人類の歴史は感染症との闘いの歴史ともいわれている。かつてハンセン病、コレラ、梅毒などは、戦争や商業活動のために広範囲に移動するようになった人間とともに感染地域を拡大してきた。とくに、地球規模の産業発展や開発に拍車が掛かった20世紀後半になると、エイズやSARSのように、それまで地域的に封じ込められていた一定地域内の疾病(風土病)が感染症として地域外にも脅威をもたらすまでになった。世界保健機関 (World Health Organization:WHO) の報告書(“Strategic and technical meeting on intensified control of neglected tropical diseases: A renewed effort to combat entrenched communicable diseases of the poor” A report of an international workshop 2006)で指摘されているように、とくに熱帯での感染症(いわゆる熱帯病)が驚異的な猛威をふるっていることは明らかであり、その危険性については、近年、報道等でも注目され、世界的な対策の重要性が認識されはじめてきた。例えば、2007年にはアメリカ合衆国のブッシュ政権もHIV/AIDS対策費の増額を連邦議会に呼びかけるまでになっている。しかし、実際に対策がとられているのは世界で流行している感染症のごく一部に過ぎず、その多くは手付かずのままである。本研究で取り上げるブルーリ潰瘍も注目されることがなかった熱帯病感染症、すなわち「顧みられない熱帯病」のひとつとして、十数年前から一部の専門家によって問題提起がなされてきたものである。
顧みられない熱帯病対策の特徴は、Neglected Tropical Diseases, Hidden successes, Emerging opportunities(World Health Organization、2006)で示されているように医学的問題に留まらないところにある。緊急の対応を迫られている地域がサブサハラ(サハラ以南アフリカ)のような熱帯貧困地帯に多く、インフラが十分に整っていないことも問題を複雑化させている。都市部ではある程度の対応ができる感染症でも、地方部では公衆衛生のネットワークの鍵となる保健所の配置さえも不十分で、交通網の整っていないことも相まって、健康・栄養面での指導も困難を極めている。すなわち、開発途上国特有の社会経済的問題が感染症への効果的対応を遅延させる重要な要因となっているのである。つまり、この問題へは社会・経済的要因に加え、歴史的、研究開発的、文化的、政治的、自然環境・生活環境要因など多岐にわたる問題が複雑に絡んでいるため、これらに配慮した対策が必要とされているのである。
国際連合は、こうした世界的な諸問題の解決に向けての取り組みとして、2015年までに一定の数値目標を達成することを目標とした「ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)」を採択した。これには、貧困や教育、また感染症の分野などが取り組みの対象として挙げられ、「顧みられない熱帯病」も含まれている。ミレニアム開発目標を達成するためには、政府や国際機関だけでなく、国際NGOのような支援団体の協力が不可欠となっている。政治・政策的に介入しにくく、対応が遅れてしまいがちな分野での国際NGOの活動の重要性は開発途上国地域において著しく、今やNGO無しでは国際社会が要請する包括的な支援を実現することは不可能となっているのである。
加えて、支援ネットワークの構築には次のような問題もある。日本などの先進国では、国全体(各地域)が通信網や流通網がネットワーク化されており、全国どこへ行っても同じ情報・医療サービスを享受できる。しかし、アフリカなどの発展途上国では、各集落単位での孤立した特異な社会を形成しているケースが多く、それが情報や医療サービスの浸透を妨げる結果ともなっている。ブルーリ潰瘍の組織病理学の先駆者のひとりであるウェイン・M・マイヤーズ(Dr. Wayne M. Meyers)博士は、Tackling Two Global Scourges(U.S. Medicine Information Central, 2005)で、この問題を解く鍵が医学的な要素よりも既存する社会経済的問題の解決にあると示している。また、フランソワズ・ポーテール(Françoise Portaels)博士もBruli Ulcer (Mycobacteriology Unit, Institute of Tropical Medicine Antwerp)において同様の見解を示している。
第4章では、支援団体のなかでも日本で数少ないブルーリ潰瘍支援団体である「神戸国際大学ブルーリ潰瘍問題支援プロジェクト(以降、Project SCOBU:Save the Children from Buruli Ulcerとする)」(注2)を取り上げる。Project SCOBUは、小規模NGOでありながら、現在までにガーナ、ベナン、トーゴ共和国、コートジボワール共和国、カメルーン共和国(以降、トーゴ、コートジボワール、カメルーンとする)などの西アフリカ地域を中心として、施設建設補助から罹病した子どもの教育に至るまでの多様な視点から包括的な支援を提供している。
Project SCOBUの活動のなかで特徴的なものとして、ガーナやトーゴ、ベナンへの支援がある。ガーナでは洗濯機寄付などの支援を行っている。現地では巡回診療が主になっているため、携帯用の器具が必要であるが、ガーナの病院(アフリカの多くの病院)では包帯等が不足しており、包帯は手洗いなどによって再利用されている。そのため、清潔さや時間の効率化などを考えると、包帯を再利用するためには専用の洗濯機が必要とされていた。ところが、政府等の公的な支援は医療品等の直接的なものに限られるため、医療関連周辺の支援まで行き届かない。このようなことを考慮し、病院本来の機能を果たせるような支援として、洗濯機や巡回診療に必要な携帯用簡易外科セットの寄付など間接的な医療支援にも携わってきた。これは、支援対象を固定化していない国際支援団体が試験的に行うことで、より広義な支援の必要性と有効性を喚起した支援ケースである。このケースは、WHOブルーリ潰瘍対策専門家会議(WHO Annual Meeting on Buruli Ulcer)で発表され、WHOや他のNGOに大きな影響を与えることになった。
また、ベナンへの「ブルーリ潰瘍こども教育基金」は、「ベナン共和国保健省ブルーリ潰瘍対策プログラム(Programme National de Lutte Contre l'Ulcere de Buruli)」へ基金提供を行い、ブルーリ潰瘍を含む感染症で入院を余儀なくされている子どもたちの病院内教育や治療後の就学復帰を支援するために用いられている。ブルーリ潰瘍は他の病気より治療費がかかるうえに、治療・入院中の食事をはじめとする身の回りの世話はその家族が行っているため、家族が負う経済的負担は大きい。そのことが、子どもたちが就学復帰する際の大きな足かせともなっている。また、ブルーリ潰瘍を患った子どもたちの多くは、手や足の機能になんらかの後遺症をもつことが多く、学校教育とともに機能訓練を受けることで将来の経済的自立を図る必要がある。これらの点に着目し、病院内教育とその延長上で障害となり得る修学復帰支援を実施している。
(注1)Resolution WHA57.1. Surveillance and control of Mycobacterium ulcerans disease (Buruli ulcer). In: Fifty-seventh World Health Assembly, Geneva, 17-22 May 2004. Resolutions and decisions, Annexes. Geneva, World Health Organization, 2004 (WHA57/2004/REC/1).
(注2)神戸国際大学ブルーリ潰瘍問題支援プロジェクトは、難病に苦しむアフリカの子どもたちを支援するために、1999年にキャンパスNGOとして発足し、その後今日に至るまで小規模ながら活発な活動を続けている。本プロジェクトについては、<http://www.kobe-kiu.ac.jp/~buruli/index.html>を参照のこと。
(注3)各地域・集落などを巡回し、病気を発見し治療を受けるように促すことや、啓発活動を通じて正しい知識・情報を提供する役目を担っている。
(注4)「国立感染症研究所」http://www.nih.go.jp/niid/ja/bu-m/1842-lrc/1692-buruli.html 2014年5月1日 閲覧・取得