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『「働くこと」の哲学――ディーセント・ワークとは何か』

稲垣久和 20191110 明石書店,384p.

last update:20210220

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■稲垣久和,2019,『「働くこと」の哲学――ディーセント・ワークとは何か』明石書店.[amazon][kinokuniya]

■内容紹介

(出版社ホームページより)
労働は苦役か喜びか。生きている時間の大半を労働に費やしている現代の日本人にとって「働きがいのある人間らしい仕事(ディーセント・ワーク)」とは何であるのかを、文明および情報通信技術の発展とそれにともなう労働観・倫理観の歴史的変遷から考察する。

■目次

まえがき

第1章 労働の公共哲学――今日の働き方改革
 1 人間はなぜ働くのか
 2 西欧の「経済人間」(ホモ・エコノミクス)のもつ歴史
 3 日本が生き延びるための哲学
 4 長時間労働を是とする理由
 5 「働く意味」と二元論の回避
 6 「倫理人間」(ホモ・エティクス)の歴史的展開

第2章 身体性と精神性――唯物論か実在論か
 1 人間の身体・理性・感情・霊性
 2 人間中心主義(ヒューマニズム)という名の宗教
 3 AIから心脳問題へ
 4 ポスト複雑系としての脳と心
 5 「友愛」の哲学へ

第3章 「労働の二重性」をめぐって――人間主体の二重性
 1 労働は苦役か喜びか
 2 マルクスの『資本論』
 3 宇野経済学の「経済法則」
 4 滝沢克己の「経済原則」と「主体の二重性」
 5 唯物論即唯心論としての批判的実在論
 6 批判的実在論とポスト啓蒙主義の宗教哲学

第4章 熟議民主主義に向けて――政治哲学の転換
 1 民主主義と社会主義との対話
 2 ギルド社会主義とは何か
 3 創発民主主義ということ
 4 「自由主義」対「民主主義」
 5 ハーバーマスの宗教哲学
 6 近代日本の実践家――賀川豊彦
 7 「働きがいのある人間らしい仕事」(ディーセント・ワーク)

第5章 都市と農村――持続可能な日本へ
 1 新しい幸福のモノサシ
 2 相互扶助からのイノベーション
 3 コミュニティ経済、コミュニティ企業、コミュニティ協同組合
 4 コーポラティズムとディーセント・ワーク
 5 コミュニティ経済と協同組合の公共哲学
 6 農業と福祉から見えるディーセント・ワーク
 7 結語

[付録]主権、領域主権、補完性
 1 アルトゥジウスの政治哲学
 2 市民社会論
 3 倫理と社会連合体
 4 領域主権と補完性原理

 あとがきにかえて

■引用

p. 2, 3
【まえがき】本書のテーマは働くこと、すなわち労働である。なぜ労働の問題に取り組むようになったのか。それは、哲学の根本に「生きる意味」をおいてきた筆者にとって、日本人の生きている大半がその多くの時間を労働に費やしている、こう気づかされたからである。それも生きる糧を得るための賃金労働の仕事に従事している、その人生の期間があまりに長い。だから生きる意味は労働の意味になる。〔中略〕労働は苦役か、それとも喜びか、こういう問いを出したい。ディーセント・ワーク、「働きがいのある人間らしい仕事」と訳されている。2009年の国際労働機関(ILO)総会において21世紀のILOの目標として提案され支持された(p.2)。文明の発展の中で労働の意味も形態も変わる。かつての農業の時代から工業化されそして情報化された社会になっている。人々の生き方が、肉体労働から知的労働に大きく変化した。〔中略〕労働が生産物を生み出し、貨幣に転化しているということだ。そして貨幣に転化しない労働だってたくさんある。家事、育児、隣人どうしの互いの助け合いやケアワーク等々。人間の生活は衣食住を必要としている。やはり生きるために人間には労働がつきものなのだ。生きている以上、人間は働くのだ。しかしそれは果たして何のためなのか(p.3)。

p. 58-59
労働は真の生命を回復する、労働は「骨折りと労苦」(toil and trouble)ではなく、「喜びと楽しみ」(joy and pleasure)であるはずだ。【経済人間(ホモ・エコノミクス)から「生命の倫理」へ】「経済人間」という人間観は、西欧近代史において約300年近くもかかって徐々にできあがった人間の見方である(p.58)。第二次世界大戦後、しばらく欧米では福祉国家論または経済学の用語ではケインズ―べヴァリッジ主義の方向を採用し、国家が自由市場に関与してその行きすぎを防いでいた。しかし、サッチャー、レーガン政権の頃から経済政策は新自由主義という方向に舵を切り、世界経済はそこに巻き込まれて今日に至っている。人にも企業にもかなり露骨な自由競争を強いる政策で、格差が生まれるのは必然であった(p.59)。

p. 60-61
【倫理人間(ホモ・エティクス)の歴史的展開】19世紀に資本主義が成立し、その上に乗っかって、今日の新自由主義的な成長経済政策を動かしているミクロな人間観が、まさに「経済人間」である。したがって今日、新自由主義への「対抗軸」として人と人とが結びつく「生命と生活の倫理」としての協同組合を位置づける論者もいる(北川 2017: 167)。しかし、これは言うは易く、行うは難しである。すでに1930年代の世界恐慌以後に先例があった。自由競争経済の歯止めとして、賀川豊彦は「協同組合共和国」の構想で「友愛と連帯」の生命観・社会観を主張した。〔中略〕しかしこれはもはや人類史のグローバルな現実からして無理である。むしろ、積極的な意味で、ローカルなレベルが「自らを守る」ために第3セクター(非営利セクター)においてこの人間観「ホモ・エティックス」を公共圏との関係で確立し、第1セクター(政府)と第2セクター(企業)の人間論となっている「ホモ・エコノミクス」への「対抗軸」とすべきだ。というのが本書のアウトラインである。もっとも、このような社会的連帯経済の動きは、単にローカルに終わらず、今日、グローバルネットワークをつくっている現実も第5章でふれることにしたい。

■書評・紹介

■言及



*更新:伊東香純
UP:20210220 REV:
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