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医療的ケア/医療行為

[korea]

 *情報、御意見の提供を歓迎します。立岩(TAE01303@nifty.ne.j)までお願いいたします。

■年別頁・関連項目等

 ◇1997-2002  ◇2003  ◇2004  ◇2005  ◇2006  ◇2007  ◇2008  ◇2009  ◇2010
2011  2012  2012
 ◇介助(介護)
 ◇難病/神経難病 ◇ALS
 ◇人工呼吸器
 ◇救急救命士法
 ◇AED
 ◇ベンチレーター使用者ネットワーク
 ◇医療的ケア連絡協議会 http://www.renkyo-kujira.org/
 ◇NPO法人 医療的ケアネット http://www.mcnet.or.jp/
 ◇「地域に広がれ!医療的ケア」連絡会 http://www.chiiki-ikea.org/
 ◇長野県教育委員会 特別支援学校における医療的ケア運営協議会
  http://www.pref.nagano.jp/kyouiku/tokusyu/tokushi/shingikai/iryoukea/index.htm
 ◇(社)日本看護協会 http://www.nurse.or.jp/
 ◇ 医療的ケアが必要な子どもと学校教育 http://homepage3.nifty.com/kazu-page/index.htm

■新規掲載・リンク
 *各年別の頁にも掲載・リンクされています。

◆2015/02/01 映画「風は生きよという」上映&シンポジウム

 ……
◆厚生労働省医薬局長→各都道府県知事 2001/03/27 「生命維持装置である人工呼吸器に関する医療事故防止対策について」,医薬発第248号 [PDF]
◆厚生労働省保険局医療課長・厚生労働省保険局歯科医療管理官 2010/03/05 「診療報酬の算定方法の一部改正に伴う実施上の留意事項について」 [PDF]
◆穏土 ちとせ 2011/07/01 「東日本大震災と障害者の医療・介護について――人工呼吸器をつけた子どもたちとともに歩む立場から」,『介護保険情報』136(社会保険研究所)
◆厚生労働省保険局医療課長・厚生労働省保険局歯科医療管理官 2010/03/05 「診療報酬の算定方法の一部改正に伴う実施上の留意事項について」 [PDF]
バクバクの会 抜粋・作成 2010 「在宅療養指導管理に関する通知」,「診療報酬の算定方法の一部改正に伴う実施上の留意事項について」(2010/03/05)をもとに作成 [PDF]
◆人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>→厚生労働大臣/保険局長 2010/12/27 「在宅療養、在宅移行支援について(要望)」
◆人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>→厚生労働大臣/医政局長/社会・援護局長 2010/12/27 「在宅で行っている「医療類似行為」(医療的ケア)を「生活支援行為」としてすべての介護者や教職員が実施できる体制整備を求める緊急要望書」

文献リスト

年表

■全文掲載文章

児玉 真美 2010/07/** 「英国NHSの介護者支援サイトCarers Direct」『介護保険情報』 2010年7月号
◆穏土 ちとせ 2010/09/23 「障害者制度改革推進会議の基本的考え方を踏まえた制度設計を!――医療的ケアが必要な人たちとともに歩む立場から」,障害者制度改革に関する地域フォーラム広島

■言及・引用

◆立岩 真也 1999/10/30 「資格職と専門性」,進藤雄三・黒田浩一郎編『医療社会学を学ぶ人のために』,世界思想社,pp.139-156

◆立岩 真也 2003/05/25 「『こんな夜更けにバナナかよ』」(医療と社会ブックガイド・27),『看護教育』44-05(2003-05):388-389(医学書院)

◆立岩 真也 2003/06/25 「『こんな夜更けにバナナかよ』・2」(医療と社会ブックガイド・28),『看護教育』44-06(2003-06):(医学書院)

◆立岩 真也 2010(2004) 「障害者運動・対・介護保険――2000〜2003」

 「今回の支援費制度への移行においては、日常生活支援と移動介護だけを行う事業者について介護福祉士を置くことは必須としないといったところで収まったが、さらに深刻な問題は、吸引等、いわゆる医療行為とされる行為を、その家族は毎日行っているのだが、派遣される介護者はできないとされるという問題である。それに対し、どんな事業者から提供される場合でも一定の技術を有する介護者なら行えることを制度として認めさせようという運動と、現在でも法的に禁じられているとは解せないのだから、この種の介護を行なう事業者がそれを積極的に引き受けていくという動きと、両方が起こった。ALSの患者団体による厚生労働大臣宛の署名を集める活動がなされ、ヘルパーによる行為の解釈について一定の前進を得るとともに、他の事業者がなかなか提供しようしないこの種の介護を切実に必要とする人・家族が、自ら事業者となり組織を運営し必要な介護を提供していくことを始めた。そこでは介護保険外の制度も最大限に使い、吸引等いわゆる「医療行為」を含むサービスが提供されている★07。」
「★07 [2002-2003]の途中(第4回)からALSの人たちのことについて書いた。書き直し書き足して2004年内に1冊の本(立岩[2004b])にする。」

◆立岩 真也 20041115 『ALS――不動の身体と息する機械』,医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940 [amazon][kinokuniya] ※ als.,
第10章 その先を生きること2
4―「医療行為」 312

 痰の吸引などが医療行為だとして、医師や看護師といった職種の人しか、「業」としては、それを行なってならないとされる。しかしALSの場合には頻繁に吸引を行なう必要があり、それは介助者の主要な仕事の一つである。ALSの場合、吸引を行なわない介助者はいる意味がない。
【472】 医師法《四章一七条の「医師でないものは医業をなしてはならない」を根拠に、ヘルパーの医療行為を禁止するなら、早急に、医療行為の必要な患者に対して医師を派遣せねばなりません。/厚生省にたずねると「吸引などは医療行為なので医師、看護婦以外が行なうのは違法」とのこと。[…]/人権侵害と言いたいのは、呼吸器を諦めて死んでいく七割の患者の人権はもとより、患者を家族に持っただけで介護を強いられ、睡眠さえ保証されない家族の人権です。/「家族がいるから介護人を派遣しない」「ヘルパーは派遣するが、吸引は家族がするように」だったら家族はいつ眠るのよー!》(橋本[1998c])
【473】 秦茂子[406]。《ALS患者は、二四時間そばにいる介護が必要で、しかも大変手がかかります。今のホームヘルパーによる短時間介護ではなく、少なくとも半日そばについてほしいと思います。そうしたら、家族は、勤めや学校を続けながら介護のローテーションが組めます。/そして吸引もしてほしいのです。吸引は看護婦さんしか出来ないという点に困っています。吸引は注射と違って誰でも出来ます。現に、我が家の娘も小学生の時からやっています。/患者のためを思って、誰がやってもいいことにしてほしいのです。》(秦・秦[1998])
 家族がいなくてもヘルパーによる吸引等の介助ができる体制がとられなければ、家族の負担の実質的な軽減にはなりようがない。日本ALS協会は《…いわゆる医療行為とされているものを在宅療養の場合は必須ケア行為として認め、講習等を受けた者であれば訪問介護者が行えるようにすることを求めます。》(「一九九九年度活動方針」、『JALSA』47:38)とした。
 現実に使われている制度としては、「医療行為」を行なえる看護職による訪問看護より訪問介助・介護の方がずっと長い時間使われていて(福永他[2002]、等)、その中で介助者たちは実際には「医療行為」を行なわざるをえないし、行なわないなら、利用者、そして家族が困る(家族は「業」としてこれを行なっていないので、「素人」であるのだが、許容されている。またヘルパーについては、「医療行為」を行なっているその行為を行なう瞬間だけ、それを「業」として行なっているのでないと解することにして、これまで行なわれてきた)。
 それに対して、訪問看護をもっと増やせばよいと看護者の側から反論されることがある。そこで、それは現実に無理だとか、対価が高くなりすぎると利用者は言い返すことになる。するとそれに対して、現状では困難だが、看護婦を増やすとか訪問看護ステーションを増やして対応すべきだと言い、対価については、介護の対価が安いのが問題で看護師が受け取る対価は正当な報酬だと看護職の側は返すことになる。
 まず必要のすべてを訪問看護で対応するという方向が今は現実的でないのは明らかである。次に今後についても現実的なものとして考えているか疑わしい。例えば山崎摩耶(日本看護協会常任理事)は訪問看護について、日本では総時間が少なく一回の時間が長い(といっても一時間半未満なのだが)傾向があるとし、滞在時間が短く総時間が長い欧米のシステムに比して「いまだシステムの成熟が望まれる段階」にあると「訪問看護の現状と未来」と題した講演で述べる(山崎[2001:15])。少なくともこの時、傍にずっと付き添い、頻繁な吸引を行なうといった形態は想定されていない(別のことも言っていることについては注★06)。この講演が掲載された雑誌の同じ号には、米国で訪問看護の派遣会社に研修に行った人たちの報告が掲載されている。その会社では日中一・五時間と夜間二三時から七時までの派遣を行なっている(松下・輪湖[2001a:10])。もちろんそれだけの料金を支払える人が使っているのであり、使えない人はそのことを考えて「延命」をやめているのがその国の実情なのだが、それでも長時間の派遣はある。
【474】 長岡紘司[450]の妻・長岡明美の文章から。《退院後に医療職の方々がかかわって下さり、洗髪などしていただきましたが、他人が家庭に来られるということに非常に緊張してしまい、気苦労で疲労困憊しました。それに、当初はケアしただけでお帰りになり、後始末、後片付けは私一人がやらねばならず、非常に負担となり、それで、極限に達してしまい、一時はお断りを口にしました。/しかし、皆さんがいろいろと検討して下さり、ケア後の洗濯や後片づけもナースや保健婦さんが全部して下さるようになり、定期的に医療行政に支えていただいています。》(長岡[1996:14])
 以上に対して、(たしかに長岡も述べているように)事態は以前より改善されていると言い、やはり長時間滞在の在宅看護を充実させていきたいと真剣に思っていると看護職の人たちが主張するとしよう。私は、どれほど真剣であるかはともかく、この職種の人たちがそう願っていること自体は看護の仕事が増えることは看護を仕事とする人にとってはよいことでもあるから、事実だと思う。しかし、まず問題は現状を今どうするかだと、やはり困っている人は言うだろう。そして、それ以前に、より基本的な問題がある。つまり、なぜ看護職で対応しなければならないのかである。以下、このことについて。
 原則的なことは簡単に言える。資格を定めるなどして、サービスなど財の提供を特定の人間に限定するのは、消費者の選択にまかせては十分に防ぐことのできない危険な質のわるい財の提供から消費者を守るためである。これ以外に正当な理由はない。立岩[1999c] で述べたことを短くして、説明しよう。
 たしかに誰もがその仕事をきちんと行なえるとは限らず、行なおうとするとは限らない。事故が起こり、利用者が害を被る可能性はある。ただ、その人が質のわるい財・サービスしか提供できないなら、その人から得るのをやめればすむ。つまり、消費者・利用者自らが選べばよい。しかしときにはこの直接選択の方法でうまくいかないことがある。例えば、よしあしがその消費の時点ではわからず、何年も経ってから重篤な副作用が現れるといったことがある。また死につながるような事故が起こってしまってからではその人は文句も言えない。このような場合には、利用者の手に渡る前に、提供されるものが大丈夫なものかを調べ、一定の質以上のものを提供するようにするべきである。
 ある資格をもつ人以外に仕事をさせないことが正当化されるのはこうした場合であり、こうした場合だけである。ふぐを食べさせても人を死なせることのない調理技術をもった人だけにふぐの調理を許可するのは理に適っている。
 しかし同時に、資格によって供給を制限することは、その資格を有する人たちに有利に働く。他の人たちの参入を防ぎ、自分たちの仕事を確保し、ときには価格を高いところに維持するのに役に立つ。これは利用者に利益をもたらさず、誰から得るかを決めるのは得る人自身であると考えるなら、また仕事をすることを望んでおりまた仕事ができる人はその仕事をしてよいと考えるなら、正当性を主張することもできない。しかし実際には、資格による業務の独占には多くこの利害が絡んでおり、歴史的にもいくらもそのようなことがあったし、現在もなくなっていない。
 次に消費者保護と供給者の権益の維持、このいずれが資格による業務の制限により強く絡んでいるのかはときに微妙である。権益を維持したい側にしても、そのことを正直に言えば支持は得られない。品質保持のため、消費者保護のため、資格による制限が必要だと主張することもある。他方、基本的に参入の自由、消費者の選択が支持されるとしても、それが無制限に認められることにはならない。例えば自由化がもっぱら価格の低下だけのために支持されることがあるが、働く側は常に無制限にそれを受け入れねばならないか。いわゆる自由競争で決まる価格をそのまま正当と考えないのであれば、この指摘も検討すべきではある。
 だからこの問題はそれなりに微妙ではあり、検証を要する。ただいわゆる医療行為の問題に限れば、今までの事態をどう説明するかとは別に、どうすべきかについての判断は簡単である。この仕事を医療・看護職が独占しなければならない理由はない。それらの資格を取得していなければ、この仕事をきちんと行なうことができないとは言えないのである。それらの資格を取得することによってのみ、この仕事の安全性が確保できるとは言えないのである。従来、医療行為としてなされてきたことの一部は、一定の条件のもとで医療・看護の資格を有する人以外の人も行なえるようにすべきである。質を確保するための工夫は必要だろう。しかしそれが働きたい人、働いてもらいたい人の参入を拒むことになってはよくない。質を保ちながら同時に開放的なやり方を見つけていくことである。
 日本ALS協会は国会、政府に働きかけた。二〇〇一年八月には参議院議長に議員が質問書を提出する。それに対して、九月、政府から吸引行為は「原則として医行為に該当」とする答弁書が示される(『JALSA』54:21-24)。これを、実際には行なってきていた行為を適法ではないとする見解をわざわざ出させてしまった、利口な戦術ではなかったと後に振り返る人もいる。
 次に医療行為とされるものについて不合理な制限をなくすための署名活動が行なわれた。二〇〇二年一一月、一七万人分の署名とともに厚生労働大臣に要望書が提出される。大臣は「前向きの姿勢」を示し、検討会を発足させて検討させると述べた。二〇〇三年二月から「看護師等によるALS患者の在宅療養支援に関する分科会」が始まり、五月までに八回の検討委員会がもたれた。結果、吸引行為は許容されることになった。しかし許容されるのはALSの人に対する場合に限られ、そして許容される行為は吸引に限られ、またヘルパーの「業」としては認めないものだった。
 なぜ当然の方向に事態は運ばなかったのか。この分科会の名称自体がその後を予示していたとも言える。どのような経緯でこの委員会の名称や形態が決まったのか知らないが、あらかじめ「看護師等による」とされ、「ALS患者の」と、限定されている。
 この度のことについては医師の側に特別の利害はない。ALSの人を自分たちのところに囲ってしまうことが病院にとっての利益になるわけでないことは前に述べた。日本神経学会は条件付きでヘルパーにも認めるべきだとの意見書を出し、ALS協会はそれにお礼の文書を出す(『難病と在宅ケア』2003-5:77)。現状を知る医師は患者会の側からの制度改革のための運動を期待する(駒形[2001:5] 等)。
 ただ看護師の側――個々の看護師というより、その人たちの組織、あるいは人・組織を代表するとされる人たち――が、いかにこの仕事が素人にまかせられない危険なものであるのか、自分たちにしかできないことであるかを強く主張することになった。むろんALSの人たちはそれに反論はした(私のホームページ中、「ALS・二〇〇三」に掲載)。この分科会が開始される時点で、あるいはその途中でも、ALSや他の病・障害の人たちが自らの立場から一歩も引かない態度をさらにもっとはっきりさせるなら、議論の過程と結果はあるいは変わったかもしれない。しかしALSの人たちはそれほど強硬な態度をとることはなかった。
 看護職の人たち、研究者たちがまずALSの人たちに関わり、援助してきたという経緯もある([293]、本章★07参照)。そしてALSの人たちにはたしかに医療的ケアが必要なことがある。看護師の人たちの協力、在宅の人であれば在宅看護、入院している人であれば病院での看護は必要なものではある。そして、看護職の人たちでなければできない仕事ではなくても、他にその仕事をする人がいなければ、看護職の人たちに頼らざるをえない。だから、その人たちは味方でいてほしい、正面からその主張に反論することが難しいといった事情があったということかもしれない。
 それでも決定された方針は限られた部分ではいくらかの前進ではあった。さらに、この仕事を担える人を増やし、その人たちによる介助を増やす方向に進めていくことができる。
 これまでも、もちろん家族は毎日この仕事を行なってきたのだが、それ以外の医療従事者でない人によってもなされてこなかったのではない。例えば自立生活センターの幾つかは実際に派遣を行なってきた。ただ多くの組織がためらってきた。それが、ALSの人たちの吸引に限定された中途半端な形ではあるが認められることになり、いくらかは前向きになる部分は出てきたのだが、それでもためらい、応じないことが多い。そしてその分、訪問看護への依存は続くことにもなる。そこで、ALSの人を受け入れる組織を探して利用しようとするのだが、それがなかなか難しい状態が続いてきた。
 だから、既存の組織がしようとしないなら、むしろ自分たちで行なってしまうこと、自分たちで供給組織を作ってしまうことである。これは非現実的に思えるかもしれないが、そうでもない。そこで自分たちが信頼できる介助者を養成し、その人たちがその組織に属するようにすることである。
 介護保険の制度においても、事業者になることは比較的容易にできる。また支援費の制度においても容易である。利益をあげることが目的ではないのだから、これまで他の事業者が対応しようとしてこなかった「医療行為」の提供が必要な対象者に絞って介助サービスを提供していくことができる。その仕事を行なう介助者に技術を教えることもできる。そして既にその事業は始まっている(さくら会[1999-])。それを拡大していくこと、うまく運営していくこと、そのことによってこの仕事の担い手を医療・看護職に限る必要のないことを具体的に示しながら、必要を充足していくことが基本的な道筋になる★06。

 医療者と患者(会)との関係はときに微妙である。患者会の場合、例えば血友病であれば血友病の専門の医療機関や医療者がいて、そこに通ってくる患者やその関係者がそのまわりに患者会が形成され、製薬会社が資金や人の援助を行なうというかたちがあった。しかし時にその利害が一致しない場合がある。例えば薬害HIV事件では医療者や製薬会社は加害者となった。患者の側が供給者側に抗して自らを主張せざるをえない時にはこうした共存あるいは依存関係が負に作用することがあり、その形が壊れる場合がある。
 このようなことはALSの場合には起こってこなかった。ALSの人たちは一貫して医療者との関係を保ってきた。
 それは一つに、原因究明と治療法の開発が大きな関心事であったからである。医療者、医学者は切実な希望と大きな期待の宛先であってきた。次に、ALSそのものはなおらない間も医療が必要な場面はある。さらに、本来は別の場や人たちでもよい、むしろ別の方がよいかもしれないが、病院や医療者以外には必要なものを供給する場・人がないなら、それを使わざるをえないという事情がある。こうした事情を抱えながら、このたびの出来事は、利用者と供給者との間に潜在的には常に存在する緊張関係を表面化させた。あるいは表面化させる手前のところまで来た。
 「医療化」という言葉があり、例えば医療社会学という領域ではこの言葉はあまりよい意味では使われないことを第2章で記した。医療が入ってこなくてよい領域にまで医療が侵入してきてしまうといった意味合いがあり、少なくともあらかじめ肯定的な意味が付されたりはしない。他方、ALSの人たちは治療法が見出されることを切実に求めている。ALSから脱すること、なおることはもっとも大きな希望だから当然ではある。ALS協会の総会やその支部の総会など、患者が集まる場では多く医師の講演があり、医療についての情報が提供される。話の細部がわかるにせよわからないにせよ、希望が語られるなら、それを聞く意味はある。ただ、それはそれとして、他にもすべきことがいくつかあった。すぐにはなおる方法がない中で、今日明日生きていくときに必要なのは、そのために必要な資源である。ここでは医療が関わる場面は限られている。生活のための資源をどうやって得るか。結果論かもしれないが、その方に力を注いだ方が長く楽に生きられたはずだ。このことも第2章で述べた。
 次に、医療そして看護から得ているものがあるために、独立した立場をとりにくいことがある。その中には必ずしも医療職・看護職の人から得なくともよいものがあるのだが、社会の仕組みによって他から得ることができないために、医療・看護に依存せざるをえなかったものもある。病院にいる必要がなく、積極的にいたいとも思わない場合でも、病院にいる限りは生きていることができ、そして病院の側にはその人たちを病院に引き止めたい誘因がない場合には、なんとかお願いしてそこにいさせてもらうという関係になる。また在宅で暮らす場合にも訪問看護などの利用はある。
 以上のような事情で、医療の供給側に対してそう強くなれない場合がある。第9章1節にあげた事故への対応にもこうした事情は働きうる。生殺与奪を握られている以上、医療側とことをかまえるのは好ましくない。医療機関にも様々あり、医療者にも様々な人がいる★07。理解があり協力的な人もいるが、そうでない人もいる。しかし問題のある部分に対して強い指摘を行なうことはこれまでなされてはこなかった。距離をとった方がよいのだが、やはりこれまでの経緯、制度の仕組みのために、独立性を保つことができないために、事態がなかなか変わってこなかった部分がある。けれどもいくらか変わってきてはいるし、さらに変わっていくはずである。

★06―この主題については、単行書として民間病院問題研究所[2000]、篠崎編[2002](ALSに関して熊本[2002])。大平・野崎[2004]でもふれられている。雑誌特集に『難病と在宅ケア』2003-8の――看護職の側の主張とその吟味がないために問題の本体が明らかにされているかについては疑問の残る――特集「これが本当の吸引問題だ!」(石川[2003b]、蜂巣[2003]、河西[2003] 等を掲載)。他に吸引等を「医療行為」とするのに反対の立場から中村記久子[2004]、等。日本看護協会はこの年の終わりに「ALS患者の在宅療養支援三か年計画」(日本看護協会[2003])を発表。日本看護協会を代表して分科会の委員をつとめ、さきに別の講演を紹介した山崎摩耶は、二四時間三六五日在宅ケアを目指すとするこの計画を紹介し、その分科会を振り返り、《今回のこの問題を訪問看護の追い風にしたい、と心から思った。本当に今が勝負時なのである。》(山崎[2003:952])と述べる。
 二〇〇三年のいったんの決定後に事態がどのように変わっているのか、あるいは変わっていないのか、調べて今後のことを考えていく必要がある。そして学校に通ったりする子たちについてもこの制約は深刻な問題である。民間組織として「人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)」等があり機関誌『バクバク』を発行している。子どもの医療的ケアについての本として藤岡[1999]、下川編[2000]、小西・高田・杉本編[2001]、等。
★07―これまでにもその文章をいくつか引用してきたが、今井尚志、近藤清彦、佐藤猛、林秀明、吉野英といった医師たちがいて、熱心に支援に関わってきた。また既に一九七〇年代から川村佐和子、木下安子といった保健・看護職の人たちがALSの人に深く関わり、ALS協会等にも協力してきた。そして、スモン病、新潟水俣病の原因を特定した人である椿忠雄(都立神経病院院長の後、新潟大学神経内科教授)がALS協会の創設などにも協力した恩人として記憶されている(現在入手できる編書としては椿他[1987]、遺稿集があるが未見。椿の新潟水俣病への対応に批判的に言及しているものとして宇井[1999]、椿の死の後のALSの困難に短くだがふれた文章として林[2003])。こうした人々の業績、言説を跡付ける必要もあるが、本書ではその作業はまったくできていない。一九七〇年代から一九八〇年代のALSの人たちやその関係者、ALS協会の足取りは、今後の研究によって明らかになるだろう。


*このファイルは文部省科学研究費補助金を受けてなされている研究(基盤(C)・課題番号12610172)のための資料の一部でもあります(〜2004.3)。

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