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『社会的包摂と身体――障害者差別禁止法制後の障害定義と異別処遇を巡って』
榊原 賢二郎
20161110 生活書院,398p.
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last update:20171122
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榊原 賢二郎
20161110 『社会的包摂と身体――障害者差別禁止法制後の障害定義と異別処遇を巡って』,生活書院,398p. ISBN-10: 4865000615 ISBN-13: 978-4865000610 3,400+
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※以下で紹介しています。
◆立岩 真也 編 2017/07/26
『リハビリテーション/批判――多田富雄/上田敏/…』
,
Kyoto Books
■受賞
日本社会学会第16回奨励賞(著書の部)
http://www.gakkai.ne.jp/jss/2010/02/15104803.php
■内容
amazonより
(「BOOK」データベースより)
障害とは「損傷」を出発点に定義されるものではなく、断片的身体情報が処遇とともに社会的排除と結びつけられる時に障害現象が生じるのである…。包摂/排除し処遇する社会を問い直し、障害者のスティグマ化を回避する、精緻かつ新たな理論枠組みの誕生。
■目次
障害者差別禁止法制後の課題
第1部 障害理論の再検討
社会的排除としての障害――障害理論と社会学の架橋
自己塑成的障害論――社会システム理論による障害定義
潜在能力と異別処遇――個人への価値付与を巡って
第2部 障害者制度と包摂的異別処遇
障害者雇用における有資格性と特別費用――1955年ILO R099後の一般雇用施策について
稀少性下の所得保障と障害カテゴリーの構築―1970年代イギリスにおけるUPIAS・DA論争と障害の社会モデル
第3部 社会的包摂の集合評価
包摂の集合評価における「投棄」問題――障害児の統合教育と義務教育標準法
包摂の集合評価と自由――アメリカ個別障害者教育法における最少制約原理
自己塑成的障害論の経験的展開に向けて
■詳細目次
■読者への手引き──はしがきに代えて より
「本書は、障害問題を差別/平等という枠組みから解き放つことで、「別扱い」つまり異別処遇をより積極的に認められるようにした。これにより、介助保障や所得保障、割当雇用などの措置に根拠を与えることができる。
もちろん異別処遇の全てが認められるわけではない。異別処遇は、それが△003 社会参加や統合といった観点で「包摂的」であるか「排除的」であるかに分けられるのであり、同一処遇も同様である。これにより障害者への処遇は、包摂的同一処遇・包摂的異別処遇・排除的同一処遇・排除的異別処遇に分けることができる。包摂的異別処遇と言うことによって、「別扱い」が有用でありうることを示し、その判断基準は包摂的であるかどうかであることが明らかになる。また逆に、排除的同一処遇と言うことによって、「同じ扱い」も有害になりうることを示し、その判断基準は排除的であるかどうかであることが明らかになる。この四分類を図示したものが「処遇四象限図」であり、これによって、平等・合理的配慮・間接差別・直接差別とこれまで呼ばれてきたものが抱える欠陥や限界を乗り越えることができる。」([3-4])
「これまでは、損傷がある人に対して、不適切な△004 処遇がなされ、社会的な不利としての障害が生じると考えられてきた。そうではなく本書では、社会的排除が生じており、その由来を説明しようとした時に、体に関わるある種の項目(次項参照)と処遇が出てくる場合、その排除を障害と呼び、その体に関わる項目を損傷と呼ぶことにしたのである。こうすることで、先ほどの目や耳の例は容易に説明がつく。目や耳は鼻や舌に比べて、社会的排除に結びつけられやすいために、より頻繁に損傷として扱われているということなのである。
このような見方をとることで、これまで損傷とは思われてこなかった状態を損傷とし、障害者制度の対象とすることができるようになる。顔のあざや高血圧も、解雇や採用拒否といった排除と結びつけられる時には損傷となりうるのである。
また、こうした発想の逆転により、見えづらい、聞こえづらい、歩きづらいなどの状態を、否定的で不完全な体の状態として捉える必要がなくなる。損傷とは、「損なわれた」状態(impair-ment)、つまり不完全な状態であり、強く否定的な価値を持っている。そのためこれまでの障害者制度や障害理論は、障害者を不完全な身体を持つ人として扱うこととなった。しかしそうする必要はない。損傷が持っている否定的な意味合いは、社会的排除に由来すると考えれば良い。あらかじめ不完全で否定的な身体というものを想定する必要はないのである。」([4-5])
「構築主義の中では、体について語ると本質主義と捉えられかねず、体を扱うことが難しくなっている。しかし体について論じなければ障害という現象を他の現象と区別することはできない。それでは障害理論は体をどのように組み込めば良いのであろうか。
本書は「身体情報」という捉え方を持ち込むことによって、構築主義の長所を踏まえながら、体について語ることを可能にした。社会を自律的に動く「システム」であると見た時、体は社会というシステムにとって外にある。しかしそれにも関わらず、私たちは体について話したり書いたりしており、そうして社会の中で扱っている。こうした側面を捉えるのに有用なのが「情報」という言葉である。話されたり書かれたりする体は、体そのものではなく、社会というシステムにとっての情報として捉えることができる。それを本書は身体情報と呼ぶ。
身体情報という項目を使うだけでは、まだ障害や損傷を定義することはできない。身体情報と処遇に結びつけて説明される社会的排除は、他にも例えば性や人種に関わるものがある。障害現象の特徴とは何であろうか。本書は障害現象の特徴を、身体情報が断片的であることに求める。障害現象に現れる「体」は、手や足、目や耳などの部位や、認知、集中力、発話などの個々の機能という形をとる。つまり、体を部位や機能の「束」として見て、その一部分に着目し、それが処遇とともに社会的排除と結びつけられる時に、障害現象が生じると考えられる。身体情報は、社会の中での体についての「見え方」のようなものであるため、個々の部位や機能に自由に分解できるのである。こうした身体の部位や個別の機能に限定された身体情報を、本書は断片的身体情報と呼ぶ。この断片的身体情報という捉え方によって、障害や損傷を定義することができる。」([6])
「本書は潜在能力アプローチを理論の枠組みとして採用しなかった。その理由は、潜在能力アプローチが障害者、特に重度障害者の生に否定的な価値づけを行なうこと(スティグマ化)の可能性を回避できないことにある。潜在能力は、個人がなりうるあり方やなしうる事柄の幅であり、財を手厚く配分することにより、一定程度改善することができる。しかし、重度障害者を考慮した時に、財の配分だけで潜在能力の少なさが解消されるとは限らない。もしも非常に多くの財をその人に配分しても、潜在能力が低い水準にとどまるとすれば、その人の生は不幸な生としてスティグマ化されてしまう。
こうした状況が生じるのは、潜在能力アプローチが、社会的関係の網の目の中で生じる社会的排除/包摂という現象を、個人の持つ潜在能力に単純化してしまうからである。これに対して本書の枠組みは、特定の時点で解消できない障害を、あくまでも排除する社会のあり方に差し戻すことを可能にする。それが可能なのは、第一に包摂/排除や処遇といったものを障害の定義に組み込んでいるため、包摂/排除し処遇する社会を問い直すことが可能になるからである。また第二に、社会というシステムが閉じており、社会のコミュニケーションはコミュニケーションからしか生まれてこないという考え方(自己塑成)を採用したためである。本書の理論は、障害者のスティグマ化を回避する理論という性質を持つ。」([7])
■引用
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■書評・紹介・言及
◆立岩 真也 2018/04/01
「榊原賢二郎『社会的包摂と身体』――連載・144」
,『現代思想』46-(2018-03):-
↓
◆立岩 真也 2018
『不如意の身体――病障害とある社会』
,青土社
*作成:
焦 岩
UP: 20161118 REV:20170817, 1122, 20180720, 20180720, 20191124(
岩ア 弘泰
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