一五ぐらいだっかな、機械は。ところが、これが商売として当たったんです。川崎市内では一番早く夜間透析を導入することになって、大成功。経営が立ち直るんです。」(市田・石井[2010:189-190])

1977年6月頃?/1978年3月:家庭透析開始 「ちょうど透析が当たってようやく黒字に転換したころだったし、あっという間に川崎のトップシェアを握ったもんで、これの専門クリニックと考えた。[…]涛透析は装置産業的なところがあって、技術としてはワンパターンだから、大規模であればあるほど効率がいいんです。技術的にみれば、血液透析・濾過というのは血管と機械を連結して、血液をフィルターにかけちゃうだけですから。もちろん、リスクも幾何級数的に高まるので、技術的に自信がないとできないけど、そこんところはすでに二年間、手探り<0216<で修練積んでたから大丈夫。というか、無謀に果敢。
 当時の透析は、臨床技術的にまだ難しくて。やらないと数週間で死んじゃう人が、やれば社会復帰もできるというすごい技術なんだけど、勉強のため見学に行ってた病院では、透析室内で患者さん死んでんだよ。[…]今ではでっかい体重計の上にベッドを乗っけて、水がどれだけ退(ひ)けたか刻々と分かるようになってるけどは、当時は機械の設定なんてヤマ勘でやってるだけ。心臓が弱ってると、血液がどーんと下がって、そのまま逝っちゃうってことがあったわけ。そのときにばーっとまた水を入れると、ひゅうっと戻るんだけど、そういうさじ加減がほんと修練なの。まあ勇敢に挑戦してきたわけです。手ごわくて怖い最先端医療に、二年間。」(市田・石井[2010:216-217])

 「当時すでに、疾病構造の重点が成人病に移ってきていて、糖尿病や腎不全の場合が典型だけど、予防から医療、予後、社会復帰を一連の問題として捉えないと、患者は悪循環に陥るでしょう。遠くの出身大学病院に患者を行かせたり、予防と予後は医者や病院の仕事じゃないと言ってるかぎり、治療しても病状は悪くなるだけでね。こういう「医療秩序」は、我が病院にとっては「敵」そのもの。しかし、そういうのは既得権益擁護の業界内相互規制にすぎないから、こちらが従わなければ「商売敵」としては弱い。ニーズあるんだから。疾病構造の変化そのものが我々の「味方」でした。「幸病院・川崎クリニック腎友会」という我々の患者会は、作ってすぐに、「川崎腎友会」のなかで社会復帰率が最も高い患者会になりました。神奈川県の家庭透析第二号も我々のところです。」(市田・石井[2010:221])

◆19770221 腎臓移植女性出産(日本初) (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:125]) 
◆19770601 腎臓バンク(関東地区)発足 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:125]) 

◆197707 『毎日ライフ』1977年7月号記事 (前田1982:270])
医療の曲がり角 東京女子医大 横山氏 「人工腎では1人につき年間1000万円が保険財政から支払われている。これは1万人として1千億円である。人口比0.01%の患者が10%の医療費を占めている・・・」

◆19770610 女性透析患者出産(日本初) (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:126]) 
◆19771001 腎臓バンク(東北・東海・北陸・近畿・中国)開設 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:126])

◆197712末の時点  透析患者数22,579人{昼間透析17,317人(76.7%)、夜間透析4,887人(21.6%)、家庭透析116人(0.5%)、腹膜透析259人(1.1%)}
          人工腎臓保有台数10,545台(コイル型人工腎臓5,228台、ペーシェントステーション5,317台) (全国腎臓病患者連絡協議会[1978:2])
◆197802 腎移植健康保険適用 夜間透析加算 人工腎に時間性導入(全国腎臓病患者連絡協議会[2003:127])

◆197810 兵庫県姫路市 国富病院透析医療費不正請求事件 (前田[1982:268-269])
    院長が全国長者番付1位だった。レセプト総額約一億円あまり不正請求 <0268<使い捨てのはずのダイアライザー再使用 
通院患者を入院扱いにしたり、使い捨てにすべきダイアライザーを最高7回も再使用して保険請求をしていた。保険医取り消しにより94人の透析患者のうち、転院が決まった患者は28人で、残りの患者は通院距離や仕事の関係もあり転院先が決まっていない(全国腎臓病患者連絡協議会[1978:3])
◆19790205 登録者から初めて死体腎移植 (全国腎臓病患者連絡協議会2003:128]) 

◆1979 第87回通常国会で腎疾患対策論議 (全国腎臓病患者連絡協議会[1979a:4-5])
→2月28日、衆議院予算委員会 生保家庭の腎提供者費用に関する問題 
  →3月24日、衆議院予算委員会 国立病院や国立療養所が総定員法により医療従事者が不足し、専門医療、地域医療に応えていないという問題
  内容:京都府福知山市の国立福知山病院で一年余の間に、透析患者8名中5名が死亡、2名が転院、また福知山市周辺に33名の患者がいるが、そのうち福知山で透析を受けているものは6名、他の地区に通院している患者は月に4万数千円の通院費の負担があることが明らかになる。
  他にも、離島や辺地では、透析施設のある市町で長期入院生活をしながら透析を受けている 
 ▽男女差縮小 「慢性腎不全患者の実態把握と社会復帰に関する研究」 国立公衆衛生院疫学部 197811 (全国腎臓病患者連絡協議会[1979b:15])
     男性60%  vs   女性40% 
平均年齢 43.2歳  通院 77.9%  配偶者あり 26.9%  通院時間平均 42.6分、1時間以上26.4% 
 ▽腎移植の状況 本田憲児(福島県立医科大学第一外科部長)(全国腎臓病患者連絡協議会[1979d:2])
  1978年末で、日本移植学会の統計 死体腎移植数138例 生体腎移植数1043例 

◆19790401 腎移植手術に厚生医療適用、国立佐倉病院腎移植センター開設 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:128])

◆19790821 『社会保険旬報』1979年8月21日号 で国立公衆衛生院社会保障室長 前田信雄 
 論文「腎透析と有限な社会資源―各国の経験」 (前田[1982:272-273])
「アメリカではメディアケアという老人保健医療に・・・・透析費用はアメリカで13億ドル 患者が毎年1万人ずつ増える・・・<0272<われわれの有限な保険財政が果たして、これにどういう形で答えることができるであろうか」
「問題は、結局単に慢性腎炎の患者に対する費用配分のことではない。どういう考え方、どういう基準、どの程度配分されるべきなのか、そのことについての回答が求められているわけである。はっきりいえば、現在の有限な医療資源の下では、誰が死に、誰は生きていくべきかの決定のようなものが避けられないのではないか、ということである。行政と立法決定者は、それに早く答えを出さなければならない」 (前田[1982:273])

心臓外科医 榊原 「生命の尊厳は守るべきという立場から、人工腎臓を無限に増加し、その費用を健康な人間が税によって負担すべきであるとすれば、社会制度が崩壊する。もし健康な人間の負担能力が  これに追いつけないとすれ<0273<ば、何らかの方法で医療方法の選択を行わざるを得ない。」 (前田[1982:273-274])

人工透析研究会理事 小高通夫(千葉大学医学部助教授)「保険点数の設定では、新技術医療というのは非常に高い評価がなされるわけです。たとえば脳の手術であるとか、・・ 人工腎臓が始まったときに新技医療としての評価がされているわけです。ちょうどたまたま体外循環の設定がありましたので、それと同じ設定になったわけです。 体外循環というのは、・・主として心臓に使われるわけで、その人にとってせいぜい一生に一回とか二回です。ところが年間百五十回もやるのがそのカテゴリーに入ってしまったという点に問題があります。・・」 (全国腎臓病患者連絡協議会[1979c:8])

 ★1975以後透析医療における国の「医療費抑制政策」の2方針
 1、腎移植推進・・197706死体腎移植腎提供者登録制度(腎バンク)の創設 (前田[1982:277])
1976〜1980にかけて福岡で、福腎協会員が自主的にアイバンク登録、透析患者家族による死後の腎提供運動を行う。→県民に反響をおこし、ドナー登録者が増加(前田[1982:318])
 2、透析医寮費切り下げ(診療報酬点数の引き下げ) (前田[1982:280])

◆19791211 角膜及び腎臓の移植に関する法律成立(19800318施行) (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:130]) 

●スプリング事件(1980年、マサチューセッツ州) (香川[2006:260-262]) 
「1977年、78歳のアール・スプリングは外傷がもとで、腎透析を週3回、5時間ずつ受けることになった。患者には、結婚して55年になる妻と、成人に達した息子がいた。 透析治療が1年以上続く間に、アールの老化(慢性器質脳症候群)が進行し、ついには意識が完全に混濁してしまう。患者は透析を嫌がり、しばしば腕から針を引き抜いた。 医師は家族に対して、透析はただ生かしておくためのものにすぎず、治療を打ち切るべきかもしれないという話をした。話を聞いた家族は腎透析の打ち切りを求める決心をする。・・ 妻と息子が、1979年1月に、検認裁判所に治療停止の命令を出すように求めて訴えを起こすことになった。検認裁判所は5月に、家族と医師が決定する権限をもつことを認め、腎透析の停止を 命ずる判決を下した。家族は、無能力状態となったときの治療について、本人の意思表示はいっさいなかったと述べていた。しかし、もし、能力があれば、治療を受けない選択を するはずだというのが家族の主張だった。」<0260<
→「そうしたところに、アールは治療停止を望んでいないという証言が登場する。二人の看護婦が「あなたは死にたいですか」と尋ねると、アール本人が「ノー」と答えたというのである。アールには対応能力があるのだと証言した。」<00261<
→訴訟後見人が治療継続の訴えを起こし、専門化達が患者の対応能力を判定しなおす裁判が続くなか、患者は1980年4月に亡くなった。患者は無能力であるとする鑑定がだされたのは、その翌日である。<00261<
→この判決に対し、アナスは「・・われわれは、生命の質による区別せざるをえないところにきてしまった。しかも、マクロ的に見れば、米国社会は明らかに弱者差別へと大きく舵を切り、 老人などの弱者を排除する形で資源を配分しようとしている。スプリング事件で腎透析という高額医療の停止が問題となった背景に、経済的理由が隠れている。・・」<0262<

◆198105 ・米国から初の死体腎が輸入され、仙台社会保険病院で移植 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:132])

 ★1980代、医療を取り巻く状況 
1983年11月、大蔵大臣渡辺美智雄の発言「乳牛は乳が出なくなったら、と殺場へおくる。ブタは八ヶ月たったら殺す。人間も働けなくなったら死んでいただくと、大蔵省は大変助かる」(相野谷[1991:44])

◆19810710 第二次臨時行政調査会の答申 
      「年々急増する医療費については、総額を抑制し、医療資源の効率的利用を図る」(相野谷[1991:35])
緊急に取り組むべき改革方策として@医療の切捨て・・医療費適正化(受診を抑制し、国庫からの支出を削減、老人保健法の創設・健康保険本人の一部負担・医療機関に対する診療報酬によるしめつけなど)<0187<
    A医療保険の改定B老人保健医療(老人医療費無料廃止、国庫負担を減らしその分健康保険などに負担させる、つまり労働者の保険料負担に転嫁する) (相野谷[1991:187-188])

 野村拓(大阪大学医学部)『国民医療研究所所報』第15号 1991年1月31日 国民医療研究所発行  論文「医療情勢と看護」 (相野谷[1991:40])
 効率化について@効果判定に主権者である国民が参加しない「効率化」A生ずる結果に目をつむった「効率化」B治っていなくても、早く病院から追い出して入院日数を短縮させれば「効率化」  C自殺者が出ても、保険証をとりあげたり生活保護を打ち切って公的医療費支出を減らすことができれば「効率化」Dそこに病院があるから医療費がかかる―病院をつぶせば医療費もかからないだろう―  国立病院つぶし、地域医療計画E看護職種の分化―医療労働の分解と再編成

▽国民医療費抑制、国の5つの手口(相野谷[1991:51-57])
 医療を受ける側に対して @患者に自己負担を導入し国の負担を減らす A保険料などに対する国の負担・補助を削る B病院や診療所に患者がかからないようにする(医療費の通知など)<0053<  C国保財政充実強化推進運動(市町村など国保の保険者がおこなう)・・保険料の収納率を1%ひきあげる、医療費適正化対策としてレセプト(保険請求書)点検の徹底・医療費通知などにて1%以上の財政効果をあげるなど<0055<
 医療を提供する側に対して @病院・診療所を少なくすること A診療報酬による操作・・請求を削る・診療報酬の点数配分のなかに医療費を抑制する仕組みを入れるなど

 臨調「行革」のもとにすすめられた医療に関する法律改正 (相野谷[1991:45])
 1983年 老人医療費無料の廃止の老人保健法成立
 1984年 健康保険本人の一部負担導入、国民健康保険への国庫負担引き下げ
 1985年 医療法の「改正」 病院ベッドの削減を目標に「地域医療計画」作成
     国公立医療機関・療養所の廃止・移転統合・民間への経営移譲計画発表
 1986年 国民健康保険法の改悪 老人患者一部負担引き上げ、保険証の取り上げ(保険料滞納を理由として)など
◆1980's
 ダイアライザーの膜の開発期 各社、透析膜の機能や性能の開発(膜の素材や新しい膜の開発)と血液濾過法への注目
 携帯型(旅行や外出先への携帯)や装着型(常時連続的に機能し将来的に埋め込み型に発展する可能性をもつ)人工腎臓装置の開発への取り組み (全国腎臓病患者連絡協議会[1981a:2])
 透析時間の短縮
 
 「一九八〇年代に入ると、技術の進歩が医療に反映されるようになった。人工呼吸器が臨床の場に普及し、人工透析が日常的に行われるようになったのである。」(畑中[1999:15])
 畑中 良夫 1999 「難病医療の現在」,畑中編[1999:14-60]*
*畑中 良夫 編 1999 『尊厳死か生か――ALSと苛酷な「生」に立ち向かう人びと』,日本教文社 ※

◆前田 こう一 19820215 『難病の海に虹の橋を――立ちあがる人工腎透析者・難病者たち』,労働経済社,349p. ASIN: B000J7NPW4 1500 [amazon]

◆1982 ・「腎疾患総合対策」で国会議論 
・ニプロ社の新ダイアライザーで眼障害者が多発 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:133])
◆198208 中央薬事審議会でCAPDの輸入承認 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:134])
◆198302 CAPD液薬価基準に収載 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:135])
◆198303 腎移植オンラインシステムがスタート(国立佐倉病院) (全国腎臓病連絡協議会[2003:135]) 
◆198309 厚生省 脳死に関する研究班発足 (全国腎臓病連絡協議会[2003:135]) 

◆1983
 こういった機能を体内に,あるいは少なくとも持ち運びができるかたちにしようとする試み
 (三輪[1983:23-57]桜井[1986:95-140]渥美・稲生[1986:83-95]imidas90:630)

◆西村 周三 19830324 『「病院化社会」の経済学――現在医療システムはあなたの明日をどこまで保障できるか』,PHP研究所,PHP新書,194p. ASIN: 4569210104 525 [amazon][boople] ※, b m/e01

 「脳死のあと心臓が死ぬまでの間に、各種の臓器を他人に移植すれば、この臓器の有用性が著しく高まる。それにもかかわらずわが国では、現在法律で心臓死を死の判定基準としているために、臓器移植が困難になっているという。
 医学的にはいうにおよばず、経済的にみても臓器移植の費用は人工透析の費用よりはるかに安く同じ費用で多くの人命を救うことができるのだ。
 だからといってこの種の判断基準は、もちろん単純に医学上や経済上から決められてよいというものではないことはいうまでもない。たんに移植技術の有用性やその技術の向上、経済性ということを理由に個人の死の判定をされては困るからである。しかしながら、かといって、個人やその家族のみにかかわる全く個人的な事柄であるわけでもない。宗教家や様々の専門家の意見なども反映しつつ、また医学の進歩の現状もふまえた考慮がなされねばならないだろう。<0192<
 いずれにせよ社会の持つ文化や伝統を考慮に入れつつ、社会的合意を形成していくことが必要なのである。」(西村[1983:192-193])

☆19841114 生体腎売買報道 『読売新聞』朝刊 
 1面の一部:「生体腎臓、移植用に売買/大阪に公然あっせん組織」
「健康な人から二つある腎臓の一つを買い、それを腎臓病患者に売って生体腎移植をさせるとして、公然と臓器売買のあっせんに乗り出した仲介組織の存在が、13日、明るみに出た。 大阪にあるこの組織の中心人物は、読売新聞社の数度にわたる取材に対し、@過去3年間に6件の移植をあっせん、成功させたA腎臓提供者はアジア系の外国人が中心B患者が払う費用は謝礼を 含め平均600万円――などと証言した。具体的ケースについては口を閉ざしているが、東京、大阪などの主要病院には最近、「腎臓を売りたい」などという話がひんぴんと持ち込まれており、臓器売買の 横行を裏付けている。現行法上、こうした行為が刑法などに抵触するかどうかは微妙だが、一方では、全国で一万人以上の腎不全患者が腎臓移植を待ち望んでいるのが現状。すでにアメリカでは売買規制法が 制定されており、わが国でも法整備を含む社会的ルールの確立が急務となってきた。」
3面の一部:「背景に「透析」負担/腎臓売買/患者の1/4移植望む」
「腎臓売買あっせん組織が明るみに出たが、腎機能が停止し血液中の老廃物を排せつできなくなった腎不全患者は、わが国に約5万3千  人いるといわれ、年々、4,5千人ずつ増えている。 患者は、人工透析によって毒性を体外に排出して生命を維持しているが、1回、5,6時間かかる透析を週2,3回しなければならず、仕事上はもちろん、日常生活でも大きな制約を受けている。 このため、患者の1/4が移植を希望しているといわれている。」「わが国の腎臓移植については、法律上、特別の報告義務もなく、厚生省でも十分にその実態をつかんでいないが、日本移植学会が、 昨年10月末現在で各病院などから任意に調べた結果では、過去20年間に移植した人数は2783人。このうち両親や兄弟から腎臓をもらって植え込む生体腎移植が2168人と圧倒的に多く、 交通事故の死者などから提供を受ける死体腎は615人となっている…わが国では、「脳死」判定のコンセンサスが得られておらず、この結果、死体腎の活用が欧米に比べて極端に遅れている」
23面の一部:「横行「腎臓売りたし」/「300万で」と倒産社員/病院訪問や電話・手紙」
「…「大阪腎バンク」の泉隆次郎専務理事によると、「設立当初から月一度程度『腎臓を売りたい』という電話が入っているが、最近では週に一回は、そんな電話がかかってくる」と嘆く。… 大島伸一・中京病院泌尿器科部長は「臓器売買以前の問題としても、そもそも親族といえども、健康な肉体を傷つける生体腎移植はやるべきではないと考えている。まして第三者からの腎移植となれば、組織適合性の 問題もあり、健康な肉体を傷つける必然性はまるでない」と言い切る。中村宏・防衛医科大教授も「臓器売買などは論外。売買が絡まなくても。第三者からの移植は、 免疫抑制剤を大量に投与する結果、抵抗力が弱まってほかの病気に感染する危険性が高い。倫理上はもちろん医学の面からもやるべきではない」という。」

同日『読売新聞』夕刊
1面の一部:「「生体腎売買」実態把握へ/厚生省“法の盲点”規制探る」
「…厚生省ではこれまでのところ、現行の「角膜及び腎臓の移植に関する法律」が、「死体腎」と「無償」を前提としているため、生体腎の売買、あっせんを法的に追及するのは 難しいとしているが、臓器売買が横行する現状には何らかの対策が必要として、実態把握に着手したもの。…わが国では、54年(1979年)12月、角膜及び腎臓の移植に関する法律が 制定され、死体腎の提供のあっせんをする時は、厚生大臣の許可を受けなければならない(第8条)。これに違反した者は、6月以下の懲役または20万円以下の罰金を科せられる(第10条)が、 これはあくまでも死体腎が対象で、健康な人から腎臓を買って、それを患者に売る生体腎移植は法の盲点となっている。…」
15面の一部:「患者らに強いショック/我々の訴えを逆利用/透析に頼る日々は重いが…」
「…腎臓病に悩む人たち約3万6千人で組織している全国腎臓病患者連絡協議会の小林孟史事務局長は、生体腎売買話の横行について「腹立たしい。もともと腎臓提供は無償の行為の はずなんですから」と語った。全腎協では4年前から、善意に基づく死体腎登録制度(腎バンク)の拡充を訴え続けており、街頭キャンペーンなどを行っている。…全腎協などの 呼びかけで、現在、腎バンク登録者は6万9千人に。しかし、その年齢構成、地域的なバラつき、血液型など患者との組織適合性の制約もあり、現実には100万人規模の登録が なければ、移植希望には応じきれないというのが現状。移植を待つ透析患者の苦しみは想像をはるかに超える…」

関連文献:読売新聞社解説部編 1985 『いのち最先端――脳死と臓器移植』読売新聞社

     アメリカがCAPDやダイアライザーの対日輸出を増やすために日本の基準を緩和するよう要請 (全国腎臓病患者連絡協議会[1985a:9])
◆198403 在宅CAPDに健康保険適用 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:136])
◆198408 健康保険法改定(10月1日施行)にて、人工透析・血友病が高額医療の「長期高額疾病」に指定される(限度額1万円)(全国腎臓病患者連絡協議会[2003:137])

◆198412末の時点  慢性透析患者数59,811人{昼間透析42,193人(70.5%)、夜間透析16,162人(27.0%)、家庭透析136人(0.2%)、CAPD1,187人(2.0%)}
 (全国腎臓病患者連絡協議会[1985c:4])

☆19850111 英国で透析打ち切り
  「「値せず」と透析打ち切り/施設暮らしの貧しい男/英公立病院・患者協が調査要求」『朝日新聞』夕刊、15面

 「英国の公立病院が、施設暮らしの貧しい男のじん臓の人工透析を「患者の命は透析に値しない」と打ち切ったところから、論争が起きている。…事件が起きたのは オックスフォード市の公立チャーチル病院。2年前から通院、週2回透析を受けている44歳男性の治療を新年早々打ち切った。「彼は知恵遅れで精神分裂病。透析の基準に合わない」というのが理由。 生命線を絶たれた男性の容体は悪化した。男性が住んでいる施設の寮長から連絡を受けた英じん臓病患者協会が治療費を全額負担、ロンドンの私立病院に7日入院させてひとまず急場は切り抜けた。 …同病院に対する批判と同時に問題になってきたのは、透析施設の不足。100万人に22台という5年前の状態から、現在は33台まで増えた。しかし、ヨーロッパではベルギー、スペインの61台、西独56台、 フランス44台に比べて大幅に遅れている。毎年、2千人が透析を断られており、ホームドクターは45歳以上の患者を病院に送ることをためらっているともいわれている。 65歳以上になると、公立病院で透析を受けられる可能性はほとんどない。…<注>1983年末現在で、日本には約24,500台の透析機器がある。人口100万人当たりで210台。透析の 必要な患者の2.2人に対して機器1台がある計算で、欧州諸国に比べてかなり高い水準となっている。それでも「いちおうの数足りているが、地域的なバラつきが大きく、まだ不足がちな 地方もある(全国腎臓病患者連絡協議会事務局)という。」

◆19850131 中央社会保険医療協議会が診療報酬改定を答申(3月改定)(全国腎臓病患者連絡協議会[2003:138])
 →人工腎臓の時間区分導入・・4時間未満と4時間以上の区分設定、これにより透析時間短縮の方向にすすむ
◆198504 日米首脳会談後、CAPDの診療報酬が再引き上げされる (全国腎臓病連絡協議会[2003:138]) 
 198503の医療費改定でCAPDの保険点数引き上げられていたが、一ヶ月後の4月に再引き上げ (全国腎臓病患者連絡協議会[1985b:12]) 
 →1回15000円で月2回算定から条件付で月4回まで算定可 CAPDの医療費は最大でも25,6万で人工透析より3,4割は安い
  →施設承認基準の緩和 指導管理場所と看護婦の常務を義務付けない

◆198506 自民党、生体腎移植問題懇談会が腎移植に関する方針を発表 
     @提供者の動機、同意の確認方法などのルール作りA毎年10月を腎提供登録月間B腎バンクの全国的整備 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:138]) 
◆198512 厚生省 脳死に関する研究班が脳死判定基準(竹内基準) (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:139]) 
◆18860109 厚生省 国立病院・療養所の統廃合計画発表 (全国腎臓病患者連絡協議会[1986a:12])
→全国239ヵ所うち統合または経営移譲によって74ヵ所を減らし10年後には現在の7割にする計画 
→国立病院で透析をしている患者は他施設へ行かねばならない、とくに辺地では民間の施設も少ないため問題
◆19860121 厚生省 透析の件数払い制導入検討 (全国腎臓病患者連絡協議会[1986a:12])
→人工腎臓の点数について、透析回数・透析時間・時間帯・治療方法などを問わず月単位の点数(たとえば、一ヶ月4万点など)とする「件数払い」の導入を検討中とのこと
→アメリカで件数払いが導入されて透析治療水準が低下したとの報告もあり、全腎協や医療側は反対
→0306 衆院社会労働委員会で、厚生省幸田保険局長「検討はしたが、他の診療報酬とのバランスをどうするか、出来高払いとの整合性をどう図っていくかの問題もあり、現在、件数払いの導入は当面考えていない」(全国腎臓病患者連絡協議会[1986b:27])
◆19860401 診療報酬改定 CAPDの指導管理料は1回1500点(月2回まで)を3000点(月1回)とし保険請求できる施設は厚生省の承認が必要だったが、都道府県知事への届け出制に変更、 腎臓移植手術は40000点から43000点に、シクロスポリンが特定薬剤治療管理料の対象になる、人工腎臓技術料は引き下げになるが夜間透析加算は100点ひきあげ (全国腎臓病患者連絡協議会[1986b:27])

◆198605 厚生省「腎不全対策推進会議」発足 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:140]) 
推進会議検討事項 (全講腎臓病患者連絡協議会[1986c:12])
→腎移植月間の実施方策、腎提供登録の推進、地域における腎移植体制の効果的な運用、腎不全の予防対策など
→腎移植推進のために医師への啓蒙活動が必要、移植関連医療機関相互の連携機能の強化、検尿による蛋白陽性者のフォロー、慢性腎炎期の対策、糖尿病性腎症の対策など
◆19860615 日本患者・家族団体協議会(日患協・JPC)結成総会 全腎協など31団体加盟  (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:140])
◆198610 厚生省 初の「腎移植推進月間」を設定、初の「腎移植推進国民大会」開催、移植用腎臓運搬車が緊急自動車に指定される (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:140])

■スペインの腎移植推進の様子 (全国腎臓病患者連絡協議会[1986b:29])
 スペインの腎臓病患者会「アルセル(ALCER)」は1976年2月に創立、首都マドリッドにアルセル・ナショナルがあり、全国47州に支部がある。国や地方自治体に対する透析医療の充実や  移植推進の要求、保健法改正にあたっての要求などの活動をし、1983年国は「腎臓病対策計画」を作成、1984年には国立衛生研究所主催の慢性腎不全対策会議も開かれる。  ここ数年のアルセルの活動の中心は腎移植推進である。5年前から毎年全国統一「ドナーの日」を設け、各支部でマスコミや医療関係者、市役所などの協力を得て催しが行われる。1979年には「臓器の摘出と移植に関する法令」も制定。  1982年登録者数2万人・腎移植数400件、1983年4万人・700件。
■ブラジルの透析の現状 ブラジル在住の患者からの投稿(全国腎臓病患者連絡協議会[1986c:14])
 ブラジルの透析者は、ほぼ4000人といわれている。患者在住のパラー州は約80人の透析者がおり日本人は2人、患者が少ない理由として、国土が広いことや内科が非常に遅れていて腎臓に関わる専門医が少ないことが考えられる。  医者も患者が死ぬと(誤診も多い)「神がお召しになりました」ということで処理されることが多い。・・当国の腎臓移植は全国的にバンク(腎、眼他)  を作るべく政府も手をつけているようだが、福祉よりも先に片付ける諸問題が山積みでなかなか難しいのが現状。腎臓の場合は売買されているのが普通で、値は2000ドルが相場(2000ドルを稼ぐのに最低給料受給者の30ヶ月分の 給料に値する)
■中国から、透析技術を学ぶために留学生来る (全国腎臓病患者連絡協議会[1986f:9])
 1986年8月1日、中国政府から派遣された医師、看護婦合計11名が来日し日本各地の病院に分散して研修。中国での透析の様子について、中国の看護婦の話によると 一応透析は行なわれているが、大学病院でも数はわずかで型は旧式のもの。透析技術者が極少でだれもが受けられるわけではない。政府要人とか一般人でも支払い能力のある 金持ちのみで日本の厚生医療に相当する制度はない。

◆1986  透析患者を父にもつ家庭への児童扶養手当の打ち切りが問題になる (全国腎臓病患者連絡協議会[1986c:2-5])
→1985年7月、総務庁が「児童扶養手当の業務運営に関する地方監察結果に基ずく改善意見」を受けて、厚生省が1985年10月9日付けで各都道府県あてに通知を出す
→「改善意見」では「慢性腎不全等の父の内部疾患障害による労働不能等の認定状況については・・法に規定した障害の程度を拡大し運用している・・身体の機能に、労働不能でかつ常時 介護を要する程度の障害があるとは認められない者に対し、手当てを支給している事例がみられる」として「慢性腎不全等の内部疾患による労働不能等の認定については・・運用を是正させること」 とし厚生省は「障害認定の適正化を図られたい」と事実上の打ち切りを促す
→各県では、父の就労調査を行ない、受給資格者に対し資格喪失を通知、理由として「働いている透析患者は法<0002<でいう障害者にあたらない」としている
◆透析技師の身分の問題 資格法制化にむけて (全国腎臓病患者連絡協議会[1986d:4-5])
→1983年全国の透析技師を対象にしたアンケート結果 医用技術などを含む専門学校2年卒以上が6割、3人に2人は医療資格なし
→1979年から学会認定の「透析技術認定試験制度」を実施しているが1986年現在認定された技師は1200名あまりで全体の3割程度
→米国カリフォルニア州ではすでに議員立法により透析技師の公的な医療資格が確立されている
→厚生省は法制化に消極的 その背景として国公立の医療機関による<0004<透析治療が全体の2%にも満たず民間医療機関主導であることや臨時行政調査会の答申による 許認可制度の見直しなどで、今後の医療行政が抱える医療職過剰時代に備え、新たな医療職の許認可を規制し、既存の医療職に代行させようとしている
◆198701 老人保健法でも透析患者は特定疾病に認定
◆198705 総務庁が角膜・腎移植の実態を報告(行政監察結果) 提供者の善意を生かすための広域的あっせん体制の確立、腎バンク毎に異なる年齢制限の統一的指針の策定など (全国腎臓病患者連絡協議会[1987b:23])
◆198706 腎不全対策推進会議中間報告 @医療技術者の腎移植への積極的な取り組みA遺族など提供者側が新たな負担を生じない配慮B都道府県内のシステム化など提言 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:141])
◆19870527 臨床工学士法成立(大108通常国会) (全国腎臓病患者連絡協議会[1987b:23])
◆198710 厚生省 腎移植推進国民大会(仙台) (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:141])

▽透析患者実態調査結果 (全国腎臓病患者連絡協議会[1987a:6-9])
 男女差縮まり高齢化:1986年9月実施 男性58.4% vs 女性39.8% 
年齢分布状況:1971年調査 年齢ピーク層20〜29歳  1986年調査 40〜49歳 <0006<
原因疾患:1位 男女とも慢性糸球体腎炎(男性74.8%、女性67.8%)、2位 男性は糖尿病腎症(6.1%) 女性は妊娠中毒症、3位 男性はネフローゼ症候群 女性は糖尿病性腎症(4.2%)
透析回数・時間:週3回が87.4% 透析時間は4〜5時間が38.6%、5〜6時間が53.6% <0007<
医療保険の種別状況:1986年調査 国民健康保険45.8%、組合20.8%、政管健保12.6%、共済8.6%、その他(無回答含む)12.2% 
1986年度版「厚生白書」 国民健康保険37.2%、組合24.0%、政管健保26.7%、共済10.3%、その他1.8%  <0008<
CAPD希望者4.3%、家庭透析希望者6.9%
腎移植に関して:自分から希望する26.3%、医師が勧めたら希望する8.2%、医師が勧めたら考える12.5%、希望しない35.5%、わからない13.3%、無回答4.1% 
腎移植を希望しない理由:透析療法がうまくいっている39.5%、移植の成績があまりよくない28.6%、年齢的に無理53.4%、費用が心配11.4%、他人の臓器提供をうけたくない8.0%、その他11.3%、無回答2.0% <0009<
◆1987
 「人工腎臓装置による人工透析療法は、@対症療法であるため病気を治癒することはできないこと、A週2〜3回、1回約4時間の透析が必要であり、患者の社会復帰に制約があること、B透析費用が高額であり、社会保険医療、公費負担医療の負担を大きくしていること等の問題があった。」(総務庁行政監察局編[1987:1]、長谷川[2007:16]に引用)
◆198801 日医・生命倫理懇談会、最終報告書で脳死、臓器移植を認める (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:142]) 
◆198802 診療報酬改定(4月1日実施)(移植点数増額) (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:142])
◆198807 フィリピン生体腎移植問題 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:142])
→毎日新聞 1987年10月01日付夕刊 「海外腎移植事情研究協会」と名乗る団体がフィリピンの国立腎臓研究所(NKI)での日本人の腎臓移植手術のあっせんをしようとしていると報道
→あっせん話は全腎協にも持ち込まれていたが全腎協は拒否
→NKIの施設、設備、担当医の話、手術場面、提供者の話などでビデオテープが作られ、大企業に案内書を配るなど具体的で費用は1800万円と生体腎売買をうかがわせる内容(全国腎臓病患者連絡協議会[1987c:14])
◆198810 厚生省 腎移植推進国民大会(名古屋) (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:143])

◆1988
 人工透析 …1日おきに1回5時間必要
 86年の全国腎臓病患者連絡協議会の調査によれば人工透析を受けている人は全国に8万人。半数が移植を望んでいる
 (『AERA』1988.8.2:59)
◆19890910 非血縁者間生体腎移植問題 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:144]) 
◆198910 厚生省 腎移植推進国民大会(京都) (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:144])

●太田和夫(東京女子医科大学教授・腎臓病総合医療センター所長) 198911 『臓器移植はなぜ必要か』,講談社 
 生体腎か死体腎か 
  まず生体腎について見ていくと、指摘される問題点は山のようにある。そもそも、ドナーから腎臓を摘出する行為自体が、考えさせる問題点を含んでいる。 病気ではない健康なドナーにメスを入れて、腎臓を一つ摘出する行為――これは果たして傷害罪にあたらないのかどうか、治療行為であれば、からだに傷をつけるのも やむを得ない。法律上も、そうした扱いがなされている。しかし腎臓の摘出は、ドナーにとって治療としての意味合いはまるでないのである。これは結局、摘出行為に、 移植に役立てるという高度な文化的・倫理的目的があり、また社会的な了解を得られているので、ドナーが成人に達しており、肉体的・精神的に健全であれば 問題はないだろうという線で一応の決着がつけられている。訴訟騒ぎもおきたことはなく、まずはよしとしていい問題かもしれない<0145<

◆19891201 「脳死臨調」設置法案が成立 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:144])
◆19891220 中央薬事審議会がエリスロポエチンの製造承認を答申 (全国腎臓病患者連絡協議会[2003:144])


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