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『アルテリ』6号(石牟礼道子追悼号)

アルテリ編集室 2018/08/15 166p.

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last update: 20181003

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■『アルテリ』6号(石牟礼道子追悼号)
 2018/08/15 アルテリ編集室 166p.
 責任編集:田尻久子
 *紹介:[橙書店][KARAIMO BOOKS]
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石牟礼道子

■目次

◇石牟礼道子「生存」
◇渡辺京二「石牟礼道子闘病記」
◇石内都「石牟礼道子さんの手足のゆくえ」
◇坂口恭平「蓬が杣」
◇大津円「野いちご」
◇新井敏記「椿の野辺に 石をもて追わるるごとく(石牟礼道子)」
◇伊藤比呂美「熊本の朝」
◇池澤夏樹「夢とうつつを見る人」
◇姜信子「すんなら、じょろりば語りましょうかい」
◇三砂ちづる「思い出をわける」
◇米本浩二「道子さん、はい」
◇浪床敬子「対話」
◇磯あけみ「カリガリ物語C」
◇田尻久子「されく」
◇米満公美子「ままごとの記」
◇石牟礼道子「無題」

「御縁のあった方々に語ってもらえば、石牟礼さんのことばへと近づく道しるべになるかもしれない。そんな気持ちで、追悼号への寄稿をお願いした。近しい人ほど、大切な記憶を取り出すということは、骨が折れることだったろうとありがたく思う。|みなさんから差し出された、大事な記憶をお預かりしました。お読み頂ければうれしいです。そして、みなさんのお気持ちが石牟礼さんのことばへと繋がっていけばと、そう願っています。」(「編集後記」p.166)

■引用

◇渡辺京二「石牟礼道子闘病記」(pp.11-34)
「私は一貫して彼女を詩人・文学者として正当に評価すること、つまりは水俣病への関与に端を発する、彼女を社会問題の告発者、あるいは人類の滅亡ないし救済の預言者のようにみなすような風潮をただすことを望んで来た。しかし今となって考えれば、この人は確かに詩人以外の何者でもなかったのであるが、その死が人びとに与えた衝撃の広さ、深さを想うとき、古代において詩人がそうみなされたのとおなじく、この人に一種の預言者を見出すのは、必ずしもメディアの作り上げた虚像ではないのかも知れない。預言者とはコトバを預る者である。古代の預言者が預ったのは神のコトバである。しからば故人は何のコトバを預ったのか。天地のコトバであり山河のコトバとしか言いようがない。これが文学者としての故人の特異性である、宮沢賢治がそうであったように。」(p.12)
◇新井敏記「椿の野辺に 石をもて追わるるごとく(石牟礼道子)」(pp.65-77)
「池澤〔夏樹〕は「石牟礼さんの語り口を当代一の日本語」と語尾を強めた。石牟礼は真顔でこう答えた。|「方言を詩歌の言葉として非常に高級だと思っていて、詩の言葉として蘇らせたいという気がありました。それで『苦海浄土』の会話は、絶対、標準語では書かないぞと思っていました。水俣弁、まあ天草弁ですが、それを上質の日本語として書き直そうと思って書いているんです」」(p.68)
「石牟礼はまさに観察する人だ。葉菜類も根菜類も、その味は太陽と土によって決定されるということを徹底的に味わった人だ。豊かな自然を背景に風土の精のような面白い人がたくさんいた。石牟礼はそれを「豊潤」という言葉で表現する。」(p.71)
「海の向こうから物語がやってくる。|「土地が海藻や魚の宝庫だったからです。渚を一時間歩けば今夜のおかずが採れる。海岸の岩のゴツゴツとしたところを裸足で歩いていく。[…]裸足で歩いた人と靴を履いて歩いた人には決定的な差があるような気がします。[…]歩く途中で身体が生理的に、大地の呼吸のようなものを受けとっていく」▽△|石牟礼は続ける。「風土、空とも山とも海とも川とも絆を断ち切れないで一体化した世界がそこには生きていたんです。どこにでも文化は風土の上にあって、風土が変わったと時に文化も変わってしまいます。機械を見てばかりいると風土と絆が切れてしまう。物書きとは乱暴な言葉ですが、自分が落ちて死ぬまでの間のような、そういう時間を生きるのと引き換えに、ものを書いているということです」」(pp.72-73)
「「昔はケシは仏様のお花と呼ばれていたんです」|石牟礼が得意そうに言った。かすかに顔を揺らし、強い口調、この光景が追慕された。彼女はただ大地に伏せるように願っていた。世界はただそういう風にできていた。彼女の口から語られる始まりの言葉は風のように柔らかい魔法の言葉だった。言葉は草や木を動かし、動物も人も区別はなかった。」(p.75)
◇池澤夏樹「夢とうつつを見る人」(pp.85-91)
「水俣は彼女にうつつを見させた。これが現実の人間のありよう、この地獄を作ったのが人間。それをせめて煉獄に変え、救いの道を付けなければならない。そういう声に応じて、四十年に亘ってその声の命じるままに力を込めて書き続け、『苦海浄土』ができた。あの大作では、うつつに踏みとどまらなければという意思と夢の方に行ってしまいたいという誘惑の力が拮抗し▽△ている。」(pp.89-90)
◇姜信子「すんなら、じょろりば語りましょうかい」(pp.93-105)
「思えば、鳥にも獣にも虫にも魚にも草木にも水に風にも命がある、魂がある、ということを私は石牟礼さんをとおして知っていったように思っています、でも、それを心で知ったのか、骨身で知ったのかと問われるとかなり心許ない、振り返れば、三十年前『西南役伝説』を読む私が反応していたのは、たとえばこんな言葉なのでした、」(p.98)
「鳥獣虫魚草木、万物に命宿る風土どころか、故郷という言葉すら自然な気持ちでは発音できない私にとって、石牟礼さんが生きる世界は遠い憧れだったのでした。いつまで経ってもたどりつけない「はじまりの村」なのでした。」(p.100)
「声って誰もが持っているものでしょう、沈黙の中にだって声はあるものでしょう、文字を持たない人はいても、声を持たない人はいないでしょう、[…]私にだって奪うことのできない声や沈黙があるでしょう、みんなそうだよね、ほんとはそうなんだよね、って体で感じはじめたら、石牟礼さんの世界がなんだか近しいもの▽△のように思えてきたんです。」(pp.101-102)
「それにしたって無理だよ、石牟礼さんの世界は。だって、そんなのは私からあらかじめ奪われているんだもん。|と思い込んでいたけれど、どうもちがうようだと思いはじめたのはつい最近のことです。かつてそこにあった村と、近代という破壊的な時空を超えて呼び出されてくる「はじまりの村」と、ちょっと見は似てるんだけど、それは同じではないのだと、だんだんわかりはじめた。|ここで、私が言いたいのは、回帰ではなく、再生でもなく、新生ということです。」(p.102)
「声を追いかけて、旅を重ねて、歳も食って、今思うことは、近代以前の声の場をアニミズムと呼ぶのであれば、近代以降の声の場はアナキズムなのだということで、そうか、石牟礼さんは実はアナキストだったんだな、と気づいた時に、私と石牟礼さんの間の水脈が開かれたようにも思ったのでした。」(p.103)
◇浪床敬子「対話」(pp.121-133)
「以来、7年近く頻繁に石牟礼さんに会いに行った。大半は仕事というより、時空を超えてどこへ向かうか分からない対話をするためだった。道端の石ころにまで命を吹き込み、言葉を与える石牟礼さんは、しがらみやこだわりなどにがんじがらめになっている現実からしばし私を解き放ち、異次元の世界にいざなった。これが石牟礼さんの言う、「もうひとつのこの世」への入り口だったのか。」(p.123)
「石牟礼さんが1975年4月に天草を訪ねた時に書いた取材ノートがある。|「自分の魂の出自をたどる旅」というフレーズがあり、天草を「出魂の島」と表現している。その文の最後にこんな詩がつづられている。」(p.128)

■書評・紹介


■言及



*作成:村上 潔
UP: 20181003 REV:
石牟礼道子  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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