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『真宗学と障害学――障害と自立をとらえる新たな視座の構築のために』

頼尊 恒信 201503 生活書院,330p.

last update:20150413

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■頼尊 恒信 201503 『真宗学と障害学――障害と自立をとらえる新たな視座の構築のために』,生活書院,330p. ISBN-10:4865000372 ISBN-13:978-4865000375 3000+ [amazon][kinokuniya] ※ ds

■内容

(「出版社HP」より引用)
真宗学と障害学の観点から従来の障害観・自立観をとらえ直し、親鸞教学における「向下的救済観」に依拠しつつ、「自力向上」型モデルに立った既存の障害学に対しその対抗理論ともなりうる創造的視座を提示。CIL運動の新たな展開の可能性についても事例検討を通して構想する。

■著者紹介

頼尊 恒信[よりたか つねのぶ]
一九七九年東大阪生まれ。大谷大学文学研究科博士後期課程真宗学専攻満期退学。熊本学園大学大学院社会福祉学研究科博士後期課程社会福祉学専攻修了。博士(社会福祉学)真宗大谷派擬講。
現在、真宗大谷派聞称寺副住職、NPO法人CILだんない事務局長、真宗大谷派大阪教区教化センター現代教学研究班主任研究員、和歌山赤十字看護専門学校非常勤講師ほか。

■目次

序    真宗障害学への新しい視座――出版を謝して……安冨 信哉
     日本の風土に根ざした障害学の提唱……堀 正嗣

序 章  本研究の立場と概念規定
         第一節  本研究の問題意識と方法──真宗学と障害学の結合
         第二節  本研究の概念規定
         第三節  真宗学・仏教福祉学における先行研究の検討
         第四節  障害学における先行研究の成果と課題
         第五節  本論文における研究課題
         第六節  本研究の構成
第一章  障害者福祉政策の変遷における障害観と自立観
         第一節  障害者施策の展開
         第二節  障害者福祉制度の展開における障害観と自立観

第二章  真宗から見た障害観と自立観
         第一節  真宗における障害者社会福祉の考え方の基本理念
         第二節  大谷派における仏教社会福祉史
         第三節  真宗から見た障害観と自立観

第三章  「青い芝の会」の思想による障害と自立の問い直し
         第一節  障害者運動のあけぼの
         第二節  大仏空の『歎異抄』理解とマハラバ村の理論
         第三節  マハラバ理論から「青い芝の会」のテーゼへ
         第四節  「青い芝の会」の思想による障害と自立の問い直し

第四章  障害観・自立観の変遷と社会モデル
         第一節  国連障害者権利条約の制定までの歴史の概観
         第二節  国際障害分類・国際生活機能分類(ICF)の障害観・自立観
         第三節  社会モデルの障害観・自立観
         第四節  真宗障害者福祉と「社会モデル」

第五章  障害と自立をとらえる新たな視座の構築
         第一節  親鸞と宗教改革
         第二節  親鸞における救済の構造
         第三節  新たな障害者福祉の視座としての向下的社会モデルの射程範囲

第六章  向下的社会モデルとピアの思想
         第一節  向下的社会モデルと健全者幻想
         第二節  向下的社会モデルと生の価値観の再生
         第三節  向下的社会モデルにおけるピアの思想
         第四節  向下的社会モデルにおけるロールモデルの意義

第七章  向下的共生運動としての自立生活運動
         第一節  本章の問題意識
         第二節  日本における自立生活運動の特徴
         第三節  向下的共生運動としての自立生活運動の実践事例
         第四節  向下的共生運動としての自立生活運動の提起するもの

終 章  本研究の切り開いた地平と新たな課題
         第一節  本研究で明らかになったこと
         第二節  本研究で切り開いた地平と今後の課題

補遺編
      1  真宗の視座とは──親鸞の救済構造
      2  向下的共生運動から見た二次障害
      3  三願転入と向下的社会モデル


事項索引
引用・参考文献

■引用

■書評・紹介・■言及


◆立岩 真也 2022/12/20 『人命の特別を言わず/言う』,筑摩書房
◆立岩 真也 2022/12/25- 『人命の特別を言わず/言う 補註』Kyoto Books

 第4章★20 「その大仏空(おさらぎ・あきら)という人と茨城県にあった(今もある)その人の寺に住み、大空の話を聞いた人たちがやがて山を降りて「青い芝の会」の活動を新しくしていく。その経緯と、そして書かれたものと、真宗の教えとの関わりと差異が、頼尊恒信の『真宗学と障害学』に書かれている(頼尊[2015:103ff.])。
 動物倫理についての本で親鸞・悪人正機説にふれられているものとして見つけたのは『ベジタリアン哲学者の動物倫理入門』(浅野幸治[2021a])。△252
 「とにかく、殺生をする悪人は往生する、というのです。ということは、殺生をしてもかまわないということになりそうです。はたして、悪人正機説は、殺生を許可するのでしようか。悪人正機説の意義は、その社会的文脈の中で理解する必要があります。「下類」という言葉に注意してください。親鸞の当時、猟師は不殺生戒を犯して生き物を屠るということで差別されがちでした。悪人正機説は、そういう人に救いの手を差しのべるものと一般に解釈されます。ですから、反差別という点に、悪人大きな意義があるのです。
 これは、動物権利論の観点から、どう評価できるでしょうか。動物権利論によれば、人間の生命権と他の動物の生命権が両立しない場合、人間の生命権を優先することが容認されます。少し考えてみましよう。土地は有限です。土地は良い土地から占有されていさます。ということは、人口が十分に多い場合、一部の人は土地からあぶれます。良い土地から排除されるわけです。例えば、極寒の地です。そういう所では、植物が十分に育ちません。ですから、必要な栄養源として動物に頼らざるをえないでしよう。日本でも同様です、山間部に僅かな農地しかもっていなければ、そこで生産される米や野菜だけでは生きていくことができません。そういう場合、動物を殺して食料を補わざるをえないと思われます。ですから、農耕によって生計を立てることができない人が動物を殺して食べることを、権利論は許容します。
 このように考えられるので、動物権利論から見て、殺生が必ずしも往生の妨げにならないという親鸞の教えは適切なものと評価できます。では、殺生が往生の妨げにならないからといってドンドン殺生してよいということになるでしょうか。なりません。そういう勘違いを「本願ぼこり」と呼びます。」(浅野[2021a:171-172])」(立岩[2021:252-253])


*作成:安田 智博
UP: 20150413 REV: 20150413, 20221231
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