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障害者自立支援 法、

最初っからやり直すべし


「障害者自立支援法」2005/ ★関連集会/ ★意見書・要望書・等
社説・等/ ★法案等/ ★政党
★障害者自立支援法、最初っからやり直すべし!/ ★6月〜
「障害者自立支援法」2005をまずご覧ください。


立岩 真也+小林 勇人 編 200509
『<障害者自立支援法案>関連資料』
<分配と支援の未来>刊行委員会,134p. 1000円+送料


今度の法案は、提出に至る過程にも、中身にも、問題が多く、大きい。
法案をいったん取り下げ、
制度の利用者の意見をきちんと聞いて、最初から作りなおすべきである。


「障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動」実行委員会
 http://www.j-il.jp/jil.files/daikoudou/daikoudou_top.htm
◆「論点整理表 障害者自立支援法は問題点がてんこもり!」(20050424)
 http://www.j-il.jp/jil.files/daikoudou/siryou/ronten.html

障害者自立支援法案(テキスト・ファイル版)
 http://www.geocities.jp/project32c/houan_jiritsushien.txt
障害者自立支援法要綱
 http://www.dpi-japan.org/3issues/3-1shienhi/gd04/05yokoan.pdf
障害者自立支援法案について(厚生労働省のHP)
 http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/02/tp0214-1.html
1月25日社保審・障害者部会報告
 http://www.dpi-japan.org/3issues/3-1shienhi/gd04/gd005.htm

「改革のポイントとそれぞれの問題点」inDPI日本会議のHP
 http://www.dpi-japan.org/3issues/3-1shienhi/gd04/gd003.htm
尾上 浩二 2005/04/02 「『”障害者自立支援”法案』何が問題なのか」
 障害学研究会関東部会 第44回研究会
杉本 章 2005 「「自立支援」を騙る「自立阻害」法」
 『拓人(たくと)・きり拓くひとびと』第79号(特定非営利活動法人「被災地障害者センター」)
 http://www.matsuoka-toru.jp/topics/050414-2.html
2005/04/19 「自立支援法の課題――福島智東大助教授に聞く 「応益負担の発想に疑問 審査会には障害者を加えよ」」  『朝日新聞』2005/04/19
 http://www.eft.gr.jp/enough/resource/050419hukushima.htm
2005/04/25 「障害者自立支援法は問題がてんこもり! 論点整理表(ルビなし) WORD85.7K
 http://www.eft.gr.jp/enough/resource/050425jirituronten.doc
2005/04/25 「障害者自立支援法は問題がてんこもり! 論点整理表(ルビ付) WORD379K
 http://www.eft.gr.jp/enough/resource/050425jirituronten-rubi.doc
立岩 真也 2005/07/10 「障害者自立支援法、やり直すべし――にあたり、遠回りで即効性のないこと幾つか」
 『精神医療』39:26-33(批評社)[了:20050509]

精神科外来公費負担制度32条撤廃/存続
介助・介護(支援費制度/介護保険 …)2005

 

■やりなおした方がよいと考える人&言っておきたいこと(募集中)

意見・6月〜

朝霧 裕 2005/04 「今日、この日、たった今から、これを読むすべてのあなたへ」

佐野 卓志 2005/04/04 「障害者自立支援法についての声明文」

障害者自立支援法についての声明文

   呼びかけ人 統合失調症当事者 佐野卓志(ルーテル作業センタームゲン) 

  今回の法案は国が福祉の責任を放棄して、税金の再分配から、自己負担の保険で福祉をすまそうとするものです。福祉は生活保護だけにしたいようです。御存じのように障害者はみんな貧乏です。普通の人が働いて貯金をしてる間に、仕事があまりできず、貯金がないのです。ここが老人と全く違います。だから、介護保険との統合は前提で無理なのです。それに障害者の場合は老人と違って、親(介護者)の方が先に亡くなりますから、介護保険では、親亡き後の心配がつきまといます。この法案は本人の自己負担を増やして、金の無い、特に重度の(状態の)人から搾り取ろうとしています。本人が払えないなら家族が払えと言っています。これの何処が「自立支援」なのでしょう?障害をもったことは本人の責任ではありません。普通の人のスタートラインまで引き上げることが果たしてサービスでしょうか?何故自己負担が発生するのでしょうか?
  とくに32条公費負担の廃止削減は問題です。よっぽど本人も家族も収入の無い人以外のうつ病の人は公費負担からはずれます。うつ病は大変自殺の多い病気です。公費負担からはずされると、ますます精神科からうつ病者の足が遠のき、自殺が増えると思います。今回はずされた神経症でも自殺念慮のある人は多いです。厚生労働省は自殺が増えてだれが責任をとるのでしょう?また所得証明を確認する手続きの煩雑さを1年ごとに障害者に強いることは、ますます公費負担の敷居が高くなるでしょう。精神障害者全般にわたる唯一の福祉の役割を担ってきた32条の根本的破壊です。
  住む場所(グループホームなど)の障害の重さ別の分類も問題です。これはひと昔前に精神病棟で機能別分類を実験して失敗ましたね。病者は特に居場所が大切です。今症状の落ち着いてる環境から切り離して分類して、遠くの新しい環境に住むよう強制するのは症状の悪化を招くだけです。定員を増やすことも地域から隔離されたミニ施設になり、ホームヘルパーもガイドヘルパーも使えません。そして判定による引っ越しの強制は憲法の生活権の侵害です。
  作業所も国の補助金が切られます。自治体が資金不足を理由に右にならえをしたら、どうするつもりでしょうか?少なすぎる社会資源を増やして、72000人の社会的入院の解消する時なのに、これ以上、貴重な社会資源である作業所を圧迫してどうするつもりなのでしょうか?厚生労働省はアメリカのように入院患者のホームレス化をおし進めるつもりだとしか思えません。
  授産施設も下手すると利用者の賃金より利用料のほうが高くなって、金を払って働かないといけなくなる可能性があります。これが仕事と言えるのでしょうか?就労を軸とする昼間の居場所の再編による就労圧力は、病状悪化を招くだけでしょう。
  この法案には反対です。成立するようなら、年金改革で障害年金を上げることを要求します。そうでなければ、障害者は生活していけません。この国も金のない障害者の懐を当てにするようになったら本当に情けないことです。
  3障害の法的統合に反対するものではありませんが、まず統合有りきで3障害の違いとか十分な議論がなされたでしょうか?きめの細かい違いや介護やサポートの必要度の議論を積み重ねた上で、障害の特色を生かした統合、軽度にも細やかな配慮の行き届いた統合がなされるべきで、今のような拙速な統合は混乱を招くだけだと考えます。グランドデザインと銘打つなら当事者を含めた議論を時間をかけて十分に尽くすべきで、決して急ぐことの無いよう要求します。

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緊急に呼びかけます。

ルーテル作業センタームゲン 佐野卓志

  障害者自立支援法がいよいよ国会で審議されようとしています。これはおかしい、このままだと大変だと思われてる人たち。この「障害者自立支援法についての声明文」に賛同してください。
  賛同人をとりまとめて、声明文と一緒に出来る限りの国会議員にメールで送りたいと思います。厚生労働省には内容証明で送付したいと思います。
  賛同できる方はルーテル作業センタームゲンの佐野卓志まで名前、所属、役職などをメールやファックスなどでお知らせください。身の回りの病者にも聞いてみてください。
  賛同される方は実名の公表の可否。所属の団体名、役職などの公表の可否(所属や役職の無い方は書かなくてかまいません)、病者であるかないか、を教えてください。公表できない人は「他1名」などと加えます。

ルーテル作業センタームゲン
メールアドレス mugen@joy.ocn.ne.jp

長野 英子 2005/03/14

「精神科外来公費負担制度32条撤廃と心神喪失者等医療観察法」

高岡 正(全国難聴者・中途失聴者団体連合会(全難聴)理事長) 2005/03/06

「自立支援法に反対し、中途失聴。難聴者の要望の実現に向けて――高岡理事長のメッセージ」
http://zennanjimukyoku.269g.net/article/86626.html

田中 邦夫(中途失聴者)

おけい 2005/03/06〜「公費負担制度が廃止!?」〜

『うつ病の生活』http://www4.diary.ne.jp/user/420509

難病をもつ人の地域自立生活を確立する会 2005/03

「支給決定プロセスの不透明化が障害者自立支援法では進む!」

七瀬 タロウ(精神障害者) 2005/02/19 03/05

「障害者自立支援法案ー精神障害者からみた疑問」
http://www.janjan.jp/living/0503/0503054282/1.php

 私自身は、現在二つの動きが、様々な局面で、同時進行して
いる時代だと考えている。国家に関していうと、脱国家化と国
家的意志の再統合化。その中で、脱「再分配」福祉国家化と「
国家財政」の効率原理による再編が今回起きている根本事態だ
と思う。
 福祉国家(社会的国家)が、経済成長と再分配によって、正
統性を調達してきたのだとすれば、新自由主義国家は、成長な
き状況下での利潤を求めて、効率化が、至上命題となる。その
上で、「保険原理」というのは、原理的に「収支均等の法則」
が、民間保険も含めて、はたらく仕組み(基本的に、赤字にな
れば、保険料を値上げすればよい)なので、非常に、市場主義
的効率化になじみやすい。
 無論「公的保険」と「私的保険」の守備範囲も制度も、国に
よって様々であるが、各種保険制度の導入を「自助努力主義」
と位置づけて、憲法25条で規定された国家の公的責任の放棄
と批判する立場以外の観点からみても、現在日本で起きようと
している事態は、完全に自己破綻しており、将来への展望も全
くない。
 まず、「障害者」は、日本社会において、いわゆる「自助努
力」をしたくても、各種バリアーがあって、社会資源を利用し
ての、社会参加が難しい。このバリアーを解消するための介助
であり支援費制度であったはずである。バリアーを国家の責任
で、解消せずに、「自助努力せよ」というのは、はなはだしい
矛盾である。 
 その、矛盾が一番はっきりと見えるのは、今回のグランドデ
ザイン案で、作業所における、「福祉的就労」が、法定雇用率
に組み込まれるようになったことだ(しかも、作業所の利用に
1割負担が強いられる。お金を払って、「働く」仕組み!)。
最低賃金法等労働基準法を満たしていないどころか、収入より
支出の方が多い「労働」を労働と呼べるのか?「自助努力精神
」さえ身につかないであろう。このような制度は他国に存在す
るのだろうか?あえて、「自助努力論」にのって議論してみた
が、応益負担制度は、社会的資源にアクセスするのに、何故障
害者だけが、自分の責任ではないのに、「応益」と言うことで
、費用を負担しなくてはならないの、かと言う原理的な問題と
同時に、具体的に自己矛盾した結果さえ招くことを、まずは主
張したい。
 そして各種負担増は、結局は家族にしわ寄せがくるはずなの
だが、精神の家族の全国団体は、介護保険統合にも、32条廃
止にも反対しない。何故か。それは、確かに、家庭に、精神障
害者を「抱えている」、親(家族)にとっては、介護保険で1
割負担しても、確かに負担が軽くなる面もあるからだ。しかし
、本人の「自立」と言う理念から見れば大幅な後退であろう。
 32条に関して言えば、将来的には3割負担になるのだが、
その方が誇りを持って、医療が受けられると、各地の家族会を
説得して回っている、謎の人物がおられる。
 もし精神障害者に一般の人並みの所得が保障されているのな
ら、それも苦しいながらも一理あるかもしれない。
しかし、結局家族が負担するだけである。あるいは、治療中断
も当然起きるだろう。そして病気の再発、再入院。結果的に医
療費だって、トータルに見て高くつきかねないのではないか?
 精神障害者にとっては、それ以外の面(グループホームの機
能分化等)も含めて、空前絶後の大改悪であり、さらに生活保
護の基準の見直し等も今後予定されている。いくら財政状況が
厳しいと言っても、やってよいこととやってはいけないことが
あることぐらいの見識はこの国にはないのだろうか。
 古典的な表現で大変恐縮であるが、ここ数年は世界的に見て
「反動局面」であろう。アメリカでも精神障害者予算の削減等
メールでいろいろ伝わってくる。しかし、こんな無茶がいつま
でも続くはずはない。
 ここは、ひとつ踏ん張りどころだと思う。

斉藤利香・知的障害児の母 2005/02/26

難しい事は私も正直解りません。でも、単純に疑問なんです。
厚生労働省のホームページの障害保健福祉部には 「ノーマライゼーション」の理念に基づき、障害者の自立と社会参加の促進を図っています。 」と書かれています。
ノーマライゼーションについて、提唱者バンク・ミケルセン氏はこのように言っています。
「ノーマライゼーションは難しく考えることはなく、自分がその立場に立った時どうしてほしいかを考えさえすれば、自然と答えは出てきます」
今本当にノーマライゼーションを進めようとしているのか、しつこいようですが単純に疑問なのです。

療護施設自治会全国ネットワーク(自治会ネット) 2005/01/29

「「グランドデザイン」の施設利用者の自己負担に関する要望」(厚生労働省への要望書)
http://homepage3.nifty.com/-net-/GrandD/Yobo0126.pdf

小峰 和守 2004/12/22

「看過できないグランドデザインの利用者負担」
自治会ネット機関誌『あした』 http://homepage3.nifty.com/-net-/GrandD/gd_opi.htm

市野川 容孝(東京大学教員/社会学) 2005/02/17 02/24文書掲載

  私たちの社会は、バリアに満ちている。残念ながら、それが現状である。例えば、障害や疾患ゆえに、立って歩くことのできない人、いや立って歩く生活をしない人は、さまざまなバリアに直面している。このバリアは、もしすべての人が、直立歩行をしない人と同じ生活をするようになれば、相当に解消されうるだろう。しかし、そうはならず、私たちの社会は依然として、直立歩行をする人びとに合わせ、この人びとを優遇する社会なのである。
  この意味で、私たちの社会は、常にすでに偏向している。だが、この偏向にもかかわらず、いやこの偏向ゆえにこそ、なされるべきことは、例えば、直立歩行をしない人びとが、この社会にきちんと参画できるよう、必要な「支援」を提供することである。
  しかも、この支援を提供する責務は、社会の側にある。もっと言えば、直立歩行をする人びとにあるのであって、直立歩行をしない人びとにはない。なぜなら、第一に、こうした社会の偏向は、直立歩行者が生み出し、また維持しているのであって、直立歩行をしない人びとが作り出しているわけではないからである。第二に、直立歩行をしない人びとが、そうなる原因となった疾患や障害もまた、その人びとの責任ではないからである。アメリカの社会学者、タルコット・パーソンズが、その「病人役割」論で示したように、社会は、疾患や障害をもつ人びとが、その身体の状態に「責任がある」と見なしてはならず、その逆に、疾患や障害は「その人のせいではない」と見なさなければならない。
  障害をもつ人びとのための「自立支援」と称されるものは、そもそも、自分たちが望んだわけでも、責任があるわけでもない、このようなバリアに満ち、偏向した社会に、それでも障害をもつ人びとが参画してもらうための支援を言うのである。
 2005年2月10日に日本の国会に提出された「障害者自立支援法案」は、「支援」の意味をはき違えている。はき違えているがゆえに、「自己負担1割」という原則が盛り込まれているのであり、「支援」の意味を、上のようなものとして理解しているのならば、「自己負担ゼロ」こそが、正しい提案である。
  厚生労働省は、支援費制度の財政難を理由に、この自己負担原則を正当化しているが、さらにそこには、障害をもつ人びとに対する公的介助保障制度を、介護保険と統合するという意図が見てとれる。自己負担「1割」という数字が、そのことを如実に物語っている。
  だが、ここであらためて確認すべきなのは、介護保険で発足当時に導入された「自己負担1割」という原則が、そもそも間違いであり、決して自明のものではないということである。その証拠に、ドイツの介護保険は、自己負担ゼロが原則である。社会保険方式であれ、財源を税とする場合であれ、サービス支給が妥当と認められた場合には、受給者本人には原則として自己負担を求めないという選択は十分、可能であり、しかも、上の「支援」の理念に照らせば、より正しい選択である。
  「支援」のためには、その財源が必要である。支援費制度を当面、維持するならば、その財源は税である。この税を、国民からどれほど徴収し、それをどのような事業に振り向けるかを最終的に決定するのは、行政府(厚生労働省)ではない。国会であり、国会議員であり、さらに言えば、国会議員を選出している国民一人一人である。「障害者自立支援法案」は、その第3条で、「すべての国民は、その障害の有無にかかわらず、障害者等が有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活又は社会生活を営めるような地域社会の実現に協力するよう努めなければならない」と記している。「障害の有無にかかわらず」としている点で、つまり、障害をもたない人びともまた、障害をもつ人びとのための支援に責任があるとした点で、この第3条は評価できるが、この原則をさらに徹底させ、上の「支援」の理念から当然、導出されるはずの「自己負担ゼロ」原則を実現できるよう、財源確保と合意形成を押し進めていくべきだろう。しかし、その責務は、繰り返しになるが、国会と国会議員と、有権者一人一人に課せられているのである。

岡部 耕典 2005/02/22

「真のパラダイム転換/ポスト基礎構造改革のために」
http://www.eft.gr.jp/enough/resource/050222pradigmchange.htm

小山田 悠(先天性心臓病者) 2005/02/21

生まれた時からこの身体、心臓の機能が劣っていても
当然のように健康な人のペースの中で過ごしている。
常に過労の状態だから、過労と感じることがなく、
動作はできるから、健康な人に違いを気づかれず、
何よりも健康な人と同じようにしていたいから、
支援を受けることを、本人も周囲も思いつかない。
そしていつしか、人並みに動けなくなり、
このままではいられないと、問題が明らかになってくる。
時に思いがけないほどの勢いで進む体調悪化、
そこで速やかに支援が受けられなければ、
社会制度の不備で起きる過労死に至る。

重い心臓病で生まれる私たちの
命を救う手術ができるようになり、30年ほど。
自分でもなかなか認識できない障害、
長い付き合いの医師でさえ、
日常の困難さを詳しくはご存知ない。
手探りの中、ようやく
自分の身体を、自身の必要な支援を
自覚できるようになってきた。
年齢を重ねるほど、問題もでてくるだろう。
だから一方的に、制度をまとめないでください。

必要な支援が得られれば、安定して働ける、
体調のいい状態で過ごせるようになる。
体調が悪ければ足手まといになるけれど、
よければ、周囲の人たちの力にもなれる。
命を生かす技術があって、生きていられるけれど、
社会的に生かす術が乏しければ、暮してはいかれない。
命を生かす技術を持つ方(医療関係者)とは関係が続き、
これからも影響し合うけれど、
社会的に生かすシステムをつくる方々は、どうですか?
どうか、障害や病気のある人たちと真剣に付き合ってください。

鶴田 雅英(大田福祉工場勤務) 2004/02/20

笠原真帆 2005/02/19

「障害者」の「自立」を「支援」する、というこの法律。中身のことはおおまかにし
か分からないけれど、そんなわたしでも一番大事なことは、分かる。

これだけ多くの障害当事者たちが「反対」の「声」をあげているんだもの、これは間
違いなく、何かが、おかしい。何かがうまくないはずだ!ど素人のわたしにだって、
それくらいのことは分かる。(だってそう考える方が普通じゃない?!)

とりあえず「障害」というレッテルを貼られず、「障害者」と呼ばれるカテゴリーに
社会から位置づけられていない今のわたしにできること。主にそういう人たちで構成
されている今の政府にできること。それは、まず、自分たちに与えられた「特権」と
「力」を素直に認め、それを、そういう力をもつことをこれまで奪われてきた人たち
に「返還」すること、これまでもち得てきた「力」に固執しない・手放す勇気をもつ
こと、だと思う。

あなたたちの「自立」を「支援」したいんです。そう語りながら、そういう政策を作
りたいんだと言いながら、その政策自体を、当人たちの手の届かない・声に耳をふさ
いだところで勝手に決めちゃうなんて、ちゃんちゃらおかしくて涙が出てくる。わた
しは「人」が好きだから、「人」への希望を捨てたくないから、だから、そういう、
あやふやにつじつまが合わないままどこかごまかしたような嘘を含んだような動きの
中で、「人」が「人」のことを勝手に決めていいんだ、というような雰囲気に、どう
しようもない焦りを感じる。わたしもいつか、誰かに決められる立場になっちゃうん
じゃないか、あるいは誰かのことを決めちゃう立場になっちゃうんじゃないか、そし
ていつか、自分のことを、「人」のことを、好きでいることをあきらめなくちゃいけ
なくなっちゃうんじゃないか、って。

「障害者」と呼ばれないわたしには、「障害者」のことは分からない。「障害者施
策」の直接的影響の下で生きていないわたしには、「障害者」のことは分からない。
人同士として分かり合えることはもちろんたくさんあるけれど、でも、今、「障害者
施策」を考えるうえで大事なことは、わたしには分かり得ないところがたくさんある
んだ、というところを、素直に認めることだと思う。

そしてこの気づきは、人のことが知りたくて分かりたくて、分かった気になりたがり
屋さんのわたしにとっても、簡単じゃないニュース。でも、「わたしには分からない
ことがあるんだ。」「分かれないことがあるんだ。」そこを真摯に認めるからこそ、
「あなたの意見を聞かせて欲しい。」「あなたに決めて欲しい。」っていう勇気と言
葉が生まれ得るんだと思う。

「政治」という言葉でごまかしてほしくない。「残念だけど、世の中ってそういうも
んなんだよ。」なんて陳腐な言葉を吐く前に、「そういうもん。」と決め付けてる自
分の言葉と思い込みと、そしてそういう言葉を吐かせている立場・社会・歴史・仕組
みと、しっかり向き直って、闘って欲しい。

今本 弓子 2005/02/19

どんどん「助けて!!」という言葉が重い意味を持つ時代になっています。
「助けてくれ」とは言ったけど、「いじめてくれ」とは言っていないのに・・・。
すべての人ができる範囲で隣の困っている誰かの声に耳を傾けたら、
それだけでも結構どうにかなってくるものかもしれないのに・・・。

助ける人、助けられる人、役回りは決め付けられて、結局、
助けられる人は助ける人にはなれないし、
助ける人は助けられる人にはなれないし。
優しい人は馬鹿な人。
他人と手をつないでも得はない。
そう言われているみたい。

街を歩いていて、障害を持っている人に全く出逢わない社会を
障害を持っている人と全く関わりのない人々はどう感じるんだろう。
私は気持ち悪い気がするけど。
いろんな人がこの世で生きている
それが自然だから。
でもそうなっちゃうの・・・かな・・・

李 国本 修慈(NPO法人地域生活を考えよーかい・こうのいけスペース) 2005/02/18
 http://www.kangaeyo-kai.net/kanngaeyokai/kan050218.html
 http://www.kangaeyo-kai.net/kanngaeyokai/kan050218_2.html

豊田 正弘 2005/02/18

斉藤 龍一郎((特活)アフリカ日本協議会(AJF)事務局) 2005/02/18

収入の不安がなくなれば、将来への不安が小さくなれば、もっと消費が増えて
経済が活性化する、と言う人がいる。北欧諸国では、社会保障制度への信頼・
安心感が高いので、今の生活を切り詰めて将来のために貯金をしたりしないそ
うだ。
支援費を始め、障害者の生活を支えるために支出されるお金は、雇用創出や消
費拡大に直接つながってきた。お金も物も持っている人たちの消費はたいして
増えないから、障害者の生活を支える支出をちょっと増やせば経済的な効果は
ますます大きくなるだろう。
障害者の要求に応えることのできる生活支援の仕組み、方法を作っていくこと
は、高齢者支援の強化につながってきたし、新しい産業の可能性もはらんでい
る。
経済学者も交えて、社会保障制度が日本の経済に及ぼしている影響、これから
の可能性も検討しながら、障害者支援政策を見直すべきだ。

田中 恵美子(日本女子大学大学院) 2005/02/18

自閉人こうもり or 蝙翔 武夜(へんしょう・たけや) 2005/02/18

1,障害枠を超えてセーフティー・ネットの確立が最重要

言うまでもなく、障害者支援とは障害のある当事者の生活を改善し、より
よく生きることをサポートすることである。そのためにまず最低限必要な
ことは当事者が生きていくために必要な生活費,支援を受けるための費
用を確保すること(経済的サポート)といじめ,虐待などの危害を加えられ
そうになっている当事者の安全を確保することが欠かせない。この2つの
サポートが行政レベルで行う支援の重要な柱であると考える。

前者の具体的な施策としては障害者雇用の促進,失業している当事者や
事情があって現時点では働ける条件のない当事者の生活手当ての充実
などが考えられる

後者の具体的な施策としてはいじめ,虐待を受けた当事者の緊急避難先
の確保,人権擁護の取り組み強化などが考えられる。

2,当事者が必要なサポートを「作り出せる」ようになるために

サポートの中身は当事者本人が決めていけることが望ましい。そのため
には、行政サイドが当事者サイドに助成金を出し、そのその助成金にも
ちよって当事者要なもの(支援スタッフの雇用,必要な団体や共済の設
立,その他の活動)を行っていけることが望ましい。

先に行政サイドによって入れ物(支援の制度,活動の内容,施設など)や
予算が何に使われるのかを決められてしまうのは好ましくない。必要な支
援とは当事者の必要によって自ずから決まってくるものである。

中田@身体障害者 2005/02/18

 支援費制度は2003年4月から導入された制度なので、わずか2年経つかどうという
制度のやり方を大きく変えるというから驚きである。変えないといけないほど見通し
の甘いことをしたのだから、さぞや素晴らしい代替案を用意したのかと思ったらそう
ではない。

 まず、名前が体をなしていない。「今後の障害保健福祉施策について(改革のグラ
ンドデザイン案)」という名だが全然グランドデザインになっていない。「障害のあ
る人びとが地域社会の一員として、個(個人)の尊重と私的な依存関係からの脱却を
図り、安心と安定を実感できる生活を確保すること」とうたわれているが、グランド
デザインというならば、地域社会の一員として生活を確保するための方策が包括的・
体系的に書かれていない。障害を持たない人からみれば、当たり前のことだと思うだ
ろうが、障害を持ってしまうと当然のことを当然のようにできなくなってしまう。
 この「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」を基にし
て作られ、国会に出されようとしている法律は「障害者自立支援法案」である。
 障害者は低所得者が少なからずいるので、支援費制度では収入が一定額以下の人か
ら取っていなかったが、この法案では1割負担をさせようとしている。重度の障害が
ある人ほどサービスが必要で活用する割合が大きいが、年収は非常に少ない。これで
はセイフティーネットとして機能不全である。このことを知った時、頭によぎったの
は時代劇の、不作で生活にも窮する「お百姓」さんから種もみまで年貢として取り立
てる武士の姿だった。
 「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」から「障害者
自立支援法案」ができあがっていく過程で当事者が参画できなかった。つまり「自分
のことは自分で決める」ことができていない。このようなことで、どうして「障害の
ある人びとが地域社会の一員として、個(個人)の尊重と私的な依存関係からの脱却
を図り、安心と安定を実感できる生活を確保すること」ができるのか。

 当事者である私たちに制度を作り直させ、社会の一員として参画させて欲しい。

桑澤@もぐもぐ 2005/02/18

私たちに必要なもの
移動の自由、暮らしの自由。
自分で決めることが出来る幸せ。
特に、お金を自分で好きなことに使える、というのは
大人になってやっと手にしたモノの一つだったりしています。
まだまだ経済的にも自立できているとは言い難いけど。
なんとか一人で立っていこうとしている。
自立をして行くにはお金がかかる、苦労も並大抵ではない、
だけどなにより楽しい。ということを知ったのも、
自己決定ということを学んだからに他ならないのです。

だけど、どうしてもできないことはある。
それを切り抜ける最後の手段として
「ヘルプ」がある。
けれども、それによりかかるのは自分のプライドが許さない。
だけど、倒れそうなときには支えがほしいのも事実。
こけたら簡単には立ち直れないのは経験済みだから。
いま、生きているだけでもお金がかかっているのはわかってる。
家賃と生活費を出したら残りはわずか。
これで自己負担が出たら、間違いなく赤字になる。

できないことをできるようにというのはどうして?
そりゃ、できたほうがいいかもしれないけど、
できないことがそんなにわるいことなのでしょうか。
あきらめているわけじゃなくて、努力はしている。
だけど出来ないことはだれにだってあるはず。

できることをしてはならないというのはなぜ?
個人の自由を専門家が決めるなんておかしいです。
心は見えないのに、私が必要としているものがなにか
あなたにはわかるのですか?
「自分のことは自分で決める」ことはそんなにいけないことですか?
ほしいモノは自分でみつけます。私がほしいのはそのお手伝いを
してくれるひと、もの。なのです。

私が障害者であるというのを知っていても、くらしの実情を
知らない人には「ずいぶんお金をもらってるんじゃないの?」
などと揶揄されるが、親が大病しているのもあり、生活費の大半は
医療費に消える。医療費が出来高払いなのはわかる。これは仕方がないことだ
けど。実際、家賃を払うと残りはほんのわずかだけどぎりぎりのところで生き
ている感じだったりする。もちろん親だって病気になりたくてなったわけでは
ない。
同じように、わたしだって障害者になりたくてなった訳じゃない。

話は変わるが祖父は介護保険を使っている。端から見ていて感じるのは
だけども給付を受けるモノは決まっているようだ、ということ。
はじめから給付を受けるモノが決まっているのに、なぜ、
“必要以上に給付を受けるのを防ぐ”ということがでてくるのか、
もぐにはわからない。そういう仕組みではないはずでしょう。

世の中のお年寄りにはお金持ちの人もいます。
だけど障害者でお金持ちの人というのはあまりきいたことがありません。
その多くはあまりお金を持っていないのではありませんか?

友達で精神障害の人がいる。その人にどういう支援を受けているか
聞いてみた。あまりの格差に驚いた。言葉が出なかった。
なんでも障害への支援をみな同じ水準にしたい、というのが
今回の法案の目的らしいのだというのはわかったんだけど、
“低い方にあわせる”のが本当の目論見だったのでしょうか?

今回の自立支援法というのはあちこちで「負担」、「負担」ということが
目につきますが、ざっと見ていく限りではサービスの拡張がなされているもの
ではないように思えます。
(視覚障害者の立場で言えば、細心の環境でないとPDFでの閲覧は困難だという
のに。
だれもが最新機種を使っているわけではないというのに厚生労働省はなにをし
ているのだ、
情報保障をまともにせずして可決するつもりか、いったいどうなのだ、と憤る
気持ちがわいてきています。)

「負担」を求めるうらには「長い時間を使っている人」が必要以上につかって
いるのではないかと
いうのをどこかで考えてはいませんか?
けどね、全身性障害の人などはどうしても時間は多くかかるのは目に見えて明
らか。1割といえど、障害年金の給付額を超えていることもあるのではないでし
ょうか。たとえば、息をするだけでお金がかかったり、私たちのように
必要なところに出かけるにしても健常な人ならお金がかからないところを
お金がかかったりと、必要以上にお金がかかるのはおかしいとは思いませんか?

それでは社会参加を促進するどころか、みんな尻込みするのではないでしょうか?
せっかく“支援費”制度のもとで自分のことを決められるようになってきたと
いうのに、
尻込みして家の中に閉じこめる法律だったらこまります。
いままでやってきたことが無になります。やめてください。
障碍を持つ人も持たない人も、みんなが支え合う社会にするには、なおのこと
まずは「スタートライン」を一緒にしてください。
お願いします。

本当に必要なところにお金をかけずにきて、無駄遣いした人たちには
何にも責任を問わずに流し、「生きること」に何倍もの努力をしている人たちに
対して「最後通牒」ということばをつきつけるのがこの
法律なら、この国はもう死んでいるといってもいいし、
その事実を看過する人を、私は許せない。私はそう思っています。

最後に、健常な国民の皆さん、そして当の政治家や官僚の皆さんが障害者にな
られたら、
どうなさるんでしょうか?その時になって自分たちで自分の首を絞めたことを
後悔するかもしれません。
それでもいいのですか?

山本真理(全国「精神病」者集団会員、世界精神医療ユーザーサバイバーネットワーク理事) 2005/02/18
 http://popup.tok2.com/home2/nagano2/

私たちに必要なものそれはたった二つ、権利主張と所得保障。
私の生活を作っていくために必要なものはこの二つだけ。
私たちの懐に直接入る金と自分なりのやり方を自分なりの暮らしを妨害されず
主張できること。

作業所もグループホームも、地域生活支援センター、そしてヘルパーも精神医療も
この二つを得る手段に過ぎない。

この二つを得ることに役立たない、むしろ妨害する施設もサービスも医療も
いらない。そんなものをつぶすためにも私たちの
懐に直接入る金とサービス選択権の実質的保障を。

できないことはできない、できることはできる。
できないことをできるようにと強制しないで。
できることをしてはならないと強制しないで。

できることをできるようにそっとお手伝いしてくれるサービスを
私は求める。

いやだと言える権利主張を。
こうしたいと言える権利主張を。
権利主張を支えるサービスを。

権利主張と所得保障のための法律でなければ要らない。
障害者自立支援法案は権利を侵害し、負担を増やす、
この二つを否定した法案です。

古瀬 敏(静岡文化芸術大学デザイン学部空間造形学科教員/建築安全計画、建築人間工学、
 建築環境心理学) 2005/02/17

立岩 真也(立命館大学大学院先端総合学術研究科教員/社会学) 2005/02/17
 cf.自己負担・供給の基準設定について
 cf.2005/04/00「「障害者自立支援法」?――知ってることは力になる・36」
  『こちら”ちくま”』43:[了:20050325]
 cf.2005/02/00「「グランドデザイン」について・1――知ってることは力になる・35」
 『こちら”ちくま”』42:[了:20050123]
 cf.2005/02/20 07:46 [jsds:10613] Re: 障害者自立支援法

土屋 貴志(大阪市立大学文学研究科教員、障害学会理事/哲学、倫理学) 2005/02/17
 http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/~tsuchiya/index.html

名月 かな@統合失調症者 2005/02/17

 ◎その1 2005/02/17 rev:02/18

障害者自立支援法案は
わたしたちにいちばん大切な
「自分のことは自分で決める」という柱を骨抜きにした
たいへん問題の多い法案です。
成立過程にも、法案全体にも
「わたしのことはわたしできめる」というより
「お前のことは専門家がいちばんよくわかっているから
専門家が判断してやる」というニュアンスが、そこここに感じ取れます。

障害者の生活には、たしかに支援がいろいろいりますが
どんな支援(サービス)を、どんな事業所(サービスを提供するところ)からうけるかは
そのひとそのひとがいままで決めてきました。
それが支援費制度というものです。

障害がないひとは、どんなサービスを誰からうけるか は自分で決めています。
(たとえば、どんな商品をどの店で買うか ということのように)
それこそ、空気のようにあたりまえにつかっている
「自分のことは自分で決める」です。

障害のあるひとも、そういうことを空気のようにあたりまえにやりたい
その思いをこの法案はふみにじっています。

この法案は
「身体・知的・精神 それぞれの障害への支援をみな同じ水準にしたい」という目的もかかげています。
精神障害者については、身体・知的障害者がうけてきた支援すらうけられなかった 
ということで、この目的を支持する声も多いです。

けれど、その「目的」が
いままで身体・知的障害者がうけてきた支援を
後退させる方向に利用されているのが実態です。
たいせつなのは、後退して一緒にすることではなく
精神障害者にも、いままでに身体・知的障害者がかちとってきた支援を保障する
いわば、引き上げて一緒にすることです。
精神障害者に対する支援の程度の低さを言い訳にして
障害者全体の支援を引き下げないでください。

わたしのことはわたしがきめる
障害者が長い間努力してうったえつづけてきたあたりまえのこと
それを支援費制度がまがりなりにもようやっと実現しようとしました。
お金うんぬんの問題だけで、それをこわさないでください。

 ◎その2 2005/02/17 rev:02/18

いま、障害者に対する支援費は、たしかに増えているようにみえます。
しかし、これにはおのずから上限があります。
なぜなら、障害者が人口に占める割合は、どの時代でも、どの社会でも
(戦争など人為的な要因でもない限り)つねにある範囲におさまっており、
障害者ひとりが一日に必要とする支援の時間は
どんなに多くても、24時間を超えないからです。

いま、費用が増えているのは
いままで必要なお金が障害者にかけられてこなかった証であり
財源が足りなくなっているのは
正確に予測せず、充分なお金を用意しなかったからなのです。

障害者が安心して生き生きと暮らせる社会は
手足がうごかなくても自由に行動できる社会です。
見えず、聞こえなくても、情報が自由に手に入り、発信できる社会です。
計算ができなくてもお金がつかえ、
文字が読めなくてもばかにされずにものごとが理解でき、
弱ったときに安心できる医療がつかえて
疲れたときや不安なときに休める社会です。

障害者はひとりだとできないことがたくさんありますが
自分に合った支援を自分で選ぶことができれば
社会で生き生きと暮らしてゆけるのです。

そして、障害者が安心して暮らせる社会は
お年寄りも、子どもも
あらゆるひとが安心できる社会です。

だから、障害者にかけるお金は
みんなが安心して暮らしてゆける基盤づくりになるお金です。

障害のあるなしにかかわらず
ひとびとが安心して生き生きと暮らしていくために
障害者が安心して、自分のことを自分で決められるシステムを作ってください。
必要な支援は遠慮なくつかえ、
必要ない支援は遠慮なく断れるシステムを作ってください。

お金の問題で
安心して生き生きできる暮らしを奪わないでください。

 
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「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」2004
「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」2005
介助・介護(支援費制度/介護保険 …)2004 1/2
介助・介護(支援費制度/介護保険 …)2004 2/2
介助・介護(支援費制度/介護保険 …)2005



◆日本障害者協議会 20041109 「「改革のグランドデザイン案」(厚生労働省障害保健福祉部)への意見」
◆大阪精神障害者福祉ボトムアップ連絡会/障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動・関西実行委員会 20041117 「グランドデザイン案に関する意見」
 http://popup.tok2.com/home2/nagano2/gdo.htm
◆山本真理 2004/11 「グラインドデザイン(案)を批判し、「精神障害者復権法」そして「全障害者総合福祉法」を求める」
 http://popup.tok2.com/home2/nagano2/GD.htm
◆DPI日本会議 2004 「DPI日本会議は現時点でグランドデザインをこう考える」
 http://www.dpi-japan.org/3issues/3-1shienhi/gd04/gd002.htm
◆日本身体障害者団体連合会・日本障害者協議会・DPI日本会議・全国脊髄損傷者連合会・全日本手をつなぐ育成会・全国精神障害者家族会連合会 2004/12/10
 「「グランドデザイン」についての緊急要望」
◆2004/12/14 第22回社会保障審議会障害者部会
 「今後の障害保健福祉策について(改革のグランドデザイン案)」
 http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/12/s1214-3.html
◆福島 智 2004/12/14 「生存と魂の自由を――障害者福祉への応益負担導入は、「保釈金」の徴収だ」(「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」に関する意見書)
 社会保障審議会第二二回障害者部会配布資料
◆山本 深雪 2005/01 「「障害者自立支援給付法案」が成立したらどうなる?」
 http://popup.tok2.com/home2/nagano2/donaru.htm
◆2005/01/15〜16 「当事者抜きの自立支援給付法上程に異議あり! 地域生活の後退を許すな! 第一次 対国会行動」

◆障害者自立支援法案(pdfファイル)
 http://popup.tok2.com/home2/nagano2/DSl.pdf
◆精神保健福祉法新旧対照表(pdfファイル)
 http://popup.tok2.com/home2/nagano2/ghmhl.pdf


■このファイル掲載の経緯

◆2005/02/16 23:31
 [jsds:10558] Re: 声明文を出せませんか
◆2005/02/17 10:31
 [jsds:10565] 私としては
◆2005/02/17 17:49
 [jsds:10575] Re: Fw: Re: 声明文を出せませんか
◆2005/02/17 22:21
 [jsds:10577] いちおう
◆2005/02/17 23:50
 [jsds:10580] Re: いちおう
◆2005/02/20 07:46
 [jsds:10613] Re: 障害者自立支援法


 
 
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◆立岩 真也(立命館大学大学院先端総合学術研究科・教員)

□2005/02/00「「グランドデザイン」について・1――知ってることは力になる・35」
 『こちら”ちくま”』42:[了:20050123]

□cf.自己負担・供給の基準設定について

◇立岩『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』
 「私がより多くをとろうとする人であるとする。その私は、さしあたっての負担がないなら、あるいは受け取りに関係なく負担しているのであれば、より多く受け取ろうとするのではないか。自己負担ならその分控えることがあるが、この動機が働かないということはある。そこでもっとも単純な方法は自己負担を導入することである。医療保険にしても自己負担を求める理由はこれだけである。この問題点は、負担の割合が少なければ有効に働かないだろうし、他方、払えない人、多く自らがもっていない人にとっては大きな負担になることだ。このことへの対処法は考えられなくはないにせよ、そうよい方法ではない。とすると、もう一つの方法、ある人がどれだけを必要とするのかを査定をすることが避けられないように思われる。
 しかしまず、例えばこの国の医療保険のことを思い出してみると、医療を提供するに当たっての審査があるわけではない。出来高払いである。あらかじめ決めないととんでもないになるのではないかと言われるのだか、そのとんでもないかもしれないことがこれまで実際に行なわれてきたのである。もちろん医療と福祉とで異なった事情はあるが、共通点がないのでもない。さらに介助についてははむしろ問題が少ないとも言える。
 第一に、この場合の必要と供給には絶対的と言ってよい上限がある。時には一人に二人以上の人が就く必要のあることもあるが、多くは一人に対して必要なのは一人である。そして最大二四時間であり、これ以上はどうしても増えることはない。
 第二に、こうしたサービスはあればあるほどその当人にとって好ましいというわけではない。(医療についてもこの要因はある。医療費が給付されるからといって病気になりたいと思う人はまずいないし、医療を使えば使うほど気持ちがよいという人もそう多くはない。)人がすぐ傍にいるのは相当にうっとうしいことでもある。お金だったら何にでも使えるから、あればあっただけほしいが、これはそうではない。
 第三に、にもかかわらず多く受け取ろうとし、多く必要とされるなら、その理由を考えるべきであり、対処法を考えるべきである。利用者の側にある多めに受け取ろうとする理由の大きなものは不安である。一つに、供給の切り下げへの恐れから多めに申請することがありうる。これに対してはむしろ希望に応じた供給の保障が有効になる。もう一つに、誰かいてくれないと不安だから多くの時間を求めることがある。これに対しては、とにかく不安なのだったら、その不安に付き添うこと自体がまずはなすべき仕事だということになるだろう。ただ、本人が不安から脱したいと思っており、一人でやっていけるなら一人でいたい時間があるとしよう。とすると、それに応じられる体制があれば、常にそこに人が付き添うという必要はないということになる★55。そして少なくともある部分、人間のの手を別のものに置き換えること、別のもので対応することもできる。人の手に委ねることはその当の人だけの負担だったのに対して、例えば移動の環境を整備することは負担が他にも及び、負担を回避しようとしてそれを行なわずにすませてきたのだとして、介助についても社会が負担するとなれば、環境の整備や、機器による対応が促進されることもあるだろう。このようにして、別の選択肢を用意する。当の人にとって、同じかそれ以上に魅力的で、資源をより使うことの少ない手段を講ずることができればそれが合理的である。
 ならば需要がそう膨張することはないかもしれない。費用の転用さえ防げれば申請の通りに認めても問題は生じない可能性がある。(現金で支給する場合には別用途に使われる可能性はあるが。だから利用者に対する直接的な現金支給よりも、選んだサービスへの支給の方がよいかもしれない。ただ、ただこの用途への支払いを明らかにできれば現金給付でもかまわないとも考えられる。)
 むしろ問題は供給側にあると考えた方がよい。医療においても供給過剰の問題が生じうるのは、供給量に応じて収入を増やせる供給側が決定の実質を握っていることによるところが大きい。これは介助の場合にも起こりうる。仕事をたくさんして、あるいはたくさんしたことにして多く受け取る。こうして問題が供給側にあるのなら、供給側の過剰供給への傾向を押さえればよい★56。
 まずここでも、医療に比べて介助の場合にそう心配しなくてもよい要因はある。医療の場合には、サービスに対する支払いは単純にかかった時間に比例するのではなく、例えば薬を何種類、注射を何本打ったか等々により、それらを増やすことによって時間当たりの稼ぎを多くすることができる。それに比べて介助の場合には、仕事(に対する対価)はかなり単純に時間に比例するから、受け取りを増やそうとすれば、時間を増やすかあるいは時間を水増しするという方法に限定されることになる。それでも、本人が供給側の求めに応じて、あるいは本人の意志が不在なあるいは聞かれない中で、過剰な供給がなされる可能性はある。
 そこで一つに先と同様利用者側に一定の自己負担を求め、利用を増やすことが利用者本人の損失になるようにすることによって、供給者側の過剰供給を抑制しようとする策がありうる。自分の財布に響くようになるなら、病院が提供しようとするものをなんでもそのまま受け取るのでなくきびしく評価するようになるだろうと言われる時には、このことが期待されている。しかし先述したようにこの方法はあまり好ましくない。
 こう考えるなら、結局、どこかで枠を設定することになるのかもしれない。しかし以上述べたことが当たっているなら、供給に外枠を課すのは、供給側の利害に発する過剰供給を抑制するためであり、量の設定の必要性、設定すべき枠の性格はそれに応じたものになる。
 まず少なくとも今までのところは常に供給は必要を下回っていて、過剰な供給がなされたことがない、またそれで儲けすぎた人もいないと考えられるなら、その限りでは今それを行なう必要性は低いと言え、今のところ問題はないが将来的にありうることだから考えておこうという問題になる。そして利用側では制約が働くのであれば、どのような項目について認められるのかが規定された上で、利用者あるいは利用者の代理人が申告し、それらについて必要な時間を積算し、それだけの時間分を支給することとし、その際、供給側において過剰な受け取りの生ずる可能性がないかを検討すればよい。
 それでもどこにでもごまかそうとする輩はおり、不正を完全になくすことはできないだろうから、検査や審査の類いがまったく不要だと主張するのではない。実際に働いたか確認することは必要とされよう。ただ、どんな方法をとっても無駄はある程度生じるだろう。どの程度の無駄と何を引き換えにするかである。本節第6項に記し、その注48にあげた文献([2000a])に述べたことが当たっているのなら、そう心配することはない。」

◇立岩『自由の平等――簡単で別な姿の世界』
 「[…]一つには、働ける人にさぼられたら困るから、役に立つことをしたら報奨があるようにし、受け取るものに対して支払いを課す。ここに一定の格差を受け入れる余地が出てくる。そしてここではたしかに「選択」できることが条件になる。日常語の意味で本人が選べるから、努力したりできるから、その選択を促すために報酬を出すことの効果も生ずる。また、選べることについて、多くが欲しければ多く負担しなければならないようにすると、多く取ることを控えることがある。だから自己負担や貢献に応じた報酬を使う。しかし、この手段は必要とされる限りで使用されるべきものだから、どれだけが必要とされるかが問われる。また、ここには自分でできるようになろうとしてもできない人も含まれ、そして働く/働かないを選べる人と選べない人を区別することはときに困難であり、ときに適切でないとすると、選べない人たちがどうしても多くは受け取れないという問題が生ずる。その意味でもこれを正しさという準位まで持ってくるべきではない。このことを間違えると「選択」の位置づけを間違えることになる。
 もう一つの手段が、供給の水準を決め取得を制限し、あまり多くのものを要求することを認めないとすることである。ただし、人の置かれている環境、身体的な状況にかかわらず、同じだけのことが達成できるように分配がなされるべきだとする。同じだけを得るのに必要な資源は人によって異なるがそれを理由に獲得される水準が異なることはないとする。供給が可能なのかという疑問が出されるが、その疑問に多くの場合そう確とした根拠がないことを別に述べた。何かが足りないというお話を信じない方がよいと書いた([2000a])」。

◇立岩『ALS――不動の身体と息する機械」
 「《昼間一人でいる間、私の住む尼崎市で月一二〇時間の介護保障が受けられます。ただし私の場合、夫が働いているので一時間について九三〇円の自己負担額が必要です。[…]一二〇時間では一一万余円になります。》(熊谷[1997:5])
 自己負担は過剰な給付を避けるためにあるとされる。しかし医療保険のような出来高払いの場合はともかく、給付が定められている介護保険のような場合、それが理由になるかは疑わしい。他に、負担を課すことによって要介護状態にならないように気をつけるという理屈もある。しかしそれはどれほどの現実性をもつだろうか。少なくともALSには関係がない。しかも自己負担は、自己負担でなく家族の負担になる。だから自己負担を求めるべきではない。しかし現実には自己負担がある。」(p.307)

 
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2005年03月06日
自立支援法に反対し、中途失聴・難聴者の要望の実現に向けて〜高岡理事長のメッセージ〜
(社)全日本難聴者・中途失聴者団体連合会
理事長 高岡 正

 全難聴は、2月13日、第2回定期総会を戸山サンライズで、33協会の参加を得て、開催しました。平成17年度事業計画案、予算案が全員一致で承認されました。
 2月12日の理事会と深夜に及ぶ自立支援給付法に関する勉強会、13日の総会と厚生労働省の膨大な資料の他、きょうされん、DPI日本会議、全国手話通訳問題研究会等他団体の資料、13日の毎日新聞記事も配布し、グランドデザインと中途失聴・難聴者施策、自立支援法の問題点について説明と活発な意見交換を行いました。
 その結果、自立支援法に反対し、中途失聴・難聴者の要求を政府、都道府県、市町村に反映させる運動を全国的に広げることを決定しました。厚生労働省との交渉や各種集会の参加、宣伝活動、運動に必要な募金活動も行ないます。
1.自立支援法の持つ問題点 自立支援法は、10月12日に発表された「改革のグランドデザイン案」(以下、グランドデザイン)を、自立給付に関わる手続きや国や都道府県の経費負担などを決める法律ですが、多くの問題点をもっています。
1) 「公平な負担」の名の元に、「応益負担」を(→が)導入されています。
国や自治体が負担をすべき社会福祉サービスにコスト(当事者負担)を持ち込むべきではありません。僻地の医療や教育は国民の健康な生活をする権利と教育を受ける権利を保障するものとして、自治体と国が責任を持っています。そのために、私たちは住民税や消費税など税負担をしており、一般国民と同じように「公平に」生活と権利の行使が出来るように社会福祉サービスが提供されるべきです。
自立支援法は、障害者が一般国民と同じように生活するための社会福祉サービスを「金で買う」サービスに変質させるものです。所得に応じて負担する応能負担ではなく、サービスを使えば使うほど負担が多くなる「応益負担」は障害者の積極的な社会参加を阻むものでしかありません。
2) 自立支援法は、中途失聴・難聴者の社会参加を保障しません。
全難聴は中途失聴・難聴者の地域での生活に必要な施策を四つのニーズ※にまとめて要求しています。
※○補聴器と補聴援助システムの給付、○要約筆記等コミュケーション支援、○読話、手話、補聴器装用、ITなどコミュニケーション手段の学習支援、○生活から心理的サポートまでの相談(ケアマネジメント))。《別枠で掲示》
障害者福祉の大改革と言われていますが、四つのニーズを始め、全難聴が長年求めている1千万人に及ぶ難聴者を対象にしていません。身体障害者福祉法には手を付けず、給付の方法を変えるだけです。日常生活用具給付事業も重度身体障害者対象ということで3級以下の難聴者が対象になっていない機種(→種目)がほとんどであり、聴覚障害をデシベルという数字で測る医療モデルではなく、生活に必要な割合、ニーズで認定される必要があります。
3) 要約筆記事業の充実が保障されない仕組みです。
要約筆記は地域生活支援事業のコミュニケーション支援事業に含まれると説明されていますが、地域生活支援事業は国と都道府県の費用の負担を義務づける「義務的経費」ではなく、裁量的経費のままです。これでは要約筆記事業のニーズが高まれば高まるほど、自治体のみが負担することになります。
要約筆記事業は、これから地域の医療、介護、保健、教育などのサービス提供機関と事業者と連携して実施され、選挙、議会など地域生活に不可欠な場面でますます必要になっていきます。またユニバーサルデザイン具体化が図られるなら益々全ての方々にとって「要約筆記」の有用性が認識されることにつながります。その時に、事業費が保障されなければ、私たちの中途失聴・難聴者の権利が保障されないことは明らかです。
4) 自立支援法では、私たち当事者の参加が保障されていません。
障害者福祉計画に基づいて、審査会が設けられ、提供される障害者福祉サービスの給付が決定されますが、この計画の策定と給付の決定に中途失聴・難聴者に関われるか不明です。ケアマネジメントには中途失聴・難聴者の障害、心理を深く理解した専門家とニーズを理解した当事者も含まれます。コミュニケーションに関わる学習支援も相談も当事者としての役割が大きな効果があります。

2.全難聴のグランドデザイン、自立支援法に対する取り組み 1)全難聴は、この問題について、早くから取り組んできました。2003年の京都大会への大臣祝辞のため訪れた折、三位一体改革の説明を受けました。2004年2月8日の定期総会に厚生労働省社会参加推進室長補佐田村一氏に障害者福祉施策の方向について講演を受け、厚生労働省内で視聴覚障害者の地域生活の在り方検討会が開かれることが分かり、当会の参画を強く求めました。田村氏の講演は機関誌にも掲載しています。社会保障審議会障害者部会が当会の参加のないまま、審議が進み、地方六部会から障害者社会参加総合推進事業を含む補助金削減の要求が出ていることが分かりました。
 2)全日本ろうあ連盟が全国の協会の都道府県、市町村に手話事業の継続を求める運動が始まり、当会も10月末、各協会にすべての市町村に要約筆記事業の継続を求める行動を起こすよう文書を出しました。
10月12日にはグランドデザインが発表され、12月の全難聴要約筆記指導者養成講座で「グランドデザインと要約筆記事業」として、問題点を明らかにしました。各協会にも再度、行動を呼びかける文書を出しました。
 3)その後、障害者サービス法が自立支援給付法として案が発表され、12月26日に臨時理事会を開催して、グランドデザインの問題を討議しました。12月28日付けで尾辻厚生労働大臣に4点の要望書を提出し、年明け早々、1月11日に厚生労働省に全国から約40人が参加して要請行動を行いました。厚生労働省への要請行動は、1979年、1983年の身体障害者福祉法改正以来でした。
 2004年12月には、厚生労働省の福祉機器担当専門官が補聴器と日常生活用具の給付の改訂の説明に来られましたが、私と佐野事務局長から福祉の後退であり、納得できないと強く意見を申し上げました。
 4)昨年10月9日から10日、第11回全国中途失聴・難聴者福祉大会「オープンカレッジと聞えの商店街」の「障害認定基準を考えよう」講座で厚生労働省認定専門官等の担当者を交えて、障害の認定、補聴器の給付問題を討議しています。高年部や医療従事者、教育、障害学の講座も私たちの権利と福祉サービスを考える機会になりました。
 5)2月13日、当会の総会に江波戸厚生労働省社会参加推進室長にご挨拶を兼ね、自立支援法の概要と11日の要望書に関する質問にご説明を頂きました。
 6)私たちの運動のパートナーである全要研には12月23日の定期協議(大阪)でグランドデザインの問題を提起し、それを受けて決められた1月22日の緊急学習会(京都)で「グランドデザインと要約筆記事業」の講演を行いました。また、「全要研ニュース」には私や宇田副理事長(要約筆記部長)、佐野事務局長が三位一体改革やグランドデザインの問題を投稿させて頂きました。
 2月に入ってから、ほぼ毎日太田理事長と平井事務局長に当会の理事に提起している情報、考え方、資料をすべてお伝えしてきました。
3.私たちの討議の到達点1) グランドデザイン、自立支援給付法に何故反対するか。
 グランドデザインは福祉の全体構想と言いながら、財政対策的な観点が強く、自立支援法も応能(能→益)負担や施策決定過程が障害者の自立を阻むものになっている。グランドデザインは社会福祉基礎構造改革から介護保険、支援費制度の発足とつながっており、障害を持った個人が地域で生き生きと暮せる権利の保障を理解しなればならない。中途失聴・難聴者のみの問題ではなく障害者全体の問題としてとらえる必要がある。(応能負担分が世帯所得とする従来通りの基準になっている問題も提起しています。)
2) 中途失聴・難聴者の要求とどう結びつけるか。
 自立支援法に反対する中で、デシベルダウンや中途失聴・難聴者の要求を実現する運動にする必要がある。自立支援法が上程されても多くの障害者団体、市民に訴えることで展望が開かれる。
3) 要約筆記事業をどうするのか。
 要約筆記という情報保障の本当の意味を理解する必要がある。社会のあらゆる場での参加を保障する通訳が要約筆記。会員自身が通訳を使う意味を理解し、要約筆記をもっと利用する運動が必要。
4.今後の課題1) 多くの会員、すべての協会にグランドデザイン、自立支援法の問題を明らかにすること。
2) 四つのニーズに基づく要求を市町村、都道府県、国に対して働き掛けること。
3) 障害者福祉、権利について学習を進めること。
4) これらのことを全日本ろうあ連盟、全要研、JD、日身連などとともに地域でも取り組む。


UP:20050217 REV:0218,19,21,22,23,27 0303,13,14,29 0401,0413,15,26 0509 0813
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