『私がアルビノについて調べ考えて書いた本――当事者から始める社会学』
矢吹 康夫 20171030 生活書院,424p.
last update:20180108
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矢吹 康夫 20171030 『私がアルビノについて調べ考えて書いた本――当事者から始める社会学』,生活書院,424p.
ISBN-10:4865000739 ISBN-13:978-4865000733 2700+税
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■内容
アルビノについて調べようと思って手にした文献には「私」のことが全然書かれていなかった――。 私の経験を捨象し私の意に沿わない形に解釈・編集される言説があふれる中「どうすれば私は納得できるのか」。 遺伝学、弱視教育、オタク文化、当事者運動などの歴史の再構成と、語る意義を見出した「強い」主体の影に隠れた沈黙や語りがたさにもアプローチした、13人のアルビノ当事者のライフストーリーの検討をとおして、私も含めて誰も否定せず誰にとっても抑圧的ではないあり方を探索した、気鋭の社会学者、待望の単著。
■著者略歴
1979年生まれ。立教大学大学院社会学研究科博士後期課程満期退学。博士(社会学)。日本学術振興会特別研究員などをへて、現在、立教大学社会学部助教。日本アルビニズムネットワーク・スタッフ。主な著書に、『手招くフリーク――文化と表現の障害学』(共著、2010年、生活書院)、『ライフストーリー研究に何ができるか――対話的構築主義の批判的継承』(共著、2015年、新曜社)、『最強の社会調査入門――これから質的調査をはじめる人のために』(共著、2016年、ナカニシヤ出版)、『排除と差別の社会学(新版)』(共著、2016年、有斐閣)など。
■目次
序章 どうすれば私は納得できるのか?
1 「当事者になる」以前
ひねくれた感じに育つ
色素がないから経験したこと
挫折といえば挫折
当事者コミュニティへの没入
2 自己解放としての障害学と社会学
障害学との出会い
私のことを説明してくれない研究・資料群
私のことを説明してくれた社会学
3 聞き届けられない語りを聞く
聞き手の期待に応えられない
自分の調査をふり返る
飲み会で語られる「あるあるネタ」
本書の(前半の)構成――歴史の再構成
第1章 注目すべき表現型から注目に値しない遺伝子型へ――遺伝学史におけるアルビノ
1 「奇形・フリーク」の脱聖化
「白い黒人」の神学的解釈
医学的問題への回収
2 黎明期の遺伝学には都合のよかった表現型
メンデル再発見と人間への適用
優生学への応用
3 戦後の遺伝学啓蒙書の地味な定番
使い勝手のよい具体例
近親結婚は自己責任で
4 ゲノム時代の新しい争点の蚊帳の外
20世紀遺伝学の名残
その他の、新たな定番たち
小括 遺伝学から否定され続けたままの100有余年
第2章 社会に働きかける「根性」「たくましさ」「精神力」の養成――弱視教育におけるアルビノ
1 労働力としての共同体への包摂
2 弱視教育の二つの踏み台
3 物理的障壁を除去した後に残るもの
4 弱視への理解の促進を担うのは誰か
小括 適応努力か啓発努力かの二者択一
第3章 アルビノ萌えの「後ろめたさ」からの逃走―??オタク文化圏におけるアルビノ
1 邪悪なアルビノと白い美貌
英語圏でのアルビノ表象の伝統と、それへの批判
キャラクター設定としてのアルビノの必然性
常識を超えた破格の美貌
2 綾波レイはアルビノなのか?
「アルビノを思わせる」綾波レイ
綾波レイはアルビノではない・1――制作者の意図に依拠した否定
綾波レイはアルビノではない・2――正確/不正確を基準にした否定
綾波レイはアルビノではない・3――リテラシー不足による否定
3 アルビノ萌えのための当事者の不可視化
誰も傷つかないための「萌え」
アルビノに萌える「同盟」
アルビノに萌える〈私〉の正当化言説・1――政治的正しさ
アルビノに萌える〈私〉の正当化言説・2――常識的な欲望
アルビノに萌える〈私〉の正当化言説・3――虚構性の死守
小括 アルビノ萌えから「逃げちゃダメだ」
第4章 不可視の人びとの新しい声――近年の研究動向と当事者運動の展開
1 社会問題を定義できる主体による問題化
2 人生・生活への社会科学的アプローチ
3 当事者運動の展開
セルフヘルプグループ組織化の契機
日本アルビニズムネットワーク始動までの紆余曲折
4 メディアで語り始めた当事者たち
『恋するようにボランティアを』から『アルビノを生きる』へ
「ユニークフェイス問題/見た目問題」としての発見
小括 当事者主体の問題の可視化
第5章 新しいストーリーの生成に向けて――方法論の検討と調査概要
1 「当事者の時代」の社会調査
調査される側からの批判/調査する側の反省
方法論的・倫理的要請への応答としてのライフストーリー研究
調査する当事者のリフレクシヴィティ
「強い」主体に隠された沈黙へのアプローチ
2 どうやってライフストーリーを聞き取ったのか
語ることができた当事者たち
何のための「語りの方法」なのか
そこに居続けるための倫理
本書の(後半の)構成――ライフストーリーの検討
第6章 歴史の隙間を埋める語り
1 普通に暮らしてるんだっていうのを知ってもらえればいい――西濱士郎さん(1960年代生)
2 そうやって子どもたちと生きてきたかなー――寺田利子さん(1960年代生)
小括 昔のほうが大変だった?
第7章 「あるあるネタ」としての問題経験
1 疲れてきちゃうんですよ――川口佳奈さん(1970年代生)
2 とにかく普通の子に追いつくために――柴田静さん(1970年代生)
3 自分のことなんだから自分で言いにいこうよ――佐藤孝史さん(1980年代生)
4 なっかなか理解してもらえなかった――水島夏美さん(1980年代生)
5 注意されてもしょうがない――相羽大輔さん(1980年代生)
6 でも、きれいじゃん――廣瀬真由子さん(1990年代生)
小括 強いられた「よい適応」
第8章 「有名な」当事者が語る目的
1 問題経験だけを語る――薮本舞さん(1980年代生)
「活動家スイッチ」のオン/オフ
「守ってくれてる感」への違和
「みんなが簡単にできちゃうようなことができない」挫折
「相手にされない」クレイム
「気持ちを共有し合う」
ドーナツの会設立へ
小括 説得的なクレイムの構成
2 一人で多様性を語る――石井更幸さん(1970年代生)
経験的語りとアクティヴィストの語り
「貴重な資料」の蓄積と継承
教訓としての「自分の経験談」
「みんな違う人生」のうちの一事例
「正しい知識・情報」へのアクセシビリティ
小括 ひとつのモデルよりも多様性へ
3 「ハッピーエンド」として語る――粕谷幸司さん(1980年代生)
「苦労してああなったってストーリー」を見せない
対処戦略を「覚える」 対処から「武器」へ
小括 運動の成果の裏返しとしての「生きづらさ」
第9章 介入的な聞き手とマイナーな語り手
1 「分かりやすさ」の抑圧――阿久津純子さん(1970年代生)
自己抑制による撤退という経験
政治化を強いるモデル・ストーリーの拒否
脱政治化するマスター・ナラティブの揶揄
タブー視を封じる生活戦略
小括 差別される主体から離れて
2 戦略としての語りがたさ――山田達郎さん(1930年代生)
「僕は恵まれて育った」
しなきゃいけない「子どもの話」
「遺伝の問題」の語りがたさ
「困ったこと」探しと、その否定
小括 「面白い話」の回避
終章 脱政治化の歴史から政治的主体化、あるいは政治からの離脱へ
1 受動的な客体から政治的な主体へ
治療・予防すべきものとしての否定
「できる」側への二重の追い込み
差異化される身体と不可視化される経験
運動戦略としての平等の希求
2 「私たち」が定義する「私たち」の問題
情報不足と孤立のなかでの無力化
個人的努力の二つの水準
援助要請の拒否、あるいは問題経験の語りの否定
合理的選択としてのあきらめ、またはがまん
対処戦略という経験知の共有と継承
社会問題としての告発
3 肯定/否定の政治からの離脱
髪を染める、染めない、染めるのをやめることの意味づけ
生殖をめぐる政治的無関心の語り
おわりに 沈黙と嘘と語りがたさの解釈可能性
あとがき
参考文献
■書評・紹介
◆椹木 野衣 20180107
書評「矢吹康夫『私がアルビノについて調べ考えて書いた本――当事者から始める社会学』」『朝日新聞』
■引用
■言及
*作成:岩ア 弘泰 *増補:北村 健太郎